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2007年12月31日月曜日

失敗の価値

 前回では失敗から反省しないのは動物以下だと書きましたが、今回は逆に反省ができなければ大器にあらずという話を書きます。

 近年、というより大体2000年頃かな、その辺りから官僚の不祥事が相次いで、段々と東大出身のトップは良くないという話が出始めました。別に東大がどうこう言うわけじゃないのですが、これはよく世間でも言っていますが、失敗をしたことのない経営者は最後の最後で命取りにつながりかねない失敗を犯すとも言われています。

 先ほどの東大の話だと、子供の頃からずっとエリート街道というのが良くないといった形で批判されていましたが、私なんかもやっぱり若い頃は成功することよりも失敗している方がいいと思います。最近だとホリエモンなんかがこの例に当てはまるのではないでしょうか。大学を出て大成功しちゃったばかりにライブドアを危機にさらす失敗を犯した、もっともまだこの事件は評価する段階にはありませんが。
 逆に、若い頃何度も失敗した人間は後々強いです。エジソンは何度も会社が潰れたりしてるし、カップラーメンの創始者安藤百福などはすってんてんになったあと、一人でカップラーメンを作ってます。

 自分の周りでもやはりというか、たまに失敗をした事がないだろうと思われる人もいます。その手に限ってどこか、現実離れした発想をしてきてびっくりさせられるのですが、若い頃の苦労は買ってでもしろと言いますが、個人的には若い頃の失敗は買ってでもしたほうがいいのではないかと思います。

2007年12月30日日曜日

人間と動物の違いについて

 よく人からも注意されますが、自分は結構怒りっぽい性格です。そんな私ですが、自分では結構気の長いほうかなとも思っているのですが、どうも怒った時のリアクションが激しい成果、そうは思われていないようです。基本小さなことではあまり怒らず我慢するのですが、それが積もり積もったところで激しく怒り出すのが良くないと自分でも思っているのですが、そんな自分でも一発で激怒することがあります。ずばり反省しない輩にです。

 これは普段から思っているのですが、人間が持つ、他の動物にない最大の能力は反省することだと思っています。というのも、他の動物は一度失敗をしても、大抵はまた同じ失敗を繰り返してしまいます。知能の高い犬や猿などは数回の失敗を経て行動を学習して失敗を防ぐようになりますが、それはその動物単体にしか行われず、他の犬や猿は同じような失敗をしないとその学習が起こりません。ですが人間の場合、ある人間が失敗をしたという情報が伝達されると、100%とはいえませんがその情報が伝達された人は失敗を防ぐ行動が取れるようになれます。
 一例を持ってくるなら、誰かが床の上で滑って転ぶと、それを見ていたほかの人はその床の上を注意して渡るようになり、結果的には同じ転倒が起こらなくなるといったものです。

 この反省の伝達が人間には起こる上に、記録という方法を使うことによって現代のような文明を人間は作ることができました。そういった意味で、私などはこの「反省」という能力に常日頃から非常に着目しており、この能力の高さがそのまま人間の優劣につながるとも考えています。考えても見ると、同じ注意を何度受けても失敗を繰り返す人もいれば、一回の注意、果てには周囲の状況を見るだけでその失敗を犯さない人もいます。このような差がそのまま人間としての能力に関わってくると考えています。

 逆に言うと、この「反省」が起こらない人間というのは人間としても非常に駄目な存在だとも思っています。失敗はそれこそ誰にでも犯す確率のあるものですが、伝達だけで防げないならまだしも、それを何度も繰り返すというのは下手をしたら犬や猿以下の本能的能力ではないでしょうか。

 ここで話は戻りますが、私が一度に激怒するタイプの人間というのはこの手のタイプです。数回の注意や勧告にもかかわらず、問題な行動をとる人間に対しては自分でもやばいくらい怒ったりしています。もちろん、私も万能人間でないので方々で何度も失敗を繰り返しています。しかし世の中には失敗をしながらも全く反省のそぶりや、周囲に対する申し訳のなさを見せない輩も多く、この手のタイプとは多分一生仲良くなれそうにないと思います。

 反省だけなら猿でもできる。ある意味、これは名言だと思っています。
 今回は失敗に対する否定的な考え方を書きましたが、次回では逆に肯定的な考え方を書きます。

2007年12月28日金曜日

大学闘争時代を読む~その三~

 続いて三回目。今回はその集団に対する価値観です。
 もう多少面倒くさいので、結論から言います。やはりこれだけ時間も経つと、日本人も価値観って変わっちゃうんだよね、ってのが結論です。

 一番最初の投稿にてすでに書きましたが、昔の人は日本を背負って立つような意識を持つ井上康生が好きらしいです。同様に、当時の学生運動の各会派を見ていると非常にグループ意識というか、集団意識が強かったような気がします。私はというと何でそこまで内ゲバやらかすまで集団に固執するのかが、当時の学生運動をやってた連中の思考で最もわからないところです。

 現代日本に生きる、精神年齢こそすでに年寄りくさいですが一応若者の私はというと、その所属している会派の主張が自らの主張と合わないというのならば、とっととその集団から離脱して、気の合う連中とまた別の会派を作ればいいのではないかと考えたりします。ところがこの時代はというと、自分が会派の主張と合わないと内ゲバやったり、会派の中でも権力争いやら主導権争いして主張を変えようとするなど、更には別の会派とも激しく殴りあったりリンチしあったりと、何故だか徹底的に思想の統一を図ろうとしています。これが全く私にはわかりません。
 恐らく、これはもっている価値観の違いだと思います。現代でもキリスト教徒イスラム教は互いに理解しあえない(日本やインドは多神教だからまだ双方を少しずつ理解できるらしい)と言いますし、根本から価値観が当時の活動家と私が異なるために理解できないのだと思います。

 では、一体どのような価値観が異なっているのかというのが、それが今回槍玉に挙げた集団に対する意識の違いかと思うのです。昔と今とで比べると、それははっきり言ってもいいくらいに個人の比重が高まってきています。これは別口でまとめていますが、いわゆる「失われた十年」の間にフェミニズムなどの欧米の価値概念の輸入に伴い、個人意識、個性というものが日本人において非常に高まりました。また社会的インフラ、分業が発達したため、地域の共同体に属さなくとも生きられるようになったのも大きな原因です。何気に今、村落社会を扱った「ひぐらしの鳴く頃」を読んでます、あまり関係ないけど。
 それはともかく、このように行動単位も集団から個人へと切り替わり、意見の発信の仕方も大きく変化しているように思えます。たとえば、それこそ昔ならばそれなりの学術団体やらマスコミに入らなければ大きく情報を発信できなかったものが、現在ではこのようにインターネットを介すことによって一人でも配布できる情報量は操作できます。敢えて想像するならば、やはり以前は集団を介してしか情報の発信が行えなかったために、情報を発信するために集団内であれこれ抗争があったり、またそれが集団意識の強化にもつながっていたのではないかと思います。

 このような集団から個人への意識の変化の根拠として、大学のサークルなんかも挙がってきます。聞くところによると全国の大学のサークルはどこも弱っているらしく、集団としてのまとまりがなくなってきているようです。一つに大学側が出席を厳しくしだしたなどもありますが、やはりその背景には先ほどの個人化の影響があるのかとにらんでいます。しかしそれでも昔の価値観を保存しているところももちろんあり、それが最初に言った私の嫌な上司だったのかと思います、本当に嫌な奴だった。

 ただ彼の価値観を考えると、上が白というなら黒も白というような、集団においてリーダーシップの非常に強い価値観だったと思います。確かに嫌々ながらみんなそれでまとまっていたところもありますが、現在の共産党、社民党の現況を見ていると、長期的にはそれだと集団は成り立たないと思います。以前にある人から聞きましたが、民主主義も欠点は多いものの、独裁主義など他のやり方に比べて一番マシなやり方だといいます。実際、独裁主義にはない自浄作用も存在するので私もそう思いますが、未だ日本の運動部や体育会にはこのような古い体制が残っているといいます。個人化によって広がるリスクもありますが、まずは旧来の残滓を完全に取り除くのが、私の時代の役目かなと思っています。

大学闘争時代を読む~その二~

 前回に引き続いて、大学闘争時代の日本人についての考察です。

 まず最初の疑問点だったその攻撃性についてですが、これはあれこれ議論されていますが、自分はやはり共産党宣言の教義が原因だったのではないかとにらんでいます。周知の通り、共産主義においては階級間対立が非常に強調されています。その階級観というのも二元的なもので、いわゆる資本家層と労働者層の二つで、私の好きな佐藤優なんかは官僚というもう一つの階層を忘れているという主張をしてますが、とにもかくにも共産、社会主義はこの二項対立が非常に強い価値観です。
 重要なのはこの二つの階級観ではなく、共産党宣言には階級間の対立を煽る主張があることです。「万国のプロレタリアートよ、立ち上がれ」などと、資本家層との対立が労働者層に宿命付けられているかのような言質がとられています。

 恐らく、元の共産党の概念においてはこの辺で止まっていたかもしれません。しかしマルクスの予期せぬロシアで最初の革命が起こり(マルクスは資本主義が最も発達したイギリスにおいて最初の革命が起こると予言していた)、しかもその革命がボリシェビキによる暴力的な革命で、その後のスターリンによる力による圧政から、暴力によって革命は起こされるようだという意見が大学闘争時代の当時にあって支配的だったような気がします。

 このような過程から、日本を社会主義化するために日本においても暴力を使う、言ってしまえば議会において多数派となるような方法ではなく、暴力的な手法が好まれたのではないかと思います。これは社会主義の間においてのみこの傾向が強まったため、保守へとその暴力は向かわず、同じ社会主義内の各グループでどつき合ったりすることになったのではないでしょうか。

 こんなところが私なりの優等生的な意見です。ここで敢えて斜めに構えてまた考えてみると、これとは別に、ただ単に大暴れしたいというだけの連中が大して物を考えず、差しあたってカッコのつくように社会主義のブントやら共青やらに入ってボコボコやってたのではないかとも考えられます。当時からも言われていますが、当時の活動をしていた学生の中には誰も「資本論」を読んだ人間はいないといいます。個人的に実名を挙げちゃうなら、テリー伊藤なんかこの部類じゃないかな。

 あと補足的に追加するなら、思想の統一なんかも非常に叫ばれていました。まぁ最初に団結せよなんていって、不確定分子はすべて叩き出した上で革命を起こせなどと言われてましたし、そういったことから会派対立が強まったとも考えられます。暴力についてはこんな感じで、次からやっと本題だ。

2007年12月27日木曜日

大学闘争時代を読む~その一~

 前回の投稿から三日もあきましたが、決してサボっていたにあらず……バイオ4をちょっと、というのもありますが、今回から書く内容の構想も練っていました……本当だよ。
 というわけで早速今回のお題、「大学闘争時代を読む」ですが、恐らく書く内容は膨大になるので、数回に分けられると思いますが。それでまず、今回は大学闘争の時代についてです。

 以前に、といっても結構前で、確かオリンピックのあった年だから2004年のことだと思います。友人が自分が貸した雑誌を持ってきて、ある記事を引用しました。その記事の内容というのは、誰かは忘れたけど、ある評論家が当時のオリンピックにおいて谷亮子選手が金メダルを取った際にガッツポーズをとったのに比べて、柔道の井上康生選手は負けた際に、「日本の皆様、申し訳ございませんでした」と言った事実を元にして、前者はオリンピックでの競技を競技者個人のものと考えているのに対し、後者は日本の代表という意識で、それはそのまま今の日本人と昔の日本人の意識に当てはまり、昔のオリンピック選手は日本という国の威信をかけてオリンピックに行っていた。私(評論家)はやはり井上康生の方が好きだ、という内容でした。

 友人が言うには、当時私と彼の上司が、こういうのもなんですが非常に嫌な奴で、めちゃくちゃな指示や行動をして周りを引っ掻き回していたのですが、友人は先ほどの記事を読んで、その上司は昔の考え方をしていると考えたら、その行動原理がやっとわかったと言うのです。まぁ単純に言って、その上司は考え方が古い、集団を強く意識しているというわけです。

 それが事実かどうかはわかりません。まぁ言われてみて私もなるほどと思ったのですが、最近、もしかしてこれもそういった部類なのかと考えている対象が出てきました。いわゆる大学闘争時代の各派の争いや行動原理です。

 最初に言っておくと、私はこの時代の本をいくら読んだところで何も理解できないのです。それこそ民青やら共青、ブントなど、社会主義を標榜する学生のグループは当時たくさんありましたが、何故もって連中が互いに角棒で殴り合わなきゃいけないのか、赤軍派のリンチ殺人などがあったのか、全く以ってその行動原理がわからないのです。単純に自分がバカなだけだと考えてもいいのですが、バカにもバカなりに理解したい気持ちもあるので、今回こうしてまとめています。

 主な疑問点は三つ。最初に挙がってくるのはその攻撃性。あさま山荘などのリンチ殺人はもとより、火炎瓶を放り投げたり角棒で殴るなど、現在の感覚からすると異様な暴力性で、何故以ってそんな痛みの伴う活動に当時の学生は参加したのか。私なんか、こんなのゴメンです。しかもその暴力の矛先が本来なら彼らと意見が真っ向から対立する自民党シンパなどには向かわず(成田闘争は例外ですが)、同じ左翼系の組織同士でやりあっていたというのがわかりません。
 次にその主張。言っては何ですが、そのどれもがもともとの共産主義的思想からかけ離れているような気がします。そもそもソ連に範を取るというのも間違っていましたし、具体的に経済体制をどうしたいのかが彼らの主張から全く読めません。
 そして主張に関してもう一つ。当時の大学闘争時代は各学生寮が強い力を持っていたとさまざまな場所で言われていますが、現在ある大学の学生寮のホームページを見ると、その学生寮の歴史というコーナーで、「大学との交渉の結果、電気ガスなどの公共料金の負担を大学側に負わせることに成功した」と、さも誇らしげに書いてあるのが不思議でした。そんなの言ったら、いざというときに大学側が寮のライフラインを止められるという不利な状況とも取れる上に、独立自主を掲げているにも関わらず、それら料金すら払わないというのは何かが違うような気がしました。

 といったように、全くわけわからない行動原理ばかりです。最近になって、こうじゃないかという逃げ道みたいな考え方が思いついたので、続きは次回にて。

2007年12月24日月曜日

クリスマスについて

 時事ネタもそろそろ扱わないといけないので、イブでもあることですし日本におけるクリスマスについて語ろうと思います。

 最近、というよりも昔からですが、日本人はキリスト教徒が少ないにもかかわらず(確かプロテスタントが1%くらい)、クリスマスを行事として行ったり、またこの時期にカップルがいちゃいちゃするのは不謹慎だという議論がかまびすしいです。結論から言うと、何を言うかといったところでしょうか。

 第一、それを言ったら日本人に多い仏教の儀式はどうなっているのかというと、全然行われていません。初詣こそ九割近くの日本人が行きますが、お盆の墓参りなどは減っていますし、また節分などの年中行事は中国から伝来してきたものですが、日本には中国人が少ないにもかかわらずうんたらかんたらといった話は聞きません、あったら面白いけど。
 で、クリスマスについてですが、それを言ったらアメリカのほうがひどい気がします。アメリカはこの時期が一年で最も消費が進む時期で、第一サンタクロース自体がキリスト教徒は完全無縁な、北欧での行事で、それとキリスト教を絡めて不謹慎だなどという方が、そもそものキリスト教への知識が不足しているのではないかといいたい。
 更に言うなれば、以前にアメリカ人に日本のクリスマスの現状を伝え、日本はあまり細かいことを気にせずに騒ぐといったところ、アメリカ人はもっとそうだと帰ってきました。言われてみると、連中も年中何かと記念にしてパーティーを開いてます。

 そもそも、資本主義の国になっているんだから、こういう現象が起こること自体が自然の摂理だと思います。それをあれこれ宗教観と絡めて話すこと自体が非常にナンセンスだと思うし、やりたいやつにはやらせておけばいいというのが私の結論です。それ以上に、日本人はもっと別のマナーなどに注意すべきではないかと思います。モンスターペアレントとか、このところ訴えたもん勝ち的な空気だし。

 最後に一つ、自分なんかは以前に熱心にキリスト教を信奉していましたが、最近はめっきり空気も冷めました。精神的に安定してきたせいだと思いますが、自分自身、救済の対象と思わなくなったのもあると思います。

BRICSその四~チャイナ~

 ようやく最終回、でもって中国。普通にこの前会ったばかりの人に、かなり専門的な中国ネタを披露していたらやめてくれって言われました。やりすぎた。

 さてこの中国、日本の経済情報誌はほぼ毎号特集を組んでいるから非常に情報が得やすいです。なので今回は当たり前のことは書かずに、その裏側などについて書こうと思ってます。
 まず中国の主産業ですが、結構勘違いしている人もいるかもしれませんが、軽工業です。よく自動車の組み立て現場なんかの写真が紹介されるから重工業と勘違いしている人も多いのではないかと考えていますが、実際はというと衣服や簡単な生活用品の製造、組み立ての軽工業が主体です。いっちゃなんですが、富岡製糸場とかあった明示の日本に酷似しています。

 何故こうなったかというと、これも言うまでもなく中国の最大の武器である人件費の安さからです。世界最大の人口を誇るというだけあって、労働力にはまった困っていない中国なので、このような安く製品を作るということに関しては非常に強みがあります。この強みを生かして、実質、ここ数年の世界経済を牽引していたのは中国です。

 しかしそんな中国をいつまでも、ほっとくと思うなアメリカはといわんばかりに、かつて日本が歩んだように、確か去年頃にアメリカは中国に対して繊維輸入規制をかけました。要するに、中国からアメリカへ持ってくる繊維製品の量を制限したのです。これはこれから徐々にかけるであろうアメリカの中国への制裁一発目と考えることもできます。またこれまでのやり方、産業では中国もやっていけないことを暗に示した事件です。
 もっともこれに対して中国は、フィリピンなどに繊維工場を作って、第三国を経由する形で依然と輸出を続けています。ほんと、何から何まで日本と同じだ。

 で、ここからあまり言われないネタですが、このような中国経済の現況を中国人も問題視しています。かつての日本の経済成長が終わった時代には、すでにソニーや松下といったブランドが確立されていましたが、現在に至るまで中国はそのようなブランドはおろか、「安くなければ買わない」とまで言われるほどのニセモノブランドのイメージが定着しています。世界的に名の知れた企業もあえて言うなら「LENBO」位で、あとは「ハイアール」がぎりぎりアジアに知られているくらいです……何気に、経済がまだ成長していない東欧などではハイアールはよく知られてますが。
 そのほか、かつては安いといわれ続けた人件費、無限といわれた労働力も陰りが見えてきました。これは明らかに一人っ子政策の影響もありますし、以前のように3K労働を中国人がやりたがらなくなってきたこともあります。そのせいで現在、このような職場を担当している農村から来ている出稼ぎ農民の民工市場も不足し始め、各職場で人間の争奪戦が行われているらしいです。

 まぁ中国に限って言えばまだまだ書くこともありますが、ひとまずはここまで。今後もあれこれ書くだろうし。

BRICSその三~ロシア~

 大分日が空いたな。いろいろこまごまと忙しく、このところ書くのが疎かになってしまいました。まぁ書くことはいっぱいできたんだけど。

 それでようやく三本目、ロシア。ロシアとくると主産業は言うまでもなくエネルギー産業などの資源経済です。このところの原油高で最も恩恵を受けているのはこのロシアと中東諸国くらいって言うくらい、このところ儲けいています。
 で、それ以外のロシアの産業というと、正直なところぱっと浮かばないのですが、自分が持っているレアな情報として、やはり国土が広いせいか、今までロシア全域にインフラがなかなか整備されなかったようです。特に極東地方などはロシア全体で景気がいいといわれていても、どうも住んでいる人間は実感を持たなかったようです。ですがこの数年でロシア、というより大統領のプーチンはそのような地方にもインフラ整備を急激に整え、ウラジオストックなども見違えるように変化したらしいです。

 このようにインフラ開発などで現在ロシアは経済成長をしているのではないかと考えていますが、それ以上に注目すべきは東欧諸国でしょう。あまり知られていませんが東欧では石油や鉱物資源などが非常に豊富で、現在それをねらって格多国籍企が多く進出しています。またその諸国より一歩先に出ているロシアは片っ端から製品をそのような国に輸出して、逆ザヤを稼いでいるという話も聞きます。
 それにしても、ブラジルもそうですがこのロシアに関する情報は非常に不足しています。ロシアの専門家が少ないのもわかりますが、一応隣国なのだからもう少し色々広まってもいいと思うのですが。

 あと、現在ロシア実業界で流行っているのは、日本の中古車販売らしいです。なもんだから、このところ中古車を仕入れに来る不法入国者のロシア人が後を絶たないらしいです。この現象を逆手に見るのなら、ロシアでもモータリーぜーションの波が来ているということも考えられます。だからなのか、日本の自動車会社も最近、サンクトペテルブルグまで工場を立てたりしているのかもしれません。あ、この関連でもう一つレアな情報がありましたが、それはまた今度で。

 さて、最終回は自分の食い扶持の中国だ。すぐに書くけど。

2007年12月19日水曜日

BRICSその二 ~インド編~

 さて昨日に続きBRICS。今日は自分の大好きな国のインド。ロシアをやる予定でしたが繰り上げてインド。正直、インドのためなら日本は植民地になってもいいと思っている。

 さてこのインドが巷でよく言われるのは「ITのインド」といったところでしょうか。でも少し思い出して欲しい。2004年あたりは中国の次にインドが来ると言われ続けていました。一体いつになったら何が来るのでしょうか?
 恐らく、この時の予測は「投資が来る」の意味だったと思います。中国はその安い人件費から世界中から工場がやってきて、その上で投資も集まりました。しかしその投資も一時的なもので、年々上がる人件費からこの次には二番目に人口の多いこのインドが来ると言われての予想でしたが、まぁバカの壁というか、たいした根拠もなく予想を言うからこうなるのです。2007年末の現在ですと確かに投資は来てますが、依然と中国に投資が集まり、その次にはブラジルなどへと向けられています。

 さてこのインドですが昔から数字に強いのか、IT産業のメッカ、目下シリコンバレーとも言うべき様相をなしています。なんでもマイクロソフトでクレーム対応をしているのはインド人で、全社員のうちの四割を占めるほどらしいです。
 このようにIT産業ばかり目が向けられていますが、私はと言うとそれは普通の情報でしょとしか思っていません。実はこれはまだダブルソースではありませんが、インドではバイオ産業の方が底堅いとも噂を聞きます。
 あまり知られていませんがインドは医療大国で、医療費の高いアメリカから治療ツアーが組まれるほど技術が高いようです。実際にアメリカの全医者の内の一割がインド人で、インド人が反乱起こしたらセポイどころじゃなくなるほどアメリカはやばくなりそうです。
 このような医療大国という背景を反映してか、目下のところ製薬や研究の分野でものすごい勢いでインドは発達しているという情報があります。私の考えるところでも、ITはどれだけ頑張ったところでマイクロソフトの牙城を突き崩さない限りはあまり利益にならず、かえってこのようなバイオ産業の方がインドにとって価値がある気がします。

 しかしこれは中国も同様ですが、インド国内ではインフラ整備が非常に遅れています。いやむしろ、中国の二、三十年以上遅れている位と言うべきか、今でもよく停電が頻発するほどです。またカースト制度の名残が強く、食堂でも別々のカースト同士は一緒に食べないなど、あれこれと弊害が報告されています。
 このような弱点を抱えてはいますが、人権は軽い国なので現在はまぁ無視していけるでしょう。しかし長期的な視野に立った場合、しばらくは不安が付きまとう成長をするのではないかと思います。ここまで書いといて、ようやく先週の予告はロシアだったと思い出した次第であります、あしがらず。明日こそはインドの次に好きなロシアをやります。

2007年12月18日火曜日

BRICSその一 ~ブラジル編~

 最近になり就活中の学生がちらほら見えるようになりましたが、きっと年末になると連中は慌てて経済用語の勉強をする事になるでしょう。そのうち、使用頻度のピークこそ過ぎたものの、今回の題のBRICSについてもきっとそういった参考書などには載っていることでしょう。この名称自体はGS(ガソリンスタンドじゃないよ)が言い始めた名称でありますが、私はと言うと実際の中身を知っている日本のビジネスマンは実は少ないのではないかと思ってます。実際見る限り、世の中で出回っているのは明らかに偏った情報ばかりで、ちゃんと中身を知っている人はいないと思ってます。案の定というか、うちの親父はわかってなかったし。

 まぁここで解説なんかするより、てっとりばやくwikipediaの項目を見てもらう方が早いのですが、簡単に説明して、自分なりの解釈をしばらく連載で載せようと思います。なわけで、今日はBRICSのBで、ブラジルです。

 このブラジルの最大の輸出品はといったら、まぁ多分サッカー選手だといっても過言じゃないけど、この際日本はODA返済のかわりに余っているブラジルのFWを買った方が有益な気がする、ラモスとかじゃなくて。
 そんな冗談はおいといて、実は最近の主力輸出品は小型、中型の航空機らしいです。ブラジルで航空機と聞くと、耳を疑う人も多いと思います。しかしこの十年間でブラジルの重工業は大きく発達し、産業部門でもこの分野が最も成長しており、BRICSの中では軽工業の中国、IT産業のインド、エネルギー産業のロシアと並んで重工業のブラジルと称されています。
 また近年は大きな移動より細かく回数の多い移動がもてはやされる航空市場に後押しされ、非常に売れてるそうです。自前で買う人も増えてますし。

 思えば、シカゴボーイズらによって70から80年代に急激に経済成長をブラジルが遂げた時は、あと数年で日本を追い越すとまで言われていたらしいです。しかし現在作家としても名をはせている藤原正彦氏は、ブラジルでは数学などの抽象的な学問分野のレベルが低いため、今にボロが出ると言いつづけて、実際にその予言どおりになりました。現在は逆に藤原正彦氏はブラジルでもこの手の学問分野が成長し、今度の成長は底堅いとも言っております。

 何気に、今日知り合いにアメリカの大学では経済学部の学生にいきなりハイデッガーを一週間で200ページも読ませるという話を聞きました。こういった実生活で役に立たない分野の学問がすべての根幹を作るということを、アメリカ人はわかっているといっていました。そう考えると、各地で抽象的学問分野の学部や学科が閉鎖、統合されている日本はどうなるのかと、なかなか考えさせられます。

 ブラジルについてはまだまだルーラ政権と絡めていろいろいえますが、とりあえずは今日はここまで。次回はRのロシアです。

2007年12月16日日曜日

ひこにゃん騒動について

 最近、知り合いの論文製作を手伝ってて、段々文章を書くのに飽きてきてます。まさか三人も面倒を見ることになるなんて……。

 で、早速今日のお題のひこにゃん騒動ですが、全国ニュースでもなっていましたからわかっている人も多いでしょう。彦根城400年祭りにて使われたマスコットキャラクターのひこにゃんについて、その後の肖像権の存続を巡って作者側と彦根市が争っていた裁判です。結果的には丸く収まったようですが、なかなか人を考えさせるテーマだったと思っています。
 というのも、作者側の意図しない要素、ひこにゃんが肉食だとかそういった特徴が不当だったというのが主な争点でしたが、何もキャラクターに限らずとも、昔から周囲が作者の意図を超えて作品を作る問題はよくあります。一番代表的なのはコナン・ドイルの「シャーロックホームズ」で、作者は話を終えようとホームズを行方不明にさせますが、その結末に激怒したファンによって、結果的にシリーズは再開されました。またもう一つ、スティーブン・キングの「ミザリー」は、ファンによって作品内容の変更を暴力的に迫られる話を書いてあり、キングの苦悩が察せられます。

 キングなどはよく作品が映画化されてますが、作者の方はと言うとほとんどが余計な脚本など加えられたりして、非常に不満が募ったとよく言っています。しかし悲しいかな、彼が最も不満を持った映画「シャイニング」に至っては主演のジャック・ニコルソンの名演技ぶりが今でも高く評価されています。私個人では、キング自身が監督したテレビシリーズの方が好きですが。

 実はこのように書くには訳があって、私自身も似たような体験をした事があります。昔書いた小説があるゲームの出だしの話と酷似していると言われ、わずかながら殺意にも似た感情を相手に持ちました。まぁ私の主観で言ってもしょうがないですが、話自体は非常に王道的かつ普遍的なもので、似ている作品を挙げろ言うのならば三桁は言えるような話でした。それが特定の作品につなげられたのは、読者の側が私の小説に対してゲームの話を当てはめて見たからだったと思います。
 結果的にはその作品で言いたかった事もあまり伝わらず、続きを書いても似てる、似てるといわれ、ほとほと疲れてすぐやめちゃいましたが、読者に作品が読まれる快感はもちろんあるのですが、その一方でこのような不満を感じる事もあるのかと当時は悩みました。

 しかし基本的にどの形態であれ作品というのは、一度世に出てしまえば作者の手から離れてしまうものだと思います。一方で評価するものいれば非難するものいて、作者の主張を受け入れるものいればそれを捻じ曲げて拒否、変えてしまう者もいるでしょう。それに対して作者があれこれ反論、弁論するのはお門違い、作品を生む段階で、それを初めから覚悟すべきだと思います。

 最後におまけですが、キングは自身の作品の映画化について大抵批判しますが、「スタンド・バイ・ミー」、「ドリームキャッチャー」については非常に誉めています。この両作品は私もとても気に入っているので、もし機会があれば見ることおすすめします。

2007年12月15日土曜日

アメリカの人口について

 実はアメリカの人口で、ある比率が40%台に乗っているらしいです。これが何の比率かと言うと、有色人種の比率です。実際にこれまでアメリカ社会はWASPでなければ出世しないと言われてきましたが、大統領選でオバマ候補が活躍するなど、有色人種の活躍が大分目に付くようになりました。

 とはいえ、人口がここまできていると知っていた人は少ないのではないかと思います。近年増えているのはやはりというか、南米のインディオ系やその混血であるメスティーソらしいですが、ここですこし想像を膨らませて見ましょう。もし、このまま増えつづけ、有色人種人口が白人人口を追い越したら……。

 はっきり言って、これはもう後十数年くらいでありえる自体です。やはり社会的に下層、つまり有色人種層ほど出産率は高くなる傾向にありますし、移民を含めてぼんぼんアメリカに入ってきています。さてさて、本当にそうなったら、白人層は黙ってこの事実を受け入れるのでしょうか。まずもって、大統領選なんかは不利になりますが。

 恐らく、現在の白人の支配層は選挙区などを弄くって(現在でも相当弄ってますが)、どうにかこうにか白人に有利な体制を保とうとするでしょう。別に悪い事だとは言いませんが、それに対してアメリカの中でどのような社会的反発が生まれるかなどには興味があります。
 というより、有色人種人口が増えて白人が少数派に至り、クークラックスクランの逆、黒人至上主義みたいのが生まれてくるんでしょうかね。個人的には真っ黒い格好した連中がよってたかって白人をいじめる光景を想像するとその以前までのギャップに、やや不謹慎ながら笑いがこみ上げてきます。でも、暗闇でそんな真っ黒い格好なんかしたら、誰がどこにいるかわかり辛いだろうな。

外国人の参政権について

 いつも長々書いているので、今日くらいは短くまとめられたらいいです。

 さて先日に在日韓国人が参政権を求めて、大きなニュースにもなりましたが、そんな事報道してるくらいならまず日本人の参政権の平等を求めるべきでしょう。現在外国に滞在中だと、日本人は国政選挙で投票する事が出来ません。前もって長ったらしい手続きをしていれば、大使館などで比例選挙のみは投票できますが、こんだけITの発達した時代にも関わらず地方選挙は施政方針などがわからないとして投票できません。こんな古い制度が残っているのは非常に問題でしょう。実際にアメリカ大統領選挙では、在外投票が勝敗を左右するとも言われているのに。

 更に言うなれば選挙日に同じ国内にいても、不在者投票がしづらいというのも問題です。住民票のある地域に対してこれまた前もって長ったらしい手続きが要ります。まぁこれを言い出したら、日本の戸籍制度自体根本から変えたいのですが。

 さて外国人の参政権についてですが、あれこれ言われていますが、個人的に思っている事は有能な人間であれば国籍など無視してどんどん雇うべきじゃないでしょうか。もちろん、無能ならば相手にするまでもありませんが。ただ流石に国会議員に突然妙な国の人間が入ってくると、流石に誰でも戸惑いは覚えるでしょう。しかしかつての中国、戦国時代の秦はというと、商オウ、ハンショ、リシと、三者も外国人でありながら宰相を出しており、どの人物も宰相にいた時代に秦は急拡大しています。まぁこんな抜本的な改革するから秦は強かったんだけど。
 今の中国として同じでも、彼らは当時は文字も違えば言葉も違う国から来た人間で、言うなればいきなり外国人が日本で総理大臣をやるようなもんです。もちろん自国人の反発もすさまじく、天寿を全うしたのはハンショだけです。

 ただ国の忠誠心とか文化とか言う前に、有能な人間には相応する地位につける事が、結果的には万民のためになると思います。現在、この手の人事が行われているのは学者などのアカデミズムの世界とビジネスの世界で、まだ政治の世界は程遠い気がします。前はいましたが、今アイヌ出身の国会議員はいるのだろうか。

続、ミクシ発の自爆炎上について

 前回に引き続いて、ミクシ発の自爆炎上について書きます。
 さてここで言うまでもなく、このような騒動が起こる一方、何でこんな自らを不利にさせるような自爆をわざわざやらかすのかという疑問は、誰もが一回は思いつく事でしょう。
 2ちゃんねる内では単純にその原因はいわゆる「ゆとり脳」と、最近の子供はあまり賢くなくてどうなるかがわからないという理由を挙げる人が多いような気もしますが、そんなこといったら「私の友達の友達はアルカイダだ」といった例の法務大臣なんかは立場がなくなっちゃいます。

 実を言うとこの手の事件を見るたびに、私は一つの納得みたいな感情を覚えます。それと同時に、ある童話のタイトルが浮かんできます。もったいぶらずに言うと、「王様の耳はロバの耳」です。
 何もこの童話の内容までいちいち説明まではしませんが、最近よく、本当にこの童話は良くできているなぁと感じる事が多いです。というのも、この童話でかかれているように、人間って言うのは本質的に秘密が守れない生物なんだと考える事が増えてきたからです。

 誰しも、人に言えない秘密を抱えると、言ってはいけないのにうずうずするという事があるでしょう。私なんかは文系の社会学士出身の癖になにかと人間の行動原理をリチャード・ドーキンスに全部求めがちな理系かぶれで、大体の行動を「本能ゆえに」という結論に落としたがります。今回の例も同様で、人間ってのは秘密を、というより情報を抱え切れず、人になるべく伝達しようという本能がある気がします。
 まぁ単純に、動物行動学なんかでも情報をなるべく伝達する事が種の生存に繋がるということで、決して突飛な発想ではないと思います。心理学なんかはタブーの心理学としてこの手の分析を行いますが、社会学的に敢えて考えるのなら、他人が欲する情報を自らが持っているということを示し、優越感を感じたいという心理行動とでも分析するのですかね。

 それはともかくとして、このミクシの自爆炎上というのもそのような本能が破滅へと追いやるのが原因だと思います。それこそ昔ならばごくごく小さい輪の中で、ごく親しい友人らに洩らす程度だったのが昨今のIT革命の影響で、一挙に押し広がるようになった事が、今だよくわかっていない連中がこうした事件を起こしている気がします。
 それはいわば慢心とも取れますし、うかつとも取れます。しかし逆に感がるのならば、このように一挙に情報を発信できるようになり、その秘密をばらした際の快感も増大しているとも取れます。それゆえにあからさまに自分に害を成す情報といえども、その快感に負けるのか洩らしてしまうという風にも考えられるのではないでしょうか。実際にこうしてブログを始めた自分も、少なからずその情報発信の快感を感じています。

 このような秘密を守れないという心理を書いたものは先の「王様の耳はロバの耳」だけに限るわけではありません。もっともこの手の心理を事細かに追究した作品というのはほかでもなく、「罪と罰」でしょう。簡単にそのくだりを述べると、殺人を犯した主人公に対して刑事が、「こういう事件の犯人ってのはね、こっちが知らぬ存ぜぬ振りして事件について大枠に話していると、へへっ、面白いことに自分からぺらぺらやったことをしゃべりだすんですよ」と話しており、この作品の愛読者達にとって名シーンに挙げられています。そして実際に、主人公は殺人を最後は告白するに至ってます。

 そういう意味で、秘密を守れる人材というのは非常に貴重な気がします。たとえ他の能力がなくとも、その秘密を守る能力があるだけでも身近に取っておくべきかもしれません。特に外交や諜報に関わる人間でしたら尚更でしょう。
 先日、私の住むマンションで自殺があったらしいのですが、その当時の自治会長をしていた女性はその立場からその自殺者の葬式に出ていたらしいです。その女性に対して下世話なうちの母親はというと、あの手この手でようやく掴んだ苗字から、その苗字に該当する二人の人物のうちのどちらかだろうと詰め寄ったものの、「私の口からは言えない」と、とうとう口を割る事は出来ませんでした。世が世なら、この女性はタフネゴシエーターとなった事でしょう。

2007年12月14日金曜日

ミクシ発の自爆炎上について

 まずは昨日の話の続き。
 先の投稿にて小沢の行方について言及しましたが、今朝のテレビ朝日の報道によると、どうやら案の定というか選挙に向けて全国行脚を再開しているようです。道理で政局に絡んで鳩山しか出ないかと思ったら、民主党はきちんと機能を分けているなぁ。

 それで、今回のネタです。今回は最近あちこちで起こっているmixi、まぁ面倒くさいか後はミクシって書くけど、ここで続々と起こる炎上事件についてです。
 まずいままでのおさらいですが、最初にミクシで起こった代表的な炎上事件と呼べるのは俗に言う、「コロンビア事件」でしょう。これはアタック25で優勝した男性が自身のミクシ内の日記にて、予選のペーパーテストの最中カンニングをしたと言った事から発展し、優勝は不当だとあちこちで取り上げられるようになった事件です。
 そして次の事件は現在もまだ盛り上がっている、「ケンタッキーゴキブリ事件」です。これはニコニコ動画にて炎上した「テラ豚丼事件」に触発されたのか、これまたミクシ内の日記にてケンタッキーのアルバイト中にゴキブリをふざけて揚げ殺したと高校生が自慢げに語った事がきっかけで、この日記の作者は実名やら学校名やらさらされた挙句激しく批判され、スポーツ新聞の報道によると学校まで退学する事になったそうです。
 そしてこれはかなりホットな話題ですが、またもや先の事件に触発されたのか、ある大学生がミクシ内にてバーミヤンでのあるバイト中、ラーメン鍋にゴキブリが入っていても客に出していたと告白し、バーミヤン側も事実無根と反論するなど泥沼化し、現在この日記の作者である大学生の行方が注目されています。

 まぁこれに限るわけではないですが、この手の2ちゃんねる発のバカ騒ぎについては批判も多く、今回に限っては二番目の事件で高校生が退学にまで追い込まれた事について、やりすぎだったという逆批判も起こっています。その一方、自ら犯罪を告白しており、またその内容も取り方によっては威力業務妨害にも繋がりかねない内容である故に、当然の制裁だという意見もあります。また逆に、ある意味で不衛生な厨房環境の事実を述べたに過ぎず、内部告発として受け止めるべきだという意見もあります。

 ここからが私の意見になりますが、やはり私は後ろの二つの事件に関しては、威力業務妨害にあたるとして、両者への批判は社会的制裁として当然の結果だと思います。むしろ販売店側とすれば、クリスマス商戦を控えてのこの時期にこんな報道をされてその損害は計り知れず、両者へ対して賠償補償を取ってもいいのではないかと思います。
 確かに後者の意見、内部告発と考える事もできるのですが、ミートホープの社長じゃないですが、消費者の側も食の安全がタダで保障されていると過信するのは問題でしょう。外食系でアルバイトをしたものならば、厨房にゴキブリが巣食うのはしょうがないことだとわかる事ですし、それを考慮に入れた上で外食店は利用するかどうか、消費者自身が決めるべきだと私は思っています。もちろん過度に不衛生である、ミートホープや雪印食品のような例は問題ですが。

 ただ今回の問題を少しややこしくしているのは、自爆したケンタッキーの方があまりの批判に対して、「実は嘘でした」と、自分の発言を引っ込めている点です。それこそ彼の言うとおりの事実があったならば、販売店側は賠償請求をする事はお門違いでしょう。ですが本当に嘘だったならば、これは疑いようもなく威力業務妨害になります。そういった意味で、顔や実名は明かさずとも、ケンタッキーとバーミヤンの事件の張本人は、それぞれの販売店と一緒に記者会見か、事実報告を行わなければこの騒動はまだしばらく続くでしょう。実際、2ちゃんねるなどではケンタッキー側が事実隠蔽をはかっているのではないかと、疑惑の目を持っています。

 とまぁ、本当に書きたかったことはこんなのじゃないんですけど、続きは次の投稿で。余裕があれば今晩中に書きます。にしても、えらく文章が多くて硬派なブログだなぁ。

2007年12月13日木曜日

年末国会について

 たまには時事問題もやろうかということで、今回は選挙に絡む国会の話です。

 恐らく明日にでも自民党は会期延長を行い、通年国会に発展するのは必死ですが、現在はそれ以上に、次の総選挙がいつかという事が焦点になりつつあります。自民党、というよりも福田総理は七月の洞爺湖サミット以降にしたいというのが本音でしょうが、民主党としては参議院選挙の勝利の勢いに乗りたいのもあり、来年度の予算案が固まる四月に行いたいところでしょう。

 結論から言うと、四月に総選挙が行われる可能性は高いでしょう。というのも、現在あちこちで選挙の準備が始まっているのがその根拠です。
 まず自民党の選挙対策委員長の古賀誠がいわゆる小泉チルドレンに対して比例名簿に公認として載せないと発表しました。この時期にこんな事を言うのは、まず選挙をにらんでの事と思って間違いないでしょう。そして政局の小泉と呼ばれた元首相の小泉純一郎も、私的な会合にて四月に選挙がある、チルドレンは選挙を他人任せに思っていてはいけないと言っており、上層部は既にチルドレンを切る方向で行く事がうかがえます。

 かた相手の民主党にとっても、四月はあらゆる点で有利になるゆえ堂々と受ける可能性が高いでしょう。なぜなら来年度の予算審議にて、来年途中に切れる揮発油税が大きく取り上げられる事が予想されます。元々、わかっている人にとっては知られている法律で、時限立法であるということを考えると、日本の司法が期限が切れるたびに更新されているという状況について違憲判断を下さないのがそもそもおかしな法律です。それが今回の原油高と共に一般マスメディアにおいても大きくクローズアップされて、ガソリンの値段を下げるべきだという声と共に廃止する声が非常に高まってきています。
 もちろん自民党としてはそんな案は飲めないに決まっています。この問題に絡めて民主党はごねればごねるほど選挙でも有利になり、昨今の防衛省問題と絡めて格好の批判材料ともなり、民主党にしては珍しく世論と合致した行動が取れそうです。

 ではなぜそれほどまでに不利な状況下にも関わらず、自民党も四月説をうかがわせるような動きを見せるのだろうか? これについてはいくつか仮説が立てられます。一つは、今回の防衛省問題で出てきた山田洋行問題を、四月にカミングアウトして逆転劇を狙う仮説です。
 もともと、山田洋行は自民党時代の小沢一郎と関わりの深い企業で、その癒着ぶりはあちこちの週刊誌でも取り上げられています。この事実を選挙前にぶちまけて、一気に信頼を落とす、というか今までの民主党のパターンで倒すという作戦を自民が練っているのではないかという考え方です。何気に、自民党はこの手の手法に長けていますし。
 もう一つの仮説が、これも今もめている薬害肝炎問題を選挙前に劇的に政治決着させて、支持を得るという方法です。そのために今、粘るだけ粘って冷たいそぶりをしているという考え方ですが、これは自分でも、ちょっとどうかなという仮説ですね。

 しかし最近民主党を見ていると、前回の大連立事件があまり影響を与えていないのが驚きです。むしろ、小沢の影響力が弱まり、かえって反感を持っていた民主党議員がやる気になったりと、前より元気そうに見えます。
 それはそれでいいのですが、ひとつ気になることとして、あの大連立事件以降、小沢がほとんど表に出てこなくなったのがどこも報道していません。前以上に健康が悪くなったのか、イメージを嫌って民主党上層部が隠しているのか。それとも前回の参議院選同様、既に地方回りを始めているのか。この小沢の行方が、今一番気になる動向です。

2007年12月12日水曜日

戊辰戦争で、もし幕府が勝っていたら?

 私自身はあまり読まないのですが、巷ではいわゆる「歴史If小説」が数多くあります。聞く限り大抵の内容はやはり二次大戦中のものが多いらしいですが、歴史学でもよく「もしもがあれば」という形で議論をする事が多いですので、こういうのも流行るのだと思います。

 実は先日、何気なくウィキペディアで歴史関連の記事を眺めていたら、「もし戊辰で幕府軍が勝っていたらどうなったんだろう?」という疑問が突然涌いてきました。思えばよく漫画などで、信長が後数年生きていたらとか、家康が実は死んでいたなどはよく見るけど、この手のIf物はあまりお目にかかっていない。歴史学の検証も、これというものは聞いた事がないなと思い、早速自分の幕閣ならぬ、友人らにも尋ねてみました。

 で、そうやって何人から意見を集約したのですが、結論を先に言うと、恐らく大きな歴史の変化はないだろうということに落ち着きました。もはやあの時点で欧米列強に対して攘夷は不可能と薩長、幕府ともに共通了解事項であり、欧米の力を借りての富国強兵論にて一致しており、後は薩長と幕府のどちらが主導権を握るかの争いでしかなかった、というのが主な理由です。
 私などは幕府が勝っていたら、老害とも言うべき、幕府の老年の重臣が残り、維新は起こるとしてもその改革スピードは鈍化しただろう、特に廃藩置県はああも断行は出来なかったと思っています。何気に、以前に叔父とも議論しましたが、何ゆえ明治維新はあれほど成功したのかと言うと、やはり老害を廃し、若く実力のある者が一気に世に踊り出たからだろうという意見に落ち着きました。これは幕府の側だと起こらなかっただろうし、また武士の首魁とも言うべき徳川家の立場からすると、既得権益層である武士層を切る事は容易ではないでしょう。

 しかし、その逆の幕府が勝っていた場合の優位な条件もあります。まず第一に幕府側の優秀な人材、特に戊辰で戦死した者や失脚した者が世に出られた可能性です。これを言うと真っ先に友人らからも出てきたのが、長岡藩士河井継之助。あの時代にガトリングガンを仕入れたり、奪われた城を奪い返すなど、佐幕派の藩士の中で際立った活躍をしていますが、生憎戦死しています。
 そして次に挙げられるのが榎本武揚。もっとも彼の場合はその後復権して、初代伊藤博文内閣にも参加していますが、明治の序盤ではやはり不遇を囲ってしまい、最初からその才能が使えなかったのが惜しまれます。
 何もここに挙げた二人以外にも、幕府側には洋行組、海外を視察した経験のある者が数多くいたといいます。そのような人材等を考えると、確かに維新政府を作った薩長土肥の優秀な人材らにも負けてないような気がします。もっとも、恐らく幕府が勝ったところで薩長の人材は退散を余儀なくされたでしょうが、土佐と肥前に至っては戊辰に至るまではどちらかと言うと佐幕派的な立場にあり、板垣退助や大隈重信などは薩長が勝った歴史よりも重鎮になっていた可能性すらあります。

 それで、肝心要の幕府軍は戊辰に勝てる可能性は合ったのかについてですが、これは普通にやってれば勝てたと思います。というのも鳥羽伏見の戦いは不意打ち的にやられたもので、幕府側の戦力は依然として残っていたからです。にも関わらず徳川慶喜がいきなり大阪から江戸に逃げてしまい、親藩大名を始めとした勢力が一挙に薩長に下ったのが勝敗を分けた原因だと思うからです。実際には物量ともに幕府は負けてなかったと思うんですよね。

 まぁ所詮は「もしも」という想像の範囲内ですが、最後の結論というか自分の考えだと、恐らく幕府が勝ったところでも、日本国の初代総理大臣は伊藤博文になったと思います。あの時代にあの若さで、個人的には伊藤博文が傑出した能力を持っていると考えるのがその理由です。もし対抗馬を挙げるならば、年齢的には榎本武揚が来る可能性がありますが、恐らく薩長、幕府のどちらに分岐しようとも、日本の歴史は伊藤博文にて集約されるというのが私の結論です。

中国と韓国が仲が悪い件について

 最近、あちこちの掲示板まとめサイトなどで、中国の新聞の調査によると中国人がもっとも嫌いな国の人は韓国人だったというニュースをよく見ます。このニュースの日本人の反応はと言うと、自分が見る限り結構意外だったというような反応が多い気がします。
 実を言うと、以前からこの件については相当、歪曲とまでは言わないまでにしろ、誤解された考え方が日本では支配的だった気がします。よく2ちゃんねるなどを見ていると、韓国人は中国を宗主国、中国は韓国を弟分のように思っているような記述が見られますが、現実はさにあらず、両国事情に詳しい人なんかはわかっていると思いますが、実は政府レベルでも結構仲が悪いです。

 そもそも日本の首相による靖国参拝が行われると、決まって両国から真っ先に非難がくるので、同じ考え方を持つのだからてっきり両国は仲がいいんじゃなかという風に思っている人が多いのかもしれません。しかしここでよく考えてみよう。確かに両国から非難がくるのは日本にとって日常茶飯事ですが、両国が今まで揃い踏んで日本を非難した事は私が確認する限り一度もありません。お互いに、日本を非難する時はそれぞれ別々に今までやってきています。

 それこそ同じ戦争責任を非難するのなら日米のように共同声明を発してもいいくらいですし、2ちゃんねるの言う通り、宗主国と属国の関係ならばそうするのが自然でしょう。ですが実際はと言うと、両国はそもそも朝鮮戦争で戦いあった敵国同士で、近年だと北朝鮮の所属を巡って争いが起きています。
 それがよく現れているのが、両国の空港ロビーです。たとえばソウル空港などは、友人の話ですと、到着ロビーにつくなり、「高句麗は朝鮮の中の国だった」という、地図付きの大きな宣言が書かれた絵が出てきたそうです。で、中国はと言うと、北京空港ではかつての中国の版図が描かれた地図がロビーにあり、そこでは高句麗、つまり今の北朝鮮の領域までも中国のものとなっています。
 これは言うまでもなく、北朝鮮が崩壊した後にその領土がどちらに帰属するかで両国が対立している証拠です。まだ金正日がいるのに、随分と気の早いことだと思いますが。

 このような領土問題以外でも漁業権やら農業問題などで両国は現在もバトルの真っ最中です。また政府レベルではなくて民間レベルに至っても、韓国人は中国人のことを「ダサい」と思っており、中国人も韓国人にそう思われていることがわかっているので「なにくそっ」と反感を持っていると聞いた事があります。
 また、近年日本では中国語の需要がビジネスを中心に高いですが、それは中国も同じで、日本語の需要が非常に高いです。では韓国語はどうかと、これは直接に私自身が中国人のビジネスマンに尋ねましたが、中国だと東北部には朝鮮族が多く住んでおり、会話は彼らがやるのであまり需要はないらしいです。
 逆に韓国では日本と同様に中国語の需要が高いらしいのですが、日本と違って片思いらしいです。少し可哀相。

 私自身、中国に滞在した経験があってこの問題に早くから目をつけていましたが、私の実感でも中国は日本以上に韓国と仲が悪いような気がします。日韓中の三国は言うまでもなく東アジアのキーパーソンたる国同士ですが、お互いの関係をよく理解していないと結構状況を読み違えるので、注意すべしでしょう。

今更ながらフセインさん

 今更ながら、以前に処刑されたフセイン元イラク大統領について書こうと思います。
 実は彼が処刑された当時、何故マスメディアは今回話す内容について,どこも意見を書かないのか非常に疑問でした。それは多分何か理由あるとかないとかではなく、単純に気づかなかっただけだと思うのですが、非常に重要な問題なので、今回ここで問題提起を兼ねて私が意見を書いておきます。

 その問題とは、ずばり何故フセインは国連の査察を受けなかったということです。
 現在に至るまでアメリカ軍はイラクにおいて大量殺戮兵器の証拠を見つけるどころか、そもそもの情報は間違っていたとまで言っています。つまり、開戦前にイラクは大量殺戮兵器を所有していなかったことになります。それなら何故フセインは国連の査察を受け入れなかったのでしょうか。ないならないで査察を受け入れても何の実害はないし、すくなくとも、査察を受け入れる事でアメリカの主張していた兵器の保有は否定されて、場合によれば戦争の回避から自らの破滅を避ける事まで出来たかもしれません。にも関わらず、開戦前にフセインは頑なに査察受け入れを拒否しました。その理由とは如何に?

 考えられる理由は今のところ二つあり、そのうちの一つはあきらめです。
 たとえ査察を受け入れようとも、どっちにしろアメリカによって難癖つけられて攻撃される。ならばじたばたしないで最後までアメリカの脅しに屈しないように査察を受けなかった、という感じです。これなら無理して攻め込んだアメリカが後に兵器が見つからず、現在のように戦争のその正当性が疑問視されるといった、最後っ屁をかます事が出来るので、それをフセインが狙ったという理由です。ま、正直言ってこれはないと私は思います。

 で、肝心のもう一つの理由。それはフセインの驕りです。
 実は彼、これには前科があって、湾岸戦争時にアメリカは介入してこないだろうと誤算を起こしてました。もっともこれはアメリカの陰謀説などいろいろありますが、結果的には彼の読み違いからアメリカによる攻撃を受けています。それと同じで今回も、「アメリカはいろいろ言ってくるが、まさか本気で戦争にまで持ち込まないだろう」という風に、フセインが状況を読み違えたのが真相だと私は思います。

 もっとも、最初の「あきらめ説」のように、どっちにしろアメリカは難癖つけて戦争は起こったと思います。しかし査察を受けていればまだ開戦時にアメリカの正当性が揺らぐなど、フセインに有利な政治効果があったと思います。もちろんこれは結果論で、フセインを一概に批判する気はありませんが、少なくとも査察をフセインが受けなかった事でもっとも得をしたのは、恐らく日本でしょう。なにせ自衛隊派遣の際に、「兵器がないなら査察を受け入れているはずでしょう」と、当時の小泉元首相の言い訳が強引ながら立ったのですから。

2007年12月9日日曜日

始めの一歩

 まずは最初の投稿です。
 とりあえずブログを始めるにあたって、ここで何を書くのかを簡単に書いてみようかと思います。
 主に書く内容はやはりニュース解説で、それ以外には身近にあった面白い話や、調子がよければまとまったエッセイなんかものっけていこうかと思ってます。そういうわけで、三日坊主にならなければいいなぁ。