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2020年4月27日月曜日

深夜のコンビニ勤務の恐怖

厳冬の中国自動車市場でテスラが一躍絶好調の理由(JBpress)

 というわけで今日出た自分の記事ですが、案の定コロナにやられてほとんど読まれていません。個人的にはこのコロナ禍の中でテスラが月間1万台を達成したのはそれなりに衝撃で報道価値もある内容だと思うのですが、如何せん時期が悪いのであきらめてます。

The Convenience Store | 夜勤事件(Steam)

 そんな私の記事は置いといて本題に移りますが、上記はSteamで販売されているゲームのページですが、なかなか面白そうなホラーゲームで購入を現在検討しています。このゲームについて友人に紹介ブログとともに伝えたのですが、紹介したブログの説明が非常に悪く、「雰囲気はわかるのだけれど説明がひどすぎて面白そうには見えない」と言われました。実際、私もリンクを送った後で説明文がひどい時が付いたのですが後の祭りでした。
 なので替わりに別の紹介を送ろうかと思って、目を付けたのが下記のコメントでした。

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アナタはこのワンオペ夜勤を乗り越えられるか

 コンビニ夜勤のエキスパートである筆者が、この作品の恐怖ポイントをいくつかご紹介したいと思う。

 まずゲーム冒頭、制服に着替えてから家を出るという主人公の暴挙に度肝を抜かれることだろう。制服を纏うとは、店の責任をもその身に纏うということ。これから出勤と言えど、勤務時間外での着用は許されるものではない。というかコンビニ制服着て通勤してる奴なんて見たことねーよ。田舎では普通なのだろうか……

 店に到着後は、店長が一人レジに佇んでいる姿が視界に入る。夕勤バイトの子は居ないのだろうか? ひょっとして朝から24時までのスーパーロング・シフトで、マネージャーやオーナーからこき使われていたりするのだろうか? コンビニの人材不足はどこも変わらないようだ。その過重労働ぶりには頭が下がる。下がるが……ちょっと店長? 船橋さん? 売変(廃棄)残ってるんですけどー? この時間の売変下げるの、アナタの仕事ですよね?

 しかもコイツ、主人公がタイムカードを押したら挨拶もせずにさっさと帰ってしまう。疲れているのはお察しするが、中間管理職のコミュニケーション能力がこれでは従業員間のトラブルも絶えなそうだ。

 そしておでん売り場にはイートインが併設されている。併設されているというか、ちょっとした飲み屋だこれ……

 このタイプのイートインは寡聞にして知らないのだが、これもまた田舎では普通なのだろうか……こんなのあったら面倒な酔っ払いにタムロされて仕方ないと思うが……とりあえず一品じゃない、サッと食ってサッと帰ってくれ。あと普通の具材と串モノを一緒くたに入れんのはやめろ店長。肉の油が浮いてきちゃうだろーが! これ洗うの夜勤の仕事なんだぞ船橋テメー! 隣にある中華まん什器もパンパンに仕込みやがって、深夜に売れるわけねーだろ船橋このヤロー! 販売許容時間考えろ!

 ……なんということだ。まだ出勤すらしていないというのに、ふと店内を見回しただけで、もうこれだけの恐怖ポイントを見つけてしまった。船橋のヤローはどれだけ夜勤の仕事を増やせば気が済むのか。

 これ以降も、売る気があるとは思えないメチャクチャな商品の陳列、倉庫に異常なまでに積まれたマスクと消毒液(コロナ対策だろうか?)、その反面で全く確保されていないソフトドリンクの在庫(夏場なのに)、常温で保管されている冷凍食品、深夜に店内をウロチョロするクソガキ、そいつを注意しようともしないクソ親と、コンビニ夜勤の経験がある者ならば恐怖するしかないポイントが無数に存在する。夜勤事件とは、全くよく言ったものだ。
 ホラーゲームとしての醍醐味を損なってしまうので、その他の恐怖ポイントの詳細は割愛することとする。

 だがあえて一つだけ最も恐ろしい点を挙げるならば、なによりの恐怖は「呪いのビデオテープを媒介に呪いが撒き散らされてゆく」という本作の設定に対して、客がみんなスマホ決済で会計をしている点だと思う。時代背景が分からなすぎて怖い。
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 このコメントはSteam内のページにつけられたコメントなのですが、見事にゲーム内容については一切触れていません。しかし先ほど連絡を取った友人にこれを送り付けたところ、「文章が非常に上手い」、「書き手だけでこうも変わるのか」などとやたら絶賛されました。実際、私もうまい文章だと感じます。
 それにしても、夜勤経験者が見るとこういうところに恐怖を感じるのかと、見る者によってその恐怖は変わるというクトゥルフっぽい現実が確かに存在するようです。

2020年4月26日日曜日

「ど根性ガエルの娘」を少し読んで

ど根性ガエルの娘(Wikipedia)

 昨日の今日でなんですが、昨日の記事で批判しようとしたのがこの作品です。昨日書いたように3巻辺り、というか15話から本番だというので3巻まで買って読みましたが、まぁ無理して買う必要もなかったかなという風に考えています。

 この作品を知ったのはふとしたきっかけからで、ネット上で一時話題になった問題作ということから今回の電子書籍セールに合わせて購入してみました。内容は上記のウィキペディアの記事に詳しいですが、漫画の「ど根性ガエル」の作者である吉沢やすみ氏の娘である大月悠祐子氏が、最初のヒット作以降は全く作品が当たらず家庭崩壊していた状況を書いたという漫画です。
 興味を持ったのは私の年代なら誰もが知るであろう「ど根性ガエル」の作者がそのような状況になっていたということもありますが、実はそれ以上に昔「ギャラクシーエンジェルズ」読んでたってのが大きいです。ついでに言うと「アクエリアンエイジ」でもかなんが描いたキャラのカードをよく使ってましたが、このネタが分かる人はかなり限られる気がします。

 話は戻りますがこの作品はいろいろ曰く付きというか事情があり、元々は週刊アスキーで連載されていたものの打ち切られ、その後白泉社のWebサイトで連載が再開というか仕切りなおされています。
 曰く付きなのはその移籍の背景で、アスキーでの連載は吉沢やすみ氏がギャンブル依存症となってDVもあったし過程も崩壊したけど、それでも漫画を愛する心があったからこそ私(=作者)も漫画家になった……的な味付けで話が進むのですが、なんと作者自身が途中でこの方針を拒否するようになったそうです。その理由というのも、家庭崩壊は未だに続いていると考えていたからです。

 その辺の下りは非常によく赤裸々に書かれており、連載企画で親娘対談をやったところちょっとした発言で父親が激怒し、途中で退席してしまっていたのですが、当初の漫画ではそんなことなぞなかったように和やかな会談シーンが描かれました。その後、「あれは実は嘘だった」的に、当時の実際を描いたのが話題となった15話でした。ついでにその回では連載中に吉沢やすみ氏が脳卒中で倒れて一時半身不随になったことも描いています。
 そのほか家庭崩壊に関しては、中学生時代からギャンブルの金欲しさに父親から小遣いを盗まれて、でもって非難したら追っかけられ、母親に伝えたら「お前が悪い」と言われて土下座させられたり、わざと腐った食べ物を食べるよう強制されたりといったエピソードが描かれています。また作者自身の拒食、過食症で引きこもった時期も描くなど、そうしたありのままに当時の事情を描いている点は素直に評価できます。

 ただ、それでも私はこの漫画を評価することはできず、はっきり言えば読む価値もほとんどないとすら考えています。理由は大きく分けて二つあり、一つは単純に漫画作品として質が異常に低いためです。
 実際に読んでもらえばわかりやすいですが、この漫画はどのページもコマがやたら大きく、なのにセリフは少なくて1ページ当たりの質が極度に低い印象があります。書き込みが多ければいいってものではないですが、深刻な家庭事情の話なのに変にキャラクターもデフォルメ化してそれらしい効果もつけられてて、読んでてずっと「なんでこうなの?」という違和感を感じてなりません。

 実際にというか、今朝に2巻と3巻を端末にダウンロードしたのですが、通勤途中の地下鉄に乗っている約20分間で2冊ともほぼ読み終えてしまいました。それくらいコマが大きいためコマ数と情報量が少なく、漫画というより絵本に近い内容です。にもかかわらずやたらと見開きのページが多く、その見開きの絵の内容もびっくりするくらいスカスカで、ページ数を水増しするためやってるのかとすら内心感じます。
 もしかしたら編集などからの指示なのかもしれませんが、もし作者が意図してこれをやってるのなら、単純に漫画家としての技量が不足しているとしか言いようがありません。それだけ1ページにおける薄さがこの漫画は際立っています。

 次に問題だと感じたのは、時系列がてんでバラバラで、読んでて非常に読みづらいという点です。現代の場面が描かれたかと思ったら突然「ド根性ガエル」の連載時代になったり、また現代に戻ったかと思うと今度は急に作者の子供時代→高校時代→中学時代みたいな感じで、時系列が脈絡なく飛び続けます。おまけにそこで描かれるキャラクターも毎回作者や吉沢やすみ氏というわけじゃなく作者の母親や弟で彼らの心情が書かれたりして、でもってまた急に現代になって「当時どうだったの?」的なインタビューがガンガン差し込まれます。はっきり言って読みづらい上に感情移入も全くできませんでした。

 あくまで個人的な憶測で述べると、作者自身が心の整理がついてないからこうなっているのではないかという気がします。家族との関係や過去の体験について向き合ってはいるものの、整理というものは全くついておらず、だから一つの話の流れにまとめることができずエピソードごとに単体としてでしか書けなかったのではと読んでて思いました。そしてそれがゆえに、どうしてもというか各話はどれも主観が強くにじみ出ていて、

弟:数少ない味方、理解者としてカッコよく描かれる
母:女手で育ててくれたことに対する感謝や尊敬を抱くとともに、家族の犠牲にされたという憎悪から二面性が強く描かれる
父:諸悪の根源だがどうやっても抵抗することができない存在のため統一した人格で描かれない

 みたいな感じに描かれているように私には見えました。その上で、こうした実録系のドキュメント、自伝漫画では、主観が入れば入るほど作品としては価値を落とし、やはり客観性が強く求められるものだと私は考えています。主観を全く入れてはならないわけではないものの、作者の主観というのは読者からしたら他人の視点でしかなく、見ていても共感することは基本難しいです。
 こういった自伝系での主観は自分自身を美化する傾向が強いものの、この漫画に関して作者はまだ自分のことを美化することは少なく、むしろ厳しい時期をよく赤裸々に描いているとは思います。しかし周囲に対する表現は主観が非常に強く、またそれがゆえに先ほど指摘した時系列がバラバラで全くまとまりがない事態を招いている節があり、客観的に描き切れていない、即ち過去の事実について整理し切れていないという風に私は受け取りました。

 そのため、作者の家庭崩壊がどれだけ深刻だったのかというエピソード自体は確かに興味深いものの、内容のスカスカぶりに加え主観が入り混じった読みづらさもあり、漫画作品としてみるなら正直あまり評価できるものではなく、はっきりつまらないと感じました。むしろ漫画で読むより、文字情報にまとめた解説文の方が読んでて楽しめる気がします。ぶっちゃけ、漫画よりもウィキペディア記事の方が面白かったです。

 これが私的な作品だったらまだしも、曲がりなりにもこうして有料で出版されている作品としてみるならば、私はこの作品を評価することはできませんし、人にもお勧めできません。何度も書いている通り話のネタ自体はインパクト抜群なだけに、どうしてもっと上手に料理できなかったのかという点で惜しいと感じるところは多いのですが。

 なお同じように客観性がなくなり主観が入り過ぎて失敗した自伝漫画だと、平松伸二氏の「そしてボクは外道マンになる」があります。これなんか最初の方は1970年代のジャンプ編集部と当時の連載作家たちの姿をオーバーな表現で描きつつ、新人漫画家として苦しむ自分の姿が非常に良く描かれていて面白かったのですが、作品が評価され始めた2巻辺りから作者が自分自身を段々美化して描くようになり、また先ほど評価した他の作家陣などの周囲の情景も描かなくなるようになって人気が急落し、単行本4巻で敢え無く打ち切りとなっています。
 自分は全部読みましたが、実際3巻以降はやばいくらい面白くなかったです。非常に皮肉なことですが2巻の後半に出てくるドクターマシリトが現代の作者に向かってこの漫画について、

「平松さんがもっと外道にならなきゃ、この漫画は売れないただのゴミで終わる」

 と批評するシーンがあるのですが、本当にその通りの結末を辿っています。ウィキペディアの記事にすら、「この発言がのちに現実となってしまう」と書き込まれていますが、実際やばいくらいぴったりそのまま現実になってるからこれは仕方ない。
 自伝漫画はやはりというか自分を美化せず、むしろ汚れ役として描き、尚且つ客観性が強く求められるというのが私の持論です。ではどんな自伝漫画そのような作品なのかは、また今度書きます。

  余談
 「ど根性ガエルの娘」の中で作者が父親に少年ジャンプのパーティに連れてってもらえるシーンがあるのですが、そこで作者は当時「キャプテン翼」を連載中(今もとは言わない)の高橋陽一氏を見つけてサインをねだったところ、快くサインしてくれた(岬くん付きで)エピソードが紹介されています。
 一方、「そしてボクは外道マンになる」では平松氏のアシスタントとしてやってきた高橋氏の印象が描かれているのですが、その印象というのも「大人しくて礼儀正しく素直そうな若者」と書かれています。この高橋氏に関しては、どの紹介見ても大体こんな感じで物やさしげで大人しく柔和な人と紹介されており、これほど各自の印象が一致する人もいないなと思うとともに、「実際こんな感じの人なんだろうな」とよく思ってみてます。

  余談2
 同じく「そしてボクは外道マンになる」では連載前のキャプテン翼のネームを見た平松氏が、「ボールは友達」というセリフに衝撃を受けたシーンが描かれています。この時の心境について平松氏は、「俺たちスポ根世代にとっては、ボールなんてのは(試合中に相手を殺すための)殺人の道具でしかなかった」と語って、スポーツを楽しむという高橋氏の描き方に対する驚きを口にしていて、なんかいろいろ笑えました。
 本当にこの作品は作者自身よりも、その周りというか風景を描いてくれているだけでよかったし、その方がずっと面白かったのに(ノД`)・゜・。

2020年4月25日土曜日

大量に買った漫画

 DMMが毎年恒例の半額ポイントセールをやりだしたので、これまで発売されていながら購入を控えて来た漫画を大量に購入しています。特に「五等分の花嫁」は最終巻だったので楽しみにして読んだのですが、ネットで結末最悪などと書かれていてもこの漫画に限ってはないだろうと思って読んだところ、びっくりするくらい面白くありませんでした。話になんにも波がないというか予定調和過ぎて、ようやく○○を主役にイチャコラするかと思ったらほかの五つ子の方が出番が多かったりと、この最終巻自体が蛇足というかなかった方がいいのではと本気で思いました。

 一方、同日発売の「かぐや様~」は安定の面白さで、ラブコメ覇権の移り変わりをはっきり感じました。このほか「ハコヅメ」の最新刊に関しては、「ピョンピョン捜査」の回がやばいくらい面白かったです。元々セリフ回しなどが「銀魂」によく似た作品ですが、この回は展開も「銀魂」そっくりで、1ページごとに笑い出すほどでした。

 あと「よふかいのうた」も2巻と3巻をまとめ買いして、相変わらず面白かったです。この漫画の作者のコトヤマ氏は「だがしかし」から追いかけていますが、センスや表現力が他の漫画とは一線を画しており、絵も一見よくありそうな絵柄であって実は誰にもないタッチで描いてくるので前からすごい好きです。これほどの実力者でも、「だがしかし」連載前は食うや食わずやだったというのだから、この業界はなかなか難しいものです。

 そのほか「GIGANT」、「ヒナまつり」、「幸せカナコの殺し屋生活」とかいくつか買っているのですが、実はこの記事はある漫画を酷評するためにか書き始めまています。しかしその漫画についてネットで、「1~2巻はともかく、3巻からやばくなる」という書き込みを見たので、今回は何も批評を書かずに見送ります。現在1巻だけ買って読んでみてなんじゃこりゃとちょっと呆れたのですが、本番は3巻からというので、言われた通り3巻までは読んでみることにします。

 なお一人爆買いは続いており、先週もGT-Rのプラモ買ってまだ作ってないにもかかわらず、今日は何故か店頭にあったF4Dスカイレイのプラモも買ってきました。爆買いをしているのは理由があり、つい先日に中国の銀行に預けてた定期預金が満期を迎えて、利息が入ってきたからです。今回の金利は4%くらいあって、わずか3ヶ月とは言え小遣いとするにはそこそこおいしい収入が入ってきて、金遣いが荒くなっています。
 もっともスカイレイの値段62元(約940円)だけど。あのデルタ翼に一目ぼれ。

 それと定期預金について、これまではなかったけど今回満期直前に預けている銀行から電話があり、おすすめの商品とかやけにプッシュされました。なんか資金集めに忙しいのか知らないけど。
 ただ超競争資本主義大国中国というべきか、定期預金をスマホアプリで再購入する際、「商品購入サポート担当者(オプション)」って項目があり、そこにスタッフ番号を入れる仕組みになっています。先ほどの電話かけて来た行員からはそのスタッフ番号を受けており、要するに実績作りのために営業かけてきたのもあるでしょう。まぁよく競わせる仕組みだこと。

シュレディンガーの金正恩

 朝から金正恩が検索急上昇ワードだと聞いて検索かけたところ、見出しに掲げた「シュレディンガーの金正恩」という単語を見つけました。誰が言い出したかはわからないけど、非常によくできた印象に残る言葉だという気がします。

 その金正恩ですが、いろいろ報じられている通りに何らかの形で健康上で問題が生じ、政治的に死んだ状態になっている可能性が高いのではないかと私も見ています。こう思う理由はいくつかありますが、年初のイランのスレイマニ司令官殺害事件以降から急に姿を見せなくなり、ミサイルの発射実験も一時期ピタッと止まっていたほか、最近になって妹がクローズアップされるとともに発射実験も再開され始めたことから、やはりスレイマニ司令官殺人事件の前後に何かあったのではないかいう気がしてなりません。

 とはいえ、この報道は消息筋の情報でありきちんと裏付けがなされた情報ではありません。米国のトランプ大統領が、「報告は受けていない」、「死んだとは聞いていない」と発言してはいますが、この発言、特に後者に関しては「死んではいないけど健康上の問題を抱えているぞ(^ω^)」と言っているようにも見えなくもなく、やはり無視できる情報というわけではなさそうです。
 私個人としては、昨年末から公の場に姿を現さなくなったことと、ここ数ヶ月の北朝鮮での金正恩の活動写真が素人でもわかるくらいな露骨な合成写真であることから、政治的には活動できない状態にある可能性が高いとみています。この辺は下の記事に詳しいです。

「金正恩の死」を睨んで動き始めた世界(Jbpress)

 そういう意味では見出しの通り現在の金正恩は、生きている金正恩と、死んだ金正恩が50:50で並存しており、北朝鮮が情報を公開する(観測される)まで続くと言えるでしょう。各国も生存シナリオと死亡シナリオの二本立てで今、今後の対応をシミュレートしていると聞きますし。

 それにしても、「シュレディンガーの猫」という単語は一時期の「レーゾンデートル(存在理由)」といい、やたら日本人に愛されているワードに見えます。個人的には「~の猫」というのがミソで、猫じゃなく「シュレディンガーの犬」、「シュレディンガーのイグアナ」とかだったらここまで普及はしていなかったと思います。

 そもそもなんで猫になったのか、単なる偶然でしょうが、「シュレディンガーの熊」とか「シュレディンガーの中村紀洋」でもよかった気がします。
 後者は、あるボタンを押すと大阪ドーム内にいる中村紀洋が1/2でホームランを打ち、1/2で三振をするという装置があり、このボタンをドームの外で押した場合、大阪ドーム内にはホームランを打つ中村紀洋と、三振をする中村紀洋が50:50で並存する状態となり、この状態はナイター中継を見るまで続く、つまり中村紀洋の打率は.500になるという現象を指します。なんで中村紀洋になったのかは自分でもよくわかりませんが、真っ先に浮かんできたのが彼だったからで、シュレディンガーも恐らく真っ先に浮かんできたのが猫だったのではないかと推測します。

才能の片鱗

 また更新が少なくなっていますが、相変わらず仕事が忙しいせいです。今日午後昼過ぎなんか疲労からか右手の握力が出ず指に力が入らなくなり、マウスをクリックするのもなんかすごく辛かったくらいです。山場自体は乗り越えてはいるものの、2月くらいから疲労がたまってきたせいか今が一番しんどい状態です。
 そんな疲労でいっぱいの状態ですが、先週末はまた次のJBpress記事のために取材と執筆を行っており、この作業もそこそこ疲労をためる要因になってる気がします。もっとも今回書いたのは統計記事で、グラフさえ作れば後はその解説文書くだけなのでまだ楽でしたが。

 その統計記事ですが、はっきり言って自分には適性があります。ライターの間でもこの手の統計関連記事は、書くのを得意とする人とそうでない人にはっきり分かれる傾向があり、後者の方は逆にインタビュー記事を得意とする人が多いです。自分は別にインタビュー記事を苦手としていることはありませんが、統計に関しては自分一人で一通りグラフも作れれば、数字を読み解く方面の分析も割と苦にせず行え、記者時代もこの方面では周りより得意にしていました。もっとも記者時代より、今の方が確実に統計に強くなっていますが。

 この統計に強いという特徴ですが、今思い返すと自分は子供の頃からその才能の片鱗は見せていました。数学自体は得意ではなかったもののデータの羅列から無視すべきデータと、着目すべきデータの区別は明らかに周りより早く、且つ私自身がそうした大量のデータをさばく作業を好んで行っていました。データの収集や閲覧方法は大学に入ってから学び始めたものの、比較的統計を取り扱う同じ社会学系の学生に比べても、自分は割と頻繁に統計局のサイトに入りびたってはいろいろデータを漁ったり、気になった分野とかをよく調べていました。
 本格的に開花するようになったのはもちろん記者になってからですが、早くて中学、遅くても大学生時代から統計方面に関する才能の片鱗ははっきり見られ、案の定というかこの分野では比較的高い実力を持つに至りました。

 何が言いたいのかというと、意外と先天的な才能というのは早いうちからその片鱗を見せるのではということです。統計に関するセンスに限らなくても、情報に対する感度や、微細な変化に対する観察など、今思い返すと自分は子供の頃からこうした方面の片鱗が見られていました。一部に至っては当時の自分自身ですらも自覚していたほどで、周りの人間はもっと自分の才能の片鱗に気付いて、それを育てるべきだとすら本気で思っていたほどです。
 才能の片鱗などと大仰な言い難しなくても、単純に育成期において適正と感じられるものはやっぱり成人になってもその方面では強い力を発揮しやすいのではないかと思います。はっきりとした実力を備えなくても、興味や関心が周囲より高い分野や方面で訓練を積むなり、係るような業務を選択して就くということは、それもまた単純に自身の有利につながることでしょう。

 もっともそうした適正に自分自身、または周囲が気付かなければ全く意味はありません。この辺は進撃の巨人のシャーディス教官じゃないですが、各個々人について周囲とは異なる、一歩前にある分野を気付いて教えてあげられる人間がいるかいないかによって左右されるでしょう。

 ここで話を変わりますが、統計や分析方面で自分は子供の頃から明らかに才能の片鱗を見せてはいましたが、こと文章の執筆に関しては、はっきり言ってそんなものは全くありませんでした。今でこそ実質的に物を書く仕事で生きてはいるものの、小学生から中学生にかけては自分の作文力は子供のレベルであっても話にならない水準で、実際に夏休みの読書感想文とか凄い億劫な気持ちでいつも書いていました。
 それが中学二年くらいから小説を書き始めるようになってからはこの方面の実力を高め、前にも書きましたが高三の時点では教師相手でも決して劣らないくらい文章が上手くなっており、実際ガチで「お前らに教わることなんてないんだけどな」なんて本気で思ってました。こうした見方は今の自分から見ても、あながち傲慢な見方ではなかったと考えています。

 何が言いたいのかというと、私の文章力に関しては先天的な才能によるものではなく、完全に後天的な訓練によって獲得した能力だと自分で考えています。センスがあったのではなく一からセンスと技術を磨き続け、現在そこそこ人にも指導できる水準に至ったと考えています。
 無論、飽きっぽい自分がそこまで続けられたのも一つの才能と言えるかもしれませんが、やはりどう考えても子供の頃はこの文章方面で周囲とは異なるセンスや、一歩前にある実力というのは一切見られなかった気がしてなりません。凡庸、下手すりゃ劣位にある水準にあり、そこから現在の水準に至ったのはやはり後天的な訓練の結果なのだろうと分析しています。

 ただ自分にとって幸運だったのは、反対に先天的な才能が見られていた統計や分析に関するセンスが、後天的に得た文章表現力と上手く結びついたことで、数字や統計を苦にせず記事を書けるライターになれたということです。よく就職関連とかで「スキルセット」という単語が出てきますが、個別のスキルを組み合わせる以前に、個別のスキルを形成する適正要因を如何に組み合わせるかの方が根源的に重要なんじゃないかとも思います。まぁそこまで自分や他人を分析できる人間は多くないでしょうが。

 最後にこの記事の見出しですが、「ゼノブレイド2」のあるキャラクターのスキルに「聖杯の片鱗」というスキルがあって、これ見て「片鱗」という言葉を使いたくなって見出しを決め、そこから内容を考えてこの記事書いてます。こういうところは無駄に器用というか、自分らしい気がします。

2020年4月20日月曜日

中国でマスクが溢れる背景

 前に少し書きましたが、今や上海ではマスクがそこらじゅうで売ってて、薬局のみならずコンビニでも余裕で買えたりします。でもって、日系のスーパーやコンビニだと日本語パッケージのマスクも割にがっつり置かれていて、どうしてまたこんな風に溢れているのかなと少し懸念を覚えました。
 結論から言うと、今の日本のマスク不足は生産が追い付かないのではなく、物流のどこかに問題があるのではないかという風に見ています。

 2月ごろならまだしも、現在に至って中国はほとんど日常通りに戻っており、止まっていた生産能力も平常通りに戻っています。となればマスク工場もバリバリ稼働しているわけで、一応今でもマスクをつける人は多いものの、日本語パッケージのマスクだったらなんで日本に輸出されないのかが逆に不思議な感じです。
 考えられる理由としては、日本以外の国の需要が高くて供給されないという可能性もあるものの、実際には日本の消費者へ渡るまでの物流のどこかで洩れているか、止まっているかなんじゃないかと推測したわけです。理由としては、以前より強化されたとはいえ未だに日本ではマスクの転売行為が見受けられること、次に「小売店→消費者」の流ればかり取り上げられるものの、それ以前、または「小売店→?→消費者」のところの物流が実はちょっと見えづらいと感じるからです。

 ただでさえ現在はマスクが高値でさばけるというのだから、物流のどこかで業者または個人が差っ引く動機はいくらでも考えられます。そうした物流の阻害があって、供給が追い付かないことは事実であるものの、不足に拍車をかけているのではという風に疑っています。

 ということを今日上海人の友人に話したら、「じゃあ今僕らが中国でマスクを買い占めて、日本で売ったら儲かるかな?」と聞いてきました。私の回答としたら、「中国では日本以上にマスクの転売が厳しく制限されている」と踏まえた上で、「むしろ調達したマスクを寄付という形で後輩に送りつけ、後輩を介して日本でさばいた方が安全且つ確実に売れる」とアドバイスしました。もちろん、私も友人も実際にこんなことはしませんが。
 なおその友人によると、マスク工場はマスクの単価がある程度制限されているためそれほどでもないが、マスクの原材料となる不織布やPPの価格が今、物凄い高騰しているということを教えてくれました。マスクというよりも、マスク周辺が今特需のようです。

2020年4月19日日曜日

急性の関西人になった男のCM

【動画】関西電気保安協会、癖の強いCMをまた作ってしまうwwww(ぶる速)

 前々から高く評価していましたが、また関西電気保安協会がすごいCM作ってたので紹介します。っていうかどれだけ作り込んでんだよこれと思うくらい演出が細かい。
 なおあめちゃんの下りを見ていると、大学時代のロシア語の授業で、

学生「せんせー、昨日徹夜でカラオケで喉痛い。あめちゃんもってない?」
講師「あんた大阪のおばちゃんみんながあめちゃん持ってるとでも思ってんの?まぁ持ってるけど<ゴソゴソ」

 というやりとりが目の前で本当に起こったことを毎回思い出します。あの先生も元気しているかなぁ。

時事通信の広州写真についての疑惑

習指導部、求心力低下も 経済目標の達成困難に 中国(時事通信)

 いきなりですが上記リンク先の写真について強い疑問が感じられます。
 このブログでも書いている通り、現在上海市内はマスクをつけていることを除けばほとんど日常を取り戻しており、ショッピングモールや飲食店などもかつてのような賑わいを取り戻しています。一部の店には自粛の反動のような込み合いも見られ、割と楽しく暮らせてたりします。

 それに対し、上記リンク先にある「広州市内のショッピングモール」とされる写真では人が全くいない閑散とした風景が写されています。それこそ店舗運営の自粛、外出の制限がなされていた2月中であればこうした光景は確かに上海市内でも見られ、実際に私も直接見分していますが、4月以降でこうした光景は普通は撮影できないのではと正直思え、意図的な作為があるのではと感じました。

 そういうわけで早速広州市内の友人に「ヘイ、広州の状況はどんなん(´・ω・`)」と尋ねたところ、「もう日常通りだよ(∩´∀`)∩」とすぐ返事がきました。っていうかめっちゃ気を使ってくれて、わざわざ子供たちのキャッキャ(´∀`*)ウフフな声が聞こえる公園の動画まで送ってきました。
 その上で上記記事のリンクを送ってこの写真についてどう思うかと尋ねたら、「オープン直後か閉店直前など、狙いにようによっては撮れないこともない写真」という、結構辛辣な返事がきました。そしてはっきりと、「少なくとも、今の広州の実態を表すような写真でないことは確か」と言われました。

 私はこれまで時事通信に対しては比較的信用していたのですが、この写真の掲載に関しては疑問しか覚えません。また記事内容も「GDPの倍増目標が未達に終われば、習指導部への信頼が揺らぐこともあり得る」という文言についても友人は、「コロナの影響で達成が出来なくなるのはみんな当然と考えてるし、すくなくとも一般市民の間でそのような意識は感じられない」と、こちらが聞くまでもなくコメントしてくれました。
 なおその友人は自分の知る限り五指に入るくらい天才な友人です。理系出身なのに日本語を完璧にマスターして日本語で新聞記事まで書いてしまう中国人だし(;´・ω・)

 逆を言えば何故時事通信は見方によっては捏造とも取れかねない記事をここで出してきたのか、この点の方が気になります。はっきり言えば、中国人との接触がない人間が書いているのではないかと思います。下手したら、街中すら出歩かずに書いているのかもしれません。
 こういう人間がいるから、ある意味自分も仕事を続けなくてはならないとも思います。本当はわざわざ口うるさいことをいちいちJBpressとかで指摘とかしたりしたくないのですが。

2020年4月17日金曜日

事実は小説より面白い

 一言で読み物と言っても、こうしたブログなどのコラムから解説などたくさんあります。ただ現代において読み物として最高の地位、つまり最も面白いと言われているのは小説だと思いますが、私は内心そのようには思っておらず、やはり伝記が一番面白いと考えています。理由は何故かというと、結局のところ空想は事実に対し面白さで優ることがないと考えるからです。

 現代までに悲劇や喜劇、冒険活劇などたくさんの読み物が作られていますが、いろいろ読んでみたところで私が感じたこととしては、現実に起こった出来事の方が面白さで一段抜くところがあり、そういう意味では事実を元に人物を主人公とする伝記が一番面白いと感じています。三国志演義といった軍記物は確かに面白いものの、ベースとなった三国時代や明代の事実も負けず劣らず面白く(諸葛亮のモデルとなった劉基など)、またナポレオンの実際の軍事活動も波乱と知略に富んでいてこちらも面白かったりします。

 そのほかサスペンスに関しては、実際に起きた事件の方が確実に面白いです、古いのを挙げると日野OL不倫放火殺人事件もあれば、酒鬼薔薇事件に至っては多くの媒体がこの事件(というか犯人)をモデルに小説や漫画を制作したという事実も、上記の私の考えにつながっています。
 唯一、空想が現実を上回る可能性がるジャンルとしてはSFです。こればっかに関しては現実で超能力使える人はそんな目にするほどはいないことから、現実が勝ることはないでしょう。ついでに書くと、ハチロクがFDやランエボに勝てることはまずありないので「頭文字D」はSFに加えていいでしょう。

 しかしそういった空想より面白い現実がしばしば、空想の下に置かれているのは何故か。一言で言ってまとめ方の問題で、伝記とかでも書き方によって全然見方や評価、面白さが変わります。先ほど挙げたナポレオン戦記に関しても、長谷川哲也氏の漫画版「ナポレオン」は一部脚色も加わってはいるものの、ナポレオン本人のみならずその周辺、特に元帥らを大きく取り上げていて他のナポレオン本と一線を画す面白さがあります。企業の創業家や政治家に関してもそうで、取材量にもよるでしょうがきちんと書けば面白い人はいろいろ出てきます。

 そういう意味で、空想のお話を展開する漫画家や小説家に至っては、如何に面白い現実を見聞きしたり体験するかが、ストーリーセンスに物凄く影響する気がします。最近はネットの発達に伴って社会人経験を有する作家も以前より増えてきているのではないかと思いますが、やはり社会人経験のあるなしはSF以外のジャンルにおける実力を大きく左右する要素に見えてなりません。これがないと、作家が実際に体験した読者との共有体験というのは学校生活くらいとなりますし。
 またレアな体験を紹介する「実録レポート」的な漫画はやはりその体験の分だけ強くなると思います。極端な話、物凄い体験をした人なら下手に空想を描くよりも自伝書いた方がずっと面白く、水木しげるなんかまさにその典型でした。あの人の場合、体験というか本人の性格によるところも大きいですが。

ちなみに同じく体験系だと、松本ひで吉氏の犬と猫(あとトカゲ)シリーズがやっぱ見ていて面白いです。っていうかこの人の漫画はどれも緩急が強い。

2020年4月16日木曜日

緊急事態宣言の朝令暮改

安倍総理が全国に緊急事態宣言を発令、13都道府県は「特定警戒都道府県」に(Abema Times)

 なんかコロナのことばかり書いてて内心自分でもどうかと思いますが、この緊急事態宣言の全国拡大を見て自分が思い浮かべたのは見出しにある通り「朝令暮改」という言葉で、先週まで愛知を加えるか否かで案だけ議論してたことが本当に馬鹿らしく見えてしょうがないです。そもそも最初の宣言の時も、「なぜ対象を東京などに絞るのだろうか?」と、全国が範囲じゃなかった点に疑問を感じていました。
 断言してもいいですが最初の緊急事態宣言の最大の目的は、「対策をしています」というアリバイを作ることにあったと思います。本気でコロナ対策するというのなら初めから全国を対象にした上で、強権を以ってしても隔離措置を徹底しなければ意味がなく、はっきり言いますが対象を絞るよう決断した政策決定者は早く仕事を変えた方がいいでしょう。

 また国民全体の関心事となっているヘリコプターマネー(略してへりまね)についても、30万から10万円へとプライスダウンして配るという方針になっていると報じられています。なんとなくですがこっからさらにプライスダウンしたり、または配り方を巡っていろいろ制限を設けて、実際には現在の報道のようには誰もがって感じでは配られたりはしないと思います。
 この件で一番不思議なのは、どうして最初に30万円という金額が出てきたのかという点です。恐らくは支持を得るために具体的な金額を出した方がいい、配り方や制限は後から考えればいいという安直な判断で打ち出されたのでしょう。何が怖いかって、詳細が何も固まっていない状態で「30万円上げるよ」と政府が言っていたという事実で、案の定というか詳細が固まってきて反発が強くなるや「やっぱり10万円にプライスレス」という風にあっさり前言がひっくり返されている点で、「信なくば立たず」という言葉をもっと重視してほしいところです。

 これだけ書くとさも私が安倍首相を嫌っているように見えるかもしれませんが、実際はそうではありません。安倍首相に関しては森友事件以来明らかに政局勘が衰えており、あの時の時点で政治家としてはこれ以上続けるだけ実績を落とすという風に見ており、今の状況についても別に何も驚きはありません。
 それ以上に驚きなのは日本の官僚の質の低下ぶりです。上記の朝令暮改され続ける政策を実際に構想して作っているのは官僚でしょうが、そのあまりの行き当たりばったりぶりと中身のなさには言葉が出なくなることがあり、質の低下以前にここまで日本の官僚は政策能力がなかったのかと本気で呆れています。しかも緊急事態宣言のように最初から思い切りいかず、ちょっとずつ反発を食うたびに後出しで対策を出していくなど、戦前の最大の問題点と言われた戦力の逐次投入を現代に見ている気がします。

全国緊急事態宣言でも…休校措置は地域ごと判断 文科省「スタンス変わらない」(産経新聞)

 恐らくこの休校措置も、一、二週間したらまた内容が変わるのではないかと思います。私立校を含めて完全休校が強制されるようになるのではと早くも見ていますが、2月の時点で中国でどうなっていたのかをなんで見ていなかったのか、またその時の中国の対応を見てオンライン教育の体制をもっと準備しなかったのか、何やってたんだ本当にという気がしてなりません。まぁこれもはっきり言いますが、どうせ他人事だろうと思っていたんでしょう。

 このコロナの件では政治家ばかり叩かれていますが、私個人としては短期的な対策しか出さない官僚の方が強く疑問に覚えます。そりゃ官僚がこのレベルだったら国も悪くなるよというのが正直な感想です。あと出社理由とかに「ハンコ押さなきゃ」とかが出てくる辺り、一体いまの日本はどうなっているんだと思えてなりません。

2020年4月13日月曜日

小売業界統計記事の裏側

コロナ特需で2桁増も?小売業界の明暗が明らかに(JBpress)

 問い分けでまた今日配信された自分の記事についてですが、今回のこの記事は当初の想定と大きく違っていて、軌道修正しながら書いた記事です。

 以前に小売業界の統計をまとめた記事を出していたことからどこのサイト行けば関連統計が得られるかもわかってて、取材にかかる労力自体は非常に低かったです。記事ネタ自体は2月に中国でコロナウイルスが蔓延しているころに思い付き、その段階では日本ではダイヤモンドプリンセス号しか話題じゃなかったことから、「中国人観光客喪失の影響はどの程度?」というのが当初のテーマでした。
 しかし実際にはこの記事でも書いているように、2月後半くらいから日本でも段々と流行が深刻化してきて、百貨店やショッピングモールこそ売上げは落ち込んだものの、小規模スーパーを中心に売り上げが減るどころかプラスになっていき、インバウンド方面をテーマに記事を書くことができなくなりました。ならしょうがないやと割り切り、そのままの統計結果を記事に仕立てたわけです。

 なおヤフコメには、こんなわかり切ったことをいちいち書くなとか書いている奴がいますが、そんなわかり切ったことをきちんとデータを以って証明している人間がどれくらいいるのか、またそのプロセスにはどれほど手がかかるのかをもうちょっとわきまえて発言しろやと内心思います。
 ちなみに同じヤフコメだと、「何がコンビニは売上減だ、何を根拠にプラスだと言っている」とかいうコメントがいくつか見られますが、ヤフーの配信記事で図表を見てないんだろうけどコンビニ大手が主宰運営する日本フランチャイズチェーン協会がそ1~2月は1.5%増だって言ってるんだから、文句はここに言えよ。俺に言うな。

 そのほか個人的に着目したコメントは、小売店で働いている人が毎日たくさん客が来て忙しいと述べた上で、「毎日が日曜日のような状態です」と表現しているのが印象深いです。業種によって「毎日が日曜日」という表現の意味合いはこうも変わるのかとしみじみと感じます。

 あとあとコメントみていて感じた点として、末尾の写真についてはみんな見てないのか誰も言及していません。個人的にはかなり皮肉が効いていると思って入れたのですが、反応が少なくて残念です。ちなみに撮影場所はファミマですが、ファミマに限らず最近あちこちでこうした日本語パッケージのマスクが良く売られてます。

 少し記事の内容を掘り下げて書くと、個人的にもっと議論してほしかったのは「どの小売店を残すか」という論点です。中国では今の日本同様、2月の段階では各商店に営業を自粛、場合によっては停止命令も出していました。しかしスーパーなどの小売店に関してはライフラインを維持する目的から停止命令は出されず、むしろ商品入荷が滞らないように物流方面のサポートを物凄い強化していました。
 知ってる人にはまた早いですが、武漢市内では人通りも少ないことから遠隔操作の無人トラックを使ってまで食品などを供給していたそうです。ただそうは言いながらも、上海市内の比較的大きなスーパーに関しては営業時間を夕方6時までにするなど、制限をかける面もありました。

 今回の記事でもっと気付いてほしかった点としては、今後これらスーパーやコンビニの商品供給を支える物流、またはケータリングなどの宅配をどう支えるか、次にショッピングモールなどの大規模スーパーの営業を自粛させる一方で小規模スーパーにはどこまで営業してもらうか、この辺の塩梅についてもっと考えてもらいたかったです。まぁ自己満な考えではありますが。

 最後に、最初に書いた中国人インバウンド喪失の影響についてですが、私はてっきり百貨店とかドラッグチェーンは日本国内のコロナの影響がなければマイナス20%くらい大きく落ち込むのではと思っていましたが、百貨店ですら2月はマイナス12.2%にとどまっています。その他の小売店は日本国内のコロナの影響、特に中国人がよく買い物に来るドラッグチェーンストアなんかは見事にインバインド需要の喪失影響を国内需要の増加で埋め合わせた上にお釣りまできていますが、これらを考えるとインバウンド需要は思っていたほど売り上げのシェアは大きくなかったのかもという風に見直しています。
 もっとも小売はともかく観光方面の打撃は半端じゃないと聞くだけに、一概にインバウンドはそうでもないとはまだ言い切れません。判定が難しいところですが、今後もアンテナを張っておきたいところです。

2020年4月11日土曜日

未だFAXを使っている日本社会(;´・ω・)

 昨日の記事のコメントを書いていただいた方から、職場ではFAXの迷惑広告送信が止まないという書き込みを受けました。もっとも受信し続けるだけでなく、紙が無駄だからと送信情報を電子ファイル化させる辺りはただ者ではない書き込みでした(゚Д゚;)
 その事実一つとっても面白いのですが、個人的にはそれ以上に「日本ではまだFAXが当たり前に使われるんだな」という事実の方に驚愕しました。というのもここ数年、誇張ではなく私はFAXには一度も触ったことがないばかりか、目にしたこともありません。もしかしたら複合機を含めると視界に入ったことなどはあるかもしれませんが、少なくともFAXとして視認したことは一度もありません。中国では名刺などにも、電話とメールアドレスのみ書いてFAX番号などはもうほとんど書かなくなってきています。

 FAXに限らずテレワークにしても、日本は中国と比べると半周、いや一周遅れと言ってもいいくらい対応が遅れているように見えます。今回のコロナウイルス流行を受けてテレワークが定着すると言っている人もいますが、私はそうは思わず、流行が終息した後は恐らくテレワークを継続する企業は一割も現れないと考えています。

 控えめに言っても、現在の日本は技術革新へのキャッチアップ、対応が異常に遅いように見えます。比較的この方面で先を走る会社に今所属しているからそう思うだけかもしれませんが、今回のコロナウイルス流行における日中の一番大きな差は何かというと、都市封鎖の実行力以前に、社会のITリテラシーの差の方が大きいように感じます。
 台湾もそうらしいですが、中国では携帯電話番号の基地局との交信を通して、ほぼすべてのユーザーの行動経路を特定した挙句、感染者との濃厚接触の有無を調べています。そしてその結果をアプリ(随身吗など)に表示させて、グリーンでなければ施設などに入れない、レッドであれば外出させないなどを周知させています。これらアプリは外国人であっても入れるように強制されており、現在はなんだかんだ言いつつ誰もがスマホに入れているほど定着化しました。

 このほかの面でもやはり、新技術の一般化、応用などの方面で日本はかなり立ち遅れてきている気がします。どうしてこうなったのかというと老害が……と言えば簡単ですが、私個人としては日本人が若者を含め、社会の変化を極端に忌避する意識が高いせいだと考えています。あと自分の言葉で言えば自我を持っている人が少ないせい。
 そういう意味では今後、二十年くらいしたら日本は「レトロな国」などという風に見られるかもしれません。「トトロな国」ならまだいいでしょうが、中国風に言うなら「かつての文化大革命時代の雰囲気を味わえる」みたいな感じで、ノスタルジーが満喫できる国として他の国から紹介されるかもしれません。「進撃の巨人」でいう、壁内人類みたいに。

 ちなみに「進撃の巨人」の最新刊を買いましたが、この作品はマーレ編に突入して以降は少年漫画から、「報復の連鎖」という重いテーマを取り上げた青年漫画へと切り替わったと感じていましたが、ここにきて再び少年漫画へと帰ってくる展開となり、なんとなくコマを見ていても作者が非常に高いやる気で書いているように見えました。今年で連載終了予定ですが、今の時点からも次回作も非常に楽しみな作家です。

2020年4月10日金曜日

中国における迷惑電話情報シェア事情

 昨日右手人差し指の第一関節がやけに痛くてしょうがなかったのですが、何が原因か考えてみたところ、恐らくマウスホイールの使い過ぎではないかと思います。毎日PCで大量の書類さばいてて、ほぼ常に回しっぱなしだし(;´・ω・)

 話は本題ですが、あまりにも人差し指が痛くて中指と薬指で今日も会社でマウスホイールを回していたところ、私の耳にドラクエの「ぼうけんのしょをひらく」のところで流れるBGMが聞こえました。別に隣でドラクエやってるやつがいるわけでなくただ単に私が自分の携帯の着メロにしているだけなのですが、どこからの着信かと思ってみてみると携帯画面には電話番号とともに、「39人が広告・宣伝に指定」という文字が表示していました。

 もしかしたら日本でも既に行われているのかもしれませんが、中国の携帯ではこのように、かかってきた番号に対して「営業」、「不動産」、「嫌がらせ」、あと「詐欺」などと、迷惑電話のカテゴリーを指定することができます。でもってそうやって指定したカテゴリーは一定数に達すると、他の人が着信した際にも情報がシェアされるようになります
 今回の自分のケースがまさにそれで、仕事中でもあるしわざわざ営業用の電話だとわかっているので電話を取ることもなく、そのまま着信を切りました。

 この機能ですが、素直に言って便利です。こうした機能が普及したせいか、こころなしかこのところこういった迷惑電話がかかってくる回数も減ってきた気がします。まさに人民の、人民による、人民のための迷惑電話対策です。
 ただこれは見方を変えると、誰がどういう風に電話番号を指定しているかとか割とオープンに共有しているんだなという風にも捉えられます。無論、あまりこうした情報を収集されたくなければ迷惑電話だと指定しなければいいのですが、実はこれとは別にちょっと電話で驚いたことが最近ありました。

 それは2月の中旬、自宅勤務で家の中でPC開いて仕事していたら電話が鳴り、同僚からの電話かなと思って携帯画面を見たら、「上海市衛生局」という文字が表示されていました。言うまでもありませんが、そんな番号を携帯電話内に登録した覚えはありません
 ちょいビビりつつ電話を取ると実際に上海市衛生局の人で、ちょうど日本から上海に戻ったばかりの頃だったので「今、どうしてるの?」と聞いてくるので、ちゃんと自宅で謹慎しているよと答えたら「Good boy(^_-)-☆」みたいなこと言われて事なきを得ました。

 公的機関とはいえ、一方的に電話番号に送信主の名前を表示させてくるとは中国長いけどなかなか新鮮というか驚きで、同時にこれくらいの強引さってやっぱ大事なのかもとも思うようになりました。そう考えると、プライバシーの概念は国家を無駄に弱くさせるだけなのかもしれません。

 最後関係ないけど、吸血鬼はよく異性の血を吸うのばっかですが、同性の血は吸わないのだろうかと思って、「ハードゲイの吸血鬼っていないのかな?」と友人に言ったらスルーされました。同僚の女性は、「BLのネタとしてはすごいよさそう(´・ω・`)」という返事くれたのに。

2020年4月8日水曜日

コロナへの効率のいい経済対策とは

 今日また同僚に、「十年前の今頃は親父とインプ買うか、中国に行くかの二者択一問題で俺は後者を選んだ。20代の何のスキルもない状態でよく単身突っ込んできたなと今更ながら呆れるが、今の日本の状況見ていると、あの時の自分の決断は結果的には悪くなかった( ・´ー・`)」とどや顔で言ってましたが、これは偽らざる私の本心です。もっとも、インプはそれでも欲しかったけど……。
 なおその同僚には、「今買うなら断然カローラかカムリがおすすめ。俺はそれでもイグニス選ぶけど( ・´ー・`)」と、謎なセールストークをしてました。ちなみにその前は、「いま日本が買うとしたらロシアのフランカーがおすすめ。俺はそれでもMig-35を選ぶけど( ・´ー・`)」という誰も得しない戦闘機トークをしてました。

 話は本題ですが、結論から言うと例の30万円給付については私は反対です。理由は効率が悪いのと、公平性を恐らく保てないと考えるからです。ではなんも経済対策しなくていいのかですが、私個人としてはどっかの国で検討された、家賃に対する補助が一番望ましいと考えています。

 今の政府は口先だけで恐らく本気ではないと思いますが、私個人として今回のコロナショックで他のすべてを犠牲にしてでも守るべき防衛ラインは雇用だと考えています。では雇用を守るためにはどうすればいいかですが、単純に法人を含む雇用主を死なせないことに尽きます。もっとも、既に経営が破綻しているブラック企業などはこの際淘汰して市場から追放するべきでしょうが。
 一口に雇用主を守ると言っても手段はいくつかありますが、今回現金給付をしたところで外出制限がかけられている中では消費はオンラインショッピングにしか向かわず、観光や飲食といった体験型サービスの運営業者は何の恩恵にも預かれないでしょう。後者の飲食に関しては、宅配サービスを既に展開されているのであれば話は別でしょうが。

 ではどうすればいいのかですが、私個人としては前述の通り家賃に対する補助、若しくは肩代わりを政府が行うのが一番いいと思います。人件費を除くと家賃コストが中小規模事業者にとって最も大きなコストであり、休業中であっても容赦なく取り立てられる費用となります。人件費も同様ではあるものの、前述の通り人件費を補償するとなると個別に計算する必要があり、また不正な申告で多額の補償が引き出される可能性も十分あるだけに、どちらに手を付けるべきかと言ったら断然家賃の方がいいと私は考えます。

 具体的には、事業運営所としてリースしている物件の家賃の何割かを直接税金で補償する、と言いたいところですが、理想を言うならば物件を保有するリース主が直接割引を行う方が効率がいいです。なのでそちらに誘導するよう、店子に家賃割引を行った物件主に対してはその割引率に応じて資産税を免除するなどといった手段がいいのではないかと思います。自己保有する店舗またはビルで事業を営む法人に対しても同様に資産税の免除などで対応すれば、一定の公平性が保たれる気がします。

 この方法の何がいいのかというと、対象が法人に限られて効率、公平性をある程度確保できること、次に一番救済すべき中小事業者への直接の支援となる点です。また先ほどは煩雑性から見送るべきといった人件費に関しても、休業企業の従業員に関しては社会保険料の徴収を免除するなどで人件費負担を軽減させることについては賛成です。
 なお、以上の支援策をもってしても経営を維持できない事業者はたくさんあると思います。そうした事業者についても何が何でも救済すべきかと言われれば、これ以上の救済策となると公平性を保てなくなる恐れがあるため、私としてはあまりお勧めできません。

 ここまで見てもらえばわかるかもしれませんが、救済策に関して私は効率を何よりも優先します。知ってる方も多いでしょうが個々の個人や世帯に対して現金を配布するとなるとまずその事務処理に多大な経費が掛かる上、不正に取得する輩なども現れるため、とにもかくにも効率が悪いです。また先ほどにも述べた通り、外出が制限されている中ではこれら配布現金の流通先は限られ、救うべき雇用主には回ってこない可能性が高いです。だったら取った税金を配るのではなく、取るべき税金を取らない方がいいのではというのが私の考えです。
 逆を言えば何故政府は現金を配布しようとするのか、理由は単純に票につながるからでしょう。無駄に経費をかけてコロナにかこつけてやろうという魂胆はここにあると私は見ています。

 その上で最初に上げた防衛ラインの設定についてですが、今一番議論すべきはどこまで失業者の増加を許容するのか、なんじゃないかと内心思います。極端な話、大企業だけ守るのか、中小企業も守るのかで全然対応は変わってきますし、また増えた失業者に対しどこまで生活を保障するのかについても、その人数の見積り方によって対応は大きく変わります。
 こうした医療におけるトリアージのようなシビアな議論こそが今必要だと思いますが、恐らく私を除くとごく限られた人間しかやってないように見えます。ただはっきり言うと、次の冬までには相当数の失業者が発生していると予想され、雇用の流動性が低い日本では厳しい現実を見ることになると思います。逆を言えば、このような将来の悲壮な未来に対する覚悟が今の日本には見えません。

2020年4月6日月曜日

「月が綺麗ですね」なんて本当に言ってたの?

 先日、ガチでかなりやばい級なくらい日本語が上手な中国人の同僚二人と食事をしました。その際、片方が漫画の「らんま1/2」が大好きだとのことで、内容を知らないもう片方に対し、「男の主人公が水を被ると女の子に変わる漫画」だと説明したところ、なんでそうなるのか理由を求められて、

「中国の奥地にある女性が溺れたという泉に落ちたから。こういうこと、中国なら十分ありうると思って日本人は誰も疑問を挟まない」

 と説明したら、リアルに「(・´з`・)」というような納得いかない顔されました。

 その二人となんかの話のはずみで、「月が綺麗ですね」という日本語表現の話に及びました。知ってる人には早いですがこれは、女性に対して直接求愛できな明治期の日本人男性が婉曲にその好意を伝える決め台詞の一つとされています。しかし結論から言うと、私はこの説に疑問を持っています。

 理由はいくつかありますが、まず一つとして決め台詞として定着しているのであれば、なぜ明治や大正期の小説でこの表現が見られないのかです。少なくとも私が見てきた中では一説たりともこのような表現はお目にかからず、またその風俗史においても、これに近い表現すらも出てきません。
 次に、仮に自由恋愛だとしてもこんな婉曲過ぎる表現が使われるのかです。はっきり言って婉曲過ぎてわかりづらいレベルであり、第一場面が夜の月が見られるシーンに限られ、新月の時とかだったらどうすんだよと応用の利かない表現です。新月の時は「月が出てないですね」としか言いようないし、言ったら言ったでかなりシュールだ。

 といった具合に見ていて、また国語の専門家の間でもその実在性について疑問視されているということを以前聞いたことがあって、後世の創作ではないかと内心思っていました。なので先の同僚二人にも、「本当に使われていたのか実際は怪しい表現」だと教えました。

月が綺麗ですね(ニコニコ百科)

 そこで今回改めて調べてみたところ、上の記事が非常によくまとめられています。
 なんでも初出は1977年の寄稿、しかも「夏目漱石が『I love you』をそう訳した」という、見るからに怪しい初出だったようです。っていうかよく調べられている記事だ。

 この初出自体怪しく、また私が先ほどから述べているように他の小説をはじめとする文芸にも一切登場しないことを考えると、やはり後年の創作で、なんとなく明治期にはこんな風に言われていたのだと勘違いされたまま流布された表現であると私は思います。
 っていうかさっきも書いているけど、求愛表現としては下の下で、わかり面過ぎるという一点をとっても私からすれば嫌いな表現です。

 なので仮にこの表現を変えるとしたら何があるのか。さっと思い浮かんだものとしてはちょうどカレーが食べたかったので、「カレーがおいしいですね」ならありかもと一瞬思いましたが、これも全く意味が分からない、っていうかカレーがおいしいのは当たり前だろと突っ込みたくなる表現で、なんか自分も誤った道に踏み出しているような気がします。

2020年4月3日金曜日

やっと寝られる( ´Д`)=3 フゥ

 先ほど友人に、「これが欲しい」と言ってシャチハタリップのリンクを送りつけようとしたら間違えて、滋賀県の母親バラバラ殺人事件のニュース記事リンクを送ってしまいました。サイコパスだと思われたらどうしよう(;゚Д゚)
 あとアオシマのバニラトラックのプラモデルもなんかほしくなってきた。

 それはそうとまたこのブログの更新が滞っていますが、単純に仕事が忙しいからです。そんな死ぬほど残業しているわけじゃないけど、なんかやたらと人と食事することも増え、家帰ってもゼノブレイド2をするくらいしかやる気湧かなかったりします。
 とはいえ、最大の山場が今週だったのと、中国では明日から三連休です。日本のお盆に当たり墓参りなどに行く清明節という祝日が月曜にあり、これのおかげでゆっくり休められ、久々に半日くらい寝られそうな気配がします。

 もっともこの週末にまた次のJBpressの記事を書かなくてはならず、それには時間が取られてしまいます。ただこの一ヶ月間は毎週土日にも数時間程度は自宅で仕事しており、三連休になった分だけ1日余計に休む暇があると思えばめっけ物です。記事ネタ自体は既に目を付けてあるし。

 ちなみにこの前友人に聞かれたので書きますが、現在上海はみんなマスク付けて歩いていることを除くと、ほぼ日常に戻りつつあります。飲食店も人であふれるようになっており、一部ショッピングモールでも検温を取りやめるところも出てきました。

 なおあまり日本で見かけない意見ですが、商業施設では地味に検温がマスク強勢などよりも最も有効な対策であるように思います。明らかに体温が高い人を入れさせないことが、完全な予防策とはならずとも、民間に行わせられる範囲では一番いい手段だと今更ながら思います。