私が小学生に入った辺りはちょうど、ファミコンからスーパーファミコンへと切り替わる時期でした。ただ切り替わると言ってもしばらくはファミコンソフトも並立して発売が続けられており、こちらで遊ぶ時間も少なくありませんでした。
私自身もご多分に漏れずファミコンでよく遊んでいたのですが、この時、子供心にもとてつもなく残酷な出来事が何度も起きていました。
デロデロデロデロデロデロデロデロデーレーッレン♪
この擬音だけでわかる人なら察しが付くでしょうが、当時のファミコンソフトのバックアップ機能はとてつもなく貧弱で、本当にちょっとした衝撃とかそういうので簡単にセーブデータが度々吹っ飛びました。kの時の絶望感と言ったら本当に半端なく、十数時間かけて進めたデータとかが一瞬で無に帰し、恐らく賽の河原とかきっとあんな感じなのでしょう。
前述の通り先の「夏の夕暮れ」の中で私は、男にとって闘争は非常に重要だけど、重要なだけにその戦う理由や目的を失ったり、戦ってきた存在に裏切られたら半端ないダメージを受けると書きました。ある意味、ドラクエとかFFなどのRPGゲームを遊ぶことは一種の「戦い」であり、その戦いの成果や軌跡が一瞬にしてなくなるような上記のデータ喪失は、まさにこの男にとって最も致命的な一打に当たるのかもしれないと、何故かスーパーで買い物している時に気が付きました。
ガチな話、絶望感のレベルで言ったら社会人になってからのあらゆる体験とかとよりも、この時のデータ喪失の時の方がずっと大きかった気がします。スーパーファミコンになってからこの手のバックアップデータは大分よくなり消えづらくなって、プレステになってからは消えることなんてほぼあり得なくなり(サターンは論外)、ある意味昔だからこそ体験できた絶望体験と呼べるかもしれません。
昔なんかの掲示板で「バイオハザードは暴力的描写で暴力を誘発する」、「桃鉄は金稼ぎしか考えなくなる」などと様々なゲームの子供への悪影響を羅列して最後に、「スペランカーは主人公がよく死んで何度もチャレンジしなければならないから忍耐力が付く」というオチをつける小話がありました。今になって思うとこの小話はある意味間違っていなかったというか、私自身、あのファミコン時代に何度も味わった絶望体験を経て現在における強靭な精神力を身に着けたのではないかと思う節があります。
というのもつい先日も、Wordできちんとセーブしておらず作業途中のPCの不具合で途中原稿を吹っ飛ばした同僚がいたのですが、「最近の若い奴はこまめにセーブ取らない。俺たちファミコン世代はなぁ……」などと、自分でもよくわからない説教をかましたことがありました。まぁそれを言ったら自分より前の「ぱすわーどがちがいます」世代なんかはもっと深い含蓄があるのかもしれませんが。
その上で結論を述べると、理不尽なゲームはゲームとしての価値は下げるけれども、人生の困難に対する心構えを鍛える上ではプラスなのかもしれません。ダークソウルとかやったことないけど、ああいう死にゲーやってる人はやっぱり忍耐強いのかなぁ(´-ω-`)
自分は小学生の頃ドラクエ5を死ぬほどやってましたが、はぐれメタルを苦労して仲間にした後、ずっとデータが消える恐怖に支配されてました。それまでも何度も消えていたのでいつ消えてもおかしくなく、何度もデータが消える夢にうなされていたのをよく覚えています。
返信削除ちなみにデータはあとヘルバトラーさえ仲間にすればコンプというところで消えました。
真面目に小学生にとって、ドラクエのデータを失うというのは大人が全財産を失うに等しい状況でしょう。よくそんな絶望に堪えられましたね(´;ω;`)ウッ…
削除重要なデータはDVD-Rやブルーレイに記録しています。 今ではほとんど
返信削除使うことがなくなった円盤メディアですが、バックアップ用途としては
使えます。 HDDやSSD等の大容量メディアは手軽にデータのバックアップが
可能ですが、容易に書き換えができる≒間違えて削除してしまうという
危険性と隣り合わせです。一度記録したら書き換え負荷というDVD-Rの
特性はデータの誤削除に対して有効です。
自分も昔はよくDVD-Rとか使ってましたが、最近はめっきり買うこともなく、外付けHDに頼っています。もっともHDは吹っ飛ぶ可能性も少なくないため定期的にバージョンアップとばかりに買い替えていますが、「永久記憶HD」みたいなのがあればいろいろ都合がいいんですけどねぇ。
削除