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2014年3月1日土曜日

ビキニ水爆実験について

 今日から新たな相互リンク先として、下記のブログをリンク欄に追加いたしました。

中国のすゝめ

 このブログは現在、具体的には多分先週から中国の陝西省西安市へ語学留学に行った友人が始めたブログで、また投稿記事数は少ないですが今後に期待しましょう。ここだけの話、この友人は自分の交友範囲の中で最も行動力に優れてて、文字通り何するかわからないところがあるので今後は派手なエピソードとか乗っけてくれるんじゃないかと思います。なおこの友人を除けば、中国にいきなり現地採用を目指して渡るなど自分が最も行動力が高いと自負します。

 話は本題に入りますが、各所のテレビニュースなどで今日はあのビキニ水爆実験からちょうど60周年に当たる日という事なので、ビキニ水爆実験とはどういう事件だったかを自分の寸評を交えて紹介します。

キャッスル作戦(Wikipedia)

 今回紹介するキャッスル作戦、通称ビキニ水爆実験とは1954年に米国がビキニ環礁で行った水爆実験です。当時は米露の冷戦下にあって両国で核兵器開発競争が繰り広げらえている最中もあり、両国ともに時刻が保有する核兵器の威力を内外に知らしめるため示威的な実験を行っておりました。
  そうして行われた数々の核実験の中でもこのビキニ水爆実験が特筆的に取り上げられるのは、その甚大な破壊力に伴い放射性物質が広範囲にばらまかれ、実験前に設定していた立入禁止地域以外にも放射能汚染が広がったためです。その結果、ビキニ環礁周辺の島嶼で住民が居住できなくなるほどの重度の放射能汚染が起こっただけでなく、周辺で漁を行っていた日本のマグロ漁船、第五福竜丸の船員も放射能に汚染された塵こと「死の灰」を浴び、同船員の久保山愛吉氏が事件から半年後に放射能汚染と疑われる症状で亡くなる事態となりました。

 この事件の大きな特徴は、被害を受けた方々に何の罪もないばかりか米国の警告通りに実験区域を離れていたにもかかわらず生死にかかわる事態に巻き込まれた点です。特に第五福竜丸の船員らは広島、長崎に次ぐ第三の被爆と呼ばれ、世界で唯一の原爆を受けた日本の人間が戦争以外でも再び被爆することとなった歴史には閉口する以外ありません。しかし当時の日本政府は米国に逆らえるような力がなかったことから公に非難することも出来ず、、また米国も事件自体をなかったことにするため被爆者に対してあくまで義捐金という形で金を配っただけで、事件の真相調査などには妨害するありさまでした。

 原爆被害というと広島、長崎への原爆投下が大きく取り上げられますが、正確には水爆被害ですが、私はこのビキニ水爆実験についても日本人は忘れるべきでない歴史だと考えます。同時に、これほどまで放射能の被害を受けその恐ろしさを知っているにもかかわらず福島原発の事故を起こしてしまったことに関しても同時に意識しなければならないでしょう。

 最後にちょっとした豆知識というかなんかですが、グラビアモデルが着る水着としてお馴染みのビキニ水着ですが、この水着の語源はなんとこのビキニ水爆実験からという説があります。ウィキペディアの解説によると1946年に米国がビキニ環礁での水爆実験を発表(実際に実験したのは1954年)した際、この水着のデザイナーがその過激さを原爆の威力にかけ合わせるために「ビキニ」と命名したことによるそうです。
 私自身、言葉狩りという行為を非常に嫌っておりますが、ちょっとこの由来を聞くとビキニという言葉を使い続けていいものかと悩みます。代替案としては普通にセパレート水着くらいしか浮かびませんが、今更切り替えるのはさすがに難しいでしょうね。

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