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2020年6月22日月曜日

宦官だよ、全員集合!

中国史の影の主役、宦官とは何者だったのか(JBpress)

 というわけで今日出した記事ですが、昔と比べてライターに強敵が増えたJBpressの中ではそこそこアクセス面で健闘している模様です。

 この記事を書いたきっかけとしては、帰り道で何故かドラクエ4コマのことを思い出し、「ガンガン行こうぜ→宦官行こうぜ→宦官ネタおもろいやんけ(・ω・)」という成り行きでした。ただ見出しは「宦官行こうぜ」だと抽象的過ぎるので、このブログ記事にしている「宦官だよ、全員集合!」にしましたが、やはりこちらも抽象的過ぎると思われたか編集後には副見出しにされていました。

 それで書き始めたこの記事ですが、書いててめっちゃ楽しかったです。宦官をテーマにした専門書籍はたくさん出ているものの、こうした概要解説系のコラムは多分今まで出ていなかったと思われ、そういう意味でうまいこと空白を突いたような記事になったかと思います。記事内容も具体的人物とか十常時は12人いるとか、じゃあジャイアントロボの命の鐘の十常時は誰なの的に上手く掘り下げられた気がします。
 にしてもジャイアントロボの話すると十傑衆走りがしたくなる。

 このほか書いてて思った、というか連想していた人物は何気にIKKOさんです。ヤフコメにも似たようなコメントがありましたが、宦官は去勢されているから現代のオカマっぽい人もいたんじゃないかと思い、「案外オカマに心を許す女性は多いから、後宮での仕事はめっちゃ向いてたんじゃないかな」などと考えていました。それこそ妃らに、「ねぇちょっときいてよー、アタシさっきそこの廊下で超イケメンの進士に色目使われちゃったんだけど―」みたいな感じで話している姿を想像していて、適材適所のように思えてきました。

 なお改めて宦官について述べると、地味に宦官って漢字よりも長い歴史があり、その歪な特殊性と相まって中国の伝統性を表す上では非常に大きな存在であること間違いありません。しかもこの記事で書いたように、宦官と反乱と英雄の三つが三種の神器みたく揃うと中国では革命が起きるというのが通常パターンです。そういう意味では見出しに銘打った「中国史の影の主役」というのも言い過ぎでないと考えています。

2020年6月21日日曜日

史上最高のインプレッサ

 連日の休日作業で身も心もボロボロなため今日はブログ書く予定なかったのですが(ヽ''ω`)、ふと突然、「あれ中国で検索したらどう出るのだろう?」と思って検索してみたところ、出てきたのが以下の画像を含むたくさんの記事でした。


 ランエボやRX-7といった多くのライバルたちがそのシリーズ名を失う中、現在もスバルの主力車種としてインプレッサはその歴史を続けていますが、数多くあるインプレッサの中で「史上最高のインプレッサとは何か?」と問われるなら、恐らく多くの人は上記の「22Bインプレッサ」を挙げると思います。

500万円が2日で完売! 伝説の22B STi バージョン驚きのポイントとは?【インプレッサ生誕20周年】(クリッカー)

 知ってる人には早いですが、これはWRCカスタム仕様のコンプリートカー(改造済み車)として限定販売に出したところ、500万円というそこそこ根の張る中、わずか2日間で400台すべてが完売したという伝説の車種です。その最大の特徴はでかいリアフェンダーはもとよりインプレッサとしては唯一の2ドアという形状で、ボディ剛性的には4ドアに劣るものの完璧なまでのレース仕様なスタイルに憧れる人も多いでしょう。

 それでこの車、中国で「22B」と検索すると出るわ出るわで、例えばこの記事だと「伝説の22Bが香港に!?」という見出しで、路上の22Bが激写されています。またこの記事では「拓海って金持ちのお坊ちゃん?文太の最強Subaru 22B」という、頭文字Dならすぐ「ははーん( ・´ー・`)」とくる見出しで22Bが特集されています。
 このように多くの22Bに関する記事が検索でヒットする中、「広州番22B路」というバスの路線案内も検索にヒットするのが微妙に受けます。

 真面目にかなり久々に私も22Bの写真を見ましたが、なんていうかかなり元気とか出てきます。っていうかなんで最近のカーメーカーはこんなデザインの車作れないんだとかマジ思います。

 それにしてもこういうの見るとまたプラモとか作りたくなりますが、22Bのプラモは一時限定版で出ていたようですが、現在は販売していないようなので作りようがありません。っていうか32のプラモを買ったまんまずっと組んでないのですが、多分あと3週間は忙しいからまだまだ作れそうにありません(´;ω;`)ウッ…

FNNの世論調査不正入力について

 今さっきBloggerの新しいユーザーインターフェイスフォームに切り替えて、投稿画面も一新されていますが、なんか複雑になった分だけ利便性が損なってきているような気がします。理系って、複雑にすればするほど利便性が上がると思ってる人が多いような気がしますが、この手の物はシンプルイズベストで、複雑な処理や設定に関しては別枠、若しくは完全にサービスを切り分けた方がいいのではと思います。

FNN世論調査で一部データを不正入力(FNNプライムオンライン)

 さて本題ですがこちらは昨日のニュースですが、フジテレビと産経新聞のフジニュースネットワークことFNNの世論調査で、実際には聞いてないにもかかわらず調査を行ったとして、いわゆる「積み増し」といった不正が行われていたことが明らかにされました。第一印象としては、よく中国の世論調査は操作されていると言いますが、この手の主張を特によく繰り返す産経新聞辺りは説得力があるなと感じました。

 積み増し自体は世論調査業務の委託先が行っていたとのことで、偏見かもしれませんが、日本はこの手の調査、並びに調査会社の職業意識というか倫理があからさまに弱いような気がします。昨年の政府による給与統計調査でも露骨な不正が行われていますが、マンパワーもかけていなければ効率化手段も模索せず、調査手法も不効率なばかりで、言ってしまえばこのような不正が起こるのも当然の成り行きのように見えます。なのでこうした案件は表に出ないだけで、よそで多かれ少なかれあると考えています。

 そういう意味では今回、素直に不正があったということを発表したFNNについて私個人は評価しています。ある一点を除けば。
 その一点とは、積み増された票の結果に思想や傾向があったかについて触れていないという点です。具体的には内閣支持率調査などで、積み増された票が全体統計結果と差異がなかったのか、支持もしくは不支持に偏って積み増されていなかったのかという点です。単純な水増しで全体得票比率に合わせて支持、不支持を上乗せしたのであればともかく、どちらか片方に比重が載せられていたのかどうか、これによって過去の統計結果は大きく変わります。言ってしまえば、世論操作が行われていたかが焦点です。

 はっきり言えばこの点について何も触れていない辺り、やましいところがあるのではと勘繰らざるを得ません。逆に勘繰らない方がおかしいとすら私は思います。FNNが持って行きたい世論の方向に調査結果を弄っているか否か、過去の調査結果報道記事を削除する暇があったらこの点についてもっと踏み込んだ報道をするのがメディアとして正しい姿、否、ジャーナリストが追うべき対象ではないかと私は思います。
 前回の賭け麻雀騒動といい、なんか産経は身内に緩いよなという気がしてなりません。なおこうした方面では共同通信はガチで、所属の記者がなんかやらかしたらその記者本人のみならず上長も問答無用で、どんだけ優秀な人であっても処分を食らいます。何度か見たことあったけど、「え、このケースでも(;゚Д゚)」と思うくらい内部に厳しくて、この点は共同はすごいと本気で思っています。

2020年6月20日土曜日

主張の一貫性が崩れる瞬間

110番通報悔やむコンビニ店長、警察署長がかけた言葉(朝日新聞)

 非常にいい内容の記事だと思うのですが、朝日新聞公式サイトの記事リンクつけようとしたら、どうやってもアクセスできませんでした。なんだろう、海外からのアクセス遮断してんの?

 話は本題ですが、そんなあまり主張しませんがこと論理の構成と組立に関して私はそこそこ自信があり、特にバックグラウンドのない議論においてはまず負けることがないと自負しています。なんでそこまで自信過剰なのかというと、学生時代の友人らがこと議論に強く、論理の組み立てから頭の回転も速く、彼らとの議論を通して恐竜的な進化をいつの間にか遂げてしまいまいた。実際、社会人になってから何かのきっかけで誰かと議論になると、意識しなくても相手の四手先くらいまでの発言が読めるし、「なんか物足りない(´-ω-`)」と思いながら落としどころに突き落とすことしかしていません。

 その上で、こと議論において自分が他人にはない圧倒的に有利な特徴を持っています。それは何かというと主張の一貫性で、単発の議論において揺らぐことはほぼなく、方針を構えたらそこからピクリとも動かない特徴があります(議論中に相手の意見に賛同して考え方を変える場合を除く)。なんでそんな堂々と「一貫性がぶれない( ー`дー´)キリッ」と言い切れるのかというと、知ってる人には早いですが私の場合はすべての価値観においてノーガード、いわば身を守るという行為を全くしないという、本人ですら異常だと考える妙な特徴があるためです。実際、格闘ゲームでもほとんどガードしないで突っ込む癖があります。

 逆に言うとですが私から見て、人間が議論や主張においてその一貫性が崩れる瞬間ことポイントはほぼ間違いなく保身に走った瞬間だと思います。それまで自分なりの理屈や根拠に基づいて一貫性を保っていた人間が、過去の発言内容を無視またはひっくり返すかのように一貫性を崩す場合、その背景というか主因に保身がよぎったためだと見ています。

 この辺りは政治家の発言の変遷などを見ればわかりやすいと思いますが、それ以前と比べて特定のキーワードを使わなくなる、または過去の発言についてそれまでになかった意味を説明しだす瞬間というのは、ほぼ確実にその一貫性を崩した本人が保身を意識し始めたタイミングと重なっているはずです。この逆というか、人間「守り」ではなく「攻め」に走っている時というのは、主張はかなり一貫性を保ち続ける傾向があり、人によってはそうした一貫性のある姿勢を見て周囲が共感というか応援するようになることもあるでしょう。

 前述の通り、私の場合プライベートでもオフィシャルでも自分でも呆れるくらい保身に走ることがなく、むしろ死地や逆境を見つけると自らをそこへ放り込もうとするところがあります。実際議論でも攻め一辺倒で、「守りに入るくらいなら死ぬ」、「一撃必殺に命をかける」というなんか薩摩の示現流みたいな変な思想に凝り固まっています。
 その副作用というか最近になって気が付いたのですが、私の議論時における殺し文句に、「で、何の話してたんだっけ?」というセリフがあります。これは議論が発展していくにつれて話題が枝葉末節にずれていった場合、突如最初の論点に話を戻して(相手の意識を戻す)、相手の動揺を誘うとともに議論をリードする手段です。

 真面目に割と不思議なのですが、世間一般ではプライマリな論点をほとんど意識しないまま話を進めて途中で論点を完全に見失う人が多いです。私は逆に常に意識するよう心掛けており、相手が、大体無意識に論点をすり替えた時にはこれ幸いとばかりに、「それ論点と何の関係が?」と言って引きずり戻します。なお相手がこうした無意識の話題のすり替えを行っった場合、大抵単純な悪口や人格批判にたどり着き、恐らく私以外の相手だったらお互い悪口合戦に発展するのだと思います。
 時と場合によっては敢えてその悪口合戦に軽く乗って、しばらく言い合いを続けた上で、「で、何の話をしてたっけ?」と言って相手が論点を完全に忘れたころに引きずり戻すことがあります。最近の議論はこれでほぼ決着つくので正直物足りないのですが。

 話を戻しますと、多分本人も無意識だと思うのですが、議論とかで攻められて守りに入ろうと下途端に主張の一貫性を保つことを完全に忘れてしまい、「今助かるなら何でもいい」みたいな蜘蛛の糸状態に入って、一貫性が崩れるのだと思います。無論、主張の一貫性を崩さずに守る手段も当然存在するのですが、その場合映画の「SAW」じゃないけど何かを犠牲にする、具体的には一定の譲歩こと損切りがほぼ確実に必要となるのですが、一貫性を崩す人というのはこの譲歩をしたくないあまりに余計なドツボにはまっていくように見えます。議論において、無傷で守りへ切り替えられるというのは基本ないと私は考えます。

 以上を踏まえると、議論で完璧な一撃死へ追い込むためにはやはり、相手に保身を意識させるというのがいいのかもしれません。これまで一撃死へ追い込むときは敢えて主張を弱めて、こちらが弱っているようなふりして相手に調子乗らせて勢いづかせたうえでいきなり激しく反撃するという手法を取ってきましたが、今度何か議論があればプライドなどをくすぐり、保身を意識させるようにじわじわ攻めてみようかと研究しています。

2020年6月17日水曜日

レグザフォン

 昨夜友人がチャットで、「最近の無印はメイソウ気味」という謎の名言を残しました。

REGZA Phone(アンサイクロペディア)

 今まで知らなかったのですが、2010年前後に東芝と富士通の日系電機大手2社が夢のタッグを組んだ夢のようなスマートフォンがあったそうな。どれくらい夢のようなスマホなのかというと、

・新着メールを受信出来ない、受信出来たら出来たで一斉受信
・SIMカードを認識しているのに電波を受信しない
・アプリが起動しない
・スリープモード中に電源が切れる
・必ず一日1回以上は勝手に再起動する
・ひどい時は電話中に強制再起動することもある
・画面をタッチするだけでフリーズ
・電源が入らない
・防水のはずなのに水濡れ故障
・充電できない
・発売日当日に発売停止
・その他多数

 あまりのひどさっぷりから携帯ショップですら、購入を止めたという伝説もあり、日本のガラケー化に拍車をかけたとも言われます。いろいろ自分で調べたところ実際に知人がこのスマホを持っていたという方のブログでは、その知人と電話で話していたところ、

「ゴメン、本体が熱くなりすぎてもう持てない。一旦電話切る」

 という、なんか冗談みたいなエピソードまで載せられていました。今まで存在すら知らなかったスマホですが、なんか実際に触ってみたくなる不思議なエピソードです。

 何が言いたいのかというと、この2010年頃という時点で日本のエレキは既に亡んでいたのではということです。上記のような半端ない初期不良のエレクトリカルパレードに発売日当日に発売停止に至っているなど、品質管理がまともに行われていたとは思えない体たらくです。現在、日本の電機は設備系を除くと洗濯機から冷蔵庫、あと販売台数ならテレビでもコンシューマー系はほぼオールジャンルで中国、韓国勢の後塵を拝しています。スマホに関してもはっきり言って中華スマホの方が安くて段違いに性能が良く、日本の携帯売場でやたら値段が高いくせにスペック低い形態を見て逆にビビるくらいです。

 中国のエレキ勢が台頭してきた頃、多くの日系エレキメーカーは、「日本は技術はあるのだがマーケティングが下手だ」等とよく言い訳してましたが、上記のレグザフォンのエピソードを見る限り、単純にまともな技術すら持たなくなったからあっさりこの世から消えただけだったのではと認識を改め始めています。

 ちなみにこのレグザフォンを私は、「日系企業は多くのスマホ部品を作っているのに、何故スマホそのものは世界シェアを取れなかったのか」といった内容のまとめ記事で知りましたが、これは地味に重要な問いかけだと思います。単純な結論を出せば、セットアップの技術がなかったからともいえますが、明らかな不良品を市場に出す体質一つとってももはやまともなレベルじゃなかったとみるべきかもしれません。

2020年6月15日月曜日

コロナのセカンドインパクト予想

 記事提出前にいつも友人に下書きを見せますが、最近あまり褒めてくれなくなりました(´;ω;`)ウッ…まぁ持つべきならこういう厳しい指摘くれる友人なのですが。

 話は本題ですが別にエヴァにはまっているわけではないものの、「第二波」と書くともう違った意味になってしまうので、「セカンドインパクト」が一番適切だと考えています。意味としては二回目の流行、つまり来年冬の再流行を指します。
 現状報じられている情報を見る限り、来年冬もコロナウイルスが世界各地で大流行することはほぼ確実だと私は考えています。抗体を既に取得済みの人(阪神の藤浪選手みたく)を除けば、流行対策のため恐らく今年以上に外出などの移動が制限されるのではないかとも考えています。

 一発目の今年に関しては各国ともに手探りの対策しか取れなかったものの、結局のところ一番効果があったのは都市封鎖こと移動の制限(「ロックダウン」とは書きたくない)で、ちょっと緩和したところで新規感染者がぶり返す今の東京を見ても、家に籠らせることが最良の対策であったと見るべきでしょう。次善の策としては、前も書いたけどマスクで、これは飛沫感染を防ぐというよりかは市民の流行対策意識を根付かせる手段として有効だと考えています。

 それで来年冬の話ですが、結論から言うと今の不況が来年も続くというのが一番のインパクトです。それこそ私みたいな海外勤務者にとってすれば自由に国境跨げないのが一番不便であるものの、勝手な推測を述べれば検査によって抗体を獲得済みの人に限っては旅客移動が認められるなどの限定緩和が行われる可能性があるとみています。まぁ多分私自身は抗体持ってないだろうから、向こう一年を含め日本に全くいけないかもしれませんが。

 次にこの国境をまたぐ移動とも関連しますが、どの国がどれだけ流行を防げるのか、これによってヒトとモノの移動がかなり変わってくると考えています。私の見解だと、既にアプリによって感染追跡を行っている中国、台湾、韓国などは来年冬は今年に比べかなりハイグレードに流行を抑え、封鎖も全国単位ではなく集団感染(「クラスター」とは絶対書かない)が発生した一部都市のみ、それこそ当初の武漢市限定みたいな感じで済ませられるのではないかという期待を持っています。
 逆を言えば、こうした感染者追跡アプリを備えていない日本はかなり危ういと現時点で見ています。今からでも遅くないから以前提言したように、大都市通勤者や飲食店関係者限定でもいいから、こうした感染者追跡アプリの使用を義務付け、使わない人には公共交通機関の利用やオフィスビルの立入を禁止すべきだと思います。いろいろ意見はありますが、今年流行ぶりが他国に比べ小さかったのは単純に運が良かっただけにみえ、満員通勤電車で一度でも集団感染が発生していたら今の比ではなかったことでしょう。まぁ文字通り、なかったことにしているのかもしれませんが。

 次に衛生用品に関しては、マスクバブルに乗じて生産機械を大量に購入する業者が現れたことから、今年ほどの不足は世界各国でも起こらないのではないかと思います。日本もサプライチェーンを日本に引き戻すと言いながら政府は何もしていないように見えますが、シャープを始めマスク生産に乗り出す異業種企業がそこそこ出ているため、仮に来年にマスク不足が起きたとしたらそれは生産が追い付かないのではなく、流通面による瑕疵以外ないでしょう。その上で言うと、日本では不足する事態が起きるかもしれません。

 最後にこれは悲しい予測ですが、来冬も流行するとなると観光や飲食業は今以上の塗炭の苦しみを味わうことになると思います。恐らく来年には今行われているような一時補助金などは支給されない、というより政府も匙を投げる可能性が高いと私は見ており、何とも書くことすら難しい事態が予想されます。無論、こんな予想は外れればいいわけですが。
 逆に強くなるビジネスとしてはやはり在宅系消費で、来年度は今年以上にITインフラの強さが各国で試されることになると思います。在宅フィットネスなんかも今以上にはやるかもしれず、アブトロニックとか今あったら意外と売れるかもなぁ(´-ω-`)

2020年6月14日日曜日

個人同士を安易に比較する危険性

 今でも夢に出てくるくらい納得いかないと感じる出来事として、高校時代におふくろに姉と比較された出来事があります。それはよく家庭内であるワンシーンで、高校生だった私に対しておふくろが、姉は学校でも常に上位の成績だったのにどうしてお前はそんなに不勉強なんだという小言です。
 この手の勉強に関する小言は姿を変え形を変え何度となく言われ続けており、それ自体に関しては子供の教育を預かる親の立場としては言わざるを得ないし、言いたくなるのも仕方ないと私も思ってて今になって特段不服を言うつもりはありません。しかし上記の姉との比較に関しては高校生だった当時においてすらも、「なんで姉貴が比較上位なんだよ?」と激しく疑問に感じました。

 言っては何ですが高校生だった頃の姉については、中学生だった自分が見ていた限りですらとてもまともに勉強しているようには見えませんでした。購入していた参考書数も見ていて不安になるくらい少なかったし、英単語帳を開いている姿もほとんど見たことありません。挙句には自分には不要と言って、実際はただ単に面倒くさかっただけだと思いますが、センター試験すら受験していませんでした。
 そんな受験姿勢もあってか受験した大学の学部学科のうち合格したのはわずか1校のみで、偏差値50以上の大学にはどこも受かりませんでした。結果的にはその合格した地方大学に姉は進学しましたが、この点についてはどんな進路を進むかは本人が決めたものであり、偏差値の高い低いは本人が納得しているのなら何も問うべきことではないと私自身は考えています。

 しかし姉の進学先はともかくとして、先ほどの姉との私の学力に対する比較については未だ強く納得できず、激しく不満に感じています。結果的には私は姉の進学先と比べた場合は遥かに上位の大学を複数合格しており、高三受験時の学力で比較した場合、私と姉とでは真面目にナッパとラディッツくらいの大きな差がありました。なお比較例は最初「ベジータとラディッツ」でしたが、地球襲来時とスーパーサイヤ人以降でベジータには戦闘力に差があるのでナッパにしました。

 そもそもなんで姉はおふくろが言うには高校内の成績で上位だったのかというと、単純に学校間の差による影響が大きいです。姉は県下の普通科公立高校に通ったのに対し、私は自称進学校の私立高に中学から通っており、自称とは言え通う生徒の平均学力で見れば大きな差がありました。敢えて例えるなら姉の高校の生徒は地球人レベルだったのに対し、私の高校の生徒はナメック星人くらい平均的に強かったと思いますが、いい加減ドラゴンボールでの比較はやめようかと思います。別に肌が緑でもなければ触覚も生えてないし。

 なお私の高校時代の成績は大体上位1/3、っていうか今でも自分で不思議だと思いますが、高校1年から2年の間の定期テスト順位は生徒300人中、なぜか毎回確実に100~109位の間にランクインし続けていました。高3からは文系理系で分かれたこともあって偏差値基準の順位で二桁に位置し続けましたが、1~2年の間の謎の固定的順位奪取に関しては何か表彰されても良かったのではと今でも思います。途中からは、「何か仕組まれてこんな順位になってるのでは?」とMMRっぽい陰謀論すら覚えてました。

 話は戻すと、高校生の時点でそうした学校間の生徒の学力差はおろか姉が受験時においてもほとんどまじめに勉強していなかったことをはっきり理解していたこともあって、冒頭にかいたおふくろの姉と比較しての勉強に関する小言に関しては到底納得できない感情を持ち続けています。私自身もほんまもんの受験エリートと比べれば受験時は不真面目もいいところでしたが、少なくとも姉と比較した場合は、言い方は変ですが比較にならないくらいは勉強しており、「なんで努力している人間が全く努力をしなかった人間と比較された上で下に扱われるんだろう」と思いましたが、どうせ説明しても相手も理解できまいと思ってその場では黙って、受験時の結果ではっきり差を示すことにしました。

 なんで急にこんな古い愚痴を言い出したのかというと、このケースのように個人同士を安易に比較することはかなり危険だということを書こうと思ったからです。上記の私と姉の例の様に、そもそも通っている学校間で激しいレベル差があるとい基本的な比較条件すら一致していなかったというのに、定期テスト順位だけで「姉の方が勉強している」などという結論を出すのは論外もいいところで、それをそのまま当てはめて私に小言を言ったところでそりゃ私もおかしいと思うに決まっています。

 また仮に比較条件が整っていたとしても、やはり他のできる人と比較されてうれしい人間なんてまずいません。それこそ企業内で同期同士を比較する場合、出世の早さは貢献の度合いや担当業務、上司との関係で決まるものなので差がついても当然ですが、業務能力に関してはわかっていても比較されると悔しく感じるのに決まってます。
 それでも10年くらいの期間の結果であればまだしも、入社して半年とか1年くらいの同期同士で能力を比較しようったって、短い期間では潜在パフォーマンスを見極められない可能性も高いだけに、比較するだけ下に下げた人間の恨みをただ買うだけでしょう。下手すれば、下げた人間が比較上位対象に対し逆恨みのような感情を抱く可能性すらあります。

 そうした考えから私は社内では、年齢差のある先輩社員などとは比較することはあっても、同時期に入った人間同士で、「向こうを見習え」等とは言わないように気を付けています。叱咤する場合はあくまで成果や時間のみを基準に、「もっと効率アップしてここまで狙おう」などと具体的な目標を提示するようにしています。まぁ一番いいのは、同じ業務をよーいどんでやって、実力差を敢えて見せつけることですが。

 その上で言うまでもないですが、おふくろがやった私と姉の比較の様に、表層的な数字だけで実態を示さない基準で個人同士を比較することは絶対にやってはならないでしょう。それこそ本当に努力して実力もある人間に対しそうじゃない人間、または一見して差がはっきり見えない人間を見習えだなんて言うと、モチベーションが下がるどころの騒ぎじゃなく流出すら招く恐れもあります。だったら初めから個人同士を比較なんてせず、私みたく具体的なタスクを基準に効率アップを目指すよう伝える方が無難です。

 もっともこんなこと言いながら以前いた新人に、同期で入って来た別の新人の名前を挙げて、「彼の体力マジ半端ない。悪いことは言わないから彼とはケンカせず、同期同士で仲良くした方がいいよ(;´・ω・)」と伝えたことはありますが。実際その半端ない体力ある新人は現在も大活躍していて、この点に関してはちゃんと自分は見抜いてたなとか思ってます。

 最後に蛇足ですが、以前にも書いたようおふくろと姉は反権力志向の塊のような私に対し、公務員が向いていると本気で信じていたそうです。この一点から見ても如何に両者が自分の人物像を把握してない、ひいてはまともに直視していなかったことが窺えますが、おふくろは多分私だけじゃなく姉もちゃんと見ていなかったから、どれだけ自分よりも勉強していなかったのかがまるで把握していなかったのだと思います。それでお小言言われるのだから、私もとんだとばっちりもいいところでしょう。

 一方というか大学時代の友人らは私に対して大学時代から、「君は志望通りに記者が一番向いていると思う」と言い続けていました。友人間の世辞もあるだろうと私は受け取っていましたが、実際に記者になってから同僚や上司から、「芯から記者のような人間」、「記者になるため生まれてきたような人間」と実際に言われるようになって、友人らの言葉は正しかったと改めて思うようになりました。