2026年5月10日日曜日

映画レビュー:モータルコンバット ネクストラウンド

モータルコンバット ネクストラウンド(公式サイト)

 なんも見る映画がなくとりあえずアクションだから時間潰しにはなるだろうと思って見に行ったのですが、意外や意外に結構面白かったのがこちらの「モータルコンバット ネクストラウンド」です。日本では6月公開のようですが、なんで中国だと前の「リターン・トゥ・サイレントヒル」のように日本よりも早く公開されるんだろう(。´・ω・)?

 このモータルコンバットの映画ですが、知ってる人には早いですが格闘ゲームが原作です。「米国のスト2」というくらい米国でヒットしたゲームなのですが、ゴア表現が激しくてあまり日本では普及せず、スーパーファミコンなどに移植された2を除けばシリーズ作品はほとんど出回っていなかった気がします。
 自分は何故か姉がこのゲームをやりたがって買ってきたので遊びましたが、スト2と比べるとキャラの動きがごてごてしていたのであんま楽しめず、怪鳥の鳴き声のようなキャラ音声聞いて笑ってたくらいです。世界観的にもゲーム中でも今日からの雷電のミサイルアタックはなんかツボにはまってました。

 そんなわけで世界観にある程度理解をもってこの映画を見てきたのですが、主人公はアクション俳優という設定のジョニー・ケイジだったりします。このキャラはほかが竜の生まれ変わりとか絶対零度忍者とか化物揃いの中で普通のまっとうな人間として登場してくるので場違い感が強いキャラであり、実際そうした特徴からか2021年公開の前作では登場させられなかったそうです。
 それが今回は主役として登場してくるのですが、なんとその役柄は「売れなくなったアクション俳優」で、ゲーム内の設定以上に一般人要素が強められており、実際に俳優も若干年取ったおっさんっぽい外見で、無理やりモータルコンバットに参加させられめちゃ焦る様子を見せています。結果的にはこの演出は見事だったと思え、このキャラの素人っぽさがモータルコンバットの異常性を際立たせていた気がします。

 映画全体に話を戻すと、一応ハリウッド映画に属すでしょうが俳優のアジア人比率が異常に高く、中国系俳優のみならず浅野忠信氏、真田広之氏が前作からそのまま続投していて、彼らを含め格闘ゲーム原作なだけあってアクションは申し分ない出来でした。
 ちなみにここだけの話、また姉貴がビデオ借りてきたので1995年に作られた映画も見ているのですが、あっちの方はそんなアクションよくなかった気がします。

 俳優の中で一際抜きんでていたのは、クン・ラオ役の黄又亮(マックス・ホアン)氏です。明らかに彼だけ動きが違っており、刃の付いた帽子を投げつける特殊なアクションと相まって彼がリュウ・カンと戦うシーンは一見の価値があると断言できます。傍目にも強そうだと感じる動きぶりを見せており、こんないいアクション俳優がいたのかと仰天させられました。
 ちなみに特徴的な顎と演じたキャラの近さからか、何となく帝都物語で加藤保憲を演じた嶋田久作氏が浮かんできました。

 最近だと本当に見に行く映画が少なく、先日もともかく時間潰しタイから「我、許可!」という口コミがいい中国映画を見に行ったものの、ウーマンリブ的な話で男の自分からみてあんま楽しめませんでした。来週以降もこれという映画はないためしばらくお休みになりそうで、スパイダーマンの公開が待ち遠しいです。

Yahooこそ通信詐欺の加担者

Yahoo!メールさん、やっと最近届きまくる迷惑メールについての注意喚起を出す(ガハろぐ)

 いやこれほんと同感というか、なんで国や警察は福生市のハンマーおじさん逮捕してYahooの責任者逮捕しないのかと前から疑問に思っていました。

 複数のメールを使っていますが、詐欺メールの受信数で言えばYahooがぶっちぎりです。このブログにアドレスを公開しているGmailと比較したら1:1000くらいの割合でYahooの方が詐欺メールをどんどん受信し、騙されたことはないものの、ほかの正規メールと区別して処理するのが非常にめんどくさいです。っていうかYahooのアドレス公開してないのにな。
 しかもこのYahooメール、上のまとめ記事に書いていますが詐欺メールのフィルタリングサービスを有料しているのが見ていて腹立ちます。自分が知る限りフィルタリングで金とるのはYahooくらいなもので、こんな企業姿勢だから詐欺メールに騙される被害者が生まれているようにしか見えず、通信詐欺事件の流行と拡大の一翼をYahooが担っていると信じて疑っていません。

2026年5月8日金曜日

地域によって差のある地元大名への意識

 このGW中はなんか電子書籍をはじめやたらと金を使い過ぎました。どうする(;´・ω・)

 話は本題ですが以前に福岡市を訪れた際、この地を長く治めた黒田家に対するお土産なりグッズなりがあんま見当たらないなと感じました。実際に福岡出身の人に黒田家の話を聞くと、「あんま意識してない(´・ω・)」と返事され、そんなに地元に浸透していないなという印象を覚えました。
 反対にというか同じ九州の熊本県では、現在に至っても加藤清正を神の如く崇めており、関連グッズもくまモンには負けるけどたくさんあります。まぁ加藤家が熊本治めてた期間は実は短く、逆に長く治めた細川家に対する意識は低かったりもするのですが。

 こんな具合に江戸時代までその地を支配したり輩出した各地元大名への意識は地域によってかなり変わります。千葉や埼玉のように主に旗本が支配して支配者も変わりやすかった地域に関してはこの手の意識は全くないのですが、熊本以外にも石川県なんかは今でも加賀百万石を強い誇りとしており、何かにつけて百万という単語をお土産につけてきますし、前だけに対する意識も外から見る限り強そうに感じます。
 また江戸時代に佐竹家が支配した秋田県でも、こちらも外から見る限り佐竹家当主が県知事になったりと今でも現地には強い影響力が残っているように見えます。あと岐阜県は江戸時代は天領だったところも多いですが、戦国時代にこの地を支配した信長への関心が高く、お土産も信長グッズが中心です。

 マムシの道三も輩出してんだから、マムシ酒も出せばいいのに……。

 このほか九州に戻ると、鹿児島県の島津家に対する意識も高いものがあります。何気に鎌倉時代からの守護大名で最後まで生き残ったのは島津、伊達、佐竹の三家のみで、このうち伊達、佐竹は江戸時代初期にお国替えで出身地から動いているため、鎌倉時代からずっと同じ場所を支配し続けたという意味では島津が一番長かったりします。
 ただ鹿児島の場合、西郷隆盛が島津家を上回るほどの尊敬を集めているため、島津家に対する意識もその分弱まっている感があります。まさか身内に追いやられるとは……。

 一方、徳川家が支配した水戸や紀伊はなんか外から見ている限りだとそれほど地元民の意識が強くない気がします。明治維新で徳川家が追放されたということが大きいように思えるのですが、名古屋のみ尾張徳川家に対する意識や信頼が例外的に未だ強いと感じ、実際関連グッズもよく見ます。
 この辺、熊本もそうですがお城が残っているというのが地味に大きな要素である気がします。名古屋も徳川家への意識の半分以上は名古屋城というシンボルの影響であるように思え、やはり城が残っているとそれが街のシンボルとなり、そのまま地元大名への意識向上につながっている気がします。まぁ和歌山城も残っているんですがね。

 最後に山口県に関しては、毛利家よりも幕末に輩出した維新志士の方が数も多くて有名で、現代にも直接影響を残しているため、鹿児島同様に若干割食っている気がします。こうしたライバルの存在やお城などのシンボリックな遺産の有無が、地元大名への意識を決定づけていると言っていいでしょう。

2026年5月6日水曜日

贅沢を人目につかないところで行う日本人

 本題と関係ないですが一昨日に自転車で遠乗りして帰宅した後、なんかメガネが臭くて石鹸で洗いました。何故だ(。´・ω・)?

 話は本題ですが昨日の記事で私は日本人は江戸時代から続く清貧思想が強いため贅沢行為にやや負い目を感じる人が多いと書き、割とこの主張は自信を持っています。その一方、気晴らしとしての贅沢行為自体は日本人もやっているのですが、そのやり方というのも人目につかないところで贅沢するという形が結構根強い気がします。

  歴史を辿れば江戸時代からこの手の「隠れ贅沢」行為は盛んだったというか、幕府が倹約令を出して派手な着物を着てはならないとお触れが出た後、町娘の間では外からは見えない裏地に豪華な反物をあしらった着物を着る人がいたそうです。また神社仏閣でも、何故か普通には見えない天井の奥とか柱の一部に金をかけた装飾を施したりするところがあるほか、現代でも「プチ贅沢」という単語とともに見えないところにお金をかけて贅沢欲求を満たす行為が見られます。
 こうした行為は単純に贅沢欲求と清貧思想を両立させるための手法だと思いますが、中国人的思想が強くなっている自分に言わせると、他人に贅沢を見せつけないで何がいいのかという感想を持ちます。まぁこれも一種の日本人のメンタリティと言えばそれまでですが。

 実際、一見そうと見えなくても、実は価値があるものにこそ日本人は飛びつきやすい気がします。でもってそういうものをあからさまに見せびらかさず、さりげなく見せることこそ醍醐味的な人は確実にいる、っというか確実に多いです。
 そう考えると、日本人も贅沢が嫌いというわけじゃなく贅沢の仕方が凝っているという風に見るべきかもしれません。この辺の贅沢行為に対する特徴や傾向を詳しく調べてみたらなんか面白い結果が出てくる気がしてきました。

2026年5月5日火曜日

贅沢に負い目を感じる日本人

 感覚的に2024年ごろからそれまで猛威を振るっていた日本人礼賛記事が減ってきたような気がします。若干妙な自意識過剰が減ったのは何よりなのですがそれに伴い「外国人と比べて日本人は?」という日本人的な話題が減り、これはこれで少し寂しい思いがします。
 そんな思いが募ったのか先日チャットで日本の友人とこの手の話題になり、その際に「日本人って贅沢に負い目感じるよね(´・ω・)」という意見が出てきて、私もこれに全肯定しましたし、多分否定する日本人はイケイケ系を装っている人以外ほぼいないという気がします。

 一例を挙げると、「バブル文化」という単語一つとっても若干悪趣味な時代や行為という意味を現代では持っているように見え、金に飽かした贅を尽くす行為に対して若干低めに見て、高尚な行為や文化とはまず見ていないでしょう。やりたい人がやる分には否定しないものの、やってる人もやっぱり負い目があるのか自分をでっかく見せたいとき以外は隠すという人も少なくない気がします。
 ではなぜ日本人は贅沢に負い目を感じるのか。結論から言うと侘び寂びこと千利休の影響がやはりでかいのではないかという気がします。

 戦国、というより安土桃山時代においては安土城や大阪城といった 絢爛豪華で華美なスタイルが非常に流行しており、傾奇者文化もこれらに通ずるように感じます。しかし秀吉の時代に千利休が詫び寂びの概念を打ち出し、素朴で質素な茶碗に価値を見出して自らプロデュースしていくのに伴い、華美とは対照的なものにこそ価値を見出すスタイルが日本を支配するようになっていきます。
 この傾向は江戸時代も続いた、というか続かざるを得なかったと私は考えています。というのも江戸時代の武士は大名を含めて基本貧乏で、派手に金を使うことができませんでした。そのため質素な家屋や調度品とかを「こういうのがええんや(^ω^)」とひたすらセルフフォローし、余計な出費を抑えつつも自己満足感と権威を守っていくスタイルがそのまま続くことになった、というか華美な美術品や工芸品を生み出す資本がなかったとみています。

 なお日本文化史に残る最大の華美美術品とくればやはり金閣寺がトップで、その次に出てきた銀閣寺は詫び寂びを代表する存在として好対照であるというのはなかなか趣深い所です。そのほか思い浮かぶのを上げると平家納経、日光東照宮が自分の中で浮かんできて、江戸中期以降はマジでゼロである気がします。
 もっとも江戸中期においては資本力が最も高い豪商を中心に華美な行為や創作が行われ、確かどっかの豪商では床下に金魚の水槽を張ったとかいうのを聞いたことがあります。

 話を戻すと、まじめに江戸時代の特権階級である武士層は世界的に見ても実権を持ちながらも異常なほど貧しく、これが日本の贅沢に負い目を感じる清貧思想の固定化につながったと思います。質素な権力者は清廉であるというイメージは世界共通ながらも、実際にそれをきちんと体現できていた日本はかなり珍しい部類にあると言っても過言ではないでしょう。
 なんせ将軍家でも吉宗が率先して倹約に励み、天皇家に至っては天皇自ら和歌を売ったりしなきゃならないほどだったそうですし。まぁ大奥にはかなり金かかってたとは聞くけど(´・ω・)

 この清貧思想は明治以降も若干弱まったとはいえ生き残ったというか、やはりというか金持ちは「いけ好かない」という価値観が今でも根強い気がします。金持ちでも篤志家にはもちろん尊敬が集まりますが、頑張って働いて金持ちになったとしても、その富裕ぶりを誇示するようなライフスタイルをしたらまずもって日本では「よくがんばったねぇ( ;∀;)」という感じで評価されることはまずなく、「成金が( ゚д゚)、ペッ」みたいに反感しか買いません。むしろたくさんの資産がありながらも、慎ましい生活をしている人にこそ尊敬が集まります。

 プラスかマイナスかで言えば、この日本を包む清貧思想(西欧と比べて強いという意味で)は社会にとってはプラスだと私は思います。やはり米国を見ていると富裕層と貧困層の分断と対立が年々激化しているように思え、それと比べると日本も以前よりは収入格差が広がっているとはいえ、「奴らは別世界の人間だ」などと言う人はいません。
 なお松戸戦士こと千葉県北西部を出身とする自分にとって、木更津市をはじめ房総半島方面の千葉県民は別世界の住民だと考えています。はっきり言って仮想敵国の埼玉県民の方が自分らにまだ近いとすら思う(´・ω・)

 話を戻すと、清貧思想が強いゆえに日本では収入による社会の分断が抑えられていると思う節があるとともに、資産家や政治家の腐敗行為も抑えられているのではないかという気がします。やる奴はやりますが、それでも諸外国、特に中国と比べると権力者が自らの贅を尽くすために腐敗行為に手を染める人の数や比率は圧倒的に少ないし、また政治家をはじめ日本の権力者の多くはそれほど資産を蓄えておらず、能力はともかくクリーンなライフスタイルをしている人が多いです。
 これらは自然の結果というより、清貧思想があるゆえに当事者も贅をあまり求めない傾向があるとともに、市民をはじめとする社会の贅を尽くす行為への厳しい目というか監視が効いているおかげであるように思えます。

 この辺、繰り返しになりますが中国と比較すると本当に歴然です。中国は資産が増えたらそこで満足せずに「もっと欲しい!(; ・`д・´)」とほとんどの人が考え、さらなる利殖を追求します。でもって稼いだお金を日本人みたく貯金だけするのではなく、これでもかっていうくらいでかい家買ったり、無駄にラグジュアリーカー買ったり、わけのわかんない仏像とか買ったりと、欲望のままに自らの富裕を誇示してきます。社会主義国なのに……(´・ω・)
 もちろん中国の一般庶民も、「そんな無駄に使う金あるなら俺にくれよ(´・ω・)クレ」とばかりにこうした金持ちの贅を尽くす行為に反感を覚えたり眉をひそめますが、それでも日本と比べるとその反発ぶりは非常に小さい気がします。少なからず、「金持ってる奴がえらいんだ」という前提観念が中国人にはあるように見え、ひがむ暇あったら自分も稼げるよう努力しろ的な個人主義的価値観も影響している気がします。

 以上のようにつらつらと日本の清貧思想について書いてきましたが、冒頭にも書いた通りにバブル時代は日本近代史において例外的に贅を尽くす行為が社会で奨励されていた特殊な時代でした。ただ今現在においてこれらが悪趣味な文化として扱われているのを見ると、当時の日本人たちも内心、罪悪感を感じつつもそうした行為に明け暮れていたのではと思う節があります。
 江戸時代から続いてきた強固な価値観がほんの数年で一気に転換するとは思えず、やってた人たちも疑問を感じていたのではと、今現在の評価からみていて少し思います。まぁ当時バブルに乗れなかった層が現代で否定的に言っているだけかもしれませんが。

 オチを付けると、前述の通り日本の清貧思想は社会にとって有益な要素が強いように思え、贅を尽くしたいって人には若干申し訳ないですが、そうした行為はなるべく見えないところでやってもらい、日本全体としてはこの清貧思想を守っていく方がプラスだと私は考えています。

 最後に、ちょっと誰かは忘れましたが幕末か明治のころに来た外国人が日本人の暮らしぶりを見て、「彼らはお金をかけずに人生を楽しむ方法に長けている。我々は日本に文明をもたらしてやろうとやってきたが、果たして今の彼らのライフスタイルを壊すことが正しいのかわからなくなってきた」というコメントを残している人がいました。実際今のネットカルチャーを見ていても、余計なお金や資本をかけずに楽しむコンテンツをみんなで作って共有し合っており、この点はもっと日本人も自覚して誇ってもいい気がします。

2026年5月4日月曜日

ライトノベル作家の意外な正体(;゚Д゚)

 またすごい古い話となるのですが、今から約30年ほど前に「ブリザードプリンセス」シリーズというライトノベルを当時読んでいました。作者は矢神涼氏で、作品作家ともにWikipediaなんてものはないのですがAmazonに当時の本が中古品として出品されています。一体なぜ自分がこの本を手に取ったのかというと、特にさしたる動機もなくたまたま本屋で見かけて表紙が目に入ったことから1冊目を買い、その後も続巻が出るたびになんか惰性で購入して読んでました。

 シリーズを通してのあらすじを書くと、雪女の霊を生まれながらに宿して常人離れした体力を持つこととなった女子高生の主人公が、あれやこれやとトラブルに巻き込まれつつ解決していくという、如何にも90年代にありがちなライトノベルでした。またこの作品では作者自身が登場することもあり、「きょうと、「さがの……」というダイイングメッセージから京都市の嵯峨を訪れて捜査する主人公に対し、「嵯峨と嵯峨野は別々にあるんやで」と教える京都市内の医者として登場してきます。このくだりはなんか妙に印象に残り、自分が大学進学で京都に行ったときに「嵯峨と嵯峨野は違うんやな」などとこの本のことを思い出したりしていました。
 なおこの自分の作品にわざわざ自分を登場させる当たり、子供心に「出たがりなんやなぁ(´・ω・)」などと当時から思っていました。

 そんな30年くらい前の作品を何故急に言及するのかというと、先日ふと上記の嵯峨と嵯峨野のくだりを思い出し、「せや、あの作家はその後ほかに本出しとったんかなぁ」という点が気になり、検索をかけて調べてみたからです。割とライトノベル作家は一時期作品が売れてもその後フェードアウトして、行方知らずになることも多いからどうせ検索してもなんも出てこないだろうと大した期待もしていなかったのですが、想定外なことに作者名の「矢神涼」で調べたら一発でヒットしてきました。


 一目見て「(;゚Д゚)?」という気になりました。でもってリンク先のページを探っていったところ、この松本クリニックの院長である松本浩彦氏が、あの本の作者だったということがわかりました。小説内での立場同様、マジで医者やってたという事実にかなりビビったわけです。
 っていうかプロフィール欄を見るとそれ以外にも、

・2種免許を6つ所持する日本稀有の再生医療認定医
・大学時代は剣道三段の体育会主将
・同時期にジャズピアニストとしてプロ活動
・日本推理作家協会会員の小説家

 というお腹いっぱいになりそうな経歴載せているし、病院に金本来てるし、自分の想定以上に現在も活躍されていたという事実に二度びっくりさせられました。っていうか医者しながら小説書いてたのかよ(;´・ω・)
 といった具合で、行方知らずになっているだろうと思っていたら想定外な作家の正体に一人ビビる羽目となりました。にしても自分の作品内で本業としての姿で登場させているあたり、自分も将来小説を書くとしたら本業の松戸戦士として登場させなければならないのかと、妙なプレッシャーを覚えます。ちなみに一度でいいから松戸市の境界に立ってやって来る人に「やあ、ここは松戸の街だよ!」ってセリフを言ってみたいです。

上海の宝山寺


 昨夜たまたま地図を見てたら見つけたので、上海市内にある宝山寺に片道約30キロの道のりを自転車で走って行ってきました。


 
 ここは上海市内で唯一の唐風寺院とのことなのですが、実際見てみてほかの中国のお寺と違う印象がありました。この写真のように建物内装は基本的に漆塗りがベースで、余計な彩色が一切ありません。


 割と中国の寺院は柱や天井などに色塗る傾向があるのですがそういうのは一切なく、また境内のレイアウトもほかの寺院は奥へ奥へと細長いのに対し、宝山寺は横幅が広く正方形な敷地してました。

狙ったつもりじゃないが自分が撮影しているような形になってしまった

近くの道路から目立っていた唐風の塔


 上の写真のように境内両端を石畳の回廊が通っており、この辺は見ていて京都や奈良の寺っぽいなと感じました。ほかの中国のお寺にはこういう回廊は見ません。

真下からみた唐風の塔

敷地内には整備された庭園も




 こちらの猫は境内の中で寝ていたので撫でていたところ、起き上がって自分の靴の上に寝転んできました。しばらく撫でていましたが起きる気配なかったので、そっと足を移動させて去りました。


 その後、昼食を食べた後にスーパー銭湯に寄っていきましたが、運動後に風呂入って血圧上げたせいかまた頭痛起こして吐きそうになってました。片道30キロで往復60キロ程度だからそんな大した運動しているつもりないのですが。