・天安門車炎上 死者は5人に、日本人男性もけが 抗議活動か(産経新聞)
なんかNHKの9時のニュース、テレ朝の報道ステーションのどちらもトップニュースに持ってきていたので、一応中国関連も専門なので取り上げておきます。それにしても初見で、「ああ、こんな事件も起きたのね」とあまり慌てない自分も変になれてしまったなぁという気がします。
まず事件の概要によると、今日日中に北京の天安門広場にスポーツタイプ多目的車(SUV)の車が突っこみ、観光客は警官をはねた上で炎上したそうです。どうでもいいですがNHKはSUVのことを「多目的車」と読んでましたが、それだとMPVじゃないかな。
被害者は重軽傷を負った人間で三十人以上おり、北京大使館によると日本人一人も命に別状はないものの病院で治療を受けたそうです。死者はこの原稿を書いている時点で五人で、このうち三人は炎上した車に乗っていた人間で、このほかフィリピン人の女性と広東省出身の男性がそれぞれ一人ずつ亡くなったそうです。
それでこの事件が中国でどのように報じているのか早速見てみましたが、どうもというか予想した通りに報道規制が掛けられているようで、下記の新華社ニュースで報じられている内容以外を報じているニュースは見当たりません。
・北京迅速处置一起吉普车冲撞天安门金水桥事件(新華網)
あと気のせいかもしれませんが、なんか中国のサイトへのアクセス速度が鈍い気がします。考えらえるのは中国政府が海外からのネットアクセス速度を制限しているか、日本を含む海外からアクセスが集中しているかでしょうが、まぁこれは後者かな。
そんなわけであまり面白い内容が付け加えられてないのですが、先ほど報道ステーションでジャーナリストの富坂聰氏がこの事件について、政府筋の情報提供者から「政治がらみの事件だという確証を得た」と述べ、社会に不満を持つ市民による自爆テロである可能性について触れていました。ほかのしたり顔の中国事情通ならまだしも富坂氏の発言であれば私は信用しており、少なくとも大爆発が起きたわけじゃなかったことから、やはり富阪氏のいうように社会に不満を持つ層による自爆テロみたいな事件である可能性が高いような気がします。
日本でもこのところ「むしゃくしゃしたから」というどうでもいい理由で通り魔など事件が起きていますが、中国でも同じような理由で幼稚園で園児が襲われる事件とか起きています。中国の方を持つわけじゃないですが、こういう事件で中国の格差がどうとかこうとかいうのはナンセンスで、中国だろうと日本だろうと社会上には頭のねじ飛んだ人間は多少は混ざるっていうのが私個人の主張です。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
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2013年10月28日月曜日
朴槿恵韓国大統領の外交について
国会も始まり政治関連も動いてきたので、手始めに前から準備していた朴槿恵韓国大統領というか韓国のこのところの外交について私見を述べようと思います。結論から述べると私の目から見て今の韓国は孤立化への道をひた進んでおり、本気で皮肉ではなく隣国ながら見ていて心配になってきます。
まず朴槿恵大統領の外交方針ですが、厳しい方となりますが韓国が一等でほかの国は韓国のやり方に従うべきだという、やや居丈高な態度に見えます。対日本については言うまでもありませんがこのところ慰安婦問題を盛んに煽ったり、また安倍首相が「いつでも受ける準備をしている」と発言している首脳会談についても徹底して拒否し、アベノミクスに対しても世界経済を悪くする原因だと安倍首相も目の前にいる国際会議の場で批判までしてきてます。
もちろんこうした対日批判は韓国の大統領だと朴槿恵に始まる訳ではありませんが、私から見ていてこの人は今までの韓国大統領と比べてもかなり本気で、国益よりも自分の感情を優先する人だという風に見えます。もっともそういう性格なのは盧武鉉元大統領も全く同じでしたが。
私がそう考える根拠としては対日外交以上に対米外交における姿勢で、この前も報じられていましたが参加を促されていた米国のMD(ミサイル防衛)計画への参加を拒否。そして対北朝鮮政策についてもオバマ大統領に直接、日本抜きでやるべきだと言い出すなど、これまで積み上げてきた成果を一気に崩しかねない突拍子な発言が多いからです。
正直な所、今の米国と日本も決して仲がいい関係というわけではありませんが、六カ国会議で日米露中韓は共同して北朝鮮問題に対応してきたというのに、それを就任早々に否定してくるというのは上から目線の様に米国からは見えたのではないかと思います。このほかにも朴槿恵大統領はこれまたオバマ大統領に直接、日本の軍事化に懸念があるとわめいたそうですが、日本の軍備増強を願っているのはほかならぬ世界各国で軍事再編を進めている米国であり、実際はどうだかわかりませんがこの発言には米国も苛立ったんじゃないかという気がします。
総じてというか朴槿恵大統領の外交発言は本当に思い付きでぱっと出してきているようにしか見えず、内心では嫌っているけど国益のためにここは我慢しようというような配慮は全く見られずにすべて自分の感情次第です。なんか悪口ばかり書いてて自分でも嫌になってきますが、傍から見ていてこういう外交方針は非常に危ういようにしか見えず、サーチナの記事によると韓国国内でも国際会議で席が隣り合った安倍首相が声をかけてきたにもかかわらずにべにもならない態度を取り続けるのはよくないという批判が出てきているそうです。私の勘ですが、こういう国内からの批判は今後も増えていく気がします。
そんな日本とも米国ともしっくりこない朴槿恵大統領ですが、何故か中国とはこのところ積極的に接近しております。先日も私の知る限りでは史上初めて中国と韓国が共同で日本の歴史認識を批判しましたし、習近平とも関係の深さをやけにアピールする始末です。
こうした中国への接近は日本や米国への牽制もあるでしょうが、先程調べてみたところ朴槿恵大統領は子供の頃に三国志にはまって大学時代に中国語を専攻していたらしく、どうも元から中国に対してシンパシーを持っていたようです。逆を言えばこれまた国益よりも個人的な感情で動いてるんじゃないかと勘繰りたくなり、それでいいのかとちょっと気になります。
何度かこのブログでも書いていますが「敵の敵は味方」という価値観での外交は非常に危険極まりなく、今の韓国の中国への接近はそれに近いものを感じます。ましてや中国は、中国が大好きな自分ですら認めるくらいにこのところ国際社会で孤立化を深めており、その中国とつるむことによって韓国も孤立化を招く恐れもあるように思えます。しかも韓国と中国は漁業権などでよくぶつかっているなど火種も少なくなく、なにかこういう外交問題が起きた時に韓国は慌てる事態になるのではないかと密かに考えてます、余計なお世話だろうけど。
おまけ
前に中国人の友人に、「日系メディアや野党議員は日本は周辺国とみんな仲が悪いとよく言うんだよね」と言ったら、「それ言ったら中国は周辺国とみんなケンカしてるよ。日本なんかまだマシじゃん」とケロッと言われました。中国人も自国が国際社会で孤立してきているのを自覚しているようです。
まず朴槿恵大統領の外交方針ですが、厳しい方となりますが韓国が一等でほかの国は韓国のやり方に従うべきだという、やや居丈高な態度に見えます。対日本については言うまでもありませんがこのところ慰安婦問題を盛んに煽ったり、また安倍首相が「いつでも受ける準備をしている」と発言している首脳会談についても徹底して拒否し、アベノミクスに対しても世界経済を悪くする原因だと安倍首相も目の前にいる国際会議の場で批判までしてきてます。
もちろんこうした対日批判は韓国の大統領だと朴槿恵に始まる訳ではありませんが、私から見ていてこの人は今までの韓国大統領と比べてもかなり本気で、国益よりも自分の感情を優先する人だという風に見えます。もっともそういう性格なのは盧武鉉元大統領も全く同じでしたが。
私がそう考える根拠としては対日外交以上に対米外交における姿勢で、この前も報じられていましたが参加を促されていた米国のMD(ミサイル防衛)計画への参加を拒否。そして対北朝鮮政策についてもオバマ大統領に直接、日本抜きでやるべきだと言い出すなど、これまで積み上げてきた成果を一気に崩しかねない突拍子な発言が多いからです。
正直な所、今の米国と日本も決して仲がいい関係というわけではありませんが、六カ国会議で日米露中韓は共同して北朝鮮問題に対応してきたというのに、それを就任早々に否定してくるというのは上から目線の様に米国からは見えたのではないかと思います。このほかにも朴槿恵大統領はこれまたオバマ大統領に直接、日本の軍事化に懸念があるとわめいたそうですが、日本の軍備増強を願っているのはほかならぬ世界各国で軍事再編を進めている米国であり、実際はどうだかわかりませんがこの発言には米国も苛立ったんじゃないかという気がします。
総じてというか朴槿恵大統領の外交発言は本当に思い付きでぱっと出してきているようにしか見えず、内心では嫌っているけど国益のためにここは我慢しようというような配慮は全く見られずにすべて自分の感情次第です。なんか悪口ばかり書いてて自分でも嫌になってきますが、傍から見ていてこういう外交方針は非常に危ういようにしか見えず、サーチナの記事によると韓国国内でも国際会議で席が隣り合った安倍首相が声をかけてきたにもかかわらずにべにもならない態度を取り続けるのはよくないという批判が出てきているそうです。私の勘ですが、こういう国内からの批判は今後も増えていく気がします。
そんな日本とも米国ともしっくりこない朴槿恵大統領ですが、何故か中国とはこのところ積極的に接近しております。先日も私の知る限りでは史上初めて中国と韓国が共同で日本の歴史認識を批判しましたし、習近平とも関係の深さをやけにアピールする始末です。
こうした中国への接近は日本や米国への牽制もあるでしょうが、先程調べてみたところ朴槿恵大統領は子供の頃に三国志にはまって大学時代に中国語を専攻していたらしく、どうも元から中国に対してシンパシーを持っていたようです。逆を言えばこれまた国益よりも個人的な感情で動いてるんじゃないかと勘繰りたくなり、それでいいのかとちょっと気になります。
何度かこのブログでも書いていますが「敵の敵は味方」という価値観での外交は非常に危険極まりなく、今の韓国の中国への接近はそれに近いものを感じます。ましてや中国は、中国が大好きな自分ですら認めるくらいにこのところ国際社会で孤立化を深めており、その中国とつるむことによって韓国も孤立化を招く恐れもあるように思えます。しかも韓国と中国は漁業権などでよくぶつかっているなど火種も少なくなく、なにかこういう外交問題が起きた時に韓国は慌てる事態になるのではないかと密かに考えてます、余計なお世話だろうけど。
おまけ
前に中国人の友人に、「日系メディアや野党議員は日本は周辺国とみんな仲が悪いとよく言うんだよね」と言ったら、「それ言ったら中国は周辺国とみんなケンカしてるよ。日本なんかまだマシじゃん」とケロッと言われました。中国人も自国が国際社会で孤立してきているのを自覚しているようです。
2013年10月27日日曜日
「シドニアの騎士」の11巻について
かなり以前にも紹介した「シドニアの騎士」という漫画の11巻を本日買ってきました。この漫画は今連載している中で私が最も評価している漫画なのですが、先日の引っ越しで荷物になるため1~10巻を古本屋に売却したため、新刊の11巻は電子書籍で購入しようかと思っていましたが結局実書籍で購入しました。理由はいくつかありますが一番大きいのは値段で、この点についてはまた別の機会にでも電子書籍業界についてまとめます。
で、今回買ってきた11巻なのですが、ちょっと気になるというかストーリー展開に妙なインパクトを覚えました。この漫画は巨大な宇宙船内にしか残存していない人類が宇宙で意思疎通が全く通じない謎の巨大怪獣と戦うというSFストーリーなのですが、今回の11巻では新たに新キャラが出てきます。
名前は市ヶ谷テルルというまた面白い語感のキャラクターなのですがこの人物は人間ではなく完全機械のアンドロイドで、戦火を嫌って主人公のいる宇宙船から出てある惑星へ移住しようと植民を試みる集団と共に行動します。この集団はこちらから交戦する意思を見せなければ宇宙怪獣に攻撃されないと主張して植民に打って出ましたが、やっぱりというかあっさり攻撃されて、ほかの仲間が全員死んだ中で唯一生き残り救助を待っていたという筋書きです。
ふとしたことをきっかけに主人公を含む宇宙船のメンバーはこの全滅したと思われていた植民団の中でこのアンドロイドが生存していたことを知るのですが、 宇宙怪獣がうようよいる危険地帯に取り残されているのと、人間ではなくアンドロイドということからほとんどのメンバーはかろうじて出されている救助要請を無視するべきだと主張します。
ネタバレをすると主人公の谷風長道(たにかぜながて)がロボット物の主人公らしく救助に向かい、宇宙怪獣の攻撃を受けながら辛くも救助に成功します。しかし救助後、このアンドロイドは人間ではないことから戸籍がなく、また船内に残っていた植民団の旧メンバーも彼女の救助劇がきっかけで交戦する意思がなくても宇宙怪獣が襲ってくることが証明されてしまったことから邪険に扱い、孤立することとなります。
ありがちと言えばありがちなストーリーなのですが、このアンドロイドが命からがら脱出したにもかかわらず船内で行き場がなく孤立するシーンが妙に印象に残りました。直接的に「帰るところがなくなった」というセリフも出てきましたが、その孤立ぶりと孤独感に強く共感するものがなんかあります。戦争など生き死にが関わる場面から帰ってくると、案外こういう風に思うような気がします。
この「シドニアの騎士」はアニメ化、多分OVA化の計画が挙がってきているそうですが、果たしてこっちはうまくいくのかわからないけど漫画の方は依然と面白いままです。
で、今回買ってきた11巻なのですが、ちょっと気になるというかストーリー展開に妙なインパクトを覚えました。この漫画は巨大な宇宙船内にしか残存していない人類が宇宙で意思疎通が全く通じない謎の巨大怪獣と戦うというSFストーリーなのですが、今回の11巻では新たに新キャラが出てきます。
名前は市ヶ谷テルルというまた面白い語感のキャラクターなのですがこの人物は人間ではなく完全機械のアンドロイドで、戦火を嫌って主人公のいる宇宙船から出てある惑星へ移住しようと植民を試みる集団と共に行動します。この集団はこちらから交戦する意思を見せなければ宇宙怪獣に攻撃されないと主張して植民に打って出ましたが、やっぱりというかあっさり攻撃されて、ほかの仲間が全員死んだ中で唯一生き残り救助を待っていたという筋書きです。
ふとしたことをきっかけに主人公を含む宇宙船のメンバーはこの全滅したと思われていた植民団の中でこのアンドロイドが生存していたことを知るのですが、 宇宙怪獣がうようよいる危険地帯に取り残されているのと、人間ではなくアンドロイドということからほとんどのメンバーはかろうじて出されている救助要請を無視するべきだと主張します。
ネタバレをすると主人公の谷風長道(たにかぜながて)がロボット物の主人公らしく救助に向かい、宇宙怪獣の攻撃を受けながら辛くも救助に成功します。しかし救助後、このアンドロイドは人間ではないことから戸籍がなく、また船内に残っていた植民団の旧メンバーも彼女の救助劇がきっかけで交戦する意思がなくても宇宙怪獣が襲ってくることが証明されてしまったことから邪険に扱い、孤立することとなります。
ありがちと言えばありがちなストーリーなのですが、このアンドロイドが命からがら脱出したにもかかわらず船内で行き場がなく孤立するシーンが妙に印象に残りました。直接的に「帰るところがなくなった」というセリフも出てきましたが、その孤立ぶりと孤独感に強く共感するものがなんかあります。戦争など生き死にが関わる場面から帰ってくると、案外こういう風に思うような気がします。
この「シドニアの騎士」はアニメ化、多分OVA化の計画が挙がってきているそうですが、果たしてこっちはうまくいくのかわからないけど漫画の方は依然と面白いままです。
2013年10月25日金曜日
出所のわからない食べ物・料理たち
先日、世界史の強い友人に何かブログのネタないかと尋ねたら、「食べ物についてなんか書いたら」と言われたので書くことにします。どっちかっていうと世界史ネタを何か振ってくれないかと期待してたんだけどね。ちなみにその友人には高校時代、買いはしたもののセンター試験にしか世界史を受けない自分にはマニアック過ぎる問題集をあげたのですが、カバーの裏に「アッハーン、アッバース朝」という落書きをしたためていたのを忘れたまま挙げたので後で詰問されました。
さて食べ物ネタということですが、以前に呼んだ「日本人の知らない日本語」で少し面白い話が紹介されていました。そのお話というのもパンの「デニッシュ」に関するものなのですが、これはドイツ語圏なのかちょっとはっきりしませんが、一部地域の言葉では「デンマークのパン」という意味らしいです。そんな意味からするとさもデンマーク発祥のパンかと思いきや、当のデンマークでは不思議なことに同じパンが「ウィーンのパン」という名称で通っているそうです。結局のところ、どこの地域で発祥したのかは未だにわかってないというか完全に迷宮入りしてます。
これと似たようなもので七面鳥、英語で言うと「ターキー」があり、これは音からわかるかもしれませんが英語だと「トルコの」っていう意味になりますが、実際は中米原産の鳥なのでトルコは関係ないそうです。誰が最初に言い出したのかしりませんが適当な奴もいたもんです。
しかし我らが日本も負けていないというか、原産地が誤って伝えられたまま名称が定着してしまったものに「カボチャ」があります。日本にカボチャが入ってきたのは戦国時代で海外からやってきた宣教師によって伝えられたとされるのですが、どうもその際にカンボジアから運んできたことからカンボジア原産だと間違われてこんな名称になってしまったと言われています。実際には南米原産らしいのですが。
そんでもって最後の紹介ですが、これも元ネタは「日本人の知らない日本語」からなのですが、これはその事実を知った際に私自身は激しい衝撃を覚えました。それはどんな事実かというと、カステラは長崎発祥の和菓子だということです。
その名称といい出島のあった長崎の銘菓、そんでもってスペインにカスティリャって地名もあるもんだからてっきりヨーロッパ伝来のお菓子かと思っていたらそうではなく、ポルトガルのあるお菓子が下地になったものの、歴とした日本人の手によって生み出され日本でしか食べられてない和菓子らしいです。知らなかった人は多分私だけじゃないかと思いますが。
それにしてもこうした食べ物というのは日常に溢れている一方で、その伝来の過程とかは案外、世界各地で誤解されやすいものだという気がします。最近は認知も進んできましたがナポリタンも日本で独自発達した料理ですが、やっぱ名称に影響を受けてこういう誤解が出てくるのかもしれません。
ちなみに最近気になっていることとして、日本のカレーはインド人から伝来したものと、イギリス海軍から伝来したもののどちらが影響力があったのかが個人的に気になっています。日本は海軍が初めてカレーを標準食としたことから普及が広まったっていうから後者かなと思う一方、まずい料理大国のイギリスから伝来したというのもなんだかなという風に思え、後からボースなどインド人によって伝えられたカレーの方が現代のカレーに対する影響力は強いのかもと勝手にいろいろと推論を重ねております。
さて食べ物ネタということですが、以前に呼んだ「日本人の知らない日本語」で少し面白い話が紹介されていました。そのお話というのもパンの「デニッシュ」に関するものなのですが、これはドイツ語圏なのかちょっとはっきりしませんが、一部地域の言葉では「デンマークのパン」という意味らしいです。そんな意味からするとさもデンマーク発祥のパンかと思いきや、当のデンマークでは不思議なことに同じパンが「ウィーンのパン」という名称で通っているそうです。結局のところ、どこの地域で発祥したのかは未だにわかってないというか完全に迷宮入りしてます。
これと似たようなもので七面鳥、英語で言うと「ターキー」があり、これは音からわかるかもしれませんが英語だと「トルコの」っていう意味になりますが、実際は中米原産の鳥なのでトルコは関係ないそうです。誰が最初に言い出したのかしりませんが適当な奴もいたもんです。
しかし我らが日本も負けていないというか、原産地が誤って伝えられたまま名称が定着してしまったものに「カボチャ」があります。日本にカボチャが入ってきたのは戦国時代で海外からやってきた宣教師によって伝えられたとされるのですが、どうもその際にカンボジアから運んできたことからカンボジア原産だと間違われてこんな名称になってしまったと言われています。実際には南米原産らしいのですが。
そんでもって最後の紹介ですが、これも元ネタは「日本人の知らない日本語」からなのですが、これはその事実を知った際に私自身は激しい衝撃を覚えました。それはどんな事実かというと、カステラは長崎発祥の和菓子だということです。
その名称といい出島のあった長崎の銘菓、そんでもってスペインにカスティリャって地名もあるもんだからてっきりヨーロッパ伝来のお菓子かと思っていたらそうではなく、ポルトガルのあるお菓子が下地になったものの、歴とした日本人の手によって生み出され日本でしか食べられてない和菓子らしいです。知らなかった人は多分私だけじゃないかと思いますが。
それにしてもこうした食べ物というのは日常に溢れている一方で、その伝来の過程とかは案外、世界各地で誤解されやすいものだという気がします。最近は認知も進んできましたがナポリタンも日本で独自発達した料理ですが、やっぱ名称に影響を受けてこういう誤解が出てくるのかもしれません。
ちなみに最近気になっていることとして、日本のカレーはインド人から伝来したものと、イギリス海軍から伝来したもののどちらが影響力があったのかが個人的に気になっています。日本は海軍が初めてカレーを標準食としたことから普及が広まったっていうから後者かなと思う一方、まずい料理大国のイギリスから伝来したというのもなんだかなという風に思え、後からボースなどインド人によって伝えられたカレーの方が現代のカレーに対する影響力は強いのかもと勝手にいろいろと推論を重ねております。
2013年10月24日木曜日
「ほこ×たて」のやらせ報道に対する所感
先程家に帰宅して冷凍しておいた手ごねハンバーグをチンして夕ご飯を食べましたが、食べながらテレビでも見ようとチャンネルを回したものの、結局テレビの電源を切ってしまいました。というのもどのチャンネルも面白くなく、頼みのNHKのクローズアップ現代ですら介護離職がテーマの番組で、大事な問題を取り上げていることはわかるけど見ていてなんか元気なくなってくるから避けました。それにしてもチャンネルはいくつもあるのに見れる番組が一つもないというのはこれ如何にってなもんです。しかもどの番組も、正直に言ってただ横で映っているだけでイライラするというか不快感を催すものばかりで、あくまで私の感覚ではありますが楽しむ以前の番組しかありませんでした。
こうしたテレビの面白さの下落は今に始まるものじゃありませんが、今日またそれを象徴するような報道が出てきました。
・フジテレビ、「ほこ×たて」の放送取りやめ 当面は自粛(デイリースポーツ)
上記リンク先を含めた一連の報道によると、フジテレビの「ほこ×たて」という、様々な業界の達人なり商品同士が直接対決を行ってどちらが勝つのかを競うこの番組で悪質なやらせが行われていると、なんとこの番組の出演者がブログで明かしました。詳しい内容はその他の報道で見てもらいたいのですがこの出演者自身、何度もこの番組に出ている上、明かされたやらせの内容が妙に生々しいというか真実味があり、いろんな方面で早くも大きな話題となっております。
こうした反応を受けてか当事者であるフジテレビ側も即反応し、リンク先のニュースによると次回以降の番組放送を取りやめ、自粛すると発表してきました。やらせ自体はまだ認めておらず調査中と主張しているものの、先ほどの出演者の発表内容といい、フジテレビのガチに焦っているこの対応を見る限りだと私はあまり疑う気にはなりませんね。
そもそもというかこの「ほこ×たて」という番組、以前からきな臭い噂というか疑義の声が絶えない番組でもありました。一番議論されていたのは「ハッカーVSセキュリティソフト」という対決で、たまたまこの回だけは私も見ていてそれなりに面白いとは思っていたのですが、放送後にハッカーの側から放送されなかった場面で不利な条件を突き付けられたとか、突然の対決ルール変更などがあった事実が明かされ、始めからマッチポンプというかシナリオ有りきというか、八百長があったのではないかという噂が流れていました。
それ以降はこの時ほど大きな話題にならなかったものの演出面で怪しい場面が少なくないなど言う声はちらほら聞かれ、それに合わせて私の周りでも「段々つまらなくなってきた」など番組を見なくなる人も出てきました。
そうした矢先に今回のやらせ報道と来たもんですから、「やっぱり」という言葉がまず真っ先に浮かんできました。すべての演出を否定する気は毛頭ありませんが今回行われていたというやらせは完全に視聴者をだますものでしかなく、こんなことをやって恥ずかしくないのと番組制作者に直接問いただしてみたいものです。
かなり昔というか学生時代にテレビ局、ひいては放送倫理・番組向上機構(BPO)にもいた放送関係者の授業を受けたことがありましたが、その講師は放送していい番組か悪い番組かを見分けるためにはたった一つの質問があればいいと言っていました。その質問というのは番組制作者に対するもので、「貴方は自分が作った番組を自分の子供に自信を持って見せられますか?」というものでした。「ほこ×たて」のプロデューサーさんはどう聞くのかなこの質問を。
今、フジテレビは決して冗談ではなく視聴率で凋落の一途をたどっており、番組制作向け予算額で大幅に少ないテレビ東京にまで背後に迫られて「振り向けばテレ東」とまで言われるほど危機的な状況に陥っています。来年3月には「笑っていいとも」も終わるそうですし、この際だから放送免許もそろそろ返上するなりしたらどうかと、NHKニュースを見ながら思う次第です。
こうしたテレビの面白さの下落は今に始まるものじゃありませんが、今日またそれを象徴するような報道が出てきました。
・フジテレビ、「ほこ×たて」の放送取りやめ 当面は自粛(デイリースポーツ)
上記リンク先を含めた一連の報道によると、フジテレビの「ほこ×たて」という、様々な業界の達人なり商品同士が直接対決を行ってどちらが勝つのかを競うこの番組で悪質なやらせが行われていると、なんとこの番組の出演者がブログで明かしました。詳しい内容はその他の報道で見てもらいたいのですがこの出演者自身、何度もこの番組に出ている上、明かされたやらせの内容が妙に生々しいというか真実味があり、いろんな方面で早くも大きな話題となっております。
こうした反応を受けてか当事者であるフジテレビ側も即反応し、リンク先のニュースによると次回以降の番組放送を取りやめ、自粛すると発表してきました。やらせ自体はまだ認めておらず調査中と主張しているものの、先ほどの出演者の発表内容といい、フジテレビのガチに焦っているこの対応を見る限りだと私はあまり疑う気にはなりませんね。
そもそもというかこの「ほこ×たて」という番組、以前からきな臭い噂というか疑義の声が絶えない番組でもありました。一番議論されていたのは「ハッカーVSセキュリティソフト」という対決で、たまたまこの回だけは私も見ていてそれなりに面白いとは思っていたのですが、放送後にハッカーの側から放送されなかった場面で不利な条件を突き付けられたとか、突然の対決ルール変更などがあった事実が明かされ、始めからマッチポンプというかシナリオ有りきというか、八百長があったのではないかという噂が流れていました。
それ以降はこの時ほど大きな話題にならなかったものの演出面で怪しい場面が少なくないなど言う声はちらほら聞かれ、それに合わせて私の周りでも「段々つまらなくなってきた」など番組を見なくなる人も出てきました。
そうした矢先に今回のやらせ報道と来たもんですから、「やっぱり」という言葉がまず真っ先に浮かんできました。すべての演出を否定する気は毛頭ありませんが今回行われていたというやらせは完全に視聴者をだますものでしかなく、こんなことをやって恥ずかしくないのと番組制作者に直接問いただしてみたいものです。
かなり昔というか学生時代にテレビ局、ひいては放送倫理・番組向上機構(BPO)にもいた放送関係者の授業を受けたことがありましたが、その講師は放送していい番組か悪い番組かを見分けるためにはたった一つの質問があればいいと言っていました。その質問というのは番組制作者に対するもので、「貴方は自分が作った番組を自分の子供に自信を持って見せられますか?」というものでした。「ほこ×たて」のプロデューサーさんはどう聞くのかなこの質問を。
今、フジテレビは決して冗談ではなく視聴率で凋落の一途をたどっており、番組制作向け予算額で大幅に少ないテレビ東京にまで背後に迫られて「振り向けばテレ東」とまで言われるほど危機的な状況に陥っています。来年3月には「笑っていいとも」も終わるそうですし、この際だから放送免許もそろそろ返上するなりしたらどうかと、NHKニュースを見ながら思う次第です。
2013年10月23日水曜日
阪急阪神ホテルズのメニュー偽装問題について
・「鮮魚」メニュー実は冷凍 阪急阪神ホテルズ異なる表示(朝日新聞)
既に各所の報道で皆さんも知っておいでかと思いますが、阪急阪神ホールディングス傘下のホテル会社である阪急阪神ホテルズは昨日22日 (経済紙っぽい書き方をするなぁ自分も)、自社が運営するホテルやレストランで提供した食事にメニューと異なる食材を使っていたことを発表しました。阪急阪神ホテルズは会見で謝罪を表明し、料理を提供した顧客に対して全額返金を行う方針も合わせて発表しています。
昨日にこのニュースを見た時の私の感想はというと、「京都新阪急ホテルも?」という、ちょっと妙な反応の仕方でした。なんでピンポイントにここを思い浮かべたのかというと、ここは京都駅の真正面にあって京都駅に行く度にいつも目の前通って、「一回でいいからここ泊まってみたいなぁ」と何度も考えてた場所だったからです。ちなみに報道というか発表によると、やっぱりここのレストランでも誤表示があったそうです( ´・ω・)y━フゥ
たった今、「誤表示」と書きましたがこの表現を「偽装」と書くべきか「虚偽記載」と書くべきかでちょっと悩みましたが、温情をこめて「誤表示」を採りました。結論をもうここで書きますが私個人としては今回の阪急阪神ホテルズの発表は批判を受けるのはしょうがないものの全額を返還する対応、そして自ら発表したその姿勢に関しては高く評価しています。
そもそも阪急阪神ホテルズは何故今回このような発表をしたのかというと、なんでも他社のホテルで似たような誤記載が発覚したのを契機に社内調査をしていたところ、自分たちも同じことをやっていたということに気が付いたそうです。何故誤表示が起こったかという背景に関してはメニュー作成担当者、調理担当者、食材発注担当者、仕入れ業者の間で連絡の不備や認識不足があったためで意図的ではないと説明していますが、さすがにこれはちょっと信じられず、多分この中の単独、複数を問わず誰かが明確な意識を持ってやっていたのがオチだと思います。
ただそうは言うものの、仮に黙って社内処理さえすれば世に出ることのなかった事実なだけに、本社の管理側は今回のこの行為が行われていたことを知らなかったというのは全額返金という対応を採ったあたりからも真実だと思います。罪を憎んで人を憎まずとも言いますが、こうして自浄作用が働いた上に反省する態度をしっかり示しているのだからその点は評価してあげるべきだし、むしろ率先して発表したことを誉めるべきではないでしょうか。
というのも、このような異なる食材をメニューに載せる行為は、飲食業界だと日常茶飯事なんじゃないかと思うからです。話に聞く限りですけどスーパーの食材も表示偽装はこの前のイオンだけじゃなく本当に溢れているそうで、牛肉の偽装もハンナンの会長が逮捕されるまで当たり前のように行われていました。まだ味とかでわかりやすい食材ですらそんな状態なのですから、もっとわかり辛い調理後の料理に至っては数多くの飲食店で同じ行為がされているような気がします。
これは完全に私の勘ですが、今回の阪急阪神ホテルズの発表を契機に今後恐らく、同じような行為が内部告発なりであちこちで明るみに出る気がします。その対応もさることながら今後の展開いのける嚆矢となる発表なだけに、阪急阪神ホテルズは心を入れ替えて頑張ってもらいたいと心からエールを送りたいです。
こんな記事書いたんだし、京都新阪急ホテルの割引券とかくれないかな……。
おまけ
ちょっと趣が異なりますが、このところ出版業界で内部告発をきっかけとした不祥事が二つ明るみに出ています。一つは秋田書店で漫画雑誌でアンケート回答者へ抽選で送る景品を実際に葉送っていなかったという事例で、もう一つはぴあが「ももいろクローバーZ」の特集誌の発行部数を実際より少なく申告していた事例です。
どちらもあまりにも内容がせこすぎて呆れる限りですが、ぴあの例に至っては理解不能としか言いようがありません。通常、発行部数は広告費を高くするためやや多めに発表するのですが、著作権を持つスターダストプロモーションへ支払う印税をケチるため、わざと少なめに申告したとのことでアホじゃんとしか言いようがありません。
実は先日、タイムリーなことにぴあを訪れることがあって向こうの会社の人とも会って話しましたが、まぁ感じの悪いの、話しの組立てが下手なので物凄い不快感を存分に味わいました。ぴあ側はほかの書籍や雑誌では同じことはしていないと言ってますが、こんなせこいことを昨日今日で思いついてやるかっていう気もするし、上記のように社内の人の印象が悪かっただけに、ほかにも同じことやってるんじゃないかと個人的に思います。
既に各所の報道で皆さんも知っておいでかと思いますが、阪急阪神ホールディングス傘下のホテル会社である阪急阪神ホテルズは昨日22日 (経済紙っぽい書き方をするなぁ自分も)、自社が運営するホテルやレストランで提供した食事にメニューと異なる食材を使っていたことを発表しました。阪急阪神ホテルズは会見で謝罪を表明し、料理を提供した顧客に対して全額返金を行う方針も合わせて発表しています。
昨日にこのニュースを見た時の私の感想はというと、「京都新阪急ホテルも?」という、ちょっと妙な反応の仕方でした。なんでピンポイントにここを思い浮かべたのかというと、ここは京都駅の真正面にあって京都駅に行く度にいつも目の前通って、「一回でいいからここ泊まってみたいなぁ」と何度も考えてた場所だったからです。ちなみに報道というか発表によると、やっぱりここのレストランでも誤表示があったそうです( ´・ω・)y━フゥ
たった今、「誤表示」と書きましたがこの表現を「偽装」と書くべきか「虚偽記載」と書くべきかでちょっと悩みましたが、温情をこめて「誤表示」を採りました。結論をもうここで書きますが私個人としては今回の阪急阪神ホテルズの発表は批判を受けるのはしょうがないものの全額を返還する対応、そして自ら発表したその姿勢に関しては高く評価しています。
そもそも阪急阪神ホテルズは何故今回このような発表をしたのかというと、なんでも他社のホテルで似たような誤記載が発覚したのを契機に社内調査をしていたところ、自分たちも同じことをやっていたということに気が付いたそうです。何故誤表示が起こったかという背景に関してはメニュー作成担当者、調理担当者、食材発注担当者、仕入れ業者の間で連絡の不備や認識不足があったためで意図的ではないと説明していますが、さすがにこれはちょっと信じられず、多分この中の単独、複数を問わず誰かが明確な意識を持ってやっていたのがオチだと思います。
ただそうは言うものの、仮に黙って社内処理さえすれば世に出ることのなかった事実なだけに、本社の管理側は今回のこの行為が行われていたことを知らなかったというのは全額返金という対応を採ったあたりからも真実だと思います。罪を憎んで人を憎まずとも言いますが、こうして自浄作用が働いた上に反省する態度をしっかり示しているのだからその点は評価してあげるべきだし、むしろ率先して発表したことを誉めるべきではないでしょうか。
というのも、このような異なる食材をメニューに載せる行為は、飲食業界だと日常茶飯事なんじゃないかと思うからです。話に聞く限りですけどスーパーの食材も表示偽装はこの前のイオンだけじゃなく本当に溢れているそうで、牛肉の偽装もハンナンの会長が逮捕されるまで当たり前のように行われていました。まだ味とかでわかりやすい食材ですらそんな状態なのですから、もっとわかり辛い調理後の料理に至っては数多くの飲食店で同じ行為がされているような気がします。
これは完全に私の勘ですが、今回の阪急阪神ホテルズの発表を契機に今後恐らく、同じような行為が内部告発なりであちこちで明るみに出る気がします。その対応もさることながら今後の展開いのける嚆矢となる発表なだけに、阪急阪神ホテルズは心を入れ替えて頑張ってもらいたいと心からエールを送りたいです。
こんな記事書いたんだし、京都新阪急ホテルの割引券とかくれないかな……。
おまけ
ちょっと趣が異なりますが、このところ出版業界で内部告発をきっかけとした不祥事が二つ明るみに出ています。一つは秋田書店で漫画雑誌でアンケート回答者へ抽選で送る景品を実際に葉送っていなかったという事例で、もう一つはぴあが「ももいろクローバーZ」の特集誌の発行部数を実際より少なく申告していた事例です。
どちらもあまりにも内容がせこすぎて呆れる限りですが、ぴあの例に至っては理解不能としか言いようがありません。通常、発行部数は広告費を高くするためやや多めに発表するのですが、著作権を持つスターダストプロモーションへ支払う印税をケチるため、わざと少なめに申告したとのことでアホじゃんとしか言いようがありません。
実は先日、タイムリーなことにぴあを訪れることがあって向こうの会社の人とも会って話しましたが、まぁ感じの悪いの、話しの組立てが下手なので物凄い不快感を存分に味わいました。ぴあ側はほかの書籍や雑誌では同じことはしていないと言ってますが、こんなせこいことを昨日今日で思いついてやるかっていう気もするし、上記のように社内の人の印象が悪かっただけに、ほかにも同じことやってるんじゃないかと個人的に思います。
2013年10月22日火曜日
私立校教師の指導力について
何度もこのブログで書いているので知っている方も多いでしょうが、私は中学受験をして私立の中高一貫校に通った経歴を持っております。そんな私の個人的な意見として、進学校とされる私立校の教師は世間で見られるほど指導力が高くはないのではないかという気がします。
私の経験談で話すと確かに通った中学、高校には熱心な教師もいて教え方も上手な人もいましたが、それは必ずしも全員ではなく、教科によってははっきり言って教え方が非常に悪い教師もいました。なんでそんなことが言えるのかというと、同じ学年内でたとえば数学なら数学、理科なら理科でクラス別に指導する教師が異なってて、ある教師のクラスだけが極端に平均点が低く大きな差がついたことがあったり、あと私自身の体験としては進級して指導教師が変わるや途端にその科目の点数が伸びたりすることもありました。まぁこれは相性が良かっただけかもしれませんが。
はっきり言って私の通った学校は世間一般では進学校として通っておりましたが、ただ教科の進捗スピードが速いだけで教師の教え方が上手いかどうかでみると結構微妙だったと思います。先程の様に一部の教師が極端に教え方が悪いというのもありましたが全体で見ても、「進学校だから教師の指導がいい」とはとても言えない学校でした。
このように考える根拠としては実にシンプルな理由が二つあり、一つは校内の成績上位者はみんな学外の予備校なりに通っている人間だったことと、勉強について行けず落ちこぼれる生徒は果てしなく成績が落ち込んで行ったからです。かくいう私も中学時代の成績は下から数えればすぐに数えられる水準だったのですが、高校進学後に予備校に通うや一気に成績が跳ね上がって、自分で「学校通う意味あんのかこの結果は?」などと自分でツッコんだくらいです。単純に予備校教師と比べても授業時間数は少ないにもかかわらず理解度は予備校のが勝ってたし、成人して中学校時代の授業を思い出すにつれてなんであんな妙な教え方してたんだあの教師はと思う事すらあります。
それでここからがミソなのですが、何故教師の指導力がそれほどでもないのにその学校は進学校と呼ばれたのか、結論から言うと選抜試験が難しくて倍率が高く、いい素材というか学力の高い子供が入学してくるからじゃないかと勝手に睨んでいます。
これは予備校で働いている友人が言ってたことですが、やっぱり子供によって理解力には差があり、理解力が高い子どもの方が教える側としては楽だそうです。私自身も大学時代に後輩を指導した際、その理解度の差というか反応速度の違いは人によってはっきりと感じます。
思うに、自分の通った中学、高校はそこそこ県下で知名度があって人気だったことから優秀な生徒を集めやすく、その優秀な生徒の上に胡坐をかくというか、教師の教え方が悪くても生徒はきちんと理解して、そこそこいい大学に進学する人間も出てくることから進学校として成立してたんじゃないかという、かなり不届きな考えを持っています。
敢えて学力を料理にたとえると、生徒自身の理解力なり才能は素材で、教師の指導というのは調理技術に当たります。極論を述べると素材さえよければ調理技術が如何に未熟でもそれなりの料理は出来てしまいます。素材が悪いにもかかわらずまともな料理に仕立て上げる、またはいい素材を存分に活用して上等な料理をこしらえてこそ一流の料理人であって、教師にも同じことが言えるのではないでしょうか。
なんでこんな愛校心の欠片もない記事を書こうとしたのかというと、前述のある中学校教師の授業中の言葉を何故か突然思い出したからです。そのセリフというのはその教師の担当科目でテストの平均点が悪かった際に、「なんでお前たちは上の学年よりこんなに出来が悪いんだ」というものでした。単純に上の学年より素材が悪くて申し訳ないとしか私としては言えないのですが、さっきのセリフは悪い素材じゃもうお手上げだと言ってるようなもので、わざわざ自分の無能ぶりを棚に上げなくてもという気も今更ながらします。ここまで言えばわかるでしょうが、学力の低い生徒を引っ張り上げてくる教師こそ指導力のある教師だと私は考えているわけです。
私の経験談で話すと確かに通った中学、高校には熱心な教師もいて教え方も上手な人もいましたが、それは必ずしも全員ではなく、教科によってははっきり言って教え方が非常に悪い教師もいました。なんでそんなことが言えるのかというと、同じ学年内でたとえば数学なら数学、理科なら理科でクラス別に指導する教師が異なってて、ある教師のクラスだけが極端に平均点が低く大きな差がついたことがあったり、あと私自身の体験としては進級して指導教師が変わるや途端にその科目の点数が伸びたりすることもありました。まぁこれは相性が良かっただけかもしれませんが。
はっきり言って私の通った学校は世間一般では進学校として通っておりましたが、ただ教科の進捗スピードが速いだけで教師の教え方が上手いかどうかでみると結構微妙だったと思います。先程の様に一部の教師が極端に教え方が悪いというのもありましたが全体で見ても、「進学校だから教師の指導がいい」とはとても言えない学校でした。
このように考える根拠としては実にシンプルな理由が二つあり、一つは校内の成績上位者はみんな学外の予備校なりに通っている人間だったことと、勉強について行けず落ちこぼれる生徒は果てしなく成績が落ち込んで行ったからです。かくいう私も中学時代の成績は下から数えればすぐに数えられる水準だったのですが、高校進学後に予備校に通うや一気に成績が跳ね上がって、自分で「学校通う意味あんのかこの結果は?」などと自分でツッコんだくらいです。単純に予備校教師と比べても授業時間数は少ないにもかかわらず理解度は予備校のが勝ってたし、成人して中学校時代の授業を思い出すにつれてなんであんな妙な教え方してたんだあの教師はと思う事すらあります。
それでここからがミソなのですが、何故教師の指導力がそれほどでもないのにその学校は進学校と呼ばれたのか、結論から言うと選抜試験が難しくて倍率が高く、いい素材というか学力の高い子供が入学してくるからじゃないかと勝手に睨んでいます。
これは予備校で働いている友人が言ってたことですが、やっぱり子供によって理解力には差があり、理解力が高い子どもの方が教える側としては楽だそうです。私自身も大学時代に後輩を指導した際、その理解度の差というか反応速度の違いは人によってはっきりと感じます。
思うに、自分の通った中学、高校はそこそこ県下で知名度があって人気だったことから優秀な生徒を集めやすく、その優秀な生徒の上に胡坐をかくというか、教師の教え方が悪くても生徒はきちんと理解して、そこそこいい大学に進学する人間も出てくることから進学校として成立してたんじゃないかという、かなり不届きな考えを持っています。
敢えて学力を料理にたとえると、生徒自身の理解力なり才能は素材で、教師の指導というのは調理技術に当たります。極論を述べると素材さえよければ調理技術が如何に未熟でもそれなりの料理は出来てしまいます。素材が悪いにもかかわらずまともな料理に仕立て上げる、またはいい素材を存分に活用して上等な料理をこしらえてこそ一流の料理人であって、教師にも同じことが言えるのではないでしょうか。
なんでこんな愛校心の欠片もない記事を書こうとしたのかというと、前述のある中学校教師の授業中の言葉を何故か突然思い出したからです。そのセリフというのはその教師の担当科目でテストの平均点が悪かった際に、「なんでお前たちは上の学年よりこんなに出来が悪いんだ」というものでした。単純に上の学年より素材が悪くて申し訳ないとしか私としては言えないのですが、さっきのセリフは悪い素材じゃもうお手上げだと言ってるようなもので、わざわざ自分の無能ぶりを棚に上げなくてもという気も今更ながらします。ここまで言えばわかるでしょうが、学力の低い生徒を引っ張り上げてくる教師こそ指導力のある教師だと私は考えているわけです。
2013年10月21日月曜日
書評「夢を売る男」
またというか百田尚樹氏の小説を紹介するのもこれで三度目ですが、贔屓にしているというわけじゃないもののなんか周りの人がこの人の本を貸してくれるので、ブログの上で感想を伝えるという意味合いもあって毎回書いてます。ちなみに、各本の入手経路は以下の通りです。
・永遠の0:大学の先輩が貸してくれた(in中国)
・海賊と呼ばれた男:親父が貸してくれた
・夢を売る男:高校の同級生が貸してくれた
まず前回紹介した「海賊と呼ばれた男」については主人公のモデルとなった出光佐三を異常に持ち上げ過ぎで、提灯記事もとい提灯伝記もいいところだとして本屋大賞という賞を受賞するに値しない本だと述べ、自分でもびっくりするくらい厳しく批判しました。なのでこういう書評記事をアップする際にはいつもAmazonの広告リンクを貼りつけていますが、自分が薦められない本の広告なんて貼りつけられないというのと、批判した手前、作者の百田氏に悪いと思ってその記事に関しては何も広告を付けませんでした。
しかし今回紹介する「夢を売る男」ですが、これに関しては文句なしにお勧めできます。むしろ何故この本を差し置いて「海賊と呼ばれた男」が本屋大賞を受賞したのか、「夢を売る男」がどうして選ばれなかったのか納得いかないくらいです。ま、あの内容では文学賞なんて取れるわけないんですけどね。
早速この作品についてあらすじを簡単に紹介しますが、この本は自費出版を手掛ける出版社を巡るドタバタ劇なストーリーです。主人公はその出版社で働くやり手の編集兼営業課長みたいな人なのですが、自費出版をしたいと原稿を持ち込んでくる人だけでなく、自社で催行した文学賞の応募者などに対して、「我々は本当に良い作品だと思ったのですが敢え無く大賞の選考に漏れてしまいました。しかし貴方の作品は世に埋もれさせるにはあまりにも勿体ないだけに、我々と一緒に自費出版をしませんか」、などというセールストークで以って口説き落とし、次々と自費出版を促していきます。
一体何故自費出版を促すのかというと、さっきのセリフの様にその作品に価値がある、売れると思うからではなく、執筆者が出版社に支払う編集・出版代行料が大きな収入源となるからです。作中では具体的な数字も書かれてあり、数万部発行するに当たり実際にかかる費用は約20万円程度に対し、出版社がその執筆者に請求する金額は150万~200万円で、本を1点自費出版させることで100万円超も利鞘が出るという計算です。おいしいねぇ。
この数字なんですが、妙にリアルというかかなり実態に近い数字だと思えます。というのも以前に自費出版について私が調べた際にも1点の自費出版費用は大体200万円前後で上記の数字とピタリと一致するだけに、実際の発行費用も20万~40万円程度が真実なのでしょう。
あらすじに戻りますが、こんな感じなのでその出版社は作品として売れる、売れないは度外視し、何らかの原稿を持っている、書ける人間に対して自費出版をさせることで売り上げを増やすという事業をやっているわけです。作中ではその出版社に入ったばかりの新人が、売れる可能性のない本をさも売れるかのように持ち上げてお金をかすめ取るなんて詐欺みたいだと抗議する場面もあるのですがそれに対し主人公は、「いいか、これはあくまで社会事業なんだ!」と言って諭すシーンがあります。
主人公に言わせると、何かしら原稿を数百枚書いたり、毎日ブログを更新したりするような人間はある意味で異常な人間で、表現したという欲求が溜まり切っている状態なんだそうです。そうした人間にこうして自費出版を持ちかけ、実際に出版までこぎつけさせることで彼らのフラストレーションを解消する一助になっており、運が良ければ、万に一つもないんだけど、大ヒットして大いに売れる可能性もあるだけに「俺たちは執筆者に夢を売っているんだ!」という主張が展開されます。
多分、ここまで読んだ時点で「それってお前やんけ」と、読者の方々は私のことを思い浮かべてるんじゃないかと思います。まぁ実際にほぼ毎日ブログを更新するし、表現欲求が異常に高いことは認めますが、実際にこの本貸してくれた友人も、後から読ませた親父も、「毎日ブログを更新する奴は異常だって書いてるじゃねぇか」って真っ先に突っ込んできやがったし。
話が少しそれましたが、上記の主人公の主張というのは実に正鵠を得ていると思います。確かに近年の日本ではツイッターやSNSが普及したことから、「もっと俺の書く文章を世の中に知らしめたい」と思う人間が増加しており、そうした人間を食うことに力を入れる、つまり自費出版事業を強化している出版社も増えています。更に作中ではかつて文学賞を受賞したような文豪が評価する、発表する小説なんて今の時代では全く売れず、飯のタネにもならないとどの出版社も理解しているが大手はそのプライドから文芸誌を出し続け、赤字を生む要因になっていると出版業界全体に蔓延する問題も指摘しています。
ざっとこんな具合なんですが、出版業界のタブーというか問題点に深く切り込んでいる上、あまりにもリアリティに溢れている話が多く、よくこんな逆批判本を出版できたなと感心してやまない次第です。これが冒頭に述べた、文学賞は絶対に取れない本だという根拠です。
しかし自分もメディア業界に身を置いたことがあるだけに、今の日本の出版業界を取り巻く状況については多少の理解があると自負します。その自分に言わせると、この本は本当に今の出版業界の問題点を鋭くあぶりだしており、なおかつストーリー展開でも同じ自費出版事業を手掛けるライバル社が現れたりと浮き沈みがあって読んでいて次のページを早くみたいという感覚を久々に覚えた作品です。なわけで、今日はちゃんとAmazonの広告を貼り付けますが興味がある方は何もわざわざAmazonで買わなくてもいいので、思い切って手に取ることをお勧めします。
・永遠の0:大学の先輩が貸してくれた(in中国)
・海賊と呼ばれた男:親父が貸してくれた
・夢を売る男:高校の同級生が貸してくれた
まず前回紹介した「海賊と呼ばれた男」については主人公のモデルとなった出光佐三を異常に持ち上げ過ぎで、提灯記事もとい提灯伝記もいいところだとして本屋大賞という賞を受賞するに値しない本だと述べ、自分でもびっくりするくらい厳しく批判しました。なのでこういう書評記事をアップする際にはいつもAmazonの広告リンクを貼りつけていますが、自分が薦められない本の広告なんて貼りつけられないというのと、批判した手前、作者の百田氏に悪いと思ってその記事に関しては何も広告を付けませんでした。
しかし今回紹介する「夢を売る男」ですが、これに関しては文句なしにお勧めできます。むしろ何故この本を差し置いて「海賊と呼ばれた男」が本屋大賞を受賞したのか、「夢を売る男」がどうして選ばれなかったのか納得いかないくらいです。ま、あの内容では文学賞なんて取れるわけないんですけどね。
早速この作品についてあらすじを簡単に紹介しますが、この本は自費出版を手掛ける出版社を巡るドタバタ劇なストーリーです。主人公はその出版社で働くやり手の編集兼営業課長みたいな人なのですが、自費出版をしたいと原稿を持ち込んでくる人だけでなく、自社で催行した文学賞の応募者などに対して、「我々は本当に良い作品だと思ったのですが敢え無く大賞の選考に漏れてしまいました。しかし貴方の作品は世に埋もれさせるにはあまりにも勿体ないだけに、我々と一緒に自費出版をしませんか」、などというセールストークで以って口説き落とし、次々と自費出版を促していきます。
一体何故自費出版を促すのかというと、さっきのセリフの様にその作品に価値がある、売れると思うからではなく、執筆者が出版社に支払う編集・出版代行料が大きな収入源となるからです。作中では具体的な数字も書かれてあり、数万部発行するに当たり実際にかかる費用は約20万円程度に対し、出版社がその執筆者に請求する金額は150万~200万円で、本を1点自費出版させることで100万円超も利鞘が出るという計算です。おいしいねぇ。
この数字なんですが、妙にリアルというかかなり実態に近い数字だと思えます。というのも以前に自費出版について私が調べた際にも1点の自費出版費用は大体200万円前後で上記の数字とピタリと一致するだけに、実際の発行費用も20万~40万円程度が真実なのでしょう。
あらすじに戻りますが、こんな感じなのでその出版社は作品として売れる、売れないは度外視し、何らかの原稿を持っている、書ける人間に対して自費出版をさせることで売り上げを増やすという事業をやっているわけです。作中ではその出版社に入ったばかりの新人が、売れる可能性のない本をさも売れるかのように持ち上げてお金をかすめ取るなんて詐欺みたいだと抗議する場面もあるのですがそれに対し主人公は、「いいか、これはあくまで社会事業なんだ!」と言って諭すシーンがあります。
主人公に言わせると、何かしら原稿を数百枚書いたり、毎日ブログを更新したりするような人間はある意味で異常な人間で、表現したという欲求が溜まり切っている状態なんだそうです。そうした人間にこうして自費出版を持ちかけ、実際に出版までこぎつけさせることで彼らのフラストレーションを解消する一助になっており、運が良ければ、万に一つもないんだけど、大ヒットして大いに売れる可能性もあるだけに「俺たちは執筆者に夢を売っているんだ!」という主張が展開されます。
多分、ここまで読んだ時点で「それってお前やんけ」と、読者の方々は私のことを思い浮かべてるんじゃないかと思います。まぁ実際にほぼ毎日ブログを更新するし、表現欲求が異常に高いことは認めますが、実際にこの本貸してくれた友人も、後から読ませた親父も、「毎日ブログを更新する奴は異常だって書いてるじゃねぇか」って真っ先に突っ込んできやがったし。
話が少しそれましたが、上記の主人公の主張というのは実に正鵠を得ていると思います。確かに近年の日本ではツイッターやSNSが普及したことから、「もっと俺の書く文章を世の中に知らしめたい」と思う人間が増加しており、そうした人間を食うことに力を入れる、つまり自費出版事業を強化している出版社も増えています。更に作中ではかつて文学賞を受賞したような文豪が評価する、発表する小説なんて今の時代では全く売れず、飯のタネにもならないとどの出版社も理解しているが大手はそのプライドから文芸誌を出し続け、赤字を生む要因になっていると出版業界全体に蔓延する問題も指摘しています。
ざっとこんな具合なんですが、出版業界のタブーというか問題点に深く切り込んでいる上、あまりにもリアリティに溢れている話が多く、よくこんな逆批判本を出版できたなと感心してやまない次第です。これが冒頭に述べた、文学賞は絶対に取れない本だという根拠です。
しかし自分もメディア業界に身を置いたことがあるだけに、今の日本の出版業界を取り巻く状況については多少の理解があると自負します。その自分に言わせると、この本は本当に今の出版業界の問題点を鋭くあぶりだしており、なおかつストーリー展開でも同じ自費出版事業を手掛けるライバル社が現れたりと浮き沈みがあって読んでいて次のページを早くみたいという感覚を久々に覚えた作品です。なわけで、今日はちゃんとAmazonの広告を貼り付けますが興味がある方は何もわざわざAmazonで買わなくてもいいので、思い切って手に取ることをお勧めします。
2013年10月20日日曜日
サザエさんにまつわる法則
サザエさんとくれば日本人にとって説明するまでもない国民的アニメですがその知名度と影響力の高さゆえに世の中の様々な事象に対して法則名として使われることも少なくありません。そこで今日はサザエさんにまつわる各種の法則をまとめて取り上げてみようと思います。
1、サザエさん症候群 (Wikipedia)
サザエさん関連で最も有名な法則というのはこの「サザエさん症候群(シンドローム)」で間違いないでしょう。この法則というか現象は何も日本に限らずほかの国にも似たようなものがあるかと思いますが、日曜日の夕方に放映されるアニメのサザエさんを見る度に、「ああ、明日(月曜日)からまた仕事か……」という事実を意識し、ブルーになるというか鬱っぽい気分になる事を指します。なにもサザエさんに限らず日曜の終わりを感じさせる番組の笑点や大河ドラマなどにも同じことが言えますが、数ある候補の中からサザエさんが選ばれる当たりさすがというべきでしょうか。
ちなみに余談ですが前職でお世話になった香港の編集長と、ある日こんな会話をしました。
「花園君、君はサザエさんシンドロームという言葉を知っているかね?」
「もちろん。あの日曜の晩に気分が落ち込むという奴でしょ」
「僕にとってすればサザエさんなんてまだ甘い。僕が銀行員だった頃は土曜の晩の時点で明後日からまた仕事が始まると思い、落ち込んでいたよ……」
行員の仕事は大変なようです……。
2、サザエさん効果(Wikipedia)
これは今回調べている最中にたまたま見つけて初めて知ったのですが、なんでも大和総研が2005年に発表したレポートに載せられた言葉なのですが、ヤマト総研の説明によると、サザエさんの視聴率の上下と東証株価指数の上下との間に高い相関性があるそうです。具体的に言うと、サザエさんの視聴率が下がれば株価が上がり、視聴率が上がれば株価は下がる傾向が見られるとのことです。実際に両者がどれくらい相関しているのか表す相関係数も出されており、その数値はなんと0.86に達し、ニューヨーク株式市場と東証株価指数の相関係数の0.56を大きく上回る水準だそうです。
なんでこれほど相関があるのかという理由については、サザエさんを見ないというのは夕方に外出しており、消費が行われている状態にあるからではないかという仮説が出されてありますがこれについては反論も出ています。どちらにしろかなり面白い研究結果で、ヤマト総研もやるなぁと思うと同時にこれから自分も参考にしようと思います。
3、サザエさん方式(ピクシブ百科事典)
こちらも有名というか、日本の漫画やアニメといったコンテンツにおける特殊な表現手法として私も高く評価しています。
言うまでもないことでしょうがサザエさんの世界では年を跨ぐ時間の進行はなく、カツオが進級することもなければタラちゃんやイクラちゃんはいつまでたっても子供のままです。これはサザエさんという番組が日常を描いていることと深く関係しており、人間関係や各キャラの設定に変動があっては困るためでしょうが、注目すべきはこうした時間の進行がないまま日常が永遠に繰り返されるというストーリーが他の日系コンテンツに見られることです。
厳密にはわかりませんが、このように日常が繰り返される方式のコンテンツはほかの国にはそれほど見られないのではないかと思います。アメコミではスヌーピーが出る「ピーナッツ」なんかはこの類かもしれませんが、「スパイダーマン」のように長期連載であってもストーリーは必ず進行していく形式が多いように見えます。片や日本はサザエさんを筆頭に「クレヨンしんちゃん」や「ドラえもん」など数多くの作品でこのサザエさん方式でテレビ放映が続いています。
なおこのサザエさん方式ですが、別称では「サザエさん時空」と呼ばれることもあります。永遠と日常が続くことから変な目で見ると「出口のない世界」にも見えて、「終わりがないのが終わり、それがゴールド・エクスプリエンス・レクイエム」、なんていうジョジョ5部に出てくるジョルノのセリフがなんだか連想されます。
あとこのサザエさん方式に加えるべき作品なのかでちょっと悩むのが、日本が誇る二大推理漫画の「名探偵コナン」と「金田一少年の事件簿」です。後者は中断が挟まれたりしてますが、どちらも長期連載にもかかわらず登場キャラクターは年齢を重ねることがありません。その結果どうなってしまったのかというと、それぞれの世界における1年間の殺人事件の被害者数がえらいとこまでカウントされてしまっており、どんだけ物騒な世の中なんだよとツッコミたくなる事態に陥ってます。
1、サザエさん症候群 (Wikipedia)
サザエさん関連で最も有名な法則というのはこの「サザエさん症候群(シンドローム)」で間違いないでしょう。この法則というか現象は何も日本に限らずほかの国にも似たようなものがあるかと思いますが、日曜日の夕方に放映されるアニメのサザエさんを見る度に、「ああ、明日(月曜日)からまた仕事か……」という事実を意識し、ブルーになるというか鬱っぽい気分になる事を指します。なにもサザエさんに限らず日曜の終わりを感じさせる番組の笑点や大河ドラマなどにも同じことが言えますが、数ある候補の中からサザエさんが選ばれる当たりさすがというべきでしょうか。
ちなみに余談ですが前職でお世話になった香港の編集長と、ある日こんな会話をしました。
「花園君、君はサザエさんシンドロームという言葉を知っているかね?」
「もちろん。あの日曜の晩に気分が落ち込むという奴でしょ」
「僕にとってすればサザエさんなんてまだ甘い。僕が銀行員だった頃は土曜の晩の時点で明後日からまた仕事が始まると思い、落ち込んでいたよ……」
行員の仕事は大変なようです……。
2、サザエさん効果(Wikipedia)
これは今回調べている最中にたまたま見つけて初めて知ったのですが、なんでも大和総研が2005年に発表したレポートに載せられた言葉なのですが、ヤマト総研の説明によると、サザエさんの視聴率の上下と東証株価指数の上下との間に高い相関性があるそうです。具体的に言うと、サザエさんの視聴率が下がれば株価が上がり、視聴率が上がれば株価は下がる傾向が見られるとのことです。実際に両者がどれくらい相関しているのか表す相関係数も出されており、その数値はなんと0.86に達し、ニューヨーク株式市場と東証株価指数の相関係数の0.56を大きく上回る水準だそうです。
なんでこれほど相関があるのかという理由については、サザエさんを見ないというのは夕方に外出しており、消費が行われている状態にあるからではないかという仮説が出されてありますがこれについては反論も出ています。どちらにしろかなり面白い研究結果で、ヤマト総研もやるなぁと思うと同時にこれから自分も参考にしようと思います。
3、サザエさん方式(ピクシブ百科事典)
こちらも有名というか、日本の漫画やアニメといったコンテンツにおける特殊な表現手法として私も高く評価しています。
言うまでもないことでしょうがサザエさんの世界では年を跨ぐ時間の進行はなく、カツオが進級することもなければタラちゃんやイクラちゃんはいつまでたっても子供のままです。これはサザエさんという番組が日常を描いていることと深く関係しており、人間関係や各キャラの設定に変動があっては困るためでしょうが、注目すべきはこうした時間の進行がないまま日常が永遠に繰り返されるというストーリーが他の日系コンテンツに見られることです。
厳密にはわかりませんが、このように日常が繰り返される方式のコンテンツはほかの国にはそれほど見られないのではないかと思います。アメコミではスヌーピーが出る「ピーナッツ」なんかはこの類かもしれませんが、「スパイダーマン」のように長期連載であってもストーリーは必ず進行していく形式が多いように見えます。片や日本はサザエさんを筆頭に「クレヨンしんちゃん」や「ドラえもん」など数多くの作品でこのサザエさん方式でテレビ放映が続いています。
なおこのサザエさん方式ですが、別称では「サザエさん時空」と呼ばれることもあります。永遠と日常が続くことから変な目で見ると「出口のない世界」にも見えて、「終わりがないのが終わり、それがゴールド・エクスプリエンス・レクイエム」、なんていうジョジョ5部に出てくるジョルノのセリフがなんだか連想されます。
あとこのサザエさん方式に加えるべき作品なのかでちょっと悩むのが、日本が誇る二大推理漫画の「名探偵コナン」と「金田一少年の事件簿」です。後者は中断が挟まれたりしてますが、どちらも長期連載にもかかわらず登場キャラクターは年齢を重ねることがありません。その結果どうなってしまったのかというと、それぞれの世界における1年間の殺人事件の被害者数がえらいとこまでカウントされてしまっており、どんだけ物騒な世の中なんだよとツッコミたくなる事態に陥ってます。
2013年10月17日木曜日
武田信玄の上洛はなんのため?
昨夜のNHKのテレビ番組「歴史秘話ヒストリア」では上杉謙信が特集されておりました。その番組で知ったのですが以前やっていた大河ドラマ「風林火山」の放映以降、川中島の観光イベントにこのドラマで上杉謙信役を演じたGackt氏が毎年ゲスト参加して好評を博しているそうです。ここだけの話、よくドラマで話題性を得るためだけに役者ではなく芸能人を配役することがありますが、「風林火山」における上杉謙信役にGackt氏はベストキャストだったと思え、放映以降の上杉謙信のイメージは今じゃGackt氏以外には考えられません。
もう少しおまけ情報を入れると、上杉謙信はよく僧形の姿で描かれることがあり、白い頭巾を被れば上杉謙信のモノマネとして通用するくらいイメージが強いですが、「風林火山」における上杉謙信は長髪の痩せた武士の姿、っていうかまんまGackt氏の普段の姿で描かれてます。ウィキペディアの情報によるとこれはGackt氏の提案によって実現したそうで、その根拠というのも「川中島の合戦時にはまだ上杉謙信は出家していない」とGackt氏が主張したことからだそうです。
また前置きが長くなってしまいましたが本題に移ると、上杉謙信のライバルとくれば武田信玄ですが、前々から納得いかないというか疑問に感じていることに、武田信玄は何故晩年に上洛しようとしたのかという事実があります。そこで今日は現在の説ととともに私の意見を載せてみます。
・西上作戦(Wikipedia)
織田信長にとって本能寺の変を除く人生最大のピンチとくれば、武田信玄が上洛に動いた1572~1573年であることに歴史通なら誰もが頷くでしょう。この時期、信長は浅井、朝倉の連合軍はもとより一向宗、上杉家、毛利家、そんでもってそれらをたきつけた足利家との光線が続いており、それこそほんの一刺しバランスが崩れることで一気に尾だけが崩壊しかねないような状況にありました。
こんなにっちもさっちもいかない状況に飛び込んできたのが武田信玄です。甲斐を進発すると駿河を経由して途中にある徳川家の城を次々と攻略し、家康本隊も三方ヶ原の戦いで壊滅させております。仮にあのまま尾張にでも進軍していたら織田家は崩壊していただろうと言われますが運がいいというか途中で信玄が病没し、武田家は結局、志半ばで甲斐に撤退することとなります。
さてこの武田家による西上作戦に対して私が何に疑問を持っているのか一言でいうと、適当な地盤も持たずに遠征を行う価値が本当にあったのかという点です。要するに、この遠征は戦略上、そこまで価値があったのかについて疑問があるわけです。
確かに当時の織田家は「SAN値!ピンチ!」って言いたいくらいに逼迫した状況下で、武田家が徳川家を破って背面から突きようものなら致命傷を与えることも不可能ではなかったと思います。しかしそれはあくまで仮説であり、、仮に織田家が犠牲を覚悟で武田家に向き合うのであれば勝機はやはり織田家にあったように思えます。
当時、反織田勢力は一向宗は元気100倍みたいな状況で手が付けられないくらいでしたが、浅井、朝倉の連合軍は1570年の姉川の戦い以降は衰退の一途をたどっております。当時の織田家の戦線が近畿から北陸、東海と広い版図故に長く伸びきっていたのは事実であったものの、仮に近畿地方を放棄して岐阜周辺に兵力を集中させ防衛に徹していれば武田家の兵力に対しても十分対抗できたように思えます。しかも長期戦に持ち込むことが出来たら、この後に述べる補給の点から言っても十中八九の割合で織田家が勝っていたでしょう。
この補給についてですが、武田家は上杉、北条と同盟し後顧の憂いを断って遠征に打って出ましたが、遠征軍故に補給の問題がかなり大きかったように思えます。ただでさえ信玄の領土は山地が多く米があまり取れない場所で、それに大兵力だったことを考えると長期戦に耐えられるとはとても思えません。
また仮に尾張まで武田家が進撃できたとしても、本国との距離は果てしなく遠くなり、逆に徳川家の残存勢力なり織田家の別動隊が後方攪乱を行えば一気に瓦解しかねない状況になります。徳川家を完全に踏み潰してから行くのであればまだわかるんだけど。
要は兵糧というか補給の面でかなり怪しい面が多いと思うだけに、何故信玄がそんな無謀な上洛を行おうとしたのかが理解できないわけです。よしんば織田家を叩いて京都にまで行ったとしても、そこからまたすぐに甲斐に引き返すんじゃ骨折り損のくたびれもうけだし、撃破した織田家の領土を丸ごと得ようったって、果たして短期間でそううまく管理できるのかなとも思えますし。
このように考えると、信玄は本当に上洛が目的で遠征を起こしたのかも怪しく思えてきます。一説では上洛というよりは徳川家の領土制圧が目的だったという意見もあるそうで、まだこっちの方が隣接地を併呑する形になるわけですから理解が出来ます。
さっきからなんかうまくまとめきれていませんが、武田家にはもう一つ問題があるというか、織田家と違って武田軍を構成する兵士のほとんどが農民兵です。織田家は戦争のみを遂行する職業兵士を擁することによって度重なる遠征や迅速な移動を可能にしましたが、当時の織田家以外の大名家では半農半兵の兵士が主力で、農繁期は農作業を行う必要があるために戦争を行うことが出来ませんでした。武田家の西上作戦は1573年の4月に信玄の急死を受けて終了していますが、仮に生きていたとしても農作業の予定から言ってあれ以上の期間は軍を動かせなかったことでしょう。
以上の様に、私の目から言ってあの武田家の遠征は上洛を果たすには穴だらけというか問題があまりにも多すぎます。そのため信玄の目的は上洛して天下に号令を出すことよりも、既に記述しているように徳川家の領土制圧か、織田家に一撃を喰らわせて浅井、朝倉家を始めとする反織田勢力が盛り返すチャンスを作ることだけにあり、織田家を本気で攻め滅ぼすつもりは毛頭なかったのではないかと思います。逆を言えばこの信玄の戦略が読めていれば、織田家はひたすら防衛に徹して長期戦に持ち込むことで逆に武田家を窮地に誘い込むことも出来なくはなかったとも考えられます。
まとめとしては上記の二つの目的はどちらも信玄の急死、または計画に無理があって果たせず終いで、あの遠征は家康に冷や汗をかかせただけの結果しか作れなかったとしか言えず、評価としてはあまり芳しくない遠征だったと言いたいわけです。それなら目的を絞って、浜松城の完全奪取だけでもやっておけばよかったのにと、結果論からなら言えるわけです。
もう少しおまけ情報を入れると、上杉謙信はよく僧形の姿で描かれることがあり、白い頭巾を被れば上杉謙信のモノマネとして通用するくらいイメージが強いですが、「風林火山」における上杉謙信は長髪の痩せた武士の姿、っていうかまんまGackt氏の普段の姿で描かれてます。ウィキペディアの情報によるとこれはGackt氏の提案によって実現したそうで、その根拠というのも「川中島の合戦時にはまだ上杉謙信は出家していない」とGackt氏が主張したことからだそうです。
また前置きが長くなってしまいましたが本題に移ると、上杉謙信のライバルとくれば武田信玄ですが、前々から納得いかないというか疑問に感じていることに、武田信玄は何故晩年に上洛しようとしたのかという事実があります。そこで今日は現在の説ととともに私の意見を載せてみます。
・西上作戦(Wikipedia)
織田信長にとって本能寺の変を除く人生最大のピンチとくれば、武田信玄が上洛に動いた1572~1573年であることに歴史通なら誰もが頷くでしょう。この時期、信長は浅井、朝倉の連合軍はもとより一向宗、上杉家、毛利家、そんでもってそれらをたきつけた足利家との光線が続いており、それこそほんの一刺しバランスが崩れることで一気に尾だけが崩壊しかねないような状況にありました。
こんなにっちもさっちもいかない状況に飛び込んできたのが武田信玄です。甲斐を進発すると駿河を経由して途中にある徳川家の城を次々と攻略し、家康本隊も三方ヶ原の戦いで壊滅させております。仮にあのまま尾張にでも進軍していたら織田家は崩壊していただろうと言われますが運がいいというか途中で信玄が病没し、武田家は結局、志半ばで甲斐に撤退することとなります。
さてこの武田家による西上作戦に対して私が何に疑問を持っているのか一言でいうと、適当な地盤も持たずに遠征を行う価値が本当にあったのかという点です。要するに、この遠征は戦略上、そこまで価値があったのかについて疑問があるわけです。
確かに当時の織田家は「SAN値!ピンチ!」って言いたいくらいに逼迫した状況下で、武田家が徳川家を破って背面から突きようものなら致命傷を与えることも不可能ではなかったと思います。しかしそれはあくまで仮説であり、、仮に織田家が犠牲を覚悟で武田家に向き合うのであれば勝機はやはり織田家にあったように思えます。
当時、反織田勢力は一向宗は元気100倍みたいな状況で手が付けられないくらいでしたが、浅井、朝倉の連合軍は1570年の姉川の戦い以降は衰退の一途をたどっております。当時の織田家の戦線が近畿から北陸、東海と広い版図故に長く伸びきっていたのは事実であったものの、仮に近畿地方を放棄して岐阜周辺に兵力を集中させ防衛に徹していれば武田家の兵力に対しても十分対抗できたように思えます。しかも長期戦に持ち込むことが出来たら、この後に述べる補給の点から言っても十中八九の割合で織田家が勝っていたでしょう。
この補給についてですが、武田家は上杉、北条と同盟し後顧の憂いを断って遠征に打って出ましたが、遠征軍故に補給の問題がかなり大きかったように思えます。ただでさえ信玄の領土は山地が多く米があまり取れない場所で、それに大兵力だったことを考えると長期戦に耐えられるとはとても思えません。
また仮に尾張まで武田家が進撃できたとしても、本国との距離は果てしなく遠くなり、逆に徳川家の残存勢力なり織田家の別動隊が後方攪乱を行えば一気に瓦解しかねない状況になります。徳川家を完全に踏み潰してから行くのであればまだわかるんだけど。
要は兵糧というか補給の面でかなり怪しい面が多いと思うだけに、何故信玄がそんな無謀な上洛を行おうとしたのかが理解できないわけです。よしんば織田家を叩いて京都にまで行ったとしても、そこからまたすぐに甲斐に引き返すんじゃ骨折り損のくたびれもうけだし、撃破した織田家の領土を丸ごと得ようったって、果たして短期間でそううまく管理できるのかなとも思えますし。
このように考えると、信玄は本当に上洛が目的で遠征を起こしたのかも怪しく思えてきます。一説では上洛というよりは徳川家の領土制圧が目的だったという意見もあるそうで、まだこっちの方が隣接地を併呑する形になるわけですから理解が出来ます。
さっきからなんかうまくまとめきれていませんが、武田家にはもう一つ問題があるというか、織田家と違って武田軍を構成する兵士のほとんどが農民兵です。織田家は戦争のみを遂行する職業兵士を擁することによって度重なる遠征や迅速な移動を可能にしましたが、当時の織田家以外の大名家では半農半兵の兵士が主力で、農繁期は農作業を行う必要があるために戦争を行うことが出来ませんでした。武田家の西上作戦は1573年の4月に信玄の急死を受けて終了していますが、仮に生きていたとしても農作業の予定から言ってあれ以上の期間は軍を動かせなかったことでしょう。
以上の様に、私の目から言ってあの武田家の遠征は上洛を果たすには穴だらけというか問題があまりにも多すぎます。そのため信玄の目的は上洛して天下に号令を出すことよりも、既に記述しているように徳川家の領土制圧か、織田家に一撃を喰らわせて浅井、朝倉家を始めとする反織田勢力が盛り返すチャンスを作ることだけにあり、織田家を本気で攻め滅ぼすつもりは毛頭なかったのではないかと思います。逆を言えばこの信玄の戦略が読めていれば、織田家はひたすら防衛に徹して長期戦に持ち込むことで逆に武田家を窮地に誘い込むことも出来なくはなかったとも考えられます。
まとめとしては上記の二つの目的はどちらも信玄の急死、または計画に無理があって果たせず終いで、あの遠征は家康に冷や汗をかかせただけの結果しか作れなかったとしか言えず、評価としてはあまり芳しくない遠征だったと言いたいわけです。それなら目的を絞って、浜松城の完全奪取だけでもやっておけばよかったのにと、結果論からなら言えるわけです。
2013年10月16日水曜日
中国の経済犯罪に関する謎の統計( ´,_ゝ`)
今日も神経をすり減らす中で元気に中国ニュースを見ていたところ、また面白いニュースが見つかったので紹介しようと思います。その内容というのも、中国における経済犯罪の統計で、要するにどれだけの資金が持ち逃げされたかについてやけに詳しくまとめられてます。
・中国外逃裸官人均携款500万 最年轻者25岁(鄭州版報)
記事の出典は鄭州晩報(サイトに至っては東方網だが)と書いてありますが、記事中で引用したデータは経済誌の「財経」のものだと但し書きがあります。何気にこの「財経」は私が不定期に購読していた経済紙で、上海人の友人にこれ読んでるって言ってみたら、「中国人からしても難しい内容なのに、こんなの読むの?」と言われてちょっと自信がつきました。最初はコンビニ(セブンイレブン)で買ってたけど、後に会社がまとめて買ってる雑誌の中に入ってたと知ってアイヤーとか抜かしてました。
そんなどうでもことはいいとして本題に入りますが、持ち逃げ資金に関する実に様々な統計が記事中では紹介されています。それにしてもそもそも、なんでこんな統計があるのか、っていうか統計取るほど数も多過ぎやしないかなどと、どこから突っ込んでいいかよくわからないネタです。こういうわけのわからなさが中国のいい所であり自分の好きな所でもあるのですが。
と、あまり長々と書いてもいいのでとりあえず乗っている統計データを片っ端から書いてきます。
<一人当たり海外逃亡資金>(1元=15円で計算)
・2000~2003年:430万元(6450万円)
・2007年:540万元(8100万円)
・2012年:480万元(7200万円)
※記事では「2012年は500万元を下回った( ^∀^)」って書いてます。
<海外逃亡人数、資金の累計>
・1990年代中期以降で1.6万~1.8万人
・累計流出資金:8000億元(1兆2000億円)
※記事中では上記の数字に対して関連官庁から正式に発表されたデータではなく真偽は怪しいとして、実際にはもっと多いことを示唆している。
<2007年の取り締まり実績>
・経済犯罪者の逃亡人数:5724人
・うち捕獲人数:4547人
<最年少経済犯罪者の年齢>
・25歳
ざっと書いてあるデータをまとめましたが、実際にはもっと多いだろうっていう気がしますね。なおこれらのデータは公務員、国有企業の責任者、金融業界関係者の枠内で民間企業の社長とかは入ってない模様です。それにしても最後の25歳は盗んだ金で走り出す25の夜を堪能したのだろうか。
・中国外逃裸官人均携款500万 最年轻者25岁(鄭州版報)
記事の出典は鄭州晩報(サイトに至っては東方網だが)と書いてありますが、記事中で引用したデータは経済誌の「財経」のものだと但し書きがあります。何気にこの「財経」は私が不定期に購読していた経済紙で、上海人の友人にこれ読んでるって言ってみたら、「中国人からしても難しい内容なのに、こんなの読むの?」と言われてちょっと自信がつきました。最初はコンビニ(セブンイレブン)で買ってたけど、後に会社がまとめて買ってる雑誌の中に入ってたと知ってアイヤーとか抜かしてました。
そんなどうでもことはいいとして本題に入りますが、持ち逃げ資金に関する実に様々な統計が記事中では紹介されています。それにしてもそもそも、なんでこんな統計があるのか、っていうか統計取るほど数も多過ぎやしないかなどと、どこから突っ込んでいいかよくわからないネタです。こういうわけのわからなさが中国のいい所であり自分の好きな所でもあるのですが。
と、あまり長々と書いてもいいのでとりあえず乗っている統計データを片っ端から書いてきます。
<一人当たり海外逃亡資金>(1元=15円で計算)
・2000~2003年:430万元(6450万円)
・2007年:540万元(8100万円)
・2012年:480万元(7200万円)
※記事では「2012年は500万元を下回った( ^∀^)」って書いてます。
<海外逃亡人数、資金の累計>
・1990年代中期以降で1.6万~1.8万人
・累計流出資金:8000億元(1兆2000億円)
※記事中では上記の数字に対して関連官庁から正式に発表されたデータではなく真偽は怪しいとして、実際にはもっと多いことを示唆している。
<2007年の取り締まり実績>
・経済犯罪者の逃亡人数:5724人
・うち捕獲人数:4547人
<最年少経済犯罪者の年齢>
・25歳
ざっと書いてあるデータをまとめましたが、実際にはもっと多いだろうっていう気がしますね。なおこれらのデータは公務員、国有企業の責任者、金融業界関係者の枠内で民間企業の社長とかは入ってない模様です。それにしても最後の25歳は盗んだ金で走り出す25の夜を堪能したのだろうか。
2013年10月15日火曜日
ヘイトスピーチに対する私の所感
先日、京都地裁にて在特会こと在日特権を許さない市民の会による朝鮮学校に向けた、ヘイトスピーチなどと呼ばれる抗議・宣伝活動が違法だとの判決が下りました。この判決では在特会に対し賠償金の支払いが命じられ、このところ各地で増えている同様のヘイトスピーチに対する初めての司法判断として大きく報じられました。今日はこのヘイトスピーチに対する私の意見を描いてみようと思うのですが、書く前にほかの報道ではどうかなと調べてみたら下記の記事に自分も知っている韓国社会を専門とする社会学者、板垣先生の意見書が載っててちょっとびっくりしました。M先生はまだ生きてるのかな?
・「ヘイトスピーチ断罪判決」が触れなかったもの(朝日新聞)
まず結論から言うと、私はこうした民族(=人種)や出身を理由とした抗議・批判をするヘイトスピーチに対して否定的な立場を取ります。やってる人間からしたらいろいろ理由を挙げてくるでしょうが私が見る限り、在特会のデモは制度の不公平を是正するという事よりも在日の人を糾弾することが目的の様にしか見えず、ただ憎しみや不満を吐きだしているようにしか見えないからです。こうした点については普段は厳しい産経新聞もこの記事で、
「批判すべきなら、普通の言葉で、堂々とすればいい。ことさらに憎しみをあおるような発言は、批判や意見とは、まったく異なる。」
「だが繰り返されたシュプレヒコールは、判決で言及されたものだけでも「朝鮮人を保健所で処分しろ」「日本からたたき出せ」など聞くに堪えない言葉が並んでいた。」
などと批判しており、基本的に私もこの意見に同感です。
自分のこのブログもあれこれなにかを批判することが多いですが、その際にいつも気を付けているのはそれが自分自身の愚痴に成り下がってないかという点です。基本的に批判する対象に対して私が不満を持っていることは間違いないですが、それが私個人の感情に起因するものではなく、またその不満が解消されることによって社会の改善にもつながるものだけをブログで展開するようにしています。ただ憎しみだけを周りに吐き散らすというのは社会を悪い方向にしか向かわせません。
ましてやこのヘイトスピーチは堂々と差別を主張するもので、当局などはもう少し規制をしてもいいのではないかとすら思います。しかもデモを行う場所も朝鮮学校など制度の改善とは全く関係のない所ばかりで、言ってしまえば弱い者いじめをしているようにしか見えません。
私自身、差別感情を持つことに対しては否定しません。誰でも聖人になれるわけじゃないし恨んだりなど負の感情を持つのはごく自然なことだと思います。しかし思うだけと、それを主張し周りにも賛同を促すというのは別問題です。これらのヘイトスピーチは弱い者いじめを肯定するようなものにしか見えず、社会上、百害あって一利なしではないかと私は考えます。
ただ敢えてここで問題提起をしますが、在日韓国人・朝鮮人に対する法制度はそろそろ見直すべき時期に来ているのではないかともこのところよく思います。というのも在日の方々に対する法制度は戦前・戦後の混乱、また朝鮮戦争の余波などがあって特別法のような形で組まれて、それが現在に至るまでずっと続いております。しかし既に終戦から70年近く経過し、特別法のような制度で他の外国人とは異なる制度を維持するべきかどうかと言ったらやっぱりなにか違うような気がします。具体的に言うと、他の国・地域出身で永住権を保有する外国人と扱いを同じくする制度にするべきでしょう。
さらに具体的な一点にツッコミを入れると、いわゆる「通名」と呼ばれる日本人名を名乗ることに関しては廃止すべきじゃないかと提案します。実際はどうだかわかりませんがネット上などでは在日出身の方が犯罪を犯した際、報道では本名ではなく通名によって報じられ、在日出身であることがわからないように保護されているなどという意見が出ています。
繰り返しますが果たして実態はどうなのかわかりかねますが、こういう疑いを晴らすためにも、またほかの国・地域出身の外国人がそんな通名を日本で使用していないことを考えるともうこういう習慣はやめてしまうべきです。こういう余計な所こそ平等にするべきでしょう。
おまけ
最後に蛇足ですが通名ネタで語ると、中国人は英語名といって「レスリー・チャン」とか「シンディ・ワン」などと好き勝手に欧米人っぽい名前を名乗ってきますし、貿易事務書類もこの名前でサインしてくることも多いです。これらの名前は別に洗礼名とかそういうものではなく、中学校で英語を習い始めるタイミングで勝手に自分で決めるそうですが、ご大層な名前の割に英語が出来ない中国人だったりすると「何がシンディだよ」とかちょっと言いたくなります。
おまけ2
自分が貿易事務職を務めていた時に上記の話題が同僚の間で上がり、「花園は自転車が好きなんだからチャーリー花園って名乗れよ」と言わrました。
・「ヘイトスピーチ断罪判決」が触れなかったもの(朝日新聞)
まず結論から言うと、私はこうした民族(=人種)や出身を理由とした抗議・批判をするヘイトスピーチに対して否定的な立場を取ります。やってる人間からしたらいろいろ理由を挙げてくるでしょうが私が見る限り、在特会のデモは制度の不公平を是正するという事よりも在日の人を糾弾することが目的の様にしか見えず、ただ憎しみや不満を吐きだしているようにしか見えないからです。こうした点については普段は厳しい産経新聞もこの記事で、
「批判すべきなら、普通の言葉で、堂々とすればいい。ことさらに憎しみをあおるような発言は、批判や意見とは、まったく異なる。」
「だが繰り返されたシュプレヒコールは、判決で言及されたものだけでも「朝鮮人を保健所で処分しろ」「日本からたたき出せ」など聞くに堪えない言葉が並んでいた。」
などと批判しており、基本的に私もこの意見に同感です。
自分のこのブログもあれこれなにかを批判することが多いですが、その際にいつも気を付けているのはそれが自分自身の愚痴に成り下がってないかという点です。基本的に批判する対象に対して私が不満を持っていることは間違いないですが、それが私個人の感情に起因するものではなく、またその不満が解消されることによって社会の改善にもつながるものだけをブログで展開するようにしています。ただ憎しみだけを周りに吐き散らすというのは社会を悪い方向にしか向かわせません。
ましてやこのヘイトスピーチは堂々と差別を主張するもので、当局などはもう少し規制をしてもいいのではないかとすら思います。しかもデモを行う場所も朝鮮学校など制度の改善とは全く関係のない所ばかりで、言ってしまえば弱い者いじめをしているようにしか見えません。
私自身、差別感情を持つことに対しては否定しません。誰でも聖人になれるわけじゃないし恨んだりなど負の感情を持つのはごく自然なことだと思います。しかし思うだけと、それを主張し周りにも賛同を促すというのは別問題です。これらのヘイトスピーチは弱い者いじめを肯定するようなものにしか見えず、社会上、百害あって一利なしではないかと私は考えます。
ただ敢えてここで問題提起をしますが、在日韓国人・朝鮮人に対する法制度はそろそろ見直すべき時期に来ているのではないかともこのところよく思います。というのも在日の方々に対する法制度は戦前・戦後の混乱、また朝鮮戦争の余波などがあって特別法のような形で組まれて、それが現在に至るまでずっと続いております。しかし既に終戦から70年近く経過し、特別法のような制度で他の外国人とは異なる制度を維持するべきかどうかと言ったらやっぱりなにか違うような気がします。具体的に言うと、他の国・地域出身で永住権を保有する外国人と扱いを同じくする制度にするべきでしょう。
さらに具体的な一点にツッコミを入れると、いわゆる「通名」と呼ばれる日本人名を名乗ることに関しては廃止すべきじゃないかと提案します。実際はどうだかわかりませんがネット上などでは在日出身の方が犯罪を犯した際、報道では本名ではなく通名によって報じられ、在日出身であることがわからないように保護されているなどという意見が出ています。
繰り返しますが果たして実態はどうなのかわかりかねますが、こういう疑いを晴らすためにも、またほかの国・地域出身の外国人がそんな通名を日本で使用していないことを考えるともうこういう習慣はやめてしまうべきです。こういう余計な所こそ平等にするべきでしょう。
おまけ
最後に蛇足ですが通名ネタで語ると、中国人は英語名といって「レスリー・チャン」とか「シンディ・ワン」などと好き勝手に欧米人っぽい名前を名乗ってきますし、貿易事務書類もこの名前でサインしてくることも多いです。これらの名前は別に洗礼名とかそういうものではなく、中学校で英語を習い始めるタイミングで勝手に自分で決めるそうですが、ご大層な名前の割に英語が出来ない中国人だったりすると「何がシンディだよ」とかちょっと言いたくなります。
おまけ2
自分が貿易事務職を務めていた時に上記の話題が同僚の間で上がり、「花園は自転車が好きなんだからチャーリー花園って名乗れよ」と言わrました。
2013年10月14日月曜日
戦艦三笠を見てきた
ブログを二日も休んでおきながら今日もなんかまとまらないので、親父と一緒に今日行ってきた、横須賀にある戦艦三笠の見学について簡単にまとめます。
横須賀に日露戦争に旗艦として使われた三笠が記念艦として残っているということを知ったのはつい先月のことで、それほど軍艦マニアというわけじゃないけど近くにあるのだからと思って親父を連れ立って一緒に京急に乗り行ってきました。
三笠は横須賀中央駅の近くで歩いて行ける三笠公園においてあり、大人1人500円で中に入れて見学できます。三笠に対する私の第一印象ですが、正直に言って非常に小さく感じました。やはり現代、ひいては二次大戦時に使われた軍艦と比べて明治の軍艦はまだ技術的な差があったのでしょうけど戦艦というにはあまりに小さく、よくこんな船に数百人の船員が乗っかって戦ってたなと思えました。
それで中身ですが、砲塔とかはレプリカですが一応それらしい雰囲気はあり、あと館内には海上自衛隊の活動をまとめた展示とか、日露戦争について説明するパネルなどがあり最低限の展示物はそろってます。あとちょっと気になった点を挙げると、常にZ旗が翻ってて「常に戦時体制なのかよ」等と突っ込んでいました。
横須賀に日露戦争に旗艦として使われた三笠が記念艦として残っているということを知ったのはつい先月のことで、それほど軍艦マニアというわけじゃないけど近くにあるのだからと思って親父を連れ立って一緒に京急に乗り行ってきました。
三笠は横須賀中央駅の近くで歩いて行ける三笠公園においてあり、大人1人500円で中に入れて見学できます。三笠に対する私の第一印象ですが、正直に言って非常に小さく感じました。やはり現代、ひいては二次大戦時に使われた軍艦と比べて明治の軍艦はまだ技術的な差があったのでしょうけど戦艦というにはあまりに小さく、よくこんな船に数百人の船員が乗っかって戦ってたなと思えました。
それで中身ですが、砲塔とかはレプリカですが一応それらしい雰囲気はあり、あと館内には海上自衛隊の活動をまとめた展示とか、日露戦争について説明するパネルなどがあり最低限の展示物はそろってます。あとちょっと気になった点を挙げると、常にZ旗が翻ってて「常に戦時体制なのかよ」等と突っ込んでいました。
2013年10月11日金曜日
中国における日系企業の苦境関連ニュースについて
今日は記事を書くつもりはなかったのですが、ちょっとひどい記事を見つけたのでさすがに黙ってはおられず一筆書くことにします。
・ヤマダ電機撤退 「社名が日本兵を連想」消費者が拒否反応(産経新聞)
上記リンク先は産経新聞の記事で、中国で苦戦する日系企業について取り上げています。詳しくは直接中身の記事を見てもらえばいいのですが、見出しにも書いている通りに家電小売り大手のヤマダ電機が中国での店舗を閉鎖していることについて、「山田という日本を連想する名前だったからよくない」と書いています。同じく去年12月に上海に中国第1号店を出店した高島屋(自分もオープン初日に取材に行った。はっきり言ってメディア対応は悪かった)も、日本名丸出しだったから苦戦が続いている、けど「優衣庫」という中国っぽい名前にしたユニクロは成功していると続いています。
はっきり言わせてもらうと、この記事を書いた記者は中国に来たことあるのと聞きたくなるくらいお門違いな内容です。たまに中国語も出来ないのに中国に来たばっかりで、聞きかじりで適当な記事を書く記者がいますがその類じゃないでしょうか。
一つ一つポイントを絞って解説しますが、まずヤマダ電機の中国事業が上手くいっていないのは事実で、オープンした店舗も次々と占めています。もっともヤマダ電機についていえばこのところ日本国内の事業もうまくいっていませんが、なんで中国事業が上手くいってないのかというと実は日本と全く同じ構造というか、補助金制度の終了が大きく響いています。
日本はリーマンショックの後にエコポイント制度を始めたことから家電小売業は一時期、わが世の春を謳歌しましたが、2011年にこれが打ち切られると特需の反動から業界全体で大きく売り上げが減少することとなりました。実は中国も全く同じで、景気対策として「家電下郷」や「以旧換新」などという家電買換え補助策を打ち出し、これらが打ち切られるやガクンと売上げが大きく減少することとなりました。
さらにこの辺は割と自分でもしっかり勉強して追っていたので詳しいのですが、中国では2~3年前くらいからオンラインショッピングで家電を買う習慣が急劇に広がっています。日本では去年あたりから段々ブームが広がっていますが、ことネットで家電を買うことについては中国の方がずっと普及しており、それを受けて中国の家電小売り大手である蘇寧電器や国美電器はどちらも自社のオンラインショッピングサイトに力を入れており、実態店舗の売り上げが減少する一方でこれらサイトでの売り上げは増加し続けています。
以上のような観点から言うと、ヤマダ電機が中国でうまくいかなかったのは尖閣問題による日本イメージの悪化が全くないというつもりはありませんが、それ以上に中国での家電小売業界が大きく変化していることの方が大きいように思えます。
あともうひとつ情報を付け加えると、これは私の聞きかじりですがどうも先程の中国の家電小売り大手2社が嫌がらせというか、中国メーカーに対してヤマダ電機に商品を卸さないようにプレッシャーをかけているといううわさを聞いたことがあります。その情報くれた人自体が中国メディアとして私なんかより全然プロで人脈も広い人だったので真実だと私は考えていますが、そうした嫌がらせを受けて中国のヤマダ電機では日系メーカー製しか商品が並ばず、価格帯が高級品に偏っていてそれが客足を遠ざける要因にもなっているそうです。さもありなんな話です。
ここで話は変わってようやく上海高島屋。ここに関してはしつこく取材(広報部に1週間くらい連続で電話した)したこともあることからこだわりがあり、今年5月にも「中国で苦戦する日系デパート」の記事で分析を行っていますが、苦戦の理由は日本のイメージなんて全く関係なく、一にも二にも立地のまずさにしかありません。
前の記事でも書いていますが上海高島屋があるのは上海の繁華街である南京路ではなく新興開発のオフィス街である古北地区です。出店前からセオリーに外れたこの立地に対して吉と出るか凶と出るか、オフィス街の需要を開拓できるかどうかが上海の一部ビジネスマン(+メディア)の間で噂になっていましたが、現在の様子からすると見事に凶と出た感じです。
産経の記事ではこの立地について全く触れられておらず、言ってはなんですが書いた人は明らかに上海事情について素人でしょう。その点、ダイヤモンドの記者はよくわかっており、下記の記事の中で立地のまずさからで必ずしも反日が原因ではないと指摘しています。
・高島屋、ヤマダ電機……中国進出失敗の原因は本当に「反日」か(ダイヤモンド)
最後に、産経の記事ではユニクロは中国でのブランド名を「優衣庫」と中国名にしたことから日本のイメージが少なく、中国人も国内ブランドだと信じ込んでいるから成功していると書いてますが、なわけねーよと言いたいです。大体、中国人にちゃんと聞いた上での記述かこれ?
自分が中国の友人から聞く限りだとユニクロが日系企業であることは中国人もわかっておりますが、単純に価格に比して品質が格段に優れているからよく利用するということを聞きます。結局は価値、価格に対して商品やサービスがどれだけ優れているかこの一点です。
日系企業が海外でうまくやっていけない理由をなんでもかんでも反日で片づけようとするのは友人の言葉を借りるなら思考停止も同然です。少なくとも中国ではユニクロやヤクルト、あと隠れてYKKみたいに絶好調の日系企業もあるのだから、きちんとそれぞれの成功要因と失敗要因を分析して記者も記事くらい書けと、素人になった気分で言ってみた次第です。
・ヤマダ電機撤退 「社名が日本兵を連想」消費者が拒否反応(産経新聞)
上記リンク先は産経新聞の記事で、中国で苦戦する日系企業について取り上げています。詳しくは直接中身の記事を見てもらえばいいのですが、見出しにも書いている通りに家電小売り大手のヤマダ電機が中国での店舗を閉鎖していることについて、「山田という日本を連想する名前だったからよくない」と書いています。同じく去年12月に上海に中国第1号店を出店した高島屋(自分もオープン初日に取材に行った。はっきり言ってメディア対応は悪かった)も、日本名丸出しだったから苦戦が続いている、けど「優衣庫」という中国っぽい名前にしたユニクロは成功していると続いています。
はっきり言わせてもらうと、この記事を書いた記者は中国に来たことあるのと聞きたくなるくらいお門違いな内容です。たまに中国語も出来ないのに中国に来たばっかりで、聞きかじりで適当な記事を書く記者がいますがその類じゃないでしょうか。
一つ一つポイントを絞って解説しますが、まずヤマダ電機の中国事業が上手くいっていないのは事実で、オープンした店舗も次々と占めています。もっともヤマダ電機についていえばこのところ日本国内の事業もうまくいっていませんが、なんで中国事業が上手くいってないのかというと実は日本と全く同じ構造というか、補助金制度の終了が大きく響いています。
日本はリーマンショックの後にエコポイント制度を始めたことから家電小売業は一時期、わが世の春を謳歌しましたが、2011年にこれが打ち切られると特需の反動から業界全体で大きく売り上げが減少することとなりました。実は中国も全く同じで、景気対策として「家電下郷」や「以旧換新」などという家電買換え補助策を打ち出し、これらが打ち切られるやガクンと売上げが大きく減少することとなりました。
さらにこの辺は割と自分でもしっかり勉強して追っていたので詳しいのですが、中国では2~3年前くらいからオンラインショッピングで家電を買う習慣が急劇に広がっています。日本では去年あたりから段々ブームが広がっていますが、ことネットで家電を買うことについては中国の方がずっと普及しており、それを受けて中国の家電小売り大手である蘇寧電器や国美電器はどちらも自社のオンラインショッピングサイトに力を入れており、実態店舗の売り上げが減少する一方でこれらサイトでの売り上げは増加し続けています。
以上のような観点から言うと、ヤマダ電機が中国でうまくいかなかったのは尖閣問題による日本イメージの悪化が全くないというつもりはありませんが、それ以上に中国での家電小売業界が大きく変化していることの方が大きいように思えます。
あともうひとつ情報を付け加えると、これは私の聞きかじりですがどうも先程の中国の家電小売り大手2社が嫌がらせというか、中国メーカーに対してヤマダ電機に商品を卸さないようにプレッシャーをかけているといううわさを聞いたことがあります。その情報くれた人自体が中国メディアとして私なんかより全然プロで人脈も広い人だったので真実だと私は考えていますが、そうした嫌がらせを受けて中国のヤマダ電機では日系メーカー製しか商品が並ばず、価格帯が高級品に偏っていてそれが客足を遠ざける要因にもなっているそうです。さもありなんな話です。
ここで話は変わってようやく上海高島屋。ここに関してはしつこく取材(広報部に1週間くらい連続で電話した)したこともあることからこだわりがあり、今年5月にも「中国で苦戦する日系デパート」の記事で分析を行っていますが、苦戦の理由は日本のイメージなんて全く関係なく、一にも二にも立地のまずさにしかありません。
前の記事でも書いていますが上海高島屋があるのは上海の繁華街である南京路ではなく新興開発のオフィス街である古北地区です。出店前からセオリーに外れたこの立地に対して吉と出るか凶と出るか、オフィス街の需要を開拓できるかどうかが上海の一部ビジネスマン(+メディア)の間で噂になっていましたが、現在の様子からすると見事に凶と出た感じです。
産経の記事ではこの立地について全く触れられておらず、言ってはなんですが書いた人は明らかに上海事情について素人でしょう。その点、ダイヤモンドの記者はよくわかっており、下記の記事の中で立地のまずさからで必ずしも反日が原因ではないと指摘しています。
・高島屋、ヤマダ電機……中国進出失敗の原因は本当に「反日」か(ダイヤモンド)
最後に、産経の記事ではユニクロは中国でのブランド名を「優衣庫」と中国名にしたことから日本のイメージが少なく、中国人も国内ブランドだと信じ込んでいるから成功していると書いてますが、なわけねーよと言いたいです。大体、中国人にちゃんと聞いた上での記述かこれ?
自分が中国の友人から聞く限りだとユニクロが日系企業であることは中国人もわかっておりますが、単純に価格に比して品質が格段に優れているからよく利用するということを聞きます。結局は価値、価格に対して商品やサービスがどれだけ優れているかこの一点です。
日系企業が海外でうまくやっていけない理由をなんでもかんでも反日で片づけようとするのは友人の言葉を借りるなら思考停止も同然です。少なくとも中国ではユニクロやヤクルト、あと隠れてYKKみたいに絶好調の日系企業もあるのだから、きちんとそれぞれの成功要因と失敗要因を分析して記者も記事くらい書けと、素人になった気分で言ってみた次第です。
2013年10月10日木曜日
水木しげるのおすすめ伝記漫画
私が漫画家の水木しげる氏の熱心なフリークであることはこのブログの定期読者なら言うまでもないですが、実は水木氏の最大人気作と言っていい「ゲゲゲの鬼太郎」の単行本はそれほど持っておりません。鬼太郎は鬼太郎で面白いのですが、私個人として一番にお勧めできるのは水木氏の時点である「水木しげる伝(上中下)」で、そのほかだと水木氏が壮年になってから手掛けた伝記漫画が気に入っており、今日はいくつか抜粋して紹介しようと思います。
あまり知られてないと思いますが、水木氏は1990年前後からビッグゴールドなどに実在の人物に題材を取った伝記っぽい漫画を数多く仕立ててます。対象は日本国内にとどまらず世界中のいわゆる奇人たちで、自分も読むまで知らなかった人物が数多く取り上げられております。
まずシリーズとしておすすめできるのは「神秘家列伝」というシリーズで、こちらは現在文庫版で4巻まで出ております。タイトルの通りに神秘家、つまりオカルト関連の歴史上の有名人物を取り上げており、1巻に出てくるスウェーデンボルグなどは「こんな面白い人物がいたのか」と素直にため息が出てくるほど面白い描かれ方がされています。このほかにもコナン・ドイルや井上円了などの人物が独特なタッチで紹介されており、あと個人的に印象深いのは大本教の実質的な創始者である出口王仁三郎について非常に綿密に描かれています。社会学やっている人間は是非読むべしです。
その次におすすめできるというか、恐らく水木氏の一連の伝記作品の中で白眉ともいえるのが「猫楠」です。これはタイトルからはわかりませんが南方熊楠を題材に取った作品で、わかる人ならわかるでしょうが、とんでもない内容になっています。
何がとんでもないのかというと南方熊楠という人物が史実上でも色々とアレな人で、この人は粘菌学者で十数ヶ国語を自在に操り、現在も続く科学雑誌の最高権威「ネイチャー」の記事投稿本数が日本人として最も多いという、私が考えるに明治以降の人物としてはもっとも「天才」という言葉がぴったりくる人です。
しかし、天才にはありがちですが一般人としての感覚が全くない人で、カビやダニを培養するため不潔な環境で生活し、酒飲むと大暴れし、ケンカになると全裸で自在に嘔吐したりなどと自分で書いてて何書いてるんだかわからなくなってきます。ただ、そういった破天荒ぶりが水木氏の漫画にあっているというか、多分水木氏も南方熊楠みたいなめちゃくちゃな人間が大好きなんだろうなと思えるくらいにすごく、生き生きと描かれています。
最後にもう二冊紹介しますが、「東西奇ッ怪紳士録」という短編集があります。私はこの短編集に平賀源内が収録されていると聞いたので買って読んでみたのですが、平賀源内の話も面白かった一方、「国家をもて遊ぶ男」という短編の方に強く引き寄せられました。この短編には冒頭で、
「東条英機がいなくても(代わりがいるから)太平洋戦争は起こっただろう。しかしヒトラーがいなければ太平洋戦争は起こらなかったに違いない」
という、山田風太郎の日記を引用しています。もうわかるでしょうが、この短編はヒトラーを題材に取っています。この短編ももちろん面白いのですが水木氏はこれ以前にも「劇画ヒットラー」という作品を書いていると知り、こちらも慌てて仕入れました(Amazonから)。
ヒトラーの漫画というと手塚治虫の「アドルフに告ぐ」が有名ですが、こちらはヒトラー自身が実はユダヤ人だったなどと数多くのフィクションを盛り込んだ作品であるのに対し、水木氏の「劇画ヒットラー」は対照的に、徹頭徹尾当時にみられていた歴史的事実に即して描かれており、ミュンヘン一揆などについても丁寧に描いてあります。
これらの伝記漫画は水木氏自身がかなりハチャメチャな人物であることからどれも独特の視点でもって描かれていることが多く、ほかの伝記漫画などと比べて読んでいる印象が全く違います。また取り上げられる人物もヒトラーはともかくとして他は本当にマイナーな人ばかりで、単純にストーリーを追っていくだけでも面白いのでこの場でも紹介しようと思い立ったわけです。
あまり知られてないと思いますが、水木氏は1990年前後からビッグゴールドなどに実在の人物に題材を取った伝記っぽい漫画を数多く仕立ててます。対象は日本国内にとどまらず世界中のいわゆる奇人たちで、自分も読むまで知らなかった人物が数多く取り上げられております。
まずシリーズとしておすすめできるのは「神秘家列伝」というシリーズで、こちらは現在文庫版で4巻まで出ております。タイトルの通りに神秘家、つまりオカルト関連の歴史上の有名人物を取り上げており、1巻に出てくるスウェーデンボルグなどは「こんな面白い人物がいたのか」と素直にため息が出てくるほど面白い描かれ方がされています。このほかにもコナン・ドイルや井上円了などの人物が独特なタッチで紹介されており、あと個人的に印象深いのは大本教の実質的な創始者である出口王仁三郎について非常に綿密に描かれています。社会学やっている人間は是非読むべしです。
その次におすすめできるというか、恐らく水木氏の一連の伝記作品の中で白眉ともいえるのが「猫楠」です。これはタイトルからはわかりませんが南方熊楠を題材に取った作品で、わかる人ならわかるでしょうが、とんでもない内容になっています。
何がとんでもないのかというと南方熊楠という人物が史実上でも色々とアレな人で、この人は粘菌学者で十数ヶ国語を自在に操り、現在も続く科学雑誌の最高権威「ネイチャー」の記事投稿本数が日本人として最も多いという、私が考えるに明治以降の人物としてはもっとも「天才」という言葉がぴったりくる人です。
しかし、天才にはありがちですが一般人としての感覚が全くない人で、カビやダニを培養するため不潔な環境で生活し、酒飲むと大暴れし、ケンカになると全裸で自在に嘔吐したりなどと自分で書いてて何書いてるんだかわからなくなってきます。ただ、そういった破天荒ぶりが水木氏の漫画にあっているというか、多分水木氏も南方熊楠みたいなめちゃくちゃな人間が大好きなんだろうなと思えるくらいにすごく、生き生きと描かれています。
最後にもう二冊紹介しますが、「東西奇ッ怪紳士録」という短編集があります。私はこの短編集に平賀源内が収録されていると聞いたので買って読んでみたのですが、平賀源内の話も面白かった一方、「国家をもて遊ぶ男」という短編の方に強く引き寄せられました。この短編には冒頭で、
「東条英機がいなくても(代わりがいるから)太平洋戦争は起こっただろう。しかしヒトラーがいなければ太平洋戦争は起こらなかったに違いない」
という、山田風太郎の日記を引用しています。もうわかるでしょうが、この短編はヒトラーを題材に取っています。この短編ももちろん面白いのですが水木氏はこれ以前にも「劇画ヒットラー」という作品を書いていると知り、こちらも慌てて仕入れました(Amazonから)。
ヒトラーの漫画というと手塚治虫の「アドルフに告ぐ」が有名ですが、こちらはヒトラー自身が実はユダヤ人だったなどと数多くのフィクションを盛り込んだ作品であるのに対し、水木氏の「劇画ヒットラー」は対照的に、徹頭徹尾当時にみられていた歴史的事実に即して描かれており、ミュンヘン一揆などについても丁寧に描いてあります。
これらの伝記漫画は水木氏自身がかなりハチャメチャな人物であることからどれも独特の視点でもって描かれていることが多く、ほかの伝記漫画などと比べて読んでいる印象が全く違います。また取り上げられる人物もヒトラーはともかくとして他は本当にマイナーな人ばかりで、単純にストーリーを追っていくだけでも面白いのでこの場でも紹介しようと思い立ったわけです。
2013年10月9日水曜日
父性意識の強い所にオカマは多いのか?
また関係ない所から話を始めますが、先程シャワー浴びている最中に郵便が来ました。私がシャワーを浴びる際はまず最初に体を石鹸で洗い、そしてそのまま髪をシャンプーで洗い、最後に一気に水を浴びて頭も体も一緒に流すことで水代とガス代をケチっています。でもって、さっき郵便が来た時はちょうど髪洗って水を流そうとする直前の満身創痍という状態でした。しょうがないから腰にタオル巻いて玄関先出ましたけど、頭も体も全身泡だらけの姿の登場に配達員も驚いただろうな。まだおじさんの配達員で本当によかった。
それでは本題に入りますが、まず個人的な意見ですが「男とはこうあるべき!」っていう具合で父性意識の強い地域ほど、オカマ系タレントをよく輩出しているのではないかという仮説を前から持っています。日本の地域で具体的にそれはどこかというと北海道と九州で、両方とも「男は黙ってサッポロビール」みたいに口数少なく亭主関白であるほうがいいという文化が強い地域です。
それで早速、この二つの地域出身のオカマタレントを調べてみたので下記に列記します。
・KABAちゃん(福岡)
・IKKO(福岡)
・IKKO(福岡県)
・美輪明宏(長崎)
・カルーセル麻紀(北海道)
正直に言って、思ってたより少なかったというのが本音でです。それにしても芸能人輩出率が高いだけあって福岡は多いな……。
一体なんで私がこんな仮説を持ったのかというと、かなり昔に笑っていいともで、「○○なのに××」という企画があり、経歴に比してギャップの強い素人を募集する企画がありました。その規格である日、「九州男児なのに××」というテーマで募集があったところ、スタジオに出てきたのは全員オカマで、「こういう企画だったのかよ!」ってタモリも吠えておりました。
この番組を見ている際に思いついたのが先ほども言った通り、「父性意識の強いところほどオカマが生まれるのでは」という概念で、要するに「男はこうであれ!」と強く言い過ぎると逆コース(オネエ)に発展していく可能性もあるのではということです。
考えてみればサブカルチャーにも同じようなネタが数多くある気がします。ヤクザの家でただ一人の男の子だから厳しく育てようとしたところ逆にオカマになるとか(「ストップ!!ひばり君」)、資産家の家に生まれた娘をレディにしようと教育したらお転婆になっちゃったっていう展開は少女漫画では鉄板です。まぁ「ベルサイユの薔薇」ではオスカルは初めから男として育てられて見事に期待に応えたけどさ。
実際にあるかどうかわからないしあくまで仮説であることに変わりはありませんが、教育において一方向の方針を指し示すと、その方向に成長する(順コース)一方で逆方向にも成長する(逆コース)要素があるんじゃないかという気がします。それこそたとえば勉強を強制させすぎたら逆に大嫌いになったり、警官の家なのに息子はグレてたりとか。
じゃあどんな風に教育すればいいのかですが、そこらへんは教育専門家に聞いてと投げたいところですが敢えて私の口から言わせてもらうと、「北風と太陽」じゃないですけど直接的にではなく間接的に方向を指し示すくらいがベターじゃないかという気がします。たとえばなってもらいたい人物像に近い偉人の伝記をさりげなく読ませるなどという方法がありますが、タレントの中川翔子氏のお父さんは幼児だったしょこたんにいきなり楳図かずおの漫画を読ませたらしく、実際に娘がそっち方向に行ったことを考えるとやっぱ効果あるんじゃないかな。
それでは本題に入りますが、まず個人的な意見ですが「男とはこうあるべき!」っていう具合で父性意識の強い地域ほど、オカマ系タレントをよく輩出しているのではないかという仮説を前から持っています。日本の地域で具体的にそれはどこかというと北海道と九州で、両方とも「男は黙ってサッポロビール」みたいに口数少なく亭主関白であるほうがいいという文化が強い地域です。
それで早速、この二つの地域出身のオカマタレントを調べてみたので下記に列記します。
・KABAちゃん(福岡)
・IKKO(福岡)
・IKKO(福岡県)
・美輪明宏(長崎)
・カルーセル麻紀(北海道)
正直に言って、思ってたより少なかったというのが本音でです。それにしても芸能人輩出率が高いだけあって福岡は多いな……。
一体なんで私がこんな仮説を持ったのかというと、かなり昔に笑っていいともで、「○○なのに××」という企画があり、経歴に比してギャップの強い素人を募集する企画がありました。その規格である日、「九州男児なのに××」というテーマで募集があったところ、スタジオに出てきたのは全員オカマで、「こういう企画だったのかよ!」ってタモリも吠えておりました。
この番組を見ている際に思いついたのが先ほども言った通り、「父性意識の強いところほどオカマが生まれるのでは」という概念で、要するに「男はこうであれ!」と強く言い過ぎると逆コース(オネエ)に発展していく可能性もあるのではということです。
考えてみればサブカルチャーにも同じようなネタが数多くある気がします。ヤクザの家でただ一人の男の子だから厳しく育てようとしたところ逆にオカマになるとか(「ストップ!!ひばり君」)、資産家の家に生まれた娘をレディにしようと教育したらお転婆になっちゃったっていう展開は少女漫画では鉄板です。まぁ「ベルサイユの薔薇」ではオスカルは初めから男として育てられて見事に期待に応えたけどさ。
実際にあるかどうかわからないしあくまで仮説であることに変わりはありませんが、教育において一方向の方針を指し示すと、その方向に成長する(順コース)一方で逆方向にも成長する(逆コース)要素があるんじゃないかという気がします。それこそたとえば勉強を強制させすぎたら逆に大嫌いになったり、警官の家なのに息子はグレてたりとか。
じゃあどんな風に教育すればいいのかですが、そこらへんは教育専門家に聞いてと投げたいところですが敢えて私の口から言わせてもらうと、「北風と太陽」じゃないですけど直接的にではなく間接的に方向を指し示すくらいがベターじゃないかという気がします。たとえばなってもらいたい人物像に近い偉人の伝記をさりげなく読ませるなどという方法がありますが、タレントの中川翔子氏のお父さんは幼児だったしょこたんにいきなり楳図かずおの漫画を読ませたらしく、実際に娘がそっち方向に行ったことを考えるとやっぱ効果あるんじゃないかな。
2013年10月8日火曜日
日本の建築法に対する個人的な意見
日本に帰ってきてからこのテーマで書こう書こうと何度も思っていましたが、何故だか今日になってようやく書くことに至りました。我ながら珍しいなこれほど期間を作るというのも。
いきなりですが、日本に帰国して生活してみて疑問に思ったこととして、なんで日本の建物はこんな小さく中途半端な大きさが多いんだろうっていう事でした。そりゃ国土だけだったら馬鹿みたいに広い中国なんかと比較するのもいろいろと問題ですが、建物の構造や立地に関しても素人の目から見ておかしいのではと思うので、今日はそう言った私個人の疑問点についてあれこれ書きます。
まず先ほども書いたように、日本の建物は少なくとも中国の建物と比べて非常に小さいです。たとえばビルの高さ一つとっても横浜ランドマークタワーを見て真面目に「ちっちゃ!Σ(゚Д゚;)」といったこともありますが、上海の高層ビルなどと比べると日本のビルは広さ的にも高さ的にも著しくショートサイズです。
もちろん地震大国日本という背景があることから中国みたいにバカスカ高層ビルを作れない事情があるとは思うのですが、それにしても腑に落ちないのは高層ビルの構造面、広さです。私の目から見て日本のビルはやけに細長いものが多く、しかも隣接するビルとの空間が人間が入り込むことが出来ないほど狭いという立地が多いです。こういってはなんですが、そんな狭い空間しか開けずに同じようなビルつくるんだったら、土地を共同管理して一つの幅の広いビルつくればよかったんじゃないのという気がします。
何故そんなようなビルが日本に多いかですが、どうも調べてみると建物の容積率や高さが厳しく制限されているからだそうです。高さはともかく容積率というのはわからない人もいるかと思うので少し説明すると、要するにその土地に対して延べ床面積で広い建物を作っていいかという基準で、たとえば100平方メートルの土地の容積率が200%である場合、その土地には延べ床面積が200平方メートルまでの建物が建てられるわけで、仮に4階建てのビルを作るとしたら1階当たり平均50平方メートル(50×4=200)のビルであればギリギリ建てられるという計算です。
この容積率は周辺環境などによって変わるのですが、日本だとこれが厳しく制限されているために土地の広さに比して小さい建物ばかり出来上がってしまうというわけです。しかも高さ制限もあるせいでその土地目一杯に建ててしまうため、先ほどの様に空余地の少ないビルの谷間が生まれることになる、というのが私の解釈です。
余計なお世話かもしれませんが日本の建物はもう少し空余地を設けた方が火事の延焼は防げますし、風も通って都市環境もよくなるんじゃないかという気がします。そのためにも容積率を緩和して高くて多くのテナントが入る建物が作れるようにすればっていうのが私の個人的な意見です。
しかし容積率を高めれば地震など災害に対して弱くなるのでは、という意見もあると思いますし、まさにその通りだと私も思います。にもかかわらずなんでこんな意見を書くのかというと、現時点で日本の耐震基準は異常過ぎるほど高いという話も聞くからです。
たとえば先の東日本大震災。津波での被害が大きかったものの、都内も長く、大きく揺れたものの大きな建物の損壊はそれほど報告されておりません。また阪神大震災でも被害の中心は手抜き工事がされていた物件や、耐震基準が作られる以前の古い家屋などでした。更に言えば、既に耐震対策が施されていたのかもしれませんが一時期騒がれた耐震基準未満のマンション群も、東日本大震災によって倒壊したという話は聞きません。
防災に対して念には念を入れることは重要です。しかし日本の耐震基準は異常過ぎるほどに高いがゆえに費用も高く、基準未満の建物もその費用の高さから建て替えがなされないという話を聞きます。現時点でもかなり巨大な地震に耐えれることは証明されているのだし、もう少し効率を優先して敷地面積が広く、まとめて入る大きなビルが日本でも増えればと個人的に思います。
おまけ
桃缶買ってきたのに缶切りないの忘れてました。(・ω・)シット
いきなりですが、日本に帰国して生活してみて疑問に思ったこととして、なんで日本の建物はこんな小さく中途半端な大きさが多いんだろうっていう事でした。そりゃ国土だけだったら馬鹿みたいに広い中国なんかと比較するのもいろいろと問題ですが、建物の構造や立地に関しても素人の目から見ておかしいのではと思うので、今日はそう言った私個人の疑問点についてあれこれ書きます。
まず先ほども書いたように、日本の建物は少なくとも中国の建物と比べて非常に小さいです。たとえばビルの高さ一つとっても横浜ランドマークタワーを見て真面目に「ちっちゃ!Σ(゚Д゚;)」といったこともありますが、上海の高層ビルなどと比べると日本のビルは広さ的にも高さ的にも著しくショートサイズです。
もちろん地震大国日本という背景があることから中国みたいにバカスカ高層ビルを作れない事情があるとは思うのですが、それにしても腑に落ちないのは高層ビルの構造面、広さです。私の目から見て日本のビルはやけに細長いものが多く、しかも隣接するビルとの空間が人間が入り込むことが出来ないほど狭いという立地が多いです。こういってはなんですが、そんな狭い空間しか開けずに同じようなビルつくるんだったら、土地を共同管理して一つの幅の広いビルつくればよかったんじゃないのという気がします。
何故そんなようなビルが日本に多いかですが、どうも調べてみると建物の容積率や高さが厳しく制限されているからだそうです。高さはともかく容積率というのはわからない人もいるかと思うので少し説明すると、要するにその土地に対して延べ床面積で広い建物を作っていいかという基準で、たとえば100平方メートルの土地の容積率が200%である場合、その土地には延べ床面積が200平方メートルまでの建物が建てられるわけで、仮に4階建てのビルを作るとしたら1階当たり平均50平方メートル(50×4=200)のビルであればギリギリ建てられるという計算です。
この容積率は周辺環境などによって変わるのですが、日本だとこれが厳しく制限されているために土地の広さに比して小さい建物ばかり出来上がってしまうというわけです。しかも高さ制限もあるせいでその土地目一杯に建ててしまうため、先ほどの様に空余地の少ないビルの谷間が生まれることになる、というのが私の解釈です。
余計なお世話かもしれませんが日本の建物はもう少し空余地を設けた方が火事の延焼は防げますし、風も通って都市環境もよくなるんじゃないかという気がします。そのためにも容積率を緩和して高くて多くのテナントが入る建物が作れるようにすればっていうのが私の個人的な意見です。
しかし容積率を高めれば地震など災害に対して弱くなるのでは、という意見もあると思いますし、まさにその通りだと私も思います。にもかかわらずなんでこんな意見を書くのかというと、現時点で日本の耐震基準は異常過ぎるほど高いという話も聞くからです。
たとえば先の東日本大震災。津波での被害が大きかったものの、都内も長く、大きく揺れたものの大きな建物の損壊はそれほど報告されておりません。また阪神大震災でも被害の中心は手抜き工事がされていた物件や、耐震基準が作られる以前の古い家屋などでした。更に言えば、既に耐震対策が施されていたのかもしれませんが一時期騒がれた耐震基準未満のマンション群も、東日本大震災によって倒壊したという話は聞きません。
防災に対して念には念を入れることは重要です。しかし日本の耐震基準は異常過ぎるほどに高いがゆえに費用も高く、基準未満の建物もその費用の高さから建て替えがなされないという話を聞きます。現時点でもかなり巨大な地震に耐えれることは証明されているのだし、もう少し効率を優先して敷地面積が広く、まとめて入る大きなビルが日本でも増えればと個人的に思います。
おまけ
桃缶買ってきたのに缶切りないの忘れてました。(・ω・)シット
2013年10月6日日曜日
韓国の近現代史~その二十七、まとめ
唐突ですが、今回を以って長く続いたこの韓国の近現代史に関する連載をいったん終了させようかと思います。前回ではいろいろとダメダメだった盧武鉉政権について書きましたが、次の李明博政権だとまだ評価も定まっていないし、別枠で資料読み込んで書いた方がいいと思うのでそろそろ切りがいいのではと思うに至りました。そこで最終回(また続き書くかもしれないけど)の今回は、これまで折ってきた韓国の近現代史をみて私が感じたことをありのままに書こうかと思いおます。
まず最初に言いたいことは、これは連載を始める前からも意識しておりましたが韓国人と日本人の絶対的な意識の違いです。これは文化とかそういうのではなく政治弾圧に絡む民主主義意識、ひいては政治意識に対するもので、この辺のギャップが両国間で誤解を生む要因の一つになっているように思います。
率直に言って韓国人の政治意識は非常に高いと言わざるを得ません。というのも盧泰愚政権までの韓国は実質的な軍事政権下にあり、自由な政治活動はおろか夜間の外出までも厳しく制限されておりました。そして選挙においては政権側の猛烈な弾圧があり、自由主義者の暗殺はおろかデモ隊への発砲すらも日常茶飯事だったこともありました。そんな時期がわずか30年くらい前、つまり1980年代まで韓国は続いております。
それに対して日本はというと、そのような強烈な政治弾圧は二次大戦の時期までで終戦後はあくまで一応は自由な政治活動が許されてます。この間、1945年からだから約70年で、韓国とは40年くらいのギャップがあります。言ってしまえば、韓国の人はまだ自由を求めて政治闘争をした熱が冷めておらず、それ故に国民全体でまつりごとに対して熱くなりやすいのではないかという気がします。それに対して日本はどこか冷めているという態度を持つのでこの辺の感覚が互いに理解しきれていないのではないかというのが私の意見なのですが、長期的には韓国も今後は冷めてくるように思えるので、徐々にこのギャップは埋まるのではないかという楽観的な見方を立ててます。
同じく政治に関する意見ですが、やはりこうして韓国の近現代史を追ってみると朴正煕の影響力が未だに強いというか、韓国におけるすべての政治軸になっているのではないかと思います。言うなれば韓国の政治史というのはある時期を境に「朴正煕的」か「非朴正煕的」の二者択一になっており、未だに朴正煕を超えるグランドデザインを示す政治家が出ていないのではないかと思います。
もうちょっと解説すると朴正煕的なものは親米反北朝鮮、そして国家主導の経済運営であり、反朴正煕的なものはこれらと真逆な方向軸です。もっとも日本もあれこれ言う人がいますが、突き詰めれば親米か反米かで全部峻別できてしまうのですが、国家の具体像に関しては「東洋の経済大国」から脱して「モノづくり大国」、「ポップカルチャーの国」、「反中国」などとそこそこ幅広くなってきた気がします。
一方、韓国ですが、単に私が不勉強なだけかもしれませんが朴正煕の頃からまだ動いていないというか、「日本の経済に追いつけ」、「米国とは微妙な距離感」、「北朝鮮とは戦争にならないように」で未だにずっと続いている気がします。先程にも書いたように、韓国をどんな国にするのかそういうグランドイメージを作れる政治家が致命的なまでに不足しているのではないかという気がしてなりません。
最後にもう一点だけ付け加えますが、韓国は恐らく日本よりも民主主義が浸透している国だという気がします。ただ民主主義というのは完全無欠のシステムではなくほかの独裁制や王制に比べてマシだからみんな使うだけのシステムにほかなりません。そのため民主主義が浸透し過ぎているが故の弊害もあり、言ってしまうと盧武鉉政権なんかその典型でしょう。
今現在は朴槿恵政権ですが、正直に言って私は彼女の言動などを見ていると資質的にいかがなものかとよく思います。特に存命時の金正日と直接会って会談した事実などは看過できない失点のように思え、それでも大統領になれる韓国の民主主義は立派なものだと思うのと同時に、先行きに一抹の不安を覚える次第です。
まず最初に言いたいことは、これは連載を始める前からも意識しておりましたが韓国人と日本人の絶対的な意識の違いです。これは文化とかそういうのではなく政治弾圧に絡む民主主義意識、ひいては政治意識に対するもので、この辺のギャップが両国間で誤解を生む要因の一つになっているように思います。
率直に言って韓国人の政治意識は非常に高いと言わざるを得ません。というのも盧泰愚政権までの韓国は実質的な軍事政権下にあり、自由な政治活動はおろか夜間の外出までも厳しく制限されておりました。そして選挙においては政権側の猛烈な弾圧があり、自由主義者の暗殺はおろかデモ隊への発砲すらも日常茶飯事だったこともありました。そんな時期がわずか30年くらい前、つまり1980年代まで韓国は続いております。
それに対して日本はというと、そのような強烈な政治弾圧は二次大戦の時期までで終戦後はあくまで一応は自由な政治活動が許されてます。この間、1945年からだから約70年で、韓国とは40年くらいのギャップがあります。言ってしまえば、韓国の人はまだ自由を求めて政治闘争をした熱が冷めておらず、それ故に国民全体でまつりごとに対して熱くなりやすいのではないかという気がします。それに対して日本はどこか冷めているという態度を持つのでこの辺の感覚が互いに理解しきれていないのではないかというのが私の意見なのですが、長期的には韓国も今後は冷めてくるように思えるので、徐々にこのギャップは埋まるのではないかという楽観的な見方を立ててます。
同じく政治に関する意見ですが、やはりこうして韓国の近現代史を追ってみると朴正煕の影響力が未だに強いというか、韓国におけるすべての政治軸になっているのではないかと思います。言うなれば韓国の政治史というのはある時期を境に「朴正煕的」か「非朴正煕的」の二者択一になっており、未だに朴正煕を超えるグランドデザインを示す政治家が出ていないのではないかと思います。
もうちょっと解説すると朴正煕的なものは親米反北朝鮮、そして国家主導の経済運営であり、反朴正煕的なものはこれらと真逆な方向軸です。もっとも日本もあれこれ言う人がいますが、突き詰めれば親米か反米かで全部峻別できてしまうのですが、国家の具体像に関しては「東洋の経済大国」から脱して「モノづくり大国」、「ポップカルチャーの国」、「反中国」などとそこそこ幅広くなってきた気がします。
一方、韓国ですが、単に私が不勉強なだけかもしれませんが朴正煕の頃からまだ動いていないというか、「日本の経済に追いつけ」、「米国とは微妙な距離感」、「北朝鮮とは戦争にならないように」で未だにずっと続いている気がします。先程にも書いたように、韓国をどんな国にするのかそういうグランドイメージを作れる政治家が致命的なまでに不足しているのではないかという気がしてなりません。
最後にもう一点だけ付け加えますが、韓国は恐らく日本よりも民主主義が浸透している国だという気がします。ただ民主主義というのは完全無欠のシステムではなくほかの独裁制や王制に比べてマシだからみんな使うだけのシステムにほかなりません。そのため民主主義が浸透し過ぎているが故の弊害もあり、言ってしまうと盧武鉉政権なんかその典型でしょう。
今現在は朴槿恵政権ですが、正直に言って私は彼女の言動などを見ていると資質的にいかがなものかとよく思います。特に存命時の金正日と直接会って会談した事実などは看過できない失点のように思え、それでも大統領になれる韓国の民主主義は立派なものだと思うのと同時に、先行きに一抹の不安を覚える次第です。
韓国の近現代史~その二十六、盧武鉉政権
今回は珍しく間の短いこの連載の更新。そろそろラッシュかけて終わらせないといけないし。
さて前回ではネットを発端に妙な人気が出たことから棚ぼた的に盧武鉉が大統領に就任したところまで紹介しましたが、今日はそんな盧武鉉政権期(2003年~2008年)についてあれこれ書いてこうと思います。この時期は時代的にも非常に近くよく覚えている方もいらっしゃるかと思いますが、「あんなこともあったね」と思いだすような感じで呼んでくれればいいと思います。それにしても、次の李明博政権よりも盧武鉉政権の話のが印象強いから記憶にも良く残っている気がするな。
まず盧武鉉政権に対する現代の評価ですが、国内、国外を問わず非常に低いということは間違いないでしょう。これほどまでに悪い評価で一致している国家元首も珍しいんじゃないかな。
なんでそんなに評価が悪いのかというと言ってしまえば内政、外交ともに混乱を招いたからです。国内ではそれ以前からも進んでいたものの新自由主義へとさらに舵を切って貧富の格差を大きく増大させ、国外では日本はもとより米国とも関係を大きく悪化させた上に中国とも微妙な距離を作ってます。今思えばですが、日韓の国民感情が決定的に悪くなったのはこの時期を境にしているんじゃないかとすら思えます。
もう本当にどこから書いていいものかといろいろ疲れてくるのですが、まず就任当初に関しては非常に高い支持率からスタートしました。その要因というのも既に書いているようにネット上でなんか人気に火がついたということもありますがそれともう一つ、盧武鉉が反米路線を強く打ち出していたからです。前回の記事でも書きましたが大統領選の最中に在韓米軍が韓国の女子中学生を戦車で轢き殺す事件が発生しており、韓国国内では反米感情が非常に高まっておりました。
その最中で盧武鉉はいち早くというか、米国に対して強い態度で臨むと言うなど反米路線を明確にだし、勢い余ってというかそれもキャラなのか、「(自分が)反米主義でなにか問題でも?」というような発言をしたそうです。こうした路線は韓国国内では非常に高く評価されたのですが、当の米国としてはもちろん面白くありません。
その結果というべきか、盧武鉉が大統領に就任して対米外交を始めようとするも米国からはにべない態度を取られ続け、当時のブッシュ米大統領の態度も非常に冷たかったらしいです。もちろん韓国政府にとって米国との外交関係は北朝鮮関係も絡んで非常に重要なだけになんとか関係の修復を図らなければならなければならず、その結果というかイラクに韓国軍を派遣することを盧武鉉もあっさり認めちゃいます。
その結果というべきか、あれだけ反米を主張していたのにすぐに折れちゃったもんだから韓国国内からは非難轟々。弱腰外交だなどと批判され支持率も見事に急落します。一方、そうやって国内の支持を犠牲にしてでも取り持った米国との関係ですが、その後北朝鮮に対して擁護し、融和政策を採り続けたことによってタカ派のブッシュ政権は気を悪くし、政権末期まであまりいい状態を保つことはできませんでした。
対日関係についてもまぁ大体似たようなもので、それまでの韓国大統領は国内での支持獲得のため国内向けに反日を主張することはあっても海外向けの情報発信では日本批判をまだ抑えていましたが、これが盧武鉉政権となると全く配慮がなくなります。むしろ海外記者向けの記者会見などで竹島問題、靖国問題でかなり激しく日本批判を行っており、そうした様子を見る日本人もあまりいい感情を持たなかった気がします。
そのように一応の同盟国との関係は冷やすだけ冷やした一方、敵国であるはずの北朝鮮に対しては今の私から見ても異常なほどに擁護する姿勢を保ち続けました。前任の金大中政権の頃から韓国では太陽政策と言って北朝鮮に対して融和的な態度を取る外交方針を取っておりましたが盧武鉉政権時にはこれがさらに強化され、北朝鮮がミサイルを発射しようが、核実験実施を発表しようが6ヶ国協議などでは一貫して擁護する発言を行い、食料支援などもずっと実施し続けました。しかしこれらの政策は現代の北朝鮮を見るに効果を上げていたとは言えず、いいように使われていただけとしか言えないと私は思います。
これら盧武鉉政権期の外交を見る限りだと、どうも盧武鉉は自分に正直というか、政治家に必要な本音と建前を分けることが出来ない人間だったのではないかと私は見ています。自分が嫌いな米国や日本に対してはそのまんま嫌いだと言ってのけて、逆に親近感を持つ北朝鮮に対しては利益度外視で援助し続けるといった具合で、国家的利益よりも自身の主義概念を悪い意味で貫いく人物だったように思えてなりません。
内政においては就任当初から議会では野党が多数派というねじれ国会であったこともあり、任期中に一度、議会で大統領職の弾劾請求通過して一時的に辞職するなど同情すべき状況は見られます。しかし5年の政権期間中に野党対策で打開策を一切見いだせず、また首都をソウルから移転するという計画を発表したものの反対を受けて中止するなどといったところから見るとやはり批判点が多く、特に政権後半では主要閣僚の人事が二転三転するなど完全なレームダックに入っていることからも一国のリーダーとしては向いてなかったのでしょう。終いには金泳三元大統領からも、「(盧武鉉を)政治家にしてしまったのは間違いだった」とまで言われてしまうし。
なんか悪口ばっかり書いててだんだん自分も申し訳なくなって来るほどなのですが、韓国国内では一時期、何か悪いことがあると「盧武鉉は何かしたのか?」といってなんでもかんでも彼のせいにする言葉遊び、「盧武鉉遊び」というのが流行したほど不人気だったので、大きく間違った分析じゃないんじゃないかと思います。
ただこう書いていてなんとなくダブるというか、同じようなのがちょうど日本にもいたよなぁってつくづく思います。言うまでもないでしょうがそれは鳩山由紀夫元首相で、盧武鉉政権が5年も続いたのに対してまだこっちは1年で済んだからマシだったのかもと前向きに考えたいものです。
さて前回ではネットを発端に妙な人気が出たことから棚ぼた的に盧武鉉が大統領に就任したところまで紹介しましたが、今日はそんな盧武鉉政権期(2003年~2008年)についてあれこれ書いてこうと思います。この時期は時代的にも非常に近くよく覚えている方もいらっしゃるかと思いますが、「あんなこともあったね」と思いだすような感じで呼んでくれればいいと思います。それにしても、次の李明博政権よりも盧武鉉政権の話のが印象強いから記憶にも良く残っている気がするな。
まず盧武鉉政権に対する現代の評価ですが、国内、国外を問わず非常に低いということは間違いないでしょう。これほどまでに悪い評価で一致している国家元首も珍しいんじゃないかな。
なんでそんなに評価が悪いのかというと言ってしまえば内政、外交ともに混乱を招いたからです。国内ではそれ以前からも進んでいたものの新自由主義へとさらに舵を切って貧富の格差を大きく増大させ、国外では日本はもとより米国とも関係を大きく悪化させた上に中国とも微妙な距離を作ってます。今思えばですが、日韓の国民感情が決定的に悪くなったのはこの時期を境にしているんじゃないかとすら思えます。
もう本当にどこから書いていいものかといろいろ疲れてくるのですが、まず就任当初に関しては非常に高い支持率からスタートしました。その要因というのも既に書いているようにネット上でなんか人気に火がついたということもありますがそれともう一つ、盧武鉉が反米路線を強く打ち出していたからです。前回の記事でも書きましたが大統領選の最中に在韓米軍が韓国の女子中学生を戦車で轢き殺す事件が発生しており、韓国国内では反米感情が非常に高まっておりました。
その最中で盧武鉉はいち早くというか、米国に対して強い態度で臨むと言うなど反米路線を明確にだし、勢い余ってというかそれもキャラなのか、「(自分が)反米主義でなにか問題でも?」というような発言をしたそうです。こうした路線は韓国国内では非常に高く評価されたのですが、当の米国としてはもちろん面白くありません。
その結果というべきか、盧武鉉が大統領に就任して対米外交を始めようとするも米国からはにべない態度を取られ続け、当時のブッシュ米大統領の態度も非常に冷たかったらしいです。もちろん韓国政府にとって米国との外交関係は北朝鮮関係も絡んで非常に重要なだけになんとか関係の修復を図らなければならなければならず、その結果というかイラクに韓国軍を派遣することを盧武鉉もあっさり認めちゃいます。
その結果というべきか、あれだけ反米を主張していたのにすぐに折れちゃったもんだから韓国国内からは非難轟々。弱腰外交だなどと批判され支持率も見事に急落します。一方、そうやって国内の支持を犠牲にしてでも取り持った米国との関係ですが、その後北朝鮮に対して擁護し、融和政策を採り続けたことによってタカ派のブッシュ政権は気を悪くし、政権末期まであまりいい状態を保つことはできませんでした。
対日関係についてもまぁ大体似たようなもので、それまでの韓国大統領は国内での支持獲得のため国内向けに反日を主張することはあっても海外向けの情報発信では日本批判をまだ抑えていましたが、これが盧武鉉政権となると全く配慮がなくなります。むしろ海外記者向けの記者会見などで竹島問題、靖国問題でかなり激しく日本批判を行っており、そうした様子を見る日本人もあまりいい感情を持たなかった気がします。
そのように一応の同盟国との関係は冷やすだけ冷やした一方、敵国であるはずの北朝鮮に対しては今の私から見ても異常なほどに擁護する姿勢を保ち続けました。前任の金大中政権の頃から韓国では太陽政策と言って北朝鮮に対して融和的な態度を取る外交方針を取っておりましたが盧武鉉政権時にはこれがさらに強化され、北朝鮮がミサイルを発射しようが、核実験実施を発表しようが6ヶ国協議などでは一貫して擁護する発言を行い、食料支援などもずっと実施し続けました。しかしこれらの政策は現代の北朝鮮を見るに効果を上げていたとは言えず、いいように使われていただけとしか言えないと私は思います。
これら盧武鉉政権期の外交を見る限りだと、どうも盧武鉉は自分に正直というか、政治家に必要な本音と建前を分けることが出来ない人間だったのではないかと私は見ています。自分が嫌いな米国や日本に対してはそのまんま嫌いだと言ってのけて、逆に親近感を持つ北朝鮮に対しては利益度外視で援助し続けるといった具合で、国家的利益よりも自身の主義概念を悪い意味で貫いく人物だったように思えてなりません。
内政においては就任当初から議会では野党が多数派というねじれ国会であったこともあり、任期中に一度、議会で大統領職の弾劾請求通過して一時的に辞職するなど同情すべき状況は見られます。しかし5年の政権期間中に野党対策で打開策を一切見いだせず、また首都をソウルから移転するという計画を発表したものの反対を受けて中止するなどといったところから見るとやはり批判点が多く、特に政権後半では主要閣僚の人事が二転三転するなど完全なレームダックに入っていることからも一国のリーダーとしては向いてなかったのでしょう。終いには金泳三元大統領からも、「(盧武鉉を)政治家にしてしまったのは間違いだった」とまで言われてしまうし。
なんか悪口ばっかり書いててだんだん自分も申し訳なくなって来るほどなのですが、韓国国内では一時期、何か悪いことがあると「盧武鉉は何かしたのか?」といってなんでもかんでも彼のせいにする言葉遊び、「盧武鉉遊び」というのが流行したほど不人気だったので、大きく間違った分析じゃないんじゃないかと思います。
ただこう書いていてなんとなくダブるというか、同じようなのがちょうど日本にもいたよなぁってつくづく思います。言うまでもないでしょうがそれは鳩山由紀夫元首相で、盧武鉉政権が5年も続いたのに対してまだこっちは1年で済んだからマシだったのかもと前向きに考えたいものです。
2013年10月4日金曜日
社会を変える人間とは
このところあんまりおもしろい記事を書いてる実感がないので(特に昨日)、今日はちょっとこじゃれた記事というか自分の文章力を限界まで活かして何か書いてみようかと思います。
お題には「社会を変える人間とは」という風にやけにかっこいい見出しにしましたがこの問いの答えというのは実に単純明快で、「社会に対して不満を持つ人間」にほかなりません。一体何故社会に不満を持つことがその社会を変えることにつながるのかというとこれまた単純で、不満に感じる制度、慣習、風習を変えようと意思を持つからです。実行するか、実現出来るかは別として。
そもそも、これまでに世の中を変えてきた偉人というのは大抵が大勢に刃向う反逆者、言うなればテロリストたちでした。シンガポールの初代首相を務めたリー・クアンユーはかつて9.11について意見を求められた際、「革命家とテロリストの線引きは難しい」といった旨の発言をしましたが、この意味は反逆が成功すれば革命者として崇められ、失敗すればテロを行った犯罪者として裁かれるという現実について述べたと解釈されており、私自身もまさにその通りだと思います。
いうまでもなく誰かにとっての正義は別の誰かにとっては悪であり、勝利した側が後に正義だと評されます。そのように考えると現状の体制を維持しようとする保守的な人間は普通に考えるなら今の社会に満足しているのに対し、革新派というのは今の社会が気に入らない、不満を感じるからこそ変えようとするので革新派だと呼ばれ、実際に社会を変えるとしたら後者の側なのでしょう。もっとも、社会に不満を持つ層が変えようとする世界が大多数にとって幸福な社会かどうかについてはわかりかねますが。
改めてこの考えを援用してみると、またちょっと違った視点が持てるように思えます。たとえば社会を会社に変えてみると、会社に不満を持つ社員こそがその会社を変える可能性を秘めているわけで、悪い循環に陥っている場合なんかには面白い概念じゃないかと思います。同じようにまた社会という言葉を業界に置き換えると、既存の業界団体に反発する会社や経営者こそが刷新する可能性を持っているわけです。中内功なんかこの類だったかもしれませんね。
ここで話題を少し変えますが、私のある友人は「攻殻機動隊」というアニメの冒頭に使われた、「(テロリストに対し)世の中に不満があるなら自分を変えろ、それが出来ないなら目と耳を塞ぎ静かに暮らせ」っていう内容のセリフを非常に気に入っており、事ある毎に引用するのですが、その度に私は、「俺は黙っちゃいないぜ」と、何吹いてやがるんだこいつと言いたくなるようなセリフをいつも言い返しています。
この私の発言の意は説明するまでもないでしょうが、何が何でも体制に属さず、また実際の行動を伴うような反抗をし続けるという宣言においてほかなりません。親しい友人にはよく伝えていますが、実際に社会を変える力があるかどうかは別として、私自身は確実にかつ常に社会に対して不満を持ち、極端な言い方をすればテロリスト的な価値観の強い人間だと自己評価しております。
ただそうやって「反逆宣言」をする一方で、自分が望む世界が果たしてほかの人にとっても幸福になりうる社会となるのかについては常に疑問を持っており、決して理由なく反逆をしてはならないと自重は心がけています。それでも言い訳をすると、周りからもはっきり言われていますが自分はやや時代に恵まれなかったきらいがあり、体制側に属そうと思っても逆にはじかれる傾向があるため、反抗し続けなければ単純に生存することすら難しいのではないかと思っています。要するに、自分の反抗は正当防衛だって主張したいわけです。
またここで話題を変えますが、大学などでの高等教育というのは国家体制を維持する人材を生む一方でその体制を壊そうとする人材も育成する傾向があります。古くは中国の科挙で、これは本試験の落第生が大抵反乱起こしてるためで、このほかにも学生運動などで今私も連載している韓国では軍事政権が白旗挙げる事態になっております。
では日本の大学ではどうか。やっぱり一番大きいのは東大で、国家の官僚を製造する一方でいろいろと国家体制にとって厄介な人材もたくさん作っています。まぁこの辺は最高学府の宿命といったところでしょうが。
ただ東大以外にも敢えて挙げるとしたら、ちょうど今大河ドラマ「八重の桜」に出てくる京都の同志社大学も負けてない、というかここは反逆者ばっか作ってる大学な気がします。というのも以前に同じようなテーマで記事を書いた後に大学の後輩から、「やっぱ同志社は密航してまでアメリカへと渡った新島襄が作った大学で、大物政治家が作った早稲田や国(幕府)が派遣した留学生が作った慶応とは違い、反逆してなんぼっていう校風がありますよね」っていう感想をもらいました。でもって私もまさにその通りだと思いました。
実際に同志社の校風は「ルールは破るためにある」といっても過言ではなく、頑張っていい風に解釈するなら、「それが世の中にとっていい方向に向かわせるのであれば、常識概念や法律すら破ってでも実行する」と言えるかと思います、多分。自分も昔っから何かと反抗的な人間ではありましたが、成人後はやっぱこういう校風に影響されてきたなとこのところよく感じます。
おまけ
名古屋に左遷されている関学出身のうちの親父が先日、「なんでNHKは同志社ばっか贔屓にすんのや、不公平や!」と、不平を言ってました。
お題には「社会を変える人間とは」という風にやけにかっこいい見出しにしましたがこの問いの答えというのは実に単純明快で、「社会に対して不満を持つ人間」にほかなりません。一体何故社会に不満を持つことがその社会を変えることにつながるのかというとこれまた単純で、不満に感じる制度、慣習、風習を変えようと意思を持つからです。実行するか、実現出来るかは別として。
そもそも、これまでに世の中を変えてきた偉人というのは大抵が大勢に刃向う反逆者、言うなればテロリストたちでした。シンガポールの初代首相を務めたリー・クアンユーはかつて9.11について意見を求められた際、「革命家とテロリストの線引きは難しい」といった旨の発言をしましたが、この意味は反逆が成功すれば革命者として崇められ、失敗すればテロを行った犯罪者として裁かれるという現実について述べたと解釈されており、私自身もまさにその通りだと思います。
いうまでもなく誰かにとっての正義は別の誰かにとっては悪であり、勝利した側が後に正義だと評されます。そのように考えると現状の体制を維持しようとする保守的な人間は普通に考えるなら今の社会に満足しているのに対し、革新派というのは今の社会が気に入らない、不満を感じるからこそ変えようとするので革新派だと呼ばれ、実際に社会を変えるとしたら後者の側なのでしょう。もっとも、社会に不満を持つ層が変えようとする世界が大多数にとって幸福な社会かどうかについてはわかりかねますが。
改めてこの考えを援用してみると、またちょっと違った視点が持てるように思えます。たとえば社会を会社に変えてみると、会社に不満を持つ社員こそがその会社を変える可能性を秘めているわけで、悪い循環に陥っている場合なんかには面白い概念じゃないかと思います。同じようにまた社会という言葉を業界に置き換えると、既存の業界団体に反発する会社や経営者こそが刷新する可能性を持っているわけです。中内功なんかこの類だったかもしれませんね。
ここで話題を少し変えますが、私のある友人は「攻殻機動隊」というアニメの冒頭に使われた、「(テロリストに対し)世の中に不満があるなら自分を変えろ、それが出来ないなら目と耳を塞ぎ静かに暮らせ」っていう内容のセリフを非常に気に入っており、事ある毎に引用するのですが、その度に私は、「俺は黙っちゃいないぜ」と、何吹いてやがるんだこいつと言いたくなるようなセリフをいつも言い返しています。
この私の発言の意は説明するまでもないでしょうが、何が何でも体制に属さず、また実際の行動を伴うような反抗をし続けるという宣言においてほかなりません。親しい友人にはよく伝えていますが、実際に社会を変える力があるかどうかは別として、私自身は確実にかつ常に社会に対して不満を持ち、極端な言い方をすればテロリスト的な価値観の強い人間だと自己評価しております。
ただそうやって「反逆宣言」をする一方で、自分が望む世界が果たしてほかの人にとっても幸福になりうる社会となるのかについては常に疑問を持っており、決して理由なく反逆をしてはならないと自重は心がけています。それでも言い訳をすると、周りからもはっきり言われていますが自分はやや時代に恵まれなかったきらいがあり、体制側に属そうと思っても逆にはじかれる傾向があるため、反抗し続けなければ単純に生存することすら難しいのではないかと思っています。要するに、自分の反抗は正当防衛だって主張したいわけです。
またここで話題を変えますが、大学などでの高等教育というのは国家体制を維持する人材を生む一方でその体制を壊そうとする人材も育成する傾向があります。古くは中国の科挙で、これは本試験の落第生が大抵反乱起こしてるためで、このほかにも学生運動などで今私も連載している韓国では軍事政権が白旗挙げる事態になっております。
では日本の大学ではどうか。やっぱり一番大きいのは東大で、国家の官僚を製造する一方でいろいろと国家体制にとって厄介な人材もたくさん作っています。まぁこの辺は最高学府の宿命といったところでしょうが。
ただ東大以外にも敢えて挙げるとしたら、ちょうど今大河ドラマ「八重の桜」に出てくる京都の同志社大学も負けてない、というかここは反逆者ばっか作ってる大学な気がします。というのも以前に同じようなテーマで記事を書いた後に大学の後輩から、「やっぱ同志社は密航してまでアメリカへと渡った新島襄が作った大学で、大物政治家が作った早稲田や国(幕府)が派遣した留学生が作った慶応とは違い、反逆してなんぼっていう校風がありますよね」っていう感想をもらいました。でもって私もまさにその通りだと思いました。
実際に同志社の校風は「ルールは破るためにある」といっても過言ではなく、頑張っていい風に解釈するなら、「それが世の中にとっていい方向に向かわせるのであれば、常識概念や法律すら破ってでも実行する」と言えるかと思います、多分。自分も昔っから何かと反抗的な人間ではありましたが、成人後はやっぱこういう校風に影響されてきたなとこのところよく感じます。
おまけ
名古屋に左遷されている関学出身のうちの親父が先日、「なんでNHKは同志社ばっか贔屓にすんのや、不公平や!」と、不平を言ってました。
2013年10月3日木曜日
中国のやけにセクシーな写真特集について
こういう写真を張り付けるのは自分でもどうかなぁって思うけど、あまり知られていない中国の事実を知らせるのにいい写真でもあるので、せっかくだから紹介します。この写真は東方網という中国のニュースポータルサイトで紹介されていたものですが、リンク先の解説によると写真の女性はポーランドの美人で有名な女子サッカー選手とのことで、なんでも愛犬と遊んでいる最中にシャツが脱げたところを誰かが激写して公開したそうです。
ただそれにしてもこの構図だと、あまりにもきわど過ぎて脱げたっていうより脱いだところを撮らせたようにも見えるから売名かもなぁ。貼り付けといて言うのもなんだけど。
そんな私の感想はひとまず置いときますが、中国のポータルサイトにはこの類の、やけにセクシーな写真特集が度々載せられます。もちろん中国がポルノは禁止(風俗産業は黙認)なのでヌード写真がポータルサイトに載ることはまず有り得ませんが、ヌードと行かずともギリギリなセクシーショットは見ているこっちがびっくりするくらいしょっちゅう載せられます。
これなんか聞いている人は驚くかも知れませんが、テレビ局が運営しているニュースサイトの東方網は割と自由な報道姿勢で有名なのですが、人民日報や国営新華社通信のポータルサイトにもこういうセクシーショットは良く載ります、っていうか新華社のが多いようにも思えるくらいです。一体何故だと聞かれても私にもわかりませんが、よく前職では仕事でニュース記事を検索、閲覧する最中にチラって見ては、「中国人もよく飽きないなぁ( ´∀`)」とか思ってました。
2013年10月1日火曜日
自慢できないNexus7(´;ω;`)
先々週辺りからちょこちょこ書いておりますが、WIMAXの契約を結ぶとともにそのキャンペーンでGoogle社が販売している(作っているのはASUS)Nexus7というタブレットPCを手に入れ、そこそこに使用しています。しかしながらこのタブレット、お題にも掲げ散る通りにとにもかくにも自慢できません。今日はちょっとその辺の理由について個人的見解をまとめようと思います。
まず誤解のないように伝えますが、私自身はこのNexus7という端末に対して非常に満足しています。サイズがスマートフォン以上i-Pad(アイパッド)以下ということで片手に持ちやすく、かつ画面も電子書籍などを読むに当たって手ごろなサイズです。ネット通信やデータ処理などの面でも申し分なく、まだタブレットPCを持ったことがない、使ったことがない層に対して初めて使うのにいいのではないかと文句なしにお勧めできます。
にもかかわらずなぜ自慢できないのかというと、単純にデザインが悪いからです。これは先日に友人にも使わせてみて協議したうえでの結論なのですが、アップル社のアイパッドに比べてデザインが極端に悪いです。
具体的にどの辺が問題なのかというと、現行のNexus7は表地は通常のタブレットと同じく液晶画面なのですが、裏地はグレー一色で小さく、目立たなく「Nexus7」と読めるくぼみが彫られています。はっきり言って遠目には見てもわからず、見る人が見ればやけにでかいスマートフォンと勘違いされかねません。しかもそれ以外は全く特徴がないし。
こういってはなんですがもう少し「Google」とかそういうブランド名のロゴを目立つように入れておけばよかったように思えます。アップル社の製品が優れているのはその革新性はもとより白一色で出してくるなどデザイン性にあると私は考えており、もっとそうした面を考慮したデザインであればNexus7も「どや( ゚∀゚)」って感じで私も友人に自慢できたと思います。現行のデザインじゃ他人に見せてもだから何ってデザインだし……。
逆に言えば他のメーカーにも同じことが言えます。このタブレットの世界は機能や性能以前にデザインで決まると言っても過言じゃありません。多少冒険してでもいいから、「あのデザインはあそこのメーカーのものだ」と一目でわかるようなデザインが求められているのではないかと個人的に思います。
まず誤解のないように伝えますが、私自身はこのNexus7という端末に対して非常に満足しています。サイズがスマートフォン以上i-Pad(アイパッド)以下ということで片手に持ちやすく、かつ画面も電子書籍などを読むに当たって手ごろなサイズです。ネット通信やデータ処理などの面でも申し分なく、まだタブレットPCを持ったことがない、使ったことがない層に対して初めて使うのにいいのではないかと文句なしにお勧めできます。
にもかかわらずなぜ自慢できないのかというと、単純にデザインが悪いからです。これは先日に友人にも使わせてみて協議したうえでの結論なのですが、アップル社のアイパッドに比べてデザインが極端に悪いです。
具体的にどの辺が問題なのかというと、現行のNexus7は表地は通常のタブレットと同じく液晶画面なのですが、裏地はグレー一色で小さく、目立たなく「Nexus7」と読めるくぼみが彫られています。はっきり言って遠目には見てもわからず、見る人が見ればやけにでかいスマートフォンと勘違いされかねません。しかもそれ以外は全く特徴がないし。
こういってはなんですがもう少し「Google」とかそういうブランド名のロゴを目立つように入れておけばよかったように思えます。アップル社の製品が優れているのはその革新性はもとより白一色で出してくるなどデザイン性にあると私は考えており、もっとそうした面を考慮したデザインであればNexus7も「どや( ゚∀゚)」って感じで私も友人に自慢できたと思います。現行のデザインじゃ他人に見せてもだから何ってデザインだし……。
逆に言えば他のメーカーにも同じことが言えます。このタブレットの世界は機能や性能以前にデザインで決まると言っても過言じゃありません。多少冒険してでもいいから、「あのデザインはあそこのメーカーのものだ」と一目でわかるようなデザインが求められているのではないかと個人的に思います。