大晦日ですが今日普通に出勤してきました。と言ってもめちゃモチベーション低かったので一緒に出勤してきた後輩と、「次のお笑い界の大御所候補はダウンタウン、と思いきや意外に有吉かもしれない」などという芸能界ネタをずっと討論してました。まぁ書類整理くらいはやったけど。
それにしても年末なのに、というより年末だからこそ余計な取材が来ないだろうとあっちこっちで結婚、離婚発表が相次いでなんだかなという感じがするのですが、ハンカチ王子のニュースに関しては、「ああ、球団もそういうつもりなんだね」とはっきり感じました。まぁもともとスーパードライな球団ですけど。
そんなニュースを鎧袖一触に吹っ飛ばしたのが「Gone has gone」ことカルロス・ゴーン氏の007ばりの国外脱出劇です。もう普通に映画作ってもいいんじゃないかというくらいの鮮やかさで、この点に関しては面白いニュースでした。
そんな逃げ切ったゴーン氏の主張ですが、あながち否定できない点もあるように見えます。日本の刑事裁判は有罪率が99%超というフッ化水素並みに高い水準にあるのと、逮捕拘留期間に実質制限がなく、東電OL殺人事件などを筆頭に外国人への拘留に関してはやや異常な制度で公平性がないという点で私も同感です。ゴーン氏の容疑については置いとくとしても、こうした刑事裁判における司法制度の問題点に関しては何十年も前から取り沙汰されながら、未だに改善が見られず、自分の生きてる間は多分無理だろうという気になってきました。
あと他にとりとめて書く話題はありませんが、折角なのでしょっちゅうこっちで聞かれる、「正月は日本に帰らないの?」という質問について書いときます。回答としては「帰らない」で、その理由は単純につまらないと感じるからです。日本で過ごすとしても無駄にお金かかるし、こっちは前述の通り普通に出勤日だしで、正月を日本で過ごしたいとはもはや思わなくなりました。
それでも中国に転職してきて最初数年間は、正月は日本にいたいと思っていました。しかし2014年の年始に実際日本で過ごしてみたところ、なんていうか思ってた以上に面白くなく、テレビ番組も昔の正月番組と比べても面白いとは思えず、あとなんとなく正月に限りませんが日本全体の空気が沈鬱している感じがして、わざわざ帰ってくるまでもないなとその時感じました。寒いのが好きだから、ブリザードのような天気の日だったら日本で過ごしたいとは思いますが。
それにしても海外生活もすっかり慣れて、なんか南方熊楠みたく海外でいるのが当たり前の生活になってきました。もっともあの時代とは全然環境が違うため比較するのもおこがましいですが、逆を言えば通信環境の発達によって、海外にいながらでも日本の情報や本なども簡単に手に入れられるだけに、そこまで海外生活も特別じゃなくなり、また日本で生活しなくてもその辺の苦労はなくなったともいえるかもしれません。
まぁ強いて不便を挙げるとしたら、中国にはヨドバシみたいな家電量販店がなく、マウスやキーボードなどのPCサプライ品をいろいろ比較しながら買い物できる店がないって点です。もっともマウスに関しては、あまりヨドバシやビッグカメラでは置いているところ見ないロジクールのロジクールのM170マウスをこの前上海で購入して、今めっちゃ気に入って使っています。っていうかなんでこのマウスを日本の量販店は置かないんだろうと思うくらいの使いやすさで、やはりマウスはシンプルイズベストに限ると再認識させられました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
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2019年12月31日火曜日
2019年12月30日月曜日
今年のベスト記事
いきなりなんだけど働きたくないです、明日。けど出勤しないといけないので、適当に昼ご飯食べたら有休もほぼ全く消化し切ってないので抜けようかなとか考えてます。「AI:ソムニウムファイル」もまだ全然進めてないし。
話は本題ですが、毎年年末に書いている今年のベスト記事についてです。と言っても最近はこのブログで取材記事を載せることはほぼなくなり、取材記事はJBpressで出すようになっています。なのでJBpressの記事で選ぶとした場合、取材の内容という点では先月だした「中国人アニメーター、日本でスキル高めて続々と帰国」が、自分の中では上原氏の生涯与四球率並にぶっちぎりのベスト記事です。
この記事は正直、取材相手が非常に良かったからこそかけた記事で私自身の実力がどうこうという話ではないのですが、それでも記事の出したタイミング、内容的には価値ある報道を行ったという自負があり、自信をもって自慢できる記事が作れました。唯一自分の関与を挙げるとしたら、この記事の取材はメールで聞いた内容をまとめ上げており、仮に同じメモで書いたとしても3000字以内でここまでうまくまとめられる人はいるかっていう点で、やや強気に出られます。
次にブログ記事についてですが、やはり今年は忙しく結構場を持たすだけの記事が多かった中、強いてあげるとしたら「自我を削ぎ落とす教育」が視点も独自で且つうまくまとまってて、今年の中で一番いい記事ではないかと思っています。
ただ最近、この手の日本人論が基本日本人批判にしかなっておらず、一部人からするとあまり面白くなく読まれているのかもという自覚があります。ただ、正直に言えばこういったところで書く内容は昨日今日考えた内容ではなく、ずっと前から考えていたものの記事化しなかったものばかりです。何故しなかったのか、今更何故記事化するのかというと、もう自分が言わなくてはならない立場と時期に来ていると考えているからです。発言したところで何かが変わることもないとわかってはいるものの、読んだ人間が何かに使える可能性はあると信じてこういうことも書いています。
このほか今年作ったプラモではGDB型インプレッサが一番最高傑作ですが、この前作ったF-4ファントムⅡも密かに凄い気にいっています。戦闘機プラモはもうほとんどの機種を作っててあと残ってんのと言ってもF-14、F-15、F-22くらいしかありませんが、このうちF-14はどのメーカーのプラモでも誰もが、その変形機構盛りだくさんな構造故に難しいと書いてあるので、まだ作ってみたいというやる気は湧いてきません。
なおどうでもいいですが、「F-14トムキャット」の中国語は「F-14雄猫」です。なんとなく「雌猫」のが強そうだと思うのと、じゃあトップガンでこれに乗ってた「トム・クルーズ」は「雄・クルーズ」なのとなんか一人でツボにはまってました。
話は本題ですが、毎年年末に書いている今年のベスト記事についてです。と言っても最近はこのブログで取材記事を載せることはほぼなくなり、取材記事はJBpressで出すようになっています。なのでJBpressの記事で選ぶとした場合、取材の内容という点では先月だした「中国人アニメーター、日本でスキル高めて続々と帰国」が、自分の中では上原氏の生涯与四球率並にぶっちぎりのベスト記事です。
この記事は正直、取材相手が非常に良かったからこそかけた記事で私自身の実力がどうこうという話ではないのですが、それでも記事の出したタイミング、内容的には価値ある報道を行ったという自負があり、自信をもって自慢できる記事が作れました。唯一自分の関与を挙げるとしたら、この記事の取材はメールで聞いた内容をまとめ上げており、仮に同じメモで書いたとしても3000字以内でここまでうまくまとめられる人はいるかっていう点で、やや強気に出られます。
次にブログ記事についてですが、やはり今年は忙しく結構場を持たすだけの記事が多かった中、強いてあげるとしたら「自我を削ぎ落とす教育」が視点も独自で且つうまくまとまってて、今年の中で一番いい記事ではないかと思っています。
ただ最近、この手の日本人論が基本日本人批判にしかなっておらず、一部人からするとあまり面白くなく読まれているのかもという自覚があります。ただ、正直に言えばこういったところで書く内容は昨日今日考えた内容ではなく、ずっと前から考えていたものの記事化しなかったものばかりです。何故しなかったのか、今更何故記事化するのかというと、もう自分が言わなくてはならない立場と時期に来ていると考えているからです。発言したところで何かが変わることもないとわかってはいるものの、読んだ人間が何かに使える可能性はあると信じてこういうことも書いています。
このほか今年作ったプラモではGDB型インプレッサが一番最高傑作ですが、この前作ったF-4ファントムⅡも密かに凄い気にいっています。戦闘機プラモはもうほとんどの機種を作っててあと残ってんのと言ってもF-14、F-15、F-22くらいしかありませんが、このうちF-14はどのメーカーのプラモでも誰もが、その変形機構盛りだくさんな構造故に難しいと書いてあるので、まだ作ってみたいというやる気は湧いてきません。
なおどうでもいいですが、「F-14トムキャット」の中国語は「F-14雄猫」です。なんとなく「雌猫」のが強そうだと思うのと、じゃあトップガンでこれに乗ってた「トム・クルーズ」は「雄・クルーズ」なのとなんか一人でツボにはまってました。
2019年12月29日日曜日
投稿本数ワースト脱出
今更ながら白状すると今から約十年前、朝起きたら名古屋に左遷されたうちの親父にコーヒー淹れてと頼まれ、台所でドリップパック式のコーヒーに電気ケトルで沸かしたお湯を注いでいたら、手元が狂ってお湯が少しだけドリップパックを経由せず、そのままマグカップに入ってしまいました。まぁ少しだから問題ないだろうと親父に飲ませたら、「なんか味薄いな」と普段言わないことを言い出して、意外とわかるもんだなと感じたことがありました。
なお自分の分は、きっちりすべてドリップパックに注いで飲みました。
話は本題に入ると、12月初めの段階では今年2019年の記事投稿本数は過去最高の2017年の242本を下回りそうだという予想をしましたが、この記事は今年243本目となり、2017年の水準を超えることが確実となりました。自分にとっても割と以外というか、そんなに意識なかったけど12月の巻き返しが割とすごかったと思っています。
何故12月に巻き返せたのかというと、先月11月と比べるとブログ書いてて楽しかったからです。逆を言えば11月はブログ書いてても全く面白くないというか、書くネタや話題もなく、結構無理くりして書いてた覚えがあります。そうした思いが見透かされたのか後輩からは、「最近誤字がやたら多い」とクレームが入り、それからはちょっと意識を変えたというかもう少し真面目に書こうと仕切り直しました。その仕切り直しが功を奏したのか、12月に入ってからは自分で書いてても楽しくなり、また記事化するようなネタもどんどん浮かんできたので、前ほどブログ書くのも苦ではなくなりました。
ではそもそも何故今年の記事本数が少なかったのかというと、単純に仕事が忙しかったからです。このブログでも散々愚痴っていますが、去年まで6人でやっていた作業を今年は自分が責任者で且つ実質2人だけでやる羽目となり、夏場はほぼ毎日土日も休日出勤を続けていました。っていうか休日出勤しながらもブログは書いてたけど。
そのクソ忙しい夏場が終わったらホッとするかと思ったら、何故か同僚が休暇取る日に限って仕事が大量にやってきて、11月中頃なんて今の仕事初めてから確実に一番きつい1週間となるなど、真面目におかしくなるくらい忙しかったです。そのせいか夏場は左手を開くだけで痛くなり、11月に至っては力を入れてなかったら手は半開きとなるのに、何故かダランと全開きとなりだすなどXファイルな案件が連続して出てきました。
もっとも家系なのか仕事自体は嫌いじゃないし、厳しい状況に追い込まれるほど自分も真価を発揮するというかやる気だすようになるので、環境そのものに対して辛いとは思うことはありませんでした。ただ自分が休暇を取ると今の戦線を維持できなくなる可能性がはっきり出てきたことから、上には人員を増員するよう要求しています。
あと個人的に自分の忙しさに拍車をかけているのがJBpressの記事執筆です。前と比べると取材に力を入れた記事を多く書くようになり、この辺でも今年は苦労が増しました。もう少し手を抜けて且つ読まれる記事を用意できればいいのですが、そんなのできるってんなら初めからしてるくらい簡単じゃありません。
ただ自分にとって幸いなのは、四半期ごとに中国自動車業界統計分析記事を出せるってことです。これがあるだけで四半期に一回は楽できるようになっており、こういう四季報的記事をもっと増やせないか考え中です。
来年に関しては増員がある程度決まっているので、今年よりかは確実に仕事面では楽になると予想しています。っていうか今年一番打撃だったのは、増員した新人がすぐ辞めちゃってそのまま繁忙期に突入したという点でしたが。
日本は既に年越しムードでしょうが、自分も中国の春節に慣れたせいか西洋歴の年末年始だとあんま感慨湧きません。とはいえ他の日本人がほぼ全員休んでいる中、明日と明後日も出勤するのはなんかやる気湧かないため、何か仕事を兼ねた遊びでもしていようと検討してます。
なお自分の分は、きっちりすべてドリップパックに注いで飲みました。
話は本題に入ると、12月初めの段階では今年2019年の記事投稿本数は過去最高の2017年の242本を下回りそうだという予想をしましたが、この記事は今年243本目となり、2017年の水準を超えることが確実となりました。自分にとっても割と以外というか、そんなに意識なかったけど12月の巻き返しが割とすごかったと思っています。
何故12月に巻き返せたのかというと、先月11月と比べるとブログ書いてて楽しかったからです。逆を言えば11月はブログ書いてても全く面白くないというか、書くネタや話題もなく、結構無理くりして書いてた覚えがあります。そうした思いが見透かされたのか後輩からは、「最近誤字がやたら多い」とクレームが入り、それからはちょっと意識を変えたというかもう少し真面目に書こうと仕切り直しました。その仕切り直しが功を奏したのか、12月に入ってからは自分で書いてても楽しくなり、また記事化するようなネタもどんどん浮かんできたので、前ほどブログ書くのも苦ではなくなりました。
ではそもそも何故今年の記事本数が少なかったのかというと、単純に仕事が忙しかったからです。このブログでも散々愚痴っていますが、去年まで6人でやっていた作業を今年は自分が責任者で且つ実質2人だけでやる羽目となり、夏場はほぼ毎日土日も休日出勤を続けていました。っていうか休日出勤しながらもブログは書いてたけど。
そのクソ忙しい夏場が終わったらホッとするかと思ったら、何故か同僚が休暇取る日に限って仕事が大量にやってきて、11月中頃なんて今の仕事初めてから確実に一番きつい1週間となるなど、真面目におかしくなるくらい忙しかったです。そのせいか夏場は左手を開くだけで痛くなり、11月に至っては力を入れてなかったら手は半開きとなるのに、何故かダランと全開きとなりだすなどXファイルな案件が連続して出てきました。
もっとも家系なのか仕事自体は嫌いじゃないし、厳しい状況に追い込まれるほど自分も真価を発揮するというかやる気だすようになるので、環境そのものに対して辛いとは思うことはありませんでした。ただ自分が休暇を取ると今の戦線を維持できなくなる可能性がはっきり出てきたことから、上には人員を増員するよう要求しています。
あと個人的に自分の忙しさに拍車をかけているのがJBpressの記事執筆です。前と比べると取材に力を入れた記事を多く書くようになり、この辺でも今年は苦労が増しました。もう少し手を抜けて且つ読まれる記事を用意できればいいのですが、そんなのできるってんなら初めからしてるくらい簡単じゃありません。
ただ自分にとって幸いなのは、四半期ごとに中国自動車業界統計分析記事を出せるってことです。これがあるだけで四半期に一回は楽できるようになっており、こういう四季報的記事をもっと増やせないか考え中です。
来年に関しては増員がある程度決まっているので、今年よりかは確実に仕事面では楽になると予想しています。っていうか今年一番打撃だったのは、増員した新人がすぐ辞めちゃってそのまま繁忙期に突入したという点でしたが。
日本は既に年越しムードでしょうが、自分も中国の春節に慣れたせいか西洋歴の年末年始だとあんま感慨湧きません。とはいえ他の日本人がほぼ全員休んでいる中、明日と明後日も出勤するのはなんかやる気湧かないため、何か仕事を兼ねた遊びでもしていようと検討してます。
2019年12月28日土曜日
中国におけるレクサス販売の独禁法違反について
・中国、トヨタに罰金13.7億円 レクサス販売で独禁法違反(時事通信)
上の記事について意見を求められたので書きます。
概要を簡単に書くと、自動車ブランド「レクサス」についてそのメーカーであるトヨタが中国江蘇省内の販売代理店(ディーラー)に対して、最低販売価格を揃えるよう指示、実質的に最低販売価格をメーカー側が設定したことが独禁法違反に当たるとしてこの度、江蘇省市場監督管理局が約13.7憶円の罰金をトヨタに課したそうです
実際の捜査内容などを見ているわけではないので断言などはできませんが、仮に上記内容が事実であれば監督管理局の措置は至極真っ当と言え、何もおかしいことはありません。ヤフコメでは中国政府の横暴だと批判する連中が多いですが、メーカーによる中間流通業者への価格統制は明白な独禁法違反行為であり、日本にはこれほど世間知らずが多いのかと思うと真面目に未来はないなと思えてきます。まぁそもそも思ってないが。
このほか、現在トヨタ自身が上記措置に対し反論を行っていないことを考えてみても、事実関係には間違いはないのではないかと見ています。
以上だけで記事をまとめてもいいのですが、もう少し内容について掘り下げると中国では近年、自動車業界におけるメーカーとディーラーの立場関係について、市場の独立性及び消費者利益の保護を守るためとして、ディーラー側の立場を保護するようになってきています。その代表例と言えるのが2017年に公布された「自動車販売管理弁法」です。
・【17-009】間もなく施行される中国「自動車販売管理弁法」について(Science Portal China)
この政策では自動車ディーラーに対するメーカー側の支配行為について様々な制限を設けており、個人的に面白かったのは「特約契約の禁止」です。これはどういうことか例えると、トヨタと契約しているディーラーがトヨタ以外の車も販売する行為について、トヨタは制限をかけてはならないとする内容です。
具体的な想定例では、あるホンダ系ディーラーの顧客がトヨタ系の車を欲しいとここに相談した場合、このホンダ系ディーラーがトヨタ系ディーラーと交渉し、契約をまとめて顧客に販売することが可能となります。また単純にそれまでトヨタ系ディーラーだったけど、ホンダ、日産とも契約を締結してこれらのメーカーの車も同時に扱うこともOKで、こうしようとするディーラーの行動についてメーカーが制限をかけたら違反となります。
これが特に響くのは輸入車で、輸入車ディーラーは取り扱いたいと思ったメーカーの車を自由に輸入できることとなります。またメーカーに対しては、こうしたディーラーの要望に対して販売契約締結の審査を平等に行うよう要求されており、多分一番影響がでかかったのはこっち方面だったと思います。
それ以外にもアフターパーツの供給などでも不当な差別はしてはならないなどいろいろ規定されてて、非常に細かいと言えば細かいのですが、メーカーのディーラーに対する垂直支配の激しい自動車業界にこそ必要な内容だろうなと呼んでて思いました。
ちなみになんでこんな詳しいのかっていうと、実はこの弁法は以前に仕事で翻訳したことがあります。今回のトヨタへの制裁はこの弁法が根拠法となっているかまではわかりませんが、中国が自動車メーカーのディーラー支配に対して自由競争保護の立場からいろいろ規制を強めている風潮があるだけに、事件の報を見てすぐにこの弁法を思い出しました。
その上でこの記事を通して言いたいことがあるのですが、そのまま言ったら角が立つことになるので言えません。言わなくてもわかるだろうけど、この方面でもなんか最近○○だなぁと、翻訳した当時に思ったのを覚えています。
上の記事について意見を求められたので書きます。
概要を簡単に書くと、自動車ブランド「レクサス」についてそのメーカーであるトヨタが中国江蘇省内の販売代理店(ディーラー)に対して、最低販売価格を揃えるよう指示、実質的に最低販売価格をメーカー側が設定したことが独禁法違反に当たるとしてこの度、江蘇省市場監督管理局が約13.7憶円の罰金をトヨタに課したそうです
実際の捜査内容などを見ているわけではないので断言などはできませんが、仮に上記内容が事実であれば監督管理局の措置は至極真っ当と言え、何もおかしいことはありません。ヤフコメでは中国政府の横暴だと批判する連中が多いですが、メーカーによる中間流通業者への価格統制は明白な独禁法違反行為であり、日本にはこれほど世間知らずが多いのかと思うと真面目に未来はないなと思えてきます。まぁそもそも思ってないが。
このほか、現在トヨタ自身が上記措置に対し反論を行っていないことを考えてみても、事実関係には間違いはないのではないかと見ています。
以上だけで記事をまとめてもいいのですが、もう少し内容について掘り下げると中国では近年、自動車業界におけるメーカーとディーラーの立場関係について、市場の独立性及び消費者利益の保護を守るためとして、ディーラー側の立場を保護するようになってきています。その代表例と言えるのが2017年に公布された「自動車販売管理弁法」です。
・【17-009】間もなく施行される中国「自動車販売管理弁法」について(Science Portal China)
この政策では自動車ディーラーに対するメーカー側の支配行為について様々な制限を設けており、個人的に面白かったのは「特約契約の禁止」です。これはどういうことか例えると、トヨタと契約しているディーラーがトヨタ以外の車も販売する行為について、トヨタは制限をかけてはならないとする内容です。
具体的な想定例では、あるホンダ系ディーラーの顧客がトヨタ系の車を欲しいとここに相談した場合、このホンダ系ディーラーがトヨタ系ディーラーと交渉し、契約をまとめて顧客に販売することが可能となります。また単純にそれまでトヨタ系ディーラーだったけど、ホンダ、日産とも契約を締結してこれらのメーカーの車も同時に扱うこともOKで、こうしようとするディーラーの行動についてメーカーが制限をかけたら違反となります。
これが特に響くのは輸入車で、輸入車ディーラーは取り扱いたいと思ったメーカーの車を自由に輸入できることとなります。またメーカーに対しては、こうしたディーラーの要望に対して販売契約締結の審査を平等に行うよう要求されており、多分一番影響がでかかったのはこっち方面だったと思います。
それ以外にもアフターパーツの供給などでも不当な差別はしてはならないなどいろいろ規定されてて、非常に細かいと言えば細かいのですが、メーカーのディーラーに対する垂直支配の激しい自動車業界にこそ必要な内容だろうなと呼んでて思いました。
ちなみになんでこんな詳しいのかっていうと、実はこの弁法は以前に仕事で翻訳したことがあります。今回のトヨタへの制裁はこの弁法が根拠法となっているかまではわかりませんが、中国が自動車メーカーのディーラー支配に対して自由競争保護の立場からいろいろ規制を強めている風潮があるだけに、事件の報を見てすぐにこの弁法を思い出しました。
その上でこの記事を通して言いたいことがあるのですが、そのまま言ったら角が立つことになるので言えません。言わなくてもわかるだろうけど、この方面でもなんか最近○○だなぁと、翻訳した当時に思ったのを覚えています。
不登校者に対する第三者という意見
本体半額の上にポイントもつくという二重の割引セールがやっていたので、懐かしいこともあって「機動戦士ガンダム戦記(PS3版)」の漫画四冊をまとめ買いしました。ゲーム版はクソみたいな映画「デビルマン」のようなストーリーで、決してシャレじゃなく全ガンダム関連作品の中でも最低と断言しうるカスみたいなストーリーですが、漫画版は「撃つなラリー!」である意味伝説となった夏元雅人氏が非常に上手く料理しており、原作にあった数々の矛盾点をうまく整合させて見応えがありました。
なお夏元雅人氏は最近、「ガンバード2」という彼がキャラデザした彩京のシューティングばかりしていることもあって、その絵柄には親近感を覚えます。ただそれ以外にも、ガンダム系の漫画って割と元アニメーターなどの作家が描くこともあり、コマ割が悪くちゃんとMSが動いているように見えない、静止画の連続の様な漫画を描いてくることが多い中、夏元雅人氏はちゃんと動いているように描く上、ミリタリー色のある画風もあって評価できます。
逆にこの方面でひどいと感じたのは美樹本晴彦氏で、「エコール・デュ・シュエル」読んだ時はこの人、漫画なめてんじゃないのかと本気で思いました。
・不登校にも効果!子育てに不可欠「第三者」の力(JBpress)
話は本題ですが、自分が書いたわけじゃないものの上の篠原信氏の記事は非常に納得感がありました。概要を簡単に説明すると、今と昔の日本における青少年の大きな環境の違いは「無関係な第三者」がいるかいないかだと指摘し、この第三者をきちんと取り巻くことが不登校者の復帰などにも大きいと指摘しています。
この無関係な第三者とは具体的には、近所のおじさんとかよく通う商店の人々などです。面白いのは友人の両親とか学校の先生などが含まれていない点で、必ずしも必要ではない生活活動の中で会う大人たちを指しています。実際に篠原氏もこうした「第三者」となって不登校などで悩む青少年を自宅にいれ、何もしないでいることがあるそうで、こうした行為の意味と効果について強く語っています。
実際というか昔と今とで無関係のおっさんが地元の小学生らに注意することは少なくなってるでしょう。またよく通うお店の大人たちとどれだけ会話があるかと言ったら、恐らく私がこどまった時代でもそれ以前の時代と比べれば非常に少なくなっていた気がし、今の時代はそれ以上にさらに少なくなってきている気がします。
ちなみに私は何故かこの方面の関係づくりは割と得意で、この前も年に4回行くか行かないかの仲良しの床屋にわざわざ中国土産のお茶を持っていきました
篠原氏はこうした第三者の接触が何故重要なのかという理由について、大人になったら否が応でもそうした第三者たちと数多く交わらざるを得ないためと書いており、これに関して私も同感します。私自身が思うこととしては、第三者の中でも頼るべき人、頼らざるべき人の見極めが子供の頃はまだ不十分で、こうした感覚が養われるにつれてどういった第三者と付き合っていくか立ち回り方を覚えて行った気がします。逆を言えば、こうした感覚が養われていない若者などは第三者すべてに対し交流を避けるところが見えます。
で、また繰り返しになりますが、篠原氏の言う通りに無関係だからこそ乗れる相談て言うのは実際多いでしょう。医者やカウンセラーなどの専門家はその専門的立場からアドバイスをしてくれますが、結局それは問題を直視する方向にしかならず、問題を避ける、さばく方向には発展しづらいです。無関係且つ全く別の視野を見せてくれるような第三者であれば、家族以上にある意味そういう方向のアドバイスが可能だと言え、篠原氏の言う通りに第三者がより介在する社会の方が私は健全だという気がします。
もっとも、今後を含めてそんな風にならないと信じ切っているからこんな風に書くわけです。日本の社会性はプライバシーやセクハラパワハラの概念がもはや一線を越えており、実質的には第三者との交流は避ける方がリスクが少ない時代となっています。先日も同僚と、拳骨一つ加えただけでクビが飛ぶ時代にあっては、我々旧人類はそっとその姿を潜ます以外にないなどと、ファンタジーの少数種族みたいな会話をしていました。
なお余談ですが、私の中学の教師は教科書を忘れた生徒に毎回拳骨一発を食らわせており、この行為に対して私は自らに責があるとわかっており特に不満などは感じませんでした。ただ一回殴られた後、「お前、頭固いな(;´・ω・)」と、妙な誉められ方されたのは素直には喜べませんでした。
なお夏元雅人氏は最近、「ガンバード2」という彼がキャラデザした彩京のシューティングばかりしていることもあって、その絵柄には親近感を覚えます。ただそれ以外にも、ガンダム系の漫画って割と元アニメーターなどの作家が描くこともあり、コマ割が悪くちゃんとMSが動いているように見えない、静止画の連続の様な漫画を描いてくることが多い中、夏元雅人氏はちゃんと動いているように描く上、ミリタリー色のある画風もあって評価できます。
逆にこの方面でひどいと感じたのは美樹本晴彦氏で、「エコール・デュ・シュエル」読んだ時はこの人、漫画なめてんじゃないのかと本気で思いました。
・不登校にも効果!子育てに不可欠「第三者」の力(JBpress)
話は本題ですが、自分が書いたわけじゃないものの上の篠原信氏の記事は非常に納得感がありました。概要を簡単に説明すると、今と昔の日本における青少年の大きな環境の違いは「無関係な第三者」がいるかいないかだと指摘し、この第三者をきちんと取り巻くことが不登校者の復帰などにも大きいと指摘しています。
この無関係な第三者とは具体的には、近所のおじさんとかよく通う商店の人々などです。面白いのは友人の両親とか学校の先生などが含まれていない点で、必ずしも必要ではない生活活動の中で会う大人たちを指しています。実際に篠原氏もこうした「第三者」となって不登校などで悩む青少年を自宅にいれ、何もしないでいることがあるそうで、こうした行為の意味と効果について強く語っています。
実際というか昔と今とで無関係のおっさんが地元の小学生らに注意することは少なくなってるでしょう。またよく通うお店の大人たちとどれだけ会話があるかと言ったら、恐らく私がこどまった時代でもそれ以前の時代と比べれば非常に少なくなっていた気がし、今の時代はそれ以上にさらに少なくなってきている気がします。
ちなみに私は何故かこの方面の関係づくりは割と得意で、この前も年に4回行くか行かないかの仲良しの床屋にわざわざ中国土産のお茶を持っていきました
篠原氏はこうした第三者の接触が何故重要なのかという理由について、大人になったら否が応でもそうした第三者たちと数多く交わらざるを得ないためと書いており、これに関して私も同感します。私自身が思うこととしては、第三者の中でも頼るべき人、頼らざるべき人の見極めが子供の頃はまだ不十分で、こうした感覚が養われるにつれてどういった第三者と付き合っていくか立ち回り方を覚えて行った気がします。逆を言えば、こうした感覚が養われていない若者などは第三者すべてに対し交流を避けるところが見えます。
で、また繰り返しになりますが、篠原氏の言う通りに無関係だからこそ乗れる相談て言うのは実際多いでしょう。医者やカウンセラーなどの専門家はその専門的立場からアドバイスをしてくれますが、結局それは問題を直視する方向にしかならず、問題を避ける、さばく方向には発展しづらいです。無関係且つ全く別の視野を見せてくれるような第三者であれば、家族以上にある意味そういう方向のアドバイスが可能だと言え、篠原氏の言う通りに第三者がより介在する社会の方が私は健全だという気がします。
もっとも、今後を含めてそんな風にならないと信じ切っているからこんな風に書くわけです。日本の社会性はプライバシーやセクハラパワハラの概念がもはや一線を越えており、実質的には第三者との交流は避ける方がリスクが少ない時代となっています。先日も同僚と、拳骨一つ加えただけでクビが飛ぶ時代にあっては、我々旧人類はそっとその姿を潜ます以外にないなどと、ファンタジーの少数種族みたいな会話をしていました。
なお余談ですが、私の中学の教師は教科書を忘れた生徒に毎回拳骨一発を食らわせており、この行為に対して私は自らに責があるとわかっており特に不満などは感じませんでした。ただ一回殴られた後、「お前、頭固いな(;´・ω・)」と、妙な誉められ方されたのは素直には喜べませんでした。
2019年12月27日金曜日
小野小町は誰なのか?
今更ながら「ファイアパンチ」の全巻を買って読みましたが、現在連載中の「チェンソーマン」を読んでても思ってたものの、一読して作者の藤本タツキ氏はやばいな、ほっとくと手が付けられなくなるくらい成長すると率直に思いました。
さて話は本題ですが、最近歴史記事を書いてないから日本史十大ミステリー~偽りの黒真珠~みたいな企画でも立てようとあれこれ日本史のミステリー案件を考えてましたが、浮かんだものの中で、本能寺の明智光秀動機などと違ってそこそこ著名ではあるものの意外とみんなが意識してないなと思うものとして、「小野小町は一体誰なのか?」説が私の中でピンときました。
百人一首の「花の色は~」で始まる日本三十六歌仙の一人で、且つ現代でも美人の代名詞とされる小野小町ですが、知ってる人には早いものの、その実在性というか人物の正体については実はほとんどわかっていません。小野姓であることから彼女が生きたとされる同時代の「わたのはら~」でおなじみな参議篁こと小野篁(おののたかむら)の孫、若しくは娘、はたまた姪などと推察されていますが、はっきり言ってどれも根拠がなく、小野姓だからと言って篁の肉親と決めつけるのはさすがにこじつけもいいところでしょう。
それほどまでに知名度が高いながらその一生はミステリーに包まれていることから、能の「卒塔婆小町」のように醜く年老いて悲劇的な最期を遂げるような創作もなされたりしちゃっています。それだけに実在性にすらも疑念の余地がありますが、少なくとも「小野小町とされる女性」が存在したことは確実だといえます。
その根拠はというと、小町作とする和歌が大量に残されているからです。またこれらの和歌には在原業平など確実に存在していたとされる人物と贈答した和歌も含まれており、こうした和歌が残されていることからすると、小町と呼ばれる歌人は確実に存在していたと言ってもいいでしょう。
となる次の問題は小町は誰かではなく、逆説的ですが小町の歌を詠んだのは誰なのかということになってきます。時代的には9世紀中盤で、女性で、相当な実力を持った女流歌人ということになりますが、このうち女性という性別に関しては紀貫之の例もあるだけに、もしかしたら男流(おとこりゅう)歌人が女性の振りして詠んだという可能性を捨てるにはまだ早いでしょう。まぁそうだとしたら、在原業平はおっさん同士で和歌を贈答し合ったことになるが。いや別にこの時代なら珍しくはないけど。
自分は和歌に関しては全く教養がないものの、小町の例の百人一首の和歌は実は百人一首の中で一番好きで、実際にこの和歌は人気ソングだと聞きます。それほどまで評価の高い和歌を詠んだ人物についてこれほどまで全く実態が掴めないというのは不思議なのですが、当時の女性の地位的にはこんなものなのかもしれません。
ただどちらにしろ、ある意味日本史中で最も謎に包まれた女性と言っても過言ではないでしょう。今後の研究でその正体に迫れるかと言ったら正直あまり希望はないですが、もう少しこの方面の議論は高まってもいい気がします。
さて話は本題ですが、最近歴史記事を書いてないから日本史十大ミステリー~偽りの黒真珠~みたいな企画でも立てようとあれこれ日本史のミステリー案件を考えてましたが、浮かんだものの中で、本能寺の明智光秀動機などと違ってそこそこ著名ではあるものの意外とみんなが意識してないなと思うものとして、「小野小町は一体誰なのか?」説が私の中でピンときました。
百人一首の「花の色は~」で始まる日本三十六歌仙の一人で、且つ現代でも美人の代名詞とされる小野小町ですが、知ってる人には早いものの、その実在性というか人物の正体については実はほとんどわかっていません。小野姓であることから彼女が生きたとされる同時代の「わたのはら~」でおなじみな参議篁こと小野篁(おののたかむら)の孫、若しくは娘、はたまた姪などと推察されていますが、はっきり言ってどれも根拠がなく、小野姓だからと言って篁の肉親と決めつけるのはさすがにこじつけもいいところでしょう。
それほどまでに知名度が高いながらその一生はミステリーに包まれていることから、能の「卒塔婆小町」のように醜く年老いて悲劇的な最期を遂げるような創作もなされたりしちゃっています。それだけに実在性にすらも疑念の余地がありますが、少なくとも「小野小町とされる女性」が存在したことは確実だといえます。
その根拠はというと、小町作とする和歌が大量に残されているからです。またこれらの和歌には在原業平など確実に存在していたとされる人物と贈答した和歌も含まれており、こうした和歌が残されていることからすると、小町と呼ばれる歌人は確実に存在していたと言ってもいいでしょう。
となる次の問題は小町は誰かではなく、逆説的ですが小町の歌を詠んだのは誰なのかということになってきます。時代的には9世紀中盤で、女性で、相当な実力を持った女流歌人ということになりますが、このうち女性という性別に関しては紀貫之の例もあるだけに、もしかしたら男流(おとこりゅう)歌人が女性の振りして詠んだという可能性を捨てるにはまだ早いでしょう。まぁそうだとしたら、在原業平はおっさん同士で和歌を贈答し合ったことになるが。いや別にこの時代なら珍しくはないけど。
自分は和歌に関しては全く教養がないものの、小町の例の百人一首の和歌は実は百人一首の中で一番好きで、実際にこの和歌は人気ソングだと聞きます。それほどまで評価の高い和歌を詠んだ人物についてこれほどまで全く実態が掴めないというのは不思議なのですが、当時の女性の地位的にはこんなものなのかもしれません。
ただどちらにしろ、ある意味日本史中で最も謎に包まれた女性と言っても過言ではないでしょう。今後の研究でその正体に迫れるかと言ったら正直あまり希望はないですが、もう少しこの方面の議論は高まってもいい気がします。
2019年12月26日木曜日
弱気となる世論
どうでもいいですが以前「アクシズの脅威」というゲームでうかつに敵支配地域に攻め込んだら、思ったより部隊揃えてこられて思わぬ反撃に遭い、「ここは俺に任せて早く逃げろ」的にGP-03デンドロビウムに乗ったレビル将軍が拠点に陣取り、迫りくる敵軍相手にひたすらMAP兵器撃ちまくった記憶が何故か離れません。まぁすぐ落とされて病院送りされたけど。
話は本題ですが、以前私はこのブログで日本人の中国に対する見方が「嘲り」から「恐怖」に変わりつつあると書きましたが、今はもはや「諦観」に近くなっているような気がします。もっとも中国にいる人間だったら、十年くらい前の時点でこの境地に至っていたかもしれませんが。
また中国に対する見方だけでなくても、経済や政治、文化に対する見方もすっかり意気消沈している感があります。例えば音楽曲の年間トップ20などについて、私同様に「どの曲も知らない」と書く人が多く、単純に売れる歌がないというのか、誰も記憶に残る歌が出てこないというのか、かえって判断の難しい状況のように見えます。
景気のいい話と言ったらZOZOの元社長の成金行動くらいな気がしますが、あれは私から見るとなんか必死感があり過ぎて逆に笑えません。なんとなくですが、ああいう行動しないともう生活できないというような追い詰められたようにも見え、下手な気持ちからではなく無理しないでいいよと誰か声かけた方がいいのではと思ってます。
ではそもそも何故、日本全体でこんなにも世論が消沈しているのか。一発目に浮かぶものとしては「貧しくなったから」がトップに来るでしょうが、昭和の日本は今よりずっと貧しくても社会の空気はもっと明るかっただろうし、中国も2000年代はそんな昭和の日本でした。
次に来るのは「成長しなくなったから」でこれには確かに納得できる部分もありますが、一方で「成長しているところ」には日本人はあまり目を向けず、そちらへ進出してやろうという意気込みが感じられず、何か別に根本的な理由があるのではないかと思えてきます。
結論から言うと、地味に弱っているのは日本人の意思ではなく、その意思を報じる連中が弱っているからではないかと、密かに考えています。はっきり言えばマスコミが自分自身の勢いの衰えをはっきり自認してきたから、伝える世論やニュースも後ろ向きなのばかりやるようになってきたのではないかと実は少し考えています。
先日友人から「これは面白い」と言われて「2050年のメディア」という本を紹介され、「高いからまた今度ね」とスルーして、ようやく年末セールに入ったので先週購入しましたが、この本であのナベツネですら「もうあかん」的なこと言いだした辺り、確かにやばいんだなという実感が私にも湧いてきました。
・朝日新聞、「本業」の不動産が利益の8割まで上昇 リストラと非正規社員の活用で高収益 2019年3月期(ダイアログニュース)
上のような記事にも出ている通り、現代の日本のメディア業は基本不動産なしでは成立しないところまできています。それにしても稼いでこないメディア事業部社員の給与が高いことが、この記事で一番笑える箇所です。
こういう点を考えると、メディアが実質国営・公営で、どんだけ状況悪くても強気なニュースしか流さない中国はそりゃ世論も明るくなるよなという気がします。無論それはそれで別の問題を孕んでくるわけですが、なんとなく日本人のやる気を奪っているのは、実はほかならぬメディアじゃないのか、なんでかっていうと彼ら自身がものすごい後ろ向きになりつつあるからというのが今日の言いたかったことです。
何も考えてなくても、こうやって記事にできるいい例になりそうだこの記事。半分まで書いたところで「2050年のメディア」について触れようと思いついたくらいだし。
話は本題ですが、以前私はこのブログで日本人の中国に対する見方が「嘲り」から「恐怖」に変わりつつあると書きましたが、今はもはや「諦観」に近くなっているような気がします。もっとも中国にいる人間だったら、十年くらい前の時点でこの境地に至っていたかもしれませんが。
また中国に対する見方だけでなくても、経済や政治、文化に対する見方もすっかり意気消沈している感があります。例えば音楽曲の年間トップ20などについて、私同様に「どの曲も知らない」と書く人が多く、単純に売れる歌がないというのか、誰も記憶に残る歌が出てこないというのか、かえって判断の難しい状況のように見えます。
景気のいい話と言ったらZOZOの元社長の成金行動くらいな気がしますが、あれは私から見るとなんか必死感があり過ぎて逆に笑えません。なんとなくですが、ああいう行動しないともう生活できないというような追い詰められたようにも見え、下手な気持ちからではなく無理しないでいいよと誰か声かけた方がいいのではと思ってます。
ではそもそも何故、日本全体でこんなにも世論が消沈しているのか。一発目に浮かぶものとしては「貧しくなったから」がトップに来るでしょうが、昭和の日本は今よりずっと貧しくても社会の空気はもっと明るかっただろうし、中国も2000年代はそんな昭和の日本でした。
次に来るのは「成長しなくなったから」でこれには確かに納得できる部分もありますが、一方で「成長しているところ」には日本人はあまり目を向けず、そちらへ進出してやろうという意気込みが感じられず、何か別に根本的な理由があるのではないかと思えてきます。
結論から言うと、地味に弱っているのは日本人の意思ではなく、その意思を報じる連中が弱っているからではないかと、密かに考えています。はっきり言えばマスコミが自分自身の勢いの衰えをはっきり自認してきたから、伝える世論やニュースも後ろ向きなのばかりやるようになってきたのではないかと実は少し考えています。
先日友人から「これは面白い」と言われて「2050年のメディア」という本を紹介され、「高いからまた今度ね」とスルーして、ようやく年末セールに入ったので先週購入しましたが、この本であのナベツネですら「もうあかん」的なこと言いだした辺り、確かにやばいんだなという実感が私にも湧いてきました。
・朝日新聞、「本業」の不動産が利益の8割まで上昇 リストラと非正規社員の活用で高収益 2019年3月期(ダイアログニュース)
上のような記事にも出ている通り、現代の日本のメディア業は基本不動産なしでは成立しないところまできています。それにしても稼いでこないメディア事業部社員の給与が高いことが、この記事で一番笑える箇所です。
こういう点を考えると、メディアが実質国営・公営で、どんだけ状況悪くても強気なニュースしか流さない中国はそりゃ世論も明るくなるよなという気がします。無論それはそれで別の問題を孕んでくるわけですが、なんとなく日本人のやる気を奪っているのは、実はほかならぬメディアじゃないのか、なんでかっていうと彼ら自身がものすごい後ろ向きになりつつあるからというのが今日の言いたかったことです。
何も考えてなくても、こうやって記事にできるいい例になりそうだこの記事。半分まで書いたところで「2050年のメディア」について触れようと思いついたくらいだし。
夜なべした和牛記事
・18年ぶりに輸入解禁、中国で和牛の実力は火を噴くか(JBpress)
っていうわけで今日、正確には日本時間で昨日配信されたのが上の記事です。本当はこのブログ記事も早く書く予定でしたが、Steamのゲームで遊んでて今頃書いています。
この記事は本来、来年一発目用の記事として準備していました。構想を立てたのは先週土曜、たまたま昼飯に寄った日本食屋で別の日本人が仲間に、「中国ではあまり牛肉はメジャーじゃない」というような会話を耳にして、十分記事ネタとして通用すると考えたことがきっかけでした。
早速、年末とあって次回分の締め切りが早く設定されていたことから翌日曜日にはリサーチ、執筆を始めたのですが、自動車や家電などと比べると牛肉関連のデータはあまり調査、公開されておらず、思っていた以上にリサーチで苦労しました。特に日本のデータは経済産業省、農水省で消費量から輸入量までバラバラで、正直あまり信用できないデータもあって思い切って切り捨てました。
特に一番疑問に感じたのは、日本人の一人当たり年間牛肉消費量を約6kgとするデータを多く見ましたが、中国ですら約5.2kgであることを考慮すると、やや少なすぎるような気がします。こんな具合で、意外と市場調査のなってない分野だと今回気が付きました。
そんなこんだで日曜夜までずっと記事書いて、次の月曜に見直して提出すればいいと思って朝を迎えたら、その月曜に中国が日本国産牛肉の輸入解禁を発表したことでひっくり返りました。
それまでの想定では解禁は来年になると各所で見込まれていたことから、私の記事でもそのように書いた上で、どちらかと言えばマクロデータ中心の記事としてまとめていました。そしたらいきなり解禁されてしまったので、こりゃヤバイと思って内容を書き換えるとともに、時期を合わせた方がいいと考えて編集部に連絡を取り、繰り上げて掲載することとしました。
書き直した内容としては、マクロ中心からミクロ意見も取り入れて、あと解禁ニュースに合わせて出てきた追加のマクロデータも加えました。上記の通り牛肉消費関連のデータはあまり公開されておらず、また信用度も低いデータも少なくないだけに、比較的確実なデータを記事内でうまくまとめられたかと思っています。
ただこの記事、経済記事としては比較的よくまとまっているものの、内容が地味故かアクセスはあまり良くなかったです。この点は私も想定していたとはいえ、業界関係者にうまく届いてくれればいいと願いながら出しています。果たして届いてくれただろうか。
っていうわけで今日、正確には日本時間で昨日配信されたのが上の記事です。本当はこのブログ記事も早く書く予定でしたが、Steamのゲームで遊んでて今頃書いています。
この記事は本来、来年一発目用の記事として準備していました。構想を立てたのは先週土曜、たまたま昼飯に寄った日本食屋で別の日本人が仲間に、「中国ではあまり牛肉はメジャーじゃない」というような会話を耳にして、十分記事ネタとして通用すると考えたことがきっかけでした。
早速、年末とあって次回分の締め切りが早く設定されていたことから翌日曜日にはリサーチ、執筆を始めたのですが、自動車や家電などと比べると牛肉関連のデータはあまり調査、公開されておらず、思っていた以上にリサーチで苦労しました。特に日本のデータは経済産業省、農水省で消費量から輸入量までバラバラで、正直あまり信用できないデータもあって思い切って切り捨てました。
特に一番疑問に感じたのは、日本人の一人当たり年間牛肉消費量を約6kgとするデータを多く見ましたが、中国ですら約5.2kgであることを考慮すると、やや少なすぎるような気がします。こんな具合で、意外と市場調査のなってない分野だと今回気が付きました。
そんなこんだで日曜夜までずっと記事書いて、次の月曜に見直して提出すればいいと思って朝を迎えたら、その月曜に中国が日本国産牛肉の輸入解禁を発表したことでひっくり返りました。
それまでの想定では解禁は来年になると各所で見込まれていたことから、私の記事でもそのように書いた上で、どちらかと言えばマクロデータ中心の記事としてまとめていました。そしたらいきなり解禁されてしまったので、こりゃヤバイと思って内容を書き換えるとともに、時期を合わせた方がいいと考えて編集部に連絡を取り、繰り上げて掲載することとしました。
書き直した内容としては、マクロ中心からミクロ意見も取り入れて、あと解禁ニュースに合わせて出てきた追加のマクロデータも加えました。上記の通り牛肉消費関連のデータはあまり公開されておらず、また信用度も低いデータも少なくないだけに、比較的確実なデータを記事内でうまくまとめられたかと思っています。
ただこの記事、経済記事としては比較的よくまとまっているものの、内容が地味故かアクセスはあまり良くなかったです。この点は私も想定していたとはいえ、業界関係者にうまく届いてくれればいいと願いながら出しています。果たして届いてくれただろうか。
2019年12月24日火曜日
忘年会議論について
・ネットに蔓延する怪しい海外ニュースの見分け方(JBpress)
昨日配信された自分の記事ですが、昨夜は忙しすぎてとても紹介する暇がありませんでした。っていうかキーボードの叩き過ぎなのか右肩が本当に上がらず、上げようとしたらマジ痛い(´・ω・`)
記事自体も書いててそれなりに楽しかったけど、想定通りではある者のあまり評判は良くありませんでした。ただ今後どっかで何かがきっかけで検索には引っかかるとは思うんだけどね。
・中国では10年前から当たり前「忘年会スルー」(JBpress)
でもってこちらは近藤氏の今日配信された記事です。記事内容の通り中国では会社ぐるみの忘年会はそんな多くないものの、一点だけ補足すると中国人は大勢集まってわいわい騒ぐこと自体は嫌ってはいません。もっとも、地方と都市部でこの考えには差がありますが。
今日この記事を引用したのは何故かというと、未だに日本で忘年会に出る、出ないの議論があることに強い違和感を感じたからです。出たくなきゃ出なきゃいいだけじゃねーかと私は思うのですが、それでも世間体とか、あと出席させようとする上司が多いとかいろいろあって「忘年会スルー」という言葉が出来たようですが、はっきり言えばこの手の風習自体がもはや滑稽です。
いろいろ言いたいことあるけどマジで右肩やばくなってきたので一気にまとめると、若手が忘年会に出たがらないというのは少なからず、年配層と距離感を強く感じている、いうなれば話が合わないと思ってるし親近感が持たれていないということです。なので今後参加してもらうには、普段からこの距離感を縮めることが大事だし、それ以前に距離置かれるほど嫌われてるのだから忘年会うんぬんよりそっちをどうにかすることをまず先に考えろよと言いたいです。
それでも敢えてこの距離感の問題から目を背けて忘年会に参加させたいってんなら、仲が良く上下のない取引先などとの合同忘年会などにして、若手は若手、年配は年配で他社間交流の場の様にすればいいのではないかと思います。若干合コン入ってもいいし、こういう会の方が有意義でいいと思います。
さて、肩痛いけどゲームするか。
昨日配信された自分の記事ですが、昨夜は忙しすぎてとても紹介する暇がありませんでした。っていうかキーボードの叩き過ぎなのか右肩が本当に上がらず、上げようとしたらマジ痛い(´・ω・`)
記事自体も書いててそれなりに楽しかったけど、想定通りではある者のあまり評判は良くありませんでした。ただ今後どっかで何かがきっかけで検索には引っかかるとは思うんだけどね。
・中国では10年前から当たり前「忘年会スルー」(JBpress)
でもってこちらは近藤氏の今日配信された記事です。記事内容の通り中国では会社ぐるみの忘年会はそんな多くないものの、一点だけ補足すると中国人は大勢集まってわいわい騒ぐこと自体は嫌ってはいません。もっとも、地方と都市部でこの考えには差がありますが。
今日この記事を引用したのは何故かというと、未だに日本で忘年会に出る、出ないの議論があることに強い違和感を感じたからです。出たくなきゃ出なきゃいいだけじゃねーかと私は思うのですが、それでも世間体とか、あと出席させようとする上司が多いとかいろいろあって「忘年会スルー」という言葉が出来たようですが、はっきり言えばこの手の風習自体がもはや滑稽です。
いろいろ言いたいことあるけどマジで右肩やばくなってきたので一気にまとめると、若手が忘年会に出たがらないというのは少なからず、年配層と距離感を強く感じている、いうなれば話が合わないと思ってるし親近感が持たれていないということです。なので今後参加してもらうには、普段からこの距離感を縮めることが大事だし、それ以前に距離置かれるほど嫌われてるのだから忘年会うんぬんよりそっちをどうにかすることをまず先に考えろよと言いたいです。
それでも敢えてこの距離感の問題から目を背けて忘年会に参加させたいってんなら、仲が良く上下のない取引先などとの合同忘年会などにして、若手は若手、年配は年配で他社間交流の場の様にすればいいのではないかと思います。若干合コン入ってもいいし、こういう会の方が有意義でいいと思います。
さて、肩痛いけどゲームするか。
2019年12月22日日曜日
ベヨネッタとニンジャガ
昨夜アクションゲーム「ベヨネッタ」のSwitch版を、途中までノーマル、後半だけイージーモードでクリアしました。感想は、「買わなきゃよかった」と後悔する出来でした。しかも2も既に買ってるだけに後悔後先に立たずです。
そもそもなんでこのゲームを買ったのかというと、アクションゲームの傑作として評価されていたからです。しかし実際にプレイしてみたところ不満点が非常に多く、なんでこのゲームが傑作扱いされるのか非常に疑問に感じたため今こうやって記事書いています。
まずアクションについては、確かにウリとしているだけあってつまらなくはないです。しかしこのゲームの場合、相手の攻撃を直前でよけることで相手の動作が止まり、こちらが一方的に攻撃を仕掛けられる(ウィッチタイム)ようになるのですが、こうした状況を利用することを前提に作られていることが非常に不満でした。具体的に言えば、相手が攻撃してくるのを待って、それを敢えて避けることが非常に重要であり、そのため戦闘では基本「受け身」にならざるを得ません。
もちろん他のアクションゲームでも相手の攻撃を見切って、攻撃後の隙を一気に叩くというプレイは珍しくありません。しかしベヨネッタの場合、全編にわたってそれが求められ、体力が少なかったら素早い相手に対しこちらから先制的に仕掛けて倒すといったプレイがしづらくなっています。また複数の敵に囲まれると上記のような状況を作らない限りはまともに攻撃できず、最初にともかく避ける、それから殴るというのが非常に強制されます。いわば、戦闘における戦術の幅が非常に狭いです。
それでも上記の点はそういうゲームデザインだと思って割り切ることはできます。ただどうしても私が割り切れなかったのはこのゲームのストーリー、ひどすぎるというか感性が一体どれくらい古いんだと非常に不満に感じました。
実際、プレイしていてもちんぷんかんぷん意味わからずで、そもそもなんで天使どもに一方的に攻撃されなきゃいけないのか、でもってなんでこっちは天使を一方的に殴り続けなきゃいけないのか、あと悪魔がなんで味方になってやってこないのかと、この点一つとっても不満この上ありません。
そうした背景をゲームの合間のストーリームービーで説明しようという意思は感じるのですが、とにもかくにも見せ方が下手で、感覚的にはゲームの合間にクソみたいなサメ映画を無理やり見させられているような感じでした。黒幕にしたって如何にも過ぎる展開で、もうちょっとひねろうとはだれも思わなかったのか、その登場シーンを見て「ああ、やっぱり……」みたいな感じでげんなりしました。
こんな具合で非常に不満が高く、正直このゲームが売れたのは主人公のビジュアルが良かっただけなんじゃないかと本気で疑っています。敵キャラの天使のデザインにしても、統一しているように見せかけて実は統一感がなく、意匠の美は私には感じられません。また発売自体がやや古いこともあって、当時流行っていた悪名高きQTE(クイックタイムイベント)が豊富に用意されており、クソみたいなサメ映画のようなムービーをスキップ出来ず無理やり見させられ、ほぼ初見殺しなコマンド入力が求められで、このゲームを評価してた人には本気でもっといいゲームがあることを紹介したいです。
その場合、仮に紹介するとしたら私の中では「ニンジャガ」こと「ニンジャガイデン」です。正確には私がプレイしたのはPS3版の「ニンジャガイデン∑1、2」ですが、未だにこのゲームを我ながらよくクリアできたものだと今でも思います。というのもこのゲーム、非常に難しいことで有名で、あまりの難しさにある人がクレームを入れたら「練習してください」と言い切られたこともある曰く付きのゲームです。
実際に私もご多分に漏れず非常に苦労したのですが、プレイしていくうちに自然に上達していき、途中進行ルートで迷うところがあることは不満であったものの、ことアクションに関してはどんどんうまくなって、どんどん見栄えが良くなり、非常に難しかったけどノーマルで一応全クリは達成できました。
特にアクションに関しては使用武器が豊富にあり、状況や相手によって使い分ける楽しさもあれば、受け身中心で戦う敵もいれば、率先して切りかかりすぐに距離を話す一撃離脱が重要な敵もおり、そうした戦術の使い方も楽しかったのを覚えています。
もっとも中盤のボスの「アルマ重鬼卿」と初めてかちあった時は、何もわからないまま一瞬で殺され、どうすればいいのか軽く絶望しましたが。
またストーリー(1)に関しても非常に単純明快で、
忍の里を襲ったやつらをぶっ殺しに行く
↓
ついでに復活した魔神もぶっ殺す
↓
最後唐突に出てきたおっさんもついでにぶっ殺す
という、これ以上説明の必要がないくらい凄いわかりやすさで、アクションゲームに余計な裏設定とか因縁は不要であるというのをまざまざと見せつけてくれました。なお最後に出てくるラスボスのおっさんに至っては、実は1面に出て来た時の方が強いというシュールな設定のされ方がされてあって、最後倒した後はあまりの歯応えのなさに「え、なんなんこいつ(゚Д゚;)」と唖然としたのを覚えています。
ちなみにこのおっさんに限らなくても、実はこのゲームは1面が最も難しいという変な難易度設定になってます。まぁその分、1面で大分鍛えられるというのはあるけど。
こんな感じで似たような3Dアクションゲームとしてみた場合、ニンジャガの方がベヨネッタよりはるかに上を行くと私は感じます。もっとも私は遊んでないけど、続編の「ニンジャガ3」はひどい出来だったと酷評されていますが。
そもそもなんでこのゲームを買ったのかというと、アクションゲームの傑作として評価されていたからです。しかし実際にプレイしてみたところ不満点が非常に多く、なんでこのゲームが傑作扱いされるのか非常に疑問に感じたため今こうやって記事書いています。
まずアクションについては、確かにウリとしているだけあってつまらなくはないです。しかしこのゲームの場合、相手の攻撃を直前でよけることで相手の動作が止まり、こちらが一方的に攻撃を仕掛けられる(ウィッチタイム)ようになるのですが、こうした状況を利用することを前提に作られていることが非常に不満でした。具体的に言えば、相手が攻撃してくるのを待って、それを敢えて避けることが非常に重要であり、そのため戦闘では基本「受け身」にならざるを得ません。
もちろん他のアクションゲームでも相手の攻撃を見切って、攻撃後の隙を一気に叩くというプレイは珍しくありません。しかしベヨネッタの場合、全編にわたってそれが求められ、体力が少なかったら素早い相手に対しこちらから先制的に仕掛けて倒すといったプレイがしづらくなっています。また複数の敵に囲まれると上記のような状況を作らない限りはまともに攻撃できず、最初にともかく避ける、それから殴るというのが非常に強制されます。いわば、戦闘における戦術の幅が非常に狭いです。
それでも上記の点はそういうゲームデザインだと思って割り切ることはできます。ただどうしても私が割り切れなかったのはこのゲームのストーリー、ひどすぎるというか感性が一体どれくらい古いんだと非常に不満に感じました。
実際、プレイしていてもちんぷんかんぷん意味わからずで、そもそもなんで天使どもに一方的に攻撃されなきゃいけないのか、でもってなんでこっちは天使を一方的に殴り続けなきゃいけないのか、あと悪魔がなんで味方になってやってこないのかと、この点一つとっても不満この上ありません。
そうした背景をゲームの合間のストーリームービーで説明しようという意思は感じるのですが、とにもかくにも見せ方が下手で、感覚的にはゲームの合間にクソみたいなサメ映画を無理やり見させられているような感じでした。黒幕にしたって如何にも過ぎる展開で、もうちょっとひねろうとはだれも思わなかったのか、その登場シーンを見て「ああ、やっぱり……」みたいな感じでげんなりしました。
こんな具合で非常に不満が高く、正直このゲームが売れたのは主人公のビジュアルが良かっただけなんじゃないかと本気で疑っています。敵キャラの天使のデザインにしても、統一しているように見せかけて実は統一感がなく、意匠の美は私には感じられません。また発売自体がやや古いこともあって、当時流行っていた悪名高きQTE(クイックタイムイベント)が豊富に用意されており、クソみたいなサメ映画のようなムービーをスキップ出来ず無理やり見させられ、ほぼ初見殺しなコマンド入力が求められで、このゲームを評価してた人には本気でもっといいゲームがあることを紹介したいです。
その場合、仮に紹介するとしたら私の中では「ニンジャガ」こと「ニンジャガイデン」です。正確には私がプレイしたのはPS3版の「ニンジャガイデン∑1、2」ですが、未だにこのゲームを我ながらよくクリアできたものだと今でも思います。というのもこのゲーム、非常に難しいことで有名で、あまりの難しさにある人がクレームを入れたら「練習してください」と言い切られたこともある曰く付きのゲームです。
実際に私もご多分に漏れず非常に苦労したのですが、プレイしていくうちに自然に上達していき、途中進行ルートで迷うところがあることは不満であったものの、ことアクションに関してはどんどんうまくなって、どんどん見栄えが良くなり、非常に難しかったけどノーマルで一応全クリは達成できました。
特にアクションに関しては使用武器が豊富にあり、状況や相手によって使い分ける楽しさもあれば、受け身中心で戦う敵もいれば、率先して切りかかりすぐに距離を話す一撃離脱が重要な敵もおり、そうした戦術の使い方も楽しかったのを覚えています。
もっとも中盤のボスの「アルマ重鬼卿」と初めてかちあった時は、何もわからないまま一瞬で殺され、どうすればいいのか軽く絶望しましたが。
またストーリー(1)に関しても非常に単純明快で、
忍の里を襲ったやつらをぶっ殺しに行く
↓
ついでに復活した魔神もぶっ殺す
↓
最後唐突に出てきたおっさんもついでにぶっ殺す
という、これ以上説明の必要がないくらい凄いわかりやすさで、アクションゲームに余計な裏設定とか因縁は不要であるというのをまざまざと見せつけてくれました。なお最後に出てくるラスボスのおっさんに至っては、実は1面に出て来た時の方が強いというシュールな設定のされ方がされてあって、最後倒した後はあまりの歯応えのなさに「え、なんなんこいつ(゚Д゚;)」と唖然としたのを覚えています。
ちなみにこのおっさんに限らなくても、実はこのゲームは1面が最も難しいという変な難易度設定になってます。まぁその分、1面で大分鍛えられるというのはあるけど。
こんな感じで似たような3Dアクションゲームとしてみた場合、ニンジャガの方がベヨネッタよりはるかに上を行くと私は感じます。もっとも私は遊んでないけど、続編の「ニンジャガ3」はひどい出来だったと酷評されていますが。
2019年12月21日土曜日
ビッグディール
今朝、何故か朝四時に目が覚めたのでそのままベッドから起き、パソコンに向かいました。そしてDMMの電子書籍サイトを訪れ、そのままビッグディールを敢行しました。
どういうことかというと、DMMで年末年始セールを開始したのでこれを機に前から花王音持っていた電子書籍を一気にまとめ買いしました。既に二ヶ月前から購入する商品をお気に入りに選んでいたこともあり、購入金額が一瞬で1万円近くにまで上ってちょい焦りました(;´・ω・)
買った本は漫画以外だと友人に勧められたメディア業界本、あと山岳遭難本で、漫画だと鬱になるマンガとして挙げられていた「さくらの唄」と「人形の国」の最新刊、それと「ファイアパンチ」全巻等です。早速ファイアパンチを少し読みましたが冒頭の、「あらゆる苦痛を受け入れてでも、死だけは受け入れてはならない」に続く「生きて」のセリフは衝撃を受け、改めて作者の藤本タツキ氏はとんでもない作家になると感じました。
その後早速ダウンロードを始めましたが、時間帯もあってめっちゃ早かったです。中国だと国内回線はともかく国際回線を介した通信だと国策もあってあまりケーブルが強化されておらず、夜の8時から12時くらいなんか全く接続できなくなったりするのですが、こういう朝方だと物凄く回線が良く、大きいファイルをダウンロードする際はこの時間帯を使っています。
このほかSwitchも年末ということもあってたくさんセールを行っており、「戦国エース/ブレード」の彩京シューティングを買おうか悩みましたが、そっちはさておき「スカイギャンブラー アフターバーナー」という戦闘機ゲーを買いました。時間なくてまだ遊んでないけど、こういう戦闘機ゲームで「秋名の86」と名乗って「F-86セイバー」に乗って登場したらみんなどんな反応すんだろうとか勝手に想像しています。
ちなみにこの前うちの名古屋に左遷された親父とその従弟が、子供の頃に親戚の田舎に帰省したところ近くの軍事基地でF-86のコックピットに乗せてもらったという自慢話されて、うらやましくて悔しかったです。
どういうことかというと、DMMで年末年始セールを開始したのでこれを機に前から花王音持っていた電子書籍を一気にまとめ買いしました。既に二ヶ月前から購入する商品をお気に入りに選んでいたこともあり、購入金額が一瞬で1万円近くにまで上ってちょい焦りました(;´・ω・)
買った本は漫画以外だと友人に勧められたメディア業界本、あと山岳遭難本で、漫画だと鬱になるマンガとして挙げられていた「さくらの唄」と「人形の国」の最新刊、それと「ファイアパンチ」全巻等です。早速ファイアパンチを少し読みましたが冒頭の、「あらゆる苦痛を受け入れてでも、死だけは受け入れてはならない」に続く「生きて」のセリフは衝撃を受け、改めて作者の藤本タツキ氏はとんでもない作家になると感じました。
その後早速ダウンロードを始めましたが、時間帯もあってめっちゃ早かったです。中国だと国内回線はともかく国際回線を介した通信だと国策もあってあまりケーブルが強化されておらず、夜の8時から12時くらいなんか全く接続できなくなったりするのですが、こういう朝方だと物凄く回線が良く、大きいファイルをダウンロードする際はこの時間帯を使っています。
このほかSwitchも年末ということもあってたくさんセールを行っており、「戦国エース/ブレード」の彩京シューティングを買おうか悩みましたが、そっちはさておき「スカイギャンブラー アフターバーナー」という戦闘機ゲーを買いました。時間なくてまだ遊んでないけど、こういう戦闘機ゲームで「秋名の86」と名乗って「F-86セイバー」に乗って登場したらみんなどんな反応すんだろうとか勝手に想像しています。
ちなみにこの前うちの名古屋に左遷された親父とその従弟が、子供の頃に親戚の田舎に帰省したところ近くの軍事基地でF-86のコックピットに乗せてもらったという自慢話されて、うらやましくて悔しかったです。
2019年12月20日金曜日
在籍する会社によって変わる意見や立場
・奈良エアプ「奈良の南部は橿原とかあの辺でしょ?ww」ワイ「はぁ…(クソデカため息)」(アルファルファモザイク)
どうでもいい奈良南部の特殊事情はいいとして先日、会社で研修を受けさせられました。研修内容自体はよくあるものだったのですが、この中で行われた性格診断がなかなか面白く、周りに話してもなんか評判がいいです。
具体的にどういう性格診断だったのかというと、意見や主張に対してその人がどのような態度を取るかを測る心理テストで、自分の意見を通そうとする積極型、相手の意見を受け入れようとする受動型、指標や分析を重視する分析型の三タイプそれぞれでスコアを測り、最終的にどのタイプがどの程度強いのかを出すのですが、面白いのは「平常時」と「衝突時」の二つに分けてスコアが測定される点でした。
最終的に私のスコアは、平常時は分析型で、衝突時は受動型へと振れるという結果になりました。この結果には私も非常に納得がいくというか、質問に答えている際にまさにこういう態度をイメージしていたこともあって意図した結果に落ち着いたと思います。
ただこのブログを読んでいる方からすれば、平常時の分析型という結果はともかく、衝突時の受動型という結果については「(。´・ω・)?」と思われるのではないかと思います。むしろ私だったら、意見が衝突したら相手を言い負かせようとするタイプに思われているかもしれません。実際に友人にはまさにそう言われました。
そうした見方というか評価に対して私自身も否定しません。ただ現在在籍している会社に限れば、恐らくは上記の結果通りの態度を私は取ることでしょう。というのも、今の会社にいる人がまともだと考えているからです。
このテストを受けている最中、やはり意見衝突時にどのような態度を取るのかという質問がいくつか見られたのですがこうした質問に回答する際、「まぁこの会社にいる人はまともで優秀な人が多いから、自分と意見が異なるとしても滅茶苦茶な方針ではないはずだろう。むしろ自分より賢い人も多いんだし、彼らの意見の方が自分より正しい可能性も高い」という風に考えながら、回答していました。
ただ、もしこれがスチール棒で殴られて顔面からダラダラ流血しているのに、警察に通報しないばかりか病院にもつれていかず、「お前が悪い」と言い切ってきた上司のいた前の会社だったら、恐らく真逆の態度を取っていたと思います。実際にというか前の会社ではほとんど必要性がないにもかかわらず多くの人間を路頭に迷わせるような意思決定が出され、実行に移させないよう実際に激しく抗弁するなどして私は抵抗していました。
なおほんの少し顛末を書くと、私が去った後に問題のある上司が飛ばされ、代わりにまともな人が来たことで前の会社の中国法人は毎月数百万円の利益を出すようになったのですが、「もう潰すこと決めているのになんで黒字を出すんだ」などと、代わりに来た人は本社役員に怒られたそうです。でもって赤字から黒字に転換してんのに、そのままその中国法人は潰されたそうです。
仮にこうした前の会社、っていうか実際には今いる会社以外に過去私が在籍した会社だったらどこも、ガチで気が狂ったかのような意思決定が日常的にバンバン出されていたので、「それはおかしい!」などと激しく抗弁し続けていたでしょうし、実際そうしてました。そうした状態で先の心理テストを受けていたら、恐らく平常時であっても積極型という結果に落ち着いていたと思います。
そのように考えるとこうした性格判断型の心理テスト、特に企業内部で行われるものについては、一体どんな会社に勤めているかによってもその結果は大きく左右されることになると思います。それこそブラック企業で「受動型」と診断されるのと、ベンチャー企業で「受動型」と診断されるのは大きく意味合いが変わるでしょう。まぁそもそも、ブラック企業の一般社員に「積極型」はいないかもしれませんが。
逆を言えば、やはり今思い返しても以前に在籍していた会社では自分の判断の方がまともで、周りはほぼ全員がもう判断というか価値観から思考力を含め全体でおかしくなっていたという気がします。初めからそうだったのか段々とそうなっていったのかはわかりませんが、少なくとも判断力がおかしくなっている時点で意思決定を行う立場にいるべきでないのに、そういう立場に居続けられるということ自体が日系企業の問題点かもしれません。
何も自分の価値判断は優れていて問題ないとまでは言うつもりは全くありませんが、やはり誰がどう見ても明らかに右左すらわからないくらいおかしくなっているのに、本人がそのことに気付いていないという人間は少なからずいると思います。昔も同じこと書いていますが、そういう人間を社会から淘汰できないというのが、日本社会の最大の問題点でしょう。
どうでもいい奈良南部の特殊事情はいいとして先日、会社で研修を受けさせられました。研修内容自体はよくあるものだったのですが、この中で行われた性格診断がなかなか面白く、周りに話してもなんか評判がいいです。
具体的にどういう性格診断だったのかというと、意見や主張に対してその人がどのような態度を取るかを測る心理テストで、自分の意見を通そうとする積極型、相手の意見を受け入れようとする受動型、指標や分析を重視する分析型の三タイプそれぞれでスコアを測り、最終的にどのタイプがどの程度強いのかを出すのですが、面白いのは「平常時」と「衝突時」の二つに分けてスコアが測定される点でした。
最終的に私のスコアは、平常時は分析型で、衝突時は受動型へと振れるという結果になりました。この結果には私も非常に納得がいくというか、質問に答えている際にまさにこういう態度をイメージしていたこともあって意図した結果に落ち着いたと思います。
ただこのブログを読んでいる方からすれば、平常時の分析型という結果はともかく、衝突時の受動型という結果については「(。´・ω・)?」と思われるのではないかと思います。むしろ私だったら、意見が衝突したら相手を言い負かせようとするタイプに思われているかもしれません。実際に友人にはまさにそう言われました。
そうした見方というか評価に対して私自身も否定しません。ただ現在在籍している会社に限れば、恐らくは上記の結果通りの態度を私は取ることでしょう。というのも、今の会社にいる人がまともだと考えているからです。
このテストを受けている最中、やはり意見衝突時にどのような態度を取るのかという質問がいくつか見られたのですがこうした質問に回答する際、「まぁこの会社にいる人はまともで優秀な人が多いから、自分と意見が異なるとしても滅茶苦茶な方針ではないはずだろう。むしろ自分より賢い人も多いんだし、彼らの意見の方が自分より正しい可能性も高い」という風に考えながら、回答していました。
ただ、もしこれがスチール棒で殴られて顔面からダラダラ流血しているのに、警察に通報しないばかりか病院にもつれていかず、「お前が悪い」と言い切ってきた上司のいた前の会社だったら、恐らく真逆の態度を取っていたと思います。実際にというか前の会社ではほとんど必要性がないにもかかわらず多くの人間を路頭に迷わせるような意思決定が出され、実行に移させないよう実際に激しく抗弁するなどして私は抵抗していました。
なおほんの少し顛末を書くと、私が去った後に問題のある上司が飛ばされ、代わりにまともな人が来たことで前の会社の中国法人は毎月数百万円の利益を出すようになったのですが、「もう潰すこと決めているのになんで黒字を出すんだ」などと、代わりに来た人は本社役員に怒られたそうです。でもって赤字から黒字に転換してんのに、そのままその中国法人は潰されたそうです。
仮にこうした前の会社、っていうか実際には今いる会社以外に過去私が在籍した会社だったらどこも、ガチで気が狂ったかのような意思決定が日常的にバンバン出されていたので、「それはおかしい!」などと激しく抗弁し続けていたでしょうし、実際そうしてました。そうした状態で先の心理テストを受けていたら、恐らく平常時であっても積極型という結果に落ち着いていたと思います。
そのように考えるとこうした性格判断型の心理テスト、特に企業内部で行われるものについては、一体どんな会社に勤めているかによってもその結果は大きく左右されることになると思います。それこそブラック企業で「受動型」と診断されるのと、ベンチャー企業で「受動型」と診断されるのは大きく意味合いが変わるでしょう。まぁそもそも、ブラック企業の一般社員に「積極型」はいないかもしれませんが。
逆を言えば、やはり今思い返しても以前に在籍していた会社では自分の判断の方がまともで、周りはほぼ全員がもう判断というか価値観から思考力を含め全体でおかしくなっていたという気がします。初めからそうだったのか段々とそうなっていったのかはわかりませんが、少なくとも判断力がおかしくなっている時点で意思決定を行う立場にいるべきでないのに、そういう立場に居続けられるということ自体が日系企業の問題点かもしれません。
何も自分の価値判断は優れていて問題ないとまでは言うつもりは全くありませんが、やはり誰がどう見ても明らかに右左すらわからないくらいおかしくなっているのに、本人がそのことに気付いていないという人間は少なからずいると思います。昔も同じこと書いていますが、そういう人間を社会から淘汰できないというのが、日本社会の最大の問題点でしょう。
2019年12月19日木曜日
郵政はいつ、誰がおかしくしたのか
今日会社で眠いと呟いたら、「どうせまた夜遅くまでゲームしてたんでしょ」と年下の女性社員に突っ込まれ、事実その通りなだけにシュンとなってしまいました_( _´ω`)_ペショ
・怒号飛び交う中、会見強制終了 かんぽ問題(産経新聞)
かんぽの契約不正問題で揺れる日本郵政ですが、上記記事ではさも郵政側が会見での態度が良くなかったように報じていますが、コメントにもある通り二時間超も会見に応じているのにも関わらず核心に迫る質問を行えなかったメディアの側の方が問題があるでしょう。どこかしこもいますが、何かあるとよく人のせいにする人は多いとはいえこうして公でそれやるってのはどうかなと個人的に思います。
このように考える理由として、私自身がこの問題でキーポイントと思える点についてどこも報じていないからです。もったいぶらずに言うとそれは「かんぽの契約不正問題はいつ頃から始まり、増えだしたのか?」ということなのですが、私の視点がおかしいのか、メディアがどこも気づいていないのかがと言いたいところですが、この件に関しては気づかなかったメディアはもうこの問題は追うべきではないと断言できます。何故ならこの点が経営者の責任問題に直結するからです。
今回の郵政の問題と絡めて、「そもそも小泉改革の郵政民営化改革自体が問題だった」という人がいますが、結果論で言えばその通りと認めるものの、果たして郵政改革そのものがこの問題の原因と指摘するに当たっては、「郵政再国有化」という経緯を踏まえていなければ相手にする議論ではありません。
日本郵政とその関連会社は2005年の郵政選挙後の政策により民営化されましたが、その後2009年に自民党が下野して民主党が政権を取った後、民主党の連立相手である国民新党の強い意向を受けて民営化政策は骨抜きにされており、市場で売却する予定だった株式も売却が取りやめられるなどして、実質的に再国有化されています。
特に見逃せない点として、ラストバンカーと呼ばれた初代郵政社長の西川善文氏がまさにこの民主党政権時代に更迭されています。この更迭について亀井静香が、「別に恨みはないが、小泉政権に立てられた人物だから追放した」と一部記事で報じられていましたが、実際その前後の経過を見ているとそうとしか思えません。
その後の記事などを見ると、やはり実質的に政府による追放劇だったと述べる証言者が数多く出ており、また西川氏が民営化を見据え育てた、引っ張ってきた人材も合わせて追い出されていったそうです。
その後、斉藤次郎氏が社長に就くも自民党の政権返り咲きを前に自ら辞め、後任には斉藤と同じ元官僚の坂篤郎氏が就任するも菅官房長官の逆鱗に触れてわずか半年で辞め、ここで満を持して東芝をむちゃくちゃにした張本人ともいえる西室泰三が社長に就任します。
他の歴代社長に関してはまだ擁護余地があるものの、西室泰三に関しては約6000億円でオーストラリアの物流会社(トール)を買収した上に不良債権化させていることから擁護の余地は全くありません。その後体調不良で辞めましたが、あのまま残っていたらもっと郵政は面白いことになってたことでしょう。
以上の経緯を経て現社長の長門正貢氏に至りますが、ここまでの経緯は下記記事によくまとめられています。
・政治に翻弄 「日本郵政」歴代4人の社長が選ばれた理由(ニュースイッチ)
何も社長一人で全部変わるわけではないものの、役員の組閣などを考えると社内に及ぼす影響は決して小さくありません。ましてや今回の郵政の契約不正問題はかんぽ全社に蔓延しており、いつどの段階からこうした問題行為が行われ、内部告発も握りつぶされ、社内で当たり前の光景となったかは、どの経営者に問題があったのかを追求する上で最も重要なポイントであると私は見ています。現在までに報じられている内容では契約不正行為が何件あったのかしかなく、いつ頃から、どの地域からこうした行為が行われたのか、郵政発足以来なのか民営化以来なのか、こうした点については全く触れられていない上に、メディアもどこも突っ込んでいないという点でいろんな意味で暗澹たる気持ちにさせられます。
あくまで状況のみをみて推測意見を述べると、民営化直後にこうした契約不正はなかったのではないかと私は見ています。理由はいくつかあり、民営化直後は粗を探そうとするメディアの監視が目に見えて厳しかったのと、仮に不正があったとしたら西川氏を追放する際にその理由に使われた可能性が高いとみているからです。
また記憶の限りで述べると、郵政のかんぽ契約が押し売りのようになっているなどとその問題性についての噂はかねてから聞いていましたが、そうした噂を私が聞き始めたのは2013年くらいだったように思います。調べてみたらちょうど西室の時期にあたり、東芝の「チャレンジ」的な何かを郵政でもやっていたのかもしれません。
恐らくですがメディアは今後もこの点については触れず、また報告書でも「過去三年間の~」などと直近年度しか調べず、どうしてこのような空気や営業手法が蔓延したのかについてはスルーすると思います。正直、私としては我慢ならないだけに来年記者会見あったら職を賭してでもこの質問をぶつけたいところですが、JBpressにでも頼んで自分の代わりに質問してもらおうかな。
・怒号飛び交う中、会見強制終了 かんぽ問題(産経新聞)
かんぽの契約不正問題で揺れる日本郵政ですが、上記記事ではさも郵政側が会見での態度が良くなかったように報じていますが、コメントにもある通り二時間超も会見に応じているのにも関わらず核心に迫る質問を行えなかったメディアの側の方が問題があるでしょう。どこかしこもいますが、何かあるとよく人のせいにする人は多いとはいえこうして公でそれやるってのはどうかなと個人的に思います。
このように考える理由として、私自身がこの問題でキーポイントと思える点についてどこも報じていないからです。もったいぶらずに言うとそれは「かんぽの契約不正問題はいつ頃から始まり、増えだしたのか?」ということなのですが、私の視点がおかしいのか、メディアがどこも気づいていないのかがと言いたいところですが、この件に関しては気づかなかったメディアはもうこの問題は追うべきではないと断言できます。何故ならこの点が経営者の責任問題に直結するからです。
今回の郵政の問題と絡めて、「そもそも小泉改革の郵政民営化改革自体が問題だった」という人がいますが、結果論で言えばその通りと認めるものの、果たして郵政改革そのものがこの問題の原因と指摘するに当たっては、「郵政再国有化」という経緯を踏まえていなければ相手にする議論ではありません。
日本郵政とその関連会社は2005年の郵政選挙後の政策により民営化されましたが、その後2009年に自民党が下野して民主党が政権を取った後、民主党の連立相手である国民新党の強い意向を受けて民営化政策は骨抜きにされており、市場で売却する予定だった株式も売却が取りやめられるなどして、実質的に再国有化されています。
特に見逃せない点として、ラストバンカーと呼ばれた初代郵政社長の西川善文氏がまさにこの民主党政権時代に更迭されています。この更迭について亀井静香が、「別に恨みはないが、小泉政権に立てられた人物だから追放した」と一部記事で報じられていましたが、実際その前後の経過を見ているとそうとしか思えません。
その後の記事などを見ると、やはり実質的に政府による追放劇だったと述べる証言者が数多く出ており、また西川氏が民営化を見据え育てた、引っ張ってきた人材も合わせて追い出されていったそうです。
その後、斉藤次郎氏が社長に就くも自民党の政権返り咲きを前に自ら辞め、後任には斉藤と同じ元官僚の坂篤郎氏が就任するも菅官房長官の逆鱗に触れてわずか半年で辞め、ここで満を持して東芝をむちゃくちゃにした張本人ともいえる西室泰三が社長に就任します。
他の歴代社長に関してはまだ擁護余地があるものの、西室泰三に関しては約6000億円でオーストラリアの物流会社(トール)を買収した上に不良債権化させていることから擁護の余地は全くありません。その後体調不良で辞めましたが、あのまま残っていたらもっと郵政は面白いことになってたことでしょう。
以上の経緯を経て現社長の長門正貢氏に至りますが、ここまでの経緯は下記記事によくまとめられています。
・政治に翻弄 「日本郵政」歴代4人の社長が選ばれた理由(ニュースイッチ)
何も社長一人で全部変わるわけではないものの、役員の組閣などを考えると社内に及ぼす影響は決して小さくありません。ましてや今回の郵政の契約不正問題はかんぽ全社に蔓延しており、いつどの段階からこうした問題行為が行われ、内部告発も握りつぶされ、社内で当たり前の光景となったかは、どの経営者に問題があったのかを追求する上で最も重要なポイントであると私は見ています。現在までに報じられている内容では契約不正行為が何件あったのかしかなく、いつ頃から、どの地域からこうした行為が行われたのか、郵政発足以来なのか民営化以来なのか、こうした点については全く触れられていない上に、メディアもどこも突っ込んでいないという点でいろんな意味で暗澹たる気持ちにさせられます。
あくまで状況のみをみて推測意見を述べると、民営化直後にこうした契約不正はなかったのではないかと私は見ています。理由はいくつかあり、民営化直後は粗を探そうとするメディアの監視が目に見えて厳しかったのと、仮に不正があったとしたら西川氏を追放する際にその理由に使われた可能性が高いとみているからです。
また記憶の限りで述べると、郵政のかんぽ契約が押し売りのようになっているなどとその問題性についての噂はかねてから聞いていましたが、そうした噂を私が聞き始めたのは2013年くらいだったように思います。調べてみたらちょうど西室の時期にあたり、東芝の「チャレンジ」的な何かを郵政でもやっていたのかもしれません。
恐らくですがメディアは今後もこの点については触れず、また報告書でも「過去三年間の~」などと直近年度しか調べず、どうしてこのような空気や営業手法が蔓延したのかについてはスルーすると思います。正直、私としては我慢ならないだけに来年記者会見あったら職を賭してでもこの質問をぶつけたいところですが、JBpressにでも頼んで自分の代わりに質問してもらおうかな。
2019年12月18日水曜日
TBS元記者の事件の一審結果について
工場勤務者なら誰もが一度は思い描く姿
・伊藤詩織さん「勝訴」 連れ込む山口記者の姿を目撃…控訴審でカギを握る「ドアマンの供述調書」(デイリー新潮)
すでに方々で報じられていますが、TBS元記者の山口敬之氏と伊藤詩織氏を巡る裁判で判決が下り、伊藤氏がこの度勝訴しました。この事件については伊藤氏が初めて会見を行った際にもこのブログでいろいろ書いていますが、伊藤氏の説明や主張を見る以前に、山口氏は明らかに人格に問題のある人間と見ていたことから、このような行為を行っていたと聞いても驚きはなかったというか実際やってるんだろうなと率直に思いました。
過去の記事にも書いている通り、山口氏は過去に「総理」という安倍首相に関する本を出しています。この本を私は友人に勧められて読みましたが、読了後にその友人に対して、「目が曇ってきたのか?もう二度とこんなくだらない本を人に勧めるな」と、自分にしては珍しくかなり激しい姿勢で詰問しました。
何故このようなことを言ったのかというと、この本の内容が明らかに問題があると感じたからです。全編にわたって安倍首相との距離の近さを自慢するかのような書き方がなされ批判的視点はおろか中立的な観点すら欠いており、尚且つそのような目線で書かれた駄文に自ら酔っているような節すら見られ、よくこんな本を恥ずかしげもなく出せたなと逆の意味で驚きました。あれほど傲岸不遜な内容は近年稀に見るほどであり、きっとこの本を書いた作者は性格面を始めかなり問題のある人物だろうと思いました。
そしたら案の定というか上記のような事件が発覚し、なおかつ逮捕状が出ているのに突然執行が停止されるという曰くつきな事件も起こり、こういう人間を過去に雇ってた当たりはオウム事件をはじめ、さすがは「報道のTBS」だなと感心しました。というかこのTBSの枕詞は使われなくなって既に久しく、多分今年こう発言したのは私くらいかもしれません。
過去にも同じ内容を書いているのにこの記事で何が言いたいのかというと、文章というのは意外とその書いた人の性格なり傾向を反映するということです。山口氏の文章に限らず友人に送られてきたメール文を見るなり、「論理的な思考ができないとっぽい人だろうから会わない方がいい」と警告したこともありますが、友人曰く「割と当たってた」そうで、やはり文章には特徴が出ると自分でも当時思いました。
特徴が出ると言っても、普通のメール文などの文章でそういう傾向はあまり出ないし、私自身何でもかんでも文章から性格分析できるわけではありませんが、明らかに問題を抱えている人ほどその文章には特徴が出るとみています。具体的には、文章の言い回しが冗長な人ほど本音を隠したがり、本来の目的を隠した上で相手を動かそうとする傾向がある気がします。ある意味、山口氏の文章はその典型ともいえる内容なだけに、興味があればその著作を手に取ることをお勧めします。
なお文章の特徴で言えば私の文章も非常に特徴的な方でしょう。さすがに自分の文章に対して性格分析とかはしませんが、敢えて言えば誤字が多いからそそっかしい性格してるのは見て取れることでしょう。
2019年12月17日火曜日
大学入試での記述式問題見送りについて
昨日仕事中に二回電話かかってきたけど会議中のため出られず、後で確認したら変な広告の電話でした。ちょうど今電話の着メロを「Kosmos, Cosmos」にしており、私に電話をかけて来た連中へ呼び出し中に渡りこの歌を聞かせられ、良いことしたななどと思いました。
なお歌ってた人は今この有様です。あんま悪く言うのは良くないと思うけど、さすがに何度も事務所変えているのはなと以前思いました。
・「中止を」「2次試験で」 記述式見送りに有識者 大学入試改革(時事通信)
話は本題ですが、やはり当事者でないとあまり実感などわからないのですが、大学入試に英検資格で代替を認める案が流れたのに続き、記述式問題の導入も今回見送られたそうです。率直に言って、よかったんじゃないというのが私の感想です。
先に英検について述べると、英検そのものについては比較的普及している英語試験だと私も認めますが、運営団体については政治的な活動の多い団体とはっきり断言できます。というのも通訳案内士試験などを筆頭に英語能力を考慮する資格の試験において、「英検一級があれば英語科目は免除」としていることが多いですが、これは英検運営団体の政治力の賜物です。
このように他の試験にも複合的に利用できるようにして英検の受験者数を増やす画策を前から着々としており、決してそのすべてが問題のある行為とは言わないものの、半公営団体にしては行動が政治的過ぎるなと前から疑問視していました。その辺、かつての漢検事件を連想させます。
次に記述式問題についてですが、採点に対応する予定だったのはベネッセだったということです。普通に考えてセンター試験規模の答案をマークシートでもない限り迅速に処理することは不可能であり、その点は上記リンク先の時事の記事でも触れられていますが、受験生に採点ミスと得点開示までの期間差により大きな混乱をもたらす可能性が高く、普通の企業だったら公平性が担保できないとして対応を拒否すると思うのですが、その辺はさすがはベネッセということでしょう。
そうしたくだりを考えると、先の英検ともども結論ありきの利益誘導があったのではないかと疑わざるを得ません。むしろ疑わない人間の方がこの場合は問題でしょう。
個人的な意見で言えば、現在の日本の大学入試制度は比較的よくできたものだと考えています。というのも中国や韓国は日本のセンター試験に当たる共通試験一発でどの大学に入れるかが決められるため、大学や学部ごとに特徴を持たせた問題で生徒を選抜することが出来ません。
また本番一発勝負のため、体調不良や不意のアクシデントに遭うと泣きを見ることになります。そうした背景から該当試験日においては、警察車両も生徒を運搬するなど軽いお祭り騒ぎになるわけですし。
日本の場合は国立大進学にはセンター試験が必要とはいえ、アクシデントがあれば問題は難化するとはいえ予備試験も用意されており、尚且つ二次試験で各大学や学部が自前で問題を作って選抜できるので、そこそこ個性を出すポイントが用意されています。またセンター試験を受けない、または失敗したとしても、早慶を筆頭にそこそこ実力のある私立大学が優秀な生徒を拾って育てて社会に出すこともできるので、入試の柔軟性や公平性に関して言えば割といい制度環境なのではないかと評価しています。
フランスや米国の様に、年間を通して学力を測る試験を複数回行って、その時に得たスコアを大学入学基準に使おうという方針を今日本政府が出していますが、こうした制度のメリットも認めないわけでないものの、無理して真似するまでの必要性があるかと言ったら果たして疑問です。第一そんなことする暇あったら、Fランク大学への補助金打ち切りによる過剰な大学数の淘汰にこそもっと取り組むべきでしょう。
その上で教育改革論を少し述べると、「大学を卒業しなくても幸福な生活を送れる」教育環境、即ち高等学校段階での職業訓練などをもっと拡充すべきだと個人的には考えています。一時期高専がやたら持て囃されましたが私に言わせれば高専なんかじゃまだ生ぬるく、もっと早い段階で育成の早い職業訓練校を拡充すべきです。
まぁ仮にそうすると、学生アルバイトが減って小売や飲食業をはじめとする企業が成り立たなくなるわけですが。
最後にこの記事書いてて、そういえばセンター試験の中国語問題ってどの程度なのかな、今度やってみよっかなとか少し思いました。
また同じく小論文科目の試験に参加したらどうなるのか。高校時代でも相当なレベルにありましたが、今現在の私の文章力なら日本人の上位1%に確実に入る自負があるだけに、逆に採点担当者の実力を試すような文章を仕立てて持っていったら怒られたりするのかななどと都合のいい想像をしています。
なお歌ってた人は今この有様です。あんま悪く言うのは良くないと思うけど、さすがに何度も事務所変えているのはなと以前思いました。
・「中止を」「2次試験で」 記述式見送りに有識者 大学入試改革(時事通信)
話は本題ですが、やはり当事者でないとあまり実感などわからないのですが、大学入試に英検資格で代替を認める案が流れたのに続き、記述式問題の導入も今回見送られたそうです。率直に言って、よかったんじゃないというのが私の感想です。
先に英検について述べると、英検そのものについては比較的普及している英語試験だと私も認めますが、運営団体については政治的な活動の多い団体とはっきり断言できます。というのも通訳案内士試験などを筆頭に英語能力を考慮する資格の試験において、「英検一級があれば英語科目は免除」としていることが多いですが、これは英検運営団体の政治力の賜物です。
このように他の試験にも複合的に利用できるようにして英検の受験者数を増やす画策を前から着々としており、決してそのすべてが問題のある行為とは言わないものの、半公営団体にしては行動が政治的過ぎるなと前から疑問視していました。その辺、かつての漢検事件を連想させます。
次に記述式問題についてですが、採点に対応する予定だったのはベネッセだったということです。普通に考えてセンター試験規模の答案をマークシートでもない限り迅速に処理することは不可能であり、その点は上記リンク先の時事の記事でも触れられていますが、受験生に採点ミスと得点開示までの期間差により大きな混乱をもたらす可能性が高く、普通の企業だったら公平性が担保できないとして対応を拒否すると思うのですが、その辺はさすがはベネッセということでしょう。
そうしたくだりを考えると、先の英検ともども結論ありきの利益誘導があったのではないかと疑わざるを得ません。むしろ疑わない人間の方がこの場合は問題でしょう。
個人的な意見で言えば、現在の日本の大学入試制度は比較的よくできたものだと考えています。というのも中国や韓国は日本のセンター試験に当たる共通試験一発でどの大学に入れるかが決められるため、大学や学部ごとに特徴を持たせた問題で生徒を選抜することが出来ません。
また本番一発勝負のため、体調不良や不意のアクシデントに遭うと泣きを見ることになります。そうした背景から該当試験日においては、警察車両も生徒を運搬するなど軽いお祭り騒ぎになるわけですし。
日本の場合は国立大進学にはセンター試験が必要とはいえ、アクシデントがあれば問題は難化するとはいえ予備試験も用意されており、尚且つ二次試験で各大学や学部が自前で問題を作って選抜できるので、そこそこ個性を出すポイントが用意されています。またセンター試験を受けない、または失敗したとしても、早慶を筆頭にそこそこ実力のある私立大学が優秀な生徒を拾って育てて社会に出すこともできるので、入試の柔軟性や公平性に関して言えば割といい制度環境なのではないかと評価しています。
フランスや米国の様に、年間を通して学力を測る試験を複数回行って、その時に得たスコアを大学入学基準に使おうという方針を今日本政府が出していますが、こうした制度のメリットも認めないわけでないものの、無理して真似するまでの必要性があるかと言ったら果たして疑問です。第一そんなことする暇あったら、Fランク大学への補助金打ち切りによる過剰な大学数の淘汰にこそもっと取り組むべきでしょう。
その上で教育改革論を少し述べると、「大学を卒業しなくても幸福な生活を送れる」教育環境、即ち高等学校段階での職業訓練などをもっと拡充すべきだと個人的には考えています。一時期高専がやたら持て囃されましたが私に言わせれば高専なんかじゃまだ生ぬるく、もっと早い段階で育成の早い職業訓練校を拡充すべきです。
まぁ仮にそうすると、学生アルバイトが減って小売や飲食業をはじめとする企業が成り立たなくなるわけですが。
最後にこの記事書いてて、そういえばセンター試験の中国語問題ってどの程度なのかな、今度やってみよっかなとか少し思いました。
また同じく小論文科目の試験に参加したらどうなるのか。高校時代でも相当なレベルにありましたが、今現在の私の文章力なら日本人の上位1%に確実に入る自負があるだけに、逆に採点担当者の実力を試すような文章を仕立てて持っていったら怒られたりするのかななどと都合のいい想像をしています。
2019年12月16日月曜日
レジャーの本質は非日常
今日の上海の最高気温は20度で、研修のため部屋にこもりっぱだったけど夕方でも普通に暑いと感じる陽気でした。日本でも暖冬が続いているそうですが、去年の冬はガチで太陽が全くでないくらい雨と湿気の多い気候だったのに比べると、まだ暖冬でもこっちの方がいいやと思えてきます。
話は本題ですが「レジャー」という言葉の本質を考えた場合、究極的には「非日常」という言葉に行きつくと私は考えています。換言すれば、「日常から離れれば離れるほどレジャーとしての価値、体験としての印象深さが増す」ということです。
いくつか例証すると、温泉旅館で普段働く人が連休に別の場所にある温泉旅館に泊まったところで、果たしてレジャーとして楽しめるでしょうか。またここまで極端じゃなくても、元々海水浴もできるような海辺に住んでる人が同じようなビーチで有名な観光地に旅行したところで、コンクリートジャングルで普段生活している人が同じビーチに来てた時ほどの感激が得られるかと言ったら、まずそうはならないでしょう。
二番目の例でも書いたように、普段ビーチが疎遠な人ほどビーチに行く価値が得られるわけで、それも距離的な長さでも、同じ都道府県内よりも遥か遠くのハワイとか桂浜とかの方が感動は大きくなると思います。同じような理屈で言うと、京都に住んでいる人は案外地元の有名な寺社仏閣を回りませんが、関東に住んでる人は京都の寺社仏閣を非常にありがたがってお参りするのも一緒です。奈良にはあんま来てくれないけど(´;ω;`)ウッ…
地元と非地元でどうして同じ体験のレジャーでもこのような差が生まれるのか。やはりそれを分ける分水嶺は日常か、非日常かにあるように思え、またこの区分をさらに発展させると、普段の生活から程遠ければ程遠いほど、レジャーの価値が高まる傾向があるのではないかと大体半年くらい前に思いつきました。
それこそ雪国の人は沖縄みたいな温暖な地、雪がほとんど降らない熱帯の国の人ほど雪国に焦がれる様に、未体験ゆえの物珍しさもあるでしょうがやはり日常から遠いからこそこれらは価値があり、尚且つ普段の苦しい日常から解放されるような感覚が得られるのではないかと思います。
そもそも何故このような見方を持つようになったのかというと、最初の問いかけは「何故登山はレジャーなのか?」と考えたからです。普通に考えてあらゆる面で労苦が多く、冬山登山なんかは一歩間違えれば簡単に死ぬリスクがあるというのに、それでも何故大勢の人間は未だに登山をレジャーと捉えているのかと考えたからでした。
いくつか登山体験者の意見や登山の楽しみについてみて回ったところ、やはり日常からの解放感に触れている人が多く、実際に山の中は電気や水道といった主要なインフラから切り離された環境になるという状況から、「非日常」という単語が浮かんで上記結論へと至りました。
これらは言い換えると、日常から程遠いところに行けば行くほど人間はレジャーによって解放感を得られやすいということになります。単純なところでは海外旅行は国内旅行より効果が強い、また宿泊するホテルについても、普段から豪邸に住んでいる人は普段あばら家に住んでいる人よりは高級ホテルに泊まった時の効果が弱くなるのではないかと見ています。
逆を言えば、普段豪邸に泊まっている人はみすぼらしい安宿に泊まると逆に変な意味の感動を得るかもしれません。それがさらに極まると野外キャンプ、果てには登山といった、文明と隔絶された環境にレジャーを見出していき、だから割と英国人の何々卿みたいな金持ちがやたら登山にはまるのかなとも思います。
もっともこの論で行くと、最強の非日常は戦地になるとも思え、もしかしたら戦場こそが最大のレジャー地となるポテンシャルを秘めているのかもしれません。自分は行かないけど。
まとめるとレジャーとしての行き先を考えるならば、日常から距離的、質的に遠い場所を選ぶことが意外と重要だということです。特に質の差については、日常の生活環境より不便な田舎や山中がどうしてレジャーとしての価値を持つのかという点で重要で、ただ単にお金をかければいいということではないと思います。
このように考えるとちょうど十二月の今くらいの寒い時期に、ガチでダンボール巻いて野宿したあれも私にとってはレジャーだったのかもしれません。本気で凍死するんじゃないかと思ったのはこれと房総半島でのサイクリング一周失敗事件の時くらいです。
話は本題ですが「レジャー」という言葉の本質を考えた場合、究極的には「非日常」という言葉に行きつくと私は考えています。換言すれば、「日常から離れれば離れるほどレジャーとしての価値、体験としての印象深さが増す」ということです。
いくつか例証すると、温泉旅館で普段働く人が連休に別の場所にある温泉旅館に泊まったところで、果たしてレジャーとして楽しめるでしょうか。またここまで極端じゃなくても、元々海水浴もできるような海辺に住んでる人が同じようなビーチで有名な観光地に旅行したところで、コンクリートジャングルで普段生活している人が同じビーチに来てた時ほどの感激が得られるかと言ったら、まずそうはならないでしょう。
二番目の例でも書いたように、普段ビーチが疎遠な人ほどビーチに行く価値が得られるわけで、それも距離的な長さでも、同じ都道府県内よりも遥か遠くのハワイとか桂浜とかの方が感動は大きくなると思います。同じような理屈で言うと、京都に住んでいる人は案外地元の有名な寺社仏閣を回りませんが、関東に住んでる人は京都の寺社仏閣を非常にありがたがってお参りするのも一緒です。奈良にはあんま来てくれないけど(´;ω;`)ウッ…
地元と非地元でどうして同じ体験のレジャーでもこのような差が生まれるのか。やはりそれを分ける分水嶺は日常か、非日常かにあるように思え、またこの区分をさらに発展させると、普段の生活から程遠ければ程遠いほど、レジャーの価値が高まる傾向があるのではないかと大体半年くらい前に思いつきました。
それこそ雪国の人は沖縄みたいな温暖な地、雪がほとんど降らない熱帯の国の人ほど雪国に焦がれる様に、未体験ゆえの物珍しさもあるでしょうがやはり日常から遠いからこそこれらは価値があり、尚且つ普段の苦しい日常から解放されるような感覚が得られるのではないかと思います。
そもそも何故このような見方を持つようになったのかというと、最初の問いかけは「何故登山はレジャーなのか?」と考えたからです。普通に考えてあらゆる面で労苦が多く、冬山登山なんかは一歩間違えれば簡単に死ぬリスクがあるというのに、それでも何故大勢の人間は未だに登山をレジャーと捉えているのかと考えたからでした。
いくつか登山体験者の意見や登山の楽しみについてみて回ったところ、やはり日常からの解放感に触れている人が多く、実際に山の中は電気や水道といった主要なインフラから切り離された環境になるという状況から、「非日常」という単語が浮かんで上記結論へと至りました。
これらは言い換えると、日常から程遠いところに行けば行くほど人間はレジャーによって解放感を得られやすいということになります。単純なところでは海外旅行は国内旅行より効果が強い、また宿泊するホテルについても、普段から豪邸に住んでいる人は普段あばら家に住んでいる人よりは高級ホテルに泊まった時の効果が弱くなるのではないかと見ています。
逆を言えば、普段豪邸に泊まっている人はみすぼらしい安宿に泊まると逆に変な意味の感動を得るかもしれません。それがさらに極まると野外キャンプ、果てには登山といった、文明と隔絶された環境にレジャーを見出していき、だから割と英国人の何々卿みたいな金持ちがやたら登山にはまるのかなとも思います。
もっともこの論で行くと、最強の非日常は戦地になるとも思え、もしかしたら戦場こそが最大のレジャー地となるポテンシャルを秘めているのかもしれません。自分は行かないけど。
まとめるとレジャーとしての行き先を考えるならば、日常から距離的、質的に遠い場所を選ぶことが意外と重要だということです。特に質の差については、日常の生活環境より不便な田舎や山中がどうしてレジャーとしての価値を持つのかという点で重要で、ただ単にお金をかければいいということではないと思います。
このように考えるとちょうど十二月の今くらいの寒い時期に、ガチでダンボール巻いて野宿したあれも私にとってはレジャーだったのかもしれません。本気で凍死するんじゃないかと思ったのはこれと房総半島でのサイクリング一周失敗事件の時くらいです。
2019年12月15日日曜日
藤浪と新垣
最近ふと、制球難に苦しむ藤浪選手みていて、かつてホークスとヤクルトに在籍した新垣元選手を重ねることがありました。
野球に詳しい方なら説明不要でしょうが、藤浪選手はデビュー時から数年間華々しく活躍を遂げた後、突如として制球難、もう実質イップスに陥り、ここ数年間はまともな勝利数すら挙げられない等苦しんでいます。
藤浪選手がイップスに陥った原因はいくつか挙げられていますが、そのうちの一つの元広島のエースで今や前田智徳氏とともに広島の生き神となっている黒田博樹氏と対戦した際にビーンボールを投げ、黒田氏に怖い顔され詰め寄られたという説があります。ただこの年に藤浪選手は、黒田氏との騒動後も安定した投球を見せて前年同様に高い勝利数を挙げており、因果関係を結び付けるには強引だと思います。
むしろそれ以上に、既にノックダウンされているにもかかわらずふがいない投球を見せた懲罰として、リリーフを投入されずに延々と投げ続けさせられたという事件の後から明らかにおかしくなっており、これだけが原因ではないにしろ、最大のきっかけとなったのはこの事件だと私は思います。素人目で言えば、藤浪選手を壊したのはやはり金本氏でしょう。
そんな藤浪選手と同じく、デビュー当初はエース級の非常に華々しい活躍を遂げていたにもかかわらず、ある年をきっかけに急激に制球がおかしくなってしまったのが冒頭に上げた新垣氏です。新垣氏の場合は黒田氏や金本氏に凄まれたわけではないですが、あるシーズンオフに投球の幅を広げようと変化球のシュートを身に着けてからおかしくなったと指摘されています。
この点については野球関係者ではないですが、新垣氏に限らずシュートを身に着けてから通常のストレートもシュート回転するようになってしまったとか、選手寿命が明らかに縮んだという人を多く聞くことから、あり得なくはない説だと私は考えています。そもそも新垣氏は、その直球の伸びと極端に曲がるスライダーを武器にしていただけに、ストレートに影響したとなるとその影響は計り知れません。
その後、新垣氏は現在においても数々の暴投記録を生むなど、投球は一級なれど極端に制球の悪い投手となってしまい、最終的には引退に追い込まれてしまいました。この新垣氏についての言及をこの前見ていたら、「腕が長いなど非常に恵まれた上半身に対し、幼少時から何度も事故に遭って金属の金具やボルトを何本も埋め込まなければならなかったほど下半身が極端に弱く、そのアンバランスさが制球を不安定にさせていた」という記述を見て、「藤浪やん」と率直に思いました。
体格に優れた人間が多いプロ野球選手の中でも、身長をはじめ藤浪選手の身体的素材の良さは非常に際立っています。特にその手足の長さは方々から絶賛されており、高い球速を生む要因となる一方、腕のあまりの長さから制球し切れていないという指摘も出ています。
また新垣氏の例と比較した場合、デビュー当初はある意味「若さゆえ」にその有り余るパワーをまだ制御し切れていたものの、数年間の登板による経年劣化、またはプロとして体鍛えたことでよりパワーが増したことで、制球がおかしくなっていったのではと思うところもあります。
では新垣氏の轍を踏まないよう、藤浪選手は下半身をしっかり鍛えれば制球は良くなるのかと言ったら、正直私は疑問です。やはり身体的特徴が際立っているだけに、他の一般的な体格の選手がやるような対策でどうにかなるのか完全に未知数で、むしろ似た体格が多いメジャーリーグ選手の対策の方が合うのかもしれません。
少なくともこのままいくと実質的に「新垣二世」となるだけに、何らかの対策の道筋は出してもらいたいものです。藤浪選手自身だけではなく、今後同じような症状を起こす選手のためにも。
野球に詳しい方なら説明不要でしょうが、藤浪選手はデビュー時から数年間華々しく活躍を遂げた後、突如として制球難、もう実質イップスに陥り、ここ数年間はまともな勝利数すら挙げられない等苦しんでいます。
藤浪選手がイップスに陥った原因はいくつか挙げられていますが、そのうちの一つの元広島のエースで今や前田智徳氏とともに広島の生き神となっている黒田博樹氏と対戦した際にビーンボールを投げ、黒田氏に怖い顔され詰め寄られたという説があります。ただこの年に藤浪選手は、黒田氏との騒動後も安定した投球を見せて前年同様に高い勝利数を挙げており、因果関係を結び付けるには強引だと思います。
むしろそれ以上に、既にノックダウンされているにもかかわらずふがいない投球を見せた懲罰として、リリーフを投入されずに延々と投げ続けさせられたという事件の後から明らかにおかしくなっており、これだけが原因ではないにしろ、最大のきっかけとなったのはこの事件だと私は思います。素人目で言えば、藤浪選手を壊したのはやはり金本氏でしょう。
そんな藤浪選手と同じく、デビュー当初はエース級の非常に華々しい活躍を遂げていたにもかかわらず、ある年をきっかけに急激に制球がおかしくなってしまったのが冒頭に上げた新垣氏です。新垣氏の場合は黒田氏や金本氏に凄まれたわけではないですが、あるシーズンオフに投球の幅を広げようと変化球のシュートを身に着けてからおかしくなったと指摘されています。
この点については野球関係者ではないですが、新垣氏に限らずシュートを身に着けてから通常のストレートもシュート回転するようになってしまったとか、選手寿命が明らかに縮んだという人を多く聞くことから、あり得なくはない説だと私は考えています。そもそも新垣氏は、その直球の伸びと極端に曲がるスライダーを武器にしていただけに、ストレートに影響したとなるとその影響は計り知れません。
その後、新垣氏は現在においても数々の暴投記録を生むなど、投球は一級なれど極端に制球の悪い投手となってしまい、最終的には引退に追い込まれてしまいました。この新垣氏についての言及をこの前見ていたら、「腕が長いなど非常に恵まれた上半身に対し、幼少時から何度も事故に遭って金属の金具やボルトを何本も埋め込まなければならなかったほど下半身が極端に弱く、そのアンバランスさが制球を不安定にさせていた」という記述を見て、「藤浪やん」と率直に思いました。
体格に優れた人間が多いプロ野球選手の中でも、身長をはじめ藤浪選手の身体的素材の良さは非常に際立っています。特にその手足の長さは方々から絶賛されており、高い球速を生む要因となる一方、腕のあまりの長さから制球し切れていないという指摘も出ています。
また新垣氏の例と比較した場合、デビュー当初はある意味「若さゆえ」にその有り余るパワーをまだ制御し切れていたものの、数年間の登板による経年劣化、またはプロとして体鍛えたことでよりパワーが増したことで、制球がおかしくなっていったのではと思うところもあります。
では新垣氏の轍を踏まないよう、藤浪選手は下半身をしっかり鍛えれば制球は良くなるのかと言ったら、正直私は疑問です。やはり身体的特徴が際立っているだけに、他の一般的な体格の選手がやるような対策でどうにかなるのか完全に未知数で、むしろ似た体格が多いメジャーリーグ選手の対策の方が合うのかもしれません。
少なくともこのままいくと実質的に「新垣二世」となるだけに、何らかの対策の道筋は出してもらいたいものです。藤浪選手自身だけではなく、今後同じような症状を起こす選手のためにも。
2019年12月14日土曜日
アカデミーのF-4
先週は記事書いたりするのに忙しかったことから、買ってくるだけで製作まで手が回んなかった「F-4 ファントムⅡ」を今日作りました。
今回作ったのはアカデミーという韓国のプラモメーカーのキットです。このメーカーのキットを作るのは初めてでしたが、前から興味あったF-4のキットがプラモ屋に置いてあったので、メーカーを試す意味合いも含めて買ってみました。
作ってみた感想としては説明書がとにもかくにも丁寧でわかりやすく、また塗装しない人向けとして、外部装飾用にプラモに一般的な水転写デカール(水シール)とともに、同じデザインの通常シールも入ってあっていい意味で驚きました。私は塗装まではしないので、今回このキットは通常シールで装飾を行っていますが、デカールと比べると作業は非常に楽で、且つシールデザインも良くそこそこ見栄えのいい出来になったと思います。
唯一ダメ出しをすると、黒色パーツのプラ素材があまり良くないせいか、接着剤を付けるとすぐに溶けだす傾向がありました。これさえよければほぼパーフェクトなのに惜しいところです。
それでこのF-4ことファントムⅡですが、先日出た記事にも「初代ファントムがあまりにも影薄いから、『ファントム』と言ったら実質これ」と書かれてあるので、私も普段から「ファントム」と呼んでいます。
このファントムは冷戦期、というより二次大戦以降に生産された米国製戦闘機としては生産機数が最大で、現代のベストセラー戦闘機のF-16すら上回っています。日本もF-15を買うまではこのファントムが実質主力戦闘機として全国各地に配備され、現在も同業関係者から「鬼のように強い」と言われる自衛隊の茨城県百里基地航空隊で使用、運用されています。
今回作ってみて、改めて非常に特徴的な機体構造をした戦闘機だと思いました。写真を見てわかると思いますが、尾翼の三枚の羽根がちょうど真円を三等分するかのような角度で取り付けられている上、主翼も先端部分がやや上に跳ね上がっています。
これは主翼が尾翼より低い位置につけられていることから、通常の角度(地面に対して水平)で主翼と尾翼を配置すると、飛行中に機首を上げると急激に反り返るピッチアップという現象が起きると、試作段階で分かり対策を施したからです。現在この問題の対策としては、主翼の位置を水平尾翼より高い位置に取り付ければ解決できることが分かっており、主翼はほぼ確実に水平尾翼より高い位置に取り付けられています。
逆を言えば、このファントムのように水平尾翼より低い位置に主翼を配した構造の戦闘機は、今後もう出てこない可能性があります。
主翼と尾翼の位置関係はこの後部からの写真を見るとわかりやすいです。それにしても今見るとほんと凄い翼の形してる気がします。
真上からの撮影
なおこのキットのエアインテーク(空気吸入口)部分は、接着剤を一切使わずに組付けています。全体としてこのアカデミーのキットは取り付けやすいように杭と穴がたくさん配置されており、エアインテークもそれら構造体だけでカチっとはまってしっかり組付けられました。
ただ杭と穴が多くて一部組付けにくいところもあり、この辺は痛しかゆしです。
先月暇だから3時間くらいで作ったS13シルビア池谷先輩カラー(タミヤ)
せっかくなのでサイズを比較してみようと、家にある他の戦闘機プラモといくつか並べてみました。まず中国が誇るステルス戦闘機のJ-20との比較ですが、改めてJ-20が馬鹿でかいことがよくわかります。J-20の場合、全長だけでなく胴体もめちゃごんぶとだから実際迫力あります。
実質的にF-4の後継ともいえる米国代表マルチロール機のF-16との比較。F-16自体がちっちゃい飛行機の代表格なのでファントムのがもちろんでかいですが、こうしてみるとファントムはメインフレームがわりと骨太で、頑丈そうな印象を覚えます。
こっちはロシアが誇る「空の女王」ことSu-35Sフランカー。比較対象が悪いのはよくわかっていますが、フランカーでかすぎ。っていうかファントム乗っててこんなでかい飛行機相手する羽目になったらそりゃ怖いと思います。
マイお気に入りなMig-29ことフルバック。よくMig-29は小型の飛行機という人がいますが、それは「空のジャイアン」ことフランカーと比べるからであり、実際にはファントムよりやや大きく、またユーロファイター・タイフーンよりも全長だと大きいです。Mig-29自体、F-15を
S13シルビアとの比較
不動明王との比較
こうやって撮影していて、改めてうちの中にはいろんなもんあるなと思いました。
今回のファントムの作業時間は大体5時間くらいでしたが、我ながらプラモづくりが随分うまくなったという実感があります。個人的には前回のGDB型インプレッサがデカールの貼り具合も含めて最高傑作だと考えていますが、素組だけだったら素人から脱出できたのかなと思うに至ります。
東芝のトップ間抗争について
・名門東芝を破滅させたトップ間の嫉妬無限地獄(プレジデント)
日本の名門企業の代表とも言える東芝の不適切会計(粉飾決算)事件の発生から既にもう数年経ちますが、改めてこの問題について経済ジャーナリストで私も尊敬する大西康之氏が記事をまとめています。
なお後輩が転職活動するに当たり、業界研究用に大西氏の本を以前紹介したことがありますが、何故か後輩はその本をこのブログの広告リンクを介さずに買って、広告料が私のところには入ってきませんでした。また大西氏は私の主戦場であるJBpresでも記事を出していますが、何故か毎回自分の顔アップを入れた写真を投稿しており、陰で「大西フレーム」と呼んでます。
話は戻りますが今回のこの記事でも大西氏らしく、当事者相手に直接取材を敢行しています。それが冒頭の東芝元会長の故・西田厚聡へのインタビューですが、自宅を訪れたところ中にはいれてもらえず、それでもインターホン越しに30分間もインタビューしてのけたそうです。これ見て大西氏が過去に書いたサンヨーの本を私は思い出しましたが、あっちは「五分だけやで」とかいいながら、自宅に入れてくれた上にめっちゃ長く取材に応じてくれてましたが。
それで西田へのインタビューでは、なんと延々30分間も自分の後任社長となった佐々木則夫の悪口を言い続けたそうで、肝心の聞きたかったことは聞けずじまいだったそうです。逆を言えば、取材を拒否しながらも元部下の悪口は誰でもいいから言いふらしたかったという西田の強い意志を感じます。
知ってる人には早いですが、平成以降の東芝歴代社長である「西室泰三―岡村正―西田厚聡―佐々木則夫」の四人は、それぞれがそれぞれの事情から非常に仲が悪く、結果的にこのトップ間の憎悪ともつれた人事任命権が東芝を暴走させたと指摘されており、私もこの説に同感です。その上でこの大西氏の西田へのインタビューエピソードを見ても、西田、佐々木間の仲の悪さが、東芝を大きく迷走させたウエスチングハウス問題をより根深くさせたことを強く示唆されています。
上記の下りに関しては大西氏の記事をそのまま読んでくれればわかりますが、改めてこの東芝トップ間の確執を見て、皮肉な話ですがトップ同士で仲が悪かったからこそ、東芝の不適切会計問題は明るみに出たのかもと思いました。
何故このように思ったのかというと大西氏の記事にて、
「証券取引等監視委員会(SEC)への相次ぐ内部告発である。1件目は佐々木の出身である社会インフラ事業部門で、2件目は西田の古巣であるパソコン・テレビ事業でそれぞれ利益の水増しがあったというもの。佐々木を狙って西田側が告発し、佐々木側が西田を刺し返した――としか思えない。」
という、記述を見たからです。
私もそうと思うというか、トップ同士が仲が悪く、その地盤とする出身事業部の問題を互いに密告し合って、一気に東芝全体の問題が明るみに出た節があります。1件目の告発に関してはそもそもウエスチングハウスの買収企図、実行自体に問題があるだけに納得感がありましたが、二件目のパソコン・テレビ事業への告発に関しては当時としても、そのタイミングと事業部内容から、西田を狙い撃ちにしたものではないかと当時の私ですら感じました。
実際に大西氏の指摘通りであれば、トップ・事業部間抗争が起こっていなければ、爆弾を抱えつつ東芝は今も名門日系企業として君臨していたかもしれません。そう思うと、社内に様々な問題を作ったトップ間抗争は、最終的にはその膿を出すきっかけになるという皮肉な結果と捉えることもできそうです。
日本の名門企業の代表とも言える東芝の不適切会計(粉飾決算)事件の発生から既にもう数年経ちますが、改めてこの問題について経済ジャーナリストで私も尊敬する大西康之氏が記事をまとめています。
なお後輩が転職活動するに当たり、業界研究用に大西氏の本を以前紹介したことがありますが、何故か後輩はその本をこのブログの広告リンクを介さずに買って、広告料が私のところには入ってきませんでした。また大西氏は私の主戦場であるJBpresでも記事を出していますが、何故か毎回自分の顔アップを入れた写真を投稿しており、陰で「大西フレーム」と呼んでます。
話は戻りますが今回のこの記事でも大西氏らしく、当事者相手に直接取材を敢行しています。それが冒頭の東芝元会長の故・西田厚聡へのインタビューですが、自宅を訪れたところ中にはいれてもらえず、それでもインターホン越しに30分間もインタビューしてのけたそうです。これ見て大西氏が過去に書いたサンヨーの本を私は思い出しましたが、あっちは「五分だけやで」とかいいながら、自宅に入れてくれた上にめっちゃ長く取材に応じてくれてましたが。
それで西田へのインタビューでは、なんと延々30分間も自分の後任社長となった佐々木則夫の悪口を言い続けたそうで、肝心の聞きたかったことは聞けずじまいだったそうです。逆を言えば、取材を拒否しながらも元部下の悪口は誰でもいいから言いふらしたかったという西田の強い意志を感じます。
知ってる人には早いですが、平成以降の東芝歴代社長である「西室泰三―岡村正―西田厚聡―佐々木則夫」の四人は、それぞれがそれぞれの事情から非常に仲が悪く、結果的にこのトップ間の憎悪ともつれた人事任命権が東芝を暴走させたと指摘されており、私もこの説に同感です。その上でこの大西氏の西田へのインタビューエピソードを見ても、西田、佐々木間の仲の悪さが、東芝を大きく迷走させたウエスチングハウス問題をより根深くさせたことを強く示唆されています。
上記の下りに関しては大西氏の記事をそのまま読んでくれればわかりますが、改めてこの東芝トップ間の確執を見て、皮肉な話ですがトップ同士で仲が悪かったからこそ、東芝の不適切会計問題は明るみに出たのかもと思いました。
何故このように思ったのかというと大西氏の記事にて、
「証券取引等監視委員会(SEC)への相次ぐ内部告発である。1件目は佐々木の出身である社会インフラ事業部門で、2件目は西田の古巣であるパソコン・テレビ事業でそれぞれ利益の水増しがあったというもの。佐々木を狙って西田側が告発し、佐々木側が西田を刺し返した――としか思えない。」
という、記述を見たからです。
私もそうと思うというか、トップ同士が仲が悪く、その地盤とする出身事業部の問題を互いに密告し合って、一気に東芝全体の問題が明るみに出た節があります。1件目の告発に関してはそもそもウエスチングハウスの買収企図、実行自体に問題があるだけに納得感がありましたが、二件目のパソコン・テレビ事業への告発に関しては当時としても、そのタイミングと事業部内容から、西田を狙い撃ちにしたものではないかと当時の私ですら感じました。
実際に大西氏の指摘通りであれば、トップ・事業部間抗争が起こっていなければ、爆弾を抱えつつ東芝は今も名門日系企業として君臨していたかもしれません。そう思うと、社内に様々な問題を作ったトップ間抗争は、最終的にはその膿を出すきっかけになるという皮肉な結果と捉えることもできそうです。
2019年12月12日木曜日
電子書籍化に抵抗する作家たち
昨日記事を書いたら友人からいきなり、「文筆業ったって、今ペンで書いている作家なんていないじゃん」といきなりディスらられました。じゃあパソコンのキーボードで書くから「文キーボード業」というのかなと思いましたが、これだったら「文」いらない気がする。
その友人とそのままこのテーマで少し話しましたがその際に、電子書籍化に抵抗する作家の話にも及びました。具体名は明かしませんがミステリー作家を中心に、「絶対に著作の電子書籍化は認めない」とする人がそこそこおり、実際にこうした作家の本は一冊も電子書籍化されていません。
こうした作家について前述の友人は、「自分はパソコンで小説書くのに、読者がパソコンやスマホで読むのを認めないってのも変な話だ」とまたディスり、ちゃんとペン使って「文筆業」やれよと言ってました。まぁ私もそう思いますが。
割と進歩がゆっくりだったことからあまり意識されてないようにも思いますが、電子書籍の普及は以前と比べると大分進んだ気がします。ほんのつい五年くらい前にはまだハードコピー本の発売日から数ヶ月遅らせてからようやく電子書籍を発行する出版社も少なくありませんでしたが、こと漫画本に限れば現代においては紙と電子は同日発売が基本です。逆から言えば、以前そういううことをやっていた連中は無駄なことしかしてなかったなと思えてなりません。
そんな電子書籍の恩恵は日本国内にいるより、私のように海外で生活する人間のほうがありがたみを感じます。気になるトピックや最新の漫画本も日本国内にいるように購読することができるし、なにより場所を取らなくて済むので、今は四年も同じところに住んでますが、二年ごとに引っ越ししていた以前は本がないだけで非常に作業が楽でした。
また海外ではなく日本国内であっても、僻地に住んでいる人は私のように強い恩恵を受けているかもしれません。もう十年以上前ですが大学時代、島根出身の学生が私の部屋にある漫画を見て、「こんな漫画、島根には置いていません。広島まで買いに行く必要があります」といったセリフを今でも覚えていますが、取次ができるとは言え時間的なロスなども考えると、僻地では書籍を買うのもままならない状況が今でも続いているのではないかと思います。それだけに電子書籍の普及はこうした地域にとっても、非常にプラスになると私は考えています。
それを踏まえて言うと、やはり前述の電子書籍化を認めないとする作家の主張とスタンスは、エゴ以外の何物でもない気がします。主張の根拠はハードコピーとして読む文化や習慣を守りたい、ハードコピー本独特の良さがあるなどですが、「読めるか読めないか」という条件と比較すると実に小さな主張に思えてなりません。
もちろん、ハードコピー本にも長所はあると思うし、特に教科書などは書き込めたりする分、電子書籍より優れていると私も考えますが、小説や漫画程度であれば何が何でも紙じゃなきゃダメというようなメリットは見えません。さらに言えば、ハードコピー本も当時に販売されているのであれば、電子書籍との選択は読者に任せてもいいと思え、最初に挙げた無駄に発売日をずらしていた出版社などと同様、無駄なことしかしていないとすら思っています。
その上で将来について述べると、今後も電子書籍の普及は進み、むしろハードコピー本がどうしても欲しい場合は近くの印刷所に行ってデータを印刷し、自分の思い通りのサイズや装丁、フォントを指定してマイオリジナルな一冊を作るという形になっていくんじゃないかとも考えています。っていうかむしろ、こういう形のほうが運搬コストなどもいらないし、好きな装丁で組めるんだからいいような気がするし。
何でもかんでもデジタルを信奉するわけじゃないですが、デジタルを利用しておきながらデジタルを否定する上記の作家たちの言い分には疑問に思えてなりません。
その友人とそのままこのテーマで少し話しましたがその際に、電子書籍化に抵抗する作家の話にも及びました。具体名は明かしませんがミステリー作家を中心に、「絶対に著作の電子書籍化は認めない」とする人がそこそこおり、実際にこうした作家の本は一冊も電子書籍化されていません。
こうした作家について前述の友人は、「自分はパソコンで小説書くのに、読者がパソコンやスマホで読むのを認めないってのも変な話だ」とまたディスり、ちゃんとペン使って「文筆業」やれよと言ってました。まぁ私もそう思いますが。
割と進歩がゆっくりだったことからあまり意識されてないようにも思いますが、電子書籍の普及は以前と比べると大分進んだ気がします。ほんのつい五年くらい前にはまだハードコピー本の発売日から数ヶ月遅らせてからようやく電子書籍を発行する出版社も少なくありませんでしたが、こと漫画本に限れば現代においては紙と電子は同日発売が基本です。逆から言えば、以前そういううことをやっていた連中は無駄なことしかしてなかったなと思えてなりません。
そんな電子書籍の恩恵は日本国内にいるより、私のように海外で生活する人間のほうがありがたみを感じます。気になるトピックや最新の漫画本も日本国内にいるように購読することができるし、なにより場所を取らなくて済むので、今は四年も同じところに住んでますが、二年ごとに引っ越ししていた以前は本がないだけで非常に作業が楽でした。
また海外ではなく日本国内であっても、僻地に住んでいる人は私のように強い恩恵を受けているかもしれません。もう十年以上前ですが大学時代、島根出身の学生が私の部屋にある漫画を見て、「こんな漫画、島根には置いていません。広島まで買いに行く必要があります」といったセリフを今でも覚えていますが、取次ができるとは言え時間的なロスなども考えると、僻地では書籍を買うのもままならない状況が今でも続いているのではないかと思います。それだけに電子書籍の普及はこうした地域にとっても、非常にプラスになると私は考えています。
それを踏まえて言うと、やはり前述の電子書籍化を認めないとする作家の主張とスタンスは、エゴ以外の何物でもない気がします。主張の根拠はハードコピーとして読む文化や習慣を守りたい、ハードコピー本独特の良さがあるなどですが、「読めるか読めないか」という条件と比較すると実に小さな主張に思えてなりません。
もちろん、ハードコピー本にも長所はあると思うし、特に教科書などは書き込めたりする分、電子書籍より優れていると私も考えますが、小説や漫画程度であれば何が何でも紙じゃなきゃダメというようなメリットは見えません。さらに言えば、ハードコピー本も当時に販売されているのであれば、電子書籍との選択は読者に任せてもいいと思え、最初に挙げた無駄に発売日をずらしていた出版社などと同様、無駄なことしかしていないとすら思っています。
その上で将来について述べると、今後も電子書籍の普及は進み、むしろハードコピー本がどうしても欲しい場合は近くの印刷所に行ってデータを印刷し、自分の思い通りのサイズや装丁、フォントを指定してマイオリジナルな一冊を作るという形になっていくんじゃないかとも考えています。っていうかむしろ、こういう形のほうが運搬コストなどもいらないし、好きな装丁で組めるんだからいいような気がするし。
何でもかんでもデジタルを信奉するわけじゃないですが、デジタルを利用しておきながらデジタルを否定する上記の作家たちの言い分には疑問に思えてなりません。
2019年12月11日水曜日
文章で生計を立てるには
最初は貧しくなってきた駐在員の話でも書こうかと思ってましたが、ちょっと気分が乗ってきたので、文章で生計を立てること文筆業について思うこととかをいくつかまとめます。
まず文筆業というと直感的に小説家をイメージされやすいかと思いますが、現実には文筆業における小説家の割合は低いと思います。ライトノベルでは未だに新人が数多く出ていますが、残念ながらというか「10年間持つ」ようなレベルの小説家となると非常に限られて来ます。またライトノベル以外となると、現代日本人は以前ほど小説を購読しなくなっている上、小説の新人賞そのものも非常に少なくなって、単純にデビューするチャンスというものがそもそも殆どありません。
既に休刊していますが、毎年新人賞を挙行していたある小説誌ではその発行末期、雑誌の発行部数以上の小説の応募があったと言われています。この一点をとってみても、小説家という職業のパイが昭和と比べ平成時代において劇的に小さくなっていることを示しています。まぁ今は令和だけど。
現実には、文筆業の大半は依頼を受けてコラムや取材記事を書くライターなどが大半です。自分も決してこの方面に詳しいわけじゃないですが、この手の文筆業従事者は出版社や新聞社などに最初務めたとか、そういったメディアでのアルバイトとしてキャリアをスタートさせることが多いようです。
ただ昭和の時代と比べるとインターネットという新規メディアができたことによって、ネットに掲載する文章を専門的に執筆するライターも増えて来ました。この手のライターはもともとブロガーや、ネット広告関連業で働くうちに独立していった人が多いと聞きますが、それ以上に単純にネットメディアの募集に応じて記事を書くようになった人のほうが圧倒的多数だと思います。
最近はもう忘れ去られつつありますがかつて医療系情報サイトのWELQ問題が取り沙汰された際、記事の大半は医療とは全く無関係なバイトが1~2万円程度の報酬で、コピペしまくって作ってたと報じられており、全部が全部そうではないとは思うもののネットを主に活動するライターはこうした輩も一定数いると見るべきでしょう。
その上で本題について話し出すと、単純に文章で生計を立てようというのであれば基本はまずメディアとの接触が必要です。さっきのWELQ問題じゃないですけど、ウェブメディアの求人情報とか見ると経歴とか関係なしに募集がかかっていることが多く、単純にウェブで記事書くだけなら今はそこまで障壁は高くないんじゃないかと思います。生活できるだけの収入が得られるかどうかは別ですが。
ただその報酬額について書いておくと、やはりウェブは紙と比べて報酬は非常に低いそうです。週刊誌なんかはやっぱりそこそこの金額がもらえるそうですが、その点ウェブメディアと比べると執筆障壁は高い模様です。
という具合で簡単に業界事情をまとめしたが、敢えて言及しなかった文章の質については、やはり見方は複数あると思います。ざっと見る限り、質がいいに越したことはありませんが、文筆業界では質より速さ、以下に短時間でどれだけ原稿量を挙げられるかが重要な節があり、どれだけ良い質の文章をかけるかと言うのはあんまりアピールにはならないと思います。それであれば短時間でどれだけ情報を収集し、編集し、一本の記事にまとめられるかという実力の方がアピールとして強いでしょう。
もっとも、一般読者はともかくメディア業界の人なら文章の良し悪しは読むだけですぐわかり、話にならないレベルであれば流石に切られるでしょう。またそれ以前の問題として他の記事の無断引用、コピペなどを平気でやるような問題のあるライターも、意外と文章見るだけでわかりますし、そうした最低限のリスクヘッジを自ら行えないライターも問題のあるメディア以外では使われないでしょう。
以上を踏まえて言うと、文筆業で生計を立てるステップとしては、
1、最低限人に見せられるレベルの文章の表現・構成力を身につける
2、メディアに接触する
3、クオリティを維持して定期的に記事を出せる実力をつける
みたいな感じになるのではないかと思います。その上で求められるライターになるためとしては、やはり事情に精通している分野があるとそっち方面のメディアからお声がかかりやすいかもしれません。
私を例に取ると中国事情に精通しているということがやはりスカウトのきっかけになりましたが、現実に活動し始めてからは中国事情に対しあらゆる分野の話題を組み合わせて記事書けるというのが強みになってる気がします。実際自分としては、本音語ると相撲の記事が一番書きたいのですが。
この時点で何がいいたいのかわかってる人にはもはや言うまでもないですが、この記事で一番言いたいこととしては、文章で生計を立てるために文章技術を磨くのはそこまで重要ではないということです。私に言わせれば三年位毎日2000字程度を書き続けていれば自然と上達するし、特殊な表現なんて身につけたって使うところ限られてくるのだし、さっきも言ったようにいかに早く一本の文章としてまとめられるよう書き上げる能力の方がずっと重要です。
また前段落で述べたように、記事を書けるだけの周辺知識があることの方がずっと重要で、実際にメディアからも求められるだけに、文章技術を磨く暇あるなら金の匂いのする業界や分野を学ぶ方がベターでしょう。その上で自分のように記事内容の企画から取材、執筆まで一人で完結させられれば、どこの編集部も楽で喜ぶことでしょう。
最期に文章表現技術の磨き方についてもう少し述べると、意外に外国語を学ぶというのがレベルアップ方法となる気がします。というのも最近中国語を翻訳していて、中国語から日本語への翻訳過程であれこれ新たな表現技法をガンガン開発しており、以前と比べて特殊表現から日常でも使うと劇的に便利になる表現とか見つけられるようになりました。また暇な時間にでもそうした特殊表現をまとめたメモとか作ろうかなと思っていますが、案外表現技術で抜きん出ているのは翻訳ライターなのかもしれません。
まず文筆業というと直感的に小説家をイメージされやすいかと思いますが、現実には文筆業における小説家の割合は低いと思います。ライトノベルでは未だに新人が数多く出ていますが、残念ながらというか「10年間持つ」ようなレベルの小説家となると非常に限られて来ます。またライトノベル以外となると、現代日本人は以前ほど小説を購読しなくなっている上、小説の新人賞そのものも非常に少なくなって、単純にデビューするチャンスというものがそもそも殆どありません。
既に休刊していますが、毎年新人賞を挙行していたある小説誌ではその発行末期、雑誌の発行部数以上の小説の応募があったと言われています。この一点をとってみても、小説家という職業のパイが昭和と比べ平成時代において劇的に小さくなっていることを示しています。まぁ今は令和だけど。
現実には、文筆業の大半は依頼を受けてコラムや取材記事を書くライターなどが大半です。自分も決してこの方面に詳しいわけじゃないですが、この手の文筆業従事者は出版社や新聞社などに最初務めたとか、そういったメディアでのアルバイトとしてキャリアをスタートさせることが多いようです。
ただ昭和の時代と比べるとインターネットという新規メディアができたことによって、ネットに掲載する文章を専門的に執筆するライターも増えて来ました。この手のライターはもともとブロガーや、ネット広告関連業で働くうちに独立していった人が多いと聞きますが、それ以上に単純にネットメディアの募集に応じて記事を書くようになった人のほうが圧倒的多数だと思います。
最近はもう忘れ去られつつありますがかつて医療系情報サイトのWELQ問題が取り沙汰された際、記事の大半は医療とは全く無関係なバイトが1~2万円程度の報酬で、コピペしまくって作ってたと報じられており、全部が全部そうではないとは思うもののネットを主に活動するライターはこうした輩も一定数いると見るべきでしょう。
その上で本題について話し出すと、単純に文章で生計を立てようというのであれば基本はまずメディアとの接触が必要です。さっきのWELQ問題じゃないですけど、ウェブメディアの求人情報とか見ると経歴とか関係なしに募集がかかっていることが多く、単純にウェブで記事書くだけなら今はそこまで障壁は高くないんじゃないかと思います。生活できるだけの収入が得られるかどうかは別ですが。
ただその報酬額について書いておくと、やはりウェブは紙と比べて報酬は非常に低いそうです。週刊誌なんかはやっぱりそこそこの金額がもらえるそうですが、その点ウェブメディアと比べると執筆障壁は高い模様です。
という具合で簡単に業界事情をまとめしたが、敢えて言及しなかった文章の質については、やはり見方は複数あると思います。ざっと見る限り、質がいいに越したことはありませんが、文筆業界では質より速さ、以下に短時間でどれだけ原稿量を挙げられるかが重要な節があり、どれだけ良い質の文章をかけるかと言うのはあんまりアピールにはならないと思います。それであれば短時間でどれだけ情報を収集し、編集し、一本の記事にまとめられるかという実力の方がアピールとして強いでしょう。
もっとも、一般読者はともかくメディア業界の人なら文章の良し悪しは読むだけですぐわかり、話にならないレベルであれば流石に切られるでしょう。またそれ以前の問題として他の記事の無断引用、コピペなどを平気でやるような問題のあるライターも、意外と文章見るだけでわかりますし、そうした最低限のリスクヘッジを自ら行えないライターも問題のあるメディア以外では使われないでしょう。
以上を踏まえて言うと、文筆業で生計を立てるステップとしては、
1、最低限人に見せられるレベルの文章の表現・構成力を身につける
2、メディアに接触する
3、クオリティを維持して定期的に記事を出せる実力をつける
みたいな感じになるのではないかと思います。その上で求められるライターになるためとしては、やはり事情に精通している分野があるとそっち方面のメディアからお声がかかりやすいかもしれません。
私を例に取ると中国事情に精通しているということがやはりスカウトのきっかけになりましたが、現実に活動し始めてからは中国事情に対しあらゆる分野の話題を組み合わせて記事書けるというのが強みになってる気がします。実際自分としては、本音語ると相撲の記事が一番書きたいのですが。
この時点で何がいいたいのかわかってる人にはもはや言うまでもないですが、この記事で一番言いたいこととしては、文章で生計を立てるために文章技術を磨くのはそこまで重要ではないということです。私に言わせれば三年位毎日2000字程度を書き続けていれば自然と上達するし、特殊な表現なんて身につけたって使うところ限られてくるのだし、さっきも言ったようにいかに早く一本の文章としてまとめられるよう書き上げる能力の方がずっと重要です。
また前段落で述べたように、記事を書けるだけの周辺知識があることの方がずっと重要で、実際にメディアからも求められるだけに、文章技術を磨く暇あるなら金の匂いのする業界や分野を学ぶ方がベターでしょう。その上で自分のように記事内容の企画から取材、執筆まで一人で完結させられれば、どこの編集部も楽で喜ぶことでしょう。
最期に文章表現技術の磨き方についてもう少し述べると、意外に外国語を学ぶというのがレベルアップ方法となる気がします。というのも最近中国語を翻訳していて、中国語から日本語への翻訳過程であれこれ新たな表現技法をガンガン開発しており、以前と比べて特殊表現から日常でも使うと劇的に便利になる表現とか見つけられるようになりました。また暇な時間にでもそうした特殊表現をまとめたメモとか作ろうかなと思っていますが、案外表現技術で抜きん出ているのは翻訳ライターなのかもしれません。
2019年12月9日月曜日
女性向けゲーム生地の裏側
・仕事中もデート中も、燃え盛る中国女子のゲーム熱(JBpress)
ということで毎度ながら今日配信された記事ですが、あんまアクセスは芳しくない模様です。
この記事は執筆直前まで全くテーマを決めておらず、もう何もきまんないからとりあえず中国人女性はよくゲームするよって感じで書こうと取り掛かったところ、イケメンがいっぱい出てくる女性向けゲーム市場が盛り上がっているとわかったので、こっち方面に舵を切りました。
前述の通りアクセスはよくないものの、記事自体は我ながらよく出来てると思うし、書いてて非常に楽しかったです。BL系ゲームは中国だと規制されているので腐女子という言葉を乱しに持ってくることはできませんでしたが、どうにか友人のコメントとして記事本文に盛り込むなど、色々工夫しています。
この記事を書くにあたっては密かに、以前日本で流行った「オシャレ魔女 ラブandベリー」というゲームを意識しました。このゲームは女の子向けきせかえコーデカードゲームでしたがめちゃ大ヒットして、今回の記事でも書いたように男性向けとみられがちなゲーム業界において、女性のゲーム需要も実際にはかなり大きく存在するということを証明したゲームでした。
今回の記事テーマもまさにそれで、「ゲームは男性ばかりで女性はあまりしない」というのではなく、「女性向けのゲームが少ないから女性はあまりゲームを遊ばない」だけで、実際にちゃんと女性向けにゲームデザインしていいもの作れば市場はあると睨んでいます。
また、掲載前に編集長ともメールでやり取りしましたが、この記事で取り上げている「恋プロ」のサイトに行ったところ、めちゃ大物な男性声優が出演したり、グラフィックも非常に良く出来てて、中国のゲームメーカーもちゃんとこういうところのツボを抑えたものを作っているのかと非常に驚きました。ゲーム内容というかシナリオも面白そうでヒットしたというのも非常に納得が行ったのですが、こちらも記事にある通り、中国でもこの手のジャンルを扱えるメーカーはまだ少ないそうです。
その上で書くと、男性にも女性にも受け入れられるゲームジャンルというのは何なのか、地味にこの疑問も書いてて気になりました。単純な話、両性に受け入れられるということはそれだけ間口が広く、売れる潜在顧客数も多くなるわけで、どういう風にそのへんのゲームデザインとかしているのか、こういった方面でもまた今度取材してもいいかもしれません。
ということで毎度ながら今日配信された記事ですが、あんまアクセスは芳しくない模様です。
この記事は執筆直前まで全くテーマを決めておらず、もう何もきまんないからとりあえず中国人女性はよくゲームするよって感じで書こうと取り掛かったところ、イケメンがいっぱい出てくる女性向けゲーム市場が盛り上がっているとわかったので、こっち方面に舵を切りました。
前述の通りアクセスはよくないものの、記事自体は我ながらよく出来てると思うし、書いてて非常に楽しかったです。BL系ゲームは中国だと規制されているので腐女子という言葉を乱しに持ってくることはできませんでしたが、どうにか友人のコメントとして記事本文に盛り込むなど、色々工夫しています。
この記事を書くにあたっては密かに、以前日本で流行った「オシャレ魔女 ラブandベリー」というゲームを意識しました。このゲームは女の子向けきせかえコーデカードゲームでしたがめちゃ大ヒットして、今回の記事でも書いたように男性向けとみられがちなゲーム業界において、女性のゲーム需要も実際にはかなり大きく存在するということを証明したゲームでした。
今回の記事テーマもまさにそれで、「ゲームは男性ばかりで女性はあまりしない」というのではなく、「女性向けのゲームが少ないから女性はあまりゲームを遊ばない」だけで、実際にちゃんと女性向けにゲームデザインしていいもの作れば市場はあると睨んでいます。
また、掲載前に編集長ともメールでやり取りしましたが、この記事で取り上げている「恋プロ」のサイトに行ったところ、めちゃ大物な男性声優が出演したり、グラフィックも非常に良く出来てて、中国のゲームメーカーもちゃんとこういうところのツボを抑えたものを作っているのかと非常に驚きました。ゲーム内容というかシナリオも面白そうでヒットしたというのも非常に納得が行ったのですが、こちらも記事にある通り、中国でもこの手のジャンルを扱えるメーカーはまだ少ないそうです。
その上で書くと、男性にも女性にも受け入れられるゲームジャンルというのは何なのか、地味にこの疑問も書いてて気になりました。単純な話、両性に受け入れられるということはそれだけ間口が広く、売れる潜在顧客数も多くなるわけで、どういう風にそのへんのゲームデザインとかしているのか、こういった方面でもまた今度取材してもいいかもしれません。
2019年12月8日日曜日
ガチな人
・ホームアローン3のお姉ちゃんが20年の時を経てアベンジャーズ入りしたと思うと胸が熱くなるな…(アルファルファモザイク)
上のまとめ記事で今ハリウッドで勢いのある女優のスカーレット・ヨハンソン氏が取り上げられていますが、彼女については年々アクションも上手になっており、これだけ売れっ子になるのもよくわかる女優だと自分も思っています、ただこの人のWikipediaを見ると、
「大の悪戯好きで、特に共演する女優の胸を触ることが大好き。そのため過去にはナタリー・ポートマン、キーラ・ナイトレイ、コビー・スマルダーズ、エリザベス・オルセン、レベッカ・ホール、ペネロペ・クルス、キム・スヒョンらが初対面でいきなり胸を揉まれてしまった」
という、訳のわかんないエピソードが書かれています。なお「本人は初めて共演する女優とすぐ打ち解けるためにスキンシップを兼ねていると語っており、触った相手には自分の胸も触ってかまわないとのこと。」だそうですが、そっち方面が貧しいことで有名なナタリー・ポートマン、あまりにもなさすぎて拒食症ではないかと本当に疑われたキーラ・ナイトレイのファントム・メナスのヒロインコンビは、「貧乳のナタリーやキーラはあまりのサイズの違いにショックを受けた」とイタズラされた側代表としてコメントが書き記されています。
それにしても変なゲームとか漫画でしか行われないような行為を本気でやってる人がいるとはと、この人のWikipediaを初めて見た時に思いました。直近だと「バレットガールズ」という美少女ゲームの皮を被ったガチなTPSゲームに出てくるあるキャラクターが「モミニケーション」と称してまさにこういうことやってましたが、銃火器振り回す女性とこういう行為は相性がいいのかもしれません。
上のまとめ記事で今ハリウッドで勢いのある女優のスカーレット・ヨハンソン氏が取り上げられていますが、彼女については年々アクションも上手になっており、これだけ売れっ子になるのもよくわかる女優だと自分も思っています、ただこの人のWikipediaを見ると、
「大の悪戯好きで、特に共演する女優の胸を触ることが大好き。そのため過去にはナタリー・ポートマン、キーラ・ナイトレイ、コビー・スマルダーズ、エリザベス・オルセン、レベッカ・ホール、ペネロペ・クルス、キム・スヒョンらが初対面でいきなり胸を揉まれてしまった」
という、訳のわかんないエピソードが書かれています。なお「本人は初めて共演する女優とすぐ打ち解けるためにスキンシップを兼ねていると語っており、触った相手には自分の胸も触ってかまわないとのこと。」だそうですが、そっち方面が貧しいことで有名なナタリー・ポートマン、あまりにもなさすぎて拒食症ではないかと本当に疑われたキーラ・ナイトレイのファントム・メナスのヒロインコンビは、「貧乳のナタリーやキーラはあまりのサイズの違いにショックを受けた」とイタズラされた側代表としてコメントが書き記されています。
それにしても変なゲームとか漫画でしか行われないような行為を本気でやってる人がいるとはと、この人のWikipediaを初めて見た時に思いました。直近だと「バレットガールズ」という美少女ゲームの皮を被ったガチなTPSゲームに出てくるあるキャラクターが「モミニケーション」と称してまさにこういうことやってましたが、銃火器振り回す女性とこういう行為は相性がいいのかもしれません。
2019年12月7日土曜日
幸福転じて災いとなす
密かに好きな映画の一つに、トム・ハンクス主演の「アポロ13」があります。中でも個人的に好きなシーンを挙げると、当初は予備搭乗員であったケヴィン・ベーコン演じたジャックス・スワイガートが、正規搭乗員のトラブルから正式にアポロ13号に搭乗することとなったという連絡を電話で受けた際、電話を切ったあとで大きくガッツポーズを取るシーンです。
このシーンですが、その後の展開を考えると実は非常に皮肉の効いたシーンにも見えます。というのもこのあとアポロ13号に登場した三人は言うまでもなく、宇宙史上空前の事故に巻き込まれ、人類史的にも非常に稀なサバイバル体験に迫られることとなるためです。結果論で言えば見事三人とも地球への帰還を無事果たしているので悪いことばかりだったわけではないものの、予備から正規への昇格という福が思いもがけず災いに転じた例と言えるのではないかと思います。
なんでこの例を取り上げたのかというと、なんというか運命のいたずら的というべきか、このように当初は超ラッキーな出来事に遭遇したのに、それが後々大きな災いへと発展する例が他にもあるからです。こちらも言うまでもなくこの見出しは「災い転じて福となす」をひっくり返したものですが、案外元のことわざよりもこっちのパターンの方が世の中には多いのではないかと密かに見ています。
もう一つ私の知っているこのような例を挙げると、1993年2月に起こった早稲田大学山岳部の剣岳合宿での遭難事例があります。この合宿は春山登山訓練を兼ねたものだったのですが、ある日のテントの設営中にある一年製部品のザックを別の部員が誤って蹴落としてしまいました。ザックの中には寝袋を始め合宿(登山)に必要なすべての道具が入っていたことからこの時点で実質、同部員は合宿に参加し続けられなくなりました。
ただザックを失った日の夜は寝袋二つに無理やり三人で潜り込むことで夜を明かし、翌日に落としたところを探していたら、なんと失ったザックを無事に見つけることが出来ました。普通はそんな簡単に戻ってくるわけないことを考えると非常に幸運なことだったのですが、「まぁ見つからなければそのまま下山できたんですけどね」と、後に述べたそうです。
その後、合宿が続けられ、ザックを失った一年製部員は別の一年製部員一人、四年生部員二人の計四人でルート工作のためにキャンプ地を離れました。ただこの時、天気予報では低気圧が太平洋側と日本海側で二つ発生するという、俗に言う二つ玉低気圧が発生しており、遠からず天気が大荒れになることがほぼ確実でした。しかしこの時のキャンプリーダーは天気予報を聞いていたにもかかわらずその事実をルート工作隊には告げず、そのまま出発させてしまったそうです。
この判断については議論が分かれており、天気が大荒れになることが分かっていても好天の間にルート工作をすることは必要で、登山においてそれほど珍しくはないそうです。ただ大荒れになることが分かっているのであればせめて情報だけでも共有し、早めに引き上げるよう伝えるべきだったのではという見方もあるものの、ザックを失った一年製部員は、「自分でラジオなどで確認しなかった責任がある」として、この時の判断について述べています。
その後、ルート工作自体は問題なく終わったものの、キャンプ地へ引き上げる途中で天気が大荒れとなり、道もわからないほど吹雪いたことで工作隊は停滞を余儀なくされます。この際、四年製部員二人が雪棚を作ってビバークしたものの、この間も天気はどんどん悪化していきました。翌日、四年生部員一人が動かなくなり、残り三人で帰還を目指すものの吹雪に道を閉ざされ、この日も帰還は叶いませんでした。
相変わらず荒れ狂う天気の中、比較的体力のあったザックを失った一年製部員が三人分の雪洞を掘って避難します。雪洞に入ってしばらくした後、四年生部員がまだ生きてるかと大きな声で雪洞越しに尋ねて来たそうですが、雪洞に入る前の時点で息も絶え絶えだったことから幻聴ではないかと本人は述懐しています。
明けて翌日も天気が悪く雪洞で丸一日を過ごし、翌々日にようやく天気が回復したことでザックを失った一年生は雪洞から出て帰還にむけ動き始めましたが、他の雪洞は全くそのような動きはなく、また恐らくもう生存していないという判断からそのまま一人で出発したそうです。その後、この一年生のみがキャンプ地へと無事帰還できましたが、最初に亡くなった四年生、雪洞に入った四年生と一年生はそれぞれ後から来た救助隊によって死亡が確認されました。
生還した一年生部員は「生きて帰れないとは思わなかった、必ず帰還できると思ってた」と話しており、その精神力には当時の山岳部監督らも称賛しています。実際に三日間にも渡る極寒の山奥から帰ってこれたのは驚嘆に値することですが、それ以上に自分としては彼が遭難前にザックを失い、再発見していたという事実のほうが強く印象に残りました。
あのままザックが見つからなければ少なくとも彼が遭難することはなかったと考えるとその運命性には不思議なものが感じられ、さらにそうした数奇な運命に遭いながらも見事帰還を果たしたというのはなかなか一言では表現しきれません。
この例は下記の参考文献に掲載されていた遭難記ですが、これを読んで私は一見幸福だと思える出来事も、その後何がどう転がって災いに転じるかわからないものだと強く感じさせられました。無論、本人がどうこうしたことで災いへの転換を防げることなぞありませんが、運命とは時にこうした数奇なひっくり返し方をすることもあると強く意識しています。
<参考文献>
「ヤマケイ文庫 ドキュメント 気象遭難」
羽根田治著 山と溪谷社 2013年
このシーンですが、その後の展開を考えると実は非常に皮肉の効いたシーンにも見えます。というのもこのあとアポロ13号に登場した三人は言うまでもなく、宇宙史上空前の事故に巻き込まれ、人類史的にも非常に稀なサバイバル体験に迫られることとなるためです。結果論で言えば見事三人とも地球への帰還を無事果たしているので悪いことばかりだったわけではないものの、予備から正規への昇格という福が思いもがけず災いに転じた例と言えるのではないかと思います。
なんでこの例を取り上げたのかというと、なんというか運命のいたずら的というべきか、このように当初は超ラッキーな出来事に遭遇したのに、それが後々大きな災いへと発展する例が他にもあるからです。こちらも言うまでもなくこの見出しは「災い転じて福となす」をひっくり返したものですが、案外元のことわざよりもこっちのパターンの方が世の中には多いのではないかと密かに見ています。
もう一つ私の知っているこのような例を挙げると、1993年2月に起こった早稲田大学山岳部の剣岳合宿での遭難事例があります。この合宿は春山登山訓練を兼ねたものだったのですが、ある日のテントの設営中にある一年製部品のザックを別の部員が誤って蹴落としてしまいました。ザックの中には寝袋を始め合宿(登山)に必要なすべての道具が入っていたことからこの時点で実質、同部員は合宿に参加し続けられなくなりました。
ただザックを失った日の夜は寝袋二つに無理やり三人で潜り込むことで夜を明かし、翌日に落としたところを探していたら、なんと失ったザックを無事に見つけることが出来ました。普通はそんな簡単に戻ってくるわけないことを考えると非常に幸運なことだったのですが、「まぁ見つからなければそのまま下山できたんですけどね」と、後に述べたそうです。
その後、合宿が続けられ、ザックを失った一年製部員は別の一年製部員一人、四年生部員二人の計四人でルート工作のためにキャンプ地を離れました。ただこの時、天気予報では低気圧が太平洋側と日本海側で二つ発生するという、俗に言う二つ玉低気圧が発生しており、遠からず天気が大荒れになることがほぼ確実でした。しかしこの時のキャンプリーダーは天気予報を聞いていたにもかかわらずその事実をルート工作隊には告げず、そのまま出発させてしまったそうです。
この判断については議論が分かれており、天気が大荒れになることが分かっていても好天の間にルート工作をすることは必要で、登山においてそれほど珍しくはないそうです。ただ大荒れになることが分かっているのであればせめて情報だけでも共有し、早めに引き上げるよう伝えるべきだったのではという見方もあるものの、ザックを失った一年製部員は、「自分でラジオなどで確認しなかった責任がある」として、この時の判断について述べています。
その後、ルート工作自体は問題なく終わったものの、キャンプ地へ引き上げる途中で天気が大荒れとなり、道もわからないほど吹雪いたことで工作隊は停滞を余儀なくされます。この際、四年製部員二人が雪棚を作ってビバークしたものの、この間も天気はどんどん悪化していきました。翌日、四年生部員一人が動かなくなり、残り三人で帰還を目指すものの吹雪に道を閉ざされ、この日も帰還は叶いませんでした。
相変わらず荒れ狂う天気の中、比較的体力のあったザックを失った一年製部員が三人分の雪洞を掘って避難します。雪洞に入ってしばらくした後、四年生部員がまだ生きてるかと大きな声で雪洞越しに尋ねて来たそうですが、雪洞に入る前の時点で息も絶え絶えだったことから幻聴ではないかと本人は述懐しています。
明けて翌日も天気が悪く雪洞で丸一日を過ごし、翌々日にようやく天気が回復したことでザックを失った一年生は雪洞から出て帰還にむけ動き始めましたが、他の雪洞は全くそのような動きはなく、また恐らくもう生存していないという判断からそのまま一人で出発したそうです。その後、この一年生のみがキャンプ地へと無事帰還できましたが、最初に亡くなった四年生、雪洞に入った四年生と一年生はそれぞれ後から来た救助隊によって死亡が確認されました。
生還した一年生部員は「生きて帰れないとは思わなかった、必ず帰還できると思ってた」と話しており、その精神力には当時の山岳部監督らも称賛しています。実際に三日間にも渡る極寒の山奥から帰ってこれたのは驚嘆に値することですが、それ以上に自分としては彼が遭難前にザックを失い、再発見していたという事実のほうが強く印象に残りました。
あのままザックが見つからなければ少なくとも彼が遭難することはなかったと考えるとその運命性には不思議なものが感じられ、さらにそうした数奇な運命に遭いながらも見事帰還を果たしたというのはなかなか一言では表現しきれません。
この例は下記の参考文献に掲載されていた遭難記ですが、これを読んで私は一見幸福だと思える出来事も、その後何がどう転がって災いに転じるかわからないものだと強く感じさせられました。無論、本人がどうこうしたことで災いへの転換を防げることなぞありませんが、運命とは時にこうした数奇なひっくり返し方をすることもあると強く意識しています。
<参考文献>
「ヤマケイ文庫 ドキュメント 気象遭難」
羽根田治著 山と溪谷社 2013年
2019年12月4日水曜日
中村哲氏の逝去について
・中村哲医師が死亡 アフガンで銃撃、病院搬送後に(産経新聞)
今日は当初、中国への任天堂上陸について書こうかと思っていましたが、上のニュースで一気にその予定が吹っ飛びました。
中村氏については過去に講演会に行く予定だったのが別の予定が入っていけなくなるというニアミスをしたことからその存在を知り、その著作やペシャワール会の取材報道などを見て陰ながら尊敬していた人物でしたが、このような最期を遂げることとなり深く残念に感じます。またそれと同時に、アフガニスタン戦争から既に長い年月が経ちますが、未だにこのような事件が起こるということを考えると、現地の状況などについて複雑に感じる面も多いです。
なお今回の事件報道をきっかけに以前に同じペシャワール会で2008年に拉致殺害された伊藤和也氏について先程調べ直したところ、2012年に主犯格三人が逮捕されていたことを知りました。今更逮捕されたところでという感情もあるものの、今回の中村氏の殺害犯に関しても相応の方の裁きが下ってほしいと願ってやみません。
今日は当初、中国への任天堂上陸について書こうかと思っていましたが、上のニュースで一気にその予定が吹っ飛びました。
中村氏については過去に講演会に行く予定だったのが別の予定が入っていけなくなるというニアミスをしたことからその存在を知り、その著作やペシャワール会の取材報道などを見て陰ながら尊敬していた人物でしたが、このような最期を遂げることとなり深く残念に感じます。またそれと同時に、アフガニスタン戦争から既に長い年月が経ちますが、未だにこのような事件が起こるということを考えると、現地の状況などについて複雑に感じる面も多いです。
なお今回の事件報道をきっかけに以前に同じペシャワール会で2008年に拉致殺害された伊藤和也氏について先程調べ直したところ、2012年に主犯格三人が逮捕されていたことを知りました。今更逮捕されたところでという感情もあるものの、今回の中村氏の殺害犯に関しても相応の方の裁きが下ってほしいと願ってやみません。
2019年12月3日火曜日
日本神話における怪物
最近、というか昨日から始めた「Townsmen」という中世版シムシティにハマって、昨夜夜中2時まで遊んだせいか今日は仕事が辛かったです。なおこのゲームは街中のオブジェに「絞首台」を作れますが、これを街中に起きまくっても民草の満足度が上がる不思議なゲームです。
話は本題ですが日本神話というと実質的に古事記の話になりますが、前から思っていたこととしてなんかやたら怪物が少ない神話だなという気がします。ギリシア神話やケルト神話、果てにはユニクロ神話(柳井氏)をはじめ、神話では基本的に英雄と怪物が戦ってなんぼな世界があります。いやまぁユニクロには英雄がいるのかって話になるけど。
そうした神話に対し日本神話こと古事記ではイヒカや八咫烏、ヨモツシコメを始め妖怪っぽい人外キャラクターはたくさん出てくるけど、世界を破滅に導くようなゴジラ級の怪物となるととんと出てきません。唯一の例外がヤマタノオロチで、そのせいで日本神話を題材にしたゲームのラスボスとなるとほぼ毎回こいつが出てきて、元中日の浅尾氏同様に登板過多も良いところでしょう。
一応というか、神話以降の講談の世界であればまだ怪物は出てきます。大半は今昔物語を出典とした源頼光による怪物討伐劇で、鵺、土蜘蛛、酒呑童子など、いずれも西洋の怪物に負けないくらいのキャラを発揮するキャラばっかです。中でも酒呑童子に代表される日本の鬼は、イメージ的には仏教の金剛力士を思わせる筋骨隆々の怪物たちで、問答無用に人を喰うという性質もあって日本の代表的怪物として成立しているように見えます。
こうした今昔物語に出てくる鬼たち、並びに源頼光の怪物退治物語を見る限りだと、日本人も英雄VS怪物の構図は嫌いではないと推測されます。にもかかわらず何故か神話だけは非常におとなしく、天孫降臨でもオオクニヌシはそんな抵抗せず、息子のタケミナカタが空気読めないバカ息子的に抵抗したくらいで、合戦系の描写もなんか少ない気がします。第一ヤマタノオロチを退治するスサノオノミコトのほうが冥界の王で、どっちかって言うと怪物ポジションです。
なんでこれほど日本神話は大人しいのか適当に仮設を述べると、日本人は当時から極端な農耕民族であったからではないかと個人的には思います。農耕民族は労力の数で収穫や冬場の生存が左右されるだけに、人を殺したりすることはテリトリー内では大きなご法度です。
なお狩猟民族はそんなの関係なしに強いやつだけ生き残れることから、やたらと他民族とかを生贄に捧げたがる傾向があると聞きます。
で、その農耕民族の日本人としてはとにもかくにも人口第一、争いなんて以ての外だから、神話でも争い合う描写は極端に少なくなっていったのではと推測しています。このように考えてみると、ギリシャ神話やケルト神話なんてまさに狩猟民族の物語だと言わんばかりの内容に見えてきます。ユニクロ神話はこの際置いときます。
最期に神話つながりでいうとインド神話は、息子の顔が気に食わないから切り落として象の頭をつけたとか、読んでてわけがわからなくなるくらいカオスな世界が広がっていますが、あれもカオスなインドの一端を示しているとしたら、神話は意外と民族性を知るいい手がかりなのかもしれません。
話は本題ですが日本神話というと実質的に古事記の話になりますが、前から思っていたこととしてなんかやたら怪物が少ない神話だなという気がします。ギリシア神話やケルト神話、果てにはユニクロ神話(柳井氏)をはじめ、神話では基本的に英雄と怪物が戦ってなんぼな世界があります。いやまぁユニクロには英雄がいるのかって話になるけど。
そうした神話に対し日本神話こと古事記ではイヒカや八咫烏、ヨモツシコメを始め妖怪っぽい人外キャラクターはたくさん出てくるけど、世界を破滅に導くようなゴジラ級の怪物となるととんと出てきません。唯一の例外がヤマタノオロチで、そのせいで日本神話を題材にしたゲームのラスボスとなるとほぼ毎回こいつが出てきて、元中日の浅尾氏同様に登板過多も良いところでしょう。
一応というか、神話以降の講談の世界であればまだ怪物は出てきます。大半は今昔物語を出典とした源頼光による怪物討伐劇で、鵺、土蜘蛛、酒呑童子など、いずれも西洋の怪物に負けないくらいのキャラを発揮するキャラばっかです。中でも酒呑童子に代表される日本の鬼は、イメージ的には仏教の金剛力士を思わせる筋骨隆々の怪物たちで、問答無用に人を喰うという性質もあって日本の代表的怪物として成立しているように見えます。
こうした今昔物語に出てくる鬼たち、並びに源頼光の怪物退治物語を見る限りだと、日本人も英雄VS怪物の構図は嫌いではないと推測されます。にもかかわらず何故か神話だけは非常におとなしく、天孫降臨でもオオクニヌシはそんな抵抗せず、息子のタケミナカタが空気読めないバカ息子的に抵抗したくらいで、合戦系の描写もなんか少ない気がします。第一ヤマタノオロチを退治するスサノオノミコトのほうが冥界の王で、どっちかって言うと怪物ポジションです。
なんでこれほど日本神話は大人しいのか適当に仮設を述べると、日本人は当時から極端な農耕民族であったからではないかと個人的には思います。農耕民族は労力の数で収穫や冬場の生存が左右されるだけに、人を殺したりすることはテリトリー内では大きなご法度です。
なお狩猟民族はそんなの関係なしに強いやつだけ生き残れることから、やたらと他民族とかを生贄に捧げたがる傾向があると聞きます。
で、その農耕民族の日本人としてはとにもかくにも人口第一、争いなんて以ての外だから、神話でも争い合う描写は極端に少なくなっていったのではと推測しています。このように考えてみると、ギリシャ神話やケルト神話なんてまさに狩猟民族の物語だと言わんばかりの内容に見えてきます。ユニクロ神話はこの際置いときます。
最期に神話つながりでいうとインド神話は、息子の顔が気に食わないから切り落として象の頭をつけたとか、読んでてわけがわからなくなるくらいカオスな世界が広がっていますが、あれもカオスなインドの一端を示しているとしたら、神話は意外と民族性を知るいい手がかりなのかもしれません。
2019年12月2日月曜日
記事ネタの収集について
今日あまりにも汚いからキーボードのキーを外して洗ったところ、何本かのキーでツメが折れて、使用は問題ないもののやや違和感をおぼえるようになったらまた今度新品を買ってこようかと思っています。今まで何度か洗ったことあるけど、こんな感じでツメ折ったのは初めてです。まぁ語年も使ってるんだから仕方ないけど。
話は本題ですが、友人に最近の自分の記事について意見を求めたところ、「記事内容より記事ネタ探しに苦しんでいる姿を見ることが増えた」と言われましたが、実際にそのとおりだったりします。
これまでJBpressで配信する記事に関しては割と早めにネタを決めて、他の記事を書きながら細かい情報とかをかき集めたりしていました。しかし最近はギリギリまで決めず、直前に閃いたものを急いで調べて書くということを繰り返しています。今回もそれでしたが、それでも昨日1日だけでネタ集めて、訳して、図表作って記事書き上げるのは我ながら大したものです。
何故記事ネタで困るようになったのかというと、単純にストックが切れてきたということが大きいです。これまではJBpressで書き始める以前にこのブログなどで取り上げてきたネタを使うことができましたが、最近はその手のネタも使い切って弾無しアパーム状態になってたりします。また現段階で今年のこのブログへの投稿本数は年間で過去最低になることがほぼ確定しており、単純にブログに書くネタ自体が少なくなってて流用もままならなくなっています。
何気にこのブログの方でも、最近は記事書く前に何を書こうかってずっと悩むことが増えてます。これは恐らく本とかあんま読まなくなって知的刺激を受けず、ネタを思いつくことが少なくなっているためです。あと政治ニュースがくだらないのが増えて、取り上げるネタもなくなっていることも大きいでしょう。
それでも一応は三日は開けなようにして記事を書いていますが、以前と比べるとそこまでブログに頑張らなくてもいいかもとか思うようにもなってきました。特に先々週はガチでやばいくらい忙しかったので、ブログについて考えるのがリアルに苦痛でした。
ただこうした傾向は控えめに見ても、あまり良くない状況だと思います。やはり何にでも興味を持って調べて、記事にしようっていう心構えは万能に強く、そうした姿勢をちゃんと維持することが自分の成長においては重要間違いないでしょう。ちゃんと継続する価値は自分でも認めています。
さしあたっては、JBpressでため記事として一番使える歴史ネタをもっとこのブログで取り上げていかないとと検討しています。歴史ネタは一切腐ることなく、またこのブログで書いた内容でもほぼそのまま使えるので応用がききやすいです。
それ以前にというか、冷静に考えて二週間に一回のペースであれ程のクオリティの記事をJBpressに毎回出している事自体が地味にとんでもないペースだと思います。昨日あった人もこのペースに少し驚いてたけど、本当にネタ無いときなんかは予め伝えて休載することも今後は考えていく必要もあるかもしれません。
話は本題ですが、友人に最近の自分の記事について意見を求めたところ、「記事内容より記事ネタ探しに苦しんでいる姿を見ることが増えた」と言われましたが、実際にそのとおりだったりします。
これまでJBpressで配信する記事に関しては割と早めにネタを決めて、他の記事を書きながら細かい情報とかをかき集めたりしていました。しかし最近はギリギリまで決めず、直前に閃いたものを急いで調べて書くということを繰り返しています。今回もそれでしたが、それでも昨日1日だけでネタ集めて、訳して、図表作って記事書き上げるのは我ながら大したものです。
何故記事ネタで困るようになったのかというと、単純にストックが切れてきたということが大きいです。これまではJBpressで書き始める以前にこのブログなどで取り上げてきたネタを使うことができましたが、最近はその手のネタも使い切って弾無しアパーム状態になってたりします。また現段階で今年のこのブログへの投稿本数は年間で過去最低になることがほぼ確定しており、単純にブログに書くネタ自体が少なくなってて流用もままならなくなっています。
何気にこのブログの方でも、最近は記事書く前に何を書こうかってずっと悩むことが増えてます。これは恐らく本とかあんま読まなくなって知的刺激を受けず、ネタを思いつくことが少なくなっているためです。あと政治ニュースがくだらないのが増えて、取り上げるネタもなくなっていることも大きいでしょう。
それでも一応は三日は開けなようにして記事を書いていますが、以前と比べるとそこまでブログに頑張らなくてもいいかもとか思うようにもなってきました。特に先々週はガチでやばいくらい忙しかったので、ブログについて考えるのがリアルに苦痛でした。
ただこうした傾向は控えめに見ても、あまり良くない状況だと思います。やはり何にでも興味を持って調べて、記事にしようっていう心構えは万能に強く、そうした姿勢をちゃんと維持することが自分の成長においては重要間違いないでしょう。ちゃんと継続する価値は自分でも認めています。
さしあたっては、JBpressでため記事として一番使える歴史ネタをもっとこのブログで取り上げていかないとと検討しています。歴史ネタは一切腐ることなく、またこのブログで書いた内容でもほぼそのまま使えるので応用がききやすいです。
それ以前にというか、冷静に考えて二週間に一回のペースであれ程のクオリティの記事をJBpressに毎回出している事自体が地味にとんでもないペースだと思います。昨日あった人もこのペースに少し驚いてたけど、本当にネタ無いときなんかは予め伝えて休載することも今後は考えていく必要もあるかもしれません。
2019年11月30日土曜日
3年以内に退職することは忍耐力がないと言えるのか?
・イーロン・マスク『Cybertruck』発表会の“窓ガラス破壊”に言及「鉄球を投げてから、ドアをハンマーで叩くべきだった」(Real Sound)
本題と関係ないけど上のニュースを見て、イーロン・マスクは実は黄金長方形の回転を用いる鉄球使いだったのではという疑念が私の中で持ち上がっています。さらにどうでもいいけどちょうど今からちょうど9年前の11月くらい、家の近くの喫茶店で「スティール・ボール・ラン」の単行本を梅ジュースかなんか飲みながら読み進めていたなと思い出します。あの頃は髀肉の嘆状態だったけどとにかく楽だった。
・新入社員「ヒェ…ブラックやんけ転職したろ!」企業「3年以内でやめる奴はクズだから採用しないぞ」(暇人速報)
話は本題ですが、上の記事を見て直感的に感じたこととしては、「日本ではまだ3年とか言っているんだな」という感想でした。私が「スティール・ボール・ラン」を読んでて退職に動き出した当時も「岩の上にも三年」とせめて3年間は勤めた方がいいのではと説得されましたが、これだけイノベーションが激しくなっている世の中で3年もアクションを起こさないというのはどうかなと、当時ですら思っていました。
特に、現在の私のように「企業外国人傭兵」こと現地採用者のこの手の見切りに関する時間感覚は極端に短いです。以前スカウトを受けた企業の担当者からは、「半年もいれば今いる会社には義理を果たしたと言えるのでは」と言われましたが、実際に現地採用者の感覚では半年間いれば最低限の義理は果たしたと言え遠慮なく退職する人も珍しくありません。またこのエピソードを現地採用者を取り扱う人材会社の人にも言ったら、「まぁ半年もいれば十分だよね」と同感され、人事系の人間ですらも半年で去られることは珍しくないと考えているようでした。
話は日本の事情に戻しますが、そもそも何故3年という区切りがこれほどまで熱く語られているのかというと、転職時に忍耐力がないとみなされる基準となっていることが最大の原因でしょう。上記リンク先のまとめ記事もその点がテーマとなっていますが、私としてはやはりこうした価値観は早くに捨てるべきだと思います。
何故そう考えるのかというと、ブラック企業の存在があるからです。言うまでもなくブラック企業に勤めていると体や精神を壊す可能性がある上、そこにとどまっていても一切何も前進はありません。そうした問題ある組織からはすかさず離れるのが最善策なのですが、それを阻むのがこの「3年ルール」で、3年以内に退職したら次の転職先を探す上で障害となることを懸念して退職に踏み切れないという人が、特に新卒就職者を中心に多いと聞きます。これは見方を変えると、3年ルールそのものがブラック企業の存続を助長していると私には見えます。
その上で、3年以内に辞めるということが忍耐力を見る指標となるのかというと、私には正直疑問です。「飽きっぽい性格」の持ち主である可能性は否定しませんが、会社をすぐ「辞める=忍耐力がない」(こうした括弧書き表現に最近はまってます)という図式はやはり早計だと言え、はっきり言えばこの概念を持っている人に対して私は強い疑念を覚えます。
何故かというと、自分はこれまでほぼ2年ごとに転職を繰り返して今の会社に居ますが、奇跡の4年目に入り最長勤続日数を更新し続けている今の会社では「我慢強くて、ほっとくと休まなくなるから無理やり休ませる必要がある」と言われており、現にほぼ毎日、
「休め」
「いや、仕事が俺を待っている」
というやり取りをよく上司らと繰り返しています。
もう一つ例を挙げると、先日うちの部署に新人が来ましたが、その新人は20代ながらこれまで既に4~5社を経験するなど転職を繰り返していました。しかしその履歴書を見るや私は、「絶対に取るべき人材だ」と上に強く推して、採用に持ってこさせました。実際にそうした自分の期待通りにその新人は、嫌がらずにこっちの指示した仕事をこなしてくれるし、忙しいときには残業なども厭わずやってくれて周りの評判も悪くありません。
この新人を一体何故私がプッシュしたのかというと、4ヶ月で辞めているものの、私も経験したブラックな業界にある企業で前職を経験しており、「あの業界を経験しているやつなら根性があるし、うちの会社の環境ならいるだけでありがたく感じるはずだ」と読んだからです。変な話ですが、ブラック企業を経験しているからこそ根性ありと判断して推しました。
上記の私と新人の例は極端かもしれませんが、短期で退職するからと言って忍耐力がないわけではなく、単純に今まで当たってきた短期退職を余儀なくされるほど企業がおかしいだけという例も、世の中には多いと思います。むしろ逆にまともな環境であれば、以前にブラック企業を経験した人ほどそのありがたみを感じるだろうし、企業側が期待する「忍耐力」を発揮してくれると私には思います。まともな環境なら。
ただその上でやや曖昧な感覚で述べると、3年ルールをめぐる転職で取り沙汰される「忍耐力」という概念は本当は「責任感」という概念なのではないかと密かに見ています。本当は「責任感」なのに、それを求職者、募集企業側ともに「忍耐力」という言葉を使いながら変に勘違いしたまま使用し、なおかつその「責任感」を図る指標に対して何故か「忍耐力」の指標を使おうとするから、お互いややこしいことになっているのではないかとこの前思いました。まともな人材がほしいというのなら、やはりそこというか「忍耐力」ではなく「責任感」のある人間を募集しないとダメだと思います。
少しややこしい言い回しをしましたが結論を述べると、「勤続3年という時間の区切りは何の指標にも参考にもならない」というのが一番言いたいことです。まぁ日系企業がこうした見方に共感するまでには、後20年はかかると私は予測しますが。
おまけ
以前に面接担当をしたことある友人は、その業界は兎にも角にも体力が要求される業界であることから、「中学・高校で運動部に入っていなかったという時点で切っていた」という過去を教えてくれました。実際にその業界は体力が何よりも必要で、体力なかったら速攻でリアルに死ぬこととなるほどの業界であることから、この友人の判断はむしろ優しい配慮だと私には思えました。ただ、
「ただ例外として、文化系でも吹奏楽部出身者だけは通してた。あそこは文化系の皮を被った運動部だ」
と話しており、つくづくよく見ている人だと変に感心しました。
本題と関係ないけど上のニュースを見て、イーロン・マスクは実は黄金長方形の回転を用いる鉄球使いだったのではという疑念が私の中で持ち上がっています。さらにどうでもいいけどちょうど今からちょうど9年前の11月くらい、家の近くの喫茶店で「スティール・ボール・ラン」の単行本を梅ジュースかなんか飲みながら読み進めていたなと思い出します。あの頃は髀肉の嘆状態だったけどとにかく楽だった。
・新入社員「ヒェ…ブラックやんけ転職したろ!」企業「3年以内でやめる奴はクズだから採用しないぞ」(暇人速報)
話は本題ですが、上の記事を見て直感的に感じたこととしては、「日本ではまだ3年とか言っているんだな」という感想でした。私が「スティール・ボール・ラン」を読んでて退職に動き出した当時も「岩の上にも三年」とせめて3年間は勤めた方がいいのではと説得されましたが、これだけイノベーションが激しくなっている世の中で3年もアクションを起こさないというのはどうかなと、当時ですら思っていました。
特に、現在の私のように「企業外国人傭兵」こと現地採用者のこの手の見切りに関する時間感覚は極端に短いです。以前スカウトを受けた企業の担当者からは、「半年もいれば今いる会社には義理を果たしたと言えるのでは」と言われましたが、実際に現地採用者の感覚では半年間いれば最低限の義理は果たしたと言え遠慮なく退職する人も珍しくありません。またこのエピソードを現地採用者を取り扱う人材会社の人にも言ったら、「まぁ半年もいれば十分だよね」と同感され、人事系の人間ですらも半年で去られることは珍しくないと考えているようでした。
話は日本の事情に戻しますが、そもそも何故3年という区切りがこれほどまで熱く語られているのかというと、転職時に忍耐力がないとみなされる基準となっていることが最大の原因でしょう。上記リンク先のまとめ記事もその点がテーマとなっていますが、私としてはやはりこうした価値観は早くに捨てるべきだと思います。
何故そう考えるのかというと、ブラック企業の存在があるからです。言うまでもなくブラック企業に勤めていると体や精神を壊す可能性がある上、そこにとどまっていても一切何も前進はありません。そうした問題ある組織からはすかさず離れるのが最善策なのですが、それを阻むのがこの「3年ルール」で、3年以内に退職したら次の転職先を探す上で障害となることを懸念して退職に踏み切れないという人が、特に新卒就職者を中心に多いと聞きます。これは見方を変えると、3年ルールそのものがブラック企業の存続を助長していると私には見えます。
その上で、3年以内に辞めるということが忍耐力を見る指標となるのかというと、私には正直疑問です。「飽きっぽい性格」の持ち主である可能性は否定しませんが、会社をすぐ「辞める=忍耐力がない」(こうした括弧書き表現に最近はまってます)という図式はやはり早計だと言え、はっきり言えばこの概念を持っている人に対して私は強い疑念を覚えます。
何故かというと、自分はこれまでほぼ2年ごとに転職を繰り返して今の会社に居ますが、奇跡の4年目に入り最長勤続日数を更新し続けている今の会社では「我慢強くて、ほっとくと休まなくなるから無理やり休ませる必要がある」と言われており、現にほぼ毎日、
「休め」
「いや、仕事が俺を待っている」
というやり取りをよく上司らと繰り返しています。
もう一つ例を挙げると、先日うちの部署に新人が来ましたが、その新人は20代ながらこれまで既に4~5社を経験するなど転職を繰り返していました。しかしその履歴書を見るや私は、「絶対に取るべき人材だ」と上に強く推して、採用に持ってこさせました。実際にそうした自分の期待通りにその新人は、嫌がらずにこっちの指示した仕事をこなしてくれるし、忙しいときには残業なども厭わずやってくれて周りの評判も悪くありません。
この新人を一体何故私がプッシュしたのかというと、4ヶ月で辞めているものの、私も経験したブラックな業界にある企業で前職を経験しており、「あの業界を経験しているやつなら根性があるし、うちの会社の環境ならいるだけでありがたく感じるはずだ」と読んだからです。変な話ですが、ブラック企業を経験しているからこそ根性ありと判断して推しました。
上記の私と新人の例は極端かもしれませんが、短期で退職するからと言って忍耐力がないわけではなく、単純に今まで当たってきた短期退職を余儀なくされるほど企業がおかしいだけという例も、世の中には多いと思います。むしろ逆にまともな環境であれば、以前にブラック企業を経験した人ほどそのありがたみを感じるだろうし、企業側が期待する「忍耐力」を発揮してくれると私には思います。まともな環境なら。
ただその上でやや曖昧な感覚で述べると、3年ルールをめぐる転職で取り沙汰される「忍耐力」という概念は本当は「責任感」という概念なのではないかと密かに見ています。本当は「責任感」なのに、それを求職者、募集企業側ともに「忍耐力」という言葉を使いながら変に勘違いしたまま使用し、なおかつその「責任感」を図る指標に対して何故か「忍耐力」の指標を使おうとするから、お互いややこしいことになっているのではないかとこの前思いました。まともな人材がほしいというのなら、やはりそこというか「忍耐力」ではなく「責任感」のある人間を募集しないとダメだと思います。
少しややこしい言い回しをしましたが結論を述べると、「勤続3年という時間の区切りは何の指標にも参考にもならない」というのが一番言いたいことです。まぁ日系企業がこうした見方に共感するまでには、後20年はかかると私は予測しますが。
おまけ
以前に面接担当をしたことある友人は、その業界は兎にも角にも体力が要求される業界であることから、「中学・高校で運動部に入っていなかったという時点で切っていた」という過去を教えてくれました。実際にその業界は体力が何よりも必要で、体力なかったら速攻でリアルに死ぬこととなるほどの業界であることから、この友人の判断はむしろ優しい配慮だと私には思えました。ただ、
「ただ例外として、文化系でも吹奏楽部出身者だけは通してた。あそこは文化系の皮を被った運動部だ」
と話しており、つくづくよく見ている人だと変に感心しました。
2019年11月29日金曜日
中曽根元首相の逝去について
既に各所で報じられているので説明不要でしょうが、中曽根康弘元首相が逝去されたそうです。101歳の大往生ということでてっきり首相経験者としては最長寿命かと思いましたが、先程みたまとめ記事では東久邇宮元首相が102歳だったということで、上には上がいました。
中曽根元首相については首相在任時は流石にまだ生まれていないのでわかりませんが、私が生きていた時代で言えば、なんとなく後から評価が高まっていった人のように見えます。私の感覚で述べると、90年代は在任日数がともかく長かった人、あと例の「風見鶏」というあだ名くらいしか紹介されてませんでしたが、2000年代に入って小泉政権で構造改革が始まると、国鉄解体時代の首相ということでだんだん比較されるようになり、それから世間の評価が上がっていった用に見えました。
その小泉政権ですが、地味にその成立にも中曽根元首相が関与しています。というのも森元首相が色々やったこともあって次の総裁を誰にするかとなった際、世間の支持獲得のために自民党党員を含めた選挙方式でやるというのを後押ししたそうです。もっとも小泉元首相を応援する気だったかは微妙で、やっぱ橋本派だった気がしますが。
そうしてできた小泉政権にて、自民党内の議員定年制で当時、中曽根元首相と宮沢元首相が既に定年年齢を突破してたにも関わらず、元首相っていう理由から誰も議員引退を進言する人が居なかったのですが、小泉首相がわざわざこの二人に引退するよう直接伝えていました。これに対して宮沢元首相は露骨に嫌そうな態度で渋々引退を受け入れましたが、中曽根元首相は腹の中ではどう思ってたかはわからないものの、表向きは「筋が立っている」と言って素直に引退を受け入れていたのが、当時の私にはなかなか好感が持てました。
そのほか紹介しておくべき話としては、地味に先の東京五輪以降、プライマリーバランス、つまり国家財政の黒字化を果たしたのは中曽根政権だけだったりします。いつの年だったかは忘れましたが中曽根政権中にだけ日本の国債発行金額が前年比でマイナスを記録していて、もしかしたら今後も唯一の歴史的記録として残るかもしれません。
なお赤字国債はそもそも憲法で発行が禁止されていますが、東京五輪の準備期間中に「今回だけ特別」として特例国債が発行され、その後毎年「特例」として発行されています。もし憲法会せうするならこの無意味な「特例」ってのはやめられるよう、発行禁止の条項は取っ払ったほうがいいでしょう。
中曽根元首相については首相在任時は流石にまだ生まれていないのでわかりませんが、私が生きていた時代で言えば、なんとなく後から評価が高まっていった人のように見えます。私の感覚で述べると、90年代は在任日数がともかく長かった人、あと例の「風見鶏」というあだ名くらいしか紹介されてませんでしたが、2000年代に入って小泉政権で構造改革が始まると、国鉄解体時代の首相ということでだんだん比較されるようになり、それから世間の評価が上がっていった用に見えました。
その小泉政権ですが、地味にその成立にも中曽根元首相が関与しています。というのも森元首相が色々やったこともあって次の総裁を誰にするかとなった際、世間の支持獲得のために自民党党員を含めた選挙方式でやるというのを後押ししたそうです。もっとも小泉元首相を応援する気だったかは微妙で、やっぱ橋本派だった気がしますが。
そうしてできた小泉政権にて、自民党内の議員定年制で当時、中曽根元首相と宮沢元首相が既に定年年齢を突破してたにも関わらず、元首相っていう理由から誰も議員引退を進言する人が居なかったのですが、小泉首相がわざわざこの二人に引退するよう直接伝えていました。これに対して宮沢元首相は露骨に嫌そうな態度で渋々引退を受け入れましたが、中曽根元首相は腹の中ではどう思ってたかはわからないものの、表向きは「筋が立っている」と言って素直に引退を受け入れていたのが、当時の私にはなかなか好感が持てました。
そのほか紹介しておくべき話としては、地味に先の東京五輪以降、プライマリーバランス、つまり国家財政の黒字化を果たしたのは中曽根政権だけだったりします。いつの年だったかは忘れましたが中曽根政権中にだけ日本の国債発行金額が前年比でマイナスを記録していて、もしかしたら今後も唯一の歴史的記録として残るかもしれません。
なお赤字国債はそもそも憲法で発行が禁止されていますが、東京五輪の準備期間中に「今回だけ特別」として特例国債が発行され、その後毎年「特例」として発行されています。もし憲法会せうするならこの無意味な「特例」ってのはやめられるよう、発行禁止の条項は取っ払ったほうがいいでしょう。
2019年11月28日木曜日
気になるニューフィット
あんま書くことないので最近感じた所感を述べると、本当は今冬に発売予定だったけど来年にずれ込んだホンダの新しい「フィット」がなかなかいいなとか思っています。先日、同僚が日本に一時帰国した際にベストカーの東京モーターショー特別号を買ってきてくれてそれにも特集されていましたが、その圧倒的な内容積を残しつつ、デザイン面などが改良されててコンパクトカー好きの自分からしても心打つ出来栄えです。
なおホンダのデザインに関しては2000年代後半からすごい迷走していて、ダサいことで有名なトヨタを遥かに上回る酷いデザインの車ばかり連発していた気がします。ようやくここ数年、看板車種のアコードを筆頭に大分マシになってきた気がしますが、興味ある人はちょっと前のカタログとかで見比べるといいでしょう。
話は戻りますがそのフィットですが、確かN-BOXにも搭載している自動ブレーキシステムの不良原因が突き止められないためとかで発売が延期されたと聞きます。他の会社はともかくとしてホンダの場合、一度リコールに絡む不具合が起きると他のメーカーと比べて明らかに改善対応にかかる期間が長いです。それこそ現行三代目フィットなんてハイブリッドシステムのソフトウェアがなかなかうまくいかず発売した直後は何度もリコールを繰り返しては再びリコールを発表するという、泥縄的な動きを見せていました。
また中国でもSUVのCR-Vでリコール(確かエンジンコントロール)を出した際、中国当局と改善措置内容で非常に揉めて、何ヶ月にも渡って販売を中断する羽目となっていました。これは何も中国だからというわけじゃなく、その他の前例から見ても明らかにホンダだからでしょう。
そのため今回のフィットも、来年の発売を予定していますが果たして本当にそうなるのか少し不安なところがあります。もっともすぐ発売したからと言って私が日本に戻るわけでもないので購入することはまずないでしょうが、「ホンダはリコール対応が長い」というのは地味に一つの特徴として認知してもいい気がします。
なおホンダのデザインに関しては2000年代後半からすごい迷走していて、ダサいことで有名なトヨタを遥かに上回る酷いデザインの車ばかり連発していた気がします。ようやくここ数年、看板車種のアコードを筆頭に大分マシになってきた気がしますが、興味ある人はちょっと前のカタログとかで見比べるといいでしょう。
話は戻りますがそのフィットですが、確かN-BOXにも搭載している自動ブレーキシステムの不良原因が突き止められないためとかで発売が延期されたと聞きます。他の会社はともかくとしてホンダの場合、一度リコールに絡む不具合が起きると他のメーカーと比べて明らかに改善対応にかかる期間が長いです。それこそ現行三代目フィットなんてハイブリッドシステムのソフトウェアがなかなかうまくいかず発売した直後は何度もリコールを繰り返しては再びリコールを発表するという、泥縄的な動きを見せていました。
また中国でもSUVのCR-Vでリコール(確かエンジンコントロール)を出した際、中国当局と改善措置内容で非常に揉めて、何ヶ月にも渡って販売を中断する羽目となっていました。これは何も中国だからというわけじゃなく、その他の前例から見ても明らかにホンダだからでしょう。
そのため今回のフィットも、来年の発売を予定していますが果たして本当にそうなるのか少し不安なところがあります。もっともすぐ発売したからと言って私が日本に戻るわけでもないので購入することはまずないでしょうが、「ホンダはリコール対応が長い」というのは地味に一つの特徴として認知してもいい気がします。
2019年11月25日月曜日
アニメーター記事の裏側
・革命的戦車T-34の名を聞くとロシア人の顔が輝く理由(JBpress)
今日JBpressで配信されていた記事ですが、読んでてめっちゃ面白かったです。「ロシア人にとってT-34は日本人にとってのゼロ戦みたいなもの」という表現とか超イカス。あと冒頭ページに貼られている映画「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」のポスターの「全露No.1メガヒット」という煽り文句も「全米」じゃなくてじわじわくる。
・中国人アニメーター、日本でスキル高めて続々と帰国(JBpress)
でこっちが今日配信された自分の記事です。結論から言うと個人的には大満足な記事でした。
アクセス順位は今3位、少し前は2位でしたが、朝見た段階では8位で、昼過ぎ辺りからグイグイ順位上げていったのが印象的でした。これまでこんな変動するのは見たことがなく、ネットを見るといくつかのニュースサイトなどが取り上げており、それによって順位が上がっていったんだと思われます。
今回の記事の背景を簡単に説明すると、まず冒頭でも書かれているように中国メディアが最近、日本人アニメーターを中国の会社が引き抜き始めたと報じて、それを日本語に翻訳したニュースを私が見て、「こんな報道あったよ」とJBpressに紹介したら「ぜひ中国にいるアニメーターに取材して記事書いて」と言われたから書きました。もっとも、中国にいるアニメーターといって誰に聞けばいいのか最初全くわかんないしで、とりあえず友達に「誰かいる?」と聞いたら、一発で日中間で仕事しているアニメ業界関係者を紹介してくれて、無事取材ができました。
その取材相手ですが非常に中国アニメ業界に対し造形の深い人物で、なおかつこちらの取材意図などもすぐ理解して色々アドバイスくれて、取材するこちら側としては非常にありがたい人でした。記事中に使っている図表等のデータも全部この人がくれたもので、単なるインタビュー記事に終わらない深みを添えてくれました。
昨日は金髪ツインテールについてなんか語っていましたが、私自身は実はそんなにアニメとかは見たりせず、ましてや業界事情なんて全くわからないくらい疎かっただけに、上記の取材相手が非常に協力的だったのは幸運で、取材していて今のアニメ業界はこうなっているのかと、色々と勉強になりました。こういう業界当事者でないとわからない事情というのは、私自身がマスコミ業界にいて外と中では全然見方が変わるというか、外に出る情報は中を全然反映しないというのを経験していただけに、最低限の裏取り(中国人アニメーターの給与水準など)は行ってはいるものの、なるべく取材相手から得た情報は変な脚色などはせず、そのまま反映するように努めました。
もっとも、そういう構成なもんだから記事文章は基本、「~とのことです。」という伝聞調に語らざるを得ず、そのせいで中盤当たりでは文章、話題の接続で書いてて非常に苦労しました。真ん中あたりの段落だけで、5時間位かけて書いたような気がします。それでも十分というか、もっとスムースなつなげ方があったような気がする。
記事に対する自己評価としては上記の通り文章の拙さを感じるものの、その分取材した情報を可能な限り減らさず落とし込めたとは思え、取材記事としては今年出した中ではナンバーワンの出来だとみています。内容自体も日中間のアニメーター事情、並びに中国のアニメ産業動向を俯瞰できる内容になっており、外に出して恥ずかしくないと言っていいでしょう。
惜しむらくは来週に出す記事内容が全く決まってないってことです。っていうか先週忙しくて記事準備とか全く何もできていません。最悪、緊急脱出用のネタは一応持ってはいるけど、先週がつらすぎ多分何も考えずに来週末もボーッと過ごしたいです。
今日JBpressで配信されていた記事ですが、読んでてめっちゃ面白かったです。「ロシア人にとってT-34は日本人にとってのゼロ戦みたいなもの」という表現とか超イカス。あと冒頭ページに貼られている映画「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」のポスターの「全露No.1メガヒット」という煽り文句も「全米」じゃなくてじわじわくる。
・中国人アニメーター、日本でスキル高めて続々と帰国(JBpress)
でこっちが今日配信された自分の記事です。結論から言うと個人的には大満足な記事でした。
アクセス順位は今3位、少し前は2位でしたが、朝見た段階では8位で、昼過ぎ辺りからグイグイ順位上げていったのが印象的でした。これまでこんな変動するのは見たことがなく、ネットを見るといくつかのニュースサイトなどが取り上げており、それによって順位が上がっていったんだと思われます。
今回の記事の背景を簡単に説明すると、まず冒頭でも書かれているように中国メディアが最近、日本人アニメーターを中国の会社が引き抜き始めたと報じて、それを日本語に翻訳したニュースを私が見て、「こんな報道あったよ」とJBpressに紹介したら「ぜひ中国にいるアニメーターに取材して記事書いて」と言われたから書きました。もっとも、中国にいるアニメーターといって誰に聞けばいいのか最初全くわかんないしで、とりあえず友達に「誰かいる?」と聞いたら、一発で日中間で仕事しているアニメ業界関係者を紹介してくれて、無事取材ができました。
その取材相手ですが非常に中国アニメ業界に対し造形の深い人物で、なおかつこちらの取材意図などもすぐ理解して色々アドバイスくれて、取材するこちら側としては非常にありがたい人でした。記事中に使っている図表等のデータも全部この人がくれたもので、単なるインタビュー記事に終わらない深みを添えてくれました。
昨日は金髪ツインテールについてなんか語っていましたが、私自身は実はそんなにアニメとかは見たりせず、ましてや業界事情なんて全くわからないくらい疎かっただけに、上記の取材相手が非常に協力的だったのは幸運で、取材していて今のアニメ業界はこうなっているのかと、色々と勉強になりました。こういう業界当事者でないとわからない事情というのは、私自身がマスコミ業界にいて外と中では全然見方が変わるというか、外に出る情報は中を全然反映しないというのを経験していただけに、最低限の裏取り(中国人アニメーターの給与水準など)は行ってはいるものの、なるべく取材相手から得た情報は変な脚色などはせず、そのまま反映するように努めました。
もっとも、そういう構成なもんだから記事文章は基本、「~とのことです。」という伝聞調に語らざるを得ず、そのせいで中盤当たりでは文章、話題の接続で書いてて非常に苦労しました。真ん中あたりの段落だけで、5時間位かけて書いたような気がします。それでも十分というか、もっとスムースなつなげ方があったような気がする。
記事に対する自己評価としては上記の通り文章の拙さを感じるものの、その分取材した情報を可能な限り減らさず落とし込めたとは思え、取材記事としては今年出した中ではナンバーワンの出来だとみています。内容自体も日中間のアニメーター事情、並びに中国のアニメ産業動向を俯瞰できる内容になっており、外に出して恥ずかしくないと言っていいでしょう。
惜しむらくは来週に出す記事内容が全く決まってないってことです。っていうか先週忙しくて記事準備とか全く何もできていません。最悪、緊急脱出用のネタは一応持ってはいるけど、先週がつらすぎ多分何も考えずに来週末もボーッと過ごしたいです。
2019年11月24日日曜日
ツインテールとツンデレの関係
昨日の記事にも書いた通り先週は異常なくらい忙しくて、今日も午前中は寝たきり雀でした。こうした猛烈な作業環境の中、時間が刻々と迫ってくる中で私は同僚に、
「ツインテールってなんでツンデレが多いんだろ?」
「わかるー」
という会話を振りました。
なんでこんな話になったのかと言うと、その前に「賭ケグルイ」の話題になって、自分は漫画を序盤しか読んでないけどメインヒロインより、あのツインテールの子のが好きだったと話しました。その後しばらくしてから、そのツインテールが日本産フッ化水素なみに純度の高いツンデレだったと気づき、またこの前やった「シークレットゲーム」に出てくるツインテールも30年ものワイン並なツンデレだったことを思い出し、「ツインテール=ツンデレ」という図式が成り立つのではないかと思い立ちました。
この私の新たな学説に対し同僚は、「それに金髪が加わるとタカビー属性も加わって、よりツンデレ純度が増す」とすかさず補足してくれました。実際その通りというか、前段落で挙げた二人がまさに金髪ツインテールで、その他にも思いつくキャラはいくらでもいます。
では一体何故金髪ツインテールはツンデレなのかですが、これは金髪ツインテールがツンデレと言うよりかは、ツンデレキャラには金髪ツインテールのデザインが加えられやすいからでしょう。いう慣れば「ツンデレ」のアイコンとして「金髪ツインテール」があり、知らず知らずのうちに我々は、「金髪ツインテールを見たらツンデレだと思え」と言わんばかりの暗示をメディア業界から受けていたのかもしれません。
少し真面目な話をすると、多かれ少なかれファッション、特に女性の髪型は何らかの性格や役割付を持たしたアイコンとなることが多く、同じようにおかっぱ頭も「幼い」や「大人しい」といった性格のアイコンとなっている節があります。男性の髪型に関しては辮髪やお下げが中国系キャラになるというくらいですが、女性に関して漫画やアニメでは予め、その性格に合わせてアイコンとして髪型が、知らず知らずのうちに設定されているところがあります。
なおこの会話の後に同僚から、「同じようなアイコンだと、昔は胸の大きな女性キャラは包容力のある年上女性が多かったが、最近はむしろ高圧的、タカビーなキャラとなることが多い」と指摘し、それに対し私も、「そだねー」と返しました。このように同じアイコンでも、時代によって込められる意味が変わって来ることもあるようです。
こんな会話をしているけど、本当に先週は忙しかったです。
「ツインテールってなんでツンデレが多いんだろ?」
「わかるー」
という会話を振りました。
なんでこんな話になったのかと言うと、その前に「賭ケグルイ」の話題になって、自分は漫画を序盤しか読んでないけどメインヒロインより、あのツインテールの子のが好きだったと話しました。その後しばらくしてから、そのツインテールが日本産フッ化水素なみに純度の高いツンデレだったと気づき、またこの前やった「シークレットゲーム」に出てくるツインテールも30年ものワイン並なツンデレだったことを思い出し、「ツインテール=ツンデレ」という図式が成り立つのではないかと思い立ちました。
この私の新たな学説に対し同僚は、「それに金髪が加わるとタカビー属性も加わって、よりツンデレ純度が増す」とすかさず補足してくれました。実際その通りというか、前段落で挙げた二人がまさに金髪ツインテールで、その他にも思いつくキャラはいくらでもいます。
では一体何故金髪ツインテールはツンデレなのかですが、これは金髪ツインテールがツンデレと言うよりかは、ツンデレキャラには金髪ツインテールのデザインが加えられやすいからでしょう。いう慣れば「ツンデレ」のアイコンとして「金髪ツインテール」があり、知らず知らずのうちに我々は、「金髪ツインテールを見たらツンデレだと思え」と言わんばかりの暗示をメディア業界から受けていたのかもしれません。
少し真面目な話をすると、多かれ少なかれファッション、特に女性の髪型は何らかの性格や役割付を持たしたアイコンとなることが多く、同じようにおかっぱ頭も「幼い」や「大人しい」といった性格のアイコンとなっている節があります。男性の髪型に関しては辮髪やお下げが中国系キャラになるというくらいですが、女性に関して漫画やアニメでは予め、その性格に合わせてアイコンとして髪型が、知らず知らずのうちに設定されているところがあります。
なおこの会話の後に同僚から、「同じようなアイコンだと、昔は胸の大きな女性キャラは包容力のある年上女性が多かったが、最近はむしろ高圧的、タカビーなキャラとなることが多い」と指摘し、それに対し私も、「そだねー」と返しました。このように同じアイコンでも、時代によって込められる意味が変わって来ることもあるようです。
こんな会話をしているけど、本当に先週は忙しかったです。
2019年11月23日土曜日
GSOMIA延長について
今週は記事の更新が少なかったですが、これは仕事が忙しかったせいです。今の会社に入社以来、というより瞬間風速的には自分のサラリーマン人生で最も激しい一週間で、休日出勤底ないというか既にやりまくってるせいで上司に止められていますが、今日はお昼にスーパー銭湯行ったのを除くと、朝から昼まではリアルにベッドの上で寝たきりでした。
話は本題ですが例の韓国とのGSOMIA延長についてです。メディアは非常に意外だったというような反応ばかりですが、私個人に関しては土壇場での韓国の態度逆転もありうるだろうと考えていたこともあり、そんな驚きというものはありませんでした。
むしろメディアの報道では当初、「条件付きで延期」や「条件付きの期限延長」、「条件付き撤回通告」などと、今回の韓国の決定について報じたことのほうが印象に残りました。はっきり言えばこれは翻訳が悪いせいだと思え、一見して韓国側がどういう態度なのか、何を決めたのかよくわからない表現のように思えます。単純に、「撤回保留」という表現で十分だと私は思うのですが。というのも、条件が条件になってないからです。
今回の決定について韓国側は日本が韓国向け輸出条件について協議することを条件に撤回通告を延期(=撤回通告期間の延長)すると主張していますが、別に通称に関しては窓口自体は閉じていないし、また韓国側には既に輸出品目の使用用途をきちんと明確にする、第三国輸出への摘発強化しさえすれば最恵国待遇に戻すと伝えているので、別に日本側としてはなにか特別にすることは今後もないでしょう。
そのような実態を考えると、韓国側の主張に合わせてそもそも「条件付き」という言葉をつけること自体が何か間違っている気がします。第一、GSOMIAを終了すると言っているのは韓国側で、それを日本側としてはさして止める立場でもありません。
その上で気になるのは、日本側が前回輸出条件を引き上げたフッ化系材料について、韓国の「国産化成功」、「代替調達」などという日本語報道が最近あまり見なくなったことです。一部製品については条件引き上げ後、サムスン電子などには輸出が認められて実施されていると聞いていますが、LG電子は国産材料を試用したラインで大量に歩留まり、もとい不良品が発生したという報道を以前見たことがあり、LGには輸出許可が降りたという報道も見ないだけに、実はこの点が気になっています。
はっきり言ってしまえば何故LGには許可が降りないのか。これまで日本から輸入してきた材料の用途でなにか問題があったからできなくて、変な材料とか使い始めているのではと怪しんでいます。そうした点を考えると、やはりサムスンはグローバル企業でしっかりしているんだなという印象を今回覚えました。
その上で今後の予測を述べると、恐らく今後も平行線で、「議論は着々と進んで成果を得ている」と韓国側というか文政権は主張し続けると思います。それでいいと思うならそれでいいと私は思いますが。
最後にもう一つ気になる点を挙げると、米中の日本駐留費こと思いやり予算について時事通信が先日、米国は4.5倍の増額を要求したと報じましたが、この報道について訝しんでいます。何故かというとこの報道に追従したのは今回は朝日新聞だけで、他の大手メディアは記者会見での菅官房長官の否定発言こそ取り上げたものの、自分が確認する限り初動では後追い報道をしていなかったからです。
更に言うとこの報道は実は今回が初めてではなく、7月にも全く同じ報道があったからです。しかも報道元はまた時事通信で(この時は5倍だった)、この時は他のメディアからは後追い報道がほぼ全くありませんでした。
報道元が限られているのと、米国側から正式な関連発表は出ていないということもさることながら、実際に日本にこんな金額を請求できるわけがないという点で強い疑問を感じています。何故かと言うと米軍駐留国では日本が最も費用を分担していると言われ、仮に日本が費用負担を引き上げた場合、他の韓国やドイツと言った駐留国の負担割合も相応に引き上げなければおかしいと日本側は主張できる根拠を得ることとなります。
その上で、「日本はこれまでも多大な負担割合だったのだから、他のこれまで少ない金額した負担してこなかったところから日本が負担してきた分まで応分に請求すべきでは」と主張して、他の国を色々巻き込むという対応もできるのではないかと思います。
敢えて例えるなら、アパートの家賃を日本だけがこれまで他の国の家賃の数倍を払ってきており、今回日本が5倍に引き上げるなら、他の国は下手したら10倍とかにならなきゃ不公平だというわけで、他の国が上げるなら相応に家賃引き上げに応じる、という論理です。もしくは、これまで安く支払ってきたところが、最低限日本と同じ家賃を払ってもらうところから始めるべきだと主張するとか。
無論、こうした考えに反発するのは日本国民以上に他の駐留国で、米国に対するヘイトもかなり増すことになります。そうした相場を考えた場合、トランプ大統領自身は別として、果たして米国が日本に5倍引き上げ要求を出せるかと言ったら、他の駐留国の反発を抑えられるかと言ったら私は疑問です。むしろ私自身は、本気で米国がこういう引き上げ要求を公的に出してくれたら、日本としては交渉の幅が広がってかなり有利に立てると前向きに見ています。
話は本題ですが例の韓国とのGSOMIA延長についてです。メディアは非常に意外だったというような反応ばかりですが、私個人に関しては土壇場での韓国の態度逆転もありうるだろうと考えていたこともあり、そんな驚きというものはありませんでした。
むしろメディアの報道では当初、「条件付きで延期」や「条件付きの期限延長」、「条件付き撤回通告」などと、今回の韓国の決定について報じたことのほうが印象に残りました。はっきり言えばこれは翻訳が悪いせいだと思え、一見して韓国側がどういう態度なのか、何を決めたのかよくわからない表現のように思えます。単純に、「撤回保留」という表現で十分だと私は思うのですが。というのも、条件が条件になってないからです。
今回の決定について韓国側は日本が韓国向け輸出条件について協議することを条件に撤回通告を延期(=撤回通告期間の延長)すると主張していますが、別に通称に関しては窓口自体は閉じていないし、また韓国側には既に輸出品目の使用用途をきちんと明確にする、第三国輸出への摘発強化しさえすれば最恵国待遇に戻すと伝えているので、別に日本側としてはなにか特別にすることは今後もないでしょう。
そのような実態を考えると、韓国側の主張に合わせてそもそも「条件付き」という言葉をつけること自体が何か間違っている気がします。第一、GSOMIAを終了すると言っているのは韓国側で、それを日本側としてはさして止める立場でもありません。
その上で気になるのは、日本側が前回輸出条件を引き上げたフッ化系材料について、韓国の「国産化成功」、「代替調達」などという日本語報道が最近あまり見なくなったことです。一部製品については条件引き上げ後、サムスン電子などには輸出が認められて実施されていると聞いていますが、LG電子は国産材料を試用したラインで大量に歩留まり、もとい不良品が発生したという報道を以前見たことがあり、LGには輸出許可が降りたという報道も見ないだけに、実はこの点が気になっています。
はっきり言ってしまえば何故LGには許可が降りないのか。これまで日本から輸入してきた材料の用途でなにか問題があったからできなくて、変な材料とか使い始めているのではと怪しんでいます。そうした点を考えると、やはりサムスンはグローバル企業でしっかりしているんだなという印象を今回覚えました。
その上で今後の予測を述べると、恐らく今後も平行線で、「議論は着々と進んで成果を得ている」と韓国側というか文政権は主張し続けると思います。それでいいと思うならそれでいいと私は思いますが。
最後にもう一つ気になる点を挙げると、米中の日本駐留費こと思いやり予算について時事通信が先日、米国は4.5倍の増額を要求したと報じましたが、この報道について訝しんでいます。何故かというとこの報道に追従したのは今回は朝日新聞だけで、他の大手メディアは記者会見での菅官房長官の否定発言こそ取り上げたものの、自分が確認する限り初動では後追い報道をしていなかったからです。
更に言うとこの報道は実は今回が初めてではなく、7月にも全く同じ報道があったからです。しかも報道元はまた時事通信で(この時は5倍だった)、この時は他のメディアからは後追い報道がほぼ全くありませんでした。
報道元が限られているのと、米国側から正式な関連発表は出ていないということもさることながら、実際に日本にこんな金額を請求できるわけがないという点で強い疑問を感じています。何故かと言うと米軍駐留国では日本が最も費用を分担していると言われ、仮に日本が費用負担を引き上げた場合、他の韓国やドイツと言った駐留国の負担割合も相応に引き上げなければおかしいと日本側は主張できる根拠を得ることとなります。
その上で、「日本はこれまでも多大な負担割合だったのだから、他のこれまで少ない金額した負担してこなかったところから日本が負担してきた分まで応分に請求すべきでは」と主張して、他の国を色々巻き込むという対応もできるのではないかと思います。
敢えて例えるなら、アパートの家賃を日本だけがこれまで他の国の家賃の数倍を払ってきており、今回日本が5倍に引き上げるなら、他の国は下手したら10倍とかにならなきゃ不公平だというわけで、他の国が上げるなら相応に家賃引き上げに応じる、という論理です。もしくは、これまで安く支払ってきたところが、最低限日本と同じ家賃を払ってもらうところから始めるべきだと主張するとか。
無論、こうした考えに反発するのは日本国民以上に他の駐留国で、米国に対するヘイトもかなり増すことになります。そうした相場を考えた場合、トランプ大統領自身は別として、果たして米国が日本に5倍引き上げ要求を出せるかと言ったら、他の駐留国の反発を抑えられるかと言ったら私は疑問です。むしろ私自身は、本気で米国がこういう引き上げ要求を公的に出してくれたら、日本としては交渉の幅が広がってかなり有利に立てると前向きに見ています。
2019年11月21日木曜日
亜細亜大学野球部の闇
・【野球】赤星「何億積まれても亜細亜大には戻りたくない」(ぶる速)
知ってる人には早いですが、大学野球の名門と言ったら長嶋茂雄氏を排出した立教大学やハンカチ王子こと斎藤佑樹選手を排出した早稲田大学などが有名ですが、地味に大学リーグ戦の成績やプロ排出数でひときわ抜きん出ているのは亜細亜大です。その亜細亜大からは元阪神の赤星氏、元中日の井端氏、そして今や二代目大魔神と呼び声の高い横浜の山崎康晃選手など一級クラスのスター選手も多く出ているのですが、彼ら亜細亜大出身スターは大学時代についてみんな口を揃えて、「地獄だった」としか口にしません。
実際に上記リンク先のまとめ記事に引用されているセリフを見ると、
1: 2019/11/19(火) 11:53:33.70 ID:IDQfkJkVa
赤星
「何億積まれても亜細亜大学に戻りたくない」
「あんな所だと最初からわかっていたら絶対入学しなかった」
井端
「亜細亜大学は地獄だった。 1・2年生は電車で座るのも禁止。ある日、前後の車両に先輩がいないのを確認して 『よっしゃー』と座ったら、 先輩が踏切に立って見張ってた」
東浜
「ある日寮から抜け出してコンビニに行ったら生田監督に見つかって部員全員に謝罪した。翌日坊主にして草むしりをした」
山崎康
「亜細亜大学で野球をしていて笑ったことは1度もなかった」
吉川尚
「高校3年の時に亜細亜大学の練習に参加した。 推薦が決まっていたが数日後内定を取り消し中京学院大を受験した」
上記の各セリフもさることながら、何が一番凄いかって上のリンク先記事では入団前の山崎選手の写真がありますが、今の爽やかな姿からは想像もできないいかつい顔で、最初どこの鉄砲玉かと本気で思いました。またその練習や生活については以下の記事でより具体的にその地獄内容が書かれています。
・赤星憲弘や山崎康晃が絶望したアジア大学野球部の地獄(アマ野球コレクション)
このほかWikipediaをみると、ソフトバンクの東浜選手が編み出した亜細亜大出身者しか使わない「亜大ツーシーム」という変化球が存在するようで、東浜選手と大学時代に寮で同部屋だった薮田選手、山崎選手、九里選手が使ってるというわけのわからない絆があるようです。なお山崎選手は同ツーシームについて、東浜選手と九里選手の連続写真を机に貼って眺め続けて盗んだと述懐しています。
っていうかこの四人が同部屋だったってのも色々おかしい。
まぁネタ的に面白いというか、大学野球ってあまり見てませんが早慶とか以外にもこんなキャラの濃い学校があッたと知ってなんかマイブームになってます。一回この亜細亜大OBで、「母校訪問、そして……」みたいなイベントとかやってみたら面白そうなのに。
知ってる人には早いですが、大学野球の名門と言ったら長嶋茂雄氏を排出した立教大学やハンカチ王子こと斎藤佑樹選手を排出した早稲田大学などが有名ですが、地味に大学リーグ戦の成績やプロ排出数でひときわ抜きん出ているのは亜細亜大です。その亜細亜大からは元阪神の赤星氏、元中日の井端氏、そして今や二代目大魔神と呼び声の高い横浜の山崎康晃選手など一級クラスのスター選手も多く出ているのですが、彼ら亜細亜大出身スターは大学時代についてみんな口を揃えて、「地獄だった」としか口にしません。
実際に上記リンク先のまとめ記事に引用されているセリフを見ると、
1: 2019/11/19(火) 11:53:33.70 ID:IDQfkJkVa
赤星
「何億積まれても亜細亜大学に戻りたくない」
「あんな所だと最初からわかっていたら絶対入学しなかった」
井端
「亜細亜大学は地獄だった。 1・2年生は電車で座るのも禁止。ある日、前後の車両に先輩がいないのを確認して 『よっしゃー』と座ったら、 先輩が踏切に立って見張ってた」
東浜
「ある日寮から抜け出してコンビニに行ったら生田監督に見つかって部員全員に謝罪した。翌日坊主にして草むしりをした」
山崎康
「亜細亜大学で野球をしていて笑ったことは1度もなかった」
吉川尚
「高校3年の時に亜細亜大学の練習に参加した。 推薦が決まっていたが数日後内定を取り消し中京学院大を受験した」
上記の各セリフもさることながら、何が一番凄いかって上のリンク先記事では入団前の山崎選手の写真がありますが、今の爽やかな姿からは想像もできないいかつい顔で、最初どこの鉄砲玉かと本気で思いました。またその練習や生活については以下の記事でより具体的にその地獄内容が書かれています。
・赤星憲弘や山崎康晃が絶望したアジア大学野球部の地獄(アマ野球コレクション)
このほかWikipediaをみると、ソフトバンクの東浜選手が編み出した亜細亜大出身者しか使わない「亜大ツーシーム」という変化球が存在するようで、東浜選手と大学時代に寮で同部屋だった薮田選手、山崎選手、九里選手が使ってるというわけのわからない絆があるようです。なお山崎選手は同ツーシームについて、東浜選手と九里選手の連続写真を机に貼って眺め続けて盗んだと述懐しています。
っていうかこの四人が同部屋だったってのも色々おかしい。
まぁネタ的に面白いというか、大学野球ってあまり見てませんが早慶とか以外にもこんなキャラの濃い学校があッたと知ってなんかマイブームになってます。一回この亜細亜大OBで、「母校訪問、そして……」みたいなイベントとかやってみたら面白そうなのに。
2019年11月18日月曜日
沢尻エリカの代役
既に各所で報じられているように女優の沢尻エリカ氏が麻薬所持容疑で逮捕、完落ちし、NHKは鍋をひっくり返したような大混乱に陥っているそうです。話題はやっぱり大河ドラマの代役を誰にするかですが、この事件の報道を見てとっさに私はなろう系主人公のように、「ふむ、それでは逆張りして酒井法子氏でどうか?」と思いました。いやぶっちゃけ本当にこれやったらNHK見直すわ。
ネットの掲示板を見ていると、スケジュールが空いてそうで演技力も高いということから、能年玲奈ことのん氏の待望論が強いように感じます。実際事務所独立騒動で干されて以降は大役を任されていないので、あったらあったで彼女にもいい話なんじゃないかなという気がします。
このほか濃姫という役で選ぶんだったら、敢えて若手じゃなくて年季入った女優、大竹しのぶ氏とかでももういいんじゃねとか思ったりもしています。まぁこの人だとスケジュール空いてないだろうけど。
それにしても今回ほど、「ああやっぱり」と思う麻薬絡みの逮捕事件は今までありません。ぶっちゃけ清原氏のときもやっぱりと私は思いましたが、今回ほどの納得感は得られませんでした。発言や素振りが明らかにおかしい人はやっぱりそういう理由があるんだなということでしょうが、友人からは来週出す記事の前後でこういうビッグニュースが出ると煽りを食らうだろうと、なんか妙な警告くらいました。まぁ実際、何もなく普通に読まれてくれればいいのですが。
ネットの掲示板を見ていると、スケジュールが空いてそうで演技力も高いということから、能年玲奈ことのん氏の待望論が強いように感じます。実際事務所独立騒動で干されて以降は大役を任されていないので、あったらあったで彼女にもいい話なんじゃないかなという気がします。
このほか濃姫という役で選ぶんだったら、敢えて若手じゃなくて年季入った女優、大竹しのぶ氏とかでももういいんじゃねとか思ったりもしています。まぁこの人だとスケジュール空いてないだろうけど。
それにしても今回ほど、「ああやっぱり」と思う麻薬絡みの逮捕事件は今までありません。ぶっちゃけ清原氏のときもやっぱりと私は思いましたが、今回ほどの納得感は得られませんでした。発言や素振りが明らかにおかしい人はやっぱりそういう理由があるんだなということでしょうが、友人からは来週出す記事の前後でこういうビッグニュースが出ると煽りを食らうだろうと、なんか妙な警告くらいました。まぁ実際、何もなく普通に読まれてくれればいいのですが。
2019年11月17日日曜日
中国語の動詞の見分け方の重要性
最近自分語りが多いような気がするから、たまにはフラットな話題として中国語学習のポイントについて触れようと思います。なお前文を呼んで、「最近じゃなくいつもじゃん」とか思った人は私のことをよく理解してくれている人な気がします。
さて単刀直入に結論から述べると、少なくとも日本人における中国語学習において最大の課題と言えるのは中級から上級への指導方法、テキストが極端に少ないという点にあると断言できます。初級から中級レベルの中国語学習テキスト(中国語検定4~3級、HSK1~4級)は非常に豊富であり、一般向け学習サービスもたくさんあるものの、こっから上に行くとなるとまずテキストが少なく、なおかつ指導方法もあまり確立されていないように見えます。
それでも中国のドラマ見るのが好きだったり、私のように業務上で中国語使う必要ある人なんかは時間とともに上達していくのですが、日本国内にとどまっている人となるとなかなか中級からのステップアップが難しく、効果的な手段としては留学くらいしかないのが現状な気がします。
その上で、私の場合は文章処理がメインということもあるので中国語の高難度な文章を読むテクニックをここでいくつか紹介すると、一番のポイントとしては「まず最初に動詞を見つけること」に尽きます。
そんなの当たり前だろと思う人も多いでしょうがもう少し説明すると、中国語は言うまでもなく漢字ですべて構成されており、そのため動詞と名詞の区別が困難な言語に当たります。適当に拾ってきた文章で一例を用いると、
「动画动漫等行业迎来爆发式增长」
上記文章には「增长」という言葉があり、これはそのまま「増加、増える」と訳されがちですが、実際には「成長」という意味です。「増加」と間違えるのは「增」という漢字の印象に引っ張られているだけで、明確な間違いです。なおひどい場合には常用漢字に直すだけで「増長」と訳す人もいますが、これだと完全に別の意味になります。
話は戻りますが、「成長」と訳せる単語があるからこれが動詞だと思って、「動画アニメなどの業界が爆発的に成長するのを迎える」という風に訳す人もいるかも知れませんが、大きく間違いではないものの、これだと10%くらい少しずれた訳し方です。何故かというとこの文章の動詞は「增长」ではなく「迎来(迎える)」で、先程の「增长」は名詞として訳さなければならないからです。その為正しい訳は、「動画アニメなどの業界が爆発的成長を迎え……」という風になります。
確かに「增长」という単語を「成長する」という動詞として扱うこともないわけではなく、むしろ結構な頻度で動詞として使われます。しかし上記の文章のように、普段動詞として使われる単語がそのままの形で動名詞(「~こと」)として出てくるパターンが中国語には多く、本来名詞として扱わなければならない単語を動詞として読んでしまって、全体の訳が崩れるパターンが多いです。
それこそさっきの例文だと、「動画アニメなどの業界を迎え、爆発的に成長する」みたいに、動詞を二つつけて訳してしまうケースも散見されます。
こうしたミスを避ける上で最も効果的なのは、最初に挙げた通り「その文章の中の動詞を見つける」ことです。同一対象に複数の動作を及ぼす(「調べ、分析する」みたいな)場合を除き、基本的に一文において動詞は一つだけです。そのため、まず何が動詞なのかをしっかり見つけ出し、その動詞を中心に前に名詞、後ろに目的語をつけてく具合に訳していくとミスが少なく訳せたりします。そのため読解、翻訳においては文章の腰に当たる動詞を特定することが重要だとよく周りにも言っています。
その動詞の見分け方で敢えてもう一つポイントを挙げると、「并」という単語があります。これは接続詞なのですが、同じく接続詞の「和(及び)」と同一視して「及び」と訳されている事が多いですが、実際には順接として、「~し、」みたいに訳すとすんなり行きます。というのも「和」は「名詞+和+名詞」のように名詞同士を並列させるのに対し、「并」は「動詞+并+動詞」のように動詞同士を並列させます。
そのため例えば「观看大熊猫幼仔,并拍摄视频」という文章だと、「パンダの赤ちゃんを観察するとともに、動画を撮影する」という風に訳せます。もっとも私はさっき書いたように「并」は順接の方が美しいと思うので、「パンダの赤ちゃんを観察し、動画を撮影する」と訳すでしょうが。
この「并」という接続詞が実は動詞の特定で非常に役に立ち、さっきも書いたようにこの文字は動詞同士をつなぐ役割を果たすため、前後にある単語が確実に動詞であると特定できます。また基本的に「并」が使われるのは構造の複雑な複文であるため、複文文章構造を解き明かすのにもすごい使えます。先の例文だと「并」の直後に来ている「拍摄(撮影する)」が動詞と判断できます。
なおこの単語も動名詞化することが多く、その際は「撮影」と訳します。
問題は対となるもう一つの動詞の特定です。もっともここまで来ていたら文脈からすぐ「观看(観察する)」が対の動詞で、「大熊猫幼仔(パンダの赤ちゃん)」が目的語だとすぐ読めるでしょう。この例文はまだ状況がわかりやすい文章ですけど、法律や契約関係の文章だと状況がわからず、何のお金がどっちからどっちへどう動くのかとイメージしづらく、そういう際にこうした接続詞と動詞から主語や目的語を特定するやり方が効果を発揮したりします。
もう一つこの動詞の特定がいかに中国語で重要であるかという理由を説明すると、中国語には漢字一文字の単語も珍しくありません。何が厄介なのかという、漢字二文字の単語1個を漢字一文字の単語2個にも読めてしまうことがあるからです。
それこそさっきの「观看大熊猫幼仔」の「观看」も「观(観察する)」と「看(見る)」の二つの単語に分けて読むこともできます。その場合、「パンダを見る動物の赤ちゃんを観察する」という風に訳せないこともなく、意外とこうした単語の識別ミスでえらいことになるパターンが多いです。これを防ぐ上でも最初の段階で、「观看」二文字で一つの動詞と見分けなければなりません。
以上のポイントは私が一定度中国語を学んだ状態で身につけた技術で、中級クラスの時はあまり意識していませんでした。そういう意味で上級クラスに踏み入る上で重要なテクニックとなりうると考え、ここで紹介することにしました。
さて単刀直入に結論から述べると、少なくとも日本人における中国語学習において最大の課題と言えるのは中級から上級への指導方法、テキストが極端に少ないという点にあると断言できます。初級から中級レベルの中国語学習テキスト(中国語検定4~3級、HSK1~4級)は非常に豊富であり、一般向け学習サービスもたくさんあるものの、こっから上に行くとなるとまずテキストが少なく、なおかつ指導方法もあまり確立されていないように見えます。
それでも中国のドラマ見るのが好きだったり、私のように業務上で中国語使う必要ある人なんかは時間とともに上達していくのですが、日本国内にとどまっている人となるとなかなか中級からのステップアップが難しく、効果的な手段としては留学くらいしかないのが現状な気がします。
その上で、私の場合は文章処理がメインということもあるので中国語の高難度な文章を読むテクニックをここでいくつか紹介すると、一番のポイントとしては「まず最初に動詞を見つけること」に尽きます。
そんなの当たり前だろと思う人も多いでしょうがもう少し説明すると、中国語は言うまでもなく漢字ですべて構成されており、そのため動詞と名詞の区別が困難な言語に当たります。適当に拾ってきた文章で一例を用いると、
「动画动漫等行业迎来爆发式增长」
上記文章には「增长」という言葉があり、これはそのまま「増加、増える」と訳されがちですが、実際には「成長」という意味です。「増加」と間違えるのは「增」という漢字の印象に引っ張られているだけで、明確な間違いです。なおひどい場合には常用漢字に直すだけで「増長」と訳す人もいますが、これだと完全に別の意味になります。
話は戻りますが、「成長」と訳せる単語があるからこれが動詞だと思って、「動画アニメなどの業界が爆発的に成長するのを迎える」という風に訳す人もいるかも知れませんが、大きく間違いではないものの、これだと10%くらい少しずれた訳し方です。何故かというとこの文章の動詞は「增长」ではなく「迎来(迎える)」で、先程の「增长」は名詞として訳さなければならないからです。その為正しい訳は、「動画アニメなどの業界が爆発的成長を迎え……」という風になります。
確かに「增长」という単語を「成長する」という動詞として扱うこともないわけではなく、むしろ結構な頻度で動詞として使われます。しかし上記の文章のように、普段動詞として使われる単語がそのままの形で動名詞(「~こと」)として出てくるパターンが中国語には多く、本来名詞として扱わなければならない単語を動詞として読んでしまって、全体の訳が崩れるパターンが多いです。
それこそさっきの例文だと、「動画アニメなどの業界を迎え、爆発的に成長する」みたいに、動詞を二つつけて訳してしまうケースも散見されます。
こうしたミスを避ける上で最も効果的なのは、最初に挙げた通り「その文章の中の動詞を見つける」ことです。同一対象に複数の動作を及ぼす(「調べ、分析する」みたいな)場合を除き、基本的に一文において動詞は一つだけです。そのため、まず何が動詞なのかをしっかり見つけ出し、その動詞を中心に前に名詞、後ろに目的語をつけてく具合に訳していくとミスが少なく訳せたりします。そのため読解、翻訳においては文章の腰に当たる動詞を特定することが重要だとよく周りにも言っています。
その動詞の見分け方で敢えてもう一つポイントを挙げると、「并」という単語があります。これは接続詞なのですが、同じく接続詞の「和(及び)」と同一視して「及び」と訳されている事が多いですが、実際には順接として、「~し、」みたいに訳すとすんなり行きます。というのも「和」は「名詞+和+名詞」のように名詞同士を並列させるのに対し、「并」は「動詞+并+動詞」のように動詞同士を並列させます。
そのため例えば「观看大熊猫幼仔,并拍摄视频」という文章だと、「パンダの赤ちゃんを観察するとともに、動画を撮影する」という風に訳せます。もっとも私はさっき書いたように「并」は順接の方が美しいと思うので、「パンダの赤ちゃんを観察し、動画を撮影する」と訳すでしょうが。
この「并」という接続詞が実は動詞の特定で非常に役に立ち、さっきも書いたようにこの文字は動詞同士をつなぐ役割を果たすため、前後にある単語が確実に動詞であると特定できます。また基本的に「并」が使われるのは構造の複雑な複文であるため、複文文章構造を解き明かすのにもすごい使えます。先の例文だと「并」の直後に来ている「拍摄(撮影する)」が動詞と判断できます。
なおこの単語も動名詞化することが多く、その際は「撮影」と訳します。
問題は対となるもう一つの動詞の特定です。もっともここまで来ていたら文脈からすぐ「观看(観察する)」が対の動詞で、「大熊猫幼仔(パンダの赤ちゃん)」が目的語だとすぐ読めるでしょう。この例文はまだ状況がわかりやすい文章ですけど、法律や契約関係の文章だと状況がわからず、何のお金がどっちからどっちへどう動くのかとイメージしづらく、そういう際にこうした接続詞と動詞から主語や目的語を特定するやり方が効果を発揮したりします。
もう一つこの動詞の特定がいかに中国語で重要であるかという理由を説明すると、中国語には漢字一文字の単語も珍しくありません。何が厄介なのかという、漢字二文字の単語1個を漢字一文字の単語2個にも読めてしまうことがあるからです。
それこそさっきの「观看大熊猫幼仔」の「观看」も「观(観察する)」と「看(見る)」の二つの単語に分けて読むこともできます。その場合、「パンダを見る動物の赤ちゃんを観察する」という風に訳せないこともなく、意外とこうした単語の識別ミスでえらいことになるパターンが多いです。これを防ぐ上でも最初の段階で、「观看」二文字で一つの動詞と見分けなければなりません。
以上のポイントは私が一定度中国語を学んだ状態で身につけた技術で、中級クラスの時はあまり意識していませんでした。そういう意味で上級クラスに踏み入る上で重要なテクニックとなりうると考え、ここで紹介することにしました。
2019年11月14日木曜日
10 years ago
今日通勤中ふと、10年前の自分は何してたんだっけとか思いました。試しに十年前の今日このブログに書いた記事を見てみると、スーパーファミコンの「エキサイトステージ95」について熱く語っていました。近い日付ではPS3の「ガンダム戦記」のクソっぷりについても解説していて、なんかゲームレビュー記事が多いような気がします。
話は戻りますが十年前の状況を軽く語ると、当時はまだ日本国内でサラリーマン、それも今とは全く関係のない物流関係の業務に携わっていました。新卒で入った会社で内定をくれた恩は感じてはいたもののやるべき仕事がまったくなく、一日中椅子に座って終わるだけということも珍しくない毎日で、当時も感じていましたがリアルに「髀肉の嘆」状態でした。
挙げ句、その次の12月に会社側から頼まれて休日出勤してオフィスの引越を手伝うことになった際、恐らく本人も何もわからず無自覚に休日出勤する私と一緒に作業する同僚の批判を始めたある女性社員に抗議したところ騒ぎ出され、周囲がとりなすために私に対し向こうへ謝ってくれと言ったことから退職を決意しました。
実際に年が明けてすぐに転職サイトに登録し、中国への海外転職に向けて動き始めています。もっともしばらくは本気で行けるのかなという不安もあったことから激しく行動しなかったものの、その後も同じ会社でやはり今考えても理不尽な目に遭わされ、会社に対する失望というよりは「このままここにいたら不要な責任を負わされるかもしれない」という危機感から転職先も決まらないうちに2010年の9月には退職し、中国へ渡ることとしました。
改めて当時を振り返ると、「自分の才能の無駄遣い」という印象が強いです。このブログではJBpressの連載を始めとした執筆関連活動ばかり書いていますが、実際の私の企業内における能力については事務処理能力が際立っており、以前にデータ入力処理作業を任された友人からは「細かなミスが多いけど処理速度が桁違い」と言われましたが、実際どの会社に行っても文書はデータの処理作業、並びにそういったものの管理運用作業が周りと比べ異次元レベルで早かったりしていて、本来の業務作業能力以上に評価される事が多いです。
今いる会社でも本来の業務は別なのに、最近はむしろ事務関連管理作業を頼まれることが多く、この前もある同僚から、「ネットでの情報収集作業は花園さんが強いと聞いたので……」と言われ、特定トピックの情報収集作業をやりました。はっきり言って自分の専門分野でない情報の収集だったのでこれでいいのかなと思いながらまとめて出したところ、割と向こうの意にかなってたようで「さすが(゜o゜;」と言われました。
何がいいたいのかというと、そりゃ自分としては元記者とあって取材力や文章作成能力が一番評価されたいという欲求はあるものの、実際に会社の中で私が最も評価されるのは事務関連作業全般だったりします。私自身も周りと比べた場合は目立つくらい自分がこの方面に強いという自覚もあり、役に立てるのならこの能力を存分に活かしたいとは思っていますが、逆を言えば今までなんでこれだけどこでも必要とされ応用もききやすい能力を持っているのに、日本国内では一切評価されなかったのか、発揮できなかったのかが不思議でなりません。
少なくとも単純な事務処理作業、それこそデータ入力作業で自分の右に出る人間はまずお目にかかれないと断言できるのですが、日本国内ではそうした作業が恒常的に割り振られることはほとんどなく、ある意味メインとなる技能の文書作成力も新聞社以外ではどこも評価していなかったでしょう。どっちの能力も、かなりわかりやすい面だと思うのですが。
それらを振り返って出てきたのが最初の「自分の才能の無駄遣い」で、私自身がある程度自覚して実際にアピールもしていたのに、何故か日本国内では誰も私の才能と能力を使うこともなく、逆に無意味としか思えない作業や面倒事に私を巻き込むだけでした。そういう意味では早くに日本を出てこっちに渡ってきて正解であったでしょう。
なおこの私の才能がこれまで活かされなかったことについては、どうも周りから私は「不器用なタイプ」と誤解されやすいことが原因ではないかと自他共に考えられています。実際、企業業務において私は比較的器用な方で、溶接から切断、マクロの組立からデータベース作成までこなせるのですが。
このように考えると、10年前は失うものなぞ何もないとばかりに中国来ましたが、実際は自分の才能を埋もれさせるか否かの瀬戸際であったように思え、改めてそう考えると寒気が走ります。
それにしても今の年齢になってみると、二十代そこそこの若造が何も持たずにいきなり中国来て働こうとするなんて、その勇気には感心するも若干呆れるような感傷も覚えます。気がついたら中国滞在は累計10年近くに及んで周りからベテラン扱いされるような年となりましたが、滞在歴なんて1年と3年では大きな差があるものの、3年と10年ではそんな大した差はないと考えており、無駄に長くいるだけと自分では考えています。それ以上に、平日普通にフルタイムで働きながら、未だ2週間に1回のペースでJBpressのコラム連載を継続する体力のほうが我ながらすごいと思います。
話は戻りますが十年前の状況を軽く語ると、当時はまだ日本国内でサラリーマン、それも今とは全く関係のない物流関係の業務に携わっていました。新卒で入った会社で内定をくれた恩は感じてはいたもののやるべき仕事がまったくなく、一日中椅子に座って終わるだけということも珍しくない毎日で、当時も感じていましたがリアルに「髀肉の嘆」状態でした。
挙げ句、その次の12月に会社側から頼まれて休日出勤してオフィスの引越を手伝うことになった際、恐らく本人も何もわからず無自覚に休日出勤する私と一緒に作業する同僚の批判を始めたある女性社員に抗議したところ騒ぎ出され、周囲がとりなすために私に対し向こうへ謝ってくれと言ったことから退職を決意しました。
実際に年が明けてすぐに転職サイトに登録し、中国への海外転職に向けて動き始めています。もっともしばらくは本気で行けるのかなという不安もあったことから激しく行動しなかったものの、その後も同じ会社でやはり今考えても理不尽な目に遭わされ、会社に対する失望というよりは「このままここにいたら不要な責任を負わされるかもしれない」という危機感から転職先も決まらないうちに2010年の9月には退職し、中国へ渡ることとしました。
改めて当時を振り返ると、「自分の才能の無駄遣い」という印象が強いです。このブログではJBpressの連載を始めとした執筆関連活動ばかり書いていますが、実際の私の企業内における能力については事務処理能力が際立っており、以前にデータ入力処理作業を任された友人からは「細かなミスが多いけど処理速度が桁違い」と言われましたが、実際どの会社に行っても文書はデータの処理作業、並びにそういったものの管理運用作業が周りと比べ異次元レベルで早かったりしていて、本来の業務作業能力以上に評価される事が多いです。
今いる会社でも本来の業務は別なのに、最近はむしろ事務関連管理作業を頼まれることが多く、この前もある同僚から、「ネットでの情報収集作業は花園さんが強いと聞いたので……」と言われ、特定トピックの情報収集作業をやりました。はっきり言って自分の専門分野でない情報の収集だったのでこれでいいのかなと思いながらまとめて出したところ、割と向こうの意にかなってたようで「さすが(゜o゜;」と言われました。
何がいいたいのかというと、そりゃ自分としては元記者とあって取材力や文章作成能力が一番評価されたいという欲求はあるものの、実際に会社の中で私が最も評価されるのは事務関連作業全般だったりします。私自身も周りと比べた場合は目立つくらい自分がこの方面に強いという自覚もあり、役に立てるのならこの能力を存分に活かしたいとは思っていますが、逆を言えば今までなんでこれだけどこでも必要とされ応用もききやすい能力を持っているのに、日本国内では一切評価されなかったのか、発揮できなかったのかが不思議でなりません。
少なくとも単純な事務処理作業、それこそデータ入力作業で自分の右に出る人間はまずお目にかかれないと断言できるのですが、日本国内ではそうした作業が恒常的に割り振られることはほとんどなく、ある意味メインとなる技能の文書作成力も新聞社以外ではどこも評価していなかったでしょう。どっちの能力も、かなりわかりやすい面だと思うのですが。
それらを振り返って出てきたのが最初の「自分の才能の無駄遣い」で、私自身がある程度自覚して実際にアピールもしていたのに、何故か日本国内では誰も私の才能と能力を使うこともなく、逆に無意味としか思えない作業や面倒事に私を巻き込むだけでした。そういう意味では早くに日本を出てこっちに渡ってきて正解であったでしょう。
なおこの私の才能がこれまで活かされなかったことについては、どうも周りから私は「不器用なタイプ」と誤解されやすいことが原因ではないかと自他共に考えられています。実際、企業業務において私は比較的器用な方で、溶接から切断、マクロの組立からデータベース作成までこなせるのですが。
このように考えると、10年前は失うものなぞ何もないとばかりに中国来ましたが、実際は自分の才能を埋もれさせるか否かの瀬戸際であったように思え、改めてそう考えると寒気が走ります。
それにしても今の年齢になってみると、二十代そこそこの若造が何も持たずにいきなり中国来て働こうとするなんて、その勇気には感心するも若干呆れるような感傷も覚えます。気がついたら中国滞在は累計10年近くに及んで周りからベテラン扱いされるような年となりましたが、滞在歴なんて1年と3年では大きな差があるものの、3年と10年ではそんな大した差はないと考えており、無駄に長くいるだけと自分では考えています。それ以上に、平日普通にフルタイムで働きながら、未だ2週間に1回のペースでJBpressのコラム連載を継続する体力のほうが我ながらすごいと思います。
2019年11月13日水曜日
桜を見る会への批判について
・桜を見る会中止 首相「私の判断」 「国会で説明を」の問いには答えず(毎日新聞)
これまであまり言及しませんでしたが例の桜を見る会に対し、野党が連日批判を繰り返し、且つメディアがそれを報道し続けることに疑問を感じていました。何故疑問を感じていたのかというと、批判に対するトーンがやや強すぎるというか感情的に見え、批判すること自体は別としてここまで大騒ぎすることかという風に見ていました。
仮に私がこの件で批判をするならば、公費を使った宴会であるのに参加者の選定がやや恣意的になりやすい傾向があるから、公平を期すために来年からは中止にしたらどうかという具合で行きます。これに抵抗するとしたら参加者をきちんと公平に選び、利権とかにつながらないようにしなければガバナンス面で問題があると付け加えるでしょう。
然るに野党の批判とかを見ていると、これまでの参加者に誰が選ばれていたのかばかりやり玉に挙げ、なんとなく安倍首相周辺の個人批判をするための材料としか使っておらず、公平性、そして何よりも今後この会の扱いをどうするかについては言及が少なかったように思えました。
また上記点のほか、自分が一番気になったのはなんでこの程度の問題でこんなにも大騒ぎしているのかという点です。この程度と言ったら変に反応する人もいるかも知れませんが、花見の宴会程度に費消する公費なんてたかが知れています。また花見に誘われたからと言ってものすごい恩義に感じる人もそんないるとは思えず、相手に対する影響力もそこまで発揮するかと言ったらまず発揮しないと断言できます。
であれば、少なくとも公費の無駄遣い的な話をするならばもっと大きな問題とかにどうして切り込まないのか。批判するならするで、何故こんな小さな問題に全力を傾けるのに、本当にメスを入れるべき問題を無視するのかという点で野党、メディアともに激しく疑問に感じました。
・国保料引き上げの真犯人、「ムダな医療費」を貪る人々の正体(ダイヤモンド)
一例を上げると、上記記事にまとめられている精神疾患医療に対する公費支出に対しては私もかねてから疑問に感じていました。記事中でも「日本人は精神疾患にかかりやすく重症化しやすい」と書かれてある通り、治療費と入院期間が世界的にも桁外れに高く、実際に過去に深刻な疾患でないにもかかわらず入院処置を取り、保険料を国からせしめる病院がいくつも出ています。
ただでさえ日本の財政は火の車であり、医療費に関しても今後の高齢化とともに急増することがほぼ確実な分野で、費用が急増することは仕方ないにしてもその急増の中に無駄がないかについて今だからこそ検証が必要な時でしょう。にもかかわらず花見一つでこれだけ長く大騒ぎしているというのは、呆れるを通り越してこの程度の水準かとつくづく思えてきます。
これまであまり言及しませんでしたが例の桜を見る会に対し、野党が連日批判を繰り返し、且つメディアがそれを報道し続けることに疑問を感じていました。何故疑問を感じていたのかというと、批判に対するトーンがやや強すぎるというか感情的に見え、批判すること自体は別としてここまで大騒ぎすることかという風に見ていました。
仮に私がこの件で批判をするならば、公費を使った宴会であるのに参加者の選定がやや恣意的になりやすい傾向があるから、公平を期すために来年からは中止にしたらどうかという具合で行きます。これに抵抗するとしたら参加者をきちんと公平に選び、利権とかにつながらないようにしなければガバナンス面で問題があると付け加えるでしょう。
然るに野党の批判とかを見ていると、これまでの参加者に誰が選ばれていたのかばかりやり玉に挙げ、なんとなく安倍首相周辺の個人批判をするための材料としか使っておらず、公平性、そして何よりも今後この会の扱いをどうするかについては言及が少なかったように思えました。
また上記点のほか、自分が一番気になったのはなんでこの程度の問題でこんなにも大騒ぎしているのかという点です。この程度と言ったら変に反応する人もいるかも知れませんが、花見の宴会程度に費消する公費なんてたかが知れています。また花見に誘われたからと言ってものすごい恩義に感じる人もそんないるとは思えず、相手に対する影響力もそこまで発揮するかと言ったらまず発揮しないと断言できます。
であれば、少なくとも公費の無駄遣い的な話をするならばもっと大きな問題とかにどうして切り込まないのか。批判するならするで、何故こんな小さな問題に全力を傾けるのに、本当にメスを入れるべき問題を無視するのかという点で野党、メディアともに激しく疑問に感じました。
・国保料引き上げの真犯人、「ムダな医療費」を貪る人々の正体(ダイヤモンド)
一例を上げると、上記記事にまとめられている精神疾患医療に対する公費支出に対しては私もかねてから疑問に感じていました。記事中でも「日本人は精神疾患にかかりやすく重症化しやすい」と書かれてある通り、治療費と入院期間が世界的にも桁外れに高く、実際に過去に深刻な疾患でないにもかかわらず入院処置を取り、保険料を国からせしめる病院がいくつも出ています。
ただでさえ日本の財政は火の車であり、医療費に関しても今後の高齢化とともに急増することがほぼ確実な分野で、費用が急増することは仕方ないにしてもその急増の中に無駄がないかについて今だからこそ検証が必要な時でしょう。にもかかわらず花見一つでこれだけ長く大騒ぎしているというのは、呆れるを通り越してこの程度の水準かとつくづく思えてきます。
2019年11月11日月曜日
メガネフレームによる頭痛、失調、疲れ
・また韓国人がいやがる!実は激しかった中国人の嫌韓(JBpress)
本題と関係ないですが一応今日配信された記事なので紹介しておきます。元々、この記事は出すつもりではなかったものの韓国関連記事のフィーバータイム中なので、日本帰国時に編集部に「こういうネタもあるにはあるけど」と紹介したところ、ぜひ書いてほしいと言われたので書いただけです。アクセスもよくヤフコメも非常に伸びていますが、上記のような背景からあまり思い入れはなく、同じく今日配信された藤岡氏の「特報! 関西電力の調査委員長が積水ハウスでも暗躍」の記事のほうが読むべき価値が高いのにと思えてなりません。
敢えて内容に一点だけ述べると、一番伝えたかった内容は「日本人客は『お触りが多いけど、お金をきちんと払ってくれるのでまだ許せる』」という下りです。前々から他の人にも聞かせてやりたいと思っていた下りで、「時は来た……」とばかりにうまく放出できてまじ嬉しいです。なおこの話を中国人女性から聞いた際、周りには他にも日本人男性がいましたが誰一人笑うことはなく、「まぁそうだろうな」とウンウン頷く程度の反応でした。そしてその中には、嫌がられずにうまくお触りする方法をよく熱弁するおじさんも含まれていました。
話は本題ですが先々週末に自転車からダイブして怪我を負った私ですが、この際にまだ買ってから二週間も経ってなかった眼鏡を少しぶつけ、レンズは傷つかなかったもののフレーム右側に少し擦ったような痕がついていました。機能的には問題なく、また擦った痕も数日経って初めて気づくくらい小さなものだったのは良かったのですが、ぶつけた瞬間に眼鏡の鼻当て部に少し衝撃が伝わったのか、この部分がやや曲がってしまいました。
曲がったものはしょうがないと思って自宅で私自ら鼻当て部を捻じ曲げて調整しましたが、これが結果的にはあまり良くありませんでした。それからしばらくして視界のバランスが目に見えて悪くなり、平日の仕事中も画面に向かって作業していて少し首を動かそうとしたらリアルに「ビキッ」って音が聞こえるような痛みが側頭部から首筋にかけて走るようになり、「もしかして転んだ時に神経傷つけたのでは?」と、少し心配になる症状を起こしてました。
薄々、自分で調節したメガネフレームが合っていないのではとわかっており、あれこれまた捻じ曲げ直したりして調節していましたがこれがなかなか合わず終いにはメガネを掛けるだけで眼球が固まるというかストレスを感じて硬直するようになり、それに合わせて視界もどんどん合わなくなっていきました。
もうこりゃ自分の手に負えないと思ってようやく今日眼鏡屋(Zoff)に行ってフレーム調整を頼んだたら非常にぱっぱとやってもらい、自分が気になっていた曲がり具合の箇所も何も言わずにきちんと直してくれて、ご機嫌な感じにしてくれました。
具体的にいうと、左側の鼻当てがどうも根っこのところからやや右側に湾曲していたように思え、これのおかげで右目にかかるレンズの角度がおかしくなっていた気がします。最初しばらくはまだ気にせずいられたものの、日が経つにつれて前述の通り日常生活でも調子がおかしくなってきたので、やっぱメガネフレームでマジ大事だなと感じました。
また転倒から一週間経ち、これ以外の怪我についても概ね回復しました。切った左耳の付け根はこのまま切れたまんまで、「あの千切れた左耳……奴は上海の花園だな」などとトレードマーク化することも危惧していましたが、ほっといたらかさぶたできてきちんとくっつきました。
同様に強打して最初は動かすと痛かった右肩も、転倒から三日目くらいで動かす分には痛みはなく、寧ろ表面にできたかさぶたが服にこすれるのが痛かっただけで、今じゃかさぶたも剥がれて何も痛みなく動かせます。ただ割と肩に筋肉ついている自分だから皮膚を傷つけただけで済んだけど、下手すれば確かに骨とかに影響出てたような転倒だったと今は思います。
まとめると、事故後一週間を経てようやくあらゆるバッドステータスが完治した気分です。今日出た記事よりも次回はもっとずっと大きくて内容のある記事ネタ取り扱うだけに、調子のいい状態に持ってこれたのは幸いです。
本題と関係ないですが一応今日配信された記事なので紹介しておきます。元々、この記事は出すつもりではなかったものの韓国関連記事のフィーバータイム中なので、日本帰国時に編集部に「こういうネタもあるにはあるけど」と紹介したところ、ぜひ書いてほしいと言われたので書いただけです。アクセスもよくヤフコメも非常に伸びていますが、上記のような背景からあまり思い入れはなく、同じく今日配信された藤岡氏の「特報! 関西電力の調査委員長が積水ハウスでも暗躍」の記事のほうが読むべき価値が高いのにと思えてなりません。
敢えて内容に一点だけ述べると、一番伝えたかった内容は「日本人客は『お触りが多いけど、お金をきちんと払ってくれるのでまだ許せる』」という下りです。前々から他の人にも聞かせてやりたいと思っていた下りで、「時は来た……」とばかりにうまく放出できてまじ嬉しいです。なおこの話を中国人女性から聞いた際、周りには他にも日本人男性がいましたが誰一人笑うことはなく、「まぁそうだろうな」とウンウン頷く程度の反応でした。そしてその中には、嫌がられずにうまくお触りする方法をよく熱弁するおじさんも含まれていました。
話は本題ですが先々週末に自転車からダイブして怪我を負った私ですが、この際にまだ買ってから二週間も経ってなかった眼鏡を少しぶつけ、レンズは傷つかなかったもののフレーム右側に少し擦ったような痕がついていました。機能的には問題なく、また擦った痕も数日経って初めて気づくくらい小さなものだったのは良かったのですが、ぶつけた瞬間に眼鏡の鼻当て部に少し衝撃が伝わったのか、この部分がやや曲がってしまいました。
曲がったものはしょうがないと思って自宅で私自ら鼻当て部を捻じ曲げて調整しましたが、これが結果的にはあまり良くありませんでした。それからしばらくして視界のバランスが目に見えて悪くなり、平日の仕事中も画面に向かって作業していて少し首を動かそうとしたらリアルに「ビキッ」って音が聞こえるような痛みが側頭部から首筋にかけて走るようになり、「もしかして転んだ時に神経傷つけたのでは?」と、少し心配になる症状を起こしてました。
薄々、自分で調節したメガネフレームが合っていないのではとわかっており、あれこれまた捻じ曲げ直したりして調節していましたがこれがなかなか合わず終いにはメガネを掛けるだけで眼球が固まるというかストレスを感じて硬直するようになり、それに合わせて視界もどんどん合わなくなっていきました。
もうこりゃ自分の手に負えないと思ってようやく今日眼鏡屋(Zoff)に行ってフレーム調整を頼んだたら非常にぱっぱとやってもらい、自分が気になっていた曲がり具合の箇所も何も言わずにきちんと直してくれて、ご機嫌な感じにしてくれました。
具体的にいうと、左側の鼻当てがどうも根っこのところからやや右側に湾曲していたように思え、これのおかげで右目にかかるレンズの角度がおかしくなっていた気がします。最初しばらくはまだ気にせずいられたものの、日が経つにつれて前述の通り日常生活でも調子がおかしくなってきたので、やっぱメガネフレームでマジ大事だなと感じました。
また転倒から一週間経ち、これ以外の怪我についても概ね回復しました。切った左耳の付け根はこのまま切れたまんまで、「あの千切れた左耳……奴は上海の花園だな」などとトレードマーク化することも危惧していましたが、ほっといたらかさぶたできてきちんとくっつきました。
同様に強打して最初は動かすと痛かった右肩も、転倒から三日目くらいで動かす分には痛みはなく、寧ろ表面にできたかさぶたが服にこすれるのが痛かっただけで、今じゃかさぶたも剥がれて何も痛みなく動かせます。ただ割と肩に筋肉ついている自分だから皮膚を傷つけただけで済んだけど、下手すれば確かに骨とかに影響出てたような転倒だったと今は思います。
まとめると、事故後一週間を経てようやくあらゆるバッドステータスが完治した気分です。今日出た記事よりも次回はもっとずっと大きくて内容のある記事ネタ取り扱うだけに、調子のいい状態に持ってこれたのは幸いです。
2019年11月9日土曜日
広告業に見る日本の金の循環
大分書くまでに時間かかってしまいましたが、日本滞在中にテレビCMを見ていて感じたこととして、ネット関連企業、特にスマホゲーム関連のCMが多いなと感じました。
他の人はどうだか知りませんが、「広告にお金かけれる→業界的に好景気」という図式をかねてから私は持っており、毎回日本に変える度にどの業界のテレビCMが多いのか常にチェックしています。一例を上げると2000年代前半のグレーゾーン金利が廃止されるまでは圧倒的にサラ金屋のCMが多く、その後の2010年前後は家電エコポイントの余波を買って家電メーカーのCMが極端に多い時代でした。
ただ、昨今はテレビCMに対しスポンサー側も「お金をかけたほど効果が出ない」ということを認知し始め、費用対効果がはっきりとしたデータとして出てくるネット広告に力を入れるようになってきています。実際、ネット広告の表示技術も上がってきていることから最近はごく普通のブログとか見ていても、以前のポップアップ広告のような不快なものは減りながら、表示される広告数は増えてきている気がします。特にスマホ向けサイトの広告表示は微に入り細に入るようになってきており、2012年にアドウェイズに取材したときに「もうスマホ向け広告抜きには考えられない」と言われて当時ポカーンと聞いてたのを恥ずかしく思うくらいです。
話は戻りますが、テレビCMもそうですがネット広告でも、単に私が漫画やゲーム関係のサイトに入り浸っているせいかもしれませんが、ネットゲーム関連広告がやたら多く見るような気がします。ちなみに会社のパソコンでは無駄に新規PCと奈良の物件サイトばかり見ているため、パソコンメーカーと奈良の不動産情報サイトの広告ばかり見ます。
前置きが少し長くなりましたが何が言いたいのかというと、なんとなく金の流れがネットを中心にしながらネット関連業界内で完結しているような気がしました。具体的には、
ゲームなどネットサービス企業→ネット広告企業→ウェブサイト運営企業→消費者→ネットサービス企業
こんな具合に、「ウェブサイト運営企業」は外れてくることもあるでしょうが、消費者を含む金の流れがこんな具合にネット内での完結が前より激しくなっている気がします。もっともこのサイクルが拡大するにつれて、通信量で儲けるドコモをはじめとする通信キャリアの儲けも大きくなる外部周辺効果ももちろんありますが。
無論、情報やサービスの流れがネットを中心となることは自然の流れですが、逆を言えばネットに係れない業者は、実態としては社会に必要とされつつ需要もあるもののの、金の流れによる影響を今後受けてくるかもしれません。その上で、広告を主体とするマスコミなどの業界は、今後ネットに対する「従化」がより激しくなるでしょう。ネット業者がなければまともな商売にならなくなり、且つスポンサーも物やサービスによっては、広告業者を介さず自ら直接CM番組を作ってYoutubeなどで流したり自社展開することも考えられ、広告代理店は今ただでさえ厳しいですが今後はもっとさらに厳しくなると予想します。
他の人はどうだか知りませんが、「広告にお金かけれる→業界的に好景気」という図式をかねてから私は持っており、毎回日本に変える度にどの業界のテレビCMが多いのか常にチェックしています。一例を上げると2000年代前半のグレーゾーン金利が廃止されるまでは圧倒的にサラ金屋のCMが多く、その後の2010年前後は家電エコポイントの余波を買って家電メーカーのCMが極端に多い時代でした。
ただ、昨今はテレビCMに対しスポンサー側も「お金をかけたほど効果が出ない」ということを認知し始め、費用対効果がはっきりとしたデータとして出てくるネット広告に力を入れるようになってきています。実際、ネット広告の表示技術も上がってきていることから最近はごく普通のブログとか見ていても、以前のポップアップ広告のような不快なものは減りながら、表示される広告数は増えてきている気がします。特にスマホ向けサイトの広告表示は微に入り細に入るようになってきており、2012年にアドウェイズに取材したときに「もうスマホ向け広告抜きには考えられない」と言われて当時ポカーンと聞いてたのを恥ずかしく思うくらいです。
話は戻りますが、テレビCMもそうですがネット広告でも、単に私が漫画やゲーム関係のサイトに入り浸っているせいかもしれませんが、ネットゲーム関連広告がやたら多く見るような気がします。ちなみに会社のパソコンでは無駄に新規PCと奈良の物件サイトばかり見ているため、パソコンメーカーと奈良の不動産情報サイトの広告ばかり見ます。
前置きが少し長くなりましたが何が言いたいのかというと、なんとなく金の流れがネットを中心にしながらネット関連業界内で完結しているような気がしました。具体的には、
ゲームなどネットサービス企業→ネット広告企業→ウェブサイト運営企業→消費者→ネットサービス企業
こんな具合に、「ウェブサイト運営企業」は外れてくることもあるでしょうが、消費者を含む金の流れがこんな具合にネット内での完結が前より激しくなっている気がします。もっともこのサイクルが拡大するにつれて、通信量で儲けるドコモをはじめとする通信キャリアの儲けも大きくなる外部周辺効果ももちろんありますが。
無論、情報やサービスの流れがネットを中心となることは自然の流れですが、逆を言えばネットに係れない業者は、実態としては社会に必要とされつつ需要もあるもののの、金の流れによる影響を今後受けてくるかもしれません。その上で、広告を主体とするマスコミなどの業界は、今後ネットに対する「従化」がより激しくなるでしょう。ネット業者がなければまともな商売にならなくなり、且つスポンサーも物やサービスによっては、広告業者を介さず自ら直接CM番組を作ってYoutubeなどで流したり自社展開することも考えられ、広告代理店は今ただでさえ厳しいですが今後はもっとさらに厳しくなると予想します。
2019年11月7日木曜日
佐野SAストライキ問題について
先日、ニンテンドースイッチライトを自分が購入したという噂を聞きつけ同僚が話しを聞きに来たので、直接現物を持って見せて(=自慢)きました。その際、「何か最新のゲームを見せて(・∀・)」と言われたので、今年発売されたばかりの「伊勢志摩ミステリー案内 偽りの黒真珠」を見せたら、「え?(´・ω・`)」って顔されました。
リンク先を見てもらえば早いですが、このゲームは徹底的にファミコン時代のゲームをモチーフに作られたゲームで、正真正銘最新のゲームソフトですが、中身は骨董品級な画面とシステムで作られた疑似レトロゲームです。
・佐野SA、ふたたびストライキ決行へ「前回のストを正当な争議行為として認めて!」(弁護士ドットコム)
話は本題ですが、今年夏よりストライキが行われようやく労使妥結したかと思いきや再びこじれにこじれている佐野SAのストライキ問題についてです。
経緯については他の記事に譲るとして、この問題についてまず言えることとしては、佐野SAという目立つ場所だったから世間の注目が集まっていくらかの進展は得られたということです。仮に他の企業や目立たない売り場であればそもそも報道もされず、注目も世論の支持も得られずに経営側の一方的勝利に終わっていたと思われ、そういう意味では夏場における騒動関連報道は労働側にとっては追い風となりプラスに働いたと考えています。
しかしそれだけの追い風があった、というより明らかに経営側が無能で問題あることがはっきりしているにもかかわらず、未だにこの問題が続いて労使対立が起こっていることには疑問を覚えてなりません。それこそ、融資を行っている金融機関などが間に立ち、つなぎ融資の条件として経営の沈静化を図ったりしないものなのか、それ以前に仮に私が銀行担当者であれば、経営陣の完全総退陣を要求すると思います。
銀行以上に理解できないのは、件のケイセイ・フーズに発注をしているネクスコ東日本です。夏場の重要な時期にストライキという問題を発生させた上にその後の対応も疎かで、それ前に取引先との決済問題なども引き起こしているケイセイ・フーズに対して必要な是正措置を何故取らないのか。それこそ銀行以上に率先して仲裁に立つべき立場であり、サービスエリアという公共性の高いテナントを運営する立場からもどうしてもっとしっかり問題解決に動かないのか、はっきり言えば頭おかしいのではと思います。
この問題に関して他ではこのように報じていませんが、内心で私は、ケイセイ・フーズの無能な経営陣以上にネクスコ東日本態度の方が疑問に感じます。これほど大きくなった問題に対してもこんな態度なのだから、案外ほかでもいろんな問題を抱えているのではないかと訝しむくらいです。
リンク先を見てもらえば早いですが、このゲームは徹底的にファミコン時代のゲームをモチーフに作られたゲームで、正真正銘最新のゲームソフトですが、中身は骨董品級な画面とシステムで作られた疑似レトロゲームです。
・佐野SA、ふたたびストライキ決行へ「前回のストを正当な争議行為として認めて!」(弁護士ドットコム)
話は本題ですが、今年夏よりストライキが行われようやく労使妥結したかと思いきや再びこじれにこじれている佐野SAのストライキ問題についてです。
経緯については他の記事に譲るとして、この問題についてまず言えることとしては、佐野SAという目立つ場所だったから世間の注目が集まっていくらかの進展は得られたということです。仮に他の企業や目立たない売り場であればそもそも報道もされず、注目も世論の支持も得られずに経営側の一方的勝利に終わっていたと思われ、そういう意味では夏場における騒動関連報道は労働側にとっては追い風となりプラスに働いたと考えています。
しかしそれだけの追い風があった、というより明らかに経営側が無能で問題あることがはっきりしているにもかかわらず、未だにこの問題が続いて労使対立が起こっていることには疑問を覚えてなりません。それこそ、融資を行っている金融機関などが間に立ち、つなぎ融資の条件として経営の沈静化を図ったりしないものなのか、それ以前に仮に私が銀行担当者であれば、経営陣の完全総退陣を要求すると思います。
銀行以上に理解できないのは、件のケイセイ・フーズに発注をしているネクスコ東日本です。夏場の重要な時期にストライキという問題を発生させた上にその後の対応も疎かで、それ前に取引先との決済問題なども引き起こしているケイセイ・フーズに対して必要な是正措置を何故取らないのか。それこそ銀行以上に率先して仲裁に立つべき立場であり、サービスエリアという公共性の高いテナントを運営する立場からもどうしてもっとしっかり問題解決に動かないのか、はっきり言えば頭おかしいのではと思います。
この問題に関して他ではこのように報じていませんが、内心で私は、ケイセイ・フーズの無能な経営陣以上にネクスコ東日本態度の方が疑問に感じます。これほど大きくなった問題に対してもこんな態度なのだから、案外ほかでもいろんな問題を抱えているのではないかと訝しむくらいです。
2019年11月5日火曜日
高度な理性とは
理性的な人物だと言われれば、恐らくまず褒め言葉として受け取られるでしょう。では理性的な人物とは、どんな人が当てはまるのか。
恐らくこうした問いかけをした場合、一番多く帰ってくると思う答えとしては「常識的な人物」ではないかと思います。しかし私に言わせると、常識というのは時代や場所によって変わるものであり、それこそ貧困国や戦地において日本の常識を維持する人間が「理性的な人物」として取られるかは果たして疑問です。
では単純に「理性」が多い人間だったらどうか。そもそも理性とは何かというメタな議論へと発展していきそうですが、要するに論理的に考える人のことを指していると私は考えており、その意味で言えば「感情に流されない人」こそが理性的と言えるかもしれません。この場合の「感情的」とは、特に現代日本だと「めったに怒らない人」がそうした代表として扱われると思え、確かにこういうタイプの人なら「理性的な人」と言われても自然ではないかと思います。
でも、敢えて嫌な言い方をすれば、いついかなる時も怒りを見せない人間が果たして理性的なのかという逆説を問うこともできます。それこそ目の前で親や子供が殺されながらも怒りを見せない人間は理性的と言えるのか、という風に問うこともできます。ただこうしたケースであれば、「怒りではなく悲しみを出すことが自然」として、怒りを見せずとも涙を流すという感情を出しさえすれば、怒りを抑えつつも親類への情をきちんと備えているとして合格、晴れて理性的な人物に認定されるかもしれません。
ただ上記ケースにおける怒りにしろ悲しみにしろ、それは理性というよりかは感情があるかないかの議論であると私は捉えており、理性の有無の議論とは敢えて分けて考えた方がわかりやすいように思います。目の前で虐殺されるのを見て怒りも悲しみも見せないのはただ単に感情がないだけで、それはそれでやはり不気味な人間だと私も考えます。
ではこの場合の理性があるかないかはどの点を見るのかというと、端的に言って大きく取り乱すか否かでしょう。怒りや悲しみを見せるとしても、「てめぇこのやろ絶対許さねぇ!」などといって戦車に向かって体当たりをかける人は情が強いことは認めるものの、私の中では理性的ではありません。怒りであろうと悲しみであろうと、無謀な行為や、論理的に明らかに逸脱した行為を見せるというのが理性的ではなく、憎い相手を殺そうとするにしても、死んだ者に涙を流すとしても、その目的に合わせて適切な行為を行い、なおかつ我を失うような慌て方をしないということが理性的であると考えるわけです。
以上が理性的という言葉に対する私の定義ですが、ではここで、「高度な理性」とは何を指すことになるのでしょうか。要するに、取り乱さないことの程度が高いということで、どんなショッキングな場面においても取り乱さない人が、高度な理性を備えていると言えるでしょう。
そういう意味では昔にも書いた気がしますが「罪と罰」のラスコーリニコフとナポレオンの比較が好例といえ、何百万人を死に至らしめながら平然と自らの野心を追求したナポレオンに対し、誰からも嫌われる金貸しの老婆とその妹を殺しただけで前後不覚になるラスコーリニコフでは、ナポレオンのほうが理性的だったということになります。
この「罪と罰」の例は自ら手にかけた場合ですが、他人に手をかけられるという意味では最初の例のように、親族が殺される、知人が殺される、赤の他人が殺される、この順番でどこで取り乱すかでその人の理性が測られることとなるでしょう。
また無理に殺人を例にしなくても、ジェイソンに会う、フレディに会う、花子さんに会う、貞子に会うというドッキリ恐怖系でも、どこで恐怖から取り乱すかでも測れるかもしれません。もっともこのキャラたちの格付は私にもよくわかりませんが。
なんでこんな話をするのかと言うと、実は今、超ゴア系アドベンチャーゲームを買うかどうか悩んでます。ネットでチラ見しただけで戦慄というか声が出なくなり、ガチで目を背けたというか画面切ったほどの内容なのですが、「俺の理性はそこまでなのか?」と変な負けん気だして、こんなんでビビんねぇぞとばかりに逆に購入してやってやろうかという気に今なっています。もっともそういいつつ、あれ程の内容ならば触れない方がいいのでは、触ってしまうと逆に歪むのではという懸念も持っています。
そうした妙なせめぎ合いを感じている最中ですが、少なくとも言えることとしてはやはり私は幼少より、そうしたホラーをはじめとするゴア表現系の映像やらストーリーをよく求めてきて、そうした物に触れるにつれて徐々にですが理性的になってきたという自負はあります。この前も紹介した「シークレットゲーム」でもプレイ中、少なくとも私は目を背けたり映像や表現に慄いたりすることは一切なく、ホラー耐性みたいなものは幼少時と比べると格段に強くなっています。
ホラーやスプラッタ描写に触れ過ぎると性格がおかしくなる、残虐になるという教育論は昔から多いし私も別に否定しませんが、自分に関してはホラーやスプラッタ描写の行為に憧れるとかそういうのはなく、ただ単に「怖い、だからこそ見てみたい」という単純な興味からであり、恐怖を克服したいとかそういう気も別にあるわけではありません。しかし結果的にそうした動機や行動が「高度な理性」につながってるとしたら、意識して高めているわけじゃないけど、私は割と高度な理性を追い求めて生きてるんだなと思ったわけです。
そんなわけで、そのゲームを買うかどうかマジ悩んでるわけです。本気でここ数年でかつてないくらいにドン引きしたゴア表現でしたが、だからこそ惹かれるというか、久々に高くてもやってみたいと思ったゲームです。まぁこうなったのも、「シークレットゲーム」が少なくとも自分が思ってたよりかはマイルドだったことも少なからず影響している気がしますが。
恐らくこうした問いかけをした場合、一番多く帰ってくると思う答えとしては「常識的な人物」ではないかと思います。しかし私に言わせると、常識というのは時代や場所によって変わるものであり、それこそ貧困国や戦地において日本の常識を維持する人間が「理性的な人物」として取られるかは果たして疑問です。
では単純に「理性」が多い人間だったらどうか。そもそも理性とは何かというメタな議論へと発展していきそうですが、要するに論理的に考える人のことを指していると私は考えており、その意味で言えば「感情に流されない人」こそが理性的と言えるかもしれません。この場合の「感情的」とは、特に現代日本だと「めったに怒らない人」がそうした代表として扱われると思え、確かにこういうタイプの人なら「理性的な人」と言われても自然ではないかと思います。
でも、敢えて嫌な言い方をすれば、いついかなる時も怒りを見せない人間が果たして理性的なのかという逆説を問うこともできます。それこそ目の前で親や子供が殺されながらも怒りを見せない人間は理性的と言えるのか、という風に問うこともできます。ただこうしたケースであれば、「怒りではなく悲しみを出すことが自然」として、怒りを見せずとも涙を流すという感情を出しさえすれば、怒りを抑えつつも親類への情をきちんと備えているとして合格、晴れて理性的な人物に認定されるかもしれません。
ただ上記ケースにおける怒りにしろ悲しみにしろ、それは理性というよりかは感情があるかないかの議論であると私は捉えており、理性の有無の議論とは敢えて分けて考えた方がわかりやすいように思います。目の前で虐殺されるのを見て怒りも悲しみも見せないのはただ単に感情がないだけで、それはそれでやはり不気味な人間だと私も考えます。
ではこの場合の理性があるかないかはどの点を見るのかというと、端的に言って大きく取り乱すか否かでしょう。怒りや悲しみを見せるとしても、「てめぇこのやろ絶対許さねぇ!」などといって戦車に向かって体当たりをかける人は情が強いことは認めるものの、私の中では理性的ではありません。怒りであろうと悲しみであろうと、無謀な行為や、論理的に明らかに逸脱した行為を見せるというのが理性的ではなく、憎い相手を殺そうとするにしても、死んだ者に涙を流すとしても、その目的に合わせて適切な行為を行い、なおかつ我を失うような慌て方をしないということが理性的であると考えるわけです。
以上が理性的という言葉に対する私の定義ですが、ではここで、「高度な理性」とは何を指すことになるのでしょうか。要するに、取り乱さないことの程度が高いということで、どんなショッキングな場面においても取り乱さない人が、高度な理性を備えていると言えるでしょう。
そういう意味では昔にも書いた気がしますが「罪と罰」のラスコーリニコフとナポレオンの比較が好例といえ、何百万人を死に至らしめながら平然と自らの野心を追求したナポレオンに対し、誰からも嫌われる金貸しの老婆とその妹を殺しただけで前後不覚になるラスコーリニコフでは、ナポレオンのほうが理性的だったということになります。
この「罪と罰」の例は自ら手にかけた場合ですが、他人に手をかけられるという意味では最初の例のように、親族が殺される、知人が殺される、赤の他人が殺される、この順番でどこで取り乱すかでその人の理性が測られることとなるでしょう。
また無理に殺人を例にしなくても、ジェイソンに会う、フレディに会う、花子さんに会う、貞子に会うというドッキリ恐怖系でも、どこで恐怖から取り乱すかでも測れるかもしれません。もっともこのキャラたちの格付は私にもよくわかりませんが。
なんでこんな話をするのかと言うと、実は今、超ゴア系アドベンチャーゲームを買うかどうか悩んでます。ネットでチラ見しただけで戦慄というか声が出なくなり、ガチで目を背けたというか画面切ったほどの内容なのですが、「俺の理性はそこまでなのか?」と変な負けん気だして、こんなんでビビんねぇぞとばかりに逆に購入してやってやろうかという気に今なっています。もっともそういいつつ、あれ程の内容ならば触れない方がいいのでは、触ってしまうと逆に歪むのではという懸念も持っています。
そうした妙なせめぎ合いを感じている最中ですが、少なくとも言えることとしてはやはり私は幼少より、そうしたホラーをはじめとするゴア表現系の映像やらストーリーをよく求めてきて、そうした物に触れるにつれて徐々にですが理性的になってきたという自負はあります。この前も紹介した「シークレットゲーム」でもプレイ中、少なくとも私は目を背けたり映像や表現に慄いたりすることは一切なく、ホラー耐性みたいなものは幼少時と比べると格段に強くなっています。
ホラーやスプラッタ描写に触れ過ぎると性格がおかしくなる、残虐になるという教育論は昔から多いし私も別に否定しませんが、自分に関してはホラーやスプラッタ描写の行為に憧れるとかそういうのはなく、ただ単に「怖い、だからこそ見てみたい」という単純な興味からであり、恐怖を克服したいとかそういう気も別にあるわけではありません。しかし結果的にそうした動機や行動が「高度な理性」につながってるとしたら、意識して高めているわけじゃないけど、私は割と高度な理性を追い求めて生きてるんだなと思ったわけです。
そんなわけで、そのゲームを買うかどうかマジ悩んでるわけです。本気でここ数年でかつてないくらいにドン引きしたゴア表現でしたが、だからこそ惹かれるというか、久々に高くてもやってみたいと思ったゲームです。まぁこうなったのも、「シークレットゲーム」が少なくとも自分が思ってたよりかはマイルドだったことも少なからず影響している気がしますが。
2019年11月3日日曜日
ドラマはその後
昨日、中山公園のニトリに言ったら、ニトリが入っている商業施設で剣道試合のイベントが行われていました。個人的には前掛けに漢字の個人名が入っているのが印象的で、中国人でも剣道やる人いるんだなとなかなか興味深く思ってみてました。
試合を見ながら写真を撮って、これで今夜のブログもバッチリだと思って帰宅しましたが、ドラマはその後に待っていました。
今回、ニトリで私は発泡スチロールみたいな素材でパズルピースみたく組み立てるフロアマット一畳分を購入しました。何に使うのかと言ったら部屋に敷くためで、スリッパ脱いで動くスペースにこれ敷いておけば冬も床から熱奪われなくて超いいじゃんとか思ったからでしたが、結構サイズが大きく、ナップザックには入らなかったのでビニール袋をもらい、そのまま片手運転の自転車で帰宅しました。
そしたら案の定というか自転車の前輪が袋を巻き込み、それだけだったら全然余裕だったけど、フロアマットが変に柔らかい素材もあってめっちゃ前輪に食い込み、袋ごと右腕が引っ張られ、そのまま見事に自転車から転げました。自分にしては非常に珍しいのですが、袋とともに右腕引っ張られたところまでは覚えているものの、転げ落ちた瞬間の記憶は何故か曖昧で、具体的にどうどのように転んだのかは今も覚えていません。
幸い、コケた場所は車の少ないところで、コケた直後にすぐ立ち上がることができたのですが、周りから「大丈夫か?」とすぐ中国人男性二人が駆け寄ってきました。最初はなんで寄ってくるのかわかりませんでしたが、改めて気がつくとかなり激しく顔面から流血しており、よってきた二人以外にも周りの人たちがえらい表情して自分を見ていて事は深刻だと気が付きました。
その後、声をかけてくれた二人に「大丈夫だから安心して」と言って路肩に寄り、身なりを正しましたが、ようやく段々と痛みが湧いてきて、特に右肩を強く打ったようで流血以上にこっちのがきになりました。そのようにしていたらさっき駆け寄ってきた二人のうち一人が、近くのコンビニから水とティッシュを買ってきてくれて、「これ使いなよ」と言って渡してくれました。お金を払おうとしたものの断られ、何度もありがとうと言って別れましたが、この時は心底「中国に来てよかった」と思いました。
早速その水とティッシュで顔を拭いたところ、自分でもドン引きするくらいティッシュが真っ赤になってちょいビビりました。幸い流血自体はすぐ止まったのですが、傷口を見るのはなんとなく気分的に嫌だったのであえて見ず、このあとどうやって帰るかについて思案にくれました。
前輪に巻き込まれたビニール袋は激しく破れていたため、フロアマットは手で持つしかありませんでした。幸い、サイズ自体は極端にでかくなく、片手でこんどはしっかり持てば前輪に巻き込むことはないものの、右肩強打の影響で右手の握力が極端に落ちており、果たして家まできちんと握ってられるかが不安でした。また習近平が来るということで上海市内のあちこちに警官が立っており、片手運転くらいで咎められることは中国の警察にはないものの、流血の痕とのコンボだったらちょっとまずいかもという懸念がありました。
とはいえ自転車をほっぽって置くわけにも行かないし、強打した右肩と顔面がやや痛むものの、右手にフロアマット、左手にハンドルを持って再び片手運転に漕ぎ出しました。漕ぎ出してすぐ、案の定握力が弱っててちょっとした段差にぶつかるやフロアマットを落としましたが。
ともかく握力がやたら弱くなってたので段差の振動でもやばく、速度も比較的低めで漕ぎ出しました。そして警察が立っている十字路とかでは、予め距離を置いて信号待ちし、信号が変わるやさっと素知らぬふりして通り抜けるということを繰り返して進みました。案の定、片手運転については中国の警官は何も咎めませんでした。前に両手手放し運転した時は流石に怒られたけど。
そんな感じで約30分間走り、無事に家まで辿り着きました。最後の自宅アパート階段を自転車持って登るのが結構辛かったし。ちなみに自宅に着くまでの間は何故か、グランド・ジョラスでのビカール・サンな気分をしてました。
家着いて、嫌だと思いつつも頑張って鏡を見たところ、擦り切れたというよりかは強打して皮膚が破れた感じの右頬はともかく、眼鏡金具で切れた鼻の頭付近と、左耳の付け根が切れてて、ここから激しく流血した痕が見られました。あと右肩は出血していないものかなり内出血しており、しばらくは肩上げるのも痛かったです。それと痛みのある左手首には血がべったりついていたので裂傷下かと思ってましたが、水で洗い流すと傷口はなく、ただ単に打ち身してただけでした。逆を言えば裂傷したと勘違いするほど血がついてたんだけど。
各傷口から判断するに、おそらく自転車が右斜めに傾いて倒れ、まず右肩を地面にぶつけた後で右頬をうち、その後倒れた自転車の金具でも左耳に当たって切れたのだと思います。真面目に記憶力に自信のある自分でありながら、こうも転倒時の記憶がないのは不思議です。
幸いだったのはこの前買ったばかりの眼鏡は落としたり、ぶつけたりせず、レンズも傷一つなかったことです。っていうか耳切るよりレンズに傷つくほうが嫌でした。
一夜明けた今日は傷口もそこまで深くなかったことから、今日会って話しした人にも説明しないと出血した痕だと気づかれないくらい目立たず、また右肩もまだ触ると痛むものの、肩自体は問題なく可動するようになり、事後は比較的順調です。また午前中には、恐らく倒れた影響からか目視でもはっきりわかるくらい前輪が左右に歪んでいたことから、自転車屋まで乗っていき直してもらいました。スポークを調整するだけで済みましたが(20元=約300円)、倒れた事以外にも経年劣化による長年の歪みの影響もあったでしょう。
あと少し汚い話ですが、今日出した尿は毎回非常に濃くなっており、なんとなく体直すのに細胞がフル稼働しているのが見て取れました。
何気に今回の転倒で地味に痛かったのは、本当は昨日の夜に次のJBpressの原稿を書こうと考えていたのですが、流石に自転車で転倒して、耳切って流血したあとに書く気にはなれず、すぐに寝ちゃって、ついさっきまで急いで書く必要に迫られたことです。スケジューリングはマジ大事。
それにしても、自転車で顔から突っ込んだのは約10年ぶりです。これだけあっても普通に今日、部屋の模様替えとか買い物、原稿執筆するあたり落ち着きがないと自分でも思います。
2019年10月31日木曜日
何故ラグビーワールドカップは成功したのか
決勝戦は明後日ですが、現在日本で開催中のラグビーワールドカップは近年の日本主催の国際スポーツ大会としては稀に見るほどの大成功だったと言えるでしょう。これまで日本ではあまり人気があるとは言えなかったラグビーに対し、試合中継では高視聴率を連発した上、また揉めやすいレフェリーの判定についてもこれまで目立った騒動も聞きません。
極めつけは日本に滞在した外国人選手との交流で、報道されている限りでは日本側の受入は各地で好評だったようで、先日の台風被害のあとにボランティアに参加してくれたカナダチーム選手など、多方面で素晴らしい交流が行われたと考えています。
なお高校時代はラグビーやってたのに大学入ってからダルいとかいってテニスに鞍替えしたうちの名古屋に左遷された親父によると、「片手でパスするのが不思議」だったそうです。親父の時代はきちんと投げるため何が何でも両手でパスするよう指導されていたそうですが、現代のラグビー選手は平気で片手でパスしながら正確にボールを送っており、この点は親父の世代からするととんでもない時代の変化に感じたそうですが。
話は戻りますが、そもそもどうして今回これほど成功したのかが気になってます。正直、前評判も高くなかっただけにどうしてこれほど盛り上がったのかが不思議で仕方ありませんでした。単純に日本のラグビー関連団体が努力したと言えばそれで済むのかもしれませんが、それならそれで何が良かったのかが気になります。
特に来年に東京五輪を控えているだけに、その成功要因は今からでもしっかりと共有しておくにこしたことはないでしょう。
まず考えられる理由としては、情報発信が非常に良かったという点です。滞在中の外国人選手らの日常風景、試合スケジュールや今後の展開について非常に細かく且つわかりやすく情報が発信され、台風で試合が中止になった際も早め早めにその可能性に言及しており、この点は見事な発信の仕方だったと思います。
次に、これはジャケット着ているだけで「秋なのに上着を着るなんて花園さんらしくない」と久しぶりに会うなりディスってきた後輩の主張ですが、試合中継などでアイドルや芸人などを一切使用せず、硬派な中継を心がけたという点です。このところっつても大分前からですが、競技経験のあるアイドルや芸人を呼んでは試合の実況解説に混ぜる放送が非常に多いです。サッカーが特に顕著ですが、ミルがわからしたらアイドルや芸人呼ばれても何も響かないというか、見たいのはやはり試合の中身であるのに、試合前後に無駄にそういったゲストがあれこれトークするのは私自身も正直あまりいいとは思っていませんでした。
後輩によると、今回のラグビーワールドカップの試合では競技経験のあるアイドルや芸人がそもそもいなかったからかもしれませんが、かなりガチな競技経験者が毎回登場し、また実況や放送も視聴者にわかるよう細かくルール解説がされていて非常に見やすかったそうです。私も一試合の放送を見ましたが、確かに野球やサッカーと比べて無駄に視聴者を煽るような発言とかなく、落ち着いた試合中継で見ていて悪い気分しませんでした。逆を言えば、変なゲストの戯言ほど不快にさせるものはないんだなと改めて感じました。
あと最後に私自身の見解ですが、日本のラグビー業界でそこそこ力持っている森元総理が、弱ってきてあまり大会運営に口出ししなかったからうまくいったのではないかと本気で思っています。それこそ東京五輪でもこれまで出てきては余計なことを言って現場を混乱させてきましたが、最近急に痩せて顔色も優れないなど、明らかに弱ってきている様子が見て取れます。
非常に不謹慎なことをさっきから言っていますが、この人に限って言えば存在するよりしないほうが物事が確実にうまく回ると思うくらい問題がある人物だと私はかねてから認識しており、今回のラグビーワールドカップの成功振りを見て、ますますこの考えに確信が持てました。公人である以上、これくらいの批判はまぁありでしょう。さらに言えば、東京五輪も正直どうなるかと危ぶんでいましたが、名誉会長がこんな感じで何も言わなくなったらうまくいくのではと光明が見えてきました。
最後に関係ないけど、この前日本帰った時の親父へのお土産は、免税店で買ったタバコとイスラム教徒がかぶる白い帽子でした。後者は、親父が被った姿は完全な中東人で、あれなら普通に中東コミュニティに潜り込めるなと思うほどでした。
極めつけは日本に滞在した外国人選手との交流で、報道されている限りでは日本側の受入は各地で好評だったようで、先日の台風被害のあとにボランティアに参加してくれたカナダチーム選手など、多方面で素晴らしい交流が行われたと考えています。
なお高校時代はラグビーやってたのに大学入ってからダルいとかいってテニスに鞍替えしたうちの名古屋に左遷された親父によると、「片手でパスするのが不思議」だったそうです。親父の時代はきちんと投げるため何が何でも両手でパスするよう指導されていたそうですが、現代のラグビー選手は平気で片手でパスしながら正確にボールを送っており、この点は親父の世代からするととんでもない時代の変化に感じたそうですが。
話は戻りますが、そもそもどうして今回これほど成功したのかが気になってます。正直、前評判も高くなかっただけにどうしてこれほど盛り上がったのかが不思議で仕方ありませんでした。単純に日本のラグビー関連団体が努力したと言えばそれで済むのかもしれませんが、それならそれで何が良かったのかが気になります。
特に来年に東京五輪を控えているだけに、その成功要因は今からでもしっかりと共有しておくにこしたことはないでしょう。
まず考えられる理由としては、情報発信が非常に良かったという点です。滞在中の外国人選手らの日常風景、試合スケジュールや今後の展開について非常に細かく且つわかりやすく情報が発信され、台風で試合が中止になった際も早め早めにその可能性に言及しており、この点は見事な発信の仕方だったと思います。
次に、これはジャケット着ているだけで「秋なのに上着を着るなんて花園さんらしくない」と久しぶりに会うなりディスってきた後輩の主張ですが、試合中継などでアイドルや芸人などを一切使用せず、硬派な中継を心がけたという点です。このところっつても大分前からですが、競技経験のあるアイドルや芸人を呼んでは試合の実況解説に混ぜる放送が非常に多いです。サッカーが特に顕著ですが、ミルがわからしたらアイドルや芸人呼ばれても何も響かないというか、見たいのはやはり試合の中身であるのに、試合前後に無駄にそういったゲストがあれこれトークするのは私自身も正直あまりいいとは思っていませんでした。
後輩によると、今回のラグビーワールドカップの試合では競技経験のあるアイドルや芸人がそもそもいなかったからかもしれませんが、かなりガチな競技経験者が毎回登場し、また実況や放送も視聴者にわかるよう細かくルール解説がされていて非常に見やすかったそうです。私も一試合の放送を見ましたが、確かに野球やサッカーと比べて無駄に視聴者を煽るような発言とかなく、落ち着いた試合中継で見ていて悪い気分しませんでした。逆を言えば、変なゲストの戯言ほど不快にさせるものはないんだなと改めて感じました。
あと最後に私自身の見解ですが、日本のラグビー業界でそこそこ力持っている森元総理が、弱ってきてあまり大会運営に口出ししなかったからうまくいったのではないかと本気で思っています。それこそ東京五輪でもこれまで出てきては余計なことを言って現場を混乱させてきましたが、最近急に痩せて顔色も優れないなど、明らかに弱ってきている様子が見て取れます。
非常に不謹慎なことをさっきから言っていますが、この人に限って言えば存在するよりしないほうが物事が確実にうまく回ると思うくらい問題がある人物だと私はかねてから認識しており、今回のラグビーワールドカップの成功振りを見て、ますますこの考えに確信が持てました。公人である以上、これくらいの批判はまぁありでしょう。さらに言えば、東京五輪も正直どうなるかと危ぶんでいましたが、名誉会長がこんな感じで何も言わなくなったらうまくいくのではと光明が見えてきました。
最後に関係ないけど、この前日本帰った時の親父へのお土産は、免税店で買ったタバコとイスラム教徒がかぶる白い帽子でした。後者は、親父が被った姿は完全な中東人で、あれなら普通に中東コミュニティに潜り込めるなと思うほどでした。
2019年10月29日火曜日
ゲームレビュー「シークレットゲーム」
大学時代のロシア語の授業である学生が、
「せんせー、昨日徹夜でカラオケしたから喉痛い。飴ちゃんちょうだい(´・ω・`)」
「あんた大阪のおばちゃんみんなが飴ちゃん持ってるとでも思ってるの?まぁ持ってるけど( ´ー`)ゴソゴソ」
という出来事がありましたが今日、
「花園さーん、マウス持ってたらちょうだい(´・ω・`)」
「あるよ。ほなこれ持ってき( ´ー`)ゴソゴソ」
という妙なやり取りをかましてきました。ちなみに家には使っていないマウスが10台くらいあります。
話は本題ですが昨日の記事で私は今、ニンテンドースイッチライトで「キラークイーン」というゲームをやってると書きましたが、これ聞いて大概の人はジョジョに出てくるスタイリッシュなスタンドを想像したのではないかと思います。実際はそっちではなく、キラークイーン、もとい「シークレットゲーム」というアドベンチャーゲームです。
この「キラークイーン」というのは初出が2008年に出た18禁の同人ゲームで、その後PS2とかパソコン向けにリメイクされたのが「シークレットゲーム」です。内容はどんなのかというといわゆるデスゲームで、謎の施設に閉じ込められた人たちが武器を与えられ、殺し合いをするという典型的な内容となっています。
私はこのゲームを2010年頃に知って、PSP版も出ていると知ったので最初はそっちで遊ぼうかと考えていましたが、当時はPSPのダウンロード版の値段が高く、そこそこ古いゲームなのにその値段で購入することに抵抗もあったことから見送っていました。そしたらニンテンドースイッチにソフトが移植されており、且つ値段もお手頃となっていることを知ったので、先日の日本帰国時に続編の「リベリオン」とともに大人買いしました。
私がこのゲームの何に興味を惹かれたのかというと、一言で言えばめちゃくちゃ人が死にそうな内容だったからで、それ以外は何もありません。もっとも遊んでみた感想としては確かに9割方死ぬけど殺害方法は蜂の巣になるようなのばっかで、それほど凄惨というわけではありません。凄惨さで言ったら、前にもレビュー書いた「ゼロエスケープ」がフッ酸シャワーを始め群を抜いており、あれに比べればまだ「シークレットゲーム」はマイルドな方です。
それでゲーム自体についてですが、そもそもこのゲームをゲームと呼ぶには少し難があります。というのも一般的なアドベンチャーゲームと違ってこのゲームにはシナリオの分岐はほぼなく、基本的には用意されたテキストを読むだけで、ビジュアルノベルのような内容だからです。通常のアドベンチャーは選択肢によって展開が変わることを主軸とするだけに、随分と思い切ったやり方したなと感じます。
ただ、複数あるシナリオのテキスト量は非常に膨大で、完読するには普通に数時間が必要なだけに、選択肢による分岐がなくても正直あまり気になりません。それどころかテキストは非常に面白く、先が気になる内容と高い品質を持っており、世間で評価が高いというのも非常に納得できました。
このゲームのテキストが何故優れているのかというと、舞台設定とキャラ設定がとにかく優れていることに尽きます。
通常、デスゲームというのは平等に武器とか与えられて、互いに協力し、時には裏切り、最後に愛と友情で生き残るというのがお決まりの流れですが、「シークレットゲーム」ではゲームに登場する各プレイヤーそれぞれ別個に、「何人か殺す」、「特定の場所を回る」、「特定人物を殺す」、「数人から持ち物を奪う」、「特定時間まで生き残る」などのクリア条件が設けられ、条件によっては完全に競合して対立せざるを得なかったり、逆に協力するほうがメリットがあると言った状況が生まれたりします。そのため他のデスゲームと違って、キャラ間の駆け引きもクリア条件が重要となり、シナリオにもそれが反映されます。
次のキャラ設定についてですが、このゲームではパラレルワールド的に複数のシナリオが用意されており、登場人物や大まかな舞台設定は共通するものの、シナリオによって死ぬ人や生き残る人が変わり、展開も変わってきて、選択肢によるシナリオ分岐の役割を代わりに果たしています。
ただ、他のアドベンチャーゲームだと分岐したシナリオによってキャラの設定や性格が変わったりして、時には別人のようになってしまうことも珍しくありません。それがこの「シークレットゲーム」では、各登場人物の行動原理、観念がすべてのシナリオで完全に共通しており、シナリオによって主人公に協力したり、狂行に走ったりと行動そのものは変わるものの、その行動原理となる価値観や考え方が驚くくらい共通というか一致が保たれており、各登場人物が各シナリオでどうしてそんな行動を取ったのかについて深く納得できるようになっています。
では何故シナリオによって行動が変わるのかというと、具体的には物語冒頭でどんな人物と接触したか、スタート地点がどこだったか、持ち物がどんなだったかによって行動が変わってきます。あるキャラに至っては、誰かに接触する前に罠にかかっていきなり死んだりもするし。
今現在自分は最終章途中まで進めており、トラブルがなければこのまま最終エンドまで今日中にたどり着けると思います。正直言ってシナリオを読むだけのゲームですが、シナリオの完成度が非常に高いのは保証でき、ギャルゲーらしい目玉の大きなキャラクターの造形さえ我慢できれば確かにおすすめできる内容です。あんまグロくないし。
なお声優の演技については取り立てて評価するほどの人はいないなと感じますが、ある女性キャラの声優を名前で検索したところ、「このひと、コトノハサマだったのか……」という言葉が自然と漏れてきました。
それにしても最近は「ヤンデレ」という言葉も以前よりすっかり聞かなくなった気がします。っていうか2005年から2008年のリーマン・ショックまでの間にやたらとこの手のキャラが異常に量産されていたようにも思え、何ていうかそういう時代だったんだなと再認識しました。
「せんせー、昨日徹夜でカラオケしたから喉痛い。飴ちゃんちょうだい(´・ω・`)」
「あんた大阪のおばちゃんみんなが飴ちゃん持ってるとでも思ってるの?まぁ持ってるけど( ´ー`)ゴソゴソ」
という出来事がありましたが今日、
「花園さーん、マウス持ってたらちょうだい(´・ω・`)」
「あるよ。ほなこれ持ってき( ´ー`)ゴソゴソ」
という妙なやり取りをかましてきました。ちなみに家には使っていないマウスが10台くらいあります。
話は本題ですが昨日の記事で私は今、ニンテンドースイッチライトで「キラークイーン」というゲームをやってると書きましたが、これ聞いて大概の人はジョジョに出てくるスタイリッシュなスタンドを想像したのではないかと思います。実際はそっちではなく、キラークイーン、もとい「シークレットゲーム」というアドベンチャーゲームです。
この「キラークイーン」というのは初出が2008年に出た18禁の同人ゲームで、その後PS2とかパソコン向けにリメイクされたのが「シークレットゲーム」です。内容はどんなのかというといわゆるデスゲームで、謎の施設に閉じ込められた人たちが武器を与えられ、殺し合いをするという典型的な内容となっています。
私はこのゲームを2010年頃に知って、PSP版も出ていると知ったので最初はそっちで遊ぼうかと考えていましたが、当時はPSPのダウンロード版の値段が高く、そこそこ古いゲームなのにその値段で購入することに抵抗もあったことから見送っていました。そしたらニンテンドースイッチにソフトが移植されており、且つ値段もお手頃となっていることを知ったので、先日の日本帰国時に続編の「リベリオン」とともに大人買いしました。
私がこのゲームの何に興味を惹かれたのかというと、一言で言えばめちゃくちゃ人が死にそうな内容だったからで、それ以外は何もありません。もっとも遊んでみた感想としては確かに9割方死ぬけど殺害方法は蜂の巣になるようなのばっかで、それほど凄惨というわけではありません。凄惨さで言ったら、前にもレビュー書いた「ゼロエスケープ」がフッ酸シャワーを始め群を抜いており、あれに比べればまだ「シークレットゲーム」はマイルドな方です。
それでゲーム自体についてですが、そもそもこのゲームをゲームと呼ぶには少し難があります。というのも一般的なアドベンチャーゲームと違ってこのゲームにはシナリオの分岐はほぼなく、基本的には用意されたテキストを読むだけで、ビジュアルノベルのような内容だからです。通常のアドベンチャーは選択肢によって展開が変わることを主軸とするだけに、随分と思い切ったやり方したなと感じます。
ただ、複数あるシナリオのテキスト量は非常に膨大で、完読するには普通に数時間が必要なだけに、選択肢による分岐がなくても正直あまり気になりません。それどころかテキストは非常に面白く、先が気になる内容と高い品質を持っており、世間で評価が高いというのも非常に納得できました。
このゲームのテキストが何故優れているのかというと、舞台設定とキャラ設定がとにかく優れていることに尽きます。
通常、デスゲームというのは平等に武器とか与えられて、互いに協力し、時には裏切り、最後に愛と友情で生き残るというのがお決まりの流れですが、「シークレットゲーム」ではゲームに登場する各プレイヤーそれぞれ別個に、「何人か殺す」、「特定の場所を回る」、「特定人物を殺す」、「数人から持ち物を奪う」、「特定時間まで生き残る」などのクリア条件が設けられ、条件によっては完全に競合して対立せざるを得なかったり、逆に協力するほうがメリットがあると言った状況が生まれたりします。そのため他のデスゲームと違って、キャラ間の駆け引きもクリア条件が重要となり、シナリオにもそれが反映されます。
次のキャラ設定についてですが、このゲームではパラレルワールド的に複数のシナリオが用意されており、登場人物や大まかな舞台設定は共通するものの、シナリオによって死ぬ人や生き残る人が変わり、展開も変わってきて、選択肢によるシナリオ分岐の役割を代わりに果たしています。
ただ、他のアドベンチャーゲームだと分岐したシナリオによってキャラの設定や性格が変わったりして、時には別人のようになってしまうことも珍しくありません。それがこの「シークレットゲーム」では、各登場人物の行動原理、観念がすべてのシナリオで完全に共通しており、シナリオによって主人公に協力したり、狂行に走ったりと行動そのものは変わるものの、その行動原理となる価値観や考え方が驚くくらい共通というか一致が保たれており、各登場人物が各シナリオでどうしてそんな行動を取ったのかについて深く納得できるようになっています。
では何故シナリオによって行動が変わるのかというと、具体的には物語冒頭でどんな人物と接触したか、スタート地点がどこだったか、持ち物がどんなだったかによって行動が変わってきます。あるキャラに至っては、誰かに接触する前に罠にかかっていきなり死んだりもするし。
今現在自分は最終章途中まで進めており、トラブルがなければこのまま最終エンドまで今日中にたどり着けると思います。正直言ってシナリオを読むだけのゲームですが、シナリオの完成度が非常に高いのは保証でき、ギャルゲーらしい目玉の大きなキャラクターの造形さえ我慢できれば確かにおすすめできる内容です。あんまグロくないし。
なお声優の演技については取り立てて評価するほどの人はいないなと感じますが、ある女性キャラの声優を名前で検索したところ、「このひと、コトノハサマだったのか……」という言葉が自然と漏れてきました。
それにしても最近は「ヤンデレ」という言葉も以前よりすっかり聞かなくなった気がします。っていうか2005年から2008年のリーマン・ショックまでの間にやたらとこの手のキャラが異常に量産されていたようにも思え、何ていうかそういう時代だったんだなと再認識しました。
2019年10月28日月曜日
ニンテンドースイッチライトの中国での稼働状況などなど
先日、友人から「ニンテンドースイッチライトどう?」と聞かれたので、いま得ている情報を簡単にまとめておきます。
少し前のブログにも書いたように(書いたっけ?(´・ω・`))、先日の日本帰国時にニンテンドースイッチの携帯機特価版に当たるニンテンドースイッチライトを書いてきました、いい加減長い名将にうんざりなのでスイッチライトと書きますが、まず触ってみた第一の感想としては「重い(´・ω・`)」でした。
というのも、これまで私が主力武器として長年中国で連れ添ってきたPSVitaと比べると画面などがやや大きくなっており、ガワ全体もVitaより少し大きいことから、重量も少し重くなっています。
Vitaより重いといっても実際それほどものすごい重量というわけじゃないのですが、やはり携帯ゲーム機というのは常に手に持って、場合によっては長時間遊び続けることもあるだけに、軽いに越したことはありません。もっとも私が重いと感じるのはVitaに慣れているだけであって、実際に数日間スイッチライトを使っているうちに段々と重さにも慣れてきました。何ていうか、この重力にも慣れてきたというか。
ゲームソフトに関しては最近はVitaでも全部そうなので、全てダウンロードで購入しており、日本国内でメモリーカード買ってダウンロードしてきました。メモリーカードはVitaで当初16GBのを買って入れてましたが、途中で容量足りなくなってもう一枚16GBを購入したという反省を踏まえ、今まで知らない謎のメーカーのマイクロSDカード128GBを購入して入れています。Vitaと違って汎用のメモリーカードなのは任天堂もいい仕事しており、っていうかソニーは無駄に独自規格作るのやめろよと改めて思いました。
操作性に関してはまだアクションゲームを直接遊んではいないのですが、先程述べた重量と、画面の大きさからやや横幅の長い形状から、これでアクションゲームをガキガキやるのは厳しいとすぐに感じました。そこで外付けのケースというか、スイッチライト本体を握りやすくするためのこういう外付けカバーを即購入しました。
Vitaにもこういうケースカバーがありましたがこれまで使ったことはなかったものの、スイッチライトにつけたケースカバーは割と触感もよく、グリップ加減も良くて気に入っています。逆に、こういうケースカバー無しだと激しいアクションゲームは厳しい気がします。
なおケースカバー、あと持ち運び用のポーチはどちらも白色を選びましたが、「白なんてすぐに汚れる」と親父と上海人の二人に全く同じセリフを言われました。奴らは白の良さをまだ理解していない( ゚д゚)
このほか気になった点を上げると、サウンドというかスピーカーは明らかにVitaと比べて優れています。Vitaは表面のボタン付近にスピーカー口があり、ゲーム中に親指が重なると急に音が塞がれるといったトラブルが良くありましたが、スイッチライトは本体下部にあって手や指で塞がることはほぼなく、なおかつ音の聞こえ具合も明らかにVitaよりクリアです。
一方、まだ完全には把握しきっていませんが、ゲームプレイ以外の本体付属機能とUIに関してはあまり誉められたものではなく、現時点では私があまり評価していないVita以下の状態です。メイン画面ではダウンロードしたゲームタイトルが割と大きいアイコンでズラッと並んでおり、ゲームを選ぶ際の選択でやや違和感があります。またメニュー画面のカラーパターンこそ選べるものの、背景画像やアイコンを含めたテーマ設定は弄れず、設定のカスタマイズ範囲は非常に限定されています。携帯ゲーム機である上は、もっと個性を主張したいところなのですが。
あ、あと肝心なこと書き忘れていましたが、中国でスイッチのゲームをダウンロードできるかについて書いておきます。結論から言うと「イケそう」な気がします。
ゲーム機本体の所在地設定には「香港、台湾」はあるものの中国本土は含まれていないのですが、無料販売されているゲームはスイッチライト本体からニンテンドーeショップから直接購入することができ、ダウンロード自体も行えました。ただ正式に価格のついたゲームソフトはまだ試しておらず、この辺を今後買いたいゲームが出てきた際に試してみるつもりです。
もっともゲームソフト自体はPCからVPN経由で購入することはほぼ確実に可能であるだけに、ダウンロードが行けるんなら中国からでも問題なく購入し、遊べるのではないかと見ています。
最後に、実際のゲームはどんなもんといったところですが、実はまだ一本のゲームしか遊んでいません。スイッチライトを買うと決めた時に最初に買うことを決めたソフトは「ベヨネッタ」の1と2でこれらはもちろん買っていますが、現在遊んでいるゲームはこれではありません。何かというと「キラークイーン」で、こちらに関してはまた次回紹介します。
少し前のブログにも書いたように(書いたっけ?(´・ω・`))、先日の日本帰国時にニンテンドースイッチの携帯機特価版に当たるニンテンドースイッチライトを書いてきました、いい加減長い名将にうんざりなのでスイッチライトと書きますが、まず触ってみた第一の感想としては「重い(´・ω・`)」でした。
というのも、これまで私が主力武器として長年中国で連れ添ってきたPSVitaと比べると画面などがやや大きくなっており、ガワ全体もVitaより少し大きいことから、重量も少し重くなっています。
Vitaより重いといっても実際それほどものすごい重量というわけじゃないのですが、やはり携帯ゲーム機というのは常に手に持って、場合によっては長時間遊び続けることもあるだけに、軽いに越したことはありません。もっとも私が重いと感じるのはVitaに慣れているだけであって、実際に数日間スイッチライトを使っているうちに段々と重さにも慣れてきました。何ていうか、この重力にも慣れてきたというか。
ゲームソフトに関しては最近はVitaでも全部そうなので、全てダウンロードで購入しており、日本国内でメモリーカード買ってダウンロードしてきました。メモリーカードはVitaで当初16GBのを買って入れてましたが、途中で容量足りなくなってもう一枚16GBを購入したという反省を踏まえ、今まで知らない謎のメーカーのマイクロSDカード128GBを購入して入れています。Vitaと違って汎用のメモリーカードなのは任天堂もいい仕事しており、っていうかソニーは無駄に独自規格作るのやめろよと改めて思いました。
操作性に関してはまだアクションゲームを直接遊んではいないのですが、先程述べた重量と、画面の大きさからやや横幅の長い形状から、これでアクションゲームをガキガキやるのは厳しいとすぐに感じました。そこで外付けのケースというか、スイッチライト本体を握りやすくするためのこういう外付けカバーを即購入しました。
Vitaにもこういうケースカバーがありましたがこれまで使ったことはなかったものの、スイッチライトにつけたケースカバーは割と触感もよく、グリップ加減も良くて気に入っています。逆に、こういうケースカバー無しだと激しいアクションゲームは厳しい気がします。
なおケースカバー、あと持ち運び用のポーチはどちらも白色を選びましたが、「白なんてすぐに汚れる」と親父と上海人の二人に全く同じセリフを言われました。奴らは白の良さをまだ理解していない( ゚д゚)
このほか気になった点を上げると、サウンドというかスピーカーは明らかにVitaと比べて優れています。Vitaは表面のボタン付近にスピーカー口があり、ゲーム中に親指が重なると急に音が塞がれるといったトラブルが良くありましたが、スイッチライトは本体下部にあって手や指で塞がることはほぼなく、なおかつ音の聞こえ具合も明らかにVitaよりクリアです。
一方、まだ完全には把握しきっていませんが、ゲームプレイ以外の本体付属機能とUIに関してはあまり誉められたものではなく、現時点では私があまり評価していないVita以下の状態です。メイン画面ではダウンロードしたゲームタイトルが割と大きいアイコンでズラッと並んでおり、ゲームを選ぶ際の選択でやや違和感があります。またメニュー画面のカラーパターンこそ選べるものの、背景画像やアイコンを含めたテーマ設定は弄れず、設定のカスタマイズ範囲は非常に限定されています。携帯ゲーム機である上は、もっと個性を主張したいところなのですが。
あ、あと肝心なこと書き忘れていましたが、中国でスイッチのゲームをダウンロードできるかについて書いておきます。結論から言うと「イケそう」な気がします。
ゲーム機本体の所在地設定には「香港、台湾」はあるものの中国本土は含まれていないのですが、無料販売されているゲームはスイッチライト本体からニンテンドーeショップから直接購入することができ、ダウンロード自体も行えました。ただ正式に価格のついたゲームソフトはまだ試しておらず、この辺を今後買いたいゲームが出てきた際に試してみるつもりです。
もっともゲームソフト自体はPCからVPN経由で購入することはほぼ確実に可能であるだけに、ダウンロードが行けるんなら中国からでも問題なく購入し、遊べるのではないかと見ています。
最後に、実際のゲームはどんなもんといったところですが、実はまだ一本のゲームしか遊んでいません。スイッチライトを買うと決めた時に最初に買うことを決めたソフトは「ベヨネッタ」の1と2でこれらはもちろん買っていますが、現在遊んでいるゲームはこれではありません。何かというと「キラークイーン」で、こちらに関してはまた次回紹介します。
多重下請けの弊害
・中国の自動車市場、完全に成長が止まった模様(JBpress)
今日配信された私の記事はこれですが、正直こんなニュースどうでもいいと思ってしまうビッグニュースが同時期に配信されていました。少しだけコメントつけておくと、ヤフコメ見るとやはりというか見出しの総生産台数落ち込みばかりに言及していて、個人的にはもっと重要だと思える新エネ車の腰折れについて言及ないのがやや残念でした。あと個人的に一番嬉しかったのは、シビックについて言及するコメントがあったことです。
・「5次請け」の殺し屋、報酬安すぎで手抜きし事件発覚 中国(AFP)
見出しからしてどこから突っ込んでいいのかわからないニュースですが、中身を見るともっとカオスです。
ぜひ記事内容をその目で確認してほしいのですが概要を簡単に説明すると、中国で訴訟を起こされた不動産業者が、訴訟費用のが高く付くと考えて殺し屋に200万元(約3000万円)で殺害を依頼しました。しかし依頼された殺し屋は、「俺の手は汚したくない」と考えて別の人物に100万元(約1500万円)で依頼を転注というかアウトソーシングしました。
そしたら転注された男は「俺の手は汚したくない」と考えて更に別の人物に77万元(約1200万円)で、そしたらそいつも「俺の手は汚したくない」と考えて他の人物に70万元(約1100万円)で、でもってそいつも「俺の手は汚したくない」と考えて最後の男に10万元(約150万円)で殺害を依頼した層です。
しかし最後の男は、「こんな金額では割に合わない」と考え、なんと殺害相手に直接コンタクトを取り、殺害を果たしたと偽るために縛って猿ぐつわをかませた写真を撮影させてもらうことに同意して、見事撮影を果たしたそうです。撮影後、狙われていた人物は警察へ通報し、依頼者ほか五人の殺し屋はまとめて逮捕されたそうです。
もうどこから突っ込めばいいのかわからないくらい愉快なニュースと言うか、最初は3000万円だったら報酬が何も仕事を果たさない下請けを経由していくうちに最終的には150万円まで減ってしまい、割に合わないと考えられて仕事放棄させられるというオチは小説でもなかなかないでしょう。しかも最後の男に至っては仕事せずに報酬を得ようと殺害対象と撮影会まで開いており、のどかというかなんというか図太い神経しています。
ネットでコメントとか見ていると、「原発除染作業を始めとする日本の労働現場のようだ」、「多重下請け、よくない」みたいなコメントがたくさん並んでいて、面白がる一方で意外に笑えないというような皮肉めいたコメントがよく見られます。実際、私もそう感じましたし。
たまに「どうして中国に来たの?」という質問を受けることがありますが、普段は中国史が好きだったからと答えるものの、「唖然とするトンデモニュースが飛び交うのが中国とインドくらいだから」という答え方をすることがあります。軽く冗談が入っているもののこの回答も本心であり、トンデモ事件が頻発するからこそ中国であり、それが中国の魅力であると本気で考えています。
しかし経済成長を果たしてからというものの、中国国内ではこういうトンデモニュースがだんだん減ってきた感じがします。それだけに今回のニュースは久々に心躍らせるニュースで、これがあるから中国はやめられないと無駄に元気になりました。
今日配信された私の記事はこれですが、正直こんなニュースどうでもいいと思ってしまうビッグニュースが同時期に配信されていました。少しだけコメントつけておくと、ヤフコメ見るとやはりというか見出しの総生産台数落ち込みばかりに言及していて、個人的にはもっと重要だと思える新エネ車の腰折れについて言及ないのがやや残念でした。あと個人的に一番嬉しかったのは、シビックについて言及するコメントがあったことです。
・「5次請け」の殺し屋、報酬安すぎで手抜きし事件発覚 中国(AFP)
見出しからしてどこから突っ込んでいいのかわからないニュースですが、中身を見るともっとカオスです。
ぜひ記事内容をその目で確認してほしいのですが概要を簡単に説明すると、中国で訴訟を起こされた不動産業者が、訴訟費用のが高く付くと考えて殺し屋に200万元(約3000万円)で殺害を依頼しました。しかし依頼された殺し屋は、「俺の手は汚したくない」と考えて別の人物に100万元(約1500万円)で依頼を転注というかアウトソーシングしました。
そしたら転注された男は「俺の手は汚したくない」と考えて更に別の人物に77万元(約1200万円)で、そしたらそいつも「俺の手は汚したくない」と考えて他の人物に70万元(約1100万円)で、でもってそいつも「俺の手は汚したくない」と考えて最後の男に10万元(約150万円)で殺害を依頼した層です。
しかし最後の男は、「こんな金額では割に合わない」と考え、なんと殺害相手に直接コンタクトを取り、殺害を果たしたと偽るために縛って猿ぐつわをかませた写真を撮影させてもらうことに同意して、見事撮影を果たしたそうです。撮影後、狙われていた人物は警察へ通報し、依頼者ほか五人の殺し屋はまとめて逮捕されたそうです。
もうどこから突っ込めばいいのかわからないくらい愉快なニュースと言うか、最初は3000万円だったら報酬が何も仕事を果たさない下請けを経由していくうちに最終的には150万円まで減ってしまい、割に合わないと考えられて仕事放棄させられるというオチは小説でもなかなかないでしょう。しかも最後の男に至っては仕事せずに報酬を得ようと殺害対象と撮影会まで開いており、のどかというかなんというか図太い神経しています。
ネットでコメントとか見ていると、「原発除染作業を始めとする日本の労働現場のようだ」、「多重下請け、よくない」みたいなコメントがたくさん並んでいて、面白がる一方で意外に笑えないというような皮肉めいたコメントがよく見られます。実際、私もそう感じましたし。
たまに「どうして中国に来たの?」という質問を受けることがありますが、普段は中国史が好きだったからと答えるものの、「唖然とするトンデモニュースが飛び交うのが中国とインドくらいだから」という答え方をすることがあります。軽く冗談が入っているもののこの回答も本心であり、トンデモ事件が頻発するからこそ中国であり、それが中国の魅力であると本気で考えています。
しかし経済成長を果たしてからというものの、中国国内ではこういうトンデモニュースがだんだん減ってきた感じがします。それだけに今回のニュースは久々に心躍らせるニュースで、これがあるから中国はやめられないと無駄に元気になりました。
2019年10月27日日曜日
結果主義の弊害
記事には書いていませんでしたが先日壊れたと疑いのあったSIMカードを通信キャリアに持っていったら、やっぱり壊れていたようで、交換したらすぐ元通りとなりました。なお交換の際、最初の契約時に使用したパスポートはすでに期限が切れて切り替えていたので、最初は交換ができず、二回目に新旧パスポートを携えて無事に問題解決できました。古いパスポート捨てずにおいてよかった。
話は本題ですが、日本滞在中に何故か友人の弟に説教していました。その内容というのも、結果主義の弊害とプロセス遵守の必要性についてです。
1931年の満州事変と言えば言うまでもなく日本が二次大戦に踏み出す最初の一手であることに間違いありません。この満州事変は主に石原莞爾、河本大作、板垣征四郎などの関東軍幹部によって企図、実行されたもので、中央に当たる東京の参謀本部には諮らずに実行されたものでした。
敢えて現代風に言えば、海外支店が本社の了解や決済なく企業買収を仕掛けるような行為であり、言うまでもなく独断専行的な命令違反と言っていい行為でした。またこの満州事変の際には当時朝鮮半島に駐留していた軍隊を、林銑十郎がこちらもまた中央の了解なしに中国東北部へと動かしております。こちらに至っては統帥権の干犯もいいところで、米軍のイラク駐留部隊が勝手にイランへ攻め込むような行為といえばその危険性がよく分かるかと思います。
しかし、こうした命令違反に当たる軍事行動を行った軍人らはその後処罰されることは全くありませんでした。というのも、結果的には満州事変は軍事的には大成功して、それまでは瀋陽など一部都市と満州鉄道沿線のみだった日本の支配地域は、中国東北部全体にまで広がったからです。このため石原莞爾などは勝手に軍隊を動かした罪で処罰されるどころか昇進したわけです。
それから時代を経た1937年、満州国と中国国境の盧溝橋での偶発的戦闘開始によって日中戦争が開始されます。勃発当初、東京の参謀本部は戦火の拡大を防ぐために現地部隊に対して不要な戦闘は避け軍事行動は控えるように通達しますが、現地部隊はこれらを一切無視して中国領土をガンガン攻め続けました。しかもこの時の参謀本部には出世した石原莞爾もいたのですが、再三の抑止呼びかけに対して周囲から、「お前も命令違反して出世したじゃないか」と言われ、絶句したというエピソードが残っています。
つまり当時の日本陸軍の中では、「命令違反しても成果を上げれば問題ない」という結果主義がはびこっていたことに間違いありません。そしてその源流は満州事変の成功とその後の関係者の昇進であり、その結果盧溝橋事件以降の日中戦争では中央の命令を完全に無視して、軍事行動が行われる下地を作ったと言えます。
これら全ては結果主義による弊害といってよく、「結果さえ良ければ手段や過程は問わない」という意識がはびこることによって起こるモデルケースと言っていい事態です。その後の結果については言わずもがなですが、日本は日中戦争から泥沼の戦争状態に陥ったばかりか、米国との太平洋戦争にも突入して亡国の道をたどることとなりました。
なお同じような結果主義の弊害によるケースとしては、「シャア少佐だって、戦場の戦いで勝って、出世したんだ!」でおなじみのガンダムに出てくるジーンの例が好例でしょう。この時彼は偵察のみが命令で同僚からも止められていたにもかかわらず攻撃行動に移った結果、ガンダムに乗り込んだアムロ・レイに反撃されて命を落としています。
仮に彼が結果主義に走らず偵察だけで終えていたらアムロ・レイは一年戦争に参加しなかった可能性が高いです。アムロは戦争でやばいくらい活躍しただけに、ジーンが手を出さなかったらジオン軍は敗北どころか連邦に勝利していたのではとまで推測されることから、ジオン軍最大の戦犯という評価を現在得ています。
以上を含めて何がいいたい、というか友人の弟に何を伝えたかったのかというと、結果主義がはびこると組織というのは得てして命令違反が繰り返されるようになり、日本陸軍の例は極端だとしても、基本的には弊害が大きく組織そのものを含め損害を負うこととなります。そのため結果主義というのは可能な限り排除すべきであり、多少鬱陶してくても行動や計画を実行に移す際はきちんとプロセスに則って手続きを踏み、行う必要があると伝えました。
直近の例だと加計学園系列大学の獣医学部認可がありますがあれなぞ、「安倍首相の友達→安倍首相は喜ぶであろう」という忖度のもとで、本来行うべき審査プロセスがすっ飛ばされて実施されており、安倍首相が直接指示して行われてなければ結果主義の弊害の典型とも言える事件でした。またその前後の森友学園問題も同様で、安倍首相関連事案だからという結果主義により土地売却プロセスが正当に踏まれていなかった感が見られます。
では結果主義を排除するためにはどうすればいいか。結論から言えばきちんと定められたプロセスを遵守するよう徹底し、これに違反したものは、たとえどれだけ素晴らしい結果を生んだとしてもきちんと処罰するということに尽きます。仮に満州事変で石原莞爾らをきちんと処罰していれば、日中戦争は起こらなかった可能性があると私は本気で考えています。
ただ、何でもかんでも杓子定規にプロセスを遵守しろとまで主張するつもりはありません。それこそ未曾有の事態や、どう考えても既存の設定プロセスが当てはめられない異常な事態に対しては、現場での臨機応変な対応が求められるし、それを認めるべきだという立場を取ります。一例を上げると、米軍の軍事ヘリが戦地で墜落した際、階級上では指揮する立場ではないもののサバイバル能力に優れたあるパイロットが生存者を率いて見事生還したという例があります。
以上をまとめると、きちんとプロセスが定められている事態に対してはプロセス遵守を徹底する。プロセスが存在しない、または通用しない超異常事態に限ってのみ現場判断を認めるという姿勢こそが、結果主義を排除する手段であり、これをきちんと守るかどうかは非常に重要だと言いたいです。
なお一部の日本企業を見ていると、実力主義と勘違いして結果主義を蔓延させているケースが見られます。具体的には「チャレンジ」で有名な東芝とかですが、実力主義との混同は非常に危険で、この方面にもやはり注意が必要だと私は感じます。
話は本題ですが、日本滞在中に何故か友人の弟に説教していました。その内容というのも、結果主義の弊害とプロセス遵守の必要性についてです。
1931年の満州事変と言えば言うまでもなく日本が二次大戦に踏み出す最初の一手であることに間違いありません。この満州事変は主に石原莞爾、河本大作、板垣征四郎などの関東軍幹部によって企図、実行されたもので、中央に当たる東京の参謀本部には諮らずに実行されたものでした。
敢えて現代風に言えば、海外支店が本社の了解や決済なく企業買収を仕掛けるような行為であり、言うまでもなく独断専行的な命令違反と言っていい行為でした。またこの満州事変の際には当時朝鮮半島に駐留していた軍隊を、林銑十郎がこちらもまた中央の了解なしに中国東北部へと動かしております。こちらに至っては統帥権の干犯もいいところで、米軍のイラク駐留部隊が勝手にイランへ攻め込むような行為といえばその危険性がよく分かるかと思います。
しかし、こうした命令違反に当たる軍事行動を行った軍人らはその後処罰されることは全くありませんでした。というのも、結果的には満州事変は軍事的には大成功して、それまでは瀋陽など一部都市と満州鉄道沿線のみだった日本の支配地域は、中国東北部全体にまで広がったからです。このため石原莞爾などは勝手に軍隊を動かした罪で処罰されるどころか昇進したわけです。
それから時代を経た1937年、満州国と中国国境の盧溝橋での偶発的戦闘開始によって日中戦争が開始されます。勃発当初、東京の参謀本部は戦火の拡大を防ぐために現地部隊に対して不要な戦闘は避け軍事行動は控えるように通達しますが、現地部隊はこれらを一切無視して中国領土をガンガン攻め続けました。しかもこの時の参謀本部には出世した石原莞爾もいたのですが、再三の抑止呼びかけに対して周囲から、「お前も命令違反して出世したじゃないか」と言われ、絶句したというエピソードが残っています。
つまり当時の日本陸軍の中では、「命令違反しても成果を上げれば問題ない」という結果主義がはびこっていたことに間違いありません。そしてその源流は満州事変の成功とその後の関係者の昇進であり、その結果盧溝橋事件以降の日中戦争では中央の命令を完全に無視して、軍事行動が行われる下地を作ったと言えます。
これら全ては結果主義による弊害といってよく、「結果さえ良ければ手段や過程は問わない」という意識がはびこることによって起こるモデルケースと言っていい事態です。その後の結果については言わずもがなですが、日本は日中戦争から泥沼の戦争状態に陥ったばかりか、米国との太平洋戦争にも突入して亡国の道をたどることとなりました。
なお同じような結果主義の弊害によるケースとしては、「シャア少佐だって、戦場の戦いで勝って、出世したんだ!」でおなじみのガンダムに出てくるジーンの例が好例でしょう。この時彼は偵察のみが命令で同僚からも止められていたにもかかわらず攻撃行動に移った結果、ガンダムに乗り込んだアムロ・レイに反撃されて命を落としています。
仮に彼が結果主義に走らず偵察だけで終えていたらアムロ・レイは一年戦争に参加しなかった可能性が高いです。アムロは戦争でやばいくらい活躍しただけに、ジーンが手を出さなかったらジオン軍は敗北どころか連邦に勝利していたのではとまで推測されることから、ジオン軍最大の戦犯という評価を現在得ています。
以上を含めて何がいいたい、というか友人の弟に何を伝えたかったのかというと、結果主義がはびこると組織というのは得てして命令違反が繰り返されるようになり、日本陸軍の例は極端だとしても、基本的には弊害が大きく組織そのものを含め損害を負うこととなります。そのため結果主義というのは可能な限り排除すべきであり、多少鬱陶してくても行動や計画を実行に移す際はきちんとプロセスに則って手続きを踏み、行う必要があると伝えました。
直近の例だと加計学園系列大学の獣医学部認可がありますがあれなぞ、「安倍首相の友達→安倍首相は喜ぶであろう」という忖度のもとで、本来行うべき審査プロセスがすっ飛ばされて実施されており、安倍首相が直接指示して行われてなければ結果主義の弊害の典型とも言える事件でした。またその前後の森友学園問題も同様で、安倍首相関連事案だからという結果主義により土地売却プロセスが正当に踏まれていなかった感が見られます。
では結果主義を排除するためにはどうすればいいか。結論から言えばきちんと定められたプロセスを遵守するよう徹底し、これに違反したものは、たとえどれだけ素晴らしい結果を生んだとしてもきちんと処罰するということに尽きます。仮に満州事変で石原莞爾らをきちんと処罰していれば、日中戦争は起こらなかった可能性があると私は本気で考えています。
ただ、何でもかんでも杓子定規にプロセスを遵守しろとまで主張するつもりはありません。それこそ未曾有の事態や、どう考えても既存の設定プロセスが当てはめられない異常な事態に対しては、現場での臨機応変な対応が求められるし、それを認めるべきだという立場を取ります。一例を上げると、米軍の軍事ヘリが戦地で墜落した際、階級上では指揮する立場ではないもののサバイバル能力に優れたあるパイロットが生存者を率いて見事生還したという例があります。
以上をまとめると、きちんとプロセスが定められている事態に対してはプロセス遵守を徹底する。プロセスが存在しない、または通用しない超異常事態に限ってのみ現場判断を認めるという姿勢こそが、結果主義を排除する手段であり、これをきちんと守るかどうかは非常に重要だと言いたいです。
なお一部の日本企業を見ていると、実力主義と勘違いして結果主義を蔓延させているケースが見られます。具体的には「チャレンジ」で有名な東芝とかですが、実力主義との混同は非常に危険で、この方面にもやはり注意が必要だと私は感じます。