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2012年10月1日月曜日

個人における主観と客観の割合

 このところ長期連休中で家に籠っていることもあり思想がやけに発達してます。苦労しながら得られる哲学もありますが、やっぱりある程度時間に余裕がないとこういうものは考えられないと再自覚されるのですが、私なんか意識してたけど昨今の大学生は意識してるのかな。これも先日に友人と話しましたが、余裕のある大学生の時代に思想を広げられないのであれば恐らくその後一生広げられないのではと本気で思います。

 そろそろ話を本題に入りますが、友人から度々、しかもかなり激しく注意されるくせに未だに私は相手を値踏みする癖をやめることが出来ません。他人をどう評価するかですが、勝手な想像ですが恐らくほかの人はある一面、仕事ができるか知識が多いか性格がいいかお金を持っているかなど焦点を絞って分析しているように見えますが、自分の場合は異常と言っていいくらいの数量の分野を項目ごとに比較して総合的に判断するように心掛けています。そんな比較指標の一つとして、今回取り上げる「主観と客観の割合」は重要指標として重く評価する材料となっております。

 主観と客観の割合と言われてピンとくる人はまずいないかと思いますし、こんな指標でもって他人を判断するのはまず以って私くらいでしょう。これの意味するところは一言で言い表すならば、「自分の意見と他人の意見で、どっちをどれだけ優先するか」です。これは普段は百分率で比較しているのですが、たとえばほかの人の意見を全く聞かず自分の考える通りがすべて真実だと考えている人は主観100%で、逆にまったっく意見を持たずに周囲の意見に完全に流される人は客観100%です。
 具体的にどこに中間点(主観50%、客観50%)を置くかは厳密には難しいですが、比較さえできればいいので私は平均的な日本人の態度を50%:50%に置いて比較をしております。国際的に比較するなら日本人はやはり自己主張を控えるところがあるので、中国人やアメリカ人は主観の方が60%や70%に達し、逆に客観は40%や30%へと落ちていきます。また宗教をやってている人間も一部の価値観を信仰内容に合わせるため主観より客観が多くなると考えており、このほか軍隊にいる人間もその集団性から主観が低下します。

 この段階で何かピンと来た人は恐らく私と同じ社会学出身だと思いますが、この考え方のベースには社会学者エミール・デュルケイムの「自殺論」に依っています。この自殺論では主観をどちらかというと「自我」という言葉で表現しておりますが、この自我の割合が極端に高い人ほど自殺する傾向が上がり、また逆に自我が極端に低い人も同じように自殺する傾向が高いと統計で証明しております。現実に日本の自衛隊を含む軍人の自殺率は一般の自殺率と比べ世界各国で高い傾向があります。宗教に関して言えばカトリックより主観が強いプロテスタントの方が自殺率が高く、カトリックの人くらいのバランスが対自殺という面では主観と客観の割合が一番いいのかもしれません。
 念のため付け加えておくと、イスラム教の場合は生活苦などの自殺は少ない一方で殉教とか自爆テロが多いので、やはり客観が強すぎるきらいがあると私は考えております。

 話を元に戻しますが、こうして主観と客観の割合という面で他人を比較分析すると意外と楽しいものがあります。どんな人の意見も聞く人もいれば年下の意見は内容はどうあれ聞かない人もいたり、ちょっと前まで散々持てはやしたくせに流行が廃れるや見向きもしなくなる人など、やっぱり人それぞれに個性があって千差万別です。
 上の自殺率の話で書いたように、一概に主観が強ければ強いほどいいというわけではなく、やっぱりこれはバランスだと思います。隣人にするなら言うべきことは言って、他人の意見にもきちんと耳を傾けられるバランス感のある人間がやはり望ましいでしょう。ただ一つの集団の中で考えると主観と客観、どちらかに偏った人間が求められることになります。

 その代表格はまさに上に挙げた軍隊における一兵卒です。末端の兵士は上から下りてきた命令内容に疑問やためらいを持って行動が遅れたりすれば部隊全体に影響することがあり、可能な限り主観が低いに越したことはありません。逆に司令官は周りにほだかされて自分の決断をコロコロ変えたりすればまず負けるため、強烈な主観が求められることになります。
 一般企業においてもこれは同様です。末端はなるべく主観を持たないで仕事し、管理職や役員はある程度固定した思想が求められます。ただ最近は世の中の仕組みが変わってきていることもあり、以前より末端社員が主観を持つというか自分で判断して処理しなければ仕事がうまく回りづらくなってきていると私は考えています。もっともそれは上層社員も同じことですが。

 ただここで一つ疑問が出てきます。管理職や役員は強い主観を持つべきとはいっても、間違った経営判断を頑固に維持することは経営上問題なのではないかということです。となるとやっぱりバランスのいい人が望ましいのか、これに対する私の答えは否で、もう一つ概念を加えて考えればすっとおさまるような気がします。なんか今日はもったいぶった言い方が多いですがその概念というのも、「論理的思考ができるかどうか」です。
 私は最初に「自分の意見と他人の意見で、どっちをどれだけ優先するか」が主観と客観の割合を決めると書きましたが、これは必ずしも「他人の意見を採用するかどうか」には関わりません。何故ならば自分と他人の意見が最初異なっていたとしても、冷静に損得を考えて他人の意見が有利と判断してそちらを採用するというのも、主観の判断だと取れるからです(少なくとも私には)。仮に自分の意見が有利だと思いつつも周りを気にして他人の意見を採用するのであれば主観が低いと言わざるを得ませんが、比較判断した上でより有利な意見として他人の意見を取ることはまさしく自己の判断と言えるでしょう。

 この比較判断が出来るということこそが論理的思考ができるかどうかです。論理的思考ができないというのはこの場合、自分の意見と他人の意見のどっちが有利かを全く考えず自分の意見を自分が考えたのだからという理由で採用することになり、いわゆる問題のあるワンマン経営者が出来上がるというわけです。説明するのが面倒なのでサラリと流してしまいますが、この論理的判断は主観があって初めてできる行為であって、客観の方が強い人間は不可能です。そういう意味で経営者などには、論理的思考ができることを前提でやはり主観が強い人の方が向いていると私は考えます。逆に論理的思考が出来ないのであれば早めに放逐した方がいいでしょう。

 最後に私の自己分析ですが、主観と客観の割合は90:10くらいかなと考えてます。基本的に自分が間違っていると思うことに対して一切合切拒否しますし、自分が納得しない限りは人の意見を完全に無視しているからこの計算となるわけですが、ただ一人の友人が話す意見に対しては内心で「それ違うんじゃないかな」と思いつつも、その友人が言うのだからと無条件で従います。ほか3人の友人に対しては意見が対立した際、自分の意見を一旦は必ず保留にして再検討するごく限られた謙虚さを持つので、客観を10と計算した次第です。こんな性格な分、普段接する上でも主観の強い人間の方が好みというところがあります。

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