2018年2月22日木曜日

下手な文章の特徴

 以前友人が、「こんなオファーメールが来たんだけど」とある事業に関して提携をオファーするメールを見せてくれましたが、一読するなり私は、「この文章を書いた奴は馬鹿だからこの話は受けるな」と言ってのけました。その後、オファー相手に会ってきた友人は、「確かに馬鹿そうだった……」という感想を私にくれました。

 案外というか、自由に文章を書かせてみるとその人の特徴なり判断力、思考力というのは透けて見えます。冗長な表現を多用する人間は結論を出さないタイプだとか、適切な言葉を継げない人は気遣いができない人だとか、敬語の使い方でリテラシー意識の程度が図れたりとかいろいろ見るポイントはあります。ただ細々とそうした点を見るより一読してみて、「何が言いたいのか」が分かるかわからないか、この点だけに注意すれば案外人となりというのは見えてきます。
 そういった、ちょっと相手に疑問を感じるような文章の特徴というのは何なのか、言い換えれば下手な文章の特徴はどこにあるのか、あまりありそうでないポイントだけを、なんか夜になって急にブログ書きたくなったこともあるのでご紹介します。

1、文章を区切らない
 文章を区切らず、延々と「○○が何々で、△△して、××な……」という具合にずっと書き続けるタイプのことを指します。基本的には主語+述語で一文節が構成されるため、1~2文節くらいで「。」を打って区切る必要があり、どんなに長くても3文節を超えてはならないというのが私の考えです。

2、段落分けをしない
 短い文章ならともかくある程度長い文章になる場合は段落を区切って、「ここで内容変わりまーす」ということを示す必要があります。しかしこれを全くせずに改行こそするものの、そのまま延々と描き続けるタイプも読み手には負担が重く、下手な文章の特徴と言えます。
 なおこのブログで使っている段落分けの仕方は私オリジナルの非常に独特なもので、2~3文で一旦改行した後、また2~3文を書いて1段落とさせています。何故こんなことしているのかというとリズム感的に、文字数的にこの形態が一番読みやすく、またこっちも書きやすいからです。

3、接続詞を使わない
 主語+述語の組み合わせが1つだけの文は短文で、「。」が付くまでに主語+述語の組み合わせた2つ以上入る文を複文と言います。複文を構成する上では間に接続詞を入れるのがベターなのですが、この接続詞を入れずに複文を書く、もしくは文章を区切った後に接続詞を入れないのもあまりよくない書き方です。
 実際のところ、文章の上手い下手は接続詞の使い方を見れば大体把握できます。接続詞のレパートリーが多ければ多いほど文章は見栄えが良くなるため、使い慣れていない人は敢えて使い分けるよう心掛けるといいでしょう。

4、主語を省きすぎる
 日本語というのは英語や中国語と比べると主語がはっきりしないという特徴があり、前の文と主語が同じだった場合、次の分では省略される使い方がされています。しかし省略しすぎて意味が分からなくなったり、前の文と主語が異なるにもかかわらずそれを明示せずに省略するとこれまた読み手に負担がかかり、下手な文章と相成るわけです。
 なまじっかそういった主語の省略に自信がないなら、ややくどいと思っても毎回主語を最初に明示する書き方をした方がずっといい文章になります。意外とこの主語を明示するという書き方が疎かになる人が、メールを受けたりしていると多いように感じます。

5、横文字を多用する
 外来語を全く使わないとなるともはや日本語としては成立しないくらい横文字が氾濫しているのが現代日本語ですが、かといって横文字を多用すると一気に文章の質は落ちます。専門用語ならまだしも、もっと浸透している漢字用語を差し置いて横文字を多用すると読んでる方もなんとなく変な感じがしやすいので、無駄に多く使う方も私的にはNGです。

2018年2月21日水曜日

花園祐は中国人か?

 早いもので今年の春節休暇も今日までで明日からはまた出勤の日々に戻ります。今年の春節は何故か曇天、雨天が多く、晴れの日は一日しかなく家にこもってばかりでしたが、これだけ雨の多い春節というのも私にとっては初めてです。
 そんなラスト休日ということもあってブログに力を入れた記事を書けるのも今日に限られると考えたため、前から準備していたネタを放出することにします。

 知ってる人には早いですが、私がJBpressで書いた記事には私への批判としてよくヤフコメなどで、「こいつ絶対中国人だろ!」という批判が枚挙に暇がないほど書かれます。これはごく最近のことではなく2016年末の大江戸温泉の記事を書いた頃から続いており、個人的に興味深かったのはわざわざこのブログを少し閲覧した上で、「いや、日本育ちの中国人かもしれない」などと真面目に言っている輩もいたことです。冗談なら笑ってあげたいところですが、前後の文面からして大真面目に書いているので逆に笑えます。
 第一、外国人でありながらほぼ毎日こんな駄々長いブログを書いている奴がいるかと私は思うし、中国人でありながらこれほど日本語でブログを綴り続ける奴がいたら逆に脅威を感じます。しかしそうしたことはさておき、具体的には「中国を誉める」、「日本を貶める」発言をしたら日本人ではないと決めつけ、考えるだけならまだしもわざわざ文字にして残す人間が一定層いるということに間違いはないでしょう。

 なお書くまでもないでしょうが、少なくとも私の知る限り半島や大陸出身の親類はいません。そもそも中国で暮らしているのも私だけで、代々広告業に就いてきた一族出身でありながら、同じメディア業とはいえ執筆方面を生業にした点で私は一族の中でも異端に属します。

在日認定(Wikipedia)
在日認定(ニコニコ大百科)

 認定先が中国人か韓国人かで異なりますが、プロセスとしては共通しているため敢えて上記二つのリンク先をつけます。一言で在日認定と言っても韓国ネット界による在日認定と、日本ネット界による在日認定と二つありますが、今回私が取り上げているのはもちろん後者です。上のリンク先ではどちらかというとニコニコ大百科の方が後者を中心に取り上げています。

 まず実際に在日認定ならぬ中国人認定を受けている私の感想を申すと、恐らく逆に受け取られるかもしれないし何をどう言っても反論されるでしょうが、正直あまり気にしていません。以前の記事でも書きましたが普通に面と向かって人間扱いどころか精神障碍者だとしつこく罵られた経験もあるし、何より刃物ちらつかせて直接脅されてるわけでもないので反応のしようがないので本音といったところです。そもそも歴とした根拠もなく論理が明らかに破綻した意見であり、私自身としては別事実や反論を構成するきちんとした根拠を突かれる方がハートに来ます。
 それよりも気になることとして、「一体何故彼らは私を中国人だと主張するのか」という点に興味を覚えました。論理的に明らかに破綻した意見で見ようによっては論理能力がなく、自らの至らなさをわざわざ晒すような意見をどうしてまた文字にしてまでネットに残すのか、そこへ至るまでの過程というか動機とは何なのか、やはり社会学出身だからかこうした動機面での行動原理解析の方向に考えが向かいがちです。

 では一体何故、中国人、韓国人をひっくるめて外国人認定を声高に主張しようとするのか。まず真っ先に浮かんだ仮説としては「願望」で、試しにこの点について話してみた友人らもほぼ異口同音にこの言葉を挙げてきました。
 何故願望だと思ったのかというと、なんとなく懇願や祈りに近いというか、「そうであってくれ!」と言っているような主張の仕方でコメントする人間が多いからです。そしてなにより、願望であれば根拠は全く必要ありません、願望なのですから。

 しかし願望であれば一体何故彼らは祈るのかという、こちらへの動機説明がさらに必要となってきます。この動機については私自身も考えあぐねて、単純に自分の意見と異なる人間が自分とは属性面で異なっているはずだという動機(←同期性、内と外の論理)、海外事情への無知や無関心がもたらす動機(←閉鎖性の論理、洞窟のイドラ)などの筋でしばらく考えましたがいまいちしっくりこず、先にこの方面で誰か分析していないかなと調べたところ、割とすとんと落ちてきたのが以下の意見です。

ネトウヨは、卒業することを知らない
湯浅誠×やまもといちろう リベラル対談(前編)(東洋経済)

 こちらの対談記事の2ページ目にあるやまもと氏の発言にこんなものがあります。

「例えば『あなたは何が誇れますか?』と聞かれたとき、職歴が誇れない、学歴が誇れない、家系が誇れない。日本人であることしか誇れない人たちが結構いっぱいいます。本当は、高いところに自分の理想があっても現実の自分はそこにまったく手が届かない。だから、彼らなりの合理的な選択として右翼的な発言をするコミュニティや、ある種の反原発運動のような極端な思想と活動をしているネットのねぐらに居場所を見つけようとします。とりわけ、右翼的な発言をする彼らのアイデンティティは、実は日本人であること以外ない。そうなると民族主義的な発言をしやすくなるということです。」

 これを読んで初めてすとんと納得しました。敢えて補足を付けたすと、「他に反論できる根拠や意見がなく、『優秀な民族』である日本人という国籍の違いでしか相手の上に立てない」という理論、というより願望を源泉として、反感を持つ相手に外国人認定をせざるを得ないというのがああいったコメントが出る動機だと思います。もちろん前提として、「日本人は韓国人や中国人より絶対的に優れた民族である」という差別意識があることは言うまでもありません。
 先にも書いた通り、大江戸温泉の記事ではわざわざこのブログを読んだ上で「日本育ちの中国人に違いない」と書くのは私は非常に不自然に感じました。最初から論理が破綻しているのだからただ中国人認定だけしてればいいのに、わざわざ「日本育ちかも」と書いたのは、恐らくこのブログの存在が論理破綻を増させるため、それに対して何らか少しでもいいから反論をしようとしたもかもしれませんが、先にも書いた通りその必死さは滑稽でしかないでしょう。ですがこうした行動や主張は願望であると考えれば、必死にもなるのでしょう。

 簡単にまとめると要するに、「反感を持つ相手を中国人や韓国人だと信じることで、日本人である自分は相手より上の立場にある」と信じるための行動が、外国人認定の行動の源泉だと私には思います。この結論に至った時に私が最初に感じたのは魯迅の「阿Q正伝」と、こう言っては何ですが、韓国ネット上の過激意見論者に似ているなということでした。多分お互い嫌悪し合っているでしょうが、実体は同族嫌悪でしょう。
 なので先にも書いている通り私としては気になる批判でもなんでもないのですが、私が気にするかどうかなんて二の次と言えるでしょう。というのも外国人認定は相手への批判というよりは、自己を慰めることが主眼の主張だからです。逆を言えば、まともな反論手段を持たないと宣言しているようにも見えます。

 ここだけの話、私がJBpressで書く記事にはほぼ毎回必ず1個か2個の論理の穴を敢えて用意しています。読解力のある人はきちんとその点を把握して人によっては突いてきますが私の実感だと、コメントを残さないだけなのかもしれませんが、あまりきちんとこの点を突く人は見られません。
 私としては自分の意見の賛同者より、より鋭い指摘によって私を追い詰めるような人の方を求めています。そうした人間の厳しい指摘を受けた方が自分としてもより高みへ登れるし、また単純にそうした高い見識の方々と付き合いたいというのも本音です。そういう意味で私を中国人認定する方に対して、「つまらないことをいちいち言わず、もっと誰もがため息をつくような鋭い反論で自分を刺し殺して見せろ」と言いたいです。まぁ単純に、もっと面白いこと言って見せろよということです。

 その上ではっきり言うと、外国人認定するということは自分に他に何もないということを宣言するようなものでしかありません。しょうもない低次元の批判に終始するくらいならもっと上をみた方がいいというのが私個人の考え方です。

2018年2月19日月曜日

忘れていた感情 後編

 昨日の記事で私は平松伸二氏の「そして僕は外道マンになる」を読んでその感想を述べるとともに、自分がある感情を忘れていたことに気が付かされたということを書きました。その忘れていた感情は何なのかですが、はっきり言えば「怒り」です。

 自分でいうのもなんですが、ここ数年の自分は非常に恵まれて過ぎてきます。それ以前のスチール棒で殴られて流血してるのに病院にも連れて行かれないどころか逆に糾弾されるようなブラック企業にいた頃と比べると、非常に安定した職に移れたし、またこのブログがきっかけ(「火付盗賊改方 中山勘解由」を読んだらしい)でJBpressでこうしてコラムを連載出来て、個人コラムとしてはかなり例外的なYahooトップ掲載も果たし、2ちゃんねるにもスレが立つ記事にもなると最近はもう数えていません。
 このほか職場の同僚にも恵まれ、残業代は未だに人生で一度も受け取ったことはなく周囲からは「やや普通な環境になっただけじゃないの?」と言われることもありますが、今までが明らかに普通じゃない環境に身を置いてきただけに、単純にこれまでと比べてあらゆる生活面で楽になってきています。

 しかしそれゆえというべきか、単純に社会に対して怒り覚えることがなくなりました。普段の生活でも怒鳴って声枯らすこともこのところほぼ全くないし、日中の社会問題や不条理に対して「ふざけんなこのカス死ねっ!」ということもほぼなくなりました。最近の過激発言といえば、「Black Box」を読んだ感想として、「拉致ってケツ掘って『合意の上だった』と言えば済む話ではないか?」と友人に言ったくらいですが、これでもかつての自分と比べると大人しくなったように感じます。

 まどろっこしいいい方せずに言うと、生活の安定ぶりが返って自分の感性を鈍らせているという実感を、「外道マン」を読んではっきり感じました。というのも「外道マン」では少年ジャンプ編集部の理不尽な要求によって作者の平松氏が何度も悔しい思いをさせられ、その悔しさや苦しさを作品に昇華させていたと思わせられる描写が何度もあるからです。ちょうど今連載中の回がまさにその点を突いたところらしく、マシリトに「楽して描いてない?だからつまらないんだよ」と指摘されるところだそうですが、恐らくこの指摘と私の分析は正しいでしょう。

作品に宿る「負のオーラ」

 上の記事は3年前に私が書いた記事ですが、この記事で書いているように鬱屈した負の感情というものほど作品を高める原動力はありません。逆を言えばクリエイター、表現者にとって、逆境以上の好材料はないのです。断言しますが仮にゴッホが生前から評価されて収入も安定していれば、彼自身の人生としては幸福なものになったかもしれませんが、現在ほどの名声を得られるほどの作品を生み出すことはなかったでしょう。
 もちろん、安定した生活を維持しつつ立派な作品も残せれば言うことなしなのですが。

 自分が怒りを覚えなくなった、特に社会問題に対するものを感じなくなったのは単純に血気盛んな年代を過ぎて年齢的に落ち着いたからとも解釈できますが、だったらなおさら対策が必要なのではないかって話になります。現実に日本の様々な政治、経済、社会問題についてはかつてのように、単純にあきらめるようになってきたのもありますが、あれこれ現状分析や対策を行うことがめっきりなくなりました。まぁ政治に関しては明らかに議論がないだけで私が悪いわけではありませんが。

 特に自分がかつての自分との差を感じた点として、このところ自分の記事につくヤフコメの論理の成り立たない批判に対する反応で、現在は「相手にする価値もない」とあまり気にすることがありませんが、かつてであればコメントを書いた人間の情報を調べ上げた上でリストアップし、保存した上で何かしらネタにしようとするくらいの怒り狂っていたことでしょう。やらないとは言いませんが。
 これに限らなくても政治家や著名人の汚職、犯罪者に対してどこか他人事というか、冷めた感情を持つようになりました。心身の健康、あと公共性においては今の方がいいのでしょうが、表現者としてみたら本当にこのままでいいのだろうかと不安を感じます。

 なんとなくオチをまとめ辛いのですが、やはり自分はもっと怒るべき人間だと思います。先の「負のオーラ」の記事にも書いていますが、「ジョジョの奇妙な冒険」(最近はあまりの詰まらなさに読まなくなった)の第7部のセリフにある通り、「飢えなきゃ勝てない」というのは絶対的な真実です。如何に生活が安定しようと、頭のおかしい人間が近くにいないとしても、それで気持ちまで安定させては表現者としては失格であり、もっと自分を追い込む必要があるでしょう。

 そういう目で見ればやや傲岸とも取られるかもしれませんが、やはり現在の執筆活動に関してはまだ十分に評価されていないという実感があります。JBpressの編集からも、「どうしてうち以外からもっと依頼が来ないの?」と聞かれたことがありますが、これだけ毎日ブログ記事を量産できる人間ともなれば、原稿料にも寄りますがもっと声がかかっても私自身おかしくない気がします。なおJBpressは最初に声をかけてきてくれたという恩もあるので、破格的な原稿料でいつも書いています。
 傲岸と言われようとも、現在の自分の環境を分析してまだ平和的にフラストレーションを溜められる箇所となればやはりこの一点ではないかと思うので、意識的にこの点を留意して、もっと飢えるように心がけたいと思います。あとこのブログの記事も、最近自分でも大人しいと感じるきらいがあるため、もっとオフエンシブな感じに持っていくつもりです。

  おまけ
 年齢について先日同僚から、隠しているわけでもないのに、社内で年齢不詳と噂されていると教えられました。この「年齢不詳」というキーワードは前の職場でもよく言われました。
 うどん屋の奥さんからは、「実年齢からしたら見た目が若い」と言われたので、多分見かけに比して口にする内容が古いのが原因じゃないかと分析しています。

忘れていた感情 前編


 上の画像は大分前にネットで話題になった漫画のワンシーンですが、廻し蹴りで何故か放射能値が下がるという破天荒な場面が描かれています。この漫画を描いたのは平松伸二氏という漫画家で、私もつい最近にネットで話題になっていたことから、「そして僕は外道マンになる」という平松氏の自伝漫画を購入して読んでみました。もっとも自伝とは言いつつも、本宮ひろ志氏が学ラン着ながらダンビラ振り回すなど、多方面で大幅な脚色がなされてますが。

 私は平松伸二氏については世代がやや異なっているということもあってその作品をあまり読んだことはなかったのですが、破天荒な設定と頭身の高いリアルな画風の持ち主として名前は知っていました。そのため今回この漫画で平松氏の経歴について初めて知ることが多かったのですが、一言で言えばとんでもない漫画エリートともいえる人物だったようです。
 というのも若干16歳で少年ジャンプに読み切りデビューを果たし、短期間のアシスタント生活を経て19歳で「ドーベルマン刑事」で連載デビュー。しかも新人の初連載作品としては史上初めてアンケート1位を取り、その後も人気上位を維持し続け看板作家として君臨したそうです。

 それ以上に目を見張ったのが、当時の少年ジャンプで毎年行われていた主要作家陣による読み切り作品企画での話です。当時、ジャンプでは漫画家10人に読み切り作品を1作ずつ描かせ、それを読者に人気投票させて競わせるという企画があったそうですが、手塚治虫、赤塚不二夫、本宮ひろ志氏、永井豪氏、池沢さとし氏、そして平松氏の師匠に当たる「アストロ球団」の中島徳博氏らというレジェンド級の面々に対し、20歳にして初参加の平松氏は投票で第2位となる人気を得たそうです。
 これほどまでに若く、且つデビュー時から高い人気を得たという漫画家ともなると、私の中では「キン肉マン」のゆでたまご氏と、こちらはややデビューがもうすこし遅かったですが「進撃の巨人」の諌山創氏くらいしか浮かばず、「漫画エリート」という意味では平松氏は屈指の存在であったということに間違いはないでしょう。

 そんな平松氏の自伝ということからきらびやかな活躍が書かれているかと思ったらさにあらず、この本の中身は実質、八割方怒りと怨念で描かれてあります。
 先ほどの読み切り作品企画では、上位2名の漫画家はヨーロッパ旅行に行けるということになっていたそうですが、平松氏は2位であったにもかかわらず実績がまだ足りていないとの判断から行かせてもらえませんでした。もっとも連載中の漫画で多忙であったことから「行かずに済んだ」ということでホッとした半面、どれだけ苦労しながら全く報われない状況に平松氏も思うところがあったそうです。

 特に平松氏の場合はデビューが異常に早かったせいもあって雇ったアシスタントは全員年上で、待遇面での諍いから途中で辞めてしまう人も出るなど、マネジメント上での苦労話もよく描かれています。何より当時部数が急上昇中の少年ジャンプ編集部からはむちゃくちゃな要求も度々出され、「人気あるけどいまいち物足りない。来週から、毎週10P追加だ!」と、限界ギリギリの作業をしているのに増ページを命じられることもあれば、高い人気を維持しているのに担当編集者から「原作付きで書いているくせに一人前とは認めねぇ!」と言われたりなど、理不尽に振り回される過程も生々しく描かれています。
 そのせいもあって作中で平松氏は度々悔し涙を流すのですが、そこへ至るまでの壮絶な過程が非常に臨場感高く描かれていることもあって、当時に平松氏がどれだけ悔しい思いをしながら漫画を描いていたのかが変に共感でき、平松氏の作品をしっかり読むのはこれが初めてですがやはりすごい漫画家であると深く納得させられました。

 それだけにと言っては何ですが、Amazonの方のレビューにも書きましたが、この「外道マン」はとにもかくにも涙が美しい漫画だと思います。特に連載1年を経て自身初めての単行本を初めて手にした際、声を挙げずに嬉し涙をボロボロと流すシーンは非常に心が打たれました。

 以上が「外道マン」の内容に対する感想ですが、実はこの漫画を読んだ後に自分は強いショックを覚えました。それは何故かというと、自分がここ数年、ある感情を完全に忘れ切っていたということに気が付かされたからです。その感情とは何か、後半へ続く……。


  

2018年2月16日金曜日

自分が聞いたことのある入試ミス

<大阪大>また入試ミス AO入試合格者、サイトで不合格(毎日新聞)

 先日の兄弟の入試ミス騒動以降この手の報道が相次いでいますが、こういった入試ミスは今に始まるわけではなく昔からあったことで、最近になって注目されて報道されるようになっただけでしょう。

 現実に私も以前に予備校でそういう話を聞いたことがあるのですが、なんでも願書を出していながらやる気がなくなったとかそんなで結局入試を受けずにそのままスルーしてしまった受験生が痛そうです。そして後日、入試を受けてもないのに合格通知が届いたとかで、ラッキーとばかりに結局そのままその学校へ進学したそうです。確かこのケースは早稲田大学とのことでした。

 まず間違いなくこのスルーヤーの代わりに誰か一人が不合格となっているはずですが、もちろんニュースになるわけでもなく歴史の闇に埋もれていきました。もっともそんなこと言ったら自分も一応ちゃんと試験は受けたものの、入試判定は常にE判定だったところに合格して進学したので、もしかしたら何らかのミスがあった可能性は否めません。ただ最終的には170単位くらい取って卒業したので、授業についていけるだけの学力は持っていたのだろうとは思いますが。

中国の若者の世代間の違い

 昨日のブログ記事で質問を受けたので、中国の若者の世代間の違いについて今日は書こうと思います。

 まず基礎知識として、日本の「ゆとり」という言葉に相当するように「80後」という言葉があります。意味としては1980年代以降生まれを指し、生まれた時から比較的裕福な環境であったため性格的に軟弱だと2000年代以降、ずっと言われ続けました。しかしそれから年代が経って現在は「90後(1990年代以降生まれ)」、「00後(2000年代以降生まれ)」という言葉も出てきたため、前ほど80後は馬鹿にされなくなってきています。
 なお中国では中学卒業後にすぐ就労につく人間も多いため、00後はもう社会の至るところで見られます。

 今回のターゲットはまさに上記の年代階層ですが、やはり年代が若くなるにつ入れて「甘ったれ」と言われる度合いは高くなる傾向があります。実際に80後の知人が会社で90後の部下を叱ったところ(女同士)、「あいつすぐ泣きだしやがって( ゚д゚)、ペッ」と話し、やはり軟弱だという印象を持ったそうです。
 00後とは私も絡みが少ないため実際はどうなのかわからない点は多いですが、少なくともはっきりと感じる独自な視点を述べると、80後と90後の間では明確な差があります。それは何かというと、起業意識です。

 私と同年代ということもあるかもしれませんが80後の人間は以前、会う度に「なにかいいビジネスはないか?」と聞いてきました。昔出ていた「日本人の知らない日本語」という漫画でも中国人留学生が将来の展望を聞かれ、「起業して社長になりたい」と答え、どんなビジネスを考えていますかと続けて尋ねたところ、「先生はどんなビジネスがいいですか?」と答え呆れさせるシーンがありましたが、まさにこんな感じのやり取りを私もかつて何度も経験しています。
 具体的にどのようなビジネスを考えているわけではなく、「とにかく会社を興したい」というような起業意識が80後にはありました。さすがに昨今はこの世代の年齢層も上がってきて落ち着いてきたのかこうした質問を受ける機会は減っているものの、10年前くらいであれば見ず知らずの他人にすら「何かいいビジネスはないか?」と聞いてくるレベルでした。

 翻って90後ですが、こうした起業意識が80後と比べるとほぼ全くありません。80後の時代に就職先として人気だったのは外資系企業、それも特にITと金融でしたが、90後の時代になると公務員志望が増えだし、「あくせく働くよりのんびりまったり働きたい」と志望理由を述べる若者が増えてきました。最も習近平政権となって公務員の収賄が厳しく取り締まられ始めると、「実入りが悪くなった」と述べ、若干希望者数が減ったそうです。賄賂も収入として計算に入れて就活する辺りは中国らしいのですが。
 もう一つ、やや古いデータですが確か2012年に見た調査で、中国でも特に起業家輩出率が高い浙江省温州市でまさにこう言った起業意識に関する調査を行ったところ、90後の世代以降から「あまり考えていない」と答える割合が急激に高まり始めました。起業に関しては最も最先端な温州市でこれなのだから、全国で同じ統計を取ったらもっとはっきり出るだろうと、当時同僚たちと話したのを覚えています。

 現実に、最近中国の若者と話していても起業について口にする人間はめっきり減りました。むしろいい就職先への志望を語る若者が多く、単純に独立心は低下傾向を歩んでいると肌感覚で感じます。

 こうした変化は何故起きたのか。理由は世代間の違いというよりかは歴史と環境の違いで、80後の成長時代は中国も高度経済成長期の時代であり、起業しても簡単に当てることが出来た時代でした。むしろ起業せず積極的に儲けない方が馬鹿だと思われるかのような空気があり、中国の若者はこぞって起業を目指していたのでしょう。
 逆に90後の時代は高度経済成長の弊害やねじれに直面していたのが青春期に当たり、またライフスタイルの面でも90後以降と以前では大きく違い、日本人から見て「まともな人間の生活」に入ってきたのもちょうどこのころである気がします。こうした環境から一攫千金よりも安定志向の方が強くなり、それが起業意識に如実に表れたのではと私は考えます。

 もう一つ、80後と90後の違いを述べると、英語能力です。90後以降から中国でも受験戦争が段々やばくなり、特に配点の大きな英語科目を集中的に学ぶ子供が増えたことから、できない奴はほんとに英語できませんが、できるというかやばいと思うくらい英語が上手な若者が90後以降から急激に増えてきました。
 一方でこの前どっかのメディアで見ましたが、勉強漬けとなるせいか運動能力方面では低下傾向が続いており、日本の子供と体力測定の結果を比較したところ全方面で中国の子供の方が軟弱だったという報告が出ています。私自身も最近見ていて、中国の若者は背が高くなっている一方で線が細くなってきていると思うところがあり、やはり幾分軟弱そうに見える若者が増えています。

 以上はあくまで上海市に住む私個人の目線の意見のため、中国全土の傾向を反映しているかと言ったら自分でも疑問なため、参考程度と受け取ってください。
 最後にもう一つだけ付け加えると、中国の若者と言っても外資系に務めてくる人間はやっぱり体力も意識も高い人間が多く、何より英語が半端なく上手です。志望段階で違うのかもしれませんが、やはり一般企業と比べるとマナーもよく、優秀な人材だと思います。

 その一方、なんか今年に入ってから下から報告されるレポートの文章の質が極端に落ちてきました。翻訳していて「何が言いてぇんだよこの野郎」と愚痴が出るくらい文法めちゃくちゃな文章が多く、ひどいのになると全く文章を切らず、改行せず、だらだらと長い文章を書き綴って読むものを混乱させるようなレポートすらあり、中国人を含めた関係者一同で、「こいつは何が言いたいんだ」と押し黙ったことがあります。
 そんなレポートを必死こいて解読して翻訳しても案の定、和訳文も意味不明なものとなってしまうのですが、それでも上司などから「まだ中国語よりかは言いたいことはわかる」と言われました。最近そんな文章を翻訳していて、「俺は暗号解読班か?」と自問自答する日が増えてきています。

2018年2月15日木曜日

打たれ弱い現代の若者



 今日はお休みとあって6時間ぶっ通しでプラモ作ってたため、未だに指先の震えが止まりません。っていうかこれ(ハセガワのセリカ・GT-Four)、古い商品だったのかデカールが全く剥がれず、台紙ごと剥がれたりしていつもより時間喰いました。

 話は本題に入りますが、現代の日本の若者の特徴を挙げるとしたら私はその打たれ弱さこそが最も特徴的だと挙げます。私自身も上の世代と比べたら決して打たれ強い方ではないと自覚していますが、それでも同年代の他の人間と比べるとマシな部類に入ってしまいます。そして私より下の世代を見てみると、私の世代に輪をかけて打たれ弱くなっており、「こんな紙装甲で大丈夫なのだろうか……」とみていていちいち心配になってくるほどです。

 先日、就職氷河期世代の戦友とこの件について話したところ、「4歳下の弟を見ていてもそう思うし、花園さんくらいの世代を見ていても確かにそう思う」とすぐ同意してくれました。なおその戦友からは、「打たれ弱いと自分で言ってるけど、毎日怒鳴られたり物投げつけられながら仕事してた辺りはもう少し誇っていいよ」といくらかマシな方だという評価を得ました。

 話は戻りますが単純に「打たれ弱い」というだけなら、年少者は年長者と比べてどの世代においても打たれ弱いのが常で、これ自体はなにもおかしいことではありません。では何がおかしいのかというと、少なくとも現在40歳超の就職氷河期世代以降、打たれ弱さの程度が年を経るにつれて大きくなっている、つまり右肩下がりに打たれ弱さがひどくなっているということです。仮にこの傾向が続くのであれば今後も日本人はどんどん打たれ弱くなっていくということが予想され、何が原因で、いつ歯止めをかけられるのかについてそろそろ考えないとまずいのではないかと思えてきました。

 打たれ弱くなった原因についてはいくらでも考えられますが、最大の要因としては「失敗が許されない社会」こと減点方式の価値観が日本で渦巻いていることではないかとみています。このほか、刑罰が重くなるなど社会的責任も年々高まってきていることも同様です。

 私が下の世代を見ていて特に打たれ弱くなったなぁと思うポイントとして、端的に言えば「殴られても殴り返そうとしない」という個所です。もちろん殴る、殴らないは比喩的表現で実際には叱責や罵声、嫌味ですが、これらを上から投げつけられた際に、「うるせぇ!」の一言もなければ皮肉も返さず、反抗的な目つきを見せることに至ってはほぼあり得ず、ただただ怯えた目つきで「すいませんでした」というだけの若者が多過ぎる気がします。
 これは私個人の考え方ですが、やはり殴り返さんとばかりに反抗的な目つきをする奴は叱り辛く、言い方とかをもっと考えたりしなければならなくなるのですが、やはりこの手のタイプの方が基本的にタフで、苦しい状況でも粘り強く対応できる人間が多い気がします。逆に一番ダメなのは反抗的な態度も取らず、かといって反省する態度も取らず、聞き流すように無関心な反応を示す人間です。

 ただ反省する態度を示してきちんと次に生かしてくれる人間なんかはそれはそれでいいのですが、こういうタイプはやはりプレッシャーに弱く、ある日突然バタンキューすることもあるだけでなく、ここぞというところで逃げてしまう人間も中には含まれています。何も全員が全員、反抗的な態度を示すタイプであればいいというわけではありませんが(それはそれで本気で困る)、やはりもうちょっと、現代の若者においては打たれ強さで信頼のおける、こうした反抗的タイプの割合が多い方が望ましいのではないでしょうか。
 もっともこんなブログで吠えたところで世の中動く訳じゃありませんが、企業の新人採用の人向けにアドバイスをすると、コミュニケーション能力より打たれ強さに着目してこれからは新人を取った方がいいと思います。今後、この方面の能力が非常に重要になってくる気がしてなりません。