ページ

2022年2月21日月曜日

民意の無視が当たり前となりつつある日本

【悲報】札幌市長「反対多数でも五輪招致は続ける!」ドン(ガハろぐ)

 上の札幌五輪計画ですが、マジでこれに賛成する理由は一つも見当たらないのですがやたら推進しようとしている人がいて、サイレンの屍人みてるより不安になってきます。それ以上に恐ろしいのが上のまとめ記事でも取り上げられている通り、反対多数という民意が出ても堂々とそれを無視すると宣言している政治家がいるという事実ですが、こうした光景については何も今に始まるわけじゃなく安倍政権時にもたくさんおり、もはや民意は完全に無視されるのが当たり前となりつつあるのかもしれません。

 前もって断っておくと、民意に従うことが必ずしもいい政治結果につながるとは私も思っておらず、時と状況、ケースによっては民意を完全に無視した政治的決断も必要だと考えています。ただ、建前上は民主主義を取っているだけに、直接民主制ではなく間接民主制ということを踏まえても、有権者に対しては最低限、何故その決断を採るのかという説明を政治家が放棄してはならないと私は思います。
 しかし前述の通り、近年においてはその民主的手続きともいえる説明を完全に放棄し、結論があるので結論に合わせた結果を最初から指向した調査だけ行ってそのまま実行に至るケースが多い気がします。香川県のゲーム条例に関しては、偽装と疑わしい請求を基に議会通ってるだけに論外です。

 もっとも政策議論に関してはこの10年、自分が見ている限りでは政治家に限らず民間の知識人の間でもレベルが大きく低下しているので、民主主義の根幹ともいえる議論そのものの慣習自体が薄れているのかもしれません。それこそ経済論においては未だに消費しか論点に上がらず、生産性、生産能力の向上はほとんど触れられず、日本は経済力を落としてきました。
 最近思うけど、やっぱグローバル化によって消費と生産はアンバランスな形となるのが逆に自然な形になったのだと思います。ケインズ経済では消費と生産がバランスよく釣り合う姿を理想視してたけど、グローバル化では逆にその視点だとドツボにハマると思う。

 話を戻すと、日本の政治家は今や「どうせ反対したところで逆らえまい」という高をくくった態度がはっきり見えます。まぁ確かに今時デモとかしても世の中動きませんし、やるんだったらもっと過激な手段じゃないと変わらないでしょう。何が言いたいのかというと、案外この方面で過激化した活動を取る人間が今後出てくるんじゃないかということです。最近はやりの通り魔的犯罪も、何かの拍子で矛先が変わってくる可能性もあるだけに、政治家もその辺もうちょっと意識したらと少し思います。

8 件のコメント:

  1. 自分の思い通りにことが進まないと許さない人、自分と異なる考えを持つ人が世の中にたくさんいることを知らない人が増えてるなと思います。これは年寄りに限った話ではないのが頭が痛いです。
    富裕層というか、エリート層にそういうのが増えてる感じがします。中国の一人っ子政策もそういう大人を増やすんじゃないかと言われてましたが、実際にはどうなんでしょう?

    返信削除
    返信
    1.  ちょうどそういったネタで中国一人っ子政策に関する話があり、明日にでも記事を書いて出します。最近日本でも報じられている学習塾閉鎖騒動とも絡む話です。

      削除
  2. 通りすがりのもの2022年2月24日 18:32

    現代日本人は政治運動に対して冷笑的な嫌悪感を抱いていますし、政治なんか頼らず自分の力で頑張るべきだとする自己責任思想が蔓延していますから、結果として既存の政治権力が野放しになっている感がありますね。豚が肉屋を支持するような状況です。
    しかし同じ日本人であっても、戦後~昭和中期までは国労のように労働組合も強くて、社会運動も今より盛んであったし、国民も割と同情的であった気がします。また戦前では井上日召の一殺多生のように、権力者に対するテロリズムが横行していたわけです。
    つまり日本人は数十年たてば国民性が変わる傾向があるようなので、本当に将来は分からないですよね。

    あと民間の知識人やマスコミの議論が劣化した問題については、マスコミが権力とズブズブで権力よりの人しか出さないというのもあるでしょうが、有名知識人も例えば丸山真男といった学者としても一流の人が少なくなり、レベルが落ちていることは明らかでしょう。
    しかし、そもそも日本のマスコミ業界は早慶上智や東大京大といった有名大学文系学部卒を中心に採用して、専門性を持つ人材が欠けているという欠陥があり、高度な諸分野の専門性で成り立つ現代社会を上手く説明する記事やニュースが作れないという点もあるかと思います。

    個人的に、専門性のない有名大学文系卒が社会のトップの大半を占めていることが、日本が落ちぶれている一因ではないかと疑っています。

    返信削除
  3. 通りすがりの者2022年2月24日 18:54

    追記:有名大学文系学部卒の悪い点は、彼らは専門性の何もないにもかかわらず、自分の地頭・ポテンシャルに過剰な自信を持つことですね。だいたい大学教育は学部は甘くて、修士課程・博士課程で厳しくボコボコにされるわけです。で、そこで自分の頭がたいしたことがないことを自覚する訳ですが、学部卒だとその通過儀礼を通らないので、大学受験での成功体験をもとに、自分の頭が良いど勘違いする訳です。はっきり言って自分の愚かさを知らず、頭が良いと思い込んでいるわけで、たちが悪いです。
    で、専門性のない彼らは、実務の経験知や人間力と称される社交性・調整能力で勝負するわけですが、そういったスキルは安定した社会では有効かもしれませんが、社会が変革するときは全く役に立たないし、むしろ経験知に固執して旧套墨守の方向に突き進むわけで、かえって害を及ぼす感があります。社会が変革することはそれまでの経験知が役に立たず、専門知が役に立つ訳です。
    従って、東大法学部を頂点とする有名文系学部卒を社会エリートとして採用してきた日本は、社会が安定していた昭和中期以降は確かに堅実に成長していましたが、バブル崩壊以降の社会が変動していく時代には有効策を取ることができず崩れていったのであり、それは専門性を軽視する帰結として当然であると思います。
    (ちなみに私は縁があって東大法学部の内情を知っておりますが、東大法学部は基本的に試験に合格すれば卒業でき、卒論もなく、また講義内容をまとめたシケプリも横行して真面目に授業に出る人も少ない有様です。これでは試験マシーンしか製造できない、こんなのが日本のトップを占めるのであれば、お先真っ暗だと絶望と感じました。)

    返信削除
    返信
    1.  日本の退廃原因はエリートの専門性の低下が大きいという主張かと思います。ただ、他の分野はまだわかりませんが私が関わるマスメディア業界に限れば、私自身は専門性は低ければ低いほど活躍する業界だとみています。
       誰だったかは忘れましたが先に亡くなられた立花隆について、短時間で各専門分野の知識を吸収し、まとめる能力が高かったのが偉大だったと評していた人がいました。その上で、あくまで部外者の立場でその専門分野を分析、評論することが記者としては大事だと書かれてあり、私自身も同じような見方を持っており、特定の分野とかに偏らないよう気を付けています。
       そんな立場の私からすると、むしろ近年の日本における学歴エリートは、自分の興味や得意のある分野にばかり関わろうとして、それまで縁もゆかりもない分野には関心を示さず、時分から開拓しようという意識がやや低いかなという風に見えます。その結果、視野もやや狭くなりがちになってきたとも考えています。
       専門性は高いに越したことはないですが、人材面で言えばどちらかというと器用貧乏なタイプのが方が私は好みです。語学系を始め、専門に偏ってきた人に苦しめられることが多かったので(´Д`)ハァ…

      削除
  4. 確かに視野の広さは大事ですが、しかし何かの専門性を持つことは大事です。というのも、その知識が正しいか否か判断するにはその分野の専門性が必須となります。専門性が無ければ誤りも含めた雑駁な知識を仕入れることとなり、社会へ正確な情報を発信することが難しくなるでしょう。
    また、部外者から見れば客観的に見れるという点も確かにあるかもしれませんが、しかし、専門性が無いゆえにその分野を誤解してしまい、しかもその誤解を客観的であると勘違いして社会に発信してしまうリスクもあると思います。
    立花隆さんの衒学的な著作に関しては初歩的な誤りがあるとの批判がありますね。
    『立花隆「嘘八百」の研究―ジャーナリズム界の田中角栄、その最終真実。』や『立花隆先生、かなりヘンですよ―「教養のない東大生」からの挑戦状』など。
    結局いかに頭が良くても、長年の訓練で身に付けた専門性が無ければ正確に物事を把握することはできないのでしょう。そして問題は、そのような誤りは一般の人間はなかなか気付かず、専門家で初めてそれら誤りであると気づく点です。従って立花氏の咀嚼力を評した人も、立花氏が扱った広範な話題に関する専門性を全ては備えていないでしょうし、それゆえに立花氏の誤りに気付くこともなく、立花氏を肯定的に評価したのでしょう。
    (しかし多少の誤解を含んでいたとしても様々な分野の知識を世間に広めたのは事実ですから、その功績も大であると思います。少なくとも今の某芸人YouTuberや某メンタリストよりはマシですね。もちろん田中角栄に関する彼の功績は素晴らしいですね。)

    で、昔ならいざ知らず、今はネットがあるので、(誤りや難癖も含まれるかもしれませんが)マスコミの記事を論破する記事なんてざらにある訳ですし、マスコミのいい加減な記事を論破する専門研究者の意見もTwitterを見れば溢れている訳です。専門性のない誤った記事はかえってマスコミの信頼を失うと思います。
    この点に関して池内恵東大教授の発言を引用します。

    「ここのところ、「新聞記者に専門性がなさすぎて、このまま報道をさせ続けていると社会を内側から破壊する要因になるのでは」という話は専門家の間では頻繁に出ていて、少しでも破壊的でない方に導こうと自分の分野で色々工夫はいるが、ポピュリズムの危険な刃物を振り回して手をつけられない状態。 」

    https://twitter.com/chutoislam/status/956517718978576384

    注目すべきは専門家の間でこの話題が「頻繁」に出ているということでしょう。

    個人的には大手マスコミならせめて修士課程は必修にしてもらいたいものです。ただし、大学で教育を受けていなくても、独学と本人の地道な努力で素晴らしいジャーナリストとなった人も大勢いる訳で、彼らを排除すべきではないとも思います。大手マスコミで雇われる人間だけを専門教育を受けた人材で固めて、その他の草莽の士とも言うべきジャーナリストは学歴を問わない実力主義で行けばバランスが良いような気がしますが…。 学歴エリートと在野の達人をどう両立して包含するべきかは難しい問題ですね。一方を重視すれば一方が排除される…。

    個人的にはジャーナリズムに関して、医学や科学技術など専門性が第一に重要になる分野と、政治や社会問題など専門性がなくても勤勉と執念で専門家より卓越した成果を上げる分野があるような気がします。つまり分野によって専門性の必要度に濃淡がある気がします。科学や医療といった、まずは知識を仕入れて記事を発信する分野は専門性がまず要求される一方、政治や社会問題などは専門家による記事だけではなく、足で稼いだ地道な記事も重要なのであって、そういう領域こそ、学歴エリートではない、執念に満ちた在野の名ジャーナリストが必要なのだと思います。立花氏も名声を上げたのはこの領域ですしね。

    でも確かに専門馬鹿は困りますね。優秀な理系研究者や医者が素朴な自己責任論を振り回して文系的教養のかけらも見えない言動をしたり。こういう専門馬鹿が増えれば別の意味で社会に危険を及ぼすでしょうね。
    昔は教養主義と左翼が盛んだった関係で、人文学を学ぶべきであり、教養を積んで人間を磨くべきだとする風潮が社会全体にあったので、それで専門馬鹿が抑えられていたんでしょうか。つまり良識を持つべきだという風潮が社会全体にあったし、良心的知識人がそれを発信していたわけです。今はもう良識なんて消えて、弱肉強食自己責任の露悪主義ですからね。

    個人的には、全員が社会の一員として政治的・社会的責任を持つわけで、人文学や社会科学の素養を持つべきですし、あるいはそういった学問以前の社会性や人間性を涵養すべきだと思いますが…。なかなか専門性と人間としての必要な知識を両立した人間って希少ですからね。まあ、理想としては博士号を取るぐらい専門性があって、しかも専門外の知識も貪欲に集めて視野を広げ、さらには人間性・社会性にも富んだ人材が望ましいでしょうが、そんなスペシャルな人材なんていませんよね(笑)

    返信削除
  5. このコメントは投稿者によって削除されました。

    返信削除
  6. 追記:現役医師によるメディアの論評記事があり、割りに冷静に書いていましたので貼っておきます。

    https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16/011000038/082200043/

    注目すべきは、新聞記事は取材力はあるものの、論文の質や評価ができないという点でしょう。論文というのは石の多い玉石混交であり、論文だといっても内容を鵜呑みにせず、論文の良し悪しを判断する必要がありますが、その判断のためには専門性が必要な訳です。つまり大学院で論文の読み方を教わり、実際に大量の論文を読んで自分でも論文を執筆しないと論文の質の判断はできない訳です。で、論文を判断する能力を欠いたまま論文を読めば質の悪い情報ばかり掴まされるわけです。ここに、専門性のない記者の限界が現れていると言えるでしょう。
    ちなみに医学論文の読み方にはEBMに基づく手順があります。コロナ前では医療関係者以外ではほとんど知られていなかった方法論です。これに基づいて論文を読むマスコミ関係者は果たしてどれくらいいるでしょうか。

    参考サイト①
    https://dmic.ncgm.go.jp/medical/070/010/souron.html

    参考サイト②
    https://jscsf.org/therapeutic-material

    ちなみに、このエビデンスピラミッドを知るだけで怪しい専門家の主張する代替治療を選択せずに済むわけであり、全国民が知るべき情報ではないかと思います。
    標準治療というのはメタ・アナリシスやランダム化比較実験といった最良のエビデンスに基づくものであり、その成立のために世界中で多くの天才・秀才が巨額の実験費用を使って大量の実験を行っている訳です。で、マスコミはよく専門家の意見を取り上げますが、専門家の意見は医学的根拠としては最も信頼できないたぐいです。また動物実験に基づく記事やニュースも時折見ますが、それらは医学的根拠ですらありません。

    返信削除

コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

注:ブラウザが「Safari」ですとコメントを投稿してもエラーが起こり反映されない例が報告されています。コメントを残される際はなるべく別のブラウザを使うなどご注意ください。