2012年7月6日金曜日

無抵抗の相手をいたぶる日本人の特質

 先日、またも会社でNHKを見ていたら駅員への暴力が昨年に過去最高を更新したと報じておりました。何かニュース原稿はあるかなと思ったら以下のサイトがあったので、念のためはっつけておきます。

駅員らへの暴力 過去最悪に(NHK)

 ただ過去最高とは書いてありますが、私自身は一時期よりは減っているのではないかと勘繰っております。というのも以前は暴力事件、それこそ駅員が殴られたり蹴られたりしてもわざわざ報告したりせずに認知されることがなかったと思うので、社会的に認知されるようになって見かけの件数だけ増えているのが実情だと思います。
 私が何でこんな風に思うのかというと、実は友人に阪急でバイトしている人間がいて、彼から話を聞くとしょっちゅう同僚が殴られていると聞いていたからです。殴られる理由はそれこそ千差万別ですが、いきなり発車時刻聞かれて即答できなかったとか本当にくだらないことばかりだそうです。なお殴られる人間については、意外にも背の高く大柄な人ほど殴られやすく、逆に小柄だった友人は暴言は吐かれても殴られることなかったそうです。

 以前にも同じテーマで私は、日本人は相手が抵抗できないとわかるや極端に暴力的になる傾向が全体としてあると指摘しましたが、結構頑張って主張している割にはなかなか浸透していないようなので、こうしてもう一回書くことにしました。折り悪く、というべきなのか滋賀県大津市の中学校で未だにこんな事件が起こってしまうのかと感じさせられるいじめ自殺事件が話題となっておりますが、決して誇張ではなく、日本人はもっと私の主張する特質を自分自身で理解した方がいいと思えます。

 ここで話を少し変えますが、では一体何故日本人はこうして無抵抗の相手をいたぶろうとする形質を持っているのでしょうか。多分本気で追求したらライフワークにするくらい、過去の歴史とかそういったものを全部洗う必要があるでしょうけど、仮説だけでいいのなら「締め」というものの価値観が影響しているんじゃないかという気がします。「締め」とはそれこそこれ書いてる最中に咄嗟に思い浮かんだ言葉ですけど、どうも日本人はほかの外人と比べて、最初にスタートする際にはあれやこれやと綿密に計画を練る一方、どの程度に達したら行動や活動を止める、ある一定のラインに達するためにはどのように行動するかというような、到達目標に関してはあまり考えないような傾向がある気がします。一番大きな例を持ってくる太平洋戦争で、アメリカと戦うほどに何を求めたのか、またどこでケリをつけようと考えたのか、どこまで言ったら戦争を辞めようと考えていたのか、こういったところは完全に無視されていました。

 そのほかにもどこまで行けばリタイアする、どのラインを割ったら撤退する、ここまで我慢したら離婚するという、あまりにも明確過ぎるとそれはそれで問題ではありますが、なんかこういうところがほかの国と比べて曖昧な感じがします。撤退線の見極めが悪いというか。
 最初のいじめの話に戻っても、どこまでいったらやり過ぎなのか、いじめていた本人らを始め周囲がどうも理解していないというか無視しているとしか思えないところがあります。よく日本人は自分たちの特質をなんでもかんでも「曖昧」の一言で片づけようとしますが、最近私はなんだか、こうやって曖昧で片づける点も含めて、ラインを作ったり深く考えようともしないほど面倒くさがりなだけなのではないかと思うようになってきています。なんにしても、「引き際が肝心」という言葉はもっと評価されてもいい気がします。

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