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2026年3月21日土曜日

認知症者には指紋登録を原則化すべきでは?

ニコニコレンタカー、極小の飛び石で8万8千円請求が炎上したので請求を取り止め(ガハろぐ)

 本題と関係ないですがこのセコセコレンタカーの事件は部外者ながら見ていてマジむかつきます。ビッグモーター同様に反社認定してもいいレベルでしょう。会社のプレスリリースも「慎重な判断を要する事案だった」と無駄に上から目線だし、まともとは思えません。こんな一目でわかる詐欺案件に慎重もくそもない。


 話は本題ですが先日出た上のニュースですが、夫婦と思しき男女二人がともに認知症で、自分が何者かもわからないそうです。記憶では千葉に関連する者が多いことから千葉に縁があるのではとこうして千葉日報も記事化しているわけですが、仮に親類縁者がいたとしたらお二人は行方が分からない状態にあることとなり、とても不幸な話であると思えます。


 今回の事件に限らず認知症となって徘徊し、行方不明となる人はかねてから多くなっています。上のFNNの記事でもそうですが、行方不明となって生きているかも死んでいるかもわからないまま親類は待たされることとなり、その心労は小さくはないでしょう。また仮に保護されたとしても、自身に関する情報を失っていた場合は施設に入ることとなり、生きているのに親類に会えないという不幸が重なります。

 こうした不幸を防ぐ上でも、この際だから認知症と診断された時点で即その人の指紋を登録する制度を設けたらどうかと先日思いました。指紋と身分情報を登録して警察の指紋照合システムに共有してさえおけば、徘徊後に保護さえすればすぐに本人情報を引き出し、親類と引き合わせることができるようになります。中には指紋登録を嫌がる人もいるでしょうが、そういう人には無理強いをせず、あくまで原則的には登録という形で今からでもやっておけば、親類のみならず社会の負担も激減させられるのではないかと思います。

 なお本音を言えば私はこの際、日本国民全員が指紋を登録し、マイナンバーカードとも紐づければいいと考えています。こうすることで空き巣などの犯罪が起きた場合も速攻で犯人を捕まえられるし、生体認証機能と結びつけることでいろんな確認作業も一瞬で不要となります。
 もっとも先ほどの空き巣の例で、たまたま過去にその家を訪れていた際につけた指紋が検出されて犯人扱いされる冤罪案件も過去にあり、すべてがすべてプラスになるとうぬぼれてはいません。それでも一般の国民にとってメリットがデメリット遥かに上回り、監視カメラも昔は抵抗があったものが今では歓迎されるようになっていることから、全国民指紋登録化をまじめに議論してもらいたいです。その嚆矢としてまず、認知症者の指紋登録から始めるべきというのが私の意見です。

2026年3月16日月曜日

これから待ち受ける値上げの嵐

 前略、米国とイスラエルのイラン攻撃に伴うホルムズ湾危機の影響ですでにガソリン代が急激に高騰していると聞きます。中国でも先週にかけて上昇が続いており先行きを懸念する報道も見られますがはっきり言ってこれは間違いで、懸念どころかほぼ確実に約束された値上げの未来しか待っていないでしょう。仮にトランプ大統領の思惑通りに4日でイランの体制転換ができていたら違ったでしょうが、世の中そんなに甘くないのはカイジの世界の通りです。

 希望的観測でい言えば、以前にも書いたように米国議会が4週間経過後の継戦を否決することでひと段落というか攻撃がいったん中断し、状況が落ち着く可能性があります。しかし何tのなく報道を見ている限りだと米国議会も継戦を取るような雰囲気に思えるのと、仮に議会が継戦を否決したとしても「じゃあ一旦攻撃やめて、明日からまた新たな攻撃を始める」とあの大統領なら言いかねません。こうした想定というか敢えて悲観的な予想に立つなら、4月以降も今のような状況が続く可能性が高いでしょう。

 でもって値上がりの範囲も、現在はガソリンがメインですが今後は物流費、日用品と徐々に範囲を広げ、あらゆる物品の価格が劇的に上昇する可能性があります。またここぞとばかりに電力会社も燃料価格高騰を口実に値上げしてくるとみられ、家計への負担はただでさえこれまでのインフレで打撃を受けてるのに、今後本当にシャレにならないレベルのものが来るのではないかと懸念しています。
 なお電力会社については、関西電力を私は旧ビッグモーターに負けないくらいの反社会的勢力だと思っており、多分今回もチャンスとばかりにコスト上昇分以上の値上げを呵責なく行ってくる気がします。前のカルテル事件と言いさぁここは。

 そんな値上がりする物品の中で特に影響がデカいのは、地味に電子製品ではないかと密かに睨んでいます。というのもここはただでさえメモリ高騰の影響を受けているのに、そこへきて石油供給の混乱による値上がりが加わると、マジシャレにならないくらいの上昇と化すのではないかと思っています。携帯電話なんて買い替えられるレベルじゃないだろうし、パソコンも新入生とかの負担がやばたにえんになるような気がします。まぁ自分は今のパソコンでまだまだ戦えるけど( ・´ー・`)

 以上のように今後あらゆる価格が上昇すると予想されますが、人件費がそれに伴いあがるわけではない、つまり給与などの収入は上昇しないため、先にも書いた通り家計への負担が非常に大きくなって全体経済にもかなりマイナスな影響が及ぶとみています。ただ何か対策を取ろうにも原因がイラン問題にあるだけに、日本がどう頑張っても改善策はほぼないと言っていいでしょう。
 日本政府としてやれることとしては家計支援対策くらいしかなく、既に石油備蓄放出などやっていますが電気代対策とかも夏を前に今のうちに検討しておいてほしいです。それこそ、電力会社に値上げを禁止する代わりに補助金を支給するなど。

 またこの件で野党はまた「与党のせいだ」と批判してくるのではないかと思うのですが、前述の通りイラン問題が原因なので与党には何の責任もありません。仮にそのような批判をしてきた場合、日本社会の不安とストレスがたまるだけなので、こういう批判は今の時点でもうやってほしくないと個人的に思います。仮に家系対策の動きが鈍かったり利権絡める場合は批判すべきでしょうが、これから来る値上げラッシュにはただ耐える以外の選択肢はないように思え、国民としての持久力が試される気がします。

2026年2月28日土曜日

マンガワン事件に見る小学館と集英社で明暗分かれた危機対応

小学館マンガワン、完全に逝く……半日で漫画家50人が配信停止表明した模様(ガハろぐ)

 昨夜に初報が出た時点で「これはえらいことになるな」と、今話題のニデック以上の波乱を予想していましたが、実施にかなり荒れに荒れています。この事件に関するメディアの報道では問題の原作者がやったことは児童ポルノ所持などという言及にとどまっていますが、実際のところ被害者がPTSDで刑事捜査に耐えられない状態なため刑事告訴できないだけで、その受けた被害はこんなものにとどまりません。っていうか米国とかだったら終身刑食らってもおかしくない罪業を犯しており、マジでこんな人間を使用し続けた小学館編集部の人間の神経を疑います。

 そんな小学館ですがことが明るみに出てからようやく事実を一部公表し謝罪した振りをしていますが、その態度からみるに全く反省しておらず、早くほとぼり冷めないのかなとしか考えていないなと感じます。
 理由はいくつかあり、まず記者会見をしないと明言していることです。ただでさえ先の「セクシー田中さん」の事件の時もどこか他人事、というより日テレとの関係を崩したくないのか日テレをややかばうかのような態度も取っていただけに、続く今回の事件では最低限記者会見は必要になるだろうと思っていたらあっさり拒否してきました。

 もう一つの理由は、今回の事件で当事者となる担当編集者は自社の社員であるにもかかわらず、何の聞き取りも発表しないどころか処分も発表しない点です。こちらも少なくとも直ちに業務停止か謹慎くらいの処分が必要なレベルと思うのですが、実際にやっているかは別として何も発表しないのははっきり言えば頭おかしい水準です。また今回の事件に関して調査委員会を立てて報告を受けてから対策とか練ると言ってますが、当事者の編集者に電話かけてすぐ聞けば10分で終わる話だというのに、明らかに時間稼ぎのための調査委員会でしょう。
 まぁ問題の原作者を復帰させた編集長は独立済みらしいですが。もっとも独立済みと言えども、拉致って話聞きだせば、事件の背景くらい一瞬でわかると思うのですが

 この事件に関しては現状、漫画家であり議員でもある赤松健氏の見解が一番すんなりと受け入れられるのですが、恐らく今後もどんどん影響は広がり、場合によっては大物作家の移籍も起こってくるのではないかという気がします。それだけのヤバいことをやってしまったというのに、小学館の危機意識の低さには呆れ、フリーレンが当たるなど新人発掘に成功してきた最中だっただけに、この一件でカーブアウトしてくることになる気もします。

 そんな小学館と比べるに、改めて集英社のこの手の事件への危機対応は見事だったなと思い起こします。集英社でも作家が過去に何度か事件を起こしており、比較的記憶に新しい「アクタージュ」の原作者が強制わいせつで捕まるや直ちに連載を中止し、予定していた舞台演劇も全部中止にしたうえで発行済み単行本も廃刊、配信停止にするなど果断な措置を採りました。
 またこの時の発表された経緯を説明する謝罪公告も非常にしっかりした文章で、被害者への意識や社会的責任がしっかりと盛り込まれており、なんちゃってライターである自分の目から見てもしっかりした文章に見えました。記者会見こそ行いませんでしたが、集英社の事件は連載後に原作者が事件を起こしていることからもその必要はなく、事後的な対応としてはほぼ満点というか、他の日系企業全体と比べても模範とすべき事例だった気がします。

 反対にというか、今回の小学館の件は犯罪者と分かっていたうえ、しかも事件起こしてすぐにペンネーム変えて連載させるなんて理解のしようがありません。こういうことやっているあたり、ほかにも後ろめたい人間が中にいるんじゃないのと勘繰りたくなりますし、上記の会社としての対応を見ても非常に疑わしいです。
 実際、もっとヤバい事実が隠されていると言及する人がおり、及び腰で時間稼ぎしようとする態度から私もその確率は高いと考えています。逆を言えば他の出版社はこれを機に、小学館から作家を引き抜きチャンスでもあると思うので、これからリクルート活動が活発化するかもしれません。

2026年2月27日金曜日

初めは興味なかった

 漫画の「花ざかりの君たちへ」というタイトルを見るたびに、自分の心の中で「ハゲざかりの君たちへ」という謎のタイトルが浮かんできます。なんか勢い感じるタイトルです。

 話は本題ですが、それまではあまり取り扱われていなかったのに今月に入ってから急に日本語記事を見るようになった米国のエプスタイン事件ですが、ぶっちゃけ自分は当初それほど興味を持ちませんでした。トランプ大統領の疑惑は何もこれだけにとどまらないのと、少女売春については米国はもとより日本でも報じられていないものの実際には数多く存在しているのではと感じ、いくら規模が大きくて関係者が大物だとはいえ、大河の一滴のようなこの事件だけなんか騒ぎ過ぎではという気がしていたからです。


 そんな自分の興味が一変したのが、エプスタインの共犯であり彼の恋人でもった上のギレーヌについて知ったことからでした。最近になって証言と引き換えに罪を軽減する司法取引を求めてきたので日本語ニュースにも出てくるようになったのですが、このギレーヌという変わった名前を見て、「あれ、偶然なの?」という感傷を覚えてニュース記事で顔写真を見たところ、

「まんまじゃん……(;´・ω・)」

 という言葉ともに、色々思うものが一気に出てきました。

 これはどういうことかというと、「へうげもの」の作者の山田芳裕氏が現在連載中の「望郷太郎」という漫画で、全く同じギレーヌという名前の女性キャラクターがいるからです。この漫画のギレーヌというキャラクターは奴隷商人の副首領みたいなキャラで主人公とも絡みがあるのですが、そのギレーヌの主人であり親玉であるのはエプターという、エプスタインをもじったような名前のキャラだったりします。
 なおギレーヌもエプターも、顔はそっくりに描かれています。

 この二人の奴隷商人ですが、漫画の中で自らが調達してきた奴隷を有力者に宛がって権力を得ているのですが、その際に麻薬で酩酊させわざと残虐な行為に及ばせます。具体的には女性奴隷の惨殺と食人で、その場面を写真にとっておいて後の脅迫に使用するというわけですが、この脅迫行為そのものはまんま実際のエプスタインがやっていたことと同じことです。
 ただ現在の報道だと、実際のエプスタインが有力者と未成年女性の性交場面を写真に撮って脅す行為は間違いなくやっていたようですが、惨殺までやっていたのかについては確たる証拠があるとはどこも報じていません。とはいえ、このようなこともやっていたという噂は存在しています。

 あまり噂レベルの憶測を語るべきではないと重々承知なのですが、冒頭でも書いたように未成年の性的搾取事件に関しては表沙汰になっていないだけでこの世にはいくらでもあるというのに、何故このエプスタイン事件だけみんなやたらと大きく取り扱うのか、それがかねてから疑問でした。また文書に出てくる関係者も「自分は無関係」、「未成年だと知らなかった」など釈明すればいいのに、何故かしつこく追及されるまで関与があったのかどうかも含め黙りこくっているのもかなり不思議でした。
 しかし上記のような残虐行為も含まれるとしたら、これらの疑問も、エプスタイン本人が謎の自殺を遂げたことも、世間の関心がこれほど高いこともある程度得心できます。同時に、だからこそどのメディアもなんか微妙な報道の仕方をしているのではという疑念も持っています。

 本当のところはどうなのか今後の報道や捜査で明らかになってくるかもしれませんが、まるで映画「ホステル」のような残虐性を帯びたこの噂で、自分もようやく興味を覚えてきました。っていうか山田氏もこうした噂があるからああした場面を漫画に描いていたのだとやっと理解できたのですが、割と実在人物に忠実に顔を似せて描いてくるあたり関心高かったんだと思います。
 なお漫画のキャラクターたちはその後制裁を受けています。

2026年2月18日水曜日

所在のわからない版権への時効案


 以前もうまくいきませんでしたが、コンクリむき出しの壁に壁紙貼ってみるのにリベンジして返り討ちに遭い、綺麗な波の模様が出ましたとさ。まぁ破けず貼れただけ自分的にはかなり頑張ったと思うとともに、やっぱこういうこと自分でやら内装職人の偉大さはわからない。

 話は本題ですがYoutubeの懐かしいゲーム特集を見ると、多くの人がスーパーファミコンの「天地創造」について「何故リメイクが出ない(´・ω・)」と嘆いています。このゲーム、知ってる人には有名ですが製作はクインテットと言ってそこそこ評判の良い会社だったのですが、プレステへの移行期に埋もれて倒産したことで、「天地創造」を含むこの会社のゲームはリメイクや移植がなされず多くのファンが嘆いています。キャラ原画の人と音楽作った人も思い入れが強いことから、よく一緒に復刻運動をやるくらいです。
 こうしたことはこのゲームに限らず、会社倒産によって版権の行方が分からなくなり、ファンが待望しながらもリメイクや移植が起こらないゲームが既に多くあります。こうした現状について何かした法整備した方がいいのではという声があるのですが、私個人としては時効制度を設けてもいいのではと思います。

 具体的には契約などで版権の移行や譲渡が明確に定められている場合を除き、関係者への連絡が取れず版権所有者がわからな状態のまま10年程度を経過している場合、その版権の関係者に自然と権利が移行するような形にするのも手かと思います。例えば上のクインテット作品については、販売を担当するパブリッシャーはエニックス(現スクウェア・エニックス)で、上記のような条件を満たした場合はスクエニが版権を継承する形でいいのではと思います。現存して確認できるパブリッシャーが二社以上いる場合は、分割して継承するとか。
 またパブリッシャーもいない場合、世に埋もれさせるくらいなら版権フリーとしてどこの会社もリメイクや移植が行えるようにするのもありかと思います。または、10年経過後に版権継承を宣言して異議が出なければその会社が所有権を継承し、異議が出た場合は競売または協議などで継承する形も十分考えられます。どちらにしろ、所在が分からないから放置というのは作品にとっても不幸でしょう。

 こうした版権の時効と自然継承はゲームに限らず、映像作品や書籍でも考えるべきでしょう。書籍の場合は作者が死亡してその版権を継承する親族などがいない、わからない場合、利用されなかったり所有宣言がなされないまま10年が経過した時点で出版社が継承する形にしてもいいと思います。漫画なんか、作者急死で復刊もできないパターンがあるとも聞きますし。

 特にオチらしいオチはないですが、問題があるならその対策をもっと世の中考えるべきでしょう。

2026年2月16日月曜日

差異の大きさよりも割合の方がいじめに影響する?


 そんなアピールするものでもないですが一応掲載してもらっているので軽く紹介。何気にロボット業界は専門誌がこれまでなく、また世界ロボット協会のレポートすら誰も日本語に翻訳しないので、中国の記事を見て内容をまとめるだけで記事出来あがるためめっちゃ楽してアクセス稼げます。
 あと連休2日目の今日は一応上のロボステップ向け記事の作成準備を進めましたが、それ以外の時間はほぼ全てかったばかりのダンジョンRPGゲームに費やしました。連休とダンジョンRPGは本当に相性がいい。

 そんな話は置いといて本題に入りますが、学校でのいじめの発生原因というかメカニズムを追うとしたら、最終的には結局「差異」に行きつくと思います。子供集団の中で肌の色が違う、言語が違う、家庭環境が違う(片親など)、宗教が違うなどはどれも、非常にごくありふれたいじめ発生の原因となる要素です。これらはどれも集団の多数派とは異なる要素となっており、こうした同質化できない差異というものが集団においていじめ発生のきっかけや原因になると言って間違いないでしょう。

 面倒くさいので言いたいことを先に書いてしまうと、子供同士の差異がいじめの原因となるのなら、それは差異の大きさ以上に割合の方が要素としてでかいと思います。例えば40人学級の中で髪の色が黒じゃない子供が1人いるクラスと、10人いるクラスのどっちでいじめがおきやすいかと言ったら、圧倒的に前者でしょう。要するに多数派と少数派の力関係の大きさがいじめの発生成否を分けるのではないかと言いたいのですが、こうした差異に着目する場合、同質化率についても考えるべきじゃないかと思います。

 具体的には、地元の子供が9割を占める学校と、出身地が非常に多様な学校では、出身地の差が原因となっていじめが起こる確率で見たら、こちらも前者の方が高くなると思います。敢えて言うなら集団における分散度や純血率というものもいじめ発生に直結する要素じゃないかと考えており、価値観や環境がばらばらであればあるほど、細かい差異が際立たなくなっていじめも起きづらくなるのではないかと言いたいわけです。
 ではその子供の属性の分散度を高めるにはどうすればいいかですが、1クラス当たりの人数を大きくするのも手じゃないかと思います。10人のクラスより40人のクラスの方が子供も多様になるのは当たり前で、多様であることによって通常ならいじめ発生原因になりうる差異も目立たなくなるという筋書きです。

 その上でいじめが増加しているという背景に関して、以前から学級の少人数化が影響しているのではと個人的に見ていました。40人学級なら目立たない差異も25人学級なら目立つわけで、かえって昔見たく1クラスの人数を大きくした方がいじめも少なくなるのではと思っているものの、誰もこの着眼点に根差した比較統計をやっていないため、検証はできません。まぁいじめ自体、誰も統計を取らないから誰も実態を把握てきておらず、自殺が起きるたびに大変だと大騒ぎしつつ何もしないというのを何十年も繰り返しているわけですが。

2026年1月27日火曜日

美容整形外科に追加で税金をかけたらどうか?

 現在日本の医療業界は以前にも記事にしたように、インフレで人件費挙げなきゃいけないのに収入は診療報酬で固定されててかなり苦しいそうです。そこへきて近年は直美こと、医師免許取得後にいきなり儲かりやすい美容整形外科に入る医師が増加しており、ほかの分野で医師が不足しがちだと聞きます。実際に精神科行った友人によると、初診を受けるためには最低1ヶ月は待たなきゃならないくらい手が回らない状態らしいです。
 ちなみにそいつ、この前精神科の専門医資格も取ったそうですが、Officeアシスタントのイルカ並みに会話が支離滅裂で成り立たないのによく精神科で医者やれるなと密かに思ってます(´・ω・)

 それで話は本題というか結論から言うと、この際だから美容整形外科の医院や施術に対し、追加で税金をかけたらどうかという腹案を持っています。

 現在、美容整形についてはほかの医療行為と異なって消費税をはじめとする税金が徴収されています。これは美容整形が生きてく上で必ずしも必要な行為ではないという理由からで、事故や病気による変形を修復する整形手術についてはほかの医療行為と同じく保険が効けば税金もかかりません。
 実際、美容整形に関してはいわゆる贅沢行為に当たると私は思え、やりたい人は金掛けてでもやりたいだろうけどそこまで国や社会が保護してまでやる行為ではないと思います。しかし前述の通りとにかくこのところ儲かるということで、医者になった人が大挙してこっちに来るためほかの分野で医者が不足する悪い状況を生み出している原因にもなっています。

 であれば、この美容整形行為に対してたばこやアルコールのように追加で税金をかけたらどうかというのが自分の案です。税金をかけるとなると施術をする美容整形医師の収入はもちろん減るし、減った分だけ埋め合わせようと施術費を引き上げるかもしれませんが、その引き上げた金額を支払うのは美容整形をやりたい人なだけで、一般大衆には影響しません。言ってしまえばぜいたく税みたいなもので、こうすることで医療界の人材リソースを平坦にでき、且つわずかながらとはいえ税収も増やせる効果が期待できるいい案なのではないかと密かに思っています。
 ただ実際やろうとしたら、高須院長とかマジギレしそう(;´・ω・)

2026年1月23日金曜日

灘中のパレスチナに触れた入試問題について

 今朝は水に氷が張るくらい上海も冷え込みました。ただ数年前と比べると部屋の防寒対策を色々高じているためそれほどきつくないのですが、今年は色々試してみようと膝下温めヒーターとか電気毛布とかも試しています。個人的感想としては膝下温めヒーターは毛布かけて使うとかなり良いのに対し、電気毛布は膝裏がやはり冷え冷えなままで且つコードが結構椅子に引っかかるため、膝下ヒーターの方に軍配が上がります。

灘中入試にパレスチナの惨状を表す詩 教頭に出題意図を聞いてみると(朝日新聞)

 それで本題ですが上のニュースに関して賛否両論の意見が出ているそうなのですが、自分としては完全に賛で、灘中はさすがやるなぁとか思いました。というのも入試問題の国語とかに出てくる文章って、普段生活していたらまず読むことのない縁もゆかりもない文章と触れ合える貴重な機会だと思うからです。この手の文章って問題文だから読むのであって、もし単体の記事とかコラム、随筆として出されても恐らく興味を持たずに基本読まずじまいとなるものばかりです。やはり人間、興味のあるものから手に取っていくため、興味と程遠いものほど接触は小さくなるものでしょう。

 その上で興味の範疇外で縁もゆかりもない文章というものは、人間性や知識の幅を広げるうえで非常に価値があると思います。「こんな見方があるんだ」的に今まで全く見なかったものに光を当てることができ、実際この灘中の問題もパレスチナの現状について受験生らに考えるきっかけを与えることを目的とされたようで、その後もパレスチナに興味を持たない子もいるでしょうが、持つ子もきっといると思われ、なんにせよ考えるきっかけを与えるうえでは良問なのではという気がします。

 書くいう私も受験時代の問題文や学校での国語や道徳の時間に読んだ文章の抜粋から興味を持ち、その後全文を読むようになった体験がいくつかあります。思えているものだと「あの頃はフリードリヒがいた」と「塩狩峠」で、授業で取り扱われなければ読むことがなかったと思います。

 また全文読まなくてもその後の価値観に影響を与えた問題文も結構あります。特に印象深いものとして何かのコラムの抜粋だと思うのですが、仮定のストーリーとしてこんな話を書いていました。雪山で遭難していたところたまたま見つかった山小屋に助けを求めたら二人の姉妹が迎えてくれた。小屋の中では妹の方は明るい性格で、「大変だったでしょう」などと色々声をかけて励ましてくれました。一方、無愛想な姉は何一つ言葉を発さないものの、黙ってスープを作ってその男に出してくれたそうです。
 この二人の姉妹を比較してその作者は、「姉はえらい(・∀・)」と言って姉に軍配を上げてました。理由はというと、妹の行動は一見すると優しそうだがこの男が本当に必要とするのは栄養と体温で、言葉をいくらかけても実は意味がないのに対し、無愛想でも本当に男が必要としているものを提供してくれた姉の方こそ親切だと言えるという風に評していました。

 このコラムは小学生の頃に読みましたが今でも強く覚えており、表面的な援助よりも本質的な援助の方が大事だという価値観にすごくつながりました。同時に、口を動かす奴よりも黙って手を動かす奴の方がずっと偉いという価値観にもなり、自分の現在の性格にも影響した気がします。
 このほかだと同じく小学生の頃に読んだ、雪山の食堂で豚汁食べてたらその食堂で飼われている犬に全部食われたという話もやたら覚えている。なんだろう、雪山好きなんだろうか?

 こんな具合に、国語とかの問題文はまさに出会いを提供する貴重な機会だと思うだけに、今回の灘中の入試問題はスパロボ風に言うなら射程距離外の攻撃なくらいクリティカルでいいものじゃないかと思います。同時にそうした縁もゆかりもない文物に触れる機会こそ、もっとみんな求めた方がいい気がします。

2026年1月19日月曜日

去り行く人間に必要以上に優し過ぎるメディア

「菅さんに話しても、もうほとんど反応ない」菅義偉元首相が政界引退…霞が関を支配した“恐怖の官房長官”の容態とは《叩き上げ政治家の剛腕秘話》(NEWSポストセブン)

 上の記事を見てどう思うか人それぞれでしょうが、私としては本来ならほかのメディアもこのような内容を書くべきだったのではないかと思い、まだここがこうして菅元総理の健康不安についてはっきり書いたことで安心するものがありました。

 菅元総理の健康不安というか判断力の低下についてはかねてより報じられており、実際に私もいくつかの動画で見ていて不安に感じるものがいくつかありました。これが一般人ならまだしも議員、それも元総理という立場であると、影響力が非常に大きいだけにもっと早い段階から議員職を降りるべきではないかとの声が出ても仕方がないと思っていたのですが、私が見る限りそうした声を「忖度してはいけない」と言っている大手メディアほど避けていたというか、一切触れませんでした。
 そして今回の、本人の意思なのか定かではありませんが次回選挙に出ない引退宣言に触れても、大手メディアは官房長官、総理時代の功績や活躍については触れても、その健康不安や判断力についてはついぞ触れることはありませんでした。去り行く人間なだけに気持ちよく送ってやろうという精神なのかもしれませんが、人間の、しかも公人とあればその良いも悪いも最後だからこそきちんと触れるべきだと思います。ましてや批判的精神をここで発揮しないというのは、おこがましいとすら思います。

 このように書く私ですが、菅元総理についてはその功績を含め比較的高く評価しています。ただはっきり言えばその功績は官房長官時代が主であり、総理としての功績は携帯電話代引き下げなどもあるものの、そもそも総理として向いている人材は明らかになく、記者会見の歯切れの悪さや政局勘の悪さと言い、自分の適性を見極めきれずに総理となって評価を下げてしまった人物だと思っています。
 ついでに書くと息子もひどかった。

 この去り行く者への必要以上の優しさというか、肝心なところで批判的精神を持たないメディアはこのところ多いように思います。先日私も少し触れた久米宏の逝去においても、そのニュースステーションのキャスター時代の活躍や成功を取り上げるメディアはいても、ニュースステーション降板後の他番組での振るわなさなどについてはついぞどこも触れず、やはりいい面ばかりに目を向けた偏った評価が多すぎるのではと眉をひそめました。

 そこへきて今回の菅元総理への白々しいまでの「お疲れ様」報道を見て、ウェブメディアやネット世論の台頭以前に、従来の大手メディアは批判的精神を忘れて時流に乗ろうとしかしなくなるほど落ちぶれたというか、自身の存在価値の喪失にすら気づいていないのではないかと改めて感じました。
 なんでもかんでも批判すればいいってわけではないものの、なんでもかんでも誉めそやすというのは逆ベクトルで間違っています。それに気づけないし誰も批判しないしでなんなんだと上海で一人暴れていたところにニュースポストセブンがこうして批判的記事、っていうか一番肝心な健康不安に触れる記事を出して、まだこうした必要な指摘するメディアが日本にあったかとほっとする次第でした。

2025年12月24日水曜日

冤罪事件担当検事の不起訴が不公平過ぎる

 友人に今日はクリスマスイブなのでうどんと焼き鳥食べてきたと言ったら、「チキンじゃないの?」と返信してきたので、「焼き鳥だってチキンだろ(´・ω・)ナメンナ」と返事しました。焼き鳥業界も、クリスマスチキンとしてもっとアピールすべきだと思う。

プレサンス事件の主任検事を不起訴 部下は「検察なめんな」で裁判に(朝日新聞)

 話を本題に移すと細かい背景の説明は省きますが、冤罪事件として裁判で認められたプレサンス事件の主任検事に他する告訴の訴えに対し、不起訴処分となりました。つい昨日には同じくひどい冤罪事件で死人まで出た大河原化工機事件の捜査員についても不起訴処分が発表されており、両事件ともこれで裁かれないなら捜査機関の人間はどうやっても裁かれないと言い切れるくらいひどい内容だっただけに、無関係な立場であるものの激しい怒りを覚えてなりません。

 正直言って、両事件ともに担当した検事や警察官は殺されても仕方ないと思うし、むしろそうあるべきだとすら私は思います。無実の人間にあらぬ罪を着せて破滅へ追いやろうなんてこれ以上に悪辣で卑怯な行為はほかになく、こんなことする人間、しかも強い権力で以って行使するなんて絶対まともな人間ではないと言い切れるだけに、早く死んでくれた方が世の中のためにもなるという気すらします。

 しかしやはり身内をかばう文化があるのか、検察も警察もこれほどの冤罪を起こした張本人に対して何の処罰しないなど贔屓も過ぎると思えてしまいます。可能だったら警察署に打ちこわしに行きたいくらい腹立って仕方ないのですが、こうした感覚を当事者たちはあまり持ってないのではないかと思います。

 ただ十年以上前の冤罪事件である村木事件では、担当した特捜検事が逮捕されるなど一定の粛清が行われています。この事件に関しては証拠捏造の証拠がはっきりあった点もありますが、先の二つの事件と違って何故粛清が行われたのかと言えば、冤罪の対象が厚労省の役人だったからじゃないのかと改めて思います。一般人と違って同じ国家公務員相手の冤罪事件だったからこそ、手打ちがあったのかもしれませんが一応トカゲのしっぽ切りとして前田恒彦とか切ったのだという気がしてなりません。

 なおこの前田恒彦は前科者のくせに「元特捜検事」の肩書でYahooニュースへ偉そうにオーサーコメント書いてくるのがむかつき、顔を見るだけでも苛立たしいです。しかも書くのは決まってどうでもいい事件ばかりでどうでもいい事件ばかりで、こいつの本当の専門であるはずの冤罪事件については何一つコメントしないのも何様だという風に感じます。法律関係以外で再出発するなら応援しますが、証拠捏造という最低の行為をしたのだし、法律界とは一切かかわらず距離を置くというのが普通の人間の感覚だと私には思うのですが。

2025年12月15日月曜日

職業が権威を失っていった平成期

 昨日の記事で少し触れた「みいちゃんと山田さん」という鬱漫画についてこの本を勧めてくれた友人に感想を述べた際、作中で描写のある女子刑務所について昔は弁護士がうるさく、この作品のように表に出すことはできなかっただろうと言われました。自分もそうだと思います。
 そのシーンに限らず自ら進んで体を売ろうとする女性の描写も、いわゆる人権派弁護士が活躍していた頃には「そんな女性なんていない!女性はみんな性搾取の被害者だ!(# ゚Д゚)」と吠えて、攻撃していたことでしょう。しかし現代においてこのような主張をする弁護士はまだ一部存在するものの、その発言力は既に地に堕ち、誰も相手にすることもありません。

 このように人権派弁護士が転落していった背景については触れませんが、そもそも論として弁護士という職業が尊敬や憧れを持たれなくなったというか、平成初期と後期で比較するとその権威は丸ごとなくなっています。現代でも弁護士と言えば「賢い人」と思われるでしょうが、尊敬される対象には必ずしもならないでしょう。
 一方、平成初期なら弁護士と言えばまだ周囲から敬意を持たれ、各地で名士として扱われるなど権威があった気がします。しかし弁護士による詐欺事件や、ロースクール構想をはじめとする司法制度改革の失敗のあおりを受け、その権威は前述のようにかつてと比べ大きく落ちており、ただ弁護士というだけで尊敬される対象ではなくなっています。ただこれは弁護士に限ることじゃありません。大半の職業で、その権威は平成期にかけて大きく低下しています。

 主だったものを挙げるとまず警察で、これなんか大半が神奈川県警と交通取り締まりのせいだと思いますが、お巡りさんのことをすごく頑張っている人と思う人は本当に減った気がします。次にマスコミ、特に新聞記者に至っては昔はかなり権威持っていてその発言も重く扱われていた気がしますが、現代のいては週刊誌記者とそんなに大差ないくらい権威が落ちているように見えます。いや、週刊誌記者を馬鹿にするわけではなく、相対的にかつては上だったのに同列まで落ちたという意味で……。

 これら職業の権威が何故これほど落ちたのかというと、第一義的には各職業従事者の犯罪や不正事件が社会に伝わったことが理由ですが、何故それらが表に出てきたのかというというまでもなくインターネットの発達で、ネットによりそれまで出てこなかった権威ある職業者の事件が表に出るようになり、彼らは権威を落としたと言って間違いないでしょう。実際、私自身も新聞社の関係者が事件起こしたのを、所属する新聞社が全力でもみ消して報道を防いだという例をいくつか見ています。
 しかしインターネットの発達以降、それこそ人権派を名乗る弁護士のあくどい所業などかつて覆い隠されてきた事案も掘り当てられ、丸裸にされる形でこれら職業の社会における権威はみるみる落ちていきました。教師とかもそうですが、その職業にあることから「あの人が言うんだから間違いない」とされることは現代においてもうないでしょう。

 そんな現代においてまだ権威を持つ職業があるのか考えてみましたが、私の中では航空機のパイロットと消防士なんかはまだ権威を保っているというか、自分自身がその職業者に対し敬意を覚えます。逆を言えばそれ以外は敬意なんて覚えず、議員に関してもまだある程度権威を保っているものの、それでもかつてに比べれば大きく落ち、各地の地方議員の不正も相次いでいるから今後さらに落ちると予想しています。

 その逆にというか、かつてはやや蔑視されていた風俗関係者などに対する偏見は逆になくなってきている気がします。AV女優とかでも公共放送に出演したり過去を隠さなくなってくるなど、かつてと比べると後ろめたさはかなりなくなっているように見えます。それこそ平成初期なんかはキャバクラで働いていた前歴すら隠す人が多かった気すらするのに。
 以上を踏まえると、平成期は職業における貴賤観が上下で縮小した期間だったように思えます。これがいいことか悪いことかはちょっと判断し辛いのですが。

 最後にもう一つ付け加えると、この流れは何も日本だけじゃない気がします。欧米でも「そんなことするはずない」とみられもみ消されていた聖職者の性的虐待事件が相次いで明るみになり、遠目で見る限りだとこうした宗教関係者の権威も大きく低下しているように見えます。それもやはりインターネットによる告発が大きな主原因であるように見え、ネット自体が社会的影響力のフラット化で大きな役割を果たしていると言え、そう考えると旧メディアは逆方向にベクトル動かしてたのかなと今更ながら思えてきます。

2025年12月10日水曜日

ファッションリーダーが消えた(´・ω:;.:…

 漫画「へうげもの」の作者はなんでも織田信長はあの時代のファッションリーダーだったのではと考えたことも、この漫画を描くきっかけになったと話しています。実際、信長が一から流行らせたわけではないものの、安土桃山時代の茶道ブームをはじめ、南蛮渡来の衣装や小物などの流行に信長はかなり貢献しており、その見立て通りに戦国のファッションリーダーであったと見ることに私も同感です。
 なんていうことをまた通勤中に考えていた最中にふと、「そういえば、日本でファッションリーダーと呼ばれる人がいなくなって久しいな」ということに気が付きました。


 試しにネットで「ファッションリーダー」と検索して軽く調べてみたところ、上位にヒットしたのが上の記事でした。一見すると今もファッションリーダーは誰かという熱い議論で盛り上がっているように見えますが、記事の日付は2022年で、2025年のファッションリーダーについては誰も言及していません。
 それこそ平成の中頃なんかは男性女性を問わず、モードを代表するアイコンのような人間が存在して、多くの人がそのファッションを模倣するなどして関連衣類やグッズが巷に溢れていました。それこそシブタク、じゃなくてキムタクなんかはドラマでバタフライナイフを使うシーンが出るや中二病男子の間でこのナイフを持ちたがる人間が続出し、実際に使った殺傷事件も起きるなどしたほどでした。あの犯人の中学生いまどうしてんだろ。

 話を戻すとかねてからこのブログで私は、直近5年間だけで見ても日本人のファッションに対する関心の低下ぶりは非常に激しく、ジーンズですら街中で着ている人をあまり見ないほど衣類にこだわりを持たなくなっていると主張しています。男性だけならまだしも女性に至っても、かつてはエビちゃんなど売れっ子モデルの名前が嫌でも耳に入ってきたのに、前述の通り現代のファッションリーダーは誰なのかという議論すらほとんど見られません。このファッションリーダーとされる人物がいない点一つとっても、日本人のファッション意識が低下していることの証明になりうるという気がします。
 だから何だと言われたオチはなかったりするのですが……。強いて言えば、ファッションリーダーを作れないほど日本のアパレル業界も弱っているというのと、また別に書くつもりだけどマスマーケティング自体がもはや廃れ気味で、時代はもうダイレクトマーケティングが中心となっている証左だとも言えます。

 なお自分はかねてからそれほど衣類に金をかけないものの、そこそこ生きてきて自分に合うスタイルは何なのかという自覚はある程度持てています。学生時代は「ダブルデニムの花園」と呼ばれるほど上下デニムでほぼずっと行動してましたが、これは周りからも好評だったというか、どうも表情がややいかついためか堅牢そうなファッションが似合うと実際言われたことがあります。
 その上で現在はやや年齢を重ねたこともあり、変に攻撃的な人物に見られたくないことから落ち着いた色合いや柄の服を選ぶようにしています。ただ落ち着いた色合いと言いながらもやはり顔がいかついというか濃い傾向にあるため、服も濃い色だと釣り合いが取れるのか来てると周りに褒められます。そのため最近は濃いめの茶色か灰色系をよく選ぶのと、柄は日本人がやたらとチェック柄ばかり切るので、これだけは避けるようにしています。

2025年12月8日月曜日

技能実習制度こそ外国人犯罪の諸悪の根源

 前回記事で「カレー移民の謎 日本を制覇する『』インネパ』」というネパール人移民に関する書籍を紹介しましたが、これ読んで改めて昨今にぎわかしている日本国内の外国人犯罪の諸悪の根源はやはり、技能実習制度にあると思うようになりました。

 技能実習制度そのものについては説明を省きますが、この制度で日本にやって来る外国人は少なくない比率で借金を抱えていると言われています。というのも、実習生の斡旋屋にビザ手続きや受け入れ先探しなどの代行費用をかなり取られ、人によっては日本円で数百万円単位の費用を借金で賄って日本にやってきているそうです。もちろんこれらの費用の大半はピンハネで斡旋業者の懐に入るものなのですが、ほとんど利益を取らない良心的な代行業者もいるものの、「値段が安くて怪しい、人身売買されるのでは」と怪しまれてかえって利用してくれないそうです。

 そのような多大な借金を抱えて日本にやってきても技能実習生には労働法が適用されず、最低賃金を下回る時給で酷使されるケースが大半です。雇用主によっては前時代的な扱いをする人もいると言われます。こうした状況、特に大きな借金を抱えて低賃金で不当に酷使されるとなれば、私自身も犯罪を犯してでも一発当ててみようかという思いがよぎると思います。こうした環境でなければ善良な人でも、この状況なら犯罪を企図することは十分あり得るでしょう。

 そもそも私が今回ネパール人について興味を持ったのは、日本での犯罪報道がほかの国の人に比べて極端に見られないことがきっかけでした。実際の統計データで見ても在留人口に比べて犯罪発生率は他国出身者に比べて極端に低くなっています。
 ネパール人が何故日本であまり犯罪を起こさないのかというと、ネパール人元々の気質もあるかもしれませんが、一番の要因はやはり日本での生計手段が比較的確立されていることに尽きるでしょう。多くのネパール人は技能実習生ではなく「調理師」の技能ビザで入国しており、入国後は日本のカレー屋から生活をスタートする人が多いです。インネパカレーは既に日本で一般化していて利用者も多く、専攻して日本にやってきたネパール人も彼らを雇う形で生活を保障しており、技能実習生と比べるならその生活の安定度は大違いです。

 最も冒頭に挙げた書籍によると、ネパール人の中でもあくどい斡旋屋がおり、こちらも数百万円単位の日本渡航費用をむしり取って日本に同胞を送る人もいるそうです。また日本に着いても書類上では正常な給与を支払っているように見せ、実際には最低賃金以下で酷使する人も同じくいるそうです。
 それでもまともな雇用主に当たれば技能ビザで来たネパール人は最低賃金以上の給与を得られ、また同胞らの支援を受けて生活することができます。変な職場にあたっても、運の良さにも左右されますが別のカレー屋に移るなどの自由が技能実習生に比べあります。逆を言えば、技能実習生は最初にいい斡旋屋、雇用主に当たらないと逃げ場がありません。

 以上を踏まえると、日本での外国人犯罪の増加というか懸念の広がりはそもそも、外国人が増えていること以上に技能実習生の制度的問題にあると思います。かねてから私はこのひどい制度は早く廃止すべきだと唱えてきましたが、今回改めてこの制度の問題点を強く感じ、日本における外国人犯罪対策、そして外国人への偏見を防ぐためにも廃止すべきだと感じました。
 恐らく多くの技能実習生は苦しい環境の中でも頑張って日本に溶け込もうと努力しているかと思います。しかし犯罪事件が少しでも起きるとやはり偏見というものは広がり、せっかく日本に貢献してくれている外国人にもよくない目が広がってしまいがちです。これは味方を減らすような行為であり、こうしたお互いに不幸になるすれ違いを防ぐうえでも、犯罪に走らせかねない技能実習生制度は廃止すべきで、少なくともあくどい斡旋屋の取り締まりだけでもすぐやるべきです。

2025年12月6日土曜日

書評:カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」

カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」(集英社新書)

 以前にこのブログで外国人犯罪に関する報道が増える中、何故かネパール人による日本での犯罪事件報道をあまり見ないことについて触れました。在日ネパール人口は年々増加しており、その規模は既に大きな比率を占めるにもかかわらず実際に犯罪認知件数は他の外国人と比べ低く、いい感じに面白いデータに気づけたと思いました。
 この記事を出した後に友人から、「いいブツがある……」として紹介されたのが上記リンク先の「カレー移民の謎 日本を制覇する『インネパ』」でした。結果から言うと今年読んだ中で一番面白い本で、そのまま社会学の授業の教本にしてもいいくらい着眼点、取材、文章のすべてで素晴らしい本でした。日本にいるネパール人について知りたいなら、この本を読むだけでほぼすべての疑問が解けるでしょう。

 それで簡単にこの本の内容を紹介すると、タイトルの通りにカレーを中心テーマに置きながらどうしてネパール人が日本で増えているのか、そして彼らの日本での生活や今後についてが詳しく書かれています。
 特に面白いのがやはりの増えたきっかけなのですが、何でも1980年代に外交官向けレストランを皮切りにナンカレーを出す本格インドカレー店が現れたことで、日本で本格インド料理店が増えてき始めたそうです。それまでの日本のカレーは英国経由で伝来してきたライスカレーで、カレーにパン(ナン)をつける文化もなければ味付けもインド本国の物から遠ざかっていたようです。それが本場のインド料理が登場したことと、カレー自体が日本人の生活に浸透していたこともあって、インドカレーブームが起きることとなります。

 当初、日本で増え始めたインドカレー店では日本での成功を聞きやってきたインド人らの手で広がっていき、折も折で技能職を持つ外国人へのビザが日本で下りやすくなっていたことが後追いとなりました。こうして順調に日本全国でインドカレー店が増えていく中で、インド人経営者はお店の従業員として本国からインド人を連れてくるのではなく、徐々にネパール人を採用して連れてくるようになったそうです。
 ここが自分にとって一番面白いと感じたところなのですが、何でもインド人はカースト制の影響からか、調理なら調理、掃除なら掃除で、決まった仕事以外の仕事は暇でも一切手伝おうとしなかったそうです。そのため空いた時間に掃除させようとしても、「俺の担当は調理だから」と言っては断わるインド人従業員が多く、店長自らが掃除などの雑務をやる店もあったそうです。

 それに対しカースト制の縛りがほとんどないネパール人はきちんと指示を聞き、臨機応変に立ち回るという点で従業員としての価値が高かったそうです。元々、ネパールは海外出稼ぎ者が多い国でインドにも普段から大量に来ており、言語や文化面でもインド人に近いため「だったらネパール人に来てもらおう」と、インドなどから大量に日本へ連れてきたことが日本におけるネパール人社会が作られるきっかけだったそうです。
 この際、日本に入ってくるネパール人はほぼ例外なく「調理師」の技能職ビザで入ってきていましたが、現実には日本に来るまで料理なんて一度もしたことがないネパール人が多かったそうです。ただ受け入れ先の職場とインドカレーという独自性の強みからか、日本の生活への定着性は比較的よく、また日本での成功例が伝わると後を追う人が現れ、定着した人の中には家族も呼び寄せるなどして、どんどん拡大していったそうです。それからさらに年月が経つと、日本のでの生活方法やインドカレー店の経営を学んだネパール人の中から独立して店舗を構える人もどんどん合われるようになり、現代のようにネパール人によるインドカレー店が大量に存在するに至ったそうです。

 以上の流れがこの本の中では非常に整理されて説明しており、一読するだけで深い合理性を感じるとともに、実際に独立して日本で店を構えるようになったネパール人らのインタビューも載せられていて、疑問を挟む余地は一切ありませんでした。むしろ、よくぞここまで取材したものだと恐れ入る情報量でした。
 ただいいことばかりではなく、家族移住を果たすも子女教育を受け入れる施設が日本だとまだ少なく、今後在日ネパール人二世、三世が在日中国人子弟のようにマフィア化することは避けられないとする意見も載せられています。その上でこうした言語、生活教育面での受け入れ施設の拡充などの問題点も提起されています。

 読んでみた私の感想としては、やはりネパール人は日本との相性が比較的いいのではないかという印象を覚えました。話を聞いてると「日本で働いていてお金も自然にたまっていったから、じゃあ独立しようかと思った」というセリフがよく見られ、何となくコツコツ働く真面目な人が非常に多い印象を受けました。
 またインド人従業員との比較にもあるように宗教にまつわる文化的衝突も日本人とは少ないように見え、教育問題こそ残されてはいるものの日本に来てもらって定住してもらう移民としては、まだ定着可能性が高いバックグラウンドを持つようにも見えます。

 また別に記事を書くつもりですが、外国人移民の受け入れに対して今日本人はややピリピリしているというか非常に警戒しています。ただその議論を見ると基本的に0か1かという話で、フルオープンかフルクローズかという極端な意見同士を無駄にぶつけ合っています。
 私個人の意見としては規模や地域、職業を限定して移民を受け入れることで、移民受け入れによる犯罪や摩擦はかなりそぎ落とせるという自信があります。その上で受け入れる移民に関してはあらかじめ出身国や民族を絞る、つまり日本人と親和性の高い人たちをあらかじめ選定してきてもらうだけで、懸念される問題の大半はクリアできるはずです。もちろん、教育施設などの投資も必要になりますが。

 そうした目線で見ると、やはりネパール人なら日本との親和性も高いと思え、何よりカレー文化で共通している時点で自分もめっちゃ身近に感じます。まぁタンドリーチキンをはじめとするインドカレー屋のメニューをネパール人は実際にはあまり食べないそうですが。
 逆を言えば、今日本で起きている外国人犯罪問題の諸悪の根源はやはり外国人技能実習生に端を発するとしか思えません。これがあるせいで変な斡旋屋に引っかかり、渡航前から莫大な借金を持ってしまって犯罪に走りやすい人を招いている節すらあり、移民議論以前に早くこれを廃止することこそが日本の治安問題、外国人に対する偏見の撲滅につながるでしょう。その上で、双方が得をする、納得のできる透明な移民受け入れ政策をもっと議論すべきというのが私の意見です。

2025年11月10日月曜日

立花孝志氏の逮捕に触れて

 本当は別のネタで記事を用意してましたが、こっちのニュースと絡めてかけるので予定変更して今書いています。

 さて先日、NHK党の立花孝志氏が逮捕されたニュースはあちこちで大きな反応がありました。兵庫県議への根も葉もない誹謗中傷など今回の逮捕経緯などについては省略しますが、一部で逃亡の恐れもないのに名誉棄損罪で逮捕は横暴だという声も出ています。この点について刑法専門家でないものの、以前のガーシー氏の海外逃亡や、来月にも立花氏が出国する予定であったことを考えると警察が逮捕を取ったというのも仕方ない気がします。
 それ以前に、逮捕せずに立件した場合は逮捕理由について根も葉もないことをネットで言いふらしたり、また市長リコールで話題となった伊東市で今度行われる市長選に立候補しようなどと発言していたことを踏まえれば、身柄を拘束するのが社会的にも良かったと思います。

 そもそもこれまでの彼の言動を見ていた限り、何かしら法で処罰しなければどうしようもないだろうと前から感じていました。上述の誹謗中傷はもとより、選挙に立候補して他の候補を応援するなど社会の足を引っ張る行為を繰り返しており、その犯罪的気質はもはや放置できるレベルじゃありませんでした。
 中には法に違反していないのだからという人もいるでしょうが、法律というのは本来、「最低限、やってはいけないこと」だけを禁止する手段であり、一から十までやっていいことと悪いことを区別するものではありません。それを法に書かれていないことを理由にやりたい放題する人間がいれば、自然とその社会の質は落ちるというか価値観や連帯性は失われているもので、だからこそ私個人にとって立花氏の存在は目障り以外の何物でもありませんでした。

 その立花氏が主にやった悪行が前述の誹謗中傷ですが、これについてはもはや日本社会で大きな問題となっており、著名な芸能人が自殺に追い込まれたり、名指しされた飲食店が営業妨害を受けるなど大きな問題化しています。
 上に書いた通り、一から十まで何でも法律で規定すべきではないという立場をとる私ですが、事ここに至ってはこうした悪質なネットを介した誹謗中傷には法手続きを早く整えるしかないでしょう。特に中傷者の実名開示などは現在のところ手続きに時間や費用が掛かっており、これをもっと早く迅速に、具体的には悪質性の判断基準を設けてプロバイダーに問い合わせればすぐに確認できるような体制にしないともう追いつかない気がします。

 なお私自身はそのような誹謗中傷は受けてはいないのですが、一時期悩ませたのがアダルトサイトなどに誘導するスパムコメントです。かつてやっていたFC2で特に顕著でしたが、「何が楽しくてこんなことするんだ」などと、スパムコメントが来ては消す作業を繰り返すたびに当時はかなりげんなりさせられました。
 こちらのBloggerは日本でメジャーなブログサービスというわけでなかったため開設当初よりスパムコメントはほとんどなかったのですが、二年くらい前より何語かわからないけど外国語で時たま来るようになってきて、時代はグローバル化したなと感じてました。

 ただ昔と違ってBloggerもスパムコメント対策しており、一度登録したコメント主、恐らくIPアドレスで判断していると思いますが、そういうところからのコメントは入力しても即弾かれるようになっています。実際先週にもスパム登録を1件したところ、数日後に同じ奴がまたコメントしてきたようなのですが、どうも弾かれたことに最初気づかず、二度、三度と同じコメントを投入しようとしては失敗していた痕跡があり、「哀れな奴め(´・ω・)」と思わせられました。

 このように現在でならスパムコメントに対してそれほどいきり立つこともなく冷静に対処できるようになり、JBpress時代にヤフコメで批判とかされても「だからなんやねん(´・ω・)」と涼しい顔できるほど煽り耐性がついていますが、前述の通りブログ開設当初はそうではなく、多分当時だったらヤフコメに来た記事への批判に対していちいちマジギレしていた気がします。
 そういう意味ではこのような時代、ネットでの誹謗中傷に対する煽り耐性を意識的につけていく方が精神衛生上有効なのかと思うことがあります。もちろん立花氏が仕掛けた殺害予告を含むような激烈な誹謗中傷を涼しい顔して無視しろというのは論外ですが、ちょっと程度の誹謗中傷には気にしないで済むメンタルを義務教育レベルで鍛えるのも一考ではないかという気がします。

 そもそも現代の日本の義務教育自体が、「周りの声を漏らさず聞き取り反応しろ!」と言わんばかりに、周囲に合わせるとともにその注意を真に受けろと言いすぎて斬る感じがして、現代日本人の煽り耐性を小さいころから敢えて弱めているような気がします。体罰を含む部活動でもそうですが、間違った意見には与する必要はなく、その意見が正しいか間違っているか自分で判断するようにと自己判断力を持たせる教育が皆無なくらいないため、誹謗中傷にでダメージを受けやすい人を量産しているように見えます。
 極論を言うと、激しくならないレベルで子供に悪口合戦させるというのも教育的には少しありかなという気がします。最初は言われて辛いと感じる子も、慣れてくりゃ言い返せるようになり、それをむやみやたらにほかの人に向けないようにということも教え込めばアリじゃないかと思います。なんにしても、日本人はもっと子供のうちからメンタル鍛えた方がいいでしょう。でもって、極端な誹謗中傷を繰り返す人には警察の手を借りずとも報復できる体制を整えるべきでしょう。

2025年11月1日土曜日

犯罪抑止のために国民全員のDNAを登録させたら……

名古屋・西区の主婦殺人事件で容疑者逮捕 発生は1999年11月(ガハろぐ)

 山本由伸選手の活躍で盛り上がってるワールドシリーズの最中、文字通り度肝を抜く逮捕劇と言えるのがこの事件でしょう。私自身も事件発生時に報道され、その後も被害者遺族が事件現場を保存し続けているということも聞いていましたが、まさか26年を経て犯人が捕まるとは思いもせず、粘り強く捜査した関係警察に深い敬意を覚えます。
 すでに出頭してきた犯人と現場に残されたDNAは一致しているためDNA鑑定不正でもない限りこの事件の捜査は決着していると言えるのですが、前々から思っていることとして、出生時点で全国民のDNAを検査、登録しておけば、こういう犯罪が起きた場合にデータベースに照合するだけで一発で犯人を捕まえられ、各犯罪を大いに抑止できるのではないかと思います。

 知らない人もいるかと思うので書きますが、外国人に関しては日本は既に全員の指紋を取得して登録しています。初回の入国時に指紋を取ってデータベース化し、以降の入出国時にはその指紋とパスポートなどを照合させることで本人確認しています。これは日本に限らず中国も同じで、恐らく世界的に同じ取り組みをしていると思うので大半の国で実施されているのではないかと思います。
 そのため仮に外国人が日本で犯罪を犯してうっかり指紋を残しようものなら、その時点で一発で犯人が分かってしまうようになっています。これがもし外国人に限らず日本人全員、ひいてはDNAまで全部登録しておけば、警察の捜査は大いに捗って犯罪者もすぐ足がつくことから犯罪をより手控えるようになるかもしれません。

 とはいえ、国民全員のDNA情報の取得は基本的人権やプライバシーのない中国ですらまだやっていません。ましてや中国人と比べても妙にプライバシー意識の高い日本では、こんな案を口にしようものなら真っ赤になって否定しようとする人が大挙して出てきそうなので、私自身も実現性なんてほとんどないと考えています。
 ただあれだけ批判されていた街中の監視カメラも、犯罪抑止や犯人逮捕に役立つことがわかってからは旧左翼の人たちも批判の口を叩かなくなりました。前述の通り国民全員DNA情報登録は現状で実現性はほぼないと私も思ってはいるものの、もう少し時代が下って考え方とか変わってきたら案外、本当にやる国とかも出てくるかもしれません。

 ただ犯罪抑止になるとはいえ、デメリットも存在します。端的に言えばデータ情報の流出で、それにより先天的障害などのある方への差別につながる可能性は十分あるでしょう。個人のDNA情報なので商業面で悪用することは難しいのではないかと思いますが、人によっては物凄い詐欺的手段を編み出して悪用するかもしれず、この点で懸念が持たれるのは私も当然かと思います。
 敢えて最も大きなデメリットを挙げるとすれば、前述のDNA情報の流失によって他国に吉田沙保里氏のDNA情報が流れて彼女のクローン兵が大量に作られたとしたら、文字通り世界は終わってしまうことになります。これはマジ恐ろしい未来なので、これ考えると確かにDNA登録はやめといた方がいいかなと私ですら思ってしまいます(;´・ω・)

2025年10月27日月曜日

人目を気にする生き辛さ

 本題と関係ないですが嘘つきが手を入れると抜けなくなると言われる彫刻の「真実の口」について、一昨日久しぶりに「思春期ルネサンス!ダビデ君」を読んでいる最中、「『真実の尻』ってのはないのだろうか?」という妙な妄想がもたげました。多分この間、「ケツバトラー」の漫画紹介を見た影響だと思います。


 話は本題ですが、先日死刑判決が下りた2023年の中野市四人殺害事件の犯人についてですが、リンク記事でも触れられているように犯人は精神病であったと主張してはいるもの、冷静に被害者へ銃を向けその後立て籠もった経緯を考えると詐病であるように思います。昔法学部の友人が言っていましたが、殺人犯は基本的に殺人を犯す時点で常人と比べ精神が異常な状態にあるため、ちょっとやそっとの精神障害では減刑理由は成立しないそうです。極端に言えば、うんこ食べるくらい気が狂ってなければお話にもならないそうです。

 以上からこの犯人はこうして詐病を装うあたり、本人は死刑を望んでいるようなことを言っているものの実際は恐れているんじゃないかと思います。仮にそうだとしたら非常に卑怯な人間だと思え同情の余地も感じないのですが、彼が主張した人目を気にする生き辛さというのには密かに共感を覚えるものがあります。
 裁判などでの供述によると、犯人は大学に入ったあたりから自分が馬鹿にされているのではと人目を気にするようになってひきこもるようになったそうです。特に笑い声が聞こえると自分が笑われているのではとも思ったと語っているのですが、この供述については嘘ではなく、実際の本音だったのではないかという気がします。というのも、この犯人ほどではないのですが私もそのような経験があるからです。

 一番記憶に古いものだと子供の頃に連れてこられた外国で外人が笑っていると、子供心に「自分が笑われているのでは?」という風に思ったことをはっきり覚えています。また成人後も、厳しい状況にあった時なんかは外から笑い声が聞こえると、さすがに自分が笑われているとは思わなかったものの何となく肩身の狭くなるような感情を催しました。
 私個人の所見で述べると、上記のような体験は日本人ならほぼ全員が多かれ少なかれ経験しているのではないかと思います。主な場面としては小中高の環境、そして私が上記に挙げた外国人から聞こえてくる笑い声が候補であり、悪意がないはずだと分かっていながらも何となく嘲笑されているような居心地の悪い生き辛さを感じた経験は誰しもあるでしょう。

 恐らくこれはほかの国の人にも同様に当てはまる気がしますが、その度合いで言えばやはり日本人の方が高いのではないかと考えています。何故かというとやはり日本人は人目を気にするというか、自己評価よりも他者評価、つまり外部からの評価を重視する傾向にあり、自分が自分のことを高く評価していても外部からの評価が低ければ「俺って無能?σ(゚∀゚ )」という風に思い込む人が大半で、中には自己評価なんて一切しない人も珍しくありません。まぁそれは自我がないせいでしょうが。

 この点、中国人なんかは人目を気にしない人間ばっかで、自分も感化されたのか昔と比べると今は周りの目をあまり気にしなくなりました。そんな自分からみていると、やはり日本人の大半は人目を気にしすぎるあまり、それだけで生き辛さを感じているように見えます。まったく気にしない人もはた迷惑ではあるものの、生き辛さを感じるくらいならもっとわがままに生きたらといいたくなるほどなのですが、多分日本の教育ではそのような人目を気にしすぎる人にすら「もっと周りを見て行動しなさい」といって、余計に追い込む気がします。

 そういう意味で自分としてはもっと、この「人目を気にする生き辛さ」という単語を広めて、気にしすぎると本人にも周りにもよくないし、極端なことを言えばこの中野市の事件の犯人のように暴発する可能性もあるという認識を社会全体で持った方がいいと思っています。っていうかぶっちゃけ、日本国内の統合失調症の人の多くが「誰かに見られているような気がする」と口にする当たり、この人目を気にする習性は日本の精神衛生を大きく悪化さている要因ですらあるようにも思えるし。

 このような見方を持ったのと、「やや理解を得辛い自分の好きなことを理解し合える関係」をテーマにしている聞いたことから、今回の日本滞在中は漫画喫茶で「その着せ替え人形は恋をする」を一気読みしてきました。実際、このテーマが作品全体で貫かれており、キャラの心情も良く描けていてこりゃ人気が出る作品だと納得な面白さでした。個人的には主人公の男の子が、男の自分からみても一貫して自分の夢を追い続ける姿勢がかっこいいと感じました。

 今回こうして問題提起的に記事書いていますが、正直なことを言えばなぜ日本人がこれほど人目を気にするのかが実はよくわかりません。ムラ社会だからといえば話は早いですが、村落文化が衰退した現代でこの図式をそのまま当てはめるのはやや安直だと思えるし、また着せ恋じゃないですが、何故個人の趣味に良し悪しというか人目を気にするもの、気にしなくていいものがあるかについても、何か考慮する余地があるのではないかと思え、確固とした線をいまだ描けずにいます。
 敢えて言えば、人目を気にする背景には劣等感が確実にあり、その劣等感がどこからどのようにして生まれるのかというメカニズムに何かヒントがあるような気がします。地味にこの劣等感についてはこれまでも学生時代も一切触れてこなかった感情で、自分も何度も抱いてはいるものの、何故抱くのかについてはいまいち分析できていないような気がします。

 最後に着せ恋について、主人公に両親がいない背景についてアニメ版で原作にない背景が掘り下げられたことについて作者が、「(ストーリーの構成上)邪魔だから殺しただけだったのに……」と言いながらアニメ見て感動したというエピソードが一番強烈な印象に残りました。

2025年10月26日日曜日

日本における駅名の英語表記について

 前々から思っていましたが、日本の駅名の英語表記はやっぱおかしい気がします。日本の駅名の英語表示は基本的にローマ字表記にするだけで、例えば「東京→Tokyo」、「大阪→Osaka」などと表記されます。こうした固有名詞の地名なんかはこれで何も問題ないと思いますが、例えば「南浦和」など、広範囲にわたる地名をそのエリアによって分けた駅名の場合も「Minami Urawa」などと表記されます。

 しかし英語のわかる外国人に「Minami」とローマ字で書いただけで「南(South)」だと分かるわけがありません。この点、中国ではこのような東西南北が付いた駅名には「South 〇〇 Road」などと、無意味に中国語の発音表記(南→Nan)そのままに書くことはせず、英語の意味に合わせた単語を当てはめます。また「人民広場」など一般名詞に近い駅も「People Square」などと英語の意味に合わせた単語を当てています。日本人なら漢字だけででわかりますが、漢字のわからい外国人にとってはこうした英語表記の方がわかりやすく、地名も覚えやすいでしょう。

 自分はついさっきに京都から帰ってきましたが、京都市営地下鉄終点の「国際会館」もそのまま「Kokusai Kaikan」などと書かれてあって色々思うところがあります。これこそ「Intenational conference hall」とかの方がわかりやすいし、そもそもそういう場所なんだから意味に合わせて英語表記すべきでしょう。日本語の音に合わせてローマ字化したところで、得する人の方が少ない気がします。

 ただこれで困るのは「新〇〇」系の駅です。都内なら御徒町に「御徒町」、「新御徒町」、「仲御徒町」と複数駅ありますが、最初の御徒町こそ「Okachimachii」または「Okachi Town」で十分ですが、次のは「New Okachimachi」と書くとなんか不自然な感じします。それだったら元の御徒町駅は「Old Okachimachi」になったりするのかと思えてくるし「Naka Okachimachi」に至ってはもはや意味不明です。いっそ「新御徒町」については「Brandnew Okachimachi」などと開き直った方がいい気すらします。
 その点、「北千住」と「南千住」なら「North Senju」と「South Senju」で迷うことがありません。ただ個人的には「Good Senju」、「Bad Senju」とかでもいい気がします。

 最後に、松戸も「松戸」、「東松戸」、「北松戸」、「新松戸」と松戸とつく駅名がたくさんあります。新松戸なんか自分もよく使う駅なのでこの際、「Matsudo NOVA(マツド・ノヴァ)」などと派手な英語表記駅名にした方が盛り上がるんじゃないかと密かに考えています。

2025年10月18日土曜日

孤立無援な医療業界

 かねてから私はこのブログで、団塊の世代が平均寿命を迎える時期、具体的には2030年くらいまでは社会保障が文字通りうなぎ昇りに増え続ける時期なため、国民負担は増えるものの社会保障を支えるために増税ペースを維持するよりほかないと主張しています。この見解に今も変わりはなく、何となく財務省も公言しないもののこうした方針で今増税をやっているのではと思う節があるのですが、その影響で一番割を食っているのが医療業界であるように思え、密かに憂慮しています。

 言うまでもなくこの二年ぐらいで日本の物価は急騰し、賃金も上昇しているとはいえ自分が見る限り今年1月と比べると10月の現在は大きな変動はなく、上昇ペースが鈍ってきているように思えます。
 その一方で値段の変わらない、というより変えようがないのが医療費です。日本の医療費は点数制で、健康保険の対象の治療については国が価格を設定しており、自由診療対象の治療でなければ病院側が勝手に価格を変えるわけにはいきません。

 このように病院の売り上げにあたる治療費価格は変更できない一方、病院で働く医師や看護師、病棟などの不動産費用、設備機器の購入費や維持費、そして電気代などは上がり続けています。効率化を図ろうにも製造業と違って医療では限度もあります。また先のコロナ対策で隔離病棟などを設けるためにも費用が掛かっているように思え、売り上げは増えないのに経費は高騰し続けるという、聞いてるだけで暴れたくなるような状態にあります。

全国で8割が赤字の公立病院:患者減少×物価高の中、石川の富来病院が模索する“生き残り戦略”…能登半島地震の追い打ちにもめげず模索する住民の“命”と“健康”を守る地域医療の要(FNN)

 実際にメディアの報道などで、全国の多くの病院で経営が追い込まれているという話を聞きます。人件費や物価が高騰する背景を考えたら医療費引き上げもやむなしとは思うのですが、結論から言うと、病院関係者を除くと誰も医療費引き上げを望んでいないというのが現状です。

 まず消費者からすると、ただでさえ増税や物価高騰で困ってるのにここにきて医療費引き上げなんてマジ勘弁です。次に政府からすると、医療費を引き上げると国が負担する保険料も増大することとなり、ただでさえ重い負担となっている社会保障費負担がさらに増します。なので消費者、政府からすると、どう見たって医療業界は財政的にヤバいくらい追い詰められているというのに、彼らを助けるため医療費を引き上げると自分らの首が締まるもんだから助けようとはせず、見捨てるどころか感心すら持たない状況が今であるように感じます。
 それこそ仮に議員や大臣が今この時期に医療費引き上げを口にしようものなら、「こんだけ増税してるのに何を言うか!(# ゚Д゚)」と消費者、特に医療費がかかりやすい高齢者などは怒り狂って批判するのが目に見えます。私個人としては病院側の努力には限界もあり、またコロナ期を含め医療関係者は大きな負担に耐え続けていることを考えると引き上げも仕方ないし、早く上げるべきだと思うのですが、こんな考えしているの自分は確実にマイノリティに属すでしょう。

 そういう見方から現状、医療業界は孤立無援というか消費者にも国にも見放され、誰も助けてはくれないのに「医療を支えろ!」と言われているような状況にあるように見えます。私個人としては医療を維持する上でも一定の財政強化は必要であるように思え、増税を維持しつつ医療費引き上げをするよりほかないと思っており、それができないなら給付金なんてばらまいてないでその予算を全部医療に回すべきだと思います。
 敢えて落としどころとしやすい案としては、医療機関への寄付を奨励する、具体的には医療機関への寄付には減税率をダブルアップするキャンペーンなどを組み、資産家などに医療機関へどんどん寄付してもらい、この急場をしのぎつつ、物価高騰対策を打つのが手じゃないかと思います。もちろん、実現性は無視するとして。

2025年10月7日火曜日

2025年からの5年間の日本

志位氏「人間は馬ではない。公党の党首が使ってよい言葉とは思えない」 →では出馬もしないで下さい(痛いニュース)

 先日の総裁選勝利から高市氏への追い風が吹いているというか、上記の上げ足をとるような志位氏や妙なフェミニズム団体の批判に対して日本の世論は逆批判が起きており、高市氏へのわけのわからない批判への同情というか支持も広がってきているように見えます。私自身もそこまで高市氏を評価する立場でなかったものの、このところの外野からの呆れた批判を見るにつけなんか応援したくなってきました。

 それはそうと昔はよくやってた政治的未来予測記事を久々に書こうかと思ってこうして書いていますが、かねてから私は今後5年間、2030年までは何があっても増税を続けるべきで減税するならその後からだと主張してきました。この主張の根拠は社会保障費が2030年までは劇的に増加する最後の時期であると踏んでいるからです。
 理屈はごく単純で、日本の人口ピラミッドを大きく歪にさせている団塊の世代(1946~1949年)が平均寿命の約80歳を迎えるのがこの時期だからです。もちろん団塊の世代がある程度逝去したとしても少子化が続いていれば社会保障負担は拡大を続けますが、それでも拡大ペースの速さという意味ではこの5年間がまさにラストスパート的な時期で、2030年以降はややこのペースが鈍化へと転じる可能性があると考えています。

 この間、国家財政を支えて他の支出への影響を防ぐとなると国民に負担をかけること前提で増税ペースを維持することもやむなしかと考えています。何せ具体的にどれだけ社会保障負担が伸びるかがはっきり読めないところもあり、減税などを行うにしても2030年まではやはり待つべきというのが私の持論で、何となく財務省もそんな腹積もりなのではないかとこの頃見てて感じます。

 幸いというか日本の経済状況は現在はまずまずという状態にあり、少なくとも失業者が溢れるような状況ではなく、また人手不足によりブラック企業という単語がマジでこの2年くらい一切見ないほど社会問題からなくなりつつあります。そもそも日本経済の効率を大きく引っ張っていたのがまさにこのブラック企業であり、ブラック企業を摘発していくだけで日本経済は効率化されプラスになります。
 中小企業保護政策こそがこのブラック企業の温床であり、何となく私が昔から主張してきたこの持論をほかの一部日本人も持つようになってきているように見え、多分このまま妙な中小企業保護政策は徐々に減っていくという確信があります。即ち、日本経済は結構安泰じゃないかと楽観視してます。

 ただ社会保障と一緒で、これからの5年間は何となく日本も転換期を迎える気がします。多くの投資利益をもたらしてきた中国経済がこれから劇的に悪化し、日系企業の海外戦略もこれから大きく転換していくことでしょう。また米国もトランプ政権を機に弱体化へと転じ、従来の流通というか国際分業体制も大きく変わっていく気がします。

 その中で日本人個人に目を向けると、このところ就職ランキングでコンサル系が上位を連ねるなど会社に頼らず、会社を離れても食っていけるようなスキルが身につく企業が好まれる傾向がある気がします。これは何も若者に限らず、日本人自身が所属組織よりも自らが持つスキルを資産活動でより重視するようになっているように見え、これまで以上に個人主義化がさらに進んできているようにも感じます。
 まぁ中国で戦い続けてる私に言わせれば、それでもまだまだ日本人の多くは集団主義に取りつかれているように見えますが。

 とはいえ今後日本の雇用市場はさらに流動化を迎えるのではないかと思います。それは逆に、大企業にブランド以上の魅力アピールを迫ることとなり、日産のような看板だけの企業はますます優秀な人材が取れなくなってもっと弱っていくかもしれません。まぁ幹部陣を見ている限りだと、10年前の時点であそこはまともな人材がゴーン以外いなかった気がしますが。

 ここで閃いたというか、やはりこの5年間のキーワードは「流動化」かもしれません。政治も公明党が今連立維持を継続するか議論しており、誰も使わないけど99年体制がいよいよ終わりを迎えるかもしれません。先ほども言ったようにこの5年間は日本国内のみならず世界環境の色々変化があり、日本人もあらゆる面で転換を求められることとなるでしょう。
 そうした時代背景においては言うまでもなく固定的な価値観は邪魔でしかなく、何でも合理性を追求すべきではないものの、変化の方向性を早めに見抜き必要な対応をぱっぱととれる人間や企業ほど生き残りやすくなる気がします。あえて例えるなら、状況に応じて変形できるアッシマー型な人間が求められている、っていうかアッシマーが求められていると言いたかっただけです。