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2018年9月30日日曜日

幕張の風

 今日ようやく西武が優勝を決めましたが、シーズン終盤とあって個人タイトル争いも激しくなっています。中でもセリーグのホームラン王の座は広島の丸選手と横浜の筒香選手のデッドヒートが激しく毎日楽しみにしながら眺めています。

 贔屓にチームについてですが、私自身は千葉県出身で尚且つ通っていた学校が千葉ロッテのホーム球場がある幕張市内にあったのですが、実のところあんまロッテは好きじゃなくパリーグならソフトバンクと、最近パワプロで使っていて好きになってきたオリックスを贔屓にしてます。ここだけの話、どうせ平日夜の試合なんてガラガラなんだから、ファン層拡大のために地元の中高生を無料で招待すりゃいいってのに。
 そんなロッテなためあんま試合とか選手についてもチェックしていないのですが、実は一人だけ注目している人がいます。

荻野貴司(ニコニコ大百科)

 このロッテの荻野選手をなんで注目しているのかというと、ルーキーイヤーの活躍が目に焼き付いたからです。とにもかくにも異常に足が速く、内野安打やセーフティバントはお手の物、塁に出れば高い確率で盗塁を決め、シーズンも序盤ながら物凄い盗塁数を記録してこりゃ盗塁王も間違いなしだと当時思っていました。
 ……思っていました。

 結論を言えば取れませんでした。何故かというとシーズン途中で怪我して試合に出なくなったからです。しかもこのパターン、一年目だけじゃなくその後も毎年で、春先に活躍したかと思えば夏になる前にはいなくなることからついたあだ名は「幕張の風」で、上記リンク先でも「千葉に球春を告げる妖精ではないかと言われている」とまで書かれています。あながち、間違っていない。

荻野貴選手の検査結果について(千葉ロッテマリーンズ)

 今年も例によって七月に戦線を離脱しています。
 ポテンシャルに関しては間違いなく一級品なのですがほぼ毎年例外なくどこかしら怪我して、しかも骨折など手術を伴うなどかなりの重症レベルの怪我を追い、満足にシーズンを出場し続けることがほとんどありません。2017年に限っては102試合出場しているのですが、その翌年の今年が上記の通りですし……。

 かつて横浜には「多村仁」という、写真撮影中にジャンプして捻挫、握手のし過ぎで炎症、ヒットで塁に出た後で謎の発熱によって交代など訳の分からないレベルで怪我が多くその虚弱体質ぶりから「スペランカー」と呼ばれた名選手がいましたが、この荻野選手も早くも「二代目スペランカー」という異名が付き始めています。
 逆を言えばそれだけ高いポテンシャルを秘めていると認められていることであり、私としてもぜひともシーズンを万全に全うして個人記録などを樹立してもらいたいと祈っています。

 ちょっと本題とずれるかもしれませんが、先日引退を発表するとともに1000試合出場を達成した中日の岩瀬選手ですが、ストッパーとして間違いなく一級レベルの実力者であることは間違いないものの、瞬間風速的なストッパーとしての凄みであれば私の中ではかつての大魔神佐々木や、阪神の藤川投手、西武時代の豊田元選手らの方が、ボールに全くバットが触れないという点で上あったと記憶します。
 しかし岩瀬選手の場合、怪我らしい怪我もせず長年にかけてたくさんの試合数に登板し、恐ろしい成績を上げていきました。ことストッパーという意味では間違いなく現時点で岩瀬選手が日本プロ野球史上ナンバーワンと言えますが、それはやはり怪我せず万全の状態で出場し続けたからこその勲章でしょう。はっきり言って中日は全球団の中で最も嫌いな球団ですが、岩瀬選手の功績については何も文句なく、素直に偉大だと感じる次第です。

 っていうか背番号が「13」だから「死神」っていうあだ名が妙にツボにはまってますが。

2018年9月28日金曜日

マスコミの「忖度」

 昨日もブログの更新サボりましたが何もずっとゲームしてたわけじゃなく、帰宅してからずっとメール打ち返したり、データ作成したりとあれこれプライベートでの作業を遂行していたからで、このところなんか忙しいです。以前はそうでもなかったですがJBpressで書くようになってからは普通のサラリーマンにしては働く量が明らかに多い方へと回り、意外と自分もワーカーホリックな気があるとこのところ感じます。
 まぁ企業居点のデータを作ったという事実だけでも、気違いレベルで作業に没頭するという証明としては十分ですが。このブログもなんだかんだ言いながらずっと書いてるし。

モス食中毒は静観!?マック異物混入は叩いたマスコミ「豹変」の理由(ダイヤモンド)

 さても本題ですが、一時期はその記事の悪さを散々批判していたダイヤモンドですが、このところは改善されつつあるというか目を見張る記事がよく見られるようになりました。やや古いですが上記の記事もその一つで、食中毒事件を起こしたモスバーガーについて、明らかにそれより問題のレベルとしては低かったマクドナルドの異物混入事件の方がマスコミによって執拗に叩かれたということを多角度的にわかりやすく解説しています。
 基本的にこの記事の見方に対し私も同感で、モスバーガーはその問題性や対応に対して何故かマスコミは静観し過ぎていると感じており、マクドナルドの時との温度差については正直少し怖さを感じるほどです。一体何故この温度差が生まれたのかというと、窪田氏が指摘している通りマクドナルドの時は「叩きやすいノリ」だったから、いわばそんな空気だったからというのでほぼ間違いないと思います。

 ちょうどタイミングがいいというか本日、三菱電機で過労死もとい過労自殺が起きていたが国のガサ入れが入るまで三菱電機側は黙って報告せず、対策も怠っていたことが報じられました。これも2年前に話題になった電通社員の過労自殺事件と比べるとマスコミの反応には差があり、この差は何かというとやはりノリ、あと報道する相手ってのもあると私は見ています。
 あの時はオリンピック承知の裏金問題、並びに働き方改革のムードを作ろうとしていた政府の意向もあってか、明らかに国が電通に対して通常とは異なるくらい厳しい態度を取っていました。そんな国のやる気をみてか、普段ならば電通の不祥事には目を瞑るマスコミもあの時ばかりは、普段いいようにやられている反発もあってか、国と一緒になって電通を叩くだけ叩く報道に出ました。

 一方、今回の三菱電機の件は電通同様に敵にするといろいろ面倒な三菱グループで、尚且つあの時のようなムードもなかったことからマスコミの報道もやや大人しめです。自分の口からはっきり言えば、大手企業だと叩ける時と叩けない時ってのがはっきりあり、叩ける時であれば不確かな事実であってもその企業に不利な報道を流してもなんとなく許されちゃったりします。具体的にはオリンパスやシャープの報道で、不祥事の有ったオリンパスについてはその体質について、業績低迷していたシャープについてはその理由について好き放題に書けて報じることが出来ました。
 もしその時になされた報道が両社ともに絶好調の時に報じられていた、会社側から下手すりゃ訴えられたり、そこまでいかなくても抗議や修正、訂正報道を出すよう要求されていた可能性があります。

 また企業不祥事と言っても大手企業とかだとやっぱり目を瞑られます、このところすっかり日本語として定着した「忖度」という言葉ですが、こうした企業報道におけるマスコミの態度ほど忖度が動く現場も実はそんなにはないと私自身考えています。
 なので自分が、実際にはあんまないけどこの手の報道をする際は、叩かれている会社についてはあんま必要以上に且つ感情的に叩かないよう注意し、逆に問題がありながらあまり叩かれていない企業については意識的に割ときつめな表現を使って批判するようにしています。人材派遣企業の時なんかが後者のパターンです。

 こうするからどうなるかってわけじゃないですが、報道を目にする人間を考慮するとこうした形での報じ方の方がバランス的にはマシだと考えるからです。無論、どちらのケースでも根拠のない報道に関しては絶対しないよう注意してます。

2018年9月27日木曜日

中国報道に関する偏見

いつの間にか空が青いんだけど本当にここは中国?(JBpress)

 最初でこそ恥ずかしいような誇らしいような自分の書いた記事へのリンク付けですが、今じゃ何とも思わなくなり他人事みたいな感じでリンクつけるようになりました。著作権としては自分にあるんだし、もっと偉そうにしてもいい気もするし。

 さて今回出した記事ですが、実は書き上げたのは一ヶ月以上前で、他の記事を優先して出していたことから掲載が先延ばしにされてました。なので今日掲載されることもすっかり忘れてて、MSN「中国の青空……」っていう見出しのリンク見てなんやろと思って開けたら自分の記事が開き、「あっ、今日掲載やったか」とそこで気が付きました。
 この記事はその前の自動車関連記事で精魂尽き果てていたこともあり、「なるべく楽で、手軽に、日本人の関心ある話題」ということでPM2.5で行くことにして、青空の写真さえあればそれだけで記事が成り立つだろうと、如何に手抜きするかという目的で書いたものです。実際、書き上げるのはすっごい楽でした。

 ただそのまま書いても芸がないと思ったので、記事中にも触れていますが北京市環境保護局のデータは作為、つまりデータを弄ってる可能性があると一応釘を刺すことにしました。何気にこの記事の裏テーマとしては、どのようなデータだと改竄の可能性があるのかという見分けどころで、具体的には、「グラフにしたら振幅が激しくなる」、「目標値ギリギリ越え」の二点です。今回のケースは小数点第一位の切り上げというわかりやすいことやってくれているのもあって、説得力もつくためわざわざ触れました。でもって文字数的にもちょうどいい塩梅となったし。

 そんなわけでそこまで思い入れがあるわけでもなく、「ああでたの……」って感じで他の記事と比べても高揚感とかも少なかったのですが、ヤフコメ見てるとこっちが意外に思うくらい、「確かにこのところ空気きれいになってる」という、中国に来たことある人たちのコメントが多く乗ってました。
 一方で使った写真について「合成だ」とか、「天気のいい日を狙ったに違いない」などという予想していたコメントも多く見え、例の如く私への人格批判もいつも通り見えました。

 ただ今回はやっぱいつもと違うのは、直接現場を見ているか否かというポイントがあり、中国に来たこともないのに記事内容を激しく否定するコメントには逆に辛辣なコメントが付けられてて、なんかいつもとちゃうなと感じました。特に面白かったのは下のコメントです。


fac*****

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たまたま空気が綺麗な日に撮っただけだと思う。
PM2.5の情報を見てれば子供でも騙されないはず。
実際、今年の7~8月頃にも空が異常にどんよりして夕焼けがぜんぜん赤くならないという、PM2.5特有の空の日が何度かあって、情報で確かめたらやっぱり日本まで来てる日だった。
最近あまりニュースにならなくなりましたが、皆さんちゃんと情報見ないといけませんよ。

 読めばわかる通りに実際に現場は一切見ておらず、妄想をベースに「情報で確かめたらやっぱり日本まで来てる日だった。」と言い切ってます。このコメントについてはたくさん返信が付けられており、

>旅行でいったけど、日本と変わらなかった。
>妄想で結論を言うやつで失笑
>先入観に囚われただけの人。自分の目で見てきて下さい
>もし仮に改善されていなかったとしても、今年は高気圧が異常に居座っていたから、日本にはあまり影響が無かったと思うのだが。九州人としての感想だけど。
>主さんの頭の中には、中国は5年前、いや10年前のイメージだった?

 という具合に、他のコメントと比してもなんかやたらフルボッコに叩かれてました。まぁ叩かれても仕方ない内容だと私も思いますが。これに限らなくてもなんか私の記事内容を否定するためにあれこれ理由つけたりする人が多いですが、ケチを付けようとするあまり文意、下手すりゃ単語レベルで読み間違えを犯したり、記事内容とは関係ない内容を引っ張り出したり、とにかく私の人格を批判したりなど、こうしたコメントにはなんかひたすらに必死な様子が見られ、最近は滑稽に見えるようになりました。
 真面目に否定しなければ息できないくらいの必死さで、ちょっと言い過ぎかもしれませんがなんかそんな劣等感抱えながら生きてて楽しいのという風にすら見えてきます。

 まぁそうした必死なコメントはどうでもいいのですが、実は今回のヤフコメの中で一目で心が大きく動いたものがありました。そのコメントは以下のものです。


素振りをする素振り

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中国関連の記事は親中の筆者の印象操作か反中の筆者の印象操作かどちらかに見られちゃうからね
そう見られちゃうと記事として意味をなさなくなる

この記事も

主観的な事実
データ提示
データの信憑性への懐疑
立場表明

という注意深い段階を踏んで読後にバイアス無しに「中国もまあまあ改善してるんだな」という感想が残るように計算されてる
改善されてるのは実態に近いと思うけどね

 誇張ではなく、我が意を得たりと思うコメントでした。
 実際にこのコメントの通りに私は今回の記事で自分の主観。指標データ、データの信頼性、改めての結論、という四段階で記事を構成しており、主観を交えつつも客観的に状況を見た上で、読者に読後の判断や感想を委ねる内容を目指して書いていました。しかしこれだけ慎重な構成をしながらも上記コメントのように変な妄想する人も見られ、その点についてこのコメント主さんの書かれている通り、中国関連記事はどうしても親中、反中の印象操作と受け取られてしまう傾向があります。

 はっきり書くと、どれだけ客観的なデータで事実を示したとしてもデータの捏造や改竄を疑われ、主観が入り過ぎないように中立的な姿勢を強調したら中国を侮蔑していると言われ、どうあがいても中国報道は二律背反的に双方から批判を受けやすいです
 無論、こうした見方をするのは少数派で、厳しい言い方をすれば事実や現実よりも空想の方を信じる輩です。何故こう断言できるのかというと、こうした輩は反証データを出さない、データを出すにしても割とお門違いなものを出してくるからです。今回の記事だって、しっかりデータを追えば反証することは可能なのに、誰一人そのデータに到達できていません。これだと折角脇を空けてあげた私の立場がないってもんでしょう。

 話は戻りますが、普段こうして中国関連の報道に立つ私からして上記のコメントは自分が常日頃感じていることを実に的確に言い表しており、また今回の記事構成と狙いについても完璧に言い当てており、これほどまで理解してくれて素直に感動を受けました。真面目にこのコメント主さんにはラーメン一杯くらいおごってあげたいと思うくらい感謝しています。
 最初にも書いた通りに今回の記事はそれほど思い入れのない記事でした、上記コメントを得られただけでも書いた甲斐がありました。

2018年9月25日火曜日

90年代の秋葉原電器小売各店のCM

 今日何気なく読んだ記事で、「最近の若い子には『素敵なサムシング』は通用しない」という文言が引っかかりました。



 「素敵なサムシング」とは何のことかというと、かつて秋葉原に存在した電器店「サトームセン」のCMで使われたフレーズです。長期にわたり同じCM映像が使われたことに加え、割と耳に残る音楽と歌詞から、私と近い年齢で関東圏で育った人間なら誰もが、上記のCMをはっきり覚えていることでしょう。
 もっともこのCMは関東圏でしか放映されなかったことから、何も最近の若い子に限らずとも、関東圏以外に住み続けている人であれば大人も子供もおねーさんもこのCMを知らないのが現実です。

 何気に私は大学進学で関西へ渡った際、「そうだ、京都へ行こう」のキャッチコピーをみんな知らなかったという事実にマジビビりました。っていうかJR東海は、「せや、東京いったろ」ってキャッチコピーも流行らせるべきだったでしょう。まぁ「よっしゃ、東京で暴れたろ」でもいいけどさ。

 話は戻りますがこのサトームセンは時代の流れに抗えず、2000年代に事実上破綻して、今やこの名を冠する店舗は存在しません。何もサトームセンの経営が悪かったというわけではなく、これは完全に時代の流れによるもので、このほかにも秋葉原にあった電器小売店は悉く消滅しています。



 こっちは石丸電気のです。こちらも「いしまるまるまる~」というフレーズが耳に残るCMで私にとっては非常に懐かしさを覚えます。先ほどのサトームセンはヤマダ電機に、石丸電気はエディオンに吸収されていたようです。



 他のライバルが悉く消えていった中、未だに現役で秋葉原で営業を続けているのがこのオノデンです。このCMも長期にわたり放映され続けたのですが、肝心のオノデンはそれほど店舗を拡大展開せず秋葉原で地道に営業していたので、「CMはよく見るけど一度も入ったことがないお店」というのがちっちゃい頃の私の印象です。
 逆を言えば余計な拡大戦略を取らなかったことから生き残ったとも言えるでしょう。なお2011年、いろいろ中国で苦しい時期にあった私は夏に一時帰国して、このオノデンで割とコスパのいいNECのLavieシリーズのノーパソを購入しました。この時に私はこのCMを思い出して、「ついにオノデンで買い物したぞ」と内心思ってました。





 こちらの二つは勝ち組というか、今も絶賛営業を続けているヨドバシカメラとビックカメラです。どっちもやっぱり記憶に残りやすい音楽とCM構成ですが、どちらかと言えばやはり「まあるい緑の山手線♪」で始まるヨドバシカメラの方に軍配が挙がるでしょう。覚えやすい歌詞に交通アクセスを上手く乗せて歌い上げるこのCMソングは日本の歴代CMの中でも特別優れたものだと個人的には考えています。
 それにしてもこうして改めて並べてみると、90年代の秋葉原電器小売店はみんな記憶に残るいいCMをよく作ってたんだなぁと思います。子供の頃の思い出補正も入ってるかもしれませんが、やはりどれも一目で記憶に残る内容で、またそれとなく時代背景を反映していていい映像だと感じます。

 なお本当はもう一つ、現在も中国資本下で営業を続けているラオックスのCMも入れるつもりだったのですが、時期的には94か95年の頃の、真っ白な背景のまま何も映像も音も出さず、終わり間際に「らーおーーっくすー!」って叫ぶ子供ながら非常に不快なCMの動画が見当たらなかったので見送りました。確かに名前は覚えたけど、ラオックスが電器小売店ということすらわからない内容で見ていて、っていうか音が突然途切れるから見ていなくてもテレビに目が向くこのCMはずっとムカついてました。

  おまけ
 何故か学生の頃、サトームセンのCMの冒頭で聞こえる「アォ!」って声を再現したくなり、一時期下宿の中とか外で自転車こいでいる最中によく「アォ!」って声出して練習していました。けど周りはみんな関西の学生で何の音の物真似か通じるわけもなく、なんとなく限界を悟っていつしかやらなくなりました。そもそもやろうと思った時点で何かおかしい気がしますが。

2018年9月24日月曜日

車のプラモ作って、記事書いて



 今日は日本同様に中国も中秋節のためこの週末は三連休でした。ただ金曜に世話をしている中国人の友人が上海にきたので泊めてあげて、翌日は恐らく気候が安定してきたこともあってかなんか急に疲れがどっと出て一日中夢うつつとなり、仕事しようと思っても全く進まずパワプロでオリックス優勝させていました(三連覇)。
 明けて昨日日曜日は、本当は原稿書かなきゃいけないのに現実逃避から前もって買っておいたR34のプラモを組み立て始め、2000年代に作られたプラモなだけあって組みやすく約3時間で組み終わりました。組み終わった時刻は13時でしたが、それからようやく昼ご飯食べに行く始末でした。

 最後の憂いというか言い訳が解消されたこともあって2時ごろから仕方なくパソコンに向かい、それから夕食の時間を抜いて夜10時くらいまで延々と原稿執筆、もとい資料整理に取り組んでいました。こちらの原稿は次々回のJBpressに使うもので、内容はまた自動車業界に関する内容です。せっかくR34を作ったんだから如何にしてこの車が現在日本で最もプレミア化が進んでいるかについても書きたかったのですが、テーマが異なることから今回は見送りました。
 っていうか一回くらいはそういうネタの記事書いてもいいかもしれません。前にも書いた、二系メーカー同士のパクリカーを紹介するなど。

 この原稿は本日午前の仕上げ作業を持ってようやく完成しましたが、資料自体はあらかじめ探して置いたものの、記事構成の関係から大半が使えなくなった一方で新たに必要となる資料が出てきたためそこそこ手間取りました。

 これはJBpressの編集長にもかつて話した内容ですが、極端な話、経済記事はグラフさえあればテキストはいらないと考えています。グラフからどんな内容を読み取るかは読者次第であり、テキストによる解説があった方が親切ではあるものの、グラフだけで必要な内容がすべて伝わるような記事が理想的です。
 そういう意味では経済記事はデータこと数字があってなんぼであり、数字のない経済記事なんて何の価値もないと内心考えています。経営者が今後の方針を語るインタビュー記事などありますが、言ったことをきちんとやるのか、やっているのかなんて保証がない分(現実にはほとんどやってないと思うし)、聞くだけ無駄だと内心思います。やはりそうした経営方針についても具体的な数字、目標売上高とか具体的な商品名、販売数、従来データなどを聞き出して書くべきでしょう。

 然るに、日本の経済記事はこの手のインタビュー系がやはり多いように感じます。もちろん全否定するつもりはなく中には数字がなくとも消費者の嗜好動向など参考になるのも少なくありませんが、もっと数字を使ったグラフを活用すべきだと日々感じます。そうした反発もあって私が書く記事に関してはやたらグラフを多用する傾向があり、今回も使わなかったグラフを含めると6個くらいExcelで書きましたが、どうして日本のメディアはこうしたデータを使わないのかあきれる以前にもはや不思議です。今回私が使ったデータもそんな珍しいものではないのですが、データ内容で検索すると変なシンクタンクが有料でしか公開しておらず、なんやねんこの情報不足な領域はと、つい中国と比較して思ってしまいます。

2018年9月20日木曜日

中国には存在しないもの

 最近、やっぱり中国ネタはJBpressで展開することが多くブログで書いていないので今日はこっちで書くことにします。なおJBpressは自分の歴史記事を読んで自分にアプローチをかけたそうですが、その際に「中国ネタと歴史ネタどっちで行く?」と私から尋ねたところ中国ネタを要望されたので中国ネタを中心にコラム書いてます。
 ただ中国ネタしか書けないと思われるのが嫌なので今年は歴史ネタを強化したのですが、もう十分自分の実力は証明したと思うので、また別のジャンル挑戦しようかなと画策中です。漫画・ゲームネタはさすがにやるわけにもいかないし、比較的現代の政治事件批評とかかな。

 話は本題に入りますが、日本ではごく一般的なのに何故か中国には影も形も全く存在しないものがあります。もったいぶらずに語るとそれはなんとガムテープで、マジで不思議でしょうがないのですが中国にはありません。
 そのため荷物を梱包するダンボールにはビニールテープ、敢えて言えばガムテープ幅のセロハンテープを使うのですが、これがまた切りにくいし、切った後も切断箇所が見えづらくて再使用する際にはいっつも手間取ります。また剥がす際も変に粘着力が強い上に破り辛く、引き剥がした後も変に強靭な素材ゆえかゴミとしてもガムテープと比べると鬱陶しいです。

 なおダンボールに関しては基本と日本と差はなく、このところのネット通販の発達もあって段ボールメーカーはどこも景気がよさそうです。何気に前に住んでた昆山には日系の段ボールメーカーも多くて遠目にも羽振りよさそうでした。

 ダンボールは日本と変わらないのに、何故ガムテープはないのか。何気に一時期メーカーでくっそ思い鉄鋼部品の梱包とかやらされてたのでわかりますが、いざガムテープがないとほんと梱包って大変です。やはりガムテープの長所としては切りやすい、剥がしやすい且つ粘着力が必要十分ってところで、セロハンテープと比べると雲泥の差があります。また梱包に限らぐ家庭でも大活躍するというのに、どうしてこんな便利なものを中国は使わないのかいろいろと納得のいかない点が多すぎて困ります。

 ちなみにガムテープが存在しないことを改めて認識しなおしたところ、「これじゃガムテープデスマッチはできないじゃん(;゚Д゚)」って思いました。

 ガムテープデスマッチとは読んで字の如く、片手と車のハンドルをガムテープで固定してダウンヒルで早さを競い合うモータースポーツのことです。片手の位置が固定されることからハンドルの回転量も制限され、必然的にカーブでは思い切ったドリフト走行が求められる上、一歩間違えたら姿勢の修正が効かないこともありクラッシュで決着がつくことも珍しくありません。
 カーブでドリフト走行が要求されることから、駆動方式としては圧倒的にFFが有利(アクセル操作で姿勢制御が可能)で、逆に挙動が不安定となりやすいFRやMRだと死にに行くようなもんです。なおアニメ「頭文字D」の15話におけるこのガムテープデスマッチ決着時における挿入歌が入るタイミングは神がかっており、自分はこのシーンを見たことでこの作品に一挙にハマりました。

2018年9月19日水曜日

世界一高い料金で世界最低のサービスな日本の携帯電話

携帯料金、東京が「世界最高」…パリの4・2倍(読売新聞)

 一読してさもありなんと正直思います。
 この件に関しては過去にJBpressでも中国の携帯電話料金を比較してかなり大きな物議をかもしており、どうもそれ以来「花園祐 反日or左翼」ってワードを見るようになりましたが、見出しにも掲げた通り日本のユーザーは世界一高い料金を支払って世界最低のサービスを通信キャリアから受けている気がします。

 かくいう私も一応ウィルコム(現Yモバイル)のPHSを現在も契約し続けて日本帰国時に使っています。料金は大体月1500円なので、帰国してすぐ電話が使えるという利便性から年間通話時間が10分にも満たないにもかかわらず契約を維持してきましたが、近々サービスが打ち切られることとなり、代替策を検討しなくてはならなくなりました。
 実際に前回5月の帰国時、知人から勧められたプリペイド携帯を検討してYモバイルに聞きに行きました。知人が過去に契約したプリペイド携帯は年に一回料金をチャージすれば使い切らない限り使えたとのことでこれならと思っていたのですが、どうもこうした契約はなくなっており、代わりにあったのは確か3ヶ月ごとに料金チャージしないと問答無用で使えなくなり、またチャージした料金は3ヶ月後にはゼロにされて期間を継続して使えないという、実質3ヶ月毎に料金を支払わなければならないという誰得なプランになっていました。しかもその料金支払いも携帯ショップ行かないとできず、「中国ならネット決済一択なのにそれすらもできないのか(´・ω・`)」という点で呆れました。

 しょうがないので次回帰国時にはどっかのMVNOでSimカードだけもらおうかと考えています。これなら月々の基本使用料を千円台に抑えられるし、また余っている、且つ日本のやつより優秀なスマホがたくさんあるし、何なら今中国で使っているデュアルSimのスマホも流用出来ます。
 このように考えると未だに端末を紐づけて売る日本の携帯電話市場は、端末それ自体はガラパゴス携帯という単語が死語になるなど絶滅したにもかかわらず、市場は未だガラパゴスなままというかつて以上に歪になってしまっていると思えてきます。

 っていうか今度辺り新しいスマホ買おう。真面目に中国のスマホはブランドにこだわらなければ安くていいのが買えます。

東京五輪ボランティアの謝礼にみるデフレ

東京五輪・ボランティアに一日千円支給(痛いニュース)

 上記のリンク先記事は今日ニュースでも出ていたので知っている人も多いかと思います。やはりネット上の反応は批判が多いというか呆れたという声が多いようです。かねてから東京五輪ボランティアに交通費の実費支給すらしないことに批判が集まっていましたが、そうした批判にこたえるかのように今回打ち出された1日につき千円のクオカード支給という斜め上なこの対応は、自分もなんやねんと思う内容です。

 今日改めて上のリンク先の反応を見ていて、国もこんな調子だから賃上げも起きないし、デフレも続いてんじゃないかと思えてきました。現在、政府はアベノミクスを声高に叫んでは企業に賃上げするよう求めていますが、その国と都が交通費や食事代といった最低限の経費支給すら行わず、見るからに安く済ませようと1日千円、それも現金ではなくクオカードで配るあたり、賃上げなんて起きるわけないでしょう。逆に本気でデフレを解消させようってんなら、このところ選挙のたびに現金配るくらいならこの東京五輪ボランティアに対して経費別途支給の上に1日1万円くらい配った方がずっと有意義な気がします。
 この点は私が確認する限りはまだ誰も指摘していないように思えるのですが、逆を言えば海外にいる私だからこそ気づいたのかもしれません。ややきつい言い方になりますが、日本人はすっかりデフレが当たり前で目の前の賃金関連事項についてもいまいち反応が鈍いデフレ脳なのではと少し思うところがあります。

 ついでにかくと折角総裁選やってるんだから石破氏もこうした五輪ボランティアの謝礼問題や、安倍首相が変に前のめりなサマータイム導入などについて批判した方がまだ世論の関心引いたのではないかという気がします。そんな石橋についてヤメ官の古賀茂明氏は、「論戦したら、石破氏の方が頭はいいし、はるかに論理的だということがすぐにわかる。」と評していますが、これに関して私ははっきりと間違っているとみています。
 正直言って石破氏の弁舌の悪さは筆舌にし難く、またこの総裁選の中で発した一連の発言も具体性を欠くばかりか、むしろ問題先送りを是とするような主張に強い違和感を覚え、あんなの見せられたら誰もが「まだ安倍首相の方が……」と考えるのではないかと思います。

 あまり自分も人のこと言えたもんじゃありませんが、どうも古賀氏については安倍政権憎しで現実を無視した発言をすることが多すぎる気がします。元からあまり参考にしていませんでしたが、今後に関してはクレジットを見た時点で記事読むのをやめることにします。

2018年9月17日月曜日

消費税10%への引き上げは行われるのか?

いまだ残る消費税率10%の「再々延期説」 先送りで憲法改正の後押し狙う?(産経新聞)

 結論から言えば、2019年10月に予定している消費税の10%への引き上げはまた延期というか、このまま半永久的に実施されないのではないかと見ています。理由としてはまず上記の記事にも書いている通り、政界、財界ともに引き上げの機運というか準備を全くしていないこと、次に安倍首相がこの方面について全くやる気を見せていないためです。安倍首相がやる気を見せないのは支持率を維持するためで、そもそも経済政策にも明るくなく財政健全化も「後の時代がやるべき課題。自分がやるのは憲法改正」と割り切っている節があります。

 また麻生財務大臣については表面上は安倍首相の見送り方針に反して実施に前向きですが、恐らくこれはマッチポンプでしょう。こう考えるのも前回の見送り時の動き方、そして森友問題をはじめとする財務省の一連の不祥事発覚時を見る限り、財務省を代表して動いていないと感じるからです。

 最近は本当に日本の政策について私も匙を投げているのでこうした判断についていちいち批判する気すら起きないですが、なんとなく人づてに聞いた、財務省が考えている将来の財源ウルトラCが現実味帯びてきたなという風にも見えます。ある意味で一般市民が消費税増税に反対するのは、天引き方式によって納税意識が日本人の中で薄いことが原因とも思え、そう考えるとふるさと納税を規制し始めたのもこの流れがまずいと感じたからかもしれません。

 この問題に絡めて書くのもなんだと思いますが、この10年間、業績が改善したという日本の企業の多くはほとんど売上げが伸びていません。売上げが伸びていないのに何故業績が改善されたのかというと単純に、人件費を削減してその浮いた分がそのまま利益になっているからです。
 また売り上げが伸びている企業も日本国内はほとんど変わらず、海外での売上増大による貢献がほぼすべてです。こんな状態で国内の賃金が増加するなんてありえず、増えたとする統計なんて眉唾だと思わない方がおかしいでしょう。

 所得の分配が良くないとかいろいろ意見もありますが、それ以前の問題なのではないかとこの頃思います。

2018年9月16日日曜日

自殺志願者への説得方法について

 昨日の記事で私は、「死にたい」と口にする自殺志願者はむしろ「これ以上生きていたくない」という価値観で、死への恐怖自体は持っている状態なのではないかという仮説を展開しました。ではそんな自殺志願者に対して、「死ぬのはよくない」と説得するのはいかがなものかというのが今日のテーマです。

 昨日にも書いた通り、一般的な自殺志願者のメンタルとしてはこれ以降も生き続けることが負担というか重荷に感じており、それが死の恐怖すら乗り越える水準にまで達しているのではないかと思われます。ではこうした人たちに死を思いとどまらせるにはどうしたらいいかですが、アプローチを一つずつ上げていきます。

1、死への恐怖をさらに高める
 死ぬこと自体への恐怖はあるのだから、生存忌避への意識以上に死の恐怖を高めてやればいいのではというアプローチです。具体的には、「死んだら訳の分からないところで働かせられるよ」とか、「閻魔様怖いよ」とか、「天国いけないよ」とかかなと思いますが、自分でも何言ってるんだろうかって気がしてなりません。あまり有効なアプローチじゃないと思うのでもう切ります。

2、生存欲求を高める
 生存忌避が意識が高いということは要するに生存欲求が落ち込んでいるともいえるので、生きていくことが楽しいとかプラスだと思わせるよう仕向けるというのがこのアプローチですが、今回の記事の主題として、こうしたアプローチの有効性について強い疑問を感じています。
 何度も書いている通り、一般的な自殺者は今後生存していくことに希望を見出せないからこそ自殺という手段を検討しているわけです。その背景は様々ですが、例えば病気から今後健常者のような生活ができないとか、借金を抱えてしまった人に、「生きてりゃいいことあるって」というのは、実現し得ない希望を要求するようで逆効果になるような気がしてなりません。彼らは「望ましい生活」が実現し得ないからこそ生存忌避を持っており、先ほどの説得は鬱病患者に禁句の「元気出せ」と言っていることに近い気がします。

3、視点をずらさせる
 自殺志願者は自らが望む生活や人生が送れないという意識が自殺を検討させているのならば、個人的に一番いいアプローチとしてはその「望ましい生活や人生」のイメージを変えてしまうのが手っ取り早いと私は考えます。例えば「正社員で、家族に囲まれ、オフィスでバリバリ働いて休日は優雅に過ごす」というイメージを抱え、そのイメージ通りに歩めず苦しんでいる人がいたとしたら、「派遣社員で、独身ではあるが家族持ちより自由にお金使え、個人的な趣味に邁進できる」という人生の方が幸福であるかのようなイメージを吹き込むとかです。病気を抱えた人であれば、病気とは関係ない部分での人生に価値があると思わせるなどあるでしょう。
 真面目な学問の話をすると、社会学上で自殺は自己イメージと現実の姿とのギャップが開くことにより悩みが深まり発生するという考えがあり、私も現実の自殺はこうした背景に根を持つものが多いと感じます。恋人に振られての傷心自殺などはまさにこの典型でしょう。

 そういった場合はどうするかと言ったら、現実の姿は変えようがないのだからイメージを変えていくしかありません。なおこのように現実とのギャップをイメージを変えることで埋めることを「認知的不協和」と呼び、これは食べ損ねた料理を、「きっとおいしくない料理だろう」等と後付けで思い込んでストレスを減らすなど、日常でも多々見られる心理行動です。自殺志願者への説得というか思いとどまらせるには、こうしたイメージの転換が一番効果的だと私は考えます。

 最後に、今回私が提唱した生存忌避と死への恐怖の二つの概念の数直線モデルで、生存忌避がないにもかかわらず死への恐怖がない状態は死そのものに価値というかメリットを感じている状態で、切腹や死に物狂いの突撃がこれに当たり、一般的な自殺が「消極的な自殺」に対しこちらは「積極的自殺」と呼んで区別しました。
 これとは別のモデルで、生存忌避が高いにもかかわらず死への恐怖もさらに高い状態というのはどんな人間が当てはまるのか。敢えて言えば最近というかちょっと前に一部で出回ってこのところ聞かなくなった「無敵の人」がこれに当たるのではないかと思います。社会的地位や信用、資産などの失うものが何もなく、犯罪行為に対する処罰が何の抑止力にもならない状態で犯罪行為を犯すような人たちを現わす言葉ですが、現実に検挙まで至った彼らに共通しているのは現実に絶望して社会を恨んでいるにもかかわらず、その攻撃性が自己には向かわず(=自殺)外部へ向けられる点で、その方向ガイドとなっているのはなんとなく「死への恐怖」じゃないかなという気がします。要するに、死への恐怖が一段と強いにもかかわらずこれ以上生きていたくないという状態のように思えます。なんとなくですが、死刑に対して無駄に強がっているように見えるところもありますし。

2018年9月15日土曜日

「死にたい」という人は本当に死にたいのか?

 このブログの設立当初でこそ私は自分の専門を「国際政治」と「社会学」として掲げていましたが、最近だとどちらもあまり勉強しておらず、専門と名乗るのが怪しくなってきました。となると自分は自分には何が残っているのだろうかと考えたところ、何故か「自殺の専門家」というワードが浮かんできたのでまた自殺について考えます。

 さて見出しに掲げた「死にたい」というセリフですが、「自殺志願者マジハマりワードランキング」なんてのを取れば恐らくナンバーワンとる言葉ではないかと思います。しかし改めてこの言葉を考えた際、果たして自殺志願者は本当に死ぬことを望んでいるからこの言葉を口にするのか疑問が湧きました。
 この辺は言葉尻の問題ではあるのですが、いざ実際に自殺を遂げた際に自殺志願者(の霊)が「やったー、死ねたぜひゃっほー!」なんていう言葉を口にするとは思えません。では何故「死にたい」という言葉を口にするのかというと、そのメンタルを汲んだ場合はむしろ、「(これ以上生きていたくないから)死にたい」、つまり「もう生きていたくない」という心境から発せられるのではないかと思います。言い換えれば自殺志願者は死にたいのではなく、生き続けたくないから自殺という手段を検討していると言っていいでしょう。

 その上で、こういった言葉をわざわざ口にするということは、「死への恐怖」というもの自体はをまだ抱えているのではないかと思います。ないならわざわざ口にせず実行するだろうし。

 仮にこういった心境を数直線モデルで言い表すならば、それぞれ下限ゼロ、上限100の「生存忌避」と「死への恐怖」という二つの価値観を示すメーターを用意するとわかりやすいでしょう。
 一般的なメンタルの人間の場合(宇宙人でも可)、生存忌避が20に対し死への恐怖は80くらいだと仮定すると、自殺志願者の場合はこれが80:80、下手すれば90:80のように、これ以上生きていたくないという欲求を示す生存忌避が死への恐怖を上回っている状態にあることになります。
 具体的には大借金を抱えたり、大病を患ったり、ショッキングな裏切りにあったりと、生きる望みを失ったような状態で、人間が本能的に持つ死への恐怖自体は変わらないものの、その恐怖を乗り越えてしまうくらいに生きていたくないという気持ちが強いという意味で、この数直線モデルにおいてはこれが自殺志願者の価値観というか心理的状態だと考えます。

 では、この数直線モデルをさらに発展させ他の数値の組み合わせだとどういう人物像が出てくるのか?まず考えたのは生存忌避は一般人レベルに対し、死への恐怖がゼロという、「20:00」のような状態です。
 先の説明だと、生存忌避が死への恐怖を上回ると自殺が発生するような説明をしてますが、実際にこうしたメンタル状態でも自殺と考えていい行動が発生するだろうと思え、具体的に言えば心中や切腹、尊厳死というような自殺パターンです。

 この状態は一般人同様に生存を忌避しない(=生存欲求がある)一方で、死ぬことに対して全く恐怖がないという状態です。言い換えれば、死そのものに価値を見出して希求しているような状態で、それこそ最初に挙げたように、「死にたい」と言いながら本当に死ぬことを望んでいる状態となります。
 わかりやすい例としては上にも挙げた切腹で、特に本人が望んでの殉死などはこうしたメンタル状態をはっきり反映したものだと思います。殉死を遂げる人間としては死ぬ行為自体に価値を見い出しており、さすがに全く恐怖がないというわけではないものの、最初の自殺志願者のパターンとは明確に異なる背景やメンタルで自殺を検討、実行していることには間違いありません。いうなれば、「まだ生きてたいという欲求はあるが、それよりも早く死にたい」というメンタルでしょう。

 また自殺に限らず、自殺的行為を行う人間もこうしたメンタル状態にあると言っていいでしょう。というのも「生存欲求を持ちながら死への恐怖がない」とはどんな人間かを考えた際、真っ先に浮かんできたのは薩摩兵児こと薩摩の島津家武士達で、関ヶ原の「島津の退き口」や、火をつけた鉄砲を縄で浮かせて空中でくるくる回しながら酒を飲むなど、極端に死への恐怖が感じられないエピソードが山ほどあるからです。
 真面目な話、死への恐怖というかタブー性の低い文化圏や軍隊内では自殺の発生率が明確に高まることが証明されています。ある意味で薩摩の命知らず達もそういったメンタリティだから戦争にも強かったと思え、家康もこんな危ない連中相手にしたくないから島津家を取り潰しにしなかったのもなんとなくわかる気がします。

 話は数直線モデルに戻りますが、このモデルで比較すると「死への恐怖はあるけど生存を忌避する意識の方が高い」自殺志願者と、「生存忌避こそないものの死への恐怖はもっとない」命知らずとで、自殺行為を二つのパターンに分けることができます。現実に自殺研究でもこうした「普通の自殺」と、「心中や切腹及び死ぬとわかっていながらの突撃などによる自殺」は同じ自殺でもなんとなくタイプが違うという風には見られていますが、少なくとも私が把握する限りでは明確な区別はまだされていない気がします。というより、後者はほとんど無視されている気すらするし。
 そこで敢えて私が定義づけると、前者は「死にたくないけどこれ以上生きていくよりかは死んだ方がマシ」という価値観から「消極的自殺」、後者は「死ぬことなんかこわくないぞばっちこーい!」という価値観から「積極的自殺」という風に言い表せると考えます。そして両者とも、生存欲求と死への恐怖のバランスがおかしくなることで誘発されるというのが私の見方です。

 次回はこの数直線モデルの観点に立った上で、自殺志願者への説得の仕方について考えていきます。こうした記事をサクサク書いちゃう当たり、やはり自分の専門は自殺にある気がします。

2018年9月14日金曜日

サイコパスはドキドキしない?

 大分前に橘玲氏の「言ってはいけない」という本を読んでみたのですがその中で、「サイコパスとされる人物は常人と比べ心拍数が平均的に少ない傾向がある」という記述がありました。これは文字通りそのままの意味で、サイコパスと心理学上診断され、実際に犯罪行為などをやらかす人たちを検査したところ一般人と比べて誰もが平均心拍数が少ないという結果が出たそうです。またこうした人物の幼少期のデータを見ても同様の結果で、ちっちゃい頃から心拍数が少なかったそうです。

 これが何につながるのかというと、文字通りの意味では「サイコパスはドキドキしない」、言い換えると、「刺激に対してあまり受動的反応を示さない」ということだそうです。ドキドキする状況と言ったら一般的には恋愛場面、あと物壊したり遅刻したりして後で怒られそうって状況が挙げられますが、こうした状況でもサイコパスはあまり興奮したり、焦ったりせず、普段のまんま比較的落ち着いた心境を保つとのことです。
 またそれだけでなく、ゲームや行楽体験を受けると普通の人は心拍数の上昇とともに快を感じて楽しむ気持ちを覚えるのですが、サイコパスはこうした体験を受けても心拍数はあまり上昇せず、得られる快も一般人と比べて少ないようです。これがどう言った影響をサイコパスに及ぼすのかというと、快楽を得るためにより強い刺激を求めるようになり、ドラッグをはじめとする犯罪行為などに手を染めていくというルートにつながっているという説が提唱されていました。

 私個人の意見では、流れ的には確かになるほどと思えて非常に納得できる筋書きです。何もサイコパスに限らなくても当初は刺激十分に楽しめたゲームも何度も遊んでいると面白いとは感じなくなり、より面白いゲームはないかと探すようになり、また前に遊んだゲームよりグラフィック、ストーリー、BGMなどが優れているものを必然的に選ぶでしょう。映画で例えても、かつては感動できた映像美であっても十年後に見返すとしょぼいCGだと思ってしまうなど、刺激は慣れてしまうとより強い刺激でないと快が得られなくなります。
 サイコパスの場合はこのサイクルが常人より顕著であり、その原因の一端が先ほど挙げた心拍数にみられるというのが具体的内容です。現実の犯罪者を見ても神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇のように虫から動物、人間と殺害対象が徐々にエスカレートしていますが、この過程ではっきりと犯人自身が欲求を求めて行った結果であると述べており、特に殺人の際はえも言わぬ快感を感じたような証言を残しています。

 以上の事例を踏まえると、心拍数が少ない、というより受動的反応が弱く刺激に対してあまり反応しない人間というのはサイコパス的要素を抱えていると言えるかもしれません。無論、この一点だけでサイコパスだと判定できるわけでもなければ実際にそうだと言えるわけではなく、このほかにも共感性の欠如や将来予測の曖昧さなど他の要素も十分かつ慎重に検討する必要はあるでしょうが、刺激に対してあまり反応しないという感受性の弱さは相手の人間性を分析する上ではなかなかに重要な情報の一つだと私には思えます。
 ある意味でそれは経験が表れるとも言え、例えば私のようにホラーゲームやホラー映画を見慣れている人間はちょっとやそっとのグロテスク画像や怪談話ではビビらず、実際この前までやってたホラーゲームを遊んでいる最中も「こいつまた死んだよー(^ω^)」って感じで爆笑しながら遊んでいましたが、これは私がサイコパスというよりかは有り余るホラー体験を乗り越えてきた証であります。

 その逆に、本来なら経験しておらず初めてなはずの体験(仕事や動作)でも全く緊張もなく動じずに淡々と行ってしまう人間がいたとした場合、別に上記の話を知らなくても不気味さを感じる人の方が多いのではないかと思いますし、実際そういう人は注意するべき対象じゃないかと思います。この手の人間は何も将来サイコパスになって猟奇犯罪を起こしそうだっていうわけじゃなく、感受性の弱さから何か問題を起こした際も焦ったりとか恐れとかを抱かず、淡々と隠蔽とか見過ごしとかをやらかしかねないという意味で私は注意します。

 このような目線に立てば、サイコパスとされる人間は基本的に一喜一憂しない傾向があるため、やはりトレーダーなど、状況が激しく変わる現場での意思判断を行うような仕事が向いているのかもしれません。

 なお「サイコパス」というアニメに常守朱というキャラクターが登場しますが、このキャラは作中でどんだけショッキングな場面に遭遇、具体的には目の前で親友が惨殺されたり、親戚が拉致虐殺されたりしても、犯罪行為につながるとされるストレス(犯罪係数)が全く上昇しないという特徴を持ったキャラとして描かれています。日常生活では年相応のキャリアウーマンらしく喜怒哀楽もはっきりと出すのですが、周りもドン引きするくらいストレスに強いというか鉄人のようなタフな精神構造をしており、上記の定義に則るならやはり彼女こそが作中最大のサイコパスと呼べるでしょう。

  おまけ
 上にも書いた通りにもうすっかり遊び慣れてしまったせいか、最近どんなホラーゲームをしていてもビビることがなくなり、ゲーム中にキャラクターが死んだりしても、大抵大げさな死に方するからその死にっぷりのおかしさに笑ってしまうことの方が多いです。
 ただここ数年間でゲーム中、鳥肌が立つくらい恐ろしさを感じたことが一つだけありました。それは「ゼロエスケープ」というゲーム中での、本日結婚&妊娠を発表した能登麻美子氏の声でした。能登氏について普段は大人しめのかわいらしい女性キャラばかり演じていて内心では演技の幅が狭い声優だと考えていましたが、このゲーム内の演技というか耳にするだけで鳥肌の立つ声を聴いてからは認識を改められました。

 その後、能登氏はアニメ「ジョジョの奇妙な冒険(第四部)」のある意味ヤンデレの始祖たる山岸由花子というキャラにキャスティングされましたが、放映前は「ミスキャスト」だとか「イメージと違う」という声がネットを見ていても多かったように見えましたが、いざ実際に放映されると上記の私のように「怖すぎる」、「想像を超えていた」などと絶賛する声に溢れる結果となりました。もっとも上記の体験を経ていた私からしたら驚きはなく、現時点でも「最も怖い声は能登の声」と考えています。

2018年9月13日木曜日

所得統計過大疑惑について

統計所得、過大に上昇 政府の手法変更が影響 専門家からは批判も(西日本新聞)

 昨日出ていた記事ですが西日本さんもやるなぁと思ういい報道でした。ただ翌日の報道では「所得統計、内閣府も課題に算出」と、「統計所得」に「所得統計」といまいち表記が一致しないのはどないなんとか思うところがあります。

 さてこの一連の記事についてですが、結論から言えばまぁその通りだろうなと私は考えています。以前のGDPの統計操作疑惑の記事でも触れていますが近年の日本の統計は信用できない不可解な結果が多く出ており、別種の統計と合わせてみても何故こうしたプラス成長がはじき出されるのか腑に落ちない点が多々あります。はっきり言えば、現時点で私は中国の統計の方が日本の統計よりも信頼度が高いとすら見ています。まぁ中国もいくらか操作しており、今度JBpressで出す記事でもはっきりと、「これは弄ってるよ」と指摘してますが。

 今回の西日本新聞の報道を見て少し気が付いたのですが、GDPをはじめとする日本の経済統計でやや奇妙な点として、季節変動が小さすぎる気がします。季節変動とは「ニッパチ」に代表される、消費が活発化して経済が回る月と、そうでない月との差異です。日本では二月と八月が不景気付きで、逆に景気がいいのは三~四月と十二月頃です。
 なお中国では年によって一週間にも及ぶ春節休みが一月に来たり二月に来たりするので、このように月を跨いだ年は前年同月比が極端なプラスかマイナスに振れてしまいます。なので一~二月の統計はあまり参考にはせず、年初は第1四半期が終わるまで統計で議論することはありません。逆を言えば中国の経済統計で一~二月を比較する奴は間違いなく能力の低い記者が書いた記事と思っていいです。

 話は戻りますが日本の報道を見ていてすごい不思議なのは、やたら前月比とか前期比ばかり取り上げて、前年同月(同期)比については言及、分析されていません。統計的価値で言えば前年同月(同期)比の方がずっと価値がある、というのも前月比の比較では先ほど言及したように月ごとによって季節要因があって統計条件としては平等ではなく、あまり参考にならないためです。
 その前月(期)比ですが、なんかこのところ日本のデータを見ているとずっとプラス一辺倒であることが多いです。季節要因を考慮するとむしろ、いくら景気が上昇トレンドにあると言っても前月比成長率のグラフとかは上下に変動するのが自然です。それが何故か日本の近年の統計ではあまり見られず、なんか右肩上昇のグラフしかこのところ見てない気がします。

 はっきり言えば、ここ数年の日本の経済統計データは明らかに歪であり統計操作されている可能性が非常に高いとみています。この場合、How(どれほど)ではなく、Why(なぜ)こと動機こそ追求すべき点で、一義的には政策が成功しているという政権や省庁の成果喧伝でしょう。たださらに掘り下げて二義まで考えるとややいぶかしむ点があり、Who(誰)こと官邸と省庁のどちらが主導しているのか、そしてもう片方は何故それを座視しているのか、ここを考える必要があるでしょう。
 どちらにしろ、恐らく10年くらいしたら「この時代に統計操作が行われていた」みたいに検証され、モリカケ問題と合わせて「安倍偽装内閣」という二つ名がつくのではないかと早くも見ています。そう思うくらい最近の経済統計は私の目から見てやりすぎで、責任から逃れるためにも再選を目指さない方が良かったのにとこのところひとしきり思います。

2018年9月11日火曜日

兄より優れた弟は……

努力家だった兄と適当だった俺の人生(アルファルファモザイク)

 上のまとめ記事は最近読んだものですが、読んでてなかなか感じるものが多かったです。私自身は姉一人いるだけの末っ子ですが、やはり兄弟で弟の方が兄よりいい大学や就職先に進むなどしたら兄としては気持ち的に応えるものがあると推察されます。実際にこのようなものを気にした友人がおり、中学時代は中二病が激しかったものの割と何にも積極的に取り組み成績も優れた子だったのに、高校辺りからややバランスを欠くようになっていったのを見ています。
 「兄より優れた弟はいねぇ」とは漫画「北斗の拳」に出てくる北斗四兄弟の三男、ジャギが残した名言ですが、これはむしろそうあってほしいという兄側の心の叫びのようにも思えます。

 一方、歴史上では皮肉な結果ながら、弟が兄を差し置いて家督を継ぐというかビッグになってしまった例が、決して多いわけではないもののいくつか見受けられます。最も代表的と言えるのは徳川家二代目将軍の徳川秀忠で、彼自身は三男ですが家督を継いだ当時、長男の信康は切腹させられ既にこの世にいませんが、次男の秀康は未だ存命でした。
 何故年長の秀康を差し置いて秀忠が家督を継いだのかというと、秀康は幼少から豊臣秀吉の元へ人質として置かれていたとか、政治的な器量を見込んで秀忠にしたなどいろいろ言われているものの、最大の要因は実母の家格の違いで、生まれた当初より秀康は後継者として目されていなかったとみられています。

 そんな背景からか秀康は豊臣家に人質に出されたかと思えば二度と徳川家を継げないよう、その後結城家に婿養子に出され、現在の通り名である「結城秀康」が定着しました。一応、その後は越前へと移り姓も「松平」に変わりましたが、こんな経緯もあるもんだから水戸徳川家ほどじゃないけど越前松平家も代々、徳川宗家とは距離を置く藩主が多いです。

 この秀忠&秀康とほぼ同時代、ちょっと面白い関係の兄弟がもう一組あります。それは関ヶ原でおなじみの石田三成と、その兄である石田正澄の兄弟です。二人ともそろって秀吉に仕官して着々と出世を果たしてきますが、出世速度で言えば圧倒的に弟の三成の方が早く、正澄も2.5万石取りで秀頼の奏者番になるなど大名に出世していますが、やはり弟と比べると一段低い立場です。
 そんな正澄ですが関ヶ原の決起の際は弟・三成に協力してともに決起し、陰に陽に弟を支援しています。恐らく兄として弟の優秀さを認めていた節があり、大谷吉継などと同様に三成を助けたい一心で行動したのではないかと思われ、「兄より優れた弟を助ける兄」であったのでしょう。最終的には関ヶ原の戦後、居城の佐和山城を攻め立てられ自害しています。

 と、ここまでで終わるつもりでしたが、「そういやアイツもいたか」と思い出したのが伊達秀宗です。この人は苗字からもわかる通りに伊達政宗の長男ですが、仙台藩の藩主にはなっていません。仙台藩藩主の座は政宗の後、次男の忠宗が継いでいます。
 この理由は何故かというと、概ね秀忠&秀康ブラザーズと共通しています。秀宗は長男ではある者の実母は側室で、また秀吉の元へ幼いころから人質に出されています。当初でこそ後継者として扱われていたようですが秀宗が11歳の頃、政宗の正室である愛姫がついに待望の男子こと忠宗を生んだことから一転、秀宗の立場が不安定となり、関ヶ原の合戦後も家康との目通りも忠宗が優先されるなど梯子を外されてしまいます。

 親父の政宗も一応は秀宗のことを気にしていたのか、大坂の陣の後に徳川家から拝領した宇和島10万石の地をそのまま秀宗に譲って、別家を立てることで秀宗の地位を作りました。そのため秀宗は仙台藩主とはならなかったものの伊予宇和島藩の藩祖にはなりました。
 ところが話はこれだけで終わらない。秀宗の宇和島へのお国入りの際、伊達藩からは政宗の重臣らが与力(陪臣)として付けられていたのですが、この与力のうち二人が派閥を作って対立し、とうとう片方がもう片方を襲撃して一族諸共ポアしてしまいます(和霊騒動)。この襲撃は秀宗の指示と見られており、襲撃を指示した側の家にはなんもお咎めも下らずに何気に明治に至るまで存続し続けました。

 秀宗はこの襲撃というか実質暗殺を政宗にも幕府にも報告しませんでしたが、事実を知った政宗は殺された与力と仲が良かったこともあり、また仙台藩への影響波及を恐れてか自ら幕府へ報告した上で、宇和島藩を取り潰すよう改易を願いました。こうした動きに「日本の施政家トップテン」に確実に入るであろう土井利勝は事を荒立てず、秀宗側の和解工作もあってか両者を必死にとりなして、政宗に改易願を取り下げさせてことを収めました。
 その後、政宗と秀宗の親子は対面したそうですが、その場で秀宗は、「俺ばっかずっと人質に出された上に、長男なのに家も継がせてもらえず、今までずっとすっごく辛かった(´;ω;`)ウッ…」と思いのたけをぶちまけたそうで、これには政宗も心動いたのは先に出していた勘当を解いて仲直りしたそうです。その後も腹を割った話ができたおかげか、頻繁に贈答し合うなどそれまで疎遠だった親子関係にも改善が見られたそうです。

 ただ秀宗は親父とは仲直りできても、弟で仙台藩を継いだ忠宗とは和解しきれなかったのか、江戸城の控室では石高が低いにもかかわらず何故か忠宗より上座の席に必ずつこうとしたというエピソードも残っています。おまけのつもりで調べたら意外と面白い人物で、このままでも十分JBpressの記事にも使えそうなくらいで言い調べ物が出来ました。

2018年9月10日月曜日

派遣切りの2018年問題

 このところごくわずかですが過去に手掛けた派遣マージン率に関する記事のアクセス上がっててなんでやろとか思ってたところ、今月が派遣期間3年経ったら正社員雇用にしなきゃいけないという法律が施行されてちょうど3年目となる月だったからということに気が付きました。
 そのため一部報道では正社員雇用義務が発生する前に派遣切りする業者が増えており、今月なんかまさに派遣切りラッシュだ見たいな風に報じています。現実は切る場合は既に切られているので今月にラッシュなんて起きんのかなとやや疑問ですが、人手不足と言われる世の中で派遣切りという言葉も流行することになんやねんとかいろいろ思うところあります。

 もっともあと2年もしたら恐らく、既に派遣社員が切られている状態なので正社員の大量カットに踏み切らざるを得ない時代が来ると思っています。大正製薬もなんか大型リストラ案を発表したとのことですがかえって今この時期にこうしたクビ切りに手を付ける辺りは先見の明があるんじゃないかという気すらします。
 なお大正製薬については稼ぎ頭の毛生え薬リアップの特許が切れてこれからジェネリック医薬品が作られるようになるマイナス要因が大きいという報道を以前見ました。ハゲ市場が大塚製薬を動かしてるんだなと思うとハゲの影響力のすさまじさを感じずにはいられません。

 話は戻って派遣についてですが、今年一月にも宣言した通りにもう来年以降はマージン率の調査とかはするつもりはありません。そもそもこの調査は派遣労働の当事者たちがやるべきだと思うし、また私がこうしてそこそこのデータを作ったにもかかわらず、やはり世論の反応というか利用者がそれほど増えなかった点など、派遣労働者の当事者たちが自分たちで動かないとこの手の問題は何も解決しないと感じたからです。
 しかもアクセス数も2015年が最多で、それ以降はどんどん下がっているのもモチベーションが下がる要因になっています。ついでに言うと、マージン率公開する企業が増えてきて調査の手間が増しているというのも億劫になった要因です。

 今後派遣はどうなるのかですが、先にも述べた通りに2020年以降は大不況が来て派遣も正社員も関係なくリストラが進むと思うので、ある意味そこで格差はやや埋まるんじゃないかと見ています。その後で財界や政界がどのような雇用習慣を作るのか、新卒一括採用の見直しなども含めて物事というか制度が変わってくるのではないかと思います。
 考えられるシナリオとしては完全なアメリカ型の無給のインターンから正社員採用に移るというパターン、給与を支払う一方で「業務研修費」という名目で一部天引きする徒弟制度パターン、トラック業界などでおなじみの個人事業主として扱う業務請負型などなど、こういったのが前より増えていくんじゃないかと思っています。結論を言えば、今の日本の雇用習慣は合理的とはいえず、古い雇用習慣を変に維持しているのでこの際一気に改革すべきだという立場をとり、派遣雇用についてもない方がいいではなく、存否を含めどれがベストなのかをもっと社会で議論すべきでしょう。

2018年9月8日土曜日

スルガ銀行の調査報告書に関する疑問

第三者委員会調査報告書(要約)
第三者委員会調査報告書(全文)(スルガ銀行)

 シェアハウスローン問題を引き起こしたスルガ銀行は昨日、この問題に関して弁護士らによる第三者委員会が手掛けた調査報告書を発表しました。同時に会長、社長を含む一部経営陣の退任と新任の人事異動も発表され文字通り体制を一新しましたが、わざわざそんな七面倒くさいことをしなくてもよかったのではという印象をぬぐえません。
 昨日の時点でどのメディアもこの件について報道を行っていますが、正直言ってどれもありきたりな内容、下手すれば人事異動と既報を繰り返すだけでほとんど中身のない報道ばかりでした。そして私が一番関心のあった内容については、下記の佐賀新聞しか報じていません。

スルガ銀、不正融資の総額や件数の推定困難(佐賀新聞)

 やはりこの問題で一番肝心なのは、「不正の規模が今どれくらい大きいのか?」であって、どのように不正が行われたかじゃないでしょう。その点で私が確認する限り、この佐賀新聞だけが不正融資総額と件数について何も公表がなかった点を指摘していますが、他のメディアは「パワハラがあった」とか「審査が杜撰だった」とかわかりきったことをくどくど長々としか述べていません。
 っていうかパワハラについては新聞社がどうこう言うことかよと、「てめぇ殺すぞ!」という言葉が日常の挨拶みたいに飛び交う職場を見ている自分からしたら奇異に感じます。

 また発表がなかったことはもとよりどのメディアも質問しなかったのか全く触れられていませんが、既に日経などが報じている創業家への不正融資や融資額の三分の一に当たる1兆円にリスクがあるということについては完全スルーです。スルガ銀行はどちらについても「うちが発表したわけじゃない」と否定も肯定もしておらず、折角報告書発表日を1週間も延期したというのにスルーするのはどうかと個人的に思います。はっきり言えば、今回これらについて全く触れなかったということは事実ではないのかという疑念が私の中で強まりました。

 それで肝心の調査報告書ですが、昨夜精読というわけではありませんが一通り眺めてみていくらか疑問が出てきたのでまとめます。まず今回の調査報告書は先ほども述べたとおりに弁護士らによって構成されていますが、メールデータの復元などの不正調査作業において四大監査法人のKPMG(日本ファームは「あずさ監査法人」)の子会社が入っています。これは後から重要になってくるので覚えておいてください。

・要約版の問題
 結論から言うと要約版はあまり内容が整理されておらず、しかも箇条書きで雑多に内容を列記しているので非常に読みづらいです。一方で各役員の不正に対する責任についてはこの要約版でも非常に細かく羅列して書かれており、何らかの意図を感じます。

・役員責任の枕詞
>個別の不正を具体的に知り又は知り得た証拠はない。
>一方で、本件問題発覚後の諸行動に関しては、善管注意義務違反(一部法令違反)が認められる。

 要約版の各役員の責任について、ほぼすべての役員に対して上記の枕詞がついています。要するに、「はっきり不正したかは証拠なくてわかんない。問題発覚後の対応や少し悪かったよ」ということがやけに強調されています。

・死んだ一人、現役一人の役員にだけ厳しい表現
 前者は今回辞任した会長の兄弟であり、2016年に逝去した故岡野副社長(原文ママ)で、彼が利益第一な企業風土を作り不正がはびこる舞台を整えたみたいに書かれています。後者は、その故岡野副社長に引きたてられたとされる元専務執行役員の麻生氏で、まるで彼一人がすべての問題の元凶みたいかのように厳しくその責任が追及されています。
 先に書いておくと、営業サイドの麻生氏がシェアハウスローン問題を引き起こし炎上させた最大の責任者であることはほぼ間違いないとは思われますが、他の役員らとの記述の温度差が激しく、なんかこの人に全責任を押し付けているのではと思う節があります。もちろん糾弾されて然るべき人物と思われますが、その他の疑問点と合わせて、この報告書は鵜呑みにしていいものかという懸念があります。

・何故役員だけが不正を知らなかったのか?
 全文版に載っているアンケート結果よると、自己資金資料の偽装について個人融資に係る行員の四分の一(26.7%)が認識しながら融資を行っていたとのことです。また融資審査に至っては担当部署のほぼ全員が規定を無視した融資が行われていると認識していたことでした。
 にもかかわらず何故か役員は上記の通り「証拠がないから不正を知らなかった」ということになっています。関係業務に携わる行員の大半が不正を認識していたというのに、何故か役員に関してはスケープゴートの麻生氏を除き、「発覚後の対応はまずかったけど、発覚前は知らなかったかもしれないね」という結論で納得できるかと言ったら、そんなわけないでしょう。

 また役員が出そろった会議中、「かぼちゃの馬車」でおなじみのスマートデイズは取引停止したにもかかわらず、別会社を経由して迂回融資している事実が報告されたことが事実認定されています。この件については「他の役員まで報告しなかった」とされていますが、「聞かなかったことにした」と見るべきでしょう。ここまできて不正を知らなかったという風にするのは無理があり、やはり「証拠はないにしてもその不正認識、隠蔽については非常に疑わしい」というくらいの表現が必要だったのではないかと思います。この報告書を見せる相手とその目的性の観点に立つならば。

 このほか融資審査を行う審査部に関しても、大半の行員が正規の手続き通りに審査が行われていない事実を把握していたと報告されています。繰り返しになりますが、これだけ多くの行員が不正を認識していて、何故役員だけが知らなかったかのように書いているのか。ついでに書くと、営業からの強い圧力があったとはいえ不正融資を黙認してきた審査部が、今後も融資審査を行うということに関する問題点については特に触れられていません。嘘でもいいから外部のコンプライアンス研修などを受けさせるくらい書いとけよな。

・実績考課、パワハラについて
 不正融資が蔓延した理由について異常なまでの実績主義や実績を出さない行員へのパワハラがあったせいと指摘してますが、内心こういう文言は必要ないかなと思います。というのも証券会社を筆頭にこの手のはどこにもあることだし、逆にこういうのないとこでも不正ってのは起こるからです。第一、そんなこと言ったら実績主義=不正の温床の構図になるわけですが、それはやはり暴論でしょう。過度な実績主義やパワハラはどこでもあり(特に地銀では)、これらが他と一線を画す今回のスルガ銀の事件を引き起こした原因かと言えばその貢献は些末なものでしょう。
 なおパワハラの実例として「天然パーマを怒られる」ってのが挙げられててちょい笑えました。あと「空のカフェ飲料のカップを投げつけられたことがある」については、中身ないだけまだいいじゃんと率直に思いました。あと「いすの背面をキックされた。」については、蹴り返すか、窓から放り投げ返せばいいのにと私は思います。こういう価値観こそ、新聞社ならでは。

・外部監査法人の責任
 恐らくこの点については他のメディアは書けず、誇張ではなく私にしか指摘できないでしょうが、スルガ銀行の2018年3月31日期監査報告書には以下の記述があります。

監査意見
 当監査法人は、上記の財務諸表が、我が国において一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠して、スルガ銀行株式会社の2018年3月31日現在の財政状態及び同日をもって終了する事業年度の経営成績をすべての重要な点において適正に表示しているものと認める。

強調事項
 追加情報「シェアハウス関連融資等」に記載されているとおり、会社は「第三者委員会」を設置しており、その調査は継続している。今後、その調査により、新たな事実が判明した場合には、会社の将来の業績に影響を与える可能性がある。
 当該事項は、当監査法人の意見に影響を及ぼすものではない。

一応シェアハウス問題について触れてはいますが、「この監査報告書で報告している財務内容は正しいよ」という監査意見が出されています。その後、貸倒引当金がガンガン積まれているというのに。
 自分はこのシェアハウス問題が発覚した当初に真っ先に監査法人を調べましたが、やはりというか東芝を筆頭にこれまで何度も不正会計を手掛けてきた新日本有限責任監査法人でした。そして上記の監査意見も言うまでもなく、新日本が出しています。

 今回の調査報告書では内部統制が完全に欠如していたことが不正融資を蔓延させ問題を拡大したとはっきり言明しています。それに対し監査報告書では、

強調事項
 内部統制報告書に記載のとおり、シェアハウス関連融資等に関連する全社的な内部統制並びに決算・財務報告プロセスに係る内部統制に開示すべき重要な不備が存在しているが、会社は開示すべき重要な不備に起因する必要な修正はすべて財務諸表及び連結財務諸表に反映している。これによる財務諸表監査に及ぼす影響はない。

 一応は内部統制上の懸念を指摘していますが、今回の報告書を見る限り、「適正意見」が出せるレベルなのかというと疑問で、やはり「限定付意見」として出すべきだったのではないかというのが私の見方です。
 同時に、なぜ昨年の発覚まで銀行業務統治の基本の基本たるべき融資審査の不備について監査法人が気付かなかったのか。監査法人というのは財務状況の数字が正しいかだけでなく内部統制についても毎期チェックするのが仕事ですが、なぜ気づかなかったのかというこの点について、やはり何か指摘する必要があるのではと思います。特にシェアハウス問題は去年の段階で発覚しており、その段階で過去の融資取引のコンプライアンス性を調べていたら、もっと早くわかることがあったのではという風にも見えます。

 そして最後の指摘となりますが、何故調査報告書ではこの監査法人による外部監査での見逃しについて全く触れられていないのかが気になります。外部監査を出し抜く隠蔽工作があったのか、それとも外部監査に問題があったのか、こうした杜撰な内部統制実態が何故外部監査で指摘を受けなかったのかについては全く書かれていません。ぶっちゃけ、怪しいくらい急拡大しているシェアハウス融資取引はたくさんあったというのに。
 何故外部の監査法人について触れないのか。はっきり言えば何かしら意図があると思え、他の諸々の指摘事項と合わせ、今回の調査報告書はそうした意図に立って書かれている気がします。そのような視点に立つと、まだまだ掘ればいろいろ出てくるような気がするというのが私の結論です。

2018年9月6日木曜日

台風、地震に対する中国の報道

 最近仕事は楽になった分、というか8月が異常に忙しかった一方、夏風邪で体力落ちてて趣味のことばかり書いてたので、たまには真面目な話書きます。
 先日の関西地方を中心に大きな爪痕を残した台風に続き、本日北海道でも震度七という大地震が発生しました。弱り目に祟り目というか大災害が重なっただけに影響も大きく、被災者に置かれては深くお悔やみ申し上げます。

25年来登陆日本最强台风正横扫日本全境 领馆:在日中国公民务必小心
日本北海道地区发生6.9级地震 山体滑坡房屋倒塌(東方網)

 これら災害については中国でも報じられており、上記リンク先のように取り上げ方も小さくありません。なお今回自分もようやく気が付いたのですが、中国のウェブ記事の方が日本のウェブ記事に比べgifや大サイズの写真をふんだんに使っており、映像的な視野効果で言えば地味に日本のウェブ記事より優れているような気がします。むしろなんで日本のウェブ記事の写真はどれもあんな小さいのか、圧縮技術も発達しているというのに逆に不思議です。

 話は戻りますが中国の報道の焦点としてはやはり日本滞在中の中国人に関してです。私が読んだ記事によると関西空港では領事館職員が駆けつけて閉じ込められた中国人旅行者への対応を行ったとのことですが、その数なんと1044人もいたそうです。関空においては日本人ですら参る人が多数出たというのですから、見知らぬ異国の地で留め置かれた彼ら外国人のことを考えると私個人としてはやはり不憫に感じます。
 幸いというか以前欠航となって中国人団体が騒いだ時とは違って今回はそうした騒動は起きなかったようですが、やはり関空のリスク管理のまずさに関しては、非常食や毛布を備蓄している成田や羽田との比較も出ているだけに、今後の反省点として捉えるべきでしょう。

 特に観光立国を掲げる場合、今後もこうした大災害に巻き込まれる外国人への対策は今のうちにしっかり作るべきだと思います。非難や誘導の案内を多国語化することはもとより、食事や宿泊に関しても、かえって言葉もわからない人たちだからこそ手厚い対応が必要だと考えます。
 人間、苦しい時に殴られた恨みを忘れないように、苦しい時に助けられた恩も意外と忘れないものです。旅行中にこうした災害に巻き込まれた場合、どうしてもマイナスイメージがついて二度と足を運んでくれなくなる可能性もありますが、逆に手厚い対応をすることでリピータを生む可能性もあると思えるだけに、各大都市や空港など公共施設は、外国人観光客向けの災害対応を充実化させるべきでしょう。

 北海道の地震に関しては今のところまだ情報が集まっていないのか、現地の中国人に関する目立った報道は見受けられません。とはいえ、仮に自分が外国を旅行中にこんな災害に遭遇したと考えると、なまじっか外国で暮らしているだけにやはり気が気ではない感覚があります。また日本国内への影響についても、既に観光方面の影響が触れられていますが、それ以上に収穫期を控えたこの時期の立て続けの災害ということを考えると、今後食糧価格の高騰が予想されます。また中国地方の豪雨被害も冷めやらぬ中でのさらなる復旧活動の展開も、オリンピック準備にも影響してくるかもしれません。

 今さらっと書きましたが、なんか災害被害の内容ばかり報じられてて、こういった社会への影響に関する報道や解説が、ネットだけしか見ていないからかもしれませんがやけに少ないのが実は気になっています。関空も、乗客以上に航空貨物や通関への影響の方がダメージとしては大きいと思うのに、物流会社への取材記事などはとんと見ません。今日同僚が聞きに行ってくれたからいいものの、今に始まるわけじゃないですが目にはっきり見える切り傷の方が、目にははっきり見えない内臓の病より大きく取り扱われるような報道状況に対してこれでいいのかという疑問を覚えます。

2018年9月5日水曜日

苦手な怖い話パターン

 ミステリーにもいろいろパターンがあるように、怪談話にもいくつかの典型というか定番パターンがあります。具体的には、人形が動いたりしゃべったりするとか、置かれていたものを動かしたために封印が解けたとか、地縛霊に触れて人格が豹変するとか、約束を守らなかったばかりに呪われるとかです。

 そういった数ある怖い話の典型パターンのうち、地味に私が一番苦手とするのは「絵が変わる」という奴です。一番多い形態では教室のモナリザの絵が変わりモナリザの表情が動くという奴ですが、これ自体はそんな怖くはありません。この手のパターンで私のトラウマとなっているのは「学校であった怖い話」という昔のゲームに出てくる話で、コンクールでも入賞するある女子高生が作品制作途中に殺害されたものの、何故かその後も勝手に絵が加筆されていき完成するというお話です。
 この話は絵が完成したところで終わるわけじゃありません。出来上がった絵は殺された女子高生の自画像で普段は変哲もないのですが、見る人や時間によってはその絵が変わるとされ、もし普段と異なる絵を見てしまったらもうすぐ死ぬというのですが、死ぬこと以前にその変わったバージョンの絵が怖くて仕方ありませんでした。具体的に言うと、その女子高生が殺害された際の顔に変わるとされ、ヒュッと変わるその絵柄がゲーム内でも非常におどろおどろしく、今でもたまに夢に出ます。

 このところこのブログでも言及している「死人の声をきくがよい」という漫画でも、こうした時間とともに絵の内容が変わるという話が出てくるのですが、これを見て真っ先に上記の話を思い出すとともに、「ああ、この手のパターンが一番怖い」ということを自覚しました。基本、ホラーやスプラッターには比較的耐性があり今じゃジェイソンを見ても笑いながら鑑賞できますが、なんというかこの手の絵の内容が変わる話に関してはどうしても見る度に寒気を感じます。絵画系の芸術とは縁もゆかりも興味もないのですが、何故かこんなところで接点を持つ当たり自分でも不思議です。

 なお怖い話の典型、特に学校の怪談系で最もポピュラーなパターンは言うまでもなくトイレ関連で、トイレで幽霊に殺されるとか、便器に吸い込まれるとか、用を足すまでドアが開かないとか一言でトイレと言ってもたくさんバリエーションがあります。
 でもトイレで一番怖いのは、用を足した後で水が流れないという状況で間違いないと思います。前も少し書きましたが会社のトイレで真ん中のトイレだけ何故か水を流した後、タンクの水蓋がカチっと閉まらないのか音姫が如く音を出しながら水を流し続け、うかつにそのトイレに入ってしまうとタンクに水がたまらないものだから用を足した後に水を流せなかったりします。

 攻略方法としてはタンクの開閉レバーを少し動かすことで水蓋が動くのかカチっと閉まり、あとは水がたまった後でもう一回レバーを押せばいいのですが、知らない人が入ってしまった後は何度もレバーを引く音が聞こえたりします。社内の誰も口にすることはないまでも、私はひそかにそのトイレのことを「魔の二番トイレ」と呼んでいます。

2018年9月4日火曜日

日本の史観

 冷房のかけ過ぎで風邪ひいたのか昨日は左顎、今日は右顎がやけに痛く、昼食時に口空けたら泣きそうなくらい痛かったです(´;ω;`)ウッ…
 そういうわけで日本の史観をざらっとまとめます。

・徳川史観
 江戸時代における歴史価値観で、基本徳川家を中心に、それ以外を外に下にー、下にーって感じ落とし込むのが特徴。その影響で関ヶ原の西軍面々は基本的にボロカス扱いされ、特に石田三成に関しては「つけあがったアホ」と切って捨てられ再評価まで時間がかかりました。またその延長からか豊臣秀吉についてもやや批判的な視線が見られます。
 唯一の例外として徳川家を破った武田と真田に関しては、「アイツらとんでもなく凄かったから、負けたのも仕方ないんだよね(´・ω・`)」みたいな具合でやたら持ち上げられ、武田家に関しては江戸時代を通してもヒーロー的な講談が多く作られています。

・皇国史観
 明治以降の天皇集権制に合わせて、基本天皇を中心に、逆らったやつらは下にー、下にーって感じで落とし込むのが特徴。その影響で足利尊氏と義満に関しては徹底的に貶められた上、南朝に与した楠木正成や新田義貞が極端に持ち上げられました。あと平清盛、源頼朝に関しても冷たく扱い、その一方で義経には判官贔屓、といいたいですが判官贔屓はいつの時代も同じか。
 あまりにも天皇家中心で語るもんだからそれ以外の史実は軽視する傾向があり、織田信長に対しても「天皇家を保護した武将で、彼の活動が後の秀吉の統一につながった」というくらいしか見ていなかったそうです。

・自虐史観
 戦後の第二次大戦への反省から軍国化につながった人物、特に陸軍関係者を徹底的に批判し、一方で軍国主義に抵抗した人たちは大きく持ち上げるのが特徴。前者は山縣有朋や東条英機らで、後者は幣原喜十郎や石橋湛山と社会主義者、そして何より海軍の面々。
 いわゆる「海軍善玉論」もここから出ており、また戦争に関する行為や事績は強く貶められ、特攻の解釈もなんか一部で変な主張が出回っていました。

・司馬史観
 小説家の司馬遼太郎が展開、影響を及ぼして普及した見方で、基本的には自虐史観と方向性が近く、海軍善玉論を補強した上で「明治まではOK、日露以降は日本の暴走」とした解釈が現代における大正、昭和期の研究不足を招いている可能性があるように思います。
 河合継之助など日の当たらない人物に脚光を当てるなどして研究範囲を広げた一方、歴史人物の好き嫌いがはっきりしていてそれをそのまま出すもんだから、一部人物への評価の公平性については個人的に疑問視しています。

・大東亜史観
 前述の自虐史観への反発から90年代後半に生まれた史観で、所謂ネット右翼的な価値観。「大東亜史観」としたのは、太平洋戦争のことを必ず「大東亜戦争」と呼びなおすのが特徴だと思えたため造語したものです。
 基本は自虐史観へのアンチテーゼのため、自虐史観が戦前の否定に立つなら大東亜史観は自虐史観の否定に立ち、どちらも自説展開のため都合のいい事実を喧伝し、都合の悪い事実には黙る特徴が強いです。感情的なためか史実研究にはどちらも向いておらず、私自身はどちらにも与しない立場をとります。

・半藤史観
 これも造語ですが半藤一利氏の見方に立った視点で、上記の自虐・大東亜史観とは違った見方に立った上で、その後の昭和後期の変動を含めて評価しているのが特徴。根拠資料がとにかく膨大なのと、A級戦犯本人から見聞きした情報をダイレクトに伝えているのが大きな特徴なのと、各人物というより組織単位で物事の時系列が追われています。「戦争責任は国民にこそある」というのが立場としては一番大きいところな気がします。

2018年9月2日日曜日

ぶっ飛んだ人が多いホラー漫画家

 前にも少し触れましたが「死人の声をきくがよい」という漫画にはまって全巻を一気に購入しました。内容はホラー漫画ですが、第一話でいきなり腐乱死体となって出てくるヒロインが背後霊となって、異常なくらい巻き込まれた異質の主人公に対して悉くピンチからの脱出方法をジェスチャーのみで伝えるというコンセプトが面白いです。
 単行本のあとがきを見ていると作者のひよどり祥子氏もはっちゃけた性格しているようで、「ホラー漫画書いているけど心霊体験はほとんどなく、蝋人形館で日本語でジャッキー・チェンに話しかけられただけ」と書いています。

 よくネットなどでは「ギャグ漫画家は精神を病みやすい」という主張を見かけますが、病んだ人も確かにいるけどむしろセカイ系の漫画家の方が病む率が高い気がします。一方、ホラー漫画家については精神を病んだという話はついぞ聞いたことなく、むしろ逆に若干躁入ってるんじゃないかというくらいはっちゃけた人が多いように思います。
 大体どのホラー漫画も発想がぶっ飛んだ内容が多く、またモブキャラが男女子供関係なくむごたらしく殺されるのは当たり前です。ですが上記のひよどり祥子氏も、「ああ、今回もたくさんの人間殺しちゃった。まいっか」とあまり気にせず毎回確実に死人が出る話を書き続けています。

 また現役最強のホラー漫画家と言えば間違いなく伊藤潤二氏ですが、この人の漫画はどれもその発想のぶっ飛び具合が半端じゃなく、生首が風船になって飛んできたり、えらい入れ子構造の狭い勉強部屋が出たり、扉を開けたら真っ白い丸い顔した女性がでてきたりと、まともな精神の人間が描いたとは思えないものばかりでてきますが、インタビューなど見ていると伊藤氏は非常に落ち着いた感のある人物をしています。
 っていうかどのホラー漫画もちょっと見方を変えるとギャグ漫画のようにも受け取れる描写が多く、実際に「死人の声をきくがよい」は爆笑しながらいつも読んでます。伊藤潤二氏も、「伊藤潤二の猫日記 よん&むー」というギャグの激しい猫漫画書いてますし。

 話を戻しますが、一番病んでそうな漫画書いているホラー漫画家で病んだ人はいるのかって点では、むしろ人生楽しそうな人が多い気がします。あと地味にさっきから書いているようにぶっ飛んだ発送する人が多く、芸術家としてみればすごい人が粒ぞろいなのではないかと思うとともに、他の国にこういうジャンルの芸術はあるのかと少し気になりました。
 中国人なんか結構ホラーが苦手な人多いから見せてみたらどんな反応するのか少し気になるので、今度機会があったら友人にも見せてみよう。

サマータイムに関する安倍首相の反応

 次回の自民党総裁選は野田聖子が出馬を断念したことから実質的に石破氏と安倍首相の一騎打ちが決まりましたが、まず間違いなく安倍首相が再選を果たすでしょう。傍目にも今回の石破氏の選挙戦は呆れるほどに手際が悪く、最初に「正直」という言葉を掲げて安倍首相の人格批判をしたところ評判が悪くすぐに取り下げたことはもとより、提唱している政策案も基本的に都合のいい内容ばかりな上に曖昧模糊とした構想ばかりで、具体的政策内容には一切触れておらず実現可能性は皆無と言っていいでしょう。何よりも、構想レベルの内容でもこれはと思うものが何もないというのはひどすぎるとしか言いようがありません。

 こうした状況から、それだったら動かさない方が無難とばかりに安倍首相が再選されると思うわけですが、その安倍首相について実は先日、「Σ(゚Д゚)」と思うことがありました。てっきりほかのメディアとかが指摘すると思ってたらどこも指摘しないのでここに書きますが、それはオリンピック期間限定のサマータイム導入に対する反応です。

自民が夏時間検討へ=安倍首相指示、政府なお慎重論-東京五輪の猛暑対策(時事通信)

 上の記事の通り、サマータイム導入案が官僚から出されるや他の与党政治家とは議論せずにすぐに検討する会議などを起ち上げるよう安倍首相は指示しています。あらかじめ決められていた手順かもしれませんがこの動きを見て、私個人は奇妙に感じました。
 安倍首相はこれまで、どちらかというと世間の反応を確かめてから動いたり発言したりすることが多かったです。特に第一期で失敗してからはより顕著となり、第二期政権では各政策案や野党への反論について世論の反応を見てそれに合わせて明らかに発言の仕方も変えている節が見られ、だからこそ高い支持率を保てたのだと思います。

 自分の記憶が正しければ、サマータイム案が出てから上記の安倍首相の検討指示まで1日くらいタイムラグがあり、世論の否定的な反応も確認できたはずなのですが、今回に限っては「前向き」な検討を指示しています。これについて私は、かつてならこんな対応は取らなかっただろうし、検討指示をさせるにしてももっと密にやっていたのではと思いました。つまり何が言いたいのかというと、以前と比べて安倍首相が世論を見なくなっているのではと思ったわけです。
 思い当たる節はあり、具体的にはモリカケ問題が起こってから世間の反応を追い風にしたり逆手に取った反論や主張が鳴りを控え、「真相究明のため確認している」をはじめとしたむしろ実態とはかけ離れた発言がどんどん増えていきました。今年に至ってもその傾向は顕著で、何か世間で注目されている話題に言及することが以前と比べ極端に減っているように感じます。

 言い方を変えると、明らかにピークをもう越しており、戻ることもないのではと私は見ています。その上で、毎夜自宅で祝詞を唱えているということは前からですが、以前に増して夢想に走って現実を見なくなってきているのではと思う節があり、「国民が望んでいる」と主張して憲法改正を出すのではと予想します。私個人は改憲に賛成の立場でありますが、今後詰めていくべき具体的改憲内容について今の安倍首相の言動を見ているとやや不安を覚えるほどです。さらについでに言えば、諌止する人間も周りに見えませんし。
 今回のサマータイムについては検討すること自体馬鹿々々しい内容で、提唱や提案した人間は理由の如何を問わず左遷すべきだと思うほどの愚策ですが、このサマータイム案に対する安倍首相の反応こそがむしろもっと注目すべきニュースではないかと見ています。その上で、今後もびっくりするような発言を平気そうな安倍首相から突然飛び出してくるのではないかというのが私の見方です。

2018年9月1日土曜日

ホームワークが終わらない

 別に隠しているわけではないのですがこれまでの生涯で私は卒業論文を4本書きました。1本は自分ので、残り日本はゼミ同期3人の代行で、大学4回の時に計4本を書き上げました。一体何故こんなことをしたのかというと当時のゼミの教授とTAが全くやる気のない人物で卒論についても全く指導なんかせず、自分ならともかく文章トレーニングを受けていない他のゼミ生はこのままだとまずいだろうと判断したためです。
 なお3人とも女子学生でしたが、このうち1人は私に相談するタイミングが遅く提出前日までもつれ込み、自分が執筆しているそばで寝始めたので「起きろっ!(; ・`д・´)」とガチで叱りました。後日、他の人に「あんないい人はいない!」と私のことを言っていたそうですが、そりゃそうだよとこの点に関しては謙遜とかそういうことする気にはなれませんでした。

夏休みの宿題は何処へ向かうのか?(笑う蜘蛛の糸)

 相互リンク相手の潮風太子さんに便乗しようというのが今回のネタですが、やはりご多分にも漏れずこの時期はどの家も子供の夏休みの宿題の対応で大変だそうです。この夏休みの宿題の内、大分昔にも書きましたが読書感想文に関しては基本的に読んだ本の内容を批判したりはせず持ち上げなければならない点や、「我が闘争」とかそっち系の本は選んじゃいけない点など若干思想統制が入っているだけにさっさと廃止すべきだという立場をとります。
 ちなみにこれも前に書いた気がしますが、高三の夏になんでもいいから提出してくれと言われた友人は「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」を選んだら、これまで以上に力の入った傑作が出来てしまったと話してました。

 話は戻りますがこの読書感想文にしろ自由工作や研究にしろ、結構親の影響が強く、それによって中身が変わってくる面が大きい気がします。中には自分一人で片づけちゃうのもいますが、自由研究テーマなんかガイドブックも出回っているし、読書感想文については潮風太子さんも書いているようにネット上でテキストが販売されていますし、親が代わりに書いて提出した表彰されたという話も実際に聞いたことがあります。中には稀代の劇画漫画家に代筆させた例も
 なお一回、「やらないか?」と読書感想文テンプレート執筆について打診を受けたことがありますが、めんどいので断りました。

 何が言いたいのかというと、親がどれだけ子供の夏休みの宿題に介入するかによって出来合いが大きく変わってきてしまう面があり、それだったら変に創意創作なんかさせずにドリルなどを処理するようにした方が夏休みの宿題としてはベターなのではないかと思います。こちらも潮風太子さんのところに書かれているように、片親だったり、仕事で普段家にいない家庭は単純に夏休みの宿題では不利です。またこうした親の介入の強い宿題に教育的価値があるのかといったら、ないとは言いませんがもっと他に効率的な案はあると思います。
 それこそ自由応募の懸賞形式にして、出したら成績面で色を付けるとか、企業などを巻き込んでそういう形にするのがいい気がします。あともっともやる気の出る、たとえば夏休み明けに誰が最速マシンを作ってきたかを確かめる「ミニ四駆大会」を開いたりしたほうが、先ほどの私の友人のように無駄に力入れてくる人間も出てくるかもしれません。

 結論をまとめると、現状の夏休みの宿題は親の介入による影響が強く教育的影響からしてもどうかと思うので、もう少し形を変えてみては同かっていうことです。その上で創意工夫面ではある程度自由参加形式にさせて、子供らがやる気を出すテーマを作ってみてはというのが提案です。

 最後に、中学の夏休みに自分はどんなゲームをしていたのかなと少し思い出してみたところ、確か中一の頃は「新スーパーロボット大戦」、中二の頃は「ジージェネレーション」、中三時は「ラングリッサートリビュート」をやっており、中三の九月には現在プレミアムの付いている「Serial Experiments Lain」を発売日に購入して遊んでいました。もっとも中三の夏休みは小説を投稿するため書いており、当時は手書きだったのでやたら時間がかかるのに親にユニクロ連れていかれてはよ帰って続きかきたいと言ってました。確か毎日2時間以上は執筆に使ってましたが、内容は今思い出すと大したレベルではないものの、ああして自ら取り組むモチベーションに関しては見るべきところがあったでしょう。