2017年8月22日火曜日

今朝の数時間

 自分でもものすごい不思議ですが、一昨日まで全く何も問題なかったのに、昨夜寝るときに布団入ったら全身を這うような感覚を覚えました。結論から言えばどうもダニが発生したようで、それ以前からもニトリの夏蒲団が触るとピリピリするなど不安はありましたが、突然昨日になって全身をダニが這うというのは想像できず、軽いショックを覚えました。
 さすがに今夜もそのまま寝るとやばいので、掛布団、マットレス、シーツを先ほど丸ごと洗濯して今干してる最中です。あと数時間で乾くだろうか?

 それはともかく置いといて、昨夜はそうしたトラブルを抱えてやや薄いものの一応は就寝したのですが、大体時間にして朝6時ごろに外で盛りに入った野良猫が「アオーーン、アオーン」と鳴きながら辺りをうろうろしていたため、かなりパッチリなくらいにこの声で起こされました。
 そのままベッドの上にいてもダニに噛まれるだけなので身を起こし、窓に寄って外を眺めてみたら件の盛りの猫が「アオーーン、アオーン」といってやっぱりうろついており、その様子を一階下の部屋で飼われている子猫がベランダから眺めてみていたのがやけにシュールでした。

 その一階下の子猫には折に触れて餌をあげているのですが、その甲斐あって私の顔を見ると「ニャーー、ニャー」と鳴いてくるようになっており、今朝も窓から顔を出した私の顔を見て餌をねだってきました。あんまり餌あげたりしていると飼い主にも失礼なのでいつも少ししかあげませんが、あらかじめおやつ用の餌を買っていたので、台所から持ってきて一つまみを握ると砂かけババアの如く一階下のベランダというか庭に投げ込み、そのまま姿を見られないようさっと隠れました。窓辺を除くと「ニャーニャー」言いながら食べる様子の子猫が伺えました。

 その後、朝食取ったりして少し時間が経過してからまた窓辺に立ってみたら、一階下のベランダの柱付近に猫の影が。まだ日も登り切ってないのでやや暗かったのですがいつも見る子猫も成長したのか随分と毛色が黒くなってきた……と思いきや、サイズがなんかおかしい。そしたら向こうの方からこっち振りむいてきましたが、下で飼われてるのとは別の成猫でした。しかもかなりでかい、っていうかそこお前の家じゃないだろうと思いつつ、そのあと出勤しました。

2017年8月21日月曜日

その声は毎日聞いて

 先日、プレイステーションネットワーク内で夏休みセールしてたので、コーエーテクモの「影牢~もう一人のプリンセス」というゲームを購入しました。
 なお余談ですが、中国からネット経由でゲームソフトを購入、ダウンロードについて最近気が付いたこととして、そのソフトやデータを配信するメーカーによってダウンロードできるかどうかが変わってきます。例えば先ほどのコーエーテクモなら恐らくこちらにサーバーを置いているのかスムーズにダウンロードでき、ゲームのアップデートも滞りなく行えるのですが、バンダイナムコは接続すらできず、「ガンダムブレイカー3」を起動するたびに「アップデートがあります→接続できませんでした」と表示されなめとんのかこのアホみたいな気持ちにさせられます。

 話は戻りますが私は「影牢」とその系統のゲームはプレステ2以外の「影牢」以外は全部やってて、そこそここのゲームは熟知している方だと思います。つい最近までこのゲームはアクションかと考えていましたが、今回改めて考えてみたところパズルゲームだなーと思えてきました。というのもこのゲーム、罠を作ってハメて殺すゲームだからです
 最初こそにじり寄る敵キャラに右往左往して一つの罠を当てるのにも四苦八苦しますが、慣れてくると如何にうまく複数の罠を順番にかけて効率的に殺すかという方向に発展していき、終いにはどうやって無限コンボかけて死ぬことも許さないまま延々といたぶるか、通称「ヒトコロスイッチ」を考え始めるようになります。ちなみに自分が一番これでよくやったのは第2作目の「蒼魔灯」で、ハンマーでアイアンメイデンに放り込み、針で刺されてから押し出されたところを今度は爆弾使ってもう一回放り込み、また出てきたら最初のハンマーで以下エンドレスでした。

 そんなワナゲー談義は置いといて今回の「ダークプリンセス」やってて気が付いたのですが、主人公の声優が斉藤佑圭氏だったりします。別に贔屓にしている声優でもなく、正直な感想を言えば決して演技も際立って上手くはない(下手ではない)人だと思っているのですが、何故かこの人、コーエーテクモのゲームに必ずといっていいほど出てきます。でもって偶然ですが昨年から現在にかけてコーエーテクモのゲームで遊ぶことが私には多く、具体的には、

<斉藤氏の出演作と配役>
・戦国無双4:井伊直虎
・討鬼伝 極:木綿
・影牢~もう一人のプリンセス:レグリア

 以上のゲームで準主役級の役回りで出ることが多く、実質的にほぼ毎日この人の声を自分は聞いているということに気が付きました。だから何だと言えばそこまでですが、そもそもなんで自分の買うゲームに毎回この人出てくるんだということが不思議で奇妙です。
 ちなみに同じくコーエーテクモのゲームでよく出てきて、尚且つ上記の三作にもばっちり出ている前田愛氏という声優もいますが、私はこの人のことを20年前の「ラングリッサー4、5」の頃から名前を憶えていて、現在の出世した姿を見るとかなり胸が熱くなります。前田氏についてはその演技も評価しており陰ながら応援しているというか……冷静に考えたら、この人の声もほぼ毎日聞いてますね私

 別に毎日声聞いてるからなんだってんだで、意識することも変わることも何もありゃしませんが、昨今の声優ブームで雨後の竹の子の如く新人が次々と出てくる中、同じ人の声を聴き続けるというのもまた珍しいのかなと思います。
 それにしても最近は、特に男性声優でそうですが「笑ゥせぇるすまん」をやっていた故大平透のような個性のある声を出す人が減り、型通りの演技しかしない人が増えているのはやや残念です。アニメなんだから多少大げさで特徴的な演技を求めたいところですが、多分そういう人は今だと人気でないでしょう。最後に真面目な話で締めると、今の日本は個性があればあるだけ損しやすい社会だと声優界見てても思います。

2017年8月20日日曜日

また追跡型のスタンドかよ……

 昨夜、集英社のコミックのKindle配信開始を受けて一挙に3冊購入しました。買ったのは「ジョジョの奇妙な冒険」第8部こと「ジョジョリオン」と、「怨み屋本舗」、「かぐや様は告らせたい」の各最新刊です。このうち一番楽しめたのは「かぐや様」で、読み終えるとそのまままた最初から読み返すほど面白かったです。「怨み屋本舗」は現在の「Evil Heart」シリーズの最終巻であるため購入しましたが、ドッキリするような大展開はなかったもののまぁ面白く、可もなく不可もなくといった感じでした。
 一方、「ジョジョリオン」の15巻については正直言ってげんなり残念ガッカリ失望させられました。初めて使う表現だけど、元ネタわかる人はいるかな?

 具体的に何が不満だったのかというと、見出しに掲げた通りに「また追跡型のスタンドかよ……」と思ったことに尽きます。この最新刊でまた新手のスタンド使いが出てきますが、そのスタンド能力というのが追跡型なのですが、私の印象で述べるとこの第8部に出てくるスタンドは追跡型が異常に多い気がします。
 ジョジョが分からない人向けに少し解説しますが、この漫画でキャラクターが戦闘に使う能力(=スタンド)はいくらか大別されており、代表格としては「近接戦闘型」、「サポート型」、「特殊能力型」みたいなのがあり、「(自動)追跡型」はこれまでにも何度か出てきていて数あるスタンドの中でもやや特殊な特徴を持ちます。具体的にその特徴を挙げると、

・射程距離が無限
・スタンドへの攻撃が本体に伝わらない
・自動で永遠と攻撃し続ける

 と、いったところです。ぶっちゃけて言えばかなり強い部類に入り、使い方によっては一方的にハメ倒すことができるためか味方キャラにはほぼ使い手はおらず、敵役にしか使われません(でもって必ず攻略される)。
 そんな追跡型のスタンドですが、私が把握する限り第8部だけでもうこんなにも登場しています、

・虹村京(ボーン・ディス・ウェイ)
・大年寺山愛唱(ドゥービー・ワゥ!)
・15巻に出てくる新手のスタンド使い

 このほかにも、こちらは射程距離は限られているものの八木山夜露(アイ・アム・ア・ロック)の能力も追跡型に近いような気が私にはします。

 はっきり言えば、能力や攻撃方法がどれも似通っていて、展開がワンパターンです。大体どれも「知らないうちに敵から攻撃を受けて、自動追跡してくるスタンド能力から逃げつつ、本体の居場所を探し、探し出した本体へ一発食らわせてハイ終了」という展開に終わります。
 これまでも追跡型のスタンドは何度か出てきてはいるものの、これほどまでに頻繁に連続して出てくることはなかったと思います。それが今回の第8部では短い間隔で、それも同じキャラクターに対して同じような攻撃をしてくるので、この最新刊に至ってはデジャビュがひどくなんでまた同じ展開を見せられるのかと不満しか湧いてきませんでした。しかもそこそこ引っ張って、この巻で決着つかないし。

 逆に、と言っては何ですが、このひとつ前に出てきた田最環(ダモさん)という敵キャラはその特徴的な容姿といい、脅迫する際の言葉遣いといい、反則なまでに強力な能力からかなり衝撃を受け、読んでて感銘というか登場中は素直に面白かったです。その後なだけに、今度の新手のスタンド使いにはがっかり感がはげしく、「こんなの出すならダモさん復活させろよ!」とマジで思いました。あまりこういう不平は言うべきかどうか悩むものの、明らかに追跡型に偏っていると感じたため、今回に限っては敢えてこういう記事を書いてみたわけです。
 ……ダモさんマジ復活しねぇかな。

2017年8月17日木曜日

歴史解説記事の裏側

「応仁の乱」よりも前から鎌倉は戦国時代だった
かつて湘南ビーチは合戦の舞台だった!(どちらもJBpress)

 昨日今日とまたJBpressで自分の書いた歴史記事を配信してもらいました。普段中国ネタの記事ばかり書いているのになんで今回歴史ネタなのかというと、先週の安倍内閣改造の記事をそのニュースとしての鮮度を考慮し、定期ペースから一週間繰り上げて掲載してもらったところ、「来週も行ける?」と聞かれて、「密かに準備していたこれなら出せる」といって出したところ使うことになりました。そんな感じで、実はこの記事は7月くらいから準備していた物でした。
 なんで準備していたのかというと、急病や帰省などで記事が出せなかった時の保険として用意していて、歴史ネタなためもし向こうで使えないと言われたらブログに使おうとも考えていました。

 このブログの読者なら私が歴史ネタの記事を書くのに慣れているのはご存知でしょうが、今回戦国時代初期の関東を何故選んだのかというと、ちょっと理由があります。一つは最近応仁の乱ブームでこの時代にスポットが浴びていること、二つ目としては全く手垢がついておらず日本史におけるエアスポットみたいな時代と場所だったからです。
 戦国時代、それも初期の関東は太田道灌を始め面白い武将が数多く登場して戦乱も多分当時としては全国一なくらい激しくて面白い時代ですが、この時代について知識なり理解がある人は極端に少ないでしょう。何故面白い時代のに少ないのかというと理由はごく単純に理解し辛いからで、この時代を学ぼうと興味持った人を悉く挫折させてしまうことはおろか、ある程度理解している人でさえその複雑さから解説にあぐねるような特徴があり、いわば「登り甲斐はあるけど険しすぎるし、説明し辛い山」みたいなもんでした。そうした背景からざっとみたところ誰もまだきちんと解説できてないように思え、「俺の腕ならなんとかなるだろう」という妙な自信と勝算とともに手を付けたわけです。

 真面目に今回の一連の記事は、自分の「複雑な内容をわかりやすく解説する」という職人技が光った記事だと思います。Yahooの記事コメントでもわかりやすいとしてくれる人が存外多く、そこそこ苦労しただけあっていくらか報われました。

 そもそも何故この時代の関東が複雑で理解が難しいのかというと、まずやたらと登場人物が多いのと、その登場人物の名前がみんなに通っているからです。この時代は「偏諱」といって、有力者の名前から一字をみんなもらうため、例えば足利義満の時代であればみんな「満」の字が入ってたりして紛らわしいです。その上、利害関係というか対立構図も複雑で、前まで一緒に戦っていたもの同士が争い合ったり、遠くの同じ苗字の一族が突然出てきたり、挙句には下剋上も起こってもう何が何だかだんだんわからなくなってきます。
 そうした背景から、今回の記事では何よりもまずわかりやすさを追求し、いろいろと小細工を弄しています。

 具体的にはまず焦点を絞りました。前編では鎌倉府の成り立ちと、足利幕府と鎌倉府の対立のみにスポットを当て、本筋と関係ない話はなるべく排除しています。こうした考えから「上杉禅秀の乱」は当時の関東においてそこそこ争乱の規模が大きい事件ではあるものの、本筋からは外れるし理解を妨げる恐れがあることからバッサリカットしました。この判断は間違いなく正しいでしょう。
 次にやった小細工としては、登場人物を極力抑えたことです。一番この時代でやらしいのは上杉家の人物が何度も、多数出てきて、一体どこの上杉さんか途中で分からなくなってしまうところがあります。そこで前編、後編ともに登場する上杉さんは原則一人に抑え、後編では当初は享徳の乱まで入って解説しようかと思いましたが、そしたら上杉さんを量産せざるを得なくなるため、本筋をあくまで「足利成氏の生い立ちとその立場」に据え、享徳の乱直前でストップをかけました。当初は意識してませんでしたが、成氏についてその存在を強調したので今後においてイメージを植えるのには役立つ気がします。

 それこそ、文字数の制限がなければいくらでも詳しく書ける時代ではありますが、詳しく書けばわかりやすくなるかといったらそうではありません。割とこの辺、歴史マニアが良くやらかすのですが、自分はわかっているからといって詳細に書いてしまうと初心者があまりついてこれず、誰も得しない解説記事になってしまいがちです。かといって短くまとめてしまって内容が薄くなってしまえば元も子もありません。
 突き詰めれば解説記事は「内容の深さ」と「文章の簡潔さ」のバランスをいかにうまく取れるかが重要であり、このバランスをいい方向へ誘導させるのが上記に挙げた「焦点を絞る」という作業だと思います。文章全体で中心線を常に意識して書き、場合によっては余計なものは排除するというのが重要となってくるわけです。その上で、簡潔にとはいっても結果だけを羅列するのではなく、何故その結果に至ったのかという過程をしっかり捉え因果関係を強く明示するのもテクニックでしょう。

 以前にも何度も自慢していますが、こういう複雑で難しい内容を解説するのを私は得意としており、内容が複雑であればあるほど真価を発揮するライターだと考えています。ただ今回の記事について友人は、「とても上海在住の人間が書く内容とは思えない」といってて、ちょっと前にも書いた通り脈絡のなさでも自分はライターとして無駄に高い位置にいる気がします。

2017年8月16日水曜日

ガンダムブレイカーの使用機体

 昨日の記事で散々疲れたしんどいと言いながら、ブログ書いた後はまたゲームして遊んでました。先ほど友人にも、「今日はもうすぐ休むの?」と聞かれましたが、「いや、ブログ書いてゲームする」といったら向こう黙ってしまいました。
 そんな私が今遊んでるのは「ガンダムブレイカー3」ですが、つい昨日に噂には聞いていたあるイベントシーンをようやく拝めました。そのシーンというのもウイルスに感染したロボットがヒロインを煽る場面で、

ロボット「アップルパイにはリンゴが入ってるけど、ペチャパイには何が入ってるの?」
ヒロイン(#;Д;)<何も入ってねーよ!!」(ガチ絶叫)

 見ていてマジ凄い煽り方だなと感心しました。

 そんなガンダムブレイカーですが、このゲームはガンダムに出てくるモビルスーツのパーツを自由に組み合わせて戦うゲームで、私が現在使用している機体の期待名、組み合わせは以下の通りです。

機体名:セカンドV
頭部、胴体、アーム部:Vガンダム
バックパック:V2ガンダム
脚部:V2アサルトガンダム
シールド:ビームシールド
武器:その日の気分によって

 見てわかる通り、V(ビクトリー)ガンダムをベースにして作ってます。知ってる人には早いですが「セカンドV」というのは原作の「Vガンダム」のアニメには出てこず、小説版にしか出てこない機体で、アニメ版では後半の主役機に当たる「V2ガンダム」の役割を果たしています。
 こんな機体名と構成にしたのはそこそこVガンダムが好きなのと、映像には出てこなかった機体を敢えてゲーム上で再現しようと考えたからです。もっとも本来のセカンドVならバックパックにV2ガンダムのいわゆる「光の翼」だけでなくメガビーム砲などもの兵装ついているのですが、ごてごてしたのは嫌いなのでシンプルに「光の翼」だけの外観にしました。
 あと脚部をV2アサルト版にしたのは、推力的に考えたらこの構成だと脚部がもっと強化されていて然るべきだと思ったためです。まぁ戦略的にもこのパーツなら副武装にヴェスバーが使えるようになるので、そうした戦闘でのメリット面も考慮してのことですが。

 なおなんでVガンダムが好きなのかというと、外観的にとにかくシンプルな機体だからです。配色もこれでもかというくらいシンプルで、見方によっては初代ガンダムよりもシンプルかと思えます。それでいてこの機体は劇中でもそうですが、兵器として「強さ」は追い求められず、主要パーツが交換、共用できるなど「効率」が徹底的に追及された機体であり、そうした設計思想が自分の価値観にものすごいハマって気に入るようになったわけです。
 大分昔にも書きましたが、無駄な要素を徹底的にそぎ落としシンプルに機能のみを追求した姿にこそ美は宿ると考えており、割とシンプルなデザインを好む傾向があります。自動車でもダイハツのストーリア(初期型)がデザイン的には一番好きですが、改めて考えるとかなり独特な美的感覚を持っているような気がします。

2017年8月15日火曜日

加計学園系列大学の偏差値

 今日はまだ元気ですが最近くそ忙しくて目が回ってます。っていうか中国で働くようになってから8月にやたらと休みを取る日本人が休み過ぎなように見えてなりません。ブログの更新がこのところ滞っているのは単純に疲れているのと、明日明後日JBpressで配信する記事の準備で忙しかったからですが、真面目に誰か自分と同じような生活をやってみて、自分がどれだけ馬鹿みたいに記事書いて疲労しているかを理解してもらいたいものです。
 ってわけで本題ですが、結論から言えばやっぱ加計学園はまずいなぁというのが私の本音です。

 ここしばらくノンフィクション本を読み漁って手を付けてこなかった文芸春秋を久々に買ったところ今回の加計学園について報じられていて、ネットニュースだけじゃいまいち理解していなかった事実というか構造がようやく理解できました。箇条書きで示すと以下の通りです。

・獣医学部を設置しようとしているのは加計学園系列の岡山理科大
・キャンパスはもちろん特区を設置する愛媛県今治市で、岡山理科大からすればリモートキャンパスとなる
・特区設置を図る今治市、獣医学部設置を図る岡山理科大の二つの思惑

 まず今治市について少し書くと、文芸春秋の記事によれば新しく特区法ができたから当時の記事が何かしら申請しようと考え、最初は造船所があったかあ海事特区みたいなのを案として出したら「ふざけるな!」と返され、ならニーズを考え獣医学部も置ける獣医特区で出そうとしたのがきっかけだそうです。この時2007年で、当時の市長によると報道では獣医特区を出して賛同する学校法人を募集したところ加計学園しか名乗らなかったと言われてますが、実際は募集を出す前に加計学園の方から「うちにやらせてくれ」と自ら売り込んできたそうです。

 そして加計学園理事長の加計孝太郎氏と接触した今治市職員によると、ものすごい酒飲む人で、なんていうか商魂たくましそうな人で金の話ばかりされたそうです。なんとなくですが、この辺読んでてもう一つの学園理事長が浮かんできました。ネットの情報によると安倍総理とは米国留学中に出会った頃からの仲で、まぁマブダチなんでしょう。

 私が今回何故加計学園ではまずいと思ったのかというと、率直に言ってこの学校法人、ひいては加計理事長に対し教育熱心であるとは思えず、完全にビジネスとして大学を経営し、今回の話にも噛んできたと思うからです。というのも加計学園には前科があり、千葉県銚子市に設置された千葉科学大学がやばい大学なんだなということを知ったからです。
 書いててなんか辛くてもうやめたいですが、頑張って最後まで書こう( ^ω^)・・・

千葉科学大学(Wikipedia)

 千葉科学大学は2004年に開校した大学で、運営はみんなお馴染みの学校法人加計学園です。この大学の何が問題なのかというとまず設立段階でキャンパスに使う土地の八割が銚子市から無償で譲渡され、さらに約92.15億円の助成金が加計学園に振り込まれました。当時からこの出費はその効果を疑問視した市民から反発されたこともあり助成金額は一部減額され約77.5億円になりましたが、銚子市が見込んだ経済効果は年間約69億円だったのに対し、実際は年間約23億円にとどまり捕らぬ狸の皮算用となったそうです。
 普通、経済効果って多めに見積もられることが多いのですがそれでも想定の半分以下って当時の銚子市の議員や市長はどれだけ質が低いんだと呆れる以外他ありませんが、それ以上に注目したのはこれです。

千葉科学大偏差値一覧(大学偏差値.biz)

 上記リンク先は千葉科学大学の偏差値一覧で、見てもらえばわかる通り偏差値40のEランクの看護学部を除きすべて堂々のFランクで、偏差値30台が主となっていてどこも定員割れしていると思われます。実際、文部科学省からも千葉科学大については、「大学レベルとは思えない低レベルな講義が展開されている」という調査報告書が出されており、また今年3月に行われた薬剤師国家試験の合格率は国立大が84.38%、私大が70.64%だったのに対し、千葉科学大薬学部は48.62%という驚異の数値を叩き出しています。

岡山理科大学偏差値一覧
倉敷芸術科大学偏差値一覧(どちらも大学偏差値.biz)

 となると気になるのは残りの加計学園系列の大学偏差値です。岡山理科大はさすがに本拠地なだけあって生物地球学部こそ50前後ですが、その下を見るとまた30台のFランクとされる学部がずらりと並んでおり、ぶっちゃけその存在価値を疑います。倉敷芸術科大学に至っては夢のオールFランクで、もはや大学単体というより学校法人まるごと取り潰した方がいいのではとはっきり思いました。言うまでもなくこんな大学にも助成金は毎年振り込まれており、銚子市に至っては何十億円を供出してFランク大学を誘致したのだと思うといろんな思いがこみ上げてきます。

 敢えてこの記事では獣医学部設置認可の手続き問題には触れず加計学園の大学運営だけに焦点を絞って書いていますが、種々のエピソードから察するに加計学園に至っては教育よりもビジネスとして大学を経営しているとしか思えず、且つその経営している大学の現状が上記のように惨憺たる有様であることから、こんなところが新たに獣医学部を設置するという行為について不安しか覚えません。
 そんなんだったらこの際、手続き上の疑惑もあることだしもっと別の、まともな学校法人に今治来てもらって獣医学部設置させた方がいいのではと私は思います。まぁそれだったら、既存の獣医学部がある大学に助成金入れて定員増やさせる方が確実ですが。っていうか底辺ランク大学については統廃合なり、助成金支給停止などをやってもっと教育資本を有効かつ効率的に集中させるべきだと思います日本は。

 あーしんど。ってわけでゲームして寝ます。

2017年8月12日土曜日

源氏方に与した平家武将

 この前の記事に続きというわけではありませんが、源氏でありながら平家武将と一緒に戦った源頼政がいたように、平家でありながら源氏方に与した武将もまたいます。その名も平頼盛といい、「頼朝」の「頼」という字がついているだけに名前からして源氏方っぽい武将です。

平頼盛(Wikipedia)

<清盛の弟>
 平頼盛とは誰かというと、平清盛の年の離れた異母弟です。その年齢差は15歳も離れており、清盛の長男である重盛の方が頼盛より5歳下でほぼ同年代という有様でした。そうした状況もあってか清盛が平家の棟梁として着々と権力を固めていくとその両脇を重盛と頼盛が支えるような立場となり、両者は官位昇進でもほぼ同時期になるなど「平家のナンバー3」としての役割を果たします。
 そんな頼盛が最も活躍したのは平治の乱で、平家物語上の記述ではありますが重盛とともに平家軍の大将として前線で戦い、大いに敵軍を打ち破るなどの活躍が記述されます。こうした記述と後にも軍勢を率いる場面が多く、軍事指揮官として平家内でも一目置かれていたのではないかと思われます。

<清盛からの警戒>
 しかし平治の乱後、重盛を後継者としたい清盛から頼盛は「その地位を脅かすもの」として警戒されたのか、これ以降も順調に官位昇進を果たす重盛に対し頼盛は抑えられ続けました。そうした兄・清盛との隙間風もあってか太宰大仁に任命されると、通常は代理人を現地に送るのが慣例なのにわざわざ頼盛本人が太宰府に赴任するなど距離を置き始めます。
 さらには念願かなって参議に昇進を果たすものの、その一ヶ月後には突然解任された上、軍事指揮権なども取り上げられます。表向きは役目を果たさず後白河法皇の怒りを買ったとされていますが、重盛へのレールを引く清盛の意向が左右したとも言われ、私もこの説を支持します。

 こうして一旦は頼盛を排除しようとした清盛でしたが、やはりその地位と立場、そして実力を買っていたのか、またすぐに頼盛を現場に復帰させ政務を行わせています。この政界復帰には頼盛の妻が昔仕えていた八条院(暲子内親王、鳥羽天皇の娘)との結びつきがうまく作用したとされ、この関係は後々にも頼盛の立場を大いに助けています。

<清盛からの更なる警戒>
 平家の春が謳歌されていたころ、平氏打倒の謀議こと「鹿ケ谷の陰謀」が発覚して関係者一同が処分されるのですが、この謀議に頼盛も加わっていたのではないかと清盛は疑い、政界復帰をさせていながらまたも頼盛へプレッシャーをかけていきます。一時は「頼盛追討の兵が興された」という噂まで出たそうですが、これほどまでに頼盛が疑われていた背景には彼が平氏一門より八条院、ひいては後白河法皇との関係の方が強く、あっち側につくのではないかと警戒されていたためだと言われます。
 そのため、八条院に支援を受けて挙兵したことがほぼ確実視されていた以仁王の挙兵でも、裏切りがないかを証明させるために頼盛は追討軍の大将に指名されています。もっともこちらでは頼盛は淡々と仕事をこなしてかわしてはいましたが。

<まさかの前線置き去り>
 以仁王の挙兵以降、源頼朝を始め各地で反平氏の兵が興る中、清盛が突如病死してその後継には清盛の息子であり、先に病死した重盛の弟にあたる宗盛が継ぎます。大黒柱の清盛の逝去は平家側にとっては大きな打撃となりその後の源氏との戦いでも敗戦が続き、源義仲の軍勢が京都に近づく中、頼盛は京都山科に陣取って京都防衛の最前線を守るよう命令されます。
 しかしこの命令に従って頼盛が山科に陣取るや、なんと宗盛らは平氏の都落ちを決め、六原の邸宅に火を放って続々と京都を離れて行ってしまいました。これに慌てた頼盛は洛中に使者を送って事の子細を宗盛に尋ねるも要領は得られず、結果的には戦場に置き去りにされる仕打ちを受けます。

 この後頼盛は他の平家一門を追って西国へ落ち延びることはせず、むしろ彼らと離れるような形で単独行動をとるようになり洛中にて身を潜めます。この頼盛の行動について当時の日記などからは非難するような声はほとんどなかったようで、むしろ「彼がこうするのも当然」という形で同情視されていたとのことです。
 また京都で隠遁中はまた後白河法皇や八条院から支援があり匿われたとされますが、そうまでして京都に残った判断はその後すぐに生きてきます。

<頼朝からのスカウト>
 源義仲が京都を占領する中、頼盛は密かに頼朝と連絡を取り合い当時の京都の状況について細かく報告していました。特に頼盛からの「京都周辺は不作で兵糧難」という報告が頼朝自身の上洛を中止し、代わりに義経が派遣される判断の上で大きく影響したとされます。
 それほどまでに頻繁に連絡を取り合っただけでなく、なんと頼盛自身が息子ともどもわざわざ鎌倉くんだりまで行ってきて頼朝とも直接対面まで果たしています。頼朝もまた頼盛をこれ以上ないくらいの勢いで激しくもてなしたとされ、源氏と平氏でありながら仲良くやっていたそうです。

 何故頼朝が頼盛を厚遇したのかというと、彼が持つ後白河法皇周辺の人脈とパイプに期待していたとされ、実際にこれ以降の頼盛の活動や頼朝の京都工作において大いに貢献します。それに応える形で頼朝も頼盛の所領を安堵するなど、Win-Winの関係を築いていたと言えるでしょう。

<壇ノ浦後も生き残った平氏>
 その後、1185年に平氏は滅亡しますが、頼盛は生き残り続けました。彼がどのような気持ちで平家の滅亡を眺めたかについては特に記録は見当たりませんが、一方で彼が源氏の側で活動していたことについて非難するような声も見当たらず、私としてもこんな立場ならと同情する気持ちの方が大きいです。
 頼盛自身はその翌年の1186年に自宅で病死していますが、源氏方として平家の滅亡を眺めたという意味でこの人物は面白いと思い、今回紹介することとしました。