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2021年1月31日日曜日

選り好みされて報じられる他国の感染対策

 最近の検索ワードは「彼岸島 カニパン」です。

荷物に消毒液、ドアにはアラーム…特派員が体験した中国の“厳戒”水際対策 「日本よりも安全に感じる」の声も(ABEMA TIMES)

 話は本題ですが上記記事で取り上げられている中国における海外からの流入者に対する14日間の隔離措置、感染対策についてですが、私が把握している情報とも内容は基本一致しています。ちなみにここだけの話をすると、中国入国後の隔離中はアルコールが一切飲めないからといって、末後の酒とばかりに泥酔状態で成田空港に登場する日本人派遣者もいたという面白いうわさも聞きます。

 逆にというかこの記事でも書かれている通り、中国で暮らす日本人駐在員からしたら日本の感染対策は緩すぎて「わざと感染広げているんじゃないのか?」とくらいに思われています。記事にある通り、日本到着後の移動に関して全く監視が付けられず、しかも感染対策が採られているとはとても思えないハイヤーでの移動とかも認めているなど、真面目に正気を疑います。
 それ以上に自分がびっくりしたのは先日の英国での変異種が報告された後の英国からの帰国便で、乗客には検査した一方、航空機のパイロットはノー検査で通し、案の定陽性だったという話です。国際移動の激しいパイロットだからこそ乗客以上にリスクが高いように私には思えるのですが、どうやら日本はそうでなかったと知り、何とも言えない感情を覚えました。

 その上で、最近の日本における各国のコロナ感染対策について、思い違いかもしれませんが一つの傾向があるように見えます。具体的に言うと選り好みされた報道の仕方がなされており、欧米など流行爆発が続いている地域の内容ばかり報じて、台湾、またタイやマレーシアなど流行が欧米に比べると落ち着いている地域の話がほとんど見られません

 中国に関しては上記の記事を始め、また最初の感染地域であったことからまだ報じられている方かとは思いますが、実質的に抑え込みにほぼ成功している台湾の措置や予防対策の話となると、この数ヶ月の間に私は一度も報道されているのを見たことがありません。本来ならばもっとも見本とすべきモデルケースの一つであるように思うのですが、何故か日本では逆に、反面教師ともいうべき欧米の措置ばかりがやたらと取り上げられている気がします。

 何故こうなるのかという理由についてはいくつか考えられますが、単純に台湾の事例は報道したら具合が良くないと考える人間が多いのではないかと見ています。具体的には、

・台湾なのに対策に成功しているという事実が気に入らない
・日本の対策に不備があるということが分かってしまう
・被害を強調する方が報道価値が高い

 このうち二番目の理由が特に大きいように思います。というのも日本の感染対策の報道で各国を比較する際、「欧米に比べ日本はよくやっている」という不文律を外さないような報道が見え隠れします。これは政府の指示なのかメディアの独自判断なんかわかりませんが、「感染者は増えてはいるけど欧米に比べれば日本の対策はしっかりしており、これは不可抗力なんだよ。これ以上の対策なんてないんだよ」的な言い訳じみた報道の仕方が強いです。

 特にこうした方針が強く出されているのは、都市封鎖に関する報道の時です。都市封鎖に関しては決まって欧米の例を出して「あまり効果がなかった」、「都市封鎖はしたけどその後も感染者が増え続けた」的な報道の仕方がなされ、中国が最初にやった武漢とか、最近にやった石家庄市の例は引用されることはありません。しかもその欧米の都市封鎖例は、ゆるゆるというか封鎖に反対する人が反抗して外出しまくっているという比較にならない例だったりします。

 現実には中国や台湾の例など、感染対策でもっと引き締めるべき点は日本には数多く存在すると私には思いますが、上記の通り報道規制なのか自主規制なのかプロパガンダなのかわかりませんが、感染対策の国別比較においては明確に選り好みされている傾向が見えます。はっきり言うと感染爆発が続いている欧米諸国なんて報じる価値なぞほとんどないのに、欧米ほど「英国では現在、こんな対策が~」という風に報じられています。
 それこそ以前にこのブログでも取り上げた感染確認アプリとか、日本では効果を発揮した例どころか、きちんと感染を申告したにも関わらず家族のアプリには通知が来なかったなどとの不備例がよく見られます。前にも書きましたが、このアプリの責任者は無駄なものが無駄だとわからない無能としか言いようがなく、可能な限り早く職を辞すべきでしょう。この時期に無駄なリソース使いやがって。

 はっきり書いてしまうと、上記のような報道のなされ方がされるのは日本人の優越意識が働いているのではないかと疑っています。自分たちの対策が他国に劣ることはない、無茶苦茶な対策は中国だからできたのであって日本のような民主国家には不可能という主張や思想において、同じ民主主義であり比較的抑え込みに成功した台湾の事例は日本人のプライド的にあってはならない事例になっているのではと私には見えます。
 その上で冒頭にも書いた通り、今の日本の対策は抑え込むどころか感染を自ら広げていると感じる節があります。何故そんなことを続けるのかというと、担当者らがワクチン頼みな思考しているからではないかと推察されます。

2021年1月30日土曜日

ダルビッシュの投げすぎ問題の言及について

 漫画「チェンソーマン」の世界ではその概念に対する恐怖の度合いが強いほど、その概念の名を持つ悪魔が強くなるという設定ですが、「ハゲの悪魔」がいたらどれだけ強くて、どんなビジュアルなのかが私、気になります。


 話は本題ですが、かねてからこのブログでも甲子園、というか高校野球は子供の体を傷つけるだけと批判しまくっている私ですが、同様の意見をメジャーのダルビッシュ氏もよく述べており、上記インタビューでもその点について触れています。
 個人的に興味深いのは上記記事で、

「一種の洗脳じゃないけど、『僕は高校の時にすごく投げさせられまくって故障して、もうそのあと二度と投げられなくなっちゃったけど、感謝しているし、本当に大事な経験でしたって言う人もいるんです。人って結局自分がやっていたことを否定したくないじゃないですか。なんとかして肯定するほうにもっていきたくなるから。そういう人たちはそれでいいんだけど、子どもたちに『投げて大丈夫だよって言うのはやめてほしい。」

 この指摘部分は自分も非常に同感するところで、というのも以前にやたらしつこく、「球児本人が肩を壊してでも投げたがっているのだから投げさせた方がいい」と私に反論する奴がいたからです。無論そんな意見にも私は大反対で、むしろ子供だからこそ浅い判断で死に急ぐような道を選びがちなのだから、大人がそれを制さないでどうすると言い返したら、またオウム返しに同じこと言い出してきたのでその後縁を切っています。あれで大卒を名乗っているのだから日本の大学教育は何なのかと正直思いました。

 話を戻すと、それこそ高校時代に肩を痛めて、プロになったとしても選手寿命が短かったとかいう人は少なくないですが、そういうのはまだマシな方で、中には投げすぎで深刻な後遺症を患う子供もいるということを聞きます。そういうことを考えるとダルビッシュ氏の言う通り、高校野球までの間では球数制限を設けるべきだという立場を私は取ります。
 その上で、球数制限は球児の身体のみならず、野球界の発展においてもプラスじゃないかと内心考えています。

 そもそも一体何故高校野球で登板過多が起こるのかというと、エースで確実に投げ勝ちたいという監督心理が最大の要因で間違いないです。二番手、三番手でも勝てるというのなら普通に交替させて言うわけだし、そうならないのは負けた時に「何故エースを出さなかったのか!」という批判が怖いからでしょう。そういう意味ではロッテに入った佐々木投手の高校時代の監督は批判を覚悟で県大会最終戦で佐々木選手を出さない決断を下したのは勇気がいったことでしょう。

 ただこうしたエースに頼り切るという戦術ですが、裏を返せば二番手、三番手投手の登板が制限されるということにつながります。それこそ中にはエースに負けず劣らずの実力、下手すればその才能で言えば上回っていた二番手、三番手投手もいたと思いますが、高校の試合で登板しなかったことから注目されず、プロになれず、才能を開花できなかった選手もいるでしょう。また発展途上過程にあって、試合に出られずいまいち伸び切れなかったというパターンもあるかもしれません。

 一つ例えを出すと、元巨人の上原氏は高校時代、同じくプロに行った建山氏に次ぐ二番手投手でした。上原氏の場合は大学で才能が開花したこともあってプロとなりましたが、もしかしたら高校時代にもっと試合に出ていたら、その時点で大きく注目されていたかもしれません。
 まぁ上原氏の場合は大学行くまでの筋トレが良かったというから、大学行って正解だった気がしますが。

 仮に球数制限、それこそ1投手は1試合で4回までしか投げられないという風にすれば、必然的に二番手、三番手投手も各チームは育て、登板させなければなりません。その過程で投手として才能ある球児が日の目を浴びたり、実力を伸ばすチャンスは広がると思うし、またエースをどこで投入させるかの駆け引きも加わるので、試合展開的にも面白くなっていくのではと思います。

 そもそも現代の高校野球自体、エース一人に対する依存体質がやや強すぎる気がします。チーム単位で戦うというよりかはエースの善し悪しで決まっているのではと思う試合もあり、そういう意味で1試合に最低二人の投手が登板しなければならない展開の方が教育的にもプラスじゃないかなって思えてなりません。控え選手を含めた選手層で如何に勝つか、そういった視点を甲子園は持つべきでしょう。

 まぁそもそも、甲子園自体なくなっちまえというのが私の本音です。前調べたけど、中継しているテレビ局も高野連に寄付金を含めほとんど金出さずに無料で放映権取ってCM流してんだし。

2021年1月28日木曜日

一番気になる未解決事件

 一応今も断続的に寒波が来てますが、12月に比べたら全然寒くないなと思います。それ以上に眠い( ˘ω˘)スヤァ

 話は本題ですが、よくネットでは定期的に「一番闇の深い未解決事件」などというタイトルで掲示板が立ちます。一番話題になる未解決事件なら間違いなく世田谷一家殺人事件でしょうが、それでも自分の実感では311のあった2011年以降からだんだんフェードアウトし始め、最近になっては年度末の恒例行事となっている捜査進捗が報じられるたびに、「なんで事件発生当時にそうした情報を公開しなかったんだ」などという批判が出るようにもなっており、そう遠くないうちに定期報告もなくなると思います。それこそ犯人が別件逮捕されてDNA鑑定で一致でもしない限りは、解決する可能性は厳しいでしょう。

 ちょっと脱線しましたが未解決事件はやはり関心が集まるからこそ定期的に話題になるのでしょうが、ほかならぬ私自身もそういった事件系に関する興味は高いです。もっとも興味持つのは未解決事件に限らず、無駄に有り余っている記憶力を使って一時期はWikipediaの年表記事から一つ一つ事件名のリンクを辿っては覚えようとした時期もありました。あんま役に立つことないけど、年上の世代と話す時に時たま役に立ちます。
 そんな割と事件マニアな私から見て、個人的に一番興味がある未解決事件を挙げるならこれです。


 その事件というのも2010年に神戸市で起きた男子高生の殺人事件です。事件概要は上記リンク先にも書いていますが、夜10時過ぎに中学生の彼女と自販機前にいたら見知らぬ男性が刃物をもって襲ってきて、女子中学生が一旦逃げてから再び現場近くに戻ると男子高生が刺殺された状態で見つかったというあらましです。

 事件発生当時はそこそこ話題になったこの事件ですが、なんか意外というか先ほどの未解決事件関連の掲示板で触れられていることは少ない気がします。同時に、通り魔的殺人事件にもかかわらず、現場周辺に犯人がまだ潜んでいるのではといった恐怖感がなんか他の事件と比べるとやや薄いようにも感じます。
 なお酒鬼薔薇事件の時に現場近くに住んでた同僚は、「あの時めっちゃ怖かったわ:(;゙゚''ω゚''):」と語ってました。なんかその同僚の反応とかと比べると、この事件に対する反応は全然弱いような印象があります。

 何故この事件に関して印象が弱いのかというと、割と理由はある気がします。具体的には事件発生当時、犯人以上に被害者二人に対する疑念がネットを中心に数多く出てたからです。
 単純に夜10時過ぎに未成年が外でたむろしていたという時点で、被害者には申し訳ないですが同年代の中では余り真っ当な方ではないと思われるのも仕方ありません。同時にこの事件がたまたまだったらやはりそのように報じられていたと思え、察するに日常的に夜中外でうろうろする人たちだったのではと推測されます。

 その上で、逃げた女子中学生の証言が全く宛てにならないという事実も、いろいろと感じさせる店が多いです。リンク先の記事にも書いている通りに事件発生直後、犯人を直視していた女子中学生の証言はその後二転三転され、同様の事件なら作られていると思う犯人の似顔絵、当時の服装イメージとかも一度も公開されることはありませんでした。
 もちろん襲われた場面に出くわせば案外犯人の顔とか覚えられないものだと私も思います。何も私はこの女子中学生、若しくはその関係者が犯人だというつもりはさらさらないですが、少なくとも事件捜査においてこの子が証言した内容や供述は当てにならない可能性の方が高いと考えています。ただ当てにならなくても、夜中とはいえ街中でのこれほどの殺人事件でなかなか犯人が見つからないというのは未だにやや不思議に感じています。まぁ天下の兵庫県警だしなぁ。

 もしかしたら自分が知らないだけで、現場は周りに一切人がいないような変な場所なのかもしれません。京都精華大学生通り魔殺人事件などは自分も事件現場を知っており、本当に何もないところなので事件発生当時に犯人を見聞きしたという情報が少ないのも、未だ犯人が見つからないというのも理解できる点があり、神戸の事件も案外そういう場所なのかもと勝手に考えています。

2021年1月26日火曜日

DHCの懲戒解雇報道について

 今日は仕事で疲れて(ヽ''ω`)なので気になったニュースだけ紹介します。


 直接関わったわけではないですけど、DHCが「そういう」会社だというのは伝え聞くところで耳にしてました。

 なのでこのニュース見てもあまり驚きがないというかやっぱり程度にしか思わないのですが、前に自分がJBpressで書いたように、日本はこんな無理やりな解雇をやったとしても別に行政とかから処分食らうこともなく、解雇された側が弁護士雇って高い金かけて裁判でも起こさない限り、一切救済が行われない辺り、めちゃ解雇しやすい国じゃんと改めて思います。それ以上に、こうした報道があってもあまり社会が関心を示さず、「あるある(´ー`*)ウンウン」的な感じで終わってしまう当たりの方が逆に怖かったりします。

 改めてこの報道に触れて「パソナルームってまだあるのかな?」と思って検索したところ、以前は確か独立したWikipediaのページがあったように思うのですがそれはなくなってて、かわりに「追い出し部屋」というページができてました。このページ見て初めて知ったけど、

「また、漫画家の藤子不二雄Aは自身の藤子不二雄Aブラックユーモア短編にて1972年にいち早くこの問題を取り上げ題材とした『なにもしない課』を作品にしている。」

 という記述があり、藤子不二雄Aパネェとか思いました。それにしても「追出部屋」と書くとなんか相撲部屋っぽい。

2021年1月24日日曜日

中国語の「咸鱼(塩漬け魚、魚の死骸)」使ってみた

 最近好きな日本語は「誇張しのぶ」だったりします。


 さて上の写真は次の記事に使うから今日片道1時間かけて撮ってきた写真ですが、撮影後にこれヤバイと気が付いたことがありました。というのも左側の車の側面部に黄色いの写ってますが、これはわかりづらいけどピカチュウのステッカーで、「許可取ってんのかよ(;´・ω・)」的なやばさを感じました。


 それで撮影しなおしたのがこっちですが、なんか中途半端な感じしたので結局使わないことにして、もったいないからここで公開することにしました。

 それはさておき本題ですが、先日パソコン市場に関する仕事に係わることがあり、その際に中国人の同僚に業務報告に付け加える形でこんなメールを打ちました。

「ノートパソコンに関して00年代まで東芝のダイナブックは、価格は高いが性能、サービス共に当時間違いなく世界最高だった。自分もずっと使っていた。しかし10年代に入るあたりからだんだん悪くなり、見ていてなんだか『咸鱼』になっていった気がする。自分もダイナブックをもう買わなくなってしまった」

 ここで使った「咸鱼」という中国語ですが「咸」というのは「しょっぱい、塩」などの意味をあらわす単語で、「魚」がつくと見出しの通り「塩漬け魚、魚の死骸」という意味になります。こうした意味から転じて、「やる気がなくなった、覇気のない」みたいな様子を表す用語となっています。
 なんでこんな単語を急に使ったのかというと、上記のメッセージを送るに当たって「やる気のない」という意味の単語を探したところ見つけ、その意味と「干からびた魚」というイメージになるほどと面白く感じたため使ってみました。そしたら返信で、

「ノートパソコンに関して00年代までソニーのVAIOは、価格は高いが性能、サービス共に当時間違いなく世界最高だった。自分もずっと使っていた。しかし10年代に入るあたりからだんだん悪くなり、見ていてなんだか『咸鱼』になっていった気がする。自分もVAIOをもう買わなくなってしまった」

 と、中国人の同僚が同じような言い回しで返信を送ってくれました。っていうかVAIOファンだったんだこの人などと思うとともに、「わかる、めっちゃわかる(´ー`*)ウンウン」的に自分も同感しました。
 ダイナブックもVAIOも、パソコン市場が拡大していた00年代の間はそれぞれ覇を競うようにいいノートパソコンを相次いで発売していましたが、大体2010年に入るあたりから自前ではほとんど生産しなくなり、コンパルとかフォックスコンなどのOEMメーカーに丸投げ、っていうか見ている感じ設計も含めた丸投げ(ODM)をするようになったりして、完全に事業にやる気をなくしていました。

 この間、OEMメーカーだったASUSとかacerがオリジナルブランドで安いノートパソコンを作るようになり、ダイナブックもVAIOも、値段が高いだけでサービスはともかく性能面では立ち遅れた製品、いわば「ブランド代がやたら高い」ノートパソコンしか出さなくなり、私も見限るようになりました。
 それこそ00年代においては、「俺は一生ダイナブック以外のノートパソコンは使わねぇ(# ゚Д゚)」などと吠えていましたが、2010年くらいには「ダイナブック以外のパソコンもいいよね(´・ω・)」などと言うようになってしまいました。

 それでもVAIOに関してはソニーが資本を手放したあたりから再び製品が良くなってきましたが、この前見たらなんかまたどういった顧客を想定しているのかよくわからない商品が並ぶようになり、ちょっとまた悪くなっている気がします。

 一方、ダイナブックは東芝の手を離れてシャープ、もといかつてのOEM先だったフォックスコンこと鴻海の資本が入るようになりましたが、今のところ好転の兆しはあまり見えません。何より一番理解できないのは、未だにBTO、つまりホームページ上でスペックやソフトを決めて購入し、工場などから直接出荷してもらうという販売方法をまだ採用していません。自分が知る限り、主だったノートパソコンメーカーでこんなのはダイナブックだけで、未だにあらかじめ決められたスペック以外のパソコンしか販売していません。
 おまけにサイト上で条件をかけて検索すると、何故か「販売終了済み」が付いたパソコンが検索上位にずらっと出てきます。っていうか終了してんなら何故サイトから消さないのか、未だにダイナブックに関しては「咸鱼」であるように思えます。

2021年1月23日土曜日

声でバレる

 昨年末、以前にも打診がありましたが再び日本のラジオ番組から中国ゲーム市場についてゲストコメントをもらえないかというお声をかけてもらいました。しかし前回同様、「自分の声はかなり特徴的だから世を忍ぶ仮の姿の周りにいる人たちにバレる恐れがある」といって、再び断ることとしました。孫場奏斗思う人も多いかもしれませんが、実際にかなり自分の声は特徴的で、聞く人が聞いたら一発で「あの人だ!」とわかるくらいの水準です。

 じゃあ具体的にどんな声してるのかというと、基本的にはめちゃ甲高いというかハイトーンです。これは多分しゃべる量が昔から多いからしゃべってくうちにどんどん声が高くなっていき、小学校時代の同級生とかにも、「なんか昔と声変わってなくね?」と言われたことあります。
 ハイトーンだからかもしれませんが、あとやたら声が通るのもでかいです。大人数が集まる空間などにいても自分がしゃべっていたらすぐどの辺にいるかなどが分かると友人らは言っており、声のせいで無駄に目立ってしまうところすらあります。実際に過去に何度か、無駄に目立つ私の声が気に入らないのか絡まれたことすらありました。

 その声ですが、過去に戦場カメラマンの渡部陽一氏に似ていると言われてなんか物真似とかもやらされたこともありましたが、私個人としてはそんなにてないんじゃないかなと思ってて、あんま実感わきません。一方、既に亡くなられていますがアニメの「幽遊白書」でエンディングテーマを歌っていた高橋ひろにも似ていると言われたことがあり、こちらについては思うことがあります。
 高橋ひろの楽曲については「アンバランスなキスをして」などを今でもたまに聞くことがあり、その度に「俺の声はこんな感じか(´ー`*)ウンウン」などと悦に入っています。単純にこの人の歌が昔から好きだというのもありますが、こちらに関しては声の出し方などで確かに似ているのかもと考えています。

 具体的には発声開始時の第一音が非常に滑らかというか平坦だというポイントです。基本的に音程が上下しないように話すことが多いのですが、特に第一音に関してはほんの少しでも強まるとやや相手を威喝するような感じともとられるので、柔らかく発音するようにいつかなっていました。この辺が高橋ひろの歌でも同じというか、歌い出しのあたりがいつも柔らかいなという印象を覚えます。

 一方、話す際の音程が上下しないことから、発音で音程を変えるのが実は苦手で、そのせいで中国語の発音もあんま誉めたものじゃなかったりします。ついでに言えば歌も下手で、カラオケとかずっと行ってないけど中国ならみんな騒音気にしないのでたまに自宅で「あんいんすとー、あんいんすとー」などと歌ったりしてます。

 この前見た掲示板で、最近日本でも一人カラオケこと一カラが一般的となっていると書かれていましたが、自分が中学生くらいの頃は一人でカラオケ屋に入ると周りから「え、何この人(;゚Д゚)」みたいな目でリアルに見られてましたが、その辺は大分時代変わったなという気がします。ぶっちゃけ多人数で入るより一人か二人で好きな歌をひたすら歌いまくる方が好きです。

2021年1月21日木曜日

バイデン就任以降の米中関係

台湾駐米代表が正式出席 大統領就任式、断交後初(共同通信)

 いよいよ大統領就任式を控えて来た米国のバイデン氏ですが、中国ではこれまでのトランプ大統領への憎悪が強かった分、バイデン氏に対する期待感はかねてから強いものがありました。しかし上記ニュース、並びに先日のウイグル虐殺非難に関する先制パンチを見る限り、ここ数年の米中摩擦は「トランプだったから」ではなく、米国民の総意であり、バイデン政権でも同様の中国封じ込め政策が続く可能性が高いでしょう。

 現時点から予想されこととして、既にバイデン氏はトランプ氏が脱退を表明したWHOへの復帰、並びにパリ協定への参加を公言しており、国際組織などとの連携は協調路線をとる可能性が高いです。一方で対中国外交に関してはトランプ政権を引き継ぐ、というより下手したらそれ以上に厳しい態度をとってくる可能性が高く、米中対立は今後も続くことが確実視されてきました。

 地味にこの絡みで気になるのが、半導体だったりします。言うまでもなくトランプ政権はファーウェイをはじめとする中国企業との取引を米国企業、並びに日本などの同盟国の企業にも禁止するよう動き、中でもインテルをはじめとする半導体企業の供給ストップは実際に中国企業へ大きな打撃を与えました。
 ただ中国もこうなる事態は一応想定していたのか、台湾企業との合弁などにより中国国内に半導体の製造拠点を設けておきました。そしたらTSMCなどの台湾企業にも米国は手をまわしてきて半導体を流さないよう働きかけたので、これには中国企業もいろいろ参ってたところで大統領選に突入し、さぁこれからどうなるかってとこでした。

 ここだけの話ってわけじゃないけど、実質的にコンピューターが普及して以来はマイクロソフト同様にその座が揺らぐことのなかったインテルですが、ここにきてやや不安定な様子を見せるようになってきました。具体的には予定していた微細化したCPUの量産がなかなか実現できなかったり、競合先のAMDにじわじわとだけどシェア奪われたりしていて、依然と圧倒的強者であることに変わりはないものの、その勢いは以前と比べ確実に衰えてきています。

 何気に私自身も最近のインテルには不満があるというか、実際は世代間で物凄い性能に差があるというのに、パソコンメーカーはスペック表に「Corei5搭載」、「Core3搭載」などとしか書かず、いまいちインテルのCPUだからと言って安心して買えなくなってきました。一方、AMD製CPUだとみんなブランド力内のわかってるから大体クロック数がきちんと表示されてて、逆に安心して買えたりします。
 おまけに最近のパソコンはCPUよりメモリ容量とSSDかのほうが速度への影響が大きく、この点考えるとCPUでインテル捨てるだけでかなりコストダウンとなり、だったらAMD製に次はしようかなとか内心考えています。次いつ日本帰ってノーパソ帰るかわかんないけど。

 話は戻りますが、そんな感じでCPU業界はちょっと今地殻変動が起こりつつあります。単純に生産能力だけ言ったら前述の台湾のTSMCが今や文句なしに世界トップであり、TSMCがどう動くかの方がインテル以上に影響力を持つようになってきました。
 またインテルからの供給を絶たれた中国も、今必死にCPUの国産化を進めています。現状ではまだまだ見通しが立っていませんが、それこそ3年後くらいにある程度自前で揃えられるようになってきた場合、米国のCPU業界に大きな打撃を与える可能性があります。ただでさえ台湾企業は中国への生産依存が大きいだけに、彼らも中国寄りに動くシナリオもなくもないでしょう。

 そういうわけで米中貿易摩擦の第二ラウンドうがどうなるかですが、本格的に動くのは春節明けくらいかと見込んでいます。中国側も米国に対し対抗措置をとるでしょうし。

 一方、日本に対し米国は今後どう動くかですが、なんか日系メディアは日韓関係の仲裁ばかり話をして、対日政策に対するシミュレーションが薄いのが不満です。まぁぶっちゃけ米国もあまり日本に興味ないのかもしれませんが。

2021年1月20日水曜日

中国版桃鉄で盛り上がる

 一部ニュースで報じられていますが、アリババのジャック・マーが約3ヶ月ぶりに表に現れました。でもってこの3カ月間何をしていてどうして姿を見せなかったのかについて何も語っておらず、闇が深いです(ΦωΦ)フフフ…
 それはともかくとして先月、会社の飲み会で同僚らと話をしていた際にふと誰かが、「中国版桃鉄とかあったらやばくね?」という言葉を洩らしました。

 桃鉄とは言うまでもなく、「桃太郎電鉄」という会社経営型ボードゲームのことで、先日発売された新作は過去最高という空前の売上げを記録するなど、根強い人気を見せつけました。この新作は発売前、それまでのキャラデザが一新されて「こんなの桃鉄じゃない!」などという批判も一部見られましたが、コロナの影響の巣ごもり需要などもあって、前述の通り現在も好調に売れているようです。ちなみにこの前評判と裏腹な好調な売り上げを見て、同じく最初キャラデザが批判されたロマサガのミンストレルソングを自分は思い出し「デッデッデデデー」というイントロを口ずさんでいました。

 話は戻すと、日本で好調な桃鉄ですが、かつてあったUSA版みたく同じシステムとゲーム内容で、中国を舞台にしたバージョンを出したらかなり面白んじゃないかと誰かが言い出し、それを受けて周りも「絶対やりたい!」などとかなり盛り上がりました。その場でいろんな案が出てきて、それこそ物件は四川省なら麻婆豆腐屋、北京なら北京ダック屋などお馴染みの地元料理店が並び、浙江省ならジャックデマーなネットショッピング企業が買えたりと、現実の産業配置でマップ作ったら普通に中国社会を遊びながら学べるなどと言い合っていました。

 もちろんこうした物件だけでなく、桃鉄でお馴染みの突発イベント案もいろいろ出てきました。真っ先に出てきたのは「共産党に財産没収される」でしたが、「そんなの生ぬるい、いきなり懲役食らって数年単位で休みになるとか」ともっとダーティなイベントを言う人もいれば、「それより高速鉄道カード使って移動しようとしたら脱線するなんてのもいるだろう「と提案する者もいました。

中国版桃鉄にありがちなこと(togetter)

 同じようなこと考えてる人いないかなと検索してみたところ、2011年と今から10年も前ですが掲示板が立っているのを見つけました。やはりみんないろんな案を出していて、

・目的地に釣魚島(尖閣諸島)がある
・物件どころか都市ごと葬り去るカードがある
・決算が毎回粉飾されている
・貧乏神が大躍進なのね、文革なのねと言って物件を消してくる
・貧乏神が共産党
・列車がよく事故る
・COMキャラのレベルは民工、城管、憤青、公安、党員、幹部という順番

 などなど、見ていてこっちもめちゃ楽しい案が並んでいます。これに敢えて加えるとしたら、「ベンチャー応援家としてジャックでマーっぽい人がランダムで現金くれるけど、ある年を境に消える」というイベントを自分は考えてましたが、今日あっさり出てきちゃったからなぁ。

 ただこの中国版桃鉄ですが、中国も割と鉄道マニアが多いのと、こうした経営を競い合うようなゲームはかなり琴線に触れると思うので、実際ちゃんと作って出したらかなり売れる気がします。イースポーツ自体も中国だと最近盛り上がってきているので、こうした桃鉄などは団体戦などで組んだりすれば見ている方も楽しくいい商材となりうると本気で考えています。実際同僚らも、「これ絶対テンセントとかに提案すべきだよな」と割とガチで言ってました。敢えてタイトルつけるとしたら「漫遊桃鉄」とかになりそう。

 と、以上まで考えるに至ってふと気が付いたことが一つあり、先ほどのイベント案の羅列を見ていて、「中国ってほんとゲームイベントかと思う冗談みたいな出来事がしょっちゅうリアルに起きてんだな(;´・ω・)」という考えがよぎりました。下手にゲーム企画するより、中国の日常をゲームに落とし込む方が案外面白いかもしれません。

2021年1月19日火曜日

鈴木商店とダイエー

 昨夜自分より一回り年齢が小さい同僚と夕食した際、「中内功って名前を出しても君くらいの世代じゃもうピンとこないだろう。自分と同世代であっても反応できない奴の方が多いくらいだ」となんか一人で訳の分からないことを口走っていました。ただ、やはり20代だった頃と比べると最近は自分の中で歴史を積み重ねているという実感があり、自分より下の世代が知らないことを知っていることが増えたと思うことが多いです。もっとも自分より年上の相手が知らないくらい昔のこともやけに詳しかったりしますが自分は。

 前述の中内功に関しては、自分よりもう一回り年齢が高い世代の方がもっと身近であったろうと思います。昭和期における流通の王と言えば間違いなく彼でしたが、彼が作ったダイエーは既にイオンに吸収されて久しく、そのブランド名とロゴは年々他のものへと切り替えられていき、現在もダイエーの名を残す店舗は一応残ってはいるようですが、もう数限りあるほどです。
 このダイエーについて先ほど一人で調べていた際、大正期の大戦景気で勃興した後、その後あっという間に消え去った鈴木商店の名前を突然思い浮かべました。鈴木商店も創業者が消えた後ですぐ消えましたが、ダイエーもそういった要素が多いというか、中内功の退任後すぐに自主独立の道が閉ざされ、中内功自身の財産も散々没収されていく中で本人もなくなっています。何気にさっきWikipediaを読んで自分も今知りましたが、その逝去時は自宅が差し押さえられていたこともあって、一度も自宅に戻ることなく荼毘に付されていたとのことです。

 前述の通り、昭和期においてダイエーは日本を代表する企業で、その経営は実際に日本の流通を変えました。またこれは日本に限らず中国、というよりも世界的にすべて共通するかと思いますが、市場における地位でかつてはメーカーが最も大きかったものを、ダイエー・松下戦争を経て流通側の小売が主導権を握るに至るまでで日本で最も力を発揮したのはダイエーです。まぁそうして得た市場の主導権も、実際店舗からネット店舗に今まさに切り替わろうとしていますが。

 それほどまでに大きな存在感のあったダイエーですが、実質的に昭和が終わるとともに落ちていき、平成の中ごろに破綻へと至っています。そうした経緯を考えると令和の後期においてはそれこそ現代の教科書が鈴木商店を取り扱うように、「高度経済成長とともに勃興しバブル崩壊とともに消え去った幻の企業」みたいに取り扱われるのではないかと思って今こうして記事を書いていますが、まぁなんていうか驕る平家ではないものの一抹の儚さを覚えます。

 冒頭にも書いた通り、私自身はこのダイエーの歴史と中内功の経歴、そして小久保の無償トレードをはっきり覚えていますが、自分より下の世代はそれこそ流通業界と歴史のマニアでもない限り、恐らく今後ダイエーのことを調べようっていう人はなかなかいないでしょう。世代が変われば記憶はなくなるというのは当然のことですが、あれだけの会社であっても、語り継がれることなく消えていくものかと今まさにその消失していく歴史を自分は見ている気がします。

逆転評価記事の裏側

悪者じゃなかったの?歴史的評価が大逆転した2人(JBpress)

 ということで毎度ながらのヤンマガ風自分の記事紹介ですが、今回の記事は当たりましたヤフコメを見ると既に1000件を突破しており、またJBpress内のランキングも昼過ぎには一時1位に入っていました。地味に関連リンクが付けられた他のJBpressの歴史記事のアクセス数も引き上げており、今回はJBpressのPV数にかなり貢献できたと自負しています。
 何気に最近出した自分の歴史記事はあまりアクセス数が奮わず、「今まで当たった記事は運が良かっただけだったのかな(ヽ''ω`)」などとやや自信を無くしていた矢先だったのですが、今日はそれこそ画面を切り替えるごとに伸びてゆくヤフコメ件数などを見て、「見たか!俺の実力ヽ( ゚Д゚)ノ」みたいにやたらとテンション上げていました。

 そんなテンションアゲアゲなこの記事ですが、提出したのは実は年末で、書いたのは3週間くらい前です。なんでそんな大分前に出したのかというと、年末年始はバタバタするだろうから早めに記事出しておいた方が編集部としてもやりやすいのかなと考えたのと、自分も年末年始にあまり記事書くなど仕事したくないという理由からです。
 そうした判断から、それこそ二年くらい前から構想を温めていてすぐさまかけるこの記事ネタを選びました。何故二年もネタを温めていたのかというと、評価が逆転した歴史人物として石田三成と田沼意次はすぐピックアップしたのですが、マイナスからプラスじゃなく、プラスからマイナスに逆転した人物も誰か一人いるだろうと考えたものの、適切だと思う人物がなかなか見つからなかったからです。

 それでも半年くらい前に、ちょっと前の記事に書いたように山本五十六がちょうどそれに当たるかなとようやく思い当たったことからここで放出とばかりに年末に書きだしたところ、先の二名について書いたところであっさり文字数を使い切ってしまい、この二人でまとまってるしもういいやと割り切って出すことにしました。
 ちなみにこの記事を書くに当たって最初に見直したのはこの動画でした。

 記事内容自体は特に何か工夫なり仕掛けをしたわけではなく、自分なりに評価逆転の経緯を簡潔に書くように努めました。結果的には山本五十六を省いた分だけしっかりかけ、またあまりディープになり過ぎないよう書いたことが読み手にいい作用をもたらし、比較的好評な結果を得るに至ったと考えています。
 ネタ的に歴史マニアをそこそこ刺激しやすい話の切り口だったことからか、ヤフコメを見ると吉良上野介や大久保利通、平清盛など、もっと評価を見直すべき人物としていろいろな人物が挙げられるなどして盛り上がっています。一部コメントでも、「ここに寄せられているコメントを見ているのが楽しい」と書いている人がいますが、私自身も同感で、いい歴史討論ネタを上手く提供できたと思えます。

 なおコメントの中で、「今回この記事に挙げられている二人とも官僚で、官僚はその所属する政権の浮沈によって評価が左右されやすい」という内容が書かれているものがあり、この指摘は大変見事なものだと自分も感じ入りました。実際その通りで、官僚というのは自身の功績や能力以上に、所属する政権によって良い悪いの評価が付けられやすいところがあり、分析などでは確かに難しい点があります。
 私自身も以前にこのブログで、「仮に石田三成が豊臣家を裏切り徳川家についたならば、日本史上最高の施政家として名を残しただろう」という評論をしたことがありますが、これもまさに所属した政権に左右される傾向がみられる一端と言えるでしょう。

 これ以外にあんま書くことはないけど、割と久々に自分の記事でスマッシュヒットを、しかも歴史記事で出せたので非常に満足しています。恐らく今年は中国ネタについては、去年もそうでしたが仕事が忙しくてあまり書けなくなる可能性があり、さらに歴史ネタが増えるのではないかと自分で予想しています。
 その歴史ネタですが、やはりそろそろ本格的に書いてみたいと思っているのが現代史で、昭和と平成にかけてのネタをちょっと意識的に書いてみようかと検討しています。ついさっきも「90年代後半の日本金融史は下手なドラマより面白いんだぞ!(# ゚Д゚)」などとわけわかんないことを同僚に吠えていましたし。

2021年1月17日日曜日

日本のモノヒト感染に対する意識の薄さ

 中国でアイスクリームからコロナウイルス検出というニュースが話題となっています。この件に中国ではその後、「アイスクリームに使う外国産原材料からもウイルスが検出された」と報じていますが、中国国産アイスクリームからの検出という初期報道を見て日本ではネットを中心、「やはり中国国内ん感染者がたくさんいるのだろう」、「これまで隠蔽していたのだろう」などという意見が見られます。

 この件について中国側の原材料に関する報道の真偽についてはもう少し待ってから判断すべきと思いますが、個人的には日本側の反応の方が興味深いとみています。ポイントは二点あり、一点目は「何故今回だけ大きく反応するのか」という点です。
 というのも中国ではこれ以前、秋口くらいから外国から入ってきた冷凍魚などの一部貨物からもウイルスが何度も検出されており、食品や貨物からのウイルス検出は今回が初めてじゃありません。やはり「国産アイスクリーム」という点で中国を叩くに好材料であったことが大きいです。

 二点目は、「っていうか中国はアイスにもPCR検査しているのかよ?」といった反応です。感がいい人ならわかるでしょうが、人から人への感染ではなく物から人へのモノヒト感染に対する意識がやはり日本は薄いことを示す証左であるように感じます。

 現在日本の感染対策としてはともかく対人接触を避ける、いわゆる三密対策が主となっています。
 ちなみに以前ネットで「三密では何を意味しているのかわかりにくい」といって、「集まらない、近づかない、密閉空間にいない」の三つをとって「集・近・閉(しゅうきんぺい)」を流行らせるべきと言った人がいましたが、確かに私もこっちのが分かりやすい気がします。

 話を戻すと現実にはコロナウイルスはヒトヒト感染もさることなら、物を媒介としたモノヒト感染の割合もかなり高いように感じます。そもそも最初に大規模感染が確認された武漢市においても海鮮市場が起点とされており、その場所がらを考えると、冷凍された海鮮物を経由してきた可能性も考えられます。また上海で去年秋に確認された感染者も空港の物流倉庫勤務者の方々で、これも冷凍されたような貨物に付着していたのではないかと言われています。
 少なくとも感染者は夏に一時減少し、冬に再び増大していったことを考えると、コロナウイルスは低温で乾燥した状態ほど長持ちし、活発化しやすい傾向があることはほぼ間違いありません。そうした特徴を考慮する限り、貨物、特に冷凍物などは格好の媒介物となりえ、こうした貨物経由でのモノヒト感染に対する注意も求められてきます。

 なお個人的な見解を述べると、緊急事態宣言が出されながらも東京では依然と満員電車が見られるとされながら、そうした満員電車でのクラスター発生は未だ報じられているのを見たことがありません。報道が隠蔽されている可能性もありますが、あの密閉空間でのすし詰めと、東京での感染者数の増加ぶりを考えるとどうして満員電車クラスターが発生しないのかがやや不思議で、実はヒトヒト感染は実はあんま移り辛く、モノヒト感染のほうが経路としては大きいのではと勝手に睨んでいます。

 話を戻すと、こうしたモノヒト感染について中国側はある程度警戒しており、エレベーターなの設備は商業ビルなどでは1時間ごとのアルコール殺菌が今も続けられています。また今回のアイスクリームに対するPCR検査も、日本側で驚きとともに報じられるということは、日本ではあまり行われていないのだなと類推します。
 日本でも殺菌措置などはある程度行われているとは思いますが、それでもやはりモノヒト感染に対する意識が極端に薄いのではと去年から考えていました。もちろんヒトヒト感染対策の徹底はモノヒト感染対策も兼ねることになりはするものの、もう少し人が触れやすいところとかへの警戒があってもいい気がします。それ以上に、前述の通りコロナが長く付着し続けやすい冷凍物については、特に感染が爆発的に流行している欧米からの貨物に特別な警戒がもっと必要でしょう。

 改めてモノヒト感染で検索したところ、あまり日本語では情報がヒットしません。冒頭には嫌なページが出てくるし。もしかしたら別の用語があるのかもしれませんが、少なくとも私はモノヒト感染に相当する用語を見たことがありません。
 この点について日本にいる友人に話したところ、「恐らくその感染ルートを報じたら日本の物流とかでパニックが起こる」と言われ、なんとなくそういう背景だからメディアとか政府も黙っているのではとやや疑っています。はっきり書くと、私の目からして日本のモノヒト感染の無警戒ぶりは異常です。

スーパーホーネット作った( ´Д`)=3



 先週、水のトラブルでシール貼りが出来ず完成させられなかったプラモこと、「F-18 E スーパーホーネット」を昨夜作り上げました。キットは今回も韓国アカデミー世の物を使い、やたらシールの種類が多くて思ったより時間食いました(;´Д`)


 スーパーホーネットとは、米海軍で現在も運用されている戦闘機です。横須賀当たりに行けばみられる代物ですが、エンジン音が極端にうるさく、本国でも騒音訴訟が起こされています。


 知ってる人には早いですが、スーパーホーネットはその前身である「ホーネット」のアップグレード版です。既存のホーネットが古くなり性能が追い付かなくなったものの、新たに一から設計するくらいはとばかりに、期待を大型化して電子装備などを一新して作られた背景があります。
 ガンダムで例えるなら、ザクとハイザックみたいな関係です。「ハイザックC」はギレンの野望でめちゃ使える。


 このホーネットの特徴としては、エラが張っているというか、主翼がコックピット真下まで伸びている点です。本体と翼を一体化するという設計の下、その設計構想が最も極端に出た設計になっています。
 その出っ張ったエラのせいで、翼下のエアインテーク部分が影となってやたら撮影し辛かったです( ゚д゚)、ペッ


 今回このキットを選んだのは尾翼のドクロマークのシールがついてたからです。これはマクロスのスカル小隊、じゃなくて米海軍のジョリーロジャースという部隊のマークで、プラモ界でも非常に人気のあるシンボルです。その人気ゆえにマクロスも丸まんまパクったのですが、F-14トムキャットのプラモでもジョリーロジャース版が一番人気があると思います。


 このほかこのキットを選んだ理由として、友人が前から一つキットを組んでくれと言っていて、作るとしたら何かと考えた際、

・場所を取らないようあまり大きくない
・見栄えがするもの
・戦闘機に詳しくないからオーソドックスな機体

 この条件で勘案して、店に置いてある奴の中で選んだところこのジョリーロジャース番スーパーホーネットがいいという結論に至りました。


 もう一つホーネット系の特徴としては、機体先端のノーズが長いことです。そのため見方によってはくちばしの長いカモノハシみたいな印象を覚えます。

旧版(レガシー)ホーネットとの比較、全長ではっきり差がある

レガシーホーネットは以前にタミヤのキットで作ったもの
デカールの差でやはりアカデミーの方がかっこよく見える

左からF-4ファントムⅡ、F-14トムキャット、レガシーホーネット、スーパーホーネット
狙ってたわけじゃないけどF-4以降の米海軍機が手元に揃ったので記念撮影


後ろの黒い物体はディズニーランドで買ってきたトートバッグ
狙ってたわけじゃないけど後ろ向きに絵柄が隠れててラッキー(・∀・)

 今回は店に置いてあるキットの中で選んだことからアカデミーのキットを使いましたが、このメーカーは前述の通り割と派手なデカールが揃っているのが非常にプラスなところです。
 ただこの前作ったトムキャットのデカールが早くも剥がれ始めており、なんかデカールの定着が弱いように感じます。ファントムは水シール(デカール)じゃなくて一般的な粘着シールで張り付けたからそういうことないけど。

 またこのスーパーホーネットのキットに関しては、接着剤をあまり使わずともパーツ同士を構造的に組み合わせるだけで簡単に組み上がるようになっています。そのため組立自体は非常に簡単であったものの一部で、「これ接着剤で着けるようにした方がよくね?」と感じる箇所がありました。
 具体的にはピラーの部分で、穴があってそこに突き刺すようにして組み込むパーツなのですが、この穴がやたら狭く、かなり力を入れないと全く入り込まないようになっていました。余りにも固いもんだから、差し込むときに力が余って折れないかひやひやになるほどで、差し込んだ後は親指とかがめちゃ痛かったです。

 またデカールが豊富なのは良いんですが、一部のデカールは組立作業中じゃないと絶対に貼れないのに、説明書ではその旨がきちんと書かれていなかったりとやや不親切な点が見られます。全体として悪くはないんだけど、単純に組み立てる楽しみであればやっぱタミヤやハセガワの方が上かなという印象です。

 そういうわけでこのスーパーホーネットはこの後友人に引き渡しです。あと昨日はまたプラモ屋行って、春節の間に作るキットを購入済みです。

2021年1月15日金曜日

山本五十六の評価は低下気味?

 昨日JBpressの編集部からゲラ来てチェックしましたが、年末に書いた記事がまた次の月曜に掲載されます。今度の記事は歴史評価の逆転をテーマにしておりかねてから温めてきた内容だったのですが、書いてるうちにすぐ文字数使い切っちゃったので、当初この記事に加える予定だった山本五十六については一切触れずに終わってしまいました。
 具体的には、山本五十六の評価は近年、低下気味ではないかと言及するつもりでした。

 山本五十六と言えば言わずもがなの超有名人で、本人は米国との開戦を望んでいなかったものの図らずも海軍を当時指揮する立場であったことから、真珠湾作戦をはじめとする太平洋戦争初期の戦争を指揮し、最後は移動中を米軍に補足され、P-38ライトニングに撃墜されたことで戦死した人物です。
 っていうかこんなのあるんだな。

 話を戻すと、その山本五十六はかつては昭和の軍人の中でもピカ一の人気があり多方面から尊敬されていたのですが、なんとなく近年のメディアなどの取り扱いを見ていると、かつてと比べると人気が幾分低下気味であるように思います。さすがに否定的評価が肯定的評価を上回るほどではないものの、以前は褒められたり惜しまれたりすることしかなかったのに対し、近年は問題のあった判断だという指摘をよく見るようになってきました。

 仮に私の見立て通りに山本五十六の評価が落ちているとしたらそれは何故か。第一の理由としては、海軍善玉論が現代においてほぼ否定されつつあるからでしょう。
 この海軍善玉論否定の第一人者は、先日亡くなった半藤一利氏です。半藤氏の著作を見ると、海軍善玉論自体はやはり司馬遼太郎が大きく持ち上げたことが大きかったと述べる一方、やはり陸軍同様に海軍の責は多いと度々指摘しています。山本五十六自身は先にも書いた通りに開戦には反対の立場でありましたが、「やれってんなら二、三年くらいは暴れてやるよ」などというセリフを当時の政府首脳らにも言っており、半藤氏によると「断固開戦反対」というわけでもなかったと言わしめています。

 実際にというか海軍全体で本気で開戦を拒否していれば、どれだけ陸軍がごねても開戦には至らなかったとみる向きは大きいです。また陸軍内部の開戦反対派も重要な閣議で海軍側から「絶対に勝てないから無理」と反対してほしかったのに、そうした重要な閣議で海軍は毎回「難しいけど、陸軍さんがどうしてもやりたいというのなら……」などと消極的賛成を採ることが多く、陸軍内部の開戦反対派を大いに落胆させたと聞きます。
 このような海軍善玉論の否定、並びに山本五十六自身が断固反対的立場でなかったことが、かつてのイメージをやや崩しているところがあります。

 こうした開戦前の立場に加え、開戦後の指揮や行動に関しても否定的な意見が出ています。例えば米軍と開戦することになったとはいえ、やるからには早期に講和を持ち込むしかないと考えたというくだりですが、早期講和に持ち込むために「序盤で手痛い打撃を負わせる」方針を持って、真珠湾攻撃を敢行するに至ります。結果は知っての通り、確かに米国に予想を超える手痛い打撃を与えましたが、逆にそれで米国内の開戦意識を高め、早期講和どころか徹底抗戦に世論を反対に誘導するに至っています。
 実際私個人としても、手痛い打撃を負わせればすぐ講和に至るというのはいくらなんでも虫のいい話にしか聞こえません。それこそドイツも米国の領土に攻撃を加えるなど外の状況が悪化していくのならともかく、太平洋の領土がやられれば米国としてはむしろ燃え上がるのが自然です。

 むしろリメンバーパールハーバーさせるくらいだったら、フィリピンなどの東南アジアから先に攻めてそこをしっかり固めて米軍を疲弊させる方が良かったのではと個人的に思います。もっともこの案は実質的に持久戦論で、日本の国力では実行不可能だったのですが。
 となると米軍の士気を挫くとしたら、結局はハワイを占領して、太平洋を完全に占領するくらいまで持って行くほかなかったと思います。結果論だけど、奇襲だけじゃなくハワイを一気に上陸占拠するくらいしなきゃダメだったのかもしれません。

 戦術論はさておいて戻すと、もう一つ山本五十六の評価を下げているのは、真珠湾以降の指揮についてです。これに関しては自分からもはっきり否定しますが、どう見ても無駄に戦線を広げているようにしか見えず、余り戦略価値のない島々を占領しては陸軍に駐留させ、そこ米軍によって補給路を断たれて各個撃破されるという事態を招いています。山本五十六が決めたわけじゃないかもしれませんが、アリューシャン列島の占領なんて完全に無意味な進軍以外の何物でもないです。
 またミッドウェー海戦についても、あの戦闘では最初から最後まで攻撃目標が「艦隊撃破」にあるのか「島の基地破壊」なのかが曖昧であり、その曖昧ゆえに魔の兵装換装を招いたと言われています。私もそのように思っており、南雲忠一などはスケープゴートもいいところでしょう。

 以上を踏まえると、確かに真珠湾攻撃の成功は見事なものですが、見事過ぎて早期講和の道を自ら断ってしまっている節があります。そしてその後の指揮に関しても、なんていうか大目標がはっきりしていない節があり、それ故にオウンゴールを招いた面も大きいと考えています。
 まぁ誰がどう指揮したところで、太平洋戦争で日本が勝つというシナリオに持って行くことはまずできないので、損な役割を負ってしまった人物だとは思いますが。

2021年1月13日水曜日

半藤一利氏の逝去について

 いちいちリンクを貼ったりしませんが、元文芸春秋の編集長にして昭和史研究の第一人者であった半藤一利氏が先日、逝去されたことが報じられました。90歳の大往生ということですが、各界からはその功績を改めて称賛するとともに、亡くなられたことを惜しむ声が数多くみられます。

 つい一昨日の記事でも私は半藤氏の名前を出していますが、昨年末に書いた日本の歴史観をまとめる連載において改めて半藤氏の経歴を確認した際、既に日本の平均寿命を超える高齢であったことを確認して、同じ娑婆にいられるのも長くて数年、下手すれば明日かもしれないなと考えていました。そうした考えがよぎったこともあって五湖十六国関係の本を読み終えて手持無沙汰だった際、半藤氏の本を何か読もうと思い、先日にも新たに買い増した矢先でした。
 突然でない人の死はないというのが私の持論で、今回の半藤氏の逝去についても上記の年齢に対する前意識があったためそれほど突飛性は感じませんが、その遠からぬ逝去を感じた矢先だったというのは妙なタイミングのかちあいを感じます。

 敢えてもう少し書くとしたら、私が半藤一利氏のことを知ったのは文藝春秋の特集記事からで、「佐藤賢了とかと巣鴨プリズンで話聞いてた」などと、歴史の教科書に出てくるような人物名がポンポン出てくるのを見て、こんな人がいたなんてと確か2006年くらいにびっくりしたのを覚えています。その後、戦前の軍部に関する対談記事を見てまた更に感銘を受けて、半藤氏が手掛けた本などを読むようになりましたが、学者ではなく文藝春秋の編集者であったと知ってさらにびっくりしました。

 このブログを見てわかる通り、私自身も歴史に対する興味はかなり強く、JBpressとかでもネタに困った時なんかは歴史コラムを普通に書いたりしています。個人的に半藤を見て影響を受けたというか感じ入った点として、歴史を学問として専門的に学んでいなくても、ライターの立場でこうした歴史の事実探求に迎えるのだという点に凄く憧れを感じました。現在においても私は歴史を専門的に研究する立場になりたいとは思わないものの、ライターとしてどう歴史に向かうか、またそれをどう表現するかにおいては、今後もずっと半藤氏が憧れの立場に居続けると思います。

 今回の訃報に初めて触れた際、実は次のJBpress記事に半藤氏の追悼記事を書こうかと正直思いました。しかし直接会ったわけでもないし、中途半端に歴史を紹介しているだけの自分がそんなもの書いても蛇足にしかならないと思ってすぐそんなことはやめようと思いなおしました。ただ、書けるものなら書きたかったというのは偽らざる心情です。自分がここまで人の死を惜しむのも、水木しげる以来です。

 歴史観の連載でも書きましたが、現在の戦前の歴史評価に関しては半藤氏と保坂氏の考えや主張がベーシックになりつつあります。私自身もこれを支持する立場ですが、今回の半藤氏の逝去によって、完全な定着に至るかの分岐点を迎えると思います。
 同時に、定着というか完成に至った場合、次はいよいよ平成史に対する解釈議論が今後始まってゆくことになると思います。自分が関わるとしたら、恐らくこちらになるでしょう。

 末筆として、改めて半藤氏の冥福をこの場にてお祈りします。

2021年1月12日火曜日

スズキの2位躍進のニュースについて

スズキが初のホンダ越え! 国内2位躍進の裏に“軽だけじゃない”小型車作りの功(ベストカー)

 最近日本帰らないから雑誌はすっかり買えてないけど、地味によくできた記事をベストカーが出していたので紹介します。
 内容は見出しの通り、スズキがホンダを抜き去りトヨタに次ぐ国内2位の販売台数にのし上がったことを報じるものです。この記事のよくできている点はセグメントごとの販売台数をきちんとスズキとホンダで区別しており、スズキは軽自動車のみならず小型車の販売台数を伸ばしたのに対し、ホンダは軽自動車しかこのところ伸びておらず、その他のラインナップが不振であったことが要因ときちんと分析している点です。最近こうした単純なデータ比較すらやらない記事が多いので、久々にまともな記事を読んだ感じがしました。

 それにしてもスズキがホンダ、日産以上の販売台数を記録するなんて、10年くらい前は誰が想像したでしょうか。またバブル後にはホンダを吸収合併するとまで噂された三菱自動車が、国内最低の販売台数を叩き出すなんて誰が想像したでしょうか、と言いたいけど、ここ数年みるならこっちは当然の結果です。

 話を戻すと、近年はどのメーカーも選択と集中とばかりに自分が得意なセグメント車種に注力する傾向があり、マツダなんかSUV特化で特に顕著です。かつてはどのメーカーも、安物セダン、高級セダン、コンパクトカー、ミニバン、ステーションワゴンなどで指定でも1車種は揃えるフルラインナップをしいていましたが、近年そうした姿勢を維持しているのはマジでトヨタだけとなり、比較的余力のあるホンダや日産ですら苦手とする車種はバッサリ切っています。
 この辺、スズキの躍進にもつながりますが地味に「安価な小型車」がどのメーカーも手を出さなくなり、かえってこのセグメントもしっかり取り揃えていたスズキに対し、こうした車を求めるユーザーが集中したのではないかと思います。自分もこのセグメントが凄い好きでイグニス欲しいし、まぁイグニスは全然売れてないけど。

 同じ理由で評論家からの推しが最近やたら強いのが、スバルのレヴォーグです。なんでかっていうと、こうした正統派なステーションワゴンはマジでもうこれ一つだからです。
 一応カローラのフィールダー屋ツーリングなど一応ステワゴに入る車はありますが、やはり商用車なイメージが強く、レヴォーグとは一線を画します。かつては三菱とかでもギャランフォルティスのスポーツバッグなどでこうしてステワゴを出していましたが、マジで今まともなのとなるとこのレヴォーグだけになっているので、この手の車を求めるユーザー数は確かに減っているものの、ドラフトの一本釣りみたく意外とレヴォーグも成功するのではと見ています。

 もっともそういう他社の穴になっていて一本釣りになっている車と言ったらやはりスズキのジムニーが白眉なのは昔から変わりがありません。現行ジムニーがバカ売れしているのを見て、情け容赦ない系自動車業界の常というべきかダイハツも露骨にジムニーっぽい車出してきましたが、それでもジムニーのオリジナリティは依然と遠く、競合するには至っていません。
 そういう意味で最近の自動車メーカーはそうしたニッチなニーズを取りこぼしている気がします。ニーズのあるユーザー数は少ないけど、他社にはない独自性を持った車をもっと開発してもらいたいものです。

 それにしても日産はどうしてキューブを捨ててしまったのだろうか。あれこそコンパクトカーが至る極致の一つだと思うのに。

2021年1月11日月曜日

昭和の狭間の時代

 本題とは関係ないけどFF5で出てくる「次元の狭間」という設定はよくできている気がします。でもってFF5に出てくるレナはFF史上、最も影の薄いヒロインであるという気がします。っていうかヒロインか?

 そんな購入したはいいけどまだ全然遊んでいないFF10とかの話はいいとして、以前に平成時代も終わったというのに「昭和的」という単語がニュース記事に出てくることについて触れましたが、あの記事書いてからしばらくして、よく昭和は前期と後期(戦前と戦後)で分けられるけど、次元の狭間的に狭間の時代があるのではと思いつきました。言うまでもなくそれはGHQ占領時代で、具体的には1945年のマッカーサー上陸から1952年のサンフランシスコ講和条約発効(締結自体は1951年)までの約7年間です。

 なんとなくイメージ的には前漢と後漢の間の王莽が支配した「新」のような時代を連想させるのですが、このわずか7年、実際にはマッカーサーが激しく政策を打ち出した最初の3年間くらいの間、日本国憲法をはじめとして現在の日本の骨格なり方針がほぼすべて定められています。それだけ濃密で且つ重要な時代ではあるものの、やはり占領下ということと、その後の高度経済成長期の方が日本人の感情的によろしいためか、「昭和」という時代枠でこのGHQ占領時代、というよりマッカーサー時代が語られることは少ない気がします。

 私は大分前、このGHQ占領時代に行われた農地改革について、「日本はこの農地改革を日本人自身で実行できなかったがために侵略戦争に走った節がある」と指摘しました。この意見はあまりよそでは聞かない独自性の強い意見ですが、我ながらいい点を突いているという自負があり、日本が戦争に走った一因ながら、日本を打ち負かした米国人の手によって解決されるという歴史の皮肉を上手く言い当てられたと考えています。

 この農地改革を含め、やはりGHQ占領時代においてはもっと研究、検討すべき内容があるのではないかとふとこの前思い、もう一回この時代を調べないとと思ってひとまずとばかりびに「半藤一利 GHQ」で検索して買った本を今読んでいます。やはりというか自分の知らなかった事実がまだ多かったことと、1950年の朝鮮戦争勃発以前の日本の姿はどうだったのかが気になりました。ぶっちゃけこの辺、「ギブミーチョコレート!」と叫ぶ子供たちの姿ばかりが映されて、それ以外のところ、地方の生活や復員者の生活などは映されてない気がします。

 その辺とかいろいろ気になるし、この時代はある意味今だからこそもっとスポットを当てるべきだと思ったのと、「孤高の人」を急に買い始めてお金減ってきたから「1946」とかいうタイトルで小説でも書こうかなとか最近考えています。このタイトルだと別の小説をパクってるとか言われそうですが、私個人としては彩京の「1945」シリーズに連なるタイトルにしたいからこうしているだけで、他意はありません。
 ただ冗談をのけると、やはり日本人は1945年に過度に集中してみ過ぎており、その直後に何があったのかを再認識すべきという意味で、「1946」という単語は極めて重い意味と役割を果たすと私は考えます。具体的には1948年、マッカーサーが大統領選を見据えてある意味本気で対日政策に取り組んでいた3年間の時代はやはり、「昭和後期」とくくるのではなく、「第一生命館時代」として独立して取り扱うべきでしょう。

 そういうわけでしばらく研究したらまたおいおい記事にまとめます。それにしても今どきマッカーサーを研究している人とかいるのかなぁ。

2021年1月10日日曜日

他人事じゃなかった

 日本も寒波で北陸地方を中心に大雪などの被害が出ていますが、上海もここ数日間は最高気温が氷点下を下回っており、寒さに強いことで鳴らす私ですらも布団から出られない日々がこのところ続いています。
 ただ今日のような休日においては、まだ日が昇らぬ4時とかにいつも毎回起きます。なんでそんなことするのかというと購入したゲームとかをダウンロードするためで、こうした早朝の時間帯ならVPN使うとめっちゃ早くギガ単位のデータもサクサクダウンロードできるからです。7時を過ぎたあたりになると通信速度は早くて200kb/秒くらいに落ちてとてもじゃないけどダウンロードできないため、なんかそういう夢遊病者みたく早朝に起きて、ダウンロード指示してまた寝るという行為をよくやっています。

 今日もそんな感じで一旦6時に起きて、朝食のアンパン食いながらダウンロード指示してまた寝なおしてということをやって、10時半くらいに再び目を覚ましました。その後部屋でネットとか見て、12時前くらいに昼食を食べようと外に出たところ、家の近くで水道管が破裂して道路が水浸しになっていました。
 既に警察とか工事の人が来ていたので私自身は何もしていないのですが、冒頭に書いたようにこのところは気温が急激に落ち込んでおり、日本国内でも水道管が破裂しているとあってなかなか他人事じゃないなと思いながら昼食を食べて家に戻ると、水が出ませんでした。そう、破裂したのはうちにつながる水道管でした。

 地味にトイレとかも使えなくなり、「もう洩れそう:(;゙゚''ω゚''):」などというメッセージを友人に送ったりしながらプラモ作って過ごしてましたが、温かいお茶を煎れられないのが一番つらかったです。あとプラモ自体は今回のキットはパーツの合いが悪く一部で取り付けに苦労したものの構造は簡単ですぐ組み上がりましたが、水がないのでデカールを貼ることができませんでした
 そんな感じだったので4時くらいになるとふて寝しようとひたすら布団に入って寒さに耐え続けていましたが、6時に目覚めて水道を見るもやっぱり修復しておらず、隣の大家と「えらいこっちゃ」と話しつつ、家にいてもしょうがないのでマクドに避難することとしました。なお出ていく際に破裂した水道管の現場を通ったら、重機とともに復旧作業が続けられており、周囲には寒い中やたらと野次馬が来て見ていました。

 マクドに行く途中にメイソウに寄り、ちょうどマウスホイールが酷使のためか上下動作の反応が悪くなっていたことから新品マウスを購入するとともに、前回のサイクリングで靴下を二重に履いていたもののつま先が冷えて仕方なかったので、たまたま一緒に売ってたアンゴラ混靴下も購入しました。寒さに強い自信があるけど、手足の末端はどうあがいても守り切れないという風に考えててこの辺はいつも重視しています。

 その後、マクドナルドでコーヒーを飲みながら今朝購入した「孤高の人」と松本清張のある本を読みながらしばらく過ごしてから帰宅すると、水道は見事に復旧していてホッと一息がつけました。上海だからこのように復旧早いけど、他の地方都市ではこうもいかないでしょう。その後に自宅で飲んだお茶のうまいことうまいこと。

 なおついでなので書きますが、昨日今日の土日はやはり気温が影響したほか、河北省石家庄市でコロナ感染者が再び大量に発生したことを受けて、それでも日本よりかは多いと思うものの、1週間前と比べて人通りは幾分少なめでした。また外出している人も先月と比べるとマスクをしている人が多い、というかしてない人がほとんどいないくらいで、防疫に対する意識が随分と跳ね上がっている印象を覚えます。
 それとミニソウのマウスは思ったよりは悪くないです。靴下はまた来週の土日に履く予定です。

2021年1月9日土曜日

セダンは今や高級車

 先日友人が、「電気自動車って塗装代もかかるらしいぜ」といって、テスラの購入見積書画像を送ってきました。ちょうど虫の居所が悪かったのと、その直前に送らないようにと伝えた内容をその後も送り続けるなどチャットマナーについて注意した時であったため、真面目に激怒し、「んなくだらないどうでもいい情報なんていちいち送ってくんな!」とリアルに言いました。その上で、「新車は標準職以外はメーカー側が用意していても別途塗装代を請求される」という自動車購入における一般常識を教えてあげました。

 上記の塗装代に関しては、友人がこれまで自動車を購入したことがなかったために事実を知らなかったのでしょうが、同じように購入経験がない人もこの事実を知らない人が多いかもしれません。かくいう私自身も、自動車業界についてはそこそこ取材経験があって過去の車種にも詳しい地震がありますが、比較的早い時期に中国に渡りその後ほとんどこっちで過ごしているため、実は中古車を含めて自動車を購入した経験がありません。それでも何故上記の塗装代について知っているのかというと、結構暇なときにウィンドウショッピングっぽく、各メーカーサイトに行って購入見積りシミュレーションを繰り返しているせいです。

 真面目に他の人にも薦めたいのですが、用途やランクを設定して各車種の見積りを作り、比較するのはかなり楽しいです。「こっちの方がデザインいいけど値段がやや高いな」とか、「同じ燃費で初期購入価格差はこれだけか」とか、いろいろな意味で各メーカーの思惑とかも取れたりします。またオプションに関してもどういったものが用意されているのか、またその並べ方や表示の仕方から現在人気のあるオプションも把握でき、ネット環境のいい会社で暇なときとかやたらシミュレーションを繰り返しています。
 そのシミュレーションをしていて気が付いたというか最近よく思うこととして、「安いセダンがねぇ」という事実です。

 セダンの人気低迷は今に始まることではなく世界的な流れでもあるのですが、それでも最近のセダンラインナップの少なさには思うところがあります。現状、わざわざセダンに乗ろうって人はそれこそブランド意識の高いミドルハイクラス以上の人で、そういうこともあってか「セダン=高級車」的な図式が出来上がりつつあり、各メーカーも価格を抑えた車は軽自動車かコンパクトカーで出して、セダンに関しては最低でも中高級車感のある値段で設定してきています。
 具体的に言えばかつてはボリュームゾーンだったと思える最低購入価格160万円くらい、オプションなど諸費用込みで200万円以下のセダンは今や皆無です。カローラですら200万円をギリ下回る価格で、分不相応と言っちゃなんですが、ブランド及び販売力の低いマツダ3は220万円台からという勇気を通り越して無謀な値段設定で挑んでいます。あの内容でカローラ以上の値段をつけるというのはちょっと自分の中ではありえない。さらには数年前にギャランフォルティス捨てた三菱に至ってはセダンはゼロという男前ぶりです。

 こんな感じで、一応車として最もベーシックな形であるセダンは今や、準高級車以上限定の車形となりつつあります。買い手がいないんだからそれもそうだし、私自身、街乗り用として使うんだったら確実にコンパクトカーを選ぶと思われるため当然かもしれませんが、それでもコンパクトカーと比べるとセダンの方が高速道路での静粛性、安定性では確実に上回るだけに、やはり180万円以下くらいで購入できるセダンがあればもうちょっと検討するのにという思いがあります。
 まぁ人気がない分、中古車市場だと結構いい高級セダンが良く出回るのですが。

 ちなみにソ連人民の敵であるうちの親父はかつて相手が乗っている車がトヨタだと知るや、「あっ、こいつ車に興味ないやっちゃな」と腹の中で毎回毒づいてたくせに、最近中古のクラウンに乗り始めたらやたらトヨタのこと誉めだすようになりました。まぁ自分から見ても、80年代くらいまでのトヨタは本当にいい加減に車作ってたなという印象を覚えますが。ハチロクなんてカローラにちょっといいエンジン乗っけて足回りを少し強くしただけというやっつけ感満載な車だし。
 逆に90年代くらいの三菱は、価格設定がおかしいと思うくらい無駄に装備が豪華だった気がします。あそこは三菱グループの人間相手に売るだけで採算成り立っていたから、そういう身内向けに豪華装備を安くで着けるようにして売ってたのかもしれません。

2021年1月8日金曜日

甦る親方日の丸意識

 昨夜は寒さでリアルに指が動かずタイプできなかったため記事を更新できませんでした。あと関係ないけどこれめちゃくちゃほしいんですけど。それと「ほしいものリスト」という表記を見る度に「ほしいも の リスト」という風に頭の中で単語が区切られます。

 それで本題ですが、前回記事で私はリーマンショック以降に世界各国でヘリコプターマネー政策が採用された結果、日本では日銀と年金機構がかつてないくらいに上場企業の株価を保有するようになり、市場経済に対する国家(=政府)の統制が強まってきていると述べました。この統制強化についてはデメリットばかりでないものの、日本の場合だと企業の実態活動に及ぼす影響も大きいのではという風に言及しましたが、その影響とは端的に言って大企業病、そして敢えて古い言葉で言うなら親方日の丸意識です。

 現代日本において、大企業病について警戒感を今でも打ち出しているのは私が知る限りトヨタ、あと最近は前ほど主張しなくなったけど自嘲気味に「うちは中小企業だから」と言っているスズキの2社です。逆を言えば、他の大手企業に関しては多かれ少なかれ大企業病になっていると思われ、それが近年、市場の統制化が進むにつれてより顕著となってきているように見えます。
 これは一体どういうことかというと、日銀や年金機構の持分比率が高まるにつれて、役員がその株主に対する経営責任を前ほど意識しなくなっているからです。それこそ村上ファンドのように物言う株主相手であればどの企業も自衛措置や経営の維持を強く念頭に置くでしょうが、日銀や年金機構は各社の経営に口出しや介入することはほぼ考えられず、役員らの経営責任意識を低下させるという点がかねてから指摘されていました(主に村上さんが)。

 私自身もこの見方に同感で、実際に近年の日系企業の役員らの発言を見ていると、随分と他人事みたく物を言う役員が増えたという印象を覚えます。それこそコロナ流行下でどのように経営を維持し、さらに業務を拡大していくかについてはほとんど誰も言及しなかったばかりか、あまり意味があるとは思えない感染対策ばかり口にし、プレスリリースでも電通みたく「社内から感染者が出ました」ばかりしか言わず、どうなっているんだという印象を正直覚えました。
 また単純に、経営者の名前が出てくることも随分と減った気がします。それこそ00年代はデフレ脱却が掲げられ、ちょうど日系企業の海外進出も盛んだったことから多くの名物経営者が名を上げましたが、近年は某章夫さんしか一般メディアで見る名前はなく、あとは日本電産の永守氏くらいな感じがします。これはという方針を打ち出す経営者がいません。それでも、日系企業各社の株価は現在も上昇中です。それはやはり、日銀と年金機構が買い支えているからでしょう。

 こうした背景からか企業自身も、「何かあっても国が何とかしてくれる」という暗黙の了承みたいなものを覚えているようもみえます。実際に東芝は経産省らが八方手を尽くしてくれたおかげで案だけむちゃくちゃやらかしたにもかかわらず逮捕者はゼロで、且つ上場も維持されました。あれが末端の上場企業なら即刻上場廃止の上、場合によっては営業停止処分も受けた可能性があり、明らかに不公平な結果でした。
 このような感じで、大企業に関しては何をやっても国が助けてくれる、不問にしてくれるという意識が今の日本でかなり蔓延している気がして、それはやはり政府政策もさることながら経済の統制化も一因であると私は睨んでいます。それ故に企業自身もすっかり競争意識がなくなり、今やっていることを一切変えずにそのままやり続けようとしている態度が年々増えているように見え、こうした一連の状況を見ると旧電電ファミリーに蔓延していた「親方日の丸意識」が今まさに甦ってきているのではないかというのが私の意見です。

 またこうした大企業病に関して、企業自身がそれを煽っている節があるようにも見えます。どういうことかというと、社員に対し「お前たちは選ばれた大企業社員であり、それを誇りに思うがいい(^ω^)」的な内容を普通に訓示とかで言ったりしてしまっている点です。最初に挙げたトヨタのように、「大企業病になるな。ちょっとでも気を抜いたらすぐ引きずりおろされるんだぞ俺たちは(# ゚Д゚)」とくどいくらい言っているのと比べると、やはり後者の方がそりゃ会社として伸びると思います。

 こうした価値観は採用面でも強くみられ、就職活動する若者自身も、どこかでそういうのを期待しているように見えます。それこそ「俺がこの会社を変えてやんよ( ・´ー・`)」みたいに言う学生はいるはずもなければ、企業側もまず採用しないでしょう。さすがにこの発言は大仰すぎるにしても、私の世代でも顕著でしたが、何かやりたい仕事があるからその会社を選ぶというより、大企業の手厚い保護を目当てに自分の専攻なり嗜好なりで共通点を持つ大企業を選んで応募するというパターンで9割方応募先を決めている気がします。
 そういうわけだから会社に入ったところでやりたい仕事なんてあるわけなく、むしろ余計なことに巻き込まれたくないから進んで歯車になりたがる人の方が今の時代は多いでしょう。まぁ「会社の歯車になんてなりたくない」って公言する奴はする奴で変だとは思いますが。

 そうした応募者の目的は仕事を通した自己実現などではなく、大企業における保護であり、ちょっと前にこのブログのコメント欄で話題になった通りに大企業への入社が「人生すごろく」のあがりみたく認識されて、入社以降の意識や行動の向上を妨げている気がします。さらに企業側も、「うちは立派な大企業で、あなた達はその優れた会社の一員たちなのです」みたいにさらに危機感を失わせるようなことを堂々と言っちゃうし。

 この辺、さらに深く進めると国内における競争が減ったことも影響する気がしますがそれは置いといて、今の日系企業を見ていると本当に危機感がなく、地味に大企業病の蔓延が深刻化してきている気がします。それこそリーマンショックの頃はまだどないすんねんとリアルな危機感がありましたが、かえってヘリコプターマネー政策を受けてからはそうした危機感も吹っ飛び、「国が何とかしてくれる」という考えが強まってきている気がします。
 今回、ハゲタカファンドという単語が何故消えたから一気にここまで自分の考えが及びましたが、突き詰めるとヘリコプターマネー政策の一般化が、じわじわとかつての非常識を常識へと変えていき、知らず知らずに世の中をおかしな方向に引き寄せているのではと考えるに至りました。

 その上で、先にも書いた通りヘリコプターマネー政策は今後も確実に継続されます。その結果がどうなるのか、またその過程で予想されることは何なのか、ちょうど今くらいにいろいろ考える時期に来ているのではないかと思います。

2021年1月6日水曜日

統制化が進む経済

 さて前回記事でリーマンショック以降、世界各国でヘリコプターマネー政策が一般化したことに触れました。それこそその直前までは「国家による為替操作は良くない」とよく言っていた米国すらも率先してFRBとかが現金ばらまくようになり、それに続けとばかりに他の国でも中央銀行らによる露骨な市場介入が当たり前となりました。今回のコロナ流行を受けて航空会社が一部破綻し、その救済にJALみたく公的資金の注入があちこちで行われていることから、今後はこうした動きはさらに広がっていくでしょう。


 それで話は日本となるのですが、日本も安倍政権、というより黒田日銀総裁が就任してからというもの、ヘリコプターマネー政策が当たり前と化していきます。その結果が上記リンク先が報じている通り、日銀と年金機構が二人そろって日本株を保有量で最大の投資機関となっています。さすがに過半数を握るに至る企業はないでしょうが、全時価総額の12%をこの二つが握っていると言われており、この率は今後もさらに上昇していくとみて間違いないでしょう。

 この市場介入はいうなれば国家による経済の介入です。ケインズ主義が普及して以降、政府が自国の経済に関与、干渉することは当然とされましたが、過度な介入はその市場性を阻害するとして批判されてきました。しかしリーマンショック以降、知らず知らずのうちに世界各国でこのように中央銀行が自国の株を買いざさえる構図が一般化し、介入どころかコミットに至っても誰も批判しないし、当然視される世界となりました。
 言い方を変えれば、国家による市場統制が一般化、強化しつつあると言っていいでしょう。リーマンショック以前はあくまで市場、アダム・スミス風に言えば「神の見えざる手(マラドーナ)」が株価を決めていましたが、今や市場性は一応存在はするものの、国家の判断と行為に左右される割合がどんどん広がっており、実質的に株価は国がある程度支配している面があります。

 このように書くとなんか悪い行為に見えるかもしれませんが、こうした国家介入の肥大化にメリットが全くないわけではありません。一つはその主目的である株価の引き上げ、ひいては企業の資金難克服を誘導できます。次に、前回散々持ち上げたアンチグローバリゼーションが危惧する、海外からの巨大マネーによる市場攪乱の低減です。
 かつて日本の株式市場は海外機関投資家が一番資金を運用していて、彼らによって生殺与奪圏が握られているなどとさんざん言われてきましたが、今や上記の通り日銀と年金機構ががっちり抑えて安定株主となっており、攪乱される要素が消え失せたわけではないものの、以前と比べると海外機関投資家の影響力は目に見えて小さくなってきています。

 一方、デメリットとしては言うまでもなく、市場の自由性が損なわれることです。本来ならばその実績に不釣り合いなくらいに加入によって株価が引き上げられていたとしても、それに歯止めをかける「市場性」というものが弱まってきています。こうした点は主犯の日銀も把握しており、ヘリコプターマネーはあくまで一時しのぎであり、その役割を果たしたら市場から金を引き上げねばならないという出口戦略が2年くらい前までは議論していました。しかし、去年1年間においてその手の出口戦略に関する議論を私はほぼ見ていません
 何気にこの辺、「またバブルが来てから返せばいいや」といって急に増えだし、そのまま返せなくなった国債と似たような経過である気がします。あくまで一時しのぎという建前でやり始めたところ、その後ずっと好転せず、いつの間にか借りた金を返すためにまた借りるというカイジみたいなサイクルへと国債は入りしました。日銀と年金機構の市場介入も似たような雰囲気を感じるだけに、先ほど述べた通りその市場における時価総額の保有額と率は今後も上昇し続けると予想しました。

 もっとも株価自体は上がっているのだから、一切を無視して今一気に日銀と年金機構が保有株式を処分したら、かなり大きな含み益が出ることは期待できます。その点は利息が付きまとう国債よりかはマシと言えるかもしれません。経済は破綻するかもしれないけど。

 ただこのままいくと、各国の金融市場において市場性がどんどんなくなり、国家が経済をそのまま支配することが当たり前のようになるのではと個人的に危惧しています。少なくともかつてと比べ自由主義経済思想は交代し、統制主義が非常に強まっています。独立性が大事と言われる中央銀行も今や米国も含め政府の言いなりであり、いわんや中国はってところです。そうした背景を考えると、今後の経済思想はますます統制色が強まっていくのではとも予想しています。

 無論、最初に書いたように統制経済だからダメというわけではありません。統制なら統制で、やり方というか対応の仕方はもちろんあると考えてはいます。
 ただ日本の場合だと、経済活動に関して上記の金融面での影響以上に、実体経済に及ぼすある影響が今後足を引っ張るのではと密かに睨んでいます。この辺も自分以外で言及している人がいないものの、「かつて批判されていた今や当然視されるようになった風潮」あり、気づいていないだけで結構価値観変わってきたと思える内容です。というわけでその内容はまた次回に。

2021年1月5日火曜日

ハゲタカファンドはもはや死語?

 自分でもかなり不思議なのですが一昨日歩いている最中に突然、「そういえばトービン税って最近聞かないな」と思いつきました。

トービン税(Wikipedia)

 トービン税とは国境を越えた資金の移動に対する課税案のことで、現在のFX取引のような投機的な投資や野放図な資金運用を抑制するためになんとかトービンって人が考えたものです。イメージとしては他国の通貨を買うたびに税金が課せられるので、売買を繰り返す行為を抑制するとともに、腰の据えた長期投資に誘導する狙いがあります。
 このトービン税は00年代中盤くらいにグローバル化に抵抗するアンチグローバリゼーション運動の中でよく唱えられていました。当時は欧米の巨大資本が新興市場に大量の資金を突然投入する一方、これまた突然引き上げる行為が数多くみられ、それによって各地の金融相場が混乱するという一幕もみられたことから、そうした仕手筋ともいえる連中の行動を抑制するためにもトービン税の導入が唱えられていました。

 で、このトービン税がどれくらい影が薄くなっているのか確かめるため、さっそくこうしたワードの検索で意外と重宝するYahooニュース検索に「トービン税」とかけたところ、2件のニュースしかヒットしませんでした。しかもそのうち一つは山本太郎だし。
 と、ここまできてこれまた思いついたのですが、「ハゲタカファンドって最近聞かなくね?」と自分に問いかけるような感じでゴーストがささやきました。

 ハゲタカファンドとは先ほどのトービン税という言葉が流行った00年代中盤くらい、「ハゲタカ」と言われたらすぐ「ファンド」と忍者の符号っぽく答えなきゃいけないくらい当時流行した言葉です。意味としては破綻間際の会社の債権を購入してその支配権を握り、その会社が保有する資産を売却して現金を回収した後にバイチャッチャするようなファンドを指します。
 ただ途中から上記定義が拡大解釈されるようになり、村上ファンドなど普通の優良な会社に対し敵対的買収を仕掛け支配権を握ろうとするファンドも画一的に「ハゲタカファンド」と呼ばれるようになっていきました。当時の感覚で言えば、現経営陣と敵対するファンドすべてがハゲタカファンドとされていた気がします。

 そういうわけで再びこのハゲタカファンドという言葉でYahooニュース検索をしたところ、ヒット数はなんと9件もありました。トービン税より多い!ちなみに「ハゲ」なら538件ヒットします。

 マジな話、自分の肌感覚でもそうだし先ほどのYahooニュース検索の結果といい、ハゲタカファンドという言葉自体がもはや死語化していると言っても過言じゃないと思います。少なくともこの言葉を日常で耳にすることはこの5年間は確実に一度もなく、メディアの記事とかで目にすることもほぼありませんでした。でもって私ですらそうなのですから、他の人もほとんどないのではないかと推測されます。

 ここで記事を終えてもいいのですが、では一体何故作家の真山仁氏が小説書いて一時は定着させたハゲタカファンドという言葉は現代において消え失せたのか。その推測される理由を挙げてくと以下の通りです。

1、かつてはファンドの存在や活動が物珍しかったが今や一般化したから
2、アンチグローバリゼーション運動自体が消え失せたから

 1については先ほども書いた通り、00年代中盤はあらゆるファンドのことを一時ハゲタカファンドと呼んでいた時代がありました。当時はファンドの存在がまだ一般的でなく、どちらかと言えば怪しい職業だと思われメディアもそのように報じていたことから悪者扱いされていましたが、現代においてファンドの存在が一般化したことで「ハゲタカ」などと批判めいて呼ばれることもなくなったからという説です。

 次に真打の2についてですが、最初のトービン税にも関わりますが、アンチグローバリゼーション運動自体が消え失せ、ある意味その運動の最大の敵対者であったファンドを悪く言う人もいなくなったためというのがこの説です。
 何気にこの点は自分も先週くらいに気が付いたのですが、00年代は繰り返し述べているように、大量の資金が国境を越えた投機的な投資活動が各地の金融を混乱させていると激しく批判されていました。しかし現代、仮想通過への批判や規制は未だ強いものの、国境を越えた投資やファンドの存在は是認されているというか何も批判されなくなっています。それどころか、存在の必要性すら認められている節があります。

 こうした世論の転換が起きたターニングポイントは言うまでもなく2008年のリーマンショックでしょう。ある意味、それ以前のアンチグローバリゼーション運動が批判しつつ危惧していた状況というのがまさにリーマンショックで、そういう意味ではリーマンショックの発生はアンチグローバリゼーション運動の大願を果たしたとも言えます。
 しかしリーマンショック後、金余りの時代から金なし芳一ともいうべき時代に突入し、世界中どこもかしこも現金資金が足りなくなります。そこで飛び出たのがいわゆるヘリコプターマネー政策で、現在の日銀や米国のFRBのように、無制限に市場へ現金を供給することが世界各国で定石の如く運用されることとなります。現在各国の株価自体は現在、リーマンショック前よりも高い水準にあるものの、それでも「まだ足りない」という声が大多数であり、コロナ流行もあるしヘリコプターマネーは今後まだしばらく続けられるでしょう。

 こうした状況、具体的にはどれだけ現金が市場にばらまかれてもまだ足りないと餓鬼みたく叫ばれる状況において、「国際間の投機的な取引を制限しよう!」みたいなアンチグローバリゼーションの思想なぞ「宇宙人と仲良くしよう」的なトンデモ意見に見えなくもないです。
 ちょっと調べたところ、なんかコロナ流行に紛れてまたアンチグローバリゼーションを叫び出した人もいるようですが、はっきり言えばコロナとアンチグローバリゼーションは無関係もいいところだし、何もしなくたって国境を越えた資金や人の移動は今制限されるのだから、便乗もいいところでしょう。

 むしろコロナの影響から世界各国で景気、経済刺激策がどこでも求められていることから、投資があればどこも歓迎するだろうし、ハゲタカだろうがフサタカだろうがファンドが金を出してくれるなら誰も拒否しないでしょう。国家も含め。
 そうした背景を考慮すると、現代世界はヘリコプターマネーが定石と化し、国境を越えた資金移動に誰も制限を加えない、むしろ加速させようとしている時代にあるのではないかと思います。最近めっきりこういう国際情勢分析をやらなかったため久々に頭を動かす羽目となり、いまいち稼働の遅さを感じるのですが、00年代中盤の流行と比べるとまさに真逆の思想が大きく広がり、当然視されるようになったという印象を覚えます。

 その上で、ヘリコプターマネー政策の一般化によって、ようやく一部で事態が指摘されるようになってきましたが、現象としては知らず知らずのうちに経済の統制化がどんどん進んできているように思います。この一文で意味が分かる人は次に書く記事は読まなくても大丈夫です。自分もここまで書けば書く必要はないと思うけど、そのネタはJBpressでも使えそうなので一応書く予定です。

2021年1月4日月曜日

憤懣やるかたない

 「R-typeディメンション」というシューティングゲームを買って自分もバイド化が進んでいるのか、最近やたらと攻撃的となっており、周囲からも「どうしたの最近?」とリアルで聞かれたりしていますが、それを考慮しても今日配信された記事の反応に関しては納得がいかないというか、認めることができません。


 今回、約3年ぶりに中国化粧品業界についてその動向をまとめたのが上の配信記事です。見ての通りあんまりアクセスよくなくて、ヤフコメにはなんか批判めいたコメントが多く書かれていますが、これ見ててマジで「んなこと言ってねぇんだよこのボケ!」などと会社でガチギレしていました。


 まずヤフコメ一番上にある企業別の売上高についてですが、データ自体はこの通りユーロモニターのデータを当初より取得していました。逆を言えば、敢えてこれは出しませんでした。その理由というのも、恐らく読者の大半はこれを見ても「資生堂」という単語以外に何も反応ができないという確信があったからです。
 表示名こそ上の画像は中国語表記のままですが、仮にアルファベットやカタカナ表記に切り替えたところで、女性はともかく男性は各化粧品会社、ブランド名について詳細を把握している人はほとんどいないと思います。逆にそうした主要ブランド名とその内容を把握している人は業界関係者で、その手の人たちは私がこのようなデータを見せずとも既に同じようなデータを見ている、または持っていると予想され、記事に出す必要性を感じませんでした。

 またこの化粧品業界は車と違って、フェイスクリームや口紅など商品ごとにその用途が異なり、単純に業界シェアだけでその実態が把握できるものでもありません。であれば今回の私の記事は日本の対中化粧品輸出がテーマであることを考慮すると全体主旨からも外れるし、そもそも今回の記事は計7枚というこれまでほとんどないほど図表の多い記事でもあることから、企業・ブランド別売上げ・シェアのデータは出しませんでした。っていうか気になるんだったら自分で調べろとか思います。

 それ以上に腹立つのは、冒頭の日本の化粧品輸出関連データについて「存在するのが当たり前」みたいにみられていることです。


 断言してもいいですが、今回私が出したデータは少なくともネット上では初めて具体的金額とともに公開されたデータで、よそには一つたりとも存在しません。何故かというと上記リンクの財務省貿易統計検索ページからいちいち概況品コードを打って、国別にも細かく検索しなおして出した生データを集計、編集したものだからです。普段でこそ私はシンクタンクや業界団体が出している統計データを引用しているものの、今回に関しては税関が記録している生データを一から加工して作っています。
 っていうか貿易データくらい業界団体も作ってまとめておけよと思えてなりません。

 地味に結構時間がかかっており、特に全体統計を出すだけでなく、記事の主旨が日本の化粧品輸出状況であることから、国別割合のほか対中輸出に関してはこれまた個別に、年度ごとにデータを割り出してグラフを作っています。大抵こういう記事では片側のみのデータが公開されやすいですが、この記事では中国国内市場データも入れており、普通ここまで一つの記事で網羅的にデータを出すなんてありえません。

 また今回の記事での最大のポイントはやはり「化粧品貿易黒字の拡大」であり、中国市場の動向の解説は「輸出さらに伸ばすにはどうすればいいのか?」という観点に集中させており、高級化粧品とメーキャップの動向のみ取り上げました。この全体方針においてどうして企業別売上高が必要になるのか、普通はそんな考えには至らないし、至るとしたら「化粧品」、「中国」という単語だけしか認識できない人間以外他ならないでしょう。記事の主旨や全体構成を無視して、自分が見たいデータ一つないという理由で記事内容を全否定されるというのはさすがに私も納得できず、敢えて言うなら和食屋に来て「ここにはパスタがない」と言われて悪く言われるような心境を覚えます。

 ただ最近、この手の妙な批判と、経済記事に対するおかしな反応ぶりをよく感じます。前述の通り、記事主旨とは関係なく自分が見たいと思う内容が一つないだけで全否定したり、考察ポイントと全く違いどうでもいい単語にやたら執着したりなどと、単純に読者のレベルが落ちているのではと記事を書いて、その反応見てて感じることが多いです。
 今回の記事も、「中国向けに化粧品輸出を伸ばしている国はほかにないのか?」という批判の仕方であれば私もなるほどと思うし、確かに入れておいたらよかったかもと感じたでしょう。しかしやれ企業別売上高がないとか、商品別売上高がないとか、記事主旨から遠いし到底3000字の枠に収められるわけない関係ない内容を引っ張って批判される限りにおいては、興味を持っているくせに自分で調べようともせず、他人の関係ない記事に物足りないなどと批判する自らの情けなさ、不甲斐なさを呪えなどと言いたくなります。

 挙句に、「中国国産化粧品は使いたくない」などと、これまた全く関係ない内容のコメントも非常に多いです。中国国内化粧品メーカーの動向や状況は確かに記事ネタとして成立する内容ですが、生憎私の記事は何度も書いている通り「対中輸出」であり、全く関係ないしだからこそ記事中でも触れていません。触れているのは中国市場で売行きが特に伸びている商品種類のみであり、国産化粧品ではなく、記事を読まずにああしたコメント書かれていることは明白でしょう。考えるだけでも一々腹が立つ。

 このブログなんかは読者に非常に恵まれていることもあって記事主旨から外れたコメントが来ることはないどころか、かなり深いレベルで自分の意図を読み取った上でいいポイントや付随する内容を指摘してくる方が非常に多いですが、やはりJBpressの配信記事に関してはその読者のレベルの低さに呆れかえることが少なくありません。真面目に高級紙のように読者のゾーニングがしっかりできなければ、そうした方面の深い経済記事内容とかは展開できないとこの頃強く感じます。
 同様に、最近日本の政治記事を読んでいてどれも物足りないというか、程度の低い内容ばかりで不満が多いです。最近一切読まなくなってしまいましたが、文芸春秋などはその辺がよくできてて深い政治記事にありつけたものの、やっぱああいう雑誌じゃないとその手の記事は期待できないものかと悩むところです。

 どちらにしろ、記事はアクセス稼いでなんぼであり、あまりアクセスを稼げていない今回の記事は失敗と言えば失敗です。もう次回分の記事は先々週暇だったので2時間でぱっと書き上げましたが、多分今回の記事よりは健闘することは確実で、手を抜けば抜くほど記事が読まれる現状には我ながら心苦しさを覚えてなりません。

2021年1月3日日曜日

未完結であることで下がる作品の完成度

 昨日は「ワンピース」の実売数に関する疑問について触れましたが、「ワンピース」に関しては前からもう一つ、連載の長期化について言いたいことがあったのでそれについて書きます。

 まず結論から言うと、長期連載はストーリー漫画にとってあまり好ましいものではないと私は考えます。「こち亀」や「ゴルゴ13」など基本1話完結ものであればまだしも、キャラクターや展開が連続するストーリー漫画においては連載が長期化すると、新規読者が参入しづらくなるほか、当初から読んでいた読者も読み続けることに段々抵抗を感じてきます。
 そもそもの話、どれだけ壮大な話であっても単行本20冊くらいの量を使えばほとんど盛り込むことは可能だと思います。むしろこれ以上の巻数に行くのならば、そのアイデアは舞台や設定を変えた別作品で反映する方がベターじゃないかとすら考えています。

 とはいえ、それでも「ワンピース」は売れているのだからとこれまでは言えたのですが、これまた「鬼滅の刃」が人気絶頂の中、全23巻で完結したことを受け、「ワンピースは何故まだ終わらないのか?」という意見が見え始めるようになりました。
 奇しくも、アニメ化が決まっている「チェンソーマン」もつい先日、約2年の連載期間で最終回を迎え、またその最終回の評価も高かったことから、「連載は無駄に引き延ばさず、終わらせるべきところで終わらせるべき」という見方が出ており、私もこうした見方に同じくする立場です。

 元々、少年ジャンプはかつての「北斗の拳」や「ドラゴンボール」などのように人気漫画の連載を無理やりにでも引き延ばす傾向が特に強い雑誌でした。これに最初の一石を投じたのは「スラムダンク」で、編集部が止めるのを聞かず作者が山王戦を終えたところで連載を切りましたが、これについて確か作者も「物語が一番盛り上がったところで切るべきだと考えていた」というようなコメントを残していましたが、現在における「スラムダンク」の評価を見ているとやはりその決断は正しかったように思えます。

 ちょっと主旨が違うかもしれませんが、この問題を考えた時に自分が最初に思い浮かべたのは巨匠・永井豪の「凄ノ王」でした。この作品は永井氏が「未完結の作品には美がある」と感じたことから敢えてストーリーが大きく広がってこれから盛り上がるぞ的に、具体的にはスサノオが甦って世界が崩壊したところで唐突に連載が打ち切られて終わりました。
 これは連載打ち切りではなく完全に永井氏の想定通りの終わり方だったのですが、結果的にはその目論見は外れ、その終わり方を不満とする声が非常に多かったことから、後に完結編と称して続編を描くに至っています。作者自身も後年、この未完で終える試みは失敗したことを認めています。

 実際に私もこの作品を読みましたが、当初のラストシーンのところまで読んでみて、非常に読後感が悪かったというかいわゆる「投げっぱなしエンド」を連想しました。そして後からつけられた続編も読みましたが、ないよりかはマシだけど、やはり後付け感がひどく、連載開始当初のこれからどうなるか的な展開のワクワク感と比べると後半の話は揃いも揃って不満に満ちたものであり、全体を一作品としてみた場合は低く評価せざるを得ないという印象を覚えました。
 それだけに、私個人の意見として言わせてもらうと、「未完の美」というものはこの世に存在しないと思います。作品の制作途中で作者が死亡するなどにより未完成となりながらも後の世にも評価される作品はありますが、それらの作品は「完成まで見たかった」という惜しさを込めた制作途中の作品に対する評価であり、「未完成」であることに対する評価ではないでしょう。

 やはり作品というものは終わりがあるから始まりがあるわけで、どれだけスタートが良くても、終わり方が良くないと結果的に作品の評価を下げてしまうと私は思います。逆を言えば、終わりどころを間違えてしまうとズルズルと作品の評価を下げていき、一時はブームを起こした作品であっても最終的には打ち切りに遭って消えてしまうということも実際によくあります。

 そういう意味で、やはりいい作品を作るためにクリエイターは作品を完走させるという努力が必要だと思います。自分の好き勝手に、できるだけ長く作品を作り続けたいという欲ももちろんあるでしょうが、子離れできない親みたく、長く続けることでかえって作品をダメにすることも少なくないだけに、やはり終わり方を見据えた創作という意識が、作品を消化する上では大事となるでしょう。
 というのも最近、どの出版社も鬼のように原稿を催促する編集者が減ったのか、長期休載を連発する大物作家が増えており、いつになったら連載が終わるんだ的に連載ペースが遅い作品が続出しています。具体的には、

・ガラスの仮面
・ベルセルク
・ヒストリエ
・ハンター・ハンター
・ブラック・ラグーン

 上記はある意味、五作品あるけど四天王的な地位を確立していますが、一応もう一つ「バスタード」という作品がありますが、これは完全に読者からも編集部からもそっぽ向かれ、もう続きが出ることに対しほとんど何も期待されていない節があります。こうなるのであれば、作品の区切りの良い位置でこの際完結させておけばもっと評価が高まったのかもと思え、個人的に惜しいと感じさせられます。

 今回まとめた内容ですが、何も作品に限らず、政治家などの人生においても同じだと考えています。安倍前首相なんか典型的ですが、権力欲に取りつかれ引き際を誤ったばかりに政権末期にミソを付けまくることとなり、後年の評価を大きく落とす結果となってしまい巻いた。ある意味、森友問題が最初に盛り上がった段階ですぐ引いていれば、「不幸にもアッキーのせいで辞めることとなったが、非常に惜しい存在だった」的に後年語られたかもしれません。
 逆に、完全に勝ち逃げしたのは小泉元首相でしょう。彼の場合は復讐心は強いけど権力欲は非常に低かったから、郵政引きずり倒して本人的にも満足な結果だったと言えるでしょう。

2021年1月2日土曜日

ワンピースの実売部数に関する疑問

 一生のうちに使ってみたいセリフに「新手のスタンド使いか!?」というセリフがありますが、なかなか使用機会がないので念願を果たせずにいます。
 なお最近日本では「鬼滅の刃ごっこ」が流行っていると聞きますが、自分が子供時代は「ジョジョごっこ」はありませんでした。あったとしたらスタンド役と本体役をどう分けるかで揉めそうな気がします。友人は「北斗の拳ごっこ」でよく五車星を組んでいたと言ってましたが。

 さて話はその「鬼滅の刃」に関連しますが、私がいちいち言うまでもなくこの作品は昨年に驚異的なセールスを記録しただけでなく、つい先日にも映画版が「千と千尋の神隠し」を追い抜いて日本映画史上最大の興行収入を記録するなど未だに快進撃を続けています。ただその快進撃が思わぬ余波を生んだというか、このところ少年ジャンプの看板作品である「ワンピース」について、いろいろと批判めいた疑義が呈されるのを見ることが増えています。

 まず単純にコミックスの販売数で言えば、オリコンの年間実売部数ランキングで「鬼滅の刃」は「ワンピース」を抜いていることは間違いない事実です。しかもその差ですが、「鬼滅の刃」が約8234万部に対し、「ワンピース」は約770万部で、最初は桁が異なっていることに気が付かす、「ほうほう、その差は50万部……いや500万部?いやいやいやいや、7500万部やんけ」と自分でツッコミを入れるくらいの差でした。
 まぁこれは「鬼滅の刃」がとんでもなく恐ろしいモンスターコンテンツである故なのですが、2020年のこの結果が出る以前にも、「ワンピースは本当に言われているほど売れているのか?」という見方が出ていました。というのもこの作品、連載期間は既に20年を超えており、連載の長期化により新規読者がすでに入りづらくなっている上、「前の方が面白かった」などと古参読者からも過去と比べての評価がなされるなど、いろいろと弊害が出てきています。

 その上で、出版社の集英社としてはやはり看板作品ということもあって、この作品が「売れている」ということを数字として大々的にアピールするため、必要以上に発行することで発行部数を釣り上げているという噂が以前から出ていました。そのため「ワンピース」の実売部数はどの程度なのか、実際は大量に発行された後で大量に返本されているのではという意見もしばしばみられました。

 ただ先ほど挙げたオリコンの書籍ランキングですが、あちらは実態書籍店舗を対象にした「実売部数」のランキングで、実際に発行されて消費者に売れた部数という意味では出版社発表の発行部数以上に信用のおけるデータです。さすがに「鬼滅の刃」には劣るもののそれでも年間で770万部というのは立派な数字であり十分に誇れる数字ですが、それでもこのデータにも抜け穴があります。具体的に言うと、電子書籍の販売部数は含まれていないように見えるからです。

 オリコンのサイト上では「WEB通販含む」とは書いていますが、電子書籍のカウントについては明言されておらず、きちんと確認しない限りは何とも言えませんが、現状みる限りでは電子書籍の販売部数に関しては除外されている可能性が高いように見えます。
 すでに電子書籍はスマホの普及とともに広く普及していることを考えると、電子書籍販売部数をカウントしないデータは書籍販売においてあまり意味がないと正直思うのですが、日本の出版業界は以前からかなりクローズドで陰気な業界であり、情報公開にも非常に不熱心この上ありません。なので本当の作品全体の売上げというのも、かなり見えづらいところがあります。

 ただ「鬼滅の刃」に関して言うと、電子書籍の発行部数をカウントした場合、さらにとんでもない数字を叩き出す可能性が高いです。というのも最近はあまり見なくなったものの、以前はAmazonの電子書籍(Kindle)販売ランキングをほぼ毎日チェックしており、「鬼滅の刃」は一時期、最新刊のみならず既刊単行本も上位を独占し続けていました、かなり長期にわたって。
 その逆にというか、過去数年間ランキングを見ていて思ったのですが、「ワンピース」はあまりそのランキングで上位に出てこない、出てきてもそこまで長期的に上位に入り続けていないように感じました。無論、「ワンピース」の読者層は小学生らがメインだということを考えるとハードコピー本の販売比重が高いと推測されますが、それを推しても電子書籍の売り上げランキングで「キングダム」など他の人気作品と比べるとやや順位の動き方がそこまで好調そうに見えない気がしていました。

 はっきりとしたデータがないので何とも断言することはできないのですが、私個人としては出版社が発行部数を大々的に喧伝するほど、実際の販売数で「ワンピース」は振るっていないのではという疑念がやはりもたげます。ハードコピー本を含めて。もちろん「ワンピース」が毎回とんでもなく売れるモンスターコンテンツであることに間違いはないものの、実態以上にその売り上げは誇張気味に伝えられている感じは以前からしており、図らずも、どれだけ売れまくっているのかかえってその実態がみれない「鬼滅の刃」というコンテンツが生まれた結果、「ワンピース」の売上げ実態についてはっきりその差が出てきてしまったようにも思えます。

 自動車業界などは業界団体が車種別の販売台数を毎月細かく発表するなどしてデータの透明化に務めています。然るに出版業界は、「返本」という特殊な販売制度があるにもかかわらず、未だに出版社は発行部数でしかデータを出しません。また前述の通り電子書籍という販売方法も普及しているにもかかわらず、こちらもきちんとしたデータを出しません。このままでいるよりかは、もっときちんとデータを出し合った方が業界の発展につながると思うのですが、あと20年は化石みたいな頭して、多分変わることはないでしょう。
 でもってこうした不徹底な情報公開を利用して今後悪さする出版社も出てくるかもしれません。まぁその時くらいに、改革を手掛ければいいのかもしれませんが。