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2025年5月12日月曜日

千葉のマッドシティ~もり一(回転寿司店)

 本題と関係ないけど金曜夜に自転車乗ってたら突然前の電動バイクが急に方向転換して、慌ててブレーキを全力で握ったらドロップハンドルなため薬指と小指だけで握る形となり、ありえんくらいの力で握ることとなり「あ、やった」という言葉が頭に浮かびました。
 幸い、30㎝くらい後輪スリップしたけど衝突は免れましたが、案の定というか数時間後から右手の握力がなくなるというか筋肉の痛みがひどく、今はもうだいぶ落ち着いたけど一昨日なんかマジで物握れないくらい筋を痛めていました。頭文字D的に言えば、ブレーキの利きが悪くなった32みたいな感じでした。


 話は本題ですがなんかまた松戸について書こうと考えてネタになるところを必死で思い出したら、ここが浮かんできました。この「もり一」というお店は回転寿司屋なのですが、松戸駅からマジで目と鼻の先というか歩いて数十秒な位置にあり、休日ともなればいつも混んでいてすぐには席に着けないくらいの人気店です。

 この店ですが私が子供のころからずっとあり、自分の記憶でも松戸で映画を見た帰りによく親に連れてこられていた気がします。当時はまだ回転寿司屋が少なく、というより今みたいな回転寿司チェーンなんてほぼ存在せず、寿司を食べるとしたらローカルな回転寿司屋か小僧寿しくらいしか機会がありませんでした。
 なお小僧寿しに関しては疲れているときによく「小僧憎し」と見えることがあり、こう見えたら休まなきゃと思うバロメーターとして使っています。

 具体的にいつからこのもり一があったのかについては残念ながら把握してないですが、私の子供の頃の記憶から逆算するに、少なくとも40年くらいは営業しているのではないかと思います。あまりこの店を取り上げる人は多くないですが、松戸駅前のランドマークと言っていいお店じゃないかと思います。

 そんな松戸史的にも重要文化財なこのお店ですが、残念ながらある時期を境に私はピタリと訪れることがなくなりました。その理由は回転寿司チェーンがほかにもできてより家の近くのお店に通うようになったことが一番大きく、とくにうちの親父がかっぱ寿司が大好きなため、かっぱ寿司が家の近くにできてからはもうほぼここ一択になっています。
 次に、行こうと思っても人気が高すぎていつも入れないため、足が遠のいたってのもあります。そもそも自分の実家は松戸市内じゃなく隣の流山市にあるため、このお店にふらりと立ち寄るような距離でもなく、また松戸にそこまで頻繁に用があってくることもないため、ほかにも回転寿司屋で選択肢ができてきた今となってはなかなか足が運びづらくなったわけです。

 ただ成人してから一度は確実に言っています。具体的には2013年ごろで、この時はマジで髀肉之嘆をかこっていたというか日本社会がまともに自分を受け入れてくれずしょうもない会社で働いており、住居も松戸駅前に構えていました。松戸駅前に住んでて自然と店の前も通ることから子供の頃の記憶が蘇り、ある日混む時間帯の前にこの店に入って食事したのを覚えています。

 その後は松戸を離れたこともあってまた足が遠ざかったのですが、先の訪問からもう一度だけ訪れるチャンスが1回ありました。それは2014年の2月のことで、うちの親父と松戸出身の友人と三人で食事しようという話になり、せっかくだから親父も懐かしむだろうと思ってこのお店に行くこととしたのですが、その日は2月8日であったため、訪問することがかないませんでした。一体この日に何が起きたのかというと、詳細は次の記事にまとめてあります。


 詳細はマジで上の記事読んでもらいたいですが、その日に関東は大雪となり、電車もほとんど動かなくなったため中止となりました。っていうか自分はこの日、勤務先から帰宅する常磐線が途中でストップし、雪降る真夜中に車両からも追い出されて一晩超すというどえらい目にもあっています。っていうかマジでこの時のJRの対応はニュースにならなかったのがおかしいレベルだと思います。

 その後、この時の食事会の計画は再び立ち起こることなくそのまま消え失せてしまい、もり一に行くこともその後全くなくなりました。ただ松戸駅前を通るたびにこの店の前も通り、いつも繁盛しているのを見ると、それだけすごいお店なんだという気がいつもします。ここといい新松戸のレッドロブスターといい、なんか松戸は妙にしぶとい店が多いような。

2025年5月11日日曜日

川崎ストーカー殺人事件の論点

あまりにズサン…川崎ストーカー事件で20歳女性見殺しの神奈川県警を待ち受ける「最悪のシナリオ」(ダイヤモンド)

 素人があんまこういうのに言及するのどうかなと思って特に触れずにいましたが、ちょっとネットの反応とか見て思うところがあるため、先日発覚した川崎ストーカー殺人事件の警察の責任問題について自分の意見を残すこととします。

 事件の詳細については割愛しますが、何故事件が起きたのかに関しては「川崎だから」で若干説明がつくような気がします。同義語として、「足立区だから」、「旭川だから」、「松戸だから」も含まれます。

 冗談はさておきこの事件に関しては被害者が行方不明となりながらも神奈川県警が積極的に捜査せず、遺体発見まで白骨化にも至る数ヶ月もかかったばかりか、犯人の海外逃亡まで許しております。こうした状況から発覚当初は神奈川県警への批判も多かったものの、その後の続報で加害者は被害者にかねてからストーカー行為を繰り返していたものの、両者は何度も復縁するなどして不規則な関係が続いており、神奈川県警は明確な接近禁止措置を採ることができなかったと報じられました。
 この続報を受け一部のネット意見を見ると、確かに面倒なカップルだということで神奈川県警も対策を採れなかったのでは、被害者にも落ち度があるのでは、事件性はないというか対応したくなかったのもわかるなどというものが出て、神奈川県警にそこまで責任があるのかという反論も出始めてきました。

 結論から述べると、この事件は行方不明前後で分けて考えるべきで、その上で遺体発見に遅れた神奈川県警の落ち度は火を見るより明らかだというのが自分の見方です。

 まず遺体発見前、というより被害者が行方不明になる前までの警察の対応に関しては、仮に報じられている通り被害者と加害者が復縁を繰り返していたとすれば、事件を未然に防げなかったとはいえ警察が接近阻止措置を断固採れなかったというには一理あり、その責任を一方的に追及できるかといったら議論の余地があります。
 しかし行方不明となって以降に関しては、本人とも直接連絡が取れず、またガラス窓を切ったこれ以上ないくらい明白な侵入の形跡がありながら捜査を徹底せず、遺体発見に数ヶ月も要したというのは理解の使用がありません。一部報道によると、ガラス破片が室内にあったことから自作自演と考えた担当刑事は事件性はないと主張し、「これで事件だったら刑事を辞める」とまで啖呵を切ったそうですが、自らが無能であることを声高に主張しているに過ぎないし、その報告を真に受けた上層部もちょっと頭がおかしいとしか言いようがありません。

 また私の考えとしては、自作自演だとしても本人確認がその後もずっと取れず行方不明が続いている時点で、事態は深刻だと捉えられないというのも一般人としても感覚がやばいとしか思えません。しかもこの間、犯人の親族からも犯人が殺害したかもしれないという証言が寄せられ、前述の通り犯人も海外逃亡していたにもかかわらず数ヶ月にもわたり捜査を放置するなんて日常生活もまともに送れるか疑わしいレベルです。
 少なくとも行方不明から一週間経過した時点ですぐに動いていれば、遺体発見がここまで遅れることはなかったでしょう。

 以上をまとめると、行方不明となるまでの神奈川県警の対応というか責任に関してはまだ議論の余地が感じられるものの、行方不明以降の対応は怠慢以外この上なく、帰国してきたからよかったものの現実に犯人の逃亡というほぼ最悪の結果まで許しており、無能な関係者の処分は間違いなく必要な案件だと私には思えます。
 この事件に関して神奈川県警は内部で検証を行うとすでに発表していますが、私に言わせればそもそも検証が必要かと思うくらいその失態、サボタージュが明白な案件で、検証を行うというその行為自体が理解できないものです。むしろ関係者の処分がすでに発表、実施されていなければおかしいというレベルの失態であり、最低でも行方不明時に現場検証すら行わなかった刑事は二度と刑事事件捜査をやらせてはならないレベルの大失態でしょう。

 ただそれ以上に、上記のように行方不明の発生前後で神奈川県k寧の責任に言及する記事や意見が、少なくとも私が見た限り世に出ていないということもまた結構信じられない事態だったりします。中には前述の通りに事件前の被害者の行動を見て神奈川県警に非はないという輩まで出る始末で、この記事のように前後で論点を分けて考えられない人がまったくいないという事態の方が自分には奇妙に感じてたりします。

2025年5月10日土曜日

映画「攻殻機動隊」を久々に見て

 先週、風呂屋に行ったら鍵番号が「1574」で、中国語で語呂合わせすると「要我去死(俺を死なせてくれ)」と読めるため嫌な気がしました。そしたら昨日行ったら今度は「1414」でこっちは「要死要死(死ね死ね)」と読め、あの風呂屋は自分を殺しにかかってきていると信じて疑いません(´・ω・)

 話は本題ですが週末何か見る映画がないかと近くの映画の上映プログラムを見たら、何故か30年前に公開された「攻殻機動隊」の映画が入っており、特に予定もないし久々に見てみようと予約しました。昨夜の予約時点で座席は自分の分しか埋まってないため自分一人のオンステージかと思いきや、現場に行ったら自分を含め観客は4人くらいいました。

 作品そのものの感想は過去にも色々考察しているので省きますが、今回改めてみた感想として公開から30年も経っていますが古臭さは感じず、かえってCG作画が一般的となった現代において淡い色彩の感じられる動画は新鮮に映りました。

 その動画について、たまたまですが見ていて「ああこれ、エースコンバット3だ」と思いながら見ていました。傑作戦闘機シミュレーターシリーズのエースコンバットにおいて鬼子ともいえるのがこの3なのですが、リリース当時はまだ興味がなく遊んでいなかったことからたまたま先週にネットの解説動画を見ていたのですが、この3で使われているアニメと攻殻機動隊には明確な共通点を覚えました。
 それもそのはずというか、どちらの作品もアニメを制作しているのはプロダクションIGで、製作時期も4年を挟んでいるだけです。具体的な共通点としては、ブラウン管を思わせる横線の入った画面や、コンピューター上のマッピングが淡い緑で表示される、あと中年男性の皺の描き方とかが互いに似通っていると思いました。

 もっとも似通っているのは映像だけでなく、ストーリー面も「人格を持ったAI」と「自分はヒトかAIか」という自己同一性に対する疑念というか不安を煽るテーマ性でも共通しています。ただこれは漫画の攻殻機動隊が先鞭をつけたのは間違いないですが、エースコンバット3に限らず90年代の作品の多くに見られる特徴で、エヴァンゲリオンとか私も大好きな「Serial experiments lain」でも見られます。この頃のオカルトや心理学ブームが背景にありますが、それ以上に冷戦終結と9.11までの狭間という特殊な時代性ゆえに流行したテーマだったんじゃないかと思います。
 面白いのはこの自己同一性のテーマが、00年代に入ると途端に消え失せてしまうという点です。有名作品で唯一近いテーマを取り扱っているのは漫画の「鋼の錬金術師」くらいですが、それ以外となるとマジで90年代の作品のようなテーマを扱う作品は見当たりません。20年代の現代においてはいわんやです。

 このテーマに関してはやはり攻殻機動隊と先ほどのSerial experiments lainが図抜けていたというか、当時しばらくは多くのフォロワーを生んでいたし、現在においてもカルト的人気を維持していると思います。Serial experiments lainのゲームは自分も発売日に買いましたが、ファンが製作する精神的続編の「//Signal.」も発売された買ってみる予定です。

 話を映画に戻すと、出演している声優はどれも蜀の五虎代将クラスのレジェンド声優ばかりですが、一聴して「声が若い(;゚Д゚)」と感じました。同じ声優とはいえ30年前と最近の声ではさすがに張りで違いがあるというか、大塚明夫氏も如何にも威勢のいい声を出しており、年月の経過というものを感じざるを得ませんでした。田中敦子については言わずもがな( ;∀;)
 なお声優に関してはもう一つ、ラストの少女の義体に移ったばかりの素子の声がかつて見たときも今回見たときも「なんか妙に耳に残る声してやがるな( ´ー`)y-~~」と思ってスタッフロールを見たら「坂本真綾」と書かれてあって、「お前おったん(;゚Д゚)」と劇場で声出そうになりました。当時、出演していることを全く知らなかったというか、本格的に売れ出すのはその後だしなぁ。

 最後にどうでもいい点ですが、この映画では街並みは香港をモデルに作られているのですが、表示される中国語の看板を中国の映画館で見ているという点で少し思ったのと、それら看板に対してもはや何の違和感や特殊感を覚えなくなった自分がもはや過去の自分じゃないんだねなどと感じてみていました。

2025年5月8日木曜日

ラファール被撃墜の衝撃(;゚Д゚)

 恐らく全世界の航空ファンが衝撃を受けたと思いますが、先日のインドとパキスタンのカシミール地方で起こった衝突にて、インド側の戦闘機がラファールを含め5機撃墜されたと報じられました。このラファールはフランス製最新機でこのところセールスも好調な機体なのですがそれ以前に、撃墜したパキスタンの戦闘機があのJ-10こと中国製戦闘機だったということもあり、色々と議論が盛り上がっています。

 まずラファールについてですが、ぶっちゃけ自分も大好きな機体で前からプラモ作りたいけどちょうどいい1/72サイズのキットがあまりなく(1/48ならアカデミーが出してるが)、一度1/144で作ったことはあるけどあんまいい思い出じゃありませんでした。
 このラファールはユーロファイターと姉妹機というか途中までフランスもユーロファイターを共同開発したけど抜けてしまい、その後共同開発で得た技術を使ってフランス風に仕上げたのがラファールでした。特徴はフランス純正なのでアップデートが早いのと、空母にも載せられる万能性ですが、一番は米露と無関係な第三国製戦闘機ということで政治的障害を受けずに購入しやすい点から割と世界のあちこちで買われています。

 一方、殲-10ことJ-10ですが、これは中国が独自開発したと勝手に主張している機体です。この機体以前に中国はロシアからミグを買ってライセンス生産してましたが、中露対立から一時調達できなくなって困った矢先、イスラエルが独自開発してたけど最終的に米国からF-16を買うこととなって計画が中止された「ラビ」という戦闘機を、技術者ごと中国が買い取って完成させたのがこのJ-10と言われています。
 中国版Wikipediaこと百度百科では中国が独自に開発したとして中国人の開発者が写真入りで載せられたりしてますが、中国人自身ですら「あれは元はイスラエルの飛行機だよ(´・ω・)」と航空ファンならだれもが認めており、なんかこの点見てるとつくづくエンジニアに対する敬意のない国だなと感じます。

 ただこのJ-10ですが就航は1990年くらいだったと思いますがその後アップデートが続けられており、今回パキスタン軍が使った機体は最新型のC型ことJ-10Cだったといわれています。一度も実戦で使われた経歴がないため実力が見えない点がありましたが、少なくともラファールを落とす能力を今回見せられたということで、恐らく今北京ではみんなで乾杯の音頭を繰り返してるんじゃないかと思います。
 ちなみに形状がほぼ同じのJ-10Bであれば過去に一度プラモを作ったことありますが、自分のミスで何度も墜落事故こと落下させてしまってぼろぼろとなったので捨ててしまいました。トランぺッターのキットだけど、微妙に作りづらいというか精度も甘いからあんま好きじゃないキットでした。とはいえC型も前から作りたいと思っていたので、今度買ってみるのもありかもしれません。

 といいながら、昨日また戦車のM4A3E2ジャンボのキット買っちゃったんだけど。

 最後に蛇足かもしれませんが、イスラエルの戦闘機はラビの開発前はエリア88にも出てくるクフィルという独自開発機が主に使われていました。独自開発というもののそのベースは明らかにフランス製のミラージュ3だと見られており、後継のラビことJ-10もデルタ翼という形状からミラージュの系譜を引き継いでいるという印象があります。
 そう考えると今回のインドとパキスタンの空中戦は、フランスに源流を持つ戦闘機同士の対決だったという風にも見えます。まぁ中国の戦闘機はロシアの影響が今は強いため、管制とかもロシア系なのかもしれませんが。

2025年5月7日水曜日

何故「何故日本からジョブズのような人が出てこない?」と言わなくなったのか

 GW中は「ニーアオートマタ」とか買いましたが一切遊ばず、ひたすら「アストリブラ」を遊んでいました。もうこれ何度もクリアしているけど何度だって楽しい、遊んでない人はマジで人生損している気がします。

 話は本題ですがアップル全盛期だった2010年頃、今回の見出しに掲げた「何故日本からジョブズのような人が出てこない?」ということを書いた内容の記事がやたらめったら出ていました。感覚的にほぼ毎週どこかしらがこの手の記事を出しており、私自身も「何回言うねん」と何度も思いましたが。ほかの人も似たようなものだったらしく以下のようなコメントもまとめられてました。


 この中では「『何故、日本にはスティーブ・ジョブズのような説得力のあるプレゼンのできる経営者がいないのか』って言ってる人は、ジャパネットたかたの高田社長を知らない人なのかな」ってコメントがなんか一番好きです。

 話は戻りますが、かつては馬の耳に念仏唱えるくらい言われた「何故日ジョブズ」はこの2025年現在においては全く見ることがなくなりました。これは何故かといえば一番は単純に当のジョブズが逝去して日が経っていることで間違いなく、何となく彼自身も過去の人になってきたというかかつてのジョブズ信者もだんだん彼のことを忘れてきているような感じがします。
 次に、ジョブズというかアップルもピークを過ぎてしまったというか、iPhone、アイウォッチ以降はこれという新規ヒット商品が出ず、iPhoneのシェアも日本国内ですらじわじわと削られてきており、アップルのブランド力が落ちてきたことも影響しているでしょう。驕る平家とまではいわないですが、それでもかつてと比べるとアップルの威容はかなり落ちてきていると感じます。

 なお当時のこの手の記事はどれもグダグダで、クソどうでもいいことばかり書いてて肝心要の出てこない理由について得心する解釈を書いた記事はついぞ見ることはありませんでした。なので私の方で日本からジョブズのような天才肌の人間が出てこない理由をここで説明すると、単純にあらゆる意思決定が集団合議制でなされ、権限と責任を可能な限り分散させる仕組みになっているからです。
 いかに天才と言えども、個人で行えることには限度があります。世の中で大きな力を振るうには集団を行使しなければなりませんが、日本の社会は特定の人物に権限を集中させることを極度に嫌い、必ず合議制などにするので天才が力を奮おうにも奮えない、奮い辛い環境となっています。

 こう書くと日本は遅れた社会のように見えますが、権限を分散させることで特定人物による権力の濫用や暴走を防ぐ安全な仕組みにもなっており、中国やロシアの現状を見ると決してマイナスばかりではないと私は考えています。もっとも権限とともに責任も分散して、ミスっても誰も責任を問わないというか無能でもそのまま意思決定権者の一人として残り続ける悪弊もあるのと、この前のフジテレビのように経営陣が無能で揃えられるという最悪パターンもあるっちゃありますが。

 話を「何故日ジョブズ」に戻すと、仮にジョブズが過去の人となりつつあるとしても、その他別の人物もこの手の比喩というか日本での天才待望論にっこのところ引用されてません。なにも天才とされる人物はジョブズだけじゃないにもかかわらず、一昔前と比べるとこの手の天才待望論をめっきり見なくなった気がします。
 それは何故かといえば、単純に今の日本はあまり天才を求めていないくらい経済社会が安定しているからだと思います。

 何度もこのブログで書いているように、一昔前と比べると今の日本の状況はかなり改善されているというか上昇気流にうまく乗っているように見えます。トランプ関税の不確実性こそあるものの、あれも日本に限らず他国も影響を受けるため、日本だけが煽りを食らう状況じゃないためそこまで悲観視するものではないでしょう。
 経済指標はどれもプラスというか雇用も賃金も改善しており、産業こそエレキは死にましたが2010年の段階ですでに死んでいたので失うものなんてありません。その一方で観光業が強まっているし、何より人口が減って食わせなければならない人口というか負担も減っており、江戸時代かというくらいの米価の高騰もありますが餓死者が出るほどではありません。

 ちなみに私の感覚では、2010年くらいまでは毎年数回は餓死者発生の報道を見ていた気がします。ここ数年はそれがなくなり、実際は出ているだろうけど前ほど日本人の生活は追い詰められた環境にはないという気がします。

 このように細かい点を突けばいろいろ不満が出てきますが、かつてと比べると日本の状況はあらゆる方面で改善されており、前ほど切迫していないから天才待望論も盛り上がらないんじゃないかと思います。まぁ前述の通り、日本に天才がいても権限を大きく付与して盛り立てる風土がないため、その手の天才は自分で独立起業するでもないと力を発揮できないからいてもあまり意味ないですが。

2025年5月5日月曜日

トランプ政権はネオコンか?

米 アーミテージ元国務副長官 死去 79歳 アジア通で知日派(NHK)

 ちょっと古いニュースですが、上のリンクの通りにアーミテージ元国務副長官の逝去ニュースは私も印象に残りました。なおヤフコメを見ていると「日本を操ってたやつが死んだ」、「ざまぁ」みたいなコメントが多数見受けられましたが、これって逆に言うと米国の意のままに操られていることを自覚している連中が多いという皮肉だという気がしました。米国の日本に対する影響は確かに強いと思いますが、その意向が日本にとってもプラスだから日本政府も従っているわけで、鳩山政権とか覚えていないのかとそのコメントした連中には思いました。

 話を戻すとこのアーミテージは折々というかイラク戦争後に日本のイラク派遣を強く勧めてきた人物で、結果的に日本も派遣することとなりましたが、派遣地で自衛隊は迫撃砲打たれたこともあったけど奇跡的に死傷者は出ず、また現地住民にひどく親しまれ、「どうやっててなづけたんだ?」とマジで米英から問い合わせが来るほどだったそうです。米国追従と言えばそれまでですが、自衛隊が去った後に現地サマワの治安は悪化したとされ、また実際にイラク攻撃に参加していない中立国日本だからこそ治安維持する価値があるという見方から、自分はこのイラク派遣は国際平和に価値ある派遣だったと考えています。自衛隊の活動範囲を広げるという意味でも。

 そういうことからアーミテージに対し嫌悪感は特になく、それどころかその後折々のインタビューを見ても知日派の異名通りに日本に対する見識が深く、だからこそイラク派遣は日本にとってもプラスという信念でやっていたのではと感じていました。それだけに今回の逝去は年も年とはいえやや寂しく感じるとともに、「そういやネオコンって単語聞かなくなったな」

新保守主義(Wikipedia)

 一応リンクを付けましたが簡単に説明すると、ネオコンとは米国における新保守主義と呼ばれる政治思想、経済主義で、日本においてはまさに00年代前半のブッシュ政権時にしつこいくらい使われていました。具体的な特徴としては自由主義を標榜しながら反米国には容赦なく、武力による制圧も辞さないけれど、経済的には米国が有利となる自由主義、特に金融面での規制撤廃を含むグローバリゼーションを強烈に普及させようとするのが当時の特徴でした。
 日本では否定的に使われることが多く、当時の印象で述べればどことなく、ナチスを彷彿とさせるような言い回しでこのネオコンを口にするコメンテーターらが非常に多かったです。特に金融のグローバリゼーションに関しては竹中平蔵氏がまさに米国の尖兵であり、彼の行おうとした改革への批判を込めて今は無きアンチグローバリゼーションという言葉も当時ありました。っていうかこの言葉は死語化が早すぎ。

 そんなネオコンですが、ある年を境にピタリと消えます。それは2008年で、この年にリーマンショックが起きたからです。それまでネオコンが進めていた金融の自由化、規制の撤廃、グローバル化がこの時すべて裏目裏目に出て、過度な金融自由化は逆に危険で、米国自身の首をも締めるという認識が広がるや、ネオコン思想は急激に退潮していき、私の記憶では2009年にオバマ政権が生まれた後は誰も「ネオコン」なんて口にしなくなった気がします。

 ただ口にしなくても、政治思想というか価値観が消えるわけではありません。そこで出てきたのが冒頭の「トランプ政権はネオコンか?」という観点なのですが、結論から言えばネオコンではないものの、その影響を受けているのではと思う節があります。

 前述の通り、ネオコンの最大の特徴は経済、特に金融の自由化(米国が有利となるための)ですが、この点に関してトランプ政権は真逆ともいうべき価値観を持っています。関税引き上げをはじめ重商主義的保護貿易政策を強く打ち出しており、また金融業に対してはエリートに対する嫌悪感を隠そうとせず、FRBへの態度を見ているとただ単に無理解というのもあるでしょうが、特に便宜を図ろうともせず興味がないように見えます。
 一方、米国第一主義というのはむしろブッシュ政権時の旧ネオコン以上に強く、世界における米国の地位を、すでにトップであるにもかかわらず、さらに他を寄せ付けないものにしようという意識が強いです。この辺、根拠はないけど自分が一番でいたいという価値観にも見えます。

 旧ネオコン勢力がどれだけトランプ政権に参画しているのかはさすがにわかりかねますが、何となく、その主張を見ていると根底にあるのはブッシュ政権時のネオコンの思想に近いような気がします。具体的に言えば危機感で、強いテコ入れをしないと米国が1位でいられないというか、強引な手段を厭わないという点でネオコンらしさを覚えます。もっとも、運営手法は雲泥なほど拙いですが。

 しかしこうして今回ネオコンかどうかを考えてみましたが、改めて考えるとトランプ政権の政治思想について言及する記事が少ない気がします。その政治信条、周辺メンバーの思想背景とかもう少し分析があっていい気がするのですが、ハナからあきらめてるのか誰もしようとしません。私自身もあまり乗り気じゃないですが今回述べたように、どことなくネオコンの影響があるのではと思う節があり、20年くらい前のトランプを追ってみるのが、今後の彼の行動を読むうえでも何か一つのヒントになる気がします。

2025年5月3日土曜日

何故その造形に至ったのか?





 例によってまた家でF9Fパンサーのプラモを作っていました。すぐに作り終えるかと思っていたらデカール貼りの要求が結構鬼レベルなキットでした。


 この機体は前からいつも買ってるお店で売ってるのを見て買おうかどうか悩んでいたところ、上のリンク先にある通り歴史人が紹介する記事を出してきたため、乗せられる形で買うこととなりました。ハセガワは歴史人を使い、自分に対しステルスマーケティングを仕掛けてきたのではないかと勝手に疑っています(´・ω・)

 そんなこんだで戦闘機のプラモを作り始めてから来年でちょうど10年目くらいに突入します。それ以前からも戦闘機の構造については若干興味があったというか、以前にも書いたように90年代の日系WRカーのフロントボンネットにあるエアインテークという大きな穴が何故あるのかと気になって調べたところ、自動車以上に航空機のエアインテークの方が重要と説明されているのを見てから興味を持ちました。
 そもそも何故自分がこれほど戦闘機の模型を作っているのかというと、趣味と言えばそれまでですがそれ以上に、何故その造形に至ったのか、どうしてこんな形状をしているのかということを知りたいに尽きます。

 言うまでもなく、戦闘機というのはカッコよさを求めてそれぞれの造形をなしているのではなく、航空力学や装備的に求められた結果としてああいう形となっています。例えばホーネットなんかが特に極端ですが、翼の付け根からノーズの方に少し伸びた翼端ことストレーキについても、旋回速度を高めるという効果がはっきりと証明されているからつけられており、こうした構造の背後にある理由というか説明を見るのがことのほか好きです。こうした原理なり背景なりを知ることと、立体でそうした形を手に取って確かめるという目的で、この10年近く黙々と何十機も模型を作り続けてきました。

 こうした構造に対する好奇心から模型に手を出す人がほかにいるのかという気がしますが、いないとしても私自身としてはほかの人、特に子供なんかにはやっぱりこういう模型を通して利便性を追求した美というものをぜひ感じ取ってらいたいと密かに思います。
 この辺、ガンダムとかでも初期の機体なんかはそうしたものが感じ取れましたが、最近の機体は線が多く見栄えばかり優先され、軍事的必要性が薄れた形状が多くてあまり好きじゃなかったりします。初期のザクなんかはその辺の軍事的ディテールが良く生きた機体だったから人気出たと思うのですが、同じく空力学的に非常に合理的なアッシマーはなんかそれほど人気じゃない気がします。なんでだろう(´・ω・)

 ちなみにこの連休、前にも書きましたが連休直前にコロナ感染したため木曜日は休養に充て、昨日の金曜はまた佘山という山に往復50㎞のサイクリングに行ってきました。見てくれはサイクリングですが、25㎞走って、めちゃ低い山ですが30分で踏破した後は休む間もなくそのまま25㎞走って帰るトライアスロンでした。そのせいで今若干膝痛いです。
 今日はそんなわけで今日はあんま動きたくなくてプラモ作りましたが、明日は連載しているロボステップの記事でも仕事として書こうかなと考えています。結構ネタ尽きてきてきついですが、ロボットの電池事情についてでも書こうかと今検討しています。

2025年5月1日木曜日

米中貿易戦争で勝つのはどっち?

 ようやく今朝になってコロ検査キットが陰性になり、意識的にも復調を感じます。でも今回、ポン酢を苦いと感じるなど以前の観戦時にはなかった味覚障害が明確にあり、今もなんかコーラがやたらまずく感じます。さっき食べた店売りの塩焼きサバはめっちゃうまいと感じたんだけど(´・ω・)

 話は本題ですが目下開催中の米中貿易戦争。どっちが勝つのかと聞かれるまでもなく「米国側に決まってるじゃん」という声が大きいですが、私は逆で、長期的には中国に分があるのではないかと今考えています。理由は単純に、米国が貿易戦争を仕掛けているのは中国だけじゃないからです。

 言うまでもないですが、米国というかトランプ政権が始めたこの関税競争は現時点においても完全なミスと断言できます。仮に中国限定で行うならばその封じ込めとしては価値があったでしょうが、愚かにもほぼ全ての国を対象にしたばかりか、最も脇を固めなければならないカナダ、メキシコの近隣諸国を最初のターゲットにするなど、これで成功する見込みなどありません。案の定、通貨、株価などのトリプル安を引き起こしてビビって本格実施を先送りしましたが、あまり反省する人間ではないので数か月後に程度を抑えてまた実行し、あらゆる指標を下げることになると予想しています。

 それで肝心の中国との貿易戦争ですが、経済規模で言えば米国の方が上なので普通にやれば米国が勝てるはずなのですが、上記の通り米国は戦う必要もない同盟国にすら貿易戦争を仕掛けており、この状況をうまく中国が利用するなら勝ち目もあるのではと考えています。
 具体的には、現在ほぼすべての国と企業がサプライチェーンの再構築を図っていますが、これを米国抜き、敢えて言うなら「Globalization without USA」を旗印にして、「米国だけがいないグローバリゼーション」体制へもっていくことに腐心するなら、逆転の目があるんじゃないかとみています。

 そもそも中国以外の国も、トランプ政権の脅迫的な行為や朝令暮改に振り回されて基本どこもいい感情を持っていません。また仮にこれらの横暴な振る舞いに対策を取ったところ、次の政権でまたひっくり返されたら対策への投資がすべて無に帰すため、現状どこも見送るというか、トランプ政権が早く終わることを祈って耐えるという選択を採っています。言うなれば、米国との貿易を短期的にあきらめるという消極的選択肢です。

 この間、中国が販売網を含めほかの国との貿易網を築くことができれば、文字通り米国を克服することになるのではというのが自分の見方です。もちろん米国も中国抜きの貿易網を作るチャンスがあるし、そもそもそれが当初の狙いですが、現時点ではこの可能性はほぼゼロだと私は考えています。理由はごく単純に上記の通り今米国は世界中からヘイトを買っているのと、トランプ政権が現状と将来に対する認識があまりにも拙く、そのような米国有利の状況を自ら作ることは絶対にできないという確信があるからです。むしろ敵を増やし、自らの状況をどんどん悪化させていくだけでしょう。

 もちろん中国も無駄にエラそうな態度を取って無意味に敵を作る常習国ですが、今回のトランプ政権の動きを受けいくらか謙虚にならざるを得ないというか少し丸くなるのではという気がします。その上で100年に一度かもしれない米国の痛恨のミスに付け込んで、うまく立ち回れるなら、この貿易戦争においてもイニシアチブがあるのではと思ったわけです。
 もっとも中国自身も不景気であるしこっちもトップの政策能力が拙いこともあり、このチャンスをうまくつかめない可能性の方が高いとも考えています。恐らくこの貿易戦争の帰結としては双方ともに大損害を抱えて終わる可能性が最も高いものの、米国は現時点で得るものはなく、中国は立ち回り方によってはそれがあるという見方から冒頭の見解へと至りました。

 それにしても日本は、今後は米国が弱くなった後の世界を考えていかなければならないでしょう。確実に米国はこの2年間でそれ以前と比べ劇的に力を落とすこととなるため、そのような世界での立ち回り方を今から考えるべきかもしれません。

2025年4月30日水曜日

めちゃブルー( ;∀;)

 先日書いたように連休前ながらコロナに感染し、体調は既に大分よくなりましたが今でも歩いてて気を抜くと意識が飛びそうな感覚があります。こんな状況だから物慰みにとばかりにまた趣味のマグカップをタオパオで注文したところ、今日届いたマグカップは自分の頼んだものとは形が少し異なる、同じシリーズの別バージョンのカップでした。

 早速写真送って「これ本当に俺頼んだの?」と売主に問い合わせたら、「交換するから返品して」と返してきました。若干要領得ない会話だったため「俺のミス、あなたのミス?」とさらに尋ねたら、「すいません、倉庫担当の出荷ミスでした」とここで謝られました。
 もし最初の段階ですぐに謝られたなら自分も交換を受け入れた気がしますが、この期に及んでは元々頼んでいた商品に対する関心も薄れ、ただでさえメンタルやられているこの状況で無駄に追い打ちかけてきたことへの反発もあり、「交換しなくていいから返金にさせて」といって、返品返金で処理することにしました。

 内心、間違って送られてきたマグカップをその場で叩き割ってその写真を売手に送り付けた上で、「もうこのゴミ叩き割ったから交換も返金も必要ない」と言おうかとすらしましたが、さすがに物への八つ当たりがひどすぎると思ってすんでのところで我慢しました。何気に今回、タオパオの返品サービスを初めて使いましたがわざわざ配達員が時間指定で集荷にまで来てくれるので、同僚も重宝してましたが確かに便利なサービスです。

 以上のような対応をしておきながらですが、素直に交換を受け入れればよかったのではないかと自分の偏狭さにまたメンタルやられ、そもそもこうなったのも最初に出荷品間違えた業者じゃないかと無駄にまた業者にヘイト向けたりと、メンタルが安定しません。物慰みとばかりに、また新たにマグカップ買う気力も起きないし。
 もっとも、すでにタオパオの中で検索して欲しいのが見つからなかっただけですが。「代打、北川」並みの最後の手段としてノリタケのカップを買う手もありますが。

 にしても悪い時に悪いことは重なるというか。明日はプラモでも作って心を落ち着かせたいと思います。

2025年4月29日火曜日

検索システムがおかしくなっているような?




 なんかたまったポイントでタダでもらえるというからいつも買ってる3G模型という店よりSu-35のタマゴヒコーキのキットを買って作りました。タダなんだから文句はいけないけど、パーツの整合性悪すぎてミサイル積めなかった。

 あとコロナは今日夕方に検査キット使ったら陰性判定になってました。と言ってもまだ体力戻らず歩いてても夢見心地ですが、前ほど背筋が痛まないで済むのでキーボード打つのも楽です。なんていうかコロナは自分にとって筋肉痛が一番きつい気がする。

 さて本題ですがこのところ去年のリーグ王者ながら今年は最下位を徘徊するソフトバンクが何故こうなったのか、甲斐選手一人いなくなっただけでこうも弱くなるのかについて記事書こうと、3連敗中であることを報じるニュース記事のリンクを得ようと検索しました。ところが「ソフトバンク 3連敗」で検索したところ、なんと「開幕三連敗」という1ヶ月前の記事しかヒットせず、今日出来立てほやほやの3連敗を報じる記事は一個もヒットしませんでした。
 ならばとばかりにYahooニュースに配信されている当該ニュースを報じるあるスポーツ紙の見出しをすべてそのまま検索かけたところ、これでもなおも1ヶ月前の開幕三連敗のニュースかソフトバンクのどうでもいい小久保監督のニュースしかヒットせず、「なんやねんお前コラ!」と検索システムに怒りぶつけていました。なおYahoo、Googleともに同じ結果で、ともにニュース検索しても同じでした。

 これに限らずこのところ、検索システムが年々使い勝手が悪くなってきている気がします。例えばこのブログの「陽月秘話」で検索してもトップページこそヒットするものの、個別の記事はまるで意図的にはじかれているかのように何一つヒットしません。かつては私のブログを引用しているほかのブログなどもヒットしたのですが、それらすらなくなっています。
 また自分が読んだ漫画作品についてほかの人はどう思っているのかレビュー記事を検索しても、どうでもいいあらすじだけ紹介して「ここでなら無料で読める」という広告に誘導する明らかな商業的意図を持ったページしかヒットせず、毎回ヒットする度に書いてる奴を刺し殺したくなります。これに限らず、完全に広告目的のサイトほど検索上位に来るため、まじめに情報を得ようとしても「詳細な情報はこちらまで」という案内とともにぼかされるサイトしか出ないため、肝心の情報が得られないことが多いです。

 無論、このような現状なのは検索システムよりもこの手の商業サイトがSEO対策に手慣れていて検索でヒットしやすくしているためだとも考えられますが、それを考慮しても最近の検索システムは年々使い勝手が悪くなってきている気がします。ゲームでも攻略サイトと謳っておきながら「まだ情報はありません」としか書かれていないサイトが何故か上位に来るなど、以前ならありえないことでした。
 言い方悪いですが、なんかGoogleが昔の中国検索サイトの「百度」みたいになってきている気がします。逆に百度は前ほど広告ばかりじゃなくなり、中国国内の情報検索がしやすくなってきています。

 それこそもしこの時代に、多少不便であっても変な商業サイトを上位に挙げず、フラットな目線で検索してくれるシステムがあれば、私はそっちを優先します。恐らくほかにもこういう人はいるんじゃないかと思え、そういう意味ではGoogleの覇権を追い落とすチャンスタイムが来ているような気がします。自分じゃできないので無責任なこと言いますが、私のこのブログが松戸ネタ以外でもちゃんと検索上位に来るようなフラットな検索システムを、なるべく日本人の手できちんと作ってもらいたいものです。

2025年4月27日日曜日

俺、コロナσ(゚∀゚ )オレ

 先週から疲労感がすごく一昨日夜にものすごい悪寒がして昨日は体調を崩し、今日もあんま体調すぐれないのに、GWの連休日数を増やすため中国では今日日曜が何故か出勤日となっているため、自宅勤務をせざるを得ませんでした。まぁ仕事を適度にさぼりながら部屋とか掃除してたけど。

 それでもずっと体調が悪く、ビタミンとか取ったりたくさん寝たり対策してるのに風邪にしてはやけに治りが遅いと思ってコロナ期間中にやたらばらまかれた検査キットをを使ってみたところ、案の定コロナ陽性判定が出ました。これで先週の疲労感も納得がいきました。

 にしても久々にコロナかかりましたが、やっぱり風邪と比べると治りが遅いというか、風邪だと栄養取って寝てると徐々に改善してくる実感がありますがコロナだとそれがなく、しばらくたってから急に症状がましになる印象があります。でもってコロナだとわかるや同僚らに「コロナかかったから明日は出社せず、自宅勤務する」と羞恥しましたが、途中で関係ない人にもコロナかかったと伝えたりして、何となく無駄にアピールしたい気持ちがもたげていました。
 コロナ流行期、愛知県を中心にやたらと「俺、コロナ」と言っては無駄に混乱を作っていた人たちがいましたが、今になって彼らの無駄なアピール意欲が少しわかるようになりました。

2025年4月26日土曜日

日本版ルネサンスと「日本のダンテ」

 日本で「ルネサンス」というと、レオナルド・ダビンチを代表とする芸術家の作品や髭男爵の一発芸ばかり連想されますが、この言葉は実際には幅広い意味を持ち、芸術運動のみならず当時における文学や思想も内包しています。特に思想面においては、それまでの権威や格式に囚われた価値観からこの前ヒットしたアニメの「チ。」でも描かれたように、実証主義的な科学的価値観や合理主義も花開き、のちのフランス革命や産業革命にもつながっていきます。
 そんなルネサンスが始まったのは言うまでもなくイタリア半島ですが、これは教皇権の強いエリアではあったものの、当時のイタリア各都市国家は神聖ローマ帝国やフランスなどの圧迫も受け、思想や価値観で揺れ動いていたということが大きかったように思えます。

 このルネサンスは前述の通り、実証主義、合理的価値観への目覚めともいうべき動きですが、ふとこの前日本ではなぜ起きなかったのか、否、日本でも起きていたけど誰も気づいていないのではという考えがもたげました。結論から述べると私の考えは後者で、日本でもルネサンスのような実証主義が立ち起こっていたものの現代日本ではあまり注目されていないだけではという風に考えています。ではそれはいつ起きたのかというと江戸中期で、いわゆる蘭学ブームこそが日本版ルネサンスだったのではないかと考えています。

 江戸中期、具体的にはマツケンサンバでおなじみの八代徳川吉宗の時代に、それまでの鎖国政策の延長で禁止されていたオランダからの洋書などの輸入が医学をはじめとする実学に限り解禁されました。これをきっかけにオランダ語を通して西欧の進んだ技術を取り込もうとする蘭学ブームが起こり、その代表格はこれまた言うまでもない杉田玄白らによる解体新書でした。
 この解体新書が嚆矢となって蘭学もとい洋学が日本でも一気に広まり、オランダ語の辞典も出版されるなどそれまで長崎に限られていた蘭学の波が日本全国にも広がります。それに伴い実証主義的な価値観も強まり、現実を見据えロシアなどの侵略に危機意識を持つものや、より進んだ技術を取り込もうと開国を主張する者も現れていき、のちの明治維新へとつながっていきます。

 また体制側も、蘭学ブームによってやや軟化していったというか、江戸中期以降はかなり厳しい身分制が残っていた時代ながら、技能や知識を持つ者を採用するなど、合理的な方向へ舵を切っていきます。具体的には最上徳内、間宮林蔵、二宮尊徳などで、彼らは元々は平民でありながらたぐいまれな能力から直接武士に取り立てられて成果を挙げており、合理主義へと江戸時代の世の中が移り変わっていた証人であるように思えます。

 ここまで考えが回った段階で蘭学ブームがやはり日本版ルネサンスともいうべき流行で、巡り巡ってこれが幕藩体制を崩壊させる遠因になったということに確信が付いたのですが、その始まりというか最初の最初のきっかけは何だったのかが次は気になっていきました。
 前述の通り、全国に蘭学ブームを巻き起こした解体新書がそれにあたるといっても過言ではないと思いますが、私はそれ以上に、平賀源内の存在の方が大きかったのではと思うようになりました。一体何故かというと、初期の蘭学ブームにおいてはまさに彼が中心人物だったからです。

 平賀源内は杉田玄白や前野良沢といった当時の主要な蘭学関係者と交友があったのは周知のことですが、そのほかにも日本初の銅版画に成功する司馬江漢も元々彼の弟子でした。そもそも彼自体が長崎への遊学をきっかけに持ち前の好奇心から様々な西洋知識を取り込み、多くの洋書も入手するなど代表的蘭学者であり、時の老中である田沼意次とのパイプもあって、当時の江戸における蘭学サークルの中でも中心人物であったように見えます。

 特に解体新書に関して、その挿絵を描いた秋田藩士の小田野直武は源内の直弟子で、彼の推挙により挿絵を執筆しています。その小田野直武に源内は秋田藩へ鉱山開発指導へ赴いた際に出会っていますが、彼に洋画を教えていたらある日、「俺にも教えろよ(´・ω・)」と秋田藩主の佐竹義敦も自ら弟子入りを志願してきたと言われています。
 この時、佐竹義敦は一介の浪人に過ぎない源内に対し師匠としての礼儀を取り、また配下の一藩士に過ぎない小田野直武とも全く身分差がないかのように、肩を並べて指導を受けてたそうです。この身分なく交流する姿こそ、ルネサンス精神が最も濃い情景であるように私は思います。

 そもそも源内自身が、元々は最下級の高松藩士でしたが自らの研究時間を優先するあまり、その職を辞して浪人となっています。幕末であれば脱藩した人は珍しくないですが江戸中期においては非常に珍しく、如何に源内が当時において古臭い権威主義から脱却していたことをうかがわせるエピソードです。
 もっとも、後藤又兵衛よろしく奉公構(他藩への転職禁止措置)を食らうとは源内も思ってなかったようで、ほかの人にも話していないあたりかなりショックだったようです。

 話を戻すと、初期蘭学グループの中心にあり、尚且ついち早く合理主義に目覚めて身分差を打破するなど周囲の人間にも影響を与えた点から、平賀源内は日本版ルネサンスこと蘭学ブームの旗手とみてもいいのではと私は考えています。その上でよく平賀源内はその万能ぶりから「日本のダビンチ」に例えられることが多いですが、むしろその著作「神曲」にてルネサンスを牽引したダンテの方がより実像に近いように思え、「日本のダンテ」と呼ぶべきじゃないかと思うに至りました。

 割と何度も書いていますが、私はこの源内に対して昔から妙な親近感を覚えて止みません。私自身、比較的なんでもできるけど飽きっぽくて大成しない器用貧乏なところがあり、その点で源内に強いシンパシーを抱いていると思うのですが、今回こうして彼を「日本のダンテ」に例えた際、なにか源内に対する自分の思いに一区切りがついたように感じました。

2025年4月25日金曜日

「イース8」はそこまで評価されるゲームか?

 なんかネットで手放しで褒められていたので、先日日本ファルコムの名作シリーズの8作目である「イース8」を購入してクリアしました。実際遊んでみた感じとしては確かストーリーもよく操作性も楽しく、また探索の楽しみがあって面白いと感じましたが、正直言って手放しで褒められるかと言ったらそこまでではなく、ほかの人の評価を見ていてやや過大評価が多いような気がしました。

 具体的に自分が惜しいと思った点は、ボスキャラです。基本的にどのボスキャラもぽっと出のキャラクターで、クリアした後にどんなボスキャラがいたのかほぼ全く思い出せないほど印象が弱い奴ばっかで、これはRPGとしてかなり致命的な欠陥であるように思えます。

 唯一印象に残ったのはアーケルスというボスキャラで、こいつは主人公が無人島に遭難するきっかけとなった船の沈没を引き起こし、その無人島から脱出するにあたり必ず倒さなくてはならないというストーリー展開もあってキャラが立っていました。しかしそれ以外のボスキャラはラスボスを含め登場時に初めて「お前おったの?」と言いたくなるくらい前情報がなく、出てきても倒した後はそれきりなため、何の記憶にも残りません。マジでラスボスを含め。
 またそのボス戦も難易度ノーマルでの話ですが、基本的にゴリ押しが効いてしまうボスしかおらず、こっちのダメージを気にせず殴り続けるだけで倒せます。さすがにこれだと味気ないから攻撃パターン見切って優雅に倒そうとしたら、どのボスの攻撃もパターンを見ての回避が不能なものが多く、敵の攻撃に合わせてタイミングよくガードや飛び退きをしてフラッシュガードを得るしかないというのもやたら多かったです。そのため相手の動きに合わせて攻撃するよりも、こっちが殴り続けていて相手が攻撃しようとしてきたらガードボタンを押す、なんか単調な作業が多かったです。

 また先ほどストーリーがいいと褒めましたが、それは終盤を除いてです。言ってしまえばこのゲーム、いわゆるセカイ系作品で、たまたま遭難した無人島で地上の全人類の淘汰を行うか否かの儀式が始まってそれに主人公らが巻き込まれるという内容です。
 元々、この手のセカイ系が前から嫌いだし、なんで小さな無人島が全世界の運命左右すんだよというスケール感がおかしい話に何かついてこれませんでした。これならただ単に、儀式をどうにかしないと異常気象で世界がおかしくなるくらいでよかったんじゃないかなという気がします、個人的に。

 キャラクターに関しては全く文句なく、どのキャラもキャラが立ってたしヒロインのダーナも高評価なのはうなづけ、この点はほかの人の評価と完全に一致します。それだけに全体ストーリーはもっとどうにかならなかったのか、なんかもったいない気がしてなりません。
 特に先に触れたラスボスに関しては、マジで何の情報もなく「こいつと戦え」と言われて急に出てきた相手を殴るだけという展開はなんやねんとやっててマジで思いました。もう少し戦闘前に因縁をつけないものか、もしくはその存在を示唆するものとかを断片的に出さないものかと思えてなりません。ビジュアルも、そんな強そうでもなければ恐ろしさのかけらもなかったし、攻撃するタイミング限られるのがめんどくせーなとしか思えませんでした。

 以上のように内容をクサしていますが、全体としての評価は面白いということには間違いありません。自分はSteamで購入して遊びましたがセール時に購入して遊ぶ分にはいいんじゃないかと思います。にしても今回やってて思ったのは、RPGはやっぱりボス戦が重要で、特にラスボス戦が盛り上がらなければ全体評価も一気に下がり、終わり悪けりゃ全部だめになるってことでしょう。

2025年4月24日木曜日

トランプ関税で揺れる中国の現在

 今日はがっつりした歴史記事書こうと帰宅途中もずっと構文練ってましたが、このところ仕事で披露しているのか意識がはっきりせず、さっきも横になって20分くらい仮眠取ったのですぐかけるトランプ関税で揺れる中国の現状について軽く触れます。

 結論から言うと、日常生活レベルではまだ何も大きな変化はありません。関税発動から間もないことから、影響が出るのは早くても来月、現実的には6月くらいなため当然と言えば当然です。
 ただこちらにある日系企業の間でも、今後のサプライチェーンをどうするかや中国の景気そのものへの不安が非常に強いです。対策を立てようにも朝三暮四なトランプ政権の動きから、立てた対策がすぐ使い物にならなくなる可能性も高いため、どこも動きが取れないような状態です。この辺は日本国内でも恐らく同じじゃないかと思いますが。

 唯一中国にとっていいことは、一連の関税問題で中国人の米国に対するヘイトが高まっているのと、不況の原因は米国のせいだという意識そらしが効いて、習近平政権への批判が弱まりつつあることです。多分もっと劇的に景気悪くなっても、中国政府そのものへの批判は下手すりゃ去年よりも小さくなる気がします。

 最後に本題と関係ないけどトランプ大統領が日本は車のボンネットにボーリング球を落とす試験をしているという、マジで痴呆を疑わせる発言をしていましたが、なんかこれに対するいろんな人の返しが効いてて詰まんないなと感じました。自分だったら、

「米国は軍艦の耐久試験に原爆を落とすじゃん。まぁ日本の戦艦はこれに二発耐えたけどね(´・ω・)」

 という感じで、クロスロード作戦を引用します。なんかこの手の政治トピックに対するユーモアが最近低い気がします。

2025年4月22日火曜日

耳にしなくなった「事なかれ主義」

 たまたまかもしれませんが、なんかこの10年くらい「事なかれ主義」という単語をほとんど全く見聞きした覚えがありません。ニュース検索すると使っている記事がヒットするためやはりただ見ていないだけなのでしょうが、それでも20年くらい前と比べるなら使用頻度が落ちている気がします。
 仮にそうだとしたら何故使われなくなってきているのか。推定のまま話を進めると過分にこの事なかれ主義が日本で一般化してきた、即ち誰もが当たり前に持つ感覚、思想となったため、誰も殊更に取り上げなくなったのではないかと考えています。

 そもそも何故こんなことを気にしだしたのかというと、漫画の「風雲児たち」で作者が、「学校でのいじめの最大原因はほかの生徒たちの無関心にある」と書いてあり、なんか妙に懐かしく聞こえたからです。自分の感覚では98年くらいまではこんな感じで「いじめを見て見ぬふり生徒がいじめを助長する」という意見が良く出されていた気がするのですが、この10年くらいはそれがまったくなくなり、どちらかというと教師や学校の指導不足が代わりに挙げられることが増えてきた気がします。でもってこの見て見ぬふりというか事なかれ主義について、誰も問題視しなくなったというのが一番最初にあれ?と感じたところでした。

 実際私も見ていて、今お日本人はあらゆる物事に対し主体性を持たない、下手すりゃ自分のことにすら他人事みたいな態度をとる人が多い気がします。なもんだから目の前で喧嘩とか起きても誰も仲裁する人もいなければ、お年寄りが困っていても助ける人はおらず、実際何度かそういう場面に出くわしましたがマジで誰も動こうとしないことによくドン引きします。

 なんでこうなったのか単純にセクハラとかの意識が広がったり、よく言うAEDを女性に使ったら訴えられたとかの話で警戒する人が増えたってのが間違いなく要因としてありますが、端的に言えば他人との距離感を掴めない、詰めない人が増えたというか多数派になったというのが、今の状況を表すのではないかと思います。単純に他人との衝突を避けようという意識が強くなりすぎて、接触そのものを根本的に断つ、避ける意識が先行し、物事に対してもとにかく係わらないようにするため何事にも事なかれな態度になっているというのが私の見立てです。

 こんなこと書くくらいだからこういう状況はよくないというのが私の意見で、やはりもっと自分もコミュニティの一員だと自覚して、少なくとも身の回りの社会や環境に対してもっとよく使用、貢献しようという意識を持って行動した方が本人にもメリットが多いのではないかと思います。
 そういえば今書いてて思い出したけど、学生時代に賃貸アパートの共用洗濯機を拭いていたら周りからやたら珍しがられてました。

 あんままとまりのないオチですが、先ほどのいじめ対策にもつながると思うだけに、もう少し参画意識というのを子供のうちから日本は育成すべきじゃないかと思います。

2025年4月20日日曜日

バトル漫画の裸率

 このところストレスたまってるのか無駄遣いすることが多く、無駄に排水溝の蓋とか、窓枠補強するねじとかハウスキーピング系の支出が増えています。そんなところへDMMで漫画本のセールが行われていたのでまとめ買いを繰り返しているのですが、前から気になっていた「誤チェスト」でおなじみである山口貴由氏の「衛府の七忍」も一気買いしました。
 その終盤は打ち切りエンドと言われるほ唐突なものでそれがため全体評価も「シグルイ」と比べやや微妙なものとされる本作ですが、途中にある各話は確かに面白く、沖田総司の描き方なんかはなかなか読み応えがありました。ただそれ以上に読んでて気になった点というか、なんかこの漫画、やたらとキャラが上も下も脱ぐというか、全裸で戦うことが多いです。もっとも肌どころか、内臓まで露出することもめっちゃ多いんですけど。

 そんな無駄な裸率の高さが気になった際、ふと考えてみると秋田書店は看板作品の「バキ」シリーズを含め、やたら肌の露出が多い漫画が多い気がしました。秋田書店はお色気漫画も多く、男女を問わずやたらと服を脱ぐ描写が確実に多いのですが、ならほかの出版社はどうなのかともさらに気になりました。

 まずサンデーに代表される小学館では、あんまり肌の露出が多いようなイメージはありません。端自分がサンデー系作品に詳しくないだけかもしれませんが、コナンとかでも脱ぐことがあんまない気がします。
 一方、マガジンに代表される講談社はこちらもお色気系漫画がそこそこあってこれらでは肌の露出はあるものの、逆にバトル系漫画で服を脱ぐイメージがありませんでした。競技上、上半身裸がデフォとなるボクシング漫画の「はじめの一歩」は別ですが、そのほかのマガジンのバトル漫画で服を脱ぐ描写はなんかイメージが出てきませんでした。

 では最後のジャンプに代表される集英社はどうか。こちらは時代によって違うというか、「北斗の拳」全盛期だった頃のジャンプでは脱がなきゃバトルにならないと言わんばかりに、戦闘する度にみんな上半身裸になってどつき合っていました。これは着ているクロスが非常に重要という設定のはずの「聖闘士星矢」でも同様で、一部キャラに至っては言われずとも自ら脱ぐため「露出狂」とまで言われるほどでした。

 しかしそんなジャンプのバトル漫画でも、近年の「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」とかではあんま脱いでいる描写が多くなかった気がします。元々、ジャンプはお色気系漫画の割合が低く、バトル漫画でも最近はあんま脱がないため、肌の露出がむしろ少ない部類に入ってくるのではないかと思えるほどです。
 もっともバトル漫画ではなく料理漫画だけど、「食戟のソーマ」は食事の度に度々脱衣シーンが投入されてましたが。

 以上のような考察を経て、近年はあんまり裸を出さないようになってきているのかなと考え始めたのですが、ここでふと脱ぐバトル漫画と脱がないバトル漫画の違いとして、キャラクターがムキムキかどうかではっきり分かれるという重要なポイントに気が付きました。基本、ムキムキキャラほどすぐ脱ぎ、細身の能力系キャラクターなんかは逆に絶対脱ぎません。これを踏まえてみると、最近のジャンプのバトル漫画のキャラクターはスタイリッシュな細身系が多く、こうした登場キャラの体型の変化が裸率に変化を生んでいるのではというのが私の見方です。

 ではなぜムキムキ系キャラはすぐ脱ぐのか。これは単純に、ムキムキを得意とする作者は基本、筋肉を描く能力に優れており、作者自身も好んで筋肉美を漫画の中で見せようとしているからと考えて間違いない気がします。「バキ」なんか当然で、さっきの「衛府の七忍」の山口貴由氏も筋肉の描写に定評があります。
 なお山口貴由氏に関しては、「シグルイ」に出てくる藤木源之助の隻腕となった後の肉体に関しては、「こういう風に描くんだ」と、あんまこういうのに興味ない私ですら見ていてほれぼれとさせられています。

 話を戻すと最近はジャンプ、というか漫画界全体でも90年代と比べてムキムキキャラや筋肉描くのがうまいというか好きな作家が減っているのではと思え、それがバトル漫画の裸率低下を進めているように思えます。もっともジャンプ系でも、「タフ」の作者の猿渡哲也氏は今も現役でムキムキマッチョの裸ばかり書いてますが。最近弟子にパクリキャラ出された鬼龍に至っては、何故か裸でピアノ弾くシーンもあるし

ムーミン語

 先日、同僚より日本語で書いたメールをチャットGPTで一瞬で英語に変えるのを見せてもらった際、

「じゃあ次はムーミン語にしてみて(´・ω・)」
「ムーミン語?(;゚Д゚)」

 という反応されて、結局ムーミン語にはしてもらえませんでした。

 そもそもムーミンに言語はあるのかという議論もありますが、ムーミンはその創造神であるトーヤ・ベンソンがフィンランド人であることからフィンランド語がムーミン語だといえるだろうと思っていました。しかし先日、ふとしたきっかけから調べてみたところ、トーヤ・ベンソンはスウェーデン系フィンランド人で、日常ではスウェーデン語を使っていたとのことです。なんでも当時のフィンランドではスウェーデン語とフィンランド語の二言語が公用語で、言語間対立も存在していたとのことです。

 そのため自分が読んだブログでは、「ムーミン語はスウェーデン語」だと書かれてあり、上記背景を考えると認めざるを得ません。なんか肩透かしを食らったような感じしました(´・ω・)

2025年4月19日土曜日

トランプは消費税制度を知らないのでは?

 人伝というか同僚から聞いたのですが、なんでもある解説者の動画で「トランプ大統領は消費税という制度を知らないから、日本を含む他国が米国向け輸出製品に特別な優遇を与えていると信じている」と指摘したそうです。結論から言えば、十分ありうると私も思います。

 最初に説明すると、そもそも米国には消費税という制度はありません。米国では州ごとに税制度が異なるため一律の税率を課せないことから、売上税と言って最終的に消費者が商品を購入した際に支払う税金が間接税の主力だそうです。その売上税も、州によってもちろん税率は変わります。
 これに対し我らが消費税ですが、さっと調べたところ1954年にフランスが初めて導入した制度で、その後欧州を中心に広まって日本でも竹下政権時に導入されました。なお導入時の反発が強くて支持率も大きく低下し、「3%の消費税を導入して支持率も3%になったのだから、この際消費税率を挙げたら支持率も上がるかも?」と当時の風刺漫画に描かれてました。

 この消費税ですが基本的に売買取引ごとに発生するもので、部品サプライヤー、製品メーカー、最終消費者がそれぞれ購入行為を行うごとに消費税分を上乗せして納税する必要があります。とはいえメーカーや流通業者は仕入時にかかった経費というか原価分の消費税に関しては控除することができ、例えば100円で仕入れた物を120円で売った場合、20円分だけ消費税を納めることとなります。純粋に付加価値に対して消費税を支払う形で、これは中国版消費税こと増値税制度でも共通しています。

 以上は国内での流れですが、これが輸出となると話は変わってきます。消費税というのは国内での商取引において生じるものであり国外へ販売する輸出製品には原則的に課税義務が生じません。そのため仕入時に課税された分の消費税は逆に国から還付されることとなるのですが、輸出額が大きいトヨタなんか下手すりゃ日本に納めている分よりも多くの税金を還付されているのではと言われるほど、結構な金額が輸出企業には還付されます。

 以上が大雑把な消費税の説明ですが、そもそも最初に導入したフランスも製品輸出で競争力をつけさせる、具体的には国内でかけた税金が輸出製品に乗らないように導入した制度とのことで、実際に還付があるのとないのとでは輸出企業の実力は変わってくるでしょう。とはいえこの消費税、そして輸出税還付は日本を含め多くの国ですでに採用されているため、ある意味条件は同じというか今となっては消費税があるから他国より優位っていう状況はあまりありません。そう、消費税のない米国を除いて……。

 美絵国の売上税の制度が具体的にどうなっているのか詳しく把握していませんが、どうもトランプ政権は消費税というか輸出税還付の部分だけ見て、「ほかの国は輸出製品に対し、国内でかける税金を課さないどころか、国が直接現金を配って価格優遇を行っている」という風に思い込んでいるというのが、最初の動画解説者の指摘です。私もこれは十分ありうると思え、そもそも消費税の仕組みを理解しておらず、還付金の部分だけしか見ないで物言いそうなのがトランプ大統領です。
 実際、一部報道によるとトランプ政権は日本などに消費税の廃止を求めているというのを見ます。日本国民からしたら逆にトランプ大統領を応援したくなるような魅力的な要求でしょうが、上記の通り誤解に基づいた要求であり、また廃止したところで貿易赤字は全く解消しないことから、応ずる理由はないでしょう。

 そもそもこの消費税の制度は国際的にも長く運用され一般化された制度であり、これでとやかく言われるというのは若干癪な思いがします。もっとも前に書いた記事の通り、正論で説明すればするほど反発するのがトランプ大統領なので、「ほかの国にも言ってよ」などといってごまかすのが吉でしょう。

2025年4月16日水曜日

トランプの性格考察

 今週は先週に比べて株価や為替の変動が小さく若干面白みに欠けるのですが、米国でトランプ大統領が就任してから一体どれだけ世の中が混乱する羽目となったのかが思いやられるとともに、第一次トランプ政権のスタッフは本当に優秀だったんだなぁと今更ながら感じ入ります。
 そんなトランプ大統領との交渉が今後始まってくるでしょうが、どのように交渉するかという点で一番重要になってくるのはやはり本人のパーソナリティでしょう。特にトランプ政権はトランプ大統領個人の判断が色濃く反映されるため、彼の性格を理解することが交渉における重要な一歩になるように思え、自分の中でもいくらか分析し、要素をいくつかまとめてみまs多。

1、物事を単純に考えたがる
 一概に悪いわけではなく、複雑すぎる事柄に対して重要な要素に絞って単純に考えるというのは私もよくやります。しかしトランプ大統領に関しては、10個ある要素のうち自分が得意とする要素や好きな要素に絞って考える傾向があるように見えます。それ以前に、複数の要素を同時並行で考える複雑系思考が苦手というか嫌っている節があり、この辺がなんかエリートタイプの人間を嫌う要因なんじゃないかと疑っています。

2、価格そのものにしか見ていない
 上記の単純化した思考につながりますが経済に関しては価格だけしか着目せず、何故その価格が形成されるのかについて背景にあるサプライチェーンや技術といったものは目を向けていない、というかそもそも理解していない節があります。唯一気にするのが税金や補助金ですが、その税制度に対する理解が非常に拙く、別に記事書こうかと思いますが恐らく消費税という制度に無知であるがゆえに関税に頼ろうとしているのではとも考えています。

3、米国に対する過信が強い
 上二つに比べてこちらはあまり指摘されていない気がしますが、実際の米国の実力が100だとすると、トランプ大統領はこれが1000だという風に考えている節があります。要するに米国が実際以上に強い力を持っていると勘違いしており、米国が赤字なのは米国自身の輸出競争力が低いためではなく、ほかの国に過分に恵むような形で赤字を引き受けているからだと考えているのだと思います。そもそも科学技術などに対する理解が乏しいため、米国車が日独と比べ三世代くらい劣るということも分かっておらず、多分50年前と今の車で性能差がないとも思っているかもしれません。

4、一度持った認識をなかなか変えない
 年寄りだから考えを柔軟に変えづらいだけなのかもしれませんが、一度持った偏見はその後もずっと変えないところがあるように思えます。そのためいくら現実が異なると正論で諭しても聞く耳を持たず、むしろ逆に怒り出すようなところもあるため、正論で説得するのはむしろやめた方がいい相手じゃないかとみています。

5、現状認識が甘い
 ロシアとウクライナの戦争に関しては、恐らくマジで1日か2日かで停戦を仲介できると信じていたように見えます。何故そんなことを信じられたのかというとこの戦争の実情を全く理解しておらず、実際に着手しても見えていないためで、その他の経済政策を見ても日々変化する状況を理解する力が低く、だから4番のように一度持った認識を変わらず持ち続けるのだと思います。

 以上を踏まえてトランプ大統領と交渉するなら、4番でも述べた通り正論を言ってその認識を正そうとするのは悪手だと思います。じゃあどうすればいいのかというと「言われたとおりにやりました」と適当なことを言っていれば、現状認識力が低いので実際に実行しなくても勝手に満足してくれるのではないかと考えています。もしくは中身のない対応をやって見せるだけでも、効果があるかもしれません。
 そういう意味では交渉するというより、如何にごまかすかの方が彼への対応手段として正しい気がします。フランス産ではなく米国産のワインを新たに輸入しますと言って従来通りの輸入量を維持するとか、言われた通り関税下げましたと言って、元から存在するミニマムアクセスの関税率を示すなど、こういう不実な対応こそが彼が一番喜ぶ対応だと思います。

 その上で、彼の低い現状認識を利用する上で日本が採るべきなのはGoogleなどの米IT大手への制限に尽きる気がします。米国の貿易赤字縮小にもっとも貢献していると思うがこれらIT大手ですが、仮にAmazonが処理している注文を日系ECサイトが引き受けられれば、日本国内のGDPにすごいプラスになります。その他のITサービスも同様で、米IT大手に制限をかけて日系にうまく誘導できれば日本としてかなりのめっけものです。

 仮に別の政権時代に日本がこういうことしたらマジで米国に睨まれたでしょうが、トランプ政権中ならそういうこともなく、いい感じに彼ら米IT大手を排除できるのではないかと期待しています。こう考えるのはトランプ政権は自分が見る限り一度たりともIT政策や業界について口にしておらず、単純に理解や関心が薄い、それどころか製造業を淘汰する敵とみているためじゃないかと考えています。仮にそうであれば、日本がこれら米IT大手を叩いたらかえってトランプ大統領は拍手喝采で褒めてくれるかもしれません。

 もっとも、日本国内にまともなITサービスベンダーが少ないってのが一番問題なのですが。サーバー事業に関してはさくらサーバーがかなり力をつけているのでこっちに回してもいいように思え、ECに関しては楽天と言いたいところですが心情的にはヨドバシのECを応援したかったりします。
 SNSに関してはFacebookは違法広告問題や個人情報の流出もあるだけに、徹底的に排除した方がいいでしょう。代わりとなるSNSはいくらでもあるし、何ならLineとかが新たなサービスでユーザー引き受ければいいでしょう。

2025年4月14日月曜日

今一番有望な市場はどこ?

ロボットが派遣バイト?中国の人型ロボットの使用用途(ロボステップ)

 あんまアピールしてなかったですが上のロボステップで数ヶ月から寄稿しています。ロボット業界メディアということでそんな造詣が深いわけでもないこの業界の記事を書いてますが、あんま知識なくてもやれるもんだなと感じます。
 上のリンク先はたまたま見た中国語の記事から深堀して、実際に人型ロボットがどのように活用されているのかを追ってみたら、ぶっちゃけコンパニオンとしての用途でしかまだ使われていないことに気が付いてまとめたものです。我ながら着眼点は悪くないというか、日本国内ではこんな記事はまず出てこないでしょう。

 この一連の寄稿でまだアップロードされていない、というか先々週末に書いた記事ではロボットの五感ことセンサー業界について、ロボット業界向け中国サプライヤーを紹介する記事を書いています。その記事を書いている最中、というより各前の段階で、案外、今一番有望なのはこのセンサー市場じゃないのという気がもたげました。
 センサーと一言で言ってもその用途によって千差万別で、技術もかなり多岐にわたります。もっとも一般的な対物センサーで自動ドアとかよく使われる奴ですが、これも赤外線感知か電波、音波感知によって技術は変わってきます。また自動ブレーキに使われるカメラセンサーもめっちゃいろいろ分かれています。

 それでこのセンサーですが、ロボット業界においてはサーボモーターと並ぶ中核部品です。ぶっちゃけロボットの性能を左右するくらい重要で、その甲斐あってロボット向けのセンサーもいろいろ開発されており、特に人型ロボットなんかは慣性センサーが重要だったりするようで、ほかの感知機能と組み合わせたものとかも出ています。
 言うまでもなくロボット市場は現在拡大を続けており、ロボット関連部品ということだけでも市場は有望ですが、センサーに関してはその応用先はロボット業界に限りません。従来の工作機械や自動車向けでも十分市場があり、またドローンなどの軍事用途でも今後ますます発展するでしょうし、IoTの発達に伴って未知の応用分野も開拓される見込みです。

 以上を踏まえると、昔から脇にある産業の方が実は末永く発達するといいますが、ロボット本体よりこっちのセンサーの方が市場としての潜在力を秘めているような気がしました。昔からよくどんな市場が今後有望なのと聞かれるのですが、今現在だったらこのセンサー市場をぐっと推します。

2025年4月13日日曜日

「月曜から夜ふかし」のBPO審議入りについて

日テレ「月曜から夜ふかし」審議入り BPO(時事通信)

 先日、インタビュー相手の発言を意図的に捏造して包装したテレビ番組の「月曜から夜ふかし」が晴れてBPO審議入りしたとのことですが、私にとって不思議なのは、何故現時点でこの番組がまだ打ち切られていないのかという点です。

 この番組は娯楽番組ではあるものの、テレビ局というのは歴とした報道機関です。例えば新聞がインタビュー相手の発言を意図的に捏造して紙面に乗せたらどうなるかと言ったら、中日新聞を除けば発言を捏造した記者または編集者は例外なく懲戒免職となります。この辺の管理に厳しい共同通信であれば、その上長もほぼ間違いなく降格となります。
 ちなみになぜ中日新聞なのかというと、マジでこれやった記者に一切の処分を与えず、そのすぐ後に再び発言捏造を起こして見せる奇跡をかつてやらかしたことがあるからです。

 話を戻すと、事実を捻じ曲げて報じるということは報道機関にとって自殺行為と言っていいものです。前述の通り「月曜から夜ふかし」は娯楽番組であってニュースなどの報道番組とは異なるものの、新聞とかでも娯楽面に捏造記事書いたら担当者はまず飛ぶことを考えると、「娯楽番組だから捏造してもいい」なんてことは報道機関においてはならないでしょう。その点を踏まえると、少なくとも捏造が発覚した時点でこの番組は即打ち切りとするのが当たり前であり、BPOで審議する以前の話じゃないかと私は思います。


 にもかかわらず、すでに日テレはこの番組は打ち切らず、継続する方針を示しています。それどころか、実際に捏造を行った人物も既にはっきりしていながらその人物に対する処分も自分が耳記する範囲では行っていません。最低でもその担当者は免職以外ありえないと思っていただけに、一連の日テレの行動は理解できないのが本音です。
 断言してもいいですが、一度捏造を行った人間はその後は改めることなんてありえません。普通の人間はそもそも捏造なんてせず、捏造をやる人間というのはたとえどれだけ怒られようが現場にいる限りは必ずまた捏造を起こします。


 その日テレですが、テレビ業界ではこのところフジテレビばかりコンプライアンスで叩かれていますが、上のデイリーの記事などを見ると、コンプライアンス的にもっと問題抱えているのは日テレなんじゃないかと思う節があります。詳しくは上の記事を読んでもらいたいのですが、社会問題化しているオンラインカジノのテレビCMについて過去の放送履歴などを尋ねたところ、民放5社の中で日テレのみ何も返事をよこさなかったとのことです。
 何気にフジテレビのみ、オンラインカジノのCMを一切包装していなかったという事実も驚きでした。このコンプラ意識を、もっと生かせていたら……。

 前述の通り、今一番叩かれているテレビ局はフジテレビですが、何かをきっかけに日テレも今後爆発する要素をたくさん持っているのではと正直疑っています。コンプライアンスというのは一朝一夕ではなく積み重ねていくものであり、今回の「月曜から夜ふかし」などの対応を見ていても問題が多いように見えるだけに、日テレの動きに密かに注目しています。

2025年4月12日土曜日

ねぇ木民(´・ω・)

 先日ふと、「そういやムーミンって中国語なんだろ?」というのが頭をもたげました。すぐ検索すればわかるのですが何故かせず、「発音的には『木民(mu・min)』なのかなぁ」などと思いを巡らせてからようやく検索にかけたら、マジでムーミンの中国語は「木民」だったということがわかりました。

 正確には複数の訳語があり、「姆明」という訳語の方が若干メジャーではあるものの、「木民」という訳語で内容を紹介している記事や翻訳物も確かに存在します。言うまでもなく私の一押しは「木民」の方で、なんでかっていうと日本人の自分からしてこれが一番日本語の「ムーミン」の発音に近い気がするからです。でもって主題歌の「ねぇムーミン」って歌詞も、「喂,木民(ウェイ、ムーミン)」とめっちゃリズムよく歌える感じします。

 そもそも「木の民」という表現も、森林の奥深くのムーミン谷に暮らすムーミンを呼ぶに相応しい漢字の組み合わせです。きっとフィンランドの人もある日森の中で出会うのはくまさんではなくムーミンなのでしょう、多分。

 こんな具合で、今一番自分の中で熱い中国語は「木民」だったりします。だから何だと言われたらそれまでですが、心が叫びたがっていたためこうして記事化しました。

2025年4月10日木曜日

社民党がいなくなって本当に良かった(´∀`*)

 もうずっとトランプ関税のニュースでもちきりですが、唯一執行猶予が設けられなかったどころかさらに税率を上乗せされている中国では、まだ日常生活に影響は出ていません。国内の雰囲気も、不況を米国のせいにできることもあってか前より悲壮感が減ってきているというか対抗意識のようなやる気が芽生えてきている気がします。
 この辺、トランプも習近平も互いを利用し合っている点があるといっていいでしょう。

 話は本題ですが上記のようなトランプ関税の影響をあれこれ考えている最中、人件費についてはどうなるのかと考えが及びました。この際に日本の人件費についてかつて、ある大臣が固定費と述べたところ「人件費を固定費というなんてどうかしている」といったのが当時の社民党の議員、っていうか福島瑞穂氏でした。
 人件費なんて固定以外の何物でもないのですがまるで人を物のように扱っているというような主張で批判をしていましたが、さすがにこの意見に同調する人間は当時においてもほかにいませんでした。もし彼ら社民党が現在においても一定の勢力を持っていたとしたら、恐らく去年に国民民主が打ち出した基礎控除引き上げ案について自民党の対応を、「底辺の人を殺すような内容だ」などと、感情的で無意味な批判を繰り返していたように思います。

 10年前、というより平成期における社民党の主張は万事が万事こんな感じで、中身が全くなく感情的で、彼らが何か言えばいうほど議論が進まなくなり、日本の国会議論を妨害するために送り込まれたKGBみたいな存在でした。はっきり言ってしまえば政界においていてはならない人間の集まりで、頭のおかしな議論をさせたら天下一でした。
 そんな社民党も今現在においては全く議席がなくなり、その存在はおろか動静を伝える報道すら今やありません。そのおかげというか先ほどの基礎控除などに関しては国民民主が中身のある議論をしてくれ、社民党がいなくなって日本の野党も少し良くなったのかなと思えるほどです。

 同じ左派と呼ばれる勢力でも、共産党は時たまこれはという特ダネを引っ張ってくるだけにまだ日本の国政に寄与していると思えます。

 そもそもそんな頭のおかしな社民党が何故長年にわたり日本で存在し続けられたのか。結論から言えば護憲を旗印にしていたことが大きかったように思え、私の親戚でもこのワンフレーズポリティクスでずっと社民党を応援してました。自分の世代なんかは改憲派がもはや多い、というか憲法について意見を持っている人が少なく、その人たちの大半が改憲派だと思うのですが、自分より上の世代は護憲意識が強く、その主張を変えなかったことが社民党が永らえていた要因だと思います。

 しかしそんな社民党も、むしろそんな社民党だからこそほかの政治トピックについては議論できず、というより野党根性が強く与党自民党の妨害をすることしか考えていなかったため、民主党ができたあたりからどんどんとフェードアウトしていき、今に至るようになります。政治史としてみるとそもそもこんな無能の集団が長年にわたり存在し続けたこと自体が私には奇跡であるように思え、こうした野党が生まれないようにすることこそ、日本国民の選挙における重要な役割だとすら思えます。
 逆を言えば、安倍政権崩壊から野党も前に比べてよくなっているように思え、こんな感じで日本も議会制民主主義を発達していってほしいという希望があります。

 もっとも維新の会については現時点で私は見放しており、早く解党に至ればいいのにとすら考えています。あそこは綱領が弱いというか大阪都構想であったしまったのと、指導部が絶望的に人を見る目がないのが問題でしょう。

2025年4月8日火曜日

日本は輸送機こそ開発すべき

 本題と関係ないけどプロフィール写真をアルピーヌに変える際、職業欄を「松戸戦士」と変えました。一体どんな職業なのか自分でもわかりませんが、「千葉戦士」、「柏戦士」と比べると「松戸戦士」は重みが一味違う気がします。

 それで本題に入りますが大分前に何かの記事で二次大戦後に米軍のある将官が「この飛行機があったから俺たちは勝てたんだ」と言ったそうです。その時挙げられた飛行機というのはレシプロ戦闘機最強のP51マスタングでもなく、ゼロ戦を殺すためだけに生まれ消えていった恐怖のドラ猫ことF6Fヘルキャットでもなければ、他国を遥かに凌駕する性能を持った爆撃機のB-29やB-24でもなく、機種名は忘れましたが輸送機でした。

 一見すると戦場で華々しい活躍する兵器こそ軍事において重要だと見られがちですが、本当に戦争そのものを左右するのは上記のエピソードにあるように輸送機で、ロジスティクスこそが軍事の要だと思います。もちろん優秀な兵器があるに越したことはないですが、ここの戦場に必要な物資(兵員を含む)の迅速な移動を実現する輸送機やトラックの質こそが、戦場で最も重要な意義を持つと思います。

 過去の例を挙げると、ロジスティクスの優位で最も活躍した将軍となればやはりフランスのナポレオンだと思います。彼はそれこそ赤い彗星の如く、敵軍の約3倍ともいうべき行軍速度で軍隊を動かしまくり、敵の防備の薄いところを見つけるや援軍が来る前に全力で叩くという戦術を得意としました。
 もちろん打って出ることによってナポレオン側の防備も薄くなり、敵もその個所を突いてくるのですが、ナポレオンの場合は速攻で敵の拠点を叩き潰すと、すぐさま自陣に舞い戻り、隙を突いて出てきた敵軍をさらに叩くという、将棋で言えば1ターンに3回行動するような采配というか兵員への無茶ぶりをかましてました。まぁそれで勝てるんだけど。

 日本の例ですと、最も軍事ロジスティクスに長けていたのはほかならぬ織田信長だと思います。京都への上洛成功から近江こと滋賀県を制圧する前の間、自らの軍団を京都、岐阜、伊勢、滋賀の間で激しく移動させ続けています。これらはすべてその時々の戦場において数的優位を保つためであり、実際信長の戦争は「勝てるべく状況を作る」ことに傾注されており、実際の軍隊指揮とか戦術面ではそこまで画期性はなく、また織田家の軍自体がそもそも勇猛だとは当時においても見られていませんでした。
 それでも他の戦国大名を押しのけて覇権を握ったのは、必要な時と場所に必要な兵員を派遣することができたためで、ナポレオン同様に織田家の軍隊は動員や行軍が早く、これによって複数勢力を同時に相手しながらも織田家が一人勝ちで来たといえます。

 以上のように軍事というのは最強のステルス機を持つとか、優秀な兵員を持つ以上に、優れたロジスティクス機能を持つ軍隊というか体制の方が私は強いと思います。それこそ日本においては北海道の有事にすぐさま九州の軍隊が駆け付けられるような体制があれば、相手からしたら攻めづらい国となるでしょう。

 そうした点を踏まえると、今日本は英国とイタリアとともに最新鋭戦闘機の共同開発に取り組んでいますが、ぶっちゃけ戦闘機よりも優秀な輸送機を自前で開発することの方が重要なんじゃないかと最近思います。あまり詳しくないけど日本の自衛隊の輸送機は大半が米軍のおさがりで、先日も石破首相は米軍に退役する輸送機を求めたといわれますが、戦闘機よりも輸送機こそ自分で開発するべきなんじゃないかとこのところ思います。

 また軍事用とに限らず、優秀な輸送機があれば災害用途でも活躍することは確実です。災害が起きるたびに輸送で毎回もめるのだから、この際いっそ日本が自国の特徴にあった自衛隊用の輸送機を作ったらどうなのかという気がしてなりません。水陸両用の輸送機とか、めちゃいい感じする(´・ω・)

2025年4月6日日曜日

トランプ関税で日本が狙うべき市場

 このところ世界を騒がせているトランプ関税ですが、世界一律の10%の追加関税はもう発動され、9日も先日発表された上乗せ関税がまた発動されます。これらの一連の政策について日本の世論を見ていると、「発動後にデメリットに気づき米国は自ら短期内に撤回するに違いないという」という楽観論がやや強いように感じますが、ちょっとこういう考え方は危険じゃないかと思います。
 というのも物事は基本的に悪い方向へ向かうことの方が多く、またトランプ大統領のこれまでの言動からみても、失敗した政策ほど「これから効いてくる」などと強弁して延々と続ける可能性の方が高いからと感じるためです。

 また日本の米国向け輸出への影響ばかり取り上げられますが、もっと気にすべきなのは為替なんじゃないかと密かに見ています。今回の政策で基本的に世界中すべての国で対米貿易量が落ち込むことは間違いなく、この結果としてドルの使用量が落ち込み、ドル安が起こることは確実だと考えています。
 日本としてはこれで円高ドル安となり、米国、というかトランプ大統領の「日本は為替操作している」という批判を避けることができる、少なくとも「ちゃんと努力してるよ(´・ω・)」と言い張る根拠ができるので、これ自体は日本にとって悪くないかなと考えています。インフレもある程度の成果を得ているし、物価高を抑えるうえでもこの動きはむしろ日本にとっていい方向に作用する点が多いでしょう。

 こうした変化に対し、日本の報道を見ているとなんか受け身というか対応や対策ばかり議論されていますが、むしろこのパラダイムを前向きに利用しようという声が聞こえないのが密かに残念だったりします。
 具体的には何かというと、前述の通り今回の政策で世界中で対米貿易というか取引が減ることは間違いなく、これはいいかえれば、米国が他の国に持っている市場を失うことを意味します。この米国が失った分の市場を埋めるように日本が奪取すればプラスこの上なく、今のうちに奪い取れそうな市場や製品を官民揃ってピックアップすべきだとみています。

 敢えてここで私の方から挙げるとするなら、医療機器が一番狙い目じゃないかとみています。何故かというと、現在の米国にとって軍需品を除いて最も競争力のある工業製品だと思うからです。

 あまり日本の報道では見られませんが、現在世界の医療機器、特に先端分野は米国が圧倒的に強くなっています。かつて内視鏡で一世を風靡した日本ですがこのところはその内視鏡でもあまり振るわず、米国企業とかにシェアを取られまくってます。何気にドイツも、医薬品は依然として強いけど医療機器はそこまで強いというわけではなく、米国の後塵を拝しています。

 一体何故米国が医療機器で強いのかというと、金出す金持ちが多いからです。自分の寿命を延ばそうと高額な医療機器でもどんどん金を出すし、研究資金も率先して出します。命は金で買えないとは言うものの、こうした財力は医療機器の開発をもろに左右します。

 元々、この手の医療機器は価格が極端に高いものが多く、対抗関税で上乗せされる支払額はさらに大きくなるでしょう。また対抗関税が出されなくとも、米国への嫌悪感から買い控える動きが広がり、この辺の市場に穴が開くのではとみています。
 日本の医療機器はこのところ米国に負けていますが、決して実力がないというわけではないため、これを機にいろんな国へもっと売り込みをかけるのも一つの手じゃないかと思っています。もちろん医療機器以外にもあるでしょうが、私が思い浮かべるのはまずこれでした。

 なお半導体に関しては、現在もはや米国製品はそこまで強力という印象はありません。実質的にTSMCがいろんな国でインテルの半導体作ってるし、今回の関税でもそこまで半導体に苦労する企業は出てこないのではとも考えています。
 ぶっちゃけ、米国が製造業を守るために本気で潰すべき相手はTSMCだったと私は思います。TSMCがいなければCPUは米国がある程度独占し、守ることができたはずですが、トランプの政策では何故かこの手の半導体の議論はあまり出てきませんでした。支持勢力が自動車や鉄鋼というのもあるでしょうが、単純に他の工業製品、特にハイテク製品について政権があまり認知していないというのが最大の理由じゃないかと考えています。

2025年4月5日土曜日

ジークアクス面白かった(*´ω`)

 次期テレビシリーズガンダムとなる「ジークアクス」のプレリュード兼初期ダイジェスト版となる映画が現在公開されており、中国でも昨日から封切られています。同じくガンダムズ期の中国人の友人に先んじてみようと今日の午後に映画館を予約していましたが、友人は今日の午前に見てきており、先越したことをWeChatで連絡してきました(´;ω;`)ウッ…

 仕方ないので自分はそのままさっき見てきましたが、前情報を何も入れずに行ってみてきましたが、端的に言って非常に面白い作品でした。一番印象深かったのは音響で、どのBGMも外れなく的確に鳴らしており、声優の演技も誰一人として違和感なく耳に聞こえました。
 特に主演の声優は「どっかで聞いたような……」と思いながらエンドロールを見たら「黒沢ともよ」の名前があり、映画館で声出そうになりました。黒沢氏に関しては以前に「AIソムニウムファイル」というゲームで一度拝聴することがあり、有名声優が多数出演しているこのゲームの中で、ひときわ際立った演技のうまさを感じていた声優でした。自分が演技に衝撃を受けた声優を挙げるとしたら、種崎敦美氏とこの黒沢ともよしが間違いなくトップ2です。

 話を戻すと今回のジークアクス、製作はエヴァでおなじみの庵野監督率いるカラーであり、色遣いなどはやはりエヴァなどに近い配色だと感じます。特にニュータイプ現象を示すシーンの色なんかで特に色濃く、それら配色が何か問題あるわけではありませんが、自然色を強く出そうとする深海作品とは対照的に人工的な感じが強くする色だなと個人的に思います。

 作品のストーリーに関しては、前半はジオン軍の最大戦犯ことジーンが偵察に出撃しなかった畏怖シナリオの初代ガンダムで、シャアが主役として映されます。とうとうシャアの声も池田氏ではなく代役が立てられこの人の演技については特に違和感はありませんでしたが、この前半部分はシャアのカウンターパートとなるキャラがおらず、シャアが「5倍のパワーゲインだと?」、「やってみるさ」などと約1時間くらい延々と独り言を言い続けるのがちょっと目につきました。
 作劇上、仕方のないことだとは自分も思うわけですが、ソロモン内部で「ふっふっふ、これでザビ家も……」などと自分の陰謀を延々と一人で言い続けたり、間に入ってきた機体と戦闘しながら「アルティシアか!」とか一人実況するところは若干、「この人躁病なんじゃないの?」という印象を覚えました。まぁ仕方ないけどさ。

 そんなシャアのYoutuberじみた独演劇となる前半を終えて本編となる後編に入ってからは、これまdネオガンダム作品としては珍しい日本風の世界観でモビルスーツが動く映像はなかなか新鮮でした。特に「警察」の文字入りのザクは、中国でも漢字と意味が同じなだけに中国人ファンにも入ってきやすかったんじゃないかと思います。

 あとほかの人はそうでもないでしょうが、この作品の肝となる2対2のモビルスーツプロレスバトルのシーンで、「マグ」と呼ばれるコンビネーションプレイは個人的に見ごたえがありました。
 かつてこのブログでも触れましたが、これまでのガンダム作品の戦闘には基本的に戦術というものがなく、戦闘機では当たり前に行われる数機での片方が囮になったり、カバーについたりといった連携が一切ありませんでした。基本的にエース級のキャラがバンバン撃って倒すばかりで、あんまミリタリー色強すぎてもあれだけど、もう少し現実っぽいこうした演出が欲しいと前から思ってましたが、まさにこのジークアクスではそうした連携戦術が描かれており、しかも結構練られたものと感じられ、この点はすごくいいと感じました。

 もっとも、映像の中ではうまく動かし切れていたとはいえず、セリフで説明して視聴者に理解させるだけでしたが。この辺は本編でもう少し改善してほしい。

 このほかもう一点述べると、誰が決めたかは知りませんが、シャリア・ブルというキャラクターを本作でメインキャラクターに据えたのは英断この上ないでしょう。息の長いシリーズなだけにこのガンダムもオールドファンと新規ファンで結構壁があるのですが、ゲームの「ギレンの野望」をはじめ外伝でやたら活躍し、オールドファンから常に期待のまなざしで迎えられる彼を登場させることで、納得に至らないオールドファンはいないでしょう。
 それでいてほかのキャラクターは現代的なデザインで、細かいところで攻めているようにも感じられ、新規ファンにもとっつきやすいような気がします。本編がどういう風に描かれるかわかりませんが、割と女性にも受け入れられやすいような印象を受けたし、2対2のバトル形式も子供にわかりやすいような気がします。総じていえば、かなりのセールスが期待できるのではと考えています。

 なお日本でも封切られた「ナタ 魔童の大暴れ」を自分も先月見ていますが、こちらに関しては多分中国ほどには日本ではヒットしないように見ています。何故かというと映像に力が入ってはいるものストーリー面でやや拙さがあり、中国おなじみの「最後にひっくり返す」展開で、終盤もほぼすべての日本人が「ドラゴンボールじゃん」と多分思うからです。
 その「ナタ(ちなみに中国語の発音は「ナザ」のが違い。日本語の読みが「ナタ(ナタク)」となったのは安能務の誤訳がきっかけらしい)」を一つ前に見ただけに、今回のジークアクスは細かい演出の良さを強く感じました。今更だけど、やっぱカメラワークって本当に大事なんだな。

2025年4月4日金曜日

きっと水木しげるは知らなかった

 「土下座前」、という単語を聞いてピンと来るかどうかでその相手が京都人がすぐわかります。これはどういう単語かというと、京都市の三条河原町前を指示する単語で、「じゃあ土下座前で」などと待ち合わせなどに使います。なんで土下座前なのかというと、土下座した人物の銅像があるからです。

高山彦九郎(Wikipedia)

 その銅像の人物が上記の高山彦九郎で、時代的には江戸時代中期の十代家治、十一代家斉の時代の人物です。「寛政の三奇人」に数えられる人物で、恐らく日本で最も初期に尊王意識というか幕府打倒、天皇親政を目指した人物であり、京都市内へ入る際に必ず皇居に向かって道端で土下座していたということから像のポージングにもなっています。

 この高山彦九郎についてですが、上記の土下座前のエピソードから名前についてはかねてから把握してはいたものの、具体的にどういう人物であるかはこれまでほとんど知りませんでした。それが先日、知人に勧められてみなもと太郎の漫画「風雲児たち」を読んでみたところ、多くの登場人物が出てくるこの漫画にて中盤においてほぼ主人公ともいえる扱われ方をされていたのが高山彦九郎でした。
 というのもこの高山彦九郎、同じ「寛政の三奇人」に数えられる林子平は当然ながら、前野良沢や杉田玄白をはじめ当時の知識人と幅広く交友しており、この時代における蘭学と尊王(国防)意識のうねりの中心にいたような人物でした。それに加え性格と行動も過激で、故郷で一揆が起きていると聞くや江戸や京都から馳せ参じて一揆に加わったり、飢饉が起こるや募金を募って救民運動したり、やることなすことエキセントリック極まらず、漫画的にも描きやすかったんだと思います。

 こうした高山彦九郎の生涯について自分は全く知らず、というか「風雲児たち」に出てくるその他の人物、特に最上徳内などの事績について初めて知ることが多く、歴史はある程度極めたという自負がありましたが底の浅い考えだったと大いに恥じる思いをしました。特に幕末の吉田寅次郎なる人物が、前述の高山彦九郎の事績に影響を受け、彼の死後につけられた諱より「松陰」と名乗ったという事実はなかなかにでかいインパクトを受けました。

 そんな高山彦九郎の生涯を追ってみていると、「ああ、水木しげるが好きそうなキャラだなぁ」という印象がただただ濃かったです。本人も相当ハチャメチャな人物、それこそボーボボっぽいところがあっただけに水木漫画でもハチャメチャなキャラクターが多く登場し、読んでるだけでも作者もこういうキャラこそ愛着をもって書いているなというのがよくわかります。
 特に伝記漫画として「猫楠」という作品で描いた南方熊楠については、明らかにフィーリングが合っているというか筆の乗り方がほかの作品と段違いだった印象を受けます、うちのソ連人民の敵である親父もそう感じているらしく、水木作品の話題が出るたびに「猫楠」を挙げてきます。

 それだけに、もし水木しげるがこの高山彦九郎について詳しく知っていたら、きっと恐らく漫画化していたいように思うのですが、実際にはそんな作品はないだけに水木しげるは高山彦九郎についてはあまり知らなかったのではないかと思ったわけです。実際はどうだかわかりませんが、自分が見ている限り水木しげるとかなり波長が合うキャラなんじゃないかと思えてならないです。

2025年4月2日水曜日

トランプ政権に対応して日本が採るべき外交とは

 結論から書くと、米国周辺のカナダとメキシコに対し日本は通商を図るべきじゃないかと考えています。

 背景についてあまり説明する必要もないですが、トランプ関税によって恐らくこの20年くらいはなかった外交や貿易のパラダイムが起きつつあります。この状況を座して待つ必要はなく、むしろ変化が起きているこの時期だからこそ有利になるよう立ち回るべきであり、日本ももっとこれまでにない外交を試すべき時期にあるとみています。
 特にヨーロッパではウクライナがいまだにロシアより攻撃を受け続ける中、米国の安全保障が揺らいでいることもあってドイツやフランスを中心に新たな安全保証枠を作ろうという動きが広がっています。この中で一番得するのはドイツだとみており、北欧諸国やポーランドが相次いで軍事費拡大を決めており、この軍需の恩恵を最も受けるのではないかと思います。ただでさえドイツは経済が悪化していただけに、苦境を脱するいい契機となるやもしれません。

 翻って日本を見ると、安全保障についてはやや不安定となるものの、ここにきてオーストラリアやフィリピンが対中国で足並みを合わせてきてくれるようになっており、特に台湾有事に対して無関心を決め込むのではなく積極的に関与する姿勢を見せてきているのは僥倖だと思います。こうした動きに日本も積極的に動くべきで、以前にも書きましたが台湾有事が起きた際に避難民を受け入れる、情報を共有するなどの支援を行うことを今のうちにはっきり示してもいい気がします。

 話を冒頭の貿易というか通商に戻すと、個人的には今回を契機に米国への依存度を下げるように日本は動くべきだと思います。米国との関係を切ってはならないものの、その依存度を下げることは日本にとってはリスクヘッジになり、特に食糧やエネルギー方面で代替先というか選択肢を見つけるには越したことはありません。
 その最大の候補としては冒頭に上げたカナダ、次いでメキシコです。カナダは米国よりすでに関税引き上げを食らって、牛肉をはじめとする食糧の米国向け輸出が影響を受けています。この米国に行かなくなった食料を全部と言わずとも一部を日本が輸入するようになれば、カナダとしても大助かりだし、日本としても米国への食糧依存度を下げるきっかけになります。無論、米国から茶々が入るでしょうが、「もとはと言えばお前が原因」と言えば、これまでと比べ日本に対して米国も強くは出られないでしょう。むしろカナダとの通商を取引材料に、米国にもっと要求してもいいくらいです。

 次のメキシコに関してですが、若干期待も入ってはいるものの、今後米国からさらに製造業がメキシコあたりに移転してくるのではないかと考えています。というのも米国の製造業企業からすれば、米国内で製造すればするほど高い人件費によって赤字になり、それでいて今回の関税政策で米国の消費は落ち込むわけですから、いっそメキシコなどに生産能力を移してメキシコから欧州やアジアへ輸出する方が有利になってくるかもしれません。
 その場合、ただでさえ産業移転先となっているメキシコがさらにホットとなり、メキシコの経済規模が上がるとともに消費も拡大し、産業チェーンもそろってくる可能性もあるだけに、今のうちにメキシコと日本も通商を行い、関係を深めておくのも手だと思うわけです。元々、日系自動車産業はメキシコに結構進出しているし。

 そもそもカナダもメキシコも日本からすれば太平洋を挟んだ隣国にあたり、通商自体はしやすい国です。今後米国は明らかに経済力方面で力を落とすとみられ、その分を周辺国が受け継ぐ可能性もありますが、食糧やエネルギー方面ではカナダとの通商は日本にもメリットが少なくない気がします。
 このところの日本の外交はアジアにばかり目が行きがちですが、環太平洋ことアメリカ大陸の国とももっと可能性を探り、米国依存度を下げる外交をこの機に展開してはどうかというのが自分の見方です。

2025年4月1日火曜日

トランプの自動車関税で今後どうなるか

 このところの経済ニュースを独占している米トランプ大統領の自動車関税引き上げについてですが、まず自分が思ったこととしては米国内で中古車人気が高まるのではないかということです。関税分のコスト増によってどのメーカーも価格を引き上げざるを得ず(またはリストラか人件費削減)、価格高騰に嫌気がさした消費者が中古車を選ぶようになり、一時的に中古車市場が活気づくのではないかという予想です。
 ただそうした動きもしばらくすれば中古車自体がなくなり、関税引き上げによって余計に国外から入ってこなくなるのもあってタマ不足みたいになるでしょう。そしたら新車に向かうのかと言ったらそうでもなく、今度は買い控えが進み、今乗っている車をギリギリまで乗り切るように市場は推移するのではないかとみています。つまり行き着く先は、新車販売台数の減少という予想です。

 その上で今回のトランプ関税ですが、これによって一番被害被るのは多分米系自動車メーカーじゃないかと思います。ちょっと調べたところフォードの米国市場における国内供給率は80%と結構高いそうですが、それ以外のGMなんかでもせいぜい60%が関の山じゃないかと思います。というより、米国メーカーこそ地理的な近さからメキシコなどでの生産を日系以上にやっているように見え、今回の関税の影響を強く受けることになるような気がします。
 またこのところの米国の動きで、ほかの国においてはアメ車に対する嫌気が広がり、海外販売台数はただでさえ落ち目なのに今後さらに減るんじゃないかと思います。そもそもフォードなんか前から死に体だし、今後海外販売台数が落ち込めば財務的にもかなり厳しくなり、ブランドの切り売りなどに追い込まれるのではないかともみています。

 一方、日系メーカーについては米国市場の販売台数はそれほど落ちないとは思うものの、コストの増加は避けられず、利益の圧縮は起こるかと思います。ただ新車価格が高騰すれば長く乗り続けられる日本車のメリットがより際立つこととなり、マーケティングの仕方によっては追い風になる事態もあるかもしれません。

 また日本の消費者目線で見ると、恐らく日系メーカーは今後日本から米国向けの輸出生産を抑え、なるべく米国国内で生産して販売しようとするでしょう。そうなった場合、これまで米国向けに使っていたラインを国内市場向けに回せられる、というか稼働率を維持する上でもきっとそうすると思え、コロナ以降ずっと続いていた納期の長期化が解消されるかもしれません。
 っていうか半導体不足はとっくに解消しているのに、いまだ日本だけが半導体がないからという見え見えの嘘で納期を伸ばしているのは、完全に日本の消費者を舐めてみているからだと言い切れます。日本人向けには納入を遅らせてその分を海外輸出に回していたようにしか見えず、恐らく今回のトランプ関税の副作用で日本国内の納期は短縮化されると私は見ています。

 米国市場に目を戻すと、前述の通り関税を引き上げても米系メーカーの復権には至らず、依然売れないままの状態が続くとみています。そうなった場合にトランプは今度は「為替レートのせいだ」と責任転嫁すると私は見ており、日本などに円高ドル安方向にどうにかしろと言ってくるのではないかと思っています。
 急に言われるならまだしも今後こう言ってくるであろうと予想が立つなら、対策もいくらでも立てようがあります。そういう意味では行動が読みやすいトランプはうまく使えれば日本の国益にかなうように動かせる可能性もあり、この点で今後政治家には頑張ってもらいたいものです。

2025年3月30日日曜日

ガラパゴス化しかけていた日本のゲーム





  個人的にANAにはまり始めて前回のエアバス機に続いてボーイング機もプラモ作りました。これがANAの穴という奴か……。


 上の記事はたまたま目にした記事でしたがなかなか興味深くりょませてもらいました。なかなか人を誉めない久夛良木氏に褒められたエピソードや、プレステ3の困難など時が経過した今だからこそわかる話が多く載せられています。

 なかでも自分が注目したのは、「ニーア・オートマタ」に関する言及です。直接記事を読んでもらった方が早いのですが、大体2010年前半くらいまで日本メーカー製のゲームはかつてと比べて海外での販売が芳しくなり、日本のゲームクリエイターたちも日本のゲームを海外で売ること自体を半ばあきらめ、日本市場向けと海外市場向けで製作するゲームを分けるようになっていました。
 そこへいかにも日本向けっぽいゲームながら、海外でも大ヒットを飛ばしたのが前述の「ニーア・オートマタ」で、これの成功を見て「こんな風にすれば日本のゲームも海外で売れるんだ」とクリエイターの意識を変えたと吉田氏が指摘していますが、自分も深く同感します。

 真面目に当時、ゲーム業界は日本市場と海外市場で完全に分かれていました。最近は減りつつあるものの当時は「洋ゲー」というジャンル分けまでされており、欧米市場のゲームは日本とは全く異なるし、プレイヤー嗜好も別物という意識が強かったです。
 その一例として、00年代中盤に登場してカプコンの看板タイトルなった「モンスターハンター」も、今でこそ世界レベルで爆発的ヒットを叩き出していますが、日本で一番盛り上がっていた2や3の頃は海外では全く受けず、「ゲームデザインからして海外では売れない」などとも当時言われていたのを私も覚えています。

 そうした状況もあって、何となくメーカーやパブリッシャー側も市場を分けるような方針を取っており、SteamやPSNをはじめとするオンライン販売プラットフォームにおいてもいわゆる「おま国」という、日本製のゲームなのに日本国内では配信販売をやらずにパッケージでしか販売しない、または日本語音声を入れない、日本向けのみ価格を吊り上げるという国際化とは逆行する妙な販売方針を採っていました。
 今思うと先の見えていない方針だったといわざるを得ず、実際に現在においてはこうした日本市場向けのみに対する逆便宜をやめ、ちゃんとパッケージ版同様に日本語を含め各言語に対応させ、またパッケージ版とともに配信も開始するなど差別化しない状態となっています。もっともこれはSteamの発展とゲーミングパソコンの普及も大きいでしょうが。

 そうした状況が変わってきたには確かに2014年の「ニーア・オートマタ」の発売頃で、日本製ゲームでも日本でも海外でも売れる作品が作れる、出せるとわかりはじめ、このころから急に展開の仕方が変わってきた気がします。
 あえて自分の方からもう一つ付け加えるとしたら、フロム・ソフトウェアが繰り出した2009年の「デモンズソウル」、そしてその続編の2011年の「ダークソウル」も、こうした海外販売の価値観を大きく変えた作品じゃないかと思います。どちらもハードな難易度ながらそれがかえって受けて、多くのフォロワーというかクローンゲームを生み出しており、日本のゲームの海外展開という点で大きなモデルを果たした作品だった気がします。

 そうした2010年前後の動きを見ていると、一歩間違えれば日本のゲームは携帯電話同様にガラパゴス化していた可能性もあったのではと感じます。まじめに当時はJRPGをはじめ、日本人にしか喜ばれないゲームを日本国内で量産する体制が続いており、新たなジャンルへの挑戦がやや弱く、人気タイトルの続編ばかりしか各メーカーも作らなくなっていた気がします。
 まぁ、「エルシャダイ」という斬新すぎるゲームも2011年でしたが……。

 もしあのまま「ニーア・オートマタ」のように海外でも評価される作品が出なければ、それこそ日本国内はテイルズシリーズばかりな感じで同じタイトルや内容ばかりのゲームでガラパゴス化していたかもしれません。現在では先のモンハンのように日本人も外人もみんなで楽しめ、またオンライン化の普及により世界中で協力プレイが行われるなど盛り上がっていますが、こうはならなかった未来もあったというか、そっちの方が色が濃かったと思う時代が確かにありました。

 なお2010年ごろについてもう少し触れると、当時はダウンロードコンテンツ販売で稼ぐという極端な売り方がやたら流行し、ゲーム本体よりダウンロードコンテンツのが高いという作品も結構ありました。無論、消費者からすれば高いゲーム本体買ってるのにさらに買わせようというあの売り方は反発が強く、現在では「好きな人だけ買ってね」的なおまけコンテンツの販売がダウンロード販売の主となっていますが、あの当時の売り方が廃れてくれて私自身もほっとしています。

2025年3月28日金曜日

「月曜から夜ふかし」の捏造事件について

 本題とは関係ないですがナウシカの「ラン、ランララランランラン♪」って歌を、ターミネーター風に「ラランランララン、ラランランララン……」とよく一人で家の中で口ずさんでいます。

月曜から夜ふかし、結構ヤバいことして炎上(ガハログ)

 それで話は本題ですが、フジテレビのスポンサー手控えが続く中で日テレがどうもやらかしたようです。この「月曜から夜ふかし」ですが、自分は日本で一切見たことがないものの中国では何故か見たことがあります。というのも中国出張ロケがたまにあり、その番組を以前に中国人の同僚から紹介されたことがあるからです。

 知ってる人には早いですがその回は天津や広州の街中で街頭インタビューする構成になっており、中国人でも知らないような現地の人々の生活や生の声を取り上げていて非常に好評だったそうです。中国でもかなり話題となり、小津がサイト名で中国語の字幕付きでアップロードもされているのですが、話を聞いたところ日本語を学んでいる中国人はほぼみんなその回を見ているそうです。

 そんなこともあって中国ネタならこの番組は安心だろうと思っていた矢先、今回のインタビュー相手の中国人女性の発言の捏造するというとんでもないやらかしをやっていたとのことで、最初は私も耳を疑いました。というのもこの番組のプロデューサーは上海出身の元女医だと聞いており、そんな人が今回の捏造された発言に対して疑問を抱くはずがないと思ったためなのですが、どうやらその人は既にこの番組のスタッフから外れていたそうです。

 で、その捏造の中身なのですが、恐らく中国人が耳にすれば「絶対にありえない」と誰もが思い、捏造されたものと一発でわかる内容です。詳しくは上のリンク先にもありますが、「日本と違って中国でカラスを見ることが少ないのは中国人がカラスをみんな食べてるからだ」、という発言が捏造されたのですが、何でも食べる中国人でも、カラスだけは絶対に食べることはないと私も思います。
 以前にもこのブログで書いたと思いますが、中国人のカラスに対する嫌悪感は非常に強く、感覚的に言えば日本人にとってゴキブリを見るような感覚に近いです。言うなればさっきの捏造された発言は中国人から見れば「ゴキブリを食べる」という発言に近く、そりゃ中にはいるかもしれませんが、普通の中国人の感覚からしたらあり得ないと思うのが当然です。

 なお、ハトに関しては決して間違いではなく、中国の街中では実際にハトを見ませんが多分みんな食われているせいでしょう。実際私もたまに中華料理屋でハト頼んで食べるし。

 以上が今回の捏造に関する私の見解というかコメントですが、一歩話を進めると、言われているようにこの番組の存続はかなり危ういでしょう。過去にも発言を捏造したことを理由に打ち切りにあった番組は少なくなく、また存続するとしてもフジテレビの騒動がまだ記憶に新しいこともあり、スポンサーもこれをきっかけに降りる可能性があります。
 ただそれ以上にシンキングタイムなトピックとして、この番組の捏造はこれだけなのかという点があります。言い換えれば、過去の放送回でも似たような発言の捏造や過剰な演出行為があったのではと現状疑わざるを得ません。仮にあった場合、この番組の打ち切りだけでは済まなくなる、というより他番組でもスポンサーが下りる可能性も出てくるでしょう。


 折も折というか上のような記事が出ており、ただでさえ効果が疑問視されているテレビ広告は現場が抱いている危機感以上に危機的な状況にあると私は思います。特にフジテレビでの出稿をやめたところなんかは、ほかのテレビ局にも今後手控えるようになるでしょう。
 あんま言われていませんが、かつてテレビ広告にもっとも金を出すといわれたのはお菓子メーカーです。しかし現在、少なくとも1月に私が日本にいたときにテレビ見ていてお菓子のCMはほとんど見ませんでした。恐らく上のネスレ同様、過去に高い金払って多分だけテレビ広告に価値はないと早くに気づいたのだと思います。いまだに活発にテレビCMを出しているのは飲料メーカーくらいでしょう。

 そういう意味では今回の騒動は今後の発展が気になります。まぁ番組の打ち切りはほぼ確定ではないかと思いますが、改編に間に合うかな。

 ちなみに最初に上げた天津や広州の取材回に関しては、インタビューに答える中国人市民の発言は正確に日本語に翻訳されていました。それは私も実際に見て聞いて確認しましたし、周りの中国人も誰も異議を唱えていませんでした。その点で言えば今回の騒動はスタッフの劣化によるものかもしれません。

2025年3月27日木曜日

地方によって異なる神道と仏教の信仰強度

 そこそこ日が経っていますが、日本にいた際に「日本のUSA」こと大分県宇佐市に行って宇佐八幡宮を参拝してきました。九州らしく広々とした境内に森林の多い神社で十分楽しめ、その後も阿蘇神社や太宰府天満宮など九州各地の神社をよく回っていました。
 ただこの時にふと、「あれ、なんか神社ばっかでお寺には全然行ってないような?」という疑問が頭の中に浮かびました。なのでもし何かいい感じの寺院があれば寄ってみようかなと旅行中にも調べてみたのですが、これと言って歴史やエピソードのある寺院は見つからず、結局どこにも訪れることなく九州を後にしました。でもってこの時、九州地方は有名な神社はたくさんあるのに対して寺院は逆に少なく、何となく九州は仏教よりも神道の方が勢力として強いのではないかと感じました。

 そんな九州と対照的と言っては何ですが、京都においては圧倒的に仏教勢力が強いです。八坂神社や平安神宮をはじめ有名な神社もたくさんありますが、仏教系寺院と比べるとその力の差は雲泥の差があります。その京都を含め関西地方は全体として仏教勢力が強く、大阪も何となくお寺の方が力もってる感じがします。
 もっとも奈良に関しては神道と仏教の勢力がほぼ拮抗しているというか、神仏習合が全国で最も色濃い地域であるような気がします。基本的に神社とお寺がセットで存在していて不可分なイメージが強いし。

 話を戻しますがこのほかの地域に目を向けると、あくまで外部からの印象論で語れば関東地方は何となく仏教より神道が強いように思え、また北陸地方は京都同様に仏教が圧倒的に強いという印象があります。こんな具合で、地方によって神道と仏教のどっちが強いかについてそれとなく傾向があるように感じたわけです。

 ではなぜこのような地方ごとに勢力差が生まれたのか。あえて仮説を出すとしたら単純にその地域におけるそれぞれの信仰心の差と言ってしまえば楽ですが、それ以上に明治の廃仏毀釈の影響が大きいのではないかという気がします。何故かというと最初に上げた九州地方が、地味に廃仏毀釈で仏教勢力が大きなダメージを受けた代表的地域だからです。

 また同じく仏教が弱いと感じる関東、特に北関東においては江戸時代における寺院の腐敗ぶりはかなり激しかったらしく、役人が踏み込みづらいということからヤクザに場所貸しして賭場を開いていたそうです。なおその際にヤクザが寺に払う場所代のことを「寺銭」と呼び、現代に伝わる言葉となっています。
 そうした腐敗ぶりから北関東でも廃仏毀釈の嵐はかなり吹き荒れ、少なくない寺が廃寺と化したそうです。九州の例を踏まえても、こうした明治期の廃仏毀釈の影響が現代における地方ごとの神道と仏教の信仰強度のベースとなっているのではないかとみています。

 最後に、ほかの地域はどうなのかなという疑問があり、特に東北や北海道などの状況は若干興味があります。長野県は奈良同様に神仏習合が進んでいるというか、そもそも諏訪大社と善光寺の立ち位置がやや特殊で独自の価値観を作っているようにも見えます。
 あと和歌山は何となく神道が強そう、というか山岳信仰が強そうな気がします。中国、四国地方に関しては、四国も何となく神道のが強そうな気がします。

2025年3月25日火曜日

イーロン・マスクはどこで変節したのか?

 結論から書くと、旧ツイッターことエックスの買収あたりからなんか彼はおかしくなっていった気がします。

 順序立てて書いていくと、このところ米トランプ政権で閣僚入りしたイーロン・マスク氏が率いるテスラモーターズの販売台数が世界各地で急減しています。米国国内に至っては襲撃対象にもなっており、既存オーナーも対策としてテスラのエンブレムを外したり、「TOYOTA」と書き換えたりしているそうです。
 にしてもこの手の自動車襲撃ニュースというと中国での日本車襲撃が主だったのに、米国人は米国メーカー車を襲撃する当たり半端ないな(;´・ω・)

 それはともかくとしてちょっと自分も気になったので中国におけるテスラ車はどうか調べてみたところ、中国でもここにきて販売台数が急減しているようです。2024年通年では前年比プラス成長を維持したものの、今年2025年に入ってからは1月、2月ともに前年割れしており、特に媒体によって数値が前後するものの2月単月に至っては前年比約50%減という、中国風に言うなら「断崖式」急減を記録した層です。
 なお2月単月の中国EV販売台数は全体で前年比プラス(確か+80%)だったので、テスラの一人負けが際立つ結果となっています。去年の段階でも躍進著しいBYDの後塵を拝す形となっていたので、恐らくこのままかつての稼ぎ頭であった中国市場においてもテスラはフェードアウトしていくのではないかと思います。世界市場全体でも急減しているので、恐らくもうテスラはピークを越し、これからは縮小を続ける可能性も高いとみています。

 ではなぜテスラがここへきて業績が大きく落ち込んでいるのかと言ったら、ほかならぬマスク氏の言動に原因があるとしか言いようがないでしょう。
 欧州諸国の首脳に対し公然と批判するだけでなく、トランプ政権に追随して排外主義ともとれる発言を繰り返し、挙句に自分やテスラを批判する人間は売国奴などと言えば、反発を買うのは当然でしょう。こう言っては何ですがトランプ政権発足以降の彼は、全力で自らのビジネスに対するネガキャンをやっているようにしか見えず、何故こうも自分の資産を小さくしようとするのかが不思議に思ったりします。

 元々というかかねてからマスク氏は言動が過激で奇行の激しい人物ではありましたが、テスラやスペースXを拡大させるなどビジネスに関しては間違いなく一流の手腕を見せていました。しかし現在はそれも見る影もないというか、前述の通りテスラは今後のビジネスも危ぶまれるような状況へ自ら追いやり、またかつて買収したエックスも買収以降にトラブルが頻発し、もともと赤字体質でしたがユーザー離れも引き起こしていると聞きます。
 何が言いたいのかというと、奇行が激しくなり、以前はうまくやっていたビジネスも破綻をきたすようになってきたように見えます。

 曲がりなりにもかつてはビジネスはそこそこ上手にやっていた、また以前は建前なのかもしれませんが環境保護に熱心で、その一環としてEVメーカーとなるテスラを立ち上げており、EVに懐疑的というか批判的なトランプ大統領に対しては第一次政権時にマスク氏は激しく批判していました。中国での生産拠点設立も、その意趣返し的な意味合いも強かった気がします。
 それが今やトランプ大統領の腰ぎんちゃくとなっており、その変節ぶりにはいささか疑問に感じます。こうした思想の変化、ビジネス手腕の低下という変節はいつごろから始まったのかが気になるのですが、個人的な見解として述べればエックスを買収したあたりからなんかおかしくなっていったような気がします。

 そもそも何故エックスを買収しようとしたのか。やはり巷間で言われているように政界進出に色気を出し、言論分野で影響力を強めようという目論見が一番の理由じゃないかと思います。言い換えればビジネス的な動機ではなく自らの影響力拡大を狙ったもので、だからこそエックスの経営は買収後もあんまうまくいってない、というかうまくいかなくても彼自身気にしなくなっているのではないかと勝手に考えています。

 しかしそうしたビジネスへの関心低下がなんかほかの分野にも波及してきたというか、閣僚入りして政治的権力を持ってから以前以上に強引に物事を進めようという価値観が強くなってきているように見え、それがビジネス面での冴えをどんどん失わせているように見えます。仮にこのままことが進むのであれば、エックスを買収したことが彼にとって最大の失敗となるかもしれません。

 前述の通り、私はもうテスラが世界トップとなることはないとみています。マスク氏自身が経営に関心を持たなくなってきているように見えるし、中国BYDがものすごい力をつけてきており、マスク氏自身のネガキャンに乗る形で一気にBYDがこの分野で世界覇権を取る気がします。そうなったらマスク氏の名も、一時の成り上がりとして歴史に残るかもしれません。

2025年3月24日月曜日

なんちゃってアルツハイマー体験

 日本も気温が上がって桜の開花予想報道が相次いでいるそうですが、上海は昨日今日と最高気温が28度くらいまで上がってました。四月下旬ならこうした夏日も出てくることはあるけど、さすがに三月でこれは異常と思え、若干自分も参っています。

 そのせいなのか昨夜、奇妙な夢を見ました。漫画喫茶を利用するにあたって会員登録をしなくてはならず、申込書に住所を記入しようとするのですが、「千葉県マッドシティ根本~」と本来の住所を書こうとしたところ、何故か「京都府京都市」と書いてしまいました。しかも自分が今書いてしまった京都市の住所は間違いだとわかっているのにそのまま京都の住所を書こうとするのですが、何故かその後に続く住所名の漢字を思い出すことができませんでした。
 にもかかわらずペン先が動き、文字とも言えない妙な図形を書き込んでしまったため慌ててグリグリとこするような感じで書き損じを消すものの、その後もいくら考えても自分の住所とその漢字を思い出すことができません。店員に「どうしました?」と声かけられるもうまく返事ができず、そのままめちゃ焦りながらどうしようと思いつつ、「これがアルツハイマーか」と感じたところで夢は終わりました。

 あくまで夢ではありますが、実際のアルツハイマー症の症状が起きたときの状況にいくらか重なる点があるのではないかという気がします。それまで当たり前にできていたことが突然できなくなる、やろうと直前まで思っていたことを忘れる、思い出そうとしても一向に糸口すらつかめない状態が続くというのが今回の夢の特徴ですが、実際自分の身にこれが起きると本当に焦るというか、どうすればいいのかという気持ちに支配されました。
 起きた後で冷静になって考え直したところ、あの後の対応として一番いいのは素直に店員に助けを求めることだったかもしれません。具体的には、「すいません、自分の住所が突然思い出せなくなってしまいました」ということを伝え、何かしら疾患を持っているということを伝えるべきだったのでしょう。逆に辺にあそこで平気そうなそぶりを見せ、ありもしない住所を書き込めば、最悪そのまま身元不明人になったかもしれません。

 それにしても上記のような症状が少しずつ進むのならともかく、突然起きた場合はマジ焦るというかやばい感じがします。実際、突発的にアルツハイマー症が発症した人なんかはまさにこうなるんじゃないかと思え、周りに身近な人がいなければ一発ノックアウトみたいな状態へ陥るんじゃないかと思います。年齢からも今までこうしたアルツハイマーや痴呆症についてそれほど懸念をこれまで持ったことはありませんでしたが、夢での疑似体験とはいえそれらしい体験をしてみると本当に怖いということを今回思い知りました。
 それこそ何もわからなくなるまで一気に思考力低下が起きるのならともかく、ある部分の記憶や機能のみ突然全く動かなくなるのは、なまじっかまともに意識を維持している分だけ怖かったです。外国使いはボケにくいと聞くので、まじめにこれからも中国語勉強しようと思います(;´Д`)

2025年3月23日日曜日

漫画「変な家」の変な展開

 先日に日本のホラー漫画や恐怖というより不安を煽る展開が多いという記事を書いた後、改めて日本のホラー漫画を読んでみようと、いくつかのおすすめホラー漫画紹介サイトを見て何冊か買ってきました。なおおすすめサイトの中には「彼岸島」を挙げている人もいましたが、あれをホラー漫画と取る人がこの世にいたということがある意味恐怖です。ギャグホラーではあるが。

 その買った本の中に1巻がセール中だったのもあったので、「変な家」があります。これは小説原作で映画や漫画など伊メディアミックスされている作品ですが、少なくとも漫画版に関してはホラーというよりはギャグに近い内容だと感じました。というのも話の展開がおかしく、ツッコミ不在のままおかしい妄想を広げていくからです。自分が読んだのは2巻までですが、これ以上読む気はなく、よくこんな作品が世に出たなという感想すら持ち得ました。

 簡単に話のあらすじを説明すると、主人公のオカルトライターが知人に購入を検討しているが変な間取りがある家として、ある間取り図を見させられます。変なところというのは台所の壁に一か所出っ張りがあるというところで、この点について再び知り合いの建築士にみせたところ、2階の子供部屋もおかしいという指摘を受けます。
 2階の子供部屋は入るまでにドアを二つ介さなくてはならず、またトイレなども専用に設置されていました。この点から察するに、この家の住人はこの子供部屋に子供を閉じ込め、殺人を行わせていたに違いないという結論へ突如至ります。

 もうこの時点でどこから突っ込んでいいかわからないのですが一つずつ上げていくと、まず最初の相談者が何故壁の出っ張りを気にしたのに対し、どう見ても換金部屋にしか見えない二重扉の子供部屋を気にしなかったのかという点でしょう。窓も一切設けられていない監獄っぽい子の子供部屋の間取りに疑問を抱かないとしたら、ぶっちゃけ部屋選びはほかの人に任せた方がいいくらい感覚のおかしい人間と言わざるを得ません。
 次に、そんな監獄っぽい子供部屋を見て何故「ここで殺人が行われていたに違いない」という結論に至るのか、これも強引過ぎてちょっとついていけませんでした。一応ほかにもそう推論する材料を挙げてはいるもののどれも根拠不足だし、さらには「浴場で後ろから刺していたに違いない」という妙な推理を前提に「あのでっぱりは子供部屋から浴室へ移動するための秘密通路に違いない!」という推論にもっていくのは、さらに無理があるでしょう。

 そもそも間取り図には「子供部屋」と書いてはいますが、実際にこの部屋に監禁させられていた人物が子供である必要はありません。仮に殺人を行わせていたというのなら子供にやらせるよりは大人を監禁していたと思う方が自然だと思うのに、何故かこの後もずっと「子供に殺人をやらせていた」という前提を一切揺るがさずに話を進めていきます。なんでそうまでして子供に殺人やらせたいんだか。

 この後も2件目の部屋の増設部分を見て、「きっと地下室があったに違いない!」などと、根拠からは程遠く、妄想に近いような推理を延々が展開されていきます。この一連の展開を見て私が真っ先に思い出したのは90年代最高のギャグマンガと呼ばれた「MMR マガジンミステリー調査班」です。「変な家」も「MMR」も、過剰な妄想を武器に仮定に仮定を重ねていくのですが、その過程において検証という行為が一切挟まらない点で共通しています。

 それこそ最初の家を内見しさえすれば、作中でも語られているように浴室のルミノール反応は取れないとしても、壁の出っ張りが実は秘密通路かどうかくらいは壁叩くなりしてわかるはずです。2軒目に関しても、地下室の有無くらいなら何かしら痕跡を探すといったことはできるような気がします。
 しかし、この作品のキャラクターたちは自分たちの推理というか妄想が正しいのかという検証を一切行おうとしません。にもかかわらず先に立てた仮定が正しい前提でさらに別の仮定を重ねて妄想を広げていくという点で、まるっきりMMRじゃんと思ったわけです。はっきり言っちゃえば、展開が雑にもほどがあるような気がします。

 それこそ、部屋の中に近隣で見つかった死体の人物がささいな所有物が見つかったくらいの条件を提示してさえすれば、「もしかして本当に?」というリアリティを持たせられたと思うのですが、驚くくらいにそうした展開はないし、むしろ登場人物側の方が検証を避けるように内見を拒否しようとします。ギャグマンガだったら許されますが、それなりにミステリー作品とするにはこんな展開だと萎えることこの上ありません。っていうかよくこんな内容でメディアミックスしたもんだ。

2025年3月22日土曜日

夜が暗くなってきた上海



 マジで地球防衛軍は時間泥棒だという風に思えます。

 話は本題ですが、このところ夜の時間帯に上海を歩いてて「マジ暗い」と思うことが増えてきました。理由は何故かというと、通り沿いのお店ですら潰れることが多く、そこに後から入る店もなくて空きテナントが増えているからです。特に個人的にショックだったのは、このところは不動産屋の店舗すら閉店した跡がよく見られることです。
 そこまで社会全体に悲壮感は広がってはいませんが、逆を言えば危機感がやや足りてないのではないかという気がします。街の活気も薄れてきており、このままいけばますます上海の夜は暗くなっていくのではないかと予想しています。

 その上でもう少し続けると、自分は以前の記事で2年後の2027年が一つのターニングポイントになると予想しましたこのターニングポイントについて自信を強めてきたのですが、恐らくそこを割るかのような大不況に入るのが2027年だと思います。

 その理由はいくつかありますが、一番は今の中国政府の失策です。年初より一定金額の家電購入には政府が補助金を出すというキャンペーンが始まりましたが、恐らくこれは日本が2008年にやった家電エコポイント制度と同じ失敗を繰り返すことでしょう。
 具体的には何かというと、需要の先食いです。数年先の需要を先に消費するようなもので、市場が拡大している時期ならまだしも、すでに家電が普及して行きわたっている状態でこれやるとかえって市場のバランスを崩し、メーカーや小売店を問わず数年後のデメリットの方が大きくなると私には思います。

 こうした細かな政策のほか、先日の全人代の政府施政方針を見てもこりゃだめだと確信しました。何がダメかというと全体として地方政府と銀行の救済を主眼に置いているように感じたからです。一部税源の地方移譲などが大きく掲げられていましたが、これは財政難、そしてこれまで土地売却益で財政を支えてきた地方を救済する手段とみていいでしょう。
 もちろん地方政府の財政難を克服するのは決しておかしいことではないのですが、その結果として社会の不良債権は棚上げすることはやはりマイナスです。また地方政府がどうしてここまで財政がおかしくなったのかというと、自治体でありながら不動産登記に手を出す自治体が多かったからです。この辺の処分とうか規制もはっきりしない状態で救済するというのは、ちょっとおかしいんじゃないかという風に思いますし、またいつか繰り返すことでしょう。

 恐らく、地方政府や国有銀行、企業の救済を優先して不良債権問題には手を付けないだろうから、中国の不況はあと10年は続くかもしれません。特に国有企業を何故かこの段階にきてまた保護しようという動きが見られ、民間企業に効率面で圧倒的に劣るということを考えると甚だ疑問です。
 ちなみに国有企業で仕事に行った友人によると、「食堂の飯がめっちゃうまかった(´・ω・)」そうです。

2025年3月20日木曜日

日本のホラー漫画は恐怖よりも不安を煽る

 前回記事で私は専門家の意見を引用しながら、

・恐怖と不安はほぼ同じの感情
・唯一の違いは対象が明確であるか否か

 という説明を引用しました。その上で不安とはどういう感情なのかを色々自分なりにまとめましたが、その過程で思ったこととして、日本のホラー漫画は恐怖よりも不安を煽る構成が多いような気がしました。言うなれば、恐怖漫画というより不安漫画のが多いんじゃないかってところです。

 そもそも日本のホラー漫画は、あまり指摘されてない気がしますが世界的にもかなり異質な文化ジャンルに入るんじゃないかと前から思っています。推理小説に関しても何故か日本と英国でやたら発達していて、犯人殴って自白させる展開が多い中国なんかだと一切この手の作品が出てこず独自性が際立ちますが、ホラー漫画になると独自性どころか日本の唯一無二的な分野になっています。
 漫画自体が日本で極度に発達しているのもありますが、それがホラー形式でもあるのはマジで日本だけなきがします。でもってこのジャンル、日本人だけというわけでなく「富江」などの伊藤潤二氏の作品が世界的にも高く評価されており、前にも少し書きましたが映画でも「リング」が大ヒットするなどジャパニーズホラーというのは際立った存在感を示しています。

 そのジャパニーズホラーの特徴は何なのかですが、ここでさっき上げた不安がやはり一番じゃないのかと今回思いました。欧米のホラー作品というとグロテスクな描写を見せて怖がらせる「恐怖」的な演出が多いのに、日本のホラーは「え、なんで!?」と思わせる理不尽さを突き付けて怖がらせる「不安」を煽る演出が多い気がします。
 先ほどの伊藤潤二氏の作品なんかまさにそれがわかりやすく、ヤクでもきめてんじゃないのかと思うくらいぶっ飛んだ展開ばかりで不安感をめっちゃ煽ってきます。でもって、なんでそういう異常事態が発生し続けるのかについて一切説明せず、不安が解決されないまま幕を閉じることが多く、この点が読者に怖いと感じさせる点なんじゃないかと思います。

 そのように考えていくと、そもそも江戸時代の怪談物からして日本の不安を煽ろうとするホラー文化というものはほぼ固まっていたのではないかとも思えます。中国にも幽霊が出てくる怪談話は少なくありませんが、日本と比べるとなんか話が論理的で、幽霊もやたら多弁で言い訳がましい連中ばかりです。
 それと比べると日本の幽霊は黙して語らず問答無用で生きてる人に襲い掛かってきたりするなど、意味わかんなくて色々怖いです。例えば耳なし芳一とかでも、私なんか姿が見えなくなったとはいえ平家の幽霊が芳一の耳をもぎ取っていく行為に「なんでやねん(;゚Д゚)」と子供心に思いました。見知らぬおっさんならまだしも、平家物語を数日間にわたって語ってくれた相手だというのにさ。

 なおこの手の問答無用系で言えば、一番ホラーなのは薩摩藩士かもしれません。「誤チェストにごわす」をはじめ行動に一切の論理性がなく、殺害をはじめとする極端な行動を迷わず取ってくるあたり恐怖なり不安なりを強く感じます。っていうか薩摩藩士って設定にすれば、そのキャラクターが頭のおかしい行動をいくらとっても説得力がついてしまうのが色々おかしい。

2025年3月18日火曜日

「不安」とはそもそも何なのか?



 日本円で1000円くらいだったので、この前創業者が亡くなった韓国アカデミー製のミラージュ3のキットを組み立てました。骨董品みたいなキットでデカールが破れやすくて苦労しました。

 話は本題ですが先日ふと、陰謀論にはまる人の特徴に関して何かいい研究が出ていないかなと思っていくつか解説記事を読んでいました。この手の陰謀論はカルトとかもかかわってくるため前からたまに調べたりしていましたが、論文はあまり信用できないというか、矛盾する内容の発表をよく見ます。
 具体的には、「学歴が高い/低い人ほどはまる」、「若者/中高年ほどはまる」、「裕福/貧乏な人ほどはまる」などというように、相反する要素をはまりやすい特徴として各々の論文は挙げており、細かい論文内容を読んだり実験の詳細を見ているわけじゃないものの、若干バイアスかかった主張がなされることが多い分と思って私自身もうさん臭く読んでいます。

 そんな風に眺めていたところ、ある論文がちょっと目につきました。簡単に内容を説明すると、学歴とか所得、日常の猜疑心や慎重さとかははまりやすさにそこまで有意に相関しておらず、むしろ不安感の大きさが大きく影響するという指摘でした。この説明には文字通り膝を打つほど納得感があり、また先ほど挙げた学歴や年齢などの要素に関係なく不安というのはある人とない人が存在していて、先の要素について矛盾する発表が相次いでいることも説明が付きます。
 何より、不安感が大きい人ほど陰謀論にはまりやすいという指摘が一番体感的にもストンと落ち、かえってほかの要素は無視した方がいいくらい説得力を感じました。

 そこまで来たところでふと、「そもそも不安ってなんやろ?」という疑問がもたげました。


 不安に関する解説記事をいろいろ読んだ中、一番自分が納得したのが上の赤田太郎氏の解説です。重要な個所を引用すると、

「不安と恐怖は同じものだと考えてもらって大丈夫です。ただ、なぜ呼び名がことなっているかというと、対象が明確なものを『恐怖』といいます。対象が不明瞭なものを『不安』といいます。」

 これまたストンと落ちる説明で、不安とは恐怖と同じ感情であり、その差は対象がはっきりしているか否かだということです。

 あえて比喩を用いると、同じ室内にたくさんの人がいる中、殺人犯が一人混ざっているとして、殺人犯が誰かわかっている状態が恐怖、誰だかわからない状態が不安だと私は思います。

 なお最初に作ったたとえは、「ハイパー化するインド人がわかっているのが恐怖、わからないのが不安」でした。なぜ自分はインド人をこうもハイパー化させたがるのかがわかりません。

 上のたとえを踏まえた上で敢えて不安単独に対して自分の言葉で表現するとしたら、「明確な答えが欲しいのにその答えがわからない、手に入らない状態」というのが不安状態じゃないかとも思います。陰謀論にすがりつく人の心理状態がまさにこれなんじゃないかとも思っており、コロナワクチンが安全かどうかわからない中で「安全じゃない」という言葉に急激にのめりこむのも、こうした下地あってこそじゃないかと考えます。

 その不安ですが、先ほどの赤田氏によると「強度の低い不安感情というのは、実は有益」だそうです、これも非常に納得できるというか、ある程度のストレスがあった方が人間の健康状態とかもよくなるといい、身近な例だと締め切りや納期がが迫ってくるにつれて集中力が増すというのは誰でも経験していることでしょう。
 もちろん極度な不安状態が良くないのは言うまでもないですが、一番最初の陰謀論の話に戻すと、そうした陰謀論がはやる背景としては社会に不安がはびこっている、人々の間に不安が大きくもたげている状態にある可能性があります。その上で陰謀論にはまる人にはその陰謀論が間違っているというより、その人が何に不安を持っているのかを探り、それを解消してやる方が陰謀論から目を覚まさせるキーになるような気がします

 ほかの例でもそうですが、なんかおかしな行動をとる人というのは何かしらその背景となる精神的疾患や問題があるように私には見えます。でもってそうした原因は異常行動からは一見して推定し辛く、粘り強く観察してそれらを探り当てて解消する必要があるのではと思います。
 先ほどの陰謀論でも、かねてからワクチンに疑問を持っていたというよりは、家族や将来、健康に関する不安にさいなまされていたところで、その手の陰謀論に触れて縋りつくようになったというパターンの方が多いのではないかと思います。であればその不安の原因を解消しなければ、陰謀論を捨てることもないでしょう。

 そんな風にいろいろ考えている中で、「日本のホラー漫画って、恐怖というより不安を煽るよな」とも思えてきたのでその辺はまた次回に書きます。

2025年3月16日日曜日

石破首相の次は誰?

 降ってわいた金券政治によって風前の灯火の石破首相ですが、となると次は誰が総理となるかがもはやトピックとなるでしょう。

 その前に総裁選もとい石破総理の辞任はいつになるのか時期もポイントになりますが、これに関しては参院選前か後かのどっちかにもう絞られています。参院選へのダメージを最小限にするべく前に行うのが常道ですが、それまで石破総理が粘る可能性もあれば、どうせ負け戦だから石破総理に責任を負わせて心機一転で新たな総理を担ぐべきという目もあるだけに、前と後ろのどっちかはまだ絞れないような気がします。

 それで人選ですが、現状最有力候補は前回決選投票まで行った高市氏といっても間違いではないでしょう。ただ高市氏は党内に敵が少なくなく、実際それによって前回は一敗地にまみれたわけであるだけに、当選確実とは言い切れないのが現状です。私個人としては前回同様リンこと林官房長官を待望しているところですが、安定感は抜群だけどこれという強みがなく、何かしら風向きの動きがなければ勝率は低いでしょう。
 また前回名を挙げた若手筆頭の小林氏も十分候補足り得ます。彼の場合は一般党員の支持をどれだけ広げるか、待ったバックにつくタニマチこと自民党大御所がいるかいないかによって左右され、この方面で誰かしらにもうバックアップを頼んでいる最中かもしれません。

 その小林氏の名を挙げといてなんですが、5、6年前の情勢ならここで小泉進次郎氏が総理になっていても時期的におかしくはなかったでしょう。彼の場合はこの数年間で一気に人気を落とし、党内でもそれほど支持する人がいなくなっており、少なくとも次の総裁選では彼の目はないとみています。着実にキャリアアップと行きたかったでしょうが、大臣職についてからこれという功績もなく、また発言もフワフワしたものが多くなり、ここまで評価を下げるというのも過去あまりなかったかもしれません。
 もっとも総理になってから下がるよりかは、なる前の方が絶対いいに決まっています。その点では彼は幸福な部類なのかもしれません。

 あ、あと麻生派の河野氏もいたが、彼ももう目がないでしょう。なんていうかかつての与謝野馨みたいな経過をたどっているように見えます。

2025年3月15日土曜日

死者に人権はあるのか?

 先日に起きた女性配信殺人事件では機能に私も記事に書いた通り、犯人に借金するよう仕向けながら返済しなかった被害者に非難が集まるとともに、そのプライベートな情報も大きく拡散されています。こうした状況に対しネットで「死者だからと言って、さすがにプライバシーが暴露され過ぎでは」という見解を示す人も見られ、「死者に人権はあるのか?」という問いにするならば、一考に値する意見のように私も感じました。

 結論から述べると私は死者に人権はなく、個人情報などもある程度公開されることになってもことさら特別視するべきじゃないかという風に考えています。但し、例外というか限定条件が守られることが前提です。

 ちょっと横道にそれますが死者の敬称について、乃木大将やハマーン様など敬称付きの方が通りのいい人物を除き、がこのブログでは死者に対して「~氏」などの敬称は一切用いないようにしています。大手メディアなどは死後から数ヶ月は敬称を維持するなどの独自ルールを持っているそうですが、私としては生者でないものに敬称は不要だと思うし、失礼な書き方さえしなければ何と呼ぶのも自由という風に考えます。また死後の表彰も無意味だと考えており、表彰するなら生きている間に、またはほかの生きている人にしろという風に見ています。

 話を戻すと、上の敬称に関する考えのように死者に対して余計な遠慮とか配慮は不要で、そんなものするならもっと生きている人を大事にすべきだという風に考えています。こうした考えから死者に対する批判やプライバシー暴露に関しても、そもそも暴露されて困る本人がこの世にもういないんだから気にする方が野暮でしょう。

 またあくまで私の考え方ですがこの手の死者に対する批判やプライバシー保護を変に規制なり配慮した場合、世の中への弊害の方が大きくなると思います。具体例を挙げると安倍晋三やジャニー喜多川などが好例で、「死んだ人を悪く言うのはよくないよ」と変にその生前の行動に関する暴露や報道を止めていたら、後世の公正な評価や現代における対応にも波及する恐れがあったと思います。
 むしろ死んだからこそ追求できることの方が多いだけに、「死者だから」と言って配慮したりするのは悪手この上ないでしょう。

 但し、これはあくまで死者本人に関する事柄に限ります。メリー喜多川氏の関与などどうしても触れざるを得ない部分を除き、まだ生きている遺族に対する誹謗中傷につながるような情報やプライバシーの暴露に関してはそこに公益性があるかないかを判断すべきで、ない場合は極力暴露や批判はすべきじゃないかと思います。私見として述べると、日本の報道はこの辺の境目が特にあいまいで、死者に対する情報の取り扱いで遺族や関係者に不要な社会的批判を招いている節があるような気がします。

 以上の考えの大前提として、私個人としては「死者よりも生者の方が大事」という考えに基づいています。この辺は論語の「生者に対する礼儀もまだ完璧じゃないのに、死者に対する礼儀なぞ語れない」という言葉の影響を受けてるやもしれません。

2025年3月14日金曜日

全く同情されない殺害された女性配信者

最上あい(享年22)、もし1万円返していたら殺されずにすんだ模様(ガハろぐ)

 例の女性配信者殺害事件ですが、一言で言えばこれだけ同情されない殺人被害者は近年稀にみる水準じゃないかと思います。私自身も同じで、殺害行為の肯定こそしないものの、もし自分が犯人と同じ立場にあれば同じことを絶対にしないかと言われればしないと言い切る自信はありません。少なくとも、背後から全力で頭突きするくらいならためらわずにやるでしょう。
 なおこの事件を見て真っ先に思い浮かんだのは、かなり昔の下の事件です。


 すでに各所でこの事件、というか被害者の行動が報じられており裏付けを取る必要もないほど赤裸々な情報が出ていますが、個人的に自分が着目したのは犯人が消費者金融から借金をしたのは被害者の指示だったという点です。もう工面できるお金がないという犯人に対して被害者は「すぐ返すから心配ない」といったことを言って消費者金融、それも複数社から借金させて借りた金を返済しなったそうです。
 言うまでもなくその後犯人は利息に苦しむことを考えるとこれは意図的に犯人の人生を破滅に追い込むような所業であり、重ねて言いますが殺人は肯定はしないものの、被害者は殺されても仕方ない人間だったという風に私は思います。

 また犯人は粘り強く返済を要求しており、司法手続きまで済ませているのに返済されなかったことを考えると、逆にこの人に私は同情を覚えます。以前からも指摘されていますが裁判で賠償命令が出たとしても踏み倒す人間が多く、また強制取り立て措置を取るためにはとてつもない労力が必要ということを考えると、この辺もっと簡単に取り立てられる制度があってもいいような気すらします。離婚時の慰謝料や育児費も支払いがよく滞るというし。

 もっとも今回の事件で被害者は自分名義の口座は空っぽにし、内縁者の口座で自分の収入を管理するなど意図的な取立妨害措置もとっていたため、並の手段じゃ取り立てるのは不可能だったでしょう。っていうかやり方が完全にプロの手口で、指南役がいるかほかにも多くの被害者がいるかのどっちかで、もうしばらくしたら「俺もこの女にやられた」という人が出てくるかもしれません。

 いつの世にも悪い奴はいますが、こういう人間が今回の事件のようにきちんと取り立てられない、処罰されないからこそ被害は広がるものであり、その点を踏まえてもこの手の民事案件に対する強制介入措置をもっと考慮すべきでしょう。

石破首相の商品券配布と政権終了

 長く使っていてそろそろ買い替えかなと思って新しい電気ケトルを買いましたが、大体5回に1回は過熱が止まらず中のお湯が蒸発しきるまで温め続けるので、また買い替えが必要になりそうです。以前はこんなことなかったんだけど、なんか最近は中国の家電にこういう不具合増えてきたような……。

石破首相側から商品券受け取り 議員十数人10万円ずつか 複数証言(朝日新聞)

 話は本題ですが石破首相が議員に金券配ってたそうです。あまり言われないけど朝日新聞はなんだかんだ言いつつかなりすごいスクープをよく拾ってきて、私はこの辺で朝日の記者を評価しています。

 話を戻すとすでに続報生地も出ていて石破首相も配布をしたことを認めているそうです。あえて言うなら石破クーポンともいうべきすが、そんな長く書く話じゃないので続けると、石破政権はこれでもう終わりでしょう。今国会で基礎控除引き上げなど減税や物価高騰対策をうまくやれば次の参院選後も生き残れるかもと考えていましたが、維新の口車に乗って余計な高校無償化やったり、基礎控除も無駄に手間のかかる累進性にしたりしているので、私としても早く政界から去ってほしいの一字に尽きます。

 当初はそれこそ参院選までは続かせると自民党も考えてたでしょうが、もうこれじゃ政権も持つわけなく、参院選より前、早ければ来月にも総裁選が実施されるでしょう。それにしても政治資金問題に国民がピリピリしている中でこんな金券配りするなんて、ここまで無能だとは私も想定していませんでした。悪いことは言わないからどっかで学びなおしてきた方がいいのではないかとすら思います。

2025年3月13日木曜日

責任を放棄しても特権を手放さない米国

まず一つ目の背景としては、戦った人たちが幸せになれないというスパイダーマンならではの設定があげられる。スパイダーマンはアメリカの比喩だから、これは要するにいくら戦っても、悪を退治しても幸せになれないアメリカ、ということになる。
 もっといえば、正義のために戦ってもいつもひどい目にあう主人公ピーター・パーカーは、湾岸戦争やイラクからの帰還兵の多くがPTSDになっているという、厳然たる現実を思い起こさせる。日本人はそうでもないだろうが、一定年齢以上のアメリカ人なら、これはきっと脳裏をよぎるはずだ。

 上の文章は映画評論家の前田有一氏が「スパイダーマン ノーウェイホーム」の批評から引用したものですが、自分もこの意見に同感であるとともに、米国を見るうえでなくてはならない視点だと思います。
 米国としては世界中で戦争をしてはいるけど、それは世界警察としての立派な役目であり、ほかの国からも感謝されるという意識がかつてあったと思います。しかしターニングポイントとなったのはイラク戦争で、フセイン政権を崩壊させて新政権を樹立したもののうまくいかず、結局はベトナム同様に完全撤退する羽目になりました。しかも前田氏が書いている通り多くの兵士の人命が失われたばかりか、帰ってきた兵士も「アメリカン・スナイパー」や「キャプテンアメリカ ウィンターソルジャー」(←マーブル作品の中で一番好き)で描かれたようにPTSDとなった上、諸外国からは「間違った戦争だった」と非難される始末でした。

 そうした経験から、米国人自身も世界の安定や平和維持に米国が率先して血を流すことは必要なのかという疑問を、感覚的には2010年あたりから持ち始めているように見えます。かつてのモンロー主義のような価値観を現トランプ政権は主張していますが、これはトランプ大統領が主張しているというより、少なからぬ米国人自身がそのような希望を持ち始めており、それにトランプ大統領が乗っかったというのが実情じゃないかと思います。

 そんな具合で誕生したトランプ政権ですが、ウクライナやイスラエルの対応を見る限りだと世界の平和維持どころか、安全保障すら放棄したいという考えが見られます。要するに、紛争が起きても「自分たちでどうにかしろ。和解の仲介を依頼するなら手土産を用意しろ」的な価値観で、これは前述の通り決してトランプ大統領自身の価値観というより、米国全体の大きな方針であるようにも見えます。
 確かに米国はこれまでに多大な血と汗を流しており、またイラク戦争もあってこれ以上紛争に係わりたくないというのも理解できるのですが、そうした世界秩序の維持を放棄する一方で、これまで同様、いやこれまで以上に諸外国へ要求を突き付けてくることから、色々おかしくなってきているというのが現状だと思います。

 曲りなりにも世界秩序、とりわけ西側の自由主義陣営に安全保障を提供していたからこそ、日本を含む各国は米国の時に理不尽な要求にも受け入れてきたわけです。しかし安全保障の責務を放棄しながらもグリーンランドをよこせだとか米国本土に投資しろなどとこれまで以上に激しい要求をしたところで、言うこと聞く国はかつてほどはいないでしょう。
 実際、このところ欧州は米国抜きでの安全保障を模索しており、フランスの国際的地位が顕著に上昇していますが、不況にあえぐドイツも軍需産業が盛り上がることで恩恵があることから仏英の流れに乗るのではないかと思います。日本もこのままでいいのかという懸念が大きくなっており、そういう意味では次期主力戦闘機の開発パートナーが米国ではなく英国であったのは僥倖だったかもしれません。

 そうした背景もあって、まじめに日本も外交の転換期に入ってきているような気がします。これまでは米国に大きく依存する体を取ってきましたが、その米国自身が日本に対する安全保障に茶々を入れてくる有様であり、また中国も圧迫を強めていることから、色々と懸念が大きくなっています。
 ただ仮にロシアを仮想敵国とするなら、日本もNATOに入る価値はあるのかもという気もしません、仮にロシアがNATO諸国に侵攻した場合、日本も対ロシアに協力、時に参戦するという条件ならば、NATO側としても大歓迎する条件だと思います。あの広大な領土でロシアが二面作戦採れるはずもないし。

 無論、その分戦争に巻き込まれる恐れもありますが、何もしなくても戦争に巻き込まれたのが今回のウクライナであることを考えると、やはり何かしらの備えは必要ではないかという気がします。仮に米軍が日本から撤退する場合などのシミュレーションも必要ですし、場合によっては中国側に通行権を認める(中国が米国と戦争する場合に日本は一切関与しない)など便宜を図ることで紛争回避を図るという手段も考えられます。こうした様々な状況を想定した外交のデザインだけでも、今のうちに持っておく必要があるかなと思う次第です。

2025年3月10日月曜日

コロナ以上の観光業不況はもう来ない

 前にも書いていたかもしれませんが1月に九州地方を旅行している最中、外国人観光客が明らかに増えているのを見て何気なく旅館の女将に「外国人増えてますが景気はどうですか?」と尋ねたところ、「あのコロナの頃に比べたら……」と、今でもはっきり記憶に残っているくらい悲しそうな顔を浮かべました。コロナ流行期に観光業が大きな打撃を被ったことは報道でもちろん知ってはいましたが、やはり当事者たちからすれば報道以上に苦労を受けていたことは間違いなく、その一端を見たような気がしました。

 もちろん青の頃には政府も対策に動いており、雇用助成金をはじめ多くの支援が行われていました。私は当時、確かにこうした支援は必要ではあるもののやや観光業に偏り過ぎていないか、もっと他の産業にも分配したらどうかという印象を覚えており、確かこのブログにも当時書いていました。しかしこうして当事者の声を聴いてみると、ややちょろいと感じますがやはりあの時に観光業を支えて正解だったのかもと考え直すようになっています。
 少なくともあのコロナ期を日本の観光業が生き残ったおかげで今日の観光産業発展があるわけであり、あの頃の支援というか投資は無駄にはならなかったといえるでしょう。

 その上で今後に関してですが、私はかねてからアトキンソン氏のように日本の観光立国化を進めるべきだと考えており、観光業の強化は今後も必要だと考えています。前回記事でも触れましたが観光業への投資であればマネーの海外流出は起こらない上に、製造業と比べても雇用吸収力が観光業の方が高く、極端なことを言えば技術的素養も必要なくすぐ雇用可能という点でも製造業以上じゃないかとみています。

 ただ製造業と比べると観光業は景気の変動を受けやすいと指摘されます。この点に関しては私も同感で、ちょっと不況や何かしらの事件による風評被害が起こると観光業は確かにダメージを受けやすいです。もっともこの点に関しては製造業にもなくはなく、極端なオンリーワン技術とかなら別ですが、製造業も為替の影響を受けやすく、景気変動の影響を受けないわけじゃないです。
 その上で観光業についてもう少し述べると、少なくともいえることとしては、あのコロナ期以上の不況はよほどのことがない限り今後数十年間は起きないと思います。あのコロナ流行はまさに未曽有の大災害と言ってもいい時期で、あの時期を乗り越えた今の日本の観光業関係者は進撃の巨人で言えばシガンシナ区住民のようだといっても過言ではないでしょう。

 おそらくコロナ期には旅行会社をはじめ多くの観光業関係者が淘汰されたかと思います。ただ結果的には非常に力のある観光業企業のみが生き残っており、だからこそ今現在の観光業の盛り上がりを支えていられるんだと思います。前述の通りコロナみたいな自体はそれこそ戦争でも起きない限り自分の生きている間はもうないと思え、あの時期を乗り越えたんだから景気の変動くらいへっちゃらとまではいかずとも、日本の観光業関係者はきっとまた乗り越えられると信じています。

 その上で今後についていえば、もはや日本国内で観光業の競争が始まっているような状態じゃないかと思います。おみやげ品の開発や流通、宿泊施設のキャパ、誘致できる観光資源など、日本の地域ごとに観光客を奪い合う時代がもはや始まっており、下手に国際競争するより国内競争を通して日本の観光業の実力をさらにスリム化、強化していく必要があるでしょう。

 個人的な経験で述べると、今回回った九州はどこも地元名産はいい具合にお土産製品化しており、そのあと関西に行ってお土産屋を見てもこれはと思うパッケージや製品をあまり見ませんでした。地味に九州の人たちはお土産開発能力が高いように見え、ほかの地域も九州の人のように創意工夫して商品開発力をつけていくべきじゃないかと思います。
 っていうか熊本が何でもかんでもくまモンつけてお土産作るのはずるいと思った(´・ω・)

2025年3月9日日曜日

観光産業勃興によって初めて活きるゼロ金利政策

 自分でも思うところありますがほぼ常に何かしら考えていて、歩いている最中も本当にどうでもいいことを何か考えてたりします。先日もそんな感じでエスカレーター乗ってる最中に、「そうだ、観光産業が盛り上がってきたからこそ今日本でゼロ金利が効くようになったんだ」と思いつきました。

 かつてこのブログで私は、平成期にゼロ金利政策が行われながら実質的に日本国内の経済循環というか投資促成にはあまり効果を果たさなかったと主張しました。というのも平成中期から日系企業、特に製造業は中国をはじめとする国々への海外進出を重視するようになった、というより日本国内市場が成長しないので日本国内には投資せず、ゼロ金利で得た融資の大半を海外に投資していました。
 そのためゼロ金利で企業は確かに融資を受けるものの、受けた融資は国内には流れず、ほかの国に投資されて現地での雇用拡大にしかつながらなかったという見方です。まぁその投資で得たリターンこと配当金は日本本社に回ってくるので全くのマイナスというわけではないですが、そうして得た配当金も大体ほかの国の投資に使われてたでしょうが。

 以上の分析からゼロ金利政策はグローバル化された現代においては景気浮揚に対しあまり効果がないのではと考えていたのですが、これは日本経済が製造業中心だったからこそ起こった話で、そうじゃなければ効果あるのかなと最近思うようになってきまいた。何が言いたいのかというと現在、日本の主力産業はマジで転換しつつあり、観光産業がかなり大きなウェイトを占めるようになってきています。
 さすがに自動車産業にはまだ追いついていませんが、エレキと比べるならあっちは全く成長性がないのに対し、観光産業はまだ成長性もあるうえ、雇用吸収力も絶対的に高いことから、もはやエレキ以上に観光産業は日本にとって重要だと考えます。

 その上で先ほどの話に戻りますが、製造業と違い、観光産業の投資対象は日本国内にほぼ限定されます。海外への投資に使うとしたら現地旅行代理店などの拠点くらいなもので、9割以上は宿泊施設や運送手段などの整備に使われ、それがそのまま雇用拡大にもつながります。その点で言えば、投資を促すためのゼロ金利政策が日本国内へダイレクトに使われる意味でも、観光産業が盛り上がってきた今になって初めて効くようになったように感じます。
 これは逆を言えば、景気拡大をする上ではやはり国内にどれだけ投資を起こすかが重要で、先ほども書いたように海外進出というか海外に投資が使われる産業を応援してもあまり意味がないのかもしれません。先ほど書いたように確かに配当金収入は手に入りますが、少なくとも海外投資では雇用拡大にはつながらず、失業者対策には効果がないどころか、今の自動車産業のように国内産業の空洞化を招くかもしれません。

 言いたいことをまとめると、金利優遇政策は国内投資に限定させること、または観光業のように国内にしか投資できない産業に限定させる方がいいかもしれません。観光業以外だとインフラなど建設産業もありますが、こっちは外貨獲得には貢献しないため、優先度で言えばやっぱここでも観光業となるかもしれません。
 もっとも観光業は景気の影響を受けやすいというデメリットがあるという人もいるかもしれませんが、この点についても思うところがあるのでまた次回にでも。

2025年3月7日金曜日

シーマ様とバラライカは共通点が多い?

 以前に「評価が大きく逆転したガンダムキャラ」という記事を書きましたが、この中でガンダムの0083に出てくるシーマ様ことシーマ・ガラハウという悪役の人気が年月とともに上昇し、今や「悲劇のヒロイン」の如く高い人気を持つに至ったことを書きました。この傾向は今も変わらず、関連解説記事を見ると彼女の魅力について延々と語る人もいれば、公式の外伝作品でもどんどん過去情報が補完されているようで、ガトーをはじめほかの0083キャラが語られなくなりつつある中でシーマ様のみうなぎ登りしている感すらあります。
 まぁニナ・パープルトンもいまだに語られることが多い気がしますが、悪い方で。

 そんなシーマ様ですが、この前解説記事を読んでいる最中にふと、「あれ、なんかキャラ設定がバラライカと同じじゃね(。´・ω・)?」ということに気が付きました。バラライカというのは漫画「ブラックラグーン」に登場するロシア系マフィアの女ボスで、この作品屈指の人気キャラであるとともに「統制された暴力」という本作品のテーマを代表するようなキャラです。
 なおアニメでは小山茉美氏が声優を演じていますが、作品を視聴した人は誰もが口を揃えて「これ以上のはまり役はない」と言い切るほど、イメージと声が合ったキャラとなっています。実際、私も初めて視聴したときに「あ、バラライカの声だ(´・ω・)」と思いました。

 話を戻すと、シーマ様とバラライカには下記の共通点が存在します。

・元正規軍人だが、色々あって軍を追放された
・元部下たちを養うために海賊(マフィア)業に身を落とす
・部下たちからはめっちゃ信頼されている
・性格がキツイ
・身長がデカい
・身内に優しいが敵には滅茶苦茶容赦ない
・軍人時代の体験がトラウマ

 ざっとこんな感じですが、キャラ造形的にはほぼ同一背景を持ったキャラであるように思えます。もちろんどちらかがパクったというわけではなくたまたまそうなったとはっきり言えますが、逆を言えばこうしたキャラ設定は読者の人気を得やすいのではと思う節があります。

 実際、どちらもありきたりな美少女キャラとは程遠いキャラクターながらかなりの人気を得ており、本編外で外伝作品がいくつも作られるなどキャラの深堀が公式、ファン層ともにかなり盛んです。ではその人気の源泉は何かというとやはり先に上げた「身内に優しいが敵には滅茶苦茶容赦ない」という要素が特に大きい気がします。

 こう考えるのもかつて中東のテロリストの親玉がインタビューにて、「キツめの女が一人いると、組織というのはバシッとする」ということを話しており、何となくシーマ様とバラライカを見ていると「そうなんじゃないかな」と感じさせられるというか説得力を覚えます。それ以上に、小悪党的なポジションに落ちぶれてでも部下を食わしていこうとする世話焼きなところが、キツめの性格といい感じに組み合わさって「あ、この人なら支えてあげたい」的に思わせるんじゃないかと思います。

 ただ、こうしたキャラはメインヒロインのポジションに置くことはできないでしょう。あくまで登場キャラの一人としてこういうキャラがいると作品も映えるんじゃないかと思います。そういう意味では創作において上記設定は結構有用なキャラ設定となりうると思うわけです。

 にしても最近のシーマ様は女子高生姿が描かれたりとかはっちゃけてるな。漫画の「アラサーOLハマーン様」とかでもシーマ様出てこないかな。

2025年3月6日木曜日

トランプ関税で今年も世界的にインフレか?


 セールだったので地球防衛軍5を買ってしまい、めちゃくちゃ時間を取られてしまっています。上の画像はタイヤが宙に浮き始めたため無駄にキャプチャーしました。
 ちなみにプレイヤー名は「コシノ泥田坊」で、なぜこうなったのか、それは誰にもわからない……。

 話は本題ですが結論から書くと今年も日本では物価上昇が続く、というより世界的インフレが再び加速され、かなりの物価上昇になるのではと考えています。それもこれもトランプ関税です。

 決してこの方面に造詣が深いというわけじゃないですが、米国のトランプ政権はのべつまくなく関税引き上げを表明しており、すでに一部品目で米国内の物価上昇が始まっていると聞きます。仮に中国のみをターゲットにした関税引き上げとかだったら話は別ですが、米国に入ってくるあらゆる品目に関税を引き上げるとしたら、引き上げた関税の分だけ価格が上乗せされることとなり、それがそのまま物価上昇へとつながるのではないかと思います。
 仮に米国が関税を引き上げた品目を自国内で生産できるようになるなら話は別ですが、実際にそんなの短期間でできるわけないし、そもそも自国で安価に調達できないからこそ輸入するわけであり、自国内で調達できるようになったとしても輸入していた頃よりは確実に価格は上昇するでしょう。

 またこうしたトランプ関税に対し、すでに中国がやっているように報復関税を採る国もこれからどんどん出てくるでしょう。二つの国の間で双方ともに関税を引き上げるとしたら、両国で流通する商品の価格が互いに上昇することとなるわけで、これはそのまんま物価上昇となるわけです。得するのは関税を徴収する税関こと政府くらいでしょう。

 またこうした関税の報復合戦によって物価が上昇するとなると、恐らく多くの国でインフレ抑制策を取らざるを得なくなります。去年前半のように世界各国でインフレ抑制のために政策金利を引き上げることとなり、投資意欲の低下のみならず株式市場も株価低迷へと至るかもしれません。同時に為替も大きく変動することとなり、円安となるか円高となるかはまだ未知数ですが、政府の対応によっては大きく振れるかもしれません。
 それだけに、最高値を更新し続けている金の価格はさらに上昇する確率が高いとみています。

 あえてプラスな点について言及すると、トランプ政権は日本に対し為替誘導という非難をもうやってきたそうですが、今後世界的インフレを迎えた後なら、「為替がおかしいのはあんたの国の関税政策のせい」と言い返す余地が出てくると思います。少なくとも米国は今後激しいインフレになり、ドル安に至る可能性も高いと思うので、日本円ではなくドルの問題で米国に是正をするようむしろ日本が追及できる立場になるんじゃないかと楽観的に見ています。

 以上を踏まえた上で述べると、今年いっぱいは住宅など高額な買い物は控えたほうがいいんじゃないかなというのが自分の意見です。まぁ勝手な予想なので外れる可能性も高いっちゃ高いですが。

2025年3月4日火曜日

高校無償化に関する古館氏の意見

古舘伊知郎、維新にチクリ 「高校無償化」にはらむ“危険性”を指摘 「さすがの視点」「本当にその通り」(スポニチ)

 今国会で議論されている高校無償化についてですが、自分も何か意見を書こうかと思っていた矢先に上の古館氏の記事を見かけたのですが、正直言いたいことを全部言ってくれているように感じました。基本的に自分の見解も古館氏と同じで、特に私立高校が無償化をいいことに学費を値上げしてくるという予想は自分も最も懸念していた点であり、結論から言えばこの高校無償化は日本の教育レベルの底上げにはつながらず、むしろ底下げにしか役に立たないだろうと考えています。

 あえて古館氏の意見に付け加えるとしたら、古館氏は進学者が私立校に流れて公立校のレベルが下がり、ひいては国立大学の志願者も低下するのではと懸念しており、これについてもごもっともです。その上で私の見方としては、公立と私立の差がよりなくなり、公立校が教育方針やカリキュラムで私立校へ近づけていくのではという風にも見ています。もちろんこれは教育、国力的にもマイナスにしかつながりません。

 というのも公立校というのは基本的に国が教育方針を定めて、一番オーソドックスな教え方をしていると思います。それに対し私立校というのは公立校と差をつけるためオーソドックスな教え方では漏れるカリキュラムや教育方針を作ることで、その方針にあった親や子供を引き受ける形となります。
 結果的に公立と私立が併存することで異なる種類の人材を育成し、それらがお互いに埋め合って社会をいい方向に形成していくのだと思います。なので公立としては絶対多数的に求められる人材、それに対し私立というのは絶対多数ではなく少数ではあるけど、社会においてある程度供給してほしいタイプの人材を作るというのが理想形です。

 こう考えるのも自分が中学から大学まで私立校にいたせいもありますが、中学高校はともかくとして、大学に関しては言ってしまえばテロリスト養成校みたいな気風がありました。基本的にルールがあれば「まず破れ」と教えられ、反抗することにこそ価値を見出す学校であり、実際教授会でも「おめーがパッとしねぇから受験者数落ちてんだよ!」という学長に対する批判をみんな堂々とやっていたそうです。
 ただこうしが学風から生まれた人材は実際社会のあちこちでやたら反抗的な人材を供給しているそうで、理解ある経営者なんかは「組織がおかしな方向に進みそうなときに、こういう奴らがブレーキかけて軌道修正してくれるんだ」と言って、わざわざ私の出身大学に対し採用枠を設けていると聞きます。実際に私もそうした教えだったと理解しており、造反有理じゃないですがおかしいと感じることにははっきりおかしいといって拒否することが大事だと考えています。

 もっともこんな反抗的な人材ばかりが社会にいたら、文革期の中国のようにまともな社会が形成されるわけありません。あくまでこういう反抗的な人材が少数派で存在するからこそ、企業も国もうまくやってけるのでしょう。
 そうした考えから、私は大多数は公立で、一部の人間は私立に通うという形が教育体制としては理想的だと考えています。その上で学費の差というのはこうした比率を自然形成させる要因であり、これに差がなくなると恐らくいろいろおかしくなるのではという風に思っています。

 さらに付け加えると、機会の平等と結果の平等は基本的に成り立ちません。あえて両方とも平等になるよう取り計らうと、逆にそれ以前よりも平等が崩れることの方が多いとも私は考えています。
 今回の高校無償化は一見すると機会の平等のように見えますが、私は密かに結果の平等に向いた政策であるように考えています。それに対し私は機会の平等を追求する側であり、古館氏の意見や上記の考えもあってこの政策にはあまりいい気分がしません。

 むしろ学費負担の軽減というのなら、高校の教材費に限った無償化の方がいいんじゃないかと思います。学費の差がなくなることで、競争も個性もなくすよりはこっちの方がいいでしょう。

2025年3月3日月曜日

ストーリーにこだわらない中国のゲーム

 キーボードの叩き過ぎによる腱鞘炎対策として指ぬき圧迫手袋を買ってつけてみましたが、なんていうか中二病感が激しくていろいろ思うところがあります。

 それで話は本題ですが、先日ネットでおすすめされていたのとユーザーレビューが高かったのでSteamで「アフターイメージ」という、上海の開発会社が作ったゲームを買って遊んでいました。いわゆるメトロイドヴァニア系の探索型アクションゲームで前評判通りに遊んでてそこそこ楽しかったです。特に探索では地図を埋める作業が割と好きなので、また到達していない空白を埋めていく作業ははまりました。
 ただアクション面に関してはそこまでいいと思わず、悪いわけではないけど攻撃方法はやや単調で、ボス戦も相手の隙を突くよりもゴリ押し戦術の方が有用だったりしてなんか盛り上がりませんでした。ただそうした点以上に気になったのは、ストーリーテーリングでした。

 はっきり言ってストーリーはひどいの一言に尽き、どれくらいひどいのかというと冒頭で主人公の師匠さんが殺されてしまうや、

「このままじゃゾンビになっちゃうから、とりあえず死体処理しなきゃ。魂さえあれば肉体が還元したらまた蘇るしね(´・ω・)」

 という風に話が進められるのですが、マジで何の世界観も解説されずに上の会話を見させられるのでマジ意味不明でした。終始こんな感じで話は進められ、こう言っては何ですが妄想狂に一方的に話を聞かせられている感じがして、プレイ中はいろいろ思うところが多かったです。

 この点についてゲーム開発している中国人の友人に話したところ、「仕方ないじゃん。中国のゲーム開発者はストーリーなんかおまけ程度としか思ってないんだし(ヾノ・∀・`)ナイナイ」と教えられました。友人によると、中国のゲームはゲーム性(アクション)とグラフィックが重視され、その他、特にストーリーに関してはないよりはあった方がいいけど、そこまで特別見られるところじゃないからあまりこだわらずに破綻や矛盾に満ちたストーリー展開も少なくないそうです。
 実際、前述のアフターイメージもそんな感じで、グラフィックとか非常にきれいでこだわられているのにキャラクターの生い立ちやストーリー展開などはわざと無茶苦茶に作ってんじゃないのかっていうくらいひどいものでした。

 ただこれは逆を言えば、日本人はゲームにおいて特にストーリーを重視していることの顕れかもしれません。マジで日本のゲームはストーリーが悪ければそれだけでクソゲーとして認定されることもあれば、「ヘラクレスの栄光3」みたくストーリーさえよければその他要素は無視して名作扱いされることもあります。RPGに限らずアクションゲームとかでも、何かとキャラクターに背景を持たせたりするなどストーリー構成や世界観を強く意識してゲームを作っています。

 こうした日本製ゲームの傾向ですが、やはりそのきっかけは初代和製RPGことドラクエの影響が強いと思います。初代ドラクエの時点でお姫様を最終局面ではなく途中で救出するなどストーリー的に起伏を持たせており、その後に続いたファイナルファンタジーなどでもプレイヤーを魅了させるストーリーが盛り込まれるなど多くのフォロワーを作りました。それこそもしドラクエがなければ、日本人が現代のようにゲームにストーリー性をここまで求めることもなかったかもしれません。

 以上を踏まえて言うと、中国の開発会社と比べるとこうしたストーリーや世界観の構築で日本勢はまだアドバンテージがあると断言できます。中国のプレイヤーからすればそこまでストーリーを評価しないかもしれませんが、キャラクターのIPビジネス展開を考えると、ストーリーに強みがあるというのはビジネス面でも強みがあるように私には思います。
 逆に中国はグラフィックに対するこだわりが非常に強く、この分野、特に3D描画に関しては美少女キャラを含め日本はもはやあまり優位を持たなくなってきている気がします。このまま棲み分けと行くのかグラフィックにも力を入れるのか、日系ゲーム開発会社は腕が問われるところでしょう。