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2017年4月30日日曜日

最近のカープの好調ぶりについて



 上の画像はYahooから引っ張り出してきた本日午前時点におけるセリーグの順位表です。野球データは順位表しか見慣れていない人からすればやや珍しいかもしれませんが、上記の様に勝率から得失点、そしてチーム打率や防御率なども日々こうしてデータ化され表示されます。
 上記票の通り、現在セリーグは昨年優勝した広島カープが抜きんでて首位を独走しており、一時は勝率が八割近くあった序盤と比べるとややペースを落としているものの、それでもあらゆるデータで他チームを平均的に上回り首位を維持するなど調子の良い状態が続いています。

 それにしてもこうして改めてみると、地味に本塁打と得点、盗塁、チーム打率がトップなんだな。得点に至っては二位以下をぶっちぎっており、記事の趣旨と外れてまうけど面白い。

 さてそんな今年のカープですが、日々の報道を見ていて思うこととしては先発投手陣が実にしっかりしているという印象があります。完投すること自体はほとんどありませんが序盤に最少失点でしっかり試合を作ってからリリーフにバトンを引き渡しており、見ていて大崩れすることがほとんどありません。またこれは私がカープファンでないからかもしれませんが、これまであまり見なかった先発投手の名前をニュースで見ることが多く、昨年から続くエースたちではなく新たに戦力となる投手が続々と登場している印象を覚えます。
 一体どうしてこのような好循環が続いているのか。身も蓋もない言い方をすればカープファンからも「クラッシャー」と呼ばれた大野氏が投手コーチを降りたからということもできないですが、さすがにこの理由は置いといて他の理由を挙げるとすると、一つはカープのスカウトの目が非常に的確であるからでしょう。

 ほかのチームではドラフト一位で獲得した選手が必ずしも芽が出ず埋もれてしまうことが多い中、カープの場合はドラフト上位陣が高い確率でその後チームを支えるスタメンメンバーに入ることが明らかに多いです。きちんと各選手の伸び代を把握した上でドラフトで獲得している印象があり、かねてから外国人スカウトはヤクルトと並んで定評があったものの、国内スカウトにおいても目下、「育成の日ハム」、「地元九州のソフトバンク」と並んで堂々たる実績を作っていると言えるでしょう。

 そうしたスカウト面での成功に加え、やはりここ数年で大きかったのは昨年、「減俸100%だったよ」と冗談を言いながら惜しまれつつ引退した黒田博樹投手の存在ではないかと思います。というのも現在活躍しているどの選手も「黒田さんの影響」という言葉を述べており、降板せずに最後まで投げ切ろうとする姿勢だけでなく、ピッチングや緩急のつけ方などでマウンド上で影響を受けたと話す人が多いからです。
 実際に私も上記証言の通り、黒田氏一人による影響がカープ投手陣を大きく変えたのではないかと思います。カープはここ数年で前田健太投手、黒田氏という大エース二人がチームを離れましたがそれを補うかのようにニューヒーローが続々と登場しており、むしろ年々チームとしての実力が高まっている節すらあります。彼らカープ選手自身が元々それだけの潜在力を持っていたとも言えるかもしれませんが、やはり私の目からすれば大エースの影響を各選手が受け、それを昇華してきたという風に見えます。

 このように考えると、エースという存在は組織において大事であるということがつくづく感じます。実際、ほかのチームを見ているとエースと四番の格の違いがチーム全体に敷衍するように思え、特に日ハムなんか実質エースで四番の大谷選手を欠いたことにより精彩にも欠く状態が続いています。
 個人的にケチをつけると、日ハムの中田選手は高い人気とともにその実力が評価されていますが、私個人は彼をそれほど評価していません。というのも打球は確かに飛びますが、見ていてどうもここぞというチャンスで明らかに弱いように思え、ホームランも大抵試合を左右しないどうでもいい時に飛ばすことが多いように感じるからです。逆に今、四番としてみていて凄みを感じるのは今シーズンは不調が続いていますが横浜の筒香選手で、彼が打席に立った際は試合を一振りでひっくり返しかねないような恐ろしさめいたものを感じます。

 広島の四番については、普段弄られまくってるせいで全然凄みを感じることはありませんが、それでもきちっと仕事を果たす辺りはさすがプロだという気がします。なんていうか今やもう立派なベテランなのに、なんとなくルーキーっぽい雰囲気が絶えないというのが逆にすごい。

2017年4月29日土曜日

車はパクられるうちが華

車もコンパニオンも?肩透かしの上海モーターショー(JBpress)

 また例によって上海モーターショーを取材してきた内容を上記リンク先の記事にまとめ出しました。記事にも書いてある通りに今年の上海モーターショーは目玉が少なく、またEV関連の新技術に関する出展もあまり見られず、中国のEVベンチャーのコンセプトカーくらいしか見ていて面白くありませんでした。まぁ敢えて言えばトヨタが新たに打ち出したキャッチコピーが「Toyota New Global Architecture」を略して「TNGA」と称し、壁やパンフレットなどあちこちで打ち出していましたが、何度見ても「T○NGA」にしか見えず、日本国内限定とはいえ一体どうしてこれ採用したのかと屋y疑問でした。

 さてまた例によってYahoo記事のコメントも読みましたが経済記事な上に連休中とあってそれほどコメントされていないのですが、中国なだけに「パクリモーターショー」と揶揄するコメントがいくつか見受けられました。私の目から見てもこれは確かに間違ってはおらず、やはり中国民族ブランドメーカー車は多かれ少なかれ何かをパクっており、特にトヨタの中国ベストセラー車「カムリ」の影響を受けていると感じる車が多数見受けられました。こうしてパクられることに嫌悪感を覚える日本人は多いと思いますが、私に言わせればデザインをパクられるうちが華で、パクられなくなったらそれはそれで問題です。
 何故かというと、売れていたり人気の車ほどパクられる傾向が高く、逆を言えばパクられないということは市場で人気がないとみなされているも同然です。ここ二年くらいは日本車が絶好調なために本社をパクるメーカーが増えているものの、2013年くらいは日本車が不人気で、この時のパクられ対象はドイツ車がメインでした。やはりパクられなくなるとそれはそれで寂しく、日本車がこうして中国メーカーにパクられるということはもっと前向きに見た方がいいでしょう。

 また日本だとあまりこうした話題が報じられませんが、実際には日系メーカーも散々に他社の車をパクっています。特に激しいのが軽自動車業界で、スズキの「スペーシア」なんて露骨にダイハツの「タント」をパクっており、負けじとダイハツも「キャスト」でスズキの「ハスラー」をモロパクリしています。またリアデザインだけなら異常に個性的なトヨタ「プリウス」をホンダがHV車の「インサイト」でパクリました。
 日系同士のみならず海外メーカーからも地味にパクっており、代表的なのはダイハツの「ミラジーノ」で、独ミニ「クーパー」をサイズだけ変えてパクっており、わかる人からしたら「やばいんじゃないの?」と思うくらいのパクリ具合でした。また世界のトヨタももう十年くらい前になりますが、ミッドシップスポーツカーの「MR-S」で同じくミッドシップのポルシェ「ボクスター」をパクっていました。ポルシェもよくあれで訴えなかったな。

 世の中なんてこんなもんで、私が知らないだけで現行の日系メーカー車種も実は海外メーカー車をもっとパクっているかもしれません。そう考えるなら、パクられるほど注目浴びる車を多く持っている方が華だというのが私の意見です。

2017年4月28日金曜日

アドベンチャーゲームにおけるキャラクター表現の変遷~没個性について

 パソコンデスクを変えてからキーボードの位置が素晴らしくいい位置に来たため、タイピング速度が桁違いに上がると共にミスタイプ率が極度に減りました。案外、見えないところでこうしたタイピング位置のズレが社会の効率を大きく下げているのかもしれません。うちの名古屋に左遷された親父は「HPのパソコンやとめっさ打ち辛い」と言ってましたが、私に言わせればそもそも安いだけのHPを買う時点で問題でしょう。まだLenovoの方がマシじゃないかな。

 話は本題に入りますが最近、昔流行ったとあるアドベンチャーゲームの開発者インタビューを読む機会があり、懐かしさを覚えると共に最近のゲームとの比較で考えさせられる点が多々ありました。その考えさせられた点というのは具体的に挙げると、「最近のアドベンチャーゲームはキャラクターを前面に出しており、作品全体のテーマ性やストーリーが軽んじられている傾向がある」というような指摘でした。
 多少ネタバレさせると、そのレビューで取り上げられたゲームは一見するとSFファンタジーですが裏テーマとしてはカニバリズムや近親相姦といった社会でタブーとされる概念が出てくる場面も盛り込まれてあり、私の言葉で言わせれば文学的な要素というか考えさせられる内容が多分に含まれていました。ただ、そのゲームについてはやや懐古による過大評価な面も多いのではないかという気もしますが。

 必ずしも全部の作品がそうだったわけではありませんが、確かに今現在と比べると90年代くらいのアドベンチャーゲームは作品全体を通したテーマ性が非常に強く重視されていたというのは間違いありません。一方、現代のアドベンチャーを含むゲームのストーリーではそうしたタブーに触れる様なテーマ性よりも圧倒的と言っていいほどキャラクターの造形が重視されているでしょう。キャラデザインという見た目はもとより性格やバックグラウンドなど、ライトノベルの指南本などでも「全体のストーリーはどうでもいいから読者に気に入られる魅力的なキャラを作ることが大事」という風に書かれており、現実に主人公やヒロインのキャラクター性でその手の売上げは全部決まりかねない勢いです。

 具体的に一例を挙げると、90年代におけるアドベンチャーやRPGのゲームでは主人公は「はい」か「いいえ」しかしゃべらないのが当たり前なほど没個性的でした。これはプレイヤーが主人公へより感情移入させるための措置で、何かしらの人格は与えてはならないというような不文律が少なからず当時にはありました。主人公が喋る必要のあるアドベンチャーゲームでも然りで、たとえばサウンドノベルの傑作である「かまいたちの夜」では主人公を含め登場人物はシャドウで表現され、見た目のバイアスがかからない様な処置が施されていました。
 しかし現代のゲームでは主人公がペラペラしゃべるのは当たり前で、見た目ももちろんのことその性格がどうかなどがプレイヤーに吟味されます。ヒロインキャラも同様で、悪かった例で挙げると「テイルズオブベステリア」と「俺の屍を越えてゆけ2」はそれぞれヒロインのロゼと夜鳥子の行動や性格がプレイヤーから大顰蹙を買い、ほぼこの一点でもってクソゲー扱いされる程でした。

 もちろん時代によって流行り廃りはあるのは当たり前ですが、確かによくよく考えてみると「キャラゲー」という言葉があるくらい、現代のゲームはキャラクターへの依存が強くなっている気がして、作品全体のストーリーやテーマで語られることが少なくなっている気がします。もう一つ例を挙げると、「氷点」という小説は知られていても主人公やヒロインの名前まで覚えている人は多くないでしょう。私もその口(ヒロインは「陽子」と覚えている)ですが、この作品における「汝、汝の敵を愛せよ」というテーマはしっかり覚えて今でも強く影響を受けています。

 この評論自体が懐古調なだけかもしれませんが、やはり私から見ても最近のゲームや小説はキャラクターが前面に出過ぎていて、作品全体で深みがやや足りないストーリーが多い気がします。やはりこの二つの要素は相互干渉し合い、キャラクターを追い求めると全体テーマは薄れ、その逆も然りとなります。
 特にアドベンチャーゲームでは遊んでいるというよりは遊ばされているというべきか、主体的というより受動的な印象を覚えるゲームがやはり多いです。そういった意味で敢えてこの時代に没個性的なキャラで挑むゲームがあったら遊んでみたいと少し感じたわけです。まぁドラクエはその姿勢をずっと貫いているけど。

2017年4月27日木曜日

クレジットカード情報流出したぴあという会社について

ぴあ社がプラットフォームを提供するB.LEAGUE チケットサイト、及びファンクラブ受付サイトへの不正アクセスによる、個人情報流出に関するお詫びとご報告(ぴあ)

先日、不正アクセスによる情報流出が報じられていたチケット予約会社のぴあですが、プレスリリースを読んでみたところクレジットカード情報も流出し、不正な取引も確認されていたそうです。結構影響でかいと思うのですが、ほかの大手ほどは大きく報じられていないのはまぁ運がいいでしょう。

 実はこのぴあという会社ですが、私が中国から一時日本に帰ってきて文字通り浪人していた際、中途採用で関わったことのある会社です。なんでも観光関連媒体をやるというのでライターを募集しており、中国観光関連だったらいくらでも記事書けるので応募してみましたが、結果から言うと「ヤバイ会社だな」という印象を覚えました。
 具体的に何がやばかったのかというと面接です。わざわざ夕方に来たくもない渋谷くんだりまで来て三対一で面接を受けましたが、聞かれた内容はほとんど提出済みの履歴書に書かれた内容とお決まりの「休日は何を?」という仕事とは全く関係ない趣味の話でで、また2012年に反日デモが盛んだったころに上海にいたことから「現場はどうだったのか」と聞かれ当時の状況を説明し始めたところ突然、「もういい」と、大体話し始めて2分くらいで遮られました。未だに連中は何が効きたかったのか理解できません。

 もうその時点でこの会社はないなと思っていましたが最後に質問はと聞かれ、「今回ライターを募集している観光媒体というのは冊子媒体ですか?そうであれば発刊頻度はどうなのでしょうか?」と聞いたところ真ん中の一番偉そうな野郎が、「月刊だっけ?季刊だっけ?」と、左右の二人にいきなり聞き始めました。私が知る限り、自社発行媒体、しかもそれに記事を書くライターの面接をしているにもかかわらず発刊頻度を把握していない人物がいる会社はここ以外知りません。

 このほか非常に強く疑問を感じた点としては、ライターを募集しているにもかかわらず記事を書く技術や経歴について何も聞かれなかったのは正直イカれているなと覚えました。はっきり言えばライターというのは短時間にどれだけの数量の記事を書けるかですべての価値が決まると言っても過言ではなく、きれいな文章を書けるとかスクープ物にできるのかというのは二の次です。具体的に1日で何文字の記事を何本出せるかというのが必須と思えるにもかかわらず、この方面についてこの時の面接では一切聞かれませんでした。採用した後で、記事書けないとわかったらどうするつもりだったのだろうか。

 まぁこんな具合だったので案の定お祈りされましたが、今ここの会社に私以上の書き手がいるというのなら出してみろよと一回聞いてみたいものです。

  おまけ
 同じ面接でも、お世話になった上海の新聞社では履歴書に書かれた内容については特に質問されず、「キツイしボーナスも出ないから逃げ出したくなるだろうけど逃げられないけどいいのか?」と、何度もヤクザみたいに脅されました。ただこの新聞社では、面接時の質問に一切嘘がなく、またあらかじめどういう業務内容で、どれだけハードなのかをきちんと説明してくれていたこともあって、その扱いが不当だと感じたことは一切ありませんでした。
 こうした経験から、日系企業は面接で平気で嘘をつくので全く当てにならないと割り切るようになりました。

2017年4月26日水曜日

もはや忘れられてしまった問題


 上の写真は上海モーターショーのとあるブースにあったダミー人形ですが、裸のままシートベルトに縛り付けられ俯く姿に対し妙な憐憫を感じ、気がついたら撮影していました。

 話は本題に入りますが、先日TBSがホームレスを「犬男爵」とあげつらってエンタメ性を重視した、言い変えればやや馬鹿にした放送をしたことで世間から顰蹙を買っていましたが、ホームレスらに対する世間の見方というか問題意識は昔と比べると随分低くなったなとこのニュースを見て思いました。というのも私が小学生くらいの頃は夕方のニュースで頻繁にホームレス特集が組まれ、自立への支援や行政の取り組み、あとやっぱりこの時代も変わったホームレス(国立大卒のエリートホームレスなど)を取り上げてはいたものの、ホームレスを減らさなければという問題意識は今よりかは高かったのではないかという気がします。
 もっとも、2000年代前半に天王寺公園を不法占拠して路上カラオケ店などを開いていたホームレスを行政が追放した際、関西のメディアがホームレス側が可哀相だと報じていたのは肩入れがひどすぎましたが。

 このホームレス問題と共に近年、すっかり「何とかしなければ」的な関心が薄れたというかもはや存在することに誰も疑問を挟まず、そこにあることが当たり前となりつつあるのがニート問題でしょう。ニート、当初は「引きこもり」という表現で2005年くらいまでは総称されていましたが、就職氷河期となった1990年代後半辺りから徐々にその存在が認知され始めた頃はまだ社会復帰させようというような報道が多く、また小中学校の登校拒否者もこのころ辺りから取り上げられていました。
 古い記憶をさかのぼれば90年代後半は「アダルトチルドレン」というみょうちきりんな言葉も流行ってはいたものの、更生施設めいたものや行政の訪問などがよく取り上げられていたものの、結果から言えばその後もニートの総数は増加し続け、現在ではあまり対策面についてニュースを見ること自体が珍しくなってきています。

 ホームレス、ニートともに、単純に言えば世間が関心を失ってしまったからでしょう。まだいじめ問題なんかは時たま自殺した生徒が大きく取り上げられて定期的に社会の注目を集める(そして何も対策されないまま忘れられる)ことがありますが、先の二つは今後は以前ほど省みられることはもうないような気がします。感覚的にはホームレスはまだともかく、ニートはいくら対策を施しても対策にかかる費用ほどの効果が全く見られないため、これもやや古い言葉で言えば自己責任として社会が片付けようとしているのかもしれません。

 さてそういった目で現代を見つめるとしたら、今はどんな問題が世間の注目を集めていると言えるのでしょうか。大体4秒くらいで私が思いついたのは「過労自殺」でしたが、これも賞味期限は来年位じゃないかなと予想します。ただ今後の日本は労働力不足が飲食や小売の現場などで顕在化してくるとも見られ、そうなれば案外継続して関心が持たれるかもしれません。

 最後に一言だけ述べると、別に時間と共に関心が薄れることは問題だと私は思いませんが、せめて何かしら具体的な対策を施してから忘れるべきじゃないかと思います。いじめ問題も、あれだけ大騒ぎしておきながらまた大津市でいじめの訴えを学校側が無視していたという事件が起こる辺り、何も変わっていないとしか評価するよりほかありません。

2017年4月24日月曜日

反日意識の芽

 明日はブログ書けないから今日のうちに何か一本書かないといけないのにあまり書きたいネタも浮かばないので好き勝手に書くことにして、反日意識がどこから芽生えるのかについて自己体験を踏まえて書きます。結論から言うと、日本社会だと自らの立場が不利となるからこそ反日意識を持つと私は思います。

 私が日本の事が一番嫌いだったのは大体高校生くらいのことでしたが、多分そこらの高校生と比べれば政治や社会関連への関心は桁違いに強く、当時から政治家の名前は相当数暗記していただけでなく各財政政策や法案の問題点、課題内容などは今の自分から見ても及第点出せるくらいには把握していました。普通こういった政治に関心のある若い子は自国の事が好きなり、傾向としては愛国系の思想を持つ事が多いのですが、私の場合は何故かそこまでいかず、むしろ中学位の頃の方がそういった思想を持っていました。
 では何故高校生くらいの頃に反日意識を強く持ったのかというと、言ってしまえば自分がこの社会で確実に不利な立場に置かれる側だということを暗に理解していたからです。いくらか被害者意識も入っていましたがおおむね間違っていたというわけでなく、実際に現時点でも私が日本に変えればその実力を持て余すような事態に至るでしょう。

 何故私が日本社会で不利な立場を強いられるのかというと、一つは強烈に強い自我を持っていること、二つに一切媚びることがない性格を持っているからです。

 前者については言うまでもなく日本社会では自分でものを考える人間より何も考えないで周りに流されるだけの人間の方が大事にされ、興味を持つことにのめり込んだり、受け入れられないものに強烈な拒否反応、場合によっては反抗するような自我はマイナス以外の何物でもありません。大分前にも書きましたが、たまに学校教育で自分の意見や考えを持つように教えることがありますが、こんなのは眉唾で私は日本の学校教育は徹頭徹尾自我を削ぎ落とすことに特化していると思います。

 二つ目については大学時代にロシア語講師に指摘され、当時はピンとこなかったけどここ二、三年くらいでようやく合点がいった内容ですが、基本的に初対面の人間に対して遜ったり阿ったりする態度は意識的にしないようにしています。理由は何故かというと相手がどういう人物かもわからない、下手すればどうしようもないクズかもしれないのに下手な態度に出るのはどうかという疑問心からですが、見る人によっては「なんて生意気な奴だ」と確実に思われます。
 もっとも最近は年齢を重ねたこともあって以前よりは若輩と見られ舐められることは減っているものの、やはり大半の人間から初対面の印象としては何かうまくつかみきれないような不気味さを感じたという人が多いです。

 上記例はあくまで私個人の資質ですが、これに限らなくても日本社会に適合しない要素があれば多かれ少なかれその人物は反日意識なりというか国家に対する反感を覚えると思います。もっとも反感を抱かずに依存心を抱く人間もいるでしょうし、そういった人間は逆に変な愛国心を持つのかもしれません。
 敢えて変な言葉で述べると、内部からの反日意識は国家の無関心からではなく押しつけから生まれます。外部からの反日意識は断言してもいいですがただの嫉妬です。

 現時点で私は何も日本で一人一揆を起こそうなどというような反日意識は持ち合わせていませんが、日本社会にいては才能を生かし切れず無駄に食い潰されるだけだということを自覚しているので敢えて距離を置いているところがあります。日本という国というか社会に対しては以前ほど必死で盛り立てたいとか、叩き潰してやりたいとかそういう風に思うことはほとんどなくなり、やはり他人事めいたような視点で見るようになってきています。真面目な話、日本の将来よりも鳥取県と奈良県の行く末の方が心配です。

 最後にどうでもいいことを書くと、上の段落で「一揆」と書いた箇所は最初「テロ」と書いていましたが、案外テロという単語を全部一揆に置き換えて報道していれば過激派とかも馬鹿馬鹿しくなって活動やめるんじゃないかとも思えてきました。「極左団体が上野で一揆」とか、「フランスパリ郊外で若者が一揆を計画」、「元一揆団体幹部が出所」なんて具合で。

2017年4月23日日曜日

超絶リサイクル社会、中国


 昨日、上海のニトリで上記のパソコン用デスクを買ってきました。何故これを買ったのかというと実は去年にも探した時に候補にも入っていたもののその際はもっと小さい折り畳み机を同じくニトリで買って済ませたのですが、この机はコンパクトなのはいいものの折り畳みできる脚であることからキーボードを叩くと左右にぐらぐら揺れ、壁に付けるなどして大分対策はしてきましたがやはり根本から改善するまでには至りませんでした。それでも慣れもあって結局一年強使い続けたものの、今回買ったこちらのデスクが199元(約3200円)から159元(約2560円)にまで値下がりしていたので、金額的にも迷うほどのものではないしと思って一気に購入しました。

 ただこちらの机、ニトリでは一応自宅配送サービスをしていますが休日でもなければ昼間はいないし、再配達を防ぐために職場へ運ばせても意味がないので、それならばとテイクアウトでとマクドみたいに選択したのですが、どうも中国のニトリの店員は気がきかないというか、フロアの従業員は持ち運べるような包装にすると言っていたものの、レジを済ませたあとで店員は特に何も対応しませんでした。
 さすがに素手で持って帰るとなったらえらいことだと思って、「何か取っ手になるようなのとかつかないの?」と聞いたらビニールの取っ手がついたガムテープだけ貼ってくれました。もちろん、歩いて数歩でベリベリってはがれましたけど。

 仕方ないからタクシーに乗って帰ろうと思ったら物がでかいだけに一切止まってくれず、唯一乗せてくれそうだったタクシーも私が持ってるブツをみるなり片手を横に振り「ムリムリ」という始末だったので、結局でかいダンボール抱えたまま地下鉄のりくりして家に持って帰りました。家についた時点で手首はほとんど曲がらなくなっており、改めて外箱の表示見たら12kgとか書いてあってよくこんなの担いで、しかも滑りやすいダンボールの表面を何のグローブなしでと、いつもながら自分の無駄に体力を発揮する行為に呆れました。

 その後、手首は曲がらないながらも段ボールを開けて組み立て初め、完成したのが上記の写真です。本来ならば上部パイプの上に天板がくっつくのですが、目線より高い位置に物があるのが嫌なのと、中国だと照明が全体的に薄いのでモニタが陰にならないようにとの配慮から取っ払いました。でもって引出しにはノートパソコンなのに必ず付ける外付けキーボード、テーブル右には上海大江戸温泉で買ってきたくまもんを配置して出来上がりです。
 使ってみた感じとしては以前のテーブルと比べてパソコンを置く位置が高くなったことにより気分的にも見やすくなったうえ、キーボードも手前に置けるためタイピングが格段に打ちやすくなりました。前は狭いテーブルの上にノートパソコンと外付けキーボード、マウス、くまもんを置いており、しかも高さが足らずやや首を下に向ける姿勢だったので、やはり今の方が楽なので買った甲斐はあったかなと思います。

 ただ惜しむらくは、このPCデスクは多分私が日本のマッドシティに潜伏していた際の物と全く同じ物でした。そっちのはリサイクルショップで買ったのですがまさかニトリ製だったとは。あとマッドシティにいた頃はダニに噛まれやすいことからメッシュではなく革製のPCチェア(5000円)をまたニトリで買って使ってましたが、そちらは部屋を引き払う際に友人が無言で持って行ってしまいました。
 まぁ残ってても使いようなかったからいいんだけどさ、いつか5000円分はその友人におごってもらおう。

 さてここで話は昨日に戻るわけですが、テーブルの組み立てからパソコンのセットまで終えたので、包装に使われていた段ボール一式を捨てようと外に出ました。中国ではゴミ捨て場に置いとけば大きさやごみの種類に関係なく持って行ってくれるのですが、私がそこへ捨てようとした際に後ろから、「ちょっと待った!それちょうだい!」と、おばさんが駆け寄ってきたわけです。
 恐らく、でかいダンボールだから、でかくなくてもかもしれませんけど、それなりの所へ持っていけばお金に変わるんだと思います。だからそのおばさんも私の段ボールを見るなりいきなりくれと言い、でもって「おっけー」といって渡すと本当にそのまま持って行ってしまいました。

 中国ではこういうことがままあるというか、ペットボトルもまとめて捨てようとしたら、「待て、捨てるなら俺にくれ」と確実におっさんおばさんに声かけられます。っていうかゴミ捨て場じゃなくても、適当に放り投げていたら誰かが確実に回収してくれます。
 こうした小物に限らず、以前に私が買いはしたもののあまり使いようがなく、またパーツも弱かったため折り畳み自転車を捨てることにしたのですが、その際に取った処理方法というのも自宅マンション前に鍵なしで置いた上、「捨てるから持って行っていいよ」という貼り紙をつけるというやり方でした。案の定、一時間後には誰かが持って行って跡形もなくなっていました。

 一体何故こんな風なパラダイスが起こるのかというと、ひとえに中国だとゴミやスクラップがお金になりやすいことに尽きるでしょう。どれくらいの金額になるのかはわかりませんが、ホームレスでもないにもかかわらずそれ専従で働いている人もいるようですし、また引き取ってくれる業者も明らかに日本より多いです。
 ある意味、日本もこういった廃棄物の回収価格が高ければ、みんな自発的に回収するので街中からペットボトルはなくなり、放置自転車も消え、古紙類も行政が処理するまでもなくあっという間に回収し尽くされているのかもしれません。そう考えると経済的な話で言えば、資源価格が安すぎるのは返って社会的な廃棄処理コストを生んでしまうと言え、リサイクル的にはむしろ逆効果だなとも思えます。

 中国はよく日本のニュースなどで環境汚染などがしょっちゅう取り上げられますが、草の根レベルで言えば廃棄物の回収をそこらへんのおっさんおばさんレベルで率先して行われるので、案外リサイクル社会としてみればかなり進んだ国じゃないのかなと思ったのが昨日今日の出来事です。

2017年4月22日土曜日

朝日新聞の朝鮮人虐殺削除報道について

 この数ヶ月、普段の仕事が忙しいこともあって休日ともなると昼寝をしてほぼ毎日十五時間くらい寝ていましたが、今週に入ってからは大分楽になってきたこともあって今日は珍しく昼寝せずに稼働し続けました。ただその反動があってか、現在中国時間8時過ぎですが目が痛いし眠たい。
 話は本題に入りますが、現金強奪事件が相次いだこともあってあまり大きく騒がれてはいないようですが、朝日新聞の報道を巡ってちょっとした議論が起きています。

「朝鮮人虐殺」含む災害教訓報告書、内閣府HPから削除(4/19 朝日新聞)
内閣府、朝日記事を否定 ホームページの「朝鮮人虐殺」削除報道、抗議も検討(4/20 産経新聞)

 概要を簡単に説明すると、4/19に朝日新聞は上記リンク先の記事で内閣府が配信している「災害教訓報告書」の中から関東大震災中に起きた朝鮮人虐殺に関する記述が外部からの批判などを受けたことにより記述が削除されたと報じました。これに対し翌日の産経新聞では、内閣府への取材ではそうした記述に関する外部からの批判などそもそもなく、システム上の問題から街灯の文書が配信されない状態であると朝日新聞に対しても説明したと報じています。

「朝鮮人虐殺」記述HP、閲覧可能に 今月中にも、内閣府「削除ではない」(4/20 朝日新聞)

 産経の報道と同日、朝日新聞は再び内閣府の回答として該当の記述は削除ではなくシステム上の問題で閲覧できない状態であり、近く再び閲覧できるようになるという、ほぼ産経新聞が報じた内容の通りに報じ直しています。ただ朝日の記事では末尾に、電話での取材時には苦情のため削除したという回答があったと書いてあり、あくまで当初の報道した内容は事実に基づいているという意地を見せています。

内閣府のHP、報告書再掲載 「朝鮮人虐殺」記述(4/21 朝日新聞)

 朝日の方では翌21日にもこの問題を報じており、「無事、再掲載されました」的に報じています。苦情云々についてはもう触れられていません。

 あくまで現況に基づいた観点で述べると、この問題については産経に分があるように思えます。理由としては朝日と内閣府で「苦情があったかないかで」真っ向から意見が食い違っているにもかかわらず、朝日側は20日以降の記事ではシステム上の問題であ配信できなくなっていたと内閣府の主張通りに報じており、21日の記事に至っては苦情については触れておらず、どことなく及び腰で全体的にやや打ち震えた文章であるような印象すら感じるからです。
 では何故このようなこととなってしまったのか。少なくとも産経の報道内容から察するに朝日新聞が18日に内閣府へ電話取材したことは間違いない事実でしょうが、その際の内閣府の回答内容がどうして食い違ったのかがポイントです。考えられるケースとしては、

1、内閣府は当初、朝日新聞が報じた通りに「苦情云々」が理由で削除したと回答した。
2、朝日新聞側が「苦情云々」で削除と記事へ勝手に付け加えた。

 実質この2パターンしかないということになります。しかし朝日新聞は産経新聞側からのこの件に関する取材に対し、取材内容などについての回答は控えると、自分たちの正当性をピーアールせず、その後システム上の問題と後から報じ直していることから考えると、疑うべきは朝日の方でしょう。

日本政府、関東大震災当時の朝鮮人虐殺報告書をホームページから削除(ハンギョレ新聞)

 この問題で地味に鬱陶しいのは海外報道です。既に韓国のハンギョレ新聞が朝日新聞からの引用という形で「苦情云々」という理由で文書が削除されたと報じています。細かくは見ていませんが恐らく、その後システム上の問題だったとは決して報じられていないでしょうし今後も報じられず、悪い印象だけ残してこの記事だけ残るでしょう。
 仮に誤報であれば、朝日新聞は一体どうこの問題の落とし前をつけるのかと問い正したいものです。誤報により無駄に海外からの日本の印象を下げさせたということになり、しかも内容がデマから発生した朝鮮人虐殺に関することなのに自分がデマ(誤報)を流してどうするつもりか、しかもあくまで誤報だとは認めるつもりはないのかと、もし誤報であったらこんな風に批判したいところです。

 恐らく朝日はこの件について真偽はどうなのかこの問題について検証することはなく、反省しないままなかったことにするでしょう。しかし従軍慰安婦問題といい、誤報を流したものには相応の報いを、具体的期に言えば局長級の責任者の更迭位はやらないのであればメディアとしては落ちたものでしょう。

 それにしても、そろそろ時効だから言いますが代々朝日新聞の家系の出なのに自分も容赦ないなと思います。まぁ日本の新聞でもっとひどいと思うのは毎日ですが。

2017年4月21日金曜日

歴史上で嫌いな人物

 今日ふと思ったこととして、嫌いな人物がこのところ減ってきました。前は政治家や芸能人など嫌いな人物が掃いて捨てるくらいいたのに、今だと強いてあげても政治家ならぶっちぎりで野田聖子議員が来てその後に森元総理、脱法ハーフこと蓮舫代表くらいしかこず、小沢一郎も嫌いですが最近影薄いので気にならなくなってきました。っていうかこの時点で「おるやん」とか言われてるかもしれませんが。

 一方、こと歴史分野になるとめっきりいないというか、よくよく考えてみると「梟雄」と言われるような人物がだんだん減ってきているような気がします。というのも「歴史上では悪人のように言われているが、実はいい人だった」的なエピソードが盛んに喧伝され、あの松永久秀も「大仏殿を焼いたのは実はこいつじゃない」、「梟雄と呼ばれた一方で領民からは親しまれていた」などと言われてなんかイメージが変わってきています。
 むしろ領民視点で言えば江戸時代の大名の方が問題のある人物が多く、有名なのだと会津騒動の加藤明成など、悪政が伝えられる領主はむしろ平和な時代の方が多いでしょう。

 そんなこともあってか最近だと名前を聞くだけでイライラするような、講談とかでとっちめられてスカッとするような歴史人物となると、恐らく私だけでなく他の人にとっても少なくなっているのではないかと思います。関係ないかもしれませんが、最近の仮面ライダーとかでショッカーのような露骨な悪の組織が出て来ず、むしろライダー同士で殴り合ってるのもそうした風潮が反映してるのかもしれません。

 そこで改めて私の中で何があっても許せない歴史人物がいないか考えてみたところ、真っ先に挙がってきたのは東条英機でした。彼もほかの梟雄ともども一部で再評価する声や擁護意見が出てきていますが、それら意見を考慮してもやはり彼の行動や決断は愚かにも程があるというべきか、「竹槍で飛行機が落とせるものか」と批判した新聞記者を抹殺するために40歳近くの男性をその記者を含めて無理矢理徴兵し、無駄に戦地に送り込むなどは正気の沙汰ではありません。
 同じくインパール作戦の牟田口廉也も然りで、もっとも彼は東条と違って一切擁護意見など出ていませんがやはり許せない人物なだけに、ダンテの「神曲」の様に地獄で苦しめられているとか書かれてあれば胸がすく思いがするでしょう。

 この二人の様に、やはり歴史上で嫌いな人物となると戦時中の明らかにおかしな決断をした連中ばかりとなってしまいます。松岡洋介もそうですし近衛文麿もそうだし、なんか自分で挙げてて時代狭くないかと思えてなりません。
 ほかの時代で無理矢理挙げるとしたら、搦め手としては松平定信、朝鮮からは閔妃や李承晩、中国だと唐の玄宗と袁世凱、鎌倉時代からは公暁といったところですか。昔は嫌いな人物で世の中溢れていたというのに、なんか変に丸くなってしまったのかなと思えて余り気分良くないです。

2017年4月20日木曜日

私の好きな食べ物

 なんか自分で書いてて見ていて痛いスイーツ系女子ブログみたいな見出しだと思いますが、最近なんかぶっ飛んだこと書いてないので今日は自分の食べ物の好みについて書きます。

 知ってる人には早いですが現在私が寄稿しているJBpressではコラムニスト一覧の中に私の名前が入っていますが、他の人たちは学歴を始めとした経歴をびっしり書いているのに対し、何故か私だけが「元通信社の記者。好きな食べ物はせんべい、カレー、サンドイッチ」という今時売れないアイドルでも書かないようなプロフィール欄になっています。なお最初は「好きな食べ物はせんべい」だけとしか書いてなかったものの、もうすこし長くしてほしいと言われて「じゃあカレーとサンドイッチ追加して」と返事して実現しました。

 わざわざプロフィール欄に書くくらいだけあって、せんべいは実際大好きです。具体的にはしょうゆ味の厚焼きが好きで、ゴマ入った奴は逆に嫌いです。以前、香港で働いていた時に日本から友人が訪ねてきてその際にせんべい2袋を持ってきてくれたのですが、部屋でその友人と会話している最中ですらバリバリと食べ続け、一袋8枚入りでしたが確か話しながら普通に一袋全部開けていました。その間、友人には一枚たりとも分け与えることはありませんでした。

 カレーとサンドイッチについては以前にも書いたことがありますが、昔新聞社で働いている頃の昼食はこの二択で、カレーを三日連続で食べても気にせずに食べ続けてました。サンドイッチについては中の具材変えれば味がいくらでも変わるから、「好きな食べ物」といっても固定されることがないだろうという妙な判断から加えています。

 これら以外で好きな食べ物となると単純に甘いものが好きで、酒が飲めない人間には大体共通していますが、甘味系が充実している京都で過ごしたこともあってか甘い物は普段からよく食べます。なお京都はスーパーでもやけに凝ったプリンが毎日どこでも売られていて買い物の際には必ず買ってました。
 甘味系では以前はよく抹茶系の味を好んでいましたが、なんか最近は前ほど食べたいと思わなくなり、ケーキ類もチーズケーキをよく食べるようになってきています。ケーキとくれば以前の中国では砂糖の味が極端に強いマズイケーキばかりでしたが、最近は段々とレベル挙げてきて、ちょっとした街中のケーキ屋とか喫茶店でもおいしい物が食べられるようになってきています。ただプリンだけは未だに発達しておらず、やけに高い割にはまずい物ばかりなので一切手を付けていません。

 このほか食べ物好みというか傾向では、炭水化物をやけに多く取る傾向があります。巷でよく炭水化物ダイエットと言って炭水化物を断つダイエット法がありますが、私は確実にほかの人よりごはん類を食べますが生まれてこのかた痩せ形から脱したことがありません。
 どのくらいご飯を食べるのかというと、学生時代もお世話になった「かつ蔵」という京都に本店があるとんかつ屋が上海高島屋にも出店しているのでよくいくのですが、ここはごはんおかわり自由なのでほぼ確実におひつ二杯は食べます。量にすれば二合弱だと思いますが、自宅でご飯食べる時も一食で一号は割と普通に食べます。現にさっき、昨日炊いたけど結局食べなかったごはん一合をまるごとお粥にして、一杯の味噌汁と共に全部食べました。魚くらい近くで買ってくればよかったな。

2017年4月19日水曜日

現代日本人は「生き残りたい」?


 上の曲は「マクロスF」というアニメの主題歌に使われた「ライオン」という曲ですが、この曲で特徴的なのはアニメ本編がダブルヒロインであることにかけてデュオ曲であることもさることながら、サビ部分で幾度となく「生き残りたい」という言葉を繰り返す点でしょう。実際私も初めて聞いた時は「なんやこの曲?」という具合でギョッとしました。
 なお前後の歌詞は「舐め合ってもライオンは強い 生き残りたい 生き残りたい まだ生きてたくなる 星座の導きで今~」となっており、歌詞に全く脈絡がなく「生き残りたい」という単語しか耳に残らないように出来てます。

 そんなこの曲ですが、実はアニソンのカラオケ使用曲としては「残酷な天使のテーゼ」に続いて二番目に多く歌われる曲だそうです。どうでもいいですが学生時代に「残酷なニートのテーゼ 窓辺からやがて飛び立つ♪」という替え歌が周囲で流行りました。
 話は戻って「ライオン」についてですが、どうしてこの曲がこれだけ流行ったというか人気を博しているのかについて考えたところやはりその特徴的な歌詞に理由があるのではないかと思うと同時に、地味に日本人の心の声を拾っているからじゃないかと久々に頭のまわっていた一昨日に閃きました。言い変えれば、現代日本人の願望は「生き残りたい」という言葉に集約されるのではないかと言いたいわけです。

 このように考えたきっかけは最近日本人、特に若者と話をしていて「将来何かしたい事とかあるの?」と聞いたりすると、その場ですぐ明確に答えず曖昧な回答に終始することが多く、しつこく何度尋ねても本音を言わず、どちらかと言えば体裁を整えた返事しかしないことが多かったからです。なにも人生すべてを投げ打つかのような崇高な目標を聞いてるわけでなく、「こういう仕事に付きたい」とか「将来何かしら文章で作品を残したい」などのアバウトな答えでいいのに何故それすらも言えないのかと観察した所、あくまで私の見方ですが、そもそもそういう具体的な目標めいた本音なぞ初めからなく、むしろとことん追求した所で出てくる根源的な願望というのが冒頭の「生き残りたい」に集約されるのではないかと思えてきたわけです。

 これはなにも最近の若者に限るわけでなく、私が学生だった頃の周囲の人間もほぼこうでした。就活において何かやりたい仕事とかそういうものを目指すわけでなくまずは内定を得ること、次にブラック企業じゃないところで働く、その上でなるべく安定した仕事でワークライフバランスを保つという順番で願望を持っており、やりたい仕事とか希望する職種などへの意識は非常に低いものでした。恐らくこうした傾向は現在にも当てはまるように見え、やりたい仕事よりも安定した職業生活を求めてる人が多いように思えます。
 また若年層に限らずとも、壮年層においては「なるべく今の状態のまま定年まで逃げ切りたい」という意思が見え隠れする発言が多い気がします。実際ちょっと前まで大変だったシャープ社内で定年退職する人はめっちゃいい笑顔だったという話を聞きます。

 なにも現代日本人が「将来こうしたい」みたいな希望や願望を何も持っていないとまでは言うつもりはありません。ただ、そうした希望や願望以上に「生き残りたい」という意思の方が幅を取っているというか強すぎるのが今の日本を包む状況ではないかと私は見ているわけです。愛だの希望だのよりもとにもかくにも生き残りたいというのが今の日本人のメンタリティで、言うなれば発展性よりも現状維持の方についつい思考が向きやすいのかなというわけで、攻めるチャンスがあってもなかなか攻めないものの、後退しそうな状況になって必死で頑張り出すみたいなイメージです。

 だからこそ冒頭の「ライオン」という曲が、変な具合に琴線というか日本人の声には出ないけど叫び出したい本音に触れてヒットしたのかなというのが私の見方なのですが、もしそうなら日本の未来はウォウウォウ言うよりもそういったサバイバル感のする歌詞の方が今の時代は受け入れられやすいのかもしれません。
 考えがここまでに至った際、私の中で真っ先に浮かんだのは以下の歌詞というかAAでした。


イェイ!イェイ!イェイ!イェイ!イェイ!
    -=≡ ∩ 彡⌒ミ ∩
 -=≡   .ヽ(´・ω・`) /
-=≡     (    /
 -=≡   (   ⌒)
  -=≡  し  し'

ウォウ!ウォウ!ウォウ!ウォウ!

     彡⌒ ミ
     (´・ω・彡⌒ ミ
   彡⌒ ミつ(´・ω・`) ))
(( (´・ω・`) ( つ  )
   ( つ  ヽ  とノ  
    〉 とノ )^(_)
   (__ノ⌒(_)

2017年4月16日日曜日

中国で定期預金(理財商品)を買ってみた

 先週末、前から興味があったので中国の銀行で定期預金(中国語:理財商品)を購入してみましたので、その顛末とかを軽く紹介します。

 簡単に中国の銀行業界について先に説明すると、まずいわゆる国有銀行と呼ばれる中国銀行、中国農業銀行、中国工商銀行、中国建設銀行からなる四大銀行が銀行業界のトップに君臨し、その下に各地方政府が持つほぼ国有の地方銀行(江蘇銀行とか)が続き、その後で民間資本による民間銀行が来るという構造になっています。私がメインバンクとして使っているのはその民間銀行の雄であり上海市を地盤とする浦東発展銀行(通称、浦発銀行)というところで、やはり国有銀行と比べると民間資本であることもあって行員の態度やサービスがよく、今からもう四年も前になりますが日本円の換金とかネットバンクを開く際には物凄く丁寧に対応され、「中国でもこれほどの態度やサービスが実現するのか」と本気で恐れ慄いたのを今でもよく覚えています。でもってまさかその後一旦中国を離れ、また戻ってきて同じ銀行使うとはなぁ……。

 話は戻りますが私は既にここの浦発銀行のネットバンクを開いていて、ネット通販はほとんどしませんがネット決済とかそういうのによく利用しており、浦発銀行自らが配信しているアプリもよく見ていました。そのアプリをよくよく見てみると定期預金などの金融商品をスマホで買えることがわかり、また最初に買う際は簡単な投資に関する意識調査というか確認を店頭で済ませる必要があることも書かれてあったので、ある程度預金が溜まるのを待ってようやく先週末へ行ったわけです。

 家の近くの浦発銀行の支店へ早速赴いたところ、上海市地元の銀行だけあって行員の発音は完全な上海訛りで、ちょいちょい聞き取り辛かったです。とはいえこっちの言うことは向こうもわかるので定期預金の購入とか始めたい、でもって最初の聞き取り調査みたいなのを受けたいと言ったらすぐ担当呼んでくれて、相変わらず日本の銀行にも負けないような充実のサービス態勢を見せてくれました。
 それで早速聞き取りですが、恐らくこれは中国の法律で決められた形式的なもので、これまで他行で投資はしてきたのか、投資は保守志向か、ハイリスク志向かなどを簡単に聞いて二分くらいで終わりました。でもって早速スマホの画面を見せて「どれがおすすめ?」と聞いたら、「預入期間が長くてもいいのなら一番利率高いのこれだよ」という、利率しか見てないじゃんと言いたくなるような中国らしいアドバイスをもらって、6ヶ月期年利率4.88%の定期預金を最低購入額の50000元(約80万円)で購入しました。受取り時の利鞘収入としては約1200元強くらいになる見込みです。

 なんでこんなことをわざわざこのブログで取り上げるのかというと、一番の理由はやはり日本の読者の方へ中国の金利を紹介したいと思ったからです。現在、日本の金利は公定歩合がマイナス金利に突入していることもあっておしなべて、っていうか舐めてんじゃねぇぞ銀行と言いたくなるくらい低く、早速価格コムで見てみたところ、1年期でも金利1%に届かないどころか、0.1%を超える銀行すらほとんどありません。また6ヶ月期に至ってはもうほとんど定期預金にする意味ないくらいの金利で、それどころか6ヶ月期商品ともなると用意していない銀行もざらです。
 一方浦発銀行では、一番金利が低い商品は最低購入額8000元(約13万円)からの1年期1.9%というのですが、大抵の金融商品は3ヶ月期ないし6ヶ月期で、金利は3.6~4.8%です。中には1ヶ月期というのもあり、最低購入額はどれも50000元からですが日本での金利と比較するとなんか中国は楽しげな感じがします。実際に、私の周囲の同僚も金勘定が得意な連中が多いもんだからみんな買ってるし。

 この日本と中国の差をどう取るか。もちろん中国では景気がいいのと住宅価格を中心にインフレが激しいということが大きな理由ですが、私個人としてはむしろ、低金利過ぎる日本の金融業界の方が異常だと思います。ほぼゼロに近い金利で預金を受け入れながら過去最高益を更新などと日本のメガバンクはよく発表しますが、本来還元すべき利益を預金者に還元しておらず、また政府もそうした日系銀行のサボタージュを看過し過ぎでしょう。
 ただ中国についてもう少し述べると、預入の金利も高い一方で住宅ローンなどといった借入金利も高く、特に奨学金については非常に金利が高くて中国人学生が海外へ留学するにしても迂闊に借りれないという話を耳にします。とはいえ、まだ中国の銀行は日本の銀行と比べると手数料も極端に高くないし、土日も午前は支店開けて対応してくれるなど真っ当な商売をしてくれており、極端なこと言うと日本の銀行よりもまともじゃないかという気すらします。預金引き出しも、系列銀行のATMならいつでも手数料ないし。

 最後に、定期預金を購入した翌日に友人と食事しに行って半年後に大体1200元くらいの利鞘が出ると話したら、「じゃあ今日は驕って」とたかられました。それにしても、スマホで定期預金とかすぐにできるのはほんと便利だなこの国。

主語を言わずに会話する友人

 このブログでもちょこちょこ書いていますが、先々週に九州地方の大学に通っている私の友人を上海に招いて観光案内していました。その際ですがここだけの話、普段温厚な私ですら何度か「てめー殺すぞ」と喉まで出かかって言いかけました。理由は何故かというと、その友人が会話で言っている内容がまるで理解できなかったからです。
 確かにそいつは昔から変にマイペースというか次に何するかが読めない奴でちょっと変わっているということは百も承知でしたが、成人となった後もそれが全く変わりがなく、本気でどうしてこうなった、安西先生ばりに「まるで成長していない……」と何度も思わされ、少し観察してみることにしました。その結果わかったことは、どうも会話や文章で主語を省略して話す癖がありそれが周囲とのディスコミュニケーションを生んでいるようだという結論に至りました。

主語がない人との会話の特徴と対処方法まとめ(結婚生活・お役立ちブログ Web論)

 上のサイトで紹介されている主語を出さずに会話する人なんかまさにその友人の話し方そっくりで、「ああ俺だけじゃなくみんなストレス感じてるんだな」と少々ほっとするやら、友人の先が思いやられるやらという感じを覚えましたが、やはり私の見立ては間違いなくこうした癖を友人は持っています。さらに詳細に述べると、主語だけでなく目的語も明示しないために主客関係が会話で掴めなくなり聞いてる方は訳が分からなくなります。

 まず大前提のお話をすると、日本語は他言語と比較して主語の省略が非常に多い言語で、日本語を学ぶ外国人からすると文章を読解する上で大きな障害となります。具体的には、

「彼は私の友人だ。昨日ディズニーへ行ってきたそうだ」

 第二文の文章の様に、前文に主語となる人物が出てきていたら大体の場合は省略されてしまいます。日本人からすれば「行ってきたそうだ」という動詞を伝聞系にするだけで省略された主語には前文に出てくる「友人」だということがすぐわかりますが、英語や中国語だったら文章が接続されていなければ必ず「友人」という主語を入れなければなりません。
 またその場で話し合っている二者間会話の場合も、時制や受身形、疑問形かどうかで主語が誰かを判断させるために省略することが多いです。一つ例を出すと二人の人間がレストランで飯食いながらの会話で、

「そういえば例のゴルフに行ってきたけど」
「そういえば例のゴルフに行くの?」

 どちらも主語が明示されていないながらも上の文章なら話主が、下の文章なら目の前の相手が主語になります。過去形か未来形か、疑問形かどうかだけで判断しなければなりませんが、状況から登場人物がその場の二人に限定されるので日本人なら普通は理解します。
 しかし先ほどの友人にかかれば、この文章を以下のような意味合いで以って平気でこんな風に言ってくるわけです。

「そういえば(その場にいない共通の知人が)例のゴルフに行ってきたけど」
「そういえば(その場にいない共通の知人は)例のゴルフに行くの?」

 以上の様に、何故か二者間対話の中で第三者が登場する話題にも拘らず第三者の名前を出さずにいきなり動詞をぶっこんできます。聞く側からすると「誰がゴルフに行ってきたんだよ?/行くんだよ?」と聞かなければ会話が通じないわけですが、決して冗談ではなくこういうことを普通に口に出すので、その友人と一緒だった間は真面目な話結構疲れました。

 大体二日目あたりで主語を省略する癖があることを見抜いて動詞の前に必ず主語を入れるようにと何度も言いましたがさすがに一日や二日ではどうにかなるレベルではなく、何度も「主語はなんだ」と最後の方なんか常にキレ気味で言い続けました。
 なお、実際にその友人が口にして私が全く理解できなかった会話文は以下の通りです。

「行きの飛行機で一緒だった人が福岡で働いている人で、子供が前は中国の学校に通ってたんだけど今は日本の学校に通っていて、上海で通訳の仕事をしているから何度も中国に来るんだってさ。空港からその人の車に同乗させてもらって集合場所までこれたんだ」

 上の会話文を見て違和感を感じる人がどれだけいるかはわかりませんが解説すると、まず最初に「福岡で働いている人」と言ってしばらくすると今度は「上海で通訳の仕事をしている」というので、「一体その人はどこで何をして働いているんだ?」と問いただしたところ、福岡で働いている人というのは日本人男性で、上海で通訳をしている人というのはその日本人男性の妻である中国人女性であることがわかりました。この時点で、「中国人の嫁さんなんて一言も出てきてねぇだろ!」と怒鳴りました。
 上の会話文の場合、仕事内容の紹介の所で主語が切り替わっているにもかかわらず何故か全く言及されなかったために混乱を招いたわけです。何故主格が入れ替わるのに口にしないのだろうかあいつは……。

 なお当初は気が付かなかったのですが、後から色々聞いたりしたところ飛行機で座席が隣り合ったのは実は日本人男性ではなく中国人女性だったとのことです。しかも日本の学校に通っているお子さんも春休みということもあって一緒に乗っていた一方、そもそも日本人男性の方は飛行機には乗っておらず会ったこともなかったとのことです。何故その事実を最初に言わないのかあいつは……。

 以上の様にまた愚痴が大半な記事ですが、日本語での会話がどうもわかり辛いという相手がいたらまずこの「主語(+目的語)が抜ける」という線を疑った方がいいということを少し言いたかったわけです。本当にびっくりするくらい変な省略の仕方をすることが多く、言って直るもんじゃないですが言わなければより悪化するきらいもあるのと、また会話文以上に文字文章では主語をはっきりさせる必要が多いため、わかりやすい文章を書こうというのであれば意識して主語を書くようにした方がいいというのが私のスタンスです。

 それにしても、上司が外語大出の語学マニアということもあるからか自分もこういう日本語のメカニズムを分析、解説するのが上手くなった気がします。最近その上司から教わったのは、大和言葉の数詞の発音(ひいふうみい)は古代インドのサンスクリット語に通じるというあまり使いどころのないトリビアです。

2017年4月15日土曜日

不正を否定する回答の価値は?

 また仕事が忙しいが故の疲れからか今日も昼間の二時から六時までずっと寝続けました。あと関係ないけど、さっき家の近くで30分くらい延々と泣き続ける子がいてちょっとうるさかった。

 さて話は本題に入りますが先日コンサルタントをしている友人が話の拍子に、「内部で不正をやっている人に不正をしているだろうと言ったら確実にしていないと否定する」ということに触れ、こうした不正調査において当事者の肯定否定はほとんど価値がないということを教えてくれました。だからこそ客観的な証拠、具体的には金の流れとメールのやり取り、周辺人物の証言などが大事で、本人が否定しているからというのはなんの擁護にも免罪にもならないそうです。

 言われることごもっともで、悪いことをしている人間にやってるだろといって「はい、その通りです」と素直に認める奴ならそもそも不正なんてやっていないでしょう。そういう意味では私はこうした不正の当事者に実際にやっているか否かを問うこと自体が無意味だと思え、よく政治家とかの不正事件とかで事実を認める否かを百条委員会とかでいちいち確認しますが、あれなんて時間の無駄だから、「罪を認めて関連証言を話して軽減を図るか否か?」だけを聞くべきではないかと思います。

 そういう意味では豊洲問題について私は、現状からするとやはり元副知事の浜渦武生氏が豊洲に問題があることを見越しながら移転を強行した最重要張本人であるようにみえ、わざわざ個人で反論会見を開いたりしていますが自分が無実であるという証拠を明確に示せないあんな会見なんて一顧だにする必要はないという風に考えています。もう一人の重要人物である石原慎太郎元都知事も「全部浜渦に任せていた」と述べており、真実がこの発言の通りかどうか、本当に石原元都知事は関わっていないのかはわからないものの、少なくともほかの関係者の証言などを総合すると東京ガスと汚染除去については都が持つとした上で除去方法はいい加減に決めてしまった人物は浜渦氏以外には考えられないというのが私の見方です。

 仮に浜渦氏が「自分は不正をやっていない」と言ったとしても、上記の通り私はその発言には何も意味がないと考えます。もし本当に自分の無実を証明したいというのであれば無関係である覚書なり契約書なり議事録なりを提出すべきで、それがないのであれば是非ともこの問題を結ぶ生贄となっていただきたいというのが私個人の意見です。

2017年4月13日木曜日

突然出てきた北朝鮮の化学兵器報道

北朝鮮への圧力強化=安倍首相、サリン弾頭化の能力指摘(時事通信)

 今日昼間、ニュースを確認していた所上記リンク先の記事を筆頭として突如北朝鮮が化学兵器を保有するというニュースがわんさか出ました。その中には「北朝鮮が化学兵器を保有していると米国が指摘」というニュースもあったように思うのですが、いましがた探してみたところそのようなニュースは引っかからず、もしかしたら「米国が」というのは私の見間違いでなければNSC発表を先走った誤報だったのかもしれません。

 仮に「米国が」だったら、自分としてはちょっと焦りました。というのもこのところ米国がケンカ吹っかける際は毎回と言っていいほど「化学兵器が」というのを口実にしており、実際にあろうとなかろうと、かつてのフセインさんの様に問答無用で攻撃してくる前兆めいたものを感じるからです。
 生憎というか今回の化学兵器関連の発言主は上記の安倍首相と日本のNSCですが、一体何故このタイミングで触れだしたのか、またその発言の根拠となる調査や発見はあったのかについてははっきりしておらず、どちらかと言えば日本国内世論の誘導を狙った発言だったのではないかと思います。

 知っての通り既に米軍の空母が朝鮮半島へと現在向ってきています。これは4月15日の金日成の誕生日であるこの日に何らかの軍事行動、核実験かミサイル発射実験を試みる可能性が高いことから牽制目的で派遣されたもので、仮にそのまま実行して来たら北朝鮮近海へ敢えてミサイルや砲弾を撃ち込むくらいのデモンストレーションがあるかもしれません。
 逆に北朝鮮が米軍らの配備を見て4月15日になにもしてこなかったら、米軍としては狙い通りというか「北朝鮮が米軍に恐れをなして大事な記念日に何もできなかった」などと宣伝できることからも万々歳でしょう。同時に、米軍による抑止力を示すことにもなるので日韓からの信頼を得る上でも効果があるという風に私は見ています。

 これともう一つ今日歩きながら思ったこととしては、今回の空母派遣は地味に韓国の次期大統領選にもプレッシャーをかける意味合いもあるのかもしれません。トランプ政権としては北朝鮮に対し強硬派の人物が大統領になってほしいはずで、その意味でも北朝鮮の脅威を煽っておくのは韓国大統領選にも影響を与えるでしょう。
 ちなみに最近の報道見ててすごい不思議なのは、パククネ前大統領は北朝鮮強硬派だったとやたら書かれていますが、私から見たら彼女はむしろ親北朝鮮派だったように思います。その前の李明博は間違いなく強硬派でしたが。

 なお4月15日前後で本当に戦闘になるのか否かについては、まずはならないというのが私の見方です。というのも韓国は今、大統領すらいない状態で、こんな状態では戦争どころではありません。だからこそ米軍も空母を派遣して大統領なき韓国を守ろうとしている体裁を取っており、少なくとも韓国の大統領が決まらない限り米軍がいきなり北朝鮮を攻撃するという可能性は低いでしょう。

 最後どうでもいい話ですが最近戦闘機についていろいろ調べていた所、日本の主力戦闘機の一つであるF-2戦闘機がめっちゃ高くて配備数も少ない癖に、東日本大震災で水没してそこそこの機数がオシャカになったと知りました。超高性能機なんだから仕方ないと思いつつも、日本の場合は専守防衛なんだから航続距離とか捨てて、地上のレーダーや防空設備と連動できる程度のもっと安くて格闘戦重視の戦闘機のがいいんじゃないかと思えてなりません。結論を言えば、日本もグリペン買おうよヽ(^o^)丿

2017年4月12日水曜日

風刺の足りない昨今の世の中


 上の画像はさっき見ていたまとめサイトで見つけたものですが、左下の「国有地大売出し」という上りはなかなかユーモアがあって、こういうことができる人になりたいと常日頃思っています。
 こうした行為は今でもなく風刺であって、世の中の真面目な問題を敢えてユーモアを用いて解釈する、捉えると言った行為で、基本的にこうした行為は好ましいというかなかったら面白くありません。また社会におけるユーモアの幅というか寛容さを高める上でも重要であると思われ、逆にこうした風刺が一切許されない世の中ははっきり言えば病んだ社会と言ってもいいかもしれません。

 日本も戦時中はこうした風刺が徹底的に規制されたもののいつの時代もユーモアのある人はいるものというか、「ぜいたくは敵だ」という看板が掲げられるや翌日に一文字付け足され「ぜいたくは素敵だ」となっていたということがあったそうです。
 一方、私がこのところの日本社会を見ていて思うのはこうした風刺が前ほどみられなくなった気がします。もちろん言論統制とかで規制されているわけではなく、単純にユーモアの幅が狭まっているというか、ちょっとふざけて面白おかしく言おうっていう感覚が前ほど鈍くなっているように見えます。

 何故減ってきているのか理由を挙げればきりがないですが、心に余裕がなくなったとか、社会が風刺に過剰反応するようになったとか、冗談が通じ辛くなっているとかありますが、ちょっと変わった意見を敢えて言うと本来こうした風刺を担うべき芸人に教養がなくなってきて、ビートたけし氏のように社会や政治の話題をちゃんとした意識を持って茶化す人が減っているのではないかと思います。
 ちなみにかなり昔ですが、滋賀県守山市にある浮気町という地名をどう読むのかというクイズで中尾彬氏が即座に「文化」と読んだのは見事でした。なお正解は「ふけちょう」ですが、先ほどの中尾氏の発言は去年のベッキーの騒動とか見てると案外間違いでもないようにも見えます。

 話は戻りますがこうした冗談が通じ来世の中だからこそ世間を敵に回すような激しいブラックジョークが必要だと私は思います。そのような考えのもとに以前うちの親父に対し、「折角だから現代を舞台にした必殺仕事人みたいなドラマをテレビ局に売り込めよ」と言って、それこそ今なら学校を作ると言って補助金を搾取する学校法人経営者、破綻寸前にも拘らず旅行代金を請求していた旅行会社社長、豊洲移転を自分が決めておきながら責任はないと言い張る石原元都知事などを容赦なく悪・即・斬で成敗するような番組なんかあった方がいいと思います。苦情やクレームは来るでしょうが、「だからなに?」で返すような真剣さで報じていれば、きっと視聴者もついてくるんじゃないでしょうか。

 無実な人を風刺で馬鹿にするのは以ての外ですが、明らかにツッコみどころで満載且つ公益に適うならば社会はどんどんとネタにすべきです。不謹慎という言葉もあるでしょうが、今の日本の世の中は謹慎すぎるきらいがあるため、もっとふざけてというか斜めに構えた視点が必要だというのが息も絶え絶えなくらいに疲弊しきった中で書ける今日のネタでした。

2017年4月10日月曜日

出身地方で異なるメンタルの強さ

 先日高校の同級生を上海市内の自宅に招いてしばらく観光案内した際、友人から私の口調が随分と怖くなったと何度も言われました。まるで今にも殴り掛かってきそうな口調だとのことですが、私からすればかつての職場で怒鳴られまくった文言と比べれば丁寧にも程があるほど優しく語りかけているつもりだっただけに逆に「お前の方が甘い」と言い返しましたが、「花園君が前にいた職場(新聞社)が異常なんだよ」と逆に言い返され、「それは間違いないな」と私も認めました。
 ただ、この友人に限らないというか私の高校の同級生はほぼ例外なく私の口調やこのブログでの記述について過激だとか、怖いとよく言ってきます。確かにたまに恫喝目的で喋ることはあるもののまさか同級生を恫喝することなんていうことは滅多になく、こちらとしては普通に話しているつもりなのにどうしてこうもまぁ怖い怖いと言われたい放題なんだと思っていた所、最近になってようやくヒントが得られました。

 結論から言うと私が関西に行ったからで、関東の人間は関西の人間と比べると強い言葉や口調に対して免疫がないように思われます。

 このように考えるのも関西出身の友人らの反応で、「高校の同級生からはブログでの主張が過激だとよく言われるのだが……」と話したところ、「え、そうなん?あれで?」という感じで確実に不思議がられます。もっともたまに、「まぁ八つ当たり的なことを書き殴ることはあるけど」という痛い所も突かれますが。
 私自身は自分の口調について確かに口が悪い所はあるもののそこまで極端に過激なレベルではなく、怒鳴る際も対人で喉を潰すほどの声を出すことはまず有りません。逆を言えば元いた職場や大学時代を過ごした関西地方では確実に私より怖いおっさんや大学の同窓生が溢れんばかりにおり、「ぶっ殺す」とか「轢くぞコラ」とかは軽いあいさつ程度の会話でしょっちゅう出てきました。ついでにいうと顔つきも、関西の人は私からすればみんな怖かった……。

 かくいう私も大学進学で関西地方に来た当初は、「西の人はマジこえぇなぁ」と結構ガクブルでしたが、大体一年過ぎたあたりからは自分も慣れてきて、「関東の連中はみんなベビーフェイスで、怒ってる時の口調もむしろかわいいレベルだよな」と上から目線で見るようになってきました。
 こんな風に書いてると関西をなんだと思ってるんだとか関西地方の人たちから言われそうですが、関東来れば如何にナイーブな人間が多いかって理解してもらえます。私流に言えば、関東の人たちは単純に怒鳴られ慣れておらず、ちょっとしたことで怖がるなどややメンタル面が平均的に関西地方と比べて弱いように感じます。だからこそちょっと棘のある、関西人からしたらちょうどいいくらいの刺激の言葉が関東人にはブスリと刺さってしまうというか、「なんでそんなひどいこと言うの?」ってマジ顔で非難される羽目となるわけです。

 実際、関西出身や私の様に大学時代を関西で過ごした人間からすれば普段のこのブログの主張などは至って平穏なもので、「花園さん、ブログだとよく抑えてますね」とほんとに言われたりします。しかし関東の人からすれば、「ちょっとまた言い過ぎでは」、「確実にあれ読んで引く人多いよ」などと、心配してくれるのはありがたいのですが「これ以上気を使わないといけないの?」という具合で少し困るような感じとなってしまいます。

 で、話をここで海外生活に移すと、やはり大阪を筆頭に関西出身者の方が海外の現場では東京の人間より圧倒的に強く、その理由は海外嗜好とか地政学とかではなく単純にメンタルの強さにあって、いざとなったら殴り合いも辞さない覚悟の差なのかなとこの頃思えてきました。
 実を言えは大分前の時点である程度推測してはいたものの、私の関東出身の知り合いのほとんどは中学・高校の同級生とかその辺の関係が多いため、出身地域というよりかはまだ成人していない子供だったという年齢的な要因の方が大きいのではないかと思って結論を出してませんでした。しかし立派に成人した高校の同級生らとこの年齢になって話しててもやたら怖い怖い言われる辺り、ああこりゃやっぱ地域的な育ちの差だったんだなとはっきりと自覚するようになりました。

 私の場合は大学進学で関西へ行ったことが大きいですがそれ以上にやはり新聞社で毎日怒鳴られたり物投げつけられたりした経験があったのと、あともう一つ海外でそこそこ長く暮らしていることもあって、「日本人なんて中国人やインド人に比べればね……」という、またもやや上から目線の感覚で相手できるようになったことが、今のメンタルを支えていると思われます。大体物事を考える際も、「少なくとも死ぬことはないな」で判断することも増えてますし。

 なお個人的意見ですが、人種や民族という単位で見るならばアジア最強は上にも挙げている通りにインド人だと思います。インド人は何か揉め事になると時間と共にどんどん仲間が集まって増えてくるなどお前らマドハンドかと言いたくなる傾向に加え、なんか妙にガタイよくじっとこっちを睨みながらわけのわからない英語で一方的に話してくるので物凄い手強いです。中国人も似た傾向があり、こっちの都合お構いなしに一方的に中国語でまくし立ててきますが、割とこっちも強い態度に出ると少し冷静になって、普通の言い合いにもつれ込ませられます。
 一方、日本人はやはりビビる人が多く、特に関東だったら「なんなら表に出るか?」と言えば大抵捨て台詞と共に去っていきます。なお関東の人の殺し文句は、「みんな~と思ってるだろ」という他の人も迷惑してるだろ的な切り口で攻めてきますが、これもちょっと切り崩してやれば同じことを壊れた機械みたく延々と繰り返すので、変なおっさんとか怒鳴ってても毅然として、場合によっては凶器となるようなものを見せつけるなどすればすぐに撃退できるので、まともな神経を持ってる人はもっと毅然と生きていった方がいいかと思います。

2017年4月9日日曜日

米軍のシリア攻撃に対する見方

今日昼に友人と食べた飲茶

 既に報じられている通り先日、化学兵器を使用したことによる報復として米軍が突如シリアのアサド政権軍基地にミサイルを撃ち込みました。この件について知人などから私もいろいろ聞かれる機会が多いのですが生憎中東事情は専門外もいい所で、生半可な知識であれこれ答えるのは自分の分をわきまえて差し控えており、当たり障りのない米露首脳の関係性や米中首脳会談のタイミングについて解説するにとどまっています。
 それもこれも、このシリア問題についてきちんとその背景やバランスを開設するような報道が内製です。私は基本的に日系メディアの海外報道はあまり信用していませんがこのシリア問題では特にそれがひどく、現地の様子や主要国の思惑などについてこれという解説を見たことがなく、痛い大手メディアや専門家はどうしているのかと他力本願な愚痴をよく呟いています。

 ただ、他のメディアが使わない言葉で敢えてシリア戦争を表現するならば、もはやかつての朝鮮半島やベトナムの様に米露の代理戦争と化して生きているのではないかと思います。陸上線こそないものの実質的に米露がそれぞれを支持する側に立って武器供給や空爆を行い、シリア人同士の戦闘というには海外からの干渉が要素としては大きく、またISISを始めとする第三勢力のテロ組織も活動していると言いますが面白い点は米露双方が一緒になって、「イスラムテロリスト撲滅活動のため」という口実に使っている点で、可能性レベルとして好き勝手に述べるなら自作自演も一つの可能性としてみておくべきかもしれません。

 どちらにしろ今回のミサイル攻撃によって、トランプ政権はオバマ政権ほど甘くはないことははっきりしました。今回の攻撃は北朝鮮に対する脅しも兼ねていると言われていますが果たしてそのメッセージを北朝鮮が受け取るかはまだわからないものの、北朝鮮も金正男の暗殺によって国際世論が一挙に動いたことで案外その滅亡を早めたかもしれません。
 やや気の早い話ですが、仮に北朝鮮が滅んだとしたら日本が次に目を向けるのは中国かもしれません。これまでは軍事上の最大の脅威は間違いなく北朝鮮でしたがそれが滅ぶとなると既に脅威意識が高まっている中国への懸念がさらに高まり、国も中国に対するシフトをより強めることでしょう。そうなったら日中関係は多分あまりよろしくなくなる可能性があるだけに、事日中関係を維持する上では北朝鮮にはもうちょっと頑張ってもらった方がいいという見方もあるかもなと思います。

2017年4月7日金曜日

ウェブメディア業界におけるライター、編集者不足問題

 先日、自分が寄稿しているJBpressの編集長と上海市内で会った際、現在のウェブメディア業界における課題としてライター、編集者が絶対的に不足していると指摘した所、即意見が一致しました。なんでいきなりこんなことを掘り返していうのかというと、一昨日に昼の唐揚げ弁当を食べるや猛烈に胃が痛くなり今も口内炎で苦しむような出来事に遭遇した後に読んだ記事で、「最近テレビや新聞はウェブの引用をした報道ばかりでネットメディアは既に大手を越えた」的なことが書かれていたからです。
 このように書けば私が何を言いたいのかわかるでしょうが、ネットメディアが大手メディアを凌ぐなんてちゃんちゃらおかしく、上記の記事は言い方は悪いですがメディアの世界をよく知らない小僧っ子が書いたんだなと私は見ています。もしくは、ライターと編集の役割というかその力量をきちんと把握してないかでしょう。

 私はこのブログで毎日新聞、ダイヤモンドらを筆頭に散々に大手メディアを批判する記事を書いていますが、それでもウェブメディアと比べればテレビ、新聞、雑誌メディアの方がずっとしっかりしています。その差は何かというと最初に上げた通りにライターと編集者がウェブメディアには致命的なまでに不足しており、特にライター方面では自分もえらそうなことは言えませんがほとんどカスみたいな素人に頼り切っている状態です。
 意識しないとわからないかもしれませんが、大手メディアとウェブメディアで記事文章をきちんと比較するとその差がはっきり出てきます。やはり大手メディアは見方によればやや固く読み辛い印象を覚えますが、それでも文章の根幹がしっかりしているので主題→詳細→関連話題という具合の三拍子がきちんと整っている文章が多いですが、ウェブメディアの方は同じ記事内でも表記がバラバラになったり、段落がきちんと分けられてなかったり、見出しに掲げた主題にほとんど触れないいわゆる「見出し倒れ」な記事がよく散見されます。

 一つ名指しするとこのところよくトップページのニュース欄に混ぜてくる、Yahoo編集部がまとめた記事などはまさにこの典型です。あれは恐らく始めから見出しが概ね決まってあり、その見出しに合わせて取材した内容を延々とただ書き連ねているだけなので読んでて何がいいたのか全く見えてこない記事が多く、量多くして真相なきウェブメディア記事の典型だと思います。

 ウェブメディアの悪い特徴をもう一つ上げると、やはりライターの問題からか取材が致命的に不足していることも大きいです。大体が聞きかじった内容を詳しく下調べせずに書かれているため基本的な事実誤認は当たり前な上、内容がよくわからない専門的な箇所は意図的に避けるため深みのない薄っぺらい記事になります。またインタビューとかでも結構どうでもいい感想を聞くことに終始するというか、企業取材に関しては踏み込みが明らかに足りておらず相手広報と本気でやり合ったような跡も見られません。まぁこれは最近の大手メディアにも言えますが。

 こうした問題点はすべてライター、そして編集者の不足に起因しており、まだライターの問題であればまだ後から育成したり、出来上がった原稿を手直しすることでいくらかカバーはできますが、そうした育成、手直しを行う編集者の不足だけは本当にどうにもなりません。編集の役割としてはこのほかにも取材企画の立案、組織、指揮も含まれるため、大掛かりな取材や、私の様に外国語を用いて取材できるような人間の活用面でも手腕が問われます。
 特にこのところのウェブメディアの記事を追っていると、刺激的な話題にすぐ飛びつくというか内容の検証すら済ませずに流してしまう傾向があり、一例を挙げると中国でVPNが禁止されると一時期大手メディアも含めて一斉に報じていましたが、あれは中国語の法律文書をきちんと読めずに本来は規制の意味を禁止と捉えてみんなで誤報を流した例です。普通に考えればVPN禁止となれば中国進出の大手企業各社の通信、連絡業務で大打撃を受けることから実行できるわけがなく、そこに至れば必ず「これは本当に『禁止』なのか?」とブレーキがかかるはずで、その辺を判断できる編集の人間がやはりウェブメディアにはいない気がします。私の持論ですが、報道にアクセル踏む奴よりブレーキをかけられる編集の方が優秀です。

 なんだかんだ言いつつ、大手メディアはこの辺の態勢がしっかりしていて、共同通信に至ってはどんな些細な誤報一つでも流したら即その部署の編集長は更迭されるほどの厳しい姿勢で編集に臨んでいます。そのような迫力というか責任感がウェブメディアにはまるでなく、またどことは言いませんが私が記事ネタを提供したあるウェブメディアの記者に至っては一番キャッチ―な数字データを何故か使わずに自分が取材した内容をずらずら書き並べるだけで、「この原稿見た上の編集は何も言わなかったのか?」と本気で疑いました。関わっても無駄に価値下げるだけなので、真面目にそことはもう仕事をする気はもう全くありません。

 とにもかくにも、ウェブメディアにはライターと編集者がまだまだ不足しており、ほかの国ではどうかは知りませんが大手メディアと肩を並べるなんて私からすれば考えられない夢想話です。もちろん大手メディアも以前と比べると編集力などの点で年々実力を落としてきていますが、それ以上にウェブメディアがあまりにお粗末なので当然抜かれることはないでしょう。
 ではウェブメディアは今後どうすればいいのか。やはり新聞や雑誌出身のまともな編集者を高い金出してでも雇って切り盛りさせる以外ないと思います。ここで重要なのは新聞や雑誌出身であればいいということではなく、「まともな」編集者であることです。やはり自分の経験からしてもいい編集者が上にいるかいないかでライターも変わってくるし、下のライターを上手く引っ張ってくれる人間をどれだけ集め、ライターを育成できるかが今後のウェブメディアを左右するでしょう。

2017年4月6日木曜日

日本のお粗末な契約対応サービス

 先日、日本に一時帰国していた同僚がドコモショップで携帯電話の契約を更新した際の事を話してくれました。同僚がまず感じたのはアンテナショップで非常に長く待たされること、次に用意されている契約プランやオプションが非常に難解且つ複雑で、店員はやたら妙なオプションを進めてくるがどれも消費者からしたらほとんど得しない内容ばかりで呆れたそうです。挙句の果てには、隣のカウンターではおじいさんが来ていて、横で聞く限りだとどうも高額で意味のないオプションを契約させられているようだったとのことで、こうした携帯電話会社の契約は非効率この上ないと批判していました。
 それならばむしろ、契約プランやオプションをシンプルに絞れば余計なオプションによる稼ぎは減るものの、一人当たりの対応時間が減ることによって店員や店舗の数も減るので経費も縮小するだろうから、経営的に効率は増すだろうにとも指摘していました。

 こうした指摘はかつて日本のマッドシティに潜伏していた私も感じるところがあり、なんであんな非効率な体制で、なおかつ対応悪いのだろうかと通信キャリアに関しては非常に腹立たしく感じていました。同僚が言うように契約プランを絞れば経営効率は段違いに上がるだろうと私も予想しますが、今の所通信キャリアは三社とも桁違いな利益を出し続けているので、敢えてそういった改革にはまだしばらくは取り組まないでしょう。
 しかし現状のその横暴さには私も見ていて呆れるところがあり、特にあれだけ叩かれたにもかかわらず携帯電話本体を実質0円で乗り換えユーザーに配る行為は一部でまだ続いていると聞くだけに、もう少し消費者は通信キャリアを叩いた方がいいでしょう。っていうか2年縛りとかまだやってるのかな。

 ここで少し話は変わりますが、上記の同僚の話を聞きながら私が思い出していたのは去年初夏に話題となった、PCデポの高額契約問題です。覚えている人には話は早いでしょうが、年寄り相手に明らかに不要と思われるサポートやリース契約を結ばせ、内容に気が付いた親類がキャンセルを申し込むやキャンセル料として20万円という法外な金額を請求した事件のことです。
 この事件も喉元過ぎれば何とやら立ったのかなと思いますが、恐らく今現在でこうして内容をしっかり覚えていて話題にするのは私位なものでしょう。恐らく現場でもそうで、事件が盛り上がっていた際のPCデポ幹部らの態度というか反応を見ていた限りではあまり反省とかしてなさそうだったので、根拠なく言うのもなんですが再び同じような高額契約を結ばせるという行為が行われているのではないかと私個人としては強く疑っています。ホームページも見たけど、この件についてもう何も触れてなかったし。

 しかし改めて考えてみると、こうした老人や子供といった情報弱者を相手に不要且つ高額な契約を結ばせる、敢えて単語にして表現するなら「不効率契約問題」はPCデポに限らず上記の通り携帯電話契約でもある、っていうかむしろこっちの方がもっと深刻なのではないかという気もします。更に言えばこうした不効率契約は日本のいたるところで見られ、自動車保険一つとっても然り、クレジットカード契約でも然りと、明らかに余計なオプションが存在するだけならまだしも世間からほとんど批判されずに温存され続けるというのは如何なものかという気がします。
 何も今に始まるわけじゃないですが私はかねがね日本人自らが「おもてなし」と称してやたら自慢するサービス姿勢は、外から見たらそんな大したレベルではなく、むしろモノによってはお話にもならないレベルの物も少なくありません。この点に関しては中国も決して誉められたものではないものの、今回取り上げた契約関連サービスにおいては日本人はもっと自国の状況を見直して、どれだけ不当に稼いでる奴らを叩きつぶすかをもっと真剣に考え、消費者保護意識を持つべきだというのが私の意見です。

 なおこの記事を書く前にPCデポのホームページへ行こうと検索した際、何故だか「PCゲボ」と検索して以下の商品が存在することを初めて知りました。

嘔吐物凝固剤 オウトロック(Amazon)

 この商品は嘔吐物の上に振りかけるとあっという間に嘔吐物がパッサパサになって簡単にふき取れるようになるという化学品のようです。ネーミングが「オートロック」とかけていて面白いと思うと同時に、地味にすごい商品がこの世に存在したんだなと変に感動してしまいました。
 レビュー欄も好意的な評価が多く、特にタクシー運転手という方の以下のコメントが面白いです。

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事前申告で気分が悪いと訴える方、又は挙動から明らかな方には、「エチケット袋ゲロゲロ ユリアパック」をお渡しし、なんとかそれで防ごうと努力しますが、無言でゲロリストになられる方もいらっしゃいますので、備えとして購入。
残念なことに、一度だけ使う機会がありましたが、車内の徹底清掃前の応急処置用としては、十分に役に立ってくれました。
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 確かにタクシー運転手からしたら乗客の嘔吐は日常的な問題というか課題で、「ゲロリスト」なる面白い単語があるのかと変に感心するとともに、こうした職種の人たちにうってつけの商品だろうと感心しました。世の中はまだまだ私の知らない世界で溢れていると思うと同時に、どうしてPCデポの話題からこんな話題に繋がってしまうのだろうかと我ながら変な風に呆れます。

2017年4月4日火曜日

中国の韓国いじめ、特に観光方面


 夜中にこんなおっさんっぽい顔して寝てる猫に突然遭遇したら多分化け猫だと思う気がします。しかもこの猫、よく二本足で立って歩くし。

 話は本題ですが、また4月中に一本JBpress用に記事を書かなければならないことからこの三連休中に書こうといろいろネタを探した結果、ある程度既出ですけど小中学校の教育の現状について記事を書こうと思い、先程書き終えて提出しました。少し楽し過ぎな気もしますが、その分次回はまた気合入れた取材するしまいっかってところです。
 ただ、この教育に関する記事を書く前に少し考えていたネタとしては、例のTHAAD導入に対する中国の韓国への報復、っていうかむしろいじめについて書こうかなとも思ってそこそこ下調べも済ませていました。それなのになぜ書かなかったのかというと多分教育ネタよりインパクトが小さいと考え、普通に「中国で中学生が過労死?」という見出しの方に魅力を感じたため見送りました。

 なので代わりに今日のネタとして書くのですが、まぁほんとここまでいじめるかっていうくらいいろいろやらかしています。私の下調べによると近年の韓国への旅行者は中国人がダントツトップで多く、また国際便数も二位の日本の約900便を上回る1200便も飛んでいて、GDP換算でも中国人からの観光収入は数パーセントを占めるほどだったそうです。
 それを今回のTHAAD問題で全部止めてしまったのですが、中国政府が各旅行会社に圧力をかけているとは知ってはいたものの、中国の旅行・ホテル・航空券予約サイトのCtripでも韓国ツアーを選択したらさりげなく関係ないページに飛ばすなど、一切の販売を停止しているということをつい最近知りました。ちなみに日本観光ツアーとかはきちんと表示され、また韓国行きの航空券であればさすがに予約できます。

 ここまでやるのかと見ているこっちがびっくりするくらいですが、こうした中国の反応について根拠のない個人的意見を述べると、かねてから中国人が韓国人に対して持っていた反感がここで一気に出たのかなという風にも覚えます。あまり日本では報じられませんが、中国人に嫌いな外国人を尋ねたら大体ほとんどの調査で韓国人がトップ(二位は日本人)に来ます。嫌いな理由を聞くと、よくビジネス上で騙されるとか、お店とかで暴れるとかが挙げられ、特に後者に関しては飲食店従業員に聞くと酒飲んで暴れたり支払いを渋ったりするなど散々な評価です。逆に飲食店関係者から日本人は高く評価され、支払いはきちんとしているし態度も丁寧で、「こんなお客がこの世にいるんだ」と言う中国人調理師の感想を私も直接聞いたことがあります。

 ビジネス上の話でよく聞くのは、韓国系企業は支払いを踏み倒すことが多いということで、あれこれ難癖をつけては代金を支払わなかったり、割引を強要するという話が多いです。もっともこれ読んでる人らは「お前ら(中国人)が言うか」という感想を持つでしょうが、中国人からしたら日本人はカモですが、韓国人からしたら日本人を騙す中国人ですらカモにしてしまうようです。
 あと韓国系企業でもう一つよく聞くのは、夜逃げが多いという話です。これも代金を踏み倒す一種の例ですが、物だけ受け取って支払いの催促を受ける間もなくある日突然消えるという話を耳にします。日本の夜逃げの場合は借金まみれでやることが多いですが、なんか韓国系企業の夜逃げはパターンが違うのかもしれません。

 こうした積もり積もった関係からか、韓国人を嫌う中国人は決して少なくありません。また中国人自身、韓国人からは「田舎者」扱いされていることを自認している節があり、それがためkン界のTHAAD問題で今までの鬱憤を晴らさんばかりに国を挙げて韓国いじめに力が入っているのではないかと思います。
 なお韓国旅行が減った分、恩恵を受けている国として現地メディアが挙げていたのは東南アジア諸国のタイやマレーシアで、安・近・短の所へ観光客が流入しているそうです。日本もいくらか恩恵が得られるのではと思っていましたが今の所それらしい報道は出ていないため思い過ごしだったのかもしれませんが、この韓国いじめをいつまで中国がやるのかは注目しておきたいポイントです。

 なお中国のメディアで、THAADへの制裁を受けてか韓国に留学している中国人が差別やいじめを受けるようになったと報じられていましたが、「お前らが言う?」と私個人は思いました。

ソーテックのパソコンの思い出


 中国は一昨日土曜日が出勤日となった代わりに、昨日から清明節という中国版お盆(墓参りに行く日)の祝日と絡んで三連休です。連休中日の今日、朝10時半に起きてから頭痛がやまなかったので1時から再び寝込み、起きたのは夕方5時でした。先週はセーブ気味に働いていたつもりでしたがやっぱり疲労が来てたようで、昨日一日挟んでから一気に疲れが今日来たような感じでした。
 昨夜からの睡眠時間は15時間となる計算ですが、なかなか16時間の壁を越えられない。っていうかさっきから眠い。

 話は本題に入りますが、以前にも少し書きましたが今使っているノートパソコンのNEC Lavieは2011年に購入したもので、既に7年目に突入することからいつクラッシュするかわからない時期に入ってきたこともあり新たに買うノートパソコンを色々物色していました。でもって昨夜、最終的にNECの最新ノートと比較した上で、デザインはどっちも正直言ってダサいと感じたことからマウスコンピューターのLuvBook Fシリーズを購入することにして注文も済ませました。
 決め手はこちらの方が価格が安いこと、またメモリ8GB以上のラインナップでNECのスタンダードノートPCはCPUがCorei5が標準ではなく、「インテル® Celeron® プロセッサー 3855U」というあまり聞いたことないCPUだったためです。性能比較サイトでクロック数見てみたところ、Corei5の半分程度だったし。

 そんなわけでマウスコンピューターにして、SSD搭載、Office付き(Home and business)にした上で、メモリに関しては+1万円弱で16GBに増設できるということだったのでこちらも増設し、さらに外付けブルーレイディスクもつけて計13万6千円(送料、税込)でハンマープライスしました。そこそこのお値段ですが、性能的にはかなりのモンスターマシンだと思います。それとこの値段を見ていて、「ソーテックの10万円パソコン懐かしいな」と急に思い出しました。

ソーテック(Wikipedia)

 ソーテックとはかつて日本に存在したパソコンブランドの名称です。元々パソコンのOEM事業を行っていましたが生産委託先の韓国・三宝コンピュータによって1997年に買収されると、ちょうどパソコンが個人へ普及していた時代でもあったことから安売り路線で個人向け販売を強化していきました。
 その最たる例といってはなんですが、1999年に新聞広告にて10万円を切るデスクトップパソコンの販売を公表した際は当時中学生であった私も大いに面喰らいました。当時、一般的なパソコンの価格は30万円前後、安くたって20万円を切るか切らないかという水準だったところを一気に10万円の壁を切る値段で売り出したため、これ以降は他社も競って価格競争に転じたためパソコン市場の価格は大きく下落することとなります。もっとも、ブロードバンド共にそれで一気に普及したのでまあありだったなという気はしますが。

 ソーテックはデスクトップだけでなくノートパソコンでも安売り路線を展開し、当時は安価でパソコンを購入できるブランドと言ったら真っ先にここの名前が挙げられるほどでした。ただ安いからには裏があるというか、Wikipediaにも書かれている通りに品質面では当時から酷評されており、壊れやすいことを前提にして「最低限パソコンが欲しい人向け」という具合で私も中学、高校の仲間内で話していました。
 知名度は非常に高かったもののそれだけに品質面の問題はブランド力を一気に失墜させるほどの時代を引き起こし、結局経営はほとんどうまくいかずに何度かの再生ファンドを経由した後、最終的には2008年にオンキヨーに買収されて解散に至りました。

 多分今でもそうでしょうが、パソコンの値段で10万円を切るか切らないかは一つの大きなボーダーだと思います。最近だと5万円を切るようなパソコンも珍しくありませんが、ブランド価値と品質の事を考えるならやはりこの10万円がメーカーにとってもルビコンに当たり、値段設定しているような節が見られます。
 このボーダーを初めに作ったという意味では私の中ではやはり上記のソーテックが浮かんできます。高校時代、自分用のパソコンを敢えて購入するとしたらやはりソーテックしかないと思って家電屋のチラシを睨んでいたのを今でもよく覚えていましたが、結局当時には購入せず、私が初めて自分で購入したのは大学生だった2004年にソフマップで買った格安5万円のバーガーパソコンでした。

 やはり当時、買いたくても買えなかったという悔しさがあったことから、今でもパソコンを購入するのは素直に楽しいです。それ以降購入したパソコンは2010年にダイナブックのネットブック、2011年に現在使っている15.6インチノートのNEC Lavie、2012年にエプソンのネットブック、2014年にエプソンの14インチノートですが、エプソンのは人に上げたりサブ用としておいていたりであまり活用せずなんとなく申し訳ない気がします。エプソンのはデザインはいいけど、中の電池が膨らんで筐体の一部にヒビ入るのはいただけない。
 新しく購入するパソコンは来月の一時帰国時に受け取る予定ですが、果たしてどんなパソコンになるのかそこそこ楽しみです。なるべく長く使いたいけど、耐久性とかどうなんだろうな。

2017年4月2日日曜日

トランプ政権が真に相対するもの


 過去二代のブッシュ、オバマ政権が相対していた相手を挙げるとすれば、それは間違いなく中東のイスラムテロリスト達だったでしょう。ブッシュの場合はこれにフセイン政権が含まれますが、テロリストは国家の枠組みを越え、それこそジハーディジョンのように先進国からも参加者が現れるなど敢えて言うならイスラム原理主義を旗頭にした思想集団であるため、「どこにでも敵は介在する」ということもあって国家体制を揺らがす存在でありました。もっともそれ言ったら、IRAなんかは昔から活動しているので今に始まる存在というわけでもないでしょうが
 ただこうしたイスラム原理主義テロリストは多方面の努力もあって、確実にその勢力を衰退させてきています。アルカイダはビンラディンが既に死に、ISISもイラク国内の拠点をほとんど失いもはや消滅の瀬戸際に立っています。石油利権を奪われたのが効いているのか、金のない所にはあんま人も来ないというか前ほど西欧から参加者が集うというのは見なくなってきた気もします。

 こうした前提のもと、米国の新たなトランプ政権はある程度テロリストとの戦いがひと段落した状態で政権についたと言えるでしょう。そんなトランプ政権は今後どのような相手と相対するのかと言えば私個人としては中国でもメキシコでも移民でもなく、案外グローバル企業なのではないかと考えています。

 トランプ政権が標榜している政策はある程度皆さんもご存知でしょうし、米国だけの利益を追求する米国第一主義と呼ばれていることも知っておられるでしょう。ただ彼の主張をつぶさに見ると、米国の企業を応援や優先しているのかといったらそうでもなく米国内で雇用を生む企業の立場に立っているというか、米国以外の活動で荒稼ぎしている企業に対して厳しい態度を取っているのではと思う節があります。具体的には米自動車メーカーで、海外に工場を作らず米国内で工場を作り米国の雇用を創出するように半ば強制しています。
 このような観点からすると中国など米国にとっての貿易赤字国に対して厳しい批判を繰り返していることも、やはり雇用という観点がキーなのではないかと見えてきます。言うまでもなく中国で作られる製品が米国内で数多く消費されることからこうした貿易赤字が生まれるわけですが、恐らくトランプ大統領の考え方としては、「値段が上昇するとしても、米国人が米国で作った物を消費すべきだ」という考え方で、「値段が低いが米国の雇用につながらない消費はするべきではない」という風にも言い変えれるかもしれません。

 自分がここで強調しておきたいのは、私の考えるトランプ大統領の最大優先事項は「米国の繁栄」ではなく「米国の雇用」だということです。雇用が減少するから移民も減らすべきだし、貿易赤字国にはいくらでもいちゃもんをつける(でもって黒字国には何も言わずに輸出し続け稼ぎ続ける)。勝手な想像ですが、トランプ大統領とその周囲はもしかしたら米国内での生産を優先することによって製品価格が上昇したとしても、国内雇用が増加すれば個人所得も増加するため経済競争力は落ちず、むしろ市場規模が大きくなると考えているのかもしれません。
 こうした価値観は必ずしも的外れというわけではないと私には思います。グローバル企業の立場からすればアジアやアフリカなど労働力の安い海外で生産して市場の大きい米国や日本で販売した方が利鞘が大きくなりますが、国家単位で考えれば海外産の安い製品によって国内生産品は価格競争によって値段を落とし、また海外で生産される分だけ国内雇用も減少します。しかし、日本のように国内労働力が不足している場合は上記デメリットはなく、また企業が海外で稼いだ分だけ本国で税金を納めるのであれば、国としてもこうした海外生産を推進する立場でいられるでしょう。

 私の考えるトランプ政権の姿勢はこうしたグローバル企業の戦略と相容れません。さすがに鎖国とまではいきませんが国内生産国内消費を第一に、企業に対し米国で物を売るなら米国で物を作るように求めているように私には見えます。だからこそ私は、トランプ政権にとっての最大の敵はグローバル企業で、たとえ企業に損をおっ被せてでも米国に貢献するよう求めているのだと思います。企業側からしたら鬱陶しい意見のように感じるでしょうが、私個人としては企業側にも全く負い目がないわけではないと断言できます。
 というのもグローバル企業はあまり大きく発展しなかったパナマ文書やAmazonの様に、タックスヘイブンに拠点を置いて国家への納税義務を回避することが最近では当たり前になりつつあります。またSFの世界の様に一部グローバル企業は一面において国家を凌ぐほどの影響力を持っており、実際にサムスンなどは韓国政府以上の力を持っているのではないかと私には思います。そうした国家を凌がんばかりに増大するグローバル企業の影響力に、ある意味ではトランプ政権は歯止めをかけようとしているという風にもみえないこともありません。

 ただこの見方で何が一番面白いのかというと、それこそ最初に上げたイスラム原理主義テロリストの様に国家の枠組みを越えて拡張しつつある企業に対し歯止めを掛けようとしているのが、企業家出身のトランプ大統領だということです。もっとも彼の出身業種は不動産業(プロパティ)で、ある意味ローカル色が一番強い業種でもあることからこうした価値観や姿勢を持つに至ったのかもしれませんが。実際、プロパティは国内のインフレによって財を成すしなぁ。

 久々に真面目な記事を書いてみましたが、割と日本のトランプ政権の報道を見ていて感じるのはこうした世界経済的な観点が抜け落ちてるように見えます。トランプ政権が何をして、どのように貨幣や物品の流れを変えようとしているのか、それによって価格はどうなるのかを言及せずに「米国第一主義」とまとめるのはやや強引であるように私には思います。
 また補足的に述べるとこれまでは如何に国際分業を進めるかという経済学がブームでしたが、今後はどこまでを海外からの輸入に頼って、どこまでをデメリット覚悟で国内生産で持たせるかという塩梅議論が重要になってくると予想します。この議論で敢えて私から言うならば、日本食は9割方しょうゆなしでは成立しないことから、大豆だけはどんなに値段が高かろうと全国産化を目指すべきだと言いたいです。輸入していい大豆は節分の時に鬼に向かって投げる豆だけでいい。