ではその第三の道ですが、本当にあるのか正直言って疑問視しています。
当初、もっともらしく主張されたのは「持続可能な発展」こと環境に配慮した経済で、CO2取引をはじめ実際に思想が取り込まれた部分は現代世界において小さくありません。敢えて言えばグローバル経済の中でフロンガスやCO2規制をはじめとする多国間グローバル規制によって公平な競争を促すような考え方といえるでしょう。無限競争を標榜する資本主義とは異なるものの、環境以外の分野は血胸のところ資本主義がベースであり、敢えて言えば修正資本主義の枠内であって第三の道というほどではないかと自分は考えています。
この環境型経済に続いて現れたのは、北欧諸国に代表される高福祉型経済で、高い税率の代わりに手厚い福祉を国家政府が担保することによって教育水準が上がり、経済効率も高まるという考え方で、2000年代前半に日本でももてはやされました。
ただ、肝心の北欧諸国ですら「やっぱだめだ」といい始めており、また高福祉を維持する上で人口が一定規模以上あると成立しづらいという点から、最近はこの手の思想を目にすることすらなくなりました。
このほか中国やロシアに代表される「開発独裁」こと政府が圧倒的権力を以って、資本主義のルールの上で高成長が見込める分野の市場に資金と人材を傾注する手法が一定の成功を納め、世界的に強い独裁者に焦がれる風潮を生みだしましたが、今回のプーチンの暴走を見てやっぱ独裁者じゃだめだと、この手の権威主義の時代はそろそろ終わりになるのではないかと密かに見ています。
少なくとも、権力者が暴走する確率は民主主義とは比べ物にならないほど大きいことは事実で、だからロシアもこれから滅びへの道を進むことになるのではないかと思います。中国も、台湾有事の判断によっては死せるプーチンの後を追うかもしれません。
そもそも経済学の本質に立ち返ってみると、要するに富をいかに公平かつ有意義に分配するかを考えることにあります。その分配を政府の強権でもって無理やり公平に持っていくのが社会主義で、上前をたくさんはねるけど下々まである程度は分配してやるってのが権威主義、でもって特に規制は設けず、市場の「神の見えざる手」に任せるのが自由主義です。
以上を踏まえてみれば、結局のところ分配過程に対する政府の介入程度の差こそが経済学思想の違いであり、資産の個人所有を一切認めないほど極端な共産主義を除けば、基本的にはどれも資本主義に入ると私は考えています。その上で、第三の道なぞそもそもなく、資本主義ルールで競争、そして徴税の公平性を保つため、分野ごとに規制の程度を考えていくというのが大方の経済学であり、そういう意味ではもう今後、この学問がこれ以上は発展しないのかもという気も少しします。
それらを総括して言えば、第三の道なんてそもそもなく、資本主義をどう微調整していくか、政体と組み合わせて考えていくというアプローチの方がシンプルで建設的な気がします。マジで最近お経済学の講義ではどんなふうに教えられているのか気になりますが、やっぱ自分がこっちの学問に興味を持たず社会学に走ったのも、今思えば自然だった気がします。