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2014年9月28日日曜日

宇沢弘文教授を偲ぶ

 このところ神戸の事件と言い火山の噴火といいビッグニュースで溢れていたため見逃していましたが、親切にも友人が教えてくれたのでこの訃報を知りました。
 
 
 宇沢弘文氏とは東大の名誉教授で、高度経済成長期に成長一辺倒で公害等をまき散らす世の中に軽傷を促したことで一世を風靡した方です。平成期は米国のファンドに代表される野放図な競争社会を批判し、シカゴ大学在籍時代の同僚であるミルトン・フリードマンに対しては四六時中悪口を言っていました。
 
 このブログを始めた当初、私も宇沢教授を良く取り上げ彼の主張などを私なりに解釈して紹介しておりました。なんで経済学部出身でもないのにそんなことしてたのかというと、当時私が通っていた大学に宇沢教授が肩書きもらって良くやってきていて、また私が師事していた労農派と口座派の違いを即答してくる恩師と宇沢教授が交流しており、恩師に紹介してもらう形で宇沢教授の講義に参加していました。
 Yahooか何かで「宇沢弘文」と検索すると生前の画像も出てきますが、はっきり言って検索に出てくる画像そのまんまで、ロードオブザリングに出てきそうな長い白髭に加えあんま見ないタイプの帽子をかぶっているという、漫画に出てきそうな教授像そのままで常に動いていました。ちなみにあの帽子、なんかフン族の長老からもらったそうです。アッティラ?
 
 宇沢教授から受けた講義の内容はこのブログのかなり昔の記事にそこそこ書いていますが、ちょうど集中講義があった最中に件のフリードマンが死去したので何か発言するかなと思って行ったら、「フリードマンの訃報を聞いて、正直に良かったと思っちゃいました」と期待通りの回答をしてくれていました。講義中の内容としては社会的共通資本という概念について医者やら環境活動家などとの議論をしつつ人個を加える形式の講義で、私の解釈というか宇沢教授の言葉を借りるなら江戸時代にあった「入会い(いりあい)」の概念を現代にも持つべきだという方向の話でした。
 
 私と宇沢教授が直接話したことは一回だけで、その恩師が私を紹介してくれた際にどこの出身かと聞かれ、「生まれだけなら鹿児島の出水市です」と答えたところ、「水俣の近くだね。昔よく行ったよ」と返答されました。当時は知りませんでしたが宇沢教授は水俣病の問題にも早くから取り組んで現地にもよく足を運んでいたとのことで、そうした背景でさっきの回答があったのだとちょっと感慨深く感じました。l
 
 妙な思い出話が続きますがこれを逃すと一生書き残せないという予想から細々書いていますが、宇沢教授の講義の中で一番印象に残った、というかインパクトのあった話をここに書き残しておきます。その話というのも中国政府に依頼されて宇沢教授が行った農村の調査で、調査を終えた後に並み居る中国共産党幹部らの前で下記のような報告を行ったそうです。
 
「資本主義には市場原理があって限界があるが、社会主義の搾取には限界がない」
 
 なかなか含蓄深い言葉というか言われてみて、「あっ、なるほど!」と思う見事なまとめ方なのですが、当の中国共産党幹部らはこの報告を聞くやマジギレしたらしく、「こいつを生かして返すな!」なんて物騒な言葉が飛び交うくらい剣呑となって、宇沢教授も当時は本気でヤバいと思ったそうです。ちなみにこの時の報告に立ち会った幹部の中には�小平もいたそうです。
 ただそんないきり立つ共産党幹部らの中でただ一人だけが、「いや、彼の意見にも聞くべきところがある」と言って周りをなだめ、より詳細な報告を求めてきた人物がいたと話し、その人物とは趙紫陽だったということを明かしていました。現代中国史に詳しい人間なら、彼のその後の行動と比較してなるほどなと感じるのではないかと思います。ちなみにこの時の講義は確か2005年の5月で、趙紫陽の死から4ヶ月後でした。
 
 てらてら取とり留めのない内容を片っ端から書いていきましたが、私の前職の上司は宇沢教授について、「やや理想主義的な傾向がある」と述べてて、私の評価もまさに同じです。もっとも経済学自体が貨幣の流れを中心に長期的な視野でどのような世界を構築するかを議論するので、理想的過ぎても決して欠点ではないものの、現代にあってはあまりにも脆すぎるかもしれないと思えます。
 先に友人とも少し話しましたが、私と友人が学生だった頃はフリードマンの名前は授業の中だけでなく一般的な書籍にもよく出てくるほど影響力が強かったですが、リーマンショックで彼の主張していた経済体制が瓦解したこともあって、ここ数年は急激にフェードアウトしている感があります。もっともそれはフリードマンに限らない話で、今現在の経済学でどうやって社会や世界を分析できるのか、表現達者を自称しながら上手く表現できないのですが、経済学という学問自体が非常に力を落としているだけでなく、その役割を失いつつあるのではと感じます。
 
 古典派、新古典派、マルクス経済などいろいろ経済学派がありましたが、今の世界はこの三つのどれを用いても把握しきれないと思います。ある意味今回の宇沢教授の逝去は経済学の潮流における一つの終わりを意味するのかもと感じさせ、改めて今の時代を把握する難しさを思い起こす次第です。

2 件のコメント:

上海忍者 さんのコメント...

あの森川教授も中々ええ教授やねん。commentをお待ちしております。

花園祐 さんのコメント...

 俺あの人から何かこれを教わったってのがあんまないからねぇ。ここに出てくるK先生からは多大な影響を受けたんだけど。