2018年1月18日木曜日

煽り見出しの裏テーマ

 最近思うけどどうして自分はこうも無駄に働き続けるのか不思議です。わかる人にはわかるでしょうがこのところこのブログは2日刻みで更新をしており、もちろんこれには理由があります。っていうか今週週末は友人と音楽ライブにも行くし、調査も進めなきゃいけないし、何より次のJBpress記事書かないといけないしで気が狂いそうです。

どこがおもてなしだ!中国に完敗の日本のサービス(JBpress)

 ハイそんなわけで昨日配信したのが上の記事です。当初は中国の自動車メーカー紹介記事でも書こうと実際に前取材も進めていたのですが、実際に執筆へ移る直前のある夜、もしかしたら夢だったかもしれませんが寝る直前に、「せや、中国のサービス事情を日本以上と書いたら反発する人多くてアクセス稼げそうやー。前にブログでも同じネタ書いとるし、取材なしでぱっぱと書けるわこんなもん」と思いつき、予定変更でこっちの記事が仕上がったわけです。やっぱこういうのは締め切りギリギリになるほど閃くものです。
 今回のこの記事はその内容から大きく反発されるだろうということは初めから想定してはいましたが、配信当初からヤフコメはどんどん伸びていって500件超えたあたりからちょっとビビりました。その後も伸び続けて現時点で1300件を超えていますが、ここまでの反応があるとは全く想定してはいませんでした。どうせどう書いても反発されるんだからアクセス数を稼ぐために煽り系にしましたが、やっぱWeb記事は見出しが何より大事です。

 それにしても毎回そうですが、頑張って取材した記事より全く何も取材せずにその場の勢いで書いた記事の方が注目されてしまうのは非常に複雑です。まぁ業界関係者の間では、取材した記事の方が良く褒めてもらえるのですが……。

 記事内容については読んでもらえばいいので割愛しますが、ヤフコメを見る限り最も批判がなされている見出し、特に「見出しと内容が一致しない」という指摘について少し解説しようと思います。結論から言うとこれは意図的なもので、反発されたらOK、何か意図を疑われたら二重丸、「もしかして」という想定までされていたらパーフェクトで、逆に何も感じさせられなかったら大失敗という評価区分で臨みました。

 当初この記事の見出しは、「中国の方がマシ?日本の劣悪なサービス分野」でした。こちらも煽るような見出しですが最終版に比べればまだ抑えてあり、尚且つ「おもてなし」という言葉も入っていません。最終版の見出しは編集部から提案されたもので、「おもてなし」という単語を入れるべきかで少し悩んだものの、記事自体の内容と「おもてなし」は直接関係しないものの、裏テーマにはむしろ直結する言葉となるため、これで行くことにしました。
 ちなみにこれはブログの方で顕著ですが、私が挑発的な言葉を用いる際はほぼ確実に相手に特定のキーワードなりを言わせて言質を取ることを目的としています。そういう意味では今回は目論み通りの結果に至ったと考えています。

 もったいぶらずに書くとこの記事の裏テーマとは、「日本語における『サービス』という言葉の定義と範囲」でした。この裏テーマは見出しと、記事内容を見た後の反応で確かめ、これから書く記事の根拠とする目的でこの見出しにしました。

 今回の記事へのコメントで最も多かった内容として、「書かれているのはサービスというより営業形態、商習慣だ」、「おもてなしとは意味が違う」、「中国人店員の態度の話かと思ったら全く違った」等ですが、こうした反応を敢えて持たせるために今回このような見出しに私はしたわけです。そもそも何故見出しと内容に齟齬を感じる人が多かったのかというと、それもこれも日本語における「サービス」の定義範囲が極端に狭いからです。

あまり体力が残されていないためちゃっちゃと書くと、日本人が「サービス」という単語を聞いて思い浮かべるのは十中八九「接客態度」で間違いないでしょう。店員、従業員、営業担当の態度や言葉遣い、礼儀、お辞儀の仕方で、今回の記事で取り上げたような契約サービスや保守・アフターサービス、カスタムオーダーを思い浮かべる人はまずおらず、そもそもこれらが「サービス」という言葉に含まれるとは考えない、それどころか否定する人もいるのではないかと思います。その上で、サービスの単価は無料であるという意識も強く、お金を取ったらもはやそれはサービスではないと考えるケースも少なくない気がします。
 そのため「サービスが悪い」というとこれも意味は「従業員の態度や応対が悪い」と取ってよく、実際これ以外の使われ方をするのは極稀でしょう。同時に「サービス競争」というのもどっちかっていうと従業員をどこまでへりくださせるかの競争になることが多い気がします。

 今回、私がサービスが劣悪だと考える日本の業種として銀行、不動産、携帯電話を挙げましたが、唯一不動産に関してはサービスというよりかは指摘の通りに商習慣の差という方が適切だと考えますが、他二つに関してはやはり「サービス」というくくりで語るべきだと考えます。そう考えるのも、サービスというのは対人接客だけでなく、今回の記事で槍玉に挙げた契約関連サービスや先ほど挙げた例、そして業務システムも含まれると私は考え、少なくとも英語や中国語の「サービス」にはこうした意味が含まれています。というよりむしろ、英語や中国語のサービスにおける「対人接客」の割合はむしろ低く、業務全体の効率性や合理性、バランスを言い表すことの方が多い気がします。
 いくつか例を出すと、「価格は安いがアフターサポートが少ない」は「価格は高いが並のサービス」を上回るとか、飛行機のチケットのように追加料金でキャンセル権利が得られるなどの複数の選択肢が設けられているとか、こうした値段と内容の一致性、そして各ニーズに応えられる選択肢の量などがサービスの評価基準であると私は考えます。

 いったんまとめると、日本人の「サービス」という言葉が示す内容は「接客態度」に異常に集約されており、その定義と範囲が極端に狭すぎる傾向があると言いたいわけです。これがどんな弊害をもたらすのかというと、本来サービスというくくりで見たり評価したりする各業者の業務、特に効率性についてあまり目がいかず、「あそこの店員の態度は……」などと接客態度しか評価基準とせず、明らかに消費者にとって不合理な対応や業務形態については誰も批判せず、野放しとなっているのではと、私には日本社会がこのように見えます。
 それこそPCデポの解約騒動のように大きな事件になれば批判されますが、普段の生活で業務形態をとって「サービスが悪い」と対応改善を求める声が上がることは日本ではほとんどないし、メディアも「サービスの劣悪な業界ランキング」みたいにして取り上げることはありません(中国はよくやっている)。
 特に強く言いたいのは、今回私が取り上げた3つの業界についてこうして正面からそのサービス形態を批判するメディアはこれまでほとんどいなかったことです。何故あまり批判されてこなかったかというと比較対象がなかったからで、同じ業界の企業同士ならばともかく、業界全体ともなるとその良し悪しを図ろうにも比較対象がないからそのサービスの悪さが認知できない上、「同業他社もそうなのだから」で片づけられていたからです。だからこそ比較対象として私は中国の事情を持ってきたわけです。

 仮に日本語の「サービス」の定義がもっと広く、「接客態度」だけでなく先ほど挙げた経済合理性、ニーズへの柔軟な対応、手続きの簡便さも含まれていれば、「サービス競争」というのはもっと多角的に分析されていたような気がします。しかし何度も言う通り、サービスの定義があまりにも狭すぎるため、業務全般の良し悪しを多角的に評価、認知することが日本では極端に少ない気がします。言ってしまえば、「日本人はサービスの視野が狭い」と私は言いたいのです。

 実際、ヤフコメを見る限り私が今回の記事で挙げた3つの業界の「悪いサービス例」を多くの日本人は「慣習」や「営業形態」と受け取ったわけですが、サービスというのは価格、人員、システム、効率性、合理性、一致性、即応性、柔軟性などの多くの要素を総合的に考慮して評価すべきだと私には思え、少なくとも「接客態度」だけで評価を決めるべきものではありません。さらに言えば、中国を含め世界はこうした価値観でサービス競争を繰り広げて研鑽を深めており、接客態度だけに注力したまま他の面がおざなりとなっている日本のサービスはどんどん置いていかれ始めているのが現状なんじゃないかと、誇張ではなく私はそう考えています。
 その上で、「接客態度だけよくて他はゴミみたいなサービス」にお金を払う人間はいるのか、国際競争力の観点から見てどうなのと言いたかったわけです。だからこそああいう見出しにして、私が認識する「サービス」と日本人の抱く「サービス」には大きな距離があることを端的に示し、証明するため、日本がその「手厚い」と自称するサービスの代表的キーワードとしている「おもてなし」をそのまま残したというわけです。

 なお私の中では、本当に「おもてなし」するというのであれば顧客に不利なアドバイスや説明なんかすることはなく、またカスタムオーダーにも柔軟に対応するだろうと考えるため、今回の記事の見出しに据えても特に問題はないとも考えています。もっとも読んだ人を最初に「おもてなし=接客態度&サービス」というイメージへ誘導させるというのが主眼でしたが。

 こうした今回の裏テーマ、意図については自分でいうのもなんですが非常に高いハードルを掲げていると自覚しており、それとなく無意識でもいいから、「なんかこの書いてる人とサービスの定義が違うな」とだけでも意識してくれればいいかと当初考えていました。ただコメント欄を見ていると、極数人ではありましたが私の意図していた内容をきちんと受け取っているかのような、具体的には「日本のサービスは接客態度に非常に偏っている」というようなコメントを書いている人がおり、これは想定外で且つ素直にうれしく感じました。
 結論を書くと、日本人のサービスの定義は接客態度に偏り過ぎており、そしてそれは、今日の記事では省略しますが多方面で競争力を落とす要因となっており、日本の生産効率を下げる原因の一つにもなっています。この日本人のサービス観を証明する上では、まぁうまくいったなというのが今回の記事の収穫です。

  おまけ
 NewsPicksのコメントを見ていると記事末尾に書いた、「これら業種のサービス改善には外資参入が必要」という記述に賛同する人がそこそこいて、見る人は見るなぁと感じるとともに、「中途半端に文字数余ったから適当に書いて埋めた記述なんだけどなぁ(;・∀・)」ということを言うべきか悩みました。

  おまけ2
 ヤフコメの中で、「比較対象を中国とせず、欧米にしておけば病的な人たちの反発を買わなかったのにね」というコメントがあり、「やさしいこと言ってくれるじゃん(・∀・ )」とか思いました。まぁ事実その通りでしょうがその一方、比較対象が中国じゃなければここまで反発を買えない、もといアクセスを稼げないという事情もあるのでなかなか難しいところです。

  追記
 改めてヤフコメ見てると「だったら中国に移住しろよ」とか「住めよ」って書く人多いけど、「いや、ずっと中国住んどるからこんなん書いとるんやろ」と返信したくなります。っていうか日本に年間半月も帰らんし。
 自分の記事のヤフコメには自画自賛にならないよう一切コメントも、「そう思う」ボタンも押していませんが、一回全部に返信したろかな。

2018年1月16日火曜日

GANTZと狩りゲー

 先月書いた「漫画業界のデジタル化」という記事で漫画業界でもIT化(これももう死語?)が進み切っててデジタル作画はもはや一般化しているという現況を紹介するとともに、デジタル作画のパイオニアでありながら、恐らく現時点においてもこの分野で最高級の技術とクオリティを有し、一漫画作品としてみても稀にみる傑作として奥浩哉氏の「GANTZ」を称賛しました。
 この「GANTZ」ですが、先週にAmazonのKindleでまとめ買い20%オフセールやっていることに気が付き、37巻もあるから非常に悩んだけど、「いつも頑張っている自分へのご褒美オィース(笑)」として思い切って買っちゃいました。なおこのセールは私が買った直後に終了したので、マルクス主義的に社会主義革命が成就したくらいのレベルでうれしくなるというおまけもついていました。

 私は「GANTZ」を漫画喫茶で読んでおり、通し読みは複数回しているものの全巻揃えてじっくり読むのはこれが初めてになりますが、改めてその作画のクオリティの高さと、戦闘シーンの迫力が桁違いな作品だと読んでて思います。この感動を伝えるために買ってから毎日友人にチャットで「GANTZめちゃ面白い」と書いているのですが、うざいと思われているのかこのツィート(笑)に対して友人は何も返事してくれません(´;ω;`)ウッ…
 今回改めて読み返して感じたこととしては、やはり中盤の新宿編、大阪編が盛り上がりとしては最高潮であるように思えます。新宿編ではオニ星人が出てきますが、ラスボスを目の前にして登場キャラクタが涙を流しながらガタガタ震えるシーンがありますが、読んでるこっちも震えそうなくらい絶望的な状況で、その後に続く激しい展開と相まって激しくテンション上がります。

 そんなオニ星人編を読み終わった後、特に意図せず普段から遊んでいる「討鬼伝2」というゲームをある日プレイしたのですが、その際にふと、「あれ、このゲームの世界もGANTZと一緒じゃね?」という考えが頭をよぎりました。

 「GANTZ」を知らない人向けに説明すると、この漫画では一度事故死した主人公らが何の説明もなく甦らせられ、見知らぬ場所に転送されてそこで正体不明の化物たちと戦わせられるというのが大まかなあらすじです。そこで化物に殺されてしまうと今度は本当に死にますが、見事化物を撃退すると集合場所の部屋へと戻され、倒した化物の数に応じて得点がもらえ、100点になると解放されるというシステムが骨子になっています。
 この戦闘のシステムは後半で明らかにされますがゲームを模したもので、化物との戦いは賭けの対象にもなっています。そしてこのシステムは、「モンスターハンターシリーズ」や先ほど挙げた「討鬼伝シリーズ」といったいわゆる「狩りゲー」と呼ばれるゲームジャンルに酷似している、というかまんまそのままです。

 狩りゲーでは通常、プレイヤーは挑戦するミッションを選び、そのミッション内でターゲットとなる敵キャラを倒せばミッションクリアとなって報酬がもらえます。この報酬はゲーム内の通貨だけでなく化物から剥ぎ取った部位こと素材も含まれ、こうして集めたお金と素材を使ってキャラクターのより強力な装備を作っていくことでより難しいミッションにチャレンジできるようになります。
 なお漫画の「GANTZ」でも、100点を取れば解放を選ぶこともできる一方、「より強い武器」を要求して手に入れることが出来ます。 

 私が今遊んでいる「討鬼伝2」なんかまさにこういったシステムのゲームで、何気に敵キャラもオニ星人、ではなく「鬼」で、相手の腕とか足とか切断して(スパーンと切れる)素材をガリガリ剥ぎ取っていく典型的な狩りゲーです。だからこそ今回気が付いたのだと思いますが、ある意味このゲーム内でやっていることは「GANTZ」における戦闘とほぼ同じで、負けるとキャラクターが死亡ならぬロストすることすらないものの、流れや報酬やシステムは酷似しています。
 元々「GANTZ」自体が先ほどにも述べたようにその戦闘はゲーム性を付けて作られたものなので当然と言えば当然なのですが、今回この点に気が付いた際、狩りゲーのシステムは「GANTZ」と同じだというのであれば、ゲーム内のキャラクターも「GANTZ」と同じなのかな、という妙な考えが浮かんできました。具体的に言うと、ゲーム内のキャラクターは本人らの意思に反して無理やり殺し合いをさせられているのでは、と思ったわけです。

 「GANTZ」の中で各キャラクターは例外こそいるものの、大半が早く化物との殺し合いから解放されたいと願っており、自分が死ぬかもしれない戦闘から逃れたいと願っていながらも意思に反して戦闘に参加させられています(拒否すると殺される)。これと同じように、狩りゲーでキャラクターを操るプレイヤーは何とも思っていませんが、ゲーム内で操られるキャラクターたちはもしかしたら、自分より遥かに巨大な化物たちとの戦いをそもそも望んでいない、というより戦いたくないと思っているかもしれません
 実際にゲーム内では馬鹿でかい鬼たちに殴られたり蹴られたり、燃やされたり凍らされたりして、喰われたり切断されたりってのはありませんが、それでもプレイヤーの意思に従って戦わせられます。もし自分が同じ立場だったら、はっきり言ってまっぴらごめんで、自分がされたら嫌なことをゲームの中では呵責なくキャラクターにはさせられるものだなという風に思えてきました。

 また狩りゲーでは体力が尽きてミッションに失敗したとしても「GANTZ」みたいにキャラクターが死ぬということはありませんが、失敗したミッションには「再チャレンジ」することができ、敵を打ち倒してミッションを成功させるまで何度でも戦わせられます。また欲しい素材が手に入らなければ手に入るまで何度でも戦わせられ、「アフリカの密猟者ってこんな感じなのかな」って気分にも浸らせられます。
 そもそもこのミッション失敗ですが、これもどこか「GANTZ」と被るというか、死んだ人間を何度も甦らせてプレイヤーが飽きるまで戦わせ続けるとも見えるこの行為は、改めて考えるとすごい残酷なことやらせているような気がします。もっともゲームのキャラクターがプレイヤーの意思に反し、「俺はもう戦わない!戦いたくない!」なんていうことはなく好戦的にプレイヤーの操作に従ってくれますが、そういう風に考えるのはもしかしたらプレイヤーだけだったりとかという想像も膨らみます。

 果たしてここで使うのは適切かというとそうではないと思いますが、シミュレーテッドリアリティな世界がもしこういう狩りゲーの世界の中にもあるならば、狩りゲーのキャラクターたちは「GANTZ」のキャラクター達同様に非常に過酷な運命を背負わされていると言えるでしょう。
 まぁそんなの気にせず今日もこの後で鬼を狩るつもりですが、ゲームの中にも現実の世界が広がっていると考えたら、狩りゲーのプレイヤーは多くのキャラの運命を弄ぶ実に残酷な神として君臨することになるでしょう。そしてこれはある意味で漫画の「GANTZ」のラストシーンにも通じると思え、だからこそ作者の奥氏は終盤で主人公らに何度も、「それでも人間の運命には、感情には価値がある!」と叫ばせたのかもしれません。

2018年1月14日日曜日

中日新聞主筆の失言とその過去について

中日新聞主筆、大村知事の政治姿勢を「性同一性障害」(朝日新聞)

 既に各所で報じられているのですでにニュースを見ている人もいるかもしれませんが、中日新聞の小出宣昭主筆が愛知県の大村知事について、保守なのかリベラルなのかどっちとも取れそうな政治思想の持ち主であるという表現として「性同一性障害のようだ」という発言をしたそうです。先のダウンタウンの黒塗り問題についてあれは差別とは思わないと主張した私ですが、こっちの発言に関しては明確な差別だと考えます。

大村知事の政治姿勢、性同一性障害と表現 シンポで本社主筆、撤回(中日新聞)

 一応、身内の中日新聞も事実関係をきちんと報じており、この点についてはダンマリこくるのに比べて評価できます。ただ、私は今回のこの報道を見て、一目でピンときたものがあります。

中日新聞編集担当常務小出宜昭への公開質問状(日本禁煙学会)

 今から遡ること11年前、今回問題を起こした小出主筆は社説にて、昨今(当時)の禁煙ファシズムで行き場をなくした喫煙者のことを、米国のネイティブアメリカンの一部族である「スー族(吸う族)」と表現して少数民族として弾圧されているともいうような主張を展開しました。主張や思想自体は個人の勝手だし禁煙学会のように喫煙による影響とかについては何も言うつもりはありませんが、喫煙者をスー族とする比喩表現についてはやはり今回の件といい、社説で書くには不謹慎だなという印象を覚えます。そして何よりも、先ほどの性同一性障害ともどもこの比喩表現は見ていてパッとしないというか単純につまらなく見え、こうした表現を多用するレベルなのに主筆ってどうよと、実力面に感じる疑問の方が多いです。
 その程度のレベルのライターを主筆に据える中日新聞の人事評価自体がいろいろとアレだと思うのですが、この小出主筆については恐らく探せば他にも大して面白くもなく、無理して使う必要もないのにきわどい比喩表現した文章や発言が見えてくるかもしれません。

 私はこのブログならば個人意見の発信箇所としてややきわどい表現、それこそ「あの人は須らく死ぬべきだ。生きてても害を撒くことしかない」などとはっきり言うこともありますが、それこそJBpressのような公の媒体でこうした表現を使うことはありません。理由は無駄な議論を抑えるとともに、多くの人間が読む媒体においては過激な表現は控え、差し障りなく安全な発信を重視するからです。表現方法がどうとか言われ、内容を顧みられなくなるというのは無駄以外の何物でもありません。
 今回、そして過去の発言を見る限り小出主筆にはこうしたリスク管理意識が確実に欠けているとしか思えません。そんな危なっかしい人間を主筆に据える辺り中日新聞のリスク意識もどうかと思いますが、そもそもここは意図的に誤報を流した記者を解雇もせず、停職程度の処分にとどめるような新聞社ですし、期待するだけ無駄かもしれません。それこそ先ほどの表現、早く会社丸ごと死ねばいいのにとすら私は思います。

  おまけ
 前の会社で「この『すらく』ってのは書き間違えだろ?」と、「須らく」について言われ、ああ早くこの会社辞めなきゃと思いました。なおその会社の先輩によると過去に営業資料配ったら、「この『そり』ってなんだ?」と「粗利」という単語の意味について聞かれたそうです。

2018年1月13日土曜日

日本のビジネスホテルのベッドサイズについて

 日本の報道を見ていると寒波でセンター試験日にもかかわらず交通遅延が相次いだと報じられていますが、ここ上海も多分今年一番なくらいに寒く、寒さに対して圧倒的な強さを誇る自分ですら参っているほどです。電気カーペット入りの布団に入ったらリアルに出れなくなったし、先ほど晩飯を食べるために出た際もユニクロのフリースの上にパーカーを着込むなど、一体どれくらいぶりだろうと思うくらいの厚着を久しぶりにやりました。
 なお先日友人の上海人とお好み焼きを食べに行ったら、「これからユニクロ行こう。もう僕が君のコート買ってあげるから」とガチで説得されました。

 そんなわけで本題に入りますが、去年に日本へ一時帰国した際にマッドシティ(松戸)のビジネスホテルを利用したのですが、部屋に入るなり、「え、こんな子供用ベッドに寝かせられるの?」と強く不満を感じました。そしてしばらくしてから、「あ、日本ではこれが標準のサイズなのか」と思い直しました。
 一体どういうことかというと、シングルサイズのベッドが自分にはとてつもなく小さく見えたからでした。何故そんな風に見えたのかというと、中国ではシングルサイズのベッドは比較的レアで、ダブルサイズのベッドが一般的だからです。これは一般住宅に限らず、ビジネスホテルにおいても同様です。

 実際に私が借りている部屋もベッドはダブルで、敷布団とシーツはダブるようなのに掛け布団はシングルサイズを使う妙なハイブリッド仕様のためシーツのセットはダブル用をまとめて買えないのですが、通常泊まるビジネスホテルも基本ダブルです。二人用の部屋であってもダブルが基本で、むしろ一人用の部屋では割増料金を払うとキングサイズのベッドがある部屋が宛がわれます。
 日本では恐らく一般住宅はおろか、ビジネスホテルにダブルのベッドが置かれていることなんてほぼないのではないかと思います。しかし中国の生活に慣れた自分からしたらシングルベッドはとんでもなく小さいサイズに見え、決して誇張ではなく子供用ベッドかと最初本気で勘違いしました。

 中国人ではない自分ですらこんなこと思うくらいなのだから、恐らくモノホン(死語)の中国人も同じように感じるのではないかと思います。実際にその時に寝た感触としては割と窮屈感を感じただけに、訪日旅行中国人も同じ思いを抱いているかもしれません。
 何が言いたいのかというと、日本が中国人客をもっと誘致しようというのであれば、こうしたベッド方面においても対策が必要なのではないかと言いたいわけです。欧米からの観光客についてははっきりとは言えませんが、恐らく感覚としては中国人に近いのではないかと思えるだけに、一般外国人客はシングルだときついのかもしれません。

 なにも全部屋のベッドをダブルに変えろというのは負担も大きく現実的ではありませんが、中国人客を見据えてダブルの部屋の割合をもう少し増やしてみるのはどうかと提案したいです。もっともそれ言ったら日本のビジネスホテルの部屋の狭さへの対策の方がもっと先になるかもしれませんが、一意見として中国人はベッドサイズに違和感を持つのではと言いたいのがこの記事です。

  おまけ
 冒頭の上海人の友人との会話の後で一緒にお好み焼きを食べに行きましたが、「あれ、青のり出てきいひん……」と不思議そうに自分の皿へ小瓶を振っていた友人が私の皿にも試しに小瓶を振ってみたところ、小瓶からはつまようじが出てきました。今まで生きてて、お好み焼きにつまようじ振りかけられたのは初めての夜でした。

2018年1月11日木曜日

日東電工の中国蘇州工場に関する騒動について

 結論から書くと、日系メディアはほとんど報じていませんが今中国では日東電工の蘇州工場が何やら騒がしくなっています。最初に書いとくと、取材もしてないので報道以上の内容は私もわかりません。

中国江蘇省の日東電工工場で従業員デモ(時事通信)

 今週初めから突然従業員に対し工場を閉鎖するため雇止め(解雇)を申し渡したとして、これに反発した従業員がデモを起こしたとこっちでは報じられています。しかしこの件について日東電工本社は、これまでのところ何の発表もしていません。
 奇妙なのは日東電工は黙して語らないのに、何故か中国商務部(経済産業省のような省庁)がこの件に関して言及していることです。報道官によると、日東電工は一部部門の事業譲渡を行うだけで蘇州工場は存続するとのことですが、具体的にどこへ譲渡するのか、日東電工の他の系列会社なのか無関係な会社なのか、日系なのか中国系なのかについては何も語っていません。

 また一番よく取材できてると思う澎湃新聞の記事では、直接現地の工場に行っていろいろ書いています。この記事によると同工場ではプリント基板と液晶用偏光板を生産しているとのことで、今回槍玉に挙がっているのは偏光板部門だそうです。この分野で日東電工は世界トップシェアを持っており、記事ではそれだけに一体何故このまま生産を続けないのかと疑問を投げかけています。私自身も、液晶の世界最大の消費市場である中国の工場なのだから、事業譲渡や事業再編のどちらであるとしても実行する必要性について何故なのかという疑問がもたげます。

 現場の状況としては偏光板部門らしき工場棟こそ閉まっていたものの、プリント基板部門の従業員は普通に勤務しており、出入りも自由な感じだったそうです。今週初めに出た記事では「恥知らずの小日本、従業員をだますな!」的なでかい横断幕とともに入り口付近に多くの従業員がたむろする写真が出ていたのですが、こうしたデモは最初の時事通信の報道通りに既に終息済みだと思われます。
 事業部門の譲渡に伴い解雇される従業員についてもこの記事では書かれてあり、当日に退職手続きを行った従業員にも話を聞いています。対象となる従業員には通常以上の退職金が提示されており、納得した人間は既にサインしているものの、リストを見る限りではまだ多くの従業員は応じていないそうです。

 あと気になることとしては労働保障局関係者が、持分譲渡交渉がまだ完了していない、と話していることが報じられています。この持分というのはこの工場、つまり日東電工(蘇州)有限公司の持分だと思われ、その譲渡を巡って交渉が行われているとのことになります。しかも上の関係者の話が事実であれば、交渉が完了していないにもかかわらず従業員の整理手続きが始まっているということにもなり、やはりこの動きには奇妙さを感じます。仮に系列会社同士の事業再編であれば、果たしてこうなるのかなと不思議に思えてなりません。
 まぁ澎湃新聞によるとさ、偏光板の生産設備は日東電工の新しい深圳工場に移して、残ったプリント基板部門は同業大手の日本メクトロンの、同じ蘇州の工業園区にある生産会社へ売る方針だと従業員らが話しているそうです。よく調べてるよなぁここの記者。
 報道が真実となるかどうかは今後のお楽しみですが、現状としては確かに怪しさ満点の動きをしていることは間違いありません。そして旧正月を目前に控えていきなり解雇通知っていうのも、もう少し考えてあげてほしいなと一個人としては思います。

2018年1月10日水曜日

上杉謙信は何故大勢力にならなかったのか

 先週末に今年の新大河ドラマ「西郷どん」(最初の変換は「最後うどん」でした)が放送されたようですが、生憎私は見ていないのでこちらの評価はしませんが、大河ドラマで個人的に強く印象に残っているのは「風林火山」のオープニングです。実際にこちらは評価が高いようで、BGMだけで見れば歴代大河最高傑作と言われるのも納得できます。
 この「風林火山」の主人公は武田信玄の軍師だった山本勘助で、ドラマ自体は武田家の視点がメインに置かれたものの、ドラマ中で脚光を浴びたのはその宿敵ともいうべき上杉謙信でした。この上杉謙信訳はミュージシャンのGackt氏が演じており、Gackt氏自身がその役作りについて監督らに自ら意見を述べるなど積極的に関わったこともあり、非常に異彩な風貌はもとよりどこからいっちゃってるようなやや狂信めいた演技は各方面からも高く評価されました。私自身も、ほかのどの上杉謙信よりも伝承や資料などから伺う像としてはこの時のGackt氏が一番近いように感じます。

 そんな上杉謙信ですが、世界的に見れば非常に珍しい人間だなと私は考えています。機関銃が登場する以前の時代で誰が最も戦争指揮がうまいのかという議論はどの国でも白熱するものですが、こと日本に関しては「戦国最強」はもとより「日本史上最強」の軍指揮官の呼び声が上杉謙信にあることを疑う声はほとんど聞かれません。実際に彼が指揮した戦いは実質百戦百勝で、敵城を攻め落とし切れずに撤退することこそ多かったもの戦場で会敵しさえすればほぼ確実に敵軍を粉砕し、また私が知る限り窮地に追い込まれたという状況に至っては一度としてありません。
 強いて彼に次ぐ人物を挙げるとしたら治承・寿永期の源義経くらいが浮かびますが、それでも私の中では上杉謙信に軍配が上がります。

 しかしそれほど戦に強かったにもかかわらず、上杉謙信が拡大した領土は実質的には越後・上越の統一くらいなもので、同時代の織田信長と比べると非常に狭いもので終わっています。一体何故この程度に留まったのか、ありそうであまりない議論なのでいくつか私の仮説をここで述べます。

1、本拠地を移さなかったから
 上杉謙信の主戦場は川中島と思われがちですが実際には北関東で、その生涯で計七回も関東への遠征を行っています。これらの遠征は北関東各地の豪族の要請を受けたり、争乱鎮圧という謙信自身の目的などが主な要因ですが、出陣の度に関東の雄こと北条家の領土を奥深く浸食しながら、止めを刺し切れずいつも撤退する羽目となります。
 撤退に至った背景としては雪によって道が閉ざされるなどといった天候的な理由や、兵糧などの補給の問題、北条家の同盟相手である武田家の背後を突く牽制などがあり、毎回これらの理由で本拠地である越後・春日山城へ帰っています。そしてそのたびに一旦は服属させた北関東の豪族らはまた離反し、出撃しさえすれば平らげられるもののその勢力を北関東で維持することはほとんどありませんでした。
 実質的には後述の理由により不可能であるものの、仮に織田信長のように前線に近い場所へ本拠地を移していたら北条家を排除し、関東の制覇自体は望めたかもしれません。もっともその場合、確実に越後は失っていたと思いますが。

2、雪深い北国
 上記でも少し触れましたが、謙信の本拠地の越後は非常に雪深い地域で、最近では世界でも屈指の降雪量を誇ると報じられています。こうした地域では言うまでもなく冬季における軍の移動や補給となり、まさにこれが原因となって撤退に至った関東遠征も少なくありません。
 もし仮にもっと雪のない地域が本拠地であれば、勢力拡大は確実に容易となっていたことでしょう。武田信玄も山深い甲斐、信濃という地勢に足を引っ張られましたが、それでも越後の謙信よりはマシだったと私には思えるほどこの地的条件は不利なものだったと思います。

3、火種燻ぶる家中
 上杉家、もとい長尾家はいくつもの分家に分かれていたことから一族間の争いも非常に激しいものでした。謙信自身も、周囲からの要請もあったとはいえ兄を追放するような形で家督を継いでおり、家督継承後も上田長尾家、古志長尾家の分家同士の争いには悩まされ、実際にこの両家は謙信亡き後の上杉家相続をめぐって御館の乱を興しています。
 また長尾家内の争いだけでなく越後や上越国内の豪族らも不穏な人間が多く、北条高広に至っては謙信を二度も裏切っています(そして二度も許されている)。領土支配としては越後統一こそ果たしたものの、その地盤は盤客とは言えず現実に謙信亡き後は一気に分裂しました。そのため謙信自身もおちおち越後を留守にすることもできず、本拠地移転はもとより長期の遠征もそうそう行えなかったのではと想像されます。

4、加賀・越中の一向宗
 謙信から見て東側には北条家、南には武田家、北には日本海が存在しましたが、西には何がいたかというと泣く子も黙る驚異の鉄砲軍団こと加賀・越中の一向宗でした。同時代の加賀・越中はフランス革命に先立つこと数百年も前に支配していた領主を追い出し、一向宗門徒らにより自治政権が成立しており、この地を狙う朝倉家などの侵攻も悉く跳ね返していました。後の時代でも織田家の柴田勝家もこの地の平定で非常に苦戦し、最終的には勝家傘下だった前田利家がどうにか支配に成功して加賀百万石(ミリオネア)が成立することとなります。
 この時代、実際に謙信は「西進」を図り越中には計八度も侵攻しています。しかし最後の侵攻で越中平定こそ達成するものの、それまでの七回は北条家や武田家の干渉、また家臣の裏切りによって毎回戦闘に勝ちながら撤退する羽目となっており、その度に越中の大名であった神保氏や椎名氏と結びついた一向宗勢力に奪った領地を奪い返されています。八度目の侵攻で成功したのも、織田家の対決を優先した一向宗が謙信との和睦に応じたことが最大の要因でした。
 織田家信長にとってもそうですが、謙信にとっても一向宗は最大の敵勢力の一つだったと言えるでしょう。なまじっかこんな強敵をすぐ隣に抱えていたことも、勢力拡大がその実力に比して狭い範囲にとどまった要因と言えるでしょう。

 久々にまともな歴史記事書いた気がします。それにしても謙信の戦ぶりを見ていると、なんとなく英仏百年戦争のジャンヌ・ダルクを彷彿させられます。戦争においては半狂信的な指揮官の方がなんとなく強そうです。

2018年1月8日月曜日

米海軍の戦力分析記事に関する疑問

 iPhoneXと聞くと「富士通テン」が頭に浮かんでくるのですが、今日同僚がこれを持ってきていて顔認証などについて話していましたが、「デーモン小暮はどっちの顔で認識させてるのだろうか?」と空気の読まない発言をしていました。
 さて話は本題に入りますが、ネットでいろいろ記事を見ていて媒体ごとに思うこととしては、

・毎日新聞:記事内容から文章技術を含め総じてクソ。
・産経新聞:ノリが週刊誌っぽくなってきた。
・ダイヤモンド:極たまにいい記事もあるが、基本的にどの記事も信用してはならないレベル。
・東洋経済:参考になるものばかり。記事構成にもいつも工夫を感じる。
・Yahoo編集部:伝えようとすることを何も考えずに書いている。結果、読む価値のないレベル。
・サイゾー系列:すべてクズ。どれも誤報を疑うべき。
・サーチナ:ダメというわけではないものの、爆発ネタで鳴らしたかつてほどの勢いは感じない。
・BuzzFeed Japan:読んでてのけぞるくらいいい記事や取材ばかり。
・JBpress:最近いいライター増えてきて、前みたいにアクセストップが取れなくなった(´;ω;`)

 私の中の評価としては大体こんなものなのですが、時期としては去年くらいから文春オンラインの記事もYahooやMSNなどのポータルサイトに配信されるのを見るようになってきました。ただ、この文春オンラインの記事はどれもつまらなく、特に野球関連の記事をよく見かけるのですがどれも非常につまらなく、なぜわざわざこんなひどい記事を配信するのかと疑問に思うことが多いです。
 そんな風に見ていたところ、今日ちょっと気になる記事を見かけました。

繰り返される「アメリカは北朝鮮を攻撃する」論の嘘(文春オンライン)

 内容は見てもらえばわかりますが、私が気になったのは2ページ目の以下の記述です。

「もう一つの理由は、空母艦載機が果たして6隻分あるのか、という点である。軍事専門紙「ディフェンスニュース」が昨年2月に報じたところによれば、全海軍の航空機の53%が予算不足による整備及び部品不足により稼働不能に追い込まれている。とりわけ空母艦載機の主力を担うF/A-18戦闘機は62%が稼働不能になっており、パイロットの技量保持も難しくなっている。」

 この記述と「62%」という数字を見て、「前のあれじゃないか?」と思うところがありました。

厚木のFA18、6割飛べず? 在日米軍、東京新聞の「憶測」記事に遺憾表明(日本報道検証機構)

 上の記事は昨年2月に出されたもので、その少し前に出された私が蛇蝎の如く嫌って止まない中日東京新聞が掲載した「厚木の米軍機FA18 6割飛べず? 部品なし修理不能 米専門紙惨状掲載」が誤報であることを検証した記事です。検証内容については是非リンク先の記事を読んでもらいたいのですが、検証内容とその後の中日東京新聞の反応を見る限り、やはりこれは中日東京新聞の誤報としか言いようがなく、またまともな取材すらせず、それどころか基本的な軍事知識も持たずに記事を書いていたとしか判断できません。第一、厚木基地に取材せずに厚木基地のこと書くってどうよ。

 この検証でポイントとなっているのは「米軍機FA18の6割が稼働状態にない」の根拠となるデータソースです。大本の記事はこちらのDefence Newsの記事なのですが、私から見てこの記事自体が何らかの意図を持って書かれた記事、はっきり言えば、米海軍に予算が不足していることをアピールして議会に予算を増やすよう促そうとする記事に見えます。何故そう思うのかというと米軍機のFA18について、わざと2機種を曖昧にごっちゃにして62%が稼働状態にないと書いているからです。

F/A-18 (航空機)
F/A-18E/F (航空機)(どちらもWikipedia)

 一般に、「FA18」と呼ばれる機体は2種類あり、一つは上の「F/A-18」こと通称「ホーネット」、もう一つは下の「F/A-18E/F」こと通称「スーパーホーネット」です。スーパーホーネットはその名からもわかる通りにホーネットの設計をベースに開発された機体ですが、この2機種は実質別種の機体で、部品の共通割合もわずか1割程度、サイズもスーパーホーネットの方が一回りでかいです。
 敢えて例えるなら二次大戦中の「F4Fワイルドキャット」と「F6Fヘルキャット」くらいこの2機種は異なっています。ちなみにF6FもF4Fより一回りでかいという点でも共通していますが、零戦にやられっぱなしだったF4Fに対し、零戦を悉く駆逐して終戦後はまるでその役目を果たしたかのようにすぐ退役となったF6Fの生涯は、まさに零戦を打ち倒すためだけに世に出てきたような戦闘機で大好きです。

 話は戻りますが、ホーネットの方は1970年代に開発された機体で既にかなりガタが来ており、飛行時間の長いものから現在順次退役させられています。一方、スーパーホーネットの方は1990年代に開発されたもので、現在の米海軍の主力機と言ったらこっちとなります。
 上記のような経緯からこの2機種をごっちゃにしようものなら、スーパーホーネットの単独での稼働率に比べ、ごっちゃでの稼働率は著しく低くなるのは当然の帰結です。本来ならこの2機種は分けて考えなければならない機体にもかかわらず、ごっちゃにした上で「低い稼働率」と書くのは果たして現実的かと言えば私には疑問です。
 第一、あんま知識ないのに適当なこと言うと、スーパーホーネットなくても「F-22ラプター」を10機くらい持ってくれば十分では、スーパーホーネットの100機分以上の戦闘力が確保できるのではと密かに考えてます。スペック見るだけでもラプターの性能は反則過ぎる。

 話は最初に戻ります。中日東京新聞の記事は「62%」の数字だけを取って厚木基地の戦闘機は3分の2が飛ばないと書きましたが、厚木にあるのは基本スーパーホーネットで、「んなこたーない」と厚木基地から公式に否定されています。
 続いて文春オンラインの記事についてです。データ自体は間違いでないとしても、やはりこの「62%」という稼働率に関する数字を引用することは、米海軍の現況を見る上で適切かと言えば疑問です。勝手に厚木基地の稼働率を計算した中日東京新聞のように誤報ではないかもしれませんが、変なバイアスをかけかねないという点ではミスリードを起こさせる可能性があるように思います。

 またこれまた適当なことを述べると、北朝鮮有事の際に対応するのは米海軍だけではないでしょう。それこそ「殴り込み部隊」の海兵隊が沖縄にいることもありますし、主力はむしろこちらになってくる気がします。まぁそもそも北朝鮮相手なら空戦もそれほど多くないだろうし、空爆と対地ミサイルによる攻撃がメインとなるだろうから空母いるのかなって気がしますけど。
 それにしても中日東京新聞はホーネットとスーパーホーネットの区別すらつかずによくあんな記事書いたなと思います。まぁ私も、J-20J-31の性能差とかあんまわかんないけど(わかってたらむしろすごいかもしれない)。