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2008年3月7日金曜日

刑事裁判について

 本当は昨日くらいに書くべきだったのでしょうが、敢えてタイムラグを置いて忘れた頃に記憶を引っ張り出させる手法で今日の記事です。その内容は、おとといあたりに出た、兄の放火殺害容疑でつかまった女性が無罪になったというニュースです。

 すでにこのブログ内で何度も書いていますが、目下の現在、日本国において最も改革を必要としている分野は裁判制度だと思います。今回の事件といい去年に判決が出た鹿児島県志布志市、富山県の冤罪事件といい、日本の刑事裁判制度及び、警察の捜査手法は以前より問題があると指摘されています。かつての明治時代、日本では裁判制度や刑罰制度が遅れているという理由で、欧米各国は自国の犯罪者に対して治外法権を認めさせていますが、今なら連中がそんなことやったのを理解できそうなくらいに、このところ一連の事件はあきれさせるような捜査、裁判ばかりです。

 折り良くも先週の土曜日には痴漢冤罪を題に取った「それでもぼくはやってない」がテレビにて放映され、この映画自体は公開していた時に見ていたのですが、改めて日本の裁判制度の欠陥を思い知らされた作品でした。
 そもそも、日本の刑事裁判は有罪ありきですべて進められるといいます。実際にこっちも何度も出てくる佐藤優氏は日本の司法制度を、「かつての旧ソ連ですらなしえなかった、有罪率九割以上という非常に優秀な結果を日本の刑事裁判は叩き出している」と皮肉っており(うまい皮肉だよなぁ)、もし裁判官が判決を無罪にしようとするものなら、有罪とするのに比べてその理由やら経過など資料を膨大に量で別に作らなければいけないらしく、無罪そのものがまず裁判において例外的ともいうべき扱いをしているそうです。その結果、映画のように明らかに警察側の証言に矛盾があったとしても、裁判官は有罪を押し通しやすいとも言います。

 そして今回の事件で問題になった代用監獄、これの説明はどこか別のウィキペディアなり何なりで見てもらいたいですが、私が中学生くらいの頃からこの代用監獄は問題があると指摘されていたにもかかわらず、未だにあったのか、そしてまだこんな使い方をしているのかと私自身、ほとほと呆れました。何でも聞くところによると、国際人権団体アムネスティインターナショナルもこの代用監獄を非人道的だとして何度も非難しているにもかかわらず、日本の司法及び政府は聞く耳を持たなかったそうです。これはどっかからの受け売りですが、中国やらオーストラリアに対しては国際世論に耳を傾けろといいながら、日本政府自体も国際的非難に対して一切耳を貸さない、いい内弁慶だと批判されていましたが、非常に的確な批判でしょう。

 それにしても、これほど杜撰な司法制度をみていると、かつて水と安全はタダの国と言われただけあって、80年代くらいには検挙率も九割にまで達していましたが、この数字にも疑問を覚えます。言ってしまえば、事件が起こるたびに目下のところの犯人をでっち上げて、無理やり検挙したという風に扱っていたのではないかと思います。それと同様に、まだまだ表に出ていない冤罪もたくさんあるのではないかとも思います。

 最後に私の勝手な予想を書いておきますが、鹿児島の志布志市の事件、あれは検察、もしくは警察が報奨金目当てで起こした冤罪事件だと考えています。前回に紹介した田中森一氏の「反転」という本に書かれていましたが、年度末になるとホシを挙げた、つまり検挙した数によって報奨金が検事などにでるそうで、田中氏が四国に検事として赴任していた際、選挙が起こるたびに適当な人間を選挙違反で挙げていたそうです。四国などでは露骨に選挙違反ともいうべき金のばら撒きが日常的に行われており、これで一気に検挙数を増やせるので選挙のたびに狙ってやっていたというのですが、恐らくこういう理由で鹿児島の冤罪事件が起こったのではないかと思います。

 すでに日弁連などから政府に対して、こうした捜査に関わる警察や検事、裁判官を逆に訴える訴訟法が提案されましたが、返事はなしのつぶてのようです。私自身、こうした冤罪を引き起こした人間ら、社会保険庁の役人も同じですが、彼らが一切罰されないということがなによりまず不公平だと思います。
 自分で言って間違っているとは思いますが、このようなあからさまな捜査ミスを起こした人間らは路上で刺されて殺されても、私は一切同情しません。それどころか、そうなることを願うばかりです。

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