そういうわけで再び始まるこのマッドシティシリーズ。今日は恐らく私だけでなく、少年時代に松戸近くで住んでいた人なら確実に覚えているであろう一つの模型店を紹介します。その模型店というのも、「わらそう」というお店です。
わらそうは松戸駅から歩いてすぐ行けるほど近い距離にあった模型屋です。今でも「松戸 わらそう」とネットで検索を多くの人間がその存在を懐かしむページが引っかかるほどですが、実際にその在りし日を見ていた私からしても非常に思い入れがあるお店でした。私自身は松戸市に隣接した自治体で育っておりますが、子供の頃からプラモデルを買いに行くとなると家の近くにある模型店も使う一方、友達と一緒にわざわざ電車を乗り継いだり、自転車漕いだりしてまでもこのわらそうへ訪れていました。
一体何故それほどまでにこのわらそうは多くの少年(+おっさん)に親しまれたのか。理由はいくつかあるでしょうがその中でも特に大きなものとして私が挙げるとすれば、その広大な店舗面積とそれに付随する圧倒的な品揃えの良さでしょう。わらそうの店舗はちょっとしたファミレスくらいに広くて模型店にありがちな狭い店舗内に模型の箱をぎっしり積み重ねるといったことはせず、整然と商品を並べて通路も大きく取り、この一点だけでも他の模型店とは一線を画しておりました。
またそれだけ広いこともあって軍艦や自動車といった定番プラモはもちろんのこと、ガンプラからミニ四駆といった子供向け、そして大人向けの鉄道模型まで幅広く、多彩なジャンルの模型を一つのお店で揃えていました。そのため親子連れが来ても子供はミニ四駆、父親は鉄道模型などを互いにじっくり見られるので、実際に私とビンラディンだった親父もよく連れ立って一緒に訪れていました。
私がこのわらそうで主に購入していたのはご多分に漏れずガンプラがメインでしたが、大体小学校中学年くらいから歴史に興味を持ち始め、その頃辺りからは城郭のプラモに興味を持って実際に買って作ったもので確実に覚えているのは和歌山城、松山城、安土城、姫路城といったところです。なおミニ四駆は一応私の頃も流行りましたがどうにもはまることが出来ず、一台だけ作ってそれこっきりでした。
そのほかわらそうで購入したもので覚えているのは、名前はさすがに失念しましたが一隻だけタミヤの駆逐艦も小学生時代に作っています。ただ当時はミリタリーにははまっておらず、またその駆逐艦を作るのにも難儀して「その次も」というチャレンジ心も起こらなかったので折角の機会をふいにしてしまいました。もうちょっといろんなのを作って学んでおけばよかったものを。
その後、私が中学生になるとこのわらそうに行く機会、というより模型を作る機会がすっかりなくなってしまいました。大きな理由はありませんが周りでも作っている人間は減りましたし、自然と離れていったような感じです。その後大学生になって京都行って、長期休みの時に何気なく自転車で走っていたら、「あれ、ないじゃん?」と気が付き、その時になってわらそうが閉店したことを知りました。もしかしたら大学生じゃなく高校生の頃だった可能性もありますが、ちょっと記憶が曖昧です。
なおビンラディンだった親父に「わらそう潰れたで」と報告したら「ほんまか!?」とえらくびっくりした反応されただけに、親父も相当思い入れがあったんだと思います。
このわらそうの閉店後、この店が松戸近郊の少年たちの間で絶大な支持を得ていたことに気が付いたのはひょうなことがきっかけでした。私の知恵袋的な友人はこの松戸市の出身で私の家とも近いことからお互いに成人後、なにやら地元トークで盛り上がり、その際にこのわらそうも上がってきました。
花園「わらそうって店、覚えてる?」
友人「覚えてるも何も、俺の兄貴がそこでバイトしてた」
やはり同郷で同年代ということもあり、この友人もわらそうを何度も利用していたそうで、また上述のように親類がアルバイトしてたとのことでこの店のことを強く覚えていました。今回この記事を書くに当たって何か覚えてることあると聞いたところ、「道路に面したショーウィンドウの中にある等身大ヨーダがやけにリアルできもかった」と返してくれてそれを聞いて私も、「ヨーダとかいたよなぁ。めっさ懐かしいわぁ」とちょっと盛り上がりました。なお、確かそのショーウィンドウの中にはC3-POなどほかのスターウォーズのキャラも等身大で入ってました。
最後に模型の話をもう少しすると、中学高校大学時代は一切作らなかったくせに何故か社会人になってからまた興味を持ち出して、ランエボを始めとするスポーツカーの製作に一時期はまっていました。やはり改めて模型を作ってみると自動車の構造について理解が深まり、また指先の動きが脳の活動と完全に一致するといえるような、集中力を伴う模型の製作作業は久々にやると非常に新鮮な感覚をもたらしてくれました。いっぱい作る必要はありませんが、たまに作る分にはすごくいい気分転換になるのでまだ少年の心を失っていない男性の方には実はお勧めです。
かつて「わらそう」のあった土地は現在駐車場に
どうでもいいけどこの辺り駐車場が多過ぎ
横にある「カプリチョーザ」は昔も今も現役です
<追記>
コロナの影響か、2020年10月12日をもって上の写真のカプリチョーザが閉店したとのことです。松戸仲間の友人がどうやって見つけたのか知らないけど、上記ニュースを教えてくれました。
なおカプリチョーザに私はリアル髀肉の嘆状態だった2013年に1回だけケーキセット食べに寄ったことがあります。近くに通っている他の喫茶店があったためその後カプリチョーザに行くことはありませんでしたが、雰囲気や味は悪くなかったことをよく覚えています。
<2023年8月1日追記>
先ほど松戸のソウルメイトから、わらそう跡地にマンションができると向こうから知らせてきました。これでわらそう跡地で再興する夢も絶たれたということになり、寂しさもひとしおです。「わらそう跡地」みたいな石碑でも立ててくれないかなぁ( ;∀;)
この記事に関し、no commentさせて頂きますわ。
返信削除そらそうやな。逆にコメントされるほうがビビるわ。
削除俺も散々わらそうには出入りしてました。いい店だったが、儲からなかったのだろうか。
返信削除inoue04さん、コメントありがとうございます。
削除わらそうに限らず全国各地で模型屋は2000年ごろから潰れていきましたから、単純に子供の数が減ったというのが大きかったのでしょうね。もし復活したら軍艦やスポーツカーの模型目当てに、毎月一回は通うんですけど。
初めまして。偶然にこの投稿を読んで、あまりに懐かしくてコメントさせてください。
返信削除散々に買い物しました。タミヤの戦車プラモを何台作ったことか。初めてモデルガンを買ったのも、ラジコンパーツも数知れず、小学生時代に本当にお世話になりました。。。でも、跡形もないんですね、今はもう。
コメントありがとうございます。
返信削除一連の松戸関連記事の中でもこのわらそうの記事は特別思い入れがあるだけに、こうして共感していただける方からコメントがいただけて光栄の限りです。私も子供ころはここで楽しい思い出を作らせてもらっただけになくなってしまった今はさびしい限りですが、こうして思い出を共有している方に記事を読んでもらえたという事実は本当にうれしく思えてきます。
はじめまして。
返信削除先日の「モヤさま」が松戸特集だったので、「わらそう」を思い出し検索した結果、たどり着きました。隣町住人で、もう40年くらい前に自転車で通っていました。松戸の「わらそう」、柏の「山本模型(こちらは健在)」といえば模型好きならではのお店です。 現在は駐車場なんですか・・・。この写真は駅西口にあった場所だとおもいますが、それ以前は東口にありましたよね? ショーケースの中の(確か)ブルーメタリックに塗られたDaxを今でも思い出します。あぁ、なんていい思い出!
コメントありがとうございます。
削除この記事書いてから大分年月経つのにこうしてまだコメント来るということにわらそうの偉大さを改めて思い知ります。ショーケースの中の模型は確かにたくさんあり、印象に残っているものは個人によって結構変わるのが面白いです。
写真の場所は仰る通り駅西口で、東口にも店舗がありましたけどさすがにどのあたりだったかやや記憶があいまいで、写真も撮影していません。松戸は二、三年くらいはまだそれほど変化がなかったものの、このところ再開発が本格化してきて様変わりし始めていますが、何か建設されるのは高層マンションばかりで少し味気なくなってきています。この際だから有志でわらそう復活させてみたいです。
今、松戸は伊勢丹の存続で市がもめてますが
返信削除『わらそう』こそもめるべき案件でした。
わらそうがなくなった時点で
松戸の魅力は10%以下に落ちました。
昔は頑固な店主を横目に通いつめてました。
コメントありがとうございます。
削除松戸伊勢丹のニュースは見ていますが、思い出深い場所なので残ってほしいなと内心思っています。でもってまさかこの件でこうしてまたわらそうの記事にコメント来るとはと、苦笑しながら読ませてもらいました。
しかし実際のところ、わらそう一つで松戸の魅力10%というのはよくわかりますし、それ以上あったかもとすら思えます。ああいう場所があってこそ松戸であって、確かに小汚い街ですがまた昔のような情緒ある風景が復活してほしいものです。
わらそう探索で辿り着きました
返信削除閉店の報を聞いた時は愕然としました
閉店理由ですが、知人の話しでは、後継ぎが居なかったからとか、店主さんが「もう満足」と感じたからとか
閉店セールにも行きましたが、安く買えるかもと思ったのではなく、最後の時を感じたかったでした
本当に惜しいお店をなくしました
コメントありがとうございます。
削除本当に惜しい店だったというか、こうして今でもコメントをいただけるあたりすごいお店だったのだなと改めて感じます。わらそうの閉店時、私は大学進学で松戸を離れていたため、長期休みで帰省した際に久々に行ってみたら既になくなっていたのですが、このときは自分の運命を呪いました。
わらそうに関する思い出は、自分のライフステージとも関連します。
返信削除あの頃の自分は大学院生で、ラボをサボりながら、松戸を散策していた。
進路に悩んでいた自分にとって、わらそうの模型を眺めたり、時たま買って作ったりすることが、箱庭療法みたいなセラピーになっていたと思います。
コメントありがとうございます。
削除セラピーという感想は非常によくわかります。この記事の中でも書いていますが、わらそうの店内や周辺は独特な空気があり、普通のプラモ屋と違って不思議な空間でした。最近になって私は戦闘機のプラモをよく作っているのですが、今思い出すともっと子供の頃にわらそう通って作っておけばと思えてなりません。
じつは「わらそう」検索で此処に漂着しました
削除おもちゃ問屋のひとに、聞いたハナシでは
オーナーさん(地主だからこその広大な店舗)の代替わりで…と
聞いてます
まぁ伝聞なんで精確かはイマイチです
おかげさまでわらそう検索ランキングでこの記事が上位に来させてもらっていますが、未だこういうコメントが絶えない辺り、その人気は不滅のような気もします。
削除弊店に至る大分時間も経っていることから今から追っかけるのは難しそうですね。ただあの松戸駅東口周辺の土地はいろいろ訳アリなのは昔からで、オーナーの胸先三寸というのも理解できない話じゃないです。
私が子供のころ、最寄りの稔台駅から松戸駅までの運賃が片道10円だった。
返信削除わらそうで売っていたミニカーは180円で、200円持ってよく通っていた。
もちろん消費税はまだなかった。
コメントありがとうございます。
削除地味に駅前にあって、電車で行きやすいお店であったというのは自分も大きかったと思います。自分も自転車か電車の二択で、電車で行ったときは帰りの電車の中がとても楽しかったのを思い出しました。
松戸市出身ですが死ぬほど懐かしいです。
返信削除小中高とほとんどお金もなくて、交通費すら貴重な中何度も通いました。
いつか大人になってお金に余裕ができたら模型作りに精を出そうと思っていたらいつの間につぶれちゃってましたね。
たしか2000年代前半だったと思いますが、久しぶりに行ったら駐車場になってたときの衝撃は今でも鮮明に覚えています。
コメントありがとうございます。
削除私が店がもうなくなっていたのを確認したのは2003年のことですから、この前後に閉店したのは間違いないでしょう。私もあるべきものがそこになく、「えっ、なんで?」と激しく動揺したのを今でもよく覚えています。現代の子供たちにも、もっと模型作って、こういう思い入れのある模型屋のような存在が出来てほしいものです(´;ω;`)ウッ…
ノスタルジックに浸りながら拝見させて頂きました。わらそう、輝竜会館、サニーランド、アーバンヒル…。良い思い出です。
削除コメントありがとうございます。松戸なんてしょっぱい街だと思いつつ、なんやかんやと思い出に浸れるところは結構あるんですよね。そういう思い出をなるべく記録しておこうという気持ちで一連のマッドシティ記事は書いています。
削除はじめまして。
返信削除松戸で育ち、とても思い出深い「わらそう」定期的に思い出しては検索してしまいます。
子供の当時、祭りの時にいつもよりお財布の紐が緩んで毎回なにかしら買ってしまっていた思い出があります。
とても良い思い出です...
ちなみにダイエーの近くにあった「ウィン」も思い出のお店です。
知っていますか?
コメントありがとうございます。
返信削除松戸、とくに新松戸まつりは南流山に住んでた私も毎年楽しみで、小遣い予算を明治の代議士みたく激しく要求しては戦地に乗り込んでいました。
「ダイエー近くのウィン」に関しては誠に申し訳ないのですが思い出せず、どういう店だったか記憶に定かでありません。新松戸のダイエー近くなら、同じシリーズに書いてある「レッドロブスター」と、ゲーム屋の「わんぱくこぞう」ならはっきり覚えているのですが。ダイエー前は今年初めにUFJ銀行にも去られたけど、また盛り上がるようなお店とかできてほしいです。