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2015年10月30日金曜日

一人っ子政策の廃止について

 昨夜突然発表されて今朝はどこの新聞やネットも報じていたので皆さんも知っておられるかと思いますが、中国が人口制限のために過去36年間にもわたってこれまで実施してきた一人っ子政策を中国政府は昨夜、廃止することを発表しました。この一報は新華社電で一行だけ、「一人っ子政策を今後廃止する」という文字だけで告知されたとのことですが、これだけ長期に渡って行われてきた中国の政策なだけに文字通り歴史が変わった瞬間に立ち会えたと喜びたいのが偽らざる私の心情です。

<一人っ子政策の背景>
 説明するまでもないですが中国は世界最大の人口を保有する国で、その多すぎる人口は様々な面で歪みを生むことから36年前、一人の夫婦に対して出産は一人しか認めないという一人っ子政策が打ち出されました。二人目以上の子供を産んだ夫婦に対しては罰金を科すなどして厳格に人口制限を行い続けてきましたが、それが今回廃止に至った背景は何なのかというのが誰もが気になる所でしょう。
 大方の所はほかのメディアでも解説されているようにこれ以上の人口制限は国家運営に当たってマイナスになると政府が判断したためと見て間違いないでしょう。私の記憶が確かならそれまでずっと増え続けてきた16~60歳までの中国の労働人口は2011年か2012年に初めてマイナスへと転じ、このまま一人っ子政策が続けば極端な少子高齢化社会を生んで社会の混乱を招くという指摘は以前からありました。

<どうして廃止したのか>
 中国は現時点で10年前ほど労働人口が余っておらず人件費も大分上がってきており、目下人件費という面では他の東南アジア諸国と比べてもそれほどアドバンテージはなく、もはや輸出を中心とした経済成長は前みたいに上手くいかない状態にはあります。しかし、だからと言って労働人口はこれ以上増やさなくていいかとなるとまた話は別で、今後は国内需要、特にサービス産業を振興するためにも労働人口の確保が重要となってくるため、それこそ都市部での3K労働の担い手が依然と必要であるため今回の一人っ子政策廃止に動いたと私は見ています。

<緩和策では効果少なく>
 なお一人っ子政策自体は以前からも緩和され続けており、特に上海を始めとした大都市部では一人っ子同士の夫婦には二人目の出産を許容するというか、むしろ二人目を生んでくれと市職員が回って伝えるほどでした。しかしそうした緩和策はどうやらほとんど機能していなかったようです。
 理由は簡単に、中国でも育児費用が激しく高騰し続けているからです。小学校入学前の幼稚園費用などの面では既に日本の水準を上回っているんじゃないかというくらい高騰しており、また大学進学までを考えるととても二人以上は育ててられないというのが都市部中国人の考え方で、恐らくこう言った背景からこれまで大都市限定で行われていた緩和策はほとんど効果を生まなかったのではと思います。

<二人目以降を産む夫婦は増えるのか>
 では今回の完全廃止で二人目以降を生む夫婦は増えるのか?私の考えとしては「YES」で、大都市部においては先ほど述べたように育児費用、学費の問題からそれほど増えないでしょうが農村部では未だに子沢山信仰が強いように思え、こういった地方でも二人目出産がOKとなれば生もうとする夫婦はたくさんいるのではと思えます。
 更に言えば中国政府として一番求めているのは、先ほど挙げたような都市部で3K労働を担う底辺労働者でしょう。現在この層を埋めているのは地方からの出稼ぎ者で、そういう意味では地方で出産が増えるのは願ったりかなったりだし、都市部の人はそれほど産もうとしないから政策廃止したって劇的に、爆発的には増えないだろうという見込みもあったのではと推測しています。

<無戸籍者の扱い>
 最後にもう一つ、他のメディアが全く触れていなくてやや不満に感じた点として、今回の一人っ子政策廃止と共に今後どうなっていくのかが気になるカテゴリーとして無戸籍者の扱いがあります。
 これまでは一人っ子政策によって二人目意向を産むと罰金が科せられ、特に収入の少ない農民は大きな打撃となっていました。そのためもし二人目以降が生まれた場合、その子供はきちんと認知せず戸籍上存在しないまま育てられ、そのまま義務教育を始め何の行政サービスも受けられない大人となってその地域で細々と生きていくしかありませんでした、生きているのに戸籍上は存在しない人たちで、正直に言って同情に余りあります。

 変な話ですがこちら中国にいてもこういった無戸籍者の話はあまり目につかないというか、普段生活していて話題に上がることはほとんどありません。むしろ日本にいる時の方がこの問題に触れる機会が多く、以前訪れた飲食店の店長から、「この近くに立っている外国人娼婦はみんな中国の地方からきている女性で、本国には何人も子供がいるそうですが一人目しか戸籍がないそうです」などと、ダイレクトな事情を聞くことが出来ました。
 その店長によるとたまにその飲食店に来て身の上話をする娼婦がいるそうなのですが、日本で街に立って数ヶ月我慢して働けば本国で数年暮らせるお金が手に入るだけに、そういったわけありの中国人女性が日本へ来るのに後が絶たないそうです。また街に立つにはちょっと年齢行ってしまった女性になると、今度は手配屋になって後から来る女性をまとめて仕切り屋となってお金を稼ぐなどと、時間あれば直接インタビューして社会学の論文に使いたい内容を教えてもらいました。

 正直な所、無戸籍者というのはどれくらいいるのか、本当にいるのかそれまではピンときませんでしたが、やはり大都市部ではなく地方では未だにたくさんいるような感じがします。今回の一人っ子政策廃止によって二人目までは無許可で産めるので少しは減るかもしれませんが、それでも今いる人たち、また三人目以降に生まれてくる人たちがまだまだ戸籍がないままの存在でいるでしょう。
 ここで私が何を言いたいのかというと、中国は統計以上に労働人口を抱えているということです。一見すると少子高齢化に見えますが実体的には統計で出ているほど歪ではなく、労働人口層はもっと太いというか多くいるでしょう。それこそこういった無戸籍者救済のため正式な戸籍登録を罰則なしで認めてやれば、人口バランスは一気にとまではいかなくとも多少の改善が期待できるかもしれません。まぁきちんと実態調査がされていないのでどれくらいかはわかりかねますが。

 私個人としては一人っ子政策を廃止するのであればこうした無戸籍者に対しても目を向けてほしいものです。政策がなくなるのだからもうそこに存在する人はしょうがないと割り切って、少しでも救済に動くのであればまだ評価できるのですが。

  おまけ
 本日、日本のゴム製品メーカー大手のオカモトの株価が10.14%も下落しました。例の上海人が教えてくれたのですが最初は何のことがわからずなんやねんと聞き返したら、「一人っ子政策が廃止され中国という巨大なコンドーム市場の需要が落ちると見られたからだろう」という回答を聞き、日本も全く部外者ではなかったのかとちょっと驚きました。実際、日本製ということもあって中国でも人気だそうだし、どこのスーパーやコンビニ行ってもオカモトの名前を見たりします。

2015年10月29日木曜日

千葉のマッドシティ~バーガーキング松戸西口店(閉店)


 昨夜、友人からスカイプで、「知ってるかもしれないけど松戸駅前のバーガーキングが潰れたぞ」という通知を受け、何故かやたらとショックを受けて今日はこの記事を書こうとその場で決心しました。ってか昨夜は友人とスカイプで日本シリーズの実況中継を楽しんでたので久々に休んじゃったけど。

 知らない人にはさっぱりちんぷんかんぷんでしょうが松戸駅の西口を出て伊勢丹方面へ向かって立体歩道を歩いて階段を下りると、不二家レストランの隣にこのバーガーキングがありました。このバーガーキングには私自身もよく行ってて、多分松戸に潜伏している最中は週一くらいのペースで通っててポイントもどんどんたまるもんだからスチール製マグカップももらうくらいに通ってました。
 なんでそんなに通ったのかというと、一に駅から近いので帰りに寄りやすかったのと、二にバーガーチェーンでこのバーガーキングが実は一番好きだったためです。バーガーキングはマクドナルドと比べてバーガーのボリュームが大きく、晩飯に食べる量としては私にとってちょうどいいボリュームだったので数年前から好んで通うようになりました。

 ちなみに昔の自分であればファーストフード店に週一で通うなんて不健康じゃないかと懸念したでしょうが、香港で働いていた時に毎日夜遅くに帰るもんだからマクドナルドかバーガーキングしか選択しなくてしょうがなく通っていても健康は全く崩れる様子はなく、「要は栄養とかよりも日々のストレスの方が体に悪い」と開き直ってからはファーストフードに抵抗がなくなりました。そのせいか今でも毎週マクドナルドかケンタッキーに行っては優雅に食事しています。

 話は戻りますがこの松戸店は潜伏地にも松戸駅にも近いもんだから本当によく通っており、仕事帰りにここでメシ食いながらパズドラするのが私の中で一種ステイタス化していました。ある日などは「1000円出せば30分おかわりし放題」のキャンペーンに乗ってハンバーガーセットを2セット食べたこともありました、重量的にはそれほどでもない量であるものの、元々のカロリー数が半端じゃないせいかこの時はさすがに私も「ねこあつめ」の「まんぞくさん」みたいにお腹パンパンになって帰る足取りが重くなったこともありました。それでも翌週にはまた来たけど。

 そんなそこそこ思い出のあるバーガーキングが潰れてしまって、まぁショックと言えばショックです。松戸駅周辺の店ではここ以外にも地下にある喫茶店と元ラリーストがやってるカレー屋にもしょっちゅう通っていましたが、それらに負けず劣らず通っていた店なだけに文字通り行きつけの店の消失と言っていいでしょう。潰れたってことはやっぱり客が多くなかったってことでしょうが、マクドナルドを含めてファーストフードチェーンはこのところ逆風が吹いているだけにきつかったのかもしれません。

 あとこれは友人の意見ですが、「松戸じゃやっぱりハンバーガーよりもラーメンの方が受けるんじゃないか」という、ジャンルの違いも原因として考えられます。何度かこの連載でも取り上げていますが松戸は知る人ぞ知るラーメン激戦区で、松戸駅前にも「なんでこないいっぱいあんねん」と思うくらいにラーメン屋がたくさんあります。まぁ自分がいつも行くのは松戸駅東口前の日高屋で味噌ラーメンしか頼まないんだけど、この前店の中で宮崎大医学部に通う友人と携帯で話してたら店員に、「携帯での通話はご遠慮ください」と注意され、「あ、そういやここ中国とちゃうんや」と思って反省しました。

 話が横道逸れてばっかですが松戸で求められるファーストフードはハンバーガーではなくやはりラーメンなのか。確かにそういう雰囲気があり、マクドナルドも東口のゲームセンターと同じビルに入ってるけどなんか激しく混んでいる印象ないだけに、案外そうなのかもしれません。
 それにしても、あのバーガーキングがなくなったのか……。ちなみに今住んでる昆山市内にもバーガーキングがなく、しょうがないから今夜はマクドナルドでビックマック食って帰ってきました。

2015年10月27日火曜日

このところの車内広告

 今記事書いている最中ですが日本シリーズでスワローズの山田選手が三打席連続でホームランを打つという快挙をしたと速報が出て、文字通り目を疑いました。本当にこの人はこれからの日本野球界を日ハムの大谷選手などと共に引っ張ってく人なのかもしれません。

 話は本題に入りますが、今月初めに日本へ帰国した際にいつもの如く電車の車内広告を細かく観察しておりました。なんでこんなことをやるのかというと広告というのはその当時の社会を映す材料としては大きなもので、トレンドを見る上ではどんな広告が多いのか、またその広告に使われている効果はどんなものかを見ることで少なからず把握できると広告屋の息子なだけに子供の頃から意識してみていました。

 それで今回の帰国時に気になった点を挙げると、第一にまず「消費者金融からお金を取り返します」といった類の弁護士事務所の広告がすっかりなくなっておりました。2014年くらいまではいやでも目に付いたような気がしますが、どこをどう探しても一件も見つからないほど駆逐されてて時間の流れを感じるくらいです。その一方、空いた広告欄には何が入ってきたのかが気になる所ですが、私の見る限りだと一番広告量が多かったのはアコムやプロミスに代表される消費者金融だった気がします。

 さらっと書きましたが非常に皮肉な話で、グレーゾーン金利の撤廃によって大手を振っていた消費者金融が社会から散々叩かれ、その先鋒を弁護士事務所が行っていたというのにひとたび時間が流れたらまた消費者金融が大手を振って広告を出してしまうという。やっぱり叩かれても死なない連中というか企業というか。昔学生時代に友人が、「消費者金融の広告があちこちに貼られている社会ってどんなもんやろか」って言ったセリフが思い出されました。

 なおほかの車内広告となるとやっぱり疲れたサラリーマンに見せると効果があるのか転職会社関連が多く(ドアの窓に多い)、他は栄養剤とか学校の募集案内が目立つくらいでした。これらは万年同じで変化はなくそれほど興味はなく、電化製品とかの広告が昔と比べてずいぶん減ったなぁという印象くらいしか湧きません。
 あとこれは逆の話というか、都内の列車を見ていても広告欄に空きがある車両が数多く見られました。これは単純に広告主が出ていない証拠でもあるのですが、以前は地方ならともかく都内では確実にすべて埋まっていたことを考えると随分と人気が落ちたもんだなと思え、広告業界の苦しい現状が見て取れます。

2015年10月26日月曜日

平家物語と日本人


 いつも変な行動ばかりとっているヤクルトスワローズの畜ペンことつば九郎ですが、この写真には一瞬うるっとさせられました。まぁこの時は高橋由伸選手の監督就任はまだ決まってなかった段階でしょうが、発表された後で見ると一味違います。

 それで話は本題ですが、先日私は「腐女子のDNA」という記事で源氏物語が日本古典文学の最高峰の様に取り扱われるのは過大な評価では、支持層の大半は昔も今も女性ではないのかということを主張しました。ならば日本古典で何が最大の傑作なのか少し考えたところ、すぐ出てきた結論というのは平家物語で、下手すればこれは現代にも続く日本人の価値観を形作った作品ではないかと思えてきました。

 平家物語とは何かについての解説はするまでもないでしょうが、この作品のテーマは何かとなるとそりゃやっぱり「無常観」という言葉に尽き、言い換えれば「滅びの美学」といったところになるでしょう。権勢絶頂期の平家の記述から始まり、その平家が源氏によって徐々に追い詰められ没落し、またその平家を打倒した源義経もまた兄頼朝によって追い込まれるという過程は冒頭で語られる「諸行無常」以外の何物でもありません。
 こうした滅びの美学をテーマにした悲劇作品は日本に限らず他の国や文化圏においても数多く見られますが、それらを考慮してもやっぱり日本人はこういう無常系作品を好む傾向が強いような気がします。この平家物語以降も太平記や忠臣蔵、人物においても来年の大河に使われる真田幸村や新撰組など、勝利の栄光を勝ち取る側よりも滅びゆく側に強いスポットが当てられ共感する人間も多いように思え、実際、栄光の大勝利で終わる作品といって私がパッと浮かぶものと言ったら「坂の上の雲」こと日露戦争ものしかないような気がします。

 また文学作品のみならず、「徒然草」や「葉隠」といった無常観を主とする随筆や思想書も後の世に生まれていますが(徒然草は平家物語と同時期に成立したのかもしれませんが)、うがった見方をすると平家物語の価値観が日本人に根付いて、だからこそこうした無常系作品が未だに受け入れられているのでは、大きく出れば日本人の魂を形作ったのは平家物語じゃないかとすら思えてきたわけです。桜の鑑賞においても満開ではなく塵り際こそが最高潮とされ、命が誕生したり、最高に輝いている瞬間ではなく、事切れる直前の最後の灯にこそ日本人は美を見出しており、現代においてもこれは大きく変わらないでしょう。

 無論、平家物語の思想背景には仏教、そして中国から渡ってきた老荘思想が大きく影響しており、根っこは何かとなればこの両者だと断言できます。しかしこと文学作品の枠で見ればこの平家物語が無常系のトップランナーで、また日本人の価値観に強い影響を与えている可能性を考えると、古典最高峰として置くにはこの作品しかないというのが私の意見です。

 最後に以前にも昔書いておりますが、私の曾祖母は平家の隠れ里出身だったため私も家系的には平家寄りだったりします。

2015年10月25日日曜日

私の記憶の仕方

 また本題と関係ないですが映画評論家の前田有一氏がこのほど、幸福の科学が有り余る予算を使って作った「UFO学園の秘密」というアニメ映画の批評を行っていたので今日読んでみました。批評内容の概要を私なりに述べると堂々たる予算を使っているだけあってアニメーションの出来も悪くないものの、後半に待ち受ける教義丸出しな説教的展開によって見に来る人間を選んでしまっているというものでした。その上で前田氏は、「個人的にはネット民が喜ぶ架空戦記など作ればウケるのではないかと思うのだが」と踏まえた上で、

「尖閣諸島にせめこんだ中国軍の快進撃と、トボけて高みの見物を決め込むオバマを前に、安保法制も日米安保条約も無力と知り絶望する日本人。陰で握手して笑う中米の最高指導者たち。尽くしてきた恋人アメリカにふられ、涙目の安倍首相。そこに突如現れたエル・カンターレ(山本太郎)が日本を救う──なんてストーリーを、リアリティあふれる軍事スペクタクルとしてぜひ作ってほしい。」

 なんていいますか、普通に見てみたいなこんな映画と思ってしまう自分がいました。

 そんなわけで本題に入りますが、先日高校時代の友人に高一の頃にあった別のクラスメートとの思い出話を聞かせました。内容はそんな大したものではなく、入試の手伝いのため休日に登校して手伝った後に学校から振る舞われたのは牛丼だった。でもって食べようとしたら牛肉一枚を床に落としてしまったので蓋の上に置いておいたら蓋に貼り付いた肉を自分が気が付いてないと思ってクラスメートが盗み食いした。「それ床に落ちた肉だよ」と伝えたら「早く言えよ」と言われ、手伝いが終わった後はそのクラスメートと別の友人と一緒にカラオケに行ったという内容でした。

 内容自体はそれほど大したものではないですが、友人曰く「怖いくらいに細かいことをなんでも覚えてるよね」とのことでした。別にその友人に限らなくてもほかの人からも私の記憶力については誉められるというか畏怖されることが多く、特に多い反応として、「そんなこと言ったっけ?」という、言った本人すら覚えていない過去の発言を私は覚えていることが多く、その発言時の情景、前後の会話などを含めて説明すると相手も記憶を取り戻していくのですが大抵、「なんでそんなこと覚えてるの?」と、非常に不気味そうな目で相手は私を見てきます。

 実際の所、こうした記憶力を披露する相手は前もって選んでいます。というのも気味悪がられるのを私自身もわかっており、数年前にあったことなどを話しのネタになると思いつつも敢えて口には出さずスルーすることも少なくありません。学生時代の友人などはある時私の記憶力について、「誰がどういう順番でどんなことを言ったのかを全部記憶していて、たまにコンビ芸人のネタも全部言ってしまうこともあるが正直怖い」と評していました。
 本人としてはそれほど特別なことをしている自覚はなくただ何となく覚えているから口にしているだけなのですが、周囲の反応を見ている限りだとやっぱり異常な記憶の仕方をしているんだとは考えています。ただ記憶力がいいといっても物覚えという意味ではそんなに大した水準ではなく、たとえばIQテストの様に短時間でどれだけ覚えるかといったものは実は苦手で、あと相手の顔と名前を覚えるのは実は苦手だったりします。

 では私の記憶で際立っているのは何か。恐らくですが何をどれだけ記憶するかというより、一度記憶した物を意識化に呼び覚ます能力の方じゃないかと分析しています。会話の中で関連するキーワードが出てきたら、「ああ、それなら」という具合にデータベースから関連する項目の記憶を引っ張ってくる「引き」が強いため、何年も前の出来事や会話なども一瞬で思い出して来れるのではと考えています。

 私自身、15歳くらいの頃から意識的に記憶力を高めるよう心掛けてきましたが、どっちかっていうとそうした心がけや行動よりも今の自分の記憶力は先天的な要素が大きいように思えます。そんな自分と比べて周囲の人間の記憶の仕方について比較すると、なんていうか記憶の整理の仕方が自分とは違うんじゃないかとこの頃思えてきました。
 記憶を本にたとえると、周囲の人は古い本の上に新しい本をどんどん積み重ねていくようなスタイルをしており、そのため新しい記憶は上の方にあるからすぐ持ってこれるけど古い本は下の方に埋もれているため引っ張り出すことはおろか探すのにも苦労します。
 それに対して私の場合は本棚に横並べするようなスタイルで、新しい本も古い本も背表紙を向けてずらっと並んでいるので一目で探したい本を見つけ取り出せる。感覚的にはこんな具合で、一度覚えた内容であれば、もちろん新しい方が思い出しやすいですが、古い記憶も新しい記憶もそれほど差がなくさっと引っ張り出せるというのが大きな特徴のような気がします。

2015年10月24日土曜日

横浜高校野球部監督の教育論

 また今月の文芸春秋からの引用記事ですが、甲子園で幾度もの優勝をかっさらった横浜高校野球部を50年に渡って引っ張った渡辺元智前監督のインタビュー記事がなかなか面白かったので紹介しようと思います。

 渡辺氏は24歳で同高校野球部の監督に就任し、今年5月に引退するまで甲子園で春夏優勝5回を経験し、また松坂大輔選手をはじめとして横浜高校出身のスター選手を日本プロ野球界へ数多く送り出しており、名実ともに名監督と呼び声の高い人物です。そんな渡辺氏ですが部員の指導方法については「ひとつの指導方法でやってきたわけじゃない」と、冒頭から述べております。

 監督就任当初の渡辺氏は昔のスポ根ドラマよろしく、鉄拳制裁を当たり前のように行って指導してきたそうです。この指導方法について渡辺氏は当時の世相というか戦後は軍隊出身の指導者が多かったため誰もが殴られて教育されてきており、また他校でも当たり前のように行われてて練習試合でも野球そっちのけで双方のベンチで監督が選手を殴り飛ばしていたそうです。
 しかしそうした鉄拳制裁も次第に通用しなくなってきたそうです。通用しなくなった理由について渡辺氏は、若い当時は優勝実績がつくとともに周囲からちやほやされやや浮かれた生活を送ってしまい、そんな姿を部員たちが見透かしていたせいではないかと分析しています。ただそうした事態に至ってから立ち直りは早かったというか、一方的にこうしろという指導をやめて選手との対話を重視した指導へと切り替え、これが功を奏して1980年には愛甲猛氏を擁するチームで夏の甲子園優勝を達成できたと述懐しています。

 しかしこうした「対話路線」もそう長くは続かず数年でまた勝てなくなり、仕方ないので今度はアメリカの野球チームを参考に「伸び伸び野球」を打ち出したところチーム内に「甘え」が蔓延して余計に勝てなくなるという余計に悪循環となってしまいました。転機となったのは松坂世代が入ってきたころで、この世代は松坂選手を筆頭に後藤選手、小池元選手、小山元選手など後にプロ野球でも活躍する人材が大量に入ってきた年代だったため、彼らをきちんと使いこなせば必ず優勝できると確信が持てたそうです。
 しかしこう言った才能ある部員たちは渡辺氏によると「往々にして我が強い」とのことで、ひとまとめな指導ではとても対処できないと考え部品一人一人に合わせた指導を採用することにしました。具体的にはある選手には厳しく指導する一方で別の選手には誉めることを重視したり、またほかの人には体調管理の重要性を説いたりと、現代では当たり前とされる指導方法ですが98年の段階でこれを実践していたということはやはり渡辺氏には先見の明があるように感じられます。

 直近の指導方法については現在ロッテで活躍している涌井選手を引き合いにして、「メールでのコミュニケーション」をしたことが書かれています。なんでも松坂選手はどれだけ厳しく叱っても後でフォローすればきちんと彼も応えてくれたそうなのですが、涌井選手は一回叱ったら俯いて、誰とも話をしなくなってしまうため渡辺氏も、「叱り過ぎたのかな?」と度々感じたそうです。そこでマニュアルを必死で見ながら涌井選手の携帯にメールでフォローした所ようやく「わかりました」と返事が来てほっと一安心できたと書いてあり、それ以降はまめにメールで選手たちと頻繁に連絡を取り合うようにしていたそうです。ってかほんとマメだなこの人。

 自分の指導について渡辺氏は、選手に成長してもらいたいという信念だけは変わりはなかったものの、その指導方法は時代と共に常に変化していた。むしろそういう信念があったからこそ変化できたとまとめており、さすがベイスターズより強いのではと言われるくらいに横浜高校を牽引してきた監督だと感じるほど読み応えのあるインタビュー記事でした。

 本題とは少し外れるかもしれませんが、戦争指揮において参謀が将軍に優越する指揮システムを確立させた人物として、ドイツのモルトケという軍人がおります。彼の時代のプロイセンでは「戦争論」を著したクラウゼヴィッツなどが活躍しており戦争を学問体系的に分析する動きが強かったのですがモルトケはこうした動きに反発し、「戦争に不変の原則などないという事実のみが不変である」と述べ、従来の概念からは考えられないような鉄道や無線を活用した戦争指揮システムを導入し、ビスマルクと二人三脚でプロイセンを強国化させました。
 私自身もこのモルトケの意見というか概念を日頃から重視しており、不変なシステムなどほとんどなく時代とともにシステムはどんどん変えていくべきだと考えており、この渡辺氏もそうした価値観だったからこそ名監督足り得たと今回感じた次第です。

  おまけ Wikipediaに載っている渡辺氏の指導を受けた主だったプロ野球選手
青木実
永川英植
愛甲猛
高橋建
鈴木尚典
紀田彰一
多村仁志
松井光介
松坂大輔
成瀬善久
後藤武敏
小池正晃
荒波翔
涌井秀章
石川雄洋
筒香嘉智

大学ランクの壁、そして下剋上

 先日、日本から中国へ戻る飛行機を待っている間、空港の売店でかなり久しぶりに文芸春秋を購入しました。元々私は文芸春秋を購読していたものの姉妹雑誌の週刊文春で不必要と思うくらいに橋下大阪市長へのバッシング記事が続いたことに反感を持って数年前に購読をやめていたのですが、そろそろ過去は忘れてもいいかなと思ったのと、今月号(11月号)の特集が教育関連議論でその中に池上彰氏と佐藤優氏の対談が入っていたので、衝動買いの様にして買って持ってきました。

 掲載されていた記事や対談はどれも面白くこれからまた少しずつ記事化していく予定ですが、先ほど挙げた二人の対談では日本の大学の役割、そして改革案が中心となって語られており、自分は全然その存在を知らなかった「ビリギャル」という慶應大学の入試に合格した女の子について佐藤優氏が、「彼女は受験科目として使用した小論文と英語だけが合格水準にあってその他の科目は恐らく一定の水準に達していないだろう」的なことを指摘して、こうした偏った学力の学生を入学させることは問題があるとさりげなくディスっていました。
 なおこの佐藤氏の指摘を友人に話したところその友人は、ビリギャルが自分の受験体験をまとめた本の表紙に自分自身ではなくモデルの女性を使用したことについて、「結局女は見た目で決まるというようなことを自分でやっておいて何がビリギャルだよ。自分の実績をピーアールしたいなら自分が表紙に出ろ」とこっちもディスっていました。まぁ私もこの友人のいわんとしていることに同感なのですが。

 話は本題に入りますがこうした大学関連の改革話を聞いていてふと、「何で日本で最高峰の大学は東大なんだろう?」という妙な疑問がもたげました。こんな風に考えたのもちょっと前に戦前で本当のエリート校だったのは東大ではなく陸軍大学校だとか、エリート養成校として真に優れていたのは陸軍中野学校(佐藤優氏の主張)だったとかそういう内容を思い出しており、どうして現在では東大が一番なのか、否、どうして東大が一番に固定されているのかという点について疑問を覚えました。

 そりゃ東大は官制学校として一番金もつぎ込まれているだけでなく入試難易度でも文句なしにトップクラスです。しかし米国の大学ではアイビーリーグというトップクラスの大学ランクは存在するもののその中の順位や価値は常に変動していると聞き、特にハーバード大学を未だにありがたがっているのはアジア人だけで実は外国人留学生が学生の大半を占めているという噂も聞きます。
 大学の価値を推しはかる上で伝統は確かに重要な要素であるものの、真にその価値を見定める指標としては輩出した卒業生の質と、学内での研究ではないかと思えます。何が言いたいのかというと本来なら大学のランクというものはもっと変動があるべきで、この辺の競争システムが日本国内の大学業界では上手く働いていないのではと考えたわけです。

 先ほども言った通り日本でナンバーワンの大学と言ったら東大、次いで京大というのは戦後ずっと変わりがありません。国立大なんかは予算や教員などの面で政府も絡んでいるだけあってこのように順位が固定されるのは多少はしょうがない気がします。では私立大学はどうか。全く変動がないわけではないもののあるとしても同じ大学ランク内の優劣の逆転程度で、大学ランクを飛び越えた変動となるとほとんどあり得ないといっても問題ないでしょう。

 日本の私立大学のランクとなると最上位は言うまでもなく早慶こと早稲田大学と慶応大学です。以前はこの二者の実力は伯仲していたそうですが現在は私の見る限り明らかに慶應の方が上回るようになり、実際につくば市の風力発電機事件や小保方騒動とその対応を見ていると早稲田の水準は世間が見ているより実は低いのではと思うところもあります。もっとも、今思うと早稲田の凋落の始まりはスーパーフリー事件からだったのかなという気もしますが。

 関東圏内だとこの早慶に上智大学を加えた「早慶上智」という言葉もありますが、実は私はこの言葉にあまりピンと来なかったりします。というのも関西圏だと早慶のネームバリューは依然と高いものの上智大学についてはその存在すら知らない人間も少なくなく、高校時代までは関東にいたものの進学後は関西で過ごしてた私からすると「早慶上智」はいまいち実感の湧かない言葉だったりします。はっきり言えることは上智大学は早慶ほど全国的なネームバリューはなく、上智OBの方には申し訳ないですが早慶よりは一段劣るだろうというのが私の見方です。

 その早慶上智の下となると、今後はMARCH(+学習院)というランク層になり、その下は今度は日東駒専が来たりします。私の見る限りだとこれらも同ランク内での変動はあってもランクを越えた変動は数十年なく、なんていうか面白みに欠けます。
 では関西私立はどうか。こちらは最上位ランクにあたる「関関同立」というグループがあり、関西学院大学と立命館大学で2~3位の変動がたまにあるものの基本大きな変化はありません。ただその下の「産近甲龍」の中では近年大きな変動が起こっており、具体的に言うと近畿大学が目覚ましいばかりの躍進を続けています。

近畿大、志願者数で連続トップに 私立大の一般入試(朝日新聞)

 かつて大学入試の志願者数と言ったら早稲田大学か明治大学がトップの座をいつも争っていたのですが、なんとこの二大学を抑えて2014年と2015年は近畿大学がトップに躍り出てきました。近畿大学は関西圏にあることから東京の大学と比べ「上京への憧れ」という面でハンデを抱えておりますが、そのハンデを抱えながらトップに出たというのは控え目に見ても素晴らしい偉業と言っていいでしょう。

 何故近畿大学がトップに出たのか多方面で分析がされているものの、ほぼ一致した意見として「近大マグロ」ことマグロの完全養殖に成功した実績が世間に評価されたものとされ、私もこれに同感です。本人らもそれを自覚しているのか、「近代ってマグロだけだと思ってない?」という言葉が書かれた全面マグロの大学PRポスターを作ってたりしていて、見ていていいセンスを感じます。
 実際に近畿大学がどれほど躍進してるのかなと偏差値ランキングを少し見てみましたが、偏差値レベルでは同ランク内で明らかに最上位に入っており一部学部では関関同立をも上回っているところもあるほどで、もしかしたら絶対不滅と見られていたランクの壁をも超えるんじゃないかと思うくらいの勢いぶりです。

 先ほども書いたように大学の質を測る上でもっとも重要な指標は卒業生の指標、そして研究実績の二つです。近畿大学はこのうち後者で見事な成功を収めて躍進しており、今後もこう言った方面での競争が進んでランクの壁が破られて行けば日本の教育界も全体的な底上げが起こるのではないかと思っており、近畿大学には密かに期待していたりします。
 逆を言えばほかの私立大学についても小手先の改革に頼らず、学生の質向上に取り組みながらいい研究実績を作るなどといった、まともな方面の努力でもって大学ランクの壁を破るような下剋上を達成してもらいたいものです。なんでも競争に巻き込むことは私も反対ですが、真に競い合うべきところは競い合うに越したことはなく、そうした切磋琢磨によって世の中よくなってほしいものだというのが今日の私の意見です。

2015年10月23日金曜日

腐女子のDNA

 最近多いですがまた先日に友人と話した時の話題に、「なんで源氏物語が日本文学の最高峰の一つとして位置づけられるのがわからない」というものがありました。源氏物語が現在確認されている日本史上で最初に成立した小説であることには疑問の余地がないものの、果たしてこれが文学作品的に優れているかどうかとなったら正直疑問です。
 このように考えるのも源氏物語のストーリーがいろいろとアレで、短くいってしまえば母親に似た継母とか幼女を筆頭に女性をとっかえひっかえ(そのくせ正妻には手を出さない)するのがメインストーリーという、恋物語というかただのマザコンとロリコンのコンボを叩き出す変態物語なだけではとそこはかとなく感じるからです。ちなみに当時の感覚でも紫上に手を出そうとする光源氏はロリコンのように見られてたと当時の貴族の日記にも書かれてます。

 もちろん源氏物語には女をとっかえひっかえするだけの小説でないということはわかってはいますが、それにしたって現代から見ても内容がちょっとアレすぎやしないかと思うわけです。作者の紫式部なんて現代で言えばレディースコミックの作家にしか見えないという風にまた私が友人を前にして吠えていると、「レディースコミックと言えば、源氏物語の支持者って女性が多くないか?」という疑問が突然もたげました。

 ただ単に私が物を知らないだけなのかもしれませんが、源氏物語を持ち上げるような男性著名人となるとなんだかぴんと来ず、逆に女子大の教授とか瀬戸内寂聴先生など女性人だといっぱいいるような気がしてなりません。詳しくデータ取ってないで言うのもなんですが恐らく源氏物語の支持者は女性がやっぱり大半だと思え、また成立間もない頃も同じ状況だったのではと伺える資料もあったりします。
 その資料とは「更級日記」で、これは菅原道真の子孫にあたる菅原孝標女が自分の半生を綴った日記なのですがこの中で彼女は子供の頃、たまたま家にあった源氏物語の一部を読みふけって非常にはまり、何とかしてでも全巻揃えたいと訴え続けた末に念願かなって叔母さんから全巻をもらった時には、「ヒャッホー!(゚∀゚)」と言わんばかりにその喜びを表現して、貪るように読んだことが記されています。ってかこの時の菅原孝標女って十代前半だと思うけど、その頃からこんな本読んで大丈夫なのかという疑問がもたげますが……。

 この記事で何が言いたいのかというと、日本女子は昔も今もレディース系の激しくきっついストーリーが好きだった、平たく言えば腐女子だったのではという仮説です。自分は文系なので「日本人はDNA的にこれこれ~」という説明や主張は大嫌いであるものの、ことこの腐女子の系譜については日本女子のDNAと言っても差し支えないのではと少し考えています。
 ちなみに自分は過去に何度かレディースコミックをなんかの手違いで読んでしまったことありますが、「え?何これ?何が何だか全然わからないんだけどほんとに需要あんの?(;´Д`)」という感想を持った上では、はっきり言えば「ちょっと無理!」ってばかりに拒否感をリアルに持ちました。女性はあれ見て本当に面白いと思うのだろうか?

2015年10月20日火曜日

これまでのぶっ飛んだ体験記事まとめ

 先週日本に帰国中、うちの親父と伊勢に旅行へ行っている最中にふと最近のブログについてどうかと聞いたら、「ぶっ飛んだ記事が減ったよね」という意外な回答が返ってきました。このぶっ飛んでいるとはどういう意味かというと思想的な意味ではなく肉体的な意味で、要するに私のトンデモ体験記事が最近見なくなったことをうちの親父は不満だそうです。
 とはいっても嘘は書くこと出来ないし急に何かトンデモ体験しろと言っても無理もある。ただ逆に、これまでどんな体験を自分は今まで記事にしてきたのかなと少し思うところがあり、今日は私個人のぶっ飛んだ体験を書いた記事をまとめてみようと思います。

<高校時代の友人からかいエピソード>
煮え湯を飲むとどうなるか
血と涙のバレンタイン事件

 どちらも高校時代に友人を罠にはめた時のエピソードです。なお煮え湯を飲ませたエピソードは未だに私の中の思い出し笑いランキングで堂々の1位を維持しています。

<大学時代の貧乏話>
かつて餓えた日々
貧乏時代の私のエピソード
KOEIのゲームでやったこと

 どれも学生時代のエピソードですが、当時は記事中にも書いている通りに本当に毎日餓えてて食べることばかり考えていました。今思うとなんであんなに無茶してたのか不思議です。

<夢物語>
昨夜見た恐ろしい夢( ˘ω˘ ) スヤァ
昔見た夢

 どちらも過去に見た夢の内容を書いていますが、なんでこんな気違いな夢見たんだろうと読み返してて不思議に思います。

<服装系エピソード>
寒かった北京
休日の私の服装

 どちらも私の服装に関するものですが、真冬の北京に、しかも万里の長城にGジャン一枚で乗り込むって馬鹿じゃないかと読んでて我ながら呆れてきます。でもってもう一つの「休日の私の服装」で書いてあるように特徴的なTシャツを着る癖は続いており、この前も前の会社の後輩に、「花園さんは夏の時期よく、胸にでっかく『香港』って書いたTシャツ着てましたよね」と言われました。

<突発的体験>
深夜の決闘
突然の依頼
中国で聴いてショックを受けた歌

 適当にジャンル分け出来ないのをまとめましたが、「突然の依頼」で書いたように夜中急に中国語で記事書いてと言われてすぐに書いて出したのは今ではいい思い出だし、いい体験でした。

<身体的に痛かった体験>
フリーフォール
今日の衝突事故
これまでにやらかした神経的に痛い体験

 ある意味今回の記事主旨によく合っているジャンルがこれですが今回こうして記事をまとめていて思ったこととして、「なんで俺ってこんなにタフなんだろう」って感想でした。2階からまっさかさまに落ちたりオート三輪と衝突したりと結構危ない目に遭っているにもかかわらずなんで悉く無傷で戻ってくるのか、自分でもよくわかりません。

<精神的に痛かった体験>
運の尽きの一週間
パソコン破損(ノД`)

こちらは逆に精神的に打ちのめされたことを書いた記事ですが、どちらも海外生活ゆえのトラブルネタです。この記事だけ見るとひ弱そうな印象を覚えますが、逆を言えばこれら以外だと海外勤務して精神的に追い込まれることがなく、そのせいかこのところよく「肉体的にも精神的にタフだよね」と周囲からよく誉められるようになりました。

さようならOpera

 ここから単独で紹介していきますが、この「さようならOpera」の記事内容はただ単にOperaというブラウザを使うのをやめたことを書いただけの記事ではあるものの、記事中にあまりの使い勝手の悪さから無線式マウスを思い切りブン投げて壁にぶつけて壊したという気違いじみた私の行動が何故か詳細に描かれており、この記事を書いてからは「最近またマウスを投げたりしてませんか?」とやけに周囲から尋ねられる機会が増えました。

スピリチュアル体験録

 こちらの記事は私のブログにしては非常に珍しく、かなりオカルトじみた内容です。ただオカルトじみているものの記事内容というかスピリチュアルセッションで私が言われた内容があまりにもドンピシャであったため、私と直接会ったことのある知り合いはほぼ全員が驚く記事となりました。実際今読み返してもいろんな意味で凄い記事で、書いた当時に言われた内容を詳細に記しておいてよかったなとつくづく思います。

房総半島自転車一周地獄の旅

 私が今まで書いた記事の中で一番ぶっ飛んでいるものを挙げるとしたら、やっぱりこの房総半島一週を試みたこの記事でしょう。読めばわかりますが当日の朝に何の準備なく思い付きで開始するわ、途中でガードレールに衝突してリアルで空飛ぶわ、夜中1時に自転車のフレームが真っ二つに折れてギブアップするとか何考えてこんなことやってるんだよ我ながら呆れます。でもってこの時も空まで飛んでるのに致命的な怪我はしておらず、ソリッド・スネークに負けず劣らず自分ってタフなのかもとちょっと自惚れてきました。

2015年10月19日月曜日

横浜市マンションの施工不良事件について

 昨日はVWの不正事件について記事書きましたが、今日は負けじと日系企業の不正事件を取り上げようと思い、巷で話題になっている三井不動産レジデンシャル(横文字嫌だな)と旭化成という超大手企業のミラクルタッグによって生み出された横浜市のマンション施工不良事件について思うことを書いてきます。にしても中国に戻ってから何故かほぼ毎日左首が痛い、枕悪いのかな。

 本題に入りますが、この事件に関してはこのところ毎日トップニュースで逐一報じられているので説明の必要はないでしょう。この報道の影響を受けて以前に書いた大津の欠陥マンションの記事アクセスが増えればいいなと思っていたら案の定増えてて地味に恩恵を受けてたりしますが、この事件によって一番恩恵を受けているのは案外、直前に免震ゴムに続き防振ゴムでも検査不正を行っていたことがばれた東洋ゴムじゃないかと思っています。多分、みんなこの会社のこと忘れてるでしょうが、私は変に記憶力がいいだけに忘れてませんけど。
 そんな東洋ゴムといい、今回の施工不良は間違いなく大手と呼んでいい三井不動産レジデンシャル(横文字は嫌だ)と旭化成の二者が絡んでいるだけに、「大手だから安心」とはやっぱり言えないものだなというのが私の第一印象です。特に不動産業界は動く金が大きいだけに上から下まで隙あらば不正をとばかりに、大津の欠陥マンションの事例でもそうですが常識では考えられないとんでもないことをやらかす人間が他の業界と比しても多いような気がしてなりません。

 今回の事件も旭化成子会社の検査員が施工記録データを転用したことに端を発していると報じられていますが、そんなことしてばれたらどうなるのかという想像力が働かないのかと話を聞くだに呆れます。こんなこと言うと会社や上司のプレッシャーがあったのではなどと擁護する声もありますが、それは個人の都合であってマンション住人を巻き込んでいい理由にはならないというのが私の意見です。

 話は戻りますが上記の通り報道されている限りだと、今回の事件は旭化成の従業員がやらかしたことによって三井不動産側が大損を受ける構図になりそうです。これは一見すると三井不動産がマンション住人と共に被害者側であるかのようにも見えますが、三井不動産側は施工不良を疑う住人からの声に対して当初、「東日本大震災による影響」として施工不良を認めなかったとも報じられており、仮にこれが事実だとすると隠蔽しようとしたと言われてもしょうがないでしょう。実際、マンション住人はこの一件で三井不動産に対しても強い不信感を持ったと報じられています。
 三井不動産が住人からの質問を受けた段階で今回の施工不良を把握していたかどうかは現段階だとさすがに判断つきませんが、私個人としては何故「東日本大震災による影響」と回答したのかが気になります。地震が原因だと判断しうるデータをきちんと持っていたのか、持っていたのであればまだ理解できますがそうでなくその場しのぎに適当に返したのが先程の言葉だとしたら、この会社のリスク管理能力に対して強い疑念を覚えざるを得ず、普段の発言もちょっと信用の出来ない不誠実な態度の会社だなと感じてしまいます。

 長く書く気がないのでもう切り上げますが、この事件もあくまで氷山の一角で会って全国にはまだまだ明るみになっていない施工不良マンションがごまんとあることでしょう。建設Gメンや構造確認を専門とする設計事務所などは最近増えており彼らの活動には今後も期待したいところですが、人命にも関わることだし本来なら政府がちゃんとした調査機関を設けて調べるべきだと思うのですが、安倍首相も携帯電話料金の発言に続いてこういうことも考えてくれないかな。

2015年10月18日日曜日

VWの検査不正事件に伴う代償

 以前にもマツダのディーゼルエンジンと絡めて検査不正事件を起こした独フォルクスワーゲン(VW)について書きましたが、今日はぱぱっと今後の展開について予想を書きます。

 既に独当局などの調査によって今回米国で発覚したVWのディーゼルエンジンの検査不正は一部担当者によるものではなく組織だった、つまり会社ぐるみで行われた不正であることがほぼ明らかとなっております。VW側は当初、米法人の一部担当者が独自に行ったことと否定したものの欧州域内で販売されている車種のエンジンにも同様の不正が行われていたことが分かったことによってこの主張は崩れ、過去数代の経営陣、果てには現場の技術者を含めて多くの人間が関わっていたと見て間違いないでしょう。残る疑問点は検査不正に使われたコンピューターの制御を担当した自動車部品メーカー大手の独ボッシュがどこまで関与していたのか、不正を行うことを知って部品を供給していたのかが判断の分かれ目となるでしょう。ってか、俺もよく平気でこういうこと書くな。

 そうした犯人探しはひと段落がついてきたところで、次に問題となるのはその責任の取り方です。当初、VWはリコールに消極的でしたが米当局、果てには独政府から勧告を受ける形で関係する車種全てをリコールすると発表しました。リコール対象の車種については現在調査中とされているものの各種の報道を私の方で簡単にまとめたところ、各市場での対象台数は概ね以下の通りになると見られております。

<販売市場別リコール対象台数>
米国:48万台
欧州:850万代(VW)、210万台(アウディ)
※アウディはVW傘下の子会社というかブランド。実質的にはほぼ同じ会社

 合計すると1000万台超にも達するためやったねテンミリオンオーバーと皮肉の一つでもかけてやりたいくらいですが、このリコール(何故か「トータルリコール」という単語が浮かんだ)に伴う費用もさることながら、果たして本当にリコールだけで済むのかという疑念を密かに持っております。それはどういう事かというと、今回の検査不正はその不正の内容から察するに、リコールして修理を行ったところで販売時のカタログスペックが達成できないことが目に見えているからです。
 今回の不正はエンジンの挙動を検査内容に合わせコンピューターで制御することによって排出する汚染物質を実際の販売車以上に小さく見せたものでした。そのため仮に排出物の量を検査時と同じレベルにまで低減しようものならエンジン性能は大きく制限されることとなり、パワーや燃費の悪化は確実に避けられず、販売時のカタログスペックとは異なるエンジン性能になってしまうわけです。

 欧州域内ならドイツ政府の意向でまだこれでもどうにかごまかされるかもしれませんが、米国内だとそうは簡単に行かないだろうというのが私の味方です。言ってしまえば販売時に約束した性能が出せないこととなりただでさえ裁判好きな米国人なだけに、悪意を含んだ不正によって欠陥車を持たされたと主張して販売時の代金を全額返金するよう求めてくるかもしれません。つまり、下手したら48万台は全額返金を求められる可能性があるということもあり、また私自身そう言われてもしょうがないかもと思うくらい今回のVWの不正は根強いものです。

 既に米国は今回の不正に対してVWに制裁金を課すよう準備しておりますが、その金額は米国内だけで2兆円にも達するとされ、それに各国のリコール代金、下手して返金まで発展したら半端ない金額の現金が一挙にVWから流出することとなります。となると次に考えられるのは、それらの支出に対してVWは資産を切り売りするのか、言い換えれば傘下の自動車ブランドの売却に動くのかということがこの次のポイントとなるわけです。

 VWの傘下ブランドは先ほど挙げたアウディを始めとしてポルシェやランボルギーニといった超高級車ブランドも多く、その資産価値は決して低くありません。さすがにポルシェとかを売りに出すことはないと思うものの日本では馴染みのないシュコダやセアトくらいだったら売りに出すこともあり得るんじゃないかと思え、そうなると今度はどこがそれを買うかです。最有力候補はやはりというか中国の自動車メーカーで、次点で好調続く米GM。日系としては中級自動車ブランドだったらあまり買収メリットがなく、また円安という状況もあるので特に動くことはないでしょう。もっとも、アウディが売りに出されるとしたら中国自動車メーカーならどれだけ金を積んでも買おうとすることでしょう。

 最後にこの事件ですが、日系企業にとってはこれ以上ないほどの追い風でしょう。特に中国市場はVWのシェアが高いだけにこれを機に追い上げを図ろうとキャンペーンを打ち出してくるかもしれません。最も、調子に乗らない方がいいとは思いますが。

2015年10月17日土曜日

中心無きイスラム世界

 前日本に旅立った中国人留学生より今日メールがあり、「来日1日目にして財布落とした(ーー;)」と報告がありました。以前にもたびたび、っていうか毎回決めていた時刻に遅刻してきただけに、「注意力がなさすぎるんだよお前は!」と返信しておきました。さて、問題はこの後どうやってフォローするべきか……。

 話は本題に入りますが現在の国際社会で何が最も大きな問題かと問われるならば、それは間違いなくシリアを中心とした中東世界の混乱にあるでしょう。先日大きく報じられたEU諸国への難民流入問題といいその影響は周辺各国にも及び、仮にこのまま長期に渡って解決が図られなければ小さくない打撃を国際社会は受けることとなるのは必定と言えそうです。

 では何故中東世界で混乱が続くのか。直近で起こっている事態については最近誰も口にしなくなった「アラブの春」に端緒を発しており、この事件以降中東各国で革命が続いたことによって政権崩壊、難民の大量発生、並びに受入国の減少を招いております。しかも、目標とされていた民主化の実現すらあいまいなままで。
 またアラブの春より遡れば米軍のアフガニスタン、イラクへの攻撃も混乱の要因となっており、これによって旧支配勢力が駆逐されたものの新しく政権に就いた組織は傍目にも薄弱で、実際にオバマ政権になって駐留する米軍兵力が縮小されるやその支配の隙を突いてイスラム国が勢力を持つに至り、混乱に拍車をかけております。

 ただこれらの中東問題は追えば追うほど根が深いというか、本気で議論しようものならパレスチナ問題から第一次中東戦争、下手すればそれ以前の列強各国の植民地時代まで遡らなければなりません。さすがにそこまで議論する気はないのですが、それらの歴史と現状を突き詰めると究極的には「イスラム教」が重要なキーワードとなり、また現状の問題を考える上でも避けては通れない概念と言えます。イスラム過激派組織も、また政権側もイスラムの教えを旗頭にして自らの正当性を主張しているわけですが、そのイスラム教義の解釈についてはもはや各組織によってばらばらで、最も極端なイスラム国に至っては人身売買すら教義に適っていると主張して、またそんな無茶苦茶なことを言っているにもかかわらず未だに海外から参加者が集まってきているので世の中わからないもんです。

 書いててなんだか辛くなってきたのでここで結論を述べると、これら中東、いやイスラム世界で混乱が続く要因として、イスラム教の中心となるべき組織や団体が存在しないことが大きいのではと密かに睨んでいます。言うなれば、キリスト教にとってのバチカンに当たるものがイスラム教にないことが過激派や少数派を生んで収拾のつかない事態を招いているのではと言いたいわけです。

 言うまでもなくバチカン、並びにそこに鎮座するローマ法王はキリスト教世界を構成する中心の一つで、その動向に関しては非キリスト教国ですら気にします。キリスト教も内部には様々な教派や、ガチでバチカンことカトリックに刃向って出来上がった英国国教会なども下りますが、そんな連中であってもバチカンが打ち出す方針は気にせざるを得ず、それによってキリスト教圏は一定の思想統一が図られているとこれまでの歴史を鑑みてつくづく感じます。

 一方、イスラム教においてはそのような教義の中心となる組織はあったのか。この問いの回答はというと「かつてあった」で、具体的にそれに当たるのはムハンマドの一族が継承していた指導者の地位に当たる「カリフ」と、イスラム王国の最高権力者に当たる「スルタン」です。どちらも時代によってその地位に就く人間、ならびにその地位が存在する国家が変わっていったりしましたが、スルタンに関してはオスマントルコの皇帝がこの地位についていたものの、1922年のムスタファ・ケマルによる民主化、並びに政教分離の徹底によって現在のトルコ国となって以降は全世界のイスラム勢力に影響を与えるスルタンは出ていません。

 もっともオスマントルコの崩壊以降にイスラム世界を指導する存在が途端になくなったわけではないというのが私の意見です。あくまで私個人の考え方ですが、オスマントルコの崩壊以降はエジプトが実質的にイスラム世界の指導国となり、イスラエルとの中東戦争で他国をまとめるなどイスラム世界の軸となっていた見ております。逆を言えば、「反イスラエル」というものがイスラムをまとめる一つの軸だったというわけですが。
 ただそのエジプトも第四次中東戦争後のサダト大統領時にイスラエルと電撃的な和解に至り、イスラム世界での指導力が低下することとなり、それ以降は文字通り「中心無きイスラム世界」が始まり、現在に至るまでただのテロリストですらイスラム勢力を名乗るほどイスラム教価値観の乱立状態となっております。

 これがすべてを解決に導く特効薬になるとはもちろん考えていませんが、私個人としては現在のイスラム世界に安定をもたらすためにも、イスラム教の教義や価値観を決める上で中心となるような、キリスト教にとってのバチカンのような組織や集団を作るべきではないかと思います。このような考えを先日大阪で会ってきた大学の後輩(社学の同門)に話したところ、その友人が話したイスラム関連の教授も同じようなことを口にしていたと教えてくれました。はっきり言ってイスラム教に関しては問題漢もいい所でこんなところで偉そうな口を利ける立場でないことは重々承知しているものの、社会学士(というか国際政治マニア)の立場としての意見としてここでこのイスラム世界の中心設立案を強く主張したいと思い、今回このような記事を書きました。

 ただイスラム世界の中心と言ったってそんなの出来るのであればとっくに出来ているはずで、作ろうったってどうやってというのが現代の課題です。しかし中東の安定をもたらすためにも非常に大きな存在になると思われるだけに、日本をはじめとした国際社会は資金を始めとした支援を全力で行ってでもこのような中心組織なり象徴を作るべきではないかと思います。
 では現代でそのような存在になり得る候補はどこか。まず米国とも関係が強く聖地メッカのあるサウジアラビアがありますが、ここは王族支配が強く恐らく無理だろうと先程の友人との間で一致しました。ではかつて指導国となっていたエジプトはどうか、ここもアラブの春の影響で絶賛混乱中のためとてもとても期待できそうにありません。

 ならばどこか。素人としての意見を述べるならば一番期待したいのはほかでもなくイランです。ここは中東世界において実は最も民主的な政治体制であり、また懸念材料であった米国との関係も近年劇的に改善してきており、日本をはじめとした民主主義国家にとってすればイスラムの中心となってくれれば一番都合がいい国ではないかと思えます。どちらにしろ、中東の混乱を国際社会はいつまでも管かすべきじゃないだけに、周辺地域内できちっとまとめられ先進国とも話し合える強国を作るのが一番だと思うのですがね。

2015年10月15日木曜日

リツアンとの会合

 先週一週間の予定を書いた記事でも載せておりますが、ちょうどなのか前の10/8に静岡県掛川市にある人材派遣会社のリツアンSTC(以下「リツアン」)を訪問し、この会社の野中社長とも会ってきました。一体何故私がこの会社を訪問したのかというと別に派遣先を探して欲しかったとかではなく(いいとこあるならマジで教えてほしいが)、派遣業界の現状などについて野中社長と直接話し合うためでした。

 そもそも自分とこのリツアンがどこで接点を持ったのかというと、目下このブログで一番アクセスを稼いでくれている、今年一月に調査、発表した派遣会社のマージン率一覧の記事を読んだ野中社長が直接私宛にメールを送ってきてくれたことがきっかけでした。あの記事は調査にも記事にも自信があったものの果たして反響はどんなものか、案外当事者である派遣労働者の反応は薄いのではと思っていたところ何故か派遣会社の社長から連絡が来て文字通り面喰いました。
 そのメールの書き出しも、「本来ならば敵となる派遣会社の者ですが」というような文面から始まっていたものの、マージン率の記事内容を誉めていただけたとともに野中社長の派遣業界に対する理念などが書かれ、私に対して非常に好意的な内容でした。元々あのマージン率の記事は派遣労働者向けに書いたものではありましたが、本質的に得するのは真面目に情報公開を行っていた派遣企業だろうと考えてもおり、そういう意味では以前から業界の改善や情報公開に熱心だったリツアンからこうした反応が得られたのは大きな収穫のように感じました。

 その後も折に触れて野中社長とは何度かメールのやり取りを続けていたところ先週に日本へ帰国する用事が出来て、なおかつ友人の結婚式出席のために東京から大阪へ足を運ぶ用事もあったので、ぶらり途中下車とばかりに掛川に寄って野中社長にアポを取ったところ快く引き受けてくださり、その日の対面と相成りました。
 野中社長とはそれ以前からもメールでやり取りしていたため、お互いに初対面とはいえ相手がどういう人間か熟知していたため自己紹介なんてほとんどせず、最初に立ち寄った鰻屋でのっけからディープな話題を話し合っていました。やり取りしたメールの文面、そして公開されているブログの文面からもエネルギッシュな人物だとは考えてはいましたがまさにその想像の通りで、道行く人ほぼすべてが知り合いなのか全員に声かけたり、前日夜中三時まで飲み歩いて携帯忘れたというのにこの日も昼間からずっと飲み続けたり、それでいてやけに業界のディープな話を素面の様に話し続ける様は、「経営者ってやっぱこうエネルギッシュじゃないと駄目なんだなぁ」と見ていて感心させられる様でした。もっとも、リツアンの社員の方も半端なくアルコール強かったですが。

 そのような野中社長に対する私の印象ですが、正直に言えば青臭い考えの人だなと思いました。もっともそれを言ったら「お前はアカ臭いやないけ」と言われかねないほど私もやや理想主義的な考えの持ち主ですが、こと派遣業界については完全に同じ方向を向いているという確信が持てます。
 野中社長も私も現在の日本の労働市場について雇用の流動性が低いことが大きな欠陥だと認識していることで一致し、流動性を高める手段として派遣制度がもっとしっかりと運用されるべきだという考えを持っております。あんなマージン率の調査を行った私ですが、以前からも書いているように派遣制度はきちんと運用されていれば硬直化している日本の労働市場を改善に導く可能性があるとも考えており、どちらかと言えば派遣制度の拡充を望んでいたりします。

 ただ現行の派遣制度は制度や法律に穴が多く、マージン率をネット上で公開しているのは5社中1社という有様からもルールがきちんと徹底されているとは言えない状態で、またそうした欠陥を突くようにして荒稼ぎする業者もいることからてっぺんから底辺まで人材派遣を営む企業ははっきり言って異常なくらいに多く、大手と呼ばれる会社ですら二桁に上るほど存在します。
 私個人の考えで述べれば、もっと派遣業界内での淘汰が進めば派遣労働者の手取り賃金は向上が見込めるし、またそれによって正規雇用の非正規雇用の優位性も薄まって雇用の流動化が促せると思います。同時に情報公開を徹底することによって派遣元、派遣先、派遣労働者の三者がより効率的に動けるようになるだけに、竹中平蔵流に言えば大手と呼ばれる派遣会社は3~4社くらいが手ごろな気がします。

 少し脇道にそれますが日本は未だに終身雇用を掲げる会社が多いものの、既に終身雇用を維持する上で前提となる年功序列制と市場拡大は破綻しており、システム的には完全に破綻しています。破綻したシステムを無理やり維持しようものならそこにはやはり無理が生じ、結果的に社会全体で損をし続けているというのが今の日本の労働環境でしょう。

 仮に雇用の流動化が達成されるのであれば派遣雇用なんて必要ないのですが、現状から考えるに固い岩盤を砕く上ではこの派遣制度は一つの有意な手段になり得ると思え、特にリツアンの様に情報公開を行いルールの上で業務を行っている会社は応援すべき対象です。誉めることよりも貶すことの圧倒的に多い私ですが先にも書いている通り自分とリツアンの派遣業界に対する価値観は完全に共通しているだけに、実質的に野中社長は盟友だとも考えています。

 取材記事みたいなインタビュー文っぽく書くと対面した際に野中社長は、「社会に必要がなければこの会社はなくなってもいいし、お金にも興味はない」と述べた上で、

「それでも派遣という制度をきちんと運用すれば会社も労働者もベストなマッチングを見つけることができ、それで社会も豊かになっていけるはずだ。どうしても会社というのは相性というものがあり、ある会社でまともに働けない人でもほかの会社では大活躍することもできる。そうしたマッチングを派遣会社が担い、マッチングのいい会社に出会えた時点で直接雇用に切り替えられればこれ以上いいことはない」

 などと理想主義全開な内容を何度も口にしてましたが、こうした発言が決して口先だけでないということは野中社長のブログを読んでいてもわかるし、私もここで読者の方に保証致します。更にこうした野中社長の姿勢はしっかりとリツアン社員の方にも受け継がれており、何人かとも話しましたが皆揃って明るく、リツアンでの業務に強いやりがいと誇りを持っているように見受けられました。ただ常にエネルギッシュな社長に、「たまに疲れる時もある」という愚痴も聞かれましたが。

  おまけ
 この訪問した日に折角だからということで、掛川駅から徒歩ですぐ辿り着く掛川城にも行ってきました。この掛川城は天守閣は近年に復元されたものであるもののなかなか雰囲気もよく、以降となっている二の丸御殿も程よく保存されていて素直に悪くない城だと感じました。
 ただ一見して思ったこととしては、「信長の野望で遊んでいる際、進軍上でいつも鬱陶しい城だったよなぁ」というゲーム脳満開な印象でした。

2015年10月14日水曜日

ある若者の旅立ち

 今日昼過ぎ成田出発の便に乗ってまた中国に戻りましたが、今日は勤務地である昆山に帰る前に上海で、以前に短期間ですが日本語を教えていた中国人の若者と会ってきました。何故上海で会ってきたのかというと、ちょうど彼も明日の便で念願の日本留学へ出かける予定で出発前夜の今日に上海へ来ていたからです。

 彼の来歴は以前の記事でも書いていますが、月曜から日曜まで週休1日すらない現場をフルタイムで働きながら勉強し続け、YMCAの派遣で日本への留学機会を得ていました。私とはたまたまバスで日本語を話していたら声をかけてきたことから出会い、自分も中国の若者がどんな生活をしているのか気になっていたので就業後の時間を使って週一のペースで一時期日本語の授業を行っていました。
 彼が昆山での労働契約を終えてからはたまに電話で連絡を取り、一度上海近郊に来た際には時間を取って上海を案内してやりましたが、聞く話はどれも日本では考えられないというか、先ほどの週休のない勤務といい、昆山を離れてからは山東省で日本語教室に通いながら時給300円程度のバイトをしていた話といい、これだけの環境にいながら中国の若者は必死に勉強するものかとつくづく頭が下がりました。

 先月に連絡を取った際は留学ビザがなかなか下りないと愚痴を言っていたものの、先日ついに取得することができと報告があり、明日からはいよいよ日本留学へ旅立つ予定です。今日は上海には長くとどまれず30分程度しか話が出来ませんでしたが、所持金は20万円とのことで、「初めの一ヶ月はこのお金で生活し、それ以降はバイトをして生活を得なければならない」と、あまり悲壮感を感じさせない顔で言っておりました。行先は福岡の日本語学校とのことですが、「何かあればすぐ連絡するように。俺の出来る範囲で支援する」と言って、別れました。

 やや持ち上げ過ぎな気もするもののこういう風に頑張っている人間こそ世の中で評価されるべきだし、その苦労が報われて欲しいものです。本人も日本語を覚えて、日本の大学を出て、日本の会社に勤めたいという希望を持っており、その希望が叶うことを私自身も陰ながら祈っております。

2015年10月13日火曜日

この一週間の予定

 また長くブログの更新をサボりましたが、決してダラダラ過ごしていたわけではなくそれなりに予定をこなしていました。そこで今日は今日までの帰国一週間の予定と何していたかについて簡単にご紹介しようと思います。

  10月5日
 飛行機で昼過ぎに羽田空港に到着し、そのままマッドシティにある潜伏地へゴー。潜伏先で携帯電話の充電を終えてあらかじめ友人に受け取っておいてもらったASUSの「memo pad」を開きあれこれアンドロイドの設定などを行う。
 そうこうしているうちに夕方となり、あらかじめ約束していた新宿で友人二人と合流してご飯を食べに行く(この時の詳細はこの記事で)。なお夕食後にバーへ行ってそこでも話し通しましたがその際に、「日本は時間がコマ切れだから急がされる。一つ地下鉄なり山手線はきた列車から乗れとばかりに運行ダイヤを廃したらどうだ?」と提案した所、「そんなことしたら西村京太郎先生の仕事がなくなる」という、友人からのツッコミがこの夜のベストツッコミでした。

  10月6日
 朝一で六本木にある中国領事館に赴きビザの更新を申請する。申請自体は滞りなく通ったが中国領事館は前週から中国の祝日休暇となっていたため来館した人数が多く、自分が到着した時刻でも行列が長くできていたが、自分の後にはもっと長い行列が出来ていて間一髪であった。その後本社へ行ってストレスを溜めた後、潜伏地に戻り買い物や部屋の掃除、漫画喫茶などを行った。

  10月7日
 朝一で六本木にある中国領事館に赴き更新したビザがついたパスポートを受け取る。その後、急いで地下鉄にまた乗り込んで横浜へ赴き、すいかさんと約束していた映画「日本のいちばん長い日」を鑑賞。本木雅弘氏が演じる昭和天皇の発音が玉音放送で聞く天皇の発音に即しており大いに唸らされた。
 鑑賞後、すいかさんとランチ。関内近くにある「コーヒーの大学院」というお店をすいかさんから提案されたがすいかさんが地図を読めなかったので自分が調べて辿り着く。お店ではハンバーグ定職を頼み、すいかさんからは猫の写真集2冊、自分からはすいかさんの子供たちへ「これ読んでいい大人になれよ」と言って「水木しげる伝(上・中・下)」を互いに贈る。

  10月8日
 朝一で新幹線(こだま)に乗り静岡県掛川市へ。掛川駅に到着したところでかねてから約束していたようにリツアンSTCの野中社長へと電話をかけたが何故かつながらず、しばらくした所で同社の社員から電話があり、「社長が昨夜、飲み屋に携帯電話を忘れたのでこれから迎えに行きます」との連絡。その後は無事に合流できて、野中社長ともうなぎ屋で無事初対面を果たせた。
 野中社長とは人材派遣業界についてみっちり話し合い、この内容はまた後ほど記事にまとめる予定です。ただこの日はその後が本番で、伝手を通してアポを取っておいた、元日本赤軍であさま山荘に立てこもったメンバーとも直前まで一緒に行動を共にしていた植垣康博氏が静岡で経営しているバーで本人と短い時間ですが会ってきました。
 なお植垣氏は「レッド」という、連合赤軍を描いた山本直樹氏の漫画にて「岩木康広」という名前で出てくるキャラクターのモデルです。この漫画の実質的な主人公として描かれておりますが、話を聞いたところやはりというか山本氏から直接取材を受けており、「きちんと事実に即して描いてくれている」とその内容にも満足げでした。

  10月9日
 前夜、植垣氏と会った後は名古屋の親父の家に11時半ごろに到着して泊まり、この日はその名古屋から朝一で京都へと向かう。京都駅前であらかじめ約束していたブログの読者と会う。以前からメールをある程度やり取りしていたこともありすぐに打ち解け、お互いカレーが好きだということから京都駅内のカレー屋でご飯食べた後、「リプトン」でお茶をしながら話し続ける。その後、東本願寺を見てから今度は七條烏丸にある「珈琲館」でお茶しながら話し続け、夕方に分かれて今度は大阪梅田へ向かう。
 梅田で今度は大学時代の後輩と数年ぶりに再会。お互いに梅田地下街で積もる話をしつつあれこれ話したが、この日飲んだ大阪の地ビールがやけに回って後半は結構しんどかった。その後、後輩と別れて今度はその晩の宿泊先に当たる後輩の家へ向かう。
 こっちの後輩とはしょっちゅう会っていることもあり積もる話はなかったが、タブレットPCを「memo pad」に買い替えたため不要となった「Nexus7」をあげたところ大いに喜んでくれて、「これで出張先でもD○○の動画が見放題だ!」などと言っていたあたり、あげて本当によかったなぁと思いました(^_^)

  10月10日
 後輩の家を朝一で出発し、後輩と共に喫茶店でモーニングを食べる。この際、自動車に興味を持ち始めていた後輩に昨今の自動車市場について少し解説する。
 モーニングを食べて後輩と別れた後、梅田の新阪急ホテルで友人の結婚式に出席する。友人夫婦とは以前にも上海を案内したこともあって友人の奥さんとも面識があり、「前上海で来られた時の中華式大学芋の食べっぷりは忘れていません」といったら、「はよ忘れて」と言い返されました。また一次会終了後にも、「今日は一段とおきれいでしたよ」と言ったら、「今日は?」と聞き返され、「こりゃ失礼、毎日おきれいでした」と謝ったら満足そうでした。
 この結婚式で大学卒業以来会っていなかった旧友二人とも再会。 この友人二人して、「安定を求めたら花園君じゃないよ」と言われ、大学時代からそんな風に見られてたんだなぁと再認識しました。
 一次会を 終えた段階で新幹線に乗り、夕方にまた名古屋の親父の家へ戻る。その後は親父の家の近くにある和食屋でメシ食って、親父にパズドラの攻略法を教えて就寝。

  10月11日
 親父と共にレンタカーのレヴォーグに乗り伊勢志摩へ旅行に出かける。行程距離はそれほどなく、道中で伊勢うどんを食べて、夫婦岩を見てホテルに着。伊勢神宮は以前にも言ったことがあるので今回は省いたが、伊勢神宮以外の観光地が三重県にはなくかなり時間が余ってしまった。ただこれまでの疲れが出たのかホテルに着いた段階で体力が尽きてすぐに昼寝に入り、起きた時にはクライマックスシリーズの試合が終盤に入ってたのでセパ共に観戦した。
 直泊まったホテルは「ホテル近鉄 アクアヴィラ伊勢志摩」だったが、施設は新しく、また料理が非常においしくとてもいいホテルだった。

  10月12日
 ホテルをチェックアウトして、親父と一緒に近くにある奈良の室生寺に向かう。途中、ナビがいい加減な案内するので無視して進む、正午ごろに到着。ちょうど地元のお祭りがやってて人も多く来ていたが、通常通りに参拝して真面目にこのところついてない気がするから邪気を払うよう祈ってから出て、後は名古屋へ一直線。
 名古屋の親父の家について荷物を整理し、クライマックスシリーズを観戦して晩飯を食べた後はそのまま駅に向かって東京へと戻る。

  10月13日
 午前に漫画喫茶で読み切れなかった漫画(「食戟のソーマ」など)を読み、午後からは部屋の掃除。潜伏地の管理は友人に任せていたが、なんかいろいろ気になって結局半日も掃除に費やして今このブログを書いている。この後約束している大学時代の友人と上野で会って、明日はまた中国へと発つ予定です。さて、準備して電車のらんと。

2015年10月10日土曜日

もうしばらくお休み

 現在日本に一時帰国中で、更新もややしづらい状況です。明日以降ももうしばらくこちらのブログ更新はお休みし、多分火曜あたりから再開します。

2015年10月7日水曜日

第三次安倍内閣の布陣について

 この二日間あんまり寝てなくて、明日はまだゆっくり午前は過ごせると思ってたら電車の時間確認したらまた8時過ぎにはすぐ出ないといけないことが分かったので、今日はさらりと政治記事書いて寝ます。出来ることならもうちょっと部屋の中を掃除しておきたいのですが……。

1億総活躍、年内に具体策=TPPで補正検討―第3次安倍改造内閣が発足(時事通信)

 今日のニュースはノーベル賞の梶田さんとこの内閣改造がメインでしたが、こう言ってはなんですが大きく取り扱い程の改造でもなかったなぁというのが私の感想です。というのも厚生大臣や外務大臣、財務大臣といった主要閣僚はほぼすべて留任で、逆に誰がやっても同じであるような軽量な閣僚に新大臣が置かれ、党内の各派閥に配慮した上で大臣経験を踏ませる目的の改造だったのではと一見して思いました。

 中でも注目はほかのメディアでも大きく取り扱われている1億総活躍相(加藤大臣・新設)で、 名前からして一体何をするのかもわからないし、こんな役職に大臣を置く必要があるのかという疑問を覚えざるを得ません。そもそも前回から置かれている地方創生相(石破大臣・留任)もこれまでどういった実績があったのかいまいち見えて来ない上、名称から伺えるこの二大臣の担当分野が被っているようにしか見えないことを考えると、無駄にポストを増やしているだけではないのかという疑念を感じます。

 もっともそんなことを言ったら環境大臣、沖縄北方担当大臣、復興担当大臣などのポストも置いておく必要があるかと言ったらそんなことはないと言いたくなる大臣ポストです。実際これらの大臣にあてがわれる議員は従来から女性が多く 、単純に箔をつけさせるためだけのポストに成り下がっているように見えます。特に沖縄北方大臣は本来ならば普天間基地問題に正面から取り組むべき役職に見えるのですが実際はさにあらず、結局一番力のある菅官房長官が対応を続けているのが現状でポストってなんだろうと私以外にも疑義を呈す人がいてもいいと思うのですが、こちらもさにあらずです。

 最後に各大臣の人選の関しては最近それほど勉強していないのもありますが、特に何か言いたくなるような人はいません。強いてあげればあまり仕事もしていないようだし麻生氏は財務大臣職を下ろされると思っていたら留任したのがやや意外だったのと、岸田氏が予想通り外務大臣を留任したことです。
 これは私の勝手な予想ですが、安倍首相の意中の後継はこの岸田外務大臣の様に思えます。でもこの人を見ていていつも思うのは、「孤独のグルメで主演やってる人となんか似てるよなぁ、雰囲気とか」という感想で、一回でいいから場末の食堂でモリモリ飯食ってくれないかなと密かな気体を抱いています。

2015年10月6日火曜日

友人らからのブログに対する注意(ーー;)

 昨日約半年ぶりに日本へ帰国しましたが、今回は割と予定が詰まっているというか、来週水曜14日まで比較的余裕を持った日程にしたものの、割とどの日も誰かと会う予定がみっちり詰まっています。今回は関西にも遠征するし。そのため昨夜も到着当日ながらあらかじめ会っておきたい人間こと、共通の知人同士である冷凍たこ焼き好きの友人と野球好きの友人にあらかじめ声をかけており、新宿にて三人で落ち合いました。

 以前にもこの面子で一度集合したことがありその際も新宿で落ち合ったのですが、その際は私と野球好きの友人は初対面だったこともあって最初はよそよそしかったものの、途中から酒が入ってきた野球好きの方から段々と打ち解けた態度を見せてきて非常に楽しい夜となりました。ただその際、野球好き、冷凍たこ焼き好きの二人揃って私に対し、「あのブログ(陽月秘話)の文章は過激すぎる」と言及され、もっとソフトな表現を心掛けて無駄に敵を作るべきではないと諭されました。かなり熱心に。
 そして昨夜も予約を取っていた新宿の「とさか」 で二人揃って、「もっと表現を抑えろよ」とまた熱心に諭されました。特にこの前書いた「遵法意識のない日本人」という記事が槍玉に上がり、言ってることは非常に理性的で理解できる内容であるものの、逆に理性的過ぎて淡々と「こうだ!」と結論を最初に言ってくるので見る人によっては反発しか得られないという感想を聞かされ、もっと穏やかに「日本人はルールをきちんと守る礼儀正しい民族だ。だけれど……」という感じで話を持っていくべきだと、やけにディテールの深いアドバイスをいただけました。

  こうした友人らからの注意に対する私の第一声はというと、「そんなに過激かなぁ?」というもので、それを聞くやすかさず友人らは、「本人に自覚が全くないからなおさら手に負えねぇんだよ!」と、マジ怒られました。その夜に友人らにも言いましたがこれでも書いてる本人としてはかなりソフトな表現に抑えているつもりで、恐らく読んでて過激に感じるのはそこそこ自信がある私の表現力によって説明から結論まで簡潔に短くまとまっているからではと言い訳してみましたが、「いや、ぶっちゃけ文章長いって」とあっさり否定されました。

 本当に言い訳がましいですが、これでも控え目に書いてるつもりです。確かに妙なくらい負けん気が強い性格していてその時の気分によっては攻撃的な態度を文章で示すこともありますが、必要以上に敵を作ることは本意ではなく、批判する際も理性的に保とうとは意識しています。もっとも野球好きの方からは、「人は必ずしも常に理性的ではないんですよ。感情的に受け取る人間への配慮もあっていいのでは」と言われてぐうの音も出ませんでしたが。
 ただ、明確に批判するべき相手に対しては一切妥協する姿勢は見せておらず、今後もこの点に関しては変わらないでしょう。具体的にはこの前批判した、長期契約者に対する不公平を続ける携帯キャリア3社とか情報公開をしようとしない派遣大手などですが、こうした強者であって義務を果たそうとしない相手に対して自分は弱者の側に立って抵抗することに躊躇がありません。この点に関しては友人二人も、それは別に問題ではないと理解してくれました。

  おまけ
 このようにこの日は友人二人からこっぴどく叱られましたが、「でも君ら、きわどい記事に来たコメントに対して俺がどう返答するかを楽しみにしてない?」って言ってみたら、にやっと笑われました。実際、「これはコメント主以上に、固定読者から試されているな」と思いながら返答コメントを書くこと多いです。

  おまけ2
 この日に行った「とさか」ですが地鶏の専門店であるものの、食べてて一番おいしかったのはほかならぬ「塩ラーメン」でした。「ラーメン屋やったほうがいいんじゃね?」っていいながら、この日は二軒目に向かいました。

2015年10月3日土曜日

千葉のマッドシティ~八柱霊園

 JR武蔵野線の新八柱駅(しんやはしらえき)と新京成線の八柱駅は連結していて同じ場所にあるのですが、この駅を一歩でも出ると花屋さんや仏具屋さんがやけにいっぱいあります。なんでかっていうと、千葉県における墓地のメッカともいうべき八柱霊園がすぐ近くにあり、真面目な話この八柱周辺の街は墓地が中心となって形作られています。

東京都立八柱霊園(Wikipedia)

 八柱駅からバスに乗っていける距離にある八柱霊園の面積は105haで、東京ドームに換算すると20個分になります。どうでもいいですが面積を東京ドームに換算してもいまいちわかり辛いので小学校の教室(66㎡)に換算すると約15900教室分に相当します。書気ながら思うけどこっちもこっちでわかり辛い。
 話は戻りますが上記の換算式の様にとにもかくにもここはめちゃ広いです。仮にこの八柱霊園の中で鬼ごっこやかくれんぼなどやろうものなら果たして決着をつけられるのかというくらいに広く、また霊園周辺の関連施設を含めると更に広くなるので感覚としてももう比較できないくらい広いって感じです。

 さてこの八柱霊園ですが上のWikipediaのリンク先見出しにも書かれている通り、実は千葉県の土地ではなく東京都所有の土地だったりします。「東京ディズニーランド」といいなんで千葉県にあるのに東京の物なのか、千葉県は東京都の植民地かっていう気分にもさせられますがとにもかくにも東京都の土地で、埋葬されるためには都にお伺いを立てに行く必要があるでしょう。

 私自身はこの八柱霊園に知り合いが埋まっていることもなく特に墓参りなどで訪れる理由はないのですが、以前住んでたところから自転車で宛てのないサイクリングがてら近くを通ることがあり、通った際にはほぼ間違いなく「なんでこんなところ来ちゃったんだろ」と後悔していました。なんで後悔するのかっていうと霊園周辺は小高い丘になっており、一度踏み入れたら最後、ものすっごい距離の坂を何度も上り下りする羽目になって半端なく疲れるからです。
 なら近寄らなければいいじゃんと思うでしょうがまさにその通りであるもの、何故か知らないけどこの霊園周辺の道は激しい勾配とともにやたら複雑に曲がりくねっていて、意図しないうちに迷い込んでリアルで脱出に困ることもあります。

 ただ迷い込む価値はあるっていうか、たまに訪れるといろいろと感慨を覚える場所でもあったりします。特に正面入り口に至る坂道は果てしなく長いですが、長いだけでなく幅も広く、そして両端には仏具屋花屋がずらっと並んでいてなかなかに壮観です。登り道は自転車だと(徒歩でも)大変ですが、登り終えてからUターンして一気に駆け下る際なんかはなかなかに気持ちがいいものです。

 なおこの八柱霊園に埋葬されている有名人の一人に坂本竜馬との絡みで有名な千葉さな子がいます。今回この記事を書くに当たってWikipediaの記事を読み直したところ、なんでも2010年にこれまで終生独身だと思われていたさな子が実は明治七年に元鳥取藩士と結婚していたとする資料が発見されていたとのことです。生憎その時の旦那とは後年離婚したそうですが、これまでの常識をひっくり返す話なだけに歴史というのは常々面白く感じられます。

2015年10月2日金曜日

大衆の捉え方

 連休二日目で部屋の掃除以外特にやることなくまたたらったらとパズドラやりつつ過ごしておりましたが、左肩と右わき腹をやや痛めている状態なのでなんか中途半端にやる気出ません。明日くらいは少し気合入れ直して外出るようにしよう。
 そんなわけで本題ですが来週に会う予定の知り合いに対する講義内容として取っておきましたが、ちょうどこの記事が2500本目の記事になるので折角だから出し惜しみせずにここで私の大衆に対する見方というか視点というものを紹介しようと思います。と言っても興味を持つ人間がどれだけいることやら。

 私の大学での専門は社会学なのですがよく人からは、「社会学って何をする学問なの?」という質問を非常に多く受けます。実際これは社会学をやっている人間たちですらよくわかっておらず、敢えて言うなら「入りやすく極め辛い学問」であって、これが社会学だといったらなんでも社会学になってしまうほど専門性が低い学問です。取り扱う分野も経済学から法学、政治学、心理学、文学と文系自然科学の分野すべてを内包しており、私なんかはそういうオールマイティさにあこがれて社会学を選んでほかの専門領域も法学を除けば大体手を出しましたが、それでも未だに社会学ってなんやねんと思うことの方が多いです。

 そんなよくわからない社会学ですが、一般的に言うなら心理学に近い学問というのが正解な気がします。社会学も心理学も人間の心理行動を第一に着目して観察する学問ですが、異なっている点としては心理学が個人の心理により強く着目するのに対して社会学は集団の心理により深く着目し、また大きな前提として「集団の心理は個人の心理とは乖離する」と考え、個人の考えが合わさることで集団の考えとなるのではなく、個人の考えとは切り離されて集団の考えは形作られると考えます。
 こうした立場でものを考えるよう教育を受けてきた身であることから、私自身も個人の心理とかそういうのには全く興味がなくむしろ集団の心理の方が見ていて楽しいです。その上で述べると何か他人を分析する際はその他人が取る行動に対して「動機」から攻めるようにしており、どうしてそのような行動を取ろうとするのかその背景にある動機をまず推測して、「動機―行動」のつながりを解き明かそうとします。私見ですが心理学の場合だと、動機よりもその人の生い立ちや経験といった背景をより重視して分析の対象としてみているように見えます。

 そういうわけのわからない社会学の価値観は置いといて、このブログではよく日本人論を載せることが多いですが、こうした記事を書くに当たってやっぱり重要になるのは大衆の捉え方です。一言で大衆と言っても定義の仕方は様々ですが、大衆を分析するに当たってまず第一に考えなければならない点として挙がってくるのは「自分は大衆に含まれるか否か」です。
 自分と、これから分析する大衆は同じ構成員なのかどうか。地味にこれを考えるのは重要で、自分は大衆とは異なる異分子と前提して一歩離れた距離から観察するのか、それとも自分は大衆の中の一要素と前提して内部から観察するのか。一見すると前者の方が観察者として理想的な立場に見えますが、全否定するつもりはないものの、一歩距離を置いてしまうと自分を特別な位置に置いてしまうためか初めから持っていた仮説を当てはめようとするようになり、実際いくつかの社会学の論文を見ていると最初に作った仮説を無理やり結論として当てはめようする者が少なくありません。

 では大衆の中から観察するのがベストなのか。これにもメリットとデメリットはあり、メリットは最初から持っていた既存の考えを当て込み辛くなること、デメリットは逆に大衆の中でそうだと考えられている意見をそのまま結論にもって来ようとすることです。ちょうどさっきの逆みたいな感じです。

 それでは私はどっちの立場を取っているのかというと、基本的には自分は大衆の一部だという前提で物を考えています。ただちょっと他の人と比べ特別なのは、自分は大衆の一部ではあるものの、影響力の度合いはほぼ全くないものの、その大衆の思考を変え得る変数であるという前提を常に持っています。つまり私の行動や活動次第では大衆は考え方や行動を変えることもあり得るとして、では何にすれば大衆は変わるのか、逆に何があるせいで大衆は変わらないのかという点を重点的に考えて傾向なり法則を見出そうとしています。
 なかなか我ながら変なことを言いますが、大衆は常に変化を続けておりその変化点をどのように掴むのかが重要であるように思え、これらを掴むことによって大衆というものを把握できるのではと私は考えています。逆を言えば大衆というのは決まった形を保持しているわけでなく、徐々に変化を続けておりその変化を追うことによって現在の状態を見れると思うわけです。

 もうさっきから読者置いてけぼりで好き勝手書いていますが、こうした視点の工夫によって恐らく自分の見方なり視点はほかの人と異なってて、それがこのブログの読者にも評価されているのではないかと思います。私自身は日本人ではありますがもう価値観や概念で言えば確実に一般の日本人とは大きな隔たりがあるものの、それでも日本人という枠の中で大衆を考えてるのが不思議と言えば不思議です。

2015年10月1日木曜日

遵法に対する日本人と中国人の違い

 昨日書いた「遵法意識のない日本人」という記事で私は日本人は法律や規則といったルールを守る意識はほとんどなく、実際には周囲に行動を合わせることを第一の行動原理としているため結果的に実生活ではルールを守った行動を取っていると主張しました。その上で、案外日本人と中国人で遵法意識についてはそれほど差はないのではないかという仮説を立てましたが、今日はその理由を説明します。

 まず一般的に、日本人と中国人のどちらがルールを守るかと言ったらそりゃ間違いなく日本人に決まっています。中国国内でもこういうルールを守るというかマナーについてはしょっちゅう議論になるほど普段の中国人は悪く、私も以前い観光地で「禁煙」と書かれた貼り紙の前でおっさんが堂々と煙草を吸い始め、それを係員が注意した所「なんで吸ったらダメなんだ!」と逆切れするのを見てああ中国だなと感じたことがありました。
 最近であれば爆買い中国人が日本のあちこちでも見られるかと思いますが彼らのマナーの悪さについては見ていて辟易する日本人も多いでしょうし、実際に小売店各社もあれこれ対策を取っているとも聞きます。これだけ見るととてもとても日本人と中国人で遵法意識に差があるようには見えず、中国人は本当に決まりを守らない人間にしか見えないでしょう。

 にも拘らず何故私は今回このような主張をするのか。結論を端的に述べると、この差は遵法意識の差ではなく集団主義と個人主義の差であると思うからです。

 前回記事で私は日本人はルールを守る意識は薄いが周囲に合わせようとする集団主義的意識が極端に強いため、結果的に集団でルールを守る側が多数派を握れば全体が自然とルールを守るようになると分析しました。ただその一方、多数派がひっくり返れば一瞬で態度もひっくり変わるため、外国人から反復常ならないとか何考えてるのかよくわからないと思われ、また戦前から戦後の転換に絶望した人を生みだしたりするわけですが。
 これに対して中国人はというと、言ってしまえば完全な個人主義です。周囲が何しようが何を言おうが全く意に介せず、「ワシがこうしたいねんからこうするねん!」とばかりに自分がしたいことばかりを全く我慢せずに実行します。っていうかさっきのセリフは敢えて関西弁で書きましたが日本人の中で個人主義的意識が強いのは間違いなく関西というか大阪人で、その辺が中国人と馬が合うポイントでしょう。

 まず前提として日本人も中国人もルールを守ろうという意識は非常に希薄です。ただ日本人は周囲に合わせようとするため結果的にルールを守る行動を採ろうとするのに対し、中国人はさっきの煙草の例のように周囲なんてお構いなく自分の本音を通すというか、もちろん度を越した行為はさすがに控えますが、やりたいことを本能のまま忠実に実行します。なので日本人には通じる「他の人はこうですよ」なんていう注意は中国人には届くわけがなく、何かしら罰金なり追放なりといった強制的な処置をちらつかせる以外にルールの遵守を求めることは難しいでしょう。
 その上で述べると、マナーの悪い中国人を見ていて日本人がイラつくのは、中国人がマナーやルールを破るからではなく、周囲に行動を合わせないからという理由の方が大きいのではないかと私は見ています。遵法意識の差からではなく、集団主義と個人主義の意識の違いからくるズレの方が多分琴線に触れているのではないかと言いたいわけです。

 念のため付け加えておくと、上記までの内容を見るとさも集団主義が個人主義に比べ優れているように見えますが私としてはそんな考えは毛頭なく、レベルというか強さ的にはどっちもどっちという風に考えています。集団主義はきちんと管理などが機能している間は確かに強いですが管理がおかしくなっている場合、たとえばこの前書いた労働法の問題やブラック企業、しごき体質の運動部など、集団がおかしな方向に向いた場合に全く修正が効かないままおかしい方向へ進み続けるという大きなデメリットがあります。個人主義な中国人の場合はブラックな企業に入った場合、「アホか!」つってすぐに辞めてしまうので会社が成り立たずすぐ潰れるでしょうし、あと個人主義故に周りを気にせず自分の追い求める方向を追い求め続けるのでたまにすごい芸術家や科学者が出たりもする土壌があります。

 最後に私の思い出話をすると、確かあれは小学三年生の頃でしたが何か粗相をしでかして担任の先生に怒られた際、「友達もやっていたから」という言い訳をしたところ、「他の人がやっていたら悪いと思うことをやってもいいの?」と言い返されました。この時そういわれて、「そや、なんでやったらあかん思うとるのにほかの奴がやってたからやってええことになるんや」と妙な感じで悟ってしまい、少なくともほかの日本人よりは個人主義でありなおかつ遵法意識も強い性格を形成していく大きなきっかけとなりました。
 もちろん私だって信号を無視することもあれば細かい法規を無視するなどといったことはしますが、それでも周囲からはよく固すぎると言われるくらいやや厳格な生活を続けています。昨日例にとった就活でも、二月の期末試験を終えない間に活動をするのは学生としてどんなものかという妙なマイルールを課して期末試験が終わるまでは一切活動らしい活動をしなかったところ、面接では「君は就活の開始が遅かったんだね」と皮肉を言われるだけで誰からも評価されませんでした。

 はっきり言ってこんな性格じゃなければもっと器用に世渡り出来て今よりずっと楽でマシな生活が出来ただろうという確信がありますが、あの小学生の頃に諭してくれた先生には今でも感謝しており、あのおかげで自分は魂を得るに至ったと考えています。

遵法意識のない日本人

 明日から中国では国慶節連休に入る上、途中から日本にも一時帰国するのでかなり長いお休みになります。もっともちょっと状況がテンパり気味なので、ゆったりと休暇を楽しむ気分にはなれないでしょうが。明日暇だし蘇州のイオンでも行こうかな。

<就活>長期化、学業に支障…解禁破り続出、見直し論(毎日新聞)

 そういうわけで記事リンクを貼った上での本題ですが、さすがに大分年齢重ねて就活と聞いてもそれほど共感を感じなくはなっているものの、今年就活に直面した学生はいろんな意味で大変だったようです。何故大変になったのかというと就活にかまけて大学での学業がおろそかになるという懸念から政府、そして経団連が加盟企業に対して就活の開始時期を従来より遅らせ4回生の8月から行うよう指示したものの、次々と横紙破りをする企業が現れ企業側も学生の側も対応を巡って現場では大混乱となっているとのことです。
 まぁ始まる前からある程度予想はついていましたが8月から採用活動を開始するよう通達されていたものの優秀な学生を取ろうとこれより早く開始する企業が後を絶たず、また学生の側もそうした横紙破り企業があることを前提に早くから活動していた人間が順調に内定を取り、結果、正直に8月から活動を開始した企業と学生が揃って割を食う羽目になりました。もっとも、中には3月から活動を開始したものの未だに内定が取れず活動を続けている学生もいて就活の長期化を招いていると記事中で指摘していますが、こういう事例に関しては以前からもあるのでわざわざ記事に書くほどでもないようなと思えるあたりが所詮は毎日の記事です。

 この就活についてもっとしつこく書いてもいいですがそっちに関してはほかに専門家もたくさんいるので今回はスルーするとして、ここで私が提起したい点は横紙破りをする企業が後を絶たなかったというところで、結論から述べると日本人というのは案外中国人と同じで、法律の遵法意識が薄い、っていうかほとんどないように実は前から思っています。

 日本人はルールや規則を守る方か否かと問われるなら、恐らく大半の日本人は「比較的守る方だと思う」と答えることでしょう。しかし私の目からすると行動では確かに守っていることが多いものの、ルールを守ろう意識は実際にはほとんどなく、はっきり言えば惰性で守っているに過ぎないのではと見ています。
 今回の就活の例で言えば横紙破りをする企業が多数いたという点が一見するとポイントのように見えますが、真のポイントはそうした横紙破り企業に対して世間が何も批判しようとしない点です。罰則こそないもののみんなで守ろうといったルールを無視してほかの企業を出しぬく、ギャンブル漫画「カイジ」の世界では日常的に行われていることですがそんな「カイジ」の世界においても、「汚ねぇ、汚すぎるぞっ!」と敗者側が非難をしますが、少なくとも今年の就活に関してはそういった出し抜いた企業に対する非難はほとんどなく、正直にルールを守った会社で採用が上手くいってないことに対して、「正直だったのに可哀相だね」と軽く同情するに止まっています。

 一体何故出し抜いた企業は非難されないのか。そもそもの開始時期設定自体に問題があったのだとか色々言い訳は立ちますが、私が思うに出し抜いた企業が多かったから非難されないのだという気がします。
 たまにはここで筆を止めてもいいかなと思いますがもうちょっと詳しく説明すると、たとえば百人中一人がルールを破った場合、恐らく日本人はその一人を徹底的にこき下ろした上で村八分のような処置を取ることでしょう。しかしこのルールを破る人間が一人ではなく二十人だったら、恐らく守った八十人は破った二十人を非難はするものの村八分のような扱いまで取ることはないでしょう。さらに破った人間が五十人だった場合、諍いは起こるかもしれませんが守った側もこのくらいの人数になると「ずるい」と悔しげに文句を言うにとどまることでしょう。そして破った人間が八十人だったら、ルールをきちんと守った人たちは破った人たちから「馬鹿正直な連中だ」と文字通り馬鹿にされ、その二十人も恐らく非難すらせず、中にはどうして自分はルールを破らなかったのか後悔する人間も出てくるでしょう。

 ここまで言えばわかるでしょうが、日本人はそこに存在するルールを守るか守らないか以上に、自分の行動や判断が多数派になるかならないかの方をより重要視する傾向があります。何もこれは日本人特有というわけではなく外国人にももちろんみられますが、ただ私の目から見て外国人と比べれば日本人は特にこういった集団主義的傾向が極端に強いという風に感じます。
 このような集団主義的傾向が日本人においては強いためか、普段の行動原理は「他の人間と同じ行動をとる」ということが第一義として存在しており、「ルールや規則を守る」という考えは文字通り二の次でしかありません。なもんだからルールや法律を守らない人間が集団のうち過半数を越えた場合、強力な罰則や執行機関が存在しなければ、その時点でそのルールはルールとしての価値を完全に喪失することとなるわけです。極論を述べると、百人のうち九十九人がルールを破る中、「ルールはやっぱり守らなきゃだめだ」と主張するような最後の一人はもはや日本人ではないでしょう。

原発事故で日本社会が失ったこと(2)・・・遵法精神(武田邦彦氏のHP)

 この記事を書くに当たって「遵法精神」というキーワードで検索したところ引っかかったのが上記の武田邦彦氏のホームページでしたが、武田氏は放射線の被爆限度量が震災以前と以後で変わったことを例にとって日本人は原発事故によって遵法精神を失ってしまったと書かれていますが、私の意見は異なっており、そもそも日本人には遵法精神なぞ初めからなかったのだと思います。この限度量が変わったことについても、黒が白に変わっただけというか多数派がつく数字が必要に応じて変わっただけでしょう。

 このまま一気に書いてしまうつもりでしたが、途中で書いた「日本人というのは案外中国人と同じで法律の遵法意識が薄い」という点についてはまた明日にでも書きます。疲労してテンション低い中、今日はなかなか頑張って記事書けたな。