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2023年7月31日月曜日

中国経済に関するリチャード・クー氏の評論

 アラブ人顔で会社でのあだ名が一時期「ビンラディン」だったうちの親父の写真を今日、中国人の同僚に見せたところ、一目見るなり「新疆(ウイグル)人だ!」という声が上がってきました。中国人からしたらああいうアラブ系の顔は新疆人に見えるということを、今日発見しました。


 話は本題ですが、上記リンク先にあるエコノミストのリチャード・クー氏の中国経済に関する評論が面白かったので紹介します。なおクー氏については「クーさん」と呼ぶとすごくかわいく聞こえるなと思います。

 そのクーさんの評論ですが記事にもある通り「バランスシート理論」がベースとなっており、これは経済規模に関して支出と収入は常に同規模となるはずであり、経済規模を拡大、つまり経済成長するには社会が一定の借金をしなければ理論上実現しないという、言われてみてなるほどという理論を唱えています。
 この理論をもとにすると、経済成長を続けるには社会における借金額が増え続けなければならず、具体的には銀行の貸出量(マネーサプライだっけ?)が増え続けなければなりません。しかし中国は2016年の段階で先行きへの不安から借金を減らしていこうとする動きが社会に見られ、実際に貸出量も先細って言ったそうです。その点から見ると、中国の不況は2016年時点ですでに始まっていたというのがクーさんの見方です。

 この見方については私も同感で、不況というのは好景気と思われている時点ですでに始まっているものだと考えており、今の中国は市民レベルですら不況を実感するくらいまで具現化しているものの、その端緒という意味では確かに2016年くらいから始まっていたのかもしれないという気がします。何故かというと、銀行の定期金利がちょうどこのころ辺りから5%を切るようになり、その後もずっと目減りし続けていたからです。
 最近は諸般の事情で私は定期預金をやらなくなりましたが、2017年くらいなら4%台の金利は余裕でしたが、2019年になると3%台後半すらなくなり、羽振り悪いなぁと思いつつスマホで定期預金をよく申し込んでいました。今思うと、ああした市場金利の落ち込みを見過ごすべきじゃなかったかもしれません。

 以上のような見解を踏まえてクーさんは、景気打開のためには財政出動が否応にも必要であり、コロナ対策に追われ財政基盤が揺らいでいる地方政府には期待できず、中央政府が大規模な対策を打つべきであり、対策をきちんと打てれば何とかなるという見方を示しています。それに対し、


 そのクーさんの意見に対しこちらの藤和彦氏は、現状に対するクーさんの分析には同意しつつも、果たして大規模な財政出動を中国が行えるのかと、疑問を呈しています。何故行えないのかという理由に関して藤氏はあまり説明しておらず、文面を見る限り根拠がやや弱いと私は感じますが、実際に中国政府が財政出動に踏み切れるかに関しては自分も疑問視しています。

 その理由としては、中国の税収、貿易黒字による外貨獲得が弱まってきており、今投入した分の資金を将来に回収できるかという点で懸念があること。次に、クーさんも指摘している通り中国では既に人口減少が始まっており、経済規模、税収が今後も拡大し続けるかという点でも大きな懸念があるという理由からです。
 これまで、特にリーマンショックの起きた2008年であれば中国は人口が拡大しており、それ以上にプライマリーバランスが常に黒字で尚且つ更なる増収がはっきり見込めました。それだけに大量の資金投入を行ってリーマンショックからいち早く脱することができましたが、今の人口が先細っている中国で同じことできる、というより政策担当者が決断できるかと言ったら、確率は確実に以前よりは低くなるでしょう。そういう意味ではクーさんの言ってる通りに、まだ人口減少が始まっていなかった段階でバブル崩壊にあった日本の方が状況的にマシだったのかもしれません。

 私個人の見方では、やはり日本の例に則るとしたら財政出動は出動でも、景気刺激のためのインフラ投資などに使うのではなく、まとめて不良債権処理に用いる方がいいのではないかと思います。中国の消費者が借金をしないのは先行き不安からであり、その不安の源泉は不良債権というか借金の規模によるものであれば、経済規模は一時縮小するものの、損切りしてでも不良債権処理に舵を切るべきではないかというのが自分の見方です。不良債権はいつまでたっても不良債権であり、特にデフレに入ってしまえばその重みはますます増してくることを考えれば、デフレに入る前のインフレ段階で思い切り処理するのが最善手というわけです。

 ただ、既に恒大不動産をはじめ国が傾くくらいの負債を抱えた企業も今の中国には少なくありません。こうした企業をどう処理するかに当たっては、これまた日本の例にとるならば産業再生機構の
ような不良債権企業を抱え込む組織を作るのが一番な気がします。日本の産業再生機構も、潰そうにも潰すと国が傾くくらいの借金を抱えたダイエーを処理するために作られたんだし。

 このように考えると、本当に日本の後を今中国が追っているように見えてなりません。あんまり日本の過去になぞらえてみるのも視野を狭くするのでよくないと思いつつも、現状の中国においては日本の過去の対応が一番参考になるように思え、この際だから中国は竹中平蔵氏を招聘したらどうかなとすら最近思うようになっています。なんか彼だと中国とは意外と相性よさそうに見えるし。

 にしてもこれからウイグル人を見ると親父を嫌でも連想しちまうんだろうな(´・ω・)

2023年7月30日日曜日

なんでも「(´・д・`)ヤダ」だった谷干城

 最近、明治のテクノクラートという観点から批判閥でありながら政権中枢で徴用されてきた人材について着目し初め、一通りこれらに該当する人材について伝記を読み漁っています。具体的な人物としては、前回にも取り上げた原敬もそうですが、最も知名度の高い人物となると紀伊藩出身で外務大臣を務めた陸奥宗光でしょう。そして陸奥に続く形で元幕臣の榎本武明、土佐藩出身の谷干城がこれに続き、このうち谷干城についてはあんま調べたことがないので以下の本を買って読んでみました。



 谷干城と言えば西南戦争で熊本城に籠り、事実上、西郷軍撃退において最も功績の高い働きをした軍人として有名ですが、第一次伊藤博文内閣で初代農商務大臣になるなど、政治家としても要職を務めました。そんな経歴ながら陸軍の非主流派として政権や長州閥に度々楯突いたりするなど反骨精神のある人物であったと聞いていたので、改めてどんな人物であったのか伝記で読んでみたら、自分の想像以上に反骨の相に溢れた人物でした。
 なお谷干城の「干城」は戸籍名だと「たてき」ですが、本人はよく「かんじょう」と呼んでいたそうです。名前の由来は中国の古典の一説にある「干(=盾)となり城となり」という意味の文章からだそうです。

 話を戻すと、坂本龍馬の二歳下という同年代で谷干城は土佐藩に生まれており、代々の神道学者という家でした。長じて本人も当初は学者として採用されますが、神道の家計なだけあって徐々に尊王攘夷運動にのめりこむようになり、公武合体派で土佐藩の政治を仕切っていた吉田東洋を目の敵にしていたそうです。
 そのため吉田東洋が暗殺された際は真っ先に犯人と疑われたそうですが、暗殺直前に東洋と面談した際は普段から悪口言っている自分に快く時間を割いてくれ、またその主張も筋が経っており評価を見直したと述べています。ある意味、これ以降の彼を暗示しているかのような変節の一端が見えます。

 その後、土佐藩を尊王攘夷へと政策を変えさせようと動きつつ、途中で薩摩や長州と連携して徐々に尊王討幕へと方針を変え、土佐藩兵を京都に出兵させて無理やり討幕に加担させようとするなど過激な行動を取るようになります。大政奉還を経て討幕路線が固まると、同じ土佐藩の板垣退助らとともに土佐藩兵を率いて各地を転戦し、元新選組を甲州で殲滅するなど高い軍功を挙げていきます。
 その後、明治時代に入ると当初は土佐藩の執政として班内改革を進めますが、廃藩置県を経て中央政府に合流し、軍事指揮官として各地に赴任し、西南戦争直前に熊本鎮台司令として赴任します。なおこの人事の裏には、土佐出身で且つ天皇への忠誠が強い谷なら西郷軍に裏切らないという思惑があったそうで、その期待に応え見事西郷軍を撃退します。

 その後、しばらくは軍人として活動するも徐々に政治家に転身し、農商務大臣就任後は主に貴族院議員として活動しています。

 以上が主な彼の経歴ですが、改めて細かく政治思想や言動を追っていくと以上に変節の激しい人物であったというのが正直な感想です。具体的な変節ぶりを如何にまとめます。

・尊王攘夷→尊王討幕→攘夷はやっぱ不可能
・台湾出兵(1874年)に出陣→この際、清と戦争してやっつけろ!→日清戦争(1894年)反対!
・政党なんてカスの集まり→(国会開設以降)政党を中心に議論すべきで政府は勝手に決めるな!
(最後の政党に対する評価は当時の人からも「前と言っていることが違う」と突っ込まれている)

 以上は主だった変節で、細かいところを探ればもっといっぱい「前と言っていることが違う(;´・ω・)」と思わせられる発言のオンパレードです。こうした変節は何も谷に限るわけじゃないですが、彼の場合は変節前に自分の主張を激しく展開しては猛批判した挙句、自分の主張が通らないとわかるや「だったらもう辞める!(# ゚Д゚)」とすぐ辞表を叩きつけるなど、極端な行動が目立ちます。
 特に第一次伊藤政権では外務大臣であった井上馨の条約改正交渉を激しく批判し、内閣不一致を招いて井上馨の辞職を誘引するほどでした。

 以上のようなイヤイヤを繰り返したことから明治政府内では何度も辞職、復職を繰り返しているものの、主張に首尾一貫したものはほぼないものの、神道学者の家だけあって天皇家、ひいては国家に対する忠誠心は誰もが認めるものがあったことから、「谷君、また一緒にやろうよ(´・ω・)」と辞職しても誰かが復職の世話してくれるので、なんだかんだ言いつつ野に埋もれることはありませんでした。
 もっともそうした復職も、野に放っておけば西郷隆盛のように反乱を起こすかもしれないという懸念から、政権内に取り込んでおくという思惑も強かったそうです。それで反抗心が異常に強かったそうです。

 なお明治天皇からは「西南戦争の英雄」と高く評価され、谷の復職についても明治天皇の意向が強かったそうです。それだけに農商務大臣を辞めた際は「復職してくれるならどのポストでもいい、教育とか好きだったから教育大臣とかどう?」(過去に学習院院長もしている)などと、優先的にポストが提示されています。ただこの時は、議会の中で暴走を食い止めるべく貴族院議員を選んでいます。

 その後、貴族院議員の重鎮として名を馳せますが、ここでもほかの華族を率いて政府の方針に反発しまくり、あまりにも反発しまくることから当初は谷と行動を共にしたメンバーも、後期には彼と距離を置くようになっています。この時に限らず、「悪い奴じゃないんだけど」といろいろ世話して食える人は周りにいたものの、伊藤博文や山縣有朋らのように独自の派閥を形成するほど谷の周りでは徒党が形成されなかったように見えます。

 以上のように自分の見立てでは、主張や反発が激しいながら行動や発言に一貫性がまるでなく、政権にとってすればなんにでも反対してくる厄介な奴でしかなかったんだろうなという評価です。天皇家への忠誠心があったからこそ周りも大分理解してくれていますが、恐らくこれがなければ厄介な人物として暗殺されていたのではと思う節があります。
 概して大局観が一切なく、目先の問題にとらわれて過激な反対運動を展開する人間だったとしか自分には見えません。もっとも西南戦争で見せた軍事指揮や、議論においては理路整然と話すなど能力が高かったのも間違いないですが、その能力を大局観なく奮うもんだからいろいろ迷惑な人間だったようにも見えます。何か処理しなければならない課題が目の前にあれば活躍したでしょうが、なんにでも反対するもんだから反対派のシンボルに担ぎ上げられることも少なくなく、伊藤や山縣と比べるとその評価が低くなるのも自然な結果かなと思います。

2023年7月28日金曜日

夏場は長雨が重要?

 今朝、上海は台風が来たんじゃないかっていうくらいの豪雨で何度も雨音で目が覚めましたが、出勤時には雨が止んだので問題なく会社に来ることできました。こうした豪雨はこの1週間ほぼずっと続いており、晴れた日の方が少ない有様です。
 その甲斐あってか気温はぐんぐん下がり、夜なんか冷房かけていると逆に寒くなり、また扇風機オンでこれまで寝てましたが、昨日一昨日なんかはその扇風機を消しても余裕で寝られるくらいになっています。ぶっちゃけもう今年の夏のピークは越したんじゃないかなって気がします。

 こんな感じで今年の夏過ごしてて思いますが、夏場ってやっぱ長雨が非常に重要だなという風に感じます。あんまその筋の専門じゃないですが、日差しというのは夏至こと6月末が最も強いのですが気温の方は大体7月末から8月初旬に年内ピークを迎えます。1ヶ月くらいのタイムラグがあるのかというと、最初に地温が温められて、それから空気が1ヶ月間を経て徐々にあったまってくるからだそうです。
 逆を言えば、降りかかる日差しの量が少なければ少ないほど最終的な暑さも変わってくるということで、日差しの強い夏至のあたりにどれだけ雨雲が空を覆って日差しを防ぐかはその夏の暑さを大きく左右するんじゃないかと思います。もちろん夏至に限らず、7月も雨雲がどれだけ出たかは重要になってくるというわけです。

 それで何が言いたいのかというと、ゲリラ豪風のように一度に雨が降るのと、細々とした雨が長々続くのでは後者の方が夏としては涼しくなるんじゃないかというわけです。実際去年と今年の上海が上記のような状況で、今年は割とパラパラ降る雨が多くてそのおかげで今くらいになって大分気温が落ち着きましたが、去年は8月中も死ぬような暑さで自分が上海にいて過去一且つぶっちぎりで暑かったです。

 そういう意味では、ゲリラ豪雨をいかに分散させて細く長く雨を降らせるかが、地球温暖化にとっても災害対策にとってもかなり重要になってくるんじゃないかと勝手に思っています。最近知ったのですが、この辺の雨雲とかって湖とかを人工で作るだけでも結構気候にも影響するらしく、河川工事とかそういうのでもいろいろ変わってくるのかもとちょっと思うようになってきました。
 実際にというか、世界最大のダムの三峡ダムを中国が作ったから中国の気候はおかしくなっているという声は中国国内でもよく聞かれます。ならば三峡ダムほどとはいかずとも、ゲリラ豪雨を防ぐような人工湖やため池みたいなのをうまく配置できないものかと思え、その辺の研究とか進めばいいなと勝手に思っています。

2023年7月27日木曜日

第二のビッグモーターは現れるか?

 連日ビッグモーターのニュースが続いていますが、掘れば掘るほど出てくるというか街路樹枯らしていたとか草も生えない内容ばかりで毎日楽しんでみています。このほかにもサイン偽造、違法走行、不当要求などがネットで指摘されているだけに、あと1ヶ月はこのニュースは続くと思うとウキウキした気分になります。
 っていうか個人ではなく法人ってのはありますが、ネットで過度な誹謗中傷してはならないと最近言われる中、どれだけ叩いても非難されないどころか、過去の悪事を批判しきれない存在ってのは本当に希少だと思います。

 それで本題ですが、結論から言うと恐らくこれから第二、第三のビッグモーターともいうべき業者が報じられてくるのではないかと予想しています。今回の事件を受けて中古車業界がブラックだと思われなくないという業界からの声がたまに報じられていますが、中古車屋、特に大手はビッグモーターに限らず強引な営業ぶりで悪い評判をよく聞きます。それだけに今回のこのビッグモーターの事件を受け、「実はあそこも……」的な感じで、騒動が波及していくのではないかという風に考えています。

 具体的にどういった問題行為があるのかというと、やっぱりよく聞くのは買い叩きです。タマとなる中古車を得るため売却希望者に一回でも見積りを取りに行ったらしつこく何度も売却をするよう求め、でもって売却してもらえる段階になったら急に見積り価格を下げるといった話をよく聞きます。中でも笑えたのは見積りで、「9万9800円でどうですか?」と、売却なのに何故かねんだを小さく見せようと10万の大台を切ってきたという話を昔見たことがあります。

 ただこの問題行為を繰り返す中古車屋ですが、いろいろ聞く限りでは実は四輪ではなく二輪の方が根深いという噂をよく目にします。四輪と比べると市場が限られてくるためかあまり目立たないものの、ビッグモーター同様にテレビやラジオCMをバンバン流す大手ほど営業の仕方が強引且つ悪質だとよく聞き、次に槍玉にあがるとしたら内心二輪中古車チェーンじゃないのかなと勝手に思ってます。
 私としてはこうした業者が市場を歪めるだけに、せっかく社会が大きく注目しているのだから叩けるうちに叩くべきだという風に考えています。別に何か私が動かなくてもきっと波及してくと思いますが、この際だから禍根を一気に絶つよう、二輪化四輪化に係わらずこうした悪徳業者は市場から淘汰すべきでしょう。何もしないくせに偉そうなこと言うなって自分でも思いますが。

 なお自分は車は割と好きだけど中国にいるせいでこの10年一度も運転しないままゴールド免許となりました。あと中古車に関しては、埼玉県三郷市にでっかい中古車ヤードがあって越谷レイクタウンとかにサイクリングする際に無駄にあのあたりも走ってました。行けども行けども中古車ヤード、たまにロードサイドの飲食店が広がるあの埼玉の道はずっと走っているとなんか精神衛生的に悪い気がします。

2023年7月25日火曜日

中国の突然の外相交代

 今日のビッグモーターの記者会見は下手なコントよりずっと面白く、恐らく歴史に残ることでしょう。ちなみに自分が現場にいて質問できたとしたら、「あとどれくらいシャバにいられると思いますか?シャバにいられる間にやっておきたいことは何でしょうか?」と聞いてます。
 そんなわけでビッグモーターの話と思いきや、マクドでご飯食べて帰宅しようとした矢先に友人からメッセージが送られ、以下のニュースを知りました。


 かねてから1ヶ月間表に出てこなかった中国の外交部部長(外務省の外務大臣に相当)である秦剛氏が、今日突如解任されたと発表されました。変わって外相となるのは前任者でもあり日本大使も長く務めた東大卒の王毅氏で、「やってねおめでとう(/・ω・)/」と中国人の友人が言ってきました。
 まぁ実際のところ、日本の政治家も王毅氏とは交流あるし、また口ではきついこと言いながら日本に対しては必ず配慮してくれるツンデレ屋さんなので、プラスになるかどうかは未知数な点はあるものの、日本にとって彼が外交の表舞台に立つのは絶対的にマイナスになることはありません。

 ただそれ以前に、外相という最重要閣僚である人物が任期途中でこのように解任になるというのは中国では普通あり得ません。私自身も、1ヶ月間音沙汰なくてもまた素知らぬふりして復帰してくるだろうと思っていただけに、今回のこの発表にはかなりビビってます(;´・ω・)
 なお中国国内ではこの1ヶ月間、秦剛氏の姿が見えないことについて一切報じられていませんでした。そのため日本語ニュースを見たりするなど外信に触れている中国人を除いては、彼が失踪していたという事実すら把握しておらず、話題を振っても「え、何それ(。´・ω・)?」とマジでこんな反応されました。

 でもって解任が発表された今日に関して言うと、中国国内では解任、そして王毅氏の再登板のみが報じられ、解任の背景など詳細については一切報じられていません。またニュースに関するネットユーザーのコメント欄では

「王毅氏なら外務大臣の風格がある」
「王毅氏はいい男だ」
「王毅氏なら問題ないね」

 などと、王毅氏を誉めそやすコメントしか表示されず、「秦剛に何があったんだΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)」的なコメントどころか、「秦剛」の文字すら一切ないのは見ていて楽しいものがあります。逆を言えば、それだけ中国政府も触れられたくないのでしょう。
 なお王毅氏がグッドガイなのは私も認めます。

 では一体何が起きたのか。報道ベースではどうも香港の女子アナと不倫していたのが規律に引っかかったなどと言われていますが、芸能人との不倫くらいで規律に引っかかるなら共産党からは幹部はいなくなるはずです。となるともっと大きな違反事項があったとみて間違いないのですが、一部コメンテーターが指摘しているように、何らかの重要情報を米国などに漏らしたくらいじゃないと、ここまでの処分は起きないと私も思います。その流出ルートに香港の女子アナがいたとすれば、従前の報道とも合致してきます。

 もっともこの辺は裏付けが取れないのでこのまま真相は闇の中へ入っていくでしょうが、秦剛氏は突然抜擢されたのと、年齢的にも次期総理、総書記も狙える立場であっただけに、習近平執行部への打撃は小さくないと断言できます。更に言えば、現在半導体や水産品を巡って日本とも通商外交で揉めていますが、恐らく中国外交部は今かなり混乱の最中にあるのではないかという気がします。だからこそ、既にほかの役職にもついているとはいえ経験者である王毅氏を無理くり引っ張ってきて、この混乱に対処しようとしているのでしょう。
 もっとも、外交以上に国内経済の方が中国はかなりやばいと思います。日本の轍をそのまま踏もうとしているというか、不良債権処理を先送りして内需刺激に走ろうとしており、マジで自分が習近平の側近なら「痛みなくして改革なし」ってアドバイスしています。

2023年7月24日月曜日

丸目インプレッサ、再び……

 またつまらぬものを作ってしまった……(´・ω・)


 見ての通り、GD型(2代目)初期のインプレッサのプラモを週末に作ってました。このモデルは以前にもWRC仕様で作ったことがありましたが、そちらのキットだとライトが黒目だったりしてフロントデザインがやや異なり、通常版も前から作ってみたいと思っていたところ何故か通ってる店がこのキット入荷したので、後先考えずに購入しました。


 このブログを始めた当初にも書いていますが、凛々しいデザインだった初代インプレッサからこちらに切り替わった際は、そのでかい丸目ライトから「デメキン」、「ボスボロット」などと揶揄され、私も「どうしてこうなった(´・ω・)」的な失望感を抱いたこのデザインでしたが、何故か年月を経てみるとほかにない独創性が胸を打つようになったのか、伝説の22Bに連なるGC8型も大好きですが、こちらのGD初期型もかなりお気に入りの一台になってしまいました。

近くにあったのでドイツ戦車兵とともに激写

我ながらよくこのリアエンブレムとデカールつけられたと思う。

 改めて思いますが、90年代から00年代初頭にかけての日本車のデザインはやばいくらい珠玉過ぎる気がします。近年の中でも最新のカムリとか嫌いじゃないですが、R34GTRをはじめ圧倒的な個性感をもった当時の車に並ぶものは今はありません。っていうか昔の車は今と比べやや細身で、スタイリッシュっていうところが大きい気がするけど。

次の選挙で試されるのは公明党

 先ほど友人とチャットで久々に日本政治について話をしましたが、報じられている通り岸田政権の支持率はサミット以降、見事なまでに右肩下がりです。っていうかサミット終わった時点でマイナカードは文字通り見えている地雷になっており、時間が経てば経つほど表面化して支持率下がるのは明らかだったにもかかわらず選挙に出ないという心境は、なかなかに理解しがたいものがあります。豊作でコメ相場が下がるの確実なのに、手持ちの米を売ろうとしないというような相場勘で、前から分かってましたが岸田総理の政局勘はかなりやばいです。

 それでも今現在は、ジャニーズ事務所問題、広末不倫、ビッグモーターの不正、ソフトバンクの悪夢の12連敗などこれでもかというくらい耳目を引くニュースが続出していることもあり、岸田政権への批判はあまり目に入ってきません。しかし仮にこうしたビッグニュースの波が途絶えると、恐らくマイナカード問題が再び俎上に挙がってくるとみられ、今後ますます支持率が低下していく可能性は十分にあるでしょう。
 そんなわけで岸田政権には逆風が吹いていますが、自分も友人もそれほど自民の大敗にはつながらないという見解で一致しました。理由はごく簡単で、野党への支持が一向に広がらないためであり、恐らく自民は今よりは議席落とすかもしれませんが投票率が低水準にとどまり、過半数は確実に確保できるのではないかとみています。むしろ試されるのは政権与党の一角である、公明党でしょう。

 公明党の支持母体は言うまでもなく創価学会ですが、同組織は平成に入って以降は一貫して信者数が右肩下がりであり、現在はもはやいわゆる二世、三世しか新規加入者がいないと言われています。仮に厚生省の思惑通りに少子化対策が効いて子供が増え続けてれば党勢も拡大したでしょうが、現実はさにあらず出生率は先細る一方で、その煽りを食らって創価学会も縮小傾向にあり、年を追うごとに選挙における動員力というか票田も縮小しています。
 特にその地盤とする東京都議選においては近年、創価学会の苦戦が激しく伝えられるようになってきています。またそうした苦しい台所事情もあり、自民党との票の割り振り、候補者一本化でも揉めることが多くなってきており、自民党もかつてほど公明党に対し票田的な期待を明らかに持たなくなってきています。それどころか、無駄にポストを分けたり、公明党の政策取入れなど気を遣うことにたいし、熟年夫婦の如く倦怠感すら見せています。

 仮に公明党と別れる場合、自民党としては比較的思想が近く、改憲勢力に組み込める維新の会が現在存在しており、実際に幾度か公明を落として維新と組むのではないかという憶測のぽつぽつ出てきています。それでもまだ実行に移さないのは、公明を切る大義名分がやや薄いのと、票田としての価値はまだあるとみられているからでしょう。
 それだけに次回選挙で公明の動員力が落ちたり候補者擁立で揉めたりした場合は、自民は維新との連立に向け一気に動き出す可能性が高いと私は見ています。私自身は維新の会に対してそれほど期待感は持っていませんが、改憲自体には賛成派ということもあり、改憲までの間だけでも組むのは有りだという立場を取ります。

 そういう意味では、護憲派は今この段階においては野党に票を入れるよりも公明党に票を入れる方がその目的は達成しやすいかもしれません。恐らく公明党もそれを踏まえて護憲を次回選挙で強くアピールしてくるかもしれません。

2023年7月23日日曜日

比類なきゼネラリストであった原敬

 以前に何かの記事で、「原敬が暗殺された際に元老であった山縣有朋は大いに嘆いた」という記述を見て、強い違和感を覚えました。何故かというと、山縣はかねてより政党嫌いの超然主義者であり、また政敵(最初「性的」と表示されたがこれはこれで間違ってない気がする)であった伊藤博文に引き立てられる形で立憲政友会を引き継いだという立場からも、山縣にとっては完全に線対称でむしろ嫌われる立場にある人間ではないかと考えたからです。
 何故山縣はこのような立場的に対立するしかないような原敬にかような感情を抱いたのか、そうした疑問から以下の「原敬-「平民宰相」の虚像と実像 」(中公新書)を手に取ってみました。


 そもそも原敬について自分は、薩長閥でない初の平民出身の総理となったものの普通選挙法の実施にはやや否定的で、また財閥など大勢力を贔屓にする政策を取ったことから人気を亡くし最終的には暗殺された人物だとみていました。そのほか人柄に関してはやや怜悧な人物で、頭は切れるがやや人望が薄く、慕う人間もそんなに多くなかったという風な印象を覚えていました。

 上記のような私の印象は根本的なところで間違ってはいないものの、あまり語られることが少ない人物でもあることから、その人物の本質については自分はあまり理解できていないかったと今回この本を読んで感じました。具体的には見出しにも掲げている通り、原敬は同時代において比類なきゼネラリストともいうべき人物で、総理になるべくしてなったというような凄まじい経歴と能力の持ち主であったという風に考えを改めています。

 具体的にはその経歴を追う方が早いです。
 盛岡藩の家老の家として生まれるも戊辰戦争後に父はなくなり、家は傾き、立身出世を目指して東京に出てあちこちの学校に入ってはやめてを繰り返して、最終的には法曹官僚育成学校であった司法省報学校に通うようになります。ただここで騒動に巻き込まれたことから退学を余儀なくされ、官界への道は一時絶たれるのですが、伝手を頼りに新聞社(郵便報知新聞)に就職することとなります。

 その後、しばらくはジャーナリストとして活動し、財界ともこの時期にパイプを作ります。ただ新聞社内の派閥抗争に巻き込まれてまた退社を余儀なくされますが、井上馨との縁があり、彼の引き立てでフランス語が使えることから外務省へ入省し、外交官となります。この外交官時代に伊藤博文とも知己を得て、有能ぶりが各所から認められたのですが、その後に外務大臣となり後に政敵となる大隈重信には嫌われ、外務省を追い出される形で今度は農商務省に移ります。そこで新たに上司となったのが、陸奥宗光でした。
 陸奥から信頼されるとともに高く引き上げられた原敬はそのまま陸奥の秘書のような立場となり、陸奥が官界にいる間はずっとサポートし続けます。ただ陸奥が病気となって官界を去るや原もいったんは官僚をやめ、再び新聞社の経営者となりますが、政界、財界、官界にパイプを持ち、尚且つ有能と認めていた伊藤博文の引きにより、立憲政友会の創設メンバーに引き入れられます。

 こうして政治家となった原は伊藤、次いで西園寺公望の片腕となり自他ともに認める政友会の幹部として明治後半期を過ごします。西園寺が政界から引いた後は、自らの人望のなさを自覚してか政友会を集団合議体制にしますが、徐々に党内からも信頼を得たのと、同じ党内のライバルであった松田正久が逝去してからは正式に党首となり、持ち前の頭脳を使って政友会を引っ張り、選挙で度々勝利を収めていきます。

 ただ、総理になるに当たっては当時は元老の指名が絶対必要であり、実質的に藩閥出身者にまだ限られていました。しかし藩閥出身者のうち児玉源太郎や桂太郎などが早くに亡くなり、これという後継もなくなったことで徐々に人選に事欠くようになってきました。チャンスは近いと考えた原は驚くことに、ここで総理就任に当たっての最難関となる山縣有朋を度々訪問し、関係の悪さを率先して修復するように動いたそうです。
 実際、山縣は政党出身者、というより政党に政権を任せてはポピュリズムに走ると懸念していたそうなのですが、原と会って話をするうちに原のことを信頼するようになり、何より政界、官界、財界、果てには貴族院ともパイプを持ちつつ利害調整に長けていた原のことを、物事を総合的に判断できる人物であると信頼するようになったそうです。

 その後、大隈内閣、寺内内閣が世論の批判を受け倒れた後、山縣は当初は西園寺に再登板を促したものの本人が固辞し、またその西園寺からの推薦を受け、原を総理とすることを決断したそうです。

 以上の原の経歴を追っていくと、ジャーナリスト、官僚、(新聞社)経営者、政党政治家といくつもの経歴を渡り歩いており、また官僚時代は外交や経済分野に携わり、政党に入党してからは党内運営や他党との交渉や対策もこなすなど、マジで何でもかんでもやってきています。唯一、本人が苦手と自覚していたのは財税政策で、「過去に要請があったのだから財務大臣をやっとけばよかった」と述べていたそうです。
 そんなもんだから自分が総理の時は財税においては高橋是清にほぼ一任していたそうです。

 実際に原の総理時代の功績を見ると、非常に利に適っているというか高所的判断による施策が多いです。ただマクロ過ぎる政策のため末端の一般市民からすればないがしろにされているとみられたのも無理なく、それが彼の暗殺を招いたというのは真に不幸というよりほかないです。
 地味に驚いたのは、晩年に特に力を入れていたのは後に昭和天皇となる皇太子の摂政就任だったそうです。前準備として皇太子を欧州歴訪に送り出すなどしており、病気がちな大正天皇に変わる執行システムとして、皇室の継続と運営にもかなり気を配っていたことがわかります。
 なお大正天皇と原敬はかなり仲が良く、大正天皇からは頼りにされていたそうです。

 やはり心があったまるようなホットなエピソードが少なく、怜悧で有能な官僚としてのイメージが強いですが、こと政治家、それ以前にトップ運営者としての才能と実力で原敬は明らかに抜きんでた人物であったと、今回思い知らされました。近年の総理でいえば、福田康夫総理に近かったような気がします。
 一方、同時代の原の政敵であり後に普通選挙法を実現する加藤高明に関しては、完全なポピュリストであり、別に崇高な自由平等思想があったわけじゃなく党利党略のためだけに生きてきた人物だったのだなとやや見下げた印象を覚えました。実際、普通選挙法の施行により藩閥勢力は衰えたけど、その代わり軍部が台頭して日本はおかしな方向に向くことになったのだし。

2023年7月21日金曜日

日本人の見えない理想のリーダー像

 最近頭の中を「草履取りが草履になる」という謎の単語がずっと駆け巡っています。かなりファンタジーな展開だと思う。

 話は本題ですが、かねてから私は昨今の日本の低迷や混乱に関しては「これという人材が世に出てこない」ということが原因だと主張しています。政治家など枢要な職位に関しては維新の会を筆頭に、本人の実力以前にただ単に目立ちたがり屋ばかりがこのところ多く、また政党も票を得るため芸能人をはじめただ目立つ人ばかり候補に採用し、自分の知る過去の時代と比べても政治家の質は間違いなく下がっていると感じます。
 また企業に関してもいわゆるサラリーマン的経営者が多く、事業拡大よりも維持の方に目が行くばかりか、中には世間慣れしてなくて話題のビッグモーターをはじめ口を開けば自社への批判をさらに炎上させるしかないなど、一般人として見てもやばい奴が何故か上の地位に就くことがよく見られます。

 こうした情勢を見て私は、人材自体は全くいないわけではないものの、優秀な人材が上に上がってこない日本の昇進システムに欠陥があるのではないかと睨み、このブログでもそうした持論を展開してきました。そこそこ自信をもって主張している持論ですが、そもそも何故優秀な人材が上に上がってこないのかという背景については、日本人的な保守的な集団思想が大きいと前から思いつつも、そうはいっても昭和はそこそこの人材が上がってきていたことと矛盾もしており、なんか意見が弱いなとこの前ふと感じました。その上で、「そもそも、日本人はどんな人をリーダーとして扱うのだろうか?」という疑問を覚えました。

 最近見ないですが、以前はよく「上司にしたい有名人ランキング」などが行われ、北野武氏やイチローなどがよく上位にいました。最近だとこうしたランキングを見る機会が減りましたが、今やったら恐らくWBCを制した栗山監督辺りが上位に入ってくるような気がします。
 このような上司、リーダーに求められる人材、要素に関して、なんか最近これはという固定的な意見を見る機会が減っているように思えます。具体的なリーダーのモデルを挙げるとしたら、

1、チームを強い目的意識をもって引っ張る理念(カリスマ)型
2、集団の利害を調整してうまく話をまとめる調整型
3、単純に実力が高く誰も逆らえないから従わせられる強権(エース)型

 大きく区分するとしたら恐らくこの三つに分類されると思います。卑近な三国志の例で言えば、1は劉備、2は孫権、3は呂布みたいなイメージになるでしょう。

 代々、日本においてはやはり2番の調整型がリーダーとして求められる傾向が強く、私が子供だった頃もこの手のタイプがやはりリーダーに推されやすかった気がします。小渕総理なんかまさにその典型でしょう。
 しかし現代において、なんかこの手の調整型はリーダーとしてあまり好ましいと思われていないような気がします。現在の岸田総理なんかまさにこの調整型だと自称していますが、実際にそれだけの調整力があるかどうかは別として、「そんなの求めてない」的に政権の不人気にもつながっているようにすら見えます。

 一方、3番の暴君型ともいうべきタイプは一時期はロシアのプーチンなどが日本でも持てはやされ、強いリーダーが求められたような空気を感じましたが、最近だと同じく独裁色の強い中国などを見てか、日本国内でもこうした強権型はやや距離が置かれている気がします。1のカリスマ型に至っては論外というか、理念よりも経済や賃金などの現実が重視されている時代もあって全くお呼びでない感じすらします。

 さすがに政治家トップレベルとなるとリーダー像でもめるのはわかるのですが、もっと小集団、具体的には企業トップや組織内チームトップに対する理想像でも、なんかあまり今の日本を見ているとこれといった固定的理想像がない気がします。強いて言えばパワハラ、セクハラなど暴力は論外というのが大前提で、それさえ守られればどうでもいいといったような見方があるような気がします。

 思うにこうした求めるリーダー像の欠如が、よくわからないというか上げてはならない人間が上に上がってきてしまう要因の一つになっているような気がします。誰を推戴すればいいのかわからないがゆえに、自らが上の地位に就きたいと望む目立ちたがり屋が空席を取ってしまい、やばい奴が上にきてしまうような構図なんじゃないかというのが自分の見立てです。

 では自分自身はどんな人にリーダーになってほしいかというと、はっきり言えば権限と責任をきちんと区分してくれる人だと助かることが多いです。どこからどこまでを自分の判断でやっていいのかはっきり境界をつけ、その範囲内で自由にやらせてくれると自分としては仕事しやすいのですが、日本型組織だとまさにこうした責任権限の区分が苦手、というかわざと曖昧にするので、日本の組織がいかに自分に合ってないのかを改めて痛感します。
 この手の権限移譲(担当)型リーダーでいえば小泉元総理辺りが近い気がします。よく投げっぱなしなどと言われましたが、あの頃は各大臣の個性もはっきり見られて楽しかった。

2023年7月19日水曜日

ガシャ商法は誰が発明したのか?

 最近このブログでもずっと書いていますが、「アクション対魔忍」をまだ遊んでいます。使用キャラは、

    秋山凛子→桃地凪→甲河アスカ

 という風に変遷していますが、お嬢様ルックな髪型して必殺技がミサイルや正拳突きなどとやたらとごつい設定な甲河アスカは稀有なキャラクターだなと密かに感じています。このキャラが人気出るのもなんかわかる気がします。

 それはさておきこの「アクション対魔忍」はジャンルでいえばいわゆるソーシャルゲームに属します。ソーシャルゲームの定義は恐らくいくつか分かれるものがあると思いますが、比較的幅広く許容される定義となれば以下の条件が当てはまるゲームを指すと思います。

・SNSなどウェブブラウザ上で動作する
・プレイすること自体は基本的に無料(=買い切り型ではない)
・ゲーム内のアイテムなどを有料で販売(=課金)することで売上を得る
・プレイヤー同士の交流要素(対戦、ポイント付与、アイテム交換など)が含まれている。

 以上の条件が基本ですが、これに加えるとしたらやはり主要な課金手段である「ガチャ」も、ソーシャルゲームの絶対条件に含んでもいいと思います。

 このソーシャルゲームにおける「ガチャ」とは何かですが、自分の言葉で言えば「ゲーム内で得られるポイントまたは料金を支払うことでゲーム内で使用できるアイテムなどを取得するくじを引く行為」となります。
 ちなみに中国語だと「盲盒(マンフー、見えないカプセル)」と呼びます。

 基本無料のソーシャルゲームにおいてガチャは、運営側が売上を得る主要な手段となるだけに、ゲームにおいても非常に重要な要素です。それだけに運営側としてはあの手この手でプレイヤーにガチャを引かせようとするのですが、そうした誘導が露骨過ぎればユーザー離れを引き起こすことにもなります。有名なのだと「課金へのこだわり」というパワーワードを出した「ブレスオブファイア」だと勝手に思っています。
 一方、ユーザー側としてはなるべくこのガチャで出費せずにゲームを有利に運ばせたいと思うのが心情です。こうした両者の価値観ギャップをどう埋めるのかが、運営の腕の見せ所でしょう。

 話を「アクション対魔忍」に戻すと、ソーシャルゲームらしくこのゲームでも武器やサポーターキャラがアイテムとなっていて、基本的にガチャを通して入手するようにできています。このガチャの仕組みについては漫画で今度ドラマ化する「トリリオンゲーム」でも取り上げられているのですが、如何にしてユーザーからお金を取るか、いろいろ考えられています。

 具体的には、「期間限定キャンペーン」みたいに期限を定めて通常より安く多くのアイテムを得られるキャンペーンを度々打つ。また欲しいものがなかなか取れない人のために、一定回数以上引いた人にはいいアイテムを無償で提供する。このほか、ゲーム攻略上で不足しているアイテムを優先的に取得できるように確率を操作するなど、いろいろ手口があるそうです。

 そうした前知識を持って「アクション対魔忍」を遊んでいると、上記の定石通りなガチャ商法がまさに展開されており、ユーザーにお金使ってもらうためにいろんな工夫をしているんだなと改めて感じます。

 なおソーシャルゲームは過去に「パズドラ」をやっていましたが、当時は完全無課金を通してランク200まで行きました。それ以降は一次大戦後のドイツみたく無限にインフレが続くと感じたため、スパっとやめました。今回の「アクション対魔忍」ではそこそこゲームしてて満足感もあるだけに、運営へのリターンとして1000円以下の範囲でたまに課金して遊んでいます。
 実際に課金してみて思うのは、やはり「得したなぁ」という満足感を得られるかが非常に重要だと感じました。前述のタイムセールみたく同じ特典でも時間限定にすることで満足感は跳ね上がり、また「トリリオンゲーム」でも書かれていましたが、最も障壁が高いのは最初の1回目の課金であり、そこを克服してもらうためにも大盤振る舞いなセールというのは非常に効果が高いというかこの商法において必須だと思います。

 実際自分も300円くらいの時間限定の課金オプションを見て「それくらいならいっか(´・ω・)」と課金してから、一気に心のハードルが下がり、その後もちょくちょく課金するようになりました。

 こうした経験を経て、改めてこのガチャを含むソシャゲの課金商法というビジネスモデルは奥が深いと思うとともに、ゲームの歴史においても非常に革命的な一打であったと感じるようになってきました。これがなければ今のようなソシャゲの隆盛はまずなかったと言えるだけに、一体誰が発明したのかと思い調べてみました。


 ガチャ成立過程について上の記事が非常にきれいにまとめてくれているのですが、それによるとガチャ商法を最初に打ち出したのは2007年にグリーが出した「釣り★スタ」からだったそうで、課金してアイテムを得られる仕組みだったそうです。さすが「任天堂の倒し方」を知っているだけある。
 その後、DeNAが「怪盗ロワイヤル」で「課金+対戦要素」で爆発的ヒットを飛ばすと、このビジネスモデルは一気に普及し、同時に重課金という課金し過ぎてお金が無くなる人が出るといった社会問題も出始めるようになりました。

 そこへきて、ついにガチャ商法を初めて搭載したのが2010年に出た「ドラゴンコレクション」だったそうです。ここに至り、ソシャゲのビジネスモデルはほぼ完成したと言っていいでしょう。
 ただ「ドラコレ」を含む当時のガチャには「コンプリートガチャ」と言って、「特定のレアアイテムを揃えて初めて新たなレアアイテムが取得できる」という、ユーザーに多大な出費を強いるシステムが含まれており、「ガチャ倒れ」が社会問題化する中、このコンプリートガチャについては後に行政からの指導もあって現在はほぼ禁止されています。

 とはいえ、ゲームそのものではなくゲーム内のコンテンツにお金を支払わせるというビジネスモデルは、むしろ今のゲーム業界においては主流です。買い切り型のゲームにおいても同じように追加コンテンツを別料金で販売するのも当たり前となっており、真面目に課金というビジネスモデルはゲームの歴史を変えたと言っていいでしょう。
 まぁ買い切り型のゲームの課金要素、特にアンロック形式については内心どうかと思いますが。

 そういう意味では課金、そしてガチャを発明した人はまじめに名前を残してもいいような気もするのですが、具体名はあんま世の中に出ていない気がします。世間体的なものもあるでしょうが、今後十年間はまだまだこのビジネスモデルがゲーム業界で主流であり続けるでしょう。

2023年7月17日月曜日

自分の人生に影響を与えた漫画

【人生に影響を与えた漫画・男性編】『こち亀』『スラダン』が上位に…圧倒的1位は『ONE PIECE』を抑えた世界的人気作(FLASH)

 今日たまたま上のような記事を見かけましたが、得票数がどれも非常に小さくなんかあまり真面目に調査してねぇなという感じがプンプンする記事です。それはともかくとして、これ読んで果たして自分の人生に影響を及ぼした漫画を挙げるとしたらなんだろうかと考えてみました。

1位、三国志(横山光輝)
 仮にランキングを取るとしたら、ぶっちぎりでこの「三国志」が自分の人生に影響を与えた、っていうか大きく変えた作品になってきます。これ読んで中国史にはまらなければこれほどまでに中国に係わる人生になるはずがなく、その影響度は下手すりゃ親の教育以上あるかもしれません。
 なお私と三国志の出会いは、ゴミ捨て場に捨てられていた三国志の1巻をたまたま拾って持ち帰り、読んだことがすべてのきっかけでした。まさかあれで自分の人生がこんな中国まみれになるとは全く思わなかった。

2、時の行者(横山光輝)
 小学校中学年の段階で自分は歴史に対する強い興味を持ち始めていましたが、それがはっきりと形になったのは多分、小4の頃に読んだこの「時の行者」という漫画からじゃないかと思います。この漫画がほかの漫画と一線を画していたのは、安土桃山から江戸時代にかけての事件をオムニバス形式で展開していたという点です。またその内容も本能寺の変や島原の乱など有名なものだけでなく、天一坊事件や火付け盗賊改めなどマイナーなものも入っており、特定の人物や年表形式に流れに沿って行く歴史ではなく、紀伝体のような事件単位での歴史の見方を初めて学んだような気がします。
 ちなみにJBpressで連載するに至ったのは、このブログで以前書いた火付け盗賊改めの記事をJBpress編集部が見つけたことがきっかけでした。

3、頭文字D(しげの秀一)
 大学に入ったあたりまで、自分の価値観はやはり精神的、観念的要素が非常に強く、物質的な価値観は非常に希薄だったと思います。そんなもんだから物質的豊かさなんて不要、人はいかに心を強くするかだと言わんばかりにやたら俗世的な価値観や欲望に対しやや蔑むような見方を持ってました。もしかしたら「今もそうじゃん(σ・∀・)σゲッツ!!」とか言われるかもしれませんが……。
 そうした価値観がひっくり返ったのは今思うとこの「頭文字D」からだったように思え、この作品に出会って初めて自動車に興味を持ち、また実用性皆無なのに価格が高いスポーツカーに対して名で多くの人が恋焦がれるかという感覚を初めて理解できるようになった気がします。その変貌ぶりは当時の友人からも、「花園君が車に興味を持つとは思わなかった」と言われたほどでした。
 
 またこうした車への関心を抱くことがなければ、「ものの形、デザイン」というものに興味を抱かず「価格が低ければ低いものこそ価値がある」といった価値観を維持し続け、今のように戦闘機や戦車に興味を持つこともなかったことでしょう。さらに言えば、そうした人々の物質的欲望に対する理解や感覚がなければ、その後に経済記者としてやってくこともできなかったように思えます。
 そう考えるとこの作品も三国志に負けず劣らず自分の人生をかなり左右している感じます。

4、坊ちゃんの時代―秋の舞姫(関川夏央、谷口ジロー)
 自分はこの作品を、中学生の頃に確か床屋の順番待ちの時にたまたま読みました。舞姫というか森鴎外のエピソードについては当時から把握していましたがそれ以外にはバックグラウンドがなく、なんか古臭い絵柄の漫画だなと思いながら手に取りつつ、丁寧にほぐしていくかのようなストーリー展開と、ややもするとシュール感のある谷口ジローの絵を見て変に引き込まれました。
 その後も、タイトルは思い出せないものの舞姫関連であんな漫画を読んだなとずっと覚えており、社会人になった後であの漫画は「坊ちゃんの時代」の一部だと知り、後から全部買いなおして読み直しましたが、今現在においてもこの「秋の舞姫」編が一コマ一コマ強く覚えており、無意識レベルに強く刷り込まれた作品であるような気がします。

 具他的にこの作品を読んで何かが変わったとかそういうのはないですが、元からの歴史好きと相まって、各時代の背景や価値観に対する感覚はこの作品を見て研ぎ澄まされたような気がします。割と平成時代の折々について妙に細かく当時の事件や空気感を自分は覚えていますが、もしかしたらこの作品が原因なのかもしれません。

5、水木しげる伝(水木しげる)
 ぶっちゃけ自分のバイブルというか、何度読み返したかわかりません。大学時代、1000円出すのも30分は躊躇するほどケチだった自分がこの水木しげる伝に関しては何の躊躇もなく購入しており、その後の価値観、特に幸福に関する意識には間違いなく多大な影響を及ぼしています。
 秋の舞姫同様に具体的にその後の人生に物理的な影響は及ぼしてはいませんが、割とその後の人生で結構周りにもひかれるくらいの逆境に何度か置かれつつも、くじけず、っていうか逆境になればなるほど妙な底力を発揮できたのはこうした水木しげる伝から得た価値観が源泉だったように思います。特にこの本の中にはないものの、「戦争で左腕を失ったことを惜しむ気持ちはないか」という質問に「全くない。生きて帰ってこれたのだから」という水木しげるの言葉は今も自分の心を強く打ち続けています。

 以上の五作品が自分の人生に影響したと思う漫画ですが、改めてみるとどれもかなりの影響を及ぼしているような気がします。それを踏まえて言うと、今の自分は「横山光輝が40%、しげの秀一、関川夏央(谷口ジロー)、水木しげるが20%ずつ」で構成されているということになります。だからなんだと言われたら困りますが。まぁもっと厳密に言えば水木しげるが40%で、しげの、関川は10%ずつかなという気もしますが。
 それにしても「東京ラブストーリー」じゃないけど、あの日あの時あの場所(=ゴミ捨て場)で三国志に出会わなかったら、本当にどんな人生歩んでいたんだろうかと思うくらい全く別の人生になっていたかと思います。真面目に中国語の読解に関しては若干極めつつある領域に入ってきてるし(;´・ω・)

2023年7月16日日曜日

中国の 今年の景気 すぐれない

 何故か無駄に七五調の見出しにしましたが他意はなく、中国の今年上半期の景気はほんとよくなく、後半にかけてもっと悪くなりそうな気配を出しています。

 具体的データを出すと、一番騒がれているのは輸出額です。今年上半期の中国の輸出額は税関の米ドル換算データで前年同期比3.2%減です。一見すると微減に見えますが、昨年の中国は3-5月に上海の完全ロックダウンを含め各地でロックダウンを行い、この間ほとんど生産活動が行われていなかった上に港湾なども閉鎖されて貿易活動がほとんど止められていたことを考えると、今年は二桁増くらいの数値が出ないとおかしいと指摘されていました。それがふたを開けると二桁増どころかマイナスで、6月単月に至っては前年同月比12.4%減と二桁減となっており、昨年後半はロックダウン措置が緩和されたことを考えると、下半期にかけて落ち幅はさらに拡大してくとみられます。

 その他の指標もあんまよくないのばかりですが、自動車に関しては上半期は前年同期比9.8%増とそこそこのプラス値ですが、これに関しても去年のロックダウンに伴う比較対象基数が低いことが原因です。なお伸び幅の大半はEVであり、EVラインナップの少ない日系メーカーは軒並み前年割れしていて、川下の部品メーカーを含め結構業績が酷いことになっています。下手すりゃ、日系自動車産業の中国市場売上げはすでにピークを過ぎているかもしれません。

 自分の見立てで述べると、中国政府としても上記のような製造業の不振は想定外だったのではないかと思います。コロナ対策の制限措置を緩和すれば景気は回復すると明らかに楽観視している節がありましたが、上記のような現実を前にしてどうするか。単純にインフラ投資を進めて建設業から巻き返しを図ると思いますが、それ以上に金の流れを抜本的に改革しないと真面目に厳しくなるように思えます。

 来年以降に関してはさすがに予想できませんが、今年下半期に関しては中国は確実に指標上で景気が悪化し続けると断言できます。この辺も含め、このところの中国は90年代の日本とほんと被って見えてきます。

2023年7月15日土曜日

ビッグモーター事件における損保ジャパンの怪しさ

 今日は自転車で20分の日本料理屋に昼間行った際、到着してから自転車のカギを持ってくるの忘れたことに気が付いて一度帰宅し、再び戻るという1時間のサイクリングを行った結果、その後で熱中症になり吐きそうでした。1時間のサイクリングで熱中症になる情けなさもさることながら、マジあのわんこそばを無理やり食わせられ続けるような吐き気は辛いです(新井さん風)。


 話は本題ですが、中古車大手のビッグモーターが車検時に敢えて車体を傷つけ、保険金を過大に請求していたという事件が大きな話題になっています。自分はこの事件を上記の今年4月に出たフライデーの記事で知ったのですが、その驚愕するような報道内容に対して当時の世論の盛り上がりは非常に小さいものでした。この点について他のメディアやフライデー自身も報じていましたが、報道に対しビッグモーターは一切悪びれることなくノーコメントを貫き、企業側がダンマリを決め込むのを見てたの新聞やテレビなどの大手メディアも黙殺していたということが背景にあります。

 これは自分も経験あるのでよくわかるのですが、テレビや新聞などの大手メディアは記者クラブ外の週刊誌メディアを低く見ている節があり、彼らが報じた内容について「週刊誌のフライデーの報道によると――」などとニュース引用をすることを意図的に避ける傾向があります。実際に過去にあるニュース番組が週刊文春の報じた内容をほかにソースがないにもかかわらず文春の名前を隠した上で勝手に引用したことがあり、文春側の抗議を受けて後から渋々「文春さんの報道を引用しました( ゚д゚)、ペッ」みたいな感じでいかにも嫌そうな態度で体裁を取ったことがあります。

 仮にフライデーの報道を受けてビッグモーター側がコメントやプレスリリースを出した場合であれば、「ビッグモーターの発表によると――」という風に報じることができるので、大手メディアも報じていたことでしょう。ただ前述の通りビッグモーター側は大手メディアのそうした週刊誌軽視の風潮を知ってかこの件に関して一切何も反応を出さず、ダンマリ戦術で逃げようとしていた節がありました。しかし事件の大きさや内容のひどさ、そして恐らく不必要な保険求償を受ける羽目となった保険会社側の抗議もあってか外部調査を入れざるを得ず、その報告書が今回発表されたことを受けて大手メディアもようやく重い腰を上げ、今になって雪崩を打つかのように報じるようになったと私は見ています。

 上記のような背景から、最初にこの事件というかビッグモーターの従業員がタイヤに穴をあける衝撃的な内部告発動画を報じ、ビッグモーターにも他のメディアにも黙殺される中も続報を出し続けたフライデーに関しては、その粘り強く報じ続けた姿勢に感嘆するとともに、もっと世の中に評価してもらいたいと陰ながら感じています。不正に関する報道自体は以下の2022年8月に出た東洋経済の記事が先行しており、恐らくこれが初報だったのではと思いますが、今回はっきりと事件化にまで至らせたのはフライデーの功績も小さくないでしょう。


 さてそのビッグモーター事件ですが、自分の目から見ていくつか不審な点があります。一つは、何故監督当局はビッグモーターに対し査察を行わなかったのかという点です。
 最初の東洋経済による保険金の不正請求報道に関しては疑惑レベルだったのでまだしも、フライデーの報道に関しては故意にタイヤに穴を空けることを指導する不正以外の何物でもない行為が、歴とした動画で公開されました。私はこの時点で陸運局など国交省傘下の監督当局から何かしらの査察なり調査に入るかと思っていたのですが、前述の通り大手メディアがスルーするほどなにも音沙汰がなく、これほどの不正を見て見ぬふりする行政の態度の方がビッグモーターの態度以上に驚きを感じました。

 もう一つの不審な点はほかならぬ保険会社、それも損保ジャパンの怪しい動きです。

ビッグモーター不正請求、窮地の損保ジャパン(2022年9月、東洋経済)
ビッグモーター、保険金不正の真相究明に新展開(2022年12月、東洋経済)
ビッグモーターと損保ジャパン、不正請求の蜜月(2023年7月、東洋経済)

 この事件での損保ジャパンの動きに関しては東洋経済がいい意味でしつこく、詳細に報じ続けています。不正の実態に関してはフライデー、保険過大請求に関しては東洋経済がこの事件の報道で本当に活躍されています。

 話を戻すと、上記の東洋経済の報道によると不正疑惑が持ち上がった当初、本来なら保険金を過大に求償された被害者の側である損保ジャパンは、ほかの保険会社と違って何故かあまりビッグモーターを追求せず、ビッグモーター側の言い逃れを受けるや「はい終わり、この問題は終わり!」的に早々に幕引きを図ろうとした節があったそうです。実際にフライデーの報道以降、私の方でも保険会社の動きも軽く見ていましたが驚くくらいにビッグモーターへの批判や追及がなく、大手メディアはともかくとして何故保険会社も黙っているのかと不思議で仕方ありませんでした。

 それもそのはずというか、一部で指摘されていますが保険会社としてはビッグモーター側の府政によって払う必要のない保険金をビッグモーターに支払うことになるものの、その後に車両の保有者に対し保険金支払いを口実に保険等級を引き下げ(=保険料を引き上げ)ることで、後々回収に至ることができるという構図が成立します。言い方を変えると、ビッグモーターが保険金を求償することで保険会社は保険料の引き上げを行うことが可能となり、最終的に両社はWin-Winで儲かる一方、負担は消費者個人にだけ向かうわけです。そのため当初より、ビッグモーターと保険会社、特に怪しい動きを見せていた損保ジャパンは癒着しており、その不正も知ってて黙認または推奨していたのではないかと東洋経済も暗に指摘しています。

 仮に損保ジャパンもグルだった場合、最初の監督当局が全く調査に動かなかった理由にもつながってくるのではないかと思います。これは具体的根拠のない完全な私の憶測ですが、損保ジャパンほどの大企業なら一定の政治力を有しているだけに、監督当局に対し「自分たち保険会社の方で調査するから」などと言って、ビッグモーターへの査察にブレーキを掛けていたというシナリオも、可能性レベルならありうる気がします。かなりぶっ飛んだ推測だと思いますが、それほどまでに自分は行政がこの問題に当初全く動こうとしなかったのが不思議に思っており、東洋経済の損保ジャパンの報道を見てこれが背景なら納得できると初めて得心を得た次第です。

 とはいえ、損保ジャパン以外の保険会社はこの問題に対しビッグモーターへの不信を高めており、またビッグモーターをかばう幹事保険会社の損保ジャパンに対しても反感を持ちつつあると報じられています。まぁ実際、下手すりゃ関電に騙されたほかの電力会社みたくカルテルの疑いをかけられる恐れもあるだけに、ちゃんととるべき対応を取らなければほかの保険会社も相応の打撃を被ることでしょう。

 それにしてもこの事件、消費者への補償を行うとなると相当な金額に上ることは間違いないでしょう。補修範囲がどこまで故意なのかが明確に区別できない以上は、過去に請求した保険金額全額が補償対象になり得る可能性もあり、また保険金支払いを口実に保険会社が保険等級を引き上げていた場合、加算分の保険料も補償しなければ話にならないでしょう。後者の負担に関しては、補償するのはビッグモーターなのか保険会社なのかでまた揉めると思われますが、それだけにほかの保険会社は責任を損保ジャパンにうまくもっていかないとえらいこっちゃになるでしょう。
 それ以前に、明確な不正対策が実施されていないにもかかわらず未だビッグモーターが営業停止になっていないという事実に日本の闇を感じます。中国だったらこの辺わかりやすいくらいにすぐ行政が制裁をぶつけるか、損食わされた消費者が「金返せ!(# ゚Д゚)」的に雪崩を打って店舗や会社に突撃するので展開早いのですが、日本はジャンプ漫画の引き延ばしみたく展開が遅いのでこの辺はもっと中国見習った方がいいなという気がします。

2023年7月13日木曜日

真夏の夜に見た夢

 昨夜、こんな夢を見ました。

 前振りは一切なかったものの、なんか呪いとかそういうので学校内に閉じ込められていたのですが、あれこれイベントなり手順を踏んだ甲斐あって学校から出られることとなりました。ただその場にいる自分を含めた三人のうち一人は挙動がおかしく、意味不明なことをブツブツ言ってて、なんかこの世界の管理人らしき奴が「彼はこの世界に溶け込み過ぎた」と言うので置いてけぼりにすることにしました。
 そんなわけで自分ともう一人の男だけで昇降口から外に出ようと1階に向かって階段を下りて行ったところ、階段脇に潜んでいた顔面がのっぺらぼうの女子生徒が突然飛び出し、一直線に自分たちへ向かって追いかけてきました。急な登場に反応が遅れ慌てて逃げ出そうとするもそののっぺらぼうな女子生徒に鬼ごっこでタッチされるかのように叩かれるや、さっきの管理人みたいなやつの声がまた響き、「そいつに捕まったからもう出られないよ」と言い放ってきました。

 話が違うと抗弁するも、「それとこれとはまた別の話だ」とよく分からない切り返しされた後、はっと午前5時に目が覚めました。自分の視界には明かりがなく暗いものの、普段見慣れた自分の寝室が移っていたものの、「ここ、あの学校じゃねぇよな?Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)」などと妙な恐怖感に駆られ、そっと再び目を閉じて二度寝に入りましたが、しばらくはちょっと怖かったりしました。

 一体なんでこんな夢見たのかいろいろ不思議ですが、ちょっと前にゲームの「SIREN」を話題にした掲示板とか見たせいじゃないかと思います。でもって姿形はともかくとして、突然出てきた相手に全力で追いかけられるというのは半端なく怖いなと感じました。
 なおそんな夢はたくさん見る方じゃないですが、過去に見た中で一番意味不明だったのはこれです。

2023年7月12日水曜日

上海も猛暑

 このところ日本のニュースを見ていると猛暑関連の報道が目につきますが、上海は去年にマジで観測史上最も暑いというくらい平均気温が高く、夏場の最低気温なんか連日30度超、最高気温に至ってはリアルに40度突破した日もありました。
 それだけに今年は去年ほどには暑くならないでほしいと願ってはいるものの、目下のところは日本同様にかなり暑く、今日も最高気温は37度くらいまで行ったそうです。幸いこのところの夜は気温が30度以下に落ちるため、冷房かければ普通に過ごせます。去年はマジで冷房欠けても温度が下がりきらず、エベレストに立ってるかのようにただそこで息するだけでも苦しいくらいでしたι(´Д`υ)アツィー

 とはいえまだ7月も中旬、8月に入ったらさらに暑くなる可能性があるだけに依然油断ができません。またこの時期は不健康と言われようとも外出は控え家で冷房に当たる方がずっと健康的だと思え、割とケチな性格している自分でも週末は家にいるときは気にせず冷房かけてたりします。

 そうした生活をしていて改めて思うのは、中学校の部活の異常さです。夏の暑い時期にもかかわらず体育館で休憩少なく激しい運動を強要され、まだ「水を飲んだら疲れやすくなる」と言われていた時期で水の摂取量も制限されており、当時バスケ部だったけどそのほかの理由もありましたが早くにやめて水泳部移って正解でした。
 最近の部活はどうだかわかりませんが、ぶっちゃけ炎天下でああいう運動させるくらいなら、筋トレとか体操など、体を激しく動かさずとも体幹などの基礎を鍛える運動をさせる方がずっと効率よかったような気がします。まぁ今でも、ああした無茶な運動課す部活は多いのだと思うけど。

 それにしても上海も昔と比べるとずいぶんと空が青く澄み渡るようになり、夏の暑さもそれに比例するかのように年々きつくなっている気がします。そう思うと、あの常に黒く濁った空が懐かしく思えてきます。

2023年7月10日月曜日

懸念される中国の商業不動産市況


 上の写真は上海市の中山公園駅近くにある、ニトリが入っている商業施設のロビーです。昨日、臭くなったハンガーの代わりとなる新たなハンガーを買おうとニトリを訪れた際に撮影したものですが、見ての通り中央ロビーは広々とした空間が広がっており、中国のダイナミックな設計が活かされています……と言えればよかったのに。

 このロビーですが、かつては常になにがしかの催し物や即売会が開かれており、ロビーわきにはカウンターを設けた携帯電話ショップも常設されていました。しかし見ての通り、コロナに入る直前辺りから空間が広くなり、1階右奥にあったスーパーも閉まって常にシャッターが下ろされるようになりました。2階正面にあるモニターもずっと黒いまんまだし。
 また撮影の仕方が悪く見えづらいですが、1階右手にはかつて家電売場が広がっていて、今年春に自分もその中にあった携帯ショップで新しいスマホを買っているのですが、5月ごろからフロア丸ごと閉鎖され、今も新たなテナントが入らないままとなっています。面積でいえば、ワンフロアの半分くらいを占めるほどのエリアなのに。

 こうした商業施設はここだけに限らず、上海市内各地でかなり見受けられます。実際に見に行ってはいないものの、人口と消費の密集地である上海ですらこの有様であることから、地方都市の商業施設に至っては今どんな状況なのか、ちょっと想像するのが怖いです。

 去年にも自分はJBpressのコラムにて、中国の不動産市場は住宅ばかり取り上げられるが本当に深刻なのは商業不動産だと主張する記事を書いていますが、現在の状況は当時よりもさらに深刻化しているという気がします。
 実際はどうなのか先ほど中国のシンクタンクがつい先日に出した商業不動産に関するレポートの解説記事を読んだところ、一部メディアは「去年に比べて賃料が上昇している!」などと強がりを書いていましたが、冷静な記事は「去年のロックダウン時に不動産賃料は劇的に下落しており、その低い基数に対して今年は上昇しているに過ぎない」と分析しており、自分の見立ても同じです。むしろ、あれだけロックダウンをかました去年と比べるのであれば大幅に上昇していなければおかしく、平均でプラスと言っても微増にとどまっている現状はやはり芳しくはないでしょう。

 そのほか空き室率も上昇傾向にあり、深圳のAクラスオフィスビル賃料に至っては10年前の水準まで落ちていると書かれた記事も見られました。詳しく数字を検証していませんが、肌実感的に今の中国の商業不動産市場が好調なはずはなく、新規市場投入面積が減っているのに需要や賃料が上がっていない現状を踏まえると、本当に大丈夫かと言いたくなります。

 一方、日本人がやたら問題にしたがる住宅に関しては私はあまり懸念していません。現状においても家を買いたいのに買えない層が非常に多く、価格が少し下落したらすぐに買手が出てきて下支えするとみられることから、住宅不動産市場はデベロッパーの資金繰り難は続くものの、劇的に日本人が期待するようなバブル崩壊はまだまだ起きないと思います。
 ただ商業不動産に関しては何度も言うとおり、市場がかなり歪になっていると強く感じ、それこそ古くなった施設を無理やり破壊するなど市場淘汰政策を強行しない限り、今後ずるずると賃料が下がっていってデベロッパーの財政を圧迫する懸念が高い気がします。少なくとも、ゼロコロナ政策放棄によって中国政府は景気が回復すると期待していた節がありますが、商業不動産に関してはその予測を現在大幅に下回る状態になっているように見えます。

 なおこうした商業不動産の不振はやはり実態小売(オフライン小売)からオンライン小売、つまりネットショッピングに買い物の比重が移っている影響が大きく、中国全体での消費規模に関しては大きく落ち込んでおらず、むしろ今も拡大しています。金の流れ的に言えば、これまで商業施設を運営するデベロッパーに回っていたお金が、物流業者やショッピングサイトの運営業者に回るようになったと言えるかもしれません。
 ただやはり実態不動産にお金が回る場合は工事業者や設備業者、そして交通機関などにもお金が回って波及効果が大きいほか、不動産そのものの価値上昇によるプレミアムも得られただけに、そういった効果がなくなると経済全体への影響は小さくない気がします。何より、資金繰りに窮するデベロッパーが破綻した場合のダメージが大きいだけに、今後適切な対策を中国が打てなければ意外とツケがでかくなるかもしれません。

また大阪府警のやらかし

SNSのなりすまし見抜けず 無関係の男性2度誤認逮捕、40日勾留(朝日新聞)

 まぁ呆れるとしか言いようのない事件ですが、大阪府警がまたやらかしたそうです。記事を読む限り、最低限のアリバイ確認や発信情報、履歴すら追わずに、メールアカウントに苗字が入っているだけで無辜の市民を40日間も拘留していたそうで、その労力をまっとうな方向に向けていたら、今頃真犯人は捕まってたんじゃないのと言いたくなります。

 かねてから自分は栃木県警、群馬県警、愛媛県警と並び大阪府警のことを信用していません。というのも、前三つの県警は目立った警察不祥事事件(特に愛媛白バイ事故)の印象が強いのですが、大阪府警に関しては何度もあり得ないと思うレベルの業務ミスが多すぎるように思え、殿堂入りの神奈川県警には劣るものの、あんま世話になりたくないなと本気で思います。
 特に2018年に起きた富田林署の被疑者脱走事件は、アクリル板の固定不備、監視の警察官のサボタージュ、事件発生後に周辺へ周知なかった初動ミスなど、奇跡の不祥事コンボを見事に決めています。警察官の業務が大変なのは理解できるにしろ、これほどのミスを重ねるってのはやろうったってなかなかできるものじゃありません。

 それにしても自分が大人になったからかもしれませんが、子供の頃だった90年代と比べると警察官に対する信頼は激落ち君もいいところです。逆に中国の警察官は昔に比べて笑顔を見せるなど態度が劇的に良くなってきているので、マイナスからスタートしていることもあって自分の中で評価は激増しています。

 なお中国の警察ではシステムを使った顔の自動識別を使って追跡する人物を一瞬で特定しているそうですが、日本の警察もこれ速く導入するか、自分で作るかした方がいいと思います。なんとなく警察を見ていると昔の中国みたく人力で無理くり解決しようとしているところがあり、システムの活用なんか全然頭に入っていないように見えるだけに。

想定外の加齢臭元

 最近、自宅に帰ると加齢臭らしき臭いがしてきて自分も年食ったなぁと思い始めていたのですが、よくよく臭いの元を辿ってみるとなんか一か所だけやたら臭うということに気が付きました。そこに何があったのかというと、意外や意外にハンガーで、これがすべての元凶でした。

 無知で恥ずかしいのですが今の今まで、プラスチックハンガーは長年使い続けると異様なにおいを出すということを、今回初めて知りました。原因は日光で、屋外での選択物干しに使用する際に浴びた日光によってプラスチックが分解され、一定期間を超えるとやばげな臭いを発するようになるそうです。その臭いはワキガに近いと言われていますが、自分ちのプラスチックハンガーもまさにそのような臭いでした。
 実際にはちょっとずつ臭いを発するようになっていたと思いますが、つい最近までハンガーがこれほど、具体的には部屋に入ったらわかるくらいの臭いを出していることに気が付きませんでした。なんとなう部屋がそういう臭いなんだろうと見逃していたわけですが、臭いの元凶であったハンガーは何度洗ってもすでに内部まで相当分解されていたためか臭いは止まず、そこまでこだわりもないためこの際捨ててしまいました。っていうか今回の一件で、ハンガーは金属で作られる理由がよくわかりました。

 過去の自分はほぼ2年ごとに引っ越しを行い、そのたびに家具などもいちいち新調していたことから、プラスチックハンガーがこうして劣化するということを知らずに生きてきていたのだと思います。逆を言えば今の生活は異常なくらい安定しているというかすでに七年半も同じところに住んでいて、七年も天日に干してりゃそりゃハンガーも臭くなると妙に納得しました。
 それにしても今回気が付いたからよかったものの、案だけ臭い発するハンガーに選択物干していたという事実に我ながら軽い恐怖感を覚えます。もしかしたら衣類に臭いが移っていたかもしれず、陰で「あの人加齢臭臭い(/ω\)」と言われてたかもしれません。今回捨てた後、部屋の中からあの妙な臭いは一気に掻き消えたことから多分まだ私自身は加齢臭をそんな出していないと思いますが、臭いって結構他人の印象を左右するだけにもうちょっと気を使ってこうと思います。

2023年7月7日金曜日

反省文を書きまくった皇帝

 また本題と関係ないけど「アクション対魔忍」の中国語名は「動作対魔忍」でした。なんか少し違うような気がする。

孝文帝(Wikipedia)

 話は本題ですが、日本において「北魏」というと多分世界史を習った人は「大仏」と答えるかと思います。というのも、この北魏(5~6世紀)という中国の王朝に関しては「中国で仏教が盛んになった王朝」で、この時代の大仏を「北魏式」と呼ぶことしかテストに出ないからです。しかし実際には混乱極まった中国の南北朝時代(五胡十六国時代)において、華北地域で初めて安定を得た王朝で、後の隋、そして唐による統一のきっかけにもなるなどかなり重要な王朝だったりします。
 またこの北魏の時代から口分田こと均田制が始まり、これら政策や税制はそのまま日本の奈良時代に引用されています。そういう意味では、日本にとっても影響力の深い王朝です。

 そんな北魏において最盛期を築いたのが上記リンク先の孝文帝です。北魏の王朝は拓跋氏という、鮮卑族による王朝で、孝文帝の本名も「拓跋宏(たくばつ・ひろし)」といいました。しかし彼は早期に漢民族系の文化に染まり、首都を洛陽に移したほか、生活や制度まで漢民族風に一気に切り替えたことで有名です。
 そのため苗字に関しても、わざわざ「拓跋→元」と改名し、途中からは「元宏(もと・ひろし)」と名乗ったりします。

 そんな孝文帝ですが、祖母(実母であった説もある)の馮太后から英才教育を受け、非常に勉強熱心な皇帝としてデビューを果たします。わずか5歳で帝位に就いて当初は馮太后が摂政となったものの、馮太后の死後からは申請を開始し、善政を敷いて北魏の勢いを高めています。その過程で、漢民族と自分の出身である鮮卑族の融和も進めるなど、かなりマルチな活躍ぶりを見せています。

 性格も非常によくできた、物分かりのいい人だったとされているのですが、そうした一端をうかがわせるエピソードとして、反省文の話があります。なんでも、孝文帝は反省文を書くのが大好きで、ことあるごとに「世の中が飢饉なのは僕のせいです」、「中国が統一されないのは僕の努力が足りないせいです」、「皇太子が反乱を起こしたのも僕のせいです(でも討伐する)」などと文書にしたためては、「天よ、罪深い僕を罰したまえ」などと書き続けたと言われています。恐らく、反省文の執筆数でいえば歴代皇帝ナンバーワンでしょう。

 自分は猫の歴史漫画で初めて孝文帝について知りましたが、さっきの「おばあちゃんが実は母親だった?」などといい、こんな面白い人をなんで詳しく教えてくれなかったんだという思いが決行します。割と五胡十六国時代は穴場というかこういうのが多いので、いつかまとめる本でも出そうかな。

2023年7月5日水曜日

忍者文化の普及に貢献した偉大な人たち

 先日の記事で日本最強のブランドはトヨタでもソニーでもニンテンドーでもなく「NINJA」だと主張しましたが、このブランドは何も一朝一夕でできたわけではありません。では忍者文化の普及において今までどのような人物がいて、どのような貢献があったのかをまた帰宅途中に無駄に考えていました。

1、山田風太郎
 恐らく現代における忍者のイメージ、特に奇想天外な忍術を使ったバトルを確立させたのは昭和の名作家こと山田風太郎じゃないかと思います。「甲賀忍法帖」をはじめ比較的早期に忍術バトル、それも二陣営に分かれて多くの登場人物が技を競い合う形式を確立させたのは日本のエンタメ上でも非常に意義深いでしょう。
 その「甲賀忍法帖」は平成になってせがわまさき氏が「バジリスク」というタイトルにて漫画化し、アニメ化されたこともあって日本国内はおろか海外でも再び忍術バトル物を大きく普及させています。昭和のみならず平成においてもファンを広げたあたり、その影響度は昭和以降としては随一でしょう。

2、白土三平
 小説における忍者のスタンダードを作ったのが山田風太郎であれば、漫画における忍者スタンダードを作ったのはやっぱり「カムイ伝」で、その作者である白土三平じゃないかと思います。それまで講談の中であった忍者をビジュアル化し、尚且つ諸行無常な世界観で命をやり取りし合う殺伐とした忍者の生きざまを描いたという点で、こちらも現代における忍者イメージの確立に大きく貢献しているでしょう。
 特に忍術を具体的に絵で表現した点は、その後のアニメや特撮などにも影響しているのではないかと思います。個人的には主人公の必殺技でもある「飯綱落とし」ですが、ゲームにおいて「ニンジャガ」や「デッドオアアライブ」に登場するリュウ・ハヤブサの必殺技として採用されており、ゲーム上での高威力と派手さもあって、忍者を代表する最大の技だと勝手に考えています。

3、ショー・コスギ
 海外での忍者普及の面で、最大の貢献者といったら恐らくこの人でしょう。昭和期にハリウッドで数多くの忍者役として出演し、その高いアクション技術もあって人気をかっさらい、「日本人=忍者」というイメージを大きく刷り込ませたと考えています。
 真面目に日本政府はショー・コスギ氏の貢献を評価して「国民忍者賞」とかを授与すべきだと思います。彼なしには恐らく、現代における忍者の隆盛はなかったでしょう。

4、岸本斉史
 言わずと知れた「ナルト」の作者ですが、直近における忍者普及の貢献でいえば間違いなくナンバーワンでしょう。作品が人気を得た理由としては、主人公らが少年で、仲間と忍術を学びながら成長していく過程がそれまでの殺伐とした忍者世界とは異なっていた点が、特に海外で受け入れられたんじゃないかと考えています。同じようなコンセプトでは「忍たま乱太郎」がありましたが、あっちは海外展開はしなかったし、忍術描写が「ナルト」ほどには派手じゃなかったしなぁ。

 このほか特撮であれば「仮面の忍者赤影」がありますが、個人的には「ジャイアントロボ」での「マスク・ザ・レッド」の呼称の方がしっくりきます。逆に今回色々考えてて、かつてと比べると忍者が主役な映画や特撮番組が減っているような気がし、またショー・コスギ氏のような忍者役といったらこの人っていうイメージもなくなっており、これはこれでよくないのではないかとも思えてきました。
 そういう意味では日本政府は国を挙げて、世界を相手にする忍者俳優を育成すべきでしょう。ぶっちゃけ日本人じゃなくてもいいように思え、ハリウッドや中国でアクションに秀でた人で忍者映画作る方が手っ取り早いかもしれません。

2023年7月4日火曜日

中国におけるカルフールの厳しい現状

 例のアクション対魔忍ですがここにきて桃知凪ばっか使うようになりました。楽しい。


 それで本題ですが、上の現代の記事にもある通りフランス系スーパーのカルフールは今、中国でかなり経営が傾いています。
 軽く歴史を紐解くと00年代中盤にカルフールは中国に進出してきて、イオンのようなGMS系スーパーとしては中国だとほとんど初の形態だったこともあり、当時は物凄い繁盛していました。自分が上海に現れ始めたのは2010年頃ですが、その頃はカルフールに行くといつも人でいっぱいで、生鮮品売場なんてカートを進める隙間もないくらいごった返していました。

 しかし大体時期にして2015年くらいになると、同じような形態のスーパーがほかにも現れ始めたほか、オンラインショッピングが中国で爆発的に普及し、こうした実体店スーパーから客足がだんだんと遠ざかるようになりました。それでもまだしばらくは休日ともなれば人が訪れていたものの、やはりコロナが流行した2020年くらいから劇的に来客が減るようになり、自分もたまに訪れるとえっと思うくらい人が少なくて居づらい印象を覚えるようになってきました。

 そうした状況もあってか、カルフール本社は中国からの市場撤退を決め、数年前に中国にある店舗や運営権を中国家電大手の蘇寧電器に売却しました。この過程で不採算店舗なども閉店されたのですが、閉店された跡地は今でも上海市内に結構残っており、中国の商業不動産の不振というか小売業の苦しい状況が見て取れます。
 一方、残った店舗の方も決して安泰ではなく、あれこれテナント誘致しようとしているもののどれも長続きせず、フロアのあちこちでシャッターの閉まった、なんていうか女神転生とかペルソナに出てくる現代風ダンジョンみたいな店舗になってたりします。買収した蘇寧電器の方もこのところ業績が良くないらしく、実体小売全体で寒風が吹きすさんでいるのかもしれません。

 それで上の記事ですが、今日見ていろいろ思うところがあったというか、実は一昨日の日曜にたまたまですが自分もカルフールを訪れていました。訪れた理由は散髪で、カルフール内に入っている散髪屋が「It‘s short!(・∀・)」みたいな感じで言えば割と余計な事せず短く切ってくれるので、伸びたらいつもここに通っているからです。
 そんなわけでホイホイと日曜午前にカルフールへやってきたわけですが、店内に入って一瞬で、その異様な空気に気が付きました。それは何かっていうとただ単純に暑く、館内で冷房が切られていたことです

 一応書いておくと、これまで夏場のカルフールはきちんと冷房がついていました。しかし先日訪れると全館で冷房が切られており、そこそこ気温が高かったこともあって異様な雰囲気となっていました。たまたま冷房が壊れていただけだと信じたいですが、一部のテナントは自分とこように簡易の据置型冷房を置いてた当たり、一時的じゃなさそうな雰囲気がありました。っていうか冷房売ってる蘇寧電器が冷房つけないってのは結構やばい気がする。

 そんな状況ながら当初の予定通りに髪切って、相変わらずいい感じに切ってくれたのでそのままサブウェイでサンドイッチ買って帰宅しましたが、上海の古北にあるそのカルフールは往年の繁盛していた頃を見ていただけに、今の状況を見ていろいろ感じる点が多いです。かつてのホークス優勝時にしか客が来なかったダイエーを見ている感じというか、ひとしおの寂しさを感じます。
 またそうした状況ゆえか、外壁はもとより内装も汚れや未修理箇所が目立つようになっており、なんとなく蘇寧電器も匙投げているような感じがします。もっともカルフール以前にウォルマートはちゅぐ奥でもっと早くそのような状況になって撤退しているだけに、カルフールはまだよく持った方かも知れず、また店側の努力以前にオンラインショッピングの普及がでかいのだと思います。

2023年7月3日月曜日

豊かさとは何か?

 先ほど小腹が空いたのでコンビニにかっぱえびせん買いに行って、風呂上がりに買っておいたカルピスとともに食べました。夕食はうどんとウインナーを茹でただけとやや少なかったものの、なんかやけに食欲高いので風邪ひく前なのかもしれません。
 上記のような状況ですが、学生時代の自分からしたら絶対にありえない行動でした。学生の頃は本当に金がなく、晩飯はキムチとみそ汁とごはん2合が当たり前で、夜中におなかすいてもお金ないから何か買いに行くとかいう選択肢はあり得ませんでした。そんな当時をしのぶにつれ、自分も無駄に贅沢になったなと思うとともに、金銭的余裕があることにいくらかの幸福感を覚えます。仮に豊かさで見れば、学生時代の私は量産型ザクⅡ(J型)程度に対し、今の私はハイザック並みに、見かけは同じでも中身は全然違うくらいハイグレードでしょう。

 というところまで考えたところで、そもそも豊かさとは何ぞやというよくある哲学的議論を思い出しました。この議論というか問いに対する答えは自分の中でははっきりしていて「比較なしに有意を感じるものがあるか」に尽きます。
 基本的に人間の行動は、食事など生存欲求に直結するものを除けば、ほぼすべて「他人に対し優越感を覚える」目的で行われると考えています。いい就職先とか他の競合者より優れた技術を示せる趣味など、ほかの奴より俺の方が凄いと感じるために行われる行動が9割くらいじゃないかと内心考えています。でもってそういう秀でた能力がない人間ほど、阿Qじゃないけど心の中で他人を見下したりする行為に走ったりする気がします。

 それに対し、他人より劣っていようが優れていようが気にせず、延々とやり続ける趣味なり嗜好がある人間ほど、人間としては豊かなんじゃないかと思います。ゲームでも盆栽でもスポーツでも食べ物でもいいですが、比較が介在するにしても一切気にせず、継続し続けられるものがあればきっと豊かな人間だと思いますし、立派だと私は考えます。そうしたものがどれだけあるか、それが人としての豊かさに直結するのではと思う次第です。

 なお金銭的豊かさに関しては、やはり限界があるというか、金持ちほど幸福感が低いという統計結果が人種や文化に関係なく出ています。完全に否定こそいないものの、やはり金銭的豊かさこそ比較優越を感じる最たる基準であるだけに、心や気持ちの豊かさとしては一定基準に到達すると充足しきれない価値観だと思います。まぁお金はあるに越したことないですが。

 そういう意味では幸福感がほかの国と相対的に低いと言われる日本人は、もっと趣味とかを充実させる社会にした方がいいのでしょうが、そうした意識を持っている政治家がどれだけいることやら。まぁ撮り鉄は周囲にいたら面倒だと思うけど。

2023年7月2日日曜日

Vガンダムとエヴァに共通したテーマ


 本題と関係ないですが上の動画見て、中国人はみんないつも映画でも撮影してんのかよと思いました。こういう突飛な映像がしょっちゅづ得てくるのが中国でしたが最近は見なくなり、久々に見ると凄く安心します。


 話は本題ですが、アニメのVガンダムに声優として出演した阪口大助氏と、カエルとおかんの声でおなじみの渡辺久美子氏の対談記事が出ていました。っていうかこの対談、主役張った坂口氏はともかくとして、ヒロインのシャクティではなくカテジナ役の渡辺氏を選ぶ辺り、企画した人は良くわかってるでしょう。

 この対談は結構裏話が多く、業界経験間もなく緊張でガチがちだった阪口氏をだましてパーマに欠けたりして、阪口氏がリアルで「おかしいですよ」とカテジナさんに言っているのが笑えました。
 ちなみに阪口氏は「アイドルマスター」の企画で出演声優の料理バトルを司会した際、合成着色料で青色に染め上げられた鶏肉も食わせられており、Vガンダムの主役のウッソといい女難な人だという気がします。

 話を戻すと、阪口氏は当時、演技指導として監督の冨野氏から鉄拳指導も受けていたと言われていましたが、この件に関しては事実ではないと否定されています。指導自体は居残りで厳しく行われたそうでしたが、殴られたりするほどではなかったそうです。ただ指導が曖昧な表現で言われるためわかりづらく、渡辺氏も対応に苦労したとも語っています。

 またVガンダムという作品について両氏とも、放映当時はピンとこなかったけど何度も見ているうちにだんだんわかってきたという風に話しているのが印象的でした。特に渡辺氏が自身が演じたカテジナについて、常にというわけではないものの、カテジナ同様にエキセントリックにおかしな行動を取ることが自分にもあることがわかってきたと話しており、これを聞いてようやくというか、この後に世に出て大ヒットしたエヴァンゲリオンとの共通テーマに気づきました。

 エヴァの監督である庵野氏はかねがね、かつて制作現場で直接指導も受けた冨野氏のこのVガンダムがエヴァの政策に大きく影響したと話していました。私はこの言葉について、世紀末的退廃的な90年代の世界観のことを言っているとこれまで思っていたのですが、今回のVガンダム対談を見て、「周囲の価値観がおかしく、自分でも気づかぬうちにどんどんおかしくなっていく」というのが、両作品に共通するテーマじゃないかと思うようになりました。

 このテーマはVガンダムの方が非常に顕著で、わずか13歳の主人公をMSの操縦がうまいという理由で、周りの大人たちがこぞって機体に乗せて戦わせようとします。主人公も周りに乗せられるままに相手の命を奪うようになり、作品が進むにつれ、殺害に対する呵責もどんどん失われていくようになっていきます。
 いわば少年兵の問題がこの作品上では一切問題視されない、それどころか大人ほど気にしない姿を見せます。それに対し「子供を戦わせるべきじゃない」と唯一否定していたのがヒロインのシャクティとカテジナさんでしたが、前者も相当ですが後者に至っては当初否定していた大人以上におかしくなり、死亡確実な作戦に部下を投入したり、だまし討ちしたりとガンダムシリーズの中でもやりたい放題を尽くすくらいの悪女となり果てます。

 なおケロロ軍曹の中で「トチ狂ってお友達にでもなりに来たでありますか?」というセリフを言ったことがあるらしいです。ケロロ軍曹もほんとやりたい放題だ。

 以上のように、Vガンダムは子供の目線で見ると頼りない大人を尻目に少年が目を見張る活躍で悪い奴らを一方的に打ちのめしていく作品ですが、大人の目で見るとみんな頭がおかしく、主人公もカテジナもそうしたおかしい価値観に染まってどんどん過激になっていくように見えてきます。

 翻ってエヴァについてはVガンダムほど露骨ではないものの、この作品も周囲の大人がおかしく、そのおかしな価値観に子供が翻弄されていく様が描かれています。わけのわからない怪物に対してロボットの操縦適性が子供しかないからという理由で子供を兵器に載せ、戦わせていくという流れです。
 当初でこそ主人公のシンジに対し周りは搭乗拒否権を認めていたというか、「できれば戦ってほしい」的な立場を取っていますが、回が進むにつれて、「乗って戦うのが当たり前」的に扱うようになり、よく突っ込まれるミサトさんなんかは「エヴァに乗るのがあんたの存在意義でしょう」的に、乗らなければカス的な見方を徐々にシンジに対しぶつけていくように見えます。これに対しシンジの方は何度か抵抗し、途中で一度ははっきりとした自分の意志で乗る姿を見せるも、結局は「抵抗しても無駄なんだ」的にあきらめて周囲のプレッシャーに潰される羽目となります。

 このシンジの姿を、子供の目線で見ると期待に応えられずうじうじした奴に見えなくもないですが、大人の目線でいえば上司や客先の圧力に潰される自分の姿のようにも見えなくもなく、「そりゃ14歳だもん、乗らなくなるよなぁ」的に妙に理解が増してきます。Vガンダムの比較で述べると、作中でもはっきり言われているように超人であるウッソはあらゆるプレッシャーを跳ね返して戦い続けるものの、常人代表のシンジは、世の中の多くがそうであるように強すぎるプレッシャーに潰れる様が描かれています。

 このように、周囲、特に大人の価値観が逸脱していて、それによって翻弄される子供もどんどん気づかぬうちにおかしくなっていくというテーマで、Vガンダムとエヴァは共通していたのかなと初めて気が付きました。なおエヴァの場合、カテジナに相当するのはシンジであり、流されておかしくなっていく点でウッソに相当するのはミサトさんな気がします。ミサトさんが私生活はともかくとして当初は常識持っていたのが、後半になるにつれて作中屈指のやばいキャラになっていく過程がなんとなくそう見えます。


 たまたまですが上記の自分の理解に通じると思うまとめ記事を見たので併記しておきます。ぶっちゃけこれ、アニメの中だけじゃなく日本の多くの中小企業や部活動に当てはまるんじゃないかな。