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2008年10月31日金曜日

麻生政権の政策減税について

 本当はタイムリーだから今連載中の記事と合わせて書いたほうがよいのですが、ちょっとこれからパワプロを遊びたいのでこれだけ独立して先に書いておきます。

 昨日、麻生首相は公明党の要望に加え昨今の経済情勢を受けて政策減税を行うと発表し、その方法も前々から情報の出ていた金券の配布という形にするという発表を行いました。
 しかし、これは前もって断言しますが完全な無駄に終わるでしょう。というのも前回に、「自民公明合流記念」の名の元に98年に配布された地域振興券の場合は個人消費を刺激するとはとても言えず、また政府の対応の下手さから国民に配布する振興券の金額以上に配布人員の整理などへの支給給料が上回ってしまったというお粗末な結果でした。

 そしてなによりこの地域振興券で問題だったのは、配った分の金額がほぼそっくりそのまま貯蓄へと回されてしまったという事実です。これは将来への不安によるもので、当時は不況真っ只中ということもあっていざお金を手にしたところでそれを消費に回すより、国民はいざという時のための貯蓄にする方を選んだと言われています。そのため目的としていた個人消費の活性化は何も起こらず、ただ単に国庫のお金を減らしただけにしかなりませんでした。

 そのため、また今度金券を配布したところで同じ結果になるのは目に見えています。これを話すと長くなるので今日はしませんが、いわゆる「ポストモダン」の世界ではニューディール政策における公共事業などのバラ撒き政策は一切効果を発揮しないということは世界的にも証明されており、また金券の配布は前回にも失敗していてその頃と何も状況は変わっていないのにそれをまたやろうというのは、言い方は悪いですが一度はまった落とし穴に自らまた入りに行くのとかわりがないでしょう。

 でもって昨日の麻生首相の発言で耳を疑ったのは、何故この情勢下で消費税を三年後に増税すると発言したのかです。私としても将来的に消費税率は上げていかねばならないと考えていますが、与謝野氏のように今までずっとそう主張しているのならともかく、非常に株式市場が敏感になっているこの時期にマイナスの影響を与えかねないこんな発言を突然行う気が知れません。もし本当に実行する気があるとしても、私ならそれを絶対に口外はしませんし、もしするとしてもそれは次の総選挙で勝ってからです。

 なんでかマスコミも、この点には誰も突っ込んでいませんね。カップラーメンの値段よりずっと重要だと思うのですが。ただ今朝のテレ朝のニュースでコメンテーターが最初の金券給与について、
「何が給与だ。それはもともと我々の税金だ。偉そうな事を言うな!」
 と、コメントしたのは見事でした。

現代の若者論の間違いについて その二

 前回の「現代の若者論の間違いについて」の記事のコメントを受けてちょっと思い出したことがあるので、それについてここで細かく解説しておきます。

 まず寄せられたコメントの内容ですが大雑把に言うと、かつての60年代から70年代の全共闘の時代の学生、つまり当時の若者はそれなりに社会主義国家の建設など、方向性はともかく夢があったのに今の若者にはそういう夢もなければ追いかけるという行為もない、という内容でした。

 これを受けて私も思い出したのですが、現代の若者に意欲がない原因には私が挙げた「将来がすぐに決まってしまう」のともう一つ、「目指すべき社会モデルがない」というのも挙がってきます。
 現代の歴史評論家がほとんど一致した見解を持っているもので、戦後のあの混乱期から日本が驚くべき復興を果たすことが出来たのは、国民全員でなんとかこの国を復興させようという強い意欲があったからだといわれています。このように、はっきりと形にされない物ながらも社会の目標というのは意外に人間を強く動かすものであります。それこそ私が紹介した文化大革命での上山下放運動で農村に入った若者が恐ろしい勢いで土地を開拓、中にはそれこそ土を掘りぬいて山と湖を一挙に作ったという例もありますが、こうした行動が出来たのは国家への強い意識があったからだと私も確信しています。

 そして日本の大学で学生運動が華やかなりしころも、ひとまずは社会主義国家建設という大きな目標を若者たちは共通して抱いておりました。結果から言うと社会主義国家像はソ連の崩壊とともに完全にその姿を失ってしまったのですが、やはりあの時代の大学生たちが友人の言葉を借りるとゲバ棒を振り回してあんだけはちゃめちゃにやれたのは、こういった目指すべき社会像を明確に持っていたからだと思います。

 それに対して現代はというと、はっきりいますが目指す社会像というのは個人レベルは除くとして、ある程度の集団単位で共通したモデルは一切ないといっていいでしょう。自民党にしろ民主党にしろ、今じゃ全議員に統一した意見すらほとんどない状態ですし。
 これは何も私だけでなく佐藤優氏も同じようなことを述べています。どんな国にするかというのは本当に生活の中ではごくごく些細な意識かもしれないが、全体で見るとこの社会モデルは非常に大きな力になり、本来ならば政治家が作らなければならないところを今の日本ではそれを作れる政治家がいなくなったと言い、逆にそういったモデルをこれから作っていく上で期待しているのは小説家だと佐藤氏は述べています。

 もちろんこういった社会モデルの欠如に対して危機感を持っている人は少なくなく、最近では恐らく「国家の品格」の藤原誠彦氏が強い問題提起とともに自らの提案を広く主張している人物の一人でしょう。藤原氏はかつての日本は「富と平和」という社会モデルがはびこったがバブル崩壊とともにそのモデルは崩壊し、これからは武士道に則った「教養のある国、日本」というモデルを日本人全員で共有すべきだとその著書の中で主張しています。まぁ私も、モデルが何もないよりかはこういう風なモデルを持つべきだと思います。

 もう一人新たな社会モデルを提言している人間を挙げるとすると、こちらは藤原氏以上に政策的なモデルとして、東大教授の経済学者の神野直彦氏が「スウェーデン型高福祉社会」というものを唱えています。この説はワーキングプアーなどが注目を浴びた2006年位にはそこそこ広まったのですが、心なしかこのところは急激にトーンダウンしているように見受けられます。

 この目指すべき社会モデルというのは言い換えると、「どこに誇りを持つか」というようにも考えることが出来ます。自分の国はこういうところに誇りがある、そしてそれを維持していかねばならないというような漠然とした意識でも、人間はこういうものによって行動意欲が強化されると私も考えています。
 では私はどんな理想の社会モデルを持っているのかとなりますが、単純に言って「真面目な人が損をしない社会」というのが私の理想です。敢えて名づけるなら、「アリとキリギリス型社会」といったところでしょうか。少なくとも、これは別のブログでも取り上げられていましたが、日本はもう少し博士号取得者に対して社会的に正当な評価をするべきだと思います。あの中国ですら、きちんと企業でも給与などで評価をしているのに……。

2008年10月30日木曜日

失われた十年とは~その四、個人消費~

 実はどの辺から書き始めればいいか、今結構悩んでいます。文化大革命の連載では時系列的に書けばよかったのですが、こっちだと社会的な話から政策的な話と時系列が行ったりきたりするので、しょうがないので政策の話をひとまず全部やろうと思います。

 さて一般に「失われた十年」とこの時代の不況はひとくくりに言われていますが、実際のところ本格的にこれは不況だと認知され始めたのは90年代の後半に至ってからでしょう。はっきり言いますが、バブル崩壊で株価がものすごい下落をしたものの90年代の日本は滅茶苦茶なまでに余裕しゃくしゃくで、恐らく事態の深刻さに気がついていた人間は全くといっていいほどいなかったと思います。

 それがきちんとデータとして現れているのが、今回のサブタイトルにもなっている「個人消費」です。恐らく現在に至るまで日本以外で起こってないであろう事例なのですが、実はバブル崩壊以後に企業業績が振るわずに社会的にも明らかに不況と言える状態であったにもかかわらず、90年代前半の日本では個人消費が一切減りませんでした。普通不況になれば今のアメリカみたいに個人消費というものは冷え込んで減っていくものなのですが、何故だか日本だけはこれが全然減りませんでした。

 当時に個人消費が一切落ちなかったことを表す一つの例として私はよく、当時の音楽CDの販売数を人に紹介しています。90年代前半から中盤まで音楽CDの売り上げは文字通りに右肩昇りで、今じゃ年に一曲か二曲しか出ないミリオンヒットもなんと毎年二十曲以上は出ていました。また似たようなものとしてテレビゲームにおいても98年のピークを迎えるまで売り上げ本数は年々伸びており、逆にそれ以降は音楽CD同様に今度は右肩下がりに売り上げが低迷し、現在両方の業界はともに苦しんでおります。
 せっかくだから自動車の販売台数も出そうと思ったら、なんか月別のデータしかなくて調べられませんでした。これだから三等統計国は……。

 とまぁこんな具合で悪化する経済を尻目に、日本人は消費者的にはそれ以前よりずっと豊かに生活を送っていました。では一体何故、企業の売り上げが低迷しているにもかかわらず個人消費が奮ったのでしょうか。これはなんというか非常に簡単で、理由を挙げろというのなら実はいくらでもあげることが出来ます。

 まず一つが、日本人の貯蓄体質です。最近はずっと目減りしているのですが当時の日本人は本当に貯金と預金が大好きで、そのために経済情勢が悪化しても豊富な貯蓄があったために消費は継続された、という感じです。
 そして二つ目に、当時はまだ終身雇用が生きていたからです。企業業績が悪化しても当時は終身雇用がはっきりと守られており、定期昇給から残業代支給まで今から考えると大盤振る舞いともいえるような俸給が被雇用者、つまり消費者に配られていました。
 でもって三つ目、これが非常に重要なのですが、この時期に政府は景気刺激策の名の元に公共事業政策、要するにバラ撒き政策を大々的に行ったからです。

 この公共事業については次回に詳しく解説しますが、こうしてあげたいくつかの理由によって日本の個人消費は非常に好調で、事実当時の日本経済は企業の業績悪化をよそ目に個人消費に頼って生きながらえていました。しかし最初の貯蓄は使ってけばどんどん減っていくのは当たり前で、二つ目の終身雇用はさすがに企業も被雇用者にいつまでも大盤振る舞いをしてられなくなり、三つ目の公共事業は小泉内閣が出来るまで続けられたのですが、結論を言うと90年代の後半に入ると日本経済で唯一好調だった個人消費もとうとう干上がってしまいます。その時期を具体的に言うと97年で、この年に消費税が5%に引き上げられたことによって個人消費も一気に冷え込み、この時になってようやく日本は事態の深刻さに気がつくというわけです。この辺もまた後で解説します。

 私の目から見ても、90年代前半は豊かな時代だったと思います。さすがにバブル期ほどの悪趣味な散財というものは見なくなりましたが、それでも漫画からゲーム、音楽からファッションといったものへの消費が社会全体で活発で、ファッションにいたっては当時は安室奈美恵などアイドルも数多く現れ、こういった服飾品への支出が非常に煽られていた気がします。今じゃ安いユニクロとH&Mが流行ってるあたり、時代格差を感じます。

現代の若者論の間違いについて

 大分以前の記事で、現代の若者を評価する論説のほとんどが年長者からの上から目線で語られていることが多く、その世代の人間を基準に「お金を使わなくなった」とか「車に乗らなくなった」などと、やや偏った意見が多いと私は指摘しました。
 これとは別で私が最近巷で語られる現代若者論の中で致命的だと思う欠点は、
「今の若者は先の見えない世の中に人生に意欲をなくしている」
 といった言質だと思います。

 確かに現代の若者は将来に対して強い不安感を持ち、そのために以前と比べるのなら行動意欲などの点で大きく低下しているのは事実だと思います。以前から大分減ってはいましたが最近だとデモ行進もなければ座り込みや、ハンスト活動……ちょっと極端なものばかり挙げていますが、身近な例だと地域自治体活動などに参加する若者は私の実感でも減っている気がします。

 しかしこういった事例に対して先ほどの主張は根本から間違えていると思います。もったいぶらずに言うと、「先が見えない」からやる気をなくしているのではなく、「先が見えてしまう」からやるきをなくしてしまうというのが本当の理由でしょう。
 以前は学歴社会といわれながらも、しっかりと勉強していい大学に入れば社会的地位も向上すると考えられていましたが、それに対して現在はいい大学を出たからといって必ずしもいい所に就職できるとは限らなくなり、また学歴社会と言われた以前より高卒の人間に対する就職状況が、ここ二、三年は好転しているものの、非常に狭められており、例を挙げると大企業メーカーの工場作業員も正社員はほとんどおらずに派遣社員などにされるなど以前より環境は悪化しております。

 そして何より、終身雇用のレールから外れると一生まともな生活をすることが出来なくなると学歴社会の頃から言われていましたが、現在は当時以上にこの言葉が重みを持ってきただけでなく、不安定な雇用環境からさきほどの「レール」から外れやすくなっているのも、不安感を増大させている原因となっているでしょう。
 そのため一旦失職、下手すりゃ最初にまともなところに就職できなければその後一生は暗いままで終わる、といった具合に若者も達観しているために、一旦レールから外れるとやる気をなくしてしまうのだと思います。将来に不安を持つといっても、わからないというより一生駄目なままというのがわかりきっているというのが根本的な問題でしょう。

 ついでに書くと以前は定期昇給といって毎年勤め続けるごとに月々の給料は増えていきましたが、現在はどの企業も職能給という制度にほとんど移っていてこの定期昇給を維持しているところなんて極わずかでしょう。
 何だかんだいって戦後に日本社会が非常に大きな活力を持てたのは、「先が見えなかった」からだと思います。今じゃ信じられないような人、ヤクザくさいハマコーとか野中広務が国会議員になれたり、街工場の一小企業がいつの間にか世界のソニーと呼ばれるようになってたりなど、ありていに言えば下克上はいくらでも起こせるという空気が日本人を真に強くさせたのだと思います。

 私としても何事もわかりきっている世の中よりやはり何が起こるかわからない世界の方が生きてて楽しそうだと思います。信長の野望でも天下統一が確定的になって近づいてくるとかえってつまらなくなるし、逆に生き残るかどうかの瀬戸際で遊ぶ方が楽しいしなぁ(・∀・)

2008年10月29日水曜日

時価会計見直しについて

 今日友人、ってかツッチーから、「今、時価会計の見直しがされているそうですね」という直球メールが来たので、これは是非打ち返してあげねばと思うのでこれについてすこし解説します。

 詳しく会計学を学んでないで言うのもなんですが、企業は自分たちの持っている資産がどれほどの価値があるか年度ごとの会計報告で公開しなければならないのですが、その公開する価値というのは確かまだまちまちだったと思います。

 まず一般的に多いのは「簿価」という単位で、これはその資産の取得時にいくら払ったかという価格で、会計報告時には多分まだこれが主流で使われていると思います。しかしこれは以前から批判されているように実態にあっていない価格が報告されることが多く、たとえばの話で40年前に買った土地を簿価で書かれても、それ以後の物価の上昇を考えると果たして現在その簿価の価値どおりかといったらまずもってそんなことはありえません。
 最近でこういった価格の差異が大きく目立った例は確か2004年に起きた村上ファンドの阪神電鉄買収騒動の時で、阪神電鉄が持っている阪神百貨店と甲子園の土地の価格が数十年前の購入した際のまさにこの簿価で会計報告されており、もし仮にこれらの土地を売り出したり担保として銀行にかけるとしたらその簿価の数倍の資金が調達できると言われていました。恐らく、それは事実でしょう。

 こうした簿価に対して、会計報告する資産は実際の価値で報告する方が市場の透明性という観点からも望ましいとして取り入れられたのが「時価」です。これは簿価と違ってそのまんま、会計報告時の評価価格の事を指しています。たとえば100万円で買った証券が数年後の会計報告時に90万円に目減りしていた場合、簿価会計では取得価格の100万円と報告するところを、時価会計では90万円と報告しなければなりません。

 この時価会計は恐らくまだ株式のみで、詳しく確認はまだ取ってないのですが先ほどの土地などの不動産には適用されていなかったと思います。ですが21世紀に入ってからはアメリカの圧力の下で日本もどんどんと取り入れていき、その結果それまで株式持合いが続いていた日本の大企業連中からすると帳簿上の価格を急激に落とさねばならず、参照しているサイトによると以前に三菱電機はこの変更の際に250億円の黒字から140億円の赤字に転落したとまで書かれています。

 結論を言うと、私は時価会計の方がやはり望ましいと思います。というのも簿価ではやはり実体にそぐわない数字が並び、投資をする際にも企業の情報透明化の観点からも外部者に弊害が生じやすいからです。それこそ簿価で1000万円の株式資産を持っていると言うからその企業に投資をしたところ、実際にはその株はもう100万円程の価値しかなかったら大変なことで、業績は悪くとも資産があるから安心だと思っていたら突然その企業が倒産するということもあり、もしそうなったりしたら投資した方がそれは詐欺だと思っても仕方がないでしょう。

 また逆に資産価値をわざと低く見積もることによって、その資産にかけられる資産税を企業側は軽減することも出来ます。多分先ほどの阪神電鉄なんてそういう意図でわざと不動産価値を低く見積もっているのでしょうが、これなんか見ようによっては立派な脱税ですし、資本流通の促進という観点からもあまり望ましくありません。

 ちょっといろいろ参照したところ、この時価会計の導入に反対している人は結構多くいるそうです。その人たちの主張を見ると、時価会計にすることで実業で赤字を出しても時価の上昇を利益として計上することによって赤字隠しの粉飾決算が行われてしまうといった指摘をしており、有名な「エンロン事件」で破綻したエンロンもこの手法で赤字を隠していたそうで、納得できる真っ当な指摘だと私も思います。
 しかしそれを考慮しても、簿価会計では資産所有者の企業がどう見ても有利になるだけで投資家にとっても社会にとっても時価会計より弊害が大きいと思えます。

 ここでツッチーの振ってきた話になるのですが、

「時価会計見直し」論まで出る、サブプライムの痛手の深さ

 リンクに貼った記事によるとツッチーのくれた情報通りに、かつては日本に時価会計を迫ったアメリカがこの時価会計をやめようじゃないかと言い出しているそうです。その狙いは下がり続ける株価が企業の会計報告時に大きな損失額を計上し、それを見た投資家がさらに資金を引き上げる悪循環を生むから、といったあたりでしょう。
 しかしそれは記事の執筆者である山崎元氏の言うとおりに、経営者の失態隠しにしかなりません。もっともらしい事を言ってはいますが、恐らく時価会計をやめたところでこの株安が止まる事はないでしょうし、隠したところでその企業が倒産なんか起きたらそれこそ投資家がその損失をまともに被ることになるので、私も山崎氏同様にこの動きには絶対に反対です。

 自分で書いててなんですが、最近自分はまたアメリカ人っぽくなってきたなと思います。「孤独に強くあれ日本人」の記事でもそうですけど。

失われた十年とは~その三、政治的混乱~

 前回までの記事が導入に当たり、この記事から本題に入っていきます。しばらくは政策的な話が続きそうです。

 さてこの「失われた十年」。ほかの不況と一線を画す特徴は言うまでもなくバブル以後から約十年間にも及ぶ長い間、何の進展もなかったという点でしょう。では一体何故それほど長い間に何の進展もなかったのかですが、私じゃこの原因はこれだと言い切るような一つの原因というものはなく、複数の大きな要因が作用していたためだと考えています。新自由主義が大流行りな昨今の時代では巷に流通している一般の経済書などには恐らく、それまでの日本独特の雇用形態や金融システム、国際スタンダードに乗り遅れたなどを理由として挙げているものばかりでしょうが、確かにそういったものも重要な要因だとは認めますが、私はそのどれよりもちょうどバブル崩壊期に起こった政変と、それによって続いた政治的混乱こそが複数の要因の中でもひときわ大きな原因になっていると考えます。

 まず、以下の表を見てください。

首相名称    在任期間                    任期
昭和
田中角榮  1972年07月07日- 1974年12月09日  886日
三木武夫  1974年12月09日- 1976年12月24日  774日
福田赳夫  1976年12月24日- 1978年12月07日  714日
大平正芳  1978年12月07日- 1980年06月12日  554日
鈴木善幸  1980年07月17日- 1982年11月27日  864日
中曾根康弘 1982年11月27日- 1987年11月06日 1806日
竹下登   1987年11月06日- 1989年06月03日  576日
平成
宇野宗佑  1989年06月03日- 1989年08月10日   69日
海部俊樹  1989年08月10日- 1991年11月05日  818日
宮澤喜一  1991年11月05日- 1993年08月09日  644日
細川護熙  1993年08月09日- 1994年04月28日  263日
羽田孜   1994年04月28日- 1994年06月30日   64日
村山富市  1994年06月30日- 1996年01月11日  561日
橋本龍太郎 1996年01月11日- 1998年07月30日  932日
小渕恵三  1998年07月30日- 2000年04月05日  616日
森喜朗   2000年04月05日- 2001年04月26日  387日
小泉純一郎 2001年04月26日- 2006年09月26日 1980日

 これは田中角栄から小泉純一郎に至るまでの総理大臣の任期を、ウィキペディアから拝借してきた図を元に見やすく簡略化したものです。まず注目してもらいたいのは「失われた十年」の期間内における総理大臣の数で、前回に定義した開始時期である91年の海部俊樹からスタートして数える事なんと九人にも上り、平成年間で見るならば宇野短命内閣も入って十人もこの時期に総理大臣が輩出されています。これは72年の田中角栄から89年に任期を終える竹下登までが七人である事を考えると、この失われた十年に如何に多くの総理大臣が出現したかがわかるでしょう。また十年スパンで考えても以下の表のように、


注:★マークは任期が二年以上

 といった具合で、事の異常さは一目瞭然です。
 こうしてみると失われた十年に当たる平成年間がどれだけ総理大臣のバーゲンセールなのかがわかり、また任期一つを取ってみても海部俊樹から小泉純一郎まで十二年間で九人の総理大臣で、単純計算で一人頭は約12÷9=1.333……と、平均するとこの時期の首相の人気は約1.3年しかありません。最近じゃ皆一年も持たないんだけど。

 現実にこの失われた十年の間に在任任期が二年を越した大臣はというと海部俊樹、橋本龍太郎、小泉純一郎の三人のみで、他の大臣はというと計算通りにほとんどが一年から二年目の間に辞職しています。
 このように首相が代わる代わる交代していった原因はまず間違いなく、93年に初めて自民党が選挙で大敗した挙句に野党に転落した、55年体制の崩壊が原因です。この時に自民党は野党に転落し、またその後も与党に戻ったものの単独政権ではなく連立政権で、更にそれを取り巻く野党らも合従連衡を繰り返していたという、政治的に不安定な状態が続きました。なお最終的に今のひとまず落ち着いた状態に至ったのは小渕政権時の自民、公明の連立以後でしょう。この時には民主党も成立しており、その後は小沢一郎率いる自由党が民主党に合流したくらいですし。

 こうした政治的に不安定な状態が続いたことの結果として、政権基盤が不安定なために与党となっても長期的な展望にたった政策を打ち出すことが出来ず、また党を支えるはずの国会議員たちも目下の経済政策より党利党略に神経を使うようになっていったのではと私は思います。
 これは私の推論ですが、この時期に議員達はその政局の流動性から大物議員であれちょっとしたことで選挙にも落選しやすくなり、そのため政策以上に自らの選挙対策に神経を使うようになっていったのではないかと思います。実際にバブル崩壊以後から小泉政権の誕生に至るまでに景気対策の名の元に大型の公共事業がいくつも行われており、その公共事業を地元の選挙対策として利用した議員も少なくはなかったでしょう。だとすると、場合によってはそういった公共事業は景気対策以上に選挙対策といった目的の方が強かったとも言えると思います。

 このような政治面での不安定さが「失われた十年」を政治的、社会的にもより進展のないものにさせた最大の原因と私は睨んでいます。私の不勉強によるものかもしれませんが、どうも巷に出ている書籍はこの点をあまり追究していないような気がします。まぁ今の状況も似たようなものなんですが。

2008年10月28日火曜日

友人の一言

 本日政府から文化勲章の授与者の発表があり、その中で私が以前に書いた「国民栄誉賞について」の記事の中で紹介している古橋広之進氏も授与者として入っていました。私も水泳をやっていたこともあり、古橋氏の戦後の苦しい時期に日本人を水泳で勇気付けたという功績を考えると我が事のようにうれしく思えます。別に古橋氏に限るわけではありませんが、やはり自分が尊敬する人物が世間で高く評価をされると非常にうれしいものです。
 
 かくいう私は、多少過剰な被害者意識も入っているでしょうがこれまで自分はかなり周囲に冷遇されてきたと自認しています。面と向かって狂ってるとか頭がおかしいと言われたのはザラですし、根も葉もないことを陰でよく言われていたと知り合いに教えてもらいました。特にそれが一番激しかったのは中学高校時代で、私自身も周りがそういう風に自分を見ているのを知っていたのでなるべく付き合わないようにしていました。

 そんな風に、恐らく傍目にも非常に暗い時代だったある日、席が隣同士でまだ話が出来る友人に対して自分は今こんな状態で非常に冷遇されている。良くも悪くも自分をちゃんと見てくれる人間はいないなどと愚痴っていました。するとその時友人は、

「周りが君に対していろいろ言っているのはよくわかるよ。でも君は以前に僕を助けてくれたし、僕はそのことにずっと感謝しているし君を高く評価してるよ」

 と、いうように言ってくれました。
 実はこの会話時よりちょっと前に、授業中に携帯電話が鳴り出して犯人が名乗り出てくるまで家に返さないと教師が出て行って残った生徒同士で犯人は誰だという風になった時、クラスの一人が、「ぶっちゃけ、携帯電話持ってる奴は手を挙げて」と呼びかけた時、不用意にその友人はあまり話を聞いてなかったにもかかわらず手を挙げてしまいました。

 それ以前にも何度か「とりあえず携帯持ってる奴は?」と聞かれていて、その友人は当時は携帯電話を持ってきてなかったのでそれまで手を挙げていなかったのですが大体三回目くらいのその呼びかけに間違えて手を挙げてしまったところ、「やっぱりお前、持ってきていたんじゃないか!」ってな感じで、何も事態がわかっていないその友人は他の生徒から突然激しく糾弾されそうになりました。
 実を言うと、ちょうどその友人と私のいる辺りの席から携帯音がしており、恐らく他の生徒は、「あの中の誰かだ」と見ていたのだと思います。そこで最初は持っていないと(実際に持っていないが)言っていたのに後から手を間違ってあげちゃったもんだから、その友人に対してものすごい反応をしたのだと今更ながら思います。

 友人も突然激しく糾弾されるもんだからますますパニックになって、「えっ、えっ?」といっては何も反応することができずにいました。席が隣で横で見ていたこともあり事態がわかっていた私はすぐに立ち上がると、「彼は何もわかってなくて、周りが手を挙げているのを見て間違って挙げちゃっただけだ」と、友人が携帯電話を持ってきていないと改めて説明し、その場はすぐに元通りに収まりました。

 私としては特別な何かをしたと思っていなかったのですが、友人はこのことを非常に感謝しており、それで最初に書いた内容のセリフを私に言ってくれたのだと思います。時期も時期だったのでこの友人の発言は私にとって非常にありがたく、今でも折に触れてほとんど交流はなくなってしまったこの友人のことを思い出します。またそれと同時に、この友人が評価してくれたのだから、自分はその評価に値するだけの立派な人間にならなくてはならないと毎回思い直しては自身の研鑽を図りなおしています。友人からすればほんの些細な一言だったのかもしれませんが、その一言は未だに私を動かす大きな原動力となっております。

 どうでもいいけど、引用した過去の記事に今日引退発表をした高橋尚子のことも書いているは因果だなぁ。

失われた十年とは~その二、期間~

 この連載を始めるに当たってまずやらねばらないのは言うまでもなく、この「失われた十年」が何を指しているのかという定義です。そこで連載一発目の今日はその辺を詳しく定義します。

 実はこの「失われた十年」という言葉は日本で初めて出来た言葉ではなく、もともとはイギリスにおいて二次大戦後、経済的発展が少なく閉塞した時代であった1945~1955の十年を指す言葉だったらしいようです。もっとも今現在でその事実を知っているのはニュース解説者でもほとんどいないでしょう。
 では実質的にどのように使われているかですが、まず世間で流布している一般的な定義としてはバブル崩壊以降の何の進展もないまま延々と不況が続き、気が付いたら十年も経ってしまった、といったような意味合いが主でしょう。別にこの説明に特段疑義を私も持ちません。

 しかしここで重要になってくるのは、実際にいつからいつまでがこの失われた十年の期間に当たるかです。この点は各種の評論においてもいくつか意見が分かれているのですが、始まった時期についてはどの意見も共通してバブルの崩壊時として、年数で言うのならこの場合は日経平均株価が下がりだして本格的に景気が悪化し始めた1991年を指しています。

 株価自体は1989年12月29日の大納会に38915円87銭という最高値を記録してからは下がり続けて90年には一時2万円を割るものの、その後しばらくは日本全体で好景気が続いていました。しかし企業業績の落ち込みが続いてそういった好景気も立ち行かなくなっていき、本格的に「バブル崩壊」という言葉が使われ始めたのはやはり91年頃だったと子供心に私自身も記憶しています。また国際的にもこの年に去年処刑されたサダム・フセイン元イラク大統領によるクウェート侵攻によって湾岸戦争が勃発しており、国際情勢が大きく転換した年でもあるのでひとつの時代のパラダイムとしては適当だと思います。

 問題なのはこの失われた十年が終わった時期です。
 これには様々な意見があるのですが、文字通り91年から十年後で2001年とする説と、昨日までここ十数年のうちで最低株価記録の7607円88銭を出した2003年4月28日という二つの意見が今のところ強いです。
 私の実感で言うと、後者の03年の初期が最も暗いイメージが社会に蔓延していた時期で案の定株価も大底を出しましたが、その大底を境に株価は一応のところ下げ止まり、全体的に暗くはあったものの少なくとも今日より明日はマシなのではないかという実感が徐々に込み上げてきた年だったと思います。株価もその年の10月には11000円台にまで回復し、それまで歴史的な就職氷河期であった大学生の就職戦線も2001年を底にして徐々に採用がまた増え始めてきた頃でした。

 こうしたことを考慮すると、確かに01年が大企業の倒産が相次ぎ実業面で恐らく最も苦しい時期ではあるのですが、そうした状態から脱したという意味合いで03年の方が終結年としては適当な気がします。またこれはちょっとした偶然なのですが、何気に03年はイラク戦争の勃発年でもあってこの年の年末にはフセイン元大統領もアメリカ軍によって拘束されてます。既に述べたように開始年とする91年は湾岸戦争が勃発しており、文字通りフセインに始まりフセインに終わる「失われた十年」と考えるのもなかなか
乙な気がします。

 以上のように、この連載における「失われた十年」というのは1991年から2003年を指す事にします。とはいっても2001年までという説も定義的には決して悪いわけでもなく、先ほどの説明に加えこの01年はその後の政治的、社会的変動の中心となる、小泉内閣の誕生年でもあります。
 その評価はともかくとして小泉元首相がこの失われた十年の構造不況を改革したのは間違いなく、そういった意味で03年が社会実感の転換点としての定義に対し、こっちは社会構造の転換点としての定義とすることも出来ます。そして蛇足ではありますが、01年は日中戦争を代表する人物である張学良がこの世を去った年でもあり、中国とか関わりの深い私としてもこの理由にあわせて01年説を持っていきたくなりそうです。

 なのであえてこの両説を平行して使うのなら、広義としては91~03年、狭義として91~01年と考えるのが失われた十年の期間として適当だと考えます。本連載では先にも言ったとおり基本的には広義を採用するので、2003年に至るまでの事例を思いつくまま解説して以降と思います。

2008年10月27日月曜日

失われた十年とは~その一、予告~

 7607円88銭

 今日はこの数字が非常によく出回った一日でした。この数字、というよりも価格が何を表すかというとニュースを見てればわかりますが、これは「失われた十年」と呼ばれた平成不況期の真っ只中である03年4月28日に記録した、今日以前のバブル崩壊以後としては日経平均株価の最低価格です。
 その最低価格も今日の終値でとうとう更新して、これからまたあの失われた十年の再来、もしくはあの時代以上の不況が日本を覆うのではという悲壮感に溢れた意見が飛び交っていますが、そもそもあの失われた十年とは一体なんだったのか、これはかなり以前から私が考えていたことでした。

 それで、一度はやろうとしました。やろうと思ったのですが、ちょうど去年の今頃からちょこちょこ書いて原稿用紙80枚を越えた時点で何故だか飽きて書くのをやめてしまいました。理由は恐らく、私が当時に別の論文の作成で忙しくなったせいだと思います。
 よくこの失われた十年は経済用語として使用されることが多いのですが、私としては専門の関係もありこの時代を日本の現代史、社会史として位置づけており、経済以外の点でもいろいろと今だからこそ検討する材料に溢れた時代だと考えています。

 折も折でこれまで最低だった前述の株価を今日は更に下回り、今後の経済情勢を占う上でこの時代の分析が真に必要なのは今の時代なのではないかと思います。私としてもやりかけた仕事ですし、ちょっと前まで連載していた「文化大革命」の連載を終えて、
「案外、このブログで連載していても、そこそこまともな論文が書けそうだ」
 という確信を持つに至りました。おかげさまでその文化大革命についての連載については様々な方から反響をいただき、また自身で読み返しても胸を張って人に見せられる内容だという自信があり、これならば失われた十年についてもちょっとずつ書いていけそうだと思い、この度連載を始める決心がつきました。

 また私にとっても都合がいいのは、この連載の場合は今後しばらくは昔に書いた内容に補足する程度で進められる点です。はっきり言って前回の文化大革命の際は資料をまた読み返したり、ネット上で情報の確認を取ったりと、書いてて非常に面白かった分、労力も半端じゃありませんでした。けど今度の連載の場合は開始しばらくは楽が出来そう……と思ってたのですが、書き溜めた論文を今読み返すと文章が敬体じゃなくて常体で書かれてました。結構手直しが必要になりそうです。

 ともかくそういうわけで、しばらく普通の記事と平行してこの失われた十年について分析を行う連載をはじめます。それでは今日の最後として、ちょうど一年前の私が書いた論文の前書き部をそのまま引用してお見せします。思えば、この論文を投げたあたりからこのブログも始めたんだなぁ(´ー`)

「結論から述べるとこの「失われた十年」は言い換えると「モラルパニックの十年」と表現できると考えている。明らかにこの時代を境に日本人は変わったし、また国際世界も変わっている。何も変わらなかったのは案外、同世代では自分くらいなんじゃないかなとかちょっぴり思ってたりもする」

解散と選挙の時期について

 簡単にぱぱっと書きますが、日本は国全体でもっと衆議院の解散時期について考えるべきだと思います。

 先週末辺りから与党の議員を先頭に、「今の経済的危機状況で解散などするべきではない」といった発言が公にも増えてきました。それに対して民主党の側もちょっと遠慮し始めてきたのか、こういった与党側の発言を受けて、恐らく逆批判を避けるためでしょうかいささか解散総選挙への主張にトーンダウンが見られます。

 しかし、私としては現時点でも可能な限り早くに選挙を行うべきだと思います。
 その理由としてまず第一に挙がってくるのが、たとえここで解散を引き伸ばしたところで来年四月には任期切れにより解散しなくてはならないからです。遅かれ早かれ選挙が行われるなら何も今に急がなくともという方もおられるかもしれませんが、来年に任期が切れるということで現在の麻生政権は長期的な政策が打ち出せないという致命的な欠陥が生まれるため、私としては勝つにしろ負けるにしろ、早く選挙をやるべきだと思うのです。

 もし次の選挙で自民党が負ける場合は民主党を中心とした内閣となり、政策が根本から改められることとなります。そしてたとえ自民党が勝ったとしても、恐らく三分の二を越える現有議席は失い、これまでのように強引な参議院の否決にあっても衆議院による強引な採決が行いづらくなります。このように、どちらにしろ政策の見通しが立たないために現状では一年先を見据えた政策が何も打ち出せないという状態にあると言えます。
 そして市場の反応でも、現在の麻生政権は来年四月までに終わってしまうのではといった不安感が強く、選挙前という非常に敏感な時期が続けば続くほどこの不安感は継続されてしまいます。

 こうした第一の理由に加えて私が心配している第二の理由は、果たして引き伸ばした挙句に今より状況が好転するかという疑問です。恐らく、一ヶ月前の時点で日本の株価がこれほどまでに下がると予想していた人はほとんどいないでしょう。それは逆に言えば今後の状況も全く見通しが立っていないということで、下手をしたら解散を伸ばしに伸ばした挙句にタイムリミットである来年九月を迎えたら、今以上に本当にどうしようもない状況下になっているとも限らないからです。

 折も折で、選挙はもうすぐですが任期によって来年にはアメリカの大統領も変わります。その変わり目にまた何かあるのではと、ちょっと心配しすぎかもしれませんが考えずにはおられません。一番最悪なのは言うまでもなく、にっちもさっちもいかない状態で任期切れで解散するしかないという状況です。それならばまだ日程を選択できる今の状況の方が、いくらか予防線を張るという意味でいいのではないかと思います。

2008年10月26日日曜日

90年代におけるネットをテーマにした作品

 ちょっとこっちは不確かで私の所感でしかないのですが、90年代前半にはいわゆるサイバーパンクともいう近未来の宇宙を舞台にしたハードボイルドな漫画作品が非常に多かった気がします。このジャンルの代表的作品は寺沢武一氏の「コブラ」が最も有名ですが、90年前後にはガンダムでも「逆襲のシャア」や「F91」等の大型SF映画作品も作られ、ガンダム以外でも大友克洋氏の「AKIRA」が公開されるなど環境的に充実していたのが流行した理由なのだと思います。当時の同人誌等を見ていると明らかにこれらガンダム作品を模した巨大ロボットものの作品が多く、また「コブラ」同様にアメコミの画風を取り入れたものが非常に多くありました。

 そしてこうした90年代前半の流れを受けたのか、90年代後半に続く頃にはインターネット時代の幕開けとともに今度はネットをテーマにしたSF作品が次々と生まれていきました。 
 このジャンルの最高峰ともいえるのは言うまでもなく士郎正宗氏による「攻殻機動隊」で、この漫画の中で書かれた「意識と肉体の同一性」というテーマはこれに続いた他の同ジャンルの作品でも一貫して取り上げられています。

 ちょっと攻殻機動隊について簡単に説明すると、この漫画の中の世界では脳だけを取り出して体は全身サイボーグ化することが当たり前に行われており、漫画版では軽くギャグ調に書かれていますが、映画のアニメ版では一つのメインテーマとして、サイボーグ化した自分が本当に脳を持っているかを自らの目で確認することがもちろんできないので、今こうして考えている意識は本当に自分の脳が行っているのか、もしかしたら自分が自分と思っている意識は実はAIが行っており頭の中には脳ではなくコンピューターチップが入っているのでは、といったような疑問が提起されています。
 哲学の言葉で恐らく最も有名な、少なくとも今ここに物事を考える自分が存在しているのは確かであるという、「我思うゆえに、我あり」という価値概念すら、「その自分の意識はもしかしたらAIなのでは?」という疑問でひっくり返すという面白い概念が描かれています。

 ちなみに自分の意識は本当は脳ではなくAIが行っているのではというような話は何も攻殻機動隊が最初ではなく、それ以前にも自分が人間だと思っていたら実はサイボーグだったというような話はよくあり、木城ゆきと氏の「銃夢」(1990~1995)という作品に至ってはある未来都市の住人すべてが成人するとそれまでの記憶をデータ化してコンピューターチップにするとそれを脳のかわりに入れられ、自分が脳をなくした(肉体はそのまま)と知らないまま生き続けるという話が書かれています。

 このように、それまで魂と呼べるような意識と物理的に存在する肉体は基本的にその人個人に対してセットで存在しているのだという前提に対し、90年代前半頃からこれに強く疑問を提起する動きが見え始めてきました。そうした中、ついにインターネット時代に突入するのです。
 インターネットというのは基本的にデータだけの世界です。そのデータの中にはこの私のブログのように意思がこめられた文字データがあれば、チャットのように音声の発生と聞き取りという物理現象を解さずに(キーボードの打ち込みはありますけど)互いの意思を交換することもあり、いわば肉体を解さずに交流される、意識だけが存在する世界とも言えます。

 日本でインターネットが始まったのは1995年からですが、このインターネットの仕組みをヒントにしたのか「データ」、「意識」といった言葉をふんだんに使用して、「もはや肉体と意識は完全に別々に分けられているのだ」というような主張をテーマにした漫画やアニメ作品がこの頃から続々と出てきました。その主張は先ほどに説明したような具合に、インターネット世界というのは完全な意識だけの世界だということを前提にネットに出ることで物理世界から意識だけを開放する……といった具合です。

 攻殻機動隊の中でも意識をネットに接続することによって他者の記憶に干渉する、中には意識そのものを乗っ取るといった描写が展開されていますが、90年代後半に至っては現実世界と意識世界そのものを逆転したMMR的に、
「実はこの世界はネット世界と同様に、コンピューター上のデータの世界だったんだよ!」
「な、なんだってー!?」
 ってな感じで言い出すのも結構ありました。これだと一番代表的なのはアメリカの映画、「マトリックス」ですが、この監督自体が攻殻機動隊の大ファンだしなぁ。

 ちょっと話が二転三転していますが、当初は「肉体が変わっても、意識はそのままなのか」という議論から、「肉体と意識はもはや別々なのは確かだが、果たして我々が認識するこの世界は肉体の世界なのか、意識の世界なのか」といったように徐々にシフトしていったように思えます。私の言葉に直すと、それまでは肉体と魂がセットの一元論の疑問から、肉体と魂は別々という二元論に加え世界も二元なのかという疑問といった具合です。

 そこで90年代後半において最もこういったテーマを強く打ち出しているのが、かなり贔屓も入っていますが「Serial experiments lain」というアニメ作品だと思います。これなんかコアなファンが今でも多くいるのですが、この作品では「記憶=データ」という前提が存在しており、その上我々が知覚する現実世界というのは我々が遊ぶオンラインゲーム上のような世界で、人間の意識(とされるもの)には本質的に他者の意識と接続する能力が備わっているとして、そうした意識同士が接続されあって出来た世界というのがこの世界という具合に話が展開されます。ちなみに、その接続されてできる世界でも上位の接続が出来る人間においてはデータをいじくる権利があり、記憶等の我々が知覚する世界に干渉することが出来るようになってます。

 こういった作品が流行したことについては、やはりインターネットの拡大という影響があったことは間違いないでしょう。ネット上が意識だけの世界ということで、意識だけで世界は成立するのでは、肉体はその存在価値はまだあるのかなどといった様な疑問が次々と出て行ったのだと思います。なお、「バカの壁」の作者の養老猛氏も、現代の世界は意識だけが大きく幅をきかしており、木から落ちて怪我をするといったことがあまり取り上げられもしなければ起こることも減り、肉体の実感が非常に薄くなってしまったというようなことを言っていたと思います。

 本当は漫画のテーマの流行り廃りだけをこの記事で書こうと思ってたのですが、予想以上にわけのわからない内容になってしまいました。また別に質問等があれば細かい解説をしてこうと思いますが、この記事ではとりあえず妙な翻訳はせずに私の言葉で詰め込めるだけ詰め込むことにしました。なので適当にわかる内容で面白いと思ったものだけ拾って読んでください。

 最後にこういった「肉体と意識」をテーマにした作品の現状について私見を述べると、このところはめっきりこういったテーマを取り扱う作品が少なくなったと思います。売れなくなったのか、流行らなくなったのか、はたまたインターネットの拡大が非常に大きくなって一般化してしまったからかもしれません。

2008年10月25日土曜日

社会的共通資本とは

 初めに断っておきますが、今日の内容は紹介こそすれども私は完全に理解している自信はないので、あくまで私の解釈として受け取ってください。そしてできることなら原典である、宇沢弘文先生の「社会的共通資本」(岩波新書)をお読みすることを強くお勧めします。

 さて今朝まで連載していた「悪魔の経済学」の記事の中で私は、新自由主義経済学の最大の欠陥的思想は人間の心理、行動から二酸化炭素に至るまですべてのものに対して金額をつけて計算しようとする点だと主張しました。それに対して東大名誉教授である宇沢弘文先生は真っ向からこれに反対する主張をしており、その説のことを「社会的共通資本」と呼ばれています。

 この説の考え方というのは割と単純(だと私は考えている)で、何でもお金に換えて計算する新自由主義とは逆で、社会公益性が高い物に対しては下手に損得勘定を計算できないように市場から完全に切り離して独立させ、原則的にどんなに費用をかけてでも守っていくべきという思想です。

 こういったものとしてまず挙げられているのが自然環境です。基本的に現代では市場に任せておけば森林や山地はどんどんと開発されていきますが、かつての江戸時代に日本の社会は山林に対し「入会地(いりあいち)」という概念を持ち、周辺の住民同士の共有財産として木々を必要な分だけお互いに消費し、また山林の保護も共同で行ってきました。
 それが明治時代に入ると土地などに私有財産の概念が持ち込まれ、こういった共同管理されていた土地は数少ない例外を除いてほぼすべて国有地として吸収され、それまで共同で使用、保護されていた土地は途端に周辺住民が立ち入ることすら出来なくなりました。

 私の恩師のK先生などは社会的共通資本の考え方はこの「入会」だとよく説明してましたが、私の解釈もこれに同じくします。要するに、社会公益性が高いものに対しては経済上の「私有」という概念から外して、社会で「共有」することによって保護していくという考えです。こうすることにより、たとえば周辺住民が反対している土地に住宅会社が無理やりでかいマンションを建てるなど、一個人や一事業者の勝手で社会の公益性が損なわれるのを防ぎ、その上個人では難しい管理や保護を共同にすることによって負担を分配していけるようになります。

 こうした考え方の一つの実例として、私も参加した講演会では中国にあるどこかの川では周辺住民によって年に一回程度、氾濫を防ぐために流れを緩めさせる底石を川底に並べられているという例が紹介されていました。これだと周辺住民が総出でやればそれほど時間がかからず、その上作業に使うのはほんとただの石だけで費用もゼロな上に環境負荷もゼロというお得ぶり。
 この例は日本の防災ダムとの比較がなされていたのですが、よくダムさえ作れば最初に費用はかかるとしても電力も作られ防災にもなって更には半永久的に使えると誤解されていますが、実際にはダムの寿命というのはそれほど長くはないのです。

 実はダムというのは水は通すのですが、上流から流れてくる砂はなかなか流れずに時間とともにダムの壁際にどんどんと堆積していってしまうのです。もちろん堆積していくとえらい山になって川底を押し上げ、防災上にも発電上にも悪影響が発生し、ダムとして使い物にならなくなってしまいます。かといって機能を維持するためにその堆積した砂を地上から掘り返そうものなら、これまた異様なくらいにお金がかかってしまうのです。
 元祖注目知事だった田中康夫なんて今じゃかなり落ちぶれちゃっているけど、長野県知事就任当初の「脱ダム宣言」にはこういったことが指摘されており、社会史的に見るなら非常に意義深い問題提起をやっていたのだと私は評価しています。

 それが最初に紹介した中国の川、っていか今急に思い出したけどこれって「都江堰」です。調べてみると世界遺産にもなっており、古代に整備されたものですが現代においても非常に技術的に高い構造となっているそうです。
 こっちの都江堰と日本のダムを比較した場合、前者は毎年の管理、整備は必要としますが基本的に周辺住民がボランティアで行い資材費もいらないので費用はゼロです。それに対して後者は建設時にものすごい費用をかけた上、時間が経ったらまたすごい費用をかけて整備しなければいけません。
 またダムの場合は砂とともに川の中の栄養も遮断してしまうので大抵は下流の水質が悪化してしまうので、無理やりダムを作ろうとする行政側とそれに反対する市民団体が議論するダム問題は現在も日本各地で行われています。なおこの際の勉強会では、四国のダム建設に反対する市民団体の方も参加しておりました。
 ついでにちょっとかくと、この都江堰に準ずる日本が世界に誇る水利施設と呼べるのはあの「信玄堤」です。これなんかメンテナンスいらずで半永久的に使っているんだから、実はとんでもない代物らしいです。

 こんな感じで、社会公益上で価値が高いものについては共同管理、しかも行政の手に寄らない独立した管理をすることこそが保全、維持につながるというのが社会的共通資本の考え方です。何もこの対象は自然環境に限らず、医療や農業、文化も対象として挙げられ、医療なら下手な厚生省の役人に任せずに医療問題をきちんとわかっている現場の医師や専門家などによって経営や運営を決めていくべきだと宇沢先生は主張されています。また運営上に費用が必要だというのなら、社会全体でこの方面へどんどん投資するべき、何故なら医療も農業も欠くことのできないものだからとも言われております。

 この概念を新自由主義と比較するなら、新自由主義では市場に任せればすべて解決されるのだから規制を取っ払って何でもかんでも商業ベースに乗せればいいという考え方で、社会的共通資本では公益性の高いものは市場に任せるとろくなことにはならないから専門家や周辺住民による共同管理をした上で費用をかけてでも守っていくべき、というような感じになります。

 先ほどの医療を例に取ると、新自由主義では医師同士で経営や技術を競争することによってサービスは向上されて消費者も万々歳なのだから、極端な例だと医療行為の費用も医師個人で決めさせるべきだという主張まであります。そうなると同じ盲腸の手術でも、東京で受けるのと鹿児島で受けるのでは費用が変わり、まぁあえて批判するとお金のない人は医者にかかることすらできなくなる可能性があります。
 それに対して社会的共通資本は、勉強会でいらした医師の方などが主張していたのですが、「いい医療を維持存続させるには、やっぱりお金がいるのだ」と言っておられ、現在は全然足りていないのだから社会はもっと医療に予算を分けるべきだと主張していました。社会的共通資本は新自由主義と違い、公益を守ることをまず前提としてそのためにどうやりくりしていくかを重視し、そのためにかかる必要最低限の費用は議論の余地なく出すべきとしています。新自由主義だと如何に採算を合わすかしか考えないしね。

 大体こんな感じが私の社会的共通資本の理解です。本当はまだまだ紹介するべき例があるのですが書ききれないので、もし興味をもたれた方は宇沢先生の本を手にとることをお勧めします。私なんか最初に「社会的共通資本」を読んだ際、えらくはまって何度も読み返しました。

悪魔の経済学 その三

 前回の「悪魔の経済学 その二」において、新自由主義経済学の最大の欠陥は、本来換算すべきものに対してすらも金額に直して価値を算定し、社会的に不条理とも言えるいえるような行動についても安易な損得勘定から犯してしまうと私は説明しました。今日はその一例とも言える、排出権取引の欠陥について簡単に解説します。
 まず結論から一気に攻めると、排出権取引でCO2排出権を得る費用がCO2削減につながる設備投資費用を下回った場合、逆にCO2排出を余計に誘発するという欠陥があります。

 この排出権取引というのは京都議定書などで算定されたCO2の削減目標を国や企業が達成できなかった場合に、目標を超えた分のCO2排出量の分だけ発展途上国に「CO2削減投資」という名目で資金援助を行うか、逆に目標を超えて排出量を削減できた他の国から超えた分だけお金を払って「排出権」を購入する取引のことを指します。
 たとえば日本のある企業がCO2の削減目標が10トンであるのに対して8トンまでしか削減出来なかった場合、隣の中国でCO2を排出している鉄鋼会社などからCO2の排出を削減する名目で2トン分のCO2削減につながる(であろう)額の投資を行うことが義務付けられます。また発展途上国でなく先進国であっても、その国や企業が目標以上に削減したところから超過した削減量2トン分を先ほどもいったように排出権として購入することによっても、当該企業は削減目標を達成したと認められます。

 この排出権取引によって欧米などの国では、国や企業は削減目標を超えたらよそに販売して利益を出すことになり、逆に目標を下回ったらコストを支払うこととなるので利害的にCO2削減を積極的に行うようになるだろうと主張していますが、この主張には実はある前提が必要になります。というのも、CO2の排出権価格です。

 たとえば先ほどの例だと日本のある企業は目標を達成するのにあと2トン削減しなければいけないのですが、仮にその2トンを削減するのに自社の工場などへ設備投資をするとしたら10億円かかるのに、他国や他企業から排出権2トンを購入するのに5億円しかかからなければ、利害的に設備投資は行わずに利害的に排出権を企業は率先して買っていくでしょう。

 この排出権を購入したところで結局世界中で排出されるCO2の総量というのは変わらず、逆にもし排出権取引自体がなくて削減目標が厳しく義務付けていられれば、その企業は10億円を払って設備投資を行ってCO2は2トンも排出量が減ることになります。
 この話は先月の文芸春秋で載っていた記事に書かれていたのですが、確かにこういう風に考えると、なんとなくこの排出権取引のおかしな点が見えてきます。

 それにそもそも設定される削減目標自体に国や企業ごとに差があり、ちょっとダジャレて言うと中には「エコ贔屓だ!」と主張したくなる例も数多くあります。代表的なのは日本とEUの削減目標の大きな差で、バカ真面目に京都議定書を履行するくらいならアメリカを見習ってとっとと脱退した方がいいんじゃないかとすら最近私も思っています。議定書が結ばれた京都国際会館にはよく入り浸っていたんだけど。

 実際に今履行していて色々問題が起きていて、やっぱり当初見込んでいたよりもCO2排出権の価格が世界中でなかなか一定にならなかったりと、日本の企業も削減努力そっちのけで中国など発展途上国からバンバン購入するようになったりとうまく運用できていないそうです。

 ここまでくれば私の言いたい事も勘のいい人ならわかるかもしれませんが、私はこの排出権取引に対して、そもそも二酸化炭素に価格をつけようという価値観自体が間違いだったのだと考えています。この排出権取引の価値観の後ろにはどうも、「商業ベース(市場)に環境問題を乗せれば競争原理が自然に働き、理屈はないけどきっとうまくいくだろう」という考えが見え隠れしており、新自由主義経済学のもう一つの欠陥である「市場至上主義」も働いているであろうと思われます。

 しかし世の中何でもかんでも市場に任せればいいってわけじゃなく、最低限のルールこと規制(あり過ぎてもよくないけど)の上に物事を行わねば何もうまくいくわけでなく、そもそも商業ベースに乗せること事態間違いなものも数多くあります。
 こうした考えの経済学こそ私が一応は属している……と言えるのかぁ、第一、経済学じゃなくて社会学が私の専門ですし。
 まぁそんな疑問は置いといて、こうした考えが展開されているのが私が信奉している宇沢弘文先生の「社会的共通資本主義経済学」です。時期も時期ですし、この「社会的共通資本」の概念については次回に解説します。このところ経済ネタの記事が多いなぁ。

2008年10月24日金曜日

日経平均株価七千円台突入について

 連載の途中ですが、本日の日本株価の大幅な下落について急遽友人とメール会談を行ったので、ちょっとそれについての補足と今日の株価について解説します。

 まず本日日経平均株価は八千円台を切って終値でも7000円台という、十数年ぶりともいえる歴史的な安値を記録して取引を終えました。今回何故これほど日本の株価が下落したかというとその原因はまず間違いなく二つあり、まず直接的な引き金となったのがソニーの経営見通しの下方修正です。今期の世界的な大不況の影響を受けてソニーが今期の売り上げを当初見込んでいたものより大幅に少なくなるという予測から下方修正を行ったところ、このニュースが波及効果を及ぼして他の銘柄の株価も急激に下がったという見方でまず間違いないでしょう。そしてもう一つの株価下落の背景にある実原因、ソニーが下方修正するに至った要因はここ数週間の急激な円高です。

 前にNHKのニュースで報道されて私も以前の記事に確か書きましたが、何でも1ドルに対する円価が1円上がるごとにトヨタだと400億、ソニーだと40億円も売り上げが落ちることになるらしく、実は円高というのは輸出を主力としている企業、ひいてはそういった企業に頼りきっている日本からするとものすごい悪影響を与えるのです。
 なのでここで断言しても良いですが、今日明日の経済記事の一番の見出しが下がった株価のメディアは下で、上がった円価を載せているのは上です。実際、今私がYAHOOの情報を見ると何でももう1ドル=92円と、ちょっと前まで108円位だったということを考えると、トヨタはこの時点で6400億円の売り上げ低下といえることになります。実際にはこれ以上になること確実ですけど。

 今回株価が下がったのを順序だてて説明するならば、まずアメリカで金融危機が起こりドルの通貨価値が急激に下がりだし、比較的サブプライム問題の影響の少なかった日本の円価がまだ安定している通貨だと世界の投資家に見られたことにより逆に上がることとなった……というのが今日の事態に繋がったと見て間違いないでしょう。

 それでこの下落について友人は、「株価は全然実態を反映していないね」と言ったのですが、厳しいことを言うと、それは違って実体経済も今の株価並みにボロボロだというのが私の意見です。
 というのも、今の日本経済は完璧なまでに輸出頼みで成り立つように作られており、いざ海外、それも消費力の高いアメリカなどが駄目になると途端に一緒になって駄目になるような仕組みとなっており、それを挽回しようと思っても国内市場を放置してきた分、もはや取り返しがつかない状態となっているからです。

 これを細かく解説すると、基本的に経済というのはたとえ100の生産力があっても、50の消費力しかなければ結局50の経済価値でとどまってしまいます。日本は十年くらい前から国の経済体制を大きく改造し、大企業を優先して強くさせて生産力を限りなく上げていったのですが、その代わりに日本国内の消費力、つまり個人が持つお金の量をどんどんと減らしていきました。個人が持つお金の量が増えれば基本的に消費力というのは上がっていくのですが、日本政府は派遣雇用などで個人給与を減らしていき、企業もその政府の動きにあわせて非正規職員を増やすだけでなく残業代といった正規職員の給与までもどんどん減らしていきました。

 その結果、企業は支払う給与が減るのでその分を自社投資に回して生産力を増大させていったのですが、肝心の消費が国内ではそれに追いつかなくなっていきました。そこで政府は国内のかわりに、ガンガンと海外への輸出を誘導することによって消費を補っていく政策を行っていきました。実際うちの親父なんか知った顔して、「今の企業は海外に出ることなしではどこもやっていけない」とよく言うのですが、これは裏を返してみるなら経済のコントロール力、いわば日本経済の生殺与奪権をみすみす外国に握らせるも同然です。そして今実際に、日本企業はサブプライム問題で他国ほど影響は受けず、また金融機関の財務状況も非常に安定しているにもかかわらずここまで株価の下落が起きてしまっているのです。

 ちょっと込み入っているので、先ほどの生産力と消費力の変遷をちょっと図にすると、

    生産力 日本の消費力 海外の消費力
十年前 100   80     20
 今   150   50    100

 といったような感じです。やや極端な数字にしていますが、こんな具合に十年前と今は移り変わっていると考えてください。
 では日本はどうするべきだったか、輸出頼みに舵を切るべきではなかったのかという話ですが、私はあの失われた十年に海外重視に政策を打ったのは大正解だったと思います。しかしその政策をいつまでも続けたというのは、評価が難しいとはいえ結果的には失政だったと言えると思います。もし2006年のまだ日本全体で余裕が戻ってきたあの段階で国内の消費力増加に取り組む、具体的には派遣労働の禁止とか給与の底上げ、減税などさえ打っていれば、今の状況とはまた全然違ったものになっていたと思います。

 最後に、友人は今の状態は政治的な強権が発動されなければもはやどうにもならず、市場メカニズムに任していても解決できるはずがないと言っていましたが、後半は正しいのですが前半の部分は、私もそうあってほしいものなのですが、実際にはほとんど期待できないと思います。
 まず日本の今の麻生内閣はただでさえ解散を控えて不安定であり、その上今の経済混乱に対応できる人材が政治界にいるかとなったら非常に疑問です。田原総一朗氏はこの前のサンデープロジェクトにて、この状況下で中川昭一財務、金融大臣が切り盛りしていてよかったと誉めましたが、この人が具体的にどんな政策を打ち出そうというのかが私にまでさっぱり伝わってこないことを考えると、やはり力不足なんじゃないかなという気がします。少しうぬぼれもありますが。

 そして何より、前回G7、先進七カ国財務大臣会議にて歩調を合わせて持ち前の資金をどんどん流すと約束したにもかかわらず世界中で株価下落を下げとめられなかったことを考えると、日本程度の一国がいくら権力使ったところでどうにもならないのではと思います。
 じゃあどうすればいいかというと、ありていですが耐えるしかないというのが私の意見です。

2008年10月23日木曜日

悪魔の経済学 その二

 本当は続けるつもりはなかったのですが、前回の記事を書いてる途中にふと、よくアメリカ型の新自由主義は弊害の多い考え方だと批判する意見は数多いのですが、一体どこにどんな弊害を生む要素があるのかという説明は実は少ないということに気がついたので、ちょっとその辺を解説しようと思います。

 まず巷によく出ている意見で多いのは、「市場に任せれば何もかもうまくいく」という価値観が、この新自由主義経済学の欠陥だというものでしょう。この指摘自体は間違ってはいません。小泉政権時に行われた規制改革路線もこの考え方で行われ、それによって規制を皆取っ払われた全国のタクシー業界は現在競争過多となってタクシー運転手から事業者に至るまで、「規制をもっと増やしてくれ」と国に嘆願書を出すまで追い込まれており、基本的に今の時代で全く規制をせずに経済がうまくいくということはないでしょう。ちょっと専門的な事を言うと、規制のない無法経済はどれもゼロサムゲームになるのがオチです。

 ちなみにこれは昨日歩きながら思ったのですが、この新自由主義経済学の説明の際に、「無政府主義」という言葉は何で出てこないんだろうなぁと気がつきました。まぁ死語なんだけどさ。
 この無政府主義ではバクーニン(どうしてこう、ロシア人って極端なんだろう)という人が有名ですが、あまり勉強していないで解説するのもなんですけと、この思想は基本的には共産主義以上に左翼思想が強く、経済に対して国家は一切の関与を行うべきではなく政府はただ国防のみを行えばいいという思想の一派です。非常に幅の広い思想で一概に私が言ったようなもので定義できるというわけではないのですが、私の定義を言い表す有名な言葉で「夜警国家」というものがあり、これは先ほどの「国防のみを行えばいい」という姿を一言で説明した言葉です。この言葉と私の定義を聞いて、はっと気がついた人とは私と仲良くなれそうです。

 これはあまり人が言わないのですが、私から見て新自由主義というのは見方を変えるとこの無政府主義と言っても過言じゃない気がします。そして先ほどの夜警国家の概念についても、アメリカのブッシュ政権での極度な軍事化を見ていると、規制自由化と国防強化はやはり同一線上にあるのかなとも思えます。日本も海外にまで自衛隊を派遣するようになったし。
 佐藤優氏はアメリカのネオコンは思想的にはトロツキスト、要するに世界革命を目指す古い共産主義的な思想だと説明しており私もこれには納得しますが、政策で言うなら無政府主義の方が近い気がします。

 まぁそんな説明はほっといて本題に戻りますが、最初の規制を何でも取っ払うという価値観は確かに欠陥で、こういったことを指摘している経済学者やコラムニストの方はまぁちゃんと仕事をしていると思います。しかし中にはこの新自由主義に対して、「儲け第一主義」が良くないとかいう批判をする人も多くいますが、私はこれには呆れてしまいます。何故かというと基本的に経済を担う企業はそれこそ「儲け第一主義」ですし、今更それを否定してもしょうがないと思うからです。またその価値観がどのような弊害を生むのか、大抵の人は「強者がのさばり弱者が苦しむ」といいますが、儲け主義がこれに直結するかというとどうも腑に落ちません。それよりは先ほどの「市場第一主義」のほうが強盛弱衰に繋がるという指摘の方が的確です。

 そこで私の意見ですが、確かに市場第一主義とかいろいろ突っ込むところはあるのですが、あまり表に出ていない新自由主義の欠陥的価値観というのは、何でもかんでも金銭に置き換えて勘定をするところだと思います。
 昨日の記事でも書いたように、浮気をすることによる損害リスクと快感をわざわざ金額に置きなおして比較したりするなど、新自由主義経済学にはどうも人間の感情など、本来金銭に置きかえれないものまで無理やり置き換えた上に計算をしようという特徴がある気がしてなりません。なにもこの浮気の話だけでなく、「動物を買うことによってかかるエサ代と、動物によって和む心的ストレスの緩和に貢献する価格比較」とか、「金のかかる美人と金のかからないブスの生涯の費用対効果」などと、かなり無理やりな計算比較を連中は当然のように行います。

 そして実際の経済活動においても、ブランドイメージを金銭に置き換えたり、知名度やメディアへの出演時間の計算など、本来お金に換えるに適当でないものまで金額を出してしまいます。特に私がよく疑問に感じるのは、「~の経済効果は○○円です」などという触れ込みです。以前の宮崎県知事の「東国原旋風」の頃はテレビの露出時間からクソ生意気な電通が「広告料に置きなおすと○億円の経済効果が宮崎にあります」などとしたり顔で説明してやがったが、どこをどういう風に計算したらそうなるのか、また実際に宮崎の生産高がこの時期に「○億円」増えたのかというと滅茶苦茶怪しい数字な気がします。
 しかしこの発表があった当時はどこも検証することなくこの数字を出して、見ている側も何がなんだかわからないまま「へぇ、すごいんだなぁ」と感心してました。しかし数字の根拠は未だに不明で、今思うと東国原旋風に便乗して衝撃的な数字を出し、自分らへの注目を集めようとする策謀だったような気がします。同様のもので、「阪神優勝による経済効果」ってのもあります。こっちも、数字の根拠をずっと私は追っているのに未だにわからずじまいです。

 こういった本来金額に直すことの出来ないもの、人間の感情までも含めて無理やりに勘定してしまう、これこそが新自由主義の一番問題のある欠陥だと私は思います。具体的にどんな弊害があるかというと、前回の記事で書いたアメリカの自動車会社の例のように、取るべき行動を決める際に、絶対やってはならないことという行為までも費用対効果で比較してしまう弊害があります。前回の例だと、車の事故などは本来絶対に起こしてはならないものであるのに、遺族への保証金額と車の欠陥対策費を比較し対策を行わなかったりと、お金で比較するべきでない行為までも比較対象にすることにより、返って社会に対して重大な損害を与える行動を取ってしまうという点こそが、この価値観の最大の欠陥だと私は思います。

 竹中平蔵氏と同様に日本での新自由主義の第一人者である、前日銀総裁の福井俊彦も小学生に対する講演で、
「皆さん、大事なものはみんなお金に変えてください。お金に換えておけばその価値をいつまでも保存することが出来ます」
 という、頭のおかしいことをのたまったことがあります。真に大切なものはお金で価値が換算できるはずもなく、またお金で換算せずとも、たとえ何億円を積まれてもまげてはならない道理(殺人など)も世の中にはあります。そういったものを根底から覆しかねないのが、この新自由主義の価値感でしょう。

 本当は今日で終わるつもりだったのに、また明日も続きます。明日はちょっとこういった部分に関係する環境問題、それも二酸化炭素の排出権取引の欠陥について解説します。

2008年10月22日水曜日

悪魔の経済学 その一

 今も株価暴落などでお騒がせのアメリカ経済ですが、現在のアメリカ経済の主流を占めているのは効率崇拝主義とも言うべく、フリードマン学派による新自由主義経済です。日本では私も過去に記事を書いている竹中平蔵氏がこの流派に属していますが、この新自由主義経済というのは基本的に「費用対効果の効率が+であるものはすべて正しい」というような価値観ですべてを語れます。そのため具体的にどのような社会を作るかではなく、如何に自分の取り分を多くするかということに注力しており、実際的には経済学よりも商学的な性格が強い流派です。
 この新自由主義が如何に世界に害毒を撒いたかについては、いろんなブログや出版されている書籍などで解説されているのでいちいち私も解説しませんが、この価値観を当てはめられたために生まれた一つの企業の話を今回紹介しようと思います。

 先ほどから言っているように、この新自由主義の価値概念はほぼすべて「費用対効果」で語られると言っても過言ではありません。そのため以前にはあるアメリカの経済学者がこんな試算を作ったことがあります。

「浮気をすることによる快感が浮気によって失う損失(離婚による賠償金額)を上回るなら、浮気という行為はどんどんと行うべきである。その際に計算される快感には、浮気相手の容姿や性格、果てには本人の浮気をすることによるストレスの緩和量などが考慮される」

 とまぁこんな感じで何でもかんでも無理やりな計算に当てはめては、「どうだ、これまで計算することの出来なかった価値観を俺は計算してのけたぞ!」って自慢するアメリカ人が一時は後を立ちませんでした。こんなことを自慢して、そもそも計算してなんになるのかといったら非常に疑問ですが、日本でも昔にある数学者が「ナンパの成功確率式」という計算式を作ってましたからあんまり人のこと言えません。

 まぁこの程度だったらよくある「~心理学」とかいう冗談めかした本で出版する程度なのでまだ許せる範囲ですが、この効率の計算がとんでもない場所で使われた例がありました。
 それが行われたのはアメリカのある自動車会社(名前は失念しました)で、そこで開発されているある車に数千台に一台の割合で、致命的な事故を引き起こす欠陥が確認されました。ところが、この欠陥を徹底的に根絶するためにかかる費用は非常に高かったので、経営者たちはこの費用に対して別の費用と比較することにしました。その費用というのも、事故が起きた場合に被害者やその遺族に支払う賠償金額です。

 そしてなんと両方の費用を比較した結果、少ない確立で起こる事故を起こす欠陥をなくすより、遺族に払う賠償金額の方が少ないとわかり、はっきりと欠陥を認識しているにもかかわらず対策を行わずに発売をしてしまいました。そして当初の計算通りに、その車は数千台の一台の割合で事故は起こり、被害者も続出しました。
 その後の結末を話すと、続発する事故に不審を抱いた国の調査機関が捜査したところ前述の経営判断が行われたことがわかり、その自動車会社は激しい社会的非難を受けるとともに不買運動が起こり、それによって受けた損失は欠陥対策を行っていた場合の費用を上回りました。

 日本でちょうどこれと同じケースに属するのが、2003年前後に起きた、私の愛する三菱自動車グループの欠陥隠し事件です。この事件でも販売していた自動車の欠陥を早々に経営陣は認識していたにもかかわらず、一切その対策を行わなかったために欠陥による事故が続いて被害者を出していきました。そして結末も、普通の会社なら明らかに潰れているはずだった程の大損失を受け、かつては国内シェア8%だったものが現在では確か3%にまで落ちています。それでも一時期よりは大分よくなって、「ギャランフォルティス」とか「i」とか、すごいいい車を作るようになっており、特に「ⅰ」については前回の失敗に相当懲りたのか、雪国での走行に多少問題を起こす可能性があるとして、普通なら見過ごしてもいいような対策のためにわざわざリコールをして無償修理を去年に行いました。これは評価してもいいと思います

 なにもこの三菱自動車だけにとどまらず、日本には他にもたくさんこういった例があります。三菱自動車だけあげつらうのもかわいそうなので他にも挙げると、雪印乳業も工場内の汚染を知っていながら表沙汰にならなければ損失は発生しないだろうという安易な発想の元に食中毒事件を起こし、猛烈な売り上げ低下を自ら招いています。ちなみに当時の社長の記者会見でのセリフは、「私は寝てないんだ」と、他人事なセリフでしたね。

 よく今の中国食品問題で日本のメディアは知った風な口をして「これだから中国は」という批判をしていますが、確かに「毒餃子事件」や「メラミン混入事件」に対して社会的注目を行うのは当然だとしても、かつての、それもほんの十年弱くらい前にもたくさんの日本企業がこのように同じようなことをしていたと考えると、感情的になるのを避けてもっと冷静に批判するべきではないかと思います。少なくとも、「後進国」とか「衛生に対するしっかりとした発想がない」などという言葉は使うべきではないと思います。事実今年になっても日本でも「事故米流出」事件が起きており、他国を批判する前に自国の衛生環境に対してもっと気を配るべきではなかったのかと疑問に感じます。

 こういった事件の背景にあるのは効率重視……というよりは、安易な損得勘定だと思います。こうしたくだらない経営判断によって、社会の被害者から企業の従業員までが損害を受けないためにはどうするべきかと友人と相談したところ、やっぱり企業の社会的責任を今以上に高く設定するより他がないという結論になりました。そういった不正を行い、それが発覚した場合に起こる不買運動などの大幅なコストをはっきりと経営者側に意識させること、これが最大にして唯一の方法でしょう。
 ただこの方法が効果を発揮する最低条件として、「不正をしてもいつかはばれる」という不文律が必要で、そういった意味で先ほどの日本のメディアへの私の疑問へと繋がって行くのです。まぁ後は内部告発とかだけど、これの保護問題とか話してたらまた長くなるので、今日はこれだけにしておきます。

これまでのブログを振り返って

 実は人知れず、このブログの投稿記事数は既に400件を越えております。また当初目標としていた一年間の継続についても、ブログを始めたのは去年の十二月なので、残すところ実質一ヶ月半となりこっちの目標も達成しそうです。

 ただそれ以上に自分で驚いているのは、まさかこの時点で毎日一本ずつ記事を書いたとすると一年間で365件となる記事数をすでに越えているという事実です。我ながらよくここまで書けるなということと、本当に自分は文章を書くのが好きなんだと思えます。
 記事の履歴を見てみると、やっぱり記事にコメントがつくようになった六月ごろから猛烈な勢いで投稿記事数が増え始めています。読んでいる側にすればどうとも思わないかもしれませんが、書いてる側にするとコメントがつくとやっぱりうれしいものです。またこの辺が通り一遍等の新聞やテレビには真似できない、敢えて言うとしたらブログジャーナリズムの利点であり、私の記事でもブログでのコメントや質問を基にした記事が非常にいい内容の記事にまとまっていたりします。

 もっとも、今言った双方向コミュニケーションによるブログジャーナリズムですが、それを本職としている方々は商業上、ほとんど崩れ去っているようです。

「Web2.0」ビジネスって結局、ぜんぜん儲からないの?(YAHOOニュース)

 リンクに貼ったのは今日出たニュース記事ですが、一時は「WEB2.0」が流行語ともなり、新しいビジネスモデルだと持て囃されたにもかかわらず、この分野のサービスを行っている企業、代表的なのはニコニコ動画とかミクシですが、一定の人気があるにもかかわらず儲かっていないという内容が紹介されています。
 もともとこのWEB2.0の定義を私の解釈で説明すると、2ちゃんねるの「電車男」のようにネット上で皆であれこれ言い合ったり、交流しあったりすることによって自動的に客を呼び込むコンテンツをできあがっては何もせずに儲かる、といったような概念で、事業者側はそうやって交流する人間を呼び込むステージ、2ちゃんねるなら掲示板でゲーム会社ならネットゲームを作ることが大事だという経済話だったのですが、なんか聞くところによる我が家の宿敵である電通も、ネット上で擬似生活を体験する「セカンドライフ」とか言うのを作ったらしいですが、見事にこけたそうです。

 私に言わせるとWEB2.0が成り立つにはやっぱり、最低でも中心に一人は広く人をひきつける人間が必要だと思います。電車男なら主人公みたいに。私は別にこのブログで金儲けしようとは考えていませんが、双方向コンテンツで儲けようというのはやっぱり並大抵のものではないと思います。

 ここで話は変わりますが、本店の「ブロガー」の方はともかく、出張所の「FC2ブログ」の方では記事ごとに「拍手」といって、内容を評価した読者が押すボタンがあります。アクセスカウンターを見るとこのところは毎日30人弱の人が見に来てくれているようでそれだけでも非常にありがたいのですが、それとともに増えてきたこの拍手ボタンの履歴も見るのが毎日の楽しみになってきています。

 それで履歴をみてみるとやはり拍手がよく集まる記事というものはあり、ここ一ヶ月で見るなら「文化大革命とは~その六、紅衛兵~」が6拍手と、同じ連載の他の記事と比べても不思議なくらいに拍手数が集まっています。確かにこの記事は私自身も力を入れて書いた記事なので、それが評価してもらえてると思うととても光栄に思えます。ただ欲を言えば、この連載で一番苦労したのは「文化大革命とは~その五、毛沢東思想~」で、本音を言えばこっちの方をもっと評価してもらいたかったなぁという気持ちがあります。だって、こんだけ毛沢東思想について噛み砕いた説明ってあんまりないと思うし。

2008年10月21日火曜日

極寒、信楽サイクリングツアー

 またちょっと気軽に構えられる記事でも書こうと思います。

 数年前のある日、親父の単身赴任先である名古屋に遊びに行っていた私はそのまま親父の運転する車で名古屋から当時住んでいた京都府の下宿へと帰っていました。当時は連休があればちょくちょく名古屋に遊びに行っており京都へ帰るルートも親父とあれこれ研究していて、一回は直線距離を試してみようということでその日は滋賀県の信楽を通って京都へ入るルートを走っていました。
 すると意外にもこのルートは途中の道路はよく整備されており、また他の乗用車が少なくこれまでのどのルートより早く京都に帰ることが出来ました。ですがその帰路の際に私が着目したのはそんな時間の短さより、
「自転車でもこれそうだ」
 という一点でした。

 途中に坂とかがありますが基本的に一本道ですし、道路も舗装されているので恐らくその時の京都の下宿から自転車で行って当日中に往復することが可能だろうという見切りをつけました。サイクリングが趣味の私としてはいける範囲ならどこまでも、なおかつあまり試したことのない、他の人が行きそうにない場所を好んで当時は行きたがっていましたので、下宿に帰宅するや早速京都府の地図を開いて改めてルートを確認し、来るべき挑戦日となる週末を待ちました。
 しかし行くとしても毎回一人というのはなんです。連れがいればもっと楽しいでしょうが、こんな強行軍についてこれる奴は周りにいるのかと考えてみました。来る奴がいるなら連れてってみたいと思いながら決行日の前日を迎えたところ、うまい具合にいい獲物が自らやってきました。

「やっほー、花園君おる?」

 そういって私の部屋を訪ねてきたのは私と同じ下宿に住む、四国の田舎からやってきたやけに背の高い友人でした。確かその時は貸してた本か何かを返しに私の部屋に来たと思うのですが、いつもどおりに部屋に上がらせてお茶を飲ませて、明日サイクリングに行くが一緒に来るかと誘ったところ、「どうせ暇やし、ええよ」というので、パートナーも無事見つかり予定通りに作戦を決行するに至りました。

 その日の朝早く、私と友人はお互いの自転車に乗り込むと颯爽と下宿を出発しました。ちなみにその際に私が使用した自転車は通常の二万円で買ったシティサイクルでギアも三段変形という、装備については至ってノーマルな自転車でした。それでもよく走ったし、多分総走行距離は1000キロは越えてたと思う。
 スタート当初、友人の自転車のサドルがちょっと低いように思ったので途中で停めて上げてやったのですが、私は基本的に自転車のサドルは高ければ高いほどいい派で、停車時に地面に足がつく範囲で可能な限り上げています。それを友人の自転車にも施したところ、確かによく走るようにはなったらしいですがサドルを上げた分ケツが痛くなったと後に友人は述べています。

 さてそんなもんでスタートから約5キロくらい走るとだんだんと歩道がなくなって山道へと入っていきちょうど滋賀県と京都府の県境のあたりですから道路は舗装されているとはいえ、長い上り坂の山越えをするような道になって行きました。私自身はこういった道に慣れていたのですが友人はどうなのだろうという心配があり尋ねたところ、「いや、高知のばあちゃん家に行くのって大体こんなもんやから平気やで」と言うので安心しました。グッジョブ、田舎人。

 とはいえ、やっぱり県をまたぐ際はお互いに苦労しました。延々と上り坂が続いた上に歩道はなく、事実上車道の上で自動車に接近されながらギコギコちょっとずつ漕いで行くような感じです。トラックなんかもよく後ろから来て、当たりはしないだろうと思いながらも、邪魔にならないように端に寄せて上り坂を登るのは少し大変でした。

 そうして何とか県境を越えて滋賀県に入った頃になると、今度は道路幅が極端に狭くなりはしたものの通る自動車の数が減って走行上は非常に楽になりました。ただ道路脇に設置されていた温度計の表示を見ると、気温は一度と表示されていました。
 時節も一月で非常に寒い日で、その日は分厚い雲がどんよりと覆っていて日光も一切差していませんでした。普通なら相当寒い日になるのでしょうが、逆に自転車乗りとしては走っているとどんどんと体温が上がる一方なので、冷えやすい手を覆う手袋さえしていればこれくらいの気温の方が全然走りやすいものです。案の定私たちも、途中で「暑い」という理由から上着を脱いで走ってました。

 そうして滋賀県を走っているとさらに山の中へと入っていき、いつしか周りには何もなく、ただ木々が生い茂る深い山の中、妙に整備の行き届いている道路を二人で延々と自転車をこぎ続けました。そうしてこいでいると、
「おわっ、雪や!」
 空からちらほらと、寒いとは思っていたものの雪が降り始めてきました。それほどの降雪量ではなかったのでスリップ等の心配はなかったのですが、えらい日にサイクリングしているなとひとりでに笑えてきました。

 ルート全体で見ると県境の山が一番勾配がきつかったのですが、ちょうど信楽に入る前当たりからそこそこの坂を上ったり降りたりする道になっていったので、無駄な体力を使わないように上り坂では二人とも自転車を降りてゆっくりと手押しで行く作戦に出るようになりました。結果的に言うとこれが大当たりして、確かに自転車を降りる分速度は遅くなるのですが、その分をすぐに下り坂で取り返せる上に降りて歩いている間は休むことが出来るので後半は体力的にも余裕を持て余して走ることが出来、そうこうしているうちについに信楽へと到着しました。

 確か到着したのは11時過ぎくらいで、現地の焼肉屋に入っていつもはそんなに贅沢しないのに確か1500円の焼肉ランチをお互いに頼んで食べました。当時の私は一切外食はせずに一食あたりの平均が200円くらいケチった生活をしていたのですが、信楽までこれたという達成感と友人がいることからこの日は奮発しました。なお、この時の走行距離は片道で大体30キロ強です。

 昼食を食べ終え、しばらく信楽の焼き物狸を観賞した後に私たちは帰還へと入りました。往路と違って復路だと一回はルートを通っていることもあり、また往路同様に上り坂を手押しで行ったので非常にスムーズに帰ることが出来ました。また帰る途中、往路に苦しんだ県境の坂を今度は逆に下りでものすごいスピード(多分時速40キロは出てた)で駆け下り、ちょうど降りた先にお茶屋さんがあったので休憩を兼ねて寄って行きました。

 よく車と違って自転車はお金のかからない乗り物だと言われますが、金がかからない分、短距離ならまだしも長距離の運転だと途中から滅茶苦茶おなかが減る乗り物です。実際に長距離を乗り終えた後に私はバナナを一房丸ごと食べて、その上でお菓子とかパンをがっついたこともあり、そういった食事量を考えると思われているほど安くはないと思います。
 なもんだから、馬鹿なので私はこの時にお茶屋さんでまた贅沢して抹茶パフェなんて頼んじゃいました。なおこの時もまだ外では雪が降り続けてます。

 最初は笑って友人(彼は確かぜんざいを食べてた)と談笑していたものの、食べ終えた辺りから店内にいながらも猛烈に寒くなってきて、そのため店員のおばさんに無料の熱いお茶を何度ももらっては体を温めているとそのおばさんから、
「今日は寒いですからね。バイクで来られたんですか?」
「いいえ、自転車です」
「えっ!? それじゃあ寒いわねぇ」
 と言われました。実際、往路ほど坂を上らないので復路は滅茶苦茶寒かったです。そんなこんなして大体昼の三時くらいに、無事下宿に帰ることが出来ました。

 時間的にも走行的にも予定通りにほぼパーフェクトで、なおかつ景観のいい渓谷を通ってきたもんだから、下宿についた後もしばらくテンションが高いまんまでした。なのでそのまま同じ下宿のまた別の友人の家に行って、「信楽行ってきたぜ!」って妙な自慢までしました。その友人はというと、急に来られたのですごいびっくりしたと言ってました。

 その後は一緒に行った友人と別れて、ゆったりとした日曜の夕方を下宿で過ごしました。
 ちょうどこの時期はいろいろいけるもんだから私は自転車であちこちを回り、一つのベンチマークとして自転車での琵琶湖一周も一日で行ったりしていますが、一番楽しいサイクリングといったらやっぱりこの信楽の例を絶対に挙げています。また機会があればやってみたいものですが、ついてくる友人とかいるかなぁ。

 自分で書いてて、自分の体験は読み返してみても面白い話が多いのですが、以前に独自に書いた中国での一年間の留学体験記や高校生時代の夏休み日記などくくりがあるものは自分でまとめているのですが、こういう単発の話はそれだけではまとめづらいので、きっとブログとかじゃないと私も多分一生書かないだろうと思います。今後も、折に触れてこういう話を書いていきたいものです。

2008年10月20日月曜日

プラトンのイデア論

 うあー……藤川が打たれた。もうこりゃ中日の勝ちかなぁ。
 と、阪神対中日の九回の表を見ながらこの記事を書いてます。ぶっちゃけ、かなりテンション落ちたけど。
 本店の方のコメント欄で、脳の中で認識する世界と、万物にとって平等な外界世界についてのコメントがあったので、ちょっと今日はそれに関係するかもしれない話を紹介します。

 さて、早速ですがプラトンという哲学者は皆さんご存知でしょうか。あのアリストテレスの師匠で、ソクラテスの弟子でもあるギリシャ哲学の三巨頭の一人ですが、ただ日本では割とアリストテレスが好まれ、その後でソクラテス続くので私が見ている限りこのプラトンはちょっと影が薄い気がします。
 しかし私の留学時代の相部屋のパートナーだったルーマニア人はこのプラトンが大好きで、自らもプラトンの主張したイデア主義者だと自称してやみませんでした。

 それで彼が主張したこのイデア主義ですが、これは間の意識に関する考え方の一つのモデルです。まずはたとえ話からはじめます。
 ある日Aという人がBという人に、昨日食べたりんごがとてもおいしかったと話をしました。この時Aの頭の中には昨日食べたりんごが浮かんでいるのですが、話を聞くBはもちろんその実物のりんごを見たことがあるわけありません。しかし話を聞くBの頭の中には全くりんごが浮かんでいないわけではなく、Bの中にも別のりんごのイメージが出てきます。そのりんごのイメージは明らかにAが食べたりんごとは間違いなく一致しないはずです。ですがそんなイメージでもBは、「すっぱいりんごだったの?」と言い返しては、会話を成り立たせることが出来ます。

 何故、このように実物を目の前にしていないにもかかわらず、両者の意識の中では概念的に同じりんごが浮かび、またそのイメージがお互いの「りんご」という情報に一致するのでしょうか。ものの捉え方や見方というのは人それぞれですが会話の中に出てくる今回のりんごはもとより、今こうして私がスコップと言えば読者の方にはスコップのイメージが現れると思いますが、何故皆そんなあやふやな共通するイメージで互いの情報を一致させたり、認識を合わせることが出来るのでしょうか。

 この疑問についてプラトンは先ほどのりんごの例だと、まず前提として「完全な形のりんご」があるに違いないとおきました。人間はその「完全な形のりんご」、つまり「Ideal apple」を誰もが一度は見ているため、誰がりんごといってもみな即時に認知を同じくすることが出来るのだと説明しました。
 それではその完全な形を人はどこで見たのかと言うとプラトンは、人間がこの世に肉体を受けて生まれる前の魂の状態はちょうど一つの洞窟にみんなで入っているような状態だとして、そこではあらゆる情報が共通化されており、そこで完全な形を見てから洞窟を出るような具合でこの世に生を受けるという風に主張しました。

 この考えはちょっと応用するなら心理学者のユングが、人間には生物として共通した心理があるため、世界のあらゆる文化の神話がどことなく似たような話になるのは自然なことだとして、そんな心理を「始的心理」と呼んだ話に近いような気もします。また生まれる前の人間の魂が一箇所に集まる集合意識の海のような場所があり、生まれる人間の魂だけがそこからひょいと引き抜かれるというインド哲学のなんかの話にも通じています。
 どちらにしろこの説は人間の意識にはそれぞれ独立した「魂」が、攻殻機動隊でいうなら「ゴースト」あることが前提なので、私はあまりこの説に沿う考えをしていません。私なんて人間には魂がないという、人間の意識はすべて脳の電気信号反応だという説の大の主張者でもありますし。

 ただもし本当に「ゴースト」があるというのなら、生まれる前の魂はどこにあるかというと、この「集合意識の海」という言葉にすごい惹かれます。具体的な理由がないまま惹かれるので、これまたあっちの言葉を使うなら「私のゴーストが囁くのよ!」といったところでしょうか。でもって、阪神はやっぱり負けちゃいました。

2008年10月19日日曜日

公明党、矢野絢也問題について

 テレビなどではよく取り上げられていますが、あまり細かい解説がないのでちょっと引用という形でこの矢野絢也氏の問題を解説します。

 このところの国会政局に絡む解説番組でよく、「公明党としては元公明党委員長の矢野絢也氏を国会に参考人招致したくないため、解散の時期などで自民党と衝突している」という解説がなされるようになりました。この矢野絢也氏が何故参考人招致が取り沙汰されるようになったのかと言うと、単純に言って矢野氏と公明党、ひいてはその支持母体の創価学会の関係がここ数年で一挙にこじれたためにあります。

 私がこの問題のあらましを知ったは数ヶ月前の文芸春秋での矢野氏の独白からですが、その記事によると矢野氏は政界を引退した後、政治評論家として幾度かテレビ番組などに出演をしていたようです。まぁこういう活動は別段珍しいわけではなく、本人も何か特別なことをしていたつもりはないそうで、その時事問題ごとに発言をしていたようです。

 ところがある日に公明党の事務所に矢野氏が呼ばれるや、突然テレビ出演などの活動をやめるようにと言われたそうです。公明党側が言うには、過去に出た番組内の発言が公明党を貶めるものと受け取られ、それについて創価学会の青年部の人間が激怒しているとのことです。これに対して矢野氏はこれまで公明党や創価学会についてそのような発言をしたことはないという弁論をするのですが、その後青年部の人間たちの前につれてこられると、その場で激しく罵倒された挙句、議員時代から使っていた様々なメモのある手帳を取り上げられたそうです。

 現在、この取り上げられた手帳を返却するようにと矢野氏が請求しており、公明党側は自発的にこちらに譲られたものだと対立し、この点を争うために裁判が行われています。これに目をつけたのが民主党で、一連の矢野氏に対する公明党の行為は言論封殺に当たるとして、矢野氏を国会に参考人招致することによって攻撃材料にしようと画策しているのが、この問題の大まかなあらましです。
 もっとも、飯島勲氏によるとこの民主党の考えは政策論的な問題ではなく、あくまで政局の材料としてだけこの問題を使おうとしているとして、あまり評価をしておりません。

 私が見ているとどうもこの参考人招致問題自体はよく取り上げられますが、問題の中身についてはテレビ番組などでは解説に歯切れが悪くなっているように見えます。まぁ相手が相手というのもわかりますが、ちょっと解説が足りないと思ったのでこの場で私がやってみることにしました。

 ついでにまた紹介しておくと、公明党は国民新党の亀井議員に対して、もしこの矢野氏の参考人招致に賛成しないというのなら次の選挙時に、創価学会を使って国民新党の選挙応援をするとまで言ってきたそうです。こんな話をばらす亀井静香もなぁ……。

技術大国日本は何故出来たか

 久々にオリジナルで、かつ質の高いレア情報を書きます。今回の話は昨日の記事にも通じる内容です。

 日本は70年代から技術大国と言われて久しく、自動車業界から精密機械に至るまで幅広い産業において世界的にも高い技術を持っていると言われております。しかしその一方で高校生の物理選択者は減る一方で、また大学の理系学部も教育の質や志望者の低下に歯止めがかからず、国としても「ものつくり大国日本」という標語を打ち出しなんとか技術面での復権を画策していますが、なかなかうまく行っていないのが現状です。しかも状況はなおまずいことに、長い間技術を蓄積していた技術者たちがここ数年で定年による大量退職をし始め、技術の継承が現役世代になかなか行われず、このままではいたずらに育て上げた技術が失われていく一方だという危惧もされています。

 では何故かつての日本は技術大国と呼ばれるまでに技術者の質が向上したのでしょうか。一つ今の日本の問題の解決法を探る上で、ちょっとここで一つ歴史の話を紹介します。
 現在、日本が誇る技術産業とくれば誰の目にも自動車産業が筆頭だと言われていますが、何故日本で、更に先の話をするとドイツでも自動車産業が戦後に急成長をしたのかですが、現在言われている中で最も強い説は軍需産業からの転換があったからだと言われています。

 戦前の日本ははっきり言ってアメリカとの戦争のためだけに国が機能し、技術者もそのために数多く育成されて兵器となる航空機の生産も国を挙げて行っていました。ですが日本が敗戦した後、二度と軍事国家化させまいというのと航空機産業で独占をもくろんでいたアメリカの指導の下で、日本は航空機の製造、開発を大幅に制限されることとなりました。その際、それまで航空機を製造していた技術者はどうなったのかと言うとここまで言えばわかると思いますが、その大半は自動車産業へと移り、そこで自動車の製造、開発を行うようになっていったそうなのです。

 これはドイツでもほぼ同じ状況が起こっており、その結果現在の日独は航空機の開発自体はアメリカに遠く及ばないまでも、自動車産業の技術においては世界でもトップ二強という地位を確立するに至ったのです。また自動車産業に限らずとも、現在日本が世界に誇る新幹線の開発においても戦前の航空機技術者が数多く参加しており、広範囲にわたって戦前に育成された技術者が生きたと言われています。

 このように技術立国日本が出来た背景には戦争目的とはいえ、非常に高度な技術者の育成があったことが大きな理由と言われており、私自身もその説を支持します。では教育を充実させればまた技術大国の座を維持できるのかと言うのかですが、私は現状の日本政府の方針はそれほど効果は出さないと考えています。その理由というのも、戦前の育成と比べると現在の教育には大きな差があるように思えるからです。そういう風に思うのも、実は私自身が直接に戦前に育成された元技術者の方に話を聞く機会があったからです。

 その元技術者のプロフィールを簡単に紹介すると、私がアルバイトしていた喫茶店のマスターです。御年八十歳を越える方で今もなお健在しております。
 このマスターは戦前、高校を卒業すると同時に現在の日立に就職し、そこで偵察航空機の設計に関わっていたそうです。この時の話を詳しく伺うと、なんでも高校時代にも相当な勉強を強制され(その学校では成績順に席順が決まるほどだったようです)、高校を卒業してようやく勉強から開放されたかと思ったら就職先でもまた勉強、しかも航空機の設計に関わる内容をものすごい詰め込みで行ったそうです。この辺は詳しく聞いてはいないのですが、どうも成績で上位でなければひどい仕事場に回されそうだったとのことで、必死で設計に入れるようにこの時勉強したそうです。この時の勉強時間は文字通り昼も夜もないほどで、夜には宿舎の明かりは強制的に消灯されるのでしょうがないからトイレの明かりで勉強しようと向かったら、そこには既に先客がいて勉強をしており、「この時はさすがに参った」と思ったそうです。

 しかしその甲斐あってマスターは航空機の設計に関わる部門に配置されました。ところがそこでも万事が万事大変で、設計して航空機を作ろうにもまず材料がほとんどない。この辺についてはマスターの話を直接引用することにします。

「とにかく、ありあわせの材料で製造するのだからそれで実際に飛ぶだけでも相当凄いことなんだよ。しかし、やはり十機に一機は飛行中に空中分解を起こしてしまい、その際には搭乗しているパイロットに申し訳ない気持ちでいっぱいだった……」

 この話を聞いた際に私は、戦前は高校卒業したての若者が、文系の私からすると及びもつかないほど難しいと思えるような航空機の設計、製造に関わっていたという事実にまず驚きました。そして同時にこれほどの技術者が第一線ではなく、私のいた喫茶店のような場所にもいたということに、戦前から戦後にかけての技術者の人材量に言葉をなくしました。

 このように、技術大国日本の背景にはそれこそ現在からは考えつかないほどの広範囲かつ質の高い教育が行われていたのです。この事実に比べるなら、現在の教育などそれこそ玉石に比べて路傍の石程度しかないと言っても過言ではなく、今の教育では焼け石に水なのではというのが私の意見です。
 更に言うなら、戦前に行われた技術者の育成と現在の教育において最大の差異とも言えるのが、試作にある気がします。先ほどのマスターの例だと高校を出たての若者が、恐らく他のスタッフも関わっているとはいえ飛行機の設計から実際の製造にまで着手しています。果たして、今の日本で航空機とまでは言わないまでも自動車の設計から製造にまで二十代の大卒の若者が関われるかと言ったら、恐らく全くと言っていいほどないでしょう。もし本当に技術者を育てようと言うのなら、やはりこういった実際に作る試作をどんどんと行わせるべきでしょうし、国も下手なところに金を使うくらいならこういった所へ補助をするべきではないでしょうか。

 最後に、話を聞いた後に私がマスターに聞いた質問とそのやり取りを紹介します。

「マスターは戦後、そのまま技術者としてやっていこうとは思わなかったのですか。誘いはなかったのですか」
「誘いは確かに受けたけど、僕はやっぱり子供の頃から商売人になることが夢だったからね。こうして喫茶店をやっていて後悔はないよ」

2008年10月18日土曜日

大学教育の価値とは、およびその改革法 その二

 ちょっと夜中に自転車を走らせて頭をすっきりさせてきました。そんじゃ気合入れてまた続きを書きます。
 前回の記事では「無駄な大学教育コスト」を社会が負担させないようにする友人の提案を中心に解説しましたが、この記事ではそれを踏まえて私個人の考えを中心にして解説していきます。

 まず、いきなり数字データですが2007年の世代別四年制大学進学率は47.2%です。率直に言って、私はこの数字を25%位まで下げたいのが本音です。
 何故大学進学率を25%まで下げたいのかと言うと、前回の記事でも触れていますが、やはりあまり勉強をする気もないくせに大学に進学する大学生があまりにも多いからです。恐らくそういった方々からすれば、私大なら自分のお金で来ているから自分の買ってじゃないかと思うかもしれませんが、大学には国から助成金が出ており、私大であろうとそういった方々へも日本の税金が使われております。

 はっきり言って、私も学生の頃も周りは何のために大学に来ているのかわからないような人でいっぱいでした。授業には来ないし、出てきても授業中に雑談するわ漫画を読むわで、まだ寝ているだけならともかく雑談の場合は講師の話が聞き取りづらくなるので、それだったら来るなと何度も心中に念じたことがありました。
 中には、大学生活の四年間を過ごすことこそが人間の幅を広げるので何もさせずにほうっておくのが良いと言う方もいると思いますが、何もしないよりはやっぱり勉強するには越したことはないと思います。第一、何もせずに過ごす事が大事ならわざわざ大学に来る必要はないはずです。

 もし大学であまり勉強する気がないというのならば、私はやっぱり就職して一旦社会に出てみることのほうがその方にとって進学するよりずっと価値が高いと思います。というのも就職することによって現場で職業訓練が行えるだけでなく、外から大学での教育についても見ることが出来、大学で勉強する意味というものがよくわかるようになると思うからです。こういうのも、実際に大学を卒業して就職をした方から卒業してからいろいろ大学で勉強してみたくなったと言う人が非常に多く、私自身こういう人を実際に数多く見ています。
 もし就職しても大学で勉強する気が起きないと言うのなら、それはそれでそのままその仕事を続けた方が前回にも書いたように労働力的にも、また職業への自己研鑽という意味でも当人にとって良いように思えます。無理にやりたくない勉強をするくらいなら、今行っている仕事に精通することの方が将来的にも可能性が広がると考えるからです。

 ただこういう話をすると、やはり一番ネックになるのは大卒でないと最初の就職に厳しくなるのはおろか、将来の収入も大卒者と比較して高卒者では低くなってしまうという事実です。ですがこうした状況がある限り、日本は「無駄な教育コスト」を社会が支払い続けてしまうので、前回に友人が打ち出した「職種別採用」を行い、一部の職種を「高卒限定」と枠をくくることで住み分けを行うべきだと思います。

 実は友人からのメールには、前回に書いた職種別採用の項目は、「一般職は高卒採用にする」とだけしか書かれていなかったのですが、敢えて私は「高卒限定」と、限定の二文字を入れました。こうすることによって高卒者に一定の就職枠を確保することが友人の主張に沿うことになると思うのと、ある現実の事実に適合すると考えたからです。その事実というのも、地方公務員の高卒採用です。

 現在、どこの地方も公務員の採用枠には雇用保全の目的で高卒枠というのが設けられています。これは高校卒業者限定で大卒者は受けることが出来ず、大体18歳から22歳の方しか採用試験に受験できない枠のことです。やはり高卒だと就職でいろいろハンデがあることから地方自治体に設けられた枠なのですが、大卒を含む通常の公務員試験より倍率や敷居が低いことから、以前には本当は大卒であるのにその履歴を黙って受験するものが後を絶たず、大阪では100人以上もそういう人が調べたら出てきたことがありました。

 しかしこの高卒枠というのは考えとしては非常に面白く、また18歳から採用するにしても22歳になる頃には四年のキャリアが詰まれるので、下手な22歳で入ってくる大卒より業務において同じ年であってもずっと熟練しているはずです。実際、公務員の仕事なんて大学で何を学んだかよりは仕事をした年数の方が能率や作業内容にずっと影響するはずでしょうから、この際地方公務員には大卒は一人も入れなくても良いんじゃないかとすら思います。

 という具合で、将来の収入についてはまだこれからいくらでも改革ができるため、まずは高卒での採用枠を確保することが重要だと私は考えます。こうすることによって就職のためだけと考え無駄にやってくる大学生を減らせて、無駄な助成金も本来必要なところに回して、労働力的にも全部が全部プラスになると私は考えます。それがために、最初に言ったように私は日本の大学進学率を25%くらいにまで下げるべきだと考えるのです。

 本来、大学は学びを志すもののためにあるものです。しかし私の高校時代にも平然と、「大学で遊びたいから進学する」と言ってのける人間もいるように、今の状況はふざけた人を食わすために真面目な人が損をしているような状況だと思います。こうした状況を打破するために、友人の言う改革やそれに準じたものが今必要なのではないかと私も思います。

 なんか、この記事の文章はえらく脈絡のない文章になってて我ながらびっくりです。まるで自分の文章に思えないほどで、疲れてるのかもしれません(;゚Д゚)

大学教育の価値とは、およびその改革法 その一

 昨日友人から面白い提言があったので、今日はその点についてあれこれ煮詰めてみようと思います。久々に力のいる記事になりそうです。

 まずその友人の主張している内容を大まかに言うと、日本の大学教育はほとんど「訓練」という効果を果たしておらず、実態的にも経済的にも無駄な損失となっており、それならば就職枠に「高卒採用」に限定する枠を設けてどんどん社会現場で実質的な教育と労働を行う方が社会全体に良いという意見です。

 まず大学教育が効果を果たしていない点についてその友人は、教育の真の目的とは大別すると、学問に通ずるものと一般理論的な道徳の二つの知識を身につけることですが、大学全入時代と言われる日本ではほとんどの大学生は勉強を行っていないのが実体で、大学内でこういった知識は全く習得されずにいると指摘しています。
 ところがこんな勉強しない大学生に対して、日本社会とその両親は受験のための予備校費用から入学後の高い学費に至るまで何百万、人によっては一千万円を越えるお金をかけて大学へ通わせます。ですがそうして大きな金額をかけたにもかかわらず、日本の大学生はそれだけの投資に見合う働きを社会人となった後にその働きで発揮しているかと言えば非常に疑問です。

 たとえば今では非常に高卒の採用枠が減らされて、スーパーの店員などに代表される一般職も一応大卒でなければなかなか得辛くなっていますが、そういった一般職はわざわざ大卒者でなければ出来ない仕事ではありません。これがもし高卒の段階で採用されるというのならば、その人間が大学でかかる費用は丸々浮いてその分を別のものへの消費へと回すことが出来、また労働力と言う面でも大卒時採用の場合と比べて四年も多く働くことが出来、同様に職業訓練も四年も早まるということになります。
 このように本来社会全体の価値を高めるはずの大学教育が、逆に社会全体に対して無駄遣いを行わせていると友人は主張しています。

 こうした友人の意見に対して私はと言うと、実は同じような考えを以前からずっと持っていました。
 私自身周りにあまりにも勉強しない学生が多くいるということに以前よりずっと腹立たしく思ってましたし、よく産官連携教育とは言いますが、実質的に大学の教育は企業現場では全く役に立たない知識が多いのは昔からです。またそうして教育を受けて得た知識に適合する職種に必ずつけるかと言ったら、今の世の中ではまず持って簡単には行かないでしょう。

 もちろん大学はそのような即戦力的な知識だけを教える場ではなく、思想を広げ思考力をつけるような、友人の言を借りるなら「一般理論的な道徳」を身につける場所でもあってそういった教育を疎かにするべきではないのは当然ですが、それにしても今の大学の状況ではこういった教育すらもほとんど行われておらず、また学生の側も率先してこういった勉強を行っているとは言えないと、これについては私から断言しておきます。

 こうした状況だと、友人は社会に大きな弊害があると指摘しています。その弊害というのも、企業が社員の採用において実際にどんな知識を持っているかや思考力をどれだけ持っているかを問わない上に、大卒の肩書きがなければほとんど採用を行わないために日本人は大学に行かなければならず、子供を持つ両親としても家計を圧迫するような多大な学費を払わねばならなくなります。しかしそれで大学にいく子供はというと大学ではほとんど勉強しないため、実質その学費は無駄に消えていくことになる、というような弊害です。

 こういった弊害を減らすために、友人は以下の五段階の提案策も用意してくれました。

①職種の分別化
 これはイギリスの制度を参考にしているらしく、職業を大まかに職種別に分別する方法です。
 たとえば「管理職」、「自営業社長」、「ホワイトカラー技術系」、「ホワイトカラー事務系」、「ブルーカラー技術系」、「販売員」「掃除のおっさん」などというように職種別に分類します。なんでも、実際にイギリスは国が職業にランクをつけているそうです。

②職種別採用の実施
 ①で分けた職種ごとに、企業は独立した採用を行います。
 例えば大企業製造業であれば、理系研究職と開発職に当たる上記の「ホワイトカラー技術系」には専門的な大学教育を受けてきた者だけを採用し、その他の設計や設置といった作業を行う「ブルーカラー技術系」には高専などの出身者に採用を限定します。また現在の日本の「文系総合職」、上記の「ホワイトカラー事務系」と「販売員」に当たるくくりの採用には採用者の半分を高卒採用に限定し、さらに一般職に至ってはすべて高卒採用に限定するようにします。

 こうすることによって大半の職種の就職において大卒の肩書きが必要なくなるので、特に勉強したいからというわけではなく将来の就職のためにしょうがないから大学に行くというような無駄な教育を受ける者が減り、敢えてここで名づけるなら「無駄な教育コスト」を社会全体で大幅に削減できることになります。友人に言わせるなら、「販売員とかそういうランクの低い職に大卒を求めてはいけない」ということで、まぁいいたこともやりたいことも大体理解できる話です。

③大学の統廃合の実施
 大学生自体を減らさなくてはならないので、高い教育効果の望めない大学を数的には今の半分ほどになるまで片っ端から潰していき、その大学に与えられていた国からの助成金を残った大学へと分配します。

④初等教育の充実化
 予備校などの費用が大きくかかるようになった現状を踏まえ、教育業界に頼らなくても自ら勉学に励む意志があれば勉強できる環境を整え、真に勉学の志の高い人間が大学にこれるように促します。

⑤学問を学べる場所として、非選抜制の大学の設置
 やる気と志がある人間に対してその意思に答える形で教育を行えるよう、恐らく欧米の社会人大学のような場所を意識しているのだと思います。こうした場所には、まずそこでの教育が社会的にも認められるもので、また個人の学問的追及の場としての機能が優先される場所であることが条件です。

 と、いうのが友人の大体の考えです。それにしても、他人の考えを文章にまとめなおすのって結構手間がかかるなぁ。

 最後に友人は、「学歴社会の観点から、貧乏でも学校行けるようにする」と述べており、そうした観点から今回の話を考えたのだと思います。私としてもやる気のない人間が大学に来ているというのは見ているだけでも腹立たしかったですし、病気や学費の面でなかなか大学に行きたくとも通えない人間を何人か見ているので、こうした改革をそのままやらないとしても、何かしら行わねばならないと思います。
 細かい解説については予想以上にこの記事が長くなっているので、次回にまた行います。

2008年10月17日金曜日

夕方のアニメがなくなったことについて

 私が子供の頃、月曜から金曜の五時半からはフジテレビなどでアニメが放送されていました。そのアニメというのはどれも新たに作られたものではな、基本的には再放送が順次流れ、私が覚えているのでよく見たのは「ドラゴンボール」、「シティーハンター」、「キテレツ大百科」、「ちびまるこ」、今はリニュアール版が放映されている「ヤッターマン」などでした。
 そのため友達と遊んでいても、こっちのアニメの方が気になるから大体五時半くらいで解散して、アニメを見るためにいちいち家に戻っていました。しかし現在ではこの時間帯のアニメはおろか、再放送すらほとんど行われていません。私が子供だった頃は火曜の夜にもサザエさんが放映していたのですが。

 こういったアニメの再放送がなくなったのは、あくまで私の予想ですが、恐らくDVDの売り上げを見込むために意図的に放送されなくなったのが事実でしょう。たとえばさっきに挙げた「ドラゴンボール」、今でこそDVDはありますが昔はもちろんありませんでした。そのため一度放送したっきりにするよりかは再放送をして、新たに視聴者となる子供を増やした方がテレビ局や集英社にとっておもちゃの販売収入が増えるため、今だと大盤振る舞いとも思えるくらいにガンガンと再放送が行われました。
 ですが今だとDVDの売り上げの方が大きくなっているので、下手に再放送するくらいなら「見たい人はDVDを買ってね!」としたほうが儲けが大きくなります。逆に言うと、再放送するとそういった潜在的な購買者がDVDを買わずに再放送を見るので、売り上げが落ち込んでしまいます。恐らく、こんな感じの理由で再放送というカテゴリーは、日本の放送業界からなくなってしまったのだと思います。

 これは何もアニメだけに限るわけではありません。一般のお笑い番組から過去のドラマに至るまで、今ではDVDの販売収入を当て込むために一切再放送は行われません。もし行うとしたら「踊る大走査線」のように新作映画が公開される直前に、俄かファンを獲得するために深夜などでどばっと放送するくらいでしょう。テレビ局側としたら、ただでさえ先細っている放送収入の中から少しでも収入を増やそうとする工夫のつもりなのかもしれません。

 もちろんこういったテレビ局の考え方も非常に理解できます。売り上げを伸ばすためにダイヤモンドも世界で生産調整がなされて、わざと少ない量を流通させて価格を維持していると言いますし、再放送をしないといってテレビ局が悪いと言うつもりはありません。
 しかし私は再放送がなくなったことについて、DVDの販売収入以上に別の損失がテレビ局にかかっているのではないかと個人的に思います。というのも最初のアニメの例だと、過去の番組の再放送をしないことによって世代の隔絶が起こり、別の見方をするとその作品に新たなファンが生まれなくなってしまいます。ファンが多ければグッズの販売収入はもとより、再放送されるが出来ればいつでも見られるようにしたいとわざわざDVDを買う人間も増える可能性があります。そして何より、その作品の続編や関連作品が出た場合は、そうして増やしてきた過去のファンの数が売り上げに大きく影響してきます。

 こうしたファン数の増加に歯止めがかかるだけでなく、再放送は番組制作費の節約にもつながります。よく考えてみてください。過去の番組の再放送が本来される時間に再放送がなくなると、その時間にテレビはなにを報道するのでしょうか。言うまでもなく、新たな番組を作って放送しなくてはなりません。
 現在夕方などにはこうした時間帯をニュース番組で潰していますが、明らかにどうでもいい情報の垂れ流しで、こんなのやるくらいなら昔の面白い番組を流した方が見るのにとすら思うような内容です。実際、昔は番組の制作が全時間の放送に追いつかないために再放送が活用されていました。

 うちのお袋などは、昔は夕方にアニメが放映されると子供はテレビに釘付けになるので、夕食の準備をする親の側からすると子供の相手をしなくて済むので非常に助かってたと言っています。また私個人の意見としても、自分たちの子供の頃はそうやって毎日夕方にアニメが見れて非常に楽しい思いをしたのに、今の子供たちはそういったものもなく、また再放送という楽しみすらなくなったことに深く同情します。まぁこう思うのも、自分が年をとってきた証なのかもしれません。

2008年10月16日木曜日

民主党とマルチ商法連盟の癒着について

 なんか今日も日経平均の株価が1000円以上も下がりましたね。前の記事で、「もう一回は大幅な下落がある」と言ったのが少なくとも嘘にならなくてほっとしています。これだから予想屋はやめられない。

 それで本題ですが、本日午後にマルチ商法を業種とする会社の組合、「ネットワークビジネス連盟」に所属する企業、それも法律違反を犯したところから献金を受けていた民主党の前田議員が民主党を離党、そして次の選挙での不出馬宣言と、事実上の政界引退を発表しました。当初はちょっと不適切だったかもと言って献金された金額を返して議員活動を続けると主張してたがの一転、一挙に表舞台から去るまでになり、この背景にあるのはまず間違いなく選挙前ということで、民主党としてもイメージを回復するために小沢党首直々に切ったというのが事実でしょう。まぁマルチ商法の企業はほぼ間違いなく犯罪集団だし、早々に処分を下したのは民主党として悪い判断ではないのですが、先月の失言で自認した中山元国交大臣と比べると、ちょっと潔くなかったなぁと個人的に思います。

 さてこれで問題が片付けば民主党にとっては願ったり叶ったりでしょうが、どうも事態はこれだけで片付くようにはならなくなってきました。昨日のニュース23にてこの問題が取り上げられた際、なかなか面白いVTRが流れてきました。
 なんと民主党の国会対策委員長、非常に力のあるポストですがこのポストにいる山岡賢次議員がこのネットワークビジネス連盟の主催する会にて講演をしていたのです。しかもまずいことに、その公園の様子がビデオに残されてちゃってて、昨日のニュース23で放送までされてしまいました。

 そのVTRの中で山岡議員は、この業種は非常に未来のある業種だからなどと言ってはその有用性を訴えており、TBSがこの件で何故こんな会で講演したのかという質問に対し、「こうした業界の企業だと知らなかった」と返していますが、普通に公演中に業態のことも説明しているシーンもあるので、それは明らかな嘘でしょう。それにしてもこの山岡議員、そのVTRの中で言ってるんですがあの歴史作家の山岡荘八氏の養子だったんですね。こんな姿見たら山岡荘八先生もどう思うんだろう。

 正直に言って、前田議員も山岡議員も小沢党首の側近中の側近です。従来の民主党勢力と言うよりは元自由党勢力で、小沢氏の近辺でこうも事件が明るみになると民主党内でも結構問題が大きくなっていくと思います。特に山岡議員に至っては国対委員長という、自民党とも国会運営の折衝を重ねる非常に重要なポストにいるために、今日の民放のニュースではあまり取り上げられていませんでしたが、もし報道に火がついたら民主党にとって相当な大打撃になるでしょう。また前田議員のように次のの選挙で辞職を、というように仕向けることも出来ない大物ゆえに、問題が長引くことが予想されます。
 ひとまず、この山岡議員の講演動画まであったので、せっかくだからリンクをつけておきます。

民主党山岡賢次衆議院議員のマルチ商法講演会1(You Tube)

 動画まであるってのにちょっと驚きました。最初はニュース記事くらいでいいかと思ってたら、記事では直接に昨日のニュース23の報道に追いかけたものがなくて逆に驚いちゃいましたけど。
 それにしてもこの民主党とマルチ商法連盟の癒着ですが、前田議員の問題が明るみに出た頃から火元はどこなのかと思ってましたが、これだとやっぱりTBSなんでしょうかね。もしTBSが独自にすっぱ抜いたスクープだったら大したものですけど、やっぱり一番疑わしいのは自民党からのタレコミだと思う……と言いたいのですが、今日になってこれは確かテレビ朝日かな、夕方のニュースでまた面白いのを放映してきました。

野田聖子消費者相もマルチ商法擁護質問(日刊スポーツ)

 さすがにないかなと思ったら、もう速報が出ていました。
 このリンクに貼った記事のように、なんと自民党の野田聖子消費者行政担当大臣が夕方に突然、「昔にマルチ商法を擁護する発言をやっちゃってました」って自分から言い出してきました。
 この野田聖子の発言には率直に言って非常に疑問を感じます。まずこの事実は今日になって突然野田聖子自らが明かしてきましたが、野党からの質問が及んで発言するならともかく、何故言われるまで黙っていなかったのかが疑問なのですが、これは突っ込まれる前に機先を制したつもりなのかもしれません。

 しかしこの野田聖子の発言は恐らく明日の朝のニュースからじわじわと大きく報道され、選挙への影響も軽くは済まないでしょう。なにせマルチ商法に関して消費者保護センターに寄せられる相談で毎年二万件を越すほどで、そんな連中を本来消費者を守るべき担当大臣が「昔、関わってました」と言い出すんですから、どれだけ世の中間違っているんだという話になります。

 それにしてもこのマルチ商法ですが、サラ金と一緒で政治活動は非常に熱心だったのだと呆れさせます。今後この問題がどこまで発展するのか、またどこで終止符が打たれるのか、暇なときにでもゆっくりと観察していこうと思います。

2008年10月15日水曜日

付き合う人間による視野の差

 よくいろんなところで、交流の幅が広いと人間の幅も広がるから良い、どんどんと人と知り合いになれと日本社会は強く勧めますが、ひねくれ者の私はというとこの意見には真っ向から反対です。というのも、やはり社会の中にはどうしようもない人間も数多くおり、そういった人間と付き合うことによって返って自分の視野を狭めてしまうことも少なくないと思うからです。友人の数が多くとも、その友人すべてが均質な価値観を持っていた場合は結局のところ均質な価値観にしか触れることが出来ず、その価値観とは違った価値観や見方というのは徐々に淘汰されていくようにも思えます。
 こんなことを言うのも、実は私の実体験からです。

 現在都市部の学校ではクラス児童の約四割強が行うらしいのですが、当時としては珍しく、私は小学生の頃に中学受験を行って中高一貫の私立中学に進学しました。中高一貫のために言うまでもなく、中学校から高校まで基本的に人間関係は変わらず、ほぼ六年間同じ人間とばかり学校生活をしてきました。それでこの青春時代ですが、はっきり言って今でもあまり思い出したくないほどつまらない時代でした。学校の外では相当むちゃくちゃなことをやって楽しかったのは楽しかったのですが、

 まず人間関係が変わらないということから、社会学的に解釈すると固定的な価値観が徐々に強化されていったように思えます。たとえばうちの学校では月初めの全校朝礼の校歌斉唱の時には皆面倒だから校歌を一切歌わず、ただ前で指揮する音楽の先生一人が頑張って声を張り上げているのが常でした。さすがに中学一年生はまだ歌おうとするのですが、上級生が一切歌わないのを見て大体二学期ごろからは歌わなくなってきます。
 そんなもんだから高校の段階で新たに募集して入ってくる公立中学校から来た外部生なんかは最初、すごい驚いたと皆言ってました。しかし内部生の私たちからするとそれが当然で、他の公立中学校では斉唱がきちんと行われていると言われると逆にびっくりします。

 まぁこの程度なら学校のスクールカラーということで笑って過ごせますが、結構致命的なところまで固定的な価値観が根付いた例もありました。その最大のものが、進学への価値観です。
 基本、中学校から私立中学に入る時点で両親、さらにはその生徒にとっても大学進学をして当たり前という価値観を持っています。そのため大学に入って何をするのか、何を学びたいのか、果てには大学を卒業して何になりたいのかということを無自覚なまでに全く考えようとしません。ただ考えるのは偏差値の高い大学に入り、そこで将来を決めるという漠然な価値観しかありませんでした。

 なので私が意地悪く、「日本の四年制大学進学率はいくらだと思う?」と聞いたりすると、まず間違いなく「八割は越えているでしょ」という回答が帰ってきていました。ちなみに当時の進学率は大体43%くらいで、この数字を挙げると、「日本人は希望すれば誰でも大学にいけると思ってた」とか、「残りの半分の人は大学にも行かないでどうするの?」と言い出す奴までいました。彼らの価値観からすると、行こうと思えば行けるのに大学に行かない人間は怠け者だ、というような価値観を直接的とまでは言いませんがあいまいな形で持っていたように思えます。実際には学費の問題や家庭の事情によって大学にいけない、行き辛いという方もたくさんいるのですが。
 そのため、何かしら専門職を目指して大学に行かずに専門学校や、その道の訓練を受けようという考え方ともなると一切持ち合わせていませんでした。この時点で、青年期の選択という視野が極端に狭くなっていると言えます。

 で、そんな連中が大学に行ったとします。そしたら大学でも似たような境遇のものどうした集められてくるのでまた同じような価値観が共有されてしまい、私の場合ですと、まぁ私は自分で満足できるレベルの大学に進学し、そこで非常に賢い友人らとも巡り会う事が出来たのですが、その友人たちはというと大抵その大学より上位の大学の落第者たちで、こんなしょうもない大学に進学してどうするんだよ俺……ってな具合で、大体入学から半年くらいはみんな劣等感にさいなまされていました。
 現実的な比較だと、私のいた大学は全国でもそこそこ上位の大学にいると思えるのですが、彼らの価値観からすると下位に分類され、私の大学より下位の大学ともなると「行くだけ無駄」と、全国的には中位の大学でも地方の弱小私大と同じ扱いしかしませんでした。

 まぁ私が面倒を見切れる範囲なら「お前の価値観は間違っている!」とばかりにこういった価値観を矯正していったのですが、それでも周囲は常にこういった固定的な価値観というか、「上しか見ない」人ばかりに囲まれていました。上を目指す上昇志向は悪いわけではないのですが、こうした価値観だとどうしても視野が狭くなりがちで、話す意見もどこか浮世離れしたものばかりになっていくように私は思えます。

 私としては大学ではあまりその必要はなかったのですが、中学高校時代はこのままじゃまずいと感じ、ある日を境に必要最低限の人間としか交流しないようにして、その他の人間とはなるべく接触を持たないように一人鎖国をするようになりました。何故この一人鎖国が大学では必要なかったかというと、大学と違って中学高校ではクラスが分けられるので、その狭い範囲で嫌が応にも相手側から接触されるということが多かったからです。逆に大学ではクラスも何もないので、初めから自分が選んだ人間とだけ付き合うことが出来ます。

 しかしそうは言いながらも、私も結局のところ似たような価値観の人間同士で生活していないかという不安が常にありました。もしそうであれば知らず知らずのうちに自分の視野は狭くなる、ならばどうする?
 そうして悩んだ末に行ったのが、人材の捜索と確保です。私の場合は比較的に上ばかり見てる人が最初からいたので、大学内で狙いをつけたのは下から這い上がってきた人間でした。まず最初にとっ捕まえたのは四国の田舎から二浪をして這い上がってきた友人です。この友人なんかだと高校卒業当初は全然私たちのいた大学など狙えるレベルではなかったと自ら言うだけあり、学力の上位と下位の差をよく理解していました。また田舎から来ているので地方格差の問題にも関心が強く、よくこの点でお互いに実のある議論が出来ました。

 またもう一人、これはそれこそ去年に知り合った友人ですが、彼の話に至っては何もかもがエキセントリックでした。彼も一浪して大学に進学してきているだけあって上下両方の事情に精通しており、貧乏トークで有名な芸人コンビ「麒麟」の田村の話に及ぶと、
「でも俺の子供の頃の友人で、ようパン盗んどるやつおりましたよ」
 と、今思い出しても面白い話をよく聞かせてくれました。

 このように人間の幅を広げようというのなら数多くの友人と付き合うよりも、自分とタイプや境遇の違う人間を選んで付き合う方がずっと効果的だというのが私の主張したい意見です。逆に似たような価値観、それも偏狭な固定観念に固まった人間と数多く付き合うのはまずもって視野狭窄に至らせるので、きわどい意見ですがそういった人間とはなるべく関わらないことを私はお勧めします。
 私自身の経験から言うと、どうも私と同じ私立の中高一貫校の出身者ほど固定観念が強く、視野が極端に狭い人間が多い気がします。またそういう人間に限って性格の悪い奴が多くて、同族嫌悪かもしれませんが、私は非常に苦手としています。

2008年10月14日火曜日

次の選挙の議席予測について

 最近政治系の記事がめっきり少なくなっているので、久々にちょっと気合の入った予測記事を書いてみようと思います。その予測もずばり、次の総選挙の獲得議員議席についてです。

 昨日辺りからぼつぼつと内閣支持率の調査結果が各メディアから発表されていますが、読売、NHKともに麻生内閣への支持率は40%を超えるものの微減横ばいという結果、特に不支持が多少増えたのが問題という解説を得ています。しかし先月にあれだけ中山前国土交通大臣の失言が続いたのを考えれば、思ったよりダメージは少なかったと麻生内閣側としては喜んでいい結果だとは私は思います。

 とはいえ、ここ数代の内閣総理大臣は発足時の支持率がその内閣の歴代最大の支持率となることが多いため、今回の麻生内閣でも、今後どうあがいたところで40%台を越えての過半数支持は得られないというのは恐らく間違いないでしょう。果たしてそんな支持率で解散総選挙に望んでも選挙に勝てるのか、それだったら発足即解散の方がよかったのではないか……という意見すらあります。

 私自身の見方としては確かに発足当初に解散に打って出ていた方がよかったかもしれません。麻生首相としては世界経済が混乱している今だからこそ補正予算が必要で、そのためには解散に打って出ることが出来なかったという考えですが、日本政府が経済政策に手を突っ込んでうまくいったことより余計に滅茶苦茶になることの方がこれまで多かったですし、また当初の補正予算の最大の課題だった原油高への保障については今回の株安の余波で原油価格は刻々と下がっており(ある日本の航空会社だけは燃油サーチャージ代をまだ上げているけど)、もう少し早くにやるならともかく、言うほど緊急性が高かったとは私は思いません。まぁこれは結果論だから、麻生首相が悪いわけじゃないですけどね。

 恐らく麻生首相の狙いとしては、
・補正予算案を出す→民主党が反対する→「民主は政局のために国民生活を犠牲にする」
 という言質が選挙前に欲しかったのだと思います。しかしさすがに民主党もそこまで馬鹿じゃありませんでした。今度の補正予算案については見ている私もびっくりなくらいに素直に承諾し、衆議院も参議院も賛成ですぐに通しました。政党戦略としては、まず正しい選択です。麻生首相の挑発作戦は完全に失敗したといっていいでしょう。

 同じく麻生首相のもう一つの挑発作戦が、
「民主党は児童手当や社会福祉を充実させると言っているが、その財源を明らかにしろ。ありもしないバラ撒き政策なんて出すな」
 という内容の発言を就任当初から繰り返しています。もしこれが二年位前なら相当な威力を持った言葉になったとは思いますが、先日のテレビ朝日でやっている「テレビタックル」という番組を見ていると、何人かの評論家の方々や元官僚の江田憲治議員が、

「自民党はこれ以上無駄を省けないといって増税を主張するが、民主党はまだまだ官僚の無駄は多いと主張しており、その無駄を省くことによって自分たちのバラ撒き政策は実現できると主張している。このところの社会保険庁や農水省の無作為を考えると、実現できるかどうかは別として、もう切れないといっている自民党より官僚の無駄を切ると言っている民主党に一回は任せてみたい思いはある」

 という内容の発言が続き、基本的に私もこの意見に同感です。実際、民主党が主張している何でもアリな政策は実現できるとは思いませんが、少なくとも官僚殺しのプロである長妻昭氏が控える民主党の方が、今の政策の混乱の最大原因である官僚の襟を正す力があるのではないかと思えます。株安ですっかり影に潜んでしまいましたが、自民党が各省庁に対して、野党への質問の回答は事前に自民党本部に提出(検閲を通す)するようにと通達したことを考えるとなおさらです。

 このような価値観が、少なからず一般大衆の中にも徐々に芽生えてきている気がします。官僚の問題が次々と明らかになっており、それならば民主党にという意見が日に日に強まっている気がします。そのため先の麻生首相の挑発も、以前ほどの威力が感じられないのだと思います。

 こういった背景から考慮して、次の選挙での自民、民主の獲得議席ですが恐らく相撃ち、双方どちらも単独過半数を獲得できないのではと思います。実際には民主党が衆議院で単独過半数を取る可能性は現時点では高いのですが、たとえ民主党は衆議院で単独過半数を取ったとしても、しばらく選挙のない参議院では民主党は現在単独過半数を持ち合わせておらず、他の野党と合同して自民党に対して参議院での主導権を用いています。
 逆に自民党としてはもし単独過半数を取ったとしても、まず間違いなく現在の衆議院議席の三分の二を占める議席は失うこととなるでしょう。そうなると衆議院で通した法案が参議院で否決されても、これまでのように三分の二の賛成可決によって強引に通す方法が使えなくなってしまいます。まぁそれでも、確か30日経てば衆議院の議決が優先されるのですが、自民党としては国会運営が非常に困難を極めることとなるでしょう。

 このように、自民と民主のどちらが勝ったとしてもねじれ国会が続くというのが私の意見で、そのため次の総選挙は相撃ちに終わるという結論になります。まぁ公明党が民主党につくならかなり情勢は変わるのですが、それ以上に起こる可能性が高そうなのが、平沼新党です。

 郵政選挙で自民党から追い出され未だ一人で頑張っている平沼赳夫氏ですが、選挙後に国会が停滞した場合に政界再編が起こり、自民、民主の若手議員がこの人に集まってくるのではないかと、希望的な観測ですが持っています。本来ならその役は小泉前首相が最有力候補だったのですが、今回引退を決めてしまいましたし、じゃあ他にかわりはというのならやっぱり平沼氏なんじゃないかと思います。そしたら多分、小池百合子氏は真っ先に走るだろうなぁ。

今日の株価の急反発について

 なんか最近こんな記事ばっか書いてて、そろそろやめようと思っているので今日はやや長期的な予想を書こうと思います。

 まず、本日の世界株式市場は先週の全面安とは対照的に世界各地で過去最高の全面高が起こりました。この結果については、先週末に行われたG7、先進国七カ国財務大臣会議において各国揃って公的資金の注入と積極財政を取るということが約束されたからだ……と、どこの評論でも言っており、今そこでやっているNHKの9時のニュースでも同じことが言われていると思います。

 私の意見はというと、まぁG7会議の決議がきっかけとなったのは間違いないでしょうが、それ以上に先週の下がり幅が異常だったというのが最大の理由だと思います。週末なんかにネットの意見やテレビの評論解説などを見ていると、今の株安の状態は逆の目から見ると配当金を目当てに長期に株を保有したい人にとっては今が買い時だという意見がいくらか見え、なんだかんだいって底が見えたと判断したトレーダーが結構いたのではないかと思います。なので今回急反発したからといって、これで世界経済が落ち着くという意味ではないと思います。今回の急反発も、あくまで一時の跳ね返りに過ぎないというのが私の意見です。

 この私の意見の根拠として、株価は戻ったものの今回株価が急激に下がるきっかけとなった大型金融機関の破綻と、その金融機関が持っていた不良債権の損失が未だはっきりしないからです。恐らく再来週辺りから「CDS」、「クレジット・デフォルト・スワップ」という言葉が急激に流行すると思いますが、これは元本を一定額まで保証する社債のことで、企業が潰れても安心安全ということで売れに売れていたようです、今回公的資金を注入されるまで追い詰められたAIGから。
 なもんだからAIGが一挙にピンチに陥り、とてもこのCDS債の保証が出来ない状態になり、名目上は元本保証といっておきながら、実質不良債権となるといわれている債権です。これが今どこにどれだけあるのかわからない状態で、恐らく今年末から来年初頭に至る間にぼつぼつ損失が明らかになっていくと思います。

 なにもこのCDS債に限らず、サブプライムローンの損失も未だ全体像が把握されておらず、ニュースではアメリカばかり取り上げられていますが、私の見ているところアジアの金融機関も相当辛い状態で、一つ潰れたらドミノ倒しになっていくんじゃないかと思います。なのでちょっと長めの予想をここで明かすと、正直この程度の根拠では明らかに物足りず過分に私の直感も含まれていますが、恐らくもう一発急激に株価が下がる事態が起こるのかと思います。それが底値になるかどうかまではわかりませんが、少なくとも今後株価がしばらくは安定的に維持、もしくは緩やかに上昇するということはありえないと思います。

 我ながら直感に頼るというのも恥ずかしい話ですが、佐藤優氏も情報屋として最後に物を言うのは玄人的な直感だと言っているので、私も見習うわけじゃないですが、何も言わずに黙っているよりかはいいと思うので披露することにしました。

2008年10月13日月曜日

今年のプロ野球について

 昨日セリーグの最終日程が終わり、まだプレーオフが残っていますがひとまず今シーズンのプロ野球は終わりました。結論から言うと、今年は非常に面白い一年だったと思います。

 というのもまず、セリーグにもプレーオフの導入によって中日と広島の三位争いが非常にもつれ、シーズン終盤まで目が離せませんでした。パリーグも同様で、これまで下位の順位でさまよっていたオリックスが終盤で恐ろしい追い上げを見せて二位に浮上したり、一時はソフトバンク、日ハム、ロッテで争った三位の順位も非常に楽しませてもらいました。

 そして、これは私としては多少不本意ですが、まさかまさかの13ゲーム差をひっくり返しての巨人のシーズン優勝。まぁ明らかに阪神の自滅ですが、星野監督は新井を故障させて李スンヨプを復活させるなど、オリンピックで余計なことしかしなかったなぁ。

 こうしたチームの順位だけでも楽しめたのですが、それ以上に面白かったのは個人成績です。まず五位のチームでありながら楽天の岩隈投手が最多勝を含めて投手三冠王。実際の投球を見ても直球も変化球も非常によく、これまでのシーズンが嘘のようなすばらしいピッチングだった一年でした。その岩隈投手に防御率でわずかに及ばなかったダルビッシュ投手ですが、このまえのオリックスとのプレーオフの試合ではやばいぐらい良いピッチングでした。ほんと、この人化け物だな。

 ただこうしたパリーグの個人成績の一方、右打者でありながら首位打者を獲得した横浜の内川選手の活躍にも舌を巻きました。これまで全然無名の選手でありながらの突然の成長に、同じく横浜で昨日の一本でラミレスを出し抜いたホームラン王、村田選手という強力な打線を擁しておきながら、ありえないくらいに負け越した横浜の今シーズンの成績には閉口します。なんせ五月に大相撲で琴欧州が13連勝した頃、ようやく横浜は13勝目を挙げた体たらくでした。
 一部でニュースにもなっていますが、今年の成績の責任を取って横浜のコーチは何人か辞職するらしいですが、今年の成績は間違いなく監督の大矢氏にあるでしょう。一番重要な人間をやめさせないというのは、別に横浜ファンではないですがちょっと……ねぇ。

 同じくセリーグタイトルではこっちも下位の順位ながら孤軍奮闘して、昨日に広島のルイスを出し抜いた最優秀防御率投手、石川投手のいるヤクルトは、昨日は見ているだけで涙が出そうな最終試合でした。
 今でこそ阪神、広島贔屓の私ですが、小学生の頃はヤクルトファンでよく神宮にも見に行っていました。どうでもいいけど、当時の神宮のトイレはすごい汚かったなぁ。楽天の仙台の球場なんかは昨日の朝日新聞の中での楽天球団社長のインタビューによると、客を呼び込むためにトイレはすごいキレイにしてあるらしいですが、今の神宮はどうなってるんだろう。あと楽天球団は今年も黒字だそうです。

 それでヤクルトの昨日の試合の話ですが、かつてのヤクルト黄金期を支えた真中選手がとうとう引退、継いでという訳ではありませんが度会、河端、小野選手も引退で、小野選手に至っては最終打席にて決勝のホームランを放ち、非常に感動的な引退試合でした。
 去年に古田選手がいなくなり、これで事実上、90年代野村ヤクルト黄金期の選手はほとんどといっていいほどいなくなってしまいました。この時代の選手としてはブンブン丸の愛称だった池山選手が一番好きで、この人がいなくなった時点で私のヤクルトファン時代は終焉を告げたのですが、今回の真中選手の引退はその時くらいにショックを受けています。古田選手はそんなに好きじゃなかったけど。

北野たけし氏のドラマ出演について

たけしTBSドラマで東条英機首相役(YAHOOニュース)

 リンクに貼った記事によると、今度北野たけし氏が東条英機役でドラマに出演するそうです。それにしても、「たけし」という言葉の変換ってやけに多いな。あと「ひできやく」で変換したら「英機訳」ってのが一番上に出てきて、あと同じような変換が続いていきます。この「英機訳」ってなんだ?

 実はこの三日間は非常に体調悪くてほぼ全日布団に入ってフロントミッションをやっていたせいか、微妙に文章も妙な感じになっています。まぁブログなんだから本来ならこういう形でいいんですけど、本当に今日も調子悪いな。

 さて北野氏のこのドラマ出演のニュースを見て最初に私が思ったのは、そんだけ「オフィス北野」は金に困っているのか、でした。というのもこのところテレビをつけていると北野氏自らが出演するテレビCMが急増しており、以前にベネチア映画祭の舞台挨拶にて、「山本モナのおかげで火の車だよ」と言っていましたが、このところの北野氏の出演量の多さを見ているとあながち冗談にも思えなくなってきました。

 もっとも北野氏ほど好感度の高い芸能人であれば、「出る」といえばすぐにオファーは殺到するので、指し当たって事務所がこれからやばくなるということはないでしょう。ただ業界関係者たちの話によると、やはり報道番組でレギュラー出演していた山本モナが例の巨人の二岡(広島の人に聞くとすぐに、「あいつは非県民だ」と言われます)との騒動で降板を余儀なくされた件で、相当な額の違約金をオフィス北野は支出することとなったと言われており、もしこれが本当だとすると、大将自らでなくてはならないほどの損失だったということになります。まぁほんとのところは、映画の撮影資金がそろそろ減ってきたというのが真実でしょう。

 ここで話は北野氏からその北野氏の演じる東条英機に変わりますが、歴史上、日本で「カミソリ」と呼ばれた人物は二人おり、坂本龍馬の組織した海援隊の元隊員で外務大臣として不平等条約改正を行った陸奥宗光と、この東条英機です。
 カミソリ、と言うと鋭く切れるから二人とも相当に頭が賢かったと、周りで誰かが話題に挙げる度にそういう風に聞こえますが、確かに陸奥宗光は非常に頭の切れがよかったそうですが、その一方で別の意味でもキレやすい人物だったそうです。なんでも、坂本龍馬が暗殺された後に新撰組の隊員が下手人だと誤解して襲撃をかけたり、そのほかちょっとのことですぐ人と殴りあったりしたらしくて、そのためにカミソリという異名がついたそうです。

 それで東条英機ですが、まぁ普通の人と比べれば賢い人だったとは思います。ただ私が見ている限り、どうも世の中の人は東条の知力について過大評価しているような気がします。
 これはうちの親父の話ですが、東条は「カミソリ東条」と呼ばれるくらい賢くて陸大でも首席で卒業した……と信じ込んでいたのですが、これは真っ赤な嘘です。東条と陸大同期の中で首席で卒業したのはかつて私も「猛将列伝~聖将、今村均~」の記事の中で取り上げ、私個人非常に尊敬してやまない今村均氏です。また東条は陸大の受験を一発で受からずに三回目にてようやく合格した人物で、試験の成績的に見るならば決して「切れ者」ではないということがわかります。

 では何故カミソリの異名がついたのかですが、こっからは私の想像になるのですが、何でもかんでもテキスト通りにやっていたらではないかと考えています。
 何でも、軍隊の閲兵訓練にて東条は一から十までかつての行進、動作方法を徹底して行っていたそうです。このようになんでもテキスト通りに強制し、また自身もテキスト通りの発言しかせず、そんでもってテキストの内容をなんでもメモするメモ魔だったことから、切れ者という意味ではなく「こまめな奴」という意味でカミソリだったんじゃないかと思います。

 それに対して満州事変の張本人である石原莞爾はというと、先ほどの閲兵訓練において自部隊に対し、「いつも通りやれ」の一言で片付けたそうです。こんな風に正反対なのだから、この二人の関係は非常に悪かったそうです。
 ただ石原、東条の二人についた元部下という方の証言によると、その方が陸大を受験すると話したら石原は勉強する時間もないほどその方へ仕事を押し付けるようにして、東条は逆にいろいろなところで勉強時間など便宜を図ってくれたそうで、上司としては東条の方が暖かかったと述べています。この件は石原莞爾に言わせると、陸大に行って幹部となるならこれくらいの仕事量をこなせなくてはいけないという意味での仕置きだったそうですが、いろいろな人の証言だと、東条は身近な人間に対しては非常に優しかった一方で、疎遠な人間には扱いが厳しかったというのは一致しています。

 そんなもんだから東条と距離の短かった人は彼に対して温情的な弁護を行っており、その甲斐あってか私の見ている限りだとこのところは東条に対して、「東京裁判の被害者」というような認識が増えている気がします。
 しかしここで、そういったものをすべてひっくり返すある証言を紹介します。これは今年八月十二日に日経新聞がスクープした国立公文書館にあった資料で、昭和二十年八月十日から八月十四日までの東条の手記に書かれている内容なのですが、

「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者および国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当たりたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」

 私はこの東条の手記をちょっとまえの文芸春秋にて見つけ、今月号にもまた紹介されていたのでこうして記事にしているのですが、昭和史家の保坂正康氏の解説によると、終戦の間際にもなって、敗戦となったのは国民がしっかりしなかったからだ、こんな国民を率いて指導していた自分はたまったものじゃなかったなどと、自分の責任を国民に擦り付けている無責任きわまりない価値観だと述べています。

 私自身は東条英機に対して、やはり良い感情を持つことが出来ません。東京裁判は確かに間違った裁判であったということは明らかですが、先ほどの保坂氏も言う通り、東京裁判がなくとも当時の日本の法体系下では東条はまず間違いなく処罰されるべき法律違反を悉く犯しており、出来ることならこの東条への同情論だけはあまり盛り上がってもらいたくないものです。

2008年10月12日日曜日

毎日新聞、猥褻ネット記事問題の自社検証について

毎日新聞、猥褻ネット記事問題の自社検証のページ

 忘れた頃に後日談を掘り返すというのが、私のブログの一つの趣旨にもなっております。掘り返される側にはたまったものじゃないでしょうが、問題発生後に期間を置いて再検証を行うことこそが問題解決において非常に重要だと考えているため、人に嫌がられようがどんどんと取り上げていくつもりです。
 そんなわけで、今回取り上げるのは以前に私も「毎日新聞の今後」の記事の中で取り上げたことがある、毎日新聞の英文サイトコラム「WaiWai」の猥褻記事問題です。それにしても、前回の記事は我ながら硬派な記事を書いてますね。

 こうしてみると問題発覚から実に三ヶ月も過ぎております。光陰矢のごとしとは言いますが、あの頃時事問題として取り上げた記事を再検証にて再び使うことになろうとは三ヶ月前には思いもよりませんでした。
 今回、こうして取り上げる気になったのは一番最初にリンクに貼った様に、毎日新聞社のホームページ「毎日jp」にてこの問題の検証記事が一通り出揃ったのが理由です。毎日は問題発覚当初に自社内調査を進めると公表していましたが、それがここにきてひとまず完成したと見て、改めて毎日がこの問題に対してどれだけ反省をしているのか、また再発防止策を用意できたのかということが検証する舞台が整ったと受け止めて、前からやろうと温めていたネタです。

 それでは早速、この毎日の自社検証について私が気になった点を上げていくことにします。
 まず第一に、なんというかこの一連の記事の文章がとてつもなく稚拙です。文章の終わりはほぼすべて「~でした」で終わるという、初心者が陥りやすい「た止め」です。さらに記事ごとに露骨に表現方法が違っているから恐らく複数の人が書いているのだと思いますけど、執筆記者名も書いていないし、毎日新聞社名義で記事出していますが本当にチェックとかしているのか、文体の一致を行っているのか一ブロガーの立場からすると非常に疑問です。

 特に一番へんてこりんな記事は「役員・記者ら処分 英文サイトに不適切コラム」の中の文章で、まぁ内容が事実報告というのはよくわかるのですが、それにしても文章が一連の記事の中でこれだけ「敬体」ではなく「常体」で、ちょっと気にしすぎかもしれませんがなんとなく上から目線でえらそうな感じがします。何を以ってこの記事だけ常体で行こうとしたのか、また文体の一致くらい編集部で行わなかったのか、素人の記事なら何も言いませんが一応プロの記事なので厳しくここで追求しておきます。 

 第二に、反省点として毎日新聞自らが上げている、「女性の視点の欠如」ですが、私個人の意見だとこんなのを反省点として挙げてる時点で正気の沙汰じゃないと思います。毎日はこの反省点について、女性に対して配慮の欠ける猥褻な記事を載せていた事から、二度とそういうことのないように女性の目線からチェックするため新たな編集部にも女性を入れたと言っていますが、別に女性の視点でなくとも、男の私から見ても異常な記事ばっかりだったので、なにもわざわざここで女性を持ち上げて言うべきことじゃないと思います。
 敢えてこの反省点を私なりに言うなら、
「常識的な視点の欠如があったため、新たな編集部には常識的な目線からチェックするために常識人を入れた」
 と、言いますね。皮肉っぽい言い方ですが別に間違ったことを言っているわけでなく、実際に当時のWaiWaiの編集部には常識人がいなかったと私は受け取っていますよ。

 そして第三に、一番重要な編集部のチェックの不備です。
 この点については「英文サイト問題検証(2) 読者受けを意識 過激に」の中で言い訳が述べられていますが、つまるところ「編集長が忙しくてチェックできなかった」というのが理由として挙げられていますが、プロの編集者がこんな理由を挙げること自体異常です。いくら英文だからといっても、記事内容のトピックスだけでも日本語でチェックするだけで問題がわかるほどの猥褻記事だというのに、それすらももチェックしなかったというのは職務放棄と言われてもしょうがないでしょう。それにもしこの「忙しい」を理由に挙げるのなら、一応は検証記事なので当時のタイムスケジュールくらいは提出するのが普通でしょう。それでもし本当に激務に激務を重ねていたのであればまぁ納得しないまでも同情はしてあげられます。その場合、編集チェックに必要な人員を割かなかった人事の責任になるのですが。

 でもって第四。これは一番批判の多い、外部からの問題の指摘に何故対応しなかったのかという点です。
 このことについては「英文サイト問題検証(3) 外部の指摘 生かせず」の中で書かれていますが、この中で外部から問題の内容に対して批判するメールが二通来ていたと書かれていますが、二通って、発覚のかなり以前より問題になっていたことを考えると非常に少ない量に思えます。しかもそのうちの一通は「米国在住の大学勤務の日本女性」と、わけのわからない肩書きを取り付けて無駄に権威付けを行おうとしていますし、本気で反省しているのかとちょっと疑いたくなります。
 私が見ている限り、恐らく批判するメールは実際にはこれよりずっと多いだろうし、また問題性を指摘するネットの情報もかなり溢れていたことから、まず間違いなく編集部はこういった外部の声を意識的に黙殺していたと予想します。根拠は外部から来た批判メール数を二通としている点と、そのうちの一通を権威ある人間からとしている点です。何故黙殺したのかが書かれていないので、非常に私は不満です。

 現在もこの「毎日jp」は、確認したところ二社ほど他社からの広告が入っていましたが、それでも広告欄が大きく空けられたままという異様な状態が続いています。
 こうして私が気になる点が四つも挙げられること自体、毎日新聞は本当に反省しているのか非常に疑わしく思えます。猥褻記事を書いていた外国人記者も懲戒停職三ヶ月という、私の目からしたら何故解雇ではないのかというくらい甘い処分ですし、事の重大さがまだわかっていないんじゃないかと思います。

 これまではまだ同情する気持ちもありましたが、こうして検証記事を読み返すにつれ、この際だから潰れてしまえとまで思うようになりました。私の言いたいことは以上です。

日本の二重国籍禁止制度について

ノーベル賞余波 二重国籍禁止を撤廃 自民法務部会 国籍法改正検討(YAHOOニュース)

 リンクに貼った記事は、この度ノーベル賞を受賞した南部陽一郎氏が米国籍を取得していたために、原則二重国籍を禁止している日本としては手続き次第では南部氏が日本国籍からはずれる可能性があったということから、これからそういった事態や優秀な人間の海外流出を防ぐために二重国籍を認めようかということを国が審議し始めたという記事です。

 実はタイムリーに朝日新聞が先週の初めごろに、この二重国籍禁止の現状について記事を書いていました。その記事によると、他の先進国では当たり前となっている二重国籍の許可が未だに日本だけ禁止していると、優秀な人材の流出を招くだけでなく、グローバル企業に勤める社員の生活などにもいろいろ弊害が起こり、企業が日本を敬遠するようになって日本にとっても国益を損なうのではと書かれていましたが、タイムリーにもその同じ週に今回のような米国籍取得者のノーベル賞受賞があったわけです。朝日も運がいい。

 私としても基本的に朝日の主張と同様で、こんだけグローバル化した中で二重国籍を禁止しているというのは馬鹿げているとしか思えません。第一それを言ったら日本の戸籍制度自体も非常にややこしいだけで実用に乏しく、この際だから根本から改めるべきだと思います。

 まず国籍についてですが、日本はドイツと同じく血統主義を採用しており、両親、特に父親が日本人であればほぼ例外なく日本国籍が取得できます。しかしアメリカなどでは出生地主義を採用しており、両親がどこの国籍であれアメリカで生まれた方は米国籍が与えられます。そのため、恐らく一部にだけでしょうが、2000年ごろにちょっとだけ流行ったのが「ハワイ出産」でした。
 ハワイはいうまでもなく米国領土で、そこで出産すれば日本人であれ米国籍を取得できます。このハワイ出産を取り上げた報道番組で出産を行った両親のインタビューでは、将来子供の可能性を広げるために行ったと言っていましたが、米国では臨時徴兵制度などがあるから場合によって日本人なのに戦地へかり出される可能性もあるのに、そこら辺は考慮しているのか疑問でした。

 なおこの場合、ハワイで生まれた子供は日本では22歳まで二重国籍が認められます。しかし22歳までにどちらかの国籍を選択して一本に絞らなければなりません。これは約一ヶ月前にみた記事ですが、このケースに該当する方がたまたま国籍の選択を知ってか知らずか申請しておらず、法務省が一方的に日本国籍を剥奪したという事件がありました。こういう余計な仕事をするときだけは公務員って手際がいいんだから。

 もしこの二重国籍を認めるというのならば、まぁ子供の場合は専門家の議論に任せるとして、少なくとも仕事や研究などで海外に住む期間が長い成人の場合はとっとと認めるべきだというのが私の意見です。それでも心配なら犯罪歴などを審理するという条件付にすればいいんだし。

 更に言うと、私は日本の戸籍制度も早く改正するべきだと思います。現在進行で未だ問題となっている、離婚後90日以内に生まれた子供は以前の夫の子供と規定したために起こった「戸籍のない子供たち」はもとより、私のように現住所と戸籍地が遠く離れている人間はちょっとの手続きでも、以前ほどではないにしろいろいろと面倒なことが多いです。あんまりわかってないくせに適当なことを言うのもなんですが、いっそ住民票と戸籍をセットにして扱うほうが手続きから何から何まで便利になると思うのですが。年金じゃないですけど、保険制度などとも一元化してしまって。

 なんというか、こういった日本の制度というのは改正が昔から全然行われず、いつまでも旧態依然となっているのが不思議でしょうがありません。先ほどの「戸籍のない子供たち」も、父親が誰かなんて今じゃDNA鑑定でスパッと出るのに、未だ離婚後90日というあいまいな規定を持ち続けるというのは愚の骨頂でしょう。制度は守るべきものではなく、実体に合ったものを作るべきです。リンクに貼った記事でも書かれていますが、現在の制度は正直者が馬鹿を見る制度です。早急な改正を願います。

2008年10月11日土曜日

花粉症と農林水産省の作為

 毎年四月は憂鬱だと、花粉症の方はみな口をそろえて言います。私自身は四月生まれということもあって、もし実際に花粉症だったらこの四月に対していろいろ複雑な気持ちを抱えたでしょうが、幸いにも今のところは花粉症を一度も発症しておりません。しかし周りには症状のひどい人も数多くおり、そうした方たちを見ていると、やはり花粉症の方にとってシーズンの時期に外にいるのはそれだけでも相当苦痛だということはよくわかります。

 近年は若干の平均気温の上昇とともに飛散花粉量が増加しているため、花粉症にかかる人もこれまでより増加しているといい、うちの親父もここ二、三年で軽度とはいえ症状を見せるようになりました。その甲斐あってか、この花粉症対策業界というのは消費が冷え込む国内にあって珍しく毎年成長を見せております。
 一般的な花粉症対策グッズはやはりマスクですが、これも改良に改良を加えられ、価格も相応に高くとも新商品が出たら飛ぶように売れ、また鼻炎止めの薬で製薬会社も大きな収入を得ているそうです。これは裏を返すと、花粉症の方がどれだけお金をかけても花粉症をどうにかしたいという心の表れでしょう。

 さてこの花粉症ですが、確かに自然現象といえば自然現象なので一人で怒ってもしょうがないのですが、災害としてみるならばこれは明らかに人災に当たります。というのも、戦前から戦後にかけて農林水産省が日本各地の国有地において、花粉症患者の最大の原因となっている杉の木を片っ端から闇雲に植えていったという歴史があるからです。

 何故農林水産省は杉を片っ端から国有地に植えていったかですが、まず第一には緑地の確保のためです。植樹は土砂災害を予防し、またその土地の保水力を高めたりもします。使用する当てのない土地であれば、荒地などにしておくよりは森林にしておくほうが明らかに好都合です。
 そして第二に、植樹した木を育てて後に建築資材として使うためです。当時は戦後のドタバタ期で、各地で住宅不足のために建築資材もどこも不足し、それを早急に解消するためだったといわれています。また建築材不足が解消された後もそのまま木材として販売し、なんだったら海外に輸出すればお金にもなる。そのため、植樹する木には建築材として適している杉などの針葉樹が中心となっていったわけです。

 しかし、この計算には誤算があったのです。まぁそれを言ったら官僚の予測で当たった試しはほとんどないんですが。
 まず時間の経過とともに、成長し切った木を伐採する費用の方が伐採した木を木材として販売する価格を上回るようになってしまったのです。この背景には日本国内の人件費の高騰と、森林伐採業者の減少、そして何より海外から木材を輸入するほうが安くなってしまったのが原因としてあります。その結果、植樹された森林は本来必要な間伐すら行われずに放置されたままで、適正な伐採も行われないために今のように無尽蔵とも言える花粉を放出するようになってしまったのです。
 更に、この政策は思わぬところで二次災害を生みました。その災害というのも、熊の下山です。

 先日、人里へ降りてきた野生の熊が人を襲い、その後猟師の方に駆除されたというニュースがありましたが、そのニュースの中で駆除された熊の体重が72キロしかなく、非常に痩せた状態であったと報道されていました。
 実は現在、日本の山は先ほども言ったように農林水産省によって杉を筆頭とした針葉樹ばかり植えられてしまい、熊やその他の野生動物の食べ物を生み出す栗やブナといった木がほとんどなくなり、山の生態系が大いに狂っているそうなのです。近年になって熊が人里へ降りてくる回数が増えたのも、そうした山中での一種の飢饉が大いに影響していると言われております。

 このように、日本の山は確かに中国ほどはげ山になってはいないものの、大いに問題のある現状を見せております。そしてそれを改善しようと思っても、木を切り倒すのに費用がかかってしまうために予算が必要で、結局放置され続けております。
 ここで私から一つ提案させてもらうと、花粉症対策には非常に費用がかかるといわれ、また二次健康被害などを起こして医療費もかかるのなら、いっそ花粉症をどうにかしてもらいたい、熊をどうにかしたいと思う人たちで基金を集め、山地の針葉樹の伐採と代わりの広葉樹の植樹事業を行ってみてはどうでしょうか。無理やり経済ベースに乗せなくとも、費用をかけてでも山の生態系を理想的なものに変えるという選択肢があっても私は良いと思います。

 今ちょっと調べてみたところによると、このような森林事業への基金は結構あるそうですので、私もまとまったお金がたまれば寄付してみようかと思います。
 また花粉症患者の数は全国で1500万人以上いるというので、この方たち全員が仮に100円寄付することによって、総合的には15億円もの寄付が集まることになります。こんだけあれば、ある程度対策はうてると思うのですが、いかがなものでしょう。一年ごとに対策グッズにお金使うより、根本的な対策になると思うんですが。

 最後に、この植樹にまつわる一つのエピソードを紹介します。
 恐らくこういった事態までは予想していなかったまでも、農林水産省の植樹に対して、唯一苦言を呈した人がいました。その人は農林水産省の役人が胸を張って、「国有林は順調に増えております」と報告されるに当たり、「しかしこれでは針葉樹ばかりで、広葉樹の植樹はどうするのだ?」と尋ねたところ、その役人は何も答えられなくなったと言われます。こう返したのは他でもなく、昭和天皇です。
 昭和天皇は生物学を大学で専攻しており、こういった問題に造詣が深かったためにこうした切り返しが出来たのだと思います。昭和天皇がただの天皇ではなかったと思わせるエピソードです。

2008年10月10日金曜日

「~の神」というニックネームについて

 昔に読んだ、確か95年ごろに出たニックネームについての本で、「このところの日本は良いニックネームがつけられることが少ない。特に近年は「大魔神佐々木」くらいしかない」という批評がありましたが、実際そうだと思います。昔のニックネームは意匠が凝っており、「ピストル堤」とか、「強盗後藤」などとみているだけでいろいろ楽しいものがありました。

 しかしそういった数あるニックネームの中で、やはり私が特別だと思うのは「~の神」というような「神」という文字がつくニックネームだと思います。こういったニックネームは結構多そうかなと思いを巡らすのですが、意外に神がつくニックネームというのは思い浮かばず、逆に「王」のつくニックネームばかり浮かびます。

 そうしていくつか浮かんだ「神」がつくニックネームの対象者を改めてその経歴を分析しますと、どうも「王」がつくニックネームの対象者と、畏敬がこめられているのは一緒ですが、いくらか扱いが違うように思えてきました。まず「王」というと「発明王エジソン」とか、「破壊王橋本」とか、果てには「ミナミの帝王」などと、周囲を圧倒するような強さを持つ人間に与えられますが、「神」の場合だと、「漫画の神様、手塚治」、「経営の神様、松下幸之助」などと、確かにその分野の強さが圧倒的なのはもとより、彼らの技術などがその後、一種のスタンダードとなっているように思えます。

 手塚治氏の場合は、彼の作った漫画の手法が現在の主流となっているのは周知の事で、後者の松下幸之助氏も「日本的経営」の礎を築いたとされ評価されています。このように、神という名がつく人は強さだけでなく、後に彼らの手法を模倣する人間が出てくる人に与えられるものなのだと私は考えます。逆に王はその手法が天才的過ぎるゆえに、他の誰もが真似できない人に与えられるものなのかもしれません。
 なわけで、以下に神というニックネームがつく人を上げていきます。そのどれもが、新たな革新的な技術を生み出した人たちばかりです。

・ボクシング界の神、モハメド・アリ
・打撃の神様、川上哲治
・戦国の軍神、上杉謙信
・神算鬼謀、諸葛亮孔明
・広島カープの神、前田智徳

 前田は来年も現役続行が決まったようです。それが非常によかったということが書きたかっただけで、こんな記事を書いちゃいましたフゥー (゚Д゚)y-~~

銀行の貸し渋り問題にみる日銀政策について 後編

 畜生、巨人の優勝かよ。まぁ後半の阪神の打線の悪さは阪神贔屓の私も呆れるほどなので順当といえば順当でしょうし、ファッキンな中日が優勝するよりは何倍もマシかと思えば……。

 そんな阿部がタイムリーの後に退場したような話題は置いといて、昨日の今日で株価がまたも大幅に下落しました。さすがに私も、株価の急激な下落が続けば年末に八千円台はあるかも……と予想はしていましたが、まさかこんなに早くここまで下がるとは思いませんでした。昨日批判したばっかなので、逆に私も「こんなことも予想できなかったのかよ」と言われても何も言い返せません。まぁ言い訳をすると、公に十月中に株価が八千円台になると予想していた人はいないと思いますが……。

 それでは昨日の続きです。昨日は本来株価が下がった今だからこそその仕事が期待されるにも関わらず、日本の銀行は資金をためるだけで真っ当に仕事せず、どうすればこの銀行のケツを叩けるかということについて日銀の政策方法と絡めて問題提起しました。今日は具体的にその方法を私なりに提案します。
 まず最初に言うと、恐らくここで私の主張するやり方は経済学のセオリーから言えば全く逆の方法になります。自分はこういった問題に素人であるということは重々承知ですが、それでも意見を出すならというならばでこの方法を紹介することにします。

 現在、日本の民間銀行は前年に過去最高利益を上げるなど非常に経営がうまく回っているにもかかわらず、企業への貸付、とくに中小企業への貸付が大幅に減っています。その理由はサブプライムローン問題によってどこがどれほどの損失や不良債権を抱えているのがわかりづらくなり、うかつに倒産して資金が回収できなくなる事態を敬遠しているためと言われていますが、私はこれに疑問を感じます。

 というのも以前に書いた記事でも述べましたが、今銀行の金利はどこも非常に低く抑えられ、どこも1%にも達していないところばかりです。なので個人からいくら預金が集まろうとも、それを運用せずに貯め置いたところで銀行が個人へ支払う利子の金額というのはたかが知れています。私からみるとどうも銀行はそこにつけ込んで、貯め置くリスクがないために確実に資金が回収できる大企業にばかり貸し付けて、少しでもリスクのある中小へはちょっとでも危ない橋を渡らないとばかりに、わざと貸し付けていないのではと思います。まぁ大企業でも貸してくれないところは結構あるけど。

 もしこれが原因だとすると、銀行に多方面へと貸付を行わせる方法というのはやはり、日銀の公定歩合を引き上げることだと思います。通常、公定歩合は引き下げられれば貸付額が増え、引き上げられれば逆に貸付額が減るものなのですが、私はどうもこのところの経済の流れを見ていると、状況によっては必ずしもそうでないのではないかと疑っています。第一、今も日本で絶賛継続中の0金利政策自体が世界初の金融政策なので、何が起こっても、それこそ基本の理論と逆のことが起きてもおかしくはないんじゃないかと思います。
 公定歩合を引き上げることによって必然的に民間銀行もそれに合わせて個人への利率も上げざるを得なくなります。それによって銀行は経費が増えることから、企業への貸付で経費分の利益を確保せざるを得なくなるように追い込む、というのが私の考えです。ほんと、素人くさいけど。

 しかし今こんだけ世界中で株価が下落して大混乱になっている中、日本が公定歩合を引き上げたら恐らく他国からは、「何をこんな時期に緊縮させようとしているのだ!」って怒られちゃいますので、まず実際には実行不可能でしょう。それにここまで下がってしまうと、私ですら引き上げるのに二の足を踏んでしまいます。せめて去年のうちにでも公定歩合を1%にまで上げておけば……。

 じゃあこのまま黙ってみているのかということになりますが、私の案ではようは銀行に利益を稼がせなければならないほど経費を発生させればいいのです。もう一つ、金利を上げずに銀行の経費を上げさせるいい方法があります。その方法というのも、単純に課税です。
 恐らく今もそうでしょうが、日本のほとんどの銀行からは税金が一切国へ支払われていません。なぜかというと、連中はこれまで注入された公的資金を国へ返済してきたということで、その分を繰り上げ納税として計上されているため、今も銀行は税金を免除されているのです。そうやって税金も払わず、企業へも貸し付けず、真っ当な仕事も出来ずにいるくせに、「今年は過去最高利益だ」などと胸張って主張する銀行幹部の気が知れません。ついでに言うと、何も勉強せずにそういった言葉にほいほい乗って銀行に就職活動を行っていた学生たちにも、君たちに正義心はあるのかと小一時間問い詰めたいものです。

 過去最高利益を上げるくらいなら、国に税金を払えるだけの余裕があるはずだろう。なのでこの際銀行へ死なない程度に課税して、経費を増やさせ企業への貸付を増やさせるというのが、私が現状で考えうる最良の方法です。なんなら、企業への貸付をしっかり行っている銀行にはこれまでどおり税金を免除してやるというのもいいかもしれません。どちらにしろ、株価が下がっている今だからこそ、民間銀行は自分らが死なない程度に身を切って仕事をするのが求められています。

2008年10月9日木曜日

銀行の貸し渋り問題にみる日銀政策について 前編

 まずは昨日の情報の続きです。

危機的状況のアイスランド(YAHOOニュース)

 リンクに張った記事によると、私の予想通りにアメリカの新自由主義路線に乗って金融が強かったアイスランドにて、国家破綻すらも懸念されるほどに経済が混乱しているようです。

 そんな続報は置いといて、前回の記事にて私は今の日本の課題は株価の下落以上に銀行の貸し渋り問題だと指摘しました。というのももともと株式というのは何故あるかと言うと、単純に言って自前で運営に必要な資金を集めるためです。逆に銀行がきちんと会社に対して運営資金を提供してくれると言うのなら、株式をわざわざ公開する必要などないのです。まぁその代わりに銀行の言うことに逆らえなくなるけど。

 実は日本はここ数年で株式市場にて資金を集める企業が急速に増えていきました。その理由というのも、バブル崩壊以後の長い不況の中で銀行が一切企業に資金を提供してくれず、主だった企業はそれならばとばかりに自分で資金を集める手段に出たからです。アメリカの策謀もあるけど。
 その結果どの業界にもブイブイ言わせていた銀行の力が弱まったのは良かったのですが、その分外的要因、今回のような世界同時株安などの影響を受けやすくなったと言えます。バブル崩壊時なんて株価は大きく下がったものの、まだ企業同士の株式の持合が多かったから目に見えて資金運営に苦しむ企業は今ほどなかったと思います。

 そんなんで私が今の状況で何が言いたいのかというと、株価が下がっている今だからこそ、代わりに資金を安定的に提供する銀行の存在が必要不可欠だというのに、今の日本の銀行というのは一切資金を提供しないどころか、前にも書きましたが利益を出しているのに運転資金が足らず不渡りを出してしまい倒産する、黒字倒産がここしばらくで急増しています。
 昨日も経済解説ニュースで銀行の話題が取り上げられていましたが、企業への貸付が減ったばかりか、何でも銀行同士の短期融資すらほとんど行われていないそうです。この短期融資というのは文字通り短い期間にお金を貸しあうことで、急な大口預金者の引き出しや融資に対応するために銀行同士で行う貸し借りのことを指しますが、これがお互いにいつ潰れるか疑い合ってなかなか行われず、地方銀行なんてこれで結構困っているそうです。

 なもんで、銀行がお金を貯め始めると普通は社会全体で資金の流通が硬直し、あまりよくない影響が出てきます。では端的に言って、銀行に貯めている資金を吐き出させてまともな企業を救うにはどうすればいいかですが、通常こういったときに行われるのは中央銀行の利率引下げです。今同時株安のために世界中のどの国でもこの利率引下げが行われていますがこれがどういった効果を表すのかと言うと、ちょっと専門外なので間違っているかもしれませんが、基本的にお金は中央銀行、日本では日銀が発行しています。そのお金は民間の銀行が日銀から借りるという行為を経て、それから一般の市場へと出回ります。なので一般人が銀行からお金を借りると利息を払わねばならぬのと同じように、民間銀行も中央銀行へと利息を払わねばなりません。その際の中央銀行の利率のことを公定歩合といい、これが経済政策の舵取りとも言えるものです。

 話だすと長くなるので、要するに中央銀行の利率が低ければ低いほど民間銀行は中央銀行からお金を借り、それを市場にどんどん流して儲け、逆に高ければ払う利息が大きくなるので控えめに抑えていきます。景気の悪い時などは利率を下げることによって市場にお金が流れ、バンバンと皆物を買うようになって景気を刺激し、逆に過熱し過ぎの場合は逆の方法で景気を押さえつけます、もっとも、後者の政策は日本で行われたことがあるかどうかは知りませんが。基本的に能天気だから、景気がよければめでたしめでたしとしか考えないし。

 で、今の日本の公定歩合は0.5%、なんと1%すらも切っています。私の考える普通の利率は3%くらいで、日銀だからといってこれは特別なものでなく、世界的にみても異常な数字です。何でこんなに利率が低いのかというと、長引く不況の中でどんどんお金を流せという、「0金利政策」が日本で行われたせいです。これは世界でも例がない日本発の政策で、結果的に言うとそこそこの成功は収めました。
 しかし、これは竹中平蔵氏が口をすっぱくして言ってましたが、0金利政策は既にその役目を終えていたと私は思います。これだけ低いといざ今みたいに景気が悪くなっても利率を下げて景気を刺激しようにももはや下げようのない、壁を背につけるような状態だからです。竹中氏同様にせっかく株価が落ち着いてきた2006年の段階で次代の景気変動に備え、一歩でも二歩でもこの公定歩合を上げていれば、今のよな事態に対してまだ対応する選択肢は多かったでしょう。

 そこでここが肝心なところなのですが、この公定歩合というのはそのまま一般預金者に対する民間銀行の利率に直結してきます。何故なら銀行は中央銀行からお金を借りて、それを一般人や企業に貸し付けて利益を取るからです。仮に100万円を利率10%で民間銀行が借りるとしたら、一般預金者にはそれ以上の利率、10%以上でこの100万円を外へ貸し出さないと損します。ですがこの利率が3%なら、3%以上あればそれが十分になり、また少ない金利でも民間銀行の儲けは大きくなります。この動きはそのまま一般人の預金金利にも援用され、公定歩合によって預金金利も基本的に変わってきます。なので、今は公定歩合がありえないくらいに低いので銀行の預金利率もありえないほど低いのです。

 通常、金利は低ければ低いほど銀行は儲けるので、貸し出す資金量が増えるはずです。しかし、日本では一向に増えないどころか、逆に貸し渋りすら起きています。これは一体なぜかということですが、思ってた以上に中央銀行政策に時間をとられたので、続きはまた明日に。結構説明飛ばしているけど、読んでいる人はついてこれているのかなぁ。

2008年10月8日水曜日

世界同時株安と日経平均一万円割れについて

 昨日、一昨日と文化大革命の連載が終わった反動からくだけた記事が続きましたが、またぞろ固い記事を復活させてこうと思います。

 本日、日本の株価指標とされている日経平均株価の終値が、確か四年ぶりに一万円を割りました。つい二ヶ月前と比べるなら2000円以上も下がっており、資産価値の下落だけでみるならば、確かに大きな景気後退とみるべき事件でしょう。もちろんそんなもんだから、今日はどこのニュースでも日本人のノーベル賞の受賞ニュースより先に報道して、本当に大変なことになったとばかりに大騒ぎしています。

 しかしここで言わせてもらいますが、先月のリーマンブラザーズ社が破綻した時点で日経平均が一万円を割ることは誰がどう見たって確実なことだったと思います。なぜなら今の日本の株式市場の大口取引先はどこもアメリカの投資会社たちで、本体のアメリカの景気が悪化すれば当然日本の株価も下がることは必定です。なのでどうせ年内にはまず確実に一万円を割ることは間違いないとみていたので、私としてはそれほど大騒ぎするような話だと思えないのが正直な感想です。逆にもし経済人や評論家でありながらこうなることがわかっていなかったら、廃業しろとまでは言いませんが未熟な価値観を改めるべきでしょう。

 問題はこの後です。株価の下落とともに進んだ為替価格の変動は確かに日本にとって大きな影響をこれから与えてきます。今日は一時的にとはいえ1ドル価格が100円を割りましたし、この為替価格は輸出産業がメインの企業(主にメーカー)にとって為替価格の1円の変動は100メートル走における一秒の差並みに大きな意味を持ってくる数字です。さっきNHKがやってましたけど、トヨタ自動車では為替が1円円高するごとに400億円、ソニーは40億円の売り上げ低下になるそうです。じゃあイチローの給料はどれくらい変わるんだろう。

 これだけをみるのならば確かにこの世界同時株安は日本にとって大きな損失を与えているかのように見えますが、私がこの一週間のニュースを見ていて非常に残念なのは、世界同時株安と言いながらも日本とアメリカの情報しか発信されていない点です。世界同時株安なんだったら日本とアメリカ以外の国も相当打撃を被っているはずなのに、どの国がどれほど影響を受けているかと言う情報は全く持って皆無です。私自身がこのところペルソナ3とフロントミッションで忙しいのもあってあまり調べていないのもありますが、もっとマスメディアは大事なことなんだから自主的に情報を配信してもらいたいものです。

 個人的に一番気になっているのは欧州、それもイギリスです。何故ならイギリスが世界で最もアメリカに追従して金融市場主義とも取れる新自由主義経済の路線を敷いていたからです。そのため本家のアメリカがこうも崩れたのならイギリスはどれほどダメージを受けたのか、やっぱり破綻しているのかというのが気になります。
 同様にEU諸国もです。EUはEUでアメリカの路線とは対決するように独自の経済体制を模索していましたが、なんだかんだいってどこもこの世界同時株安で大打撃を被っているという情報ばかり聞こえてきます。特にドイツではあまりの影響ぶりに、政府が個人の預金を金融機関が破綻した場合でも全額保障するとまで発表していますし、もっと詳しい情報が知りたいです。

 なお、一昨日にちらっとだけ見たどっかのネットの記事によると、意外と日本はリーマンショック以降の株価の下落率は低い方でした。その記事によると一番下落率が大きいのは、これなんてほかのどこも報道していないけどインドだと紹介していましたが、どうも裏を取ってみると本当っぽいです。新興国ってのはどこも財政的な力に欠けるところが多いので、この事実にも素直にうなずけます。
 あと先ほどのイギリスと同様に、ひたすら株価至上主義で戦ってきたお隣韓国もえらいことになっているようです。これまで国際的に貸しの多い債権国だったのがいつの間にか借金している債務国に転落しているし、雇用問題も置き去りで結構大変そうです。

 で、同じくアジアを見てみると中国の話もこのところあまり聞きません。なのでせっかくだから自分で「新京報」という北京の新聞サイトを除いてみると、今日の記事ではアメリカの大幅な株安を伝え中国でもA株というくくりの証券市場が価格を下げていると言いながらも、まだ大きな影響はなく未だ中国は世界市場の中で「オアシス」のようなもんだと、まるで他人事のように楽観視しています。まぁ、主要銘柄は皆共産党などの特権階級が握っているから、あんまり下がらないってのもわかるけどね。

 恐らく、今回の株安で一番危険なのは日本を除くアジア市場だと思います。タイでは今でも政治的混乱が続いており、インド、韓国は上記のように大きなダメージを受け、でもって欧州みたいに複数ヶ国で連携して何か対応するということがありえない点から、かつての「アジア通貨危機」みたいなことになってくるのではないかと心配しております。杞憂で済めばいいのですが。
 世間では株価が下がっていることから、その分現物市場がこれから値上がりするなどと言っては金塊を買っとけなどあれこれ意見が出ていますが、現状ではまだ不透明なので私はお勧めできません。実際に原油価格は下落の一途を辿っており、そもそも回す資金自体が世界市場から突然いなくなったのだから、掘った土が横に盛られるわけでもないので上がらないのが普通なんじゃないでしょうか。

 と、素人ながらあれこれ意見を書いてみました。結論を言うと、日本は損害を受けつつも他国よりはまだいくらかマシな状況にあるのではというのが私の意見です。しかし唯一の懸念は、前にちょこっと匂わせた銀行の貸し渋り問題です。こっちは結構表面化しており情報も集まってくるので、また明日にでも解説します。

2008年10月7日火曜日

パワプロのサクセスで私が作った選手

 今日もなんかおなかの調子がよくないので、簡単に流せるゲームの話です。今日は今でもやっているパワプロです。

 さてこのパワプロときたらサクセスというほど、このゲームはスポーツゲームなのに育成ゲームのように多方面でプレイされています。やっぱりいい選手を作ろうとしたらなかなかうまくいかず、かといって能力だけ優秀なだけだと個性がなくてつまらない選手が出来てしまいます。
 私もかれこれ長い間このゲームをやってきていますが、やっぱり馬鹿な子ほどかわいいと言いますか、欠点のある選手は贔屓して使うようになってきます。そこで今日は、過去に私が作った選手の能力の組み合わせを紹介しようと思います。

1、肩力E+レーザービーム
 この組み合わせに意味があるのか、しかもポジション内野だし。友人に使えないと一蹴されました。

2、短気+ポーカーフェイス+ムラッ気
 普通に、こんな奴が近くにいたらすごい嫌な気がします。怒りっぽいのにポーカーフェイスで、なんというか長州小力みたいに「きれてないっすよ」って言うのかな。

3、最速155km+アンダースローの投手
 私以外でも作られていると思いますが、友人にも言われましたがまず肩がいかれるでしょう。

4、持ち球が「カーブ」と「Dカーブ」の投手「洗濯機」
 最初作っていた時は「洗濯機」という名前で「スクリュー」が決め球の投手にしようと思ってたのですが、途中でオリジナル変化球作成イベントが起こったので、「スクリュー」を無駄に「カーブ」に変えて、左右にカーブを投げる中途半端な投手になりました。

5、「威圧感」を持つ投手「ハンニバル」
 別にねらってたわけじゃなかったけど、「ハンニバル」という名前で投手を作ってたら自然と「威圧感」を取得しました。名は体を現すのだと実感しました。

6、「タタ木寸」
 みてもらえばわかると思いますが、ソフトバンクの多村選手の名前を横に拡大したように見える、読みが「たたきすん」という選手です。ほんと、これだけのために作るのもなぁ。

7、「**」(友人の名前)
 友人の名前を使って昔はよく選手を作ってたのですが、よく学校の授業をサボる奴だっただけにスタート時に「サボり癖」がつくことが非常に多かったです。こちらも名が体を現していました。

 といったようなところです。逆に成功した例だと「大笠原」といって、巨人の小笠原選手にあやかった選手を作ったら「アベレージヒッター」と「パワーヒッター」の二つを取得でき、非常に強い選手になりました。その一方で「下原」や「上柳」といった選手は、あやかる選手のようにならず全然駄目でしたね。

2008年10月6日月曜日

スーパーロボット大戦シリーズについて

 ぶっちゃけ今疲労中なのと、長い文化大革命の連載が終わったので気晴らしに軽い記事で今日は乗り切ろうと思います。まぁそんなら何も書かなければいいだけなのですが。

 そんな今日お話しするのはバンプレストから出ているスーパーロボット大戦シリーズというゲームについてです。このシリーズは昔からやっていますが、なんと言うか中途半端にぽつぽとやっています。私がプレイしたシリーズを挙げていくと、

・~EX ・第四次~ ・新~ ・~F ・~F完結編 ・~α ・~α外伝 ・第二次~α ・第三次~α

 といったところでしょうか。時期的には90年代後半から2000年代前半くらいです。
 このシリーズはまぁそこそこはまったのですが、最初にやったのが第四次でこれはなかなか面白かったです。全体的なゲームバランスもよく、きちんと戦略に則って戦え、でもっておまけユニットがそこそこ通にはたまらないもの(サーバインとかSガンダム)でした。ただ私の場合、最終面より難しいといわれる後半の「オルドナ・ポセイダル」という面の難しいバージョンに迷い込んでしまい、ここで一時ゲームが詰んでしまいました。最終的には一回の行動のたびにセーブするという、まるで詰め将棋のような戦いで越しましたが、あれは今でも夢に出てきます。

 その後EX、新を経てからFをセガサターンでプレイしたのですが、個人的な感想を述べるとこのFとF完結編は非常に出来の悪い作品でした。まず一回一回の戦闘でBGMが変わるためにロード時間が膨大になり、その上味方ユニットは中途半端に弱いまんまなのに後半にはHPが一万を越えるドーベンウルフがザコキャラのようにうじゃうじゃ出てきて、普通に敵と戦う際にスーパーロボットとリアルロボットの区別が意味ありませんでした。
 でもってなかなか勝てないもんだから結局ビルバイン一人に負担がのしかかってきちゃうか、イデオンで反則な勝ち方をするかしか選択肢がなくなるという無節操さ。これでゲームと呼べるのか。

 更に言うと、これまた私の特技炸裂ですが今のウィキペディアの「スーパーロボット大戦F」のページにはすでに消されていますが、以前のこのページでは本来一つの作品となるはずが「F」と「F完結編」に分かれたことについて、

「製作側のバンプレストによると脚本の担当者が急病になったためと、容量が一枚のゲームに収まらなくなったことを分割の理由に挙げていたが、ネット上の有志の調査によると、FとF完結編のデータを合わせてもギリギリ一枚のディスクに収まることが指摘されている」

 私的な意見ですが、恐らくデータは一枚でも十分に入ったと思います。何故ならゲームの大部分のデータはBGMやロボットユニットのアニメーションデータで、これはFとF完結編のどちらにもその大体が共通しており、分けるデータといったらシナリオと一部のボイスデータくらいだからです。それにもし一枚に収まりきらなかったとしても、それならそれで単純にゲームを二枚組にして出せば良かっただけの話です。

 私なんかこのゲームが出た当時は中学生くらいだったから、なけなしの小遣い使ってわざわざ新品を買ったのに製作サイドのくだらない理由で二本も買わされた(合計金額13,600円)上に、ゲーム自体がシミュレーションとして戦術性もなにもなく、シナリオも前作にいなかったライディーンがなかったことにされるわ、一話だけ出てきたランバ・ラルがその後一度も出てこないまま空気とされるわ、ガンダムWのキャラクターたちが途中でパーティからいなくなった後、ポセイダルルートを行かずにDCルートを通るとそのまま一切出てこなくなるなど憤懣やるかたない代物でした。にしても、我ながらよく憶えているな。

 このあまりの体たらくにもう二度とスパロボは新品で買わないと新月に誓った15の夜、別に15歳じゃなかったけど。そんな過程もあり次のαは中古で買いましたが、これは逆に非常に面白かったです。シナリオもテンポ良くさくさく進むし、何よりこれまでのシリーズよりオリジナルキャラの主人公がきちんとシナリオに絡んでくるというのが好感を持てました。何気に最初に選んだのは今もレギュラーのクスハでしたが。

 またシナリオだけでなく戦闘アニメーションもようやくGジェネレーションのようにONとOFFが切り替えられるようになり、また少ないカットでロボットの挙動をきちんと再現していたのには感動しました。この次の次にやった第二次αからは戦闘アニメーションが3Dになったのですが、かえって元の原作アニメのセル画カットの動きから離れてしまい、むしろ悪くなった印象があります。戦闘アニメだけで言うなら、このαと次のα外伝が最もすばらしい出来でしょう。

 それで次のα外伝ですが、シリーズ中、実はこれが一番好きです。確かに難易度は結構高めなのですがシナリオの進め方で難易度は調整されますし、また使用アイテムや今作から入った支援コマンドを活用することでFとは違って戦術次第でどうとでも挽回できます。また前作α同様に戦闘アニメーションもカットインを使うことで臨場感が出ており、個人的にはガンダムXのサテライトキャノンとターンエーガンダムの月光蝶が一番気に入っています。

 さぁそれで最後の第二次α。まぁつまらなくはないのですが、明らかに前作のが面白かったのが致命的です。今作から導入された小隊システムには賛否両論ありますが、私はいろんなユニットがつかえるという意味では良かったと思っています。で、一応は上に挙げた第三次ですが、これは途中でやめました。私以外の人も同じようなことを言っていますが、本来なら第二次で地球圏の戦闘は終わって第三次で宇宙人と最終決戦して完結……という流れだったらしいのですが、人気だったということで無理やり「ガンダムSEED」をシナリオに挟み込んだせいでまた地球圏の戦闘が始まり、やっててシナリオに疲れました。こんなの長い間ゲームしてて初めてですよ、別にガンダムSEEDは嫌いでもないのに。

 というわけで、息抜きのつもりだったのにえらく力の入った記事になりました。水野晴夫の笑顔も三度までと言いますが、本当、文章書くのっていいですね。

2008年10月5日日曜日

文化大革命とは~結び、文革は何故起きたか~

 ちょっと試しに前回までのこの連載の文字数を数えてみたら、三万字弱ほどありました。原稿用紙に換算すると七十五枚で、よくもまぁこんなに書いたもんだと我ながら呆れました。
 そんなもんでこの連載も今回が最終回です。もう書くことは大体書いており、最後の今回では文化大革命の総論的なことをちゃちゃっと書いて行きます。

 まず文化大革命は中国にその後どんな影響を与えたかですが、結論から言って中国はこの文化大革命によって発展が三十年は遅れたとまで言われております。中でも最大の損失ともいえるのが知識人で、この連載の最初の記事でも書きましたが、ちょうど日本での団塊の世代に当たる年齢に、中国の大学では教授などの人間がすっぽり抜けてほとんど存在しません。これはこの世代ががまさに文革で排斥される対象となった世代で、文革期に殺されるか、社会的に抹殺されたかのどちらかで存在していません。

 前回のカンボジアの大虐殺でも触れましたが、文革期には中国でも知識人が文字通り根絶される勢いで摘み取られていきました。ここでちょっと想像してほしいのですが、たとえば今、当たり前のようにいる設計士、技術者、熟練工といった人たちがこの社会から突然いなくなってしまうとしたら。もちろんそうなればあらゆる工事から工場の作業、開発製造といった行為がすべてストップしてしまいます。しかも、いざそういった人材をまた育てようと思っても、技術や知識を一から教えてくれる教員すらいない状況であればなおさら悲惨です。

 70年代の中国はまさにこうでした。一度は育てたあらゆる人材がいなくなり、技術や知識の継承をまた一からやり直す羽目となったのです。ただ中国はこれを奇貨として文革後に優秀な学生を選抜して、一気に東大など海外の大学へ留学させて建て直しをはかったりしています。今、中国の経済界ではそのような留学帰りの人たちが大きな力を持っているらしいです。

 中国が文革から受けた損失はなにもこの人材だけではありません。連載中にも書いていますけど何の計画もない土地開発のために自然環境は徹底的に破壊され、また歴史的遺物も「過去の残滓」として数多く破壊されています。
 そして元紅衛兵だったたくさんの若者たちも地方に下放されたまま、故郷へ戻ることすら叶わなくなりました。

 こうしてみると、何故これほどの悲劇が繰り広げられたのか、誰も止めることが出来なかったのかと疑問に思えてきます。敢えて私の分析を披露すると、この文化大革命は毛沢東の手によって引き起こされたものの、中期以降は一般民衆もむしろ率先してこの混乱を加速させ、いうなれば集団パニック、もしくは集団ヒステリーのような現象だったと思います。日本も戦前は教育上は軍部が国民を扇動させたことになっていますが、実際にはかなりの部分で国民も戦争へ突入するのを応援していました。何でも、朝日新聞が当時に反戦の記事を書いたら部数が一気に5%にまで落ちて、慌てて戦争賛美へと論調を変えたほど民衆も戦争一色だったらしいです。

 よく集団ヒステリーというと、大体二、三十人くらいの小集団で起こるもの、大きさにすると学校のクラス単位くらいなものと思いがちですが、歴史的に見ると日本を始めとした国家単位でも起こっていますが、さすがに中国という巨大人口国でも起こるというのはなかなかに驚きです。まぁ実際、集団ヒステリーに人数は関係ないのかもしれませんけど。

 では何故、そこまで混乱が発展したのでしょうか。いくつか理由があり、恐らくは複合原因によるものだと思いますが、その中で挙げられる原因を出すとしたらやはり、文革発生以前に中国人の愛国心が異常に高かったせいだと思います。戦前の日本、そして今の韓国もそうですが、なんだかんだいって愛国心というのは非常に扱いの難しい感情だと思います。低すぎても駄目ですし、高すぎても駄目です。では高すぎると何故駄目なのかですが、ちょっと前に書いた記事の被害者意識のように、国のためになることだったら何をしてもいいんだという風に思う輩が出てくるからです。

 今の中国でも「愛国無罪」という言葉が出るくらいに、国のための行為なら犯罪行為すら許されると主張する人間がおり、日本への批判、外交施設への投石も認めるべきだと過激なことをやる人がいます。恐らく、文革以前は今以上にこういった愛国心が強かったと予想されます。というのも当時の中国はまだできた手の国家で、政府も「皆で国を支えよう」と強く檄を飛ばしていました。そうして高められたまま毛沢東の扇動がおき、国のためならばと紅衛兵が立ち上がって法律を無視し、私的なリンチや密告合戦が起こっていったのだと思います。

 被害者意識の「被害者なら加害者に対してどんな抵抗をしても許される」とか、愛国心の「国のための行為なら何をしても許される」という意識の背景で最も大きいのは、個人の責任というのが乖離されることです。両方とも行為の責任主体を自らに置かず社会に対して置き、この行為は相手に迷惑(被害)をかけるが、自分は本当はやりたくはないのだけれど社会がそう要求する、というような具合で、心の一部で確かに悪いことをやっている気はするものの、なんとはなしにそれを許容するように自己弁護をやってしまうということです。

 戦前の日本でも軍隊内などで、「天皇の意思に背く」という理由でリンチや略奪行為などが許容されたことがありましたが、そもそも天皇がいちいち軍隊内でのビンタなどに意思を持つかどうか、しかもそれが各部隊長が判断できるのかというのは疑問です。一部の評論家たちも言っていますが、当時の軍隊は天皇という言葉を私的に利用しては自分たちの行為に正当性を無理やり持たせていたのでしょう。こんな感じで、「国のため」という言葉が自己を正当化するに至るまで愛国心が中国全体で高かったのが、この文革が起きた大きな理由だと私は感じます。

 最後にこの文化大革命について個人的な感想を述べると、他山の石のように思えないということに尽きます。ドイツでもそうですが、ユダヤ人虐殺などの戦争犯罪はナチスという狂った集団が行ったのだと自分たちと切り分け、我々日本人でも、太平洋戦争という無謀な戦争に至ったのは軍部(主に陸軍の)が国民を欺いたためと、こちらでも一般民衆は加害者ではなく被害者として切り分けています。
 しかし、私はいつもこう思います。

「虐殺もなにもかも、行ったのは自分と同じ人間だ。ちょっと間違えれば、今の自分もこういったことに加担するかもしれない」

 文化大革命も同様で、自分には関係ない、自分なら絶対こういう馬鹿なことはしないと切り分けることが出来ません。もちろんこんな悲劇は起こしてはならないので、常に注意しつつ、可能な限り周囲にこの事実を周りへと広げ歴史への反省を促していきたいと思います。

2008年10月4日土曜日

文化大革命とは~その十三、毛沢東思想の伝播~

 これから書くことは内容が内容だけに、すこし手が震えます。書くことの重大さもさることながら、そのあまりの内容からだと思います。

 さてこの連載の中の「その五、毛沢東思想」の中で、通称マオイズムと呼ばれる毛沢東の思想について、非常にお粗末ながら解説させていただきました。この毛沢東思想ですが、よく勘違いされがちですが伝播した範囲というのは中国国内に限定されておらず、なんだかんだいって欧米でも研究者が出るなど世界的に大きく広がりを見せ、現在でも大まかな範囲で否定されつつも、共産主義と農民主義を合体させたことなど限定的な面で評価されています。
 ここで更に注意してもらいたいのは、この毛沢東思想は決して過去の遺物ではなく、現在もなお影響を持ち続けている思想であるということです。その影響が未だに続いている場所というのは他でもなく、東南アジアに位置するカンボジアです。

 注意してみている人だけかもしれませんが、よく海外政治ニュースなどでカンボジアの情勢が伝えられる際、「毛派」という言葉が出てきます。この毛派というのは文字通り、毛沢東主義を第一に掲げている政治集団のことを指しており、その勢力が大きく衰えたとはいえ現在もなお活動している団体です。もちろん、その活動は非合法なテロなどが多いのですが。

 話は毛沢東が生きていた時代、そしてベトナム戦争が行われていた時代です。当時のカンボジアはシアヌーク国王による王政国家だったのですが、国王が外国に出ている隙に親米派のロン・ノルがクーデターを起こして政権をとりました。当時はベトナム戦争真っ只中ということもあり、ロン・ノルは国内にいるベトナム人や共産主義勢力に弾圧を加えた(カンボジアとベトナムは国境を接している)のですが、それに対して反動が大きくなり、最終的にはポル・ポト率いる共産主義勢力であるクメール・ルージュがゲリラ戦を展開して内戦を起こし、逆にロン・ノルを国外へ追い出すことに成功しました。

 まぁなんていうか、ここで話が終わればそれなりによかったのですが、皮肉なことにこの結果が後にカンボジア、ひいては20世紀の一つの悲劇を生むことになります。
 この時政権を奪取したクメール・ルージュですが、これはフランス語で「カンボジアの真紅」という意味で、カンボジア共産党ともいう意味です。この時の指導者はフランスへの留学帰りが多く、それから名づけられた名前です。
 ついでに余談ですが、中国で私と相部屋であったルーマニア人はフランスのことを、「あそこは共産主義国だから」と評していました。まぁそれとなくそんな感じはするけど。

 それでこのクメール・ルージュですが、内戦時に主に支援を受けていたのは中国からでした。中国としては共産圏を広がることでこの地域への発言力を強めようという意図があったのだと思いますが、この時に中国に影響を受けたことからクメール・ルージュの掲げる思想というのは毛沢東思想に準拠したものになりました。そしてそんな集団がカンボジア首都、プノンペンを占領すると、早速その思想を実行に移します。

 出来れば先にリンクにあげた過去の記事を読み返してもらいたいのですが、毛沢東思想の最も代表的な特徴というのは、「知識人は搾取階級であり悪である」ということです。そのため、この思想を掲げるクメール・ルージュが真っ先に行ったのは知識人の一方的な殺戮でした。聞くところによると、英語をほんのすこし話すだけでも、仏教を修行していただけでも知識人とみなされ一方的に殺戮されたそうです。またそうでなくとも、途方もなく極端な政策が無理やり実行されて強制労働が各所で行われ、文字通り死ぬまで人を酷使した上で逃げ出そうものなら容赦なく射殺していったようです。

 そうして知識人を社会からはじくかわりに持ち上げられたのが、まだ年端もいかない子供たちでした。毛沢東思想の反復になりますが、まだ何の教育にも染まっていない子供たちこそ新たな時代が切り開けるという考えの下でクメール・ルージュは子供に銃を持たせ、政策への不満を漏らしていないかスパイ活動を行わせ、挙句に大人たちの処刑を行わせたのです。このあたりは中国の文化大革命時の紅衛兵を想像してもらえばいいでしょう。まぁさすがに毛沢東も紅衛兵に銃は持たせませんでしたが。

 その結果、このクメール・ルージュ政権時に虐殺された人数は200万人から300万人とも言われ、当時のカンボジア全体の人口の実に四分の一もの人間が殺害されたと言われています。これは一つの政権による虐殺としては過去最大で、あのナチスドイツのユダヤ人虐殺の人数をも越えます。
 にもかかわらず、こちらは日本でユダヤ人虐殺ほどあまり取り上げられません。その理由は恐らく、ユダヤ人には政治家や金持ちが多くいるために世界的に発言力が大きく、それに対してカンボジア人はそれほど発言力がないからと、同じ共産主義国といってもソ連の支援を受けていたベトナムに対する防波堤としてこのクメール・ルージュを中国同様に間接的にアメリカが支援したということが影響していると思います。

 最終的にこのクメール・ルージュは対立していたベトナムと戦争状態になり、実力に優れるベトナム軍にコテンパンにやられ国外から追放され、この虐殺の責任を追及されないことを条件にベトナムに従うという政府関係者によって新たに政権が作られることにより虐殺が終わりました。このことが後々に問題となってくるのですが、こちらはちょっと範囲外なので取り扱いません。

 このカンボジアの虐殺については「不思議館~ポル・ポトの大虐殺~」に非常に詳しく書かれているので、勝手ながらリンクを貼らせていただきます。このページでも冒頭に書かれていますが、この虐殺について詳しく知りたいのなら最もよいのは「キリング・フィールド」という、実話を基に作られた映画を見ることをお勧めします。これはアメリカ人記者とそのカンボジア人通訳の人の話で、作中後者の通訳の方が英語を使える事を悟られまいと必死で隠す姿と、その彼に対して12~3歳くらいの少年が無機質な顔で銃を向ける映像が印象に深く残っています。

 結論を言うと、文化大革命は中国だけでなくカンボジアでも行われたということです。そして両国ともおびただしい犠牲者を生み出し、毛沢東思想というのは事実的にも悲劇の歴史を複数も生んでしまったということです。思想という言葉について最近あまり私が本を買わなくなった佐藤優氏によると、「普段何気なく、当たり前だとみんなが思っていること」と言い、日本人が意識しなくとも仏壇で手を合わせるような事が思想だと説明していますが、この毛沢東思想の例を考えるにつけ、集団を方向付ける非常に大きな要素なのだと思うようになりました。よく教育議論などで思想思想とあれこれ議論になりますが、そんな簡単に扱っていいものか、そんなあいまいな議論でいいものかなどと、軽々しくそれを口にするものに対して強く不快に私は思います。

暗記のススメ その二

 本店の方のコメント欄で何か私特別の暗記法があるのかという質問を受けたので、いい機会なのでいくつかお勧めの記憶術を紹介させてもらいます。

1、自己との連関化
 これは「バカの壁」の中で作者の養老猛氏が紹介している話なのですが、女性の出産のビデオを学生に見せたところ男子からは感想が拙い物ばかりだったものの、女子からはいろいろと面白い返事が返ってきたそうです。養老氏によると、男子はともかく女子は将来自分も経験するであろう対象であるために、興味が多い分対象に対しての集中、観察が強化されたのだろうと述べ、人間の脳への入力は以下のような数式になると書いています。

  記憶量=情報×係数 ※係数=対象への興味

 私も基本的にこの養老氏の意見に同感で、やはり自分の興味が強い対象であればあるほど物事は頭に入りやすいと思います。たとえばテストにでる科学反応式なんかはなかなか覚えないくせにゲームの攻略情報や呪文の名称なんかは大抵一発覚えられます。まぁ誰でもそうでしょうが。
 そこで私がこの人間の脳の特性ともいえる部分を利用している点ですが、基本的にどんな情報でも自分と関連付けるようにしてます。普段はどんなにくだらない情報でも将来それとどんな風に関わるかわからない、今のうちに覚えておかねばという具合で覚える動機づけを毎回やっております。
 私の実体験だと中学時代にミリタリーマニアの友人がいたのでそういったものにそれまで全く興味はなかったものの、「こういうことを憶えれば、軍事関係の話とか理解しやすくなる」と自ら動機づけを行い、彼の話す銃器の種類から部品名などをよく聞いて今じゃある程度ミリタリー情報は暗記している自信があります。余談ですが、形状的に一番好きな銃は「グロック17」です。

2、心構え
 先ほどの興味や連関と被る話ですが、やっぱり覚えようようという志しが一番大事だと思います。私の場合はそれがちょっと極端で、先ほどにも書いたように今は全く関係ないけど将来その情報が必要になってくるかもしれないので、予防線を張るような動機で情報を暗記しようとします。
 ただそれ以上に、自分で書くのもなんですが、私は基本的に他人が自分の知らないことを知っているのを非常に悔しいと思ってしまう性格をしています。なんというか自分が負けているような気がして、他の分野で勝ってても一つでもある分野の情報量に負けていると何とかせねばと考えてしまいます。こんなんだから無闇に範囲だけ広くて、器用貧乏なタイプになってったんだろうな。このブログの記事も統一感ないし。

3、情報の出力能力の強化
 これは以前に書いた、「情報の入出力に必要な能力」という記事でほんの少しだけ触れていますが、私の聞くところ他の人が一切言っていない私スペシャルの記憶術がこれです。一般的な記憶術や暗記法は情報の入力、つまり暗記する部分にばかり解説されており、肝心の運用方法には触れられていません。私はこの情報の運用、つまり出力に着目しています。

 まず、一般に暗記した情報というのはどういう時に使うかを考えました。まぁ研究論文などを書く場合などは普通は資料と対峙するので、恐らく暗記情報を一番使うのは会話時、それも討論の場合であったらなおさらです。その場合、手元に資料を持たずにどのように人と議論を重ねるのか。議論を重ねる情報材料はどこから出すのか、それは最初から頭の中に用意されているのか。

 自分でもちょっとわけのわからないことを言い始めましたが、簡単に言うと、会話全体で使う話題というのは会話を始めた当初から頭の中に「相手にはこういうことを言おう」と用意してあるわけでなく、その大体が相手の言う言葉に反応して、会話中に記憶から取り出されているということです。会話で使う暗記情報というのはメモ書きのように頭の中に常に張り出されているわけじゃなく、普通は相手からの返答、反応といった刺激に対して、「あっ、そういえばこの情報にはこういう話もあったな」っていう具合で引き出されるものが大半です。だから「空が青いね」と相手がいえば、天気の話題→気候→秋→秋空→「天高く馬肥ゆる秋だね」というような返答のプロセスが築かれます。くどいようですが、返答の内容は相手の発言があるまで頭の中に入っていません。

 私は人間というのは、思われている以上に何でもかんでも憶えられるものだと思っています。ですが記憶した情報というのは外部からの刺激がくるまでは大抵頭の中で眠りについたままです。その外部からの刺激も、強弱によって引き出せるかどうかが変わります。たとえば、歴史のテストなどの人物名を問う問題で直接答えさせる記述問題に対し、あらかじめテスト用紙に書かれた人名から四択で選ばせる選択問題とでは解答率が大幅に変わってきます。これは記述より選択問題のほうが正解の人名が書かれている分、外部からの刺激が強いために記憶が想起しやすいということです。

 これがどう記憶術に関わってくるかというと、私の場合は普段から会話などで情報に触れる際、なるべく多くの関連情報を想起するようにしており、その上何か新たな情報を取り込む際に、「この情報はこれとあれとに関連する。これとあれの情報が出てきたら必ずこの情報を思い出すように」と、見る人が見たらばかばかしいでしょうが、常にこうして情報同士の関連付けを整理しながら憶えています。こうした普段からのなんともいえない訓練の成果で、なにか一つの情報に対して記憶から引き出す関連情報の量は他人を遙かに凌駕しており、出力速度にも自信があります。結論を言うと、情報を引き出すために必要な刺激量を可能な限り少なくさせているのです。

 こういう風に考えたのは、記憶量を増やすよりも記憶情報の運用法を考えることのほうが思考にはずっとプラスではないかと考えたのがきっかけです。結果的に言うと情報同士の関連付けが以前よりずっと強化され、またしょっちゅう思い出すので情報の記憶への定着も良くなりました。ただ弊害として、一人での思考が際限なく続くことが増え、前なんかパソコンの中で新規フォルダを作って名前を入れる際に、フォルダ→情報(データ)を入れる→データの収集→伝承が収集されたのがギリシャ神話→オデュッセイア→作者はホメロス→「ほめろ」と書いたところでどうでもいいと思って結局フォルダ名は「誉めろ」になったことがあります。この間約一秒。

4、確認の実行
 予想以上に3が長くなってしまいましたが、最後に紹介するのは確認の実行です。たとえばちょっと気になったものとか、思い出せそうで思い出せないものがあったらすぐに調べるということです。今なんかウィキペディアもあるのですぐに確認が取れますが、やはり頭に出かかっているものを最後まで取り出さなければ、最終的にその情報は失われてしまうと思います。なので、「あの歴史上の人物は誰だったっけ」と思ったらすぐに関連情報から調べ、確認を取っております。こういう地道な積み重ねによる記憶の定着作業が、最終的に記憶量につながっていくと思います。

2008年10月3日金曜日

暗記のススメ

 昔私が中学生だった頃、十字軍を舞台にした小説を書こうと思い立って学校の図書館から中世世界史の本を数冊借りてきて、うちにある歴史資料集と合わせて大体四冊くらいの本を並べてあれこれ事実関係の確認などを行いました。さすがに四冊もあると各資料の中で足りない部分が相互に補われて大体の内容を掴むことができたのですが、ふとこの時に思うことがありました。

 たとえば「十字軍」という調べものに対してはこうして資料を並び立てることができるけど、毎回資料や記事がこう並びたてられる保障はないし、下手をしたら一回テレビかなんかで報道されてそれっきりという情報もある。そんな場合、今みたいに調査、研究するときにはどうすればいいのだろうか。

 こうして考えた末に出た結論と言うのが、どんな情報でも一回触れた時点で暗記するしかないという境地でした。
 基本的に情報を分析、研究するには、一つの情報を鵜呑みにせずに関連する情報同士を比較することが絶対条件です。しかし関連する情報というのは必ずしも先ほどの十字軍のようにそのテーマごとに本にまとめられていたり、ネット上でデータベース化されているわけでもありません。そのため比較する際には基本的に収集という作業が必要になるのですが、これも時間がとられるし、そもそも収集できる資料すらないということもあります。また資料があるとしても、大まかな目星なしに見つけるというのも難しいというものです。

 ではどうすればいいか。その解決方法として唯一浮かんだのが、私の場合暗記でした。どんな情報、たとえどれだけ些細なものといえども一回見聞きして暗記すればいざ分析が必要になったり、後で関連する事件が起きて重要度が増した際に一発で脳内で引き出すことができます。また研究対象に関する大量の資料が実際にあるとしても、数学みたいに数式を作って比較検討(データ化しての比較はあるけど)できるわけでなく、一旦自分の頭に入れて租借しないと、新しい理論や考え方などは浮かぶはずがありません。

 こういう風に考えるに至り、それ以降私は本当にどんなことでも暗記しようと心がけてきました。もちろん全部が全部暗記できるというわけではありませんが、それでも知人らからよく私の記憶力(知識力)が評価されるのは、こうした日頃の心がけの賜物だと思います。
 こう改めて説明した上で私の他の記事を読み返してもらえばわかると思いますが、基本的に私の得意とする解説は一つの情報に対して別の関連する情報をさらに紹介し、両者を複合させて私の考え(新たな情報)を紹介するという形式が非常に多いです。私なんて変なプライド持っているもんですから、一つの事実をただ単に紹介するだけなら伝書鳩でもできると思って、最低限関連する情報を紹介するようにしております。ちなみに、こういった作業を私は私的に「情報を加工する」と呼んでいます。

 なのでこれは他の人に言いたいことですが、よく丸暗記は官僚的で応用の利かない思考になってしまうなどと批判する人もいますが、私は最低限の知識を暗記して土台を作らねばそもそも人間は思考することができないと考えています。その土台は大きければ大きいほどもちろんよく、むしろ官僚的と呼ばれる方々のほうこそ暗記している知識が少ないのではないかと疑っています。
 私の友人の中でも自分に興味のない話題となると一応会話はするもののあまり深く聞かずに相槌だけ打つ人間もいますが、どれだけ自分に関係なさそうな情報でも、私は暗記するに越したことはないと思います。人間の記憶力はパソコンみたいに容量が決まっているわけじゃなく、鍛えようと思えば鍛えられるものなのですから、一語一句暗記する勢いくらいが思考にとっても返ってよいのです。

  おまけ
 昔読んだ話で、ある日本人が外人が円周率を小数点第千位まで暗記して見せたというニュースを聞き、じゃあ私は一万位までやろうと思い立って本当に実行してしまいました。この人は二十歳を過ぎた頃に記憶力の減退を感じ、それ以降ずっと鍛えていたそうで、確かその暗記をやってのけた頃には四十歳を過ぎていたと思います。
 よく年齢が重なると身体的に記憶力が落ちるといいますが、私はそれは嘘で、それまでより記憶する量が減るために起こることだと思います。なお、先ほどの円周率暗記の世界チャンピオンは確か去年か一昨年に事故の世界記録を塗り替えるために五万位までの暗記をやろうとしましたが、たしかこっちは途中で棄権していたと思います。