2018年7月18日水曜日

庇った人間は庇われる人間に恨まれる?

 昨日の記事で私はいじめられっ子が長じていじめっ子に逆転する現象があることについて私見を交えて紹介しました。そしてその中で仮説として、いじめから庇った人間が何故か庇われた人間に逆にいじめられることもあるのではという説を展開しました。
 いじめドラマの金字塔こと「人間失格」ではまさにこの逆転現象が描かれており、転校したての主人公がいじめられっ子を庇ったところ、なぜかその後元いじめられっ子が主人公をいじめ自殺にまで追い込んでしまいます。これはドラマだけの世界ということも出来ないこともありますが、実際に私もこれに近い光景を見たこともあれば、いじめにまでは発展することこそなかったものの、かつて私もトラブルから庇ってあげた人間から妙な逆恨みを受けたことは何度かあります。

 そうした経験を踏まえて言うと、体感的にこうした逆転現象は実際に、それも結構な頻度であるのではないかと考えています。さらに極端に述べると、さすがに命の危機を救ってもらったとかなら感謝されっぱになるものの、いじめを含む軽・中度のトラブルから庇った場合、庇った人は庇われた相手から感謝されるよりも恨まれるケースの方が多いのではないかとすら内心考えています。
 そもそも一体何故、こういうことが起きるのか。仮説の域を出ませんがいくつか理由を挙げると下記の通りとなります。

1、自らが保護対象になるのがプライド的に許せない
 庇われるという行為は、基本的に強者から弱者への単一方向でしか起こることはありません(FFの「かばう」は除く)。逆を言えば「庇われる」というのは当人からしたら自分が弱者であることを強く認識せざるを得ず、実際にそうした意識へのプライド的反抗から他人に庇われるのを良しとしない人は珍しくもないでしょう。
 そのため過去に庇われた経験のある人間からしたら、かつて庇ってくれた人間に劣等感を感じやすく、乗り越えるというわけじゃないですが逆に支配下に置いてそのプライドを奪還したくなるのではないかと考えています。現実にみた先ほどの逆転現象でもやはりこのような動機で、かつて世話になった相手に対して裏切りとも取れるような反抗を見せる人がおり、それもやらなくてもいいことを敢えて実行して自分が上の立場だということを強調するような行動が多かったです。いじめられっ子がいじめっ子になるというメカニズムも、やはりこうしたプロセスを辿っているのではと推測しています。

 この説はそれほど珍しくもなく、多分私以外の多くの人も提唱しているのではないかと思います。今回記事を書くきっかけとなった本丸はむしろこの次です。

2、自らの不利な立場を強く認識させられるから
 私の持説ですが、人間は苦しい現実ほど目をそむけたくなります。なのでいじめにおいても「からかわれているだけだ」とか、「これはいじめじゃない」と信じ込んで我慢することでよりエスカレートするという例が見受けられます。こうした現実逃避の延長上に当たるのがこの説で、いじめられっ子がいじめられるのを庇う人間が出た時に、いじめられっ子はどう感じるのかと考えた際、「自分がいじめられている現状を強く認識させられるのでは」と私には思えてきました。

 いじめに限らなくても、トラブルから庇ってくれる人間が現れた際に庇われる人間は否応なしに自分がトラブルを抱えていることを認識せざるを得なくなります。
 具体例を出すと、社内での評価が悪く周囲から白い目で見られる社員に対し、奮起を促そうと励ましたり、業務をサポートしたり庇ってくれる同僚が現れたとします。社員としては現実逃避して目をつむっていればそうした周囲の評価は無視できるのに、庇ってくれる同僚が現れてしまうとどうしても自分が「劣っている」、「評価が芳しくない」という現実を否が応でも認識させられてしまいます。そんな社員からしたら庇ってくれる同僚はどんな風に見えるのか、結果から言うと逆恨みするようになったというのが私が実際見たケースです。

 何もいじめられっ子からいじめっ子へのクラスチェンジこと逆転までも起こらなくても、庇った人間が庇われる人間に逆に恨まれるというのはこのような形で往々にあるのではないかと思います。素直に庇ってくれたことに対して恩に感じてくれればいいのですが、私が見たケースでは圧倒的に逆恨みするケースが多く、何故か庇ってくれている人に対して庇われる人が陰口をやたらと口にするのを不思議に思いながら見てきました。
 まぁただ単に変な人間関係の中にいたことが多かっただけかもしれませんが。

 最後に、敢えてこの現象を名付けるのなら「鉄雄シンドローム」を私は推します。「鉄雄」というのは知ってる人には早いですが日本漫画史上に残る傑作「AKIRA」に出てくる準主人公の名前で、当初でこそ気が弱く周りにも弄られるだけのキャラだったもののの、作中で超能力に目覚めて以降は凶暴な性格へと変わり、かつて彼を公私に渡り庇ってきた主人公の金田に対して激しい憎悪を抱くようになります。
 鉄雄と金田の関係をみるならば鉄雄は金田に感謝こそすれども恨む覚えなぞないはずなのに、作品中盤からは金田のバイクを異常に執着したり、全力で襲い掛かったりとこれ以上ないくらいの憎悪を向け、その背景には金田への劣等感があることが作中でもはっきり示唆されています。今回の記事ネタを考えた際に即、「これは『鉄雄シンドローム』だな」と浮かんできました。

 この鉄雄の行動について、多分読者(映画版なら視聴者)はそれほど奇妙に感じなかったのではないかと思います。理由としては前述の通り、こうした光景は往々にしてありうるという前提があるからだと考えます。それだけに、庇うという行為は庇った相手に逆恨みされるという危険性は潜んでいると思え、敢えて言えば、嫌われる覚悟がなければ下手に庇わない方がいいのかもしれません。いじめを見て見ぬふりすることについても、自分が新たないじめのターゲットになるということはもとより、こうした逆恨み要因ももしかしたあるのかもしれません。

  おまけ
鉄雄「金田ぁ~~!」
金田「さんをつけろよデコ助野郎っ!」

 とくれば「AKIRA」に出てくる有名なシーンですが、自分もこのシーンは日本アニメ史上においても屈指の名シーンだと考えています。なお「デコ助野郎」というのはこの漫画のタイトルの由来元となった黒澤明監督の現場で若手を呼ぶ際の呼称だったそうです。

2018年7月17日火曜日

いじめられっ子は何故いじめっ子に変わるのか?

  毎度毎度書いていますが日本はいじめ自殺が起きるたびに「いじめは大変だ、よくない、なくさなきゃ」と言いつつ、いじめそのもののメカニズムや統計についてはあまり言及されずフェードアウトし、しばらくたってまた自殺が起きると話題にするというのを繰り返している現状があります。特に統計に関してはひどいもので、どの都道府県が多いのかとか、男女比、学年、クラス規模、偏差値等、一部は統計が取られているもののテレビやネットでの議論に活用されることはなく、今後もこうした無駄なサイクルが繰り返されると予想します。

 そのいじめのメカニズムですが、地味に無視できないというか検討する価値のある要素として、いじめられていた側がいじめる側に変わるという現象があります。この現象についてネットで検索すると出るわ出るわで、発言小町に至っては、真実かどうかは検証しかねますがかつていじめられっ子だった息子が他の子をいじめるようになりどうすればいいのかと、非常に真剣な相談が書かれてあってなかなか読ませられました。
 現実にというかこの現象、私も実際に何度も目の当たりにしており、また報道によると2015年の川崎市中1男子生徒殺害事件の主犯格だった少年もかつてはいじめられっ子だったものの、長じて自分より年下の子をいじめるようになったと言われています。このほかの未成年による目立った刑事事件でも、「元いじめられっ子」というキーワードをよく見ます。

 具体的な統計がない(多分調べようともしてないだろうし)ので発生割合は測りかねますが、必ずしもいじめられた子がいじめっ子に変わるというわけでないものの、少なくともこうした逆転現象が世の中で起きていることはほぼ確実だと私は体感的に考えています。たとえは変ですがマルクス主義者が市場原理主義者に、ビアンカ派がフローラ派に変わってしまうのはそうそうないと思うのに、いじめを軸にしたこの逆転現象は何故かよく起こるのはやはり不思議でしょう。
 っていうか自分で書いててたとえが意味わかんない。

 何故こうした逆転現象が起きるかについてネットで見たあるブログでは、「いじめられていた子はいじめる子に憧れを持つ、いじめる側の立場になることを望むようになる」というような分析をしていました。私は以前にこのブログで、「虐待されていた子は虐待する親を憎みながらも、長じて虐待する親になりやすい」という絶対的な統計結果を紹介した上で、先ほどの分析のように「憎みながらも暴力を行使する親に憧れを持つようになる」という心理傾向があるという研究の話を書きましたが、メカニズムではやはりこれと共通すると思え、先の分析を支持します。
 やはり暴力というのは晒されるのはただただ苦痛なものの、受けた人間からすればその威力もわかるわけで、行使したくなるのかもしれません。もちろんまともな子は自分が受けた苦痛を他人には与えないように心がけるでしょうが、まともじゃない価値観の子だと「自分だって苦しんだんだから他の人間も苦しむべきだ」という方向に考えが行ってしまうのでしょう。

 ある意味でこうしたメカニズムがはっきり出るのは軍隊や部活動のしごきでしょう。「やられたんだからやり返してもいい」を金科玉条に、何故かしごきを行ってきた相手本人ではなく無関係の下級生に暴力を行うという負の連鎖が起きるわけで、やはりこの背景には上級生に対する憧れめいたものが見え隠れします。
 ようやく最近になって時代が私に追いついてきたのか、「ブラック部活動」という言葉とともにこうしたしごきや先輩や顧問からの理不尽な要求を社会が排除するようになってきています。防衛大でもこの前このような報道があっただけに、いい方向に変わっていると私自身は考えています。

 しかしこの、いじめられっ子がいじめっ子に変わるメカニズムについて、やはりもっと深く突っ込んで対策などを議論してほしいのが本音です。昔のドラマの「人間失格」なんかまさにこの逆転現象を描いていて今思うとあの時に議論するべきだったなとも思えてきますが、この現象に対して対策を打つことでそれなりないじめ対策になるのではと密かに思います。

 と、以上を踏まえて敢えて私がこの議論で踏み込むとすると、地味に前から不思議だと思うのがこうした逆転現象で、何故かいじめから庇ってくれた人を元いじめられっ子がいじめるようになるという現象が少なからず起きているという点です。先ほどの「人間失格」で堂本剛氏が演じたキャラの役割がまさにこの庇った側でしたが、ちょっとこの点についてなんとなくそれらしいメカニズムが見えてきたので、次回にて詳しく説明します。

2018年7月15日日曜日

そして誰もいなくなった……

 先日、どうしてもまたやりたくなったので「信長の野望 天翔記」というゲームをネットで購入してこのところ遊んでいました。プレイ大名は北条家で、今まで使ったことなかったけど史実通りに内政に特化した人材が非常に多いなと感じました。

 難易度は中級だったこともありサクサク天下統一できたのですが、当初から北条家と同盟関係にある蘆名家がなかなか同盟を切ってくれず、最終的に他の大名全部皆殺しにしたのに蘆名家だけはそのまま居残ってしまいました。
 このゲーム、こちらから同盟を切ると家臣の忠誠度とか下がってしまうなどデメリットが非常に大きい仕様になっています。もっとも最終盤だから裏切られても痛くもないのですが、同盟を破棄して攻め込むという過程も面倒くさいなと思って、蘆名家の武将を全員暗殺することにしました

 何せこっちには暗殺の名手の風魔小太郎をはじめとした面々が揃っており、蘆名家に所属する武将を片っ端から暗殺して減らしていきました。大体15人くらいいたような気がしますが、ただ蘆名家に所属しているという理由だけで続々と暗殺されていく様は悲劇のようにも思いましたが気にせず、最後に残った蘆名家の当主を暗殺してミッションコンプリートしました。その後、誰もいなくなった城に配下を送り込んで、北条家の天下統一が成就しました。

 この最後の暗殺過程は蘆名家からすれば、あの世界的ミステリー傑作作品である「そして誰もいなくなった」の再現VTR撮っているようなものでしょう。でもって北条家からしたら、一兵たりとも兵を失わずに天下統一できたんだし、非常にスマートなやり方だったのかもしれません。
 っていうか天翔記の暗殺は異常に強すぎます。忍者一人いるかいないかでかなり難易度変わるレベルです。

西から昇った……

 昨日かなり無駄なことで時間潰したので今日は有意義に時間を使おうと朝9時からサイクリングに出かけました。コースは割とよく使っている南進ルートで、川にぶつかるまでをめどに走ってみたのですが、普段とは少し違ったコースで南進していると、途中で南へ行く道がなくなり東西のどちらか迫られました。
 スマホの地図で確認したところ東へ行った方が南へ行く道に出やすいことが分かり東へ行き、しばらく走って出くわした十字路を今度は右に曲がりました。ところが行けども行けども川にぶつからず、時間も11時を回っていたので反転して北へと向かい、帰宅することとしました。

 反転して20~30分程度進んだところ、何やら「西渡」と書かれた方向表示が目にはいてきました。「~渡」とは基本的にフェリー乗り場のことで、なんやこっち側にもフェリー乗り場あるのかとか思ってそのまま走り続けたら、川に出くわしました
 なんや道間違えたのかなと思ってスマホの地図を確認したところ、なんかよくわかんないところに自分が立っていて、現在自分が向く方向が南になっていました。一瞬、スマホがバグったのかと疑ってみたものの、慌てて太陽の位置と自分の影を確認したところ、確かに南を向いていました。帰宅しようと北へと向かっていたつもりが、真逆の南に向かって走っていたというわけです。この時、「俺はバカボンかよ……」と、例の歌詞が頭に浮かんでいました。

 なんだろう、一種の神隠しなのかしばらく頭がぐるぐる回りましたが、昼日中で最も暑い時間も迫っており、っていうか体力的にも結構限界を迎えつつあったので、とりあえずスマホに従って再反転して今度こそ北の帰宅ルートへと方向を向けました。動揺しつつ改めて今回の行程を思い返していましたが、恐らくですが最初の東西どちらかの道を迫られた時、自分は東へ向かったつもりだったのが本当は西に向かっていたのではないかと思われます。実際、当初のルートより大分西にずれていたし。
 出発当初でこそ2時間程度軽く流してくるつもりでしたが、この妙なロスによって大幅に時間が食い、最終的に自宅近くの飯屋に着いたのはちょうど午後1時くらいでした。途中2回各5分のコンビニ休憩を除き、ほぼ4時間ずっと走りっぱなしでした。

 水分補給は意識して行ったおかげか走行中は特に激しい頭痛に見舞われることはなかったものの、昼食を終えて2時ごろに帰宅してからやはり頭痛が起こり、そのまま6時半くらいまでずっと寝込んで今に至ります。夕方起きて晩御飯食べに出かけましたが、普段は自転車に乗っていくところを今日はもう自転車乗りたくなかったので歩いていきました。

 最終的に頭痛こそ起こしたものの、走行中は比較的体力的にも安定しており、気温30度強のこの環境で4時間フル走行と考えれば以前と比べて体力は持ち直してきていると思います。つっても、6時くらいまで心臓の鼓動早かったですが(今は落ち着いてます)。
 もっとも方向を間違えた点については、あの時点で熱中症を起こしてて訳が分からなくなってたせいかもしれません。前に健康診断で問診してくれた管理栄養士の方に、「そんな無茶な自転車の乗り方してたら体壊す」と言われましたが、内心、どれだけ自転車で走るかよりもどれだけ自分を追い詰めて壊すかの方に意識が行くところがあり、水分補給の必要性を感じつつも、「ここを我慢して敢えて無補給で走り切ってこそなんぼだろ!」と思って、後で後悔することが多いです。まぁ今日はちゃんと水分取ったけど。

 ただまじめな話、スポーツというのは基本的にマゾヒズムと密接な関係があり、如何に自分を苦しめるかという意識要素は非常に大きいのは事実だと思います。現に登山愛好家の心理はほぼ自殺志願者と変わらないともいわれており、こうした意識のないスポーツというのはむしろそっちの方がおかしいと私は考えています。まぁ無駄に体壊す必要はないですが。

2018年7月14日土曜日

不緊密な避難警報の発令と情報分析

 今日の出来事のせいで時間の感覚がおかしくずっとイライラしっぱなしなので本日二本目。っていうか疲労感じないのに目が見えなくなっているのが怖い。原因は「信長の野望 天翔記」のやりすぎってことは確実ですが。

 このほど西日本で発生した豪雨による被害については既に各所で報じられており、亡くなられた方を含め被災者の方々については痛ましい限りで、私も陰ながら幸福を祈っています。上海市も先週は雨が続き時間帯によってはゲリラ豪雨となるなど終始不安定な天気が続いていましたが、日本ほどまとまった雨ではなかったことから洪水などは発生していませんでした。
 今回の日本の豪雨について中国メディアも取り上げているのですが、その中で一つ気になる報道がありました。内容は日本の識者のインタビュー記事なのですが、大まかな内容は以下の通りです。

「気象災害の情報収集、分析を行っているのは東京の気象庁なのに対し、日本の各地域の警報発令は自治体が行うため、情報の流れや対応実施の点で統一がなされていない点に問題がある」

 ウラを取っているわけではないものの、今回の災害の報道を見ていてなんとなく書かれている通りなのではと思う節がいくつかありました。具体的には気象庁が異常な降雨量の予測を出していながら実際に自治体が警報を出すまでタイムラグがあったり、堤防が決壊してから警報が出たりなどといった報道なのですが、言われてみると東京の気象庁はともかく、各自治体は何をもって警報発令の判断基準としているのか、自前で天候予測や分析を行っているのかの点で疑問を覚えました。

 先に書いておくと私は今回の災害で警報発令が遅れた自治体を責める気は毛頭ありません。というのも実際に警報をどの段階で出すのかという判断は非常に難しい上、激しい豪雨の中で堤防をずっと見張るというのもマンパワー的にも安全的にも難しく、そうした状況を考えると、警報や対応の遅れは非難されても仕方はないと思うものの、私個人としては一概に責め切れない面もあるのではないかと考えています。
 ならどうすれば今後は改善できるかという話になるのですが、その点でさっきのコメントが引っかかりました。こうした気象災害について、各自治体がどれだけ災害情報の収集や分析が行えるのか、行うマンパワーがあるのか。現実には気象予報士を各自治体が隅から隅まで抱えているとは思えず、またいたとしても使っているかどうかも微妙ですが、それならば東京の気象庁の分析情報をどのように各自治体と共有するかということを考える必要があるのではないかと思います。

 もっともそれ以上に手早い対策としては、気象災害の警報発令権を自治体だけでなくこの際気象庁に持たせるというのもありじゃないかと思います。豪雨や大雪など激しい気象災害が予想される場合は自治体を飛び越して、気象庁自らが各地方へ警報を発令し、自治体自体も警報発令権限を持つものの、気象庁が先に警報を発令したその周知徹底に努めるというような、こうした体制なら機敏な対応もできるのではないかと勝手に考えています。
 実際にはすでにそうした権限とか情報伝達ができているのかもしれませんが、警報をどう運用するのかについてやはりもっとこういう議論や報道が欲しいところです。中国メディアの報道は日系メディアの引用かもしれませんが、なら何故自分の目に入らなかったのか、やはり議論が盛り上がっていないせいだと思え、そうしたことも考え蛇足と思いつつこのブログでも取り上げました。

不愉快極まりなかった新世界大丸

 昨日友人から、上海市南京東路駅近くにある新世界大丸という合弁の百貨店で、エヴァンゲリオン展がやっていると連絡がありました。ふざけてでしょうが私に「行って」というので、特に今日はやることもないので用の有る午前中ではなく午後なら行ってもいいと返したところ、「なら自分も行く」と友人から返信がありました。
 そしたら今朝になり、「家庭の事情で(恐らくどうでもいい理由)」といって友人は来れないと連絡してきたので、仕方ないので大家に家賃を払った後の今日の午後、私一人で行ってきました。

 新世界大丸に着くと、件の展示は地下1階と7階でやっているとのことなので7階へ向かいました。どの百貨店もエレベーターは人でごった返す上に遅いので、少し面倒だけどエスカレーターで行こうとしたところ、ここのエスカレーターはらせん式となっていて昇る速度が極端に遅かったです。それでもエレベーターよりかはマシかと思って6階まで昇ったところ、何故か7階を繋ぐエスカレーターが閉鎖されていました。吹き抜けを挟んで反対側を見ると向こうも同じように閉鎖されているようで、尚且つエスカレーターの終着の先にはエヴァの妙なパネルが置かれてあり、どうも展示のせいで封鎖されているようでした。
 そもそも展示会場につなぐエスカレーターだというのに展示のために塞いでどうすんだよ、そもそもエスカレーターつながってないとわかっていたら最初からエレベーターを選んでいたのにと、この時点でむかっ腹が立っていましたが、仕方ないのでエレベーターで行くしかないと中央のエレベーター前まで移動しました。

 上昇ボタンを押して待つことしばらく、停まったエレベーターに乗り込んで「7」のボタンを押したところ、それは起こりました。何が起きたかっていうと、ボタンが無反応で、何度押してもボタンが反応しない。こういう仕様なのと最初わかんなくなりましたが、あとから乗ってきた別の客が「1」のボタンを押すや、扉は閉まってそのまま1Fまで降りていきました。
 もし近くに別の客がいなかったら、間違いなく「7」のボタンをせいけんづきしていたところでした。実際、この時点で拳を深く握りしめて、持っていたデジカメを音が鳴るくらい握っていました。

 単純にエレベーターのボタン故障なのか設定によるのか、別ルートを用意してエレベーターも7階は封鎖していたのか知りませんが、この時点で死ぬほど不愉快極まりなかったのでそのまま地下鉄乗って帰りました。そもそもエヴァ事態好きじゃないし、むしろファンだと思われたくない作品でもあり、妙な上下運動させられながらも見に行こうとすること自体許せませんでした。
 帰りの道中、イベントを紹介してくれた友人に向かって怨嗟を込め「もう二度とこんな不愉快な案内よこすな!」と、立て続けに呪い続けました。昼日中のちょうど真ん中の時間を徒労に費やし、実際今でも怒りが収まりません。

 個人的に許せないのは二つ。一つ、7階の展示会場へのルートについてエスカレーターが閉鎖されている(普段はつながっている)ことを何故1階で示さなかったのか。二つ、エレベーターが恐らく故障だと思われるが、ボタンが反応しないなんてオフィスビルならともかく百貨店のエレベーターでは生まれて初めてです。故障でなく封鎖であったとしても、どうしてそれを明示しないのかという点で怒りを感じます。
 友人は、「店員に聞けばよかったのに」と言いますがそもそも見に行きたい展示でもなく、付き合いで行くと言ったのに一人で行かされたようなものであり、「聞く以前の問題だ!」と電話で吐き捨てました。つううかマジ新世界大丸にはもう二度と行かない。

2018年7月11日水曜日

日本のスマホ決済に関する思案

 先日、知人の紹介で日本の知人関係者と会う機会が得られました。まだ中国に来て日が浅いとのことでしたが出会って第一声目に、「で、スルガ銀行はいつ破綻すると思う?」と聞きました。なおスルガ銀については私と大体同じ見方で、既に発表している特損が100億円だからその十倍の1000憶円はあるなということで一致しました。

 その後、中国についていろいろ話をしたのですが、個人的に興味を持ったのがこちらのスマホ決済についてでした。やはり使ってみて非常に便利だと感じたそうですがその一方で、「もし仮にスマホ決済が日本で普及したら、地銀は間違いなく死ぬことになるだろう」という見方を示しました。
 これはどういうことかというと、ゼロ金利政策によって法人向け融資業務ではほとんど利ざやが稼げない状況の中、地銀の収益は各種手数料によって支えられている面が大きいからです。仮にスマホ決済、それこそクレジットカード連動型のようなものが普及してしまうと地銀は手数料を完全に失うこととなり、たちまち経営が立ち行かなくなるということです。この見方は私も基本的に同意します。

 なおゼロ金利で経営が苦しいとメガバンクの連中は自分で言いますが、はっきりいますがこれはウソです。というのもメガバンクは外債を組み合わせた仕組商品を作ればどうとでも稼ぐことが可能で、ゼロ金利の影響を回避することが出来るからです。逆に地銀は外貨関連業務が制限されていることもあってこうした逃げ道が塞がれており、あまり指摘する人はいませんがゼロ金利政策自体が地方を大きく弱らせている原因になっているところがあります。

 話は戻りますが、「もう地銀なんて必要ないだろう」という意見を敢えて据え置いた上で、スマホ決済を日本でも普及させることが出来ないかなとしばらく思案してみました。最終的に出した結論は、クレジットカードではなく、各銀行発行のデビットカードと連動させる形ならまだありかもなという結論でした。

 まず初めに中国のスマホ決済について少し触れると、こちらは中国の銀聯カードと基本的に紐づいています。この銀聯カードは普通の預金関連機能のほか、店頭でのカード決済機能を持っており、実態としてはデビットカード、つまり預金額の範囲内で決済ができるカードとなっています。中国も今は条件も緩んでクレジットカードの発行も難しくないですが以前はやや条件が高く、また投機的な民族ということもあってか「預金額以上は使えない」ようにするため、こうしたデビットカード中心の機能にしたんだと思います。

 スマホ決済の場合、この預金額からスマホソフトウェアのウォレット内にお金を振り込みそこから小売店へ支払うか、デビットカード機能よろしく預金額から直接店舗へ支払うか、二種類から選びます。なおウォレット内の金額が決済額に対し不足してる場合、預金額からの直接支払いが自動的に選ばれます。
 割と味噌な点として、中国ではネット振込は10万元(約170万円)以下はタダで、基本的にほぼ全部無料で振込し放題です。だからこそウォレットのお金を出したり引いたりするのも気分次第だし、直接預金口座から支払うのもデメリットなしでできるからこそこれだけスマホ決済が普及したというところがあります。

 仮に日本でスマホ決済をする場合、それこそ現在の300円くらいする振込手数料を毎回取るようであれば、システムは存在しても普及することはないでしょう。ウォレットへの振込にも手数料を取る、それこそ1回10円程度であったとしても、お金減るのが嫌でスマホ決済を敬遠して現金にこだわる人が出てくるでしょう。
 そのため最近の日本のスマホ決済ニュースを見ていると、クレジットカードと連動する形のシステム案がよく書かれています。確かにクレジットカードなら消費者は振込手数料も取られたりしないで済みますが、その分システム加盟店は決済ごとにクレジットカード会社に売上げの一部が徴収されるわけで、ましてやJCBならともかく他のクレジットカード会社は外資で、まわりまわって日本の経済にはいいところなしです。

 私個人の私案は、敢えてクレジットカードとの連動を排除するというところから出発しています。まずスマホ決済のベースは既に市民権を得ているSUICAのシステムをベースにするべきだと考え、これに各銀行のデビットカードを紐づけ、手数料無料でソフトウェア内のウォレットへ送金ができるようにするというものです。
 この方法のメリットはまずSUICAは既にある程度認知、普及していること。次に「スマホ+SUICA+デビットカード」の組み合わせで規格が統一しやすいこと。最後に、地銀は手数料収入こそ失うものの口座顧客を失わずに済むということです。

 私がいま懸念しているのはスマホ決済との連動が、ごく一部のメガバンクのみに限定されるということです。仮にそうなればメガバンク口座でなければ連動できず、必然的に地銀の口座顧客は流出を免れ得ません。
 またメガバンクじゃなくクレジットカード連動であっても、やはりクレジットカード会社が儲かり、またクレジットカード会社を経由することでシステムの処理負担、個人情報流出のリスクの双方が高まります。なるべくなら安近短で「スマホ会社+中央システム+銀行」というくらい関連先は少ないに越したことはないでしょう。あとクレジットカードによる事業者側の負担軽減になれば。

 何故既存の銀行カードではなくデビットカードを推すのかというと、これなら既存の銀行カードを残したまま、新たなデビットカード規格を日本で統一して作れそうだという考えからです。無論、既存の銀行カードにこうしたスマホ決済機能を乗っけてもいいですが、この際だからスマホ決済に特化してSUICAと完全連動する、全銀行共通規格のデビットカードを作ってみた方が後々の発展性も得られるのではと思うところがあります。
 っていうかこっちいるとつくづく思いますが、なんで日本の金融機関はシステム方面の規格が全部バラバラなのか理解しがたいです。護送船団とか昔言ってたけど、ありゃ嘘だったなと内心思ってます。

 私の予想では日本のスマホ決済はやっぱりクレジットカード連動型で進むと思います。そしてそれにより、地銀業務はさらに減って地銀同士の統合は進んでますが、今後ますます地銀は苦しくなり、スルガ銀みたく消費者金融めいた仕事しないと生き残れなくなるかもしれません。
 もっともそれは中国の銀行も同じで、今や下手な地銀よりもスマホ決済大手のアリペイ、ウィーチャットペイの方が資金力などで凌駕しており、大手銀もかつては土日は行列が出来るのが当たり前だったのに、今店舗行くとガラガラです。時代の趨勢と言えばそれまでですが、どうせならこの変化を折にクレジットカード会社の影響力を弱めたいことから、今回ここで書いたデビットカード連動案を思いつきました。

  おまけ
 中国では最近、利用者が少ないからすごい勢いでATMが減っています。うちの近くの銀行支店も前まで4台だったのが2台に減りました。