ページ

2011年7月31日日曜日

権力にすり寄るメディア

 ちょっと古い話になりますが、松本前復興相が宮城県を馬鹿にするような発言をした後に同行した取材記者に対して、「このことを書いた社は終わりだから」と発言し、その後辞任に追い込まれています。この件については私もブログに取り上げましたが、その後続いて書いた記事にて片倉(焼くとタイプ)さんがコメント欄にて、

「あと松本元大臣の発言をそっくりそのまま放映したのは当初は宮城の東北放送
だけだったそうです。これについて
ネット上では、部落差別問題の無い東北地方では、部落解放同盟の圧力が
およびにくい事に気づかなかった松本氏の誤算だったといわれています。」

 というコメントをしてくれました。

 この件については事件発覚当初にてネットでよく取り上げられていましたし、敢えて名を明かしませんがある大新聞でもコラムにて、現場の記者たちは松本前復興相の脅しに従って当初報道を控えてしまった。記者として恥ずべき態度であるなどと自己批判をしていたことから間違いない事実だと思います。
 一体何故当時の東北放送以外の現場記者たちは取り上げなかったのか。言ってしまえばすくんだ意外にほかなく、普段権力に対する防止装置、ペンは剣より強しとか言ってるくせに情けない人間だった以外にほかないでしょう。ただ一つ弁解をしてあげるならばこの時の記者たちが特別だったわけじゃなく、こういうことは日本のメディアにおいてはままあることです。

 私がいまだによく覚えているのは故中川昭一氏が大臣辞任、ひいては後の落選につながるきっかけとなった2009年に起こったG7後の酩酊会見で、この会見は当時たくさんの日本メディアが取材していたにもかかわらず、当日に報道したメディアは一つとしてなく、たまたま入ってきていた海外メディアが報道してから一斉に報じ始めました。

 この二つの事件における日本のメディアに対する私の意見はというと、別にいつ報じるのは構わないとは思うけど、後になって報じてから批判するのは如何なものかということです。最初手控えたくせしてみんなが叩いているのを見てから一緒になって批判していて、カッコ悪いと自分で思えないのではちょっと救えません。
 あと紙幅が余っているのでもう一つ付け加えると、マスコミ文学はいい加減放棄してほしいことです。これなんか自分がこの業界に入ってきてからわかりましたがどの漢字をひらがな表記にするかとかどの表現を使っちゃいけないとか、日本人特有の妙な横並び精神を如何なく発揮して滅茶苦茶注意されてます。別に小学生相手にしているわけじゃないんだから旧字以外だったら好きなの使っていいじゃん、文章が悪い汽車は自然と淘汰されるんだしなどと不遜なことを考えてはフラストレーションを溜めてます。もっとも自分の場合は誤字が多いのは問題なんだけど。

2011年7月28日木曜日

日本帰国時に読んだ漫画

 昨日の記事の続きで、日本に帰国した際の漫画を教派紹介します。
 まず私は漫画喫茶などで新刊をチェックすることが多いのですが、贔屓にしている漫画については売り上げに貢献するため、あらかじめアマゾンに発注して実家に届けさせておりました。届けさせた漫画は以下の通りです。

サユリ2巻:完結。ホラー漫画としてはすごい出来で満足
シドニアの騎士4、5巻:相変わらず飽きない展開。もう少し知られたっていいと思う。
ノノノノ最終巻:打ち切りにされたらしいが、最後まで予想がつかない展開で面白かった。

 上記の漫画に加え、4時間粘って漫画喫茶で読んだのは以下の漫画です。

スティールボールラン:最終巻まで数冊分。こちらも最後まで予想がつかない展開で読後はしばし感動。
カイジ:なんか今のシリーズに入ってから急激につまらなくなった。もう読むのはやめようと思う。
電波の城:展開早っ。
バキ:突っ込みどころが多い。でも見ちゃう。
カウンタック:漫画オリジナルの車が出てくる場面で、肝心のカウンタックが出てこなくて少し物足りない。
キングダム:文句なしに面白かった。こちらももっと高く評価されてもいい作品。
ガンツ:ネットでちょろちょろ情報が出ていたが、大阪編で一度死んだ女性キャラが復活していたシーンではほろりときた。

 このほか直前にあっていた友人からマガジンの「進撃の巨人」という漫画を勧められていたので読みましたが、「バクマン」を大人買いする友人なだけあってなかなかいいチョイスをしてきたと思います。というかよく少年雑誌でこれほどまでハードな話(第一話で主人公の母親が食べられる)を展開できるなと感心したのですが、決して極端に劣っているわけではないものの、アクションの多い漫画の割にはこの漫画の作者はコマ割の技術がいささか足りないと感じました。空飛ぶシーンも、読んでて最初よくわからなかったし。あとキャラの描き分けも。

 オチらしいオチがないのでもう少し続けますが、やはり日本の街中というのは図抜けてきれいに感じます。中国にいるからかもしれませんが、外歩いていて何の匂いも感じなかったのに最初は戸惑いを覚えましたし、また電車に乗っている最中も緑が残る丘や森が見え、なんていうかすごく新鮮に感じました。
 聞くところによるとスイスは国土が物凄く綺麗すぎて、海外に出たスイス人はホームシックにかかりやすいそうです。仮に母国がとんでもなく汚い環境だったらそりゃ出て行ったってなんにも感じるものがないでしょうし、前々から言っていますが日本人が海外に出たがらないのは英語ができないとか島国だからという理由とかより、そこそこ綺麗な国土だからというのが大きいように感じます。なお私はホームシックはあまり感じませんが、久々に友人らと話して、「これくらいのレベルの人材が上海にもいれば……」という無理な願いは感じました。

2011年7月27日水曜日

日本の帰国日程

 また昨日は部屋でネットが使えませんでした。これで七度目。ホテル側ももうお金返すと言ってきましたが、修理しろの一点張りで、返還費用から替えのルーター買って設置するということで落ち着きましたが、今日帰ってみたらまたやっぱりつながらず、すっかり顔なじみとなったエンジニアの兄ちゃんに様子を見てもらったらすぐまたつながりました。ルーター替える意味あったのかな。

 さて先週末は金曜日から日本に帰って過ごしていました。そこで今日はその日本滞在期間中のスケジュールを紹介します。もともと高校生のころから夏休み日記と称してわけのわからない日々を書き残していたので、なんとなく懐かしい感じがします。

<22日>
05:30 起床後、30分で支度して家を出る。
07:10 地下鉄、リニアに乗車して浦東空港到着。搭乗手続きをするが手荷物検査で呼び止められ、荷物を開けられると、
空港職員「これはなんだ!?( ゚Д゚)」
別の空港職員「PSPじゃん( ´∀`)」
 というやり取りがありました。
09:30 デルタ空港の便で日本出発。日本時間の13:30着。
15:30 空港から直接役所へ行き、事務手続きを済ませる。来る途中の電車が節電対策で本数減らされててちょっと驚く。
16:30 実家に帰宅。家の猫はまだ自分の顔を覚えていたのか嫌そうな顔で見てきた。
19:30 約束していた地元の友人と近くのガストで会う。レストランに行く途中に愛車であるブリジストン製の27インチタイヤ仕様サブナードスポーツに半年ぶりに乗るが、上海で折りたたみ自転車に乗っていたことからあまりの安定性と速度にビビる。やっぱ自転車はでかいのに限る。
 久々に会った友人にはいきなり「中国人っぽい外見になった」と言われた後は政経の話題や近況について話したが、企業や財界関係の話が好きな友人なだけに中国の企業情報をメモとるくらい真剣に聞かれてまたしても驚く。元からそういうのが好きな友人だと知ってはいたが、こうも興味津々だと。まぁ向こうからすれば政治関係に妙に耳を傾ける自分もそういう風に思われているだろうけど。結局23:00過ぎまでガストで粘った。
23:30 友人と別れて漫画喫茶へ。半年間読めなかった漫画を一気に読み通す。読んだ漫画の詳細はまた次回にでも書くが、あまりにも大量にあったこととすでに時間が大分遅いことが手伝って流し読みになってしまった。結局04:00までいて自宅に帰宅した。

<23日>
10:00 前日が遅かったこともあってのってり起きる。起きて簡単にネットして、友人に暇しているか尋ねた後で午後に落合う約束する。
14:00 秋葉原で友人(K)と合流。パソコンを新しく買うつもりだったので二人であちこちの店を回ったが、当初はひいきに模している東芝製ダイナブック一択のつもりだったが、「2000円払うとグッと良くなりますよ(´∀`)」と言われ、すすめられたNEC製LaVie Sをオノデンさんで購入する。しかも海外在住だと言ったら本来つけるはずのポイント分を割り引いてくれ、個人的に非常に気持ちのいい買い物だった。オノデンさん、ありがとう。
17:30 秋葉原にいたところあらかじめ連絡していた別の友人から電話を受け、そのまま友人(K)とともに電話くれた友人の家へ向かう。友人の家ではコールオブデューティーというFPSのゲームをして、「当たらなければどうということもない」と言ってなんども蜂の巣にされた。
17:00 三人でそのまま近くの中華料理屋に晩御飯を食べに行く。店のおばちゃんの発音を聞いて中国語で話しかけ、友人二人を置いて中国語でしばらく話す。
 料理は三人でいろいろ頼んでつまみながら食べてたが、餃子が意外にもおいしく追加で何度も頼んだ。あと食べながら思ったこととしては、上海ではどんな日本料理も食べられるが、日本風の味付けをした酢豚や天津飯といった中華料理が食べられないことに今更ながら気が付いた。あと友人が普通に「高菜(たかな)チャーハン」と注文したのを聞いた際、「高菜(ガオツァイ)チャーハンじゃないの?」とリアルに疑問に感じてしまってた。最終的に22:00まで粘り、そのまま駅で別れた。

<24日>
09:00 起床し、朝食を食べる。その後テレビなどを見た後にまた自分の自転車でサイクリングに行く。
11:00 一通り自転車を堪能した後でゲーム屋に寄り、PSPの「モンスターハンターポータブル2」と「天誅」を買う。
12:00 「アッコにおまかせ」を見ながら昼食。何気におふくろの作るメシ食べたのは今回の帰国でこれだけだった。献立は冷やし中華だったが、あとから思うとこんなところまで微妙な中国関係のものを食べなくてもという気もする。
14:00 本来ならもう空港へ出発する予定だったが、新しく買ったNaVie Sのデータなどをいじるのに少し時間が食ったため、出発時間も遅らせた。そしたら都合よく親父から電話があり、親父が名古屋で会ったという同級生のツッチーは非常に有望な人間だから暇な時は相手してもらえと助言する。
15:00 自宅出発。そのまま空港へ行き、上海へ戻る。帰宅したのは22:00だった

 こう見ると非常にかけ足な帰国だったと思えます。とはいっても上海と日本は非常に近く、また帰ろうと思えばいつでも帰れるのでそんなに気になりません。ただ先々週末は出張で休みなしで働いてたので、一昨日はやや疲れも感じて仕事もだれた感じでしてました。
 今回帰国して印象に残ったことを言うと、台風の通過後ということで非常に寒かったということが一番強いです。逆に帰国直後の上海は湿気がひどく、疲れが出たのも上海の暑さからだったかもしれません。

2011年7月25日月曜日

中国版新幹線の脱線事故に対する国内報道

 新しいパソコンになって初めてのブログ執筆です。微妙にこれまで使ってきた中国史用のパソコンと比べてキー配置などが異なっているために違和感がまだありますが、それでもやはり打ちやすいしパソコン自体のデザインと相まって気に入ってます。この詳細についてはまた明日にでも書きます。

 そんな今日はどういったことを書くのかというと、昨日に引き続き中国版新幹線(高速鉄道)の脱線事故についてです。昨日の夕方時点でははっきりしませんでしたがどうも落雷で停止していた車両に対して後続の列車が突っ込んだことによって脱線したそうですが、想像以上というべきかなんというべきか、なんと今日にはもう同じ路線での運転を再開した上に事故車両を回収もせずに埋めるという暴挙に出ているようです。この辺については日本在住の方もすでに知っておられるから説明するまでもありませんが、こちら中国においても今回の事故については異例尽くしというべきかいろいろと議論や混乱が起きております。

 まず本日の朝刊ではデイリー紙はすべて今回の事故を一面に取り上げ、経済誌でも多くがトップを飾ってます。そのうえで紙面中の論評も今回の事故を起こした鉄道部(中国の「部」は日本の「省」)を厳しく批判しており、その対比として開業以来一度も死傷者を出していない日本の新幹線における安全対策を取り上げる新聞もありました。なおその日本の新幹線と対比させた記事では2005年の福知山線脱線事故を取り上げ、多数の死傷者を出したものの日本はこの事故後に反省として自動制御装置(ATS)の普及が一気に進んだと記載しており、鉄道部の報道官が「日本の新幹線だってたびたび故障を起こしている」というような変な負け惜しみのような書き方ではなく、悪くない対比記事だったように思えます。

 その上でこちらのメディアにおける混乱というか今回の事故を読み解くうえで重要なのは、日本のNHKにあたる新華社通信の報道です。細かい数字までは挙げませんが当初新華社通信が発表した今回の事故の死亡者数に対して鉄道部側はもっと少ないと主張し、その後も両者の間で死亡者数の相違や修正が続いています。その上で人民日報の本日の論文は、「今回の事故はただ片づけるだけでなく、今後の運営の在り方を含めて大きな反省材料にしなければならない。特に鉄道部」ってな感じでどちらかといえば鉄道部に対して厳しい批判を行っているような記事内容なのですが、これを見て私は政府と鉄道部で見解の不一致が起きているのではという疑念をすこし持ちました。

 新華社は人民日報は言うまでもなく中国共産党の機関紙で、その発表内容は政府の主張と基本イコールです。ということは先ほどの新華社の発表と人民日報の論文は政府側が今回の鉄道事故を重く受け止めているとみることができるのですが、その一方で鉄道部は事故車両を埋めたり死亡者数を少なく見積もったりとどちらかといえば隠蔽するような態度を取り続けております。この矛盾する両社の動きが非常に肝なのですが、単純にとるならば政府中枢は非常に問題視して原因究明に熱心なものの、鉄道部側はメンツもあって隠蔽しようとしてやや対立するような構図ととれるのですが、深読みするならば原因究明を叫んで一般国民のガス抜きをしつつ、隠蔽工作を続けさせるという方法も十分考えられます。

 ただ一つだけ確かなことを言うと、今回の事故、いやそれ以前からも普通の中国人は高速鉄道の安全性に対してやや批判的でありました。そして今回の事故を受けてそれが決定的となったというべきか、街頭インタビューでも乗らずに済むなら乗りたくないという人しかおらず、また鉄道部の隠蔽工作や早すぎる運転再開にネット上を中心に激しい批判が起こっております。
 先の中国政府の特許申請の記事でも書きましたが、普通の中国人はこの高速鉄道に対して妙なプライドやら価値観は持っておらず、政府の特許申請についても何も感慨を持っておりません。そういう意味では鉄道部の人間より一般中国人の方がずっと常識を持っているでしょうし、なおかつ日本人とも価値観が近いでしょう。

 それにしてもこの高速鉄道、上海~杭州間で私も何度も乗りましたが今回の事故を見てえらいのに乗ってたもんだとちょっと冷や汗かきました。一緒に乗った親父も、「他人事ちゃうわ(;><)」とも言ってましたし、これからは用があっても使用を控えようと思います。何気に来月あたりに武漢まで乗っていこうかと考えてたところでしたが、航空会社にとってすればうれしい限りだろうな。
 あと今回の事故原因について鉄道部は落雷だと主張していますが、これまで既に何度も落雷による故障を引き起こしておきながら何の対策もしてこなかったというのは呆れてきますし、本当に落雷だけが原因なのかと疑う気持ちすらあります。なんでもかんでも落雷のせいにしてると、終いにゃ天神様だって怒るだろうし。

2011年7月24日日曜日

中国版新幹線の列車事故について

またちょっと更新が滞っておりましたが、理由をちゃっちゃと話すと今現在日本に帰国中です。何で日本に帰国したのかと言うと単純に野暮用を片付けたりなんなりで、今晩中にはまた上海に戻ります。
 そういうわけで今回日本に戻って感じた事などを最初は書こうとしていたのですが、そうもいかないし日本にいる今だったらおおっぴらに書けるある大事件が」昨晩起こりました。

安全軽視のツケ現実に 中国高速鉄道 「信じがたい事故」(産経新聞)

 何気に今日の朝日新聞一面にも載ってましたが、校了の時間まで残り少なかったろうによくのっけてきたなと思います。

 それはともかく、まさかこんなに早く中国の新幹線でこれほど大きな死亡事故が起こるとは私も予想していませんでした。数ヶ月、もしくは一年位したらなにかしら大規模な事故が起こるだろうとは思っていたものの、先程のNHKの報道ではすでに死者が30人を超すほどの大惨事だそうで、事故の被害者の方々には深い哀悼の気持ちを覚えます。
 事故原因についてはいまだはっきりしないものの、これまたNHKの報道によると地元メディアでは落雷により送電が止まって事故の数時間前には別の車両が運転停止していたとのことで、何かしら送電施設に問題が発生した事に加え緊急停止装置が作動しなかったことが衝突の原因だと言われているそうです。

 このブログでも何度か書いていますが、この中国版新幹線(高速鉄道)はかねてから現地紙でも安全性について度々疑義が呈されてきました。現実に先月開業したばかりの上海~北京間でも何度も緊急停止などといった故障が発生しており、そうした不安が手伝ってか高速鉄道が開通したことによって逆に同路線を飛ぶ飛行機の座席予約が増加傾向にあるとも聞きます。更に言えばこれだけの国家プロジェクトにもかかわらずそういった国内批判が数多くなされている事は異常とも言うべき事態で、今回の大事故を見る限りですとある意味では報道は的を得ていた、中国ジャーナリズムも捨てたものではないという見方が出来ます。

 それで今後のこの中国版新幹線の行く末についての予想ですが、まず日本国内だと川崎重工らがほっと胸を撫で下ろし、中国国内だと日本の原発行政よろしく全路線において安全確認作業が実施されることとなるでしょう。安全確認の最中に運行を停止するかどうかについては今の段階ではわかりませんが、あくまで勘で言うとすでに去年から開業している路線もある事を考えると停止はしないと思います。もっともその間の売上げは悲惨なものとなり、運行本数はさすがに減らされるでしょうが。
 このほか気になる点を挙げると、中国全体の鉄道整備計画に影響が出るであろうということ、関係者の処分などがありますが、それ以上に先程あげた中国メディアが今後どのようにこの事件を取り上げていくかについて注視していきたいと思います。

2011年7月20日水曜日

中国で商売する上でのカントリーリスク

 かねてから左クリックの調子が悪かったので新しいマウスを買ってきました。買ってきたのは近くのウォールマート系列スーパーの好又多で売ってたヒュンダイ製のマウスですが、そこそこ悪いわけではないもののもともとのパソコンデスクと椅子の高さのバランスの悪さから使ってて肩が痛くなります。それでも前のマウスより全然いいけど。

 話は本題に移って、先日に友人から自分のブログを見ていてやはり中国のカントリーリスクは高いと感じるという感想を受けました。確かに例の新幹線の話題などからすれば予期せぬ事態が起こりやすい国だと皆さん感じられるかもしれませんが、実はそういう記事を書いて煽っている本人が言うのもなんですが、私は中国というのは実はカントリーリスクが非常に低い国だとこの頃、というよりこっちで働いてみて感じるようになりました。

 私もかつては中国というのはカントリーリスクが高く、市場は大きいけれど商売も一筋縄では行かない国だろうという印象が強かったです。それが逆転したのはこっちにきて顧客と話をしている時で、その顧客が言うには確かにアメリカなどの欧米諸国と比べればそうみえるかもしれないが、ほかのアジア諸国に比べれば中国というのは実は非常に商売がやりやすいそうです。
 まず第一に言えるのは、国内の治安です。中国というのは警察がいろんな意味で強い国で地方によっては料金をちょろまかすタクシー運転手もおりますが、そういう細かいのに目を瞑れば都市部においては非常に治安のいい国で、夜も全く心配せずに一人で出歩けるほどです。ただ中国人は夜九時過ぎても子供を外で遊ばせておくのはよしたほうがいいと思うけど。治安というのは馬鹿にならないもので、それこそ強盗やテロなどが多い国では駐在員自身の安全を確保するために家賃なども高い居住地に住む必要も出てきます。けちな話をすると海外保険代だって高くなりますし。

 その上で中国が他の国と比して商売がやりやすいのは、宗教上の障害が少ない点です。それこそイスラム教の影響が強い国ですと様々なタブーがあり、確か昔には味の素が食品の製造過程で豚の油を使っているという根も葉もないデマが流れて直撃を受けたという話があるなど、普段生活する上でも数多くの制限があります。
 それに比べて中国はというと本当に何でもありというか、文化的にも近いことから日本と同等の感覚でさえいればタブーには触れずに済みます。

 そんな中国で唯一カントリーリスクというか触れてはならないものは政治関係の話題ですが、逆を言えば政治事にさえ関わらなければ本当になんでもやっていいように感じます。一応国が保護している産業などについては海外からの投資や買収が制限されたりはしますが、面倒な手続きと合弁などの手段をとりさえすれば国内でどのような活動をしても許されますし。
 もっとも去年のレアアースの禁輸措置など突然ありえない行動に出られたりはしますが、この点は確かにひどいといえばひどいですが多かれ少なかれ他の国でも相応のリスクはあります。言ってしまえばアメリカのトヨタ叩きもそうでしたし、タイでも毎回短期間で終わりますがクーデターが起こるなど、中国に限ることではありません。

 この辺自分がよく成長したなぁと思う点ですが、日本ではなにがなんでも想定外の事態は起こることは絶対にあってはならないし、もし起こったらその対応よりも責任者は誰か捜すことの方が優先されていた気がしますが、中国で働いてたり生活していると想定外の事態が起こるのが当たり前で、その都度に素早く対応できるようになってきています。これは世代による価値観なのかもしれませんが、どうもこっちで生活していると日本人は想定外の事態になれてないというか、ちょっとした事をすぐカントリーリスクにまで数えてしまうところがあるような気がします。
 昔から日本人は一番最悪な事態は起こらない、というか起こるはずないと妙な割り切り方をするところがありますが、そういう思考からは早く脱却したほうがいいと思います。私なんかこのところ、「これ以上最悪の事態が起こるとしたらどんな状態だろう」と常に考えるようになりましたし。

2011年7月19日火曜日

海外に来る年齢

 昨日出張から帰ってきましたが、出張場所はヒントを出せば一昨日NHKに映ってた場所です。もちろん私は映ってるわけではありませんが、帰るなりまた家のネットが接続できなくなってて、今日の昼間にはさすがに従業員を怒って直させました。中国ではよくあること。

 それでは本題に入りますが、先日縁あって出身母校の上海校友会に出席しました。比較的大きな会合だったので参加者は約40人も数えたのですが、その会では意外というべきかなんというか、なんと私が最年少の参加者でした。当初私はその会には上海に留学で来ている留学生らも来るだろうと踏んで中堅くらい、もしくは比較的若い世代に入っているだろうと思っていたのですが蓋を開けてみるとぶっちぎりの最年少参加者で、近い年齢の方も何人かいましたがほとんどが40代以上のおっさんという会となりました。まぁそのおっさんどもは女性参加者の周りに群がってたが。

 このブログではちょこちょこ匂わせていますが、私の年齢は現在20代の後半です。確かに少子化だし、日本国内ならまだしも上海という土地柄を考えれば今回最年少となったのも無理ないかもしれませんが、内心私は中国に遅れてやってきたとこれまで自覚していました。
 私は元々新卒で就職活動をしていた際に、中国語を使えるということでメーカーのような、中国に駐在させて働く機会があるような企業を中心に面接を受けていましたがすべて落ち、最終的に採用してくれた商社では中国語はあまり使う機会のないところでした。それだったら最初から大学卒業とともに中国にやってきて現在働いているように現地採用で就職先を見つければよかったのですが、その考えは全くなかったというわけではなかったものの、やはりいきなり中国で働けるのか、就職先がきちんと見つかるのかという懸念から日本での雇用生活を最初にスタートさせたわけでした。

 その後日本で数年働いた後にやはり中国に来たいと思ってこうして現地採用されるに至りましたが、本来であれば大卒直後の22~23歳くらいから中国で働くつもりだったのにと考えていただけに、20代後半での中国上陸は遅過ぎるとまでは言いませんがやや出遅れたスタートだと今まで考えていました。
 しかし実際に働いて見るとどこいっても20代の日本人はほとんどおらず、今回の校友会のように自分が最年少のような立場になることが多く、他の参加者らからよくそんな年齢、しかも日本からの派遣ではなく現地採用できたものだと妙な感心のされ方をすることが非常に多いです。現在の会社でも私の年齢は下から二番目で、しかも編集職という立場では異常に低い年齢です。

 それこそ二年や三年前は早く中国に行かなくては、今行かないと二度と来れなくなると焦る気持ちでいっぱいでありましたが、現在の状態を鑑みるにつけてそこまで焦らなくともよかったのではないかとこの頃思います。何故私がここでそんなことを書くのかというと、同じように海外での就職を希望している人たちに対して20代での海外就職はまだそれほど多くないと言いたいからです。現地採用においても話を聞く限りではやはり30代くらいでの転職希望者がメインのようですし、今までの自分はちょっと生き急ぎ過ぎたと思います。
 ただだからと言って、こちらに来たのが早過ぎたとは思っていません。やはり今の自分の年齢で来れた、しかも中国での就労ビザ(Zビザ)が取れやすくなる日本での就労経験2年以上を持っていたことは有利に働きましたし、いいタイミングで決断してこれたという実感は強いです。早ければいいというわけではありませんが、ある程度考え方や希望がはっきりした段階に至ればすぐに決断するというのはそれほど悪くはないかと思います。

 藤田田はなんでも、「20代はボロクソに働き、30代になったら稼いで貯めた金で海外に行け。そして40代で起業しろ」と言ってたそうですが、時間的にはこれくらいが確かにいいのかもしれません。自分はややフライングして20代からもう海外に来ちゃいましたが、人間思ったより後からでも巻き返しは利くもんだというのが今日の意見です。

2011年7月13日水曜日

文芸春秋の足利事件キャンペーン

足利事件キャンペーン はじめに(文芸春秋)

 このブログでもこれまでに何度か取り上げてきておりますが、先日たまたま上記サイトを見つけたのでここにリンクを貼ることにしました。上記サイトは2009年に無罪が証明されて釈放された菅家利和さんが巻き込まれた足利事件を含む、栃木県と群馬県において発生し未解決のままの幼女誘拐、殺人事件(北関東連続幼女誘拐殺人事件)について、日テレ記者の清水潔氏が追ったレポートです。清水氏の記事は毎月文芸春秋に載せられているのですが、上記サイトではうれしいことにこれまでのものから最新の記事まですべて閲覧することが出来、部外者の私が言うのもなんですが今ここでこの記事を読んでいる方にはどうかご一読いただきたいと切に願います。

 内容について簡単にまとめると、菅家さんが釈放される前から該当地域にて幼女の誘拐、殺人事件が頻発していることから清水氏は同一犯の可能性を探り、その後の独自調査で菅家さんは足利事件の犯人ではないという結論に達し、果てには犯人と非常に思しき人物の特定にまで至る過程が記事に描かれております。記事内容は非常にしっかりと取材をした上で書かれているだけに説得力が高く、また遺族や当時の事件目撃者などから詳細な情報を聞き出しており、始めに読んだ際はこんな凄い記者が世の中にいたのかと思わせられるほどの構成でした。
 ただそうした記事構成以上に、真犯人と思しき人物がはっきりと特定しており、なおかつ足利事件で誤認逮捕をしたにもかかわらず「時効だから」といって捜査に着手しようとしない栃木県警の対応には深い怒りを覚えさせられます。先日に書いた問題のある県警リストも元を辿ればこの清水氏の記事を読んでまとめようと思い立ったものですし、一ブロガーとはいえこの事件についてはなるべく広く世に訴えるべきだという考えから、こうして関連する記事を折あらば書いております。

足利事件など未解決5事件、被害者家族会発足へ(朝日新聞)

 これは先月末のニュースですが、こうした清水氏の活動もあってか北関東連続幼女誘拐殺人事件の被害者遺族らは家族会を結成しました。知らない人からすればそれほど気にも留めないニュースだったかもしれませんが、清水氏の記事を読んでた私からすればこれをきっかけに事件が動いてくれればという思いをさせられる大きなニュースでした。

2011年7月11日月曜日

部落への報道が明るみになった日

 前回の記事に続き、部落問題についてです。前回でも書いたように私は部落問題を掲げる部落解放同盟などの組織は信用しておらず、むしろ彼らのこれまで起こしてきた行政への介入や恐喝事件などから彼らを暴力団ともども一刻も早く社会から追放すべきだという立場をとっております。

 さて近年になってネットの発達などもあってこうした部落出身者らによる団体の明らかに非合法な活動が徐々に日の目を浴びてきましたが、前の記事でも書いたように90年代の頃は部落という文字自体がマスメディアで報じられることは全くありませんでした。一体どうしてそこまで彼らが力を持ったのかは非常に気になるところで私も興味はあるのですがそれはまた置いといて、逆にどうして今になってこれらの問題が日の目を浴びるようになったのか、非合法な活動をしていた連中への批判が起こるようになったのでしょうか。
 これはあくまで私の一つの推論ですが、大きなターニングポイントとなったのはほかでもなく下記のハンナンの牛肉偽装事件が摘発されたことがすべてのきっかけだったように思えます。

ハンナン事件(Wikipedia)
牛肉偽装事件

 この事件は国がBSE対策の補償として国が国内牛肉の買取を行ったところ、雪印や日本ハムなど大企業などもこぞって外国産牛肉を国産と偽って買い取らせたという事件です。この一連の偽装事件では先の大企業二社に加えハンナンという会社も牛肉偽装を行っていたのですが、この会社の元会長である浅田満氏は部落解放同盟の幹部であったことから、この事件での2004年の逮捕以前はマスメディアに一切取り上げられることはなかったとのことです。
 しかしこの事件で逮捕されて以降はまるでタガが外れたように一挙に報道され、また解放同盟の幹部という彼自身の経歴についても個別に報じられるようになりました。私は大メディアにとってこの時が一種のタブー解禁日になったと現在考えており、事実その後は部落出身者、団体による犯罪や不祥事事件が次々と報じられるようになっていきます。

 その中でも代表的なのは、「三都物語」と揶揄された下記三府県の市役所における不祥事事件です。

大阪市問題
京都市環境局不祥事
奈良市部落解放同盟員給与不正受給事件

 この市役所の不祥事事件は最初の大阪市問題を我らがMBSこと毎日放送が凄まじい執念で、ぐうの音も出ないような証拠を突きつけて告発したことがすべての始まりでした。あまりにも見事だったのでここでも書きますが、大阪市役所職員が実際働いてもいないくせに残業代を申請して授受しているという噂を聞き、目をつけたある職員の出退勤時間を毎日入り口でチェックし、その上で住民監査請求で給与詳細と照らしてみたところ、毎日定時前後に退庁していたにもかかわらずやっぱり残業代をつけてて不正が明らかになりました。
 その後大阪市の内部調査を勧めたところ同じ事をしていた職員がどんどんと現れ、裏金やヤミ専従など不正と呼ばれるものはすべてやったと言わんばかりにどんどんと明るみになり、その中には同和対策事業での不正もありました。個人的に私がひどいというか呆れたのは、大卒ではあるものの比較的採用されやすい高卒枠に高卒と偽って入庁した職員がなんと965人もいたのですが、先にこれが明るみになった神戸市役所の職員数名は即刻懲戒免職となったのに対し、大阪は停職一ヶ月で済ませました。まぁこれはどこでもやってるし、京都市にもたくさんいるってのはよく知ってるんですがね。

 こうして大阪市の問題が次々と明らかになる中、続いて京都市と奈良市でも役所内の不祥事が一挙に明るみとなって行きました。こちらは大阪市以上に同和問題の側面が強く、同和対策事業として優先的に採用、もしくは関係団体からの強い推薦を受けて採用してきた環境局職員らが平気で仕事を抜けパチンコはするわ、出勤はしないわというのがばれ、釈明に負われた当時の桝本頼兼京都市長が同和枠採用が原因と認めることとなりましたが、この発言があった際にネット上では、「この市長は殺されやしないか」とまで書かれましたが、実は私も同じ心配をしました。もっともこれは杞憂にしか過ぎず、桝本氏はその後任期を全うして引退し、現在も存命です。

 はっきりいって90年代であればこうした不祥事がたとえあったとしても、周囲に知られたとしても堂々と報道されるなんて私には考えられませんでした。しかしどうも2004年のハンナン事件以降、こうした方面へのタブーは薄れたのか公開されるようになり、私にとってはいい世の中になってきたと思えます。
 上記の不祥事事件などは突き詰めれば個人の犯罪です。しかしハンナン事件など明確な幹部が逮捕されたにもかかわらず解放同盟などは公への謝罪、反省のコメントなどは少なく、その当事者意識について疑問に感じることが多いです。ただ奈良市の事件では問題を起こした職員は幹部だったそうですが、解放同盟はきちんと除名という処分を取っており、ケースバイケースなところはあります。願わくば昨日に取り上げた自作自演事件などともにもうすこし自浄作用を働かせてほしいものですが。

 最後にまとめになりますが私が部落団体に一番理解できなく汚いと思えるところは、昔差別されたのだから今現在に特別な補償をよこせと要求する点です。差別されていたことは事実でありますし私自身は深く同情します。しかしその差別の是正を求める、つまり非部落出身者と同じ立場や条件を求めるのならともかく、それ以上の待遇や異常ともいえる補償を要求するのは本末転倒もいいところで、なおかつ過去にその要求のため暴力的手段を取ってきたことは到底認められるものではありません。
 少なくとも現在ある特別な補償等を放棄しない限りは、私は彼らが周囲から変な目で見られているとしても何の同情もしないでしょう。

2011年7月10日日曜日

部落問題に対する私の所見

 一つ前の「松本前復興相と福岡空港」記事にて福岡空苦の敷地借地について部落問題に関わる部落解放同盟による行政への介入があったのではないかと私は書きましたが、いい機会なので部落問題について私の所見をここで一気にまとめてしまおうかと思います。こういう記事は休日でもないと書けやしないし。

 まず結論から言うと、私は頭から部落問題を主張する人間は信用しませんし、解放同盟という組織は可能な限り早く解散すべしだという批判的立場を持っております。最初にあらかじめ言っておくと部落問題自体が全く存在しなかったと主張するつもりではなく、少し前の時代で実際にひどいと思うような差別行為を見聞きしています。しかし現在において差別が実際にあるのかどうかとなるとかなり疑問で、少なくとも行政が部落出身者やその団体へ多大な補償や保護、介入を許すほどではないと考えております。

 まず差別が現在まだあるのかどうかという点についてですが、そもそもの話として日本はいじめがかなり多い社会だと私は考えております。小、中学校、部活動のいじめは言うに及ばず職場においてもなんやかんやで無駄としか言いようのないいじめはどこにでもあり、その対象というのも千差万別で、別に被差別部落出身者に限らずいわゆる差別的行為や陰湿な暴力を受けることは多々あるにもかかわらず、部落出身者に対してのみあれこれ行政上の優遇があるのは妙な気がします。その上でこれはある友人の意見ですが、

「日系ブラジル人などと比べて部落出身者は見かけから言語まで完全に日本人と一緒で外見からまずばれることはない。確かに昔から同じところに住んでいたら周囲にも出身がわかっていろいろ言われるかもしれないが、そんなに差別されるのが嫌だったら引っ越せばいいだけの話じゃないか」

 結局のところ、部落問題はこの一言ですべて片付くのではないかと思います。別に部落出身者じゃなくとも今の日本社会は就業において故郷を離れるのがごくごく一般的ですし、東京にでも出てくれば出身についてばれることはまずありません。故郷にとどまっていたい、けど差別されたくないというのははっきり言えば甘えでしかなく、根本的解決方法があるにもかかわらずそれを選択しない人間は何だというのでしょうか。

 その上で私が部落解放運動について批判的な立場を取る理由についてですが、私がこの問題で最初に奇妙さを感じたのは滋賀県のある優遇政策(同和対策事業)でした。それは数年前に見たテレビ番組なのですが、滋賀県にあるという部落出身者のみにしか利用できない体育館の紹介がされていました。その紹介された体育館というのは見る限りやけに立派な施設で、どうしてこれが一般市民には開放されず部落出身者にしか使えないのかという点でもうかなりおかしいのですが、番組でもインタビューでそのことを利用者に尋ねると、「同じ出身者同士で相談できる環境があるのとないのとでは違う」と高校生くらいの男性が話していました。
 この発言にケチをつけると、少なくとも相談だけなら誰かの家でも十分出来るし体育館でする必要性はあまり感じられません。その上で多少やっかみっぽくなりますが、あんな豪華な施設を独占しているからこそ周囲から色々見られるのではないかという気もしないでもありません。真の平等というのは誰もが同じ施設を同じ費用で使うことではないのか、このような主旨を部落団体は持たないのかと疑問を持ったのが始まりです。

 こうした方向性のよくわからない優遇政策とともに、これまでの解放同盟の常識が通用しない異常な行為の数々も見逃せません。一つ一つ説明するのはさすがに面倒なので、この一週間密かに調べていた事件のリンクをここでまとめて貼ります。

八鹿高校事件
篠山町連続差別落書き事件
滋賀県公立中学校差別落書き自作自演事件
一ツ橋小学校事件
解同高知市協「差別手紙」事件
立花町連続差別ハガキ事件
飛鳥会事件

 これら事件で私が理解できないのは、一ツ橋小学校事件を始めとした一連の自作自演事件です。これら自作自演事件の手はずと言うのは差別的内容が書かれた手紙や落書きを内部で書き、未だにこの地域や学校には差別があると糾弾するといった具合で実行されるのですが、差別を是正するための組織が差別を自分で作るなんて何を考えているのか理解できません。平等を期すために書いておきますが2003年には「連続大量差別事件」といって部落問題とはなんの関係もないある一般人から関係組織へ差別的内容が書かれた手紙が送られる事件がありましたが、それにしたって他の事件を見ているとこの事件も自作自演と疑われたのも無理ない気がします。

 こうした事件以外にも西日本を始めとした各自治体行政への介入、過剰な優遇策ももはや目にあまり、解放同盟というのは百害あって一利なき存在だと私は見ております。敢えて例えるとしたら人権を盾に無茶で非合法な要求を行うということから平安時代の比叡山を始めとした僧兵のようなもので、暴力団ともども排斥対象としてもよい気がします。
 個人的に気になるのはどうして解放同盟はこれほどまでに利権というか力を持つようになったのかということで、いくつか考えられる仮説はあれども確たる証拠には欠けているのが現状です。ただ本当に彼ら組織は90年代には恐ろしいほど力を持っており、大きな事件になろうともマスメディアは一切取り上げることはありませんでした。

 しかし2000年代に入り、潮目はすでに完全に変わっております。次回記事では一体どこで潮目が変わり、社会の見方が変化したのかを取り上げます。それにしても自分も怖いもの知らずになったもんだ。

松本前復興相と福岡空港

 しつこくまた松本前復興相の話ですが、今回の暴言騒動が大きく取り上げられた際に彼にまつわるある妙な話を耳に(目に?)しました。

福岡空港、67億円の赤字、松本組(JC-NET)

 正直なところ私はあまりネットメディアを信頼していないのですが、上記のJC-NETの記事については早くから大した内容をよく取り上げていたものだと嘆息させられました。
 記事の内容を簡単に説明すると、国が管理する空港の中で最も赤字幅が大きい福岡空港なのですが、その額なんと67億円で、乗降客が少ないほかの空港と比べても赤字額が極端に大きい空港です。では一体何故福岡空港がこれほどまでに赤字が大きいのかというと、その最大の理由と見られているのが空港敷地の借地料です。記事によると福岡空港は空港敷地を所有ではなく地主から”借地”しており、借地料として毎年80億円という途方もない金額を支払っているそうです。で、そんなおいしすぎるとしか思えない地主は誰かというと、ほかならぬ件の松本龍前復興大臣の一族が経営する「松本組」がその一人だとの事です。

 あまり航空行政に詳しくないのでそれが一般的なのかどうかまではわかりませんが、普通に考えて空港という重要施設の敷地を借地すること自体がなんだか奇妙に感じます。また毎年80億円、10年も払えば800億円にも上ることを考えるとどうして土地を買収しなかったのか、もしくはどうしてそんないわくつきの場所に福岡空港を立てたのか強い疑問と不満を感じます。憶測で物を言うのはあまりよくはありませんが、契約時に何かしらおかしな取引があったのではないかと思わせられます。
 というのもこれはもう公ですのではっきり書きますが、松本前復興大臣は部落開放同盟のナンバー2で、常識では考えられない行政への介入をしでかしているのではという気配がプンプンします。ちょうど切りもいいので、この辺について次回記事で一気にまくし立てることとします。

2011年7月9日土曜日

社会人生活と比べる私の高校時代

 よく「社会は厳しいんだぞ」と子供に言う大人の姿が描かれることがありますが、少なくとも私にとってはこれは当てはまることはありません。というのも比較的恵まれた社会人生活をしているのもあるでしょうがそれ以上に、中学、高校時代の方が私にとって何より辛い期間だったからです。

 以前の「陽月秘話」の頃からすでに何度も愚痴っていて読んでる人には早いでしょうが、私の中学、高校時代は何も楽しい思い出がありませんでした。個別のエピソードではいくつか面白いものがあるもののあの時代の生活が有意義かどうかといえば全く価値は感じられず、中高一貫校であったため中学の時点で高校に進学してもこの環境が延長するとはっきり自覚していた私はわざわざ高校への進学をやめようとすら考えていたくらいです。中にはこうして大学にも進学して無事就職できたことから「高校に行っといて良かったね」と言われることもありますが、多分高校に行かなくとも大学への進学意識は非常に高かったので普通に大検とってきちんと進学できてたと思います。

 具体的に中学、高校時代で何が嫌だったかといえば、えらそうな言い方になりますが周囲のほかの生徒が非常につまらない人間ばかりでした。常識が通用しないというか会話が面白くないというか、多分他の中高一貫校でもそうでしょうが人間関係が中学から高校までそのまんま動かないことから世界観がありえないくらい狭く、被害妄想が入っていることを認めますがその世界観から外れる私のような人間はかなり排他的に扱われてました。
 それを表す一つのエピソードとしてよく使うのは、大学進学率に対する価値観です。進学校であったため中学に入学した時点で私の学校のほぼ全員の生徒は大学に進学することが規定路線です。それゆえにある授業で教師が、「日本の大学進学率は40%強(当時)」と説明したところ、「えー、八割くらいいっているかと思ってた」と洩らす生徒がおり、日本の子供は望めば誰だって大学にいけると信じて疑わないところがありました。

 もっともそういう学校に通っていたので私の世界観も当時は決して広かったわけではありませんでしたが、なにが中学、高校時代で一番辛かったのかというと会話時に常に力をセーブして話しなくてはならないのが辛かったです。というのもその学校内の常識に従わない話し方や会話内容を出すと平気で、「何言ってんだお前」とすごまれるし、羽目を外して会話テンポを上げると相手は話の内容を理解できないで、何のためにここでみんな勉強してるんだろかと当時はめちゃくちゃ悩んでました。
 逆に、その後大学に進学した後で知り合った人間に政経やら哲学など自分でも結構難しいと思う内容を話すと、「よぅ知っとるなぁ」と向こうも乗り気になって話しついてきたりするのを見て、「なんでわかるの?」としつこいくらいに聞くほど驚いたのを今でも覚えてます。

 ただそんな嫌な学校の中でも、気が合う人間は全くいなかったわけでなく今でも連絡を取り合う友人は何人かおります。逆を言えば今付き合ってる人間以外だとあの学校の人間とは誰とも連絡を取りたくないとすら考えてるわけですが、今連絡を取り合っている友人の一人とは妙に気が合ったのか、理系の人間ゆえに政治系の話題は共有できなくとも何故だか関係は続いております。
 まぁ明かしてしまうとその友人というのはちょっと前にリンクを結んだ「薬学部ナギ」の管理人なのですが、最近どうも私のブログに影響を受けたのかブログ作成に凝っているようで、また新しいブログを立ち上げたそうです。

大学受験フジギリ

 彼は具体的にどういう友人かといえば昔から今に至るまで「わがままなやっちゃなぁ」と思わせられる人物で、ブログの文章にもどことなくそういう性格がにじみ出てる気がします。ただわがままといっても自己中心的な性格というよりは主観が強いという性格で、間違ったこととかおかしなことがあればすぐに「それっておかしいじゃないか」というような人間ゆえに私と妙に気があったんじゃないかと思います。逆を言えば私も他人、というよりかは一般的な日本人より主観が明らかに強い口でこういうブログを運営しているわけですが、この性格で今までいろいろ損をしてきたなと思う一方、いい生き方をしてきたとこの頃誇れるとともに比較的恵まれた今の環境を得るきっかけになったのだと前向きに見られるようになっています。

2011年7月8日金曜日

東大の入学時期変更検討について

東大:入学時期を春から秋に 国際化推進で検討開始(毎日新聞)

 ちょっと古いニュースですが、先の二本の記事がかなりきわどい内容なので蓋かぶせとばかりに取り上げておきます。
 上記リンク先のニュース内容は東大が学生の入学時期を日本で一般的な春入学ではなく、国際基準に合わせた秋入学へ変更を検討しているというニュースです。仮に変更する場合でも入試時期は現在のままにしておき、入学までの半年間はボランティアや海外留学の時期として残しておくことが話されているようです。

 このニュースに対する私の意見ですが、何でもかんでも国際基準に合わせようとする日本人の態度ははっきり言って私は大嫌いですが、この東大の入学時期変更については大賛成の立場をとります。

 まず世界各国の大学入学時期についてですが、私が知る限り4月の春入学をしているのは日本と韓国しかありません。中国では9月入学で、大学入試も6月にやります。仮に東大が入学時期を変更するとどうなるかですが、まず海外の留学生が自国の学期に合わせて留学に来やすくなり、東大側もそれを狙っているようです。
 何気に私の経歴もこの件と無関係ではなく、中国が9月入学ということから本音なら三回生になった直後の4月に留学したかったもののわざわざ三回生の前期まで日本の大学で講義を受け、その年の9月から中国へ留学し、一年後に日本の大学へは三回生の後期から復学しました。もっとも、後からわかったことですが私の留学先である北京語言大学ならカリキュラムがしっかりしてるから4月入学でも全く問題はなかったんだけど。

 やはり入学時期を国際基準に合わせてもらえれば留学に来る方も行く方も助かること間違いなしでこの点だけでも支持するに足りますが、それ以上に私がこれに期待しているのは画一的な就職採用時期の打破です。私はかねがね一つの時期にほとんどの日本企業が採用時期を集中させる、また新卒学生に限定するといった行為が日本の経済に悪影響を及ぼしていると考えており、今回の検討内容通りに東大のみが入学時期をずらすことでこの慣例に一定度の衝撃を与えられるのではないかと見ております。もちろん東大一つがずらしたくらいでは効果ないかもしれませんし、これ以外の要因もいろいろあって一概に言えることではないですが、近年の日本はなにかと横並びにしすぎるところがあって、そういった均衡を敢えて崩すことが社会にいい影響を与えると私は考えています。
 といいつつも、日本の過剰な横並びを崩すために国際基準にあわせるというのは、なんだか矛盾しているような気もしますが。

中国高速鉄道についての鉄道部発言

中国の高速鉄道は「海賊版新幹線」ではない、日本の報道に反論―中国鉄道部(レコードチャイナ)

 日本でも多分大々的に報じられているかと思いますが、先日中国ではこれまで上海と杭州や南京などをつなげて運行していた中国版新幹線(高速鉄道)を上海~北京間の路線でも開通させました。開通させるとともにこの新幹線技術を欧米数カ国に特許を出願したことで、車両の原型となったCRH2型を販売したJR東日本&川崎重工が「そんなの、聞いてない(;゚Д゚)」と反応し、元から中国に売るのに反対していたJR東海が先の二社に「どういうことだよ(#・∀・)」と怒っていると聞きます。内心、今回の一件で川崎重工なんかは株価下がるんじゃないかなと思ったけど、そういうことは見てたところありませんでした。

 日本で報道されているから説明は要らないのでぱっぱ話は進めますが、日本の技術を使った新幹線であるのにその技術を自国のものとして特許申請した中国に大して日本側の高まる不満はこちらでも報じられております。それに対して中国鉄道部(中国では日本の「省」を「部」と呼ぶ)の王勇平報道官が回答したのが最初のリンク先です。簡単にまとめると、というより答えは言うまでもなくいつもの通りですが、今走っている高速鉄道は川崎重工に提供してもらったものとは別の中国独自開発の車両で文句を言われる筋合いはないというものです。

 実は何気にこの元記事を私も空いた時間に暇つぶしがてら昨日翻訳していたわけなのですが、気になった箇所をいくつか抜粋すると、

・川崎重工から提供してもらったのはCRH2型
・今走ってるのはそれを改造したCRH380A型
・カタログスペックが日本の新幹線とはまるで違う、全然別物
・日本の新幹線の技術をすでに越えている
・平均運行速度だって、日本みたいにくねくね走らないからこっちのが上
・日本が我々に追い抜かれた
・日本は技術に驕りがあった。だから我々に負けた
・中国人は人のものをパクって自分のものと言い張る民族じゃない、伝統的に

 といった感じで、まぁ見ていて本当にイライラさせられることばかり言っております。特に最後の奴なんか、街宣車出して去年の万博パクリソング(岡本真夜)の曲を流してやろうかと言いたくなって来ます。
 あと今回の特許出願について彼の論理ですが、ちょっと長いですが私なりにまとめると以下のようになります。

「現在の中国の高速鉄道は確かに日本の技術が大きく貢献しているが、技術というものは過去の技術を下地に徐々に向上していくものだ。そういう意味で日本の果たした役割は大きく我々も認めるが、そもそも日本の新幹線だって島秀雄(新幹線の父と呼ばれる人)が欧州を回っている最中に見た車両が元になっているじゃないか。それをいちいち前の人間の技術だ何だといっていたらしょうがない。第一、今回中国が特許を出願するのは優れた技術を世界に後悔するためであって、特許思想の宗旨に叶う。なんだったら、日本が我々の進んだ技術を学びたいというのならいくらでも教えてやるよ。それをいちいち自分の技術だ特許だといって秘匿しようとしたり、我々の出願を阻もうとする日本は本当に器が小さい」

 といった具合です。まぁちょっと悪者っぽく訳しているのもありますが、一応最後にはフォローとしてなのか、「今日(七月七日)は盧溝橋事件の起きた日だが、過去の戦争は過去のものとして、中日両国は前向きに関係を発展するべきだ。過去の戦争の事なんか忘れたほうがいい」とも言ってます。まぁ戦争を一番持ち出すのは中国政府で、なおかつ政府の人間がこういうときはやましいことがきまってあるのですが。

 ただこうやってわざわざ翻訳しておきながらですが、上記の王勇平報道官の発言はあまり真に受けないようにしてください。というのもこれは政府の発言であって、中国全体の発言ではありません。何気にこの高速鉄道に関しては国家プロジェクトとしては異例なくらいに現地紙でもその運用コストや必要性、果てには安全性に対して疑義を呈する声が大きく取り上げられており、また特許出願については多くの中国人は興味がないというか、あまり意識がないのが本当のところだと思います。私としてはこの中国政府の特許出願を見て日本人が、「中国人は汚い」と言うのを一般の中国人が見たり聞いたりして、この件に興味なかった中国人が「なんで日本にこうも言われるんだよ……」と思うようになるのが一番好ましくないです。それゆえ、大雑把に「中国」とするのではなくこの件で批判する対象は「中国鉄道部」と限定してもらいたいのが、この記事で一番言いたいことです。

 また今回の件は、はっきりいってこうなることを予想しなかった川崎重工とかがかなり迂闊だったと私は思います。なんか重役が「中国は大人の対応を……」などと言ったそうですが、川崎重工こそ大人、っていうか最低限の判断力を持つべきではないかという気が少しします。

 あと最後に、このインタビューの最初の方で王勇平報道官は、

「日本からやってきた取材者も、中国の高速鉄道は技術が高くとても早い。内装も完璧で、日本の新幹線にはない……って、TBSの真下淳氏は言ってたよ」

 と、書かれてあります。
 この真下淳という名前の記者の方は知りませんが、ちょっとどういう人なのか興味がわきます。ちなみに私は高速新幹線に上海~杭州間でかなり多く乗った事がありますが、内装は完璧に日本の新幹線そのまんまで、中国人にもそういわれてました。片側三席、反対側二席という作りなどで。直接コメントとかしてくれないかなぁ。

誰かさんの死亡報道について

 昨日、一昨日と二日間更新はおろか来ていたコメントに返信すらしませんでした。理由は単純にネット環境の不備で、私の住んでいるサービスアパートメントの管理事務所が既に半年分のネット代を払っているにもかかわらず、契約期間が完了したと勘違いして勝手に回線を切っていたことが原因でした。これが一回くらいとかならすぐに直してもらえるし笑って許せるのですが、さすがに三回目ともなると結構頭に来るものがあります。しかも昨日の夕方に復旧依頼を出したら部屋で待ってろってロビーの女性に言われるもんだから30分待ったけど音沙汰なしで、どういうことだと言いに行ったら既に担当の職員が帰宅しているから明日(=今日)になると言われる始末。もちろんロビーの女性は最初の連絡時はすぐに対応すると聞いてただけに彼女を責めるのはお門違いなので、「もう勘弁してよ。あと明日は確実に直しといてね」と言って平静を装ってエレベーターに乗りましたが、やはり苛立ちがあったのかエレベーターの中で三回くらい壁を殴りつけ、最後思い切り頭突きしかけたところで収まりました。このブログは毎日更新してるもんだから多分見ている人も行進が少ないと「あれ?」っと思うでしょうが、毎日書いてる自分も二日も放置してると結構違和感感じます。

 そんなフラストレーション満杯状態なので今晩は何本記事が書けるのだろうかと息巻いている状態ですが、早速一本目にはかなりきわどいネタというか、調子に乗って書くと確実に要監視リストに載せられる話題です。
 事の発端は一昨日の晩。実はこの日は送別会があったため宴席に出ていましたが、そこで遅れてやってきたある同僚が、

「実は……○○が亡くなったそうで……」
「えっ、倖田來未が亡くなった!?Σ(゚Д゚;)」

 もちろん二つ目のセリフは聞いた人の聞き間違いで、歌手の倖田來未さんはきちんと元気に存命しております。何故聞き間違えたのかというと、件の人物が「こうだくみ」という発音にかなり近い音の漢字三文字の人だったからです。その人物の名前は恐れ多くてここにはかけない、もとい現在中国国内でその漢字三文字でメールを出すと即刻削除されて受信者に届かないのはおろか後々不利益を被る可能性があるので、ちょっとこの記事では割愛させてもらいます。

 上記の会話を横目に聞いていた私は折角の宴席なのでその話を聞いていなかった人には伝えず、密かに携帯電話を取り出して知り合いの上海人に早速確認を取りました。電話に出た上海人に内容を話すと、

「っていうか、多分この電話盗聴されてるよ」
「マジ?」
「実名出したらまずいよ。んーと、じゃあなんて言おうか?」
「ほんなら、例のおっちゃんはまだ生きとるん?」

 と、突然会話を関西弁に切り替えて会話を続けましたが、その友人からの情報だと真偽ははっきりしないものの解放軍病院に入院しているのは間違いない。肝臓がんだったという噂があるというこの二つでした。

 そして明けて次の日、いろいろと情報を整理しましたが簡単にまとめると、

・第一報は香港メディアが死亡したと報じたことによる。
・その香港メディアを受けて共同通信が情報を配信し、日本人にも伝わった
・昨日(七月七日)時点で中国メディアは黙殺。されどメールと検索ワード規制は実施

 ざっとこんな感じです。
 その後今日になって新華社などが流れている噂はデマであると発表し、第一報を伝えた香港メディアも誤報を流したと発表し親類に謝罪しています。

 私の私見を述べると、何かしら事態が急激に動いたのは間違いないと思います。高い可能性としては脳死かなにかで、今後の活動が再起不能になったのではないかというのが私の周りの意見です。このおっちゃんが再起不能になって起こる影響は産経新聞の記事が一番よくまとまっているので、興味がある人はリンク先をご覧ください。とてもここでは書けない。

 それにしても今回の一件はこっちのネット上では結構噂になっているらしく、中国版ツイッターこと微博(ウェイポー)上でかなり飛び交っているそうです。事態の審議は今後の報道を待たないといけませんが、センセーショナルな内容なだけにぱっと噂が広がるもんだなと妙な関心をしました。
 ただ今回のおっちゃんに対して、毛沢東直後の後継となった華国鋒が昨年死んだ時は反応が小さく、なんか話に聞いたら中国人でも多くが「その人誰だったっけ?」という反応だったそうです。それだから仮に、「林彪、実は生きてた!!(゚∀゚)」なんてデマを流したら意外と広まったりして。

2011年7月5日火曜日

松本復興相の辞任と今後の政局

 昨日記事を書いた今日ですが、宮城県知事らに暴言を吐いた松本氏が復興担当大臣を辞任しました。私は当初、暴言の内容から恐らく辞任か更迭は間違いないと考えていましたがそれでも一週間程度の時間はかかると考えており、一日で辞任されるとはさすがに想定外でした。この辺の民主党は自民党に比べ、切る速度は速いように思えます。
 とはいえ辞めると言っていた肝心の管首相はなおも居座り続けており、報道によると10月の中国訪問の予定を組み出しているとされなかなか腹立たしい態度を続けております。今日の中国の新聞の論説にも「面の皮が厚い」とまで書かれていましたが、今回の騒動を見ている留まれば留まるほど害が大きいことが思い知らされ、これまで擁護的な立場をとって来ましたがもはや庇いきれないというような気がします。

 そもそもの話、今回の騒動のきっかけとなった復興担当大臣は管首相の肝いりで新設されました。しかし新たなポストということもあって果たして機能するのか、従来の組織を円滑に動かした方が対応が良いのではという批判をはねのけるほど管首相は強いこだわりを見せ、そのポストに誰が就任するかにおいても首相兼任が無難という声を黙殺して今回の松本氏を任命しました。
 あくまでこれは結果論ですが、今回の松本氏就任から今日の辞任までの間は何も復興対策がなされず、無駄に時間を空費してしまいました。仮に大臣が松本氏でなければ、そもそもこのようなポストがなければ復興に向けて会議なりを進展させることができたことを考えると、管首相はわざわざ復興の足を引っ張るようなことをしてくれたということになります。

 もちろんこれは結果論です。しかし管首相は震災対応に一定の目処がついたら退陣するといっていますが、今回こんな時間の空費を招いたことを考えると管首相自身が退陣することが最も早い復興対策のような気がします。被災者達は既に4ヶ月も避難所に非難しており、一日でも早く製作や計画を実行しなくてはならないことを考えると、今回の一件は松本氏一人の責任にするには大きすぎます。
 また松本氏についても、あれだけ被災者や報道機関を侮辱する発言はおろか、本来対等な立場である知事に対してあのような態度を取ったことは公権力に対する価値観が異常というよりほかがなく、野党の人らはこの際に松本氏に対して議員辞職するまで糾弾してもいいと思います。私としてもあのような輩が政治家しているというのは我慢なりませんし、なんだか福岡空港についても黒い噂が立っているようですし。

 そういう意味では今が野党にとって最も正念場です。今月中になんとしてでも管首相を引きずり降ろさなければますますフェードアウトするだけですし、これで攻め切れなければいつになったら攻め切れるんだということになります。まぁ個人的には、谷垣総裁でなければ既に首は取れてたでしょうが。

 それにしても松本氏に限らず、民主党の面々は権力に対する価値観がどうもわかっていない人間が多すぎる気がします。私自身理解しているかといえば怪しいものですが、何故人に命令できるのか、どうして相手が従うのかという構造をまるきり無視しているようにしか見えません。今までどういう風に生きてきたのか、本当に気が知れません。

2011年7月4日月曜日

松本復興相の失言について

 なんていうか、探せばまだまだでてくるんだなぁこういった明らかに勘違いしている政治家って、ていうのが最初の感想です。

「書いたら、その社は終わりだから」 松本復興相「脅し」に屈しなかった地元テレビ(J-CASTニュース)

 恐らく今頃日本ではテレビや新聞などでこのニュースが大賑わいとなっていることでしょうから内容の説明はしませんが、同じ党内からも辞めると言った後のこの時期に復興相を設置することに反対の声があったにもかかわらず、管首相は随分とまぁ残念な人物を引っ張り上げて来たものです。ニュースを見る限りですと先週にもこの松本復興相は「民主党も自民党も公明党も嫌い」というイカれた発言をしていたようで、今回の宮城県知事への暴言に伴う辞任はしないと本人は言っているようですが恐らくそんなわけには行かず、一週間以内に更迭されるのではないかと私は思います。逆に更迭しなければ、今度こそ確実に管首相は息の根が止まるでしょう。

 それにしても今回の松本復興相の暴言ですが、応接室でたかだか数分、TBSによれば一分数十秒待たされただけでここまで怒るというのは人としてもかなりどうかと疑わさせられます。この人にチキンラーメン作らせたらどうなるんだろ。どちらにしろ今回の宮城県知事の対応になんらおかしなところはあらず、むしろこんなことでここまで怒ることの出来る人物が政治家としているという現実を憂慮する必要があるでしょう。

2011年7月3日日曜日

韓国経済と韓国民の覚悟

 このところこの手の解説を何度もあちこちでしているのでこのブログでも書こうと思います。意外と日本の情報を見ていてもこのような観点からの解説が少ないので、おこがましさを感じるも周知する意味でも必要かと思いますし。
 私が日本で在籍していた会社の上司は韓国と長く関わっていたことから韓国社会についていろいろ詳しい人物だったのですが、ある日私に対してこんなことを教えてくれました。

「韓国はアジア通貨危機の際に一度国家全体で経済破綻をしており、その後一時的にIMFの管理下に置かれる事となった。このIMF時代に韓国社会は大きな負担を受けそれまでの社会も一変したことから、韓国人というのは二度と経済破綻をしてはならないという強い信念を持っている」

 アジア通貨危機などの解説については他のサイトに譲りますが、IMF時代については私も直接韓国人留学生から話を聞いたことがありますが、その留学生曰く「本当に最悪な時代だった……」そうで、やはりあの時代にだけは戻りたくないとはっきりと言明してました。

 こういった話を聞いた上で韓国の国の形とか経済を見ていると、やはりあの国には「どんなことがあっても二度と経済破綻してはならない」という国民全体における合意というものがあるような気がします。それは言い換えるとたとえどんだけ国民が苦しい思いをしても国の経済だけは支えなければならないという合意であって、これを私は他人に解説する際、「国破れて山河在りと昔は言ったが、韓国については山河を潰してでもなんとしても国を保たせようというところがある気がする」と話しています。
 これはいうなれば国民生活が破綻してでも国を維持しようという考え方で、実際に韓国の国民生活は話を聞くだに悲惨です。あらかじめ言っておきますが韓国を見下しているわけでなく単純に自分が同じ状況だったら辛いだろうと思うということで、特に若者の生活は高い失業李に低い賃金、そして少子高齢化が叫ばれる日本を遥かに下回る出生率。韓国の状況と比べれば日本の若者の生活などまだまだマシな気がしてなりません。

 無論韓国で生活したわけでもなく研究をしているわけでもありませんから実情がどのようであるか誤解している可能性も捨て切れませんが、私は韓国は国民生活を完全に犠牲にしてサムスンやヒュンダイといった国営財閥企業を守り立てて国を成り立たせるように思います。内心ではそれに対して韓国人もいろいろと思う気持ちもあるでしょうが、上記のように一定の覚悟というか合意というものが存在するのではないかと思います。

 現在、というより私が日本を出る前のビジネス本の売れ筋書籍はどれも「サムスンを見習え」と、お手本主義の日本らしくこれまで散々アメリカのMBAを取得した経済家への礼賛を手の平返して羽振りのよい韓国企業へ右へ習えしてました。しかし前にも書いたように現在韓国企業が羽振りがいいのはウォン安による影響がほとんどで、経営方針とか体制とかが極端に日本企業より優れているかといったら私は疑問です。それよりむしろ、わずか三年前まで1ドル=100円前後を想定して予算組みしてた日本企業が1ドル=80円前後になった現在においても経営を維持し続けているという現状の方がずっと凄いように思え、今後もまだ円高する可能性は捨てきれないものの、中長期的な観点では今の日本企業は相当な実力を蓄えてきているように思います。逆を言うとサムスンはウォン安が終わったらどうなるのかが未知数です。

 最後に私が言いたいこととして、サムスンを見習えとか韓国経済を見習えとする書籍の作者らは上記に書いたような、国民生活を犠牲にしてでも経済を成り立たせようとする韓国人のような覚悟があってそのような本を書いているのか、一つ問い質したいです。もちろんそのような考え方が間違っているわけではなくどんな思想を持つのは人それぞれ勝手ですが、私は国というのはその国籍の企業があるかではなく、国土と国民があってこそだと思います。中には国土がなくともかなり元気にやってたユダヤ人もいますが、少なくとも私は日本を国民を犠牲にして成り立つような国にはしたくありません。それゆえに上記のような覚悟を持ってサムスン礼賛本を書いていた作者らとは残念ながら敵対する立場となります。
 ちなみに20世紀、極東のある国では本気で国民と国土をすべて灰燼にしてでも国の形、というよりは省を守ろうとした連中がいました。ああはなってはならないし、ああいう連中は生かしてはおけないというのが私の信条です。

卑弥呼の比定人物

 昨日の記事でも書きましたが、私は現在の日本古代史を研究する学者らは根拠が薄弱にもかかわらず邪馬台国とヤマト王権を結び付けようとする人物が多いような気がします。その結び付けの代表格は今日取り上げる邪馬台国の女王こと卑弥呼で、彼女に関しては実に数多くの古事記、日本書紀中の人物が比定されております。

 まずその代表格というか戦前に強かった説として、神功皇后説があります。この神功皇后というのは女性の身で妊娠したまま朝鮮半島にまで出陣したという如何にも神話に出てきそうな人物で未だに実在したかどうかがはっきりしないものの、日本書紀中で彼女が出てくるシーンに魏志倭人伝からの引用があったことから「卑弥呼ではないか(゚∀゚)」とかなり安直に主張されたそうです。ただ元々も魏志倭人伝には卑弥呼は生涯独身で子供もおらず弟しかいなかったと書かれていることから、明らかに記述が一致しません。もはや取り上げる必要もないかと思いますし、学会もはっきりと否定すべきではないでしょうか。

 次によく槍玉に挙げられ現在最有力候補とされているのは、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)です。彼女は孝霊天皇の皇女で資料中の記述は卑弥呼同様に巫女的性質が強い人物として書かれてあり、夫に関しては蛇の神様という点でも確かに比定に足る要素は多いです。それ以上に彼女の墓とされる箸墓古墳の設立年代や卑弥呼の没年、そして魏志倭人伝の墓の規模などが近いということから結構真剣に議論されているようですが、それでも私としてはこれで卑弥呼が倭迹迹日百襲媛命だとするにはまだまだ根拠が少なすぎると思います。
 卑弥呼が誰なのかを特定するのに一番の材料はやはり魏志倭人伝中に書かれている卑弥呼の墓で、その点では箸墓古墳から推定するのは方向性としては間違いではないものの、確たる材料もないにもかかわらず倭迹迹日百襲媛命説がここまで出張るべきかといわれたら私は疑います。むしろそれ以外の可能性、卑弥呼は卑弥呼でヤマト王権の関係者ではないという可能性の方が依然として高いように思えます。無論それをはっきりさせるためには箸墓古墳をより調査するに越したことはないのですが、ここは宮内庁がイデオロギーの関係で仁徳天皇稜同様に全く調査許可を出さず、数年前にちょこっとだけさせてもらえただけなので今後の進展はなかなか難しいでしょう。

 繰り返しになりますが私は現時点において卑弥呼は卑弥呼で、古事記や日本書紀中に出てくる人物で該当する者はいないのではないかと考えております。だからといって歴史的価値が低いわけではなく、古代において中国と接触した人物であることから研究対象としての価値は高く、今後の研究発展を楽しみに待ちたい人物であります。

2011年7月2日土曜日

奴国、邪馬台国、ヤマト王権の関係

 ちょっと期間が空きましたが、また古代史ネタです。前回までは古事記の解説が多かったですが今日はちょっとロマンある部分というか、資料館の紐解き部分をやります。

奴国
邪馬台国
ヤマト王権(Wikipedia)

 日本古代史における最大の論争は邪馬台国が九州、近畿、どちらにあったのかという「邪馬台国論争」でありますが、この論争については近年決着がつきつつあり、出土品などの調査から近畿説が強まっており私もこれを支持します。その上で次に主題となる論争は、恐らくこの古代三王国とも言うべき上記の国々の関係だと思います。

 上記三王国のうち、奴国、邪馬台国は中国の史書中に現れる王国です。どちらも、特に奴国については後漢書に書かれている通りの金印が出土していることからその存在は確実であることは間違いなく、また邪馬台国についても数多く現れる出土品、そして三国志魏志倭人伝と晋書の記述などからこちらも存在したことは確実でしょう。ヤマト王権については日本国内の古事記や日本書紀に頼る所が多いものの、朝鮮半島で出土した広開土王碑や畿内に数多くある古墳からも疑う余地はないでしょう。問題はこれらの国の関係というか連続性で、先ほどの邪馬台国がどこにあるのかという論争と合わせて様々な仮説が昔から現在に至るまで盛んに論壇をにぎわしめております。

 まず奴国と邪馬台国の関係性ですが、これについては私は両国は全く関係のない別々の政権だったと考えております。北九州にあった奴国が時代を経て邪馬台国になったという仮説をたまに見かけるものの、これはそもそもの話として邪馬台国が九州にあったことを前提とする説です。先にも述べた通りに私は邪馬台国は近畿にあったと考えており、また時代もかなり異なっていることから関係性は全くないと思います。関係性を証明する史料はおろか出土品もない状態ですし。
 肝心なのはその次の邪馬台国とヤマト王権の関係性です。どちらも弥生時代後半から古墳時代にかけて近畿に存在した類推され、中国に使者を送るだけの代表制と文化を持ち合わせていることから両国は同一の王朝、もしくは系譜を持つのではないかというのが邪馬台国の近畿説が強まるたびに仮説が現れるようになりました。

 ただこれに関しても先に結論を述べると、私はこちらも全く関係はない別々の王朝だと考えます。根拠としましては中国の史料中に現れる邪馬台国の記述で、邪馬台国は女王卑弥呼をトップに置くシャーマニズム性の強い祭祀国家です。これが古事記や日本書紀に書かれる古代ヤマト王権の姿とはどうも差があるように感じる上、中国に使者を送るという大事業について古事記や日本書紀がスルーするとは思えません。
 特に私が重要視するのは卑弥呼の死後についでです。中国の史料では卑弥呼の死後に男の王が立ったもののうまくいかず、最終的に卑弥呼に代わる別の巫女(壱与)が女王に立って落ち着いたと記しており、これは二代続けて女王が君臨しているということで考え方によっては卑弥呼の前や後も女王が最高権力者だったとも考えることが出来ます。どちらにしても相当女性の権力が高い国だったことが伺えるのですが、古事記や日本書紀だとそのような二代続けて女王が君臨するということは書いておりません。天皇の男系を強調するために敢えて書かなかった、改変したと考えることも不可能ではありませんが、古事記や日本書紀が成立した飛鳥、奈良時代は日本史上で最も多くの女性天皇が誕生している時期であり、改変する必要性があるのかとなると私は疑います。

 また邪馬台国とヤマト王権が連続性を持っている、同一政権という主張の中には卑弥呼は古事記に出てくる女性の別名だという説を数多く見かけますが、これはまた次回に書きますが聞いててあくまで素人ながらも見ていて非常に怪しいものばかりです。小説のネタなら許せるけど、いくらなんでも調子に乗りすぎじゃないかと思うくらい強引な説も少なくありません。

 最終的に結論を述べると、邪馬台国と初期ヤマト王権は同時代に同じ近畿地方に存在していた可能性はあるものの、それぞれ全く関係のない別政権だったと私は思います。それゆえに邪馬台国は晋に使者を派遣後、自然消滅したか侵略されたかで滅んだのではないかと考えております。それを滅ぼしたのはヤマト王権かもしれませんし別の豪族かもしれませんが、何かしら確たる史料や出土品が出ない限りは両国を無理矢理結びつける議論はあまり必要ないのではないかというのが今日の意見です。

光化学スモッグの被害(´Д`)

 先ほど上海の天気予報を見てみると、今日の最高気温は日本には負けるものの35℃あったそうです。実際日差しがきついのはわかってはいたのですが、ちょっと今度自分が書く記事に使う写真が撮りたかったので地下鉄なんて生易しいものは使わずにまた自転車を40分くらい漕いで市内中心部に行ってきました。
 写真自体は無事撮れたものの、汗を大量にかいて腕に塩が吹き出るほどだったのでこまめに水分を補給しつつ帰宅したのですが、帰宅後に自宅で右側頭部に軽い痛みを覚えました。多少疲れているのだろうと思ってシャワーを浴びてまた水飲んで横になったのですが、どうにも痛みが取れずますますひどくなるばかり。それどころか吐き気もするわ咳も出るわで、原因はなんだろうか、脱水症状にしては水はかなり飲んだつもりがするし(500mlペットボトルのDAKARA一本、水一本、スイカジュース一本)、暑い中で自転車漕いで夏ばてにでもなったのか、そういえば先週に浦東空港目指して帰ってきた時も似たような症状があったような。そういえば、毎年夏にはこういうのを経験してるようなって、光化学スモッグなんだと最後に気がつきました。

光化学スモッグ

 医者から正式な診断を受けたわけじゃないですが、多分光化学スモッグで間違いないと思います。
 というのも毎年夏に炎天下の中を無謀にも自転車で飛び出しては帰宅後に激しい頭痛+咳が出ており、そういう時に限って後で調べてみると光化学スモッグ注意報が出ているからです。第一、自転車自体がかなり激しい有酸素運動なので、光化学スモッグが出ている中で自転車に乗るなんてかなり危ない行為です。それでもこりずにいつもやってしまうのですが。

 具体的な症状としてはやはり頭痛と咳なのですが、私が光化学スモッグだと判断するのは咳が出るか出ないかです。頭痛自体はもともとの体質もあってよくするのですが、頭痛と咳が一緒になるのは毎年この夏の時期でしかなく、なおかつ例の注意報が出ている頃なので、今回も全く同じ症状だったことから今日は上海市内でも光化学スモッグが出ていたのでしょう。
 第一、今の上海の状態は光化学スモッグが起きるにはこれ以上ないおあつらえ向きな環境で、多量の排気ガスに加え厳しい日差し、気温。聞くところによると近年九州各地で光化学スモッグの発生数が増えているのは中国のせいだといいますし、日本みたいな放送による警戒はないものの連日発生しているのではないかと思います。

 もちろんわかってたらわざわざ気分の悪くなるようなことを自らするつもりはないので、これからしばらくは自転車で遠出することは控えようなかなと思います。なお今日の具合ですが、最初は軽度だったことから見送っていたものの光化学スモッグだと予想がついてすぐに頭痛薬を飲んだら大分調子が良くなりました。なんかこうしめると、結局ただの頭痛ではなかったのかって気がしてきますが。