2013年6月30日日曜日

韓国の近現代史~その十七、全斗煥の大衆政策

 真面目に不人気で仕方がないこの連載ですが、たとえ読む人間がいなくても最後までは貫徹しようという意気込みです。もっとも今回辺りから割と時代が近くなるので、自分も書いてて解説とかしやすくなる分、前よりは面白くなってくるんじゃないかという気がします。
 さて誰も覚えていないであろう前回では光州事件を取り上げ、全斗煥が大統領になるまでの道のりを簡単に紹介いたしました。光州事件に代表される政治弾圧によって見事大統領になった全斗煥ですが、彼は軍人出身でありながらこれまでの朴正煕とは一線を画す政策によって国内経済紙の振興、そして自身の支持率維持に努めました。

 最も代表的な政策と呼べるのが夜間外出禁止令の廃止です。朴正煕以来の韓国では一般市民の夜間外出を禁止していたのですが、全斗煥はこれを緩和して市民の自由な外出を認めます。それとともに市民の興味を政治に向かわせないために実行したとされますが、それまでほとんど認めていなかった大衆娯楽も解放しております。
 これら一連の政策は3S(スクリーン、スポーツ、セックス)政策とも呼ばれていますが、結果的には国内での消費が活況化することによって一時はGDPがマイナス成長に陥っていた韓国経済を再興させるのに影響させたのではないかと私は睨んでいます。

 こうした政策のほかにも全斗煥は、外交でも緊張融和路線を取ります。韓国の大統領としては初めて日本に公式訪問、昭和天皇との会見も行って経済支援を取り付けるだけでなく、1988年開催のソウル五輪招致にも成功しており、こうした「開かれた政策」に関してはなかなかの手腕の様に思えます。
 一方で国内の政治弾圧は一切手を緩めず、先に結末を話すと大統領職の退任後、全斗煥は一連の政治弾圧と汚職から死刑判決(後に恩赦で釈放)を受けることとなります。ただ皮肉な話というか、全斗煥に恩赦を与えたのは政敵でもあり後に同じく大統領となる金大中ですが、彼も大統領退任後に不正蓄財で捜査を受けて晩年はパッとしないところがありました。そして金大中は既に死去していますが、全斗煥はまだ存命というのもいろいろ思うところがあります。

 ちょっと早い気がしますが全斗煥に対する人物評を述べると、粛軍クーデターの際の手際といい大統領在任中の政策といい、その手腕は政治家としても軍人としてもなかなか見事なものだという印象を覚えます。韓国国内でも政治弾圧に関しては批判されるべきとされながらも評価すべき点もあるのではないかと再評価が進んでいると聞きますが、時代が時代とはいえ、政治弾圧がもしなければ名大統領として名を残せたのではないかという気がします。

 次回以降もまだしばらく全斗煥時代について書きますが、次回はいよいよというかこの連載を始めようと思うきっかけとなったラングーン事件を取り上げます。

2 件のコメント:

  1. 不人気で仕方言わずいつもブログは観ています。花園祐さんは偉いと思います。かんばってください。

    返信削除
  2.  MILAON様、コメントありがとうございます。
     ぶっちゃけ、記事別アクセス回数ではこの連載がぶっちぎりで低くてしょげてましたが、こうして読んでてくださる方がいて本当にうれしいです(ノД`)
     この連載ももうそろそろ大韓航空機爆破事件など有名な事件を取り扱うようになり、また盧武鉉政権については個人的な見解もふんだんに盛り込めるので、段々よくなっていくと思うので、どうか最後までお付き合い願いします。

    返信削除

コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

注:ブラウザが「Safari」ですとコメントを投稿してもエラーが起こり反映されない例が報告されています。コメントを残される際はなるべく別のブラウザを使うなどご注意ください。