2026年5月3日日曜日

ゲームレビュー:パラノマサイト FILE38 伊勢人魚物語


 結論から書くと、超面白かったです。ここ数年遊んだ中で最高の出来だと思えるアドベンチャーゲームで、興味ある人は迷わず遊ぶことをお勧めします。

 このパラノマサイトですが、シリーズ第1作目で前作に当たる「パラノマサイト FILE23 本所七不思議」も当然遊んでおり、こちらも非常に楽しめたのですが、それが故に2作目のFile38を購入する際は実は結構悩んでいました。というのも前作が面白過ぎたので自分の中で勝手に期待値を上げてしまい、2作目をつまらなく感じてしまうのではないかと懸念してました。
 これは同じアドベンチャーの「AIソムニウムファイル」で起きた現象で、1作目が非常に気に入っていたため2作目もうきうきで買ったところ、「なんやこれ(# ゚Д゚)」と思うくら面白さを感じられず、めっちゃ買って後悔したことがありました。まぁ実際、ソムニウムファイルの2作目は続編物として失敗していたように思え、次の3作目で主人公を1作目のキャラに戻しているし。

 そんなわけでパラノマサイトも続編購入を悩んだものの、元々の定価が三千円以下と安く抑えられているし、ネットの評判見ると前作に負けない高いものであったため連休前に購入して休み入ってから遊び始めましたが、本当に前作に負けない面白いゲームで、一気にエンディングまで突き進みました。アドベンチャーゲームの肝心要となるシナリオはもちろん、デザイン、音楽、演出のあらゆる面でハイレベルであり、UIもよくできててプレイ中に不満を覚えることはありませんでした。最後の方の謎解きはやけに難しくて自分も攻略サイトに頼りましたが、途中の謎解きはカタルシスを得るのにちょうどいい塩梅でした。

 でもってシナリオに関してですが、「伊勢」、「人魚」、「平家」の脈絡のない三単語が見事に組み合わさって九鬼水軍など歴史事実を絡めながら重厚な内容に仕上げられており、バラバラだった要素が終盤に行くにつれて一気に統合されていく展開はマジ鳥肌ものでした。基本的に読み進めるだけで攻略できるのですが、展開の運び方がうまいもんだから推理小説を読んでいるような謎解きをなしたかのような満足感があります。
 キャラクターに関しては前作同様、複数いる各主要キャラにパートナーキャラが一人つくツーマンセル体制を維持しており、これが話の運びというかボケツッコミをよくしているように見えました。特に外国人作家とエクソシスト少女の組み合わせは前者が常にオーバーアクションで反応して後者がすぐツッコむ掛け合いが非常によく、前作同様顔芸が生きるキャラでした。

 ファミ通による製作者へのインタビューによると、続編ながら前作キャラクターは一人も続投させず、システムや世界観だけ流用する並行的な続編にしたそうですが、この措置は英断だったという気がします。前作を遊んだことのない人も入りやすいし、また設定の齟齬を意識しなくてもよく、特に東京都三重県と舞台が異なっていることからお互いに独立したシナリオにするのがやはり正解だったでしょう。
 まぁ前作の人気キャラである黒鈴ミヲの再登場に若干期待してはいたんですが……。

 これ以上書いてもほとんど蛇足にしかならないのでここで切りますが、いや本当に楽しめるアドベンチャーゲームを作ってくれたものだと感心しました。あと一つだけ付け加えると、アドベンチャーゲームにもはやおなじみの声優による音声がこの作品にはついていないのですが、逆にパラノマサイト遊んでみて、この手のゲームに音声ってかえって蛇足ではないかと思うようになってきました。
 やはり音声が入ってしまうとそのキャラクターの特徴が少し固められ、プレイヤーのイメージから外れてしまう可能性がある気がします。今作も全く目立たないキャラが実は重要キャラだったりすることもあり、そうした予断を防ぐ上でも音声なしの方が意外と正解だという気がしてきました。

2026年5月2日土曜日

自分の祖父、父が会った歴史人物

 連休二日目の今日のスケジュールは以下の通りでした。

・8時半:起床、その後ゲーム
・12時:昨夜作ったカレーを食べる
・13時:ゲーム
・14時:お昼寝
・17時:ゲーム
・19時:カレー、その後スタバ
・今に至る

 昼寝しすぎたせいか若干肩こりと頭痛がするのですが先ほどスタバで「松吉伝」という漫画を読んできました。この漫画は「風雲児たち」の作者のみなもと太郎がその祖父について書いた漫画で、その本によると祖父は甘粕正彦と憲兵時代に交友があり、甘粕が満州に連れてきた溥儀を最初に匿ったのもこの祖父だったなどということが書かれていました。それ以外にも面白い話がたくさん書かれていたので興味ある人は手に取ることを勧めます。

 これ読んで思ったこととして、「うちは児玉誉士夫くらいやな」という感想でした。これは何かというと、自分の祖父が直接会ったというか見たことのある歴史人物だからです。児玉誉士夫の来歴についてはここで細かく語りませんが、戦前に朝日新聞の駐在社員として祖父は今自分が住んでいる上海に来ており、ここで毎日中国人と麻雀売ったり、牛肉食べたりと楽しく過ごしていたそうです。
 そんな楽しい上海ライフを送っていた祖父が朝日新聞上海支局内で、「よく児玉誉士夫が来ていた」と話していたそうです。この時期、児玉は大陸浪人として自らの組織(児玉機関)と人脈を活用し、軍の請負を受けて中国国内での物資や人員の調達を請け負っていたとされるのですが、そんな人物が朝日新聞内をうろついていた当たり、当時の新聞社と軍の癒着ぶりが垣間見えます。

 残念ながら祖父は自分とあまり話をする間もなく亡くなっており、もしまだ存命なら現在の上海と比較を含め色々聞きたかったものの、父を通して聴いた話はこれくらいしかありません。でもってその父に関しては、何でもなんかの仕事で伊藤忠の役員をしていた瀬島龍三と話す機会があったそうです。その際に父は、

「終戦時とのソ連との密約の話は本当なのか?」

 という質問が喉まででかかったそうですが、さすがにこれ言うとマジギレさせるという懸念から飲み込み、当たり障りのない会話で終えたそうです。瀬島の死後も父は度々、「あの時聞かなかったことをいまだに惜しんでいる」とよく自分に言ってきますが、身内贔屓かもしれないけどこれは聞かなくて正解でしょう。記者や学者ならまだしも取引先としての立場なら、さすがに分を過ぎている。

 これ以外で自分の父と祖父があった歴史上の人物は特になく、私に至っては一人もいません。将来歴史に残りそうな人もおらず、歴史好きなのになんかそういう機会に恵まれません。私自身、子供の頃は歴史の教科書に載るような業績を作ってやろうと息巻いた時代もありましたが、最近は分をわかってか、あとむやみやたらに責任を負いたくない気持ちが強くなりそういった青雲の志も失いつつあります。どっかでこのブログが再評価されたりすればいいけど、まずそれはないだろうな。

2026年5月1日金曜日

苦しみから逃れようとするのが人の本質

 二ヶ月くらい前に何かの記事で読んだのですが、あるお坊さんが「人間はお腹がすくと食べ物を求め、お腹がいっぱいになって苦しくなると食べなくなる。このように人の行動は苦しみから逃れようとすることがすべての基本となっている」という法話が書かれてあり、なるほどなぁと深く納得しました。

 これまであまり仏教の苦に対する概念に気を払ってこなかったのですが、「四苦八苦」をはじめ、仏教にはこの手の苦に対する解釈が確かに多く、私はこの苦をどう克服するかという風に仏教は考えていると思っていました。
 ただ上の法話を読んだ後、そもそも釈迦が正式に布教を始める前のジャイナ教では苦行に耐えることを重要な修行としていたものの、釈迦は「苦行を積んだからと言って悟りを開けるわけじゃない」とこれを否定したと言います。このエピソードも改めて考えると、苦に対し「耐える」のではなく「避ける」という方針に根差しているかのように思え、ちょっと仏教の見方が変わってきました。

 さしたるオチもないですが、「将来の苦しみを避けるために今努力する」などという論法ならこの苦から逃れようとするのが人のあらゆる行動の本質という風に解釈できる気がします。逆を言えば、今努力しても将来の苦しみから逃れられない場合はどうなのか、この辺をなんか仏教に詳しい人いたら今度聞いてみようかと思います。

サンバー作った(´・ω・)


 例によってまたアオシマの楽プラでサンバーを作ってました。これ作る決め手はやはり、このインプレッサをほうふつとさせるWRカラーがバージョンに入っていたからです。


 自分も全く把握していなかったのですが、サンバーの最終バージョンが出された際にこの色がオプションに入っていたそうで、実車でもマジで存在するカラーバージョンだったそうです。実際に中古車で検索してみたらマジで流通していて、こんなんも農道のポルシェじゃなくて田舎のWRXじゃん。


 なんかガレージのペーパークラフトもついていて、最初はその気はなかったけどなんか創作意欲が続いたのでそのまま作ってしまいました。

 
 あと軽トラという形状から、色々物載せて写真撮りやすかったです。


 このようにドイツ戦車兵ともマッチします。


 こっちはソ連戦車兵。


 これだけ見ると農家のおっさんにしかマジ見えない。なおこのサンバーは実寸の1/32、戦車は1/35なので寸法的にも割と近いというか体格の誤差として十分無視できます。

2026年4月30日木曜日

熊と戦ったプロレスラー

「いいお嫁さん」論が波紋...周庭さんが訴え「怖いですね」 「多様性」の意味「改めて考えて」(JCASTニュース)

 本題と関係ないですが上の記事見て確かに悪意はないんだろうけど時代の変化によって不快に感じる人もいる言葉だろうなと感じました。でもってじゃあどんな風に言ったら失礼にならないんだろうと考えて何故か、「いい半魚人になれますね」というフレーズが真っ先に浮かんできました。多分「パラノマサイト」を今遊んでいるせいでしょう。でも海女さん相手なら誉め言葉になるような気がする。


 それで本題ですが最近組長こと藤原喜明氏のコラムがよく見かけるようになりました。藤原氏はゲームの「龍が如く」にも初期から出演するなど露出の多い人で自分も昔から好きな人ですが、これらコラムを見るにつけ非常にユーモアがありプロレス関係なしに面白い人なんだろうなと密かに感じています。

 そんな藤原氏のエピソードの中でも特に出色のあるものとして、上のコラムにも書かれてある熊との対決でしょう。詳細は記事本文を読んでもらいたいのですが、昔テリー伊藤氏の企画でテレビ番組で熊と戦う羽目になったそうです。テリー伊藤氏には相手の熊は飼われていて人に慣れている安全な熊だと聞いていたそうですが、実際に現場に行ったら飼い主が血だらけで熊を連れてきており、話が違うじゃねーかと思ったそうです。
 そしていざ実際に対決するとやはり猛獣との力の差は歴然であり、数発タックルを食らって負傷し、続行不可能ということで終了しました。ただ藤原氏によると日本で再戦する予定だったそうですが、


 その舞台は、なんと千葉マリンスタジアム(現・ZOZOマリンスタジアム)。特番で話が進んでいたが、結局は企画自体がお蔵入りとなった。

 「日本でもう一度やるって決まったあと、準備を進めている途中で動物愛護団体からクレームが来てな。それで中止になったんだ。

 『クマをいじめちゃいけません』っていう抗議だったんだけど、馬鹿野郎、俺のほうが殺されかけてるんだよ!って(笑)。

 クマの心配だけして、人間の心配はしないんだからな。俺もなんとか死なずにすんだけど、クマとの闘いは、どんなプロレスラーとのケンカマッチより怖い。これだけは間違いないよ!(笑)」


 とのことで、昔も今もちょっとずれたこと言う愛護団体がいたということが示唆されています。っていうか藤原氏はマジキレていいと思う。
 なんてことを今日記事に書こうと思っていたら……



 なんと当時の映像がアップロードされていました。何気にこの対決、当時子供でしたが私も見ていて、藤原氏が「うおー!」っていうのをはっきり覚えていました。それだけに上のコラムも「あの時戦っていたプロレスラーは組長だったのか」という感慨を覚えていたのですが、改めてこの映像を見ると企画自体相当おかしいというかやばいとしか思えず、数百年後に「昔の人は人間とクマが戦うのを見せものにする気が狂ったことをやっていたんだよ」と語り継がれそうな映像に思えてきました。つうかマジでローマの剣闘士とか笑えない。

2026年4月28日火曜日

国旗損壊罪については岩屋氏の意見に完全賛成


 いま議論されている国旗損壊罪についてですが、結論から述べると上の記事で語られている岩谷氏の意見に自分も賛成で、日本国旗の損壊については一切の刑罰を設けず、外国の国旗損壊には設けるのが一番いいと考えています。余計な前置き抜きでその理由をつらつらと書いていくと以下の通りとなります。

 まず国旗というのはそもそも国籍の所属を示すマークの描かれた布に過ぎないというのが自分の根本的意見です。これが破かれようが燃やされようが誰かを物理的に傷つけるわけではなく、むしろこのような行為で国の埃や誉れが汚されたと考える方が逆におかしい気がします。言い方変えるとそう考える人はただの布に国体やらなんやら余計なものを勝手に重ねているように見え、ちょっと無駄に意識を高め過ぎているのではないかというのが私見です。
 さらに述べるとたかが旗如きにむやみやたらと感情を上乗せして過剰に反応するからこそ、実際に国旗損壊行為を行う人間たちの思う壺となっているのが現実でしょう。損壊行為を行う人たちはそうした行為にいちいち反応したり嫌がったりする人がいるからこそやるわけで、皮肉な言い方をすると国旗損壊行為に刑罰をつけようとする人がいればいるほど、そうした行為を助長させている節すらあります。

 逆にというか国旗が燃やされたりしても「だからなんやねん(´・ω・)」というような白けた態度をみんなで取っていれば、やってる方も馬鹿らしくなって段々損壊行為を続けなくなっていくと思います。大体こういうことする連中は怒ったり嫌がる反応する人間をわざと煽るためにやるわけで、刑罰なんてつけたりしたら逆に「俺は日本が禁止している行為を敢えてやるぜぇσ(゚∀゚ )オレ」みたいに余計にそういう連中を増やしてしまう気すらします。

 その上で外国の国旗に関しては、何らかの意図をもって日本国内で損壊行為が行われているのに日本人が誰も止めなければ、当事国の人の中には「なんやねん日本人は(# ゚Д゚)」と思う人も出てくると思います。そもそも他国の紛争とかを日本に持ち込ませるべきではないし、そういうことは第三国ではなく自国でやれという意味合いも込め、岩谷氏の言う通りこちらには罰則を設けてもいいと思います。
 中には前述の日本国旗との対応の違いに矛盾があるという人もいますが、日本国旗の場合には日本人は当事者となるのに対し、外国国旗の損壊ならば第三者という立場になります。その第三者の立場で外交や融和を推進するということを考慮するなら、やはりこっちには罰則を設けるべきでしょう。

 さらに話を進めるなら私は日本国旗の損壊を禁止する法律なんて作ったら、逆に日本の国家体制を弱めてしまうとすら考えています。これは何故かというと恐らく中国にいるからだと思いますが、自国に対する批判を制限する国というのは制限しない国に比べ国家体制が弱いことを逆に示すことになると考えているからです。

 先日、米国在住の中国人の方が「中国にも言論の自由はあるよ、但し一回だけどね」というブラックジョークを言っていましたが、あながち間違いではありません。中国は自国政府に対する批判は基本認めず、汚職が発表された者以外の政権幹部への批判はマジで収監するくらい平気でやってのけますし、国の制度や体制への批判にも敏感です。
 これは逆を言えば、こうした言論統制を取らなければ国家体制が維持できないことの顕れでもあります。逆に日本は政治家だろうと国家体制だろうと、果てには天皇制についても批判したところで罰されることはないし、そうした批判が表に出ても国家体制が揺らぐことはまずありません。こうした批判に対する日本と中国の態度を比べてみて、どっちの国家体制の方が盤石であるかと問われるなら答えは一目瞭然でしょう。

 今回話題の国旗損壊は民族ヘイトの手段として用いることが大半だと思いますが、国や政府に対する批判として行われることも考えられます。そうした政府批判とかの手段をいちいち刑罰つけて制限しようというのなら、そうした制限がない国と比べると国家体制が弱いのではと思えてしまうし、こうした法律を追加する時点で揺らいでいるのではと逆に思えてきます。むしろ国旗を燃やそうが破こうが「やりたいなら勝手にやれば、無駄なことが好きなんだねぇ(´・ω・)」という風に大衆が鷹揚に構えていられる国の方が、敵としてみたら国家体制が固くて手ごわいと相手国も覚えるように見えます。

 さらに言えば、戦前の軍部政権のように常に政府が正しい方針であり続けるとは限りません。そうした状況に至らぬためにも政権批判の手段を制限してはならないし、一定の批判手段の余地を残す方が国としてはより安定すると私は考えます。もちろん無関係の人を傷つけたり殺害するテロ行為のような批判手段は絶対に認めてはなりませんが、旗を燃やす程度なら失火に気を付ける規定さえ付けておけば認めておいてもいいんじゃないかと思います。まぁ下品だし全く生産的じゃないからやらない方がいいと思うけど。

 以上のような自分の考え方は岩谷氏に非常に近いと思え、実際上のインタビューを見て我が意を得たような感覚を持ちました。そのため日本国旗の損壊には刑罰なし、外国国旗の損壊には刑罰ありにすべきというのが私のこの議論における結論です。途中でも述べていますが、刑罰なんてつけると余計にやる連中を増やしてかえって逆効果にしかならないだろうし。

2026年4月27日月曜日

Meizuのスマホ市場撤退報道に触れて


 本題と関係ないですが上のイラン人が質問に答える動画で、

「日本での暮らしは辛くないですか?」
「この時期は花粉症が辛いんやで」

「イランの人たちは今何をしているんですか?」
「解体屋たちは自分たちが解体を請け負った建物を政府幹部の家だと嘘ついて米軍にリークし、米軍にミサイル撃たせて破壊させとるで」

 というやり取りが妙に面白かったです。


 本題に入りますが上の記事を見て、色々思うところがありました。というのもこの記事で特集されている中国スマートフォンブランドのMeizu(魅族)なのですが、自分も4年くらい使っていました。

 このMeizuは中国代表的な山塞メーカー、つまりiPhoneを模倣したスマートフォンを生産するメーカーから始まり、比較的お手頃な値段でそこそこの品質を保っていたことから中国市場で一定のシェアを獲得していました。確か2015年とか2016年くらいならアップル、サムスン、ファーウェイ、小米に続く形でシェアで4位とか5位とかに入っていた気がします。自分が使用していたのもまさにこの頃でした。
 使い心地は悪くなく、この記事でも触れられていますがOSが今使っているvivoよりも確実にわかりやすく、痒い所に手が届く使用でした。またメーカーが運営するサイトでは着信メロディとかでそこそこいいコンテンツが配信されており、多分ライセンス払ってないだろうけど何故か「恋愛サーキュレーション」とかも入手できました。まぁさすがに着メロにしなかったけど。

 そんなMeizuですが何故購入を続けなかったのかというと、単純にもうこれ以上買うことができなかったからです。確か2020年くらいだったと思いますが、上海市内の中心部から一切の販売店舗がなくなり、実質的にネットでしか購入できなくなりました。
 2018年くらいに機種交換した際はまだ専門店舗もあったのでそこで買い替えましたが、その際に店員に「景気はどうだい?」と尋ねたら「悪くない、と言わなきゃいけない」と正直な答え方してきたのをよく覚えてます。

 というのも2016年くらいから今も中国シェアで4位か5位くらいに常連のvivoやOPPOが猛烈なマーケティングを展開し、Meizuのシェアをどんどん奪い始めていたからです。よく覚えていますが、この両者はほんと街中のいたるところで販促活動を常に展開していて、それほどこの業界に興味なかった自分も一瞬でブランド名覚えるくらい激しくやっていました。
 またこの頃より中国の消費者でもコスパより品質、高級感を重視するトレンドが始まり、多くのスマホメーカーがそうしたやや値段高いモデルを用意していったのに対し、Meizuのみ安価なコスパモデルがラインナップの中心のままであり、明確に安っぽく見える存在となっていました。ここらへん、大体2018年ごろに勝負あった感があります。

 私自身も上海市内に店舗がマジでなくなりいざという時のサポートが受けられないという懸念からvivoに鞍替えし、現在も機種交換しつつ使い続けています。もしMeizuがまだ店舗を残していたら、レアなマイノリティブランド好きもあるため多分使い続けていた気がします。

 そんなMeizuについて上の記事では自動車ブランドの吉利傘下に入ったもののその後も経営は改善せず、スマホ事業から完全撤退が噂されていることを報じています。一時は愛着を持ったブランドだけに寂しい限りですが今後は車載OS事業に集中するとも書かれてあり、Yahooの記事ではそちらではそこそこ評価されているというコメントも見られるので、そっちの事業で今後も活躍し続けてほしいと密かに祈る次第です。
 Meizuを初めて使う前はサムスンの安いスマホを使ってましたが、決して悪くなかったものの、Meizuに切り替えたら電池がえらい長持ちだしOSも使い勝手よいことにビビり、中華スマホの威力を初めて体感した機種でした。その点に気づかせてくれた点でも深く感謝しており、値段も確か700元(当時で10500円くらい)と超安く、本当にいい思い出しかないブランドでした。