鈴木修の好決断を挙げれば切りがないですが、まず第一にあげられるのは現在も納車2年待ちはざらと言われるジムニーの買取でしょう。知ってる人には早いですがジムニーの設計ははスズキではなくホープ自動車で、この会社が自動車事業を撤退する際にジムニーの権利売却を図ったところ、車内全員が大反対する中で鈴木修が「婿養子の分際で」などと言われながら買取を決断したと言われます。それが半世紀近くも世界中で売れ続けるベストセラー車となりスズキの顔となるのだからまたすごいものです。
また会社経営においてはやはりVWとの提携解消でしょう。対等な提携という約束だったのにスズキに対する支配を強めようとし、挙句には自慢のクリーンディーゼルエンジン技術も一切共有しようとしない態度を見て、会社規模では大きく劣るにもかかわらず提携解消を申し出たところ、VWのディーゼル不正が明るみとなり、提携解消手続きが遅れれば巻き添えで株価下落に遭うところでした。
多くの人が指摘している通り、鈴木修はVWにディーゼルエンジン技術はないと見抜いてこの提携解消に動いたとされています。その眼力もさることながらこれだけ自動車技術に精通した経営者はこれまでいなかったともいわれます。
そんな鈴木修の一般的ではないエピソードとして過去にこのブログでも書きましたが、静岡県内の自動車サプライヤーに勤める知り合いがある年の年初の挨拶にスズキへ伺い、その時に初めて鈴木修とあったそうです。その翌年も機会があったところから訪問したところ、顔を合わすなり知り合いの名前をいい当てたそうで、たった一回の顔合わせで相手の顔と名前を完璧に覚える人物だったそうです。
実際この知り合いも、今まで見てきた経営者の中で図抜けた存在だったと恐懼していました。
そんなカリスマが亡くなったことでこれからのスズキはどうなるのか、と言いたいところですが、恐らく今後もスズキが大きく揺らぐことはないでしょう。というのも事業継承はすでに果たされており、またこれからの時代にスズキが一人でやっていくことは難しいと考えていたのか、すでにトヨタとの提携を深めその経営においてトヨタの支えをしっかり備えさせています。
トヨタ側も元から創業家同士で仲が良かったこともあり、スズキに対する信頼は人一倍強いように見え、急に身代が傾くことはまずもってないでしょう。
最後に上の記事において
「また、アルトの名前の由来は、イタリア語の『秀でた』という意味だった。これを鈴木氏は発表会見で『あるときはレジャーに、あるときは通勤に、またあるときは買い物に使える、〝あると〟便利なくるま』とアドリブで説明。一連の鈴木氏のひらめきがアルトのヒットにつながったとみる向きもある。」
という話が載せられていますがこれを見て、初代スイフトのテレビCMのキャッチコピーの「泣く子も黙る79万円」は、もしかしてこの人が考えたんじゃないのかという疑いがもたげてきました。だとしたら相当な親父ギャグ使いだったことになるな(;´・ω・)
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