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2020年12月31日木曜日

今年書いた記事

 今室温10.1度ですが、外でひとっ走りしてきた後だと妙に暖かく感じます。まぁ13度切った辺りからぼーっとしていると辛いと感じますが。

 さて大晦日ですが年末なのに、というかだからか駆け込みの仕事が多く、今日も午前中まで忙しかったせいであまり年末気分じゃありません。っていうか真面目に休ませろと最近思います。それくらい年末気分がないせいか、なんかこのブログの記事もあまり時期的なものはなく、季節外れな内容がこのところ多かった気がしますが、一応歳末なんで今年書いた記事の寸評みたいなのをまとめます。

 JBpressで書いた記事で言えば、比較的最近の「中国人から見ると日本は時間が止まっているらしい」が一番アクセスが良かったと思います。配信当時にも書いていますが、実験的な意味合いで敢えて手を抜き、マクロな内容をまとめた記事がこれほどまで受けるとはという具合になんか驚きがありました。
 夏の恒例の歴史記事では明末の動乱をまとめましたが、この時代はいつか記事に書いて自分の頭の中をまとめたかったこともあり、その甲斐あって現時点においても歴史の流れと重要人物とかがしっかり入ってて、きちんと記憶化することができた気がします。何気に昨日、かなりの歴史マニアな中国人と会って、「王猛は諸葛亮より上だ」などとかなりディープな話を聞けました。

 個人的に気に入っている記事では「中国で実感、日本の調味料の独自進化は“異常」が挙がってきます。知人にも話しましたがこの内容を記事化するのは恐らく自分だけだと言え、またそこそこアクセスも稼いでおり、技ありな記事であったと自負します。ただ毎度ながら思うこととして、比較的専門とする経済系の記事よりも、こうしたグルメ関連の記事の方がやたら受けることに我ながら戸惑いを覚えます。

 ブログ記事に関しては、世を忍ぶ仮の仕事がリアルにやばくて毎日残業、というか土日も普通に作業して40連勤くらいになってた6月、7月は見事に投稿本数が激減しており、年間投稿本数も最低を更新しました。もっとも、それでもかなり多い気がしますが。
 改めて過去記事の見出し見てると、定期的にプラモ作ったことをアピってて、なんか妙にうざいなとか自分で思いました。あと見出し見て、「ねじピッチ違うじゃねーか( ゚Д゚)ゴルァ!!」の記事は見出しに妙なパワーを感じられ、記事内容も読んでて変な迫真さがあります。なおこの記事で出ている椅子は今も使っていますが、ちょっと選択をミスったと思うのは椅子のカラーで、黒色を選んだのですがこれだと日向に置いとくと夏場は日光をガンガンに吸収してメチャ熱になります。ほっとけば冷めるのですが革にはあまり熱を与えない方がいいということを考えると、この手の椅子、特に窓際に置く場合は白色の方がよさそうです。

 そういうわけで来年へと続きますが、明日はまた朝から自転車で往復100㎞してくる予定です。もう少し時期ズレていれば外気温も上がるのにと少し思います。

2020年12月29日火曜日

石破か河野か

 年末寒波が日本のニュースで話題になっていますが、今上海がちょうど寒波が来つつある頃です。昨日から今日の昼にかけてはこの時期にしては非常に暖かいと感じる天気でしたが、風がものすごい湿気を含んでいて生暖かく、且つ風向きが非常に不安定であったことから、「ああこれヤバイ天気になる」感じがプンプンしていました。案の定というか今日昼過ぎから急激に気温冷え込みだして、この後は布団に潜り込みながらネット見る予定です。
 なお暖房はつけません。それ言ったら上海人の友人に、「中国の石炭節約に協力ありがとう」という妙な皮肉を言われました。

 さてちょっと気が早いかもしれませんが、そろそろ菅総理の次は誰かを検討する頃じゃないかという気がします。はっきり言いますがもはやレームダックもいいところで、本人も何やったところで裏目裏目に出ていることからかなり自信なくしているように見え、むしろ職を投げたしたいとすら思ってんじゃないかと勘繰っています。
 それで次は誰かとなると、意外にここにきて石破茂氏の株が上がってきています。菅総理はそもそも安倍政権でずっと官房長官を務めてきて、現政権は安倍政権の延長だと誰も疑いません。その政権が失敗しているのと、安倍政権に距離を置いてきた石破氏が野党なんかより対立相手として存在感があり、ここにきて反対の立場故に期待感が高まってきている気がします。

 ただ石破氏自身がそもそも自民党内で地盤が弱いのと、本人も年齢からか最近やる気がやや弱まってきているのと、支持がこの後広がり続けるかで確定的とは言えません。ではそのほかの候補となると、比較的年齢が若く、近年は閣僚として存在感を見せるようになった河野太郎氏が対抗馬となるように見えます。本人も総理には恐らくかねてから狙っている節があるのと、石破氏に比べれば前に出ようという気概があるため、恐らく来年の総裁選には確実に出馬してくると見込んでいます。

 一応、前回総裁選に出た岸田文雄氏も候補と言えば候補で、党内からも無難と見られていることから、案外次の総理になる可能性で言えば一番高いかもしれません。ただ宏池会の伝統というべきか、ここぞというところで踏ん張りがきかずガタガタっと崩れやすく、勝負所でミスる癖があるのが目に見えるくらいで、総理になるとしたら自民党内からの妥協としてなるでしょう。逆を言えば、世論の風が大きかった場合は、石破氏が河野氏が来るのではと思います。

2020年12月28日月曜日

非正規雇用限定の解雇一時金案

 自分で書くことをすっかり忘れていましたが、先週にJBpressで出した日本の解雇規制が緩いという話に付随する話ですが、この時の取材、執筆過程で地味におかしくね的に思ったのは、日本だと非正規雇用は解雇されやすい立場なのに対し、解雇時の処遇においても正社員と比べ格段に低い、っていかそんな処遇なんて全くないという事実です。敢えて例えるなら、敵の矢玉の一番前に立たされて戦闘時には真っ先に死ぬ立場であるのに対し、後ろで控えている連中は死んだら戦士手当が出るのに、彼らはそうしたものは一切出ないといった感じです。

 もちろん、私が記事に書いた通りに日本は予告なしのいきなりの解雇時に支払われる即時解雇手当を除いた解雇一時金の支払い義務はなく、正社員であっても会社側は解雇要件さえ満たしていれば何の補償もせずに解雇することができます。ただ大企業などでは正社員の解雇に際して、退職金を余分に支払うなどの補償を行っており、他の中小企業とかでも同様の手法が「解雇時の補償方法」として、義務ではないものの一般化している節があります。

 一方、派遣などの非正規雇用は逆にこうした補償が一切ありません。補償が一切ないから解雇しやすい、そういう立場なのだからという風にも言おうと思えば言えますが、社会全体のことを考えると、契約した就労期間途中ですらスパッと切られる可能性があり、普段から正社員と比べ給与や待遇面で低くつけられていることから、解雇時に生活が不安定になりやすいのはむしろ非正規雇用です。そうした、解雇されて生活が不安定となり、社会不安を招くことを考えたら、何らかの補償を義務付けた方が案外いいんじゃないかと正直思いました。具体的には、非正規雇用に限定して解雇一時金の制度を設けるということです。

 それこそ契約期間中に切る場合は、残りの契約期間全体の給与の半額の支払を企業に義務付けるほか、契約期間が満了したものの本人が同じ職場での勤務続行を望みながら企業側がこれを拒否した場合、契約期間に応じて1~2ヶ月分(1年なら1ヶ月分など)の給与を支払うとか、そういう制度があってもいいような気がします。もちろんこんな制度を作ったら「派遣を雇うメリットがなくなる」とか言っては県雇用が減ると主張する人もいるでしょうが、一応政府も、社会も派遣の正社員化を進めるべきという方針は漠然ながら持っているのですから、それはそれでいいことだと私には思えます。

 繰り返しとなりますが、解雇された際に生活が破綻しやすいのは非正規雇用の方です。一応、非正規雇用でも解雇された場合は失業保険を受給することができますが、受給するまで解雇から1ヶ月間は確認期間があることを考えると、やっぱり1ヶ月分の解雇一時金くらいは持たせた方がいいのでは思います。
 それにしても、つくづく自分は派遣に対して甘いなという気もします。

2020年12月27日日曜日

みんな世界を滅ぼしたいの?


 上の写真は2013年の大晦日くらいに撮影した写真ですが、何故かまた意味なく引っ張り出してきました。個人的にはこのような構図を思いつき、それを実際に実行に移した自分の行動力になんか感嘆を覚えます。

 話は本題に入りますが、クリスマスだからか最近各オンラインストアでやたら割引セールをしているせいで、このところ激しく散財し続けています。もっとも今使わなければ後でもっと高い金額となるわけだから長い目で見ればお得ではあるものの、漫画、ゲームを中心に、なんか中学生っぽいお金の使い方をこのところしています。
 そんな大量購入したゲームの中には、このブログでも以前に散々誉めた「グノーシア」というゲームを作ったプチデポットが、それ以前に作った「メゾン・ド・魔王」が含まれています。先に「R-Typeディメンション」というシューティングゲー(やたらむずい)を遊んでるため「メゾン・ド・魔王」はまだ遊んでいませんが、なんかアパート経営して魔物を養いつつ魔王が世界制覇するという内容だそうです。

 先に遊んだ「グノーシア」自体は、ジナというキャラクターに「はい、喜んで」と言わせるイベント起こすなどまた遊びなおしており、その完成度の高さ故に二度目のプレイでも全く興味は失せず、相変わらず楽しんでいます。基本的にこの会社は非常に丁寧にゲームを作る会社だと思え(「エクスペリエンス」はその逆)、それだけに「メゾン・ド・魔王」も期待しているのですが、このゲームの大まかな内容を見て最初に思ったことは、「魔王となって遊ぶ経営シミュレーションってやたら多くね?」ということでした。

 私自身、この「メゾン・ド・魔王」以外にも魔王となって勇者や王様を打ち倒して悪の帝国を築く系のゲームを過去に何度も遊んでいます。一方、勇者や王様となって魔王の帝国を討ち果たす系のゲームとなると皆目なく、どうしてこの手の経営シミュレーションゲームはみんな魔王になってしまうのか、もしかしてみんな心の中で世界を滅ぼしたいと思ってんじゃないのかとか最近思えてきました。
 まぁこうなる理由は単純に、プレイヤー側を魔王とする方が意外性もあるし、人間側と違って略奪行為などむちゃくちゃなプレイをしやすいってのが理由だと思いますが。

 ちなみに「世界を滅ぼす」ということに関しては、「パチパラ14」というゲームの「パチプロ風雲録」モードにて、ヒロインと夏の縁日に行ってお寺にお参りした際、「ねぇ、何をお願いしたの?」と聞かれ、

→健康でいられるように
  もっとパチンコがうまくなるように
  もっと君と仲良くなるように
  この世界が滅ぶように

 という選択肢が表示され、最後のを選ぶと主人公がわざわざ声付きで、「こんな世界、滅んでしまえと祈ったのさ!」と言ってくれます。ヒロインからは「ど、どうしたの?何か嫌なことでもあったの?」と割とリアルに心配してくれます。っていうかSteamとかでパチパラは再販してほしい。作ってたグランゼーラの最近の作品はやたら評判悪いけど。

 ただまじめな話をすると、ほとんどの人は多かれ少なかれ世界の破滅願望を持っているとは私は思います。具体的には何か嫌なことがあったり、今の状況に不満があったりして、そうした状況からの脱却なり展開なりで「こんな世界、滅んでしまえばいいのに!」的な願望は日常でも頻繁に持つものでしょう。
 私個人としてはそうした破滅願望はむしろ否定するより、「そうしたダークサイドな一面も自分にはある」と素直に受け入れた方が、ストレス管理的にはすごくプラスだと思います。「嘘よそんなの。そんな感情、私にあるわけなんてない!」みたいに悲劇のヒロインっぽい否定したところで無駄に葛藤するだけだし、嫌なことあったらそうした破壊・破滅的考えがよぎるものだと割り切るべきでしょう。まぁ日常的に破滅願望を抱いて口にしてたら、さすがに変な人みたく思われるかもしれませんが。

 かくいう自分も破滅願望は自身の安全や生命を含め非常に高い方です。だから先ほどのパチパラ14のセリフもやたら記憶に乗っているし、「メゾン・ド・魔王」も買っちゃうのでしょう。ただそんな自分でも、最近やたらと周囲から「常に前向き」などと言われるようになり、少し居心地の悪さを感じます。
 敢えて言うなら、自分は前述の通り嫌なことあったら破滅的考えがよぎることを否定しない分だけ切替えが比較的早いことと、悪い状況の時ほど「これに何が加わったらもっと悪くなるのか」と最悪の状況を想定、比較して、それに比べたらまだ今の状況はマシだと自分に思わせつつ、周囲にもそう伝えて落ち着かせるようにしています。そうしたものが割と周囲に評価されているのかもしれません。

 なお1999年の正月に自分は名作RPGの「女神異聞録ペルソナ」を購入して、そこからオカルト方面の知識を得ていきましたが、当初はこのゲームに出てくる「破壊神」について、何故破壊を行う存在が神として崇められるのだろうかと疑問に感じましたが、今だったら自分もカオス勢力に属して破壊神を崇めてると思います。そうなると自分は非秩序・混沌型の人間で、真・女神転生ならガイア教徒なのかなと約22年前を思い出しつつ感じます。

2020年12月26日土曜日

広州の停電に関する真偽確認

 先日に日本で流布された「上海で大規模停電発生」というデマについて言及しましたが、その後も同僚などに確認しましたが、「上海で停電?どこで?」という風に、停電の事実はおろかデマが流れていたこと自体把握していませんでした。友人一人がデマの存在を知っていたのものの、「広州や浙江で電力不足というのは事実だけど、上海で不足しているなんてことは聞いたことがない」という見解でした。
 以上を総括すると、やはり停電は配線や設備の修繕などに係る、一部区画に限定した停電措置が拡大解釈された、それも意図的にというものでしょう。一方で前回では真偽確認出来なかったために敢えて言及しませんでしたが、この上海の停電デマが広がった背景としてそれ以前に、「広州で大停電が起きている」という情報が流れていたことがありました。このん天について今回確認した内容をまとめます。

 結論から言うと上記の広州大停電もデマと言っていいでしょう。今回、ゲーム業界の取材などマジでめちゃ頼りになる広州の友人に、「ヘイミスター、広州の停電について何か知ってるかい?」とストレートに尋ねたら、「停電?何それ(。´・ω・)?」とリアルにで返されました。そこで具体的に荔湾区とかで停電したと一部日本のサイトで報じられているのだけれどと伝えましたが、「あったのかもしれないけど聞いたことがない」という返事でした。
 いろいろ出ている情報を確認したところ、恐らく民間送電において広州の一部地域で停電が起きたことはほぼ間違いないと思います。ただ私が確認した停電時間は夜中の12時半からで、この時間帯からすると設備補修などの計画停電の可能性もあります。

 逆に少なくともいえることは、その停電規模は同じ広州市内の人間ですら目に耳にしない程度のもので、非常に限定的であったことでしょう。中国人は何かあったらすぐチャットで情報を共有する癖があることを考えると、ただでさえ情報の感覚に鋭い私の友人が同じ市内で大規模停電が発生していたというのに気づかないはずはありません。恐らくは上海同様、一部計画停電の通知、若しくは一部地域での停電を拡大解釈して、「広州市内で大停電が起きている」とデマをまき散らした人間がいたのでしょう。

 ただ補足すると、その広州の友人が後から送ってきた情報によると、中国各地で電力が不足し、工場を中心に行政が稼働を止めるよう要求する形での計画停電は現在も絶賛行われているようです。これは上海の友人も同じく言及しており、背景には日本で流れた上記デマ関連の報道で触れられていたように、中国政府がケンカしてオーストラリアから輸入する石炭量を制限したためと言われています。
 実際に石炭輸入制限が起きているかなどはさすがに現場にいないので確認できませんが、石炭関連の電力不足報道は確かに中国語媒体でも見られます。ただこの話、よくよく考えてみると単純に石炭がないからというわけではないという気がします。

 一体どういうことかというと、工場の稼働率が高すぎて電力が足りなくなっている節もあるということです。これこそまさに日本で報じられていない事実ですが、現在中国の製造業は絶好調もいいところで、ほぼ全業種にわたって残業お構いなしのフル稼働が続いています。好調な理由は国内消費がこのところ活発であることもさることながら、コロナによって各国で工場が稼働できなくなり、その分の製品注文が中国に回ってきていることが指摘されています。
 具体的にはインドなどは今、コロナが世界最大規模で大流行しており、生産どころじゃないでしょう。インドが生産しない場合、インドのみならずインドから製品を買っていた他の国にも製品が回らなくなることは自明で、その分の注文が中国に来ている可能性は私も高いとみています。

 実際に友人などに話を聞くと、化学品の原材料の中国国内における取引額などは上昇し続けており、在庫も払底するようになってきているそうです。少し話が脱線しましたが、恐らくオーストラリアからの石炭輸入制限はある程度中国政府も見越して行ったものの、国内製造業の想定を超える活発化により、電力不足が各地で深刻化しているのではというのが私の見方です。

 なお広州の友人が参考にと送ってきてくれた中国語記事は、「今シーズンの電力不足は1年半前に予想されていた」として、電力受給論文の作者を「事前諸葛亮」と呼んでいる記事でした。この「事前諸葛亮」という言葉は普段は逆の「事後諸葛亮」という言葉で使われています。この言葉は日本でも一部で話題になりましたが、日本語に直すと「後出し孔明」、つまり事件が起きてから「やはり、こうなることは見えていました」的に自分はわかっていた、予想していたという人を揶揄する言葉です。

 実際に使うシーンが多く、孔明っぽい口ぶりがまさにぴったりということから中国でも流行り、日本でも一時ネットで話題になりましたが、その後は定着したようには見えません。私自身も足りない部分を埋めるいい言葉であるように思えるだけに、もっと定着してほしいです。

2020年12月25日金曜日

ガチな傭兵の凄い体験記

56歳・元日本人傭兵の何とも壮絶で快活な半生(東洋経済)

 昨夜、上の記事を見つけて読んだのですが、比較的長い内容ながら貪るように一気読みしました。その内容というのも、アフガンやミャンマー、ボスニアでリアルに傭兵していた高部正樹氏の体験についてです。

 その内容については是非直接記事を読んでもらいたいのですが、少年期から国を守る軍人にあこがれていた高部氏は難関中の難関である航空学生に受かって訓練を受けていたものの、耐G訓練で怪我を負ったことからパイロットにはなれず、それでも戦いたいからと言って海外に渡り傭兵を始めます。元傭兵と名乗る人は多いですが大体は名乗っているだけなのに対し、この高部氏は文字通り「戦うためにそこへ行く」を地で行ったガチの傭兵体験者で、記事中で語ってる内容もなんかぶっ飛びすぎてて、人の人生にここまで感動させられたのは久々でした。

 もうこの記事一本だけでも魅了されたのでさっそく高部氏の語りを漫画化した末尾リンクの本もすぐ購入してさっき読みましたが、まぁなんとも凄い内容になっています。一番笑えたのはミャンマーで、「装甲車作ってみてぇな」と思って壊れた重機に鉄板貼り合わせて作って乗り出したら、めちゃくちゃ速度遅いし、粗悪な鉄板使ったせいで銃弾に撃ち抜かれるし、「これじゃいい的だよね」と死にそうになりながら変に冷静に解説しだす仲間がいたりという内容でした。
 っていうか漫画家に、「発想が中学生」と指摘されてましたが、マジその通りです。

 ただその内容については、記事を読んでもわかりますが戦場とは思えないくらいに非常に明るく楽観的に書かれています。写真を拝見してもわかる通り高部氏は元傭兵とは思えないくらい優しそうな顔をした人で、実際に漫画家を担当した人も「なんだこの優しそうなクマは?」と初対面で思ったそうですが、実際あったらそんな印象を持ちそうです。
 逆を言えば、そういう優しい語り口だからこそ語っている内容は真実なんだろうという気がはっきりします。というのも個人的な経験から言って、自分の体験した苦労をやたら誇大に主張する人というのは信用できず、逆に「まぁ何とかなった」、「意外とどうにかなる」、「誰でもできる」とすごい体験を明るく謙虚に話す人ほど、信用できると考えています。

 これ以上はあれこれ紹介するより記事や漫画を読んでもらうのが早いのですが、敢えてもう一点加えるとしたら、傭兵というのはやはりいつどの時代でも存在し、需要があるのだなということです。今回の高部氏の漫画で自分も初めてミャンマーにおけるカレン族の独立闘争を知りましたが、表に出てこないだけでこうした紛争は今も世界各地で起きており、そこではそれこそ規模こそ違えど「エリア88」みたいな世界が確かに存在するのでしょう。そういう意味では、そこで傭兵として体験してきた高部氏の話というのは傾聴に値すると思います。

 あとこれは蛇足だろうけど、この記事の掲載媒体は見ての通り東洋経済ですが、内容は経済と全く関係がねぇ。まぁ面白いからいいけど。


2020年12月24日木曜日

史上最高と史上最低のアンダースロー投手

 あまり表に出すことはないですが、地味に野球の投球フォームで一番好きなのはアンダースローです。なんで好きなのかというとはっきりした理由はありませんが、「変則」、「希少」というワードがやはり昔から好きで、この二つがピタリと当てはまるフォームだからというのが大きいと思います。ちなみにこの二つのワードが好きなことから、もし戦場に立ったらオーソドックスな戦術ばかりの諸葛亮とは対照的に、奇策ばかり連発するなんちゃって武将になってたと思います。

 さてそのアンダースローですが、日本プロ野球史上で最高のアンダースロー投手と言ったら間違いなく元阪急の山田久志氏をおいてほかにいないでしょう。通算284勝という記録もさることながら、引退後も監督としてはしょっちゅう球団の人間と喧嘩して揉めることが多かったものの、投手コーチとしては多くの名プレイヤーを育てるなど地味に大きな功績を上げています。また彼がアンダースロー投手として大成したことにより、このフォームで勝負する後進投手が少なからず生まれており、その点で持っても重要な役割を果たしています。

 逆に、史上「最低」のアンダースロー投手ときたらこちらも間違いなく、元ロッテの渡辺俊介氏が挙がってくるでしょう。何故かというと、彼のボールのリリースポイントは地上約3㎝という超スレスレだからです。
 谷繁(Tanishige)氏も言ってますが、渡辺氏のアンダースローは普通のアンダースローと言っていいかとなると、やはり異なっています。というのも渡辺氏の場合、足を大きく地面につけるように広げた上に、前述の通り地面スレスレでボールを投げつけるという投げ方で、他のフォームと違ってアンダースローのリリースポイントは確かに低いものの、渡辺氏のリリースポイントはそれを遥かに下回るくらい低くく、真似しようと思っても実はほとんどだれにも真似できない特殊なフォームだからです。

 その渡辺氏がなんでこんなフォームになったのかというと、中学時代に投手として同じチームでも三番手と芳しくなかったことから、父親より特殊なフォームに逃げるしかないと言われて始めたのがきっかけです。また渡辺氏は体が柔らかかったことから、ああいう風にべたっとした投げ方に至ったそうです。
 ただフォームを変えたからと言ってすぐ成功したというわけではく、高校でもエースになれず、大学でもそこまで目立つ選手出なかったのですが、ある日の試合で好投していたところ、たまたま来ていた新日鉄君津の監督が興味を持ったことから、社会人野球へと進むことになりました。

 なお新日鉄君津の監督が興味を以って大学の監督に話を持ち掛けたところ、「あいつは今日たまたま好投しただけだ」と、なんか否定的な評価されたそうです。もっとも本人も著書で、「確かにたまたま好投していた」と認めていますが。

 その新日鉄君津の監督は「たまたま」という言葉を受けても、そのまま渡辺氏を獲得するに至っています。なんでも、矯正すべきポイントを見抜いており、そこを直せばよくなると当時から考えていたそうで、実際にその指導を受けたことで渡辺氏は社会人時代にメキメキと実力を高め、当時ジャイアンツにいた清原氏からもいつかプロに上がってくると思わせるようになりました。

 その後見事ロッテに入団したものの、入団から数年は目立った成績を上げられず、このままならクビというところまで一時追い込まれたそうです。ただラストチャンスとまで脅された試合で、キャッチャーは二軍時代から付き合いのあったザキこと里崎氏だったこともあって好投し、それ以降は緊張が解けたのかその特殊なフォームと相まって安定した成績を残すようになっていきました。
 もっとも一時期はムエンゴ病にかかり、好投すればするほど野手が点取ってくれない時期がありましたが。

 この渡辺氏については冒頭の山田氏も同じアンダースロー投手としてやはり気になったのか、折に触れてアドバイスし、特に「外角高めスレスレに落ちるシンカー」を身に着けるようアドバイスしたことは、渡辺氏も決め球になったと述懐しています。なお渡辺氏のシンカーはそのフォームと投げ方からガチでジャイロ回転していたとされ、実際にその試合で投げるストレートよりも速い球速を出すこともあって、打者からしたらストレートと区別つかなかったと思います。


 なんでこんな記事書いたのかというと上のアエラの記事で久々に渡辺氏の名前を見たからです。何気に現役時代、自分も凄い好きな選手で、その著書の「アンダースロー論」も何度も読み返しています。

 個人的に渡辺氏の経歴を見ていて、彼はいわゆる野球エリートではなく、むしろ落ちこぼれに近い経歴を経た上で球界を代表するアンダースロー投手となっていることに興味を覚えました。その上で、要所要所で選手生命の危機ともいうべきピンチに迫られていますが、その度に何らかのテコ入れをして実力を高めている節があり、彼を見ていると困難は人を強くするものだというのをまざまざと感じます。

 もし元プロ野球選手の誰かに会うことができるとしたら、自分は恐らく渡辺氏に会ってみたいというでしょう。私自身も彼の生き様を見ていろいろ影響を受けたと感じたし、そのアンダースローに賭けた人生について伺ってみたいこともたくさんあります。

 なお他にも会って話をしてみたい選手ときたら、やっぱり赤星氏かなぁ。個人的には同じ野村監督の教え子で一番打者同士である飯田氏と赤星氏の対談とかも見てみたいんだけど。

2020年12月22日火曜日

中国相手ならデマも許される

中国、朝7:00~夕方18:00まで停電 北京、上海も告知  豪州への制裁で自滅(痛いニュース)

 別に中国の肩持つ気なんてさらさらないけど、こうしてデマに踊らされて狂喜乱舞している人が少なからずいることを見ると、幸せそうだなとか内心思います。


 結論から言うと上海で停電なんてありませんでした。普通にみんないつも通りに仕事していたし、停電がどうとか話題に出ることもありませんでした。今回デマに使われたのは上海の送電会社が設備補修とか調整のために一部区画で特定時間に限り送電を停止すると発表したものを、上海全体が22日に停電するという風に捻じ曲げられて報じられたようです。
 ちなみに上海だとこういう停電は日ごろから見て、よく路上の3軒くらい続く店舗の壁に「明後日停電するからよろしく!」みたいな通知が貼られたりします。と言っても数時間だったりするので、実生活に影響を及ぶことはありません。

 それこそ仮に、「東京が電力不足で明日1日中停電する」というデマに「ざまぁみろ日本が!」みたいに狂喜乱舞する中国人がいるとして、それを見てどう思うかでしょう。まぁ自分は日本人だけど、こんな風にちょっと考えたらすぐわかるし、調べればデマと分かるような内容に簡単に踊らされる人たちが普通にいることを見ると、ちょっと社会が甘いのかなという風にも思えてきます。

2020年12月21日月曜日

解雇記事の裏側


 毎度おなじみヤンマガ風の自分の記事の紹介です。なおヤンマガですが、彼岸島といいサタノファニといい、下品さで言えばぶっちぎりな漫画雑誌だと密かに思っています。

 さてこの記事ですが、多分一般の記者にはまず書けない内容です。というのも記者というのはわかりやすい報道を心がけているせいか、比較的単純明快な内容やニュースを追いかける癖があります。逆を言えば、こうした法律とか制度といった複雑な内容は避ける傾向があり、実際こうした実務に成熟した記者というのは今まで見たことがないです。
 ならなんで私はこういうの書けるのかというと、記者としてやや中途半端なキャリアであることと、今いる会社でこういった雇用関連の実務に係る機会がたまにあるからです。そういう意味で、このネタで記事が出るとしたら専門家インタビューか、自分が書く以外似ないだろうと記事ネタ思いついた時に感じました。

 そういうわけで出たこの記事ですが、書こうと思ったきっかけは記事中でも少し触れていますが、中国では解雇時に企業から被解雇者に一時金を支払うのですが、その計算式をこの前何気なく業務で調べていた時に、「そういえば、日本の解雇一時金の計算基準とかどうなってるんだろう。退職金に係数かけるのかな?」などと思いつき、調べようとしたのがきっかけでした。結果は記事中にも書いている通り、日本にはそもそも解雇時の一時金支払い義務すらなく、中国の実務に慣れている私だけでなく知り合いの中国人もみんな揃って「なんじゃそりゃΣ(・ω・ノ)ノ!」とみんなしてびっくりしたので、記事としていけると判断しました。

 結果はJBpressのアクセスランキングで今日8位前後をうろついていましたが、大衆受けするわけでもないこの内容でこの順位であれば健闘した方だと思います。ヤフコメもやはり実務的内容からから普段よりコメント少ない上に、あからさまに内容読まずにコメントしている奴らがいて笑えます。

  • jiy*****

     | 

    え?貴殿は日本のどこの会社に働いたの?日本、日本と言っているけど、何社を調査したの。仮に国の関連法整備が幾分遅れているとしては、各企業は独自の規定があるはず。逆に中国は社会主義のどころか、解雇規制含む資本主義の一部原理を導入しているね。

  • amt*****

     | 

    中国の労働環境って解雇が易しいのは勤務時間や延長手当、給料問題、その外の仕事に対する文句をよく言ってる人たちだろ。日本人が中国のことについて知る必要が無い。中国は共産独裁主義社会だから労働者たちに対する人権は無いと思う。韓国人たちが受けている実際月平均給料(週40時間に計算した基本給基準:18万円)から3、5割に達する低い給料しか及ばないので韓国にも金儲けする気にたくさん来ている。中国人滞留労働者たちも外国人労働者に取り扱っています。!中国が世界2位の経済大国だって国家の面積と人口に比例してること。新興国(開発途上国。)になるのです。だから最低賃金は低くしかない。中国の人権環境が劣悪なのことは事実です。!


  •  上の二人などはまさにその典型で、恐らく見出しだけ読んでコメント書いているのではという気がします。下のコメントに至っては「中国の労働環境て解雇が易しいのは~」と、自分が記事で書いた内容と正反対な内容について何故か必死でコメントしており、こんな情けない了見していて普段から生きてて恥ずかしくないのかなと割と真面目に思います。
     また「中国なんか参考にする必要ない!」というコメントも複数みられますが、こうしたコメントが来ることは初めから想定しており、そのためにわざわざ「欧米も同一基準の解雇一時金制度を布いている」という文言を入れています。記事を読んでないだけかもしれませんが、欧米ならお前ら参考にするのという話が、彼らが本当に自らに問うべき問いだと考えています。

     一方で決して多くないものの、記事内容に肯定的なコメントもみられたほか、記事中で触れているように日本の解雇規制の曖昧さについての言及もみられました。私自身、この記事で中国の方が制度的に労働者に平等だとか手厚いとかいうことではなく、日本は解雇時においても大企業と中小企業で天と地ほどの差があるということで、それはすべて法制度が整っていないせいで、最低限の支払基準くらいは法で固めるべきだと言っています。意外とこの辺誰も気が付いてないのが不思議でしたが。
     あと記事中にも書いていますが、解雇一時金を支払う義務なんて日本はないから、予告した上で解雇すればその後完全放置でも日本は許されます。裁判を起こせばいくらか示談金が得られるかもしれませんが、裁判費用のが確実に上回るし、また示談金を回収できるかにおいても障害があります。こう考えると、日本はむしろ解雇天国にしか私には見えません。

     ただ、唯一日本で企業に絶対的に解雇できなくさせる手段があるのですが、一人くらいいるかなと思いましたがコメント欄では誰一人言及がありませんでした。その手段というのも労働争議及び労働紛争で、特に後者は個人でも自治体の関係当局に仲裁あっせんを依頼することで不当な解雇などに対する大きな抑止力となりえます。問題なのは、その存在を知っている人間がほとんどいないって点ですが。
     一方、全車の労働争議は基本的に労働組合を介さないといけず、実質的に労働組合がほとんどの日系企業で機能しなくなり、若者も加入したがらなくなっている現状ではあまり有効と言えず、実際に発生件数なども年々縮小の一途です。そういう意味では、日本で解雇を妨げてきた張本人は労働組合だったのですが、この労働組合すら機能しなくなった現代日本においては、解雇を阻む障害は実質ほとんどなく、それこそ大企業の労働組合だけが唯一の障害じゃないかと思います。

     このほか裏話を書くと、この記事を書くに当たって日本で整理解雇や諭旨解雇する際の実務とか金銭相場とかないのかなと思い、聞くだけ聞いてみようと、中国の制度の比較もできそうだからと思い、ユナイテッド・パートナーズ社労士事務所にメールで取材を申し込んだところ、まさかの無視を決め込まれました。
     メールを受信したとの自動返信メールを受けていることから入力アドレスの間違いなどはないはずなのに、嫌なら嫌で断ってもらっても別にいいというのに、返信すらよこさないとかなめてんのかこの野郎と頭に来ました。あまりにも腹ったから、記事に浸かっている図表に「非協力:ユナイテッド・パートナーズ社労士事務所」と書こうかとすら思ったくらいです。

     そういうわけで腹立つこともあるので、自動返信メールの内容を下記に引用します。何気にこの解雇記事を通して一番言いたかったのは、こうい失礼な連中もいるという事実だったりします。


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    このメッセージは、システムより自動送信されています。
    このメールに対して返信しないようお願いいたします。
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             ◇  お問い合わせ内容確認メール  ◇
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    ユナイテッド・パートナーズ社労士事務所です。
    この度はお問い合わせをいただき、誠にありがとうございました。

    お問い合わせいただきました内容は以下のとおりです。
    後日、担当者よりご連絡させていただきますので、今しばらくお待ちください。
    ※本メールは等幅フォントでご覧ください。

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    【お問い合わせ内容】

    種別:中国労働法・労働契約法、中国人事・労務問題に関する相談
    御社名:個人
    ご担当者名:花園祐
    ふりがな:はなぞのゆう
    TEL:070-xxxx-YYYY
    FAX:
    E-mail:miyamakikai@gmail.com
    郵便番号:37564
    都道府県:千葉県
    市区町村番地:マッドシティ
    ビル・マンション名:デスパレス
    お問い合わせ内容:初めまして。私はフリージャーナリストの花園祐というもので、現在下記アドレスのJBpressで中国関連コラムを連載しています。

    https://jbpress.ismedia.jp/search/author/%E8%8A%B1%E5%9C%92%20%E7%A5%90

    現在、私は日中の労働法規、特に解雇関連規定について比較する記事を執筆しようと検討しています。下調べをしていたところ貴事務所のこのサイトを知り、参考とさせていただきました。

    その上で、大変厚かましいお願いとなりますが、日中の労働法規についていくつかご質問させていただけないかと思い、この度連絡を送ることとしました。ついてはもしよろしければ、メールなどを通して二、三のご質問に答えていただけないでしょうか。

    金銭でのお礼は取材行為上で行うことはできませんが、記事配信の暁には協力として、記事中にて貴事務所のお名前を記載することはできます。誠にお手数ではございますが、質問にご回答いただけるかどうか、ご返信いただけないでしょうか。お答えいただける場合、改めてお聞きしたい内容をお伝えします。

    以上、よろしくお願いします。
    個人情報保護の同意:同意する

    ※このメールは、自動的返信メールです。
    お問い合わせ内容に覚えのない方または
    ご不明点などがございましたら下記までご連絡ください。


    -------------------------------------------------------
    ユナイテッド・パートナーズ社労士事務所
    愛知県名古屋市中区丸の内3-17-13 いちご丸の内ビル5階
    TEL:052-212-7801
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    2020年12月20日日曜日

    菅政権は来年で終わり

    ハンパない「間の悪さ」、もうメッキ剥がれた菅内閣(JBpress)

     上のリンクは私の主戦場であるJBpressで舛添要一氏が書いた記事ですが、その内容と時期の良さからランキングでも上位に入っています。真面目にこの舛添氏と元韓国大使の武藤氏がJBpressで記事出すようになってから執筆陣がどんどん豪華になり、JBpressの格も跳ね上がって、私もアクセスランキングでトップ取れなくなっていきました。たまに本気で、「こいつさえいなければ(´・ω・)」と思うときがあります。

     話は本題ですが、上の記事で書いてある通りに世間の批判を受けてGoToキャンペーンを中止した菅内閣ですが、年末年始の移動を控えたこの時期にわざわざ中止するなど混乱に輪をかけた上、自分たちは多人数で会食するなどして無駄に反感を買っています。そのおかげもあって支持率はウナギ下がりで、あっさり支持不支持分岐点を割ってのけて見せました。
     私はこのブログで菅政権発足当初、やろうと思えばすぐできる省庁業務改革とコロナ対策だけやっていれば、経済成長を果たさなくても国民は許してくれるというイージーモードで発足した政権だと評しました。前者はともかくとして後者はご覧の有様だよ的な結果に終わり、恐らくこれから冬が深まるにつれ、あと年末年始で移動が起こるのに合わせて、本格的な混乱が始まってくることでしょう。あと誰も言及してないけど高校や大学入試とかどうすんだろう。

     前述の通り、菅政権はコロナ対策だけ真面目にやっていれば国民からの支持を確実に得られました。しかし無駄に業界団体の権益を優先した結果、業界団体が利益を貪った一方で医療現場をはじめとする多くの分野に多大の負債を負わせたといってもよく、こんなんで支持など得られるわけなぞありません。さらに言えば、何故これほど政権運営が楽な状態からこんな大ミスをできるものだと呆れます。
     それこそGoToの中止意見が各自治体から出た際には、「国に決めさせるな、自治体で決めろ」と一時突き放していました。これは国が中止すると業界団体から批判が来るのを恐れた責任回避以外の何物でもなかったものの、結局止めないとどうしようもなくなったので最終的に決断しましたが、私は今こそあの時のセリフを菅政権に突きつけるべきだと思うのですが、この辺野党とかマスコミはまだ甘いなという気がします。

     あとちょっと本題から外れるけど、去年の三月あたりに中国で工場とか稼働させたら、「中国はコロナ対策と経済の二兎を追っている。でもって失敗するだろう」と散々日本のマスコミは書いていましたが、他国より自国にもっと言ってやった方が良かったのではと皮肉っぽく思っています。この辺の話はJBpressでまた書いてもいいですが、中国相手だったら根拠なく批判したり馬鹿にできるという暗黙の了解がやはり日本のマスメディアにはあるでしょう。

     話を戻すと、舛添氏も書いている通りにこのあまりにもお粗末なバタバタ具合から自民党内でも支持を失いつつあるという意見に私も同感です。元々、長期政権になるのか微妙な立ち位置でありましたが、現状からすると菅政権はそんな長く持たず、もって余命一年未満といったところでしょう。
     どうでもいいですが医者になると青魔法の「しのせんこく」が使えるようになるのかもと、何故か上海地下鉄内で無駄にこの前考え込んだことがあります。「くさいいき」と「ゴブリンパンチ」は誰でも使えるけど。

     再び話を戻すと、そういう背景を踏まえるともう自民党内で後継レースは始まっていると言っても過言じゃないでしょう。恐らく次辺りで河野太郎氏も立候補するでしょうが、順当に行くなら岸田氏、あとある意味菅政権が追い風となっているのが石破氏なので、まだ結果は読めません。ただ早ければ初夏六月くらいには総裁選やるかもしれません。ああでもオリンピックは無理やり開催するだろうから、その辺のスケジュールとの噛み合いで秋までは持つかも。

     それにしてもここまで菅総理が決断力ないとは思っていませんでした。発生した問題の切りかわしは上手かったけれども、何かを決めるっていうのは絶望的だったようです。あのまま総理にあらず官房長官で終わっておけば、そんな見方もされるかもしれません。

    2020年12月18日金曜日

    令和にあっても昭和的?

     今日Yahooトップページのニュース見出しに「パラサイト 1月地上波初放送」と書かれているのを見て、「えっ、あのパラサイトを放送するの?」と胸が高まるのを感じました。ちなみにその1998年公開の「パラサイト」の方は、「B級映画の中のB級映画」ともいうべき素晴らしきB級映画で、この手の無理やりな展開やいかにも大げさな演技やセットが好きな方にはたまらない映画だったりします。何気に俳優は、ロードオブザリングのイライジャ・ウッド、ブラックホークダウンのジョシュ・ハートネット、ワイルドスピードのジョーダナ・ブリュースターなど、その後出世する人がやたら多いのも逆に笑える。

     それで話は本題ですがこれまた上記ニュース見出しを読んで、「令和の時代に『昭和的』?(。´・ω・)」という風に思いました。言葉の使い方が間違っているわけでなく、慣用的に「力ごなし」、「効率無視」、「時代錯誤」などのような意味合いで「昭和的」という言葉は確かに使われていますが、平成も終わったというのにまだこうして使われるものかという疑問が一瞬もたげました・

     何故未だに使われるのかというと、やはり昭和という時代がそれだけ日本にとってインパクトが強かった、並びに年数的にも長かったことが影響しているとみて間違いないでしょう。ただ平成も一応約30年続いたのだから、「平成的」という言葉があってもいい気がするものの、そんな風に使っている文章は一度も見たことがないです。仮に使われているとしても、何を以って「平成的」と例えているのか一見してわかりません。

     ならば昭和の前の「大正的」とは何ぞやとなると「浪漫的」な性格になるのか、「明治的」だったら「文明開化的」な性格なのか、「天正的」なら何でも武力解決しようとするのか、「大化的」だったら母ちゃんの目の前でおっさん刺殺してクーデター起こしそうな性格なのかなど、変に「時代+的」のバリエーションを考え始めました。まぁ見ての通り、どれもしっくりこないというか「昭和的」ほどの納得感が得られません。

     ただそれにしても昭和が終わって30年以上も経つのにオフィスワークに関して「昭和的」という言葉が使われるというのも、なんだか考えものです。日本の初任給のように、日本語もこの30年間で全く変化がないのかなともちょっと思いますし、新しい言葉が多けりゃいいってもんではないですが、折角令和になったんだからこの辺の言葉で新しいのはもう少し出てきてほしいものです。

     最後に今ぱっと思いついたけど、「ローマ的」と書けば古臭さを感じないことに気が付きました。なんとなく顔の濃い人に使われそうな言葉ですが。

    2020年12月16日水曜日

    未だビジョンなき日本

     昨夜この動画を見て、最初に出てくる豆腐の声によく似た後輩のことを思い出してました。っていうかカプコンはわざわざ声を新録するために退社した従業員を改めて呼びつけたあたり、よくわかってる気がします。マジあの音声は唯一無二。

     話は本題ですが、年末年始に編集部困らせるのもなんだし、自分も楽に過ごしたいから、猶予はまだ2週間あるけどまた今週末にJBpress用の記事書こうかと準備しています。いくつかあるネタの中で会えて今まで書いたことない日本の政治ネタでもやろうかなとも考えており、もしやるとしたらで浮かんだのは「日本の平成期の政治は全て『バブルを如何に取り戻すか』に立っていた」という自分のかねてからの主張でした。ごく当たり前の事実だけど、はっきりと言葉にしている人はいないのでこの言葉はそこそこ受けるのではないかと考えたからです。

     わざわざ言うまでもないですが、はっきり言って平成期は冒頭に起きたバブル景気を、如何にしてまた日本に来させるかという考えでみんな政治を行い、結果的に帰ってきませんでした。帰ってこなかった理由は非常に明確で、バブル景気自体が日本の内的要因ではなく冷戦構造、そしてそれの崩壊という外的要因によってもたらされた要素が大きく、そうした外的要因もなく日本だけが努力したところでまた来るわけないです。というよりも、絶対に戻ってくるはずのないものを取り戻すために多大な費用を投じたけど、残ったのはただ借金だけで、非常に滑稽です。

     さすがに令和になってもうバブルは来ない、というより現状維持も難しいという価値観が一般化したように思えますが、今度は逆に今後の日本のビジョンを誰も持たなくなりました。平成期は前述の通り、「バブルを取り戻せ!」というのがある意味国是であり、政治家と国民で共通した国家ビジョンでした。だからこそバブルを取り戻すためならある程度の犠牲は仕方ないとばかりに、リストラとか昇給なしとかも我慢していましたが、まぁ全部それは無駄に終わったのですけど。

     例えば中国なんかは、「米国を追い越せ、いつか倒す!」的な国家ビジョンがあって、国民もみんながみんなこの価値観ってわけじゃないけど、少なくとも国家指導者レベルはこの方針に従って動いています。しかし日本はそうしたビジョンがなく、一応短期的にはコロナからの脱出がビジョン化していますが、去年までなんか「何のために借金しているのかわからない」状態に案外なってた気がします。平成であれば「バブルを取り戻すための借金」ということでしたが、今はもはやそれすらなく、「使う方針もないけどお金がないからとりあえず借金」みたいに国債を増やし続けています。
     っていうかようやく一般ニュースでも報じられるようになったけど、日銀が上場強全体で最大の株主ってどこの統制国家だよって思います。っていうかあのニュースは年金機構についても触れろよという気がします。

     周りくどいこと言わずにもうチョイ結論を絞ると、今後日本をどんな方向に持って行くか、そうした概念がないので今後もさらに迷走を続けるでしょう。どんな方向ったって現状維持でいいじゃんという人もいるでしょうが、十中八九現状維持は今の日本だとできません。敢えて言えばズルズルと落ちていくことは可能で、国会議員と高年齢層はそうした未来をはっきり望んでいます。

     自分はどうかというと、まぁもう関わりたくないというのが案外本音です。以前知り合った人に、ブログで非常に鋭い見解持っているので期待していたが、日本の未来に対してどうしてそこまで冷淡なのかと残念がられましたが、私自身は日本とその社会に何かしてもらったという覚えは正直ありません。むしろ自分の異能さゆえにしなくてもいい多大な苦労と、軽い迫害を受けたという勝手な被害者意識すら抱いています。
     幸いにして今はこうして中国で安定した立場に就き、20代の頃の苦労と比べると恵まれすぎているという実感をはっきり持っていますが、それ故に逆に20代の頃はどうしてこれだけ有り余る実力に将来を見通す力があったのに、誰も使おうとしなかったのだろうかという疑問が激しくもたげてきています。逆説的に言うならば、周り全てがビジョンを持たなかった中、自分が唯一一人でビジョンを持っていたからこそ煙たがられていたのだろうとも思います。このままでいいと思っている人間に、このままじゃ良くないと言う人間というのは鬱陶しい存在以外の何物でもないでしょう。

     極端なこと言うと、この際日本はできるだけ早く落ちるところまで落ちた方が、最終的に死ぬ人間は少なくなっていいだろうと本気で考えています。落ちるところまで落ちて初めて現実がわかるでしょうし、そこから頑張ればこれから生まれてくる子供たちはまだ余計な苦労せずに済むかもしれないという風に考えています。
     また私個人にとっても、手持ち資産の大半は人民元資産なので、円安してくれた方が日本で買い物とかする上では単純に有利です。適当に安くなったところで奈良に家買って早く引退したいのが本音です。

    2020年12月14日月曜日

    漫画の文学性に関する評価の少なさ

     さっき家帰ってGmailつけようとしたら例のGoogleの障害でつながらずちょい焦りました。何かトラブルあると中国からだとアクセス制限あるのでいろいろ手間取るから嫌です。

     話は本題ですがこのブログでも何度も取り上げている「チェンソーマン」がアニメ化するニュースが出ましたが、正直何も驚きありません。単行本の8巻と9巻の刊行ペースが普段より遅かったため予感あったのと、これだけの作品だからアニメ化しないわけないとみていたので、何を今更的な感すらあります。ちょうど「進撃の巨人」がもうすぐ最終回を迎えるタイミングとあって、漫画界の主役転換の時期にあるのでしょう。

     さてそのチェンソーマンは「この漫画が凄い」という賞でトップ取ったそうですが、「次に来る漫画」とか「男がはまる漫画」とかそういった漫画ランキングが毎年どこかしらで行われていますが、この手のランキングってどれ見ても基準が面白いか否かで、男女のどの年齢向けかで分けられているに過ぎません。逆を言えばプロ野球みたく分野別の評価は全く行われておらず、はっきり言ってしまえば売れるかどうかの浅い評価で決まっている感があります。
     もちろん売れることが漫画にとっては至上命題であり、梶原一騎の「俺の本はノーベル取った川端康成より売れてるぞ」という、多分悔しいから言ったセリフはまさに真理だと思います。どんなに批判評価が多くても、売れたものが一番偉いというのがこの手の世界の原理です。

     ただ、ランキングなり評価というのは埋もれているけど実はすごい作品を引き上げるという役割もあります。芥川賞も当初はそうした目的で、あくまで新進作家の奨励賞的だったのですが最近は「如何にして作品を売り込むか」という目的で売れそうな「キャラ」な作家を選ぶ賞に成り下がり、日本の小説から文学性というものがどんどん薄れていくことなりました。ぶっちゃけ、あと20年は盛り返すことはないでしょう。

     それで話を戻すと、ふと考えると文学性を評価する漫画賞とかないなと気づいた次第です。そもそも文学性とは何かですが私の定義は以前書いたこの記事のように、物語とを推しての追体験、疑似体験の深さや汎用性、そして究極的な選択問いがあるかだと考えており、この定義に照らすなら文学性を盛った漫画はあってしかるべきです。

     文学性を盛った漫画の議論となるまず出てくるのは「寄生獣」で、私自身もこの作品は「捕食者と非捕食者の逆転」というテーマで、現代を舞台にした世界で疑似体験性も高く、下手な文学小説よりもずっと文学性を備えていると私も見ています。そのほかの文学性を持った作品というと、世界的名著を漫画化した作品が挙げられることがありますが、そうしたものよりテーマ性で見るならあんまこの手の議論で見ないけど手塚治虫の「火の鳥」とか来るかもしれません。もっとも私は断片的に読んだ限りであまりこの作品にのめり込めなかったですが。
     なおソ連人民の敵であるうちの親父は火の鳥の初版本かなんか持ってたらしいですけど、小銭欲しさにあっさり古本屋に売って、あとで後悔していました。

     このほかシュルレアリスム的な漫画であればつげ義春の作品がそれにあたり、あと歴史大作で言えば原作付とはいえ横山光輝の「三国志」などは十分な文学性を備えた傑作と言えるでしょう。歴史系の作品であれば他にも注目すべき作品はあり、贔屓も入りますが詫び寂びの概念と当時の文化的転換を描いた「へうげもの」などは、独自解釈も含まれており20年後も読まれ続けるのではと思う傑作と考えています。

     翻って先ほど言った疑似体験性の面から見て文学性の高い作品を他にあげるとしたら、地味にジャンプで連載していた「暗殺教室」はもっと評価されていいと思います。一見エンタメ作品に見えますが私が考えるこの作品のテーマは「後悔」であり、「あの時ああすればよかった」、「なんでああしなかったんだ」、「だからこそ、二度と同じ過ちを犯してはならない」というテーマを、名門校の落ちこぼれ生徒たちを軸にして描いているように思え、少年少女向け作品としてみれば稀に見る傑作であったと密かに評価しています。

     このように、文学性に着目した漫画賞というのはまずこの世にないでしょう。一部の漫画評論家はこうした文学性に着目した批評を寄せていますが、それでも世間の漫画の文学性に対する目はまだまだ少ないでしょう。もっとも漫画自体をそんな文学性とかなんちゃらで高尚化していいものかという葛藤は私にもありますが、本来文学性というのはそんな高尚なものではないはずで、作品を面白く読めるとっかかりになるメリットもあると思うので、もうちょいこっちに目を向けてもいいのではというのが私の意見です。

     なお芸術性に関して私は、「どれだけ長く愛されるか」がバロメーターだと述べ、10年、20年先まで読まれるかが非常に重要と以前から書いています。先ほどの「へうげもの」はそうした意味で芸術性が高いと考えているのですが、ひょっとしたら意外に芸術性が高いのではと思うもので、「彼岸島」があります。
     最近に至っても「今のパーティが最強だよな」とか「糞みてぇな旗がまた出てきやがった」など関連掲示板で激しく盛り上がっていますが、なんていうかあの不条理さと意味不明なセリフ、でもって全体ストーリーは遅々として進まないのに無駄にスピーディに進む展開は、意外と100年後くらいに「21世紀漫画における奇書」として評価されるのではと思うようになってきました。最近も建物の中で「行くぞ」と言った次のコマで「ザブ・・・ザブ」とイカダで漕ぎ出す場面になるなど、言葉で言い表せない「え、そんなんありなの?」な展開は逆に凄いような気がしてきました。

     その彼岸島で個人的に残念だと思うのは、オンラインゲームが存在しないことです。それこそ「彼岸島オンライン」みたいなタイトルで彼岸島の中を人間と吸血鬼に分かれて互いに殺し合うゲームにすれば、原作のセリフを連呼するファンですぐ溢れかえるんじゃないかと思います。戦闘も、そこらへんから日本刀とか丸太が生えてきて拾えるようにしても「原作再現!」と逆に評価されるだろうし、適当なゲーム設定であっても彼岸島の世界なら許されるでしょう。なんで誰も作らないんだろうか。

    2020年12月13日日曜日

    不思議な活況



     上から午後2時、午後3時ごろの写真ですが、先週金曜からスモッグが出て久々にこんな感じの濁った空になってます。久々と書きましたがリアルにこんな天気みるの超久しぶりで、かつては毎日がこんな天気だったことを考えると、上海の空気は見違えるくらいきれいになっている気がします。

     話は本題ですが、どちらの写真も上海高島屋近くの写真で、今日は特にやることなかったので貴司山やでコーヒー飲んできました。その際にちょっと驚いたというか、以前と比べて明らかに人の入りが多く、傍目には繁盛しているように見えました。
     上海高島屋については去年八月に一時閉店を発表したものの、その後地元政府などの要請や支援発表を受けて営業を続けることとなりました。とはいえ一時は清算に向けて準備していたし、またその後の今年一月からはコロナの影響を受けて内心素直に閉店しておけばよかったのではと思っていたのですが、今日見た限りでは割と好調そうに見え、また店員の表情も心なしか明るそうに見えました。

     実は先週金曜の夜も因縁のとんかつ屋(かつ蔵)に行っているのですが、この時も金曜とは言え平日夜にもかかわらず割と客が来ており、地下スーパーも割と賑わっていました。年末だしそうしたものなのかなと思っていましたが、今日午後も相変わらず人が入ってて、なんていうか不思議さを感じる好調ぶりです。
     今日入った喫茶店(青山珈琲店)も、広くはない店内ですが客席は全部埋まっており、自分もカウンターに腰を下ろしました。その後も出る客がいると入る客がいるという好循環を維持し、比較的高めの値段設定(コーヒー一杯48元=約570円)であることを考慮すると、繁盛していると言っていい水準でしょう。

     背景理由について推測すると、単純に中国での消費熱が高まっているせいではないかと思います。やはり中国人から話聞いていると、「海外旅行に行けないのがつらい」と話す人がかなり多く、海外旅行で使えないお金が国内消費に回っている印象があります。上海高島屋みたいな比較的高級品を扱うお店からしたら、消費者の消費ゾーンが引き上がったことによって上手いこと取扱商品とマッチするようになってきているのかもしれません。

     なお今日はコーヒー飲んだ後にそのまま地下スーパーで買い物しましたが、自分も熱気にあてられてかなんか無駄に高いお茶とかカシューナッツ買ってしまいました。地下スーパーも割と活況で、特に生鮮品売場なんか店員がやる気満々でいちごとか売り込み、レジの人も前と比べるとなんかモチベーションが高いと感じました。あくまで印象論でJBpressの配信記事とかにはこういうこと書けませんが、そういうの書けるってのもある意味ブログの強みだと最近思います。

    2020年12月12日土曜日

    やや不遇だったトヨタのWRカー


     というわけで今日作ったのは、頭文字Dでもやられメカとして出てくるセリカGT Four(T200型)です。なんで作ったかのかというと、お店で見かけた以外の何物でもありません。



     アップロードする段階で気づいたけど、ボンネットがちゃんと閉まり切っていません。その理由はこの後の写真で。



     このキットはボンネットが開閉できる仕様になっており、また内部のエンジンもきちんと再現されています。明けた後、妙なバリがあってちゃんと力入れないと閉じてくれません。


     こっちがボンネットきちんと閉じた状態です。

     このセリカですが、実は写真撮るのにめちゃ苦労しています。ボディが真っ黒で、尚且つデカールもそんな多くなかったしヘッドライト部分もかなり奥まっているため、強く光を得てて撮影しました。最後の写真のみ、橙色の照明のある部屋で明かりをつけ、その逆行をつけるような感じで撮影しています。

     車自体の解説に写ると、今年はトヨタはヤリスを使ってWRCで勝ちまくりましたが、ヤリス以前のトヨタのWRカーというとこのセリカシリーズが使われていました。中でも今回のT200方のひとつ前であるT180型は日本勢として初めてマニュファクチャラーズチャンピオンに輝くなど、日本のWRC三選をけん引した名車でした。
     しかしこのT200型はレースカー開発が遅れた上、ようやく参戦したかと思ったらレギュレーション違反となる改造がしていたのがばれて、1年間の出場停止が科せられ、処分が終わった後に豊田はセリカ使わずカローラをWRCに使うに至っています。

     単純にレースカーとしての性能が足りてなかっただけかもしれませんが、やはり先代までのセリカと比べると極端に印象の薄い車です。車としての人気もそれほどあったようには思えず、地味に90年代スポーツカーのリバイバルブームが起きている現代にすら、このセリカの名前を見ることは一度としてありません。
     なぜ人気がなかったのかというと、上述のようにレースであまり活躍できなかったこともさることながら、やはり同時代にランエボ、インプレッサという性能的にも価格的にも今考えるとかなりオーパーツなビッグなライバルがいて、埋もれてしまったからじゃないかと個人的に思います。真面目に90年代の時点であれだけの性能盛った4WD車が今のカローラの最上級グレードの価格で買えるとか、いろんな意味であり得ないです。

     それでも今回このT200型セリカを手に取ったのは、その特徴的な4つの丸目ライトによる超オラオラ系のフロントマスクが気になってたからです。普段のトヨタは対応する顧客ゾーンを広くとるためにいい意味で手堅い、悪い意味で地味なデザインを取りがちなのですが、時たま「わかったよ、オラオラ系作りゃいいんだろ作りゃよ―!」と、逆ギレしたかのようにやたらいかついオラオラ系デザインを出してくることがあります。このセリカなんてまさにその典型で、トヨタらしくないトヨタ車という点で、一回じっくり見てみたい欲求がありました。

     ただ今回こうして作ってみて、やっぱり車のプラモは作り方がほぼすべて同じっていう点で段々飽きを感じてきました。まだ戦闘機の方が形も機種によって大きく異なっているだけに、何度作ってもまだ楽しめますが、車、特にスポーツカーはもうそろそろいいかなという気がしてきました。まだワゴン車とかコンパクトカーとかなら面白そうだけど、ぶっちゃけスポーツカーはデカールとフロントしか変わらないことが多い(;´Д`)

    2020年12月11日金曜日

    政治論点がなにも見当たらない

     このブログは当初、歴史と並んで私が大好きな政治議論を好き勝手に解説するために作ったものですが、最近自分で書いときながら、政治カテゴリの記事がほとんどないような気がしてなりません。大体今年に入った辺りからその辺気にするようになって意識して政治記事を書こうと努力し始めたものの、今のところその努力はてんで実っていません。

     あと関係ないけど今、部屋の湿気が気になるので窓全開にしています。外気温は9度だからまだそんなに寒くないし。

     話を戻すと、政治気が少なくなっている理由について昨日コメントをぼーっと見ていて気が付きましたが、そもそも政治議論の種となる政治論点が直近1年くらいはほぼ何もありませんでした。それこそ昔は財政立て直しか景気対策優先か、格差是正はどうするか、消えた年金はどうするか、原発再稼働をどうするかとか社会が一定の関心を持つ政治論点がありましたが、マジで最近は翼賛会かよと思うくらい政治に関する議論がなにも生まれず、私も政治記事を取り上げることがなくなりました。

     一体何故こうなったのかというと理屈は非常に単純で、野党が与党政治家のスキャンダルしか国会で追及しなくなったのと、政府や省庁が出した政策に対して代案を出さないどころか、批判すらしなくなったせいで間違いないでしょう。かつては「代案を出さずに政府の政策をただ批判するだけ」と野党は揶揄されていましたが、最近に至っては私が見る限り、批判すらせずに「うん、そーだね(´・ω・`)」的になんか素通りさせることが多いです。っていうかぶっちゃけ、政府政策の内容自体把握していないのではないかという気すらします。

     一応、敢えて現代で論点を挙げるとしたら、「GoToを続けるか否か」ってのが唯一挙がってきますが、本当ならこうした議論以前に、「経済か、コロナ対策か」が来なきゃいけないのですが、こっちは今の日本では争点にできないでしょう。それこそブチャラティみたく、「経済も回す、コロナも抑える。どっちもやらなきゃいけないのが、幹部のツレーところだ」的に、相反する方針を同時に回して二兎を追うしかできないし、どちらかを優先するという概念や考えは全く見られません。故に争点にもなりません。

     一応政策的には省庁の効率化、ハンコ廃止などがありますが、これについては野党もダンマリというかさすがに世間で必要とされていることから批判する素振りはみられません。しかし、私にいわせりゃもっと優先すべき課題なり議論する話なりあるだろうって気がするのですが、なんかそういうのは全く出てこないし、あと一時話題、っていうか民主制以降の永遠の論点でもあるはずの格差議論すら最近見ません。

     割とマジで大丈夫なのかと日本の正気を疑っているのですが、コロナの影響で非正規雇用がめったくそ切られる一方、正規雇用は未だ増加し続けています(男はようやく減少に転じた)。言ってしまえば派遣をはじめとする非正規雇用者が鉄砲玉、というより弾避け代わりに使われているにもかかわらず、野党を含め誰も言及しないし、派遣切り対策なり切られた人の補償問題も出てきません。
     あと関係ないけど株式会社ニートはなんか内輪もめとかでやっぱりうまくいってないようです。

     この辺、再来週月曜に出る記事で少し触れていますが、雇用が不安定で首切に遭うリスクが高い非正規雇用の方が、何故だか正規雇用より切られた時の補償が少ないというのは、ふつう逆じゃないのとかちょっと思います。そうした議論や国際比較すら今の日本では全く行われず、それどころかその他を含め政治論点が全く出てこない今の状態は、コロナの影響抜きにしてもさすがに見ていて不安に感じます。

     さて、そろそろ窓閉めよ。

    2020年12月9日水曜日

    菅政権は早くも弾切れか?

     通常、新しい政権が発足した際はそれまでに温められていた政策が一気に出てくることが多いです。現在の菅政権も一応これまでに、携帯電話料金プランの引き下げ、あと河野太郎大臣の起用による官公庁のハンコ廃止など新しい政策出てきましたが、逆を言えばこれだけです
     政権発足からわずか数ヶ月で、真新しい政策がこれだけ出てこなくなるのはちょっと少なすぎる気がします。そりゃ確かにコロナとか大統領選とかありますが、それにしたっても少なすぎる気がします。そもそも、大統領選が決まるまでは外交方針もなかなか立てられないのは理解できますが、菅総理自体があまり外交に興味ないように見えるし、バイデンで決まってからもうどれだけ立ってんだと考えると、やっぱり少なすぎる気がします。

     はっきり言えば、ピンチはチャンスというわけじゃないですがコロナがこれだけ流行している最中に政権取ったのはかなり有利であったと私は考えます。コロナのせいにすることで経済不振は大目に見られ、逆にコロナ対策をしっかりやれば他のすべてを犠牲にしても評価されるからです。
     しかし、はっきり言ってコロナ対策も菅政権はちょっとやる気が見えません。具体的にはGoToキャンペーンを継続し続けているのと、折角のアタックチャンスになりうる年末年始の長めの休業要請も不徹底です。恐らくこのままいくと「初詣自粛」とか「初詣クラスター」みたいな単語が今後出てくるんじゃないかと思います。

     っていうかほかに何か仕事してんのかよと正直疑うくらい、新しい動きを何も見せていません。農水大臣の献金疑惑が今一番ホットな政治話題ですが、農水系の疑惑なんてこれまでどれだけあったんだと言いたくなるし、この程度で揺らぐっていうのはそれだけ危機に弱いという風にも見ることができ、支持率が下がるのも正直無理ありません。
     あと恩義なのか密約があるのかまではわかりませんが、桜の会は庇えば庇うほど今後どんどん問題が大きくなってくると断言できます。私の予想ですが、桜の会以外でも安倍元総理の事務所は主催イベントの補填を日常的にやっていたように見えるし、もうしばらくしたらそろそろ裏切る人間とか出て来るようにも見えます。早いとここの辺で区切りをつけられるか、若しくは割り切って短命政権で終えるのか、その辺を聞く機会があったら菅総理にいつか聞いてみたいです。

    2020年12月7日月曜日

    孔明記事の裏側

    「諸葛孔明は戦下手だった」という説に反論してみる(JBpress)

     ヤンマガ的隔週の自分の記事の紹介ですが、今回はガチで子供の頃からの夢だった三国志関連記事の配信です。JBpress内のアクセス数は良くなかったけど、ヤフコメは思ったより伸びた上、お昼ごろには雑誌記事アクセスランキングで5位に入っており、なんか本サイトと二次配信サイトでやけに隔たりがある記事となってました。

     それでこの記事ですが、内容は9年も前にこのブログに書いた内容のブラッシュアップ版です。何故今更掘り出してきたのかというと、単純にこの記事の存在を思い出しただけで、他にはあんまないです。
     ただ、同様の主張はこの9年間でほとんど見なかったことと、今年試験的に出してみた中国史関連記事もそこそこアクセスを生んでいたことから、出すんだったらやっぱりこれだなと真っ先に思い浮かんできた記事ではありました。また子供の頃からいつか三国志に関する記事なり論評なりを出したいという夢をいまさらながら思い出し、「出すなら今ぞ」という風なテンションで、思い立った当日にすぐ記事まとめてそのまま提出しました。書き終わった際は妙に感情高ぶって、涙流し始めたので最後の方はあまり見直しできてません。

     ヤフコメを見ると、皆それぞれが諸葛亮の評価についてあれこれ書いており、私の記事内容について大きく否定するような指摘やコメントはあまり見ませんでした。わりかし三国志マニアはコアな人が多いからなんか言われるかなと想定していましたが、そうした声が少なくてホッとする一方、逆に文句つけたがる人がいればいるほどこうした歴史解説記事の需要は高まるってもんだから、全部が全部喜べるってわけじゃないです。
     もっとも、ヤフコメの内容は本当に千差万別っていうくらいみんな個別の意見を出してて、読んでるだけでも楽しかったです。「ああやっぱり三国志トークは見ていて楽しいな」と思わせられるもので、最近三国志を語る機会少なかったからなんか久々に楽しい感情を思い出しました。

     記事内容自体に関しては特に解説する内容はないのですが、改めて日付を見ると2011年の9月末に記事書いてて、ちょうどこの時は香港への長期出張を控えていた頃だったことを思い出しました。翌月の10月から12月にかけてずっと香港で働いていて、その直前のこの時は確か今のうちに上海でやれることをやっておこうといろいろ準備していた頃です。
     記事も確かそんな感じで、「今のうちにこのネタで一本書いとくか」的にまとめていたのを覚えています。別にこれからどっかに出張するわけでもなく次の正月も今のまま上海で過ごす予定ですが、ある意味2011年くらいは自分が一番冒険していた頃だった気がします。もっとも冒険ったって、昨日書いた記事みたく馬鹿でかいスズメバチと戦ったりしてたわけじゃないですが。

    2020年12月6日日曜日

    魔物と戦う勇敢なる者たち

     昨夜見た夢ですが、夜中に窓のブラインドを開けたら、成人男性の上半身くらいもある大きさのスズメバチガラス窓越しにがこっち向いてガン見していました。マジビビって慌てて殺虫剤を探すものの、そもそもこんなサイズのスズメバチに殺虫剤が効くのかと思い、むしろ細いウエストを狙って横薙ぎにした方がいいと棒みたいなの探しましたが、仮にあったとしてもあんなでかいスズメバチと外で対峙する勇気なんてありません。また仮に対峙できたとしても、普通のスズメバチみたく俊敏に飛び回られたら果たして棒で当てられるか、その辺も自信ありません。
     この辺でやばたにえんだと感じ、夢だとはわかっていたので気合で覚醒を試みました。試みはあっさり成功し、すぐに目を覚ますことに成功しました。人間、追い込まれれば何とかなる。

     目が覚めたのはまだ夜中で、寝なおしたらまた続編に突入するのではという懸念がありましたが、幸いにして特に男の夢も見ることなく二度寝に入ることが出来ました。その後朝を迎えて改めて振り返ると、ドラクエの勇者たち(主に3くらいの)は普段からあんなの相手にしていてなんて勇敢なんだろうっていうことでした。
     実際に夢で見て思いましたが、あんなでかいサイズの蜂と戦うなんて普通まず無理です。それこそあんなごんぶっとい針でどてっぱら刺されたら、マジ死にます。そんな恐ろしい相手であろうと、ドラクエの勇者たちはキラービーとかと普通に戦っていて、どんだけえらいんだろうとか妙に感じました。

     ゲーム中では何の気なしに「たたかう」とコマンドしますが、改めて思うととんでもなく無慈悲な指示を自分は勇者たちにしていたんだという後悔にかられました。しかも攻撃がミスると「何やってんだよクソが!」と高校野球の監督張りに悪態ついていましたが、前述の通りあんなでかい蜂とかだったら攻撃を当てることすら恐らく難しく、現場を知らない人間が何批判してんだよとか今更ながら思えてきます。

     日常において「勇敢」という言葉を使う機会はほぼ全くありませんが、今回の夢の一件で勇敢であることは単純に凄く偉いことなんだと痛感しました。その上であんだけ恐怖感感じさせるスズメバチみたいな魔物と普段戦う勇者たちは、尊敬の対象と十分なりえると思います。

     いやでも最近見る夢結構面白いのが多い。ベッドに電気カーペット敷いて妙に寝入りがいいせいだろうか。

    2020年12月5日土曜日

    大阪府の看護師募集について

    「赤信号」の大阪知事、自衛隊にも看護師派遣を要請へ(産経新聞)

     今日はなんか楽しいことでも書こうかと未解決事件とかいろいろ考えていたら、こっちのニュースのが気になったのでこっちについて書きます。ちなみに未解決事件っていうと殺人事件ばかり出てきますが、個人的にはいたずら系なトンデモ未解決事件の方が好きです。

     話は本題ですがコロナ感染者が続出している大阪府で医療従事者が足りなくなって、自衛隊に応援を要請したそうです。これを見て石田三成なら、「看護師の募集給与引き上げて呼び寄せればいいじゃん」といったのではとか思いました。別に石田三成じゃなくてもいいですが。

     あまりこの方面の事情に詳しいというわけではないのですが、医療従事者が足りないというのならなんで給与や手当の引き上げとかやって大々的に募集しないのかが不思議です。それこそ来年も流行が続くことはほぼ確実なのだから、今から看護学校卒業生の青田買いを進めるためにもそうした賃金面での待遇引き上げこそが最も効果的だと思うのに、そうした発表をせずに外部の応援を求めるというのもどうなのかという気がします。
     第一、北海道でも大変だと聞くし、医療現場のひっ迫は何も大阪だけじゃありません。果たして大阪へ自衛隊に来てもらう優先性というのは何なのかという点でも疑問です。

     まぁ単純に待遇を引き上げないのは自治体がそんなにお金がないせいだからで間違いないでしょうが、逆を言えば今後どれだけ感染者が増えたところで、医療従事者の抜本的拡大はしないという方向性も見え透いてきます。記事にもある通り、なんか海外から医療従事者を呼ぼうとか言っていますが、どの国だって今大変だというのに馬鹿言ってんじゃないよと思います。オーストラリアで感染が治まっているというのも、南半球が夏を迎えたからで、また冬が来ること考えたら外国がそうやすやすと医療従事者を派遣するとは思いません。
     それ以前に、いわゆるフィリピン人看護師採用で土台おかしい採用認定基準を設けていた時点で、日本がそんな外国人看護師みたいな器用な真似できるとは思いません。

     多分この後の展開としては一部介護士に対してコロナ治療における業務枠の拡大とかが出てくると思いますが、そんなのするくらいなら賃金待遇の引き上げに補助金とか出す方がいいでしょう。まぁあれこれ言いながら肝心なお金は出さないのが昔からの大阪(あと国)のやり方だから、多分今後もこうした方策は出てこないでしょう。

     ただ少し気になることとして、いわゆる地方の病床は今一体どうなっているのかという点です。それこそ感染者が少なく治療スペースに余裕がある、外部に医療従事者を派遣できる県などはないのか。こうした統計なり調査を政府はしていないのか少し気になります。
     もっとも、医療現場は多忙激務で知られるだけに、そんな外部をヘルプできる余裕のある地方自治体なぞ、コロナ流行がなくても実際には存在しないでしょう。なればなおさら将来を見据えて人員拡大とかしなきゃならないのですが、そうはならないのが今までの、そしてこれからの日本でしょう。

    2020年12月4日金曜日

    2週間ごとに記事書く習慣

     今更わざわざ言うまでもありませんが、現在私がJBpressで連載しているコラムは2週間ペースで配信されています。これは言い換えると2週間ごとに記事を書かなきゃいけないということです。
     仮に本気でやったら毎週書くことも不可能ではないものの、そしたらクオリティが下がることは必定なため、連載開始当初より続いているこのペースを維持しています。なお締め切りを破ったことは一度もありません。

     とはいえ仕事が繁忙期だったり、旅行にいたりする際にはさすがにこの締め切りを守るのが厳しくなります。そういう時は基本的にため記事を用意したり、まとめて取材した内容を二回に分けて続き物の記事としたりすることで上手く処理していますが、今年はあまりまとまった取材をしなかったことから、あんまこの手の手段は使えませんでした。
     その際に役立つのは掲載時期に全く影響されない歴史記事で、このブログで過去に書いたものなどをそのままブラッシュアップして出すことが多いです。来週月曜配信の記事なんかまさにそれですが、その記事は思い立った瞬間にすぐ書き上げて提出したので、この次の締め切りまでは通常より1週間長い猶予をそれによって得ました。

     今までの経験から言うと、やはり締め切りに追い込まれた方が起死回生とばかりのいいネタが思い浮かぶことが多いです。ただストレス的にはやはり納期に余裕があるのと比べると大きく、また万が一締め切りから遅れることになると方々に迷惑をかけてしまうことになることから、基本的には余裕をもって記事を書く方がいいと考えています。
     そのため上記の通り現在は1週間の猶予があるものの、ひとつ前の記事提出から2週間目になるため、ペースを保ちつつ猶予も維持するという目的から明日と明後日でもう一本記事を書く予定です。ネタがある程度決まっていることもありますが、この猶予を維持した方が年末年始も過ごしやすいという計算があります。

     多少大きく出ると、2週間ペースであれだけの記事クオリティで出し続けることはなかなか他のライターにはできることじゃないと考えています。前述の通り、今年はあんま大した取材はしていませんが所々でアクセス稼ぐ記事は出せており、割と着眼点の良さで乗り切ったところが多いです。やはり同業者からも記事ネタの選び方で褒められることは多く、自分自身もこの方面で意外と才能があったのだなとしみじみ感じています。

     ただ最近少し反省しているところがあり、それというのもこのブログです。やはりJBpressの記事執筆を優先して更新をサボる回数が増えているほか、夏場は世を忍ぶ仮の仕事が繁忙期に当たるため更新が激減することは仕方ないにしろ、以前と比べても何が何でも更新するという意欲は落ちてきています。
     そうした心境が反映されてか、ブログ記事内容も段々クオリティが落ちてきていると自覚しています。この前連載した日本の歴史観の記事なんかはそうした落ちたクオリティを挽回する目的で書きましたが、今日のこの記事もなんも書くものがないとしばらく考えてから書き始めています。

     なんでブログ記事の質が落ちているのかというと、世を忍ぶ仮の仕事が以前と比べても激キツになって、疲労がたまりやすくなっているのがある気がします。単純な仕事の能率で言えば5年くらい前と比べて80%くらい増しているのですが、それ以上に業務量が100%超は確実に増えており、最近割とガチで上に対し「はよ増員せえ!( ;∀;)」と言い始めています。
     やっぱりこうした執筆活動は、追い詰められた際にポンといいのが出ることも多いけど、心に余裕がある時の方が安定したクオリティは保ちやすいです。今年10月なんかはまさにそんな状態で、ブログもJBpressでも割といい記事出せてたと思います。

     何気に疲労がたまっているのを今日はっきり自覚できたというか、私用のために午後半休して家に午後4時くらいに帰宅して昼寝したら、あっさりと7時半までぐっすり眠ってました。今夜きちんと寝られるか今から不安ですが、やはり体が披露しているというのがよくわかったので、明日と明後日の週末は記事書き終えたらしっかり寝ようと思います。ゲームさえなければ。

    2020年12月3日木曜日

    日本下げ記事の需要

     今日会社の同僚に「どうしたの、顔色悪いよ(;゚Д゚)」とマジで心配されました。別に何か体調悪いという自覚はないですが、今日は早めに寝ようと思います( ˘ω˘)スヤァ

     そういうわけで本題ですが、先週月曜に配信された私のシーラカンス記事ですが、普段はこういうことしないのですがこの記事に関してはちょっと気になることがあり、今日もヤフコメのコメントを確認していました。実際に見てもらえばわかりますが、未だに新規のコメントが追加されており、3日前くらいなんかそこそこの量のコメントが増えています。でもって、後半のコメントほど日本の現状を深刻視する意見が多く、恐らく問題意識を高く持っているからこそこうして記事にコメントしていただけてるのだと思います。

     前の記事にも書きましたがこの記事は実験的な意味合いが強い記事で、マクロ的な内容が今の読者に受け入れられるのかということを確かめる目的をはっきり持って出しました。ただ自分の想定とは別で、思っていた以上に日本の現在の停滞について問題意識を感じている人が多く、それがコメント欄にも強く反映されたことはうれしい誤算でした。
     なお記事内容に批判的なコメントを見ていて気が付いたのですが、やたらQR決済ばかり槍玉にあげていて、他のサービスについてはほぼ全く言及がありません。思うにQR決済はまだギリギリ理解できるけど、他の私が記事中で提示したサービスは想像もつかないから批判が出来なかったのだと思います。それこそ今中国で一般的なサブスクリプションサービスなどは、説明してもいまいち理解されない可能性も感じます。

     話は戻しますが、私自身は今回の記事でそんなに日本下げを意識して書いたわけじゃなかったものの、結果的には日本下げ的な内容がかえって受けました。これはそれこそJBpressで記事を書き始めた2016年くらいだとあり得ない事態で、当時は日本の何かを批判する際は必ず、「日本はこんなに優れている。けどここが惜しい!」みたいなフォローを意識して入れていました。出ないと読まれなくなるからです。
     しかし今回はあまりそうしたフォローを入れずとも逆に肯定的な評価がされてしまい、拍子抜けするとともに、日本の現状についてはっきりと問題意識を持っている人が増えていると実感されました。まどろっこしいこと言わずに結論述べると、これまでは日本上げ記事が非常にもてはやされましたが、あんがいこれからは日本下げ記事の需要も高まっていくかもしれないと考えています。

     需要が高まるとは言いましたが、現時点でも日本下げ記事は中国下げ記事同様にアクセスは稼げます。但しそれは炎上によるもので、まともに読まれているかと言ったら自分としては疑問なので、はっきりとした根拠やそうと感じさせる背景、比較要素なしではそういう記事は書かないようにしています。
     しかし現実にはこのブログで書いているように、日本が諸外国に比べ立ち遅れているところは中国と比較するだけでもかなりあります。そうした面に関しては先ほどにも書いたように、日本をフォローしつつ私も可能な範囲で紹介していましたが、その度に「このライターは中国人だ!」などという根拠のない批判を受け続けていました。それが今回はなかったわけで、逆に物足りなく感じる辺り自分もメンタル強いなと感じます(・ω・)

     JBpressさんには記事を出させてもらっていることから私としてもなるべくアクセスを稼ぐことを前提に記事内容を選んでいますが、これまでは上記背景からあくまで中国事情の紹介にとどめ、日本下げ記事は避けてきました。しかし今回の記事を受けて、極端に炎上を狙うような内容じゃなければアクセスも稼げるし、耳を貸してくれる人も増えているのだから、書いた方がいいのかなと思うようになってきています。まぁ個人的には、日本下げ記事よりも中国上げ記事の方が穏当になりやすいので、そういう記事を書いていきたいものですが。

     それにしても、昨日の夜に記事書いてた頃と比べるとなんか今はかなり楽です。やっぱり知らないところで昨夜辺りは疲労がたまっていたのかもしれません。今日は早く寝よう、でもその前に「グノーシア」で遊ぼう。

    2020年12月2日水曜日

    ネオ皇国史観は何故衰退したのか?

     先日、合計8回に及んだ日本の歴史観に関する連載を終えましたが、この連載は途中で愚痴ったくらいに当初の想定以上に編集作業で苦しみました。大まかに書く内容自体は決めていたものの、いざ実際に書き始めてあれこれ構想を練っていたら途中からいろいろ気づくところも出てきて、4~5回で終わるかと思ってたらこんな長くなりました。
     ただ着眼点自体は悪くなかったと思え、言及する人は少ないながらも2000年代に入ってから昭和時代のスタンダードであった自虐史観とは明らかに異なる歴史観が少なくとも二つ存在するとはっきり言明したこと、いまいち定着する名称のなかったこの二つの歴史観をそれぞれネオ皇国史観と半藤・保坂史観と名付けたことは個人的には小さくない仕事だと考えています。

     そんな苦労話を振り返りつつ改めて議論すべき、っていうか議論が足りなかったのは、既に連載中の記事でも結構長めに書いた、ネオ皇国史観が衰退した理由です。一時はそれこそ「自虐史観VSネオ皇国史観」みたいなはっきりとした二極構造まで見せたのに、今現在はもはや歴史観としても認知されず、単なる極右思想に付随する歴史認識くらいにまでなり下がっています。

     盛り上がった理由については連載記事にも書きましたが、冷戦構造の終結、中国や韓国の台頭とそれに対する日本人の反感の二つが大きいと指摘しましたが、特に後者は南京大虐殺問題と従軍慰安婦問題が大きな論点となったことが大きいです。
     ただこうした盛り上がった理由については、現在の衰退ぶりと比較するといくらか矛盾があります。どんな矛盾かというと、中国や韓国に対する反感は現在、当時以上に強まっている上、先の二つの歴史問題も収まるどころか今もくすぶり続けているからです。先ほどの理由がネオ皇国史観が盛り上がった理由なら、むしろ現代の方がその勢いは強くなっているのが自然であるのに、むしろなんで衰退してるんだってことになります。でもって、この点を考えることがネオ皇国史観の衰退原因を探る上で大きなとっかかりになるでしょう。

     まず歴史問題に関しては意外と解釈は簡単で、論争がなくなってきたということが大きいです。南京d内虐殺に関しては今もあったかなかったかでそこそこ議論は盛り上がるものの、中国が90年代に行っていた反日教育が現在は弱まったこと、そこそこ経済成長して余裕を持ち、訪日などをきっかけに前ほど日本に対する憎悪を持たなくなってきて、以前と比べるとこの問題に対する熱は明らかに引けてきています。
     もっとも今でも中国人に南京大虐殺の話題に触れると確実に怒られるので、余計な論争を吹っ掛けるつもりじゃないならわざわざ触れない方がいいです。

     次に従軍慰安婦問題に関してですが、これは「韓国の言っていることの方がおかしい」と考える日本人が大半、私の感覚では七割を超えるようになって、日本国内での日本人同士の論争が完全になくなってきました。
     特にこの前も最高裁が結審しましたが、最初にこの問題を大々的に取り上げた朝日新聞自体が誤報だったと認め、またその記事を書いた元記者が誤報に関する名誉棄損で訴えた訴訟も、「名誉棄損にあらず」と判決が出て、いろんな意味でかつてと比べると信用を失っています。また韓国政府の対応も、従軍慰安婦問題で関係者救済寄りだった日本人らに「これはおかしい」と思わせ、少なくとも日本国内ではもはや歴史問題ですらなくなりつつあります。

     上記のようにネオ皇国史観が支持を集めるようになるきっかけとなった主張が、今や日本で一般化されてきて、「別にネオ皇国史観じゃなくても……(´・ω・)」という風になったことが、衰退原因の一つと考えています。それでも中国や韓国に対する反感は今の日本人も強いですが、それはもはや歴史問題ではなく現代の経済問題であり、歴史観からはある意味切り離されてきているのかもしれません。

     そうした対外的背景に加えて、やっぱり支持層の分裂も衰退理由として大きいでしょう。ネオ皇国史観の当初の支持層を羅列すると、

    ・天皇崇拝の強い極右主義者
    ・とにかく米国が嫌いな反米主義者
    ・戦没者遺族
    ・自虐史観に嫌悪感を感じていた人たち

     ざっとこの四種類に大別できると思います。ネオ皇国史観の中心提唱者に当たる新しい教科書をつくる会メンバーはほぼ上二つの属性を持つ人たちでしたが、途中で反米右翼と親米右翼で仲違いして分裂しました。この時点でもかなり勢力が削がれましたが、それ以上に致命的だったのは三番目の属性の「戦没者遺族」達が支持層から離れていったことだと自分は考えています。

     何故戦没者遺族の層が支持から離れていったのかですが、一つは単純な自然死で、年月の積み重ねとともに従軍経験者や遺族らは現在もどんどん減少しており、これがネオ皇国史観にも直撃したと考えられます。
     次に、ネオ皇国史観提唱者らが戦争指導者を正当化しようとしたことが地味に大きいとみています。具体的には、「当時の陸軍や海軍幹部の決断や行動は正しく、米国に追い込まれて戦争に至ったけど彼らは必至で頑張っていたし、戦犯にされて殺されたのは悲劇だった」みたいな主張をしたのが最大の悪手だったと私は考えています。

     実際に当時のネオ皇国史観提唱者らの主張みていると、東条英機とかをかなり礼賛していたりして、今見るとなんじゃこりゃみたいな内容も少なくないです。私自身、どっからどう評価しても東條に関しては弁護する余地は全くないとみています。石原莞爾も、「自分と対立してたってみんな言うけど、東條には思想がないから対立のしようがない」と言ってましたが、実際その通りで鳩山由紀夫元首相といい勝負だとみています。東條も昭和天皇相手に「トラスト・ミー」みたいに言ってるし。
     東條に限らなくても、牟田口や辻など米国の勝利のためにわざと自軍の兵力を無駄に損耗させたり、無茶な命令にも現場で奮闘した下士官に責任押し付けて処刑しまくった宦官みたいな連中も旧軍幹部に多いですが、ネオ皇国史観の連中はこういう幹部らも「国に殉じた」などと悦に入って誉めそやしてました。

     私自身、ネオ皇国史観提唱者の上記のような主張や発信を見て、「あ、そういう思想なんだ」と思って一気に支持しなくなりました。ただ私以上に、上記の敗北に導いた幹部らによって命を散らされた兵や士官の遺族らは、失望感を持つようになったのではないかと思います。
     当時の報道などを思い起こすにつけ、遺族らとしては自虐史観で日本の兵隊は虐殺や略奪ばかりしていたという主張に反発を抱きつつ、無茶な命令にも国のためと思って殉じたということを理解してほしいという感情が強いように見えました。それだけに自虐史観の対抗馬として出てきたネオ皇国史観を当初支持したものの、彼らを死に追いやった無責任な幹部らまで提唱者が称賛し始めたのを見て、離れていったんじゃないかという風に見ています。

     実際、私から見てもかなりドン引きな内容をネオ皇国史観提唱者らは一時期主張していました。それゆえ、ある意味最も強固な支持層を自ら離れさす結果となり、「上は無能・無責任ばかりだったが現場の士官や兵隊たちは本当に勇敢だった」とする半藤・保坂史観に流れる結果を生んだとみています。まぁ本人らがそれでいいと思うのなら、別にそれでいいとは思いますが。

    2020年12月1日火曜日

    二重経歴者の高まる強み

     友人にMRJのプラモ制作を勧めたら丁重に断られた後、「水槽に沈めたり、砂に埋もれさせたりして退廃的に見せたらいいかも」と案外ノリノリでした。

     話は本題ですが以前にも紹介した「ハコヅメ」という警察漫画ですが、リンク先でも話題になっている通り好調なまま連載が続いています。驚異的なのはその連載ペースで、2年半で単行本がすでに15冊に達するなど、恐ろしいペースで原稿枚数が積み上がっています。なんでこんなに早いかって毎回大量のページ数で連載続けられているせいで、作者がガチで元警官なだけあってやはり他の漫画家と比べても体力が有り余っているのが見て取れます。
     マジな話、どの業界、どの仕事でも体力あるというのはやっぱり強みでしょう。ちなみに自分も昔は6時間くらい翻訳やったらガス欠してたけど、今調子のいい時なら10時間は集中力保てます、っていうか保てないと仕事的に追いつかないです。

     それでこのハコヅメですが、こう言っては何だけど世の中の警察漫画のハードルを一気に引き上げてしまっているとも見ています。他の警察漫画では一切描写のなかった警察学校の中とか、警察署内での具体的な作業風景、張り込みのリアル(車中泊一週間)など、取材とかでは追えない実体験者じゃないとわからない描写が非常に多いです。逆にこうした描写を見た後だと、「他の警察漫画はやっぱりフィクションなんだな」なんていう風にどうしても思ってしまいます。ハコヅメ自体がフィクションと突っ込まないように。

     やはりなんにしても、取材した内容よりも作者が実際に体験した話の方が読み手に取って面白いというのは絶対的に揺るがない事実でしょう。逆を言えば、漫画家をはじめとするクリエイターは今の時代、ただ漫画だけを描いているだけだったら手持ちの武器としては弱い、というか実際にそうなっているように見えます。
     単純に画力などを含め昔と今とを比べると連載作家に求められる水準は大きく引き上げられており、その上ストーリーも求められるとなると如何に他の作家と異なる自分だけの持ち味を出せるか持ってるか、こうした点が成否を大きく分けてくるでしょう。

     かくいう自分も、他の記者と違って無駄に転職してきたことが今大きな武器になっています。やはりずっと新聞社などで記者業しかしたことない人と比べると、一般的なメーカーや商社の価値観やサラリーマン風景に対する認知が違うし、今いる職場も世間で言えばかなり特殊な業界なので、そうした特殊性から一般社会と距離を置いて物を見ることができるようになっています。
     そもそも私の人生自体が「小説に書いたら売れるよ」とリアルで言われるほど無意味に波乱に富んでしまっており、その点でもはや変わった感覚と視点を持つに至っています。ただこうした、一つの職業や業界だけではない複数の経歴、敢えて言えば見出しに掲げた二重経歴(なんか幽白っぽい表記だ)を持つ人間というのは、案外これからの時代はますます強くなるんじゃないかと思います。

     次々回のJBpress記事でまた雇用関係の話を書こうかと現在準備していますが、いよいよもって日本の雇用慣行はそろそろ崩れるとみており、雇用の流動性が高まるにつれて上記の二重経歴者が増えてくるかと思います。もっともそう言った二重経歴者を日系企業が上手く使えるかはわかりませんが、ことクリエイターに関しては今以上に変わった経歴を持った人が今後登場してきて、ハコヅメみたいにそれまでの同系列の漫画を過去にしてしまう人も出るかもしれません。
     そういう意味でこれから漫画家や小説家を目指そうっていう人なら、漫画や小説作品を作る技術もさることながら、他の人間とは異なる特殊な体験や経歴を積むようお勧めしたいです。それこそフランス行って傭兵部隊に入るとかそういう激烈な体験があればあるほどデビューの目は高まる一方、漫画や小説一本足打法だと、綾波レイみたく替わりはいくらでもいるものになってしまうかもしれません。

     ちなみにその手の変わった経歴の漫画家で言えば、先日訃報が報じられた「釣りキチ三平」の作者である矢口高雄は元銀行員という方で、なんか銀行業界の漫画も描いてたらしく面白かったと聞いて興味を持っています。
     あと島耕作シリーズ作者も元パナで有名ですが、彼の場合は会社を離れても取材力の高さで上手くその物語に現実を反映できていたと思います。ただ元同僚たちは部長までしか出世できず、「部長より先の階級の話はぶっちゃけファンタジー」と言ってて面白いのですが、「部長以前も十分ファンタジーじゃん(´・ω・)」と突っ込んだらいけないのでしょう。

    2020年11月29日日曜日

    最近の上海の状況

     先日同僚が会社で客先相手に電話してて、「出来れば旧正月には日本に一時帰国出来たらなと考えてはいるのですが、難しいでしょうねぇ……」などと話しているのが聞こえました。この声は何も同僚に限らず、中国のみならず全世界の駐在員の切なる声でしょう。

     自分だけかもしれませんがある程度の想定通り、冬が近づくにつれてコロナ感染者がいわゆる第三派を迎えつつあります。高い気温や湿気はコロナウイルスを死滅させないまでも、その活動を抑制する効果があったことはある意味これで証明されましたが、逆を言えば冬の時期はインフルエンザ同様に間髪となるわけで、これから四月にかけてまではまたあちこちで都市封鎖が行われることになるでしょう。

     翻って今私がいる上海の状況ですが、先日に空港勤務者を始め何人かに新規感染者が発生したものの、街全体は移動や仕事が規制されることもなく、新規感染者が出る前と比べて特に変わりなく動いています。ただ今日と昨日は一気に気温が下がったもんだから、街を出歩く人の数は明らかに減ってましたが。
     前に青島市で新規感染者が出た際は市内の全住民相手にPCR検査が実施されましたが、さすがに上海では同じことはやらないようです。もっとも自発的にPCR検査を受ける人は増えてて、周りの日本人駐在員もあちこちで受けてるせいで、なんか自分も受けなきゃいけないのか、どこで受けられるのかなどとキョドっています(;゚Д゚)

     一応、中国全体の消費に関しては今年の双十一のネット小売セールでまた過去最高を更新したように、衰えている様子はありません。ただ消費自体は比較的活発ながら、飲食店や小売店を始め閉店する店の数は今も増えており、街中を歩いていてもシャッターを閉めた店や、テナントの入らないモールなどが目立ち、この点は見ていて胸が痛いです。
     ただ仮に今やごく一般的な宅配サービスがなかったとしたら、飲食店の閉店数は今の規模ではなかったでしょう。宅配サービスでの需要と消費があるからこそ、まだ運営できている店は少なくない気がします。

     ちなみに消費でいうと、昨日またプラモ屋でキットを衝動買いしてきましたが、折角のコロナの時期なんだし、もっと日本で「自宅でプラモを作ろう!」キャンペーンみたいなのを業界もやればいいのにとか思います。この辺、日本の小売マーケティングは随分と後退したなと思うところです。

     なおこの記事書きながらふと「もしかして、あれってあるのかな?」と思って検索してみたところ、飛ぶことのなかったMRJのプラモがきちんと発売されていました。敢えて今この時期だからこそ、三菱重工の社員には冬休みの宿題とばかりにこれをみんなで組んでみたりしないのかなと思ったりします。
     MRJ、っていうかスペースジェットの開発は既に報じられている通り中止となりましたが、あの報道で個人的に不満だったのは下請けの部品サプライヤーとかの話が出てこなかった点です。友人の工場もMRJへの部品供給契約結んで、新規投資してクリーンルームまで作ったのに、結局注文は試作品以外は何も来ずに投資で損する羽目となっており、川下まで考えるともっと大きな打撃となることくらい言及してほしかったです。

    2020年11月28日土曜日

    中学受験する子供に言ってはならないこと

     上海は昨日まで長雨でしたが今日は久々に雨がやみ、曇りとはいえまだ気分的にマシでした。もっとも天気以上に空気が入れ替わって湿気がなくなったことの方が個人的にうれしいです。
     ちなみに急激に気温が下がったこともあって街中や商店の人影はいつもより少なく、その分自転車で走りやすくてこれまた都合がよかったです。今日は買う気なかったのに、またプラモを衝動買いしてしまったけど。

     話は本題ですが、Yahooニュースとか見ていると最近子供の不登校や教育に関する記事もいくつか候補に出てきて適当にそれらを読んでいますが、そういうのを読んでいて、中学受験する子供にこれだけは絶対に言っちゃいけないなと思う内容があります。
     具体的には、「今勉強していい中学に受かれば、中学と高校では楽が出来て、スポーツなどに集中できる」という内容です。結論から言うと、この発言は根本的な事実間違いが含まれています。

     仮に大学付属の私立中とかなら、私も通ったことがないのでもしかしたら上記発言の通りかもしれません。しかし一般的な中高一貫校の場合、私の経験で言うと上記発言の通りには絶対にならないと断言できます。理由は非常に単純で、公立校と比べ中高一貫校の授業ペースは早く、勉強しなかったらあっさりドロップアウトするからです。
     実際にというか私の通っていた学校では、1年次の終了とともに確か男子生徒2人がドロップアウトして地元公立校へ転校しました。私自身も中学時代は成績は下から数えた方が早かったですが、後述しますが私自身というより学校の仕組みに問題があったせいで成績が上がらなかったのだろうと考えています。

     恐らく多くの親の世代の考え方では、中学受験すれば高校受験のために勉強する必要はなく、その分だけ中学と高校で部活動などの課外活動にも集中できると思い込んでいる節があります。でもって、それを受験させる子供への売り文句として実際に私も使われたし、ネットに出ている教育相談関連記事でもまさにそういって受験させたところ不登校になったという話をよく見ます。
     しかし一般的に中高一貫校の授業ペースは早く、特に英語と数学に関しては公立校とは比べ物にならないくらいハイペースです。私の学校では数学は中三の時点で数Ⅰ・Aに入ったし、英語に関しても一般受験組と比べれば基礎暗記単語量では劣るものの、長文読解力は高く、この方面で中学生にしては高い水準が要求されていました。

     で、普通に考えて、こんなハイペースな授業が続けられる中で部活とかに集中できるかです。はっきり言ってそんなわけなく、実際うちの学校の運動部とかは半端なく弱かったです。それこそ将棋部とかそういうのだったら話は違うかもしれませんが、運動部入って疲れた状態で帰宅し、普段のハイペースな授業についてこれるかっていったらそんなわけないでしょう。むしろそんなんだったら、普通に高校受験する方がまだ短期集中で乗り切られるところもあるだけに、中高一貫校より課外活動に集中できるのではと思います。

     その上でと言っては何ですが、これは以前にもブログに書いてはいるものの、お世辞にも私の通った学校の教師は授業での指導が上手くありませんでした。中にはテストの学年平均点が30点台だった際に「なんでお前らは勉強しないんだ」と生徒に責任転嫁する教師までいて、見ていて明らかに、素材の良い生徒たちに助けられているだけで、実際にはほぼ全く指導力のない教師が少なからずいました。
     しかも具合の悪いことに、中高一貫校とはいえ厳しい家庭ではすでに大学受験を見据えて、中一から予備校に通わせる家も少なくありませんでした。でもって、そういった予備校に通う生徒が学校でも揃って成績が良く、ぶっちゃけ学校の授業に余り価値がないことを間接的に証明している有様でした。

     私自身もというか、テストの成績良くないから「中学受験すれば中学生時代は塾とかに通わずに済む」と言われて受験したものの、結局また中一から予備校に入れられる羽目となりました。もっともそこで対応してくれたアルバイトの大学生塾講師と馬が合い、成績は実際かなり急上昇したし、その講師の指導で政治とかに興味を持ったので塞翁が馬でしたが。
     逆にもし講師と馬が合わなければ、真面目にかなり危険な状態になっていたかもしれないと今思います。

     それで話を戻すと、「今勉強していい中学に受かれば、中学と高校では楽が出来て、スポーツなどに集中できる」といって子供をいい学校に入れてしまう、特に偏差値的に受かるのは難しいとされていた第一志望校とかに運よく合格して入っちゃうと、十中八九その子供は「あれは嘘だったんだ」と親に裏切られたような心境を持つであろうと私は思います。
     極端な例かもしれませんが、予備校でクラスが一緒で仲良くしていた友人が、普段のテストの偏差値からすると大金星的な高偏差値高に受かって、そこへ進学しました。ただ高校でドロップアウトしたのか中退したことが後年わかり、いい学校に受かるのも素直に喜べるわけじゃないと当時感じています。

     偏見かもしれませんが、何か特定のスポーツに従事したいと普段から言っている子供は勉強好きはそこまで多くいません。素材が良かったり体力があったりして中学受験で上手く成功を収めるかもしれませんが、受かった先の学校でスポーツに集中できるかと言ったら、そこではさらに素材の良さが求められてくるでしょう。はっきり言えば、地元公立校に通わせた方がそういう子たちの負担はずっと低くて済む気がします。
     それでも敢えて中学受験させたいってんなら、やはり分相応な偏差値の学校に入れる、若しくは通学面で有利な一段レベルを下げたような学校に入れさせるのも手でしょう。そうした学校なら授業についていく上ではハイランクの学校よりずっと余裕があり、親の言う通り高校受験を回避することで課外活動に集中できる環境があるかもしれません。一番良くないのは、本人が決して勉強好きでもないのに、分不相応にレベルの高い学校に入るということでしょう。
     っていうか、勉強好きじゃない子なら初めから中学受験なんてさせるべきじゃないでしょうが。

     最後に途中で話した高校受験組について少し補足すると、前述の通り中学時代の私はあんま成績良くなくて結局塾に入れられ(中三時は半分より上で無試験進級組に入ったが)、高校に入るやすぐまた大学受験に備えるよう別の予備校に入れられました。まぁ高校生の時点ではそんな抵抗感なかったけど。
     高校で入った予備校には地元公立中学から高校受験した生徒も多くいたのですが、彼らを見て感じたこととしては前述の通り、暗記している英単語量で私立中出身の私と大きな差があるということでした。上位高校の生徒に限られますが、やはり高校受験でその辺の対策が求められることから、英語に関しては長文読解は私の方が上かもと思いつつ、基本的な単語量では逆に遠く及ばず、「高校受験しなくて済むと言われて入ったが、結局高校受験組とは実力差がつき、この分を埋め合わせなければならないことを考えると中学受験しただけ無駄だったな」という結論に至りました。ぶっちゃけ今でも無駄だったと思っています。

     ただ世の中わからないもので、高校時代は一番英語苦手だったのに、社会人になってからは外国語をメインに使う仕事ばっかやっています。こう考えると、高校の成績は何の適正も見いだせないなと思います。思考も文系のくせしてやたら数学的な論証が多いし。

    2020年11月26日木曜日

    日本の歴史観~その8、半藤・保坂史観 後編

     最近コンビニとかで「3Dマスク」と書かれた商品が売られているけど、逆に「2Dマスク」はどんななんだろう。顔にマスクの絵を描いた状態なのだろうか。なんんていうか、「4次元ポケット」に対する「3次元ポケット」みたいな感覚があります。あと今週は残業ないけど重たい仕事多くてやっぱ辛ぇわ……、FF15はやったことないけど。

     話は本題ですが前回から取り上げた半藤・保坂史観について、この史観のもっとも特徴的なのはネオ皇国史観同様に、「極東国際軍事裁判、並びに自虐史観は米国が日本を支配しやすくするために作ったステージと概念」だと指摘している点です。但し、その中身について、両者では見解というか踏み込みが異なっています。

     まず戦後における代表的歴史観の自虐史観では先に取り上げたように、基本的に二次大戦で日本は侵略戦争を起こしたとして、否定的な評価を行っています。ただその侵略戦争を誰が興したかという戦争責任については、はっきりと「旧陸軍幹部」と言明しており、この点について半藤・保坂史観は「謝った歴史認識」という風に指摘しています。
     具体的にどういうことかというと、自虐史観では上記の概念に乗っ取り、「東条英機をはじめとする旧陸軍幹部が日本を誤った方向に導いて戦争を起こし、国民はそれに巻き込まれ塗炭の苦しみを味あわされた」という風に捉えています。

     ここで重要な点は二つあり、一つは先ほどにも指摘したように「旧陸軍幹部」を主犯扱いしており、旧海軍は含まれていないということです。これはそのまま「海軍善玉論」、即ち海軍幹部らは日本は米国との戦争に勝てないことを理解していたが、政権を乗っ取った悪い陸軍に押し通されて負けるとわかっていながら戦わさせられたという風な具合で、海軍には戦争責任はないという見方です。ついでに書くと、この海軍善玉論を大きく発展させた人物の一人として、戦時中の陸軍のしごきを相当恨んでいた司馬遼太郎が含まれます。
     この海軍善玉論ですが、異論はあるでしょうが、やはり半藤・保坂史観の主張する通りに米国が意図的に流布された概念であると私も考えています。理由は極東国際軍事裁判で起訴されたA級戦犯のメンツで、東条英機をはじめとする陸軍関係者が中心となっています。

     また半藤一利氏が主張するように、海軍も要所要所で戦争に向かう動きを実際に後押ししており、また本気になれば開戦を拒否できる立場にあったものの、「陸軍さんがやりたいっていうなら」という感じで、あっさり陸軍の要求を飲んだりして、陸軍内の非戦派を落胆させています。海軍善玉論は非常に長く信じられてきた概念ですが、やはり2000年代中盤当たりに半藤氏らの主張が広まるにつれてその影響力は弱められ、現代においては恐らく専門家の間でこの概念を支持する人はほとんどいなくなっているように見えます。

     次に米軍によって流布された「誤った歴史認識」として半藤・保坂史観が指摘している点は、「国民は巻き込まれただけ」という概念です。この点についても半藤氏ははっきり否定しており、当時の日本国民自身が中国や米国との開戦を望んでいて、むしろ日本政府や陸軍はそうした国民の声を受けて開戦を実行に移した所があると厳しく論じています。
     この根拠として日中戦争開戦直後、朝日新聞が「戦乱を広げるべきじゃない。すぐ和睦すべき」といった社説を書いたら、一瞬で部数が急減し、慌てて論調を180度展開したというエピソードがよく紹介されています。実際にというか当時の人々の日記などを見ると戦争に対して非常に肯定的で、むしろ政府や軍は生ぬるいという、生意気な米国は懲らしめねばならない的な意見ばかり見られます。

     こうした点を踏まえ半藤・保坂史観では、戦争責任については日本国民自身も深く反省すべきところがあるものの、米国の情報操作によってそれら責任は旧陸軍幹部に集約されてしまったとしています。これにより米国としては、そうした扇動者から日本を解放しに来たという大義名分が得られるわけで、自虐史観が実際に定着したことを考えると作戦成功であったと言えるでしょう。

     こうした戦後思想に対する米国の情報統制は、ネオ皇国史観でも指摘した上で批判を行っています。ただネオ皇国史観では実際にどのように米国が日本を「骨抜きにした」という根拠や理屈、背景を示すことができておらず、若干観念臭い主張になっていたように見えます。
     一体何故そうなったのかというと、米国による情報操作をきちんと検証したら彼らの「米国に追い詰められてやむなく開戦に至った」という主張が崩れるからでしょう。だから具体的にどんな風に日本の世論を誘導したのかには触れず、観念的にともかく「骨抜き」にしたとしか言えなかったのだとみています。

     なお米軍によってある意味スケープゴートにされたのは東条英機一味ですが、東條自身に対しては前回にも書いたように半藤・保坂史観では激しく批判しており、「無責任の極み」と切っています。それどころか「やはり米軍の力を借りるのではない、日本人自身が彼を権力濫用で処分すべきだった」、「戦前の国内法でも東條は十分処刑できる」とまで言っています。
     ただ先ほどにも書いた通り、東條一味がスケープゴートにされた点についてははっきりと間違いだったとしたうえで、東条英機と仲が悪かったために米国側から起訴されなかったものの、日本を本当の意味で誤った戦争へ導くことになった戦犯として、石原莞爾に対しては否定的にも捉えています。実際に私も二次大戦において日本に戦犯がいるとしたら、石原以上の人間はいないと考えています。

    2020年11月25日水曜日

    日本の歴史観~その7、半藤・保坂史観 前編

     前回の更新からまた大分時間が経っての要約の連載再開ですが、ようやく取り上げる歴史観としては最後の物にまできました。今回紹介する歴史観は果たして世間に定着しているのかと言えばちょっと疑問符がつくところではあるものの、少なくともぽつぽつと見始めた15年位前と比べるとこの歴史観に沿った見方は現在の方が広まっているように感じることと、最低限、私というフォロワーがいるということから歴史観設定して紹介します。
     名称については保坂正康氏自身は「自省史観」と呼んでいますが、この歴史観は半藤一利氏と保坂正康氏が座長を務める主に文芸春秋などでの座談会がベースというかルーツになっていることを考え、またこの二人が実に相性のいいゴールデンコンビであることを考慮して、勝手に「半藤・保坂史観」と名付けることにしました。この名称を使うのは恐らく私が最初(そして最後?)でしょう。

     ではこの半藤・保坂史観ですが、基本的には二次大戦に対する見解で、その具体的な特徴を挙げていくと下記の通りとなります。

    1、自虐史観以上に旧軍部への批判が苛烈
    2、一方で末端の将兵や現場指揮官には非常に同情的
    3、昭和天皇にも同情的ではあるが一定の責任があると指摘
    4、戦争責任について当時の国民も大きいと指摘
    5、日中戦争時代からきちんと追いかける
    6、海軍善玉論を否定
    7、方向性は異なるが、戦後思想は米国の扇動によるものとするのはネオ皇国史観と共通

     まずこの歴史観が出てくるようになった背景と経緯からまとめていくと、90年代末期から冷戦崩壊と中国や韓国の台頭に伴い前回までで取り上げたネオ皇国史観が新しい教科書をつくる会を中心に盛り上がっていきました。しかしこの2000年を過ぎたあたりからつくる会の内部分裂、テロとの戦いに伴う反米感情の低下などを受けネオ皇国史観は勢いをなくし、主流となる歴史観が今ひとつないエアスポット的なタイミングで半藤氏と保坂氏による他のゲストを招いた歴史対談が行われるようになり、徐々にこの半藤・保坂史観が勢いを強めていったように思います。

     ではこの史観が他の自虐史観とネオ皇国史観とどう違うのかというと、まず第一に挙げられるのは上に上げた1番目の、自虐史観以上に旧軍部への批判が苛烈という点です。自虐史観でも日本の旧軍部は国民を先導しておろかにも破滅に至る戦争へと引っ張っていったと評していましたが、この半藤・保坂史観では「何も考えず、無責任に流されるまま無謀な戦争に踏み切った」と言い切っています。
     この意見の出どころというか半藤氏の主張で凄いのは、実際に当時の政策意思決定者であったA級戦犯たちに巣鴨プリズンで直接話を聞いている点です。それら取材結果と当時の会議記録などを詳細に分析した結果、「なんとなく戦争しなきゃいけない雰囲気だった」というノリで日米開戦が決定されたと結論付けています。

     その上で、こうした雰囲気は軍部以上に当時の国民自身が日米開戦を望む空気があり、それに引きずられた要素が大きいとも指摘しています。この辺は次の回で詳しく書くことにします。

     とにもかくにも旧軍幹部らに対する批判はこの半藤・保坂史観は厳しく、先にも書いている通り自虐史観以上じゃないかと思います。中でも辻正信に対する批判は、ノモンハン戦での行動を始め全力で以って批判しているくらい激しいものです。
     ただそうした軍幹部に振り回された現場の将兵に対しては非常に同情的で、その敢闘ぶりには激賞してやまないです。陸軍の栗林忠道や宮崎繁三郎などがその代表で、また末端の兵士らに対してもノモンハン戦などで非常に奮戦していることを取り上げています。

     なおネオ皇国史観を支持していた人には末端の現場将兵の遺族らも含まれており、彼ら遺族が自虐史観で旧軍全体を批判されていたことに反発して盛り上がったという面もあったように見えます。ただそうした末端の将兵を実質的に無為無策によって死に追いやった旧軍幹部らについても、ネオ皇国史観のオピニオンリーダーらはやたら持ち上げようと躍起であって、この点で一部遺族らと思想や方向性が異なって分裂に至ったところもある気がします。
     私自身は半藤・保坂史観の支持者ということもあって末端将兵とその遺族らに関しては強い同情感を感じますが、東条英機らは擁護のしようがないとも考えており、私自身がこうした点で違和感を感じてネオ皇国史観を支持しなく経緯があります。

     話を戻すと、半藤・保坂史観でネオ皇国史観と大きく異なる点は地味に日中戦争の下りじゃないかと思います。この日中戦争に関してははっきり言って侵略以外の何物でもないのですが、ネオ皇国史観だと「南京大虐殺はなかった」という主張が強く、実質的にこの一点でしか議論しない節があります。
     一方で半藤・保坂史観では日中戦争の途中経過、というよりその前の満州事変の策謀のあたりから追いかけ、また日中戦の途中の和睦交渉がどうして破談に至ったのかなどをよく取り上げています。私自身、「トラウトマン交渉」は名前こそ知っていたものの中身は全く知らず、文芸春秋の対談とかでこのような交渉がありながら日本は戦争を継続したことなどを初めて知りました。

     逆を言えば、こうした「日米開戦以前」がネオ皇国史観には致命的に欠けている気がします。日米開戦のルビコンとしてよくハル・ノートが挙げられますが、実際に歴史を追うと、ハル・ノートに至るまでの過程の方がむしろ重要な気がします。そこら辺をネオ皇国史観では「反米主義」という立場から追うに追えず、曖昧に省略的にしか紹介できなかったのでしょう。

     そういうわけで、残りの特徴についてはまた次回に。

    2020年11月23日月曜日

    シーラカンス記事の裏側

    中国人から見ると日本は時間が止まっているらしい(JBpress)

     隔週月曜のヤンマガ的な自分の記事の紹介ですが、今回は意外この上ありませんでした。そんなに取材したわけでもなく、思い入れもない記事だったのですが、現在JBpressのランキングでは暫定1位、あとヤフコメも割とたくさんコメントが集まり、傍目にもたくさんの方に読まれたようです。
     個人的には一番ビビったのは、同じJBpressで記事を書かれている中島恵氏がオーサーコメントを残してくれていることです。オーサーコメント自体つくのは初めてですし、中国の視点からしか語らない自分と違い、アジア全体を見ながらよく記事書いている中島氏はかねてから一目置いていただけに光栄ではあるものの、いきなりの登場にはマジビビります(;´・ω・)

     さてこの記事、先にも書いているようにそんな力入れて書いた記事じゃないです。そもそも書くきっかけになった経緯からしてかなり不純で、「最近忙しいし(主にゲームで)、T-34の組立も控えているからすぐかけるネタで記事書きたいな(´・ω・)」などと考えていたところ、イタリアの火山灰に埋もれた都市のポンペイに関する最新研究記事を見掛け、

    「そうだ、日本人はやたら『ガラパゴス化』って言葉が好きだけど、日本の停滞と絡めて『ポンペイ化』って言葉作ったら流行るかも(・∀・)イイジャン」

     と、思ったのがすべてのきっかけでした。全ては「ポンペイ化」って言葉を流行らせたい文芸者としての欲から始まった記事です。
     そういうわけで書き始めたのですが、当初はともかく日本が何も変化がない、停滞していると感じる内容を羅列していって、ベンチャー企業の不足も書いていたけどそんな大きく取り扱っていませんでした。しかし第一稿を見てみると、あまりにもまとまりのない内容だし、そもそも友人に企画構想を話したら「ポンペイって何(。´・ω・)?」と、そもそもポンペイが何なのか知らない人が意外に多く、このままじゃやべぇと思って一回全部書き直しています。

     第二稿では配信記事のように、「日本は何十年も変化がない→停滞している→それはベンチャー企業が少ないからだよ(・∀・)」という流れにして、あと「ポンペイ化」の代わりにもっとわかりやすい「シーラカンス化」という言葉に差し替えました。
     真面目な話、「ガラパゴス化」という言葉はなんかここ数年ほとんど聞かなくなった気がするし、また「ガラパゴス」時代は独自規格とはいえイノベーションが見られました。ここ数年は全くそういう独自規格の発達すらなくなり、そういう意味で過去と区別する上では今回私が作った「シーラカンス化」などのような言葉が今後必要になると思います。

     話を戻すと、そんな具合でとりあえず記事にまとめたけどどうせ受けないだろうなと思いつつ、読者からどんな反応が来るかは楽しみでした。というのも私がJBpressで書く記事は基本、中国現地レポート的なミクロな内容の記事が多いのに対し、今回は割と幅広いマクロな内容で、尚且つデータ的な裏付けも少ない薄い内容になっています。
     というのも最近、コロナのせいで日系企業が絡む中国ビジネスの話が少なくなっており、ミクロなネタが書きづらくなっています。このままいくとネタ的にジリ貧(ジリープアー)なので、マクロな内容を見せたらどんな反応が返ってくるか、その反応を見て今後の記事ネタの範囲とか対象を決めようと試す意味合いがありました。とはいえ書き上げた際は裏付けデータのあまりのなさに自分でも結構怖く、果たしてこんな記事でいいのかなという不安の方が大きかったです。

     結果的には、やはりというかこういう薄くさらっと読めるような内容の方が単純にアクセス稼ぐだけではよかったのかもしれません。とはいえ書いててやりがいあるのはやはり裏付けのある記事なので、ミクロな記事も今後書いていくつもりですが。

     同じく読者の反応ことヤフコメを見ると、私に対し批判する人もいるものの、全体としては肯定的なコメントが多く、なんか昔と反応違うなとか思えてきます。批判する人に関しては、なんかやたらとQRコード決済ばかりを取り上げて批判する人が多く、でもってその論点も結構ずれているのが個人的に不思議でした。
     一方、私が流行らせたかった「シーラカンス化」に言及している人は二人くらいしかおらず、私の中ではこの二人の存在がMVPです(´;ω;`)ウッ…

     逆にコメントを見てなるほどと感じたのは、「ゾンビ企業の淘汰というが、その対象は中小企業なのか?」という疑問符を付ける内容のコメントでした。その後で具体的な企業名とともに大企業なゾンビ企業こそが問題と書いてありましたがその通りと言わざるを得ず、中小ゾンビ企業以上に日本の場合は超大型ゾンビ企業の禍根の方が大きいと私も考えなおしました。

     解説する内容としてはざっとこんなもんでしょうが、敢えてもう一点付け加えるとしたらコメントを読んでて、「日本の変化のなさに対する驚き」について、やはり相当ギャップがあると感じました。はっきり言うと私が感じている驚きの程度は恐らく、私のように日常的に日本と海外を往復している人じゃないと理解できないでしょう。
     具体的に言うと、恐らく大半の日本在住者は芸能人が突然結婚、離婚、自殺したというニュースを見た時の驚きくらいのレベルと考えているように見えます。一方、私個人の感覚で述べると、10年前に会ったある子供が10年後も全く同じ姿形のままであるのを見たような驚きを、日本に帰るたびに感じています。

     こうした変化のなさをはっきり認識したのは2013年のことでしたが、それから7年経っても全く変化がなく、先ほどの子供の例えじゃないですが変化して当然なものが変化しない不気味さをよく感じており、今回の記事の反応を見るにつけ、程度の差こそあれ日本在住者もうすうす認識しているのだなという印象を覚えました。

    2020年11月22日日曜日

    これが、T-34だ(^o^)/


     前略、これが旧ソ連の二次大戦期における代表的戦車であり、傾斜走行や履帯幅を始め、ある意味現代の戦車のあるべき形を確立させた傑作であるT-34(76型)です。定期預金の利息が入ってウキウキ状態のまま、プラモ屋でキットを購入して昨日組み立てました。

    正面図

    側面図

    後ろ姿

    斜め後ろ姿

    やや上方からの俯瞰図

    砲塔はここまで回転

    下からの見上げ、もう少しうまく撮影できたはず

     さてこれまで航空機と車のプラモは散々作ってブログにもアップロードしてきましたが、戦車を作るのはこれが初めてです。いったいなんでいきなり戦車、それもT-34を作ったのかというと、まず元々T-34については関心があり、もし戦車でプラモ作るなら絶対にこれという風に考えていました。
     一体何故T-34にそんな執着していたのかというと、詳しくはWikipediaなどの解説記事を読んでもらいたいのですが、独ソ戦初期において実質的にドイツ軍を圧倒し、中期から後期にかけてはパンターやティーガーといった性能で上回るドイツ戦車が登場するも、その圧倒的な生産力の高さを生かし、ソ連の勝利に大きく貢献したというエピソードがあるからです。

     車でもそうですが、一品物でどれだけ凄いものを作るかより、量産体制でどれだけ質や性能を保てるのかという技術の方が私個人としては重視しています。前述のドイツのティーガーなんかはまさに前者で、性能と破壊力に関しては図抜けていたものの、生産性と稼働率は著しく低く、戦場で出くわせば相手に恐怖させることができたものの、戦局を覆すほどに数は揃えられず(ついでに故障率も高かった)、こと戦車戦に関しては「必要な性能と物量」においてこのT-34が大きく勝っていました。そうした背景と、ある意味スタンダードな中型戦車として、構造を把握する上で作るならこれだと前から考えていました。

     上記のその戦車としての歴史のほかにもう一つ、うちの親父が絡んだエピソードがあります。うちの親父は自分が子供の頃から「戦車大好き(∩´∀`)∩」と言っていて、実際にティーガーの話とか振るとめちゃくちゃしゃべったりするのですが、長年話を聞いているうちにふと、「なんかアメリカの戦車(アメ車)の話とか出てこねぇな」と気が付きました。ついでによく考えるとドイツ以外の戦車については全く触れられず、子供の頃にたくさん戦車のプラモを作っていたというがもしかしてと思って聞いてみたところ、

    「ところで親父、T-34のプラモは作ったことあんのか(。´・ω・)?」
    「いや、実はない(;´・ω・)」

     というように戦車が好きというより、ただ単にドイツが好きなだけでした。自分の感覚で言うと、戦車好きと言いながらT-34をスルーするってあり得ず、この時点でソ連人民の敵認定をしました。
     そんな感じで親父はあんまT-34詳しくないってわかったので、なら自分が研究がてら作ってみようという風に考えたのも、このキットを手に取った理由です。

     組立作業について語ると、このキット自体はもともとモーターを内蔵して自走するキットを少し直して売られたもので(タミヤ製)、中身は電池を入れるスペースが残されるなど割とすっからかんで、シャシーや車体上部も大半が成形済みのパーツで構成されており、非常に組み立てやすく簡単でした。飛行機や車と比べるとその難易度は遥かに低く、今回戦車は初めてなのでじっくり4時間くらいかけて組み立てましたが、その気になれば2時間でも組み立てられたでしょう。小学生の中~高学年くらいなんかにお勧めしたいキットです。

     またやはり戦車は人気のあるキットだからか、各パーツの見栄えなどが非常によくできています。車体もざらついた表面になっており、また色も塗装なしでも十分なくらいいい味出してて、組み立てた後のインテリアとして置いても戦車だからほこりがついても見栄えを損なうことはないでしょう。
     ちなみに前作ったインプレッサも結構ほこり被ってきましたが、元々がWRC車なだけに、ほこりが乗っかって少し汚れたように見える方がかえってかっこよくなっています。他の車とはこの点が違いました。


     作り上げたところで今回少し問題となったのは、「どこに置くか」でした。
     すでに家のあちこち、それこそ靴箱の中や洗面所にすら戦闘機のプラモ置いており、これ以上置き場所がないくらいスペースに困っており、作る前からその対策に頭を悩ませていました。ただ人間追い詰められると考えるもので、


     メインの冷蔵庫上のスペースに、ダイソーで買った折り畳みの台座を置くことで、戦闘機をさらに置くことに成功しました。これによって戦車を置くスペースも確保できたので、しばらくは冷蔵庫上に置いたままいろいろ眺めてみようかと思います。