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2010年1月30日土曜日

集中度と時間感覚

 また随分と前回の記事から時間が空いてしまいましたが、「時間の概念」カテゴリーの記事の続きです。今回は集中度が時間感覚にどのように影響するのか、検証なんてやってるわけないので仮説ばかり片っ端から書いていきます。

 私と友人がこの時間の概念について話している際、どっちから出てきたのか忘れましたがこういう一言がありました。

「あのさ、よくゲームとかカラオケやっている楽しい時間って、気がついてみたらこんなに時間が経っていたのかと思うくらい時間が早く感じることがあるよね」
「そうだよね。逆にきついバイトとかしてると、まだ終わんないのかって思うくらい時間が長く感じるよなぁ」
「そうそう。つまり楽しい時間っていうのは早く過ぎて、苦しい時間は長くかかるってことなのかな」
「うわ、なんか生きてくのが嫌になるな……」

 恐らくこういったことは、誰にでも当てはまるかと思います。
 何かしら自分が楽しいと思えることをしている時間は通常の時間間隔より早く感じる一方、苦しさや辛さを感じるような、言い換えれば早く終われよと思うようなことをしている時間は意に反して長く感じがちです。こうして書くとそれぞれが逆であればどんなにいいものかと思わずにはいられませんね。

 それで早速この話をした際に友人と何故この様に感覚が違ってくるのか話したのですが、単純に楽しければ短い、苦しければ長いというよりも両方を跨ぐ要素がなにかしらないのかといろいろ挙げていったわけですが案外ありそうでなく苦心し、そんな中で何かの拍子で出てきたこの一言が一つのヒントとなりました。

「あとさ、同じ作業をするにしても急いでやらなきゃいけない時の方が急がなくてもいい時より早く感じない?」
「あるある。急いでいるのにどうしてこんなに時間が早く来るのかとか、同じ三十分でも全然違うよ」
「急ぐ時にあるものって言ったら、やっぱり焦りかな」

 この最後の一言こと、「焦り」というものが時間間隔に大きく影響しているのではないかと、この後しばらく我々の間で大ブームになりました。我々つっても、二人だけだけど。

 もう少し詳しく説明すると「焦り」、さらに言い換えると「集中する度合い」というものが高ければ高いほど時間間隔が短くなるのではないかと我々は考えたわけです。
 前回の記事で私は周囲の雑音が多ければ多いほど時間間隔が短くなるので、雑音の多い都会にいるよりも田舎にいる方が時間が長く感じるのではと書きました。それは何故かと言うと雑音が多ければ意識を振りまく対象が増えるためで、そういった意識対象となるものの数の大小によって時間間隔が変わってくるからだと説明しました。

 実はこの説明には穴があり、実質的には意識対象の数というよりも意識する度合いこと集中度が時間間隔を変化させる最大の要因だと私は睨んでいます。
 仮に人間の集中度の上限を100%と定義すると、先程の都会と田舎での生活における集中度の割合は大まかに言ってこんな具合になると思います。

・都会での生活
1、車の音:10%
2、人の話し声:15%
合計:25%

・田舎での生活
1、虫の声:5%
合計:5%

(無意識に聞こえてくる音のみ。パーセンテージは独断と偏見によるもの)

 両者を比べれば意識が振り向けられる音の対象と度合いは歴然としており、これはそのままその人の集中が向く先とその度合いと言い換えることが出来ます。これはなにも音だけに限らず、当人が実行している行動もその集中度に当てはまり、例えば同じく勉強という行為をするにしても、好きな科目を勉強していて集中度が高い状態と、苦手な科目を無理やりやるような集中度が低い状態では時間間隔に差があり、前者の方が早く感じるのではないかと思います。ただしこれは本人が楽しんでやれる行為をしている際に集中度が高く、その逆であれば低いという前提で、さらに途中で出てきた「焦り」については焦っている状態はそうでない状態より対象への集中度が高いという仮定の上での意見です。

 ただひとつ注意するのは、ここで語っている時間間隔を左右する集中度というのは何か一つの対象への絶対度的なものではなく、その状態で意識する対象すべての集中度を合計したものです。たとえばAさんとBさんがお互いに勉強に対して集中度50%で望んでいるものの、Bさんは音楽を掛けていてそちらに15%ほど集中度を持っているとBさんの方が時間間隔は早くなるといった具合です。

 もはや全然つながりのない内容ばかりとなっていますが最後にまとめると、意識する対象の数や集中度、そういったものが比較的短時間における個人の時間間隔に大きく影響を及ぼしているのではないかと私は考えているわけです。言ってしまえば何にも気をふりまかずボーっとしている状態が最も時間間隔がゆっくりとなる方法で、逆に生き馬の目を射抜かんばかりに何かをしようとすればするほど時間は早く感じるわけです。急がば回れとはよく言うもので、時間に裕福に生きたいのであれば余計なものに意識をかけず、泰然として物に当たるということなのかもしれません。

労働組合は誰の味方?

 先週くらいから各所のニュースで、「今年も春闘が始まり、労働組合側は定期昇給と雇用の維持を訴えていく模様です」といった報道を耳にすることが増えました。
 一応前もってこの「春闘」という言葉の意味を説明しておくと、毎年二月から三月の間に労働組合が経営陣に対して今後の労働条件の改善などを要求する労働運動のことで、メーデーにおけるストライキがほぼなくなった現在においては日本において最も大きい労働運動といっていいものを指します。具体的な要求は基礎賃金やボーナス額の引き上げ、労働時間の短縮など、末端の労働者の待遇改善が主に運動の建前とされております。

 それで今年の春闘についてですが、リーマンショックから続く不況によって企業の業績はどこも悪いということからさすがに基礎賃金の引き上げなどは求められず、従業員のリストラこと首切りの禁止と勤続年数によって自動的に上がっていく定期昇給の維持のみが労働組合より求められていくだろうと報じられております。
 この今年の春闘について私は、多少不謹慎な発言かもしれませんが、各労働組合が経営側に要求をすればするほど、本当に社会の末端にいて厳しい立場におかれている若者や労働者達はより追い詰められていくことになると見ております。一体何を言っているのだろうかと思われるかもしれませんが、私は現在の労働組合の要求は中位層から上位裕福層への要求であって、決して下位貧困層からの要求ではないと考えております。

 まず大前提として、日本のほとんどの労働組合はその会社にて正規に雇用されている正社員のみしか加入できず、現在において若者の大半、労働者全体で見ても2009年で33.3%(総務省調査 引用:社会実情データ図録)を占める非正規労働者は加入していないというのが現状です。ちなみに先程の総務省のデータですが、前からここは非正規労働者の数をしょっちゅういじくってて実態的にはすでに過半数を超えているのではないかという声が多いです。事実20代に至ってはそういう数字になっていますし。

 このように大半の日本の労働組合は正社員のみで構成されているため、これまでにも散々指摘され続けてきましたが同じ職場にすでに数多くいる非正社員労働者の待遇改善についてはあまり熱心ではなかったとされます。こんなブログを書き続けながら具体的に組合活動をしたことがない私が言うのもなんですが、外から見ている限りこういった指摘は日本の労働組合に確かに当てはまり、末端の労働者を守るという建前を掲げながら実態的には本当の弱者を切り捨てながら保身を図ってきたというのが実体ではないかと見ております。

 そこで今回の春闘の要求ですが、先程も述べたように今年に労働組合が主に要求するのは雇用と定期昇給の維持で、これらは仮に通ったとしても正社員にしか適用されない要求です。しかも雇用や定期昇給を維持すれば必然的に企業が負担するコストは高まるためにどこかでそれを転化する必要があり、回りまわってそれら増大するコストは非正社員の削減につながっていくのではないかと私は見ております。
 また更に言えば社員の雇用を維持することはこちらも必然的に新規採用を絞ることにつながっていき、今も話題になっていますが大学新卒者や現在無職の求職者の就職への門戸は更に狭められていく可能性があります。特に日本は過剰ともいえる新卒主義が浸透しているため、新卒一年目で職に就けなかった学生は今後非常に厳しい立場に置かれることも予想されます。

 そのため今回の春闘は穿った目で見ると、すでに正社員となっている者ら社会的中位層が非正規社員や新卒学生、無職者ら下位層を切り捨てる代わりに経営陣ら上位層へ現状維持を求めている構図になるのではないかと思います。少なくとも現在の労働組合の要求は中位層の利益には適っても下位層の利益には必ず通じないということは断言でき、それがゆえに両者が協調することは難しい、というかありえないでしょう。

 ここから私の意見ですが、こんな時代だからこそ正規、非正規を問わずに労働者は団結して経営者と交渉する必要があり、雇用の維持という点で共同戦線が張れないのはわかりきっていること(非正規労働者の雇用や昇給も維持すると会社が倒産しかねないため)なのだから、過重労働の禁止などある程度お互いに一致できる目的を持って要求していく方がずっと建設的ではないのかと思います。
 少なくとも今のままでは非正規雇用率や無職率の高い、本来これからの未来をになっていく若者は追いやられていく一方で、何かしら対策を打たねばならないと強く感じます。

  おまけ
 この前昔のニュース記事を読んでいたら、ほんの二年くらい前には、「若年労働者への技術の継承が今後の日本企業の課題だ」とあちこちで言っていたのを思い出し、最近だと全く言われなくなっていることに気がつきました。恐らく技術の継承はほとんど出来てないでしょうが、継承どころか企業そのものが潰れかかっていてそんな余裕もなくなってしまっているんだと思います。

2010年1月28日木曜日

Vガンダム主題歌の替え歌

 知っている人は知っていますが、こう見えて私は替え歌を作ることが非常に多い人間であります。料理でもしようものなら物を作りながら何かしら変な歌を歌っており、その度に友人らから、「ほんと、好きだよね」と言われております。
 そこで今日は、先程相撲関係の記事を書いたので相撲に関する替え歌の歌詞を紹介しようと思います。元の歌は「機動戦士Vガンダム」の主題歌で、現在もガンダムファンからは人気の高い「STAND UP TO THE VICTORY」で、替え歌タイトルは「STAND UP TO THE SEKITORY」です。


  STAND UP TO THE SEKITORY
 激しい張り手が 巨体を震わせる 稽古のように
 ただ突っ張り続けた 昨日までの取組 信じているのさ(親方を)
 終わりのない 幕下でもいいよ 部屋が僕を 居続けさせてくれるなら
 STAND UP TO THE SEKITORY
 いくつもの場所を迎え 白星を掴んでみせる
 STAND UP TO THE SEKITORY
 土俵際でなにがあるのか わからないから
 かけがえのない 部屋の厳しい 稽古に耐えて


 興味のある方は元歌の歌詞と聞き比べて見て下さい。ちなみに私はこれを自転車に乗っている時によく口ずさみます。

児童虐待は何故防げないのか

「パパはいじめない」虐待死の海渡君、親かばう(読売新聞)

 非常に痛ましい事件ということで、こちらも短いながら一筆書いておきます。
 上記リンクに貼った事件の概要については敢えて細かく説明しませんが、私が見たこの事件に対するテレビの評論家の意見にて、児童虐待を防止する制度や組織は存在していながらも、それらは今回の事件のように学校や児童相談所がほとんど連携を取っておらず現状機能しているとは言いがたい、というものがありました。

 確かに言われることもっともで、今後このような事態を防止するという意味ではいい意見だとは思いますが、今回のケースに限っては私は連携以前の問題で、学校も児童相談所もその自らの組織の役割をサボタージュしたがゆえに起こった事件なのではないかと見ております。というのもリンク先の記事を読んでもらえばわかりますが、プロでない一般人から見ても明らかに虐待が伺われる動向や情報が寄せられているにもかかわらず詳しく調査せず、その虐待者の疑いのある親を面談して、「二度と殴らない」という言葉を鵜呑みにして見過ごすなど馬鹿やってんじゃないよと怒鳴りたくなるような所業です。

 ただ学校については、もちろん今回の対応は呆れるほど悪いものだとは思いますが、児童を親から引き離すなどの強制措置を行う権限を持っていないためこの様な対応になってしまったのもある意味自然だったのかと思うところがあります。それに対し児童相談所は学校側の面談報告だけを聞いて対応を取りやめるなど、自らの職務を本当にわかっているのかと疑いたくなるような行動を今回の事件で取っております。

 芥川龍之介ではないですが、親は捨てることも出来れば養子を取ったりするなど子供を選ぶことが出来ますが、子供は自分から親を選ぶことは出来ないのです。そして子供としては親に捨てられれば生きてく事は出来ず、たとえどれだけ劣悪な環境といえども我慢するより他なく、今回の事件のように親からの暴行を外に強く訴えることが出来なくて当たり前です。
 ですから多少強引な手法となったとしても、虐待の疑いがあるケースに限っては一ヶ月など、短期間でもいいからすぐさま親と子供を引き離すことが何よりも大事になるかと私は考えております。よっぽど変な子供でない限りは虐待だと騒いで親をハメるということはないでしょうし、なによりももうこんな事件を起こしてはならないと心から願います。

朝青龍の暴行事件について

朝青龍、今度は逃げ切れない追放も 殴った相手は一般人!(夕刊フジ)

 本当に呆れたとしか言いようのない事件なので、一相撲ファンとして書かずにはいられません。
 この事件の概要を説明すると、場所中にも関わらず酒盛りをし、酔っ払って路上で暴行事件を起こしたとして警察とひと悶着があったとかねてより報じられていた朝青龍ですが、当初はその暴行された人物というのは彼の個人マネージャーで、二人で悪ふざけし過ぎて警察が来たので大事ではないと主張していたのですが、夕刊フジの報道によるとその暴行を受けたのは個人マネージャーではなくなんと一般人で、しかもその怪我の程度も鼻の骨を折るほどの怪我だったそうです。結論から言うと、ここまできたら相撲協会は朝青龍を引退させるべきだと私は思います。

 私自身、朝青龍の取組は彼自身の動きの早さなどがあってとても好きで、技術的には相撲界に必要な人材だとは内館氏同様に認めております。しかしリンク先の記事でもまとめられていますが朝青龍はこれまでにも何度も普通の力士であれば即刻引退ものの問題を起こしており、一体何度事件を起こせばいいのか、反省をするということはないのかと事件が起こる度に思わせられ続けてきました。

 しかしそれほどまでに問題行動を繰り返す朝青龍に対し、相撲協会はこれまで甘すぎると言ってもいい態度を取り続けてきました。恐らく彼の横綱という地位、そしてこれ以上の相撲人気の低下を恐れ、そして何より彼の更正を願ってのものだったと思いますが、結果的にはそれらはすべて裏目に出た結果となりました。特に相撲人気については、彼が作る人気以上に彼によって失われる人気の方がすでに大きくなっていると私には思えます。実際、私が今一番取組が楽しみにする力士は日馬富士と把瑠都だし。

 目下相撲協会の理事の更新に当たって貴乃花親方が立候補するということでいろいろ議論が起こっていますが、私はこれまでの相撲協会は朝青龍を甘やかすだけでなくかつて私も「相撲界の大麻問題について」の記事で書いたように問題性が感じられる部分も少なくなく、この際だから慣習を破って若い人間を理事に入れるべきなのではと考えています。貴乃花親方の人格はこの際、別として。
 余談ですが、先場所のある日のNHK相撲解説に件の貴乃花親方が出演しましたが、あのぼそぼそした声で解説するもんだから聞いてて眠くて仕方ありませんでした。あまりこの人は解説は向かないと思います。じゃあ一番向いているのは誰かというと、ベタですが北の富士氏が一番じゃないかと思います。

2010年1月27日水曜日

何故オリックスはこうも弱いのか

野球界にはイジメがあり、某球団は特に凄い…後輩に暴行、道具や私物を盗む…球団はイメージダウンを恐れてか、事件を公にせず(アルファルファモザイク)

 上記記事を見て、イジメ問題があるとされるそのパリーグの球団にどうしてオリックスが一つも挙がってこないのかすごい不思議でした。これって私だけ?

 いきなり他サイト様の記事引用から始まりましたが、何もこれを見る前からそろそろプロ野球チームのオリックスバッファローズをネタにして一本記事を書きたいと思っておりました。というのもあの忌まわしき近鉄とオリックス合併騒動のあった2004年の後、元からのオリックスチーム内のスタメンに加えて近鉄からもいい選手を採用できたにもかかわらず、どうしてオリックスは後追いの楽天イーグルスより弱くなったのかという点についていろいろ突っ込んでおきたいと思っていたからです。

 わざわざ説明するまでもないですが、近鉄球団が廃立した際に近鉄に在籍していた選手らはオリックス、楽天の二球団から交互に指名される形で何人かは移籍をしました。この際の指名ではオリックスに優先権があっただけでなく、球団創設ということで一からすべての選手を集める楽天に対して二球団の優秀な選手を一挙に集められるわけだから、オリックスはこれから相当強豪になるのではないかとも当時に私も友人と話していいました。ところがふたを開けてみると、これまでの順位は以下のようになっております。

2009年 最下位
2008年 2位
2007年 最下位
2006年 5位
2005年 4位


 球団合併以後、2008年でこそ2位に入ってAクラス入りしていますがそれ以外はお世辞にも、「本当にこれで合併したの?」と言いたくなるような結果で、特に2009年と2007年に至っては創設された楽天イーグルスに早々と順位を抜かれているというのは唖然とする限りです。

 ただ2009年シーズンについては開幕してすぐに主力選手が揃って怪我で離脱したなどの不運もあって多少は仕方がないと思いますが、その離脱した主力選手というのもローズ選手やカブレラ選手などの外人選手ばかりで、きちんとドラフトで取ってきた若手選手をきちんと育てているのか、そういう観点からするとこの球団は何かおかしいのではないかと前々から感じていました。
 なお日本人の若手選手の中では2008年に新人賞を獲得した小松聖選手などがいて、この時は「なんだ、ちゃんと育てているじゃないか」と思ったのですが、その小松選手が2009年にはこれでもかと打たれてしまっていて個人的には残念でした。あの切れのいい変化球が好きなんだけど。

 さらに苦言を呈しておくと、今年オリックスはかつてチームに在籍していた田口選手と契約を結びましたが、これも果たして如何なものかと少し感じました。まだ田口選手のプレイを見ていない段階で言うのもなんですが、かつて横浜に大魔神と呼ばれた佐々木選手が復帰した際に高額な年俸で契約されたものの、結果的にはその金額に見合う活躍は果たせず引退してしまったというデジャビュが出てきてしまいます。
 それでもまだ田口選手や佐々木選手は古巣ということでまだ感情的に理解は出来るのですが、「億の置物」とまで呼ばれる程の高額年俸でほとんど試合に出てこなかった清原選手を在籍させていたのは明らかにチーム運営として間違っていたのではないかと私は思います。またチームの運営ときたら非常に重責となる役割の監督人事については近年頻繁に交代が続いており、私個人的にはあのさわやかな笑顔の大石前監督が去ってしまったのが非常に残念です。

 とまぁグダグダとオリックス批判を続けましたが、2000年頃のオリックスは非常に好きだった球団だったので、どうにかまた再起を期してもらいたいという気持ちはまだあります。ただ江本氏ではないですがベンチ、というよりフロントが阪神の外国人スカウト並みに明らかにしっかりしていないのは目に見えておりますし、こういったところが今後改善されていけばまだマシになるのではないかという思いから、敢えてこういう批判記事を書いてみました。

2010年1月26日火曜日

上海のマンション価格について

 昨日に引き続き、上海での旅行中の話です。
 この上海旅行中はほぼずっと友人である上海人と行動を共にしていたのですが、繁華街に近いある場所でその上海人が立ち止まるや、目の前にあるマンションについてこの様に切り出してきました。

「実はこのマンションの部屋を買おうかどうか検討しているんだ」

 その上海人は子供の頃から上海に住む、日本語で言うなら江戸っ子と言っていいような根っからの上海人で現在両親とともに上海に在住しているのですが、将来結婚して世帯を持つような時のためにもうマンションを購入しておこうかと家族で話し合っているそうなのです。頭金などは両親とともに負担し、それ以降のローンは自分で負担していく予定とのことですが、一体その購入を検討しているマンションの購入費はどれくらいなのかと尋ねるとなんと約2000万円もする部屋だとのことです。
 参考までに中国の物価をいくつか紹介すると、以下の様になります。

・コーラ一缶:15円
・ラーメン一杯:75円
・地下鉄乗車代:45円
・やや高級なホテル宿泊費:3000円
・マクドナルドのセット:450円
・ピザハットのピザ:1350円
・ちょっとした本:450円
(1元=15円で計算。主に北京での物価)

 こんな具合でちょっとマクドナルドとピザハットには頭を抱えてしまうのですが、いくらデフレとはいえ日本の物価と比べるとやっぱり一段低い物価となっております。それでも上海は裕福な地域ということもあって中国の中で最も物価が高い地域であり実際に私も街を歩いていて北京との物価の差に度々驚かされていたのですが、今回上海人から聞いたマンションの値段はそれ以上に驚かされました。

 確かそのマンションの部屋の広さは90平米くらいだったと思いますが、このくらいの規模であれば日本のマンション価格よりかは少しは安いかもしれませんが、それでも他の一段低い中国の物価と一線を画してこんな価格が出てくるということは私にとって意外この上ないものでした。かねてより上海は地価が高騰していて不動産ブームだとは聞いていましたが、こんな価格でも買い手がつくというのだからその熱狂振りにはほとほとため息が出てしまいます。
 しかも友人の上海人によると、今のうちに買っておかねば今後もどんどんと値上がりするかもしれないし、もし気に入らなければ買った部屋を賃貸で他に貸して家賃収入でローンを返していったり、もしくは部屋の値段が購入額を上回った時点で売ってもいいとも述べていました。

 その友人の年齢は私と同じく現在20代の後半ですが、今の日本の若者でそんな風に家を購入しようかどうか検討する人なんてそう多くないでしょう。しかし経済絶好調という中国の追い風の中でこのように長期ローンを組もうと考える若者が中国にいて、しかも住宅の価格が日本とほとんど遜色がないというのは改めて中国の住宅需要の高さが伺われます。まぁ見方を変えればそれだけバブル状態に入っていて、はじけたらはじけたで非常に怖いということでもあるのですが。

 なおその友人についてもう少し触れておくと、彼は元々現在開発が進んでいて万博でもメインの会場地となる浦東地区に住んでいたのですが、随分と前に市から立ち退きを迫られて引っ越したという顛末は前回の記事でも書きましたが、昔の水田が広がっていた浦東が今では高層ビルが林立する地域になったということについて変化が激しいと漏らしておりました。また最大の経済力を誇る地域ゆえに外地人こと昔から上海に住んでいない新たな上海居住者が増えてきていることについても、昔から住んでいた彼からするとやや素直になれない気持ちがあるそうです。
 ついでに書いておくと、彼の子供時代は私の子供時代と比較しても遜色がなく、小さい頃はファミコンで「熱血高校」というゲームをしていたと話していました。この「熱血高校」というのは恐らく「熱血硬派くにお君シリーズ」のことでしょう。

 最初の不動産価格の話に戻りますが、今回の旅行で私は上海はやっぱり他の中国の地域と比べて本当に特別な街なのだという印象を受けました。私が中国に留学する前に知り合った中国人から、もし留学をするなら上海ではなく北京に必ず行けと言われましたが、昔からの中国を知るという意味ではこの助言は的を得ていたかと思います。もちろん上海に留学すれば最先端の中国を見ることが出来るので、決して悪いわけではないのですが。

 ただ北京もここ数年の変貌振りは激しく、私が滞在していた一年間でも大きく変わっていくのを目にしました。90年代初期の中国とくると大半の日本人は「自転車大国」というくらい自転車に乗る人が多い光景を目にしましたが、現在は自動車が多くて危ないので自転車に乗る人はめっきり減っています。また1991年に発売したカプコンの「ストリートファイター2」における春麗のステージ(北京)では後ろで鶏を絞めている人がいますが、もちろんこんな人も見かけません。絞めたばかりの鶏はよく道端で売られているけど。

  おまけ
 どうでもいいことですが、今回の上海旅行で初めてカエルを食べてきました。思ったより骨が多くて食べづらかったです。

2010年1月25日月曜日

上海旅行記

 前回の記事の予告通り、金曜夜から出発していた上海旅行から本日帰ってきました。具体的な旅行スケジュールを書くと以下の通りです。

金曜夜:日本から上海へ。夜十時過ぎについて予約していたホテルに着いたのは十二時を過ぎていた。
土曜:友人の上海人と朝早くに合流し、上海中心部をこれでもかといわんばかりにくまなく回る。
日曜:上海人家族とともに郊外へ観光。その後また中心部に戻り観光。
月曜朝:朝九時の飛行機に乗って日本へ帰国。

 一見すると駆け足なスケジュールに見えますが、土日は全日自由に使えたということもあって日程的には随分と楽な旅行でした。

 さてそういったことは置いといて本題ですが、今回の上海旅行は友人を尋ねるという目的のほかに「万博直前の上海はどんな具合なのか」ということを確かめる旅でした。結論から言うと万博直前だからといってオリンピック前の北京ほど浮き足立った雰囲気はなく、むしろ上海がどれだけ中国の中でも特別な町なのかということを強く思い知らされました。

 具体的に何が特別なのかというと、一言で言うならば中国の臭いがしないって点です。あくまで私の印象ですが中国というのは基本的にどこにいっても独特の臭いがしている国で、香辛料の臭いだとかほこりの臭い、他には排気ガスの臭いなど日本などと比べるとそういったものがはっきりしている国だという風に私はこれまで訪れた中国の都市に感じていました。それが今回行った上海となると街全体がほぼ無臭で、おまけに建物から街を歩いている人の格好までほとんど日本人と区別がつきませんでした。

 特に友人である上海人と北京にいたことのある私とのギャップは大きく、上海人は私の予約しているホテルは上海駅の近くにあって浮浪者が多く、治安がよくないために可能ならば変更するべきだとあらかじめ教えてくれていたのですが、いざ実際に着いてみるとそのような浮浪者は少なく、道端で寝っ転がっている人も数人程度で、中国なのにどうしてこんなに浮浪者が少ないのだろうかと思わず私は考えてしまいました。
 こう書くと身も蓋もないような言い方をしているように思われるかもしれませんが、自分がいた頃の北京ではそこらかしこに浮浪者が転がっていて、身なりも他の人と比べて明らかに異彩を放つ、いわゆる地方出身の出稼ぎ農民とすぐわかる人がたくさんいたのですが、上海にも全くいないというわけではなかったのですがそれでもその人数は北京と比べると随分と微々たるもののように感じました。

 また前述の臭いについても、建設現場近くの通りを歩いている際に友人は巻き上がるほこりの臭いに口を押さえて、万博前ということでこういったほこりが多くなったと話していたのですが、一緒にいる私は北京にいた頃にいつも嗅いでいた臭いということでむしろ懐かしさというか、こういう臭いを嗅がないと中国に来たって感じがしないとテンションが上がっていました。
 見方によれば私がいた頃の北京がちょっと特別な時期だったと見ることも出来るのですが、ほかにも行ったことのある大連や瀋陽、南京と比べても上海は傍目には随分と裕福な都市に見えました。

 万博関係については建設現場を見に行っても仕方がないということで敢えて行きませんでした、今まで私も知らなかったのですが、上海万博のマスコットキャラのポスターやぬいぐるみは数多く見かけました。

2010上海万博公式マスコット「海宝」特集ページ

 そのマスコットというのは上記ページの青色したキャラで、名前は「海宝」とかいて「ハイパオ」と言います。あまり日本では今まで報道されていないように見えますが、現地では結構浸透していてイミテーションを含めて様々なグッズがあちこちで売られていました。

 会場予定地から程近い浦東地区には上海人に案内されて足を運びましたが、そこはビジネス街となっている一方で日本の六本木ヒルズよろしく高級住宅街も数多く作られており、住宅街の方にまで来ると中国独特の喧騒はどこ言ったのかと思うくらい急激に静かとなり、二人で夜遅くに道に迷った際はちょっと恐かったくらいでした。
 なおその上海人によると彼が上海でランドマークと目している建物は日本の森ビルが建てたビジネスビルで、周辺で一番高いだけでなく意匠が凝られており確かに一目置くビルでした。

 ちょっとここで補足を入れておきますが、この上海の浦東地区というのは元々は上海の田園地帯で、ほんのちょっと前までは水田の広がっているのどかな地域だったようです。それが経済開発特区に指定されてからは開発ラッシュの波を受け、私の友人の上海人家族も元々はその浦東地区内のアパートに住んでいたのですが立ち退きを受けて(お金はちゃんと払ってもらったそうだが)現在の住所に移ったそうなのですが、かつて彼らが住んでいた場所には現在高いビルが建っており、その土地の地価はもはや手の出せないほどまで高騰しているそうです。
 この上海の地価については上海人との絡みで面白い話もあったのでまた明日にでも紹介しますが、前もって言っておくと日本人の私からしてもその高騰ぶりは目を見張るもので、中国の不動産市場の恐ろしさというか需要の高さを見せ付けられた旅でした。

 最後にこの旅行中に見た、ちょっと面白かったものをいくつか紹介しておきます。

1、三菱ギャラン(8代目)
 多分私が一番こだわりを持っている車種。向こうで日本の中古車が出回ること自体少ないのに、どうしてこの車が走っていたのか、見た時は一瞬あっけに取られてしまいました。

2、道端で大泣きしている女の子
 私と上海人が夕方に繁華街を歩いていると、携帯を持った女の子が一人で大泣きしている現場を通りかかりました。

私「なんだろあの子、道に迷ったのかな?(゚Д゚;)」
上海人「道に迷ってあんなに泣かないよ。多分彼氏に振られたんだろね(´Д` )」

 我ながら、頓珍漢な当て推量をしていました。

2010年1月20日水曜日

JAL破綻についてあれこれ

 すでに各所で報じられているように、JALこと日本航空が会社更生法の適用を申請したことで事実上破綻をすることとなりました。さすがにかつては日本を代表する企業であっただけにどこのメディアでも取り扱いは大きく、その一挙手一足についてあちこちで報じられています。
 リンクこそ貼りませんが昨日にはJALの取引先銀行が今回の破綻を受けて債務放棄を迫られることとなり銀行側へのショックも大きいというニュースがありましたが、元を質せば経営のおかしくなっているJALにほいほい金を貸し続けた銀行側のリスク意識も問題だと思うので私はあまり同情しません。

 むしろ今回の一件で一番同情するのはJALの現役社員です。何に同情するのかというと経営再建のために新たに会長職に就任するのがあの稲盛和夫氏だからで、実際に私が京セラで働いたことがあるというわけではありませんがあそこは京都府民なら誰もが知るほど激務ゆえに離職率の高い会社だと言われており、給与などの待遇はともかくまるで人を部品のように扱って経営を行っているという評判ばかりが耳につくからです。稲盛氏もいろいろ本を書いて会社は人なりとか言ってますが、松下幸之助といい、社員を死ぬまでこき使っても平気な連中というのはみんな似たようなことを言うんだなとこの前友人と話していました。

 そうした余計な邪推は置いといて、この稲盛氏の就任についてなかなかうまい指摘をしている方らがいるのでまずはそれを紹介しておきます。

3人の財界人が語る「稲盛日航」が危ういこれだけの理由(ダイヤモンド社)

 リンク先で語られている意見はというと、要するに今回JALの再建のための会長職に稲盛氏が選ばれたのはその人物の適正さなどというよりもただ単に、民主党と交流のある財界人が稲盛氏しかいなかったからだという意見です。元々稲盛氏は前原国交省の後援会長をやっており長らく民主党と関係のあった人物でその通りなのですが、逆を言えば稲盛氏以外の財界人と民主党関係者は自民党と比べてほとんど伝手がなく、そうした点が今後の政権運営において大きな障害となるのではないかと早くも懸念を持たれております。

 この意見について私は、財界人とのチャンネルが民主党にないということは長所にもなるし短所にもなると今のところは考えております。財界と縁がないということは言い返すなら財界からの応援を見返りとした要望を気にせずに政策を打って出られるということになり、恐らくそれが鳩山首相のCO2の25%削減宣言にもつながった一因だと思います。これ自体がいいかどうかは置いといて。
 実際にこのところニュースを見ていると安倍、福田首相時代にブイブイ言わせていたキャノンの御手洗富士夫経団連会長がこのところ急に露出が減ってきて、そのかわりに早くも次の会長は誰だと現会長そっちのけの意見まで聞こえてきます。

 私なんかこうしたところがなかなかマスメディアにとって皮肉だなと思ってしまうのですが、去年の総選挙前は岡田外務大臣がイオングループの創業者一家であることから民主党が勝利すると選挙後は財界が権力を握るという意見を言うメディアをいくつか見かけたのですが、岡田氏自身があまりお家の看板を掲げないのもあるでしょうが、蓋を開けてみるとこのところ財界の力がめっきり落ちたように思えます。少なくとも安倍首相時代が恐らく戦後以降で経団連が最も力を持っていた頃だと思うので、その頃に比べれば大分弱まったといっても言い切れます。

 その一方で鳩山首相にかけられている疑惑の故人献金の出元は母親からで、その母親の原資はブリジストン株だったので、ある意味では民主党は財界と非常に密着しているという事もできるでしょう。小沢幹事長の疑惑も、こちらは財界とはいえませんがゼネコン絡みだし。
 ただこうした財界との関係は今後の民主党を見ていくうえでいい判断材料になるかと思います。自民党から離れて民主党につくのか、あるいはこのまま財界自体が地盤沈下をおこすのか、またあるいは民主党から財界に近づいていくのか。

 話は大分脱線して行きましたが、最後にこのJALの問題を中途半端な形で終えずに法的整理に持っていった前原国交省は素直に評価していいと思います。本来このJALの問題は数年前には手をつけなければならなかったのを自民党が全く手をつけなかったのを、トップダウンにて一気にここまで持ってきて今後民主党が下野してもひっくり返されない状態にしたのは大したものです。

つくば市VS早稲田大学 回らぬ風車対決二審判決

 人間、いろんなものを書いておくものだなぁと、今日は自分のブログを見るなり思いました。

早稲田大学のつくば市風車裁判の判決

 リンク先は2008年に書いたFC2の方の私のブログ記事ですが、今日ちょっとアクセスを見ていたらなんとこんな以前の記事にもかかわらず今日だけで二つも拍手コメントがついておりました。一体何故こんなことが起きたのかというと、今日このつくば市と早稲田大学の回らない風車についての裁判で二審判決が下りたというのが原因と見て間違いないでしょう。

回らぬ風車、控訴審判決は「つくば市の過失が大」早大の賠償を減額(産経新聞)

 詳しくは私の元の記事を読んでもらいたいのですが概要を簡単に説明すると、環境にいいエネルギーを作ろうってことでつくば市が早稲田大学に委託して風力発電が出来る風車を三億円も掛けて市内のあちこちに作らせたのですが、なんとこれが当初試算された発電量を得るどころか全然回らず、結局無駄金だけ使ってしまったので金返せとつくば市が早稲田に起こした裁判です。
 一審ではつくば市の言い分が通って早稲田側に二億円の賠償金を課す判決が出たのですが、今日下りた二審では当初の試算を下回る発電量になることを市側も認識していたとして、前回は早稲田とつくば市の過失割合は七対三だったのが、今度の判決ではつくば市側の過失の方が重いとして見事にひっくり返り三対七とされ、早稲田側に課される賠償金額も二億円から約九千万円へと大幅に減額されました。(過失割合が一割増えるごとに約三千万円ほど上がる計算でしょうね)

 きちんと裁判を傍聴せずにこんなこと言うのもなんですが、確かにつくば市も今回過失として指摘されたクリーンエネルギー事業をやると国から補助金が出るという話に飛びついたというのも不自然ではなく恐らくあったかと思いますが、それでも早稲田大学を上回る過失があったかといえば私はそれはやりすぎじゃないかと思います。仮に過失割合が五対五ならまだしも、書いた本人もすっかり忘れていましたが早稲田側はこの裁判の始まった当初にて、「試算された発電量は、作られた風車の三倍の大きさのものであった」と言っていた辺り、やっぱり私は早稲田側の過失の方が大きいように思います。これまた元の記事で書いていますが、作られた風車を早稲田の主張する三倍の大きさのものにすると羽の長さは約15メートルにも及び、これほど巨大な風車で試算をしたというのは苦し紛れの言い訳にしか聞こえません。こんなでかいの作って、マイクロウェーブでも受信するつもりなのか?

 それにしても昔の記事がこんなことで日の目を見ることもあるんですね。去年に取り上げられた法人税についての記事でもそうですけど、これからももっとこういう風に過去の記事が日の目を浴びる機会が増えたらこの上ないのですが。

2010年1月19日火曜日

三国志の成り立ち その二

 前回に引き続き三国志の成り立ちの話です。

 さて前回では正史三国志の後に裴松之の「注三国志」が現れ三国時代の話がまとめられていったというところまで話しましたが、この注三国志には当時にまで伝えられていた様々な三国志に関連する書物が引用されており、その中には東晋時代にいた習鑿歯(しゅうさくし)の「漢晋春秋」という特筆すべき書物も入っておりました。この漢晋春秋が何故特筆すべきなのかというと、筆者の習鑿歯の先祖は陳寿同様に蜀に使えていた官僚で、そういった影響からか彼は自分の著作にて歴史上初めて魏ではなく蜀こそが正当な王朝であると主張したのです。

 もっとも蜀を正当王朝とする意見はこの東晋時代には徐々に広まっており、当時の知識人らが残した日記においても三国志の講談をすると曹操が勝つ場面で聴衆はくやしがり、劉備が勝つ場面では喝采が集まったと記されております。ただこうした人物の選り好みや贔屓以上に、この時代の漢民族が置かれた状況が蜀正当論に拍車を掛けたのだろうという意見が現代では有力です。

 ちょっとややこしい話になりますが三国時代が終わった後には晋という王朝が出来るのですが、この晋という王朝は出来るやすぐに激しい内乱が起こり、そこにつけこんだ北方異民族によってあっさりと中国の北半分を占領されて漢民族は南方へと追いやられてしまいます。中国史ではこの晋という王朝を南方へ追い込まれるまでを西晋と呼び、追い込まれてからは東晋として区別しているのですが、習鑿歯のいた東晋時代はそれまで中央文化圏であった北方地域が異民族に占領され、逆に蛮地とされていた南方地域に漢民族が住んでいた時代だったのです。

 こうした時代背景ゆえに、北方地域を異民族が占領している中で三国時代にその地域を領有していた魏を正当王朝とすると当時の漢民族には具合が悪く、それよりもむしろ南方の蜀や呉を正当王朝とすることで自分達が現在置かれている状況でも正当性を保てることから蜀漢正当論が強まったとされております。無論これ以外にも曹操が恐怖政治に近い手法を取っていたのも影響しているでしょうが、基本的に私はこの意見に同感です。

 さてそういったもんだから、注三国志以降はどれも蜀贔屓の三国志ばかりとなって行きます。注三国志のすぐ後に成立したであろう「世説新語」はまだ注三国志と似たような逸話集なのですが、元代に成立した小説の「新全相三国志平話」に至っては三国志演義以上に蜀中心に偏って書かれており、魏や呉の場面が極端に少なくなっております。また当時は小説に限らず三国志を題材にした講談も各所で行われ、こうした様々な文学的要素を下地にして作られたのが現在の我々が手に取る「三国志演義」というわけです。

 三国志演義は元末から明初に羅貫中がそれまでに伝わっている話をまとめた小説で、一般に三国志の話と言われたら基本的にこの演義の話を指すほどスタンダードな代物となっております。ただこの演義はあまりにもスタンダード過ぎて実際の史実と脚色の演出部分がわかり辛く、清代の学者の章学誠に「七部が真実で三部が虚構。しばしば読者を混乱させる」と評されておりますがまさにその通りな代物です。

 こうしてオーソドックスな三国志は完成を見るわけなのですが、もちろん日本人の我々には漢文で書かれた三国志を読めるわけではなく、訳本なりなんなりでなければ読むことは出来ません。余談ですがかつて高校で漢文マスターと呼ばれた上に中国語も習得したこの私ですら、内容もわかっているはずなのに三国志の原文を見てもさっぱり読めませんでした。

 ではそんな日本人にとってのオーソドックスな三国志はというと、昭和期の作家の吉川英治氏の「三国志」がまさにこれに当たるでしょう。私が評するのもなんですがこの吉川英治版三国志というのは非常によく出来ており、日本人があまり好まない幽霊が出てくる場面や食人の場面をことごとくカットした上で丁寧に日本人に合わせて作られております。そんな吉川英治氏に続いて柴田連三郎氏、陳舜臣氏などもそれぞれの筆で三国志を書いておりますが、やはり吉川版には及ばないというのが実情ではないかと思います。

 そんな吉川英治氏に次いで強い影響力を持っているのが、私の贔屓も入っていますが横山光輝氏による漫画版「三国志」でしょう。私もこの横山版三国志の一巻をゴミ捨て場で拾ったのが運の尽きで中国に留学するほどはまることとなったわけですが、あの膨大な内容の三国志を漫画化したというのは偉業以外の何者でもないでしょう。連載期間は15年間にも及びましたが、横山氏は途中からこのままでは書ききれないとして毎月100ページを執筆して連載を続けていたというのですから頭が下がります。
 なおこれまた余談ですが、横山氏が当時連載していた雑誌が休刊してしまったせいで話が一度中断してしまい、そのせいで載るはずだった一回分の原稿が収録されずに終わってしまったことがあったそうです。その回を横山氏は官渡の戦いのあたりと述べていますが、実際にこの辺りを読み返すと程昱の十面埋伏の計、劉備の汝南の戦い、袁氏の滅亡といった過程がすっ飛ばされて一気に年代ジャンプしているのがわかります。

 このほか三国志を取り扱った漫画は「蒼天航路」や「龍狼伝」などありますが、後者はもはやただのバトル漫画と化しているのであまり評価はしておりません。また漫画に限らず現代では私も頭がおかしくなるほど遊んだ光栄(現コーエー)の「信長の野望シリーズ」と並ぶシミュレーションゲーム「三国志シリーズ」、同じく光栄の「真三国無双シリーズ」も新たな三国志ファンの開拓に大きく貢献しているでしょう。

 私がこの三国志に触れた小学生の頃、いつか三国志を題材に小説を書いてみせると北斗七星に誓いましたが、その日はまだまだ遠そうです。とはいえこうして三国志についてながなが書けるのだから、私のハマリ具合もまだまだ捨てたもんじゃないなと思います。

  参考文献
三国志グラフィティ シブサワ・コウ編 光栄 1996年

2010年1月18日月曜日

三国志の成り立ち その一

 折角先の記事にて、よりによってこの私に向かって三国志の正史と演義の区別もつかない奴だと妙なコメントした奴のことを晒したので、前から書こうと思っていた三国志の成り立ちについてここでご紹介します。

 まず皆さん知っての通りに三国志というのは紀元後二世紀末から三世紀中盤までの間、三つの国(国号)が並立して存在していた中国の時代、またはそれを題材にした物語のことを指しております。この言葉の由来は三国時代の後に中国を統一した晋朝において、この時代の歴史書として晋朝の官僚であった陳寿によってまとめられた「三国志」という書物からつけられており、ほぼすべての三国志の物語はこの陳寿編纂による三国志を原典にしてあると言っても過言ではありません。なおこの陳寿の三国志は他の多くの三国志を題材にした物語らと区別するために、通常は「三国志正史」であったり、単純に「正史」と呼ばれております。

 この三国志正史は純粋な紀伝体の歴史書で、他に確認する術はないですが三国志における歴史事実はすべてこれに準拠しているかどうかで史実であるかどうかが判断されております。また最近奈良県が卑弥呼の墓が見つかったとして最近えらく勢いづいていますが、この卑弥呼の邪馬台国について書かれている「魏志倭人伝」というのはこの三国志正史の中に収められている史料で、日本とも縁の深い史料でもあります。
 ついでなのでここで書いておきますが、三国志の「志」の文字の意味は日本語みたいに意志とか志しを表す意味ではなく、単純に雑誌や週刊誌などの「誌」という本や史料といった意味を持っております。今でも中国語では雑誌のことを「雑志」という風に書きます。「雑」の字は簡体字になるけど。

 話は戻りこの正史三国志の評価ですが、全般的に記事が簡略でよくまとめられていることから他の史料と比較しても高い評価を受けております。また作者の陳寿は元々は蜀の官僚であったにもかかわらず魏を正当王朝として書いていることも公平性が高いと言われておりますが、この点は書かせたのが魏を継承した晋朝なのですから当たり前といえば当たり前ですが。
 ただそんな陳寿の正史三国志にも一つだけ大きくケチがつけられる点があり、それは何を隠そう三国志における最重要人物といっていい諸葛亮孔明にについてやや冷淡に書いている点です。陳寿は諸葛亮の項目において、

「内政、外交といった方面においてよく事を熟知していたが、長らく魏との戦乱でついに勝利を得ることが出来なかったのは応変な戦術に欠けるところがあったからだろう」

 と、政治家としては一流でも軍略家としては二流だったとまとめております。
 同時代の他の人物が遺した史料などでも当時からすでに諸葛亮の神格化とも言うべき高評価がされていたことがわかる中、この陳寿の評価はそれらとは一線を画す異彩を放つ評価です。この点については様々な意見が交わされていますが、こうした周囲に囚われない冷静な評価が三国志正史における公平性を証明しているなどともいわれております。

 こうしてすべての原典の正史三国志は成立したわけなのですが、実は現代の我々が見聞きする大部分の三国志の逸話はこの中には収められておりません。特に最も割りを食っているのは蜀の趙雲で、彼の記述については長坂破で劉備の息子の阿斗を救ったとだけしか書かれておらず、小説「三国志演義」にて書かれている彼のスーパー超人ばりの活躍は皆無に等しいです。
 ではそういった話はどこから補填されていったのかですが、実はここからが本当の話のミソで、原典の「正史三国志」から我々が一般に見聞きする小説の「三国志演義」が成立するまでの過程には実に様々な三国志が他にもあるのです。

 そういった三国志を補填していった史料の中で代表的とも言える第一弾というのも、南北朝時代の宋朝の官僚であった裴松之(はいしょうし)によって編纂された「注三国志」です。業界用語ではこの史料のことを編纂者から「裴注」と読んでおりますが、これは陳寿の三国志正史を含め当時までに様々な形で伝えられていた三国志について書かれた書物を綿密にまとめ上げ、原典の記述の正誤を判断するとともに異説、別説も併記しており、物語としての三国志演義の成立に正史以上に貢献しているだろうと言われております。
 ちなみにこの裴注で取り上げられている異説の中には、裴松之自身も信頼度は低いとしながらも、終盤で蜀を裏切って粛清にあった魏延の方が先に蜀の楊儀らに裏切られたという話も載せられています。

 思っていた以上に力が入ってきたので、続きはまた次回にて。

2010年1月17日日曜日

人口減の何が問題なのか

 Sophieさんの「フランスの日々」をこのところ見ていると、なんかしつこく面倒そうなコメントをしている人がよくやってきていて傍目にも大変そうに映ります。私のブログではあんまりそういう変なコメントは少ないですけど、記事の内容にあまり関係なく感情的にただ賤しめるだけのコメントとか来るとやはり頭に来るものです。
 折角ですので一つ晒すと、出張所の方の「私選、三国志名場面トップ3」という記事にて、特に記事中では言及していませんが小説の三国志演義の名場面をピックアップしているのに何故か、「正史を知らんな。いつもの悪い癖?話にならん。」という、勝手に正史準拠だと決め付けてコメントしたこのbuteiという人にはこんな読解力もない人間でも文字の読み書きは出来るんだと、怒りを通り越して笑っちゃいました。ちなみにこの記事で挙げた三つの場面は、正史でも演義でも大差ない場面です。

 逆に辛らつなコメントでもそれが非常に的を得ている、私が見落としている内容の指摘である場合は逆にうれしく感じます。ブログ上だけではありませんが、実際の議論でも人を批判する際に落ち着いて着実なことを指摘する人はこちらからの意見にもよく聞く耳を持ってくれる人が多いのですが、その逆の批判をする際に入れなくてもいい罵倒語を必ず入れる人ってのはあまり関わっても得るものが少ないです。

 そういったことはさておき、このところのSophieさんのこれからの日本について提起している記事に寄せられているコメントにてよく、「日本は少子化だから駄目だ」、「人口減の中でそんなうまくいかない」などという意見がよく目に付きます。

 この人口減という言葉ですが、結論から述べると私はこれは世間で言われているほど日本の国力、というよりは日本人の未来を削いでしまう原因ではないと前から考えています。そうは言っても人口が減れば税収は減るし、年金制度は成り立たなくなるし、働き手もいなくなるじゃないかとみなさん思われるかも知れません。
 しかしここで冷静に考えてください。人口が減るということはその人口を支えるために必要な作業、資金、人員の数も同時に減るということです。一例を挙げると一億人の社会の人口を支えるために必要になる食糧生産量は、人口が半減するとそのまま必要な量も半減します。同様に介護に必要な人員、年金制度維持に必要な税収も半分になり、人口が減ること即すべてが成り立たなくなるという意味ではありません。

 しかしそうは言っても今の日本は急激な少子化社会で、これまで勤労者十人で一人の老人の年金を支えていたのに対してこのまま行くと勤労者二人で一人の老人の年金を支えなければならなくなるので、日本人一人当たりの負担が大きくなるというのは事実です。しかしこれなんか自分も結構調べましたが、団塊の世代に当たる1946年から1948年生まれの人口が今の日本の中で突出しており、言い方は悪いですがこれらの方が年金を受け取り始めて亡くなられるまでの受給期間を乗り越えさえすれば日本の人口ピラミッドの構造は大分改善されます。因みに平均寿命を80歳とするとその乗り越えねばならない期間は2011年から2028年の18年間です。

 私は以前からそういう風に考えており、いわばこの18年間をどうやり過ごすか、この間のみ時限立法のようにして新たな税金を徴収したり基金を積み立てさえすれば最悪の事態は避けえたのではないかと考えていました。
 しかし現実はというと、この年金の問題が大きく取り扱われるようになった2004年から6年経った今でも、なんら制度の改革や対策は打たれませんでした。

 ここで今日二つ目の結論ですが、日本の人口減が何故ここまで大きな問題になったのかというと、政府がこういう風に少子化になっていく傾向が明らかにわかっていたにもかかわらず、そのような社会に対応した制度へとなんら改正せずに元の制度を維持し続けていたから問題になっているのです。言ってしまえばそもそもの少子化対策も90年代初期にはこのままじゃまずいとわかっていたはずなのに、今の今までこれという少子化対策がなされてきませんでした。また年金制度についても、早くからとっかかっていればどうとでもなんとでも対応はまだ効きました。つまり人口減自体が問題ではなく、その傾向に対して何の対策もせずに放っていた政府が一番問題なのだと私は言いたいのです。
 さらに言うと日本政府、というより官庁は90年代からほぼ一貫して日本の経済力が毎年5%前後成長することを前提にしてこの様な制度を作り、維持し続けてきました。しかしのっけから日本の経済成長はそんな5%はおろかマイナス成長する年もあり、そうした低成長時代もまるきり想定されておりません。

 こうした問題は現在進行形でまだ続いており、手を打つのが遅ければ遅いほど傷口が広がっていく問題です。更にここで思い切って対策を打とうとしても、すでに国債が山と詰まれた現状では十年前、二十年前と比べると使える手段の幅も大きく狭められているのも事実です。
 基本的に世の中というものは単純な図式を求めたがるもので、この問題も「日本の社会が悪いのは少子化、人口が減っているからだ」、という意見がわかりやすくて単純なもんだからあちこちで飛び交っているのでしょうが、一体これらがどのようにして社会に悪影響を与えるのかきちんと認識しておく必要があるでしょう。また政府の、「日本が駄目なのは少子化のせいだから、もっと子供を生めよ増やせよ」という意見に対して、「日本が駄目なのは少子化に対応する政策を作れない政府が悪い」と言い返す態度も時には必要かと思います。

  補足
 人口が減る場合、その当該社会の中はともかく外国との通商が絡むとGDPが下がるので国力が落ちるのは事実です。日本は食糧を海外から調達しているのでその点ではちょっと弱くはなりますが、その分自給率を上げるなどといった対策で人口減社会に対応はまだ可能だと私は思います。

2010年1月16日土曜日

何故今の若者は指示待ち型なのか

 もしかしたらずっと以前からも同じことが言われ続けているのかもしれませんが、現代の若者はよく上司からの指示を待つだけで自分から率先して動こうとせず、指示待ち型、もしくはあらかじめ手順が決められた行動を欲しがるマニュアル型の人間が多いという言葉をよく聞きます。結論から言うと私はこれらの意見に対し、やっぱり一若者として納得いかない点も少なくなく、そこまで言われる筋合いはないと言い返したい気持ちが強くあります。

 まず率先する行動力がないと言われる点ですが、私の方からするとたとえそれが状況の好転につながることがはっきりわかっているとしても、勝手な行動一つ取ろうものなら上下左右のオールレンジから集中砲火を食らって叱られる、注意されるからそうならざるを得ないというのが実情かと思われます。実際に私も幾度かそういう体験をしておりますが、その際に言われたのは、「今回はたまたまうまくいっただけだ。二度とこんな勝手な真似はするな!」でした。そのくせ、「ちゃんと自分で考えて行動しろ。いちいち指示を待ってるんじゃない!」とも言われるのだから正直たまったものじゃなかったですけど。

 そういった個人的な話は置いといて、では何故今の若者は上の世代から見てそういったマニュアル型の人間が多くなったのかについてこの前考えたのですが、細かい理由はいくつか挙がってくるもののこれという決め手にかける理由がなかなか見つかりませんでした。そこでちょっと発送を転換して逆にマニュアルに沿うことが強く求められている現場や社会性はないのかと考えたら、浮かんできたのが近年増えている中学受験、並びに大学受験でした。

 これなんか私が子供の頃によく言われてた言葉ですが、いい学校に受かっていい大学に行けばいい人生を送れる、だから何も考えず親の言うことにしたがって勉強しろ、と。
 別に私に限らずとも、少なくとも90年代の間はいい大学を卒業すれば大企業に入れるというマニュアル通りの人生をみんな多かれ少なかれ信じていたと思います。もっとも就職氷河期に突入した今では当座の生活をどうするかにみんな目がいっているのか、近年の進学先は実家から通える範囲の地元の大学というのが多いそうですが。

 言ってしまえば、大人がいい大学に行けば大企業に入れるというマニュアルに沿ったライフコースを信じ、子供にそれを歩むことを課していたのではないかと思います。そうして育った子供が大人になったのが現代で、いわばマニュアル型の若者を作っていたのはほかならぬその子供の親こと現代の若者より上の世代なのではないかと考えたわけです。

 昔、「学歴なんて関係ない。東大に行って言ってみたい」というクズなキャッチコピーで宣伝していた予備校がありましたが、就職難の時代ゆえに現代ではある意味でそんな状況に近くなってきた気がします。その一方で大企業に入るためにはやはり学歴は重視される傾向はまだ残っているそうですし、一体何を信じたらいいのかが難しい世の中でもあります。
 折しも今日は大学入試センター試験日でしたが、今の受験生達が社会に出る頃には私も覇気がない奴らだと言ってしまうのかもしれません。

2010年1月15日金曜日

石川知裕議員の逮捕と田中角栄の言葉

 いつも電車に乗っている間にその日のブログに書く内容を決めているのですが、今日は何を書こうか、また「時間の概念」の続きでも書こうかとあらかじめ考えていたものの、夜になってまたアクセス数を稼げそうなニュースが入ってきてしまいました。

石川知裕議員を逮捕 4億円不記載 東京地検特捜部(産経新聞)

 上記ニュースで報じられているように、かねてから持たれていた小沢氏の秘書時代に提出されていた政治資金収支報告書の収入不記載疑惑から、石川知裕議員が今夜東京地検によって逮捕されました。この石川議員、並びに小沢一郎民主党幹事長の疑惑については私もこれまで何度か記事にして状況を追ってきていたので、まずはこれまでの記事のリンクを貼っておきます。

小沢一郎、政党助成金私的流用疑惑について
小沢一郎政治団体、家宅捜索について

 簡単におさらいすると、この事件は小沢氏の政治団体「陸山会」がかつて購入した四億円の土地の購入経緯について、その購入資金の出所がはっきりしなかったことから当時小沢氏の秘書であった石川議員などへも疑惑が持たれ、ゼネコン(鹿島建設)からの献金で購入したのではないかと現在は主に報じられています。

 しかし私の予想はというと、もちろんゼネコンからの献金もあったのかもしれませんが、それ以上にこの購入資金の出所とされている小沢氏の財布に何故それほどの資金をぽんと出せたかに注目しており、それは文芸春秋一月号にて報じられたようにかつて小沢氏が率いていた自由党が国から受け取っていた政党助成金をまんま着服していたのではないかと見ております。この政党助成金の着服について詳しくは上記の「小沢一郎、政党助成金私的流用疑惑について」の記事を読んでもらいたいのですが、先日に放送されたテレビ朝日の「テレビタックル」にて三宅久之氏もこの記事について言及しており、藤井裕久前財務省の突然の辞任はこの小沢氏の政党助成金の着服にあたり迂回ルートとして藤井氏の口座が使われていたことが原因だろうと述べていましたが、三宅氏が言うほどなのだからと私もちょっと自信を持ちました。

 今回の石川氏の逮捕理由についてテレビや新聞はやはり鹿島建設との絡みの疑惑と報じていますが、私は鹿島建設の問題はあくまで入り口こと突破口で、検察の本当の狙いはやはり先程の政党助成金の着服の件だと思います。あまり知りもしないでいろいろ言うべきではないのですが、今月の文芸春秋に載ってある石川議員の元秘書の金沢敬氏のインタビュー記事を見る限りだと石川議員は性格的にやや軽いきらいがあり、おまけにすぐ動揺する素振りもあるので検察にしめられたら案外すぐに全部吐くんじゃないかと思います。

 それにしてもこの一連の事件で私がつくづく感じたのは、どうして小沢氏はここまで資金集めに執心したのだろうかということです。もちろんお金はあって困るものじゃないし、将来どんな風に政治が展開するかもわからないのだから集めておくに越したことはありませんが、小沢氏ほど名の知られた政治家であれば普通に議員活動を行っていく上で資金に困ることはないだろうし、今回のゼネコンからの献金といい政党助成金の件といい、あの手この手でここまで資金を集める必要は正直な所なかったのではないかという気がします。

 私が思うに、小沢氏のこうしたある種の政治資金への異常な執心癖は彼の父親代わりだった田中角栄元首相の影響によるものではないかと思います。言うまでもなく田中角栄も政治資金集めにおいてやや常軌を逸しているかのようなほど執心し、各ゼネコンや団体から献金を受け付けるのは当然であの手この手でそれこそ金の亡者の如くかき集めておりましたが、ついにはそれが自らの仇となってロッキード事件での逮捕によって自らの政治生命を大きく縮めてしまいました。

 ただ田中角栄はこの自身の執心癖をいくらか自覚していた節があり、田中角栄の政治秘書をやっていた鳩山邦夫氏が佐野眞一氏によるインタビューにおいてこんなことを述べています。
 なんでも当時秘書をしていた邦夫氏に対して田中角栄は今のうちに自分を反面教師としてよく見ておけといったそうなのですが、当時は田中角栄の人気も絶頂の頃で、一体どこを反面教師にするところがあるのですかと邦夫氏が聞くと、

「俺はこの地位に来るまで相当無理をしてきた。苦労は重ねた方がいいとは言うが、無用な苦労は重ねないに越したことはないんだ。そういうところをちゃんと見ておけ」

 こうしたやり取りのあった後にロッキード事件が起こり、邦夫氏はこの事件を目にしてあの時の言葉はまさにこのことを指していたのではないかと佐野氏に話しています。
 ちょっと解説を加えておくと、要するに田中角栄は自身が政界でのし上がるためにあの手この手、違法合法を問わずに資金をかき集めて見事総理の椅子を射止めましたが、そうした行為がいつかは自分の命取りになることが自身でもわかっており、今もいろいろ騒がせている鳩山家という資金に苦労しない出自の邦夫氏にはそうやって無理して資金集めに奔走するなと言い聞かせたということです。

 なかなか含蓄のある教えでこれ以上ない反面教師と言えるのですが、惜しむらくは田中角栄はこの教訓を教える相手を間違えていたということです。田中角栄は自分の早死にした息子と出生年が同じだったことから特に小沢氏を可愛がっていたそうで、小沢氏も竹下派クーデターの際に裏切りますが、それまでは非常に慕って文字通り親子同然の仲だったそうです。
 そんな関係だった小沢氏が民主党が与党についてからというものは影で政権を操る闇将軍と呼ばれ、権力絶頂のこの時期にまさに第二のロッキード事件とも呼べるような疑惑が持ち上がっているのは一つの歴史の巡り合せかもしれません。

 最後にすでに四日前の記事ですが、松浪健四郎氏が小沢氏を評している記事があるので紹介しておきます。なかなか読んでてなるほどと思わせられるところがあるので、興味のある方は是非一読をお勧めします。それにしてもこの人って、ポツリと面白いことを語ることが多いな。

【松浪健四郎が語る】(3完)小沢氏は「和製金正日」(産経新聞)

  参考文献
「鳩山一族 その金脈と血脈」 佐野眞一著 文春新書

2010年1月14日木曜日

朝日新聞のこんにゃくゼリー報道について

 今日は夕食時に朝日新聞の朝刊と夕刊を合わせて読んでいたのですが、夕刊の一言コラム「素粒子」にてハイチで起こった大地震について言及してあり、同じく地震国である日本も救援に手を貸すべきだという意見が挙げられていました。型通りといえば型通りの意見ですがちょうど十五年前のこの時期に阪神大震災が起きたことを思い出すといろいろ考えさせられ、いつもとんちんかんなことを言ってるけどたまにはやるじゃんとすこし感心しました。

 そのままの勢いで朝刊も手に取りまず社説面に目をやると、性同一性障害から性別を女性から男性へと変えた夫と妻が第三者からの精子提供による人工授精で産んだ子が嫡出子として認められなかった問題を取り上げており、今後嫡出子として認められるように方針を変えていくといった千葉法相を大きく持ち上げる内容が書かれていました。この問題も内容の割にはあまり大きく報じられていない気がしたので、なかなかいいところをついているように感じました。

 こんな具合で今日の朝日新聞は手放しでいい内容だったとまとめられるかと思っていたのですが、社会面にてこんな見出しの記事があるのを見て一変しました。

「こんにゃくゼリー危険度 餅に次ぐ事故頻度と推測」

 当初の朝日新聞のネット配信の記事では、「こんにゃくゼリー 事故頻度、アメと同等 食品安全委」という見出しだったのですが、一体どこをどう間違えてこんな風に変わってしまったのかいろいろと残念でなりません。
 いちいち説明するまでもないですが、このニュースの内容はそれぞれの食品の喉を詰まらせる頻度を分析した所、最も喉を詰まらせる食べ物が餅だとわかり、その他の食品の頻度とまとめると以下のようであったと報じられています。なおこの頻度は一億人が一口食べるとして、喉を詰まらせて窒息死する人数として計測されています。

・餅:7.6人
・アメ:2.6人
・こんにゃくゼリー:0.33人
・パン:0.25人
・肉類:0.15人


 こうやって並べるとこんにゃくゼリーは喉を詰まらせない食べ物だと十分に言えそうなのですが、さすがは食品安全委員会というか、「こんにゃく入り以外を含めたゼリー」という項目をわざわざ用意しており、こちらの頻度は、「最大で5.9人」であるとして、餅に次ぐ危険度だとまとめられています。

 こういうのもなんですが、これは明らかな統計トリックです。私自身も過去に幾度かこの様な処理をして都合のいい統計データを出していたから言えるのですが、この調査自体がこんにゃくゼリーを悪者にしようとしてなされている可能性すらあります。

 まず問題なのは「こんにゃく入り以外を含めたゼリー」とありますが、一体どこからどこまでをこの枠に収めているのかという定義が見当たりません。場合によっては「ゼリー状の物質」ということで固形シャーベットも含まれているかもしれませんし、第一こんにゃくゼリーの危険度を測るのであれば0.33人というデータだけで十分でこんなわけのわからない項目を用意する必要もありません。

 そして極め付けが、これは朝日新聞の記事中の記述ですので答申で出したのかまではわかりませんが、「最大で5.9人」というこの記述です。最大というからには最低は一体どの程度なのか、そもそも最大と最低って結果に幅があるのかということになってしまいます。
 おそらくこれは「こんにゃく入り以外を含めたゼリー」の項目に含める食品の適用範囲が、幾段か設けられているのかと思います。適用範囲が広けりゃ頻度も上がるのは当たり前で、そうやって幅のある統計を作っておくとイザって時にいい逃げ道になります。

 そうした記事中の内容もさることながら、見出しにおいても「アメと同程度」と書くにしろ「餅に次ぐ」と書くにしろ、どちらも誤解を招きかねないようなひどい見出しです。アメの頻度が2.6人に対してこんにゃくゼリーは0.33で、どうしてこれが同程度なのか、むしろパンの0.25人の方が絶対値的に近いのではと考えさせられます。
 さらに「餅に次ぐ」に至っては明らかに数値に隔たりがあり、恐らく「こんにゃく入り以外も含めたゼリー」の頻度に対して言っているのかと思いますが、それでもこの見出しだとこんにゃくゼリー単体が餅と同じくらい喉に詰まらせてしまうと普通に読んだら思うでしょう。

 それにしても朝日新聞はどうして記事中の内容、執筆者は同じなのにネットと紙面で見出しを変えたのかがかえって気になります。なおこの件でネットで検索をかけたら先に読売新聞の方が引っかかり、こっちも同じ見出しですが記事の内容はさらに薄くてより悪質です。

こんにゃく入りゼリー「餅に次ぐ窒息事故頻度」

 かばうつもりではないですが、こんにゃくゼリーを販売しているマンナンライフはこんなに官民揃って叩かれるなんて、なにか恨みでも買ったのでしょうかね?

2010年1月13日水曜日

小沢一郎政治団体、家宅捜索について

 すでに各所で報じられていますが、本日小沢一郎民主党幹事長の政治団体「陸山会」と鹿島建設の事務所などが、かねてより以前に購入した四億円の土地購入資金の入手経路に関する疑惑から東京地検特捜部の家宅捜索を受けました。私は小沢氏の疑惑についてある意味発端となった去年の西松建設による政治献金疑惑はそれほど問題性はないと見ていましたが、今回のこの土地購入資金の疑惑は前回に書いた「小沢一郎、政党助成金私的流用疑惑について」の記事で書いたように私は小沢氏は政党助成金の流用を行ったと見ており、仮にそうであれば悪質性は非常に高く、今後検察に逮捕されることとなっても仕方がないと考えております。

 さてこの以前の記事にて私は文芸春秋一月号の記事を引用しましたが、昨年末の天皇の特例会見問題で私は小沢氏は菊の尻尾を踏んだと評しましたが、やはりというか右翼系雑誌の文芸春秋は今月二月号においてこれでもかと言わんばかりに小沢氏への批判記事を並び立ててきました。中にはやや感情的なだけとも見れる内容も含まれているのですが、ちょうど今回の家宅捜索に関係する記事として田村建雄氏の、「消えた五箱のダンボール」という記事は非常に面白く、折角ですのでこの場にて引用、並びに紹介をしておこうと思います。

 まずこの記事全体の内容ですが、ほとんどの部分は今回の小沢氏の疑惑で検察にもマークされており、すでに何度も事情聴取を受けている石川知裕民主党衆議院議員の元秘書である金沢敬氏(実名、顔写真もあり)のインタビューで作られています。この金沢氏はこのところあちこちでこの小沢氏、並びに石川氏の疑惑について証言しており、私の友人によると今日の夕方のニュースでも早速登場して語っていたそうです。
 簡単にこの金沢氏のことを説明すると、この人は北海道で不動産業を営む会社社長で、自身も国会議員になりたいと思っていたことから伝手の出来た年下の石川議員の秘書となり、主に北海道で彼の活動を手伝っていたそうです。

 そんな金沢氏がどのようにして今回の疑惑に関わったのかというと、去年三月に西松建設絡みの違法献金疑惑で小沢氏の周辺に捜査が及んだ際、石川氏の東京の事務所にも検察が捜査資料の押収にやってきました。その際に金沢氏は検察がやってくる前に、石川氏らとともに検察に見つかったらまずい資料をあらかじめ移動して隠す作業を手伝ったそうです。
 本当に知らないのか、それとも敢えてぼかしているのかまではわかりませんが、インタビュー記事において最も重要な資料とされるものを隠した際に、以下のような会話をしたと証言しております。

「ダンボールの中には鹿島の資料も入っているし、西松建設なんか問題じゃないよな」
「西松なんて一番金額がちっちゃいんですよね」


 この会話の前には見つかったらまずい名刺を抜き取る作業の場面も書かれているのですが、西松建設関係の「ナ行」とともに鹿島建設の「カ行」の名刺を中心に四、五十枚取り除いたと金沢氏は述懐しております。

 こうしたことのあった後、金沢氏は結局選挙での民主党の公認が得られないことがわかり、自分が石川議員にいい金づるとして利用されているのがわかったとして袂をわかったそうなのですが、このインタビューには自分も証拠隠滅に関わったという負い目と公共の利益の観点から実名での報道に応じたとしています。

 言ってることは全くわからないでもないですが、それでも私の目からするとこの金沢氏の証言は選挙での公認が得られなかった意趣返しために行っているように見えますし、またそうであれば実際にはなかったことも言って石川氏、小沢氏を敢えて不利な立場に追い込もうとする可能性も捨て切れません。ですのでこれらの証言をまるごと鵜呑みにするのは危険なのですが、西松建設絡みの捜査の時点で証言通りこれだけばたばたとしていたとなると、どうも検察は去年三月の段階で今回の鹿島建設と合わせて捜査を行っていたのではないかという気がしてきました。

 またまた仮定の話ですが、もし本当にここまでの視野を初めから持って検察があの時に捜査をしていたのであれば、当時は私も国策捜査だと検察を強く批判しましたが、その認識を改めてなかなかしっかり仕事をしているのではないかと見直そうと思います。
 その逆に、西松建設の件で無理やり捜査していく途中でこの鹿島の問題に気がついて今回の捜査に至ったのであれば、どうして前捜査の段階でそこまで掘れなかったのか、一度にまとめて調べることはできなかったのかとまたまた批判することになります。

 どちらにしろ、さすがの小沢氏も今回はタダじゃ済まないでしょう。この一連の捜査を鳩山首相が裏で支持しているのであれば、いろんな意味で楽しいのですが。

 最後に、引用ばかりして私も負い目を感じるので、この記事で興味をもたれた方は是非今月の文芸春秋を購入して元の記事を読んでくださいo(_ _)o

2010年1月12日火曜日

世代別ストライキ案について

 昨日昔からの友人と会ってきましたが、その友人と現代における若者の苦境について簡単に意見を交わしてきました。これはその友人に限らずうちの親父にもよく言っていることなのですが、どうして我々二十代のいわゆるロストジェネレーションは上の世代に反抗しないのか、返って不思議だとその時も話題に出てきました。

 すでにいくつかの統計で出ていますが、同じ年収でも現在の三十代の平均年収は十年前の三十代と比較すると数百万円(二百万円だったかな?)も下回るそうです。また現代の若者の勤労時間の増大も計り知れず、私も直接話を聞く範囲でもどうしてそれでやっていけるのか不思議に思えるくらい働かされているのも数多く、これでどうしてうつ病にならないのかと思ってしまうほどです。
 もちろん我々若者の側も上の世代に文句言われても仕方のないところも多少はあるかと思いますが、私はそれでも現代の若者は過去かつてないほど虐げられている世代なのではないかという気がします。にもかかわらず、私も含めてですが若者がこれという運動なり抗議なりを直接の行動で示さないというのが不思議に感じるわけです。まぁそれが今の若者が「覇気がない」、「無気力だ」と言われる所以だと言われたら、言い返す言葉もないのですが。

 ではどうして我々若者は行動を起こさないのか、一つの原因としてその友人との会話で挙がってきたのは確たるリーダーがいないからではという意見でした。こうした若者の貧困や失業問題について強く主張しているのとなると、実際に比較的年齢が低い世代では雨宮処凛氏くらいしか出てこず、後はもう五十代や六十代の大学教授や評論家となってしまいます。

 なにかこう若者をまとめ上げる確たるリーダーがいないため、行動一つ起こすにしても個人がバラバラにやっていて全然見えてこないのではと私と友人は話し合ったわけですが、実際にこういっている自分こそ集団行動がありえないほど苦手で、こういった「集団より個人を好む」という我々の世代の性格も影響しているのかもしれません。では仮にリーダを祭り上げるとしたら誰がいいとなり、

「リーダー言うたらTOKIOの城島やん」
「城島ももうええ年やで」
「ええやん、奈良代表やんけ」
「奈良かー。ほなしゃあないな」

 というわけのわからない会話をしました。

 そうしたことは置いといて、同じ会話にて具体的に行動するとしたらということで私が出したのが、表題にある「世代別ストライキ」です。
 具体的に今の我々の世代で何が問題なのかというと、どこの企業でも同年代の社員数が非常に少ない一方で上の世代は大量におり、部下はいないのに上司がたくさんいるという首根っこが掴まれた状態なのが問題だと常々私は思っていました。何気にタイミングよくいい図があるので、下記のリンク先が非常に参考になるかと思います。

JR西日本の年齢構成(アルファルファモザイク)

 また非正社員の問題も同じ構造で、基本的に雑務から営業の前線など、下働きと言われるような仕事をずっとやらされる一方で上の世代がたくさんいるせいで出世もできないという悪循環がこうした年齢構造から生まれているのではないかと思います。言ってしまえば、いつも上の世代にとやかく言われるが俺達若者が下支えしなかったらお前らなんにもできなくなるんだぞ、って言うのを実は前から見せ付けてやりたいと思っていました。

 では具体的にどうすればいいのかというと、そこで私が考えたのが世代別ストライキこと、全業種において40歳以下の社員、パート職員、バイトが一斉に仕事を休んでみてはどうかと思ったわけです。いわば若者のうちしか出来ないストライキですが、ロストジェネレーション世代が如何に社会の底辺を支えて、また裏返して言うならどれだけその貢献を上の世代に奪われているのかをはっきりと世に知らしめるにはいい案なのではないかと考えたわけです。

 もちろんそんなのうまくいくわけではないと思いますが、なにかものを考えるきっかけになればと思って一応このブログでも書いておくことにしました。

都会と田舎の時間速度の違い

 実に三ヶ月ぶりに「時間の概念」のカテゴリー記事です。始めたはいいけど北京留学記の記事の連載と掛け持ちだとやっぱり大変で、ひとまず留学記を終えてから再開しようかと思っていたら最後の記事からもう三ヶ月も経ってしまいました。いくらなんでも、いい加減な計画だったと反省しきりです。
 ただ元々このカテゴリーの記事は内容的にあまり連関は少なくなく、今日のこの記事から読んでもあまり影響はないかと思います。ただこれまでの記事は単体でも我ながらよく出来ていると思うので、興味があれば上記のリンクから読み返していただけると幸いです。

 それでは本題に入りますが、よく「田舎に帰ると時間がゆっくりと流れる」という呟きを日常で聞くことはないでしょうか。私自身もお袋の実家の鹿児島県に帰るとやはり同じように感じ、同じ一時間でも関東での生活と比べると随分と長く感じてしまいますし、実際に周りに聞いても同じような返事が返ってきます。
 では都会での生活より田舎での生活の方が時間が長く感じると仮定した上で一体どうしてそのような時間間隔に差が生まれるのか、もったいぶらずに考えられるその要因を明かすと、私はまず雑音の量や大きさが大きく影響しているかと思います。

 雑音、というよりも最近の日本語だと「ノイズ」と表現することが増えていますが、これがどうして時間間隔に影響を及ぼすのかという、ひとつこの様な状況を連想してみてください。ある場所で友人が帰ってくるまで30分ほど待たなければならないとして、車や人が激しく往来する雑踏の中で待つのと、人どころか獣も通らないような山道で一人ぽつんと待ち続けるのとでは一体どちらの方がその30分間という絶対時間を長く感じるでしょうか。あくまで私の感覚ですが、私は後者の方が圧倒的に長く感じるかと思います。

 またここまで極端な例をとらなくとも、外から雑音が入ってくる部屋と完全に防音が保たれる部屋とで同じ十分間椅子に座っているのを比べれば、感覚的には何も音が聞こえない部屋で座っている方が長く感じるのではないかと思います。出来ればこういう実験を100人単位くらいでやってみたいところですが、どこかやってないかな。

 この様にいろいろ比較してみると、雑音があるかないかで同じ一分や一時間に感じる長さの間隔が変わってくるのではないかという気がしてきます。またこれまた私の体験談ですが、同じ勉強をするにしても静かな図書室でやるのと音楽を聞きながらやるのとではなんとなく勉強した時間が違ってくるような気もします。
 私が思うにこれらの感覚の差異は、一つのものに集中するか複数のものに集中するか、ということから来るのではないかと思います。

 雑音が聞こえない環境で勉強をする場合、その本人が横着しないことを前提にすればその意識は勉強科目へ集中して注がれます。それに対して音楽を聴いたり、雑音の入る環境ではよっぽど周りを気にせずに出来る人以外は勉強科目とともに耳に入ってくる情報こと雑音、なんだったら車の音とか人の咳の音とかに意識が分散してしまいます。
 もしそういった周囲の雑音が時間感覚に影響するとこれまた仮定すると、私の解釈では意識の集中対象の数がそれら時間間隔に影響を与えているのではないかと考えます。例えば意識が向かう対象が少なければ時間はゆっくりと感じられ、逆にたくさん雑音があったり道路を走ったりする車に注意しなければならないなど、意識する対象が多い環境では時間が早く流れるように感じる……といった具合で。

 都会と田舎の時間間隔の違いは、恐らくここにあるのではないかと思います。もちろん大分以前の「社会における時間の速度~ゆっくり江戸時代編」にて私は、「物事が変化するのを見て初めて時間の流れを感じる」という一つの定義を出しましたが、建築物や人の流れの変化の量も都会と田舎では雲泥の差があり、そうしたものもそれぞれの時間間隔に影響を与えているというのも非常に大きいでしょうが。

 ただこの記事ではそうした変化量の度合いは小さく扱い、都会と田舎を引き合いに出して敢えて雑音というものを大きく取り上げました。今の私はいちおう都市部に居住していますが、やはりこういったところで生活していると一切無音になる時間が非常に少なく感じます。逆に以前に京都に住んでいた頃は一つ辻を曲がると昼間でもどこも驚くくらいに閑静になり、下宿にいた頃も夜なんか街灯が少なくて真っ暗な上に無音なもんだから、恐いくらいに夜の時間が長く感じることが出来ました。私の友人などは逆にその夜が長いのが辛かったらしく、夜な夜な町内を徘徊して立ち読みの常習犯としてその名を轟かせていましたが……。

 最後に次回への引きとして、この記事で私は、「一つのものに集中するか複数のものに集中するか」が時間間隔を左右するとして、集中の対象が少なければ時間は長く感じるのではと書きましたが、恐らくこれを読んで、「でも時間を忘れるくらいに何か一つに集中するとも言わない?(・д・)」、という風に思った型もいるのではないかと思います。事実私もそう思いますし、集中対象が一つでも時間を短く感じることも少なくないと思います。
 ではそうしたことは何故起こるのか、次回はその集中対象と集中度の関連について算数的な話を書こうと思います。

2010年1月11日月曜日

このブログを二年間やってきて

 まず最初にちょっと違和感を覚えた時事通信社のニュースがあったので、それについて一言書いておきます。

小沢氏側に23億円移動=新生、自由党解散時に-多額の公金流入(時事通信)

 この記事の何が問題なのかと言うと、書いてある内容というのが私が「小沢一郎、政党助成金私的流用疑惑について」で紹介した文芸春秋一月号に書かれている松田賢弥氏の記事そのまんまだということです。特に自分でこれという取材をした、新たな事実がわかったという痕跡もなく、一ヶ月前にすでに同内容を報じている松田氏の文芸春秋の記事を伏せてこの様な記事をさも自分達が得たニュースかのように見せるこの書き方には、あなた方に記者としてプライドはないのかと強く言いたいです。
 これまた私が前回に書いた「菅直人氏の財務相就任について」の記事にて突っ込んだ「藤井財務相続投」と伝えた誤報といい、時事通信社の政治部は一体どうしているのか疑わしいものです。

 そうしたことは置いといて、そろそろ本題に入ります。
 この陽月秘話は2007年の12月からスタートしており、先月までで実質二年間、ほぼ毎日一本記事を書きながら続けて来れました。当初は二、三日に一本くらいでいいものかと思っていましたが元から文章を打つことにそれほど苦労を感じないので、気がついたら習慣の様になってこのペースを維持して来れました。

 ただこの一日一本のペースにはちょっと迷いもあり、毎日一本ずつ書くことでリアルタイムで時事解説などを行える一方で、ネットでの簡単な調査をやった上での世相分析のような記事が書き辛くなっております。現在でも休日とかにそういったものをいくつか取り扱っておりますが、それでもこう細かく記事をアップするよりも内容のしっかりした記事を隔日で出す方がいいのではないかとも以前から感じており、それを考える上で更新回数についてどう思うのかというアンケートを本店に作った所、現在まで4票すべてが「普通」と書かれて、なんかどうしようもないなと感じてしまいました。まぁこのアンケートは「多すぎる」、「普通」、「少なすぎる」の三択で聞き方が悪かった気がしますが。

 アクセス数については現在の所、本店の方では30人強、出張所の方では50人前後の方に毎日アクセスしてもらえて書いている側として非常にありがたいのですが、なんていうか本店が出張所に追い抜かれるとは最初は想像もしておりませんでした。恐らく原因はグーグルなどの検索サイトの検索で、自分でもいろいろなトピックスで検索を掛けているのですが、このところは同じ話題でも本店より出張所が引っかかりやすくなっており、リピーターはともかく新規アクセス者の差がこの差を生んだものかと見ております。

 本音を言えばこれだけ毎日書いているんだし、内容もそこそこ面白いのではと自負する記事もいくつかあるのでもう少し伸びてくれないものかといつも思うのですが、そこらへんはやっぱり思うようには行かないものです。とはいえこれだけ堅い内容でだらだらとした文章でも、リピーターが何人かついてもらえるかだけでも本当にありがたく思えます。

 そうした中、去年一年で一つの手ごたえを掴んだと言うか、ちゃんと書き続けていればそれなりに評価してもらえるのだというような確信を得ることは出来ました。その理由というのも過去の記事でも書いていますがどこかのサイトで紹介してもらったのか、「日本の法人税は本当に高いのか」の記事が書いてから約一年も経っているにもかかわらず去年の十月にやけにヒットし、下記の掲示板にて議論の対象となったからです。

はてなブックマーク
コッソリアンケートβ

 書いた本人に言わせると、この記事は「新聞赤旗」さんの記事の引用でそれにプラスαこと経団連の悪口かいただけで、こんなのでアクセスを増やすというのには内心悪いような気がしたのですが、この記事でこれだけアクセスが増えるのであれば、もっといい分析の行えている記事も時間が経つことによって評価されるのではないかと前向きに思えるようになりました。
 おかげさまでこの記事は「ガジェット通信」さんにも取り上げてもらえましたが、まぁまた本音を書くとこんなのよりももっと他の記事を取り上げてくれよという気持ちもありましたが……。

 こんな具合で手ごたえを得る一方、当初は連動して運営するつもりだったホームページサイトの「陽月旦」を放置することになってしまったのは我ながら残念です。言い訳をするとデータ管理が非常に面倒で、総理や総裁など役職が変わる度にいちいち人物項の記載を直さなければならず、また私自身がhtmlに慣れていないのもあってなかなか集中して作れなかったのが失敗要因です。もう少しマクロを勉強したらどうにかなるかもしれないけど、再開はまだまだ未定です。

 あとこれも企画倒れになるかもしれませんが、そろそろ隠れた本願であった小説をこれまた専門のブログを新たに作って書いていこうかなとも計画中です。元々私はこういう政治、社会問題の分析よりも小説が書きたいとずっと考えており、こっちの更新を減らして小説の連載もやっていくべきかと現在悩んでおります。ただ私は日本語のリズムは縦書きでなければ表現しきれないとも考えており、htmlの制約からくる横書きでまともな小説が書けるのか、そうした問題も未だ抱えております。
 ひとまず実験的に何か短編でも書いてアップしてみようかと思いますが、この三連休はちょっと調子が悪くてブログ自体の文章も張りがないので、それもいつになることやらと先が思いやられる始末です。

2010年1月10日日曜日

組織の腐敗とは

 以前に組織論と称して、集団を大中小それぞれに区分した上でどのような構成が最も効率的に活動できるのか等をいろいろ考えていたことがありました。別に社会学の定義を出さなくとも、大体5人以上の構成員を持った集団ができるとその5人の思考や人格とは別に集団という独立した擬似人格というものが生まれ、そういったものを社会学や集団心理学は取り扱うのである意味専門にあったことを構想していたと思えます。

 もちろん集団を如何に機能的にするかはその集団がどのような目的を持っていてどのような状況にいるかによって変わるので一概に言い切れるものはないのですが、唯一と言っていいくらい言い切れる法則として、比較的大規模な組織は基本的に腐敗していくものだと考えました。
 たとえ組織の結成当初はどれだけ崇高な志を持って結成されていたとしても、またその精神を綱領なり憲法にて書いておいたとしても、組織ごとに速度に差はあってもいつかは腐敗して汚職や不正行為といったような本来の目的とはかけ離れた行動を取るようになると言えると思います。日本政府の官僚組織を引き合いに出すまでもなくソ連や中国共産党、日本の仏教は奈良時代や平安時代に結構好き勝手やったやんちゃな時期を終えているのか現代では大分大人しくなりましたが。

 ではこの組織の腐敗化を根絶できないにしても、いかにすればその腐敗するのを抑えて高いモラルを保てるのか、いわば組織に対する防腐剤のような手段はないのかですが、いろいろあるでしょうが敢えて最も効率のいいものを私が挙げるとしたら、換骨奪胎こと組織の外見を維持して中身を挿げ替える手段が唯一の方法ではないかと思います。言うなれば、名前だけ残して古い組織を潰し、新しい組織に変えてしまうというやり方です。

 そのように中身がすげ変わった代表的な組織をいくつか歴史上の中で取り上げると、まずは日本の鎌倉幕府でしょう。当初は源頼朝の専制色の強かった武士団でしたが、頼朝の死後に彼の子である頼家と実朝が早くに亡くなると有力御家人の合議制へと変わり、さらには北条義時と政子の活動によって三代目執権の北条泰時の題に至って再び執権による専制色の強い組織へと舞い戻っております。
 はっきり言って鎌倉幕府は設立してまもなく起こった天皇家の巻き返しこと承久の乱の際は非常にピンチでしたが、最初の合議制の移行が比較的うまくいったために乗り切れた感があります。

 この様な組織の中身が入れ替わると言う事例は何も昔に限らず現代でも起きており、また一例を出すと元松下電器こと現パナソニックなんかその例だと思います。
 松下は失われた十年末期に深刻な経営不振に陥り、その際に社長に就任した中村邦夫氏(現会長)がドラスティックな改革を行い、見事経営を立て直しました。なおその際の社内改革は苛烈を極め、当時から中村氏は「幸之助精神の破壊者」と呼ばれていました。そして実際に人伝に聞くと現在のパナソニックはすっかり以前とは社風が変わり、松下幸之助の会社であった松下電器は中村邦夫のパナソニックに名前だけでなく組織全体が変わったと評されております。それがいいかどうかは別として。

2010年1月9日土曜日

天才を世に出す価値

 相互リンク相手のサカタさんのブログ「毘沙門道」にて、「パプテマス・シロッコ」の記事がアップされたので、応援の意味を込めてちょっと関連する内容というか私の考えを書いてみようかと思います。
 まず先にこのパプテマスシロッコというキャラクターの事を簡単に説明すると、この人は「機動戦士Zガンダム」に出てくる登場人物で、物語全般の黒幕に当たるような人物です。一貫して野心の強い人物として描かれており、特に作中の彼のセリフで、「常に世の中を動かしてきたのは一握りの天才だ!!」というセリフは彼の役柄を強く反映しております。

 さてこのシロッコのセリフですが、何を隠そう実は常日頃から私も口にしているセリフです。
 こう書くと本当に見も蓋もないですが、あのシロッコのセリフを中学生の頃に聞いてなるほどと得心した私はそのまんま引用する形であちこちで口にしては周囲から多大な顰蹙を買っております。無論こんな事言えば顰蹙買うのはわかっているのですが、それでも私は言わなければならないと考えており、保身を気にせずまともに話が出来る相手には結構急なタイミングとかで言い出したりします。

 では何故そこまでして私がこのセリフを言うのかですが、一番大きい理由としてはまず私自身が世の中を正の方向へ大きく牽引、発展させるためにはどうしても天才の力が必要だと強く認識しているからです。はっきり言って凡人が何百人いたところで画期的なアイデアが議論の上に生まれてくるわけでなく、天才のひらめきと言うか、突飛で常識破りな価値観や考え方というものがいつの時代にもどの場所にも私は必要だと考えております。トーマス・エジソンなんかもこういう風に考えていたらしく、彼の名言としてよく挙げられる、「天才とは99%の努力と1%のひらめきが必要」というセリフは実際には、「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄だ」という発言だったらしいそうです。

 そうした取り方にとっては差別的ともとられかねない意見の次に、私は天才を世に出すということは非常に難しいと考えるがゆえに先程のセリフを敢えて発言する必要があると考えております。この、天才を世に出す難しさといっても、ピンと来る人はそれほどいないかと思われるので、ちょっとそのあたりについて詳しく解説します。

 まず天才と一言で言っても、実に様々なタイプがあります。それこそ勉強もスポーツも出来る万能型や、ある野球のセンスはずば抜けているが言語センスもある意味でずば抜けている長嶋茂雄氏のような特化型、果てには欠損とも言えるほどに何かが出来ない一方で他の人が真似できないことをすることが出来る逆補償型などなど。それこそ一番最初の万能型であれば世の中に出てきてそこそこ用を成す、仕事を成すという事はそれほど難しくなさそうですが、後の二者となるとその特化している分野の世界に入ることが出来なければこれまたただの人で終わってしまいます。
 またたとえその秀でた力を活用できる世界や現場にうまいこと入れたとしても、それ相応の地位や権限、またはチャンスがなければその力を十二分に活用することも適いません。

 私が何故こんなことを言うのかというと、思うに世の中はそのような埋もれた天才と言うものが数多くいるからではないかと思うからです。元々そんな風に思うようになったのも中国史の史記を読んだことからで、歴史上数多の天才が現れるもののことごとく旧来の勢力、天才の立身出世を妬む者らによってその地位を引き摺り下ろされるものもいれば中には暗殺される者も多く、結果論からですがどうしてこんなまともな案を採用せずにあのような愚者の案を使ってしまうのかと何度となく考えさせられたからです。
 この様な天才の活躍が阻まれるという逸話は中国史(明らかに中国は他国と比して多いけど)に限らず世界中どこの歴史でも見ることが出来、いくつか例を出すとカルタゴのハンニバルや菅原道真、真田幸村にメンデルなど、どれも悲劇の人物としてよく取り扱われます。また歴史の表舞台に名前の挙がってない無名の天才というのも、主に画家や作家といった芸術分野において数多くおります。しんがぎんなんかこの類かな。

 こういった過去の歴史から私は、天才を生み出す難しさ以上に天才を世に出す難しさの方が上なのではと思うようになりました。特に私の得意とする政治、行政分野においては元々の門戸が狭いという事もあって、ほんとうにしょうもない人物の奸計によって立派な人物が退場を余儀なくされることなど日常茶飯事です。それゆえに志の高い人間、実力のある人間を本当の意味で応援する、言うなれば天才を下支えするという事がこの分野においては特に求められているかと思います。
 そういった思いからか、こういうブログを運営するようになっていったのかもしれません。まぁウォッチャーの役割を果たす重要性もさることながら、プレイヤーになりたいという下心も全くないわけじゃありませんが。

2010年1月8日金曜日

日本アニメキャラ傑作選~カテジナ・ルース~

 「日本漫画キャラ傑作選」という題でこれまでにもいくつか記事は書いているのですが、アニメキャラの方では特に項目を設けていなかったのは今思うとすこし失敗だったような気がします。これだったら「日本アニメ、漫画キャラ傑作選」のがよかったかもしれません。
 そういうわけで今日のこの記事はアニメにおけるキャラクター一人を取り扱う記事として一発目になるのですが、その一発目によりにもよってこのキャラクターを選ぶ辺り、なんか自分に対していろいろと考えさせられます。

 そんな考えさせられるキャラクターこと「カテジナ・ルース」というキャラクターは、「機動戦士Vガンダム」に登場する女性キャラクターの一人です。このVガンダムは数あるガンダムシリーズの中でも際立って女性キャラクターが多く登場する作品なのですが、恐らく誰に聞いても一番印象に残ったのはとなるとこのカテジナの名前が出てくるかと思われます。

 ではそんなカテジナ、っていうよりもカテジナさんは一体どういうキャラクターなのか、簡単に作品の中での立ち位置の変化を時系列で紹介します。

・年下の主人公のメールフレンドで、資産家の家の正義感の強いお嬢様として登場
↓↓↓
・戦災から脱出中に主人公のライバルキャラの不意打ちを受け、敵軍の捕虜となる
↓↓↓
・自分をさらったライバルキャラの秘書官となり、主人公と再会する
↓↓↓
・秘書官からいつの間にか敵軍のMSパイロットになる
↓↓↓
・一パイロットからいつの間にかエースとなって部隊を指揮し始める
↓↓↓
・まさかまさかでこの作品におけるラスボスとして主人公の前に立ち塞がる

 なんていうか、こうして書き起こすと荒唐無稽もいいような流転ぶりな気もします。登場当初は戦争行為自体に批判的だったのが敵軍で活動するようになるあたりからはどんどんと好戦的になり、弱気になる主人公のライバルキャラに対して何度も叱咤激励をかけて操りだすなど、気が強いというか癇が強いという性格こそストーリー上一貫しているもののその激変振りには当時の視聴者も目を丸くしたかと思います。
 特に後半に至っては敵軍の中でも圧倒的強さを誇るエースパイロットなり、さながら三国無双における呂布のような鬼人の如き活躍で物語開始当初より登場してきた主人公の仲間達を次々と殺害していき、それに合わせて本人の発言や行動もどんどんとねじがぶっ飛んだような、敵機の撃墜に高笑いをしたり、部下にありえない作戦を命じたりするようになるなど人格が破綻していくように描かれています。

 そんなカテジナさんに対して主人公のウッソ・エヴィンは当初より片思いをしていただけあって戦場で何度も説得を試みるのですが、時とともに人格が破綻していくカテジナさんにはまさに馬の耳に念仏で、終いには何度も、「おかしいですよ、カテジナさん」と言うもんだから「おかしいですよ」が「カテジナさん」の枕詞としてガンダムファンの中で定着するとともに、作中のぶっ飛びぶりから「ガンダムシリーズ、最恐の女性キャラ」と君臨することとなりました。

 実は私にとってこのVガンダムこそが初めて視聴したガンダム作品だったのですが、小学生だった私は作品中に出てくるMSをかっこいいとか思うよりもこのカテジナさんという強烈なキャラクターばかりが印象に残り、とにもかくにもいろんな意味でキレまくっているカテジナさんを見て、「大人の女の人ってこんなに恐いものなのか(゚Д゚;)」と子供心に思ったほどでした。

 その後、成人した後に改めて私はこのVガンダムは見返して見たのですが、もしかしたら私がカテジナさんに感じた恐怖というのは彼女の中にある対象のない憎悪だったのではないかと最近思うようになりました。詳しくは作品を視聴してもらえばわかるかと思いますが、当初は主人公らと行動を共にしていたのに途中から敵軍で、しかもパイロットとして活動するなど一体何を目的として何のために戦っているのか見ていて全くわからず、それでもまだ途中までは敵軍の中にいる主人公のライバルキャラであるクロノクル・アシャーへの好意から戦っているようにも見えるのですが終盤に入るとそんなのお構いなしで、ウッソとクロノクルが戦い合う姿を見て自分を奪い合っているなどと一人恍惚にはいったりします。

 小説の中では自分の父親が不倫をしていた事から対して一定の人間不信を持っていたというように幾ばくかの理由付けがなされていますが、それでもどうしてそこまではっきりとした目的や理由なく戦闘に執着できるのか、他人を憎悪できるのかがこのキャラには全く見えてきません。しかもその憎悪の対象というのも本当に見境がなく、何故そこまで怒れるのか、人を憎めるのか、カテジナさんの対象のない激しい憎悪こそが私に強い恐怖感をもたらせた要因だったのではないかとこの前から思うようになりました。

 ただこの対象の存在しない憎悪ですが、これは決してカテジナさんだけのものではないとも思います。もちろん彼女の場合は際立ってはいますが、一程度の人間にはそれ相応に備わっている憎悪感じゃないかと思います。私自身、むしゃくしゃした際に誰彼かまわず八つ当たりをしたいと思うこともありますし、三年前から一昨年までに頻発した通り魔事件などはっきりとした対象なき殺人も現に起こっています。また突き詰めて言えば、関係ない人間を巻き込んでもかまわないという自爆テロといったテロリスト活動もこの類に属するでしょう。

 このカテジナさんの声優をアニメで演じたのは現在ケロロ軍曹役で大活躍している渡辺久美子氏ですが、恐らく渡辺氏でなければこのカテジナさんは成立し得ないと思うくらいに見事なはまり役でした。ただ渡辺氏もウィキペディアによると、「あんな悪い女、見たことねぇ( ゚д゚)、ペッ」とカテジナさんのことを評しているそうです。
 最近とみに思うのは、このカテジナさんのような邪悪の塊のようなキャラクターを見かけないことです。邪悪なキャラクターではありますが、者を考えるという意味では私にとって非常にいい影響、もとい女は恐いという事を教えてくれたキャラクターゆえに、こうして記事にしようと思ったわけです。

私が成人式でやらかしたこと

 さりげなく本店と出張所それぞれでブログパーツをこのところいじくっています。特に本店のBloggerの方で最新コメントを表示できるようになったのは非常にうれしく、何でこんな簡単なことが今まで出来なかったんだろうと我ながら不思議に思うくらいでした。
 このコメントを表示するやり方自体は実はそれとなく知っていて半年くらい前にも一回試しているのですが、その頃は表示するアドレスの指定が悪かったのか何故かうまく動いてくれずあきらめていました。しかし改めて今回やってみると驚くほど簡単で、こんな簡単ならGoogle社も初めからブログパーツとして持っとけよと声を大にして言いたいです。

 まず近況からですが、昨日は平日とはいえまたブログ更新をサボってしまいました。何でサボったのかと言うと折角買ったPS3を無線でインターネットにつなげようと作業していたのですが、二時間くらい粘った結果、どうやらうちの無線LAN親機ではPS3は電波をキャッチしてくれないと言う事がわかりました。もともとこの親機が親父が安物を適当に買ってきたもので、ノートパソコンにつなげる際も電波キャッチ用の子機が非常に限定されて苦労しているのでさもありなんなのですが。

 またどうでもいい前置きが長くなりましたが、今日は一つ成人の日が近づいていることもあり、私が過去にやらかしたある事件を紹介しようかと思います。
 こんなブログばかり書いている私ですがこれでも一応社会人で、成人式もすでに数年前にやり終えております。ただこの成人式、私の頃はまだ橋本大二郎が高知県知事をやっていた頃で、ちょうど各地で新成人が暴れて問題視されていた頃でした。幸いと言うか私の住んでいる自治体はベッドタウンということもあってそれほど荒れている地域ではないのでそうした心配はなかったのですが、私自身が中学校から地元と離れた私立校に進学した事から地元の知り合いともほとんど疎遠になり、出てもそれほど感慨に耽る事もないだろうと思って当初は参加は見送るつもりでした。

 そのようなことを地元で唯一交友の続いていた友人と夏のある日にエキサイトステージ95をやりながら話してみた所、その友人も高校に進学して以降はそれほど地元の友人らと会うことはなくなり、私と似たようなものだよと話してくれました。それを聞いて、案外みんな似たようなものだったら知り合いがいないからなどと気にせず参加してもいいかと思い直すようになり、どうせ参加するのだったらそれこそ思い出に残る、もとい後年このブログで書けるネタになるような成人式にしてやろうと思い立ち、ある計画を企図するに至ったわけです。

 当時、私は一年間のほとんどを京都で過ごしており、実家に帰省する際にだけ関東に帰っていました。京都から関東、このルートを辿った人間の中で誰が一番ピンと来るかと考えたらこの時の私の中で何故か近藤勇が出てきて、折も折で大河ドラマも「新撰組」が放映されていた頃なので、地元の人間は中学から外に出て行った私のことなど憶えているはずなどないのだから一つ思い切って派手に行こうと新撰組の格好で参加してみることを思い立ちました。

 思い立ったが吉日、周りがさすがにそれはやめておけと言う中で私は独自に小道具の調達をし始めました。先程にも書きましたが当時の私は京都をメインステイトとしていたので、新撰組グッズとなればそれこそそこらへんの土産物屋でも十分なくらいに簡単に揃えることが出来、早速京極通りの親戚がやっていた店の近くの土産物屋に入り、いくつか必要な小道具をピックアップしていきました。

 まず一番重要なのは羽織。これがなければ話になりません。そして羽織の次は鉢巻。鉢金となるとやり過ぎです。ひとまずこの二つを買って着てれば周りにも新撰組だとわかると思い、店のおじさんにわけを話して値切らせてもらう事にしました。

「実はこれ、次の成人式で使うんです」
「ほうほうそんで」
「羽織と鉢巻でどれくらいまかります?」
「兄さん、この二つでまけとったらわしら商売してかれへんで」
「折角の記念ですやん。気持ちだけでもお願いします」
「ほんま200円もまけとったら、わしら商売上がったりや」

 こうして小道具を用意している最中、事を聞きつけたうちのお袋から電話でこんな事を言われました。

「あんた、羽織と鉢巻で下はどうすんのよ?」
「そんなんジーパンでええやん」
「ジーパンって、上下が合ってないじゃないの」
「そこまでこだわる必要ないやろ」

 と電話で言い合いをした後、うちのお袋は私に内緒で年末に一万円くらいの袴のレンタルをしていました。当初は新撰組の格好ではなくスーツで行けと言っていたくせに、途中からはむしろ私以上に乗り気でした。

 そうしてやってきた成人式当日。さすがにこの格好して一人うろつく勇気はなかったので、あらかじめ時間を指定して唯一交友のあるその友人と会場前で待ち合わせを約束していたのですが、車で親父に会場まで送ってもらう途中、「さすがにそれは置いていけ」と言われて中学生の頃に京都で買ったみやげ物の模造刀を腰に佩くのは断念しました。さすがにあれもついていると、暴れる新成人そのものだったし。

 頭に「誠」の一文字が書かれた鉢巻を巻き、上は新撰組の羽織に下は袴姿な私を見た友人の第一声は、「本当にやってきたんだ(;´Д`)……」でした。私も最初は、まさか本当にやることになるとは思っていなかったのですが。
 そして会場に入ると、それはもう周りから明らかに奇異の眼差しが自分に集まるのが手に取るようにわかりました。それこそ成人式会場とコスプレ会場を間違えて入ってきたような珍客に周りは明らかにドン引きしていましたが、先にも書いたようにそれほど荒れた地域ではないのと会場が関東だったので妙な絡み方をしてくる人間はいませんでした。仮にこれが関西の会場だったら、いろいろと絡んでくる人間がいるか誰も気にしないかの二択だったでしょう。

 結局その後は市長の話を聞いて、昔馴染みの友人らに何人かに会って私の成人式は終わり、その日の夜には京都に戻りましたがやり終えてほっとしたの半分、あまり周りの反応が面白くなかったの半分でなんとなく消化不良気味に感じました。もう少し市の受付の人の反応とか欲しかったのですが、私が期待しすぎなのかもしれません。

 ただこの時の私はレンタルしてきた袴を履きましたが、呉服屋にとっては一年で最も稼げるイベントということあって、成人式の是非を問う声もある中で必死にその必要性をアピールしているそうです。別に呉服屋をヨイショするわけじゃありませんが、一生に一回と言わず一年に一回くらいはみんなで和服を着る機会とかはあったほうがいいのではないかと個人的に思います。それこそ街中を新撰組の羽織着て自転車をかっ飛ばす人間がいても、誰も気にしないくらいに。

2010年1月6日水曜日

現代の中国の若者

 前からやろうやろうと虎視眈々と機会を狙っていましたが今日念願叶ってインタビューに成功したので、中国の若者から聞いた彼らの実体について今日は記事を書きます。

 今回私がインタビューを行ったのは、去年大学を卒業して就職したばかりで私と同じ会社にいる女性社員です。彼女は日系企業に就職しただけあって大学では日本語を専攻しており、流暢というわけではありませんが私とは日本語、中国語を織り交ぜれば問題なく意思疎通ができる相手です。聞くところによると在学中に日本語検定一級を取得したとのことで、我々からすると中国語検定一級を取るようなもんだから相当勉強したのだろうと思うのですが、彼女いわく一級取得はそれほど難しいわけでなく周りの友人らも一緒に取得しているとのことだそうです。ちなみにこの事実を「京橋のキムタク」と自称する上海人の友人に話したら、きっとカンニングをして取ったのだろうとやけに悔しがってました。

 そんなわけで早速インタビュー内容を紹介しますが、今回私が主に聞いたのは中国の大学生活、そして卒業後の進路などについてです。
 まず最初に聞いたのは、どうして彼女が大学で日本語を専攻したかです。私としてはやはり卒業後の就職などを考えてのことかと思っていましたが出てきた答えは興味があったからというだけで、特別な理由は何もなかったそうです。ちなみに彼女は未だに日本へは一度も渡航したことがありませんが、見たところ嘘をついているようにも見えなかったのでその後は深くは聞いたりしませんでした。

 それでは大学の授業はどんなものかと聞いてみたところ、あらかじめ話には聞いていましたが中国の大学は基本的に午前中に授業が集中し、午後は授業があったりなかったり午前と午後ではっきり分かれるようです。私が留学していた北京の大学も基本は午前にしか授業がなく、午後は取りたい人だけが取るオプションの授業しかありませんでした。もちろん私は何も選ばなかったけど。

 そしてこれはよくコメントくれるPrincessmiaさんから必ず聞きだせと言われていたので聞いてみた質問ですが、中国での英語の授業についても聞いてみました。前知識として私は近年の中国では英語熱が高まって学外の英語塾などに通う小中学生が増えていると聞いていたのですが、一体何故英語熱が高まっているのかというと中国が海外との交流が増えてきたのもあるでしょうがそれ以上に、単純に受験で有利になるという理由が実際のところは大きいと言われています。中国全土が同じというわけではないですが確か北京市においては日本で言う英検みたいな資格をある級以上持っていると高校受験での英語の試験は免除され、事実上英語の点数が満点で計算された上で入学試験を受けられるようになるそうです。そのため小中学生の子供を持つ親は必死で子供に英語を教え込むそうですが、勢いあまってスパルタ教育化しているところも少なくありません。

 そんなわけで実際のところはどうだ、英語の授業はどんな感じかと聞いてみたらそんなに日本と変わらず、他の科目同様に課題文読みながら先生が解説してくれるだけだそうです。ただ英語、というよりすべての科目についてもそうだと言い、基本的に高校の勉強は日本語で言う詰め込み型教育で応用が全くないとやや憤慨気味に述べてました。そのため英語については中国の大学生は受験知識は豊富でも会話となったらてんでお話にならないそうで、そんなに中国人は英語がしゃべれないと話していました。
 この点については私も深く同意するところで、このまえコーヒー用の砂糖を買いにスーパーに行ったら砂糖の発音をど忘れして、英語でSugerといっても店員には通用しませんでした。結局自分で見つけたけど。

 で、ここからが肝心ですが卒業後の進路についても聞いてみました。近年、日本は不況から新卒就職率がかつての就職氷河期を越えるほどの悪化の一途を辿っておりますが、実は中国の大学卒業者も就職先がなかなか見つからず実困る人が多いそうです。中国は経済成長しているからそうではないだろうと思われるかもしれませんがなんといっても母数の人口が桁外れであるがゆえに、全員に就職先が行き渡る事はほとんどないそうです。
 それでは今回インタビューをした彼女はどうだったのかというと、案外簡単に今の会社に決まったそうで、面接して三日後にすぐ内定もらえたと言っていました。中途だけど私なんか面接したその日にもらったが。

 ではほかの学生はどうかと聞くと、やはりそんなに就職活動がうまくいかずストレスを抱える学生が多いそうです。念のためほかの日本語学科の友達らはどうなったか聞いてみると、大学寮で同じ部屋(八人部屋)だった友達らは大概見つかったようで、勤務地はばらけて北京や上海といったところから内陸の河南省とか広州だったりと均一ではないそうです。
 ここまで聞いた上で、「嫌なら話さなくていい」と前置きした上で、その友達らの給料はどれくらいかと聞いてみました。これは婉曲的にインタビューを行っている彼女を含む大卒初任給について聞いているのですが案外素直に答えてくれて、確実にわかっているので月1500元(約19,400円)とか2000元(約24,000円)くらいだと教えてくれました。

 元々、中国の大卒初任給2000元前後と聞いていたので情報通りといえば情報通りですが、その一方で中国沿岸部の企業であればもう少し高いのではないかと内心考えていました。しかし実際には比較的生活費のかかる沿岸部でもこの金額とのことで、日本の大卒初任給と比べると為替格差もありますがやはりその少なさにはいろいろと考えさせられます。
 ちなみに日本人が中国に転職する場合、知識や経験なしである程度中国語が話せる人間の給料の相場は北京や上海だと大体8000元(96,000円)前後です。かつては日本語ネイティブなら引き手あまたで中国語もある程度できるのであれば20,000元の募集もざらだったそうですが、最近はおしなべて低くなって来ている傾向があります。それでもこのような一般の中国人社員の給料と比べると、ここまで差があるものかと感じざるを得ません。

 こんな具合でいろいろ話を聞いたのですが、最後に通っていた大学は地元出身者が多いのかと聞いた際に確かに同じ省出身者は多いが自分のように外から来る人もいると話したので、試しに都市戸籍か農村戸籍かと聞いてみたら以前は農民戸籍、つまり農村出身者だということを教えてくれました。前から田舎っぽい顔してるよなぁと思ってたので得心したわけですが、彼女によると大学に進学してくるのは農村出身者も少なくないそうです。

 また機会があれば彼女にほかにもいろいろ話を聞いてみたいと思うのですが、週末に例の京橋のキムタクと会う予定になっているのでそいつの話が先になるかもしれません。

菅直人氏の財務相就任について

 すでに各所のニュースでも報じられていますが、昨日より体調不良のためその去就が取り沙汰されていた藤井財務相が本日正式に辞任することが鳩山首相より発表され、藤井氏の後任に現副総理の菅直人氏が就任する事が合わせて発表されました。

 我ながら細かい所をいちいち突っ込むことはわかっているのですが、どのメディアも昨日の段階で藤井氏の続投は難しいだろうという予想を立てている中で何故か時事通信だけが、「鳩山首相、藤井財務相の続投表明」という見出しの記事を出して大きく予想を外していました。本人らもよっぽど慌てたのか、昨日に出した記事なのに今朝にはもう引っ込めて削除してましたけど。

 それはともかく今回の藤井氏の辞任は個人的には残念と言えば残念ですが、なかなかに民主党の危機管理はよく出来ていると感心もしました。昨日の会見にて藤井氏は健康問題で鳩山首相と会談したとだけ話し、去就についてしつこく尋ねる記者に対して医師の診断が出てからだとはっきりと言明することはありませんでした。また鳩山首相も時事通信が言ってたのとは違ってあくまで相談を受けたとだけ話し、藤井財務相同様にはっきりとした発言をうまく避けていました。

 そんな昨日の今日に至って藤井氏の正式な辞任を発表した上で後任人事に菅氏を置き、菅氏の現在のポストである国家戦略相の後釜には仙石氏を持ってくるなど、準備万端で鳩山首相は今回の人事交代をうまく進められたと言っていいでしょう。これが自民党だと昔ならいざ知らず、国務大臣が辞任することを発表する段階でも後任人事が決まっていなかったりして、そういうのと比べると今回は久々にすんなりいったというかスマートな印象を受けました。

 ただこれまた細かい所を突っ込んどくと、以前に書いた「小沢一郎、政党助成金私的流用疑惑について」の記事にて書いている小沢氏の政党助成金の流用に当時自由党議員であった藤井氏も噛んでいると文芸春秋は報じており、もしかしたら今後司直の手が伸びる前にあらかじめ藤井氏を切ったというのが真相なのかもしれません。新聞メディアはこの助成金流用のネタ元が文芸春秋だから、恐らく明日の朝刊では一切触れないかと思いますが。

 私は小沢氏の疑惑について、去年の前半に持ち上がった西松建設がらみの迂回献金疑惑については自民党の国策捜査で、尾身議員や二階議員を始めとしたたくさんの自民党議員らも同じ経路にて献金を受けていたのでそれほど違法性は感じませんでしたが、この政党助成金の件は小沢氏政治団体が疑惑の土地を購入した時期とピタリと一致している事から、はっきり言って違法性の高い行為を本当にやっているかと思います。

 ただ果たしてこの件の捜査が次回参議院選挙まで一定の目処が立つかどうか、それもまた微妙だという気もします。というのも検察も現在すねに傷を抱えており、前の厚生省女性局長の逮捕があまりにも強引過ぎたため、早くも本当の狙い目だった石井一民主党参議院議員の名前入りでこんなニュースが出てきています。

<郵便不正>「村木被告からの指示」否定 元係長証言へ(毎日新聞)

 民主党としてはこの件で検察内部で無理やりに事件を作ろうとした人物を締め上げる事でいくらでも検察組織を攻撃する事が出来、そうした動きを抑える代わりの取引が行われるかもしれません。まぁその取引相手が誰になるかまではまだはっきりしませんが。

 今年前半の政治の動きはほぼすべてが夏の参議院選挙に直結しており、選挙を視野に入れればいろいろ見えてくる動きもあるかと思います。このブログとしても選挙期間はやけにアクセスが増える傾向にあるので、うまいことその波に乗れたらと思いつつ、またしても散文のようなまとまりのない記事となったわけです。

2010年1月5日火曜日

猛将列伝~西門豹

 先月に書いた曹操の墓発見についての中国の記事にて、「曹操の墓はこれまで文献上、西門豹の墓から西にあるとされてきた」という一文があったのですが、翻訳している最中にこの西門豹の名前を見て、中国人はこの西門豹のことを新聞記事に書いてみんな理解する程度に知っているのかと人知れず感慨に耽っていました。

 そんな西門豹とはどんな人物かと言うと、時代はちょうど春秋時代が終わった直後の戦国時代の人物で、当時の魏国の官僚でした。かねてより知恵者で鳴らしていた西門豹はある日魏王に呼ばれると、国力を増強するために新田開発をする必要があり、ついては国内で開発の遅れている鄴の地(現在の河北省)でその任に当たれと命じられました。
 命じられた西門豹は早速現地へ赴任して地形を確認し、近隣の河を整備した上で干拓を行おうと計画したのですが、西門豹の計画を知るや現地の農民達はみんな震えながら反対しました。わけを聞いてみると農民達は河には水竜がおり、工事などしようものなら村全体が祟られると話した上、村は毎年水竜に祟られないためにいけにえの儀式も行っている事などを西門豹に話しました。

 最初はただの迷信かと思っていた西門豹もいけにえの儀式と聞いて詳しく話を聞いてみると、その村では毎年村の中で一番の美女を選び、輿に乗せて河に放り投げる事でその美女を水竜に捧げているとのことで、その儀式のために村中から膨大な金額が毎年集められていることがわかりました。その儀式の費用は献金すれば死刑ですら免ぜられるほどで、本当にそれだけの費用を儀式のために全部使えるのかと西門豹が尋ねると、農民らは口ごもりつつも、恐らくは大半は儀式を取り仕切る神官や土地の古老らが着服しているといい、彼らにしか水竜を沈める事ができないので仕方がないと打ち明けました。

 この話を聞いた西門豹は村の窮乏の原因はこの儀式にあり、まずこの因習をどうにかしなければ干拓工事は出来ないと考え、ひとまず工事計画を棚上げにした上で儀式の日を待ちました。そして儀式の日が訪れるや西門豹は部下の役人を引き連れて参加し、水竜に捧げる美女の元へ案内するよう命令しました。そうしていけにえとなる美女を一目見るや西門豹は、

「なんだ、とんでもない不細工な娘ではないか。申し訳ないが神官らよ、もっといい美女を送るから先に水竜のところへ行ってお断りを言ってきてくれ。そら役人どもよ、神官らを河に放り投げろ」

 この西門豹の命令に役人らも戸惑うものの筋は通っていると思ったのか従い、慌てる神官らを片っ端から河に放り投げて溺死させました。それからしばらく川岸で待った後、さらに西門豹は、

「ふうむ帰りが遅い。仕方ない、ほかに水竜と話が出来るのは古老たちしかいないので、ひとつ早く戻るように催促をしに行ってくれ」

 そうして、今度は古老らを河に突き落とすように再び役人らに命じました。この命令には古老らも震え上がり、それだけは勘弁と抵抗するも西門豹は意に介さず、

「この儀式を終えねば村は大変なことになる。わしとてお主ら老人に骨を折ってもらうのは気が進まぬが、神官のいない今はお主らしか水竜と儀式で関わったものはおるまい。お主らはこれまでに水竜に散々貢献してきたのだから悪くされるはずはないのだし、一つ村のために行ってきてくれ。ほれ役人よ、さっさとしろ」

 こう言って、嫌がる古老らをまたも片っ端から河に突き落として溺死させました。
 そうやって再びしばらく待つと西門豹は立ち上がり、村民らに対してこう言いました。

「どうやら水竜は客人をもてなして帰さぬようだ。仕方がないので、今日はもうみんな帰ることにしよう」

 この西門豹の言葉にただただ唖然として事態を見守っていた村民らは何も言えず、結局その年は儀式をせずに皆家路に着きました。そしてその日以降、儀式について口にする者もいなくなったそうです。こうして因習を根本から断ち切った西門豹は村民を動員し、大規模な干拓工事を開始するに至ったわけです。
 しかしその干拓工事中、村民らから祟りについて口にするものはいなかったものの、このような工事が果たしてなんの役に立つのか、こんなことをするくらいなら今出来ている田畑を耕す方がマシではという不平不満が絶えなかったそうです。

 それに対して西門豹は、この工事は確かに現代の人間には評価されない事業かもしれず、評価してくれるとしたら十年、二十年、下手したら百年後になるかもしれない。しかしそれでもこの事業にはやる価値があるのだと最後まで工事を行い続けたそうです。
 果たしてこの言葉の通りに、西門豹が干拓した地域は見事な穀倉地帯となり、その後の魏国の躍進につながることとなったそうです。私は西門豹の因習を打破した知略はさることより、最後の後の時代の人間に評価される事をやるのだという発言がお気に入りで、内政における唯一にして最大の心構えだと周りにも言いまわっております。

2010年1月4日月曜日

公定歩合とデフレ対策について

 友人にはあまり相手にするなと言われるのですがネット上の経済談義にてよく、下記のような発言が見受けられます。

「デフレデフレというけど、デフレの反対のインフレを誘導する、つまり日銀が万札をどんどん刷ればこんなのすぐに解決できるだろう」

 もちろん私の認識の方が間違っているのかもしれませんが、この様な発言を見るにつけどうしてこう頓珍漢なことを臆面もなくいえるのだろうか、なんかいろんな意味で疲れてしまいます。
 結論から言えば、現在の日本でデフレ対策のためにインフレを誘導する事は不可能と断言してもいいかと思います。というのも日本はすでに十年以上も、万札をそれこそ湯水の如くジャブジャブ刷っているにもかかわらず市場に全く流通せずにデフレが進行し続けているからです。

 日本のお金は日銀こと日本銀行が発行しており、どのようにして貨幣流通量をコントロールしているのかというと、あんまりはしょるのはよくないのですが単純に言って金利こと公定歩合を上げ下げすることで制御しています。この公定歩合というのは、なんか最近名前が変わって「政策金利」になっているそうですが、中央銀行である日銀が一般の民間銀行に貨幣を貸し出す際の金利で、この金利にしたがって我々が民間銀行に預けるお金の金利も上下します。ですので市場にあまり貨幣が流通してもらいたくない過剰なインフレ時にはこの公定歩合を上げることで民間銀行の金利も上がり、高い金利があるので一般預金者もお金を銀行に預け、市場からお金が減っていくとされています。

 逆にデフレ時には、「銀行にお金を預けても金利がつかないのだから、とっとと使ってしまえ」と思わせるために公定歩合は下げることで民間銀行の金利も下げさせ、市場にお金が流通するように仕向けるのですが、百聞は一見にしかずとも言うので日本の公定歩合の推移を見てみましょう。

基準割引率および基準貸付利率の推移(日本銀行サイト)

 見てもらえばわかるとおりに1973年から1991年までは大まかに5%前後で推移しているのですが91年以降は下がる一方で、95年からはとうとう1%を割ってしまいます。最近はほとんど使われる事はなくなってしまいましたが、一時期によくテレビの討論番組などで使われていた「ゼロ金利政策」というのはこの公定歩合が1%を割り切った状態の事を指しており、先進国でここまで下げたのは実は日本が最初です。
 それにしても、01年の0.5%から0.1%の下げ方なんて真面目にやっているのかと言いたくなるような下げ方です。

 この「ゼロ金利政策」がどのような意味合いを持っているのかというと、単純に行ってデフレに対して日銀が打てる手段がもうなくなっているということです。たとえるなら壁に背中をつけてボクシングをやるようなものでデフレの進行に対して金利政策は出し尽くしており、逆に言うのならばこれだけやって貨幣を市場に出回らせようとしても一向に出回らず、デフレの進行を食い止める事ができないと言うのが今のデフレの手ごわい面だという事です。

 これはあくまで私の持論ですが、05年の郵政選挙にて自民党圧勝した際に一時的に日本の景気はよくなりましたが、私はあの瞬間になんとしてもこの「ゼロ金利政策」を撤廃し、公定歩合をそれこそ1%にまで引き上げるべきだったと思います。0.5%と1%では絶対値上は0.5%の差ですが倍数上は2倍であり、言うなれば預金金利が従来の2倍になります。当時はまだ余裕があり、あの一瞬でもいいから金利を引き上げていれば今ほど壁に背をつけずに、一歩後ろに下がる余裕くらい作れたのではないかと思います。
 これと同じような考え方を当時持っていたのは他でもなく竹中平蔵氏(当時総務大臣)で、日銀の福井俊彦総裁(当時)に対して執拗にゼロ金利からの脱却を迫っていたもののとうとう日銀が決断に至らずわずかにしか公定歩合を上げなかったことに対して、かなり強烈な表現を使って批判していました。

 では現在のデフレに対してどのように対処すればいいのか、はっきり言って現時点で有効だと思える手段は私には浮かびません。敢えて言うならどこかで数年に渡るような大規模な戦争を起こすか、日本のブロック経済化を進めた上で国内の生産力をなんらかの方法によって急減させるという劇薬的な手段なら、多少の道筋は見えてくるかと思います。
 はっきりいって現在のデフレ、ひいては世界的不況は過去かつてないものであって、従来の対策が果たして効果があるのか非常に疑わしいものです。浜矩子氏ではありませんがまずは現状分析を先にやり、その上で何が有効なのか一から対策を練ることこそが最速の手段でしょう。

 まぁまずやらなきゃいけないことは、金融関係企業への規制強化以外の何者でもないのですが。

2010年1月3日日曜日

センスのいいニックネーム集~プロ野球選手編

 もう大分昔に私が中学生だった頃、図書館にてそれまでに世の中に浸透したニックネームを集めた本がありました。そこで紹介されている人物はそれこそ戦前から現代に至るまで様々な世代が集められており、今ほど近い過去の人物を知らなかった私には非常に面白がって読んだのを今でも憶えております。
 その本の作者は前書きにて、各個人を一言で言い表すニックネームを作る作業というのは非常に高度なセンスを要求される作業であって、それだけあって未だに語り継がれるニックネームというのは一つの単語としても高い評価に値すると述べていたのですが、その本が発売されたのは97年でしたが、近年は珠玉ともいえるニックネームがほとんど出る事がなくなり、日本人の日本語能力の低下の一面なのかもしれないという嘆きにも似た言葉も付け加えられていました。

 その本が出てからすでに十年以上経ちましたが、果たして作者の言う通りに近年はこれというニックネームもなければ流行語すらもほとんど出回らなくなってきてしまいました。こうした現象を日本人の日本語離れと言うのは簡単ですが、私はこれらの原因ははっきり言って世の中の世相を見事に言い表す事の出来ない、各記者の質の低下が何よりも大きいかと考えております。まぁそういう私も文句を言うだけというのは恥ずかしい事なのですが。

 そこで本日は、これまで世の中に出てきた見事なニックネームをいくつか参考までに紹介しようと思います。実は前々から準備をしてきていたのですが、一挙にまとめてバラバラに紹介してもしょうがないので、今日はプロ野球選手に限って紹介しようと思います。 

 前もって断っておきますが、私自身がそれほどプロ野球に造詣が深いわけでもなく、またどうしても贔屓球団に偏ってしまう傾向は否めないので、「どうしてこいつは紹介しないんだ(゚Д゚#) ゴルァ」という気持ちは抑えて読んでいただけたらと思います。もちろん「この選手にはこういうニックネームがあったよ(´∀`)」というのであれば、それをコメント欄に書いていただければ幸いです。

1、七色の変化球 大野豊
 今回ニックネームをまとめようと考えるきっかけとなった人物で、リンクに貼ったウィキペディアの記事を見てもらえばわかるとおりに現役時代は多彩な変化球を武器にカープの黄金時代を支えた大投手の一人です。その活躍もさることながら実働22年という現役期間は驚愕の一言に尽きます。なおウィキペディアによると、元巨人の松井秀喜選手は大野選手がやめると聞いて心底ほっとしたそうです。

2、精密機械 北別府学
 しばらく広島カープが続きますが、こちらもまたセンスの光るニックネームです。大野選手同様にカープ黄金期に主に先発として活躍した投手で、その名の表す通りにとにもかくにもずば抜けたコントロールを持っており、現役選手ですらなかなか達成できていなかったテレビ番組「筋肉番付」の企画、「ストラックアウト」をコーチ時代に見事パーフェクトを達成しています。

3、炎のストッパー 津田恒美
 こちらも広島黄金期に活躍したストッパーの津田選手です。現在でこそストレートが持ち味のストッパーとなると阪神の藤川球児選手が有名ですが、こちらの津田選手も凄まじいストレートを持っていたようで、なんでも現巨人の原監督が津田選手のストレートをファウルした際に左手の骨を骨折して、残りのシーズンを棒に振ったというエピソードがあります。
 しかしそれ以上に津田選手のこのニックネームに重みを持たせているのは、彼が脳腫瘍によりわずか32歳にて世に去ったという事実が強く、現に彼のこの経歴は未だに広島ファンの間で語り継がれていると聞いております。

4、グラウンドの詐欺師 達川光男
 上記広島黄金期の錚々たる投手陣を率いていたキャッチャーというのも、エピソードに事欠かないこの達川選手です。この彼のニックネームの由来は野村克也元楽天監督ばりの打者に対して話しかけることで集中を妨げる「ささやき戦術」と、ボールが当たってもいないに関わらずデットボールを受けたフリをするというまさに詐欺師という名に相応しいまでのトリッキーなプレイから来ています。
 しかしその詐欺師という呼び名の一方で広島の投手陣らからの信頼は厚く、現に現役時代の打率などといった成績は他の名捕手と比べても芳しいものでないながらも、長らく第一線で活躍したというのは彼の親しみやすい人格や求心力にあったかと思われます。

5、優勝請負人 江夏豊
 日本プロ野球史上最強の投手との呼び声の高い江夏選手ですが、渡り歩く各球団で優勝の原動力となった事からこのニックネームとなりました。現在このニックネームは同じく複数の球団で優勝を達成している工藤公康選手にも使われる事がありますが、私の中ではやはり江夏選手のマウンドでの圧倒的存在感と信頼感からこの名前と来たら彼しか浮かびません。
 因みにウィキペディアで調べてみると、先程の大野選手や達川選手など、江夏選手から多くのことを学んだと証言する広島の選手が数多くいる事がわかりました。真に名選手は後身を育てるとは言いますが、その後の広島黄金期を見るにつけその通りだとうなずかされます。

6、KKコンビ 桑田真澄清原和博
 良くも悪くも、日本プロ野球史における90年代の主役はまさにこの二人といっていいでしょう。私が小学生だった頃は周りはみんな清原選手のファンでよく桑田選手は悪役のようにされていましたが、両選手とも現役末期に他球団へ渡りその引退に至る過程も多くのファンが見守ったというのは、一時代の終わりを感じさせられました。

7、鉄腕 稲尾和久
 江夏選手とともに圧倒的な存在感を感じさせるこのニックネームの由来ですが、58年の日本シリーズにおいてまさかまさかの5連投、そして見事な逆転優勝を引き寄せたというエピソードから来ています。その類稀なスタミナはもとより投手としての技術もあの野村克也氏が最強と評すだけあり、記録の上でもまさに実に人間離れしたものがあります。稲尾選手は07年になくなられていますが、この際には友人と二人でえらくしょげこんだのを今でも憶えております。

8、JFK ウィリアムス、藤川、久保田
 05年の阪神優勝時の必勝継投パターンで出てくる投手の頭文字からつけられたニックネームですが、そのセンスといい当時の存在感といい、近年で私が一番評価するニックネームであります。
 この05年当時は「阪神との試合は6回まで」とまで言われる程、最終三回を完璧に抑えるこの三人のリリーフ陣は非常に強力でした。またこの05年に藤川選手がそれまでのシーズン最多登板記録回数を塗り替えるとともに驚異的な防御率を残して優勝した事から、現在に至るまで野球におけるストッパーのみならず中継ぎ投手の重要性を世に知らしめた戦術であったと私は認識しております。惜しむらくは06年以降はなかなか三人が揃い踏むことなく、昨年のウィリアムス選手の退団によって事実上JFKが解散してしまった事です。

9、大魔神 佐々木主浩
 先程のJFKが中継ぎ投手の重要性を知らしめたのであれば、ストッパー投手の重要性をかつての江夏選手同様に世に見せ付けたのが横浜の佐々木選手でしょう。
 この大魔神というニックネームは横浜がリード時の九回に佐々木選手が登板する際の対戦チームの絶望感とともに、佐々木選手の非常に顔がでかいという特徴が特撮映画の「大魔神」と重ね合わせたというのが由来です。実際の佐々木選手も映画の大魔神同様めちゃくちゃなところがあったようで二日酔いのまま登板してセーブを決めたりなど、漫画の「ササキ様に願いを」同様の濃いキャラクターのようです。


 という具合で、一つ試しに九つの野球選手にちなむニックネームを紹介しました。書く前はもう少し簡単な作業化と思いましたが、各選手の経歴や特徴、ニックネームの由来をどこまで書くべきという配分に悩み、個人的にはやや中途半端になった気がします。これならニックネームごとに記事を書いた方が良かったかも、でもそれだとウィキペディアの記事のがいいだろうし……。

 今回まとめていて思ったのは、広島黄金期の選手のニックネームがどれも秀逸であったことにつきます。どれも各選手の特徴を見事に一言で言い表しており、その上見栄えのよい日本語で見ていてつくづくため息が出ます。同じく広島関連なら「神 前田智徳」とか、「非県民 二岡智宏」というのもあるけど、こういう言葉をぽんぽん作れる広島版のスポーツ紙記者には頭が下がります。

 同じくチームごとの特徴といえば、千葉ロッテの選手にはやけにカタカナ語が多いのも今回気になりました。「ジョニー 黒木智宏」に始まり「サブマリン 渡辺俊介」、「マサカリ投法 村田兆治」、「オリエンタルエクスプレス 郭泰源」など、唯一「精密機械 小宮山悟」があるだけで後はカタカナです。個人的には成瀬善久選手の投げ方が猫の手みたいといわれているため、「ニャース 成瀬善久」と勝手に呼んでいるのですが、流行らないだろうなこれは。

中国の大学入試制度について

 連載していた北京留学記の中で中国人より日本の大学入試制度について興味津々に説明を求められた事を書きましたが、恐らく日本人にとっても中国の大学入試制度がどのようになっているか、興味がある方もおられるかと思います。この大学入試制度というのは意外と国ごとに違いがあって、「フランスの日々」にてSophieさんも何度か関連する話題を紹介していましたが、なんだかんだいって国ごとに特徴があったりします。

 では中国の大学入試はどのように行われているのか、結論から言えばセンター一発入試が向こうの入試制度です。向こうで大学と言えば基本的にすべて国立で、私大は全くないわけではありませんが現在はほぼ大学と認められていないに近い状態で、年一回六月に行われるセンター試験で取得した点数によって進学できる大学が決まるという制度となっております。
 たとえばAという大学はセンター試験で400点以上、Bという大学は500点以上の成績が必要だった場合、500点以上の成績を取った生徒はAとB、どちらの大学を選ぶ事ができるという具合です。

 そのため、中国の大学入試日はそれこそ街全体が異様な空気に包まれており、万が一にも交通機関に遅れがあってはならないためにまるで戒厳令下のようにパトカーがあちこちを回っており、この日に限ってはパトカーに頼めばタクシーみたいに受験会場まで送ってくれるという噂もあったりします。日本のニュースでもよく報道されていますが中国でも若者の就職難は年々深刻化しており、就職を勝ち取るために、貧しさから抜け出すために大学進学熱は高まる事はあっても冷める事はないという状況です。

 そんな中国の大学入試制度なのですが、実は生徒の出身地域によって合格に必要な点数が変わるという、不可思議この上ない面があります。これはどういうことかと中国政府の建前はというと、中国は地域ごとに大きく人口にばらつきがあり、全国から均一の数の学生を大学に入れるためにあらかじめ募集人数を省や市に割り振る必要があるとしています。
 しかしこれは結論から言うと、実態的には教育行政をつかさどる人間達が自分達の子弟に都合のいいように制度をいじくっている所があり、実際に首都の北京市は周辺地域と比べると驚くほどに合格点数が低く設定されております。折角なので、合格点の一つの目安となる中国最高峰の北京大学の地域別合格点数を下記にご紹介します。





(出典 腾讯网:http://edu.qq.com/a/20050317/000095.htm)

 表中の「文科」、「理科」というのはそれぞれ日本語の「文系」、「理系」を表しております。
 見てもらえばわかる通りに、距離がそれほど離れていない北京市と山東省を比較しても2004年度では581点と666点と、実に85点も合格点数に開きがあり、南方の広東省や広西省に至ってはもはや同じ試験なのかと疑ってしまうほどの差です。

 この地域は受験生の戸籍上の、日本で言えば本籍地に当たる地域によって区分けされるのですが、そのために北京に在住していながらも本籍地が山東省の人間には山東省の合格点数が要求されてしまいます。実際に北京市の合格点数では北京大学にいけるものの、山東省に本籍地があるためそれが適わなかった北京出身の友人がおり、彼は非常にこの制度の事を恨んでいました。
 こうした地域ごとのはっきりとした合格点数の差から、近年中国の富裕層の中では「受験移民」といって合格点数の低い北京市などへ子供の受験のために引っ越すという現象が確認されています。

 私がこの問題を知ったのは留学中に現地で購入した社会問題を取り扱った本で、その本の作者は、本来格差を是正する手段の一つである大学教育においてその入り口にこれほどの較差があるのは大きな問題で、受験時に不利となり地域の募る不公平感は看過することはできないとまとめております。

 中国は今に始まったわけでなく古代より「科挙」という官僚採用試験を実施するほどの受験大国ですが、この科挙ですら広く優秀な人材を集められたという点は良かったものの、この科挙を受験したものの不合格となってしまったいわゆる「落第エリート」の中には国家に対して反逆心を持つものも多く、中には黄巣や洪秀全といった王朝を滅ぼすきっかけとなった反乱を起こした者もおりました。私なんかそういった歴史を知っているもんだから常々「エリートを遊ばせるな」とあちこちに言いまわっているのですが、現中国の受験制度もなんらかの是正措置を取る必要があるのではないかと、他人事ながら思います。

  参考文献
中国社会 王進 中央評論出版社 2006年

2010年1月2日土曜日

小沢一郎、政党助成金私的流用疑惑について

 ここで紹介する内容はすべてある記事からの引用で、元ネタは文芸春秋2010年1月号の松田賢弥氏による「小沢から藤井財務相に渡った15億円の怪」という記事です。内容はなかなか興味深く個人的にも非常に面白いと思ったものの、12月10日発売の記事にもにもかかわらず大分日がたった今日に至るまで私は敢えてこのブログで紹介してきませんでした。何故紹介しなかったのかと言うと、私はてっきりこの記事の内容は私が紹介するまでもなく日が経てば他のメディアでも大きく報じられると思っていたからで、そうした追加取材の反応を見てから書こうと思っていたものの、何故か他のメディアはこの記事に対してほぼ無反応をし続けたので書くタイミングをなかなか決められなかったからです。

 ただほとんどのメディアが沈黙する中、毎日新聞と去年はすっかりお世話になってしまったしんぶん赤旗だけは取り上げていたので(つっても結構時間が空いているが)、いちおうリンクを貼っておく事にします。

新生・自由党:解党時残金、小沢氏側に 大半の22億円余(毎日新聞)
小沢氏関連政治団体 繰越金が20億円 結党・解党のたび膨らむ(しんぶん赤旗)

 どちらも文芸春秋の松田氏の記事をなぞったかのような内容なので、もし詳しく内容を確認したいのであれば是非元ネタを一読することをお勧めします。それにしても、深く勘ぐり過ぎかもしれませんが新聞、テレビメディアは雑誌の後追いするのが嫌なのでしょうかね。

 それではその記事の内容を早速解説しますが、結論から言うと現民主党幹事長の小沢一郎氏は国から政党へ政治活動費として配布される「政党助成金」を私的利用している疑惑があるという内容です。

 この政党助成金という制度を最初に説明すると、この制度は政党交付金とも呼ばれ、国会議員数が五人以上の政党に対して議員数に比例した金額分の活動費を国が税金から出すという制度です。一体何故この制度が作られたのかと言うと、政治家をやっていく上で誰もが相応の活動費が必要となってくるのですが、これを各政治家個人個人が集めているとその授受の仮定で談合や斡旋収賄といった不正取引が行われる恐れがあり、そうした不正行為を防ぐとともに資金力のない有望な政治家、政党を育てるために一定度の金額を国が前もって渡すという目的から作られました。

 しかしかねてよりこの政党助成金は必ずしも政治目的の用途に使われず、議員や政党の私的な用途に使われてもわからない、確認する手段が少ないといった批判がありました。実際に自民党はこの政党助成金の大半を党の運営費に使用しており、前回選挙で議員数が大幅に減少したのを受けて現在運営難に喘ぐこととなっております。
 この制度を提唱し、実際に実現にこぎつかせたのは他でもなく小沢一郎氏なのですが、元ネタの執筆者である松田氏は小沢氏はこの制度を利用して自身の政治団体の資金源に当てているのではないかと指摘しております。

 では一体小沢氏がこの政党助成金制度をどのように不正利用したのかですが、時期は二つあり、小沢氏自らが結党して作った新生党と自由党の解党時です。
 自由党解党時のケースで説明すると、2003年に自由党は現民主党と合併して解党したのですが、その年に政党助成金を受け取っていた自由党は解党の直前に、自由党の政治団体である「改革国民会議」へその資産のすべてを寄付と言う形で移動させております。その額、なんと十三億円。

 この十三億円の内、政党助成金の内訳は五億六千万円ですが、政党助成金は法律上でも未使用分は国庫に返納する事が決められており、政党が合併した場合、吸収される政党が助成金を使い切っていなければ返金する必要があります。ですが小沢氏は未使用の助成金を自由党の政治団体へ自由党から寄付という形で移動させることで解党時の自由党資産の残高を0にし、結果的に一円たりとも国庫への返納をしませんでした。

 ではそうして大量の資金を受け取ったその「改革国民会議」はどのような支出をこれまで行ってきたのかと言うと、記事中では小沢派の会合の会場費用、参加者の移動費用などと、政治目的というよりは私的としか言いようのない支出が紹介されております。
 この様な資金移動は自由党の解党時のみならず新生党の解党時にも見られ、当時は「改革国民会議」と住所も代表者も会計責任者も同じ「改革フォーラム21」へ五億五千万円寄付されております。

 これらの資金がその後どのように使用されたかについて松田氏は、年末に各メディアを騒がせた、04年に小沢氏の政治団体「陸山会」が取得した三億四千万円の土地の購入資金に充てられたのではないかとも述べています。というのも、この土地を購入した年の「陸山会」の政治資金報告書には前年にはない四億円の定期預金が突如として現れるからで、自由党の解党が03年ということを鑑みるとタイミングが良すぎるわけです。

 繰り返しになりますが、政党助成金はすべて国民から集められる税金から出ており、その用途も公的な政治活動に限ると法律上でも記載されております。そんな助成金を自らの個人的会合や土地購入の費用に充てたというのであれば言語道断で、この問題に対する各メディアの追加取材、報道を期待したいと思います。

2010年1月1日金曜日

民主小沢氏、二度目の大連立を企図か?

 先月に書いた「中国副主席との天皇特例会見について」の記事の中で私は、十二月に行われた天皇と習近平中国副総理との会見は自民党の総理経験者から要請があって行われたという前原国交大臣の発言を取り上げ、この元総理というのは福田康夫元首相ではないかと予想しました。何故福田氏なのかと言うと元々福田氏は中国を外交上重要視する発言や行動をこれまでにも何度も取っており、小泉政権時の官房長官時代も靖国参拝に対して否定的な見解を示したり、靖国に変わる国立追悼施設の建立を検討する私的委員会を立ち上げ、そして極め付けが首相在任時に日中ガス田問題について共同開発を行う事を声明に出すなどといった行動を取っていました。

 そういった過去の経緯があったから福田氏ではないかと私は考えたのですが、その後の報道によるとこの元総理経験者というのは中曽根康弘元総理だという報道が相次ぎました。中曽根氏も日中の友好団体の名誉会長なり理事なりを務めているので必ずしも無理な話ではないのですが、政界を引退した人間がそこまで手回しをするのか、また中曽根氏の政治姿勢からも天皇の会見に対する一ヶ月ルールを破ってまでの要請を行うものか、根拠は確かにありませんが私には少し腑に落ちないところがあります。

 そんなわけで私は未だに福田氏犯人説を勝手に持っているのですが、仮にこの説が正しいとすれば、あの特例会見は同じく積極的に主導した小沢氏と福田氏が半ば共同するかのように行ったという事になります。この二人の共同作業が一体どういう意味を指すのか、元の記事を書いた時点で私はすでに大胆な予測を立てていてあの記事に何らかのコメントなり反響を得たら書こうかと思っていたら誰も反応してくれず、結局書く機会を失ってしまいました( ´Д⊂
 ところがその予測を友人に話したら出し惜しみするべきでないと言われ、また自分も折角だから書かないよりは一応は書いておこう気もするので、ここでこの際放出する事にします。ただ先に書いておきますが、あくまでもこれは小沢氏と福田氏が共同して特例会見を推し進めたという仮定の上に立つ私の大胆な予測で、細かい根拠などは一切ありませんのでこの点だけはご了承ください。

 早速結論から言うと、小沢氏は今後、民主党内の小沢派を率いて民主党と離脱し、現野党自民党と合流しようとしているのではないかと思います。これは言うなれば自民党と民主党小沢派の大連立で、かつての福田政権時に福田氏と小沢氏がトップダウンで実行しようとしたところ民主党内部から反対にあって失敗したことのやり直しです。

 一体何故ここに至って大連立なのか、双方の視点で見るとまず自民党としては何が何でもまた野党から与党へ返り咲きたいという思いがあるのは自明で、かつて社会党を抱き込んでやったように何をしてでも権力にしがみつこうとする性格が以前からあります。それに対して小沢氏はというと、恐らく彼の中では政界再編というか、国会の政治制度を改めるなど(参議院の廃止など)のお題目はいちおうあるかと思いますが、それ以上に彼の「壊し屋」としての性格とも言うべきか、既存のものをとにかく何でもかんでも破壊したいという本能にも似た政治的性格が突き動かしているのではないかと思います。

 ここまで書けばわかる人もいるかもしれませんが、仮にこの大連立を小沢氏が企図しているのであれば、それはまさに自民党の55年体制の崩壊につながった彼自身の自民離党、新生党の結成と全く同じ行為をやろうとしていることになります。私の中の後付ですが、実際に最近の小沢氏には企図しているかのように伺わせるような行為もいくつか見受けられ、前回衆議院選時の応援演説においては当選後に小沢派に入る事を新人候補に署名させたり、自ら多くの議員を引き連れて訪中し、件の天皇特例会見においてはやけに強気な発言、そして選挙時のマニフェストに明らかに逆行する要望書を内閣に提出したりするなど傍若無人の如き振る舞いが目立ちます。特に最後の要望書については変な見方をすると、民主党内にいる今のうちに自ら足を引っ張って、離脱時に「こんな政党じゃ駄目だ(#゚Д゚) ゴルァ!!」という言質を取る準備かのようにすら見えてきます。

 さっきから仮定に仮定の話を上乗せし続けていますが、もし小沢氏が本当にこの様な大連立を企図しているのであれば、私としてはその行為は日本のためにならないと思うゆえに賛同できません。ここ数年、毎年総理大臣が変わるという不安定な日本の政治環境は明らかに異常な状態であり、この政治的停滞による弊害もすでにはっきりと目に見えてきております。私が思うに、前評判に違わず宇宙人っぷりを発揮している鳩山首相がこれまで比較的高い支持率(麻生政権時より発足当初から上回っている)を保っていられている要因は政策や人柄というよりも、国民の「もう首相をすぐに変えてはならない」という意識ゆえだからだと思います。

 しかるに小沢氏がそれこそ今年の四月に恐らく難航が予想される予算審議の段階で民主党を離脱して自民党と合流しようものなら、この小泉政権以後の政治的混乱、権力の空白に一層輪を掛けるだけでどう転んだってプラスにはならないでしょう。

 以前に誰かの評論で、歴史や記憶に残るような目立つ政治家というのは基本的に制度を破壊した壊し屋型の政治家ばかりで、実際に後の社会に貢献するような制度を作った建設型の政治家は地味な印象になるという話を聞いた事があります。その上でその評論家は小泉純一郎元首相も破壊型の政治家で、これより後は地味な建設型の政治家が必要になるとまとめていたのですが、壊し屋の後に誰も続かなくてようやく出てきたのがまた壊し屋になるというのは私個人的にもまっぴらごめんです。

相次ぐ人身事故について

 先月に書いた「内戦状態の日本 その二、反応と期待」の記事の中で私は人身事故、もとい鉄道への投身自殺がほぼ毎日起きていることについて何故メディアは取り上げないのかと苦言を呈しましたが、十二月三十日付のの朝日新聞にて取り上げられているのを見つけたのでご紹介します。

増える鉄道自殺 運休・遅れ原因の45%に(朝日新聞)

 リンク先の記事では今年も全体の自殺者同様に人身事故も過去最高のペースで相次いでいるものの、死亡者のプライバシーにも関わる事からデータを公表するわけにも行かず、なかなか対策が立てられず鉄道会社も頭を悩ませていると書かれてあります。プラットフォームに防護柵を立てたり、心を落ち着かせる青い証明を用いるなどといった小さな対策が書かれていますが、どれも効果があるかといえば判然としないようです。

 現在で以っても日本の自殺者の大半は50代以上ですが、近年は若者の割合もじりじりと増えていると以前にどこかのニュースで見ました。これまで私はあまり大きくこの自殺問題を取り上げてきませんでしたが、そろそろ日本は本格的に対策を取らなければいけない時期に来ているでしょう。いくつか私の知っている他国の自殺対策を紹介すると、北欧の確かフィンランドだったと思いますが、そこではカウンセリング施設を国内に大きく広げる事によって自殺者数を急激に減らしたといい、またフランスに至っては敢えて国が向精神薬を広く処方する事で国民の自殺を減らしていると言われ、成人の過半数が毎日服用しているなどという噂を聞きます。まぁそんな社会をまずどうにかするのが先なきもするのですが……。