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2021年6月23日水曜日

立花隆の逝去について


 かなり久々に月間1位取ったので記念にキャプチャーしておきました。今年の自分は割と大谷並にホームラン連発している気がします。

 話は本題ですが本日の報道で今年四月に評論家の立花隆氏が亡くなられていたことがわかりました。年齢的には妙齢と言っては何ですが死に臨むに相応しい時期で、恐らく本人としても納得感のある逝去だったのではと勝手に想像しています。

 立花隆の著作と言ったら「田中角栄研究」が代表格ですが、私自身は時代が異なることもあってこちらは読んでいません。逆に読んだものと言ったら以前読んでた文藝春秋に寄稿された評論が主ですが、やはり読んでてただ者ではないと感じる内容が多かったです。逝去報道にもある「知の巨人」という異名は伊達ではなく、とにもかくにもあらゆる方面に造詣が深くて戦後から平成において日本屈指の知識人であったと自分も考えています。

 その立花隆のちょっと特殊なエピソードとして私が知っているものとして311直後の諮問会議があります。この会議では主催した菅直人首相(当時)が原発に代わる新たなエネルギーを出席者に尋ねたところ、ほぼ全員が太陽光発電を挙げたそうです。それに対し立花隆ただ一人のみが、「ヒートポンプ」を挙げたとされ、このエピソードを出して半導体産業新聞の当時のトップは「わかっているの立花隆のみ」とべた褒めしていました。

 エネルギー方面には私はあまり造詣は深くないのですが、少なくとも太陽光発電に関しては菅直人氏だけが悪いわけでなくその後の制度設計に起因するところも多いものの、現状で成功したという人はまずおらず、失敗したと断言してももはやよいでしょう。
 私自身、今でもはっきり覚えていますが2012年の日本行きの飛行機で窓から眺めたところ、丘の上のあちこちにまるで切り抜いたかのように太陽電池パネルが見境なく置かれてあるのをみて、警官的に見ていて強い不快感を感じるとともに、豪雨などの土砂時とかどうするのだなどと疑問に感じました。ただ良かったことに、数年経ったらそれらは一切全部なくなりました。ついでに、太陽光発電関連のネット広告も完全に見なくなりました、よかったよかった。

 私自身もどちらかというと知識量を武器にして記事を書くことが多いですが、やはりこの方面だと立花隆とは雲泥の差があり、遠く見上げる存在でありました。今年初めには半藤一利もなくなり平成に活躍した言論人が今年なくなることが多いと感じる一方、やはり彼らの下の世代、具体的には今60代くらいの世代でもっと代表的な論人が続いてほしいという願望があります。知識人というのは多すぎてもよくないですが、少なすぎるのもまたよくないと私は考えており、一人の巨人が亡くなった今だからこそ、新たな世代の台頭を願わずにはいられません。

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