そういうわけで本題に入りますが、なんかまたスピリチュアルな記事が続きますが先日友人に下記の本をプッシュされました。友人曰く、NHKがこんなオカルトネタを取り扱ったこと自体がなかなか面白いとのことです。
この本はNHKが特番向けに取材した内容がまとめられ筆者というかプロデューサー曰く、通常の超常現象番組は始めから肯定的であるか、また否定的であるかという立場を鮮明にしていることが多いが自分たちは現代の科学でどこまで超能力を分析できているか、そしてどの点が未だに分析できていないかを明らかにするというアプローチをしていて他の番組とは異なっているとアピールしてます。もっとも、読んだ感じだと必ずしもそういうわけじゃないのでは、ほかの番組でも似たようなアプローチしているのもあるようなという気がややしました。
先に本の感想を述べると前半は心霊現象を取り扱っていて取材班も実験に参加するなどしてそこそこ面白く感じられましたが、後半の超能力の下りは読んでて研究している科学者の意見をそのまま右から左に書いていることが多く、正直に言って読んでて退屈しました。前半は取材に参加したメンバーの生の意見も数多くあったのに後半はそういうのが全くなく、多分書いてて飽きちゃったんじゃないかな。
そうした感想はここまでにして今日の本題ですが、この本の中では臨死体験についても触れられています。
・臨死体験(Wikipedia)
上記のウィキペディアのページがやけに充実していてかなりびっくりなのですが、臨死体験と言ってそれが何かわからない人はそんなにいないと思います。よく三途の川が見えたり幽体離脱をしたりなどと様々なバリエーションがあって、体験談などは確かに読んでて楽しいです。なおどうでもいいことですが「三途の川」は英語にすると「Son’s river(子供たちの河)」となるのかな、賽の河原と関係あるのかななどと昔に一瞬だけ考えました。
この臨死体験でよく出てくるキーワードに、「光のトンネル」というものがあります。さっきのNHKの本にも出てくるのですが、臨死体験者が意識を失った辺りから暗いトンネルを歩いていて、トンネルの出口方向に光が見えるからそっちへ向かって歩いて行ったというところまでは多くの人間で共通しており、出口に出たところで意識が戻った、または三途の川が出てきた、もしくは既に死んだ知人や親類が待っていたという話へ分岐していきます。
結論から述べるとこの臨死体験で見えるトンネルは幻覚の一種で、脳が見せる生理的な映像に過ぎないと私は考えています。なんでそう言い切るのかというと、ぶっちゃけ私も似たようなのを見ているからです。
知ってる人には有名ですが私は過去に二回ほど癲癇の発作で気絶したことがあります。初めて気絶するまでは「人間が急に倒れるなんてことが本当にあるのかよ?」と思ってましたが実際に倒れてみて、「ほんまやったんや……」と自分の認識を改めました。なお気絶してから飲み始めた薬の影響からかここ数年は吐き気を催させる癲癇による発作すらなくなっていますが、自分の飲んでいたのは軽症向けの精神安定剤だったため薬局へ買いに行く際はいつも「うつ病か何かですか?」と聞かれてましたが、うつ病に見えるのかな自分の見た目は?
話しは戻しますが気絶した際の話を書くと、当日は癲癇による発作(当時はまだそれが癲癇だとはわかっていなかった)で強い吐き気を催していて、「気持ち悪いし早退しようかなぁ」とか思っていた所で記憶が途切れています。次に目が覚めたというか意識があったのはストレッチャーで運ばれている最中で、近くにいた人によるとなんか必死に酸素マスクを外そうとしていたそうです。
この時の感覚はよく覚えており、酸素マスクから供給される空気がとにもかくにも濃い空気に思えて普通の空気を吸いたいと考えて外そうとしていました。ただ視界は全く見えず、というか光が一面に広がっている真っ白な状態で自分の姿はおろか周囲すらも識別できず、かろうじてローラーの回る音、自分が何かに載せられているという触感があったことからストレッチャーで運ばれているということは理解できました。
この時の視界が肝ですが本当に光一面真っ白で、Zガンダム風に言うならリアルに「光が……広がっていく」と言いたくなる状態です。しかしストレッチャーが建物外に出たところでまた意識が途切れるのですがこの時の視界というのがまさに臨死体験のトンネル同様、視界の周囲から徐々に黒い影が広がっていき白い光が真ん中の方に徐々に収縮されていくような見え方で、当時はそうとは思いませんでしたが見方によればトンネルのようにも見えない気もしません。
恐らくこの時私に起こっていたのは、上記のウィキペディアのページ内でも解説されている酸素の欠乏か脳への血流異常による視野狭窄現象だったと思います。まぁあのページ内にはストレートに側頭葉癲癇説も書かれてますが。
少なくとも私の体験した視野狭窄はレンズで光を絞るかのように周辺が真っ黒くなっていき中心に光が収束するようなもので、意識が混濁した状態であればトンネルに見えたり、まさに自分がそのトンネルを歩いているような感覚を覚えるのではないかと思います。なもんだから臨死体験に出てくるトンネルは幻覚の一種で心霊的な要素はあんま持っていないんじゃないかというのが私の持論です。もちろん絶対的にこれが正しいというわけつもりはないですし、もしかしたら本当に青函トンネルとかユーロトンネルが出てくる臨死体験もあるかもしれませんが、トンネルを見たという臨死体験者の大半は実はただの幻覚だったのじゃないかと言いたいわけです。
もう一つ臨死体験者に起こりうる話で内心眉唾だと考えているものに、臨死体験後の心境の変化です。臨死体験者はその体験後に世界の見方が変わった、以前以上に生きていることを幸福を感じられるようになったと大半の人間が証言していますが、そんなの私に言わせれば危機一髪な目に遭えば誰だってそう思うよという気がします。登山中で死にかけたりとか大怪我を負ったとか、乗る予定だった飛行機や船が事故に遭ったとか、そういう体験をした人も結構似たようなことを話している気がします。
ただある意味癲癇キャリアだからこそ言える一つの話として、他の人は知らないけど癲癇の発作が収まった直後というのはそれまでのゲロゲロ状態から打って変わって一時的にとんでもなくハイになります。実際に使ったことはもちろんありませんがドラッグを使った状態ってのは案外こういうものなんじゃないかと思うくらいに体が軽くなり、気分も高揚し、心なしか頭の回転や発想も良くなっていた気がして、すっかり癲癇発作がなくなった今でもたまにあの時の感覚をもう一度感じたいと思うくらい気分がよかったです。もちろん発作がないに越したことはありませんが。
以上が臨死体験で私が眉唾だと思う症状に対する主な意見ですが、やはり全体を通して大半の臨死体験は脳がみせる幻覚だと思います。そう思う根拠として臨死体験で見られるイメージは文化的な影響が強く、たとえば日本人なんかは「三途の川」を見ることが多いのに対して欧米人はキリストのような光る人間のイメージが多く出てくるそうです。また同じ日本人でも以前は閻魔大王が出てくることもあったそうですが、最近の症例だと閻魔大王はこのところ出演機会が減っているとも聞きます。
ただ一つだけ私が気になることとして三途の川を見た臨死体験者に聞きたい点があり、三途の川のほとりには「奪衣婆」はいたのかどうかという点です。話しを聞いてる限りだと「なんか知らないババアがいた」と話す人はほぼ皆無に近いのですが、注意してみたら案外いるようにも思えるだけに誰か確かめてくれないかなと密かに期待しています。
キミはホラー映画が好きですか?
返信削除実際かなり好き。色々見て来たけど、最近はスプラッター系が多すぎる気はする。
削除はじめまして。興味深く読ませていただきました
返信削除>もう一つ臨死体験者に起こりうる話で内心眉唾だと考えているものに、臨死体験後の心境の変化です。
>臨死体験者はその体験後に世界の見方が変わった、以前以上に生きていることを幸福を感じられるようになったと
>大半の人間が証言していますが、そんなの私に言わせれば危機一髪な目に遭えば誰だってそう思うよという気がします。
この点ですけれど、臨死体験者と未体験者の比較実験が既に行われており
臨死体験者に起きた心境の変化は、単に死にかけただけの者には起きなかった
という結果が出ていたと記憶しています。
研究者はリングかグレイソンかセイボムだったか、ちょっと忘れましたが…2人ほどいた気がします
いす様、コメントありがとうございます。
削除>臨死体験者に起きた心境の変化は、単に死にかけただけの者には起きなかったという結果が出ていたと記憶しています。
この実験の話は初耳でした。もしそうだとすると、確かに霊的な臭いを感じますね。興味を覚えるので機会があれば自分でも調べてみます、教えてくれてありがとうございました。
ちなみにこの辺りの、生きてることに喜びを感じるようになったというくだりは書きながらホラー映画の「SAW」って映画を思い出してました。実際のあの映画で殺人鬼ジグソウに狙われた人間は臨死体験というか普通に死にかけますが。