たまたま目にした記事ですが、思いのほか内容がよくて感心して読んでました。っていうか浦上早苗氏は中国ネタ以外でも書けるというか、むしろ中国ネタよりいいじゃんとさえ思いました。っていうか自分もまた明日何か記事書かないといけないなぁ……。
話を戻すとこのところ常々感じることとしてGDPなんかよりも失業率の方が社会に与える影響が強く、経済成長率よりも失業率こそもっと経済指標として注目すべきじゃないかと思うようになっています。こう思うきっかけとなったのは近年の日中における社会状況で、日本の成長率は中国に遠く及びませんが、中国ではこのところ不況の影響で失業者が大幅に増加していて社会全体の空気が日に日に暗くなっているのをはっきり感じます。それに対し日本は少子化による人手不足もあってか賃金上昇率こそおされられているものの雇用需給では需要の方が明かに高く、その影響からかブラック企業の話題も見なくなりました。
上記の日中における社会雰囲気の差もさることながら改めて失業者の存在とその社会的負担を冷静に考えて見ると、失業者一人を支えるのに社会が支払うコストというものは本当にでかいのではないかと思えてきました。
例えば天涯孤独の成人失業者の生活保護を月20万円と仮定し、この人を支えるため勤労者一人当たり2万円を負担するとなると、10人の勤労者が2万円ずつ負担することとなります。これは極端な仮定ですが、仮に家族がこの失業者を支えるとなるとその家族は20万円分(実際には家賃がなくなるためもっと安くなるが)の負担を食うこととなり、社会全体の負担で考えると同じこととなります。
しかし仮にこの失業者が短時間勤務などで月10万円程度の貢献を果たしたとすれば、先ほどの計算だと支える勤労者の数は10人から5人へと半減します。もちろん、完全に自立して月20万円を稼げるようになれば支える人の数はゼロとなり、それどころか国は元失業者の人から税金も得られる計算となってきます。
このように考えると社会全体の賃金を上げるより、失業者対策にお金をかけて可能な限り勤労を通して自立してもらうように行政が動いた方が、勤労者にとっても見えない負担が減ることとなりプラスになってくるのではという風にも見えます。さっきの計算だと仮に1人の失業者が自立できた場合、その失業者を支えていた勤労者の収入は全員プラス2万円になるわけで、実際には税金がほかの用途に使われるだけでしょうがインフラとかに使われるなら回り回ってお得でしょう。
ただこれは逆に見た場合、失業者が一人増えるごとに勤労者の負担も倍々ゲームみたく急激に増えていくということを意味します。まぁそれが今の中国なんだけど。
失業者も障碍を含めた色々な事情があってフルタイムとかで働くことが難しいという人も多いかと思います。しかし冒頭の記事のように業務内容によっては障碍が影響せずに働ける職場もあると思えるし、日4時間など限られた時間なら働けるという人もいるかと思います。そうした限定的に働ける人向けに職場や業務をマッチングや調整したりすることは一見すると職場側の負担に見えますが、前述の通り回り回って社会負担が減ることとなるだけに、多様な働き方をもっと追求した方が私はいいと思っています。
このようなことを考えていた際に気づきましたが、この10年間くらいで20年くらい前は聞いたような「ワークシェアリング」という言葉がほとんど聞かれなくなったということに気が付きました。まぁこの単語に色々詰め込み過ぎだとは思いますが、一人の人間が大量の業務を捌く代わりに高い給与を得るよりも、そこそこの給与で業務を分担し合うことの方がやっぱ全体効率はいいように思え、改めてこの概念をもっと日本は大事にすべきではとも思いました。
にしても労働業界の単語の流行り廃りは結構ある気がする。概念が実現されたから廃れたわけじゃないように見えますが。