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2014年1月9日木曜日

アンパンマンマーチを改めて聴く

 あんまよくないことだとは重々承知ですが、かなり昔に下記のYoutubeの動画ことゲームの「ゼルダの伝説」に使われるBGMをオーケストラ演奏した動画にいたく感動して今でも定期的によく聞いております。


 この曲自体はゲームのプレイ中に何度も聞いたことがあるにもかかわらず、改めて高質な楽器と演奏家によって演奏されるとこうも感動が違うのかと音楽の偉大さを改めて感じ入った動画です。私自身は昔からそれほど音楽に素養がなくリアルに5段階評価でいつも「2」だったくらいですが、こういうオーケストラチックな音楽ではほかにも「天地創造」というゲームのサウンドトラックを持っててこのゲームに使われているそれっぽいBGMを何度もかけて聞いており、もしかしたらそういう嗜好があったのかもしれません。
 それで一昨日にふと、我ながら突然すぎるけどさっきのゼルダの曲みたいにありふれた音楽だけどオーケストラっぽくしたら聞き応えがありそうな局はないのかと歩いている最中に考えだし、いくつか案があった中で最初にネットで検索を書けたワードというのが「アンパンマンマーチ オーケストラ」でした。

 なんでアンパンマンマーチが出てきたのか、っていうかなんで突然オーケストラっぽい曲を求めた時点で意味不明ですが、恐らく原作者のやなせたかし氏が昨年に往生されたことが頭に引っかかっていたためではないかと思います。それと共に自分は社会記事も書けばブログ記事も書き、一時期はむしろ小説のがメインだったくらいの活字狂ですが、そもそもの物書きスタートは作詞家になりたいと思ってゲームのBGMに歌詞をつけ始めたことがきっかけでした。自分の本領は長い文章で発揮されるため歌詞という短いワードにいろんな意味をこめてリズムを作るというのは向いていなかったのですぐやめましたが、自分にないものを持っている人は素直に尊敬できるというか、やはり立派な作詞家や俳人には頭が下がります。

 そうしたことを踏まえた上で改めてアンパンマンマーチの歌詞を思い返すと、何故この歌を自分は子供の頃に歌っていたのに大人になって歌わなくなったのだろうかと思うくらいに精緻でありつつ実に情熱の詰まった歌詞のように感じます。これはほかのブログで色んな方々が書いておりますが、やっぱりこの歌は大人になってから歌詞を読むと全然違った意味が見えてくるように見え、それでいて槍で刺しぬかれるかのような強い衝動を胸に覚えてきます。
 具体的にどの箇所が胸を打つのか、私個人としてはJASRACを恐れずに該当箇所を引用すると、

なにが君のしあわせ
なにをしてよろこぶ
わからないままおわる
そんなのは いやだ

忘れないで夢を
こぼさないで涙
から君はとぶんだ
どこまでも

 この部分が私としてはダイレクトに響くというか、失った感情を取り戻すかのような感覚すら得ます。それこそさっきのゼルダの伝説のように、ちょっと音程をクラシック風に変えさせてもらって50人くらいの大合唱にして聞いたら涙が止まらないんじゃないかと思うくらいです。誰かやってくんないかなぁ。

 折角の機会なのでこのまま書き続けますが、私が子供だった頃にアンパンマンマーチの歌詞が話題になると、「愛と勇気だけが友達さ」という部分を揚げ足とって、「アンパンマンって愛と勇気しか友達いないんだぜ」なんて小4くらいの頃によく言ってた気がします。
 しかしこの部分には深い意味があるとされ、というのもアンパンマンマーチの歌詞というのはやなせたかし氏の弟に捧げられた歌だったそうです。その弟は、特攻隊の一員として戦死された方だそうです。

 愛と勇気だけと書かれたのは、飛び立つ際に本当にそれしか抱えられなかったから、友人や家族などを伴わず本当に自分自身で孤独に飛び立たなければいけない中で奮い立たせるものがこれしかなかったからだなどという解釈がなされています。それと同時に、アンパンマンはバイキンマンなどと戦う際に誰かを頼ることは許されず、誰も戦友と呼べるものがいない中で自分一人が犠牲になって戦い続ける孤高を示したものだという解釈もあります。

 前者については私から何も書くことはありません。後者についてはもう少し書くと、ヒーローというのはやはり孤高であるからこそヒーローだという気がします。戦友というものがいれば確かに頼もしいけれど、それは戦友を戦いに巻き込むことにもなり、それであれば敢えて自分一人で戦い続けるという姿勢こそがヒーロー像であると私は考えます。アメコミなどはこうした傾向が強く、バットマンもスパイダーマンも社会のはみ出し者として描かれており、バットマンにおいてはサイドキック(=相棒)と呼ばれるロビンなどのキャラクターも出てきますが、大抵悪役に殺されたりするので「争いに巻き込む」という悲劇を演出しているような気がします。自分もこういうのに影響されているのか知らないけど、やたら一人で孤独に突っ張ることが多いです。ただ単に友達が少ないだけですが……。

 最後の最後にどうでもいいことを書くと、もうこの際だからアンパンマンマーチを日本の国歌にしてもいいんじゃないかとすら思うようになってきました。英語にすると「The March Of Anpanman」でそれなりにかっこよく見えるし、東京五輪の国歌斉唱でこの曲をみんなで歌えば韓国や中国の連中だってもう靖国なんてどうでもいいと思い始めるんじゃないかな。
 でも真面目な話、婉曲の聞いたわけのわからない歌詞なんかよりずっと、単純でありながら強い意志のこもった歌詞の方が胸に響くね。

4 件のコメント:

  1. シンプルな歌詞が心に響くの、わかります。
    私も留学中の寂しいとき、やなせ氏作詞の「手のひらを太陽に」とか口ずさんで、いい歌だなーとあらためて思ったような、、
    戦後の日本人も、「りんごは何にも言わないけれど、りんごの気持ちはよくわかる」と口ずさんで、言葉にならない気持ちを慰めたり励ましたりしてたのでしょうね。アンパンマンマーチも、ずっと歌い継がれていくでしょうね。

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    1.  日本では主に就職活動などで着飾った言葉が求められますが、短くシンプルな言葉ほど自分も気持ちや感情を深く詰め込められる気がします。といっても自分のこのブログは毎日だだ長いですが、そのかわりに言いたいことなどは過激にかつはっきり書くようにして折り合いをつけようと奮闘中です。
       アンパンマンマーチは私もこのまま歌い継がれていき、どんな異郷の地でもこの歌が歌えれば日本人だ的な具合で一つのアイデンティティになってけばとマジで考えてます。

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  2. 中国語versionに作り直したらどうですか?

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    1.  っていうか、中国でもアンパンマン放送され取るし、もう中国語のバージョンもあるっしょ。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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