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2021年4月30日金曜日

自我の強弱

 なんか思想っぽいこと書きたいので自我について少し触れます。

 まず大前提として、完全な意味での自我というのは少なくとも人間の思考には存在しはないと私は考えています。突き詰めれば人間の思考はコンピューター同様に、外部刺激に対する反応に過ぎず、経験(=過去データ)があればそれに乗っ取って反応し、なければ試行錯誤的にとりあえず実行可能な行動をとる、または反応をあきらめて何もしないに大別されます。こうした反応行為が極端に出るのはいわゆるエラー状態で、パニック状態とも言い換えられますが突発的な不測自体に合うと人間はかなり単純な行動に走りがちで、こうした点からも独立した自由な思考という定義になる自我というは案外脆いというか基本は過去データの累積でしかないという結論に自分は至っています。

 その自由独立思考の自我に関してですが、こんなこと言う人は少ないですがやはり強い人、弱い人ははっきり分かれる気がします。何を以って強いか弱いかの判断の仕方はいろいろありますが、私に関しては「他社の言動をどれだけ真に受けるか」がこの強弱を測る上での最大のバロメーターであるという風に考えます。
 ひとつ例を挙げると、思春期の女の子なんか好きになった男性のいうことや趣味に迎合しやすい傾向がはっきりと見られ、突然女の子が自動車に詳しくなったら十中八九男の影響だと思っていいでしょう。ただこの手の迎合は所詮は迎合に過ぎず、それ以前のパーソナリティや経験とは関連性が薄いことからその好きになった男と距離感が生まれるとあっさり放棄されることが多いです。まぁ逆パターンで男も女性の趣味に迎合することもありますが。

 こうしたごく単純な迎合を起こさず、尚且つ複雑な思考パターン及び経過を経て特定の趣味なり行動を持つようになると自我が強まっていると言え、言い換えるなら「他者に影響を受けることなく自らのパーソナリティを深めていく」ということが自我を強める、または強い自我を持つに至る過程だと私は考えています。もっとも、本とか読んで変な宗教にハマって迎合するパターンもあるので一概に自我が強いとも言えないですが。

 やや回りくどいい方をしましたが、もっと単純に言い返すと「他者の影響を受けやすく、尚且つ考えや価値観がコロコロ変わりやすい人」のことを私は自我が弱い人だと考えています。逆に影響を受け辛く過去から持ち続けている信念なり価値観が不動な頑固型の人が自我が強いと考えています。
 この両者を比べて、一体何を以って別れるのかがトピックとなりますが、これについてはいくつか要素があります。まず一番大きいのは成功体験で、過去の成功体験が強い人ほど自分のやり方なり価値観に自信を持つので自我が強まる傾向があります。逆を言えば自我が弱い人というのは自信が弱い人が多いとも言い換えられるかもしれません。

 次に、これはあまり主張する人は多くはないと思いますが、過去に決断に迫られた回数が多い人ほどやはり自我が強くなる気がします。具体的に言うと進路や業務選択などがありますが、もっと大きなものだと死にそうな二人のうちとぢらを助けるかとか、復讐に身をささげるか否かなどの大きなライブセレクションなんかを経験している人は、他人の意見を参考にすることはあっても、自分が何故、どうしてその決断を採るのかについて深く考える人が多い気がします。
 そういう意味では教育で「親の言うことを聞いておけばいい」的に親がほとんどすべて指図して育てられた人なんかは自我が弱くなりやすいかもしれません。自我の萌芽は反抗期だと言われますがそういう意味では間違いないものの、そうした反抗期も徹底的に押さえつけられると自我が全く育たなくなるというのも自然な話です。

2021年4月29日木曜日

ゲームのパラサイトイブの思い出

 本題と関係ないけど警察はGW間際に紀州のドンファン元嫁逮捕という最高のエンターテイメントを提供してくれたなという気がしてなりません。っていうかこの事件のせいで、「ドンファン」という名前が「金持ってて愛人に殺される人」というイメージが自分の中で固まりつつあります。


 それで本題ですが、もしスクウェアのエニックスとの合併前で一番好きなゲームを挙げるとしたら、自分は恐らく上記動画の「パラサイトイブ」を挙げると思います。このゲームは1998年に発売されたRPGゲームで単刀直入に何が良かったのかというと、ともかく雰囲気が格別に良かったです。

 ゲーム内容は同名の日本の小説である「パラサイトイブ」から原案だけを引用し、ミトコンドリア絡みのエイリアン的なものと戦うという、ひねりのほとんどない非常に単純な勧善懲悪的なストーリーです。ただひねりは全くないものの、舞台は現代米国のニューヨークで、主人公も金髪スレンダーな女刑事という、当時の他のゲームにはない独特の要素が溢れていました。

 特に現代の米国を舞台にしたRPGゲームというのはかなり面白い試みだった気がします。というのも90年代後期とはいえRPGの舞台といったら中世ファンタジーが未だメインで、FFシリーズで徐々にスチームパンクな世界、そして中途半端なSF世界が徐々に広げられていましたが、現代を舞台にしたRPGゲームはまだほとんどありませんでした。唯一、女神転生シリーズ、そして今もなお売れ続けているペルソナシリーズが現代ジュブナイル世界を舞台にしたRPGとありましたがやはり日本枠で、海外、それも米国を舞台にしたRPGは自分の中ではこのパラサイトイブが最初でした。

 話を戻すと、そうした米国を舞台にやたらセクシーな金髪女性刑事を動かして遊ぶのが面白かったのと、出てくる銃器が現実にあるのを模していて、射程内で敵の攻撃をよけつつ戦うというのがなんか楽しかったです。もっともゲーム性に関しては明らかに同時期にヒットした「バイオハザード」の影響を受けているのが見て取れます。それでも1はまだマシでしたが2になると完全にバイオハザードのゲームシステムを模倣するようになり、敢えて言えば「戦闘中に魔法が使えるバイオハザード」に成り下がってて、熱狂的なファンはいるようですが私は2は好きになれませんでした。ストーリーも後半やたら駆け足だったし。
 また2が好きになれない理由として、これも単純に好みの問題でしょうが、音楽の曲調が大きく変わってしまったということも理由にあります。逆を言えば、1を気に入っているのは音楽が非常に良かったという点もあります。

 パラサイトイブ1の音楽は当時スクウェアにいた下村陽子氏で、未だに自分の中ではイトケンに並ぶ偉大なコンポーザーの一人として認知しています。どういう曲調かというと上の動画でも見てわかる通りかなりハリウッド映画っぽい音楽で、尚且つホラー風味で女性上位なこの作品のイメージにかちりとハマっています。こうした要素が積み重なったのと、当時としては実質最高峰なムービーの質から非常にハマって大好きな作品だったのですが、2は正直期待外れで、その続編の3rd Birth Dayに至っては評価が低いことから遊んでいません。

 なお指摘する人は少ないですが、実質このシリーズの看板娘こと主人公のアヤ・ブレアの顔パーツをよく見ると、FF7の主人公のクラウドと同じであるように見えます。髪の色も同じ金髪で、毛先もツンツン気味だし。デザイナーはノムリッシュことスクウェアの野村氏で共通していますが、クラウドが女装したらきっとアヤのようになるんだろうと自分は考えています。

2021年4月27日火曜日

ゲームの「天地創造」の思い出


 また急ですがかつてスーパーファミコンで発売された「天地創造」というゲームについて語ります。

 このゲームですが発売されたのは1995年ともはや太古の時代なのですが未だにファンは多いようで、上記動画のようにファンアートが未だに制作されているそうです。なおこの動画は、この「天地創造」でBGMのコンポーザーをしていた小林美代子氏のサイト経由で知り、上記動画のアレンジ曲も小林氏が制作、提供しているとのことです。

 ゲームの内容についてですが、単純にアクションゲームとしてもそこそこ楽しく、また一部謎解きがあるものの子供でもとける範囲の難しさで、バランスのいい作品でした。このひとつ前の「ガイア幻想紀」はやや謎解きが難しいところがあるのと、シナリオが恐らく開発期間が足りなかったのか後半で物凄い省略されるなど完成度が低かった点を考慮すると、天地創造も後半のストーリーがやたら駆け足ではあったものの、完成度では比較にならないほど高かったです。
 ちなみにガイア幻想紀については、中盤の空中庭園というステージで本当はギミックを動かして障害を取り除かないとダッシュで坂を登れない箇所があるのですが、実はここ、ジャンプボタンと攻撃ボタンを連打すると坂を乗り越えてしまえるバグがあります。っていうか攻略法わからないから試行錯誤を続けてそのバグで攻略してのけてしまったのですが。

 話を戻すと、この天地創造を私は1996年の1月、それも3日に確か買ってもらっています。何故かこの日にソ連人民の敵であるうちの親父と姉貴と一緒に秋葉原行って、なんかゲーム買っていいと言われて雑誌のガンガンで紹介されていたから天地創造を選びました。対抗馬は、桃太郎電鉄DXでした。
 ゲーム自体は前述の通りしっかりできてて楽しめましたが、それ以上に自分がはまったのはまさに上記動画で流れるBGMでした。あまりにも気に入ったことから姉貴と半額ずつ出してサウンドトラックまで購入しました。それまで音楽には全く興味なかった私でしたが、この天地創造のサウンドトラックは何度も聞き続け、大学進学で京都に行くときもわざわざ手に携えて持って行ったほどでした。

 先ほどこのゲームについて友人とも話しましたが、制作会社のクインテットは2000年代中盤くらいにどうも解散した模様で、権利関係も曖昧なままなことからこのゲームの再販、再配信はほぼ絶望的だと思います。この手の倒産したゲーム会社の名作が権利関係の問題で再版されない問題はかねてから頻発しているだけに、発売後20年経って権利関係が不明若しくは後進の届け出がないゲーム作品に関しては、一定の保証額(権利保有者が現れた際に支払う)を預け入れる代わりに、自由にリメイクできるような時効法などを整備してもらいたいものです。

 というわけで、次回は「パラサイトイブ」について語ります。

2021年4月26日月曜日

宏光ミニの内装


 ハイというわけでヤンマガ的な自分の記事紹介ですが、今回は四半期ごとに出している中国自動車統計記事であまり解説する内容も多くありません。しいて言えば、記事中にも書いている通りに去年の1~3月はコロナ流行に伴う都市封鎖が行われていた時期で、比較対象機関とするにはあまりに特別な期間であるため前年同期比での増減比較はあまり意味がありません。
 そのため全体販売台数に関しては2年前の2019年1~3月データとの比較も入れましたが、個別車種の販売台数ともなるとさすがにいちいち2年前のデータと比較することができず、傾向が掴みづらく記事も書きづらかったです。そのため、今季明らかに大幅な伸びを示している新エネルギー車に関する話題を大目に取り扱うことにしました。


 そこで取り上げたのは前にも取り上げた上汽通用五菱の宏光ミニで、記事中には全体写真を乗せましたがこうして内装も写真を撮ってきてあります。1月に書いた記事ではディーラーの前に置いてある車体を撮影しましたが今回はディーラーの中に入ってじっくり間近で眺めており、近くで見ると改めていい車だとさらに感じ入りました。
 それで上の写真ですが、見ての通りかなりシンプルな内装になっています。個人的に興味深いのは助手席側にエアコンの調節スイッチなどが配置されている点です。実車で見てみるとほんと小さな車なのでこのような配置にしましたが、コンパクト感あふれてて自分にとってはかなりたまらなかったりします。


 なお上の写真のような車も上汽通用五菱は出していますが、自分が見ていないうちに随分と見た目の良い車出すようになったと感じます。

 それはそうと、また夏場は遺書を用意しなきゃいけないほど忙しくなるから今のうちにため記事作っとかないと本当に死にます。幸い今日、プリズンブレイクネタを一本思い浮かんだので、あと3本くらい用意した上で、夏の歴史特集記事も準備しなきゃいけません。歴史特集はネタは決まったけどまだ資料渉猟が済んでおらずスタートが切れてませんが、そこそこ得意分野の時代だから何とかなるでしょう。

2021年4月25日日曜日

五日はクラウン


 ということでこの週末はクラウンのプラモ作ってました。型式はGRS182型こと12代目で、徳川将軍で言えば家慶的なポジションの車です。


 なんでこんなの急に作り出したのかというと、よく行くプラモ屋に何故かこの型式のクラウンのキットが大量に置かれてあり、こんな古いクラウンのキットを中国で誰が買うんだよとか思ってよく見たら、うちのソ連人民の敵である親父が今まさに乗ってるクラウンだということに気が付き、誰が買うのかと思ってたら俺だよ的に自分が買うこととなりました。

 メーカーはアオシマでパーツの整合性とかが懸念でしたが、比較的良好で、割と楽しめて作れるキットでした。構造も非常によくできており、足回りことタイヤ軸はばねとねじを組み合わせて止めるという仕組みで、ねじの締め具合を調節することでタイヤの高さも変えることが出来るほか、正面から見て八の字になるよう、タイヤの偏角すらも変えられるという仕組みになってました。
 ただその分、足回りの組立はかなり複雑で難しく、自分は何とか組み上げられましたがプラモ組立てに慣れてない人だったらかなり難しいのではと感じるところもあります。私なんか組み上げられたらそれでいい方だから、余計な事せずシンプルで組みやすい構造にしてほしいというのが本音です。

前作ったフィットとの比較

 組立て中に感じた点としては、「やっぱクラウンってでかいな」知負うことでした。参考までに前に作ったホンダのフィット(初期型)と上の写真で比較していますが、全長に明らかな差があります。普段作る車のプラモはスポーツカーばかりなので、そうしたキットと比べても今回のクラウンはでかくて迫力を感じます。

リア部分のデカール

リア全景、先の写真は左箇所で右の省エネ優遇シールは拡大してみてみたら上下逆だった

 唯一不満だったのはリア部分のパーツで、出荷以降の経年劣化もあるでしょうが接合部が左右に広がり、接着剤使ってもきちんと接合できませんでした。おまけに白のプラスチックでやたらと接着剤に溶けやすく、やや不格好な感じにならざるを得ませんでした。
 この辺は構造をもう少し工夫すればカチッとつながりやすくできるはずだと思う箇所なだけに、設計の詰めの甘さを感じます。


 あとこのキットは「ロイヤルサルーン」と「アスリート」の二つのグレードを選んで作れるのですが、当初は「ロイヤルサルーン」にしようと組んでいたところ、何故かフェイスグリルに「アスリート」の方を貼りつけてしまっており、完成後にその事実に気が付きました。終盤だったから集中力切れてたのかもしれません。
 フェイスグリル以外は「ロイヤルサルーン」なため「シルエイティ」みたくあいのこみたくなってしまっており、敢えて言うなら「ロイヤリート」ともいうべき形に仕上がっています。言われなきゃわからないからあまり気にしてませんが(ヾノ・∀・`)ナイナイ

2021年4月24日土曜日

引きこもりの親殺害の逆パターン

 お茶の間に流れるテレビの報道で一番気まずくさせるのは、引きこもりの子供が親を殺害するというニュースじゃないかと思います。別に引きこもりじゃなかった頃の私ですら一瞬の気まずさを感じてましたし、報道自体に何か問題があるわけじゃないけど、何か沈黙を作らせたらある意味一品なニュース報道じゃないかと思います。
 そうしたニュースを中国に行ってからは一切見ないというかテレビ自体見なくなりましたが、ふと今日自宅でラーメン作っている時に、逆パターンはないのかなという疑問を覚えました。どんな逆パターン化というと、親が引きこもりの子供を殺害するというパターンです。

 これが実際に起きた例としては元農水次官長男殺害事件で、恐らくこの事件は今後20年間くらいは歴代重要事件として語り継がれるかと思います。この事件では家庭内暴力を繰り返し、将来は外部で大きな事件を起こすと考えたため殺害したと父親は述べていますが、実はこういう事件は案外報じられないだけ、というより一切認知されないだけで実際にもっとたくさん起きているのではとふと思いました。何故こんな風に思うのかというと、隠蔽が行いやすいからです。

 多戸部数年間引きこもっていて近所にもその存在が全く認知されない人がいたとしたら、殺害しても家族以外は探す人はまずいません。そしてその家族が下手人だった場合、死体をどうにかうまく処理出来たら適当に「外出してから一切帰ってこなくなった」、「以前から数日外泊することがよくあった」などと話し、行方不明届を一応出しておけばよほどのことがない限りはそのまま行方不明として処理されるのではないかと思います。
 なんでこんなことを急に思いついたのかというと、年金を受給し続けるため年金受給者の高齢者が死亡したとしてても一切届け出ず、自宅内に死体を置いたままでもずっと気づかれないという例が以前から数多くあるためです。同様に、将来を悲観して引きこもりの子供を殺したとして、前述の通りに外部との人間関係が希薄であれば文字通り闇に葬ることはそれほど困難であるとは思えず、認知や報道がされないだけでこういう例が世の中たくさんあるのではと思ったためです。

 無論、こうした親の子殺しが頻発することは望ましいわけではなく、そうした引きこもりが長年続く世帯においては可能ならば自治体などの相談所と相談して対策を採ってもらいたいところですが、上記のような「認知されない親により引きこもり子供の殺害」が怪談っぽくうわさ話になれば、少しはプラスになる面もあるかなという気がします。何故かというと引きこもりの方にとって単純にプレッシャーとなるわけで、自立意識が芽生えるとこまで行かないにしても、家庭内暴力をやると逆襲されるという懸念が芽生え、こうした行為の抑止につながるんじゃないかと都合よく考えてます。
 そういう意味では、こうした事件が本当にあるんだとしたら一定の水準で報じる価値はあるんじゃないかと思います。まぁこうした報道もお茶の間を気まずくさせるでしょうが。

 そもそも論で言うと、私は人間というのはそこまで複雑ではなく、基本的な行動原理は欲求に直結すると考えています。インセンティブがもらえるとわかれば頑張って働くし、殺されるとわかっていたら無茶な要求にだって大抵聞きます。そんな具合で、引きこもりに関しても「殺される」という生存欲求への刺激があれば動くものが少しはあるんじゃないかと見ています。
 ただこの論理を発展させていくと、それこそもうどうしようもない人に関しては国立自殺施設みたいな話に発展していきかねません。そういう意味でも尊厳死としての安楽死議論ももうちょっと社会で深めてほしいですが、この10年くらいはこのテーマもさしたる議論を見たことないなぁ。

2021年4月23日金曜日

まとめ買いした漫画の内容について


 上の動画は最近ハマってみているものですが、ピアノの練習というか猫乗り曲芸弾きの練習にしかもはや見えない。
 話は本題ですがGW間近となったので買い控えていた発売日の近い漫画を一気に購入して今読んでおり、それらをいくつか紹介します。

1、金田一37歳の事件簿(9巻)
 非常に期待していたもののやや拍子抜け。前巻から続くポルターガイスト屋敷のトリックと犯人は大体読めていたので動機に注目していたけど、如何にもミステリーでありがちな「実は家族だった」エンドでがっかり。
 それ以上にがっかりだったのは次の話、っていうかキャラで、旧シリーズでも準レギュラーだった金田一二三が大人になって再登場したものの、なんかイメージが固まっていないのか作画がページによってややブレがある印象を受けました。そもそもこのキャラ、旧シリーズでも自分からして存在するだけで不快なキャラだったため、今シリーズで出てきたという事実それ自体でなんかテンション落ちます。一応、新編の犯罪展開はまだ読みごたえがあるので続き買いますが。

2、GANTZ:E(2巻)
 昔のある批評の言葉を引用すると、「漫画を馬鹿にしている」という印象を受けました。一応ガンツシリーズなので買って読んではみたものの、もう続きを買うことはないでしょう。
 一体何がクソなのかというと戦闘描写で、これがあまりにもだるすぎです。作画に関してはCG取り込みの背景でさすがというところですが、話があまりにも面白くありません。特徴を持ったキャラクターはいないし、敵キャラもでかくて刀振り回すのしかおらず、攻略方法もこっちも同じく刀振るうか羽交い絞めにするかの2択です。2択のくせして、同じような敵が3度も仕切り直して出てきた時には唖然とされられ、戦闘の展開もほぼ全く一緒で読んでてストレスすら感じました。

 あとどう見ても女性キャラなのに男の振りしてるキャラがいて、周りの人間も全く気が付かないというのも見ていて萎えます。男装させるならもっと徹底的に男に見せるようにすればいいのにそうした配慮もなく、明らかに女なのに誰も気が付かないというのはもはや逆でしかありません。

 逆を言えば、本家ガンツは戦闘描写が凄まじくよかったと改めて思います。「頭文字D」でも同様ですが、「こりゃどうあがいても勝てない……」と思わせる描写からの逆転劇の見せ方が素晴らしく、多くの人間が絶賛しているように大阪編の道頓堀におけるラストバトルは全漫画史上でも読者の想像をすべて裏切る屈指の逆転劇だったと自分は思ってます。

3、よふかしのうた(7巻)
 上二つが期待外れだったのに対し、こちらは期待を大きく超えるほどめちゃ面白かったです。ちょうど盛り上がる過去究明編みたいな話というのもありますが、とにもかくにも人物の表情などの描写が秀逸でした。
 この作者のコトヤマ氏は他の作家とは一線を画すキャラ描写をしていて、前作「だがしかし」が流行ってからというもの、作中でヒロインに使われた瞳を集中円で描くという手法を真似する漫画家が増えた気がします。そうした例を筆頭に割と他の作家にない人物描写をするのですが、それがこの巻の裏切られたり半ば絶望したりしたり、複雑な感情を織り交ぜたりするキャラの表情で抜群に生きてて、表情を見るため一コマだけでもずっと眺めてられる妙な深みを感じました。あと単純にコマ割もきれいで、手早く読む箇所とじっくり読む箇所をまるでコントロールされてるかのように同じ話でも読むテンポが変わってくるのを感じます。まぁそのコマ割の妙を一番感じたのは、中二病的な体験がばれるというページでしたが。

4、ゴルゴ13(119巻)
 言わずと知れたこち亀越え確実な長寿漫画ですが、何故か113巻と119巻のみ今回購入しました。なんでかっていうと、113巻は間違えて購入したためで、119巻は読みたい話があったからです。その話というのも、「間違われた男」が収録されているからです。
 詳細はリンク先のページに解説されていますが、この回ではただの一般人がゴルゴ13に間違われるという、ゴルゴ史上屈指のギャグ回だと言われています。

 なお偶然ですが119巻にはチベット絡みの話も収録されています。この話とか中国政府なんかマジギレしそうな内容なんですが、果たして中国政府の役人はゴルゴ13もきちんと内容チェックしているのかが気になります。にしても時代が時代だから、113巻も119巻も90年代中盤の事件にかたどった話が多かった。

徳川慶喜の子孫

 昔「ヒットラーの息子」という、草葉の陰で「勝手に子供あったことにすんなよと」とアドルフさんが起こりそうなタイトルの漫画がありました。なんでこんなタイトルになったのかというとやはり当時としては世界最大の極悪人というイメージがあったからだと思いますが、実際にはヒトラーは自決直前にエヴァ・ブラウンと結婚式を行いましたが基本的には独身で、子孫とかもいません。
 なお現代で同じような作品を作るとしたらどんなタイトルになるのかなと想像したところ、やはり「ビンラディンの息子」になるのかと思ったその直後、ソ連人民の敵であるうちの親父は無駄にアラブ人顔してて会社でのあだ名が「ビンラディン」だったことを思い出し、「ビンラディンの息子って、もしかして俺のこと?(;゚Д゚)」と焦り始めました。

 そんな無駄に長い前置きはおいといて、「将軍の息子」といった場合にその将軍は誰かとなると、恐らく大半の人がラストジェネラルこと徳川慶喜の名を想像するのではないでしょうか。実は最近ネットで見た情報で、慶喜の息子というか徳川慶喜家の代々の当主の逸話を聞いて一人で結構盛り上がっています。ではその子孫というか系譜はどんなものかというとこんなもんです。

ひ孫:徳川慶朝

 見ての通り慶喜家の当主はきちんと「慶」の字をつけているようです。なおひ孫の徳川慶朝の逝去年は2017年で、つい最近だったりします。

 一人一人簡単に説明すると、息子の慶久は七男ながら兄を差し置いて家督を継いでおり、貴族院議員などを歴任しています。ただ薬の服用ミスとみられる理由で37歳という若い年齢で亡くなられていますが、写真を見る限り非常にダンディな容姿で、柔道などの武道や油絵などの芸術にも通じていたとされ、かなり持てそうな感じがする人です。

 その慶久の息子で慶喜の孫の慶光はというと、戦時中になんと三度も召集を受けています。一度目は病気にかかってすぐ病院に入りそのまま除隊し、二度目も検査に落ちて即除隊でしたが、三度目は中国大陸に派遣されていろいろ苦労したそうです。私が慶喜の子孫について知ったのもこの慶久が元将軍の孫だと言っても特別扱いされてなかったという話題をネットの掲示板で見たのがきっかけでしたが、武門トップの一族とはいえ現代戦争ではどうにもならなかったものかというのを感じます。

 慶久はプライベートでも不倫をやったり、事業に失敗したりといろいろ面白い人生を歩みつつ、80歳で大往生を遂げたようです。その慶久の息子で慶喜のひ孫にあたる慶朝は曾祖父の慶喜同様にカメラに傾倒し、カメラマンを仕事にしていたそうです。ただ離婚後に養子も設けなかったことから、彼の代で慶喜家の嫡流は途絶えています。まぁ今の時代に家計を繋ぐという考え自体が古いかもしれませんが。

 それにしても慶喜の子孫というだけで興味がわくだけに、やはり一時代を彩る人物であったんだなというのを感じます。

2021年4月21日水曜日

不遇であるか幸運であるか

 以前後輩に自分は承認欲求が高すぎると指摘されたことがありましたが、その指摘に対し割とやんわりと否定した上で、「俺の人格の最大の特徴が見えないからそのように見えるのだろう」という風に諭しました。ではそんな自分の人格における最大の特徴は何かというと、生存欲求がほぼゼロに近いという点で間違いないでしょう。
 何も死に急いでいるわけじゃないですが、少なくとも自分が有利になる、幸福になりうる選択肢があったら迷わず選ばないことが多々、っていうかほぼ毎回です。生存本能がないというよりかは利己心がないと言った方がよく、基本的に利他的な決断や行動をとることが多く、自分が苦しい思いすることは我慢できても、周囲の人間が苦汁をなめるような状況には我慢できないことがあり、自分が衝突を起こすパターンも自分自身というよりかは周囲への攻撃とか巻き込まれに対してカチンときて行動を起こすことが多いです。

 こうした性格は学生時代に自分で認識しましたが、気づいたのはむしろ自分の周囲の友人らの方が早く、一人目に「他人のことは良いからもっと自分を大事にした方がいい」と言われた後、「あいつこんなこと言ってやがったぜ(・∀・)」と別の友人に話したら「僕もそう思う(;´・ω・)」と二人目に言われ、その後も他の友人らに同じこと言われまくりました。でもって社会人になってからはなおさらこの傾向が強くなった気がします。

 そうは言いながらも、よくこのブログで髀肉の嘆とばかりに自分の不遇を呪っていますが、そうした主張が冒頭の後輩の勘違いを生んだのではないかと思います。一見すると利己的な価値観から不遇に対する愚痴を履いているように見え後輩が勘違いしたのも内心仕方ないと思うのですが、自分が自分の不遇に対して愚痴を吐くのは、その不遇は自分自身にではなく自分の才能に対するものです。言い換えると、「なんでこれほど安くで高い能力のある自分をどこの誰もがきちんと活用しないのだ。これじゃ世の中大損じゃないか」という風に本気で考えています。

 単純にライターとしての能力一つ取ってしてもJBpress(&やふー)である程度証明して見せましたが、あれだけアクセスを稼ぐ記事を毎回連発するライターはそんないないと断言できます。しかも自分の場合は、割と経歴が重視されるこの業界で一切の経歴を隠してカレーとせんべいが大好きという謎のアピールして不気味さを際立たせており、このハンデをものともしないのは実は内心自慢です。
 それ以上に大きいのは原稿料の金額で、詳しく比較しているわけじゃないですが、かなりの格安料金で毎回原稿出しています。ある程度ボランティア感覚でやる必要があるという判断と、自分を見出してくれたという恩義からギャラ交渉は一切せずに向こうの言い値でずーっと書いてますが、そうした背景からコスパで言えばかなり上位に入るライターじゃないかと密かに考えています。ソ連人民の敵である親父からはもっとギャラ交渉しろと言われてますが。

 こうしたライターとしての実量もさることながら、単純作業の処理能力も実はかなり高い水準に来ているとこの頃思います。以前からも業務処理能力はそこそこ評価されていましたが、今やっている仕事では恐らくワンシーズンの処理量としては現在ワールドレコードを樹立しかけています。正確さはともかくとりあえず仕上げるという速さでは無駄に早く、またワードやエクセルなども比較的こなせる方で、さすがにどの処理分野でも自分がナンバーワンだとはとても言えませんが、もともと高い給与を求めてないことを加味すると、業務処理スタッフとしてみれば無駄にコスパが異常に高い人材であると自負しています。

 そんな自分を、日本にいた頃はどの企業も相手にしませんでした。

 別に応募時に高い給与を要求したことはないし、前述の通り単純な業務処理量では恐らく自分以上の人材は巷にはほとんどいないと言えるのに、何故かどこも自分を採用しようというところはありませんでした。また処理速度だけでなく仕事を選ばない器用さでもそこそこ自信があり、それはこれまでの歪な職務経歴がある程度証明してくれていると思います。ぶっちゃけ何でも屋としての適性の方が高い気がする。

 そんな自分を、何故か日本ではどこも相手にしてくれませんでした。まぁ理由ははっきり自覚しており、態度に一切媚びたところがない、全く媚びようとしないというのがはっきり見て取れるので、それが一般の日本人からすれば非常に生意気と取られ嫌悪されるのでしょう。こっちにそのつもりはないですが、恐らく自分と会った日本人は十中八九自分のことを偉そうな野郎だと考えるでしょう。

 改めて考えてみるとこれまで勤めた日系企業では、ほとんどすべてで私に仕事を割り振ろうとしていなかったように思います。手持無沙汰な状態がどの会社でも多く、自分の処理能力や編集、企画力を発揮する場面はほぼありませんでした。
 そうしたこともあって髀肉の嘆とばかりに自分の状況、というよりも自分を活用できないと世の中がもったいないと考え社会全体で不遇だと本気でずっと考えていました。現在もこうした考えを持っており、折角これだけコスパの良い人間を日本社会は活用できずにもったいないと思うと同時に、その立ち居振る舞いだけでどれだけ能力があっても否定されるのが日本社会なのかもという風なあきらめを持つに至っています。

 もっともこう言いながら、現在いる会社では激しくこき使われています。真面目に今の会社に拾われたのは自分でも幸運だと思っています。飽きっぽい自分が満5年も同じところにいるなんてかなり奇跡ですが、一方で前述の通りワールドレコードを樹立しかけていることについては内心でリスクだとも考え、「あんまり自分に処理させ過ぎていると、何かあった時にトラブルになるからもっと人員増やして(;´Д`)」的に上にはよく言っています。

 以上を踏まえて見出しの不遇であるか幸運であるかという問いを問われるなら、それでもやはり不遇であると私は思います。というのもコスパは良いけど必ずしもトップバリューではないという自覚がある私がこれほどまで世間で活用されないということは、他にも同じような人、具体的にはそこそこ能力があるのにほんのちょっとの不備で一切活用されていない人はもっとたくさんいるのだろうという風に思えるからです。
 そんなのいつの時代も世の常、という人もいるでしょうが、前述の通り自分はアクセスを稼ぐライターとしてだったらかなり上位ランカーを狙える人材、というかそれ以上に他の人間がまず書かない内容を書ける強みを持っていますが、それでも日本にいた頃は自分に記事を書かせようっていうところは一つもありませんでした。割と目立つ能力だと思うのですがそれでも反応がないってことは、多分ていうかほぼ間違いなく今の日本社会は能力基準で仕事が割り振られることがほとんどないように思え、その社会的損失が非常に大きいとしか思えないです。そのため有為な才能がほとんど活用されないっていう意味で、やはり不遇であると思います。

 という感じでレトリック的にまとめましたが、「不遇であるか幸運であるか」という問いの主語は「私」ではなく「日本社会」です。日本語は他言語と比べ主語の省略が非常に多いのが特徴なのですが、私が主語を省略した場合は自分のことではなく社会か人類全体を主語にして言っていることのが多く、それが不要な誤解を招いてんだなとか自覚してます。っていうか普段からそういうのを主語にして語る人間が自分しかないのでしょうが。

2021年4月20日火曜日

非常事態宣言に意味はあるのか?

 昨夜はあくびするだけで首が激痛に襲われるほど頭痛がしたのでブログをまた休みました。原因ははっきりしていて、うつ伏せで寝ながらたまにノーパソ弄ってるからです。絶対首とか頸椎に悪いと思いつつも、寒い日なんかはマジ快適なためよくやります。
 幸い今後は寒い日が減るのでこれからそうやって寝そべることは減るでしょうが、来年冬とかどうしようかなとか今から考えています。思い切って胡坐で座れるこたつテーブルみたいなの買ってしまおうかな。

 話は本題ですがコロナ患者が増え続けててなんかまた非常事態宣言をやろうかとかいう話になっていますが、実はそもそも、日本の非常事態宣言に意味があるのかという疑問があります。その理由というのも単純にざるだからです。
 実際に日本にはいないので非常事態宣言がどんなもんか体感で把握してないのですが、中国みたいに外出をマジで取り締まるということはせず、どちらかというと飲食店に圧力をかけるやり方が多いみたいですが、実はこれに対して疑問を持っています。

 同僚の一人が昨年末に2週間の隔離覚悟で一回帰国しているのですが、その同僚によると都内では非常事態宣言のために夜八時でどこも店を閉めていたようなのですが、そのせいで閉まる前に食事を済ますために夜7時ごろには店は超密集状態でどこも満杯だったそうです。それを見て同僚は、逆に密な状況になってて感染しやすい環境のように見えると述べ、だったら夜10時くらいまで営業して客を分散させた方がいいのではないかと話していました。

 この同僚の話の通りであれば私も同感であり、またそのような状況から察するに電車も特定のラッシュアワーで混雑が増しているのではとも思います。となると非常事態宣言はどこまで効果があるのか、少なくとも飲食店に関しては営業方法にもっと工夫がないのかなどと内心思います。

 その上で付け加えると、やはりお金の使い方を根本から間違えたのではという気がしてなりません。上記の飲食店関連だと、妙なゆるキャラに金使う暇あったらその金で出前サービスのプラットフォーム整備や業者の支援を行い、お店に来ずとも料理を注文配達できる体制をしっかり強化すればよかったのではないかと思います。実際にそういう政策も行われているかもしれませんが、そうすることによって自宅でもお店の料理を食べられ、混雑緩和につなげられるのではないかと思います。

 なんていうか非常事態宣言そのものが、「対策してますよー」的なアピールに過ぎず、中身が伴っていないです。日本人自体がそういう行動なしアピールが大好きな民族ですが、黙って手を動かす奴が一番強くて偉いんだという信条の私からすれば、そういう奴らがのさばっている限り未来はないとしか言いようがないです。

2021年4月17日土曜日

注目されるのは若いうちだけ

 今週末は約1ヶ月ぶりくらいに何も仕事せずに済む週末ですが、JBpressの記事は書かなきゃいけないというジレンマに襲われています。っていうか来月には夏の特集用の記事も書き溜めておかないといけないし、なんでこんな自分はやたらめったら働いているのだろうとたいやきくんモードに入りつつあります。

 話は本題ですが、例のゆたぽん問題について最近いろいろと報道が出ていていくつか読んだりしていますが、私自身は彼について前からあまり好ましい子供とは思っていないのと、そもそもそんなに興味のある存在でもないので中学に登校しないってんなら好きにすればという風に見てます。ただ、彼を見ていて、「ノエルもこんな子やったな」ということを毎回思い出します

ノエル(ニコニコ大百科)

 ノエルというのは元ネット配信者で、「ドローン少年」という通り名の方が有名かと思います。中学生時代からネット配信行為を行い、あたりかまわずドローンを飛ばしては墜落させたりして迷惑行為を繰り返し、2017年には建造物侵入容疑で逮捕もされました。
 2017年の逮捕以降は急激に活動をひそめてかつて運営していたブログなども閉じているのですが、かつて運営されていた頃に一回だけそのブログを訪れてみたところ、「勘違いしているな」という印象を率直に感じました。

 というのもブログ(ブログ名は確か「ドローン少年ノエル」)の構成は外部の人間が作ったと思われるバナーイラストなどがちりばめられており、外部の人間の手を借りているのはほぼ間違いありませんでした。また彼自身に投げ銭というか金銭支援する大人もいたという話を聞いていたので、なんとなくそういう人たちに乗せられて。自分がとてつもなく才能があって世の中渡っていけると勘違いしているのではという風に思いました。
 そもそも中学、高校生くらいの年代というのは世の中の仕組みが分からず、それこそテレビに少し出るだけ自分は超特別な人間だと錯覚してしまいがちです。何かしら世間にその名が出たり著名人との関わりがあれば、自分の能力を勘違いしてしまい、道を誤ることにもつながりかねません。

 まぁこれは子供に限るってわけじゃなく、炎上動画とか見ていると大人でもそういう勘違いをしてしまう人は少なくないのかもしれませんが。

 話を戻すと、2017年の逮捕以降はノエルの活動はほぼ見られなくなり、現在もネット上では消息不明な状態となっています。かつてのプロフィールから計算すると今年21歳の成人となっているはずですが、仮に今再び彼が活動をしたとしても、かつてと比べると世間の耳目は集められないばかりか、前みたいな周囲を顧みない行動をとれば社会的責任が一気に降りかかってくることもあり得ます。
 そもそも彼が耳目を集めたのは、その過激な行動もそうでしょうがそれ以上に「中学生配信者」という看板があったからだと思います。単純に子供が大人に混じって何かしらそういった活動すると目立つ者で、大人の中にもそうした目立つ子供を変に支援しようという人も現れがちです。漫画界とかでも「高校生作家デビュー」という看板はよく付けられます。

 しかし成人となってしまうとそうしたアドバンテージは言うまでもなく消えるわけで、その後は単純に実力だけで勝負せざるを得なくなります。あの音楽の天才であるモーツァルトですら、成人となってすぐにスポンサーを探したところ「子供だったから昔応援してたんだよ」と、当初は結構ハブられたと聞きます。その後、モーツァルトは実力である程度はどうにかしましたが、モーツァルトほどの天才ですら「子供だったから」という下駄が当初履かされていたということを考えると、他の人はいわんやというところです。

 ここまできて最初の話に戻すと、ゆたぽんについてもやはり「子供だから」で、これから成長するにつれてその世間の注目や関心はどんどん薄れていくことになると思います。それをわかってやってるなら別にいいけど、まぁわかってないだろうし、今こうして注目されるのは必ずしもその実力によるものではないということを周りの人がちゃんと教えてあげているのか、教えてないから続けてるんだろうなという気がします。
 だからこそってわけじゃないですが、今ノエルが何してるのかが気になるわけです。よくゆたぽんのことを社会実験と呼ぶ人がいますが、その実験の洗礼たるものが同じく配信者であったノエルだと私は考えており、成人となった今になって以前の配信活動についてどう思っているのかどうかとかを個人的に聞きたいし、他の未成年配信者もそうした内容に触れるべきだと思います。

 ちなみに若い頃から注目されながらも、その実力が認められていたと思う人物にえなりかずき氏がいますが、彼の場合は泉ピン子氏との確執が伝えられ、それによって端的に言えば今干されているとも聞きます。仮に事実だとしたら、実力があっても人脈がなければどうにもならないという現実もあると言えるかもしれません(´・ω・`)

2021年4月15日木曜日

鉄の竜騎兵


 上記動画は「THE COCKPIT」というアニメ短編集に収録された「鉄の竜騎兵」という作品です。なんでこの動画を急に紹介しだしたのかと言うと、この作品のタイトルが「鉄の竜騎兵」だということをつい昨夜に知ったからです。

 元々、この作品の原作はヤマトでお馴染みの松本零士氏で、ビッグコミックで1970年代後半からちょこちょこ掲載された「戦場まんがシリーズ」の一つです。なおアニメは1993年の制作となっています。
 この作品ですが、当初はテレビ放送されたものをビデオ録画されたものを見たのではと思っていましたが、アニメ制作年から考えると、ツタヤでレンタルしてきたのを自分は見ていたのかもしれません。というのも見たのは小学校3年生頃という記憶があり、1993年だと割と年代的にも一致するからです。

 無論、こんなミリタリーな作品を自分からみようと思うはずはなく、見るきっかけとなったのはソ連人民のてきである親父です。借りて来たシーンは全く記憶にないものの、なんか自宅でやたらご機嫌で「大人のアニメや」といいながら親父が見ていたので、自分も連れだって一緒に見ることとなりました。
 当時見た感想としてはちんぷんかんぷんもいいところで、特に冒頭で日本軍が野砲を打ち込んだところ米軍から反撃を受けて連隊が陣地ごと吹き飛ぶシーンについては、画面では壮年のおっさん二人が防空壕に潜り込み、出てきたら陣地が跡形もなく吹っ飛んでいたという風に映るので、子供の頃の私はてっきり撃ち込んだ後の野砲が暴発して周り全部吹き飛んだという風に理解していました。防空壕に潜り込む前に兵士も、撃つべきじゃないのに言わんこっちゃないなどと砲撃したことをなじるセリフがあったことも影響しています。

 また結末に関しても、まぁ救いのない結末であり、見終わった後の感想としてはあまり言い物ではありませんでした。そもそも何故敵軍に単身でバイク乗って突撃するのかそのメンタリティが当時わからず、また途中で降ろされた若い兵士も救われない結末であり、なんでこうなるんやという感想でした。
 そんな風にあまりいい印象を覚えていなかったものの、記憶には結構よく残っている作品で、昔わけわからない戦争アニメを見たというのは割と記憶していました。ただそれがどんなタイトルで、どんな媒体で作られたものなのかなどが全く分からず、テレビのスペシャル番組などで作られたものじゃないかという風に誤解していました。

 ではなんで昨夜にこの作品の正体を突き止めたのかと言うと、話せば長くなります。

 まず先日に公開された藤田信雄の記事で機嫌よくなって、彼が乗っていた零式水偵のプラモを作りたくなりました。元々、晴嵐のような水上機を一つ作ってみたいと前から思っていたことからAmazonでひたすら水上機プラモを検索してはお気に入りに入れていく作業を行っていたところ、水上機もいいけど陸上機、それも陸軍の戦闘機もまた作りたいと思っていろいろメーカーとか比較しているうちに三式飛燕のエピソードをまた読みたいと思ってWikipediaを見始めました。
 そうして飛燕のページを見ていたら末尾にこの飛燕が登場する作品として「戦場まんがシリーズ」のリンクがついており、どんな漫画やねんとリンクを辿ってみたところ、冒頭でオムニバス形式の戦記漫画で松本零士が書いており、OVA作品も出ているという記述を見て、「もしかして子供の頃に見たあのアニメもここからでは?」と、この時点でなんか妙な予感がありました。

 そうしてそのページを読み進めたところピタリと予感が的中し、まさに自分が子供の頃に見たアニメのプロットが「鉄の竜騎兵」の項目に書かれていました。思わぬところから自分の記憶をの確認再現を果たして驚きつつ、改めて確認するため動画検索をしてぶち当たったのが最初の動画でした。

 今回改めて感じたのは、子供だった頃の自分の理解力です。戦争の背景や兵器の仕組みなどが分からなかったことから冒頭に書いた誤解をしていましたが、10歳くらいの年齢だとああいう誤解をするのがかえって自然なんだなと大人の立場からみて感じます。
 よく同じ時代に放送されていた「Vガンダム」でも、子供の頃は主人公の13歳の少年が敵機をバッタバッタ撃墜するのに心躍らされたけど、大人になってみると少年兵を「使えるから」という理由でこき使いまくる主人公の周囲の大人に狂気を感じるといった感想を見ますが、これもそういった戦争という背景やルールがわからないことによる誤解の一種だと思います。少年兵の問題もまた、この点に集約されるでしょう。

 そういう意味ではちっちゃい子供にあれこれ戦争はどうとかこうとか教えるべきかという点について、やはり難しいという思いがします。全く教えなければそのまま無理解のままだし、かといって中途半端に教えても、物事を変な風に誤解して捉えてしまう可能性があり、アプローチの仕方が難しいです。まぁ水木しげる戦記は見せても全く問題ないでしょうが。
 私自身も軍属じゃないので戦争がどんなものかを理解しているかと言ったら無理解もいいところでしょうが、戦争は言うのとやるのとでは大きな違いがあるという点だけは肝に銘じておくようにしています。ただ自分が子供だった頃に「戦争はやったらダメ」と頭ごなしに言い続けるのもまた違うような気がして、そういう意味では案外、自分の戦闘機プラモ趣味のように、兵器というある意味感情のない中立的な道具というミリタリー趣味方面から徐々に入っていくのが意外と無難かもしれません。

2021年4月13日火曜日

日本人のコミュニティ離れ

 ペルソナ3ではないけど、人的関係の場ことコミュニティは多ければ多いほどいいと常々思います。特に学校でのクラスが社会生活の中心となりやすい小学生らに関しては、なるべく学校以外の人間関係が持てるコミュニティがあれば、じめなどが発生した場合に大きな逃げ場、支えとなりうるだけに非常に重要だとみています。
 私自身も、はっきり言うが小学校の頃のクラスメートは救いようのないクズばかりで、教師もあまりしっかりした人ではなかったことから、学校生活は楽しいものではありませんでした。ただ、塾と言うコミュニティが当時存在し、塾であった友人や知人らとは学校のクラスメートとは異なる話ができ、また中学受験という共通のストレスを抱えた者同士であったことから非常に仲良くできました。そうした点を踏まえて、小学生には通っている学校のほか、なるべくなら別の学校に通っている子と混じり合える習い事といったコミュニティを持ってもらいたいです。

 翻って大人の世界に移ると、恐らく現代日本人成人のコミュニティは家族と職場の二つしかないという人が大半じゃないかと思います。私も人のことが言えない、っていうか家族どもかなり疎遠なだけにコミュニティは職場一極かと思いきや、忙しくて最近行けないけど中国での日本人サイクリング部というコミュニティが存在し、このコミュニティには非常に多方面で助けになってもらっています。
 やはり同じ会社の人間が誰一人いない環境で、また業種や年齢の違う相手と同じ趣味で交友できることから、いろいろと学ぶことが未だに多いです。もっとも、「RX-3はほんま速くて、(大阪の)環状線で警察のパトカー一周遅れにしてやったわ」という何故追い越したというツッコミ待ちの情報はいりませんでしたが。

 このほかにもこのブログで交友している方々もコミュニティと言え、やはり職場の人間からでは得られない情報や共通の話題で盛り上がれます。こんな感じで、多すぎると交流できる時間が取れなくなる可能性もあるものの、やはり属性の違う人間が集まれるコミュニティは多いほどやはり優位でしょう。
 ただそのコミュニティですが、先ほども言った通りに現代日本人は家族と職場に極端に依存するようになっています。かつてはこれに町内会などの近所付き合いによるコミュニティもあり一部でこれは続いているものの、そういう距離的な近さによって成立するコミュニティはやはり年々減ってきている気がします。

 だからと言って代わりに何か代替となるコミュに血を作れるかと言ったらあまりそういう案もないのですが、一つ言えることとしては、やはり就労時間が長くてプライベートに余裕がなければないほど、外部コミュニティへの参加意欲は失われていく気がします。実際に何十年前に働いたわけじゃないものの、やはりネットの発達で24時間どこでもリモートワークできるようになったこと、仕事内容が昔と比べて厳しくなっていることを考慮すると、仕事以外のコミュニティに参加する暇も取れなくなってきているのがコミュニティ離れの最大の要因じゃないかと思えます。
 そういう意味では、コロナの影響であんまり聞かれなくなってきた働き方改革ですが、就労時間のコントロールをもっとしないとコミュニティを持てとかどうとか言えないのかもしれません。

 そういや今思い出したけど、プレミアムフライデーってあれどうなったんだ?っていうか横文字使ってる時点で腹立ちますが、何故か安倍政権は「アベノマスク」といいやたら横文字好きでおかしなネーミングセンスでした。なんか週休三日制を口にする人も出て聞きましたが、プレミアムフライデーが流行らなかった時点で根本的な間違いに早く気づけと言いたいです。具体的にどんな間違いかと言うと、妙な休暇習慣製以前にブラック企業を見せしめとしていくつか潰せってことです。

2021年4月12日月曜日

またしてもムンジェイン(メ゚皿゚)フンガー



 またいつものヤングサンデー的な隔週の自分の記事紹介ですが、またしてもムンジェインにトップを阻まれ憤懣やるかたないです。「なんでこいつは毎回俺が記事を出すタイミングに合わせてネタ投下してくんだ、地方選挙なんかこの時期にやんな馬鹿、このクソが!」などとリアルに愚痴るくらい悔しいです。
 もっとも現時点では2位ですが、朝から昼まで上の画像で3位に入っている村上和郎氏の記事が2位や3位に入り、自分の記事は4位に入っていることのが長かったです。っていうかこの「鑑識官・村上和郎シリーズ」はどっかでバズっているのか過去記事が今日はどれもランキング上位に軒並みランクインしています。ぶっちゃけ面白いから自分も毎回読んでるのですが。

 話を本題に戻すと、今回の記事は昔このブログでも取り上げた藤田信雄という、史上唯一の米国本土爆撃に成功した日本人パイロットの話です。詳細はすべて記事に書いているので今更追加して解説することはありませんが、なんでこのネタを持ってきたのかと言うと単純に仕事で忙しく、さらっとかけて確実にアクセス稼げるネタだと判断したからです。

 書いたのは二週間前ですがもうそのころは土日も数時間ずつ勤務するのが当たり前なくらい忙しい状態で、まだ先々週は清明節という中国の祝日が1日入って記事書く余裕があるからそこで一気に書き上げました。

 また記事を書くに当たって最近どこかのメディアで取り上げられてたりしないだろうかとチェックしたところ、自分は参考文献にも引用しているように1995年の「たけし・さんま世紀末特別番組!! 世界超偉人5000人伝説」というテレビ番組でその存在を知りましたが、どうやら数年前にも「奇跡体験アンビリーバボー」でも取り上げられていたものの、それ以外は活字メディアではほぼ全く取り上げられていないという感触を得ました。
 なお1995年のたけしとさんまの番組ではこのほか、鶴矢食品のネーポンという謎の飲料が出てたのを覚えています。

 いくつかのブログや参考文献に引用している豊後高田市のホームページを除くと紹介されている文献はほぼ皆無で、一応書籍も1冊出ていることを確認しているものの自分がその存在を知らなかったことから恐らくそんなに広まっていないと判断し、内容の面白さもさることながら「ネット上で活字メディアとしてほぼ取り上げられていない」という強みから、一定のアクセスは確実に稼げるという判断をしました。この辺の皮算用は重要。

 もっともアクセスが稼げる以上に、単純に私自身がいつかちゃんとした記事で紹介してみたいという欲があったことも大きいです。戦時中のエピソードとしてはこの話が二番目に好きな話であり、世の中にもっと広めたいという欲が前からありました。
 なお一番はキスカ、三番は水木しげる戦記です。キスカも前から書きたいのですが、こっちは今回の藤田信雄と違ってネット上でもかなり広まっており、レアリティという点でやや薄いということと、阿川弘之をはじめ大物作家もたくさんコラムを書いてて、自分なんかが書くべきではない、書くにしてももうチョイ実力つけてからにしようと怯んでいます。

 その実力についてですが、改めて今回この記事を出して、割と狙い通りにアクセス稼いだうえに期待通りの反応を得られたのを見て、自分もかなり実力をつけて来たなと感じました。元々、このブログでどういった記事に反応が得やすいとか、検索誘導などをJBpressで連載する前からいろいろ学んだり試してきましたが、ここにきてそういうものがかなりプラスに働いてきているように思います。
 単純な文章表現力に関しては昔から自信があったものの、最近は以前よりやや落ち込んでおり低下気味ですが、それを補うだけのネタのターゲッティング、まとめ方、投入方法が優れるようになってきている上、本来備えている幅広いネタをカバーしている能力がコラムニストとして独自の強みを持たせてきています。真面目にそんじょそこらのコラムニスト相手に負ける要素はもはやほぼないと言い切る自信すらあり、唯一恐れるはムンジェインのみと言ったところです。まぁムンジェインはコラムニストじゃないけどさ。

 あまり図に乗るのは良くないとは思っているものの、今回の記事も過去のブログ記事の流用できちんとアクセスを稼いでいるとから、「何故今まで俺に会って来た人間は俺を使おうと思わなかったのだろうか」という疑問を改めて強く感じます。コラムなりマニュアルを書かせたら多分自分以上の人間はそこら辺にいるとは思えず、これだけコスパ良く実力ある人材が普通に応募してきているのに門前払いしてきたぴあをはじめとするメディア企業らは何を考えていたのかと思うと同時に、自分の才能を昔から発揮させることができずもったいなくて仕方ない気持ちにさせられます。
 ちなみに文章だけじゃなくレイアウト整えるのも割と得意で、今の会社でもなんかそういう業務増えてきました。

 ただ仮に、若い頃からライターの仕事だけしていたら今の地位はなかったとも考えています。自分の最大の強みは前述の通り極端に幅広いネタこと万能さで、これはライター以外のあらゆるブラック企業で品質管理とか貿易などをやってきたこともかなり下支えになっています。まぁもっとやるべきことはあったと思うが。
 今も兼業ライターとして昼間(っていうか土日も)は全く関係ない仕事で気絶しそうなくらい働いていますが、これからライターになりたいって人は私のように、兼業であることの強みにもっと着目した方がいいと思います。ぶっちゃけ私自身も、ライター業だけだったら人生つまらないと感じていたことでしょうし。

2021年4月11日日曜日

冷戦構造における日本の好条件

 先日、このブログで上海熊さんから勧められた「物語東ドイツの歴史」を読み終えたのですが、一読して感じたことは「ホーネッカーってこういう奴やったんか」といったところでした。何故か知らないけどこの名前の音だけは知ってて、なんとなく学者かなんかだろうと思ってたら実質上の東ドイツ後半期の厳守で、割と空気の読めないおっさんだったようです。まぁルーマニアのチャウシェスクなどと違って処刑されずに済んだだけマシだったのかもしれませんが。

 そんな東ドイツの歴史についてはこの本読めばいいので詳しく書きませんが、もう一つ真面目にこの本を読み終えてしみじみ思ったのは、日本は二次大戦後に本当に幸運だったんだなってことでした。特にこの東西に分割されたドイツと比較すると明確です。
 いうまでもなく、ドイツは二次大戦後に東西に区切られて分割され、首都ベルリン市に限っては東ドイツ領内にあるものの、ベルリン市内で西側と東側で分割されるという手の入れようでした。そのためベルリン市内からは西側への逃亡が容易だったことから、往来が自由だった頃はベルリン経由での逃亡が相次ぎ、東ドイツの労働力低下が激しかったことからベルリンの壁が作られることとなりました。

 話を戻すと、そうしたドイツに比べて日本は分割されることなく、強いて言えば沖縄が米国に占領されただけでした。日本とドイツは人口や面積(日本は大半が産地であるが)などの国家数値が比較的近く、尚且つ主力産業も自動車や精密機械などで被りまくっている上、元枢軸国同士という点でも共通しています。そうしたことからソ連人民の敵であるうちの親父をはじめ無駄にドイツにシンパシーを感じている日本人も少なくないのですが、こと東西ドイツの統合前で比べるならば、日本は経済的にはかなり恵まれた環境にあったと言えます。

 単純に大きいのは市場人口で、ドイツは東西に分かれていて約半分だったのに対し、日本は同じ言語、同じ日本円を使う日本人が最初からフルパワーで活用することが出来ました。それに加え、軍事費に関しても西ドイツは文字通り共産圏に対する最前線であり米軍の支援こそあれどもある程度自前で用意しなければならなかったのに対し、日本は自衛隊への制限から軍事費も抑制され、その分を思う存分経済に回すことが出来ました。
 もっとも、昭和時代から意外と日本の軍事費は極端に低くはなかった気はしますが。

 こうした点を比較すると、分割されたドイツに比べると日本は同じ敗戦国でもかなり経済的に恵まれた環境にあり、この辺をドイツ人はどういう風に感じているのだろうかなどと少し気になるところです。

 またかねがね主張しているように、何故日本が戦後に高度経済成長を達成できて、バブル経済を迎えることとなったのかと言うと、日本人の努力だとか基礎教育などいろいろあげつられていますが、それ以上に何よりも大きかったのは冷戦構造による恩恵を日本が一手に受けていたため、つまり日本人の努力以上に、冷戦という世界背景という幸運が日本の経済成長を支えていたのではという風に考えています。だからこそ、冷戦構造の終了とともにバブルがはじけたという風にもついでに見ています。

 そのように考えると日本人は上記の分割されたドイツとの比較を含め、もっと冷戦構造というものをしっかり見直す必要があるのではないかという風に思います。何故かというと未だにバブル経済を懐かしんだりする声が多く、まだあの時代を清算しきっていないように見えるからです。この辺、JBpressでも今度書いてみようかなとも考えていますが、過去に引きずられ過ぎな気がします。

 さて今日も昼過ぎからずっと自宅作業だったので、これから思う存分ゲームして遊ぼうと思います。この約1ヶ月にわたり毎週末家でも仕事するのがさすがに嫌になってきました。

2021年4月10日土曜日

フジHD問題の真の論点


 関係ないけど「おばけ屋敷」と「「おはげ屋敷」はどちらが怖いのだろうとふと疑問に感じました。


 先日にも取り上げたフジHDの外資比率規制定職問題ですが、一番よくまとまっているのが上の記事だという気がします。既に報じられている通り、この問題に関して政府は黙認と言うか知ってて何の処分もせず、こうして発覚した後も「今のことじゃないから」ということで済ませる模様です。
 この結果についてはある程度読めていたのでさほども驚きはありませんが、自分が地味に本当はもっと議論すべきだと感じていた論点について、上の坂東太郎氏が指摘しています。それはどの点かとかと言うと、「1)有報などの開示書類も誤っていたわけだが、さかのぼっての訂正をしなかった」という点です。

 一歩間違えれば停波もあり得る事実について、これまでフジHDは影響波及を懸念してた知ってて公表してきませんでした。総務省のお墨付きを得た後も。これはフジHDの株主にとっては非常にリスクのある情報なだけに、経営者間で秘匿していい情報かと言ったらそうではないというのが私の見方です。それだけにたとえ停波を免れたとしても、事実把握していた当事者が現経営陣にいる場合、直ちに辞任することがこの問題の落としどころだという風に考えていました。

 しかし目下のところ、この件で誰も責任を取る気配は見られません。言っては何ですが、フジHDの株主はなめられているでしょう。ライブドア事件といい、ここの会社の株主はいろいろ話題に事欠きません。

 話は変わりますが今日中国ではアリババグループに対して独禁法違反として約3000億円の課徴金が科せられたという報道がありました。まぁ真偽については議論の余地がありますが、日本も独禁法だけは比較的よく機能していてこの手の処分も自動車業界を中心にきちんと実施されているものの、それ以外の企業処分に関しては緩いも緩いというか、何すれば犯罪に慣れるのかわからないくらい大手企業には甘いです。逆にその点に関しては、意外と中国の方がまだまともなんじゃないかと最近思うようになってきています。
 まぁライブドアは問答無用で処罰されました。

 以前からも書いているように、真面目に最近日本の法の下の平等はどうなっているのか疑問に思えてなりません。明らかな不平等が大手を振ってまかり通っており、極端なこと言うともう警察、検察、裁判所の司法機関を当てにしてはならず、必要ならば暴力的な反抗も必要になってくるのではという気にすらなっています。それこそ加藤茶がいかりや長介の車に内緒で小便かけ続けたみたいに。
 何も夢想家じゃないので完全平等な社会なんてこの世に存在するわけないと私も考えていますが、建前だけは平等ということすら最近の日本はかなぐり捨ててきているように思え、この傾向には懸念を持ってみています。

2021年4月7日水曜日

日本人の決戦思想

 最近、毎晩のように夢を見ているのですが、夢の中でもほぼ必ず仕事し続けています。正直今、自分は働き過ぎなんじゃないかと真面目に心配になってきており、同僚も二人ほど今週に入って体調ダウンして休み取ってます。
 自分もそれほど体力に自信があるというわけじゃないですが、あらかじめどのあたりに仕事のピークが来るのかを見定めて、ここぞというところで踏ん張るというかタイミングを合わせるようにしているせいか、一応今のところ起き上がれないほどダメになるってことはまだないです。でもってこういうタイミングを合わせようとする当たり、やはり日本人だからか決戦思想が強い気がします。

 その決戦思想についてですが、私の所見で言うと日本人はこれがかなり強い気がします。そもそも決戦思想の定義とは何ぞやですが、「どでかいイベントがあり、それをこなすとすべて丸ごと何でも解決すると信じる」という思想をして決戦思想と私は読んでいます。具体的には、「ここさえ乗り切れれば」、「あの案件さえ終われば」、「初デートにさえこぎつければ」みたいな感じで、何かしら特定の一事をやり過ごす、解決できれば、すべての物事が好転するという風に信じ込むような考えです。

 自分も昔は意識していなかったのですが大体5年くらい前から、「日本人って何かすべての物事の成否を、それまでの積み重ねと日ごろの行い以上に、一つのイベントの成否で決まると考える人が多いな」と思うようになってから意識するようになりました。無論私自身もこうした価値観がないというわけではなく、「〇日さえ乗り越えれば」的に到達点を設定することは多いです。ただ乗り越えた結果で得られるものはあくまでそのタスクに直接影響するものに限定されるということも強く意識するようにして、一つのイベントであらゆる物事が好転するという風には信じないよう気を付けています。

 この日本人の決戦思想が特に強く反映されるのは、言うまでもなく受験と就職でしょう。いい大学に受かれば、将来は安泰で楽しい学生生活が送れ、好きな彼氏/彼女やいい友達に囲まれる……と信じる日本人は多い、っていうか9割方これでしょう。いい大学に受かれば比較的高いレベルの授業を受けられる可能性こそあるものの、それは確約ではないし、また友達や異性に恵まれるかと言ったら入学後の本人の行動次第であるものの、そうした要素はまるで無視されます。
 就職に関しても基本同様ですが、前と比べると大企業に入ったら安泰という思想が大分薄れてきているので、前よりは現実が見えるようになってきています。もっともそのかわりに現実感が強すぎて、中小企業に入ってしまったらその時点で人生終わり🔚」と考え込んでやる気なくしちゃう人も増えてきているのですが。

 実際のところ、中小だろうが大企業だろうがその後の本人の行動や意識次第で変わってくる要素もあるのですが、その辺は上記の決戦思想が邪魔してしまうというか、そうした事後要素を働かせる、動かす意識が日本人は弱い気がします。逆を言えば自分はそうした事後の要素を存分に働かせて今の立場を築いているところもあることから、この日本人の決戦思想に気が付いたのかもしれません。

 ちなみに私は新卒の時点で記者になりたかったけどどのメディアからも採用が得られず仕方なく専門商社入った後、「とりあえず中国行って、隙あらば記者になろう」というなろう系小説なノリで異世界ならぬ中国行ったらあっさり中国2社目で新聞社に潜り込み、リアルに記者になって自分でも驚きました。
 その後記者職から離れてわけわかんない品質管理とかやったりしてましたが、JBpressから声かかってまた執筆業をやるようになりましたが、やっぱ実力あればある程度何とかなるなという実感があります。非常に偉そうだけど、品質管理と化している時代に他のライターが書いた記事がどれもくだらなく思え、自分なら数倍のクオリティでもっといいもの書ける自信を持ち続けてたし。

2021年4月5日月曜日

フジ・メディア・ホールディングスの外資規制違反について

【GR 86 & BRZ 同時発表】トヨタ86 改め『GR 86』、今秋発売へ…排気量拡大、AT車にアイサイトも(レスポンス)

 本題と関係ないけどこの記事の新しい86みて、「Zやん」とばかりにフェアレディZを連想しました。それも今度の新しいのではなくかつての350Zで、ぶっちゃけ自分好みのテイストです。コメント欄にも同じような指摘をしている人がいますが、馬力の増加もそうですし、意図的に350Zに寄せてきているのではと思う節があり、この辺のユーザーシェア拡大を狙ってのこのデザインじゃないかと勝手に見ています。


 そういうわけで今日のビッグニュースですが、先に外資規制違反がばれた東北新社が一部放送事業の認定取り消しとなったことを考えると、フジもそうせざるを得ないんじゃないのと他人事のように見ています。まぁ他人事ではあるのですが。

 このニュースの一番のポイントは、外資規制違反を認知していたかという部分で、この点に関しては朝日の取材に金光社長は認知していたということを認め、さらにそのまま二年間放置していたとも述べています。まぁ普通に考えてアウトでしょう。
 仮に株主間の持分譲渡などで偶発的に違反状態が発生し、一ヶ月内に是正をしたとかならばいくらか仕方ないと思う面もありますが、生憎ながら今回はそのような例ではありません。また個人的な視点で述べれば、かつてのホリエモンによるフジサンケイホールディングス株買収事件の際にトヨタの奥田碩会長(当時)に、「自分の会社の持ち分比率すらきちんと注視していないのは経営者として失格」とまで言われてましたが、あれから何も反省とかしてなかったんだなという印象を覚えます。

 まぁフジグループは東芝同様に上級国民ならぬ上級企業なため、一般の法律が適用されて処罰されることは今の日本ではありえないため、なぁなぁ「今度から気を付けような(^_-)」で終わる可能性が高いともています。はっきり言えば今の日本からは豊かさとか誇り以前に、法の下の平等が最も失われていると常々思うこともあり、今回も天の声一発できまるとみています。

2021年4月4日日曜日

外交の下手過ぎる最近の中国について

 沖縄本島 結論から言うと、最近の中国のあまりの外交の下手ぶりに内心呆れています。

 今日も空母遼寧で沖縄本島-宮古島間を航行したそうですが、こうした国境付近での軍事示威活動をコロナ流行以降、非常に活発化させています。ただでさえコロナ対策で各国があくせくしている中、こうした行動をとれば平常時よりも相手国のヘイトを買いやすいというのは言わずもがなですが、一番意味が分からないのはこうした行動を同時多発的に複数方面で中国が行っていることです。

 具体的には、日本(尖閣諸島付近)、インド(カッシム地方)、ベトナム(南沙諸島)などで、何故か全方面で同時に挑発的行為を行っています。普通に考えればどれか一つの地方に集中するのが常道だと思うのですが、全方向で同時にやるもんだから関係しない西欧諸国ですら中国に警戒感を持つに至っており、真面目に何がしたくてこんなヘイト稼いでいるのかと理解できません。まだコロナ以前は南沙諸島に限定している節があったのに。

 軍部が独走しているのか共産党中央が指示しているのかまでは私も把握していませんが、少なくとも他の国の対中国意識という観点から見れば、今の中国の行動は悪手も悪手だと思えてなりません。そもそもこう言う行動をとる際は、相手国にさらにプレッシャーをかけられるよう楔となるような第三国との関係を良くするものだと思うのですが、上記の日印越の三ヶ国以外にもやたら横柄な態度をとるあまり、アジア地域においてはほぼすべての国から嫌われるに至っています。シンガポールですら最近、なんか中国と距離を置いてきているように私には見えます。

 逆に中国と仲のいい国を挙げるとすれば、中国人自身はパキスタンを挙げ、ここは確かにインドへのプレッシャーをかける上では重要なパートナーです。しかしその他の国となると北朝鮮とロシアくらいしかなく、西欧諸国でもこれまで中国寄りだったドイツがここにきてメルケル首相がはっきりと距離を置くような発言をするようになり、だんだんと国際関係において孤立化が進んできています。
 また比較的関係が近いロシアですが、正直ここは今後数年間、国際政治においては弾薬庫となりうる可能性が高いとみています。というのもプーチン政権に陰りが見えてきており、その行く末についてはっきりと懸念がどこからも持たれているからです。大統領就任から約20年に渡りプーチンはロシアを支配してきましたが、概して強力な指導者がいなくなった後ほど国家は混乱が起きやすく、今後のロシア情勢はかなり荒れる可能性があります。

 まぁ荒れないとしてても、ロシアほど味方にするのに信用できない相手はいないから、中国人によく「ロシアを絶対に信用するな。すぐ後ろから刺してくる」と伝えていますが。

 話を戻すと、なんか最近の中国の外交は方針が見えないというか、ただ無闇に周辺国を挑発し続け関係を悪くさせているだけにしか見えません。領土拡大したいってんなら先ほど書いたようにどこか一点に絞った方が絶対的に有利だというに、そうした方針は一切なく、とりあえずぶつかるところすべてにぶつかってけみたいなイノシシみたいな戦法を取ってきています。なぜこんな風になったのかはやはり、コロナで他の国はあまり動けないだろうと考えたのではとは思いますが、それにしたってこんな下手な外交するのかと不思議に思えてなりません。

 逆を言えば、国内統治としてはあまり不安感はないものの、共産党内部及び人民解放軍の統治においてて中国指導部になにか起きているのかもしれません。それを考慮してもかつての胡錦涛政権と比べるとその方針のなさにはあきれるばかりで、あちこちもめ事起こされるたびに火消しに回らされる王毅外交部長(元日本大使)には同情感を強く覚えます。マジ大変だと思うから頑張ってほしい(´;ω;`)ウッ…

2021年4月3日土曜日

五輪組織委の週刊文春への抗議について

 明後日月曜は中国でのお盆に当たる清明節で今日から三連休ですが、この1ヶ月くらいの世を忍ぶ仮の本業での負担が大きく、初日の今日はリアルに寝たきりでした(ヽ´ω`)。朝10時半くらいに起きて近くのラーメン屋にお昼食べに行った後、掃除して、少しゲームして、4時から7時まで昼寝して、マクドで飯食ってきて今に至ります。まだ体だるいし、夜もぐっすり眠れそう。でも明後日月曜はまた休日出勤しないと行けなさそう( ´Д`)=3


 それで本題ですが、上記リンク先にまとめられている通り東京五輪のオープニングセレモニーの演出に関する週刊文春の報道について、五輪組織委が抗議を行いました。この件に関して私は文春を支持します。

 オープニングセレモニーの演出については先日、芸能人の渡辺直美氏を豚に見立てて「オリンピッグ」というネタを考えた問題ある電通マンが更迭されましたが、今回の文春の報道も、組織委の講義もこれに関連するものでしょう。詳細は他のサイトの解説などを当たってもらいたいのですが、聞くところによると元々はMIKIKO氏のチームが演出を担っていたものの、昨年のコロナ流行に伴う大会の延期後、組織委からMIKIKO氏への具体的な連絡などないまま担当チームが先の電通マンのチームに変更されていたそうです。
 そもそも延期によって演出チームが変更すること自体おかしいと思え、見えざる力が働いたとしか言いようがないでしょう。それでいて、「オリンピッグ」というくだらないネタしか浮かばない人間を前に出すということをとっても、組織委の問題ぶりが垣間見えます。

 そこにきて今回の、葬り去られたMIKIKO氏案に関する文春報道への組織委の抗議です。まとめ記事でも指摘されていますが、電通マンの更迭を受けて組織委としてはMIKIKO氏の案をそのまま流用するつもりだったからこそ、今回の文春の報道に対して「ネタバレになる」とみなして抗議を行ったのでしょう。だったら最初からMIKIKO氏を留任させ続ければよかったのだし、電通マン更迭時に頭を下げて三顧の礼で迎えるべきだったとも思います。
 そもそも昨年に電通マンを迎えた際にかなりひと悶着があったとのことで、野村萬斎氏と椎名林檎氏が降りた理由もそこにあるのではとも言われています。真偽に関してはもう少し詰める必要があるものの、だからこそ今回の文春のように組織委の不透明な実態に関する報道は公益性があると思え、ネタバレに対して抗議する以前に組織委は演出チームの混乱ぶりについてしっかり内部検証を優先するべきでしょう。

 私は文春の報道を何でもかんでも肯定するつもりはありませんが、近年の文春の報道に関しては素直に目に見張るものがあります。真面目な話、政治報道記者を目指すものは大新聞なんかより文春を目指すべきだと思え、逆に大新聞は早く記者クラブを解散しないと、どんどん実力面で文春などの記者に置いてかれると言いたいです。
 にしても自分も日本にいたらJBpressとかで政治部とか起ち上げたいです。勝手に起ち上げられるJBpressは迷惑でしょうが(;´・ω・)

2021年4月1日木曜日

日本が開発を強化すべき分野とは?

 今日は久々に9時前に家に帰ってこれたのでブログ書けます。昨日とかゲロ吐きそうだったけど、今日は昼食抜いて昼休み中もずっとパソコンの前に座り続けた甲斐があってやや早く帰れました(ヽ''ω`)

 さて月曜にJBpressで出した記事ですが改めてこちらは非常によく当たり、昨日一昨日もJBpressサイト内でアクセス稼いでたようです。当てるつもりで書いた記事ですが、計算通りに記事を当てるよりも予想外に当たることの方が実際には多いため、今回は上手いこと自分の想定通りに事を運んで満足しています。

 その記事の反応ですが、ヤフコメを見ていて二つほど気になったコメントがあります。一つのコメントは、私が有識者を招いて国としてしっかりと強化すべき産業分野を定めるべきだと書いたことについて、そんな将来当たる技術や産業なぞ不確実だから予想できるものかって反論です。
 これについては見ていて物悲しさを正直覚えました。というのも、中国は少なくともこの10年でしっかり金になる産業をあらかじめ選んで、強化して、市場化に成功させています。リチウム電池やドローン、AIが代表格で、太陽電池や3Dプリンタという白骨と化した産業もあるものの、辺りを引く確率で見ればそこそこなものだと私は思っています。このようにすぐ横に国家ぐるみの強化方針が当たっている例があるというのに、初めから日本にできっこないと信じ切っている人がいるほど日本人の視野は狭くなっているのかと思いました。

 二つ目は、上記コメントにも重なりますが、具体的にどのような分野を強化すべきなのかっていうコメントです。これは確かに重要な論点であり、記事中で私は少なくとも優位のある分野として素材系と自動車を挙げていますが、これら以外にも挙げるとしたら、っていうか開発を強化すべきものがないかと自分もいくつか考えていました。

1、個体電池
 既にあちこちで挙げられていますが、逆に私は不安を持っています。というのもこの手の電池系は中国も強化していて、少なくとも市場製品分野においては間違いなく今は中国が世界最強です。その逆転の切り札とばかりに最近日本でやたらと持ち上げられていますが、大抵こういう期待値の高い奴は後で裏切られるというか、できないか、できあがっても普及しないかというパターンが多い気がします。
 第一、日本だけが研究開発しているわけでもないのに、「これさえあれば日本は最強」と言い張る人がいるのが不思議です。開発価値はあるものの、三元系リチウムイオン電池すら10年前はほとんど知られてなかったことを考えると、電池の世代更新は速いんだから過度な期待はしない方がいいと思います。

 ご存じガンダムSEEDに出てくる夢の技術。どういうものかと言うと、核分裂を阻害する周波を出す装置で、これにより作中では核ミサイルが世界中で無力化しています。
 世界唯一の被爆国として、核のない世界を作るために日本はこの技術を現実化する使命があるのではと密かに思っています。もっともこれ実際にできたら、原子力発電所すら一発で沈められるため、核ミサイル以上にインフラ面で恐ろしい兵器となりうるのですが、それだけにこれ開発出来たら日本はかなり夢が広がる気がします。

3、ビームライフル
 歩兵用携行火器は1世紀前のジョン・ブローニングのガス圧による自動排莢・装填装置の確立以降、そこまで極端な進展は見られません。いくら航空機や空母が主力とはいえ、歩兵用の兵器でもっと革命的なものを作れないかとなると、やはりビームライフルに至る気がします。っていうか、これ本当に出来たらアメリカにも勝てるんじゃないか?
 冗談はさておき昔、「太閤立志伝5」で自分の作った火縄銃に「ビームライフル」と名付けたら、知らない間に流通していて山賊からがめた火縄銃を鑑定士に鑑定させたら「これはビームライフルでござるな」とテキストが表示されてビビりました。

4、強化人間
 前々から私はこれから日本が開発すべき技術として脳波感応装置ことサイコミュを挙げていますが、仮にサイコミュが出来てもそれを使える人間がいないと話になりません。となるとやはり開発を優先すべきは強化人間ということとなります。
 目指すはギュネイ・ガスのような水準ですが、彼はある意味強化人間の最高峰(中の人は声優界での演技力が最高峰)ともいえる水準であり、一気にここまで求めるのはさすがに高望みしすぎかもしれません。となると一段レベルを落とさざるを得ないのですが、そうなるとエルピー・プルことプルシリーズが妥当なラインとなります。

 もっともプルシリーズでも十分というか、下手すりゃエヴァシリーズより頼りになりそうです。真面目に、プルシリーズが量産の暁には中国なぞ一瞬で叩きのめせるような気すらして、何故今まで日本は強化人間を作ろうとしなかったのだろうかと疑問にすら思えてきました。ちなみに量産されたら12号は戦争には出さず、そっと静かに暮らさせてあげたい(´;ω;`)ウッ…
 なおふざけ半分な一方、真面目な意見として、仮に強化人間の量産に成功した暁には、日本のガチな課題と言うか少子化の解決にもつながるんじゃないかとすら考えています、マジで。国家として強化人間をクローンでもいいからたくさん作って、兵力化、産業化していけば、国として軍事、経済力が強まるだけでなく、少子化問題もこれで解決できる一石二鳥なベストプランであるように思え、なぜ日本は強化人間を今作ろうとしないのかさらに疑問に思えてきました。

 以上から、私個人の意見として日本が今後開発を強化すべきは強化人間だという結論に至ります。中にはフォウ・ムラサメみたく記憶をなくしちゃう強化人間も出てくるかもしれませんが、「カガクノハッテンニハギセイガツキモノデース」という人もいることだし、迷わずやれよ、やるしかないんだというつもりで誰かチャレンジしてほしいです。