本日最後の五本目。一気に記事を連投したためか右腕に軽くしびれるような痛みが走っています。こういう感覚も久しぶりだなぁ。
当初は「確かあと4本で300本だったはず」と思っていたら実際には5本足らなかったので、ネタは四つくらい抱えてたけど最後の子の五本目は何書こうかちょっとタイプする手が止まりました。逆に言えば先の四本はマジでノンストップで一気に書き上げたんだけど。最後はどうでもいい記事がいいなと言う風に考えたらサンドラ・ブロックが思い浮かんできたので、最終的にこの人について書くことにします。
・サンドラ・ブロック(Wikipedia)
日本でサンドラ・ブロックというと、1994年にヒットした「スピード」という映画のヒロイン役をやった女優というのが一番多い印象ではないかと思います。一発屋で終わるハリウッド俳優が多い中でこの人は実際にはその後もコンスタントに活躍を続けているのですが、生憎というかスピード以降の彼女の出演作はそんなに日本では大ヒットするものが多くなく、なんか古いイメージのまま現代に続いてきてしまっているような感があります。ちなみに自分は2009年の「幸せの隠れ場所」がこの人の出演作だと好きな方ですが、この映画はちょっと邦画タイトルで損しているなという気がします。
この人の魅力を述べるならば、割と姉御肌、というより兄貴肌で日本で言えば杉本彩氏みたいなキャラクターを演じるのが上手い点にあると思います。スピードでもそうですが女性でありながら妙に頼りがいがあってリーダシップ満々で物事進める、でもって美人ってのがいいのだと思え、本国でもそういうキャラなのか何故か「GIRL NEXT DOOR」、邦訳するなら「隣のお姉さんにしたい人で賞」というものも受賞しています。それにしてもアメリカ人もマニアックな賞を作るもんだ。
話は戻りますがサンドラ・ブロック自体はスピード以降もキャリアを上重ね、主要な映画賞を物にするなど役者としては大成したといえる人です。ただいくつかの受賞歴でちょっと変というか妙な記録も作っており、知ってる人には有名ですが2009年にさっき挙げた「幸せの隠れ場所」でアカデミー主演女優賞を受賞しているのですが、同年に公開された「ウルトラI LOVE YOU!」といういかにもB級臭いタイトルの映画でラズベリー賞の最低主演女優賞も獲得しており、なんと同じ年に最高と最低の女優賞をダブル受賞するという史上初の恐ろしい快挙を成し遂げちゃっています。
しかもラズベリー賞の授賞式に普通はみんな嫌がって来ないのにこの人は何故かわざわざ来て、「てめぇらどうせこの映画見てねぇだろ!(#゚Д゚)ゴルァ!!」と言って、わざわざリヤカー引いて持ってきた映画のDVDを会場で配ったりするなど、明らかにサービス精神が満点な人のようです。
このラズベリー賞のエピソードといい、映画で演じるキャラ同様に割と男性的でカジュアルな性格した人なんじゃないかと勝手に想像しているのですが、実は日本とも少し縁があるというか、東日本大震災の折には真っ先に100万ドルを寄付してくれています。もちろん彼女だけでなく多数のハリウッド俳優らが当時日本へ支援してくれていますが、やっぱり折に触れて思い出さなければならない恩じゃないかと個人的に思うわけです。なもんだから、彼女の出演作を見る度にこの記事ネタをちょこっと思い出してもらえればなと思い、たまにはこんな記事も書いてみました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
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2015年12月31日木曜日
自分の忠の矛先
本日四本目。
先日書いた愛国心についての記事で私は「忠」という言葉を用いましたが、これは現代的に言い換えるなら「信念」とした方が案外適当だと思います。通常は主従関係に用いる忠ですが、「他の何よりも優先する対象への意識の深さ」という風に解釈するなら、何も主人に限って使うものではないと思えるからです。
先の記事では「メタルギアソリッド3」で使われた、「国に忠を尽くすか、任務に忠を尽くすか」というセリフを引用しておりますが、国家への忠は紛れもない愛国心でしょう。では任務への忠は何になるか、どちらかと言えばプライドに近いものになるかもしれません。
ここでそんな私の忠の矛先をを明かすと、それは間違いなく自分自身の能力と才能です。ちょうど先月にも後輩にこの意味を説明しましたが、私が生きる上で何よりも優先するのは自分の能力を最大限に発揮できる場所に自らを置くこと、そして最大限に才能を引き延ばす、自らの感覚を可能な限り広げるということを子供の頃からかなり強く意識して生きてきました。何故こんなみょうちきりんな概念を持ったのかというとナポレオンに強く影響を受け、彼が幼年学校時代に述べたとされる、「人間の最大の幸せとは、自分の能力を最大限に発揮することです」というセリフをみてまさに自分が捜していた概念はこれだと中学生くらいの頃に思いました。
このような考えだから一般人と常識が異なるのは当たり前で、自分の力が発揮できないとわかればその場を去るし、逆に自分の感覚を広げられると感じられるものには割と率先して学ぼうとしにいきます。その行く末には何があるのか、そんなの他の人間に言われる筋合いはないと言いたいところですが無難な言い方をすると論語における、「朝に道知れば夕に死すとも可なり」といったところです。
では普通の日本人の忠の矛先はどこなのか。家族か、会社か、生活か、お金か、日常か、世間体か。私の見方だというまでもなく最後の世間体である人が大半であるように思え、如何に集団の中で目立たず浮かず脱落せずに生きていけるか、世間で言われるモデルケースのような人生をなぞることこそが最大にして唯一の生きていく上での信条なのではないかと、皮肉っぽい言い方ですがそう思います。別にこれが悪いというつもりは全くないですが、そうじゃないというのなら何を信じて生きてるのか聞いてみたいです。それこそ名誉やお金、家族を犠牲にしてでもこれだけは欲しい、信じてたいっていう信条をです。
先日書いた愛国心についての記事で私は「忠」という言葉を用いましたが、これは現代的に言い換えるなら「信念」とした方が案外適当だと思います。通常は主従関係に用いる忠ですが、「他の何よりも優先する対象への意識の深さ」という風に解釈するなら、何も主人に限って使うものではないと思えるからです。
先の記事では「メタルギアソリッド3」で使われた、「国に忠を尽くすか、任務に忠を尽くすか」というセリフを引用しておりますが、国家への忠は紛れもない愛国心でしょう。では任務への忠は何になるか、どちらかと言えばプライドに近いものになるかもしれません。
ここでそんな私の忠の矛先をを明かすと、それは間違いなく自分自身の能力と才能です。ちょうど先月にも後輩にこの意味を説明しましたが、私が生きる上で何よりも優先するのは自分の能力を最大限に発揮できる場所に自らを置くこと、そして最大限に才能を引き延ばす、自らの感覚を可能な限り広げるということを子供の頃からかなり強く意識して生きてきました。何故こんなみょうちきりんな概念を持ったのかというとナポレオンに強く影響を受け、彼が幼年学校時代に述べたとされる、「人間の最大の幸せとは、自分の能力を最大限に発揮することです」というセリフをみてまさに自分が捜していた概念はこれだと中学生くらいの頃に思いました。
このような考えだから一般人と常識が異なるのは当たり前で、自分の力が発揮できないとわかればその場を去るし、逆に自分の感覚を広げられると感じられるものには割と率先して学ぼうとしにいきます。その行く末には何があるのか、そんなの他の人間に言われる筋合いはないと言いたいところですが無難な言い方をすると論語における、「朝に道知れば夕に死すとも可なり」といったところです。
では普通の日本人の忠の矛先はどこなのか。家族か、会社か、生活か、お金か、日常か、世間体か。私の見方だというまでもなく最後の世間体である人が大半であるように思え、如何に集団の中で目立たず浮かず脱落せずに生きていけるか、世間で言われるモデルケースのような人生をなぞることこそが最大にして唯一の生きていく上での信条なのではないかと、皮肉っぽい言い方ですがそう思います。別にこれが悪いというつもりは全くないですが、そうじゃないというのなら何を信じて生きてるのか聞いてみたいです。それこそ名誉やお金、家族を犠牲にしてでもこれだけは欲しい、信じてたいっていう信条をです。
忍者関連部署、科目の設置案
本日三本目。
昨日友人にスカイプで、「イギリスの子供は将来の夢にMI6とかスパイとか書くのかな。こういうこと書ける国って夢があっていいよね」といったらまた嫌そうな感じで黙って聞いてくれました。なんでこんなこと急に言い出したのかというと映画の「007」が頭に浮かび、スパイが確実に存在する国なら夢の職業として実際に書けるのかなと思ったためでした。
それに対して日本。見出しにも掲げた通り忍者発祥の国でありながら世界に誇れるような堂々たるスパイ機関は存在しません。内情はあるけど、あれってどういう風に機能しているかよくわからんし、少なくとも海外のスパイ小説に出てこない時点で国際スパイとしては失格でしょう。
何が言いたいのかっていうと日本も子供が堂々とスパイになりたいと思えるような夢のある国になるべきだということで、そのためにはまず政府内にはっきりと忍者関連の部署を設置する必要があるでしょう。構成員はMI6だって新聞広告で募集掛けるくらいなんだからリクルートとかで、
こんな具合で募集広告乗っけたら一人や二人は応募してくるんじゃないかと思います。よくこういうのは内密に人を取ろうとしますが、どうせ内密になるのは後からでも構わないんだし募集くらいはオープンでやってもいいはずでしょう。
でもってこうした募集にとどまらず、国内で諜報員の直接養成も手掛けるべきです。具体的に言うと前にも書いたかもしれませんが日体大とかで「忍者科」ってのを作って、尾行の仕方とか実践的な忍術とかを教えるコースを作っておくと万全です。もっとも学生の募集掛けたら日本人よりも外人の方がたくさん来そうな気がしますが。
最後に映画の「007」についてですが、実は古い作品は見ておらず現在のダニエル・クレイグが主演するバージョンしか見ていません。この人は舞台での経験が長いだけあって立ち居振る舞い、特に姿勢が非常にきれいなのでアクションシーンも見栄えがよく私もお気に入りの俳優なのですが、なんていうか最初の「カジノロワイヤル」はまだそうでもありませんが、「慰めの報酬」、「スカイフォール」と続編が出る度に寡黙で冷徹な諜報員というキャラになっていき、見かけの強面と相まってなんとなくプーチンっぽいなとこの頃思えてきました。あっちもリアルスパイだったんだからさもアリなんだけど。
ってか、ロシアは諜報員でも大統領になれるってんだから、ある意味夢のある国だ。
昨日友人にスカイプで、「イギリスの子供は将来の夢にMI6とかスパイとか書くのかな。こういうこと書ける国って夢があっていいよね」といったらまた嫌そうな感じで黙って聞いてくれました。なんでこんなこと急に言い出したのかというと映画の「007」が頭に浮かび、スパイが確実に存在する国なら夢の職業として実際に書けるのかなと思ったためでした。
それに対して日本。見出しにも掲げた通り忍者発祥の国でありながら世界に誇れるような堂々たるスパイ機関は存在しません。内情はあるけど、あれってどういう風に機能しているかよくわからんし、少なくとも海外のスパイ小説に出てこない時点で国際スパイとしては失格でしょう。
何が言いたいのかっていうと日本も子供が堂々とスパイになりたいと思えるような夢のある国になるべきだということで、そのためにはまず政府内にはっきりと忍者関連の部署を設置する必要があるでしょう。構成員はMI6だって新聞広告で募集掛けるくらいなんだからリクルートとかで、
諜報員(忍者)急募!
募集年齢:全年齢(若手も活躍出来る職場です)
仕事内容:敵対国家への嫌がらせ、表じゃ言えない汚れ仕事
その他:経験者優遇(国籍問わず)
こんな具合で募集広告乗っけたら一人や二人は応募してくるんじゃないかと思います。よくこういうのは内密に人を取ろうとしますが、どうせ内密になるのは後からでも構わないんだし募集くらいはオープンでやってもいいはずでしょう。
でもってこうした募集にとどまらず、国内で諜報員の直接養成も手掛けるべきです。具体的に言うと前にも書いたかもしれませんが日体大とかで「忍者科」ってのを作って、尾行の仕方とか実践的な忍術とかを教えるコースを作っておくと万全です。もっとも学生の募集掛けたら日本人よりも外人の方がたくさん来そうな気がしますが。
最後に映画の「007」についてですが、実は古い作品は見ておらず現在のダニエル・クレイグが主演するバージョンしか見ていません。この人は舞台での経験が長いだけあって立ち居振る舞い、特に姿勢が非常にきれいなのでアクションシーンも見栄えがよく私もお気に入りの俳優なのですが、なんていうか最初の「カジノロワイヤル」はまだそうでもありませんが、「慰めの報酬」、「スカイフォール」と続編が出る度に寡黙で冷徹な諜報員というキャラになっていき、見かけの強面と相まってなんとなくプーチンっぽいなとこの頃思えてきました。あっちもリアルスパイだったんだからさもアリなんだけど。
ってか、ロシアは諜報員でも大統領になれるってんだから、ある意味夢のある国だ。
海に沈んだ南宋のラストエンペラー
本日二本目。
前に南宋末期の著名な戦いである襄陽・樊城の戦いを取り上げましたが、今日するのはその後のお話しです。襄陽・樊城の戦いの戦いで最大重要防御拠点である同地を元軍に攻略された南宋軍はその後も連戦連敗で、ついには首都である臨安を落とされてしまいます。しかし南宋の家臣団は抵抗をあきらめず幼い皇帝一族を連れて南へ南へと逃げ、当時はほとんど開発が進んでなかったと思われる現在の広東省地域にまで逃げて亡命政権を打ち立てていました。
しかしそんな抵抗勢力の存在を元軍は許すことなく、亡命政権に対しても追撃軍を差し向けました。無論南宋軍はそうして迫りくる元軍に勝てるわけはなく依然と連戦連敗を続け、最終的には源氏あの香港近くにある崖山という場所で、元軍と海上決戦に臨みました。しかし海上戦に不慣れな元軍が相手とはいえ時既に大勢が決まっていた状況で、当初は有利に戦いを進めたものの徐々に追い込まれ、結局南宋軍はこの決戦においても敗北することとなりました。
当時の南宋の皇帝は9歳の祥興帝で、ほぼ間違いなく政治の実権は持っていなかったと思える年齢です。決戦後、祥興帝に講義を行っていた陸秀夫は運命を決めたのか幼い皇帝を抱いたまま入水し、これによって南宋は完全に滅亡することとなります。
この過程を見てピンときたら110番ですが、見てわかる通りにまるきり壇ノ浦の戦いの再現です。この崖山の戦いは1279年ですが、壇ノ浦の戦いから約100年後にほとんど同じ経過というか日本の安徳天皇のように入水して亡くなった幼い皇帝がいたというのはなかなか奇妙な縁でしょう。当時の日本側もこの偶然に感じるものがあったのか漢詩などで幼い皇帝を悼む詩が作られたりするなどされたとのことで、自分も面白いと思ったのでここで紹介することとしました。
前に南宋末期の著名な戦いである襄陽・樊城の戦いを取り上げましたが、今日するのはその後のお話しです。襄陽・樊城の戦いの戦いで最大重要防御拠点である同地を元軍に攻略された南宋軍はその後も連戦連敗で、ついには首都である臨安を落とされてしまいます。しかし南宋の家臣団は抵抗をあきらめず幼い皇帝一族を連れて南へ南へと逃げ、当時はほとんど開発が進んでなかったと思われる現在の広東省地域にまで逃げて亡命政権を打ち立てていました。
しかしそんな抵抗勢力の存在を元軍は許すことなく、亡命政権に対しても追撃軍を差し向けました。無論南宋軍はそうして迫りくる元軍に勝てるわけはなく依然と連戦連敗を続け、最終的には源氏あの香港近くにある崖山という場所で、元軍と海上決戦に臨みました。しかし海上戦に不慣れな元軍が相手とはいえ時既に大勢が決まっていた状況で、当初は有利に戦いを進めたものの徐々に追い込まれ、結局南宋軍はこの決戦においても敗北することとなりました。
当時の南宋の皇帝は9歳の祥興帝で、ほぼ間違いなく政治の実権は持っていなかったと思える年齢です。決戦後、祥興帝に講義を行っていた陸秀夫は運命を決めたのか幼い皇帝を抱いたまま入水し、これによって南宋は完全に滅亡することとなります。
この過程を見てピンときたら110番ですが、見てわかる通りにまるきり壇ノ浦の戦いの再現です。この崖山の戦いは1279年ですが、壇ノ浦の戦いから約100年後にほとんど同じ経過というか日本の安徳天皇のように入水して亡くなった幼い皇帝がいたというのはなかなか奇妙な縁でしょう。当時の日本側もこの偶然に感じるものがあったのか漢詩などで幼い皇帝を悼む詩が作られたりするなどされたとのことで、自分も面白いと思ったのでここで紹介することとしました。
また海外の床屋で……
あと記事5本で今年の年間投稿数がちょうど300本になるので、あと一日ですがちょっと頑張って書いてみようとやる気になってしまいました。昨日もちょっとよぎったんだけど、別にこだわらなくていーしとか思ったのですが心変わり早過ぎ。
ってことで早速今日早朝の失敗エピソードですが、床屋で失敗しました。
海外生活で何が一番困るかって言ったら案外大きいもので散髪で、というのも微妙に出身国と美的センスが違うし、言葉も通じ辛くて変な髪型になってしまうケースが多いからです。なもんだから中国にいる日本人は大抵上海とかに行ってそこにいる日本人理髪師に切ってもらうのが普通ですがこれだとお値段が200元とかして結構お高い。ローカルのお店できれば大体20元以下で切れるのだし、そんなとこいってられるかと私はいつもローカルなお店で切るようにしてますが、自分の知る限りこんなことしてるのって私だけです。みんな高くても日本人に切ってもらうようにしてるし。
ローカルの床屋で困るのが、地方出身者が多くて普通話がほとんど通じないことです。昔から「三本刀」といって中国人は散髪用ハサミ、包丁、裁縫用ハサミのどれかが一つがあれば世界中どこでも生きていけると主張するほど万能な技術として理髪は使われてきましたが、万能すぎて言葉が通じないってのは案外考え物です。
ただ中にはきちんと話が通じるし、センスも似通っていて「短くして」といったら割ときれいに切りそろえてくれるローカルな床屋もあります。以前上海で通っていたところなんかまさにそんなお店で重宝していたのですが、今回は昆山市内にあるっていうか家の近くのお店に強行突入してきました。
前も昆山市内で切ってはいるのですが、そのお店は今日なんかやたらとお客が入っていて仕方なく近くの別の店に入ったのですが、言葉は通じるもののいかんせん段取り悪く、「短く」つってるのに何故か七三分けにするし、「余計なことするな」つってるのに何故かドライヤーで髪膨らまそうとするしで、非常にファッキンな床屋でした。別にここに限らず中国の床屋は頼んでなくても勝手にあれこれ工夫することが多く、やたらパーマをかけたがる店が多い気がします。
正直な感想を述べると、今日行ったところはワースト2な水準でした。過去最悪だったのは杭州市の床屋で、あそこは妙なムースとか片っ端からかけられ、変な髪型になるしムースは無駄に臭いしで、ちょうどアルハラで殺されかけてた時期でもあったので自宅でリアルに泣きながら自分で髪を切り直しました。今日の出来もよくなかったので、やっぱり自分で切り直しました。
ただ人間って案外適応できるものなのか、何度もこういう風に妙な髪型になる度に納得できず自分で切りなおしているせいか、前髪だけなら自分で切ってある程度調髪できるようになってしまってます。私自身、元々髪型にはこだわらず伸びたら切る、「伸即斬」なので短ければそれでいいってのもありますが、ただ短く切ることすら満足にしてくれない中国の床屋はほんと何なんだろうとつくづく思います。なお今日の散髪料金は15元(約300円)で、昼飯にサイゼリヤで食べたミラノ風ドリアとコーンスープの合計料金は16元(約320円)でした。ミラノ風ドリアは中身が米じゃなくて餃子で、店員も文句多いのか注文前にわざわざ教えてくれましたが。
ってことで早速今日早朝の失敗エピソードですが、床屋で失敗しました。
海外生活で何が一番困るかって言ったら案外大きいもので散髪で、というのも微妙に出身国と美的センスが違うし、言葉も通じ辛くて変な髪型になってしまうケースが多いからです。なもんだから中国にいる日本人は大抵上海とかに行ってそこにいる日本人理髪師に切ってもらうのが普通ですがこれだとお値段が200元とかして結構お高い。ローカルのお店できれば大体20元以下で切れるのだし、そんなとこいってられるかと私はいつもローカルなお店で切るようにしてますが、自分の知る限りこんなことしてるのって私だけです。みんな高くても日本人に切ってもらうようにしてるし。
ローカルの床屋で困るのが、地方出身者が多くて普通話がほとんど通じないことです。昔から「三本刀」といって中国人は散髪用ハサミ、包丁、裁縫用ハサミのどれかが一つがあれば世界中どこでも生きていけると主張するほど万能な技術として理髪は使われてきましたが、万能すぎて言葉が通じないってのは案外考え物です。
ただ中にはきちんと話が通じるし、センスも似通っていて「短くして」といったら割ときれいに切りそろえてくれるローカルな床屋もあります。以前上海で通っていたところなんかまさにそんなお店で重宝していたのですが、今回は昆山市内にあるっていうか家の近くのお店に強行突入してきました。
前も昆山市内で切ってはいるのですが、そのお店は今日なんかやたらとお客が入っていて仕方なく近くの別の店に入ったのですが、言葉は通じるもののいかんせん段取り悪く、「短く」つってるのに何故か七三分けにするし、「余計なことするな」つってるのに何故かドライヤーで髪膨らまそうとするしで、非常にファッキンな床屋でした。別にここに限らず中国の床屋は頼んでなくても勝手にあれこれ工夫することが多く、やたらパーマをかけたがる店が多い気がします。
正直な感想を述べると、今日行ったところはワースト2な水準でした。過去最悪だったのは杭州市の床屋で、あそこは妙なムースとか片っ端からかけられ、変な髪型になるしムースは無駄に臭いしで、ちょうどアルハラで殺されかけてた時期でもあったので自宅でリアルに泣きながら自分で髪を切り直しました。今日の出来もよくなかったので、やっぱり自分で切り直しました。
ただ人間って案外適応できるものなのか、何度もこういう風に妙な髪型になる度に納得できず自分で切りなおしているせいか、前髪だけなら自分で切ってある程度調髪できるようになってしまってます。私自身、元々髪型にはこだわらず伸びたら切る、「伸即斬」なので短ければそれでいいってのもありますが、ただ短く切ることすら満足にしてくれない中国の床屋はほんと何なんだろうとつくづく思います。なお今日の散髪料金は15元(約300円)で、昼飯にサイゼリヤで食べたミラノ風ドリアとコーンスープの合計料金は16元(約320円)でした。ミラノ風ドリアは中身が米じゃなくて餃子で、店員も文句多いのか注文前にわざわざ教えてくれましたが。
2015年12月30日水曜日
2015年を振り返って
今年も残すところあと二日ですが、中国だとあまり年越し前のそわそわがないのであんま季節感持ってないです。ただ一つの区切りでもあるので、今年を振り返っていくつかトピックをまとめてみようと思います。
今年一番ニュースだったと思う人:サノケン
今年一番輝いていたと思う人:五郎丸
今年最後に輝いたと思う人:キンコメ高橋
今年以前からずっと輝き続けてる人:ムネリン
今年一番ニュースだったと思う犬:紀州犬
今年一番の茶番だったと思う議論:安保関連法の議論
今年一番大きな事件:水木しげるの逝去
今年一番の爆発事件:天津大爆発
騒がれたけどもうみんな忘れてる事件:建設業界のくい打ち不正
今年一番の衝突事故:自転車で三輪トラックと正面衝突
今年一番おいしかった料理:伊勢のホテルの晩飯
今年一番の衝撃的体験:「レッド」の主人公と会ったこと
今年読み始めて一番ハマった漫画:「ちおちゃんの通学路」……ではなく「だがしかし」
今年遊び始めて一番ハマったゲーム:「メタルギアソリッド ピースウォーカー」
今年のこのブログの変化:フォント、デザインの変更
今年書いて気に入っている記事:日米のヒーローの違い
今年一番読まれた記事:人材派遣企業各社のマージン率一覧、及びその公開率
少し解説を入れると、漫画に関してはレビューも描いた「ちおちゃんの通学路」が文句なしで来るかと自分でも思ってましたが、つい昨日買って読んだ「だがしかし」の方が遥かに面白く、こっちの方に軍配を挙げました。誉めすぎかもしれませんが、センス、デッサン、構成どれをとっても超一級と呼んでいいくらいの面白さで、一体何なんだこの作者はと戦慄を覚えた作品でした。
今年書いた記事に関しては一月に書いた「日米のヒーローの違い」が地味に気に入っています。なんでかっていうと誰も指摘していないまでも日本人にとっての平和の価値観を非常にわかりやすい例と共に一発で浮かび上がらせたという自負があり、これ一つでも十分論文書けるネタを一本の記事にまとめきったという達成感がありました。なお構想は、自転車で蘇州(往復約70km)向かっている最中に走りながら、「マグニート―を軸に……」なんて考えながら練りました。
一方、一番読まれたのは間違いなく「人材派遣企業各社のマージン率一覧、及びその公開率」です。これも少ない量とはいえ実際に調査してまとめた記事であるのと、誰も手垢をつけていないネタを最初に物にしたという自負があるのですが、実は内申で大手メディアが今年に同じ調査をやられたらきついなぁと思ってました。大手メディアがそういうことやってきて、「最初にこの問題に手を付けたのは我々です」なんて言われたら手も足も出なかっただけに、こうして一年が過ぎ、既成事実的にこのネタを最初に手を付けたのは自分以外もう生まれなくなったのでほっと一安心、でもって来年は……ってところでしょう。
今年一年は割とこのブログを契機に人間関係を広げられたのはプラスでしたが、世を忍ぶ仮の姿の方はやや中途半端というかあんま面白味のない一年でした。来年はまたどうなるかわからないけど、年始早々上海へ引っ越すのでまぁ今年よりは確実にマシにはなるでしょう。
おまけ
今日電気代の請求書を持ってきた人が、「お前、本当にここに住んでるの?」と、妙なことを何故か聞いてきました。最初はぴんと来なかったけど、ほかの家のドアとかポストに貼られている請求書の額が150元とか80元という金額だったのを見て、自分の請求書に描かれている29元という金額が理由かとやっとわかりました。もう少し電気使った方がいいのかな。
今年一番ニュースだったと思う人:サノケン
今年一番輝いていたと思う人:五郎丸
今年最後に輝いたと思う人:キンコメ高橋
今年以前からずっと輝き続けてる人:ムネリン
今年一番ニュースだったと思う犬:紀州犬
今年一番の茶番だったと思う議論:安保関連法の議論
今年一番大きな事件:水木しげるの逝去
今年一番の爆発事件:天津大爆発
騒がれたけどもうみんな忘れてる事件:建設業界のくい打ち不正
今年一番の衝突事故:自転車で三輪トラックと正面衝突
今年一番おいしかった料理:伊勢のホテルの晩飯
今年一番の衝撃的体験:「レッド」の主人公と会ったこと
今年読み始めて一番ハマった漫画:「ちおちゃんの通学路」……ではなく「だがしかし」
今年遊び始めて一番ハマったゲーム:「メタルギアソリッド ピースウォーカー」
今年のこのブログの変化:フォント、デザインの変更
今年書いて気に入っている記事:日米のヒーローの違い
今年一番読まれた記事:人材派遣企業各社のマージン率一覧、及びその公開率
少し解説を入れると、漫画に関してはレビューも描いた「ちおちゃんの通学路」が文句なしで来るかと自分でも思ってましたが、つい昨日買って読んだ「だがしかし」の方が遥かに面白く、こっちの方に軍配を挙げました。誉めすぎかもしれませんが、センス、デッサン、構成どれをとっても超一級と呼んでいいくらいの面白さで、一体何なんだこの作者はと戦慄を覚えた作品でした。
今年書いた記事に関しては一月に書いた「日米のヒーローの違い」が地味に気に入っています。なんでかっていうと誰も指摘していないまでも日本人にとっての平和の価値観を非常にわかりやすい例と共に一発で浮かび上がらせたという自負があり、これ一つでも十分論文書けるネタを一本の記事にまとめきったという達成感がありました。なお構想は、自転車で蘇州(往復約70km)向かっている最中に走りながら、「マグニート―を軸に……」なんて考えながら練りました。
一方、一番読まれたのは間違いなく「人材派遣企業各社のマージン率一覧、及びその公開率」です。これも少ない量とはいえ実際に調査してまとめた記事であるのと、誰も手垢をつけていないネタを最初に物にしたという自負があるのですが、実は内申で大手メディアが今年に同じ調査をやられたらきついなぁと思ってました。大手メディアがそういうことやってきて、「最初にこの問題に手を付けたのは我々です」なんて言われたら手も足も出なかっただけに、こうして一年が過ぎ、既成事実的にこのネタを最初に手を付けたのは自分以外もう生まれなくなったのでほっと一安心、でもって来年は……ってところでしょう。
今年一年は割とこのブログを契機に人間関係を広げられたのはプラスでしたが、世を忍ぶ仮の姿の方はやや中途半端というかあんま面白味のない一年でした。来年はまたどうなるかわからないけど、年始早々上海へ引っ越すのでまぁ今年よりは確実にマシにはなるでしょう。
おまけ
今日電気代の請求書を持ってきた人が、「お前、本当にここに住んでるの?」と、妙なことを何故か聞いてきました。最初はぴんと来なかったけど、ほかの家のドアとかポストに貼られている請求書の額が150元とか80元という金額だったのを見て、自分の請求書に描かれている29元という金額が理由かとやっとわかりました。もう少し電気使った方がいいのかな。
2015年12月29日火曜日
漫画家の主な出版社の移籍事例
プロ野球のオフシーズンと言えばドラフトとFA移籍ですが、前者はともかく後者が見ていて面白いのは選手の移籍次第で翌年のチーム成績がガラッと変わることに尽きるでしょう。エースや四番が抜けたら痛いですし、逆にがっちり補強ポイントを埋めたチームは翌年の成果が期待できることもあり、そして何より移籍を選ぶ選手個人のドラマが見ているファンを魅せるのでしょう。
っていうことで、今日は野球界ではなく漫画界での移籍について自分がさっと調べた範囲で実例を紹介しようと思います。我ながら強引な展開の持って行き方ですが、プロ野球持ち出さないよりかはいいかなと思ったので取って付けてみました。
今回紹介するのは漫画業界、というより漫画家の出版社を跨ぐ移籍例です。別に漫画家はプロ野球選手みたいに契約でチームならぬ出版社が縛られる立場ではないのですが、漫画製作というのは漫画家と編集者による共同作業的な面も大きいだけに出版社を替えるということはなかなか大きな決断になると伺っております。また出版社側としてもエース級の作家が他の出版社に移籍するとなればそれはそれで痛手でもあり、なんていうかドラマチックというか金勘定が絡んでくるだけに、でもってあんまりこういうまとめ書いている人いないと思ったので自分でやってみたわけです。なお今回の調査は自分が適当に調べてまとめただけなので、厳密さとか網羅性は低く話のネタ程度に軽く読んでくれると助かります。
最初に注意書きを書くと、お家騒動などで出版社が分裂したり、編集者が独立して新雑誌を起ち上げた際に移籍した例は趣旨と異なるので今回対象から省きました。また各例に挙げている作品は独断と偏見で代表作と思うものを入れているだけで、読み切り作品などは対象には入れていません。
なわけで、まずは比較的移籍時期が近くてエース級だった漫画家の移籍事例を紹介します。
<エース級の移籍例>
上記に上げた漫画家は作品がアニメ化されるなど名実ともに売れっ子エース級である漫画家の移籍事例です。最近の例だと三番目の鈴木央氏が一番影響強いんじゃないかと思うのですが、というのもこの人は「バイバイジャンプ」という言葉を作った上に、今連載している「七つの大罪」は半端ない大ヒットを続けているからです。集英社時代も全く売れてなかったわけではありませんが何度も打ち切りにあってただけに、移籍先で過去を見返すような大活躍を遂げるようになった例と言えるでしょう。個人的には「ブリザードアクセル」のが好きだったりするけど。
その他の作家についてはそんなに言う事ないのですが、どの作家も移籍前も移籍後もヒット作を出しており移籍前の出版社からすれば、「次作も当てるんだったらうちで描いてけばいいのに」と歯がゆさを覚えさせたであろう人たちです。もっとも木多康昭氏について集英社は移籍してくれて、案外ホッとしているかもしれません。
<新天地を求めた(?)移籍例>
上記に上げたのは元の出版社では描かせてもらえなかったわけではないものの、これ以上の活躍が望めなかったのか移ったと思われる移籍例です。あくまで個人的所見ですが。
一番上の武井宏之氏は「シャーマンキング」で大ヒットを遂げましたがこの作品も途中で打ち切られ、続編もいまいち軌道に乗れてなかったことからいつの間にか講談社に行ってたようです。二番目の尾玉なみえ氏は作品のパワーはすごかったけど明らかに雑誌のカラーと合ってなかったこともあって集英社時代は何度も打ち切りを経験してましたが、この人もいつの間にか新天地で活動されてるようです。最後の野口賢氏は「ビータクト」って漫画は読んだことありますが第一話を見て、「何で車田正美の名前をここで出すのだろうか?」と半端ない疑問を感じた人だったので無理矢理ここに入れました。
<二回以上移籍している例>
こちらは二回以上移籍している例としてまとめたものですが、上の三人は一回他の出版社で描いた後で元いた出版社に戻っているので正確には出戻り組というべきかもしれません。もっとも漫☆画太郎氏にしろ江川達也氏にしろ、あまり出版社に縛られる性格の漫画家ではなかったということの方が大きいのかもしれませんが。
なお一番上の弐瓶勉氏の場合はちょっと特殊で、というのも「BIOMEGA」は当初、講談社の「アフタヌーン」という雑誌で連載していたのですが途中で打ち切られ、その後「ウルトラジャンプ」で連載が再開されるという妙な経緯を辿った作品であったりします。もしかしたら編集と何かいざこざがあったのかもしれませんが、三番目の「シドニアの騎士」はまた「アフタヌーン」で連載されたので、何があったのだろうかとなおさら不思議に思うわけです。
<別の出版社で元の作品の続編を描いた例>
こちらはちょっと特殊というか、出版社を移籍しているのに移籍前の作品の続編を移籍後の雑誌で書いている例です。高橋陽一氏の例は性格には異なるのですが何故ここに入れているのかというと、見てわかる通りに日本文芸社が集英社から引き抜いている例があまりにも多いのでまとめたかったからです。この引き抜きの多さは「飯田橋のふたばちゃん」でもネタにされていましたが、改めてみると「これほんまええの?」って疑問に感じるくらい多かったです。
<番外編・ドラフト外漫画家の逆襲>
っていうことで、今日は野球界ではなく漫画界での移籍について自分がさっと調べた範囲で実例を紹介しようと思います。我ながら強引な展開の持って行き方ですが、プロ野球持ち出さないよりかはいいかなと思ったので取って付けてみました。
今回紹介するのは漫画業界、というより漫画家の出版社を跨ぐ移籍例です。別に漫画家はプロ野球選手みたいに契約でチームならぬ出版社が縛られる立場ではないのですが、漫画製作というのは漫画家と編集者による共同作業的な面も大きいだけに出版社を替えるということはなかなか大きな決断になると伺っております。また出版社側としてもエース級の作家が他の出版社に移籍するとなればそれはそれで痛手でもあり、なんていうかドラマチックというか金勘定が絡んでくるだけに、でもってあんまりこういうまとめ書いている人いないと思ったので自分でやってみたわけです。なお今回の調査は自分が適当に調べてまとめただけなので、厳密さとか網羅性は低く話のネタ程度に軽く読んでくれると助かります。
最初に注意書きを書くと、お家騒動などで出版社が分裂したり、編集者が独立して新雑誌を起ち上げた際に移籍した例は趣旨と異なるので今回対象から省きました。また各例に挙げている作品は独断と偏見で代表作と思うものを入れているだけで、読み切り作品などは対象には入れていません。
なわけで、まずは比較的移籍時期が近くてエース級だった漫画家の移籍事例を紹介します。
<エース級の移籍例>
移籍した漫画家 | 移籍元 | 移籍先 |
柴田ヨクサル | 白泉社 | 集英社 |
エアマスター | ハチワンダイバー | |
大高忍 | スクウェア・エニックス | 小学館 |
すもももももも | マギ | |
鈴木央 | 集英社 | 講談社 |
ライジングインパクト | 七つの大罪 | |
八神健 | 集英社 | 秋田書店 |
密・リターンズ | ななか6/17 | |
荒川弘 | スクウェア・エニックス | 講談社 |
鋼の錬金術師 | 銀の匙 | |
木多康昭 | 集英社 | 講談社 |
幕張 | 喧嘩稼業 | |
井上雄彦 | 集英社 | 講談社 |
スラムダンク | バガボンド |
上記に上げた漫画家は作品がアニメ化されるなど名実ともに売れっ子エース級である漫画家の移籍事例です。最近の例だと三番目の鈴木央氏が一番影響強いんじゃないかと思うのですが、というのもこの人は「バイバイジャンプ」という言葉を作った上に、今連載している「七つの大罪」は半端ない大ヒットを続けているからです。集英社時代も全く売れてなかったわけではありませんが何度も打ち切りにあってただけに、移籍先で過去を見返すような大活躍を遂げるようになった例と言えるでしょう。個人的には「ブリザードアクセル」のが好きだったりするけど。
その他の作家についてはそんなに言う事ないのですが、どの作家も移籍前も移籍後もヒット作を出しており移籍前の出版社からすれば、「次作も当てるんだったらうちで描いてけばいいのに」と歯がゆさを覚えさせたであろう人たちです。もっとも木多康昭氏について集英社は移籍してくれて、案外ホッとしているかもしれません。
<新天地を求めた(?)移籍例>
移籍した漫画家 | 移籍元 | 移籍先 |
武井宏之 | 集英社 | 講談社 |
シャーマンキング | ダンボール戦機 | |
尾玉なみえ | 集英社 | 講談社 |
少年エスパーねじめ | マコちゃんのリップクリーム | |
野口賢 | 集英社 | 秋田書店 |
傭兵ピエール | バビル2世 ザ・リターナー |
上記に上げたのは元の出版社では描かせてもらえなかったわけではないものの、これ以上の活躍が望めなかったのか移ったと思われる移籍例です。あくまで個人的所見ですが。
一番上の武井宏之氏は「シャーマンキング」で大ヒットを遂げましたがこの作品も途中で打ち切られ、続編もいまいち軌道に乗れてなかったことからいつの間にか講談社に行ってたようです。二番目の尾玉なみえ氏は作品のパワーはすごかったけど明らかに雑誌のカラーと合ってなかったこともあって集英社時代は何度も打ち切りを経験してましたが、この人もいつの間にか新天地で活動されてるようです。最後の野口賢氏は「ビータクト」って漫画は読んだことありますが第一話を見て、「何で車田正美の名前をここで出すのだろうか?」と半端ない疑問を感じた人だったので無理矢理ここに入れました。
<二回以上移籍している例>
移籍した漫画家 | 移籍元 | 移籍先 | 再移籍先 |
弐瓶勉 | 講談社 | 集英社 | 講談社 |
BLAME! | BIOMEGA | シドニアの騎士 | |
漫☆画太郎 | 集英社 | 秋田書店 | 集英社 |
珍遊記 | 樹海少年ZOO1 | 珍遊記2 | |
ゆでたまご | 集英社 | 講談社 | 集英社 |
キン肉マン | トータルファイターK | キン肉マンII世 | |
江川達也 | 講談社 | 集英社 | 小学館 |
BE FREE! | まじかる☆タルるートくん | 東京大学物語 |
こちらは二回以上移籍している例としてまとめたものですが、上の三人は一回他の出版社で描いた後で元いた出版社に戻っているので正確には出戻り組というべきかもしれません。もっとも漫☆画太郎氏にしろ江川達也氏にしろ、あまり出版社に縛られる性格の漫画家ではなかったということの方が大きいのかもしれませんが。
なお一番上の弐瓶勉氏の場合はちょっと特殊で、というのも「BIOMEGA」は当初、講談社の「アフタヌーン」という雑誌で連載していたのですが途中で打ち切られ、その後「ウルトラジャンプ」で連載が再開されるという妙な経緯を辿った作品であったりします。もしかしたら編集と何かいざこざがあったのかもしれませんが、三番目の「シドニアの騎士」はまた「アフタヌーン」で連載されたので、何があったのだろうかとなおさら不思議に思うわけです。
<別の出版社で元の作品の続編を描いた例>
移籍した漫画家 | 移籍元 | 移籍先 |
にわのまこと | 集英社 | 日本文芸社 |
真島クンすっとばす!! | 真島クンすっとばす!! | |
高橋よしひろ | 集英社 | 日本文芸社 |
銀牙 | 銀牙 | |
宮下あきら | 集英社 | 日本文芸社 |
魁!!男塾 | 極!!男塾 | |
高橋陽一 | 集英社 | 日本文芸社 |
キャプテン翼 | 誇り〜プライド〜 | |
車田正美 | 集英社 | 秋田書店 |
聖闘士星矢 | 聖闘士星矢 | |
新沢基栄 | 集英社 | スクウェア・エニックス |
ハイスクール!奇面組 | フラッシュ!奇面組 |
こちらはちょっと特殊というか、出版社を移籍しているのに移籍前の作品の続編を移籍後の雑誌で書いている例です。高橋陽一氏の例は性格には異なるのですが何故ここに入れているのかというと、見てわかる通りに日本文芸社が集英社から引き抜いている例があまりにも多いのでまとめたかったからです。この引き抜きの多さは「飯田橋のふたばちゃん」でもネタにされていましたが、改めてみると「これほんまええの?」って疑問に感じるくらい多かったです。
<番外編・ドラフト外漫画家の逆襲>
移籍した漫画家 | 移籍元 | 移籍先 |
諌山創 | 集英社 | 講談社 |
ドラフト洩れ | 進撃の巨人 | |
吉崎観音 | 小学館 | 角川書店 |
ドラフト洩れ | ケロロ軍曹 |
最後のはちょっと特別ですが元々は別の出版社に通っていたのに日の目を浴びず、別の出版社に通って出した連載作品がシャレにならない大ヒットとなった漫画家の例です。「進撃の巨人」の諌山創氏が元々は集英社に通っていたというのは有名なエピソードですが、「ケロロ軍曹」の吉崎観音氏も最初は小学館に通っていたと言われており、漫画史に残る大ヒット作品を産んだ作家を手中からこぼれ落としてしまったという意味で「ドラフト外」と表現してみました。
なお吉崎観音氏について言えば、「ケロロ軍曹」を出す前に「少年ガンガン」でいくつか作品を出してて何気に私も「護衛神エイト」読んでましたが、当時から目を引く漫画を描いていたたもののこれほどのヒットメーカーになるとは当時は誰も予想していなかったでしょう。
以上が簡単に調べた結果で実際にはもっとたくさん移籍例があったり、ゆでたまご氏のようにもっとあちこちの出版社で作品出していたりするのですがまとめるのが面倒なのでさらっと書きました。
ざっと調べた感じの印象を述べると、なんとなくですがギャグ漫画家は移籍する例が多く、同時に複数の出版社で同時連載を行うケースが多いような気がします。逆にストーリー漫画を書く漫画家は雑誌のカラーを決定づける作品になりやすいのか、読み切りを含め他の出版社で描く例が少ないのではという印象を覚えます。
ざっと調べた感じの印象を述べると、なんとなくですがギャグ漫画家は移籍する例が多く、同時に複数の出版社で同時連載を行うケースが多いような気がします。逆にストーリー漫画を書く漫画家は雑誌のカラーを決定づける作品になりやすいのか、読み切りを含め他の出版社で描く例が少ないのではという印象を覚えます。
逆にというか同じ出版社一筋でずーっと描いているなと思ったのは桂正和氏で、河下瑞希氏も含めジャンプでお色気漫画描いた人は集英社一筋になるのかなという妙な仮説が浮かんできました。
2015年12月28日月曜日
大きな差よりも小さな差?
この前マッドシティ出身の友人と話している最中にふと、「折角だから俺たちでジェダイ騎士団松戸支部作ろう。ライトセーバーは夜店で買ってさ」と言い出したらなんか嫌そうに話聞いてくれました。
最近書いてないけどマッドシティ関連でカテゴリ作るほど松戸に縁のある私ですが、実際は隣の流山市の出身で松戸には中国来る前に部屋借りて半年ちょっとだけしか住んでいません。ただ、松戸、柏、流山のいわゆる千葉北西部エリアということは共通しており、やはりこのエリアの住人同士なら連帯感はないけどなんとなく同じ出身者という意識はあります。
実は今日、所用で会ってきた人がたまたま千葉県の出身でした。ただ千葉県と言ってもその人は千葉市出身で、「同じ千葉県でもあまり同郷意識無いよね……」というのがお互いの意見でした。
というのも先ほど言った千葉北西部エリアは県庁所在地の千葉市よりも東京の方が近く、またベッドタウンであることから住人も基本は他地方から流れてきた東京に通勤するサラリーマンが多い上、千葉県に代々住んでいるという人の方が珍しい地域なため千葉への愛郷心はやや薄かったりします。本人らも、東京の人間だと自認している節ありますし。
それに対し千葉市、船橋市の千葉中央部ではお膝元っていうこともあり、やっぱりその視線は千葉市に向いているような気がします。ちなみに学区も北西部と中央部では異なっているせいか北西部は東葛高校、中央部では千葉高や船橋高校が名門公立校として分かれていて、やっぱ疎遠さというか世界が違うのではという気がしてなりません。
ただ今日会ってきたその千葉市出身の人と共通する意見もあり、その意見というのも「木更津は同じ県民だと思っていない」というものでした。どちらもあそこはヤンキーが多くて自分たちとは違う民族だという見解を持っており、同じ千葉県民でもこうも同族意識が持てないものかと言い合えてなかなか楽しく過ごせました。しかも何が面白いかって、お互い中国にいながらこんなどローカル話で盛り上がっているってとこでしょう。
話は戻りますが同じ県民でも同族なり同郷なりの意識が少ないというのは案外ほかの都道府県でも多かれ少なかれあると思います。兵庫県でも尼崎と神戸では世界変わるし、奈良なんて北部と南部で次元が変わります。っていうか奈良南部は本当に日本なのかと思うくらいの秘境もあるし……。
徳島県や高知県みたいに「踊り」という県民を束ねる強烈なアイデンティティがある所は別でしょうが、案外こういう同じ都道府県内の地域差の方が都道府県同士の地域差より大きい、というより気になることって多いのではという気もしなくはありません。私自身も木更津の人より埼玉や東京、神奈川の人の方が自分に近い認識していると信じてますし、岐阜県や静岡県も県境の地域はやっぱり愛知県寄りになるということも聞きました。
何が言いたいのかというと、人間って案外大きな差よりも小さな差の方が気にするのではないかと言いたいわけです。また激しく論理の飛躍をしますが同族嫌悪って言葉があるように、思考なり文化なりが大きく異なっている人同士よりも、それらがある程度共通しながら少し差がある人同士の方が案外仲が悪くなる要素があるのではないかと思えたわけです。ちょっとひねった考えで物を述べると、誰かを仲違いさせたい時なんかこうした小さな差を際立たせるような工作した方が上手くいくんじゃないかな。
ちなみに自分の場合、「こいつ、俺と同じ民族だ」と思ったのはたった一人(大学の後輩)だけなのですが、後年別の友人から、「君とあの子は生き方が不器用な点で似てるよね」と指摘されて、なんでそんなところに共感を覚えるかなと思いつつ自分らしいなとも思いました。
最近書いてないけどマッドシティ関連でカテゴリ作るほど松戸に縁のある私ですが、実際は隣の流山市の出身で松戸には中国来る前に部屋借りて半年ちょっとだけしか住んでいません。ただ、松戸、柏、流山のいわゆる千葉北西部エリアということは共通しており、やはりこのエリアの住人同士なら連帯感はないけどなんとなく同じ出身者という意識はあります。
実は今日、所用で会ってきた人がたまたま千葉県の出身でした。ただ千葉県と言ってもその人は千葉市出身で、「同じ千葉県でもあまり同郷意識無いよね……」というのがお互いの意見でした。
というのも先ほど言った千葉北西部エリアは県庁所在地の千葉市よりも東京の方が近く、またベッドタウンであることから住人も基本は他地方から流れてきた東京に通勤するサラリーマンが多い上、千葉県に代々住んでいるという人の方が珍しい地域なため千葉への愛郷心はやや薄かったりします。本人らも、東京の人間だと自認している節ありますし。
それに対し千葉市、船橋市の千葉中央部ではお膝元っていうこともあり、やっぱりその視線は千葉市に向いているような気がします。ちなみに学区も北西部と中央部では異なっているせいか北西部は東葛高校、中央部では千葉高や船橋高校が名門公立校として分かれていて、やっぱ疎遠さというか世界が違うのではという気がしてなりません。
ただ今日会ってきたその千葉市出身の人と共通する意見もあり、その意見というのも「木更津は同じ県民だと思っていない」というものでした。どちらもあそこはヤンキーが多くて自分たちとは違う民族だという見解を持っており、同じ千葉県民でもこうも同族意識が持てないものかと言い合えてなかなか楽しく過ごせました。しかも何が面白いかって、お互い中国にいながらこんなどローカル話で盛り上がっているってとこでしょう。
話は戻りますが同じ県民でも同族なり同郷なりの意識が少ないというのは案外ほかの都道府県でも多かれ少なかれあると思います。兵庫県でも尼崎と神戸では世界変わるし、奈良なんて北部と南部で次元が変わります。っていうか奈良南部は本当に日本なのかと思うくらいの秘境もあるし……。
徳島県や高知県みたいに「踊り」という県民を束ねる強烈なアイデンティティがある所は別でしょうが、案外こういう同じ都道府県内の地域差の方が都道府県同士の地域差より大きい、というより気になることって多いのではという気もしなくはありません。私自身も木更津の人より埼玉や東京、神奈川の人の方が自分に近い認識していると信じてますし、岐阜県や静岡県も県境の地域はやっぱり愛知県寄りになるということも聞きました。
何が言いたいのかというと、人間って案外大きな差よりも小さな差の方が気にするのではないかと言いたいわけです。また激しく論理の飛躍をしますが同族嫌悪って言葉があるように、思考なり文化なりが大きく異なっている人同士よりも、それらがある程度共通しながら少し差がある人同士の方が案外仲が悪くなる要素があるのではないかと思えたわけです。ちょっとひねった考えで物を述べると、誰かを仲違いさせたい時なんかこうした小さな差を際立たせるような工作した方が上手くいくんじゃないかな。
ちなみに自分の場合、「こいつ、俺と同じ民族だ」と思ったのはたった一人(大学の後輩)だけなのですが、後年別の友人から、「君とあの子は生き方が不器用な点で似てるよね」と指摘されて、なんでそんなところに共感を覚えるかなと思いつつ自分らしいなとも思いました。
従軍慰安婦協議の日韓合意について
漠然とスターウォーズかトミタマスクについて今日は書こうかなと思っていた矢先、久々に大きな政治ネタが転がってきたので急遽方針転換。恐らく今頃日本の各メディアで大きく報じられているかと思いますが、日韓で長年問題となってきた従軍慰安婦問題に関する協議で本日、両政府間で合意に達したと発表されました。
・慰安婦問題、日韓が合意=日本政府「責任を痛感」―人道支援へ10億円財団(時事通信)
合意概要についてはリンク先の記事にも書かれている通りに元慰安婦を支援するため今後設立される財団に日本政府側が10億円を一括で拠出し、また日韓両政府は今回の合意でもってこの問題は最終的かつ不可逆的に解決されたとみなすとしております。この合意内容について韓国側ではどう報じているのかが気になる、というか大体こういう合意は国内向けのアナウンスだと両行間で微妙にニュアンスが異なることが多いためですが、同じ時事通信の記事を見ると野党側は反発し、元慰安婦間では賛否が分かれているとあるので大筋では共通した内容で報じ荒れているのではないかと思います。
ただ韓国側はどうも、「今後も日本が反省を続けるよう求める」ような発表をしていることから、恐らく事ある毎に政府発表で謝罪発言を求め続けてきそうな不安は残っています。
で、この合意に対する私の評価は、何もやらないよりかは価値があると思えるので日本政府を支持する立場に回ります。拠出金は10億円ですが金額的にはまだありだと納得できる金額で、昨日の報道では20億円という金額が出ておりましたがあれはワンクッションを置くためのアナウンスだったのかもしれません。だとすれば今回の協議は両国間で事前にしっかりと準備され、合意するべくして合意に至れた会談だったのではないかと推測できます。
ちなみに金額についてですが、東電は除染費用数百億を滞納し続けているというニュースを見たばっかということもあり、「東電に比べれば10億くらい……」なんて思ってしまいました。
もう一度今回の協議合意の評価についてもう少し詳しく述べると、ネットを見ているとまた後で蒸し返される、過去の政府の合意は無効だなどと言われ、今回出す金はムダ金に終わるという意見が多いように見えます。私自身も過去の韓国を振り返りその可能性は高いと思いますが先ほども述べた通りに10億円は極端に高い金額でないように思えること、韓国政府の合意を得ての今回の支払いでもって日本側は過去に対応しているという既成事実を作れることを考えたら、失敗に終わる可能性はあるものの金を出す価値はあるように思うわけです。
また、今回の合意でもって今後以下のような展開が予想されます。
・朴大統領、韓国与党の支持率低下
・元慰安婦同士が合意内容を受け入れるかで分裂
・日本は謝罪しないばかりか金も出さないという主張前提の崩壊
・「出す金額が少ない」という韓国世論の表出
以上は私が予想する韓国内の今後の動向ですが、言い換えれば韓国政府の基盤がぐらつくということです。これは日本政府にとっては悪くないように思え、特に朴大統領には早くに引いてもらった方が案外やりやすいように思えます。でもって韓国世論は合意無効が叫ばれるでしょうが日本はそれを出来る限り海外に宣伝して、この前のギリシャがドイツに今更また賠償金を求めてきたようなニュースのようにして報じればこれまでの告げ口外交の意趣返しが少しはできる気がします。
ただ少し気になることを述べると、何故このタイミングで韓国政府は協議に合意してきたのでしょうか。朴政権は慰安婦問題についてはかなり強硬な態度を貫いておりその上で今回の合意に落とすならば反発は必至で、何故危ない橋を渡ってまで合意してきたのかという動機が気になります。
思いつく理由を上げれば日中の接近、韓国の政治リスク、韓国外務省の功績狙いなどありますが、一番無難なのは日本政府からの何らかの見返りでしょう。通貨スワップか平昌五輪への資金支援か、私個人の直感ではありますが恐らく近いうちに何らかの韓国支援が発表されて「前回の合意に続く日韓協力~」などと友好アピールがされるのではないかと思います。
逆を言えば、慰安婦問題で方針転換を選ぶほど韓国側が状況的に何らかの理由で困っていたのは間違いない事実でしょう。日本側としては今回の合意に際して暗に約束された見返りを果たすか、無視するか、いわば「選ぶ立場」にあるので、あまり細かいところ突っこまないで今回は日本政府を支持してもいいんじゃないかというのが私の意見です。あと、会談前のコメントなどを見る限りは岸田外相はなかなかやるなと前からも評価してましたがまた今回も評価の上積みです。
・慰安婦問題、日韓が合意=日本政府「責任を痛感」―人道支援へ10億円財団(時事通信)
合意概要についてはリンク先の記事にも書かれている通りに元慰安婦を支援するため今後設立される財団に日本政府側が10億円を一括で拠出し、また日韓両政府は今回の合意でもってこの問題は最終的かつ不可逆的に解決されたとみなすとしております。この合意内容について韓国側ではどう報じているのかが気になる、というか大体こういう合意は国内向けのアナウンスだと両行間で微妙にニュアンスが異なることが多いためですが、同じ時事通信の記事を見ると野党側は反発し、元慰安婦間では賛否が分かれているとあるので大筋では共通した内容で報じ荒れているのではないかと思います。
ただ韓国側はどうも、「今後も日本が反省を続けるよう求める」ような発表をしていることから、恐らく事ある毎に政府発表で謝罪発言を求め続けてきそうな不安は残っています。
で、この合意に対する私の評価は、何もやらないよりかは価値があると思えるので日本政府を支持する立場に回ります。拠出金は10億円ですが金額的にはまだありだと納得できる金額で、昨日の報道では20億円という金額が出ておりましたがあれはワンクッションを置くためのアナウンスだったのかもしれません。だとすれば今回の協議は両国間で事前にしっかりと準備され、合意するべくして合意に至れた会談だったのではないかと推測できます。
ちなみに金額についてですが、東電は除染費用数百億を滞納し続けているというニュースを見たばっかということもあり、「東電に比べれば10億くらい……」なんて思ってしまいました。
もう一度今回の協議合意の評価についてもう少し詳しく述べると、ネットを見ているとまた後で蒸し返される、過去の政府の合意は無効だなどと言われ、今回出す金はムダ金に終わるという意見が多いように見えます。私自身も過去の韓国を振り返りその可能性は高いと思いますが先ほども述べた通りに10億円は極端に高い金額でないように思えること、韓国政府の合意を得ての今回の支払いでもって日本側は過去に対応しているという既成事実を作れることを考えたら、失敗に終わる可能性はあるものの金を出す価値はあるように思うわけです。
また、今回の合意でもって今後以下のような展開が予想されます。
・朴大統領、韓国与党の支持率低下
・元慰安婦同士が合意内容を受け入れるかで分裂
・日本は謝罪しないばかりか金も出さないという主張前提の崩壊
・「出す金額が少ない」という韓国世論の表出
以上は私が予想する韓国内の今後の動向ですが、言い換えれば韓国政府の基盤がぐらつくということです。これは日本政府にとっては悪くないように思え、特に朴大統領には早くに引いてもらった方が案外やりやすいように思えます。でもって韓国世論は合意無効が叫ばれるでしょうが日本はそれを出来る限り海外に宣伝して、この前のギリシャがドイツに今更また賠償金を求めてきたようなニュースのようにして報じればこれまでの告げ口外交の意趣返しが少しはできる気がします。
ただ少し気になることを述べると、何故このタイミングで韓国政府は協議に合意してきたのでしょうか。朴政権は慰安婦問題についてはかなり強硬な態度を貫いておりその上で今回の合意に落とすならば反発は必至で、何故危ない橋を渡ってまで合意してきたのかという動機が気になります。
思いつく理由を上げれば日中の接近、韓国の政治リスク、韓国外務省の功績狙いなどありますが、一番無難なのは日本政府からの何らかの見返りでしょう。通貨スワップか平昌五輪への資金支援か、私個人の直感ではありますが恐らく近いうちに何らかの韓国支援が発表されて「前回の合意に続く日韓協力~」などと友好アピールがされるのではないかと思います。
逆を言えば、慰安婦問題で方針転換を選ぶほど韓国側が状況的に何らかの理由で困っていたのは間違いない事実でしょう。日本側としては今回の合意に際して暗に約束された見返りを果たすか、無視するか、いわば「選ぶ立場」にあるので、あまり細かいところ突っこまないで今回は日本政府を支持してもいいんじゃないかというのが私の意見です。あと、会談前のコメントなどを見る限りは岸田外相はなかなかやるなと前からも評価してましたがまた今回も評価の上積みです。
2015年12月27日日曜日
三国志9のプレイ日記
・寿司28皿食べたら、彼氏にひかれた・・・(アルファルファモザイク)
上記リンク先は最近読んだまとめ記事で一番笑った奴です。見出しだけでも十分な内容ですが、自分は回転寿司行ってもせいぜい8皿程度、最も餓えてた学生時代ですら12皿くらいでしたから、隣で28皿食われたらしょうがないかななどと彼氏に同情してしまいます。
話は本題に入りますが、このところ内容ぎっしりでなおかつかなり真面目なことばかり書いてきたせいかちょっと燃え尽き症候群みたいに記事書く気が起きないです。仕方ないので日記がてら今は待っているゲームについて書こうかなと思い、今やっているパソコンゲームの「三国志9」について適当なことをちらほら書きます。
三国志シリーズとくればコーエー(現コーエーテクモ)が販売してきた傑作シミュレーションゲームシリーズですが、三国志マニアを自認する私も1、3、4、5、7の計五作をこれまでプレイしてきました。7以降は大分遠ざかっていたのですがふとしたきっかけで9が最高傑作との呼び声高いと聞き、どうせ中国行くと暇なんだし念のため買っておくかと今年10月に買っておいて、「メタルギアソリッドピースウォーカー」がひと段落したのを契機に遊び始めました。
最初のプレイで使用キャラに浸かったのは孫堅で、理由は攻略サイトに「初心者おすすめ」と書かれてあったからです。おすすめされるだけあって孫堅プレイだと敵対勢力が存在しない荊州南郡を早々に植民地化することが出来て、非常に攻略が楽でした。むしろ楽過ぎて物足りなさを覚えるほどでしたけど。
そんな孫堅でのプレイをあっさり終えて次に選んだのは公孫賛で、なんで彼を選んだのかというと過去の三国志ゲームで彼を一度も選んだことなくてたまには使ってみたいと思ったからです。以前の三国志ゲームだと公孫賛は北っぱじに拠点を構えてて地理的には有利だけど部下が少なく、なおかつ巨大勢力の袁紹が近くにいて難しいとされるキャラでしたが、この三国志9では部下となる武将が増員されており、また騎兵に関連した技能を持つ武将が多くてむしろかなり強い部類でした。なもんだからこっちも袁紹が油断した隙を狙ってどんどん都市を切り取っていって割と順調に天下統一を果たしました。
と、ここまでプレイした所で初めて気が付いたのですが、今回私が買った三国志9はソースネクストが再販した「三国志9Withパワーアップキット版」というものでおまけ機能を追加したパワーアップキットが付属していたものの、それまでその存在に気付くことなく通常版で遊び続けていました。てっきり最初のインストールディスクにすべて入っているかと思ってたよ……。
気を取り直してパワーアップキットも追加インストールして、今度は馬超を使用キャラにしてプレイ開始。なんで馬超かというと公孫賛でプレイした際に馬超を部下にして使ってたら強くて頼りになり、今度はこいつ主役で遊んでみたいと思ったからです。
三国志9の馬超と来たらこんな記事もあるくらい計略に引っかかりやすい能力となっており実際私が使う馬超も戦場に出る度に、「何、後方が敵に攻められているだと?」と言っては無団体客を繰り返すおっちょこちょいさんでしたが、プレイ全体で波乱に富んでて半端なく面白かったです。
まずパワーアップキットになって敵AIが強化されて手応えのある難易度になったことと、曹操、孫堅、劉備がそれぞれ基盤を固めて大きな勢力となっている時代なので一筋縄ではいかない状況だったのと、馬超の勢力は内政を任せられる政治力の高い人材が誰一人いないため「餓える前に攻め落とす」という異民族的なプレイを迫られることとなって割とひやひやしながら遊べました。
特にゲーム開始時の時点で馬超は長安を既に支配下に置いていますが、そこからスタートダッシュで曹操の支配する洛陽を順調に落とした後、南からは劉備軍、南東からは孫権軍が北上して来て、ちょうど許昌~徐州のあたりで馬超、曹操、劉備、孫権の四勢力が激しく入り乱れる修羅場と化して誰が漁夫の利を得るのかという状況となって一瞬たりとも気が抜けませんでした。
しかも面白いことに、馬超軍にいた韓遂が曹操軍に敗北して捕虜となり、そのまま曹操側に就くという展開となった上、逆に馬超軍が捕虜とした曹植を軍門に引き入れようと説得している最中に曹操が病死し、曹丕がその後を継いだところで曹植が馬超につくという、なんか妙なリアル感を持つ展開になっていきました。なお曹植君は筋肉馬鹿ばかりの馬超軍においては貴重な知恵袋となってマジ大活躍でした。
また四つ巴の状態も、大規模な陽動と挟撃を仕掛けて河北の曹操軍を追っ払ったところで一気にパワーバランスが馬超に傾き、諸葛亮などから引き抜きとか異民族けしかけられる嫌がらせは受けたものの、大きな障害なくそのまま統一までもって来れました。ただ本当に本当の統一直前に、右腕としていた馬岱が寿命で死んでちょっとクラっときましたが。
現在は呂布でプレイしていますが、正直辛いです。上からは曹操、下からは袁術に攻められ、領地の小ささと兵力差からなかなか逆転が効かず何度も攻め滅ぼされました。どうすれば生き残れるかと考え、最終的には実際の歴史通りにスタート時点で友好関係にある劉備軍を裏切り、小沛をいきなり攻め落とすことで大分やりやすくなりました。生きる為なんだから、これも仕方ないよね。
上記リンク先は最近読んだまとめ記事で一番笑った奴です。見出しだけでも十分な内容ですが、自分は回転寿司行ってもせいぜい8皿程度、最も餓えてた学生時代ですら12皿くらいでしたから、隣で28皿食われたらしょうがないかななどと彼氏に同情してしまいます。
話は本題に入りますが、このところ内容ぎっしりでなおかつかなり真面目なことばかり書いてきたせいかちょっと燃え尽き症候群みたいに記事書く気が起きないです。仕方ないので日記がてら今は待っているゲームについて書こうかなと思い、今やっているパソコンゲームの「三国志9」について適当なことをちらほら書きます。
三国志シリーズとくればコーエー(現コーエーテクモ)が販売してきた傑作シミュレーションゲームシリーズですが、三国志マニアを自認する私も1、3、4、5、7の計五作をこれまでプレイしてきました。7以降は大分遠ざかっていたのですがふとしたきっかけで9が最高傑作との呼び声高いと聞き、どうせ中国行くと暇なんだし念のため買っておくかと今年10月に買っておいて、「メタルギアソリッドピースウォーカー」がひと段落したのを契機に遊び始めました。
最初のプレイで使用キャラに浸かったのは孫堅で、理由は攻略サイトに「初心者おすすめ」と書かれてあったからです。おすすめされるだけあって孫堅プレイだと敵対勢力が存在しない荊州南郡を早々に植民地化することが出来て、非常に攻略が楽でした。むしろ楽過ぎて物足りなさを覚えるほどでしたけど。
そんな孫堅でのプレイをあっさり終えて次に選んだのは公孫賛で、なんで彼を選んだのかというと過去の三国志ゲームで彼を一度も選んだことなくてたまには使ってみたいと思ったからです。以前の三国志ゲームだと公孫賛は北っぱじに拠点を構えてて地理的には有利だけど部下が少なく、なおかつ巨大勢力の袁紹が近くにいて難しいとされるキャラでしたが、この三国志9では部下となる武将が増員されており、また騎兵に関連した技能を持つ武将が多くてむしろかなり強い部類でした。なもんだからこっちも袁紹が油断した隙を狙ってどんどん都市を切り取っていって割と順調に天下統一を果たしました。
と、ここまでプレイした所で初めて気が付いたのですが、今回私が買った三国志9はソースネクストが再販した「三国志9Withパワーアップキット版」というものでおまけ機能を追加したパワーアップキットが付属していたものの、それまでその存在に気付くことなく通常版で遊び続けていました。てっきり最初のインストールディスクにすべて入っているかと思ってたよ……。
気を取り直してパワーアップキットも追加インストールして、今度は馬超を使用キャラにしてプレイ開始。なんで馬超かというと公孫賛でプレイした際に馬超を部下にして使ってたら強くて頼りになり、今度はこいつ主役で遊んでみたいと思ったからです。
三国志9の馬超と来たらこんな記事もあるくらい計略に引っかかりやすい能力となっており実際私が使う馬超も戦場に出る度に、「何、後方が敵に攻められているだと?」と言っては無団体客を繰り返すおっちょこちょいさんでしたが、プレイ全体で波乱に富んでて半端なく面白かったです。
まずパワーアップキットになって敵AIが強化されて手応えのある難易度になったことと、曹操、孫堅、劉備がそれぞれ基盤を固めて大きな勢力となっている時代なので一筋縄ではいかない状況だったのと、馬超の勢力は内政を任せられる政治力の高い人材が誰一人いないため「餓える前に攻め落とす」という異民族的なプレイを迫られることとなって割とひやひやしながら遊べました。
特にゲーム開始時の時点で馬超は長安を既に支配下に置いていますが、そこからスタートダッシュで曹操の支配する洛陽を順調に落とした後、南からは劉備軍、南東からは孫権軍が北上して来て、ちょうど許昌~徐州のあたりで馬超、曹操、劉備、孫権の四勢力が激しく入り乱れる修羅場と化して誰が漁夫の利を得るのかという状況となって一瞬たりとも気が抜けませんでした。
しかも面白いことに、馬超軍にいた韓遂が曹操軍に敗北して捕虜となり、そのまま曹操側に就くという展開となった上、逆に馬超軍が捕虜とした曹植を軍門に引き入れようと説得している最中に曹操が病死し、曹丕がその後を継いだところで曹植が馬超につくという、なんか妙なリアル感を持つ展開になっていきました。なお曹植君は筋肉馬鹿ばかりの馬超軍においては貴重な知恵袋となってマジ大活躍でした。
また四つ巴の状態も、大規模な陽動と挟撃を仕掛けて河北の曹操軍を追っ払ったところで一気にパワーバランスが馬超に傾き、諸葛亮などから引き抜きとか異民族けしかけられる嫌がらせは受けたものの、大きな障害なくそのまま統一までもって来れました。ただ本当に本当の統一直前に、右腕としていた馬岱が寿命で死んでちょっとクラっときましたが。
現在は呂布でプレイしていますが、正直辛いです。上からは曹操、下からは袁術に攻められ、領地の小ささと兵力差からなかなか逆転が効かず何度も攻め滅ぼされました。どうすれば生き残れるかと考え、最終的には実際の歴史通りにスタート時点で友好関係にある劉備軍を裏切り、小沛をいきなり攻め落とすことで大分やりやすくなりました。生きる為なんだから、これも仕方ないよね。
2015年12月26日土曜日
マイナンバー制度導入に伴う留学生の就労懸念
昨夜はクリスマスで別に意図なくブログ休みましたが特に何かしたわけじゃなく、洋食屋行ってピザ食べた後、「無双OROCHI2 ULTIMATE」の「アンリミテッドモード」でずっと遊んでました。ちなみに知り合いの現地採用の女の子は、「クリスマスなのに仕事(;´Д`)」ってほざいててちょい笑えました。
話は本題に入りますが、このところ何かとお騒がせなマイナンバー制度。私なんかこのところずっと日本にいないのでそもそも通知カードが届いているのかすら把握していないほど無視していますが(マジで外国居留者はどうせいちゅうねん)、この制度に戦々恐々しているのは日本人だけでなく、外国人留学生も大きな心配を抱えていると聞きます。というのも、このマイナンバー制度によってアルバイト時間が当局に把握されてしまうのではという懸念を持っているようです。
<留学生バイトは週28時間が上限>
自分も今回調べてみるまで知らなかったのですが、留学ビザで日本に来た外国人留学生は日本でアルバイトを行うことは容認されているものの、その労働時間は「週28時間」を上限として定められており、これを越えるアルバイトを行った場合は就労違反と扱われます。なお、学校の長期休暇中は「1日8時間」にまで緩和されるそうです。
もし就労時間の超過がばれた場合にどうなるのかはあんまり書かれていませんが、一例では大学卒業時に就労ビザが発行されず内定が取り消されたという話がネットで紹介されていました。私の推測ですがそれほど厳しく調べられているわけではなく、あまりにも大きく超過しない限りは黙認されているのが現状ではないかと思えます。
この規定はどちらからというと留学生よりも、彼らを雇う雇用者向けへの注意として広報されることが多いです。曰く、「週28時間以上働かせてはいけません」的にあちこちで書かれているのですが、留学生側はこうした規制に対しアルバイト先を掛け持ちすることで、週28時間以上働くことを可能にしていると聞きます。なんでかっていうと、一か所のバイト先で週28時間以上とならなければばれないからでしょう。
<マイナンバーで上限突破がばれるのか?>
しかしこうした掛け持ちによって上限以上に働くというやり方が、今度のマイナンバー制度導入によって不可能になるのではという噂がどうも留学生社会に広まっているそうです。自分もこの辺はあまり詳しくない、というかまだ実施されていないのだから無理ないですが、各雇用主はマイナンバーの導入後、雇用者のマイナンバーを集めそれを元に源泉徴収など給与報酬の額を税務署へ報告する義務が課せられます。これによって税務署側は誰がどこでどれだけ働いているのかを把握することができ、結果的に留学生がバイト先を掛け持ちして週28時間以上の就労を行っている事実を把握できてしまうのでは、でもって処分されるのではというのが不安の中身です。
実際の運用がどういう風になるのかまだわからないものの、可能性としてはなくもない話です。何で政府が留学生の就労時間を規制しているのかというと留学目的で入ってきて本国への送金のため勉強そっちのけで働き続けるようなケースを防ぐためで、これについては非常によく理解できます。
しかしその上で述べると、発展途上国などから着の身着のままやってきて、自らの生活費はもとより学費も含めて日本で働きながら調達する苦学生がいることも事実です。実際に私の周りの留学生二はそういう子が多く、卒業式の際にすぐ帰国するのかと聞いたら、「まず帰国費用を稼がなくてはいけない」と言い返したチリ人の女の子は未だに強く印象に残っています。
私が何を言いたいのかというと、事情によって週28時間以上働かなくては勉強を続けられない留学生もたくさんいると思われるだけにマイナンバー導入後も彼らを追い詰めるようなことはしてほしくないということです。恐らくマイナンバー導入後もいろいろ理由付けたりしてお目こぼしをするんじゃないかという気がしますが、そんなことする位ならあらかじめ免罪規定を設けて、たとえば一定の学費を納める目的での就労であれば上限を緩和するなどといった救済措置を作って上げてもらいたいです。
<現行制度での留学生アルバイトのモデル収入>
・週28時間→月間約120時間 ・時給を1000円と仮定
120×1000=120000 おおよその月間収入:12万円
この収入額ではよっぽどいい奨学金を得られない限りはとても私立大学、最近は国立も授業料上がっているので国立も含め、学費を納めながら生活していくことは難しいでしょう。
<産業界も大打撃?>
この上限緩和を主張するという意見はただ単に苦学生が可哀相だという同情心から私は言っているわけではありません。もう一つの理由はかねてからこのブログでも主張しているように日本は現時点ですでに深刻な労働力不足となっており、その労働力を支えているのはほかならぬ外国人留学生のアルバイトです。深夜の居酒屋なんて店によっては「ここは日本か?」と思うくらい外国語が飛び交ってることもあり(調子に乗って自分も友人と中国語で話しだしたことある)、3K労働ではもはや外国人留学生なしでは成り立たない業種も多数あるとにらんでいます。そして彼ら外国人留学生は恐らく、週28時間の上限を越えて働いているのが現状で、この規定が厳格に運用されたら途端にあちこちのお店で従業員不足が深刻化するのではと懸念しています。
内容をまとめると週28時間ルールを厳格に運用すれば外国人留学生、産業界が揃って損を食う羽目になりかねないので例外規定なり緩和条件を早く準備するべきだというのが私の意見です。もちろん勉強そっちのけでバイトしかやらないような留学生は問題なので、そういった学生は年間取得単位などでビザ更新を止めるなど罰則を設けてやれば、少しは制度も回るのではないかと思います。
繰り返しになりますが、本当に大変な思いしてまで日本へ来てくれている留学生も少なくないのです。そうした留学生の気持ちに日本で学ぶ、生活する機会を広げてほしいというのが、外国に住んでる私の切実な思いです。
話は本題に入りますが、このところ何かとお騒がせなマイナンバー制度。私なんかこのところずっと日本にいないのでそもそも通知カードが届いているのかすら把握していないほど無視していますが(マジで外国居留者はどうせいちゅうねん)、この制度に戦々恐々しているのは日本人だけでなく、外国人留学生も大きな心配を抱えていると聞きます。というのも、このマイナンバー制度によってアルバイト時間が当局に把握されてしまうのではという懸念を持っているようです。
<留学生バイトは週28時間が上限>
自分も今回調べてみるまで知らなかったのですが、留学ビザで日本に来た外国人留学生は日本でアルバイトを行うことは容認されているものの、その労働時間は「週28時間」を上限として定められており、これを越えるアルバイトを行った場合は就労違反と扱われます。なお、学校の長期休暇中は「1日8時間」にまで緩和されるそうです。
もし就労時間の超過がばれた場合にどうなるのかはあんまり書かれていませんが、一例では大学卒業時に就労ビザが発行されず内定が取り消されたという話がネットで紹介されていました。私の推測ですがそれほど厳しく調べられているわけではなく、あまりにも大きく超過しない限りは黙認されているのが現状ではないかと思えます。
この規定はどちらからというと留学生よりも、彼らを雇う雇用者向けへの注意として広報されることが多いです。曰く、「週28時間以上働かせてはいけません」的にあちこちで書かれているのですが、留学生側はこうした規制に対しアルバイト先を掛け持ちすることで、週28時間以上働くことを可能にしていると聞きます。なんでかっていうと、一か所のバイト先で週28時間以上とならなければばれないからでしょう。
<マイナンバーで上限突破がばれるのか?>
しかしこうした掛け持ちによって上限以上に働くというやり方が、今度のマイナンバー制度導入によって不可能になるのではという噂がどうも留学生社会に広まっているそうです。自分もこの辺はあまり詳しくない、というかまだ実施されていないのだから無理ないですが、各雇用主はマイナンバーの導入後、雇用者のマイナンバーを集めそれを元に源泉徴収など給与報酬の額を税務署へ報告する義務が課せられます。これによって税務署側は誰がどこでどれだけ働いているのかを把握することができ、結果的に留学生がバイト先を掛け持ちして週28時間以上の就労を行っている事実を把握できてしまうのでは、でもって処分されるのではというのが不安の中身です。
実際の運用がどういう風になるのかまだわからないものの、可能性としてはなくもない話です。何で政府が留学生の就労時間を規制しているのかというと留学目的で入ってきて本国への送金のため勉強そっちのけで働き続けるようなケースを防ぐためで、これについては非常によく理解できます。
しかしその上で述べると、発展途上国などから着の身着のままやってきて、自らの生活費はもとより学費も含めて日本で働きながら調達する苦学生がいることも事実です。実際に私の周りの留学生二はそういう子が多く、卒業式の際にすぐ帰国するのかと聞いたら、「まず帰国費用を稼がなくてはいけない」と言い返したチリ人の女の子は未だに強く印象に残っています。
私が何を言いたいのかというと、事情によって週28時間以上働かなくては勉強を続けられない留学生もたくさんいると思われるだけにマイナンバー導入後も彼らを追い詰めるようなことはしてほしくないということです。恐らくマイナンバー導入後もいろいろ理由付けたりしてお目こぼしをするんじゃないかという気がしますが、そんなことする位ならあらかじめ免罪規定を設けて、たとえば一定の学費を納める目的での就労であれば上限を緩和するなどといった救済措置を作って上げてもらいたいです。
<現行制度での留学生アルバイトのモデル収入>
・週28時間→月間約120時間 ・時給を1000円と仮定
120×1000=120000 おおよその月間収入:12万円
この収入額ではよっぽどいい奨学金を得られない限りはとても私立大学、最近は国立も授業料上がっているので国立も含め、学費を納めながら生活していくことは難しいでしょう。
<産業界も大打撃?>
この上限緩和を主張するという意見はただ単に苦学生が可哀相だという同情心から私は言っているわけではありません。もう一つの理由はかねてからこのブログでも主張しているように日本は現時点ですでに深刻な労働力不足となっており、その労働力を支えているのはほかならぬ外国人留学生のアルバイトです。深夜の居酒屋なんて店によっては「ここは日本か?」と思うくらい外国語が飛び交ってることもあり(調子に乗って自分も友人と中国語で話しだしたことある)、3K労働ではもはや外国人留学生なしでは成り立たない業種も多数あるとにらんでいます。そして彼ら外国人留学生は恐らく、週28時間の上限を越えて働いているのが現状で、この規定が厳格に運用されたら途端にあちこちのお店で従業員不足が深刻化するのではと懸念しています。
内容をまとめると週28時間ルールを厳格に運用すれば外国人留学生、産業界が揃って損を食う羽目になりかねないので例外規定なり緩和条件を早く準備するべきだというのが私の意見です。もちろん勉強そっちのけでバイトしかやらないような留学生は問題なので、そういった学生は年間取得単位などでビザ更新を止めるなど罰則を設けてやれば、少しは制度も回るのではないかと思います。
繰り返しになりますが、本当に大変な思いしてまで日本へ来てくれている留学生も少なくないのです。そうした留学生の気持ちに日本で学ぶ、生活する機会を広げてほしいというのが、外国に住んでる私の切実な思いです。
2015年12月24日木曜日
MRJと愉快なライバル達、それと今後の課題
・「スター・ウォーズ」新作初日 千葉ットマン“お忍び鑑賞” ストーム・トルーパー姿で客に囲まれる(千葉日報)
ここ最近で一番、「何やってんだこの人?」と思ったニュースです。ってかこういう人が身近にいればいいなぁ。
話は本題に入りますが先日初飛行を成功裏に終えた日本国産ジェット機のMRJですが、初飛行を終えて大喝采を上げるのはまだ理解できるとしても、「今後の大成功は間違いなし!」、「性能の優秀さが証明された!」などと、少なくとも私から見ていて過剰に誉め過ぎる記事が余りにも多すぎるような気がします。航空業界に決して詳しくはありませんが販売して、営業飛行させるというきっかりした実績を作るまでは過剰に喜び過ぎずむしろ兜の尾を締める様な態度が必要だと思え、今日は少しMRJを取り巻く業界と今後の課題についてさっき勉強した結果を素人的に伝えようと思います。
上記の比較表は東洋経済がリンク先の記事にてまとめた表で、素晴らしくよくまとまっててこの図表だけでもうこの記事も完結しちゃうんじゃないかと思うくらいの凄さです。簡単にこの図表とMRJを取り巻く背景を説明すると、まずMRJは乗客100人前後を乗せる「中小型旅客機」というカテゴリーに属し、このカテゴリー内で競合し合う機種というのが上記表にまとめられているわけです。
中小型機というカテゴリー
ちょっと脱線しますが中小型機というカテゴリーはどんな飛行機かというと、ジャンボジェットなどと比べて軽量かつ小型であることから燃費が良く、離発着が多い中短距離間を結ぶ航路に向いているとされるカテゴリーです。また今後世界市場でも需要が高まるとかねてから予想されていることから日本勢も参入したのでしょうが、それともう一つ日本国内の航路で需要が高いことも影響しているのではと密かに見ています。というのも日本の地方空港は滑走路が狭く大きな機体では入れられないため、こうした地域インフラを維持する上でも中小型機の国産化の必要性があったのかもしれません。
MRJのライバル
話は戻りMRJのライバルたちですが、老舗と呼ばれこれまで市場を握ってきたのはブラジルのエンブラエルとカナダのボンバルディアの二社で、新規参入組となるのがロシアのスホーイ、中国COMAC、日本の三菱重工となります。このうちロシアのスホーイに関してはあまり情報がないのですが、エンブラエルとボンバルディアの機種に関しては既に市場に出回っているものの設計がやや古く、燃費などの性能面ではMRJの方に分があると各日系メディアに書かれてあり私も納得できます。となると気になるのは同じく新規参入組でもある中国COMACのARJですが、隣国ということもあってやっぱお互いそれとなく意識し合う存在でしょう。
中国のARJの実力は?
ARJはMRJよりも早くに開発が始まっており、私も記者時代は開発状況とか受注状況などといったニュースの記事をよく書いてました。ぶっちゃけ書きながら、「ほんまこれ飛ぶんかいな?」と内心思ってましたが。
MRJもそうですが中国にとっては初の国産旅客機開発ということもあって開発は計画通りにとは行かず、これまでに何度もスケジュールの延期を行っております。手元の中国語記事などによると2002年に設計開発が始まり2008年に初飛行、2009年3月に初納品の生産が始まり、2014年12月に当局の合格証を得て、2015年6月に検査で合格し、つい先日に初納入先の成都航空へ納められ近く正式な航空営業証が発行される見通しのようです。
このARJの性能について日系メディアは、はっきり言えば見下した見方をしているのが大半と言ってもいいでしょう。実際に皆さんも検索して記事を見てもらえばわかるでしょうがやれ客室が狭いとか設計がMRJより古いとか開発経験がないとかメイドインチャイナだなどかなり厳しく書かれており、国際評価でもMRJの方が高いとも書かれてあります。ただこうした見方にはすこし頷けるというか裏付ける状況証拠がないわけでもなく、その状況証拠というのも初納入が成都航空という地方航空会社であるということです。
中国の威信をかけて開発された機種なのですが何故かその初納品は中国三大航空キャリアこと中国国際、東方航空、南方航空ではなく一地方航空会社の成都航空へ引き渡されました。MRJは恐らく全日空か日航が最初に受け取るであろうことを考えるとやや違和感を覚えるのですが、この背景には中国三大キャリアはそれほどARJを高く評価していないためという噂が出ております。一応発注契約は出してはいますが最初は成都航空に掴ませて性能を確かめる、もとい実験台になってもらうという腹積もりがあり、中国政府も多少自認しているのかその案に乗ったためと、あくまで噂ですがこんな話を聞くわけです。
なもんだから日系メディアはARJは中国国内でしか発注されず、海外市場では恐らく売れないだろう、MRJの敵ではないだろうなんてことをよく書いてます。なんせ性能ではMRJの方が圧倒的に上なのだから。
本当にMRJは海外市場で売れるのか?
ある意味この箇所こそ一番書きたかったところになりますが、やはり今の日本のMRJに対する意識は浮かれ過ぎであるような気がしてなりません。特に中国のARJに対しては、「性能では劣るはずがない」と言い切り、非常に強気な態度で見下す以外の目は持ってないように見える。
しかし、性能が上だからといって必ずしも売れるとは限りません。インドネシアの高速鉄道の受注で先日、日本が中国に一敗地にまみれたのは記憶にも新しいでしょう。実績、性能で言えば間違いなく日本の新幹線の方が上でしょうが、この時は負けました。何故負けたのかというと中国が安値で攻勢をかけてきたというのもあるでしょうがそれ以上に政治力、いや販売力に差があったと見るべきでしょう。
鉄道にしろ飛行機にしろ、海外で受注を受けるに当たっては安全性や性能、実績もさることながら何よりも大きく左右するのはやはり販売力です。いい物で値段がお手頃だからって売れるとは限らず、この辺に関する言及が日系メディアに全くと言っていいほど見当たらないことに自分は強い危機感を覚えています。
楽観視はよくない
こと販売力というか売り込みに関しては中国は本当にえげつないところがあり、果たしてそのえげつない中国に負けないえげつなさを日本はMRJの販売で発揮できるのか、そしてをそれを実行に移す人材がどれだけいるのか、いなかったり少なかったりするのであれば今この瞬間にこそ人材をスカウトなり育成なりすることが喫緊の課題であるように思えます。
特に中国の場合、無理矢理海外実績を作るために半端ないダンピング攻勢こと大幅な値下げ戦術を取ってくることも考えられるし、メーカーの赤字分を政府が補填するという裏技も仕掛けてくることだって十分あり得ます。そのような場合に日本側はどう対応していくべきなのか、採算を維持した上でどうやって海外で実績を作っていくのかという戦略なり戦術を今この時だからこそ、相手は性能で劣っているからと言って見下し、楽観視するばかりでなくしっかり戦う準備をして蟻だろうが象だろうが向かってくるものすべてを一撃で叩き潰すくらいの気迫を持って売り込みをかけてもらいたいというのが私の本音です。
結論を述べると、スペックで勝っていることをいちいち自慢ばかりせず、相手が誰であろうとなにがなんでも本気で売り込んで儲けるという強い気迫を日本は持つべきで、浮かれるのにはまだ早いというのが一素人としての意見です。
ここ最近で一番、「何やってんだこの人?」と思ったニュースです。ってかこういう人が身近にいればいいなぁ。
話は本題に入りますが先日初飛行を成功裏に終えた日本国産ジェット機のMRJですが、初飛行を終えて大喝采を上げるのはまだ理解できるとしても、「今後の大成功は間違いなし!」、「性能の優秀さが証明された!」などと、少なくとも私から見ていて過剰に誉め過ぎる記事が余りにも多すぎるような気がします。航空業界に決して詳しくはありませんが販売して、営業飛行させるというきっかりした実績を作るまでは過剰に喜び過ぎずむしろ兜の尾を締める様な態度が必要だと思え、今日は少しMRJを取り巻く業界と今後の課題についてさっき勉強した結果を素人的に伝えようと思います。
(東洋経済「三菱重のMRJと海外のライバルを徹底比較」記事より引用)
上記の比較表は東洋経済がリンク先の記事にてまとめた表で、素晴らしくよくまとまっててこの図表だけでもうこの記事も完結しちゃうんじゃないかと思うくらいの凄さです。簡単にこの図表とMRJを取り巻く背景を説明すると、まずMRJは乗客100人前後を乗せる「中小型旅客機」というカテゴリーに属し、このカテゴリー内で競合し合う機種というのが上記表にまとめられているわけです。
中小型機というカテゴリー
ちょっと脱線しますが中小型機というカテゴリーはどんな飛行機かというと、ジャンボジェットなどと比べて軽量かつ小型であることから燃費が良く、離発着が多い中短距離間を結ぶ航路に向いているとされるカテゴリーです。また今後世界市場でも需要が高まるとかねてから予想されていることから日本勢も参入したのでしょうが、それともう一つ日本国内の航路で需要が高いことも影響しているのではと密かに見ています。というのも日本の地方空港は滑走路が狭く大きな機体では入れられないため、こうした地域インフラを維持する上でも中小型機の国産化の必要性があったのかもしれません。
MRJのライバル
話は戻りMRJのライバルたちですが、老舗と呼ばれこれまで市場を握ってきたのはブラジルのエンブラエルとカナダのボンバルディアの二社で、新規参入組となるのがロシアのスホーイ、中国COMAC、日本の三菱重工となります。このうちロシアのスホーイに関してはあまり情報がないのですが、エンブラエルとボンバルディアの機種に関しては既に市場に出回っているものの設計がやや古く、燃費などの性能面ではMRJの方に分があると各日系メディアに書かれてあり私も納得できます。となると気になるのは同じく新規参入組でもある中国COMACのARJですが、隣国ということもあってやっぱお互いそれとなく意識し合う存在でしょう。
中国のARJの実力は?
ARJはMRJよりも早くに開発が始まっており、私も記者時代は開発状況とか受注状況などといったニュースの記事をよく書いてました。ぶっちゃけ書きながら、「ほんまこれ飛ぶんかいな?」と内心思ってましたが。
MRJもそうですが中国にとっては初の国産旅客機開発ということもあって開発は計画通りにとは行かず、これまでに何度もスケジュールの延期を行っております。手元の中国語記事などによると2002年に設計開発が始まり2008年に初飛行、2009年3月に初納品の生産が始まり、2014年12月に当局の合格証を得て、2015年6月に検査で合格し、つい先日に初納入先の成都航空へ納められ近く正式な航空営業証が発行される見通しのようです。
このARJの性能について日系メディアは、はっきり言えば見下した見方をしているのが大半と言ってもいいでしょう。実際に皆さんも検索して記事を見てもらえばわかるでしょうがやれ客室が狭いとか設計がMRJより古いとか開発経験がないとかメイドインチャイナだなどかなり厳しく書かれており、国際評価でもMRJの方が高いとも書かれてあります。ただこうした見方にはすこし頷けるというか裏付ける状況証拠がないわけでもなく、その状況証拠というのも初納入が成都航空という地方航空会社であるということです。
中国の威信をかけて開発された機種なのですが何故かその初納品は中国三大航空キャリアこと中国国際、東方航空、南方航空ではなく一地方航空会社の成都航空へ引き渡されました。MRJは恐らく全日空か日航が最初に受け取るであろうことを考えるとやや違和感を覚えるのですが、この背景には中国三大キャリアはそれほどARJを高く評価していないためという噂が出ております。一応発注契約は出してはいますが最初は成都航空に掴ませて性能を確かめる、もとい実験台になってもらうという腹積もりがあり、中国政府も多少自認しているのかその案に乗ったためと、あくまで噂ですがこんな話を聞くわけです。
なもんだから日系メディアはARJは中国国内でしか発注されず、海外市場では恐らく売れないだろう、MRJの敵ではないだろうなんてことをよく書いてます。なんせ性能ではMRJの方が圧倒的に上なのだから。
本当にMRJは海外市場で売れるのか?
ある意味この箇所こそ一番書きたかったところになりますが、やはり今の日本のMRJに対する意識は浮かれ過ぎであるような気がしてなりません。特に中国のARJに対しては、「性能では劣るはずがない」と言い切り、非常に強気な態度で見下す以外の目は持ってないように見える。
しかし、性能が上だからといって必ずしも売れるとは限りません。インドネシアの高速鉄道の受注で先日、日本が中国に一敗地にまみれたのは記憶にも新しいでしょう。実績、性能で言えば間違いなく日本の新幹線の方が上でしょうが、この時は負けました。何故負けたのかというと中国が安値で攻勢をかけてきたというのもあるでしょうがそれ以上に政治力、いや販売力に差があったと見るべきでしょう。
鉄道にしろ飛行機にしろ、海外で受注を受けるに当たっては安全性や性能、実績もさることながら何よりも大きく左右するのはやはり販売力です。いい物で値段がお手頃だからって売れるとは限らず、この辺に関する言及が日系メディアに全くと言っていいほど見当たらないことに自分は強い危機感を覚えています。
楽観視はよくない
こと販売力というか売り込みに関しては中国は本当にえげつないところがあり、果たしてそのえげつない中国に負けないえげつなさを日本はMRJの販売で発揮できるのか、そしてをそれを実行に移す人材がどれだけいるのか、いなかったり少なかったりするのであれば今この瞬間にこそ人材をスカウトなり育成なりすることが喫緊の課題であるように思えます。
特に中国の場合、無理矢理海外実績を作るために半端ないダンピング攻勢こと大幅な値下げ戦術を取ってくることも考えられるし、メーカーの赤字分を政府が補填するという裏技も仕掛けてくることだって十分あり得ます。そのような場合に日本側はどう対応していくべきなのか、採算を維持した上でどうやって海外で実績を作っていくのかという戦略なり戦術を今この時だからこそ、相手は性能で劣っているからと言って見下し、楽観視するばかりでなくしっかり戦う準備をして蟻だろうが象だろうが向かってくるものすべてを一撃で叩き潰すくらいの気迫を持って売り込みをかけてもらいたいというのが私の本音です。
結論を述べると、スペックで勝っていることをいちいち自慢ばかりせず、相手が誰であろうとなにがなんでも本気で売り込んで儲けるという強い気迫を日本は持つべきで、浮かれるのにはまだ早いというのが一素人としての意見です。
2015年12月23日水曜日
愛国心とは何か
最近買い始めたラブコメ漫画に「女の子同士のキスはノーカウント!」というセリフがあり、これを見たそのまさに一瞬、「なら男同士は?」という妙な疑問がよぎりました。なんだろう、こんな疑問よぎるのって自分だけ?
話は本題に入りますが、先日ふと道を歩いている最中に「愛国心とは何なのだろうか」という疑問がよぎりました。愛国心と一言で言ってもその定義する内容は使う人間によって大きく変わることが多く、Wikipediaの記述を見ても一番最初に大きく分けて二種類あるとして以下のように記述してます。
一口に「愛国心」といっても、話者によってその意味するところには大きな幅がある。愛国心の対象である「国」を社会共同体と政治共同体とに切り分けて考えると分かりやすい。
・社会共同体としての「国」に対する愛着は「愛郷心」(あいきょうしん)と言い換えることが出来る。
・政治共同体としての「国」に対する愛着は「忠誠心」(loyalty)と言い換えることが出来る。
(Wikipediaから引用)
この分け方には私も同感でそもそも愛国心という気持ちの対象が何であるのか、自国の国民なのか、民族なのか、文化なのか、政権なのか、国体なのか、言うまでもなく前三つと後ろ二つでは明確に区切る壁が存在します。そう考えると上記のWikipediaの記述がまさに適当だと思え、その上で述べるならば通常使う「愛国心」という言葉は後者で、前者はむしろ「郷土愛」などと呼んで使い分けを明確にした方がいいように思えます。
何故このように述べるのかというと「愛国心」という言葉はやはり政治用語のように思え、政権などに対する距離感を言い表すためだけに使うべきだと思うからです。妙な例を作りますが、日本食が大嫌いで洋食しか食べないし歌舞伎や能は興味ないけどオペラ好きではあるものの、日々日本のため汚れ仕事も率先して引き受ける敏腕な諜報員(独身)がいたとすると、この諜報員は前者の意味だと「愛国心がない」ということになってしまいますがそれはちょっと違うんじゃないかと思え、政権のために尽くすという一点でもってやはり「愛国心がある」と言うべきだと思うからです。ってかこんな諜報員いたら会ってみたいよ。
というわけで愛国心は政権や国体にのみ向けられる気持ちだと整理した上で次の疑問点をだすと、その気持ちが向けられる政権というのはいつの政権なのか。また変な例を出しますが中には徳川幕府復興を志してまだ活動している人もいるかもしれず、その人は現在の政権に当たる日本政府に対して反動分子でありますがかつての政権である徳川幕府には忠を尽くしているわけで、こういう人は果たして愛国者と呼べるのでしょうか。同時に、現政権を打倒して新たな政治体制の確立を目指して活動している人間も呼べるのか。
この疑問の答えははっきりしていて、やはり時の政権以外であればすべてテロリストでしかなく現代でテロリストを愛国者と呼ぶことはまずないので、愛国心は時の政権以外に向けられたものはもはや愛国心ではないというのが私の考えです。仮に革命がうまく成功して政権が転覆すればそのテロリストたちは愛国者として語り継がれるかもしれませんが、それはあくまで成功した上での話であって成功する前の段階でどうこういうべきではないでしょう。
長々と整理してきましたが核心部分に入りますと、時の政権に対する一体どういう気持ちが愛国心となるのか。単純にその政権を支持する気持ちが愛国心なのかどうかですが、キーワードとなるのはじ「自己犠牲」があるかないかではないかという気がします。国家のために自分を犠牲にして命も捧げるような感情が愛国心なのか、そこまで行かなくても単純に国のために何かできる範囲で協力しようという気持ちがあれば愛国心と言えるのか。
これは人によって考え方は違うでしょうが私の中の答えを述べると前者で、命すら捧げる気持ちがあって初めて愛国心と呼べるのであって程度の差なんてものはない気がします。なので「愛国心を育てる教育」なんていうのは間違いであって本来ならば「愛国心を作る教育」と言う方が適切ではないかとも考えます。
なんでこう極端な物言いをするのかというと途中まで愛国心を考えているうちに、「突き詰めればこれは国家に対する『忠』なのでは」というように思え、儒学の価値観に沿うならすべてを投げ打ってでも仕える対象に尽くして初めて「忠」と言え、命の危険を感じて引き払ったり距離を置いたりするのはやっぱり利己主義であって忠とは異なるように感じたからです。
なんかこう言うと時の政権の言うままに命を差し出すべきだと言ってる極端な人間のように思われそうだから釘刺しときますが、儒学の忠には「諌止の忠」もあり、「命を懸けて主君を諌める」事も含まれており、私もこういう行動も愛国心だと言えると考えています。政権に対して無批判でなければ愛国心がないというつもりはさらさらありません。
ゲームの「メタルギアソリッド3」でまさにこの「愛国心」という言葉の定義を主人公と敵役が議論というか一方的にまくしたてられるシーンがありますが、ボロ雑巾のように国家に使い倒されてもなお文句ひとつ言わず受け入れることが国家へのLoyaltyであって「愛国心」であると言い、その上で敵役は主人公に対し、「お前の忠はどこに向けられている?国家か、任務か?」と問います。その後の話をすれば主人公のネイキッド・スネークは国家を「棄て」、兵士が使い捨てられないような世界を目指して自らの「国家」を作っていこうすることになります。
この例に限るわけじゃないけど、本質的に愛国心と平和は同じ軌道上にはないのかもしれません。
話は本題に入りますが、先日ふと道を歩いている最中に「愛国心とは何なのだろうか」という疑問がよぎりました。愛国心と一言で言ってもその定義する内容は使う人間によって大きく変わることが多く、Wikipediaの記述を見ても一番最初に大きく分けて二種類あるとして以下のように記述してます。
一口に「愛国心」といっても、話者によってその意味するところには大きな幅がある。愛国心の対象である「国」を社会共同体と政治共同体とに切り分けて考えると分かりやすい。
・社会共同体としての「国」に対する愛着は「愛郷心」(あいきょうしん)と言い換えることが出来る。
・政治共同体としての「国」に対する愛着は「忠誠心」(loyalty)と言い換えることが出来る。
(Wikipediaから引用)
この分け方には私も同感でそもそも愛国心という気持ちの対象が何であるのか、自国の国民なのか、民族なのか、文化なのか、政権なのか、国体なのか、言うまでもなく前三つと後ろ二つでは明確に区切る壁が存在します。そう考えると上記のWikipediaの記述がまさに適当だと思え、その上で述べるならば通常使う「愛国心」という言葉は後者で、前者はむしろ「郷土愛」などと呼んで使い分けを明確にした方がいいように思えます。
何故このように述べるのかというと「愛国心」という言葉はやはり政治用語のように思え、政権などに対する距離感を言い表すためだけに使うべきだと思うからです。妙な例を作りますが、日本食が大嫌いで洋食しか食べないし歌舞伎や能は興味ないけどオペラ好きではあるものの、日々日本のため汚れ仕事も率先して引き受ける敏腕な諜報員(独身)がいたとすると、この諜報員は前者の意味だと「愛国心がない」ということになってしまいますがそれはちょっと違うんじゃないかと思え、政権のために尽くすという一点でもってやはり「愛国心がある」と言うべきだと思うからです。ってかこんな諜報員いたら会ってみたいよ。
というわけで愛国心は政権や国体にのみ向けられる気持ちだと整理した上で次の疑問点をだすと、その気持ちが向けられる政権というのはいつの政権なのか。また変な例を出しますが中には徳川幕府復興を志してまだ活動している人もいるかもしれず、その人は現在の政権に当たる日本政府に対して反動分子でありますがかつての政権である徳川幕府には忠を尽くしているわけで、こういう人は果たして愛国者と呼べるのでしょうか。同時に、現政権を打倒して新たな政治体制の確立を目指して活動している人間も呼べるのか。
この疑問の答えははっきりしていて、やはり時の政権以外であればすべてテロリストでしかなく現代でテロリストを愛国者と呼ぶことはまずないので、愛国心は時の政権以外に向けられたものはもはや愛国心ではないというのが私の考えです。仮に革命がうまく成功して政権が転覆すればそのテロリストたちは愛国者として語り継がれるかもしれませんが、それはあくまで成功した上での話であって成功する前の段階でどうこういうべきではないでしょう。
長々と整理してきましたが核心部分に入りますと、時の政権に対する一体どういう気持ちが愛国心となるのか。単純にその政権を支持する気持ちが愛国心なのかどうかですが、キーワードとなるのはじ「自己犠牲」があるかないかではないかという気がします。国家のために自分を犠牲にして命も捧げるような感情が愛国心なのか、そこまで行かなくても単純に国のために何かできる範囲で協力しようという気持ちがあれば愛国心と言えるのか。
これは人によって考え方は違うでしょうが私の中の答えを述べると前者で、命すら捧げる気持ちがあって初めて愛国心と呼べるのであって程度の差なんてものはない気がします。なので「愛国心を育てる教育」なんていうのは間違いであって本来ならば「愛国心を作る教育」と言う方が適切ではないかとも考えます。
なんでこう極端な物言いをするのかというと途中まで愛国心を考えているうちに、「突き詰めればこれは国家に対する『忠』なのでは」というように思え、儒学の価値観に沿うならすべてを投げ打ってでも仕える対象に尽くして初めて「忠」と言え、命の危険を感じて引き払ったり距離を置いたりするのはやっぱり利己主義であって忠とは異なるように感じたからです。
なんかこう言うと時の政権の言うままに命を差し出すべきだと言ってる極端な人間のように思われそうだから釘刺しときますが、儒学の忠には「諌止の忠」もあり、「命を懸けて主君を諌める」事も含まれており、私もこういう行動も愛国心だと言えると考えています。政権に対して無批判でなければ愛国心がないというつもりはさらさらありません。
ゲームの「メタルギアソリッド3」でまさにこの「愛国心」という言葉の定義を主人公と敵役が議論というか一方的にまくしたてられるシーンがありますが、ボロ雑巾のように国家に使い倒されてもなお文句ひとつ言わず受け入れることが国家へのLoyaltyであって「愛国心」であると言い、その上で敵役は主人公に対し、「お前の忠はどこに向けられている?国家か、任務か?」と問います。その後の話をすれば主人公のネイキッド・スネークは国家を「棄て」、兵士が使い捨てられないような世界を目指して自らの「国家」を作っていこうすることになります。
この例に限るわけじゃないけど、本質的に愛国心と平和は同じ軌道上にはないのかもしれません。
2015年12月21日月曜日
大阪人は何故海外に強い?
昨夜また前に原稿書いた中国雑誌社の編集者に原稿を依頼され、中国語でバッと記事書いたので疲労困憊です。書く時間はたっぷりあったけど慣れないテーマだったのと、最近ちゃんとした媒体に載せる記事書いてないから吐きそうな気分になりながら必死で900字弱で記事を書き終えました。
なのでこっちのブログの方はパパッと書けるネタとして、昨日ちょっと飲み会で聞いてきた話を書きます。
まず言いたいことだけ書くと、日本人の海外勤務では関西人、とりわけ大阪人が多方面で強いです。なんだかんだ言ってストレス多いから身体や精神やられる駐在員は決して少なくないのですが、大阪人でそういうのがやられるという話はほとんど聞かないし日本食屋とか言ってるとでかい声で関西弁がよく聞こえてくるなど、大阪人はどこ行っても大阪人だなと思いつつその海外での強さの秘密は何なのかと気になってました。
何故気になってたのかというと、大学時代の友人との会話が原因です。その友人は岐阜出身なのですが彼曰く、就職活動の際に周りの大阪人は海外はおろか大阪府、下手すれば大阪市からも出たくないと言う奴が多かったと話しており、実際に私も「東京勤務になるなら仕事辞める」とまで言う人を見たりしました。なおその岐阜出身者は海外勤務になったら会社辞めると言っておきながら、面接時はどこでも行きますよアピールして内定取ったそうです。
話は戻りますがこの過去の体験を鑑みると大阪人はどっちかっていうと地元に縛られてあまり外向きではないのかなと感じたのですが、実際の海外現場ではどこの出身者よりも元気なのは大阪人です。このギャップが気になってしょうがなかったので昨夜直接大阪人二人に、「なんでなん?」って聞いてみたところ、「若いうちは大阪出とうなかったよ」という回答がもらえました。
その後はあまり深く突っ込みませんでしたが、あの一瞬の回答から察するに社会に出る前の段階では地元愛が強すぎて外界に対して出ていこうという意識が弱い一方、一旦社会に出ると仕事というか商売にのめり込んでぐいぐい出て行こうとばかりに考えが切り替わるのかなと思いました。もちろん個体差はあるでしょうが。
でもって海外で強い要因に関してはこれは前からもほぼ確信してますが、概念が揺さぶられないのが何よりも大きいでしょう。自分の常識や価値観に対して目の前の人間なり社会が異なった動きを見せると人間は多かれ少なかれ動揺しますが、この際に相手が正しいのか自分が正しいのか、この迷いが大きくなると不安が高まります。関東というか東京の人は周囲に対してカメレオンのように合わせることを信条としているだけに海外では現地に合わせようと行動するも合わせられる限界を越えてパンクする傾向がありますが、これが大阪人だと自分のやり方のが正しいと思って合わせずにむしろ相手を自分の流儀に引き込もうとするので動揺しないのでは、というのが私の分析です。
こういったことを話したら昨夜話した大阪人のうち一人が、「せやせや、うちのかみさんも中国語わからへんのに中国人の店員相手に電卓ひとつで必死に値切っとったで」と、我が意を得たかのように話し出したので、自分の見方は当たらすとも遠からずではないかとみております。ちなみにこの自分の流儀を押し付けるというタイプですが中国人も当てはまり、アメリカ行っても中国語でしゃべり続けるあたりはほんと大阪人と相性いいなと思います。
なのでこっちのブログの方はパパッと書けるネタとして、昨日ちょっと飲み会で聞いてきた話を書きます。
まず言いたいことだけ書くと、日本人の海外勤務では関西人、とりわけ大阪人が多方面で強いです。なんだかんだ言ってストレス多いから身体や精神やられる駐在員は決して少なくないのですが、大阪人でそういうのがやられるという話はほとんど聞かないし日本食屋とか言ってるとでかい声で関西弁がよく聞こえてくるなど、大阪人はどこ行っても大阪人だなと思いつつその海外での強さの秘密は何なのかと気になってました。
何故気になってたのかというと、大学時代の友人との会話が原因です。その友人は岐阜出身なのですが彼曰く、就職活動の際に周りの大阪人は海外はおろか大阪府、下手すれば大阪市からも出たくないと言う奴が多かったと話しており、実際に私も「東京勤務になるなら仕事辞める」とまで言う人を見たりしました。なおその岐阜出身者は海外勤務になったら会社辞めると言っておきながら、面接時はどこでも行きますよアピールして内定取ったそうです。
話は戻りますがこの過去の体験を鑑みると大阪人はどっちかっていうと地元に縛られてあまり外向きではないのかなと感じたのですが、実際の海外現場ではどこの出身者よりも元気なのは大阪人です。このギャップが気になってしょうがなかったので昨夜直接大阪人二人に、「なんでなん?」って聞いてみたところ、「若いうちは大阪出とうなかったよ」という回答がもらえました。
その後はあまり深く突っ込みませんでしたが、あの一瞬の回答から察するに社会に出る前の段階では地元愛が強すぎて外界に対して出ていこうという意識が弱い一方、一旦社会に出ると仕事というか商売にのめり込んでぐいぐい出て行こうとばかりに考えが切り替わるのかなと思いました。もちろん個体差はあるでしょうが。
でもって海外で強い要因に関してはこれは前からもほぼ確信してますが、概念が揺さぶられないのが何よりも大きいでしょう。自分の常識や価値観に対して目の前の人間なり社会が異なった動きを見せると人間は多かれ少なかれ動揺しますが、この際に相手が正しいのか自分が正しいのか、この迷いが大きくなると不安が高まります。関東というか東京の人は周囲に対してカメレオンのように合わせることを信条としているだけに海外では現地に合わせようと行動するも合わせられる限界を越えてパンクする傾向がありますが、これが大阪人だと自分のやり方のが正しいと思って合わせずにむしろ相手を自分の流儀に引き込もうとするので動揺しないのでは、というのが私の分析です。
こういったことを話したら昨夜話した大阪人のうち一人が、「せやせや、うちのかみさんも中国語わからへんのに中国人の店員相手に電卓ひとつで必死に値切っとったで」と、我が意を得たかのように話し出したので、自分の見方は当たらすとも遠からずではないかとみております。ちなみにこの自分の流儀を押し付けるというタイプですが中国人も当てはまり、アメリカ行っても中国語でしゃべり続けるあたりはほんと大阪人と相性いいなと思います。
2015年12月19日土曜日
危機を切り抜けた名パイロットたち その四
このシリーズもようやく手持ちストックを使い切れます。当初は一回で全部取り上げようとしてたけど、四回に分けて正解だった。
11、ノースウェスト航空85便緊急着陸事故(2002年)
事故内容:ラダーの破損 乗客乗員数:404人
米国・デトロイトを出発して太平洋へと飛び立った同便は安定して飛行していた最中、突然機体が左方向に傾くというトラブルが発生しました。パイロットらは当初、左側のエンジンにトラブルがあるのではと考えたもののエンジン回りは特に誤作動はなく、またありとあらゆる方法で原因を捜したもののやはりわからず、緊急事態であることを管制に告げた上で緊急着陸先のテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港へと向かいました。先ほどにも述べた通りに期待は常に左側へ傾いたままでした。しかも姿勢を制御する補助翼も操作を受け付けなかったため、パイロットらは左右のエンジンの出力を調整することで機体を見事に制御し、着陸先の空港でも大過なく無事に着陸してのけました。
着陸後、機体の検査によってわかったのは姿勢を制御するラダー(尾翼についている稼働する羽)が金属疲労によって破損し、左側に傾いたまま動かなくなってしまったためでした。こういったラダーの故障は過去には一例もなく、原因がわからないまま最後まで操縦し続けたパイロットたちは航空会社から大きく賞賛されることとなりました。
なお、同便の行き先は何気に成田空港だったりします。
12、ブリティッシュ・エアウェイズ9便エンジン故障事故(1982年)
マレーシアのクアラルンプールからオーストラリアのパースへと飛び立った同便はインド洋上を飛行している際、本来雷雲を通っている最中にしか見えない発電現象の「セントエルモの火」がコックピットの中で確認されました。しかしレーダーでは雨雲は表示されておらず、何故この現象が発生するのかと思っていた矢先、突然4つのエンジン全てが停止してしまいました。
発電機などはまだ生きていたため最低限の機体操作は続けられ、高度も確保されていたためエンジンが停止したままでも相当の距離を飛行できる状態でしたが、同便の航路途中には山岳地帯があり、11500フィート以上の高度が無ければこの山肌に衝突してしまう危険性が残っていました。機長は必死で操縦を続けましたが、いざとなれば海上への不時着も覚悟していたそうです。
機長らはエンジンの再始動を繰り返したもののエンジンは戻らず、しかも悪い事態は重なるというかエンジン停止によって機内の与圧が下がってきたことから酸素マスクをつけようとしたところ、副機長のマスクが壊れるという事態に見舞われました。そのままだと副機長は酸素不足から気絶する可能性があるため、やむなく機長は酸素濃度を上げるため維持し続けたい高度を下げる決断をしました。
既に機体は山岳地帯を越えるのに必要な高度を下回る11400フィートに達し、もはや海上着水もやむなしと思ったその瞬間、突然第四エンジンが復帰し、さらにほかのエンジンも次々と復活しました。蘇ったエンジンで機体を立て直し緊急着陸先のハリム・ペルダナクスマ国際空港へと向かったところ、それまで夜間帯の飛行であったため気づかなかったのですが、コックピットの窓ガラスは一面真っ黒になっており窓の先がほとんど見えない状態になっていました。こんな悪条件の中、わずかに見える隙間を頼りに滑走路に狙いをつけ、無事にそのまま着陸して乗客乗員のすべてが生還へと至りました。
事故原因は頭の所に書いてある通りに火山灰で、インドネシアにあるガルングン山の噴火によって噴出した火山灰が同便が通過する航路にまで達し、エンジンがその灰を吸いこんだことによって灰が熱でガラス化し、詰まってしまったため停止してしまいました。雨雲を捉える気象レーダーは水蒸気に判別するのですが火山灰は乾燥しきってているため感知されず、レーダー上には表示されなかったためその存在に気付くことがありませんでした。無論、この事故を受けて世界の航空業界では火山灰が大きな事故要因になると見て、火山灰に対する観測も始まることになりました。
なお何故最後にエンジンが復帰したのかというと副機長の酸素マスクが壊れたことによって機体の高度を下げたところ、高高度にまで飛んでいた噴煙は下げた先の高度にはなく、また詰まった火山灰も剥がれ落ちたため復帰することができました。逆に言えば、もし酸素マスクが壊れず高高度を維持していたら……と思うと非常に怖いものがあると同時に、こうした偶然が不思議な奇跡を生むのだなと感じさせられる一端です。
13、ユナイテッド航空232便不時着事故(1989年)
同便ではデンバーからシカゴへ向かう途中、突然の異常音と共にすべての舵が効かなくなるという異常事態に陥りました。同便には乗務員として乗り込んだ三人のパイロットがいましたが、たまたま非番で乗り合わせたデニス・E・フィッチ機長もおり、事態発生を受けフィッチ機長もコックピットに入り対応することとなりました。
パイロットらは機体の状態を点検し、機体操作に必要不可欠な油圧システムが一本残らずすべて喪失したことを確認しました。この事故原因は第二エンジンのファンブレード(エンジンの羽)が金属疲労によって飛び散り、吹き飛んだ破片が機体本体に衝突した際に油圧システム全てを切断したためでした。
油圧システムが使えなくなるということは車で言えばハンドルを動かせなくなるような事態なのですが、フィッチ機長は飛行経験が豊富だったことと、たまたま少し前に全油圧システム喪失を想定したシミュレーション訓練を受けており、残ったエンジンを操作することで機体姿勢を維持する、さっきの車で言えばアクセルワークで上下左右を操るような離れ業でもって緊急着陸先のデモイン国際空港へと飛行し続けました。
旋回すらおぼつかない中で空港へとたどり着いた同便は着陸直前まで理想的な姿勢を維持したものの、最後の最後で機首が下がり、機体が滑走路に衝突したため炎を上げながら分解するように転げまわってしまいました。ただ待機していた消防隊が迅速に消火、救出活動を行ったことで、111人の死傷者が出たものの185人は生還を果たすことが出来ました。
見てわかる人はすぐわかっていたでしょうが、全油圧システム喪失という事故原因はあの御巣鷹山の事故こと日本航空123便墜落事故と全く同じものです。ただ日航の事故では全油圧システムとともに尾翼部が吹き飛んでおり、このユナイテッド航空の事故と比べれば姿勢を維持することすら難しい状態に置かれたものでした。
前述のフィッチ機長が行っていた訓練というのはまさにこの事故を教訓として作られた訓練であって、死傷者こそ出たものの、そういう意味ではあの日航の事故に対して借りを返してくれたような生還劇だったのではないかと個人的に思えます。
11、ノースウェスト航空85便緊急着陸事故(2002年)
事故内容:ラダーの破損 乗客乗員数:404人
米国・デトロイトを出発して太平洋へと飛び立った同便は安定して飛行していた最中、突然機体が左方向に傾くというトラブルが発生しました。パイロットらは当初、左側のエンジンにトラブルがあるのではと考えたもののエンジン回りは特に誤作動はなく、またありとあらゆる方法で原因を捜したもののやはりわからず、緊急事態であることを管制に告げた上で緊急着陸先のテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港へと向かいました。先ほどにも述べた通りに期待は常に左側へ傾いたままでした。しかも姿勢を制御する補助翼も操作を受け付けなかったため、パイロットらは左右のエンジンの出力を調整することで機体を見事に制御し、着陸先の空港でも大過なく無事に着陸してのけました。
着陸後、機体の検査によってわかったのは姿勢を制御するラダー(尾翼についている稼働する羽)が金属疲労によって破損し、左側に傾いたまま動かなくなってしまったためでした。こういったラダーの故障は過去には一例もなく、原因がわからないまま最後まで操縦し続けたパイロットたちは航空会社から大きく賞賛されることとなりました。
なお、同便の行き先は何気に成田空港だったりします。
12、ブリティッシュ・エアウェイズ9便エンジン故障事故(1982年)
事故内容:火山灰 乗客乗員数:263人
マレーシアのクアラルンプールからオーストラリアのパースへと飛び立った同便はインド洋上を飛行している際、本来雷雲を通っている最中にしか見えない発電現象の「セントエルモの火」がコックピットの中で確認されました。しかしレーダーでは雨雲は表示されておらず、何故この現象が発生するのかと思っていた矢先、突然4つのエンジン全てが停止してしまいました。
発電機などはまだ生きていたため最低限の機体操作は続けられ、高度も確保されていたためエンジンが停止したままでも相当の距離を飛行できる状態でしたが、同便の航路途中には山岳地帯があり、11500フィート以上の高度が無ければこの山肌に衝突してしまう危険性が残っていました。機長は必死で操縦を続けましたが、いざとなれば海上への不時着も覚悟していたそうです。
機長らはエンジンの再始動を繰り返したもののエンジンは戻らず、しかも悪い事態は重なるというかエンジン停止によって機内の与圧が下がってきたことから酸素マスクをつけようとしたところ、副機長のマスクが壊れるという事態に見舞われました。そのままだと副機長は酸素不足から気絶する可能性があるため、やむなく機長は酸素濃度を上げるため維持し続けたい高度を下げる決断をしました。
既に機体は山岳地帯を越えるのに必要な高度を下回る11400フィートに達し、もはや海上着水もやむなしと思ったその瞬間、突然第四エンジンが復帰し、さらにほかのエンジンも次々と復活しました。蘇ったエンジンで機体を立て直し緊急着陸先のハリム・ペルダナクスマ国際空港へと向かったところ、それまで夜間帯の飛行であったため気づかなかったのですが、コックピットの窓ガラスは一面真っ黒になっており窓の先がほとんど見えない状態になっていました。こんな悪条件の中、わずかに見える隙間を頼りに滑走路に狙いをつけ、無事にそのまま着陸して乗客乗員のすべてが生還へと至りました。
事故原因は頭の所に書いてある通りに火山灰で、インドネシアにあるガルングン山の噴火によって噴出した火山灰が同便が通過する航路にまで達し、エンジンがその灰を吸いこんだことによって灰が熱でガラス化し、詰まってしまったため停止してしまいました。雨雲を捉える気象レーダーは水蒸気に判別するのですが火山灰は乾燥しきってているため感知されず、レーダー上には表示されなかったためその存在に気付くことがありませんでした。無論、この事故を受けて世界の航空業界では火山灰が大きな事故要因になると見て、火山灰に対する観測も始まることになりました。
なお何故最後にエンジンが復帰したのかというと副機長の酸素マスクが壊れたことによって機体の高度を下げたところ、高高度にまで飛んでいた噴煙は下げた先の高度にはなく、また詰まった火山灰も剥がれ落ちたため復帰することができました。逆に言えば、もし酸素マスクが壊れず高高度を維持していたら……と思うと非常に怖いものがあると同時に、こうした偶然が不思議な奇跡を生むのだなと感じさせられる一端です。
13、ユナイテッド航空232便不時着事故(1989年)
事故内容:全油圧システム喪失 乗客乗員数:296人(死者111人)
同便ではデンバーからシカゴへ向かう途中、突然の異常音と共にすべての舵が効かなくなるという異常事態に陥りました。同便には乗務員として乗り込んだ三人のパイロットがいましたが、たまたま非番で乗り合わせたデニス・E・フィッチ機長もおり、事態発生を受けフィッチ機長もコックピットに入り対応することとなりました。
パイロットらは機体の状態を点検し、機体操作に必要不可欠な油圧システムが一本残らずすべて喪失したことを確認しました。この事故原因は第二エンジンのファンブレード(エンジンの羽)が金属疲労によって飛び散り、吹き飛んだ破片が機体本体に衝突した際に油圧システム全てを切断したためでした。
油圧システムが使えなくなるということは車で言えばハンドルを動かせなくなるような事態なのですが、フィッチ機長は飛行経験が豊富だったことと、たまたま少し前に全油圧システム喪失を想定したシミュレーション訓練を受けており、残ったエンジンを操作することで機体姿勢を維持する、さっきの車で言えばアクセルワークで上下左右を操るような離れ業でもって緊急着陸先のデモイン国際空港へと飛行し続けました。
旋回すらおぼつかない中で空港へとたどり着いた同便は着陸直前まで理想的な姿勢を維持したものの、最後の最後で機首が下がり、機体が滑走路に衝突したため炎を上げながら分解するように転げまわってしまいました。ただ待機していた消防隊が迅速に消火、救出活動を行ったことで、111人の死傷者が出たものの185人は生還を果たすことが出来ました。
見てわかる人はすぐわかっていたでしょうが、全油圧システム喪失という事故原因はあの御巣鷹山の事故こと日本航空123便墜落事故と全く同じものです。ただ日航の事故では全油圧システムとともに尾翼部が吹き飛んでおり、このユナイテッド航空の事故と比べれば姿勢を維持することすら難しい状態に置かれたものでした。
前述のフィッチ機長が行っていた訓練というのはまさにこの事故を教訓として作られた訓練であって、死傷者こそ出たものの、そういう意味ではあの日航の事故に対して借りを返してくれたような生還劇だったのではないかと個人的に思えます。
2015年12月18日金曜日
自動証明写真撮影機で
昨日から今日にかけてビザ更新手続きのため上海にある事務所などへ赴いておりました。昨夜上海で夜を明かした翌朝に当たる今朝、目的の事務所へ向かう途中であらかじめ用意しておく必要のある証明写真八枚をまた準備していなかったことに気が付き、「そうだ、あいつを使ってみよう!」とある案が閃きました。
通常、中国で証明写真を取る際はそこら辺にある広告屋に行ってその場で撮影してもらい、印刷してもらうのが普通です。これだと一枚当たり1元(約20円)とか2元(約40円)と格安ですがまんまデジカメで撮影したのをプリンタで撮影するだけなので、正直あまり写り具合はよくありません。以前に頼んだところなんか白いシーツをもう一人が後ろで構えながら撮影した上、印刷前にもパソコンでやたら光沢を強くしてピカリン星人みたいな写真にされたのでげんなりしました。
なお中国ではほんとそこらじゅうに広告屋兼印刷屋があり、ちょっとしたチラシや看板、タペストリーなど言えば割とすぐ作ってくれます。使い始めたのはつい最近ですが、案外便利な存在だと気づきつつあります。
話は戻りますがそんなに写真写りを気にする方ではないもののもうちょいマシな写真にしたいと思い、今回中国では初めて自動証明写真撮影機を使うことにしました。
こういった自動撮影機(省略しよっと)は日本だとごく一般的で昔からありますが、中国では恐らく上海だけ、しかもつい最近になって出回るようになりました。少なくとも三年前はどこ行っても見つからなかったし。聞くところによると日本からこういった機材を送るようになって使われ始めたそうですが、何気に送る事業に自分の大学のゼミ同期が関わってただけに思い入れが深いです。
そんなこんだでとある上海の地下鉄駅に設置されてある自動撮影機を見つけ、早速撮影してみました。私の必要な写真サイズは3.5×4.5cmなので6枚撮るのに30元(約600円)かかるのでなんか高いなと思いつつ、20元札二枚入れて早速撮影スタート……と思いきや、「これってどうやって使うの?」、と言っていきなりおばちゃんが乱入してきました。
まだ画面開いて写真サイズを選んでいる最中だったので、「金入れて、写真サイズ選んで、椅子の位置調整して撮影ボタンをピッと押すんだよ」と操作しながら説明し、「それじゃこれから自分の写真撮るからちょっとどいて」といったら、「あら、あんた撮影してたの?」と言うあたり、自分のことをメンテナンス要員かなんかだと勘違いしてたのかもしれません。
何はともあれおばちゃんどかして撮影し、お釣りの10元取ろうと思ったら何故か出てきませんでした。どうやら吸い取るだけ吸い取ってお釣りは出さない仕様のようです。
さらに、私が必要な写真枚数は8枚に対してい界の撮影では6枚しか出てきません。そして私の手元には20元札が2枚しかなく、なんかもうわざわざくずすのも嫌になってそのまままた40元突っこんで2回目の写真撮影に臨みました。この際、またおばちゃんに一から操作を説明しつつ……。
最終的に出てきた12枚の写真はなかなか移り具合がよく、やっぱり証明写真は自動撮影機に限るなと改めて感じました。使い終わった後でおばちゃんに、「椅子を回して高さを調節するんだよ」と言って撮影機を明け渡し目的の事務所へ向かいましたが、その途中で今度はおっさんから地下鉄車内で、「上海南駅にはどうやっていくの?」と道を尋ねられ、「あそこの駅で3号線に乗りかえれば着くよ」と教えてあげました。
振り返ってみてなんかやたらいろんなことを教える日だったなと思え、自分にも人生の道筋を教えてくれる人でてこねぇかなと思いながらこの記事書くことにしました。
通常、中国で証明写真を取る際はそこら辺にある広告屋に行ってその場で撮影してもらい、印刷してもらうのが普通です。これだと一枚当たり1元(約20円)とか2元(約40円)と格安ですがまんまデジカメで撮影したのをプリンタで撮影するだけなので、正直あまり写り具合はよくありません。以前に頼んだところなんか白いシーツをもう一人が後ろで構えながら撮影した上、印刷前にもパソコンでやたら光沢を強くしてピカリン星人みたいな写真にされたのでげんなりしました。
なお中国ではほんとそこらじゅうに広告屋兼印刷屋があり、ちょっとしたチラシや看板、タペストリーなど言えば割とすぐ作ってくれます。使い始めたのはつい最近ですが、案外便利な存在だと気づきつつあります。
話は戻りますがそんなに写真写りを気にする方ではないもののもうちょいマシな写真にしたいと思い、今回中国では初めて自動証明写真撮影機を使うことにしました。
こういった自動撮影機(省略しよっと)は日本だとごく一般的で昔からありますが、中国では恐らく上海だけ、しかもつい最近になって出回るようになりました。少なくとも三年前はどこ行っても見つからなかったし。聞くところによると日本からこういった機材を送るようになって使われ始めたそうですが、何気に送る事業に自分の大学のゼミ同期が関わってただけに思い入れが深いです。
そんなこんだでとある上海の地下鉄駅に設置されてある自動撮影機を見つけ、早速撮影してみました。私の必要な写真サイズは3.5×4.5cmなので6枚撮るのに30元(約600円)かかるのでなんか高いなと思いつつ、20元札二枚入れて早速撮影スタート……と思いきや、「これってどうやって使うの?」、と言っていきなりおばちゃんが乱入してきました。
まだ画面開いて写真サイズを選んでいる最中だったので、「金入れて、写真サイズ選んで、椅子の位置調整して撮影ボタンをピッと押すんだよ」と操作しながら説明し、「それじゃこれから自分の写真撮るからちょっとどいて」といったら、「あら、あんた撮影してたの?」と言うあたり、自分のことをメンテナンス要員かなんかだと勘違いしてたのかもしれません。
何はともあれおばちゃんどかして撮影し、お釣りの10元取ろうと思ったら何故か出てきませんでした。どうやら吸い取るだけ吸い取ってお釣りは出さない仕様のようです。
さらに、私が必要な写真枚数は8枚に対してい界の撮影では6枚しか出てきません。そして私の手元には20元札が2枚しかなく、なんかもうわざわざくずすのも嫌になってそのまままた40元突っこんで2回目の写真撮影に臨みました。この際、またおばちゃんに一から操作を説明しつつ……。
最終的に出てきた12枚の写真はなかなか移り具合がよく、やっぱり証明写真は自動撮影機に限るなと改めて感じました。使い終わった後でおばちゃんに、「椅子を回して高さを調節するんだよ」と言って撮影機を明け渡し目的の事務所へ向かいましたが、その途中で今度はおっさんから地下鉄車内で、「上海南駅にはどうやっていくの?」と道を尋ねられ、「あそこの駅で3号線に乗りかえれば着くよ」と教えてあげました。
振り返ってみてなんかやたらいろんなことを教える日だったなと思え、自分にも人生の道筋を教えてくれる人でてこねぇかなと思いながらこの記事書くことにしました。
2015年12月16日水曜日
中国での中学生過労死事件とその教育
・中学生の「過労死」、中国で問題化 宿題大量、睡眠削り「寝たい…」(with news)
今日たまたま見かけたニュースですが、見出しを見て「なにこれ?」と目を疑いました。詳細はリンク先に書いていますがなんでも、中国人の中学生がある日教室の中で過労死によって亡くなったそうです。これだけ書くとまるで意味が分からないからすっごいニュースでしょう。
何故その中学生は過労死したのか。ってか働いてないだろうというツッコミを抑えつつ記事を読むとその子は深夜遅くまで宿題をし続けており、恐らく勉強のし過ぎによる負担が限界を超えて心不全かなんかを起こしたようらしいです。勉強のし過ぎで死ぬなんてと思いたくなりますが、この事件が起こった背景に中国で過剰ともいえる受験競争があるということも記事中では丁寧に解説されています。
以前に私もこのブログで取り上げたこともありますが、近年の中国における小中高生の勉強ぶりは熱心過ぎるというかもはや過剰な領域にあり、日本人である私だけでなく既に成人した中国人などからも「最近の子供は可哀相だ」などという声がよく聞かれます。学校内では夕方5時や6時くらいまでびっしり授業があり、その後ピアノなどおけいこ事をこなした後は自宅で大量の宿題に忙殺されるというハードスケジュールは当たり前で、記事中にも書かれている通りあまりにも宿題が多いから親が子供の代わりに半分こなすなんて言うのも当たり前です。
何故が続きますが何故これほど勉強を無理強いするのかというと、近年の中国では大学受験競争があまりの過剰になりすぎており、中学や高校でいい成績や内申が採れないと進学すらままならず、また景気はそこまで悪くはないものの一程度の収入を得るには名門校とされる大学を卒業する必要があり、そこへ受かるためには文字通り血反吐を吐くような勉強が必要とされます。
こうした中国の受験戦争は既に主要な社会問題として認知されておりますが、ただでさえじんこうが多いってんのに競争がさらなる競争を呼ぶ悪循環が続いており、私の実感でも十年前と比べると今の方がさらに激しい競争になっているような印象があります。友人にこの話題を振ってみたところ、「昔から科挙がある国なだけに受験戦争は珍しいわけでなく、勉強漬けを悪いと思っていないところがあるんじゃないか」となるほどと感じるコメントをくれました。
それほどまでに激しい勉強を続ける中国の子供たちなだけに以前に実施された国際学力テストでは確か上海の子供が平均で世界一位を記録するなど、さすがという実績を残しています。しかしそういった教育を受けてきた中国の若い世代に何人か話を聞いたりしましたが、彼ら皆口を揃えたかのように「詰め込み教育で発展がない」、「英語とか実践では使えない試験のための受験英語だった」などと、実が伴っているかというやや疑問な所があります。特に想像力を鍛えるような分野に至っては誰もが「改善が必要」と述べており、なんとなくですが日本の昔の詰め込み教育時代を思い出し、今の中国こそゆとり教育が必要なのではと思うところがあります。
あと最後にちょっと話題が発展した内容を盛り込みますと、中国は日本との国交回復直後に日本へ留学生を送ってきましたが、彼らは半年間だけ日本語を勉強した後で東大に留学生として入学しました。何が言いたいのかというと中国というのは先ほど述べた通りに人口が多いだけあって突出したエリートというのはやはりいるのです。彼らは教えれば教えるほど吸収してしまってそれを物にしてしまうのですが、今の中国の教育はそういったエリート向けの教育をエリートではない一般レベルに課してしまっているから問題なのではと思えてなりません。
人気漫画の「暗殺教室」にも似たようなセリフが出てきますが、エリートには耐えられる内容でも普通の人には耐えられない教育というものは存在しており、それらを切り分ける棲み分けなり選抜なりがうまく機能していないがゆえに今の中国の教育システムはやや大きな問題を抱えているのでは、というのが個人的な分析です。
余談
私は自分のことを「特殊な分野の才能を持った凡人」レベルと自己評価してます。無駄に体力あったりこうした文章書くのにストレス感じないといったところが主な理由で、「エリート」ではないとはっきりと認識してます。
というのも過去に何人かそういうほんまもんの「エリート」を見ており、個人的にそういう自分が認識できる上限を大きく引き上げてくれた友人に早くに出会えたことは幸運だったと思います。
今日たまたま見かけたニュースですが、見出しを見て「なにこれ?」と目を疑いました。詳細はリンク先に書いていますがなんでも、中国人の中学生がある日教室の中で過労死によって亡くなったそうです。これだけ書くとまるで意味が分からないからすっごいニュースでしょう。
何故その中学生は過労死したのか。ってか働いてないだろうというツッコミを抑えつつ記事を読むとその子は深夜遅くまで宿題をし続けており、恐らく勉強のし過ぎによる負担が限界を超えて心不全かなんかを起こしたようらしいです。勉強のし過ぎで死ぬなんてと思いたくなりますが、この事件が起こった背景に中国で過剰ともいえる受験競争があるということも記事中では丁寧に解説されています。
以前に私もこのブログで取り上げたこともありますが、近年の中国における小中高生の勉強ぶりは熱心過ぎるというかもはや過剰な領域にあり、日本人である私だけでなく既に成人した中国人などからも「最近の子供は可哀相だ」などという声がよく聞かれます。学校内では夕方5時や6時くらいまでびっしり授業があり、その後ピアノなどおけいこ事をこなした後は自宅で大量の宿題に忙殺されるというハードスケジュールは当たり前で、記事中にも書かれている通りあまりにも宿題が多いから親が子供の代わりに半分こなすなんて言うのも当たり前です。
何故が続きますが何故これほど勉強を無理強いするのかというと、近年の中国では大学受験競争があまりの過剰になりすぎており、中学や高校でいい成績や内申が採れないと進学すらままならず、また景気はそこまで悪くはないものの一程度の収入を得るには名門校とされる大学を卒業する必要があり、そこへ受かるためには文字通り血反吐を吐くような勉強が必要とされます。
こうした中国の受験戦争は既に主要な社会問題として認知されておりますが、ただでさえじんこうが多いってんのに競争がさらなる競争を呼ぶ悪循環が続いており、私の実感でも十年前と比べると今の方がさらに激しい競争になっているような印象があります。友人にこの話題を振ってみたところ、「昔から科挙がある国なだけに受験戦争は珍しいわけでなく、勉強漬けを悪いと思っていないところがあるんじゃないか」となるほどと感じるコメントをくれました。
それほどまでに激しい勉強を続ける中国の子供たちなだけに以前に実施された国際学力テストでは確か上海の子供が平均で世界一位を記録するなど、さすがという実績を残しています。しかしそういった教育を受けてきた中国の若い世代に何人か話を聞いたりしましたが、彼ら皆口を揃えたかのように「詰め込み教育で発展がない」、「英語とか実践では使えない試験のための受験英語だった」などと、実が伴っているかというやや疑問な所があります。特に想像力を鍛えるような分野に至っては誰もが「改善が必要」と述べており、なんとなくですが日本の昔の詰め込み教育時代を思い出し、今の中国こそゆとり教育が必要なのではと思うところがあります。
あと最後にちょっと話題が発展した内容を盛り込みますと、中国は日本との国交回復直後に日本へ留学生を送ってきましたが、彼らは半年間だけ日本語を勉強した後で東大に留学生として入学しました。何が言いたいのかというと中国というのは先ほど述べた通りに人口が多いだけあって突出したエリートというのはやはりいるのです。彼らは教えれば教えるほど吸収してしまってそれを物にしてしまうのですが、今の中国の教育はそういったエリート向けの教育をエリートではない一般レベルに課してしまっているから問題なのではと思えてなりません。
人気漫画の「暗殺教室」にも似たようなセリフが出てきますが、エリートには耐えられる内容でも普通の人には耐えられない教育というものは存在しており、それらを切り分ける棲み分けなり選抜なりがうまく機能していないがゆえに今の中国の教育システムはやや大きな問題を抱えているのでは、というのが個人的な分析です。
余談
私は自分のことを「特殊な分野の才能を持った凡人」レベルと自己評価してます。無駄に体力あったりこうした文章書くのにストレス感じないといったところが主な理由で、「エリート」ではないとはっきりと認識してます。
というのも過去に何人かそういうほんまもんの「エリート」を見ており、個人的にそういう自分が認識できる上限を大きく引き上げてくれた友人に早くに出会えたことは幸運だったと思います。
2015年12月15日火曜日
虚像が独り歩く歴史人物
昨日の記事で歴史証言者はよく事実とは異なる嘘の証言を突く傾向があるということを紹介しましたが、実際にそのような形で誤った証言が出されたため実態とは異なる虚像が独り歩くようになった歴史人物というのは数多おります。近年はこの方面への研究が進んできてこうした実態とは異なる虚像を正そうとする動きが盛んで以前とは評価が逆転する人物も多く、私も過去に取り上げたように「信長は当時の感覚からすると言われている程残虐ではない」とか、「石田三成はそこまで戦下手ではなかったのでは?」なんていう声も聞こえてくるようになりました。
そんな中、未だに虚像が独り歩きしている人物も少なくありません。私がそう思う人物の筆頭だと思うのはほかならぬ勝海舟で、彼に至ってはほかの人が誤った証言をしたためというよりは自ら自分の業績を誇張する癖があったためで、しかもやたらおしゃべりでいろんな人間に語り聞かせたりしたもんだから収集つかないような状態となっております。
一番有名なのだと咸臨丸でアメリカに渡った際は堂々とした態度でアメリカ人との交渉に臨んだと自ら言ってますが、同乗してた福沢諭吉からすると、「ずっと船酔いでゲーゲー吐いてただけじゃねぇかよ」とツッコまれています。また坂本竜馬は当初は勝を暗殺するため訪れたが勝の話を聞いてその場で弟子入りを志願してきたとも勝自ら話してますが、さすがにそれは出来過ぎというか誇張が入っているのではないかと私にも思います。第一、坂本竜馬自体そんなに暗殺仕掛けてないし。
この勝と同じで自ら嘘をばらまいたというのがマッカーサーでしょう。この人は若い頃から自分を英雄願望強かったためやたら無駄にかっこいい言葉を用意していて「アイシャルリターン」とか「待たせたな、フィリピンの諸君」みたいなことをわざわざ記録させていますが、日本のGHQ統治の際も政治的思惑と共にいろんな嘘つきまくってたもんだから半藤一利氏をして、「こいつのいうことは真に受けてはならない」とまで言わしめています。
マッカーサーがついた嘘の中で最大級だと私が思うものを上げると、まだ確定ではないものの憲法九条の発案者です。私が子供だった頃までは戦争放棄を謳ったこの法案は日本政府側から発案されたと誰も疑っていませんでしたが、当時からつい先日までがちがちの軍国主義だった日本がこんな内容を発案できるのかと疑っていました。そしたら案の定というかこの九条発案は日本側からだと喧伝してたのはマッカーサーだったようで、恐らく日本が平和協調主義に傾こうとしていることをアピールするために言いだしたんだと思いますが実際にはGHQ内部で発案し、盛り込んだものだったと思われ、近年はこうした考えが段々強まってきております。
最後にもう一人上げると、これは先の二人とは違って確実に周囲の証言が独り歩きしてしまったと思える者として白洲次郎が挙がってきます。彼ほど近年になって急激にクローズアップされた人物はいないと思え、5、6年前にはやたら本が出版され「GHQ相手に一歩も引かなかったダンディな男」というイメージが付きましたが、堂々とした態度の人だったとは思うものの世間で言われているものはやや誇張され過ぎではと考えています。
特に一番有名なエピソードとしてあるマッカーサーとの絡みで、昭和天皇からのクリスマスプレゼントを持って行ったらそこに投げといてと言われて、「陛下からの贈り物に失礼なことをするな!」と言い返して無礼を認めさせたというものですが、さすがにこれはどう考えても事実ではないでしょう。Wikipediaにも書かれてますがマッカーサーとの面会者リストに白洲次郎の名前はなく、また届け物を一役人が直接マッカーサーに渡すなんて普通に考えて有り得ず、爆弾ではないかどうかなど必ずセキュリティが一旦受け取って中身をチェックしたであろうと考えるとこれはさすがに虚像じゃないかと思うわけです。
案外この手の虚像というのは「理性的に考えたら有り得ない」というのを発端にして調べていくと実態が明らかになることが多く、やや自画自賛ですが上記の憲法九条絡みの話は子供ながら疑問を持った過去の自分を褒めてやりたいです。なお歴史科目は子供の頃からやたらめったら強く、多分生涯で見ても100点満点中80点以下は一度も取ったことがないような気がします。
そんな中、未だに虚像が独り歩きしている人物も少なくありません。私がそう思う人物の筆頭だと思うのはほかならぬ勝海舟で、彼に至ってはほかの人が誤った証言をしたためというよりは自ら自分の業績を誇張する癖があったためで、しかもやたらおしゃべりでいろんな人間に語り聞かせたりしたもんだから収集つかないような状態となっております。
一番有名なのだと咸臨丸でアメリカに渡った際は堂々とした態度でアメリカ人との交渉に臨んだと自ら言ってますが、同乗してた福沢諭吉からすると、「ずっと船酔いでゲーゲー吐いてただけじゃねぇかよ」とツッコまれています。また坂本竜馬は当初は勝を暗殺するため訪れたが勝の話を聞いてその場で弟子入りを志願してきたとも勝自ら話してますが、さすがにそれは出来過ぎというか誇張が入っているのではないかと私にも思います。第一、坂本竜馬自体そんなに暗殺仕掛けてないし。
この勝と同じで自ら嘘をばらまいたというのがマッカーサーでしょう。この人は若い頃から自分を英雄願望強かったためやたら無駄にかっこいい言葉を用意していて「アイシャルリターン」とか「待たせたな、フィリピンの諸君」みたいなことをわざわざ記録させていますが、日本のGHQ統治の際も政治的思惑と共にいろんな嘘つきまくってたもんだから半藤一利氏をして、「こいつのいうことは真に受けてはならない」とまで言わしめています。
マッカーサーがついた嘘の中で最大級だと私が思うものを上げると、まだ確定ではないものの憲法九条の発案者です。私が子供だった頃までは戦争放棄を謳ったこの法案は日本政府側から発案されたと誰も疑っていませんでしたが、当時からつい先日までがちがちの軍国主義だった日本がこんな内容を発案できるのかと疑っていました。そしたら案の定というかこの九条発案は日本側からだと喧伝してたのはマッカーサーだったようで、恐らく日本が平和協調主義に傾こうとしていることをアピールするために言いだしたんだと思いますが実際にはGHQ内部で発案し、盛り込んだものだったと思われ、近年はこうした考えが段々強まってきております。
最後にもう一人上げると、これは先の二人とは違って確実に周囲の証言が独り歩きしてしまったと思える者として白洲次郎が挙がってきます。彼ほど近年になって急激にクローズアップされた人物はいないと思え、5、6年前にはやたら本が出版され「GHQ相手に一歩も引かなかったダンディな男」というイメージが付きましたが、堂々とした態度の人だったとは思うものの世間で言われているものはやや誇張され過ぎではと考えています。
特に一番有名なエピソードとしてあるマッカーサーとの絡みで、昭和天皇からのクリスマスプレゼントを持って行ったらそこに投げといてと言われて、「陛下からの贈り物に失礼なことをするな!」と言い返して無礼を認めさせたというものですが、さすがにこれはどう考えても事実ではないでしょう。Wikipediaにも書かれてますがマッカーサーとの面会者リストに白洲次郎の名前はなく、また届け物を一役人が直接マッカーサーに渡すなんて普通に考えて有り得ず、爆弾ではないかどうかなど必ずセキュリティが一旦受け取って中身をチェックしたであろうと考えるとこれはさすがに虚像じゃないかと思うわけです。
案外この手の虚像というのは「理性的に考えたら有り得ない」というのを発端にして調べていくと実態が明らかになることが多く、やや自画自賛ですが上記の憲法九条絡みの話は子供ながら疑問を持った過去の自分を褒めてやりたいです。なお歴史科目は子供の頃からやたらめったら強く、多分生涯で見ても100点満点中80点以下は一度も取ったことがないような気がします。
2015年12月14日月曜日
歴史証言者は嘘をつく
今日の晩はすき家に行って、上記のすき焼き鍋定食を食べて帰ってきました。量、味共に納得できるものでこれで38元(760円)はありがたいです。
それにしても湯気がえらい出るからパシッと撮ったけど、いまいち新しい携帯のカメラは前のサムスンのより悪いな。この新しいMEIZU(魅族)の携帯もまた今度取り上げます。
さて話は本題に入りますが、かねてからこのブログでも言っていますが私は歴史研究家である半藤一利氏のファンで、基本的に歴史観はこの人に準じています。もし自分と半藤氏の歴史観で異なる部分があれば半藤氏の見方の方が正しいと見て合わせようとするほどで、世にいろんな論客はいますが彼ほど落ち着いて、なおかつ公平な視点はほかに見当たりません。
その半藤氏の経験談として私が唸らせられた言葉に、「証言者はよく嘘をつく」という言葉があります。半藤氏は戦後間もなかった頃、文政春秋社に入社してすぐ第二次大戦時の日本側キーマンたちへの取材を行っており、巣鴨プリズンにも何度も入り浸っては軍人や官僚、皇居の侍従や職員などへの聞き取りを行っておりますが、その際に上記の言葉を身を以って知ることとなったそうです。
一体証言者らは何故嘘をつくのか。多くの理由は自らの失敗や責任を忌避するためで、また自分の功績を実態以上に大きく見せようという動機が大半ですが、中には親友や上司を庇い立てするため失敗の原因を他者に転嫁しようとしたりするものもあり、一人の証言者から聞いた内容は即真実としては扱えないとして必ず複数の証言を比較し、場合によっては異なる証言を言う者同士を集めて直接確かめ合わせるなどして戦中期における詳細な記録を半藤氏はまとめ上げております。
なお半藤氏の言によると陸軍関係者はお互いに、「あいつのせいだ」、「あいつが悪かった」などと聞いてもないのに悪口を言い出す人が多かったので全体像がすごく掴みやすかったそうです。一方海軍はというと、「サイレントネイビー」という言葉の通りに自分にも他人にも言い訳じみたことを全く言わず黙ってしまう人が多かったので聞き取りにおいて逆に苦労したと述べてます。
話は戻りますがこの半藤氏の言葉はまさに金言で、歴史を研究する人は必ず胸に入れとかなくてはならない言葉と言えるでしょう。歴史学というのは様々な資料を見比べながら何が真実かを確かめる学問ですが、数多ある証言の中から正解を一つだけ引き抜く推理力みたいなものも要求されるのだなとこの言葉を聞くだに思います。
ということを、大学で中国古代史を選考していた友人に話すと、「当たり前じゃないですか」とどや顔で言われた上、「だからこそ陳寿の書いた『三国志』は高く評価されてるんですよ」問ことを逆に教えてくれました。
歴史書の「三国志」は紀伝体という形式で書かれており、これは年表ごとに何があったかを書く編年体とは異なり、登場する人物ごとに歴史事実をまとめるという形式です。劉備なら劉備、曹操なら曹操で独立して完結する内容になっているのですが、子細に各人物伝を比較すると同じ事件に対して内容が異なって書かれている所もあったりします。たとえば「魏延伝」では蜀軍が追撃に成功したと書かれてあるのに「張飛伝」では追撃したものの逆襲されたと書かれるなどといったところです。
これは当時においてもその事件に関する証言や記録が複数あったということを示しており、いわば両論併記のようなものです。二つの伝にしか書かれてない場合は判別し辛いですが、さらに三人目、四人目の伝と見比べるとだんだん真実が見えてくることもあり、そうした比較が一冊の歴史書でできるという点で三国志は高く評価される歴史書だとの事です。
ちなみにもし自分が有名になって後年に知人などへ証言が求められたりすると、「あいつはいろいろとアレな人物だった……」、「悪い人ではないけどいい人では絶対ない」なんて正直に言われそうな気がするので、あんま有名にならない方がいいかもしれません。
2015年12月13日日曜日
南宋末期の襄陽・樊城の戦い
「樊城の戦い」とくれば三国志マニアにとってはお馴染みの名場面で、魏・呉・蜀がそれぞれの思惑で動き、最終的に関羽が敗死したことで三国間のパワーバランスも大きく変化するなど歴史上でも大きな影響を残した重要な戦いです。しかしこの地こと現在の湖北省襄陽市近郊ではその後の時代においても重要な戦いが起こっており、今日はその一つである南総末期に起こった襄陽・樊城の戦いについて紹介します。
・襄陽・樊城の戦い(Wikipedia)
この戦争が起きたのは13世紀の1268年で、この時代の中国は北半分をモンゴル民族が打ちたてた元が治め、南半分を漢民族の亡命政権である宋(区別するため「南宋」と呼ぶ)が治めるという一種の南北朝時代でありました。パワーバランス的には圧倒的に元の方が上でしたが複数の民族の連合政権的な特徴を持っていたことと、当時の中国北方地域は食料や製品などといった物資を南方地域に依存していて交易を続けていたため、南北朝に分かれた後でもなかなか統一実現に動くことはありませんでした。
しかし当時の皇帝であり日本への元寇でもお馴染みなフビライ・ハーンは長年の悲願でもある中華統一をめざし、南宋への遠征軍を仕立てると重要軍事拠点であった襄陽・樊城へと軍を進めました。この元の遠征軍に対し南宋側は、当時南宋国内でも随一の将軍であった呂文徳と、その弟である呂文煥に守備させることにさせ、長期間の籠城にも耐えられるよう膨大な物資を運びこんだ上で元軍を待ち構えました。
こうして準備万端整えていた南宋軍でしたが、フビライはかつてこの地の奪取に動いたものの失敗した遠征に同行しており、力攻めが非常に難しいことを理解しておりました。そこでフビライが採った戦法というのも南宋軍と同じく持久戦に持ち込むというもので、補給地をしっかり確保した上で樊城を丸ごと土塁で囲い込み包囲するというこれまたビッグスケールな作戦でした。
これに動揺というかびっくりしたのは南宋軍で、長距離からの遠征軍だからてっきり力攻めを仕掛けてくると思ったら逆に持久戦を採ってきたので肩すかしを覚えつつも、ただ黙ってみているのではなく包囲の隙を突いて何度か攻撃を仕掛けたりしましたが元軍はほとんど反撃せず守り続けるだけで、仕方なく城内へ引き返すだけという有様でした。
そして、五年間が過ぎましたとさ……。
世界史上ではウィーンやコンスタンティノープルなど数年間にも及ぶ包囲戦というのはままありますが、この時の樊城でも長期間の籠城戦が続きました。この間、1271年には兄貴の呂文徳が病死し、また外部から包囲を解こうとほかの地域から送られてきた南宋の援軍が何度か元軍に挑みましたが悉く返り討ちに遭い、この際十万もの援軍を率いた范文虎という将軍は大敗して後に元軍へ降伏しております。
そんな苦しい逆境にありながらも兄の遺志を継いだ弟の呂文煥は必死の抵抗を続けていましたが、本国へ何度も出す救援要請は以前から折り合いの悪かった宰相の賈似道にあまり相手にされなかった挙句、緊急であるという事実すら皇帝には隠されてしまって文字通り手も足も出ない状態が続きました。そこへきて元軍が新兵器の「回回砲」という原始的な木製大砲を用意して攻撃しはじめ、この兵器によって城壁がもろくも崩れ去っていくのを見て呂文煥もついに降伏を申し出て、足かけ五年にも及んだ籠城戦は1273年に幕を閉じます。
降伏した呂文煥は敵ながら見事な指導力と持久力を持つとフビライに評価されそのまま元軍の将軍に任命されます。そしてそのまま南宋の首都臨安(現在の浙江省杭州市)に至る途中で各都市を時には陥落させ、時には説得によって無血開城させ、大いに大功を立てたそうです。ただこの進軍中には降伏したと見せかけ、呂文煥を暗殺しようとする将兵が待ち伏せしてて命からがら逃げたということもあったと記録されています。
ウィキペディアの記述によると、この呂文煥は国家に背いて降伏したもののその戦いぶりから「反逆者」などと非難されることはあまりなく、むしろ同情の目で見られることが多いと書かれています。果たして本当かなと思い中国のサイトなどを覗いてみましたが、中には「漢民族の奸(漢奸)だ!」と非難する人もいましたが、どっちかっていうと「戦うだけ戦いつくした人物じゃないか」、「降伏しなければ元軍に国土が蹂躙されていた」、「それ以外もう手がなかったのでは」などと、確かに擁護する意見の方が多いように見えました。
私も同意見で、先程見た中国語のサイトだと「五年間籠城していた頃は英雄、降伏してからは反逆者だ」なんていう意見もありますが、死ぬことが必ずしも国への忠かと言ったらそうでもないと考えてますし、またフビライ側も彼を優遇することによって南宋の諸都市に安心感を与え、無血開城させ余計な被害を抑えようとした向きもあり、敢えて言うなら「国破れて山河在り」という言葉を実践するのに大きな役割を果たしたと思える人物です。
なお呂文煥は南宋滅亡後も元に重臣として仕え、日本への遠征に賛成していたそうです。また樊城の救援に来て元軍に降伏した范文虎という先程出てきた将軍も同じように賛成したところこっちは1281年の弘安の役に従軍させられ、台風で船が悉く沈む中で将兵を置いたまま命からがら中国に戻ってきましたがそれが後年になってから敵前逃亡だと告発され、1301年に時の皇帝である成宗によって斬首されましたとさ。
南宋末期のキャラは意外と日本にも関わってくるからこの時代は面白かったりします。
・襄陽・樊城の戦い(Wikipedia)
しかし当時の皇帝であり日本への元寇でもお馴染みなフビライ・ハーンは長年の悲願でもある中華統一をめざし、南宋への遠征軍を仕立てると重要軍事拠点であった襄陽・樊城へと軍を進めました。この元の遠征軍に対し南宋側は、当時南宋国内でも随一の将軍であった呂文徳と、その弟である呂文煥に守備させることにさせ、長期間の籠城にも耐えられるよう膨大な物資を運びこんだ上で元軍を待ち構えました。
こうして準備万端整えていた南宋軍でしたが、フビライはかつてこの地の奪取に動いたものの失敗した遠征に同行しており、力攻めが非常に難しいことを理解しておりました。そこでフビライが採った戦法というのも南宋軍と同じく持久戦に持ち込むというもので、補給地をしっかり確保した上で樊城を丸ごと土塁で囲い込み包囲するというこれまたビッグスケールな作戦でした。
これに動揺というかびっくりしたのは南宋軍で、長距離からの遠征軍だからてっきり力攻めを仕掛けてくると思ったら逆に持久戦を採ってきたので肩すかしを覚えつつも、ただ黙ってみているのではなく包囲の隙を突いて何度か攻撃を仕掛けたりしましたが元軍はほとんど反撃せず守り続けるだけで、仕方なく城内へ引き返すだけという有様でした。
そして、五年間が過ぎましたとさ……。
世界史上ではウィーンやコンスタンティノープルなど数年間にも及ぶ包囲戦というのはままありますが、この時の樊城でも長期間の籠城戦が続きました。この間、1271年には兄貴の呂文徳が病死し、また外部から包囲を解こうとほかの地域から送られてきた南宋の援軍が何度か元軍に挑みましたが悉く返り討ちに遭い、この際十万もの援軍を率いた范文虎という将軍は大敗して後に元軍へ降伏しております。
そんな苦しい逆境にありながらも兄の遺志を継いだ弟の呂文煥は必死の抵抗を続けていましたが、本国へ何度も出す救援要請は以前から折り合いの悪かった宰相の賈似道にあまり相手にされなかった挙句、緊急であるという事実すら皇帝には隠されてしまって文字通り手も足も出ない状態が続きました。そこへきて元軍が新兵器の「回回砲」という原始的な木製大砲を用意して攻撃しはじめ、この兵器によって城壁がもろくも崩れ去っていくのを見て呂文煥もついに降伏を申し出て、足かけ五年にも及んだ籠城戦は1273年に幕を閉じます。
降伏した呂文煥は敵ながら見事な指導力と持久力を持つとフビライに評価されそのまま元軍の将軍に任命されます。そしてそのまま南宋の首都臨安(現在の浙江省杭州市)に至る途中で各都市を時には陥落させ、時には説得によって無血開城させ、大いに大功を立てたそうです。ただこの進軍中には降伏したと見せかけ、呂文煥を暗殺しようとする将兵が待ち伏せしてて命からがら逃げたということもあったと記録されています。
ウィキペディアの記述によると、この呂文煥は国家に背いて降伏したもののその戦いぶりから「反逆者」などと非難されることはあまりなく、むしろ同情の目で見られることが多いと書かれています。果たして本当かなと思い中国のサイトなどを覗いてみましたが、中には「漢民族の奸(漢奸)だ!」と非難する人もいましたが、どっちかっていうと「戦うだけ戦いつくした人物じゃないか」、「降伏しなければ元軍に国土が蹂躙されていた」、「それ以外もう手がなかったのでは」などと、確かに擁護する意見の方が多いように見えました。
私も同意見で、先程見た中国語のサイトだと「五年間籠城していた頃は英雄、降伏してからは反逆者だ」なんていう意見もありますが、死ぬことが必ずしも国への忠かと言ったらそうでもないと考えてますし、またフビライ側も彼を優遇することによって南宋の諸都市に安心感を与え、無血開城させ余計な被害を抑えようとした向きもあり、敢えて言うなら「国破れて山河在り」という言葉を実践するのに大きな役割を果たしたと思える人物です。
なお呂文煥は南宋滅亡後も元に重臣として仕え、日本への遠征に賛成していたそうです。また樊城の救援に来て元軍に降伏した范文虎という先程出てきた将軍も同じように賛成したところこっちは1281年の弘安の役に従軍させられ、台風で船が悉く沈む中で将兵を置いたまま命からがら中国に戻ってきましたがそれが後年になってから敵前逃亡だと告発され、1301年に時の皇帝である成宗によって斬首されましたとさ。
南宋末期のキャラは意外と日本にも関わってくるからこの時代は面白かったりします。
2015年12月12日土曜日
荒れ狂う週末
今日手袋を購入するため立ち寄ったユニクロが入るショッピングモール内で撮影したのが上の写真です。画像が小さいためちょっと見辛いかもしれませんが池の中にいるのは金魚で、見ての通り子供たちが金魚すくいならぬ金魚釣りをやってて、「ほんま釣れるんかいなこんなん」とか思ってたら目の前で一匹釣る人が出てきて、慌てて携帯カメラ出したが間に合いませんでした。
なお、自分もちょっとやってみたいなと興味はありました。
そんな金魚釣りを見てから数分後、同じモール内の広場で会ったのがこの遊具です。また急いで撮影したから左の兄ちゃんが主役っぽいですが真の主役は右から中央にあるクレーン車で、なんとこれ、子供用の遊具でした。
写真の奥の方で子供が乗って動かしてますが、クレーン部分が動いて目の前にある枠の中の砂を掻き出して隣に移し替えるという遊び方のようです。地味にいい動きして、「俺もこれやってみたいんだけど」と思いならシャッター切りました。子供ばっかりずるい。
話は少し戻りますが今日なんでユニクロくんだり手袋買ってきたのかというと、単純にそれまで使っていた手袋失くしたからです。自分のような自転車乗りにとって手袋はマジ必需品でこれまでは自転車メーカーGIANT純正のでっかい手袋つけてましたが、この前バス乗った際に社内で脱いでポケットに入れてたら車内で片方だけ落としてしまい、泣くに泣けない状態で雨の中打ちひしがれながら帰宅しました。
仕方ないので買い直そうと今日午前にGIANTのショップ言ってみてきましたが、まぁどれもこれも高いこと。一番安い夏用みたいな薄いんですら99元(約2000円)だからもうちょい安いのを捜そうとあちこち回って、最後ユニクロにたどり着いてヒートテック仕様の手袋を90元(約1800円)でハンマープライスしました。値段そんな差ないけど、もう探すのが途中でばからしくなってしまったので……。
余談ですがこの手の手袋は自転車屋とかで買うよりも、ホームセンターで工具用手袋を買った方がずっといいです。工具用手袋なら物握った時に滑らないよう滑り止めが手の平部分についてるし、また比較的丈夫で擦り切れないものも多く、私なんかはよく3Mの780円くらいの手袋を買って使ってました。フィット感がたまらなくよかった。
そんなこんだして昼飯食って帰宅後、家で一本の電話を掛けました。一体何で掛けたのかというとこのところネットの調子がおかしく、何故かルーターの電源切ってるのにそのルーターから発信される電波が飛び続けており、しかも電源オンの時も時たまネット接続が切れるなど軽いホラー入った状態が続いていたからです。
あくまで仮説ですが、何者かが同じ電波名でWIFI飛ばしているのかもしれません。なんでそんなことするんのかミステリーですが。
ともかくこうした状態を一回見てもらおうと通信業者から聞いた技術者の電話番号にかけたのですが土曜だから一向に出ず、一回だけ繋がって状況を説明すると、「また後で行く時間とか通知する」と言ったっきり、何も通知してきませんでした。その後何度も電話かけるもやっぱり出て来ず、幸いというか昨日はちょくちょくネット接続切れていたのに今日は安定しているのでもう少し様子見ることにします。ってかそれしかできねぇ……。
それにしても手袋失くしたりネットおかしくなったりと、2011年の「運の尽きの一週間」の時みたく悪いことって重なるものです。これに加え今週はもう一つ、運営している海外拠点サイトのサーバー移転のトラブルでも神経すり減らされて色々参った一週間でした。
2015年12月10日木曜日
朝日新聞の行き過ぎな配慮
今日たまたまですが目に留まった記事に、ニュース内容をぼかすあまりに本来の事件内容を誤解させかねないひどい記事を見かけました。
・居眠り女性を盗撮し投稿 女子生徒を侮辱容疑で書類送検(朝日新聞)
上記リンク先がその朝日新聞の記事ですが最初にこれを読んだ際、「電車で居眠りしている女性を無断撮影してネットに上げるのは悪趣味と言えば悪趣味だが、書類送検するほどのものなのか?」と、撮影した女子高生に対してやや大袈裟すぎる対応ではないかと違和感を覚えました。考えられることとしては撮影された側がプライバシーの侵害などで過剰に反応したか、もしくは何かほかに取られてはいけないもの、具体的には下着などが映り込んでいたのかもなどといった考えがいくつかよぎったもののどれも確証は得られず、なんとなく消化不良のような気持ちを抱えたまま一旦は記事を閉じました。
そしたらそうした不満が何かに結び付いたのかもしれませんが、真相をちゃんと伝える記事にすぐ巡り合いました。
・「笑いネタにしたい」障害女性の居眠り姿投稿 侮辱容疑で17歳女子高生を書類送検(産経新聞)
こちらの記事を読んでようやく得心しましたが、書類送検された女子高生は障害を持った方を撮影した上、嘲笑うかのようにしてネットにアップしていたようです。もちろん、事がこうであるのであれば書類送検もやむなしだと私も納得がいきます。
逆を言えばどうして朝日新聞はあんな風に記事を書いたのか、こっちの方が今度は気になってきます。恐らく「障害」という言葉を使いたくなかったためああいう書き方を取ったのだと思いますが、事件内容からするとこの場合は絶対外してはならない、というより外してしまったら事実からむしろ遠ざかる記事になってしまう類のものだったと私には思えます。実際に私も撮影された側が過剰な反応を取ったのではと想像してしまいましたし、こんな風に書くのであればこのニュースに関しては一切記事を書かずノータッチにした方が良かったのではという気すらします。
障害者に対する表現は確かに慎重を期すものでありますが、だからと言って障害という言葉を使ってはならないというわけではありません。そこに存在するものが存在など無いように書くことはかえって失礼に当たるのではないかと私には思え、事実は事実として書いた上で、偏見を産まぬような報道を意識し続けることこそが肝要でしょう。
今回の朝日新聞の記事に関しては明らかに行き過ぎな配慮が見られ、事実を歪めかねない性質を含んでいると思うだけにこの場で強く批判したいと思います。
・居眠り女性を盗撮し投稿 女子生徒を侮辱容疑で書類送検(朝日新聞)
上記リンク先がその朝日新聞の記事ですが最初にこれを読んだ際、「電車で居眠りしている女性を無断撮影してネットに上げるのは悪趣味と言えば悪趣味だが、書類送検するほどのものなのか?」と、撮影した女子高生に対してやや大袈裟すぎる対応ではないかと違和感を覚えました。考えられることとしては撮影された側がプライバシーの侵害などで過剰に反応したか、もしくは何かほかに取られてはいけないもの、具体的には下着などが映り込んでいたのかもなどといった考えがいくつかよぎったもののどれも確証は得られず、なんとなく消化不良のような気持ちを抱えたまま一旦は記事を閉じました。
そしたらそうした不満が何かに結び付いたのかもしれませんが、真相をちゃんと伝える記事にすぐ巡り合いました。
・「笑いネタにしたい」障害女性の居眠り姿投稿 侮辱容疑で17歳女子高生を書類送検(産経新聞)
こちらの記事を読んでようやく得心しましたが、書類送検された女子高生は障害を持った方を撮影した上、嘲笑うかのようにしてネットにアップしていたようです。もちろん、事がこうであるのであれば書類送検もやむなしだと私も納得がいきます。
逆を言えばどうして朝日新聞はあんな風に記事を書いたのか、こっちの方が今度は気になってきます。恐らく「障害」という言葉を使いたくなかったためああいう書き方を取ったのだと思いますが、事件内容からするとこの場合は絶対外してはならない、というより外してしまったら事実からむしろ遠ざかる記事になってしまう類のものだったと私には思えます。実際に私も撮影された側が過剰な反応を取ったのではと想像してしまいましたし、こんな風に書くのであればこのニュースに関しては一切記事を書かずノータッチにした方が良かったのではという気すらします。
障害者に対する表現は確かに慎重を期すものでありますが、だからと言って障害という言葉を使ってはならないというわけではありません。そこに存在するものが存在など無いように書くことはかえって失礼に当たるのではないかと私には思え、事実は事実として書いた上で、偏見を産まぬような報道を意識し続けることこそが肝要でしょう。
今回の朝日新聞の記事に関しては明らかに行き過ぎな配慮が見られ、事実を歪めかねない性質を含んでいると思うだけにこの場で強く批判したいと思います。
2015年12月9日水曜日
危機を切り抜けた名パイロットたち その三
少し間隔が空きましたがまた航空事故の特集です。
7、エアトランサット236便滑空事故(2001年)
事故内容:燃料漏れ 乗客乗員数:306人
カナダのトロントからポルトガルのリスボンへ向け大西洋を横断するルートで離陸した同便は離陸してからしばらくは問題なく飛行し続けましたが、離陸から約4時間後にタンクから燃料が漏れ始めるというトラブルが起こり始めました。燃料漏れの原因はエンジンの整備不良で、旧仕様から新仕様へと切り替わった際に一部の部品が切り替わっていたにもかかわらず、手元に新部品がなかったこととと数ミリ単位の寸法の違いしかないことから旧部品を取り付けたため燃料配管とエンジン本体が接触することとなり、飛行中の振動で配管に亀裂が生じてそこから燃料が漏れることとなりました。
燃料漏れが始まってすぐ機長と副機長は燃料ゲージの異常な現象に気が付いたものの、当初はゲージの誤作動と考え特別な対応をしませんでした。片方のエンジンがとうとう停止したことで事態の急を知ったものの、それからしばらくしてもう片方のエンジンも止まり、燃料切れによって完全なエンジン停止状態で着陸先まで飛行しなければならない事態へと迫られました。
現在の大半の民間航空機にはラムエア・タービンという非常用風力発電機が備えられているため、無線や舵の操縦に使う最低限の電力は確保されていました。ただ動力が完全に使えなくなったため飛行できる距離は制限され、近隣にあった大西洋上にあるテルセイラ島のラジェス空軍基地へ途中で高度を調整しながら向かい、そのまま無事に一人の死亡者も出さずに着陸してのけました。
8、中華航空006便急降下事故(1985年)
事故内容:5Gの急降下 乗客乗員数:274人
台湾のフラグシップキャリアであるチャイナエアラインの同便は台北からロサンゼルスへと向かっていた同便はロサンゼルスまであと550キロメートルという太平洋上で乱気流に遭い、機体の速度を自動操縦で慎重に調整しつつ飛行していました。しかしこの時に航空機関士の排気バルブの設定ミスにより第四エンジンが停止し、それによって機体が左右に偏るのを防ぐため自動操縦のシステムは飛行速度を落としたのですが、その結果設定速度のマッハ0.85を大きく下回る0.75まで落ちてしまいました。
一方、パイロットらは速度の低下に気付かないまま自動操縦でもなかなか姿勢が回復しないので手動操縦に切り替えたところ、ただでさえ落ちていた速度が一気に落ちてしまってそのまま機体は海面へ向かってまっさかさまにきりもみ状で急降下し始めました。その際、搭乗していた人には5Gもの負荷がかかっていたと言われます。
とてつもない負荷がかかりましたが機体の一部が落下中の衝撃で吹き飛んだため偶然着陸装置が下りたため空気抵抗が増して落下速度が落ち、また機長が元軍用機パイロットで5Gでも操縦できるという強者であったことも幸いし、何とかエンジンを動かして姿勢を戻し、なんと水平飛行を回復してそのまま最寄りのサンフランシスコ空港へとたどり着きました。
急激な落下であったため機内では怪我人が出たものの幸い死者はありませんでしたが、文字通り真っ逆さまに墜落する直前での九死の一生と言える事故でしょう。
9、カンタス航空32便エンジン爆発事故(2010年)
事故内容:エンジンの空中爆発 乗客乗員数:469人
シンガポールからオーストラリアへ向かった同便は離陸からわずか数分後、第二エンジンがいきなり爆発しました。爆発したエンジンの破片は周辺の民家などに落ちたものの幸い衝突した住人などはでなかったのですが、その落下物から当初は同便も墜落したに違いないと情報が出たそうです。
一方、そのころ同便では、パイロットたちが冷静かつ的確に事態へ対応していました。というのも同便には機長に対する定期的な試験のため経験豊富なパイロットが五人も乗っており、爆発を受けてシステムには無数のエラーメッセージが表示されていましたが各自が手分けして対応し、操縦桿を握る機長は操縦にのみ集中することが出来ました。
ただエンジンが爆発した際に破片が期待を突き破り、配線を損傷させたため燃料の廃棄、並びにエンジンの停止といった操作が受け付けられませんでした。そんな中でもパイロットたちは落ち着いて旋回、並びに着陸をやってのけ、どうしても停止しなかった第一エンジンは着陸から数時間後に消防が消化液を吹きかけたことによって止まり、乗客乗員は誰一人怪我することなく生還を果たしました。
なおエンジンが爆発したのはメーカーの製造ミスによるものであったため、同型のエンジンを使用していた世界中の航空機が整備・検査のため飛行を見合わせる事態となりました。
10、エアカナダ143便滑空事故(1983年)
事故内容:燃料切れ 乗客乗員数:469人
なんか今日はやたらと燃料切れ事故ばかり取り上げますがこれもその一つで、カナダ国内のケベックからモントリオールへ飛び立った同便は飛行中、燃料切れが発生して全エンジンが止まってしまいました。
一体何故燃料切れが起こったのかというと、実は根深いヒューマンエラーが絡んでいました。当時、航空会社のエアカナダではそれまで使ってきた度量衡のヤード・ポンド法をメートル法へと移行を進めており、同便は初めてメートル法によって航続距離、必要燃料を測定して給油される便となりました。空港での給油の際、必要燃料量は正しく計算されたものの残余燃料量の単位計算でミスをしてしまい、結果必要な追加燃料量からかなり少ない量で給油されたため途中で燃料切れを起こしてしまったわけです。しかもコンピューターには正しい燃料量でセットしたため、計器上は燃料に余裕があると表示されてたもんだからパイロットとしてはたまったもんじゃないでしょう。
突然エンジンが停止したため機内で多くの電気機器が使用不能になる中、機長らはわずかに動く計器類から降下率(一定の高度を降下する間に移動できる距離)を割出し、現在地から着陸できる滑走路を急いで探しました。その結果、副機長のかつての勤務先であるギムリー空軍基地が一番適当だと考えられそちらへ向かったのですが、副機長は知らなかったのですが当時ギムリー基地は民間空港になっており、しかも当日は自動車レースが行われてて多くの家族客が集まっておりました。
そんな状況もなんのその、元々グライダー飛行が趣味の機長はエンジンなしのまま見事に操縦しつづけ、高度もばっちり合わせて多くの家族客が見守る中で滑走路へ着陸し、無事に停止してのけて見せました。ただ着陸地点からすぐ先には家族客が集まっている場所があり、仮にオーバーランしていれば多くの死傷者が出ていたほどきわどい着陸でした。
なおこの事故にはオチがあり、乗客乗員全員が無事に生還を果たした陰で、不時着に備え近くの空港からギムリー基地へ向かっていた整備士はその途上、車の燃料切れによって基地にたどり着けなかったとさ。
7、エアトランサット236便滑空事故(2001年)
事故内容:燃料漏れ 乗客乗員数:306人
カナダのトロントからポルトガルのリスボンへ向け大西洋を横断するルートで離陸した同便は離陸してからしばらくは問題なく飛行し続けましたが、離陸から約4時間後にタンクから燃料が漏れ始めるというトラブルが起こり始めました。燃料漏れの原因はエンジンの整備不良で、旧仕様から新仕様へと切り替わった際に一部の部品が切り替わっていたにもかかわらず、手元に新部品がなかったこととと数ミリ単位の寸法の違いしかないことから旧部品を取り付けたため燃料配管とエンジン本体が接触することとなり、飛行中の振動で配管に亀裂が生じてそこから燃料が漏れることとなりました。
燃料漏れが始まってすぐ機長と副機長は燃料ゲージの異常な現象に気が付いたものの、当初はゲージの誤作動と考え特別な対応をしませんでした。片方のエンジンがとうとう停止したことで事態の急を知ったものの、それからしばらくしてもう片方のエンジンも止まり、燃料切れによって完全なエンジン停止状態で着陸先まで飛行しなければならない事態へと迫られました。
現在の大半の民間航空機にはラムエア・タービンという非常用風力発電機が備えられているため、無線や舵の操縦に使う最低限の電力は確保されていました。ただ動力が完全に使えなくなったため飛行できる距離は制限され、近隣にあった大西洋上にあるテルセイラ島のラジェス空軍基地へ途中で高度を調整しながら向かい、そのまま無事に一人の死亡者も出さずに着陸してのけました。
8、中華航空006便急降下事故(1985年)
事故内容:5Gの急降下 乗客乗員数:274人
台湾のフラグシップキャリアであるチャイナエアラインの同便は台北からロサンゼルスへと向かっていた同便はロサンゼルスまであと550キロメートルという太平洋上で乱気流に遭い、機体の速度を自動操縦で慎重に調整しつつ飛行していました。しかしこの時に航空機関士の排気バルブの設定ミスにより第四エンジンが停止し、それによって機体が左右に偏るのを防ぐため自動操縦のシステムは飛行速度を落としたのですが、その結果設定速度のマッハ0.85を大きく下回る0.75まで落ちてしまいました。
一方、パイロットらは速度の低下に気付かないまま自動操縦でもなかなか姿勢が回復しないので手動操縦に切り替えたところ、ただでさえ落ちていた速度が一気に落ちてしまってそのまま機体は海面へ向かってまっさかさまにきりもみ状で急降下し始めました。その際、搭乗していた人には5Gもの負荷がかかっていたと言われます。
とてつもない負荷がかかりましたが機体の一部が落下中の衝撃で吹き飛んだため偶然着陸装置が下りたため空気抵抗が増して落下速度が落ち、また機長が元軍用機パイロットで5Gでも操縦できるという強者であったことも幸いし、何とかエンジンを動かして姿勢を戻し、なんと水平飛行を回復してそのまま最寄りのサンフランシスコ空港へとたどり着きました。
急激な落下であったため機内では怪我人が出たものの幸い死者はありませんでしたが、文字通り真っ逆さまに墜落する直前での九死の一生と言える事故でしょう。
9、カンタス航空32便エンジン爆発事故(2010年)
事故内容:エンジンの空中爆発 乗客乗員数:469人
シンガポールからオーストラリアへ向かった同便は離陸からわずか数分後、第二エンジンがいきなり爆発しました。爆発したエンジンの破片は周辺の民家などに落ちたものの幸い衝突した住人などはでなかったのですが、その落下物から当初は同便も墜落したに違いないと情報が出たそうです。
一方、そのころ同便では、パイロットたちが冷静かつ的確に事態へ対応していました。というのも同便には機長に対する定期的な試験のため経験豊富なパイロットが五人も乗っており、爆発を受けてシステムには無数のエラーメッセージが表示されていましたが各自が手分けして対応し、操縦桿を握る機長は操縦にのみ集中することが出来ました。
ただエンジンが爆発した際に破片が期待を突き破り、配線を損傷させたため燃料の廃棄、並びにエンジンの停止といった操作が受け付けられませんでした。そんな中でもパイロットたちは落ち着いて旋回、並びに着陸をやってのけ、どうしても停止しなかった第一エンジンは着陸から数時間後に消防が消化液を吹きかけたことによって止まり、乗客乗員は誰一人怪我することなく生還を果たしました。
なおエンジンが爆発したのはメーカーの製造ミスによるものであったため、同型のエンジンを使用していた世界中の航空機が整備・検査のため飛行を見合わせる事態となりました。
10、エアカナダ143便滑空事故(1983年)
事故内容:燃料切れ 乗客乗員数:469人
なんか今日はやたらと燃料切れ事故ばかり取り上げますがこれもその一つで、カナダ国内のケベックからモントリオールへ飛び立った同便は飛行中、燃料切れが発生して全エンジンが止まってしまいました。
一体何故燃料切れが起こったのかというと、実は根深いヒューマンエラーが絡んでいました。当時、航空会社のエアカナダではそれまで使ってきた度量衡のヤード・ポンド法をメートル法へと移行を進めており、同便は初めてメートル法によって航続距離、必要燃料を測定して給油される便となりました。空港での給油の際、必要燃料量は正しく計算されたものの残余燃料量の単位計算でミスをしてしまい、結果必要な追加燃料量からかなり少ない量で給油されたため途中で燃料切れを起こしてしまったわけです。しかもコンピューターには正しい燃料量でセットしたため、計器上は燃料に余裕があると表示されてたもんだからパイロットとしてはたまったもんじゃないでしょう。
突然エンジンが停止したため機内で多くの電気機器が使用不能になる中、機長らはわずかに動く計器類から降下率(一定の高度を降下する間に移動できる距離)を割出し、現在地から着陸できる滑走路を急いで探しました。その結果、副機長のかつての勤務先であるギムリー空軍基地が一番適当だと考えられそちらへ向かったのですが、副機長は知らなかったのですが当時ギムリー基地は民間空港になっており、しかも当日は自動車レースが行われてて多くの家族客が集まっておりました。
そんな状況もなんのその、元々グライダー飛行が趣味の機長はエンジンなしのまま見事に操縦しつづけ、高度もばっちり合わせて多くの家族客が見守る中で滑走路へ着陸し、無事に停止してのけて見せました。ただ着陸地点からすぐ先には家族客が集まっている場所があり、仮にオーバーランしていれば多くの死傷者が出ていたほどきわどい着陸でした。
なおこの事故にはオチがあり、乗客乗員全員が無事に生還を果たした陰で、不時着に備え近くの空港からギムリー基地へ向かっていた整備士はその途上、車の燃料切れによって基地にたどり着けなかったとさ。
2015年12月8日火曜日
最近の中国の景況感
今日知り合いから最近ブログで中国の事を書いていないという苦言があり、反省も込めて自分の肌感覚での中国の景況感について書いてみます。
結論から述べると、自分が中国に来て移行で言えば現状が最悪なくらいに悪い状態です。しかも現状で底打ちしているのかというとまだわからないだけに、まだまだ楽観はできないといったところです。マクロデータでみると貿易額もこのところ前年比で割っており、また製造業の生産額も大幅な落ち込みを続けていて改善する見込みも余りありません。
唯一まだ元気なのは自動車産業ですが、これも外資系だけが伸びてて中国民族系メーカーはズルズルと落ちてるだけで見ていてやや痛々しい状態です。何気に日系はトヨタを中心に伸ばしており、VWのこの前の不正を受けてこのままジャンプアップと行きたいところですがこの前知り合いに確認したらそこまでVWは急激には落ち込んでないそうです。
少し話が脱線しますが、このところ街中でレクサスを見かける機会が非常に増えてきました。昔は乗っているのは日系企業関係者くらいだったもののこのところは明らかに中国人一般ユーザーも乗っているようにみられ、知り合いのホイールメーカー幹部にその理由を聞いてみました。その幹部曰く、レクサスが中国市場で売り上げを伸ばしているのは確かに事実だそうで、何故売れるようになったのかというと中国のユーザーがレクサスの質の良さを理解してきたからだと説明してくれました。
なんだかんだ言って他のメーカーの高級車と比べても値段に対する品質がレクサスだと高く、「さすが日本車」という具合で購入する人が増えてきているそうです。なお一番見かけるレクサスの車種はステーションワゴンなので恐らくCTシリーズかな。
話は戻りますが街角景気に関してもほんと悪く、私の近くでも「あそこの工場潰れたんだって」、「あそこも給料の遅配が始まったって」などといった噂が流れたりするなど、やはりどこも不況だねっていう感じでみんな感じてるようです。しかし、こう言いながらなんですがあまり悲壮感めいたものはなく、「どこの会社も大変だね」って割と明るい感じでみんな話し合ってて日本国内ほど切迫じみた印象はありません。
一体これは何故なのか。原因はいくつかあるでしょうが私がこれはと思うものを述べるならば労働者自身の収入は増え続けているからではないかと思います。最低賃金は現在進行形で毎年引き上げられており、2005年なんか月収500元くらいだった最低賃金が現在は1000元以上となり、上海や深圳では2000元も突破するに至りました。
そのため全体の景気が落ち込み企業の売上げも下がる中にも関わらず、経営者は前ほど大儲けできなく一方で労働者自体は収入が増えていってるようにみえ、だから中国全体で景気に対する悲壮感は少ないのではと分析しています。また中国の場合は勤め先が潰れたとしても終身雇用制でないこともあってか日本ほど再就職が難しくはないため、「さて、新しい仕事を捜さなきゃ」と切りかえれるのも大きいかもしれません。
最後にちょっとこの記事準備している最中に気になったこととして、中国の失業率って今どのくらいなのだろうかという点がありました。先程調べてみたらどうやら中国政府はほとんどこの失業率データを公表しておらず、断片的にデータを出したのも2013年が最初だったそうです。よくよく思い返してみると私も記者時代にこの失業率データで記事を書いた覚えがなく、なんていうか久々に中国らしさを感じたってところなのですがニュース記事を検索してみると、以下の記事にヒットしました。
・2015年上半年中国31个大城市城镇失业率为5.1%左右(中国青年網)
上の記事は中国の労働省に当たる部署が記者会見で発言した内容をまとめており、その発言によると全国主要31都市における2015年上半期の失業率は5.1%前後だったそうです。全国規模だと第2四半期(Q2)が4.04%と話していますが、ならなんで31都市のデータもQ2単体で出さないんだと思ってくる当たりがやっぱり中国です。
一応参考にはなるデータではあるものの、中国なだけに不利なデータはそのまま出さないであろうことから鵜呑みにはできない数字です。もっともそれを言ったら日本の失業率データもちょっと信用に置けないところもあるので他人の事言えませんが、主要都市で5%台の失業率ならばまだまだ低い水準と言えるでしょう。景気こそ落ち込んでいるもののまだ中国ではいくらか労働力不足な状態が続いているようにみられるだけに、先ほどの収入の向上と相まって悲壮感が漂っていないというのが私の見方です。
逆を言えば、労働力不足してるのに賃金下がり続けているから日本は悲壮感漂いまくりなんだろうな。
結論から述べると、自分が中国に来て移行で言えば現状が最悪なくらいに悪い状態です。しかも現状で底打ちしているのかというとまだわからないだけに、まだまだ楽観はできないといったところです。マクロデータでみると貿易額もこのところ前年比で割っており、また製造業の生産額も大幅な落ち込みを続けていて改善する見込みも余りありません。
唯一まだ元気なのは自動車産業ですが、これも外資系だけが伸びてて中国民族系メーカーはズルズルと落ちてるだけで見ていてやや痛々しい状態です。何気に日系はトヨタを中心に伸ばしており、VWのこの前の不正を受けてこのままジャンプアップと行きたいところですがこの前知り合いに確認したらそこまでVWは急激には落ち込んでないそうです。
少し話が脱線しますが、このところ街中でレクサスを見かける機会が非常に増えてきました。昔は乗っているのは日系企業関係者くらいだったもののこのところは明らかに中国人一般ユーザーも乗っているようにみられ、知り合いのホイールメーカー幹部にその理由を聞いてみました。その幹部曰く、レクサスが中国市場で売り上げを伸ばしているのは確かに事実だそうで、何故売れるようになったのかというと中国のユーザーがレクサスの質の良さを理解してきたからだと説明してくれました。
なんだかんだ言って他のメーカーの高級車と比べても値段に対する品質がレクサスだと高く、「さすが日本車」という具合で購入する人が増えてきているそうです。なお一番見かけるレクサスの車種はステーションワゴンなので恐らくCTシリーズかな。
話は戻りますが街角景気に関してもほんと悪く、私の近くでも「あそこの工場潰れたんだって」、「あそこも給料の遅配が始まったって」などといった噂が流れたりするなど、やはりどこも不況だねっていう感じでみんな感じてるようです。しかし、こう言いながらなんですがあまり悲壮感めいたものはなく、「どこの会社も大変だね」って割と明るい感じでみんな話し合ってて日本国内ほど切迫じみた印象はありません。
一体これは何故なのか。原因はいくつかあるでしょうが私がこれはと思うものを述べるならば労働者自身の収入は増え続けているからではないかと思います。最低賃金は現在進行形で毎年引き上げられており、2005年なんか月収500元くらいだった最低賃金が現在は1000元以上となり、上海や深圳では2000元も突破するに至りました。
そのため全体の景気が落ち込み企業の売上げも下がる中にも関わらず、経営者は前ほど大儲けできなく一方で労働者自体は収入が増えていってるようにみえ、だから中国全体で景気に対する悲壮感は少ないのではと分析しています。また中国の場合は勤め先が潰れたとしても終身雇用制でないこともあってか日本ほど再就職が難しくはないため、「さて、新しい仕事を捜さなきゃ」と切りかえれるのも大きいかもしれません。
最後にちょっとこの記事準備している最中に気になったこととして、中国の失業率って今どのくらいなのだろうかという点がありました。先程調べてみたらどうやら中国政府はほとんどこの失業率データを公表しておらず、断片的にデータを出したのも2013年が最初だったそうです。よくよく思い返してみると私も記者時代にこの失業率データで記事を書いた覚えがなく、なんていうか久々に中国らしさを感じたってところなのですがニュース記事を検索してみると、以下の記事にヒットしました。
・2015年上半年中国31个大城市城镇失业率为5.1%左右(中国青年網)
上の記事は中国の労働省に当たる部署が記者会見で発言した内容をまとめており、その発言によると全国主要31都市における2015年上半期の失業率は5.1%前後だったそうです。全国規模だと第2四半期(Q2)が4.04%と話していますが、ならなんで31都市のデータもQ2単体で出さないんだと思ってくる当たりがやっぱり中国です。
一応参考にはなるデータではあるものの、中国なだけに不利なデータはそのまま出さないであろうことから鵜呑みにはできない数字です。もっともそれを言ったら日本の失業率データもちょっと信用に置けないところもあるので他人の事言えませんが、主要都市で5%台の失業率ならばまだまだ低い水準と言えるでしょう。景気こそ落ち込んでいるもののまだ中国ではいくらか労働力不足な状態が続いているようにみられるだけに、先ほどの収入の向上と相まって悲壮感が漂っていないというのが私の見方です。
逆を言えば、労働力不足してるのに賃金下がり続けているから日本は悲壮感漂いまくりなんだろうな。
2015年12月7日月曜日
統一主義と分離主義
最近あまり思想めいたこと書いてないので今思いついたことをパパッと書いてみようと思います。
先日起きたフランス・パリでのテロ事件以降、先進国各国ではテロ組織に対する敵視が一段と強まり、それが影響したかまでは断言できませんが先週米国で起きた銃乱射事件に対してあのニューヨークタイムズが銃規制について言及するなど、何か世論が変わった動きがします。そもそも何故テロ事件が起きるのかですがそれはテロ組織があるからに決まっており、では何故テロ組織が存在するのかですが、イスラム国のようなのはちょっと特殊ですが大抵は統一主義と分離主義の対立が背景にあります。
同じ記事を読んだ方なら話は早いですが、過去の代表的なテロ組織としてアイルランドの英国からの独立を目指したIRAという組織があります。このIRAは英国内を始めとして世界各国で爆破テロなどを実行しましたが、彼らの主張はアイルランドを英国に取り込むな、異なる存在を認めろというものでした。IRAに限らずとも大半のテロ組織はこういった分離主義を抱えていることが多く、バスク地方、ヨルダン地区などなど、少数派の文化や民族集団が概してテロ組織を発生する土壌にあるということはほぼ間違いないといっていいでしょう。
ここで出てきた分離主義、そしてその対立軸である統一主義ですが、聞くところによるとこの前発売されたゲームの「メタルギアソリッドV ザ・ファントム・ペイン」でも語られており、この作品では世界から永遠に争いをなくすために世界中の言語を強制的に英語へ統一しようとする組織と、それに対して抵抗しようとする少数派の分離主義者が出てくるそうです。
多数派から見れば少数派の連中の方が少ないんだし、彼らが従えばグッと物事ははかどるというのに何故抵抗するんだという価値観なのかもしれません。片や少数派は多数派のシマを別に荒らしているわけでもないのにそれまで自分たちが培ってきた言語、文化を何故無理矢理取り上げようとするのか、また自分たちからしたら不都合極まりない要求を何故押し通そうとするのかという価値観なのかもしれません。
ここで話は日本に持っていきますが、日本という文化は少数派でしょうか、多数派でしょうか?
私の答えを述べると多数派で、そう思うきっかけは留学中にルーマニア人のルームメイトと会ったためで、彼曰くルーマニア語は世界的にそれほどメジャーな言語ではないからちょっと調べ物しようとしてもルーマニア語のサイトだけでは不足すると話していました。それに対して日本人ですが、少なくとも1億人以上の話者は存在しており、難しい問題や手続きでもネットで検索すれば誰かしら解説するサイトを開いているはずです。また高等教育においても各分野の専門家が日本には揃っているため明治時代よろしく、英語で講義を聞かなくてはならないというハンデは他の言語と比べると少ないでしょう。話者で言えば世界最大の中国語においてすらもこの高等教育での言語においてはハンデがあるため、見方によっては日本語の方が世界では強いということもできるかもしれません。
ここでもう一つ問いたいこととして、日本人は言語や文化を取り巻く自分たちの現状についてちゃんと認識しているのか否かです。これもはっきり答えを言うとそもそもそれほど考えたことはなく、自分たちが多数派なのか少数派なのかは意識していないというのが実態でしょう。
これ自体は別に問題はありませんが、少数派に対してどういう風な態度で接するのかはもうちょっと考えた方がいいと思います。日本国内でもアイヌ民族という少数派がおり、また最近は減ってますが南米からの労働移民、そして技能研修生という名の奴隷制度でやってくるアジア人、彼らは紛れもなく日本社会では少数派です。
日本は島国ということもあって割かし統一意識が高く、知らず知らずのうちに統一主義的な考えや行動を取る傾向があるのではと密かに見ています。もちろんこれ自体は何も悪いことではないですが、もう少し少数派こと異なる文化や言語を持つ人に対しても対応を取組めばもっと日本社会はよくなるのではという気がします。少なくとも部屋の保証人制度は廃止してもらいたいと思っており、外国人などはこれのせいで部屋探しに半端ない苦労を負うと聞くだけに。
私自身は日本人ではあるものの、日本社会では常に少数派に回ってきたと自負できます。そのためやや自分でも過剰だと思うくらいマイノリティに対して思い入れを持つ傾向があり、だからこの記事でもどちらかと言えば分離主義的な発言が続くのでしょう。しかし長い時間で見るならばやはり文化や概念、価値観は統一されていくべきだと思っており、そうすることによって地球連邦のような世界統一組織が生まれることも願っております。
ただそうした統一までにはどうしても時間が必要です。ゆっくりゆっくり自然と各文化や概念を合わせて行く必要があり、それを無理やり統一しようものなら対抗する動きことテロリストが生まれるだけに、決して急いではならないというのが私の持論です。そして同時に、多数派もまた少数派に少しずつ合わせていくという態度も必要であるとも考えています。
本当に勢いで全部書いたので全くまとまりがない記事になりましたが、結論としては「急いで取り込むな」ということと、もうちょっと少数派に気兼ねしてほしいという要望です。
先日起きたフランス・パリでのテロ事件以降、先進国各国ではテロ組織に対する敵視が一段と強まり、それが影響したかまでは断言できませんが先週米国で起きた銃乱射事件に対してあのニューヨークタイムズが銃規制について言及するなど、何か世論が変わった動きがします。そもそも何故テロ事件が起きるのかですがそれはテロ組織があるからに決まっており、では何故テロ組織が存在するのかですが、イスラム国のようなのはちょっと特殊ですが大抵は統一主義と分離主義の対立が背景にあります。
同じ記事を読んだ方なら話は早いですが、過去の代表的なテロ組織としてアイルランドの英国からの独立を目指したIRAという組織があります。このIRAは英国内を始めとして世界各国で爆破テロなどを実行しましたが、彼らの主張はアイルランドを英国に取り込むな、異なる存在を認めろというものでした。IRAに限らずとも大半のテロ組織はこういった分離主義を抱えていることが多く、バスク地方、ヨルダン地区などなど、少数派の文化や民族集団が概してテロ組織を発生する土壌にあるということはほぼ間違いないといっていいでしょう。
ここで出てきた分離主義、そしてその対立軸である統一主義ですが、聞くところによるとこの前発売されたゲームの「メタルギアソリッドV ザ・ファントム・ペイン」でも語られており、この作品では世界から永遠に争いをなくすために世界中の言語を強制的に英語へ統一しようとする組織と、それに対して抵抗しようとする少数派の分離主義者が出てくるそうです。
多数派から見れば少数派の連中の方が少ないんだし、彼らが従えばグッと物事ははかどるというのに何故抵抗するんだという価値観なのかもしれません。片や少数派は多数派のシマを別に荒らしているわけでもないのにそれまで自分たちが培ってきた言語、文化を何故無理矢理取り上げようとするのか、また自分たちからしたら不都合極まりない要求を何故押し通そうとするのかという価値観なのかもしれません。
ここで話は日本に持っていきますが、日本という文化は少数派でしょうか、多数派でしょうか?
私の答えを述べると多数派で、そう思うきっかけは留学中にルーマニア人のルームメイトと会ったためで、彼曰くルーマニア語は世界的にそれほどメジャーな言語ではないからちょっと調べ物しようとしてもルーマニア語のサイトだけでは不足すると話していました。それに対して日本人ですが、少なくとも1億人以上の話者は存在しており、難しい問題や手続きでもネットで検索すれば誰かしら解説するサイトを開いているはずです。また高等教育においても各分野の専門家が日本には揃っているため明治時代よろしく、英語で講義を聞かなくてはならないというハンデは他の言語と比べると少ないでしょう。話者で言えば世界最大の中国語においてすらもこの高等教育での言語においてはハンデがあるため、見方によっては日本語の方が世界では強いということもできるかもしれません。
ここでもう一つ問いたいこととして、日本人は言語や文化を取り巻く自分たちの現状についてちゃんと認識しているのか否かです。これもはっきり答えを言うとそもそもそれほど考えたことはなく、自分たちが多数派なのか少数派なのかは意識していないというのが実態でしょう。
これ自体は別に問題はありませんが、少数派に対してどういう風な態度で接するのかはもうちょっと考えた方がいいと思います。日本国内でもアイヌ民族という少数派がおり、また最近は減ってますが南米からの労働移民、そして技能研修生という名の奴隷制度でやってくるアジア人、彼らは紛れもなく日本社会では少数派です。
日本は島国ということもあって割かし統一意識が高く、知らず知らずのうちに統一主義的な考えや行動を取る傾向があるのではと密かに見ています。もちろんこれ自体は何も悪いことではないですが、もう少し少数派こと異なる文化や言語を持つ人に対しても対応を取組めばもっと日本社会はよくなるのではという気がします。少なくとも部屋の保証人制度は廃止してもらいたいと思っており、外国人などはこれのせいで部屋探しに半端ない苦労を負うと聞くだけに。
私自身は日本人ではあるものの、日本社会では常に少数派に回ってきたと自負できます。そのためやや自分でも過剰だと思うくらいマイノリティに対して思い入れを持つ傾向があり、だからこの記事でもどちらかと言えば分離主義的な発言が続くのでしょう。しかし長い時間で見るならばやはり文化や概念、価値観は統一されていくべきだと思っており、そうすることによって地球連邦のような世界統一組織が生まれることも願っております。
ただそうした統一までにはどうしても時間が必要です。ゆっくりゆっくり自然と各文化や概念を合わせて行く必要があり、それを無理やり統一しようものなら対抗する動きことテロリストが生まれるだけに、決して急いではならないというのが私の持論です。そして同時に、多数派もまた少数派に少しずつ合わせていくという態度も必要であるとも考えています。
本当に勢いで全部書いたので全くまとまりがない記事になりましたが、結論としては「急いで取り込むな」ということと、もうちょっと少数派に気兼ねしてほしいという要望です。
2015年12月6日日曜日
平成史考察~明治大学法学部大量留年事件(1991年)
・携帯料金会議 格安スマホの普及に独自サービス必要との声(毎日新聞)
上記リンク先はちょっと古い11月26日の記事ですが、現在値下げ議論で盛り上がっている携帯料金について有識者会議の議論内容を伝えているものです。この携帯料金の値下げ議論については以前にもこのブログで書いていますが、この記事で私が注目したのは乗り換えする人への過剰な優遇どうこうではなくこの会議の取りまとめ役をしているある人物の名前でした。
その人物というのも新美育文明治大学教授で、この人はかつて明治大学で起こったある事件で非常に有名になった人物です。最初この名前をこの記事で見た時は「どっかで見たような……」というくらいの反応しかできませんでしたが、やや気になったので検索してみたところようやくこの人の経歴を思い出せたので、折角だからここでもかつて起きたその事件を紹介しようと思います。
それにしても、この名前だけで反応できたのは我ながら凄いと思う。
・明治大学法学部大量留年事件(Wikipedia)
その事件が起きたのは1991年の明治大学でした。当時、日本はバブル絶頂期で明治大学ほどの有名大学の学生であれば卒業後の進路は引手数多で卒業を控えた四年生の学生は誰もが有名企業の内定を得られ、後は卒業を待つだけの身でした。
そんなバラ色の将来が確約されのんびり過ごしていた学生に激震が走ったのはこの年の3月。この時、明治大学法学部は四年生の学生257人に対し留年させることを決定し、このうち147人は新美教授が担当する必修科目「債権法」のみが未修了であったことから卒業が認められませんでした。
この発表に対し慌てたのはもちろん学生たちで、卒業後の進路も決まっていた状態でこの通知が来たもんだからまさに青天の霹靂のように受け取り、多くの留年学生が新美教授に対し採点の再考、つまり単位を出して卒業させるよう求めたそうです。しかしこうした学生たちの訴えに対して新美教授は「あくまで厳正な採点の結果」であるとして突っぱね、ならばとばかりに学生が詰め寄った小松俊雄法学部長も明治大学の「独立・自治」の建学精神を引用し、新美教授の判断を尊重するとして卒業を認めませんでした。
一見すると新美教授は厳しい採点を強行して多くの留年者を出したように見えますが、実態はそうではなかったようです。問題となった「債権法」の授業は二年生時から履修できる科目で、四年間で卒業する学生は都合、三回履修する機会がありました。しかし留年した学生らはその三回の機会に未履修、または落第し、更には夏に行われる再試と、卒業間際の三月に行われた特別試験でも満足な成績が残せませんでした。
採点を行った新美教授は最後の特別試験の結果を鑑みてさすがに留年者数が多過ぎると感じ、試験を難しくし過ぎたのかとも感じたそうです。しかし改めてリポートなどで各学生の学力を確認するとやはり学生個人らの学力が不足していると思え、厳しい判断になることは承知の上で大量の「不可」を出すことにしました。
この決断について新美教授は取材に対し、簡単に内定が得られる時代もあってか最低限の勉強すら行わない学生が増えていると話したそうです。学会内でもこの新美教授の決断に対し、授業への取り組みに対し警鐘を促してくれたなどと好意的な意見が多く集まるなど歓迎され、事件が大きく報道されるにつけ大学入学後は勉強しなくなる学生をそのまま放置して卒業させることに問題があるなど大学教育全体を問う議論へと発展していきました。
ここから私の所見となりますが大体90年代中盤から後半に至る間、猛勉強して大学入った後は何も勉強しない学生というのがちょっとした社会問題になり、「分数の出来ない大学生」などといった本も出版されていました。実際に昨日会って話聞いた人も午前中に大学行って麻雀のメンツ集めるとそのまま雀荘へというのが普通で、授業なんてほとんど出なかったと述懐しており、こういってはなんですがやっぱり自分の世代とは違ってたんだなぁって気がします。
この新美教授の行動はその後の世論を考えるだに、勉強しない学生に対する警鐘としては最初期に当たるものだったのではないかと思います。少なくとも一回こっきりのワンチャンスにめちゃくちゃ難しい試験で振り落すということはしておらず、むしろ何度もチャンス与えた上での決断ですから至極真っ当な判断で教育者としては実に立派な態度と言えるでしょう。それだけに最初の有識者会議も仕切っていると聞いて、この件でこの人が関わっているというだけでなんとなく良くなるんじゃないかという期待感が持てます。
なおこの記事を書くに当たって明治大学出身の友人に、「この人知ってる?」と振ってみたところ、「直接授業を受けたりとかはないが、伝説となっている教授」だと返信が来ました。
おまけ
私が学生だった頃、よく大学教授からは「最近の学生はちゃんと授業に出席する」とよく言われ、先ほども言った通り時代というのは大きく変わってきており大学に入って遊び放題する方が今は少数派なのかもしれません。さらに、私はその中でも特別授業に出席する方で、卒業単位は124単位で足りたけど興味ある授業に片っ端から出てたためか最終的には160単位を数え、単位認定されない授業も含めれば180単位くらいは取っていたように思います。なのであんま、大学でもっと勉強したかったと思うことはないな。
上記リンク先はちょっと古い11月26日の記事ですが、現在値下げ議論で盛り上がっている携帯料金について有識者会議の議論内容を伝えているものです。この携帯料金の値下げ議論については以前にもこのブログで書いていますが、この記事で私が注目したのは乗り換えする人への過剰な優遇どうこうではなくこの会議の取りまとめ役をしているある人物の名前でした。
その人物というのも新美育文明治大学教授で、この人はかつて明治大学で起こったある事件で非常に有名になった人物です。最初この名前をこの記事で見た時は「どっかで見たような……」というくらいの反応しかできませんでしたが、やや気になったので検索してみたところようやくこの人の経歴を思い出せたので、折角だからここでもかつて起きたその事件を紹介しようと思います。
それにしても、この名前だけで反応できたのは我ながら凄いと思う。
・明治大学法学部大量留年事件(Wikipedia)
その事件が起きたのは1991年の明治大学でした。当時、日本はバブル絶頂期で明治大学ほどの有名大学の学生であれば卒業後の進路は引手数多で卒業を控えた四年生の学生は誰もが有名企業の内定を得られ、後は卒業を待つだけの身でした。
そんなバラ色の将来が確約されのんびり過ごしていた学生に激震が走ったのはこの年の3月。この時、明治大学法学部は四年生の学生257人に対し留年させることを決定し、このうち147人は新美教授が担当する必修科目「債権法」のみが未修了であったことから卒業が認められませんでした。
この発表に対し慌てたのはもちろん学生たちで、卒業後の進路も決まっていた状態でこの通知が来たもんだからまさに青天の霹靂のように受け取り、多くの留年学生が新美教授に対し採点の再考、つまり単位を出して卒業させるよう求めたそうです。しかしこうした学生たちの訴えに対して新美教授は「あくまで厳正な採点の結果」であるとして突っぱね、ならばとばかりに学生が詰め寄った小松俊雄法学部長も明治大学の「独立・自治」の建学精神を引用し、新美教授の判断を尊重するとして卒業を認めませんでした。
一見すると新美教授は厳しい採点を強行して多くの留年者を出したように見えますが、実態はそうではなかったようです。問題となった「債権法」の授業は二年生時から履修できる科目で、四年間で卒業する学生は都合、三回履修する機会がありました。しかし留年した学生らはその三回の機会に未履修、または落第し、更には夏に行われる再試と、卒業間際の三月に行われた特別試験でも満足な成績が残せませんでした。
採点を行った新美教授は最後の特別試験の結果を鑑みてさすがに留年者数が多過ぎると感じ、試験を難しくし過ぎたのかとも感じたそうです。しかし改めてリポートなどで各学生の学力を確認するとやはり学生個人らの学力が不足していると思え、厳しい判断になることは承知の上で大量の「不可」を出すことにしました。
この決断について新美教授は取材に対し、簡単に内定が得られる時代もあってか最低限の勉強すら行わない学生が増えていると話したそうです。学会内でもこの新美教授の決断に対し、授業への取り組みに対し警鐘を促してくれたなどと好意的な意見が多く集まるなど歓迎され、事件が大きく報道されるにつけ大学入学後は勉強しなくなる学生をそのまま放置して卒業させることに問題があるなど大学教育全体を問う議論へと発展していきました。
ここから私の所見となりますが大体90年代中盤から後半に至る間、猛勉強して大学入った後は何も勉強しない学生というのがちょっとした社会問題になり、「分数の出来ない大学生」などといった本も出版されていました。実際に昨日会って話聞いた人も午前中に大学行って麻雀のメンツ集めるとそのまま雀荘へというのが普通で、授業なんてほとんど出なかったと述懐しており、こういってはなんですがやっぱり自分の世代とは違ってたんだなぁって気がします。
この新美教授の行動はその後の世論を考えるだに、勉強しない学生に対する警鐘としては最初期に当たるものだったのではないかと思います。少なくとも一回こっきりのワンチャンスにめちゃくちゃ難しい試験で振り落すということはしておらず、むしろ何度もチャンス与えた上での決断ですから至極真っ当な判断で教育者としては実に立派な態度と言えるでしょう。それだけに最初の有識者会議も仕切っていると聞いて、この件でこの人が関わっているというだけでなんとなく良くなるんじゃないかという期待感が持てます。
なおこの記事を書くに当たって明治大学出身の友人に、「この人知ってる?」と振ってみたところ、「直接授業を受けたりとかはないが、伝説となっている教授」だと返信が来ました。
おまけ
私が学生だった頃、よく大学教授からは「最近の学生はちゃんと授業に出席する」とよく言われ、先ほども言った通り時代というのは大きく変わってきており大学に入って遊び放題する方が今は少数派なのかもしれません。さらに、私はその中でも特別授業に出席する方で、卒業単位は124単位で足りたけど興味ある授業に片っ端から出てたためか最終的には160単位を数え、単位認定されない授業も含めれば180単位くらいは取っていたように思います。なのであんま、大学でもっと勉強したかったと思うことはないな。
漫画レビュー「ちおちゃんの通学路」
また漫画に関する記事ですが、一ヶ月くらい前から準備しておきながらこれまでほかの記事を優先するため執筆にこぎつけなかったのがこの作品、「ちおちゃんの通学路」です。
・同級生が男子から告白されるのを友人と共にのぞき見しようとしてばれそうになる
・暴走族に絡まれハッタリかまして切り抜けようとする
この漫画を知ったのはたまたまAmazonのページ内に表紙が映っていたのを見たことがきっかけですが、その時表示されていたのは2巻の表紙で、タイトルと共に街角らしき場所で爆発が起こっているのを尻目に不敵な笑みを浮かべる女子高生が描かれており、一見して「なにこれ?」と思って興味を持ちました。調べてみるとまだ三巻までしか発売されていないことから全巻揃えるのは容易だし、試しに一巻だけ買ってみてその内容を見てから続きを買うかどうか検討しようと決断し、結果的にはすぐに三冊全部揃えることとなりました。
この「ちおちゃんの通学路」がどんな漫画かというと、タイトルの通りにちおちゃんという女子高生が主人公の通学にまつわる話です。最初見た感じ、ドジな女子高生が通学途中に毎回トラブルに巻き込まれて遅刻しそうになる漫画なのかなと思って読み始めましたが、実際には遅刻しそうになるのは第一話だけで、それ以降の話は無駄に運動神経良くて出てくるのは銃とオヤジとゴリラみたいな女性キャラだけな海外ゲームをやりこんでいるコアゲーマーな女子高生が通学途中の行く先々でトラブルを引き起こすという内容でした。自分で書いてて思いますが、改めてみるとやたら濃い設定な気がします。
具体的にちおちゃんがどういうトラブルを起こすのかいくつかあらすじを抜粋すると、
・スクールカースト上位の同級生に声かけられきょどり、SWATターン決めて逃げようとする
・暴走族に絡まれハッタリかまして切り抜けようとする
・洋ゲー特集雑誌を買おうとして寄ったコンビニでBLゲー雑誌を手に取る
・車からポイ捨てされる煙草をダイビングキャッチして鉄柱に鎖骨を強打する
・回り道して坂道上るよりショートカットになると思って舗装された壁面をよじ登ろうとする
どの話でも共通するのは主人公のちおちゃんが無駄に行動力が有り余ってて悉く「やらなきゃいいのに」と思うようなことに首突っこんではピンチに陥るという点です。特に一番笑った回の話では橋の上を歩く友人を見かけて、「こういう時、ゲームだったら橋の縁にエルード(ぶら下がり)してにじり寄る」ということを思い付き、それをそのまま実行してしまうというゲーム脳ぶりを見せます。無論、女子高生の腕力なので友人を驚かせる前に途中で力尽き、どうせ川に落ちるくらいなら諸共に落ちようと友人の足を掴んで引きずり込もうとしますが。
どの話もテンポがよく、なおかつ高いテンションで描かれているのでギャグ漫画としての勢いは十分な作品です。それとともに個人的に注目したのは各キャラの表情の描き分けと、漫画における特殊効果です。前者はギャグ漫画を描く上でギャグセンスと共に重要なものであることは言うまでもありませんが、後者に関しては集中線や遠景、下からのズームなどあらゆる漫画表現が効果的に駆使されており、地味にこの作者は器用な人だと感心させられました。
またどの話もきちんと通学路上での話に絞っており、よくこれだけ限定された状況下で毎回話を作れるなという点でも感心させられます。ほかにはセリフ回しも案外凝ってて、個人的にツボにはまったのは、「昭和生まれの世代はゆとり教育を受けていないため、新聞の配達が少しでも遅れると理性を失ってしまう(物凄く怒る)」というセリフです。
以上が私の分析ですが、現在出ているギャグ漫画の中で一番はまっていて文句なしにお勧めできる作品です。ちょっとほめ過ぎなような気もしますが、興味を持たれた方にはぜひ手に取ってもらいたいです。
2015年12月5日土曜日
パソコン三社の事業統合報道について
・パソコン3社が事業統合 東芝・富士通・VAIO交渉へ (日経新聞、12/4 2:00)
・東芝と富士通、パソコン事業で合弁交渉(読売新聞、12/4 3:15)
・<東芝>富士通とVAIO パソコン事業統合検討(毎日新聞、12/4 11:20)
・東芝、富士通、VAIOの3社がPC事業を統合か--報道に対し3社が否定のコメント(CNET Japan、15:01)
本日、各メディアで東芝、富士通、VAIOのパソコンメーカー大手三社が事業統合を検討していることを報じるニュースが飛び出してきました。私が確認する限りだとこのスクープを物にしたのはやはり日経のようで、いろいろ調べた中では最も早くかつ具体的、そして簡潔に報じております。
この日経の報道を受けてすぐ後追いで記事を出したのは読売で、日経の配信から約1時間後に記事を配信しています。ただ読売の記事では東芝と富士通しか触れておらず三社目のVAIOについては名前すら出てきません。恐らくこれはVAIOに関しては裏付けがきちっと取れなかったため安牌を切るようにほぼ確実そうだと見込めた先の二社に限って報じたのでしょう。そのかわり2014年の日本国内パソコン市場シェアを引用して統合後はNEC、レノボ連合を追い抜くと説明している辺りは好感が持てます。
読売の報道から大きく時間が経った11時台に報じたのは毎日ですが、ここはスクープに追いつけなかった代わりに後追い取材が丁寧になされており、東芝に対して行った取材(恐らく電話取材)の回答内容を詳細に乗せた上で今後の展望などをしっかり書いてる当たり合格点です。逆にふざけてるというか「てめぇもう記者辞めろ」と言いたくなるのが最後のCNET Japanの記事で、ここは見出しに「報道に対し3社が否定のコメント」と載せていますが、後追い取材を行ってはいるもののそのコメントを見る限りだと否定しているとは言い難いものです。大まかなコメント内容を抜粋すると下記の通りです。
東芝
「報道は当社が発表したものではないが、事業編成を含め様々な可能性を検討している。まだ合意、決定した事項はない」
富士通
「報道は当社が発表したものではないが、パソコン事業の分社化は既に決まっており、分社化後の展開に関しては様々な可能性を検討しているがまだ決定した事項はない」
VAIO
「憶測記事に対してコメントは差し控える。現時点においてVAIOとして交渉を行っている事実はない」
これらのコメントを見る限り、報道されている通りに事業統合を検討をしていることを暗に認めているとしか思えません。要はまだ完全合意になって決定したわけではないけど、検討している案の中に統合は入っており、でもって完全否定できないほど現実味は持ち合わせているってことでしょう。何をどう読んだらこれで「報道を否定」だなんて言えるのか、この会社はあんま深く知らないけどいい加減で取材力のない記者もいるもんだなと読んでて呆れます。
ちなみにVAIOにこんな返答された場合私は、
「じゃあ日経の記事は間違った報道だって言うんですか?誤った事実が世の中に伝播することに御社は黙って見過ごすってんですか?VAIOとして交渉を行っていないってのはどういう意味で、役員がスタンドプレーで交渉してるとでもいうのかっ!」
って、早口&怒鳴りで次の回答を引き出します。
こうした取材では相手広報への余計な容赦は必要なく、記者は徹底的に攻めなくてはなりません。だからこそ記者って人間性を段々失っていくんですが。
ちなみに、同じ後追い取材でも実力の差がはっきり出てしまったというか、毎日の方では検討している事実を相手先に認めさせています。以下、その箇所を抜粋しましょう。
「東芝関係者は毎日新聞の取材に対し、統合検討の事実を認めた上で『各社のブランドをどうするかも固まっておらず、いつ合意できるか分からない』と指摘。また、VAIOの関係者は統合に慎重な見方を示しており、東芝・富士通だけの統合になったり、統合自体が白紙になったりする可能性もある。」(上記リンク先の毎日の記事より)
この毎日の取材内容と比較するにつけ、CNET Japanの記事の書き方は誤報と言ってもいい内容です。普通こういう時は曖昧にして逃げるんだが、よくデスクもこんな見出しでOK出したなぁ。
なお三社のパソコン事業統合の可能性について私個人の見方を述べると、十分あり得る話かなというのが正直な感想です。ノートパソコン事業は既に斜陽産業となっており、その機能の大半はスマートフォンに取られたため今後再浮上する可能性はほとんどないでしょう。特に東芝に至っては不正会計をした中にこのパソコン事業も入っていたと見られており、いまいち実態が明らかになりませんが既に赤字事業と成り果てている可能性すら有り得ます。
となるとまだ息してる間にほかの会社と事業統合するというのは次善の策であり悪くはなく、また三社とも明らかにブランド力が落ちているのでここらが潮時かなというのが寂しさと共に感じます。先程も友人に延々と説明し続けましたが、このところ日系パソコンメーカー各社は値段と性能が釣り合わないというか、レノボやASUSのパソコンと比べても性能は同じなのに値段は高いだけというラインナップが目立ちます。しかもデザインもこう言ってはなんですがどれもダサく、特にかつてはデザインの良さで一世を風靡したVAIOに至っては現在のラインナップを見て、「正気か?」と思うくらいダサいです。表面カバー本体に「VAIO」って書いてあるだけで、ぶっちゃけ「FUJITSU」とか「NEC」、「dynabook」と書き換えたらそれで済みそうなくらいダサいです。
逆にというか、この統合話に入っていない会社の方こそ注目に値するような気がします。NECに関しては既にレノボと連合組んでいるのでそれほど言及することはありませんが、パナソニックは「レッツノート」のブランドで「頑丈でタフなパソコン」というイメージを幅広いユーザーに認知させており、業界において独自で確固たる地位を築いているのではないかと見ております。実際私の周りのIT関係者もレッツノートを絶賛する人間が多く、将来はわかりませんが今回の話に入っていないだけなかなか有力株なのかもしれません。パナソニックの製品は系列会社にいる友人がアホみたいに働かされている(月間残業時間200時間オーバー、みなし残業で)から買うつもりないけど。
・東芝と富士通、パソコン事業で合弁交渉(読売新聞、12/4 3:15)
・<東芝>富士通とVAIO パソコン事業統合検討(毎日新聞、12/4 11:20)
・東芝、富士通、VAIOの3社がPC事業を統合か--報道に対し3社が否定のコメント(CNET Japan、15:01)
本日、各メディアで東芝、富士通、VAIOのパソコンメーカー大手三社が事業統合を検討していることを報じるニュースが飛び出してきました。私が確認する限りだとこのスクープを物にしたのはやはり日経のようで、いろいろ調べた中では最も早くかつ具体的、そして簡潔に報じております。
この日経の報道を受けてすぐ後追いで記事を出したのは読売で、日経の配信から約1時間後に記事を配信しています。ただ読売の記事では東芝と富士通しか触れておらず三社目のVAIOについては名前すら出てきません。恐らくこれはVAIOに関しては裏付けがきちっと取れなかったため安牌を切るようにほぼ確実そうだと見込めた先の二社に限って報じたのでしょう。そのかわり2014年の日本国内パソコン市場シェアを引用して統合後はNEC、レノボ連合を追い抜くと説明している辺りは好感が持てます。
読売の報道から大きく時間が経った11時台に報じたのは毎日ですが、ここはスクープに追いつけなかった代わりに後追い取材が丁寧になされており、東芝に対して行った取材(恐らく電話取材)の回答内容を詳細に乗せた上で今後の展望などをしっかり書いてる当たり合格点です。逆にふざけてるというか「てめぇもう記者辞めろ」と言いたくなるのが最後のCNET Japanの記事で、ここは見出しに「報道に対し3社が否定のコメント」と載せていますが、後追い取材を行ってはいるもののそのコメントを見る限りだと否定しているとは言い難いものです。大まかなコメント内容を抜粋すると下記の通りです。
東芝
「報道は当社が発表したものではないが、事業編成を含め様々な可能性を検討している。まだ合意、決定した事項はない」
富士通
「報道は当社が発表したものではないが、パソコン事業の分社化は既に決まっており、分社化後の展開に関しては様々な可能性を検討しているがまだ決定した事項はない」
VAIO
「憶測記事に対してコメントは差し控える。現時点においてVAIOとして交渉を行っている事実はない」
これらのコメントを見る限り、報道されている通りに事業統合を検討をしていることを暗に認めているとしか思えません。要はまだ完全合意になって決定したわけではないけど、検討している案の中に統合は入っており、でもって完全否定できないほど現実味は持ち合わせているってことでしょう。何をどう読んだらこれで「報道を否定」だなんて言えるのか、この会社はあんま深く知らないけどいい加減で取材力のない記者もいるもんだなと読んでて呆れます。
ちなみにVAIOにこんな返答された場合私は、
「じゃあ日経の記事は間違った報道だって言うんですか?誤った事実が世の中に伝播することに御社は黙って見過ごすってんですか?VAIOとして交渉を行っていないってのはどういう意味で、役員がスタンドプレーで交渉してるとでもいうのかっ!」
って、早口&怒鳴りで次の回答を引き出します。
こうした取材では相手広報への余計な容赦は必要なく、記者は徹底的に攻めなくてはなりません。だからこそ記者って人間性を段々失っていくんですが。
ちなみに、同じ後追い取材でも実力の差がはっきり出てしまったというか、毎日の方では検討している事実を相手先に認めさせています。以下、その箇所を抜粋しましょう。
「東芝関係者は毎日新聞の取材に対し、統合検討の事実を認めた上で『各社のブランドをどうするかも固まっておらず、いつ合意できるか分からない』と指摘。また、VAIOの関係者は統合に慎重な見方を示しており、東芝・富士通だけの統合になったり、統合自体が白紙になったりする可能性もある。」(上記リンク先の毎日の記事より)
この毎日の取材内容と比較するにつけ、CNET Japanの記事の書き方は誤報と言ってもいい内容です。普通こういう時は曖昧にして逃げるんだが、よくデスクもこんな見出しでOK出したなぁ。
なお三社のパソコン事業統合の可能性について私個人の見方を述べると、十分あり得る話かなというのが正直な感想です。ノートパソコン事業は既に斜陽産業となっており、その機能の大半はスマートフォンに取られたため今後再浮上する可能性はほとんどないでしょう。特に東芝に至っては不正会計をした中にこのパソコン事業も入っていたと見られており、いまいち実態が明らかになりませんが既に赤字事業と成り果てている可能性すら有り得ます。
となるとまだ息してる間にほかの会社と事業統合するというのは次善の策であり悪くはなく、また三社とも明らかにブランド力が落ちているのでここらが潮時かなというのが寂しさと共に感じます。先程も友人に延々と説明し続けましたが、このところ日系パソコンメーカー各社は値段と性能が釣り合わないというか、レノボやASUSのパソコンと比べても性能は同じなのに値段は高いだけというラインナップが目立ちます。しかもデザインもこう言ってはなんですがどれもダサく、特にかつてはデザインの良さで一世を風靡したVAIOに至っては現在のラインナップを見て、「正気か?」と思うくらいダサいです。表面カバー本体に「VAIO」って書いてあるだけで、ぶっちゃけ「FUJITSU」とか「NEC」、「dynabook」と書き換えたらそれで済みそうなくらいダサいです。
逆にというか、この統合話に入っていない会社の方こそ注目に値するような気がします。NECに関しては既にレノボと連合組んでいるのでそれほど言及することはありませんが、パナソニックは「レッツノート」のブランドで「頑丈でタフなパソコン」というイメージを幅広いユーザーに認知させており、業界において独自で確固たる地位を築いているのではないかと見ております。実際私の周りのIT関係者もレッツノートを絶賛する人間が多く、将来はわかりませんが今回の話に入っていないだけなかなか有力株なのかもしれません。パナソニックの製品は系列会社にいる友人がアホみたいに働かされている(月間残業時間200時間オーバー、みなし残業で)から買うつもりないけど。
2015年12月4日金曜日
ある警備犬の逝去に触れて
・<警備犬>レスター号死ぬ 中越地震で男児突き止め(毎日新聞)
小さなニュースですがどうしても取り上げたいと感じるニュースなのでこのブログで取り上げることにします。詳細はリンク先の記事に書いておりますが警備犬として災害救助の現場で活躍したレスター号が本日、都内の警察犬訓練所にて老衰で亡くなったそうです。このレスター号ですが2004年の新潟県中越地震時にも出動しており、その際には土中に埋まった車を発見して災害発生から92時間後に2歳児が救出されるという奇跡に導いています。
少し話が脱線しますがこの時の救出は非常に印象的で私もよく覚えており、その車には母、姉、弟の家族三人が乗っていたのですが母と姉は地震発生直後に即死していたものの、土中に埋まったまま食べ物も何もない中で実に四日以上も2歳児の男の子は一人で生き残り続けました。通常であれば栄養状態の悪化、または不安から発狂するなどといったことも考えられる状況でっただけに、まさしく奇跡のような救出であったと思います。
話はレスター号に戻りますが、人が他県中越地震後も警備犬として活躍し続け、なんと四川大地震の際にも出動していたそうです。そして2011年に引退した後、救出へとつなげた男の子から手紙をもらったりなどつつがない余生を送っていたと報じられています。
小さなニュースと言えばそれまでですが、人の命をたくさん救ってくれた犬について触れる人間が多少はいてもいいと思え、このブログにも書き残すこととしました。
小さなニュースですがどうしても取り上げたいと感じるニュースなのでこのブログで取り上げることにします。詳細はリンク先の記事に書いておりますが警備犬として災害救助の現場で活躍したレスター号が本日、都内の警察犬訓練所にて老衰で亡くなったそうです。このレスター号ですが2004年の新潟県中越地震時にも出動しており、その際には土中に埋まった車を発見して災害発生から92時間後に2歳児が救出されるという奇跡に導いています。
少し話が脱線しますがこの時の救出は非常に印象的で私もよく覚えており、その車には母、姉、弟の家族三人が乗っていたのですが母と姉は地震発生直後に即死していたものの、土中に埋まったまま食べ物も何もない中で実に四日以上も2歳児の男の子は一人で生き残り続けました。通常であれば栄養状態の悪化、または不安から発狂するなどといったことも考えられる状況でっただけに、まさしく奇跡のような救出であったと思います。
話はレスター号に戻りますが、人が他県中越地震後も警備犬として活躍し続け、なんと四川大地震の際にも出動していたそうです。そして2011年に引退した後、救出へとつなげた男の子から手紙をもらったりなどつつがない余生を送っていたと報じられています。
小さなニュースと言えばそれまでですが、人の命をたくさん救ってくれた犬について触れる人間が多少はいてもいいと思え、このブログにも書き残すこととしました。
2015年12月3日木曜日
水木しげるは反戦だったのか?
水木しげる氏の逝去を受けて各メディアでこのところ、水木氏の往時の業績や辿った人生についてまとめる記事が数多く出されております。ただこうした記事について一部ネットで、彼の戦争体験を引用しては無理に戦争批判へと繋げようとする報道があり違和感を覚えるといった意見が出ており、かくいう私もその違和感を感じた一人でした。
有名なので知ってる方も多いでしょうが、水木氏は戦時中に徴兵されて南方の激戦地であるラバウルに派遣されそこでの空爆を受けて左腕を失う大怪我を負いました。この戦争時の体験については自伝漫画にも詳しく記述され当人にとっても激烈な体験であったことは想像に難くなく、また軍隊内では持ち前のマイペースな性格が災いして度々ビンタを喰らってたりなど、当時の上官らに対しては不満があったことを率直に書いております。
こうした本人の証言からか、「水木氏は戦争に対して批判的であった」などという風に書くメディアを実際に私も数多く見たのですが、先ほども述べた通りにこうした報道に対して何となく違和感を覚えました。もちろんこれは水木氏の作品や証言をどう読み取るかによるもので絶対的に何が正しいか否かはよほど明確な証言記録が残っていない限り、本人が逝去した今だと確認のしようがないものです。それでも敢えて私の理解を述べるなら、水木氏は「反戦」というよりは「鎮魂」を訴えていたのではないかと思えてなりません。
まず話の前提として、水木氏はかなりのミリタリーマニアことミリオタであったことはほぼ間違いありません。出征時に乗り込んだ船が日露戦争時にバルチック艦隊を信濃丸だと知って驚いたり、戦後も売れない漫画家時代に知人から融通してもらったプラモで奥さんと一緒に連合艦隊の再現に取り組んだりと、意外と軍事・兵器関連に妙な造詣を見せております。なお水木氏の直弟子にあたる漫画家の池上遼一氏も、最近「ガールズパンツァー」にはまっているとカミングアウトする当たり、師弟揃って意外とミリオタだったようです。
もちろんミリオタであっても平和主義者はいるでしょうからおかしいってことではないものの、なんとなく水木氏の作品を読んでいると戦争を根本的に否定するような素振りはなく、自身の体験以外だとやはり独特の視点というかやや皮肉っぽく他人事のように戦争を描いているように見えます。少なくとも、殊更悲惨さや空しさを強調しているようには見えませんでした。
しかしその一方で、「総員玉砕せよ!」に代表されるように自身の体験に根差した戦争作品を大量に書いているのは事実で、それらの作品に対する思い入れは深いと生前に度々話していました。そうした水木氏の作品をみていて私が感じるのは先ほども述べた通り反戦ではなく、むしろ敢え無く散っていった戦友や同胞たちに対する深い鎮魂の意思じゃないかと感じられました。
水木氏の戦争作品ではどれも指揮官目線ではなく末端の兵士、または前線隊長の目線で語られ、厳しい戦況や無茶な作戦に振り回され散っていく話がフィクション、ノンフィクションの区別なく数多く描かれています。特にほぼ実体験である「総員玉砕せよ!」では死にゆく兵士らに対して強い同情心を覚えさせられるように描かれており、これらの作品を読む限りと私は水木氏はどちらかというとあの戦争で死んでいった兵士らへの鎮魂、そして彼らを知らない日本人にも彼らという存在があったことを知ってほしいという目的で描いていたのではないかと思います。
確かに言い方を変えればこうした視点も「反戦」と言えるかもしれませんが、本来の意図通りに述べるならば「鎮魂」こそが水木氏の戦争作品のテーマだと思え、反戦という言葉で引用するのは少し方向性が違うのではないかという気がします。
言うまでもなく水木氏は妖怪漫画の大御所としてこの分野の裾野を広げた漫画家ですが、そんな経歴なだけあって神霊や超常現象に関しては興味や造詣が深く90年代などは世界各地を飛び回っては観察、紹介しおります。それだけあって死語の世界や魂、成仏、怨霊、地縛霊などといった存在や価値観についてもあれこれ思索していることを書き残しており、そんな水木氏だからこそ散っていった何百万ともいう兵士たちへ強い同情心を覚え、彼らの魂を慰め、鎮めたいという気持ちも強かったのではないかと私には思えてなりません。
あくまで上記の解釈は私個人の解釈によるもので自分の意見が絶対正しいなんていうつもりは全くなく、ただ自分はこう読みとったというものでしかありません。その上で私は、あの戦争あ正しかったのか悪かったのかという肯定か否定の議論以上に、亡くなられた兵士や民間人の方々に対しその存在を知り、哀悼の意を持ち続けることこそが何より大事だと考え続けていこうと思います。
有名なので知ってる方も多いでしょうが、水木氏は戦時中に徴兵されて南方の激戦地であるラバウルに派遣されそこでの空爆を受けて左腕を失う大怪我を負いました。この戦争時の体験については自伝漫画にも詳しく記述され当人にとっても激烈な体験であったことは想像に難くなく、また軍隊内では持ち前のマイペースな性格が災いして度々ビンタを喰らってたりなど、当時の上官らに対しては不満があったことを率直に書いております。
こうした本人の証言からか、「水木氏は戦争に対して批判的であった」などという風に書くメディアを実際に私も数多く見たのですが、先ほども述べた通りにこうした報道に対して何となく違和感を覚えました。もちろんこれは水木氏の作品や証言をどう読み取るかによるもので絶対的に何が正しいか否かはよほど明確な証言記録が残っていない限り、本人が逝去した今だと確認のしようがないものです。それでも敢えて私の理解を述べるなら、水木氏は「反戦」というよりは「鎮魂」を訴えていたのではないかと思えてなりません。
まず話の前提として、水木氏はかなりのミリタリーマニアことミリオタであったことはほぼ間違いありません。出征時に乗り込んだ船が日露戦争時にバルチック艦隊を信濃丸だと知って驚いたり、戦後も売れない漫画家時代に知人から融通してもらったプラモで奥さんと一緒に連合艦隊の再現に取り組んだりと、意外と軍事・兵器関連に妙な造詣を見せております。なお水木氏の直弟子にあたる漫画家の池上遼一氏も、最近「ガールズパンツァー」にはまっているとカミングアウトする当たり、師弟揃って意外とミリオタだったようです。
もちろんミリオタであっても平和主義者はいるでしょうからおかしいってことではないものの、なんとなく水木氏の作品を読んでいると戦争を根本的に否定するような素振りはなく、自身の体験以外だとやはり独特の視点というかやや皮肉っぽく他人事のように戦争を描いているように見えます。少なくとも、殊更悲惨さや空しさを強調しているようには見えませんでした。
しかしその一方で、「総員玉砕せよ!」に代表されるように自身の体験に根差した戦争作品を大量に書いているのは事実で、それらの作品に対する思い入れは深いと生前に度々話していました。そうした水木氏の作品をみていて私が感じるのは先ほども述べた通り反戦ではなく、むしろ敢え無く散っていった戦友や同胞たちに対する深い鎮魂の意思じゃないかと感じられました。
水木氏の戦争作品ではどれも指揮官目線ではなく末端の兵士、または前線隊長の目線で語られ、厳しい戦況や無茶な作戦に振り回され散っていく話がフィクション、ノンフィクションの区別なく数多く描かれています。特にほぼ実体験である「総員玉砕せよ!」では死にゆく兵士らに対して強い同情心を覚えさせられるように描かれており、これらの作品を読む限りと私は水木氏はどちらかというとあの戦争で死んでいった兵士らへの鎮魂、そして彼らを知らない日本人にも彼らという存在があったことを知ってほしいという目的で描いていたのではないかと思います。
確かに言い方を変えればこうした視点も「反戦」と言えるかもしれませんが、本来の意図通りに述べるならば「鎮魂」こそが水木氏の戦争作品のテーマだと思え、反戦という言葉で引用するのは少し方向性が違うのではないかという気がします。
言うまでもなく水木氏は妖怪漫画の大御所としてこの分野の裾野を広げた漫画家ですが、そんな経歴なだけあって神霊や超常現象に関しては興味や造詣が深く90年代などは世界各地を飛び回っては観察、紹介しおります。それだけあって死語の世界や魂、成仏、怨霊、地縛霊などといった存在や価値観についてもあれこれ思索していることを書き残しており、そんな水木氏だからこそ散っていった何百万ともいう兵士たちへ強い同情心を覚え、彼らの魂を慰め、鎮めたいという気持ちも強かったのではないかと私には思えてなりません。
あくまで上記の解釈は私個人の解釈によるもので自分の意見が絶対正しいなんていうつもりは全くなく、ただ自分はこう読みとったというものでしかありません。その上で私は、あの戦争あ正しかったのか悪かったのかという肯定か否定の議論以上に、亡くなられた兵士や民間人の方々に対しその存在を知り、哀悼の意を持ち続けることこそが何より大事だと考え続けていこうと思います。
撃墜に対するロシアの反応を見て
・プーチン氏がトルコへの追加制裁表明、撃墜事件は「戦争犯罪」(ロイター)
一言で言って、「よく言うよ……」って思いました。
自分らは散々ウクライナで好き勝手やらかした挙句、供与した武器でマレーシア航空の旅客機が撃ち落とされているというのに、よくこういうこと言えるなって思うあたりがやっぱロシアです。ほんと油断ならんな。
・NATO震撼、トルコが撃墜 なぜロシア機は旧型だったのか(週刊朝日)
でもってこれに関連して興味深い報道がありました。記事内容はリンク先を見てもらえばいいのですが簡単に述べると、今回トルコ軍に撃墜されたロシア機はSu24という30年以上前に開発された旧型機だったそうです。仮に最新鋭機であれば攻撃から逃れていたとした上で、Su24には内臓のGPS装置がないため恐らく外付けで、そのため位置情報を誤って領空侵犯を侵したのではないかという分析がされており素人的になるほどと思わせられました。どちらにしろ、ロシア機が領空侵犯していたのはほぼ間違いなく、それに対してトルコ軍も警告をした上で撃墜しているのでロシアから非難される筋合いはないでしょう。
一言で言って、「よく言うよ……」って思いました。
自分らは散々ウクライナで好き勝手やらかした挙句、供与した武器でマレーシア航空の旅客機が撃ち落とされているというのに、よくこういうこと言えるなって思うあたりがやっぱロシアです。ほんと油断ならんな。
・NATO震撼、トルコが撃墜 なぜロシア機は旧型だったのか(週刊朝日)
でもってこれに関連して興味深い報道がありました。記事内容はリンク先を見てもらえばいいのですが簡単に述べると、今回トルコ軍に撃墜されたロシア機はSu24という30年以上前に開発された旧型機だったそうです。仮に最新鋭機であれば攻撃から逃れていたとした上で、Su24には内臓のGPS装置がないため恐らく外付けで、そのため位置情報を誤って領空侵犯を侵したのではないかという分析がされており素人的になるほどと思わせられました。どちらにしろ、ロシア機が領空侵犯していたのはほぼ間違いなく、それに対してトルコ軍も警告をした上で撃墜しているのでロシアから非難される筋合いはないでしょう。
2015年12月2日水曜日
私の身近な大阪人
先ほど友人とスカイプでチャットしている最中、「ハリウッド映画に出てくる黒人はおしゃべりでお調子者が多いが、日本映画となるとこの役には間違いなく大阪人が充てられる」と述べました。この意見に反対する日本人はまぁいないでしょう。
現代日本において一番キャラが立っている地方人とくれば大阪人がまず挙がってきて、その特徴となると「明るい」、「うるさい」、「ボケる」の三拍子でしょう。かくいう現在の私にも身近に大阪人がいるというか参加しているサイクリング部には大阪出身者が数多くいて、飲み会の最中にはよく大阪の地名を挙げてはあそこはああだったとか、昔はこうやったなどと盛り上がります。
私自身は関東育ち(マッドシティ近辺)ですが学生時代は京都にいて関西地域に多少は土地勘があるためこういった話にもついて行けるのですが、正直言って話のペースとなると全くついていけません。みんな我先に俺が俺がと話し続けるし、しかも自分と比べてみんな年齢と経験を重ねた大物ばかりでどっちかっていうと聞き役に回ることが多くなります。
なおここだけの話ですが中国には大阪人がいっぱい来てますし、本人らも東京の連中らと比べたらわしらの方が海外は強いんじゃと言って憚りません。私個人の見方としても関西人の方が海外勤務を精力的にこなせる率が高いように思えるし、何よりも未開の領域へ突っこもうというパワーにおいては関西人は関東人より上な気がします。その一方で、学生時代にいた周りの関西人は海外はおろか大阪からも出たくないという人が多く、どうしてこう外へ向かうという意識で両極端なタイプが混在しているのかまだ答えが出せていません。
話は戻りますが周囲の大阪人の方々は誰もが長い海外駐在経験を務めており、人のいうことを聞かないことに定評がある私ですら素直に言う事を聞くぐらいためにもなるし、説得力もあります。先日聞いた話でも、「中国人従業員を辞めさせる時は有無を言わさず即切り、その場で家に帰らせろ」というのがあり、なんでも最後に会社を出ていく際に備品を盗んだり壊したりする例が多いからだと実体験込みで教えてもらえました。「あの工具、ほんま高かったのに盗みおって……」と悔しげでしたが。
そんな身近な大阪人の中でも、ひときわ強烈なのが東大阪出身というコテコテのおじさんです。飲み会ともなるとずっとしゃべるしずっとボケるしで、明らかにほかの大阪の人と一線を画す存在感があります。高校生時代の話となると、「あいつら、ケンカとなるとモノ持ってくるからこっちも武装せなあかんねん」とかきわどい話になれば、ちょっと前の話でも新地のお店でどこそこが昔通ってたとかやたらディープな話も飛んできて、黙って聞いてても本当に面白い人です。
ただ最近残念というかこれまでツッコミ役だった駐在員がこの前帰国してしまって、それからはツッコミ役がいなくて一人でボケとツッコミもやらなくてはならなくなったためか前よりはややペースが落ちました。それでもしゃべり続けることに変わりはなくこの前も、「うちの従業員も最初入った頃は全く日本語しゃべれへんかったけど今やったらほんましっかり話せて見積りも取ってくるわ」と、話してましたが、
(そりゃあんたの傍にいたら嫌でも日本語覚えるよ)
と、密かに思ったことはここだけの内緒です。
現代日本において一番キャラが立っている地方人とくれば大阪人がまず挙がってきて、その特徴となると「明るい」、「うるさい」、「ボケる」の三拍子でしょう。かくいう現在の私にも身近に大阪人がいるというか参加しているサイクリング部には大阪出身者が数多くいて、飲み会の最中にはよく大阪の地名を挙げてはあそこはああだったとか、昔はこうやったなどと盛り上がります。
私自身は関東育ち(マッドシティ近辺)ですが学生時代は京都にいて関西地域に多少は土地勘があるためこういった話にもついて行けるのですが、正直言って話のペースとなると全くついていけません。みんな我先に俺が俺がと話し続けるし、しかも自分と比べてみんな年齢と経験を重ねた大物ばかりでどっちかっていうと聞き役に回ることが多くなります。
なおここだけの話ですが中国には大阪人がいっぱい来てますし、本人らも東京の連中らと比べたらわしらの方が海外は強いんじゃと言って憚りません。私個人の見方としても関西人の方が海外勤務を精力的にこなせる率が高いように思えるし、何よりも未開の領域へ突っこもうというパワーにおいては関西人は関東人より上な気がします。その一方で、学生時代にいた周りの関西人は海外はおろか大阪からも出たくないという人が多く、どうしてこう外へ向かうという意識で両極端なタイプが混在しているのかまだ答えが出せていません。
話は戻りますが周囲の大阪人の方々は誰もが長い海外駐在経験を務めており、人のいうことを聞かないことに定評がある私ですら素直に言う事を聞くぐらいためにもなるし、説得力もあります。先日聞いた話でも、「中国人従業員を辞めさせる時は有無を言わさず即切り、その場で家に帰らせろ」というのがあり、なんでも最後に会社を出ていく際に備品を盗んだり壊したりする例が多いからだと実体験込みで教えてもらえました。「あの工具、ほんま高かったのに盗みおって……」と悔しげでしたが。
そんな身近な大阪人の中でも、ひときわ強烈なのが東大阪出身というコテコテのおじさんです。飲み会ともなるとずっとしゃべるしずっとボケるしで、明らかにほかの大阪の人と一線を画す存在感があります。高校生時代の話となると、「あいつら、ケンカとなるとモノ持ってくるからこっちも武装せなあかんねん」とかきわどい話になれば、ちょっと前の話でも新地のお店でどこそこが昔通ってたとかやたらディープな話も飛んできて、黙って聞いてても本当に面白い人です。
ただ最近残念というかこれまでツッコミ役だった駐在員がこの前帰国してしまって、それからはツッコミ役がいなくて一人でボケとツッコミもやらなくてはならなくなったためか前よりはややペースが落ちました。それでもしゃべり続けることに変わりはなくこの前も、「うちの従業員も最初入った頃は全く日本語しゃべれへんかったけど今やったらほんましっかり話せて見積りも取ってくるわ」と、話してましたが、
(そりゃあんたの傍にいたら嫌でも日本語覚えるよ)
と、密かに思ったことはここだけの内緒です。
2015年12月1日火曜日
原節子の逝去と昭和映画界
二日続けて訃報記事となりますが、一回書こうとして見送ったもののちょっと昨日に気になる記事を見つけたので折角だから書くことにします。
・原節子さんの訃報は喪中はがきが“知らせた”?!/芸能ショナイ業務話(サンスポ)
上記のリンク先記事は原節子の訃報が報じられたその当日、サンスポ編集部内での取材と記事出稿を巡る内幕が書かれてあるのですが、喪中葉書が親類に届いたことから電話取材をしたところ入院しただけでもうすぐ元気になると回答されたため、第一稿では「原節子、入院」と書いたそうです。しかしその後で共同通信が「逝去」と報じたため慌てて電話取材をし直すと、さっきのは嘘で実は……という話だったそうで、出稿間際で慌てて記事を書きなおしてヒヤリとしたと書かれてあります。
恐らく遺族の方は悪気はなかったと思いますが、このサンスポのデスクの方には本当に心から同情します。仮に第一稿のまま出していたらほかのメディアが逝去と報じている中で誤った生存を伝えたらシャレにならない大事で、この責任でクビが飛んでもおかしくなかったでしょう。それだけにこの内幕記事は読んでるこっちが冷や汗かきそうで、何はともあれ誤報を出さずに済んで本当によかったですねと言ってあげたいです。
話はその原節子に戻りますが三年前、最近左遷先の名古屋で引っ越した親父に対して「原節子ってまだ生きてるそうらしいね。親父なんか知ってる?」と振ってみたところ、「そんな馬鹿な、昔の人だからとっくに死んでいるだろう」と否定されました。結果から言えば私の方が正しかったのですが親父がこう思ったのも無理はなく、というのも1963年を最後にかれこれ半世紀も公の場に出て来ずついた呼び名が「幻の名女優」と言われたほどで、同時代の人でも彼女が既に亡くなったものと考えていた人は多かったと思います。
私が原節子を見たのは小津安二郎監督の「東京物語」という映画で、これは何も私が映画マニアだからというわけでなくたまたま大学の授業で見させられただけでした。ただその映画の中でも存在感は際立っていたというか、当時としては比較的長身な女性であったこともあるでしょうがそれほど映画に見慣れていない私ですら仕草がきれいな人だと印象に残り、それから数年後に今敏監督のアニメ映画「千年女優」で登場する主人公のモデルがこの原節子だと知り、それから興味をもって経歴を少し調べ始めました。
「千年女優」の主人公もそうですが、原節子は戦中から戦後にかけて第一線で活躍した女優でしたが先ほど述べた通りに1963年を境に女優業を引退し、その後はまるでマスコミを避けるかのように公の場から完全に姿を消しました。このような経緯からよく元アイドルの山口百恵氏と比較されることが多いですが、それにしても半世紀も全く音沙汰なかったにも関わらずその逝去がこれほど大きく報じられるというのは他に例はなく、それだけ多くの人間の記憶に強く刻まれていた証左でもあるでしょう。
なお一番気になる失踪した理由については、一説では信頼していた小津安二郎監督に殉じたためだと言われています。最後に姿を見せたのも小津安二郎の通夜だったとされ、それ故に当時のマスコミから色々と書かれたそうですが本人もなくなった今となっては、何かしらの資料などない限りはもはや確かめる術はないでしょう。
最後にこの方の逝去を受けて私の感じたことをありのまま(れりごー)に述べると、最後の昭和映画人がいなくなったのかなと思いました。この場合の昭和映画というのは言うまでもなく戦前から戦後しばらくの間を指し、昭和後期は含まれていません。
何故こんな区分をするのかというと、この時代はまだテレビが今ほど普及、発達しておらず、庶民が映像を娯楽として楽しむ媒介としては映画が主流だったからです。そのため映画は現代と比べ人々にとっては特別大きな存在で、それを撮影する人、演じる人はまさしく別世界の人間だったのではと思う節があり、その昭和映画を形作っていた象徴的な人物である黒沢明、大島渚、高倉健といった人々に今回の原節子が続き、まさしく最後の大物が亡くなったことによって一つの時代が完全に終わりを遂げたのかなと思えました。
なお昭和の区分の仕方についてもう少し述べると、昭和を二分するのは言うまでもなく1945年の終戦ですが、仮に三等分するなら終戦に加えて1970年の大阪万博だったんじゃないかと密かに考えております。大阪万博は昭和を中期と後期を分ける分水嶺たる象徴的なイベントで、だからこそ当時を生きた人々にとって強く印象に残り、漫画の「20世紀少年」 でも主要なテーマとして扱われてるんじゃないかというのが私個人的な考えです。
・原節子さんの訃報は喪中はがきが“知らせた”?!/芸能ショナイ業務話(サンスポ)
上記のリンク先記事は原節子の訃報が報じられたその当日、サンスポ編集部内での取材と記事出稿を巡る内幕が書かれてあるのですが、喪中葉書が親類に届いたことから電話取材をしたところ入院しただけでもうすぐ元気になると回答されたため、第一稿では「原節子、入院」と書いたそうです。しかしその後で共同通信が「逝去」と報じたため慌てて電話取材をし直すと、さっきのは嘘で実は……という話だったそうで、出稿間際で慌てて記事を書きなおしてヒヤリとしたと書かれてあります。
恐らく遺族の方は悪気はなかったと思いますが、このサンスポのデスクの方には本当に心から同情します。仮に第一稿のまま出していたらほかのメディアが逝去と報じている中で誤った生存を伝えたらシャレにならない大事で、この責任でクビが飛んでもおかしくなかったでしょう。それだけにこの内幕記事は読んでるこっちが冷や汗かきそうで、何はともあれ誤報を出さずに済んで本当によかったですねと言ってあげたいです。
話はその原節子に戻りますが三年前、最近左遷先の名古屋で引っ越した親父に対して「原節子ってまだ生きてるそうらしいね。親父なんか知ってる?」と振ってみたところ、「そんな馬鹿な、昔の人だからとっくに死んでいるだろう」と否定されました。結果から言えば私の方が正しかったのですが親父がこう思ったのも無理はなく、というのも1963年を最後にかれこれ半世紀も公の場に出て来ずついた呼び名が「幻の名女優」と言われたほどで、同時代の人でも彼女が既に亡くなったものと考えていた人は多かったと思います。
私が原節子を見たのは小津安二郎監督の「東京物語」という映画で、これは何も私が映画マニアだからというわけでなくたまたま大学の授業で見させられただけでした。ただその映画の中でも存在感は際立っていたというか、当時としては比較的長身な女性であったこともあるでしょうがそれほど映画に見慣れていない私ですら仕草がきれいな人だと印象に残り、それから数年後に今敏監督のアニメ映画「千年女優」で登場する主人公のモデルがこの原節子だと知り、それから興味をもって経歴を少し調べ始めました。
「千年女優」の主人公もそうですが、原節子は戦中から戦後にかけて第一線で活躍した女優でしたが先ほど述べた通りに1963年を境に女優業を引退し、その後はまるでマスコミを避けるかのように公の場から完全に姿を消しました。このような経緯からよく元アイドルの山口百恵氏と比較されることが多いですが、それにしても半世紀も全く音沙汰なかったにも関わらずその逝去がこれほど大きく報じられるというのは他に例はなく、それだけ多くの人間の記憶に強く刻まれていた証左でもあるでしょう。
なお一番気になる失踪した理由については、一説では信頼していた小津安二郎監督に殉じたためだと言われています。最後に姿を見せたのも小津安二郎の通夜だったとされ、それ故に当時のマスコミから色々と書かれたそうですが本人もなくなった今となっては、何かしらの資料などない限りはもはや確かめる術はないでしょう。
最後にこの方の逝去を受けて私の感じたことをありのまま(れりごー)に述べると、最後の昭和映画人がいなくなったのかなと思いました。この場合の昭和映画というのは言うまでもなく戦前から戦後しばらくの間を指し、昭和後期は含まれていません。
何故こんな区分をするのかというと、この時代はまだテレビが今ほど普及、発達しておらず、庶民が映像を娯楽として楽しむ媒介としては映画が主流だったからです。そのため映画は現代と比べ人々にとっては特別大きな存在で、それを撮影する人、演じる人はまさしく別世界の人間だったのではと思う節があり、その昭和映画を形作っていた象徴的な人物である黒沢明、大島渚、高倉健といった人々に今回の原節子が続き、まさしく最後の大物が亡くなったことによって一つの時代が完全に終わりを遂げたのかなと思えました。
なお昭和の区分の仕方についてもう少し述べると、昭和を二分するのは言うまでもなく1945年の終戦ですが、仮に三等分するなら終戦に加えて1970年の大阪万博だったんじゃないかと密かに考えております。大阪万博は昭和を中期と後期を分ける分水嶺たる象徴的なイベントで、だからこそ当時を生きた人々にとって強く印象に残り、漫画の「20世紀少年」 でも主要なテーマとして扱われてるんじゃないかというのが私個人的な考えです。