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2008年7月31日木曜日

福田首相、内閣改造のニュースについて

 七月の初めの頃に政治評論家の三宅久之氏がテレビタックルにて、
「八月に臨時国会を開くから、七月中には内閣改造をやるだろう」
 と述べていましたが、生憎一日過ぎてしまいましたが案の定、明日福田首相は内閣改造を行うことを発表しました。
 ちょっと話がそれてしまいますが、予想というのは運の要素もあるので当たり外れは実力以外のところで決まってしまうこともあります。しかし先ほどの三宅氏の予想は「八月に臨時国会を開くから」という根拠があり、こういう根拠、理屈のある予想というのは外れたとしてもその後の状況理解などに役に立ちます。いい予想か悪い予想かというのは、なぜその予想が立てられるのかという過程がしっかりしているかにかかっていると思います。ま、臨時国会は九月に開かれることが今じゃ濃厚だけど。

 さてこの内閣改造ですがマスコミの報道を見ていると、「支持率の挽回のため」という言質が多く、どれも就任が予想される閣僚については口を曖昧にしています。スポーツ新聞なんかは今回の改造の目玉となっている町村現官房長官の処遇についてあれこれ書いているのですが、ちょっと全国紙などはこんな状態では情けないところです。

 そこで今回の改造の目玉ですが、別にわざわざ書くまでもないのですが、やはり厚生大臣の桝添要一氏と行革大臣の渡辺喜美氏の行方でしょう。私の評価はどっちもそこそこがんばっているのですが、特に後者の渡辺氏などは降格される可能性が高いように思えます。恐らく空気の読めない福田首相のことですから、自分とそりが合わないという理由だけで降ろしかねません。多分国民も馬鹿じゃないので、この人を降ろしたら支持率は今以上に下がるでしょう。福田政権の閣僚は桝添氏と渡辺氏を除くとどれもキャラが薄いので、この二人がいなくなれば多分不信感の方が大きいのではないかと思います。

 そういった背景もあり、とても「支持率の挽回」など狙える改造ではないと思います。それこそ小泉元首相のようにマスコットの女性を多く起用するとか、前首相の安倍氏などを拉致特命大臣にもってくるなどのサプライズがなければ支持率はさらに下がる可能性の方が高いでしょう。まぁここは安倍氏とは逆に、外交通を自称している加藤紘一か山崎拓を拉致特命大臣にしたらすごく面白いんだけど。いま「がいこう」って打ったら「害交」って出てきたよ。

 最期に一番の禁じ手を書いておきます。元防衛大臣、久間章夫を持ってくることです。この人については日テレなどが沖縄利権の問題をしつこくかぎまわっていますから、いきなりスキャンダルということもある爆弾です。まぁさすがにそこら辺は分かっているでしょうけど。

インフルエンザ増殖細胞の特定についての続報

 まずはこの二つのニュースを見てください。

新型インフルエンザ、ウイルス増殖に必要なたんぱく質、東大チームが特定
インフルエンザウィルス体内増殖の構造解明

 まず出てきた私の感想というのが、「どっち?」というのです。
 以前にこの話題について「インフルエンザ増殖原因を特定」の記事で紹介をしていますが、恐らく時期的にも内容的にも、私が取り挙げたのは前者の東大チームのニュースでしょう。私がソースに使ったのは朝日新聞で、ネットのほうでは毎日新聞のようですが、つい三日前に出たおなじく毎日新聞がソースの後者のネットニュースのほうでは、なにやら横浜市立大学の研究チームが成果を発表しています。

 もしかしたら、複数の大学の共同研究なのかもしれませんが、それにしてもちょっと妙です。東大の方は七月十日付けの科学雑誌「ネイチャー」で成果を発表しているのに対し、横浜市大の方では七月二十七日付けの同じく「ネイチャー」で発表しています。共同研究ならこんな回りくどいことはしないように思えます。
 そんなもんで妙に思い、よくよく原稿を読んでみると、東大の方では「鳥インフルエンザ(H5N1型)、Aソ連型(H1N1型)ウイルス」の増殖を助ける三種類のたんぱく質の特定で、横浜市大の方では三種類のたんぱく質の立体構造を解明したそうです。記者の人も気を利かせて、もうすこし情報をパッケージングして書いてくれれば分かりやすかったのに。それにしても、紛らわしいニュースだ。

WTO交渉決裂について

 このところ批判ばかりしていたからそろそろ朝日を誉めてあげないとと思っている矢先に、また批判するような記事を出してきました。すでにあちこちでも報道されていますが、昨日のボクシング世界王者選で内藤選手が見事防衛を果たしたところへ、亀田興起がリングに勝手に乱入した件について今朝の朝刊で、

「内藤側も亀田戦に前向きで、挑戦者の選択権も持つ。内藤対亀田が実現する可能性は高い」

 多分、この記述の「内藤側も前向き」というのはなんの裏も取ってないで書いたのでしょう。今日の内藤選手の会見ではジムと相談しなければならないと慎重な姿勢も見せていますし、それより記事全体に亀田家への批判が金平ジム会長のインタビューしかないのもどうかと思います。朝日、空気を読め。

 とまぁこんなのはどうでもいい話で、早速本題のWTO(世界貿易機構)にて関税範囲を決める交渉が諸国の合意が得られず、会議が流れたニュースについて解説します。率直に言って、私は今回合意が得られなくて私は万歳三唱をしました。というのも、交渉が流れたおかげで農産物に対する関税範囲が維持できたからです。

・ジャパンタイムス 「Farmers welcome collpse WTO talks

 今のところ確認ができる中で、このWTOでの交渉決裂についてきちんと背後関係や問題点を解説しているのはこのジャパンタイムスの記事くらいでしょう。さっきに挙げた今朝の朝日新聞社説も、「合意へ、出直しを急げ」と、はっきり言わせてもらうがトンチンカンもいいところな社説を出しています。

 今回、日本にとってこのWTO交渉で主要課題だったのが、高い関税をかけて自国の産業を保護する「セーフガード」の農産物への適用割合を日本側が主張する全農産物の8%と、欧米側が主張する4%の間の綱引きでした。交渉の途中、日本側は日本が競争力を持つ工業製品に対する関税割合を下げる代わりに6%で妥協する姿勢を見せましたが、報道で確認する限り、やはり4%で押し切られそうな状態だったようです。

 この割合が低くなる、つまり農産物への関税が減らされると、以前の記事の「日本の猫の目農政」で書いたように、ただでさえ追い詰められている日本の農家がさらに追い詰められることとなり、日本の農政問題が絶望的なまでに悪化する恐れがありました。英語が読めない人のために解説すると、上に挙げたジャパンタイムスの記事では農業組織の人間たちが今回の会議が流れたことによって、ほっと胸を撫で下ろしたということが書かれています。

 結果的には会議が流れたことによって、関税範囲が現状維持(今も8%なのかな。この辺りは確認してませんけど)されることが決まりました。なおこの記事の後半にはある自動車会社の公式発表も載せられており、結果的に工業製品の関税引き下げが達成されずに残念だと述べていますが、現状で日本の農業は大赤字です。それに対して工業製品輸出は去年にはどこも過去最高利益を更新しています。両者を見比べるなら、私は弱い方につきます。

2008年7月30日水曜日

二変数で見る国家の主義、体制


 今回紹介するこの図はかなり昔……構想的にはもう六年も前に作った図です。まずはその成り立ちから説明します。

 そもそも、右翼と左翼とは一体何を指すのでしょうか。中国では選挙がないという話をすると驚かれるくらいこのところの若者はあまり政治意識が高くないので、きちんと理解していない人も中にはいると思います。しかし、かえって現状では分からないと言う方が正解なのかもしれません。
 というのも、もはや国家の主義や体制を見るときに右翼や左翼といった二項対立では測れなくなっているからです。単純な比較でも、国の資産を国民全員が平等にばら撒くための政策が重んじられたバブル期以前の日本と、勝ち組負け組をはっきり分けるための政策が続いている現在では、もはや同じ体制とは言いがたいものです。しかも日本の場合に面白いのは、ここ十数年でそれだけの変化が起きているのに、政権の担当者は昔も今も同じ自民党、つまり右翼政党で変わりがないという点です。さらに言うと、変わっていく政策の非難者というのが旧来の自民党勢力、現在の国民新党などの勢力です。

 主義的に見るならば、両者はどちらも右翼です。ですがその掲げる政策は真逆とも言うくらい違っています。ではどんな点が違うのかというのを表したのが上記の図です。この図は縦軸が掲げる経済政策を表し、横軸が権力を構造する政治体制を表しています。
 ひとつひとつ説明していくと、グラフの左下の「階級主義」、「統制経済」の極にいるのが旧ソ連です。その根拠というのも、政治的指導者は共産党が一手に握っており、経済も配給制の元ですべて国家が管理していたためです。その真逆の右上にある、「民主主義」、「自由経済」の極にいるのはアメリカです。アメリカは言うまでもなく選挙は非常にオープンで、なんだかんだいって自由と平等にうるさい国です。そして経済政策も競争の重要性を掲げ、規制なりなんなりのすべての撤廃を掲げています。

 こんな感じでこの図は見ていきます。なんでこの図が必要なのかというと、先にも言ったとおりこれまではこの図でいう左下から右上への直線、右翼か左翼か、資本主義か共産主義かで語られてきましたが、アメリカと北欧諸国の関係のように、同じ民主主義陣営の中でも経済政策に大きな違いを出す国もあれば、かつては共産主義陣営に属していながらも、経済政策はもはや資本主義国同然でグラフの左上に位置する中国のような国も現れてきました。これほど状況が変化していながらも、右翼か左翼かという二項対立で議論するのはもはや不毛です。実際に論壇を見ていても、未だにこの二つの枠に当てはめ意見する討論家がおり、議論を訳の分からないものへと向かわせております。少なくとも、国家体制と経済政策の二変数は議論する上で欠かせないでしょう。

 そしてこの図はなにも国家だけにとどまらず、政治家にも適用できます。先ほど言った自民党内の意見の違いや現在の社民党の位置のあやふやさ、果てには論壇の人間の立ち位置というのにも使えます。たとえば私の好きな佐藤優氏や鈴木宗男氏なんかは右下の「社会民主主義陣営」に属すでしょう。そして小泉純一郎氏や安倍晋三氏、竹中平蔵氏はというと右上の「自由民主主義陣営」に属します。両者の対立点はまさにこの点で、ここ十数年の日本の変化も下から上への変化だ、というのが私の持論です。

 なお、この図は便宜的に私が簡単にまとめたものです。枠の位置と距離は必ずしも程度を表しているわけでもなく、敢えてアメリカと旧ソ連を両極に置いて作っています。
 さらにいうと、実際にはこの二変数でもまだ不足しています。たとえば外交政策が「融和」か「タカ派」かでも変わりますし、国民政策が「多民族主義」、「単一民族主義」でも変わってきます。そういった多変数の分析を行い国家を見ることこそ、国際政治学では非常に重要になってきます。

ウィキペディアで削除された秀逸記事

 このところ誰でも書ける記事ばかり書いてきたので、たまには自分にしか書けない記事でも書こうと思います。

 さて今回のお題のウィキペディアですが、このブログでも何度も引用しており、非常に愛読しているホームページです。このウィキペディアは佐藤優氏などは「情報が断片的で、体系的な知が身につかない」と批判していますが、一回見聞きすれば大抵のものは暗記できる私の能力とは非常に相性がよく、近年の私の知識力の向上に一役買っています。
 しかし残念なことに、このウィキペディアは誰でもどんなページでも編集できてしまうため、中には秀逸だった記事が削除されてしまうことも少なくありません。そこで今日は、削除されてしまって今はもう見ることのできない秀逸な記述を、私が記憶している範囲で紹介します。

1、スバル・インプレッサ
 このインプレッサという車は初期型のGC型なんか、私が最も好きなデザインをしています。現在ではモデルチェンジを繰り返してすでに三代目ですが、初代のGC型はとても格好いいのに、二代目のGD型となるととても同じ車とは思えない、言っちゃ悪いですが非常にダサいデザインへと成り下がりました。実際にプロのレーサーも二代目に変わった際、デザインはもとより走行性能も低下したと酷評していました。

 そこで肝心の削除された記述ですが、この二代目インプレッサの部分でデザインが酷評された経緯を書いた記述が丸々削除されていました。覚えている内容は、

「二代目インプレッサは登場とともに大きく変わったデザインが不評で、「丸目」、「デメキン」、「ボスボロット」などと揶揄された」

 という感じでした。面白い記述だったのに、消したのスバルの人間じゃないかな。


2、2ちゃんねる
 さすがにこれだけ閲覧者の多いサイトの記事ともなると、更新も非常に多いです。多分、私がじっくり腰据えて読んだ時が最も記述が多かった頃だと思う。

 そんなわけで詳しい説明は省いて削除された記述の紹介ですが、まず一番もったいなかったのは「2ちゃんねら~の性質」というような記事です。この記事では2ちゃんねら~の発言や特徴などを紹介しており、自分たちを「ヒッキー」や「ニート」などと呼び合いながら罵り合う自虐的な言動が多いことを指摘したり、「しない偽善よりする偽善」という2ちゃんねる内の言葉を引用するなど、なかなか参考に足る意見が数多かったのですが、今となっては跡形もありません。

 次に消された記述は、「ホリエモンへの評価」です。ここでは近鉄球団買収に名乗りを上げた頃は彼を賛辞するコメントが2ちゃんねるを席巻したが、彼の著書の中にある「女は金で買える」という言葉が紹介されるや一気に批判するコメントが上回るようになった経緯を紹介し、その後のニッポン放送買収騒動の際には保守的な日本の社会の改革者と評価する一方、ただ騒動を起こしてばかりの目立ちたがり屋という批判がないまぜになり、2ちゃんねる内ではまだ評価が確定していない(2005年頃)、というような見事な分析が……今じゃもうないんだよな。

3、小泉純一郎
 そこまで目くじらを立てるほどではないんですが、なきゃないでこの人の分析がうまくいかないので書いておきます。削除されたのは、確か「強運」という副題の記述でした。ここでは小泉氏が首相在任中に非常に強運であったことを紹介し、イギリスのブレア元首相に「うらやましい」と言わせたことが書かれていました。具体的な強運の事例として、自衛隊派遣を控えてイラクに視察に訪れていた外務省員がテロリストによって射殺された際、イラクは安全という言質が崩れ批判が集まると共に自衛隊派遣も頓挫するかと思われた時、イラクでフセイン元大統領が発見されるや一気に最初の批判が報道されなくなった、という事例が紹介されていました。

 なにもこの例に限らず、小泉氏は在任中はピンチになるやその度に強運によって守られていました。具体的な政策とは関係ないまでも、この記述が何故削除されたのか非常に疑問に思います。ああもったいない。

2008年7月27日日曜日

ライブドア事件の二審判決について

 本当なら判決が出た一昨日に書くべきだったのですが、何故か孫正義氏の記事を書くことを優先してしまいました。決して何の考えもなかったわけでなく、今日になってようやく出たメディアの反応を確かめた上で書こうと思っていたからです。言い訳じゃないよ。

 さてそんなこんだで出てきたメディアの反応です。YAHOOに出ている記事なんかは株価のライブドアショックの問題と掛け合わせたものばかりでしたが、今朝の朝日新聞の社説を要約すると、

「頼みになるのは顧客や従業員、そして社会からの支持だ。事業を通じて社会にどう貢献するか。ここに心を砕く経営者が増えるよう期待したい」

 社説の後半四行を抜き出すと以上の通りです。全体の内容も、判決である実刑を当然であるかのような、ホリエモンに対して批判的な内容です。
 さて残念なことですが、この社説も見当違いとしかいいようのない、非常にふざけた文章であるというのが私の感想です。

 この社説の何が問題なのかというと、朝日新聞がライブドアの失敗を、「顧客、従業員、社会への軽視」と判断した点で、そんなの言ったらほとんどの一流企業も同じことです。そしてなによりも、このライブドア事件の背景について全く踏み込んでいません。
 冷静に考えてみましょう、一体ホリエモンはどんな犯罪を起こして収監されたのでしょうか。多分普通の人に聞いても、思い出す人なんてほとんどいないでしょう。主な容疑となったのは、子会社への架空売り上げを利益に計上し、連結決算では本当は赤字のところを株価への影響を恐れて無理やり黒字化した、言うところの粉飾決算というのが主な容疑です。ちなみに、その際の水増しされた利益の額は53億円です。

 はっきり言いますが、こんなの当時はどこだってやってました。確かにこれまで検察も何度かこの容疑でしょっ引いたことはありましたが、ライブドアのは金額的にもこれほど大きな事件化するほどのものではなく、また判決の実刑二年六ヶ月(執行猶予なし)に相当する犯罪ではありませんでした。
 そしてなにより、この問題を一番おかしくしているのはその後に起きた日興コーディアル証券の事件です。この日興コーディアルの事件では、社員の一人がライブドア事件同様に子会社の売り上げを本体へと付け替えるというライブドア事件にて主容疑とされた全く同じ手口で、金額も約200億円も粉飾決算にて水増ししています。にもかかわらず、こちらの事件では逮捕者や処罰者は一人も出ていません。

 この温度差は一体なんなのでしょうか。佐藤優氏などはホリエモンとも直接会って話をして、何故彼が逮捕されたのかというのは、格差社会と呼ばれる今の時代で最も目立つ勝ち組だったからと断言しています。最も目立つ存在ゆえに、そんな人間を国が懲らしめれば、格差社会を是正しようとしているように見えるからだという意味ですが、私の意見も同感です。でなければ、これほどのあからさまな不公平は発生しません。単純に言うと、ホリエモンは犯罪を犯したのではなく、捕まえられるために犯罪を新たに作られたというのがこの事件のあらましです。同様に、このはめ込みはこの後に逮捕された村上ファンドの村上氏にも当てはまるでしょう。

 何故同じ犯罪なのに、こうも処罰が異なるのか。当時にも言われましたが、「処罰の違いは国(政治家)への献金の違い」なのでしょうか。どちらにしろ、この粉飾はどこからが犯罪なのか、そういった検証は未だに私は見たことがありません。本来、新聞の社説ともあろうものはこういった点に言及して追及すべきなのですが、全くこういったことに触れられていないばかりか、万人受けするように「顧客を大事にね」でまとめられても非常に困る話です。敢えて私風に言うのならば、

「頼みになるのは政治家や官僚、そして政府からの支持だ。事業を通じて政府にどう貢献するか。ここに心を砕く経営者が増えるよう期待したい」

 というのが、このライブドア事件の教訓です。なんか書いてて、産経新聞みたいな意見になったなぁ。

自分のどこに生きる価値があるのか

 これなんか私の友人は耳にたこができるくらい聞かせている話題なのですが、私は自分自身に、あまり生きる価値はないと思っています。昔から周りに迷惑ばかりかけていて、キリスト教的価値観で考えるとどう転んだって死後は地獄行き決定な人間だと思いますし、中学生くらいの頃から二十歳まで生きられればひとまず御の字かなと思っていました。そのため二十歳を超えた現在では、二十歳を超えた年数分、余分に生きてしまったと常に悔いている毎日です。

 しかし、それでも私はある一点において自分の生きる価値は非常に高いと考えています。その一点というのも、私の能力です。
 前回の記事でも書きましたが、人からよく指摘され、誉められるのは私の膨大な知識量です。事実私自身も自分の持っている知識の量には自信があり、自分という人間が死ぬことは全く惜しくはないのですが、自分が死ぬことでこの知識の山がこの世界からなくなってしまうというのは、どう考えてももったいないと考えてしまいます。同様に知識だけでなく、世の中を見たり、立案を行える思考力にも自信を持っています。

 実は先日、信長の野望をやりながらふと思ったことがありました。こういう私の生きる価値感というのは忍者に似ていないか、何故か他国の武将の暗殺成功時に思いつきました。
 もっともこれは講談の中だけの話でしょうが、司馬遼太郎氏の「梟の城」という作品で書かれている忍者のように、豊臣秀吉を暗殺しようとする忍者が、かつて織田信長によって忍者の里を滅ぼされた恨みとか天下国家のためとかという理由ではなく、自分が磨いてきた忍の技術を証明したいというためだけに警護の厳しい秀吉の暗殺を謀る、というような心理に近い匂いを感じました。。

 この価値観と真逆なのは言うまでもなく、武士の価値観です。よく言われる「葉隠」の一説にある、「武士道とは死ぬことにあり」というのは事実的にも間違いで、私の見る武士の生の価値観とは、すべてお家にあると思います。如何に自分の一族を栄えさせるか伝えるか、そのお家のために自分は歯車となる、というようなのが日本の武士の価値観だと私は考えています。言ってしまえば、あくまで講談の中だけですが忍者というのは自分の技術のために生きる個人主義なのに対し、武士というのは家族主義、ひいては全体主義的な価値観ではないでしょうか。

 どちらも自分個人が生存する価値観というのは希薄です。忍者は、くどいようですが講談の中では仕事を完遂することが主目的で、そのために自分の命を投げ打つ事すらあります。武士もお家のために、捨て身の奉仕を自らに要求します。
 なので、今の私の価値観は忍者に近いような気がします。私も何か大きな仕事を成し遂げられるのなら、自分の命など平気で差し出すつもりです。さすがに自爆テロとかはしませんけどね。

月間投稿最高記録更新

 早くもこの記事で、先月に月間記録を抜いた投稿本数41本を今月は抜きます。先月は新聞メディアの連載記事などがあり内容的に密度が濃いものが多かったとはいえ、なんでどんどん投稿数が増えるのか我ながら不思議です。
 友人らも、「一体いつこんなにいろんな問題を勉強しているのか?」とこれまでに数人が私に尋ねてきています。この質問に回答すると、私が書いている記事の多かれ少なかれは、貯金に頼っているところが多いです。割と時間が合ったときにいろいろ調べていた情報をそのまま書いていることもあれば、それに最新の情報を乗っけるだけというのもあります。それに加え、昔にあれこれ勉強しているという下地ができているので、新たな問題が起こってもその問題に対する理解が早いというのもあると思います。

 しかしそれ以上に、単純に情報に対する嗅覚が人より少し優れているというのが一番大きいと考えています。というのも、今思い返すと小学生時代からどうも情報に対する感覚が、今思うと違っていたように思えるからです。単純な暗記力はもとより、情報を整理して公開するという技術と感覚はすでに子供の頃から一頭抜いていたように思えます。特に暗記力に関しては、情報を時系列的に組み立てられるのは今のところ私以外の人間でやっている方はまだ見たことがありません。

 あと友人からの質問にもう一つ多いもので、「よくそんなに書いていて、ネタが尽きないな」というのもありますが、これに関して言わせてもらうと、実は現状では全然書き足りていない状況です。本当はもっとあれこれ腰をすえて書きたい内容も多いのですが、早くしないと書いても意味のなくなるニュースのが多くて、そっちに忙殺されてしまって手が回っていない状況です。もし書けるんだったら、自由主義経済政策についてじっくり解説とかしたいのですが。

 最期に、最近の投稿記事の傾向を見てみると、程よい具合に話題が多方面に渡っていると思います。先月なんかはメディア考察の記事が多かった分、社会系の解説が多かったのですが今月は哲学関係も入っており、なかなかよくまとまっているでしょう。ほかに強いて言えば、自分にしか書けない記事が多いです。佐藤優氏やら田原総一朗氏の記事とか、特にそれが如実に出ているのは「グッドウィルなどの派遣マージン率」の記事の中で、各メディアで取り上げられたマージン率の数字を一挙に並び立てているのなんか、私の得意技が炸裂した記事だと思えます。

2008年7月26日土曜日

エリツィン政権期の北方領土交渉について

 この記事は取り扱い注意です。私自身この手の問題は素人ですし、結構ナイーブな問題点を多く抱えています。

 さて皆さんも知っての通り私は佐藤優氏の大ファンです。しかし、彼の著書の中で常に疑問に思っていた点がひとつあります。それが今回の題の、エリツィン時代の北方領土交渉についてです。
 佐藤氏はこの時期、90年代末の北方領土交渉は非常に日本にとって有利な状況にあり、北方領土の日本返還まで後少しで、エリツィン元大統領も返還に前向きであったとその著書の中で繰り返し述べています。しかし、私はまだ読んでいないのですが大統領を引退したエリツィン氏は自身の自伝の中で、
「北方領土は最初から返すつもりはなかった」
 と述べているそうです。

 これでは佐藤氏の説明と真逆です。おかしいと言えばおかしいのですが、この北方領土外交の内幕なぞ私には知る由もなく、また自伝の内容とはいえ、当時の政権に気を使ってエリツィン氏がその場限りの言葉を述べたという可能性もあります。まさに、事実は藪の中です。

 そうこうしていたら今日、おもしろいニュースが入ってきました。ネタ元は産経新聞からのようで、「エリツィン大統領は4島返還を約束していた」という記事です。この記事の内容によると、エリツィン大統領は自身の決断で側近が止めるのにも関わらず、日本側の代表、当時の橋本龍太郎元首相に返還を約束していたとあります。
 この発言をした記者はロシアから亡命した記者のようで、信用性は測りかねますが、なかなか面白い出所だと考えています。もしこの記者の話が事実だとすれば、逆転ホームラン張りに佐藤氏の主張が真実だという事になりますが、まだまだこの問題は明らかになっていない点もあるので、今後も推移を見守っていくつもりです。

中国とイスラム教

 本日、前回に記事を書いた「中国バス爆破事件」のニュースに続報が入りました。それによると、どうやらイスラム教テロリスト団体から犯行声明が発表され、以前に起こった上海バス炎上事件も、この団体が起こしたものだと発表されました。テロリストの声明によると、彼らは北京政府に対して再三オリンピックの中止を呼びかけたにもかかわらず応じないために事件を起こし、今後も事件を起こすと、主張しています。

 実は以前、北京に駐在して十年以上になる会社員の方からこんな話を聞いていました。
「中国はイスラム教と仲がいいんだ。だからテロなんて起こらない」
 この人の言う通り、確かに中国はイスラム教国家とは非常に仲がいいのは事実です。特にパキスタンとはインドという共通敵をお互いに抱えているため日ごろから仲が良く、去年十月に新華社が行ったアンケートによると、全体の28%がパキスタンを好きな国に挙げ、見事一位に輝いています(ちなみに二位はロシア、三位は日本。逆に嫌いな国は一位韓国、二位日本、三位インドネシア)。そのほかの中東諸国とも比較的関係は良く、確かに表面上はイスラム教となんら対立していないように見えます。
 
 しかし、ここではっきり言いますが現中国はイスラム教とは激しい対立関係にあります。その理由と言うのもウイグル族自治区の問題です。
 このウイグル族というのは中国国内の少数民族のひとつで、中国の北西部に「新疆ウイグル自治区」という地域に住んでお、チベット族同様に北京政府によって激しい弾圧を受けつつも、現在もなお抵抗運動を続けております。ただチベット族と違う点は、ダライ・ラマ氏のように国際的に知名度の高い指導者が目下のところいないため、チベット族ほどその弾圧のニュースが取り上げられていないように思えます。

 ここまで書けばわかると思いますが、このウイグル族の宗教はイスラム教です。そのためイスラム教徒のネットーワークを利用し、中国国内のあちこちで激しいテロ活動を行っていると聞いております。聞いていると書いたのは、このような抵抗運動やテロ活動に対して北京政府は徹底的に情報統制を行って報道させず、私自身も伝聞でしか事実を聞いていないからです。それでも、地域的にも宗教的にも、このようなテロが起こりやすい地域にあり、日本でのウイグル人活動家の話を聞いていると弾圧もテロ活動も事実だと考えております。

 以上の経緯を踏んで、案の定イスラム教徒が今回のテロ事件に関わっていたという事になります。もっとも前回の記事では遠慮して細かく書きませんでしたが、まだ確定というわけではないですが当初の私の予想通りです。
 国際政治と言うのは基本的には国が主人公ではありますが、宗教団体も大きなプレイヤーの一人であります。国と国との関係を見るだけでなくその国と宗教勢力の関係も見る事が、特に9.11いこうの現在においては重要になってきます。

2008年7月25日金曜日

孫正義氏の功績

 以前に後輩から、こんな風な事を言われました。

「花園さんって、パソコンとかネットに詳しいんですか?」
「まぁ人並み程度だけどね。それがどうしたの?」
「いや、ネットに詳しい人って、孫正義が嫌いな人が多いから、花園さんもそうじゃないかなって思って」

 この後輩の言っていることには一理あります。私の周りでもネットとかパソコンの扱いに慣れている人に限って、むやみやたらにソフトバンクを馬鹿にする人が多いような気がします。しかし一つだけ違っていることは、私自身は孫正義氏を高く評価していることです。好きでも嫌いでもないけど。

 孫正義の経歴はウィキペディアかなんかで見てもらえば分かると思いますが、かなり早い時期、具体的に言うと1980年の段階で現在のようなネットワーク社会の到来を予期していたようです。今の若い人にはピンと来ないかもしれませんが、バブル期には孫氏は旅行代理店HIS、人材派遣会社パソナとともにベンチャー三銃士と呼ばれる若く急成長を行った社長として持て囃されていました。

 私がこの孫氏を高く評価するのは、電電公社の民営化、つまり今のNTTになる際の彼の行動です。このNTTの民営化の際、他の会社による電話業界への新規参入も認められることになったのですがNTT側は当初、地中の電話線の使用はNTTのみにしか利用させないことを主張しました。つまり、電話業界に新規参入する会社は、新たに電話線を埋めて事業をやれと主張していたのですが、これに食いついたのは孫氏でした。
 孫氏は、「電話線は国民の税金を使って作られたものだ。なので新規参入する会社にも使う権利がある」と主張し、結果的には現在のように、どの会社も使う方針に決まりました。

 そしてインターネットの分野においても、キャンペーン期間中はいろいろ問題こそ起こしたものの、ADSL接続を行う「YAHOO BB」がもしなければ、間違いなく日本のネット業界は今より5年は遅れていたでしょう。これもまたNTTなのですが、NTTは次世代ブロードバンドインターネットを、モデムによるローカル接続に変わるものとして非常に中途半端だったISDN回線で推し進めようとしたのですが、これは当時にしても非常に遅い回線でした。そこへ孫氏がADSL回線という非常に高速の回線を赤字覚悟で配りまわり、これによって日本の高速インターネット環境は急激に整備されていきました。
 その分、NTTからは意趣返しとばかりに、当時としては世界的にも異様に導入の早かった、光ケーブルを導入され、ちょっとしょっぱい思いをしましたけど。

 もっともソフトバンクも顧客情報を流出したり、YAHOO BBを強引に配りまわりすぎてトラブルを起こしたりと、必ずしも真っ当な企業ではありません。しかし孫正義氏という人間を評価するなら、非常に大きな影響を日本に与えた人物として、その能力と実績を私は高く評価します。

パワプロで表すと……


 今日こんなサイトを見つけましたので、ちょっと紹介しておきます。

「実況パワフルプロ野球 プロ野球人生メーカー」(http://www.konami.jp/pawa/15/sp/blm/index.php

 このサイトでは出身地と自分の名前を入力するだけで、その人のパワプロのパラメータを出してくれるサイトです。早速私もやってみた結果が右上の結果です。

 自分で言うのもなんですが、割と実体に近い結果になったと思います。というのも以前に友人らとパワプロの能力値でお互いに批評し合った結果、今回の結果同様に私は「守備力」では最強でした。その理由というのも、カバーしている話題が最も広いという理由からでした。そしてそのほかにも無駄なところに能力を使って大事な場面で使っていないという意味で、「チャンス」には弱かったのもこの結果通りです。そんなんだから安定度ももちろん低いし、その代わりにどこでも動けることから「サブポジ」は○でした。
 ただ生憎私はこの結果と違って右打ち右投げです。肩力は実際にものすごいないけど。あと最期に今回の結果では「ムード○」は間違いですね。自分が宴会に行くと場が暗くなるということで、宴会キラーの異名で通っていた時期がありましたし……。

2008年7月24日木曜日

花子さんの評価が逆転する時

 この記事は前から準備していたネタです。単に、書くのを忘れていただけですが。
 実はこの前本屋を眺めていたところ、この花子さんを題材にした新しい漫画を見つけました。そのタイトルと言うのも、

「ふしぎ通信トイレの花子さん」

 中身を読んだわけじゃないですが、タイトルもさることながらその表紙に腰を抜かしました。見たい方はアマゾンの商品画像を見てもらえばわかりますが、あの花子さんが立派な萌えキャラとなって描かれています。

 この花子さんは説明するまでもなく、日本における小中学校の怪談話の中で最大級の影響力と知名度を誇る人気キャラクターです。ポピュラーな話は誰もいないはずの女子トイレの個室ドアを三回ノックすると、向こうからもノックが返ってきて、その後はおかっぱ頭の少女が現れトイレに引きずり込まれるというのが大抵のあらすじです。
 私などはスーパーファミコンで出ていた「学校であった怖い話」の中に出てくる高校生の花子さんのイメージが強いので……やべっ、思い出したら震えてきた。このゲームの中の話はそれくらいよく練りこまれたシナリオだったので、私は未だに花子さんへの恐怖を強く感じます。

 しかし、それも今じゃ過去の話です。今時の小学生はどんな怪談話をしているかはわかりませんが、私らの時代はそりゃあもう花子さんは幽霊のボスキャラ的な存在で、圧倒的な迫力と恐怖を兼ね備えていたのですが、今回挙げた漫画のように、もしかしたらもう花子さんはそんな存在じゃなくなっているのかもしれません。思い返してみると、私たちが子供だった時代にも、そのような変化の端緒とも取れる動きがありました。

 まず一番最初に花子さんが転換したのは、94年にテレビ番組「ポンキッキーズ」の中で連載された、「学校のコワイうわさ 花子さんがきた!!」というアニメ作品からです。この中の花子さんはこれまでの悪霊というキャラクターから一新し、子供を助けて逆に悪霊退治を手助けするキャラクターとして描かれています。
 その後も、このように悪霊退治をする花子さんを題材にとる作品はいくつか確認できますし、95年の実写映画「トイレの花子さん」でも子供の守護霊として描かれています。

 このように、前回の記事では歴史上の人物の評価が逆転する事は多々あると書きましたが、まさか花子さんまでキャラクターが逆転するとは、最近までついぞ私も思っていませんでした。あれだけ自分を怖がらせた花子さんが今じゃいい幽霊として書かれている事が多いというのは、大人心的になんとも言えない寂しさを感じます。

歴史上の人物の評価が逆転する時

 以前に書いた、「織田信長の歴史的評価の転換」という記事で、人物への評価はその時々の政権によって捻じ曲げられることがあれば、過大に評価されることもあると紹介しました。よく歴史的評価は公正だと言われますが、確かにまだ公正な方だとは認めますが、現代に至るまで天皇制と深く関わるので低い評価のされ方をしている蘇我馬子などの事を考えると、完全に公正とはやはり言い切れないと私は思います。

 特に、中国は歴史にすごいプライドをもつ国なので、政権によって人物への評価はコロコロ変わります。たとえば、始皇帝を暗殺しようとした荊軻などは暴君に立ち向かった勇者として評価された時代もあれば、無謀な手段で政権の混乱を測るテロリストとして現代ではやや低い評価のされ方をしています。それでも人気ではありますが。

 最近、日本で急激に再評価が進んでいるのは間違いなく岸信介元首相でしょう。これなんかはだいぶ時間が経ち彼の功績が冷静に評価されるようになった事と、お孫さんの安部晋三前首相がえらくなった政治的要因があると思います。
 逆に徐々に低い評価となってきているのは、小泉純一郎元首相でしょう。彼なんかは首相を辞める頃がピークで、その後彼の行った政策の穴がぽこぽこ出てきて、恐らく今後も下がる事はあっても評価が上がる事はないでしょう。でもってまたしばらく時間が経てば、細かく政策ごとに評価されるでしょうがそれにはまだ多くの時間が必要です。

 私の予想では、今後急激に再評価されていくであろう人物は竹下登元首相だと思います。恐らくコウセイの歴史には、批判が多い中で消費税を導入し税体系を転換の一歩を踏み出した、とか、目黒の闇将軍の院政を断ち切ったなどと評価されるかと思います。こっちも最近、お孫さんのDAIGOが人気だし。

 結構、いいリズムで記事が書けたなぁ。次の記事のための踏み台のつもりで書いたのに。

テレビを守る規制

 ちょっと出張所のコメントにも書いたので、記事にも少しこの話題について触れておこうかと思います。

 以前の新聞メディアを考えた連載の記事の中で、テレビは守られているが新聞は守られていない、ということを私は書きました。これは同じメディアでも、新聞と比べてテレビは非常に多くの国からの規制によって守られているという意味で書かれています。では具体的に、どんな規制によってテレビは守られているのでしょうか。

 まず代表的なのは放送権許認可制です。これは日本では放送法といって、国の免許が下りなければテレビ放送が許されない制度で、事実上、地上波においては80年代くらい以降は何一つ新たに許認可など下りていないと思います。これは言い換えるなら、この時代以降にテレビ放送局は何一つ生まれていないということです。

 何故放送局を新たに作らないのか、その回答は簡単で視聴率確保のためです。昔はそれこそ紅白歌合戦の時には視聴率が五割を超えた時期もありましたが、現在では三割もいく番組などめったに現れなくなりました。これは何故かというと、単純にチャンネル数が増えたからです。多チャンネルになればなるほど、一局当たりの視聴率は基本的には落ちていきます。事実、昔はNHKを入れても東京でも三局くらいしかありませんでした。
 では視聴率が落ちると何が起こるか。言うまでもありませんが広告料が減ってゆきます。昔から現在まで広告料の額は視聴率によって決められており、多チャンネル化すると既存のテレビ局は視聴率が減り、パイは限られているので収入も減っていくわけですから困るわけです。そのため、日本のテレビ界はこれまで新規参入をしようとする企業を締め出してきたのです。

 そんな日本の姿勢がはっきり現れたのはソフトバンク社長の孫正義による、アメリカのルパード・マードックと組んで行った96年のテレビ朝日買収騒動です。恐らく、孫氏も放送局を持ちたがったのでしょうが、この許認可制によって新たに放送局を立ち上げることができず、日本メディア界に進出を狙っていたマードックと意見が一致し、買収することによって参入しようとしたのでしょう。これは何も孫氏に限らず、ライブドアのホリエモン、楽天の三木谷氏も、口では「テレビは死ぬメディア」と言いつつ、テレビ局の影響力を高く見ているようです。

 はっきり言って、普通に考えるなら今挙げたIT界の三巨人(一人はもう引退したけど)の言い分の方が正しいです。新たに放送局を作らせてもらえないなら、テレビ放映をするには買収するしかないのだし、彼らは法律に則って株式を集めているのですから何も問題はありません。それ以上に、この三社の騒動の最中のテレビ局の言い分の方がどこか世間とずれた、許認可制に守られた側の意見にしか私は思えませんでした。また国の側も、ライブドア騒動の際にはライブドア側が行った株式の購入方法は違法(ライブドア側は購入前に法務省に合法かどうか確認しているにもかかわらず)と判断し、テレビ局を守る姿勢をはっきりと見せ付けました。

 もっとも、このような時代はあと三年で終わりを迎えます。何を隠そう、三年後からテレビの地上波デジタル放送が始まり、今のように一局一チャンネルではなく、複数のチャンネルが持てることから多チャンネル化し、視聴率は落ちていくといわれています。また現状ではデジタル放送の許認可は地上波ほど厳しくなく、新たに参入する放送局も増えると言われています。

 そして何より、テレビ界は最大の後ろ盾をすでに失っています。その大きな後ろ盾というのも国、その中の郵政省です。というのも、放送の許認可を昔から行ってきたのは郵政省で、その郵政族議員を束ねてきたのが野中広務だったと言われています。一見地味ではありますが、郵政族はこの放送において権益を作り、大きな力を行使していたらしいです。それが知っての通り9.11選挙によって郵政族は自民党を事実上追い出され、さらに郵便局も民営化しました。一説によると、小泉氏は郵便事業の民営化などには全く興味を持っておらず、この自民党の中に隠然たる力を持つ守旧派の人間を叩き潰す為に民営化を行ったともいう説があります。なので、これからはあまりテレビ局も昔みたいに羽振りがよくなることはないと考えています。

 なんか、メディアの話が増えてきたなぁ。新聞は面白かったのですが、こういうテレビの話はなんだか書いててあまり気分が乗りません。ラジオのことも今度書こうかな、ツッチーに聞いた方が早いけど。

2008年7月23日水曜日

日本の大学教育と職業とのつながりについて

 ある日、知り合いのチリ人留学生とこんな話をしました。
「チリでは法学部の学生は皆弁護士になるし、文学部の学生は出版会社とかに勤めて、経済学部の学生はそれぞれの専門に学んだ分野の企業で働くけど、なんで日本人は大学の専門と関係ないところで働くの?」
「日本の場合、大学はモラトリアム的な空間と考える人が多いからね。一時はこれはよくないと言われて再考した時期もあったけど、理系はともかく文系は未だに大学での専門と社会での職業が結びつかないことの方が当たり前だよ」

 実はこのチリ人からの質問は、私が中学校時代に思った疑問でした。
 今では小学校や中学校での義務教育の質の低下が問題となっていますが、90年代後半当時はむしろ、「分数の解けない大学生」などといわれ、大学生の質の低下の方が問題視されていました。そのため会話の中の私のセリフのように、あまりにも大学の教育が社会で実を結ばないことが問題視され、社会で即戦力となる人材を育てるべく大学の教育方針を変えるべきだとあちこちでいわれた時期がありました。私は当時は中学生位でしたが、学問は社会で役に立ってなんぼだと思い、この動きを支持していました。

 その方針が本格的に採用されたかどうかはわかりませんが、現在新設学部の名前に多い、「政策学部」というのは、まさにこの動きの中から生まれてきた学部だと思います。ちなみに、現在どの大学も収入を確保するために学部を増設したがっていますが、文科省も安易な学部増設は認めないのですが、「政策」、「国際」という名前がつけば認可が下りやすいとのことで、現在のように政策学部と国際関係やら国際経済学部という名前が各大学に氾濫することになったわけです。なお、それらの学部は定員を増やすために作られ、指導内容などは二の次となっていることが多く、あまり現役高校生の方には入学を私は薦めません。

 話は戻りますが、確かに日本では理系はともかく文系の専門によって職業が決まるといった、実社会へのつながりは非常に細いです。それこそ文学部の人間が商社に勤めたり、経済学部の人間が公務員になったり、商学部の人間なのに簿記がわからないとかざらです。果たして、そんな状態で大学の存在意義はあるのでしょうか。こんなので大学は社会へと貢献をしているのでしょうか、この点が昔の私にとって強い疑問を感じたところでした。

 しかし、先ほどのチリ人留学生との会話の私の話の続きを言うと、
「けど、私はこの日本の教育の仕方もありだと思っている。確かに大学での専門と職業が直結していれば専門的な能力はずっと向上すると思うけど、その代わりに他分野への理解が減り、人間として幅が狭くなると思う。
 日本は専門的な能力は職業を通して学ぶものだと考え、大学では将来の職業を全く考えず、人間の幅を広げるためだけの教育の場と割り切っていると思う」

 今の私の考えは、まさにこれです。詳しくはわからないですが、このような大学教育の考え方を「リベラルアーツ」といって、大学教育に求められる重要な要素とされています。一般には大学一回生、二回生の間に行われる一般教養の授業に当たるのがこれです。一つの専門に凝り固まらず、幅広い分野を学び、その上で専門に進んでいくという教育方法で、今じゃ私もこの方針の支持者です。

 この教育方法だと、学生は自分の入った学部なり学科の専門に縛られず、空いた時間に好きな学問を勉強したり、他学部の学生と交わったりすることができます。私自身の大学生活を思い返しても、いろんな専門の人間と関われたことが最大の自慢でもあり、収穫でもあったと自信を持って自負できます。これがもし単科大学で、カリキュラムが高校時代のようにあらかじめびっしり決められもしていたら、こんだけ書かれる内容が統一されていないブログなんて、恐らく書けなかったでしょう。

 もちろん、チリのような教育方法も決して悪いわけではありません。少なくとも専門の勉強を行うことで、その知識が生かせる職業に必ず就けるというのならそれはそれで即戦力で、また社会への貢献も大きくできるでしょう。しかし私は社会というのは多様性があるほど活気があると考えており、一つの会社の中にも様々な専門知識を持った人間がいろいろいる方が、なにかと楽しそうな気がしますし、将来的には大きくなる可能性を秘めている気がします。

 もっとも、日本の大学教育にもデメリットはまだまだあります。その辺はまた今度解説するとして、そうしたデメリットを考慮に入れても、私は現状の大学教育を支持します。
 最期に今の大学生に一言言っておくと、できるだけ自分と関係のない分野こそ勉強してください。それがいやなら、なるべく他学部の友人を作ってください。私なんか、同じ学部の友人がほとんどいなかっただけだけど……。

2008年7月22日火曜日

中国バス爆破事件について

 久々の中国ネタです。
 すで知っての通りでしょうが、昨日中国雲南省の昆明にて、二件連続して路線バスが爆破される事件が起こりました。この事件について中国国内ではどう報道されているのかというと、留学時代に私が愛読していた「新京報」という、北京で発行されている新聞のWEB版の記事を読んでみると、

・被害者
 三十歳女性一人と二六才男性一人が死亡。十四名が怪我を負い、そのうち一人は今も危険な状態。
・発生時刻
 一発目が七時五分。二発目が八時十分。
・爆破手段
 爆弾による爆破。
・容疑者
 未だ不明。しかし現地の警察は十数枚の、三十歳前後の若い男性が写ったモノクロ写真を公開し、事件に関係している可能性があると発表している。
・事件の影響
 事件のあった次の日である今日、現地ではこの日バスのかわりにタクシーを使う人間が増え、タクシー運転手によると売り上げが増えたとのようです。

 日本での報道によると、北京政府はまだテロとは断定せず、人為的な爆破事件という見方をしているそうです。犯行声明がなく、容疑者の捕まっていない現在ではこのような発表にならざるを得ませんし、安易にテロと断定すべきでもないので、私としてもこの北京政府の見方を支持します。同様に、誰が、どんな目的で、なぜ事件を起こしたのかはまだあれこれ推量する時期ではないと思います。幸いというか、どのメディアもまだ下衆な推理合戦は行わず、事件の続報を落ち着いて待っているようです。

 しかし事件の影響だけを見るとすれば、すでにオリンピックまで一ヶ月を切ったこの時期にこんな事件が起こったことにより、北京政府への衝撃は大きいことが予想されます。今後この事件を教訓にどんな対策を北京政府が取るかが注目すべき点でしょう。

毎日新聞の今後

 すでにあちこちで報道されていますが、先日に毎日新聞の英語版サイト「WaiWai」がようやく閉鎖されました。ようやくとは書きましたが、私自身もこの毎日の英語版サイトについては今回の報道でで初めて知りました。その報道によると、この英語版サイトでは声に出すのすら恥ずかしい卑猥な内容や、何の実証性のない週刊誌から抜粋しただけの異常な記事が発信され続けていたというようで、正直このニュースを知った時に私は目を疑いました。

 しかもなお悪いことに、この英語版サイトについては以前より批判があったようです。しかし毎日新聞社側はその批判を真面目に受けず、約三年間以上にも渡ってこのサイトの更新を続けていたというのです。結果的には今回大きく他のメディアで取り上げられて閉鎖したものの、他紙、確か朝日か読売かですが、「海外の読者に対し、失った日本の信頼を取り戻すのは難しい」と言う通り、誤った情報を世界に発信し続けたという罪は非常に重いことに間違いありません。

 そして現在に至るのですが、この事件の余波は案の定大きく、毎日新聞の日本版ウェブサイトである「毎日jp」では今も確認しましたが、現在ページのどこにも自社及び関連会社以外の広告が全くないという異常事態が発生しています。普通、こういった新聞社のサイトでは経済面などに企業の広告が貼り付けられるのが普通なのですが、ここにすら何もないというのですから事態は予想以上に深刻です。他紙の報道によると、やはり事件の影響を考え大企業などは企業イメージを悪くするとの懸念から一斉に広告を引き上げたためとのことらしいですが、本紙はまだ確認していませんが、恐らく紙面上も大企業の広告は現在ほとんどないでしょう。

 すでに以前に連載して書いていた新聞メディアの記事でも触れていますが、毎日はただですら北海道での夕刊配達を中止するほどに経営が追い込まれていたにもかかわらず、今回このような事態となって広告収入も先細るとなると、ますます追い詰められるのは明白でしょう。私の見立てでは、もしこのままの状態が続くとなると今年か来年中には毎日新聞社は潰れるのではないかと思います。現にそういった話、買収案なども私の耳に入ってきています。

 もし毎日新聞社の経営が破綻するとどうなるかですが、やはり一番に考えられるのは他社による買収です。しかし毎日新聞社自体が不良債権となっている現在、恐らく他の新聞社は動かないのではないかというのが知り合いの業界関係者の見方です。それよりも系列テレビ局であるTBSが資本を注入し、財務状況を救うのではないかと言っていましたが、私も現状ではこの線が最も可能性が高いと思います。
 そしてこれは恐らくありえないですが、ここでもしインターネット会社が毎日新聞、この際取材部門だけでも買収するとなれば、私の予想するメディア業界の大変動の一歩が踏まれることとなると思います。まぁ、起こったら面白いけど、さすがにこれは起こんないだろうな。孫正義氏とかやんないかな。

 それにしてもこの毎日の凋落は私自身にとって非常に残念な事態です。というのも、新聞社の記者で比べるなら私は毎日新聞が最も優れていると考えていたからです。かつてはゴッドハンドと呼ばれた遺跡発掘者の捏造事件を暴くなど、毎年のスクープでは質、量ともに他紙を圧倒し、その記者の取材力ではかねてより定評があり、私自身も高く評価していました。
 今回のこの事件はかねてより批判を受けていたにもかかわらず、何のチェックも行わなかった経営側の明らかな不作為によるもので、そうした無能な経営側のせいでで優秀な毎日の記者があおりを食らうというのを残念に思います。英語版サイトを閉鎖したにもかかわらず鳴り止まない批判に対し、ようやく毎日新聞社は今回の騒動の顛末を公表すると発表しましたが、はっきり言って遅きに失したでしょう。また記事を編集し続けた記者の処分も、どうも見ていて緩いのではないかと私は思います。

 一部の評論にもありますが、意外や意外に、この事件は日本メディア界を大きく揺るがす一発目になりかねない可能性を含んでいます。今後とも、この問題は続報があれば紹介していくつもりです。

生き残るゲーム会社とは

 ちょっと私用で中国地方、主に広島県へと行っていました。印象に残ったのは、私は鹿児島県生まれで現地だと、島津斉彬様万歳、が色濃く主張されているのですが、今回行った山口県、特に萩市では吉田松陰先生万歳が色濃く主張されていました。

 そんなこともあって久々の投稿です。今日はこのところよく取り上げる、ゲーム会社の話です。
 まず単刀直入に結論を書きますが、今後生き残っていくゲーム会社というのは過去の遺産があるゲーム会社だけだと私は考えています。

 先日、かねてより前評判の高い「ドラゴンクエスト5」のNINTENDO DS版が発売されましたが、これが逆に一部のネットユーザーの意見からは批判の的になっています。その批判の内容というのも、このところのスクウェアエニックスは昔のゲームのリメイクばかりで稼いでいて、新しくゲームを作っていないというものです。 

 なんだかんだいって、こうした昔のゲームのリメイクというのはよく売れます。その理由というのも、昔に遊んだユーザーが年を取ってからまたやりたくなり、出たらまた買うからだと言われています。そもそも、私の知る限り昔のゲームを新たなハードでリメイクをやりだしたのはこのスクウェアエニックス(当初はエニックス単独)で、「ドラゴンクエスト1,2」をスーパーファミコンで出したのがきっかけで、皮肉な言い方ですが、このリメイク商法の元祖は未だにこの手法を続けているとも言えます。ドラクエ5なんて、プレステ2でも出していたし。

 しかしこうしたリメイク作品が何度も世に出る一方で、新しいジャンルのゲームというものは確かに以前ほど多くはありません。業界関係者によると、リスクの高い新ジャンルの作品より、過去のリメイクの方が安定した売り上げが見込めることからこうした状態が続いているといっていますが、現実にはそれ以上に、新しいジャンルのゲームでやっていけるほど、もはや今のゲーム業界に体力がないのかもしれません。
 というのも前の記事でも書きましたが、今じゃゲームの開発費は天井知らずになってしまい、本当に売れなかったら会社は即倒産なんていうことすら結構ザラです。知ってか知らずか、もはやリメイク作品がないところはゲーム業界では生き残れないのかとすら私は思います。

 それが冒頭に言った、ゲーム会社が生き残るかどうかは過去の遺産があるかどうかなのです。この考えを発展すると、なにもリメイク作品にとどまらずシリーズ作品もこの「遺産」と考えてもよろしいでしょう。
 たとえば、任天堂なら「マリオ」、「ゼルダ」、「マリオカート」、「ポケモン」と、未だにこれらのシリーズは最新版が出るたびに売れますが、これらと全く関係のない新たなゲームシリーズはやはり比較するとあまり売れていない気がします。
 さらに例を挙げていくと、バンダイナムコなら「テイルズシリーズ」、「鉄拳」、「スパロボ」で、KOEIなら「三国無双」、「信長の野望」、「三国志」、コナミなら私もお世話になっている「パワプロ」、「ウィイレ」、「メタルギアソリッド」、さすがに「かんばれゴエモン」はもう見なくなったけど。

 このように、今挙げたのはゲーム業界が華やかなりし頃に一作目が発売されたゲームシリーズばかりです。今やこれらのシリーズ以外で、販売本数で上位に上がれるソフトというのはほとんどないでしょう。つまり、まだ新ジャンルを開拓できる時代に人気シリーズを確立できたゲーム会社しかもう生き残れず、今後新ジャンルを新たに開拓するにしても、これらの過去の遺産で売り上げを確保しつつ開発するしかない状況にあるのではないかと私は言いたいのです。これだけ書くと、なんか今の日本のゲーム業界は閉塞してしまったような感じですね。

 唯一の例外を挙げると、カプコンについては未だに旺盛に新ジャンルに取り組んでいます。実はこの前までまたカプコンは潰れる間際だと言われていましたが、今回の「モンスターハンターシリーズ」の大ヒットによって再び息を吹き返しました。ここの会社は昔から、危なくなるごとに「ストリートファイターシリーズ」、「バイオハザードシリーズ」などの新ジャンルを開拓し、そのたびに不死鳥のごとく生き残っていますので、一ゲームユーザーとして今後も温かい目で見守って生きたいと思います。

2008年7月17日木曜日

格差社会を読み解く、経済学の系譜

 最近筆が乗らず、あまりたいした事書いていないので補填とばかりに現在の経済学の系譜を書いておきます。明日からちょっと所用で、しばらくブログがかけなくなりそうですし。

 まず経済学は大きく分けて二つに分かれます。経済学の祖であるアダム・スミスの源流を受ける資本主義経済学と、カール・マルクスを祖とする共産主義経済学です。もっとも、後者は勉強する学生も減り、二十世紀に起こった共産主義国もほぼすべてその綱領を放棄してますので、最近ではちょっとマイナーです。

 では前者はというと、こっちはこっちで今、二つの大きな流派に分かれています。まず、二十世紀中ごろに出現して各国で採用された、国家の経済への介入を謳うをケインズ主義と、その逆にすべての国家などによる規制の排除を謳う新自由主義、通称ネオリベラリズムの二つです。この新自由主義の代表格、というより親玉とも呼べたのが私のブログでも何度か出したミルトン・フリードマンです。

 このフリードマンが主張したのは、所得が大きい層、つまり金持ちががどんどん大きくなれば、そいつらの使うお金は最終的に貧困層にまで落ちてきて、みんなで豊かになれるというのが主な綱領です。この過程のことを新自由主義者は「トリクル・ダウン」、日本語に直すと、「水の滴り」と呼んで、実際に取る政策は大企業がもっと大きくなれるように規制を排除する、近年日本で取られた政策です。

 しかし読んでてわかると思いますが、私はこのやり方に疑問を持っています。すでにこれまでこのフリードマンの考えに則り政策を行った国はたくさんありますが、はっきり言って一つもこのトリクル・ダウンが起こった国はありません。どの国も格差が広がり、最終的には破綻した国の方が明らかに多いです。

 かといって、ケインズ主義も必ずしも正しいというつもりはありません。まぁその辺は今度に深くやるとして、ここで私が言いたい内容は、フリードマンの背後にはハイエクという人物がいます。このハイエクという人は今言ったケインズとめちゃくちゃ対立してたそうですし、案外フリードマンを読み解くより、このハイエクを読み解く方が、今のこの格差社会を読み解くのに役立つのではないかと思ってます。そういいつつ、「ケインズとハイエク」という本を難しさのあまり私は途中で投げ出したのですが。もし興味のある方は、この辺のことを勉強するといいかもしれません。

怒りの矛先について

 昨日、十四歳の中学生が高速バスをハイジャックするという事件が起きました。明日高速バスに乗る予定の私からすると、非常にスリリングな話題です。
 幸いなことに被害者は一人もいなかったのですが、呆れたことに犯人の事件の動機というのは、親に怒られて困らせてやろうと思った、というのです。

 実はこの動機、ちょっと前から注目していました。というのも、以前に駅のホームで人を線路に突き落として殺害した高校三年生の男子生徒も、はっきりとは明言してないものの、家庭の事情で大学進学をあきらめざるを得ず、両親に対してやや不満めいたことを漏らしていました。
 私が奇妙に思う点というのは、なぜこの二つの事件の犯人は、不満や怒りの直接的な矛先である両親に向かわず、その早まった行動を知りもしない赤の他人に向かったという点です。考えてみると、このような事件はなにも未成年に限りません。あの秋葉原の通り魔事件も、掲示板では職場や親への不満が書かれていたにもかかわらず、そのはけ口へとなったのはやはり赤の他人でした。

 詳しい原因や傾向まではこの場で図りはしませんが、今後もこういった事件は続出していくのではないかと思います。ただ言える事として、赤の他人にその暴力を振るったとしても、自分にとっても何の解決にもつながらないというのは断言できます。

2008年7月16日水曜日

実存主義について思うこと

 あまり深く理解してないで言うのもなんですが、ヨーロッパ哲学で現在力のあるこの実存主義の大綱を簡単に私流に言わせてもらうと、
「世の中に神様とか仏様は実際にはいない。なので厳密に言って人間にはこの世で生きていく上での使命やら運命ってのはないんだから、人それぞれにこの世で生きていく目的を見つけねばならない」
 という風に、勝手ながら理解させてもらっています。恐らくこういう考え方だから、ニーチェも「神は死んだ!!」とか言ったのだと思います。ちなみに、アメリカのある大学で「神は死んだ ニーチェ」という落書きがあったところ、次の日にその場所には、「ニーチェは死んだ 神」という落書きが上書きされてたそうです。

 多分、日本人からすると、「なんでヨーロッパ人はそんなことを真剣に考えてるの?」とか思う人も多いのではないかと思います。そんな使命やら運命がなければ生きていけないのかだとか、今まで普通に生きてて変だと思わなかったのかというように、私は素直に感じました。
 そしたら案の定というか、この実存主義の先駆けとなったドイツの思想家ハイデッガーは、年取ってから日本で浄土真宗を開いた親鸞が書いた「歎異抄」の翻訳を読んで、えらい感動したそうです。この浄土真宗の教えをこれまた私なりに解釈すると、
「人間、生まれてきたことだけに感謝しなさい。生きてるってハッピー!!」
 ってな内容なので、なんとなくハイデッガーが感動したというのも私なりに理解できました。

情報の入出力に必要な能力

 一般に、頭が良いという評価は、日本では知識をどれだけ多く持っているかで測られることが多いです。それこそ高校までの勉強はどれだけ数学の原理や歴史の人物名、化学式などを暗記するかで測られ、実社会でも商品知識から世の中のことをいろいろ知っているとなにかと重宝がられます。しかしそれらの知識、いわば情報を活用する段階の入出力に関わる能力については議論が少ないように思えるので、今回はこの点について考えてみようと思います。

 まず情報の入力ですが、これを左右する能力はほかの何者でもなく単純に理解力です。この理解力の中身はというと、どれだけ短時間に、またはどれほど難しい情報を頭に詰めこめられるかを問う能力です。この点については多分、読んでいる方もなんの疑問も感じないでしょう。肝心なのはこの次の出力です。

 というのも、これは私が中学生くらいの頃に考えたことなのですが、たとえばある賢い人は理解力が高くて、一般の人と比べて二倍も知識が豊富だったとします。しかし肝心の出力は悪くて、その賢い人は一般人の四分の一しか知識の活用ができないとすると、結局のところ2×1/4=0.5で、普通の人(1×1=1)の半分しか役に立たないことになります。

 ここで言いたいのは、どれだけすばらしい能力を持っていたとしても、それを生かす力がなければ宝の持ち腐れになるということです。こう考えた私は当時からこの出力の訓練に取り掛かりました。具体的に何をやったかというと、今みたいに文章をひたすら書く、つまり表現力を磨いていったのです。実はこの表現力こそが、能力の出力を左右する源泉だと私は考えています。

 日本人は最近作文も書かなくなったので、特にこの表現力の低下が激しいような気がします。しかし、頭に詰め込むだけでなくそれを応用的に使う能力、この表現力がなければほとんど知識は意味を成しません。幸いというか、私の場合は訓練の甲斐あってか今では人からよく、「説明の仕方がうまい」とよく誉められます。このブログでも、なるべくたくさんの人、一応は政治や社会問題に関心の強い中から上級者向けに書いてはいますが、できることならあまりそれらの問題に詳しくない初心者に方にも理解できるように努力しています。

 私の見方からするとこの表現力はこのところ軽視されがちで、私のように意識的に鍛えようとする人は少なくなっている気がします。私としては理解力同様にこの表現力も重要だと思うので、もっと注目しておくべき存在の能力だと思います。

2008年7月15日火曜日

竹島問題教科書記載のニュースについて

 まず前回に書いた記事の中で取り上げた、日本人の自意識の向上についての参考文献を紹介します。
「他人を見下す若者たち」 速水俊彦 講談社現代新書 2006年
 ブックオフで見つけました。

 それでは今日の本題です。昨日、政府は中学校向けの社会の資料集における日本の領土問題の範囲に、これまでの北方領土問題に加え韓国と領有権でもめている竹島問題を記載することを義務付けること発表しました。このニュースに対してどの新聞も今朝は一面に持ってきて、テレビでもバンバン流しています。
 そして当事者である韓国はというと、入ってくる情報では早速民間団体がデモをやり、韓国政府も駐日大使を抗議の意味を込めて召還することを発表しました。
 もっとも、この駐日大使の召還については韓国政府も一時的なものとあらかじめ発表しており、事態を深刻なものへとする意思はなさそうです。日本への抗議というよりはむしろ、私はこれは韓国国民に対するパフォーマンスな気がします。

 というのもこの竹島問題では現状で、圧倒的に日本が有利な立場にあるからです。私は日本の言い分しか聞いていませんが、この竹島の領有権では私は日本に分があると思います。その理由というのも一点につき、竹島を含む韓国が主張する領土線は、あの李承晩ラインだからです。この李承晩ラインというのは、韓国の初代大統領である李承晩が訳のわからない主張をして、それこそ文字通りに地図上に勝手になぞった線を領土線として戦後のどさくさにまぎれて決めたものです。さすがにこの勝手な行動に対して、アメリカですら怒ったといいますし、日本の側としても、この勝手に決められた領土線を侵害したとして当時多くの日本の漁船が拿捕されたことを考えると、いささか腹の立つ思いがします。

 そんなんだから李承晩の後には誰もこの領土線を主張しなくなりましたが、竹島だけは領有権があるとして未だに主張しているという話を聞きます。それ以前の過程を考えても、また国際司法裁判所で白黒つけようという日本側の提案を毎回韓国側が拒否している(これは韓国のジャーナリストも認めている)ことを考慮すれば、私は竹島は日本側に分があると思います。

 それでなぜ日本が圧倒的に有利な立場にあるかですが、以上の領有権の論拠だけでなく、日本側はこの問題をいくらでも好きに主張できるからです。逆に韓国はというと、そうじゃないと私は思っています。
 それはなぜかというと、韓国は前の記事でも書きましたが、「愛国無罪」という言葉があるくらい愛国心が強い国家です。しかし今の日本からすると想像しづらいものですが、ナショナリズムというものは追い風になると非常に心強いものの、逆風へと容易に変わっては国の政府を一挙に追い込みかねない思想なのです。
 日本の場合だと、戦前の軍隊に蔓延した強烈なナショナリズムが二・二六事件や五・一五事件といったクーデターや暗殺事件が連発しました。これも昨日に書きましたが、過ぎたるは猶及ばざるが如しで、ナショナリズムは今の日本みたいになさ過ぎても困るし、ありすぎても政府にとっては困るものなのです。

 現在、私の目からすると韓国や中国のナショナリズムはあり過ぎる状態にあります。中国については毎年のサッカーのアジアカップで言うに及ばずですが、韓国においてもこの竹島問題では逆批判があると聞いています。その逆批判というのも、
「日本が竹島について領有権を主張しているのに、政府は何も対抗策を出していない」
 というような、国民から政府への批判です。先ほど言った、大使召還がパフォーマンスといったのは、こうした批判をかわすためではないかと睨んでいます。

 片や日本は普段弱気な政府が急に強気になり出すと、以前ではそうも行きませんでしたがこのところは国民も「よく言った」的なノリで支持率回復につながるようになってると、ここ数年間観察してきて思います。つまり、日本側はこの竹島問題でどんどん強気に発言できる立場にあるのに対して、韓国は日本に強気な態度をとられるたびに国民を納得させなければならないお家事情があり、本音では頼むから黙っててくれといいたい状況にあるのです。まだはっきり出ていませんが、恐らくこの問題が長引けば、韓国大統領への支持率は落ちていくと思います。

 ただ、今回のこのニュースで気になる点がいくつかあります。そのひとつはタイミングです。
 実は先週に、アメリカの新聞に韓国の複数の団体から、
「知ってますか? 独島(竹島)は韓国の領土なんだって」
 という意見広告が載っていました。そんなことがあった次の週にこれですから、何かしら政府内で動きがあったか、もしくはたまたま偶然だったのか、現状ではどっちかを判断する材料がありませんがこのタイミングの不気味さには思うところがあります。まぁ教科書の内容なんですし、前々から決まっていたけど意見広告載せてきたから牽制のつもりでこのタイミングで投げちゃえ、というような感じだとは思いますけど。

 最期に、この問題に対する朝日新聞の今朝の社説に触れておきます。
「だがここは冷静になりたい」
 社説の中のこの一言に尽きます。内容を要約すると、もっと話し合って日韓で仲良くなろうよ、というような社説で、どこをどう見てもこの問題の背景、歴史、果てには朝日新聞としてはどっちに領有権があると思うのかという立場すら書いていません。これじゃ新聞失格と言われても仕方ないでしょう。
 さらにおまけに言うと、以前ある人から、このところの朝日新聞は一面から三面までどこをどう見ても事実関係の報道しか書いておらず、問題の具体的な解決方法の提案や今後の見通しを書かなくなり、三流に落ちているという批判を聞きましたが、この社説においてもどうすれば日韓が納得するかという話は一切書いていませんでした。

 敢えて私の立場から言うと、日本は現状で圧倒的に有利な立場にあるのだから、ここはひとつ佐藤優流に「領土問題で相手が要求を出してきたら、もっと大きい要求をこっちも出す」という鉄則に則り、日本の韓国大使に一足早い夏休みを日本でとってもらうとかいいかもしれません。夏休みの期限は、駐日韓国大使が頭下げて戻ってくるまでとか。
 このところ朝日を誉める記事が多かったから、たまには批判しないとね。

2008年7月14日月曜日

モンスターペアレントはどこから生まれたのか

 どうでもいいですが、中日が5カード連続で負け越したらしいです。12球団で断トツで嫌いな球団だから、ざまぁみなって気分でなんだかうきうきします。
 そんな野球の話はほっといて、今日の本題です。ちょっと今日は手のかかる内容なので、覚悟して今キーボードを叩いています。

 さて、題にもあるモンスターペアレント、去年にできた言葉としては割と定着し、その問題意識の高さとともに非常に流行している言葉です。この言葉の定義する内容はわざわざ語るまでもないのですが、学校やその他の子供の関わる場所において、無理な要求をしては周りに迷惑をかける子供の親のことを指します。この言葉が一挙に広がるきっかけとなったのは、国が発表した小学校の給食費未納額がとてつもない額にまで昇っており、しかもその主たる原因が「払えるのに敢えて払わない」親にあることが伝えられたことからです。当時、このニュースが報道された際には今までの鬱憤がたまっていたのか、各教育関係者がこの問題の根深さをあちこちで話し、また見聞きする視聴者も少なからずこういった存在があることに気がついていた、迷惑を被っていたのか実感を伴って情報を得ていたように思えます。そのため、一気に言葉が定着したのでしょう。もっとも、この言葉が横文字で「モンスターペアレント」と書かれたのは、日本語力の低下とみたのは私くらいでしょう。

 そのモンスターペアレント、今でも問題の実態を報告、解説する新書が続々と出ており、また教育機関も訴訟対策やら窓口対策などを行っているというニュースは見るのですが、ある肝心な議論が抜けているように私は思えます。といっても、私自身この問題についてあれこれ本買って調べているわけじゃないので強くはいえないのですが、少なくとも公の議論の対象になっていない抜けている部分として、なぜモンスターペアレントは生まれたのか、この部分について今日は考えてみようと思います。

 このモンスターペアレント、期間的には大体ここ五年くらいで表面化してきたと言っていいでしょう。つまり、数十年前には少なくともいなかった、もしくは表面化するほど多くはなかったのではありますが、なぜ現在に至って表面化するまでに増加、もしくは発生したのでしょうか。前置き長くてもしょうがないから仮設をいちいち挙げてきます。

  仮説1「日本人全体でマナーが低下したから」
 いきなりなんですが、これはすでに実感としては当たり前です。この前も世界遺産に落書きする人がいましたし、今朝は広島県の宮島の森林にペンキつけて馬鹿がいたので、昔にもこういった人間が全くいなかったとは言いませんが、全体で日本人のマナーのレベルが下がっているのは間違いないでしょう。マナーが下がったから、変な親とかも出てきた、こんなのだったらインド人でも言えます。じゃあ一体何故マナーがさがったのかを議論しないといけないので、次の仮説へ行きましょう。

  仮説2「モンスターペアレントの親がモンスターペアレントだったから」
 俗に言う、蛙の子は蛙というような意見です。よく無茶な要求を突きつけてくる親に限って子供は意地悪く、チクリ魔だという話があり、そこから発展したのがこのような意見です。つまり、駄目な親から駄目な子供が再生産され、それが成長すると次代のモンスターペアレントとなるという話ですが、じゃあ先祖代々その家系はモンスターペアレントだったのかという話につながりますが、この問題はここ数年で表面化してきたことを考えると、さすがに無茶な仮説でしょう。まぁ私も、この仮説を声高に叫びたい気持ちもあるんですけどね。

  仮説3「親が子供に対して過保護になった」
 まぁこれはやや当てはまる意見だと思います。この前四月も各大学の入学式に両親の見学者が押しかけて会場がいっぱいになったニュースもで教育関係者が、大学生にもなった子供をいちいち見に来るなと言ってましたが、その通りだと思います。全体的に、子供のためになること、子供が望むことなら何をやってもいいというような空気がこのような環境を作ったと思います。そういうことで、次の仮説へ。

  仮説4「フェミニズムの台頭」
 これは以前に論文にまとめていながら途中で頓挫した内容ですが、90年代は極端な平等主義がありえないくらいにはびこった時代でありました。私の分析だとそれを後押ししたのはほかでもなくマスコミと文部省(現文部科学省)で、ほかの人間と一点の差別を作ってはならないということが公にも強く叫ばれた時代でありました。
 この時代を過ごして親となった世代が、現在のモンスターペアレントの中核を担っていると私は睨んでいます。先ほどの過保護になったという仮説同様、フェミニズムのためなら何を言っても許される、中国や韓国の「愛国無罪」みたいなノリを私自身、この時代にすごく感じていました。そのために現代でも、実際には私益しか考えていなくとも格好の口実として、「教育は平等なのだから給食費は払わない」とか言ったりしているのではないでしょうか。
 逆に言うと、この問題が表面化してきたということはフェミニズムが後退してきているという証拠でもあります。この件についてはほかにも証拠があり、機会があればまた書きます。最近こればっかだけど。
 
  仮説5「自意識の向上」
 これは今読んでいる新書に書かれている内容なのですが、現代の日本人は過去と比べて、他人の考えより自分の考えの方が正しいと思うようになってきていると書かれていました。これについて、私も非常に思い当たることがあります。これまでは学校の先生なりお医者さんなりの言うことが何でも正しいとされてきたのが、90年代末期の価値観の大混乱期に教師による事件とか医者の不正治療などが大きく取り上げられ、マスコミなどはうかつに連中を信じるな、セカンドオピニオンに行けなどと煽り立ててきました。
 これがどんな結果を生んだかというと、自分の考えていることが正しい、それがさらに援用されて自分のやりたいことを主張してもいいというような空気を生んだのではないでしょうか。いわば、日本人同士で相手を見下し始めたと言えます。そんなこと言ったら、お前が一番見下しているじゃないかと、友人らからは言われそうですが……。
 しかし、素人同士ならまだしも、専門家を真っ向から疑うのはやはり疑問です。確かになんでも鵜呑みにするのはよくないですが、疑いすぎるのも過ぎたるは猶及ばざるが如しです。現に、今の状況がその結果でしょう。あまり他人が言っていない意見ですが、この仮説には結構自信があります。

  仮説6「アメリカの裁判事例の影響」
 これも90年代によく言われていた内容ですが、
「アメリカ人は自分が悪いと思っても、絶対にsorryって言わないんだぜ」
 中学校時代の同級生がよく言ってたな、そいつはやっぱりいやな奴だったけど。
 この言葉の語源は、アメリカは訴訟大国だから自分の弱みを見せたらすぐ突っ込まれて金をむしり取られる。逆に相手に対して無茶な要求でも、理屈が通れば高い賠償金を得られるという、マクドナルド熱々コーヒー裁判の事例を元に当時に流行った話です。ちなみに結論から言うと、これは間違っています。道で肩ぶつかったら普通に「sorry」ってアメリカ人は言ってくれます。うちの親父なんか真に受けて海外では絶対に言うまいとしてたけど。
 これがどんな影響を生んだかというと、損得や道理は別として、主張したもん勝ちというような風説を生んだのではないかと思います。それこそ、明らかに間違った意見としても、教育を受けん権利なのだから給食費はほかの人が払ってても払わなくてもいいというような意見でも、無理が通れば道理は引っ込むかのように言えてしまう世の中になったのではないでしょうか。

 以前にホリエモン騒動が起きた際、よく財界の人間はホリエモンのことを「ルールを平気で無視する」、「アメリカのような価値観を世の中に蔓延させた」といっては非難していましたが、私の見方からすると、ホリエモン出現以前に日本の価値観のベクトルは変わって来ていたように思えます。今日はまた長く書いちゃったなぁ(*^ー゚)b グッジョブ!!

2008年7月13日日曜日

チリのピノチェト時代の暗黒歴史

 最近歴史の話を書いていないので、また補充分とばかりにどぎついネタを放り込んでおきます。

 今回の話も私の記事より、ウィキペディアの「アウグスト・ピノチェト」の記事を読んでもらうのが早くて、しかも詳しいです。
 このピノチェト元チリ大統領のことは、恐らく年齢の高い方は皆ご存知でしょうが、私のように二十代くらいの若い層はほとんど、というよりも見たことも聞いたこともないでしょう。その理由はほかでもなく、アメリカの暗黒史につながるからです。

 このピノチェト元大統領はあのアニータで有名なチリの大統領でしたが、その就任に至る過程も当時軍部の最大権力者であった彼によるクーデターによるもので、しかもアメリカの支援によって行われたものでした。話の発端はこうです、当時チリでは左派勢力が拡大し、自由選挙によってアジェンデ元大統領による社会主義政権が誕生していました。この動きに対し、資本主義勢力のアメリカは自国の庭だと思っている南米にて社会主義政権が誕生したのを快く思わず、反共主義者であるという理由のみでピノチェトを支援し、政権を倒壊させたのが成り立ちです。

 その後、チリには一昨年死んだミルトン・フリードマン率いる新自由主義を掲げる経済学者たちが乗り込み、経済改革に取り組んでいきました。その結果はというと、前回に書いた韓国のIMF時代のようになんでもかんでも国家事業を民営化され著しい経済の混乱を引き起こしました。そして問題を引き起こす原因を作ったフリードマンはというと、「ありゃ確かに俺の理論が間違ってたな」などと、後になって言ってのけたらしいです。ピノチェトも、最期にはその新自由主義陣営の学者たちを追い出し、復古政策に舵を切ったといいます。

 ただ、この経済的混乱を引き起こしただけなら彼はここまで有名にはならなかったでしょう。ピノチェトを名指しめるようになったのは、ほかでもなく虐殺です。一説によると十万人以上とも言われるほどの人間、主に左派の人間の虐殺を行い、当時のチリで一般人は外出することすら許されなかったようです。以前に知り合いになったチリ人の留学生の話によると、なんでも祖母が若い頃がその虐殺の時代に当たり、当時は毎日路上に人の死体が常に転がっていたらしいです。そんな次代を乗り越えたからか、おばあちゃんは今でも元気らしいです。

 しかし、この虐殺に対し世界に人権を標榜するアメリカは見て見ぬ振りをしていました。なぜかといと、ピノチェトが倒れれば、またチリが社会主義化する怖れがあったからです。それだけの理由のために、自らが原因でもあるのに、アメリカはこれらの南米の悲劇を見て見ぬ振りをしていました。そしてアメリカの悪口が書けない日本なので、恐らく大学受験時に必死で世界史を勉強した方もこの事実はご存じないかと思います。

 多かれ少なかれ、当時の南米はどこも似たような歴史を歩んでいます。その背後には必ずといっていいほどアメリカがおり、決してアメリカ贔屓でない私ですら、こんな冷酷なことを平気でしていたのかと思って青ざめたことがありました。もし興味をもたれた方は、この辺の南米の歴史を勉強することをお薦めします。

佐藤優サイン会レポート!!

 イャッホー、ついに行って来たぜ!!
 話は昨日夕方、自転車をこぎまわしてふらふらとなり、昼寝していたところに友人からメールが来ましたことに始まりました。

「佐藤優がサイン会やってるよ。チケットいる?」

 当初、ふらふらしてるもんだから、別にいいと断ったものの、あとからどんどん行きたくなってきて、最終的にはチケットをもらっちゃいました。そんでもって、本日都内某所で行われた佐藤優氏のサイン会に行ってきました。

 佐藤優氏については私のブログでも何度も取り上げている人物で、俗に言う外務省のラスプーチンと呼ばれた、鈴木宗男氏と連座して捕まった元外交官です。ちなみに今月の文芸春秋にて東京拘置所のことを「小菅ヒルズ」と呼んでいました。

 まず私が見た印象を言うと、2006年にその著書の「自壊する帝国」にて大宅壮一賞を受賞した際に審査委員の一人が、「是非メタボには気をつけてもらいたい体格である」と言っていましたが、まさにその通りでした。本の中でも脈絡なく料理の話をどんどん書き込むくらいだから、相当グルメな人なんだろうなということを再確認しました。出所時はホリエモン同様にやせてすっきりしてたのに……。

 そしてサインをしてもらう際、ちょっと二言三言ほど話す機会がありました。本当はその場で、「弟子にしてください!」と頼み込みたかったけど、後ろにはまだサインをしてもらう人がいっぱい並んでたし、過去に同じことしてちょっと面倒なことになったので今回はやめました。なお、実際に話した内容はちょっと秘密です。いやー、今日はいい日だった。朝青龍は負けたけど。

2008年7月12日土曜日

大学生は本当に勉強しなくなったのか?

 今朝ちょっと道に迷って自転車走りまわしたら、一気に日焼けしました。おまけに光化学スモッグも出てたのか、息を吸い込むと咳が出ます。最近の子供は夏に虫取りしなくなったと言いますが、普通に危険だからやらないんじゃないかとも思います。
 さて前回に、「日本の若者の発言力 その一」という記事で日本の若者の置かれている状況や私個人の不満点を書きましたが、今回はそれに関連する話として、続編ではないですが日本の大学生の状況について書きます。

 よく最近の子供の学力の低下というニュースに関連し、大学生も勉強しなくなったとよく報じられますが、私ははっきり言ってそんなことないと思います。確かに理系は高校卒業レベルでの学力低下がひどいらしいですが、すぱっと書いちゃうと、今大学生に起こっているのは学力の低下ではなく学力の二極化だと思います。

 そういう風に思うのも、五年前に大学で教えている恩師に聞いたところ、このごろの学生は確かに何かをやらかすような面白い子は減ったが、その分真面目に授業に出席する子が増えてきたと言っており、この恩師以外にも何人かの教員からも同じような話を聞きました。また、このまえ勲章をもらったさる偉いご老人も、自分らの時代と比べて今の学生は勉強に追われていて可哀相だという風に言っていました。
 実際に私も、今大学で教員やっている連中は大学闘争の頃に訳わかんないこと言っては、大学封鎖やらテスト禁止などをやらかしてほとんど学校に来てなかっただろうし、そんな時代の連中に比べて、今の学生はどれだけ勉強してるんだと、前回の記事同様に勝手なレッテルを貼られているんじゃないかと思っております。

 とはいえ、いわゆる「Fランク大学」の現状は話で聞く限りでもその荒れ具合にすさまじいものがありますが、それは大学定員の拡充と少子化によって起こった、大学進学率の増加による、あまり向学心のない人間でも大学に入れるようになった結果だということで、上位の大学に通っている学生については結構勉強している、つまり学生の二極化が実情にあった真実だと考えています。

 さらに言うと、最近佐藤優氏についでうちのブログの検索ワードに引っかかりやすくなっている宇沢弘文氏もその著書の中で、
「以前、名の知られた先生が東大で特別講義を行った際、予想を遙かに超える学生が集まった。なんだかんだ言って、今の学生は勉強しなくなったというより、我々教員の側が学生の要望に答えられる授業を行っていないのかもしれない」(文章の抜き出しにあらず)
 というような内容の記述を書いていましたが、私もこれに思い当たる節があり、私が学生の頃に登録者が集中する人気な授業というのはやっぱり聞いていて面白い授業ばかりでした。まぁマイナーだった、ツッチーと一緒に受けてたK先生の授業が一番面白かったんだけど、やっぱり学生も本当は勉強したいと考えている人は潜在的にかなり多いと思います。しかしあまり知的刺激を受けるような授業が少なくて、そのために大学に来ず、こういう風な低下したとか言われているのではないかと考えています。

 そういった、意義ある授業が大学にないため、私の周りでも結構大学に失望したという向学心の高い人間が数多くいました。そういった姿を見ていると、今の大学生は世間で言われているのとは逆にやはり向学心が高く、非常にやる気はあるのですがその一方、勉強の仕方を知らないんじゃないかという気はします。
 というのも、以前に地元の後輩に口うるさく専門の国際政治の話を私が行っていると、二人の後輩は目を輝かせて話を聞いてました。そして、
「僕も花園さんみたいに政治のこととか勉強したいと思っているんですが、教えてくれる人がいないんですよ」
 俺もいないから独学でやってきてんだ、甘ったれるんじゃねぇ馬鹿野郎っ!!……と、本当は言いたかったですが、その場では言葉を飲み込みました。
 このように、やる気はあるもののどう学べばいいか、どっから入っていけばいいのかがわからない人間は確かに増えている気がします。まぁこの後輩たちの言うことにも一理あり、本来は大学こそが学生に何かしら刺激してやったり、課題を与えて無理やりやらせたり、いい本を紹介してあげたりする場なのですが、生憎そういう授業というのはほとんど行われていない気がします。

 そういう意味で、このブログは私の友人との連絡網みたいな形でもありますが、一番の目的は知的好奇心に植えている、向学心の高い大学生に、「こういう考え方、情報があるよ」と教えてあげ、何かしらの知識の種にしてあげることにあります。

元受刑者への就農支援について

 昨日の朝日新聞の夕刊一面に、「元受刑者を就農支援」という記事が載っていました。記事の内容は法務、厚生労働、農林水産の三省が共同で、刑務所を出所したものの生活を安定させることのできない元受刑者に対して就農支援、つまり農作業で生計を立てさせるよう支援していくという方針が報じられていました。結論から言うと、この方針に私は非常に期待しています。

 というのも、すでにかれこれ四年間も言い続けていますが、今の日本にとって最も対策が必要とされているのが農業対策だと思っているからです。すでに二十年前から日本の農業は「さんちゃん農業」といって、母ちゃん、じいちゃん、ばあちゃんの三者によって支えられていると言われていましたが、その後も若者の就農者はほとんど現れず、そのままスライド状に最初の三者の年齢が二十上がったのが今の状態です。その結果はいうまでもなく、今の日本の農業の大半、確か八割がたの農作業者は六十歳以上の高齢者によって占められていると言われています。

 この前にみたテレビ討論番組でも、日本の農業は今後五年以内に何か対策をとらないと、完膚なきまでに崩壊するとコメンテーターが言っていましたが、まさにその通りでしょう。かといって、若者に今すぐ農業をやれというのも無理な話です。というのも、海外からの安い農産物の輸入によって作物の市場価格はデフレの影響もあり、ありえないくらい低いのが現状です。自給自足で生活していく分には何とかなるものの、将来の子供の学費やの家族の生活費を考えると、とても農業で生計なんて立てやしません。また農業を始めようとしても、肝心の耕作地が家族が農業をしていない場合では持っていません。新たに入手するとしても、入手するのにかかる借金が重くのしかかり、それに圧迫されて自分の生活費すら稼げなくなる可能性があります。

 とはいえ、各地の農村では後継者不足に悩んでいるとよく聞きます。日本人は土地に強い執着があるので、「後継者いないなら若者に分けてあげて」とはとてもできないと思いますし、政府が買い上げて安く新規就農者に売り払うというかつてのGHQのようなやり方も、今の財政状況では難しいでしょう。
 では、この連立方程式を解くにはどんな方策があるか。私が宇沢弘文氏の「社会的共通資本」という本を読んだ後に考えた方策は、ずばり「小作農の復活」です。

 この小作農という言葉の説明からすると、土地を人から借りて地代を払う代わりに農業を行う農民のことで、社会主義国ではよく「農奴」という言葉を使って、連中の解放を主是に掲げています。もっとも、中国は逆にどんどん農民を追い込んでるけど。
 私の考えはこうです。土地を買う金もないし、農業のやり方はわからない。そんな人間をどう農業に向かわせるかとしてやはりまず最初に必要なのは農作業指導でしょう。それこそ、各農村で現在の農業従事者の協力を得て、彼らの余っている土地(これは実際にたくさんあると聞きます)を借りさせて農業を行わせます。そしてある程度定着が見られるようであれば、五年の作業継続をひとつの区切りとして、確かに財政は厳しいですが、土地をその新規就農者に安く国が引き払わせます。それも無理だったら、この際そのまま小作農でもかまいません。引き払う場合なら、その後十年間はその土地の農業用以外の転売は禁じます。

 このようにして、まずは農業という職業訓練を今すぐにでも始める必要があると私は感じています。そしてその代わりに、最低限の生活保障、それこそ衣食住は完全に国が補償します。人によってはそれじゃばら撒き財政ではないかと言われますが、そこまでしなければならないほど日本の農業は追い詰めまれれいると私は感じるからこそ、この方策を推進します。折しも世界で食料価格が高騰する昨今の世の中、自国で自国民の食料をまかなわずして何の国家でしょうか。
 論語にも曰く、
「徳、兵、食、どうしても外さねばならぬとしたら、何から外しますか?」(弟子)
「まずは兵、そして食。徳は何よりも国家を運営するのに必要な条件なり」(孔子) 
 言っちゃ何ですが、この際この孔子の言葉どおりに、日本は軍事費を削ってでも農業支援に向かわせるべきではないでしょうか。もしくは古くは曹操、諸葛亮が採った政策のように、軍隊に農作業を行わせる「屯田」もありかと思います。やけに中国の話が続くな。

 ちなみにもしこの生活保障を行ってくれるならば、私は真っ先にでも農業を行うつもりです。これまで食に困ったことがなかったのは日本のお百姓さんのおかげですし、その役目を次代へつなぐのならば存分にこの身をささげるつもりです。もっとも、一時貧乏したときに、空腹で夜眠れない日々を送ったことはありますが。

 最期にこの方策は現在民主党が主張している方策に近いものがあります。与党からはばら撒き財政だ、財源の目途がないなど批判され、実質その批判どおりだと私も思います。しかし選挙にこの農業問題を取り上げただけでも、前回の参議院選挙で私は民主党を評価しました。まぁ党としてはずっと大嫌いなままだけど。

  追記
 今月の文芸春秋においてノーベル賞経済学者のスティグリッツ氏が、日本の農業支援は生活支援に相当する最低保障で、実行に臆する必要はないと理解を示しています。

2008年7月11日金曜日

IMFの振りまく害毒

 前回に書いたグローバリズムに対する記事に寄せられたコメントの中で、今日のお題のIMFについて言及する方がいたので、今日はちょっと、このWTOに並ぶショッカーにも引けをとらない悪の組織IMFについて書いていこうと思います。

 さて皆さんはIMFと聞いて何を想像するでしょうか。恐らく大半の方は、中学校時代に暗記させられた「国際通貨基金」という日本語名を想像されると思います。やっていることはその名の如く、発展途上国に対して低利で資金を融資する国際組織のことです。出資比率で言うならアメリカが一番で、日本は確か二番だったけな。
 これだけみるなら立派な組織そうに見えますが、ところどっこいやることは非常にえげつないです。すでに前回の記事でも書きましたが、このIMFの所業について詳しく聞きたいという方は韓国人に聞くのが一番いいです。私自身、韓国人留学生の方から熱を持って話をされ、IMFのイメージと実際の姿に非常に驚かされました。

 まずこのIMFを語る上で外せないのが、出資比率でアメリカが一番多いということです。そのため組織の理事もアメリカ人が一番多く、実質融資先を決めるのはアメリカ政府だということになります。そしてその融資の方向というのも、基本的にはアメリカの利益を誘導する方向にしか使われません。
 それがもっとも目に見える形で行われたのが韓国の例です。韓国はアジア通貨危機の際に自国通貨のウォンが大きく価値を下げてしまい、IMFに融資を申し込みました。その希望に答えIMFは韓国に融資を行いましたが、もちろんタダというわけじゃありません。これは韓国に限る話じゃありませんが、IMFは融資をする代わりに、その国の経済政策を実際にIMFに運営させることを条件にしてきます。

 その結果IMFによって採られた経済政策は新自由主義、今で言う小泉改革のような政策を採りました。企業の人員を徹底的に削って失業者を大量に作り、残った社員も人員が減った分、それまでとは倍くらいの労働を背負わねばならなくなりました。
 それでも社員が減った分、企業としては業績は増えます。しかし、本当に笑ったのは日本同様ごく一部の金持ちだけで、社会は混乱させるだけ混乱させられたと、「IMF時代」という言葉を使ってその頃のひどい有様をその韓国人留学生の友人は言っていました。

 基本的に経済というのは物を作っても、それが消費されなければ意味がありません。なので、IMFが基本的に指導下の国に行わせるのは、アメリカで作っても余ってしまうもの、それこそたとえば食料などをその国に買わせるようにします。やり方は簡単です。食料輸入に対する関税を引き下げるだけでいいのです。現実に日本は何度もアメリカから圧迫を食らい、食料の輸入自由化をやらされて日本の農家は今も続く地方格差の問題を突きつけられました。そうしてその国の農家が潰れて誰も食料を作らなくなった頃を見計らい、一気にその国に売る食料の値段を吊り上げればいいのです。そうすれば、文字通りぼろもうけという異なりますし、実際に今アメリカが南米で行っているのはこういうやり方です。
 さらにいうと、詳しく研究はしていないのですが、恐らく韓国も「IMF時代」に相当農家が攻撃されたのだと思います。というのも、2005年に香港で行われたWTOの会合の際、韓国農家の集団が反対デモを行い、催涙弾が使用されるなど大きな騒動にまで発展しています。
 さらに前述の友人に言わせると、韓国の農村の荒廃ぶりは日本の比ではないらしいです。このように、IMFは国際組織というより、アメリカ政府の支部と考えるべきです。

 なんかここまできちゃったし、そろそろ新自由主義政策の解説でもやろうかな。めちゃくちゃややこしくなるけどさ。

大分県の教員採用試験不正事件について

 大分県で起きた、教員の採用試験の過程で起きた不正、要するに裏口採用については皆さんも報道ですでにお知りになっていると思います。まぁ事実関係だけなら別に私がわざわざ言及する必要はないのですが、せっかくなので、ここでは組織には書けない、個人にしか書けないこの事件の背景を予想します。

 まず不正採用された教員ですが、大分県の教育委員会側は不正を行って採用されたものに関しては即刻免職にするといっていますが、採用試験のテスト結果や記録などはすでになく、実質不正かどうかを判別する手段がないので外向きのパフォーマンスなだけと受け取ってもよいでしょう。
 それにしても、報道によると不正が起こった例の中には筆記試験の点数が100点以上上乗せされた例まであるそうです。近頃、教育低下が叫ばれて久しいのですが、案外問題の原因というのはこういった、能力のない人間が教壇に立ってしまっていたということにあるのではないかと思います。

 そしてメディアが書かないいかがわしい私の予想ですが、果たして、この問題は大分県に限ったものなのかどうか、ひょっとしたら他都道府県、へたすりゃ全国でも同じ問題が起こっているかもしれません。というのも、これも我ながら書いていて冷や冷やする内容なのですが、今回不正に関わった教育委員らと、2ちゃんねるの中で悪名高き日教組こと日本教職員組合の関わりがあったのかどうかが非常に気になる点です。というのも、今回つかまった連中が日教組に入っており、その組織の中で採用する教員候補をこれまで選んでいたとなると、話は飛躍的に大きくなっていく可能性があります。

 これがまだ個人の中のつながりであったというのならば、その不正の範囲も限られてきます。しかし組織の中であれば、ほんとどうしようもなく広がって行きますね。報道を見ていて気になったのはこの二点です。誰も言わないから私が言いました。

2008年7月10日木曜日

日本の若者の発言力 その一

 今日は出張所の方でコメントが入っており、ノリにノッて四本目の記事です。我ながら、体力あるな。

 これもおとといにコメント欄で予告していた内容ですが、実はこれまでにも何度も書こうと思ってはペンを折ってきた内容です。というのも、いくらか話す内容に余計な誤解を広げるような可能性があるからです。なので先に書いておきますが、ほかの記事はともかくこの記事の取り扱いには注意してください。引用、コメントなどはもちろん自由になさって結構ですが、その際には内容を大きく外れないようにすることと、またネタ元であるこのブログのことも話して宣伝しておいてください。

 さて、日本は少子化と言われ始めてすでに久しいですが、それを反映してか現在の人口ピラミッドは見事なまでにいびつな形で、もはや「ピラミッド」と読んでもいいのか、むしろ「人口きのこ」とも言うべき形をとっております。本当はリンクを貼りたいんだけど、なんかいろいろうるさそうなところばかりなので、グーグルかなんかで検索して、是非その目で見てください。

 それでその世代別人口ですが、やはり六十歳前後で大きく膨らんでいるのに対して、下の年代は大きく人口比で劣っているのがわかります。単純な見た目でみても、六十歳前後と二十歳前後で二倍くらい差がある異様に思えます。
 ここで唐突ですが、この人口の差がどのような影響を生むか、考えたことはあるでしょうか。実はこのブログでも何度か匂わせてきたのですが、具体的に言うと発言力や政策の実行力に大きな差があります。たとえば、単純に多数決で何かを決めるとしても、人口の多い集団寄りの意見のが勝つに決まっています。たとえば、
「将来返す借金や負担が増えるとしても、今の老人が死ぬまでは社会保障を充実させたい」
 こんな意見や政策が出てきたとしたら、人口比では老人のが多いから通るに決まっています。たとえ若者らがどんなに反対しようとしてもです。

 このように政策や方針は、あまり言いたくはありませんが今の日本では老人を中心に回っていると言っても過言ではありません。そこには若者の意見は何一つ反映されません。それこそ、現在の不安定な若者の雇用状況も将来の年金設計においても、今の今まで若者の代表者や当事者が国会で答弁したことはなく、またメディアでも発言の機会が与えられたことは今の今まで私は見たことがありません。それでもまだ雇用問題ではいろいろ取り上げられますが、本来、年金制度は老人以上に現役世代の方が関わり深いと思えるのですが、これぽっちも意見が取り上げられません。私だって、言いたいことがいろいろあるのに……。

 ここで結論を言いますが、今の日本の大きな問題点として、当事者であるはずの若者が全く意見を発信できず、結局のところ年齢層が高い壮年世代の間だけで物事すべてが決められて、国家としての将来設計が大きく損なわれていると私は考えています。先ほどの雇用にしろ年金にしろ、果てには借金漬けの財政をこれからどうするかなど、現役世代となって実際にやりくりする若者の側の意見ももっと検討に取り入れるべきでしょう。しかし、先ほども述べたように今でも国会などでは若者を置いてけぼりにした、壮年世代の生活やら老後をどうするかという内容しか討論されません。本来、全世代層に渡って行うべき議論であってもです。

 もちろん中にはこの状況に気づいている人間もいますが、そういった人間の中には若者層と壮年層の対立をただ煽るだけで、問題点を履き違えているのではないかと疑うような人もいます。具体的に世代間対立を煽っている人の名前を挙げますと、「若者はなぜ3年で仕事をやめるのか」という本の作者である、城繁幸氏です。私としてもこの城氏の意見も確かによくわかるのですが、大きな目で見て、若者層と壮年層が争ったところでなんの結果も生まず、むしろ問題がややこしくなるだけだと思います。

 もちろん壮年層の中にもこういった対立を煽る人の動きに逆に気づいている人間もおり、そういう人なんかは、
「最近、生活の不満を上の世代の人間の責任だとして憎悪する若者がいるが、こういうのはよくない」
 というような意見を言う人もちらほらいますが、言っちゃ何ですがこういった人たちもピントがずれてると思います。確かに対立を煽り、もっと若者は反抗しろという城氏のような人もいますが、当の若者はというと生活の苦しさを感じつつもあまりにも政治的な話に無関心で、現在の生活の苦しさの原因の一端が壮年層とのいびつな人口比にあると気づくのはほとんど皆無で、私の周りでも団塊の世代を敵視しているのは一人の変化球が得意そうな友人だけです。

 ここまで書いておいてなんですが、私としても日本社会をこんな風にめちゃくちゃにした、今の壮年世代、というか団塊の世代に対して忸怩たる思いがあります。しかし、世間一般で言う団塊の世代の人、大学時代に左翼闘争をしたり、会社でモーレツ社員としてやってきたという人は本当はほんの一部だけで、実際のこの世代の人たちの多くは、若い頃に集団就職をしてやってきたり、不況期にリストラに遭ったりと、非常に多くの苦労をしてきた人たちというのが大半で、実像に近いと私は考えています。なので、真に憎むべきはこの世代の中の一部の人たちだけで、世代全体をひとくくりにして対立意識を持つべきではないと思います。そして憎んだり対立するより今本当に必要なことは、全年齢的な議論、つまり若者の側も議論に加わることだと思います。そのために、若者の発言力が今必要なのですが、続きはまた次回に。

グッドウィルなどの派遣マージン率

 どうでもいいけど、最近買っている「プロ野球チップス」で、昨日といい今日といいおまけのカードがオリックスの加藤大輔とローズという、オリックスの選手が連日出てきたのがなんか納得いきません。二人ともいい選手だとは思いますが、オリックスはそんなに好きでも嫌いでもないし。去年は巨人の阿部と阪神の林がいきなり出てきてうれしかったけど。阪神の藤川のカードが一番ほしいのに。

 さてそんなんでいきなりマイブームのリンク貼りで、ネタ元はいつもどおりのYAHOOニュースです。

・廃業するグッドウィル社員の平均年収を分析

 このニュースでは今度つぶれるグッドウィルの社員の年収が親会社の「グッドウィルグループ」と、実際に派遣業を行っていた子会社の「グッドウィル」で差があるなどを報じていますが、それ以上に注目すべき点はグッドウィル社の売上原価と売上の比較です。前者は文字通り、グッドウィル社がさまざまな現場に派遣した派遣労働者に支払われた金額で、後者は派遣先の企業からグッドウィル社が受け取る総収入です。これを単純比較すると、売上に対する売上原価の割合は記事にも書かれているように66.4%となり、そのまま援用するなら、派遣労働者派遣先企業が支払うお金の1000円当たり、664円が労働者に行き、残りの336円はグッドウィルがピンはねしていたということになります。

 この数字を冷静に考えてみて、片や電話とメールで労働者を回すだけで三割、片や電話とメールで回されるだけで六割の収入を派遣先の企業からそれぞれ得ていたことになります。一体、何の権利があって三割強ものピンはねが許されるのか、強い疑問を感じます。また私が以前に聞いた話だと、緊急の場合、派遣先は通常よりも高い値段を派遣会社にふっかけられるようですがそれは労働者には還元されず、派遣先が一万五千円を出しても労働者には五千円しかもたらされないという例すらあるようです。

 さらに今日発売の文芸春秋八月号によると、派遣会社エム・クルーでは派遣先が日給として一万九千円をエム・クルーに支払う場合、派遣労働者には七千二百円しか渡されないという、マージンというかピンはね率はここでも37.9%になります。つまり、相場的にはマージンは三割を超えるのが普通なようです。

 私は正直、この派遣労働のマージンは一割を超えても高いと感じます。こうして具体的な数字が出てきているので、もう少し各所で議論がなされることを切に祈ります。

インフルエンザ増殖原因を特定

 今日の朝日新聞の夕刊に、東大の研究チームが、体内でインフルエンザ細胞を増殖させるたんぱく質の存在を突き止めたというニュースが報じられました。もしこれが事実だとすると、そのままインフルエンザ対策にもなりますし、応用すればもっと多大な範囲の治療も行えるかもしれません。今日発売の科学雑誌「NATURE」に載せられたとのことらしいですが、IPS細胞といい、今後の発展に非常に期待の持てるニュースです。

グローバリズムによる弊害

 コメント欄に質問がきたので、今日はちょっと気合入れた内容を取り扱います。その内容というのも、グローバリズムの弊害についてです。

 この問題については私と友人のツッチー、二人の恩師のK先生が詳しく取り上げていた内容で、その影響もあって今じゃ私は立派なアンチグローバリストです。前回にも書きましたが、日本ではグローバリズムは肯定的にしか使われないので、「何でアンチグローバルなの?」と疑問に思われることが多いのですが、グローバリズムというのは一見すると、世界中がつながりあえる、平和的な発達と取られがちですが、実際には経済的な概念が強く、その内実も搾取とも取られかねないものです。

 このグローバリズムの弊害がもっとも事件化したのは、多分日本人はほとんど知らないでしょうが、90年代末に起きた「アジア通貨危機」です。この事件の中身はウィキペディアかなんかで見ると早いのですが、一番生々しい話が身近で聞きたいというのなら、韓国人留学生に話を聞くのがいいと思います。
 簡単に話のあらましをすると、タイの通貨であるバーツは今の人民元レートみたくドルと連動した固定相場でした。そんな中、折悪くもドルの値段が上がり、それに伴ってバーツの通貨価格もどんどん上昇してきました。これに目をつけたのがアメリカのヘッジファンドたちで、簡単に言うと彼らはどんどんバーツを買っていき、みんなが買うもんだからバーツの値段もさらにどんどん上昇していき、あるところまで高くなったところで、一気に書いためたバーツを売り払ったのです。ちなみに、値段が上昇していく過程は今の原油高と同じです。

 その結果何が起こったかというと、一ドル当たりのバーツの値段が急落し、それによってタイの株式の価格もドル換算で一気に低下し、通貨の信用不安が起こりました。これも簡単に言うと今の原油高みたいなもんで、どんどん原油の値段が高くなって売れなくなったところで、一気に値段が下がって売っても儲からなくなって、さらに追い詰められるようなもんです、強引なたとえだけど。
 そしてこの信用不安はタイだけにとどまらず日本を除くアジア各国に波及し、韓国に至っては、現在も続く経済問題のすべての原因となっています。

 このように、今では何十兆円という資金がパソコンを通してボタン一つで動くようになりました。ミクロな話をすれば、いきなりヘッジファンドが株式を購入することによってその企業に十兆円あげるから、これを使って大きな工場を建ててもっと儲けなよと言い、それを信じた企業が工場を建築すると、いきなり「今の話はなしね」といって、株式を一気に売り、その十兆円を再び持ち去ってしまい、あとには工場を作る費用の借金だけ残るということも、大いに起こりうる話です。

 また多国籍企業の問題も、このグローバリズムとは切っても切れない関係です。この前なんてアメリカのウォールマートが国際条約で禁止されている児童労働を南米で行っていると非難されたら、「彼らは自主的に、ボランティアで我々の仕事を手伝っている。それに対して、我々は彼らにおこづかいをやっているだけだ」と言い訳していました。このように、本国では違法な労働でも他国では平然と行われ、その結果他国の経済格差を広げ、混乱を引き起こすと言われています。中には、「それでも仕事を与えてやっているじゃないか」という人もいますが、それは明らかな詭弁です。言ってしまえば、大きなスーパーがその地域になければ、小さな商店でもそれぞれやっていくことができ、雇用だって大きな差は起きません。仕事を与えるからといって、その国の人間を奴隷のごとく働かせる理由にはなりません。

 このように、書き出したら延々と続く内容なので、続きはまたおいおい書いていきます。ひとまず、これらのグローバリズムの弊害を読み解くのにいい本として、少し古い本ですが、内橋克人氏の「悪夢のサイクル」(文芸春秋社)をおすすめします。文字通り、この問題に理解を広げていないと、日本の学生は世界の流行から取り残されると思います。

2008年7月9日水曜日

洞爺湖サミットについて

 今日はちょっと気合の入るネタを書こうとしていたところ、デスクトップのパソコンがネットにつながらなくなり、しょうがなくこのノートパソコンで書いている始末なので短いネタを扱います。それにしても、また怒鳴って声が枯れちゃったな。

 さて今日で洞爺湖サミットは終了しましたが、私の評価は全くの無価値です。環境についてあれこれ話すとか言ってた割には具体的な目標がアメリカの反対によって何も決まらず、挙句の果てに拉致問題も言及こそしたものの、あまり大きな議題にならず拉致家族の会同様に残念な結果に終わったと思います。

 それよりも、以前にも書いた「日本語にならないアンチ・グローバリゼーション」でも触れた、反グローバリズムの概念がまたも取り上げられませんでした。一部のメディアではそのような反グローバリゼーション団体によるサミット妨害の懸念が取り上げられましたが、その運動内容や精神については誰も何も解説してませんでした。さすがに、今回は日本でやるんだから多少は報道されるんだろうと思ってましたが、個人的に一番残念な点です。

2008年7月8日火曜日

最近の近況

 涼しいので、今日はもう一本書きます。私の近況です。

 もともと、私は英語が大嫌いで、あのセンテンスの魂のなさといい、それで反発とばかりに中国語に執心していたところもあったのですが、現在はとある理由で毎日英文のメールを打っています。もちろん、自発的にじゃないですよ。こういうのもなんですが、すごい私にとって苦しいです。これならまだロシア語を無理やり勉強させられる方がマシ、ってか逆にロシア語は大好きなんだけどね。

 このところの週末には何故だか高校時代に知り合った人間とばかり会っています。ここで書くのもなんですが、清流派か濁流派かを二者択一的に言うなら、確実に私は清流派の人間で、友人も比較的おとなしい人間を選びがちです。その影響なのか、このところ会っている友人を思い浮かべると、非常に自分の好みのタイプを体現しているおとなしい人間ばかりです。そりゃまぁ、濁流派の友人もいることはいるけど。

 ちなみにこの清流派と濁流派の話で、三国志の英雄である曹操は濁流派ではあるが、彼の参謀の荀彧は清流派の代表格で、曹操ではなく彼を慕って数多の清流派の人間が曹操の下に集まり、彼は天下を取る事ができたという評論がありましたが、なるほどと私もそう思いました。かといって曹操も、現代に残るほど中国古代詩を残しており(古代詩は曹操親子で以って完成されたとされる)、全く濁流一辺倒というわけではないですが。

「利益分配」の時代から「負担分配」の時代へ

 もう三日も続けて田原総一朗氏の講演内容をやっていますが、多分今日当たりが最期の話で、一日目に話した内容の復習です。

 田原氏は、高度経済成長の頃は日本が得た利益を如何に分配するかが主な政治課題で、そのために「バラ撒き財政」の仕方に長けた人間ほど政治家の資質があった時代と評した上で、もうあの頃以上に成長が望めない、それどころか少子化のため逆に経済力が下がる可能性の方が高い現代では、誰がどれだけ社会の負担を抱えるか、「負担分配」を考えなければならない時代だと述べました。
 その上で年々上がる社会保障や取り沙汰される消費税の増税議論についても、しっかりと国民を含めて考えねばならないとし、今の政治家にはその負担の分配理由をきちんと説明できる資質が問われると断言しました。

 この田原氏の意見について、私も基本的に同意見です。それこそ消費税が二桁に増税するとしても、結果的に今の子供たちの世代の負担が軽くなるというのなら、甘んじて高い税金を受けるつもりです。しかし現状では上げた分の税金が効率的に使われる可能性が低いため、ただ財政難だから税金を上げるという理由だけでは賛成しかねる立場です。テレビなどでも多くのコメンテーターが述べてますが、税金を上げる前にすることがある、つまり予算の無駄使いをまず国からやめてもらわなければとても国民の側としては承服しかねます。田原氏も、まずは国が血を流さねばならないとして、自分の見積もりとして国家公務員はあと10万人はリストラできるとまで言いました。具体的な数字は別として、社保庁の問題からしていらない公務員の首切りは今すぐにでも必要な処置だと私も感じます。

 こっから別ネタになるのですが、この田原氏の話を聞いた際に思い出したのが、数ヶ月前の文芸春秋の記事でした。その記事の内容というのも、豊臣政権から徳川政権への移り変わりの話で、豊臣政権では朝鮮半島に侵攻するなど、あくまで収入を大きくするための拡張路線を採ったのに対して徳川政権では、今ある収入、要は日本国内の全石高の中で、如何に皆で耐え忍んで食っていくかを考える、持久力をもつ路線を採ったと書かれていました。江戸時代は確かに何度かの新田開発を経て石高は上昇したものの、領地という点ではほんの少しも広がりませんでした。土地がすべての資本であったあの時代、これは成長が全く見込めないも同然です。そのために徳川政権は大名や武士の身分を固定し、外国との交流を閉じるといった政策を採り、結果的に二百年以上に及ぶ長い統治に成功したのだろうと、その記事にはまとめられていました。

 ここまで話せばわかると思いますが、田原氏の言う「負担分配」の時代に必要な政策モデルに当たるのが、まさにこの徳川政権の政策だと私は思いました。成長はないが、持続できる社会。それは人口抑制かもしれませんし共産制かもしれません。ですが、こういった観点で議論を行えば、何かしら新たないいアイデアも生まれるのではないかと期待しております。

2008年7月7日月曜日

田原総一朗が評価する政治家

 昨日に引き続き、田原総一朗氏の話です。

 昨日は田原氏の講演の後、この地域の候補者であるさいとう健氏との対談時間も設けられていました。ちなみにさっきコメントにも書きましたが、国家公務員である官僚が選挙に打って出るというのは非常に覚悟のいることなのです。というのも、公務員は規定により、選挙に立候補した時点で当落にかかわらず職を辞さねばならないからです。それこそただ黙って安穏と過ごしていれば安定した生活が保障されるにもかかわらず、勝てるかどうかわからない選挙に官僚が出るというのその点だけでも評価に値すると思っています。ちなみにさいとう健氏も言っていましたが、公務員は「失業保険」には入っていないので、選挙で落選してから文字通り無収入になったらしいです。

 話は戻りますが、その対談の際にさいとう健氏から、田原氏が今までに評価した政治家というのはどんな人かという質問がありました。その質問に対してすぐに田原氏が挙げてきたのは、あの岸信介でした。
「あの安保改定の際、私も反対するデモに加わっていましたがね」
 と前置きした後、吉田茂が最初に結んだ日米安保条約というのはアメリカが日本を守る義務がなく、しかも日本側に何の相談もなく日本国内に基地を建設する権利がありました。それを岸信介は有事の際に日本を守る義務を明記させ、基地の建設においても日本と事前協議することを盛り込むなど、それまでの安保条約からすると画期的な改正を行い、今の日本の繁栄に貢献したと評価していました。
 その上で田原氏は、恐らく岸は安保改定を行った後、憲法改正も行う予定だったと言っていました。もっとも世論の強い反対の元に辞任を余儀なくされ、その孫の安倍晋三が祖父の仇とばかりに改正を図ったものの、こっちも討ち死にあったとまとめました。

 そして最期に、なぜ岸がもっとも偉大なのかで、戦前に東条内閣を倒閣させたのはほかでもなくこの岸であることを指摘しました。この事実は私も知っており、東条内閣に閣僚として岸は名を連ねていましたが、戦局の悪化と事態の打開を図るため、閣僚である自分が東条に対し、閣内不一致を脅迫材料として退陣を迫ったといいます。詳しい経過はウィキペディアでも確認できますが、東条内閣を倒した岸がその後にA級戦犯になったのはこれまた皮肉な結果でしょう。

 この岸の次に田原氏が挙げたのは、まぁ大体予想がついてましたが田中角栄氏でした。田原氏によると、田中氏は常々、「福田赳夫は30いくつもの団体に加盟している。それに対して私はたった二つの団体しかない。新潟県人会と、小学校の同窓会だけだ」と言っていたらしく、楽しそうに話していました。

 そして最期に挙げた三人目の政治家は中曽根康弘氏でした。
「今にして思うと、彼は国鉄、電電公社、日本専売公社(今のJT)という、非常に壁の厚い組織の民営化をよくやった」と言い、その手腕と現在のサービスのよくなったJRを誉めるとともに、中曽根氏の行った靖国神社参拝について言及しました。
 なんでも、中曽根氏は靖国参拝を行う前に、あらかじめ中国政府に打診したようなのです。その時の返事は、「我々は靖国参拝を肯定はしないが、否定もしない」という返事だったので、それを確認してから中曽根氏は参拝したものの、予想以上に中国国内で中国国民が反発したせいで中国政府としても非難声明を発表せざるを得なくなったらしいのです。それに対して中曽根氏は、この例を前例として今後は控えるべきだとぴたりと参拝をやめたらしいのですが、その判断の切り替えは早くて正しかったと田原氏は評価しました。逆に、中国に内緒でこそこそと参拝した小泉氏には辛口でしたけど。

2008年7月6日日曜日

田原総一朗に凝視された日

 今日は超々といえるような特ダネをブログに書きます。はっきり言うけどさ、こんなの書いてもいいのかとすら私も思います。
 今日は某所、ってか簡単にわかるのでもう書きますが千葉県流山市で行われた、さいとう健氏と田原総一朗氏の対談会に友人と行ってきました。いつもどおり結論から言わせてもらうと、めちゃくちゃ面白かったです。自分で言うのもなんですが、私は結構生意気な性格をしておりまして、人の講演会に行ってもいっつも、「はっ、知ったかぶりしやがって。俺のが絶対この問題に詳しいはずだ」なんて思っちゃったりするのですが、今回のこの田原総一朗氏は今まであまり番組などよく見ておらずどういった人かなども知らなかったのですが、正直舌を巻きました。話の構成から内容まで、今まで見てきた中でトップクラスに面白い講演会でした。

 今回、この会で田原氏はいきなりえらいネタを披露してくれました。そのネタというのも、何でもこのところ毎年の大学新入生の一割が行方不明になるという話です。なんでも先日に田原氏が東京でいろんな大学の学長達と一同に集まり、その際に出てきた話というのがこれらしいです。このところ大学の新入生は何故だか授業に来ず、かといって実家に帰っているわけでもないらしく、下宿に引きこもっているか、もしくは文字通り行方不明になる学生が増えてきているそうです。この点について田原氏は、単純に日本の若者の力が落ちていると断言しました。

 その次に話したのは日本の政治問題についてです。日本は高度経済成長期の頃は「如何に利益を分配するか」という課題の元に政治が行われていたのですが、現在のように少子高齢化のであの頃ほどの経済成長が望めない時代には逆に、「如何に負担を分配するか」が政治の主な課題となっていると言及していました。
 田原氏はそういうと、単純に日本政府の歳入を約50兆円として、支出は80兆円現在あると説明し、50-80=30の30の部分はどっから今出しているかといい、それは国債、つまり借金から出ていると話し最低でもあと15兆円なければ、借金の返済より増える額が上回り、借金がどんどん増えてしまうと解説しました。ではその15兆円はどこが負担するのか、そういったことを考えて、そしてそれを政治家がきちんと説明責任を果たして国民に納得してもらわねばならない時代が来ていると言い、私もこの意見に非常に同じくします。

 さっきから話が断片的なのが続きますが、なんもメモ取らなかったし、なぜ今の政治がこれだけ混乱して悪循環が続いているのかという点について、それは自民党が官僚頼りに政策を作りすぎるからだと指摘しました。それこそ昔は吉田茂以降の総理大臣で世襲で政治家をやっている人はほとんどいなく、宮沢喜一が初めて世襲政治家の中で戦後初めて総理大臣になったそうです。それまでの大臣はというとやはり元官僚の人間が多く、いわゆる官僚の「政治家を騙す手口」というものがよくわかっており、官僚が自分たちの利権を確保するための政策を持ってきたとしても、「お前、何を言っているんだ」と問題点をすぐ指摘、修正することができたそうです。しかしその後の橋本龍太郎以降の小渕、森、小泉、安倍、福田はすべて世襲の政治家であり、こうした官僚の手口もなにもわからず、彼の言うままに国益を台無しにしていると指摘していました。

 さらに続けて、この「世襲」という制度自体が自民党を駄目にしているとも指摘していました。というのも、自民党は世襲の議員がこのところ候補として選挙に上げられるため、それこそ叩き上げで新たに政治家になろうとする人間が排除される傾向にあるそうです。その例として田原氏が挙げたのは民主党の前原誠二氏と、長妻昭氏です。二人とも官僚出身の民主党議員ですが、政治家へと転身する際、本音としては自民党から選挙に出たかったそうらしいです。事実、この二人の普段からの発言を聞いていると、どっちかというと自民党寄りの政策的発言が多いように私も感じています。しかし彼らのようなやる気のある人間を自民党は世襲候補を贔屓するあまり排除し、しょうがないから民主党から出て議員となり、現在のテレビの討論番組で長妻氏に自民党の若手議員がとっちめられるという、無様な結果を生んでいるとまで言っていました。このように、世襲については終始批判的でした。

 その上で、官僚出身の政治家はこのところ批判が多いものの、彼らだと先ほどに言及した官僚の「政治家を騙す手口」というものが非常によくわかっており、官僚を真にコントロールするには彼らの力の必要だと強く主張し、現在元官僚の政治家などで作られている、「脱藩官僚の会」に大きな期待をしていました。ちなみに、今回の会のもう一人の主役のさいとう健氏も元官僚で、この脱藩官僚の会に所属しています。
 田原氏が言うには、官僚が官僚の世界から飛び出すことによって、彼らの国民を騙す手口が明らかになるという効果があると言います。これについては私も同感であり、外務省と縁を切った鈴木宗男氏によって外務省の問題点が次々と明らかにされた例もあり、今回の話を聞いてなおさらその必要性を感じるようになりました。

 このほかいくらでも面白い内容はあったのですが、これ以上書くとシャレにならないほど長くなるので、もうひとつだけネタを書いておきます。これはさいとう健氏との対談で出た内容でしたが、北朝鮮のテロ国家指定解除の問題について、田原氏は今年二月の時点で読んでいたそうです。その理由というのも、アメリカの権威あるフィルハーモニー楽団が北朝鮮で演奏を行うことを当時に決定したことにあり、これを見て田原氏はアメリカは北朝鮮に本気で譲歩すると読み、見事にそうなりました。逆を言えばその時点で日本政府は拉致問題で国際的に孤立しないように、今年二月から指定解除を行った六月までの間に、アメリカに翻意を促すべきだったと言っていました。具体的な方法としては、拉致問題において最大のタカ派でもある安部晋三元首相を特使として派遣し、北朝鮮問題をこれで片付けたがっているライス国務長官は無視し、まだ迷いのあったブッシュ大統領に掛け合うべきだったと話していました。

 以上のように、なかなかほかでは聞けない話が多くてとてつもなく面白く、二時間という講演時間が非常に短く感じるほどに充実した会でした。このほかの話しは何か関連する話題とともに、今後も折に触れて書き足してゆきます。中には絶対に書けないのもありますが……。
 最期に、今回の記事のタイトルの意味ですが、今回のこの会で集まった人たちというのは、こういうのもなんですが比較的年齢層の高い人ばっかりでした。そんな中で私と友人みたいにえらく若い人間が二人、しかも最前列に座ってたもんだから、公演中の田原氏がずっとこっちを見ていたように思えました。時間にすると約八割くらいじゃないかなぁ、正面とこっちをちらちらと視線を変えてみてましたが、めっちゃ目と目が合ってました。友人も、「こっち見すぎだろ……」って、言ってたし。

 最初の大学生の話のほかにも、いろいろ現代の若者について田原氏は語っていたので、恐らくは、
「君たちに奮起を促したい」
 というような意味での私たちへの視線だったと思います。その期待に応えるよう、これからはサンデープロジェクトを私も見るようにします。

2008年7月5日土曜日

小渕元総理の評価

 結論から言います。私は今の日本の社会問題となっている原因の大半を作ったのは、ほかでもなくこの小渕敬三元総理だと考えています。

 まず前回にも話した派遣業法の拡大についてですが、確かに小泉政権でも派遣業法の拡大が行われましたが、一番決定的な部分である、労働現場、つまり工場などの作業現場への派遣を決定したのはこの小渕政権時でした。
 なんかこう書くと、「あれっ、このまえグッドウィルが摘発されたのは、禁止されている労働現場へ派遣したからじゃなかったっけ?」と考える人もいるかもしれませんが、一応文面上は禁止されているのですが、この小渕政権時の改正によって解釈次第では派遣が可能となったのです。事実、私自身もやめてって言ってたのに、いきなり佐川急便の配送所へ派遣されました、でもって一発で退場。なのでいうなればグッドウィルの摘発は、皆がやっている赤信号での横断をやってたら、何故か一人だけ逮捕されたようなものです。

 さらに、財政赤字の面でも大きな責任があります。90年代、日本の経済政策の中で最大の失敗と呼べるのが、ケインズ主義政策の下で行われた公共事業策、例のばら撒き財政です。この政策の中身は恐らく歴史の時間に中学校で教わった、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領によって行われたニューディール政策と同じで、ダムやら道路を作る公共事業を行い雇用を増やすという財政出動策のことです。すでに経済学上でも、これらの公共事業策は一時的な雇用の安定や経済の回復を促す作用があっても、結果的には何も後に残さないことが証明されています。事実、ルーズベルト時代のニューディール政策では、こうした公共事業の裏で行った銀行への信用政策が効果を発揮したとも言われています。

 しかし、この小渕政権時ではそれまでの政策を引き継ぎ、「景気刺激策」の名の元に国債を大量に発行した上、無駄な道路や建築物へと予算が使われました。こうした結果、一時的に土建屋を潤わせただけで、現在の日本に残ったのは無駄な道路と大量の借金、それに政府の言うように予算を作って無駄な建物を作ってしまい荒廃した地方だけでした。あまり学校などで教えないのでここで説明すると、地方で公民館などを建てる際には地方政府が中央の政府に対して申請し、それを許可した上で「地方交付税交付金」という資金が国から地方へ出されます。これによって、公民館の設立費用の一部は実質国負担で払われるのですが、なにも一年で一気に払うわけではないので、今のように徐々に交付金額を減らされると地方政府が払う毎年の費用が増大し、予算を圧迫していくというわけです。今の地方の予算問題の多くはこれが原因ですが、交付額を減らした中央と、適当な見込みで申請した地方とを比べると、私はやはり地方の側に問題があると考えます。

 よく小泉元総理のことを、格差を広げた大臣という表現がなされますが、これは昔文芸春秋で見た記事の受け売りですが、小泉氏自体は格差を「放置」したのであって、実際に「作った」のは、はっきりと言明してこそなかったものの、小渕氏であると示唆していましたが、まさにその通りだと思います。「放置」するのももちろん悪いけど。

 小渕政権の経済政策が失敗に終わり、確かにいろいろ問題はあったものの、その後の小泉政権での竹中平蔵による不良債権処理によって平成不況がひとまず終わりを告げたのは、それまでの政策の意味のなさを証明するものだったと思います。竹中氏の政策は付随するものにはいくつか問題のあるものがあったものの、ことマクロ経済政策における、銀行対策では非常的を得たものだったと私は考えています。

 にもかかわらず、小渕氏の現在の評価は高いものとされています。はっきり言いますが、彼は無能でした。特にこれといったものを何も残さず、日本の借金を増やしただけです。しかし死に際があんなだったので、情緒深い日本人ゆえに高評価を与えてしまっているのかと思いますが、これはあまりよくない評価だと思います。せいぜい彼が残したものというのは、公明党との連立くらいでしょう。
 しかし私の好きな佐藤優氏は逆に小渕氏を高評価しています。彼が言うんだから、何か実際にすごいんじゃないかなぁと思ったりすることもありますが、それでも私は小渕政権の失政を非難する側でいようと考えています。

  追伸
 You TubeでⅤガンダムの2曲目のED「もう一度THENDERNESS」を聞いてたら、この記事書くのに一時間もかかってしまった。この曲を聴いてた頃を思い出したり、Vガンダムの内容を思い出したりで、えらい涙と鼻水が出てきて書くどころじゃなかったなぁ。

2008年7月4日金曜日

派遣業法の改正審議

 ソースはネットのYAHOOニュースのみでまだテレビニュースなどでは確認していませんが、なんでも与党がワーキングプア対策に、派遣業法の改正を審議しているらしいです。どうでもいいですけど、昔あるブログで、ドラクエで全滅して仲間を教会で甦らすために金稼ぎの戦闘をしている途中でまた全滅することを、どんなワーキングプアだよと書いてました。

 その議論の中身というのも、これまでからすると俄かには信じがたいのですが、
・日雇い派遣の原則禁止
・人材紹介料にあたる派遣マージンの原則公開
 以上の二つを盛り込むことが早くも審議されているようです。

 と、先ほどは信じがたいと書きましたが、現政権のメンバーを考えると必ずしもおかしな話ではない気もします。というのも、この派遣業界自体は比較的歴史の新しい業界でして、この業界のトップの人間たちは自民党の守旧派というよりは、以前の小泉、安倍元総理といった、新自由主義陣営の政治家たちと距離が近いと言われていました。事実、この両氏が政権の座にあった時は派遣会社の売り上げは伸びに伸び、逆に現在の福田政権になった後には何度も取り上げているグッドウィル叩きが起こっています。

 そうした政治家との距離を考えると、こうした派遣業法の改正もまだ起こりうる可能性があると思います。強いてさらに条件を上げるなら、
・二重派遣の禁止
・最低賃金保障
・労働災害補償
 の三つですかね。ま、派遣業自体禁止するのが最も手っ取り早いんだけど。

 ついでに書くと、派遣を現代の形にしたのはよく小泉元総理と思われがちですが、何を書くそう小渕元総理の時代に、それまで聖域といわれた、労働現場への派遣許可を決めています。明日は小渕のことでも書こうかな、なんか今日は眠たいし。

自動車会社のアメリカ市場での不振

 以前のニュースで、トヨタの米市場での売り上げが前年比マイナス20%以上と、大きく不振しているということが伝えられました。多分今でもそうですけど、トヨタ一社があるかないかで日本の貿易額は黒字から赤字に変わるほど大きな数字を挙げており、単純にこの不振は日本市場にも大きな影響を与えることが予想されます。

 ちょうど今週から七月に入り今年も半分を過ぎました。すでに一月に今年の景気予測(今年の景気)を行っていますが、まぁ大きくは外れていない気がします。恐らく、今年の夏が終わった時点でまた株価が大きく下がると私は考えます。去年と比べてもうすでに株価は大きく下がっていますが、まだ間に合います。さっさと利益確保を行うことを私は投資家の方におすすめします。

2008年7月3日木曜日

内部告発と偽装事件の考察

 船場吉兆が潰れておとなしくなったと思ったら、最近になってまたあちこちで食品の偽装事件が明らかになってきました。特に今ニュースを騒がせているのは中国産うなぎの偽装事件ですが、去年に一度大問題になって以降はスーパーの中から一気になくなっていたのでなんか変だとは思ってましたが、こういうことだったようですね。言っちゃ何ですが、去年の国産うなぎを食べててもなんか妙に味が違うと思ったので、多分どっかが偽装をしているとは踏んでました。それよりも、私自身はすでに何度も述べているように中国に一年間行っていたので別に中国産でもなんでも全然抵抗がなく、安い中国産うなぎが売られなくなったことの財布への影響が大きかったです。

 そんな偽装事件ですが、どうも報道を見ていると明らかになる発端はどれも内部告発にあったようです。逆を言えば公の機関が自ら捜査した暴いた事件というのは少なく、その意味で農水省の管理責任を問う声も出てきています。
 とはいえ、やはりこういった問題というのは証拠がないと動けませんし、ネタ元は内部告発に頼らざるを得ないというのもわかります。しかしその内部告発でさえ、日本では未だ数多くの問題点を抱えており、この点でも農水省の反省点は数多くあります。

 その代表的な例である、去年に食品業界を大きく揺るがせた食肉加工業者ミートホープの偽装事件では、外部から新しく入った役員の方の内部告発によって事件は明らかになったのですが、この人が当初、農水省の下部組織に違法を行っていることを告発したところ、全然摘発にも動かないどころかやっとこさ監査に来たかと思ったらあらかじめ業者に監査日を伝えており、それどころか告発の事実と告発者の氏名までも伝えていたというのです。本来、こういった違法を摘発する組織が逆にがっちり業者と組んでいるという、なんとも言いがたい現実が起きたのです。

 結局のところ、この事件ではこの告発者の方がマスコミにも情報を流したことから社会の日の目を浴び、事実は公の下へさらされることとなりました。しかし、その後の新聞の取材でこの告発者は農水省の管理の不徹底さに憤りを伝えるとともに、今でも自分は正しいことをしたのか悩んでいるとも吐露していました。というのも、自分が告発したことでミートホープは潰れ、そこで支持されるままに働いていただけの何の罪もない従業員が突然職を失ってしまったどころか、ミートホープで働いていた経歴から再就職もままならず、生活が困窮する方が大量に出てしまったのです。
 告発者の方は、「結局、自分が一つの企業の偽装を明らかにすることで、何人もの人生を台無しにしてしまったのかもしれない」と、苦しい胸の内を語っていました。

 このように、今の日本の管理体制では内部告発を受け入れる場所もなければ告発者自身を守る法律もなく、また明らかになったとしても徹底的に糾弾され、従業員の職を奪う可能性もあり、偽装が明らかになりづらいという現実があります。本来、個人情報保護法はこうした内部告発者に対して使われなければならない法律なのですが、まるきり役に立たず張子の虎のような状態です。
 こうした日本の法体制について、以前の「テレビタックル」という番組であるコメンテーターが、「日本の法は消費者を守るのではなく、業者を守るためにできている」と言っていましたが、まさにその通りでしょう。

 最期に私の個人的な感想ですが、ミートホープの事件の際、記者会見でなおも偽装の事実を認めない社長に対し、
「社長、真実を語ってください」
 と言って詰め寄った、社長の実の息子である役員の姿が未だに思い浮かびます。偽装の事実はともあれ、こういった人がその経歴から社会での再復帰が今でも閉ざされているのではないかと思うと、少し複雑な気持ちを感じます。

反社会的という言葉について

 以前ある番組でロック歌手が、
「ロック音楽は反社会の象徴だった。しかし、今では売り上げを見込むため、逆に大衆に迎合される物へと変えられてしまった。今のロックに、自分が愛していた魂はない」
 と、述べていましたが、私はあまり音楽に関心こそなけれども、この言葉にはなにか心動かされるものがありました。
 そもそも、反社会というのはどういった基準で「反社会的」とレッテルがつけられるのでしょうか。単純に言って、以前の記事でも書きましたが、発言力の強い上の世代が自分たちの流儀、作法と異なる者に対してレッテルを貼っている気がします。

 それにしてもこの「反社会的」という言葉ですが、言葉の持つイメージこそ悪いけれども、なんだかんだ言って私は非常に強いパワーを感じます。というのも古くは織田信長といった、少年時代はうつけと呼ばれつつも、合理的な思考の元に古くからの無駄な因習や価値観を打ち破り、新たな時代の機種となった人物もいます。これは何も私だけが言っているわけじゃないですが、古くからの殻を破るのは若者だという言葉があり、その若者の力の原動力というのは、すでにあるその世界を疑う、この反社会性にあると思います。

 ところで話は変わりますが、最近このロック音楽ではないですが、私自身が、「ああ、もう反社会的じゃなくなったな」と思うものがあります。何を隠そう、漫画です。

 昔はそれこそ、「漫画を読むくらいなら本を読め」と口をすっぱくして言われ、ドラえもんの中でも親に隠れて漫画を読むシーンが書かれていました。
 それと、これは小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」の中で書かれていた内容ですが、かつて評論家の西部邁氏が、「漫画は電車の中で読むべきものではない」と言ったことに対し、小林氏は漫画家という立場から当初は激しく怒りを感じたものの、後になって西部氏の意を理解し、「西部さん、あなたの言うとおり漫画は電車の中で読むべきものじゃないですよ」と言い、和解したという話がありました。この話も知った当初は別になんとも思いませんでしたが、このごろになってよく思い出すようになってきました。

 前述の通りに、反社会性というものは既成の概念に対して疑いの目を向ける、いわば監視役のような役割を果たします。そのため、逆に「社会性」に取り込まれる、さきほどのロック音楽の例に照らすと「大衆に迎合」すると、社会に対しての問題提起力が落ちてしまいます。そういう意味でやはり、漫画はメインカルチャーではなくサブカルチャーとしての立場を守り、人目をしのんでこそこそ読むものじゃなくちゃいけない気がします。

2008年7月2日水曜日

秋葉原での逮捕者続出のニュースについて

 ぱぱっと書くネタですが、先日の秋葉原での無差別殺傷事件以来、なんか秋葉原でナイフを持っていたとか、警官につばをかけたとか、挙句にはネットで犯罪予告をしたとして逮捕者が続出しており、一部の意見では、「いくらなんでも、警察も過剰に反応し過ぎじゃないか」とか、「得点稼ぎのためにやっているんだろう」という、冷ややかな意見が出ています。

 しかしこうした逮捕者続出の実態はほかでもなく、サミット前だということが最大の理由だと私は思います。今朝も駅に行くと、いつもはいない警官が歩哨に立っており、多少ながら物々しさを感じました。それもこれも、秋葉原通り魔事件の影響というよりは、サミット前の厳重警戒から来ているものだと思います。
 あんまりこの点を指摘している人がいなかったので、ちょこっと書いときます。

コンビニの深夜営業禁止条例について

 先月に確か埼玉県が、
「深夜のコンビニ営業は客が少ないにもかかわらず電気をつけ続け、無駄に電気を使って環境によくないからコンビニ会社に2深夜営業の自粛を求める」
 と、発表しました。この動きに神奈川県も即呼応し、他の自治体もこの深夜営業への自粛に対して興味を持つところが増えているそうです。
 それに対していくつかのネットの掲示板などでは、
「たとえ夜中に営業を止めたとしても、電気使用の大半を占める冷蔵庫などは稼動し続けなければならないので意味がない」
 などと、この動きに対して反論を示す意見も出ています。

 実を言うと私は、このコンビニの深夜営業には四年前から反対してて、今回この自治体の動きをかげながら、ほくそ笑んで見ていました。そこで今日はポイントごとに比較して、コンビニの深夜営業に何故私が反対しているのかを解説します。

・深夜営業は環境に良くないのか?
 まず最初に、この論争の元になったCO2排出などの環境面での問題ですが……ってちょっと待って、あー……上原また打たれちゃった。リリーフ失敗だ。
 と、ちょっと話がそれましたが、環境面の話です。これはネットの中の意見の言う通り、深夜営業をやめたところでほとんど影響はないでしょう。先にも言ったとおり、家庭でも店舗でも最も電気代を食うのは冷蔵庫で、それが回り続けていたらほとんど節電になりません。蛍光灯なんて、つけ続けてもほとんど電気使わないし。

・治安、犯罪面では
 ネットの中の意見の中には、「夜道で誰かに襲われた時に、コンビニのように駆け込む場所があった方が治安にいい」という意見も数多く出ています。まぁ確かに言いたい事もわかりますし、コンビニでバイトしていた友人も何度か女の人が助けを求めに入ってきたと言ってましたが、そういった治安に貢献する一方で、私はコンビニが犯罪を助長させる部分も少なくないと思います。
 まず代表的なのがコンビニ強盗。深夜まで、しかも大体店員一人で営業を続けるため、それこそ強盗の格好のターゲットになってしまいます。そしてもし押し入られたとしても、昼間と違って周りに助けは求め辛く、昔なんてしょっちゅう殺されてましたし。

 そしてもうひとつ、深夜のたむろです。私が以前に住んでいた○○辺では、夜になると中高生らしき少年少女らがコンビニ前でたむろしていて、傍目にもあまりいい影響を与えていない気がしました。私もそのくらいの年代の頃は無意味に外で友人らとたむろしたがった時期がありましたが、あいにく集まるような場所もなく実行できず、今のように品行方正(と周りに言われる)な性格になってます。
 ちょっと予想以上に話が長くなりますが、以前はゲームセンターに不良がたまるなどして教育によくないとして批判され、その批判を受けて現在のゲームセンターでは夜八時以降は未成年の入店を規制するようになりました。しかしそのかわりにコンビニに集まるようになってしまい、しかもコンビ二も客商売ゆえに断れないためにやっぱりよくないんじゃないかと思います。

・過重労働の助長
 またもネットの掲示板からの意見ですが、深夜営業を禁止すると数少ないバイトの口がさらに減ってしまい、若者の雇用の安定によくないとの意見もあり、地方は確かにそういう部分もあると思いますが、はっきり言わせてもらいましょう、こんな意見は言語道断です。
 今年五月に明らかになった、ショップ99での異常ともいえる過重労働の例はまだ皆さんの記憶にも新しいと思います。ショップ99を訴えた元店長の原告によると、ひどい時などは連続で何日も完全徹夜で働き、また一ヶ月の間にほぼ休みなしで働いていたという、恐るべきほどの過重労働が24時間営業のコンビニチェーンでは広がっています。

 言ってしまえば、24時間という営業時間さえなければこんな人道を無視した労働など起こらないのです。またコンビニ業界に限らずとも、昔と比べて「コンビニがあるから」、というようなフレーズで、日本人の深夜の生活時間は増えているのは間違いないでしょう。それがどのような影響を与えるかというと、まずは睡眠不足による健康悪化。次に他の業種での深夜労働の延長。以前だったら夕食を摂るために帰らなけらばいけなかったのが、「コンビニがあるから」で、過剰な残業も会社としては行いやすくなったのではないでしょうか。

 私がコンビニの24時間営業をやめてもらいたいのはすべてこの点からです。コンビニの存在によって日本人の眠る時間が減り(養老猛によると、とても重要な時間らしいです)、童話の「モモ」ではないですが、時間を効率的に使おうとして逆に無駄遣いをしているような状態に陥っているような気がしてなりません。そういうわけで、私もこのコンビニの24時間営業の自粛を訴えていくつもりです。

  追伸
 これもまたネット掲示板での一言ネタですが、前回のパブロフの犬同様に、
「人間は一日の三分の一もの時間を睡眠に使ってるんだぜ」
「もったいないよな、できることなら残り三分の二の時間も寝ていたいよ」
 という話があり、不覚にも笑い声を上げてしまいました。

2008年7月1日火曜日

90年代後半の常識はずれのゲームについて

 先月は41本も記事を書いていて、月間最高記録を塗り替えました。我ながらよく書くもんだ。

 この前、友人に今までのブログの記事の中で気に入った記事はあるかと聞いたら、なんか五月に書いたゲーム会社の栄枯盛衰の記事が面白いと返ってきたので、今日はちょっとそれに加筆するような、当時の狂ったゲームについてあれこれ紹介しようと思います。

 その前回のゲームの記事でも書きましたが、90年代中盤までまだ割とゲーム業界は参入がしやすかった時期でした。というのも安価な開発費でゲームが出せたので、適当な会社が半ば冗談で作ったりしていており、あの吉本興業もファミコンソフトを確か一本出していました。また、元からゲームを作ってきた会社もこの時期はゲームハードの技術も向上していたのもあり、実験的な作品を多く作っています。今日はその中で、いくつか印象に残ったゲームを紹介します。

・メガチューブ2097(PS)
 内容はロボットの格闘ゲームなのですが、近未来の世界という設定で、なぜか発売年の100年後に設定したもんだから中途半端な2097年となってしまい、ゲーム自体の中途半端さとあいまって、妙に覚えてしまったゲームです。

・NOEL(PS)
 ええ買っちゃいましたとも。なんかこの頃、こういう妙なゲームにはまってたからなぁ。
 このNOELは分類上はギャルゲーに入りますが、やることといったら時間合わせと電話をかけることだけです。この頃は「ときめきメモリアル」に代表される、ゲームでキャラクターが音声を発声するシステムがノリに乗ってた頃で、このゲームはそれを前面に持ってきて、文字通り電話で女性キャラクターと会話するだけというすごいゲームでした。会話内容は話題をこっちが振って、相手にそれを返させるというものでしたが、とにもかくにも内容が膨大で、全音声を聞いた人はいないと思います。シリーズは3までありますが、私がやったのは2までです。

・LAIN(PS)
 なんかネットで見てたら、結構有名になっていたこの「LAIN」です。これなんて、発売日に新品で買っちゃいましたよ。
 もともと同名のアニメ作品が大好きで、ゲームが出たら即買おうと思っていたゲームなのですが、これも上記の「NOEL」と同じところが作っていて、やることといったらキャラ同士の会話を聞くだけです。冗談だとおもってるでしょ?
 今更ながら、よくこんなゲームが出ていたと思います。本当にキャラ同士の会話(主人公の記憶)を見るだけで、なんのひねりもない。よくキャラゲーには落とし穴があるといわれていますが、これもその例に漏れません。ただ、この「LAIN」において今もなおネットで語られる特別な部分は、当時に大流行だったサイコホラー的なシナリオです。アニメ版もそうですが、全体的に暗く、全容が掴み切れない内容で、そのゲーム内容と伴って不気味な作品として語り継がれる一因となっていると思います。

・ダブルキャスト(PS)
 これは最近買って、最近やりました。確か三月頃の記事でも書いているはずです。
 この「ダブルキャスト」を初めとして、「やるドラ」シリーズと呼ばれる四本のサウンドノベルがこの時期に連続して出されました。なんだ、内容はただのサウンドノベルかと思うとほらそこに落とし穴、この「やるドラ」シリーズは本来なら、「グロドラ」シリーズといって差し支えないほどに暴力描写が激しい作品群でした。とくにこの「ダブルキャスト」は先頭を切って発売されただけあり、ヒロインの描写の面ではエグいものがあり、ご多分に漏れずこの時期に大流行だったサイコホラー的な要素がふんだんに盛り込まれています。最近、「ヤンデレ」という言葉が一般化していますが、恐らくこのゲームのヒロインが、初代ヤンデレと言ってもいいキャラだと思います。

・デスクリムゾン(SS)
 これについては言わずもがなです。詳しい内容を知りたい方は検索して、調べてみてください。簡単に説明すると、ファミ通の編集者に、「ゲームを得点評価することに、限界を感じた一品」と言わしめた、伝説のクソゲーです。なお、現在私のパソコンでエラーメッセージが出る際に、このゲームの主人公の、「やりやがったな」という音声を鳴らすように設定しています、せっかくだから。

・リアルサウンド(SS)
 「NOEL」も凄かったが、これも凄かった。こっちは私は遊んでないのですが、ゲーム内容は聞くところによるとタイトルの通りに音声だけで、場面場面でちょこっと選択肢をいじくるだけ。余計な画像は一切なしという、CDドラマとどんな違いがあるのかよくわからない作品です。こういうものは、どちらかというとパソコンゲームの方が向いていると思う。

 こんな感じですかね。逆に、思い切ったゲームデザインをして成功して、「俺の屍を超えてゆけ」とか、伝説のマイナーゲーとなっている「街」など、良作も数多く出てきた頃でした。そういう意味で、華やかな時代だったと思います。そしてそんな時に少年時代を越せたというのは、私自身で幸福だった気もします。