今日msnニュースの方でちょっと気になるニュースがあったので、韓国のシルミド事件について書こうかと思います。
取れなかった「金日成の首」 映画シルミド(SHILMIDO)(産経新聞)
気になったニュースというのは上記リンク先のニュースなのですが、この記事は2004年に日本でも公開された韓国映画の「シルミド」のロケ地を歩くという記事です。ちょうど今日は韓流ばかり流して偏向報道だとするフジテレビへのデモが予定され実際に決行された日なのですが、産経はわざわざこれに合わせてこの記事を持ってきたのかと少し勘ぐりたくなります。
ただこの記事の主題となっている「シルミド」という韓国映画については私も実際に観ましたが、名前も全く知らないような韓流アイドルとかは出てこず(おっさんばかり)、変な感情抜きで素直に面白い映画だと思えました。またこの映画を通し、これは韓国でも公開当時はそうだったようですが歴史の闇というかシルミド事件についても初めて知り、当時の朝鮮状況を知ろうとする上でいいきっかけとなりました。
・実尾島事件(Wikipedia)
詳しくは上記のウィキペディアの記事を読んでもらった方が早いのですが、1968年に当時の朴正煕大統領の暗殺を目的とした北朝鮮の特殊部隊が韓国国内に侵入し、韓国の治安部隊と衝突した「青瓦台襲撃未遂事件」というものが起こります。この事件では韓国治安部隊が北朝鮮の特殊部隊を撃退して大統領は事なきを得るのですが、この北朝鮮の軍事行動に激怒した大統領は報復として「金日成暗殺部隊」を北朝鮮に送ることを企図し、特殊部隊の設置をKCIAに指示します。そしてその特殊部隊の養成地として、シルミドこと実尾島が選ばれることとなったわけです。
このシルミドには高額な報酬に応じた一般人ら31名の隊員が集められたのですが(映画版では死刑囚などが集められたと描かれ、事実と異なっていると遺族らから抗議が起こっている)、途中で7名の隊員が命を落とすなど相当過酷な訓練が実施されていたようです。しかし部隊創設から間もなく、アメリカ側が共産圏への融和策へ外交方針を変更したことにより韓国側も北朝鮮への目立った軍事行動を取ることが出来なくなり、シルミドの部隊についても徐々にその存在価値を失っていきました。
最終的には1971年に「部隊そのものがなかった」ことにされ、当初隊員らには支払われていた高額な報酬も徐々に減らされていき、待遇悪化に不満を感じた24名の隊員は訓練教官を殺害し島を脱出するや、真偽は不明ながらも直接大統領に抗議をするためとして韓国大統領府のある青瓦台を目指しソウルへ侵入することとなります。しかしソウル市内で韓国正規軍や警察と衝突すると、追い詰められたシルミドの部隊は奪ったバス内で手りゅう弾を使い自爆します。この時の自爆で大半の隊員は死亡し、生き残った4名もその後の軍法会議で死刑を受け翌年に全員処刑されたそうです。
この事件は内容が内容であるだけに当時はおろかごく近年に至るまで韓国国内でも完全に秘匿されてきましたが、韓国の民主化後に初めて明らかとなり、その後この事件を舞台にした件の映画が公開されたことによって徐々に詳細が公開されるようになりました。
私自身のこの事件の印象を話すとすれば、確かに非常にドラマチックな内容であり映画とするには恰好な事件だと思います。ただそれ以上に当時の国際状況というか、本当に007やゴルゴ13みたいな事件が現実に起きていたのかと、初めて知った際には驚きを感じました。さらに言えばこれは佐野眞一氏が甘粕正彦についての著書にて、「国家の前に個人の一生などどれほど脆いものか」と、国に翻弄され続けた甘粕の人生を評していましたが、このシルミド事件についても同じような言葉が私の中で浮かびました。
最後に蛇足ですがあまり映画を見ようとしない自分がこの「シルミド」という映画を観ようと思ったのは、「あの映画はほんまおもろいで!」と、今は亡き叔父が強く勧めてきたからでした。自分も年をとってきたのかこの叔父のことをちょくちょく思い出すようになり、最初の産経の記事も「叔父さんがいなけりゃちんぷんかんぷんだったろうな」などということを覚え、それ以外のことを含め自分にとってはいい叔父だったということを改めて思い起こしてました。ただ叔父と旅行に行った際、叔父のいびきがあまりにもうるさくほとんど眠れなかったのだけはちょっと嫌な思い出ですが。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2011年8月21日日曜日
2011年8月20日土曜日
日本企業の経営陣給与
時期を分けると面倒くさいので今日は経済ネタ二本投入です。以前に友人らと企業経営人の給与動向について話をした際にある友人がよく、
「日本の大企業における経営陣給与は年数千万円だが、欧米大企業の経営陣だと数億とかも当たり前だ。そういうのと比べると抱えている責任と言い、日本の経営人の給与は低過ぎるよな」
この話を聞いた際は私もその通りだと考えましたが今となっては逆で、それでも日本の経営陣給与は高過ぎると考えています。特に長く書くほどでもないのでもうぱぱっと書いちゃいますが、こう思うきっかけとなったのは東日本大震災後の東電経営陣を見てからです。さすがに前の社長は散々抵抗したものの辞任することとなりましたが会長はそのままですし、それ以外にも管理職の人間らの発言などを聞いていてこんな連中があれだけの報酬を受け取るのかと思うと虫唾が走りました。また東電に限らなくとも企業が不祥事を起こしても本当にとんでもないくらいの大問題でもなければ役員連中が謝罪することはおろか、末端の現場社員が詰め腹切らされて責任を取らされるというのも数限りない気がします。
では欧米はどうかと言えばアメリカの金融系企業をはじめとして恐らく似たり寄ったりじゃないかと思いますが、果たして役員に対してこんなに大金を支払うべき価値があるのかと思うとそろそろ真剣に議論してもいいんじゃないかと思います。以前にもこの関連で記事を書きましたが、私の主張としてはもっと賃金報酬の査定を細かくし、長期のプロジェクトにかかわる立場であるのであればむしろ退任後5年間程度の業績を判断して支払うというのも一つのやり方ではないかと思います。
「日本の大企業における経営陣給与は年数千万円だが、欧米大企業の経営陣だと数億とかも当たり前だ。そういうのと比べると抱えている責任と言い、日本の経営人の給与は低過ぎるよな」
この話を聞いた際は私もその通りだと考えましたが今となっては逆で、それでも日本の経営陣給与は高過ぎると考えています。特に長く書くほどでもないのでもうぱぱっと書いちゃいますが、こう思うきっかけとなったのは東日本大震災後の東電経営陣を見てからです。さすがに前の社長は散々抵抗したものの辞任することとなりましたが会長はそのままですし、それ以外にも管理職の人間らの発言などを聞いていてこんな連中があれだけの報酬を受け取るのかと思うと虫唾が走りました。また東電に限らなくとも企業が不祥事を起こしても本当にとんでもないくらいの大問題でもなければ役員連中が謝罪することはおろか、末端の現場社員が詰め腹切らされて責任を取らされるというのも数限りない気がします。
では欧米はどうかと言えばアメリカの金融系企業をはじめとして恐らく似たり寄ったりじゃないかと思いますが、果たして役員に対してこんなに大金を支払うべき価値があるのかと思うとそろそろ真剣に議論してもいいんじゃないかと思います。以前にもこの関連で記事を書きましたが、私の主張としてはもっと賃金報酬の査定を細かくし、長期のプロジェクトにかかわる立場であるのであればむしろ退任後5年間程度の業績を判断して支払うというのも一つのやり方ではないかと思います。
日本的経営とねずみ講
かなり今更な話だと自分でも自覚しておりますが、どうもよそで見ていても誰も主張する人がいないので記念に書いておくことにします。
・日本的経営(Wikipedia)
日本的経営とくれば現代ではすでに死語ですが、歴史を軽く紐解くと90年代半ばまでは非常に幅を利かせて世界で最も優れた経営方法だと多分日本人たちは疑わなかったと思います。しかし失われた十年の後半に至ってさすがに維持することができなくなり、中高年のリストラ開始によって一度否定されるものの2000年代中盤頃にトヨタやキヤノンといった企業経営者(奥田&御手洗、何気に二人とも経団連会長)が、実際には日本的経営とはかけ離れたことをやっておきながらも、「日本的経営を放棄して成果主義に走った企業は負け、維持した我々が勝ったのだ」と主張したことで、あくまで私の私感ですが一時また持ち上げられていたような気がします。
しかしそう主張していたのもつかの間、サブプライムローン問題が火を噴いた2008年を過ぎるとそんなこと言ってた連中もさすがにいなくなり、現在では「ああ、そんなのもあったね」といった感じの概念になりつつあるのではないかと思います。
それでこの日本的経営ですが、ウィキペディアにも書いてある通り具体的な要素としては主要なもので以下の差難点が挙げられます。
1、終身雇用
2、年功序列
3、企業別組合
結論から言ってしまうと上記の三要素は既に日本企業にはありません。かろうじて残っていると呼べるものとしたら2番目の「年功序列」くらいですが、1番目の「終身雇用」は完全ズタズタになって消え去っておりますし、3番目の「企業別組合」に至っては大企業にはまだ残っているものの、不景気という時代ゆえか解雇阻止や賃上げ要求する方が明らかに間違っていると言われかねず、その機能を完全に失っていると言っても過言ではありません。
そんな当たり前のこと言うだけなら誰でもできるし以前にも私自身書いていますが、今回ここで改めて主張しようと思うのは、そもそも論として日本的経営は成り立つはずがないという話です。
結論から先に言うと、具体的にどこが問題なのかというと2番目の「年功序列」で、だれも言いませんがこれは冷静に見るなら詐欺商法でお馴染みのねずみ講と同じ構図じゃないかと私は考えています。この年功序列というのは勤続年数に従って給与と社内地位が向上していくというシステムで、日本的経営が機能していた頃にはこれがあるおかげで従業員の離職率は低くなり熟練度が高い社員層が構築できると言われ、機能しなくなった頃には無能だろうと昇進して給与コストが無駄に増大すると言われました。
基本的には機能しなくなった頃に言われていた批判内容で私も間違っていないと思っているのですがこれに付け加える形で敢えて述べると、以下の二点について言えると思います。
1、勤続年数とともに昇進する→昇進させた社員の分だけ部下となる社員数を増やさなければならない
2、勤続年数とともに給与が増える→増やす給与分だけ売り上げ、収益を増やさなければならない
まず一番目の点についてですが昇進させると言っても名ばかり管理職とするのならともかく、数名の部下とかを付ける役職にするのであれば昇進させた社員数の倍数分だけ新入社員を補充しなければなりません。これはつまり初年度に5人からスタートしたとして、その5人が管理職にさせる頃には5×5=25でほかに25人の社員がいなければならず、さらにその25人が管理職となる頃には25×5=125人と、かなり単純な図式とするならこのような具合でどんどん倍々ゲームで社員を増やさなければ成立しません。
次に二番目の点ですが、これも一番目同様に一定の所で限界値は設けてたでしょうが、年々給与を増やすのであればその分だけ支払い余力も増えてかなければなりません。これは言い換えるなら毎年売り上げと収益が増えなければ成立しないということで、先ほどの倍々ゲームと組み合わせて考えると、マイナス成長がありえないという前提でなければ絶対に成立しないと言ってもいいでしょう。
この二つの図式を組み合わせて考えるなら、倍々ゲームで何もかも伸びていくというねずみ講と同じ構図、言い切れば絶対に成立するはずがない構図じゃないかと私は考えています。もちろん実際には何が何でも給与を増やすとかそういったことは毎年行われてたわけじゃなく、時期によっては労使で調整とかされていたそうですが、新卒一括採用制度とも組み合わせて考えると都合のいい考え方してんじゃないかと思います。
・日本的経営(Wikipedia)
日本的経営とくれば現代ではすでに死語ですが、歴史を軽く紐解くと90年代半ばまでは非常に幅を利かせて世界で最も優れた経営方法だと多分日本人たちは疑わなかったと思います。しかし失われた十年の後半に至ってさすがに維持することができなくなり、中高年のリストラ開始によって一度否定されるものの2000年代中盤頃にトヨタやキヤノンといった企業経営者(奥田&御手洗、何気に二人とも経団連会長)が、実際には日本的経営とはかけ離れたことをやっておきながらも、「日本的経営を放棄して成果主義に走った企業は負け、維持した我々が勝ったのだ」と主張したことで、あくまで私の私感ですが一時また持ち上げられていたような気がします。
しかしそう主張していたのもつかの間、サブプライムローン問題が火を噴いた2008年を過ぎるとそんなこと言ってた連中もさすがにいなくなり、現在では「ああ、そんなのもあったね」といった感じの概念になりつつあるのではないかと思います。
それでこの日本的経営ですが、ウィキペディアにも書いてある通り具体的な要素としては主要なもので以下の差難点が挙げられます。
1、終身雇用
2、年功序列
3、企業別組合
結論から言ってしまうと上記の三要素は既に日本企業にはありません。かろうじて残っていると呼べるものとしたら2番目の「年功序列」くらいですが、1番目の「終身雇用」は完全ズタズタになって消え去っておりますし、3番目の「企業別組合」に至っては大企業にはまだ残っているものの、不景気という時代ゆえか解雇阻止や賃上げ要求する方が明らかに間違っていると言われかねず、その機能を完全に失っていると言っても過言ではありません。
そんな当たり前のこと言うだけなら誰でもできるし以前にも私自身書いていますが、今回ここで改めて主張しようと思うのは、そもそも論として日本的経営は成り立つはずがないという話です。
結論から先に言うと、具体的にどこが問題なのかというと2番目の「年功序列」で、だれも言いませんがこれは冷静に見るなら詐欺商法でお馴染みのねずみ講と同じ構図じゃないかと私は考えています。この年功序列というのは勤続年数に従って給与と社内地位が向上していくというシステムで、日本的経営が機能していた頃にはこれがあるおかげで従業員の離職率は低くなり熟練度が高い社員層が構築できると言われ、機能しなくなった頃には無能だろうと昇進して給与コストが無駄に増大すると言われました。
基本的には機能しなくなった頃に言われていた批判内容で私も間違っていないと思っているのですがこれに付け加える形で敢えて述べると、以下の二点について言えると思います。
1、勤続年数とともに昇進する→昇進させた社員の分だけ部下となる社員数を増やさなければならない
2、勤続年数とともに給与が増える→増やす給与分だけ売り上げ、収益を増やさなければならない
まず一番目の点についてですが昇進させると言っても名ばかり管理職とするのならともかく、数名の部下とかを付ける役職にするのであれば昇進させた社員数の倍数分だけ新入社員を補充しなければなりません。これはつまり初年度に5人からスタートしたとして、その5人が管理職にさせる頃には5×5=25でほかに25人の社員がいなければならず、さらにその25人が管理職となる頃には25×5=125人と、かなり単純な図式とするならこのような具合でどんどん倍々ゲームで社員を増やさなければ成立しません。
次に二番目の点ですが、これも一番目同様に一定の所で限界値は設けてたでしょうが、年々給与を増やすのであればその分だけ支払い余力も増えてかなければなりません。これは言い換えるなら毎年売り上げと収益が増えなければ成立しないということで、先ほどの倍々ゲームと組み合わせて考えると、マイナス成長がありえないという前提でなければ絶対に成立しないと言ってもいいでしょう。
この二つの図式を組み合わせて考えるなら、倍々ゲームで何もかも伸びていくというねずみ講と同じ構図、言い切れば絶対に成立するはずがない構図じゃないかと私は考えています。もちろん実際には何が何でも給与を増やすとかそういったことは毎年行われてたわけじゃなく、時期によっては労使で調整とかされていたそうですが、新卒一括採用制度とも組み合わせて考えると都合のいい考え方してんじゃないかと思います。
2011年8月17日水曜日
サッカー選手に見る日本の希望
私は国外にいて見ることができませんでしたが、先週行われたサッカーの日韓戦は大いに盛り上がったと友人から聞きました。ちょうど韓国国内のKリーグが八百長で揉めていて韓国チームは本調子ではなかったとはいえ、3対0というハイスコアで見事勝利を収めたという報道を耳にした際は私もやはりうれしく感じました。この試合について先日に友人とも話しましたが、前回のワールドカップの前後で本当にいつの間にと言うべきか日本人選手は世界の強豪とも渡り合えるほど成長しており、冗談抜きで今だったら並みのチームには絶対に負けないのではないかという気がします。
そんなすっかり様変わりした日本のサッカーですが、強くなったとともにこれでもかと言わんばかりのスター選手も続々と現れています。まずその代表格とも呼べるのはワールドカップで活躍した本田圭祐選手ですが、前にいた会社ではワールドカップ開催中の朝礼の際に部長が、「えー皆さん寝不足かと思われますが、『本田なんかいらねぇよ』と言って本当にすいませんでした」と、いきなり謝ってきたのは非常にいい思い出です。この本田選手について私はワールドカップを通して初めてその名を知ったのですが、調べてみるとそれ以前からもビッグマウスで有名な選手だったようで先ほどの部長のように反発を持っていた人も少なからずいたようです。
ただワールドカップの活躍以後、私も興味があって本田選手についていろいろ調べたのですが今まで読んだ中で一番印象に残ったのは本田選手のお兄さんによる弟についてのインタビュー記事で、小さいころから負けん気が強かったのはもとより目標意識が非常に高く、海外に出てサッカーをするという目標も早くから立てるとそのための努力を一切怠らず、きちんと実現したという話には思わずため息が漏れました。またワールドカップ以降の本田選手の発言を見ていると確かに不遜な物言いが多いですが、勝利した試合後にもまだまだ問題点が多いと必ず苦言を呈すなど、高い目標意識を常に維持してそれをきちんと実行に移そうとする姿は強い尊敬の気持ちを覚えます。
またこの本田選手とともに現在最も注目を浴びていると言っていいのは、クラブ世界一ともなったインテルで活躍する長友佑都選手です。この長友選手についてもアジアカップの異常な活躍(ほかの選手の二倍近く走っている)を聞いてから興味を持ったのですが、ちょうど日本に帰った際に読んだ長友選手の記事を読んで改めてとんでもない選手だと思わせられました。
長友選手については知っている方も多いでしょうが、彼のこれまでのサッカー人生はエリートとはとても呼べない来歴で大学時代は椎間板ヘルニアを患い試合にも練習にも出られなかったそうです。しかしそんな不遇な時代にもかかわらず長友選手は、
「神様は乗り越えられる困難しか与えない。これを乗り越えたら、でっかい自分が待っている」
と考え、長期のリハビリを経てついにはヘルニアを克服したそうです。またこの時の経験から徹底的にフィジカルを鍛えるようになり、まさに長友選手の言ったようにそれが外人選手に対して当たり負けしない現在の体を形作っているとのことです。
実はこの長友選手のインテル移籍というニュースを初めて知った際は失礼ながら誤報かと思ったのですが、確実な報道と聞いた後も本当にインテルで活躍し続けられるのかという心配をしていました。ただこの時の私の心配はその後の長友選手のインテルでの活躍を見るにつけ杞憂だったとわかり、現在も活躍のニュースを聞く度に余計な心配をしてしまったのだと申し訳ない気持ちにさせられます。
その長友選手ですが、今年三月の日本での震災直後は欧州チャンピオンズリーグの試合に出場していました。そこで長友選手はアウェーの地ながらも試合後に日の丸を掲げ、世界に対して改めて日本をアピールしてくれましたが、当時の日本の状況を思うにつけこの長友選手の行動には本当に頭が下がる思いです。
私は以前にも見上げた若者としてプロ野球の田中将大選手やゴルフの石川遼選手を挙げましたが、この二人に限らず今日ここで挙げた本田選手や長友選手など、一人の人間として深く尊敬できる若者がたくさん現れているのを見るにつけ日本の将来は凄く明るいのではと元気づけられます。
ただこれは逆を言えば、現代の大人たちは一体何をやっているんだという反感ゆえでもあります。政府にしろ東電にしろいい年した大人たちがどうしてこんな非常識的ともいえる行動や発言を繰り返すばかりか、責任から逃れようとする姿を見るにつけもっとまともな人間はほかにいなかったのか、どうしてこんな人間が上に上がってこれるんだと深く考えさせられます。これも前にも書きましたが私は「社会人」というのは無責任な人間のことを指すと考えており、社会人じゃなければいっぱしじゃないという余計な概念は早いうちに取っ払わなけれなならないと思っています。
若者の分際でと私も常日頃から何度も言われていますが、若者だから年上の人間になんでもかんでも劣るという理由にはなりません。むしろ若者だからこそ、こんな無責任な世の中を少しでも良くするようにしなければと、本田選手や長友選手にはまだ程遠いですが立派な若者になろうと感じる次第であります。
そんなすっかり様変わりした日本のサッカーですが、強くなったとともにこれでもかと言わんばかりのスター選手も続々と現れています。まずその代表格とも呼べるのはワールドカップで活躍した本田圭祐選手ですが、前にいた会社ではワールドカップ開催中の朝礼の際に部長が、「えー皆さん寝不足かと思われますが、『本田なんかいらねぇよ』と言って本当にすいませんでした」と、いきなり謝ってきたのは非常にいい思い出です。この本田選手について私はワールドカップを通して初めてその名を知ったのですが、調べてみるとそれ以前からもビッグマウスで有名な選手だったようで先ほどの部長のように反発を持っていた人も少なからずいたようです。
ただワールドカップの活躍以後、私も興味があって本田選手についていろいろ調べたのですが今まで読んだ中で一番印象に残ったのは本田選手のお兄さんによる弟についてのインタビュー記事で、小さいころから負けん気が強かったのはもとより目標意識が非常に高く、海外に出てサッカーをするという目標も早くから立てるとそのための努力を一切怠らず、きちんと実現したという話には思わずため息が漏れました。またワールドカップ以降の本田選手の発言を見ていると確かに不遜な物言いが多いですが、勝利した試合後にもまだまだ問題点が多いと必ず苦言を呈すなど、高い目標意識を常に維持してそれをきちんと実行に移そうとする姿は強い尊敬の気持ちを覚えます。
またこの本田選手とともに現在最も注目を浴びていると言っていいのは、クラブ世界一ともなったインテルで活躍する長友佑都選手です。この長友選手についてもアジアカップの異常な活躍(ほかの選手の二倍近く走っている)を聞いてから興味を持ったのですが、ちょうど日本に帰った際に読んだ長友選手の記事を読んで改めてとんでもない選手だと思わせられました。
長友選手については知っている方も多いでしょうが、彼のこれまでのサッカー人生はエリートとはとても呼べない来歴で大学時代は椎間板ヘルニアを患い試合にも練習にも出られなかったそうです。しかしそんな不遇な時代にもかかわらず長友選手は、
「神様は乗り越えられる困難しか与えない。これを乗り越えたら、でっかい自分が待っている」
と考え、長期のリハビリを経てついにはヘルニアを克服したそうです。またこの時の経験から徹底的にフィジカルを鍛えるようになり、まさに長友選手の言ったようにそれが外人選手に対して当たり負けしない現在の体を形作っているとのことです。
実はこの長友選手のインテル移籍というニュースを初めて知った際は失礼ながら誤報かと思ったのですが、確実な報道と聞いた後も本当にインテルで活躍し続けられるのかという心配をしていました。ただこの時の私の心配はその後の長友選手のインテルでの活躍を見るにつけ杞憂だったとわかり、現在も活躍のニュースを聞く度に余計な心配をしてしまったのだと申し訳ない気持ちにさせられます。
その長友選手ですが、今年三月の日本での震災直後は欧州チャンピオンズリーグの試合に出場していました。そこで長友選手はアウェーの地ながらも試合後に日の丸を掲げ、世界に対して改めて日本をアピールしてくれましたが、当時の日本の状況を思うにつけこの長友選手の行動には本当に頭が下がる思いです。
私は以前にも見上げた若者としてプロ野球の田中将大選手やゴルフの石川遼選手を挙げましたが、この二人に限らず今日ここで挙げた本田選手や長友選手など、一人の人間として深く尊敬できる若者がたくさん現れているのを見るにつけ日本の将来は凄く明るいのではと元気づけられます。
ただこれは逆を言えば、現代の大人たちは一体何をやっているんだという反感ゆえでもあります。政府にしろ東電にしろいい年した大人たちがどうしてこんな非常識的ともいえる行動や発言を繰り返すばかりか、責任から逃れようとする姿を見るにつけもっとまともな人間はほかにいなかったのか、どうしてこんな人間が上に上がってこれるんだと深く考えさせられます。これも前にも書きましたが私は「社会人」というのは無責任な人間のことを指すと考えており、社会人じゃなければいっぱしじゃないという余計な概念は早いうちに取っ払わなけれなならないと思っています。
若者の分際でと私も常日頃から何度も言われていますが、若者だから年上の人間になんでもかんでも劣るという理由にはなりません。むしろ若者だからこそ、こんな無責任な世の中を少しでも良くするようにしなければと、本田選手や長友選手にはまだ程遠いですが立派な若者になろうと感じる次第であります。
2011年8月16日火曜日
人を試そうとする癖について
どうでもいい話から始めますが、最近自分で検索して置きながらなんで検索したのだろうというので下記の2ワードがあります。
「高見盛 スクリーンセーバー」、「甘利神拳」
そういう話は置いといて今日の本題ですが、記事書く前に思いっきりガンダムの歌を歌っているので今日はかなりテンションが高く、普段は書かないというかそこまでやる気の起きない思想面の話を一本書こうかと思います。
突然ですが私が友人らから最も注意されることとして、「他人を試そうとするような質問はよせ」というのがあります。これは会話の最中に私がしょっちゅう、「~はわかるよね?」とか「君はどう思う?」などと唐突に質問をぶつける癖があり、友人らの言う通りに実際に相手の反応や思考力を常に注意して測ろうとしています。もちろん信頼している友人らに対してはどんな回答をしたところで評価を変えることはありませんが、自分が指導している後輩らやあまり親しくない知り合いに対しては明確にランク付けを行っては会話のテンポや内容などを相手の力量に合わせるなど意識的に態度を変化させています。
私の実感だと通常の人と話をする際は本気の会話速度に対して大体5割程度のテンポに落としつつ、会話をしながら次の相手の返答を予測してその予測に対して次にどんなことを口にするかを常に想定しながら話しています。逆に手ごわい相手だったら一切そんな予測はしないでノーガードで打ち合うわけですが、意識的に上げられる会話速度は8割程度で、全力レベルともなるとその時のテンションや相手など条件が揃わないと実感ができませんが、全力を実感できた際は文字通り短い時間内にとんでもない情報量を交換したという確実な感覚があります。
そんな相手のレベルを測るという悪い癖ですが、自分でもよくないと思うし相手に失礼だと思いつつもどうしてもやめることができずにいます。別に楽しんでやっているというわけではないですが、自分でも女々しく思うもののこれまでの過去の経験による悔しさからかやらずにはおれないというような心境です。
これまでも何度か書いておりますが、小学生時代はともかくとして中学、高校時代の私は周囲でもかなり浮いていた上に実際に卒業後、当時のクラスメートから頭のおかしい人間と言われていたと話を聞きました。当時の私はプライベートで結構問題を抱えていた時期で常にあれこれ考えていた時期で、人間の生存目的やら社会的価値、果てには今ブログで書いているような国政政治問題などを考えていたわけですが、今現在の自分でも実際にそんなことばっかり考えている中学生がいたら面倒そうな奴だと思います。ただ当時の私は妙なところでストレートさというか素直さがあり、間違っていると思うことに対して、考え方は浅いもののはっきり間違っていると主張するようなところがあり、そういうところが先のクラスメートらの評価につながったと思います。
周囲の評価なんて気にしなかった、と言えれば確かにいいのですがやはり耳に入ってくるものは色々気になるものです。そのためこれはかなり昔の記事にも書いていますが当時の私は自分が考える最も正しい路線を守るべきか、それとも周囲に迎合した路線をとるかで非常に悩んでいました。最終的には何も考えずに周りに合わせて失敗したらただの馬鹿だが、自分の理性で判断して失敗したらまだ救いはあるはずだ、戦前の日本人はそこで間違えたんだと思って結局周りに一切妥協することなく独自路線を貫いたわけですが、大学に入学後はそうした独自路線を歩んで得た知識なり考え方が友人らに評価してもらえようやく安息のようなものを得ることができ、現在の自分、ひいてはこのブログの盛況につながっているように思えます。
それが何で人を試そうとする癖につながるかですが、非常に情けない話ですがこうした過程を経た自分はやはり自分に正当性があるということを主張したければ証明したい、強く言ってしまえば認めさせたいという妙な名誉欲を持っています。今まで散々人のことを馬鹿のような言い方をしてきた人間に対し自分が培ってきたものの、具象化は出来ない思考や知識、論理というものが如何に優れているのかを見せつけたいという気持ちで満杯です。
もちろんそんなくだらない名誉欲は足かせになるだけで何の役にも立たないというのはよく理解しているつもりですが、仮に自分が「過去のことはもういいよ(´∀`*)」なんて考えてしまったら、誰も理解者がいなかった当時に文字通り血の涙を流してまで節を曲げなかった子供の頃の自分はどうなるんだということになるように思え、自分が自分を裏切ってはならないとこれまた妙な価値観を持ってしまっています。ただ敢えて公益的な立場で言うと、自分がこのような立場をすることで昔の自分のような人間が存在できる幅は広がるのではという甘い期待も持っています。
はっきり言ってここで書いていることは自分でも妄想に近い内容だと思います。ただ昔の自分を思うにつけ「まだまだ青いな」と考え方の未熟さを感じるとともに、問題に対するストレートな感情の持ち方(「○○をぶっ殺せ」と平気で広言してた)は今ではすっかりできなくなってしまい、「あれが、若さか……」などと振り返ることが増えてきました。ついでに書くとこのところ鏡で自分の顔を見る度に目つきが明らかに丸くなっているのも、トータルバランスは良くはなっているんだけどと複雑な気持ちにさせられます。
「高見盛 スクリーンセーバー」、「甘利神拳」
そういう話は置いといて今日の本題ですが、記事書く前に思いっきりガンダムの歌を歌っているので今日はかなりテンションが高く、普段は書かないというかそこまでやる気の起きない思想面の話を一本書こうかと思います。
突然ですが私が友人らから最も注意されることとして、「他人を試そうとするような質問はよせ」というのがあります。これは会話の最中に私がしょっちゅう、「~はわかるよね?」とか「君はどう思う?」などと唐突に質問をぶつける癖があり、友人らの言う通りに実際に相手の反応や思考力を常に注意して測ろうとしています。もちろん信頼している友人らに対してはどんな回答をしたところで評価を変えることはありませんが、自分が指導している後輩らやあまり親しくない知り合いに対しては明確にランク付けを行っては会話のテンポや内容などを相手の力量に合わせるなど意識的に態度を変化させています。
私の実感だと通常の人と話をする際は本気の会話速度に対して大体5割程度のテンポに落としつつ、会話をしながら次の相手の返答を予測してその予測に対して次にどんなことを口にするかを常に想定しながら話しています。逆に手ごわい相手だったら一切そんな予測はしないでノーガードで打ち合うわけですが、意識的に上げられる会話速度は8割程度で、全力レベルともなるとその時のテンションや相手など条件が揃わないと実感ができませんが、全力を実感できた際は文字通り短い時間内にとんでもない情報量を交換したという確実な感覚があります。
そんな相手のレベルを測るという悪い癖ですが、自分でもよくないと思うし相手に失礼だと思いつつもどうしてもやめることができずにいます。別に楽しんでやっているというわけではないですが、自分でも女々しく思うもののこれまでの過去の経験による悔しさからかやらずにはおれないというような心境です。
これまでも何度か書いておりますが、小学生時代はともかくとして中学、高校時代の私は周囲でもかなり浮いていた上に実際に卒業後、当時のクラスメートから頭のおかしい人間と言われていたと話を聞きました。当時の私はプライベートで結構問題を抱えていた時期で常にあれこれ考えていた時期で、人間の生存目的やら社会的価値、果てには今ブログで書いているような国政政治問題などを考えていたわけですが、今現在の自分でも実際にそんなことばっかり考えている中学生がいたら面倒そうな奴だと思います。ただ当時の私は妙なところでストレートさというか素直さがあり、間違っていると思うことに対して、考え方は浅いもののはっきり間違っていると主張するようなところがあり、そういうところが先のクラスメートらの評価につながったと思います。
周囲の評価なんて気にしなかった、と言えれば確かにいいのですがやはり耳に入ってくるものは色々気になるものです。そのためこれはかなり昔の記事にも書いていますが当時の私は自分が考える最も正しい路線を守るべきか、それとも周囲に迎合した路線をとるかで非常に悩んでいました。最終的には何も考えずに周りに合わせて失敗したらただの馬鹿だが、自分の理性で判断して失敗したらまだ救いはあるはずだ、戦前の日本人はそこで間違えたんだと思って結局周りに一切妥協することなく独自路線を貫いたわけですが、大学に入学後はそうした独自路線を歩んで得た知識なり考え方が友人らに評価してもらえようやく安息のようなものを得ることができ、現在の自分、ひいてはこのブログの盛況につながっているように思えます。
それが何で人を試そうとする癖につながるかですが、非常に情けない話ですがこうした過程を経た自分はやはり自分に正当性があるということを主張したければ証明したい、強く言ってしまえば認めさせたいという妙な名誉欲を持っています。今まで散々人のことを馬鹿のような言い方をしてきた人間に対し自分が培ってきたものの、具象化は出来ない思考や知識、論理というものが如何に優れているのかを見せつけたいという気持ちで満杯です。
もちろんそんなくだらない名誉欲は足かせになるだけで何の役にも立たないというのはよく理解しているつもりですが、仮に自分が「過去のことはもういいよ(´∀`*)」なんて考えてしまったら、誰も理解者がいなかった当時に文字通り血の涙を流してまで節を曲げなかった子供の頃の自分はどうなるんだということになるように思え、自分が自分を裏切ってはならないとこれまた妙な価値観を持ってしまっています。ただ敢えて公益的な立場で言うと、自分がこのような立場をすることで昔の自分のような人間が存在できる幅は広がるのではという甘い期待も持っています。
はっきり言ってここで書いていることは自分でも妄想に近い内容だと思います。ただ昔の自分を思うにつけ「まだまだ青いな」と考え方の未熟さを感じるとともに、問題に対するストレートな感情の持ち方(「○○をぶっ殺せ」と平気で広言してた)は今ではすっかりできなくなってしまい、「あれが、若さか……」などと振り返ることが増えてきました。ついでに書くとこのところ鏡で自分の顔を見る度に目つきが明らかに丸くなっているのも、トータルバランスは良くはなっているんだけどと複雑な気持ちにさせられます。
2011年8月14日日曜日
神様の実証性
先日、友人とともにかなり久々に宗教関連の話題をして盛り上がりました。ここでいうのもなんですが私は一時期はキリスト教にはまってて真剣に受洗も考えたほどでしたが最近はめっきり信仰心が薄れ、一般的な日本人と同じくらいに距離を置くようになりました。一緒に話をした友人は私と違って徹頭徹尾宗教を批判する人間で、森元首相同様に「宗教は心の阿片」と言ってはばからない友人ではありますが、そこはさすがに私の友人だけあって宗教的価値観や思考法、論理の立て方に対しては単なる宗教批判者にとどまらずじっくりと話し合うことができます。
そんな友人と昨日話した内容はかなり多岐に渡るのですが、一つの大きなトピックスとして神様の実証性がありました。ここでいう神様とはキリスト教やイスラム教における唯一絶対神を指していますが、私は基本的に信者の方とはいえ無条件で神の存在を肯定する方はあまり信用しません。この辺について猫好きを広言している作家の佐藤優氏の言葉を借りると、キリスト教というのは投資対象としては非常に利回りや確実性の低い宗教であるそうで、このまま現世で生きていくとしても苦難しかないと言い切った上、しかも信仰を保ち続けその苦難に耐え抜き天寿を全うしたとしても天国に上れるかどうかは全くの未知数で、それにもかかわらずただ信じよという宗教だそうで確約というか保証は全くないそうです。それは神様の存在性についても同じで、存在する理由からしている根拠も全くと言っていいほどないのですが、その点についてもただ「信じよ」というだけです。
もっともこれを言ったら日本で強い仏教においても同じで、仏様からトイレの神様に至るまでそこに存在する理由は皆無に近いです。にもかかわらずどうして人間というのはなにかと神様という霊的存在をどこかしらで信じようとするのか、この辺について解説しようものならとんでもない分量になるので触れませんが非常にもろい基盤の上にあるからこそ存在していると私は考えています。ただこうした議論は何も今に始まるわけじゃなく原始以来繰り返されており、特に近代で実存主義が勃興した時代においては当時のアナーキーな思想とともにいろいろ語られましたが、その実存主義の旗手たるニーチェは下記の有名な言葉を当時に書き残しております。
「神は死んだ ニーチェ」
これは以前に私が知り合いから聞いた話ですが、上記の言葉がある日どこかの欧州の大学で落書きされていたようです。この事実自体はよくありそうな話で特別おかしなことはないのですが、その落書きがなされた翌日、書かれたニーチェの言葉の横にはこう付け足されていたそうです。
「ニーチェは死んだ 神」
少なくとも神が死んだかどうかは実証できませんがニーチェが死んだのは明確な歴史的事実ですから、上記の落書きだけにおいては神様のが存在感が溢れてる気がします。
そんな友人と昨日話した内容はかなり多岐に渡るのですが、一つの大きなトピックスとして神様の実証性がありました。ここでいう神様とはキリスト教やイスラム教における唯一絶対神を指していますが、私は基本的に信者の方とはいえ無条件で神の存在を肯定する方はあまり信用しません。この辺について猫好きを広言している作家の佐藤優氏の言葉を借りると、キリスト教というのは投資対象としては非常に利回りや確実性の低い宗教であるそうで、このまま現世で生きていくとしても苦難しかないと言い切った上、しかも信仰を保ち続けその苦難に耐え抜き天寿を全うしたとしても天国に上れるかどうかは全くの未知数で、それにもかかわらずただ信じよという宗教だそうで確約というか保証は全くないそうです。それは神様の存在性についても同じで、存在する理由からしている根拠も全くと言っていいほどないのですが、その点についてもただ「信じよ」というだけです。
もっともこれを言ったら日本で強い仏教においても同じで、仏様からトイレの神様に至るまでそこに存在する理由は皆無に近いです。にもかかわらずどうして人間というのはなにかと神様という霊的存在をどこかしらで信じようとするのか、この辺について解説しようものならとんでもない分量になるので触れませんが非常にもろい基盤の上にあるからこそ存在していると私は考えています。ただこうした議論は何も今に始まるわけじゃなく原始以来繰り返されており、特に近代で実存主義が勃興した時代においては当時のアナーキーな思想とともにいろいろ語られましたが、その実存主義の旗手たるニーチェは下記の有名な言葉を当時に書き残しております。
「神は死んだ ニーチェ」
これは以前に私が知り合いから聞いた話ですが、上記の言葉がある日どこかの欧州の大学で落書きされていたようです。この事実自体はよくありそうな話で特別おかしなことはないのですが、その落書きがなされた翌日、書かれたニーチェの言葉の横にはこう付け足されていたそうです。
「ニーチェは死んだ 神」
少なくとも神が死んだかどうかは実証できませんがニーチェが死んだのは明確な歴史的事実ですから、上記の落書きだけにおいては神様のが存在感が溢れてる気がします。
2011年8月12日金曜日
私の好きなゲームBGM
私はあまり音楽は聞かない生活をしていますが、ゲームはよくする方なのでゲーム中に使われるBGMなんかだと気に入ったものはサントラを買ってたりします。先日も日本に帰った際には昔懐かしいのもあって「女神異聞録ペルソナ(PS版)」のサントラを持って帰ってきましたが、音源で言えば明らかに現代のゲームに劣るものの、やはりメロディのいいものはいつ聞いても悪くないものだという気がします。
そこで今日は、敢えて古いのに絞って私がひいきにするゲームBGMを紹介しようと思います。最近こういう趣味関係の記事もほとんど書かなくなった、もといネタ切れしているのですが、たまにはこういうの書かないと本当にやってられません。
1、ドラゴンクエストシリーズ
日本人なら誰もが知る有名なRPG作品ですが、未だにブランド力が圧倒的というだけあってBGMも毎回作りこまれております。各作品のメインテーマは言うに及ばずですが、敢えて一つの作品を上げるとしたら3が最も好きで、フィールド上の音楽とラスボスであるゾーマ戦の曲は傑作もいいところです。
2、ファイナルファンタジーシリーズ
この作品も有名でみんな知っているでしょうが、個人的な感想としては音源がよくなっていくにつれてどんどん曲は悪くなっていったシリーズのように思えます。単体作品で好きなのは6と7で、7では汎用ボス戦の曲がお気に入りで無駄に文化祭とかで流してました。
3、ロマンシングサガシリーズ
これは知っている人は多少限られてくるでしょうが、イトケンこと伊藤賢治氏によるBGM群は一度聴いたら二度と耳から離れないほどのインパクトがあり、今でもサントラ買おうかいろいろ迷ってます。個別の曲は挙げだしたら切りがないのですが、初代ロマンシングサガでは「下水道のテーマ」が場面にそぐわずかっこ良すぎると評判でした。またロマンシングサガ3ではやったことがある人ならみんながわかるでしょうが、「四魔貴族バトル2」という曲が異常というか圧巻過ぎて、未だにこれほどテンションの上がる戦闘曲は聞いたことがありません。極め絵付けは「ロマンシングサガ ミンストレルソング」で流れた「熱情の律動(通称:ヘェーラロロォー)」という曲で、これなんかはネット上でも一時取り上げられましたが最初に聞いた時は本当に(;゚Д゚)エエーって顔になり、イトケンは未だここにありというのをはっきりと見せつけられました。
4、ゼルダの伝説
恐らく総合的なBGM評価だとこの作品が白眉です。長いシリーズ名だけあってメインテーマなんかは定番化していますがいつ聞いても飽きがないというか、むしろ久々に聞くといろんなことが一挙に思いだせて震えてくるような曲です。以前にYoutubeでこのメインテーマのオーケストラバージョンを聞いた際なんか感動して涙が出てきたほどでした。
5、クロノトリガー
これまた古い作品ではありますが、当時のスクウェアの技術力を結集させた作品だけあって名場面も多く、その場面ごとに流れる曲も秀逸なものばかりでした。個人的に好きなのは「カエルのテーマ」と「時の最果てのテーマ」です。
6、俺の屍を超えてゆけ
通称オレシカ。今度リメイク版が出るらしいですがすっとんきょんなタイトルの割に世界観は和風のRPGゲームです。和風なだけあってBGMも基本的には和楽器がメインで使われているのですが、地味で渋い曲ながらなかなか耳に残る音が多く、個人的には武術大会での戦闘で使われる太鼓の曲が一番好きでした。
7、ドラゴンボールZ~スーパーサイヤ伝説
これまた古いゲームを出してきましたが、初期のスーパーファミコンゲームながらBGMは非常に秀逸で、特にラスボスのフリーザ戦の曲は名曲と言っていいと思います。ただBGMがいいゲームはクソゲーが多いというだけあって、ゲームバランスがあまりにもひどいゲームでしたが。
8、アクトレイザー
いろんな意味でゲームBGMを変えたゲームBGM。なんでもこのゲームの曲を聞いたスクウェアのスタッフは既に作曲済みのFF4の曲を廃棄して全部作り直したほどのショックを受けたそうですが、事実現在に至ってもこのゲームのサントラは高値で取引されていると聞きます。私自身もこのゲームは何度もクリアしたほどで、戦闘シーンから町のシーンまで寸分の隙がないほど名曲の塊でした。ゲームも面白かったのですが、いかんせん続編は悪すぎた。
そこで今日は、敢えて古いのに絞って私がひいきにするゲームBGMを紹介しようと思います。最近こういう趣味関係の記事もほとんど書かなくなった、もといネタ切れしているのですが、たまにはこういうの書かないと本当にやってられません。
1、ドラゴンクエストシリーズ
日本人なら誰もが知る有名なRPG作品ですが、未だにブランド力が圧倒的というだけあってBGMも毎回作りこまれております。各作品のメインテーマは言うに及ばずですが、敢えて一つの作品を上げるとしたら3が最も好きで、フィールド上の音楽とラスボスであるゾーマ戦の曲は傑作もいいところです。
2、ファイナルファンタジーシリーズ
この作品も有名でみんな知っているでしょうが、個人的な感想としては音源がよくなっていくにつれてどんどん曲は悪くなっていったシリーズのように思えます。単体作品で好きなのは6と7で、7では汎用ボス戦の曲がお気に入りで無駄に文化祭とかで流してました。
3、ロマンシングサガシリーズ
これは知っている人は多少限られてくるでしょうが、イトケンこと伊藤賢治氏によるBGM群は一度聴いたら二度と耳から離れないほどのインパクトがあり、今でもサントラ買おうかいろいろ迷ってます。個別の曲は挙げだしたら切りがないのですが、初代ロマンシングサガでは「下水道のテーマ」が場面にそぐわずかっこ良すぎると評判でした。またロマンシングサガ3ではやったことがある人ならみんながわかるでしょうが、「四魔貴族バトル2」という曲が異常というか圧巻過ぎて、未だにこれほどテンションの上がる戦闘曲は聞いたことがありません。極め絵付けは「ロマンシングサガ ミンストレルソング」で流れた「熱情の律動(通称:ヘェーラロロォー)」という曲で、これなんかはネット上でも一時取り上げられましたが最初に聞いた時は本当に(;゚Д゚)エエーって顔になり、イトケンは未だここにありというのをはっきりと見せつけられました。
4、ゼルダの伝説
恐らく総合的なBGM評価だとこの作品が白眉です。長いシリーズ名だけあってメインテーマなんかは定番化していますがいつ聞いても飽きがないというか、むしろ久々に聞くといろんなことが一挙に思いだせて震えてくるような曲です。以前にYoutubeでこのメインテーマのオーケストラバージョンを聞いた際なんか感動して涙が出てきたほどでした。
5、クロノトリガー
これまた古い作品ではありますが、当時のスクウェアの技術力を結集させた作品だけあって名場面も多く、その場面ごとに流れる曲も秀逸なものばかりでした。個人的に好きなのは「カエルのテーマ」と「時の最果てのテーマ」です。
6、俺の屍を超えてゆけ
通称オレシカ。今度リメイク版が出るらしいですがすっとんきょんなタイトルの割に世界観は和風のRPGゲームです。和風なだけあってBGMも基本的には和楽器がメインで使われているのですが、地味で渋い曲ながらなかなか耳に残る音が多く、個人的には武術大会での戦闘で使われる太鼓の曲が一番好きでした。
7、ドラゴンボールZ~スーパーサイヤ伝説
これまた古いゲームを出してきましたが、初期のスーパーファミコンゲームながらBGMは非常に秀逸で、特にラスボスのフリーザ戦の曲は名曲と言っていいと思います。ただBGMがいいゲームはクソゲーが多いというだけあって、ゲームバランスがあまりにもひどいゲームでしたが。
8、アクトレイザー
いろんな意味でゲームBGMを変えたゲームBGM。なんでもこのゲームの曲を聞いたスクウェアのスタッフは既に作曲済みのFF4の曲を廃棄して全部作り直したほどのショックを受けたそうですが、事実現在に至ってもこのゲームのサントラは高値で取引されていると聞きます。私自身もこのゲームは何度もクリアしたほどで、戦闘シーンから町のシーンまで寸分の隙がないほど名曲の塊でした。ゲームも面白かったのですが、いかんせん続編は悪すぎた。
2011年8月11日木曜日
豊臣秀吉の本能寺黒幕説について
たまにネットで見るので今日は本能寺の変の黒幕が実は豊臣秀吉だったという説を解説するとともに、私の見解を紹介します。
まず本能寺の変とくれば説明するまでもないですが、ほぼ天下を手中にしつつあった織田信長が京都で明智光秀の謀反によって打たれるという、ある意味戦国最大の逆転劇ともいうべき事件です。この事件に関して謀反を行ったのは一般的に明智光秀単独犯という説が強いですが、これに対し実は豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)も荷担、つまり共謀していたというのが今回の黒幕説ですが、こうした説が唱えられる論拠を書きに挙げていきます。
<豊臣秀吉の狙い>
明智光秀に織田信長を殺害させ、さらに明智光秀を謀反人として罪を被せて打ち倒すことで織田家の実権を握り天下を掌握する。
<豊臣秀吉黒幕説に挙げられる根拠>
・中国大返しの手際が良すぎる(初めから信長が殺されるのがわかっていて事前準備があった)
・毛利氏に先駆けて乱の事実を知った
・そもそも信長が京都に来たのは秀吉の援軍要請を受けての行動
・明智光秀が反乱を起こした動機がやや不明瞭
・さらに反乱後に光秀の所に味方が思ったより集まってこないなど、計画にずさんさがある
・これら計画のずさんさは秀吉がうまくそそのかしたためでは
・こういうことを計画しそうな奴が秀吉のそばにいる(黒田官兵衛)
・その黒田官兵衛は本能寺の乱を知った直後、「やったじゃん秀吉ぃ(*´∀`)」って声をかけた
・撤退する秀吉軍を毛利が追わなかった(既に話がついていた)
ざっとまとめるとこんなところです。なんか見てみたら私が地味に話し方の真似をしようとして断念した、「その時、歴史が動いた」の松平定知氏もこの説をよく主張しているそうです。
それでこの説に対する私の見解ですが、やっぱりいくら何でもこの説には無理があると思え、フィクションのネタとして小説に使うならともかく実際にこうだったと主張するには無理ではないかと思います。というのもかなり昔、具体的には2005年の夏にわざわざカレー作って待っていたのに、「昼にすき屋のハンバーグランチ食べて調子悪くて」と拒否した友人に対して物凄い不機嫌になりながら議論して、この時にある程度結論が出ています。ちなみにその友人曰く、ハンバーグランチはほどなくしてメニューから消えたそうです。
秀吉黒幕説が無理だと考えられる理由ですが、こちらも箇条書きで書くと以下の通りとなります。
<秀吉黒幕説が無理だと思う根拠>
・秀吉軍は毛利方の追撃を受ければ完全壊滅となるため危険が高すぎる
・毛利は追撃しないという密約があったとするが、高松城戦での和議条件に清水宗治の切腹を出すのはやや不自然
・しかも毛利家は和議後に本能寺の変を知り、実際に追撃を検討している
・本能寺の変の直後に明智光秀は各地に書状を何枚も出しているが、共謀者として秀吉の名前を出していない
・さらに言えば山崎の合戦前後、「一緒に約束したじゃん(つд;)」とは光秀は一言も言っていない
・山崎の合戦後、織田家を始め他家でも誰もこの件の陰謀論を主張していない
最後に書きましたがこの秀吉黒幕説はやはり陰謀論の域を出ないかと思います。とはいえ「東日本大震災はアメリカ軍の兵器実験だったんだよ!」というようなトンデモ論・陰謀論は人間社会が成り立っていく上で欠かせないエッセンスだと考えているので、この秀吉黒幕説も全否定せずに交換に流布する程度なら「だったら面白いね」という具合で見ていようかなと思っています。
ついでにトンデモ論だとこの前はマヤ文明の暦か何かで今年の前半に世界が滅亡する予定だったらしいですが、以前どこかのサイトで「世界は既に何度も滅亡していた」という題でこれまでの滅亡論とその年代をまとめてありました。ノストラダムスの1999年を過ぎてからというものこういうトンデモ論が減ってきてさびしい限りですが、「中国バブル崩壊論」もこの十年でいろんな人があの手この手で主張してきているので、なんかこの手の議論に近くなってきている気がします。今度これまでに崩壊論を主張した人をまとめてみようかな。
まず本能寺の変とくれば説明するまでもないですが、ほぼ天下を手中にしつつあった織田信長が京都で明智光秀の謀反によって打たれるという、ある意味戦国最大の逆転劇ともいうべき事件です。この事件に関して謀反を行ったのは一般的に明智光秀単独犯という説が強いですが、これに対し実は豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)も荷担、つまり共謀していたというのが今回の黒幕説ですが、こうした説が唱えられる論拠を書きに挙げていきます。
<豊臣秀吉の狙い>
明智光秀に織田信長を殺害させ、さらに明智光秀を謀反人として罪を被せて打ち倒すことで織田家の実権を握り天下を掌握する。
<豊臣秀吉黒幕説に挙げられる根拠>
・中国大返しの手際が良すぎる(初めから信長が殺されるのがわかっていて事前準備があった)
・毛利氏に先駆けて乱の事実を知った
・そもそも信長が京都に来たのは秀吉の援軍要請を受けての行動
・明智光秀が反乱を起こした動機がやや不明瞭
・さらに反乱後に光秀の所に味方が思ったより集まってこないなど、計画にずさんさがある
・これら計画のずさんさは秀吉がうまくそそのかしたためでは
・こういうことを計画しそうな奴が秀吉のそばにいる(黒田官兵衛)
・その黒田官兵衛は本能寺の乱を知った直後、「やったじゃん秀吉ぃ(*´∀`)」って声をかけた
・撤退する秀吉軍を毛利が追わなかった(既に話がついていた)
ざっとまとめるとこんなところです。なんか見てみたら私が地味に話し方の真似をしようとして断念した、「その時、歴史が動いた」の松平定知氏もこの説をよく主張しているそうです。
それでこの説に対する私の見解ですが、やっぱりいくら何でもこの説には無理があると思え、フィクションのネタとして小説に使うならともかく実際にこうだったと主張するには無理ではないかと思います。というのもかなり昔、具体的には2005年の夏にわざわざカレー作って待っていたのに、「昼にすき屋のハンバーグランチ食べて調子悪くて」と拒否した友人に対して物凄い不機嫌になりながら議論して、この時にある程度結論が出ています。ちなみにその友人曰く、ハンバーグランチはほどなくしてメニューから消えたそうです。
秀吉黒幕説が無理だと考えられる理由ですが、こちらも箇条書きで書くと以下の通りとなります。
<秀吉黒幕説が無理だと思う根拠>
・秀吉軍は毛利方の追撃を受ければ完全壊滅となるため危険が高すぎる
・毛利は追撃しないという密約があったとするが、高松城戦での和議条件に清水宗治の切腹を出すのはやや不自然
・しかも毛利家は和議後に本能寺の変を知り、実際に追撃を検討している
・本能寺の変の直後に明智光秀は各地に書状を何枚も出しているが、共謀者として秀吉の名前を出していない
・さらに言えば山崎の合戦前後、「一緒に約束したじゃん(つд;)」とは光秀は一言も言っていない
・山崎の合戦後、織田家を始め他家でも誰もこの件の陰謀論を主張していない
最後に書きましたがこの秀吉黒幕説はやはり陰謀論の域を出ないかと思います。とはいえ「東日本大震災はアメリカ軍の兵器実験だったんだよ!」というようなトンデモ論・陰謀論は人間社会が成り立っていく上で欠かせないエッセンスだと考えているので、この秀吉黒幕説も全否定せずに交換に流布する程度なら「だったら面白いね」という具合で見ていようかなと思っています。
ついでにトンデモ論だとこの前はマヤ文明の暦か何かで今年の前半に世界が滅亡する予定だったらしいですが、以前どこかのサイトで「世界は既に何度も滅亡していた」という題でこれまでの滅亡論とその年代をまとめてありました。ノストラダムスの1999年を過ぎてからというものこういうトンデモ論が減ってきてさびしい限りですが、「中国バブル崩壊論」もこの十年でいろんな人があの手この手で主張してきているので、なんかこの手の議論に近くなってきている気がします。今度これまでに崩壊論を主張した人をまとめてみようかな。
2011年8月10日水曜日
天智天皇の謎
久々に歴史記事、しかもまた古代史ネタ。これまでの古代史ネタは基本的に古事記に沿った解説が多かったですが、今回はやや時代が飛んで大化の改新についてです。
この大化の改新は中学校はおろか小学校でも自明の史実として教えられますが、私は内心、真実はどうだったのかと教えられている内容について疑問を感じております。基本的に現在教えられている内容は日本書紀に書かれている通りですが、この日本書紀自体が後の天武天皇とその一族の正当性を強く主張するための書物であり、当たり障りのない部分ならともかく天智、天武系が権力を握っていく過程においては鵜呑みにしてはならない部分が多く、事実冷静に見つめると不自然な場面も少なくありません。
いくつかそういった不自然な場面を上げると、代表的なのは天武天皇と天智天皇の息子である大友皇子の後継争いです。詳しくは語りませんが当初天武天皇は後継争いを避けて岐阜県に流れたにもかかわらず、その後反乱を起こして天皇位を簒奪しております。ただそれ以上に怪しいのが今回の大化の改新、もとい天智天皇の来歴です。
大化の改新は専横を振るう蘇我氏を打倒して中央集権制(=律令制)へと舵を切るために天智天皇(=中大兄皇子)、そして藤原氏の祖先たる中臣鎌足が起こしたクーデターでありますが、そもそもの話として当時にはすでに亡くなっておりますが蘇我馬子は聖徳太子、推古天皇とともにまさに天智天皇が目指した中央集権制国家樹立に向けあれこれ努力していました。そりゃ確かに息子や孫の代ともなればいろいろ考え方が変わってくるかもしれませんが、本当に蘇我氏が専横を振るっていたのかいまいちパッと来ません。
またこれは前の陽月秘話時代にもたびたび主張していましたが、「天皇」という言葉は後の天武天皇が最初に使い出したと言い、それ以前の国のトップには「大王」という呼称がつけられていました。この大王という呼称ですが本当に現在にも続く天皇家の一族が世襲で呼ばれたのか、私はむしろ当時の近畿に存在した豪族たちの中で最も力を持っていた人間が就く称号だったのではないかと見ており、必ずしも大王=天皇家とは言い切れないのではないかと考えています。それ故に聖徳太子の時代において当時の最高権力者は推古天皇ではなく、むしろ蘇我馬子だったのではないかという仮説をかねてから主張しています。
根拠ははっきり言ってないに等しいですが飛鳥寺など大規模建築を行った権力といい、石舞台古墳など臣下の人間にしては妙に大規模な古墳に埋葬された点などを考慮すると、推古天皇よりも名目上でも実質上でも権力が上だったとしかちょっと思えません。この蘇我氏の天下は次代の蘇我蝦夷、入鹿の時期でも変わっておらず、それをひっくり返して天皇家の世襲を確立させたのが天智、天武天皇ではないかというわけです。
ただこの天智、天武の兄弟は百人一首にも入れられている額田王という女性を取り合ったといわれるなど傍目にも仲がいいとは思えず、それ故に日本書紀における天智天皇の活躍は華々しいもののどか曖昧模糊とした感があります。特に一番謎、というより飛鳥・奈良時代で最大の謎とも言っていいのは孝徳天皇、斉明天皇の死後、天智天皇は最高権力者となるもののしばらくは天皇位を継がず、称制という形で皇太子の中大兄皇子のまま政治を切り盛りしていました。一体何故天智天皇はすぐに天皇につかなかったのか、理由は色々あってはしたないのだと当時から近親相姦はタブーとされながらも実妹と懇ろな仲だったとか、国内事情に配慮してだとかいろいろありますが未だにはっきりしません。
それだから私は一時期、天智天皇というのは蘇我氏から政権を簒奪するという悪行をおっかぶせるための架空の人物ではないかとも思ったことがありましたが、奈良時代は天武系の一族が代々天皇位に就きましたが末期になって途切れ、そこでピンチヒッターとばかりに天智系の光仁天皇が即位して現在にまで続いていることを考えると、さすがに存在しなかったってのはありえません。となると存在したものの、経歴については謎が残ったままというまたも締まりのないオチとなるわけですが、天智天皇同様に中臣鎌足、そして実質奈良時代の礎をすべて築いたと言っても過言ではないその息子の藤原不比等についても色々疑問があり、ここら辺については今後の研究を心待ちにしていきたいと思います。
この大化の改新は中学校はおろか小学校でも自明の史実として教えられますが、私は内心、真実はどうだったのかと教えられている内容について疑問を感じております。基本的に現在教えられている内容は日本書紀に書かれている通りですが、この日本書紀自体が後の天武天皇とその一族の正当性を強く主張するための書物であり、当たり障りのない部分ならともかく天智、天武系が権力を握っていく過程においては鵜呑みにしてはならない部分が多く、事実冷静に見つめると不自然な場面も少なくありません。
いくつかそういった不自然な場面を上げると、代表的なのは天武天皇と天智天皇の息子である大友皇子の後継争いです。詳しくは語りませんが当初天武天皇は後継争いを避けて岐阜県に流れたにもかかわらず、その後反乱を起こして天皇位を簒奪しております。ただそれ以上に怪しいのが今回の大化の改新、もとい天智天皇の来歴です。
大化の改新は専横を振るう蘇我氏を打倒して中央集権制(=律令制)へと舵を切るために天智天皇(=中大兄皇子)、そして藤原氏の祖先たる中臣鎌足が起こしたクーデターでありますが、そもそもの話として当時にはすでに亡くなっておりますが蘇我馬子は聖徳太子、推古天皇とともにまさに天智天皇が目指した中央集権制国家樹立に向けあれこれ努力していました。そりゃ確かに息子や孫の代ともなればいろいろ考え方が変わってくるかもしれませんが、本当に蘇我氏が専横を振るっていたのかいまいちパッと来ません。
またこれは前の陽月秘話時代にもたびたび主張していましたが、「天皇」という言葉は後の天武天皇が最初に使い出したと言い、それ以前の国のトップには「大王」という呼称がつけられていました。この大王という呼称ですが本当に現在にも続く天皇家の一族が世襲で呼ばれたのか、私はむしろ当時の近畿に存在した豪族たちの中で最も力を持っていた人間が就く称号だったのではないかと見ており、必ずしも大王=天皇家とは言い切れないのではないかと考えています。それ故に聖徳太子の時代において当時の最高権力者は推古天皇ではなく、むしろ蘇我馬子だったのではないかという仮説をかねてから主張しています。
根拠ははっきり言ってないに等しいですが飛鳥寺など大規模建築を行った権力といい、石舞台古墳など臣下の人間にしては妙に大規模な古墳に埋葬された点などを考慮すると、推古天皇よりも名目上でも実質上でも権力が上だったとしかちょっと思えません。この蘇我氏の天下は次代の蘇我蝦夷、入鹿の時期でも変わっておらず、それをひっくり返して天皇家の世襲を確立させたのが天智、天武天皇ではないかというわけです。
ただこの天智、天武の兄弟は百人一首にも入れられている額田王という女性を取り合ったといわれるなど傍目にも仲がいいとは思えず、それ故に日本書紀における天智天皇の活躍は華々しいもののどか曖昧模糊とした感があります。特に一番謎、というより飛鳥・奈良時代で最大の謎とも言っていいのは孝徳天皇、斉明天皇の死後、天智天皇は最高権力者となるもののしばらくは天皇位を継がず、称制という形で皇太子の中大兄皇子のまま政治を切り盛りしていました。一体何故天智天皇はすぐに天皇につかなかったのか、理由は色々あってはしたないのだと当時から近親相姦はタブーとされながらも実妹と懇ろな仲だったとか、国内事情に配慮してだとかいろいろありますが未だにはっきりしません。
それだから私は一時期、天智天皇というのは蘇我氏から政権を簒奪するという悪行をおっかぶせるための架空の人物ではないかとも思ったことがありましたが、奈良時代は天武系の一族が代々天皇位に就きましたが末期になって途切れ、そこでピンチヒッターとばかりに天智系の光仁天皇が即位して現在にまで続いていることを考えると、さすがに存在しなかったってのはありえません。となると存在したものの、経歴については謎が残ったままというまたも締まりのないオチとなるわけですが、天智天皇同様に中臣鎌足、そして実質奈良時代の礎をすべて築いたと言っても過言ではないその息子の藤原不比等についても色々疑問があり、ここら辺については今後の研究を心待ちにしていきたいと思います。
2011年8月9日火曜日
昨日今日の世界同時株安について
前置きはもう必要ないでしょうが、米国債の格付けが下がったことをきっかけとして昨日今日で世界同時株安が発生しました。この株安とともに日本円は再び上昇しまた1ドル=76円台が見えてきましたが、恐らくこのまま史上最高値を更新するのではないかと私は見ております。たた言ってしまえばこの流れはある意味必然ですし、先週に日銀が介入したのも日銀の立場からすればやらざるを得ないとわかってはいたものの、多分今日のように円高の流れは食い止められないと予想済みでした。
それでは今回の株安が今後どこまで発展するかですが、すでに出ているように「リーマンショックの二番底」という表現が適当ですし、下手すればリーマンショック以上の歴史的な経済後退になる可能性もあると思います。その根拠を上げるとリーマンショックは金融界が大打撃を受けたものの、製造業など実業メーカーらはそれまでの好景気などによって内部留保を蓄えているなど比較的余裕を持っていました。然るに現在の企業は日系企業をはじめとしてリーマンショック以後の不景気にさい悩まされてきているため余裕が少なく、今回の株安をきっかけとした再度の景気落ち込みによっては大型倒産が相次ぐかもしれず、それによって失業者が今以上に、大幅に増えることもあり得ます。
また今回の株安のそもそものきっかけは米国債の信用不安に端を発していますが、ドルに限らず現在ユーロも非常に不安定な状態が続いており、またその煽りを食って日本円は円高となっておりますがこれが日系企業を苦しめているなど、どこから手を付けたらいいのかわからないような状態が続いています。これら現象はちょっと自分でもいい過ぎな気もしますがいわばドル体制の不安で、今後ますます続くようであれば世界中で通貨危機みたいな状態になるかもしれません。また実際に通貨危機とならずともその混乱で財政破たんする国家も続出するでしょうし、現実に懲りないギリシャのみならずイタリアやスペインなどといった大国でも財政危機が叫ばれています。
ではこれから日本は、ひいては世界はどうするべきなのでしょうか。まず喫緊の課題はリーマンショックを引き起こしておきながらもアメリカが延命させた世界大手の金融企業を今度こそ息の根を止める、というのは言い過ぎですが、やはり厳しい規制をかける必要があるでしょう。その上で日本はできるだけ明るく派手に騒いで、変な話ですが今のうちに潰せる企業は潰してしまい、産業再編を進める以外は何も打つ手がないと思います。もちろんこうしたって事態が開けるわけではありませんが、将来につなぐという意味ではしないよりした方がいい気がします。
恐らく明日からも株価は下落していき、一呼吸おいてまた下落するという循環が続いていくと思います。はっきり言えば希望なんてないです。無論これらは一素人の私自身の意見であって大はずれして笑いものになるのかもしれませんが、昨日今日の株安を市場の一時的な動きというよりは地震のように積もり積もったエネルギーがついに動いたもののように思えたことだけは今日のブログに残しておこうと、キーボードをたたいた次第です。
それでは今回の株安が今後どこまで発展するかですが、すでに出ているように「リーマンショックの二番底」という表現が適当ですし、下手すればリーマンショック以上の歴史的な経済後退になる可能性もあると思います。その根拠を上げるとリーマンショックは金融界が大打撃を受けたものの、製造業など実業メーカーらはそれまでの好景気などによって内部留保を蓄えているなど比較的余裕を持っていました。然るに現在の企業は日系企業をはじめとしてリーマンショック以後の不景気にさい悩まされてきているため余裕が少なく、今回の株安をきっかけとした再度の景気落ち込みによっては大型倒産が相次ぐかもしれず、それによって失業者が今以上に、大幅に増えることもあり得ます。
また今回の株安のそもそものきっかけは米国債の信用不安に端を発していますが、ドルに限らず現在ユーロも非常に不安定な状態が続いており、またその煽りを食って日本円は円高となっておりますがこれが日系企業を苦しめているなど、どこから手を付けたらいいのかわからないような状態が続いています。これら現象はちょっと自分でもいい過ぎな気もしますがいわばドル体制の不安で、今後ますます続くようであれば世界中で通貨危機みたいな状態になるかもしれません。また実際に通貨危機とならずともその混乱で財政破たんする国家も続出するでしょうし、現実に懲りないギリシャのみならずイタリアやスペインなどといった大国でも財政危機が叫ばれています。
ではこれから日本は、ひいては世界はどうするべきなのでしょうか。まず喫緊の課題はリーマンショックを引き起こしておきながらもアメリカが延命させた世界大手の金融企業を今度こそ息の根を止める、というのは言い過ぎですが、やはり厳しい規制をかける必要があるでしょう。その上で日本はできるだけ明るく派手に騒いで、変な話ですが今のうちに潰せる企業は潰してしまい、産業再編を進める以外は何も打つ手がないと思います。もちろんこうしたって事態が開けるわけではありませんが、将来につなぐという意味ではしないよりした方がいい気がします。
恐らく明日からも株価は下落していき、一呼吸おいてまた下落するという循環が続いていくと思います。はっきり言えば希望なんてないです。無論これらは一素人の私自身の意見であって大はずれして笑いものになるのかもしれませんが、昨日今日の株安を市場の一時的な動きというよりは地震のように積もり積もったエネルギーがついに動いたもののように思えたことだけは今日のブログに残しておこうと、キーボードをたたいた次第です。
2011年8月8日月曜日
京都にある大学
このところ固い記事ばかりで、なおかつあまり文章が乗れていないのでやわらかい内容で今日は行こうかと思います。
さて私はこのブログですでに何度も書いていますが京都の私立大学の社会学部出身です。この学生時代を京都で過ごしたという経歴は誇りに思得るほどなのですが唯一難点があり、
「京都の大学出身です」
「え、京大?」
と、ほぼ八割くらいの確率で京大出身と間違われるという一点だけはなかなかにいただけません。別に京大にコンプレックスを持っているわけじゃありませんが、京都はただでさえ大学が多いのになんでもかんでも京大でひとくくりにしてほしくないという気持ちがあります。では京都にはどれくらい大学があるのかですが、ちょっと他サイトから引用して持ってくるとこれほどあります。
・京都大学
・京都教育大学
・京都工芸繊維大学
・京都市立芸術大学
・京都府立大学
・京都府立医科大学
・大谷大学
・京都外国語大学
・京都学園大学
・京都光華女子大学
・京都嵯峨芸術大学
・京都産業大学
・京都女子大学
・京都精華大学
・京都創成大学
・京都造形芸術大学
・京都橘大学
・京都ノートルダム女子大学
・京都文教大学
・京都薬科大学
・種智院大学
・成安造形大学
・同志社大学
・同志社女子大学
・花園大学
・佛教大学
・平安女学院大学
・明治鍼灸大学
・立命館大学
・龍谷大学
・大阪成蹊大学芸術学部
・大阪医科大学
(京都大辞典様より引用)
改めてリストにしてみるとあるわあるわ。もちろんこの中には私の出身大学も混ざっていますが、一部は京都市外にキャンパスを構えるものの大半の大学hsあの狭い京都市内に林立していることを考えると京都はとんでもない学術都市だという気がします。
実際に京都で学生生活をしたことのある人なら話が早いですが、どの大学もそれぞれ個性があり、校風というかカラーは今でも色濃く残っております。京都大学は実は京都出身の学生は少ないとか、京都で「こうせん」とくれば京都工芸繊維大学だとかいろいろありますが、この大学リストの中で敢えて一校を取り上げるとしたら今だったらやっぱり京都産業大学がなかなか注目に値します。
この「きょうさん」こと京都産業大学は鶴瓶師匠が通っていた頃はこういうのもなんですがバカ大学として有名だったそうですが、近年は大学自体が非常に改革に努力した結果偏差値等が急上昇し、「京産はえろう努力したもんや」と京都の人たちはよく口にしてます。2008年には理学部の益川敏英教授がノーベル賞を受賞したこともあって関東にも名前が知られるようになりましたが、入学難度の割には非常にいい大学ではないかと思います。と言ってもキャンパスが市内の割にはかなり僻地なんだけど、私はあのあたりうろつくの好きで良く自転車で通っていましたが。
ちなみに私が京都市内で居を構えた場所は紫野という場所で、かつて清少納言が枕草子にて「丘は船岡」と書いた、織田信長が祭られている建勲神社のある船岡山の真ん前のアパートを借りていました。このエリアは言ってしまえば立命館エリアで私の通う大学の学生はほとんどいませんでしたが、アパートを出てすぐ傍には「日本最強の銭湯」との呼び声の高い「船岡温泉」があり、夜は針の落ちる音すら聞き取れそうなくらい静かな環境で楽しく生活していました。唯一の難点は地下鉄の駅まで徒歩20分という点でしたが。
最後ですが実は前から気になっている点として、京都というだけあって市内にはたくさんの仏教系大学があるのですが、やっぱりそれぞれの仏教系大学同士は仲が悪いのかを前から知りたがってます。傍目には龍谷大学と大谷大学なんかがものすごく仲が悪そうに見えるのですが。
さて私はこのブログですでに何度も書いていますが京都の私立大学の社会学部出身です。この学生時代を京都で過ごしたという経歴は誇りに思得るほどなのですが唯一難点があり、
「京都の大学出身です」
「え、京大?」
と、ほぼ八割くらいの確率で京大出身と間違われるという一点だけはなかなかにいただけません。別に京大にコンプレックスを持っているわけじゃありませんが、京都はただでさえ大学が多いのになんでもかんでも京大でひとくくりにしてほしくないという気持ちがあります。では京都にはどれくらい大学があるのかですが、ちょっと他サイトから引用して持ってくるとこれほどあります。
・京都大学
・京都教育大学
・京都工芸繊維大学
・京都市立芸術大学
・京都府立大学
・京都府立医科大学
・大谷大学
・京都外国語大学
・京都学園大学
・京都光華女子大学
・京都嵯峨芸術大学
・京都産業大学
・京都女子大学
・京都精華大学
・京都創成大学
・京都造形芸術大学
・京都橘大学
・京都ノートルダム女子大学
・京都文教大学
・京都薬科大学
・種智院大学
・成安造形大学
・同志社大学
・同志社女子大学
・花園大学
・佛教大学
・平安女学院大学
・明治鍼灸大学
・立命館大学
・龍谷大学
・大阪成蹊大学芸術学部
・大阪医科大学
(京都大辞典様より引用)
改めてリストにしてみるとあるわあるわ。もちろんこの中には私の出身大学も混ざっていますが、一部は京都市外にキャンパスを構えるものの大半の大学hsあの狭い京都市内に林立していることを考えると京都はとんでもない学術都市だという気がします。
実際に京都で学生生活をしたことのある人なら話が早いですが、どの大学もそれぞれ個性があり、校風というかカラーは今でも色濃く残っております。京都大学は実は京都出身の学生は少ないとか、京都で「こうせん」とくれば京都工芸繊維大学だとかいろいろありますが、この大学リストの中で敢えて一校を取り上げるとしたら今だったらやっぱり京都産業大学がなかなか注目に値します。
この「きょうさん」こと京都産業大学は鶴瓶師匠が通っていた頃はこういうのもなんですがバカ大学として有名だったそうですが、近年は大学自体が非常に改革に努力した結果偏差値等が急上昇し、「京産はえろう努力したもんや」と京都の人たちはよく口にしてます。2008年には理学部の益川敏英教授がノーベル賞を受賞したこともあって関東にも名前が知られるようになりましたが、入学難度の割には非常にいい大学ではないかと思います。と言ってもキャンパスが市内の割にはかなり僻地なんだけど、私はあのあたりうろつくの好きで良く自転車で通っていましたが。
ちなみに私が京都市内で居を構えた場所は紫野という場所で、かつて清少納言が枕草子にて「丘は船岡」と書いた、織田信長が祭られている建勲神社のある船岡山の真ん前のアパートを借りていました。このエリアは言ってしまえば立命館エリアで私の通う大学の学生はほとんどいませんでしたが、アパートを出てすぐ傍には「日本最強の銭湯」との呼び声の高い「船岡温泉」があり、夜は針の落ちる音すら聞き取れそうなくらい静かな環境で楽しく生活していました。唯一の難点は地下鉄の駅まで徒歩20分という点でしたが。
最後ですが実は前から気になっている点として、京都というだけあって市内にはたくさんの仏教系大学があるのですが、やっぱりそれぞれの仏教系大学同士は仲が悪いのかを前から知りたがってます。傍目には龍谷大学と大谷大学なんかがものすごく仲が悪そうに見えるのですが。
2011年8月7日日曜日
野中広務氏への評価
まず本題と関係ありませんが、毎日新聞のウェブサイトにどれだけ広告が戻っているかを確認した際に贔屓にしている浜矩子氏の評論が乗っていたので紹介しときます。内容は数年前から言われていたしもっと自覚しなきゃいけないことですが、未だに浜氏が言わなきゃいけないほど認知が進んでいないのかと思わせられる内容です。
・時代の風:ファウスト化する日本=同志社大教授・浜矩子(毎日新聞)
それで本題ですが、数年前に友人と田原総一郎氏の講演会に行った際、「これまで見てきた政治家の中で特筆すべき人物は?」という質問に対して田原氏は、「田中角栄と小泉純一郎」を挙げていました。小泉氏について言えば自民党を延命させたこと、日本の政治手法を変えたということでおおむね一般にも出回っている評価で恐らくその影響力を考慮して取り上げたのでしょうが、田中角栄については、
「はっきり言って彼が在任中は金権政治家などと私も批判していましたが、今思うと大した政治家だったと思い返します」
詳しくは前ブログの「陽月秘話」内の「田原総一郎氏に凝視された日」を閲覧してほしいのですが、最近この田原氏の評価ではないですが改めて振り返ると大した政治家だったと私が思う人物に、今回表題に挙げている野中広務氏がおります。
・野中広務(Wikipedia)
野中氏の経歴についてここでは詳しく語りませんが、彼が部落出身というのは知っている人の間では有名な話です。しかもその出身ゆえに「野中だけは首相にするわけにはいかんなぁ」と麻生太郎元首相が広言していたことも有名で、この一言で自分の友人なんか激怒していました。まぁこんな妙ちきりんな思想を持つだけあって麻生元首相は大した政治家ではありませんでしたし、すでに過去の人ですが。
野中氏が自民党国会議員として主に活躍したの90代後半から00年代初頭で、小渕政権と森政権にて官房長長官を務めていましたが当時の政権を完全実質に切り盛りしていたのは先の二人の首相ではなく野中氏であったことは間違いありません。それ故にこの時代は野中政権と言っても差し支えないものだったのですが、当時からつい最近までこの時代の野中氏の政治運営を私は嫌っていました。いくつか具体的な点を挙げると小渕政権での積極財政、森政権での混乱、そして極めつけが加藤の乱における野中氏の猛烈な相手陣営切り崩しで、その実力は認めるもののあまりのダーティさにいけ好かない政治家だと感じ続けておりました。
その評価は次代の小泉政権時も同様で、特にこれは今でも評価しない点ですが北朝鮮外交においては融和的なスタンスから小泉外交を批判し、これが私にはあまり面白くなく彼が引退を発表した時は、「これで日本の政治はまた一つ良くなる」と友人に触れ回ったほどでした。
実は最近野中氏について妙な一件から調べなおすきっかけがありました。そのきっかけというのはこの前に集中して書いた部落団体の利権についての記事で、あの記事を書きながら私はどうして被差別者たちの団体が戦後にこれほどまでに影響力を持つようになったのか、その原動力はなんだったのかといろいろ考え、戦後の比較的早くから放送禁止用語などが作られるなど放送界から影響力を広げていったのではないか、ではどうして放送界で力を持ったのかというとバックに放送業界ににらみを利かせる政治家がいたのではないかと勝手に推論を組み立てていきました。そして当時部落団体を助長させた政治家というのは、被差別部落出身でもあり各業界団体に強い影響力を持っていた野中氏ではないかという結論に至ったのですが、後になってこれは完全な的外れな推論で間違っていたということがわかりました。
まず野中氏が部落出身というのは本人も常日頃から言っていることで間違いありませんが、彼はその出身にもかかわらず解放同盟などといった利権団体と距離を置くばかりか、同和対策事業が新たな差別を生むとして普段から手厳しい批判を行っています。これは複数ソースからも確認できる情報ですし解放同盟関係の話題でも野中氏の名前は一切出てこず、意外と言えば非常に意外なのですがどうやら間違いなさそうです。
この一件から野中氏について再評価すべくまたいろいろ調べなおしたのですが、改めて考え直してみるとその政治方針はともかくとして実行力、決断力は近年稀に見るほど図抜けた政治家だったと肯定的な見方が芽生えてきました。特に危機対応能力は今思うと神がかっていると言っても過言ではなく、一つそのエピソードをウィキペディア中から引用すると、
「1999年9月30日に茨城県那珂郡東海村で発生した東海村JCO臨界事故の際には内閣官房長官として事故対応の指揮を執った。内閣総理大臣官邸に事故状況の報告に来た科学技術庁(当時)の幹部がおろおろして事故現況の報告に詰まると、野中は「とにかく現場へ行きなさい。現場を見ないでどうやってこちら(官邸)に報告出来るのか! 現場を見て、その状況を報告しないことにはこちらも対策を講じられないではないか」と一喝し、その科学技術庁幹部に東海村の現場へ直ちに行くよう命じた。」
東日本大震災の対策で、大変だというのはわかりますが右往左往している管政権と比べるとその違いがはっきり出ております。これ以外でも先ほど挙げた加藤の乱の際の切り崩し工作や政権運営の抜かりのなさから言っても、「実行型」の政治家としてはかねてから実力を評価してましたが改めて素晴らしい人材だったのではないかと思うようになってきました。さらに言えばこれまで批判の対象としてきた森政権時の野中氏の活動についても、当時自民党幹事長という立場からすれば政権を守ろうと行動するのは当たり前の行動ですし、逆の行動をとりようものならそれはそれで批判の対象となります。あとこれは蛇足かもしれませんが、加藤の乱の後に野中氏は森元首相に対して突然幹事長職の辞意を伝え、政権運営を野中氏に頼り切っていた森政権はこれがきっかけとなって崩壊しました。ちゃんとごみを片づけて出ていく態度は立派なものです。
元々今回の記事は前から準備していていつ書こうかと考えていた内容なのですが、いつも閲覧させてもらっている「黙爺日録」さんのところで野中氏の対談本が取り上げられていたので今日書くことにしました。
・野中広務・辛淑玉「差別と日本人」を読む(黙爺日録)
この記事で紹介されている本の内容を読んでみると、慎重な上に刃物を突き通すような細心さを野中氏に感じます。興味があるので是非うちの親父も買っておいて、帰国した時に自分に譲ってくれると助かります。
最後に多分ネット上にない野中氏のエピソードで、恥ずかしいことに番組名を忘れてしまったのですが昔日曜の朝にやっていた有名人が出演して人生を振り返る番組で野中氏が出演した際に、終戦後に故郷に帰ったものの生きて帰ってきたことが恥ずかしく、実家には直接戻らずしばらく友人宅などを転々としていたそうなのですが、最後にようやく決断ついて実家を訪れたところ、
「あんた前からこの辺うろうろしとったそうね。なんで早く帰ってこなかったの?」
と、息子の帰宅に野中氏の母親には全く驚かなかったそうです。案外お茶目な時代もあったんだなと、やけに記憶に残るエピソードでした。
・時代の風:ファウスト化する日本=同志社大教授・浜矩子(毎日新聞)
それで本題ですが、数年前に友人と田原総一郎氏の講演会に行った際、「これまで見てきた政治家の中で特筆すべき人物は?」という質問に対して田原氏は、「田中角栄と小泉純一郎」を挙げていました。小泉氏について言えば自民党を延命させたこと、日本の政治手法を変えたということでおおむね一般にも出回っている評価で恐らくその影響力を考慮して取り上げたのでしょうが、田中角栄については、
「はっきり言って彼が在任中は金権政治家などと私も批判していましたが、今思うと大した政治家だったと思い返します」
詳しくは前ブログの「陽月秘話」内の「田原総一郎氏に凝視された日」を閲覧してほしいのですが、最近この田原氏の評価ではないですが改めて振り返ると大した政治家だったと私が思う人物に、今回表題に挙げている野中広務氏がおります。
・野中広務(Wikipedia)
野中氏の経歴についてここでは詳しく語りませんが、彼が部落出身というのは知っている人の間では有名な話です。しかもその出身ゆえに「野中だけは首相にするわけにはいかんなぁ」と麻生太郎元首相が広言していたことも有名で、この一言で自分の友人なんか激怒していました。まぁこんな妙ちきりんな思想を持つだけあって麻生元首相は大した政治家ではありませんでしたし、すでに過去の人ですが。
野中氏が自民党国会議員として主に活躍したの90代後半から00年代初頭で、小渕政権と森政権にて官房長長官を務めていましたが当時の政権を完全実質に切り盛りしていたのは先の二人の首相ではなく野中氏であったことは間違いありません。それ故にこの時代は野中政権と言っても差し支えないものだったのですが、当時からつい最近までこの時代の野中氏の政治運営を私は嫌っていました。いくつか具体的な点を挙げると小渕政権での積極財政、森政権での混乱、そして極めつけが加藤の乱における野中氏の猛烈な相手陣営切り崩しで、その実力は認めるもののあまりのダーティさにいけ好かない政治家だと感じ続けておりました。
その評価は次代の小泉政権時も同様で、特にこれは今でも評価しない点ですが北朝鮮外交においては融和的なスタンスから小泉外交を批判し、これが私にはあまり面白くなく彼が引退を発表した時は、「これで日本の政治はまた一つ良くなる」と友人に触れ回ったほどでした。
実は最近野中氏について妙な一件から調べなおすきっかけがありました。そのきっかけというのはこの前に集中して書いた部落団体の利権についての記事で、あの記事を書きながら私はどうして被差別者たちの団体が戦後にこれほどまでに影響力を持つようになったのか、その原動力はなんだったのかといろいろ考え、戦後の比較的早くから放送禁止用語などが作られるなど放送界から影響力を広げていったのではないか、ではどうして放送界で力を持ったのかというとバックに放送業界ににらみを利かせる政治家がいたのではないかと勝手に推論を組み立てていきました。そして当時部落団体を助長させた政治家というのは、被差別部落出身でもあり各業界団体に強い影響力を持っていた野中氏ではないかという結論に至ったのですが、後になってこれは完全な的外れな推論で間違っていたということがわかりました。
まず野中氏が部落出身というのは本人も常日頃から言っていることで間違いありませんが、彼はその出身にもかかわらず解放同盟などといった利権団体と距離を置くばかりか、同和対策事業が新たな差別を生むとして普段から手厳しい批判を行っています。これは複数ソースからも確認できる情報ですし解放同盟関係の話題でも野中氏の名前は一切出てこず、意外と言えば非常に意外なのですがどうやら間違いなさそうです。
この一件から野中氏について再評価すべくまたいろいろ調べなおしたのですが、改めて考え直してみるとその政治方針はともかくとして実行力、決断力は近年稀に見るほど図抜けた政治家だったと肯定的な見方が芽生えてきました。特に危機対応能力は今思うと神がかっていると言っても過言ではなく、一つそのエピソードをウィキペディア中から引用すると、
「1999年9月30日に茨城県那珂郡東海村で発生した東海村JCO臨界事故の際には内閣官房長官として事故対応の指揮を執った。内閣総理大臣官邸に事故状況の報告に来た科学技術庁(当時)の幹部がおろおろして事故現況の報告に詰まると、野中は「とにかく現場へ行きなさい。現場を見ないでどうやってこちら(官邸)に報告出来るのか! 現場を見て、その状況を報告しないことにはこちらも対策を講じられないではないか」と一喝し、その科学技術庁幹部に東海村の現場へ直ちに行くよう命じた。」
東日本大震災の対策で、大変だというのはわかりますが右往左往している管政権と比べるとその違いがはっきり出ております。これ以外でも先ほど挙げた加藤の乱の際の切り崩し工作や政権運営の抜かりのなさから言っても、「実行型」の政治家としてはかねてから実力を評価してましたが改めて素晴らしい人材だったのではないかと思うようになってきました。さらに言えばこれまで批判の対象としてきた森政権時の野中氏の活動についても、当時自民党幹事長という立場からすれば政権を守ろうと行動するのは当たり前の行動ですし、逆の行動をとりようものならそれはそれで批判の対象となります。あとこれは蛇足かもしれませんが、加藤の乱の後に野中氏は森元首相に対して突然幹事長職の辞意を伝え、政権運営を野中氏に頼り切っていた森政権はこれがきっかけとなって崩壊しました。ちゃんとごみを片づけて出ていく態度は立派なものです。
元々今回の記事は前から準備していていつ書こうかと考えていた内容なのですが、いつも閲覧させてもらっている「黙爺日録」さんのところで野中氏の対談本が取り上げられていたので今日書くことにしました。
・野中広務・辛淑玉「差別と日本人」を読む(黙爺日録)
この記事で紹介されている本の内容を読んでみると、慎重な上に刃物を突き通すような細心さを野中氏に感じます。興味があるので是非うちの親父も買っておいて、帰国した時に自分に譲ってくれると助かります。
最後に多分ネット上にない野中氏のエピソードで、恥ずかしいことに番組名を忘れてしまったのですが昔日曜の朝にやっていた有名人が出演して人生を振り返る番組で野中氏が出演した際に、終戦後に故郷に帰ったものの生きて帰ってきたことが恥ずかしく、実家には直接戻らずしばらく友人宅などを転々としていたそうなのですが、最後にようやく決断ついて実家を訪れたところ、
「あんた前からこの辺うろうろしとったそうね。なんで早く帰ってこなかったの?」
と、息子の帰宅に野中氏の母親には全く驚かなかったそうです。案外お茶目な時代もあったんだなと、やけに記憶に残るエピソードでした。
2011年8月6日土曜日
自分の判断への信頼性
自分がほかの人と比べて良くも悪くも特徴として際立っているのは、思い切りの良さだと思います。そもそもの前提として私は、「自分の判断はたまには間違えることもあるけど、基本的には正しい」という前提を持っており、自分が行けると思ったことは必ず行けると思ってあまり迷うことなく実行に移そうとします。
恐らくここだけ読むと、あながち間違いではありませんが私のことをさも傲岸な人間のように思われるかもしれませんが、たとえば日頃からハイキングに行っている友人と行かない私のどちらかがハイキングの途中でルートを決めなければなったとすると私は、「友人の方がハイキング歴も長く経験も豊富なため、自分より正解の判断をする確率が高いだろう」と考え、無条件で友人の意見に従うことでしょう。これは一見すると自分の判断を放棄して他人の判断に任せているように見えますが、社会学士らしくひねくれた考え方をすると、「友人の考えに従う」という判断を自己判断していると解釈します。
かなり七面倒な理屈を自分でも言ってると思いますが、「何故他人の判断を優先するのか」という過程を意識することは私は非常に大事だと考えております。あくまで私の観点からですが、大概の日本人は自分の判断より他人の判断の方、もしくは合議での判断の方が正しいという前提を持っており、自分が考える判断を表では主張せずに押しとどめる傾向があるように思えます。自己主張をしたら集団の中でハブられるという日本人特有の社会的資質も影響しているでしょうが、内心ではこう考えるんだけどほかの人の言うことに従っておけば無難、という考え方をする人が非常に多いように思え、これはそろそろ日本人は脱却した方がいいのではないかとみています。
もちろんこうした日本人の価値観によって団結力とかその辺は高くはなるのでしょうが、近年は単純作業においてすらもパターンにない例外事態が発生する仕事が多く、もう少し自主性というか「俺はこう思うからこうするんだ」というくらいの身勝手さをその都度発揮して行動した方が社会全体での動きもよくなるのではないかと感じます。
とは言ったって勝手にやったら怒られるというのが大半の意見でしょうが、このままでは何も変わらないとばかりに私は普段から自分が正しいと思ったことは結構すぐに口に出したり勝手に行動したりしてます。そりゃもちろん多少の妥協はして指示されたことには反発を口にすることはあってもちゃんと指示通りには行動するようにしてはいますが、こうした考え方が社会で一般的になるよう孤軍奮闘しているつもりです。そのせいか前の会社を退社する際に上司から、「花園、お前は本当に人の言うことを聞かない奴だったが仕事だけは確かに早かった(*´∀`)」と、妙なお褒めの言葉を受け取りました。こう言うのもなんですが、自分の上司になってさぞ苦労したかと思うと感謝に耐えません。
現在でもこの傾向は変わらず、たとえ両親を含む他人から助言や勧めを受けたとしても私自身がその相手の言うことに道理がないと考えたら一顧だにしませんが、そのかわり相手の言うことがその通りだと感じた場合はそれまでの判断とは逆でもなるべく素直に、可能な限りは従おうと努力しています。さしあたって友人から今強く言われているのはレンタルサーバーの取得ですが、こちらは確かに必要性は感じつつもずぼらな性格が災いしてまだ手が出せておりません。
ただ唯一といってはなんですがある友人の言だけは例外扱いしており、たとえその友人の言う内容に対して私が間違っていると判断しても、「この友人が言うのだから自分の方が間違いだろう」と完全無条件でその友人の意見に合わせます。このところまた文章が荒れ気味でオチらしいオチがまたありませんが、私が読者の方に言いたいことは「他人の意見を信じるのもまた自分の判断」ということで、どんな点においても自分が判断するのだという責任と、自分の判断力がどれだけ正しいのかを普段から認識してほしいということです。
恐らくここだけ読むと、あながち間違いではありませんが私のことをさも傲岸な人間のように思われるかもしれませんが、たとえば日頃からハイキングに行っている友人と行かない私のどちらかがハイキングの途中でルートを決めなければなったとすると私は、「友人の方がハイキング歴も長く経験も豊富なため、自分より正解の判断をする確率が高いだろう」と考え、無条件で友人の意見に従うことでしょう。これは一見すると自分の判断を放棄して他人の判断に任せているように見えますが、社会学士らしくひねくれた考え方をすると、「友人の考えに従う」という判断を自己判断していると解釈します。
かなり七面倒な理屈を自分でも言ってると思いますが、「何故他人の判断を優先するのか」という過程を意識することは私は非常に大事だと考えております。あくまで私の観点からですが、大概の日本人は自分の判断より他人の判断の方、もしくは合議での判断の方が正しいという前提を持っており、自分が考える判断を表では主張せずに押しとどめる傾向があるように思えます。自己主張をしたら集団の中でハブられるという日本人特有の社会的資質も影響しているでしょうが、内心ではこう考えるんだけどほかの人の言うことに従っておけば無難、という考え方をする人が非常に多いように思え、これはそろそろ日本人は脱却した方がいいのではないかとみています。
もちろんこうした日本人の価値観によって団結力とかその辺は高くはなるのでしょうが、近年は単純作業においてすらもパターンにない例外事態が発生する仕事が多く、もう少し自主性というか「俺はこう思うからこうするんだ」というくらいの身勝手さをその都度発揮して行動した方が社会全体での動きもよくなるのではないかと感じます。
とは言ったって勝手にやったら怒られるというのが大半の意見でしょうが、このままでは何も変わらないとばかりに私は普段から自分が正しいと思ったことは結構すぐに口に出したり勝手に行動したりしてます。そりゃもちろん多少の妥協はして指示されたことには反発を口にすることはあってもちゃんと指示通りには行動するようにしてはいますが、こうした考え方が社会で一般的になるよう孤軍奮闘しているつもりです。そのせいか前の会社を退社する際に上司から、「花園、お前は本当に人の言うことを聞かない奴だったが仕事だけは確かに早かった(*´∀`)」と、妙なお褒めの言葉を受け取りました。こう言うのもなんですが、自分の上司になってさぞ苦労したかと思うと感謝に耐えません。
現在でもこの傾向は変わらず、たとえ両親を含む他人から助言や勧めを受けたとしても私自身がその相手の言うことに道理がないと考えたら一顧だにしませんが、そのかわり相手の言うことがその通りだと感じた場合はそれまでの判断とは逆でもなるべく素直に、可能な限りは従おうと努力しています。さしあたって友人から今強く言われているのはレンタルサーバーの取得ですが、こちらは確かに必要性は感じつつもずぼらな性格が災いしてまだ手が出せておりません。
ただ唯一といってはなんですがある友人の言だけは例外扱いしており、たとえその友人の言う内容に対して私が間違っていると判断しても、「この友人が言うのだから自分の方が間違いだろう」と完全無条件でその友人の意見に合わせます。このところまた文章が荒れ気味でオチらしいオチがまたありませんが、私が読者の方に言いたいことは「他人の意見を信じるのもまた自分の判断」ということで、どんな点においても自分が判断するのだという責任と、自分の判断力がどれだけ正しいのかを普段から認識してほしいということです。
2011年8月5日金曜日
中、初等教育における教員の雇用について
何か教育関係の話をというリクエストを受けたので、前から思っていた内容を今日は紹介します。
一つ昔話をしますが、六年前に出会った一個下の友人に対し将来は何になりたいのかと説いた際、教師になりたいとその友人は答えました。その答えに対して私は、
「悪くない選択だね。これから団塊世代が大量退職してこれまで少なった教師の口が一気に広がると言われてるし」
しかし結果はというと、私のこの予測は間違いでした。団塊の世代に当たる教師が一気に退職して教師が各学校で不足しているというのは間違いではないようなのですが、その不足分を補うための教員の雇用は現在に至っても行われませんでした。
現実問題として教師が全国各地で不足しているというのは間違いではないようです。そのため教師一人あたりの負担も依然と比べて遥かに高くなっており、この前も何かのニュースで教師の休職理由は精神的なものが大半と書かかれてありましたが、いろいろ病んだりして職場を離れざるを得ない教師が毎年増えていると言います。
では不足しているにもかかわらず何故教師の数が増えないのか、教師を志望する人間が減っているのかというとこれまたそうではないようです。確かに少子化ではあるもの不景気という時代ゆえに教員免許を取る学生はそこそこおり、また教師職を志望し続けている人もたくさんいるのですが、彼らが何故教師になれないのかというと単純に教員の募集がないそうです。何故教員の募集がないのか、もったいぶっても仕方ないのでもう書きますがこれまたあちこちから話を聞く限りですとごくごく単純な理由で、教師を雇う側の自治体が財政難で新規に教員を雇う余裕がないからだそうです。
私立学校であれば別ですが、公立学校を運営するのはそれぞれの市や県であって教員の給料などは各自治体から支払われます。それ故に具体的にどのような身分かまではわかりませんが教師というのは準公務員的な職種であるわけですが、すでに財政破綻宣言をした夕張市をはじめとして、現在全国各地の自治体では大量の借金があって当たり前と言えるほど財政難な状態が続いております。それ故に各学校で団塊世代の教師が大量に引退したにもかかわらず支出を増やすにはいかないために新規採用を凍結し、少子化で子供の数は減っているものの既存の教師数で何とか回そうとしているのが大半だそうです。
このような状況で割を食うのは誰かというと、まずは既存の教師たちです。彼らはそれ以前に比べて担当する子供の数や授業コマ数が大幅に増えましたが給料は変わらず、というより昇給幅は明らかに以前より狭められています。もっともそれは会社員にも共通しますが。
これら既存教師に加えて割を食うのが、教職志望だった自分たち世代の若者たちです。真剣に教育に身を捧げようとして教職を志望する人たちもいるでしょうが、現在正式に教員に採用されるのは至難の業だと聞きます。勘のいい人は今書いた「正式に」って言葉を見てすぐにピンとくるでしょうが、その逆の非正規の教員となるのだったらそれほど難しくないようです。
非正規の教員って言ったってブラックジャックみたいに免許を持たない医師というわけじゃなく、一週間に数コマだけ学校に来て教えるようなアルバイトのような講師職で、現在これが各地で増加しているそうです。自治体は非正規の教員として雇えば社会保障などといった余計な経費を払う必要はなく、またいらなくなったらすぐに切ることもできれば一切昇給させる必要もありません。それ故に教師になりたいが一心、正式採用を夢見る人なんかは苦労を覚悟でこのような教師版の派遣職に甘んじ、ひどい例なんか月数万円の給料で働き続けていると聞きます。
単純に経費削減という観点からみるのであればこのような採用形態が悪いとは言いません。しかし本気で教育を充実させたいと考えるのなら教師を不安定な身分にとどめておくというのは明らかに間違ってますし、ただちに対策をしなければならないでしょう。またそもそも財政難で支出が増やせないというのなら、すでに高い給料を受け取っている年齢の高い教師からリストラしていかなければ根本的な解決につながるはずがありません。
そういうわけで漠然と予想はしてはいたのですが、調べてみると案の定そうだったのが下のリンク先です。
・教員平均年齢ピークに、3人に1人が50歳以上(読売新聞)
やはり予想通りというか教員の新規採用を渋りに渋った結果、平均年齢は過去最高をどんどん更新していて三人に一人が五十歳以上という状態にまでなったようです。この構図をあえて言い表すなら、やはり若者を犠牲にしてという言葉しか私には浮かびません。先にも書きましたが支出を抑制するのであれば新規採用を凍結するのではなく既存の人間をリストラした方が明らかに効率がいいはずでしょうし、そもそも教師なんか叩けば埃が出てくるような人間はまだまだたくさんいると思います。ひがみっぽいですがどうしてそういう人間に着手しないで我々の世代が割を食わなければならないんだと、一抹の悔しさを感じます。
一つ昔話をしますが、六年前に出会った一個下の友人に対し将来は何になりたいのかと説いた際、教師になりたいとその友人は答えました。その答えに対して私は、
「悪くない選択だね。これから団塊世代が大量退職してこれまで少なった教師の口が一気に広がると言われてるし」
しかし結果はというと、私のこの予測は間違いでした。団塊の世代に当たる教師が一気に退職して教師が各学校で不足しているというのは間違いではないようなのですが、その不足分を補うための教員の雇用は現在に至っても行われませんでした。
現実問題として教師が全国各地で不足しているというのは間違いではないようです。そのため教師一人あたりの負担も依然と比べて遥かに高くなっており、この前も何かのニュースで教師の休職理由は精神的なものが大半と書かかれてありましたが、いろいろ病んだりして職場を離れざるを得ない教師が毎年増えていると言います。
では不足しているにもかかわらず何故教師の数が増えないのか、教師を志望する人間が減っているのかというとこれまたそうではないようです。確かに少子化ではあるもの不景気という時代ゆえに教員免許を取る学生はそこそこおり、また教師職を志望し続けている人もたくさんいるのですが、彼らが何故教師になれないのかというと単純に教員の募集がないそうです。何故教員の募集がないのか、もったいぶっても仕方ないのでもう書きますがこれまたあちこちから話を聞く限りですとごくごく単純な理由で、教師を雇う側の自治体が財政難で新規に教員を雇う余裕がないからだそうです。
私立学校であれば別ですが、公立学校を運営するのはそれぞれの市や県であって教員の給料などは各自治体から支払われます。それ故に具体的にどのような身分かまではわかりませんが教師というのは準公務員的な職種であるわけですが、すでに財政破綻宣言をした夕張市をはじめとして、現在全国各地の自治体では大量の借金があって当たり前と言えるほど財政難な状態が続いております。それ故に各学校で団塊世代の教師が大量に引退したにもかかわらず支出を増やすにはいかないために新規採用を凍結し、少子化で子供の数は減っているものの既存の教師数で何とか回そうとしているのが大半だそうです。
このような状況で割を食うのは誰かというと、まずは既存の教師たちです。彼らはそれ以前に比べて担当する子供の数や授業コマ数が大幅に増えましたが給料は変わらず、というより昇給幅は明らかに以前より狭められています。もっともそれは会社員にも共通しますが。
これら既存教師に加えて割を食うのが、教職志望だった自分たち世代の若者たちです。真剣に教育に身を捧げようとして教職を志望する人たちもいるでしょうが、現在正式に教員に採用されるのは至難の業だと聞きます。勘のいい人は今書いた「正式に」って言葉を見てすぐにピンとくるでしょうが、その逆の非正規の教員となるのだったらそれほど難しくないようです。
非正規の教員って言ったってブラックジャックみたいに免許を持たない医師というわけじゃなく、一週間に数コマだけ学校に来て教えるようなアルバイトのような講師職で、現在これが各地で増加しているそうです。自治体は非正規の教員として雇えば社会保障などといった余計な経費を払う必要はなく、またいらなくなったらすぐに切ることもできれば一切昇給させる必要もありません。それ故に教師になりたいが一心、正式採用を夢見る人なんかは苦労を覚悟でこのような教師版の派遣職に甘んじ、ひどい例なんか月数万円の給料で働き続けていると聞きます。
単純に経費削減という観点からみるのであればこのような採用形態が悪いとは言いません。しかし本気で教育を充実させたいと考えるのなら教師を不安定な身分にとどめておくというのは明らかに間違ってますし、ただちに対策をしなければならないでしょう。またそもそも財政難で支出が増やせないというのなら、すでに高い給料を受け取っている年齢の高い教師からリストラしていかなければ根本的な解決につながるはずがありません。
そういうわけで漠然と予想はしてはいたのですが、調べてみると案の定そうだったのが下のリンク先です。
・教員平均年齢ピークに、3人に1人が50歳以上(読売新聞)
やはり予想通りというか教員の新規採用を渋りに渋った結果、平均年齢は過去最高をどんどん更新していて三人に一人が五十歳以上という状態にまでなったようです。この構図をあえて言い表すなら、やはり若者を犠牲にしてという言葉しか私には浮かびません。先にも書きましたが支出を抑制するのであれば新規採用を凍結するのではなく既存の人間をリストラした方が明らかに効率がいいはずでしょうし、そもそも教師なんか叩けば埃が出てくるような人間はまだまだたくさんいると思います。ひがみっぽいですがどうしてそういう人間に着手しないで我々の世代が割を食わなければならないんだと、一抹の悔しさを感じます。
2011年8月4日木曜日
日銀の円高介入と最近の為替について
今日は朝っぱらから上のとんでもない写真を見て、すごく元気が出ました。なんでも如雨露から水をがぶ飲みするのが好きな猫だそうですが、うちの実家の猫も普通の水受けからでなくマグカップに入れた水をやけに好んで飲んでおり、猫って何かしら器にこだわりを持つのでしょうか。
さて今日のトップニュース、というよりここ数か月の主要な経済話題と言ったら円高の為替傾向以外にありません。昨日には取引中に戦後最高値に迫る76円台に迫ったことから本日日銀が為替介入し、一程度の円安が起こってそこそこの成功は得ました。しかし結論から言うと今回の日銀の判断は間違ってはいませんが初戦はその力はたかが知れており、中、長期的に見るなら今後も円高が続いて70円を切るのも視野に入ってくるのではというのが私の意見です。
実は前回日本に帰国した際に会った友人とも話をしましたが現在の日本の円高は異常としか言えない数値で、こんな為替なのによく日系企業は海外に逃げないなと二人で妙な関心をしました。すでに財界の人たちも公にはっきりと言っていますがこんな為替レートでは経営を続けていくなんて無茶もいいところで、あらゆる想定を超えたレッドゾーンに入ってきたと言っても過言ではないでしょう。何気にリーマンショック後に「1ドル55円時代を覚悟せよ」と経済学者の浜矩子氏が言っていましたが、当時にも先見の明がある人だと思っていましたが現実身を帯びてくるに従ってこの人は諸葛孔明なんじゃないかとこの頃思うようになってきてます。
まずどうしてこれだけ円高が起きているかですが、ネットを見ているとやれ民主党が悪い、管が悪いからだなどという意見をよく見ますが、私が思うに今の円高は日本の政治とは全く関係なく動いていると考えています。では一体何故円高になるかというと、単純に言って景気が悪い悪い言っている日本以上にヨーロッパやアメリカの方が景気や財務体質が悪いからで、この二つに比べたら日本の景気、あと財務状況ははるかにマシという状態ゆえに世界各国で円が買われているからと見ています。ネットで誰かが、穴の開いたボート(=世界経済)で穴の開いた反対側(=日本円)に乗員みんなが寄りかかってきている状態とたとえましたが、一番これが今の状況をうまく言い表しているでしょう。
それでこの円高はいつになったら解消するかですが、少なくとも今後一年や二年は上下はするでしょうが高い状態が続くと見ています。その根拠を上げると、ここ一か月で急激に円高が進んだのはアメリカのデフォルト懸念からでしたが、そもそもの話としてデフォルト懸念が出る以前から日本円は異常に高い状態が続いていたので今回アメリカ議会でこの件が片付いたと言っても大勢には影響しないと思います。その上でいくら円高が困るからと言って日銀が今回みたいに介入しようにも、こちらもそもそもの話として運転する資金の絶対量が世界の投資家と比べて圧倒的に少なく、今日みたいに一時凌ぎは出来ても長期に渡って円安を誘導することなんて不可能です。仮に本気でやろうとするのなら他国を交えて共同介入する以外にありませんが、アメリカは金融緩和路線を続けるでしょうし、ヨーロッパは今火の車でそんなことやってる暇はないでしょうからその目はほとんどありません。
とはいえ今回の日銀介入は間違ってはなく、タイミングとしては今くらいに一回するのが限度と思っています。っていうかここでやらなかったら日銀は何やってるんだって叩かれるのが嫌でやったようにも見えますが。ただ今回の介入で何が怖いのかというと「日銀の力はこの程度か( ゚∀゚)」と足元みられることで、下手したらリバウンドとばかりにまた逆バネが働いて一気に円高に進む可能性も否定できません。そうなっても、今回については日銀を責められませんが。
そういうことで今日の結論を言うと、「1ドル55円時代を覚悟せよ」ということに尽きるわけです。
2011年8月3日水曜日
全く見ない日本のテレビ番組について
本日のニュースで、日立がテレビの自社生産をやめるというものがありました。私は以前から家電メーカーの人に、「テレビは作れば作るだけ赤字」と聞いていただけにこのニュースに対して驚きはなく、むしろ二、三年前にもっと早く決断しておけばよかったのではないかとも思いましたが、ちょうど地デジ移行が終わったタイミングということもあり、メンツ的にも今くらいがちょうどよかったのかもしれません。
さてそんなテレビですが、売れないというよりも現在は価格の下落が激しいがゆえに儲からないようです。実際見ていてもどうしてこんなに安いのかと思うくらいですし、自動車と比べて家電メーカーの競争は熾烈すぎると感じます。しかも買い替えも地デジ移行以外はほとんど行われなかったとも聞きますし、ほかのメーカーも年末にかけて決断するところが現れるのじゃないでしょうか。
話は変わってテレビというハードに対するソフトのテレビ番組についてですが、前回に日本に帰国した際に私もいくつか見てみましたが、はっきり言って何をどうすればこんなにつまらない番組を作れるんだ、意図的に視聴者を不快にさせているのかと思うような番組ばかりでげんなりさせられました。もっともこうした傾向は中国に来る前からもあり、本当に暇でBGM代わりにつけておこうと思ってもつけて音声を聞くだけでもイライラする番組ばかりで、番組を作る人間の神経を真面目に疑うことが多かったです。関西の番組は比較的マシだったけど。さらに聞くところによると最近はそれに輪がかかりAKB48と韓流アイドルばかりが出演するようになっているようで、それに対して芸能関係者など内輪からも批判がなされ、なんだか大ごとになってきました。
具体的なリンクはつけませんが俳優の高岡蒼甫氏が韓流関係の番組ばかり流すテレビ局に苦言を呈すやテレビ関係者らから異常なパッシングを受けたものの、逆に高岡氏を擁護する声も巻き起こり今現在も大きな議論となっています。その議論の中で私がひときわ注目したのは慶応出身の友人が「あまり出身大学を明かしてもらいたくない」といった芸人のふかわりょう氏で、いつもすべってばっかだけど意外と物事を深く考える人なのだなと見直しました。
・ふかわりょうが韓流報道について「テレビは完全に終わった」(サーチナ)
ふかわ氏の主張を簡単にまとめると、電波というものは公共のものであって現在テレビ局が保有する免許がなければ一切使用することができないなど、私的に使用してはならないものです。その公共の電波を使用して使用者側(テレビ会社局)に都合のいい情報なりプロモーションばかり流すというのはそれはやはり間違っていると主張し、卑近な例としてふかわ氏は、自分の番組で自分の曲だけを流しほかのアーティストはほとんど紹介しないのはおかしいとたとえています。実にわかりやすい。
このふかわ氏の話を聞いてちょっと思い出したことがあったのですが、90年代後半の「ウリナリ」という番組にて当時、「ポケットビスケッツ」と「ブラックビスケッツ」というバンドが番組内からデビューし、そこそこの成功を収めました。当時この番組を見ていた私はあまり何も考えずにこの二つのバンドの活動を面白がって見ていたのですが、あとから調べてみるとやはりこの当時からテレビ局が作ったバンドをテレビが応援するというのは公平な観点からみてどうかという意見が出されていたそうです。実際にテレビというのは物凄い影響力の強い媒体であり、それを使えば当時はおろか今ですら売れないものを売れさせてしまうほどのエグさを持っております。
まぁポケビとブラビに関して言えば歌自体もよかったのでこの際どうでもいいですが、ふかわ氏の言う通りにほかの人間が一切使えない公共の電波を使って自分とこが利益を出そうとする行動は電力会社同様に卑怯千万もいいところです。そのような観点からだと韓流のごり押しやら特定の芸人や俳優を集中して放送するというのはやはり間違いだと私も思います。多分一般視聴者もそういうのをはっきりと自覚しないまでも感じ取っていて、それが今のテレビ離れにつながっている気がします。それにしたって日曜の午前中の番組はつまらないものばかりだった。
最後にテレビ会社について前々から思っていたことを言うと、完全独占事業で国からも異常なくらいに保護されているにもかかわらず、最近はTBSを初めとして赤字を計上する会社が現れてきました。こう言ってはなんですがこれだけ保護されているにもかかわらず赤字を計上するなんてある意味すごいことで、今のテレビ局の経営陣は無能を通り越して疫病神と呼べるくらいの能力しかないとみております。
前にも書きましたが、日本のテレビ局はどんだけ不祥事を起こしてもこれまで放送免許がはく奪されることはありませんでした。近年の不祥事は「バンキシャ」を筆頭に目に余るものがあり、真面目に教員同様に毎年免許更新の審査を取り入れた方がいいでしょう。何万人が失業しようが、公共の電波を正しく使うためには厳しい措置が必要です。
さてそんなテレビですが、売れないというよりも現在は価格の下落が激しいがゆえに儲からないようです。実際見ていてもどうしてこんなに安いのかと思うくらいですし、自動車と比べて家電メーカーの競争は熾烈すぎると感じます。しかも買い替えも地デジ移行以外はほとんど行われなかったとも聞きますし、ほかのメーカーも年末にかけて決断するところが現れるのじゃないでしょうか。
話は変わってテレビというハードに対するソフトのテレビ番組についてですが、前回に日本に帰国した際に私もいくつか見てみましたが、はっきり言って何をどうすればこんなにつまらない番組を作れるんだ、意図的に視聴者を不快にさせているのかと思うような番組ばかりでげんなりさせられました。もっともこうした傾向は中国に来る前からもあり、本当に暇でBGM代わりにつけておこうと思ってもつけて音声を聞くだけでもイライラする番組ばかりで、番組を作る人間の神経を真面目に疑うことが多かったです。関西の番組は比較的マシだったけど。さらに聞くところによると最近はそれに輪がかかりAKB48と韓流アイドルばかりが出演するようになっているようで、それに対して芸能関係者など内輪からも批判がなされ、なんだか大ごとになってきました。
具体的なリンクはつけませんが俳優の高岡蒼甫氏が韓流関係の番組ばかり流すテレビ局に苦言を呈すやテレビ関係者らから異常なパッシングを受けたものの、逆に高岡氏を擁護する声も巻き起こり今現在も大きな議論となっています。その議論の中で私がひときわ注目したのは慶応出身の友人が「あまり出身大学を明かしてもらいたくない」といった芸人のふかわりょう氏で、いつもすべってばっかだけど意外と物事を深く考える人なのだなと見直しました。
・ふかわりょうが韓流報道について「テレビは完全に終わった」(サーチナ)
ふかわ氏の主張を簡単にまとめると、電波というものは公共のものであって現在テレビ局が保有する免許がなければ一切使用することができないなど、私的に使用してはならないものです。その公共の電波を使用して使用者側(テレビ会社局)に都合のいい情報なりプロモーションばかり流すというのはそれはやはり間違っていると主張し、卑近な例としてふかわ氏は、自分の番組で自分の曲だけを流しほかのアーティストはほとんど紹介しないのはおかしいとたとえています。実にわかりやすい。
このふかわ氏の話を聞いてちょっと思い出したことがあったのですが、90年代後半の「ウリナリ」という番組にて当時、「ポケットビスケッツ」と「ブラックビスケッツ」というバンドが番組内からデビューし、そこそこの成功を収めました。当時この番組を見ていた私はあまり何も考えずにこの二つのバンドの活動を面白がって見ていたのですが、あとから調べてみるとやはりこの当時からテレビ局が作ったバンドをテレビが応援するというのは公平な観点からみてどうかという意見が出されていたそうです。実際にテレビというのは物凄い影響力の強い媒体であり、それを使えば当時はおろか今ですら売れないものを売れさせてしまうほどのエグさを持っております。
まぁポケビとブラビに関して言えば歌自体もよかったのでこの際どうでもいいですが、ふかわ氏の言う通りにほかの人間が一切使えない公共の電波を使って自分とこが利益を出そうとする行動は電力会社同様に卑怯千万もいいところです。そのような観点からだと韓流のごり押しやら特定の芸人や俳優を集中して放送するというのはやはり間違いだと私も思います。多分一般視聴者もそういうのをはっきりと自覚しないまでも感じ取っていて、それが今のテレビ離れにつながっている気がします。それにしたって日曜の午前中の番組はつまらないものばかりだった。
最後にテレビ会社について前々から思っていたことを言うと、完全独占事業で国からも異常なくらいに保護されているにもかかわらず、最近はTBSを初めとして赤字を計上する会社が現れてきました。こう言ってはなんですがこれだけ保護されているにもかかわらず赤字を計上するなんてある意味すごいことで、今のテレビ局の経営陣は無能を通り越して疫病神と呼べるくらいの能力しかないとみております。
前にも書きましたが、日本のテレビ局はどんだけ不祥事を起こしてもこれまで放送免許がはく奪されることはありませんでした。近年の不祥事は「バンキシャ」を筆頭に目に余るものがあり、真面目に教員同様に毎年免許更新の審査を取り入れた方がいいでしょう。何万人が失業しようが、公共の電波を正しく使うためには厳しい措置が必要です。
2011年8月2日火曜日
7年で変わった自殺率国際順位
今日お昼休みに同僚と話していた際、ひょんなことから自殺率に関する話題となりました。そこでネットで軽く国際順位を調べてみたのですが、以前に見た順位から結構変動があり面白かったので、今日はその辺について紹介しようと思います。
・自殺率の国際比較(社会実情データ図録)
実は私は7年前、当時に流行りだした集団自殺についてレポートをまとめたことがあり、当時も上記サイトのデータを使ってあれこれ分析なりなんなりしたのをよく覚えています。ちなみに当時は毎日自殺サイトとかに行ったりしてたことからかなり気分が鬱になり、無理に元気づけようとガンダムの歌を歌いながらレポート書いてたら壁が薄かったもんだから隣人に、「最近の花園君はノリノリだね」と言われました。
それはさておき最新の自殺率データについてですが、この自殺率というのは10万人当たり何人が自殺しているのかという統計データで、単純に言えば数値が大きければ大きいほどその国は自殺が頻繁に起こるということを表しております。それで日本はというとよくテレビメディアなどで日本は先進国で最も自殺率が高いなどとよくある自虐精神を発揮して取り上げられることが多いのですが、現実のデータはというと国際順位で6位にランクインしており、日本以上に自殺が多い国がなんと上に五カ国も存在します。まぁ五カ国しかいないとも言えますが。その後カ国を実際に順位順に書き出すと、
1位 ベラルーシ
2位 リトアニア
3位 ロシア
4位 カザフスタン
5位 ハンガリー
という順番になります。細かい点をつつくと、先進国で日本が最も自殺率が高いと言っていた人はロシアを先進国とみなしていないこととなります。まぁここもとりようだけど。
私が今回久々に自殺率の統計を見て何に驚いたのかというと、日本の順位は以前も7位か8位くらいだったのでそれほど驚かなかったのですが、以前はぶっちぎりで不動の1位に君臨していたリトアニアが2位に後退していたということです。数年前のデータまではトップ順位はリトアニア、ロシアという順番が固定されているかのように両者がかなり突き放していたのですが、知らないうちにベラルーシがそれをひっくり返していたのは軽く衝撃でした。もっともそれ以前からも旧共産圏、それも冬が寒い国々は自殺率が高い傾向があるので、順当と言えば順当という結果かもしれません。
その次に見てびっくりしたのは9位韓国で、7年前のデータだとほとんど気にも留めず覚えてもいない順位だったはずなのに知らないうちに日本を追い上げる順位に来ていました。追い上げると言ってもこんな自殺率のデータで追い抜かされてもしょうがないですが、軍隊内や芸能人の自殺が社会問題となるだけあり根は深そうです。
順位についてはざっとこんなもんですが、今回参照したリンク先は多角的に詳しく分析されていて非常に内容のある論文ゆえに是非是非読んでもらいたいのですが、いくつか引用すると「日本は自殺率は高いもののメンタルヘルスは決して悪くない」と主張しており、実際にデータ上では精神疾患の率が先進国で最低クラスに低くなっております。ちなみにこの精神疾患率のデータも面白くて、恐らくぶっちぎりでフランスがトップだろうと思っていたらなんと3位どまりで、1位はなんとアメリカでした。まぁこれも精神疾患と診断されるかどうか、そういう環境があるかに左右されやすいデータなので厳密にはデータをうのみにできないところがあります。
もう一つ別のデータを引用すると、これなんか社会学士が狂喜するするような見事な連関データなのですが、自殺率と他殺率を比較し合ってます。このデータによると日本は自殺率は高いものの他殺率は異常に低く、その結果から決して不幸な社会ではないとまとめられてます。実際にこのデータを見てみると、他殺率が日本の10倍以上の国がごろごろしており、特にトップのコロンビアに至っては自殺する暇がないんじゃないかと思うくらいに他殺率が極端に高いです。このデータは2002年のものでやや古いですが、最新のデータならメキシコも結構跳ね上がってるんじゃないかな。
・自殺率の国際比較(社会実情データ図録)
実は私は7年前、当時に流行りだした集団自殺についてレポートをまとめたことがあり、当時も上記サイトのデータを使ってあれこれ分析なりなんなりしたのをよく覚えています。ちなみに当時は毎日自殺サイトとかに行ったりしてたことからかなり気分が鬱になり、無理に元気づけようとガンダムの歌を歌いながらレポート書いてたら壁が薄かったもんだから隣人に、「最近の花園君はノリノリだね」と言われました。
それはさておき最新の自殺率データについてですが、この自殺率というのは10万人当たり何人が自殺しているのかという統計データで、単純に言えば数値が大きければ大きいほどその国は自殺が頻繁に起こるということを表しております。それで日本はというとよくテレビメディアなどで日本は先進国で最も自殺率が高いなどとよくある自虐精神を発揮して取り上げられることが多いのですが、現実のデータはというと国際順位で6位にランクインしており、日本以上に自殺が多い国がなんと上に五カ国も存在します。まぁ五カ国しかいないとも言えますが。その後カ国を実際に順位順に書き出すと、
1位 ベラルーシ
2位 リトアニア
3位 ロシア
4位 カザフスタン
5位 ハンガリー
という順番になります。細かい点をつつくと、先進国で日本が最も自殺率が高いと言っていた人はロシアを先進国とみなしていないこととなります。まぁここもとりようだけど。
私が今回久々に自殺率の統計を見て何に驚いたのかというと、日本の順位は以前も7位か8位くらいだったのでそれほど驚かなかったのですが、以前はぶっちぎりで不動の1位に君臨していたリトアニアが2位に後退していたということです。数年前のデータまではトップ順位はリトアニア、ロシアという順番が固定されているかのように両者がかなり突き放していたのですが、知らないうちにベラルーシがそれをひっくり返していたのは軽く衝撃でした。もっともそれ以前からも旧共産圏、それも冬が寒い国々は自殺率が高い傾向があるので、順当と言えば順当という結果かもしれません。
その次に見てびっくりしたのは9位韓国で、7年前のデータだとほとんど気にも留めず覚えてもいない順位だったはずなのに知らないうちに日本を追い上げる順位に来ていました。追い上げると言ってもこんな自殺率のデータで追い抜かされてもしょうがないですが、軍隊内や芸能人の自殺が社会問題となるだけあり根は深そうです。
順位についてはざっとこんなもんですが、今回参照したリンク先は多角的に詳しく分析されていて非常に内容のある論文ゆえに是非是非読んでもらいたいのですが、いくつか引用すると「日本は自殺率は高いもののメンタルヘルスは決して悪くない」と主張しており、実際にデータ上では精神疾患の率が先進国で最低クラスに低くなっております。ちなみにこの精神疾患率のデータも面白くて、恐らくぶっちぎりでフランスがトップだろうと思っていたらなんと3位どまりで、1位はなんとアメリカでした。まぁこれも精神疾患と診断されるかどうか、そういう環境があるかに左右されやすいデータなので厳密にはデータをうのみにできないところがあります。
もう一つ別のデータを引用すると、これなんか社会学士が狂喜するするような見事な連関データなのですが、自殺率と他殺率を比較し合ってます。このデータによると日本は自殺率は高いものの他殺率は異常に低く、その結果から決して不幸な社会ではないとまとめられてます。実際にこのデータを見てみると、他殺率が日本の10倍以上の国がごろごろしており、特にトップのコロンビアに至っては自殺する暇がないんじゃないかと思うくらいに他殺率が極端に高いです。このデータは2002年のものでやや古いですが、最新のデータならメキシコも結構跳ね上がってるんじゃないかな。
2011年7月31日日曜日
権力にすり寄るメディア
ちょっと古い話になりますが、松本前復興相が宮城県を馬鹿にするような発言をした後に同行した取材記者に対して、「このことを書いた社は終わりだから」と発言し、その後辞任に追い込まれています。この件については私もブログに取り上げましたが、その後続いて書いた記事にて片倉(焼くとタイプ)さんがコメント欄にて、
「あと松本元大臣の発言をそっくりそのまま放映したのは当初は宮城の東北放送
だけだったそうです。これについて
ネット上では、部落差別問題の無い東北地方では、部落解放同盟の圧力が
およびにくい事に気づかなかった松本氏の誤算だったといわれています。」
というコメントをしてくれました。
この件については事件発覚当初にてネットでよく取り上げられていましたし、敢えて名を明かしませんがある大新聞でもコラムにて、現場の記者たちは松本前復興相の脅しに従って当初報道を控えてしまった。記者として恥ずべき態度であるなどと自己批判をしていたことから間違いない事実だと思います。
一体何故当時の東北放送以外の現場記者たちは取り上げなかったのか。言ってしまえばすくんだ意外にほかなく、普段権力に対する防止装置、ペンは剣より強しとか言ってるくせに情けない人間だった以外にほかないでしょう。ただ一つ弁解をしてあげるならばこの時の記者たちが特別だったわけじゃなく、こういうことは日本のメディアにおいてはままあることです。
私がいまだによく覚えているのは故中川昭一氏が大臣辞任、ひいては後の落選につながるきっかけとなった2009年に起こったG7後の酩酊会見で、この会見は当時たくさんの日本メディアが取材していたにもかかわらず、当日に報道したメディアは一つとしてなく、たまたま入ってきていた海外メディアが報道してから一斉に報じ始めました。
この二つの事件における日本のメディアに対する私の意見はというと、別にいつ報じるのは構わないとは思うけど、後になって報じてから批判するのは如何なものかということです。最初手控えたくせしてみんなが叩いているのを見てから一緒になって批判していて、カッコ悪いと自分で思えないのではちょっと救えません。
あと紙幅が余っているのでもう一つ付け加えると、マスコミ文学はいい加減放棄してほしいことです。これなんか自分がこの業界に入ってきてからわかりましたがどの漢字をひらがな表記にするかとかどの表現を使っちゃいけないとか、日本人特有の妙な横並び精神を如何なく発揮して滅茶苦茶注意されてます。別に小学生相手にしているわけじゃないんだから旧字以外だったら好きなの使っていいじゃん、文章が悪い汽車は自然と淘汰されるんだしなどと不遜なことを考えてはフラストレーションを溜めてます。もっとも自分の場合は誤字が多いのは問題なんだけど。
「あと松本元大臣の発言をそっくりそのまま放映したのは当初は宮城の東北放送
だけだったそうです。これについて
ネット上では、部落差別問題の無い東北地方では、部落解放同盟の圧力が
およびにくい事に気づかなかった松本氏の誤算だったといわれています。」
というコメントをしてくれました。
この件については事件発覚当初にてネットでよく取り上げられていましたし、敢えて名を明かしませんがある大新聞でもコラムにて、現場の記者たちは松本前復興相の脅しに従って当初報道を控えてしまった。記者として恥ずべき態度であるなどと自己批判をしていたことから間違いない事実だと思います。
一体何故当時の東北放送以外の現場記者たちは取り上げなかったのか。言ってしまえばすくんだ意外にほかなく、普段権力に対する防止装置、ペンは剣より強しとか言ってるくせに情けない人間だった以外にほかないでしょう。ただ一つ弁解をしてあげるならばこの時の記者たちが特別だったわけじゃなく、こういうことは日本のメディアにおいてはままあることです。
私がいまだによく覚えているのは故中川昭一氏が大臣辞任、ひいては後の落選につながるきっかけとなった2009年に起こったG7後の酩酊会見で、この会見は当時たくさんの日本メディアが取材していたにもかかわらず、当日に報道したメディアは一つとしてなく、たまたま入ってきていた海外メディアが報道してから一斉に報じ始めました。
この二つの事件における日本のメディアに対する私の意見はというと、別にいつ報じるのは構わないとは思うけど、後になって報じてから批判するのは如何なものかということです。最初手控えたくせしてみんなが叩いているのを見てから一緒になって批判していて、カッコ悪いと自分で思えないのではちょっと救えません。
あと紙幅が余っているのでもう一つ付け加えると、マスコミ文学はいい加減放棄してほしいことです。これなんか自分がこの業界に入ってきてからわかりましたがどの漢字をひらがな表記にするかとかどの表現を使っちゃいけないとか、日本人特有の妙な横並び精神を如何なく発揮して滅茶苦茶注意されてます。別に小学生相手にしているわけじゃないんだから旧字以外だったら好きなの使っていいじゃん、文章が悪い汽車は自然と淘汰されるんだしなどと不遜なことを考えてはフラストレーションを溜めてます。もっとも自分の場合は誤字が多いのは問題なんだけど。
2011年7月28日木曜日
日本帰国時に読んだ漫画
昨日の記事の続きで、日本に帰国した際の漫画を教派紹介します。
まず私は漫画喫茶などで新刊をチェックすることが多いのですが、贔屓にしている漫画については売り上げに貢献するため、あらかじめアマゾンに発注して実家に届けさせておりました。届けさせた漫画は以下の通りです。
サユリ2巻:完結。ホラー漫画としてはすごい出来で満足
シドニアの騎士4、5巻:相変わらず飽きない展開。もう少し知られたっていいと思う。
ノノノノ最終巻:打ち切りにされたらしいが、最後まで予想がつかない展開で面白かった。
上記の漫画に加え、4時間粘って漫画喫茶で読んだのは以下の漫画です。
スティールボールラン:最終巻まで数冊分。こちらも最後まで予想がつかない展開で読後はしばし感動。
カイジ:なんか今のシリーズに入ってから急激につまらなくなった。もう読むのはやめようと思う。
電波の城:展開早っ。
バキ:突っ込みどころが多い。でも見ちゃう。
カウンタック:漫画オリジナルの車が出てくる場面で、肝心のカウンタックが出てこなくて少し物足りない。
キングダム:文句なしに面白かった。こちらももっと高く評価されてもいい作品。
ガンツ:ネットでちょろちょろ情報が出ていたが、大阪編で一度死んだ女性キャラが復活していたシーンではほろりときた。
このほか直前にあっていた友人からマガジンの「進撃の巨人」という漫画を勧められていたので読みましたが、「バクマン」を大人買いする友人なだけあってなかなかいいチョイスをしてきたと思います。というかよく少年雑誌でこれほどまでハードな話(第一話で主人公の母親が食べられる)を展開できるなと感心したのですが、決して極端に劣っているわけではないものの、アクションの多い漫画の割にはこの漫画の作者はコマ割の技術がいささか足りないと感じました。空飛ぶシーンも、読んでて最初よくわからなかったし。あとキャラの描き分けも。
オチらしいオチがないのでもう少し続けますが、やはり日本の街中というのは図抜けてきれいに感じます。中国にいるからかもしれませんが、外歩いていて何の匂いも感じなかったのに最初は戸惑いを覚えましたし、また電車に乗っている最中も緑が残る丘や森が見え、なんていうかすごく新鮮に感じました。
聞くところによるとスイスは国土が物凄く綺麗すぎて、海外に出たスイス人はホームシックにかかりやすいそうです。仮に母国がとんでもなく汚い環境だったらそりゃ出て行ったってなんにも感じるものがないでしょうし、前々から言っていますが日本人が海外に出たがらないのは英語ができないとか島国だからという理由とかより、そこそこ綺麗な国土だからというのが大きいように感じます。なお私はホームシックはあまり感じませんが、久々に友人らと話して、「これくらいのレベルの人材が上海にもいれば……」という無理な願いは感じました。
まず私は漫画喫茶などで新刊をチェックすることが多いのですが、贔屓にしている漫画については売り上げに貢献するため、あらかじめアマゾンに発注して実家に届けさせておりました。届けさせた漫画は以下の通りです。
サユリ2巻:完結。ホラー漫画としてはすごい出来で満足
シドニアの騎士4、5巻:相変わらず飽きない展開。もう少し知られたっていいと思う。
ノノノノ最終巻:打ち切りにされたらしいが、最後まで予想がつかない展開で面白かった。
上記の漫画に加え、4時間粘って漫画喫茶で読んだのは以下の漫画です。
スティールボールラン:最終巻まで数冊分。こちらも最後まで予想がつかない展開で読後はしばし感動。
カイジ:なんか今のシリーズに入ってから急激につまらなくなった。もう読むのはやめようと思う。
電波の城:展開早っ。
バキ:突っ込みどころが多い。でも見ちゃう。
カウンタック:漫画オリジナルの車が出てくる場面で、肝心のカウンタックが出てこなくて少し物足りない。
キングダム:文句なしに面白かった。こちらももっと高く評価されてもいい作品。
ガンツ:ネットでちょろちょろ情報が出ていたが、大阪編で一度死んだ女性キャラが復活していたシーンではほろりときた。
このほか直前にあっていた友人からマガジンの「進撃の巨人」という漫画を勧められていたので読みましたが、「バクマン」を大人買いする友人なだけあってなかなかいいチョイスをしてきたと思います。というかよく少年雑誌でこれほどまでハードな話(第一話で主人公の母親が食べられる)を展開できるなと感心したのですが、決して極端に劣っているわけではないものの、アクションの多い漫画の割にはこの漫画の作者はコマ割の技術がいささか足りないと感じました。空飛ぶシーンも、読んでて最初よくわからなかったし。あとキャラの描き分けも。
オチらしいオチがないのでもう少し続けますが、やはり日本の街中というのは図抜けてきれいに感じます。中国にいるからかもしれませんが、外歩いていて何の匂いも感じなかったのに最初は戸惑いを覚えましたし、また電車に乗っている最中も緑が残る丘や森が見え、なんていうかすごく新鮮に感じました。
聞くところによるとスイスは国土が物凄く綺麗すぎて、海外に出たスイス人はホームシックにかかりやすいそうです。仮に母国がとんでもなく汚い環境だったらそりゃ出て行ったってなんにも感じるものがないでしょうし、前々から言っていますが日本人が海外に出たがらないのは英語ができないとか島国だからという理由とかより、そこそこ綺麗な国土だからというのが大きいように感じます。なお私はホームシックはあまり感じませんが、久々に友人らと話して、「これくらいのレベルの人材が上海にもいれば……」という無理な願いは感じました。
2011年7月27日水曜日
日本の帰国日程
また昨日は部屋でネットが使えませんでした。これで七度目。ホテル側ももうお金返すと言ってきましたが、修理しろの一点張りで、返還費用から替えのルーター買って設置するということで落ち着きましたが、今日帰ってみたらまたやっぱりつながらず、すっかり顔なじみとなったエンジニアの兄ちゃんに様子を見てもらったらすぐまたつながりました。ルーター替える意味あったのかな。
さて先週末は金曜日から日本に帰って過ごしていました。そこで今日はその日本滞在期間中のスケジュールを紹介します。もともと高校生のころから夏休み日記と称してわけのわからない日々を書き残していたので、なんとなく懐かしい感じがします。
<22日>
05:30 起床後、30分で支度して家を出る。
07:10 地下鉄、リニアに乗車して浦東空港到着。搭乗手続きをするが手荷物検査で呼び止められ、荷物を開けられると、
空港職員「これはなんだ!?( ゚Д゚)」
別の空港職員「PSPじゃん( ´∀`)」
というやり取りがありました。
09:30 デルタ空港の便で日本出発。日本時間の13:30着。
15:30 空港から直接役所へ行き、事務手続きを済ませる。来る途中の電車が節電対策で本数減らされててちょっと驚く。
16:30 実家に帰宅。家の猫はまだ自分の顔を覚えていたのか嫌そうな顔で見てきた。
19:30 約束していた地元の友人と近くのガストで会う。レストランに行く途中に愛車であるブリジストン製の27インチタイヤ仕様サブナードスポーツに半年ぶりに乗るが、上海で折りたたみ自転車に乗っていたことからあまりの安定性と速度にビビる。やっぱ自転車はでかいのに限る。
久々に会った友人にはいきなり「中国人っぽい外見になった」と言われた後は政経の話題や近況について話したが、企業や財界関係の話が好きな友人なだけに中国の企業情報をメモとるくらい真剣に聞かれてまたしても驚く。元からそういうのが好きな友人だと知ってはいたが、こうも興味津々だと。まぁ向こうからすれば政治関係に妙に耳を傾ける自分もそういう風に思われているだろうけど。結局23:00過ぎまでガストで粘った。
23:30 友人と別れて漫画喫茶へ。半年間読めなかった漫画を一気に読み通す。読んだ漫画の詳細はまた次回にでも書くが、あまりにも大量にあったこととすでに時間が大分遅いことが手伝って流し読みになってしまった。結局04:00までいて自宅に帰宅した。
<23日>
10:00 前日が遅かったこともあってのってり起きる。起きて簡単にネットして、友人に暇しているか尋ねた後で午後に落合う約束する。
14:00 秋葉原で友人(K)と合流。パソコンを新しく買うつもりだったので二人であちこちの店を回ったが、当初はひいきに模している東芝製ダイナブック一択のつもりだったが、「2000円払うとグッと良くなりますよ(´∀`)」と言われ、すすめられたNEC製LaVie Sをオノデンさんで購入する。しかも海外在住だと言ったら本来つけるはずのポイント分を割り引いてくれ、個人的に非常に気持ちのいい買い物だった。オノデンさん、ありがとう。
17:30 秋葉原にいたところあらかじめ連絡していた別の友人から電話を受け、そのまま友人(K)とともに電話くれた友人の家へ向かう。友人の家ではコールオブデューティーというFPSのゲームをして、「当たらなければどうということもない」と言ってなんども蜂の巣にされた。
17:00 三人でそのまま近くの中華料理屋に晩御飯を食べに行く。店のおばちゃんの発音を聞いて中国語で話しかけ、友人二人を置いて中国語でしばらく話す。
料理は三人でいろいろ頼んでつまみながら食べてたが、餃子が意外にもおいしく追加で何度も頼んだ。あと食べながら思ったこととしては、上海ではどんな日本料理も食べられるが、日本風の味付けをした酢豚や天津飯といった中華料理が食べられないことに今更ながら気が付いた。あと友人が普通に「高菜(たかな)チャーハン」と注文したのを聞いた際、「高菜(ガオツァイ)チャーハンじゃないの?」とリアルに疑問に感じてしまってた。最終的に22:00まで粘り、そのまま駅で別れた。
<24日>
09:00 起床し、朝食を食べる。その後テレビなどを見た後にまた自分の自転車でサイクリングに行く。
11:00 一通り自転車を堪能した後でゲーム屋に寄り、PSPの「モンスターハンターポータブル2」と「天誅」を買う。
12:00 「アッコにおまかせ」を見ながら昼食。何気におふくろの作るメシ食べたのは今回の帰国でこれだけだった。献立は冷やし中華だったが、あとから思うとこんなところまで微妙な中国関係のものを食べなくてもという気もする。
14:00 本来ならもう空港へ出発する予定だったが、新しく買ったNaVie Sのデータなどをいじるのに少し時間が食ったため、出発時間も遅らせた。そしたら都合よく親父から電話があり、親父が名古屋で会ったという同級生のツッチーは非常に有望な人間だから暇な時は相手してもらえと助言する。
15:00 自宅出発。そのまま空港へ行き、上海へ戻る。帰宅したのは22:00だった
こう見ると非常にかけ足な帰国だったと思えます。とはいっても上海と日本は非常に近く、また帰ろうと思えばいつでも帰れるのでそんなに気になりません。ただ先々週末は出張で休みなしで働いてたので、一昨日はやや疲れも感じて仕事もだれた感じでしてました。
今回帰国して印象に残ったことを言うと、台風の通過後ということで非常に寒かったということが一番強いです。逆に帰国直後の上海は湿気がひどく、疲れが出たのも上海の暑さからだったかもしれません。
さて先週末は金曜日から日本に帰って過ごしていました。そこで今日はその日本滞在期間中のスケジュールを紹介します。もともと高校生のころから夏休み日記と称してわけのわからない日々を書き残していたので、なんとなく懐かしい感じがします。
<22日>
05:30 起床後、30分で支度して家を出る。
07:10 地下鉄、リニアに乗車して浦東空港到着。搭乗手続きをするが手荷物検査で呼び止められ、荷物を開けられると、
空港職員「これはなんだ!?( ゚Д゚)」
別の空港職員「PSPじゃん( ´∀`)」
というやり取りがありました。
09:30 デルタ空港の便で日本出発。日本時間の13:30着。
15:30 空港から直接役所へ行き、事務手続きを済ませる。来る途中の電車が節電対策で本数減らされててちょっと驚く。
16:30 実家に帰宅。家の猫はまだ自分の顔を覚えていたのか嫌そうな顔で見てきた。
19:30 約束していた地元の友人と近くのガストで会う。レストランに行く途中に愛車であるブリジストン製の27インチタイヤ仕様サブナードスポーツに半年ぶりに乗るが、上海で折りたたみ自転車に乗っていたことからあまりの安定性と速度にビビる。やっぱ自転車はでかいのに限る。
久々に会った友人にはいきなり「中国人っぽい外見になった」と言われた後は政経の話題や近況について話したが、企業や財界関係の話が好きな友人なだけに中国の企業情報をメモとるくらい真剣に聞かれてまたしても驚く。元からそういうのが好きな友人だと知ってはいたが、こうも興味津々だと。まぁ向こうからすれば政治関係に妙に耳を傾ける自分もそういう風に思われているだろうけど。結局23:00過ぎまでガストで粘った。
23:30 友人と別れて漫画喫茶へ。半年間読めなかった漫画を一気に読み通す。読んだ漫画の詳細はまた次回にでも書くが、あまりにも大量にあったこととすでに時間が大分遅いことが手伝って流し読みになってしまった。結局04:00までいて自宅に帰宅した。
<23日>
10:00 前日が遅かったこともあってのってり起きる。起きて簡単にネットして、友人に暇しているか尋ねた後で午後に落合う約束する。
14:00 秋葉原で友人(K)と合流。パソコンを新しく買うつもりだったので二人であちこちの店を回ったが、当初はひいきに模している東芝製ダイナブック一択のつもりだったが、「2000円払うとグッと良くなりますよ(´∀`)」と言われ、すすめられたNEC製LaVie Sをオノデンさんで購入する。しかも海外在住だと言ったら本来つけるはずのポイント分を割り引いてくれ、個人的に非常に気持ちのいい買い物だった。オノデンさん、ありがとう。
17:30 秋葉原にいたところあらかじめ連絡していた別の友人から電話を受け、そのまま友人(K)とともに電話くれた友人の家へ向かう。友人の家ではコールオブデューティーというFPSのゲームをして、「当たらなければどうということもない」と言ってなんども蜂の巣にされた。
17:00 三人でそのまま近くの中華料理屋に晩御飯を食べに行く。店のおばちゃんの発音を聞いて中国語で話しかけ、友人二人を置いて中国語でしばらく話す。
料理は三人でいろいろ頼んでつまみながら食べてたが、餃子が意外にもおいしく追加で何度も頼んだ。あと食べながら思ったこととしては、上海ではどんな日本料理も食べられるが、日本風の味付けをした酢豚や天津飯といった中華料理が食べられないことに今更ながら気が付いた。あと友人が普通に「高菜(たかな)チャーハン」と注文したのを聞いた際、「高菜(ガオツァイ)チャーハンじゃないの?」とリアルに疑問に感じてしまってた。最終的に22:00まで粘り、そのまま駅で別れた。
<24日>
09:00 起床し、朝食を食べる。その後テレビなどを見た後にまた自分の自転車でサイクリングに行く。
11:00 一通り自転車を堪能した後でゲーム屋に寄り、PSPの「モンスターハンターポータブル2」と「天誅」を買う。
12:00 「アッコにおまかせ」を見ながら昼食。何気におふくろの作るメシ食べたのは今回の帰国でこれだけだった。献立は冷やし中華だったが、あとから思うとこんなところまで微妙な中国関係のものを食べなくてもという気もする。
14:00 本来ならもう空港へ出発する予定だったが、新しく買ったNaVie Sのデータなどをいじるのに少し時間が食ったため、出発時間も遅らせた。そしたら都合よく親父から電話があり、親父が名古屋で会ったという同級生のツッチーは非常に有望な人間だから暇な時は相手してもらえと助言する。
15:00 自宅出発。そのまま空港へ行き、上海へ戻る。帰宅したのは22:00だった
こう見ると非常にかけ足な帰国だったと思えます。とはいっても上海と日本は非常に近く、また帰ろうと思えばいつでも帰れるのでそんなに気になりません。ただ先々週末は出張で休みなしで働いてたので、一昨日はやや疲れも感じて仕事もだれた感じでしてました。
今回帰国して印象に残ったことを言うと、台風の通過後ということで非常に寒かったということが一番強いです。逆に帰国直後の上海は湿気がひどく、疲れが出たのも上海の暑さからだったかもしれません。
2011年7月25日月曜日
中国版新幹線の脱線事故に対する国内報道
新しいパソコンになって初めてのブログ執筆です。微妙にこれまで使ってきた中国史用のパソコンと比べてキー配置などが異なっているために違和感がまだありますが、それでもやはり打ちやすいしパソコン自体のデザインと相まって気に入ってます。この詳細についてはまた明日にでも書きます。
そんな今日はどういったことを書くのかというと、昨日に引き続き中国版新幹線(高速鉄道)の脱線事故についてです。昨日の夕方時点でははっきりしませんでしたがどうも落雷で停止していた車両に対して後続の列車が突っ込んだことによって脱線したそうですが、想像以上というべきかなんというべきか、なんと今日にはもう同じ路線での運転を再開した上に事故車両を回収もせずに埋めるという暴挙に出ているようです。この辺については日本在住の方もすでに知っておられるから説明するまでもありませんが、こちら中国においても今回の事故については異例尽くしというべきかいろいろと議論や混乱が起きております。
まず本日の朝刊ではデイリー紙はすべて今回の事故を一面に取り上げ、経済誌でも多くがトップを飾ってます。そのうえで紙面中の論評も今回の事故を起こした鉄道部(中国の「部」は日本の「省」)を厳しく批判しており、その対比として開業以来一度も死傷者を出していない日本の新幹線における安全対策を取り上げる新聞もありました。なおその日本の新幹線と対比させた記事では2005年の福知山線脱線事故を取り上げ、多数の死傷者を出したものの日本はこの事故後に反省として自動制御装置(ATS)の普及が一気に進んだと記載しており、鉄道部の報道官が「日本の新幹線だってたびたび故障を起こしている」というような変な負け惜しみのような書き方ではなく、悪くない対比記事だったように思えます。
その上でこちらのメディアにおける混乱というか今回の事故を読み解くうえで重要なのは、日本のNHKにあたる新華社通信の報道です。細かい数字までは挙げませんが当初新華社通信が発表した今回の事故の死亡者数に対して鉄道部側はもっと少ないと主張し、その後も両者の間で死亡者数の相違や修正が続いています。その上で人民日報の本日の論文は、「今回の事故はただ片づけるだけでなく、今後の運営の在り方を含めて大きな反省材料にしなければならない。特に鉄道部」ってな感じでどちらかといえば鉄道部に対して厳しい批判を行っているような記事内容なのですが、これを見て私は政府と鉄道部で見解の不一致が起きているのではという疑念をすこし持ちました。
新華社は人民日報は言うまでもなく中国共産党の機関紙で、その発表内容は政府の主張と基本イコールです。ということは先ほどの新華社の発表と人民日報の論文は政府側が今回の鉄道事故を重く受け止めているとみることができるのですが、その一方で鉄道部は事故車両を埋めたり死亡者数を少なく見積もったりとどちらかといえば隠蔽するような態度を取り続けております。この矛盾する両社の動きが非常に肝なのですが、単純にとるならば政府中枢は非常に問題視して原因究明に熱心なものの、鉄道部側はメンツもあって隠蔽しようとしてやや対立するような構図ととれるのですが、深読みするならば原因究明を叫んで一般国民のガス抜きをしつつ、隠蔽工作を続けさせるという方法も十分考えられます。
ただ一つだけ確かなことを言うと、今回の事故、いやそれ以前からも普通の中国人は高速鉄道の安全性に対してやや批判的でありました。そして今回の事故を受けてそれが決定的となったというべきか、街頭インタビューでも乗らずに済むなら乗りたくないという人しかおらず、また鉄道部の隠蔽工作や早すぎる運転再開にネット上を中心に激しい批判が起こっております。
先の中国政府の特許申請の記事でも書きましたが、普通の中国人はこの高速鉄道に対して妙なプライドやら価値観は持っておらず、政府の特許申請についても何も感慨を持っておりません。そういう意味では鉄道部の人間より一般中国人の方がずっと常識を持っているでしょうし、なおかつ日本人とも価値観が近いでしょう。
それにしてもこの高速鉄道、上海~杭州間で私も何度も乗りましたが今回の事故を見てえらいのに乗ってたもんだとちょっと冷や汗かきました。一緒に乗った親父も、「他人事ちゃうわ(;><)」とも言ってましたし、これからは用があっても使用を控えようと思います。何気に来月あたりに武漢まで乗っていこうかと考えてたところでしたが、航空会社にとってすればうれしい限りだろうな。
あと今回の事故原因について鉄道部は落雷だと主張していますが、これまで既に何度も落雷による故障を引き起こしておきながら何の対策もしてこなかったというのは呆れてきますし、本当に落雷だけが原因なのかと疑う気持ちすらあります。なんでもかんでも落雷のせいにしてると、終いにゃ天神様だって怒るだろうし。
そんな今日はどういったことを書くのかというと、昨日に引き続き中国版新幹線(高速鉄道)の脱線事故についてです。昨日の夕方時点でははっきりしませんでしたがどうも落雷で停止していた車両に対して後続の列車が突っ込んだことによって脱線したそうですが、想像以上というべきかなんというべきか、なんと今日にはもう同じ路線での運転を再開した上に事故車両を回収もせずに埋めるという暴挙に出ているようです。この辺については日本在住の方もすでに知っておられるから説明するまでもありませんが、こちら中国においても今回の事故については異例尽くしというべきかいろいろと議論や混乱が起きております。
まず本日の朝刊ではデイリー紙はすべて今回の事故を一面に取り上げ、経済誌でも多くがトップを飾ってます。そのうえで紙面中の論評も今回の事故を起こした鉄道部(中国の「部」は日本の「省」)を厳しく批判しており、その対比として開業以来一度も死傷者を出していない日本の新幹線における安全対策を取り上げる新聞もありました。なおその日本の新幹線と対比させた記事では2005年の福知山線脱線事故を取り上げ、多数の死傷者を出したものの日本はこの事故後に反省として自動制御装置(ATS)の普及が一気に進んだと記載しており、鉄道部の報道官が「日本の新幹線だってたびたび故障を起こしている」というような変な負け惜しみのような書き方ではなく、悪くない対比記事だったように思えます。
その上でこちらのメディアにおける混乱というか今回の事故を読み解くうえで重要なのは、日本のNHKにあたる新華社通信の報道です。細かい数字までは挙げませんが当初新華社通信が発表した今回の事故の死亡者数に対して鉄道部側はもっと少ないと主張し、その後も両者の間で死亡者数の相違や修正が続いています。その上で人民日報の本日の論文は、「今回の事故はただ片づけるだけでなく、今後の運営の在り方を含めて大きな反省材料にしなければならない。特に鉄道部」ってな感じでどちらかといえば鉄道部に対して厳しい批判を行っているような記事内容なのですが、これを見て私は政府と鉄道部で見解の不一致が起きているのではという疑念をすこし持ちました。
新華社は人民日報は言うまでもなく中国共産党の機関紙で、その発表内容は政府の主張と基本イコールです。ということは先ほどの新華社の発表と人民日報の論文は政府側が今回の鉄道事故を重く受け止めているとみることができるのですが、その一方で鉄道部は事故車両を埋めたり死亡者数を少なく見積もったりとどちらかといえば隠蔽するような態度を取り続けております。この矛盾する両社の動きが非常に肝なのですが、単純にとるならば政府中枢は非常に問題視して原因究明に熱心なものの、鉄道部側はメンツもあって隠蔽しようとしてやや対立するような構図ととれるのですが、深読みするならば原因究明を叫んで一般国民のガス抜きをしつつ、隠蔽工作を続けさせるという方法も十分考えられます。
ただ一つだけ確かなことを言うと、今回の事故、いやそれ以前からも普通の中国人は高速鉄道の安全性に対してやや批判的でありました。そして今回の事故を受けてそれが決定的となったというべきか、街頭インタビューでも乗らずに済むなら乗りたくないという人しかおらず、また鉄道部の隠蔽工作や早すぎる運転再開にネット上を中心に激しい批判が起こっております。
先の中国政府の特許申請の記事でも書きましたが、普通の中国人はこの高速鉄道に対して妙なプライドやら価値観は持っておらず、政府の特許申請についても何も感慨を持っておりません。そういう意味では鉄道部の人間より一般中国人の方がずっと常識を持っているでしょうし、なおかつ日本人とも価値観が近いでしょう。
それにしてもこの高速鉄道、上海~杭州間で私も何度も乗りましたが今回の事故を見てえらいのに乗ってたもんだとちょっと冷や汗かきました。一緒に乗った親父も、「他人事ちゃうわ(;><)」とも言ってましたし、これからは用があっても使用を控えようと思います。何気に来月あたりに武漢まで乗っていこうかと考えてたところでしたが、航空会社にとってすればうれしい限りだろうな。
あと今回の事故原因について鉄道部は落雷だと主張していますが、これまで既に何度も落雷による故障を引き起こしておきながら何の対策もしてこなかったというのは呆れてきますし、本当に落雷だけが原因なのかと疑う気持ちすらあります。なんでもかんでも落雷のせいにしてると、終いにゃ天神様だって怒るだろうし。
2011年7月24日日曜日
中国版新幹線の列車事故について
またちょっと更新が滞っておりましたが、理由をちゃっちゃと話すと今現在日本に帰国中です。何で日本に帰国したのかと言うと単純に野暮用を片付けたりなんなりで、今晩中にはまた上海に戻ります。
そういうわけで今回日本に戻って感じた事などを最初は書こうとしていたのですが、そうもいかないし日本にいる今だったらおおっぴらに書けるある大事件が」昨晩起こりました。
・安全軽視のツケ現実に 中国高速鉄道 「信じがたい事故」(産経新聞)
何気に今日の朝日新聞一面にも載ってましたが、校了の時間まで残り少なかったろうによくのっけてきたなと思います。
それはともかく、まさかこんなに早く中国の新幹線でこれほど大きな死亡事故が起こるとは私も予想していませんでした。数ヶ月、もしくは一年位したらなにかしら大規模な事故が起こるだろうとは思っていたものの、先程のNHKの報道ではすでに死者が30人を超すほどの大惨事だそうで、事故の被害者の方々には深い哀悼の気持ちを覚えます。
事故原因についてはいまだはっきりしないものの、これまたNHKの報道によると地元メディアでは落雷により送電が止まって事故の数時間前には別の車両が運転停止していたとのことで、何かしら送電施設に問題が発生した事に加え緊急停止装置が作動しなかったことが衝突の原因だと言われているそうです。
このブログでも何度か書いていますが、この中国版新幹線(高速鉄道)はかねてから現地紙でも安全性について度々疑義が呈されてきました。現実に先月開業したばかりの上海~北京間でも何度も緊急停止などといった故障が発生しており、そうした不安が手伝ってか高速鉄道が開通したことによって逆に同路線を飛ぶ飛行機の座席予約が増加傾向にあるとも聞きます。更に言えばこれだけの国家プロジェクトにもかかわらずそういった国内批判が数多くなされている事は異常とも言うべき事態で、今回の大事故を見る限りですとある意味では報道は的を得ていた、中国ジャーナリズムも捨てたものではないという見方が出来ます。
それで今後のこの中国版新幹線の行く末についての予想ですが、まず日本国内だと川崎重工らがほっと胸を撫で下ろし、中国国内だと日本の原発行政よろしく全路線において安全確認作業が実施されることとなるでしょう。安全確認の最中に運行を停止するかどうかについては今の段階ではわかりませんが、あくまで勘で言うとすでに去年から開業している路線もある事を考えると停止はしないと思います。もっともその間の売上げは悲惨なものとなり、運行本数はさすがに減らされるでしょうが。
このほか気になる点を挙げると、中国全体の鉄道整備計画に影響が出るであろうということ、関係者の処分などがありますが、それ以上に先程あげた中国メディアが今後どのようにこの事件を取り上げていくかについて注視していきたいと思います。
そういうわけで今回日本に戻って感じた事などを最初は書こうとしていたのですが、そうもいかないし日本にいる今だったらおおっぴらに書けるある大事件が」昨晩起こりました。
・安全軽視のツケ現実に 中国高速鉄道 「信じがたい事故」(産経新聞)
何気に今日の朝日新聞一面にも載ってましたが、校了の時間まで残り少なかったろうによくのっけてきたなと思います。
それはともかく、まさかこんなに早く中国の新幹線でこれほど大きな死亡事故が起こるとは私も予想していませんでした。数ヶ月、もしくは一年位したらなにかしら大規模な事故が起こるだろうとは思っていたものの、先程のNHKの報道ではすでに死者が30人を超すほどの大惨事だそうで、事故の被害者の方々には深い哀悼の気持ちを覚えます。
事故原因についてはいまだはっきりしないものの、これまたNHKの報道によると地元メディアでは落雷により送電が止まって事故の数時間前には別の車両が運転停止していたとのことで、何かしら送電施設に問題が発生した事に加え緊急停止装置が作動しなかったことが衝突の原因だと言われているそうです。
このブログでも何度か書いていますが、この中国版新幹線(高速鉄道)はかねてから現地紙でも安全性について度々疑義が呈されてきました。現実に先月開業したばかりの上海~北京間でも何度も緊急停止などといった故障が発生しており、そうした不安が手伝ってか高速鉄道が開通したことによって逆に同路線を飛ぶ飛行機の座席予約が増加傾向にあるとも聞きます。更に言えばこれだけの国家プロジェクトにもかかわらずそういった国内批判が数多くなされている事は異常とも言うべき事態で、今回の大事故を見る限りですとある意味では報道は的を得ていた、中国ジャーナリズムも捨てたものではないという見方が出来ます。
それで今後のこの中国版新幹線の行く末についての予想ですが、まず日本国内だと川崎重工らがほっと胸を撫で下ろし、中国国内だと日本の原発行政よろしく全路線において安全確認作業が実施されることとなるでしょう。安全確認の最中に運行を停止するかどうかについては今の段階ではわかりませんが、あくまで勘で言うとすでに去年から開業している路線もある事を考えると停止はしないと思います。もっともその間の売上げは悲惨なものとなり、運行本数はさすがに減らされるでしょうが。
このほか気になる点を挙げると、中国全体の鉄道整備計画に影響が出るであろうということ、関係者の処分などがありますが、それ以上に先程あげた中国メディアが今後どのようにこの事件を取り上げていくかについて注視していきたいと思います。
2011年7月20日水曜日
中国で商売する上でのカントリーリスク
かねてから左クリックの調子が悪かったので新しいマウスを買ってきました。買ってきたのは近くのウォールマート系列スーパーの好又多で売ってたヒュンダイ製のマウスですが、そこそこ悪いわけではないもののもともとのパソコンデスクと椅子の高さのバランスの悪さから使ってて肩が痛くなります。それでも前のマウスより全然いいけど。
話は本題に移って、先日に友人から自分のブログを見ていてやはり中国のカントリーリスクは高いと感じるという感想を受けました。確かに例の新幹線の話題などからすれば予期せぬ事態が起こりやすい国だと皆さん感じられるかもしれませんが、実はそういう記事を書いて煽っている本人が言うのもなんですが、私は中国というのは実はカントリーリスクが非常に低い国だとこの頃、というよりこっちで働いてみて感じるようになりました。
私もかつては中国というのはカントリーリスクが高く、市場は大きいけれど商売も一筋縄では行かない国だろうという印象が強かったです。それが逆転したのはこっちにきて顧客と話をしている時で、その顧客が言うには確かにアメリカなどの欧米諸国と比べればそうみえるかもしれないが、ほかのアジア諸国に比べれば中国というのは実は非常に商売がやりやすいそうです。
まず第一に言えるのは、国内の治安です。中国というのは警察がいろんな意味で強い国で地方によっては料金をちょろまかすタクシー運転手もおりますが、そういう細かいのに目を瞑れば都市部においては非常に治安のいい国で、夜も全く心配せずに一人で出歩けるほどです。ただ中国人は夜九時過ぎても子供を外で遊ばせておくのはよしたほうがいいと思うけど。治安というのは馬鹿にならないもので、それこそ強盗やテロなどが多い国では駐在員自身の安全を確保するために家賃なども高い居住地に住む必要も出てきます。けちな話をすると海外保険代だって高くなりますし。
その上で中国が他の国と比して商売がやりやすいのは、宗教上の障害が少ない点です。それこそイスラム教の影響が強い国ですと様々なタブーがあり、確か昔には味の素が食品の製造過程で豚の油を使っているという根も葉もないデマが流れて直撃を受けたという話があるなど、普段生活する上でも数多くの制限があります。
それに比べて中国はというと本当に何でもありというか、文化的にも近いことから日本と同等の感覚でさえいればタブーには触れずに済みます。
そんな中国で唯一カントリーリスクというか触れてはならないものは政治関係の話題ですが、逆を言えば政治事にさえ関わらなければ本当になんでもやっていいように感じます。一応国が保護している産業などについては海外からの投資や買収が制限されたりはしますが、面倒な手続きと合弁などの手段をとりさえすれば国内でどのような活動をしても許されますし。
もっとも去年のレアアースの禁輸措置など突然ありえない行動に出られたりはしますが、この点は確かにひどいといえばひどいですが多かれ少なかれ他の国でも相応のリスクはあります。言ってしまえばアメリカのトヨタ叩きもそうでしたし、タイでも毎回短期間で終わりますがクーデターが起こるなど、中国に限ることではありません。
この辺自分がよく成長したなぁと思う点ですが、日本ではなにがなんでも想定外の事態は起こることは絶対にあってはならないし、もし起こったらその対応よりも責任者は誰か捜すことの方が優先されていた気がしますが、中国で働いてたり生活していると想定外の事態が起こるのが当たり前で、その都度に素早く対応できるようになってきています。これは世代による価値観なのかもしれませんが、どうもこっちで生活していると日本人は想定外の事態になれてないというか、ちょっとした事をすぐカントリーリスクにまで数えてしまうところがあるような気がします。
昔から日本人は一番最悪な事態は起こらない、というか起こるはずないと妙な割り切り方をするところがありますが、そういう思考からは早く脱却したほうがいいと思います。私なんかこのところ、「これ以上最悪の事態が起こるとしたらどんな状態だろう」と常に考えるようになりましたし。
話は本題に移って、先日に友人から自分のブログを見ていてやはり中国のカントリーリスクは高いと感じるという感想を受けました。確かに例の新幹線の話題などからすれば予期せぬ事態が起こりやすい国だと皆さん感じられるかもしれませんが、実はそういう記事を書いて煽っている本人が言うのもなんですが、私は中国というのは実はカントリーリスクが非常に低い国だとこの頃、というよりこっちで働いてみて感じるようになりました。
私もかつては中国というのはカントリーリスクが高く、市場は大きいけれど商売も一筋縄では行かない国だろうという印象が強かったです。それが逆転したのはこっちにきて顧客と話をしている時で、その顧客が言うには確かにアメリカなどの欧米諸国と比べればそうみえるかもしれないが、ほかのアジア諸国に比べれば中国というのは実は非常に商売がやりやすいそうです。
まず第一に言えるのは、国内の治安です。中国というのは警察がいろんな意味で強い国で地方によっては料金をちょろまかすタクシー運転手もおりますが、そういう細かいのに目を瞑れば都市部においては非常に治安のいい国で、夜も全く心配せずに一人で出歩けるほどです。ただ中国人は夜九時過ぎても子供を外で遊ばせておくのはよしたほうがいいと思うけど。治安というのは馬鹿にならないもので、それこそ強盗やテロなどが多い国では駐在員自身の安全を確保するために家賃なども高い居住地に住む必要も出てきます。けちな話をすると海外保険代だって高くなりますし。
その上で中国が他の国と比して商売がやりやすいのは、宗教上の障害が少ない点です。それこそイスラム教の影響が強い国ですと様々なタブーがあり、確か昔には味の素が食品の製造過程で豚の油を使っているという根も葉もないデマが流れて直撃を受けたという話があるなど、普段生活する上でも数多くの制限があります。
それに比べて中国はというと本当に何でもありというか、文化的にも近いことから日本と同等の感覚でさえいればタブーには触れずに済みます。
そんな中国で唯一カントリーリスクというか触れてはならないものは政治関係の話題ですが、逆を言えば政治事にさえ関わらなければ本当になんでもやっていいように感じます。一応国が保護している産業などについては海外からの投資や買収が制限されたりはしますが、面倒な手続きと合弁などの手段をとりさえすれば国内でどのような活動をしても許されますし。
もっとも去年のレアアースの禁輸措置など突然ありえない行動に出られたりはしますが、この点は確かにひどいといえばひどいですが多かれ少なかれ他の国でも相応のリスクはあります。言ってしまえばアメリカのトヨタ叩きもそうでしたし、タイでも毎回短期間で終わりますがクーデターが起こるなど、中国に限ることではありません。
この辺自分がよく成長したなぁと思う点ですが、日本ではなにがなんでも想定外の事態は起こることは絶対にあってはならないし、もし起こったらその対応よりも責任者は誰か捜すことの方が優先されていた気がしますが、中国で働いてたり生活していると想定外の事態が起こるのが当たり前で、その都度に素早く対応できるようになってきています。これは世代による価値観なのかもしれませんが、どうもこっちで生活していると日本人は想定外の事態になれてないというか、ちょっとした事をすぐカントリーリスクにまで数えてしまうところがあるような気がします。
昔から日本人は一番最悪な事態は起こらない、というか起こるはずないと妙な割り切り方をするところがありますが、そういう思考からは早く脱却したほうがいいと思います。私なんかこのところ、「これ以上最悪の事態が起こるとしたらどんな状態だろう」と常に考えるようになりましたし。
2011年7月19日火曜日
海外に来る年齢
昨日出張から帰ってきましたが、出張場所はヒントを出せば一昨日NHKに映ってた場所です。もちろん私は映ってるわけではありませんが、帰るなりまた家のネットが接続できなくなってて、今日の昼間にはさすがに従業員を怒って直させました。中国ではよくあること。
それでは本題に入りますが、先日縁あって出身母校の上海校友会に出席しました。比較的大きな会合だったので参加者は約40人も数えたのですが、その会では意外というべきかなんというか、なんと私が最年少の参加者でした。当初私はその会には上海に留学で来ている留学生らも来るだろうと踏んで中堅くらい、もしくは比較的若い世代に入っているだろうと思っていたのですが蓋を開けてみるとぶっちぎりの最年少参加者で、近い年齢の方も何人かいましたがほとんどが40代以上のおっさんという会となりました。まぁそのおっさんどもは女性参加者の周りに群がってたが。
このブログではちょこちょこ匂わせていますが、私の年齢は現在20代の後半です。確かに少子化だし、日本国内ならまだしも上海という土地柄を考えれば今回最年少となったのも無理ないかもしれませんが、内心私は中国に遅れてやってきたとこれまで自覚していました。
私は元々新卒で就職活動をしていた際に、中国語を使えるということでメーカーのような、中国に駐在させて働く機会があるような企業を中心に面接を受けていましたがすべて落ち、最終的に採用してくれた商社では中国語はあまり使う機会のないところでした。それだったら最初から大学卒業とともに中国にやってきて現在働いているように現地採用で就職先を見つければよかったのですが、その考えは全くなかったというわけではなかったものの、やはりいきなり中国で働けるのか、就職先がきちんと見つかるのかという懸念から日本での雇用生活を最初にスタートさせたわけでした。
その後日本で数年働いた後にやはり中国に来たいと思ってこうして現地採用されるに至りましたが、本来であれば大卒直後の22~23歳くらいから中国で働くつもりだったのにと考えていただけに、20代後半での中国上陸は遅過ぎるとまでは言いませんがやや出遅れたスタートだと今まで考えていました。
しかし実際に働いて見るとどこいっても20代の日本人はほとんどおらず、今回の校友会のように自分が最年少のような立場になることが多く、他の参加者らからよくそんな年齢、しかも日本からの派遣ではなく現地採用できたものだと妙な感心のされ方をすることが非常に多いです。現在の会社でも私の年齢は下から二番目で、しかも編集職という立場では異常に低い年齢です。
それこそ二年や三年前は早く中国に行かなくては、今行かないと二度と来れなくなると焦る気持ちでいっぱいでありましたが、現在の状態を鑑みるにつけてそこまで焦らなくともよかったのではないかとこの頃思います。何故私がここでそんなことを書くのかというと、同じように海外での就職を希望している人たちに対して20代での海外就職はまだそれほど多くないと言いたいからです。現地採用においても話を聞く限りではやはり30代くらいでの転職希望者がメインのようですし、今までの自分はちょっと生き急ぎ過ぎたと思います。
ただだからと言って、こちらに来たのが早過ぎたとは思っていません。やはり今の自分の年齢で来れた、しかも中国での就労ビザ(Zビザ)が取れやすくなる日本での就労経験2年以上を持っていたことは有利に働きましたし、いいタイミングで決断してこれたという実感は強いです。早ければいいというわけではありませんが、ある程度考え方や希望がはっきりした段階に至ればすぐに決断するというのはそれほど悪くはないかと思います。
藤田田はなんでも、「20代はボロクソに働き、30代になったら稼いで貯めた金で海外に行け。そして40代で起業しろ」と言ってたそうですが、時間的にはこれくらいが確かにいいのかもしれません。自分はややフライングして20代からもう海外に来ちゃいましたが、人間思ったより後からでも巻き返しは利くもんだというのが今日の意見です。
それでは本題に入りますが、先日縁あって出身母校の上海校友会に出席しました。比較的大きな会合だったので参加者は約40人も数えたのですが、その会では意外というべきかなんというか、なんと私が最年少の参加者でした。当初私はその会には上海に留学で来ている留学生らも来るだろうと踏んで中堅くらい、もしくは比較的若い世代に入っているだろうと思っていたのですが蓋を開けてみるとぶっちぎりの最年少参加者で、近い年齢の方も何人かいましたがほとんどが40代以上のおっさんという会となりました。まぁそのおっさんどもは女性参加者の周りに群がってたが。
このブログではちょこちょこ匂わせていますが、私の年齢は現在20代の後半です。確かに少子化だし、日本国内ならまだしも上海という土地柄を考えれば今回最年少となったのも無理ないかもしれませんが、内心私は中国に遅れてやってきたとこれまで自覚していました。
私は元々新卒で就職活動をしていた際に、中国語を使えるということでメーカーのような、中国に駐在させて働く機会があるような企業を中心に面接を受けていましたがすべて落ち、最終的に採用してくれた商社では中国語はあまり使う機会のないところでした。それだったら最初から大学卒業とともに中国にやってきて現在働いているように現地採用で就職先を見つければよかったのですが、その考えは全くなかったというわけではなかったものの、やはりいきなり中国で働けるのか、就職先がきちんと見つかるのかという懸念から日本での雇用生活を最初にスタートさせたわけでした。
その後日本で数年働いた後にやはり中国に来たいと思ってこうして現地採用されるに至りましたが、本来であれば大卒直後の22~23歳くらいから中国で働くつもりだったのにと考えていただけに、20代後半での中国上陸は遅過ぎるとまでは言いませんがやや出遅れたスタートだと今まで考えていました。
しかし実際に働いて見るとどこいっても20代の日本人はほとんどおらず、今回の校友会のように自分が最年少のような立場になることが多く、他の参加者らからよくそんな年齢、しかも日本からの派遣ではなく現地採用できたものだと妙な感心のされ方をすることが非常に多いです。現在の会社でも私の年齢は下から二番目で、しかも編集職という立場では異常に低い年齢です。
それこそ二年や三年前は早く中国に行かなくては、今行かないと二度と来れなくなると焦る気持ちでいっぱいでありましたが、現在の状態を鑑みるにつけてそこまで焦らなくともよかったのではないかとこの頃思います。何故私がここでそんなことを書くのかというと、同じように海外での就職を希望している人たちに対して20代での海外就職はまだそれほど多くないと言いたいからです。現地採用においても話を聞く限りではやはり30代くらいでの転職希望者がメインのようですし、今までの自分はちょっと生き急ぎ過ぎたと思います。
ただだからと言って、こちらに来たのが早過ぎたとは思っていません。やはり今の自分の年齢で来れた、しかも中国での就労ビザ(Zビザ)が取れやすくなる日本での就労経験2年以上を持っていたことは有利に働きましたし、いいタイミングで決断してこれたという実感は強いです。早ければいいというわけではありませんが、ある程度考え方や希望がはっきりした段階に至ればすぐに決断するというのはそれほど悪くはないかと思います。
藤田田はなんでも、「20代はボロクソに働き、30代になったら稼いで貯めた金で海外に行け。そして40代で起業しろ」と言ってたそうですが、時間的にはこれくらいが確かにいいのかもしれません。自分はややフライングして20代からもう海外に来ちゃいましたが、人間思ったより後からでも巻き返しは利くもんだというのが今日の意見です。
2011年7月13日水曜日
文芸春秋の足利事件キャンペーン
・足利事件キャンペーン はじめに(文芸春秋)
このブログでもこれまでに何度か取り上げてきておりますが、先日たまたま上記サイトを見つけたのでここにリンクを貼ることにしました。上記サイトは2009年に無罪が証明されて釈放された菅家利和さんが巻き込まれた足利事件を含む、栃木県と群馬県において発生し未解決のままの幼女誘拐、殺人事件(北関東連続幼女誘拐殺人事件)について、日テレ記者の清水潔氏が追ったレポートです。清水氏の記事は毎月文芸春秋に載せられているのですが、上記サイトではうれしいことにこれまでのものから最新の記事まですべて閲覧することが出来、部外者の私が言うのもなんですが今ここでこの記事を読んでいる方にはどうかご一読いただきたいと切に願います。
内容について簡単にまとめると、菅家さんが釈放される前から該当地域にて幼女の誘拐、殺人事件が頻発していることから清水氏は同一犯の可能性を探り、その後の独自調査で菅家さんは足利事件の犯人ではないという結論に達し、果てには犯人と非常に思しき人物の特定にまで至る過程が記事に描かれております。記事内容は非常にしっかりと取材をした上で書かれているだけに説得力が高く、また遺族や当時の事件目撃者などから詳細な情報を聞き出しており、始めに読んだ際はこんな凄い記者が世の中にいたのかと思わせられるほどの構成でした。
ただそうした記事構成以上に、真犯人と思しき人物がはっきりと特定しており、なおかつ足利事件で誤認逮捕をしたにもかかわらず「時効だから」といって捜査に着手しようとしない栃木県警の対応には深い怒りを覚えさせられます。先日に書いた問題のある県警リストも元を辿ればこの清水氏の記事を読んでまとめようと思い立ったものですし、一ブロガーとはいえこの事件についてはなるべく広く世に訴えるべきだという考えから、こうして関連する記事を折あらば書いております。
・足利事件など未解決5事件、被害者家族会発足へ(朝日新聞)
これは先月末のニュースですが、こうした清水氏の活動もあってか北関東連続幼女誘拐殺人事件の被害者遺族らは家族会を結成しました。知らない人からすればそれほど気にも留めないニュースだったかもしれませんが、清水氏の記事を読んでた私からすればこれをきっかけに事件が動いてくれればという思いをさせられる大きなニュースでした。
このブログでもこれまでに何度か取り上げてきておりますが、先日たまたま上記サイトを見つけたのでここにリンクを貼ることにしました。上記サイトは2009年に無罪が証明されて釈放された菅家利和さんが巻き込まれた足利事件を含む、栃木県と群馬県において発生し未解決のままの幼女誘拐、殺人事件(北関東連続幼女誘拐殺人事件)について、日テレ記者の清水潔氏が追ったレポートです。清水氏の記事は毎月文芸春秋に載せられているのですが、上記サイトではうれしいことにこれまでのものから最新の記事まですべて閲覧することが出来、部外者の私が言うのもなんですが今ここでこの記事を読んでいる方にはどうかご一読いただきたいと切に願います。
内容について簡単にまとめると、菅家さんが釈放される前から該当地域にて幼女の誘拐、殺人事件が頻発していることから清水氏は同一犯の可能性を探り、その後の独自調査で菅家さんは足利事件の犯人ではないという結論に達し、果てには犯人と非常に思しき人物の特定にまで至る過程が記事に描かれております。記事内容は非常にしっかりと取材をした上で書かれているだけに説得力が高く、また遺族や当時の事件目撃者などから詳細な情報を聞き出しており、始めに読んだ際はこんな凄い記者が世の中にいたのかと思わせられるほどの構成でした。
ただそうした記事構成以上に、真犯人と思しき人物がはっきりと特定しており、なおかつ足利事件で誤認逮捕をしたにもかかわらず「時効だから」といって捜査に着手しようとしない栃木県警の対応には深い怒りを覚えさせられます。先日に書いた問題のある県警リストも元を辿ればこの清水氏の記事を読んでまとめようと思い立ったものですし、一ブロガーとはいえこの事件についてはなるべく広く世に訴えるべきだという考えから、こうして関連する記事を折あらば書いております。
・足利事件など未解決5事件、被害者家族会発足へ(朝日新聞)
これは先月末のニュースですが、こうした清水氏の活動もあってか北関東連続幼女誘拐殺人事件の被害者遺族らは家族会を結成しました。知らない人からすればそれほど気にも留めないニュースだったかもしれませんが、清水氏の記事を読んでた私からすればこれをきっかけに事件が動いてくれればという思いをさせられる大きなニュースでした。
2011年7月11日月曜日
部落への報道が明るみになった日
前回の記事に続き、部落問題についてです。前回でも書いたように私は部落問題を掲げる部落解放同盟などの組織は信用しておらず、むしろ彼らのこれまで起こしてきた行政への介入や恐喝事件などから彼らを暴力団ともども一刻も早く社会から追放すべきだという立場をとっております。
さて近年になってネットの発達などもあってこうした部落出身者らによる団体の明らかに非合法な活動が徐々に日の目を浴びてきましたが、前の記事でも書いたように90年代の頃は部落という文字自体がマスメディアで報じられることは全くありませんでした。一体どうしてそこまで彼らが力を持ったのかは非常に気になるところで私も興味はあるのですがそれはまた置いといて、逆にどうして今になってこれらの問題が日の目を浴びるようになったのか、非合法な活動をしていた連中への批判が起こるようになったのでしょうか。
これはあくまで私の一つの推論ですが、大きなターニングポイントとなったのはほかでもなく下記のハンナンの牛肉偽装事件が摘発されたことがすべてのきっかけだったように思えます。
・ハンナン事件(Wikipedia)
・牛肉偽装事件
この事件は国がBSE対策の補償として国が国内牛肉の買取を行ったところ、雪印や日本ハムなど大企業などもこぞって外国産牛肉を国産と偽って買い取らせたという事件です。この一連の偽装事件では先の大企業二社に加えハンナンという会社も牛肉偽装を行っていたのですが、この会社の元会長である浅田満氏は部落解放同盟の幹部であったことから、この事件での2004年の逮捕以前はマスメディアに一切取り上げられることはなかったとのことです。
しかしこの事件で逮捕されて以降はまるでタガが外れたように一挙に報道され、また解放同盟の幹部という彼自身の経歴についても個別に報じられるようになりました。私は大メディアにとってこの時が一種のタブー解禁日になったと現在考えており、事実その後は部落出身者、団体による犯罪や不祥事事件が次々と報じられるようになっていきます。
その中でも代表的なのは、「三都物語」と揶揄された下記三府県の市役所における不祥事事件です。
・大阪市問題
・京都市環境局不祥事
・奈良市部落解放同盟員給与不正受給事件
この市役所の不祥事事件は最初の大阪市問題を我らがMBSこと毎日放送が凄まじい執念で、ぐうの音も出ないような証拠を突きつけて告発したことがすべての始まりでした。あまりにも見事だったのでここでも書きますが、大阪市役所職員が実際働いてもいないくせに残業代を申請して授受しているという噂を聞き、目をつけたある職員の出退勤時間を毎日入り口でチェックし、その上で住民監査請求で給与詳細と照らしてみたところ、毎日定時前後に退庁していたにもかかわらずやっぱり残業代をつけてて不正が明らかになりました。
その後大阪市の内部調査を勧めたところ同じ事をしていた職員がどんどんと現れ、裏金やヤミ専従など不正と呼ばれるものはすべてやったと言わんばかりにどんどんと明るみになり、その中には同和対策事業での不正もありました。個人的に私がひどいというか呆れたのは、大卒ではあるものの比較的採用されやすい高卒枠に高卒と偽って入庁した職員がなんと965人もいたのですが、先にこれが明るみになった神戸市役所の職員数名は即刻懲戒免職となったのに対し、大阪は停職一ヶ月で済ませました。まぁこれはどこでもやってるし、京都市にもたくさんいるってのはよく知ってるんですがね。
こうして大阪市の問題が次々と明らかになる中、続いて京都市と奈良市でも役所内の不祥事が一挙に明るみとなって行きました。こちらは大阪市以上に同和問題の側面が強く、同和対策事業として優先的に採用、もしくは関係団体からの強い推薦を受けて採用してきた環境局職員らが平気で仕事を抜けパチンコはするわ、出勤はしないわというのがばれ、釈明に負われた当時の桝本頼兼京都市長が同和枠採用が原因と認めることとなりましたが、この発言があった際にネット上では、「この市長は殺されやしないか」とまで書かれましたが、実は私も同じ心配をしました。もっともこれは杞憂にしか過ぎず、桝本氏はその後任期を全うして引退し、現在も存命です。
はっきりいって90年代であればこうした不祥事がたとえあったとしても、周囲に知られたとしても堂々と報道されるなんて私には考えられませんでした。しかしどうも2004年のハンナン事件以降、こうした方面へのタブーは薄れたのか公開されるようになり、私にとってはいい世の中になってきたと思えます。
上記の不祥事事件などは突き詰めれば個人の犯罪です。しかしハンナン事件など明確な幹部が逮捕されたにもかかわらず解放同盟などは公への謝罪、反省のコメントなどは少なく、その当事者意識について疑問に感じることが多いです。ただ奈良市の事件では問題を起こした職員は幹部だったそうですが、解放同盟はきちんと除名という処分を取っており、ケースバイケースなところはあります。願わくば昨日に取り上げた自作自演事件などともにもうすこし自浄作用を働かせてほしいものですが。
最後にまとめになりますが私が部落団体に一番理解できなく汚いと思えるところは、昔差別されたのだから今現在に特別な補償をよこせと要求する点です。差別されていたことは事実でありますし私自身は深く同情します。しかしその差別の是正を求める、つまり非部落出身者と同じ立場や条件を求めるのならともかく、それ以上の待遇や異常ともいえる補償を要求するのは本末転倒もいいところで、なおかつ過去にその要求のため暴力的手段を取ってきたことは到底認められるものではありません。
少なくとも現在ある特別な補償等を放棄しない限りは、私は彼らが周囲から変な目で見られているとしても何の同情もしないでしょう。
さて近年になってネットの発達などもあってこうした部落出身者らによる団体の明らかに非合法な活動が徐々に日の目を浴びてきましたが、前の記事でも書いたように90年代の頃は部落という文字自体がマスメディアで報じられることは全くありませんでした。一体どうしてそこまで彼らが力を持ったのかは非常に気になるところで私も興味はあるのですがそれはまた置いといて、逆にどうして今になってこれらの問題が日の目を浴びるようになったのか、非合法な活動をしていた連中への批判が起こるようになったのでしょうか。
これはあくまで私の一つの推論ですが、大きなターニングポイントとなったのはほかでもなく下記のハンナンの牛肉偽装事件が摘発されたことがすべてのきっかけだったように思えます。
・ハンナン事件(Wikipedia)
・牛肉偽装事件
この事件は国がBSE対策の補償として国が国内牛肉の買取を行ったところ、雪印や日本ハムなど大企業などもこぞって外国産牛肉を国産と偽って買い取らせたという事件です。この一連の偽装事件では先の大企業二社に加えハンナンという会社も牛肉偽装を行っていたのですが、この会社の元会長である浅田満氏は部落解放同盟の幹部であったことから、この事件での2004年の逮捕以前はマスメディアに一切取り上げられることはなかったとのことです。
しかしこの事件で逮捕されて以降はまるでタガが外れたように一挙に報道され、また解放同盟の幹部という彼自身の経歴についても個別に報じられるようになりました。私は大メディアにとってこの時が一種のタブー解禁日になったと現在考えており、事実その後は部落出身者、団体による犯罪や不祥事事件が次々と報じられるようになっていきます。
その中でも代表的なのは、「三都物語」と揶揄された下記三府県の市役所における不祥事事件です。
・大阪市問題
・京都市環境局不祥事
・奈良市部落解放同盟員給与不正受給事件
この市役所の不祥事事件は最初の大阪市問題を我らがMBSこと毎日放送が凄まじい執念で、ぐうの音も出ないような証拠を突きつけて告発したことがすべての始まりでした。あまりにも見事だったのでここでも書きますが、大阪市役所職員が実際働いてもいないくせに残業代を申請して授受しているという噂を聞き、目をつけたある職員の出退勤時間を毎日入り口でチェックし、その上で住民監査請求で給与詳細と照らしてみたところ、毎日定時前後に退庁していたにもかかわらずやっぱり残業代をつけてて不正が明らかになりました。
その後大阪市の内部調査を勧めたところ同じ事をしていた職員がどんどんと現れ、裏金やヤミ専従など不正と呼ばれるものはすべてやったと言わんばかりにどんどんと明るみになり、その中には同和対策事業での不正もありました。個人的に私がひどいというか呆れたのは、大卒ではあるものの比較的採用されやすい高卒枠に高卒と偽って入庁した職員がなんと965人もいたのですが、先にこれが明るみになった神戸市役所の職員数名は即刻懲戒免職となったのに対し、大阪は停職一ヶ月で済ませました。まぁこれはどこでもやってるし、京都市にもたくさんいるってのはよく知ってるんですがね。
こうして大阪市の問題が次々と明らかになる中、続いて京都市と奈良市でも役所内の不祥事が一挙に明るみとなって行きました。こちらは大阪市以上に同和問題の側面が強く、同和対策事業として優先的に採用、もしくは関係団体からの強い推薦を受けて採用してきた環境局職員らが平気で仕事を抜けパチンコはするわ、出勤はしないわというのがばれ、釈明に負われた当時の桝本頼兼京都市長が同和枠採用が原因と認めることとなりましたが、この発言があった際にネット上では、「この市長は殺されやしないか」とまで書かれましたが、実は私も同じ心配をしました。もっともこれは杞憂にしか過ぎず、桝本氏はその後任期を全うして引退し、現在も存命です。
はっきりいって90年代であればこうした不祥事がたとえあったとしても、周囲に知られたとしても堂々と報道されるなんて私には考えられませんでした。しかしどうも2004年のハンナン事件以降、こうした方面へのタブーは薄れたのか公開されるようになり、私にとってはいい世の中になってきたと思えます。
上記の不祥事事件などは突き詰めれば個人の犯罪です。しかしハンナン事件など明確な幹部が逮捕されたにもかかわらず解放同盟などは公への謝罪、反省のコメントなどは少なく、その当事者意識について疑問に感じることが多いです。ただ奈良市の事件では問題を起こした職員は幹部だったそうですが、解放同盟はきちんと除名という処分を取っており、ケースバイケースなところはあります。願わくば昨日に取り上げた自作自演事件などともにもうすこし自浄作用を働かせてほしいものですが。
最後にまとめになりますが私が部落団体に一番理解できなく汚いと思えるところは、昔差別されたのだから今現在に特別な補償をよこせと要求する点です。差別されていたことは事実でありますし私自身は深く同情します。しかしその差別の是正を求める、つまり非部落出身者と同じ立場や条件を求めるのならともかく、それ以上の待遇や異常ともいえる補償を要求するのは本末転倒もいいところで、なおかつ過去にその要求のため暴力的手段を取ってきたことは到底認められるものではありません。
少なくとも現在ある特別な補償等を放棄しない限りは、私は彼らが周囲から変な目で見られているとしても何の同情もしないでしょう。
2011年7月10日日曜日
部落問題に対する私の所見
一つ前の「松本前復興相と福岡空港」記事にて福岡空苦の敷地借地について部落問題に関わる部落解放同盟による行政への介入があったのではないかと私は書きましたが、いい機会なので部落問題について私の所見をここで一気にまとめてしまおうかと思います。こういう記事は休日でもないと書けやしないし。
まず結論から言うと、私は頭から部落問題を主張する人間は信用しませんし、解放同盟という組織は可能な限り早く解散すべしだという批判的立場を持っております。最初にあらかじめ言っておくと部落問題自体が全く存在しなかったと主張するつもりではなく、少し前の時代で実際にひどいと思うような差別行為を見聞きしています。しかし現在において差別が実際にあるのかどうかとなるとかなり疑問で、少なくとも行政が部落出身者やその団体へ多大な補償や保護、介入を許すほどではないと考えております。
まず差別が現在まだあるのかどうかという点についてですが、そもそもの話として日本はいじめがかなり多い社会だと私は考えております。小、中学校、部活動のいじめは言うに及ばず職場においてもなんやかんやで無駄としか言いようのないいじめはどこにでもあり、その対象というのも千差万別で、別に被差別部落出身者に限らずいわゆる差別的行為や陰湿な暴力を受けることは多々あるにもかかわらず、部落出身者に対してのみあれこれ行政上の優遇があるのは妙な気がします。その上でこれはある友人の意見ですが、
「日系ブラジル人などと比べて部落出身者は見かけから言語まで完全に日本人と一緒で外見からまずばれることはない。確かに昔から同じところに住んでいたら周囲にも出身がわかっていろいろ言われるかもしれないが、そんなに差別されるのが嫌だったら引っ越せばいいだけの話じゃないか」
結局のところ、部落問題はこの一言ですべて片付くのではないかと思います。別に部落出身者じゃなくとも今の日本社会は就業において故郷を離れるのがごくごく一般的ですし、東京にでも出てくれば出身についてばれることはまずありません。故郷にとどまっていたい、けど差別されたくないというのははっきり言えば甘えでしかなく、根本的解決方法があるにもかかわらずそれを選択しない人間は何だというのでしょうか。
その上で私が部落解放運動について批判的な立場を取る理由についてですが、私がこの問題で最初に奇妙さを感じたのは滋賀県のある優遇政策(同和対策事業)でした。それは数年前に見たテレビ番組なのですが、滋賀県にあるという部落出身者のみにしか利用できない体育館の紹介がされていました。その紹介された体育館というのは見る限りやけに立派な施設で、どうしてこれが一般市民には開放されず部落出身者にしか使えないのかという点でもうかなりおかしいのですが、番組でもインタビューでそのことを利用者に尋ねると、「同じ出身者同士で相談できる環境があるのとないのとでは違う」と高校生くらいの男性が話していました。
この発言にケチをつけると、少なくとも相談だけなら誰かの家でも十分出来るし体育館でする必要性はあまり感じられません。その上で多少やっかみっぽくなりますが、あんな豪華な施設を独占しているからこそ周囲から色々見られるのではないかという気もしないでもありません。真の平等というのは誰もが同じ施設を同じ費用で使うことではないのか、このような主旨を部落団体は持たないのかと疑問を持ったのが始まりです。
こうした方向性のよくわからない優遇政策とともに、これまでの解放同盟の常識が通用しない異常な行為の数々も見逃せません。一つ一つ説明するのはさすがに面倒なので、この一週間密かに調べていた事件のリンクをここでまとめて貼ります。
・八鹿高校事件
・篠山町連続差別落書き事件
・滋賀県公立中学校差別落書き自作自演事件
・一ツ橋小学校事件
・解同高知市協「差別手紙」事件
・立花町連続差別ハガキ事件
・飛鳥会事件
これら事件で私が理解できないのは、一ツ橋小学校事件を始めとした一連の自作自演事件です。これら自作自演事件の手はずと言うのは差別的内容が書かれた手紙や落書きを内部で書き、未だにこの地域や学校には差別があると糾弾するといった具合で実行されるのですが、差別を是正するための組織が差別を自分で作るなんて何を考えているのか理解できません。平等を期すために書いておきますが2003年には「連続大量差別事件」といって部落問題とはなんの関係もないある一般人から関係組織へ差別的内容が書かれた手紙が送られる事件がありましたが、それにしたって他の事件を見ているとこの事件も自作自演と疑われたのも無理ない気がします。
こうした事件以外にも西日本を始めとした各自治体行政への介入、過剰な優遇策ももはや目にあまり、解放同盟というのは百害あって一利なき存在だと私は見ております。敢えて例えるとしたら人権を盾に無茶で非合法な要求を行うということから平安時代の比叡山を始めとした僧兵のようなもので、暴力団ともども排斥対象としてもよい気がします。
個人的に気になるのはどうして解放同盟はこれほどまでに利権というか力を持つようになったのかということで、いくつか考えられる仮説はあれども確たる証拠には欠けているのが現状です。ただ本当に彼ら組織は90年代には恐ろしいほど力を持っており、大きな事件になろうともマスメディアは一切取り上げることはありませんでした。
しかし2000年代に入り、潮目はすでに完全に変わっております。次回記事では一体どこで潮目が変わり、社会の見方が変化したのかを取り上げます。それにしても自分も怖いもの知らずになったもんだ。
まず結論から言うと、私は頭から部落問題を主張する人間は信用しませんし、解放同盟という組織は可能な限り早く解散すべしだという批判的立場を持っております。最初にあらかじめ言っておくと部落問題自体が全く存在しなかったと主張するつもりではなく、少し前の時代で実際にひどいと思うような差別行為を見聞きしています。しかし現在において差別が実際にあるのかどうかとなるとかなり疑問で、少なくとも行政が部落出身者やその団体へ多大な補償や保護、介入を許すほどではないと考えております。
まず差別が現在まだあるのかどうかという点についてですが、そもそもの話として日本はいじめがかなり多い社会だと私は考えております。小、中学校、部活動のいじめは言うに及ばず職場においてもなんやかんやで無駄としか言いようのないいじめはどこにでもあり、その対象というのも千差万別で、別に被差別部落出身者に限らずいわゆる差別的行為や陰湿な暴力を受けることは多々あるにもかかわらず、部落出身者に対してのみあれこれ行政上の優遇があるのは妙な気がします。その上でこれはある友人の意見ですが、
「日系ブラジル人などと比べて部落出身者は見かけから言語まで完全に日本人と一緒で外見からまずばれることはない。確かに昔から同じところに住んでいたら周囲にも出身がわかっていろいろ言われるかもしれないが、そんなに差別されるのが嫌だったら引っ越せばいいだけの話じゃないか」
結局のところ、部落問題はこの一言ですべて片付くのではないかと思います。別に部落出身者じゃなくとも今の日本社会は就業において故郷を離れるのがごくごく一般的ですし、東京にでも出てくれば出身についてばれることはまずありません。故郷にとどまっていたい、けど差別されたくないというのははっきり言えば甘えでしかなく、根本的解決方法があるにもかかわらずそれを選択しない人間は何だというのでしょうか。
その上で私が部落解放運動について批判的な立場を取る理由についてですが、私がこの問題で最初に奇妙さを感じたのは滋賀県のある優遇政策(同和対策事業)でした。それは数年前に見たテレビ番組なのですが、滋賀県にあるという部落出身者のみにしか利用できない体育館の紹介がされていました。その紹介された体育館というのは見る限りやけに立派な施設で、どうしてこれが一般市民には開放されず部落出身者にしか使えないのかという点でもうかなりおかしいのですが、番組でもインタビューでそのことを利用者に尋ねると、「同じ出身者同士で相談できる環境があるのとないのとでは違う」と高校生くらいの男性が話していました。
この発言にケチをつけると、少なくとも相談だけなら誰かの家でも十分出来るし体育館でする必要性はあまり感じられません。その上で多少やっかみっぽくなりますが、あんな豪華な施設を独占しているからこそ周囲から色々見られるのではないかという気もしないでもありません。真の平等というのは誰もが同じ施設を同じ費用で使うことではないのか、このような主旨を部落団体は持たないのかと疑問を持ったのが始まりです。
こうした方向性のよくわからない優遇政策とともに、これまでの解放同盟の常識が通用しない異常な行為の数々も見逃せません。一つ一つ説明するのはさすがに面倒なので、この一週間密かに調べていた事件のリンクをここでまとめて貼ります。
・八鹿高校事件
・篠山町連続差別落書き事件
・滋賀県公立中学校差別落書き自作自演事件
・一ツ橋小学校事件
・解同高知市協「差別手紙」事件
・立花町連続差別ハガキ事件
・飛鳥会事件
これら事件で私が理解できないのは、一ツ橋小学校事件を始めとした一連の自作自演事件です。これら自作自演事件の手はずと言うのは差別的内容が書かれた手紙や落書きを内部で書き、未だにこの地域や学校には差別があると糾弾するといった具合で実行されるのですが、差別を是正するための組織が差別を自分で作るなんて何を考えているのか理解できません。平等を期すために書いておきますが2003年には「連続大量差別事件」といって部落問題とはなんの関係もないある一般人から関係組織へ差別的内容が書かれた手紙が送られる事件がありましたが、それにしたって他の事件を見ているとこの事件も自作自演と疑われたのも無理ない気がします。
こうした事件以外にも西日本を始めとした各自治体行政への介入、過剰な優遇策ももはや目にあまり、解放同盟というのは百害あって一利なき存在だと私は見ております。敢えて例えるとしたら人権を盾に無茶で非合法な要求を行うということから平安時代の比叡山を始めとした僧兵のようなもので、暴力団ともども排斥対象としてもよい気がします。
個人的に気になるのはどうして解放同盟はこれほどまでに利権というか力を持つようになったのかということで、いくつか考えられる仮説はあれども確たる証拠には欠けているのが現状です。ただ本当に彼ら組織は90年代には恐ろしいほど力を持っており、大きな事件になろうともマスメディアは一切取り上げることはありませんでした。
しかし2000年代に入り、潮目はすでに完全に変わっております。次回記事では一体どこで潮目が変わり、社会の見方が変化したのかを取り上げます。それにしても自分も怖いもの知らずになったもんだ。
松本前復興相と福岡空港
しつこくまた松本前復興相の話ですが、今回の暴言騒動が大きく取り上げられた際に彼にまつわるある妙な話を耳に(目に?)しました。
・福岡空港、67億円の赤字、松本組(JC-NET)
正直なところ私はあまりネットメディアを信頼していないのですが、上記のJC-NETの記事については早くから大した内容をよく取り上げていたものだと嘆息させられました。
記事の内容を簡単に説明すると、国が管理する空港の中で最も赤字幅が大きい福岡空港なのですが、その額なんと67億円で、乗降客が少ないほかの空港と比べても赤字額が極端に大きい空港です。では一体何故福岡空港がこれほどまでに赤字が大きいのかというと、その最大の理由と見られているのが空港敷地の借地料です。記事によると福岡空港は空港敷地を所有ではなく地主から”借地”しており、借地料として毎年80億円という途方もない金額を支払っているそうです。で、そんなおいしすぎるとしか思えない地主は誰かというと、ほかならぬ件の松本龍前復興大臣の一族が経営する「松本組」がその一人だとの事です。
あまり航空行政に詳しくないのでそれが一般的なのかどうかまではわかりませんが、普通に考えて空港という重要施設の敷地を借地すること自体がなんだか奇妙に感じます。また毎年80億円、10年も払えば800億円にも上ることを考えるとどうして土地を買収しなかったのか、もしくはどうしてそんないわくつきの場所に福岡空港を立てたのか強い疑問と不満を感じます。憶測で物を言うのはあまりよくはありませんが、契約時に何かしらおかしな取引があったのではないかと思わせられます。
というのもこれはもう公ですのではっきり書きますが、松本前復興大臣は部落開放同盟のナンバー2で、常識では考えられない行政への介入をしでかしているのではという気配がプンプンします。ちょうど切りもいいので、この辺について次回記事で一気にまくし立てることとします。
・福岡空港、67億円の赤字、松本組(JC-NET)
正直なところ私はあまりネットメディアを信頼していないのですが、上記のJC-NETの記事については早くから大した内容をよく取り上げていたものだと嘆息させられました。
記事の内容を簡単に説明すると、国が管理する空港の中で最も赤字幅が大きい福岡空港なのですが、その額なんと67億円で、乗降客が少ないほかの空港と比べても赤字額が極端に大きい空港です。では一体何故福岡空港がこれほどまでに赤字が大きいのかというと、その最大の理由と見られているのが空港敷地の借地料です。記事によると福岡空港は空港敷地を所有ではなく地主から”借地”しており、借地料として毎年80億円という途方もない金額を支払っているそうです。で、そんなおいしすぎるとしか思えない地主は誰かというと、ほかならぬ件の松本龍前復興大臣の一族が経営する「松本組」がその一人だとの事です。
あまり航空行政に詳しくないのでそれが一般的なのかどうかまではわかりませんが、普通に考えて空港という重要施設の敷地を借地すること自体がなんだか奇妙に感じます。また毎年80億円、10年も払えば800億円にも上ることを考えるとどうして土地を買収しなかったのか、もしくはどうしてそんないわくつきの場所に福岡空港を立てたのか強い疑問と不満を感じます。憶測で物を言うのはあまりよくはありませんが、契約時に何かしらおかしな取引があったのではないかと思わせられます。
というのもこれはもう公ですのではっきり書きますが、松本前復興大臣は部落開放同盟のナンバー2で、常識では考えられない行政への介入をしでかしているのではという気配がプンプンします。ちょうど切りもいいので、この辺について次回記事で一気にまくし立てることとします。
2011年7月9日土曜日
社会人生活と比べる私の高校時代
よく「社会は厳しいんだぞ」と子供に言う大人の姿が描かれることがありますが、少なくとも私にとってはこれは当てはまることはありません。というのも比較的恵まれた社会人生活をしているのもあるでしょうがそれ以上に、中学、高校時代の方が私にとって何より辛い期間だったからです。
以前の「陽月秘話」の頃からすでに何度も愚痴っていて読んでる人には早いでしょうが、私の中学、高校時代は何も楽しい思い出がありませんでした。個別のエピソードではいくつか面白いものがあるもののあの時代の生活が有意義かどうかといえば全く価値は感じられず、中高一貫校であったため中学の時点で高校に進学してもこの環境が延長するとはっきり自覚していた私はわざわざ高校への進学をやめようとすら考えていたくらいです。中にはこうして大学にも進学して無事就職できたことから「高校に行っといて良かったね」と言われることもありますが、多分高校に行かなくとも大学への進学意識は非常に高かったので普通に大検とってきちんと進学できてたと思います。
具体的に中学、高校時代で何が嫌だったかといえば、えらそうな言い方になりますが周囲のほかの生徒が非常につまらない人間ばかりでした。常識が通用しないというか会話が面白くないというか、多分他の中高一貫校でもそうでしょうが人間関係が中学から高校までそのまんま動かないことから世界観がありえないくらい狭く、被害妄想が入っていることを認めますがその世界観から外れる私のような人間はかなり排他的に扱われてました。
それを表す一つのエピソードとしてよく使うのは、大学進学率に対する価値観です。進学校であったため中学に入学した時点で私の学校のほぼ全員の生徒は大学に進学することが規定路線です。それゆえにある授業で教師が、「日本の大学進学率は40%強(当時)」と説明したところ、「えー、八割くらいいっているかと思ってた」と洩らす生徒がおり、日本の子供は望めば誰だって大学にいけると信じて疑わないところがありました。
もっともそういう学校に通っていたので私の世界観も当時は決して広かったわけではありませんでしたが、なにが中学、高校時代で一番辛かったのかというと会話時に常に力をセーブして話しなくてはならないのが辛かったです。というのもその学校内の常識に従わない話し方や会話内容を出すと平気で、「何言ってんだお前」とすごまれるし、羽目を外して会話テンポを上げると相手は話の内容を理解できないで、何のためにここでみんな勉強してるんだろかと当時はめちゃくちゃ悩んでました。
逆に、その後大学に進学した後で知り合った人間に政経やら哲学など自分でも結構難しいと思う内容を話すと、「よぅ知っとるなぁ」と向こうも乗り気になって話しついてきたりするのを見て、「なんでわかるの?」としつこいくらいに聞くほど驚いたのを今でも覚えてます。
ただそんな嫌な学校の中でも、気が合う人間は全くいなかったわけでなく今でも連絡を取り合う友人は何人かおります。逆を言えば今付き合ってる人間以外だとあの学校の人間とは誰とも連絡を取りたくないとすら考えてるわけですが、今連絡を取り合っている友人の一人とは妙に気が合ったのか、理系の人間ゆえに政治系の話題は共有できなくとも何故だか関係は続いております。
まぁ明かしてしまうとその友人というのはちょっと前にリンクを結んだ「薬学部ナギ」の管理人なのですが、最近どうも私のブログに影響を受けたのかブログ作成に凝っているようで、また新しいブログを立ち上げたそうです。
・大学受験フジギリ
彼は具体的にどういう友人かといえば昔から今に至るまで「わがままなやっちゃなぁ」と思わせられる人物で、ブログの文章にもどことなくそういう性格がにじみ出てる気がします。ただわがままといっても自己中心的な性格というよりは主観が強いという性格で、間違ったこととかおかしなことがあればすぐに「それっておかしいじゃないか」というような人間ゆえに私と妙に気があったんじゃないかと思います。逆を言えば私も他人、というよりかは一般的な日本人より主観が明らかに強い口でこういうブログを運営しているわけですが、この性格で今までいろいろ損をしてきたなと思う一方、いい生き方をしてきたとこの頃誇れるとともに比較的恵まれた今の環境を得るきっかけになったのだと前向きに見られるようになっています。
以前の「陽月秘話」の頃からすでに何度も愚痴っていて読んでる人には早いでしょうが、私の中学、高校時代は何も楽しい思い出がありませんでした。個別のエピソードではいくつか面白いものがあるもののあの時代の生活が有意義かどうかといえば全く価値は感じられず、中高一貫校であったため中学の時点で高校に進学してもこの環境が延長するとはっきり自覚していた私はわざわざ高校への進学をやめようとすら考えていたくらいです。中にはこうして大学にも進学して無事就職できたことから「高校に行っといて良かったね」と言われることもありますが、多分高校に行かなくとも大学への進学意識は非常に高かったので普通に大検とってきちんと進学できてたと思います。
具体的に中学、高校時代で何が嫌だったかといえば、えらそうな言い方になりますが周囲のほかの生徒が非常につまらない人間ばかりでした。常識が通用しないというか会話が面白くないというか、多分他の中高一貫校でもそうでしょうが人間関係が中学から高校までそのまんま動かないことから世界観がありえないくらい狭く、被害妄想が入っていることを認めますがその世界観から外れる私のような人間はかなり排他的に扱われてました。
それを表す一つのエピソードとしてよく使うのは、大学進学率に対する価値観です。進学校であったため中学に入学した時点で私の学校のほぼ全員の生徒は大学に進学することが規定路線です。それゆえにある授業で教師が、「日本の大学進学率は40%強(当時)」と説明したところ、「えー、八割くらいいっているかと思ってた」と洩らす生徒がおり、日本の子供は望めば誰だって大学にいけると信じて疑わないところがありました。
もっともそういう学校に通っていたので私の世界観も当時は決して広かったわけではありませんでしたが、なにが中学、高校時代で一番辛かったのかというと会話時に常に力をセーブして話しなくてはならないのが辛かったです。というのもその学校内の常識に従わない話し方や会話内容を出すと平気で、「何言ってんだお前」とすごまれるし、羽目を外して会話テンポを上げると相手は話の内容を理解できないで、何のためにここでみんな勉強してるんだろかと当時はめちゃくちゃ悩んでました。
逆に、その後大学に進学した後で知り合った人間に政経やら哲学など自分でも結構難しいと思う内容を話すと、「よぅ知っとるなぁ」と向こうも乗り気になって話しついてきたりするのを見て、「なんでわかるの?」としつこいくらいに聞くほど驚いたのを今でも覚えてます。
ただそんな嫌な学校の中でも、気が合う人間は全くいなかったわけでなく今でも連絡を取り合う友人は何人かおります。逆を言えば今付き合ってる人間以外だとあの学校の人間とは誰とも連絡を取りたくないとすら考えてるわけですが、今連絡を取り合っている友人の一人とは妙に気が合ったのか、理系の人間ゆえに政治系の話題は共有できなくとも何故だか関係は続いております。
まぁ明かしてしまうとその友人というのはちょっと前にリンクを結んだ「薬学部ナギ」の管理人なのですが、最近どうも私のブログに影響を受けたのかブログ作成に凝っているようで、また新しいブログを立ち上げたそうです。
・大学受験フジギリ
彼は具体的にどういう友人かといえば昔から今に至るまで「わがままなやっちゃなぁ」と思わせられる人物で、ブログの文章にもどことなくそういう性格がにじみ出てる気がします。ただわがままといっても自己中心的な性格というよりは主観が強いという性格で、間違ったこととかおかしなことがあればすぐに「それっておかしいじゃないか」というような人間ゆえに私と妙に気があったんじゃないかと思います。逆を言えば私も他人、というよりかは一般的な日本人より主観が明らかに強い口でこういうブログを運営しているわけですが、この性格で今までいろいろ損をしてきたなと思う一方、いい生き方をしてきたとこの頃誇れるとともに比較的恵まれた今の環境を得るきっかけになったのだと前向きに見られるようになっています。
2011年7月8日金曜日
東大の入学時期変更検討について
・東大:入学時期を春から秋に 国際化推進で検討開始(毎日新聞)
ちょっと古いニュースですが、先の二本の記事がかなりきわどい内容なので蓋かぶせとばかりに取り上げておきます。
上記リンク先のニュース内容は東大が学生の入学時期を日本で一般的な春入学ではなく、国際基準に合わせた秋入学へ変更を検討しているというニュースです。仮に変更する場合でも入試時期は現在のままにしておき、入学までの半年間はボランティアや海外留学の時期として残しておくことが話されているようです。
このニュースに対する私の意見ですが、何でもかんでも国際基準に合わせようとする日本人の態度ははっきり言って私は大嫌いですが、この東大の入学時期変更については大賛成の立場をとります。
まず世界各国の大学入学時期についてですが、私が知る限り4月の春入学をしているのは日本と韓国しかありません。中国では9月入学で、大学入試も6月にやります。仮に東大が入学時期を変更するとどうなるかですが、まず海外の留学生が自国の学期に合わせて留学に来やすくなり、東大側もそれを狙っているようです。
何気に私の経歴もこの件と無関係ではなく、中国が9月入学ということから本音なら三回生になった直後の4月に留学したかったもののわざわざ三回生の前期まで日本の大学で講義を受け、その年の9月から中国へ留学し、一年後に日本の大学へは三回生の後期から復学しました。もっとも、後からわかったことですが私の留学先である北京語言大学ならカリキュラムがしっかりしてるから4月入学でも全く問題はなかったんだけど。
やはり入学時期を国際基準に合わせてもらえれば留学に来る方も行く方も助かること間違いなしでこの点だけでも支持するに足りますが、それ以上に私がこれに期待しているのは画一的な就職採用時期の打破です。私はかねがね一つの時期にほとんどの日本企業が採用時期を集中させる、また新卒学生に限定するといった行為が日本の経済に悪影響を及ぼしていると考えており、今回の検討内容通りに東大のみが入学時期をずらすことでこの慣例に一定度の衝撃を与えられるのではないかと見ております。もちろん東大一つがずらしたくらいでは効果ないかもしれませんし、これ以外の要因もいろいろあって一概に言えることではないですが、近年の日本はなにかと横並びにしすぎるところがあって、そういった均衡を敢えて崩すことが社会にいい影響を与えると私は考えています。
といいつつも、日本の過剰な横並びを崩すために国際基準にあわせるというのは、なんだか矛盾しているような気もしますが。
ちょっと古いニュースですが、先の二本の記事がかなりきわどい内容なので蓋かぶせとばかりに取り上げておきます。
上記リンク先のニュース内容は東大が学生の入学時期を日本で一般的な春入学ではなく、国際基準に合わせた秋入学へ変更を検討しているというニュースです。仮に変更する場合でも入試時期は現在のままにしておき、入学までの半年間はボランティアや海外留学の時期として残しておくことが話されているようです。
このニュースに対する私の意見ですが、何でもかんでも国際基準に合わせようとする日本人の態度ははっきり言って私は大嫌いですが、この東大の入学時期変更については大賛成の立場をとります。
まず世界各国の大学入学時期についてですが、私が知る限り4月の春入学をしているのは日本と韓国しかありません。中国では9月入学で、大学入試も6月にやります。仮に東大が入学時期を変更するとどうなるかですが、まず海外の留学生が自国の学期に合わせて留学に来やすくなり、東大側もそれを狙っているようです。
何気に私の経歴もこの件と無関係ではなく、中国が9月入学ということから本音なら三回生になった直後の4月に留学したかったもののわざわざ三回生の前期まで日本の大学で講義を受け、その年の9月から中国へ留学し、一年後に日本の大学へは三回生の後期から復学しました。もっとも、後からわかったことですが私の留学先である北京語言大学ならカリキュラムがしっかりしてるから4月入学でも全く問題はなかったんだけど。
やはり入学時期を国際基準に合わせてもらえれば留学に来る方も行く方も助かること間違いなしでこの点だけでも支持するに足りますが、それ以上に私がこれに期待しているのは画一的な就職採用時期の打破です。私はかねがね一つの時期にほとんどの日本企業が採用時期を集中させる、また新卒学生に限定するといった行為が日本の経済に悪影響を及ぼしていると考えており、今回の検討内容通りに東大のみが入学時期をずらすことでこの慣例に一定度の衝撃を与えられるのではないかと見ております。もちろん東大一つがずらしたくらいでは効果ないかもしれませんし、これ以外の要因もいろいろあって一概に言えることではないですが、近年の日本はなにかと横並びにしすぎるところがあって、そういった均衡を敢えて崩すことが社会にいい影響を与えると私は考えています。
といいつつも、日本の過剰な横並びを崩すために国際基準にあわせるというのは、なんだか矛盾しているような気もしますが。
中国高速鉄道についての鉄道部発言
・中国の高速鉄道は「海賊版新幹線」ではない、日本の報道に反論―中国鉄道部(レコードチャイナ)
日本でも多分大々的に報じられているかと思いますが、先日中国ではこれまで上海と杭州や南京などをつなげて運行していた中国版新幹線(高速鉄道)を上海~北京間の路線でも開通させました。開通させるとともにこの新幹線技術を欧米数カ国に特許を出願したことで、車両の原型となったCRH2型を販売したJR東日本&川崎重工が「そんなの、聞いてない(;゚Д゚)」と反応し、元から中国に売るのに反対していたJR東海が先の二社に「どういうことだよ(#・∀・)」と怒っていると聞きます。内心、今回の一件で川崎重工なんかは株価下がるんじゃないかなと思ったけど、そういうことは見てたところありませんでした。
日本で報道されているから説明は要らないのでぱっぱ話は進めますが、日本の技術を使った新幹線であるのにその技術を自国のものとして特許申請した中国に大して日本側の高まる不満はこちらでも報じられております。それに対して中国鉄道部(中国では日本の「省」を「部」と呼ぶ)の王勇平報道官が回答したのが最初のリンク先です。簡単にまとめると、というより答えは言うまでもなくいつもの通りですが、今走っている高速鉄道は川崎重工に提供してもらったものとは別の中国独自開発の車両で文句を言われる筋合いはないというものです。
実は何気にこの元記事を私も空いた時間に暇つぶしがてら昨日翻訳していたわけなのですが、気になった箇所をいくつか抜粋すると、
・川崎重工から提供してもらったのはCRH2型
・今走ってるのはそれを改造したCRH380A型
・カタログスペックが日本の新幹線とはまるで違う、全然別物
・日本の新幹線の技術をすでに越えている
・平均運行速度だって、日本みたいにくねくね走らないからこっちのが上
・日本が我々に追い抜かれた
・日本は技術に驕りがあった。だから我々に負けた
・中国人は人のものをパクって自分のものと言い張る民族じゃない、伝統的に
といった感じで、まぁ見ていて本当にイライラさせられることばかり言っております。特に最後の奴なんか、街宣車出して去年の万博パクリソング(岡本真夜)の曲を流してやろうかと言いたくなって来ます。
あと今回の特許出願について彼の論理ですが、ちょっと長いですが私なりにまとめると以下のようになります。
「現在の中国の高速鉄道は確かに日本の技術が大きく貢献しているが、技術というものは過去の技術を下地に徐々に向上していくものだ。そういう意味で日本の果たした役割は大きく我々も認めるが、そもそも日本の新幹線だって島秀雄(新幹線の父と呼ばれる人)が欧州を回っている最中に見た車両が元になっているじゃないか。それをいちいち前の人間の技術だ何だといっていたらしょうがない。第一、今回中国が特許を出願するのは優れた技術を世界に後悔するためであって、特許思想の宗旨に叶う。なんだったら、日本が我々の進んだ技術を学びたいというのならいくらでも教えてやるよ。それをいちいち自分の技術だ特許だといって秘匿しようとしたり、我々の出願を阻もうとする日本は本当に器が小さい」
といった具合です。まぁちょっと悪者っぽく訳しているのもありますが、一応最後にはフォローとしてなのか、「今日(七月七日)は盧溝橋事件の起きた日だが、過去の戦争は過去のものとして、中日両国は前向きに関係を発展するべきだ。過去の戦争の事なんか忘れたほうがいい」とも言ってます。まぁ戦争を一番持ち出すのは中国政府で、なおかつ政府の人間がこういうときはやましいことがきまってあるのですが。
ただこうやってわざわざ翻訳しておきながらですが、上記の王勇平報道官の発言はあまり真に受けないようにしてください。というのもこれは政府の発言であって、中国全体の発言ではありません。何気にこの高速鉄道に関しては国家プロジェクトとしては異例なくらいに現地紙でもその運用コストや必要性、果てには安全性に対して疑義を呈する声が大きく取り上げられており、また特許出願については多くの中国人は興味がないというか、あまり意識がないのが本当のところだと思います。私としてはこの中国政府の特許出願を見て日本人が、「中国人は汚い」と言うのを一般の中国人が見たり聞いたりして、この件に興味なかった中国人が「なんで日本にこうも言われるんだよ……」と思うようになるのが一番好ましくないです。それゆえ、大雑把に「中国」とするのではなくこの件で批判する対象は「中国鉄道部」と限定してもらいたいのが、この記事で一番言いたいことです。
また今回の件は、はっきりいってこうなることを予想しなかった川崎重工とかがかなり迂闊だったと私は思います。なんか重役が「中国は大人の対応を……」などと言ったそうですが、川崎重工こそ大人、っていうか最低限の判断力を持つべきではないかという気が少しします。
あと最後に、このインタビューの最初の方で王勇平報道官は、
「日本からやってきた取材者も、中国の高速鉄道は技術が高くとても早い。内装も完璧で、日本の新幹線にはない……って、TBSの真下淳氏は言ってたよ」
と、書かれてあります。
この真下淳という名前の記者の方は知りませんが、ちょっとどういう人なのか興味がわきます。ちなみに私は高速新幹線に上海~杭州間でかなり多く乗った事がありますが、内装は完璧に日本の新幹線そのまんまで、中国人にもそういわれてました。片側三席、反対側二席という作りなどで。直接コメントとかしてくれないかなぁ。
日本でも多分大々的に報じられているかと思いますが、先日中国ではこれまで上海と杭州や南京などをつなげて運行していた中国版新幹線(高速鉄道)を上海~北京間の路線でも開通させました。開通させるとともにこの新幹線技術を欧米数カ国に特許を出願したことで、車両の原型となったCRH2型を販売したJR東日本&川崎重工が「そんなの、聞いてない(;゚Д゚)」と反応し、元から中国に売るのに反対していたJR東海が先の二社に「どういうことだよ(#・∀・)」と怒っていると聞きます。内心、今回の一件で川崎重工なんかは株価下がるんじゃないかなと思ったけど、そういうことは見てたところありませんでした。
日本で報道されているから説明は要らないのでぱっぱ話は進めますが、日本の技術を使った新幹線であるのにその技術を自国のものとして特許申請した中国に大して日本側の高まる不満はこちらでも報じられております。それに対して中国鉄道部(中国では日本の「省」を「部」と呼ぶ)の王勇平報道官が回答したのが最初のリンク先です。簡単にまとめると、というより答えは言うまでもなくいつもの通りですが、今走っている高速鉄道は川崎重工に提供してもらったものとは別の中国独自開発の車両で文句を言われる筋合いはないというものです。
実は何気にこの元記事を私も空いた時間に暇つぶしがてら昨日翻訳していたわけなのですが、気になった箇所をいくつか抜粋すると、
・川崎重工から提供してもらったのはCRH2型
・今走ってるのはそれを改造したCRH380A型
・カタログスペックが日本の新幹線とはまるで違う、全然別物
・日本の新幹線の技術をすでに越えている
・平均運行速度だって、日本みたいにくねくね走らないからこっちのが上
・日本が我々に追い抜かれた
・日本は技術に驕りがあった。だから我々に負けた
・中国人は人のものをパクって自分のものと言い張る民族じゃない、伝統的に
といった感じで、まぁ見ていて本当にイライラさせられることばかり言っております。特に最後の奴なんか、街宣車出して去年の万博パクリソング(岡本真夜)の曲を流してやろうかと言いたくなって来ます。
あと今回の特許出願について彼の論理ですが、ちょっと長いですが私なりにまとめると以下のようになります。
「現在の中国の高速鉄道は確かに日本の技術が大きく貢献しているが、技術というものは過去の技術を下地に徐々に向上していくものだ。そういう意味で日本の果たした役割は大きく我々も認めるが、そもそも日本の新幹線だって島秀雄(新幹線の父と呼ばれる人)が欧州を回っている最中に見た車両が元になっているじゃないか。それをいちいち前の人間の技術だ何だといっていたらしょうがない。第一、今回中国が特許を出願するのは優れた技術を世界に後悔するためであって、特許思想の宗旨に叶う。なんだったら、日本が我々の進んだ技術を学びたいというのならいくらでも教えてやるよ。それをいちいち自分の技術だ特許だといって秘匿しようとしたり、我々の出願を阻もうとする日本は本当に器が小さい」
といった具合です。まぁちょっと悪者っぽく訳しているのもありますが、一応最後にはフォローとしてなのか、「今日(七月七日)は盧溝橋事件の起きた日だが、過去の戦争は過去のものとして、中日両国は前向きに関係を発展するべきだ。過去の戦争の事なんか忘れたほうがいい」とも言ってます。まぁ戦争を一番持ち出すのは中国政府で、なおかつ政府の人間がこういうときはやましいことがきまってあるのですが。
ただこうやってわざわざ翻訳しておきながらですが、上記の王勇平報道官の発言はあまり真に受けないようにしてください。というのもこれは政府の発言であって、中国全体の発言ではありません。何気にこの高速鉄道に関しては国家プロジェクトとしては異例なくらいに現地紙でもその運用コストや必要性、果てには安全性に対して疑義を呈する声が大きく取り上げられており、また特許出願については多くの中国人は興味がないというか、あまり意識がないのが本当のところだと思います。私としてはこの中国政府の特許出願を見て日本人が、「中国人は汚い」と言うのを一般の中国人が見たり聞いたりして、この件に興味なかった中国人が「なんで日本にこうも言われるんだよ……」と思うようになるのが一番好ましくないです。それゆえ、大雑把に「中国」とするのではなくこの件で批判する対象は「中国鉄道部」と限定してもらいたいのが、この記事で一番言いたいことです。
また今回の件は、はっきりいってこうなることを予想しなかった川崎重工とかがかなり迂闊だったと私は思います。なんか重役が「中国は大人の対応を……」などと言ったそうですが、川崎重工こそ大人、っていうか最低限の判断力を持つべきではないかという気が少しします。
あと最後に、このインタビューの最初の方で王勇平報道官は、
「日本からやってきた取材者も、中国の高速鉄道は技術が高くとても早い。内装も完璧で、日本の新幹線にはない……って、TBSの真下淳氏は言ってたよ」
と、書かれてあります。
この真下淳という名前の記者の方は知りませんが、ちょっとどういう人なのか興味がわきます。ちなみに私は高速新幹線に上海~杭州間でかなり多く乗った事がありますが、内装は完璧に日本の新幹線そのまんまで、中国人にもそういわれてました。片側三席、反対側二席という作りなどで。直接コメントとかしてくれないかなぁ。
誰かさんの死亡報道について
昨日、一昨日と二日間更新はおろか来ていたコメントに返信すらしませんでした。理由は単純にネット環境の不備で、私の住んでいるサービスアパートメントの管理事務所が既に半年分のネット代を払っているにもかかわらず、契約期間が完了したと勘違いして勝手に回線を切っていたことが原因でした。これが一回くらいとかならすぐに直してもらえるし笑って許せるのですが、さすがに三回目ともなると結構頭に来るものがあります。しかも昨日の夕方に復旧依頼を出したら部屋で待ってろってロビーの女性に言われるもんだから30分待ったけど音沙汰なしで、どういうことだと言いに行ったら既に担当の職員が帰宅しているから明日(=今日)になると言われる始末。もちろんロビーの女性は最初の連絡時はすぐに対応すると聞いてただけに彼女を責めるのはお門違いなので、「もう勘弁してよ。あと明日は確実に直しといてね」と言って平静を装ってエレベーターに乗りましたが、やはり苛立ちがあったのかエレベーターの中で三回くらい壁を殴りつけ、最後思い切り頭突きしかけたところで収まりました。このブログは毎日更新してるもんだから多分見ている人も行進が少ないと「あれ?」っと思うでしょうが、毎日書いてる自分も二日も放置してると結構違和感感じます。
そんなフラストレーション満杯状態なので今晩は何本記事が書けるのだろうかと息巻いている状態ですが、早速一本目にはかなりきわどいネタというか、調子に乗って書くと確実に要監視リストに載せられる話題です。
事の発端は一昨日の晩。実はこの日は送別会があったため宴席に出ていましたが、そこで遅れてやってきたある同僚が、
「実は……○○が亡くなったそうで……」
「えっ、倖田來未が亡くなった!?Σ(゚Д゚;)」
もちろん二つ目のセリフは聞いた人の聞き間違いで、歌手の倖田來未さんはきちんと元気に存命しております。何故聞き間違えたのかというと、件の人物が「こうだくみ」という発音にかなり近い音の漢字三文字の人だったからです。その人物の名前は恐れ多くてここにはかけない、もとい現在中国国内でその漢字三文字でメールを出すと即刻削除されて受信者に届かないのはおろか後々不利益を被る可能性があるので、ちょっとこの記事では割愛させてもらいます。
上記の会話を横目に聞いていた私は折角の宴席なのでその話を聞いていなかった人には伝えず、密かに携帯電話を取り出して知り合いの上海人に早速確認を取りました。電話に出た上海人に内容を話すと、
「っていうか、多分この電話盗聴されてるよ」
「マジ?」
「実名出したらまずいよ。んーと、じゃあなんて言おうか?」
「ほんなら、例のおっちゃんはまだ生きとるん?」
と、突然会話を関西弁に切り替えて会話を続けましたが、その友人からの情報だと真偽ははっきりしないものの解放軍病院に入院しているのは間違いない。肝臓がんだったという噂があるというこの二つでした。
そして明けて次の日、いろいろと情報を整理しましたが簡単にまとめると、
・第一報は香港メディアが死亡したと報じたことによる。
・その香港メディアを受けて共同通信が情報を配信し、日本人にも伝わった
・昨日(七月七日)時点で中国メディアは黙殺。されどメールと検索ワード規制は実施
ざっとこんな感じです。
その後今日になって新華社などが流れている噂はデマであると発表し、第一報を伝えた香港メディアも誤報を流したと発表し親類に謝罪しています。
私の私見を述べると、何かしら事態が急激に動いたのは間違いないと思います。高い可能性としては脳死かなにかで、今後の活動が再起不能になったのではないかというのが私の周りの意見です。このおっちゃんが再起不能になって起こる影響は産経新聞の記事が一番よくまとまっているので、興味がある人はリンク先をご覧ください。とてもここでは書けない。
それにしても今回の一件はこっちのネット上では結構噂になっているらしく、中国版ツイッターこと微博(ウェイポー)上でかなり飛び交っているそうです。事態の審議は今後の報道を待たないといけませんが、センセーショナルな内容なだけにぱっと噂が広がるもんだなと妙な関心をしました。
ただ今回のおっちゃんに対して、毛沢東直後の後継となった華国鋒が昨年死んだ時は反応が小さく、なんか話に聞いたら中国人でも多くが「その人誰だったっけ?」という反応だったそうです。それだから仮に、「林彪、実は生きてた!!(゚∀゚)」なんてデマを流したら意外と広まったりして。
そんなフラストレーション満杯状態なので今晩は何本記事が書けるのだろうかと息巻いている状態ですが、早速一本目にはかなりきわどいネタというか、調子に乗って書くと確実に要監視リストに載せられる話題です。
事の発端は一昨日の晩。実はこの日は送別会があったため宴席に出ていましたが、そこで遅れてやってきたある同僚が、
「実は……○○が亡くなったそうで……」
「えっ、倖田來未が亡くなった!?Σ(゚Д゚;)」
もちろん二つ目のセリフは聞いた人の聞き間違いで、歌手の倖田來未さんはきちんと元気に存命しております。何故聞き間違えたのかというと、件の人物が「こうだくみ」という発音にかなり近い音の漢字三文字の人だったからです。その人物の名前は恐れ多くてここにはかけない、もとい現在中国国内でその漢字三文字でメールを出すと即刻削除されて受信者に届かないのはおろか後々不利益を被る可能性があるので、ちょっとこの記事では割愛させてもらいます。
上記の会話を横目に聞いていた私は折角の宴席なのでその話を聞いていなかった人には伝えず、密かに携帯電話を取り出して知り合いの上海人に早速確認を取りました。電話に出た上海人に内容を話すと、
「っていうか、多分この電話盗聴されてるよ」
「マジ?」
「実名出したらまずいよ。んーと、じゃあなんて言おうか?」
「ほんなら、例のおっちゃんはまだ生きとるん?」
と、突然会話を関西弁に切り替えて会話を続けましたが、その友人からの情報だと真偽ははっきりしないものの解放軍病院に入院しているのは間違いない。肝臓がんだったという噂があるというこの二つでした。
そして明けて次の日、いろいろと情報を整理しましたが簡単にまとめると、
・第一報は香港メディアが死亡したと報じたことによる。
・その香港メディアを受けて共同通信が情報を配信し、日本人にも伝わった
・昨日(七月七日)時点で中国メディアは黙殺。されどメールと検索ワード規制は実施
ざっとこんな感じです。
その後今日になって新華社などが流れている噂はデマであると発表し、第一報を伝えた香港メディアも誤報を流したと発表し親類に謝罪しています。
私の私見を述べると、何かしら事態が急激に動いたのは間違いないと思います。高い可能性としては脳死かなにかで、今後の活動が再起不能になったのではないかというのが私の周りの意見です。このおっちゃんが再起不能になって起こる影響は産経新聞の記事が一番よくまとまっているので、興味がある人はリンク先をご覧ください。とてもここでは書けない。
それにしても今回の一件はこっちのネット上では結構噂になっているらしく、中国版ツイッターこと微博(ウェイポー)上でかなり飛び交っているそうです。事態の審議は今後の報道を待たないといけませんが、センセーショナルな内容なだけにぱっと噂が広がるもんだなと妙な関心をしました。
ただ今回のおっちゃんに対して、毛沢東直後の後継となった華国鋒が昨年死んだ時は反応が小さく、なんか話に聞いたら中国人でも多くが「その人誰だったっけ?」という反応だったそうです。それだから仮に、「林彪、実は生きてた!!(゚∀゚)」なんてデマを流したら意外と広まったりして。
2011年7月5日火曜日
松本復興相の辞任と今後の政局
昨日記事を書いた今日ですが、宮城県知事らに暴言を吐いた松本氏が復興担当大臣を辞任しました。私は当初、暴言の内容から恐らく辞任か更迭は間違いないと考えていましたがそれでも一週間程度の時間はかかると考えており、一日で辞任されるとはさすがに想定外でした。この辺の民主党は自民党に比べ、切る速度は速いように思えます。
とはいえ辞めると言っていた肝心の管首相はなおも居座り続けており、報道によると10月の中国訪問の予定を組み出しているとされなかなか腹立たしい態度を続けております。今日の中国の新聞の論説にも「面の皮が厚い」とまで書かれていましたが、今回の騒動を見ている留まれば留まるほど害が大きいことが思い知らされ、これまで擁護的な立場をとって来ましたがもはや庇いきれないというような気がします。
そもそもの話、今回の騒動のきっかけとなった復興担当大臣は管首相の肝いりで新設されました。しかし新たなポストということもあって果たして機能するのか、従来の組織を円滑に動かした方が対応が良いのではという批判をはねのけるほど管首相は強いこだわりを見せ、そのポストに誰が就任するかにおいても首相兼任が無難という声を黙殺して今回の松本氏を任命しました。
あくまでこれは結果論ですが、今回の松本氏就任から今日の辞任までの間は何も復興対策がなされず、無駄に時間を空費してしまいました。仮に大臣が松本氏でなければ、そもそもこのようなポストがなければ復興に向けて会議なりを進展させることができたことを考えると、管首相はわざわざ復興の足を引っ張るようなことをしてくれたということになります。
もちろんこれは結果論です。しかし管首相は震災対応に一定の目処がついたら退陣するといっていますが、今回こんな時間の空費を招いたことを考えると管首相自身が退陣することが最も早い復興対策のような気がします。被災者達は既に4ヶ月も避難所に非難しており、一日でも早く製作や計画を実行しなくてはならないことを考えると、今回の一件は松本氏一人の責任にするには大きすぎます。
また松本氏についても、あれだけ被災者や報道機関を侮辱する発言はおろか、本来対等な立場である知事に対してあのような態度を取ったことは公権力に対する価値観が異常というよりほかがなく、野党の人らはこの際に松本氏に対して議員辞職するまで糾弾してもいいと思います。私としてもあのような輩が政治家しているというのは我慢なりませんし、なんだか福岡空港についても黒い噂が立っているようですし。
そういう意味では今が野党にとって最も正念場です。今月中になんとしてでも管首相を引きずり降ろさなければますますフェードアウトするだけですし、これで攻め切れなければいつになったら攻め切れるんだということになります。まぁ個人的には、谷垣総裁でなければ既に首は取れてたでしょうが。
それにしても松本氏に限らず、民主党の面々は権力に対する価値観がどうもわかっていない人間が多すぎる気がします。私自身理解しているかといえば怪しいものですが、何故人に命令できるのか、どうして相手が従うのかという構造をまるきり無視しているようにしか見えません。今までどういう風に生きてきたのか、本当に気が知れません。
とはいえ辞めると言っていた肝心の管首相はなおも居座り続けており、報道によると10月の中国訪問の予定を組み出しているとされなかなか腹立たしい態度を続けております。今日の中国の新聞の論説にも「面の皮が厚い」とまで書かれていましたが、今回の騒動を見ている留まれば留まるほど害が大きいことが思い知らされ、これまで擁護的な立場をとって来ましたがもはや庇いきれないというような気がします。
そもそもの話、今回の騒動のきっかけとなった復興担当大臣は管首相の肝いりで新設されました。しかし新たなポストということもあって果たして機能するのか、従来の組織を円滑に動かした方が対応が良いのではという批判をはねのけるほど管首相は強いこだわりを見せ、そのポストに誰が就任するかにおいても首相兼任が無難という声を黙殺して今回の松本氏を任命しました。
あくまでこれは結果論ですが、今回の松本氏就任から今日の辞任までの間は何も復興対策がなされず、無駄に時間を空費してしまいました。仮に大臣が松本氏でなければ、そもそもこのようなポストがなければ復興に向けて会議なりを進展させることができたことを考えると、管首相はわざわざ復興の足を引っ張るようなことをしてくれたということになります。
もちろんこれは結果論です。しかし管首相は震災対応に一定の目処がついたら退陣するといっていますが、今回こんな時間の空費を招いたことを考えると管首相自身が退陣することが最も早い復興対策のような気がします。被災者達は既に4ヶ月も避難所に非難しており、一日でも早く製作や計画を実行しなくてはならないことを考えると、今回の一件は松本氏一人の責任にするには大きすぎます。
また松本氏についても、あれだけ被災者や報道機関を侮辱する発言はおろか、本来対等な立場である知事に対してあのような態度を取ったことは公権力に対する価値観が異常というよりほかがなく、野党の人らはこの際に松本氏に対して議員辞職するまで糾弾してもいいと思います。私としてもあのような輩が政治家しているというのは我慢なりませんし、なんだか福岡空港についても黒い噂が立っているようですし。
そういう意味では今が野党にとって最も正念場です。今月中になんとしてでも管首相を引きずり降ろさなければますますフェードアウトするだけですし、これで攻め切れなければいつになったら攻め切れるんだということになります。まぁ個人的には、谷垣総裁でなければ既に首は取れてたでしょうが。
それにしても松本氏に限らず、民主党の面々は権力に対する価値観がどうもわかっていない人間が多すぎる気がします。私自身理解しているかといえば怪しいものですが、何故人に命令できるのか、どうして相手が従うのかという構造をまるきり無視しているようにしか見えません。今までどういう風に生きてきたのか、本当に気が知れません。
2011年7月4日月曜日
松本復興相の失言について
なんていうか、探せばまだまだでてくるんだなぁこういった明らかに勘違いしている政治家って、ていうのが最初の感想です。
・「書いたら、その社は終わりだから」 松本復興相「脅し」に屈しなかった地元テレビ(J-CASTニュース)
恐らく今頃日本ではテレビや新聞などでこのニュースが大賑わいとなっていることでしょうから内容の説明はしませんが、同じ党内からも辞めると言った後のこの時期に復興相を設置することに反対の声があったにもかかわらず、管首相は随分とまぁ残念な人物を引っ張り上げて来たものです。ニュースを見る限りですと先週にもこの松本復興相は「民主党も自民党も公明党も嫌い」というイカれた発言をしていたようで、今回の宮城県知事への暴言に伴う辞任はしないと本人は言っているようですが恐らくそんなわけには行かず、一週間以内に更迭されるのではないかと私は思います。逆に更迭しなければ、今度こそ確実に管首相は息の根が止まるでしょう。
それにしても今回の松本復興相の暴言ですが、応接室でたかだか数分、TBSによれば一分数十秒待たされただけでここまで怒るというのは人としてもかなりどうかと疑わさせられます。この人にチキンラーメン作らせたらどうなるんだろ。どちらにしろ今回の宮城県知事の対応になんらおかしなところはあらず、むしろこんなことでここまで怒ることの出来る人物が政治家としているという現実を憂慮する必要があるでしょう。
・「書いたら、その社は終わりだから」 松本復興相「脅し」に屈しなかった地元テレビ(J-CASTニュース)
恐らく今頃日本ではテレビや新聞などでこのニュースが大賑わいとなっていることでしょうから内容の説明はしませんが、同じ党内からも辞めると言った後のこの時期に復興相を設置することに反対の声があったにもかかわらず、管首相は随分とまぁ残念な人物を引っ張り上げて来たものです。ニュースを見る限りですと先週にもこの松本復興相は「民主党も自民党も公明党も嫌い」というイカれた発言をしていたようで、今回の宮城県知事への暴言に伴う辞任はしないと本人は言っているようですが恐らくそんなわけには行かず、一週間以内に更迭されるのではないかと私は思います。逆に更迭しなければ、今度こそ確実に管首相は息の根が止まるでしょう。
それにしても今回の松本復興相の暴言ですが、応接室でたかだか数分、TBSによれば一分数十秒待たされただけでここまで怒るというのは人としてもかなりどうかと疑わさせられます。この人にチキンラーメン作らせたらどうなるんだろ。どちらにしろ今回の宮城県知事の対応になんらおかしなところはあらず、むしろこんなことでここまで怒ることの出来る人物が政治家としているという現実を憂慮する必要があるでしょう。
2011年7月3日日曜日
韓国経済と韓国民の覚悟
このところこの手の解説を何度もあちこちでしているのでこのブログでも書こうと思います。意外と日本の情報を見ていてもこのような観点からの解説が少ないので、おこがましさを感じるも周知する意味でも必要かと思いますし。
私が日本で在籍していた会社の上司は韓国と長く関わっていたことから韓国社会についていろいろ詳しい人物だったのですが、ある日私に対してこんなことを教えてくれました。
「韓国はアジア通貨危機の際に一度国家全体で経済破綻をしており、その後一時的にIMFの管理下に置かれる事となった。このIMF時代に韓国社会は大きな負担を受けそれまでの社会も一変したことから、韓国人というのは二度と経済破綻をしてはならないという強い信念を持っている」
アジア通貨危機などの解説については他のサイトに譲りますが、IMF時代については私も直接韓国人留学生から話を聞いたことがありますが、その留学生曰く「本当に最悪な時代だった……」そうで、やはりあの時代にだけは戻りたくないとはっきりと言明してました。
こういった話を聞いた上で韓国の国の形とか経済を見ていると、やはりあの国には「どんなことがあっても二度と経済破綻してはならない」という国民全体における合意というものがあるような気がします。それは言い換えるとたとえどんだけ国民が苦しい思いをしても国の経済だけは支えなければならないという合意であって、これを私は他人に解説する際、「国破れて山河在りと昔は言ったが、韓国については山河を潰してでもなんとしても国を保たせようというところがある気がする」と話しています。
これはいうなれば国民生活が破綻してでも国を維持しようという考え方で、実際に韓国の国民生活は話を聞くだに悲惨です。あらかじめ言っておきますが韓国を見下しているわけでなく単純に自分が同じ状況だったら辛いだろうと思うということで、特に若者の生活は高い失業李に低い賃金、そして少子高齢化が叫ばれる日本を遥かに下回る出生率。韓国の状況と比べれば日本の若者の生活などまだまだマシな気がしてなりません。
無論韓国で生活したわけでもなく研究をしているわけでもありませんから実情がどのようであるか誤解している可能性も捨て切れませんが、私は韓国は国民生活を完全に犠牲にしてサムスンやヒュンダイといった国営財閥企業を守り立てて国を成り立たせるように思います。内心ではそれに対して韓国人もいろいろと思う気持ちもあるでしょうが、上記のように一定の覚悟というか合意というものが存在するのではないかと思います。
現在、というより私が日本を出る前のビジネス本の売れ筋書籍はどれも「サムスンを見習え」と、お手本主義の日本らしくこれまで散々アメリカのMBAを取得した経済家への礼賛を手の平返して羽振りのよい韓国企業へ右へ習えしてました。しかし前にも書いたように現在韓国企業が羽振りがいいのはウォン安による影響がほとんどで、経営方針とか体制とかが極端に日本企業より優れているかといったら私は疑問です。それよりむしろ、わずか三年前まで1ドル=100円前後を想定して予算組みしてた日本企業が1ドル=80円前後になった現在においても経営を維持し続けているという現状の方がずっと凄いように思え、今後もまだ円高する可能性は捨てきれないものの、中長期的な観点では今の日本企業は相当な実力を蓄えてきているように思います。逆を言うとサムスンはウォン安が終わったらどうなるのかが未知数です。
最後に私が言いたいこととして、サムスンを見習えとか韓国経済を見習えとする書籍の作者らは上記に書いたような、国民生活を犠牲にしてでも経済を成り立たせようとする韓国人のような覚悟があってそのような本を書いているのか、一つ問い質したいです。もちろんそのような考え方が間違っているわけではなくどんな思想を持つのは人それぞれ勝手ですが、私は国というのはその国籍の企業があるかではなく、国土と国民があってこそだと思います。中には国土がなくともかなり元気にやってたユダヤ人もいますが、少なくとも私は日本を国民を犠牲にして成り立つような国にはしたくありません。それゆえに上記のような覚悟を持ってサムスン礼賛本を書いていた作者らとは残念ながら敵対する立場となります。
ちなみに20世紀、極東のある国では本気で国民と国土をすべて灰燼にしてでも国の形、というよりは省を守ろうとした連中がいました。ああはなってはならないし、ああいう連中は生かしてはおけないというのが私の信条です。
私が日本で在籍していた会社の上司は韓国と長く関わっていたことから韓国社会についていろいろ詳しい人物だったのですが、ある日私に対してこんなことを教えてくれました。
「韓国はアジア通貨危機の際に一度国家全体で経済破綻をしており、その後一時的にIMFの管理下に置かれる事となった。このIMF時代に韓国社会は大きな負担を受けそれまでの社会も一変したことから、韓国人というのは二度と経済破綻をしてはならないという強い信念を持っている」
アジア通貨危機などの解説については他のサイトに譲りますが、IMF時代については私も直接韓国人留学生から話を聞いたことがありますが、その留学生曰く「本当に最悪な時代だった……」そうで、やはりあの時代にだけは戻りたくないとはっきりと言明してました。
こういった話を聞いた上で韓国の国の形とか経済を見ていると、やはりあの国には「どんなことがあっても二度と経済破綻してはならない」という国民全体における合意というものがあるような気がします。それは言い換えるとたとえどんだけ国民が苦しい思いをしても国の経済だけは支えなければならないという合意であって、これを私は他人に解説する際、「国破れて山河在りと昔は言ったが、韓国については山河を潰してでもなんとしても国を保たせようというところがある気がする」と話しています。
これはいうなれば国民生活が破綻してでも国を維持しようという考え方で、実際に韓国の国民生活は話を聞くだに悲惨です。あらかじめ言っておきますが韓国を見下しているわけでなく単純に自分が同じ状況だったら辛いだろうと思うということで、特に若者の生活は高い失業李に低い賃金、そして少子高齢化が叫ばれる日本を遥かに下回る出生率。韓国の状況と比べれば日本の若者の生活などまだまだマシな気がしてなりません。
無論韓国で生活したわけでもなく研究をしているわけでもありませんから実情がどのようであるか誤解している可能性も捨て切れませんが、私は韓国は国民生活を完全に犠牲にしてサムスンやヒュンダイといった国営財閥企業を守り立てて国を成り立たせるように思います。内心ではそれに対して韓国人もいろいろと思う気持ちもあるでしょうが、上記のように一定の覚悟というか合意というものが存在するのではないかと思います。
現在、というより私が日本を出る前のビジネス本の売れ筋書籍はどれも「サムスンを見習え」と、お手本主義の日本らしくこれまで散々アメリカのMBAを取得した経済家への礼賛を手の平返して羽振りのよい韓国企業へ右へ習えしてました。しかし前にも書いたように現在韓国企業が羽振りがいいのはウォン安による影響がほとんどで、経営方針とか体制とかが極端に日本企業より優れているかといったら私は疑問です。それよりむしろ、わずか三年前まで1ドル=100円前後を想定して予算組みしてた日本企業が1ドル=80円前後になった現在においても経営を維持し続けているという現状の方がずっと凄いように思え、今後もまだ円高する可能性は捨てきれないものの、中長期的な観点では今の日本企業は相当な実力を蓄えてきているように思います。逆を言うとサムスンはウォン安が終わったらどうなるのかが未知数です。
最後に私が言いたいこととして、サムスンを見習えとか韓国経済を見習えとする書籍の作者らは上記に書いたような、国民生活を犠牲にしてでも経済を成り立たせようとする韓国人のような覚悟があってそのような本を書いているのか、一つ問い質したいです。もちろんそのような考え方が間違っているわけではなくどんな思想を持つのは人それぞれ勝手ですが、私は国というのはその国籍の企業があるかではなく、国土と国民があってこそだと思います。中には国土がなくともかなり元気にやってたユダヤ人もいますが、少なくとも私は日本を国民を犠牲にして成り立つような国にはしたくありません。それゆえに上記のような覚悟を持ってサムスン礼賛本を書いていた作者らとは残念ながら敵対する立場となります。
ちなみに20世紀、極東のある国では本気で国民と国土をすべて灰燼にしてでも国の形、というよりは省を守ろうとした連中がいました。ああはなってはならないし、ああいう連中は生かしてはおけないというのが私の信条です。
卑弥呼の比定人物
昨日の記事でも書きましたが、私は現在の日本古代史を研究する学者らは根拠が薄弱にもかかわらず邪馬台国とヤマト王権を結び付けようとする人物が多いような気がします。その結び付けの代表格は今日取り上げる邪馬台国の女王こと卑弥呼で、彼女に関しては実に数多くの古事記、日本書紀中の人物が比定されております。
まずその代表格というか戦前に強かった説として、神功皇后説があります。この神功皇后というのは女性の身で妊娠したまま朝鮮半島にまで出陣したという如何にも神話に出てきそうな人物で未だに実在したかどうかがはっきりしないものの、日本書紀中で彼女が出てくるシーンに魏志倭人伝からの引用があったことから「卑弥呼ではないか(゚∀゚)」とかなり安直に主張されたそうです。ただ元々も魏志倭人伝には卑弥呼は生涯独身で子供もおらず弟しかいなかったと書かれていることから、明らかに記述が一致しません。もはや取り上げる必要もないかと思いますし、学会もはっきりと否定すべきではないでしょうか。
次によく槍玉に挙げられ現在最有力候補とされているのは、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)です。彼女は孝霊天皇の皇女で資料中の記述は卑弥呼同様に巫女的性質が強い人物として書かれてあり、夫に関しては蛇の神様という点でも確かに比定に足る要素は多いです。それ以上に彼女の墓とされる箸墓古墳の設立年代や卑弥呼の没年、そして魏志倭人伝の墓の規模などが近いということから結構真剣に議論されているようですが、それでも私としてはこれで卑弥呼が倭迹迹日百襲媛命だとするにはまだまだ根拠が少なすぎると思います。
卑弥呼が誰なのかを特定するのに一番の材料はやはり魏志倭人伝中に書かれている卑弥呼の墓で、その点では箸墓古墳から推定するのは方向性としては間違いではないものの、確たる材料もないにもかかわらず倭迹迹日百襲媛命説がここまで出張るべきかといわれたら私は疑います。むしろそれ以外の可能性、卑弥呼は卑弥呼でヤマト王権の関係者ではないという可能性の方が依然として高いように思えます。無論それをはっきりさせるためには箸墓古墳をより調査するに越したことはないのですが、ここは宮内庁がイデオロギーの関係で仁徳天皇稜同様に全く調査許可を出さず、数年前にちょこっとだけさせてもらえただけなので今後の進展はなかなか難しいでしょう。
繰り返しになりますが私は現時点において卑弥呼は卑弥呼で、古事記や日本書紀中に出てくる人物で該当する者はいないのではないかと考えております。だからといって歴史的価値が低いわけではなく、古代において中国と接触した人物であることから研究対象としての価値は高く、今後の研究発展を楽しみに待ちたい人物であります。
まずその代表格というか戦前に強かった説として、神功皇后説があります。この神功皇后というのは女性の身で妊娠したまま朝鮮半島にまで出陣したという如何にも神話に出てきそうな人物で未だに実在したかどうかがはっきりしないものの、日本書紀中で彼女が出てくるシーンに魏志倭人伝からの引用があったことから「卑弥呼ではないか(゚∀゚)」とかなり安直に主張されたそうです。ただ元々も魏志倭人伝には卑弥呼は生涯独身で子供もおらず弟しかいなかったと書かれていることから、明らかに記述が一致しません。もはや取り上げる必要もないかと思いますし、学会もはっきりと否定すべきではないでしょうか。
次によく槍玉に挙げられ現在最有力候補とされているのは、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)です。彼女は孝霊天皇の皇女で資料中の記述は卑弥呼同様に巫女的性質が強い人物として書かれてあり、夫に関しては蛇の神様という点でも確かに比定に足る要素は多いです。それ以上に彼女の墓とされる箸墓古墳の設立年代や卑弥呼の没年、そして魏志倭人伝の墓の規模などが近いということから結構真剣に議論されているようですが、それでも私としてはこれで卑弥呼が倭迹迹日百襲媛命だとするにはまだまだ根拠が少なすぎると思います。
卑弥呼が誰なのかを特定するのに一番の材料はやはり魏志倭人伝中に書かれている卑弥呼の墓で、その点では箸墓古墳から推定するのは方向性としては間違いではないものの、確たる材料もないにもかかわらず倭迹迹日百襲媛命説がここまで出張るべきかといわれたら私は疑います。むしろそれ以外の可能性、卑弥呼は卑弥呼でヤマト王権の関係者ではないという可能性の方が依然として高いように思えます。無論それをはっきりさせるためには箸墓古墳をより調査するに越したことはないのですが、ここは宮内庁がイデオロギーの関係で仁徳天皇稜同様に全く調査許可を出さず、数年前にちょこっとだけさせてもらえただけなので今後の進展はなかなか難しいでしょう。
繰り返しになりますが私は現時点において卑弥呼は卑弥呼で、古事記や日本書紀中に出てくる人物で該当する者はいないのではないかと考えております。だからといって歴史的価値が低いわけではなく、古代において中国と接触した人物であることから研究対象としての価値は高く、今後の研究発展を楽しみに待ちたい人物であります。
2011年7月2日土曜日
奴国、邪馬台国、ヤマト王権の関係
ちょっと期間が空きましたが、また古代史ネタです。前回までは古事記の解説が多かったですが今日はちょっとロマンある部分というか、資料館の紐解き部分をやります。
・奴国
・邪馬台国
・ヤマト王権(Wikipedia)
日本古代史における最大の論争は邪馬台国が九州、近畿、どちらにあったのかという「邪馬台国論争」でありますが、この論争については近年決着がつきつつあり、出土品などの調査から近畿説が強まっており私もこれを支持します。その上で次に主題となる論争は、恐らくこの古代三王国とも言うべき上記の国々の関係だと思います。
上記三王国のうち、奴国、邪馬台国は中国の史書中に現れる王国です。どちらも、特に奴国については後漢書に書かれている通りの金印が出土していることからその存在は確実であることは間違いなく、また邪馬台国についても数多く現れる出土品、そして三国志魏志倭人伝と晋書の記述などからこちらも存在したことは確実でしょう。ヤマト王権については日本国内の古事記や日本書紀に頼る所が多いものの、朝鮮半島で出土した広開土王碑や畿内に数多くある古墳からも疑う余地はないでしょう。問題はこれらの国の関係というか連続性で、先ほどの邪馬台国がどこにあるのかという論争と合わせて様々な仮説が昔から現在に至るまで盛んに論壇をにぎわしめております。
まず奴国と邪馬台国の関係性ですが、これについては私は両国は全く関係のない別々の政権だったと考えております。北九州にあった奴国が時代を経て邪馬台国になったという仮説をたまに見かけるものの、これはそもそもの話として邪馬台国が九州にあったことを前提とする説です。先にも述べた通りに私は邪馬台国は近畿にあったと考えており、また時代もかなり異なっていることから関係性は全くないと思います。関係性を証明する史料はおろか出土品もない状態ですし。
肝心なのはその次の邪馬台国とヤマト王権の関係性です。どちらも弥生時代後半から古墳時代にかけて近畿に存在した類推され、中国に使者を送るだけの代表制と文化を持ち合わせていることから両国は同一の王朝、もしくは系譜を持つのではないかというのが邪馬台国の近畿説が強まるたびに仮説が現れるようになりました。
ただこれに関しても先に結論を述べると、私はこちらも全く関係はない別々の王朝だと考えます。根拠としましては中国の史料中に現れる邪馬台国の記述で、邪馬台国は女王卑弥呼をトップに置くシャーマニズム性の強い祭祀国家です。これが古事記や日本書紀に書かれる古代ヤマト王権の姿とはどうも差があるように感じる上、中国に使者を送るという大事業について古事記や日本書紀がスルーするとは思えません。
特に私が重要視するのは卑弥呼の死後についでです。中国の史料では卑弥呼の死後に男の王が立ったもののうまくいかず、最終的に卑弥呼に代わる別の巫女(壱与)が女王に立って落ち着いたと記しており、これは二代続けて女王が君臨しているということで考え方によっては卑弥呼の前や後も女王が最高権力者だったとも考えることが出来ます。どちらにしても相当女性の権力が高い国だったことが伺えるのですが、古事記や日本書紀だとそのような二代続けて女王が君臨するということは書いておりません。天皇の男系を強調するために敢えて書かなかった、改変したと考えることも不可能ではありませんが、古事記や日本書紀が成立した飛鳥、奈良時代は日本史上で最も多くの女性天皇が誕生している時期であり、改変する必要性があるのかとなると私は疑います。
また邪馬台国とヤマト王権が連続性を持っている、同一政権という主張の中には卑弥呼は古事記に出てくる女性の別名だという説を数多く見かけますが、これはまた次回に書きますが聞いててあくまで素人ながらも見ていて非常に怪しいものばかりです。小説のネタなら許せるけど、いくらなんでも調子に乗りすぎじゃないかと思うくらい強引な説も少なくありません。
最終的に結論を述べると、邪馬台国と初期ヤマト王権は同時代に同じ近畿地方に存在していた可能性はあるものの、それぞれ全く関係のない別政権だったと私は思います。それゆえに邪馬台国は晋に使者を派遣後、自然消滅したか侵略されたかで滅んだのではないかと考えております。それを滅ぼしたのはヤマト王権かもしれませんし別の豪族かもしれませんが、何かしら確たる史料や出土品が出ない限りは両国を無理矢理結びつける議論はあまり必要ないのではないかというのが今日の意見です。
・奴国
・邪馬台国
・ヤマト王権(Wikipedia)
日本古代史における最大の論争は邪馬台国が九州、近畿、どちらにあったのかという「邪馬台国論争」でありますが、この論争については近年決着がつきつつあり、出土品などの調査から近畿説が強まっており私もこれを支持します。その上で次に主題となる論争は、恐らくこの古代三王国とも言うべき上記の国々の関係だと思います。
上記三王国のうち、奴国、邪馬台国は中国の史書中に現れる王国です。どちらも、特に奴国については後漢書に書かれている通りの金印が出土していることからその存在は確実であることは間違いなく、また邪馬台国についても数多く現れる出土品、そして三国志魏志倭人伝と晋書の記述などからこちらも存在したことは確実でしょう。ヤマト王権については日本国内の古事記や日本書紀に頼る所が多いものの、朝鮮半島で出土した広開土王碑や畿内に数多くある古墳からも疑う余地はないでしょう。問題はこれらの国の関係というか連続性で、先ほどの邪馬台国がどこにあるのかという論争と合わせて様々な仮説が昔から現在に至るまで盛んに論壇をにぎわしめております。
まず奴国と邪馬台国の関係性ですが、これについては私は両国は全く関係のない別々の政権だったと考えております。北九州にあった奴国が時代を経て邪馬台国になったという仮説をたまに見かけるものの、これはそもそもの話として邪馬台国が九州にあったことを前提とする説です。先にも述べた通りに私は邪馬台国は近畿にあったと考えており、また時代もかなり異なっていることから関係性は全くないと思います。関係性を証明する史料はおろか出土品もない状態ですし。
肝心なのはその次の邪馬台国とヤマト王権の関係性です。どちらも弥生時代後半から古墳時代にかけて近畿に存在した類推され、中国に使者を送るだけの代表制と文化を持ち合わせていることから両国は同一の王朝、もしくは系譜を持つのではないかというのが邪馬台国の近畿説が強まるたびに仮説が現れるようになりました。
ただこれに関しても先に結論を述べると、私はこちらも全く関係はない別々の王朝だと考えます。根拠としましては中国の史料中に現れる邪馬台国の記述で、邪馬台国は女王卑弥呼をトップに置くシャーマニズム性の強い祭祀国家です。これが古事記や日本書紀に書かれる古代ヤマト王権の姿とはどうも差があるように感じる上、中国に使者を送るという大事業について古事記や日本書紀がスルーするとは思えません。
特に私が重要視するのは卑弥呼の死後についでです。中国の史料では卑弥呼の死後に男の王が立ったもののうまくいかず、最終的に卑弥呼に代わる別の巫女(壱与)が女王に立って落ち着いたと記しており、これは二代続けて女王が君臨しているということで考え方によっては卑弥呼の前や後も女王が最高権力者だったとも考えることが出来ます。どちらにしても相当女性の権力が高い国だったことが伺えるのですが、古事記や日本書紀だとそのような二代続けて女王が君臨するということは書いておりません。天皇の男系を強調するために敢えて書かなかった、改変したと考えることも不可能ではありませんが、古事記や日本書紀が成立した飛鳥、奈良時代は日本史上で最も多くの女性天皇が誕生している時期であり、改変する必要性があるのかとなると私は疑います。
また邪馬台国とヤマト王権が連続性を持っている、同一政権という主張の中には卑弥呼は古事記に出てくる女性の別名だという説を数多く見かけますが、これはまた次回に書きますが聞いててあくまで素人ながらも見ていて非常に怪しいものばかりです。小説のネタなら許せるけど、いくらなんでも調子に乗りすぎじゃないかと思うくらい強引な説も少なくありません。
最終的に結論を述べると、邪馬台国と初期ヤマト王権は同時代に同じ近畿地方に存在していた可能性はあるものの、それぞれ全く関係のない別政権だったと私は思います。それゆえに邪馬台国は晋に使者を派遣後、自然消滅したか侵略されたかで滅んだのではないかと考えております。それを滅ぼしたのはヤマト王権かもしれませんし別の豪族かもしれませんが、何かしら確たる史料や出土品が出ない限りは両国を無理矢理結びつける議論はあまり必要ないのではないかというのが今日の意見です。
光化学スモッグの被害(´Д`)
先ほど上海の天気予報を見てみると、今日の最高気温は日本には負けるものの35℃あったそうです。実際日差しがきついのはわかってはいたのですが、ちょっと今度自分が書く記事に使う写真が撮りたかったので地下鉄なんて生易しいものは使わずにまた自転車を40分くらい漕いで市内中心部に行ってきました。
写真自体は無事撮れたものの、汗を大量にかいて腕に塩が吹き出るほどだったのでこまめに水分を補給しつつ帰宅したのですが、帰宅後に自宅で右側頭部に軽い痛みを覚えました。多少疲れているのだろうと思ってシャワーを浴びてまた水飲んで横になったのですが、どうにも痛みが取れずますますひどくなるばかり。それどころか吐き気もするわ咳も出るわで、原因はなんだろうか、脱水症状にしては水はかなり飲んだつもりがするし(500mlペットボトルのDAKARA一本、水一本、スイカジュース一本)、暑い中で自転車漕いで夏ばてにでもなったのか、そういえば先週に浦東空港目指して帰ってきた時も似たような症状があったような。そういえば、毎年夏にはこういうのを経験してるようなって、光化学スモッグなんだと最後に気がつきました。
・光化学スモッグ
医者から正式な診断を受けたわけじゃないですが、多分光化学スモッグで間違いないと思います。
というのも毎年夏に炎天下の中を無謀にも自転車で飛び出しては帰宅後に激しい頭痛+咳が出ており、そういう時に限って後で調べてみると光化学スモッグ注意報が出ているからです。第一、自転車自体がかなり激しい有酸素運動なので、光化学スモッグが出ている中で自転車に乗るなんてかなり危ない行為です。それでもこりずにいつもやってしまうのですが。
具体的な症状としてはやはり頭痛と咳なのですが、私が光化学スモッグだと判断するのは咳が出るか出ないかです。頭痛自体はもともとの体質もあってよくするのですが、頭痛と咳が一緒になるのは毎年この夏の時期でしかなく、なおかつ例の注意報が出ている頃なので、今回も全く同じ症状だったことから今日は上海市内でも光化学スモッグが出ていたのでしょう。
第一、今の上海の状態は光化学スモッグが起きるにはこれ以上ないおあつらえ向きな環境で、多量の排気ガスに加え厳しい日差し、気温。聞くところによると近年九州各地で光化学スモッグの発生数が増えているのは中国のせいだといいますし、日本みたいな放送による警戒はないものの連日発生しているのではないかと思います。
もちろんわかってたらわざわざ気分の悪くなるようなことを自らするつもりはないので、これからしばらくは自転車で遠出することは控えようなかなと思います。なお今日の具合ですが、最初は軽度だったことから見送っていたものの光化学スモッグだと予想がついてすぐに頭痛薬を飲んだら大分調子が良くなりました。なんかこうしめると、結局ただの頭痛ではなかったのかって気がしてきますが。
写真自体は無事撮れたものの、汗を大量にかいて腕に塩が吹き出るほどだったのでこまめに水分を補給しつつ帰宅したのですが、帰宅後に自宅で右側頭部に軽い痛みを覚えました。多少疲れているのだろうと思ってシャワーを浴びてまた水飲んで横になったのですが、どうにも痛みが取れずますますひどくなるばかり。それどころか吐き気もするわ咳も出るわで、原因はなんだろうか、脱水症状にしては水はかなり飲んだつもりがするし(500mlペットボトルのDAKARA一本、水一本、スイカジュース一本)、暑い中で自転車漕いで夏ばてにでもなったのか、そういえば先週に浦東空港目指して帰ってきた時も似たような症状があったような。そういえば、毎年夏にはこういうのを経験してるようなって、光化学スモッグなんだと最後に気がつきました。
・光化学スモッグ
医者から正式な診断を受けたわけじゃないですが、多分光化学スモッグで間違いないと思います。
というのも毎年夏に炎天下の中を無謀にも自転車で飛び出しては帰宅後に激しい頭痛+咳が出ており、そういう時に限って後で調べてみると光化学スモッグ注意報が出ているからです。第一、自転車自体がかなり激しい有酸素運動なので、光化学スモッグが出ている中で自転車に乗るなんてかなり危ない行為です。それでもこりずにいつもやってしまうのですが。
具体的な症状としてはやはり頭痛と咳なのですが、私が光化学スモッグだと判断するのは咳が出るか出ないかです。頭痛自体はもともとの体質もあってよくするのですが、頭痛と咳が一緒になるのは毎年この夏の時期でしかなく、なおかつ例の注意報が出ている頃なので、今回も全く同じ症状だったことから今日は上海市内でも光化学スモッグが出ていたのでしょう。
第一、今の上海の状態は光化学スモッグが起きるにはこれ以上ないおあつらえ向きな環境で、多量の排気ガスに加え厳しい日差し、気温。聞くところによると近年九州各地で光化学スモッグの発生数が増えているのは中国のせいだといいますし、日本みたいな放送による警戒はないものの連日発生しているのではないかと思います。
もちろんわかってたらわざわざ気分の悪くなるようなことを自らするつもりはないので、これからしばらくは自転車で遠出することは控えようなかなと思います。なお今日の具合ですが、最初は軽度だったことから見送っていたものの光化学スモッグだと予想がついてすぐに頭痛薬を飲んだら大分調子が良くなりました。なんかこうしめると、結局ただの頭痛ではなかったのかって気がしてきますが。
2011年6月30日木曜日
日本車の中国市場価格
前々からやろうと思っては面倒がってしなかった企画ですが、中国における日本車の自動車価格を調べてみました。
ここで言う中国の自動車価格というのは人民元を現在のレート(1元≒12.5円)で計算した価格です。一体何故こんなことに興味を持ったのかというと、中国市場では日本での価格に対して設定販売価格は高めなのか安めなのかが気になっており、またメーカーごとに違いはあるかが気になっていたからです。
余計な前置きはいいので、早速どうぞ。
メーカー(合弁会社名)
車種 中国価格(円) 日本価格(円)
スズキ(長安鈴木)
アルト 538,800~754,800 677,200~1,109,800
SX4 957,600~1,605,600 1,659,000~1,869,000
スイフト 621,600~1,101,600 1,244,200~1,653,700
(晶河鈴木)
ワゴンR 486,000~718,800 1,071,000~1,367,100
マツダ(長安馬自達)
アクセラ 1,353,600~1,797,600 1,660,000~2,318,000
デミオ 969,600~1,263,600 1,149,000~1,621,700
アテンザ 2,049,600~2,397,600 2,100,000~2,500,000
MPV 2,637,600~2,997,600 2,700,000~3,360,000
三菱(東南三菱)
ギャランフォルティス 1,317,600~2,037,600 1,796,000~2,993,000
ホンダ(東風本田)
CRV 2,277,600~3,153,600 2,470,000~3,390,000
シビック 1,557,600~3,237,600 3,000,000~3,000,000
(広州本田)
オデッセイ 2,757,600~3,393,600 2,390,000~3,610,000
フィット 1,077,600~1,557,600 1,230,000~1,698,000
アコード 2,241,600~4,113,600 2,498,000~3,902,500
アコードツアラー 4,785,600~5,136,000 2,748,000~4,122,500
日産(東風日産)
エクストレイル 2,493,600~3,237,600 2,239,600~3,297,000
ブルーバードシルフィ 1,497,600~2,013,600 1,842,700~2,404,500
デュアリス 1,677,600~2,637,600 2,097,900~2,777,200
スカイライン 2,289,600~4,461,600 2,898,000~5,019,000
マーチ 838,800~1,114,800 999,600~1,644,300
ティーダ 1,281,600~1,797,600 1,499,400~2,182,900
トヨタ(広州豊田)
ヴィッツ 1,044,000~1,281,600 1,060,000~1,790,000
カムリ 2,193,600~4,377,600 2,507,000~3,470,000
(一気豊田)
RAV4 2,277,600~3,081,600 2,020,000~2,590,000
クラウン 3,942,000~10,795,200 3,450,000~5,590,000
ランドクルーザー 9,240,000~13,533,600 4,350,000~6,920,000
プリウス 3,117,600~3,357,600 1,890,000~3,270,000
カローラ 1,485,600~2,397,600 1,356,000~2,440,000
プラド 6,456,000~8,376,000 3,150,000~4,750,000
マークX 2,517,600~3,921,600 2,380,000~3,800,000
※1元=12.5円で計算。価格はメーカー希望小売価格。
価格参照元:太平洋汽車網(http://www.pcauto.com.cn/qcbj/qcbj_if_gngw.html)、Goo-net(http://www.goo-net.com/newcar/)
表自体はエクセルで作成して本当は図表を貼り付ける予定でしたが、何故だかJpg化させると文字がにじんでしまうので、こうして手製のリストにしました。
全体の傾向としてはどうやらどこのメーカーも日本での自動車価格に合わせて中国販売価格を決めているようで、車種やメーカーに関係なく日本の価格に一段低い価格に設定しているところが多いです。ただこれは現在の円高というレート状況が強く影響しており、実際にちょっと前の1元=15円で計算したら逆に1段高い値段にきれいに逆転します。
なおかつ言えることとしては高級車は日本での価格より高めに設定されていることが多く、そのせいか高級車ラインナップが多いトヨタはRAV4とカローラを除いてどれも日本価格より高く設定されております。ランドクルーザーなんてあまりにも差がありすぎるので、なにか値段を間違えているような気すらします。
なお中国で販売されている車はどれも中国企業との合弁会社とで作られており、車名は同じでも一代前の型式であったり、部品も中国メーカー製が使われているなどして全く同じ車ではありません。代表的なのはマツダのアテンザで、日本ではすでにハッチバック仕様が売られていますがこちらでは一昔前のセダン型しかありません。そのため上記のリストも、あくまで参考程度にご参照ください。
最後に中国の値段感覚について一言。以前にタクシーの運転手と話をした際、街中をマツダのアテンザが多く走っていることに言及すると、
「ああ、マツダの車は安いからね」
と話してました。
この話からすると、どうやら上記アテンザの価格(2,049,600~2,397,600円)はこっちの感覚としては安い方のようです。なんか腑に落ちないなぁ。
ここで言う中国の自動車価格というのは人民元を現在のレート(1元≒12.5円)で計算した価格です。一体何故こんなことに興味を持ったのかというと、中国市場では日本での価格に対して設定販売価格は高めなのか安めなのかが気になっており、またメーカーごとに違いはあるかが気になっていたからです。
余計な前置きはいいので、早速どうぞ。
メーカー(合弁会社名)
車種 中国価格(円) 日本価格(円)
スズキ(長安鈴木)
アルト 538,800~754,800 677,200~1,109,800
SX4 957,600~1,605,600 1,659,000~1,869,000
スイフト 621,600~1,101,600 1,244,200~1,653,700
(晶河鈴木)
ワゴンR 486,000~718,800 1,071,000~1,367,100
マツダ(長安馬自達)
アクセラ 1,353,600~1,797,600 1,660,000~2,318,000
デミオ 969,600~1,263,600 1,149,000~1,621,700
アテンザ 2,049,600~2,397,600 2,100,000~2,500,000
MPV 2,637,600~2,997,600 2,700,000~3,360,000
三菱(東南三菱)
ギャランフォルティス 1,317,600~2,037,600 1,796,000~2,993,000
ホンダ(東風本田)
CRV 2,277,600~3,153,600 2,470,000~3,390,000
シビック 1,557,600~3,237,600 3,000,000~3,000,000
(広州本田)
オデッセイ 2,757,600~3,393,600 2,390,000~3,610,000
フィット 1,077,600~1,557,600 1,230,000~1,698,000
アコード 2,241,600~4,113,600 2,498,000~3,902,500
アコードツアラー 4,785,600~5,136,000 2,748,000~4,122,500
日産(東風日産)
エクストレイル 2,493,600~3,237,600 2,239,600~3,297,000
ブルーバードシルフィ 1,497,600~2,013,600 1,842,700~2,404,500
デュアリス 1,677,600~2,637,600 2,097,900~2,777,200
スカイライン 2,289,600~4,461,600 2,898,000~5,019,000
マーチ 838,800~1,114,800 999,600~1,644,300
ティーダ 1,281,600~1,797,600 1,499,400~2,182,900
トヨタ(広州豊田)
ヴィッツ 1,044,000~1,281,600 1,060,000~1,790,000
カムリ 2,193,600~4,377,600 2,507,000~3,470,000
(一気豊田)
RAV4 2,277,600~3,081,600 2,020,000~2,590,000
クラウン 3,942,000~10,795,200 3,450,000~5,590,000
ランドクルーザー 9,240,000~13,533,600 4,350,000~6,920,000
プリウス 3,117,600~3,357,600 1,890,000~3,270,000
カローラ 1,485,600~2,397,600 1,356,000~2,440,000
プラド 6,456,000~8,376,000 3,150,000~4,750,000
マークX 2,517,600~3,921,600 2,380,000~3,800,000
※1元=12.5円で計算。価格はメーカー希望小売価格。
価格参照元:太平洋汽車網(http://www.pcauto.com.cn/qcbj/qcbj_if_gngw.html)、Goo-net(http://www.goo-net.com/newcar/)
表自体はエクセルで作成して本当は図表を貼り付ける予定でしたが、何故だかJpg化させると文字がにじんでしまうので、こうして手製のリストにしました。
全体の傾向としてはどうやらどこのメーカーも日本での自動車価格に合わせて中国販売価格を決めているようで、車種やメーカーに関係なく日本の価格に一段低い価格に設定しているところが多いです。ただこれは現在の円高というレート状況が強く影響しており、実際にちょっと前の1元=15円で計算したら逆に1段高い値段にきれいに逆転します。
なおかつ言えることとしては高級車は日本での価格より高めに設定されていることが多く、そのせいか高級車ラインナップが多いトヨタはRAV4とカローラを除いてどれも日本価格より高く設定されております。ランドクルーザーなんてあまりにも差がありすぎるので、なにか値段を間違えているような気すらします。
なお中国で販売されている車はどれも中国企業との合弁会社とで作られており、車名は同じでも一代前の型式であったり、部品も中国メーカー製が使われているなどして全く同じ車ではありません。代表的なのはマツダのアテンザで、日本ではすでにハッチバック仕様が売られていますがこちらでは一昔前のセダン型しかありません。そのため上記のリストも、あくまで参考程度にご参照ください。
最後に中国の値段感覚について一言。以前にタクシーの運転手と話をした際、街中をマツダのアテンザが多く走っていることに言及すると、
「ああ、マツダの車は安いからね」
と話してました。
この話からすると、どうやら上記アテンザの価格(2,049,600~2,397,600円)はこっちの感覚としては安い方のようです。なんか腑に落ちないなぁ。
2011年6月29日水曜日
豊臣秀吉の能力
先日ネット上で、「日本史で最も英雄度の高い人物は?」というテーマの掲示板を見受けました。中には冗談で「野茂英雄」と挙げる人もいましたが、現代日本人への影響で言えば私はやはり徳川家康を挙げます。ただその一方で、最も図抜けた能力者という意味では今日の題となっている、豊臣秀吉を必ず挙げるでしょう。
このところ古代史ばかりなのでたまには違う時代とばかりに秀吉を挙げてきましたが、彼の経歴については言わずもがなで一農民から完全な叩き上げで天下人となった「日本最強の成り上がり」と呼ばれる人物です。基本私は成り上がりが嫌いで、世界の富豪ランキングにも名を連ねる中国のパクリカーメーカーことBYD自動車会長も会った事もないのに嫌っていますが、この秀吉については別格で非常に人物としても気に入っております。具体的にどうして秀吉を気に入っているのかというと、晩年こそ判断ミスが多いものの全盛期の勘の鋭さについては歴史を眺めるだけでぞっとするほどのプレッシャーを感じるからです。
秀吉の能力としての全盛期は信長の死後、いわゆる中国大返しをやった時期です。この中国大返しについては四年位前から「実は秀吉も信長暗殺に噛んでた。だからあらかじめわかってたので中国大返しも出来た」という異説が出てきましたが、これについては友人と夜中一時くらいまで議論しましたが最終的には疑わしいという結論に至りました。理由はいくつかありますが一言で言うと、毛利と和睦できる絶対的保証がなかったということに尽きます。
それで話は戻りますが、中国大返しはその決断から行動に至るまで神懸り的な機敏さで、六月二日の本能寺の変から六月十三日の山崎の合戦に至るまでの九日間で以下のような行動を達成しております。
・交戦中の毛利軍との和議締結
・京都周辺の織田家武将との連絡、糾合
・部隊の撤退準備
・数万の部隊での200キロ程度の移動
・合戦準備
これは言うは易いですが、実際にやるとなるととんでもない作業です。まだ最初の毛利家との講和は元から話が進んでいたのもあるので多少の譲歩をすることで達成することは可能ですが、数万の部隊での撤退準備ともなると武器やら兵糧やらをすべてまとめなおさなくてはならず、一週間以上かかってもおかしくない作業です。そのうえ200キロの強行軍、聞く限りだとある日の行程では一日70キロを走破させたとも言われ、世界史上でもこの速度はトップクラスと言ってもいいでしょう。
その上で最後の合戦準備です。これも山崎周辺の武士から鉄砲などを調達する傍ら、合流した他の織田家武将たちとも打ち合わせを行っており、一体どうしてそこまでパワフルに動けるのかと信じられない気持ちでいっぱいになります。はっきり言ってこれらはすべて常識はずれの行軍で、これだけの行軍をされては敗戦した明智光秀も無能だったとは評価できないでしょう。
ただ秀吉の絶頂期はこの中国大返しではなく、私は次の賤ヶ岳の合戦の頃だと考えています。これは以前の陽月秘話でもまとめましたが秀吉軍は雪解けのタイミングを見計らって軍を動かし、柴田勝家の軍をおびき出したところで急速に軍隊を引き返させ撃滅するという神業を達成しています。もっとも、前田利家が裏切らなければ柴田軍もああは負けはしなかったでしょうが。詳細は以前の陽月秘話のページを検索してください。
これ以後も秀吉は外交から戦争に至るまで縦横無尽に処理し、あっという間に天下を平定してしまいます。もちろんそれは秀吉一人の力ではなく弟の羽柴秀長や軍師の黒田官兵衛など優秀な部下達があってのことでしょうが、そのような優秀な部下を活躍させるにも才能は必要です。九州平定のあたりも、改めて読んでみるとかなり凄い速さで始末してますし。
晩年の秀吉は私が言うまでもなく判断ミスを繰り返しては豊臣政権の崩壊を自ら招いておりますが、それでも絶頂期の秀吉以上に才走る人物は日本史中にはいないと私は考えております。強いてあげるとしたら伊藤博文でしょうが、もう少しこの時期の秀吉について研究とか進んだら個人的に面白いような気がします。
ちなみに秀吉が毛利家との対陣中に本能寺の変を知った際、黒田官兵衛は、
「やったじゃん、秀吉ぃ(´∀`*)」
って言って、秀吉を大いに慌てさせたそうです。中国大返しも賤ヶ岳の合戦も実質取り仕切ったのは黒田官兵衛だと思われますが、こんなこと言ってればそりゃ警戒されるわな。
このところ古代史ばかりなのでたまには違う時代とばかりに秀吉を挙げてきましたが、彼の経歴については言わずもがなで一農民から完全な叩き上げで天下人となった「日本最強の成り上がり」と呼ばれる人物です。基本私は成り上がりが嫌いで、世界の富豪ランキングにも名を連ねる中国のパクリカーメーカーことBYD自動車会長も会った事もないのに嫌っていますが、この秀吉については別格で非常に人物としても気に入っております。具体的にどうして秀吉を気に入っているのかというと、晩年こそ判断ミスが多いものの全盛期の勘の鋭さについては歴史を眺めるだけでぞっとするほどのプレッシャーを感じるからです。
秀吉の能力としての全盛期は信長の死後、いわゆる中国大返しをやった時期です。この中国大返しについては四年位前から「実は秀吉も信長暗殺に噛んでた。だからあらかじめわかってたので中国大返しも出来た」という異説が出てきましたが、これについては友人と夜中一時くらいまで議論しましたが最終的には疑わしいという結論に至りました。理由はいくつかありますが一言で言うと、毛利と和睦できる絶対的保証がなかったということに尽きます。
それで話は戻りますが、中国大返しはその決断から行動に至るまで神懸り的な機敏さで、六月二日の本能寺の変から六月十三日の山崎の合戦に至るまでの九日間で以下のような行動を達成しております。
・交戦中の毛利軍との和議締結
・京都周辺の織田家武将との連絡、糾合
・部隊の撤退準備
・数万の部隊での200キロ程度の移動
・合戦準備
これは言うは易いですが、実際にやるとなるととんでもない作業です。まだ最初の毛利家との講和は元から話が進んでいたのもあるので多少の譲歩をすることで達成することは可能ですが、数万の部隊での撤退準備ともなると武器やら兵糧やらをすべてまとめなおさなくてはならず、一週間以上かかってもおかしくない作業です。そのうえ200キロの強行軍、聞く限りだとある日の行程では一日70キロを走破させたとも言われ、世界史上でもこの速度はトップクラスと言ってもいいでしょう。
その上で最後の合戦準備です。これも山崎周辺の武士から鉄砲などを調達する傍ら、合流した他の織田家武将たちとも打ち合わせを行っており、一体どうしてそこまでパワフルに動けるのかと信じられない気持ちでいっぱいになります。はっきり言ってこれらはすべて常識はずれの行軍で、これだけの行軍をされては敗戦した明智光秀も無能だったとは評価できないでしょう。
ただ秀吉の絶頂期はこの中国大返しではなく、私は次の賤ヶ岳の合戦の頃だと考えています。これは以前の陽月秘話でもまとめましたが秀吉軍は雪解けのタイミングを見計らって軍を動かし、柴田勝家の軍をおびき出したところで急速に軍隊を引き返させ撃滅するという神業を達成しています。もっとも、前田利家が裏切らなければ柴田軍もああは負けはしなかったでしょうが。詳細は以前の陽月秘話のページを検索してください。
これ以後も秀吉は外交から戦争に至るまで縦横無尽に処理し、あっという間に天下を平定してしまいます。もちろんそれは秀吉一人の力ではなく弟の羽柴秀長や軍師の黒田官兵衛など優秀な部下達があってのことでしょうが、そのような優秀な部下を活躍させるにも才能は必要です。九州平定のあたりも、改めて読んでみるとかなり凄い速さで始末してますし。
晩年の秀吉は私が言うまでもなく判断ミスを繰り返しては豊臣政権の崩壊を自ら招いておりますが、それでも絶頂期の秀吉以上に才走る人物は日本史中にはいないと私は考えております。強いてあげるとしたら伊藤博文でしょうが、もう少しこの時期の秀吉について研究とか進んだら個人的に面白いような気がします。
ちなみに秀吉が毛利家との対陣中に本能寺の変を知った際、黒田官兵衛は、
「やったじゃん、秀吉ぃ(´∀`*)」
って言って、秀吉を大いに慌てさせたそうです。中国大返しも賤ヶ岳の合戦も実質取り仕切ったのは黒田官兵衛だと思われますが、こんなこと言ってればそりゃ警戒されるわな。
2011年6月28日火曜日
メガソーラー計画に対する私の意見
震災に伴う福島原発の事故を受けて代替エネルギーの議論が激しくなる中、ソフトバンクの孫社長(最近アリババの問題でこっちの新聞にも良く出てくる)は大規模太陽電池発電によるメガソーラー計画を打ち出しました。概要はいちいち説明するまでもありませんが、休耕田などに敷くなどいろいろな案があって導入に前向きな自治体が出てくるなど続報ニュースをネットでよく見かけますが、このメガソーラー計画について私の意見を今回は紹介しようかと思います。
結論から言ってあくまで一素人の意見ですが、私はメガソーラー計画に反対です。理由をいくつかありますが、ざっと要点だけ挙げると以下のようなものがあげられます。
1、太陽光発電では得られる電力が少なく、コストが高い
2、電力が天候に左右されやすく不安定
3、太陽電池の寿命について未知数
4、寿命後の太陽電池の処理に言及がない
まず1については言うまでもなく、かねてからのネックです。確かに資本を投じて大規模生産を始め、広い土地に敷設すればそこそこのコストダウンと電力は確保できるかもしれませんが、それでも2番目の理由なども考慮すると絶対的に発電能力が足りないかと思います。
次に2番目ですが、現行の太陽電池は大分マシになってきているとはいえそれでも天候が曇りや雨になると途端に発電能力が急減します。そうした場合に備えて現在では発電できない夜間を含めて大型電池と組み合わせ、昼に発電しつつ充電し、夜に電池を使うという案もありますが、なんとなく都合のいい話のような気がしてあまり信用できません。
そして3番目ですが、これが一番重要で私が反対に立場を置く最大の理由です。あまりテレビとかでは宣伝しませんが太陽電池というのは作った後は半永久的に使えるものではなく、現行の電池でも寿命は約二十年と言われております。しかも二十年たったら突然使えなくなるというわけじゃなく、時が経つにつれて発電能力が徐々に落ちていき、二十年後には発電能力は1割以下になるという予想です。
結構この辺の説明を省いて、「電力会社に売電して、施工費用は10年で元が取れますよ」と言っては住宅に太陽電池を敷いて、実際にはそれほど発電できなくて訴訟になるケースもちらほら出てきてます。多分二、三年したらもっと出てくるだろうけど。しかもこの寿命はあくまで現時点の予想であって、実際には二十年より早く駄目になるかも知れませんし二十年よりもっと使えるかもしれません。まぁこういうときの希望的観測というのは大抵外れるのですが。
この太陽電池の寿命を考えると、今から大量に投資して一定度の電力を賄えるくらいに敷設したとしても二十年後、実際にはそれよりももっと早くにまた新しい太陽電池を作って取り替えなければなりません。それはいうなれば、二十年足らずで現在行う太陽電池の投資はすべて無に帰すということです。さらに言えばその二十年間の間に置いとくままというのも現実的ではなく、実際にはメンテナンスコストや盗難防止策などにもお金が取られること間違いなしでしょう。
その上で4番目の理由です。上記の太陽電池の寿命を考えると、交換するたびに大量の廃棄物を出してしまうことになります。あまり構造について詳しくありませんが現在主流のシリコン型太陽電池は環境負荷の高い物質を含んでいるとも聞くだけに(薄膜系太陽電池は少ないと聞くが)、廃棄物をどう処理するかを全く考えずに今一斉に敷設するというのは未来に問題を先送りするだけ、程度はともかく原発を使うのと方向的には同じな気がします。リサイクル処理方法、施設が確立されているのであれば話は別ですが。
ただ太陽電池に全く期待していないというわけではなく、上記の問題を解決できるというのであればまだありだと思います。せめて量産品で変換効率が40%以上、そして電池寿命も三十年くらいが保証されるのであれば私も賛成の立場に回りますが、少なくとも現状では資源の無駄遣い、環境破壊につながる恐れがあるので納得できません。そのため孫社長の目がソーラー計画については今すぐやろうとするよりはもっと技術の向上を待つべきだと思い、この方面の研究開発に投資するのが先のような気がします。
では他の代替エネルギーについてはこれもあくまで素人として意見を言わせてもらうと、まず風力発電についてはあまり期待はしていません。早稲田大学に聞いたら絵に描いたような餅のような案を提供してもらえるかもしれませんが。一部で人気なメタンハイドレードなんかは前職の時に周りにも聞いたりしましたが、深海にあるという特性上、調達コストが高すぎてまだとても採算には乗れません。
将来未来がある分野でなら、地熱発電なんかは日本という特性上は意外と面白いかもしれません。こちらも技術の発達を待たねばなりませんが、熱量を安定的に得られることを考えると面白い気がします。この地熱発電同様に昨日友達と盛り上がったのは水力発電で、この際だから人口の滝を作ったりなど、技術の熟成を待てばかなりいろいろなものが作れるんじゃないかとなんだか希望に満ちた都合のいい話をしてました。
ただ水力発電については私はかつてシムシティといって街づくりが出来るシミュレーションゲームにて、街のど真ん中にとてつもなく高い山を作り、そこの頂上から麓まで水を通し、その川沿いに水力発電機を大量に設置して街の電力を賄おうとしたりしました。
シムシティはまじめに無茶が出来るから本当に面白かった。警察署を一軒も作らず、「GTAの世界だ、ヒャッハー(゚∀゚)ヒャッハー」とか言ってたし。時代的にはファイナルファイトのメトロシティというべきかも知れないが。
結論から言ってあくまで一素人の意見ですが、私はメガソーラー計画に反対です。理由をいくつかありますが、ざっと要点だけ挙げると以下のようなものがあげられます。
1、太陽光発電では得られる電力が少なく、コストが高い
2、電力が天候に左右されやすく不安定
3、太陽電池の寿命について未知数
4、寿命後の太陽電池の処理に言及がない
まず1については言うまでもなく、かねてからのネックです。確かに資本を投じて大規模生産を始め、広い土地に敷設すればそこそこのコストダウンと電力は確保できるかもしれませんが、それでも2番目の理由なども考慮すると絶対的に発電能力が足りないかと思います。
次に2番目ですが、現行の太陽電池は大分マシになってきているとはいえそれでも天候が曇りや雨になると途端に発電能力が急減します。そうした場合に備えて現在では発電できない夜間を含めて大型電池と組み合わせ、昼に発電しつつ充電し、夜に電池を使うという案もありますが、なんとなく都合のいい話のような気がしてあまり信用できません。
そして3番目ですが、これが一番重要で私が反対に立場を置く最大の理由です。あまりテレビとかでは宣伝しませんが太陽電池というのは作った後は半永久的に使えるものではなく、現行の電池でも寿命は約二十年と言われております。しかも二十年たったら突然使えなくなるというわけじゃなく、時が経つにつれて発電能力が徐々に落ちていき、二十年後には発電能力は1割以下になるという予想です。
結構この辺の説明を省いて、「電力会社に売電して、施工費用は10年で元が取れますよ」と言っては住宅に太陽電池を敷いて、実際にはそれほど発電できなくて訴訟になるケースもちらほら出てきてます。多分二、三年したらもっと出てくるだろうけど。しかもこの寿命はあくまで現時点の予想であって、実際には二十年より早く駄目になるかも知れませんし二十年よりもっと使えるかもしれません。まぁこういうときの希望的観測というのは大抵外れるのですが。
この太陽電池の寿命を考えると、今から大量に投資して一定度の電力を賄えるくらいに敷設したとしても二十年後、実際にはそれよりももっと早くにまた新しい太陽電池を作って取り替えなければなりません。それはいうなれば、二十年足らずで現在行う太陽電池の投資はすべて無に帰すということです。さらに言えばその二十年間の間に置いとくままというのも現実的ではなく、実際にはメンテナンスコストや盗難防止策などにもお金が取られること間違いなしでしょう。
その上で4番目の理由です。上記の太陽電池の寿命を考えると、交換するたびに大量の廃棄物を出してしまうことになります。あまり構造について詳しくありませんが現在主流のシリコン型太陽電池は環境負荷の高い物質を含んでいるとも聞くだけに(薄膜系太陽電池は少ないと聞くが)、廃棄物をどう処理するかを全く考えずに今一斉に敷設するというのは未来に問題を先送りするだけ、程度はともかく原発を使うのと方向的には同じな気がします。リサイクル処理方法、施設が確立されているのであれば話は別ですが。
ただ太陽電池に全く期待していないというわけではなく、上記の問題を解決できるというのであればまだありだと思います。せめて量産品で変換効率が40%以上、そして電池寿命も三十年くらいが保証されるのであれば私も賛成の立場に回りますが、少なくとも現状では資源の無駄遣い、環境破壊につながる恐れがあるので納得できません。そのため孫社長の目がソーラー計画については今すぐやろうとするよりはもっと技術の向上を待つべきだと思い、この方面の研究開発に投資するのが先のような気がします。
では他の代替エネルギーについてはこれもあくまで素人として意見を言わせてもらうと、まず風力発電についてはあまり期待はしていません。早稲田大学に聞いたら絵に描いたような餅のような案を提供してもらえるかもしれませんが。一部で人気なメタンハイドレードなんかは前職の時に周りにも聞いたりしましたが、深海にあるという特性上、調達コストが高すぎてまだとても採算には乗れません。
将来未来がある分野でなら、地熱発電なんかは日本という特性上は意外と面白いかもしれません。こちらも技術の発達を待たねばなりませんが、熱量を安定的に得られることを考えると面白い気がします。この地熱発電同様に昨日友達と盛り上がったのは水力発電で、この際だから人口の滝を作ったりなど、技術の熟成を待てばかなりいろいろなものが作れるんじゃないかとなんだか希望に満ちた都合のいい話をしてました。
ただ水力発電については私はかつてシムシティといって街づくりが出来るシミュレーションゲームにて、街のど真ん中にとてつもなく高い山を作り、そこの頂上から麓まで水を通し、その川沿いに水力発電機を大量に設置して街の電力を賄おうとしたりしました。
シムシティはまじめに無茶が出来るから本当に面白かった。警察署を一軒も作らず、「GTAの世界だ、ヒャッハー(゚∀゚)ヒャッハー」とか言ってたし。時代的にはファイナルファイトのメトロシティというべきかも知れないが。
2011年6月26日日曜日
日本人が海外に出て行きたくない理由
現在世界的アーティストのレディー・ガガ氏が来日して様々な復興支援活動に参加してくれておりますが、やはり日本人として彼女の活動には頭が下がる思いがします。今回の支援活動においてレディー・ガガ氏は何度も日本が大好きだと言ってくれていますが、彼女に限らず海外の有名人の方には映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏などのように日本を贔屓にしてくれる方が少なからず存在します。これまた日本人の私としては、「そんなに気に入ってくれるなんて(∀`*ゞ)テヘッ」などと照れる気持ちがするのですが、このところこうした日本贔屓の外人を見ていて、ひょっとするとここに日本人が海外に出て行きたくない理由があるんじゃないかと密かににらんでいます。
近年、経団連の殴られたダルマみたいな顔した米倉会長を始めとして日本の若者が海外に留学したがらない、異動を嫌がるといったことを懸念する言葉を発していますが、結論から言うと、私は日本人が海外に行きたがらない理由は日本国内の生活があまりにも便利で快適過ぎるからじゃないかと思います。
私がこの発想を最初に得たのは、友人とのある会話からでした。その友人によるとフィリピン人などは一刻も早く別の国に行って働きたがるそうなのですが、日本人はそうでもないと言うとそれはあなたの国が恵まれているからだと言われたそうです。確かに言われてみると日本の公務員は天下りこそあるものの不正は少なく、警察も外国ほど無茶はやらかしません。なおかつ市場に出回る製品も中国みたいに粗悪品は出回らず、生活も若いうちならアルバイトで一人暮らしが出来て、パソコンも買えればインターネットだってできます。よくネット上では日本の今の景気状態を嘆いてはこんな最悪の国はないという人がいますが、それでも他国、イギリス(飯がまずい)やフランス(街が汚い)などの先進国と比べても日本の状況はまだまだ優れたものだと断言できます。日本は老後の保証がないといいますがそんなのどこの国だって一緒で、中国なんか今の一人っ子の若者たちの老後を考えると他人事のはずなのに心配になってきます。
その上で日本だけの特別な特徴を挙げると、隅々まで行き渡るサービスの細かさも見逃せません。海外に行ってみるとわかりますがあらゆる面における日本のサービスは神懸り的とでも病的とでも言うべきか、どうしてそこまでするのと思い知らされます。冷凍食品の種類の多さからコンビニでの予約と代理決済、定時通りの電車運行から商店員の態度にB2B取引の対応など、外国で暮らしてみると改めてその細かさや早さがどれだけ凄かったのかがわかります。
敢えて逆に日本の方がサービスが悪いと思う分野を挙げると、敷金や礼金に加え保証人を求められる不動産業にいじめが絶えない義務教育などがありますが、それらを見越しても日本での生活は自分がネイティブであることを考慮しても快適の一言に尽きます。参考のために上海人の友人に来日直後は不便ではなかったかと聞きましたが、「コンビニに行けば食事などすべて事足りるから不便に感じることはなかった」とうまいこと言い切ってくれました。
話は戻りますが、単純な問題として現下で快適な環境にあるのにわざわざ他の環境に行こうと思うでしょうか。それも外国となると言語面での不便は言うまでもなく食事や製品などの面で確実に日本での生活より苦しくなるのは間違いなく、生活費面ではどこの国でも確かにマシになるでしょうがそれだったら高いお金かけたいと思う日本人がいるわけで上海の日本食屋は成立するわけです。
例の殴られたダルマみたいした米倉会長はハーバード大には中国や韓国からたくさん留学生が来ていると言っていますが、それは優れた研究環境というのが一番でしょうが、それとは別に彼らの国より米国という環境が住み心地がいいというのも大きな理由じゃないかと思います。韓国について言えば、そうでもしないと就職もし辛いという厳しい雇用環境もあるでしょうが。
私は日本人が海外に出たがらない理由というのは、もちろん日本人が保守的とか内気とか言っても間違いではないと思うものの、その裏には日本での生活が世界最高峰なくらいに便利すぎるというのが最大の理由じゃないかと考えています。それゆえにレディー・ガガ氏を始めその文化や便利さに引き寄せられる海外の有名人も現れるのではないでしょうか。
これを逆に言い換えると、日本人をもっと海外に出そうとするならサービスの質を下げるのが効果的なのではということになります。実際に私の体験でも、平気で私の前に別の客が割り込んできてもなにも注意しない店員とかを見てるとやっぱり日本はいいなぁとか思ってしまいます。あとちまちまやってはあっという間に長蛇の列を作る銀行とか。
もっとも今更サービスの質を落とせといっても出来るわけないので、少数精鋭とばかりにまだ海外に行こうとする少数派の日本人をもっと行きやすく応援するようにした方が手っ取り早いと思います。もしくは日本に引き寄せられる外国人への対応を良くするとか。
日本人にとって海外に行くということは、本当にごく一部の国を除いて生活の質を下げることにつながります。特に若者にとっては上から指示するだけの職位とか有り得ず、また私のような現地採用の人間は日本より低い給料に加え生活面での会社からの補助などありません。こういう状況わかって抜かしてるんだろうか、あのダルマは。
近年、経団連の殴られたダルマみたいな顔した米倉会長を始めとして日本の若者が海外に留学したがらない、異動を嫌がるといったことを懸念する言葉を発していますが、結論から言うと、私は日本人が海外に行きたがらない理由は日本国内の生活があまりにも便利で快適過ぎるからじゃないかと思います。
私がこの発想を最初に得たのは、友人とのある会話からでした。その友人によるとフィリピン人などは一刻も早く別の国に行って働きたがるそうなのですが、日本人はそうでもないと言うとそれはあなたの国が恵まれているからだと言われたそうです。確かに言われてみると日本の公務員は天下りこそあるものの不正は少なく、警察も外国ほど無茶はやらかしません。なおかつ市場に出回る製品も中国みたいに粗悪品は出回らず、生活も若いうちならアルバイトで一人暮らしが出来て、パソコンも買えればインターネットだってできます。よくネット上では日本の今の景気状態を嘆いてはこんな最悪の国はないという人がいますが、それでも他国、イギリス(飯がまずい)やフランス(街が汚い)などの先進国と比べても日本の状況はまだまだ優れたものだと断言できます。日本は老後の保証がないといいますがそんなのどこの国だって一緒で、中国なんか今の一人っ子の若者たちの老後を考えると他人事のはずなのに心配になってきます。
その上で日本だけの特別な特徴を挙げると、隅々まで行き渡るサービスの細かさも見逃せません。海外に行ってみるとわかりますがあらゆる面における日本のサービスは神懸り的とでも病的とでも言うべきか、どうしてそこまでするのと思い知らされます。冷凍食品の種類の多さからコンビニでの予約と代理決済、定時通りの電車運行から商店員の態度にB2B取引の対応など、外国で暮らしてみると改めてその細かさや早さがどれだけ凄かったのかがわかります。
敢えて逆に日本の方がサービスが悪いと思う分野を挙げると、敷金や礼金に加え保証人を求められる不動産業にいじめが絶えない義務教育などがありますが、それらを見越しても日本での生活は自分がネイティブであることを考慮しても快適の一言に尽きます。参考のために上海人の友人に来日直後は不便ではなかったかと聞きましたが、「コンビニに行けば食事などすべて事足りるから不便に感じることはなかった」とうまいこと言い切ってくれました。
話は戻りますが、単純な問題として現下で快適な環境にあるのにわざわざ他の環境に行こうと思うでしょうか。それも外国となると言語面での不便は言うまでもなく食事や製品などの面で確実に日本での生活より苦しくなるのは間違いなく、生活費面ではどこの国でも確かにマシになるでしょうがそれだったら高いお金かけたいと思う日本人がいるわけで上海の日本食屋は成立するわけです。
例の殴られたダルマみたいした米倉会長はハーバード大には中国や韓国からたくさん留学生が来ていると言っていますが、それは優れた研究環境というのが一番でしょうが、それとは別に彼らの国より米国という環境が住み心地がいいというのも大きな理由じゃないかと思います。韓国について言えば、そうでもしないと就職もし辛いという厳しい雇用環境もあるでしょうが。
私は日本人が海外に出たがらない理由というのは、もちろん日本人が保守的とか内気とか言っても間違いではないと思うものの、その裏には日本での生活が世界最高峰なくらいに便利すぎるというのが最大の理由じゃないかと考えています。それゆえにレディー・ガガ氏を始めその文化や便利さに引き寄せられる海外の有名人も現れるのではないでしょうか。
これを逆に言い換えると、日本人をもっと海外に出そうとするならサービスの質を下げるのが効果的なのではということになります。実際に私の体験でも、平気で私の前に別の客が割り込んできてもなにも注意しない店員とかを見てるとやっぱり日本はいいなぁとか思ってしまいます。あとちまちまやってはあっという間に長蛇の列を作る銀行とか。
もっとも今更サービスの質を落とせといっても出来るわけないので、少数精鋭とばかりにまだ海外に行こうとする少数派の日本人をもっと行きやすく応援するようにした方が手っ取り早いと思います。もしくは日本に引き寄せられる外国人への対応を良くするとか。
日本人にとって海外に行くということは、本当にごく一部の国を除いて生活の質を下げることにつながります。特に若者にとっては上から指示するだけの職位とか有り得ず、また私のような現地採用の人間は日本より低い給料に加え生活面での会社からの補助などありません。こういう状況わかって抜かしてるんだろうか、あのダルマは。
素顔同盟の思い出
突然ですが、「素顔同盟」という短編小説はご存知でしょうか。
この小説は中学校などの国語の教科書に引用されていて恐らく私と同年代の方なら誰もが呼んだことがある作品だと思いますが、あらすじを簡単に説明すると、人間は喜怒哀楽を表情に出すから争いが絶えないわけでみんなして笑顔の仮面を被って生きるのが当たり前の世界に疑問を持っていた主人公はある日、仮面を脱ぐ素顔同盟という団体があることを知り、その所属員らしき女性の素顔を見て仮面を脱ぐ決心をするというストーリーです。
この話を何故唐突に持ち出したのかというと、これまたちょっと時間がたっていますが下記のニュースを見たことがきっかけでした。
・訃報:すやまたけしさん60歳=作家(毎日新聞)
今月十二日、この「素顔同盟」の作者であるすやまたけし氏が死去しました。
このニュースを受けていろいろ思い出すところがあったのですが、実はこの作品に関しては一悶着というか、妙な思い出があってその他の教科書引用作品と比べても格段に強い記憶があり、上記訃報を聞いて「あの素顔同盟か……」とちょっと思い出すところがありました。
その一悶着とはまさに中学時代にこの作品を国語の授業で扱っていた時でした。授業も終盤にさしかかって当時の教師は生徒に作品の感想を求めるプリントを配ったわけですが、「素顔同盟に走った主人公をどう思うか」という質問に対し、ちょっと妙な回答を私はしてしまいました。
「集団の秩序を乱そうとする典型的な破滅的行動である。テロリズム的な思想で気に入らない」
これは冗談じゃなくマジで上記のように書いて提出してしまいました。というのもこの授業の直前に読んだ中国史の解説本にて、「始皇帝暗殺」で有名な刺客の荊軻について以下のようなくだりを読んでいたことが原因でした。
「荊軻の評価は暗殺者という特性上、その時代ごとに大きく変わりやすい。ある時代では圧政を敷く暴君に立ち向かう勇者として称えられる一方で、暴力によって権力を転覆せしめようとするただのテロリストとして扱われることもあり、現代ではそのような評価が強まっている」
この論説を読んでたせいというかなんとなく素顔同盟の主人公も荊軻っぽいなぁとか思い、「テロリズム」という言葉が出てきてしまったわけです。しかもその時の教師も教師で、生徒からプリントを集めるや何を思ったか「こんな意見もありました」と言って上記の私の書いた感想を読み上げると、
「この感想を書いた人の仮面を取っても良いでしょうか、花園君( ´∀`)」
と、いきなりクラス中に名前をばらされてしまいました。
言われた瞬間はそれこそ「オイオイ、マジかよっ!?Σ(゚Д゚;)ゲゲッ」って滅茶苦茶焦りましたが、元々仲が良かった教師なので問題あるとか気に入らない感想だからといった理由ではなく、「クセ球を投げてきたな、こいつ(・∀・)ニヤニヤ」ってな感じで暴露してきたんだと思います。
もっとも授業後にこの件をネタにからかってくる生徒はいませんでしたがこの一件を経て私は、「絶対にこの教師には逆らわないでおこう」と決意するに至りました。
この小説は中学校などの国語の教科書に引用されていて恐らく私と同年代の方なら誰もが呼んだことがある作品だと思いますが、あらすじを簡単に説明すると、人間は喜怒哀楽を表情に出すから争いが絶えないわけでみんなして笑顔の仮面を被って生きるのが当たり前の世界に疑問を持っていた主人公はある日、仮面を脱ぐ素顔同盟という団体があることを知り、その所属員らしき女性の素顔を見て仮面を脱ぐ決心をするというストーリーです。
この話を何故唐突に持ち出したのかというと、これまたちょっと時間がたっていますが下記のニュースを見たことがきっかけでした。
・訃報:すやまたけしさん60歳=作家(毎日新聞)
今月十二日、この「素顔同盟」の作者であるすやまたけし氏が死去しました。
このニュースを受けていろいろ思い出すところがあったのですが、実はこの作品に関しては一悶着というか、妙な思い出があってその他の教科書引用作品と比べても格段に強い記憶があり、上記訃報を聞いて「あの素顔同盟か……」とちょっと思い出すところがありました。
その一悶着とはまさに中学時代にこの作品を国語の授業で扱っていた時でした。授業も終盤にさしかかって当時の教師は生徒に作品の感想を求めるプリントを配ったわけですが、「素顔同盟に走った主人公をどう思うか」という質問に対し、ちょっと妙な回答を私はしてしまいました。
「集団の秩序を乱そうとする典型的な破滅的行動である。テロリズム的な思想で気に入らない」
これは冗談じゃなくマジで上記のように書いて提出してしまいました。というのもこの授業の直前に読んだ中国史の解説本にて、「始皇帝暗殺」で有名な刺客の荊軻について以下のようなくだりを読んでいたことが原因でした。
「荊軻の評価は暗殺者という特性上、その時代ごとに大きく変わりやすい。ある時代では圧政を敷く暴君に立ち向かう勇者として称えられる一方で、暴力によって権力を転覆せしめようとするただのテロリストとして扱われることもあり、現代ではそのような評価が強まっている」
この論説を読んでたせいというかなんとなく素顔同盟の主人公も荊軻っぽいなぁとか思い、「テロリズム」という言葉が出てきてしまったわけです。しかもその時の教師も教師で、生徒からプリントを集めるや何を思ったか「こんな意見もありました」と言って上記の私の書いた感想を読み上げると、
「この感想を書いた人の仮面を取っても良いでしょうか、花園君( ´∀`)」
と、いきなりクラス中に名前をばらされてしまいました。
言われた瞬間はそれこそ「オイオイ、マジかよっ!?Σ(゚Д゚;)ゲゲッ」って滅茶苦茶焦りましたが、元々仲が良かった教師なので問題あるとか気に入らない感想だからといった理由ではなく、「クセ球を投げてきたな、こいつ(・∀・)ニヤニヤ」ってな感じで暴露してきたんだと思います。
もっとも授業後にこの件をネタにからかってくる生徒はいませんでしたがこの一件を経て私は、「絶対にこの教師には逆らわないでおこう」と決意するに至りました。
2011年6月25日土曜日
自転車チャレンジ、浦東空港まで行ってみよう!
前々から暇があればやってみたいなと思っていたことで、上海のメインエアポートこと浦東空港まで自転車で行くというのに本日チャレンジしてきました。
気象は午前六時。当初は六時半から出発する予定でしたが空模様が怪しくてそのまま二度寝し、次に目覚めた時は既に八時半でした。その時間も空模様は怪しいままでしたがもうどうなってもいいやとばかりに強行出撃。
というのも前日の予報では本日上海の天気は雨模様でありましたが、上海の天気予報は「てめぇ、なめてんのか(#゚Д゚)ゴルァ!!」といいたくなるほど外れることが多く、事実ここ三日間は雷雨と言っておきながらピーカンの晴れが続いたことから、もう降って元々とという半ばヤケになったような感じで出発を決意しました。もっとも、昨日西の空見たら夕焼け見えなかったから自分でもさすがに今日は降ると予報してたけど。
そうして出発し、まずは上海中心部を経由して上海最大の観光地こと外灘へ向かいました。外灘はなんどかこのブログでも紹介していますが黄浦江という川沿いのビル街で、戦前に立てられた建物が古くから残っていることから人気のスポットです。何故ここへ向かうのかというと、橋は数箇所に架かっているものの自動車しか渡ることが出来ないため、フェリーに乗る必要があったからです。自宅がこの外灘から比較的離れた場所にあり、なおかつ中国人は朝が早いことから既に人や車が街中を行き交っているために時間にして大体一時間程度かけて外灘に着き、フェリー代(2.5元。なぜか反対側は1.8元で値段が違った)を払って無事渡河に成功します。
そしてやってきた浦東。この浦東という場所はもともとは上海中心部と川を挟んでいたことから1990年くらいまでは農地が集まる田舎の土地として見られていました。しかし経済特区に指定されて以降は急激に開発が進んで昨年の上海万博の開催地となったほか、現在では数多くのオフィスビルが立ち並ぶ高級地となっております。その分道路なども広くて自転車で走る分には走りやすかったのですが、空港までの道のりはやはり長かったです。
結果をもう言うと、最終的には浦東空港を目前にして今日は引き上げました。理由は空港までの距離が地図上の目測以上に遠かったことと、猛烈な雨と風が吹いてきて疲労が限界に達したことからでしたが、走った感覚としては大体片道3時間で40キロ、合計にして80キロくらいを走ったように思います。あまり言い訳したくありませんが、タイヤの小さい折り畳み自転車でやるような距離じゃなかったと途中で何度も後悔しました。
それにしても今日は雨が半端じゃないくらい降りました。降ったのは二時間程度ですぐにまたやみましたが、一度全身ずぶぬれになったのに自宅に帰り着く頃には靴下を除いてもう全部乾き切っていました。4時ごろに家に帰ってシャワーを浴びると疲労から懇々と二時間眠り続け、さすがにケチな自分でも今日くらいはおいしいもの食べたいと思って焼肉屋で88元も使って晩御飯を食べ現在に至ります。
毎回毎回こうやって自転車で無計画に遠乗りする計画を実行しては途中で後悔し、「なんでこんな馬鹿なことをしようと思ったんだろう(´д`)」と走りつつ思うわけですが、途中で自転車を乗り捨ててタクシーとかで帰ることも不可能ではありませんが、一旦遠くまで行ってしまうととんだけ苦しくても自力で帰るしかありません。個人的に思うこととしてこのように本当に逃げ道のない場所に追い込まれた場合(自分で追い込んだわけだが)、やはり精神力というかタフさが非常に問われると思います。もちろん自分はこの程度でひぃひぃ言ってて情けない限りなのですが、それでもズルを使わずにちゃんと自力で帰ってきた分にはまだ及第点かなと思います。
それにしてもずっと雲がかかってたけど両腕がすっかり日焼けしてひりひりして痛いです。毎年そうですけどある週末に自転車で遠乗りして一気に日焼けし、次の日に職場に「何やってきたんだ!?」と驚かれるので、多分次の月曜日もそうなるでしょう。あとサドルがスポーティなタイプで細くとんがっているのが良くないのか、乗っててお尻がかなり痛かったです。個人的には幅広のサドルのが長距離乗るにはいいんじゃないかと思うけど、プロとかはどうなんだろ。
あとあと、自転車は買ってまだ二ヶ月ですがやはり折り畳みで家に置いとく分にはコンパクトでいいけど、やっぱりちゃんとしたレース用自転車が欲しくなってきました。この前もカルフールでみてきて880元(約10560円)と1100元(約13200円)がいいなと見てたりしましたが、金に余裕が出来てきたらといってあんま調子に乗るのはよくないかなぁ。来月あたりには一旦帰国してノートパソコンも新調したいし……。
気象は午前六時。当初は六時半から出発する予定でしたが空模様が怪しくてそのまま二度寝し、次に目覚めた時は既に八時半でした。その時間も空模様は怪しいままでしたがもうどうなってもいいやとばかりに強行出撃。
というのも前日の予報では本日上海の天気は雨模様でありましたが、上海の天気予報は「てめぇ、なめてんのか(#゚Д゚)ゴルァ!!」といいたくなるほど外れることが多く、事実ここ三日間は雷雨と言っておきながらピーカンの晴れが続いたことから、もう降って元々とという半ばヤケになったような感じで出発を決意しました。もっとも、昨日西の空見たら夕焼け見えなかったから自分でもさすがに今日は降ると予報してたけど。
そうして出発し、まずは上海中心部を経由して上海最大の観光地こと外灘へ向かいました。外灘はなんどかこのブログでも紹介していますが黄浦江という川沿いのビル街で、戦前に立てられた建物が古くから残っていることから人気のスポットです。何故ここへ向かうのかというと、橋は数箇所に架かっているものの自動車しか渡ることが出来ないため、フェリーに乗る必要があったからです。自宅がこの外灘から比較的離れた場所にあり、なおかつ中国人は朝が早いことから既に人や車が街中を行き交っているために時間にして大体一時間程度かけて外灘に着き、フェリー代(2.5元。なぜか反対側は1.8元で値段が違った)を払って無事渡河に成功します。
そしてやってきた浦東。この浦東という場所はもともとは上海中心部と川を挟んでいたことから1990年くらいまでは農地が集まる田舎の土地として見られていました。しかし経済特区に指定されて以降は急激に開発が進んで昨年の上海万博の開催地となったほか、現在では数多くのオフィスビルが立ち並ぶ高級地となっております。その分道路なども広くて自転車で走る分には走りやすかったのですが、空港までの道のりはやはり長かったです。
結果をもう言うと、最終的には浦東空港を目前にして今日は引き上げました。理由は空港までの距離が地図上の目測以上に遠かったことと、猛烈な雨と風が吹いてきて疲労が限界に達したことからでしたが、走った感覚としては大体片道3時間で40キロ、合計にして80キロくらいを走ったように思います。あまり言い訳したくありませんが、タイヤの小さい折り畳み自転車でやるような距離じゃなかったと途中で何度も後悔しました。
それにしても今日は雨が半端じゃないくらい降りました。降ったのは二時間程度ですぐにまたやみましたが、一度全身ずぶぬれになったのに自宅に帰り着く頃には靴下を除いてもう全部乾き切っていました。4時ごろに家に帰ってシャワーを浴びると疲労から懇々と二時間眠り続け、さすがにケチな自分でも今日くらいはおいしいもの食べたいと思って焼肉屋で88元も使って晩御飯を食べ現在に至ります。
毎回毎回こうやって自転車で無計画に遠乗りする計画を実行しては途中で後悔し、「なんでこんな馬鹿なことをしようと思ったんだろう(´д`)」と走りつつ思うわけですが、途中で自転車を乗り捨ててタクシーとかで帰ることも不可能ではありませんが、一旦遠くまで行ってしまうととんだけ苦しくても自力で帰るしかありません。個人的に思うこととしてこのように本当に逃げ道のない場所に追い込まれた場合(自分で追い込んだわけだが)、やはり精神力というかタフさが非常に問われると思います。もちろん自分はこの程度でひぃひぃ言ってて情けない限りなのですが、それでもズルを使わずにちゃんと自力で帰ってきた分にはまだ及第点かなと思います。
それにしてもずっと雲がかかってたけど両腕がすっかり日焼けしてひりひりして痛いです。毎年そうですけどある週末に自転車で遠乗りして一気に日焼けし、次の日に職場に「何やってきたんだ!?」と驚かれるので、多分次の月曜日もそうなるでしょう。あとサドルがスポーティなタイプで細くとんがっているのが良くないのか、乗っててお尻がかなり痛かったです。個人的には幅広のサドルのが長距離乗るにはいいんじゃないかと思うけど、プロとかはどうなんだろ。
あとあと、自転車は買ってまだ二ヶ月ですがやはり折り畳みで家に置いとく分にはコンパクトでいいけど、やっぱりちゃんとしたレース用自転車が欲しくなってきました。この前もカルフールでみてきて880元(約10560円)と1100元(約13200円)がいいなと見てたりしましたが、金に余裕が出来てきたらといってあんま調子に乗るのはよくないかなぁ。来月あたりには一旦帰国してノートパソコンも新調したいし……。
2011年6月24日金曜日
自動車会社グループ化の今後
・日産・三菱自:合弁戦略 13年度に「軽」開発・発売--新社名「NMKV」(毎日新聞)
ちょっと古いニュースですが、私が贔屓する三菱自動車と日産自動車が軽自動車の共同研究・開発のため合弁会社「NMKV」を設立しました。もともと三菱自動車は日産に対して軽自動車をOEM供給しているなどかねてから関係があり、その延長から今回の合弁に至ったものとされます。
記事中にもありますが現在のん本の自動車市場は軽自動車の割合が三分の一を占めるなど、無視できない存在となりつつあります。うちの親父の若い頃なんて「軽なんて乗ってるのだっせーよなー」ってセガサターンばりに肩身が狭かったそうですが、今こんなことを言っていたら時代の趨勢も読めない奴だと言われてしまうかもしれません。私個人としては燃費で言えば明らかにホンダのフィットを始めとしたコンパクトカーのが優れているのは重々理解しておりますが、軽自動車はあの小さなボディという制約を受けつつ様々な装備やパーツが組み合わせられるなど設計に工夫製が感じられるため、カタログを見る際は真っ先に軽から見ます。
そんな三菱の軽ですが、日本の軽市場はダイハツ、スズキという二代巨頭が存在するためにいまいち目立ちませんが、改めてラインナップを見てみると三菱の軽もなかなか捨てがたいものがあります。主力のekシリーズはもとよりこの前リコールしたパジェロミニなど、去年のネットスラングを使うなら「そんな値段で大丈夫か?」といいたくなるくらいの面白い車で、駆動方式がRRのアイなど二代巨頭とは別の方面に進化していて見ていて面白いです。
さてそうした三菱ヨイショは置いといて、今回のこの三菱と日産の提携を見て私が感じたのは自動車業界で統合が進んできたなという感想でした。というのも一昨年くらいにスバルがトヨタに資本を握られ完全に軍門に落ち、同じく既にトヨタの資本下となっていたダイハツとの車種の兼ね合いからスバルは軽自動車事業の廃止を迫られることとなりました。ぶっちゃけ、スバルの軽にはなんの魅力も感じなかったからいいんだけど。
この結果、トヨタグループではトヨタが全車種ラインナップを維持するとともにスポーツ、ワゴン部門はスバル、軽部門はダイハツと住み分けがなされるようになりました。聞くところによると現在トヨタが開発しているFT-86の開発はかつてのヤマハ2000GT同様にスバルに丸投げだって聞きますし。
これは別業種ですが、金融においては現在の日本は東京三菱UFJ、三井住友、みずほの三大メガバンクが大半の市場シェアを握っております。もちろん小さい銀行の存在価値は低くはないものの、グローバル化を迎えた現在では主要な業界が許せる企業数というのは3~5社くらいが限界のように思え、三洋はすでに吸収されましたが、パナソニック、シャープ、東芝、日立、ソニー、三菱電機、NEC、富士通など数多くの企業が出揃う電機業界同様に自動車業界の主要企業数はやはり多過ぎるのではないかという気がします。それこそ発展途上の今の中国とかならともかく、既に成熟している日本の市場ではもうちょっと統廃合を進めたほうが全体に良いのではと思え、韓国やアメリカなどの業界企業数を見ているとますますその考えが強くなってきます。
それゆえに先のトヨタの住み分けも、スバルが買収されるのはちょっと残念ではありましたが内心ではありかという風に見ていました。まぁそれ以上に、スバルには書類選考で落ちてて良かったとほっとしたのが大きかったですが。
そして今回は三菱と日産が提携したとのことで、両者ともに電気自動車に力を入れているのでうまく話し合いが進めばこの分野でも協力が進むのではないかと思います。ただSUVと乗用車の部門で競合はしますが客層は明らかに違うし、なんとかなるんじゃないでしょうか。
となると気になるのは残ったメーカーのホンダ、スズキ、マツダです。私の素人ながらの勝手な良そうだとホンダとスズキは会社所在地こそ程近いものの両者は四輪はおろか二輪で競合する企業同士で、傍目にも仲が良さそうには思えません。それに対してマツダはというとかねてからスズキからアルトなど軽自動車のOEM供給を受けており、コンパクトカーの部門でデミオとスイフトが競合(客層は違うように見えるが)するもののそれ以外だとあまり被らないように見えます。私の希望としてはこのままマツダとスズキもどんどんと協力して、合併とまではいかなくとも提携を深めて準グループ化していってもらいたいものです。
何気にこのところのホンダさんには気に入らないところが多々あり、他社もやってたけどトヨタのアメリカにおけるリコール騒動の陰に隠れて大量リコールを実施したり、プリウスのデザイン丸パクリなインサイトを出したり、質の低いハイブリッド技術を搭載しておきながらこの分野の付加価値を余計に下げたりと、これがかつて技術のホンダと呼ばれた姿かといろいろ問いただしたい気持ちでいっぱいです。はっきり言いますがハイブリッド技術ではトヨタとホンダは天と地ほども差がある上、電気自動車も量産できないようでは三菱、日産以下で、どうかこのまま孤立化して細々と消えてなくなってもらいたいのが本音です。
ちょっと古いニュースですが、私が贔屓する三菱自動車と日産自動車が軽自動車の共同研究・開発のため合弁会社「NMKV」を設立しました。もともと三菱自動車は日産に対して軽自動車をOEM供給しているなどかねてから関係があり、その延長から今回の合弁に至ったものとされます。
記事中にもありますが現在のん本の自動車市場は軽自動車の割合が三分の一を占めるなど、無視できない存在となりつつあります。うちの親父の若い頃なんて「軽なんて乗ってるのだっせーよなー」ってセガサターンばりに肩身が狭かったそうですが、今こんなことを言っていたら時代の趨勢も読めない奴だと言われてしまうかもしれません。私個人としては燃費で言えば明らかにホンダのフィットを始めとしたコンパクトカーのが優れているのは重々理解しておりますが、軽自動車はあの小さなボディという制約を受けつつ様々な装備やパーツが組み合わせられるなど設計に工夫製が感じられるため、カタログを見る際は真っ先に軽から見ます。
そんな三菱の軽ですが、日本の軽市場はダイハツ、スズキという二代巨頭が存在するためにいまいち目立ちませんが、改めてラインナップを見てみると三菱の軽もなかなか捨てがたいものがあります。主力のekシリーズはもとよりこの前リコールしたパジェロミニなど、去年のネットスラングを使うなら「そんな値段で大丈夫か?」といいたくなるくらいの面白い車で、駆動方式がRRのアイなど二代巨頭とは別の方面に進化していて見ていて面白いです。
さてそうした三菱ヨイショは置いといて、今回のこの三菱と日産の提携を見て私が感じたのは自動車業界で統合が進んできたなという感想でした。というのも一昨年くらいにスバルがトヨタに資本を握られ完全に軍門に落ち、同じく既にトヨタの資本下となっていたダイハツとの車種の兼ね合いからスバルは軽自動車事業の廃止を迫られることとなりました。ぶっちゃけ、スバルの軽にはなんの魅力も感じなかったからいいんだけど。
この結果、トヨタグループではトヨタが全車種ラインナップを維持するとともにスポーツ、ワゴン部門はスバル、軽部門はダイハツと住み分けがなされるようになりました。聞くところによると現在トヨタが開発しているFT-86の開発はかつてのヤマハ2000GT同様にスバルに丸投げだって聞きますし。
これは別業種ですが、金融においては現在の日本は東京三菱UFJ、三井住友、みずほの三大メガバンクが大半の市場シェアを握っております。もちろん小さい銀行の存在価値は低くはないものの、グローバル化を迎えた現在では主要な業界が許せる企業数というのは3~5社くらいが限界のように思え、三洋はすでに吸収されましたが、パナソニック、シャープ、東芝、日立、ソニー、三菱電機、NEC、富士通など数多くの企業が出揃う電機業界同様に自動車業界の主要企業数はやはり多過ぎるのではないかという気がします。それこそ発展途上の今の中国とかならともかく、既に成熟している日本の市場ではもうちょっと統廃合を進めたほうが全体に良いのではと思え、韓国やアメリカなどの業界企業数を見ているとますますその考えが強くなってきます。
それゆえに先のトヨタの住み分けも、スバルが買収されるのはちょっと残念ではありましたが内心ではありかという風に見ていました。まぁそれ以上に、スバルには書類選考で落ちてて良かったとほっとしたのが大きかったですが。
そして今回は三菱と日産が提携したとのことで、両者ともに電気自動車に力を入れているのでうまく話し合いが進めばこの分野でも協力が進むのではないかと思います。ただSUVと乗用車の部門で競合はしますが客層は明らかに違うし、なんとかなるんじゃないでしょうか。
となると気になるのは残ったメーカーのホンダ、スズキ、マツダです。私の素人ながらの勝手な良そうだとホンダとスズキは会社所在地こそ程近いものの両者は四輪はおろか二輪で競合する企業同士で、傍目にも仲が良さそうには思えません。それに対してマツダはというとかねてからスズキからアルトなど軽自動車のOEM供給を受けており、コンパクトカーの部門でデミオとスイフトが競合(客層は違うように見えるが)するもののそれ以外だとあまり被らないように見えます。私の希望としてはこのままマツダとスズキもどんどんと協力して、合併とまではいかなくとも提携を深めて準グループ化していってもらいたいものです。
何気にこのところのホンダさんには気に入らないところが多々あり、他社もやってたけどトヨタのアメリカにおけるリコール騒動の陰に隠れて大量リコールを実施したり、プリウスのデザイン丸パクリなインサイトを出したり、質の低いハイブリッド技術を搭載しておきながらこの分野の付加価値を余計に下げたりと、これがかつて技術のホンダと呼ばれた姿かといろいろ問いただしたい気持ちでいっぱいです。はっきり言いますがハイブリッド技術ではトヨタとホンダは天と地ほども差がある上、電気自動車も量産できないようでは三菱、日産以下で、どうかこのまま孤立化して細々と消えてなくなってもらいたいのが本音です。
2011年6月23日木曜日
ニュース雑感
・インドネシア向け生体牛輸出を全面禁止(豪州)(農畜産業振興機構)
日本で報じられているのかはわかりませんが、何でもオーストラリアで生きた状態の食用牛をインドネシアに輸出したところ、現地での堵殺の際の殺し方が残酷だと非難が起こり、オーストラリア政府が生体牛の輸出を禁止したそうです。
事の発端はインドネシアの堵殺場の映像が報じられたことからだそうですが、その映像というのも麻酔もかけずに生きた牛の首に牛刀を何度もぶつけて潰すやり方だったらしく、「牛がかわいそう」と非難が起こってとうとう外交問題にまで発展したそうです。ただこれに困ったのは自国の酪農家と輸出業者で、深刻化してきたことからわざわざ両国の農相同士が会って対応を検討するところまでいったとのことです。
このニュースを見て恐らく私だけじゃなく日本人なら誰もが、「またかよ……(;゚Д゚)」とばかりに鯨問題を想像したかと思います。突っ込みどころを挙げればきりがないですがざっと挙げると、
・そもそも解体した状態で輸出しないの?
・どっちにしろ食べるんでしょ?
・インドネシアも、牛刀で潰すのは大変じゃない?(日本は脳天に鉄砲を使うと聞く)
といったところで、「なんで牛を食べないの」ってすごんでくるアメリカさんを見習いなさいとか個人的に思ってたりします。
なおこの問題はいろいろ尾を引いているようで、羊も輸出禁止になりそうだとか、インドネシア側も対応として「無痛気絶機」を堵殺場に置いたとかなってるそうです。これまたどうでもいいですが、一時期の北京のバスの中には「無痛流産」という産婦人科の広告ばかりでうちのお袋がびびってました。
・中国から輸入のインゲンに基準超の殺虫剤成分(読売新聞)
またかよ……(;゚Д゚)
・時速65キロ超での使用中止を=三菱製軽、燃料漏れの恐れ―1万台リコール・国交省(時事通信)
三菱自動車は私が贔屓にしている自動車会社ですが、「時速65キロを超す走行を続けると、走行不能になったり、燃料が漏れ車両火災になったりする恐れがある」って、今時こんな不具合あるのかとちょっとびびりました。あまり思い出したくないけど、例のリコール隠し問題がやっぱり頭をよぎります。ついでに書いとくと、三菱自動車は確か先月あたりにも法律で定められている工場の環境測定を行わずに勝手にデータを書き換えて提出してたことから怒られてました。
・「2位じゃダメなんです」…日本スパコン、中国抜き世界1位に(サーチナ)
ニュース自体は取り上げるほどではないのですが、このニュースが取り上げられた翌日には中国の新聞も「また日本に追い越された」という見出しで載ってました。日本ではあの仕分けが実施される前まではスパコンがニュースにならなかったことを考えると、中国はやはりその辺の意識が強かったなという気がしました。
・350キロ→300キロ 中国高速鉄道、安全考慮し「減速化」(産経新聞)
今月末には北京-上海間で新幹線が開通することとなっておりますが、その直前にて既に運航を開始している路線を含めて最高時速をこれまでの350キロから300キロに落とすという発表が中国政府からされました。何気にこの中国の新幹線には何度も乗ってて350キロの速度も体感していますが、そもそも車両の設計図を提供してJR東海にめちゃくちゃ怒られた川崎重工は「270キロまでしか安全は保証できない(;><)」と主張してきましたが、中国側は「改造したから大丈夫(´∀`*)ノシ」と称して運行を続け、先月に乗ったうちの親父も感動するほどの速度を維持してきました。
それが突然のこの速度引き下げ。恐らく大事故につながりかねないヒヤリハットが人知れずあって、さすがにマズイと上層部が判断したんじゃないかと思います。そう思うと短い期間限定の350キロを体験できたとして、なんだか得した気分になりました。
日本で報じられているのかはわかりませんが、何でもオーストラリアで生きた状態の食用牛をインドネシアに輸出したところ、現地での堵殺の際の殺し方が残酷だと非難が起こり、オーストラリア政府が生体牛の輸出を禁止したそうです。
事の発端はインドネシアの堵殺場の映像が報じられたことからだそうですが、その映像というのも麻酔もかけずに生きた牛の首に牛刀を何度もぶつけて潰すやり方だったらしく、「牛がかわいそう」と非難が起こってとうとう外交問題にまで発展したそうです。ただこれに困ったのは自国の酪農家と輸出業者で、深刻化してきたことからわざわざ両国の農相同士が会って対応を検討するところまでいったとのことです。
このニュースを見て恐らく私だけじゃなく日本人なら誰もが、「またかよ……(;゚Д゚)」とばかりに鯨問題を想像したかと思います。突っ込みどころを挙げればきりがないですがざっと挙げると、
・そもそも解体した状態で輸出しないの?
・どっちにしろ食べるんでしょ?
・インドネシアも、牛刀で潰すのは大変じゃない?(日本は脳天に鉄砲を使うと聞く)
といったところで、「なんで牛を食べないの」ってすごんでくるアメリカさんを見習いなさいとか個人的に思ってたりします。
なおこの問題はいろいろ尾を引いているようで、羊も輸出禁止になりそうだとか、インドネシア側も対応として「無痛気絶機」を堵殺場に置いたとかなってるそうです。これまたどうでもいいですが、一時期の北京のバスの中には「無痛流産」という産婦人科の広告ばかりでうちのお袋がびびってました。
・中国から輸入のインゲンに基準超の殺虫剤成分(読売新聞)
またかよ……(;゚Д゚)
・時速65キロ超での使用中止を=三菱製軽、燃料漏れの恐れ―1万台リコール・国交省(時事通信)
三菱自動車は私が贔屓にしている自動車会社ですが、「時速65キロを超す走行を続けると、走行不能になったり、燃料が漏れ車両火災になったりする恐れがある」って、今時こんな不具合あるのかとちょっとびびりました。あまり思い出したくないけど、例のリコール隠し問題がやっぱり頭をよぎります。ついでに書いとくと、三菱自動車は確か先月あたりにも法律で定められている工場の環境測定を行わずに勝手にデータを書き換えて提出してたことから怒られてました。
・「2位じゃダメなんです」…日本スパコン、中国抜き世界1位に(サーチナ)
ニュース自体は取り上げるほどではないのですが、このニュースが取り上げられた翌日には中国の新聞も「また日本に追い越された」という見出しで載ってました。日本ではあの仕分けが実施される前まではスパコンがニュースにならなかったことを考えると、中国はやはりその辺の意識が強かったなという気がしました。
・350キロ→300キロ 中国高速鉄道、安全考慮し「減速化」(産経新聞)
今月末には北京-上海間で新幹線が開通することとなっておりますが、その直前にて既に運航を開始している路線を含めて最高時速をこれまでの350キロから300キロに落とすという発表が中国政府からされました。何気にこの中国の新幹線には何度も乗ってて350キロの速度も体感していますが、そもそも車両の設計図を提供してJR東海にめちゃくちゃ怒られた川崎重工は「270キロまでしか安全は保証できない(;><)」と主張してきましたが、中国側は「改造したから大丈夫(´∀`*)ノシ」と称して運行を続け、先月に乗ったうちの親父も感動するほどの速度を維持してきました。
それが突然のこの速度引き下げ。恐らく大事故につながりかねないヒヤリハットが人知れずあって、さすがにマズイと上層部が判断したんじゃないかと思います。そう思うと短い期間限定の350キロを体験できたとして、なんだか得した気分になりました。
2011年6月22日水曜日
今年亡くなった二人の女性について
今年に入ってすでに半年が過ぎ、いつまでも「あれ、今年って2010年じゃなかったっけ」と段々いえなくなってきました。このところ私は時間が経つのがやけに早く感じるのですが、これは年のせいというよりも現在の生活が充実しているゆえのいい傾向だと考えております。ただこれはまた別の機会にでも書いてみようかと思いますが、恐らく私と他の人とでは時間感覚がどこか異なっているように思われ、一年という時間に感じるものもなにか大きく違っているかもしれません。
そうしたことはさておき、知らなかったわけじゃなくなんとなく取り上げはしませんでしたが、今年に入って著名な二人の女性が死去しました。そのうち一人は通称「マダム・ヌー」ことチャン・レ・スアンです。知っている方には早いですが彼女は今は存在しない国家である南ベトナムにおける初代大統領、ゴ・ディン・ジエムの実弟の妻だった女性で、恐らくゴ・ディン・ジエムや夫以上に有名だった女性です。
詳しくは関連するサイトを見てもらいたいのですが、ゴ・ディン・ジエム大統領は熱心なカトリック教徒だったことから在任中に国内の仏教徒を激しく迫害していました。それに対しある僧が抗議のために焼身自殺を行ったところ、「あんなのは単なる人間バーベキューよ」と発言し、世界中から多大な顰蹙を買いました。一説によるとこの発言を受け、遅々として好転しないベトナムの状況に苛立っていたアメリカのケネディ大統領はゴ・ディン・ジエムの暗殺を決意したと言われております。この辺は50代以上のうちの世代には話が早いですが、その後CIAの援助を受けた軍がクーデターを起こし、ゴ・ディン・ジエムとマダム・ヌーの弟を殺害してベトナム戦争は泥沼化するわけですが、マダム・ヌーはこのクーデターから逃れた後は海外を転々とし、今年四月二十四日にイタリアで死去したそうです。
このマダム・ヌーも噴飯物の人物ですが、それ以上に私にとって、その死去が腹立たしいというかやりきれない思いをさせられるのは下記の人物です。
・永田洋子(Wikipedia)
この人も、知っている人なら話が早いでしょう。昨日あんな記事書いておきながらあえてこの言葉を使いますが極左グループである連合赤軍の元幹部で、あさま山荘事件につながる山岳ベース事件を引き起こした張本人の一人です。
・連合赤軍あさま山荘事件
・連合赤軍リンチ事件(=山岳ベース事件)
(どちらもオワリナキアクムより)
永田洋子はあさま山荘事件には関わってはおりませんが、山岳ベース事件では主導者の一人として妊娠八ヶ月だった女性を含む合計12人を筆舌に尽くし難い暴行の上に死に追いやっております。
私は小学生くらいの頃からあさま山荘事件についてはテレビの特集か何かをつてに知っていましたが(何気に名前を知ったのは「ちびまるこちゃん」からだったが)、この山岳ベース事件についてはおぼろげに親から話には聞いていたものの、詳細については大学生になってから初めて知りました。改めて考えてみると、内容が内容だけにテレビなどでは恐らく今後は一切取り上げられないのではないかと思います。
これも詳細についてはリンク先などを確認してもらいたいのですが、簡単に言うと社会主義思想を持った十代から二十代の若者らが革命を成し遂げるためなどとほざき戦闘訓練のため山中に仲良く潜伏したところ、やれ態度が悪いとか決意が足りないなどと難癖をつけては集団で暴行し、いわゆる内ゲバというもので次々と仲間を殺害していったという事件です。この事件は数ある内ゲバ事件の中でも関係者が数多く存命してそれぞれが証言を行っていることから、特別と言っていいほどに詳細についてもすでにわかっております。それら事件の詳細を眺めた上の私の意見だと、やはりこの永田が逮捕後に獄中自殺をした森恒夫とともに殺害を主導しており、どちらか片方さえ存在しなければこの事件は起こらなかったのではないかと思わせられます。
逮捕後に永田はこの事件を起こした理由について、社会主義を掲げる組織が持つ特徴に起因する構造的問題からだなどとあれこれほざいていたようですが、確かに冷戦期の中国とソ連みたいに社会主義者(人類全般に当てはまるかもしれないが)は大きな差よりも小さな差にこだわる同属嫌悪が激しい傾向があることにはうなずけるものの、あれだけ無茶苦茶なことしておきながら小難しいこと言えば許されるとでも思ってるのかという感想を私は持ちました。私は社会学出身ということもあって人間というのはほとんど個性は存在せず、枠を与えられたらその枠にはまるように行動する生物だという考えがベースに存在しますが、この山岳ベース事件についてはやや卑怯ですが別格で、最終的には犯人らの個人的資質によるところが多いように思います。
ただそれにしてもこの事件は詳細を追えば追うほど、当時の極端な社会主義者達は中国の偉かった人たち同様に自分が考えたことは必ずその通りになる、現実に適用できると何の疑いもなく信じ込む傾向を強く感じます。それゆえに社会主義はやれ教条的だなどと言われ私も実際にその通りだと思うのですが、連中の面倒くさいところは思い通りに行かなかったら何でもかんでも暴力で解決しようとするところで、最近のイスラム過激派とどこか被るところがあるのではとこの頃考えてます。
かくいう私も高校生くらいの頃は変に政治に興味を持ち出してわかった振りをしてはああすれば景気はよくなるなどとほざいてましたが、ある人物から仮にその通りに実行して思い通りにうまくいかなかったらどう責任を取るんだと言われてからはやや落ち着き、計画性と実現性について必ず検討するようになり多少の慎重さを身につけるようになりました。この事件の犯人らはリンチして殺害した相手に自己批判を求めていましたが、彼ら自身は自分を疑うことはなかったのだろうなという点で、今の自分とは違うように感じます。
この永田洋子は今年二月五日に獄中でかねてから罹患していた病気で死去したそうです。少なくともネットニュースではみませんでしたが、当時の日本のテレビメディアなどではどのように報じられていたのか少し興味があります。どちらにしろ、これしかないとは思うもののどうにも承服し難い死ですが。
今回この記事を書こうと思ったきっかけはかつては見上げるだけだった事件当時の犯人らの年齢を追い越すようになり、今の自分の年齢くらいで殺害し、殺害された人物らを再考してみようと思い調べなおしたことからでした。同時代に生きていないから共感できないのだろうと言われてしまえばおしまいですが、少なくとも今の自分はこういう連中にだけはなりたくないし、こういう連中を生かしておいてはいけないという考え方をしています。
最後に今この記事を読んでいる方で、20代くらいでまだ詳細について知らない方はぜひリンク先などでこの事件を調べてほしいと思います。ただの歴史の一事件として片付けられても仕方ありませんが、一部の関係者はまだ存命していることを考えると現代の人間はまだ認知しておく必要があるように感じるからです。
そうしたことはさておき、知らなかったわけじゃなくなんとなく取り上げはしませんでしたが、今年に入って著名な二人の女性が死去しました。そのうち一人は通称「マダム・ヌー」ことチャン・レ・スアンです。知っている方には早いですが彼女は今は存在しない国家である南ベトナムにおける初代大統領、ゴ・ディン・ジエムの実弟の妻だった女性で、恐らくゴ・ディン・ジエムや夫以上に有名だった女性です。
詳しくは関連するサイトを見てもらいたいのですが、ゴ・ディン・ジエム大統領は熱心なカトリック教徒だったことから在任中に国内の仏教徒を激しく迫害していました。それに対しある僧が抗議のために焼身自殺を行ったところ、「あんなのは単なる人間バーベキューよ」と発言し、世界中から多大な顰蹙を買いました。一説によるとこの発言を受け、遅々として好転しないベトナムの状況に苛立っていたアメリカのケネディ大統領はゴ・ディン・ジエムの暗殺を決意したと言われております。この辺は50代以上のうちの世代には話が早いですが、その後CIAの援助を受けた軍がクーデターを起こし、ゴ・ディン・ジエムとマダム・ヌーの弟を殺害してベトナム戦争は泥沼化するわけですが、マダム・ヌーはこのクーデターから逃れた後は海外を転々とし、今年四月二十四日にイタリアで死去したそうです。
このマダム・ヌーも噴飯物の人物ですが、それ以上に私にとって、その死去が腹立たしいというかやりきれない思いをさせられるのは下記の人物です。
・永田洋子(Wikipedia)
この人も、知っている人なら話が早いでしょう。昨日あんな記事書いておきながらあえてこの言葉を使いますが極左グループである連合赤軍の元幹部で、あさま山荘事件につながる山岳ベース事件を引き起こした張本人の一人です。
・連合赤軍あさま山荘事件
・連合赤軍リンチ事件(=山岳ベース事件)
(どちらもオワリナキアクムより)
永田洋子はあさま山荘事件には関わってはおりませんが、山岳ベース事件では主導者の一人として妊娠八ヶ月だった女性を含む合計12人を筆舌に尽くし難い暴行の上に死に追いやっております。
私は小学生くらいの頃からあさま山荘事件についてはテレビの特集か何かをつてに知っていましたが(何気に名前を知ったのは「ちびまるこちゃん」からだったが)、この山岳ベース事件についてはおぼろげに親から話には聞いていたものの、詳細については大学生になってから初めて知りました。改めて考えてみると、内容が内容だけにテレビなどでは恐らく今後は一切取り上げられないのではないかと思います。
これも詳細についてはリンク先などを確認してもらいたいのですが、簡単に言うと社会主義思想を持った十代から二十代の若者らが革命を成し遂げるためなどとほざき戦闘訓練のため山中に仲良く潜伏したところ、やれ態度が悪いとか決意が足りないなどと難癖をつけては集団で暴行し、いわゆる内ゲバというもので次々と仲間を殺害していったという事件です。この事件は数ある内ゲバ事件の中でも関係者が数多く存命してそれぞれが証言を行っていることから、特別と言っていいほどに詳細についてもすでにわかっております。それら事件の詳細を眺めた上の私の意見だと、やはりこの永田が逮捕後に獄中自殺をした森恒夫とともに殺害を主導しており、どちらか片方さえ存在しなければこの事件は起こらなかったのではないかと思わせられます。
逮捕後に永田はこの事件を起こした理由について、社会主義を掲げる組織が持つ特徴に起因する構造的問題からだなどとあれこれほざいていたようですが、確かに冷戦期の中国とソ連みたいに社会主義者(人類全般に当てはまるかもしれないが)は大きな差よりも小さな差にこだわる同属嫌悪が激しい傾向があることにはうなずけるものの、あれだけ無茶苦茶なことしておきながら小難しいこと言えば許されるとでも思ってるのかという感想を私は持ちました。私は社会学出身ということもあって人間というのはほとんど個性は存在せず、枠を与えられたらその枠にはまるように行動する生物だという考えがベースに存在しますが、この山岳ベース事件についてはやや卑怯ですが別格で、最終的には犯人らの個人的資質によるところが多いように思います。
ただそれにしてもこの事件は詳細を追えば追うほど、当時の極端な社会主義者達は中国の偉かった人たち同様に自分が考えたことは必ずその通りになる、現実に適用できると何の疑いもなく信じ込む傾向を強く感じます。それゆえに社会主義はやれ教条的だなどと言われ私も実際にその通りだと思うのですが、連中の面倒くさいところは思い通りに行かなかったら何でもかんでも暴力で解決しようとするところで、最近のイスラム過激派とどこか被るところがあるのではとこの頃考えてます。
かくいう私も高校生くらいの頃は変に政治に興味を持ち出してわかった振りをしてはああすれば景気はよくなるなどとほざいてましたが、ある人物から仮にその通りに実行して思い通りにうまくいかなかったらどう責任を取るんだと言われてからはやや落ち着き、計画性と実現性について必ず検討するようになり多少の慎重さを身につけるようになりました。この事件の犯人らはリンチして殺害した相手に自己批判を求めていましたが、彼ら自身は自分を疑うことはなかったのだろうなという点で、今の自分とは違うように感じます。
この永田洋子は今年二月五日に獄中でかねてから罹患していた病気で死去したそうです。少なくともネットニュースではみませんでしたが、当時の日本のテレビメディアなどではどのように報じられていたのか少し興味があります。どちらにしろ、これしかないとは思うもののどうにも承服し難い死ですが。
今回この記事を書こうと思ったきっかけはかつては見上げるだけだった事件当時の犯人らの年齢を追い越すようになり、今の自分の年齢くらいで殺害し、殺害された人物らを再考してみようと思い調べなおしたことからでした。同時代に生きていないから共感できないのだろうと言われてしまえばおしまいですが、少なくとも今の自分はこういう連中にだけはなりたくないし、こういう連中を生かしておいてはいけないという考え方をしています。
最後に今この記事を読んでいる方で、20代くらいでまだ詳細について知らない方はぜひリンク先などでこの事件を調べてほしいと思います。ただの歴史の一事件として片付けられても仕方ありませんが、一部の関係者はまだ存命していることを考えると現代の人間はまだ認知しておく必要があるように感じるからです。
2011年6月21日火曜日
続、「右翼」、「左翼」という言葉の問題性
・「右翼」、「左翼」という言葉の問題性(陽月秘話)
以前に運営していた陽月秘話で個人的にスマッシュヒットだったと思う記事の一つに、上記リンク先の記事があります。上記の記事で私はかつての日本では自民党を右翼、社会党や共産党を左翼としてそれぞれの立場に立つ政治家や論客を文字通り右左で分けて比較し合っていましたが、ソ連崩壊によって社会主義勢力が大きく後退した上、それまで右派とされた人物達の中でも自由主義経済か統制経済かで大きく主張が異なるようになり、もはや右翼と左翼の二項対立では政治構造は図ることが出来ず、むしろ無理矢理当てはめて考えようとすると本質を見誤る可能性があることからこのような言葉はもう使うべきではないと主張しました。
この記事は2009年に書いた記事ですが、二年経った現在に至って私の意見に変わりはありません。自民党が与党だった当時と違って現在の与党は民主党ですが、たまに民主党を左派、自民党を右派とする評論や議論を見かけますが、やはりこれは問題だと思います。それぞれの党が本当に右翼、左翼と定義できるのかはもとより、そもそも今の両党をみていて変化しない政治的原則自体があるのかが疑問です。せいぜい言えば自民党内はアメリカ外交において基地容認というある程度統一した意見を持っているのに対し、民主党は未だに党内意見の統一が図れていないという点で異なるものの、それ以外となると自民も民主も統一見解や原則がないように思えます。
そうした政党評論は今回は置いときますが、どうしてまた一度書いた記事を今日になって掘り返したのかというと未だにこの右翼、左翼という言葉が市民権を持っていることに問題性を感じられるからです。私はこの二つの語は既に役目を終えたと考えており、もはや使う必要はなく死語になっていなければおかしいと思いますが、評論家等も結構頻繁に使います。メディアに対しても産経は右派、朝日は左派と書かれているのをたまにみますが、それであれば自民寄りとか民主寄りと書いたほうがいいのではないかと思います。かといって、リベラルだとか横文字使うのもどうかという気もしますが。
なんかこのところ中途半端に記事が終わることが多いですが、もうすこし新聞やテレビといったメディアはちゃんとした政治用語を作るべきでしょう。目下のところ主要な政治テーマは「大きい政府」か「小さい政府」かになりつつあるので、このまま取るなら「大政府派」、「小政府派」と分けたり、既存の言葉を使うなら「集権派」、「分権派」という言葉が適当かと思います。といったって、大阪府内でも橋本知事と平松市長が対立してたりして分権派とひとくくりにするべきかちょっと微妙ですが。
以前に運営していた陽月秘話で個人的にスマッシュヒットだったと思う記事の一つに、上記リンク先の記事があります。上記の記事で私はかつての日本では自民党を右翼、社会党や共産党を左翼としてそれぞれの立場に立つ政治家や論客を文字通り右左で分けて比較し合っていましたが、ソ連崩壊によって社会主義勢力が大きく後退した上、それまで右派とされた人物達の中でも自由主義経済か統制経済かで大きく主張が異なるようになり、もはや右翼と左翼の二項対立では政治構造は図ることが出来ず、むしろ無理矢理当てはめて考えようとすると本質を見誤る可能性があることからこのような言葉はもう使うべきではないと主張しました。
この記事は2009年に書いた記事ですが、二年経った現在に至って私の意見に変わりはありません。自民党が与党だった当時と違って現在の与党は民主党ですが、たまに民主党を左派、自民党を右派とする評論や議論を見かけますが、やはりこれは問題だと思います。それぞれの党が本当に右翼、左翼と定義できるのかはもとより、そもそも今の両党をみていて変化しない政治的原則自体があるのかが疑問です。せいぜい言えば自民党内はアメリカ外交において基地容認というある程度統一した意見を持っているのに対し、民主党は未だに党内意見の統一が図れていないという点で異なるものの、それ以外となると自民も民主も統一見解や原則がないように思えます。
そうした政党評論は今回は置いときますが、どうしてまた一度書いた記事を今日になって掘り返したのかというと未だにこの右翼、左翼という言葉が市民権を持っていることに問題性を感じられるからです。私はこの二つの語は既に役目を終えたと考えており、もはや使う必要はなく死語になっていなければおかしいと思いますが、評論家等も結構頻繁に使います。メディアに対しても産経は右派、朝日は左派と書かれているのをたまにみますが、それであれば自民寄りとか民主寄りと書いたほうがいいのではないかと思います。かといって、リベラルだとか横文字使うのもどうかという気もしますが。
なんかこのところ中途半端に記事が終わることが多いですが、もうすこし新聞やテレビといったメディアはちゃんとした政治用語を作るべきでしょう。目下のところ主要な政治テーマは「大きい政府」か「小さい政府」かになりつつあるので、このまま取るなら「大政府派」、「小政府派」と分けたり、既存の言葉を使うなら「集権派」、「分権派」という言葉が適当かと思います。といったって、大阪府内でも橋本知事と平松市長が対立してたりして分権派とひとくくりにするべきかちょっと微妙ですが。
2011年6月19日日曜日
ホークスの小久保選手について
・小久保裕紀(Wikipedia)
私が日本にいた頃に観戦することの多い球団ときたら家から球場が近いということでヤクルトスワローズと千葉ロッテマリーンズが多いですが、何気に好きな球団となるとソフトバンクホークスです。何故地元とも全く関係のないこのホークスが好きなのかというと戦力的に非常にバランスがよく、隙のないチーム編成をしていることから自然と贔屓するようになっていきました。好きな選手を挙げると和田、杉内、川崎選手(おすぎ氏も大好き)など比較的若い選手ばかりですが、先日ちょっとしたことから小久保選手の来歴を知っていろいろと驚き、今回こうして記事にすることにしました。
詳しくは上記のWikipediaの記事を読んでもらえれば具体的にわかりますが、ホークスがダイエーだった時代から小久保選手は若くしてチームの主軸打者となってチームの優勝にも貢献しておりました。にもかかわらず、優勝という最高の結果でシーズンを終了した2003年、ホークス球団は突然小久保選手を巨人へ無償でトレードし、放出してしまいました。
・小久保無償トレード問題
当時の私はあまり野球に興味がなかった頃でこれまでそんなこともあったっけなという程度で覚えてはいましたが、改めて上記ページの内容を見て呆れ返りました。なんでもこのトレードはダイエーと球団オーナーだった中内家との権力闘争の過程で発生し、なおかつ当時の球団社長だった高塚氏が私怨とも言える様な感情で決めたものだったそうです。
そもそも優勝の立役者を本人はもとより王監督(当時)にも相談せずに経営側の判断のみでトレードを実行する点でも以上で、しかも無償だなんて裏がないことの方がありえません。実際にナベツネがこの件に関わっていたそうですが、当時のホークス選手らのコメントを見るとみているこっちが腹立たしくなってきます。
ただこの無償トレード事件で最も立派だったと思うのは、ほかならぬ当人の小久保選手です。はっきり言ってこんな扱われかたしたら普通はふて腐れてもしょうがない気がしますが、小久保選手は黙ってトレードに従って巨人に移籍し、そこでも活躍して外様で初となる巨人の4番に就任します。その後FA権を取得後は見事と言っては何ですがホークスに復帰し、現在も主軸として活躍し続けている姿には頭が下がります。
なおこの無償トレードを主導した中内正氏は昨年、相続した遺産額を一部申告せずに相続税法違反で逮捕、有罪判決を受けており、もう一人の主導者である高塚猛氏は2004年に強制わいせつ事件で逮捕されております。悪い人間というのは悪い行為を繰り返すものです。
私が日本にいた頃に観戦することの多い球団ときたら家から球場が近いということでヤクルトスワローズと千葉ロッテマリーンズが多いですが、何気に好きな球団となるとソフトバンクホークスです。何故地元とも全く関係のないこのホークスが好きなのかというと戦力的に非常にバランスがよく、隙のないチーム編成をしていることから自然と贔屓するようになっていきました。好きな選手を挙げると和田、杉内、川崎選手(おすぎ氏も大好き)など比較的若い選手ばかりですが、先日ちょっとしたことから小久保選手の来歴を知っていろいろと驚き、今回こうして記事にすることにしました。
詳しくは上記のWikipediaの記事を読んでもらえれば具体的にわかりますが、ホークスがダイエーだった時代から小久保選手は若くしてチームの主軸打者となってチームの優勝にも貢献しておりました。にもかかわらず、優勝という最高の結果でシーズンを終了した2003年、ホークス球団は突然小久保選手を巨人へ無償でトレードし、放出してしまいました。
・小久保無償トレード問題
当時の私はあまり野球に興味がなかった頃でこれまでそんなこともあったっけなという程度で覚えてはいましたが、改めて上記ページの内容を見て呆れ返りました。なんでもこのトレードはダイエーと球団オーナーだった中内家との権力闘争の過程で発生し、なおかつ当時の球団社長だった高塚氏が私怨とも言える様な感情で決めたものだったそうです。
そもそも優勝の立役者を本人はもとより王監督(当時)にも相談せずに経営側の判断のみでトレードを実行する点でも以上で、しかも無償だなんて裏がないことの方がありえません。実際にナベツネがこの件に関わっていたそうですが、当時のホークス選手らのコメントを見るとみているこっちが腹立たしくなってきます。
ただこの無償トレード事件で最も立派だったと思うのは、ほかならぬ当人の小久保選手です。はっきり言ってこんな扱われかたしたら普通はふて腐れてもしょうがない気がしますが、小久保選手は黙ってトレードに従って巨人に移籍し、そこでも活躍して外様で初となる巨人の4番に就任します。その後FA権を取得後は見事と言っては何ですがホークスに復帰し、現在も主軸として活躍し続けている姿には頭が下がります。
なおこの無償トレードを主導した中内正氏は昨年、相続した遺産額を一部申告せずに相続税法違反で逮捕、有罪判決を受けており、もう一人の主導者である高塚猛氏は2004年に強制わいせつ事件で逮捕されております。悪い人間というのは悪い行為を繰り返すものです。
警察の飲酒事故、ネット監視、その他もろもろ
一つ前の「問題があると感じられる県警」は多分陽月秘抄始まって以来で最も長い記事となりました。前置きをもう少し短くしようかとも考えましたが、そういう余計なことはせずに一気に通しはしました。
なお今回各県警の不祥事を見ていていくつか気になった点としては、警察官の飲酒事故に対する処分に差があるように思えた点です。もちろん具体的な事故内容とか見ていないので言い切れるものではないのですが、ただでさえ問題がある行動な上に近年罰則が厳しくなっている飲酒運転事故についてはもう少し内部処分に基準があっていいように思います。たとえば検問で見つかった場合は停職三ヶ月、衝突事故を起こした場合は懲戒免職など、内外にどのような処分をするのか公開するべきではないでしょうか。
次に気になったのは、統計データとして都道府県別警察信頼度といったデータが欲しかったという点です。全国での警察に対する信頼度データは存在するものの、先の記事でも書きましたが警察というものは地方ごとによってかなり性格の異なる組織ゆえにやはり地方別でデータを取らなければ意味がないと思います。
その上で、警察力を測るバロメーターとしてはやはり地元住民の信頼度が単純かつ最も参考にたるデータになると私は考えております。先の記事の兵庫県警の欄でも紹介しましたが、兵庫県警は明るみになる不祥事が結構多いように感じられるもののなかなか地元の人から信頼されている感があります。これは以前にどこかで見た話ですが、警察の捜査で何が一番重要かと言えば地元住民の協力で、情報提供など住民からの信頼が高ければ高いほど捜査も捗るそうです。その上でこの話をした方は、警察は住民の信頼あってこそゆえに得点稼ぎの軽微の交通違反を取り締まるなと書いていましたが、実際に一時停止不履行で捕まった私の身からしても納得する意見です。なんで隠れて見てるんだよあいつら……。
あとこれは余談ですが、本当は先の記事は昨日の夜中に投稿する予定だったのですが、記事を書きながら友達とスカイプで話していたら突然ネット回線ごと遮断されました。幸い今朝には復旧してましたがただの偶然なのか、いやそれにしたって先月も全く同じことあったし、スカイプ中に会話が途切れることもやけに多いです。ひょっとしたら自分も要監視リストに入っているのかな。
ちなみに聞いた話ですがジェトロの在中責任者は帰任直前に、自宅のパソコンを開いたらスクリーンセーバーが変えられてたそうです。どうせ悪戯するなら壁紙をえっちなものにするとかすればいいのにと、遊び心が足りないなぁと感じます。
あとあと最後に、友人がgooブログを開設してたので紹介しておきます。こいつ大政絢が好きだったんだなぁ。リンク結んでもらおうなんて結構強気だ。
なお今回各県警の不祥事を見ていていくつか気になった点としては、警察官の飲酒事故に対する処分に差があるように思えた点です。もちろん具体的な事故内容とか見ていないので言い切れるものではないのですが、ただでさえ問題がある行動な上に近年罰則が厳しくなっている飲酒運転事故についてはもう少し内部処分に基準があっていいように思います。たとえば検問で見つかった場合は停職三ヶ月、衝突事故を起こした場合は懲戒免職など、内外にどのような処分をするのか公開するべきではないでしょうか。
次に気になったのは、統計データとして都道府県別警察信頼度といったデータが欲しかったという点です。全国での警察に対する信頼度データは存在するものの、先の記事でも書きましたが警察というものは地方ごとによってかなり性格の異なる組織ゆえにやはり地方別でデータを取らなければ意味がないと思います。
その上で、警察力を測るバロメーターとしてはやはり地元住民の信頼度が単純かつ最も参考にたるデータになると私は考えております。先の記事の兵庫県警の欄でも紹介しましたが、兵庫県警は明るみになる不祥事が結構多いように感じられるもののなかなか地元の人から信頼されている感があります。これは以前にどこかで見た話ですが、警察の捜査で何が一番重要かと言えば地元住民の協力で、情報提供など住民からの信頼が高ければ高いほど捜査も捗るそうです。その上でこの話をした方は、警察は住民の信頼あってこそゆえに得点稼ぎの軽微の交通違反を取り締まるなと書いていましたが、実際に一時停止不履行で捕まった私の身からしても納得する意見です。なんで隠れて見てるんだよあいつら……。
あとこれは余談ですが、本当は先の記事は昨日の夜中に投稿する予定だったのですが、記事を書きながら友達とスカイプで話していたら突然ネット回線ごと遮断されました。幸い今朝には復旧してましたがただの偶然なのか、いやそれにしたって先月も全く同じことあったし、スカイプ中に会話が途切れることもやけに多いです。ひょっとしたら自分も要監視リストに入っているのかな。
ちなみに聞いた話ですがジェトロの在中責任者は帰任直前に、自宅のパソコンを開いたらスクリーンセーバーが変えられてたそうです。どうせ悪戯するなら壁紙をえっちなものにするとかすればいいのにと、遊び心が足りないなぁと感じます。
あとあと最後に、友人がgooブログを開設してたので紹介しておきます。こいつ大政絢が好きだったんだなぁ。リンク結んでもらおうなんて結構強気だ。
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