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2014年10月3日金曜日

経済学は現代に価値があるのか?

 先日後輩が電話にて、「どうもブログが身バレしてしまったようです」と話してきてちょっと笑えました。なお私は今の今まで「もしかして花園さん?」っていう具合に身バレ(=ブログなどのハンドルネームでの身分が現実でばれる)したことは今まで一度もありません。まぁ自分でこのブログ書いてて思うけど、一体どんな奴が書いているのかいまいち正体が掴み辛い気がする。一番わかりやすいのは、「日本人は相手が抵抗できないとわかるや途端に狂暴になる」と主張するのは例外なく私だけなので、これを言ってる人がいたら恐らく私です。
 なおその後輩ですが一緒に上海のホテルに泊まった際、何気なく映していたNHKの動物番組のナレーションで、「(クジラが)びっくりして潮吹いちゃった」という音声が流れるや、「なんかエロい響きですね」と言って来たのですが、その時はパズドラもしていてあんま反応しなかったけどなんか後からじわじわと来ました。
 話は本題に入りますがその後輩に昨日のチャットで少し解説して、ブログに後で書くと言っておきながらほっぽって置くと忘れそうなので今日に書くことにします。その内容とは、経済学は現代の世の中において果てして本当に価値があるかどうかです。
 
 まず最初に多くの方にケンカを売ると、現代日本における経済学部の学生ひいてはその卒業者の八割方はカス同然です。恐らく彼らは経済学と商学の違いも理解していなければ、経済学で基礎となる思考法のベース、言うなれば「貨幣の流通を中心において社会や世の中を考える」という思考法すら身に着けていないように見えます。さらにリーマンショック以降はめっきり宣伝文句が見えなくなりましたが、一時期はMBAを経済学の学位だと勘違いしているような記事が散見されましたがMBAの日本語は「経営学修士」であって分類としては経済学ではなく商学に属する学位です。ひどいのになると経学が経学に分類されると勘違いして知った風な口をきく人もいます。
 なお商学の目的というか定義は何になるかついでに書くと、私個人の解釈としては「如何に単一組織(≒企業)の資本を拡大するか」という方法を探るのと、「如何にして正確に単一組織の財務状態(=会計)を分析、予想するか」の二つにあると私は考えています。これに対して経済学は通貨や為替、資源を含めた市場全体での資本価値を捉えます、一国・地域かグローバルかと範囲には差がありますが。
 
 話は戻りますが先日別の友人とも同じようなテーマで話しており、かつて存在したマルクス経済学、古典派経済学はもとより、1990年代後半より日本で勢力を持った新古典派経済学を含め、どの経済学派の考え方で以っても現代の市場は全く読めないし、理解する上で全く参考にならないという結論で一致しました。友人が挙げた一例などはまさにホットなもので、先日米国の証券取引所で史上最高額での上場をジャック・マー率いる中国最大のオンラインショッピングサイトを運営するアリババで、この一社を取ってみても従来の経済学では考えられない急激な成長と事業拡大を実現しており、もはや想定されていない世界に入ってきていると言えます。
 
 先に申しておくと経済学が現代において全く無価値というわけではなく、たとえばカビが生えているマルクス経済学も二次大戦以後の20世紀の世界、特に東側を読み解く上では非常に有益なツールとなります。しかし今後、未来がどうなっていくかを予想することはおろか現代の一国・地域、または世界市場を読み解く上ではあまり役に立たず(現代に至る過程を学んでそこから展開するならまだ価値がある)、同様に一時期隆盛を誇った新古典派経済学もリーマンショックによって完膚なきまでその理論の大半が正しくなかった事が証明され、このところは元気がない上に提言すらまともに聞かなくなってきました。
 今日はやたら脇道に脱線することが多いですが、新古典派の破綻した箇所というのは「可能な限り規制を取っ払った市場開放」と「グローバルな金融」、「グローバル企業のさらなる巨大化による世界市場化」を成長の柱としていた点ですが、この三つによって世界金融市場が野放図(のほうず)になって巨大な債権が生まれたことから、現代ではやっぱりある程度規制が必要、という価値観が強まっているように感じます。
 
 経済学の主目的は何かと問われるならば、市場から今後の世界の行く末を分析、予測することにあると私は思います。しかし現代の経済学は未来はおろか現状把握をする上でも何の役にも立たず、それどころかこのところ学校から離れているのでただ単に私が知らないだけかもしれませんが、積極的に未来を予想しようとする動きすら見えません。厳しく批判をすれば、一部では経済学と名乗りながらやってることは実質商学に成り下がっているところもあるように見え、ちょっと内向き過ぎると思えるしこのまま何もしなければその学問的価値は落ちるところまで落ち込むことでしょう。
 
 では経済学は今後どうあるべきか。やはりその本来の主眼に立ち返って徒手空拳でもいいから現在を分析し、未来を予想することに注力すべきで、言ってしまえば正しかろうと正しくなかろうと新たな流派が作られる必要があると思います。先日追悼記事を書いた故宇沢弘文教授は再生可能なエコな経済を目指しており確かにこれは第三、いや第四の道ではあったものの、私個人としてはやはり理想に走り過ぎていてもっと実現性のある、現実感のある思想が必要だと感じます。
 じゃあ私はどんなのが今いいのかと考えているのかですが、故岡本太郎じゃないですが、創造というのは破壊の後に生まれるというのが実は考えの根っこにあり、これから創造していく未来を考える前にまず現代の矛盾なり混沌なりといった腐食した部分を根こそぎ破壊することが先決ではないかと考えています。どう作っていくかではなくどう破壊するか、これが重要であり、破壊を経ずに創造しようだなんて順序が逆じゃないかと思うわけです。
 突き詰めて何が言いたいのかというと、「堕ちるとこまでまずは堕ちよう、話しはそれからだ」というのが偽らざる私の真情で、どう立て直すかよりもどう効率よく破壊するかについて経済学は今後考えるべきではないでしょうか。
 
 改めて思うことですが、やっぱり自分の思想や考え方は明らかに危険極まりないと我ながら感じます。ただ言い訳をすると、将来1万人を死なせるくらいなら今100人をすぐ殺すべきだと、たとえ自分がその100人の中に入っているとしても絶対的に支持します。

2 件のコメント:

  1. 社会学は世の中にどんな価値があるでしょうか?ご意見を聞きたく。

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    1.  社会学は世の中に夢と希望とちょっとしたウィットを与えるよ!ぶっちゃけ、トリビア的なものが多いし……。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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