ただ仮にこのネタで三国志をやるとしたら、恐らく真っ先に描いていたのは馬超になるかと思います。
・馬超(アニヲタWiki)
馬超というと父や兄弟などの家族をみんな殺されたことから近隣の豪族らとともに反乱を起こして、曹操を大いに苦しめるも敗北し、落ち延びた先で劉備の軍門に下った悲劇の猛将として知られていると思います。ゲームの三国無双では何かと正義、正義と叫ぶので、いかにもバカっぽいキャラになっていますが実際知力はどのゲームでも低く設定されています。
上記のようなバックグラウンド、そしてあの張飛とも互角に渡り合う強さから非常に人気のある武将なのですが、以上の話は創作の演義での話であり、実際の馬超の姿は実はこれとはかけ離れています。
上のアニヲタWikiのページなんかその実態をかなり細かく書いているのですがここでも簡単に説明すると、まず馬超が反乱を起こしたのは都(洛陽)で父や兄弟が殺された後ではなく、実はその前だったりします。家族が都に居るというのになぜか地方で突然馬超が反乱を起こしたため、都にいた父や兄弟はそのまま都で殺されることとなり、家族が死ぬ原因を作ったのはほかでもなく馬超本人だったりします。
その後は演義同様に曹操と一戦を交えるも敗北して落ち延びますが、行き着く先で自分をかばってくれたり支援してくれた人たちをしょっちゅう裏切っては殺し、挙句には占領した都市で虐殺を行って恨みを買ったりと、なんかやることが滅茶苦茶野蛮だったりします。最終的に匿ってくれた漢中の張魯も、「むむむ」と言うような説得なんか受けず、「あっちの方がなんかよさそう」という口実で劉備の勢力へ入るため裏切っています。
なおこの時、漢中には馬超の家族やその股肱の臣であるホウ徳らが残されていたのですが、こうした親類縁者のことを丸まんま無視して劉備の元へ走っています。こうしたムーブを繰り返しているから上のページでも「呂布にも劣らぬ不義理ぶり」という風に書かれていますが、実際その通りだったりします。しかも劉備軍に入ってからはさして活躍もしておらず、そのままフェードアウトしてしまいます。
私の見解ですが、史実の馬超は上記の通り不義理極まる悪漢そのものです。そんな彼が何故現代では人気あるのかというと、最後に劉備側に着いたことから劉備人気の影響を受ける形で脚色され、演義で復讐に燃える貴公子として描かれるようになったからだと思います。もし仮に劉備の元に走らなかったらきっと呂布や袁術みたいな恩知らずの暴れん坊みたいな感じで描かれていたと思え、そういう意味では最後の彼の決断は間違いじゃなかったのかもしれません。
以上のような馬超の本当の姿は大体20年くらい前辺りから徐々に知られ、10年前くらいからは一般にも大分浸透するようになってきた気がします。現在においては結構知られるようになり、少なくとも以前のように悲劇の貴公子として同情されることはかなり減ってきており、その評価の逆転ぶりでは三国一の武将と言えるのではないかと思います。
なおもう一人評価が逆転というか乱高下が激しい人物を挙げると、徐栄が当てはまるのだと思います。徐栄は知名度こそ低いもののの董卓軍の武将で、反董卓連合が攻め寄せたときには曹操と孫堅を完膚なきまで撃破しており、呂布と並ぶ董卓軍随一の猛将だったりします。
ですが演義とかだと彼の活躍は呂布や華雄に取られ、また董卓死後にあっさり戦死していることから地味な扱いとなっていました。それでも曹操を撃破していることからコーエーの初代三国志ではかなり高い能力値に設定されていたものの、シリーズを経るごとに何故かどんどんとナーフされて凡将扱いされてくようになり、「董卓と使えない武将たち」として扱われるようになっていきました。
それが近年はやたら再評価が進み、コーエー製を含む三国志関連のゲームでは再び高い能力値に設定されていき、史実通り董卓軍を代表する猛将という扱いへと戻されてきています。その評価の乱高下ぶりは最近の原油価格相場のようです。
なお私が昔三国志のゲームで遊んでいた際、ドラクエの王様キャラがよく死に際に「ぎょえーー」ということから、徐栄が死ぬ時は「じょえーー」っていうのだろうかと思いながらよく徐栄を処刑してました。同じような理由で、王平を使ったり出くわしたりした時は「横柄な奴め(ΦωΦ)ククク…」というセリフをほぼ毎回口にしてました。