ページ

2016年12月31日土曜日

国家と自分

 年末だからと言って何をするわけでもなく一昨日は同僚との忘年会、昨夜は大学の先輩方らとゲーム大会のためブログを執筆せず、今日も普通に起きて洗濯して、バーガーキング行ったあとでコスタコーヒーに行ってケーキ食って帰ってきました。なお最近のマイブームになってることとして、ロードバイクを手放し運転しながらあれこれ考えるというのがあり、傍目には不気味に見えるだろうけどかなり集中して物を考えられるのでお勧めです。

 そんなわけで特に書くこともないのでどうでもいい心情を書くとしたらなんとなく浮かんできたのが自分と国家の関係性です。恐らく普通の人はそんな国家と自分の関係性なんて意識することはないでしょうが、自分の場合は少し特殊だったというか割と子供の頃から意識があり、確か中学校の作文か何かで「国家に教育を押し付けられている気がする」みたいな文章を書いて担任を慌てさせたこともありました。
 結論から言えば、自分が国家に何をしたか、国家が自分に何をしたかとなると確実に後者です。それ故に私は国のためには行動を取ることはできず、自然と人文主義者になっていったんだと思います。

 私的な意見ですが、日本の場合は国家が国民に尽くすというか国民の利便のために存在しており、国民が国家に何をするかという議論や考えはそれほど及ばないというか一般的だと思います。もちろんほかの国も大概ですが、昔の大統領みたく「国があなたに何をするかではなく、あなたが国に何をするかだ」のように、個人として国家を見つめるというか貢献を考えるということは日本では例外に収まるでしょう。それゆえに自分は今は国家とは距離を置くこととなったわけですが、先日後輩からは、「そんなんゆうても花園さんは今年金も税金も払ってないんだけら貢献もクソもないんちゃいます」と言われましたが、その際に、「そもそも、貢献する機会すら俺には与えられなかったよ」という返答が頭をよぎったものの口には出せませんでした。

 恐らく大半の人は私に対し、勝手に日本を出て行ったと指を指すことでしょう。しかし私本人に言わせれば、どうあがいても生きてくことが出来なかったため生存圏へ向かったらこうなったというのが本音で、恐らく今後も続くのではないかと思います。
 最近ゲームの「メタルギアソリッド」のセリフで「俺たちは国を捨てた」という主人公のセリフが非常によく気になり、たまにリアルで口に出します。セリフだけ見るとそうでもないでしょうが、何故主人公のスネークが国を捨てたのか、その背景にこそもっと目を向けるべきセリフだったと今は思います。

2016年12月28日水曜日

上海の大江戸温泉取材記事の裏側

パクリ疑惑の上海「大江戸温泉物語」に行ってみた(JBpress)

 知ってる人には早いですが例の上海にある大江戸温泉に行って、上の記事を書いてきました。記事は昨日にアップされましたがYahooのトップにも掲載されてコメントもえらいついていましたが、何気にYahooトップに記事が掲載されたのはこれが初めてです。もっと早くてもよかったと個人的には思いますが。
 今回の取材は依頼されたものではなく、自分の方から連載コラムを持っているJBpressの方に持ち込んだ原稿でした。というわけで今日は楽屋裏ネタというかこの取材の裏側に何があったのかを記録がてら書いていきます。

<何故取材に?>
 まず、件の大江戸温泉については日本で騒ぎになる前からその存在を知っていました。というのも友人の上海人が今度オープンするから一緒に行こうよと誘ってきていて、どうせまたいつもの冗談だろうと思って聞き流してたら日本の方でパクリ疑惑が出てニュースが大きくなり、なんや大きく取り上げられるようになったなぁと他人事のように見ていました。
 そしたらこの前の日曜の晩、その友人から「今度あの施設に行こうと思うから、花園君明日休みなら行って下見して来て。ついでに取材記事書いて報告して(^o^)」と無茶振りしてきやがって、まぁ確かに月曜はたまたま休みだし興味もないわけじゃないから、ほんならよっこいせとばかりに行く羽目となりました。

 ただこの時、内心ではチャンスかもとは思っていました。というのもこの件は連日報道されるなど大きく注目を集めながら、どのメディアも施設内に入った取材は一切行っておらず、日中双方の業者の発表を垂れ流すだけの浅い報道しかしてなかったからです。ついでに言うと、契約関連については中国側の主張は恐らく現地報道を一部翻訳してただけだと思います。
 それなので仮にいま現地レポート書いたら多分一手に独占出来るということと、割合こういう系統の体当たり系の記事は昔から得意でもあったのと、報道が日を追って高まってきている中だからインパクトがあるだろうとは踏んでました。っていうか今書いてて思うけど、何で他のメディアは入りに行って取材しなかったのだろうか。このところ散々周りの人間に、「最近の記者は本当に取材しない」と当り散らしている中だったこともあり、一つ手本を見せてやるという妙な気持ちもありました。

<書き上げるまで>
 そんなわけで雨が降る中、気候変動を受けて体調が悪い中にもかかわらず早朝から取材に赴いたわけです。昼過ぎまで取材してから自宅に戻り、すぐ熊本県庁に電話取材かけた後、日本の大江戸温泉物語にも電話をかけたら広報課の担当者が不在とあったので、折り返しましょうかと言われたものの、「国際電話やからわしから掛け直す」といって帰ってくる時間を確認し、その間にJBpress側にこの件で記事いるかと打診しました。
 JBpressの担当者は生憎打ち合わせ中だったのでメールを一本書いて送り、大江戸温泉物語へ電話をかけるまでの間も記事を書き、さっき確認した時間にもっかいかけ直して取材を終えるとまた記事書いて、大体取材込みで4時間くらい記事を書きあげました。JBpressからは返信メールで「是非に」とあったので、とりあえずありったけの内容を4800字くらいで書き上げた原稿をブン投げ、「修正等はすべて任すしこっちの再確認は不要だから明日にも出稿してくれ。タイミングがマジ命」と伝えました。結果的にはこの判断はドンピシャで、やはり昨日のあのタイミングにアップして大正解だったと思います。そういう意味でこんな急な提案に乗ってくれ、多分夜遅くまで作業させてしまったJBpress側にはほんと感謝しています。

<コメントを見て> 
 そうして朝出社してYahooのトップページ開いたら自分の記事載っててオイヨイヨとか腹の中でツッコみつつ、Yahoo記事に大量についていたコメントを見てました。ちなみにそのコメントは今日も見返しましたが、ちょっと過激というか個人の人格批判系のコメントは非表示というか削除されており、Yahooの中の人たちもこういう仕事してるんだなと妙に感心しながら眺めてました。

<中国人認定>
 コメントの中でまず目についたのはやはり私への批判というか妙な推定で、「中国を持ち上げやがって、こいつきっと中国人だろ!」とか勝手に中国人認定されました。中には「いや、在日の中国人だろう」とか言ってるのもいましたが、「よりによってこの俺に向かってよくそんなこと言えるな」と、昨日話した友人もこのようなコメントを見て私と同じことを思ったそうです。
 仮に私が中国人だとして、毎日ブログで誰に頼まれることなく意味不明なことを長文で書き続ける中国人がいたとしたら、私個人としては軽い恐怖感を覚えます。日本人ならこういうブログも続けられるだろうけど、外国人でありながら日本語でこんだけ書き続けていたら相当恐ろしい人間に間違いないでしょう。どうせこのブログは見てないだろうけど、私に対して中国人認定する判断はそらないよなぁとか思います。

<この記者は馬鹿か?>
 あと目についたというか多かったのは「この記者は馬鹿か?」と書いたコメントです。まぁ確かに単純な記憶力だけならまず他人に負けることはありませんが実際に物覚えは悪い方なので馬鹿だと言われても言い返せないのは事実ですが、コメント欄ではどっちかっていうと取材方法をあげつらって馬鹿と書かれてあり、その中にはいくつか「?」となるのが多くありました。

 まず気になったのは、「電話取材しかしてないで何を偉そうに。取材ならちゃんと熊本県庁と大江戸温泉物語の本社へ行けよ」というようなコメントで、企業不祥事とか社長インタビューなら確かに訪問はしますが、普通の企業取材は広報への電話取材です。もしかしたら私の知らない世界で企業取材のために毎回出先へ乗り込むメディアもあるのかもしれませんが、少なくとも私はそんなメディアは見たことがありません。
 その電話取材についても、「企業の窓口に電話して聞いてもちゃんと答えられるわけないだろ。広報にアポすら取れない記者なんだろ」というのもありましたが、なんで大江戸温泉物語の広報課に電話かけてるのにこういうこと言ってくるかなと不思議に思いました。っていうか総合代表窓口が取材に答えるはずなどなく、広報課・部以外は絶対に回答しないってのに。また私が広報課に取材していないという根拠をどこで見つけたんだろうかと、思うだけなら勝手だがよくそれを文字に残せるなとその勇気と無謀さには多少は感心しました。まぁそれ以上に、自分の本職は今は記者じゃなく普通のサラリーマンなんだけどね。

 このほか中国人認定の根拠として記事中に「日式ラーメン」という言葉を使ったことを挙げてる人がいましたが、あの箇所は施設内の食堂に中華系飲食店が一軒もなかったことを強調する必要がある中、ただ「ラーメン」と書いたらどっちゃねんと混同する恐れがあり、日本のラーメンということで中国現地で使われている「日式拉面(日式ラーメン)」と表現することとしました。最近中国で日本のラーメンが流行ってるという報道をよく見てその中でも使われているのでわかるだろうと思いましたが案外そうでもなく、使っただけで中国人認定食らうほど普及してないというのは完全に想定外でした。

 あともう一つ気になったので、「五右衛門風呂が珍しいって、こいつ日本のスーパー銭湯に入ったことないんじゃねぇのか?」という記述については、少なくとも松戸のラドン温泉には五右衛門風呂はなく、私個人としてはあれ初めて見ました。松戸潜伏中はいっちゃん近くのラドン温泉しか行ったことなかったから普通に知らんかったよ……。

<出稿時に削除された文言>
 このほか楽屋ネタとしては、記事を書いたものの出稿される前に恐らく4000字以下に落とすため削除された箇所があります。もちろん削除される前提で大目に書いたわけなので特段問題ありませんが、消された箇所に書いてあった内容の一つに、施設内にある漫画ルームに置かれてあった漫画の話がありました。
 そこは畳み敷きで本棚に中国語に翻訳された漫画本が置かれてあったのですが、作品は「ワンピース」や「ナルト」などジャンプコミックスが中心でした。それを見て個人的に、「To Loveる」はないのか探したものの見つからず、元の記事にも「『To Loveる』はなかった」と明記してました。

 それともう一つ削除された箇所として、銭湯内に置かれてあった資生堂製のシャンプー類については銘柄まで、アクエリアスとスーパーマイルドだったと細かく書いた上で、「ボディーソープのスーパーマイルドの方は洗い流した後の質感が非常によく、今度からこれ使おうと決意しました」という私個人の風呂場改革事情も元記事には書いていました。文字数的には確かに削る箇所はこの辺りで間違いなく不満はないのですが、多分ほかのメディアはこういうところには絶対触れないだろうという確信があったので書いておき、修正後の原稿でも「シャンプー類は資生堂」という記述は残してあったのでまずますでした。

2016年12月27日火曜日

インパール作戦に抗命した将軍

インパール作戦(Wikipedia)

 太平洋戦争に通じているものならインパール作戦について説明するまでもなく史上最低の作戦であることを承知でしょう。この作戦は大した戦略目的もないままインド側に対して「借り」を作ることを目的として編成から補給まで何から何まで杜撰極まりない計画で実行され、おびただしい死者だけを生んで失敗した作戦です。
 この作戦は功名心を持つ牟田口廉也によって遂行が進められ、途中で食料や弾薬が尽きて戦闘継続が不可能な状態にありながらも強引に継続されたのですが、最終的に撤退が行われた背景にはとある将軍の死刑を覚悟した抗命、つまり命令違反があったためでした。

佐藤幸徳(Wikipedia)

 インパール作戦の現場責任者に当たる師団長を務めた佐藤幸徳は元々統制派の将軍で、皇道派の牟田口とは過去に取っ組み合いの大喧嘩までしているという因縁がありました。牟田口の下に置かれた佐藤は補給を確実に行うよう司令部に約束して出撃したものの司令部はこの約束をあっさりと反故にし、進軍する最中で早くも手持ちの食糧が尽きるという憂き目をみます。
 進むも引くも困難な状況にあって積極的な攻勢を控えていた佐藤でしたが、戦況は悪化するばかりで、対峙する英軍は航空機から補給を受け続ける中で日本軍は制空権すら得られず航空機による支援はほぼ全く受けられず、敵軍の補給を「チャーチル支援」などといいながら奪い取ることで食いつなぐ有様でした。

 こうした状況を司令部へ何度も報告し佐藤は何度も撤退を提案していたものの司令部は意に介さず、前進のみを命ずるだけでした。このままでは完全なる絶滅すらありうると判断した佐藤は最終的に、恐らく日本陸軍に置いて最初で最後となる、師団長による抗命として司令部に無断で全部隊に対し後退を命じしました。
 この佐藤の無断での後退に司令部は直ちに反応し、佐藤以下の現場指揮官一同を更迭にしたものの、抗命による佐藤への処分は行いませんでした。これは佐藤を処分することによって陸軍人事に問題があったということになるのを恐れて、言うなればメンツの問題でしたが、それと共に軍法裁判に置いて作戦の失敗要因について佐藤が陳述することを恐れたためとも言われます。それがため佐藤の更迭理由については「精神異常のため」とされ、後に医者を送って精神鑑定も行わせていますが鑑定医が出した結論は「シロ」だったものの、その後も長く佐藤は「戦地で発狂した将軍」という事実と異なる風説が流布し続けました。

 結果的には佐藤の抗命を受け、東南アジア方面軍の間でもインパール作戦の失敗を悟る幹部らが出たため、抗命事件から一ヶ月後の1944年7月に正式に撤退が開始されますが、撤退が決まるまでの一ヶ月間、そして撤退決定後の実際の退却においても餓死者は出続け、その退却路は現在に「白骨街道」とまで呼ばれました。
 佐藤の命令違反については色々な意見がありましたが、彼の行動がなければ数千人の命は確実に失われていたとされ、現代においては肯定的な評価が多いように思え私もこれを支持します。一方で佐藤は後退の際に最前線で唯一善戦していた、水木しげるをして陸軍最強の指揮官と言わしめた宮崎繁三郎率いる歩兵第58連隊に対し味方の撤退時間を稼ぐように殿を任せ、これによって58連隊は孤立無援の中で大量の死傷者を出すという自体に追い込んでいます。ただこの時の宮崎繁三郎の戦闘指揮は凄まじく、部隊もよくその指揮に従って大いに善戦して味方の撤退を助けたと言われています。

 戦後、佐藤は晩年にいたるまで発狂した挙句に命令違反を犯した将軍のレッテルを張り世間の風当たりもひどかったそうですが、結果から言えば彼の行動によって救われた将兵は少なくなく、死後に精神鑑定で問題がなかったことなどが明らかになるにつれ再評価が進んできました。
 現代でも上司の命令に反した行動を取るのは難しいながら、将兵の命を優先して命令違反を犯した佐藤は軍の士官としては確かにその責めから免れえないものの、一人物としてはやはり勇気ある人物だったと言えるでしょうし、反することが難しかった時代故にこうして紹介するべき人物だと私には思えます。

 なお最近、インパール作戦に従軍した経験のある人と話をしたという知人からこんな話を聞きました。その従軍者も撤退の最中、何も食べていなかったことから銃や背嚢といった荷物を徐々にすてながら逃げ帰っていたのですが、最後に手放したのは聖書だったそうです。元々、キリスト教の神父をやっていた人物だったそうですが、やはり聖書を手放した際は断腸の思いだったそうで、手放さなければその重みで歩むことすらできない状態だったと悔恨と共に話していたそうです。

2016年12月25日日曜日

日系企業は外国企業技術者をスカウトしないのか?

 まともなメディアなどでははっきり書けないのでこのブログで書きますが、このところ日本人ネットワークの中で旭硝子のとある部門の技術責任者が中国企業にスカウトされたという噂が出ています。真偽は確認できませんが仮に事実だとすればそこそこの人物だっただけにその方面の技術が全部流出するだろうと周囲は話して心配しておりますが、旭化成の事業は他分野に渡ってるから屋台骨は全然揺るがないだろうと一応私の方から述べておきました。

 この際、悪い癖ですがまた人と話をしながら余計なことを考え始め、これまでの日系企業の技術者がスカウトされる事例を思い起こしていました。90年代から00年代にかけてはやはり韓国企業からのスカウティングが多く東芝の半導体技術者の多くが週末アルバイト、もしくは転籍し、家電系メーカー技術者もたくさん移って行ったと聞きます。最近に関しては韓国よりも中国企業からスカウトされる事例をよく聞き、私の周りでも大手自動車部品メーカーの管理者やってる日本人の知り合いが、「もう何度もスカウトが来ていて、今よりも金を出すと言っている」と話しています。

 こうした話を聞いてて大半の日本人は、「スカウトを受ける方も受ける方だ」と、技術流出を行った日系企業技術者に対して非難めいた感情を持つのではないかと思います。私としてもこうした感情を持つのは自然なことだと思え、スカウトを受けた人を擁護することはしませんが、だからと言って批判する人たちに対して特段逆批判めいた内容を覚えることはありません。こういう言い方すると無関心すぎると言われるかもしれませんが、私としては「それが資本主義でしょ」といったところです。

 ここで終わればただのしょうもない雑談で終わりますが、ふと今回改めて日系企業技術者の流出なりスカウトを考え直している際、「日系企業は外国企業の技術者にスカウトをかけているのか?」という疑問を覚えました。詳しく調べたわけではありませんが具体例とか、大量にスカウトしたとか、スカウトした技術者が活躍したという事例は少なくとも私は知らず、上記の様に「スカウトされた」という事例が大量にあることを考慮するとなんていうか一方向的な流れが続いている気がします。

 先ほど私はスカウトされた日系企業技術者に対して擁護はしないと申しましたが、スカウトした韓国企業や中国企業に対してはアカっぽい資本主義者の立場から擁護をする気が満々です。何故なら彼ら外国企業からすれば自社発展のために最善の手を採らなければならず、また雇用・被雇用の自由は侵害してはならない上、退職後の機密守秘義務などを破ったりハッキングなどで情報を盗んだりするのでなければ技術者の引き抜きによる技術流出はある程度は認めなければならない面があると考えるからです。それこそ引き抜かれたくないのであれば、引き抜かれないための努力を敷く必要が日系企業にはあります。

 話は日系企業のスカウトについてですが、上にも書いた通り国内企業同士ならまだしも外国企業の技術者をスカウトしたという話はほぼ全く聞いたことがありません。経営者レベルであればソフトバンクや日産、武田薬品を始め海外の有能な人物をヘッドハンティングした事例がいくつもありますが、技術者となると恐らくはいるでしょうがその割合は韓国や中国企業と比べるとごくごく少数でしょう。では何故少数にとどまるのか、推測レベルで感がられる理由はいくつかあり、一つは日本我技術先進国で引き抜くより引き抜かれる立場に回りやすい事、もう一つの理由としては割と日系企業は自国の技術がナンバーワンだと信じ、海外企業の技術力を全体的に見下す傾向があるからではないかというのが長い前置きを経た今回の主題です。

 断言してもいいですが、部品レベルならまだしも携帯電話を製造する技術で言えばもはや中国企業の方が日本より圧倒的に上です。私も愛用しているMEIZUの携帯を今日昼間まで会っていた親父も驚きながら使ってましたが、逆に親父の持っていたソニーエリクソンのスマホのレスポンスの悪さになんやこれと私の方は思ってました。カメラ切り替えなんてやけにラグあるし。
 しかし、日系企業がこうした携帯電話分野で中国企業、っていうよりむしろ米アップル社から技術者を引き抜いて自社技術の発展を促したという事例はありません。真面目な話、アップル社からはあの手この手で技術者を引き抜くくらいの凄みが日系企業には足りません。

 携帯電話に限らずとも自動車分野などでもドイツ系やフランス系企業から引き抜きをしたって話も聞かず、むしろ日系企業は引き抜きをすることに対して必要性すら感じていない振りすら覚えます。その背景こそ、「ジャパンアズナンバーワン」じゃないですが密かに日系企業は日本の技術は世界トップだという、誇張した言い方をすれば自惚れに近い感覚があり、引き抜きという選択肢を頭から外しているのではないかと密かに思うわけです。

 結論を述べると、私は日系企業はもっとスカウトによる引き抜きを率先して行う、もしくは選択肢に入れるべきだと思います。何故ならこうした引き抜きを選択肢に入れることで、自社の技術者の流出リスクが把握しやすくなり、対抗策も組み立てやすくなるからです。またそれにより本当に評価されるべき技術者が正しく評価されることに繋がれば社内活性化にもつながるように思え、比較的技術者に対して冷遇だとする日系企業の習慣に新風が吹きこむことも期待できます。

 あくまで仮定に仮定を重ねた上での提言ではありますが、スカウトについて日系企業は取られてばかりではなくたまには「奪う側」に回るというか、「やられたらやりかえす、倍返しだ!」っていうセリフの一言でも言ってみろというのが私個人の意見です。

メディアが行う貧困特集の問題点

 何も現代に限らずいつの時代も新聞やテレビは「貧困特集」と称して貧困層とされる人々を取り上げた記事や番組を特集していますが、結論からいうと近年みる貧困特集は私から見ればそれほど面白いものはなく、物によっては不快感すら覚える内容が多いです。ほかの人はどう感じているのかは断言できませんが、NHKが以前に行った貧困特集でネットを中心に大批判が起きたり、中日新聞が記事を捏造した事件を鑑みると私の様に不快感を感じる人もある程度入るのではないかと思います。
 では何故不快感を覚える、っていうかつまらないのかというと、結論から言えば問題点が多く特に上から目線で書かれることが多いからだというのが私の考えです。

 基本的に貧困特集は収入が少なかったり支出が多かったりするなどして家計上で生活の苦しい世帯が取り上げられますが、全体として「可哀相な人たち」というスタンスで紹介される事が多いです。無論、確かにそうした貧困層は憐憫に値すると私も考えますが、だからと言って「可哀相」というスタンスで紹介してしまうとバイアスがかかり、必然的に上から目線での報道になりやすいです。
 この辺は私が社会学を学んでいた際、こうした対象に対しては余計な感情は一切挟まず、ありのままに報じたり紹介したりする必要があると厳しく教えられましたが、やはりそうした一程度の距離を置いた態度というものがこれらの報道にかけていると思います。わかりやすく述べると「可哀相な対象」として取り上げるのではなく「こうした人たちがいる、これが現実」というようなスタンスが欠けており、変に可哀相だという風に描いてしまうとなんとなく感情を強要されているような感じがして私個人としてはあまり馴染めません。

 加えて、こうした貧困特集で必ず引っかかる点としては、特集される人たちよりもっと悲惨な人たちはいくらでもいるということです。そうした人、またはそうした人たちを知っている人たちからすれば、「何だこの程度で」という感情を催すでしょうし、上記のNHKの特集はまさにこれで炎上しました。こうした点から言って殊更に支援が必要だと唱えることも個人的には反対で、やはりそういうのは行政の問題だと割り切りそこにあるものを報じるだけであるべきでしょう。

 その上で個人的に許せないのは、貧困者の声を記者らが代弁するかのようにして作っているのがなんか納得いきません。これまた上記の中日新聞の特集なんか捏造してまでこれをやってましたが、そのほかの貧困特集でも、「本当に彼らはこんなことを言うのだろうか?」と感じる様な言葉や意見が記事本文などに書かれることが多く、見ていてリアリティに書ける記述が散見されます。断言してもいいですがそういった記述はまさに上から目線の記者たちが作っているもので、「如何に同情を引くか」という視点で以って書かれています。
 私個人の意見で述べると、やはりこうした貧困特集などにおいては記者らは最低限の仕事だけを済ませ、貧困者自身に素直な気持ちを述べさせたり書いてもらうことが一番いいと思います。収入は少ないがそれでも楽しくやってるという人もいるでしょうし、取材に来た大新聞の記者らの給料は高額で内心ムカついているとかでもよく、素直な本音を彼ら自身に述べたり書いてもらってそれを編集なしでそのまま出すことこそが最もリアルな声で傾聴すべき対象であると私は考えます。

 そういう意味で何故新聞社や放送局は、自社の派遣社員自身に派遣格差を書かせないのかいつも不思議に思います。新聞社や放送局内の派遣格差ほど面白いものはない上、またすぐ近くに当事者がいるんだからその当事者自身に語らせればいいってのに何故やらないのか、いっつもこの点が不思議に感じています。そもそも、格差問題を格差のトップ側が報じたりするのも変で、やはりボトム側が自ら声を挙げて発信するべきでしょう。そういう意味ではトップ側の新聞社や放送局は逆に、「セレブ特集」みたいなのを組んでどれだけ楽しく暮らしているかを自分で語ってみるのも手かもしれません。

看了「你的名字。(君の名は。)」

 今日25日はクリスマスですが、金曜から今朝までは上海に遊びに来ていた親父の相手をしており、午後からは日本はもちろん中国でも大ヒットを続けている映画「君の名は。(中国題:你的名字。)」を見に行きました。唯一問題だったのは、一緒に見に行った相手が後輩(♂)で、男二人でクリスマスに恋愛映画を見に行く羽目となったことです。

 事の発端は二週間前、後輩と友人の上海人と一緒に昼食した帰り、途中で通過した映画館で「君の名は。」が上映されていることを知って、そういえばこれまで中国の映画館に入ったことがないことを思い出し、大ヒットしている作品であることから今度一緒に見に行こうと後輩が言い出したこともあって見に行く約束をしていたのですが、何故か知りませんがその見に行く日が今日となり、よりによってこんな日に二人して見に行くこととなったわけです。

 昨夜にあらかじめ上映している映画館をネットで調べて後輩に伝えたところ、「自分が予約しておく」と後輩が言うので任せたところすぐに、「すいません、アプリのウォレットの金額足りないので送金してください」と言い出してきたので後輩に100元(約1800円)を送金して、受け取った後輩は携帯アプリを通じて予約したそうです。
 なお映画館の一人当たり入場料金は50元(900円)でしたが、IMAXなど特別な映画館だと100元くらいになるとのことで、普通の映画館なら日本と比べて割安感があります。

そんでもって今日午後、親父を一人で空港へ送り返した後で後輩と合流し、映画館へ赴きました。待ってる間に館内の売店などを見ていましたが、ポップコーンも25元(450円)くらい、飲み物も10元(180円)くらいで、場所にもよるでしょうがやっぱりここでも日本に比べるとあこぎじゃないなと後輩と言い合ってました。あと待ってる間、近くの階段にヒールが引っかかり、床にダブルニープレス(両膝突き)をかましている姉さんがいましたが見ていて痛そうでした。

 そうこうしているうちに開場されて映画館に入りましたが、館内は前評判通りにほぼ満席で、客層としては比較的若い年齢層の男女、やや女性が多いような感じでした。上映前の予告が終わって本編が始まると比較的静かにみんな見ていましたが、コメディなシーンでは割とみんなして声を挙げて笑うなど、日本の映画館と比べると比較的感情をはっきり出す傾向がみられました。米国の映画館も割とこんな感じらしいと聞くので、むしろ何一つ物音を出すべきでないとされる日本の映画館のの方が世界的にも特別であるのかもしれません。

 映画の感想に映ると、中だるみするシーンが一切なくヒットするというのも十分頷けるほど面白い作品だと私にも思いました。個人的に気になったのは風景シーンの色使いを明確に分けている、具体的に言えば東京のシーンではややもやがかった色使いに対して飛騨のシーンではビビッドな色にまとめているところで、この辺りを意識して行っているのかということに驚くというか唸らされました。
 ストーリーにつちえも展開がスピーディに二転三転してうまく連結しており、むしろこの時間でよくここまでまとめあげたものだとこちらも合わせて感心する内容で、欠点という欠点は私からは見つけられなかったほど高い完成度を誇るといったところです。

 私はこの新海誠氏の作品を見るのはこれが初めてですが、見ていた感じだと中国人の観客の受けも悪くなく、恐らく今後も世界中で売れ続け真面目に「千と千尋~」越えもあり得るんじゃないかと思います。これまで名前の知られていない監督の作品がこうして世界中で大ヒットするというのは普通に考えればあり得ないだけに、単純に作品の質だけでここまで来ていることを考えると実に恐ろしい人物が世に出たものだという気がします。

 最後に中国人の観客が声に出して笑ったシーンの一つに、「それって美人局じゃないの?」というセリフを言うシーンがあったのですが、このシーンの字幕を見て初めて「美人局」の中国語が「仙人逃」ということがわかり、こっちもなかなか面白い漢字を当てるなと一人で感心してました。

2016年12月22日木曜日

サイバーエージェントの「Amoad」広告の不作為

 なんか今日は珍しく書くことないのでサイバーエージェントとの過去のちょっとしたやり取りを暴露しようと思います。

 それは2015年初旬の事でした、突如サイバーエージェントから私の所へブログの内容が素晴らしいので是非広告枠を置かせてくださいと依頼するメールが来ました。ブログ内容が素晴らしいって、自分のブログほど過激派なブログはそうないので本当にちゃんと読んでるのかと一回尋ねるメールを送った所、「読みました」と返事が返ってきましたが、多分その担当者はちゃんと読んでなかったことでしょう。自分のブログ読んでたらこういう風に書かれるリスクだって感じ取れたでしょうし。

 で、言われるがままにそれまで置いておいたGoogle Adsenseの広告枠をわざわざ撤去してまで「AmoAd」とかいう妙な広告枠を設置したものの、何故だかこれが全く広告が表示されず、一体どうした物かと相手側に対応を求めたところそれから一年半にもわたって何も返事がきませんでした。その後で元のGoogle Adsenseに戻しましたが、何気に作業が結構面倒くさかったです。

 何故そんな過去の話を急に蒸し返したのかというと、この前のDeNAのウェブ記事炎上問題でサイバーエージェントも大量の記事配信を停止したと報じられたのを見て、まぁここはそんな会社だろうなと思いつつこの件を思い出したからです。基本、記者というのは相手の弱みに付け込むのが仕事なもんで、今を置かずにいつ攻めるとばかりについ先ほど、「一年半も連絡寄越さず何やってんだてめぇ」みたいなメールを送りつけました。返事が来るかはわからないですが、たまにはこういう突っこんだこともやらないと人生面白くありません。

 なお、「対応をするからしばらく待っててください」と返事しながら一年半も無視することも言語道断ながら、このサイバーエージェントの広告配信プログラムも技術的にいかがなものかと非常に胡散臭く感じました。いろいろ説明見ましたが広告料還元のシステムも曖昧だったし、なによりブラウザやブログソフトによって広告が表示されたりされなかったりだなんて技術的にかなり低レベルなものに思えてなりません。
 私が使っているこのBloggerなんて非常にシンプルな作りなのだからそれほどプログラムに影響を及ぼすとは思えないし、第一本体とは独立したウィジェットにはっつけたというのにそれでもうごかないってなんなんってレベルです。

 ちなみにこの陽月秘話のアクセス数は一日当たり大体600PV位で、広告料はGoogle Adosenseをそれほど真剣にやってないのもあって、数ヶ月に1万円が入ってくるか来ないかです。自分としてもこのブログは本気で稼ぐつもりは全くなく、むしろ商売っ気から遠ざけてあくまで趣味の媒体として使いたいため、今後もこの方針を維持することと思います。
 なお姉妹サイトの企業居点はもう少し広告枠の設置個所を凝っているため、アクセス数も多いことから広告料はあっちの方が多いです。といってもそっちも数ヶ月に1万円が入ってくるか来ないか程度で、入ってきたら「ああこれで漫画買える」というようなお小遣い的な感覚しかありません。むしろ企業居点だったら、自動で配信される広告枠より広告記事を書いて乗っけるの方が価値あるのでしょうし、何気にそういう記事書くの得意なんだけど肝心の広告主がいないなぁ(;一_一)

2016年12月21日水曜日

日本の賃上げ運動を見て奇妙に感じる点

 昨日はまるで人は健康体でありながら一日に何時間寝られるのかを競うかのようにずっと寝ていましたが、今日はちゃんと起きていました。なので真面目なことを書きます。

 最近なんで専門家でもないのに労働問題ばかり記事書いているのか自分でもよくわからないですが、日本の賃上げ運動を見ていていつも不思議というかおかしいんじゃねとよく感じます。何故そう感じるのかというと原因ははっきりしており、香港で現地の賃上げ運動を見ていたせいだからですが、香港と日本で何が違うのかというと賃上げ幅の根拠です。
 香港では毎年、年末にかけて来年度の賃上げ要求が労組を中心に行われるのですが、その際に叩き台となるのはCPIこと消費者物価指数、もっと卑近な言葉で言えばインフレ率です。香港ではこのCPIを軸に労使間で前年度の上げ幅や昇給率を含めて議論を行い、来年度の賃上げ幅の交渉を行います。

 説明するまでもないでしょうがCPIとは何かというと、単位当たり通貨の価値の変動率を表します。たとえばCPIが5%上昇(5%のインフレ)したということは通貨の価値が5%下落するのと同義で、それまで1万円で大根を100本買えていたのに、CPIが5%上昇すると1万円で購入できる本数が95本に代わるといった具合で、5%下落(5%のデフレ)するとその逆が起こるわけです。

 仮にCPIが前年比で5%上昇していたとなると表面上の賃金(名目賃金)は変わらなくてもその賃金額の価値である実質賃金は5%下落するということになるため、次年度に5%賃上げされなければ何もしなくても給与が下がるも同然です。もっとも日本の場合はずっとデフレが続いているので経営側からすれば実質賃金はずっと上がりつづけていると主張できるわけで、賃上げ見送りの理由にしやすい所ですが。
 なお先程統計局で見たら、今年10月の日本のCPIは0.1%の上昇で、日銀の2%インフレは遥か遠くにある状態です。

 話は戻りますが香港ではこのインフレ率をまずたたき台にして、その上で既存社員の昇給率や前年度の賃上げ幅を様々に考慮しながら労使間で交渉が進められます。たとえば労働者側はCPIは前年比でほとんど変わっていないにしても前年度に昇給幅がそれまでより抑えられていたら今年こそはと主張したり、雇用者側はCPIが上昇していたとしても前年に最低賃金が引き上げられていることなどを理由にして今年は見送りたいなどと、それぞれがそれぞれの立場で意見を主張し合って落としどころへ持って行くという、非常に理路整然とした運びを行っています。

 それに対して日本の賃上げ運動ですが、最近は官制賃上げとまで言われるように政府に言われて労組側が動く始末で、しかもその労組側もこれという根拠を挙げずにベアアップを主張したりするなど、はっきり言って議論がちぐはぐな感じがします。それこそ非正規を含めた過去一年の昇給幅や、産業全体の収益率の上昇幅などを盾にとって労働者に還元すべきなど主張すればいいのに、なんて言うかお祭りみたいにわっしょいわっしょい言ってるだけで、「何故その金額を要求するのか?」という根拠が全く見えません。はっきり言えば幼稚な運動に見えます。

 ある意味、香港だからそういう理知的な賃上げ運動が繰り広げられているのかもしれませんが、日本の労組ももうちょっとその辺を見習って、何の根拠もない変な要求をするのではなくきちんと筋道立てて要求すべしだと思います。もっとも労組に限らず、なんで日本ってCPIを始めとしてPMIとか地方別GDPなど主要経済指標をほとんど見ないのか前から不思議に感じてます。

2016年12月20日火曜日

中国でも流行ってるくまもん


 今日は有給消化日ということもあって仕事はお休みでしたが、昨夜0時に寝てから朝10時に起きてゲームしたり朝食、昼飯を食べた後、12時から再び昼寝に入り起きたのは午後4時でした。目をつむったらいくらでも寝られるし、左半身がなんかやたら重たかったりと、先週のハードワークが少し間をおいてからどっと来たような感じです。ちなみにこれ書いている最中も欠伸が止まらず気を抜いたら即寝る自信があります。

 話は本題に入りますが、上の写真は上海の街中で見かけたので携帯(MEIZU魅藍2)で撮影してきたものです。もうすでにオープンしてるのかまでは確認してませんが、例のくまもん専門ショップが出来るようです。
 この専門ショップに限らずくまもんが割と流行っています。街中歩いていたらなんかちょっと違うような感じする着ぐるみとかにも出くわしますし、関連グッズもあちこちで売られており、控え目に言っても中国で流行っていると言っていいでしょう。やはりこの辺というかゆるキャラ方面で中国は余り作り慣れていないというか、一応かわいいのを狙ってるんだろうと思うけどかわいくなり切れていないキャラクターが多く、その点で日本のゆるキャラ勢はペリーの黒船並に圧倒的な実力を中国市場で発揮しています。

 このほか方々でも報じられていますが映画「君の名は」も流行ってるようです。実際に私の職場でも中国人女性スタッフらが話題にしているのを耳にしますし、日本での評判そのままに中国でも人気に火がついています。
 最後にもう一つどうでもいいこと書くと、中国人女性スタッフのパソコン画面がちらりと目に入った際、漫画「銀魂」の壁紙が使われていました。日本のアニメ、漫画キャラの壁紙なら珍しくはないものの、あれだけ下品なネタオンパレード(面白いけど)の「銀魂」を中国人も見るんだと感心してたら同僚から、「銀魂好きな女の子多いよ」と教えられ、なんかちょっとしばし考え込んじゃいました。ちなみに「銀魂」で一番好きなセリフは「チャイナ服強化月間ってなんだよ、何を強化するんだよ」というセリフに対する「男の妄想よ」というものです。

2016年12月19日月曜日

電通事件で見られない残業代の遡及支払い

 またえらそうな口をきいてしまうことになるでしょうが、そこそこほとぼりが収まりつつある電通の過重労働問題について電通の元役員の方が今月の文芸春秋に寄稿しており、その中でいわゆる「鬼十則」について撤回すべきという声もあるがこんな標語だけを撤回した所で現場は何も変わらず、きちんと具体的な対策を見つけ実行すべきだと指摘していてなるほどと思ったのですが、当の電通は「鬼十則」を社員手帳から削除する方針を先日出しており、みんなこういった何の意味もない象徴的な行動ばかり取り上げて具体的な中身については何も取り合わないんだなと、日本のメディアを含め遥か上海の地でせせら笑っておりました。一人や二人は同じ価値観の人間がいるだろうと思っていましたが今の所それらしい意見は見当たらず、それどころかこの問題も段々としぼみつつあり恐らく来年の今頃には誰も覚えていないことでしょう。

 この電通事件について私が個人的に不思議に思ったのは、不払いの残業代は結局払うのか払わないのかでした。自殺に追い込まれた女性社員を含め電通社内では一程度を越えた残業時間は申請しないようにしており、中には百時間単位で残業代を申請してこなかった社員も多々いると報じられていたのですが、今回こうして問題が大事になったにもかかわらずそうした電通が実際に支払わなかった残業代をその後、過去に遡って払うのかどうかという点について電通側からの発信はなく、それ以上に日本のマスコミがその点について誰も追及しないことが誇張ではなく不思議で、自分が特別だなんて言うつもりは全くありませんがとてつもない異常性を覚えました。
 恐らくこの点については、最近頑張っている(と思う)BuzzFeed Japanが取材して取り上げていましたが、電通問題を批判している朝日新聞社内でも残業代の過少申告があったとのことで、同じ脛に傷を抱えた者同士で黙って指摘しない可能性もあります。まぁそういうレベルじゃなく、遡及支払いまで単純に頭が回らないのが実態でしょうが。

 話はここで私の最近の勤務状況に移りますが、現在私が世を忍ぶ仮のサラリーマンとして働く会社で私の職種は残業した場合、その時間の分だけ別の日に休みが取れる振替休暇制で動いています。この振替休暇制度が法的にOKかどうかは軽く調べたところややグレーなところらしいですが、そもそも日本の会社で働いているわけじゃないし当の本人である私は気にしておらず、むしろやらなきゃいけない作業があるなら一人で時間かけてでもずっと働いていたいと思う口なので、こうした制度があるだけめっけもんだと思っています。でも先週は本当に忙しく、家帰って左耳痛くなった時はマジビビりました。
 このように最近は残業が多くブログの更新もやや滞りがちだったわけですが、上司からはやたらと「遅くまでありがとう」と声をかけられています。これについて別の上司が、「最近の若い人は残業をあまりやりたがらない人が多いから率先して残業しようとする花園さんのことを単純にありがたがってるんだよ」と話していましたがそれについて私は、「間違ってはないでしょうが、多分会社が残業代をフルに払うとなれば若い連中でもいくらでも残業しますよ。残業代を払ってくれないのをわかってるからみんな残業をやりたがらないだけでしょう」と返しました。

 敢えて先程から話題を頻繁に切り替えていますが、私が一方的に敵視している団塊の世代辺りがよく私たちの世代について必死で働こうとしないとかすぐ会社から帰ろうとするなどと言っている声が耳に入ってくるのですが、やる仕事があり、残業代を払うというのならいくらだって残って働くに決まっています。こういうと上の世代から、よっぽどおかしい会社じゃない限り最近は厳しくなってもいるんだから残業代くらいきちんと払うだろという返答が帰ってきますが、断言しますが現在の日系企業の9割は残業代を規定通りに支払っていません。変な言い方ですがあの電通ですら満額を支払うどころか、人によっては既定の半分も出しておらず、ほかの企業に関しても大小を問わずまともに払ってないでしょう。
 なおこの議論で一番揉めたのは何を隠そう名古屋に左遷されたうちの親父でした。何故か大半の企業は残業代をきちんと払っていないという事実をなかなか信じなかったのですが最終的には私が、「数多くの中小企業を渡り歩いた俺が言うんだ。おっきい会社一つしか経験してへん親父と俺の認識のどっちが正しいか、そんなんきまっとるやろう」といって押しこみましたが、誇張ではなく私はこれまでアルバイトを含め一度も残業代というものを受け取ったことがなく、また周囲の友人もみなし残業として月30時間分を固定給に加える一方で月間200時間の残業を強いられるなど、満額の支払いを受けたという話はただの一度も聞いたことがありません。

 さてここで冒頭の電通の議論へ戻るわけです。私は本当に、電通が真摯に、真面目に反省しているというのであればこれまでの残業時間の過少申告状況を全て、洩れなく洗い直し、過少分について全額を直ちに支払うのが筋じゃないかと思っていますが、そんな話は一切出てこないし反省しているような素振りすら見せず、元役員がまさに指摘した通りに箸にも棒にもかからない「鬼十則」の撤回という象徴的で無意味な対応しかまだ見せていません。そしてマスコミを含めた外野もまた、残業代はもらえないのが当たり前というのが身に沁みついているのか、遡及支払いについて誰も何も指摘しません。私にとってこの状況は不思議この上なく、電通社内の労働組合に至ってはこれ以上の好機はないんだから弱みに付け込んでガンガン攻めればいいというのに何故やらないのか、本当に鬼十則読んでんのかてめぇらと見てるこっちが言いたくなります。

 恐らく経営側、労働側はどっちも及び腰になって明確な算定証拠がなく現実的でないとかいうでしょうが、こんだけの事やらかしたんだから自己申告で払ったればいいと私は思うしそうあるべきだと思います。過去に食品で問題が起きたレストランではレシートなしで返金に応じた例もあるのだし、反省する気があればまず真っ先にこの残業代の遡及支払いに取り掛かるべきでしょう。逆を言えばこれすらやろうとしない辺り、場当たり的にごまかす気で、労働担当役員とかどうでもいいポスト作ってる当たり反省する気などまるでないことが見て取れます。
 ただ仮に、これがモデルケースとして定着したら日本の世の中はすごく楽しくなると思います。未払い期間の金利を上乗せするようにすればさらに楽しいし、補完会社にも広がれば日本経済の血栓こと企業の内部留保も一気に吐き出せ、駄目な会社も一緒になって消えてもらえます。だからこそこの遡及支払いは非常に重要だと思え、真面目に日本で誰も指摘しようとしないことが不思議を通り越して異常というか間抜けな気がしてならないわけです。

  おまけ
 これまで数多くの中小企業を渡り歩いた私ですが、先日友人から何社経験したのかといわれて数えてみたところ既に6社に達してました。「武士は七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と戦国切っての転職プレイヤーの藤堂高虎は言ってましたが、まさかその七つ目にもうリーチかかっているとは自分でも驚きでした。

日本漫画における責任感ある大人の欠如

 昨夜の鹿島VSアントラーズ戦は私も後輩と一緒に日本食屋で見ていましたが、2対2で後半が終わりそうになった時にその後の展開が延長戦なのかPK戦なのかわからず、

後輩「PKやるくらいやったら入れるか入れられたいですね」
花園「それゲイが言ったらすごいセリフになるよな」

 そんな後輩とは先週にも会っており、その際にまだ出たばかりの漫画「進撃の巨人」21巻の電子書籍版を私が先にダウンロードしていたので彼にも見せてあげてましたが、この最新巻になってようやくタイトルの「進撃」の意味が少し明かされるなど、相変わらずその伏線の見事さに後輩と二人で誉めまくっていました。
 私自身、この漫画は近年にない傑作で今後もずっと語り継がれる作品だろうと確信していますが、その伏線やハードなストーリー展開の見事さはもとより、個人的に評価していてるのは登場する大人の存在で、具体的に言うと責任感ある大人がきちんと出てくる点が他と一線を画すと密かに考えています。

 あまり大きく指摘される点ではありませんが、日本の漫画の大きな特徴の一つとして「出てくる大人はみんな揃って無責任」であるポイントがあると考えています。何故このような特徴を持つのかというと漫画の主な購買層は少年~青年層であり、主人公も大抵の作品でおっさんではなく少年少女が据えられ、ストーリー展開で少年少女が敢然立ち向かっていく対比として成人した大人が無責任な姿を見せるというパターンが非常に多くあります。具体例を出すと見方にも寄りますが星一徹などが典型で、アニメでもガンダムシリーズでは基本的に大人は足を引っ張る存在として描かれることが多いです。

 それに引き換えと言ってはなんですが「進撃の巨人」では、確かに無責任な大人も出てくる一方で他の漫画と比べるなら責任感というか強い信念を持った大人がまだ多く登場し、人気キャラのリヴァイ兵長(中国人に聞いても男女ともに圧倒的な人気)を筆頭に少年少女である主人公らに冷徹な決断を迫ることもあれば、彼らの失敗を自分たちの指導不足だと慮る態度などが通常の大人キャラと大きく異なる姿に感じられます。

 個人的な好みかもしれませんが、やはりこうした責任感ある大人のキャラクターが絡むかどうかで作品の良し悪しは大きく変わるように思え、こうした大人のキャラにもっと注目すべきなのではないかと思うところがあります。その一方で、このように日本の漫画には無責任な大人が多数出てくるというのは社会性を反映しているのではないかと思え、大分以前に日本のサラリーマンの行動原理は責任回避だと述べ、責任から最も逃げてきた人間が最終的に企業トップに就くことが多いと指摘したことがありますが、そうした世相を反映しているからこそ漫画の中でもそうなっているのかもしれません。

  おまけ
 最近小銭を得ることが多くなったのでやたらとKindleで電子書籍を購入し回っており、最近買ったのだと「波よ聞いてくれ」、「新装版BLAME」、「中間管理職 利根川」、「私の少年」を立て続けに購入し、先程書いた「責任感ある大人」という意味で利根川のことを思うと複雑になりつつこれまで単行本を買っている「干物妹!うまるちゃん」は最新刊の9巻を買おうか考えていた所、レビューが酷評の嵐で埋まっているので結局やめることにしました。この漫画、最初の方は確かに半端なく面白かったけどほかでも言われている通り7巻辺りから急激にトーンダウンしてるし……。

2016年12月17日土曜日

2016年の私的新聞大賞

 昨夜は忘年会だったのですが部署の最高責任者が酒の飲めるメンバーを集めビール(350ml缶)一気飲み大会を催してました。私は酒が飲めないので外されましたが、最初に3人3人の2チームに分かれて一気飲みの速さを競い、次は勝った方のチーム内で優勝者決定戦を行った後、さらに負けた方のチーム内でも順位決定戦を行いだして、「負けてもさらに飲むのかよ」と同僚が少しぼやいていた上、ビール缶を配る同僚女性が鬼に見えたと話してました。しかも冬なのにキンキンに冷えたビール缶だったので、飲み終えた後みんな凍えてました。

 話は本題に入りますが年も暮れということもあって今日は部屋の中を大掃除して、ベランダがなく拭き辛いにもかかわらず身を乗り出して窓拭きまでやっておりました。普段から部屋は掃除しているので室内はともかく、窓は上記の通りベランダがないため今まで放置して汚かったのもあり明日もまた拭く予定ですが、年末ということもあって今年私が読んだ記事の中で一番だと思う記事を紹介しようと思います。

もしゴジラが上陸したら?現役自衛官たちが真剣に考えてみた(上)(下)(ダイヤモンド)

 普段は記事内容に批判することの方が多いダイヤモンドですが、この記事に関しては別格で、年内に読んだ記事の中で最も感動を覚えた共にその取材の熱意に深く脱帽させられました。記事内容は見ての通り今年ヒットした映画「シンゴジラ」を受けてゴジラが出たら自衛隊はどう出るかというテーマですが、他社の記事では大抵どこも防衛出動の法的問題にしか触れていないにも拘らず、ダイヤモンドだけは統幕だけでなく陸・海・空それぞれの広報に問い合わせて取材しており一つ頭が抜けていました。
 しかもその取材して聞き取った内容というのも、陸・海・空それぞれが「もし出現したらうちがイチニシアチブを取る」と、どこもやる気満々というか「うちは負けない」的な根性を発揮するセリフを聞き出しており、恐らくかなり粘って勝ち得た取材内容だと思えるだけに記事内容の面白さもさることながら取材力に強い感銘を覚え、今年ナンバーワンの記事を選ぶとしたらこれを選んだわけです。

【おとり捜査】新宿で「おいしいラーメン屋知りませんか?」と声をかけ『個人情報を聞きだす』事案が多発 → 体を張って待ち伏せた結果
【真剣調査】「おいしいラーメン屋を知りませんか?」と尋ねるヤツを見つけるために夜の新宿に張りこんでみた(ロケットニュース)

 次点として評価した記事は上のロケットニュースの記事です。正直言ってこのロケットニュースは普段から平気で嘘記事を書いたりするので(今年は産経が「自衛隊、中国機と創設以来初のドッグファイト」という盛大な誤報記事流したが)唾棄すべきメディアだと普段から激しく批判していますが、上の記事に関しては何故だかハマって何度も読んでたりしました。
 記事内容は今年春ごろに東京・新宿駅周辺で、「おいしいラーメン屋さん知りませんか?」と妙な声掛けをして連絡先を聞き出そうとする変な人間が出没していたとのことで、おとり捜査をして犯罪を未然に防ごうとここの編集員が体を張った体験が描かれています。具体的にどう体を張ったのかというと、新宿駅前で「おいしいラーメン屋さん教えます」と書かれたプラカード(っていうかただの紙)を持ってひたすら立ち続けるという方法で、長い時間立っていたにもかかわらず伊勢志摩サミット前でたくさんいた警官にすら声かけてもらえなかったという顛末が書かれています。下の記事は、「あんな怪しい格好するからだ」といって別の編集員がストリート系ファッションで再度おとり捜査を張ったものの、妙なアラブ系の人にしか声かけてもらえなかったそうです。

 個人的にこういう体張る系の記事とか企画が昔から好きなのもありますが、「おいしいラーメン屋~」という妙な声かけないようと相まって、「ガチでいいラーメン屋教えてやろうじぇねぇか」と言わんばかりのノリで書かれた記事文章が非常によく出来ており、ゴジラ記事に続いて今年の新聞大賞副賞としてはこの記事を推薦したいところです。

 最後に大賞とは逆に「なめているで賞」的に今年ワーストだった記事も紹介します。

超セレブ“ヒラリー”を嫌った非セレブ女性のいらだち(毎日新聞)

 一読して、よくこんな恥ずかしい記事を署名入りで出せるものだなと思うとと同時に、出す前に誰も止めなかったのかと毎日新聞の異常性を強く感じた記事です。
 あんまり解説もしたくないのですが頑張ってすると、ヒラリーは非セレブの女性に嫌われたから落選して「ガラスの天井が―」っていう感じで書かれてますが、何故非セレブ女性がヒラリーを嫌ったのかという理由について、自分で全く取材せずによりによって「週刊ポスト」の記事内容の引用しかしていません。しかもその引用箇所というのも、

「セレブ向けファッション誌の『VOGUE』が異例のヒラリー支持を表明するなど、彼女の周囲は成功したセレブな女性たちで固められていました。そうした面が『鼻につく』と、シングルマザーなど一般の女性たちの強烈な反感を買ったのです」

 見ればわかりますが完全な主観に基づいて書かれてあり、真偽がどうだか全く分かりません。まだ非セレブ層の女性のインタビューなどあればまだ一考に値しますが、雑誌「VOGUE」に支持されたことが鼻につくって、聞いててなにそれとしか思えない突飛な意見です。っていうか現地報道の引用だけでもいいから取材しろよ。
 あと細かい点つくと、ワシントンポストの出口調査結果では女性全体のクリントンへの投票率は54%だったものの非大卒の女性に限れば34%しかなかったとまた引用していますが、多分これ、確か非大卒の男性も同じくらいの低い投票率だったと思え、非セレブ女性だからどうこうではなく社会階層的な影響の方が大きかったように思います。記事全体を通して如何にこの記事書いた人が妄想に満ちて現実を直視せず、まともな取材や分析もせずにおかしなことしか言わないっていう事実しか読み取れません。しかもこれで紙面審査委員になれるんだから毎日はある意味すごいよなぁ。

2016年12月15日木曜日

水戸藩は何故幕末に失墜したか

 見出しつけるのに悩んだけどインパクトを狙うとしたらやはり失墜を選ぶべきだと思ってこうしました。何気に新聞記事ならまだしもネット記事なら見出しでアクセスが決まると言っても過言ではなく、前にJBpressで書いた記事でも「中国バブル崩壊」という言葉を敢えて入れたからその記事はアクセスよかったんだろうなと思いますし。

 さて話は本題に入りますが、この前則天武后書いたついでに水戸光圀の「圀」という文字が則天文字だと言及したところかなり久々にコメントもらえました。最近少コメントなかったから寂しかったのもありちょっと心が動いたのですが、幕末の尊王攘夷運動で当初は最も主導的であって水戸藩が最後は全く明治維新に関わらず終わってしまったことを解説していなかったことを思い出したので、今日はそのテーマについて解説します。結論から述べると、内ゲバで内部崩壊したことが原因です。

水戸藩(Wikipedia)

 水戸藩といえば水戸黄門でお馴染みの例のあれですが、幕府の開幕当初から徳川本家とはやや距離を置いていたというか、親藩の中でも割と独自路線を突き進み続けた藩であります。なんでそうなったのかというと一つは御三家の中で最も江戸に近い位置に属し必然的に「永遠のナンバー2」的な役割を背負わされたこと(本家相続に一切絡まなかったし)、もう一つとして水戸光圀以降に始まる水戸学という独自の思想・歴史観を持つ学問が盛んだったためだと私は考えます。
 水戸学について簡単に述べると、水戸光圀が独自に日本史をまとめあげようと「大日本史」という歴史書籍の編纂を始めたことがきっかけで過去の歴史や思想について本家のことをお構いなしに収集、議論するようになり、一種独特の思想が形作られまとまったものを指します。具体的に述べると石田三成に対して初めて好意的な評価を行っていたとも言われ、この点一つとっても反中央的な思想も少なからず持っていたのでは想像させられます。

 そんな水戸藩ですが、九代目の徳川斉昭が割とカッカした人物だったというか政治参画意識が高い人間で、折しも黒船来航の時代とあって幕府に対して公然と異論を唱えたり生温いなどと文句言うなどして江戸の本家との対立を深めました。こうした斉昭の姿勢は藩士も同様で、水戸学の中で国学が勢いあり、徳川家の癖に天皇家への意識も高かったもんだから自然と尊王攘夷論が藩の主論となっていきます。
 こうした水戸藩を危険と考えた幕府は猛然と抑えにかかり、将軍の後継争いで斉昭の実子であり一橋家に養子に出された慶喜が負け紀伊藩出身の家茂が選ばれ、大老に井伊直弼が就任すると本格化し、直弼の主導した安政の大獄で水戸藩士が片っ端から処刑されたほか斉昭も隠居を強要され、徹底的に叩かれます。逆にこうした弾圧によって水戸藩内では尊王攘夷論がますます高まり、自藩だけでなく長州や薩摩といった他藩の攘夷志士たちにすらも水戸藩士が指導を行うなど全国的なリーダー役を務めるようになり、直弼が暗殺された桜田門外の変の頃に一つのピークを迎えます。

 しかし尊王攘夷で過激な思想を持っていた水戸藩ですが、全体的に過激だったことは間違いないのですがその集団内でもいくらか温度差があり、その温度差から過激派の天狗党と、穏健派(つってもかなり過激)の諸生党に内部分裂し、なかなか攘夷が実施されないことにしびれを切らした天狗党が挙兵して起こったのが天狗党の乱です。

天狗党の乱(Wikipedia)

 はっきり言ってこの天狗党の乱は完全な内ゲバで、同じ水戸藩士同士でガチの戦争をやり合って双方ともに多大な犠牲を出します。またここまで大事でなくても、水戸藩内の攘夷派同士でちょっとした路線の違いとかで暗殺とかも普段からやり合ってたことも想像に難くなく、そうこうしているうちに人気と実力を兼ね備えた指導者らがどんどんと消え去り、全国的にも水戸藩出身の攘夷志士の発言力はみるみる落ちていきました。
 敢えてもう一つ水戸藩の内部抗争が激しくなった理由を挙げると、桜田門外の変の後で一橋慶喜が謹慎から解放された上に幕政に参画するようになり、水戸藩と幕府との距離が縮まったことからそのまま佐幕路線を歩むか、あくまで幕府と袂を分かって独自路線を歩むかで水戸藩内が割れるようになったのではと勝手に想像しています。

 一方、維新の立役者となった長州や薩摩は早くから藩内の意見統一を図り、また大勢が決まるや余計な内部抗争は行わず一丸となって行動したこともあって、維新を主導しただけでなく次の明治の時代にあっても重鎮を成すに至りました。特に薩摩藩においては意見統一を図るため、藩内の過激な譲位論者を寺田屋騒動でまとめて粛清するという冷徹な決断も行っており、そうした甲斐あって長州以上にガチッとした組織を維持できていたと思います。同様に土佐藩も、武市半平太率いる土佐勤王党を粛清して意見統一を行い、薩長以上に余計な血を流さず漁夫の利を得て戦後のキャスティングボードを握るに至りました。

 私自身は組織なんてクソ食らえで頼りになるのは自分の腕力のみだと公言するほど自他ともに認める個人主義者でありますが、この幕末期においては藩という組織力の差がその後の趨勢を明確に決めた時代であったと考えています。水戸藩は当初は全国をリードするほどの影響力を持ちましたがその後の内部抗争を見る限りだと全体としてやはり個が先立ち過ぎており、それによって自ら滅んでいったと思え、単純に惜しいことをしたと感じさせられます。
 なおこのサイトで茨城の県民性について調べたら、「怒りっぽい性格に、桜田門外の変、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件など、歴史上のテロ事件にすべて絡んでいる茨城県人の過激な血を認識することがある。」と書いてあり、水戸学のスピリッツは現代にも続いているのかとなんか妙にビビりました。

 最後おまけですが、江戸時代における徳川家の各分家と本家との距離感について個人的な見解を下記にまとめておきます。

<遠い~>
・水戸藩:常に距離を置き、むしろ反逆的
・越前藩:藩祖の結城秀康の頃からやや距離感がある

・尾張藩:吉宗の時を除けば常に中立的で、無関心に近い

・紀伊藩:本家継承者を出すなど関係が強いが、明治維新の際はあっさり裏切った
・会津藩:ガチのシンパで、発足当初から崩壊まで本家との結びつきが最強に強い
<~近い>

2016年12月13日火曜日

中国で唯一の女帝

 作家の塩野七生氏がヒラリー・クリントンの大統領選敗退について、「自分でガラスの天井がどうとかだなんて言うからだよ」って具合で辛辣に言ってて笑えました。でもこの発言、男が言ったら言ったで問題になる辺り、ガラスの天井がってとこなんでしょう。
 なお中国では女性の社会進出はかなり当たり前で、企業の経営者とかでも確実に日本より多くいます。政治の世界では男性が依然とメインですが、私が見る限りだと恐らく米国よりかは最高権力者に女性が来ても中国人は抵抗感を覚えないのではという気がします。ただ過去の歴史で言えば日本は何人も女性天皇が出ているのに対し、中国で女性の皇帝はただ一人だけです。

武則天(Wikipedia)

 上のリンク先は武則天と書いていますが変換が面倒くさいので則天武后でこの記事は通します。

 則天武后とは唐の時代、「王の中の王」とまで言われた中国屈指の名君と謳われる二代目皇帝太宗の側室として歴史の表舞台に出ます。元々、隋唐時代の貴族の娘として生まれ幼いころから機転が効く美人だったため側室となったのですが、どういうわけか後宮入りした後で皇太子に見初められ、太宗が死んだ後は太宗の側室は全員尼にならなければならないところをどうにかこうにか書類とかをごまかすことで尼にはならず、帝位を継いだ皇太子こと三代皇帝の高宗の側室にクラスチェンジします。

 当初はあくまで数ある側室の中の一人という立場でしたが、ちょうどそのころに高宗の正室である皇后と寵姫が後宮内で対立しており、皇后側が寵姫に対抗するため則天武后を自分の派閥に引き入れたことで寵姫陣営は徐々に勢力を失って行ったのですが、頭の回る則天武后は皇后をも追い落とし、自らが高宗の皇后の座に取って代わってしまいました。
 なお元皇后を追い落とした際のエピソードとして真偽不明ながらも、則天武后が生んだ子供を元皇后が見に行った直後、則天武后は自ら自分の子供を殺し、子供が死んだのは元皇后が毒殺したせいだと訴えたためという話があります。本当にこんな話があったのかはまだわかりませんが、則天武后が気が強く野心深い性格であったのはその後の人生を見る限り間違ってはいません。

 話は戻り見事皇后の座についた則天武后は自分の生んだ息子を皇太子に据え、政治に興味のなかった高宗に代わって摂政のように政治を自らが動かしていきます。この則天武后が治めた時代に大和朝廷が朝鮮半島で行った最後の決戦の白村江の戦いが起こっており、この戦いを制して朝鮮半島の支配権を唐が確立しています。
 その後、旦那の高宗が死に息子の中宗が継ぎますが頼りないので一旦廃位させ、その後は下の息子の睿宗を帝位に継がせますが、やっぱり途中で頼りなくなったのでこの際だからといって自らが皇帝となり、国号も「唐」から「周」に変えさせました。

 こうした則天武后の専横に皇族などからも反乱がおきますが片っ端から鎮圧され、でもって危険だと思った奴は片っ端から処刑していき、権力を固めていきました。しかし則天武后の場合、刑罰や粛清は苛烈ではあったもののこれと思う人材は出自を問わず採用していき、その中からは名臣、名将と呼ぶに相応しい人物が何人も現れたため、宮廷内はおどろおどろしながらも国全体で言えば政治的にも非常に安定して平和を保ち続けました。
 よくコップの中の嵐と言いますがまさにこの時の唐の宮廷がそうで、コップの外の国全体は平穏を保っていたため、女性でありながら簒奪を行ったにもかかわらず則天武后に対しては比較的中立的な評価がなされることが多く、現代においても主人公のドラマがよく撮影されるほど、「性格はあれだけど政治家、皇帝としては有能だった」という評価は揺るぎません。

 最終的には重臣らに半ば脅迫される形で一度は自ら廃した中宗を次の皇帝に指名したことで「周」は一代限りの国として終わりますが、それ以前もその後も中国には女帝が出ていないことからも、彼女が中国史においても稀有な人物であったことは間違いないでしょう。

 なんで今日にこんなメジャーな人物を取り上げようかと思ったのかというと、もし則天武后をわかりやすい例えに持ってくるとしたら何がいいかなと思い、京都の和菓子屋辺りがいいのではと思いついたからです。
 話としては、老舗の和菓子屋で正妻と内縁の妻が対立を起こし、先代の当主が手を付けていた頭のいい女中を正妻が自陣に引き入れて見事内縁の妻を追い出したところ、今度はその女中が現当主に取り入り、引き入れた正妻すらも追放した上で女中が正妻となり、その後は自らが店を切り盛りして腕のいい職人や番頭を集め、現当主の死後も和菓子屋を拡大し続けた……的な話を考えていました。考えているうちになんか朝ドラ辺りでこういうドロドロした話をやってもらいたいなぁと思ったとさ。

  おまけ
 則天武后は在位中、やたらと名称改変を好んで新しい漢字を作らせまくってました。そうしてできた漢字は「則天文字」と言われるのですが、日本人に一番有名なのとなると「水戸光圀」の「圀」という漢字で、これは「国」を意味なく変えたものです。中国に住んでて「圀」という漢字は今まで見たことがないだけに、則天文字は多分中国よりも日本の方がよく使っているような気がします。

  おまけ2
 やたらと名称改変を好んだ当たり、日本の称徳天皇とダブります。

2016年12月11日日曜日

トヨタが作った超名車「セラ」


 先程、Yahooのトップページの広告欄らしき箇所で、「セラを55万円安く購入するには?」という文章が表示され、気になってしまい開けたページに表示されていたのが上記ページです。画像はないですがページをそのままロールすると、よれよれのプリウスを下取りに出してセラを表示価格の55万円引きで購入したと書いててその秘訣はこちら的にリンクが貼られていましたが、結論から言えば、「舐めたことぬかしてんじゃねぇこのボケ!」と同時に、いろいろな面で狂った文章だなと思いました。というのもセラを買おうとする人なんて、よっぽど頭がおかしい人か、よっぽど車の醍醐味がわかってる人か、サポート対策のため回収に急ぐトヨタ関係者しかいないからです。

トヨタ・セラ(Wikipedia)

 そもそも一体何故こんな広告と出会ってしまったのかというと、恐らくつい最近に友人へこの「トヨタ・セラ」という車を解説した際に検索をかけたからだと思います。その際友人には、「トヨタは十年に一回くらいとんでもなく凄い車を出す。このセラもその一つだ」と言って紹介しました。そんな「セラ」とはどんな車かですが、百聞は一見に如かずなので上記ウィキペディアのサイトを開いて画像をみてもらった方が早いので、是非とも一回は見てください。
 文章で説明するとこの車は1990年にトヨタが発売した3ドアクーペなのですが、何がすごいかってその造形です。なんとドアがランボルギーニやカウンタックといった超高級車と同じ「ガルウィング」という縦に開く構造をしている上、ルーフは全面ガラス張りという、素直に言えばとてもトヨタが作ったとは思えない感じする車です。しかもこれ、百万円台で売っていたというからなお驚きです。

 私個人の印象で述べれば、この車の得意なデザインは現代においても十分通用するように思え、現に私も新車で売られていれば利便性を度外視しても確実に購入を検討していたかと思います。スターレットがベースってのもいいし。
 またガルウィングという特殊な形状を一般量産車に採用したという点も見逃せず、一品物で作るならともかくこれを量産車で実現したというのは技術的にすごい、っていうか普通有り得ないとすら思える水準で、一体この時のトヨタはどんだけすごい工程技術持っていたのかと目を見張りました。販売されていた当時はさすがに私も小さくてこの車の存在を全く知りませんでしたが、後年になってその存在を知り、トヨタの地味に高い技術力に畏怖感すら覚えたほどです。

 そんなセラという車を、55万円引きで買おうなんてはっきり言ってふざけるなというお話です。試しに中古車サイトで見てみたら二台がそれぞれ58万円と67.5万円で売られており、55万円差っ引いたらほとんどタダ同然です。まぁ年数が年数だしほぼスクラップに近い状態もあり得るのですが、プリウスを下取りに出してセラを買おうなんて気違いもいい水準で、恐らくいろんな車種名を登録して同じテキストを表示する広告の類なのでしょうが、よりによってこのセラを表示してしまうと全体的に狂った文章にしかなり得ません。それだけに写真の女性も頭のおかしい人にしか見えなくなるという恐ろしさを含んでいます。

 このセラについて実際に乗車したことはないものの実車は生で見たことはありますが、単純に美しい車だと感じました。小型の車体ながら全体が整っており、何よりガラスでできたルーフが未来的なイメージを感じさせ、もっかいこんなのトヨタ作ってくれないかとすら思ったほどです。もっとも現代でこんな車作ろうものなら確実に衝突安全テストは突破できないでしょうし、コストも跳ね上がって300万円台に乗る可能性すらあります。バブル期だから作れた車の一つですが、こういう面白味のある車を今後もトヨタには期待したいです。

「BLMAE」のPVについて

 誰かとは言いませんが、引退すると発表したからといって既に撮影済みのCMなどが放映を打ち切られることは普通ないと思うだけに、あの報道は真実だったんだろうなと見ています。



 上記動画は「シドニアの騎士」でブレイクした漫画家の弐瓶勉(にへいつとむ、通称ニビンベン)氏のデビュー作である「BLAME(ブラム)」が来年劇場アニメ化されることが決まり、公開に先立って配信されたプロモーション映像です。このBLAMEという作品は連載当時から私も読んでおり、日本漫画の基準を大きく凌駕した圧倒的なスケールの世界観と桁違いに巨大な構造物、そして全く詳細を明かさないストーリー展開と相まって強い衝撃を覚え、つい先日に愛蔵版全6冊も購入するほどはまっていました。この作品が元で弐瓶氏の後続の作品である「バイオメガ」、「シドニアの騎士」も即購入を決断したほどです。

 そんなBLAMEの映像化ですが、正直言ってこのPVを見る限りだと全く期待できないというかスタッフはBLAMEの世界を全く理解してないのではと思うほど落胆させられました。まずキャッチコピーの「生き延びろ!」ですが、私の感覚だとBLAMEの世界では主人公を始め大半のキャラクターが遺伝子改造、もしくはサイボーグ化されててびっくりするくらい不死身な連中ばかりで、生身の人間に至ってはそれこそゴミ屑のように片っ端からミンチになる以外の運命しかありません。ヒロインのシボというキャラに至っては登場する度に身体が消滅しては別の身体に乗り移り、「内臓のない体は慣れないわね」などと言いつつ見事な七変化かましており、こうした世界観からすると「生き延びろ」というよりは「死んでも蘇る」という方が合っている気がします。

 ヒロインに負けず劣らず主人公の霧亥(キリイ)の不死身っぷりもぶっ飛んでおり、自慢の武器の「重力子放射線射出装置」を撃つたびに片腕がもげますが全く意に介さないし数ページしたらまたくっつくし、溶解した金属にくべられてもほっとけば五体満足で復活するしで、そんなキャラ達を前にして「生き延びろ」なんていわれてもなんだかなぁって感じです。
 またPVの中でその霧亥が「俺は人間だ」というセリフを言っていますが、これにも強い違和感を覚えます。というのもこの主人公、「森田さんは無口」という漫画の主人公と並び全くセリフをしゃべらない極端に無口な主人公で、セリフをしゃべるのも後半に至っては数話につき一回あるかないかで、たまに喋るセリフも「おい」とか、「あれは珪素生物だ」しかなく、作中の全セリフをリストアップしようとしてもあっという間に終わっちゃうくらいの人物です。

 そんな霧亥がわざわざ自分が人間だなんていちいち主張するとは私にはとても思えず、むしろ映像化するならこの無口な個性を極端に生かして一切セリフを言わないでほしいと思うくらいなのになんなんだこのPVはと、あくまで一ファンの立場ではありますが納得いかない点が多々あり、こんな感じで映像化されるくらいならいっそ作ってもらいたくないとすら覚えます。

 なお漫画についてですがこれは文句なしに絶賛できる作品で、敢えてこの漫画に比肩するとしたら大友克洋氏の「AKIRA」くらいではないかとも思います。何故かというと背景に移る構造物が極端に精密且つ巨大であり、「真の主人公は構造物」とすら言われ、極端なセリフの少なさと相まって漫画というよりは画集と呼ぶ声もあり、背景ひとつで漫画作品を成立させた大友氏に通ずるところがあるからです。このBLAMEの背景の特徴ですが、作者の弐瓶氏は元々ゼネコンで現場監督をやっていたという漫画家としては特殊な経歴を持つこともあって、人物と構造物の対比に関しては間違いない当代随一の人物でありその特徴が最大限に生かされているのもこのデビュー作であるBLAMEです。
 そうした背景の美しさ(畏怖さ?)もさることながらSFチックでありながらどこか猛烈なグロテスクさを覚える珪素生物、セーフガードといった敵役の造詣も非常に素晴らしく、特に作品中で屈指の人気を誇る「サナカン」という敵役についてはあれほど冷たい目をした漫画キャラクターを誇張ではなく私は知りません。しかも紙切れをばらまくように片っ端から人間を惨殺していくもんだから、このキャラには恐怖を通り越した何かを感じたと共に、終盤になって再登場した時の立ち位置が後年までも強烈に印象に残っています。

 ただ印象に残った箇所ですが、やはり一番「えっ?」とさせられたのは連載終了後、作者のセルフパロディ作品として公開された「ブラム学園」に尽きます。知ってる人には早いですがめちゃくちゃハードで慈悲のかけらも何もないSF作品なのにこのパロディ作品ではグロテスクな造形そのままで作中キャラクターの歪な学園生活が繰り広げられ、読んだ人間全員が「どうしちゃったの弐瓶先生!?」と、軽く作者の心理状態を心配したことかと思われます。ちなみにこのブラム学園は読み切りで三作品が公開されましたが、三作中で主人公の霧亥が喋るシーンは一つもなく毎回肘鉄とかビーム撃たれて〆られています。

2016年12月9日金曜日

ウェブメディアの炎上騒動について

 昨日の昼食時の議題は、「ベジタリアンは虫食ってもいいのか?」でした。まぁ仮にOKだったとしてもカブトムシなんか食べたくない人のが大半だろうけど。

炎上中のDeNAにサイバーエージェント、その根底に流れるモラル無きDNAとは(ヨッピー)

 DeNAを筆頭とするIT企業のウェブメディアが信用性のない記事を公開しまくって炎上している問題について述べている記事ですが、今まで知りませんでしたがなかなか見識の高い人だと思う記事です。文章もうまいから長くても読んでて全然ストレス感じませんでした。

 さてこの問題についてですが、記事を公開停止している会社は倫理観がないなど盗用や著作権に対する意識が低いなどとあちこちで論じられているので今更私が同じようなこと言ってもつまんないと思います。唯一この方面で言うとしたら、DeNAは社長がでてきてこんにちは、じゃなく今回の騒動について謝罪していましたが、私が見る限り「悪い」と思って謝罪したのではなく「マズイ」と思って謝罪しただけでほとぼりが冷めたらすぐまた似たようなことをすると思います。

 ほかの人と同じこと言ってもつまらないと思うので私の目線でこの問題について敢えて切り込むとすれば、一番気になったのは「ウェブ記事の質」についてで、単刀直入に言うと、Web上ではどれだけ記事の質が良くてもその記事が読まれるとは限らず、むしろ記事の質がどれだけ悪かろうと工夫次第で膨大なアクセスが得られちゃうってことです。それで何が起こるかと言うと、質の悪い記事に質のいい記事が埋もれてしまうことが大いにあると言いたいわけです。

 そもそも今回のDeNAの問題が何故公になったのかと言うと、医療情報という生命と健康にも関わる敏感な分野に手を出したこともさることながら、そうした根拠のない記事がウェブ検索で片っ端から上位に来てたことがきっかけでした。一体何故そうしたカス記事が上位に来たのかというとDeNAの検索対策、やや専門的に言えばSEO対策が非常に充実していたためで、繰り返し言いますが記事内容の質がよかったためではありません。
 ウェブにおいては実質、検索で上位に来るかどうかですべてのアクセスが決まると言っても過言ではありません。なので記事の質が悪くともその方面の対策や技術に長けていればアクセスを稼ぐページは作れてしまい、逆にどれだけ質がよくともその辺の対策が悪ければアクセスはどうやっても伸びないわけです。

 でここだけの話、やはり質の悪い記事の方が量産されることも多くなおかつSEO対策もそこそこ出来てるため、そうしたカス記事によって良記事が埋められてしまうことで、折角存在する良記事が見えなくなってしまうという弊害があります。私自身も調べ物とかしていて検索上位に何の参考にもならずどうでもいいことしか書いてない記事ばかりで辟易していた所、検索下位にこれはと思う記事を見つけ感動したことが何度もあり、何故これほどいい記事が上位に来てもっと読まれないのかと他人事ながら歯がゆい思いをしたことすらあります。

 このブログに関しても、少し強気に出れば同じ内容を論じているほかの記事に比べてもそこそこ面白い切り口で書いている自信がありますが、ホットな話題とかで検索上位に来ることはまずなく、大勢の人間に読まれることなくほかのカス記事に埋もれてしまうことも少なくない気がします。もっともその代わり、定期的に読んでくれている読者の方々は相当の猛者揃いというかコメントとか見ていてもいい読者を得たなと思えるだけに少数精鋭なブログであるという自負もあります。

 今回、DeNAや便乗したサイバーエージェント、リクルートなどもウェブメディアを閉鎖する動きが広がっていますが、個人的にはこの動きはもっと続き、ウェブ上からカス記事がなるべく少なくなるに越したことはないと思います。それと同時に、本当に価値のある良記事がもっと人目につくようガイドラインとかその方面のまとめ・評論サイトなんかがもっと広がればウェブメディア全体にとっても価値が高まるのではないかという風にも考えており、ただ倫理観の低い連中を叩いているだけではウェブメディア業界全体の底上げにはつながらないということを今回は主張したかったわけです。

 最後にまた自分語りすると、このブログは徹頭徹尾記事の質だけで勝負しています。大勢に読まれることに越したことはありませんがいい書き手もいればいい読者もおり、その逆に悪い書き手もいれば悪い読者もいるだけに、しょうもない読者はむしろ遠ざける様な書き方を敢えてやっている所もあります。自分自身が必ずしもいい書き手であるなどと自惚れてはいませんが、いい読者を囲うということは読者の方々にとっても大きなメリットがあると思うだけにこの方面はかなり意識してやっています。

2016年12月7日水曜日

オバマ大統領の総括

 最近の米国情勢記事はどれもこれもトランプ次期大統領に関する報道ばかりですが、トランプの就任とともに大統領職から降りるオバマ大統領についてそろそろ総括するような記事が欲しいのでもう自分で書きます。

 結論から言えば近年稀に見る傑出したリーダーだったというのが私の評価です。毎日新聞のアホが最近何でもかんでも「トランプ現象」と言ってトランプと結びつけた誤った報道を展開しておりますが、米国の大統領選が始まるずっと前、具体的には二年くらい前から世界各地でリーマンショック以前のグローバル化に逆行するブロック化は勢いを増してきており、北欧やフランスでの移民排斥運動は前から盛んになり始めてて因果関係がまるで逆です。世界がそのようにブロック化へ突き進んでいったのがこの八年ですが、この八年に米国大統領としてほぼ一貫として国際協調路線をオバマ大統領は取り続けていました。

 面倒くさいですが一応その根拠と言うか国際協調路線と言える行動を挙げるとTPP推進、イラクやアフガニスタンからの段階的撤兵、キューバ訪問、冷戦末期以来の核兵器削減などで、細かい点を挙げればもっといくらでも出てくるでしょう。先にも言った通りにこの八年間、世界はほぼ一貫してブロック化の流れを突き進みましたがその中でオバマ大統領は協調路線を崩さず、仮に彼が逆の立場だったら世界のブロック化の程度はもっと激しかっただろうと私は考えます。
 もっともそうした協調路線が外交上で成功したとは必ずしも言い切れないところがあり、一番大きな失敗はイラクからの撤兵を急いだあまりISISをのさばらせたこと、次にシリアでの内戦激化で、ロシアのウクライナ割譲はまぁプーチンが上手だっただけでオバマ大統領のせいとは言い切れないでしょう。

 上記に上げた外交政策の中で唯一私が全く分からないのはシリア内戦への介入です。基本的には国際協調路線を取りわざわざ広島に訪問してくるなど反戦思想も強い人間であるにもかかわらず、シリアのアサド政権に対しては初めから強硬な態度を取り続け、中国やロシアの反対で実現こそしなかったものの国連で多国籍軍を組織してまでも攻撃を仕掛けようとしていました。一体何故オバマ大統領はシリアにだけはこれほど強硬だったのかがその背景が全く分からず、また日系メディアもその辺をきちんと分析したり解説しないので私の手元にすら全く情報がありません。オバマ大統領のそれまでの姿勢を考えると明らかに逸脱した行動であるにもかかわらず、所詮は遠く離れた中東の事情は日本人にとっては関心が薄いのかもしれません。

 外交の話ばかりしてきましたがオバマ大統領個人の資質に関してもやはり傑出していたと私は考えています。特に優れているのは演説で、就任時や最初の大統領選時の「Yes, we can!」を筆頭にどこでもいつでも見事な演説で、プレゼンに対し比較的厳しい見方を持つ米国人ですらオバマ大統領に対しては手放しで誉めるくらいです。先の広島訪問時の演説も自らが起草したそうですが一言一句に至るまで非常に丁寧でしっかりした作りであるだけに、地頭の良さを強く感じさせられます。

 しかしそうした能力が在任中に生かされたかとなると判断はやや難しく、こと内政に関しては発足当初からの念願であった国民皆保険制度、通称オバマケアの実現は不完全に終わり、トランプ次期大統領も就任後は廃案にすると述べていることから事実上、未達成に終わりました。
 それ以外の面でも米国内の経済についてなりふり構わない金利政策を取り、就任当初はリーマンショックの影響もあったとはいえなかなか好転しない経済に批判も多かったです。もっとも現状において米国経済は比較的安定しているので、政権の経済運営能力は決して低くなかったと私は見ていますが。

 エネルギー政策に関しては専門外のため適当なことしか言えませんが、米国に限らず世界全体でここ数年は主役の変動が激しく、具体的に述べると今年においてシェールガスに関する大きな報道を私は一度も見ませんでした。実際、シェール関連業者の破綻が米国内で相次いでおり、バイオエタノールみたいに一過性の存在で終わってしまうんじゃないかと今考えています。っていうかここでシェールガスを思い出せるだけでも自分はそこそこしっかりしてるなとすら思えてきますが、変動が激しかった分、米国も一貫した政策が取れずどちらかと言えば自国利益よりも対ロシアの嫌がらせに原油価格を動かしてきた、っていうか米露関係で原油価格がずっと動いていたような気もしないでもありません。

 軍事面についても触れるとくと、基本はハト派であったもののビンラディンの暗殺を達成したり、ドローンに代表される無人兵器の活用を広げたりと黒い面も見ようと思えばいっぱい出てきます。後者の無人兵器については映画の「キャプテンアメリカ2 ウィンターソルジャー」でも暗に揶揄されていますが、彼がただのハト派なだけではないということを示す大きな指標と言えるでしょう。

 アジア政策に関しては民主党出身であることから対日関係はブッシュ政権時より冷え込むと当初は予想されたものの、さすがに小泉×ブッシュ時の関係を築くまでには至らなかったとはいえ案外対日政策はそれほど冷遇されてはいなかった気がします。むしろ在任中、中国との通商問題や人権問題が両国間で槍玉に上がることが多く、北朝鮮問題も絡んでオバマ大統領は国内をなだめる火消しに忙しかったような印象を受けます。そう考えると次のトランプ政権では米中関係は恐らくですが今よりずっと先鋭化する可能性が高いように思えてくるわけです。

 以上が私のオバマ大統領評ですが、やはり前任のブッシュ、前々任のクリントンと比べても優秀な大統領だったように思え、黒人初の大統領という点でも十分歴史に残る人間だと思います。ただ個人的に可哀相だったのは同じ時代にロシアのプーチン大統領がおり、ウクライナやシリア問題では完全に相手のペースに乗せられてしまったということで、一矢を報いようという意思は感じたものの、原油価格でのチョーク攻撃は退任が近くなったこともあり先週に終わりを迎えてしまいました。
 逆に考えればオバマが去った後、プーチンが国際政治で更に無双状態になる可能性もあるということです。その辺は次のトランプ政権によりますが、外交力で考えるとオバマ大統領は比較的掲げる旗が国際協調ではっきりしていた分、次の政権はやや厳しくなるのではと個人的に思います。

 今週クソ忙しいからブログ書くのやめようかと思ったけど、政治ネタなだけに何も前準備なしにここまで書いてしまう当たり自分がよくわかりません。

好きなことを仕事にすべき?

 今年の忘年会の場所がカラオケ屋となり歌うたうのは好きだけど下手だから行くのやめようかと思ってたら、そのカラオケ屋には猫がいるとわかり今非常に悩んでいます。なお昔、上海の居酒屋で厨房の奥から猫の鳴き声が聞こえるもんだから店員に、「お宅の猫を見せ給え」という無茶なオーダーをかましたことがあります。店員の返答は、「また次回に」でしたが。

 話は本題に入りますが、私はかなりガチなレベルで歴史科目に強く実際に歴史は好きなのですが、大学受験の際に史学科への進学は一応一か所で受験したもののそれほど希望しておらず、初めから社会学を希望していました。何故かというと歴史は好きだけれどもそれを学問として取り扱うとなると別で、むしろ嫌いになりそうだと思ったからです。

 それで今度は仕事の話ですが、私は中学生の頃から新聞記者を目指して実際に新聞記者になるためだけに文章技術を高め続けてきました。しかし新卒で就活を行っていた際、果たして新聞社にこのまま入ってもいいものか、特に希望する政治部や社会部に行ったら破綻するのではという妙な警戒感を持っていましたが、結果から言えばこの予感は間違ってなかったと思います。
 結局新卒では新聞社はおろか100社以上からお祈りメールを喰らう羽目となったものの中国でどうにかこうにかだまくらかして経済新聞社の記者になることが出来ましたが、その新聞社が経済紙で本当によかったと当時思いました。何故かと言うと、政治や社会関連の記事を書くとなると必ずしも私の思想信条と会社の思想信条が一致するわけでなく、仕事していて多分苦しい思いするのが目に見えたからです。逆に経済記事だと、それほど思い入れがないから言われた通り書くことに何も抵抗がなく、自分の記者としての才能があるとしたら、この分野に対する適応性が最も高かったことでしょう。

 こっから真の本題に入りますが、よく世の中で「自分が好きなことを仕事にすべきだ」というような言質が出ていますが、これは私に言わせれば絶対的に間違っている言葉のような気がします。漫画家やライター、流しの首切りなどフリーな立場であれば話は別ですが、基本的に現代の世の中では会社組織に属さなければまともな収入や生活が立たず、そうした会社組織の中で「好きなこと」を仕事にしてしまうとその好きなことに多かれ少なかれ制限が加えられ、大抵の場合は歯がゆい思いをせざるを得ないからです。
 たとえば先程の新聞記者の場合だと、本人は自民党支持だとしても社の方針が朝日新聞みたいであれば自分の思っていることと真逆の内容の記事を書き続けなければなりません。またこれ以外にも車が好きだから大手自動車メーカーに入ってしまいますと、基本的に所属するメーカーの車しか購入することが許されなくなり、結果的にいろんなメーカーの車を乗り比べる機会は確実に減ります。この前日本に帰ったトヨタグループの人も、「選択肢がトヨタ一択」と言ってましたし。

 一言でいえば、好きなことを仕事にすると確かにそれに関わる時間は増えるものの、その好きなことに何かしら制限がつくケースが多くなると言いたいわけです。私に言わせれば好きなことこそ本業からは遠ざけ、むしろ副業でやるべきものだと思います。
 実際に私はなんだかんだ言いつつ報道と思想探究が何よりも好きでこうしてほぼ毎日ブログであーだこーだ好き放題に言っていますが、恐らく普通のメディアではこんな情報発信はまず間違いなくやることは無理です。またこれ以外にも姉妹サイトでやっている日系企業の海外拠点データ収集も、ああした作業が好きだからやっているという面もあり、私本人としては敢えて真面目な仕事にしたくはないという思いがあります。

 もちろん好きなことして金稼げたらそりゃ万々歳ですが、世の中そんなにおいしい世の中ならもっとみんなハッピーです。そうは上手くいかないからみんなストレスフルに生きてるわけで、返って好きなこと語を仕事に重ねようとするとそこそこ苦労があるし、また上記のような制限に伴う微妙なずれによってそれまで好きだったことが嫌いにすらなる可能性もあると思います。だからこそ好きなことは誰にも邪魔されないプライベートな所で、副業みたいにしてやるべきだと私は主張したいわけです。

 ちなみに最近の私は、本業は一応世を忍ぶ仮のサラリーマンとして普通に勤務し、プライベートタイムの副業と言うか趣味としてこのブログを展開するほか、海外拠点データの収集管理、JBpressで月二回程度の記事執筆、週末のサイクリングをやりつつゲームもやり込み、友人から最近無理してないかとなんか心配されてきました。実際、ブログやめたら毎週7時間くらい自由に使える時間が増えると考えると結構頑張ってるなと思いますが、書いてて全くストレス感じないので辞める理由は見当たりません。

2016年12月4日日曜日

薩摩示現流の系譜

中国における新会社設立に関するお知らせ(シャープ)

 本題と関係ありませんが上記のシャープが出したプレスリリース中にある「当社の幅広い事業や技術、商品企画力を活かし、オールシャープの総合力を発揮すべく」という文言について友人が、「ワン・オブ・ホンハイの間違いじゃね」と身も蓋もない事言ってました。間違っちゃないしむしろこっちの方が正しいけど、こんなの聞いたらシャープ社員泣いちゃうぞ。

示現流(Wikipedia)

 そんなわけで本題に入りますが多少剣道や時代劇にかじった者なら「示現流」という言葉を聞いてすぐピンと来るでしょう。示現流とは薩摩藩だったころの鹿児島で主流となった剣法で、その特徴はとして「初太刀にすべてを懸ける」、というより「二発目なんて甘い事言ってんじゃねぇ、一撃で殺せ!」と言わんばかりに一撃にすべてを懸けるという流派で、それだけに斬撃の威力が凄まじく受け太刀した人間が受け止めた自分の刀ごと切られたり、受けた自分の刀の峰や鍔が頭蓋にめり込んで死んだこともあるという信じ難いエピソードもあります。実際に他流派からも恐れられ、新撰組ですら示現流相手には警戒するよう隊内で訓示を出していたそうです。

 そんな示現流の歴史について軽く説明すると、元々は九州地方で盛んだったタイ捨流から独立して成立し、開祖が薩摩藩の初代藩主島津忠恒の師範役に就いたことから薩摩で正統流派として普及するようになります。当主は代々開祖の東郷重位に端を発する東郷家が継承して藩内に多くの門弟を抱えていましたが、四代目の東郷実満は父親が中風にかかったことによって満足な指導を受けられないまま当主となってしまい、高弟たちからはその実力を軽んじられどんどんと門弟は減り、一時は師範役の人も解かれた上に困窮する羽目にもなりましたが東郷家に忠を尽くす高弟たちの努力もあって再び師範役に返り咲いて東郷家のピンチを乗り切ます。

 しかしこの四代目実満の後を巡り、後継者争いが勃発します。後継者には人格も実力も周囲から高く評価されていた長男の東郷位照(たかてる)が継ぐと見られていましたがこれに対し異母弟の実勝が猛烈に抵抗して家督への執着を見せたことにより、位照を脱藩に追いやった上に遠島への流罪に処されるまで追い込むことに成功します。しかし兄を追いやったものの家督は位照の息子の実昉(さねはる)が継ぐこととなり、若年で未熟な実昉に代わって高弟の薬丸兼慶が師範役となりました。
 面白くないのはもちろん実勝で、彼は甥であり当主の実昉をないがしろにして自らが当主のように振る舞ったことから藩主の怒りを買い、兄と同じく遠島へ流刑されます。時を経て家督を争った位照も実勝も罪を許されて城下に戻ってきますが、何故か実昉は最初は実の父親である位照を受け入れたにもかかわらず叔父で自分をないがしろにした実勝が帰ってくると位照を追放して叔父を受け入れたそうです。なにか弱みでも握られたのか?

 しかし道場内では実力も人格も備えた位照を支持する層が常にいたそうで、また生活に困窮した位照は町人などに剣を教えることで生活していたため、真に実力を求めようとする者は位照の元で学ぼうとしたそうです。
 そんな位照の元で学んだ者の中に先程出てきた薬丸兼慶の孫の薬丸兼富という人物がおり、この兼富の才能を見出した位照は「俺に教えさせろ」とわざわざスカウトした上で弱冠二十歳前後で免許皆伝まで与えてしまいます。これにより、「示現流の本当の奥義を知る位照から伝授されたのは薬丸家だ」という風に見られ、兼富の養子となり跡を継いだ兼武の代になってついに示現流から独立し、薬丸自顕流という分派が成立することとなります。

 ただ薬丸自顕流が独立した際、本流である東郷家の示現流からも弟子が大量に移動するなどして一悶着があり、開祖の薬丸兼武は怒りを買った藩主から遠島に処せられ刑地で没する羽目となっています。しかし時代を経て子の薬丸兼義の代にその実力が藩から認められた薬丸自顕流も剣術師範として認められ、下級武士を中心に大勢が門を叩いたそうです。
 そのため、幕末における主な示現流の使い手は薬丸自顕流を学んでおり、騒動や暗殺が起こる度に名声が高まり薬丸自顕流には弟子がどんどんと集まったそうです。しかし弟子の多くは寺田屋騒動、戊辰戦争、西南戦争で大半が亡くなったとも言われます。

 前回の「首切り浅右衛門」こと山田浅右衛門とその一族と合わせて何故示現流を取り上げたのかと言うと、やはりこういう武術系は血筋だけでは継承はどうにもならない所があると言いたかったからです。事務作業ならともかく武術ともなれば実力がなければお役目を果たすことが出来ず、だからこそ山田家は優秀な弟子を養子に取るという方法で継承しましたが、示現流の東郷家の場合はなまじっか高い実力を持った位照を放逐したがゆえに薬丸自顕流の分派を招いており、継承でトラブルを起こしています。
 現代においてはそんな武術家の継承などはそんな気にするほどでもないですが、何気に「優秀な部外者を養子に取る」というのは最も安定的で効率的な継承方法かもしれません。現代では自動車のスズキが毎回これで継承してきましたが、もっと他の会社でもこういうことあってもいいんじゃないかという気がします。

2016年12月2日金曜日

江戸幕府の死刑執行人一族

 これから書く記事はほかの人もたくさん書いているので正直私が書くべきなのか非常に悩みましたが、悩むくらいなら書いた方がいいという結論と、この次に各記事と合わせれば独自性が出せるからありかと割り切り書くことにしました。独自性これ大事。

山田浅右衛門(Wikipedia)

 フランスの死刑執行にはギロチンが使われ、その執行に当たってはサンソン家という一族が代々になっていました。もっとも有名なのはルイ16世を処刑した四代目のシャルル=アンリ・サンソンという人物で、彼に対してパリの人々は畏怖を込めてムッシュ・ド・パリと呼んでいたとされます。
 一方、日本の江戸時代においても代々死刑を執行する執行人の一族がおり、それが上記リンク先の山田浅右衛門と呼ばれる一族です。

 山田家は元々は刀剣の鑑定を兼ねた試し切りを専門に行う一族でした。当時の試し切りは木や動物ではなく人を直接斬って鑑定することに価値があると見られ、試し切りの対象には斬った所で差しさわりのない罪人が使われるようになり、転じて山田家は死刑執行の業務を担当するようになります。
 ただ死刑を執行しておきながらですが山田家は幕府の直参、直接雇用される立場ではなく身分上は浪人のままでした。何故こうだったかについては諸説あり、死刑執行人を直接抱えることが幕府に忌避されたというのが一番有力な説ですが、現代で言えば死刑執行の度に呼ばれるフリーの首切り請負人と言ったところで、なんでもフリーつければいいもんじゃないと書いてて思います。

 山田浅右衛門が歴史の舞台に登場するのは八代将軍徳川吉宗の代で、それまで試し切り、死刑執行を担当していた鵜飼十郎右衛門(この人は幕臣)という人物が逝去した後、試し切りの技術を後世に伝えたいと申し出た鵜飼の弟子が山田浅右衛門でした。吉宗は山田の実力を認めたことからその後、山田家が試し切り、死刑執行を専門的に担当するようになり、当主の山田浅右衛門が執行できない際はその弟子が代わりに行うというスタイルが確立されることとなります。
 山田家は浪人の家とはいえ生活は武家の中でも非常に裕福であったとされ、その理由としては幕府お抱えの試し切り鑑定家であったため他の大名家からも試し切り、並びに刀剣の鑑定依頼が殺到したことと、死刑を執行した罪人の遺体から肝臓などを持って帰り、漢方の材料として売却して得る収入が大きかったためとされます。この辺はフランスのサンソン家が医師も兼ねていたというところと共通しています。

 死刑の執行は山田家が任されていましたが山田家では代々、後継者は当主の子ではなく弟子の中から選ばれていました。やはり当時としても死刑執行人という職への風当たりは強かったらしくどの当主も子供へと継がせることに抵抗を示し、弟子の中から優秀な者を後継者に選ぶというパターンが多かったそうです。
 こうした継承の唯一の例外となるのは幕末期、あの吉田松陰や橋本佐内を処刑した七代目山田浅右衛門吉利で、彼だけは自分の長男である吉豊を後継者に指名しています。しかし世の中面白いもんだと言うべきか、真に首切りの才能を持っていたのはこの長男ではなく三男の吉亮だったとされ、八代目当主である兄に代わって明治の時代にあってもバスバスと首を切っていったことからこの三男の吉亮を「九代目」もしくは「閏八代」と呼ぶ声も多いです。そして長男の方は1882年に逝去した一方、件の三男は首切りによる処刑が廃止されてから1911年まで存命して山田家についての証言も残していることから歴代の中でも彼がとりわけ重要な人物であると見て十分でしょう。

 彼ら山田浅右衛門一族、ひいてはサンソン家の話から得られる教訓としては、いつどの場所であっても死刑執行人は世間から忌避される存在であったということでしょう。だからこそ一程度の収入や身分が保証された一族が一身に担う必要があり、その死刑に対する技術も脈々と受け継がれていったと考えられます。
 現在の日本では絞首刑が行われていますが、件数もそれほど多くないんだし、誰もやりたくないかもしれませんが何だったら専門に刑の執行を行う一族が現代にあってもいいような気もします。ただ死刑執行に限らずとも一族が代々と同じ仕事を受け継ぐということが現代においてはどの分野でも薄れており、そうした所が家族意識にも影響を与えているのでしょう。

 なお私の家系は曽祖父の代から何気に代々メディア企業に勤める一族ですが、メディアの中で記事を書く仕事についたのは私一人です。そんなもんだから親父の従弟からは、「君はうちの一族で唯一と言える直系の男子だから、爺さんもおった新聞社に記者として勤めてほしかった」と言われたことがありましたが、多分あの新聞社は思想信条的に私とは相容れないため難しいとやんわり断りました。

2016年12月1日木曜日

日本の霊能者


 なんか歴史ネタ書いてないのですぐかけるオカルトを混ぜた話として、日本における著名な霊能力者を頭に浮かぶ傍から書いてこうと思います。
 まず全体的な傾向として日本の霊能者は仏教関連に集中しており、著名な宗派の改組は多かれ少なかれ神秘体験じみた話を持っています。中でも日本屈指というか山岳信仰の開祖である役小角、陰陽道でお馴染みの安倍清明と並んで三大霊能力者に数えられている空海に至っては中国へ渡航するや真言宗の一番偉い人から、「お前を待っていた」と、真言宗の経典から秘儀まで全部伝授されました。この一件によって真言宗の本流は中国から日本に移ったわけですがこれ以外にも空海は敵対する宗派の人間と呪い合戦を繰り広げ、なかなか決着つかないから敢えて自分が死んだという噂を流して相手の気が緩んだスキに呪い殺して「してやったり」と言ってのけたという、宗教者としてそれでいいのかと思うエピソードまであります。

 同じく仏教者で私が思い当たる人物としては鎌倉時代に華厳宗を盛り立てた明恵という人がおり、この人は潔癖な人で自分が欲望に負けやすいなどと打ちひしがれて決意の証に片耳を切ってしまうという熱情家でした。空海みたいにぶっ飛んだエピソードこそないものの、「入り口の水がめの中に虫が落ちたから救ってあげなさい」と弟子に行かせたら本当に虫が入ってたとか、自分の死期を正確に予想して当てて見せたというエピソードがあります。
 同じく鎌倉時代で言えば日蓮を外すわけにはいかず、この人は行動も発言も過激ですが「国家に大難がやってきて法華経を大事にしない幕府は滅ぶ」という予言は残念ながら外してしまいました。そのかわり国政批判の門で斬首されかけたさいには辺り一円に雷が鳴り響いて刑を執行することが出来ずやむなく遠島に刑を変えられたという話はあり、多分探せばこの人はまだまだ出てくるでしょう。

 仏教者以外で霊能者を挙げるとすれば戦国時代の果心居士が有名ですが自分はあまり好きじゃないし実在を疑うので省略します。それ以降の時代、江戸時代だと私の印象では女性に多く、大体が巫術系というか神様や霊を宿してイタコみたいに口寄せするという話が増えてきますが、大体こういう話に出てくる女性霊能力者は早死にすることが多く、大正時代に有名になった御船千鶴子を代表にみんな夭折しています。

 西洋における霊能力者だとよく空中浮遊する話が伝わりますが、近現代はともかく近代以前の日本だとあんまりそういう系統の話は聞きません。私が思うに日本で空中浮遊するのは霊能力者ではなく忍者であるためそういった方面の能力開発を霊能力者はやってこなかったのだと思います。まぁ忍者が空飛ぶ能力開発してたか私も知りませんが。
 逆に日本だとやはり呪殺とか千里眼系が多く、遠隔地にある出来事や人物を見たり知ったりするような話が霊能力者のエピソードに多いです。一方で物理的に何かを曲げたり発火させたりするような話はほとんどなく、やっぱりこちらも忍者の領域でしょう。

 結論として何が言いたいのかと言うと、西洋における霊能力者は日本の霊能力者とはやや異なっているというか、むしろ忍者の概念に近いのではと言いたいわけです。西洋では曲げたり燃やしたり空飛ぶ力を神霊力と称しますが日本の場合は忍術というか修行の成果であって霊的な能力は一切皆無であり、神霊に頼るのはむしろ邪道で西洋の霊能力者はまだまだ修行が足りないのでしょう。
 最後にどうでもいいことですが、奈良県の柳生の里近くに忍術学院というのがあり、ホームページは更新されていませんが前に近く言ったら看板があって近所の人曰く結構本格的だとのことで、なんか親父が親父の従弟と共にやってみようかと真剣に検討してました。

2016年11月29日火曜日

蛇頭は何処に?

 この前に上司とした会話に、「中国人ってやたらフード被りたがるよね(室内でも)」という一言があったのですが、その際に「アサシンクリード」という単語を思い浮かべていたことは口にしませんでした。フードっつったらもはやこれでしょ。
 話は本題に入りますがその上司とは別の機会に、

「そういや蛇頭(じゃとう)って最近どうしてるんすかね?」
「だよね。最近聞かないよね」

 というのもあり、ちょっと気になる意味も込めて今日記事にします。

蛇頭(Wikipedia)

 蛇頭についてはその上司に限らず、その前にも中国に詳しい人とも話題になり、何故か二人して「あいつらどこいったんだ?」と軽く盛り上がりました。そもそも蛇頭とは何なのかですが、端的に言って福建省辺りを中心とした中国マフィアで、主なシノギは人身売買を含む密航ブローカーと言われている組織です。現代において日本で中国マフィアといったら中国残留孤児二世や三世を中心に形成された「怒羅権(どらごん)」が最も有名ですが、90年代末辺りで中国マフィアといったら誰が何と言おうと蛇頭しかなく、新宿歌舞伎町周辺を題材に取ったルポや小説、漫画には必ずと言っていいほど彼らが登場していました。
 なお自分が読んだルポだと、作者とタイトル忘れちゃいましたが取材者が蛇頭の構成員に飯屋で取材してたら突然テーブルに置いていた時計にナイフを突き立てられて、「あんま火遊びするなよ」的なこと言われたりしてて、なんや中国人ってこわそやなぁと思った十五(当時中三)の夜でした。

 話を本筋に戻しますが、蛇頭というのは一応は中国マフィアって括りですがその実態については諸説あり、日本の山口組の様にトップが強い権力を持つ上意下達のがっちりした組織ではなく個々の反社会組織がシノギのために緩い連帯で連合を組んでいる組織ではないか見られています。そのため蛇頭に属す、かかわりのある組織や構成員はどれだけいるのかわからず、実態としては組織ではなく業界団体的なものではという見方が強いです。

 その蛇頭が日本で一番話題に上がっていた時期は上記の通り90年代末の頃で、場所も上記の通り新宿歌舞伎町周辺でした。具体的に蛇頭が何をしていたのかというと中国人の日本への密航斡旋で、日中の賃金格差が今とは比べ物にならないくらいの時代もあって日本でしこたま稼ごうとする中国人密航者を日本へと運び仕事を斡旋し、稼いだ金を日本へ送るという頭の先からしっぽまでをカバーするフルな密航サービスを展開していました。
 密航者を扱うということから基本ブラックなことに関わることが多く、特に大きいのだと殺人の請負というのもあったそうで、密航者にわずか数万円の報酬を渡す代わりに日本人(主に暴力団)から依頼を受けてターゲットを殺害させるということもよくやってたそうで、これには日本の暴力団も、「あいつら常識がなくやることなすこと無茶苦茶だ」と相当まいってたそうで、当時の裏社会系ルポではよく蛇頭を含む中国人マフィアについて「黒船」と表現し、組の垣根を越えて奴らに対抗しようなどと明治維新みたいな論調で「日本(の裏社会)を外敵から守れ」と書かれてました。なんていうか今こうして書いててすごく懐かしい。

 しかし、そうした蛇頭を含む中国人マフィア関連の話は大体00年代中盤辺りからほとんど聞かれなくなりました。一番大きな要因だと考えられるのはやはり暴対法の思考で、中国人マフィアはおろか日本の暴力団も厳しく規制されたことにより活動し辛くなったというのが何よりも大きいでしょう。そしてもうひとつ考えられる要因としては、中国が急速な経済成長を遂げたことによって国内でもそこそこ収入が上がり、日中の賃金格差も劇的に縮まり、単純に日本へ密航してくる旨味がなくなってしまったことから自然消滅したのではないかと私は睨んでいます。

 とはいえ、いなくなったらいなくなったで寂しいというかあんだけ一時期ブイブイ言わせてたのに今だと本当にもういなくなったのかと気になります。そんなこともあって最近やたらと、「蛇頭ってどうしてるのかな」と周囲に聞きまわっているのですが、傍から見るとやっぱ変な人に見られてそうです。
 そこで、日本国内の情報はこの際置いといて本国である中国ではどうなのか先程調べてみたところ、いくつかヒットするニュースがありました。それらニュースによると一応まだ健在だそうで、韓国へ中国人不法就労者を送ろうとしたり、港湾付近の違法案件で捕まった中に蛇頭関係者数人が混ざっていた等と報じられるている中、少し気になったのは「欧州内の難民移動で蛇頭が50億米ドル儲けている」というニュースもあり、この辺はさすが密航ブローカーなだけあるというか日本を飛び越えワールドワイドに活動している模様です。

 しかし、全体としてはこういう蛇頭関連のニュースはやや少ないように感じました。「蛇頭」と検索してもマフィア関連でヒットするのはわずかで、大半は「草むらから突然蛇の頭が飛び出してきた」とか、「蛇の頭を切り落とした後で胴体が動いてびっくり!」みたいな生物としての蛇関連のニュースが多く、期待してたより蛇頭の実態に迫るような報道や解説はありませんでした。

 マフィアが減るってことはもちろん素晴らしいことですが、減ったのではなく目に見えなくなっただけであれば逆に危険です。そういう意味でこうした方面の情報にはたまに気を配る必要があると思うと共に、文字通り命はってこういう裏社会ネタを取材する記者たちには強い敬意を覚えます。自分なんて絶対こういう取材はやりたくないし、ネット使ってちまちまデータ弄る取材の方が性に合っています。

2016年11月28日月曜日

美濃加茂市長の高裁逆転有罪判決について

 年休消化のため今日から、というより一昨日から丸まる一週間休みな上に、ビザ更新のために必要な住所証明を今日ようやくGET出来てテンションが変な感じに上がり頭痛を起こしてました(多分寝過ぎが原因、土曜は12時間寝てた)。っていうか長寧区はすぐ住所証明ぽんとくれるのに閔行区は何故ああも厳しいんだろうか。
 そんな感じでちょっと精神的におかしいからブログ書くのやめようかなと思っていた矢先、また大きなニュースが来たもんです。

美濃加茂市長に逆転有罪=贈賄供述「信用できる」-浄水設備汚職・名古屋高裁(時事通信)

 よくもまぁこんな判決出せたものだと呆れる一方、もし仮に日本にいたら徒党を引き集め名古屋高裁に抗議デモへ繰り出していたところです。もっとも私が声かけても一人も集まらないでしょうが。

 この美濃加茂市長を巡る裁判については過去にもこのブログで記事にしていますが、誰がどっからどう見たって冤罪でこれが有罪となるならこの世でなんでも有罪にできてしまうかのような杜撰極まりない事件です。市長が逮捕されること自体おかしかったですが一審ではさすがにまともというか常識的に判断されて無罪になりましたが、今回は上記の報道の様に執行猶予付きとはいえ有罪となり、決して誇張ではなく真面目な話、この判決を下した裁判官と検察官は業務に支障をきたすレベルの判断力しか明らかに持ち合わせていないため直ちにやめさせるか、社会的に抹殺するかした方がいいと思いますマジで。

 一審の審議内容についてはもう語りつくしてこれ以上語りたくもないのが本音なので二審のおかしな点についてだけ述べますが、結論から言ってひとつ、一審の段階から何も新たな証拠や証言が出ていないにもかかわらず一審で否定された贈賄者とされる詐欺師のおっさんの与太話が二審では真実と認められた点です。
 そもそもの証言内容自体が胡散臭い上に供述内容も二転三転(例:二人で会った→実は三人で会った)している時点でまともに耳貸す馬鹿はカスだとわかるのですが、一審で真実と認められなかったのが二審で改めて真実だと認めるに至った証拠や説明が全くされていません。これは論理から言ってもおかしなことこの上なく、決して日本の司法は元からまともではありませんが、それにしてもここまでおかしな判断となると私の中では御殿場事件くらいしか浮かびません。

 それにこの事件の論法で行けば、「金を渡した」といえば渡ったお金が存在しなくても誰でも有罪にできかねません。試しに私も今回の判決を下した裁判官と捜査した警察と検察官に「有罪にしろと言って金を渡した」とでも言ってみようかなと思くらい奇妙な判決で、藤井美濃加茂市長に置かれましてはここでくじけず、最高裁までどうか頑張ってもらいたいというのが私の意見です。

2016年11月27日日曜日

創業家列伝~宗次徳治(壱番屋)

 ココイチでおなじみのカレーチェーンの壱番屋を創業した宗次徳治氏は1948年の生まれで、出身地は石川県とされています。宗次氏が語る最も古い記憶は四歳か五歳の頃に母に手を引かれて夜逃げするところというのっけからデンジャラスなシーンから始まるのですが、それからしばらくして父親のDVに耐えかねた母親は出ていき、子育てを全く省みようとしない競輪狂いの父親と二人で過ごすこととなります。
 当時について宗次氏は、父親からは食事の世話をしてもらうこともなくもっぱら学校の給食を主要な栄養源として、どうしてもお腹がすいた時は河原で草を食べるという毎日を過ごしてたそうです。その父親も生来の荒れた性格から何度も住居を引っ越すというか夜逃げしており、当初は宗次氏に同情した周囲の人も段々と避けるようになっていったそうで、その父親からは宗次氏も何度も折檻を受けていたと話しています。

 もうこれだけでも十分物語が成立する宗次氏の人生ですが、十五歳の頃に高校入学準備のため戸籍謄本を取り寄せた時、自分が養子であったという事実を初めて知ります。それまで宗次氏は自分の名前を「基陽(もとはる)」と思っていましたが実の名は「徳治」で、実の両親の名前は全く身に覚えのない名前だったそうです。
 この時、胃癌で入院していた父親に話を聞くと三歳の頃に孤児院から引き取ったという事実を明かし、名前を変えた理由は「ギャンブルで負けが続いていたから」ということも教えてもらいました。その時について宗次氏は、「お前はもらってきてやったんだ」とよく言われていたのは事実だったんだなと思ったそうです。なんていうか、ツッコみどころそこなんだという風に思える言葉ですが。

 実の両親の存在を知った宗次氏ですが、その両親を探そうという気持ちは全く出てこなかったそうです。本人曰く、出生に関心がなかったそうで、養父の入院、そして死去後は養母と暮らし、高校卒業後は名古屋の不動産販売会社に就職しました。そして結婚後、独立して不動産仲介業を営みだしたころ、奥さんと話し合い事務所近くで喫茶店を運営することにしました。運営は奥さんにまかせるつもりでしたが初日に手伝ったところ、「こっちのが面白いじゃん」と思うに至ったそうで、翌日にはもう不動産業をやめてしまい喫茶店専業で働きだすことにしました。
 喫茶店業について宗次氏は、名古屋喫茶店ではモーニングサービスが無料で盛り沢山ついてくる文化があるにもかかわらず経営した「バッカス」という喫茶店では一切そういうのはやらず、小皿のピーナッツにすら30円のお金を取る料金形態としたそうです。これには客から文句が来るどころか銀行の融資担当からも反対されましたが、お客専用のカップを保管しておく「マイカップサービス」などほかのサービス面で差をつけ、開店から十ヶ月後にはもう二店舗目をオープンするなど繁盛したそうです。

 そうして喫茶店を経営するうち、奥さんが作っていたカレーを提供してみたところこれがまた売れに売れたので、相変わらずの切り替えの早さというかすぐまた「カレーハウスCoCo壱番屋」を作ってカレー専門店を経営するに至ります。この「ココイチ」で画期的だった点はご飯の量はおろかルーの辛さも五段階で選べるようにして、それをきちんと料金に反映させたことだと宗次氏自らが胸を張って述べていますが、さすがに当時は生きてはいなかったのでほかのカレー屋はどうだったのかわかりますが、現在ではこうしたココイチのオーダーシステムがカレーチェーンにおいてスタンダードになっていることを考えると確かに画期的だったのではと思う偉大な一歩です。

 ただココイチ一号店はオープンさせたものの、宗次氏曰く、「一日の売上げが六万円を越えたら二号店を出そうと思っていたのだがk路絵が大変な苦労だった」と述べ、二号店が出せたのはそれから一年後だったそうです。一年で二店舗目を出す辺り相当早いと思うのですが、この人のスピード感覚じゃそれでも遅かったのでしょう。この辺にやっぱ元不動産屋らしい臭いを感じます。
 その後あれよあれよといううちに世界規模でココイチは拡大を続け、あまりの忙しさに子供の口に哺乳瓶突っこんでから家を出たこともあったそうでこの時のことについて、「危ないことをしていた」と語る辺りなんとなく余裕が感じられます。ただ、ココイチが拡大する中にあっても徹底的な現場主義的意識を持っていたとのことで、店舗に寄せられる「お客様の声」は毎日全通を宗次氏が読んでいたそうで、一日千通を超えると三時間以上かかるから朝五時に出社して読んでいたというエピソードまであります。

 宗次氏についてはその激しい少年時代を送っていたこともさることながら、個人的には各インタビューでまるで他人事のように話すのが特徴的だと感じます。普通、こういう苦労話は多かれ少なかれ自慢めいて苦労したことが強調されるのですが、各雑誌などに寄せられるインタビュー記事を読んでも全くそうした話し方はせず、淡々と語っているのが非常に不思議に感じます。
 そうした淡々とした、というよりは拘泥しない姿勢は経営引継ぎにも現れており、株式上場を決めた1998年に社長から会長に移った際の後釜の社長には奥さんがなりましたが、2002年には二号店のオープン時に19歳でアルバイトで入ってきた現社長(浜島俊哉氏)に社長職を引き継がせ、完全に経営から身を引いています。普通こういう会社の場合、自分から子供へ直接引き継ぐパターンが多いのですが、実際の行動としては全くそうした行動はとられておらず、上にも書いた通り全くこだわりというものがこの人には見えません。

 経営者としては上でも少し書いたように、桁違いの体力とスピード感はまさしく昭和の一代創業型経営者の典型といえるものでしょう。高度経済成長期に出発しているとはいえ不動産やから喫茶店、喫茶店からカレー屋へと至る過程は非常にスピーディで、なおかつ店舗拡大の速度も明らかに異常です。更に言えばその後の90年代以降の不況期にあっても競争激しい外食業界の中で着実に成長を続けたその手腕は見事というよりほかありません。

 なお家族についてですが、なんでも一昨年に知らない司法書士から連絡があり、遺産相続放棄を求められたそうです。その時になり実の父親が死んだことを初めて知ったそうですが、言われるままに放棄したそうです。

 最後にどうでもいい余談ですが、ココイチは中国でも出店しておりますが以前に記事で書いたように中国でも味は全く同じでかえって不気味さを覚えます。最近は行っていないのですが、日本で最後にココイチ行ったのは2013年の7月辺りで、当事無職でプータローしてたので自転車で行ってなんとなくいつもより店内で居心地悪かったのを何故か覚えています。頼んだのは野菜カレー(3辛)だったと思いますが、味はやっぱり上海の店と同じだなー、早く職見つけたいとか思いながら食ってました。

2016年11月26日土曜日

かつて努力した日々

 今度名古屋に左遷されたうちの親父が上海に来る際、親父の東京勤務時代の元部下とも会うこととなりました。その元部下の名前を見た際、「ああ、あの修正液の人か」と一目見て思い出しました。

 事の起こりは私が中学三年生の頃で何の気もなしに、「親父、修正液欲しいんやけど買ってくれへん?」と聞いたところ、「それやったら会社から取ってきてやる」といって後日、大量に修正液を持ってきてくれました。ただその修正液、どれもシールにハンコされた名字らしき二文字がついており、「これなんなん?」って親父に聞いたら、当時の部下の名前とのことで、その修正液もその部下の机にあったものをかっぱらって持ってきたものだということを教えてくれました。

 親父のせこい悪行はともかく何故当時の私が修正液を欲しがったのかというと、小説の新人賞に応募するための原稿を書く際に必要だったからです。当時、フロッピーでの応募は一部認められていましたが応募原稿は基本的にはワープロで書いた原稿の印刷版か、原稿用紙にボールペン書きしたものしか求められておらず、中学三年生の当時はまだブラインドタッチもおぼつかなかったので毎日必死になって手書きでガリガリ書いていました。
 しかも当時からそそっかしい所は変わらず書く傍から誤字脱字が頻出したため、手持ちの修正液はあっという間に切らしたことから追加で大量に必要となったわけです。夏休みなんかほぼ毎日3時間以上は原稿書いてたので、当時の自分の手は常に修正液で汚れていてあの独特の臭いを醸し出していました。

 多分手書きだったら今もそんなに変わらないと思いますが、執筆速度は400字詰め原稿用紙に対しほぼ一時間当たり六枚で、三時間かけても十八枚というゆったりペースでした。これが中学三年の後半からパソコン使って書くようになると一時間当たり十枚に上がり、なおかつ原稿用紙代を始めとした諸々の諸経費もかからなくなって随分と助かりました。というのも当時、原稿用紙は毎回自分で買っており、といっても教材用に親からもらった金をちょろまかして買ってましたが地味に出費が苦しく、指折り数えながら書いてたのをまだ覚えています。
 ただそれだけ、当時はかなり真面目且つ真摯に文章を書く努力を続けてはいました。あのころにいろんな表現の練習を続けていた甲斐もあって現在にあってもそこそこ自慢できる表現力を身に着けることが出来たと言っても過言ではなく、同時に日本の作文教育では致命的に書かせる量が不足しているなと痛感するに至りました。

 なおその後について述べると、高校時代は高校一年の頃はよく書いていましたが高二の頃は周囲の人間が足を引っ張ったこともあってあまり活動できず、高三時は受験であんまかいてませんでした。大学時代は最初はバンバン書こうかなと思いましたがなんか思ったより熱が挙がらなかったというか、むしろ教養を身に着けるべき時期だと考え書かず、大学を卒業する間際になってこのブログを始めてからまた猛烈に執筆量が増えるに至りました。そう考えると、本気で表現力を磨いた時期ってのは紛れもなく中学時代で、これから作家なり記者なり目指す人はやはりこれくらいの頃に毎日、なるべく手書きで数時間書くことをお奨めします。

2016年11月25日金曜日

金日成暗殺部隊に関する辺真一氏の気になる記事

韓国映画「実尾島事件」は再現されるか 「金正恩暗殺部隊」派遣の可能性(Yahooニュース)

 少し古いし無視してもよかったのですがなんだかずっと気になってたのでもう記事にします。気になったのはコリア・レポート編集長である辺真一氏が書いた上のリンク先の記事で、記事中にある末尾から二番目の段落にある以下の記述が訝しく感じました。

『今から45年前の「実尾島事件」は集められた「特攻隊員」は囚人らだが、今では軍人や工作員出身の脱北者もいる。』

 この箇所の何がどうなのかというと、「実尾島(シルミド)事件で集められたのは囚人」というのが書いてある内容が事実と違うのではないかと思うわけです。

実尾島事件(Wikipedia)

 シルミド事件というのは1971年に実際に起きた事件で、北朝鮮の金日成を暗殺するために韓国の離島(実尾島)で訓練されていた特殊部隊兵士らが反乱を起こしてソウルに繰り出し、正規軍と市内で銃撃戦を起こした事件の事です。首都で起きた軍隊の反乱というのっぴきならない事件でありますが事件が起きた当初は箝口令が敷かれてほとんど知られず、2003年にこの事件を題材に取った映画「シルミド」が公開されてから初めて公に知られるようになりました。

 その事件が知られるようになった映画ですが私も見たことがあり、端的に言って面白かったです。ただこの映画には事実の脚色がひどいという批判も多く、その脚色された箇所こそまさに反乱部隊隊員の出身で、映画の中では死刑囚らに死刑を免じる代わりに部隊へと参加させていました。
 私の理解が正しければこの箇所は完全な創作であったため、映画公開後には元隊員の遺族らが名誉棄損だとして公開差し止めを請求するにまで発展したと聞きます。また常識的に考えても、敵国の首魁を暗殺しようとする部隊に犯罪者を入れるなんて普通は有り得ないと思えるだけに私もさすがにここは嘘だろうという気がします。もっとも、実際の隊員は高額の報酬につられてやってきた一般市民が大半で正規の軍属ではなかったというのもなかなか信じがたい事実でありますが。

 上記の辺氏の記述はこう言ってはなんですが映画の内容そのままを書いており、仮に私の理解が正しければ事実とは異なる間違った記述となります。ただ単に私の方が誤解しているだけかもしれませんが、上の記事について出稿前に誰か何も言わなかったのだろうかという気がしてなりません。しかも中盤にも、「空軍管理下にあった軍特殊犯23人を北朝鮮に送り込むため孤島の実尾島(シルミド)に集め、訓練させたことがある。」と書かれてますが、これほんま?
 上から目線で物言うと、こういうのは業界では「勇み足」といって書かなくてもいいこと書いて失敗する例です。最初の一文も「囚人」なんて言葉を使わなくてもいいのに敢えて使ってますし、中盤の文言も「特殊犯」なんて言葉は不要です。少なくとも、事実認定について紛争が起きていることを考慮すればまず外します。

 事実でない内容が事実であるかのように独り歩きして報じられることほど報道において合ってはならないことはありません。少なくともこの件を見て、ちょっとこの人の記事には映画の内容を鵜呑みにするところがあると注意する必要があることがわかりました。

2016年11月24日木曜日

悪目立ちしたい人たち



 この前書いたゲームレビューで、「声聞いただけでマジ背筋凍った」と評した声優の能登麻美子氏についてちょっと調べたところ、「この人が童謡歌うとマジ怖い」と言われていたそうで、実際上のラジオで収録された能登氏の童謡聞いたところ本気で怖かったです。携帯の着メロにしたいんだけどMP3とかで出してもらえないかな。


 そんな能登氏についての言及が続きますが、上の画像は2004年にプロ野球の近鉄球団売却騒動の際に買収に名乗りを上げたライブドアが、買収後の球団名をネット上で募集した際の後の祭りです。インターネット投票ということもあって不正投票が集中し、1位は何故か当時勢いあった北朝鮮から日本に定住した元米兵のジェンキンス氏の名前が入り、2位には買収で争った相手の楽天の名前が入り、そして4位に能登麻美子氏の代名詞である「能登かわいいよ能登」が入っていて、なにこれと当時思って調べたことが私が初めて能登氏を知るきっかけとなりました。
 見方を変えれば、この2004年からすでに十年以上も経過するにも拘らず能登氏は未だ声優業界で引手数多で活躍し付けていることになり、まぁ色々と凄い人だなと改めて思います。それにしても18位の「仙台・オブ・ジョイトイ」って懐かしいな、確か真鍋かをり氏はコオロギの死骸の写真と共に「コオロギ・オブ・ジョイトイ」ってブログにアップしてたけど。

 話は急転直下で変わりますが、能登氏が十年以上も声優として活躍し続けた一方、先の買収騒動で主役であった元ライブドア社長の堀江氏は、この十年の間にフジテレビ買収騒動を起こしたり、小菅ヒルズに収監されたりと浮き沈みの激しい時期を経由し、現在はテレビのコメンテーターとして出る機会が増えてると聞きます。ただテレビに出演した際のコメントを聞いてると割と世間からは反発されることのが多いように見え、具体例を挙げるとジャパネットタカタについて、「情報弱者を騙して食い物にしている」といったりなど、私に限らずお前がゆうなと言いたくなるような発言が多いです。
 あくまで私個人の見方で言わせてもらうと、堀江氏的にはそういう風に思われて大満足なのではないかという気がします。というのも彼の言動や態度を見ると人から好かれたいというよりは人を怒らせて、「俺はお前らとは違うんだよ」みたいに思って自己満足したがってるように見え、端的に言えば悪目立ちしたがっている人だと思います。私が見る限り彼にはそれほど教養も確固とした信念も感じられず、特に理由なく世間の一般の見方とは敢えて逆のこと、人が誉める対象を貶し、人が貶す対象を誉めるようなことをして目立ちたいだけではというふうに見ています。

 もう一人こういう傾向が激しいと感じる人物として、自称漫画家の江川達也氏もこの類でしょう。手塚治虫についてはかねてから「漫画を駄目にした」などと口汚く罵っており、最近も大した根拠を挙げることなく映画「君の名は」を全否定したりと、信念や考えなど初めからなく人が賞賛するものを敢えて批判するだけのスタンスだと私は見ています。そんなんだからマスコミとかこんな何も考えてない目立ちたがり屋みたいな連中取り上げるなと内心言いたいわけですが今だに二人ともよくテレビとかに出演しているとのことで、かなり昔に「職業:江川達也が画面に映る度に舌打ちをする係」と堂々と書いた漫画家の平野耕太氏は時代を先取りしていたなと思うわけです。
 なお平野氏は一時期ブログで、「江川達也が麻原彰晃に間違えられていきなり一審で死刑判決即執行となり、裁判所に死刑台がパカっと現れが本人は、そんなことはないでしょおなどとへらへら笑ってて……」というような下りをなんかの例えとして用いており、漫画もさることなら文才も凄いなと当時思いました。

2016年11月23日水曜日

電気自動車の提携で孤立するホンダ

中国のEV市場が驚くほど急拡大した理由 日本はEV冷遇国?支援策で先行する中国(JBpress)

 自分で書いた記事に自分で引用するのもどうかと思いますが、中国関連で書いてと言われてなら電気自動車(EV)なら適当に現地報道を翻訳すればすぐ済ませられると思って書き始めたところ、適当な記事が全く見当たらず、結局いろんな資料見て独自分析する羽目となり「回り道こそが近道だったんだ」を実践する羽目となりました。
 それで今回の内容はEVの中国市場と日本のEV補助金政策をメインに扱っていますが、そもそもこの記事のきっかけは今月7日にトヨタが発表した「2020年からのEV量産化計画」です。これに関して仮に日本市場について書いていいんだったら書こうかなと思っていたネタをこれから書くわけですが、結論から述べるとホンダはこれからどうするのといったところで、この意味がわかる人はこの先読まなくても大丈夫です。

 上にも書いた通りにこれまでハイブリッド車、そして燃料電池車に注力していたトヨタがとうとうEVにも手を出すということで、あんまり経済ニュース上では大きく取り扱われていないものの自動車業界の中ではかなり衝撃が大きいニュースだったように私には思います。というのも、このトヨタの発表の直前にトヨタとスズキが開発方面で提携を行うという発表を行っており、「あの提携はEVがらみだったのか」と後の発表で気が付きました。
 自動車業界に詳しい知人というか元同僚もスズキとの提携発表時の衝撃について、「トヨタはダイハツを切るつもりか?」と思ったそうです。実際私も、既に完全子会社となっているダイハツの存在からスズキと提携するなんていう情報は嘘に決まっていると頭から信じ込んでいましたが、これがEVがらみとなると話しは違い、それだけトヨタも今回は動いてきたのだなと改めて覚えました。

 話がちょっと横にずれましたが11月7日のトヨタの発表から約一週間後、今度はマツダが2019年にEV事業に参入するという発表を行いました。あくまで個人的意見で言わせてもらうとこれは偶然ではなく、トヨタと示し合わせてというか両社でしっかり準備した上での発表だったと私は見ています。
 というのもトヨタとマツダは既に環境対策車で提携を結んでおり、マツダは現時点でも既にトヨタからハイブリッドエンジンの供給を受けています。そのマツダがEVに参入するとしたらトヨタとの共同開発以外にはありえず、トヨタに一年先んじる2019年に参入ということは市場流通台数の少ないマツダでEV事業というか量産を一年見た上で2020年からトヨタが本格的に事業を開始するというスケジュールなのではないかと思えました。スケジュールに関しては憶測も入っていますが、EV事業の共同開発に関してはトヨタとマツダは間違いなくタッグを組むとみて問題ないでしょう。

 以上の情報を分析すると、元からトヨタグループだったダイハツ、スバルは言うまでもなく、スズキとマツダもトヨタと一緒にEV開発を行っていくこととなります。逆を言えばそれだけ開発費負担が重くトヨタですら他社と提携の道を選ぶほどかと言えるのですが、以上の5社はEV事業について車種間の競争はあっても基幹部品の開発供給においては共同歩調を取るでしょう。
 一方、既にEVの量産事業を行っている日産と三菱は既に知っての通り三菱がアホやって日産に吸収合併されたことによって、両社は手を取り合って、っていうか完全に一緒になって今後もEV事業を展開していくことでしょう。といっても日産はともかく三菱は途中からEVについて完全にやる気失くしてたので果たしてというところはありますが、すでに事業化している点もあってノウハウ的にも生産的にもトヨタ連合に一歩先んじているのは間違いありません

 となると残ったホンダはどうなるかですが、少なくとも現状で言えばEV事業に関して完全に孤立した状態にあると言っても過言ではないでしょう。っていうか中途半端にハイブリッドに片足ツッコんじゃったもんだから抜くに抜けなくなっているようにも見え、マジでこれからどうするのとホンダ嫌いの私ですらちょっと心配しちゃいます。
 一応、ホンダも過去に事業者向けに「フィット EV」という電気自動車のリース事業を行い、これから消費者への一般販売もやっていくと宣言してその後数年音沙汰がなく、ホームページのニュースリリースも2012年で止まったままで寂しさすら覚えるくらいですが、断言してもいいですがEV開発とか試作をこの会社はほとんどしていないでしょう。一昨年くらいからホンダは欠陥車のリコール対策で完全に開発止まってましたし、そのくせ赤字にしかならないNSXは出したりしてたのでEVに関する開発力は2012年の段階から完全に止まっているのではないかと見ています。

 上にも書いた通り、なんだかんだ言いつつEV開発を量産レベルにまで持って行こうとなると、ガンダムにたとえるなら一年戦争勃発時からゲルググが量産出来る水準にまで持って行くまでの労力と資金が必要になるほどの難事業です。っていうか何故ここでゲルググが浮かぶのかミステリーです。
 だからこそトヨタもスズキ、マツダを巻き込んだのでしょうし、スズキとマツダも単独では不可能との判断から提携したのだと思います。特にスズキはフォルクスワーゲンとも環境対策車方面で提携していましたが相手にその能力がないとわかるや切り、てっきりほかの世界大手、たとえばGM当たりと組むかなと思ってたら国内のトヨタと組んだので、危機感は相当なものだと思えます。

 日産、三菱連合はトヨタ連合と比べると数は少ないですが、先行して事業を介しているという利は確実にあり、また日産の場合だと自動的に仏ルノー、そして中国の東風汽車も絡むので、真面目にオールグローバル体勢でEV事業に出てくるでしょう。どの市場にもすぐEV車を供給できるメリットというのは結構大きいかなという気がします。

 それだけに、ホンダはこれからどうなるのか。EVなんて主流になるわけないと高をくくって無視してガソリン車だけ作るっていうのも別にそれはそれでありですが、本当にそれでいいのかと思うし、っていうか信長の野望じゃないけど外交とかちゃんと考えてるのか見てて不安に感じます。
 逆を言えば一時期流行った「選択と集中」が割と自動車業界で切迫した問題になりつつあるように思え、EV開発に乗り出すか、乗り出さないか、この点で各社の動向が今後どうなるのか密かに楽しみにしています。もっとも一番楽しみなのはヤマハの四輪事業参入ですが、恐らくこれもEVではないかと考えています。

  おまけ
 ほかに同じような意見を先に発信している人はいないかなと調べてみましたが特にいませんでした。その際、「ホンダ 孤立」で検索かけたらサッカーの本田圭佑選手の記事がヒットしまくり闇が深いと感じました。

2016年11月21日月曜日

ブラウザ「Safari」によるコメント不具合について

 先日友人から、「iPhoneのSafari使ってこのブログにコメントしようとすると確実にエラーが出るんだけど」というお便りをいただきました。どうでもいいですがこの友人は学生時代に一回だけサンマ(一尾百円くらい)をおごってあげたのをその後もずっとやけに感謝くれました。
 以前にも同じようにiPhoneやiPadを経由してコメントを投稿するとエラーが起こるという話を読者から聞いており一体この不具合の原因は何なのか調べてみたところ、どうもSafari特有の認証システムに原因があるとのことです。

iPhoneからBloggerの記事にコメントが付けられないという問題(つわものぶろぐ)

 こちらの記事に詳しい経緯というか私が見てもよくわからないflame関連の問題が開設されているのですが、やはり私のブログに限らずこのGoogleのブログソフト「Blogger」全体に共通している問題のようです。たださらに調べてみてみると、ほかのブログでもやはりSafariが原因でコメントが弾かれるというエラーが起きているそうです。

iPhoneやiPadのSafariをお使いの方へ(ぶろっこりぃのそよ風日記)

 こちらの方は今頃流行りのはてなブログですが、同様の問題が起きていてSafariに対して注意報を出しています。てっきり私のこのブログだけかと思いきや結構この問題は根深いようで、連絡して来てくれた友人からも恐らくコメントを残せなかった読者がほかにもいるだろうと言ってもらったこともあり、先程からコメント欄に「Safariに気をつけろ」的な注意書をつけるようにしました。

 なおここだけの話ですが実は私はアップルの製品を今まで一度も持ったことがありません。さすがに触ったことはなんどかありますが私の世代でiPodを一度も持ったことがない、っていうかiPodに限ればシャレや冗談抜きで一度も触ったことがなく、多分同世代でも私一人くらいなんじゃないでしょうか。
 iPhoneなどに関しても値段が高い時点で選択肢に入らず、マッキントッシュに至っては汎用性の問題から眼中にも入りませんでした。だからこそ今回の問題にも気づくのが遅れたのかもしれませんが、別にアップルが嫌いというわけではなくただただ縁がないだけで、それがまさかこういうブログにも影響を及ぼすとはなどと皮肉っぽく感じるわけです。

2016年11月20日日曜日

表現者としてのピーク

 この週末の二日間、自分でも呆れるくらいにKindleの電子書籍をダウンロードしておりました。というのもここ一ヶ月くらいずっと、一切全く何もダウンロードできなかったからです。あくまで私個人の主観で理由を予想すると、恐らく中国では11月11日(双十一)が「独身デー」といってインターネット通販の大幅値引きキャンペーンが毎年各社で行われているため、この前後の期間でサーバーへの負担を軽減するために国外の一部ネットサービスに制限をかけていたのではないかと睨んでいます。現に双十一が終わってまた復活しましたし。
 この間に購入はできてもダウンロードの出来なかった新刊を始め、無料キャンペーンで配信されていた漫画などもあらかじめ購入クリックしていたため、ダウンロードが復活するや一挙に十冊近くダウンロードし始めてしまい、また途中途中で読んで気に入った漫画をさらに追加で大人買いしたりしたもんだからなんかずっとタブレットを片手に持ってた様な二日間でした。なお読んだ中で予想外に面白かったのは金田一蓮十郎氏の「ライアー×ライアー(「ハンター×ハンター」っぽいタイトル)」でした。

 話は本題に入りますが。今回無料だからといってダウンロードした中には押見修三氏の「悪の華」の1~2巻もあり、この漫画は既に一回通しで呼んでいるものの久々に読み返したところ相変らず面白いと感じると共に、「この作者はこの作品で燃え尽きたのかな」と思う節がありました。
 この「悪の華」は全11巻で構成されており中身は主人公が中学生の頃と高校生の頃とで大きく前後編に分かれているのですが、私を含め後編の「高校生編」はあまり評価が高くありません。逆に前編はヒロインこと「仲村さん」という超絶エキセントリックなキャラクターが口を開けば「クソムシが、クズネズミが」という毒舌をまき散らし、今回読み返した際も既に内容を把握しているにもかかわらず毎回強く圧倒されます。

 私はこの「悪の華」の後に押見氏が描いた「ぼくは真理のなか」、「ハピネス」も読みましたが、単純に嗜好の違いだけかもしれませんが「悪の華」に感じた圧倒的な迫力は全く感じられず、はっきり言えばどっちもあんま面白くありませんでした。しかもエキセントリックなヒロインがぐずぐずした男性主人公を引っ張り回すというような構図がずっと続いているし。
 逆に、「悪の華」が連載される直前に押見氏が描いた「漂流ネットカフェ」はまだ面白く、「悪の華」程ではないにしろやはりそれなりに作者の持ち味が出ていて読んでて迫力も感じられて個人的に高く評価しています。それだけに、やはりこの作者は「悪の華」前編終了時に少し燃え尽きてしまったのかなと今回感じたわけです。

 なにも押見氏を貶す目的でこういうこと書いているわけじゃなく、やはり漫画家なり作家なりには表現する力のピークというか波というものは確実に存在します。以前に取り上げた週刊少年ジャンプの編集長をしていた鳥嶋氏も、対談で話した「ベルセルク」という漫画の作者である三浦建太郎氏に対し、「ベルセルク」の前半終了部における「蝕」という場面を名指しして、「あそこで君は一回燃え尽きた」というようなことをはっきり述べ、言われた三浦氏もその通りと認めていました。

 複数の作品を長期に渡って書く場合でも、長期連載作品の場合であっても、やはりどこかしらにその作者の表現にはピークがあります。しかもピークを一旦迎えてしまうと大きく調子を落とさない限りは読者は依然と面白さは感じ続けられるものの、段々と面白さが増していき盛り上がっていくというような臨場感はどうしてもなくならざるを得ず、「今も面白いけど前のあの辺りの方がすごかったよなぁ」なんて言われてしまいます。私が子供の頃だったらやっぱり「ドラゴンボール」のフリーザ編最終盤がまさにこうして挙げられる例の筆頭でした。
 逆の例としては、「ハンター×ハンター」でヨークシン編が非常に面白く、もうこれ以上この漫画は面白くはならないだろうと思ってたら、その後のグリードアイランド編、キメラアント編はもっと面白くなっていきこの作者すげぇと心底思いました。

 話は戻りますが、やはり早くにピークを迎えてしまうとどちらかといえば不便です。確か「ジョジョの奇妙な冒険」の作者の荒木飛呂彦氏が連載漫画で人気を維持する上で段々と面白さというか熱を高めていくことが大事で、基本的には右肩上がりの展開を維持するべしと言ってましたが、私の言わんとすることもこれと同じです。しかし意図的にそういう風な右肩上がりの話を作っていくならともかく、作者個人のセンスなり感覚なりがピークを迎えちゃうと、まぁちょっと言い辛いですがあんま良くないです。
 場合によってはそこからスランプに入り、「ブラックジャック」など大人向けの漫画を描くようになった手塚治虫や、昭和史を始めとした歴史、伝記、自身の戦争体験漫画を主軸に置いた水木しげるなど新境地を切り開き復活する漫画家もいますが、こういうのはどちらかといえばレアでしょう。

 小説に関してもそうですが、やはり話作り、文字表現などはどこかしらでピークを迎え、そこから段々と落ちていくものだと私は考えています。無論ピークを迎えたからと言ってその後の作者は即無価値になるというわけではなく、その後は作り上げたキャリアや経験を使った表現活動を行って行けばいいのですが、ピークを迎えるまでと迎えた後でどのように心境を置くかで物事がいろいろ変っていくのではないかという気がします。

 ここで私個々人の話になりますが、地味に文章表現に関してはとっくにピークを過ぎており、具体的に言えば2009年に連載していた「文化大革命とは」の記事を書いてた頃がピークで、この連載記事を読み返すたびによくこれだけ難しい内容をここまで小ざっぱりまとめたものだと我ながら呆れると共に、同じような表現を再現しろと言われたら無理だという本音が出てきます。昔から難しい内容をわかりやすく説明するという表現には自信があったものの、多分もうあの頃以上にこうした表現を駆使することは永遠にないでしょう。
 一方でその後、表現手法を色々学んだこともあって新聞記事としての表現、アジテーターっぽい表現、分析レポート的な表現に関しては間違いなく今の方が上で、野球に例えるならかつて猛威を振るった縦に大きく割れるフォークこそ失ったものの、カーブやチェンジアップなど他の変化球を習得して使い分けが上手になったというような感じです。ただ欲を言えば、昔みたいなフォークを「┌(`Д´)ノセイヤッ」とばかりにもう一度投げたいという願望は常にあります。

 文章表現に関しては上記の通り、器用さは増したものの一点突破的なパワーではピークを越してしまいましたが、ことセンスというか観察力、判断力、分析力に関しては未だピークを越えておらず、毎年確実に凄みを増してきているという実感はあります。どうしてそう感じるのかというと単純に、同じ風景を見ているにも関わらず以前は気づかなかった違いやポイントを今だと簡単に気づけるようになっており、また一つのニュースを見てもそこから導き出される次の展開予想の数が毎年増え続けているからです。最低でもあと二年くらいはこの方面の成長は続くようにも感じているのですが、ただでさえ歩いている最中も常に何か考えててボーっとしており周囲に気が付かないことが多いだけに、二年先以降もピークを迎えなかったら逆にヤバいのではないかと一人警戒しています。

肌感覚で判断する重要性 後編

 前回に続いて世論などを肌感覚で感じ、判断する重要性について書いてきます


 私がこうした肌感覚について明確に意識したのは実は早く、大学四回生の頃でした。当時私は既に第二外国語の単位を既に取り終えていましたが以前から興味があったこともあってロシア語の初級講座を四回生時に受けていました。この授業では、別に悪い話しじゃないので敢えて実名を出しますが関西の私大を中心にロシア語を教える北岡千夏先生が受け持っており、マイナー言語ということもロシア事情の解説などを多く盛り込んだ、言いようによっては単位の取りやすい授業をしてもらえました。
 この授業時、確か私がマスコミ志望かなんかを口にした時だったと思いますが、「あんたやめときな、マスコミときたらクズだよ」みたいに言って、自身がかつて学生時代に朝日新聞でアルバイトをしていた時のことを話してくれました。旧ソ連時代に留学したこともあってその方面の仕事を手伝っていたそうですが、ソ連崩壊のきっかけとなった8月クーデター時に、誰でもいいから現地の人に連絡取って情報を集めてくれと言われ北岡先生は片っ端から電話をかけていたそうです。そしてひとしきり電話をかけ終えた後、

「多分これ、三日くらいで終わりますよ」

 と、北岡先生が述べた瞬間、周囲の朝日の記者たちは、「何を言うかこの小娘」みたいな視線を一斉に向けてきたそうです。しかし実際のところこのクーデターはまさに三日で終わり、この時のことについて北岡先生は、「偉そうにふんぞり返ってるくせに何もわかっていない」と憤懣やるかない素振りでしたが、現実に予想を的中した意味では北岡先生の言う通りでしょう。
 なおこの時に何故北岡先生は「三日で終わる」と予想したのかというと本人曰く、「電話で話した相手が全然焦っておらず、なんか事件が起きている根みたいな感じで他人事だったから」だったそうです。この事件ではゴルバチョフ大統領(当時)が監禁されるなど一見すると国家の一大事ではあったものの、現地の人間の肌感情というか空気ではそれほど大事と受け取られておらず、その感覚を見て出した北岡先生の予想が結果的に正しかったということになります。

 このソ連のクーデターのように、表向きな情報以上に現地で生活した経験、そして現地の人間の反応の方が案外正しかったりすることが多いというのが私の意見です。先の米国大統領選挙でも現地メディアの情報以上に一般市民の声の方が案外正鵠を得ていたというか、そもそもメディアが現地の声なり現地住民に対してインタビューや見方を尋ねたという話を日系に限ってはほとんど見られず、結果的に思い切り予想を外してしまったというのが私の見方です。

 こうした「現地の声や反応」を無視するという行為は中国に関する報道でも根強く、やっぱり私から見ていて日系メディアの中国に関する報道は日本にいて中国について何も知らない人間が適当な資料を基に書いたり、現地メディアが報じる内容をそのまま垂れ流すだけのものが非常に多く、それによって無用な誤解を生んでいる節もあります。
 もちろん現地の声や反応、また自身の感覚を信用して記事などを書くと偏った情報となる可能性も大いにあるだけに、何でもかんでも信用できるわけではありません。しかし私の場合だと、たとえば中国や政治関連の記事を見た際に何かしらの言葉にできない違和感を覚えた場合、本当にその報じられている情報が正しいのかを確認するようにしています。この確認の過程で報道内容が事実であるとわかれば考えを改め、逆に報道内容が誤りであるような事実や根拠、疑惑が見つかった際には信じないようにと、普段はここまで慎重ではありませんが肌感覚で違和感を持った記事に関しては疑ってかかるようにします。

 それでこれまでの経験から言うと、やはり違和感を感じる記事は誤っていることが多いです。世論にしても事実報道にしろ、「本当にこれで合ってるの?」という感覚を持つものには何かしらおかしな背景だったり作為的な意思がある程度働いています。具体的には経済指標の数字とかで、売れる車がないのに妙に売り上げが伸びてたりすれば、売れる理由を見落としている書かれてないとか、後は偽装があるわけです。記者の勘といえば大層な言い方になりますが、理由がなくても感じる違和感というのは非常に大事で、そうした違和感をどれだけ拾えるかというのがある意味重要な分岐点になるかと思います。

2016年11月18日金曜日

肌感覚で判断する重要性 前編

 当初今日の記事見出しは「国際報道の現状」という見出しで行こうかと考えましたが気がかわってこちらの「肌感覚で判断する重要性」にしました。

 さて先日の米国大統領選挙では日系メディアほぼ、っていうか全部が「ヒラリー優勢」という大方の予想を覆してトランプ氏が見事当選し、安倍首相もこの前アメリカくんだり会いに行きました。個人的には、間髪入れずにすぐにあって細かい内容を敢えて表に出さない階段にしたのは見事な外交であったと高く評価しています。
 他のメディアでも一体何故トランプの当選を予想できなかったのかについて様々な分析がなされていますが、米国国内のメディアについてはなんとも言えないものの日系メディアが予想を外した理由は非常にはっきりしており、米国の主要紙しか読んでないからです。

 私自身の反省も込めて述べますが、国際報道というのは基本的に現地駐在員は自分では余り取材せず、現地メディアの報じる記事を翻訳するのが日々の仕事です。そしてその翻訳対象となるメディアは基本的に高級紙と呼ばれる様な媒体で、中には敢えて大衆紙のゴシップとか大袈裟な記事を引用するメディアもありますが(Webメディアに多い)、日本の大手紙が「米国内の報道は――」と枕に付ける記事は基本的にワシントンポストやニューヨーク・タイムスの記事だと思ってもらってもいいでしょう。
 私自身もこの手のいわゆる「翻訳ライター」で、たまに日本物産展や興味持った分野の取材に行って特集記事とかを書いてましたが、基本的に普段は中国の「第一財経日報」とか「東方早報」、「文滙報」などを毎日大体十紙くらい読んだ上に家電や自動車ニュース専門サイトのWeb記事も閲覧してその日に書く記事を選び、翻訳していました。そのため国際報道というのは記者の目とか判断以上に現地メディアの報じる内容が色濃く反映されるため、先ほどの米国の報道についても現地の世論というよりワシントンポストなどの意見が色濃く反映されがちです。

 なお蛇足ですが、日系メディアは中国世論の報道によく「環球時報」を引用しますが、ここは主張が最も過激で、人民日報系列ですが本体の人民日報が絶対言わないような激しい言葉でよく日本を罵ったりしますが、中国人もそんなにこの新聞を読んでるようには思えず記事内容と実際の世論には大きな乖離があるのに中国の世論として引用され日本で報じられるのが個人的に腹立ちます。

 話は戻りますが、こうした傾向はほかの国も同様にあり、例えば中国だと日本のニュースは経済ニュースだと基本的に日経新聞が引用されており、国政関連については私が見る限り八割方朝日新聞が引用されています。そのためどういう風に書かれているのかというと、「国民を無視して安倍政権が暴走」、「再軍備へひた走る日本」、「国民置いてきぼりの憲法改正議論」などと、他の人は知りませんが私からしたらとてもとても日本全体の世論を反映しているとは思えない意見が日本の現状みたく中国ではよく報じられます。真面目な話、中国人が安倍首相を嫌うのは政策や価値観以前に朝日新聞が安倍首相を理由なく嫌っているのが最大の理由だと断言します。

 話が行ったり来たりしますが今回の米国大統領選についても日系メディアは自らが結果の予想をしたり世論を分析したりすることなくワシントンポストやニューヨーク・タイムスが報じる記事内容を垂れ流していただけだったため盛大に予想を外したと考えています。
 逆に当時の世論を最も色濃く反映させていた記事は、私が見た中だと文芸春秋11月号に掲載されていた久保田智子氏の「ヒラリー 嫌われる理由がわかった」という記事で、筆者本人が現地住民との交流を通して感じ取った、「トランプは問題あると思うがそれほど嫌いではなく、ヒラリーは問題があるかないかわからないが絶対的に嫌いだ」というような米国民、特に女性の感情が非常にわかりやすく丁寧に解説されていてとても参考になりました。

 ここまで読めばわかるでしょうが、現地世論というのは大規模な調査データを分析することもさることながら現地住民と直接話したり、見ていて感じ取った内容の方が参考になることが多いというか正確なことが多く、特に外国では肌で感じてどう思うかが何よりも重要であるというのが私の持論です。「考えるな、感じろ」とは言ったもので、こういうのは頭で考えものではなく体で考えるものだと常日頃から自分に言い聞かせていますが、そのように考えるようになったきっかけなどについてはまた次回で紹介します。

2016年11月17日木曜日

あの頃は水木しげるがいた

 今月の文芸春秋に、去年一月に逝去された水木しげるの細君とその娘二人による鼎談記事が掲載されていました。三人とも「まだお父ちゃんが亡くなった実感がない」と語っており、恐らく家族以外のほかの人にとっても同じような感想が持たれるのではないかと思います。

 この鼎談によるとなんでも布団につまずいて転んで頭を打って手術してから意識がなくなった後、一切何も話すことなく亡くなったとのことです。この死に方についてご家族は寂しいと思う反面、本人としてはある意味満足な形での自然死だったのではないかと受け取っています。バイタルが弱くなりいよいよという際には医師から延命治療を受けるかと尋ねられたものの生前からそうした物は拒否する姿勢を示していたこともあって提案は拒否し、そのすぐ後に亡くなったという顛末も書かれていました。

 こうした逝去時の顛末に加え生前の頃の話も語られており、個人的に印象に残っているのは双方ともにライバル視していた手塚治虫への態度で、娘たち曰く本人らは同じ時代に漫画業界でしのぎを削り合った戦友だと思っていた節があり、ラジオで手塚の逝去を聞いた際には、「ああ、逝ったのか手塚……」と呟き、葬儀にも出向いたというエピソードを披露していました。
 この二人の関係は若い頃に手塚からやっかみに近い文句を水木が受けたことは事実でそれを以って終生仲が悪かったようにも言われていますが、実際にはお互い連絡を取ろうと思えば取れるような関係で、水木の娘が手塚のサインを求めた際も、「今度頼んでおく」といってもらってきたこともあったそうで言われている程は仲が悪くなく、実力についても双方認め合う中であったことも間違いないでしょう。何気にスランプだった時期もある程度被ってるし。

 なお少し蛇足ですが、水木の命日は「ゲゲゲ忌」と呼んで関係者やフォロワー同士で何かすると報じられていますが、素直な感想を述べるとものすっごい語呂が悪くて発音し辛いように思います。それだったらもっとストレートに、「水忌しげる」でいいんじゃないのと密かに考えています。

2016年11月16日水曜日

ゲームレビュー:ZERO ESCAPE 刻のジレンマ

 またゲームの話で申し訳ないのですがこの前クリアしたので折角だし。

ZERO ESCAPE 刻のジレンマ(Wikipedia)

 今回紹介するのは「極限脱出シリーズ」と銘打たれた三部作の完結篇に当たる、「ZERO ESCAPE 刻のジレンマ」というゲームです。この作品というかシリーズは「極限脱出9時間9人9の扉」、「極限脱出ADV 善人シボウデス」、「ZERO ESCAPE 刻のジレンマ」の三部作構成となっており、ストーリーも時系列でつながっています。
 私は一番最初の「極限脱出9時間9人9の扉」は遊んでおらず「善人シボウデス」からプレイしており、こちらを去年にクリアした当時にはレビュー記事も書いています。このシリーズがどういうゲームかというといわゆる「脱出ゲーム」で、閉じ込められた部屋の中で仕掛けを動かしたり、手がかりを見つけたりして部屋から脱出するというのがメインとなっているのに加え、また部屋に閉じ込められる前後で複数の選択肢から次の行動なりを選んでその後の展開が分岐するというアドベンチャーゲーム的要素も混じっています。

 シリーズ全般に言えることですが、脱出ゲーム部分の所が非常によく出来ているというか「難しすぎず簡単過ぎず」というくらいに難易度が安定しており、詰まって全く脱出できないということはないもののそこそこ頭を使わされ、なんていうか頭の体操にもってこいな内容になっています。また脱出ゲームに使われるステージも豊富に取り揃えられており、前述の通りにストーリー分岐によって挑戦する部屋が変わり、「早く次の部屋に閉じ込めろよこの野郎!」と言いたくなるくらいに脱出が面白くなっていきます。
 ただそうした脱出ゲーム部分はもとより、全体の脚本というかストーリーの方が評価が高いでしょう。このシリーズはいわゆるループ物に当たり、何度も何度も過去に戻ったり別の時間軸に飛んだりしながら最後の最後で全体の謎が一気に解き明かされる構成となっており、どんでん返し的な結末は毎回意表を突かれその評価も際立って高いです。「善人シボウデス」もこの辺がよく効いており、続編が出たら必ず買おうと決めたくらい個人的にはまりました。

 そんなわけで「善人シボウデス」が発売されてから四年、私が遊んでから一年経ってようやくシリーズ完結作の「ZERO ESCAPE」が今年発売され、私にしては珍しく定価でガツンと買ってやりました。ゲーム全体の仕組みについて先に述べると、本作も脱出ゲームに一応は分類されますが、どちらかといえば選択肢を選ぶアドベンチャーパートの方に重きが置かれており、これまでとは逆にアドベンチャーゲームに脱出ゲームがおまけでついてきたかのように思えました。相変わらず脱出ゲームの難易度は絶妙だけど。
 次にストーリーについてですが、シリーズ完結編ということもあって過去二作で伏線として真相が明らかにされなかった謎については一応ちゃんと解答が出されます。ただ決してハッピーエンド的な内容に終わらないため、自分を含めほかの人のレビューを見ててもなんかもやもやとしたものを抱えている印象があります。

 あと宣伝ではシリーズ作品ではあるものの本作からプレイしても特に支障はないなどと謳われていますが、はっきり言ってこれは嘘もいい所で、前作「善人シボウデス」は最低でもプレイしておかないと全く話についていけなくなるかと思われます。最初に述べた通りに私は第一作目の「極限脱出9時間9人9の扉」は遊んでいませんが二作目は問題なく楽しむことが出来ました。しかし三作目の本作についてはただでさえややこしい話がさらにややこしくなり、また登場人物9人中5人が前作、前々作の登場人物でありその背景なりがわかっていないと完全に置いてきぼりとなるため注意が必要です。

 さてここから私個人のこのゲームに対する感想になりますが、一番目についたのはその暴力描写でした。前作「善人シボウデス」でも登場人物が死に至ることはよくある、っていうか最終的にはほぼ全滅することが多かったですが、その死に方は大半が薬殺で、あってもナイフで刺されるくらい見た目にも比較的ソフトでありました。
 しかし、本作は一味違うというか、はっきり言って桁が違いました。「バトルロワイアル」よろしく爆発する首輪が出てきて爆発後の首のない死体もかなりモロに表示されるほか、硫酸なんて目じゃないくらいやばいフッ酸シャワーを浴びせかけられ、後にはなんか赤い肉片らしくものが排水溝に流れるところも出てきます。チェーンソーでぶった切られるのも普通ですし、あと脱出ゲームの探索中、「なんやこれハロウィンのグッズかいな」と思わせられる妙なものがゴロゴロ転がってるかと思いつつ部屋を脱出したら、さっきまで一緒に行動していた仲間の生首が出てきて、「え、もしかしてさっき部屋にあったバラバラの手足や胴体ってこいつの?」と、後から血の気が引く演出もあり、心臓の弱い方には割と真面目にお勧めできないレベルです。
 なおシリーズ皆勤賞の倉敷茜というキャラクターについては、本作ではなんか返り血ばかり浴びているような気がしました。

 次に気になったのはビジュアル面です。アドベンチャーパートではフルCGのキャラクターが情景に合わせて動きつつしゃべるのですが、正直な所あんまり出来は良くなく、造詣がよく出来てるキャラとそうでないキャラで差を感じました。これだったらまだ前作のような画面構成の方がよかったような。
 そしてストーリーについてですが、前作も何もわからないまま謎の施設に閉じ込められるという世界観であったもののキャラたちの間ではまだ全体的には明るさがありましたが、今回はかなり陰鬱で、一部キャラクターが悲壮な決意で臨んでいるのもありますが序盤から一歩間違えれば誰かが確実に死ぬという状況にあるため、かなり内容な重苦しいです。まぁこの雰囲気は悪くありませんが。

 逆に致命的だったと感じたのは、本作からの新キャラが全く好きになれなかったところです。先に述べた通り本作では合計9人のキャラのうち前作、前々作に登場したキャラが5人続投していますが、新キャラ4人のうち、誰とは言いませんが2人のキャラが性格的にも全く共感出来ず、おまけにビジュアルの造形もかなり悪いこともあって見ていてストレス感じるくらい鬱陶しかったです。前作なんかほぼ全キャラがいい味出してたのにこの点は非常に残念な所です。
 そしてストーリーの結末についてはやはり大どんでん返しで、確かにあっと言わせる結末に結び付きますが、個人的には前作には及ばなかったというか、やや展開が強引に感じるところもありクリアした際の感動は前作のが大きく、完成度で言っても前作を越えなかったというのが私の評価です。

 最後に声優談義ですが、前作ではヒロインの声優を演じていた小見川千明氏は今作でも続投しているものの、キャラの立ち位置が変わったこともあり前作ほど演技に特別感じ入ることはありませんでした。一方、準ヒロイン……今作ではもしかした正ヒロインと呼べるかもしれませんが、そのキャラを演じた能登麻美子氏については、その声に狂気を感じました。ゲーム内では能登氏が演じるキャラがやや錯乱というか発狂に近い状態となるシーンがあるのですが、そのシーンにおけるセリフは耳にするだに背中が総毛立つというか、なんていうか目の前でガチな夫婦喧嘩が繰り広げられているのを見るかのような居心地の悪さを感じるほどで、感情がこもった演技というよりは狂気がはらんだような声で聴いてて本当に怖かったです。
 なお前作でも能登氏が演じるキャラが絡むエンディングがあり、そのエンディングが一番ゾクっとさせられました。能登氏が競争激しい声優界で十年以上もトップ声優として一線張り続けている理由が、今回やったゲームだけで十分によくわかりました。

2016年11月15日火曜日

日産自動車サイトの致命的な価格表示間違い

 何故か知らないが気温もめっきり冷え込んだこの時期に自宅内でダニがやたら発生し、最近になってパソコン使用時に使う箱型の椅子が感染源だとわかりましたが、一時期は座っているだけで尻に画鋲刺される様な痛みが走りっぱなしで嫌でした。あまりにも腹立ったからアイロンかけて根絶しようとしたけど、効果が一時的で長続きせず、この際だからパソコンデスクと椅子を新調しようかとも検討しています。

 話は本題に入りますが、ちょっと所用で電気自動車市場についてやけにみっちり調べる羽目となり各国の補助金制度とか各電気自動車の性能や価格を調べていた所、とんでもない事実を発見してしまいました。

<横長画像(PC閲覧時)>

<縦長画像(スマホ閲覧時)>

 上記の二枚の画像はどちらも日産自動車サイト内で、日産の電気自動車「リーフ」を購入した場合に国からもらえる補助金額を考慮した販売価格を表示、説明した物です。

 何故画像が二枚もあるのかというと画面が横長か縦長かで切り替わるためですが、注目してもらいたいのは「横長」の画像の「参考2 メーカー希望小売価」の行です。もう説明するのも面倒くさいのではっきり指摘しますが、車両本体価格の表示が間違っており、横長画像では「312.228万円」と書かれてありますがこれはその上の30kwhバッテリー搭載車の価格で、24kwhバッテリー搭載車の正しい価格は縦長画像にある「272.808万円」です。
 しかもこれ、本体価格が間違ってるもんだからその後の計算式も「312.228-26.4=246.408」という思わず首をひねる解となっており、よくもまぁこんな間違い、しかも本体価格と補助金を説明する重要な表示をこのままアップしたもんだと、最初に気付いた時は思わず声が出ました。っていうか本当に誰もこれ、アップロード前にチェックしなかったのだろうか?あとアップされた後も気づかないもんだろうか?

 別に日産には恨みはないし嫌ってる会社でもないので殊更に日産を悪く言うつもりはありませんが、あの日産ですらこういうミスをやるんだなと正直驚きました。「だったら俺だってたまには間違ってもいい」などと妙な自信につながります。
 日産の広報にそっと「間違ってるよ(´^ω^)」と教えてあげてもよかったのですが、教えたところでお礼は言われるだろうが次につながることもないし、ブログでネタにした方が絶対得だという打算が働いたためここでこうして記事に仕立て上げました。ごめんよゴーン。

 なおこれは日産が悪いわけじゃないのですが、今回電気自動車の補助金政策をいろいろ調べていて思ったことは補助金の種類が非常に多くてわかり辛く、また購入する場所によって自治体からもらえる補助金額が数十万円単位で変わるなど複雑すぎるきらいがあり、わかりにくい制度がユーザーの電気自動車購入を阻んでいるように思えます。それこそばつっと「1台100万円プレゼント」みたいに国が一括して払ってやればよかったと思うのですが、こういう風に考える当たり自分もやっぱ広告屋の血を引いてるもんだなと思えます。

2016年11月14日月曜日

中国人と大阪人に共通するDNA

 時は2010年。中国に初めて現地採用で渡る直前の私は姉の結婚式で会った従姉妹から、「あんた中国行ったら中国人に殴らるれんちゃう?」と、心配そうに声をかけられました。「いくらなんでも中国人もそこまで野蛮ではない」とやんわり否定しましたが、多分今でも中国に来たことがなければ、中国で日本人だとばれると殴られたりするのではと思っている日本人は少なくないと思います。

 時は変わって2012年、杭州にあるファッキンなハーネス組立工場を4ヶ月で辞めて上海にある日系新聞社で経済記者を当時やっていた私は今後日本は観光産業を柱にする必要があるとの信念から日本政府観光局(JNTO)の上海支部を訪れ取材を行っていました。どうでもいいですが星野リゾートの採用面接時にこの時の話したらすごいつまらなさそうに聞かれた上に落とされました。
 その際に快く取材に応じてくれたJNTOの方から、「こんなこと言うと日本人からすればおかしいと思われますが、中国人たちは日本に行くと日本人に殴られるとか本気で信じてるんですよ」ということを教えてくれました。この話は決して誇張ではなく本当の事実で、私自身も中国人から話を聞いているとそう考えていたという人が非常に多く、それだけに中国人が旅行で日本を訪れたら日本が思ったより、っていうよりかなりまともな国で拍子抜けするということをよく聞きます。

 話はJNTOへの取材時に戻りますが上記の話を聞いた際に私は、「そんなこと絶対あるわけないのにねぇ」と言葉を返しつつこの時一瞬、(大阪じゃあるまいし……)という言葉が密かによぎりました。

 大阪の名誉のために一応言っておきますが、いくら大阪でも路上で突然ぶん殴られたりするようなことは多分ないと思います。ただ昔、スーパーファミコンで発売した「初代熱血硬派くにおくん」という大阪を舞台にしたゲームでは路上にいるヤンキーはおろか、サラリーマン、OL、おばちゃんなどが脈絡なく主人公のくにお君に絡んで襲い掛かってくるので片っ端からなぎ倒さなくてはならないゲームがありました。しかもミナミに近づくほど敵が強くなってくるなど妙な所でリアルでしたが、発売当時に特に大阪からクレームが出たという話は聞いていません。

 私はかねてからこのブログで中国人と大阪人は気性が似ていて何故か馬が合うということを主張し続けており、具体的に共通する特徴としては「せっかち」、「思ったことをすぐ口に出す」、「声がでかい」、「目先の利益に飛びつくなど」、「なんでも大袈裟」などがあり、これらは中国人にも大阪人にも確実に当てはまる特徴ではないかと個人的に考えています。

 それで話はまた戻りますが、実は先日に民族系統に詳しい知り合いからちょっと面白い話を聞きました。その話というのも日本人の民族系統に関するDNAについてで、日本人は大きく分けて縄文系、弥生系の二種類にDNAが別れており、このうち弥生系は近畿地方に集中していて近畿地方から離れれば離れるほど縄文系のDNAが濃くなるとのことです。このDNA分布は暗に近畿地方の人間は大陸から日本列島へ渡ってきた渡来系のDNAが濃いことを示しており、系統的にもやはり近畿の人は大陸に近いと考えられるそうです。

 そのように考えると私が主張するように中国人と大阪人の気質が近いというの案外的外れなものではなく、DNA的にも似通っている影響と考えられるかもしれません。また最初の「路上で殴られる」と思ったことも、案外このDNAの相似が影響していたのかなとふと今日思いました。

  おまけ
 上海人の友人に聞いたところ、先に上げたゲームを含む一連の「くにおくんシリーズ」を遊んだことがあったそうです。もしかするとかつて日本の小学生たちがゲームを通して、「インド人は手足が伸びて火を吹く」と勘違いしたように中国の子供たちもくにおくんシリーズを遊んで、「日本人は相手が死ぬまでドッヂボールをぶつけ合う」、「水泳中に鉄アレイを投げつける」、「アイスホッケーではスティックで殴り合う」と勘違いしたことが上記の「路上で殴られる」という勘違いに繋がったのかもしれません。

2016年11月11日金曜日

小池都知事のかわいいインタビュー

「朝日だわねえ…」小池百合子が苦笑 AERA編集長が聞いた“タカ派”の真意(AERA)

 また手抜きな記事ですが今日見たこの記事が面白かったので紹介します。
 前に固い記事で私は小池百合子都知事が以前に文芸春秋に寄せたコラムが面白く、なかなかに分析力のある人だと感じてそれ以来ずっと評価していることを書きましたが、今回のこのインタビュー記事でも切り返し方が上手く、具体的に挙げると、

「──都庁や都議会をブラックボックスと断じました。

 ブラックボックスを開く前に、エンプティーボックスが見つかっちゃった(笑)。」

 というようなやり取りがあり、やっぱり頭いいなぁこの人と改めて感じさせられました。
 ただそれ以上に面白かったのは最後にある、「小池都知事に聞きたい20の質問!」みたいなコーナーで、「Q1.尊敬する政治家は?」に「サッチャー・英元首相、サダト・エジプト元大統領」と挙げていて、「お、サダトやったら俺と同じやな」と思って続きを読んで行ったら、「Q2.好きな戦国武将は?」という質問に対して、「蓮如」と答えており、「武将じゃないじゃん!」と心の中でツッコんでしまいました。
 その後も時たま妙な回答が出されており、

「Q7.休みの日は何をしていますか?
寝ている

Q8.「眠る」以外のストレス解消法は?
ただただ眠る」

 と睡眠に対してやけに深いこだわり方を見せたかと思いきや、「Q17.今の職業以外では何になりたかった?」という質問に対して、「子供の頃はデパートでプレゼント用にきれいに包装紙で包む人」と、また妙にかわいらしいというか変に細かい職業を挙げてきてやっぱこの人只者じゃないと思いました。

2016年11月10日木曜日

江戸時代の化け猫騒動に関する誤解


 上の写真はまたネットから拾ってきた江戸時代の化け猫を描いた絵画ですが、猫の表情がなかなか良く捉えられており個人的に気に入っているので何故か保存してしまいました。私の感覚だとこの表情はなんとなく機嫌がいい時で、普段はじゃれないくせにこういう時は何故か自分からじゃれてくるような時だと思います。
 話は本題に入りますが江戸時代に猫と言ったらそりゃもちろん鍋島藩の化け猫騒動ってことになるので今日は現代人が考えている化け猫騒動に関する誤解を指摘しようと思います。

化け猫(Wikipedia)

 一般的に認知されている化け猫騒動と言うと、江戸時代のとある武家の主人がつまらない理由で手打ちにされた後にその母、もしくは奥方が後を追って自殺し、その家で飼われていた猫が主人を手打ちにした上役の武士に復讐するため化けて出るというのがよくあるパターンです。
 こういった化け猫話のオリジナルは江戸時代に作られた講談からなのですが、出版されるやあまりの人気ぶりから芝居にも取り上げられて非常に流行したそうです。その講談の中で舞台となる地名には「嵯峨野」という実際に京都にある地名が使われているものの、これは暗に「佐賀の」と読めるようになっており、当時佐賀を治めていた鍋島家が実質的な舞台だと当時誰もがわかってたそうです。

 そもそも何故鍋島家が化け猫騒動の主役に据えられたのかと言うと、戦国から江戸時代にかけて鍋島家が成立した背景に理由があります。鍋島家の実質的な開祖とされる鍋島直茂は元々、北九州一帯に勢力を広げた龍造寺家の家臣でした。しかし龍造寺家の当主であった隆信が島津家との戦いで戦死してしまい後に残された若い世継ぎとともに直茂は自分が家宰を仕切って隆三氏家を盛り立てようとしましたが、豊臣秀吉や徳川家康といった時の権力者からは高く評価されていた直茂の方が実質的な領主であるように扱われ、龍造寺家も直系の跡取りが妻を殺した上で自殺してしまったことにより成り行きから直茂が引き継ぐこととなり、龍造寺家を引き継ぐ形で鍋島家が大名となりました。

 この過程は当時からも龍造寺家を鍋島家が乗っ取ったと見られており、鍋島家には龍造寺家の怨念が向けられているなどとよく噂されていたそうです。この噂に乗っかる形で化け猫騒動の講談が作られて大ヒットしちゃったもんだから、はっきりと名指しこそされてなかったものの鍋島家が、「非常に迷惑なんですけど!」と抗議を入れたため芝居の方は上演中止となったのですが、これが返って「やっぱりあの話ってマジだったんだ!」と、余計に真実味があるように思われてしまい、「鍋島=化け猫」という図式が広く定着してしまったそうです。

 なので鍋島家で実際に化け猫が出たという事実はなくあくまで講談の中のお話なのですが、同も聞くところによると北九州では、「うちは化け猫騒動の鍋島家ゆかりの家だから昔から猫を飼うことが出来ない」などと主張する輩が現代にもいるそうです。具体的に名前挙げると漫画家の柴田亜美氏が自分で言ってますが、そもそも化け猫騒動は現実には起きてない架空の話なので猫を忌避するという伝統が江戸時代とかにあったとは正直思えず、どちらかといえば箔をつけるために明治以降から使われだしたレトリックなのではと個人的に考えています。

 この例と同様によく瀬戸内海沿いの村上性の人が「うちは村上水軍に連なる出身だ」などと言う人がいますが、当の村上水軍は戦国時代に解散されたことを考えると真実味はやはり薄く、その動機としたらやっぱり家名に箔をつけるためでしょう。大体、歴史的な家系をきちんとした根拠なしに主張する人の大半は、そんなに悪意はなく主張してるのだと思いますが基本的には疑ってかかるべきでしょう。


 化け猫は存在しないと言っておきながらですが、こんな場面に遭遇したら、「こいつ化け猫なんじゃないか?」と疑ってしまうことでしょう。にしてもバランスいい猫だ。

米国の大統領選挙結果について

 前説は不要だし今日もちょいちょい世を忍ぶサラリーマンとしての仕事が遅かったのでとっとと本題に入りますが、今日開票結果が出た米国大統領選挙で「ヒラリー氏優勢」という日本の報道とは異なりかねてから暴言で世界中からいろんな意味で話題となっていたトランプ氏が次期大統領に当選しました。

 この結果、というより日本の事前報道については木村太郎氏が述べている通りに日系メディアの国際報道はかなり偏りがある上に結構レベルの低い人がやっていることが多く、私自身も信用できないものと考えているためトランプ氏が優勢かどうかはわからないもののヒラリー氏が優勢という報道は必ずしも正しくないと信じていなかったので、「想定外の番狂わせ」という日系メディアほどの驚きは現在抱いていません。むしろ選挙戦に入って以降、ヒラリー氏が演説をすればするほどアンチ層が増えているように感じていたため、トランプ氏が勝つ可能性も十分にあるのではという気もしていました。
 なお職場では今日、大統領選の結果を受けて市場が円高へ急激に振れたことにより出向できている日本人社員らが悲鳴を上げていました。

 話は今後に移りますが、まず市場については誰が言い出したか知らないけどうまいと思う「もしトラ」こと「もしもトランプがアメリカの大統領に当選したら」というトランプショックが取り沙汰されており、実際に今日は日経平均株価が大暴落しました。ただ私個人の予想ではこの株価の下落は一時的なものでむしろ下落した今は株を購入するチャンスだと思え、円高はしばらく続くかもしれませんが私自身は比較的楽観視しています。
 このような予想をする根拠として私自身は、トランプ氏が大統領選挙中に主張していた過激な政策はどれも現実離れしていて実際には実行できないだろうと見据えているからです。トランプ氏自身は政治家を含む公職には一度もついておらず行政経験は皆無に等しく、また選挙戦でのツッコミに対する対応などを見ている限りだと政治的、国際的知識にも薄いことは明白です。となると彼が大統領に就任した後は誰が政治を運営するのかと言ったらこれまで通りに「ホワイトハウス周辺の政治プロ」達しかおらず、今後の政策もこれまでから大きく軌道修正されることはないと見ています。

 逆に、比較的行政に長けたヒラリー氏が当選していれば話は違っており、しかも彼女は初めて大統領選に出馬した際には同じ民主党内で指名候補を争っていたオバマ大統領を共和党以上に激しく非難し続けていたことがあり、私の中のイメージだとどうも一つの内容に意識が集中して周囲が見えなくなる傾向があるように思え、こういう人が大統領に来られるとやり辛いよなぁとすら考えていました。それに比べるとトランプ氏であれば周辺にどんな人物が来ているかで方針が見え対策も立てやすいだけに、言ってることは過激でもいちいち相手にしなければ日本側としてはやりやすい相手だと思えるだけに比較的安心できます。逆を言えば、政治的にやり辛い相手と言うのは「次に何するかわからない」ような人間で、具体的にいえばプーで始まる大統領です。

 恐らく明日の報道ではトランプ氏が大統領になってどうなるのかなどという特集が各所で組まれるでしょうが、私がここで声を大にして言いたいことは「一般市民にとっては何も影響はない」ということで、要するに必要以上に実現するかどうかも分からない未来に右往左往するのは勿体ないっていうことです。恐らくどこも危機感を煽るようなことばかり書いてくるでしょうが、トレーダーならまだしも関係ないのに「これからどうしよう」などと心配するのは気苦労が増えるだけだし、「なんや面白いおっさんが大統領になってこれから面白くなりそうやな」程度に眺めるのが精神衛生上にもプラスで、なおかつ余計なフィルターに実像をぼかされるのを防ぐやり方だと思います。
 なお最後に一つ皮肉を述べると、今回の大統領選の結果に一番うろたえたは政府関係者でもトレーダーでもなく、沖縄で基地撤廃運動を煽っている連中じゃないかと思います。最初に書いたようにトランプ氏の主張はどれも実現性はなく沖縄からの米軍全面撤退も実際には有り得ないことですが、今後この主張は明日の新聞などを通して広く影響力を持ち、日本人全体で国防についていろいろ考えるきっかけにはなると思え、それが連中にとっては望ましくない結果だろうというのが今日の私の意見です。

2016年11月8日火曜日

各国の国家的精神

 このところこのブログで頻出ですがマーブルヒーローのキャプテンアメリカは改めてみると日本にはないタイプのヒーローだなという気がします。そう考えるのも彼の行動原理で、彼は「アメリカ」という国家の名称を冠してはいますが米国政府に必ずしも従うわけではなく、彼が信じる米国の「自由」という国家的精神を守るために行動し、その自由を侵そうものならば敢然と米国政府にも立ち向かう当たり組織というもの全く疑いを持たずむしろ組織に染まってしまいがちな日本人には作り出せなさそうなキャラだなと考えるわけです。
 さてここで出てきた「自由」という概念ですが、なんだかんだ言いつつもやはりこれは米国の確固たる国家的精神で、少なからず米国民も「他の何を差し置いてでも優先すべき概念」であるという信条を持っているように見えます。具体的に言えばウォーターゲート事件やスノーデン事件で、ああした事件に対して米国民が見せる態度からは「自由のためなら自国の政府も倒す」という意思が感じられます。逆を言えば、米国民ほど日本人はそこまで自由という概念にこだわりを見せないとも言えるわけです。

 では日本人は米国にとって自由のような、国家的精神は存在するのでしょうか。あくまで私個人の意見で述べると敢えて同じように漢字二文字の単語を選ぶとしたら「天皇」と「平和(憲法)」だと思います。前者は言うまでもなく日本という国家そのものを代表する概念で、たとえ憲法で禁止されていたとしても天皇を守るためなら日本人はためらいなく戦争への道を選ぶと断言してもいいです。
 その天皇に次ぐとはいえ、「平和」も現代日本人にとっては最重要な国家概念であるのではないかと思います。日本の国家議論は突き詰めて言うと、平和をどう解釈するのかという議論にまとめ上げられ、平和を軸にして与党と野党が言い合っているように感じられ、その議論の手段が憲法にあるという風に感じたためこの言葉を挙げることとしました。
 また国民レベルでも如何にして平和を維持するかという価値観が何よりも優先されているように思え、極端な話、ISISが世界中でどれだけの人間を殺害しようと日本が戦争に巻き込まれないのなら全く気にしない、というか下手に係ると戦争に巻き込まれる種になりそうだから無視しようとする態度も透けて見えます。

 最近やたらと短い記事が多いのでなんですがもう一つこうした国家的概念を私が挙げられるとしたら中国で、中国の場合だと私の中では「拡張」という言葉が来ます。意味することは領土の拡張、中華文明の拡張、宇宙開発の拡張と、有史以来の中国人がやってきたようにとにもかくにもこの国は拡張というか「デカいことはいいことだ」を素で信じており、国民レベルでも誰もそれを疑ってない気がします。それこそ拡張できるなら何人国民が死のうが、政府が横暴しようがどんと来いと言わんばかりで、やっぱり周辺からするとはた迷惑な国だなともいえるでしょう。

今日驚いたニュース記事

女性の足なめた疑い、男を逮捕 京都(京都新聞)

 マジでさっぱり意味がわからないニュースで、頭の中には「妖怪足なめ」という妙な単語が飛び交っていました。そういえば水木しげるが亡くなって今月でもう一年か……。

スズキ中国進出の象徴「長安鈴木」業績好転、救世主は鈴木修会長(ZUU online)

 第三パラグラフの冒頭で、「スズキは1933年に長安汽車と合弁契約を結ぶなど、早期に中国進出を果たした。」と書いてありますが、1933年って言ったら戦前で、しかもその頃まだスズキは自動車を作っていなければ長安汽車も設立されていません。何が恐ろしいかってこの記事、こんなとんでもないミスが残ったままアップロードされている点で、誰もチェックしなかったのか、チェックしてたらしたで誰も気が付かなかったのかなどと思うと空恐ろしい記事です。
 なおこの箇所に限らずこの記事は全体に渡ってとんでもなくレベルの低い内容で、見出しに掲げている鈴木修会長ですがただ長安鈴木を訪問したとしか書いておらず、具体的に何かに貢献したという事実は書かれていません。おまけに業績面でも2016年Q3だけの業績見せられても業績回復してますねはいそーですかという奴はタダのアホでしかなく、このデータだけでは何とも言えません。書いた人コンサルタントらしいけど、わざわざ自分の無知を晒しだしてどうなのと言いたくなる記事でした。

2016年11月7日月曜日

業種によって異なる付加価値に対する意識の違い

 このブログで何度も書いている通りに私は数年前に経済紙の記者をやった後で一旦日本に帰り、去年末まではプレスメーカーに品質管理として働いていました。勤務先もオフィスとかじゃなくリアルに油臭い工場で毎日作業着てはノギス片手に計測してましたが、今こうしてブログを書いている自分が一介のライターだとするならば、メーカーでの工場勤務経験を持つライターなんて普通はいないだけにかなりレアな経歴を持つに至ったと思えます。
 まぁゼネコン出身の記者もおり、何気にこの前日本であった人と共通の知人だったのでビビりましたが。

 鼻にかけるつもりはありませんが工場勤務を経験したことによって、完全に理解したとは言えないまでもマスコミ側では異なるメーカー側の視点もある程度得られたという自負があり、この視点はほかのライターと比較する上ではなかなかの差別箇所になると考えています。そんな自分に言わせるとマスコミとメーカー、というよりはサービス業従事者と製造業従事者の間にはある一点で明確に視点が異なっており、もったいぶらずに述べるとそれは付加価値に対する意識です。
 より具体的に述べると、サービス業従事者は業務において如何に付加価値を高めるかに意識が向く一方、製造業従事者は付加価値に対してほぼ全くそういった意識はなく、如何にコストを下げるかに意識が向きます。言ってしまえば前者は付加価値は変動するという価値観であるのに対して後者は付加価値は固定で、変動するのはコストだという前提があるのでしょう。

 実際に両者の業務を見比べてみれば一目瞭然でしょうが、サービス業ではコストといえるようなコストは基本的に人件費しかなく製造業とは違って設備費や材料費といった原価を意識することはほぼ皆無です。逆に製造業は常にそういった原価の変動に頭を悩ませる一方で、自らが製造して販売する商品は一旦契約で仕切値が決まると価格は固定されてしまい、仮に付加価値を高めようと品質の改善をしたところで客先からは「だから何?」と一蹴されて値上げ交渉なんて以っての外です。なもんだから自然と両者で付加価値に対する意識は乖離していくのでしょう。

 恐らく認識はしていなくても、上記の意見は勤務経験のある人間ならストンと納得して、意識の差に対する程度の違いは有れども異論を挟む人はいないと思います。私が見る限りは両者の差を「クリエイティビティがあるかないか」などと言う人はいますが、付加価値に対する意識を軸にする人は多分自分以外いないと思われます。
 その上で私からもう一言言えば、この事実を真に知るべきなのは就活やってる学生たちでしょう。大体の人は就職後に徐々にそれぞれの意識に染まっていくでしょうが、この業種によって異なる付加価値に対する意識を事前に知ることで自分が現時点で向いている職種なり業界なりをある程度絞ることができ、キャリアプランなども設計しやすくなる気がします。でもって中には、どっちか片っ方の意識しか持てない人間も確実に存在しており、そういう人なんかはまさにこの点に気をつけて職選びしないとえらいことになるでしょう。

 私なんかまさにそういうタイプで明らかに学生時代からサービス業向きでメーカーとかは全く向いておらず、でもってマスコミ業界がやっぱり合っていたと周囲からもよく言われます。ただそんな自分ですら工場で手に着いたらなかなか引きはがせないえらくねっとりした潤滑油をプレス機に注入してたりして数年間(しか?)働けたんだから気持ちの持ちようによってはどうとでもなるのかもしれません。

 最後に上記に上げた付加価値、というより付加価値とコストのどちらに意識を置けるかについて、両方に意識を置ける人間というのはどうのかという問いについて私なりに答えると、はっきり言ってそんな人間は普通に存在せずいたとしたら超人でしょう。私のようにある程度は逆方向の視点を持つことはできるかもしれませんがベースとなる視点はやはりどっちか一つに偏り、敢えて表現したら今の私もサービス業の視点から製造業の視点を覗いているに過ぎません。
 なおこと創業者に関して言えば間違いなく、メーカーにおいても付加価値意識の高い人間が多いと言えるでしょう。

2016年11月6日日曜日

今週末のサイクリング

 昨日土曜日はまた例によって昆山サイクリング部の活動があったので早朝六時に自宅を出発して上海市から隣の昆山まで向かいました。距離にして50kmですが何度もとおっているのでもうお茶の子さいさいだと思っていたらなんと途中で後輪のタイヤがパンクし、どないすんねんと言いたくなるようなヤバイ状況に陥りました。
 その時乗ってたロードは今年一月に購入してから既に1000km以上は確実に走っていながら一度もパンクしたことがなかっただけにやや衝撃を受けました。もっともロードのタイヤはいつ、何がパンクするかは一切予見できないだけにしょうがないっちゃしょうがないのですが。

 話は戻りますがパンク直後に一瞬、帰ろっかなとか思いましたが既に昆山に宿泊するホテルも予約していたのでそこはぐっと堪えて30分くらい歩き、たまたま見つけた自転車修理屋に行って修理を依頼しました。そしたらそこの店主というか親父が、「タイヤの外皮も替えた方がいいよ」というのでならば一緒に変えてくれと頼み、チューブと共に外皮も変えて計60元を支払って再び昆山へと走り出しました。この時の時間ロスのため昆山ではほぼ休憩なしにサイクリングへと突入し、この日走破した距離は、途中に昼食休憩はあったものの大体120kmくらいでした。

 そして明けた今日、知人の伝手で安く泊まったホテルを飛び出してさぁ上海へと漕ぎ出して大体30分後、後輪からまるでビニール袋を巻き込んだかのようにバタバタという音が突如鳴り、再びパンクしました。まさかチューブ交換して一日でパンクするとは思いもよらずちょっと頭を抱えましたがすぐに切り替え、ちょうど工業地帯に入る直前の住宅地付近だったこともあり近くの人に教えてもらって自転車屋を訪れ、また直してもらいました。
 その際に店の親父が、「外皮のサイズが微妙に違うから替えた方がいいよ」というので素直な私は昨日の親父に対しファッキンと思いながらチューブと共に交換を依頼しました。っていうか言われてみると、タイヤ付け替える時に確かにサイズ妙だなという違和感はあった。

 この時に訪れたのはマンションの敷地内にある自転車屋で、ちょっと意外だったというかひっきりなしにパンクした自転車を持ってくる人がいて、なんと持ってきた本人が店の親父に頼まずにその辺にある道具使って勝手に修理していました。さすがにゴムのりとかゴムシール使うので修理を終えた後でお金を払ってはいましたが、こんなんありなのと思いながら見つめているとたむろしているその辺のおっさんどもが私に対し、「この自転車いくらだった?」、「最高時速は何キロ?」とかえらく質問をかけてきました。
 その際に「どこ出身?」と聞かれ、「日本だ」と答えるも私の中国語標準語がどうも通じない、っていうかかなり訛りの強いおっさんどもだったのでいまいち伝わらず、中国人の日本への侮蔑語……というよりかは一般的な呼び方の「小日本だ」と言ったら伝わりました。物も言葉も使いよう。

 その後、修理が完了して再び漕ぎ出して、再び50kmの道を走って自宅に戻ったのはお昼の一時でした。自分でいうのもなんですが昔と比べてメンタルが大分強くなったというか、中国で自転車トラブルにあっても一切動じずに淡々と自転車屋を探して直してまた走り切っちゃう当たり成長したなという感じがします。昔、杭州でサイクリング中に部品の硬度が足りておらずペダルが落下した際なんかは散々ファッキンファッキン怒鳴りながら引っ張って帰ってたし。

  おまけ
 昨日、元同僚に話を聞いたら前の職場の元上司が中国での駐在生活でどうも精神をやられていたようだったと教えてくれたのですが、正直に言って同情よりも侮蔑を覚え、明らかに自分より楽な立場にありながら精神くずすなんてとんだ軟弱ものだったんだなという感情を覚えました。もっともこれを昔の友人が聞いたら、「みんながみんな君ほど強くはない」と言うでしょうが。

2016年11月4日金曜日

中国の自動販売機(--〆)

 友人に進められたこともあるので中国の自動販売機市場について今日は書きます。

 まず大前提として、自動販売機の台数は間違いなく日本が世界最高で、日本みたく日常のどこにでも自販機が存在する国は存在しません。聞くところによると野外に自販機を置けるのは日本位なもので、ほかの国で同じことすればあっという間に釣銭とか盗まれたり壊されたりするそうです。
 そんなもんだから中国も自販機がある場所といったら基本的に屋内で、上海市内だと一番目立つのは地下鉄駅構内です。かつては全く存在しませんでしたがここ数年で台数は大きく増加し、証明写真の自動撮影機も地下鉄駅ならどこでも見られるようになりました。何気に証明写真の方は大学のゼミの同期が輸出してました。

 自販機そのもののメーカーについてははっきりと確認していませんが、恐らく日系企業が大半だと思われます。以前に筐体表面にでっかく「KUBOTA」と自己主張も甚だしい自販機を上海市内で見つけましたが、構造的にもノウハウ的にも日本が進んでいて逆に中国メーカー製ってのは見ないし聞かないので恐らく間違いないでしょう。構造もほとんど同じ売っているのもペットボトルの水とかコーラが大半です。

 ただこの前、ちょっと面白い自販機があり、具体的に言うと携帯電話で料金を払うという自動販売機でした。こういうと恐らく大半の方はSUICAでピッと決済する自販機を想像されると思いますがその上海で見た自販機はなんと、アプリで決済するという自販機でした。
 どのようにして使うのかというと、まずは買いたい飲料のボタンを押します。すると表面についている小さいモニターにQRコードが表示されるのでそれを携帯電話のカメラで取り込むと、電子決済アプリの「微信支付」が起動し、支払うかどうかの確認画面が出て決済用暗証番号を入力して承認すると、ガコンと飲料が落ちてくるという代物でした。

 タッチしてピッの自販機ならいざ知らず、このような自動決済機能を持った自販機はなかなかに珍しく、たまたま一緒にいた上海人の友人と二人して興奮してもう一回試そうということになり、私がその友人に何か飲料をおごってやると言ったら一番高いレッドブル頼もうとしやがったので「コーラにしとけ」と無理矢理変えさせました。でもって、二度目も滞りなくガコンとコーラが落ちてきました。
 ちなみに私が先に買ったのは「凍紅茶」というアイスティーです。

 前に日本人の友人と電子決済市場について話した際、小売店側が電子決済に対応するためには専用端末を揃える必要があり急には広がりはしないだろうとその友人は主張しましたが、上記の自販機を始めとして中国の場合はQRコードとアプリを使うことで電子決済を実現しており、専用のハードなど使わなくても従来のハード、下手すればQRコードが読めるレジ用スキャナなり携帯電話があればどこでも対応できるのでそれは違うと否定しました。何気にそう考えると、先ほどの電子決済が出来る自販機というのは地味にすごい代物のように思えてきます。

 またその時、友人には直接言いはしませんでしたが話をしていながら、「日本人はやっぱりハードから考えるな」と内心で思っていました。新しいサービスなりを普及するに当たってまずどんなハードを作って導入するかを日本人は考えがちですが、中国人の場合はこれとは対照的にソフトから考え、その後で既存ハードを再利用というかそのまま使おうとします。実際、飲食店などに行くと客からのオーダーを携帯電話(スマホ、フィーチャーフォンの両方ともあり)で入力して伝達、記録する店もそれほど珍しくなく、こうした活用方は日本人には無理でまず専用端末を作ろうとするなといっつも思います。

 少し話がずれましたが、もしかしたら日本にも上記のようなQRコードで買えるような自販機がもうあるかもしれませんが、広範なサービスに関してはやはりハードよりソフトから考えるべきで、この点に関しては中国の方が明らかに日本を上回っていると私には思えます。たかが自販機されど自販機といったところです。

  おまけ
 勤務先のオフィスにもお菓子とかジュースを売っている自販機がありますが、5元札入れて3元のコーラ買ったらお釣りの2元が何故か毎回出てこないので魔の自販機と勝手に呼んでます。