以前に参加した環境問題否定論者で有名な武田邦彦氏が、日本の子供達について以下のように語っておりました。
「私が勤務する大学での授業でテストを行う際、私はいつもテスト用紙のここからここまでを何でもいいから書けば合格点を出すと学生達にあらかじめ伝えています。それこそ授業で教えた内容とは全く関係のないことでもいいし、ちょっと頭をひねるなら縦書きで行を埋めても単位を与えると言っているのです。
ところがテスト中に学生の答案を見ていると全然答案が埋まっていない学生もおり、自分の事でも何でもいいから書きなさいと私は言うのですが、その学生はというと採点をする私がこう言っているにもかかわらず、授業と関係のないことを書くわけには行かないと拒否するのです」
こう踏まえた上で武田氏は、世の中間違った事が通ったりよこしまな人間が多いとみんな嘆くものの、現実にいる子供達はそうではなくむしろ大人たちの方が心は荒んでいるのではと話していました。
ちょっと前の記事で私も日本人のモラル低下について記事をまとめましたが、その記事で受けたコメントの中で時代とともにモラルは低下してきたとは言うが、現代の若者はむしろ礼儀正しいのが多く、年配の方の傍若無人な振る舞いの方が目立つという意見がありましたが、私も実はそのように感じる事が度々あります。武田氏の教育現場での話を聞くと、やっぱりそうなのかもなぁという気になってきます。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年11月30日月曜日
2009年11月29日日曜日
TBSの連続不祥事について
あまりこういった時流に乗ったニュースはこのブログでは取り上げないのですが……。
・遼クン取材のTBSカート暴走、観客4人はねる(読売新聞)
上記ニュースの内容は今日のゴルフツアーの取材にてTBSの取材カートが観客数人を撥ね、撥ねられた一人に至っては十数メートルも引きずって顔面の骨を折るほどの大怪我を負ったそうです。このニュースに対して私の第一印象はというと、一体TBSは反省がないのかと個人的に激しく怒りを覚えました。
かねてよりTBSはその取材方法に問題があると近年言われており、今回の事件の舞台と同じく石川遼選手が参加した以前のゴルフツアーでは、石川選手と同組の選手にマイクを持たせて発言内容を盗聴しようともしていました。
・【市橋容疑者逮捕】送検の際の混乱でTBSの男を公務執行妨害で逮捕(産経新聞)
そして上記リンクのニュースは今月、逃走していた市橋容疑者が送検される際にも警官の制止を振り切って過剰に車両に近づいて写真を撮ろうとTBS社員が逮捕されております。ほんの少し前にこんな大きな不祥事を起こしておきながらも、何故また不祥事を繰り返すのか、反省がないのか呆れて物が言えません。そもそも放送業界はこのような連続した不祥事に対してどんな防止策をとっているのか、このまま野放しにしていいものかとも感じます。
一応放送業界にはBPO、放送倫理協会が問題性のある番組対して是正勧告を行う事はありますが、それらはあくまで勧告であって直接的なペナルティを与える事はありません。それがゆえに現在のTBSのように何度も不祥事を起こすのであれば、もっとはっきりと目に見える罰則を設けたほうが放送業界にとっても良いのではないかと思います。仮に今回のTBSの不祥事に対して行うのであれば、一週間くらい番組放送を禁止するとかそれくらいはっきりとした態度を示すべきでしょう。
・遼クン取材のTBSカート暴走、観客4人はねる(読売新聞)
上記ニュースの内容は今日のゴルフツアーの取材にてTBSの取材カートが観客数人を撥ね、撥ねられた一人に至っては十数メートルも引きずって顔面の骨を折るほどの大怪我を負ったそうです。このニュースに対して私の第一印象はというと、一体TBSは反省がないのかと個人的に激しく怒りを覚えました。
かねてよりTBSはその取材方法に問題があると近年言われており、今回の事件の舞台と同じく石川遼選手が参加した以前のゴルフツアーでは、石川選手と同組の選手にマイクを持たせて発言内容を盗聴しようともしていました。
・【市橋容疑者逮捕】送検の際の混乱でTBSの男を公務執行妨害で逮捕(産経新聞)
そして上記リンクのニュースは今月、逃走していた市橋容疑者が送検される際にも警官の制止を振り切って過剰に車両に近づいて写真を撮ろうとTBS社員が逮捕されております。ほんの少し前にこんな大きな不祥事を起こしておきながらも、何故また不祥事を繰り返すのか、反省がないのか呆れて物が言えません。そもそも放送業界はこのような連続した不祥事に対してどんな防止策をとっているのか、このまま野放しにしていいものかとも感じます。
一応放送業界にはBPO、放送倫理協会が問題性のある番組対して是正勧告を行う事はありますが、それらはあくまで勧告であって直接的なペナルティを与える事はありません。それがゆえに現在のTBSのように何度も不祥事を起こすのであれば、もっとはっきりと目に見える罰則を設けたほうが放送業界にとっても良いのではないかと思います。仮に今回のTBSの不祥事に対して行うのであれば、一週間くらい番組放送を禁止するとかそれくらいはっきりとした態度を示すべきでしょう。
2009年11月28日土曜日
連立を巡る政党間の駆け引き
・鳩山一族 その金脈と血脈 (文春新書) (新書)
前にも予告しましたが、今日本屋に言ったら「ノノノノ」の八巻と一緒に売っていたのでこの本もまとめて買っちゃいました。前半部は「文芸春秋」に載った記事が加筆されて載っているようですが、後半はすべて書き下ろしだというので非常に楽しみです。
またこれは余談ですが、私が佐野眞一氏を初めて知ったのは2003年の頃で、ちょうどその時に東電OL殺人事件の最終判決が下りたことから私の受けた授業の講師が佐野氏のルポを取り上げ、それ以降に興味を持って過去の著作を手に取るようになりました。まさかここまではまるとは思わなかった。
そんな私の休日の行動は置いといて、久々にオリジナルな政治の話題が今日の本題です。
まずこの数週間の政治の動きで一番大きかったものを挙げるとしたら、それは間違いなく民主党による事業仕分けでしょう。この仕分けについては賛否両論があり、特にスーパーコンピューターの製作に関わる予算について仕分けにて一度減額が判定されたものの、その後あまりにも学会からの批判が多かった事から政府内にてひっくり返して元の予算額となった一件は様々な議論を呼びました。
この仕分けに対する私の意見はというと、前にも書きましたがこれまで密室で、しかも恐らく何の検証もなく決められていた予算が公開の上で議論されるようになっただけでも価値があると考えております。そしてスーパーコンピューターの一件についても一度決まった減額がひっくり返ったことは政策のブレだと批判する方もいますが、私は逆にこの民主党の政策転換を高く評価しました。
一度は採算の見込みがないということで減額が決めたが学会や世論の強い反対を受けて政策を転換できたのも、この仕分け議論が公開されていたからに尽きます。逆を言えばこれが密室の議論であれば減額されていようと国民の大半は気づくことができず、また民主党の側もそうした外野の声を聞いて減額を取り消したというのは二次チェックがきちんと働いている証拠ともとれますし、予算を切る役とそれに歯止めをかける役が相互に役目を果たしているのだとなかなか感心しました。
こんな風な見方を持ったかどうかは分かりませんが、発足以後微減し続けた内閣支持率もここに来て逆に上昇に転じるようになりました。しかし支持率が低下していた原因となった問題は未だ片付いているというわけでなく、特に沖縄の米軍基地を巡る普天間基地問題はニュースに取り上げられる時間こそ減ったものの、現時点で連立すら脅かす大問題にまで発展しつつあるのではないかと私は見ています。
先日のニュースにて社民党が普天間基地の即時移転、返還を独自に掲げましたが、これの意味する所は民主党が下手な妥協をするというのならばすぐさま連立から撤退するという意思表示と見て間違いないでしょう。このような社民党の動きに国民新党も同調する動きを見せており、アメリカとの板ばさみで苦しむ民主党としては頭の痛いところでしょう。
しかしこの状況、ある一部の政治家達には非常に有利な状況となっているのではないかと実は私は考えております。もったいぶらずに言うとその政治家というのは「みんなの党」の渡辺喜美党首や江田憲司氏ら、そして自民党内の河野太郎氏の一派です。
何故この状況が彼らにとって有利なのかというと、社民と国民新党が連立から離脱するやかわりに彼らが民主党と合流、もしくは共闘することで、文字通り少ない兵力でも大きな戦果ことポストを得る事が出来るからです。特に自民の河野太郎氏なんてこの前落選した総裁選の一件ですっかり冷や飯を食う立場となっており、今回の仕分けについても昨日のインタビューにて、「こういうことが出来て、うらやましい」などと民主党と政策案が近いということをはっきりと述べています。なお同じく自民の大島幹事長は仕分けについて、「こんなものはパフォーマンスだ」などと言って批判してましたが、パフォーマンス一色だった小泉内閣よりはマシだと多分私以外にも感じた人は多かったように思えます。ちなみに私は現代においては政治自体が一種のパフォーマンスで、それを否定するというのはルールがわかっていないのではないかと政治家としての資質を疑います。
このように連立を巡る動き、もしかして年末から年始にかけて大きく動くかもしれません。無論鳩山首相の故人献金疑惑もいつどう転ぶか分からない状況で、三百以上議席を持ちながらも安定した政権基盤が保っていられる状況にはまだ至っていないでしょう。しかし仮に鳩山首相が総理の座から降りるとなると後には菅直人氏と岡田克也氏のどちらかになるのですが、この二人よりは私はまだ鳩山首相の方がマシだと思っているので検察には政治的判断からもうすこし待って欲しいというのが本音です。
前にも予告しましたが、今日本屋に言ったら「ノノノノ」の八巻と一緒に売っていたのでこの本もまとめて買っちゃいました。前半部は「文芸春秋」に載った記事が加筆されて載っているようですが、後半はすべて書き下ろしだというので非常に楽しみです。
またこれは余談ですが、私が佐野眞一氏を初めて知ったのは2003年の頃で、ちょうどその時に東電OL殺人事件の最終判決が下りたことから私の受けた授業の講師が佐野氏のルポを取り上げ、それ以降に興味を持って過去の著作を手に取るようになりました。まさかここまではまるとは思わなかった。
そんな私の休日の行動は置いといて、久々にオリジナルな政治の話題が今日の本題です。
まずこの数週間の政治の動きで一番大きかったものを挙げるとしたら、それは間違いなく民主党による事業仕分けでしょう。この仕分けについては賛否両論があり、特にスーパーコンピューターの製作に関わる予算について仕分けにて一度減額が判定されたものの、その後あまりにも学会からの批判が多かった事から政府内にてひっくり返して元の予算額となった一件は様々な議論を呼びました。
この仕分けに対する私の意見はというと、前にも書きましたがこれまで密室で、しかも恐らく何の検証もなく決められていた予算が公開の上で議論されるようになっただけでも価値があると考えております。そしてスーパーコンピューターの一件についても一度決まった減額がひっくり返ったことは政策のブレだと批判する方もいますが、私は逆にこの民主党の政策転換を高く評価しました。
一度は採算の見込みがないということで減額が決めたが学会や世論の強い反対を受けて政策を転換できたのも、この仕分け議論が公開されていたからに尽きます。逆を言えばこれが密室の議論であれば減額されていようと国民の大半は気づくことができず、また民主党の側もそうした外野の声を聞いて減額を取り消したというのは二次チェックがきちんと働いている証拠ともとれますし、予算を切る役とそれに歯止めをかける役が相互に役目を果たしているのだとなかなか感心しました。
こんな風な見方を持ったかどうかは分かりませんが、発足以後微減し続けた内閣支持率もここに来て逆に上昇に転じるようになりました。しかし支持率が低下していた原因となった問題は未だ片付いているというわけでなく、特に沖縄の米軍基地を巡る普天間基地問題はニュースに取り上げられる時間こそ減ったものの、現時点で連立すら脅かす大問題にまで発展しつつあるのではないかと私は見ています。
先日のニュースにて社民党が普天間基地の即時移転、返還を独自に掲げましたが、これの意味する所は民主党が下手な妥協をするというのならばすぐさま連立から撤退するという意思表示と見て間違いないでしょう。このような社民党の動きに国民新党も同調する動きを見せており、アメリカとの板ばさみで苦しむ民主党としては頭の痛いところでしょう。
しかしこの状況、ある一部の政治家達には非常に有利な状況となっているのではないかと実は私は考えております。もったいぶらずに言うとその政治家というのは「みんなの党」の渡辺喜美党首や江田憲司氏ら、そして自民党内の河野太郎氏の一派です。
何故この状況が彼らにとって有利なのかというと、社民と国民新党が連立から離脱するやかわりに彼らが民主党と合流、もしくは共闘することで、文字通り少ない兵力でも大きな戦果ことポストを得る事が出来るからです。特に自民の河野太郎氏なんてこの前落選した総裁選の一件ですっかり冷や飯を食う立場となっており、今回の仕分けについても昨日のインタビューにて、「こういうことが出来て、うらやましい」などと民主党と政策案が近いということをはっきりと述べています。なお同じく自民の大島幹事長は仕分けについて、「こんなものはパフォーマンスだ」などと言って批判してましたが、パフォーマンス一色だった小泉内閣よりはマシだと多分私以外にも感じた人は多かったように思えます。ちなみに私は現代においては政治自体が一種のパフォーマンスで、それを否定するというのはルールがわかっていないのではないかと政治家としての資質を疑います。
このように連立を巡る動き、もしかして年末から年始にかけて大きく動くかもしれません。無論鳩山首相の故人献金疑惑もいつどう転ぶか分からない状況で、三百以上議席を持ちながらも安定した政権基盤が保っていられる状況にはまだ至っていないでしょう。しかし仮に鳩山首相が総理の座から降りるとなると後には菅直人氏と岡田克也氏のどちらかになるのですが、この二人よりは私はまだ鳩山首相の方がマシだと思っているので検察には政治的判断からもうすこし待って欲しいというのが本音です。
2009年11月27日金曜日
猛将列伝~サラディン
・サラディン(ウィキペディア)
ウィキペディアに書かれているこの人物の名称は「サラーフッディーン」ですが、日本で出回っている世界史の教科書は他の書籍では「サラディン」と書かれていることが多いので、この記事もそちらの表記に従います。
今日はいつも日本史や中国史の人物を紹介するのと違って、気分一新とばかりにイスラム世界の人物を紹介します。イスラム史については私はそれほど勉強したわけでなくはっきり言って世界史の中でもインド史と並んで苦手としていた範囲なのですが、中学生の頃に十字軍についてやけに詳しく勉強した事があったおかげでこのサラディンについてはかねてより良く知っていました。
今ここでも書いたように、サラディンが活躍した時代というのはヨーロッパにおいて十字軍が組織された中世12世紀で、日本においては平安から鎌倉時代へ移るころの時代です。
具体的にこのサラディンがどんな人物かというと、当時の中東イスラム国家の貴族階級の出身で、少年時代は人質として暮らすものの成人後は軍事、行政の面で活躍して幸運も重なりましたがエジプト地域の支配者にまで三十代で上り詰めます。当時のイスラム世界は各地の軍閥がそれぞれの地域を勝手に統治していた時代で、サラディンがエジプトを支配した頃も彼は形式上はまだサラディンはシリアのダマスクスにいた軍閥の臣下という立場でした。しかしエジプト占領後にその主君に当たる軍閥においてお家騒動が起こったのを好機として紛争に介入し、エジプトからシリアに跨る広大な領地を統一して支配するアイユーブ朝を開きました。
シリアを征服したサラディンはその後、かつての第一回十字軍にて建国されたエルサレム王国に侵攻して今も紛争の耐えない地である聖地エルサレムを約百年ぶりに奪還することに成功しました。しかしエルサレムの占領はかつて十字軍を組んでまで取り返した西ヨーロッパ諸国を大きく刺激することになり、獅子心王(ライオンハート)とあだ名されるイギリス王のリチャード一世を筆頭とする第三回十字軍が組織される原因となりました。
十字軍は合計で七回組織されましたがこの時組織された第三回十字軍は最も戦火が激しかったとまで言われるほどの激戦で、先程のリチャードのほかにもフランス王のフィリップ二世なども参加した非常に大規模な戦争でありました。サラディンはこの戦いで一度手に入れた地中海沿岸地域の都市を奪い返されるものの本命のエルサレムの防衛には成功し、リチャード一世との和議によってこの地域の支配権を確立する事が出来ましたが、まるでそれを待っていたかのごとく終戦の翌年に病気にて死去しております。
現在彼への評価はイスラム世界はもとより、世界史上でも英邁な君主として高く賞賛されております。エルサレムを奪還した戦術的功績ももちろん大したものなのですが、彼が評価される最大の理由というのは彼がエルサレムを奪還した後に行ったキリスト教徒の保護にあります。
第一回十字軍がエルサレムをイスラム世界から奪還した際、西ヨーロッパの騎士たちは街中のイスラム教徒を片っ端から虐殺して、その後もイスラム教徒の巡礼を一切許す事はありませんでした。そんな第一か十字軍とは打って変わって約百年ぶりにエルサレムを奪還したサラディンはというと、街にいるキリスト教徒と捕縛した捕虜達を保護し、身代金と引き換えの上で西側諸国へ開放しました。また第三回十字軍の後に行われた和議でも、キリスト教徒のエルサレムへの巡礼を許可するなど寛大な態度を最後まで崩す事はありませんでした。
こうした現代において人道的、当時にとってすればそれ以上とも取られていたであろう寛大な態度こそが彼を現代においても高く名指しめている要因となっており、私もまたその人間的魅力に強く惹かれました。多少青臭いと自身でも感じますが、このような人物が高く評価されるのを見るにつけて人間にはまだ良心というものが曖昧ではあるものの確実に存在するのだと感じます。
ちなみにサラディンが開いたアイユーブ朝は比較的短命に終わり、その後は女性の、しかも元奴隷のシャジャルが開いたマムルーク朝が中東を長らく支配しますが、この二つの王朝の間は中東は比較的安定した時代を送ったそうです。今度この辺をまた勉強しなおそうかな。
ウィキペディアに書かれているこの人物の名称は「サラーフッディーン」ですが、日本で出回っている世界史の教科書は他の書籍では「サラディン」と書かれていることが多いので、この記事もそちらの表記に従います。
今日はいつも日本史や中国史の人物を紹介するのと違って、気分一新とばかりにイスラム世界の人物を紹介します。イスラム史については私はそれほど勉強したわけでなくはっきり言って世界史の中でもインド史と並んで苦手としていた範囲なのですが、中学生の頃に十字軍についてやけに詳しく勉強した事があったおかげでこのサラディンについてはかねてより良く知っていました。
今ここでも書いたように、サラディンが活躍した時代というのはヨーロッパにおいて十字軍が組織された中世12世紀で、日本においては平安から鎌倉時代へ移るころの時代です。
具体的にこのサラディンがどんな人物かというと、当時の中東イスラム国家の貴族階級の出身で、少年時代は人質として暮らすものの成人後は軍事、行政の面で活躍して幸運も重なりましたがエジプト地域の支配者にまで三十代で上り詰めます。当時のイスラム世界は各地の軍閥がそれぞれの地域を勝手に統治していた時代で、サラディンがエジプトを支配した頃も彼は形式上はまだサラディンはシリアのダマスクスにいた軍閥の臣下という立場でした。しかしエジプト占領後にその主君に当たる軍閥においてお家騒動が起こったのを好機として紛争に介入し、エジプトからシリアに跨る広大な領地を統一して支配するアイユーブ朝を開きました。
シリアを征服したサラディンはその後、かつての第一回十字軍にて建国されたエルサレム王国に侵攻して今も紛争の耐えない地である聖地エルサレムを約百年ぶりに奪還することに成功しました。しかしエルサレムの占領はかつて十字軍を組んでまで取り返した西ヨーロッパ諸国を大きく刺激することになり、獅子心王(ライオンハート)とあだ名されるイギリス王のリチャード一世を筆頭とする第三回十字軍が組織される原因となりました。
十字軍は合計で七回組織されましたがこの時組織された第三回十字軍は最も戦火が激しかったとまで言われるほどの激戦で、先程のリチャードのほかにもフランス王のフィリップ二世なども参加した非常に大規模な戦争でありました。サラディンはこの戦いで一度手に入れた地中海沿岸地域の都市を奪い返されるものの本命のエルサレムの防衛には成功し、リチャード一世との和議によってこの地域の支配権を確立する事が出来ましたが、まるでそれを待っていたかのごとく終戦の翌年に病気にて死去しております。
現在彼への評価はイスラム世界はもとより、世界史上でも英邁な君主として高く賞賛されております。エルサレムを奪還した戦術的功績ももちろん大したものなのですが、彼が評価される最大の理由というのは彼がエルサレムを奪還した後に行ったキリスト教徒の保護にあります。
第一回十字軍がエルサレムをイスラム世界から奪還した際、西ヨーロッパの騎士たちは街中のイスラム教徒を片っ端から虐殺して、その後もイスラム教徒の巡礼を一切許す事はありませんでした。そんな第一か十字軍とは打って変わって約百年ぶりにエルサレムを奪還したサラディンはというと、街にいるキリスト教徒と捕縛した捕虜達を保護し、身代金と引き換えの上で西側諸国へ開放しました。また第三回十字軍の後に行われた和議でも、キリスト教徒のエルサレムへの巡礼を許可するなど寛大な態度を最後まで崩す事はありませんでした。
こうした現代において人道的、当時にとってすればそれ以上とも取られていたであろう寛大な態度こそが彼を現代においても高く名指しめている要因となっており、私もまたその人間的魅力に強く惹かれました。多少青臭いと自身でも感じますが、このような人物が高く評価されるのを見るにつけて人間にはまだ良心というものが曖昧ではあるものの確実に存在するのだと感じます。
ちなみにサラディンが開いたアイユーブ朝は比較的短命に終わり、その後は女性の、しかも元奴隷のシャジャルが開いたマムルーク朝が中東を長らく支配しますが、この二つの王朝の間は中東は比較的安定した時代を送ったそうです。今度この辺をまた勉強しなおそうかな。
2009年11月26日木曜日
北京留学記~その二三、ドゥーフェイ③
ようやくこのドゥーフェイに関する記事も今日が最後です。下手すりゃ彼との交流だけで一本小説が書ける分量だなぁ。
さて先の二回では私の留学中のルームメイトであったドゥーフェイから聞いた東欧、ルーマニアの情報を紹介しましたが、本日は彼と私の交流について書いていこうと思います。本来ならこっちから書くべきなのですが、あまりにも分量が多いことから今まで投げていました。
まずドゥーフェイを語る上で外せないのが、彼の趣味のサッカー観戦についてです。他のヨーロッパ人留学生同様にドゥーフェイもサッカーの愛好家で、Wカップ期間中に至っては文字通り授業をサボって朝から晩まで観戦を続けていました。子供の頃はマラドーナのようになりたかったというだけあって割りと個人プレーがうまい選手が好きでしたが、何故だか当時にウクライナの至宝とまで呼ばれたシェフチェンコは嫌ってました。
中国では割と普通のチャンネルでもイギリスのプレミアリーグの試合などが放映される事もあるので私も彼と一緒によく観ていたのですが、実はサッカー以上に彼とは相撲中継を観る回数の方が多かったりしました。というのも私があまりにも暇なもんだからNHKでずっと相撲を見ていたら彼も見始めるようになり、しまいには私がいない間に自分でチャンネル合わせて見るほどまでのめりこんでいました。そんな彼のお気に入りの力士は欧州出身だから琴欧州かと思いきや、私と一緒に土俵際の粘りが言いということで安馬こと現日馬富士でした。ちなみに朝青龍に対しては日本でのスキャンダルなぞ知らないくせに嫌っており、恐らく強すぎるというのが原因でしょうが万国共通で朝青龍は嫌われるんだなと思いました。
話は変わって外国から日本がどのように見られているのか、そういったものが少し伺われるエピソードをいくつか紹介します。
ある日ドゥーフェイに広島出身の留学生仲間が私達の部屋に来て彼にも紹介をしたのですが、その留学生仲間が帰った後に広島出身だと教えたところ、「俺達、放射能にやられないのか?」とドゥーフェイは聞いてきました。さすがに原爆の落ちた地だから広島という地名くらいは知っているのではと思って教えたのですが、知っているどころかドゥーフェイはまだ広島は放射能の汚染が続いていて、草木も生えぬ荒地のような場所だと考えていたそうです。
彼がこんな風に広島を見ていた理由として、かつての旧ソ連時代にウクライナで起こったチェルノブイリ原発事故が大きく影響していることは想像に難くありません。ルーマニアでも一部で被害が起きたそうで、放射能に対してやはり極度に恐怖感を持っており、やや過剰に広島と長崎を見ていたようです。
この広島と長崎については過剰な誤解を持っていたドゥーフェイですが、それとはある意味逆できちんと認識していた日本の事情として、変な話ですが森喜朗元総理の「神の国発言」がありました。このときの騒動は日本以上に海外にて大きく取り上げられていたとは以前から聞いていましたが、それほど政治に対して強い興味を持っていないドゥーフェイですらあの発言の内容を把握していたことを考えると、どれだけアホな発言をしたのかますますもって知られます。ある学者も、このときの発言にめちゃくちゃ激怒していたし。
このようにいろいろと会話していて面白かったドゥーフェイなのですが、性格は前にも書きましたが非常に温厚で親切でもあり、ルームメイトとしては非常に恵まれた相手でした。しかし唯一の欠点というか、私が彼に対してただ一つ困っていたこととして、彼の強烈な体臭がありました。
中国では水が少ないこともあって都会の北京でも一週間に一回くらいしかシャワーを浴びないという人も皿なのですが、彼の場合はそんなのを通り越して三週間に一回、下手すりゃ一ヶ月に一回くらいしかシャワーを浴びないのでとにもかくにも臭いがきつかったです。
私も入寮当初はそのあまりの臭さに同じ室内にいて何度か気絶しそうになったり、夜に眠ることが出来なかったくらいなのですが、大体一ヶ月もする頃にはすっかり慣れて気にしなくなりました。しかしそうやって慣れるのも一緒に暮らしている自分だけの話で、日本人留学生仲間を部屋に呼ぼうものなら誰もがその臭いに耐え切れずすぐに出て行くほどでした。
そんなもんだからドゥーフェイが外出している時などは換気をするため窓とドアをよく開け放していましたが、寮で同じ階に住んでいた留学生仲間によると換気をしていると私達の部屋の臭いがその階の廊下中に蔓延していたらしく、エレベーターから出るなり私が換気をしているかどうかすぐに分かったほどだったそうです。
それほど強烈な臭いに適応できた私でも、彼が自分の服を洗濯した日に限っては耐えることが出来ませんでした。普通の留学生は寮にあるランドリーなどで洗濯をするところ私はそれほど選択する回数も少ないので自分で洗剤を買ってきて室内の洗面所で洗っていたのですが、ドゥーフェイも私と同じく自分で洗っていました。しかしその洗い方はというと、はっきり言ってちゃんと洗っているのかと怒鳴りたくなるような荒い方でした。
ただでさえ臭いが強烈なドゥーフェイなのに、それこそ一週間以上ずっとはき続けている下着や衣服を中途半端に水を張った洗面所につけておくだけつけて室内に部屋干しするもんだから、彼が洗濯した日はとんでもない臭いに室内が包まれていました。もうこの日に限っては私も本当に頭がおかしくなるんじゃないかと思うくらいの悪臭で、夜に寝ようにもあまりの臭い刺激に悶えつつ眠ることが出来ずにいました。この際だから自分に洗わせろと言いたいくらいで、衣類を洗面所につけている間に内緒で洗剤を入れておいたことすらありました。
多分こういうエピソードとかをふんだんに言っておけば、面接とかも余裕で受かっていただろうなぁ。
さて先の二回では私の留学中のルームメイトであったドゥーフェイから聞いた東欧、ルーマニアの情報を紹介しましたが、本日は彼と私の交流について書いていこうと思います。本来ならこっちから書くべきなのですが、あまりにも分量が多いことから今まで投げていました。
まずドゥーフェイを語る上で外せないのが、彼の趣味のサッカー観戦についてです。他のヨーロッパ人留学生同様にドゥーフェイもサッカーの愛好家で、Wカップ期間中に至っては文字通り授業をサボって朝から晩まで観戦を続けていました。子供の頃はマラドーナのようになりたかったというだけあって割りと個人プレーがうまい選手が好きでしたが、何故だか当時にウクライナの至宝とまで呼ばれたシェフチェンコは嫌ってました。
中国では割と普通のチャンネルでもイギリスのプレミアリーグの試合などが放映される事もあるので私も彼と一緒によく観ていたのですが、実はサッカー以上に彼とは相撲中継を観る回数の方が多かったりしました。というのも私があまりにも暇なもんだからNHKでずっと相撲を見ていたら彼も見始めるようになり、しまいには私がいない間に自分でチャンネル合わせて見るほどまでのめりこんでいました。そんな彼のお気に入りの力士は欧州出身だから琴欧州かと思いきや、私と一緒に土俵際の粘りが言いということで安馬こと現日馬富士でした。ちなみに朝青龍に対しては日本でのスキャンダルなぞ知らないくせに嫌っており、恐らく強すぎるというのが原因でしょうが万国共通で朝青龍は嫌われるんだなと思いました。
話は変わって外国から日本がどのように見られているのか、そういったものが少し伺われるエピソードをいくつか紹介します。
ある日ドゥーフェイに広島出身の留学生仲間が私達の部屋に来て彼にも紹介をしたのですが、その留学生仲間が帰った後に広島出身だと教えたところ、「俺達、放射能にやられないのか?」とドゥーフェイは聞いてきました。さすがに原爆の落ちた地だから広島という地名くらいは知っているのではと思って教えたのですが、知っているどころかドゥーフェイはまだ広島は放射能の汚染が続いていて、草木も生えぬ荒地のような場所だと考えていたそうです。
彼がこんな風に広島を見ていた理由として、かつての旧ソ連時代にウクライナで起こったチェルノブイリ原発事故が大きく影響していることは想像に難くありません。ルーマニアでも一部で被害が起きたそうで、放射能に対してやはり極度に恐怖感を持っており、やや過剰に広島と長崎を見ていたようです。
この広島と長崎については過剰な誤解を持っていたドゥーフェイですが、それとはある意味逆できちんと認識していた日本の事情として、変な話ですが森喜朗元総理の「神の国発言」がありました。このときの騒動は日本以上に海外にて大きく取り上げられていたとは以前から聞いていましたが、それほど政治に対して強い興味を持っていないドゥーフェイですらあの発言の内容を把握していたことを考えると、どれだけアホな発言をしたのかますますもって知られます。ある学者も、このときの発言にめちゃくちゃ激怒していたし。
このようにいろいろと会話していて面白かったドゥーフェイなのですが、性格は前にも書きましたが非常に温厚で親切でもあり、ルームメイトとしては非常に恵まれた相手でした。しかし唯一の欠点というか、私が彼に対してただ一つ困っていたこととして、彼の強烈な体臭がありました。
中国では水が少ないこともあって都会の北京でも一週間に一回くらいしかシャワーを浴びないという人も皿なのですが、彼の場合はそんなのを通り越して三週間に一回、下手すりゃ一ヶ月に一回くらいしかシャワーを浴びないのでとにもかくにも臭いがきつかったです。
私も入寮当初はそのあまりの臭さに同じ室内にいて何度か気絶しそうになったり、夜に眠ることが出来なかったくらいなのですが、大体一ヶ月もする頃にはすっかり慣れて気にしなくなりました。しかしそうやって慣れるのも一緒に暮らしている自分だけの話で、日本人留学生仲間を部屋に呼ぼうものなら誰もがその臭いに耐え切れずすぐに出て行くほどでした。
そんなもんだからドゥーフェイが外出している時などは換気をするため窓とドアをよく開け放していましたが、寮で同じ階に住んでいた留学生仲間によると換気をしていると私達の部屋の臭いがその階の廊下中に蔓延していたらしく、エレベーターから出るなり私が換気をしているかどうかすぐに分かったほどだったそうです。
それほど強烈な臭いに適応できた私でも、彼が自分の服を洗濯した日に限っては耐えることが出来ませんでした。普通の留学生は寮にあるランドリーなどで洗濯をするところ私はそれほど選択する回数も少ないので自分で洗剤を買ってきて室内の洗面所で洗っていたのですが、ドゥーフェイも私と同じく自分で洗っていました。しかしその洗い方はというと、はっきり言ってちゃんと洗っているのかと怒鳴りたくなるような荒い方でした。
ただでさえ臭いが強烈なドゥーフェイなのに、それこそ一週間以上ずっとはき続けている下着や衣服を中途半端に水を張った洗面所につけておくだけつけて室内に部屋干しするもんだから、彼が洗濯した日はとんでもない臭いに室内が包まれていました。もうこの日に限っては私も本当に頭がおかしくなるんじゃないかと思うくらいの悪臭で、夜に寝ようにもあまりの臭い刺激に悶えつつ眠ることが出来ずにいました。この際だから自分に洗わせろと言いたいくらいで、衣類を洗面所につけている間に内緒で洗剤を入れておいたことすらありました。
多分こういうエピソードとかをふんだんに言っておけば、面接とかも余裕で受かっていただろうなぁ。
2009年11月25日水曜日
鳩山首相の献金疑惑について
・「今でもないと信じたい」=実母からの資金提供-鳩山首相(YAHOOニュース)
この鳩山首相への故人献金疑惑が伝えられた頃からある程度目算がついていましたが、案の定というかこの献金疑惑はどうやら鳩山家内で円滑に遺産相続を行うために実行されていた可能性が高くなってきました。今日は久々にちょっとやる気が低いので簡単にまとめますが、日本の政治団体というのは法人と同様に代表の変更、引き継ぎがあってもその保有資産には一切税金がかかりません。そのため親の政治団体を子供が引き継いだとしても、事実上一切の相続税がかけられないまま資産の移動が行えてしまいます。
この件が初めて大きく取り上げられたのは去年の週刊誌にて、小渕優子現衆議院議員が父親の小渕敬三氏の死後に政治団体を引き継いで代表に就任した際に、とんでもない額の政治団体が保有していた資産も一緒に引き継いだ事を政治家の世襲だと問題視する記事を載せたことからでした。今回の鳩山首相の一連の故人献金の出所の大半はリンクに貼ったニュースによると彼の母親の個人資産とのことで、恐らくこのまま普通に鳩山首相の母親が亡くなると相続に当たって大幅な相続税の負担を受けることが予想されることから、前もって生存中に相続税がかからない政治団体へ財産移動を行っていたというのがこの事件の構図だと私は見ています。
この一連の鳩山家の財産移動はまごうことなき税金逃れで、政治団体への個人献金額が年間上限が150万と決められていることを考えると明らかな不正です。さすがに逮捕されるまでの重罪ではありませんが、鳩山首相も自分の母親がやっていることなのだからまずもって意図的である事を考えると、その責任は決して軽くはないでしょう。
ついでに紹介しておきますが、今年夏の文芸春秋の特集にて佐野眞一氏が書いたルポによると鳩山氏の母親はブリジストン創業者の娘という事でブリジストン株を大量に保有しており、またその孫に当たる鳩山由紀夫、邦夫の兄弟も相当数のブリジストン株を持っているらしく、恐らくその配当金は年間で5000万円を超えているそうでそれが鳩山家の政治活動資金になっていると指摘していました。さすがに5000万円が何もせずとも入ってくると聞いて、これだけの額だと政経癒着じゃないかと思わず私も目を疑ってしまいました。なんか今度この記事をまとめた文庫本が出るそうだから、買いなおそうかな。
ただこの鳩山家の財産移動を追う特捜の方も今はあまり調子がいいとは言えず、先程会見がありましたが郵便の障害者割引の認定過程で不正を行っていたという厚生省元局長の女性が改めて無罪を主張していました。この事件は言ってはなんですけど自民党が選挙前に民主党を貶めるために選挙前に行った国策捜査のきらいがあり、すでに政権交代が起こった現在においてこの点を政府から追求されると検察の方もたまったもんではなく、もしかしたらこのあたりで手打ちが行われたりしないだろうかとちょっと心配です。
最後にまだ疑いの残る点として、この鳩山家の財産移動は果たして由紀夫氏だけのものなのか非常に気になります。あくまで私の予想ですが、同じような事を鳩山邦夫氏もやっているのではないかという気がします。そこら辺が気になっているのですが、なんかどのメディアも邦夫氏へのインタビューがないんだよなぁ。
この鳩山首相への故人献金疑惑が伝えられた頃からある程度目算がついていましたが、案の定というかこの献金疑惑はどうやら鳩山家内で円滑に遺産相続を行うために実行されていた可能性が高くなってきました。今日は久々にちょっとやる気が低いので簡単にまとめますが、日本の政治団体というのは法人と同様に代表の変更、引き継ぎがあってもその保有資産には一切税金がかかりません。そのため親の政治団体を子供が引き継いだとしても、事実上一切の相続税がかけられないまま資産の移動が行えてしまいます。
この件が初めて大きく取り上げられたのは去年の週刊誌にて、小渕優子現衆議院議員が父親の小渕敬三氏の死後に政治団体を引き継いで代表に就任した際に、とんでもない額の政治団体が保有していた資産も一緒に引き継いだ事を政治家の世襲だと問題視する記事を載せたことからでした。今回の鳩山首相の一連の故人献金の出所の大半はリンクに貼ったニュースによると彼の母親の個人資産とのことで、恐らくこのまま普通に鳩山首相の母親が亡くなると相続に当たって大幅な相続税の負担を受けることが予想されることから、前もって生存中に相続税がかからない政治団体へ財産移動を行っていたというのがこの事件の構図だと私は見ています。
この一連の鳩山家の財産移動はまごうことなき税金逃れで、政治団体への個人献金額が年間上限が150万と決められていることを考えると明らかな不正です。さすがに逮捕されるまでの重罪ではありませんが、鳩山首相も自分の母親がやっていることなのだからまずもって意図的である事を考えると、その責任は決して軽くはないでしょう。
ついでに紹介しておきますが、今年夏の文芸春秋の特集にて佐野眞一氏が書いたルポによると鳩山氏の母親はブリジストン創業者の娘という事でブリジストン株を大量に保有しており、またその孫に当たる鳩山由紀夫、邦夫の兄弟も相当数のブリジストン株を持っているらしく、恐らくその配当金は年間で5000万円を超えているそうでそれが鳩山家の政治活動資金になっていると指摘していました。さすがに5000万円が何もせずとも入ってくると聞いて、これだけの額だと政経癒着じゃないかと思わず私も目を疑ってしまいました。なんか今度この記事をまとめた文庫本が出るそうだから、買いなおそうかな。
ただこの鳩山家の財産移動を追う特捜の方も今はあまり調子がいいとは言えず、先程会見がありましたが郵便の障害者割引の認定過程で不正を行っていたという厚生省元局長の女性が改めて無罪を主張していました。この事件は言ってはなんですけど自民党が選挙前に民主党を貶めるために選挙前に行った国策捜査のきらいがあり、すでに政権交代が起こった現在においてこの点を政府から追求されると検察の方もたまったもんではなく、もしかしたらこのあたりで手打ちが行われたりしないだろうかとちょっと心配です。
最後にまだ疑いの残る点として、この鳩山家の財産移動は果たして由紀夫氏だけのものなのか非常に気になります。あくまで私の予想ですが、同じような事を鳩山邦夫氏もやっているのではないかという気がします。そこら辺が気になっているのですが、なんかどのメディアも邦夫氏へのインタビューがないんだよなぁ。
2009年11月24日火曜日
個人主義とモラルは対立するか
前回の記事にて私は近年の日本人のモラルの低下について自分の考えを披露しましたが、かいつまんで言うとお互いに仲間だと意識しあえる共同体の数や範囲、枠の強さが揃って低下したために、日本人のモラルが大きく低下する事になったのではないかと主張しました。
しかしこうした考えに対するいい反例なのが、ほかならぬ私自身であります。こう言ってはなんですがかれこれ20数年も生きていながら未だにどの集団の中でも孤立しつつ、一匹狼的な生き方を生まれてこの方ずっと貫いてきております。当然所属する共同体も非常に少なく、一般人が強く持つであろう家族関係ですら非常に希薄で地域との結びつきに至っては皆無に等しい、っていうか地元の人間からは厄介者のように見られている程です。
その分、個人個人の付き合いで言うなら非常にしっかりとした信頼関係を持つ友人は割と多い気はします。特にこのブログで普段展開しているようなわけの分からない濃密な話をお互いに理解しあって話しが出来る友人らに対しては、こうした人間にめぐり合えて自分は本当に幸せだとすら感じるほどです。
話はモラルの話に戻して、このように所属する共同体、またその共同体への意識があり得ない位に希薄な私ですが、世間一般のルールやモラルに対しては他人より厳しいと周囲からよく言われます。待ち合わせに遅れない事はもとより、学生時代にしろ留学中にしろ授業というものを基本的にサボる事はなく誰も誉めてくれないのにいつも皆勤賞で、またこれは自分でもやりすぎたなと思うエピソードですが、買い物をした際にレジの人が間違って自分に多くのつり銭を渡していたことを一日後に気がつき、レシートも捨ててしまっていた事から仕方なく多く受け取った400円を募金箱に放り込んだことがあります。
私が前回の記事で展開した仮説ですと所属する共同体が少ない人間はそれに比例してモラルが低いはずなのですが、私自身は危険人物だと後ろ指を差されながらもモラルが悪い人間だと言われた事はなく、また私の友人にも共同体への帰属意識が低い割には下手な人間よりずっとモラルが良く、振る舞いもきれいな人間も少なくありません。果たしてこれは如何なものかと友人に振ってみた所、私の場合は恐らく、他人と比較して「個人」への意識や条件を特段に強く持っているからだと言われました。
言われてみると全く思い当たる節がないわけでもなく、やはり他人と比べて個人の概念というものが私の場合は非常に特別な形をしているように思えます。この点について私を語る上で外せないものに、多分本邦初公開ですが、洗礼こそ受けないまでも以前に私は熱心にキリスト教を信奉しておりました。宗教自体が最初の議論における重要な「共同体」の一つに当てはまるのですが、私の場合は個人的な信仰ながらもその後の生き方を占う上でキリスト教は最も大きな影響を与えたものの一つです。
そのようなキリスト教にのめり込んでいた時期に私が強く考え、また実行していたものというのも、恐らく大多数の日本人がその生き方を、「どうすれば周りに評価される人間になれるか」と考えるのに対して、「どうすれば自分自身は善い人間になれるのか」と考えていました。ここまで突き抜けてると、我ながら面白いなぁ。
偏見かも知れませんが、私は一般の日本人の生き方というか思考は先ほどにも書いたとおり、如何に周りに評価されるかというのが中心にあり過ぎる気がします。それは逆に言えば集団の中で評価される人物ほど善い人間だと考えてしまうという事で、その集団(共同体)が社会全体に貢献しようという集団であればまだしも、自己利益の確保しか考えない集団であればそこに属す人間が高いモラルを持ちうるとは考え辛いです。
近年の日本の場合ですと何度も書いてある通りに共同体の拘束力が弱まっている事もあり、「何が善い行動なのか」の価値判断基準を集団に置いている日本人からすると一体何がその社会で正しい行動なのかが分かり辛くなっているのではないかという気がします。要するにしかるべきモラルの指針が分からないために、みんな好き勝手に自分、もしくは自分を含む小集団に都合のいいモラルを設定し合って、低次元の個人主義化が発達した結果モラルが低下したのではないかと私は思います。
とはいっても、私みたいな個人主義的価値観が必ずしも正しいと言い切るつもりは全くありません。確かに日々の行動やモラルへの社会意識については人並み以上に強いと自負しますが、そのかわりに自分自身で間違っていると思う事に対する並外れた攻撃性や、正しいと思う事への徹底した意固地さも身についているために見方によっては非常にテロリスト的です。そもそもテロリストやマフィアが宗教的価値観を強く持つというのも、こういう考え方をするとごく自然なのかもしれません。
回りくどい言い方になりましたが、私の結論は個人主義の発達が必ずしもモラルの低下に結びつくわけではないという事です。現状の日本でモラルが低下している原因というのは集団に価値判断基準を丸投げする日本人が共同体の力の低下によってその基準を失った事による、言うなれば中途半端な個人主義化が起きた事が原因で、真に個人としてどのような生き方をするべきかと模索している個人主義者が悪いわけじゃないのではと思います。
実際に私の友人らもはっきり言って個人主義の塊のような人間もいますが、そんな友人でも「個人として集団における最低限のルールは守るべきだ」と称して、下手な集団主義者よりずっとモラルの高い行動を取っております。
仮にこの考えが正しいのであれば、日本人全体のモラルを高めるには単純に二者択一になります。一つは集団主義をこのまま持たせながら共同体の力を再び盛り返させる。もう一つはこの際集団的価値観をひっくり返して、真の意味での個人主義を日本人に根付かせるという方法です。
私はどちらがいいのかと聞かれるのであれば、私自身はあまり好ましくないもののまだやりやすい前者の方法がマシなのかと思います。そうなったらなったで、私自身は日本社会で生き辛くなるのですが。
しかしこうした考えに対するいい反例なのが、ほかならぬ私自身であります。こう言ってはなんですがかれこれ20数年も生きていながら未だにどの集団の中でも孤立しつつ、一匹狼的な生き方を生まれてこの方ずっと貫いてきております。当然所属する共同体も非常に少なく、一般人が強く持つであろう家族関係ですら非常に希薄で地域との結びつきに至っては皆無に等しい、っていうか地元の人間からは厄介者のように見られている程です。
その分、個人個人の付き合いで言うなら非常にしっかりとした信頼関係を持つ友人は割と多い気はします。特にこのブログで普段展開しているようなわけの分からない濃密な話をお互いに理解しあって話しが出来る友人らに対しては、こうした人間にめぐり合えて自分は本当に幸せだとすら感じるほどです。
話はモラルの話に戻して、このように所属する共同体、またその共同体への意識があり得ない位に希薄な私ですが、世間一般のルールやモラルに対しては他人より厳しいと周囲からよく言われます。待ち合わせに遅れない事はもとより、学生時代にしろ留学中にしろ授業というものを基本的にサボる事はなく誰も誉めてくれないのにいつも皆勤賞で、またこれは自分でもやりすぎたなと思うエピソードですが、買い物をした際にレジの人が間違って自分に多くのつり銭を渡していたことを一日後に気がつき、レシートも捨ててしまっていた事から仕方なく多く受け取った400円を募金箱に放り込んだことがあります。
私が前回の記事で展開した仮説ですと所属する共同体が少ない人間はそれに比例してモラルが低いはずなのですが、私自身は危険人物だと後ろ指を差されながらもモラルが悪い人間だと言われた事はなく、また私の友人にも共同体への帰属意識が低い割には下手な人間よりずっとモラルが良く、振る舞いもきれいな人間も少なくありません。果たしてこれは如何なものかと友人に振ってみた所、私の場合は恐らく、他人と比較して「個人」への意識や条件を特段に強く持っているからだと言われました。
言われてみると全く思い当たる節がないわけでもなく、やはり他人と比べて個人の概念というものが私の場合は非常に特別な形をしているように思えます。この点について私を語る上で外せないものに、多分本邦初公開ですが、洗礼こそ受けないまでも以前に私は熱心にキリスト教を信奉しておりました。宗教自体が最初の議論における重要な「共同体」の一つに当てはまるのですが、私の場合は個人的な信仰ながらもその後の生き方を占う上でキリスト教は最も大きな影響を与えたものの一つです。
そのようなキリスト教にのめり込んでいた時期に私が強く考え、また実行していたものというのも、恐らく大多数の日本人がその生き方を、「どうすれば周りに評価される人間になれるか」と考えるのに対して、「どうすれば自分自身は善い人間になれるのか」と考えていました。ここまで突き抜けてると、我ながら面白いなぁ。
偏見かも知れませんが、私は一般の日本人の生き方というか思考は先ほどにも書いたとおり、如何に周りに評価されるかというのが中心にあり過ぎる気がします。それは逆に言えば集団の中で評価される人物ほど善い人間だと考えてしまうという事で、その集団(共同体)が社会全体に貢献しようという集団であればまだしも、自己利益の確保しか考えない集団であればそこに属す人間が高いモラルを持ちうるとは考え辛いです。
近年の日本の場合ですと何度も書いてある通りに共同体の拘束力が弱まっている事もあり、「何が善い行動なのか」の価値判断基準を集団に置いている日本人からすると一体何がその社会で正しい行動なのかが分かり辛くなっているのではないかという気がします。要するにしかるべきモラルの指針が分からないために、みんな好き勝手に自分、もしくは自分を含む小集団に都合のいいモラルを設定し合って、低次元の個人主義化が発達した結果モラルが低下したのではないかと私は思います。
とはいっても、私みたいな個人主義的価値観が必ずしも正しいと言い切るつもりは全くありません。確かに日々の行動やモラルへの社会意識については人並み以上に強いと自負しますが、そのかわりに自分自身で間違っていると思う事に対する並外れた攻撃性や、正しいと思う事への徹底した意固地さも身についているために見方によっては非常にテロリスト的です。そもそもテロリストやマフィアが宗教的価値観を強く持つというのも、こういう考え方をするとごく自然なのかもしれません。
回りくどい言い方になりましたが、私の結論は個人主義の発達が必ずしもモラルの低下に結びつくわけではないという事です。現状の日本でモラルが低下している原因というのは集団に価値判断基準を丸投げする日本人が共同体の力の低下によってその基準を失った事による、言うなれば中途半端な個人主義化が起きた事が原因で、真に個人としてどのような生き方をするべきかと模索している個人主義者が悪いわけじゃないのではと思います。
実際に私の友人らもはっきり言って個人主義の塊のような人間もいますが、そんな友人でも「個人として集団における最低限のルールは守るべきだ」と称して、下手な集団主義者よりずっとモラルの高い行動を取っております。
仮にこの考えが正しいのであれば、日本人全体のモラルを高めるには単純に二者択一になります。一つは集団主義をこのまま持たせながら共同体の力を再び盛り返させる。もう一つはこの際集団的価値観をひっくり返して、真の意味での個人主義を日本人に根付かせるという方法です。
私はどちらがいいのかと聞かれるのであれば、私自身はあまり好ましくないもののまだやりやすい前者の方法がマシなのかと思います。そうなったらなったで、私自身は日本社会で生き辛くなるのですが。
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