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2021年11月29日月曜日

鬼束ちひろ容疑者の自称報道について

 具体名は明かせないけど、今月発売されたゲームが楽しくてしょうがない、というより感動して毎夜号泣しています。真面目にドラクエとかFFがかすんで見えるくらいの名作であるように思います。


 それで本題ですが、昨日に救急車蹴って逮捕された鬼束ちひろ容疑者、それとも鬼束メンバー?について、朝日新聞がその職業について「自称シンガー・ソングライター」と書いたことが各所で波紋を呼んでいます。この件について自分は最初、脳科学者(自称?)の茂木健一郎氏が違和感あると述べたことの報道を見て知りましたが、茂木氏の疑問には自分も同感で、誰もが歌手だと認識している鬼束氏についてなんで「自称~」と表現したのだろうと思いました。

 敢えて勝手な推測を述べると、往年と比べて歌手活動が目立たなくなっていたことから、今でも歌手と呼べるのかという点で変に慎重になって「自称」と朝日はつけたんじゃないかと思います。ただかえってこの表現は読者を混乱させる方向にしか働いておらず、はっきり言えば悪手この上ない表現だったと思います。実際に今回、朝日も修正に迫られてもいるわけだし。
 ちなみに自分だったら、どうとでも逃げられるように「シンガーソングライターとして活躍した鬼束ちひろ容疑者」と表現します。これなら過去形にしつつ現況に関してどうとでも取れるようになります。

 そもそもの話、個人の職業や肩書なんてその本人のみならず周囲の人間においても個人の裁量が大きく作用するものだと思え、むしろ自称以外の職業や肩書なんてあんのとすら内心思います。それこそ古いのだと「ハイパーメディアクリエイター」というのもありましたが、これについても「自称ハイパーメディアクリエイター」と書いた記事は過去に見たことありません。
 また複数の肩書がある場合、たとえば橋下徹氏なんかは「弁護士」とも書けるし「元大阪市長」とも書けるし「芸能コメンテーター」とも言えます。けどこれ全部羅列したら「弁護士兼元大阪市長兼芸能コメンテーターの橋下徹氏」になりますが、誰もこんな風に言う人はいないでしょう。でもって上記肩書のどれを使うかは、大きく事実から外れてさえいなければそれこそ紹介する人や記事書く人の裁量で好きに決めるべきであって、こうじゃなきゃダメと限定するのは野暮もいいところでしょう。仮に本人が、「こっちの肩書で紹介してほしい」と普段からアピールしてるなら別ですが。

 もっともそう言いながらですが、この件でちょっと思い出したのは過激な発言で知られる漫画家の平野耕太氏のエピソードでした。平野氏は以前、同じ漫画家(自称)の江川達也氏について、「現在漫画を一切書いてないのにテレビに出て漫画家と名乗っている」と述べて激しく批判していました。
 実際に江川氏は昔は売れっ子漫画家だったけど描かなくなって久しく、にもかかわらずテレビなどのメディアに出る際は漫画家という肩書を使っており、これにはこれで私もいくらか違和感を感じます。漫画家として名乗るには連載を抱えている必要はないとは思うものの、果たしていまの江川氏は立ち位置的に漫画家と名乗るのはどうなのかなというもやもや感は確かにあります。
 なおそういう平野氏は自分の職業について一時期、「江川達也をテレビで見るたびに舌打ちをする係」と名乗ってました。

 なお私は電話取材とかする際には「フリージャーナリストの花園祐です」と名乗りを上げますが、これはこれで実態とは少しずれがあります。実際の私はメディア業とは関係ないサラリーマンだし、生涯のキャリアにおいて正式な記者として活動した期間もわずか2年と極端に短いです。とはいえ取材でいきなり「某社でサラリーマンしている花園祐です」と名乗られたら企業広報もビビるだろうし、取材目的という立場をはっきり示すように敢えて「フリージャーナリスト」などとうそぶいて名乗っています。
 じゃあどんな肩書が自分には適切なのかですが、敢えて言うなら「兼業ライター」あたりが一番いいかもしれませんが、これはこれで名乗っても相手が分からなくなって困りそうです。ほか思いつく辺りで挙げるとしたら、

・歴史コラムニスト
・名ばかり松戸市民
・元品質管理従業員
・サイクリスト
・ハイパー中国記事クリエイター

 こんなのが出てきますが、意外と自分はハイパーメディアクリエイターって肩書気に入ってんだなって気がします。あと散々ネタにしている松戸市については、実は一度も住民票を入れたことがなかったりします。

2021年11月28日日曜日

税金関連の書道とかポスターのきな臭さ

 昨日の日本シリーズ第6戦は見てるだけでもしんどい試合でしたが、実際に戦っている選手たちからすれば本当にきつい試合展開だったんじゃないかなと思います。自分はこのにオンシリーズ、先発ではオリックス、中継ぎではヤクルトに分があるとみていましたが、両チームともに先発投手全員があり得ないくらいの好投をみせており、結果的にその中継ぎの差が最終的なヤクルトの勝利につながったような気がします。
 まぁマクガフ打たれたけど、昨日の試合はリベンジ決めてくれた。


 上の記事ではどうも国税庁かなんかが主催したポスター、書道コンクールに出品された小中学生の作品が展示されていますが、これ自分が以前住んでたマッドシティこと松戸市もやっていました。しかも松戸市、元からやや頭おかしい地域ということもあって、このコンクールで出された書道作品を松戸駅に展示していました。
 その結果、駅中に「青色申告」、「確定申告」、「正しい納税」などと書かれた書道作品がずらりと並び、これ見た知人が「怖い、北朝鮮っぽくない?」と言ってましたが、激しく同感です。

 単純な話、なんでこんな内容を小中学生に書かせるのか意味が分からないです。むしろ税金を実際に支払っている社会人にこそ書かせるべきコンクールでしょう。もっとも社会人に書かせたら、「苦しい納税」、「青色申告(建前)」、「やさしい脱税」などという文字が踊るかもしれませんが。
 少なくとも小中学生に書かせるんだったら、もっとましな標語とかの方がいいと思います。環境問題とか教育問題(いじめなど)、あと差別問題などもっと穏健なテーマがあるっていうのに、税務なんてマジで思想教育にしか見えず、やろうと言い出した奴の気が知れません。

 ちなみにその税務について、私は周りに詳しい人間多いこともあって成人になってからいろいろ勉強しましたが、なんでこういう重要なことを中高の教育で教えないんだろうなと前から思っています。相続税は相続者が多い方が節税しやすいとか、損金算入の構造、基礎控除など、普通に生活する上でも必要な税務知識は教育の現場ではあまり教えられません。というより、意図的に教えていないと断言できます。

 日本は他の国と比べても国民の税務への関心や知識が低いと一部で指摘されていますが、私もそのように考えています。こんなわけわからない税務標語の書道とかやらせる暇あったら、簡単な税務知識くらい中学生の間にしっかり教えろと言いたいです。

2021年11月25日木曜日

左投手は寿命が長い?

 今日ほんとは切れたバナナ買う予定でしたが、帰宅途中でおなかがやや痛くなり、寄り道せずに家に向かって事なきを得ました。こういう時、なんとなく冬山登山してるような気分になります。

 話は本題ですが今年の日本シリーズはめちゃ楽しいです。どの試合も白熱しており、また両チームともに先発がかなり奮闘した上で、打つべき打者が要所でちゃんと打ったりして、テキストでしか負えていませんが見ていてかなり楽しませてもらっています。今やっている試合も、今日はオリックス勝つかなと思ってたらいつの間にかヤクルトの山田選手が3ラン打って同点にまで持ってきてるし(;´・ω・)

 なお素人的な選評をすると、両チームともに主軸打者に対しては徹底的な対策を施しており、どちらの3番、4番もあまり打率は高くありません。特にヤクルト側では、オリックスの三振をほとんどしないことで有名な吉田正尚選手を何度も三振させているあたり、相当研究しているのではと伺えます。
 その分、主軸以下の下位打線の選手の方が打率がやや高く、この点でヤクルトの中村選手がかなり活躍しています。上位打線をお互い封じている分、下位打線と代打が勝敗分けているようにも見えます。

 そんな日本シリーズ第4戦の昨日の試合ですが、カツオことヤクルトの石川選手がアラフォーで勝利を挙げました。今朝は石川選手の熱投を称える記事が数多く出ていましたが、これ読んでて地味に気になった点として、「なんで左投手って寿命長い選手が多いんだ?」ってことでした。
 石川投手は言うまでもなく左投げの投手ですが、その彼と同じく球速は高くないのに何故か勝利を上げ続け長く活躍したことからよく比較されるのは、言うまでもなく元中日のプロラジコンレーサーの山本昌氏です。山本昌氏は日本プロ野球において数々の最年長記録を保有しており、そのご長寿ぶりでは間違いなく日本ナンバーワンの投手ですが、言うまでもなく彼も左投げです。

 そしてその山本昌氏に抜かれるまで投手で多くの最年長記録を持っていたのは、今年で辞めちゃうけどソフトバンクの工藤公康氏で、彼もまた左投げです。このほかソフトバンクだと今も現役の和田投手が、このまま松坂世代のラストワンになるだろうというくらい長年にわたり投げ続けています。


 このようにご長寿投手に左投げが異様に多いことについて検索してみたら、つい先日に同じく左投げで現役時代は一切怪我せずやたら投げ続けた元阪神の下柳氏がまさに同じことを言及していました。まぁ怪我無く投げ続けたけど、スタミナなくて試合後半はJFK任せでしたが。
 また上の記事を見て自分も気が付いたのですが、元中日の岩瀬氏もあれだけ毎年投げ続けながら長く現役生活を続けています。詳しい統計は手元にないですが、一定上の投球回を投げた選手に限定した場合、左投手の寿命は確実に右投手より長い気がします。

 ではなんで左投手はこんな寿命が長いのか。その点について下柳氏は、左投手の方が腕の投げ方が自然体に近くなり故障し辛いためと言及しています。この点はアンダースロー投手についてもよく同じことが言われています。
 また記事にも少し触れられていますが、左投手の方が希少でかつバッターを抑えやすいことから、その点でも長く活躍が続けられる点もあるでしょう。同じ球速、コントロールなら、確実に左投手の方が球団も重宝するでしょうし。

 などと語っていたら9回にオリックスがA・ジョーンズがホームラン打って勝ち越しに成功。ソフトバンクによる巨人の公開処刑だった過去2年の日本シリーズと比べ、本当に今年の日本シリーズは面白いなぁ(∩´∀`)∩

2021年11月24日水曜日

上杉謙信には野心はなかったのか?

 最近こっちのブログの方であんま歴史記事書いてないので、JBpressには出せないような推論、仮説記事を書くとしたら、やっぱ上杉謙信の野心アリアリナシナシ議論だと思います。結論から書けば、彼も天下を取るという野心はあったと自分は見ています。

 上杉謙信に関しては自分が以前に取り上げた元寇のように、この10年くらいで研究が進んできたというかこれまでの評価がかなり変わってきた武将であるという気がします。彼の評価が変わってきた原因としてはやはり、一昨日に出した記事で私も取り上げた、彼の関東地方に対する干渉が以前と比べ知られてきたからでしょう。それ以前はというと、上杉謙信とくればまずは武田信玄との川中島の戦い、そして織田家との手取川の合戦ばかりがクローズアップされ、極端な話、それ以外の面に関してはほぼ無視されていたような節すらあります。

 特に川中島の合戦に関しては、信玄に追いやられてきた村上義清などの武将を受け入れ、彼らの救援要請に応えるようにして武田家と戦っているように見えることから、謙信の「義の武将」というイメージを確立させたように見えます。実際のところは亡命武将の要請に応えたというよりかは、勢力を拡張してきて国境が接することとなった武田家を抑えるという明確な領土保全目的、それと対立する北条家の同盟相手である武田家との二面抗争的な面で川中島の戦いは起きているように見え、義のための戦ではないように自分は見ています。

 その上で、やはり上杉謙信としては、勝ち取っても実りのあまり多くない信濃ではなく、鎌倉時代から一応は武士の聖地でもあった関東を支配、つまり北条家との戦いが主目的であったと思います。大義名分としても自らが匿った関東管領の上杉憲政が致し、また京都の足利幕府とも外交を行っており、そうした権威面での補強をしたうえで関東に攻め込んでいることから、領土拡大意識は明確にあったと言えるでしょう。
 またあまり知られていませんが越中こと石川県方面にもしょっちゅう攻め込んでおり、この点一つとっても領土拡大意識が明確にあったと断言出来ます。ただこちらは一向一揆がめちゃ粘り強く抵抗したことで、謙信の思っていたようには領土を切り取ることはできませんでした。確か織田信長包囲網が出来たことで初めて一向一揆と和解してるし。

 ではなんで、戦国最強と言われながらも上杉謙信は領土を拡張できなかったのか。理由としては大きく二つあり、一つは武田信玄同様に本拠地に恵まれなかったことがあるでしょう。雪深い越後を本拠としていたことから冬の間は完全にオフシーズンとせざるを得ず、かといって夏の間は農作業があってあまり兵を動員できずで、戦闘可能な期間はかなり限定されていたでしょう。
 また領土を拡大しようにも、関東には北条家、信濃には武田家、越中には一向一揆と強敵に三方を囲まれており、広げようにも相手が強くてなかなか広げきれないというところもあったかと思います。この点、織田信長なんかは、朝倉義景という無能がまだ相手だった分、得だったでしょう。

 次に、こっちがメインの問題点でしょうが、やはり本拠地が安定しなかった、というより家臣団の団結や忠誠が弱かったため、謙信自らが自国経営にしっかり取り組まざるを得ず、分業が思ったより捗らなかったところもあるでしょう。

 この辺、上杉家に詳しい人ならわかるでしょうが、上杉家(長尾家)は本家と分家の抗争が結構激しく、家臣団も本家派と分家派で根強く対立していました。実際に謙信が死んだ後の後継者争い(み御館の乱)で上杉家は激しい内部抗争を繰り広げており、また謙信自身も当初家督を継いだ兄から、家臣団の後押しもあったとはいえ、家督を奪う形で当主になっています。粛清とかしていたらまた違ったかもしれませんが、カリスマ性抜群だった謙信が生きていた時代ですら上杉家中はもめ事に事欠かない状態でありました。

 また先日の自分の記事に対するコメントにもたくさん書かれていますが、北条高広を始め、上杉謙信を裏切った武将は実はかなり多くいます。無論、裏切りの背景としてはいろいろあるでしょうが、かなり有力な武将ですら裏切っているものがおり、家臣団、また支配地域の統制面が他家ほど上手くいっていなかったように見えます。謙信に責任があるかという点については議論の余地がありますが。

 このように、外的要因もさることながら内的な問題、現代風に言えば内部統制に不備が多かったことから、野心も実力もあったものの謙信はその領土をそれほど大きく拡大することはできなかったと自分は考えており、その上で「義の武将」というのはやはり間違った見方だと考えています。
 逆に内部統制が優れていたとなると、やはり織田家はあれだけ支配地域を広げ、非血縁関係者である重臣に方面軍を任せたりした点から言ってもかなりの水準にあったと思います。まぁ最後は光秀に裏切られたけど。同様に、謙信とメインで対立していた北条家も関東支配に関しては比較的よく収めており、小田原攻めでも圧倒的不利な状況にありながら最後まで裏切らずに戦い続けた武将も多い点から言って、内部統制に優れていたと考えています。

 このように考えてみると、戦国時代の成功のカギは武力以上に内部統制、如何に配下や親戚を裏切らせずに使えるかにあったのかもしれません。これはこれでまた記事書くネタに使えるかもしれません。

2021年11月22日月曜日

佐野記事の裏側

もはやあっぱれ!あの上杉謙信を裏切りまくった武将がいた(JBpress)

 またヤンマガ的な自分の記事紹介ですが、この記事は去年このブログに書いた記事の焼き直しです。内容自体は把握できているけど年数や経過を細かく追う必要があるので思った以上に執筆作業に時間食いましたが、記事自体は書いてて楽しかったです。
 肝心のアクセスはまたも武藤さんの韓国記事にやられて2位ですが、リンクのつけられた上杉謙信の関連記事を書いている乃至政彦さんの記事もアクセスランキングを押し上げており、JBpress編集部にはある程度貢献できたと考えています。

 基本的に追記することはない記事ですが、最後の締めの部分は当初、「こんな『裏切られるより裏切りたい』みたいな人生を送ってみたい」と書いていました。わかる人はいるのかわからないですが、これはキンキキッズの「愛されるより愛したい」という曲のパロディめいた言葉で、何故か知らないけど執筆中に浮かんでそのまま書いていたのですが、文字数的にもかなりキツキツだったため、編集段階で削除されてしまいました。
 地味にこの記事、3000字でこの内容を収録してあるのは我ながら大したものだと考えています。多分普通の人が書いたら1200字か5000字になるのではないかと思います。

 あとなんかヤフコメでわけわかんないコメント書いた馬鹿いたから、記念がてらにリンクをここに残しておこうと思います。

byl*****

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上海在住ジャーナリストが知ったかぶりして
嘘八百の出鱈目を書くな!


 以前の記事でもそうですが、記事の内容ではなく書いた人間の属性で以って恥ずかしげもなく批判する人間っているもんだなぁと思います。まぁいること自体は別に何とも思わないけど、相手を見て言えよなぁ。

2021年11月21日日曜日

呪われたスズキ車

 昨日今日ともに日本シリーズのヤクルト対オリックス戦は白熱した試合展開で、今シーズンの優勝チーム動詞に相応しい熱戦で密かに楽しんでいます。特に第1戦はどちらもエース、4番がはっきりと存在感を見せつけ、明後日以降の試合も非常に楽しみです。



 さて話は本題ですが、昨日上海の街中でこの車を見て一瞬目を疑いました。この車を一目見てピンときたら110番というわけじゃないですが、一般的にはあまり知られていないものの、そこそこ自動車に詳しい人からしたら別な意味で有名な車です。


 やや影となって見えづらいですが、この車の名は「キザシ」といって、メーカーは日本のスズキです。そしてこの車は、「呪われたスズキ車」として有名です。

 そもそものこの車の成り立ちから話すと、軽自動車メーカーを代表するスズキは2000年代後半、自社の空白となっている高級セダン車の投入を決め、開発したのがキザシでした。


 そうした経緯を経て2007年にドイツで初公開されたのが上のキザシのコンセプトカーでした。見るからにラグジュアリー感のあるモデルで、価格などはおいといて市場関係者からはそこそこ期待感とともに好評を得ていました。

 しかし開発が進むにつれてデザインはどんどん普通っぽく、っていうか安っぽくなっていき、満を持して出てきたのが最初の写真の姿でした。恐らく対抗馬としてトヨタのクラウンが想定されていたんじゃないかと思うのですが、結果的に言えばキザシはクラウンというよりはカローラっぽい姿と変り果て、走行性能はまあまあ評価されていたものの、このデザインでそこそこ高めな値段が設定されていたこともあり、全く売れませんでした。これはスズキの販売力云々ではなく、明らかにコンセプトに齟齬が見られた結果でしょう。

 そんな感じで大量に売れ残ったキザシの処理に困ったスズキは、在庫一括処理とばかりに静岡県警へまとめて供給することとしました。その結果、キザシの全登録台数のうち約1/4が静岡県警の所有車となったため、「キザシを見たら覆面パトカーと思え」と言われるほど「「キザシ=静岡県警」というイメージが定着してしまいました。実際間違ってないですが。
 そのため一般ユーザーがキザシに乗っていると、周りの車が速度を下げたり、道を譲ってくれたりなどとやけにおとなしくなるというオプションが付いたと言われています。ある意味、お金で買えない価値を持った車でした。

 そうした経緯もあって、性能よりも個性やレアリティを重視する自分も日本にいた頃にこのキザシを買ってみようかなと思った時もありました。しかしネットで新車価格を見て、すぐにその考えを打ち消しました。それくらい価格と風采の不一致が激しい、っていうかカローラっぽい車にクラウンの価格がつけられているに納得感が得られませんでした。

 最初に話を戻すと、そのキザシが何故中国にあるのか。この一点で以って激しく動揺したというか、静岡県警関係者でもいるのかと思ったわけです。真面目にオーナーがいたら「なんでこの車買ったの?この車が日本で呪われていることを知ってるの?」などと聞きたかったのですが、生憎そばにはオーナーらしい人はおらず、聞けずじまいでした。
 さすがに近年はランエボは見なくなりましたが、上海市内だとたまにWRXなどレアな日本車を見ることがあり、そういう時はかなりうれしく感じます。しかしこのキザシに関してはうれしさというより困惑しか覚えず、まぁレアなものは見れたのだから何かいいことがある兆しなのかもしれません。

 なお最近見たものだと、上海市内で「レクサス・LC」を見ました。それ以前はLCの存在自体知らなかったのですが、実物を生で見るとそのボディ全体の流麗さはすこぶる良く、こんな車があったのかとかなり魅了されました。レクサス車についてはフロントマスクは好きじゃないですが、ボディ全体のデザインというか形は確かによくできている気がします。

2021年11月20日土曜日

オレオレ詐欺をより厳罰化してはどうか?


 上の記事は今日出たオレオレ詐欺を未然に防いだコンビニ店長に関するニュースの反応をまとめた記事ですが、相も変わらずオレオレ詐欺は続いており、且つその手口も巧妙化していると感じる内容となっています。この元記事をたまたま今日昼めしに入った日本料理屋で食事が出るのを待つ間にスマホで見ていたのですが、「この際、シャレにならんくらいオレオレ詐欺は厳罰化した方がいいのでは?」という感想を持ちました。

 率直に言って、オレオレ詐欺の最も恐ろしい点は何かというと、被害金額の大きさや謙虚の難しさではなく、犯罪者を再生産する点にあると自分は思います。「うそつきは政治家の始まり」というように、基本的に犯罪者は小さな犯罪を重ねて学んでいき、大きな犯罪へと手を染めていきます。それまで犯罪と縁なかった人がいきなりビッグな犯罪を手掛けるということは、ないことはないものの稀であり、やはり犯罪の入口となる軽犯罪の時点で検挙補導、若しくは実行をあきらめさせることが犯罪抑止において重要だと思われます。

 その上でこのオレオレ詐欺ですが、かけ子や受け子たちが捕まった後によく、アルバイト感覚だったとか先輩に頼まれたからなどと、非常に軽い理由で犯罪に手を染めたという供述をすることがあります。実際にオレオレ詐欺は、その犯罪手法から入り込みやすい上に、かけ子、受け子、出し子という風に役割が分担されていて、一から十まで同一人物が実行する訳じゃないことから罪悪感を感じにくいところがあるでしょう。それこそ軽い気持ちで、黒幕からお小遣いやるからと言われて手を染めて、その後自らも主導するようになるというパターンも少なくない気がします。
 また大きな詐欺事件などで捕まった人たちの経歴でたまに、最初はオレオレ詐欺からやり始めて、次第に規模を発展させた(電子通貨軽犯罪で多い)という報道もみられます。こうした点を踏まえると、やはりオレオレ詐欺というところから大きな犯罪が生まれているようにも見え、犯罪者の強化、再生産という点でオレオレ詐欺はかなりのポテンシャルを持っていると感じます。

 以上から、オレオレ詐欺自体撲滅する、減らすことは、それ以降の大きな犯罪の減少にもつながると思われ、もっと本気でこの犯罪の対策に取り組む必要があると思います。ではどうすればいいかですが、単純に厳罰化することが一番効果的だと考えます。


 実際のオレオレ詐欺逮捕者の量刑はどの程度なのかと調べてみたところ、上記ページによると被害額などによってやはり差が出るものの、令和2年の犯罪白書統計では懲役2~3年が最も多く、これが一つの基準になっているようです。ただこの刑期ですが、執行猶予がつくというパターンもあるようで、刑期から察するに初犯に関しては詐欺を主導しておらず指示を受ける側であれば執行猶予を得る確率も高いのではと思います。
 また刑法規定ではどうなっているのかというと、オレオレ詐欺は詐欺、窃盗などに分類され、懲役10年以下、つまり最高で10年となっている模様です。

 以上を踏まえてどう厳罰化するかですが、やはり最低基準を引き上げるのがベターである気がします。具体的には、執行猶予は基本設けず、オレオレ詐欺に加担したら確実に懲役刑を喰らうようにするのが一番いいかと思います。その上で懲役期間も最低2年、もっとメリハリつけるなら5年にするのが望ましいかと思います。
 そして最高刑に関しては、この際だから死刑にしてもアリじゃないかと思います。理由は前述の通り、オレオレ詐欺は犯罪の再生産性が高すぎるのと、多分この手の犯罪者は懲役から出たところでまた同じことを繰り返す可能性が高いと感じるからです。そのため、非常に悪質なケースは殺人などと同様に更生不能と判断して、パパっと死刑にするのが手っ取り早い気がします。

 「オレオレ詐欺をすると死刑になる可能性も」という風にすると、やはり迫力が違います。また出し子、受け子であろうと例外なく確実に懲役刑にするというのも、アルバイト感覚で入り込む輩に対しては結構な抑止力が働くのではと思います。やはりオレオレ詐欺は、リスクの低さに対する実入りの大きさがなくならない要因であるだけに、捕まった場合の損害リスクを大きくしてその犯罪の期待値を下げるのが効果的だという気がします。
 この辺を検討する政治家とかいないのかな。いたら応援するんだけど。

 最後に、カフェオレと言いながら抹茶オレを出した場合も、オレオレ詐欺というべきなのかが気になります。

2021年11月19日金曜日

マンネリ化するスパロボの打開案

 スパロボときたら誰もが知るゲームの「スーパーロボット大戦」シリーズのことですが、私も子供の頃は遊んでて、第二次αまでは大概のシリーズ作品に手を出していました。ただ第三次αをやった際、なんとなく「同じキャラで同じことを繰り返している」という感じがした上、第二次αから大きく内容変わってないし主人公キャラも魅力がなかったことから確か一桁台のステージをクリアしたところでそれ以上やる気が出ず、放り出してしまいました。
 こうした、スパロボのマンネリさに懲りて遊ばなくなった旧ファンは恐らく私以外にもいるかと思います。その後も新しいテレビ作品のキャラクターを取り込みつつスパロボの新作は作られ続けていますが、いくつかでもシーンをYoutubeで見ることはあっても、買ってまで遊びたいという気持ちは未だに持てずにいます。

 じゃあどんなスパロボなら遊ぶかって話ですが、逆転的に、これまで敵側だったキャラクターを使ったスパロボなら遊んでみたいという気がします。具体的に言えばあしゅら男爵とかシロッコ、ギレンなど、通常のスパロボではボスキャラとなるようなユニットを駆使してνガンダムやゲッターロボを倒すような、「悪をプレイする」スパロボならちょっとやってみたい気がします。
 それこそこれまで味方としては頼もしかったビルバインなどのユニットが、敵としてその牙をむいてくるという展開はそそられます。同時に、これまでボスキャラだったジ・オとかターンエックスが、何故か敵だった頃と比べ弱くなっているけど味方ユニットとして使えるというのもなかなか乙な感じがします。

 もっともこうしたプレイだとシナリオ書くのが大変で、恐らく企画はされていても実現されずにいるんじゃないかって気がします。主人公となれそうな敵役がいないと恐らく実現しないでしょう。

 なお関係ないですが、最近「∀ガンダム」の中国語が「逆A高達」と表記することを知って興奮しました。

2021年11月17日水曜日

パワーカップルは本当に存在するのか?

 不動産業界関連ニュースを見ていると相も変わらずタワマンが売れて価格が高騰しているという情報ばかり見るのですが、オリンピックも終わったにもかかわらず一体何故高等が続いているのかという理由に関して、「パワーカップル」という単語をよく見ます。っていうか、ほぼこれしかありません。
 パワーカップルの定義はややばらけていますが、夫婦共働きで世帯年収が約1000万~1500万円に家庭や夫婦のことを概ね指しています。この手の夫婦は社内結婚した大企業社員で、そのため夫婦そろって高い年収を維持し、且つ共働きによってその年収は約倍となるため高い購買力を有し、数年前からずっとタワマン関連で出てきました。っていうか、不動産業界から出てきた単語であるように思います。

 率直に結論を述べると、実はこのパワーカップルが本当に存在するのか、やや訝しんでいます。

 ネットでいくつかの検証、試算関連記事では、日本の全世帯のうちパワーカップルが占める比率はこちらもややばらけているものの、ざっと見た感じでは0.5~1.0%と推算されており、私の実感でも大体こんなもんじゃないかという気がします。多めにとって1%のパワーカップル世帯ですが、東京周辺に集中していることは理解でき、世帯年収が高く比較的若年夫婦都内易いことからタワマン購買層というかメインのターゲット顧客となるのも理解できます。では一体何に私が訝しんでいるのかというと、タワマンの価格高騰をけん引するほどの購買力と規模を持つのかという点でやや合点がいかないからです。

 前述の通り、タワマン価格は高騰が続いているという報道を見ます。詳しい価格調査統計などは見ていませんが、少なくとも価格が下落、横ばいと言った報道は一切見たことがないため、これも正しいと仮定します。
 その価格を釣り上げている要因として解説記事に出てくるのが前述の通りパワーカップルで、この層がタワマンをよく買うため価格が高騰していると書かれてあるのですが、タワマンの主な購買層という説明なら納得いくものの、価格高騰をけん引するほどパワーカップルが世の中に溢れているのかという点で疑問を感じます。

 なんか同じ言い回しが続きますが前述の通り、パワーカップルの世帯数比率は多くても大体1%です。無論、年数とともに大企業内で再生産されてはいますが、日本全体で平均所得が下がり、東芝やJALなどの大手企業の業績が深刻に落ち込んでいること、あと根本的なところとして出生率と婚姻率の低下などを考慮すると、単一年代においてパワーカップルと呼ばれる世帯比率は拡大よりも縮小しているのではないかと推測しています。少なくとも、拡大しているとは到底思えません。
 そうした再生産環境で、タワマンの価格を高騰させるほどの購買力と世帯規模が本当に日本で存在するのか。このからくりがどうにも納得できないのです。端的に言い換えると、タワマン高騰がパワーカップルによるものという説明が腑に落ちません。それだったらむしろ、コロナでほかに金の使い道のない資産家が投資目的で買い漁っているという説明の方がまだ納得いきます。

 しかもこのタワマン高騰パワーカップル理論は、私の実感では3年くらい前から延々と言われ続けているように思います。直近1年間など短期的なブームとかならまだわかりますが、数年にわたり価格高騰要因として挙げられるには何度も書いている通り規模的に変じゃないかと思います。何もパワーカップルは存在しない等というつもりはなく、確かに大手企業の社内結婚夫婦なら世帯年収が1000万オーバーも十分あると思いますが、パワーカップルだけでタワマン高騰がこれほど続くというのが妙に思えてなりません。

 となると、じゃあ何故タワマンの価格高騰が続いているのかとなります。仮に私の見方が正しいとしたら、パワーカップルを背景理由とする多くの不動産業界解説記事は分析を見誤っているということとなります。
 ぶっちゃけいうと、この手の解説記事でタワマン購入層の世帯分析統計は一切見たことがないです。ちゃんと調べりゃあると思うんだけどな。

 何故が続きますがなら何故分析を見誤っているのか。最悪のシナリオを述べると、何故タワマンの価格が高騰しているのか業界の中でもわからなくなっているのではという可能性を今疑っています。なんでわからないのかというと、そもそも理由がない高騰だからになるでしょう。言うなれば、需要とは無関係に価格が先行して上昇するバブルになっている可能性もあるんじゃないかってことです。


 夕刊フジの記事は基本信じないのですが、上の記事というか寄稿に関してはちょっと目を引きました。それくらい最近の価格推移は妙だと感じています。

 それこそコロナ前であれば都内への人口集中が続いていましたが、今も集中化しているとはいえコロナ以降は前ほどではなくなっている気がします。学生アパートでこの辺は顕著だそうですが、こうした点を考えると、やはりこの1年間のタワマン価格の変動はこれまでなされているパワーカップル理論だけでは説明がつかない気がします。誰か詳しい人いたら教えてほしいのですが、中国の不動産問題をいちいち報じたり、知らない分際で偉そうに解説している暇あったらむしろこっちのほうを解説してもらいたいものです。

2021年11月15日月曜日

細木数子VSレイザーラモンHG

 今年も終盤に入り物故する人も多く出てきて、漫画界からは白土三平とさいとうたかをという大物も逝去されました。ただこうした有名人の物故者においては、その知名度や業績以上に「殺しても死ななさそうな人」のほうがやはり印象としては強くなる気がします。そういう意味では、先日報じられた細木数子なんかは自分でも意外というかびっくりしました。そしてその細木数子逝去の報以降、以下のような話題をよくネットで見るようになりました。


 上のまとめ記事ではかつて放送されていた細木数子の冠番組こと「ズバリ言うわよ」で、当時一発屋として最盛期を迎えていたレイザーラモンHGが出演した際の回が話題となっています。見出しの通りあの回は神回だったとして、ぜひともまた見たいから再放送してほしいという話題なのですが、非常に同感というかやれるものならやるべきだと私も思います。

 というのもこの回、私もリアルタイムで放映されたいたのを見ていました。「ズバリ言うわよ」は毎回見ていたわけじゃなかったものの当時最盛期にあったレイザーラモンHGが出るということで見てみるかと久々にテレビの前で待ち構えてみていましたが、想像を絶する内容に驚愕したのをよく覚えています。
 詳しい内容については上のまとめ記事にも書かれていますが、例の如くハイテンションでレイザーラモンHGが登場して大騒ぎしたことに対し細木数子が苦言を呈したところ、

「謝ってくださいよ!」

 と、何故かレイザーラモンHGが逆ギレするかのように細木数子へ詰め寄り、謝罪を要求してたりしました。

 一体これは何なのかというと、細木数子の苦言に合わせて番組スタッフがレイザーラモンHGに対し「(細木数子に)謝ってください」とカンペを出したところ、幾らかテンパってたレイザーラモンHGが曲解して、細木数子に対し「謝ってくださいよ!」と逆に謝罪を要求し出したというのが裏側だったそうです。
 当時テレビで見ていた感じとしては、品行方正とは見た目からして言えないものの、それまで極端に常識に欠けた人物だとは思えなかったレイザーラモンHGがあの細木数子に対し横柄にも謝罪を要求し出したの見て、なんか変だなという違和感は強く感じました。それこそ当時も何か番組側で仕込んでいるのかと疑ったのですが、それにしたって細木数子とレイザーラモンHGの会話が全く噛み合っておらず、何がどうなっているのかが見ていて一切わかりませんでしたが、雰囲気がどんどん険悪化していくのは画面越しからもはっきりわかり、何故だかわからないけど目が離せない展開ではありました。

 その後、「謝罪しろ→何を?→僕を否定していることを→あんたなんか否定していない」などという噛み合わない会話を繰り広げた後、さぁ占いへと行こうとしたところでまたも会話が噛み合わなくなって、結局番組史上初の占いNGとなってレイザーラモンHGはスタジオから退場することとなりました。番組後にカンペのミスマッチがあったことを知ってレイザーラモンHGは楽屋で細木数子に文字通り謝りに言ったそうですが、「あんたも大変ね」と細木数子からは声をかけられたと後の報道で見た気がします。

 この時の放送回の何が凄いかって、番組に仕込みを入れようとスタッフが動いたところ、出演者が全く想定外の行動を採り、誰も一切先が読めないくらい仕込みゼロなカオスな展開になったってところでしょう。まさにトラブルがトラブルを呼ぶような展開で、そこへきて細木数子とレイザーラモンHGというビジュアル的に激しい二人が画面上で「謝ってくださいよ!」などと激しく言い合いするもんだから、画面映えの良さと言ったら桁違いでした。
 結果的には放送トラブルに近い回でしたが臨場感はすさまじく、お蔵入りさせずに放送した当時の番組スタッフは大したものだったと今更ながら思います。そういう意味ではやはり、番組というのは仕込み一切なしの予想の付かない展開こそが一番面白いと思え、この辺は「たかじんのそこまで言って委員会」で生前のたかじんも同じこと言っていました。

 なおこのほかで「ズバリ言うわよ」で記憶に残っているものとしては、元琴光喜が出演して、ライバルと言われた朝青龍相手に延々と負け続けるVTRを流した回を覚えています。今思うとこうした著名人から話引き出すのは細木数子は上手かった気がします。

2021年11月14日日曜日

反ワクチン派と極左の共通性


 上の記事は今をときめく(?)反ワクチン派だった女性の後悔をつづった記事ですが、これ読んで感じたこととしては、赤軍派をはじめとする全共闘時代の極左の人たちと話し方、考え方、行動の仕方が非常によく似ていると感じました。具体的には、

1、実証的観点を一切持たない
2、人の言うことを聞かない
3、他人を大きく見下している
4、やたら攻撃的
5、他人にも自分の考えと行動を強制してくる
6、金持ちを目の敵にしている

 最も代表的なのは1番の「実証的観点を一切持たない」ところで、基本的に社会主義、共産主義の人たちは「社会主義の皮を被った超資本主義」の中国人を除き、頭の中の理論だけで完結して実証、再検証の段階は一切踏みません。頭の中で全部完結していてその理論を無理やり現実に当てはめようとし、上手くいかなかったら統計を弄ったり情報統制をして上手くいっているように仕立てるのですが、反ワクチン派に関しては自らに都合の悪い情報はシャットアウトするか、「隠蔽されている」などと割り切っている節があり、敢えて自分の言葉で言うと「頭だけで考えて、体で考えていない」連中です。直感的、常識的におかしいと感じること(=気づき、体で考える)を一切無視するところがあり、はっきり言えばこの辺は生物として大きな欠陥を持った人たちに見えます。

 その上で、極左ともども「自分たちは高等で社会大衆は下等」という前提も完全に共通しています。そのため2番、3番のような行動につながってきます。もっとも自己完結するならそれでいいですが、この手の輩って4番の通りむやみやたらに攻撃的で、自分たちの意にそぐわぬ行動を採る人間に対してよせばいいのに激しく突っかかってくるし、直接的な攻撃(海外で相次いでいるワクチン接種妨害)までやってくるので迷惑この上ないです。
 でもって最後の6番に関しては、上の記事で反ワクチン派はコロナとワクチンのことを人口を減らすこと目的とした資本家の陰謀と取っているようで、他の反ワクチン派は知りませんがなんでここで金持ちを敵にしようとするのかが極左ともども意味が分かりません。金持ちの中にも反ワクチン派の人はある程度いる気がするのですが。

 あくまで与太話程度ですが、案外今の反ワクチン派の人間は時代が違えば赤軍派みたいな極左に加入して活動していたのではないかという気がします。それはつまり、どの時代においてもこの手の輩は存在し、その時代ごとに形を変え、姿を変え、いつでもそばにいるよ敵な存在であるということになります。彼らが拠り所とするのはその時々の思想や概念であり、根本的には社会に反逆する、したいという心理が初めからそこに存在するのかもしれません。
 この辺、もう少し詰めて共通性や行動の起因要素とか調べたら、反逆者になりやすい人間とか特定しやすくなるかもしれません。無論、この手の人間には反ワクチン派ではありませんが戦ってなんぼ的な主義の私も入る可能性が高いのですが、きちんと研究とかすべきだと思います。

2021年11月13日土曜日

日本企業がしてきた言い訳のツケ

日本の製造業「技術はあるのに売り方がヘタ」は本当か? 数字から見えた「意外な真実」(現代ビジネス)

 上の記事は自分が密かに尊敬している加谷珪一氏の記事ですが、見出しの「技術はあるのに売り方がヘタ」というのは10年くらい前は飽きるくらい使われてきましたが、この数年間はあまり見当たらず、割とデジャビュ感のある言葉となっています。
 この言葉と同時期によく使われていたものに、「日本は人件費が高すぎる」というのもよくありました。結論から言うと、両者ともに的を外れた言い訳であり、その結果が今の現状に直結している気がします。

 特に後者の人件費に関しては、最近やたらあちこちのメディアで見られるようになりましたが、今の日本の人件費は先進国中最低クラスにまで落ち込んでおり、且つ直近10年間で一切成長していない唯一の国となっています。無論、東南アジアなどの発展途上国と比べれば人件費に格差はありますが、同じ条件である先進国と違ってどうして一切成長がないのかって話にもつながってきます。
 はっきり言えば、途上国への生産移転は今や一般的であり、日本国内の人件費が高いから経済が好転しないという理由にはつながりません。また前述の通り日本はむしろ先進国としては人件費が安い国となっており、その上で、ハイクラス職種に関しては正直もう中国のが上に来ている職種も多い気がします。でも商売に勝てないわけです。

 ではなんで勝てないのか。単純に競争力、能力がないに尽きます。突き詰めれば10年前によくわからない言い訳をしていた時点で競争力を失っており、自身が頼みにしていた技術力も実際存在しなかったと私は見ています。
 この辺は当時の記事にも書いていますが、自分がこうしたからくりに気が付いたのは当時やたら日本が自慢していた環境対応技術です。実際にこの手の博覧会とか回ってみて思ったこととして、日本が世界的に高い技術があるという省エネ・環境技術の大半は金をかければ誰でもできる程度の水準で、際立ったパフォーマンスはごく一部を除いて感じられませんでした。日本はこれらの誰でもできる技術を国内の環境規制で導入しているだけで、技術そのものはほとんど空洞だと気が付き、言うほど日本は技術はなく、商売がうまくいないことを上記の言い訳で逃げているに過ぎないと感じていました。

 この辺の実態が段々と自分たちでも理解できて来たのか、この数年は加谷氏の記事を読むまですっかり見なくなってきていたのですが、ふと気が付くと人件費云々の言い訳も鳴りを潜めてきています。
 特に人件費関連の言い訳については、本来人件費の介在要素が低い設備型製造業企業もアホみたく言ってて、あの矛盾に当時誰も突っ込まなかったことが非常に不思議です。具体的にはプシャーっぽい会社とかその類です。

 今更かもしれませんが、負けを認めるところから始まるものも少なくない気がします。もっともそこまでに至るには、あと10年の時間が必要だろうと私は見ています。

ニートを生む教育法

天才なんJ民「過干渉な母親には、ある日"子育ての大変換"が起きる」(暇人速報)

 上のまとめ記事は先月見たものですが、非常に納得感があるというか金言だと感じる内容が書かれてあります。直接抜粋すると、

32 風吹けば名無し 2018/10/17(水) 04:34:04.69 ID:fBdqdJ6Yd
子供をいつまでも幼児扱いする過保護過干渉な母親と、寡黙で子育てに無関心な父親
ことあるごとに母親が口を出してくるので、子供はどんなことでも母親に意見を仰ぐようになる

入る部活から、家庭科で使う裁縫道具のケースのデザインまで何でも口出しされる
母親に反対されそうなことは怖くてできないので、行動力の無い子供になる

また、こういう母親は往々にして他人の悪口を平気で子供の前で言うため、子供も人嫌いになったり、対人関係における好き嫌いが激しくなり友達もできない
しかし、人生の出来事において全て母親が過保護とはいえしっかり面倒を見切れるのならニートになることはないかもしれない

問題は、高校大学受験や就活などの人生の大きな節目になると、母親がビビって急に口出しをやめることである

それまで何においても干渉してきたくせに、子供の人生を大きく左右するそれらのイベントに直面すると途端に怖じ気づき、「自分の人生なんだから自分で決めなさい」と一切の口出しをやめてしまう(子育ての大転換)

突然母親という羅針盤がなくなった子供は、どうすればいいかわからず受験や就活に失敗し、ニートになる
ここに来て、ようやく重い腰を上げた間抜けな父親が叱責を始めるが、自分に無関心だった父親が今更何を言い出すのか、と子供は反発し、更にニートの地位にしがみつくようになる

というわけや

 簡単に言いなおすと、子供の進学や進路について小さい頃から細かく口出す母親の元で育つと、子供は自らの方向性や将来について考えられなくなるのに、大学神学者就職などの重要なシーンになって母親が怖気づいて急に指示しなくなると、子供はニートになりやすくなる、といったところです。この主張ですが上にも書いてある通り私としてはまさにその通りだと感じるとともに、まさにこういうケースだと感じる人を実際に何度か見ています。それまで過干渉だったのに突然干渉をやめ、ある意味悪い場所で突き放されることで躓くような人がまさにそういう人でした。

 先日に私は「日本人の自我形成における大学教育の重要性」という記事も書いていますが、実はこの記事を書くきっかけとなったのも上の書き込みです。上の書き込みを読んで、またかねてより日本の教育は大学を除いて自我を叩き潰すことが目標になっているという前提を掛け合わせたところ、結局のところ日本人の自我はどこで形成されるのかというと大学在学シーンで、だからこそ各大学の学風というかスクールカラーも成人において比較的わかりやすくみられるのではという結論になりました。

 話を戻すと、仮にニートになる人の一部原因がまさに上の書き込みの通りであるとしたら、その対策はやはり子供の節目節目で、自らに自分の生き方や価値観を自己決定させ、自らが判断する重要性とその責任をはっきり自覚させることに尽きると思います。具体的にはまとめ記事にも書いてある通り習い事や高校などの進学先については強制はせず、本人が望むものを取捨選択させたり、誤った選択であることをわかっていながら本人が望むのなら敢えて選択させて、失敗の経験を敢えて積ませるなどが対策となりうるのではないかと思います。

 その上で、前の記事で主に取り上げた自我について、地味に日本人とその教育を分析する上でかなり重要なワードじゃないかとこのところ思うようになってきました。突き詰めれば自我が未発達の状態で突き放されるということが上の書き込みの内容で、自我をどのように形成させるか、またその自我が暴走しないようにどう抑えるかをもっと日本は考えるべきだと思います。
 具体的には、小中高の自我を叩き潰す教育は早くやめるべきだと思います。この教育法の中で自我を発達させるには既存権力(両親や学校)への反抗しかほぼないように見え、仮に家庭教育の中で自我が育成されなければ本当にもうどうしようもなくなります。

 一方で、現在の大学教育はやはり日本だと非常に重要だと思います。カリキュラムに関してはもっとどうにかしてほしいという気持ちがありますが、授業出席を強制せず、本人の自主性にある程度委ねる姿勢はやはり維持されるべきでしょう。真面目に日本の自我教育における最後の砦な気がします。

2021年11月9日火曜日

中国のケンタッキーのオーダーの取り方


 上の写真はみんな大好きケンタッキーの店内ですが、友人に「这个在日本也有吗?」と聞いたら「ない」と言われました。なんでいきなり中国語書いているのかというと今日いきなり日本語から中国語の翻訳やらされて色々疲れてるからです。

 話を本題に戻すと、現在の中国でケンタッキーをはじめとするチェーン系飲食店では、店員に直接オーダーすることの方がもはや珍しくなっています。基本はテーブルや壁などに貼られているQRコードを読み取ってアプリを起動した後、そこから注文、決済まで済ませます。テーブルのQRコードはテーブル番号と連動しているため、店員も注文来て品物が用意できたら運ぶだけで、決済はオンラインで既に済んでるためレジすら動かしません。

 でもって上の写真ですが、ケンタッキーの場合はアプリか店内のタッチパネル式注文機械に注文出すと上の表示パネルに書かれてある番号がアプリに表示、若しくは感熱紙で出されます。左の画面が準備中を意味するのですが、自分の番号が右側の「出撃可」に表示されたら、手前のロッカーについているQRコード読み取り機にアプリか感熱紙についているQRコードを読み取らせると自分のが入ったロッカーだけがパカッと開く仕組みになっています。
 これデリバリー業者も同様で、自分が運ぶ品物に連動しているQRコードを読み取らせることで間違いなく自分の運搬対象だけ持って行くことができます。むしろこっちの方が本命な気がします。

 なんでこんなの紹介したのかというと、日本ではこういうのはないと聞いたからです。友人によるとアプリで注文して番号を店頭で言って品物を受け取る店はあるそうですが、上海だとむしろそれがデフォで、その機能がない店の方がもはや少なくなっています。
 何が言いたいのかというと、地味にこういう草の根の現場における技術差は笑えないということです。ロケットとかステルスなどのごく一部の最先端分野の技術以上に、市井に溢れている技術力の差の方が本当の実力差を示すものだと自分は考えており、この辺で日中間の差が先ほどにも書いたように笑えなくなってきていることを示すのが上のケンタッキーの写真だと私は考えています。

2021年11月8日月曜日

新エネ車ベンチャー記事の裏側

この4社に注目せよ! 中国EV市場を牽引する新興メーカー(JBpress)

 いつものように自分の記事紹介ですが、前回の第3四半期中国自動車統計記事で新エネルギー車のベンチャー企業がかなり大きくなっており、こうした存在を知らない日本人にも紹介しておこうと思ってこの記事書きました。書いてる間、というより4社について調べている間は興味ある分野であるだけに楽しく、また写真も、自宅からチャリで10分の距離にどのショールームもあったので撮影しやすく、尚且つ被写体の車がどれもいい感じなので撮ってて楽しかったです。

 こんな具合で楽しいこと尽くしでしたが、アクセスはあんま伸びてないようです。その辺は想定内でしたが、アクセスがないとはいえこの記事はまさに今日本が必要とする情報をまとめたという自負があり、読んでくれた人の一助になればと考えています。

 記事内容に少し付け加えると、読んでみてわかるかもしれませんが一番肩入れして書いたのは3番目の哪吒汽車です。記事でも触れている通りこれまでは蔚来汽車、小鵬汽車、理想汽車がベンチャービッグ3と呼ばれていたのですが、突然この3社に割って入るかのように哪吒汽車が今回のし上がってきました。自分も先月までこの会社の存在すら知らず、改めて調べてみたらこの業界には珍しくプロパーの自動車業界エンジニアで、しかも昔から新エネ車を研究していた人だと知って興味が湧きました。

 その創業者の経歴についてはたまたま見つけた中国語記事に細かく書かれてありましたが、2000年頃に試作したEVが途中で止まってしまい、20キロくらい仲間とともに車を押して帰ってきたとか、大学で研究したりとかそういう話が載っていました。中でも面白かったのは出身の奇瑞汽車から独立する際に奇瑞汽車のトップから、「この恩知らずめ!」と言われたそうなのですが、「あなたは40歳近くで独立して奇瑞汽車を作りました。私の年齢は今それに近く、あなたに学んだだけです」と言い放ったセリフなどからも人間的魅力を感じます。


 なお哪吒汽車のホームページ行くと、上記の「魔童版」と称する電動カートも紹介されています。お値段2999元(約5.5万円)で一瞬「買ってみようかな?」とか思いました。iPhoneより安いし。

 勝手な想像ですが、やはり自動車業界出身なだけあって資金調達では他のベンチャーに後れを取ったものの、開発から量産に至るまでの過程は経験者なだけに早いと感じます。また量産中のコストダウンにおいても知見があるのではと期待されるだけに、個人的にはこの哪吒汽車はかなり推したい会社です。

 なお今回ショールームを回っていて感じた点として、どのメーカーも自動車のショールームというより、なんとなく高級家電のショールームみたいな雰囲気を感じました。唯一、これまた哪吒汽車だけ狭いスペースにおばちゃん一人で案内していて、街のディーラーっぽい雰囲気を感じましたが、やはりこの辺は会社の成り立ちがはっきり出ている気がします。

2021年11月7日日曜日

中国滞在10年超にして初の……

 本題と関係ないけどたまに漫画でトランプなど本来武器じゃないものを武器に使って戦うキャラがいますが、こういう意表を突く武器として他に何があるだろうかと考えた際にふと「下剤」が浮かんできました。キャラ的にも嫌すぎますが、対峙したらすごい嫌な相手となる気がします。



 話は本題ですが、本日このPC用ゲームコントローラーを受け取りました。一体なんでこんなのを受け取ったのかというと、これまで使っていたエレコムのゲームコントローラーが壊れたからです。3日くらい前に家で遊んでいたら突然接続が切れ、コードを揺らすとたまに接続されることから、恐らくコード内の電線が断線したのではないかと思います。
 っていうか勝手から2年程度で壊れるなんて、マジで最近の日本製品の品質低下が笑えません。そもそもボタンからしてLRボタンが購入当初より押したらへこんだまま戻らないということが異常に多かったし。

 そんなわけで困った困ったとなり、上海市内のPCパーツ屋が集まっているエリアとかにも行きましたが何故だかこの手のゲーム用コントローラーって中国だとやたら手に入り辛かったりします。エレコムのを日本滞在中に買ったのも、中国じゃ手に入らなかったからだし。
 散々探し求めても人の夢のように結局手に入らず、かといってこの手のコントローラーないとPC上でアクションゲームは無理だし、RPGゲームも移動とかでやっぱりキーボードよりこっちのが使いやすいだけに困ったわけで、最終的にネット通販で買うしかないと決断しました。

 実をいうと、中国でネット通販を使ったのは中国滞在暦が10年超であるのにこれが初めてでした。日本ではもちろんネット通販は使っていましたが、何故だか中国だと使う気になれず、また身近なお店で大概のものは購入できることから利用する機会もありませんでした。そうこうしているうちに長い年月が経ち、あとから来た赴任者にタオパオの商品画面を見せられて、

赴任者「これで買いたい物が購入できるんですか?」
自分「ええ、これで問題ないはずですよ(多分)」

 などという、なんか妙で不毛なやり取りをすることも増えてきており、さすがに一度も使わないってのはどうなんだろうかと前から自分でも少し思っていました。ついでに書くと、どうしても必要なものはたまに友人に代理購入してもらっていました。

 今回、どうしても店頭で買えないゲームコントローラーであることから、新しい自分への第一歩として初めてタオパオことアリババこと「天猫(TMALL)」を利用し、上記のゲームコントローラーを購入するに至りました。なおXbox用コントローラーとしても対応しており、PCに差したらいろいろ画面表示出てきてびっくりしました。
 あと前のコントローラーが黒だったのと、窓際に置くため黒だと日光吸収し過ぎてやばいだろうと思って数あるカラーバリエーションの中から白を選びましたが、改めてみるとボタンや十字キーの配色と合わせてすごくダサく、なんでこの色選んだんだろうとちょっと思いました。まぁ持ってみた感じとしては悪くないけど。

 なお、今回購入するに当たってゲームコントローラーだけだと寂しいと思い、何故か会社用にとロジテックの有線マウスも購入しました。今回検索してみて思ったけど、なんか中国だとマウスのブランドがやたら少なくほぼロジテックしかない気がします。

2021年11月6日土曜日

日本人の自我形成における大学教育の重要性

 このところ少し見どころのある若い子といろいろ話すことが多く、先日も同じ大学出身者に共通するカラーというか学風について話すことがありました。これまでの社会人経験からして、やはり慶応出身者はどの人も安心して頼れるというかおかしな人はおらず、どうして慶応出身はこういうところで共通するのか見たいな話をしました。
 なお私の出身の関西私学出身者に関しては、はっきり言って仕事面においては全く信用が出来ません。どの人もポテンシャルは高いのですが独断専行型が多く、課題突破的な仕事だと頼りになるけど、自分を含めチームで連携して物事に取り組むというのはみんなして苦手です。これマジで不気味なくらい出身者に共通してるから怖い。

 話を戻すと、多かれ少なかれこういった同じ大学出身者に共通する大学カラーというか校風は存在するかと思います。しかし何故同じ大学出身者でこうした性格面の特徴が共通するのかこの点について少し議論したところ、日本の教育においては大学学部で初めて自我形成が進められるからではないかという結論に至りました。

 かねてからこのブログで私は、日本の教育は究極的には各人の自我を磨り潰すことが目的となっていると公言しています。自主性を重んじるとか豊かな発想を鍛えるなどという耳障りのいい文句がたまに主張されますが、こうした言葉を真に受けた人間からむしろ排除していくシステムとなっており、如何に集団に身と心を捧げ、自己を捨て去るかがあらゆる方面で強調されている教育システムだと考えています。部活動なんかまさにその典型ですし。
 ただ、こうした特徴は高校レベルまでで、大学以降になるとなりをひそめます。日本の大学教育に関してはその言葉通りに自由性が尊ばれ、単位取得条件なども緩いところが多く、それまでの束縛的教育から一転して開放的な感覚を恐らく誰もが感じるのではないかと思います。

 ここで自我形成の話に至りますが、基本的には裁量がないと自我は形成されません。そのため高校レベルまでは基本的には学校側や両親の影響が強く、その本人の主張や思想はむしろ学校側や両親の思想が大半となるのが自然かと思います。
 それが大学に入ると一転して自由な環境に置かれることから、意図せずに各自で自我を持つことが求められるようになります。また大学入学以降であればいわゆる教育ママも子供にあれこれ要求してくることもなくなり、こうした家庭面においても自由度が俄然高まります。そのようなそれまでにない自由な環境を得ることで、日本人の大半は自らの自我を大学学部時代に形成することが多いのではないかというのが私の見立てです。

 その結果というか、副次的にその自我は通った大学の影響を受けやすくなるのではないかと思います。社会学的な主張をすると、自我というのは本人のこうなりたいという「希望」以上に、周囲に求められる「役割」によって形作られやすいと言われています。そのため日本の教育システムにおいて唯一と言っていい自我形成の場である大学において、その大学が周囲から見られる特徴(校風、カラー)が各人の自我に取り込まれる面も少なくない気がします。
 この辺、「ファイアパンチ」っぽい内容ですが、事実そうだと思います。

 さらに付け加えると、それまでの人生にない初めての自我形成の場において、同じ大学の先輩や同級生からも直接的な影響を受けることとなるため、この辺でも同じ大学出身者の同質性が高められるのではないかと思います。さらにさらに付け加えると、そうして形作られた大学の評判が世間一般にも校風として定着し、受験時の段階でそうした校風を目指して(元より適性がある)入学してくるというサイクルもあるのかもしれません。

 ざっとこんな感じが私の意見ですが、改めて述べると日本人の自我形成に関して大学は非常に重要な場であるのではないかと考えるに至りました。特に女子学生に関してはいわゆる「大学レビュー」といって急に化粧やおしゃれに目覚める子が多いですが、この辺も通っている大学によって化粧パターンに違いがあるのかとか調べると結構面白い研究になる気がします。

 なおこの自我形成に関して、敢えてヤンキーについて言えば反抗的なだけ一般日本人よりも自我形成が早いのかもという気がします。そういう意味では不良が集まる学校は高校の時点で校風とかそういうものが出来上がっているかもしれません。

2021年11月4日木曜日

外国には同調圧力はないという誤解

石井慧「死にかけました」──忘れられた金メダリストが語る激動の1年

 上の記事を読んだ際、記事中で石井氏がクロアチアだと日本みたく同調圧力がないのがいいと話している点が引っかかりました。先日にもノーベル賞を受賞した真鍋淑郎氏が米国で研究を続けていることについて日本の同調圧力に合わせられないといったようなことを口にしてましたが、なんとなく石井氏の乗騎の発言はこれを受けたものじゃないかなと思います。

 では外国には本当に同調圧力はないのでしょうか。結論から言うとそんなわけではないと自分は考えています。

 まず、日本国内の同調圧力は「ムラ社会」という言葉に代表されるようにかなり圧が強いことは確かです。この辺はいくつか社会学でも研究が出ていたと思いますが、一気飲みやイベントへの共同参加、しごきなどこうした儀式体験を共有することで日本人は親睦や連帯感を高めようとする文化は明らかに濃く、比較平均的に言えば私自身も同調圧力が高い方だと考えています。
 ただ、だからと言って他の国には同調圧力が全くないと言ったらそうでもないと考えます。やはり中国人に話を聞くと早く結婚しろとか、周囲の人間関係などとかいろいろ言ってきますし、上記の一気飲みに対する習慣に関してはむしろ日本よりも強い部分もあります。ついでに書くと中国人はプライバシーの意識も弱いため、日本人からしたらプライベートなところにもガンガン入り込んでくるところもあります。

 それにもかかわらず外国にいる日本人は、「日本と違って外国は同調圧力がないからいい」と言いますが、これは本質的には「外国人扱いされると同調圧力にさらされない」というのが実態ではないかと見ています。

 日本国内でも中国人やタイ人と言った外国人に対し、日本の風習や文化、仕草などを完璧には求めないでしょう。それこそ外国人に「七五三をやったことないの!?」なんていう人いたら、逆にそいつの方がおかしいです。
 やはり外国人相手だったらどの国でも自国民に比べ同調圧力は弱まります。感覚的には「まぁこいつは外国人だから仕方ないか」みたいにみられ、多少集団に外れた行為や発言をしても大目に見てもらえます。そういう意味では、日本の同調圧力から逃れたいっていうのなら外国に住むのは間違いではありません。

 ちなみにこの例に属すかどうかやや測りかねますが、以前にテレビ番組で明石家さんまがデーブ・スペクター氏を指して、「あいつホンマずるい」と愚痴を言っていたことがありました。何がずるいのかというとデーブ氏がダジャレを使うことを言っていて、「日本人やったらしらけるところをあいつは外国人だから許されてウケを取る」などと話しており、実際そうだろうなと私も思いました。こうしてみるとお笑いにおいても、「自国民には許されないネタ」の一部は外国人には許されるところがあると言えるでしょう。ボビーオロゴン氏なんかもそういうところある気がする。

2021年11月3日水曜日

元SEALDsへの朝日のインタビュー記事への違和感

元SEALDsが思う、今の政治との距離 「若者も、もがいている」(朝日新聞)

 ちょっと古いニュースですが一目見て何これと思ったのでずっと記憶に残していました。
 この記事は見出しでわかる通りに安保関連法案の審議中に無駄に騒いでいたシールズという学生反対団体に所属していた方へのインタビュー記事ですが、一体何を考えて朝日はこんな記事を出したのか、一目見て正気を疑いました。一体なんでそんな風に感じたのかというと、元シールズのこの女性に対し、安保関連法案について何一つ聞いていないからです。

 敢えて例えるなら、ラーメン屋(自民党)のラーメン(安保関連法案)がマズイと過去に散々文句言っていたクレーマー(シールズ)に対し、最近のチャーハン(SNS)についてどう思うかと聞いているような具合です。なんでラーメンについて一切触れずにひたすらチャーハンについて聞いてんだよこのボケ!と言いたくなるような内容です。
 もし自分がデスクでこの原稿を部下が持ってきたら、絶対に紙面には載せません。政治とSNSについては別にシールズじゃなくても聞ける話題ですし、なんだったら自称ネトウヨのような人へのインタビューの方がむしろ価値が出るトピックです。でもって書いてきた奴には「森へお帰り」と言って、窓開けるくらいはします。

 やはり元シールズという相手へのインタビューであれば、審議当時を振り返る話でもいいですが、それ以上に現在においてあの活動に意味はあったのか、また年数が経過した今の状態で安保関連法をどう思うかくらいは最低限、聞くべきでしょう。まぁ聞いたところで、十中八九「興味ない」、「わからない」としか答えないでしょうが、それはそれで意味があるし報道する価値ある発言だと私は思います。
 当時のブログ記事にも書いていますが、シールズに参加していた人は9割超は安保関連法案の中身を一切把握していなかったでしょう。彼らの発言どころか当時の報道を見ていても中身については誰も一切触れずに、「安保」という言葉だけが独り歩きして安保に対し是か非かしか言っていませんでした。当時自分は専門的に解説している人のサイトなど見て、正直自分も完全に把握しているとはいいがたい立場ですが、やっぱ言い合っている連中に深い理解の溝があると強く感じていました。

 話を戻すと、安保関連法案について一切聞かずに政治とSNSについて若者に聞いているだけの記事ですが、見出しにシールズってついていることは、ぶっちゃけそれ以外価値がないってことを言っているようなもんでしょう。別にインタビューに答えた女性を悪く言うつもりはありませんが、元シールズでなければあなたの発言は誰も取り上げないし見ないということくらいは最低限自覚しているはずでしょう。自覚がないのならそれまでですが、私だったらこの内容のインタビューを紙面に載せるってんなら、「別に元シールズって書かなくていいよな」って相手に言います。それくらいの恥は理解しているつもりです。

 その上で朝日の政治記者については、本気で頭大丈夫かと心配になってきます。上に書いている通り自分が編集に携わってたら絶対こんな記事載せないし、出してきた奴殴ってます。それくらい異常さを感じる記事です。
 大手紙の政治記事はこの10年間でびっくりするくらい質が悪くなっており、今やスクープなら文春、解説なら西日本新聞が一番よくなっており、逆に大手紙の記事は読んでてかえって情勢を見誤らせるようなミスリードさせる記事が多いです。こんな記事がしれっと出る辺り、少なくとも朝日の政治部の記者の凋落は未だ止まってないなという印象があります。

 前にも書いたけど、検事長が賭け麻雀をやっているという最高のネタを目の前で見ながら報じようとしない、記者にあるまじき人間を飼ってる辺り、社員教育できてないんだなと思えてなりません。

2021年11月2日火曜日

稼働時間3時間

 ついさっき次のJBpressの記事を提出しましたが、この記事はやたら思い出いっぱいになりました。というのも、書こうと思った矢先に体調崩して寝込んだからです

 選挙の行われた日曜の前夜、いうなれば土曜の夜。週末で無駄にテンション高くゲームしながら過ごしてそろそろ寝ようと思った矢先、突如幽霊かゴルゴに後ろに立たれたかの如く悪寒がして、急に奥歯がカチカチなり始めました。それ以前からいくら寝ても疲れが取れなかったり、横になったらいくらでも寝られるので疲労がたまっていることは自覚していましたが、なんかこの時はやばいと感じてすぐに布団被って寝ることにしました。

 翌日、びこーず、日曜の朝(ニチアサ)、全身がだるい上に軽い発熱が起きてて関節も痛み、ガチで起き上がれませんでした。そのまま朝食も一切取らずに「ぎょえー」、「ぬわー」、「ウボァー」などと歴代の有名断末魔を口にしながらベッドの上でゴロンゴロンしてましたが一向に良くならず、12時になって一旦起き上がってバナナと水分補給しましたが、30分後にまたベッドに返り咲きました。その後、午後3時にまた起き上がってネットで選挙状況見つつ次の記事を書こうとしましたがやはり続かず、4時に再びベッドに舞い戻りそのまま6時まで寝続けました。

 6時半になってストックの切れたバナナを買うのとクリーニングを出すため外を出歩き、帰ってきたら前日に作り置きしてたシチュー食べて速攻でシャワー浴びて、遺書がわりのブログ記事書いて夜8時にはまたベッドにアイシャルリターンしてそのまま翌日朝まで起きませんでした。この日1日の合計稼働時間は約3時間で、アンビリカルケーブルの切れたエヴァンゲリオンの気持ちが少しわかりました。

 次の日の月曜は仕事あるので相変わらずけだるいけど頑張っておきて、フラフラしながらも会社いきました。そしたらなんか土日に上海ディズニーでコロナ感染者が出てたってニュースがあってディズニーが閉鎖されたと聞き、なんかやなタイミングだなと思ったのと、ここで休んだらコロナ認定されかねないと思って踏ん張って出社しました。
 幸い、全日ほどひどくなかったのと仕事は座りながらできるのでそのまま定時まで働き、定時過ぎてさぁ帰ろうとしたら「今日中にお願い(/・ω・)/」とばかりに定時直後に仕事振ってきた奴がいて、そのまま2時間残業してから帰りました。

 本当の地獄はそれからで、当初は日曜に書く予定だったJBpress用記事を締め切りも迫っているから書かざるを得ず、病み上がり、残業明けという「どく まひ」みたいな状態ながら帰宅してから夜12時まで次の記事書いていました。一体なぜこんな無駄に責任感あるのだろうと自分でも不思議です。
 幸い、記事内容自体は取材は済んでてあとは書くだけだったのでそんな苦労はなく、無事に書き終えて、さっき最後の写真編集だけして編集部に投げました。

 今も体はだるいですが、日曜の記事にも書いた通り咳は一切ないのでコロナではないと信じてます。やはり過労でなんか発熱したんじゃないかと考えてます。

 最後に余談ですが、閉鎖されたディズニーランドでは園内にいた来場者3万4千人に対して全員にPCR検査をすぐ実行したそうです。その結果、園内には新たな感染者はないことが分かったそうなのですが、この辺の力技はマジ中国ビビる(;´・ω・)