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2021年4月7日水曜日

日本人の決戦思想

 最近、毎晩のように夢を見ているのですが、夢の中でもほぼ必ず仕事し続けています。正直今、自分は働き過ぎなんじゃないかと真面目に心配になってきており、同僚も二人ほど今週に入って体調ダウンして休み取ってます。
 自分もそれほど体力に自信があるというわけじゃないですが、あらかじめどのあたりに仕事のピークが来るのかを見定めて、ここぞというところで踏ん張るというかタイミングを合わせるようにしているせいか、一応今のところ起き上がれないほどダメになるってことはまだないです。でもってこういうタイミングを合わせようとする当たり、やはり日本人だからか決戦思想が強い気がします。

 その決戦思想についてですが、私の所見で言うと日本人はこれがかなり強い気がします。そもそも決戦思想の定義とは何ぞやですが、「どでかいイベントがあり、それをこなすとすべて丸ごと何でも解決すると信じる」という思想をして決戦思想と私は読んでいます。具体的には、「ここさえ乗り切れれば」、「あの案件さえ終われば」、「初デートにさえこぎつければ」みたいな感じで、何かしら特定の一事をやり過ごす、解決できれば、すべての物事が好転するという風に信じ込むような考えです。

 自分も昔は意識していなかったのですが大体5年くらい前から、「日本人って何かすべての物事の成否を、それまでの積み重ねと日ごろの行い以上に、一つのイベントの成否で決まると考える人が多いな」と思うようになってから意識するようになりました。無論私自身もこうした価値観がないというわけではなく、「〇日さえ乗り越えれば」的に到達点を設定することは多いです。ただ乗り越えた結果で得られるものはあくまでそのタスクに直接影響するものに限定されるということも強く意識するようにして、一つのイベントであらゆる物事が好転するという風には信じないよう気を付けています。

 この日本人の決戦思想が特に強く反映されるのは、言うまでもなく受験と就職でしょう。いい大学に受かれば、将来は安泰で楽しい学生生活が送れ、好きな彼氏/彼女やいい友達に囲まれる……と信じる日本人は多い、っていうか9割方これでしょう。いい大学に受かれば比較的高いレベルの授業を受けられる可能性こそあるものの、それは確約ではないし、また友達や異性に恵まれるかと言ったら入学後の本人の行動次第であるものの、そうした要素はまるで無視されます。
 就職に関しても基本同様ですが、前と比べると大企業に入ったら安泰という思想が大分薄れてきているので、前よりは現実が見えるようになってきています。もっともそのかわりに現実感が強すぎて、中小企業に入ってしまったらその時点で人生終わり🔚」と考え込んでやる気なくしちゃう人も増えてきているのですが。

 実際のところ、中小だろうが大企業だろうがその後の本人の行動や意識次第で変わってくる要素もあるのですが、その辺は上記の決戦思想が邪魔してしまうというか、そうした事後要素を働かせる、動かす意識が日本人は弱い気がします。逆を言えば自分はそうした事後の要素を存分に働かせて今の立場を築いているところもあることから、この日本人の決戦思想に気が付いたのかもしれません。

 ちなみに私は新卒の時点で記者になりたかったけどどのメディアからも採用が得られず仕方なく専門商社入った後、「とりあえず中国行って、隙あらば記者になろう」というなろう系小説なノリで異世界ならぬ中国行ったらあっさり中国2社目で新聞社に潜り込み、リアルに記者になって自分でも驚きました。
 その後記者職から離れてわけわかんない品質管理とかやったりしてましたが、JBpressから声かかってまた執筆業をやるようになりましたが、やっぱ実力あればある程度何とかなるなという実感があります。非常に偉そうだけど、品質管理と化している時代に他のライターが書いた記事がどれもくだらなく思え、自分なら数倍のクオリティでもっといいもの書ける自信を持ち続けてたし。

2 件のコメント:

  1. ∀ガンダムの頃に日本にとって祭りの文化は非常に根強いって話を富野監督がしていて、個人的にも感じるところが多いんですが、日本人は古くから「祭りによって結束する」民族だったんだろうなと思います。
    学校で運動会、学芸会、遠足、修学旅行など定期的に大イベントをはさみ、教師もその準備に全力を尽くすのは、そうやって共通の目標のためにみんなで頑張ることが細かい不仲を解決する手段にもなっていたからなんだろうなと。
    政党にとっての選挙や、社会人の飲み会さえその延長にあるように思え、そこで結果が伴わなくても「みんなで一丸となって頑張ったから良しとする」みたいな満足感を大事にしてきた歴史があるように感じます。
    それは団結心を養うことには役立ちますし、集団の目標が明確になるので行動の効率化にもなるんですが、一方で非日常の力に頼りすぎて日常の中で問題を解決する力が備わりにくいという欠点もあり、その辺がご指摘の事後処理能力の低さに繋がっているのかもしれません。
    祭りに適応できなかった者は取り残され日常に戻れなくなるという欠点もあり、いじめや不登校もその辺の影響が強いように思います。

    ただ日本人は元々感情を表に出さず我慢することが美徳であるとされた代わりに、溜まった鬱憤を定期的な祭りで晴らすことでバランスを取ってきた民族なので、日常的にもう少しオープンになることが求められるんだろうなと思っています。
    一言で言えば祭りに頼らない力が必要なんですが、その「祭り状態の団結力」が他国民にない日本人最大の武器のような気もするので、悩ましいところです。

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    1.  祭りの概念は言われてみると確かにそうですね、でもって羽目を外す時の半端なさは確かに日本人は激しく、中国人から見ても奇異に映るそうです。
       こうしてみるとここで自分が記事で書いたように、日本人はどこか一点の節目で全部清算するみたいな価値観が強いのかもしれません。そしてそれがおっしゃる通りに集団の団結化に凄い影響していて、なんかこのテーマでも十分社会学の論文書けそうな気がします。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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