2026年5月24日日曜日

新海誠作品と細田守作品における二つのテーマの相性

新海誠と細田守の“作家性”はなぜ差が出た? オリジナルアニメ映画がSNS時代に直面する壁(リアルサウンド)

 ちょっと古いけど上の記事見て思ったことあったので、ほかに書くこともないのでこのネタで今日記事書きます。にしてもこの記事、何故かページタブに表示される見出しとページ内の見出しが違うんだけど、途中で変えたのだろうか?
 あと今日は雨なのでずっとスターレイルやっていたけど、クエスト多すぎて何時間もプレイしても全然メインストーリーが進まない。このテンポの悪さは明確にマイナス点だと思う。あと商業原稿書かずにずっとプレイしてたので、このブログ書いた後にまた書かなきゃ。

 話は本題に移りますが、上の記事では現代日本を代表するアニメ監督の新海誠氏と細田守氏についてその作品のテーマ性を比較しています。正直言ってその記事中の比較内容については「で、結局何が言いたいねんお前?」と言いたくなる程度でそんな勧められるものではないのですが、この二人が複数作品を通して堅持するテーマはそれぞれ二つあるという点には着目しました。
 具体的には、新海作品は「都市と田舎」、「すれ違い」に対し、細田作品は「リアルとバーチャル」、「家族」です。

 新海作品ではほぼ必ず都心と田舎のシーンが出てきて、その色遣いの鮮やかさもあって二つの風景の差を明確に表現しています。その上で主人公とヒロインのすれ違いというか、以前の作品の方が顕著ですが関係がうまくいかなかったり、「君の名は」では実時間のすれ違いを使ってたりなど、一貫してテーマとして使われ続けています。
 それに対し細田作品は一番はやはり「リアルとバーチャル」で、自分は見てないけどデジモンの作品とかでも顕著だったようですが現実世界と電脳世界を出して、「現実のようなバーチャル」と「嘘みたいな現実」をよく比較として出している気がします。その上で頑なに「家族」テーマも出し、家族は大事だというストーリーを展開して近年の作品ではかなり滑っています。

 この両氏がそれぞれ持つ二つのテーマですが、結論から言えば新海作品では相乗効果があるのに対し、細田作品ではそれが全くないような気がしました。都市と田舎ではそれぞれの生活意識や価値観は異なり、それこそ「すれ違い」というものが生じるというのもごく自然に受け取れますし、またそれをうまくストーリに組み込んでいると感じます。それに対しリアルとバーチャルが家族とどうつながっていくかと聞かれたらつながりようがないとしか言いようがなく、なんでこの二つのテーマを一つの作品の中でいつもやろうとすんのかなと疑問に思うほどです。
 特にスカーレットのダンスシーンは、見ていて共感羞恥覚えましたマジで。

 世間の評判を見ると、あと代表作の「サマーウォーズ」を見ると細田氏はどちらかというと「リアルとバーチャル」テーマの方が強いように思うのですが、近年の作品ではむしろ「家族」の方に肩入れする傾向があり、こっちの方は逆にそうでもないような感じします。まぁ「ケモナー」っていうテーマも、彼にの作品では共通してますがこれは今回は無視します。
 何が言いたいのかというと、分ければいいテーマを無理して一つの作品に突っ込むことで、ワサビと唐辛子を一緒に入れるかのように、作品としてよくない影響を自ら作り出しているのではという風に言いたいわけです。なんで寄りによってこの二つのテーマを頑なに入れようとするのか、もっといいテーマとか探してくればいいだろと思うのと、いっそこの二つのテーマを排除した作品もやってみたらという気すらします。

 「サマーウォーズ」がヒットした頃に出ていた記事をまだ覚えていますが、当時やたらと細田氏を持ち上げる記事が出ていたのに対し辛口の評論家が、「アニメ界は彼をポスト宮崎のように祭り上げて、名前だけで作品が売れるような環境にしたいだけ。彼の作品本質に迫る評価をみんなおざなりにしている」という風に書かれていました。この表現ははっきり言って私も同感で、個人的には「時をかける少女」は面白かったけど、「サマーウォーズ」については何が面白いのか、なんで売れたのかが全く分からない作品でした。海外の評価通りに、「謎に権力持ったババァが力技で騒動を解決する作品」というのが一番しっくりきますが、こうした批評を日本ではついぞ見ることありませんでした。

 一方、新海作品はかつてこそ「すれ違い」のテーマを男女の恋愛に据えていましたが、「すずめの戸締り」では親子間にもっていくなど、最初の記事のように時代によってうまくカスタマイズしている感があります。変えるもの、変えないものをうまく取捨選択できるというのは重要で、この辺でやっぱり彼の方が上手だったなというのが自分の印象です。

2026年5月22日金曜日

松戸(上本郷)七不思議(ΦωΦ)

 最近松戸ネタを全然書いてないし、パラノマサイトやった影響もあるでしょうが適当に「松戸七不思議」というものを捏造して記事書いて流行らせようかなということを思いつきました。ネタなんてないけど捏造すれば何とかなると思い、差し当たって以下のような風説を流行らせようかと企んでいました。

・松戸ダイエー跡地周辺を歩いているとどこかからか「Dマート……」というささやき声が聞こえてくる。
・キテミテマツド周辺を歩いているとどこかからか「伊勢丹……」といううめき声が聞こえてくる。
・松戸市内のどこかの地下で、プラモ屋の「わらそう」が今も密かに営業を続けている。

 なんていう風に妄想を働かせていて興が乗ってきたので先行研究はないかと検索かけたら、完全に想定外でした松戸には既に七不思議が存在していたことを今週初めて知りました。

上本郷の七不思議(松戸よみうり)

 正確には松戸というより北松戸駅周辺の上本郷での七不思議ですが、どれも江戸時代当たりの背景を感じさせるエピソードで、それなりに読ませられる内容が集められています。割とほかの地域でもよく見られますが人魚の肉を食べて不老不死となった八尾比丘尼も七不思議に入っています。
 なお「七不思議」、「人魚」が揃っているので、パラノマサイトの次の舞台として制作陣にプッシュしないといけないでしょう。

斬られ地蔵(さんたつ)

 個人的に上本郷七不思議の中で一番印象に残るのが上の斬られ地蔵の話です。内容を簡単に説明すると、ある祭りの日にやたら踊りの上手い見知らぬ男がいて周囲の注目をかっさらうので、酔った男が嫉妬もあって切りかかると突然煙のように消えたそうです。翌日、近所の地蔵に刀傷が入っており、あの男はこの地蔵だったのかとみんなびっくりしたというお話となっています。
 その地蔵はリンク先にあるように「斬られ地蔵」として今でも残っているそうで、刀傷というか修復痕もバッチリ残っているようです。もっとも私は踊りの上手かった男は地蔵の化身ではなく、身代わりの術を駆使する忍者で間違いないと考えていますが。

 何気に北松戸は将来住むかもしれないかと普段から色々中古マンションなどの物件情報を調べていますが、来月からしばらく日本にいるのでフィールドワークかねて歩いてみようかな。なお最近調べた感じだと取手の周辺はめちゃ価格下がっているとはっきり感じ、広い家でひきこもるにはいいかなとちょっと惹かれています。

2026年5月20日水曜日

上海の日本人切り付け被害事件について

 ぶっちゃけ詳細知らないし書くまでもないかと思うけど、一応上海に住んでるしほかに書くネタも松戸七不思議しかないので書くことにします。

 すでに大きく報じられているように、昨日上海市内の昼時に日本食店で日本人を含む数名が通り魔によって切り付けられたと報じられています。場所は浦東にある森ビルこと上海環球金融中心の中にある飲食店とのことで、私はこの店に直接訪れたことはないものの、上海市内にいくつか支店があってその前を何度か通ったことがあるため看板にははっきり見おぼえありました。
 幸いながら被害に遭われた方の命に別状はないとのことですが、病院で治療を受けるほどの怪我を負ったとされ大変心配されます。今日私の周りの日本人の間でもこの事件が話題になりましたが、やはりほかの地方都市ならまだしも上海でもこういう通り魔事件が起きるのかという感想が聞かれました。

 犯人に関しては高齢男性とされ精神疾患の経歴があるとされますが、日本人を狙ったかどうかについては言明されていません。まぁはっきり日本人を狙ってないと犯人が言うならそう発表されるわけで、何も動機について中国政府が発表しないということは、刃物を持って入口で暴れるわけでなく日本料理店を訪れているあたりも、日本人を狙った犯行である確率は高いと私は見ています。

 それで肝心の中国側の反応ですが、結論から言えばこの事件についてほとんどの中国メディアは沈黙しています。地元上海メディアの澎湃新聞なんかは報じていますが扱いは明らかに小さく、ぶっちゃけこの前のカルビーのモノクロ包装ニュースなんか大々的に各所が報じていたのと比べると、ニュース価値逆だろと言いたくなるような落差です。
 以前の蘇州での襲撃事件なんかは中国人女性が亡くなられたこともあってしばらく経ってからは大きく報じられましたが、今回の上海の事件はそれとは異なることから、今後も大きく報じられることはないでしょう。日本国内でのしょうもない中国人被害事件を中国は大々的に報じるのにね。

 ほかのメディアが書いていない話を書くと、マジな話、この数ヶ月間における上海のこうした通り魔対策は日に日に強化されています。かつてはいい加減だった地下鉄の荷物チェックが今年の1月くらいから急に厳しくなり、すり抜けようとする人がいたらマジで怒鳴って止めようとするなど、荷物チェック機を通過させるよう駅員が厳しく指導されているように見えます。また駅内や街中に立つ警官の数もなんか毎月増えているように見え、特に今週なんか「なんでこんな多いねん」と私が思うくらい増えていました。
 何が言いたいのかというと、今回日本人が被害を受けましたが、中国人が被害を受ける通り魔事件も見えないところで既に何度も発生しているんじゃないかということです。日本人被害の事件を報じないのだから、いわんや中国人被害の事件もという具合に、報じられていないだけで既に数多くの通り魔事件があちこちで起きており、そのため街中の警官動員数も増えているのではないかとはっきり疑っています。

 実際、中国の地方都市では車で突っ込むなどといった通り魔事件がいくつか確認されているものの、中国国内でそれら報道は完全に封じ込められています。だから尚更とばかりにこうした事件が見えないところで起きているという疑念も持つわけで、警官数の増加もそれを裏付けるものだと考えています。

 まぁ日本も人のこと言えないというか、尼崎なんかは死亡者が一人だけなら殺人事件は報じられないし、バラバラ殺人も月一ペースと聞くので、感覚の問題なのかもしれません。ただ今回の事件は比較的警備員もいる森ビルで起きたことから、恐らく今後はビル入口にX線の荷物チェック機を置くよう指示が飛んで、またゼロコロナの時みたくめんどくさい手間が増えていくのだろうなと予想しています。

2026年5月19日火曜日

社会の複雑化に伴う境界知能の顕現

あと少しIQが低ければ支援が受けられるのに…日本人の7人に1人が抱える「境界知能」という“見えない生きづらさ”(痛いニュース)

 以前に発達障害の大人について記事を書きましたが、これに深く関連してくるのが上のまとめ記事に書かれている境界知能です。境界知能というのは主にIQが健常者(100)と知的障碍者(約70)の間である80前後にある人で、健常者より劣るものの知的障碍者とは認定されないカテゴリです。知的障害とは認められないものの健常者に比べ知能が劣ることから社会での生活で本人が意識しないままトラブルを起こすことがあり、このカテゴリに入る人たちにも支援が必要ではないかと言われています。
 そもそも境界知能という言葉が一般にも広がるようになったのはごく最近で、自分の感覚では2018年くらいから段々と広がってきたような気がします。逆を言えばそれまでは「要領の悪い人間」としか見られず、本人らの能力以上に社会が高い要求を行い、どちらも損するような状況にあったと言われています。

 そんな境界知能について上の痛いニュースの記事を見たのですが、こうした境界知能の人たちにも知的障碍者向けの教育プログラムや社会のアファーマティブアクションが必要なのではといった内容が議論されています。全体としては否定的な声が多いように見え、現在の知的障碍者のラインのように、どっかで基準を区切らないと話が終わらない、知能の低い人向けに社会が合わせ続けることには限界があるなどという意見が見られ、私自身もこうした意見は否定できない気がします。
 ただそれを踏まえた上で言うと、知的障害のラインを少し引き上げるべきなのではないかと思います。具体的には80前後まで引き上げ、支援の対象範囲を広げるべきという考えです。何故こう考えるのかというと、社会がどんどん複雑化しており、かつては適応できた人でも現代では適応できなくなっているのではと思うからです。

 例えば就職一つとっても、昭和から平成初期にかけて就職した後に使い方を覚えなければならない危機と言えば、せいぜいコピー機、FAX、出勤カード機くらいだったでしょう。しかし現代ではパソコンや携帯電話をはじめ様々な電子機器の使い方を覚えなければならず、さらにはパソコン内のメールをはじめとするあらゆるソフトウェアの使用に、かつては技能とされたタイピングもマスターしなければなりません。またそれら機器周りのあらゆる情報管理も徹底しなければならないし、社内行為もハラスメントにならないよう気を配る必要があります。

 仕事だけでなく生活面でも、インターネットやアプリなどあらゆるツールに対する一定の使い方も把握していなければなりません。また契約も携帯電話をはじめ複雑なものが増えており、クレジットカードなども管理する項目は膨大に膨れ上がってきています。
 またこれはギャンブル中毒者に言えることですが、資金調達手段も増加しています。かつては街金の窓口でしか借りられなかったお金が、現在はネットを介してあちこちから借りられるようになり、賭け事にのめりこんだ場合に出来る借金額も増えやすいように思えます。

 以上のように、日本を含む世界の世の中は各種サービスや機器の発達によってどんどん複雑化しており、スマホなどによってアフター5以降も無限に働けるというか働かされるようになってきています。単純に言えば世の中が複雑化していて、社会で生きる人々に要求される水準や知識もうなぎ登りというか増大化していて、実際私も世の中の先進サービスに追いついていくのが段々辛いと感じてきました。ゲームだって、最近はネット接続がデフォで毎日ログイン要求されるし……。
 こうした状況を考えると、以前のもっと単純な世の中だったら境界知能であることが目立たなかったというか気にされずに生きられたのではと思うようになってきました。以前ならそこまで制度やシステムが複雑でなく、知識のアップデート頻度も少なく済んだだろうし、健常者より知能が劣ったとしても読み書きや計算がある程度できれば、周囲とそれほどトラブルを起こさずに暮らせていた気がします。言い換えるなら、社会が複雑化してきたからこそ境界知能者が目立つようになってしまったのではないかと言いたいわけです。

 なんかまとめ方が下手ですが、要するに社会の複雑化に伴い社会が大衆に求めるあらゆる水準が引きあがり、以前は問題なく暮らせていた人たちも知識などで追いつかなくなり、トラブルや問題が増えているのではないかということです。仮にそうだとしたら、社会の要求水準に合わせて従来の知的障碍者のラインを引き上げ、これまで対象外だった人も対象に入れて対策すべきでは二課と思うわけです。そうしたことが社会全体のプラスマイナスで言えばプラスに傾くのではないかと言いたいわけです。

 ちなみにこの要求水準の引き上げですが、意識している人はいないでしょうが漫画界でも同じことが起きていると思います。平成初期と比べて新人漫画家の画力は現代の方がはるかに高く、昔の漫画見ると「この絵で連載できたんだなぁ」と思ったりします。その分全体の品質が向上していて競争力も上がっているわけですが、こういった社会の高度化が今後も無限に進むとなると、なんかついていくのがおっくうに感じてきます。
 多分こういう感情がレトロゲーにはまる人たちを生んでるんだろうな。

2026年5月17日日曜日

自分の人生を変えたマンガ




 なんか楽プラのAE86ことハチロクのプラモでこの赤色だけいつも使ってるプラモ屋でずっと売れ残っていたので、自分が引き取ることとしました。決して作りたくて買ったわけじゃないんだからね。
 作ってみた感触としてはあまり推薦できないキットだったというか、明らかにパーツの整合性が悪く、特に車体左側の穴がやたら嵌め込みづらく万力のような力を駆使せざるを得ませんでした。またほかのキットと異なりシャシーとキャビンを直接接合させるわけではなく、フロントバンパーとリアバンパーを使って嵌め込むようになっていますがこれがまた具合が悪く、両バンパーもきちんとはまんないし、なんでシャシーとキャビンをくっつけなかったのか理解に苦しみました。

 話は本題ですが仮に自分の人生に深く影響を与えたマンガを選ぶとしたらやはり、横山光輝の三国志が真っ先に自分の中で挙がってきます。何度もこのブログに書いていますが小学生の頃、ゴミ捨て場で捨てられていた三国志1巻を手に取ったことがきっかけで中国史、ひいては中国に興味を持ち、その後中国語を学んでこうして中国で働き続けることとなりました。マジで三国志がなければ中国に係わることはなく、自分の人生は一介の松戸戦士として終わっていたことでしょう。

 そんな三国志に次ぐ影響を与えた漫画はほかにないかと考えた際、すぐ浮かんできたのは何を隠そう頭文字Dでした。頭文字Dは言うまでもなく冒頭のハチロクを主役車種に選んだ日本のカーレース漫画の金字塔で、現在の世界各国におけるJDM人気を作ったほか、各方面の日系自動車業界やファンに影響を与えたとされ、連載開始時期から30年以上経っているにもかかわらず未だその人気に衰えは見えません。
 私自身も大体ステージ4が放映されていた当たりにたまたまステージ1のアニメを見たことがきっかけではまったのですが、実はこの頭文字Dに触れるまで、自動車に対して一切何の興味もありませんでした。それどころか車に金をかける行為自体が無駄だと考え、スポーツカーとか買う奴は頭おかしいのではないかと本気で信じていました。

 しかし頭文字Dにはまってからは自動車の名前も覚えるようになり、またその性能や動力方式なども徐々に学ぶようになって、作品への興味から自動車に関する知識がどんどんと深まっていきました。これが活躍したのが記者時代で、自動車関連の記事を書くにあたってこうした知識が大いに役立ち、あんま自動車に関する興味が高くなかった職場仲間からも実際に高く評価してもらいました。また記者を辞めた後も、やはり自動車産業は日本の主力産業ということから、外部の人間と関わる際に自動車関連知識があると話しやすく、後輩にも頭文字D見るよう指導していました。

 ただ頭文字Dの影響は車にとどまりませんでした。というのもある日インプレッサのボンネットにあるでかい空気穴について気になり調べたところ、こうした空気穴はエアインテークと呼ばれ、自動車よりも航空機の方が性能への影響がでかいということを知りました。実際、エアインテークは空力性能、動力性能を直接作用し、機体によってほぼ確実に異なっていてエアインテークだけで機種を判別できたりします。
 この記述を見てからやけに航空機が気になるようになり、たまたま職場にプラモに詳しい同僚がいたためにその人から話を聞いて上海のプラモ屋を尋ね、F-16のプラモを作ったことが今のプラモ生活の始まりだったりします。このおかげでプラモ技術というか手先の器用さを身に着けただけでなく、ミリタリー分野全般に興味を持つようになってこの方面の知識も蓄えるようになり、世界観がかなり広がった気がします。

 以上のように、頭文字Dがきっかけで自動車、ミリタリー(特に航空機)への知識を大きく広げることができました。また戦闘機などの形状の違いにも意識が向くようになり、工業デザインへの関心と造詣も深まり、この辺の感覚も頭文字Dの影響がなかった目覚めることがなかった気がします。
 私の中で頭文字Dは名作だとは思うもの決して順位がトップランクの漫画というわけではなく、弐瓶勉氏の「BLAME」などと比べるとその評価は下がるのですが、こと自分の趣味や知識範囲、そして仕事への応用に対する影響度で考えると、マジで三国志に次ぐほど強い影響を与えた漫画だということに、ハチロク作りながらなんか気が付きました。マジで頭文字Dがなければ、自分の趣味は、歴史、政治、茶碗、相撲、自転車にとどまっていたでしょう。これでも十分広い気がするが(;´・ω・)

2026年5月16日土曜日

「オタク」という単語を見聞きしなくなった( ゚Д゚)マジ

 ただ単に自分が日本に住んでいないからかもしれませんが、ふと気が付いてみたらこの数年か、「オタク」という単語をマジで見聞きすることが亡くなった気がします。かつてはそれこそ毎日どこかで聞きしていたのになんか気がづくと死語になっているかのように使われる機会が減っているように思います。

 そもそもこの「オタク」という言葉ですが、90年代までは完全に侮蔑語でした。アニメや漫画ファンを指して陰気な人たちといったようなネガティブな意味で使われており、漫画家の山田怜司氏の番組に出演したオタクの帝王こと岡田斗司夫氏もはっきりと「受難の時代」といったように表現していました。
 なお岡田氏は新作アニメ映画が公開されるたび、当時のオタク界隈で伝統となっていたのでコスプレして映画館に繰り出していたそうです。ある時は大魔神のコスプレで顔にもしっかりペイントしていったところ、「お前らのような奴が来るからまともな客が来なくなるんじゃねーか!」と映画館の人にマジ怒られそうです。これは映画館の人が確かに正しいでしょう。

 話を戻すとオタクという言葉の価値が明確に変わってきたのは00年代に入ってきた辺りです。段々と日本産アニメが海外でも高い評価を得ているということが伝わり始めたことと、オタク男性を主役においた「電車男」がヒットしたことで徐々に市民権を得るようになり、それまではやや日陰者でアピールの少なかったアニメファンなどが「オタクで何が悪い」という大上段を切れるようになっていきました。
 10年代に入るともはやオタクという言葉でアニメ、漫画ファンを馬鹿にすることは逆批判されるようにもなっていき、この辺りで侮蔑語としてのオタクという言葉は完全になくなり、率先していう言葉とまではなってなかった気がしますが普通にアニメ、漫画ファンを指すようになったほか、その他の趣味にも「〇〇オタク」みたいな具合に気軽に使いやすくなっていったように感じます。まぁ本来の使い方がそのはずなんですが。

 ところがこの3、4年間を振り返ると、マジでこのオタクという言葉を全く目にも耳にもしなくなったように思います。そもそもこの事実に気が付いたのは先ほど挙げた山田氏の番組の岡田氏出演回をみたためで、この時を除くとマジで全くオタクという単語を見聞きしていません。実際のところはどうかははっきり言えませんが、少なくとも使用頻度はかつてと比べると劇的に落ちていると言ってもいいでしょう。

 ではなぜオタクという単語は使われなくなったのか。一番の理由はアニメ、漫画を趣味とすることに周囲の目を気にしなくなったことが大きいでしょう。子供だけでなく大人もアニメ好きと言ってもそんなキモがられることもなくなり、さらには侮蔑的な意味も消え去って侮蔑語としての価値も失いました。そのため使用者、使用場面自体がなくなり、死語化しつつあるのではないかと思います。
 次に、代替語ができたことも大きいと思います。具体的には「陰キャ」、「チー牛」の二つで、あまり積極的にコミュニケーションとりたがらず風采の上がらないナイーブな人物に対するこの二つの侮蔑語がそっくりそのままオタクに取って代わり、オタクという単語を使わなくなりました。このポイントはかなり自信があるというか非常に大きな要素だと考えています。

 このほか深読みすると、オタクという言葉を侮蔑語として使ってきた層、またはオタクとは対照的な人物像とされていた、欧米風に言うなら「ジョック」こと体育会系の権威低下も要素として挙げられる気がします。かつてのスポ根的な風土は現代ではとうに昔となり、それどころか日大の体育会をはじめ、かつては握りつぶされていたであるものの、世間にも大きく注目される事件が報じられるようになり、以前ほど体育会の人間が偉そうにする空気が今の日本にはない気がします。
 そもそもオタク自体が若干文化部とかに所属する男子を揶揄するような意味合いもあったように思え、体育系との比較として使われることが多かった気がします。しかし対抗馬たる体育系が弱まったことでこの比較もあまり意味をなさなくなり、結果的にオタクという単語自体も埋もれていったのではないかと思うわけです。

 ちなみに自分は漫画はともかくそんな言うほどアニメとか見ていないのですが、メガネかけた見た目からなんかやたらと周りからオタク扱い(侮蔑語としての意味)されていた気がします。周囲の評価をあまり気にしないためか否定したりすることもなかったですが、当時自分をオタク扱いしていた連中の誰よりも積極性、行動力、ポジティブさで当時も今も上回っていると信じて疑いません。
 ぶっちゃけ自分を構成する要素の中で最も目立つのは圧倒的な記憶力(知識量)と暴力性だと思え、もし当時自分を見てこの二つの要素を見いだせなかったとしたら、その時点で人を見る目がないとしか言いようがないと勝手に思っています。

2026年5月14日木曜日

ガンダムに出てくる一部機体の中国語表記について

 相変わらず「崩壊スターレイル」やっていますが、なんかプレイしていてやたら目が痛くなります。俺だけ?σ(゚Д゚;)
 それで本題ですがコメント欄に問い合わせ来たので、ガンダムに出てくる一部機体の中国語表記について今日は紹介、解説します。

 まずガンダムの中国語は「高達(ガオタァ)」に統一されており「〇〇ガンダム」ときたら間違いなく「〇〇高達」と表記されます。ただその詳細な機体名に関しては大まかに意訳と音訳に分かれており、前者は文字通り元々の日本語表記の意味に近い漢字が発音を無視して当てはめられます。後者については日本国内の「武者頑駄無」のように、意味よりも発音に合わせて漢字を当てはめる訳し方で、この意訳と音訳が入り混じって各機体名が中国語表記されています。
 そもそも論でいうと、同じ機体でも中国語表記が異なるというか複数あることも珍しくなく、これは海賊版ごとに字幕の表記が異なっていることが原因です。かつては非公式に中国語表記が勝手に決められており、先ほどの意訳と音訳の二種類あることもあってややこしい時期がかつてありました。最近はバンダイとかが公式声明を出すようになって大分統一されてきていますが。

 それではさっそくコメント欄で質問が来たガンダムWに登場する機体の中国語表記を引っ張ってきます。今回参照したのはビリビリゲーム内の「高達WIKI」というページです。

・ウィングガンダム:飛翼高達
・ガンダムデスサイズ:死神高達
・ガンダムヘビーアームズ:重装高達
・ガンダムサンドロック:砂漠高達
・シェンロンガンダム:神龍高達
・ガンダムデスサイズヘル:地獄死神高達
・アルトロンガンダム:双頭龍高達
・ウイングガンダムゼロ:飛翼零式高達

 上記表記を見てやはり気になるのはサンドロックでしょう、「砂漠ガンダム」ってなんやねんとか思います。あと字面的にはデスサイズヘルの「地獄死神ガンダム」はかなりインパクトあるのですが、死神じゃなくて死鎌じゃねという気もしないでもないです。

 続いてSEEDに出てくる機体をまとめるとこんなんになります。

・ストライクガンダム:強襲高達
・フリーダムガンダム:自由高達
・デュエルガンダム:決闘高達
・バスターガンダム:暴風高達
・ブリッツガンダム:迅雷高達
・イージスガンダム:聖盾高達
・プロヴィデンスガンダム:神意高達
・モビル・ジン:金
・インパルスガンダム:脈衝高達
・セイバーガンダム:救世主高達
・デスティニーガンダム:命運高達
・レジェンドガンダム:伝説高達
・アカツキガンダム:払暁高達

 こうしてみるとガンダムの表記は基本的に意訳で統一されているんだなと思います。個人的にツボったのはジンが発音から取られて「金」になってるのと、質問されてたアカツキガンダムが「払暁ガンダム」になってて、なんか仏教系キャラに見えてくることです。

 このほかで個人的に好きなのはサイコガンダムで、表記は「精神感応高達」となっています。意味的にあってはいるけどなんか違う気がします。またガンダム以外はやはり音訳されることが多く、アッシマーも「亜希瑪」、ジ・オも「鉄奥」など日本人からしたらぱっと見分からない表記が多いです。まぁ百式はそのまんま「百式」で、発音も「パイシィ」なので意味的にも音的にも近いというかそのままです。
 あとターンエーガンダムは「逆A高達」と「倒A高達」と二種類用意されてます。どっちもなんか弱そう。さらにGガンダム系は「曼荼羅高達」など割とそのまんまなキャラが多い中、マスターガンダムは「尊者高達」と分かりやすい表記になっています。部隊も香港がメインだし、やっぱ親和性高いんだろうな(´・ω・)