2026年7月25日土曜日

風水に対する疑念

 先日から書いていますが今中国から派遣されて日本で仕事していますが、この日本の仕事がともかくつまらなくてガチで転職を検討するようになりました。せっかくだからやってみたい仕事をこの際チャレンジしてみようかと思い、松戸戦士から松戸風水師へのジョブチェンジを図るべく、この前風水の通信講座を受けてみました。
 風水は自分よりも中学時代にクーロンズゲートにはまってた松戸フレンズの方が興味持っていたのですが、その彼から話を聞く傍らで自分も興味を持つようになり、大分前に中国の風水師事情についてわざわざ記事化しています。その後も興味を持ち続け、自分なら中国語もわかるしガチ中華な風水師として日本で風水師になってみるのも悪くないかもと思ったわけです。

 そんなわけで受けてみた風水師の通信講座(初級)でしたが、結論から言うと若干疑念を持つようになりました。講座自体はそこそこ楽しく学べはしたのですが、日本の風水でかなり重きをなす方位の概念に関して強い疑問を持ちました。
 風水は宋代に現代の骨格が出来上がったのですが、何故この時期にスタンダードが定まったのかというと羅針盤ことコンパスが発明されたからです。風水はこの羅針盤、もとい羅盤で方位を測定して吉凶を占うことが多いというかメインの業務とするのですが、中には枕を向ける方向なんかも生年ごとに振り分けています。

 はっきり言って、どっちの枕を向けるかどうかで吉凶が変わるという主張は受け入れられませんでした。中には家のつくり的に枕の向きが変えづらい人もいるであろうし、そもそも旅行先のビジネスホテルなんかだと変えようがありません。しかしそれで何か変わると言ったらまず変わることがないと思え、こんな生活の細かいところまでいちいち方角気にしてたらやってらんないだろうし、気にする方がかえって損であるように思えました。
 またそれ以外にも、いわゆる鬼門(北東)、裏鬼門(南西)などの方向に関しても中国では日本ほどには気にしません。中国の方の風水はまだ本格的に学んでいないのでわかりかねますが、日本の風水は果たしてそこまで気にしなければいけないほど方位を気にしなければいけないのかという点で、深い疑念を持つようになったわけです。


 そうした自分の疑問に関して、一番参考になったというか得心を得たのが上の動画の解説でした。見てもらえば早いですが私の方から解説すると、鬼門、裏鬼門というのは通常の風の通り道ではないため湿気がたまりやすく細菌が繁殖しやすかったため、日本で風水の理論が固まってきた江戸時代においては台所やトイレなどの水物の配置を避けるというのは理に適っていたそうです。
 しかし現代の住宅においては換気扇などの設備もあれば通風対策もなされており、こうした鬼門に避けるべき配置はもはや気にする必要はなく、そのほかの張りや欠けといった家の出っ張り部分も、現代住宅においては構造的にも問題にはなりません。

 要するに、江戸時代の住宅における管理維持面で日本の風水の学論、特に方位に関する対策はプラスであったものの、現代においては無視できるものとなっているということです。またそもそも論でいうと、方位磁針が指す磁北は現在地から北極点に結ぶ方角(真北)からは自転の影響で少しずれており、また磁北は毎年少しずつ移動するという特徴があります。そのような不均一な磁北を基準とした方位に普遍的価値はあるのかという点でも動画では疑問が呈されており、私も全く同感でした。

 さらに言えば現代日本において風水は私が見ている限り、どちらかといえば「この家は風水的に良くない」などと、ネガティブな方向に使用されることの方が多い気がします。風水的にプラスだなんていう人を見たことはあまりなく、むしろ他人の家や建物にケチをつける道具として使われるのを見る方が圧倒的に多いです。
 いわば概念が独り歩きして人を不幸にする道具として使われているようにもみえ、果たして風水を学び、運用することは単純にプラスなのかという点で疑問を持ちました。もちろんそんなに学んでいない立場で物言うのもよくないし、また本場中国の方では日本の風水とはかなり異なる学論となっているそうなので一緒ではないかもしれませんが、少なくとも前より風水に対する信頼は少し学んだことで逆に落ちています。

 そういうわけでFF5でもふうすいしはあんま強くなかったし、自分はやっぱりこのまま松戸戦士として戦い続けるべきかと再考しつつあります。ほかにジョブチェンジできそうな職業となると松戸竜騎士かなぁ、なったら毎週ジャンプを買わなきゃいけないのだろうか。

2026年7月24日金曜日

岡本公三の死

「狂信者」「人生台無しに」 イスラエル、空港乱射の犠牲者家族―岡本容疑者死亡(時事通信)

 既に数年前から意識混濁状態にあると聞いていたのでさしたる驚きではなかったですが、ようやく死んだのかというのが真っ先に覚えた感想です。彼の経歴についてはわざわざ説明しなくてもネットで見た方が早いので省略しますが、かつて日本はテロリスト輸出国であったことを示す承認みたいな人間で、半世紀くらい前の事件ですが今の若い世代もテルアビブ銃乱射事件については知っておいてもらいたいです。
 まぁ自分の年代からしても知っている人少ないんだけど。

 その岡本公三が参加していた日本赤軍は重信房子によって既に解散が発表されています。ただ日本赤軍に加入していたメンバーでダッカハイジャック事件により超法規的に国外逃亡が認められた人物は何人かまだ生存しているとされ、個人的に気になるのはやはりあさま山荘に立てこもった坂東国男です。死亡報道がないということは恐らくまだ生きていると思われますが、もし可能なら出てきてあさま山荘事件、山岳ベース事件の内幕についてその視点から語ってほしいというのが本音だったりします。

 このほか取り立てて書くようなことは残ってないのですが紙幅が余っているのでもう少し付け足すと、テロリストの概念も911からイラク戦争の間くらいの頃と比べると、現代においてはなんかイメージが変わってきた気がします。当時はイスラムテロリスト全盛期でしたが、現代においてはイスラエルによるパレスチナ侵攻、ロシアによるウクライナ侵攻、果てには米国によるイラク攻撃など国家軍隊による戦争が相次いで勃発し、テロリストによるテロ活動が目立たないというか911の時のような脅威とはあまりみなされなくなってきている気がします。

 もしかしたら実際にはいろんなテロ活動が計画されてはいたものの未然に鎮圧されているだけかもしれませんが、ガチな戦争が起きている中でテロリストたちもそういう活動をしている場合じゃないような気がします。そういう意味ではテロ活動というのは案外平和な時代にだからこそ起きて、注目されるようなものなのかもしれません。
 日本も赤軍派、そしてオウム真理教などの団体によるテロ活動が活発だったころと比べると最近はめっきりそういう事件も起きなくなっています。まぁこれは日本が物騒になってきたというよりは、世直しという概念そのものが変わってきたためじゃないかと思いますが。ああなんかラッキーマンに出てきた世直しマン思い出した。

2026年7月23日木曜日

最近、文豪は自殺しなくなった

 最近あまり自殺関連記事を書いてないけど、学生時代は社会学の一分野として結構自殺を調べていたこともあり、このブログの開設当初も自殺関連記事をよく書いていました。そんな密かな自殺マニアな自分にとって最近のホットトピックは、自殺する文豪がめっきりいなくなったという衝撃的事実です。

 かつて自殺は文豪のお家芸とばかりに、自殺が連想するワードには文豪もしっかり入っていたと思います。この文豪と自殺の組み合わせを強く印象付けたのはやはり芥川龍之介だと思いますが、浅薄な知識で語ると文豪の自殺は明治時代にまでさかのぼる気がします。
 というのも明治の頃に平塚雷鳥をはじめ文壇関係者の心中騒動が幾度か世間の関心を引き、この頃に心中という行為をやや持ち上げるような風潮があったように見えます。その後、芥川の前に有島武郎が心中で自殺していますが、何となくこれが芥川にも影響したように見えるほど当時は大騒ぎとなり、文豪の自殺がやたら箔をつけるようになっていったのではないかと疑っています。やや極端なことを言うと、文豪の自殺は当時としてはやたら持ち上げられる行為となりつつあったとみています。

 なお太宰治に関しては、周辺関係者の証言などを聞くに自殺ではなく心中未遂で終えるつもりが本当に死んでしまった事故死だと私は考えており、今回の文豪の自殺の範囲には入れません。同様に三島由紀夫の割腹自殺も国体思想が強く影響していてほかの文豪の自殺とは一線を画すと考えて、今回は別枠としています。

 話を戻すとそうした文豪の自殺も超大物級だと川端康成あたりが最後で、平成以降で純文学作家の自殺なんてほぼ全くなかったのではないかと思います。こうなったのは先に書いたように昭和期にかけて一種ステイタスと化していた文豪の自殺行為がそれほどステイタスとみられなくなったこと、そして文豪と呼ばれるほど作家が社会的権威を持ちづらくなったことが大きく影響している気がします。端的に言えば、以前と比べ純文学作家があまり世間に注目されなかったといったところでしょう。

 その上で更にもう一つ付け加えると、昭和期まで文豪は作家であるとともに思想家的な側面も強く帯びていたように思えます。人はどう生きるかや世界をどう捉えるか、こうした普遍的価値観を自ら持って社会に訴え、広げていくような役割も一部帯びており、その役割の性格上からも一人でどんどんと考え込むことになりやすかったという点も、かつて自殺が相次いだ原因じゃないかと思います。
 言い換えると、現代の純文学作家においては思想家的な側面はもはやほぼない気がします。何かしらの哲学なりを訴えることもないし、かつてはこの手の人の価値観の柱だった反戦、反抗も今では白眼視されるような始末ですし。まぁそもそも、現代において思想家的な人自体がいなくなっているのですが。

 無論、人が自殺しないに越したことはないのですが、現代の目から見ると逆になんで明治から昭和にかけてあれだけ文豪が悉く自殺したのか理解し辛くなっているような気がします。売れない小説家が生活苦から自殺する方がかえって理解しやすいくらいです。
 もちろん各文豪それぞれに自殺理由があったでしょうが、当時と今とで自殺した人数にこれほど差があることは前述の通り、社会における文豪の位置づけが影響していたという風にしか思えず、実際私も高校くらいまで自殺は文豪の専売特許的な見方を持ってました。しかしそうした価値観なり見方が薄れるとこうも自殺する人は減るものだということから、失恋すると自殺する、生活苦になると自殺するというイメージも薄れたらもっと日本で自殺が減るかもしれません。

2026年7月22日水曜日

何をもって生き辛いと感じるのか

 恐らく日本人相手なら、「今生き辛くありませんか?」と聞いたら八割方「イエス!」と答える気がします。ただこの生き辛いという単語、苦しいとかそういうのとは若干違うと思うしそもそも何をもって生き辛いと感じるのか、ちょっとこの辺がこの前気になりました。
 パッと浮かんだのは金銭的な生活の苦しさのことを生き辛いというのかということでしたが、何となくこれは違うような気がします。というのも比較的裕福な人も生き辛いというし、逆に金持ってなくても生き辛さをあまり覚えていないような人がいます。次にストレスが多い状態のことを言うのかとも考えましたが、これもちょっと違うと思ったというか鬱状態などのような言葉を言うような気がします。

 では人間は何をもって生き辛さを覚えるのか。個人的な解釈ですが選択の幅がなく生活とかのためにあまり望まない行動を取らざるを得ない状況において生き辛さを感じるのではないかという気がします。望まない仕事、望まない人間関係、望まない出費、こんな感じで主観に反した行為を迫られ続ける状態が生き辛いと感じるというか、行動が自発的でなく多発的な状態にあるときに生き辛い気がします。
 こう思うのも私が好き放題に生きてきて、逆に望まない状態に置かれることに物凄い抵抗感を感じるからだと思いますが、何となくほかの人にも上記の定義が当てはまるような気がします。人間が生きる活力を覚えるのはやはり自発性に端を発するように思え、その自発性を奪われた状態だと「生き辛い」とみんな言うようになるように見えます。

 その上で話を発展させれば、今の社会で個人が自発性を発揮できる余地は十分なのかという問いが出てきます。もう現代の中学生は学んでいるかわかりませんが、中国では70年代よりノルマ分の農作物を収めたら余った分は自由市場で好きに販売していいという生産責任制が導入され、それ以降は各自が自発性を持てるようになって積極的に生産活動に勤しみ、生産高が急拡大していきその後の改革開放へと続いていきます。
 この中国の生産責任制を引用するまでもなく、無理やりやらされる作業と、自発的に行う作業ではその効率は圧倒的に後者が勝ります。単純に嫌いな仕事よりも好きな仕事の方が熱入るというのは当たり前ですが、このように好きな仕事、自発性が持てる仕事を現代日本人は選べるのかということです。

 中には好きな仕事の種類なんてなく単純に賃金だけで仕事を選ぶ人もいるでしょうが、私のように記者志望でありながら新卒で記者になれなかった人もいるでしょう。また最初は好きだったけど段々と飽きてくるというパターンもあります。
 何が言いたいかというと、各人がその受け持つ仕事に自発性を持つことができたら効率は上がっていくはずです。出来高制にすれば上がるというわけでもないですが、報酬制度によってはこうした自発性は上がる可能性はあると思います。

 ここで話を戻すと、恐らく大半の日本人は現在生き辛さを覚えているのではないかと思います。そしてその生き辛さは自発性が足りない状態じゃないかと思うわけで、果たしてこのような状況で効率上がるのかといったら上がらないでしょう。たかが生き辛さですが、社会全体経済全体に地味に影響する要素じゃないかと思え、もっとみんなで生き辛さをなくす方策とか制度を議論して、生きやすい世の中を目指すことって大事なんじゃないかというのが言いたいことです。

2026年7月20日月曜日

トランプは次何するか?

 昨晩は寝つきが悪かったので布団の上で折角だからと「もし、自分がトランプだったら……(もしトラ)」というテーマで物思いに耽っていました。

 まず目下のイラン戦争については既に先日交わされた覚書は双方ともに無視する状態で効力を失っており、戦争終結への道のりはまた一からという状態です。この現状からトランプ大統領が納得する勝利という形に至ることはまずありえず、このままなし崩し的に応酬が続くだけでなく、場合によっては地上軍の投入もあり得るのではないかという気がしてきました。
 あまりメディアは書かないですがトランプ氏の場合、国益よりも自己利益を必ず優先します。これはつまり、米国が多大な損害を負うとしても彼自身は気にせず、自分のプライドを守るためなら米国にいくらでも負担を負わせる決断をすぐに採り得るということです。ある意味、プーチンや習近平と似たもの同士です。

 その上で当初はイラン戦争の抑止力として期待されていた11月の中間選挙ですが、上記のような状況ではかなり不利な戦いを強いられます。時間的にももう猶予はなく、勝利という決着も得られず、原油高はこのまま続きそうなことから共和党は敗北する……といいたいところですが、もし自分がトランプだったらここで露骨な選挙干渉をやるのではないかという気がしてきました。
 具体的には民主党候補を微罪で逮捕したり、選挙活動を妨害したり、デマを流したりなどと、ありとあらゆる方法で選挙干渉やって共和党勝利にもっていくという形です。もちろん、違法かどうかはあまり気にしません。っていうかこれしないともう勝てないくらいの状況に追い込まれているので、やるっきゃないような状況です。

 これらは全て前述の通り国益よりも自己利益という彼の根本的思想がなすものだと思え、やはりこういう人間は上に立たせてはならないんだなぁとみていてつくづく思います。また日本の高市総理は、彼女が考える国益の定義は自分とは少し異なるものの、少なくとも自己利益を優先するような人ではないことは確かで、この時代にあってはまだマシな首脳だなという気がしてきます。

2026年7月18日土曜日

ヒカルの碁の原画展


 今日は朝早くから池袋に行って、現在開催中のヒカルの碁の原画展に行ってきました。
 このヒカルの碁の原画展は昨年に全国各地で開かれておりその存在を知ってはいたのですが、開催期間中に日本に滞在しておらず行くことはありませんでした。そしたら今回自分が滞在しているこのタイミングでリバイバル開催といってまた池袋で開いていることを知り、それをヒカルの碁が大好きな友人の中国人に話したら「グッズのお使いお願いね(´・ω・)」と言ってきたので、こうして足を運ぶこととなりました。

 なお新松戸出身の友人にも「一緒に行こうぜ!(・∀・)」と誘っていたのですが、「俺はいい」と断られてしまったので、一人で行く羽目となりました(´;ω;`)ウッ…


 各原画はフラッシュなしなら撮影可ということでバンバン撮影してきたのですが、見ての通り写植を貼った後がそのまま残っているのが見ていてかなり新鮮でした。今だと漫画原稿はほとんどデジタル化されているので、こうした写植を貼る作業ももうほとんど行われていないのかもと思うとまた珍しく思えてきます。


 登場シーンは少ないのに一部で熱烈なファンの多かった三谷の姉ちゃんのシーンがあったので気づいたら撮影していました。今こうしてみても人気出そうなデザインと性格しています。


 会場には前の写真のシーンで出てくるインターネット碁で使われた端末の現物モデルが展示されていました。


 掲載版ではわからない絵の特殊効果の処理とかも原画だとこうして見られました。っていうかこの漫画、本当にキャラクターの描き方がどんどん変わっていくのも改めて見て取れます。


 上のベタのシーンも掲載版だと真っ黒ですが、原画だと上の写真のように濃淡が少し出ています。これも未だとPC上で一括処理だろうから、もう見られないのかも。


 改めて上の写真のコマを見ると、一本一本の線が本当にキレイに描かれていて思わず見入りました。なおこのキャラこと伊角さんは連載中の人気投票で1位も飾っただけあって、自作のデスノートの主役である夜神月と造形がかなり近いと指摘されています。それ知ってからは伊角さんが闇落ちして月になったように思えてきました。


 見開きのカラー画ですが、中央部は色が塗られていません。これは恐らく漫画で綴込みされる個所を考慮した処理なのではないかと思うのですが、こういうのも初めて見たので結構新鮮でした。

多分この作品で一番の名シーン

連載終了以降に描かれたと思われるカラー画もたくさんありました

 最初は30分くらいでさっと見終わるかなと思いましたが、出てきたときには1時間経っていました。元々作画力では現役作家の中でもトップクラスといわれる小畑健氏なだけにやはり見ていてその一つ一つの線に見入ったほか、連載開始から終わりまでの原画がダイジェストで並べられていて当時の思い出も色々浮かんできたことから、意外なほど時間かけてみていました。

 なおグッズ販売コーナーは撮影禁止なため写真は一切ないのですが、よくあるアクリルスタンドとかならともかく、それ以外にもこの原画展のためだけに作られたと思うグッズが大量に用意されていて、どれも値段がかなりえぐかったです。公式サイトにそれらグッズと値段が描かれていますが、友人に頼まれた日めくりカレンダーも2200円と入場料と同じ分だけ取ってきます。
 ちなみに会場で中国語を話す女の子二人組がいたので話しかけたら、やっぱり中国からわざわざ見に来たと言っていました。その二人組に自分は無駄に「俺も、天津の友人にお使い頼まれてきたんだよσ(゚∀゚ )我」とよくわからない自己紹介しました。

会場のある池袋サンシャインシティ

 たまたまでしたがこの日同じ展示会場で漫画雑誌アフタヌーンの展示会も今日からスタートしていました。原画展を出てきた直後が開場直前だったのですがそこそこ行列出来てて、さっきのグッズストアを見ていても思ったのですが、この手の作品ファンというのはかなり根強いし金払いも凄いなという気がします。

サンシャインシティ前

 あと普段自分は東京を出歩かない、っていうか日本にいないので今まで知りませんでしたが、このサンシャインシティ周辺は上の写真のようにちいかわ専門店やアニメイトの大型店などサブ関連ショップがやたら多く立ち並んでいて、この手の中心地なんだなという印象を覚えました。
 また1月に渋谷を歩いていますが、やっぱ渋谷と比べると池袋は歩きやすいというか街が整備されているように思え、駅前にヨドバシ出来てそこそこ客は言っている点からも、池袋の方が将来性も高いのではないかという気がしてきました。っていうか渋谷が再開発でいろいろこけてると聞くし、自分自身もあんま寄り付きたくない街です。

 そんなわけで今日この日はヒカルの碁原画展、新松戸まつり、イオンスタイル新松戸店と三つも一気に回る忙しい日でした。普段在宅ワークで家から一歩も出ない生活してたので、今日家帰った後は疲れて昼寝してました。まぁ上海でも土曜は毎週昼寝してるけど( ˘ω˘)スヤァ

新松戸ダイエーのリニューアルオープン(イオンスタイル新松戸)


 もう十年以上前にダイエー新松戸店について書きましたが、この店舗はその後イオンフードスタイルという名前に変わってしまいました。しかし松戸のDマート同様に頑なに新松戸の方もダイエーと呼び続けていたのですが、つい先日の7/15にリニューアルオープンし、名称は「イオンスタイル新松戸」に再び改称されました。
 今日7/18は新松戸まつりがあってこのすぐ近くまで取材に来ていたので、折角だからとこっちのリニューアルしたダイエーも一緒に見に行ってきました。

 なお新松戸出身の友人にも「一緒に行こうぜ!(・∀・)」と誘っていたのですが、「俺はいい」と断られてしまったので、一人で行く羽目となりました(´;ω;`)ウッ…

南流山駅改札前 

 こちらは自分の家から最寄りの南流山駅なのですが、見ての通りリニューアルを伝える垂れ幕が下がっていました。なおこの写真を撮った後は反対方向の府中本町行きに乗り、別の目的のとある場所へと向かいました。

カラオケうた王

 イオンと関係ないけどすぐ近くのけやき通りにやたら廃墟っぽいうた王あったので激写。類焼する可能性もあるし、さすがに蔦くらいは取れよと思います。

トレファクがすぐ近くに

 こっちもイオンと直接関係ないけど、店内の空気の暗さに定評のあるトレファクがイオンのすぐ向かいにありました。ぶっちゃけトレファクはあまり近くにあってほしくない。

イオンの真向かいの小ビル

 こちらはイオン入口の真正面にある建物で、知る人ぞ知る三菱UFJ銀行新松戸支店があった敷地です。何気に現在も続く自分のメイン口座はそこでよく給料日の後にここまで来てATMで金下ろしてました。最後に行ったのは海外在住のため更新されたクレジットカードを直接この店舗まで取りに来た時で、確か2017年くらいだった気がする。

1階ドラッグストア
 
 ようやく本題のイオンの話になりますが、結論から書くとリニューアルと言っていた割にはあまり変わり映えしないというのが正直な感想でした。相変わらず1階のドラッグストアがやたら広くて通路は狭く、入居しているテナントや内装も以前とあまり違いを感じられませんでした。せっかくリニューアルと銘打つのだからもっと一目で違いを感じるような意匠とかを期待していたのですが、あまりの変化のなさに逆に見ていて不安に感じました。
 しかも奥のエスカレーターなんか恐らく見落としじゃないかと思いますが、壁がやたら汚いまんまだったのが気になりました。建物自体が古いのは仕方ないにしろ、せっかくリニューアルするのだったらもう少し拭けば落ちるような汚れは落としておけばいいのにと思わざるを得ません。ちょっとひどい言い方となりますが、あんまりやる気ないのだろうか。


 3階の書店コーナーも特に変わりはありませんでした。まぁ書店の場合は今どんどん減る中、まだ続いているだけ立派なものです。
 なおここの書店で買った本の中で覚えているものは、「ガンドランダー」の1巻と「あずまんが大王」の1巻です。家の近くにも別の本屋があったのに、たまたまこの二冊はここの本屋で買うことになったのをよく覚えています。


 上の漫画はたまたま置いてあった本ですが、最近「ヤニねこ」のせいでケモミミ獣人キャラを見るとヤニねこを連想してしまい、この「生きづらいぼくら」というタイトル見てもヤニねこたち「ほんと生きづらいにゃー」などとぶつくさ文句言っている情景しか浮かびませんでした。

ノジマが来る

 同じく3階ですが改装中でパーテーション置かれたフロアにこんな標識が貼られていました。割と絶好調のノジマが来るというのでこれは悪くないかもと思えるのですが、今日初めてノジマは自前で店舗をこさえるより、こうしてショッピングモールや大型スーパーにテナント出店する戦略やっていることに気が付きました。誰か早く教えてくれよ。



 上二つの写真も改装中のフロアなのですが、二枚目の写真撮ったあたりはなんか3DダンジョンRPGっぽさを感じ、あの曲がり角を曲がったあたりで敵が待ち受けているのだろうと思い身構えたりしました。割とこの手の3DダンジョンRPG好きだから、こういう迷路みたいなフロアをどっかのモールとかで作ってほしい。

4階ゲームコーナー
 
 ここも子供時代を過ごした近隣の住民には思い出に残っているであろうゲームコーナーです。なんかクレーンゲームなどのプライズゲーが多く、昔のように格闘ゲームはあんま見なくなりました。


 こちらは1階の道路に面したフロアで、見ての通りバーガーキング、ケンタッキー、サイゼリヤという集客力の高いチェーン店で固められています。実際にリニューアル前の先月来た時もこの辺はやたら混んでてちょっとお茶飲んで休憩しようと思ったら満席だったためそのまま飲まず食わずで流山のヨーカドーまでチャリで走る羽目となりました。
 この日は近くで新松戸祭りがあり、リニューアル直後というのもあって見ての通りたくさん人が来ていました。大体10年くらい前はマジでこのダイエーには人がおらず、石を投げても誰にも当たらないくらいだったのですが、こうして人がまた戻ってきたことは個人的にうれしく思います。もうちょい通路広けりゃもっといいんだけど。