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2011年5月9日月曜日

みかんよりすごい温州商人

 本日、管首相の要請を受けて中部電力が浜岡原発停止を承認したことを発表しました。話に聞くとこの浜岡原発は作ることありきで建設が進められ、建設途中で活断層が真下にあることがわかって中途半端に位置を避けようとしたためにかなりいびつな形で建設された原発だそうです。東海大地震が近いうちに発生すると予想されているだけに原発停止はやむを得ず、今回の中部電力の決断には個人的に敬意を表します。
 私が見ているとどこも今回の浜岡原発停止を賛同する、もしくはやむを得ないという声が経済界からも数多く寄せられているようですが、なんか経団連の米倉弘昌会長のみが「納得いかない」と不満を呈しているそうです。先の東電の事故についても免責案件だと主張したりと、殴られたダルマみたいな顔してて空気が読めない人だとつくづく感じます。

 さてこれで活断層上の原発はひとまず片がついたとほっと一息を尽きたいところですが、実は話を聞いていると日本にはまだ活断層上にある原発はあるそうで、もったいぶらずに言うと愛媛県の伊方原発です。この伊方原発については週刊文春で2P漫画を連載している池田暁子氏(愛媛出身)の漫画で知ったのですが、よりにもよってどうしてこんなところに立てたのかこの点については先人を深く恨みます。それにしてもこの前愛媛の人にこの伊方原発について聞いた時、

「愛媛って給食にポンジュースってでるんですか?」
「一週間に一回くらい出るよ」

 と言われ、激しくうらやましい思いをさせられました。

 そんな愛媛のみかんときたら温州みかんがブランドとして有名ですが、そもそも温州というのはどこにあるかは知らない人が多いかと思います。この「温州」という字の読みは「うんしゅう」ですが、みかんに冠せられるこの名前の元となった場所は中国浙江省にあるその名も同じ温州市という場所です。ここは昔からみかんの産地として知られてあの三国志でも孫権が曹操に対して贈り物として送るエピソードが出てきます(途中で左慈にパクられるけど)。ただこの温州という地域はみかんはもちろんのこと中国国内では別の方でもっと有名で、一体何で有名なのかというと表題に掲げた温州商人こと温州出身の経済家たちです。

 恐らく多くの日本人は商売っ気が強くて才気に富んだ中国人というと現在の中国最大の経済都市である上海を出身とする上海人ではないかと考える人が多いのではと思いますが、これは直接中国人に聞いてみるとすぐさま否定され、かわりに温州商人こそが中国のユダヤ人だよとほぼ100%の確率で教えてもらえます。一体どうして温州商人がそれほど特別視されるのかというと、元々この地域では独立して財を成すことが尊ばれる地域だったらしく、戦前からも蒋介石ら軍閥を資金面から大いにバックアップした浙江財閥と呼ばれる集団を形成していました。
 そんな温州商人は現代においても今なお健在で、中国で金持ちといったらその大半が浙江省、それもこの温州市出身だといわれております。実際に高額所得者は浙江省在住者で上位が占められるというのは統計上でも確認されており、日本の秋葉原で電機ジャーを買い占めたり、観光地の土地を買い漁っているのも大概が温州出身者だそうです。

 彼ら現代の温州商人の特徴を言うならば、海外志向が強いことが上げられるのではないかと思います。温州商人は中国が改革開放に舵を着替えるや早々に香港など外界へ出て行っては自らの商売を広げようと行動し、それが行過ぎてしまったというべきか一部地域では現地住人との間で軋轢が生まれている地域も存在します。
 そのような地域で一番有名なのはなんとイタリアで、話を聞くとイタリアマフィアもびっくりなくらいに温州出身の中国人が現地で裏商売に暗躍していたらしく、イタリア政府もかなり神経を尖らせて温州出身者に対して排他的な態度を取っているそうです。私が今年三月に実際に確認したニュースでも、温州にある中国の地方銀行がイタリアのある都市に支店を出店しようとした所、マネーロンダリングや現地の富が吸い上げられるなどといった理由で、設立直前になってイタリア政府は出店許可を取消したというニュースがありました。

 日本で同じように商売に長けた地域というと一般的には大阪が挙げられるかと思いますが、これはうちの親父の持論ですが本当にすごいのは大津商人ではないかという意見もあります。事実私も確認したところ大阪で大成した商人のルーツを辿ると大津こと滋賀県に行き着くことが多く、私もこの説を支持しています。ただ最近だと、竹中平蔵氏や奥田碩氏を輩出した三重県勢のが勢いある気がするけど。
 中国においても経済関係だと目立ってしまうのはどうしても上海になりがちですが、現在の上海は東京と同じように昔から上海に住んでいる人と途中で移ってきた人、私のように一時的に住んでいる人とで大部差があります。ちなみに私の見方だと、昔から上海に住んでる人はユーモアに明るくいい意味で図々しいところがある気がします。

 最後に日本の温州みかんについて一言。なんでも名称は温州であれども品種上の関連性では温州のみかんとは何の関係もないそうです。よく日本は中国に対して名称をパクるなと言い合っていますが、この点を突かれたら結構痛いのであまり中国人にはこのネタは話さないようにしています。時効ってことで勘弁してくれないかな。
 それにしても原発の話題からみかん、温州商人とつなげるあたり、自分らしい記事の書き方だと思います。

2011年5月7日土曜日

承久の乱と戊辰戦争

 日本史において武士政権が天皇家勢力とガチで戦争をしたのは何度かありますが、対照的といえるのは今回の題となっている鎌倉時代における承久の乱と明治維新期の戊辰戦争でしょう。どちらも状況を違えども幕府勢力と天皇勢力が大きな戦火をまとって対立し、勝った側の勢力が後の実権を握ることとなりますが、具体的にどこが対照的なのかというと当時の幕府勢力を率いた指導者の能力で、トップの差が緊急時の大勢に大きく影響するのを証明する好例だと私は考えております。

 まず鎌倉時代の承久の乱ですが、大雑把に当時の状況を説明すると源平合戦を制した鎌倉幕府は一応武士の棟梁としての地位を固めたものの、東国はともかく西国においてはいまだ天皇家の勢力が大きくて全国的な支配者とはまだ呼べない存在でした。しかも折り悪く頼朝の息子の二代将軍頼家、三代将軍実朝ともに夭折し、執権を勤めていた北条家が幕府を指導していたものの支配者の正当性が揺らいだ時期でもありました。
 そんな時期に天皇家を率いたのは権謀術数で有名な後白河法皇が、「こいつならまた天皇家を盛り返す」と強く期待していた後鳥羽上皇でした。まだ議論はされてはおりますが私は後鳥羽上皇は初めから鎌倉幕府打倒を考えていたのではなく、源実朝が生きていた頃は真剣に公武合体、もしくは協調路線をとろうとしていたのではないかと思います。というのも後鳥羽上皇と源実朝は和歌を通じて交友があり、もう少し実朝が生きていたらまた違っていたのではないかと思わせる節が多々あるからで、それだけに実朝の暗殺はいろいろときな臭いのですが。

 話は戻りますが実朝が夭折した後の鎌倉幕府は当初は皇族から将軍を招き入れようとするものの後鳥羽上皇に拒否され、最終的には摂関家から呼び寄せます。そうした権力の空白期を狙って後鳥羽上皇は幕府追悼の院宣を出したのですが、西国の武士はもちろんのこと、この院宣には元々鎌倉幕府寄りだった東国の武士たちも大いに動揺したと伝えられています。いくらこれまで幕府に仕えてきたとはいえ天皇家の命令とあらばそちら優先せざるを得ない、そうして出方を決めかねている武士団を一挙に幕府方に引き寄せたのは言うまでもなく北条政子です。
 皆さんも知っておられるかと思いますが北条政子はこれまで幕府がどれだけ武士の地位の向上に取り組んできたことや、今ここで幕府を潰してしまえばまた元の木阿弥になると懇々と演説し、この政子の演説を受けて東国武士団は一挙に幕府方に馳せ参じたといわれます。また北条政子のほかにも実際に京都への討伐軍を率いた後に三代執権となる北条泰時もまた大した人物で、一旦は出陣するもわざわざ引き返して父親の二代執権北条義時にこう聞いています。

「もし上皇が直接兵を率いてきたらどうしましょうか」
「直ちに弓の弦を切り、鎧を脱いで降伏せよ」

 この会話が本当にあったかどうかはわかりませんが私はこの時の両者の会話は率いる武士たちを安心させるためと、戦後処理を見越した上での会話だったと思います。もっともまさか幕府が反抗してくるとは思わず上皇の軍勢はもろくも崩れ去り、院宣を出した後鳥羽上皇は、「側近が勝手に幕府を追悼しようとしたのだ」と言い訳をして早々に降伏を決めております。といっても、負けた後は隠岐に流されちゃうわけだけど。

 これに対して明治維新期の江戸幕府を率いた徳川慶喜はというと、確かにウルトラE難度の大技とも言っていい大政奉還を実行したことは大したもんですが、その後鳥羽・伏見の戦いに敗戦するや早々に兵を置いて一人で大阪から江戸に帰ったことは理解し難いです。これによって佐幕派の武士たちも「えぇ(;´Д`)」って思ったそうですし、当時の状況を見るときちんと大阪に残ってしっかり戦ってりゃまだまだいくらでも巻き返せたんじゃないかと思う要素が盛り沢山です。大政奉還を支持した土佐藩はもとより、当時最強のアームストロング砲を自作した佐賀藩(自作については現在疑問視されている)もこの時はまだ態度を決めかねて中立を維持していました。
 それこそ慶喜がかつての北条政子さながらに、「これは幕府が望んだ戦争ではなく、薩長が望んだ戦争である」などとギレン・ザビばりに叫んで、天皇家ではなく薩長と戦うのだなどと言ってりゃ薩長を恨んでる藩もいたと思うのに。そうは言いつつも、藤堂高虎に始まる津藩は史実通りに真っ先に裏切りそうだけど。鳥羽・伏見の戦いでは幕府側として出陣しておきながらいきなり幕府軍を砲撃する始末だし。

 私は組織というのは必ずしもトップの力で決まるわけじゃなく、むしろ日本人の性格からして末端の実行部隊の優秀さが優劣を決めると考えてはおりますが、いざという時のトップの力量の差は追い込まれた状況を決定的にしてしまうということをこの二つのエピソードは語っております。現在日本でトップというと管首相と東電の清水社長が槍玉に挙げられやすいですが、管首相はともかくとして東電の社長なんかどれだけ功績挙げても名前も顔もテレビに映らないのに対して、こう不祥事や事故が起きるや連日連夜報道されるというのはなかなか考えさせられます。あとどうでもいい私の推量ですが、地震発生から最初の数週間は清水社長は過労で入院していたとして表に出てきませんでしたが、私は実際には入院じゃなくて謝罪会見でのコンサルタントを受けていたんじゃないかと勘ぐってます。なんていうか、復帰後のお辞儀の仕方が様になっているような。

2011年5月6日金曜日

ビンラディンの死について

 大分時期が経ってすでに今更という感じもしないまでもありませんが、一応国際政治がメインのブログということもあるので記事を書かせてもらいます。すでに各所で報道されているように、先週日曜にニューヨーク同時多発テロの首謀者であり国際テロ組織アルカイダの首領であったオサマ・ビンラディンが米軍の特殊部隊によって殺害されたと報じられました。この事実はアメリカのオバマ大統領も正式に発表しており、また事件後にアルカイダらが「ビンラディン生存」との声明を発表しないことからほぼ間違いないものかと思われます。

 今回このビンラディン殺害のニュースを受けて真っ先に頭に浮かんだのは、恐らくイギリスに配慮して作戦の実行日を決めたのだろうということでした。というのも作戦が実行された前日土曜日にはウィリアム王子の結婚式があり、ロンドンでは王室へのテロを警戒して厳戒態勢が敷かれていましたが、仮に結婚式以前に殺害を実行していたらアルカイダなどからの報復テロがこの結婚式に向かう恐れがあるため敢えてこの結婚式の後こと翌日に作戦を実行したのだろうと私は考えました。
 この次に私が考えたのは、何故生け捕らずに即殺害したかということです。かつてのイラクのフセイン大統領の際は生け捕りにして裁判を実施したことを考えるとちょっと差を感じてしまいますが、突入時の状況と潜伏地がパキスタンだったということ、スパッと決めた方が後々の影響がいいなどという理由で恐らく始めから発見即殺害が命令されていたかと思います。現在このビンラディンの殺害について、彼は降伏していたなどや、抵抗をしていたからなどと正当性について議論されていますが、お互いそういう世界にいる人間同士なんだから殺す殺さないでいちいち議論するのはやや不毛な気がします。メキシコとかでは市民が死んでも一桁ではニュースにならないんだし。

 そうした雑感の上に今後のテロとの戦いはどうなるかという予想についてですが、これについては他の評論家もオバマ大統領も口にしているように今回のビンラディンの死はあくまで通過点に過ぎず、今後も厳しい戦いが続くかと思われます。さすがに指導者を失ったアルカイダは痛手は痛手でしょうが、もともとこういったテロ組織というのはトップダウンの号令一下で動くような組織ではなく細かい集団が寄り集まってそれぞれ個別に動くことが多く、実質ビンラディン氏も近年はあまり指示や指導をしていなかったとも言われております。すでに報復と見られる自爆テロが中東で発生しているように今後もアルカイダを初めとしたテロ集団の活動が続くでしょうが、ただそれでも象徴ともいえるビンラディン氏の死は米国にとって大きな成果とは言えるでしょう。

 それと多少今回の内容から少し外れるかもしれませんが以前に作家の塩野七生氏がコラムに書いてた話で、アメリカが何故他国から憎まれるのかというと他国への出兵とか独善的な態度などといったそういったものではなく、九割以上は世界で一番金持ちな国への嫉妬にあると塩野氏の知り合いが言ったそうです。それを引用して塩野氏は、そういえば東洋にも他国に散々ODAを払っておきながら全く感謝されないどころか、むしろそのODAを最大限享受している国から憎まれている国があると書き、ただお金を配るという援助の仕方ではかえって反発を生みかねないとまとめていました。
 時期にして約七年位前のコラムですが、実は今回の東日本大震災を受けて何故だか急にこの話を思い出した矢先でした。今回の震災を受けて日本は本当にいろんな国から援助をいただき、先人の行為がこうして返って来たのだと日本人として誇りに思うとともに援助をしてくれた国には深く感謝の気持ちを覚えたのですが、自分でも小汚く思いますが中国や韓国なんかはそれこそ日本が大打撃を受けたからこそ変な嫉妬をなくして援助してくれたのではないかと訝る気持ちもありました。それを推しても、感謝に絶えない援助であったことに間違いありませんが。

 嫉妬というと一般的には男女間で発生する感情だと思われがちですが、実際には同姓間の方が多いのではないかと思います。特に男の嫉妬は見苦しいことこの上なく、佐藤優氏なんかも外務省内の嫉妬の嵐には辟易したなどと何度も書いているほどです。私自身はこれまで嫉妬の対象となることはほとんどありませんでしたが、学生時代にお金がなくて食事にも事欠く有様だった頃にコンパに出かけるほかの学生を見た際には情けない限りですがそのようなみっともない感情を覚えたことがあります。
 もちろん嫉妬する人間の方が問題あるに決まってますが、多かれ少なかれそのような人間はどこにでも存在するもので、余計な恨みを買わないためには人に見えないところで贅沢をするというのは一つの選択だと思います。国際社会ではそれも難しいですが、お金があるように見せる援助は逆効果になりかねないことは肝に銘じておいたほうがいいかもしれません。それともう一つ、テロという言葉は英語のTerrorという恐怖という言葉が語源ですが、実際にはここで書いた嫉妬の感情の方が底深いんじゃないかなぁという気がします。

2011年5月5日木曜日

気になる物価

 日本での連休中は親父の相手をしていて、昨日になって久しぶりに自分の下宿へと戻ってきました。何人かから部屋の写真などをブログ上にアップして欲しいと連絡受けることがありますが、多分有り得ないと思うけど細かい住所とか特定されると後々面倒なのでまだ見合わせることにします。もっともそんな気にしなくとも、上海なら日本人が多いので特定の仕様がないでしょうか念のため。

 さてそういう復帰第一弾の今日ですが、あまり固いこと書いても仕方ないので最近の食生活について書こうかと思います。さっさと買えばいいものをまだ炊飯器とか買ってないので今のところはすべて外食で済ましていますが、普段よく食べに行くのはローカルの食堂で、大体11元(132円)の定食みたいなのを食べています。このほか7元(84円)のラーメンとかチャーハンとかあって、こういった話をするとよく日本の友人らからはそんなに中国の物価は安いのかと驚かれることが多いです。
 ただ中国の物価は確かにこうした食品とかインフラなど最低限生きていく上では安いことが多いですが、変なものが高かったりして消費する際には戸惑いを覚えることが多いです。たとえば地下鉄なんかは近い距離は片道3元(36円)で、昨年開通した時速350キロで走る高速鉄道こと新幹線で(やけに親父が感動してた)上海―杭州間だったら、片道は82元(1200円)です。

 こうした安くで消費できるものあればもちろん高いものもあるわけですが、最近自分が直接買ったもので心情的に複雑になったのはハーゲンダッツのアイスでした。なんとその価格は30元(360円)で日本で売っている値段と全く変わらず、三個買ったら新幹線にも乗れることを考えるといろいろ複雑になりました。同様にコーヒーもスターバックスや喫茶店で購入すると20元(240円)かかり、こちらもコーヒー一杯で一食食えると考えると果たして買っていいものかと悩んだりします。

 なお食事でもちゃんとしたところに行けばもちろん値段も上がり、中華系レストランでも20~30元は決して珍しくありません。むしろ私のように10元かそこいらで毎日食事しているほうが日本人としては珍しい部類に入るかと思います。では日本食レストランはどんなものかというと、最近自分が通っている焼肉料理店だと昼のランチは25~35元くらいでいろんなものの中から選べます。これはこれで確かに助かるものの、日本食というのだからもっと高くないのではないかと感じてしまう安さです。ただ吉野家についてはコーラとかがついて大体20元(240円)くらいで、なんか大差ないような気がしてあまり中国では食べる気がしません。

2011年4月29日金曜日

台湾に来る韓国人留学生

 先日台湾に留学経験のある方と話をした際に、妙な情報を耳にしました。

「台湾に来る韓国人留学生は、九割以上と言ってもいいほどみんな統一教会なんですよ」

 その話をしてくれた方はどうしてかまでは知りませんでしたが、この話を聞いてすぐ私は統一教会の反共主義が影響しているのではと返答しました。確実な根拠はありませんが、恐らくこの考え方で間違いはないと思います。

世界基督教統一神霊協会(統一教会)

 統一教会というと最近の日本では話題になることは少なくなりましたが、一時期は霊感商法といって高い壷などを売りつける違反商法が社会問題化し、一定の世代から上からはカルト教団として認知されていることが多いかと思います。

 統一教会について簡単に説明すると、韓国の文鮮明氏がイエスから教示を受け、神の啓示を誤った方向に解釈した現行のキリスト教を改めて正しい教えを広めるために結成されました。結成時期をいつにするかは議論の余地がありますが文氏が戦前に啓示を受けたと主張しているのでそこからのスタートにするとそこそこ年期は積んでいるということになるのですが、文氏がまだ存命ってのかちょっと驚きました。今年で91歳だろ。
 名称の統一教会というのはその名の通りに世界のキリスト教宗派を文氏の教えに統一するという教義からつけられたもので、そのせいか世界で主流のキリスト教宗派とは仲が悪く、また日本では前述の霊感商法から有名芸能人も参加した霊感商法などの社会問題を起こしたことと、オウム事件の影響も受けてあまり表では話題にしにくい存在です。

 話は本題に戻して何故台湾に来る韓国人留学生に統一教会信者が多いのかですが、まず韓国は日本同様に近年中国語の需要が高まっており、中国語を学びにくる留学生数は日本人を凌いでナンバー1です。ただそうやって中国語を学びに来る韓国人の大半は大陸の方の北京とか上海に来ることが多く、こちらも日本人同様に台湾に留学するというのははっきり言ってレアな部類もいいところです。
 ではそんなレアな部類の韓国人留学生がどうしてほぼみんな統一教会信者なのか、私はその理由を統一教会の反共主義が影響していると見ました。統一教会というのは単なる一信仰宗教団体にとどまらず様々な事業を起こして韓国に統一グループという準財閥団体ともいえる企業群を持っており、また政界にも日本のどっかの党同様に早くから接触を強めて相当の人脈作り上げてきたのですが、政界関係で特筆すべき点は反共主義を掲げてきたことです。

 統一教会については専門的に勉強したことがないのでどういった経緯で反共主義を持つようになったかまではわからないのですが、恐らく韓国における北朝鮮の存在と、共産主義が宗教を否定したことが原因だと思います。どちらにしろ統一教会はかなり早期から反共路線を歩んで1968年には日韓で勝共連合という団体も立ち上げており、多数の信者を抱えていたことから利害が一致した日韓の資本主義陣営の政治家と強い結びつきを持っていきました。そんな統一教会と関わりの深かった議員でとりわけ有名なのとなると岸信介で、どうも彼については家族ぐるみで交流があったと思われる節があって孫の安倍晋三氏は未だに深く関わっているという噂を本当にあちこちで聞きます。

 私が思うに統一教会信者は、このような反共主義路線ゆえに中国語を学ぶための留学先を敢えて共産主義の大陸にせず、資本主義の台湾にしているのではないかと思います。別に台湾だからといって何か支障があるわけでなくちゃんとした中国語を学ぶことが可能ですが、日本人だからかもしれませんが今時政治的イデオロギーで動く人もいるんだなぁと妙に関心をしました。

 ちなみに私は社会学をやっていた関係で宗教関係の知識は人並み以上にあると自負しております。信仰は特にこれといったものを持ってはいませんが学校がミッション系だったのでプロテスタント系キリスト教の影響を強く受けているところがあり、日本の仏教も嫌いじゃありませんが友人とはよく「般若湯、般若湯!(゚∀゚)」などと言うことのが多いです。
 統一教会はこれまであまり調べたことがなかったので今度あたり詳しい友人にレクチャーしてもらおうかなと考えていますが、以前に軽く調べた時は下記の様な文鮮明氏がキリストから啓示を受けた時の話が非常に印象に残りました。

「霊的に現れたイエス・キリストはその時、ヘブライ語なまりの韓国語で話した」

 そこそこ笑いは取れると思います。まぁ吉本だったら一回こっきりのネタに終わるだろうけど。
 あと明日、明後日は私用で出かけるのでブログはお休みです。でかけるったって上海に来る親父の相手だけど。

2011年4月28日木曜日

各時代における庶民の生活

 このごろ歴史系の記事が減っているのでちょっと補充とばかりに一本入れときます。
 さて歴史漫画では大きな歴史の動きを紹介するとともによく庶民の生活風景も描かれていますが、実際のところ過去の庶民生活の実態というのはほとんどわからないそうです。基本的に歴史資料というものは大名や天皇といったビッグネームな人たちについてはいろいろまとめられているものの、一般庶民についてはその風俗から食生活まで書かれたものはまったくと言っていいほどなく、なんと江戸時代においてすらも首都であった江戸町人の生活を除けばあまりわかっていません。

 そういったあまり調査が進んでいなかったという背景から、言い方は悪くなりますがこれまで社会主義思想の強い人間が結構好き勝手なことを教育現場に吹き込み、昭和に至るまで日本の一般庶民はずっと支配階級に虐げられたなどと実証もないくせに教えられてきました。特に江戸時代については幕府が厳しく統制したとして、まだ教えているのかまでは知りませんが私が小学生だった頃は名前も忘れましたが農民を統制するため五つの指針を出したとして、やれ酒を飲むなとか夜は縄を結わえだとか、実態から非常にかけ離れたことがかなり平気で教えられていました。
 では現実の江戸時代の農民の生活ですが、社会保障が弱かったために飢饉が起こった時は非常に厳しかったものの、作柄が平穏だった年は当時の他国と比べても裕福な生活だったのではないかという説が近年強まっています。特にそれを強く表すエピソードとしては開国後に日本にやってきた外国公使達の記録で、イギリス人のオールコックが書いた「大君の都」では、

「我々は野蛮な民族に文明を教えるつもりでこの国にやってきたが、日本の国の住民らは上から下まで皆幸福そうに生活を送っており、これほど貧富のない国は今まで見たことがない。彼らを見ていると、我々が文明を教えて現在の彼らの生活を変えてしまうのは間違っているのではないかとすら思う時がある」

 などといった内容の記述を残しております。
 もっとも農民の生活も地域によって非常に差があったとされ、米所とされていた地域と本来は石高に加えない雑穀を加えて無理やり公称90万石としていた薩摩藩とでは暮らしぶりは全然違っていたでしょう。ただ全体的に言って、江戸時代の農民はこれまで教えられていた内容ほど悲惨な生活は送っていないものと私は考えております。

 では江戸時代以外はどうかとなると、恐らくこの辺となるともはや全くわからないというか史料がないのが実情です。時代劇とかで庶民もいろいろと描かれるものの、まだ服装とかならともかく生活実態は史料が全くないため実証的な内容はほぼ皆無です。奈良、平安時代に至っては万葉集とか貧窮問答歌で歌われているようなものしかないように思え、そこで書かれている悲惨な暮らしぶりが一般のイメージになっているような気がします。
 ただ奈良時代はともかく、平安時代の一般庶民の生活は非常に苦しかったのではないかとこちらも勝手に推量してます。何故かというと当時は平将門の乱を筆頭に反乱が相次いでおり、また菅原道真の祟りなど異常気象を連想させるような事件が数多く散見され、天候不順や平均気温の低下による飢饉が頻発していたのではないかと見ています。確証はありませんが。

 個人的に一番興味があるのは鎌倉時代の生活で、地方武士を含めどんな生活が送られていたのかをいろいろ知りたいです。私は日本史全体における特別な時代というのは明治から昭和前期と、この鎌倉時代だと見ており、金と暇があれば専門的に研究をしてみたいくらいです。何故鎌倉時代が特殊な時代なのかですが、また機会があれば紹介します。

2011年4月27日水曜日

中国における今後の二世問題

 なんかソニーのPSNで情報が漏洩したとニュースになってますが、実は私もPS3で登録していて、今回初めて被情報流出者の仲間入りしました。もっとも特別変な買い物とかしてたわけじゃないないし、クレジットカードも限度額を低く設定しているので不正利用されてもソニーがきちんと補償してくれるのであればあまり気になりません。プライバシーの感覚も多分ほかの人と違うだろうし。
 そうした私事は置いといて本題に入りますが、今日は久々に自分で加工した情報を書きます。結論から書くと、中国の今後十年くらいにおける最大の戦いは二世問題になるのではないかと私は見ております。

 二世問題とは何かというと、単純に実力や努力ではなく親の権威による世襲などによって本来その地位に相応しくない実力不足の人間が高い地位について混乱を引き起こすことです。中国のことを心配している場合でなく日本でもこの問題は政界において結構深刻ではありますが、日本の場合は安倍元首相以降の経験を経てようやく弊害に関して注目が集まるようになり、地方選挙を筆頭にこれまででは考えられない選挙戦が展開されるなどしてようやく脱却しつつあるのではないかと私は見ています。
 それではどうしてこれから中国で二世問題が大きくなるのかですが、先に言っておくと現在の中国を切り盛りしている各界のリーダーたちは正真正銘、自分の実力で現在の地位を勝ち取った叩き上げによるエリートばかりです。はっきり言いますが、現在の中国エリートは日本におけるエリートとは比較にならないほど優秀な人材ばかりです。

 というのも現在の中国における五十代の人間は多かれ少なかれ文化大革命期を経験しており、あの大混乱の中をあの手この手で潜り抜け、すごいのになると農村に下放された後で合法、非合法を問わず都市戸籍への復籍を果たしているのも少なくありません。下放がどれだけ凄かったか一つ例を出すと、何でも北海道より緯度が上にある遼寧省に下放されたある女性は現地に着くや、窓も扉も何もない住居をあてがわれたそうで、暖房もほとんどないマイナス何十度という世界をそこで冬を越したそうです。
 実際にこっちの政治エリートも財界エリートも、羽目を外した際の汚職の度合いは日本とは比べ物にならないほどの無茶ぶりをかましますが、その実績や行動を見ているとのし上がるだけはあると思わせられる人物が数多くおります。ただそのような苦難の歴史を乗り越えたエリートたちも、しぶといのだったら今後もまだまだ頭を取り続けるでしょうが大体あと十年位したらぼつぼつ引退をし始める頃だと思います。

 これはあくまで私の勝手な予想ではありますが、そうした叩き上げエリートたちの後に来るのはそれらエリートらの子弟ではないかと思います。ただでさえ中国は日本より家族的結びつきが強く、縁故採用も実態は調査してませんからわかりませんが傍目にはいろいろと多そうな気がします。ではそれらエリートの子弟らは実力があるのかといえばはっきり言って疑わしく、少なくとも現在のエリートらほどの実力は望めず、むしろ中にはどうしようもない人間も上がって来たりする可能性も少なくありません。
 もちろん現在若手と呼ばれる四十台くらいの世代はIT業界を筆頭に中国でも優秀な人材は育ってはおりますが、ただでさえ人口が膨大な国ゆえ、実力不足の人間が高い地位についたりすればかなり大きな混乱を招くのではないかと思います。しかも先ほども書いたようにこちらの汚職というのは日本人の感覚からする有り得ないレベルで、この前も石油大手の中国石化の幹部が会社の金を一千万円以上使って高い酒を買ってたとしてトップが辞任する羽目となりました。実際に酒の購入費用に使われたのかちょっと怪しいですが。

 私の言いたいことを簡単にまとめると、これから親の権威を笠に着た二世が政財界で幅を利かし、汚職を連発させるのではないかということです。現実にそうした事態を予想させるような事件がこのところ起こっており、去年には大学構内を飲酒運転した挙句に複数人を死傷させた二十二歳の男子学生が取り押さえられた際、「俺の親父は李剛だ!」と、公安幹部の父親の名を出したという事件がありました。もちろんいくら公安幹部の息子とはいえこんなことが許されるわけもなくこの息子にはこの前実刑判決が下りましたが、「俺の親父は李剛」というのは去年末の中国で流行語となって自分も使ってました。
 またこのほかにも有名なあの人の孫が異例の年齢で軍内で将軍となったり、今もそうであるかまでは確認してませんが元総理の李鵬の息子は発電最大手の中国華能の社長をしてました。

 ちなみに私は学生時、親父の勤める会社の採用面接は受けませんでした。私が受けたら親父もやり辛いだろうし、なによりも親父の後輩を中国に十年以上飛ばしてて、「おお、そんな奴もおったな」と人事部が軽くかわしたという話を聞いてたので初めからやめとこうと考えてました。ただ今の学生らに対してはただでさえ就職難の時代ゆえに、細かいことは気にせず頼れる伝手は何でもいいから使ったほうがいいと思います。自分は何でもかんでも変なプライドが邪魔して苦労することが多いですが、自分の生存を第一に考える時代に日本もなってきたのかもしれません。