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2022年2月23日水曜日

中国人の「最近の若い者は……」

 先日に友人と食事した際、「ところでそっちの会社の若手社員はどう?」と尋ねる機会がありました。その質問の答えが見出しに掲げた通り、「ダメ、能力が低い。これだから最近の若い者は」でした。

 日本ではとっくに該当する時期は過ぎたもののまだ「ゆとり世代」という言葉が出来そこないな若者を揶揄する言葉として使われていますが、中国でも「80後(1980年代生まれ)」「「90後(1990年代生まれ)」という言葉が長らく使われ、最近は「00後(2000年代生まれ)」という言葉も段々普及してきました。
 ちなみに同じような話題で同僚と話してて「やはり90後は世間の評価が低いよね」と女性の同僚に話し振ったら、「あたしだってギリギリ(1990年生まれ)90後なんだけど(#^ω^)」と凄まれました。10年間でひとくくりに世代にするとこういう問題が起こりうる……。

 話を戻すと何故若手社員の質について私が聞いたのかというと、私自身が最近入社してくる社員(中国人)の質が明らかに落ちてきていると感じているからです。上がってくる報告書は誤字を含め間違いだらけな上、仕事の段取りが悪くスケジュールがおかしくなったり、上司に確認してもらったと嘘を言ったりと、ほんの数年前と比べても明らかに業務が回される自分の立場からしておかしな仕事の回され方をされることが増えているからです。こうした状況はうちだけなのか、それとも他の会社でもそうなのかという点が気になり、冒頭のような質問をしたわけです。

 こうした単純な業務処理能力だけでなく、メンタル面でもやはり往年の世代と比べると劣るとよく聞きます。中国人女性の友人なんか、「あいつらちょっと叱ったらすぐ泣きだしやがる( ゚д゚)、ペッ」とよく洩らします。
 ちなみにこの手の「若手は使えない」と主張する人は、中国人だと明らかに女性のが多いです。ぶっちゃけ仕事に対する厳しさで言えば、中国だと男性より女性の方が厳しい姿勢で臨む人が多い気がします。

 脱線しまくっていますが上記の通り、中国でも「これだから最近の若者は」現象が日本と同様に起きています。もっとも自分たちの世代も上の世代からは同じように言われていただろうし、古代ローマ時代の文書にも「これだから最近の若者は」って記述があったとのことなので、どの時代でも関係なく起きる現象なのかもしれませんが。

 たださっき語ったように、明らかにこの数年で下から上がってくる報告書の質が明確に落ちてきています。こうした報告書の執筆作業は現場に入りたての若手がやる仕事であり、また毎年定期的に作られる報告書なため、比較条件で言えば環境方面は共通しているだけに、その差はやはり能力差であると思っています。仮に私の見立て通りに実際に今の中国の若者がほんの数年前と比べても能力が落ちているとしたら、その原因は何なのかって話になってきます。

 冒頭の友人との会話でもまさにこういう話題となり互いに原因をいくつか挙げていったのですが、その中の一つに「一人っ子政策によって兄弟がなく、社会性で劣るからかな?」という意見を私が上げました。そしたら友人は即座に「それはない」と言ってこの意見を否定し、「だって俺たちも一人っ子政策時代でみんな一人っ子だもん(´・ω・`)」と言われました。
 若干偏見が入っていますが、日本国内にいた頃は相手が一人っ子だと「こいつわがままやろな(´・ω・)」と内心考え、兄弟が多い奴だと「こいつは安心できる(´・ω・)」などとはっきり考えていました。実際にこの法則は当てはまることが多く、兄弟が多い人だと人当たりも柔らかくて人間関係も安定することが多かったです。

 その点、中国は長らく一人っ子政策をやってきたこともあって、私だけでなく多くの人が「わがままな奴が多い」といい、中国人自身も上の世代からはまさにそういわれてきました。そうしたわがままな一人っ子がさらに甘やかされて育てられて能力も落ちているのかなどと考えたのですが、友人の言う通り一人っ子政策は今の中堅世代も当てはまるだけに、近年の若者の能力低下理由にはならないでしょう。

 では何が最近の中国の若者の能力を落としているのか。考えられる理由はまだあり、一つは単純に物質的な豊かさが得られ、ハングリー精神が落ちてきていることが挙げられます。これは中国人たちも指摘しており、特に起業意識を持つ若者は一時期と比べると劇的に少なくなっています。

 もう一つの仮説理由として、密かに大学進学率の上昇があるのではと見ています。
 中国も2000年頃と比べると大学進学率は現在跳ね上がっており、前は本当にごく一部のエリートだけが進学したのに対し、今は頑張ればある程度誰でも進学できるようになりつつあります。しかしそうやって同じ大学を同じ専攻で卒業したとしても、以前と比べると能力が落ちてきていることとなります。

 この大学進学率の仮説は日本での状況も意識して出てきた案です。日本も大学生の数や進学率が高まるにつれて若者は能力を失っていったと言われるようになったと思え、大卒者の選別割合が単純に大きく影響しているのではないかと睨んだからです。また学生の数が増えるにつれて教員の指導対応人数割合も拡大し、一人当たりにかける時間の希薄化もあるかもしれません。
 まぁ大学教員もある程度は増えていますが。増えた分だけ、教員の質も希薄化されているかもしれませんが。

 つまるところ何が言いたいのかというと、大学進学率を高めることはかえって、大卒資格者全体の能力を下げることになる可能性もあるのではということです。こういった主張は私以外も言っている人がおり、大学進学率は一定程度まで到達すると、それ以降は社会全体の効率向上にあまりつながらなくなるという主張だった気がします。
 この辺はもう少し煮詰めるともっといろいろ出てきて面白くなるかもという気もしますが、現在進行形で日中で同時に起きている「最近の若者は」現象は、大卒者の人数が拡大されたことによる影響ではないかと今睨んでいます。

 もう一つ付け加えると、中国の大学試験の難易度自体は年々上がっており、去年に学習塾営業停止令が出ましたが、受験競争も激しくなっています。日本でもセンター試験などはどんどん難しくなっており、こと大学入学時点の学力で言えば日本も中国も現代の方が過去より上でしょう。
 それにもかかわらず社会における能力が低下しているとしたら、やはり教育体制そのものをもっと組み立てなおす必要があるでしょう。そういう意味ではこの日中での若者の同時比較は意外と価値を持つのではないかと思うわけです。

5 件のコメント:

  1. 通りすがりのもの2022年2月24日 19:14

    日本でも「今どきの若い者は…」的な話はありますが、中国も日本も昔の方が労働環境に余裕があり、要求水準が低かったかと思いますので、若者でも満足する仕事ができたかと思います。しかし現代は労働環境に余裕がなく、要求水準も上がりましたので、昔なら適応できた若者も今では適応できなくなっているのではないでしょうか。で、人間は昔の記憶は曖昧になる訳ですから、自分の若いころの労働環境を棚に上げて、若者を叱責してしまうのかと思います。
    あと、会社に余裕がなくなれば、若者を育成することもできなくなります。もし現代の若者が本当に仕事ができなくなっているのであれば、若者本人の能力の問題というより、日本で言うOJTといった若者育成の仕組みが崩壊している方が原因であるかと思います。
    あと、日本の場合は少子化が進んで若者の選り好みができなくなったことも一因かもしれません(少子化が進む中国もいずれ通るでしょう)。しかし、それも団塊ジュニア世代を見捨てて少子化を促進してしまった政財界の責任であり、経済界の自己責任であると言えるかもしれません。

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    1.  企業側の人材に対する要求水準が上がっていることは間違いないですね。昔のサラリーマン漫画とか読んでいると、あんな適当な仕事で許されるんだなという感覚が多くてやばいです。
       もっとも社会のそうした要求に対し、こちらもおっしゃる通りに教育が追い付いておらず、その辺でミスマッチが生まれているのだと自分も思います。OJTに関しては、恐らく自分は中国にいることも影響していると思いますが、あまりそこまで重要視しておらず、それ以前の大学までの教育で日本は問題がある気がします。

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    2. 花園様

      返信していただきありがとうございました。

      釣りバカ日誌とか今見るとヤバイですよね。まあ浜ちゃんはああ見えて人脈で大型案件をゲットしたりと以外と有能なようですが、あのような物語が30年前に受け入れられていたということは忘れかけていた昔の社会を思い出すきっかけになりますね。

      日本の場合、もともと日本の大学は工学部や医学部などを除けば、職業スキル獲得のためのものではないし、企業も余裕があるころは、大学に対して何も期待しておらず、むしろOJTの邪魔にならないよう、下手に学問を収めていない白紙の無垢な学生を求めていたふしがあります。
      当時は反企業的な左翼運動が盛んだったこともあるでしょう。
      このような歴史的背景がありますから、日本では、専門性を身に付けられない文系学部が異常に多いのだと思います。

      しかし景気悪化で企業も人材育成の余裕がなくなり、大学に人材育成を要求するようになったようです。
      (まあ学生に教えるのは研究者ですが、研究者に企業で役に立つ人材育成なんて無理でしょうし、それなら共通試験で地方国立大学非医学科レベルの高得点を取った人材を18歳から雇ってしまった方が合理的な気がします。本当に文系学部の存在意義は研究者養成か趣味を極めるぐらいと思います。その学問に関心のない多くの学生が大卒の肩書きを得るために文系学部に入学するのは社会的無駄ですし、教授らも学問的関心のない学生を教えるために研究時間が減らされるわけで、誰も得をしていないと思います。)

      あと、最近は有名になった言葉ですが、日本はメンバーシップ型雇用で様々な部署をローテーションしてゼネラリストを育成する会社がほとんどであり、一方で大学とは専門性を学ぶ場所であるから、企業と大学で学ぶこととでは決定的に相性が悪いです。
      大学で教わる、将来ゼネラリストとして訳に立つ学問って思いつかないですよね。

      そういう歴史的社会的背景がありますので、大学の教育が企業で役に立たないのは当然のことです。

      ちなみにOJTは日本に特徴的な人材育成方法です。中国はヨーロッパみたいに、大学で工学・医学など専門性を身に付けて就職するか、あるいはインターンシップを入口に雇用されてスキルを磨いて、転職を繰り返して賃金を上げていく感じですか。

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  2. 最近は少子化で大学生の絶対数が減ってきているものの、偏差値上位の大学の志望者は減っていないそうで、昔なら大学に行かないような層が大学に行っていたことがマイナスだったんじゃないかという気がしなくもありません。

    最近は学校教育の現場意識もだいぶ変わってきていて、自分で考えさせる教育をちゃんと受けてきている学生もおり、共働きで母親の社会への意識が高く保育園で社会性を身に着けている子も多いので、そんなに未来は暗くないと思ってるのですが、だからそ旧態依然のエリート教育だけを受けて育った富裕層がヤバいなとも思い始めてます。

    日本で仕事をしていて思うのは、昔は上からの指示を下が実行して、生じた問題も全部下で解決していたのですが、様々な理由でそれが困難な場合が増えた時代に、状況を上に報告し効果的な対策を打つ手段が皆無ということです。
    上に立つ人間が下にちゃんと注意を向けているかに全てを依存している状態なので、もう少しシステム的な解決が必要だなと思ってます。

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    1.  日本の上司と部下の関係は自分から見ていてもかなり歪ですね。実質的に重大な意思決定を含む作業までも部下に任されているにもかかわらず、権限は上司に残されており、権限と責任がきちんと一致していない状況が多いです。おっしゃる通りに上司がきちんとしていないと、現場が暴走したり、問題発生時に対応しきれなくなったりしやすいと思います。
       最近は大学生くらいの子と話すことが減っているのですが、もしおっしゃる通り上の世代からいい方向に変わりつつあるのであれば、明るい兆しと言えそうですね。前にもブログ記事として書きましたが、可能ならばこれからの世代はカチンと来たらすぐ手が出るような行動力を持つようになってほしいです。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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