先日友人と会話した際、「日経トレンディって雑誌名がもはやトレンディじゃないよね」ということを話しました。なんとなく加齢臭がするというか。
この「トレンディ」という言葉に限らず、言葉というものはひとたび時間が過ぎればあっという間に死語と化していきます。ただ死語として扱われるのはまだいい方で、中には死語になったことすら言及されずに使い捨てられ忘れ去られていく言葉も少なくありません。敢えて言うなら「行方不明」扱いで死亡認定が出されないままの状態なので、今日は一つ死亡認定をするべき言葉を思いつく傍から書いてきます。っていうか早く寝たい。
・Web 2.0
これに限らずIT用語は流行り廃りが非常に早いのですがこのWeb 2.0は言われ始めてから一年二年はそこそこ使われましたが、ムーアの法則と違ってこの概念は現実には実際起こり得ないということが認識されるやあっさりと廃れました。
Web 2.0の概念を私なりに説明すると、インターネット上でサービスの発信者に対しそのサービスの受益者が利用、応答することによって当該サービスの付加価値が高まったり、あらたなサービスへと発展してくいわゆる双方向的な発展を意味しました。代表例としては書籍になった「電車男」で、これは2ちゃんねるというプラットフォームに利用者が掲示板にコメントを書きあうことで一つの作品に昇華した例ですが、Web 2.0の提唱者とその周りの人間ですら、「ネット上にはアホとカスしかしない」と言い切り、双方向的なアプローチを開いたところで付加価値の増大には何もつながらなかったと反省してます。実際、電車男以降はそんな聞かないしな。
・ユビキタスネットワーク
同じくIT用語ですが、一時期はパナソニックがやたらと自社の家電に「ユビキタス」という言葉を使って宣伝していて、なんかムカつくから自分が各記事には一切「ユビキタス」という言葉を使わないでおいたら上司に怒られたことがありました。
この言葉の概念も私の言葉で説明するとしたら、「全方向アクセスネットワーク」といった意味です。要するに誰でもどこでも何使ってもアクセス可能で、前述のパナソニックは携帯電話から接続、操作できる冷蔵庫を作って「ユビキタスネットワーク」などと主張していましたが、携帯から冷蔵庫に対し何を操作するのか今を以ってしても意味不明で、案の定、今の冷蔵庫にはそうした機能がついてないことから無意味な機能だったのでしょう。
なお最近は家電メーカーを含めやたらと「IoT」って言葉が多用されますが、これも同じような末路を辿ると予言します。というのもこの言葉は「Internet of things」の略ですがそもそもこの一文自体かなり意味不明だし、和訳も「モノのインターネット」とよく書かれ、記事書いてた私ですら「意味わかんねぇし主張してる奴らは馬鹿じぇねぇの」と内心思ってました。変な横文字でいまいち意味がわからない言葉は流行りやすいですが廃れやすく、なおかつIoTの具体例を挙げるとすればプリンタが紙を印刷するといったもので、要するに電子データの出力以外の何物でもありません。この言葉を使っている連中は言葉を使っているつもりで、逆に言葉に使われているのだろうとみています。
・NISA
IT用語から経済・金融用語に変わりますが、一応現役の制度ではあるもののもう死語認定してもいいんじゃないかと思うのがこのNISAです。これは非課税となる投資枠制度で新規投資家を増やすために作られた制度であるものの、通常の投資講座とは別に口座作る必要があったり、投資枠に上限があったりなどとやたらと制限多くて見ていてかえって複雑な気がしてなりませんでした。開始当初でこそ証券会社がCM作って口座開設を訴えましたが現在に至っては何のPR広告も見かけず、そもそもまともに運用されているのかどうかすら疑問です。
上にも書いている通り、変に横文字使うのはすぐ廃れるし、あと制度関連だと「ホワイトカラーエグゼンプション」を始め何か意図的な隠蔽要素も見受けられるので疑ってかかるべきでしょう。
・ピケティ
本人はもちろん死んでいませんが、去年もしくは一昨年に日本で流行ったという経済学者です。時期の記憶が曖昧なのは私が去年も一昨年もほとんど日本にいなかったからです。
彼の名前があちこちに出始めた頃、恐らくこのブームは一過性で終わると考え有名どころの経済学者の理論は一応はチェックする私ですが、このピケティ氏については一切ノーチェックで済ませました。何故一過性で終わると判断したのかというと、「ピケティ」という名前はあちこちで報じられながらも、彼がどのような主張や理論を持っているか中身について誰も言及していなかったからです。要するに名前だけしか見えず、こうしたブームは往々にして中身を伴っていないのだからどうせ翌年には誰もがこの名前を忘れるだろうと思っていたら本当にそうなりました。
・~過ぎる~
これも一時期流行りましたが「美人過ぎる市議」とか、「美人過ぎる店員」等、今思うと安直なネーミングだったなぁと思えてならず、時代が建ったのもありますが古臭さと共にそこはかとないダサさを感じます。同時期には「~王子」という言葉も出ましたがもはやこのニックネームは日ハムの斎藤投手(ハンカチ王子)専用といってもよく、ゴルフの石川遼選手は「ハニカミ王子」から卒業したのと比べるといろいろとこみ上げるものがあります。
ほんとどうでもいいですが、日ハムの大谷投手兼打者も時代が時代なら「二刀流王子」と呼ばれてたのかな、もしそうだったらホモネタが好きな腐女子はどんな反応してたのだろうか気になります。実際、「さばげぶっ!」という漫画の作者の松本ひで吉氏が女子会で、レズの友達が野球の話で大谷選手の二刀流や補殺について触れるや、「それってレズ的な意味で?」とみんなしてツッコんでたそうです。でもって女子会終ったらそのレズの子からメールで、「おつかれず」と送られてきてじわじわ来たとツイッターで書く当たりこの作者すごいなと戦慄を覚えました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
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2016年8月31日水曜日
2016年8月30日火曜日
築地市場移転時期の延期決断について
・築地移転、直前に延期決断=豊洲土壌の安全確認優先―31日に表明・小池都知事(時事通信)
結論から言えば時事通信にも公平性に欠ける記者がいるんだなってことです。眠たいから早く書いて切り上げようっと。
先の都知事選を制した小池百合子新都知事は本日、11月7日に実施する計画であった築地魚市場の豊洲市場への移転時期を延期すると発表しました。私としてもこの決断はもっともなものだと思え、小池知事が期待した通りまともな人だったと思うとともに今まで放置してきた責任者の無能がについてややらイラつく次第です。
そもそもこの移転計画は発足当初から様々な批判や問題点が指摘されていながら官側が強行するような形で推し進められたところがあります。特に小池都知事が今回の延期を決断した大きな理由の水質検査に至っては、最終的な検査結果が出ていないにもかかわらず移転が決断された上に建設工事まで始められ、順序が違うといちいち言うのも馬鹿馬鹿しい上にそこまで急ぐ理由ってのは一体何なのだと勘繰りたくなるのも自然でしょう。また既に建設済みの施設についても業者側から狭いなどとクレームが出ており、一体誰が計画したのか、見せしめのために誰か一人くらいは差し出してもらいたいようなお粗末ぶりです。
私が言うまでもなくこの移転計画はどうみたって利権ありきで推し進められており、現に移転が間に合わないとオリンピック向けの都市整備に係る道路建設工事が始められないという明らかに論点のおかしなこと取り上げて時事通信も小池都知事へ批判的に書いており、また一部週刊誌というか週刊文春もこの道路建設工事にある都議の関わる会社が噛んでいると報じており、膨れ上がるオリンピック予算と合わせてこの際だから一年くらい計画を延期してでも精査を行うべきだと私は考えます。
そして場合によっては、移転計画自体を白紙にしてもいいとすら思っています。というのも国立競技場も「早くしないと間に合わないから」という理由で無理矢理急いで推し進めた結果、膨大で不必要な出費を迫られることとなり、また不完全な土地で不完全な施設を使うことによる損害は一過性ではなくその後もずっと続いて高くつくことも十分あり得る、というか確実にそうなるのが目に見えているので、「疑わしきを完全排除する」という意気込みで小池都知事にはこのまま取り組んでもらいたいです。
なおどうしても出費された費用について穴埋めが必要というのなら、不正にかかわった人間や組織の財産でも没収して適当に穴埋めりゃいいと思います。私の持論ですが日本には有限責任なんて概念は存在せず社会全体で無限責任が適用されるのだから、国家事業なんだしこれくらいやったってありでしょう。
それにしても、リンク先の記事で小池都知事と2ショットしているのが都知事選に立候補する予定だった宇都宮健児氏っていうのがまた痛烈な皮肉です。2ショットをわざわざ拒否した自民都議の連中は早く消えないかな。
結論から言えば時事通信にも公平性に欠ける記者がいるんだなってことです。眠たいから早く書いて切り上げようっと。
先の都知事選を制した小池百合子新都知事は本日、11月7日に実施する計画であった築地魚市場の豊洲市場への移転時期を延期すると発表しました。私としてもこの決断はもっともなものだと思え、小池知事が期待した通りまともな人だったと思うとともに今まで放置してきた責任者の無能がについてややらイラつく次第です。
そもそもこの移転計画は発足当初から様々な批判や問題点が指摘されていながら官側が強行するような形で推し進められたところがあります。特に小池都知事が今回の延期を決断した大きな理由の水質検査に至っては、最終的な検査結果が出ていないにもかかわらず移転が決断された上に建設工事まで始められ、順序が違うといちいち言うのも馬鹿馬鹿しい上にそこまで急ぐ理由ってのは一体何なのだと勘繰りたくなるのも自然でしょう。また既に建設済みの施設についても業者側から狭いなどとクレームが出ており、一体誰が計画したのか、見せしめのために誰か一人くらいは差し出してもらいたいようなお粗末ぶりです。
私が言うまでもなくこの移転計画はどうみたって利権ありきで推し進められており、現に移転が間に合わないとオリンピック向けの都市整備に係る道路建設工事が始められないという明らかに論点のおかしなこと取り上げて時事通信も小池都知事へ批判的に書いており、また一部週刊誌というか週刊文春もこの道路建設工事にある都議の関わる会社が噛んでいると報じており、膨れ上がるオリンピック予算と合わせてこの際だから一年くらい計画を延期してでも精査を行うべきだと私は考えます。
そして場合によっては、移転計画自体を白紙にしてもいいとすら思っています。というのも国立競技場も「早くしないと間に合わないから」という理由で無理矢理急いで推し進めた結果、膨大で不必要な出費を迫られることとなり、また不完全な土地で不完全な施設を使うことによる損害は一過性ではなくその後もずっと続いて高くつくことも十分あり得る、というか確実にそうなるのが目に見えているので、「疑わしきを完全排除する」という意気込みで小池都知事にはこのまま取り組んでもらいたいです。
なおどうしても出費された費用について穴埋めが必要というのなら、不正にかかわった人間や組織の財産でも没収して適当に穴埋めりゃいいと思います。私の持論ですが日本には有限責任なんて概念は存在せず社会全体で無限責任が適用されるのだから、国家事業なんだしこれくらいやったってありでしょう。
それにしても、リンク先の記事で小池都知事と2ショットしているのが都知事選に立候補する予定だった宇都宮健児氏っていうのがまた痛烈な皮肉です。2ショットをわざわざ拒否した自民都議の連中は早く消えないかな。
2016年8月29日月曜日
続・中国の電子決済市場~微信支付を使ってみて
・高コストで不衛生 欧州から姿を消す現金(日経新聞)
前にも一回論じていますが上記記事の様に世界では電子決済、それもスマートフォン用アプリを介した決済が大流行とのことで、私のいる中国でもマジびっくりするくらいの勢いで普及が進んでおり5年前と比べると別世界の感があります。決して誇張ではなくコンビニのレジ前に立っていたら現金で支払う人の方が確実に少なく、都心部であれば体感的に八割方の人間が携帯電話をかざして決済処理をしており、対応するレジ打ち担当者も作業に慣れたもんです。
上記リンク先記事によると北欧などでもこうした電子決済が進んでいる一方、ドイツなどの先進国では北欧ほど普及が進んでいないことが報じられています。これはまんま中国と日本の構図にも当てはまりますがこの背景としては日本やドイツでは個人情報が遅漏するのではないかという懸念が普及を妨げているのではと同記事では指摘しており、私もこの意見に同感です。実際、日本人は誰も見てないのにやたら見かけとか気にするし、そこに価値なんてそもそも存在するような人間ではないほどプライバシーとかを気にする傾向があるように見え、便利さは理解しながらもいまいち普及が波に乗らないのはこうした所に原因があるように思えます。
一方、中国については昨夜友人にも説明しましたが、そもそも国家が個人を監視しているのが当たり前の社会なので情報の遅漏とかそういうのは実害が起きない限りはそんな気にすることもなく、なおかついろいろ話を聞く限り、何気にこうした電子決済アプリの方がクレジットカードとかよりも安全である可能性が高いこともあってか、若い人間に限らず中高年の女性なども率先して使います。なお中国の場合、カード使うとスキミングされる恐れもあり、あと電子決済ならインターバンク回線が使われるというので私もこっちの方が安全だと思います。
で、その中国の電子決済ですが、現在の主流は二つあり一つは中国最大のEC企業であるアリババが運営する支付宝(チーフーパオ)です。これは元々はネットショッピング時に使う決済サイトとして出発し、クレジットカードの普及が遅かった中国の中で実質的にクレジットカードが果たすべき決済代行の役割を果たしてきたサービスでしたが、近年は各銀行口座と連動し、コンビニやスーパーなどの小口決済から公共料金の電子決済まで幅広く対応するサービスの比重が高まってきています。
もう一つの電子決済の主流は、中国版LINEっていうかLINEをまんまパクったテンセントという会社の「微信(ウェイシン)」というSNSアプリの中にある機能の「微信支付」で、これも支付宝と機能はほぼ同じですが、実質的にほぼ全スマホユーザーがインストールしている超人気アプリに付属していることもあって勢いを感じるのはどっちかっていうとこっちです。でもって私も最近になってこちらを使用し始めてみました。
先に言い訳っぽいことを述べると、支付宝も微信支付も使用開始するに当たっては銀行口座でネットバンクを開設する必要があります。私の場合は四年前に一回開設したもののその後一旦日本に帰り、もう二度とその銀行口座とカードを使うこともないだろうとか思っていたら上海に来て転職先から、「上海の銀行カード用意しろよ」と予告なしに言われて再び使う羽目になり、既にIDとかパスも紛失していた上に登録携帯番号も変わっていたので更新するまで使えなかったという理由があります。なんか窓口にこの辺りの下りを説明するのも面倒なので先月に友人に来てもらってようやく更新を済ませ、微信自体は既に使用していたことからすぐに銀行カードを登録して使用を始めました。
くどくど説明するのもよくないので、微信支付の特徴を以下に列記します。
・決済、振込手数料はほぼタダ
・店頭決済時は簡単に出せるQRコードをレジのバーコードに取らせ、暗証番号入力して終わり
・店頭決済は一回当たり500元が限度
・公共料金の支払いもいつでも自由にできる
・登録している友人知人に直接送金できる
・定期預金もいつでも買える
・銀行口座から直接支払えるが、微信支付内のウォレットにチャージしてそこから払うことも可能
一番上の決済、振込手数料についてはまだ完全に把握していないので「ほぼ」と書きましたが、店頭決済から自分の銀行口座への振込、友人への送金時には一切手数料は発生しませんでした。次に店頭決済時はどうするのかというと、アプリで「お支払」みたいなコマンドを押すと一分ごとに更新されるQRコードが表示され、これをレジスキャナで取り込んだ後で登録した暗証番号を携帯に入れると送金が完了するという仕組みです。私はこれで、コーラを買いました。
定期預金とかは近々試そうかと思っていますがまだやってないのでこれ以上の言及は避けますが、やはり便利なのは友人知人への送金で、昼飯代とかまとめて払ってくれた同僚に立て替えてもらった自分の代金を微信支付で直接支払うことができ、釣銭とは端数を気にせず決済できるのでこれはほんとに便利です。あと今の部屋の公共料金は大家が支払ってくれているのですが、携帯電話代もこれで携帯電話そのものからチャージできるので非常に楽でありがたいです。
一方、聞くところによると日本発のオレオレ詐欺(「母さん助けて詐欺」とは誰も言ってないような。「まみー、へるぷみー詐欺」じゃないからダメなんだと思う)が中国でも大流行しており、この微信支付とかもその支払いの手軽さから相当悪用されているのではないかと密かに思います。もっとも中国は日本みたいに甘くはないから、注意喚起はそこらじゅうのポスターでされてはいるものの騙されたら騙されたで注意力の足りない自業自得扱いされてしまう気がしますが。
この電子決済の普及は傍目から言ってもメリットが非常に多く、特に中国は未だに偽札が横行している社会なだけに電子決済によってそのリスクとコストが減るだけでなく、政府や銀行も金の流れが電子化されることでチェックしやすくなって不正も摘発しやすくなります。そしてなによりも現金貨幣を使うよりも決済コストが大幅に減るため、社会全体でプッシュするだけの価値はあるでしょうし、銀行、公共機関、企業揃ってこの方面の連動は傍目にも見事なものだとため息が出るほどです。
友人によると日本でもLINEに簡単な送金機能は付けられているもののあまり普及していないと聞きました。日本の場合は「おサイフケータイ」のサービス開始は非常に早く利用者からは好評だったものの、いかんせん最初に話した情報遅漏への懸念からか普及は進まず、現時点においてこと電子決済では中国に大きくリードされた状態のように見えます。私自身の勝手な予想で話せば突破口となるのはSUICAを始めとしたチャージ式電子決済カードで、これが中心となって銀行口座との連動、アプリとの連動が始まるのではと思いますが、生半可にクレジットカードが普及していることもあるからまだまだ時間かかるかもしれません。
最後にそのクレジットカードについて述べると、アプリにはない延払い機能があるためなくなりはしないでしょうが、単純な電子決済機能は今後はこれらのアプリに淘汰される可能性があり営業収入に影響が及ぼす可能性が高いと見ています。実際に自分今回使ってみて、中国国内に限ればこれと銀聯カードあればクレジットいらないなと本気で実感しました。
前にも一回論じていますが上記記事の様に世界では電子決済、それもスマートフォン用アプリを介した決済が大流行とのことで、私のいる中国でもマジびっくりするくらいの勢いで普及が進んでおり5年前と比べると別世界の感があります。決して誇張ではなくコンビニのレジ前に立っていたら現金で支払う人の方が確実に少なく、都心部であれば体感的に八割方の人間が携帯電話をかざして決済処理をしており、対応するレジ打ち担当者も作業に慣れたもんです。
上記リンク先記事によると北欧などでもこうした電子決済が進んでいる一方、ドイツなどの先進国では北欧ほど普及が進んでいないことが報じられています。これはまんま中国と日本の構図にも当てはまりますがこの背景としては日本やドイツでは個人情報が遅漏するのではないかという懸念が普及を妨げているのではと同記事では指摘しており、私もこの意見に同感です。実際、日本人は誰も見てないのにやたら見かけとか気にするし、そこに価値なんてそもそも存在するような人間ではないほどプライバシーとかを気にする傾向があるように見え、便利さは理解しながらもいまいち普及が波に乗らないのはこうした所に原因があるように思えます。
一方、中国については昨夜友人にも説明しましたが、そもそも国家が個人を監視しているのが当たり前の社会なので情報の遅漏とかそういうのは実害が起きない限りはそんな気にすることもなく、なおかついろいろ話を聞く限り、何気にこうした電子決済アプリの方がクレジットカードとかよりも安全である可能性が高いこともあってか、若い人間に限らず中高年の女性なども率先して使います。なお中国の場合、カード使うとスキミングされる恐れもあり、あと電子決済ならインターバンク回線が使われるというので私もこっちの方が安全だと思います。
で、その中国の電子決済ですが、現在の主流は二つあり一つは中国最大のEC企業であるアリババが運営する支付宝(チーフーパオ)です。これは元々はネットショッピング時に使う決済サイトとして出発し、クレジットカードの普及が遅かった中国の中で実質的にクレジットカードが果たすべき決済代行の役割を果たしてきたサービスでしたが、近年は各銀行口座と連動し、コンビニやスーパーなどの小口決済から公共料金の電子決済まで幅広く対応するサービスの比重が高まってきています。
もう一つの電子決済の主流は、中国版LINEっていうかLINEをまんまパクったテンセントという会社の「微信(ウェイシン)」というSNSアプリの中にある機能の「微信支付」で、これも支付宝と機能はほぼ同じですが、実質的にほぼ全スマホユーザーがインストールしている超人気アプリに付属していることもあって勢いを感じるのはどっちかっていうとこっちです。でもって私も最近になってこちらを使用し始めてみました。
先に言い訳っぽいことを述べると、支付宝も微信支付も使用開始するに当たっては銀行口座でネットバンクを開設する必要があります。私の場合は四年前に一回開設したもののその後一旦日本に帰り、もう二度とその銀行口座とカードを使うこともないだろうとか思っていたら上海に来て転職先から、「上海の銀行カード用意しろよ」と予告なしに言われて再び使う羽目になり、既にIDとかパスも紛失していた上に登録携帯番号も変わっていたので更新するまで使えなかったという理由があります。なんか窓口にこの辺りの下りを説明するのも面倒なので先月に友人に来てもらってようやく更新を済ませ、微信自体は既に使用していたことからすぐに銀行カードを登録して使用を始めました。
くどくど説明するのもよくないので、微信支付の特徴を以下に列記します。
・決済、振込手数料はほぼタダ
・店頭決済時は簡単に出せるQRコードをレジのバーコードに取らせ、暗証番号入力して終わり
・店頭決済は一回当たり500元が限度
・公共料金の支払いもいつでも自由にできる
・登録している友人知人に直接送金できる
・定期預金もいつでも買える
・銀行口座から直接支払えるが、微信支付内のウォレットにチャージしてそこから払うことも可能
一番上の決済、振込手数料についてはまだ完全に把握していないので「ほぼ」と書きましたが、店頭決済から自分の銀行口座への振込、友人への送金時には一切手数料は発生しませんでした。次に店頭決済時はどうするのかというと、アプリで「お支払」みたいなコマンドを押すと一分ごとに更新されるQRコードが表示され、これをレジスキャナで取り込んだ後で登録した暗証番号を携帯に入れると送金が完了するという仕組みです。私はこれで、コーラを買いました。
定期預金とかは近々試そうかと思っていますがまだやってないのでこれ以上の言及は避けますが、やはり便利なのは友人知人への送金で、昼飯代とかまとめて払ってくれた同僚に立て替えてもらった自分の代金を微信支付で直接支払うことができ、釣銭とは端数を気にせず決済できるのでこれはほんとに便利です。あと今の部屋の公共料金は大家が支払ってくれているのですが、携帯電話代もこれで携帯電話そのものからチャージできるので非常に楽でありがたいです。
一方、聞くところによると日本発のオレオレ詐欺(「母さん助けて詐欺」とは誰も言ってないような。「まみー、へるぷみー詐欺」じゃないからダメなんだと思う)が中国でも大流行しており、この微信支付とかもその支払いの手軽さから相当悪用されているのではないかと密かに思います。もっとも中国は日本みたいに甘くはないから、注意喚起はそこらじゅうのポスターでされてはいるものの騙されたら騙されたで注意力の足りない自業自得扱いされてしまう気がしますが。
この電子決済の普及は傍目から言ってもメリットが非常に多く、特に中国は未だに偽札が横行している社会なだけに電子決済によってそのリスクとコストが減るだけでなく、政府や銀行も金の流れが電子化されることでチェックしやすくなって不正も摘発しやすくなります。そしてなによりも現金貨幣を使うよりも決済コストが大幅に減るため、社会全体でプッシュするだけの価値はあるでしょうし、銀行、公共機関、企業揃ってこの方面の連動は傍目にも見事なものだとため息が出るほどです。
友人によると日本でもLINEに簡単な送金機能は付けられているもののあまり普及していないと聞きました。日本の場合は「おサイフケータイ」のサービス開始は非常に早く利用者からは好評だったものの、いかんせん最初に話した情報遅漏への懸念からか普及は進まず、現時点においてこと電子決済では中国に大きくリードされた状態のように見えます。私自身の勝手な予想で話せば突破口となるのはSUICAを始めとしたチャージ式電子決済カードで、これが中心となって銀行口座との連動、アプリとの連動が始まるのではと思いますが、生半可にクレジットカードが普及していることもあるからまだまだ時間かかるかもしれません。
最後にそのクレジットカードについて述べると、アプリにはない延払い機能があるためなくなりはしないでしょうが、単純な電子決済機能は今後はこれらのアプリに淘汰される可能性があり営業収入に影響が及ぼす可能性が高いと見ています。実際に自分今回使ってみて、中国国内に限ればこれと銀聯カードあればクレジットいらないなと本気で実感しました。
2016年8月28日日曜日
演技が上手いと思う声優
上海ではジャガーの車を見かけることも珍しくありませんが上の写真のようなジャガー車のボンネットにあるマスコットを見る度に、「これ、鹿に変えられないかな」と妙な想像を膨らませています。イメージとしては「鹿飛び出し注意」の看板みたいな躍動感でくっ付けられたらものすごくベターで、この際だからジャガーもとっととディア―にブランド変えろよなどと思っています。
・野沢雅子 「今の若手声優は個性が薄い。原因は声優学校の存在」(痛いニュース)
書く話題がないわけじゃないですがなんかおちゃらけたこと書きたいので上の記事について書きます。内容は見てもらえばわかりますがドラゴンボールの悟空役でおなじみの声優の野沢雅子氏が最近の声優について、「演技は小奇麗だけれど個性がない」というコメントを発され、まさにその通りだなと私も感じました。このような傾向について野沢氏は、最近の声優は声優学校で訓練を受けるから画一的になっており自分の個性を引き出したり育てようとしなくなったからだと指摘し、自身もかつては声優学校の教壇に立ったもののこうした弊害から今はやっていないことを明かしています。
この辺は実際の舞台上の演技でもそうですが、個性が強いとそれだけ印象に残るものの演技の幅は狭められ、逆に個性がなければカメレオン俳優としてなんでも演じられる傾向があります。ただ今の声優は個性がなく尚且つ演技出来る幅も狭い、具体的に言うと男性は少年、女性は少女しかできずおっさんおばさん宇宙人となると途端にぼろが出たり、あと単純に演技力が要求される場面でも実力者との間では大きな差が出てしまいます。
個人的に私が声の演技で実力が問われる場面としては絶叫する場面がそれに当たると考えています。絶叫するとなると通常は滑舌が悪くなり聞き取り辛くなりますが、滑舌を維持した上で熱を込められる、なおかつ怒りとか悲しみなどの感情を乗せられればまず見事なものでしょう。
その点で見て今の現役声優で最も高く評価しているのは小清水亜美氏で、「キルラキル」というアニメで主演張ってましたがこのアニメで彼女の演じる役はほぼずっと絶叫しっぱなしでありながらどれも聞き取りやすく、本編ストーリーの熱さと展開の早さと相まって「こんな器用な奴おったん?」と、前からも評価してましたがこのアニメで一気に私の中で株が上がりました。
なお同じ作品には敵役として朴璐美氏も出演しており、この人も少年役から少女役、悪役、何でもかんでもこなす人なだけに、小清水氏のキャラと絶叫し合う場面は正直神がかっていました。一方、サブ主人公を演じた柚木涼香氏は演技が下手ではないものの、先の両社と比べると明らかに演技力で大きく劣り、絶叫場面に至っては三人の中で明らかに一人だけ浮いてて公開処刑のようでした。
その小清水亜美氏ですが、先日私が遊んでいた「ダンガンロンパ2」というゲームにも出演しており、この中ではやけにハイテンションな女子高生役を演じててどのセリフも声がすっとんきょんな所から出ているためほかのキャラはほとんど聞き流してたのに小清水氏のキャラだけは全部じっくり聞き、「佐藤さんって、あのゴハン大好きな佐藤さんっすか!?」等のセリフも暗記してしまいました。元々役者志望な人なだけあってほんと演技は上手ですが、どっちかっていうとトチ狂った人の演技が必見です。
その私が遊んだ「ダンガンロンパ」ですがそこそこ面白くて1もプレイ済みですが、この1では沢城みゆき氏が出演しており、かねてからその演技力は評価されているとは聞いてはいたものの実際にじっくり聞いてみてやっぱすごい人だと思いました。この人の何がすごいかって演技の幅が果てしなく広く、老婆から少年少女、殺人鬼からヒーローまで何でもかんでもほんとにこなし、しかもそのどれもで感情が入った熱の入った演技を決めてしまう点です。実際に「ダンガンロンパ」では実質的な一人二役をこなしており、片方の訳は上木の小清水氏のキャラ同様常にハイテンションで、一方的に入れ込んでいる男性キャラが、「たまたまそうなっただと?」というや「たまたま?」と妙な発音で食い下がった所はすげぇっと思わされました。
どうでもいいけど最近この沢城氏もでている「ユグドラユニオン」ってゲームにはまってます。
男性声優ではそんなに聞き比べてないので今の所これと言って評価している若手の人はいませんが、往年の声優で言えばはやり、ルパン3世の役を演じていた故山田康夫と、笑ウせぇるすまんの喪黒福造を演じていた故大平透の二人を、「声優がキャラクターを作った」代表格として評価しています。実際この二人はそれぞれが演じた役を自らの声で形作っているところがあり、その演技力を含め個性の強さは桁違いだったと今でも高く評価しています。
どうでもいいですが中国に喪黒福造が現れたら、心の隙間が多いからあちこちで「ドーン!」って声が聞こえてきそう。
現役ではややベタですが大塚明夫氏が個性と役柄の広さを両立していると評価しており、個人的には代名詞とも言える「メタルギアソリッド」の3で演じたネイキッド・スネークのセリフで、潜入現地で蛇とかサソリとかを食う度に「うまーい!」、「最高だぁ」、「まっずぅ」、「吐きそぅ」などと感想をいちいち述べるのが耳に残っています。
なおこのゲームでは食べる前にサポート役に連絡すると食べられるかどうか、毒があるかどうかを教えてくれるのですが、ある食べ物に限って「食える」と太鼓判を押されながらも食べたら毒で、その際に特殊セリフとして、「くそっ、パラメディックめ……」と、言うセリフが聞けて、初めて聞いた時はほんとに笑いました。
中国・美的集団の独KUKA買収について
最近何気なく中国のネットニュースを見ていたところ、以下のニュース記事を初めて見てびっくりしました。
・中国企業の独ロボット大手買収、難関は突破できたのか?―中国紙(人民網日本語版)
記事概要はというと、先日に東芝の白物家電部門を買収した中国家電大手の美的集団(Midea)が産業用ロボット世界大手の独KUKA(クカ)の買収に動いているそうです。買収額は45億ユーロ(約5200億円)でKUKAの株式76%を握り、既に合意は成されていることが美的の広告で示されており後は関係各国の独禁法に係る買収承認を待つだけの状態だそうです。上の記事はKUKA本国のドイツで承認が得られる見込みになったいうニュースで、これを見る限りだと話は軌道に乗っているように見えます。
私は最初この記事を見た時、てっきり中国のメディアが勝手な憶測記事を出したのではないかと正直疑いましたが、試しにネット検索をかけてみたところ今年5月の時点から報じられ始めており、中国以外にも香港や米国系メディアも事実と報じています。そう、日系メディアを除いた外国メディアで。
私が本当かどうか疑った大きな理由としては、「KUKAほどの大きな企業が中国企業に買収されるのであれば、絶対大きな話題になってるはずで自分が知らないはずはない」という意識からでした。私自身は産業用ロボット業界にはそんなに首突っこんだことはありませんが、KUKAといえば日本の川崎重工や安川機械と世界で凌ぎを削るロボット業界の名門中の名門企業であり、仮にこの買収が実現すればその産業シェアにも大きな影響を与えることは確実です。そんな会社の買収案件についてどこも報じないなんて有り得ない、なんて思ったのは私だけだったのかもしれません。
ざっとネットで調べたところ、買収報道の第一報がなされた今年5月に日刊工業新聞や産業用ロボット業界紙などが少し触れていますが、それ以外のメディアは日経を含めて全くヒットせず、どうやら日本ではほとんど報じられていなかったようです。試しに「冷凍たこ焼きなら加ト吉」と断言する私の友人にも確認した所、KUKAという企業についてはその影響力を含めもちろん知っていながらも、この買収ニュースについては全く知らなかったとのことです。
やや過剰に反応しているだけかもしれませんがこれほどの大きなニュース、はっきり言えば東芝の白物家電部門の買収なんて比較にならないほど大きなディールを日系メディアが揃って無視しているという現状を私は信じられませんでしたし、何故報じないのか不思議に思えてなりません。はっきり言えば、イカれてるとすら思いました。
中国の製造業は現在、鉄鋼を始めとしてどこも下向きながらも、産業用ロボット業界は中国の人件費が高まるにつれて需要は伸びており、実際にロボットメーカーでは新規設備投資の話をよく見ます。だからこそこの買収劇も起こったのでしょうが、これまで中国には外資系のロボットメーカーしかなかったところに中国系列メーカーが誕生することになり、恐らく顧客としては最大の自動車業界では美的+KUKAからの導入が増える可能性があります。ただでさえ中国とドイツの合弁自動車メーカーが多いわけですし、そうなれば中国に進出している川崎重工と安川機械も影響を受けるでしょう。
美的の東芝白物家電部門の買収額は約500億円でしたが、今回のKUKA買収はその約十倍なだけに、ニュースのデカさもそれくらい大きいし価値があると私は考えますが、必ずしもそれは多数派の意見ではないようです。誇張ではなく、いくら海外に目が向いていないとはいえ真面目に日系メディアは大丈夫なのかとこの一件では怒りを通り越して不安を覚えるほどで、もっと中国の新聞を真面目に読まなければと思い知らされました。
なお余談ですが前住んでた昆山には川崎のロボット工場があり、関連するハーネスメーカーなども多く進出していました。自分が付き合ってた人間は化学品関連メーカーが多かったというか今でも多いのですが、もし知り合いにいたらこの方面で取材出来ればよかったです。
・中国企業の独ロボット大手買収、難関は突破できたのか?―中国紙(人民網日本語版)
記事概要はというと、先日に東芝の白物家電部門を買収した中国家電大手の美的集団(Midea)が産業用ロボット世界大手の独KUKA(クカ)の買収に動いているそうです。買収額は45億ユーロ(約5200億円)でKUKAの株式76%を握り、既に合意は成されていることが美的の広告で示されており後は関係各国の独禁法に係る買収承認を待つだけの状態だそうです。上の記事はKUKA本国のドイツで承認が得られる見込みになったいうニュースで、これを見る限りだと話は軌道に乗っているように見えます。
私は最初この記事を見た時、てっきり中国のメディアが勝手な憶測記事を出したのではないかと正直疑いましたが、試しにネット検索をかけてみたところ今年5月の時点から報じられ始めており、中国以外にも香港や米国系メディアも事実と報じています。そう、日系メディアを除いた外国メディアで。
私が本当かどうか疑った大きな理由としては、「KUKAほどの大きな企業が中国企業に買収されるのであれば、絶対大きな話題になってるはずで自分が知らないはずはない」という意識からでした。私自身は産業用ロボット業界にはそんなに首突っこんだことはありませんが、KUKAといえば日本の川崎重工や安川機械と世界で凌ぎを削るロボット業界の名門中の名門企業であり、仮にこの買収が実現すればその産業シェアにも大きな影響を与えることは確実です。そんな会社の買収案件についてどこも報じないなんて有り得ない、なんて思ったのは私だけだったのかもしれません。
ざっとネットで調べたところ、買収報道の第一報がなされた今年5月に日刊工業新聞や産業用ロボット業界紙などが少し触れていますが、それ以外のメディアは日経を含めて全くヒットせず、どうやら日本ではほとんど報じられていなかったようです。試しに「冷凍たこ焼きなら加ト吉」と断言する私の友人にも確認した所、KUKAという企業についてはその影響力を含めもちろん知っていながらも、この買収ニュースについては全く知らなかったとのことです。
やや過剰に反応しているだけかもしれませんがこれほどの大きなニュース、はっきり言えば東芝の白物家電部門の買収なんて比較にならないほど大きなディールを日系メディアが揃って無視しているという現状を私は信じられませんでしたし、何故報じないのか不思議に思えてなりません。はっきり言えば、イカれてるとすら思いました。
中国の製造業は現在、鉄鋼を始めとしてどこも下向きながらも、産業用ロボット業界は中国の人件費が高まるにつれて需要は伸びており、実際にロボットメーカーでは新規設備投資の話をよく見ます。だからこそこの買収劇も起こったのでしょうが、これまで中国には外資系のロボットメーカーしかなかったところに中国系列メーカーが誕生することになり、恐らく顧客としては最大の自動車業界では美的+KUKAからの導入が増える可能性があります。ただでさえ中国とドイツの合弁自動車メーカーが多いわけですし、そうなれば中国に進出している川崎重工と安川機械も影響を受けるでしょう。
美的の東芝白物家電部門の買収額は約500億円でしたが、今回のKUKA買収はその約十倍なだけに、ニュースのデカさもそれくらい大きいし価値があると私は考えますが、必ずしもそれは多数派の意見ではないようです。誇張ではなく、いくら海外に目が向いていないとはいえ真面目に日系メディアは大丈夫なのかとこの一件では怒りを通り越して不安を覚えるほどで、もっと中国の新聞を真面目に読まなければと思い知らされました。
なお余談ですが前住んでた昆山には川崎のロボット工場があり、関連するハーネスメーカーなども多く進出していました。自分が付き合ってた人間は化学品関連メーカーが多かったというか今でも多いのですが、もし知り合いにいたらこの方面で取材出来ればよかったです。
2016年8月26日金曜日
取るに足らない政治家と凄みを覚える政治家
元政治家の山崎拓氏がこのほど政治家時代を振り返った本を出版したとのことでネットニュースでも出版を期したインタビュー記事が散見されますが、それらを見てつくづくこの人は大した政治家じゃなかったんだなという印象を覚えます。細かい発言は取り上げませんがどの話も軽く、含蓄を備えた深い話というか指摘が全く見当たらず、またいくつかの政治事件に対するコメントも全く見当外れなように思えません。
同じように話を聞く度に深くがっかりさせられる政治家というか政治関係者として小泉元首相の秘書だった飯島勲氏がおり、在任中は小泉元首相の回答として各方面からの評価は高かったですがいざテレビや雑誌のコメントを見ると見当違いというか見識はずれも甚だしい事しか言っておらず、参考になるような話はついぞ一つも見当たりません。他の人は知りませんが少なくとも私の中で彼への評価は全くないと言っていいでしょう。
逆に、コメントとかインタビューを見ていてなるほどとため息をつかされた人間を挙げると、既に故人ですが宮澤喜一元首相が上がってきます。ただ彼の場合、言ってることはもっともらしいですがいざ自分が行政にタッチするというか行動する段になるとまるで役に立たず、日米繊維交渉も「私にお任せを!」と名乗り出てやったくせにこじれるだけこじらせて田中角栄元首相が後始末をする羽目となっており、首相や財務相在任中も言うことはもっともらしいですがまるで手は動いていない有様でした。
往々にしてこの手のタイプの政治家は少なくなく、いわゆる評論家タイプというか時勢の分析や説明に関しては非常に優れているものの実際の行政手腕が伴っていないパターンが多いです。このタイプの政治家の代表例としてもう一人上げると田中真紀子氏なんかまさに典型的で、なんだかんだ言いつつ現況や人間関係の観察はピカイチでそれらをわかりやすい言葉でうまく発言できていましたが、実際に自分が手綱を握る立場になると現場を混乱させるだけ混乱させることしかできず宮澤元首相を含め言ってしまえばはた迷惑な人間でした。
逆に、凄みを覚えた政治家となると在任中は批判的な目でしか見れませんでしたが野中広務氏です。現在官房長官として菅義偉氏が最年長人気を更新するとともに高く評価されており、彼に在職期間記録を更新された福田康夫元首相も官房長官時代の功績を否定する人間はまずいませんが、自分の中で最も官房長官として優れた能力を持って発揮したのはやはり野中広務氏だったと考えています。
党内の締め付けはもとより外交から内政までほぼ一手に引き受け、おまけに上にいたのが森喜朗元首相であっただけに余計なトラブルに苛まされながらも政権をきっちり運営維持し続けていました。逆を言えば森政権は実質的に野中政権であり、あまりの問題行動の連発にとうとう切れた野中氏が官房長官職を自ら引くと発言したことによって森政権は崩壊し、はっきりとした後任も準備できなかったことから総裁選となって小泉氏が首相になれたのですが。
その野中氏とは完全に対立してプライベートでもめっちゃくちゃ仲悪そうな小泉元首相も、この人は田中真紀子氏とは真逆で言ってる内容はめちゃくちゃで全く意味不明だけどやろうとする政治方針は非常にわかりやすく、なおかつその方針をぶれずに押し通し実行に移すという手腕は非常に優れ近年の首相としては明らかに傑出していました。息子の小泉進次郎氏は発言内容と場の盛り上げ方は父親を現時点で上回っており政治方針もぶれがほとんどなくこのまま間違いなく次の次の首相になるかと思われますが、実行力に関してはまだ未知数でもう少し見ていく必要があるでしょう。
それにしても最近の政治議論で本当につまらないことは、野党も与党も揃って政策論が安倍首相に賛成か反対しかないということです。かつてあった財政健全派と景気先行回復派の議論もなければ沖縄問題に対する意見も割れないし、対立軸があまりにもなくて評論のしようがなくマルクス的に盛り上がりに欠けます。どうでもいいけどこの前サイクリングのメンバーが「日和る(ひよる)」という単語を使ってましたが昔は赤い闘士だったのかもしれません。
憲法改正議論も一見すると九条を残すか否かが論点に見えますがいくら安倍首相でも九条を改正することなんてできっこないのでそもそも議論なるはずもないテーマで、もっと他のところ突っこめよと言いたくて仕方ありません。この前の都議選もトチ狂ったバカばかりが立候補して何にもまともな政策議論が生まれず、折角血税つぎ込んでいるんだからもっと面白いショーにしやがれこの野郎と一人自宅で吠えてました。
今後期待している論点というか対立としてはやはり小池百合子新都知事VS東京都議団と森の愉快な仲間たちです。真面目にちょっとつついたら自爆発言繰り返して自滅してくれるんじゃないかと今から期待で胸がわくわくしています。
同じように話を聞く度に深くがっかりさせられる政治家というか政治関係者として小泉元首相の秘書だった飯島勲氏がおり、在任中は小泉元首相の回答として各方面からの評価は高かったですがいざテレビや雑誌のコメントを見ると見当違いというか見識はずれも甚だしい事しか言っておらず、参考になるような話はついぞ一つも見当たりません。他の人は知りませんが少なくとも私の中で彼への評価は全くないと言っていいでしょう。
逆に、コメントとかインタビューを見ていてなるほどとため息をつかされた人間を挙げると、既に故人ですが宮澤喜一元首相が上がってきます。ただ彼の場合、言ってることはもっともらしいですがいざ自分が行政にタッチするというか行動する段になるとまるで役に立たず、日米繊維交渉も「私にお任せを!」と名乗り出てやったくせにこじれるだけこじらせて田中角栄元首相が後始末をする羽目となっており、首相や財務相在任中も言うことはもっともらしいですがまるで手は動いていない有様でした。
往々にしてこの手のタイプの政治家は少なくなく、いわゆる評論家タイプというか時勢の分析や説明に関しては非常に優れているものの実際の行政手腕が伴っていないパターンが多いです。このタイプの政治家の代表例としてもう一人上げると田中真紀子氏なんかまさに典型的で、なんだかんだ言いつつ現況や人間関係の観察はピカイチでそれらをわかりやすい言葉でうまく発言できていましたが、実際に自分が手綱を握る立場になると現場を混乱させるだけ混乱させることしかできず宮澤元首相を含め言ってしまえばはた迷惑な人間でした。
逆に、凄みを覚えた政治家となると在任中は批判的な目でしか見れませんでしたが野中広務氏です。現在官房長官として菅義偉氏が最年長人気を更新するとともに高く評価されており、彼に在職期間記録を更新された福田康夫元首相も官房長官時代の功績を否定する人間はまずいませんが、自分の中で最も官房長官として優れた能力を持って発揮したのはやはり野中広務氏だったと考えています。
党内の締め付けはもとより外交から内政までほぼ一手に引き受け、おまけに上にいたのが森喜朗元首相であっただけに余計なトラブルに苛まされながらも政権をきっちり運営維持し続けていました。逆を言えば森政権は実質的に野中政権であり、あまりの問題行動の連発にとうとう切れた野中氏が官房長官職を自ら引くと発言したことによって森政権は崩壊し、はっきりとした後任も準備できなかったことから総裁選となって小泉氏が首相になれたのですが。
その野中氏とは完全に対立してプライベートでもめっちゃくちゃ仲悪そうな小泉元首相も、この人は田中真紀子氏とは真逆で言ってる内容はめちゃくちゃで全く意味不明だけどやろうとする政治方針は非常にわかりやすく、なおかつその方針をぶれずに押し通し実行に移すという手腕は非常に優れ近年の首相としては明らかに傑出していました。息子の小泉進次郎氏は発言内容と場の盛り上げ方は父親を現時点で上回っており政治方針もぶれがほとんどなくこのまま間違いなく次の次の首相になるかと思われますが、実行力に関してはまだ未知数でもう少し見ていく必要があるでしょう。
それにしても最近の政治議論で本当につまらないことは、野党も与党も揃って政策論が安倍首相に賛成か反対しかないということです。かつてあった財政健全派と景気先行回復派の議論もなければ沖縄問題に対する意見も割れないし、対立軸があまりにもなくて評論のしようがなくマルクス的に盛り上がりに欠けます。どうでもいいけどこの前サイクリングのメンバーが「日和る(ひよる)」という単語を使ってましたが昔は赤い闘士だったのかもしれません。
憲法改正議論も一見すると九条を残すか否かが論点に見えますがいくら安倍首相でも九条を改正することなんてできっこないのでそもそも議論なるはずもないテーマで、もっと他のところ突っこめよと言いたくて仕方ありません。この前の都議選もトチ狂ったバカばかりが立候補して何にもまともな政策議論が生まれず、折角血税つぎ込んでいるんだからもっと面白いショーにしやがれこの野郎と一人自宅で吠えてました。
今後期待している論点というか対立としてはやはり小池百合子新都知事VS東京都議団と森の愉快な仲間たちです。真面目にちょっとつついたら自爆発言繰り返して自滅してくれるんじゃないかと今から期待で胸がわくわくしています。
2016年8月25日木曜日
日中韓で異なるビジネス上の騙し方
日本人の大半が中国人にいい感情を持っていない、っていうかはっきり言って嫌いだというのは各種統計からも間違いのない事実でありますが、一体何故中国人が嫌いなのかというと尖閣諸島問題を始めとする外交問題に加えビジネス上で中国人に騙されるということが多いことも大きいでしょう。ネットで検索でもすれば商売で中国人に騙されたというケースはいくらでも見つけることができるのですが、逆に日本人が中国人を騙したというケースは全く見つかりません。
厳密に言えば外国人研修制度を悪用した業者が何も知らない中国人労働者を騙して日本に連れて行き搾取しているという事実が存在しますが、こと企業間、ビジネス上の話に限れば日本人は中国人に騙されっぱなしでいいようにやられている一方です。これは中国国内でも同じで、ビジネスで中国人が日本人に騙されたという話は全く聞かず、むしろ騙される中国人がいるとしたら何か大きな欠陥抱えてるんじゃないかと心配にもなります。
では中国人はどんなふうにして日本人をビジネスで騙すのでしょうか。いくつか私が聞いたケースで話すと、やはり一番多い場面としては代金の支払い時で、あれこれ理由をつけて支払いを先延ばしにしようとしたり、一部代金をごまかそうとしたりすることが多いです。実際に友人が体験した話をすると支払日を過ぎても納金されないので催促をかけたところ、「円建ての商品なんだけど、今は円高だから円安になったら払うよ」と、「それっていつよ?」と言いたくなることを言われたそうです。
もっともこういう支払い時に揉めるというのは国籍関係なくどこでも日本人同士でもしょっちゅう起こることなのであまり文化的な影響は多くないと思います。では中国人に独特のビジネス上の騙し方というかズルの仕方としてどんなのがあるかですが、私が思うに代表的なのは契約で取り決めていない行為を平気でやるというのがあるという気がします。
具体例を出すと、ある日系メーカーが自社商品を中国で取扱い、販売する代理店契約を中国企業と結んだところ、その日系メーカー製の製品以外の製品にも日系メーカーのロゴや商標を貼り付けまくって販売していたという事例があります。こういう例はゴルフ道具やアパレル製品に多いのですが、知的財産権が緩い国なだけあって代理店契約を結んだだけなのに商標権まで図々しく勝手に使う傾向は明らかにあると思います。
もう一つ例を出すと、製品の現地加工を中国企業に委託してその加工方法や材料を詳しく指定した矢先、勝手に一部加工を省略したり、材料をほかの安いものに変えたりするケースも非常に多いです。しかも発覚した後でクレームを出したら、「性能的には問題ない」とか、「指定された材料よりも安くて儲かる(・`ω・)ドヤッ.」などと全く悪びれることがありません。っていうか後者に至っては、儲かるのは中国企業であって日系企業には一銭も入ってこないのに何故か一仕事やってのけたみたいに言ってきます。
契約できちんと指定したにもかかわらずこういうことをやらかすこともありますが、往々にして契約を拡大解釈したり、頼んでもないことを勝手にやったりサボったりして騙すケースが少なくありません。そして先ほども述べた通りに発覚した時には全く悪びれることがないのが大きな特徴で、この点が日本人からすると理解し辛いふてぶてしさで、最初目撃したら強い違和感を覚えると思われます。
ただこうやって日本人をビジネス上でよく騙す中国人ですが、上には上がいるというか彼らも相手が韓国人となると立場が見事に逆転し、韓国人に中国人が一方的に騙され続けるという話をよく聞きます。日本人が中国人を騙してのけるという話がないのと同様に、中国人が韓国人に騙してのけるという話はほとんど聞かれません。
この件について中国人に尋ねるとほぼ確実にみんな熱を帯びて、「そうなんだよ!いっつも韓国人に騙される」と力説し出して、多分ほっといたら30分は延々と話し続けてくれます。以前、名古屋へ左遷されたうちの親父と大連に旅行行った時にも中国人ガイドがまさにこのような説明をし他のですがこれを聞いてうちの親父は、「日本人を騙す中国人を騙すんだから韓国人は大したもんだ」と、妙に感心してました。
ではその韓国人は一体どのようにして中国人をビジネスで騙すのかというと、一番よく聞くのはいわゆる「とんずら」です。最初は小さく、確実に取引を行って信用を作り、大口の発注をして納品されるや代金を払わずに消えてしまうという夜逃げに近い騙し方ですが、こういう話はよく聞きます。また消えてしまわなくても、大口の発注で納品を受けるや代金を一切払わないというのも多いです。もちろん中国人も馬鹿じゃないので取り立てようとしますが、頑として一銭も払おうとせずに踏み倒すと言われ、あの中国人が泣きを見るというのですから相当なものなのでしょう。
以上の様になんだかんだ言いつつ国ごとにビジネスでの騙し方に違いがあるというか文化的な差があると共に、明らかな強弱関係があると思ったので今日はこんな記事を書いてみました。なお公平を期すため日本人の騙し方について最後少し触れると、基本は日本人同士での騙し合いになりますが私の感覚だと知らない振りをする、覚えていない振りをするというパターンが多いような気がします。
たとえば散々クレームをつけて代品とか届けた後で実は元々欠陥が無かったりした時とかに、「あれ、代品出せってそんなこと言いましたっけ?」とすっとぼけてごまかすパターンがやや典型的かなと考えています。こうなるのも割と日本人は契約書を重視せず口約束で物事を進める傾向が強いため、言った言わないでお互いにごまかし合ったり騙し合ったりしやすい環境にあり、しかも強くクレームを言わない大人しさがそうした傾向に拍車をかけていると思います。
厳密に言えば外国人研修制度を悪用した業者が何も知らない中国人労働者を騙して日本に連れて行き搾取しているという事実が存在しますが、こと企業間、ビジネス上の話に限れば日本人は中国人に騙されっぱなしでいいようにやられている一方です。これは中国国内でも同じで、ビジネスで中国人が日本人に騙されたという話は全く聞かず、むしろ騙される中国人がいるとしたら何か大きな欠陥抱えてるんじゃないかと心配にもなります。
では中国人はどんなふうにして日本人をビジネスで騙すのでしょうか。いくつか私が聞いたケースで話すと、やはり一番多い場面としては代金の支払い時で、あれこれ理由をつけて支払いを先延ばしにしようとしたり、一部代金をごまかそうとしたりすることが多いです。実際に友人が体験した話をすると支払日を過ぎても納金されないので催促をかけたところ、「円建ての商品なんだけど、今は円高だから円安になったら払うよ」と、「それっていつよ?」と言いたくなることを言われたそうです。
もっともこういう支払い時に揉めるというのは国籍関係なくどこでも日本人同士でもしょっちゅう起こることなのであまり文化的な影響は多くないと思います。では中国人に独特のビジネス上の騙し方というかズルの仕方としてどんなのがあるかですが、私が思うに代表的なのは契約で取り決めていない行為を平気でやるというのがあるという気がします。
具体例を出すと、ある日系メーカーが自社商品を中国で取扱い、販売する代理店契約を中国企業と結んだところ、その日系メーカー製の製品以外の製品にも日系メーカーのロゴや商標を貼り付けまくって販売していたという事例があります。こういう例はゴルフ道具やアパレル製品に多いのですが、知的財産権が緩い国なだけあって代理店契約を結んだだけなのに商標権まで図々しく勝手に使う傾向は明らかにあると思います。
もう一つ例を出すと、製品の現地加工を中国企業に委託してその加工方法や材料を詳しく指定した矢先、勝手に一部加工を省略したり、材料をほかの安いものに変えたりするケースも非常に多いです。しかも発覚した後でクレームを出したら、「性能的には問題ない」とか、「指定された材料よりも安くて儲かる(・`ω・)ドヤッ.」などと全く悪びれることがありません。っていうか後者に至っては、儲かるのは中国企業であって日系企業には一銭も入ってこないのに何故か一仕事やってのけたみたいに言ってきます。
契約できちんと指定したにもかかわらずこういうことをやらかすこともありますが、往々にして契約を拡大解釈したり、頼んでもないことを勝手にやったりサボったりして騙すケースが少なくありません。そして先ほども述べた通りに発覚した時には全く悪びれることがないのが大きな特徴で、この点が日本人からすると理解し辛いふてぶてしさで、最初目撃したら強い違和感を覚えると思われます。
ただこうやって日本人をビジネス上でよく騙す中国人ですが、上には上がいるというか彼らも相手が韓国人となると立場が見事に逆転し、韓国人に中国人が一方的に騙され続けるという話をよく聞きます。日本人が中国人を騙してのけるという話がないのと同様に、中国人が韓国人に騙してのけるという話はほとんど聞かれません。
この件について中国人に尋ねるとほぼ確実にみんな熱を帯びて、「そうなんだよ!いっつも韓国人に騙される」と力説し出して、多分ほっといたら30分は延々と話し続けてくれます。以前、名古屋へ左遷されたうちの親父と大連に旅行行った時にも中国人ガイドがまさにこのような説明をし他のですがこれを聞いてうちの親父は、「日本人を騙す中国人を騙すんだから韓国人は大したもんだ」と、妙に感心してました。
ではその韓国人は一体どのようにして中国人をビジネスで騙すのかというと、一番よく聞くのはいわゆる「とんずら」です。最初は小さく、確実に取引を行って信用を作り、大口の発注をして納品されるや代金を払わずに消えてしまうという夜逃げに近い騙し方ですが、こういう話はよく聞きます。また消えてしまわなくても、大口の発注で納品を受けるや代金を一切払わないというのも多いです。もちろん中国人も馬鹿じゃないので取り立てようとしますが、頑として一銭も払おうとせずに踏み倒すと言われ、あの中国人が泣きを見るというのですから相当なものなのでしょう。
以上の様になんだかんだ言いつつ国ごとにビジネスでの騙し方に違いがあるというか文化的な差があると共に、明らかな強弱関係があると思ったので今日はこんな記事を書いてみました。なお公平を期すため日本人の騙し方について最後少し触れると、基本は日本人同士での騙し合いになりますが私の感覚だと知らない振りをする、覚えていない振りをするというパターンが多いような気がします。
たとえば散々クレームをつけて代品とか届けた後で実は元々欠陥が無かったりした時とかに、「あれ、代品出せってそんなこと言いましたっけ?」とすっとぼけてごまかすパターンがやや典型的かなと考えています。こうなるのも割と日本人は契約書を重視せず口約束で物事を進める傾向が強いため、言った言わないでお互いにごまかし合ったり騙し合ったりしやすい環境にあり、しかも強くクレームを言わない大人しさがそうした傾向に拍車をかけていると思います。
2016年8月24日水曜日
暴力に対する認識差
恐らく、疲れているのだと思いますが先ほどからブログ執筆ページを開きながら30分以上も何もせずにパソコンでかけている音楽を聴き続けていました。このところやや仕事が忙しくはなっているものの体力的には暑さのピークを過ぎて余裕があり、返ってその余裕が出てきたせいか物事を異常なまでに深く考えることが増えており、感覚的にですがなにか猛烈な発想の転換が近く起こるんじゃないかという気がします。仮に起こるとしたら多分九月くらいから執筆内容がいろいろすごいことになるんじゃないかという予感があり、先週とか何度も強い頭痛に襲われたのももしかしたら軽いてんかん発作で、この時から頭の中で何か色々起こってたのかもしれません。
そんなわけで完全に読者置いてきぼりのわけわからない内容でも書こうかと思案に暮れた結果、先日に書いた「問題を探す力、発見する力」という記事の続編として暴力について少し書きます。前回の記事で私は表向き、受験エリートは問題解決能力には優れているが問題自身を捜す、見つける力は極端に低い傾向があると指摘しましたが、何故そのような傾向が生まれるのかという背景については敢えて一切触れませんでした。その背景とは非常に簡単で受験エリートは総じて体制側に組み入れられるからで、官僚とか大企業社員などその体制の中で恩恵を受ける立場となるため体制の維持に視点が向き、体制の秩序を崩すような不備や問題には関心を払わず維持に当たっての問題解決にのみ集中するためです。
これとは逆に非受験エリートは体制に組み入れられるどころか弾かれ、被差別階級に至ってはその体制にいることは不利でしかないため体制を否定したり破壊する問題点をむしろ探そうという風に動くのではと考えています。もっとも問題点を漁る方向に力を注力し過ぎるもんだからうまいこと革命や政権交代した所で今度は自分たちの体制を維持する能力が低く問題解決が上手くできないわけですが、言ってしまえばこれはいわゆる右翼と左翼、保守と革新の構図にそのまま当てはめることが出来ます。
この構図を裏テーマとして念頭に置きながら書いたところ、友人一人が見事にそれを指摘してきたわけで、明示しているわけじゃないから普通わかるはずないのに勘のいい人間はやはり食いついてくるんだなと驚くと共に、他にもはっきりと意識はできてはいないものの何となく感じていた人はいるのかなと少し考えました。
それは置いといて話しは変わりますが、以前に佐藤優氏が「左翼は個人の暴力はともかく、国家の暴力に鈍いし鈍感だ」というようなことを本の中で述べていたことを思い出しました。上記の体勢に対する意識の差と関係あるかは人それぞれですが、この佐藤氏の意見について私も同意見で、暴力に対する認識が右と左と庶民とで異なるなという風に考えています。
国家の暴力とは何かと言えばわかりやすいのは旧共産圏の言論弾圧や強制収容所で、個人ではなく国家権力によって個人へ行われる暴力の事です。いわゆる社会主義者たちは反体制側にいるときは国家の暴力に対して散々罵りますがいざ体制を握るや躊躇せずに存分に使い倒す傾向があることは過去の共産圏を見るだけでも火を見るより明らかです。かといって体制にいる資本主義者が国家の暴力を使わないというわけではなくこちらも国によってはガンガン使いますが、決定的に違うのは構成員がその暴力自体の恐ろしさをある程度は理解しているという点で、少なくとも自分がターゲットにならないように動くと私は考えています。
一方で庶民からすれば暴力と言ったところで中学高校で不良がいじめられっ子を殴るシーンやドメスティックバイオ連とかを想像するのではないかと思います。いわゆる交渉の手段として暴力を計算に入れ想像するのはヤクザとちょっとおかしな人くらいでしょうが、かえって「手段」として認識する方が上記例の「目的」として認識するよりは制限はあるかなという気がします。そして、自らがその暴力にさらされる可能性があると常に認識しているか否かも価値観の違いを生むでしょう
佐藤優氏なんかは実際にその国家の暴力にさらされたわけですが、彼ほど極端ではなくても暴力というのは予告なしで突然、思わぬ方向から理不尽に飛んでくるものだと私は考えており、対策をしていてもどうにかなるものではないもののなるべくさらされずに済むよう気は配っています。それでもさらされた場合はどうするのか、屈するのか抵抗するのか、抵抗するとしたらどうするのか、さすがにここまで深く考えているわけではないものの手段としての暴力は選択肢に入れています。
一般市民レベルではともかくとして政治や体制を見る上でこの暴力に対する認識の違いを把握することは団体や組織の傾向を掴む上では非常に有用で、その距離感、行使被行使に対する意識を見ることでどういった行動に出やすいのか、結論としてまともかまともでないかを認識する上で役に立ちます。具体的には、殴られる覚悟があって殴ろうとする人間が最もまともで、殴られる覚悟もないのに殴ろうとする人間がその対極です。
普通の日本社会では暴力はただ否定されるだけの存在ですが、否定されたところで社会から暴力の存在がなくなることはありえず、敬遠すべき概念とはいえそれがそこに存在することはしっかりと認識すべきというのが私の立場です。少なくとも、暴力のない世界だと騙して子供を社会に送り出したりは私はしたくありません。
何も考えずに書いているので非常にわかり辛い文章だと思いますが今回裏テーマは存在せず、言いたことは非常に単純で、やられたらやり返せばいいしそれで世の中は丸く収まり、暴力はよくないと言いながら平気で振るってくる奴は案外多いってことだけです。暴力のない社会と理想論を語るのは立派ですが、存在するものを直視しないのはただ愚かなだけでしょう。
そんなわけで完全に読者置いてきぼりのわけわからない内容でも書こうかと思案に暮れた結果、先日に書いた「問題を探す力、発見する力」という記事の続編として暴力について少し書きます。前回の記事で私は表向き、受験エリートは問題解決能力には優れているが問題自身を捜す、見つける力は極端に低い傾向があると指摘しましたが、何故そのような傾向が生まれるのかという背景については敢えて一切触れませんでした。その背景とは非常に簡単で受験エリートは総じて体制側に組み入れられるからで、官僚とか大企業社員などその体制の中で恩恵を受ける立場となるため体制の維持に視点が向き、体制の秩序を崩すような不備や問題には関心を払わず維持に当たっての問題解決にのみ集中するためです。
これとは逆に非受験エリートは体制に組み入れられるどころか弾かれ、被差別階級に至ってはその体制にいることは不利でしかないため体制を否定したり破壊する問題点をむしろ探そうという風に動くのではと考えています。もっとも問題点を漁る方向に力を注力し過ぎるもんだからうまいこと革命や政権交代した所で今度は自分たちの体制を維持する能力が低く問題解決が上手くできないわけですが、言ってしまえばこれはいわゆる右翼と左翼、保守と革新の構図にそのまま当てはめることが出来ます。
この構図を裏テーマとして念頭に置きながら書いたところ、友人一人が見事にそれを指摘してきたわけで、明示しているわけじゃないから普通わかるはずないのに勘のいい人間はやはり食いついてくるんだなと驚くと共に、他にもはっきりと意識はできてはいないものの何となく感じていた人はいるのかなと少し考えました。
それは置いといて話しは変わりますが、以前に佐藤優氏が「左翼は個人の暴力はともかく、国家の暴力に鈍いし鈍感だ」というようなことを本の中で述べていたことを思い出しました。上記の体勢に対する意識の差と関係あるかは人それぞれですが、この佐藤氏の意見について私も同意見で、暴力に対する認識が右と左と庶民とで異なるなという風に考えています。
国家の暴力とは何かと言えばわかりやすいのは旧共産圏の言論弾圧や強制収容所で、個人ではなく国家権力によって個人へ行われる暴力の事です。いわゆる社会主義者たちは反体制側にいるときは国家の暴力に対して散々罵りますがいざ体制を握るや躊躇せずに存分に使い倒す傾向があることは過去の共産圏を見るだけでも火を見るより明らかです。かといって体制にいる資本主義者が国家の暴力を使わないというわけではなくこちらも国によってはガンガン使いますが、決定的に違うのは構成員がその暴力自体の恐ろしさをある程度は理解しているという点で、少なくとも自分がターゲットにならないように動くと私は考えています。
一方で庶民からすれば暴力と言ったところで中学高校で不良がいじめられっ子を殴るシーンやドメスティックバイオ連とかを想像するのではないかと思います。いわゆる交渉の手段として暴力を計算に入れ想像するのはヤクザとちょっとおかしな人くらいでしょうが、かえって「手段」として認識する方が上記例の「目的」として認識するよりは制限はあるかなという気がします。そして、自らがその暴力にさらされる可能性があると常に認識しているか否かも価値観の違いを生むでしょう
佐藤優氏なんかは実際にその国家の暴力にさらされたわけですが、彼ほど極端ではなくても暴力というのは予告なしで突然、思わぬ方向から理不尽に飛んでくるものだと私は考えており、対策をしていてもどうにかなるものではないもののなるべくさらされずに済むよう気は配っています。それでもさらされた場合はどうするのか、屈するのか抵抗するのか、抵抗するとしたらどうするのか、さすがにここまで深く考えているわけではないものの手段としての暴力は選択肢に入れています。
一般市民レベルではともかくとして政治や体制を見る上でこの暴力に対する認識の違いを把握することは団体や組織の傾向を掴む上では非常に有用で、その距離感、行使被行使に対する意識を見ることでどういった行動に出やすいのか、結論としてまともかまともでないかを認識する上で役に立ちます。具体的には、殴られる覚悟があって殴ろうとする人間が最もまともで、殴られる覚悟もないのに殴ろうとする人間がその対極です。
普通の日本社会では暴力はただ否定されるだけの存在ですが、否定されたところで社会から暴力の存在がなくなることはありえず、敬遠すべき概念とはいえそれがそこに存在することはしっかりと認識すべきというのが私の立場です。少なくとも、暴力のない世界だと騙して子供を社会に送り出したりは私はしたくありません。
何も考えずに書いているので非常にわかり辛い文章だと思いますが今回裏テーマは存在せず、言いたことは非常に単純で、やられたらやり返せばいいしそれで世の中は丸く収まり、暴力はよくないと言いながら平気で振るってくる奴は案外多いってことだけです。暴力のない社会と理想論を語るのは立派ですが、存在するものを直視しないのはただ愚かなだけでしょう。
2016年8月22日月曜日
過去のステルスマーケティング事例
何故か続いてしまったステマ記事ですが、今回はこれまでに起きたステルスマーケティングの事例を紹介します。基本有名どころばかりになってしまいますが。
まず初めに、ステルスマーケティング(ステマ)の定義づけを先に行っておきます。これに関しては私の言葉で述べると、「組織的な広告・宣伝活動であると明示せず中立な第三者を装って商品やサービスを紹介・宣伝する。または競合先のネガティブキャンペーンを行う」といったところに落ち着きます。実際のところ、どこからどこまでがステマであるのか線引きについては議論の分かれるところで、今日書く記事はその線引きも敢えて意識して作っています。
・ソニー発のステルスマーケティング
1、デビッドマニング事件
2、ゲートキーパー問題
3、その他もろもろ
既に解説済みだし解説するのにも飽きているので詳細はリンク先を見てください。
・ペニーオークション詐欺(2012年)
こちらも有名な事件なので知ってる人も多いと思われますが、2012年に発覚したペニーオークションサイトを舞台にしたステマ事例です。
この事例の首謀者はペニーオークションと言って、入札ごとに入札料を支払うという形式のオークションを行うサイトを運営し、初めから一般の入札者が商品を落札できないようにプログラムを組んでいただけでなく、そもそも入札する商品も最初から仕入れてもいないという悪質極まりないサービスが展開されていました。どう見たって怪しいシステムだし全く入札できないという声が集まったことから警察の強制捜査が入り敢え無く御用となりましたが、事件化されたことによってこのサイトではステマが行われていたことが明らかとなりました。
この業者が逮捕される以前、グラビアアイドルを中心に「ペニオクで安くで商品買えちゃったー」という記事を個人ブログに掲載する芸能人が多数存在しました。当初からそのシステムの怪しさと芸能人らがやや組織立って推薦するような記事を書いていたことから怪しまれていましたが、案の定というか業者から芸能人に謝礼付きで、第三社を装って記事を書くようにと依頼を受けての行為でした。
事件化によってステマであったことが発覚し、これによりほしのあきや小森純などは騒動を謝罪したものの半引退に追い込まれ、グラビア仲間に「アルバイト」としてステマをあっせんした松金ようこに至っては芸能界から完全に引退する羽目となりました。業者の悪質さやステマの不法行為を考えると仕方のないものかと思われますが、私個人として一番の疑問は引き受けるのに抵抗を覚えなかったのかって点です。明らかに怪しい業者なんだし。
・ハレ晴れユカイ騒動(2006年)
これは当時リアルタイムで見ていたのでそこそこ詳しい自信があるのですが、当時大人気だった「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメの主題歌「ハレ晴れユカイ」に対するステマがきっかけとなり非常に大きなネット騒動が勃発しました。
・第一次ブログ連戦争(ニコニコ大百科)
大まかな概略は上の記事にも書かれてありますが、今では当たり前の存在となっているいわゆる「2ちゃん記事まとめブログ」という、大手掲示板のスレッド内容を読みやすいように編集加工してのせる「まとめサイト」がこの時辺りからネットで増えていました。ただ当時のネット住民は「のまネコ騒動」でもみられたように無料公開されている2ちゃんねるの記事を商業利用することに対して強い嫌悪感を持っており、まとめサイトに対しても批判が少なくありませんでした。
そんな中、とあるまとめサイト管理人のmixi(SNSとしてはもはや死語だなぁ)での、他のまとめサイト管理人らとのやり取り内容がネットに流出し、その中には「ハレ晴れユカイをプッシュしよう!」というような内容が書かれていたそうです。ついでに書くと、「アフィうめぇ」というのもあったとも。
一体これはどういう事かというと、まとめサイトは基本的に自分のサイト内でアフィリエイト広告を掲示し、この広告へのクリックによる紹介料を収入としています。この当時、まとめサイトの管理人らがやろうとしたことは2ちゃんねるでの「ハレ晴れユカイ」に関するスレッドを意図的に多く掲載することによって各サイトにある同曲のアフィリエイト広告へと誘導するという方法で、実際当時いろんなまとめサイトを訪れていましたがこの時に「ハレ晴れユカイ」のプッシュのされようはブームというのを通り越すくらい異常に多かったです。
このステマで特徴的な点は二つあり、ステマ当事者はその商品・サービスの直接の販売者ではないということと、複数のサイト管理人が共謀してプッシュしていたということです。特に後者に関してはかねてから批判の多かったまとめサイト管理人同士の横のつながりがあったことがわかったことで2ちゃんねるを中心に猛烈な反発が起こり、各まとめサイトでコメント欄が炎上しただけでなく、管理人らの個人情報が暴露されて電話突撃なども敢行されたと聞きます。
こうした甲斐あって当時隆盛を誇ったまとめサイトの多くは消滅し、逆に当時はマイナーでこのステマに関わってなかったまとめサイトがメジャーに昇格するという現象が起こりました。当時、まとめサイトの老舗中の老舗である「痛いニュース」を除いて一番勢いがあったと思われる「ニャー速」も、この時の騒動では最大ターゲットとされ荒れに荒れた末に消滅しました。当時よく見てたからなくなった時はちょっと寂しかったですが。
以上、簡単にステマ事例を紹介しましたが必ずしもこうであるとは限らないものの、どれもインターネットを介したステマ事例となっており、ステマというのは本質的にネットを舞台に行われる違法なマーケティング手法と見ても間違いではないでしょう。またその線引きも曖昧であるため、ペニオク騒動の様に本人らの自覚のないままにステマに加担するような例も今後増えてくるのではないかという気がします。
私自身もこうした点には注意を払っており、たまにAmazonのアフィリエイト広告を貼っていますがこの際に貼る広告は必ず自分が読んだ本、遊んだゲームなど直接体験した物に限っています。読んでもない本を紹介するのはステマではないものの推薦するのにおかしいと考えるからですが、逆を言えば体験もしていないのに広告を貼る輩も多いと言ったところでしょうか。
まず初めに、ステルスマーケティング(ステマ)の定義づけを先に行っておきます。これに関しては私の言葉で述べると、「組織的な広告・宣伝活動であると明示せず中立な第三者を装って商品やサービスを紹介・宣伝する。または競合先のネガティブキャンペーンを行う」といったところに落ち着きます。実際のところ、どこからどこまでがステマであるのか線引きについては議論の分かれるところで、今日書く記事はその線引きも敢えて意識して作っています。
・ソニー発のステルスマーケティング
1、デビッドマニング事件
2、ゲートキーパー問題
3、その他もろもろ
既に解説済みだし解説するのにも飽きているので詳細はリンク先を見てください。
・ペニーオークション詐欺(2012年)
こちらも有名な事件なので知ってる人も多いと思われますが、2012年に発覚したペニーオークションサイトを舞台にしたステマ事例です。
この事例の首謀者はペニーオークションと言って、入札ごとに入札料を支払うという形式のオークションを行うサイトを運営し、初めから一般の入札者が商品を落札できないようにプログラムを組んでいただけでなく、そもそも入札する商品も最初から仕入れてもいないという悪質極まりないサービスが展開されていました。どう見たって怪しいシステムだし全く入札できないという声が集まったことから警察の強制捜査が入り敢え無く御用となりましたが、事件化されたことによってこのサイトではステマが行われていたことが明らかとなりました。
この業者が逮捕される以前、グラビアアイドルを中心に「ペニオクで安くで商品買えちゃったー」という記事を個人ブログに掲載する芸能人が多数存在しました。当初からそのシステムの怪しさと芸能人らがやや組織立って推薦するような記事を書いていたことから怪しまれていましたが、案の定というか業者から芸能人に謝礼付きで、第三社を装って記事を書くようにと依頼を受けての行為でした。
事件化によってステマであったことが発覚し、これによりほしのあきや小森純などは騒動を謝罪したものの半引退に追い込まれ、グラビア仲間に「アルバイト」としてステマをあっせんした松金ようこに至っては芸能界から完全に引退する羽目となりました。業者の悪質さやステマの不法行為を考えると仕方のないものかと思われますが、私個人として一番の疑問は引き受けるのに抵抗を覚えなかったのかって点です。明らかに怪しい業者なんだし。
・ハレ晴れユカイ騒動(2006年)
これは当時リアルタイムで見ていたのでそこそこ詳しい自信があるのですが、当時大人気だった「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメの主題歌「ハレ晴れユカイ」に対するステマがきっかけとなり非常に大きなネット騒動が勃発しました。
・第一次ブログ連戦争(ニコニコ大百科)
大まかな概略は上の記事にも書かれてありますが、今では当たり前の存在となっているいわゆる「2ちゃん記事まとめブログ」という、大手掲示板のスレッド内容を読みやすいように編集加工してのせる「まとめサイト」がこの時辺りからネットで増えていました。ただ当時のネット住民は「のまネコ騒動」でもみられたように無料公開されている2ちゃんねるの記事を商業利用することに対して強い嫌悪感を持っており、まとめサイトに対しても批判が少なくありませんでした。
そんな中、とあるまとめサイト管理人のmixi(SNSとしてはもはや死語だなぁ)での、他のまとめサイト管理人らとのやり取り内容がネットに流出し、その中には「ハレ晴れユカイをプッシュしよう!」というような内容が書かれていたそうです。ついでに書くと、「アフィうめぇ」というのもあったとも。
一体これはどういう事かというと、まとめサイトは基本的に自分のサイト内でアフィリエイト広告を掲示し、この広告へのクリックによる紹介料を収入としています。この当時、まとめサイトの管理人らがやろうとしたことは2ちゃんねるでの「ハレ晴れユカイ」に関するスレッドを意図的に多く掲載することによって各サイトにある同曲のアフィリエイト広告へと誘導するという方法で、実際当時いろんなまとめサイトを訪れていましたがこの時に「ハレ晴れユカイ」のプッシュのされようはブームというのを通り越すくらい異常に多かったです。
このステマで特徴的な点は二つあり、ステマ当事者はその商品・サービスの直接の販売者ではないということと、複数のサイト管理人が共謀してプッシュしていたということです。特に後者に関してはかねてから批判の多かったまとめサイト管理人同士の横のつながりがあったことがわかったことで2ちゃんねるを中心に猛烈な反発が起こり、各まとめサイトでコメント欄が炎上しただけでなく、管理人らの個人情報が暴露されて電話突撃なども敢行されたと聞きます。
こうした甲斐あって当時隆盛を誇ったまとめサイトの多くは消滅し、逆に当時はマイナーでこのステマに関わってなかったまとめサイトがメジャーに昇格するという現象が起こりました。当時、まとめサイトの老舗中の老舗である「痛いニュース」を除いて一番勢いがあったと思われる「ニャー速」も、この時の騒動では最大ターゲットとされ荒れに荒れた末に消滅しました。当時よく見てたからなくなった時はちょっと寂しかったですが。
以上、簡単にステマ事例を紹介しましたが必ずしもこうであるとは限らないものの、どれもインターネットを介したステマ事例となっており、ステマというのは本質的にネットを舞台に行われる違法なマーケティング手法と見ても間違いではないでしょう。またその線引きも曖昧であるため、ペニオク騒動の様に本人らの自覚のないままにステマに加担するような例も今後増えてくるのではないかという気がします。
私自身もこうした点には注意を払っており、たまにAmazonのアフィリエイト広告を貼っていますがこの際に貼る広告は必ず自分が読んだ本、遊んだゲームなど直接体験した物に限っています。読んでもない本を紹介するのはステマではないものの推薦するのにおかしいと考えるからですが、逆を言えば体験もしていないのに広告を貼る輩も多いと言ったところでしょうか。
2016年8月21日日曜日
ステルスマーケティングの見分け方
昨夜ブログ書こうとしたら猛烈に頭痛くなってバタンキューしてました。冷房に当たりすぎたのかお昼にケーキ食べに高島屋へ自転車で行く途中に光化学スモッグ吸ったのかわかりませんが、右半身に血液通ってないような感覚になり、なんかふとんの上で寝転がるのも気分悪かったから何故か床の上に何も敷かず寝てました。ちなみに高島屋で示し合わせたかのように同僚二人と遭遇し、暑いからか何故かみんな自然と高島屋に集合してたようです。
話しは本題に入りますが、前回の記事で私はソニーのステルスマーケティング事例について紹介しましたが、ステルスマーケティングというのは概してそれがステルスマーケティングであるかどうか判別することが困難であることが大きな特徴といえます。それこそかつての事件の様に、ステルスマーケティングを行っていた業者が摘発された際に初めて明るみに出ることもすくなくなく、またネットの書き込みなどもソニーの拙い手法によるものでもない限りは明確な証拠を消費者が確認できる手段はほぼ皆無でしょう。
そこで今日はあくまで私個人の一意見として、ステルスマーケティングらしき広告文、書き込みの見分け方を紹介しようと思います。この見分け方はあくまで私個人の基準による、ステルスマーケティングと思しき書き込みの見分け方なので、絶対的な基準ではないということをあらかじめご了承ください。
1、投稿者の履歴
基本中の基本ですが、Amazonや食べログなどではレビュアーの過去の投稿を見ることが可能で、過去の投稿でも商品やサービスをやや過大に絶賛するコメントを延々と繰り返している人間はその手の業者の人間と見て間違いないでしょう。サイトなどもこうした人たちの規制を行ってはいるようですが、その辺はいたちごっこにならざるを得ないので消費者側もある程度判別する能力が求められてきます。
2、一から十まで内容の説明が入っている
これは漫画や小説などで顕著ですが、その本に収められている内容を最初から最後までびっしり説明しているものはほぼステマと見て間違いないと思われます。具体的には、「この巻にある第○話では××が~で、次の話では~で……」のような具合で、延々と説明が続くような形式です。感想というよりは説明文で、飲食店などに関しても必要以上と思われるくらいにメニューの金額がびっしり入っているものは疑ってかかるべきでしょう。
自分のライターとして経験から言わすと、無償でレビューをするに当たってびっしりと内容を説明しようとする人間はまずいません。逆に、有償でレビューしようとなると知らず知らずにこうした書き方になる可能性が高いです。理由はごく簡単で、手軽に字数が稼げるからです。
3、他人の評価を引用している
例えば飲食店で同席した友人の感想を入れるならまだありですが、そうではない知人や家族、他のネットでの評価を引用している場合もステマの可能性が高いような気がします。たとえば本に関してだと、「私の母も熱中して読んでました」等のように、「他の人間もはまっているんだぞ!」と主張するかのような書き方には気を付けるべきです。
これもライターとしての立場から言えば、企業のプレゼンといったマーケティングならともかく消費者としてのレビューで他人の評価を入れようとするのは自然には起こらない気がします。他のレビュアーの意見に賛同、反対する意見を自分のレビューに書くのはまだ自然ですが、その場にいない人間の評価を自分のレビューに入れ込もうとするのは不自然で、これに関しては以下でもう少し詳細に解説します。
4、同じレビューがシリーズの別の巻にも入れられている
これも本とかで多いですが全く同じレビュー文章が1巻から10巻まで書かれていることがあり、これは確実にステマと言えます。っていうかこれはやってる人間の気がしれない。
5、過大に褒めちぎる
これも解説する必要あるのかと思うくらい単純なポイントですが、これでもかと言わんばかりに絶賛の限りを尽くし、しかもそのようなレビューが次の人間以降も延々と続くケースは怪しいです。一人や二人なら絶賛し続けることもあり得ますが、普通は少なからず欠点を指摘する人間も段々と混ざるため、レビューが絶賛一色なのは言うまでもありませんが不自然でしょう。
6、主観か客観か
ある意味これが一番の見分けポイントで3番にもつながりますが、商品やサービスのレビューは基本的に主観で以って書かれるものであり、レビュー文章が客観的に書かれてある場合は疑ってかかるべきです。考えても見ればわかりますが人はレビューを書く時、誰かに頼まれるわけでもなく自発的に書くわけで、基本的にその文章はレビュアーの主観が色濃く反映されます。具体的にはどの点が気に入ったかどの点が気に入らないのかが盛り込まれることが多く、その後の文章もそうした点の説明に終始するのが自然な書かれ方です。
それに対し、3番で述べたように自身の評価というよりは周囲の評価を引用したり、他でも取り上げられているといった事例を書き並べるような書き方や、「高い売上げ」だとか「ランキング上位」などと客観的データを引用する書き方するのは普通のレビュアーはまず書かれることは有り得ないと思われます。比較サイトや個人ブログであればそうした客観的な書き方もされることもあり、というよりなくちゃだめですが、商品ページの口コミや書き込みにそこまで書こうとするのは何らかの意図が無ければ有り得ない行為だと、ライターとして思うわけです。
以上が私のざっとしたステマ書き込み・レビューの見分け方です。一番のポイントはやはり6番の主観か客観かで、変によそよそしく距離を置いた書き方については注意された方がいいというのが私の意見です。
折角なので続きの記事ではこれまで確認されたステマの事例を一気にまとめあげようと思います。意外と記録に残っていないステマ事例もあるし、いいまとになるんじゃないかな。
話しは本題に入りますが、前回の記事で私はソニーのステルスマーケティング事例について紹介しましたが、ステルスマーケティングというのは概してそれがステルスマーケティングであるかどうか判別することが困難であることが大きな特徴といえます。それこそかつての事件の様に、ステルスマーケティングを行っていた業者が摘発された際に初めて明るみに出ることもすくなくなく、またネットの書き込みなどもソニーの拙い手法によるものでもない限りは明確な証拠を消費者が確認できる手段はほぼ皆無でしょう。
そこで今日はあくまで私個人の一意見として、ステルスマーケティングらしき広告文、書き込みの見分け方を紹介しようと思います。この見分け方はあくまで私個人の基準による、ステルスマーケティングと思しき書き込みの見分け方なので、絶対的な基準ではないということをあらかじめご了承ください。
1、投稿者の履歴
基本中の基本ですが、Amazonや食べログなどではレビュアーの過去の投稿を見ることが可能で、過去の投稿でも商品やサービスをやや過大に絶賛するコメントを延々と繰り返している人間はその手の業者の人間と見て間違いないでしょう。サイトなどもこうした人たちの規制を行ってはいるようですが、その辺はいたちごっこにならざるを得ないので消費者側もある程度判別する能力が求められてきます。
2、一から十まで内容の説明が入っている
これは漫画や小説などで顕著ですが、その本に収められている内容を最初から最後までびっしり説明しているものはほぼステマと見て間違いないと思われます。具体的には、「この巻にある第○話では××が~で、次の話では~で……」のような具合で、延々と説明が続くような形式です。感想というよりは説明文で、飲食店などに関しても必要以上と思われるくらいにメニューの金額がびっしり入っているものは疑ってかかるべきでしょう。
自分のライターとして経験から言わすと、無償でレビューをするに当たってびっしりと内容を説明しようとする人間はまずいません。逆に、有償でレビューしようとなると知らず知らずにこうした書き方になる可能性が高いです。理由はごく簡単で、手軽に字数が稼げるからです。
3、他人の評価を引用している
例えば飲食店で同席した友人の感想を入れるならまだありですが、そうではない知人や家族、他のネットでの評価を引用している場合もステマの可能性が高いような気がします。たとえば本に関してだと、「私の母も熱中して読んでました」等のように、「他の人間もはまっているんだぞ!」と主張するかのような書き方には気を付けるべきです。
これもライターとしての立場から言えば、企業のプレゼンといったマーケティングならともかく消費者としてのレビューで他人の評価を入れようとするのは自然には起こらない気がします。他のレビュアーの意見に賛同、反対する意見を自分のレビューに書くのはまだ自然ですが、その場にいない人間の評価を自分のレビューに入れ込もうとするのは不自然で、これに関しては以下でもう少し詳細に解説します。
4、同じレビューがシリーズの別の巻にも入れられている
これも本とかで多いですが全く同じレビュー文章が1巻から10巻まで書かれていることがあり、これは確実にステマと言えます。っていうかこれはやってる人間の気がしれない。
5、過大に褒めちぎる
これも解説する必要あるのかと思うくらい単純なポイントですが、これでもかと言わんばかりに絶賛の限りを尽くし、しかもそのようなレビューが次の人間以降も延々と続くケースは怪しいです。一人や二人なら絶賛し続けることもあり得ますが、普通は少なからず欠点を指摘する人間も段々と混ざるため、レビューが絶賛一色なのは言うまでもありませんが不自然でしょう。
6、主観か客観か
ある意味これが一番の見分けポイントで3番にもつながりますが、商品やサービスのレビューは基本的に主観で以って書かれるものであり、レビュー文章が客観的に書かれてある場合は疑ってかかるべきです。考えても見ればわかりますが人はレビューを書く時、誰かに頼まれるわけでもなく自発的に書くわけで、基本的にその文章はレビュアーの主観が色濃く反映されます。具体的にはどの点が気に入ったかどの点が気に入らないのかが盛り込まれることが多く、その後の文章もそうした点の説明に終始するのが自然な書かれ方です。
それに対し、3番で述べたように自身の評価というよりは周囲の評価を引用したり、他でも取り上げられているといった事例を書き並べるような書き方や、「高い売上げ」だとか「ランキング上位」などと客観的データを引用する書き方するのは普通のレビュアーはまず書かれることは有り得ないと思われます。比較サイトや個人ブログであればそうした客観的な書き方もされることもあり、というよりなくちゃだめですが、商品ページの口コミや書き込みにそこまで書こうとするのは何らかの意図が無ければ有り得ない行為だと、ライターとして思うわけです。
以上が私のざっとしたステマ書き込み・レビューの見分け方です。一番のポイントはやはり6番の主観か客観かで、変によそよそしく距離を置いた書き方については注意された方がいいというのが私の意見です。
折角なので続きの記事ではこれまで確認されたステマの事例を一気にまとめあげようと思います。意外と記録に残っていないステマ事例もあるし、いいまとになるんじゃないかな。
2016年8月18日木曜日
ソニーのステルスマーケティング
本題と関係ありませんがこのところの日ハム大谷選手の活躍には本気で目を見張ります。今年一年の活躍を以ってしても、彼は日本野球界で殿堂入りする資格があるとすら思えるほどです。
話は本題に入りますが私が中学、高校生だった頃、日本社会で最もブランド力の高い会社はトヨタでも野村証券でも日本テレビでもなく、間違いなくソニーでした。ただそのソニーは2003年の株価大暴落、いわゆるソニーショック以降はその評価が大きく下がり現在の様に「日系エレキ大手の一角」までその地位は落ちましたが、それ以前のソニーは誇張でもなく桁違いのブランド力で、「ソニー製でなければ家電にあらず」と言ってもいいくらいブイブイ言わせていました。実際、私が中学生の頃にパイオニア製ポータブルMDプレイヤーを買ったところ周りから、「ソニー製じゃないの?だっせー」とリアルで言われていました。
ついでに書くとこの時は野外でも音楽聞いてましたがなんか段々と鬱陶しくなり、高校出てからは外で音楽聞くことは一回もなく、i-Podもとうとう一度も持つことなく終わり現在に至ります。
話は戻りますがソニーはどうして絶頂からそこまで凋落したのか。理由は一つではなくいわゆるソニータイマーなどの製品品質への不信、業績の悪化、当時CEOだった出井伸之氏の路線失敗などいくらでも挙げられますが、地味に大きかったのではと今更ながら思うものとしてステルスマーケティングの行使があるのではと考えています。
・ステルスマーケティング(Wikipedia)
ステルスマーケティングについてもうこの際説明しませんが、そもそもこの言葉が日本で定着したきっかけもソニーの影響が大きいと思われます。
ソニー絡みで日本で一番話題となったステルスマーケティングはいわゆる「ゲートキーパー問題」で、これは大手掲示板サイトなどで組織的に、ソニーのゲーム製品を持ち上げる一方で任天堂製品を批判する書き込みがなされていたという事件で、プロバイダーを探ってったところどの書き込みもソニー本社からなされており、しかもホスト名が「gatekeeper??.Sony.CO.JP」と見たまんまだったことから明るみとなりました。詳しく確認してませんがソニー自身はこの問題について「ノーコメント」と無言の肯定していることからほぼ伝聞事実で間違いなく、かなりお粗末なステルスマーケティングをソニーがやっていたということになります。
なおこのゲートキーパー問題が明るみに出た当時はやはりネット上でのソニーへの批判は非常に大きかったと覚えています。逆を言えばゲームをせず、ネット掲示板もあまり見ない人からすれば事件の存在自体知らなかったと思われ、世間の認知度はそれほど高くないのではとも見ています。
仮にこのゲートキーパー事件だけであれば「魔が差した」と見ることもできますが、実際にはソニーはかなり古くからステルスマーケティングを組織的に運用しており、こういってはなんですが抵抗なくやってると思う節すらあります。
そんなソニーの別の代表的なステルスマーケティング例として米国での「デビッド・マニング事件」というものがあり、これは架空の映画評論ライター「デビッド・マニング」にソニーピクチャー製の映画を絶賛させていた事件です。当初からその言動が怪しまれ架空のライターではないかと噂されたためわざわざソニーは合成音声を使ってラジオにまで出演させましたが最終的にはばれてしまい、裁判にまで発展してプッシュされた映画を見たという人に5ドルずつ賠償する羽目になっています。っていうか5ドルで映画見られるんだなアメリカって。
上記以外にもウィキペディアの「ソニーのステルスマーケティング事件」の項目を見るとこれでもかと言わんばかりにステマを繰り返しており、内心見ていて反省しない奴らだなと呆れてきます。もっともソニーに限らず多かれ少なかれの大企業ではこの手のことをやっていますが、ソニーだけこんだけばれるってことは世間からも強く疑われているのと、ゲートキーパー問題を始めステルス性が極端に低いということでしょう。メタルギアソリッドはプレイステーション用ソフトなのに。
なお以前、ネット広告サービス会社に取材した時、日本では景品表示法などでステルスマーケティングに対する取り締まりも実際に行われているが、中国だとまだこの方面で緩いところがあるので必要に応じてやることもあるということをこそっと教えてくれました。記事には書かないでくれとは言われたので当時は書きませんでしたが、話してる感じだと広告関係者の間では「ばれなければ大丈夫」な手段として認知されているような感覚を覚えました。
実際、今の日本においても、というよりネット書き込みが発達した今だからこそステルスマーケティングはそこらかしこで展開されていると断言できます。そこで次回はいくらか実例を出して、ステルスマーケティングと思しき書き込みを紹介しようかなと思います。
話は本題に入りますが私が中学、高校生だった頃、日本社会で最もブランド力の高い会社はトヨタでも野村証券でも日本テレビでもなく、間違いなくソニーでした。ただそのソニーは2003年の株価大暴落、いわゆるソニーショック以降はその評価が大きく下がり現在の様に「日系エレキ大手の一角」までその地位は落ちましたが、それ以前のソニーは誇張でもなく桁違いのブランド力で、「ソニー製でなければ家電にあらず」と言ってもいいくらいブイブイ言わせていました。実際、私が中学生の頃にパイオニア製ポータブルMDプレイヤーを買ったところ周りから、「ソニー製じゃないの?だっせー」とリアルで言われていました。
ついでに書くとこの時は野外でも音楽聞いてましたがなんか段々と鬱陶しくなり、高校出てからは外で音楽聞くことは一回もなく、i-Podもとうとう一度も持つことなく終わり現在に至ります。
話は戻りますがソニーはどうして絶頂からそこまで凋落したのか。理由は一つではなくいわゆるソニータイマーなどの製品品質への不信、業績の悪化、当時CEOだった出井伸之氏の路線失敗などいくらでも挙げられますが、地味に大きかったのではと今更ながら思うものとしてステルスマーケティングの行使があるのではと考えています。
・ステルスマーケティング(Wikipedia)
ステルスマーケティングについてもうこの際説明しませんが、そもそもこの言葉が日本で定着したきっかけもソニーの影響が大きいと思われます。
ソニー絡みで日本で一番話題となったステルスマーケティングはいわゆる「ゲートキーパー問題」で、これは大手掲示板サイトなどで組織的に、ソニーのゲーム製品を持ち上げる一方で任天堂製品を批判する書き込みがなされていたという事件で、プロバイダーを探ってったところどの書き込みもソニー本社からなされており、しかもホスト名が「gatekeeper??.Sony.CO.JP」と見たまんまだったことから明るみとなりました。詳しく確認してませんがソニー自身はこの問題について「ノーコメント」と無言の肯定していることからほぼ伝聞事実で間違いなく、かなりお粗末なステルスマーケティングをソニーがやっていたということになります。
なおこのゲートキーパー問題が明るみに出た当時はやはりネット上でのソニーへの批判は非常に大きかったと覚えています。逆を言えばゲームをせず、ネット掲示板もあまり見ない人からすれば事件の存在自体知らなかったと思われ、世間の認知度はそれほど高くないのではとも見ています。
仮にこのゲートキーパー事件だけであれば「魔が差した」と見ることもできますが、実際にはソニーはかなり古くからステルスマーケティングを組織的に運用しており、こういってはなんですが抵抗なくやってると思う節すらあります。
そんなソニーの別の代表的なステルスマーケティング例として米国での「デビッド・マニング事件」というものがあり、これは架空の映画評論ライター「デビッド・マニング」にソニーピクチャー製の映画を絶賛させていた事件です。当初からその言動が怪しまれ架空のライターではないかと噂されたためわざわざソニーは合成音声を使ってラジオにまで出演させましたが最終的にはばれてしまい、裁判にまで発展してプッシュされた映画を見たという人に5ドルずつ賠償する羽目になっています。っていうか5ドルで映画見られるんだなアメリカって。
上記以外にもウィキペディアの「ソニーのステルスマーケティング事件」の項目を見るとこれでもかと言わんばかりにステマを繰り返しており、内心見ていて反省しない奴らだなと呆れてきます。もっともソニーに限らず多かれ少なかれの大企業ではこの手のことをやっていますが、ソニーだけこんだけばれるってことは世間からも強く疑われているのと、ゲートキーパー問題を始めステルス性が極端に低いということでしょう。メタルギアソリッドはプレイステーション用ソフトなのに。
なお以前、ネット広告サービス会社に取材した時、日本では景品表示法などでステルスマーケティングに対する取り締まりも実際に行われているが、中国だとまだこの方面で緩いところがあるので必要に応じてやることもあるということをこそっと教えてくれました。記事には書かないでくれとは言われたので当時は書きませんでしたが、話してる感じだと広告関係者の間では「ばれなければ大丈夫」な手段として認知されているような感覚を覚えました。
実際、今の日本においても、というよりネット書き込みが発達した今だからこそステルスマーケティングはそこらかしこで展開されていると断言できます。そこで次回はいくらか実例を出して、ステルスマーケティングと思しき書き込みを紹介しようかなと思います。
2016年8月16日火曜日
自爆攻撃の源流
この前知人の家に遊びに行ったら、そこの家のビビりな猫が私を見るなり距離を置きつつ身構えてきました。怖がらせるのもよくないので放っておいたら何故か私が脱いだ靴の所に行き、私の姿を伺いつつ何故か必死になって私の靴の中の臭いを嗅いでいました。なんとなく隠れて麻薬吸ってるようにも見えて、なんか失礼な猫だなと密かに思いました。
話は本題に入りますが、イスラム系テロリストが世界各地で自爆攻撃を展開している現状についてはもはや何も説明は要らないでしょう。かつて自爆攻撃は「神風特攻隊」など日本人の専売特許という見方が世界でも強かったですが、現時点ではお株を取られたというかイスラム系テロリストの代名詞と言ってもよく、米国からクレイジーアタックと呼ばれた攻撃はもはや一般的な攻撃に成り下がったと見ることもできるかもしれません。
しかし、そもそもイスラム系テロリストは何故自爆攻撃を行うようになったのでしょうか。元々イスラム教は古いキリスト教と同様で自殺を厳しく戒めており、現実に今でも中東地域では自殺が起きても親族は自殺だとは届け出ず、病死や事故死だと役所に届けると聞きます。その甲斐あってか一部の中東諸国では自殺発生数0人という統計を出しており、社会上ではタブーというか恥の極みともとれるような態度を見せています。
それほどまでに自殺に厳しい中東のイスラム系思想グループからどうしてまた自爆攻撃が頻繁に行われようになったか、あくまで俗説の範囲を出ないものの一説として、日本人テロリストによる影響があるという説があります。
・テルアビブ空港乱射事件(Wikipedia)
私と同世代でこの事件について知ってる人間はまずいないでしょうが、一定の年齢層以上であれば忘れることなく覚えている事件だと思われます。この事件は1972年、イスラエルのテルアビブ国際空港内でイスラム系テログループから支援を受けた赤軍派(当時はまだこの組織名で名乗ってはいないが)の日本人三人が銃を乱射し、多数の市民を殺害したという事件です。襲撃を行った三人のうち二人はその場で自殺し、残る一人は警察に捕縛され現在もなお生きている岡本公三です。
聞くところというか立花隆氏によると、この事件は中東のテログループにとってかなり衝撃的なものだったそうで、自殺は教義で禁止されているものの憎い敵を攻撃するためであれば死ぬことが前提であっても許されるのだという解釈をもたらしたそうです。私はイスラムや中東方面の専門家ではないものの、教義の解釈変更という価値観の転換に着目するならばこの説は決して無理な主張ではないようにも思え、仮にそうであればイスラム系テロリストの自爆攻撃の源流は日本人テロリストの自殺的な攻撃にあったということとなります。でもってこの時の赤軍派の攻撃の源流はどこにあるかと言えば、やっぱ特攻の気風にあったのかなとも思います。
もう少し話を掘り下げると、多分私以外にこの説を主張する人はいないと思いますが戦時中に特攻攻撃が立案された背景として地味に、「爆弾三勇士」の影響が大きいのではないかと睨んでいます。この爆弾三勇士というのは1932年の第一次上海事変の折、敵陣地の鉄条網に爆弾を抱えて突っこんで自爆し突破口を開いたとされる三人の兵士のことで、当時だけでなく太平洋戦争中も殊更美談に仕立て上げられ戦時中の子供たちですら知ってて、「大きくなったら彼らの様に散るのだ」と小学生ですら言ってたそうです。これが何を意味するのかというと、太平洋戦争が始まるずっと以前から日本では自爆攻撃が奨励こそされないものの賞賛されていたという事実です。
爆弾三勇士が映画までつくられるほど持て囃されたのは自爆攻撃が攻撃手段として非常に有効だったというより、彼らの死に様が軍・国民双方の士気向上につながると判断されたからでしょう。これは特攻にも言え、対策が取られほとんど成果が上がらなくなった頃にも頑なに継続されたのも士気というか戦意高揚という目的が色濃く、冷たい言い方をすると戦果を期待するより気持ちを維持するためだけに特攻は行われ続けたという側面もあったと思います。
これは今日のイスラム系テロリストによる自爆テロについても同様で、彼らも戦果を期待するというよりは自分たち組織の戦意高揚、構成員を維持する目的で以って仕掛けているという側面が強いように思えます。根拠としては正面の敵軍に対しては行わず、戦闘とは無関係な市街地で行うことが多い点からです。
仮にこの通りであれば自爆テロで大騒ぎすることは敵を利する行為になりかねず、フランスは英雄視させないためにも自爆したテロリストの名前は一切公表しないようにすること検討しているそうですが、こうした対策は的を得ているように思えます。被害者への哀悼はもちろん必要ですが、自爆テロに対して恐怖を煽ったり、不安を感じさせるような報道はなるべく控え、このような脅しには一切屈しないしこっちは全く痛くも痒くもないのにまた馬鹿なテロリストが無駄死にしやがったみたいにあざけ笑う態度こそが有効であるかと思われます。そういう意味で自爆攻撃というのは一種の心理戦だというのが私の今日の結論です。
話は本題に入りますが、イスラム系テロリストが世界各地で自爆攻撃を展開している現状についてはもはや何も説明は要らないでしょう。かつて自爆攻撃は「神風特攻隊」など日本人の専売特許という見方が世界でも強かったですが、現時点ではお株を取られたというかイスラム系テロリストの代名詞と言ってもよく、米国からクレイジーアタックと呼ばれた攻撃はもはや一般的な攻撃に成り下がったと見ることもできるかもしれません。
しかし、そもそもイスラム系テロリストは何故自爆攻撃を行うようになったのでしょうか。元々イスラム教は古いキリスト教と同様で自殺を厳しく戒めており、現実に今でも中東地域では自殺が起きても親族は自殺だとは届け出ず、病死や事故死だと役所に届けると聞きます。その甲斐あってか一部の中東諸国では自殺発生数0人という統計を出しており、社会上ではタブーというか恥の極みともとれるような態度を見せています。
それほどまでに自殺に厳しい中東のイスラム系思想グループからどうしてまた自爆攻撃が頻繁に行われようになったか、あくまで俗説の範囲を出ないものの一説として、日本人テロリストによる影響があるという説があります。
・テルアビブ空港乱射事件(Wikipedia)
私と同世代でこの事件について知ってる人間はまずいないでしょうが、一定の年齢層以上であれば忘れることなく覚えている事件だと思われます。この事件は1972年、イスラエルのテルアビブ国際空港内でイスラム系テログループから支援を受けた赤軍派(当時はまだこの組織名で名乗ってはいないが)の日本人三人が銃を乱射し、多数の市民を殺害したという事件です。襲撃を行った三人のうち二人はその場で自殺し、残る一人は警察に捕縛され現在もなお生きている岡本公三です。
聞くところというか立花隆氏によると、この事件は中東のテログループにとってかなり衝撃的なものだったそうで、自殺は教義で禁止されているものの憎い敵を攻撃するためであれば死ぬことが前提であっても許されるのだという解釈をもたらしたそうです。私はイスラムや中東方面の専門家ではないものの、教義の解釈変更という価値観の転換に着目するならばこの説は決して無理な主張ではないようにも思え、仮にそうであればイスラム系テロリストの自爆攻撃の源流は日本人テロリストの自殺的な攻撃にあったということとなります。でもってこの時の赤軍派の攻撃の源流はどこにあるかと言えば、やっぱ特攻の気風にあったのかなとも思います。
もう少し話を掘り下げると、多分私以外にこの説を主張する人はいないと思いますが戦時中に特攻攻撃が立案された背景として地味に、「爆弾三勇士」の影響が大きいのではないかと睨んでいます。この爆弾三勇士というのは1932年の第一次上海事変の折、敵陣地の鉄条網に爆弾を抱えて突っこんで自爆し突破口を開いたとされる三人の兵士のことで、当時だけでなく太平洋戦争中も殊更美談に仕立て上げられ戦時中の子供たちですら知ってて、「大きくなったら彼らの様に散るのだ」と小学生ですら言ってたそうです。これが何を意味するのかというと、太平洋戦争が始まるずっと以前から日本では自爆攻撃が奨励こそされないものの賞賛されていたという事実です。
爆弾三勇士が映画までつくられるほど持て囃されたのは自爆攻撃が攻撃手段として非常に有効だったというより、彼らの死に様が軍・国民双方の士気向上につながると判断されたからでしょう。これは特攻にも言え、対策が取られほとんど成果が上がらなくなった頃にも頑なに継続されたのも士気というか戦意高揚という目的が色濃く、冷たい言い方をすると戦果を期待するより気持ちを維持するためだけに特攻は行われ続けたという側面もあったと思います。
これは今日のイスラム系テロリストによる自爆テロについても同様で、彼らも戦果を期待するというよりは自分たち組織の戦意高揚、構成員を維持する目的で以って仕掛けているという側面が強いように思えます。根拠としては正面の敵軍に対しては行わず、戦闘とは無関係な市街地で行うことが多い点からです。
仮にこの通りであれば自爆テロで大騒ぎすることは敵を利する行為になりかねず、フランスは英雄視させないためにも自爆したテロリストの名前は一切公表しないようにすること検討しているそうですが、こうした対策は的を得ているように思えます。被害者への哀悼はもちろん必要ですが、自爆テロに対して恐怖を煽ったり、不安を感じさせるような報道はなるべく控え、このような脅しには一切屈しないしこっちは全く痛くも痒くもないのにまた馬鹿なテロリストが無駄死にしやがったみたいにあざけ笑う態度こそが有効であるかと思われます。そういう意味で自爆攻撃というのは一種の心理戦だというのが私の今日の結論です。
2016年8月15日月曜日
問題を探す力、発見する力
私は学生時代、下宿していた部屋にとにかく多くの人間を集めていつでも活発に議論できる場所にしようと画策していました。結論から言うとこれは失敗に終わり、そこそこいいメンツは集められたものの活発な議論が行われる場所かというとそこまでには至りませんでした。一体何故失敗したのか、前もって言っておくと集めた面子こと私の友人らの資質が悪かったわけではなく、むしろ優秀過ぎるという人間をかなり集められたとは自負できます。しかし見ようによっては優秀過ぎたゆえというべきか、致命的な面である能力に欠けていたから活発な議論を行え切れなかったのではと恐怖と思いました。その能力こそ見出しに掲げた、問題を探す能力の事です。
当時を思い出すと、友人が集まって私が何かしら問題提起を行ってから議論へと発展していくのが常でしたが、その議論の中で友人らはみんながみんなして鋭い分析力でもって今後の方向性や解決策を見出すものの議論の発端となる問題提起は全くといいほど友人らからは出されませんでした。これが一人や二人ならともかく全員が全員そうで、議論になればそこそこ白熱するし意見もどんどん出してくるものの議論を作る問題提起は誰一人として出してくることはなく、結局私の下宿で自ら議論を吹っかけてくるような友人が出てくることはありませんでした。
当時を振り返りつつ現在と比べるとやはり自分の周囲と同年代は全体として問題提起、いやそれ以前に何が問題なのかを見つける力が極端に低い傾向があるように思えます。先程述べた友人たちの様に問題を与えてやるとそれを分析し解決策を導き出す能力には優れているものの、まずどこに欠陥がありそれがどのような悪影響を及ぼすのか、どこに根源的な問題があるのかを探し、見つけるということが全体として苦手である気がします。
もう一つ例を出しておくと、学生時代はそこそこ周囲から何にでも詳しいし聞いたら面白い答えが返ってくると見られたためかよく国際情勢について尋ねられはしたものの、なんていうかその質問のポイントがファジーというかマクロなものが非常に多かったです。「いま世界で何が問題なのか?」とか、「日本人に何が足りないのか?」とか、「必要な経済学とは?」といった、どこに問題点があるのかを尋ねる質問が今思うと圧倒的だったように思え、具体的な問題の解決策(例:年金問題の対応策など)とか既に存在する問題の背景(例:郵政関連改革の発端など)といったことについてはこっちから切り出さないとまず出てくることはなかったでしょう。
この傾向は最近のニュースを見ている限りでもあまり変わっていないように思え、たとえば憲法議論についても枝葉末節のどうでもいい所ばかり話題に上げて根本的な問題点や今すぐにでも改善しなくてはならない箇所については誰も触れようとしません。また国政全体においても、一部でツッコまれていますが借金漬けの国家財政の立て直しや年金問題について触れた政党は先の参院選ではついぞ皆無でした。
社会全体はともかくとして少なくとも私の同年代でどうして問題を発見する力が全体的に乏しいのか背景を探るとなると、やはりこの時代の教育にあるのかなという気がしてきます。具体的には与えられた課題を理解し、解答するという訓練が重視されているため課題を与えてやればコロッと説いて見せますが、課題自体を作って見つけて掘り起こすとなるとほぼ誰一人訓練を受けていないのかもしれません。それこそ哲学などの教養があればある程度はこの点もカバーできますが、私の世代は小学生くらいにオウム真理教事件が起きたことによって宗教、思想に関する議論や解説はやはり制限されていた気がします。クラスでキリスト教に被れたのも私くらいなものでしたし。
逆を言えばなんで私は学生時代、ひいては現時点においても問題の検出能力が周りより高いのかですが、一つは先程書いたように宗教的な素養がいくらか高くキリスト教を含め仏教などにも興味を持って知識を求めたこと、二つ目は出身環境的に自己の存在を常に疑わざるを得ず必然的に内省を深めていったこと、三つ目は何にでも噛みつく性格だったからではないかと考えています。ただ真面目な話、反社会的な人間の方が既存社会に対し疑いを持つから問題を探す力は受験エリートに比べて高いようには思います。解決する能力はそうでもないでしょうが。
しかし日本の企業からしたらいくら問題発見力に長けているとはいえこういった反社会的な人間はまず採用しないでしょう。だから東芝にしろ三菱自動車にしろシャープにしろ誰がどう見たってはっきりとわかる欠陥を誰も認識せず、「社内問題の解決にはPDCAサイクルで」とか抜かして何も改善してなかったんだからちゃんちゃらおかしくて笑えます。
なお「PDCAサイクル」という言葉は昔から大嫌いで、昔いたイタリアンマフィアじゃないですけど、「ぶっ殺してやるってセリフは、終わってから言うもんだぜ。俺たちギャングの世界ではな」の方がとかく行動や決断の遅い日本人に対する標語として適当であると信じています。
当時を思い出すと、友人が集まって私が何かしら問題提起を行ってから議論へと発展していくのが常でしたが、その議論の中で友人らはみんながみんなして鋭い分析力でもって今後の方向性や解決策を見出すものの議論の発端となる問題提起は全くといいほど友人らからは出されませんでした。これが一人や二人ならともかく全員が全員そうで、議論になればそこそこ白熱するし意見もどんどん出してくるものの議論を作る問題提起は誰一人として出してくることはなく、結局私の下宿で自ら議論を吹っかけてくるような友人が出てくることはありませんでした。
当時を振り返りつつ現在と比べるとやはり自分の周囲と同年代は全体として問題提起、いやそれ以前に何が問題なのかを見つける力が極端に低い傾向があるように思えます。先程述べた友人たちの様に問題を与えてやるとそれを分析し解決策を導き出す能力には優れているものの、まずどこに欠陥がありそれがどのような悪影響を及ぼすのか、どこに根源的な問題があるのかを探し、見つけるということが全体として苦手である気がします。
もう一つ例を出しておくと、学生時代はそこそこ周囲から何にでも詳しいし聞いたら面白い答えが返ってくると見られたためかよく国際情勢について尋ねられはしたものの、なんていうかその質問のポイントがファジーというかマクロなものが非常に多かったです。「いま世界で何が問題なのか?」とか、「日本人に何が足りないのか?」とか、「必要な経済学とは?」といった、どこに問題点があるのかを尋ねる質問が今思うと圧倒的だったように思え、具体的な問題の解決策(例:年金問題の対応策など)とか既に存在する問題の背景(例:郵政関連改革の発端など)といったことについてはこっちから切り出さないとまず出てくることはなかったでしょう。
この傾向は最近のニュースを見ている限りでもあまり変わっていないように思え、たとえば憲法議論についても枝葉末節のどうでもいい所ばかり話題に上げて根本的な問題点や今すぐにでも改善しなくてはならない箇所については誰も触れようとしません。また国政全体においても、一部でツッコまれていますが借金漬けの国家財政の立て直しや年金問題について触れた政党は先の参院選ではついぞ皆無でした。
社会全体はともかくとして少なくとも私の同年代でどうして問題を発見する力が全体的に乏しいのか背景を探るとなると、やはりこの時代の教育にあるのかなという気がしてきます。具体的には与えられた課題を理解し、解答するという訓練が重視されているため課題を与えてやればコロッと説いて見せますが、課題自体を作って見つけて掘り起こすとなるとほぼ誰一人訓練を受けていないのかもしれません。それこそ哲学などの教養があればある程度はこの点もカバーできますが、私の世代は小学生くらいにオウム真理教事件が起きたことによって宗教、思想に関する議論や解説はやはり制限されていた気がします。クラスでキリスト教に被れたのも私くらいなものでしたし。
逆を言えばなんで私は学生時代、ひいては現時点においても問題の検出能力が周りより高いのかですが、一つは先程書いたように宗教的な素養がいくらか高くキリスト教を含め仏教などにも興味を持って知識を求めたこと、二つ目は出身環境的に自己の存在を常に疑わざるを得ず必然的に内省を深めていったこと、三つ目は何にでも噛みつく性格だったからではないかと考えています。ただ真面目な話、反社会的な人間の方が既存社会に対し疑いを持つから問題を探す力は受験エリートに比べて高いようには思います。解決する能力はそうでもないでしょうが。
しかし日本の企業からしたらいくら問題発見力に長けているとはいえこういった反社会的な人間はまず採用しないでしょう。だから東芝にしろ三菱自動車にしろシャープにしろ誰がどう見たってはっきりとわかる欠陥を誰も認識せず、「社内問題の解決にはPDCAサイクルで」とか抜かして何も改善してなかったんだからちゃんちゃらおかしくて笑えます。
なお「PDCAサイクル」という言葉は昔から大嫌いで、昔いたイタリアンマフィアじゃないですけど、「ぶっ殺してやるってセリフは、終わってから言うもんだぜ。俺たちギャングの世界ではな」の方がとかく行動や決断の遅い日本人に対する標語として適当であると信じています。
2016年8月14日日曜日
忘れがたき映画のワンシーン
・宮城事件、玉音放送阻止へ偽命令 元近衛兵「慙愧に堪えない」(福井新聞)
本題と関係ありませんが今日目を引いたニュースです。宮城事件については「日本のいちばん長い日」を参照してもらいたいのですが、この事件の当事者がまだ存命だったということに驚愕しました。と同時に、末端の近衛兵へは定説通りに処分などなかったんだなということを確認しました。
話は本題に入りますが、少し古いですが2004年に「ヴィレッジ」という映画がありました。どういう映画かというとネタバレしたら面白さが一気になくなってしまう「シックス・センス」などと同系列の映画で、ホラーかと思ったらちょっぴり不思議なオカルトファンタジー映画だったこともあって前評判と比べての公開後の評価はそんな良くなかったと聞きます。私も見た感じ、個々に光る点は感じますがこうした評価に同意です。
そんなこの映画を何故ここで取り上げるのかですが、見終わった後も序盤のワンシーンがずっと目に焼き付いて離れないからです。それはどんなシーンかというと、ネタバレしても大丈夫な個所なので以下に紹介します。
場所は18~19世紀の農村らしき場所で朝のお祈りの後、仕事をしながらある娘が村長やってる父親に、「私、好きな人が出来たの(∀`*ゞ)エヘヘ」と打ち明けます。その相手はホアキン・フェニックスが演じる村の青年でまだ恋心を打ち明けていないことを父親に告げると、相手にその気持ちを伝えるまでほかの誰にも言っては駄目だよと諭されます。それを受けてかその村長の娘はすぐ小屋で一人で作業をしているホアキンを訪れると、
「( ・∀・)ノ<こんにちはルシアス(ホアキン演じるキャラ)、あなたにお話したいことがあるの」
「( ゚д゚)<……………」
「(*´∀`)<あなたを愛してる……愛してるのよ」
「( ゚д゚)<……………」
「( ゚∀゚)<何よりも確かな気持ち!太陽と月よりも愛してる!あなたも同じ思いならもう隠さないで!」
「( ゚д゚)<……………」
「( ゚∀゚)<愛は天の賜物よ!感謝しなくちゃ!」(段々テンションアップ)
「( ゚д゚)<……………」
「(゚∀゚)<大きな声で感謝を表すのよ、ありがとうって!」
「( ゚д゚)<……………」
「(゚∀゚)<ありがとう!ありがとう!」
「( ゚д゚)<……………」
~場面が切り替わり~
「。゚(゚´Д`゚)゚。<ウエェェェェン!」(ベッドで妹に抱かれながら)
娘役を演じるジェイン・アトキンソンの終始ハイテンションな演技に対しホアキンのやたら無表情な佇まいとの対比がなんか凄まじく、英語版で見ると「It's love!」と「Thank you!」を何度も絶叫しており、何故かこのワンシーンだけ繰り返して見ています。実際、このワンシーンだけでもこの映画は見る価値あるでしょう。
なお主人公は振られて帰ってきたお姉ちゃんを慰める盲目の妹で、この役は「ジュラシックワールド」でヒロインを演じているブライス・ダラス・ハワードがやっています。最初、「ジュラシックワールド」を見た時にどっかで見た様なと思ってましたが、この「ヴィレッジ」のヒロインと「スパイダーマン3」のグウェン・ステイシー役を演じている人でした。ヴィレッジはともかく、ほかの二作品ではかなりお色気むんむんな演じ方する人だなと個人的に見ています。
本題と関係ありませんが今日目を引いたニュースです。宮城事件については「日本のいちばん長い日」を参照してもらいたいのですが、この事件の当事者がまだ存命だったということに驚愕しました。と同時に、末端の近衛兵へは定説通りに処分などなかったんだなということを確認しました。
話は本題に入りますが、少し古いですが2004年に「ヴィレッジ」という映画がありました。どういう映画かというとネタバレしたら面白さが一気になくなってしまう「シックス・センス」などと同系列の映画で、ホラーかと思ったらちょっぴり不思議なオカルトファンタジー映画だったこともあって前評判と比べての公開後の評価はそんな良くなかったと聞きます。私も見た感じ、個々に光る点は感じますがこうした評価に同意です。
そんなこの映画を何故ここで取り上げるのかですが、見終わった後も序盤のワンシーンがずっと目に焼き付いて離れないからです。それはどんなシーンかというと、ネタバレしても大丈夫な個所なので以下に紹介します。
場所は18~19世紀の農村らしき場所で朝のお祈りの後、仕事をしながらある娘が村長やってる父親に、「私、好きな人が出来たの(∀`*ゞ)エヘヘ」と打ち明けます。その相手はホアキン・フェニックスが演じる村の青年でまだ恋心を打ち明けていないことを父親に告げると、相手にその気持ちを伝えるまでほかの誰にも言っては駄目だよと諭されます。それを受けてかその村長の娘はすぐ小屋で一人で作業をしているホアキンを訪れると、
「( ・∀・)ノ<こんにちはルシアス(ホアキン演じるキャラ)、あなたにお話したいことがあるの」
「( ゚д゚)<……………」
「(*´∀`)<あなたを愛してる……愛してるのよ」
「( ゚д゚)<……………」
「( ゚∀゚)<何よりも確かな気持ち!太陽と月よりも愛してる!あなたも同じ思いならもう隠さないで!」
「( ゚д゚)<……………」
「( ゚∀゚)<愛は天の賜物よ!感謝しなくちゃ!」(段々テンションアップ)
「( ゚д゚)<……………」
「(゚∀゚)<大きな声で感謝を表すのよ、ありがとうって!」
「( ゚д゚)<……………」
「(゚∀゚)<ありがとう!ありがとう!」
「( ゚д゚)<……………」
~場面が切り替わり~
「。゚(゚´Д`゚)゚。<ウエェェェェン!」(ベッドで妹に抱かれながら)
娘役を演じるジェイン・アトキンソンの終始ハイテンションな演技に対しホアキンのやたら無表情な佇まいとの対比がなんか凄まじく、英語版で見ると「It's love!」と「Thank you!」を何度も絶叫しており、何故かこのワンシーンだけ繰り返して見ています。実際、このワンシーンだけでもこの映画は見る価値あるでしょう。
なお主人公は振られて帰ってきたお姉ちゃんを慰める盲目の妹で、この役は「ジュラシックワールド」でヒロインを演じているブライス・ダラス・ハワードがやっています。最初、「ジュラシックワールド」を見た時にどっかで見た様なと思ってましたが、この「ヴィレッジ」のヒロインと「スパイダーマン3」のグウェン・ステイシー役を演じている人でした。ヴィレッジはともかく、ほかの二作品ではかなりお色気むんむんな演じ方する人だなと個人的に見ています。
2016年8月12日金曜日
ベラルーシに渡った松本市長
また本題と関係ありませんが最近になって初めて「きゆづきさとこ」氏という漫画家兼イラストレーターの存在を知ったのですが、これほど色使いのうまい人はかつて見たことがなく、どうして今まで自分はこの人の存在を知らなかったのだろうかと思うくらいの衝撃を覚えました。色に対する感覚が他の漫画家などと比べて根本的に何かが違うように見え、頭文字Dに例えて言うなら藤原拓海とそれ以外のような……。我ながらよくわからない例えだ。
話しは本題に入りますが、一昨日発売した文芸春秋九月号の巻頭コラムに現長野県松本市長の菅谷昭氏が寄稿していました。最初名前を見てもピンとこなかったのですが書かれている内容がチェルノブイリで影響を受け甲状腺がんを患った子供たちの話題であったことから、「この人、ベラルーシに単身で渡ったあの医者か?」と一気に記憶が揺さぶられました。読んですぐネットで調べたやはりその通りで、90年代に職を投げ打ちベラルーシへ単身で渡った医師がこの菅谷市長でした。
私が何故この事実を知っていたのかというとごく単純にテレビ番組、それも往年の人気番組の「プロジェクトX」で取り上げられていたのを見ていたからです。この番組で菅谷市長がどのように取り上げられたのかというと、医師の父親の元に生まれた菅谷市長は長じて自身も医師となり、山々にある遠隔地へ毎日徒歩で往信していた父を見習い自身も弱者に寄り添うような医師を目指していたそうです。
医師として順調な生活を送っていた菅谷氏ですが、チェルノブイリの爆発事故による放射能汚染の影響を受け、ベラルーシでは子供を中心に甲状腺がんの発症が急激に増加しているというニュースをある日知ります。甲状腺がん自体は切除手術で治療はできるものの、当時のベラルーシでは耳の後ろから顎下まで深々と切り裂いて切除する手術しかされておらず、手術を受けた子供たちは痛々しく生々しい傷跡と一生付き合っていくしかほかありませんでした。
これを見た菅谷氏は、「俺が行くしかねぇ」とばかりに当時務めていた大学を辞し、医療ボランティアとして単身でベラルーシに渡ります。渡った後しばらくは全く収入もなく手弁当でありながら、ベラルーシの子供たちに傷跡が全く残らない手術で以って治療を行い続け、現地の医師たちにその手術法を伝授していったそうです。この時の菅谷氏に私淑した現地医師の、確かゲンナジーさんだったと思いますが、その施術の正確さといい指導の細やかさといい凄い医者だと思って菅谷氏に追いつこうと自分も甲状腺がんについて海外の医学者などを取り寄せて勉強し始めたところ、甲状腺がんの主要な論文に「Akira Sugenoya」という署名がびっしり載せられているのを見て二度びっくりしたそうです。
ベラルーシ滞在中、先ほどのゲンナジーさんは勤務地が途中から菅谷氏と離れたものの休日にはわざわざ数時間車を運転してまでやってくるなどして菅谷氏への支援を続け、確かプロジェクトXのスタジオにも現れ二人で再会を喜んでいました。
菅谷氏はベラルーシで約二年間活動してから日本に戻り、その後共産党の要請を受けて松本市市長選挙に出馬して2004年に当選し、その後もずっと当然し続け既に三選を果たしています。その菅谷氏は今回の文芸春秋のコラムで、ベラルーシでは国内の子供たちに甲状腺がんの検査や治療費を国が負担していることを紹介した上でベラルーシの政府関係者から、「ベラルーシより大きな日本ではこういった国家支援をしていないのか?」と問われたことが書かれています。
関係ない立場のはずですが、正直私もこの言葉は耳に痛いと感じました。一部で報じられているものの、やはり福島原発周辺では影響を受けやすい子供の甲状腺がん発症率が高まっていると聞きますし、むしろそうでなければ不自然だと考えます。しかしこの方面の検査費、治療費に対する国や自治体の支援については何も聞かず、むしろそうした支援を行うことによる風評被害が起こるのではという懸念は耳にして、そんなことしない方がいいと思っている人の方が多いのではと思う節すらあります。
私個人の勝手な意見を述べればやはり被災地付近に置いては毎年無料で検査が行えるよう国が支援すべきではと思います。というのも治療において見つけるのは早ければ早いほどよく、また甲状腺がんは手術によりほぼ確実に治療できるからです。
最後にこのコラムの中で菅谷市長は、かつて自らが施術して今は大人になったベラルーシの子供たちから最近子供を産んだなど連絡が来ていることを明かし、こうした連絡を素直にうれしく思うということを、少し誇らしげに書いて結んであります。
自分自身がそういう性格をしているからかもしれませんが、何の支援もなく孤立無援の状態でありながら単身で飛び込んでいくような人間がことのほか好きで、野球でも野茂英雄氏のファンですが、この菅谷市長についても初めてその存在を知った時から強い尊敬の念を覚えていました。まさかその後で市長になっているとは露知らずでしたが、やはりこういう強い意志を持つ人間が社会でも大きな立場になるべくしてなる社会が望ましいものです。
話しは本題に入りますが、一昨日発売した文芸春秋九月号の巻頭コラムに現長野県松本市長の菅谷昭氏が寄稿していました。最初名前を見てもピンとこなかったのですが書かれている内容がチェルノブイリで影響を受け甲状腺がんを患った子供たちの話題であったことから、「この人、ベラルーシに単身で渡ったあの医者か?」と一気に記憶が揺さぶられました。読んですぐネットで調べたやはりその通りで、90年代に職を投げ打ちベラルーシへ単身で渡った医師がこの菅谷市長でした。
私が何故この事実を知っていたのかというとごく単純にテレビ番組、それも往年の人気番組の「プロジェクトX」で取り上げられていたのを見ていたからです。この番組で菅谷市長がどのように取り上げられたのかというと、医師の父親の元に生まれた菅谷市長は長じて自身も医師となり、山々にある遠隔地へ毎日徒歩で往信していた父を見習い自身も弱者に寄り添うような医師を目指していたそうです。
医師として順調な生活を送っていた菅谷氏ですが、チェルノブイリの爆発事故による放射能汚染の影響を受け、ベラルーシでは子供を中心に甲状腺がんの発症が急激に増加しているというニュースをある日知ります。甲状腺がん自体は切除手術で治療はできるものの、当時のベラルーシでは耳の後ろから顎下まで深々と切り裂いて切除する手術しかされておらず、手術を受けた子供たちは痛々しく生々しい傷跡と一生付き合っていくしかほかありませんでした。
これを見た菅谷氏は、「俺が行くしかねぇ」とばかりに当時務めていた大学を辞し、医療ボランティアとして単身でベラルーシに渡ります。渡った後しばらくは全く収入もなく手弁当でありながら、ベラルーシの子供たちに傷跡が全く残らない手術で以って治療を行い続け、現地の医師たちにその手術法を伝授していったそうです。この時の菅谷氏に私淑した現地医師の、確かゲンナジーさんだったと思いますが、その施術の正確さといい指導の細やかさといい凄い医者だと思って菅谷氏に追いつこうと自分も甲状腺がんについて海外の医学者などを取り寄せて勉強し始めたところ、甲状腺がんの主要な論文に「Akira Sugenoya」という署名がびっしり載せられているのを見て二度びっくりしたそうです。
ベラルーシ滞在中、先ほどのゲンナジーさんは勤務地が途中から菅谷氏と離れたものの休日にはわざわざ数時間車を運転してまでやってくるなどして菅谷氏への支援を続け、確かプロジェクトXのスタジオにも現れ二人で再会を喜んでいました。
菅谷氏はベラルーシで約二年間活動してから日本に戻り、その後共産党の要請を受けて松本市市長選挙に出馬して2004年に当選し、その後もずっと当然し続け既に三選を果たしています。その菅谷氏は今回の文芸春秋のコラムで、ベラルーシでは国内の子供たちに甲状腺がんの検査や治療費を国が負担していることを紹介した上でベラルーシの政府関係者から、「ベラルーシより大きな日本ではこういった国家支援をしていないのか?」と問われたことが書かれています。
関係ない立場のはずですが、正直私もこの言葉は耳に痛いと感じました。一部で報じられているものの、やはり福島原発周辺では影響を受けやすい子供の甲状腺がん発症率が高まっていると聞きますし、むしろそうでなければ不自然だと考えます。しかしこの方面の検査費、治療費に対する国や自治体の支援については何も聞かず、むしろそうした支援を行うことによる風評被害が起こるのではという懸念は耳にして、そんなことしない方がいいと思っている人の方が多いのではと思う節すらあります。
私個人の勝手な意見を述べればやはり被災地付近に置いては毎年無料で検査が行えるよう国が支援すべきではと思います。というのも治療において見つけるのは早ければ早いほどよく、また甲状腺がんは手術によりほぼ確実に治療できるからです。
最後にこのコラムの中で菅谷市長は、かつて自らが施術して今は大人になったベラルーシの子供たちから最近子供を産んだなど連絡が来ていることを明かし、こうした連絡を素直にうれしく思うということを、少し誇らしげに書いて結んであります。
自分自身がそういう性格をしているからかもしれませんが、何の支援もなく孤立無援の状態でありながら単身で飛び込んでいくような人間がことのほか好きで、野球でも野茂英雄氏のファンですが、この菅谷市長についても初めてその存在を知った時から強い尊敬の念を覚えていました。まさかその後で市長になっているとは露知らずでしたが、やはりこういう強い意志を持つ人間が社会でも大きな立場になるべくしてなる社会が望ましいものです。
2016年8月10日水曜日
天皇が滅多打ちにされた事件
先日の天皇陛下の生前退位について言及されられた発言については専門外ということもあって敢えてこのブログで触れませんでしたが、いい方向に議論が発展していけばいいなと陰ながら祈っています。少しだけ考えを述べると、たとえば脳死のような意識不明状態に陥った場合の皇位継承はどうなるのかなど現代医療を考慮しても皇室典範は対応する必要があり、これを機に抜本的な改革を行ってもらいたいものです。
そんなわけで天皇系の話題というか事件でも今日は書こうかなと思ったので、鎌倉時代にあった「天皇滅多打ち事件」こと「粥杖事件」について記憶を頼りに紹介しようと思います。
この事件が起きたのは鎌倉時代の後深草院がいた時代です。後深草院とは後深草天皇が引退して上皇となってからの呼び方ですが、恐らく「後深草天皇」と呼ばれることの方が実は少なかったりします。というのも承久の乱以降、鎌倉幕府の管轄下に置かれた天皇家では後鳥羽上皇系の皇族が遠ざけられたことにより傍流であった後嵯峨天皇が天皇となりますが、この後嵯峨天皇は自ら院政を行うために早々と譲位したことにより、わずか四歳の後深草天皇が誕生することとなりました。
天皇となったものの公務は上皇となった後嵯峨院が取り仕切っていたため後深草天皇はほとんど実権がなく、また父親も彼より彼の弟を寵愛したため後深草天皇にも早々の譲位を迫ったため、なんと後深草天皇は17歳で弟に譲位したことにより亀山天皇が誕生したわけですが、これがのちの南北朝の両派となるわけだから歴史ってのは面白い。
話は戻りますが人生において天皇だった期間よりも上皇だった期間のが長いことから「後深草院」と呼ばれることが多いわけで、この記事でも以後はこの名称で統一します。
そんな後深草院ですが正室以外にも色々愛人を作っており、その中の一人に「とはずがたり」の作者と言われる「後深草院二条」という女官がいました。はっきり言ってリアル源氏物語で、後深草院は二条を幼少の頃から育て上げて自らの妾にしたのですが、この後深草院との絡みを二条はみっちり細かく文書に残しており、その中に「粥杖事件」と呼ばれる話も載せられています。
当時、何かの祝日の際に女性の安産祈願としてお粥を作る時に使う杓(粥杖)でお尻を叩くという慣習があったそうです。この慣習が行われる日は女性たちは男に追いかけられながら粥杖で尻を叩かれるという、なんとなくダウンタウンの罰ゲームっぽいことをさせられていたそうです。
例年通りこの粥杖大会が行われた後、「くそぅ、いつまでもやられっぱなしだと思うなよ(# ゚Д゚)」と誰か言ったのかは定かではありませんが女官たちは集まって復讐の計画を練り、そしてそれがそのまま決行されました。
後深草院「やっほー、誘われるままに遊びに来たよー(´・ω・)」
二条たち「かかったなアホが!( ゚( ゚( ゚( ゚Д゚)ズラッ」(粥杖シャキーン)
なんてセリフが言われたか定かではありませんが、ホイホイやってきた後深草院に女官たちは寄ってたかって粥杖で滅多打ちにしたそうです。やられた当事者の後深草院自身は「ハァ、別に痛くねぇし(´;ω;`)」といって女官たちのいたずらに寛大な態度を取ったそうですが、後でこのことを知った公家のお偉方はカンカンとなって二条たちもなんかめちゃ怒られたみたいなことが「とはずがたり」の中で書かれてあり、「粥杖事件」という風に現代では呼称されています。
この事件はその内容のコミカルさもさることながら、仮にも天皇やった上皇に対して女官たちが粥杖で滅多打ちしたという事実があったことに驚きます。平安時代からこんな感じだったのか、承久の乱で負けて以降こういう風になったのかは定かではありませんが、当時は現代以上に天皇家に対してフランクな態度が取られていたのではないかと伺わせるエピソードです。
常日頃言っていますが私は現代人の天皇制への意識は明治、大正、昭和よりも江戸時代の方が近いと考えており、むしろ日本の歴史の中で明治から昭和までの時代の方が天皇制に対して特別な価値観が持たれていたと考えています。しかしこのエピソードを見るだに、鎌倉時代はもっと激しかったとも思わせられ、案外天皇制ってのは元々はずっとフランクなものだったのかもしれないなんて時たま思ってしまいます。
そんなわけで天皇系の話題というか事件でも今日は書こうかなと思ったので、鎌倉時代にあった「天皇滅多打ち事件」こと「粥杖事件」について記憶を頼りに紹介しようと思います。
この事件が起きたのは鎌倉時代の後深草院がいた時代です。後深草院とは後深草天皇が引退して上皇となってからの呼び方ですが、恐らく「後深草天皇」と呼ばれることの方が実は少なかったりします。というのも承久の乱以降、鎌倉幕府の管轄下に置かれた天皇家では後鳥羽上皇系の皇族が遠ざけられたことにより傍流であった後嵯峨天皇が天皇となりますが、この後嵯峨天皇は自ら院政を行うために早々と譲位したことにより、わずか四歳の後深草天皇が誕生することとなりました。
天皇となったものの公務は上皇となった後嵯峨院が取り仕切っていたため後深草天皇はほとんど実権がなく、また父親も彼より彼の弟を寵愛したため後深草天皇にも早々の譲位を迫ったため、なんと後深草天皇は17歳で弟に譲位したことにより亀山天皇が誕生したわけですが、これがのちの南北朝の両派となるわけだから歴史ってのは面白い。
話は戻りますが人生において天皇だった期間よりも上皇だった期間のが長いことから「後深草院」と呼ばれることが多いわけで、この記事でも以後はこの名称で統一します。
そんな後深草院ですが正室以外にも色々愛人を作っており、その中の一人に「とはずがたり」の作者と言われる「後深草院二条」という女官がいました。はっきり言ってリアル源氏物語で、後深草院は二条を幼少の頃から育て上げて自らの妾にしたのですが、この後深草院との絡みを二条はみっちり細かく文書に残しており、その中に「粥杖事件」と呼ばれる話も載せられています。
当時、何かの祝日の際に女性の安産祈願としてお粥を作る時に使う杓(粥杖)でお尻を叩くという慣習があったそうです。この慣習が行われる日は女性たちは男に追いかけられながら粥杖で尻を叩かれるという、なんとなくダウンタウンの罰ゲームっぽいことをさせられていたそうです。
例年通りこの粥杖大会が行われた後、「くそぅ、いつまでもやられっぱなしだと思うなよ(# ゚Д゚)」と誰か言ったのかは定かではありませんが女官たちは集まって復讐の計画を練り、そしてそれがそのまま決行されました。
後深草院「やっほー、誘われるままに遊びに来たよー(´・ω・)」
二条たち「かかったなアホが!( ゚( ゚( ゚( ゚Д゚)ズラッ」(粥杖シャキーン)
なんてセリフが言われたか定かではありませんが、ホイホイやってきた後深草院に女官たちは寄ってたかって粥杖で滅多打ちにしたそうです。やられた当事者の後深草院自身は「ハァ、別に痛くねぇし(´;ω;`)」といって女官たちのいたずらに寛大な態度を取ったそうですが、後でこのことを知った公家のお偉方はカンカンとなって二条たちもなんかめちゃ怒られたみたいなことが「とはずがたり」の中で書かれてあり、「粥杖事件」という風に現代では呼称されています。
この事件はその内容のコミカルさもさることながら、仮にも天皇やった上皇に対して女官たちが粥杖で滅多打ちしたという事実があったことに驚きます。平安時代からこんな感じだったのか、承久の乱で負けて以降こういう風になったのかは定かではありませんが、当時は現代以上に天皇家に対してフランクな態度が取られていたのではないかと伺わせるエピソードです。
常日頃言っていますが私は現代人の天皇制への意識は明治、大正、昭和よりも江戸時代の方が近いと考えており、むしろ日本の歴史の中で明治から昭和までの時代の方が天皇制に対して特別な価値観が持たれていたと考えています。しかしこのエピソードを見るだに、鎌倉時代はもっと激しかったとも思わせられ、案外天皇制ってのは元々はずっとフランクなものだったのかもしれないなんて時たま思ってしまいます。
2016年8月9日火曜日
日本人論は女性にも適用できるか
私はこのブログでこれまで様々な日本人論を提唱してきましたが、どれも内容についてはそこそこ自信があり、やはり中国で生活していることから日本人と中国人を比較することにより日本国内にいてはなかなか気が付かないような社会的特徴に気が付くようになっていることもあって、言われれば納得するけど言われるまでは気が付かない点を上手く突いているのではとやや得意になっています。
しかし、つい最近読んだ漫画のあるセリフを見てふとこの自信が大きく揺らぎました。その漫画というのは「渡くんのXXが崩壊寸前」というラブコメ漫画なのですが、この漫画のヒロインの片割れ(ダブルヒロイン作品)が偶然から着替えを覗いてしまった主人公の渡くんに対し、普段は自らセクシーアプローチかけてくるくせして「見せるのと見られるのは違う!」といって抗議するシーンがあります。
このシーンを読んで私は、「女って勝手なこと言うよなぁ」と思いつつ、男とは根本的に思考が違うのかもと思ったその瞬間、「待てよ、日本人論も男には当てはまっても女性には当てはまらないものもあるのでは?」と閃いたわけです。相変わらず閃く場所がおかしい気がしますが。
現実問題として日本人論、また日本人に限らず特定の国民や民族の社会的特徴を分析する際は基本的にその社会の男性が分析対象となり、その主張や説も男性を対象として提唱されます。もちろん女性をターゲットにした民族論もないわけではありませんが、「日本人論」、「中国人論」といったら基本的に「日本人男性論」、「中国人男性論」と読み取るべきでしょう。
こうした扱いはどの社会でも男性がやはり優位な立場にあることを考えれば仕方がないかと私は思うのですが、その一方で安易に「日本人論」を「日本人女性」に適用しようとしたら妙な誤解をしてしまったり、勘違いを起こす可能性も高いのではないかと今回思ったわけです。冒頭でも述べた通り性差による価値観、思考の違いは確実に存在しており、それを無視して「日本人はこういう価値観だ」といっしょくたに主張するのはやっぱり強引だと思え、その辺は分別して考えるべきではないかと言いたいわけです。
例として私がこれまでに提唱した主だった日本人論で比較すると、「日本人は相手が逆らえないとわかるや途端に狂暴になる」というのは駅員などへの暴力を見る限りやはり日本人男性を主体として捉えています。といっても、女同士のいじめは結構激しいと聞くし、また抵抗できない相手をいたぶるというのも「ガラスの仮面」とかでよく見るいじめシーンなので、これは男女両方に共通する、というより下手すりゃ日本人女性の方が顕著かもしれません。
もう一つ、「日本人は無意識の他人のスマホを盗み見たり、他人の会話を盗み聞きする癖がある」という説を私は過去に主張していますが、これは日本人男性を主体とせずに気が付いた特徴(電車乗ってて気が付いた)なので、男女差のない日本人論と堂々と言えるかもしれません。っていうよりもむしろ、盗み聞きするという点では噂話大好きな女性の方が顕著かもしれません。
(´・ω・)<……………
なんか日本人論は男性向けばかりって話をしてたつもりなのに、実際には女性の方が特徴的に顕著なことが多いような気が。仮にそうだとしたら、なんか日本人女性は嫌な特徴盛りだくさんなようにも見えて来るような……。
しかし、つい最近読んだ漫画のあるセリフを見てふとこの自信が大きく揺らぎました。その漫画というのは「渡くんのXXが崩壊寸前」というラブコメ漫画なのですが、この漫画のヒロインの片割れ(ダブルヒロイン作品)が偶然から着替えを覗いてしまった主人公の渡くんに対し、普段は自らセクシーアプローチかけてくるくせして「見せるのと見られるのは違う!」といって抗議するシーンがあります。
このシーンを読んで私は、「女って勝手なこと言うよなぁ」と思いつつ、男とは根本的に思考が違うのかもと思ったその瞬間、「待てよ、日本人論も男には当てはまっても女性には当てはまらないものもあるのでは?」と閃いたわけです。相変わらず閃く場所がおかしい気がしますが。
現実問題として日本人論、また日本人に限らず特定の国民や民族の社会的特徴を分析する際は基本的にその社会の男性が分析対象となり、その主張や説も男性を対象として提唱されます。もちろん女性をターゲットにした民族論もないわけではありませんが、「日本人論」、「中国人論」といったら基本的に「日本人男性論」、「中国人男性論」と読み取るべきでしょう。
こうした扱いはどの社会でも男性がやはり優位な立場にあることを考えれば仕方がないかと私は思うのですが、その一方で安易に「日本人論」を「日本人女性」に適用しようとしたら妙な誤解をしてしまったり、勘違いを起こす可能性も高いのではないかと今回思ったわけです。冒頭でも述べた通り性差による価値観、思考の違いは確実に存在しており、それを無視して「日本人はこういう価値観だ」といっしょくたに主張するのはやっぱり強引だと思え、その辺は分別して考えるべきではないかと言いたいわけです。
例として私がこれまでに提唱した主だった日本人論で比較すると、「日本人は相手が逆らえないとわかるや途端に狂暴になる」というのは駅員などへの暴力を見る限りやはり日本人男性を主体として捉えています。といっても、女同士のいじめは結構激しいと聞くし、また抵抗できない相手をいたぶるというのも「ガラスの仮面」とかでよく見るいじめシーンなので、これは男女両方に共通する、というより下手すりゃ日本人女性の方が顕著かもしれません。
もう一つ、「日本人は無意識の他人のスマホを盗み見たり、他人の会話を盗み聞きする癖がある」という説を私は過去に主張していますが、これは日本人男性を主体とせずに気が付いた特徴(電車乗ってて気が付いた)なので、男女差のない日本人論と堂々と言えるかもしれません。っていうよりもむしろ、盗み聞きするという点では噂話大好きな女性の方が顕著かもしれません。
(´・ω・)<……………
なんか日本人論は男性向けばかりって話をしてたつもりなのに、実際には女性の方が特徴的に顕著なことが多いような気が。仮にそうだとしたら、なんか日本人女性は嫌な特徴盛りだくさんなようにも見えて来るような……。
2016年8月8日月曜日
習政権の「一帯一路」戦略とは
中国関連のニュースを見ていたら日系メディアでもたまに目撃するかもしれませんが、中国では以前の胡錦濤政権は「和階社会」というスローガンを多用し、社会的に平等な社会の実現ということを政策目標として掲げていました。その胡錦濤政権を引きついだ習近平政権も同じようにあるスローガンを近年掲げており、それが今日解説する「一帯一路」という戦略です。
・一帯一路(Wikipedia)
この「一帯一路」とは何の意味を表すのかというと、一言で言い換えれば「シルクロード戦略」といったところです。シルクロードといえばシルクロードでそれ以外の何物でもないのですが、簡単に言えば古代にローマから西安までつながっていた交易路よろしく、中国から欧州に至る陸路を一つの経済圏とみなして経済的、人的交流を盛んにしようというのが表向きの中国の方針です。
この戦略の主な対象となるとのは中央アジアと欧州諸国で、特に欧州諸国に対して習政権はこのスローガンを盛んにアピールしているように思われ、中央アジアについても無視しているわけではありませんが「ヨーロッパと中国は運命共同体」という主張を流行らそうとしているように見えます。
一応日本も麻生政権の頃に「自由と繁栄の弧」といって中国をすっ飛ばしてほぼ同じルートでの経済共同体思想を提唱しましたが生憎これは全く流行らずに終わってしまいました。そこへきてこの中国の戦略ですが経済的に成功するか否かはともかく一応いくつかのプロジェクトは実際進んでおり、既に一部で始まっていると聞きますが中国から東欧まで海路や空路ではないトラックによる陸上輸送などもあり、こうした方面の活動を今後も中国政府は支援していくと思われます。
また、経済面以外でもこの方針からは中国の今後の狙いというか立ち位置がいくらか見え隠れする要素があるように思えます。
ここからはほぼ私の完全な推測によるものですが、この「一帯一路」戦略を提唱した背景には中国の外交方針、特に東西での差別化を一層強くするという意識の表れではないかと見ています。どういう意味かというと東方面、つまりシルクロード沿いの陸続きの国々に対しては融和政策を取り、西と南方面、つまり日本やフィリピン、ベトナムなど海を挟んだ国にはやや強硬な主張を貫き領土争いも辞さない態度で臨む意思の表れではないか、なんて勝手に思っています。
これと同様に軍事面でも、これまで人民解放軍の主力である陸軍は軽視して空軍や海軍をより重視していくという方針にも見えます。実際、習近平は陸軍に対し冷淡な態度を貫いておりその関係も非常に悪いとされ、護衛の人間もこれまで陸軍特殊部隊の人間が行っていたのを空軍に切り替えています。
恐らく今後も習政権はこのスローガンを堅持していくと思われますが、胡政権と比べるなら一番の違いは内政より外交重視であるという点で、アジアインフラ銀行を始めその出方に対してはしばらくは静観しつつ動向を見極める必要があるだろうというのが私の意見です。
・一帯一路(Wikipedia)
この「一帯一路」とは何の意味を表すのかというと、一言で言い換えれば「シルクロード戦略」といったところです。シルクロードといえばシルクロードでそれ以外の何物でもないのですが、簡単に言えば古代にローマから西安までつながっていた交易路よろしく、中国から欧州に至る陸路を一つの経済圏とみなして経済的、人的交流を盛んにしようというのが表向きの中国の方針です。
この戦略の主な対象となるとのは中央アジアと欧州諸国で、特に欧州諸国に対して習政権はこのスローガンを盛んにアピールしているように思われ、中央アジアについても無視しているわけではありませんが「ヨーロッパと中国は運命共同体」という主張を流行らそうとしているように見えます。
一応日本も麻生政権の頃に「自由と繁栄の弧」といって中国をすっ飛ばしてほぼ同じルートでの経済共同体思想を提唱しましたが生憎これは全く流行らずに終わってしまいました。そこへきてこの中国の戦略ですが経済的に成功するか否かはともかく一応いくつかのプロジェクトは実際進んでおり、既に一部で始まっていると聞きますが中国から東欧まで海路や空路ではないトラックによる陸上輸送などもあり、こうした方面の活動を今後も中国政府は支援していくと思われます。
また、経済面以外でもこの方針からは中国の今後の狙いというか立ち位置がいくらか見え隠れする要素があるように思えます。
ここからはほぼ私の完全な推測によるものですが、この「一帯一路」戦略を提唱した背景には中国の外交方針、特に東西での差別化を一層強くするという意識の表れではないかと見ています。どういう意味かというと東方面、つまりシルクロード沿いの陸続きの国々に対しては融和政策を取り、西と南方面、つまり日本やフィリピン、ベトナムなど海を挟んだ国にはやや強硬な主張を貫き領土争いも辞さない態度で臨む意思の表れではないか、なんて勝手に思っています。
これと同様に軍事面でも、これまで人民解放軍の主力である陸軍は軽視して空軍や海軍をより重視していくという方針にも見えます。実際、習近平は陸軍に対し冷淡な態度を貫いておりその関係も非常に悪いとされ、護衛の人間もこれまで陸軍特殊部隊の人間が行っていたのを空軍に切り替えています。
恐らく今後も習政権はこのスローガンを堅持していくと思われますが、胡政権と比べるなら一番の違いは内政より外交重視であるという点で、アジアインフラ銀行を始めその出方に対してはしばらくは静観しつつ動向を見極める必要があるだろうというのが私の意見です。
2016年8月7日日曜日
Deadly, Lively?
昨日、朝五時半に起きて六時から自転車に乗って出発しました。行先は上海隣の昆山市で、この日のサイクリング部の活動に参加するためです。隣とは言っても昆山市中心部までは自宅から約50kmあります。何度かこのルートは往復していて道も覚えているものの、これまでとは違い先週ほどではないものの夏真っ盛りの高い気温であるため、無事にたどり着けるかハラハラドキドキの腹腹時計(今の世代で知る人はいるのか?)で出発してみました。
ちょうど風が追い風だったこともあり2時間50分のタイムで昆山の待ち合わせ場所に尽きましたが、すでにこの時点で相当の汗をかいてて肘の辺りは汗が結晶化して塩になっており、おまけに右側頭部もちょいちょい痛かったため日陰で他のメンバーを待ちましたが、最初にやってきたメンバーは私の姿を見て、「浮浪者かと思った」と話していました。
その後ほかのメンバーも集まり、当日は参加人数も少なく暑いことから近くをぐるっと回って戻り、サイゼリヤで飯食おうってことになり出発。9時半出発で30km強を走ってサイゼリヤに着いたのは12時前でしたが、最後サイゼリヤに着く直前に登った橋の坂道の付近はマジ死にそうになりながら走っていました。体力的にキツイのもそうですが右側頭部が痛いのなんので、多分日射病をガチで引き起こしていたと思います。なお、一応ペットボトルの水を携帯していましたがリュックの再度ポケットに入れて置いたらいつの間にか温水、というよりお湯に成り果てていました。
ともあれ、サイゼリヤについてからはドリンクバーで水分補給を行い、食事も値段が安いもんだから大量に頼んで一心地着いたものの、朝早く起きたもんだから途中で眠気が襲い、他のメンバーの話を夢現の状態でなんかうんうんとだけ頷いていました。昼食後は解散となってこの日予約していたホテルへ向かいましたが、この最後の疾走時もかなりきつく、ホテルにチェックインした際も、「自転車持ってきてるんだけど部屋に入れていい?盗まれたくないし」という言葉がなんか自分でもよくわからない中国で話してた様な気がします。ホテル側からは、「エレベーターに乗せられる?なら勝手にしていいよ」でした。
部屋についてこの後会う予定の知人に電話で一報を入れ、「マジ疲れて休みたいから4時でいい?」と一方的に時間指定した後、速攻でシャワー浴びてベッドに横たわったものの、相変わらず右側頭部が痛くてうんうんうなりながら仮眠を取り、起きた頃には3時50分になっててマジで焦りました。幸い、待ち合わせ場所はほど近くなおかつバスですぐ移動できたので4時05分ごろについて事なきを得ました。
知人と合流して近くの喫茶店で知人の愚痴を聞きつつも相変わらず頭は痛く、この日の晩に予定していたサイクリング部の夕食会に参加できるかなと思っていたら今度はお腹も痛くなり、喫茶店のトイレで激しく下しました。しかしここで不思議なことに、何故かトイレから帰ってきたら徐々に頭痛が収まってきてどんどんと元気になり、そのまま知人を伴って夕食会の日本料理屋へと向かいました。
なおこの時日射病になってるかもと知人に話したら、知人も高校時代の部活動で水を飲むなという指導を受けていた時代だったと話し、水飲まなかったら確実に死ぬようなことされていたから外周走らされる際に駄菓子屋へ寄ってアイスやジュースを飲むという伝統がその部活内で脈々と受け継がれていたということを教えてくれました。ただ知人は一回、どうしてもガリガリ君が食べたくて買ったところ、氷菓子だから急いで食えずもたもたしていたところ顧問に見つかってえらい怒られたということも付け加えられました。
この日はその後、夕食会に出て和やかに話した後はすぐホテルに戻り寝たのですが、内心では翌日どうなるか少し心配してました。というのも、また上海まで50km自転車で走って戻らないといけないからです。
でもって今日がその翌日でしたが、ホテルの朝食を食べ終えて朝8時に出発したものの太陽はピーカン真っ盛りで、「雲でないかな?むしろ豪雨降ってほしい」などと思いながらただひたすらに漕ぎ続けました。幸いなことに前日に90kmくらい走っているものの全く筋肉痛とかそういうのはなく体力も衰えているということは何もありませんでした。とはいえ気温は高く、いま日本を覆っている気団が上海周辺にあった先週(40度越した)ほどではないものの、体感的には33度くらいで、とにもかくにも日差しがきつく汗が出っぱなしでした。おまけによく見てみると履いていた黒いズボンが汗を吸い過ぎて塩が浮き出ており、気がついたら白いまだら模様……というよりかは結構真っ白なズボンに変わっていました。これってマジックで行けるかな。
途中途中でコンビニ寄って水飲んだりして休憩を挟みつつ、最終的に自宅にたどり着いたのは11時半で3時間半の走行をしてきたことになります。すぐにシャワー浴びましたがなんかもういろいろと水浴びるのもお湯浴びるのもよくわからない状態で、冷水に浴びたいと思いながらもかけたらかけたで冷たすぎてすぐにまた温水に戻しました。でもって即衣類も洗濯しましたが、ズボンは塩は洗い流せたものの、お尻の部分にサドルの色が移ってなんか妙にそこだけ白くなってました。
そんな具合で現在に至りますが、また例によって上半身が異様に日焼けしながらも意識的にはかなりまともなまま元気になっています。上海と昆山の往復は何度もやってるしこれ以上の距離も走ったことはいくらでもありますが、やはりこの炎天下でやるのは改めて危険だなと思い、次昆山に行くとしたら9月以降だなと考えています。それにしても乗ってるGIANTの「DEFY」って自転車、自分で乗りながらなんですがほんと丈夫だな、まだパンクすら一回も起こしていない。
最後に昨日ほぼほぼ日射病になりましたが、やっぱりたまにこういう死にそうな目にあった方が人間生きている実感があるなという気がします。それを言い表したのがこの記事の見出しですが、和訳するなら「生き生き死にそう」といった辺りで、生と死が近づくほどどちらもくっきりしてくるとは言ったものです。
2016年8月5日金曜日
安倍首相の内閣改造の陣容を見て
余り気分が乗らないのでパパッと書ける政治ネタですが、先日安倍首相は内閣を改造して第三次安倍第二次内閣とかいうなんだか聞いててよくわからない名称の陣容が発足しました。注目された人事としては予想通りに岸田外相は留任した一方で彼と安倍首相の後継を巡って争う姿勢の石破氏が抜けることとなりました。まぁ石破氏が前についていた地方創生担当相はいまいち仕事内容がわからなければ一億総活躍相と完全に被っている部分もあり、事実上飼い殺しにされていた状態なのでここで抜けたという判断は間違ってないでしょう。
ただ石破氏には悪いのですが私から見て能力的に首相の職は向いているとは思えず、むしろ農業や防衛分野などへの専門性を高めて行く方が身の丈に合っているのではないかと思います。そもそも幹事長や官房長官も向いているとは思えないし、本人も多少自覚している節はあるもののやっぱり首相への野心が捨てきれないようです。少しは理解できますが。
その今出た官房長官についてですが、実質的に安倍政権の沖積となっている菅官房長官が留任となりました。菅官房長官の能力と実績については国民の誰もが評価していることからたまに一部メディアで、「次期首相の可能性も」なんていう言葉が出てきますが、結論から言うとこれは絶対にありえないシナリオだと断言できます。何故かと言うと、菅官房長官には家柄がないからです。
みんな表立って口にしませんが現在の自民党で総裁になるには見えざる条件が一つあり、具体的に言うと二世政治家でなければ絶対に総裁には選ばれません。かつて官房長官を務めた野中広務氏は誰もがその政治的実力を認めながらも麻生現財務相が当時、「部落出身だから総理にはできない」と反対しており、現にこの20年くらいは二世政治家以外で総裁に就任した人物は皆無ですし、前よりもこの概念が強まっているようにも見えます。まぁそれでまともな人間が選ばれるのなら私は気にしませんが。
あと今回のもう一つの目玉人事として丸川珠代氏が五輪相に選ばれましたが、この人事をみんなどう見たのかなとちょっと私は気になりました。恐らく単純に丸川氏が安倍首相に気に入られた、眼鏡に叶ったなどと考える人が大半だと思いますが、私はこれとは異なり、「絶対これ野田聖子への当て付けだろうな」と見ています。
野田聖子についてはもう深くは語りませんが、彼女より当選回数も議員在籍年数も低い丸川氏をわざわざ大臣に選出し女性大臣の数合わせに使ったというのは、野田氏を過去の人間にしてしまおうという安倍首相の意思が感じられました。恐らく原因は前回の自民党総裁選に出馬しようと動いたことからで、あまり報道もされないし態度にも出していませんが安倍首相も内心では腹立っていたのかなと今回の人事を見て感じました。もちろんこれは根拠のない私の憶測に過ぎませんが、ほかの高市氏や稲田氏は、確実に要職をステップアップしてるのを見るとますますそう思えてきます。
そういえば、小渕優子も入ってないな。やはり爆弾抱えていると思い避けたんでしょう。
ただ石破氏には悪いのですが私から見て能力的に首相の職は向いているとは思えず、むしろ農業や防衛分野などへの専門性を高めて行く方が身の丈に合っているのではないかと思います。そもそも幹事長や官房長官も向いているとは思えないし、本人も多少自覚している節はあるもののやっぱり首相への野心が捨てきれないようです。少しは理解できますが。
その今出た官房長官についてですが、実質的に安倍政権の沖積となっている菅官房長官が留任となりました。菅官房長官の能力と実績については国民の誰もが評価していることからたまに一部メディアで、「次期首相の可能性も」なんていう言葉が出てきますが、結論から言うとこれは絶対にありえないシナリオだと断言できます。何故かと言うと、菅官房長官には家柄がないからです。
みんな表立って口にしませんが現在の自民党で総裁になるには見えざる条件が一つあり、具体的に言うと二世政治家でなければ絶対に総裁には選ばれません。かつて官房長官を務めた野中広務氏は誰もがその政治的実力を認めながらも麻生現財務相が当時、「部落出身だから総理にはできない」と反対しており、現にこの20年くらいは二世政治家以外で総裁に就任した人物は皆無ですし、前よりもこの概念が強まっているようにも見えます。まぁそれでまともな人間が選ばれるのなら私は気にしませんが。
あと今回のもう一つの目玉人事として丸川珠代氏が五輪相に選ばれましたが、この人事をみんなどう見たのかなとちょっと私は気になりました。恐らく単純に丸川氏が安倍首相に気に入られた、眼鏡に叶ったなどと考える人が大半だと思いますが、私はこれとは異なり、「絶対これ野田聖子への当て付けだろうな」と見ています。
野田聖子についてはもう深くは語りませんが、彼女より当選回数も議員在籍年数も低い丸川氏をわざわざ大臣に選出し女性大臣の数合わせに使ったというのは、野田氏を過去の人間にしてしまおうという安倍首相の意思が感じられました。恐らく原因は前回の自民党総裁選に出馬しようと動いたことからで、あまり報道もされないし態度にも出していませんが安倍首相も内心では腹立っていたのかなと今回の人事を見て感じました。もちろんこれは根拠のない私の憶測に過ぎませんが、ほかの高市氏や稲田氏は、確実に要職をステップアップしてるのを見るとますますそう思えてきます。
そういえば、小渕優子も入ってないな。やはり爆弾抱えていると思い避けたんでしょう。
2016年8月4日木曜日
新天地にある超高級車ショールーム
先週ちょっと上海市の観光ガイドにはほぼ確実に載っている「新天地」という外国人向け観光地兼オフィス街近くに行ってきたので、もののついでとばかりにその辺にある高級車ディーラーを撮影してきました。
日本じゃ珍しいと思うマクラーレン。
ソウルカラーがオレンジなだけに見ていて気持ちいい
アストン・マーチン。さすがにボンドは来ていない。
ロールス・ロイス。さすがに上海でも走ってる姿はそんな見ない。
ランボルギーニ。
すぐ隣がマクラーレンだから形が被る。
EVのテスラ・モーターズ。
SUVの「モデルX」。なんか虫干しされてた。
フロントは見ての通り空。
なお余談ですがテスラのショールームは元々、少なくとも私が上海にいた四年まではホンダ系高級車ブランド「アキュラ」のショールームでしたが、彼らがどこへ行ったのか、それは誰も知らない。
あとこの一連の写真ですが、シャレや冗談抜きで全部十分以内に撮影したものです。つまり、それだけこの新天地には世界の高級車ショールーム+ディーラーが集中しているというわけです。
それにしてもこの写真全部携帯カメラで撮ったけど性能良すぎて逆にビビる。これでも容量落とすために圧縮してますが、さすがに遠距離撮影や連続撮影では私の自慢の富士フイルム製デジカメに劣りますが取材写真ですら携帯で十分ってのも味気ない。味気ないと言えば今日昼飯に焼うどん食べたら睡眠薬仕込まれてたんじゃないかっていうくらい食べてすぐ30分ほど熟睡しました。
2016年8月3日水曜日
リクルートスタッフィングへの取材とやり取り
昨夜同僚たちとともにビアガーデンに行ったらステージ上で何やら催し物が行われており、「一気飲み大会」だと思った同僚の一人が参加したら、実際は女性をお姫様抱っこしながらスクワットを競うイベントでした。しかもその同僚は中国語がわからなかったことから一番デカい女性をあてがわれ死にそうになりながら帰ってきましたが、同僚曰く、「あの女、60kgはあったぞ」だそうです。
話しは本題に入りますが私は先週、「リクルートスタッフィングがマージン率を公開」という記事を書き、見出しの通りこれまでマージン率をホームページ上で公開してこなかった派遣大手のリクルートスタッフィングが公開に転じたという事実を報じると共に、今年一月に私がマージン率調査を行った際にデータを請求したところ何も返事がなかったということと、先週水曜日に諸々含めてあれこれ質問する問い合わせをホームページ上で行ったが営業日二日挟んでも何も返事なかったという事実を書き記しました。
先週水曜の問い合わせについてはもう少し待ってもいいかなと思う反面、そもそもそんな回答に時間かかるようなきわどい質問は送っていないという意識があったことから、「なんで二回も無視すんねん」と納得がいかず、なんていうか少しジャーナリスト魂がうずきました。それで何をしたのかと言うと、一昨日の月曜日にわざわざ上海から電話をかけ、直接リクルートスタッフィングに電話取材を行いました。
結論から言うと、月曜日に電話をかけて広報部につないでもらったところ、担当者が今不在だからすぐに折り返すと言われ、電話だと世を忍ぶ仮の現地採用の姿があるためメールで返信してもらうよう伝えただけですぐ終わりました。ただそれから今日にいたるまで毎夜メールの往信を繰り返しており、そこそこ内容もまとまったのでこうして放出できるようになりました。
今回、私がリクルートスタッフィングに尋ねた内容は以下の二つの質問です。
Q1、何故今回、マージン率の公開に転じたのか?
Q2、どうして1月の私の問い合わせを無視したのか?
<Q1への回答>
1番の質問については即日回答がもらえ、昨年改正された厚生労働省発「派遣元事業主が講ずべき措置に関する指針」、言い換えれば派遣元へのガイドラインにて、
「特に、マージン率の情報提供に当たっては、常時インターネットの利用により広く関係者とりわけ派遣労働者に必要な情報を提供することを原則とすること。」
という文言が加えられたことについて対応するためだったそうです。この文言は上のリンク先PDFの末尾の項目に書かれてありますが、こういうの出てたっていうのは今の今まで知りませんでした。公開しないことへの罰則は未だにありませんが、公開していないところにはガイドラインではっきり出ていると強気で押せるようになったというわけで来年の調査シーズンが待ち遠しいです。
なお個人的には、「派遣先、派遣労働者の方々への利便性向上のため!」とかいった威勢のいい言葉が出てくれればいいなぁとか思ってましたが、結構事務的な回答で終わっちゃいました。まぁ無理矢理言わせたら元も子もないけど。
<Q2への回答>
次にQ2についてです。
この件に関しては少し背景があり、というのも私は今年1月に派遣大手各社へ一斉にインターネットを通じてマージン率データを請求し、メイテックさんやザアールさんみたいに即日で返信くれたところもあれば遠回しに拒否するところもあり、また返信すら一切寄越さないというところも一部、っていうか半分くらいに無視されました。特にフルキャストとかスタッフサービスなんか問い合わせを受け付けたという自動返信メールが来てるんだから受け取ってないはずがないというに、来年覚えとけよあいつら。
半数位に無視されたこともあって、恐らくマージン率をなるべく公開されたくないため意図的に無視されたのだろうと私は考えましたし、スタッフサービスに至っては間違いなくそうだと言えます。なもんだから、同じように返信くれなかったリクルートスタッフィングにも正直言って強い敵意を覚えました。
またもう一つ、後日知人がリクルートスタッフィングにマージン率を請求した所、なんとその知人はすんなりとデータを受け取ることが出来ました。なんで私だけハブられなきゃいけないんだという不満から先週に送りつけた問い合わせでもこの件について尋ねましたが、結果は上記の通り電話するまではなしのつぶてで、だからこそ先週土曜にこの件で愚痴った記事を書いたわけです。
そうした背景をざっと説明した所でリクルートスタッフィング広報とのやり取り話に移りますが、まず電話した時点で自分が先週水曜に行った問合せを把握しているかと尋ねたところ、それについては把握しているとその場で返事もらえました。そしてその当日に来たメールでは回答が遅れたことを詫びる内容と共に、今年1月のデータ請求に関する私の問い合わせは把握していないという返事も入っていました。
ただ、この一回目の回答を見てすぐにはその言葉を信じることは出来ませんでした。仮にデータ請求の問い合わせを無視した件について問い詰められ、「はい、無視してました」と素直に認める広報なんて三菱自動車を含めてまずいるとは思えず、把握していないと言ってごまかそうとしているのではと疑り深く考えたわけです。
そこで証明の根拠としてこれまでに行ってきたデータ公開の実績を示してほしいと私の方から提案したところ即日で返信があり、去年の実績として以下の数字が出されました。
<2015年のリクルートスタッフィングのマージン率データ公開実績>
請求件数:47件(内訳:派遣登録者;37件、非登録者:10件)
※上記全ての請求に対してデータを公開
内訳について補足するとリクルートスタッフィングの問合せページには派遣登録者であればその登録番号を入力する項目が設けられており、これを見て私は、「自社の登録者だけにデータを公開しているのでは?」と思ったことから、請求者の属性も出すようあらかじめ求めていました。そうして出されたこの結果ですが、マージン率自体あまり知られていないこともあって実態としては大体こんなもんじゃないかなと思う数字であり、非登録者の割合も可能性としては三分の一以下と踏んでいたことから大体納得できる数字です。
そのように納得できる数字であることから「登録者にだけ公開」という疑念は捨て、引き続き何故1月の私の問い合わせは届かなかったのかについてやり取りを続けました。
問い合わせが届かなかった件についてリクルートスタッフィング側から、具体的な問い合わせ日時を教えてほしいと連絡があり、私もそれにすぐに返答しました。そして翌日、リクルートスタッフィング側より私が問い合わせを行った日の前後のアクセスログを確認した所、それらしいログが見つからなかったという回答を受けました。もちろんこれも真実であるかどうかについて一定の議論の余地がありますが、一方でそれよりほかに証明手段があるかとなるとまた微妙で、落としどころとしてはやはり送受信のいずれかにエラーがあったと考えるべきだという結論に至りました。
向こうの担当者にも伝えましたが、きちんと問い合わせが届いてデータが公開されていればこっちも持ち上げて記事を書けただけに、なかなか不幸なすれ違いであったようにも思えます。
以上が主なやり取りとなり、一月の件に関しては残念なものであるものの、今回に関しては一応真摯に対応はしてもらえました。もっともあんな質問くらい即日で返してくれたっていい気はしますが(ヽ'ω`)
どちらにしろリクルートスタッフィングもホームページ上でマージン率公開を行うようになり、既に公開しているアデコ、インテリジェンス、テンプスタッフより遅れたもののその情報公開姿勢については高く評価したいです。マージン率の公開が進むことにより競争原理が働き、やや過剰とも思える業界の再編にもつながっていくことこそが派遣業界にとって望ましい姿であると考えており、他の大手や中小もリクルートスタッフィングに続き公開へ転じていってほしいというのが偽らざる気持ちです。
もっともどこも公開しちゃったら、多分私の調査記事もアクセス減るだろうなと思うと少し複雑です。公開されていないからこそ価値がある情報ってのもあるし。
なお、リクルートスタッフィングは私の調査記事については把握していなかったそうです。てっきり派遣業界の人は多かれ少なかれ読んでるかなと期待してましたがちょっと図に乗ってたようで、しょせんは井の中の蛙に過ぎなかったようですつД`)
話しは本題に入りますが私は先週、「リクルートスタッフィングがマージン率を公開」という記事を書き、見出しの通りこれまでマージン率をホームページ上で公開してこなかった派遣大手のリクルートスタッフィングが公開に転じたという事実を報じると共に、今年一月に私がマージン率調査を行った際にデータを請求したところ何も返事がなかったということと、先週水曜日に諸々含めてあれこれ質問する問い合わせをホームページ上で行ったが営業日二日挟んでも何も返事なかったという事実を書き記しました。
先週水曜の問い合わせについてはもう少し待ってもいいかなと思う反面、そもそもそんな回答に時間かかるようなきわどい質問は送っていないという意識があったことから、「なんで二回も無視すんねん」と納得がいかず、なんていうか少しジャーナリスト魂がうずきました。それで何をしたのかと言うと、一昨日の月曜日にわざわざ上海から電話をかけ、直接リクルートスタッフィングに電話取材を行いました。
結論から言うと、月曜日に電話をかけて広報部につないでもらったところ、担当者が今不在だからすぐに折り返すと言われ、電話だと世を忍ぶ仮の現地採用の姿があるためメールで返信してもらうよう伝えただけですぐ終わりました。ただそれから今日にいたるまで毎夜メールの往信を繰り返しており、そこそこ内容もまとまったのでこうして放出できるようになりました。
今回、私がリクルートスタッフィングに尋ねた内容は以下の二つの質問です。
Q1、何故今回、マージン率の公開に転じたのか?
Q2、どうして1月の私の問い合わせを無視したのか?
<Q1への回答>
1番の質問については即日回答がもらえ、昨年改正された厚生労働省発「派遣元事業主が講ずべき措置に関する指針」、言い換えれば派遣元へのガイドラインにて、
「特に、マージン率の情報提供に当たっては、常時インターネットの利用により広く関係者とりわけ派遣労働者に必要な情報を提供することを原則とすること。」
という文言が加えられたことについて対応するためだったそうです。この文言は上のリンク先PDFの末尾の項目に書かれてありますが、こういうの出てたっていうのは今の今まで知りませんでした。公開しないことへの罰則は未だにありませんが、公開していないところにはガイドラインではっきり出ていると強気で押せるようになったというわけで来年の調査シーズンが待ち遠しいです。
なお個人的には、「派遣先、派遣労働者の方々への利便性向上のため!」とかいった威勢のいい言葉が出てくれればいいなぁとか思ってましたが、結構事務的な回答で終わっちゃいました。まぁ無理矢理言わせたら元も子もないけど。
<Q2への回答>
次にQ2についてです。
この件に関しては少し背景があり、というのも私は今年1月に派遣大手各社へ一斉にインターネットを通じてマージン率データを請求し、メイテックさんやザアールさんみたいに即日で返信くれたところもあれば遠回しに拒否するところもあり、また返信すら一切寄越さないというところも一部、っていうか半分くらいに無視されました。特にフルキャストとかスタッフサービスなんか問い合わせを受け付けたという自動返信メールが来てるんだから受け取ってないはずがないというに、来年覚えとけよあいつら。
半数位に無視されたこともあって、恐らくマージン率をなるべく公開されたくないため意図的に無視されたのだろうと私は考えましたし、スタッフサービスに至っては間違いなくそうだと言えます。なもんだから、同じように返信くれなかったリクルートスタッフィングにも正直言って強い敵意を覚えました。
またもう一つ、後日知人がリクルートスタッフィングにマージン率を請求した所、なんとその知人はすんなりとデータを受け取ることが出来ました。なんで私だけハブられなきゃいけないんだという不満から先週に送りつけた問い合わせでもこの件について尋ねましたが、結果は上記の通り電話するまではなしのつぶてで、だからこそ先週土曜にこの件で愚痴った記事を書いたわけです。
そうした背景をざっと説明した所でリクルートスタッフィング広報とのやり取り話に移りますが、まず電話した時点で自分が先週水曜に行った問合せを把握しているかと尋ねたところ、それについては把握しているとその場で返事もらえました。そしてその当日に来たメールでは回答が遅れたことを詫びる内容と共に、今年1月のデータ請求に関する私の問い合わせは把握していないという返事も入っていました。
ただ、この一回目の回答を見てすぐにはその言葉を信じることは出来ませんでした。仮にデータ請求の問い合わせを無視した件について問い詰められ、「はい、無視してました」と素直に認める広報なんて三菱自動車を含めてまずいるとは思えず、把握していないと言ってごまかそうとしているのではと疑り深く考えたわけです。
そこで証明の根拠としてこれまでに行ってきたデータ公開の実績を示してほしいと私の方から提案したところ即日で返信があり、去年の実績として以下の数字が出されました。
<2015年のリクルートスタッフィングのマージン率データ公開実績>
請求件数:47件(内訳:派遣登録者;37件、非登録者:10件)
※上記全ての請求に対してデータを公開
内訳について補足するとリクルートスタッフィングの問合せページには派遣登録者であればその登録番号を入力する項目が設けられており、これを見て私は、「自社の登録者だけにデータを公開しているのでは?」と思ったことから、請求者の属性も出すようあらかじめ求めていました。そうして出されたこの結果ですが、マージン率自体あまり知られていないこともあって実態としては大体こんなもんじゃないかなと思う数字であり、非登録者の割合も可能性としては三分の一以下と踏んでいたことから大体納得できる数字です。
そのように納得できる数字であることから「登録者にだけ公開」という疑念は捨て、引き続き何故1月の私の問い合わせは届かなかったのかについてやり取りを続けました。
問い合わせが届かなかった件についてリクルートスタッフィング側から、具体的な問い合わせ日時を教えてほしいと連絡があり、私もそれにすぐに返答しました。そして翌日、リクルートスタッフィング側より私が問い合わせを行った日の前後のアクセスログを確認した所、それらしいログが見つからなかったという回答を受けました。もちろんこれも真実であるかどうかについて一定の議論の余地がありますが、一方でそれよりほかに証明手段があるかとなるとまた微妙で、落としどころとしてはやはり送受信のいずれかにエラーがあったと考えるべきだという結論に至りました。
向こうの担当者にも伝えましたが、きちんと問い合わせが届いてデータが公開されていればこっちも持ち上げて記事を書けただけに、なかなか不幸なすれ違いであったようにも思えます。
以上が主なやり取りとなり、一月の件に関しては残念なものであるものの、今回に関しては一応真摯に対応はしてもらえました。もっともあんな質問くらい即日で返してくれたっていい気はしますが(ヽ'ω`)
どちらにしろリクルートスタッフィングもホームページ上でマージン率公開を行うようになり、既に公開しているアデコ、インテリジェンス、テンプスタッフより遅れたもののその情報公開姿勢については高く評価したいです。マージン率の公開が進むことにより競争原理が働き、やや過剰とも思える業界の再編にもつながっていくことこそが派遣業界にとって望ましい姿であると考えており、他の大手や中小もリクルートスタッフィングに続き公開へ転じていってほしいというのが偽らざる気持ちです。
もっともどこも公開しちゃったら、多分私の調査記事もアクセス減るだろうなと思うと少し複雑です。公開されていないからこそ価値がある情報ってのもあるし。
なお、リクルートスタッフィングは私の調査記事については把握していなかったそうです。てっきり派遣業界の人は多かれ少なかれ読んでるかなと期待してましたがちょっと図に乗ってたようで、しょせんは井の中の蛙に過ぎなかったようですつД`)