そんな小田原城の解説の中であの三角形を三つ重ねた北条家の家紋について、あの形は「三つ鱗(みつうろこ)」と呼称するという説明がありました。これで何が納得いったかって、いろいろ事業やってていまいち本業がなんだかわからないけど、一応エネルギー事業が本業であろうミツウロコという会社が、何故ミツウロコと呼ぶのかが非常に得心しました。子供のころからよくここのガスボンベを目にしてたけど、北条家と同じ三つ鱗の家紋を会社商標にしているあたり、これがその名用の由来で間違いないでしょう。
このほか北条家、というより小田原城について知らなかった事実として、よく小田原城は街ごと堀で囲んだ日本にしては珍しく非常に大規模な城郭であった背景がありました。私はてっきり小田原城は初めからそのような総囲い(総構え)だと思っており、だからこそ上杉謙信に攻め込まれても持ちこたえられたんだろうとも思っていたのですが、実はこれは間違いでした。
小田原城が総構えとなったのは実は秀吉の小田原攻めの直前だったそうです。それまでは確かに敷地の広い城だったけど総構えっていうほどではなく、秀吉が来るってんで防御機能を高めるためあのように総構えになったそうです。
そんな小田原城を見て学んだあと、そのまま親父と伊豆方面へとドライブに行ったのですが、改めて思ったこととして伊豆半島はやはり交通事情が悪いということでした。熱海までなら割と行きやすいですがそこから伊東に行くならハトヤ、じゃなくて伊東まで行こうとなると海岸沿いの道だと有料道路となって距離の割に結構お金がかかり、海沿いの切り立った崖の道を延々と走ることとなります。
この崖沿いの道だけでなく、山間部を縫うようにして源頼家も暗殺された修善寺を経由するルートもあるのですがこちらも道が険しく、周りは覆うような山ばかり。なお山の中でもおわん型した大室山は遠目にもわかり一見の価値があります。親父が高所恐怖症のため、上までリフトで上らなかったけど。
このような伊豆半島を巡ってみて思ったこととして、現在地震の影響で交通が寸断されている能登半島と同じく、半島の交通の険しさというもの改めて感じました。元々、半島というのは地盤が隆起または沈降してできることから、必然的に海側は切り立った崖ばかりとなり、陸地は大小の山々で平地が寸断される形状となりやすいです。能登半島は訪れたことがないのですが、報道や今回の伊豆半島周遊を巡ってみて考えると、その交通手段というか移動路はかなり限定されていたのではないかと思えます。
それだけに、道が限られていることから源頼家が修善寺に押し込められたのもよく理解できました。道がないので出ようとしても関所に阻まれるし、逃げようとしても山に阻まれるので幽閉にはうってつけだと思います。かのように半島というのは道路において制限が多いと痛感するとともに、北条氏が韮山から小田原へ本拠を移したというのもよく理解できました。
青森県の大間町(マグロで有名)も下北半島の最北端にあり、国道が寸断されると
返信削除陸路では孤立します。 事実数年前には 隣町の国道が数日間普通になりました。
もっとも大間町は函館市との間にフェリーが運航しています。陸路で行き来するには
長時間かかる青森市よりも、フェリーで函館市に行く町民の方が多いです。
なお、その下北半島の西側の地域は人口の少ない地域ですが、防衛省の施設や東北電力
東通原発があるためか、片側一車線であるものの道路は整備されていました。なお
東北電力の東通原発の隣には 東京電力の原発予定地もありますが、こちらは工事着工後
すぐに例の地震があったため、稼働は当分先になりそうです。
今回の地震で感じた点として、半島は状況によっては離島よりも孤立しやすいということです。離島であれば接岸できる海岸さえあればですが、半島だと意外とそういう海岸が少ないし、また内陸は山で寸断されてて、やっぱ対応が難しい気がします。今後この方面どう防災を考えるのか、学界に期待したいところです。
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