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2024年9月28日土曜日

「しごき」をメンタル教育としてみることでわかる日本社会の変遷

 間に総裁選とノーパソ不具合の記事を挟みましたが、前回記事で私は日本人のメンタルが年々弱くなりつつある中、どうすればメンタルを強くするのかと言えば単純に苦行が一番捗ると主張しました。基本的に人間は今が苦しいか楽かという判断は過去の苦しかった時の体験との比較でしか判断できず、過去にめっちゃ苦しい体験していたらその後の人生における困難や課題も「あの頃に比べたら」的に乗り越えやすくなるのではという風に考えています。

 この仮定に立った場合、現在精神疾患者が激増中の日本はメンタルが全体として弱くなっていることは間違いなく、ならなんでメンタルが弱くなっているのかというと過去の苦行、激烈体験がそれ以前よりも減ってきているという風に解釈できます。では過去、具体的には昭和時代の人たちは苦しいことのベンチマークとなるような体験として何を経験してきたかっていうのが、意外と重要な着目点となってくるわけです。

 仮に戦前世代まで掘り起こした場合、この世代の最大の苦行はやはり戦時体験でしょう。直接戦地に赴いた人だけでなく、日本国内のいても空襲や、戦後の食糧不足という筆舌にし難い苦しい体験を乗り越えてきており、実際にこの世代から「戦時中に比べれば」という言葉を自分もよく耳にしました。この世代からすれば、その後の人生における困難もストレスを大きく受けるほどのものにはならなかったでしょう。
 では戦後世代はどうか。結論から言ってしまえば、昭和から平成初期にかけて日本人のメンタル教育において非常に重きをなしたのは「しごき」だったのではないかと今思います。しごきという言葉の定義については省略しますが、学校での部活、職業現場での上下関係によるしごきは、殴る蹴るは当たり前、人格否定の罵詈雑言は日常茶飯事で、現代とは比べ物にならないほど激しいものがありました。

 なおソ連人民の敵であるうちの親父は就職間もないころ、「契約取ってくるまで絶対帰ってくるな!」と上司に言われ、神主やってたいとこの家にも売り込みに行って「何考えとんねん!」と追い返されてたそうです。

 話を戻すと、令和の現代において完全に否定されているこの「しごき」ですが、ことメンタル教育という面では日本社会において大きな役割を持っていたことは否定できないでしょう。昭和のこの手のしごきは理不尽さ、過酷さをひたすら追求している節があり、理不尽さに耐える力という点ではその育成効果は間違いなくあったと感じます。
 ではメンタルが弱くなりつつある現代日本において、その対策として戸塚ヨットスクールの人じゃないですがまたしごきを復活させればいいのか。この問いに対する私の答えはノーです。

 というのもしごきというのは確かにメンタルを強くするうえでは明確な効果があると思いますが、その代わりと言ってしごきを受ける人間は合理的な思考や考えを失い、盲従的になる可能性が高いと思うからです。日本のスポーツ教育が昭和期に世界で通用しなかったのはまさにこの点にあり、陸上や水泳とかならまだしも、野球やサッカーなどで海外に全く勝てなかったのはこうした面の弱さにあると私は思います。

 またこの手のしごきを受けた人間の中には、暴力性を顕著に高める人間も残念ながらいます。部活指導中の事故死や育児中の虐待死を起こした大人の多くは判で押したかのように、「自分は子供の頃にもっときつい仕打ちを受けていた」という言い訳をしてきますが、恐らく実際にはそう思い込んでいるだけで、子供を死に追いやるほどの仕打ちを彼らは受けてはいないでしょう。
 しかしある程度のしごきを自分が受けてきたから、「自分が受けた分はほかの子供にやり返していい」という勘違いを起こした挙句、自分が受けた以上のしごきを課して虐待するというパターンは実際よく見られます。何故こうなるのかというと、かつてのしごきには教育としての合理的価値がハナから無視されており、「苦しませればいい子に育つ」的に苦しませるだけで、その結果としてしごきを受けた人の合理的判断能力を喪失させていた節があるように見えます。

 ならしごきはやってはだめなのかという話になりますが、そうなると今度は現代のようにメンタルが弱い人を量産することとなってしまいます。実際、この流れで日本人はメンタルが弱くなっていき、精神疾患者が増える一因にもなっていると考えています。

 まどろっこしいので言いたいこと書くと、子供の教育に当たっては合理的な根拠や目的のもとに、苦しませるべきだと思います。昔のうさび飛びのように運動能力向上に何ら貢献しない苦行をやらせるのではなく、健康を崩さずしっかり身体を育成する科学的な訓練メニューを用意して、感情的な判断はせずしごきを行うのであれば、精神的にも肉体的にもいい教育になると私は思います。
 その上で、そうした訓練の目的や効果についてしっかり子供たちにも教え、「こうやるとこうなるんだよ」的に理解させたうえで、子供たちに自発性を持たせ行わせることも大事かと思います。こうすることによって、子供たちもそのしごきの合理性を考え、合理的な価値観や考え方を育んでいくことになります。

 何が言いたいのかというと、「合理的に苦しませろ」というのが、現代日本のメンタル教育に対する私かの意見です。何も学校に限らず勤労現場でも、きちんと苦しむ理由を教えた上でハードワークを課すことが大事だと思え、これがびっくりするくらい日系企業は出来ていない気がします。なんでかというと、中間管理職以上にその手の合理的思考がない人が多いからです。
 「苦しいけど儲かる仕事」と「苦しいのに儲からない仕事」では90度でなく180度意味が違い、後者に関しては儲からないならむしろやらない方がマシ的なものも少なくありません。この手の見極めをした上で、勤労初心者に価値ある苦しみを与えて育成することが、結果的にその人らのメンタル教育にもキャリアアップにもつながると私は考えます。

 冒頭に書いた通り、現代日本でしごきは敬遠されがちです。私自身も不合理なしごきは排除すべきだと考えますが、「必要で合理的なしごき」こと苦行はメンタル教育的にも、やはり若い時にこそ経験しておくべきだとも考えます。そうした、一体何が必要な苦行で何がそうでないかを判断できず、結果的にメンタル教育がおざなりになっているのが現代日本だと思え、あと10年くらいはこの状態が続くかなとみています。

 なお自分の経験で言うと、肉体的な苦行はそれほど経験しませんでしたが、あまりにも非効率な指示に下で不要な業務だとわかっているのに従事させられたのはマジ苦しく、合理性失いかけたけどメンタル的には貢献したかなと考えています。あれに比べれば中国に行って転職活動したりする方が楽だったな。

ノートパソコンに故障発生(ヽ''ω`)

スペースキーが反応しなくなった(OKWAVE)

 上の質問を出したのは自分ですが、そこで書いている通り去年買ったノートPCのNEC Lavieの本体キーボードスペースキー、並びに周辺の下列キーが反応しなくなりました。年数経ってたり、普段から散々叩いているならまだしも、日常的には外付けキーボードしか使っておらずなんで本体キーボードが触ってもないのに不具合起こすかやや意味不明です。

 購入から1年保証、でもって確か小売店で3年保証へとランクアップさせていたはずなので多分大丈夫だとは思うのですが、上海在住ということから保証を受けることができず、この点で色々思うところがあります。っていうかそういう海外仕様前提で、高くても故障しにくいブランドとして選んだはずが、1年内にこういう意味不明な故障起こすというのはちょっとどうかっていう気がします。

 前述の通り普段は外付けキーボード使うのでそこまで影響はないですが、何かっていうときにこのキーが反応しないのは大きな問題になる可能性を秘めているだけに、いい気がしません。この際、次日本返ったらまたPCごと交換してしまおうかと密かに検討しています。

 っていうかオファーに対しZoomかTeamsで話さないと言われたけど、中国だとどっちもアプリからだとうまく起動できなかったり、なんか今日は色々疲れさせられる日です。メンタル的に弱ってるのかも(ヽ''ω`)

2024年9月27日金曜日

石破氏の総裁選当選について

 本題と関係ないですが自分が臨終の際には「無とは一体……うごごご」というセリフを残して去りたいという欲に急に駆られました。改めてみるとインパクトあるセリフな気がします。

 話は本題ですが本日行われた自民党総裁選ですが、恐らく誰もが予想していなかったと思いますがなんとあの石破氏が決選投票を経て、見事当選する結果となりました。
 石破氏についてはこの総裁選が始まった直後に一番確実だと思って、「石破氏の可能性はもうない」という記事を書いていただけに、予想を大きくはずして誠に恥ずかしい限りです(*ノωノ)

 その辺の自戒を込めて「どうしてこうなった(。´・ω・)?」的に今記事を書いていますが、前回記事を改めて読むと、

・反安倍・反麻生でやり続けてきた石破氏なだけに、麻生派はともかく安倍派がなくなった現状ではそのポジションが揺らついている。
・自民党内で人気がなく議員票が得られない
・候補者が乱立していて拠り所とする党員票をまとまって得られない

 といったのを予想の根拠としましたが、結果から見るとこれがすべて真逆の結果となりました。そうなったというべきか私が予想を外したのも、全部高市氏のせいだという気がします。
 ほかでも分析されている通り、まず石破氏が決選投票に進んだのは大方の予想を外れた想定外の結果だったと思います。大半は高市氏と小泉氏の決選投票進出だとにらみ、そのため投票直前になって小泉氏もその庇護者である菅氏と犬猿の仲にも係わらず麻生氏に決選投票での支援をお願いに行っています。この行動について菅氏に事前の承諾を得ているとは思いますが、もし得ていなければ今後の小泉氏に影響することになるでしょう。

 第1回の投票では前述の通り、予想を覆して石破氏が決選投票へ進むこととなりました。この背景としてはまず党員票が思ってた以上にばらけず、依然として石破氏に集中したことが最大の原動力だったと思います。ばらけなかった背景としては候補者が乱立したものの、どの候補者も統一教会や裏金問題については言及を避け(石破氏を含め)、主張や立ち位置であまり差を出さなかった気がします。
 特に上川外相に関しては強みとなる女性という立ち位置にありながら、夫婦別姓問題について消極的な姿勢を見せたのは大きなマイナスだった気がします。高市氏については以ての外でした。

 こうした状況から、「みんな一緒なら石破でいいじゃん(´・ω・)」的な人は石破氏に集中し、またオールドライトこと古参の右派勢力からは安倍元総理に価値観の近い高市氏に票が集まって、結果的にこの二人が決選投票に至ったと考えています。
 むしろ党員票でこの二人に次ぐ3位につけたものの、両社から約半分弱と大きく差をつけられた小泉氏はこの党員票の取り込みで完全に失敗したと言えます。有力候補とされながらも当初より菅元総理が表に出ていて傀儡的に見られたこと、また討論でのちぐはぐな発言によって選挙が進むにつれて父親とは対照的に彼はどんどん人気を落としていったように見えます。何となく、台本読むのは上手いけどアドリブは全くできないタイプに見えます。

 こうして決選投票に進みましたが、最大の想定外要素は「反石破<反高市(=麻生)」だったことに尽きます。先の小泉氏の支援以来に対し唯一派閥を維持する麻生元総理は、むしろ菅元総理への意趣返しとばかりに高市氏支持を鮮明化しましたが、これが逆に高市氏を敗戦へといざなったように見えます。
 私が見る限り、決選投票ではこの麻生派の動きに反応して小泉氏を支持していた勢力が石破氏への投票に動いたように見えます。また現職総理ながらこれまで総裁選に対し方針を全く見せず、身内から林氏、上川氏が立候補していた岸田総理とそのグループも、総裁選ではみんなまとまって石破氏に投票したのではないかと考えています。

 岸田氏は決して石破氏と仲がいいようには見えませんが、それ以上に麻生氏のことを嫌っていたのは間違いないです。政権時代も茶々入れられまくったり、二階氏ですら受け入れた派閥解消を受け入れなかった点といい、古い言葉で言えば抵抗勢力そのものでした。
 その上で政権において色々邪魔してきた安倍派の復活を目論むような高市氏に対しても、岸田氏からすれば応援する義理はなく、むしろ排除すべき対象でもあったため、敢えて言えば岸田派は決選投票で石破支持に動いたのではないかと思います。こう言っては何ですが、選挙中に旗印を一切見せなかった戦略がここにきて一気に奏功したようにも見えます。


 このあたりの推測ですが、上のまとめ記事にある写真が物語っているように見えます。

 以上を踏まえて言えば、もし麻生氏が高市氏支持を鮮明に出さなければ反麻生派がここまでまとまることはなく、高市氏が当選していたのではないかと思う節があります。少なくとも小泉氏の勢力が反発する事態は避けられたと思え、その点で言えば麻生氏が悪い意味でキャスティングボートを握ってしまったのが今回の選挙結果だという風に見ています。
 でもって、これで彼の政治生命も完全に終わりでしょう。

 その他候補者に関しては、その麻生派から出馬した河野氏はブービーという、かつての全国区の人気もどこ吹く風かという低調な結果に終わり、今後はさらに厳しくなるでしょう。岸田氏が彼を追い落とすために若干嫌がらせしていた節がありますが、それ以上に河野氏自身のふるまいもかつてとは異なっており、この結果もさもありなんかと思います。
 同様に結果こそ3位ではあったものの、小泉氏はかつてと比べてもその人気は右肩下がりで、今回の選挙戦で弱点も露呈しただけに、本人が精進するなり成果を上げるなりしなければ次はより厳しくなるでしょう。

 逆に今回名を挙げ、一番得したのはコバホークこと小林鷹之氏じゃないかと思います。露出も増え認知も広がり、結果も先輩格の上川氏、茂木氏を上回っており、次回の総裁選に向けて上々な結果を今回得ているように見えます。最初はグー、斎藤健氏も、こんな感じで今回の総裁選で前準備したかったんだろうな(´・ω・)

2024年9月26日木曜日

そもそもメンタルはどうやって鍛えるの?

 先週から仕事が忙しくマジで目が回る状態というかふらふらで、なかなかブログも書けませんでした。来週からは国慶節で1週間の休暇が取れるけど、前半はマジで寝たきり雀になるかもしれません。

 話は本題ですが前回記事で私は、昨今の日本の教育や社会環境が現代日本人のメンタルをかつてよりも弱くさせ、ストレスに弱い人間を増殖していると主張しました。その証拠として、精神科に受診する人間は年々増えており、私自身も実際に精神科医をしている友人に確認して裏付けを取っており、意外と無視できないところまで日本のメンタル問題は来ていると認識しています。
 この問題にどう対抗するかですが、単純にメンタルが強くストレスを受けない人間を増やすに尽きます。おそうなれば精神科の負担は減り、精神疾患で生活や労働に支障が出る人も減り、医療費や社会保障費が減るだけでなく労働力や生産高にもプラスでハッピーハッピーなること請け合いなしです。と言ったところで、そもそもどうやればメンタルは強くなるというか鍛えられるのかというのがトピックとなるわけです。

 ある程度想像してはいましたがネットで「メンタル 強くするには」と検索すると、これでもかというくらいそれぞれのメンタル強化方法を主張しているサイトが雨後の筍、戦場のロシア兵の如く出てきました。中には怪しい自己啓発セミナー的なサイトも見受けられ、このトピックに関心持つ人が多いってのと、これをネタに商売している人もたくさんいることがうかがえます。
 その上でこれだけいろんな人が各種様々なメンタル強化方法を主唱しているあたり、現在スタンダードともいうべきある程度一定の人数が認知している固定されたメンタル強化方法はまだないと言えるのではないかと思います。でなければこれほどバラエティに富んだメンタル強化方法を各々が主張するはずはありません。

 以上踏まえて結論から述べると、私個人が考えるメンタル強化方法としては単純に、「どれだけきつい体験を過去にやったかに尽きると思います。

 例えば突然1時間の行軍訓練をやることとなった場合、行軍なんて一度もしたことがない人と、過去に何度か24時間行軍訓練を受けたことのある人を比べた場合、後者の方が圧倒的に1時間の行軍訓練で受けるストレスは小さいでしょう。また同じ種類の経験でなくても、過去に激キツ体験や苦痛、困難を受けたことがあれば少々の課題にぶつかったところで、「あの時に比べりゃ何ともない」という風に受け取り、同じ体験を初めて受ける人と比べれば感じるストレスを小さくすることができると断言できます。

 この辺、日ごろから私が主張しているように人間というのは基本的に比較を通してでしか物事を認知することができず、きついかきつくないかというのは結局のところ、過去の体験や現状と比べてでしか判断できないと思います。教育や伝聞を通しての仮想体験と比較することも可能と言えば可能ですが(「あいつが受けた苦しみに比べれば!」など)、やはり優先されるのは自分の経験と感覚なだけに、結局のところ過去にきっつい体験を受けるなり乗り越えとけばそれ以降に受けるストレス量は、環境などによる継続的に発生するものを除けば基本的に小さくなるでしょう。
 これは言い換えると、メンタル鍛えようってんならとりあえず苦行を体験すりゃいいってことです。

 それこそ私のようにブラック企業やメディア業界を体験した人間ともなると、普通の労働環境にいるだけでも「めっちゃ幸せやん(´・ω・)」と思えて日々に受けるストレスもブラック企業を経験していない人からすれば確実に小さいと断言できます。またメディア業界で慣らされたこともあり、よく「どっちがヤクザかわからない」シリーズこと警察がヤクザ事務所に乗り込む動画見ても、「怒鳴ってるったって凶器持ってないじゃん(´・ω・)」と思えて、ほかの人の反応と比べるとそんな怖いように見えません。
 そういう意味では、場合によっては耐えきれなくなって精神的に破滅するかもしれないし長期的にはマイナスだけど、短期的にブラック企業を経験、それも若いうちにしておく、見ておくのは長い目で見たら決して損じゃないと思います。もちろん、普通の会社とかでも必要に求められる困難や苦境があるのだから、そういう経験で代替できるに越したことはないですが。

 またその苦行の中身というか成否で見ると、成功体験と失敗体験に分かれます。これは私はどっちがいいというわけではなく、成功体験が多すぎると自信過剰となったり失敗を極度に恐れて積極的でなくなる恐れがあるし、逆に失敗体験が多過ぎると意欲を失ったり、モチベーションがなくなったりする可能性があります。強いて言えば成功も失敗もそれぞれ体験的に必要で、偏らせずともかく苦しい体験を経験しておくに越したことがないという風に見ています。
 もっとも個人的には失敗体験の方が教訓意識が強く得られ、その後の行動にも慎重性が出てくるので、配分的には失敗が成功をやや上回るくらいがいいとは思いますが。

 以上を踏まえて言えば、もしメンタルを鍛えたいっていうのであればともかく死なない程度にきつい体験を今すぐやれというのが私からのアドバイスとなります。体力的には山登りとかマラソンとかを選び、「楽して痩せられるフィットネス」なんて以ての外です。精神的に攻めるってんなら断食とか真っ暗で無音な部屋で数日過ごすとか、やり方次第でいくらでも手段はあります。
 なおゲームでこれやろうってんなら、自分としてはファミコンの「アトランチスの謎」をノーコンティニューでクリアを提唱します。

 ここまで来たところで改めてメンタル弱者を増やしている日本の現状を振り返ると、その原因は苦行不足にあるのではないかと思う節があります。でもって、何故メンタルを強くする苦行が日本で不足してきたのかを振り返ると、結構日本の社会変遷というか価値観の転換が大きく作用しているようにも分析され、意外と根の深い問題であると思うようになってきました。
 次回ではその点、端的に言えば「しごき」の合理性と意識変化について書きます。

2024年9月23日月曜日

ストレスに弱い人間を量産する日本の教育と社会

 冷静に振り返ってみると、今の自分の部屋には戦車や戦闘機のプラモがそれぞれ10台以上転がっており、なんか軍事博物館みたいな状態になっていることに気が付きました。最近はもうほとんど1回は作り終えたから2週目も始まりだしたし(;´・ω・)

 話は本題ですがここに書くまでもなく日本では精神疾患者がこの数十年増え続けており、最近だと精神科を受診するまで最低でも1ヶ月は待たなくてはいけないほど溢れており、なんでこいつこっち行くんだろと思ったけど、自分の医者になった友人も精神科いって案外正解だったかもしれません。
 でもそもそも何故日本で精神疾患者が増えているのか。社会のプレッシャーが高まりストレスが増えたというのも確かに事実ですが、それ以上に私は今の日本の教育がストレスに弱い人間を量産しているからではないかとみています。より具体的に述べると、とにかくあらゆることに気を払え、気をつけろとする教育がストレス耐性を下げている気がします。

 片っ端から挙げていくと本当に切りがないのですが、ちょっとしたマナーや言葉遣い、最近だったら体臭とか他人を不快にさせないようあらゆるものに気を付けると、なんかこのところ脅迫的に相手に求める言動が多いような気がします。今はどうか知らないけど15年くらい前はなんか口臭がやたら大きくピックアップされていたような気もしますし、なんかこんな感じで「気にしろ!気にしなきゃ人にあらず!」的に、芸能人でもないのに世の中気を配るよう強要される項目が年々増えている気がします。

 また学校など教育現場では、「相手の気持ちに立ちなさい」という題目が前面に出され、「これが片付いてないと周りはどう思う?」、「言葉遣いが悪いと相手はどう思う?」などと、他人に対する気遣いを強く強制しているように見えます。
 もちろん中にはそうした他人への配慮が必要な点もありますが、中には「本当にそれ必要か?」と思うことまで配慮を強制されている感じがします。具体的には言葉狩りで、キチガイとか死ねとか言ってはならないとか、了解ですは上から目線だから目上に使うなとか、言葉本来の意味から明らかに外れた排除理由に溢れています。

 ともかくこんな感じで、全神経をフルに使って360度24時間常に気を張るように日本の教育や社会は要求しているように見え、結果的にあらゆるものに配慮しようとすることでストレスに弱い人間を増やしているというのが自分の見方です。実際世の中、何もかも無視していいわけじゃないですが大抵のことは無視して気にしないに越したことはないです。
 例えば太陽が50億年後あたりに消滅すると言って、「太陽がなくなったらどうしよう(;´・ω・)」と現代人が気にする必要は全くありません。学者とかがそんな状況をシミュレーションするなら話は別ですが、普通の人が常日頃から太陽の消滅におびえながら暮らしているとしたら可哀想を通り越して逆に滑稽でしょう。けどそんな滑稽ともいえるくらいに不要なものに怯えながら暮らしいてる人間が現代には非常に多く、また怯えるように世の中も若干求めているというか不必要に煽ってきます。

 この手の例だと上がってくるのはまず年金、次に石油枯渇とかで、特に後者は私が子供だった頃は「2000年ごろには枯渇する」などとよく言われてた気がします。この手のものは学者や政治家に任せ、そいつらがうまくやれなかったら引きずりおろせばいいだけです。
 そうそう環境問題もこの手の例に入るでしょう。ただよく言われているように、航空機燃料が出すCO2は1便だけでもポリ袋数千万枚分と言われ、環境問題を個人は完全に無視すべきだとは思いませんが、脅迫的にペットボトルの蓋を集めよなどとすることはもはや本末転倒で意味ありません。それで気に病むくらいなら、環境問題なんてハナから無視した方が精神衛生上にもいいでしょう。

 逆にというか精神疾患を減らしてストレスに強い人間を増やそうというのなら、「余計なことは気にするな」的な教育をもっと広めた方がいいと思います。いわゆる鈍感力に近いもので、真面目に日本はストレスに強いメンタル強者を量産する方向に舵を切った方が国家的にもいいでしょう。
 金がなくても何とかなる、職歴がなくても何とかなる、俺はまだ本気を出していないだけ……とまでいう人間ともなるとさすがにみていて若干不安を覚えますが、ちょっとやそっとじゃへこたれず「またやり返してやるさ!」的な逆境においても前向きな思考を持つ人間をもっと称賛し、世の中に増やす努力を日本はやるべきでしょう。少なくとも、新卒終活にこけたらもう一生終わり的な価値観が強い今の日本社会は、日本人自身は自覚がないもののかなり異常な価値観だということに早く気付くべきでしょう。

 ぶっちゃけ、日本でいい就職できなければ海外行けばいいだけだろうと私も思っています。でも海外怖い、言葉出来ないという人もいるでしょうが、意外と行けばなんとかなるし、私自身もそんなにメンタル強い方だと思ってないけど日本国内にいる時よりも正気保っている自覚があります。

 まぁグダグダ書きましたが、一番日本人が「気にしてはならないもの」というのは実は「周囲の目」で間違いないんですけどね。そういう意味でも他人の目を気にせずに発言や行動を取れ、なおかつそこに一貫性があるのはほんと貴重な人材だと思います。兵庫県知事も他人の目を気にしませんが、あの人は発言が不規則に変わるから逆に一番排除すべきクズですけど。

2024年9月21日土曜日

日本の米不足に関して中国で流れていたデマ

 先日、「今はもう失われてしまったけど自分が大好きな日本語」として、同僚の中国人に「やばたにえん」という単語を教えていました。

 話は本題ですが前回記事でかねてから日本人学校について中国ではスパイ養成機関だというあほらしいデマが流れていることを紹介しましたが、これとは別に先月まで話題沸騰していた日本の米不足についても、実はデマが流れていました。勿体ぶらずに言うと、「日本は戦争準備し始めたから市場で米が不足し始めた」というものです。実際にこれは何人かの中国人にガチで聞かれたりしたデマです。みんな大卒というのが色々言いたくなってきます。

 結論から言うと現在も日本はどことも開戦してないし、市場にも米が普段通りに流通するようになり(価格はインフレしたが)、まともに取り合うような話ではなかったでしょう。そもそも本気で戦争準備するなら、米よりも石油や砲弾の備蓄が優先されるに決まっています。このほか国外にある航空機や船舶も、接収されないよう可能な限り日本に持ってこようとするでしょう。

 普通に考えればすぐデマだとわかるとにこれだから中国人は、と言いたいところですが、日本国内でもこの手の見ていて嫌になるくらいレベルの低いデマが流行することは少なくないため、あまり偉そうなことは言えません。このデマについて、それこそネットで情報を収集して検索すれば裏付けがないことなんてすぐわかるものの、逆にネットの情報に毒されてデマを信じる輩の方が現実には多いと言えるでしょう。

 この辺、学生時代にやろうと思ったけどやらなかった噂のメカニズムが、かつてとは異なるように感じます。ネットのなかった時代の噂は口伝の伝聞の中で生まれていきましたが、今はネット上で情報が拡散されるため、かつてならデマにかかりやすいけどデマ自体に触れなかった人々が、ネットでデマに触れて踊らされるというパターンが増えているように見えます。
 特に普段から人と接する機会が少なく、ネットリテラシーの低さもあってこうした根も葉もないデマを信じ込む高齢者が増えているとも聞きます。コロナの頃に関しても流言飛語があの時は非常に多く、現在も問題となっていますがツイッターがその辺をあまり規制せず野放しにするもんだから余計拡大しました。

 ちなみに自分が一番引っかかったデマと言えばドラクエ5で10ターン以内に倒すとエスタークが仲間になるというデマでした。子供の場合、願望に沿うデマだとつい信じちゃうところがあるなと思えてしまいます。
 また近い時代で言えば今度リメイクが発売されるロマサガ2について、陣形を増やしたり主人公の能力を引き上げるため皇帝になったばかりのキャラを一人でルドン高原に行かせて謀殺する、通称「ルドン送り」は誰に教えられたわけでもないのにやってました。デマとは違うけど、あれはなんかシンクロニシティを感じました。

2024年9月19日木曜日

深圳の日本人学校生徒殺害事件と日本人学校が狙われる背景


 すでに各所で大きく報じられている通り、昨日中国の広東省深圳市で日本人学校に通う男児が暴漢に刺され、治療の甲斐なく亡くなられました。大人の身勝手な行動で殺害された男児自身はもとより、そのご家族のことを思うと自分も不憫でならず、さすがに今朝亡くなられたニュースを見た際は大きく気が落ち込みました。

 中国での日本人学校生徒を狙う事件は今年6月にも江蘇省蘇州市で起きており、当時も事件発生当初に中国メディアは黙殺し、日本の外務省が発表して約1日間経過してから報じる有様でした。今回の事件も同様に、昨夜遅くになってようやく刺傷事件が起きたと報じたものの、FNNの記事にある通り一部のネットメディアを除けば、中国では男児が亡くなったことはまだ報じられていません。報道規制がかかっていると断言してもよく、明日には報じるのかがまた見物でしょう。

 中国側は今回の事件は頭のおかしな人間による通り魔的犯行で、特別な意味はないと主張していますが、ならなんで6月にも蘇州で襲撃事件が起きたのだと誰もが思うでしょう。もっとも蘇州の事件も親子をかばって亡くなられた中国人女性について大きく称賛する報道がなされた後は全く続報がなく、犯人が何故凶行に及んだのか、日本人を狙ったのかについてなどの捜査情報は全く公開されていません。今回の事件も言うまでもなく同じ経過をたどるとみられ、まぁこれでは対策のしようがないというか難しいでしょう。

 私の目から見て。日本の報道では日本人で、弱い子供を狙ったのではないかとか、不況で市中国国内に社会不安が増しているなどの推測が多く出ています。後者に関しては確かにその通りで、リストラされた人間が街中でよく見られるようになり、商業施設では空きテナントが増え、社会の空気が殺伐としてきているのをこのブログで書いている通りはっきり感じます。
 一方、前者に関してはちょっと違うのではという見方を持っています。日本人が狙われるのは反日教育の静だなどと色々報じられ知恵ますが、それが根底にあるのは認めるものの、本質的にはもっと表層の浅い部分のデマによる影響が大きいのではと勝手に見ています。

 実際の犯人の動機はわからないためこれも私の憶測に過ぎないのですが、かねてから中国では中国国内の日本人学校は中国におけるスパイ拠点で、あそこに通う日本人は校内でスパイとしての訓練を受けているというデマがまことしやかに流されています。
 そんな馬鹿々々しいデマをまともに受ける奴なんているのかと言いたいのですが、実際この噂について「これって本当?」って聞いてくる中国人が多くいたりします。感覚的には「嘘っぽいけど案外マジかもしれない」くらいな感覚ですが、中にはガチで信じ込んでいる人も一定数いると断言できます。

 っていうか「子供があんな整然と列を作って並べたりできるはずがない」というのがスパイ学校である主張として使われたりもするのですが、比較対象が悪すぎるでしょう。

 もっともこれに関しては日本の孔子学院がスパイ拠点だと主要する日本人も多くいるため、どっちもどっちという風に思っていますが。私個人の見方を述べれば、少なくともスパイとして捜査機関に摘発される、確たる証拠がない限りは結論を出すべきじゃないといったところです。でもって怪しいと思うなら、人に頼らず自分で調べろよと言いたいです。

 話を戻すと、あくまで憶測ですが日本人学校が狙われるのは上記のデマも影響しているのではという懸念が少しあります。仮にその通りであれば、中国政府がお得意の言論弾圧でこのデマを封じ込めればいいだけの話なのですが、福島の処理水に関して中国政府自体がデマを流している現状からすると望むのは難しいでしょう。そもそもこの処理水で中国政府が喧伝するデマも、ヘイト感情を高めており、こっちの方が原因としてでかいかもしれません。

 6月の蘇州の事件が起きた時、私はこういう襲撃事件は今後も相次ぐと思いました。ただ襲撃対象は絶対数で多い日本人成人になると思っていたものの、わずか3ヶ月後に再び小学生が襲われるとは予想せず、その間隔の短さもあってさすがにショックを覚えました。
 その上で、中国政府自身が社会でヘイトを高めるデマをまき散らしていることもあり、今後も日本人を含む外国人の襲撃事件は増えていきますが、行き着く際は中国人高富裕層へのヘイトになるとも見ています。実際、そうした高富裕層への不満がなんか爆発する直前のような雰囲気を感じており、前回といい今回の事件の中国政府の消極的な態度を見るにつけ、多分鎮めることはできない気がします。

2024年9月18日水曜日

「小悪魔教師サイコ」裁判の和解に触れて

売上7億円超の人気漫画『小悪魔教師サイコ』作画家・合田蛍冬氏が出版社を提訴した訴訟が和解 同一原作の後発漫画が出版されトラブルに 出版社は謝罪(ねとらぼ)

 本日、「小悪魔教師サイコ」という漫画の作画家と出版社、原作管理会社間の裁判が和解したとの上記報道が出ました。この漫画ですが実は自分は2週間前に購入して読んだばかりで、読むきっかけとなったのもこの裁判でした。

 2週間前、何故かふと「セクシー田中さん」事件のことを思い出し、この件ではドラマを制作してトラブルを引き起こした日テレがやり玉に挙がっていましたが、本来なら仲立ちを果たさなければならない出版社(出版社)も騒動を収めないどころか放置しており大概だったなと考えたところ、「そういえば、『小悪魔教師サイコ』でも漫画家と出版社でも揉めていたな」と思い出しました。せっかくだからこの騒動も追ってみるついでにと、件の漫画を手に取るに至ったわけです。

 その「小悪魔教師サイコ」という漫画作品ですが、一読して「ああこれは人気出て売れるわけだな」と感じました。動きのあるシーンのコマ割りとセンスのない表紙デザインはややどうかと思うものの、話のテンポはよくキャラクターの描き分けもできており、内容には惹かれるものがあって既刊3冊をすべて購入して読みました。
 個人的には、普段無表情で張り付いた笑顔しか見せないサイコパスの主人公が、脈絡なくスコップで思いきり他人の頭をぶん殴ったものの相手がまだ死んでなくて、「やべ、仕留めそこなったΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)」という表情を浮かべるシーンが強く印象に残っています。

 話を戻しますがこの「小悪魔教師サイコ」の漫画はウェブコミックとして人気を得て売り上げもよかったそうですが、何故か原作者側は別の出版社とも漫画化契約を結び、同じ内容の漫画が同時期に連載されることとなりました。しかし後から始まった方は先行していた、今回裁判を起こした作画担当の合田蛍冬氏が描いた漫画のコマ割りをはじめ、原作にはなく独自に追加したシーンまでも模倣していました。
 これに対し合田氏は抗議するとともに、監修としてクレジットに名前を入れることなどを求めましたが却下され、それどころか原作者側が逆に合田氏に対して騒動を起こしたとして謝罪を求めるなどこじれていきました。

 そうした成り行きから合田氏の連載は休載に追い込まれることとなったのですが、間に立つべき出版社側は何故か原作者側に立ち、裁判を示唆するなどあることないことを合田氏に吹聴して余計に揉めさせるだけでした。また告知なく休載した件について合田氏が自身のブログで経緯を説明すると、出版社は自分たちが休載を告知していなかったにもかかわらず、合田氏にブログでの休載説明を削除した上で謝罪するようよう要求してきたそうです。

 こうした諸々の経緯もあって合田氏は出版社や原作者側へ騒動に関して謝罪し、この問題に真摯に対応するよう求めるため、賠償金がなんとわずか3円という裁判を起こすこととなりました。
 個人的な見方から言えば、この形式的な3円という賠償要求額といい、裁判経緯をしっかりブログで説明、公開しているあたり、合田氏は非常にしっかりしていて責任感もある人物であるという印象を受けます。なおその裁判経緯によると、出版社側はすぐわかる虚偽発言を繰り返した挙句、矛盾を指摘されるや嘘に嘘を重ねる始末だったそうで、少なくとも出版社の人間は無能だというのがこの裁判からはっきりわかりました。

 今回の報道によると、詳細は明らかにされていないものの、最終的に出版社、原作者は合田氏に対し謝罪することが決まったそうで、合田氏もこの結果に一定の納得感を得ていると述べています。私としても合田氏の肩を持っていたし、前述の「セクシー田中さん」の件で出版社側にもかねてから作家に対する問題行動が見受けられていただけに、こうした合田氏の行動がほかの理不尽を強いられている作家の励みになるのではないかと期待しており、今回の結果はいいものになったのではと思ってみています。

 そもそもの話、いくら原作を持っているからと言ってせっかく漫画版が人気出ているのにそれとは別に漫画作品を同時期に立ち上げるという道理が全く理解できません。「ひぐらしのなく頃に」や「うみねこのなく頃に」のように、独立しているエピソードごとに別の作画家を立てて漫画を同時連載するなら理解できますが、同じ原作で同時期に別の漫画が連載されるとあれば、もし自分が同じ立場だとあまりいい気分はしないでしょう。
 なおこのような同時並行連載形式だと人気な「薬屋のひとりごと」がありますが、あっちはあっちで片方の作画家が脱税で摘発されて、「脱税版」、「納税版」と区別されるようになって、これはこれで面白かったです。

 それらを踏まえると、初めに「ほかに漫画作品を立ち上げない」という条項を原作者との契約で盛り込んでいたにもかかわらずその契約権利を行使しなかった出版社が、無駄に自分のところの人気作品を失うというあほな行為をしたというのがこの裁判の帰結だと思います。本当にぶんか社はなにがしたかったのだろうか?

 その上で、自分もいた時に感じましたがメディア、コンテンツ業界はこの辺の契約や法務に関してザルもいいところで、こうしたトラブルは見えないところで無数にあると断言できます。日本がコンテンツ産業をもっと強化したいというのであれば、こうした業界の意識の低い契約習慣を改めさせる、または作家らを公的に法務面でサポートすることが強化につながるとすら考えています。
 幸い、この辺は漫画家組合がそれなりにサポートしているようですが、そうした動きをもっと広げることこそが、日本のコンテンツ業界では重要な気がします。一番よくないのは米国のように出版社が原作権利を強く持つことで、やはり作家ファーストで日本は行ってもらいたいものです。

2024年9月17日火曜日

ちょっと珍しい中国のFC-1のプラモ


 また自作プラモの話で申し訳ないのですが、ちょっと珍しいと思う機体なので紹介を兼ねてこうして記事化しようと思います。そのプラモというのも、FC(Fighter China)-1という、中国製でありながら中国では運用されていない戦闘機です。


 この戦闘機は中国とパキスタンの共同開発機で、現在はパキスタンで主に運用されています。みヤンマー国軍も買ったそうですが、あんまり稼働はしていないそうです。


 中国側は開発ベースは中国のJ(殲)-7で中国独自のオリジナル機体だと主張していますが、実際にはパキスタンがアフガニスタン戦争の後に米国からもらったF-16がベースだと言われています。実際、こうしてプラモで作ってみたところ、エアインテークの位置こそ胴体下部から脇に移っていますが、全体サイズといい主翼や尾翼の形状を見る限りだと、完全にF-16と共通しています。

パキスタンでは「Thander 04」とも呼ばれてるらしい

尾翼付け根に切り込みが入っているのはF-16そのまんま

 作ってみた感想としては、メーカーの小号手(トランぺッター)は伝統的に戦闘機脚部の設計が弱く脚が明らかに折れ曲がりやすいのですが、このキットはそういうこともなく、固定が成れてないとてこずりますが逆にきちんと接着出来たらゆるぎない強脚を見せてくれます。
 またエアインテークの組み立ては非常に面白く、胴体下部と上部の間にコックピットを含む胴体全部を差し込むような構造をしており、やや寸法合わせが難しかったですがこの辺の組み立ては本当に楽しかったです。機体そのものがF-16同様にベーシックな形状をしているので、作ってて楽しいキットでした。

 もっともコックピット周りは「こんな細かくする必要あんの?(;´・ω・)」と思うくらいやたら細かい部品が多く、組立も面倒で、ここにやたら時間がかかって嫌でした。コックピットなんて組み立てたらほとんど見ない箇所だから、もっと適当でもいいと思うのに。ここを乗り越えた後は基本スムーズでしたが、最後のデカールがやたら皺ができやすいデカールで、貼り付けるのに苦労しました。

 なおこの機体、中国も当初は導入を検討したものの、すでに運用していたJ-10の方が武装も多く運用実績もあるため、結局このFC-1は見送ったそうです。この判断は確かに懸命だと言えるのですが、FC-1を入れずとも中国は運用戦闘機種類が非常に多いです。
 具体的には、前述のJ-10とロシアのフランカーシリーズ(Su-27、Su-33、Su-35)が主ですが、このほかにも自称ステルス機のJ-20、J-35が入り、整備とか大丈夫なのと他人事ながら心配になってきます。

 なお日本は戦闘機ならF-15、F-35とF-2の3種類だけで、面白みはないけど現実的です。ぶっちゃけ新しい機体を英国と共同で開発するのもいいけど、F-15の最新版に取り換える方がもっと現実的なんじゃないのという気もしますが。F-15の最大の武器は拡張性だし、取り換えた機体もさらなるアップグレードで使いまわせる気がするし。

中国では中秋、日本では秋分

 今日は中国は中秋節なため祝日で、朝から「龍が如く7」をやり続けようと思ったら仕事入ってきたので怒りの休日残業となりました。てか連休明けにミーティングとか入れるなよ。

 話を戻すと、この中秋というのは日本でも「中秋の名月」という言葉で一般的に使われています。中国でもこの時期の月は名月とされ、月餅など丸いものを食べながら月を眺めるという文化があります。

 そんな中秋についてよく通っていて顔なじみになっているコンビニの店長に「日本でも中秋節は祝日なの?」と聞かれました。この時に改めて考えたのですが、日本では秋分の日を祝日としていますが、実質的に中秋も秋分も16番目の二十四節気を表す言葉で、意味的にも内容的にも同じです。なのになぜ日本と中国でこうも使い分けているのか、若干腑に落ちない気持ちを覚えました。

 あくまで好みの問題ですが、私としては中秋節の方が月を眺める文化習慣を表す言葉にもなっていることから、こっちの方がいいんじゃないかという気がします。何となく秋分だと春分の兄弟格で「昼と夜の時間が一緒な日」のようにしか受け取れず、何より「秋分の名月」とは誰も言わないことからも、文化的な習慣と結びつくうえでこの際「中秋の日」に名前を変えたっていいじゃんとかすら思います。

 なお今日はその件のコンビニで月餅買ってさっき食べましたが、これとは別に中秋の名月に見立て中国に売り込み、マジでかなり定着させることに成功した日本の秋月梨もお昼におやつ代わりに食べました。個人的に話はマッドシティ名産の幸水または豊水を好みますが、秋月梨もでかいだけあって食べ応えがあり、この時期に食べるのが割と楽しみでよく買ってたりします。

2024年9月15日日曜日

ゲームのムービーシーンにおけるカメラワーク

 今更ながら「龍が如く7」を遊んでいます。発売が2020年であることもさることながら、購入したのは去年のセール時ながらも何故かこれまでは他のゲームを優先して遊ぶことなく、なんか手持無沙汰な状態がふと訪れたので起動してみるとこれまた面白く、評判が高かっただけに非常に楽しんでいます。
 にしてもゲーミングパソコンじゃなくてもPS4クラスのゲームがパソコンで遊べるようになるとはいい時代になったもんだ。戦闘機ゲームのエースコンバットも今度動くか試す形で買ってみようかな。

 話を戻すとこの龍が如く7ですが、ストーリーをはじめとするゲーム内容の面白さ以上に、ムービーシーンにおけるカメラワークに驚かされました。具体的にどこがどうと言いづらいのですが単純に素晴らしく、どのムービーもちょっとしたカメラワークで各描写を強く印象付けるように作られており、どのムービーも早送りせず見入ってしまうほどです。
 どんなカメラワークがいくつか挙げると、左右に二人の人物の顔が映されていて、最初はしゃべり始めた片方にピントが合っているものの、もう片方がしゃべりだすとそちらにピントが移る。あと徐々にズームアウトしていって端の方に入り込んできた人物がおもむろに語りだすなど、こういう映画とかでは当たり前のカメラワークですが、ゲームだとこれまであまり目にしたことがありませんでした。

 カメラワーク一つでこれほどまでムービーが良くなると私は今まで感じたことはなく、ただ単に最近のゲームを遊んでいないだけかもしれませんが、かつて遊んだゲームのムービーでは印象を覚えたことは本当にありませんでした。思い起こすと、スクウェアエニックスやコーエーテクモのゲームはどれも美麗CGやムービーを売りにしていますが、改めて思い起こすとCGの素材ばかりに力を入れて、そのCGをどう映すかというカメラワークに関してははっきり言ってお粗末な水準だった気がします。
 基本的に顔面アップが多く、アクションするシーンも遠回しに映すだけで迫力がなく、終いには最近は減ったけど悪名高いQTEを入れてムービーなんか見られない状態にしたりといった感じです。

 そもそも龍が如くシリーズの元プロデューサーである名越氏自身はゲームではなく映画を学んでいたものの、就職にあぶれてゲーム業界に入ったという口なだけに、この方面のカメラワークがやっぱりこのシリーズが優れているのも当然かもしれません。ついでに書くと、龍が如くの製作前から柴田亜美氏の漫画(どきばぐ)ではまるでその未来を見越したかのように、本宮ひろし風のヤクザとして描かれていました。

 話をまとめると、ゲームのムービーと言うとCGの美麗さやキャラクターのかわいさばかり取り上げられがちですが、そうした素材を生かすも殺すもやはりカメラワーク次第というべきか、この方面に意識が薄いゲーム会社も少なくない気がします。そういう意味ではゲームクリエイターも映画とかの撮影方法をもっと学ぶべきなのかもしれません。

2024年9月14日土曜日

イスラム教の賢い税政策

 社会学を先行していたこともあり比較文化論的な話は前から好きなのですが、この手のもので特に良く読むのが宗教学者の島田裕巳氏の本です。私自身は「神はいない(でも妖怪は絶対に存在する)」という無神論者ですが、宗教やその価値観はオカルト趣味もあって昔から好んでおり、ちょうどこの辺を突くかのよう島田氏の本は感性をくすぐるので新刊が出たらよく買っています。
 てな感じでこの前買った「宗教戦争で世界を読む」ですが、この本では宗教が主導または宗教間で起きた戦争を取り上げてその原因や結果などについて書かれてあるのですが、個人的に一番面白いと思ったのはイスラム教の人頭税ことジズヤの話でした。

 知っての人には早いですが、かつてイスラム教は非イスラム教徒に対しては人頭税という税金を課していました。これだけ聞くとひどいことするなという感じがしますが、実際には当時のキリスト教圏ではキリスト教以外の活動や信仰を一切認めず、キリスト教内でも異端に指定されたら弾圧されるような状況の中、イスラム勢力圏では税金さえ払えば自由な信仰(当初はキリスト教とユダヤ教限定だったが後にこのほかの宗教にも拡大)を認めており、当時としてはむしろ他宗教に対し非常に寛容な態度だったそうです。
 それどころか、このジズヤはイスラム教国にとっては重要な財源でもあっただけに、払ってくれる他宗の教徒に対してはウェルカムな態度すら持ち合わせていたそうです。実際、キリスト教圏から追われたユダヤ教徒を「こっちにおいでよ(=゚ω゚)ノ」てな感じで迎え入れたこともあったそうです。まぁユダヤ人は金持ってそうだしね。

 こうした財源的な意味でも価値を持つジズヤですが、イスラム教圏の拡大においても大きな役割を果たしていました。というのも基本どの時代、どの国にもいるでしょうが、周りや親が信仰してたるから自分も何となく信仰を続けているだけのなんちゃって教徒は世の中溢れています。そうした人たちに対してもジズヤは課されるのですが、先にも述べた通りこれはイスラム教に改宗すれば払う必要はなくなります。
 このように、他宗の信仰心の薄い層に対し「税金払わなくて済むなら(´・ω・)」という感じでイスラム教に誘導させる効果もジズヤは持っていたそうです。でもってイスラム教は生活そのものが信仰というぐらいに戒律や作法が厳格な宗教で、一度はいるとなかなか抜け出せられない特徴を持ちます。そんなイスラム教の特徴と相まって、ジズヤの効果はウマイヤ朝やアッバース朝時代のイスラム教の急拡大を支えたと言われています。

 ただ、これまた先にも述べた通りジズヤは財源としても非常に重要な収入源でした。そのため一部地域では他宗の教徒が集団でイスラム教に改宗しようとしたら財源がなくなることを恐れた領主がそれを止めようとしたという、本末転倒な話もあったそうです。人間、やっぱりお金が大事。

2024年9月13日金曜日

あっさり中国で定年延長(;´・ω・)

 先日の記事で中国が定年延長を検討しているという報道を取り上げましたが、今日あっさりと定年延長が決まりました。段階的に引き上げるとはしているものの男性60歳、55/50歳を男性63歳、女性58/55歳へと引き上げる方針を打ち出しました。
 前の記事で私は、男性はともかく女性は男性同様に60歳まで引き上げるのではと書きましたが、あっさりその予想を外してかなり恥ずかしい思いしてます(;゚Д゚)

 何気に昨日、ちょうどこの定年延長の影響を受けそうな年頃の友人と会話した際にこの話題も出たのですが、その人の周りではどちらかというと早期リタイア志向が強い人が多く、定年延長については「やめてよ(´・ω・)」って感じの感想が多かったそうです。この辺でも自分の予想は外れているのかもしれない……。

 ただ前の記事にも書きましたが、この影響を一番受けるのは壮年層よりも若年層、中国の若者じゃないかと思います。壮年層が雇用され続けることで枠は小さくなり、来年以降はますます就職状況が悪化るのではないかとみています。失業者が増え続ける場合中国の社会不安も高まることとなり、その辺をやや危惧しています。

2024年9月11日水曜日

中国の退職年齢引き上げ報道に関して

「中国引き合いに出すのに反対」中国が米大統領選討論会に注文 「論評せず」と慎重姿勢も(産経新聞)

 こんなこと言ってるけど、かといって全く話題にしなかったら「米国は外交で中国を無視するな」とか言ってくる気がします。めんどくせーな。


 それで本題ですが日本人からするとえっと思うかもしれませんが、中国と日本だと定年が異なっています。男性に関しては60歳でそこまで日本と大きな差はないのですが、女性は記事にもある通り50歳または55歳で、今や65歳定年となっている日本と比べるとかなり早いです。

 ただ日本の場合は女性の正社員率が男性と比べると大きな差があり、そもそも定年を迎えるまで正社員でい続ける女性数も少ないことから、定年という話題だと男性サラリーマンがすぐ浮かんでくるのではないかと思います。
 それが中国の場合ですと日本なんかよりずっと女性の社会進出が進んでおり、さすがに役員クラスとなると欧米よりも低いものの、一般正社員としての従業員数でいれば男性とそこまで大きな差はないと感じます。出産により育児休暇の法定期間も実は日本より短くて復帰が早く、夫婦共働きでともに定年を迎えるという人も当たり前のようにいます。

 そんな中国ですが、やはり前からこの女性だけ男性に比べ10年も定年が短いというのはおかしいのではという指摘がかねてからありました。特にかつてはなかった住宅ローンを抱える家庭も増え、なるべく長く働きたいと考える人も増えてきているだけに、むしろこの10年の間にこうして全人代などの俎上に挙がってこなかったことの方が異常でしょう。
 もっともそうした勤労者の声というより、今回こうして改正が取りざた足されてきたのはこれまた記事にもある通り年金問題が主原因であると言って間違いありません。前にも書きましたが日本の10倍くらい人口抱えている上に日本以上にハイペースで少子高齢化が進んでいることから、どう考えても中国の年金制度は日本以上にリスクが高い状態になってきています。っていうかきちんと数字でこの辺の分析出来たらかなりいい記事になるけど、このところゲームで忙しくて調べてられてない(;´・ω・)

 私の予想ではこの中国の定年に関しては、日本みたく男性を60歳から65歳に引き上げるかはまだわからないものの、女性に関しては上も下も望む声が大きいだけに、男性同様に60歳へ引き上げることはこうして話題に出てきた時点でほぼ確実じゃないかとみています。問題となるのは制度改正時に51歳以上と、定年退職で辞めたばかりの人たちの処遇をどうするかで、一応は元の雇用先に再雇用を促す程度で落ち着かせるのではと考えています。

 もっともこの定年のしわ寄せを食うのは若年労働者で、ただでさえ就職氷河期で職にあぶれているだけに、定年延長によって雇用枠が上位年齢層で埋まることでさらに大卒就職率が悪化する可能性も含んでいます。
 かつての中国政府はこの辺の雇用に対する意識が非常に強かったのですが、近年は競争至上主義が普及したことで、決して軽く見ているわけではないものの以前と比べれば自助努力で何とかしろと言わんばかりに、前ほど省みなくなってきているような気がします。それこそ「やる気のない若者の方が悪い」といった感じで。

 ただそれを言えば日本も人のことは言えません。好景気で減ってきてはいると言っても退職代行業がこれだけはやっていることを見るとやはりまだブラック企業は日本社会に存在しているようですが、この1年くらいでそうしたブラック企業への対策や摘発が話題になったのはほぼ見たことなく、日本政府もこの点を省みなくなってきている気がします。
 ちょうどいま総裁選ですが、かつてと比べると行革を口にする人が減ったものの、私個人としては厚生労働省を再び分割してほしかったりします。この二つは相いれない存在だと思うし、分けて権限、否責任をもっと明確化すべきでしょう。

2024年9月9日月曜日

田中真紀子氏の推す候補

田中真紀子氏 自民党の総裁選をバッサリ「へなちょこばっか」適任者「私は1名いると思いますけど」(スポニチ)

 結論から書くと、「田中真紀子と推しメン被っちゃたよ(;´・ω・)」と言ったところです。

 かつてないほど立候補者が乱立している今回の自民党総裁選ですが、記事内容によると田中真紀子氏は数ある候補者のうち、林芳正官房長官のみが総理として適格だと発言したそうです。私は彼のことをその名字からよく「リン」と呼んでましたが、ぶっちゃけ自分も岸田総理の後継として能力、人格、路線の全方面で一番総理になってほしい人物はこの人だったりします。
 具体的に何故と説明できる要素は薄いのですが、ほかの候補者と比べ要職に就任しながらきっちりと務め果たし、また自分がやることなそうとすることの方針をきちんと説明しているのと、あまりほかの政治家の悪口を口にせず黙々と仕事に向かう姿勢をかねてから評価していました。特に閣内からも風当たりの強かった岸田総理に対し忠実に務めたその態度は、十分評価に値すると考えています。

 田中真紀子氏については正直言って私はあまり好感を持っておらず、政治家としての実務能力に関しては余計なトラブルしか引き起こさないとして全く評価していません。ただ他の政治家に対する観察眼や評価に関しては一目置いており、父親譲りの頭の回転の速さと観察力というべきか、その評論はこれまでも参考にしていました。
 それだけに、全く想定していなかったのもありますがまさかここでリンの名前を挙げてくるとは思いもよらず、驚くとともに「あの田中真紀子が言うんなら(´・ω・)」と、ちょっと自分の肯定的評価にも自信を持つようになりました。

 とはいえ今回の総裁選は候補者の多さから予想が難しく、現状では隠然たる力を持つ菅元総理のバックアップを受けている小泉氏がリードしている状態です。河野氏は菅派の応援を受けず、また麻生派の応援を受けていることでもう芽はないとみていますが、彼が敗北した後の決選投票でその票がどこに流れるかの方がむしろ検討のし甲斐があります。
 とはいえリンの場合は上川外相と岸田支持派が割れるので、どっかでこの二人が協力しない限りは厳しいでしょう。私個人の見方としてはリンの出番は次の次じゃないかという気がするのですが。

静の恐怖から動の恐怖へ移るホラー作品の続編

 先行して中国で公開されて自分も見てきた「エイリアン・ロムルス」ですが、日本でも公開されて評判は上々のようです。前回レビューでも書きましたが本作品では過去のエイリアンシリーズが要所要所でオマージュされた場面があり、過去シリーズ作品に対する敬意を払ってエイリアンの伝統をきちんと受け継いでいるだけじゃなく、「いいアンドロイド」ともいうべき本作独自の要素による味付けも施されており、エイリアンシリーズとしてだけでなく一娯楽作品としても非常に評価できる名作だと個人的にも思っています。

 その過去作品のオマージュですが、古い作品も多いため解説記事でもこの点がよくポイントになりやすいです。それもそのはずというか第一作目は1979年公開という半世紀近く前の作品であり、リアルタイムで見た人となると結構な年齢を数えるくらいであり、若者からすると若干古典的作品に見えるかもしれません。
 その第一作目ですが、この作品の制作当時はCGはおろか特撮撮影技術も現代と比べて非常に低いものがありました。ただそんな制限された環境においてもリアリティを見ている人に感じさせるため色々工夫されており、一番肝となるエイリアンはその活発に動く姿を撮影することが難しかったためおなか破って出てくる赤ちゃんの頃を除き、最終盤まで全身像は移さず特異な顔面部分のみしか映されませんでした。ただこの演出が「潜む恐怖」というかどこにいるのかわからない、けど見つかったら終わりともいうべき恐怖感を作る上で貢献したと言われています。

 そんな第一作の続編として出された「エイリアン2」では一転して、大量のエイリアンが所狭しと画面内で大暴れしまくり、海兵隊とバトルし合うアクション性が強められた作品となりました。路線変更をしたものの公開当時の評価は非常に高く、「ターミネーター2」が出るまでは最も成功した続編作品との呼び声も高かったようです。
 もっともこの時代においても怪物がはしゃぎまわるシーンを撮影するのは困難で、エイリアンの人形(ぬいぐるみ?)は数体しか作られなかったものの、撮影方法を工夫して何十体も動き回るように見せていたそうです。

 話を戻すと上記のエイリアン1から2への路線変更については、静かに恐怖がにじり寄るような1に対し、2では反応が遅れればすぐやられる的な動の恐怖へ移行したと評する声があります。この静の恐怖から動の恐怖への移行ですが、勘のいい人ならすぐにピンとくるかもしれませんがもう一つ別のホラー作品でも同じ路線変更が指摘されています。
 その作品というのもホラーゲームの金字塔ともいえるバイオハザードで、それほど多くない敵キャラがあちこちの物陰に潜んでいるという1の作りに対し、2では大量のゾンビが街に溢れ激しい戦闘で撃退しつつ脱出を図るという、アクション性が強められた続編となっていました。

 エイリアンもバイオハザードも、同じホラーシリーズ作品としてともに1から2で静の恐怖から動の恐怖へと路線が変わっています。偶然と取ることもできるのですが、例えばホラーゲームのサイレンでもほとんど敵キャラへの抵抗手段がなく逃げるだけだった1に対し、2では重火器も登場して敵キャラの闇人(やみんちゅ)を薙ぎ払えるなどアクション性が盛り盛りに高められています。でもってこっちも評価が高いです。
 その他のホラー映画作品でも、ヒットした作品はこの静の恐怖から動の恐怖への路線変更が多かれ少なかれ働いている気がします。でもって3で若干迷走して評価を落とすというところも大体共通しています。それらを踏まえると、少なくとも1から2にかけてはこの静の恐怖から動の恐怖への移行が重要なのではないかと思いついたわけです。

 なおエイリアンについては3は閉鎖空間で武器なしというマゾチックな環境になり、バイオハザード3はよりアクション性が高められた上に「追われる恐怖」がテーマとなっています。ただどちらも1と2ほどの評価は得られず、4に至ってエイリアンはかなり迷走し、バイオハザードは恐怖よりもアクションによる快感性をより追及するという転覆的路線変更をこなして大成功しています。
 ちなみにバイオハザード3ではプレイしていて怖いと感じた以上に、市長の像の裏からマシンオイルが出てきたときに大爆笑しました。いやまぁ病院のステージは敵も強いし弾薬も補給できないから結構怖かったけど。

 ややオチの弱い記事ですが、何が言いたいかというと静から動への路線変更はホラー作品には手堅いヒットルートなんじゃないかってことです。もっともリメイク予定のサイレントヒル2はこの例にもれず1以上に静謐な恐怖感を強めてヒットしたあたり必ずしも法則通りというわけじゃないですが。

2024年9月8日日曜日

松戸駅前にマンション作ってばっかで大丈夫?(;´・ω・)

  エイリアンVS吉田沙保里~どっちが勝っても、ALSOKは来ない

 また無駄にSF対策のプロットを立てていました。まぁエイリアンなら、吉田沙保里氏相手にいい勝負できるんじゃないかな。

寿センター シノダが解体され更地に「サン理容室」「八百岩商店」を含めた敷地で地上14階建てのワンルームマンションが建設予定(松戸つうしん)

 話は本題ですが上海にいながら何故松戸の動向をしらべるのかとかいう疑問は置いといて、上の記事はなかなかにショックでした。というのもここに出てくる「サン理容室」は自分が通っていた床屋で、お店のご家族らとも顔馴染みで中国からお土産買って帰るくらいの仲でした。それが記事によるとどうも立ち退いたようで、その跡地にはまたマンションが建つ予定とのことです。

 私がリアル松戸市民だった頃も松戸駅前はマンションの建設が続いていましたが、その傾向はいまだ続いているというかむしろ加速している感すらあります。すでに建設済みのある意味聖地なわらそう跡地はもとより、ダイエーの跡地もこのキテミテマツド横の区画もまたまたマンションということで、需要があるのはわかるけどいくら何でも駅前にマンションを密集させすぎやしないかとみていて疑問に思います。
 ただでさえ道路が混雑しやすい駅前だというのに、これだと混雑に拍車をかけ、また駅構内の混雑もさらに増すのではないかと心配しています。どうせ作るのならもう少し離れたところ、具体的には江戸川沿いにすればいいのにという気がします。

 にしてもサン理容室がなくなったとなったら、日本でどこで髪切ればいいのだろうか。上海ロックダウンの時の経験から、自分で切ることもできるっちゃできるけど。

2024年9月7日土曜日

日本で消えた戦争文学

 2年半前の時点で、今も続くウクライナ戦争が現在も続くとはおそらく誰も予想していなかったです。私自身も寒さ厳しいあの地域で冬季装備の準備もなく始まった戦争だった故に、長くても次の冬季までには停戦にはなると予想していましたが現実にはさにあらず、ロシア領内のクルスク州にも戦線が広がるなどむしろ拡大を続けています。
 もっともその代償は大きく、かねてからこのブログでも書いているようにロシアはこの戦争が終わった瞬間に戦時中以上の経済混乱に見舞われることになると私は予想しています。幸いな点は中国経済がこのところ不調であるという点で、かつての好景気を維持していたらロシアは中国の経済植民地化する可能性もあった気がします。

 ただこのウクライナ戦争ですが、戦況の報道こそ活発なれども戦争そのものをどう見るかという分析や解説はあまり多くない気がします。もちろん戦争が続いている中でこのようなことを論じようものなら批判も来るだろうし、分析も足りず誤った見方を招く恐れもあるため仕方のないことだと思いますが、この点について先ほど考えたところ、近年において日本で戦争そのものをどう考えるのかという議論、特に戦争文学が極端に少なくなっているのではないかということに気が付きました。
 それもそのはずというか、日本が実際に戦争に直接参加したのは約70年前の二次大戦が最後で、それ以降の戦争において日本は傍観者的な立場であり続けました。実際に戦争を体験することはなくベトナム戦争やイラク戦争を眺めるだけで、これでは戦争がいいか悪いか以前に戦争とは何なのかを深く考えることも難しい気がします。

 それこそ昭和の時代であれば、水木しげるをはじめ実際に戦争を体験した人、それも高所からではなく末端の現場兵士だった人たちが数多く、彼らの体験に対する作品を通して間接的ながらも戦争を考える機会は数多くありました。しかし現代日本においてそのような戦争体験者はごく限られ、目下においては米国における従軍経験者らの話を聞く以外にはこの手の情報に触れることはできなくなりつつあります。

高部正樹(Wikipedia)

 唯一の例外として私もエッセイ漫画を読み続けている、この元傭兵だった高部正樹氏の証言があります。現代においては珍しい実戦込みの従軍経験者な方なだけあって興味深い話が多く、敢えて一つ挙げればエッセイ漫画の冒頭にて語った、

「戦争を避けるための話し合いの重要性は否定しないが、今すぐにも殺されそうな環境にある人たちは確実に存在していて、彼らを守るための武力もまた絶対に必要」

 という、虐殺の危機にある立場にある人からの目線には私も考えさせられました。

 私自身も戦争に関して決して偉そうなことを言えるような立場ではありませんが、それでもまだ若い世代に比べれば昭和の戦争文学や水木しげるの戦争体験漫画を見てきただけに、戦争に関して考える機会はまだ多くあったように思えます。そういう意味で私が憂えているのは、今後時代が下るにつれてますますこの手の戦争文学に触れない世代が増えていくということです。何故戦争が起き、何故続けられ、その結果がどうなるのか、また結果にかかわらず参加した人はどうなるのか、戦争の現場では何が起きているのか、こうしたことについて考える機会を日本国内においてももっと作らなきゃいけないと思います。

 中でも一番自分が危機的だと思うのが見出しにも掲げた戦争文学です。文学とはなにかという定義について私は、「文章を通して自分が体験していない状況や経験を間接的に経験する」ことであり、やはり戦争を考える上では文学の価値は非常に高い気がします。それだけに、実際に従軍経験ある人は少ないものの、聞き取りベースでもいいからもっと戦争文学を日本語で出す必要があるのではないかと思います。
 もちろん二次大戦の戦争文学でもいいのですが、基本的に古い作品が多いだけに現代語に合わせてアップデートや再編集が求められてくるでしょう。そうした努力をもっと日本社会全体で意識で、続けていく必要があるのではという考えた次第です。

 なお戦争をテーマにした文学は少ないもののガンダムシリーズをはじめアニメ作品は枚挙にいとまがありません。ただそのガンダムシリーズ、とりわけあのガンダムWを見て戦争を考察しようとするなら、多分余計に悩みそうな気がする。改めて見返すとガンダムWは登場キャラの思想がどれもぶっ飛びすぎてて「平和って何(;´・ω・)?」って気になってくる、
 むしろ戦後というものをテーマにしている点で、ガンダムXなんかは地味にいい作品な気がします。かつての戦前に囚われている人間、PTSDになっている人間、戦後に生まれ新しい時代に目を向ける若者の対比が非常によくできている気がするし。

2024年9月5日木曜日

河野氏の年末調整廃止主張について

 Boketeの投稿でホラー映画の「サユリ」のタイトルを「サオリ」に変えてた人がいましたが、実際確かに下手な幽霊より吉田沙保里氏を相手する方が絶対怖い。

河野氏、公約で年末調整廃止主張 自民党総裁選、原潜配備議論も(共同通信)

 話は本題ですが上の記事にあるように、河野氏が総裁選に向け、個人所得税の年末調整を廃止して原則確定申告を行わせるという政策を打ち出しました。これに対する世論の反応は明らかにネガティブで、先の自民党の裏金問題も相まって批判が強まっています。
 別にこれだけなら記事化する必要はないのですが、実はこの河野氏が主張する政策を自分は経験済みだったりするので今これを書いています。どういうことかというと毎年確定申告しているから……と言うだけじゃなく、スマホでほぼワンクリック確定申告を中国でやっているからです。

 恐らく私が毎年行っているスマホでの確定申告は、河野氏が主張している内容の理想形に最も近いものじゃないかと思います。この中国のスマホ確定申告について少し解説すると、基本的に中国も個人所得税は企業や団体が源泉徴収するのですが、副業する人が多い国なだけあってこうした確定申告手段も整備されています。
 ただ全員に義務があるわけではなく、年度内に転職して二つ以上の団体から給与を得た人とか、年間所得が一定額を超えている人、給与は一か所からしか得ていないが講演料など副収入があった人などが確定申告義務の対象者となります。私の場合は外国人とはいえこれらの規定は当てはまらないのですが、何かあったときに確定申告をした事実があると有利ということから一応毎年やっています。

 この確定申告方法ですが、中国人であればマイナンバーをアプリに登録するだけですぐにログインできて、企業や団体が支払った給与も全部マイナンバーを通して筒抜けとなっているため、アプリを起動してすぐに税額やこれまでの納税額を計算してもらえます。外国人の場合はマイナンバーの代わりにパスポート番号を入れますが、最初の1回のみ税務局で登録手続きが必要ですが、そんな時間はかからず、なおかつ1回やれば次年度以降は問題なくログインできて、同じように自動計算してくれます。

 基本的に収入が給与だけなら追納や還付税額はゼロと自動計算され、「この内容にお間違えないですか?」と表示されたら確認ボタンを押して確定申告を終えられます。ちなみに自分は先にも書いた通り毎年やっていますが、仮に追納するよう表示されたらそもそも申告義務がないのだし、無視しようといつも思ってやっています。幸いなところ、これまではそういうことないです。

 このアプリによる確定申告ですが、便利っちゃ便利なのですが操作に慣れていないのもあるものの、仮に控除が得られる支出があった場合などはどういう風に操作するのか、想定外の申告処理とかあったらどうなのかっていう点で少し不安があります。この辺はアプリで処理できるならアプリで、無理なら税務署に相談という形になるのでしょうが、この辺をきちんとやろうとしたら実際はかなり手間というかアプリのUIに求められる要件も高くなる気がします。

 そもそも現在の日本は中国ほど金の動きが電子化されておらず、実際にやろうとしてもそんな簡単に行くのかという点でも疑問です。なので河野氏の主張自体は全く理解できないわけじゃないのですが、やろうってなると10年くらいのスパンでアプリやシステムを整備した上、国民にも周知しなければならず、e-TAXは年々良くなっているとは聞くものの、この総裁選の公約にするのはやや無理がある気がします。

 その上で、こう言っては何ですが言い方が非常に悪いなと感じました。先にも書いた通り自民党は裏金問題に税金を支払っておらず、それなのに個人の収支は電子上で細かく管理しようっていうのは国民からすれば言われていい気がしないでしょう。
 むしろ確定申告を非常に手間だと考えている人が少なくないだけに、e-TAXを強化して確定申告をより手軽に、ワンクリックで済むようにさせるなどと言っておけば、賛同する人ももっと多かったのではないかと思います。それどころか、アプリで確定申告すればそれだけでマイナポイントを3万円くらい還付するとかニンジン戦法を取るのもありだったでしょう。ぶっちゃけ3万円なら、年末調整で法人が被る負担を十分ペイできる金額だと思うし。

 そうした点を踏まえると、ちょっと河野氏は発言や見せ方のセンスが悪いなという印象を覚えました。この点は岸田総理もそういうところあったけど、途中からは一切説明せずに政策やるようになって、本人にも周りにもいい結果を生むようになった気がします。

 最後に、中国で最初のアプリ確定申告のため税務署へ行けと言われた際、なんか余計に税金払うことになりそうだったので実はサボろうとしていました。期限が間近に迫る中、「あ、忘れてた(*´∀`*)」としらばっくれようと思っていた矢先、ある同僚が秘書にこの手続きのため税務署へ行くので同行してほしいと話すのを耳にしました。
 この時、もしこの機会を逃したら、もう一生チャンスがないと思った私は「あ、俺もやんなきゃいけなかったんだ。一緒に行っていい(。´・ω・)?」と素知らぬ顔でその同僚に乗っかることとしました。そしたら私以外にも、「俺もそうだったσ(゚∀゚ )オレ」、「俺も俺もσ(゚∀゚ )オレ」と、ほかにも何人も同僚が一緒になって同行を希望してきて、結果的にバスツアーの如く大所帯で税務署にカチコミかけることとなりました。

 恐らく私以外のほかの連中もやらなきゃと思いつつしらばっくれるつもりだったのだと思います。それが思いもかけず出向こうとするものが現れたのでうまく追従しようと動いたのでしょうが、私はこの時、「ああ、勇者っていうのはこういう風に最初に声を上げて行動する奴なんだな」と、妙なRPG脳で考えていました。

2024年9月3日火曜日

中国のネット身分証検討を見て


 なんか知らんが作る前は一切興味もなく安いから買っただけなのに、作り終えてからこのX-29がやたら気に入るようになってきました。同じエリア88の風間真が乗ったF-20タイガーシャークも同様に作った後から好きになりましたが、あの漫画の作者が主役に乗せるだけあっていい機体なのかもしれません。


 話は本題ですが上のニュースを見て率直に言って疑問を感じました。結論から書くとこれは完全に本人特定が目的ではなく、本人特定は政府によって簡単に行われるというのを威圧的に見せることが目的でしかなく、こんなことをしても不満の種は消えることはなく、むしろ前以上に増大すると断言できるからです。

 順を追って説明すると、そもそも中国で誰かに成りすましてネット上で意見を発信するなら別ですが、匿名で意見発信することは現状ですでに不可能です。ネットへのアクセスやプロバイダー契約においては携帯電話番号が絶対必要で、またネットカフェを使うにしても入店時に国民番号などで本人特定が行われます。まぁこの身分証を偽造するならまだいけるか。
 にもかかわらずここでさらにネット身分証を作るとしたら、敢えて言えば運転免許証に対する証明書を別に作るようなもんで、本人特定や証明において如何なる価値も持ちません。にもかかわらず敢えて作ろうとする辺り、前述の通り中国政府がネット上で批判とかしたらすぐ捕まえるぞという脅し目的で敢えて作ろうとしていると私は見ており、これも比喩で言えば機関銃の横に実際には作動しない機関銃をさらに置くようなものです。

 しかしそもそも論で言えば、仮にこんなことをしても社会に対する不満や批判は中国では少なくならず、むしろかえって今まで以上に表面化するという風にも予想します。というのも、不満というのは吐き出さなければ出さないほどどんどん増大するものだと考えるからです。

 この辺は多分まだどっかにあると思うけどこのブログで書いたかつて大きく認知されていた「ネット右翼」という言葉が現在ほぼ死語化している理由と同じです。平成初期から中期にかけての自虐史観時代において、表立って愛国主義的な発言はマイルドなものですら一般社会で主張することは憚られる傾向がありました。そのため世間で発言できないこの手の感情はかえってそのうっ憤を晴らすかのようにネット上で先鋭化するようになり、極端な愛国主義が当時はネット上でよく叫ばれていました。
 しかし平成後期に自虐史観が薄れたというか左翼主義思想や勢力が社会における影響力とともに大きく後退すると、愛国主義的発言が公でも以前より自由に発言できるようになりました。その結果、ネットで喚かなくても普通に発言してストレスもためないため、ネット上では先鋭化した発言が消えるどころか「ネット右翼」と呼ばれた勢力自体も現状ほぼ消失しています。

 こんな感じで、批判や不満は抑えれば抑えるほど先鋭化する傾向があり、統治者というのはこの手の不満の吐き口をどこかで用意しておくものです。現状ではやはりネット世界がこの手の吐き口になりやすいのですが、日本の場合は日常のストレスが芸能人やスポーツ選手にこのところ向けられることが多くこれはこれで対策が必要ですが、今回のように中国がネットに対する統制を強めようものなら、多分その不満は社会の目につくところで今後より露わになると思います。
 以上のような見解から、何を考えこんな無意味なことをするのかと疑問に思った次第です。そもそも反乱分子をより潰そうってんなら、わざわざこんな風にアピールせずに黙って本人特定手段を追加すればいいだけで、こうして見え見えアピールもするあたりつくづくセンスがない気がします。

 そもそも以前に知り合いの中国人が言っていましたが、江沢民や胡錦涛時代は海外旅行をはじめ、社会における自由がどんどん広がっていった時代だった。それが習近平時代になってからは社会上の制約がどんどん増え、挙句にはコロナ規制もあってどんどん閉鎖的になっていると評しましたが、実に簡潔に中国の移り変わりを説明した評価だと思います。
 あまり言及する人はいませんが、胡錦涛時代はそれまで外資参入規制のあった産業がどんどん解放されて、経済の自由度は飛躍的に高められていました。それが習近平時代に入ってからはその手の話はついぞ聞けず、唯一自分が覚えているのは自動車は新エネルギー車のみ外資100%の出資設立を認めるようになっただけで、そのほかの開放措置は本当に聞きません。本当に何がしたいのか、言い方悪いですが自ら中国経済を不況に突っ込ませるようなことしかしないなという気がします。

2024年9月1日日曜日

三中全会の報告の問題点





 50元(約1000円)と安かったのでX-29を買って作って遊んでました。デカール貼りが鬼作業過ぎる(;´・ω・)
 知ってる人には早いですがエリア88で主人公が最後に乗った機体で、使用していた米国本国よりも日本の方が知名度の高い機体と言って間違いないでしょう。にしてもパイロットはこんな顔だったっけ(。´・ω・)?

 話は本題ですがこのところ「Sntinel Girls 2」こと「救国のスネジンカ」というゲームで忙しくあまりブログ書く気が起きませんでした。なおこのゲーム、「救国」と書いていますが救われるキャラは誰一人として存在せず、前作の「溶鉄のマルフーシャ」を正当進化させた内容で相変わらず素晴らしいです。

 そんなんで 何か各ネタないかなーと思っていた矢先、先日発表された中国政府の三中全会報告について何も書いていなかったことに気が付きました。三中全会というのは中国共産党中央常務委員会(人気5年)がその新体制発足時に発表する、これからの5年間について方針を語る中国においてほぼ最上位の政権方針を指します。
 もっとも有名な三中全会報告と言ったら鄧小平が最高権力を握った年に出された「改革開放」にほかならず、三中全会と言ったらほとんどこの時の方針を意味するほど浸透しています。

 それで今回の三中全会報告ですが、本来なら体制発足時である去年に出されるはずが何故か今年初夏まで発表が延期されていました。その理由は単純に中国の経済不況が深刻で、具体的な対策を出すことができない、方針で揉めていたためと言われていますが、恐らくその通りでしょう。
 このようにして時間をかけてまで今年出された三中全会報告ですが、その内容に対して市場は物足りないとして失望するという意見が多く出ました。私自身も同感で、そう感じた理由は主に以下の通りです。

・不良債権の削減目標が出されなかった
 かつて日本の失われた十年時、当時の竹中平蔵大臣は不良債権を3年で半減化するという目標を掲げ、2年半で実現しました。これが当時は非常に大きかったと思え、現在の中国も当時の日本同様にデフレ不況に入りつつあることから、こうした不良債権の具体的な数値削減目標が欲しかったところですが、「不動産子女をてこ入れしつつ地方債務などを減らしていく」という、あいまいな書き方で終わりました。

・地方への税源移譲
 その地方債務問題については、地方への税源移譲が触れられていました。知ってる人には早いですが中国の地方予算はその多くの歳入を不動産売却収入から得ています。日本人からすると理解しがたいのですが、中国の地方の収入源は日本と比べて非常に少なく、また中央からの助成金も日本ほど割合が高くないため、何かやろうとなると土地の使用権を民間企業に売って予算にするしかなく、そのため不動産市況によって地方財政が左右されやすい傾向にあります。
 こうした状況だというまでもなく債務は高まっていく一方で、これに対し中国政府は今回、地方に増値税を含む間接税などの中央と地方の配分比率を見直すなどして、地方へ税源を移譲するという方針を出しました。一見すると地方に自治を促すいい政策に見えますが、見方を変えるとこれは中央が地方の債務に対し今後責任を持たない、地方の借金は地方でどうにかしろという突き放しではないかと私は見ています。要するに、地方の貯まった負債について中央政府は救済しない姿勢の表れであるように見えます。

・不良債権の処理方法
 上の二つと相まって、不動産業界を中心に返す宛てのない負債額が中国ではどんどん膨れ上がってきていますが、この負債を最後どこに引き受けさせるのかという方針が見えませんでした。一応報告では、不動産業界の活性化を促して処理するような方針を出してはいますが、仮に不動産企業が潰れたらどうするのか、現状からみると先に住宅購入費用を支払った消費者個人に負担させるのではないかという風に読み取れます。
 逆の見方をすると、不動産業界の負債に関して銀行は一切補償しない、損失を引き受けないという方針であるかのように自分には見えました。こう考えるのも中国政府としては銀行、それも国有銀行をなるべく守りたい、安全地帯にいさせたいという動機があるように見え、だからこそ不良債権の処理方法、責任の所在についてやたらあいまいな姿勢を取っているような気がします。
 しかし銀行以外に巨額の不良債権を処理できる受け皿なぞなく、遅かれ早かれかつての日本の住専問題や金融恐慌の時と同様に銀行が矢面に出ざるを得なくなると思います。これは遅れれば遅れるほど傷が広がるものであり、今回こうした姿勢を出さなかったことで中国の未来は数年間が消し飛ぶことになると私は予想しています。

 主に気になったのはこの三点ですが、それ以外でもこれはと目を引く内容が乏しいものがありました。

 ただもう一点あげると、今回の三中全会報告では毛沢東に関する言及があまりなく、逆に鄧小平とその「改革開放」路線についての言及が増えているような気がしました。言うまでもなく習近平は毛沢東信奉者で、プーチン同様に失敗した指導者を何故信奉するのか理解しがたいのですが、ここへきて急に鄧小平路線を打ち出したあたり、焦りを非常に感じます。それだけ彼自身も現状の中国に対して自信を失ってきていることの現れともみえ、今後も政策方針を巡っては二転三転が続くかもしれません。