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2011年9月28日水曜日

諸葛亮の軍才の評価

 このところネットの掲示板にて、「諸葛亮孔明は軍才があったのかどうなのか」という議論をよく見かけるので、三国志好きが昂じてこうして中国で働くところまで来てしまった私としても一家言あるので、今日はこの話題について取り上げようかと思います。

 諸葛亮とは三国志マニアには言うまでもない、劉備と並ぶこの壮大な物語の主人公で現代においても軍師とくれば彼の名が第一に上がってきます。それでこの諸葛亮の軍才があるかないかという議論ですが、この議論における諸葛亮とは史実における諸葛亮で、多少の脚色が含まれる「三国志演義」における諸葛亮ではありません。演義における諸葛亮は文字通り神変万機の才能でありえないほど戦争に勝ちまくりますが、史実の諸葛亮は兵を率いたことは実は少なく、実質的には南蛮平定と北伐の時しか実績はありません。またその実績も南蛮平定には成功しているものの北伐は五回繰り返したにもかかわらず結局は司馬懿に阻まれ失敗しており、そのことを指して歴史書の「三国志」を書いた陳寿は、

「毎年のように軍隊を動かしたのに(魏への北伐が)あまり成功しなかったのは、応変の将略(臨機応変な軍略)が得意ではなかったからだろうか」

 という具合に諸葛亮の評価を残しております。それで肝心の軍才への議論についてですが、実はこの陳寿が書いた、「臨機応変な軍略が得意でなかった」という一言を巡る解釈議論と言っても差し支えありません。この陳寿の言葉に対し、「諸葛亮は政治家としては優秀でも、奇策が全く使えない、軍人としての才能がない人物だった」と言う人もいれば、「政治、軍事ともに優秀でも、敢えて一点足らないところを挙げれば臨機応変な軍略なだけだったのではないか」という人もおり意見が分かれております。どちらの意見が優勢かと問われるならば、私見ではやはり諸葛亮は軍事的才能には乏しかったと主張する人の方が多い気がします。

 そんなこの議論に対する私の意見ですが、結論を言えば私は諸葛亮は軍事的才能にも非常に恵まれた人物だったと評価しています。根拠は実に単純で、陳寿の評価なんて関係なくあの司馬懿と渡り合ったというこの一点に尽きます。

 既に上述しておりますが、諸葛亮は魏打倒を目指して生涯に5回も北伐という遠征を行っています。この北伐で諸葛亮に立ち塞がったのは後の新王朝となる晋の礎を築いた司馬懿仲達でしたが、諸葛亮の北伐に対して司馬懿は徹底的とも言うくらいに消極的に戦闘を避け、長期戦に持ち込むことで国力に乏しく補給路に難のある蜀の弱点を突き、結果的には見事撃退に成功しております。こうした戦い方を取ったことからよく司馬懿はビビりだ臆病だなどと講談で語られることが多いですが、実際の司馬懿はこんなもんじゃなく非常にえげつないほど戦争が上手です。

 諸葛亮が没して間もなく魏では北方の遼東で公孫淵が大規模な反乱を起こしますが、討伐に赴く前に司馬懿は明帝に対し、「往路に100日、復路に100日、戦闘に100日、その他休養などに60日を当てるとして、1年もあれば充分でしょう」と言って、事実この通りに戦闘を運んであっという間に討伐を達成しております。しかもこの討伐で司馬懿はかつての諸葛亮相手の時は一体なんだったんだというくらいに積極的に攻撃をかけ、あまりの苛烈さに音を上げた公孫淵が降伏の使者を送ったところ、

「戦には五つの要点がある。戦意があるときに闘い、戦えなければ守り、守れなければ逃げる。あとは降るか死ぬかだ。貴様らは降伏しようともしなかったな。ならば残るは死あるのみよ」

 というダーティなこと言って使者を追い帰し、この言葉の通りに公孫淵を含め敵軍を皆殺しにしています。
 またこれ以外にも明帝死後に実権を握るため起こしたクーデターでも電光石火としか言いようのない果断さで、思うに司馬懿は持久戦も速攻も自在にこなせるほど用兵に長けた人物だったと私は考えており、戦争指揮だけを見るならば三国志中で最強の人物かもしれないと思っています。

 それほどまでに用兵に長けた司馬懿でしたが、こと諸葛亮が相手だった時だけは徹底的に戦闘を避けております。これにはもちろん先程に挙げた補給路が弱いなどといった蜀の弱点を突くという戦略に依る面が大きいでしょうが、もし相手が並みの将であれば司馬懿の実績を考えると速攻で完膚なきまで撃破していたのではないかと思います。逆に言えば、消極策を取らざるを得なかったほど諸葛亮が司馬懿にとって手ごわい相手だったということではないでしょうか。
 以上のような観点から、私は諸葛亮はやはり軍才にも非常に恵まれた人物であり、陳寿のあの評価は「唯一ダメだしつけちゃうと」ってな意見だったと思います。もちろんこの陳寿の評価は的外れなものではなく、いい点を突いていると思いますが。

 最後に司馬懿の諸葛亮に対する評価ですが、諸葛亮が没し退却した後の蜀軍の陣営を見て司馬懿は、「まさに、天下の奇才」と諸葛亮について述べたと言われております。私と三国志のファーストインプレッションはご多分に漏れず横山光輝作の漫画版「三国志」でしたが、この作品の中で最も好きなシーンを挙げるとしたらまさにこの司馬懿がつぶやくシーンが挙がってきます。英雄、英雄を知るというべきか、作中で諸葛亮が死んでかなり呆然とする中でのこの司馬懿のセリフは改めて諸葛亮の凄まじさを強く認識させるもので、コマ割をやらせれば横山光輝は日本一と言われただけにその描き方は秀逸でした。

 なお、これ以外で横山光輝版「三国志」で印象に残ったシーンを挙げると、一瞬だけ董卓のヒゲがなくなっているシーンがあります。なんでヒゲだけといろいろ考えさせられるのですが、人物を書いた後でいつもヒゲだけ付け足していたのだろうか……。

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