このブログ中で何度も言っている事ですが、今の時代はかつての90年代とは異なり選択と集中、さらに踏み込んで言うなら淘汰の時代だと私は考えております。かつて経済が拡大していた時代と違って誰もが昇進、昇給したり、自家用車をどこの世帯でも持てるという時代ではなく、振り分けられる資本が限られていることからそれを有効に活用できる人間に投資し、逆に無駄に資本を食いつぶす人間に対しては奪い去る、もしくは排除する必要のある時代だと見ています。
こうやって冷静に書くとなんだか私が悪い奴みたいに見えてきそうですが、断言しますがこれは何も特別なことではありませんし、むしろ日本以外の国では当たり前、さらに言えば高度経済成長期ではない日本でも当たり前だった概念です。言ってしまえばこれまでの日本が特別だっただけで、これからの日本は昔の当たり前の時代に戻るというわけです。
具体的に今後どのような事態が起こりうるかですが、まず現実に既に起きているものとして「誰でも大学に」とは行かなくなり、今後はリアルに大学進学率が低下していく可能性が高いと思えます。理由はごく単純に学費負担に耐えられる世帯が減少するためで、すでに一人暮らしする大学生の仕送り額はかつてと比べてかなり減額している上、就職氷河期であることからより専門性の高い専門学校を進学先に選ぶ人も増えていると聞きます。このまま今の状況が続くのであれば、私はそれこそ昭和中期のように兄弟の中で誰か一人を大学に進学させるため、ほかの兄弟が犠牲になる(高卒後にすぐ就職する)というようなストーリーが感動話じゃなくなってくるでしょう。
こうした現況を踏まえた上でこのごろ考えるのは、表題に掲げたように「誰かの犠牲なくして幸福となれるのか」です。繰り返しになりますが、高度経済成長期はほんとに大きなハンデがある状態であれば誰も犠牲になることなく、みんなで幸福になることがある程度可能な時代でありました。ただあの時代は間違いなく特殊、具体的に言えば石油というエネルギー価格が異常に安い時代だからこそできた話であって、今後再現するとなれば夢のような話となってしまいます。
となれば幸福になろうとするものなれば誰かを踏み台にしなければとなるのですが、これに関しては正当な競争の上でのものであれば特に異議を挟むものでもなく、これまでもよくあることだったのでそれほど悩むようなものは感じませんが、これとは逆ベクトル、誰かを幸福にさせるためには誰が犠牲にならなければならないのかです。
幸福にさせたい対象というのは人それぞれでしょうが、大抵のケースは自身のその家族となるでしょう。人によっては両親、配偶者、子供となりますが、これまでは自分もそこそこ幸福に暮らしながら子供も大学に生かせてそこそこの道を歩ませることができましたが、今後はそうはなかなか行かないだろうというのが私の予想です。ではそんな時に自分はどんな決断を取るのか、またどのような覚悟を持って望むのか、そうした姿勢がまだ今の日本人には見えない気がします。
まだるっこしい言い方しないでストレートに言うと、今後誰かの幸福のために自分が犠牲になることを厭わない覚悟が今の日本人に足りないと私は言いたいです。もちろん、本人の努力や方法次第ではみんなでハッピーになれる可能性も全くないわけではありませんが、実現するとなると相応の才能が要求されることとなります。中には今現在、もしくは以前からも子供のために親は犠牲になってきたと言われる人がいるかもしれません。そうした人に言い返すなら、これからの時代はそれ以上の犠牲を払わなければ周囲の人を幸福にすることはできないと伝えたいです。
我ながら妙なテーマで変な文章を書くなという気もするのですが、実はこのテーマは宗教をやっている人間の間だとごく当たり前のテーマです。それこそ仏教で言えば餓えたトラの親子の前に身を投げ出すブッダ(夢オチで終わるあたりがブッダらしい)とか、キリスト教でも殉教話ならごまんとあります。
別に私が何か宗教やっているわけではありませんが、やはり進行をもっている人たちと話をしていると、ここら辺の価値観、自己犠牲の精神で一般の日本人と違うなという気がわいてきます。何も宗教を進めるわけでもありませんが、高度経済成長期以前の日本人なら持っていた感覚なので、早くまた元の気持ちに目覚めたほうがいいという感じがしたので書くことにしました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2012年5月18日金曜日
2012年5月17日木曜日
生活保護ビジネスの実態
どうでもいいことですが先ほど自分のブログにコメントを書いた際、スパムかどうかの認証をするために打つように指示される番号が「4444」でした。なおこの4という数字ですが、中国や日本では発音が「死」と同じだから忌み嫌われる傾向がありますが、私は真田家の旗印である「六文銭(三途の川の渡賃。死を恐れないという決意表明)」と同じような具合でむしろ率先して使います。っていうか、日本人は死を恐れちゃダメだろ、乃木大将的に。ちょっと強引かなこのネタは……。
話は本題に入りますが、今日のニュースに思わず目を引いたものがありました。
・日本初!!猫がついてくるマンションって!?(宝島)
猫付き3LDKとでもいうのか、賃貸で部屋を借りたらもれなく猫も替えるというマンションがあるそうです。もちろん飼った猫は引っ越し時に連れて行ってもいいようで、恐らく猫好きには相当たまらないサービスだと思います。思えば2000年頃のテレビの特集ですぐに空き部屋が埋まるマンションの特徴として、「ペットOK」にするという報道がありました。どの大家、オーナーとしてもペットがいると部屋が痛みやすくなること間違いなしですからあまり歓迎されるものではないものの、だからこそペット同伴を認めることで売り上げを増すという話に何故だか当時えらく感心した覚えがあります。
同じ賃貸関連の話で、感心というか呆れさせられた話もあります。それはどんな話かですが、なんでも大阪には風呂なしトイレなしにもかかわらず一ヶ月の家賃が5万円以上で部屋が埋まるそうです。家賃3万円台でも個人用風呂、トイレ付きはあるというのに(私が学生時代に住んでた部屋はそうだった)、そうした部屋よりもこうした5万円以上する部屋がすぐ埋まるというのはどんなからくりなのか、結論から言うと表題に掲げた生活保護ビジネスに使われているからです。
生活保護についての説明はもはや不要だと思いますが、東日本大震災以降は受給者数が毎月過去最高を更新するなど、日本にとって非常に大きな問題となっております。仮に怪我や病気などで働けないとか本当にどうしようもない状況の人たちの最低生活保障をするというのならまだしも、現在中国にいるので私は一銭も払っていないものの、日本に住んでるのであれば税金も払おうという気にもなりますが、残念なことにこの生活保護の裏をかいてしこたま儲ける、生活保護ビジネスを展開する不心得者は数多く存在します。
先ほど挙げた家賃などはまさにこの典型です。一体どういう仕組みなのかというと、生活保護では毎月支給する生活費とは別に家賃代も別枠で支給されます。この支給される家賃代ですが額面は一定額に決まっているわけではなく、各自治体で限度額を設けてあってそれ以下であれば借りている部屋の家賃代分だけ支給される仕組みとなっております。
勘のいい人ならわかるでしょうが、風呂、トイレなしにもかかわらず月の家賃代が5万円以上するアパートに住む人はみんな生活保護受給者で、家賃代はその地区における生活保護枠内での家賃支給額の限度額ピッタリなのです。手口としてはそのアパートのオーナーなり斡旋業者なりがどこかから人を集めてきて、生活保護の申請手続きを代行したり支援したりする代わりに家賃代を行政から受け取る。そして集められた人は働かずにお金がもらえる生活保護が受給できるようになって、まぁそこそこ納得できるというか幸せになれるという算段です。
言うまでもなくこれで損をするのは生活保護を支給する行政に加え真面目に税金を払っている納税者、そしてまともに賃貸物件を経営しているオーナーや不動産屋です。仕組みとしては呆れるほどうまいこと作っている気はするのですが、だからと言って他人の財布から自分の財布に札束を移すようなこんな行いは当然規制するべきでしょう。
こうした実態がはびこっていることに加えこんなニュースも出ていることから、生活保護では現金を支給せずに食品を現物で支給し、住居も共同施設のようなものを使うか行政が指定するべきだという意見が出ていますが、生活保護ビジネスの規制が行われない限りでは私もこれらの案を支持します。こんなこと私が言うまでもないことですが、生活保護に何億つぎ込んだとか、何万人を支給させているかという話ではなく、如何に効率的に社会復帰を助けるかがこの議論に求められているかと思われます。最小の投資で最大のリターンを、なんかこのところの日本にはこうした言葉が足りない気がします。
話は本題に入りますが、今日のニュースに思わず目を引いたものがありました。
・日本初!!猫がついてくるマンションって!?(宝島)
猫付き3LDKとでもいうのか、賃貸で部屋を借りたらもれなく猫も替えるというマンションがあるそうです。もちろん飼った猫は引っ越し時に連れて行ってもいいようで、恐らく猫好きには相当たまらないサービスだと思います。思えば2000年頃のテレビの特集ですぐに空き部屋が埋まるマンションの特徴として、「ペットOK」にするという報道がありました。どの大家、オーナーとしてもペットがいると部屋が痛みやすくなること間違いなしですからあまり歓迎されるものではないものの、だからこそペット同伴を認めることで売り上げを増すという話に何故だか当時えらく感心した覚えがあります。
同じ賃貸関連の話で、感心というか呆れさせられた話もあります。それはどんな話かですが、なんでも大阪には風呂なしトイレなしにもかかわらず一ヶ月の家賃が5万円以上で部屋が埋まるそうです。家賃3万円台でも個人用風呂、トイレ付きはあるというのに(私が学生時代に住んでた部屋はそうだった)、そうした部屋よりもこうした5万円以上する部屋がすぐ埋まるというのはどんなからくりなのか、結論から言うと表題に掲げた生活保護ビジネスに使われているからです。
生活保護についての説明はもはや不要だと思いますが、東日本大震災以降は受給者数が毎月過去最高を更新するなど、日本にとって非常に大きな問題となっております。仮に怪我や病気などで働けないとか本当にどうしようもない状況の人たちの最低生活保障をするというのならまだしも、現在中国にいるので私は一銭も払っていないものの、日本に住んでるのであれば税金も払おうという気にもなりますが、残念なことにこの生活保護の裏をかいてしこたま儲ける、生活保護ビジネスを展開する不心得者は数多く存在します。
先ほど挙げた家賃などはまさにこの典型です。一体どういう仕組みなのかというと、生活保護では毎月支給する生活費とは別に家賃代も別枠で支給されます。この支給される家賃代ですが額面は一定額に決まっているわけではなく、各自治体で限度額を設けてあってそれ以下であれば借りている部屋の家賃代分だけ支給される仕組みとなっております。
勘のいい人ならわかるでしょうが、風呂、トイレなしにもかかわらず月の家賃代が5万円以上するアパートに住む人はみんな生活保護受給者で、家賃代はその地区における生活保護枠内での家賃支給額の限度額ピッタリなのです。手口としてはそのアパートのオーナーなり斡旋業者なりがどこかから人を集めてきて、生活保護の申請手続きを代行したり支援したりする代わりに家賃代を行政から受け取る。そして集められた人は働かずにお金がもらえる生活保護が受給できるようになって、まぁそこそこ納得できるというか幸せになれるという算段です。
言うまでもなくこれで損をするのは生活保護を支給する行政に加え真面目に税金を払っている納税者、そしてまともに賃貸物件を経営しているオーナーや不動産屋です。仕組みとしては呆れるほどうまいこと作っている気はするのですが、だからと言って他人の財布から自分の財布に札束を移すようなこんな行いは当然規制するべきでしょう。
こうした実態がはびこっていることに加えこんなニュースも出ていることから、生活保護では現金を支給せずに食品を現物で支給し、住居も共同施設のようなものを使うか行政が指定するべきだという意見が出ていますが、生活保護ビジネスの規制が行われない限りでは私もこれらの案を支持します。こんなこと私が言うまでもないことですが、生活保護に何億つぎ込んだとか、何万人を支給させているかという話ではなく、如何に効率的に社会復帰を助けるかがこの議論に求められているかと思われます。最小の投資で最大のリターンを、なんかこのところの日本にはこうした言葉が足りない気がします。
2012年5月16日水曜日
ヨーロッパにおける失われた十年
・オランド新大統領が就任、経済成長重視の立場を強調 仏(CNN)
先日、フランスで大統領選挙が行われサルコジ氏からオランド氏へ大統領の職の座が移りました。フランス政治、というかヨーロッパ市場に詳しいわけじゃないですが、報道を見ている限りだとオランド新フランス大統領はサルコジ氏と比べて積極財政派だと聞き、これまで債務削減を目指して緊縮財政政策を取ってきたサルコジ氏と、ドイツのメルケル首相をかねがね批判していたと聞きます。そのためフランスは今後、これまでより財政出動を増やして景気刺激策を取ることが予想されるのですが、仮にそうなればかつて日本が経験した「失われた十年」をフランス、ひいてはヨーロッパ全土がまた経験することになるのではないかと私は予想しています。
ちょうど折も折というか今日のニュースで、ドイツの地方選挙でメルケル首相率いる与党が惨敗したと聞きます。どういう力関係や影響が働いたかはわかりかねますが、傍目に見る限りだとやはり緊縮財政政策にヨーロッパ諸国で不満が高まって異様に見えます。細かい話は抜きにしますが私自身は現在のヨーロッパにおかれた経済環境を考えるにつけて緊縮財政以外は取るべきではないと見ており、逆にここで「景気を刺激して危機奪回だ」とばかりに積極財政を打つことは破滅への道だと考えています。また「ヨーロッパの問題児」ことギリシャがいまだに連立で揉めているばかりか一向に打開策も決められず、スペインやイタリアといった規模の大きな国でも火を噴きつつある現状を見るにつけ、多分このまま90年代の日本と同じ失敗を繰り返すことになる気がしてなりません。
なお、ここで使っている「ヨーロッパの失われた十年」というのは何も私が言い出した言葉ではなく、中国の経済紙ではこのところ頻繁にこういった見出しが躍っております。前にも一度書きましたが日本企業でヨーロッパとの取引が大きい会社は意外に少ないためにそれほど危機感が持たれていないというのが大きいでしょうが、元々取引額が大きかった中国では意外と影響は深刻で、何気に今日出た上海市の貿易額は輸出、輸入ともに金融危機以降で初めて前年同期比マイナスに転じています。
最後に誰も言わないので私が言うことにしますが、去年は円高の逆風の中で日系自動車メーカー各社はみんな黒字を達成するという、すごすぎるというかありえない業績を出してきました。ただ一社、マツダだけは赤字となってその理由をいろんな経済紙では、「海外に自動車工場を持っていないため、円高が直撃した」と書いてありましたが、そんなこと言ったら我が愛する三菱自動車や最近評価を高めているスズキも、ないことはないけどそんなに海外工場持ってないんだから似たようなもんじゃないかと思い、なんかこの評論に納得がいきませんでした。
ではなんで赤字だったのか、言ってしまえばヨーロッパの景気悪化の影響が一番でかいと私は見てます。実はマツダは日系企業の中でもヨーロッパ市場での売上げが意外に大きい稀有な会社で、それだけに日本人の発想というか視野に入っていないところで大打撃を受けたのではないかと考えてます。詳しい財務諸表を見れば確かめられますけど、さすがにそこまでして調べる気はありませんが。
先日、フランスで大統領選挙が行われサルコジ氏からオランド氏へ大統領の職の座が移りました。フランス政治、というかヨーロッパ市場に詳しいわけじゃないですが、報道を見ている限りだとオランド新フランス大統領はサルコジ氏と比べて積極財政派だと聞き、これまで債務削減を目指して緊縮財政政策を取ってきたサルコジ氏と、ドイツのメルケル首相をかねがね批判していたと聞きます。そのためフランスは今後、これまでより財政出動を増やして景気刺激策を取ることが予想されるのですが、仮にそうなればかつて日本が経験した「失われた十年」をフランス、ひいてはヨーロッパ全土がまた経験することになるのではないかと私は予想しています。
ちょうど折も折というか今日のニュースで、ドイツの地方選挙でメルケル首相率いる与党が惨敗したと聞きます。どういう力関係や影響が働いたかはわかりかねますが、傍目に見る限りだとやはり緊縮財政政策にヨーロッパ諸国で不満が高まって異様に見えます。細かい話は抜きにしますが私自身は現在のヨーロッパにおかれた経済環境を考えるにつけて緊縮財政以外は取るべきではないと見ており、逆にここで「景気を刺激して危機奪回だ」とばかりに積極財政を打つことは破滅への道だと考えています。また「ヨーロッパの問題児」ことギリシャがいまだに連立で揉めているばかりか一向に打開策も決められず、スペインやイタリアといった規模の大きな国でも火を噴きつつある現状を見るにつけ、多分このまま90年代の日本と同じ失敗を繰り返すことになる気がしてなりません。
なお、ここで使っている「ヨーロッパの失われた十年」というのは何も私が言い出した言葉ではなく、中国の経済紙ではこのところ頻繁にこういった見出しが躍っております。前にも一度書きましたが日本企業でヨーロッパとの取引が大きい会社は意外に少ないためにそれほど危機感が持たれていないというのが大きいでしょうが、元々取引額が大きかった中国では意外と影響は深刻で、何気に今日出た上海市の貿易額は輸出、輸入ともに金融危機以降で初めて前年同期比マイナスに転じています。
最後に誰も言わないので私が言うことにしますが、去年は円高の逆風の中で日系自動車メーカー各社はみんな黒字を達成するという、すごすぎるというかありえない業績を出してきました。ただ一社、マツダだけは赤字となってその理由をいろんな経済紙では、「海外に自動車工場を持っていないため、円高が直撃した」と書いてありましたが、そんなこと言ったら我が愛する三菱自動車や最近評価を高めているスズキも、ないことはないけどそんなに海外工場持ってないんだから似たようなもんじゃないかと思い、なんかこの評論に納得がいきませんでした。
ではなんで赤字だったのか、言ってしまえばヨーロッパの景気悪化の影響が一番でかいと私は見てます。実はマツダは日系企業の中でもヨーロッパ市場での売上げが意外に大きい稀有な会社で、それだけに日本人の発想というか視野に入っていないところで大打撃を受けたのではないかと考えてます。詳しい財務諸表を見れば確かめられますけど、さすがにそこまでして調べる気はありませんが。
2012年5月12日土曜日
笑顔を見せるようになった中国人
このところ真面目に帰宅が毎日10時を越してます。おまけにランボー~怒りの休日出勤もなんか週二日のうち一日は当たり前になりつつあり、そのせいか思索に向ける時間が減ってどうもブログ内容に悩む回数が増えてきました。もっとも、毎日帰宅が十時越してるのに毎日更新する方がいろいろと突っ込むところだと思うけど。
そんなわけで今日は久々に中国ネタとばかりに何か探しましたが手ごろなものがないので、ちょっとこの前感じた一件を紹介しようかと思います。先週、取材先の展示会場に行った際に目的地と離れた場所にいることに気が付いたので近くの警備員に道を聞く機会がありました。その警備員は見るからにごつくて表情も硬かったですが、自分が道を聞くとすぐに的確に教えてくれ、私がお礼を言うとにっこり笑って送り出してくれました。この時の笑顔を見た時に、「中国人も自然に笑うようになったんだな」とか、ちょっと妙な感慨にふけりました。
私が中国に初めてきたのは留学でやってきた7年前ですが、場所が現在住んでる上海と違って北京ということもあるのですが、真面目に道歩いてて笑顔を見ることはありませんでした。それこそ若い人だったらまだ笑う姿を見ることもありましたが、中年以上となるとなんかみんな苦しそうな顔してて、自分が言えた義理ではありませんがもうちょっと人生楽しんだらと思うくらいに表情が硬かったです。
それが年数経った現在、自分の中国語が上達してコミュニケーションを取る回数が増えてきていることもあるでしょうが、当時と比べて圧倒的に笑顔を見る回数が増えてきました。また今年の旧正月に日本のお笑い芸人のアンジャッシュのネタが中国の芸人に丸パクリされたという報道が経ちましたが、実際の映像こそ見ていないものの日本のお笑いでやる芸が中国でも演じられ、そこそこ評価を得るようになったという事実の方になんだか驚きました。
そんなことを同僚に話したところ、同僚はちょうど旧正月に件のネタを見ていたそうで、やはり日本っぽいネタだとは思ったものの単純に面白くて周囲の中国人もよく笑ってたと言ってました。なんていうべきか、笑いのツボというものがある程度日中で共有化されてきたというべきか、何に対して中国人が面白いと思って笑うのかという理解が少しできるようになったことに不思議な感じがします。
なおこんなことを言っている私ですが、以前の中国人同様に普段の生活で笑顔を見せる回数は極端に少ないです。別に無理して笑うまいとしてるわけじゃありませんが、私は以前からあの愛想笑いってのがあまり好きじゃなく、しょうもないこと言い合うくらいならとっとと結論に持っていこうとするくらいせっかちなところがあるので常に真面目そうな顔してとっつきにくいと言われることが多いです。そんなもんだから就職活動とかもえらい苦労したわけですが、無事に就職した後はここまで頑張ってきたんだし、多少は妥協するかと思って作り笑いを意識して見せるようになりました。そしたら一回、「笑顔がきれいな人ですね」ってどっかで言われてしまい、慣れないこと言われたもんだから何故か言われた本人がむちゃくちゃ焦るという妙な事態に追い込まれたことがあります。
まぁやろうと思えばなんだってやってのける自信があるし愛嬌とかも卒なくこなせるとは前から考えてましたが、やっぱ人間、慣れないことは急にするもんじゃないと反省した次第でした。
そんなわけで今日は久々に中国ネタとばかりに何か探しましたが手ごろなものがないので、ちょっとこの前感じた一件を紹介しようかと思います。先週、取材先の展示会場に行った際に目的地と離れた場所にいることに気が付いたので近くの警備員に道を聞く機会がありました。その警備員は見るからにごつくて表情も硬かったですが、自分が道を聞くとすぐに的確に教えてくれ、私がお礼を言うとにっこり笑って送り出してくれました。この時の笑顔を見た時に、「中国人も自然に笑うようになったんだな」とか、ちょっと妙な感慨にふけりました。
私が中国に初めてきたのは留学でやってきた7年前ですが、場所が現在住んでる上海と違って北京ということもあるのですが、真面目に道歩いてて笑顔を見ることはありませんでした。それこそ若い人だったらまだ笑う姿を見ることもありましたが、中年以上となるとなんかみんな苦しそうな顔してて、自分が言えた義理ではありませんがもうちょっと人生楽しんだらと思うくらいに表情が硬かったです。
それが年数経った現在、自分の中国語が上達してコミュニケーションを取る回数が増えてきていることもあるでしょうが、当時と比べて圧倒的に笑顔を見る回数が増えてきました。また今年の旧正月に日本のお笑い芸人のアンジャッシュのネタが中国の芸人に丸パクリされたという報道が経ちましたが、実際の映像こそ見ていないものの日本のお笑いでやる芸が中国でも演じられ、そこそこ評価を得るようになったという事実の方になんだか驚きました。
そんなことを同僚に話したところ、同僚はちょうど旧正月に件のネタを見ていたそうで、やはり日本っぽいネタだとは思ったものの単純に面白くて周囲の中国人もよく笑ってたと言ってました。なんていうべきか、笑いのツボというものがある程度日中で共有化されてきたというべきか、何に対して中国人が面白いと思って笑うのかという理解が少しできるようになったことに不思議な感じがします。
なおこんなことを言っている私ですが、以前の中国人同様に普段の生活で笑顔を見せる回数は極端に少ないです。別に無理して笑うまいとしてるわけじゃありませんが、私は以前からあの愛想笑いってのがあまり好きじゃなく、しょうもないこと言い合うくらいならとっとと結論に持っていこうとするくらいせっかちなところがあるので常に真面目そうな顔してとっつきにくいと言われることが多いです。そんなもんだから就職活動とかもえらい苦労したわけですが、無事に就職した後はここまで頑張ってきたんだし、多少は妥協するかと思って作り笑いを意識して見せるようになりました。そしたら一回、「笑顔がきれいな人ですね」ってどっかで言われてしまい、慣れないこと言われたもんだから何故か言われた本人がむちゃくちゃ焦るという妙な事態に追い込まれたことがあります。
まぁやろうと思えばなんだってやってのける自信があるし愛嬌とかも卒なくこなせるとは前から考えてましたが、やっぱ人間、慣れないことは急にするもんじゃないと反省した次第でした。
関西電力に対する私の見方
原発停止に伴い今夏に懸念される電力不足について、関電こと関西電力でいろいろ議論が起こっております。結論から言うと私個人としても関電の言うことは信用できず、より具体的な検証と報道、あと政府による圧迫が必要かと思います。
まず関電のどんなところが信用できないかですが、これは以前の産経の記事に書かれていましたが去年も散々に電力不足の懸念から消費者に節電を煽っておきながら、蓋を開けてみたらかなり余裕があった上に大きな問題が何も起こりませんでした。にもかかわらず今年においては去年と比べ停止している原発が増えたことから、今度は嘘じゃなく本当に本当で電力が不足する可能性が高いと主張しているものの、その不足数値があまりにもアレというか魂胆見え見えの数値であることに驚きを通り越してあきれました。
・大飯再稼動なら8月の電力不足回避…政府試算(読売新聞)
上記リンク先の読売の記事に書かれていますが、このままいくと今夏の電力は約15%不足すると試算を発表しましたが、この不足数値を発表するとともに、「大飯原発を再稼働させれば、ギリギリ足りる」という、実質的に大飯原発を再稼働させなければ電力を止めると言わんかのような脅しを打ってきました。しかしこれはスズキのスズキ会長もなんか言及したそうですが、足りない足りない地うばかりで具体的にどうやって不足電力分を補うのか、火力発電とか擦りよく発電をどれだけ増やすかといった具体案は非常に乏しく、はっきり言いますが今回の不足分の試算も大飯原発を再稼働させるための方便、つまり大飯原発の発電容量分を不足分に計算するという結論が初めから決まっていたのだと思います。
こっちは東電の話ですが、自らの不手際で電力不足を招いたにもかかわらず消費者には節電を要求し、その上でお気楽この上なく去年冬には社員にボーナスを支給しておきながら今年になって「電気代を強制的に加算する」と臆面もなく言ってくるあたり、どうも電力会社というものは世間の常識と明らかなずれがある気がしてなりません。極端なこと言うと、よくこういうことしておきながら夜道歩けるなとすら感じます。
・<需給検証委>関電に4社融通拡大 5%節電で制限令回避へ(毎日新聞)
などと考えていたらやっぱり出てきた回避案。上記の毎日新聞の記事によると、余裕のある西日本各社から電力を融通することで不足量は大分圧縮できるようで5%の節電で乗り切られるという試算を需給検証委員会が出してきたそうです。なんで外部からすぐこういうのが出てくるのにデータの揃っている自分の所で関電は試算が出来ないのか、わざとにしたってもう少しうまい言い訳を考えろよと手段の拙さに呆れてきます。
もっとも政府、というより経産省側も原発を早くに再稼働させたいという異常な意欲を持っていることから首謀者がどっちにあるかは(恐らくは両方の意見の一致による)はっきり言い切れませんが、人をだましたり蹴落とそうっていうのならもっとスマートにやれよと言いたいのが今日の私の意見です。
まず関電のどんなところが信用できないかですが、これは以前の産経の記事に書かれていましたが去年も散々に電力不足の懸念から消費者に節電を煽っておきながら、蓋を開けてみたらかなり余裕があった上に大きな問題が何も起こりませんでした。にもかかわらず今年においては去年と比べ停止している原発が増えたことから、今度は嘘じゃなく本当に本当で電力が不足する可能性が高いと主張しているものの、その不足数値があまりにもアレというか魂胆見え見えの数値であることに驚きを通り越してあきれました。
・大飯再稼動なら8月の電力不足回避…政府試算(読売新聞)
上記リンク先の読売の記事に書かれていますが、このままいくと今夏の電力は約15%不足すると試算を発表しましたが、この不足数値を発表するとともに、「大飯原発を再稼働させれば、ギリギリ足りる」という、実質的に大飯原発を再稼働させなければ電力を止めると言わんかのような脅しを打ってきました。しかしこれはスズキのスズキ会長もなんか言及したそうですが、足りない足りない地うばかりで具体的にどうやって不足電力分を補うのか、火力発電とか擦りよく発電をどれだけ増やすかといった具体案は非常に乏しく、はっきり言いますが今回の不足分の試算も大飯原発を再稼働させるための方便、つまり大飯原発の発電容量分を不足分に計算するという結論が初めから決まっていたのだと思います。
こっちは東電の話ですが、自らの不手際で電力不足を招いたにもかかわらず消費者には節電を要求し、その上でお気楽この上なく去年冬には社員にボーナスを支給しておきながら今年になって「電気代を強制的に加算する」と臆面もなく言ってくるあたり、どうも電力会社というものは世間の常識と明らかなずれがある気がしてなりません。極端なこと言うと、よくこういうことしておきながら夜道歩けるなとすら感じます。
・<需給検証委>関電に4社融通拡大 5%節電で制限令回避へ(毎日新聞)
などと考えていたらやっぱり出てきた回避案。上記の毎日新聞の記事によると、余裕のある西日本各社から電力を融通することで不足量は大分圧縮できるようで5%の節電で乗り切られるという試算を需給検証委員会が出してきたそうです。なんで外部からすぐこういうのが出てくるのにデータの揃っている自分の所で関電は試算が出来ないのか、わざとにしたってもう少しうまい言い訳を考えろよと手段の拙さに呆れてきます。
もっとも政府、というより経産省側も原発を早くに再稼働させたいという異常な意欲を持っていることから首謀者がどっちにあるかは(恐らくは両方の意見の一致による)はっきり言い切れませんが、人をだましたり蹴落とそうっていうのならもっとスマートにやれよと言いたいのが今日の私の意見です。
ソーラーパネルの耐久性に対する疑問
さっき切れた電球を買いに行ったら、発行色が必要な白色ではなく黄色を買ってきてしまっていました。今週は真面目にいろいろあって帰宅が毎日夜遅かったから、疲れているもかもしれません。ちなみに今週どれくらい忙しかったのかというと、同僚の親類に不幸があったので当日になって展示会取材を代理登板。さらに昨日も本来休日のところを訪問取材に行って結局半日潰しました。今週は先週と違って比較的涼しく、暑がりな自分からすると動きやすくてそれほど疲労感はないのですが、知らないところで注意力が落ちている可能性もあるのでこの後昼寝でもしようかと思います。
それはさておき本日の話題ですが、先日にうちの親父と話をした際にお題となっているソーラーパネルの耐久性について話題となりました。親父が言うには、「メーカーはメンテナンスなしでいいというが、雹とか降ってきても問題ないのだろうか」ということで、早速親父に代わって自分が調べてみました。結論から言うと、やはり雹が降ると破損して駄目になる可能性があるだけでなく、ウェハーベースのソーラーパネルだと湿気にも弱く、対策がきちんと施されていない場合はこちらも故障する可能性が出てくるようです。もちろん、故障したら使用は不可能で最悪全品交換という羽目になります。
なにもこの雹の問題に限らずソーラーパネルには「メンテナンスフリーで半永久的に使用できる」という宣伝文句が非常に多いですが、以前にも書いたように現行のソーラーパネルの寿命は理論値で約20年、しかも10年経ったら発電能力は当初の半分に落ちるため、世間で出回っている広告は問題がある気がします。こちらの産総研の調査でも導入から数年後の故障率は3割程度あるとして導入後メンテナンスが重要だと書かれておりますが、消費者からの相談も増えていると聞きますし、もう少しメーカーも周知する必要があるんじゃないでしょうか。
以上の理由だけじゃありませんが、以前にも書いたように私は原発に代わる国のメガソーラー計画に対して反対の立場を取っております。根拠としては寿命が20年で不安定な発電力では投資に見合わないということと、寿命の尽きたソーラーパネルの廃棄処理について誰も全く言及していないことに強い疑問を感じるからです。むしろソーラーパネルよりもエネルギー変換効率が高い上に日本企業がほぼすべての特許を総なめしているヒートポンプ技術を有効に活用できる、太陽熱温水器の普及を進めた方が良いのではないかと考えています。
といってもこれらはあくまで素人の考えなので、もし何か異論や意見があればコメント欄に書いていただくと幸いです。特にソーラーパネルの廃棄処理方法について詳しい方がいれば助かります。
それはさておき本日の話題ですが、先日にうちの親父と話をした際にお題となっているソーラーパネルの耐久性について話題となりました。親父が言うには、「メーカーはメンテナンスなしでいいというが、雹とか降ってきても問題ないのだろうか」ということで、早速親父に代わって自分が調べてみました。結論から言うと、やはり雹が降ると破損して駄目になる可能性があるだけでなく、ウェハーベースのソーラーパネルだと湿気にも弱く、対策がきちんと施されていない場合はこちらも故障する可能性が出てくるようです。もちろん、故障したら使用は不可能で最悪全品交換という羽目になります。
なにもこの雹の問題に限らずソーラーパネルには「メンテナンスフリーで半永久的に使用できる」という宣伝文句が非常に多いですが、以前にも書いたように現行のソーラーパネルの寿命は理論値で約20年、しかも10年経ったら発電能力は当初の半分に落ちるため、世間で出回っている広告は問題がある気がします。こちらの産総研の調査でも導入から数年後の故障率は3割程度あるとして導入後メンテナンスが重要だと書かれておりますが、消費者からの相談も増えていると聞きますし、もう少しメーカーも周知する必要があるんじゃないでしょうか。
以上の理由だけじゃありませんが、以前にも書いたように私は原発に代わる国のメガソーラー計画に対して反対の立場を取っております。根拠としては寿命が20年で不安定な発電力では投資に見合わないということと、寿命の尽きたソーラーパネルの廃棄処理について誰も全く言及していないことに強い疑問を感じるからです。むしろソーラーパネルよりもエネルギー変換効率が高い上に日本企業がほぼすべての特許を総なめしているヒートポンプ技術を有効に活用できる、太陽熱温水器の普及を進めた方が良いのではないかと考えています。
といってもこれらはあくまで素人の考えなので、もし何か異論や意見があればコメント欄に書いていただくと幸いです。特にソーラーパネルの廃棄処理方法について詳しい方がいれば助かります。
2012年5月10日木曜日
プーチンの大統領再任について
また本当にどうでもいいことですが、現在この記事は日本でこの前かっておやじにもってきてもらったエプソンのネットブック(NA14s)で書いております。サイズは小さいもののキーボードの質感はメインで使っているNECのLavieよりよく、デザインも気に入っているのですが、いかんせんメモリが1Gしかないので動作面ではやや物足りなさというか、「遅っ!」とちょっと感じてしまいます。ただこのパソコンを買って何がよかったのかというと、ちょうど注文してから3日後にエプソンが3千円値下げしたということです。人間、決断時期は大事だ。
あともう一点気になったところとして、OSが「Windows 7 Starter」だったということです。これはネットブック用の安価なOSなのですが、なんと壁紙をデフォルトから変えられないという、そんなところで差をつけなくともという妙な設定で、最初は現実を受け入れられませんでした。もっとも、「ぬりかべ」というソフトがあればどうとでも対応できてしまうわけですが。
話は本題に入りますが、ロシアでプーチン大統領がこの前再任されました。何もロシアに限らず今年はアメリカ、中国、フランス、香港で最高権力者の交代、選挙が重なる一年となりますが、ロシアにいたってはこれを変わったといえるかどうかとなると難しいところです。というのもプーチンは2000年から2008年の間に既に大統領を務めており、この四年間はメドベーチェフが大統領ではあったものの実質的な権力者は首相に一旦下がったプーチンだと誰もが見ており、今回の大統領復帰を見る限りその見方で間違いなかったといえるでしょう。
今回の再任は中国でも大きく取り扱われており、日本のメディア同様に「現代の皇帝(ツァーリ)」と呼ぶ声もあれば、今日の長官にはでかい熊と一緒に充電期間を経ての再任といいたかったのか乾電池の格好したプーチンが描かれておりました。ロシアの大統領法はいつの間にか、って言うか恐らく今回に前もって合わせて人気が4年から6年に延長されてましたが、仮にプーチンがこのまま2期12年を務めるというのであれは2024年まで務めることになり、最初の大統領就任が2000年だったことを考えると実に24年間も最高権力者の地位に居続けることとなります。
ただ長いことやってるもんだから、国内で反発する勢力も出てきているようです。今回の選挙でもなんかいろいろと反プーチンデモとか起きたようですが、どこの世界でも誰にでも好かれる権力者なんている分けなく、このデモひとつでプーチンの求心力が落ちているとかいうのは間違いなような気がします。あくまで私の視点ですが、ほかの候補よりも実績と安定性があるということで、やはり過半数以上からは信任されているのではないかと思います。
しかし私個人の意見を言わせてもらうと、仮に今回の大統領選に出馬せずに引退していたら、ある意味では勝ち逃げができたのだろうにという印象があります。曲がりなりにもソ連崩壊後のロシアの混乱に一定の安定をもたらしたことは事実で、強いリーダシップでBRICsという高成長する新興国の一つに数えさせたのですから、ここで引退してもそう悪くない評価を歴史家に与えられていたでしょう。
逆を言えば、これからの大統領生活はむしろこれまでの評価を傷つける可能性があるということです。ロシアがどうして経済的に立ち直ったのかといえば一にも二にも2000年代に資源価格が高騰し、ロシア最大の輸出品である天然ガスが高値で売れ続けたからです。しかしそれもリーマンショックをきっかけに大幅に下落するや、途端にロシア国内の景気は悪化しており、天然ガス一つに頼り切った経済体制であることを露呈しております。
逆に天然ガス以外にロシアが国際競争力のある商品を持っているのかとなると、真っ先に浮かぶのはこの前にメーカーが潰れちゃったけどカラシニコフことAK-47(アサルトライフル)ですが、これ以外だと航空機と軍事技術しか真面目に浮かびません。はっきりいいますがこれだけだと少ないですし、また客を選ぶ商品のため強い経済力を維持するにはやや不安定です。
資源価格は現在また高騰しておりますが、今の世界状況ですといつまた下落を始めるかわかりません。その下落した時にロシアがどんな対応を取れるのか、またそれまでにどのように備えるかが今後の鍵となりますが、それを覚悟の上で、評価が落ちるかもしれないというリスクを承知して大統領選に立ったというのであればたいしたものだと思います。
あともう一点気になったところとして、OSが「Windows 7 Starter」だったということです。これはネットブック用の安価なOSなのですが、なんと壁紙をデフォルトから変えられないという、そんなところで差をつけなくともという妙な設定で、最初は現実を受け入れられませんでした。もっとも、「ぬりかべ」というソフトがあればどうとでも対応できてしまうわけですが。
話は本題に入りますが、ロシアでプーチン大統領がこの前再任されました。何もロシアに限らず今年はアメリカ、中国、フランス、香港で最高権力者の交代、選挙が重なる一年となりますが、ロシアにいたってはこれを変わったといえるかどうかとなると難しいところです。というのもプーチンは2000年から2008年の間に既に大統領を務めており、この四年間はメドベーチェフが大統領ではあったものの実質的な権力者は首相に一旦下がったプーチンだと誰もが見ており、今回の大統領復帰を見る限りその見方で間違いなかったといえるでしょう。
今回の再任は中国でも大きく取り扱われており、日本のメディア同様に「現代の皇帝(ツァーリ)」と呼ぶ声もあれば、今日の長官にはでかい熊と一緒に充電期間を経ての再任といいたかったのか乾電池の格好したプーチンが描かれておりました。ロシアの大統領法はいつの間にか、って言うか恐らく今回に前もって合わせて人気が4年から6年に延長されてましたが、仮にプーチンがこのまま2期12年を務めるというのであれは2024年まで務めることになり、最初の大統領就任が2000年だったことを考えると実に24年間も最高権力者の地位に居続けることとなります。
ただ長いことやってるもんだから、国内で反発する勢力も出てきているようです。今回の選挙でもなんかいろいろと反プーチンデモとか起きたようですが、どこの世界でも誰にでも好かれる権力者なんている分けなく、このデモひとつでプーチンの求心力が落ちているとかいうのは間違いなような気がします。あくまで私の視点ですが、ほかの候補よりも実績と安定性があるということで、やはり過半数以上からは信任されているのではないかと思います。
しかし私個人の意見を言わせてもらうと、仮に今回の大統領選に出馬せずに引退していたら、ある意味では勝ち逃げができたのだろうにという印象があります。曲がりなりにもソ連崩壊後のロシアの混乱に一定の安定をもたらしたことは事実で、強いリーダシップでBRICsという高成長する新興国の一つに数えさせたのですから、ここで引退してもそう悪くない評価を歴史家に与えられていたでしょう。
逆を言えば、これからの大統領生活はむしろこれまでの評価を傷つける可能性があるということです。ロシアがどうして経済的に立ち直ったのかといえば一にも二にも2000年代に資源価格が高騰し、ロシア最大の輸出品である天然ガスが高値で売れ続けたからです。しかしそれもリーマンショックをきっかけに大幅に下落するや、途端にロシア国内の景気は悪化しており、天然ガス一つに頼り切った経済体制であることを露呈しております。
逆に天然ガス以外にロシアが国際競争力のある商品を持っているのかとなると、真っ先に浮かぶのはこの前にメーカーが潰れちゃったけどカラシニコフことAK-47(アサルトライフル)ですが、これ以外だと航空機と軍事技術しか真面目に浮かびません。はっきりいいますがこれだけだと少ないですし、また客を選ぶ商品のため強い経済力を維持するにはやや不安定です。
資源価格は現在また高騰しておりますが、今の世界状況ですといつまた下落を始めるかわかりません。その下落した時にロシアがどんな対応を取れるのか、またそれまでにどのように備えるかが今後の鍵となりますが、それを覚悟の上で、評価が落ちるかもしれないというリスクを承知して大統領選に立ったというのであればたいしたものだと思います。
2012年5月8日火曜日
KOEIのゲームでやったこと
最近なんだか暗いことばかり書いているような気がするので、久々にどうでもいい過去の体験談を書こうかと思います。
さてKOEIのゲームとくれば「信長の野望」とか「三国志」に代表される歴史シュミレーションゲームが多いですが、最近のは非常に細かく作りこまれていてリアル志向なゲームが多いものの、昔のバージョンだとシステムも大雑把でとっつきやすかったり、逆手に取った反則的な技もできたりしました。そこで今日は古き良きKOEIのゲームで私がやらかした、もしくは一般的だったプレイを紹介します。
1、社会主義政策
これは「三国志3」のような、シムシティ並みに税率を自由に変えることのできるシリーズで使えた技です。具体的にどんな技かというと、兵糧だったり軍資金が自動的に徴収される月(1月と7月)の直前に税率を100%にするだけです。ちなみに一般的なシリーズだと四公六民こと税率は40%でこれより高いと民心は下がり、低いと民心は上がってきます。なもんだから100%にすると民心は下がるのですが、昔のシリーズは大雑把だから税率100%で徴収するだけ徴収し、施しとして兵糧を配って税率を元の40%に戻した方が、民心も高水準を維持した上に最終的に手元に残る兵糧は多かったりしました。一旦すべて吸い上げて再分配するという過程から、社会主義政策という名前が付いたわけです。
2、落とし穴の恐怖、決死隊
同じく「三国志3」ですが、このゲームは戦闘開始の前に守備側が落とし穴を掘ることが出来ました。この落とし穴、そんな地味な罠で一体……とか思えたりするのですが地味に強力で、はまったりすると兵士が五千人くらい一気にふっとんだりします。っていうか、五千人も入る落とし穴ってのも突っ込んだらあれだけど。
真面目にこのゲームでは落とし穴が戦局を大きく左右するところがあり、兵士数に余裕を持って攻め込んでみたものの落とし穴にやられて撤退となることもあったりします。そこで攻め手の対策として考えられたのは「決死隊」こと、百人程度の小部隊を一隊作り、全部隊の先頭を走らせ落とし穴を未然に発見する、っていうか落ちてもらう役割の部隊を作るという作戦です。なんていうかせせこましい作戦でしたが、落とし穴にはまるくらいならと毎回決死隊を用意していたのはいい思い出です。
3、裏切りの恐怖
これは比較的に相手武将を寝返らせやすい「信長の野望 天翔記」でやったことですが、普通に戦うのに飽きて戦争を起こす前に相手方の武将すべてにリクルートをかけてみました。その結果、戦争が始まるや否や大将を除く全武将が味方に寝返って、関ヶ原の石田光成もびっくりなくらいな負かせ方をして見せたことがありました。現実にこんなことあったらいやだろうな。
4、血に染まる大地
これは私ではなく友人がやらかしたことですが、「信長の野望」で天下統一直前まで持っていったところ、プレイする大名とその親類を除くすべての部下に対して切腹を申し渡したそうです。天下統一直前だとすると切腹対象となった武将は多分百人以上は確実にいるでしょうがその友人曰く、「切腹をする際のザシュッという音が延々と続いた(けどやめなかった)」とのことです。
5、裏切るはずだったのに……
三国志では「埋伏」といって、忠誠心の高い部下をわざと相手方に潜り込ませてスパイ活動をさせたり、戦争時に裏切らせたりすることが出来ます。このコマンドを実行している間はその部下を直接使うことが出来ないというデメリットもありますが、確実に裏切ってくれるので非常に使い勝手のいいコマンドです。
そんな使い勝手のいいコマンドですが、使用対象となるのは上記の理由から「普段直接使う機会がないほど能力が低い武将」に限られてきます。そのため口減らしとばかりに適当な武将を相手方に潜り込ませたのですが、所詮は能力の低い武将であったために戦争になっても相手方の武将として出してもらえず、戦争に勝利した後にほかの文官っぽい武将共々捕縛しました。捕縛した武将は登用するか解放するか処刑するか選べるのですが、「埋伏させた武将って、処刑できるのかな?」とか思ってその武将に処刑を言い渡してみたところ出来ちゃいました。向こうとしては言われるままに相手方に潜り込んだらそのまま処刑されてしまうという不条理この上ない処置だったでしょうに、今思うと悪いことしたなぁって気になります。
さてKOEIのゲームとくれば「信長の野望」とか「三国志」に代表される歴史シュミレーションゲームが多いですが、最近のは非常に細かく作りこまれていてリアル志向なゲームが多いものの、昔のバージョンだとシステムも大雑把でとっつきやすかったり、逆手に取った反則的な技もできたりしました。そこで今日は古き良きKOEIのゲームで私がやらかした、もしくは一般的だったプレイを紹介します。
1、社会主義政策
これは「三国志3」のような、シムシティ並みに税率を自由に変えることのできるシリーズで使えた技です。具体的にどんな技かというと、兵糧だったり軍資金が自動的に徴収される月(1月と7月)の直前に税率を100%にするだけです。ちなみに一般的なシリーズだと四公六民こと税率は40%でこれより高いと民心は下がり、低いと民心は上がってきます。なもんだから100%にすると民心は下がるのですが、昔のシリーズは大雑把だから税率100%で徴収するだけ徴収し、施しとして兵糧を配って税率を元の40%に戻した方が、民心も高水準を維持した上に最終的に手元に残る兵糧は多かったりしました。一旦すべて吸い上げて再分配するという過程から、社会主義政策という名前が付いたわけです。
2、落とし穴の恐怖、決死隊
同じく「三国志3」ですが、このゲームは戦闘開始の前に守備側が落とし穴を掘ることが出来ました。この落とし穴、そんな地味な罠で一体……とか思えたりするのですが地味に強力で、はまったりすると兵士が五千人くらい一気にふっとんだりします。っていうか、五千人も入る落とし穴ってのも突っ込んだらあれだけど。
真面目にこのゲームでは落とし穴が戦局を大きく左右するところがあり、兵士数に余裕を持って攻め込んでみたものの落とし穴にやられて撤退となることもあったりします。そこで攻め手の対策として考えられたのは「決死隊」こと、百人程度の小部隊を一隊作り、全部隊の先頭を走らせ落とし穴を未然に発見する、っていうか落ちてもらう役割の部隊を作るという作戦です。なんていうかせせこましい作戦でしたが、落とし穴にはまるくらいならと毎回決死隊を用意していたのはいい思い出です。
3、裏切りの恐怖
これは比較的に相手武将を寝返らせやすい「信長の野望 天翔記」でやったことですが、普通に戦うのに飽きて戦争を起こす前に相手方の武将すべてにリクルートをかけてみました。その結果、戦争が始まるや否や大将を除く全武将が味方に寝返って、関ヶ原の石田光成もびっくりなくらいな負かせ方をして見せたことがありました。現実にこんなことあったらいやだろうな。
4、血に染まる大地
これは私ではなく友人がやらかしたことですが、「信長の野望」で天下統一直前まで持っていったところ、プレイする大名とその親類を除くすべての部下に対して切腹を申し渡したそうです。天下統一直前だとすると切腹対象となった武将は多分百人以上は確実にいるでしょうがその友人曰く、「切腹をする際のザシュッという音が延々と続いた(けどやめなかった)」とのことです。
5、裏切るはずだったのに……
三国志では「埋伏」といって、忠誠心の高い部下をわざと相手方に潜り込ませてスパイ活動をさせたり、戦争時に裏切らせたりすることが出来ます。このコマンドを実行している間はその部下を直接使うことが出来ないというデメリットもありますが、確実に裏切ってくれるので非常に使い勝手のいいコマンドです。
そんな使い勝手のいいコマンドですが、使用対象となるのは上記の理由から「普段直接使う機会がないほど能力が低い武将」に限られてきます。そのため口減らしとばかりに適当な武将を相手方に潜り込ませたのですが、所詮は能力の低い武将であったために戦争になっても相手方の武将として出してもらえず、戦争に勝利した後にほかの文官っぽい武将共々捕縛しました。捕縛した武将は登用するか解放するか処刑するか選べるのですが、「埋伏させた武将って、処刑できるのかな?」とか思ってその武将に処刑を言い渡してみたところ出来ちゃいました。向こうとしては言われるままに相手方に潜り込んだらそのまま処刑されてしまうという不条理この上ない処置だったでしょうに、今思うと悪いことしたなぁって気になります。
2012年5月7日月曜日
多機能の弊害
大分昔、具体的には2005年に見た掲示板で「文系と理系の違い」というものがありました。この掲示板ではそのタイトルの通りに文系と理系の違いについてあれこれ特徴を挙げられていたのですが、個人的にツボにはまったのは「文系は理系を、文系に使われていると思っている。一方理系は、文系は金に使われていると思っている」という一節でした。
そんな掲示板を眺めていた私自身は文系でしたが、そもそもなんでこっちに進んだのかというと元々の適正が文系に向いていたこともありますが予備校の講師から、「管理職には慣れないから理系には進むな」と中学生の頃に言われたことも大きな理由となっております。私自身は今でもそうですが人生お金じゃない、管理職に慣れないからといって理系に行くべきじゃないというのはロマンがないとその講師に当時反論を呈したのですが、「そりゃ確かに技術者は能力的にも社会的にも立派だが、日本はそういう人たちを評価するような仕組みじゃない」と言って退けました。今となってはこの講師の発言は自分を慮ってのものでいろいろ尊敬も覚えているのですが、発言内容についてはその後紆余曲折がありました。
まず私が大学生だった頃、当時はトヨタをはじめとしたメーカーがある意味最盛期だったこともあって、やはり技術者はその働きや貢献に対して社会の評価が低すぎるのではと感じていました。こうした価値観はその後もしばらく続きましたが、何故かこの頃に至っては真逆の考え方、日本はちょっと技術者を大事にし過ぎたのでは、天狗にさせてしまったのではと考え直すようになってきました。
このように考えるようになったきっかけは地デジ化に合わせて両親が買った新しいテレビからでした。まず何に驚いたのかというとリモコンのボタンがあまりにも多いという点で、初見では時間指定の録画はおろかチャンネル合わせすらおぼつかない有様でした。もちろんマニュアル読めば対応することはできますが、そもそもこれだけいっぱいボタンを付ける必要はあったのか、さらに録画の方法も複数種類あってここまで必要なのかといろんな疑問が出てきました。そりゃ通の人だったら欲しがるかもしれませんが、自分が少数派である可能性は抜け切れないもののもっとシンプルで誰にでも使えるような、携帯で言えばツーカーみたいな代物をどうしてどこも売ろうとしないのかと考え始めたわけです。
こうした疑問を持っているとやはり類は友を呼ぶというか、関連した掲示板とか情報が目につくようになってきました。まず海外マーケティングで言うと日本製は無駄に多機能で値段が高いが、サムスンなどはその間隙を突くように機能を必要で求められているものに絞って販売した結果、大きな成功をおさめたという話を冗談抜きで真面目にあちこちで聞くようになりました。また日本国内でもイオンが売り出してヒットした、低速だけど安価のデータ通信カードにしても、速くなくてもいいからネットにつなげられないものかと自分もこういう商品を待望していた時期があっただけにさもありなんとヒットを納得していました。
また話がまどろっこしくなってしまいましたが何が言いたいのかというと、日本の技術者はほぼ全般にわたってなんでもかんでもつけられる機能を全部くっつけてしまおう、機能が多いことはともかくいいんだとするところがあるように感じます。そりゃ多機能であればいざって時に使えていいのかもしれませんが、実際にはほとんど使わない機能があると邪魔なことこの上ないですし、またそんな余計な機能付けるくらいならもうちょっと値段を安くしたり、わかりやすい設定にしてほしいという思いがあります。
では何故こんな余計な機能満載の商品が日本メーカーから多数出るようになったのでしょうか。あくまで仮説でしか言えませんが一つの原因はやはり日本国内の技術者の価値観とか伝統からではないかと私は思います。こうした話が議論されている掲示板を見たりすると現場でも一部の技術者が機能を限定しようとしているらしいですがどうも上から「多機能を」という天の声が下りているそうです。また中国に来ているメーカーの話を聞いても、現地のマーケティング調査結果を何度伝えても商品開発に繋がらないので、研究開発拠点ごと中国現地に持って来るべきだという声も耳にしたりします。
日本人は高度経済成長期に、ラジオとカセットプレイヤーを一体化したラジカセなど複数の機能を組み合わせた製品を作ることで成功を収めてきました。これは何度もこのブログ内で言及していますが、成功体験というのは人を容易に誤らせるもので、早めに忘れるに越したことはないでしょう。
そんな掲示板を眺めていた私自身は文系でしたが、そもそもなんでこっちに進んだのかというと元々の適正が文系に向いていたこともありますが予備校の講師から、「管理職には慣れないから理系には進むな」と中学生の頃に言われたことも大きな理由となっております。私自身は今でもそうですが人生お金じゃない、管理職に慣れないからといって理系に行くべきじゃないというのはロマンがないとその講師に当時反論を呈したのですが、「そりゃ確かに技術者は能力的にも社会的にも立派だが、日本はそういう人たちを評価するような仕組みじゃない」と言って退けました。今となってはこの講師の発言は自分を慮ってのものでいろいろ尊敬も覚えているのですが、発言内容についてはその後紆余曲折がありました。
まず私が大学生だった頃、当時はトヨタをはじめとしたメーカーがある意味最盛期だったこともあって、やはり技術者はその働きや貢献に対して社会の評価が低すぎるのではと感じていました。こうした価値観はその後もしばらく続きましたが、何故かこの頃に至っては真逆の考え方、日本はちょっと技術者を大事にし過ぎたのでは、天狗にさせてしまったのではと考え直すようになってきました。
このように考えるようになったきっかけは地デジ化に合わせて両親が買った新しいテレビからでした。まず何に驚いたのかというとリモコンのボタンがあまりにも多いという点で、初見では時間指定の録画はおろかチャンネル合わせすらおぼつかない有様でした。もちろんマニュアル読めば対応することはできますが、そもそもこれだけいっぱいボタンを付ける必要はあったのか、さらに録画の方法も複数種類あってここまで必要なのかといろんな疑問が出てきました。そりゃ通の人だったら欲しがるかもしれませんが、自分が少数派である可能性は抜け切れないもののもっとシンプルで誰にでも使えるような、携帯で言えばツーカーみたいな代物をどうしてどこも売ろうとしないのかと考え始めたわけです。
こうした疑問を持っているとやはり類は友を呼ぶというか、関連した掲示板とか情報が目につくようになってきました。まず海外マーケティングで言うと日本製は無駄に多機能で値段が高いが、サムスンなどはその間隙を突くように機能を必要で求められているものに絞って販売した結果、大きな成功をおさめたという話を冗談抜きで真面目にあちこちで聞くようになりました。また日本国内でもイオンが売り出してヒットした、低速だけど安価のデータ通信カードにしても、速くなくてもいいからネットにつなげられないものかと自分もこういう商品を待望していた時期があっただけにさもありなんとヒットを納得していました。
また話がまどろっこしくなってしまいましたが何が言いたいのかというと、日本の技術者はほぼ全般にわたってなんでもかんでもつけられる機能を全部くっつけてしまおう、機能が多いことはともかくいいんだとするところがあるように感じます。そりゃ多機能であればいざって時に使えていいのかもしれませんが、実際にはほとんど使わない機能があると邪魔なことこの上ないですし、またそんな余計な機能付けるくらいならもうちょっと値段を安くしたり、わかりやすい設定にしてほしいという思いがあります。
では何故こんな余計な機能満載の商品が日本メーカーから多数出るようになったのでしょうか。あくまで仮説でしか言えませんが一つの原因はやはり日本国内の技術者の価値観とか伝統からではないかと私は思います。こうした話が議論されている掲示板を見たりすると現場でも一部の技術者が機能を限定しようとしているらしいですがどうも上から「多機能を」という天の声が下りているそうです。また中国に来ているメーカーの話を聞いても、現地のマーケティング調査結果を何度伝えても商品開発に繋がらないので、研究開発拠点ごと中国現地に持って来るべきだという声も耳にしたりします。
日本人は高度経済成長期に、ラジオとカセットプレイヤーを一体化したラジカセなど複数の機能を組み合わせた製品を作ることで成功を収めてきました。これは何度もこのブログ内で言及していますが、成功体験というのは人を容易に誤らせるもので、早めに忘れるに越したことはないでしょう。
2012年5月6日日曜日
チャーチルの時代、ナポレオンの時代
ちょっと間が空いての執筆再開です。それにしても上海の昼間はこのところ暑くて生きてて辛いです。
日本だとあまり伝記の類を見ることがありませんが、二次大戦中のイギリス首相として活躍したチャーチルの人生は少なくとも私にとって非常に面白いものです。それこそ二十世紀の人物に限ればマハトマ・ガンディーや水木しげる氏ばりに波乱と名言に満ちた人生で、まだあまり知らない人は今からでも遅くないから上記リンク先のウィキペディアの記事を読むことを強くお勧めします。
そんな私のお気に入りのチャーチルですが、どうもこの人は英雄譚とか歴史が子供の頃から非常に好きだった関係もあって要所要所でそれらしい、っていうか本人も後世に残す気満々のセリフを自分に酔いながら言っています。もっともそれらのセリフをただのおっさんの独り言で済まさずにきちんと名言として残しているのはさすがというよりほかないのですが、あまりにもそういった名言が多すぎるために中には事実無根のセリフまでチャーチルが言ったことになっているのも少なくありません。
そのような言ってもない名言の代表例として、「ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になるより難しい」という競馬狂ならみんな知っててもおかしくないセリフがありますが、確かにイギリス人は競馬が大好きですがこれは今に至るまで出典が明らかになっておらず、最近の報道だとJRAの職員が創作したという証言も出ています。
そんな作り話は一旦置いといて、実際にチャーチルが発言したとされる名言の中で私の一番のお気に入りは第一次大戦後に述べた下記のセリフです。
「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもう、なくなった。これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて、書記官達に取り囲まれて座る。一方何千という兵士達が、電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。これから先に起こる戦争は、女性や、子供や、一般市民全体を殺すことになるだろう。やがてそれぞれの国には、大規模で、限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような破壊のためのシステムを生み出すことになる」
これほど後の戦争のシステムを言い当てた名言はほかにないと私は考えております。チャーチルの予言通り、二次大戦は戦地の指揮官ではなく安全な本国で全体を指揮する戦争となり、最終的にはミサイルや核爆弾の投下を指示するだけの人間が勝者と扱われるようになりました。一部のSF小説などではこうした戦争のシステムがさらに発展し、ロボットが片方の国を襲って自動的に人間を殺していくという、文字通り人の血も涙もない戦争になるという未来の描き方をしていますが、第一次世界大戦直後にこのような事態を予感していたというのはさすがというよりほかありません。
と、こうやって散々にチャーチルを誉めておきながらですが、このセリフに感心しつつも現代はナポレオンの時代に回帰しているのではないかという感想をこのところ持っております。もちろん戦争についてはこの前のイラク戦争同様に奥の院で指揮取るのが当たり前で変わりありませんが、少なくとも企業活動の場では総大将の役割が徐々に変わってきているように感じます。
具体的にどう変わってきているかというと、単純に矢面に立って社員を引っ張り、会社の象徴として動くという役割が重たくなってきているところです。これの悪い例で言えば東電をはじめとしたやらかした企業のトップたちで、失敗に対する責任と謝罪の姿勢を内外に見せなくては昔みたいになぁなぁでごまかすことが出来なくなりました。逆のいい例で言うと自動車メーカーが顕著で、トヨタの豊田章男社長なんか就任早々にアメリカ議会に叩かれまくったこともあって妙にかばってあげたくなるような親近感を覚えますし、実際にトヨタ社内も必死で担ごうという意識が高まっていると聞きます。またスズキの鈴木修会長も、内心、まだ生きてるのかよと思うくらいのしぶとさですが、ランエボが世界最速と疑わないカー雑誌の「ベストカー」が選ぶ経営者ランキングでも堂々のトップである上に、記者会見に自らよく出て記者相手に二の句を継げさせない言い回しをするなど最近評価を高めています。つってもゴルフ場にクジャク放つのはどうかと思うけど。
トップがこうして前面に出てこざるを得なくなっているのは言うまでもなくIT化によるものです。最近なんかはツイッターでの発言が株価に影響を与えかねないところまで来ていますし、以前は業界関係者だけが耳にする言葉もパッと一般消費者まで伝わってきます。こんな時代ゆえに、現代のナポレオンは政治家を含めていつ現れるのかと思う次第です。
日本だとあまり伝記の類を見ることがありませんが、二次大戦中のイギリス首相として活躍したチャーチルの人生は少なくとも私にとって非常に面白いものです。それこそ二十世紀の人物に限ればマハトマ・ガンディーや水木しげる氏ばりに波乱と名言に満ちた人生で、まだあまり知らない人は今からでも遅くないから上記リンク先のウィキペディアの記事を読むことを強くお勧めします。
そんな私のお気に入りのチャーチルですが、どうもこの人は英雄譚とか歴史が子供の頃から非常に好きだった関係もあって要所要所でそれらしい、っていうか本人も後世に残す気満々のセリフを自分に酔いながら言っています。もっともそれらのセリフをただのおっさんの独り言で済まさずにきちんと名言として残しているのはさすがというよりほかないのですが、あまりにもそういった名言が多すぎるために中には事実無根のセリフまでチャーチルが言ったことになっているのも少なくありません。
そのような言ってもない名言の代表例として、「ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になるより難しい」という競馬狂ならみんな知っててもおかしくないセリフがありますが、確かにイギリス人は競馬が大好きですがこれは今に至るまで出典が明らかになっておらず、最近の報道だとJRAの職員が創作したという証言も出ています。
そんな作り話は一旦置いといて、実際にチャーチルが発言したとされる名言の中で私の一番のお気に入りは第一次大戦後に述べた下記のセリフです。
「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもう、なくなった。これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて、書記官達に取り囲まれて座る。一方何千という兵士達が、電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。これから先に起こる戦争は、女性や、子供や、一般市民全体を殺すことになるだろう。やがてそれぞれの国には、大規模で、限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような破壊のためのシステムを生み出すことになる」
これほど後の戦争のシステムを言い当てた名言はほかにないと私は考えております。チャーチルの予言通り、二次大戦は戦地の指揮官ではなく安全な本国で全体を指揮する戦争となり、最終的にはミサイルや核爆弾の投下を指示するだけの人間が勝者と扱われるようになりました。一部のSF小説などではこうした戦争のシステムがさらに発展し、ロボットが片方の国を襲って自動的に人間を殺していくという、文字通り人の血も涙もない戦争になるという未来の描き方をしていますが、第一次世界大戦直後にこのような事態を予感していたというのはさすがというよりほかありません。
と、こうやって散々にチャーチルを誉めておきながらですが、このセリフに感心しつつも現代はナポレオンの時代に回帰しているのではないかという感想をこのところ持っております。もちろん戦争についてはこの前のイラク戦争同様に奥の院で指揮取るのが当たり前で変わりありませんが、少なくとも企業活動の場では総大将の役割が徐々に変わってきているように感じます。
具体的にどう変わってきているかというと、単純に矢面に立って社員を引っ張り、会社の象徴として動くという役割が重たくなってきているところです。これの悪い例で言えば東電をはじめとしたやらかした企業のトップたちで、失敗に対する責任と謝罪の姿勢を内外に見せなくては昔みたいになぁなぁでごまかすことが出来なくなりました。逆のいい例で言うと自動車メーカーが顕著で、トヨタの豊田章男社長なんか就任早々にアメリカ議会に叩かれまくったこともあって妙にかばってあげたくなるような親近感を覚えますし、実際にトヨタ社内も必死で担ごうという意識が高まっていると聞きます。またスズキの鈴木修会長も、内心、まだ生きてるのかよと思うくらいのしぶとさですが、ランエボが世界最速と疑わないカー雑誌の「ベストカー」が選ぶ経営者ランキングでも堂々のトップである上に、記者会見に自らよく出て記者相手に二の句を継げさせない言い回しをするなど最近評価を高めています。つってもゴルフ場にクジャク放つのはどうかと思うけど。
トップがこうして前面に出てこざるを得なくなっているのは言うまでもなくIT化によるものです。最近なんかはツイッターでの発言が株価に影響を与えかねないところまで来ていますし、以前は業界関係者だけが耳にする言葉もパッと一般消費者まで伝わってきます。こんな時代ゆえに、現代のナポレオンは政治家を含めていつ現れるのかと思う次第です。
2012年5月1日火曜日
英仏百年戦争まとめ 後編
昨日の記事に続き、英仏百年戦争をさらりと解説します。詳細にやってたらいつ終わるともしれないし。
昨日は一時は優勢だったイギリス軍が逆襲を食らってフランスから追い出され、一旦は休戦となったところまで解説しました。ただ休戦とはなったもののフランス本国では貴族たちが互いの勢力争いに明け暮れ、ブルゴーニュ派とアルマニャック派(=オルレアン派)の二大勢力が対立するようになります。こうしたフランス側の混乱を見逃さなかったのは当時のイギリス国王、ヘンリー5世で、適当な名目を立ててフランスに上陸すると主流派になりつつあったアルマニャック派を撃破し、フランス領土の侵略を開始します。
このヘンリー5世の侵略にさすがのフランス側もあせり、ブルゴーニュ派の首魁であるジャン1世と、アルマニャック派からは当時は王太子であった後のシャルル7世が連合を模索して会見を取り持ったのですが、何故かここでジャン1世がアルマニャック派に暗殺されて余計に仲が悪くなるという無残な結果となりました。
いきなり父親を殺されたジャン1世の息子のフィリップ3世はそのままブルゴーニュ派の代表となり、当然と言えば当然ですがイギリス側と手を組みます。ちょっと説明が遅れましたが当時のイギリスとフランスはお互いに国という概念を持っておらず、当時の貴族たちからすれば自己の保身を鑑みて強い方につけばいいという感覚しかなかったと思います。イメージ的には日本の戦国時代における領主たちみたいなもんでしょうね。
話は戻りますが、ブルゴーニュ派と連携したイギリス軍はこれでフランスは取ったも同然な状態だったのですが、なんとここに至ってまたヘンリー5世が急死してしまいます。なんかこの百年戦争を通して休止する人間がやたら多いのが気になりますが、彼の急死によってイギリス王の地位はわずか生後9カ月のヘンリー6世が継ぐこととなり、アルマニャック派というかシャルル7世に逆転のチャンスを与えることとなってしまいます。
ただヘンリー6世が即位した当時に、シャルル7世の父親であるシャルル6世も逝去していますが、フランス領土をほとんど取られていたシャルル7世は即位式を上げられず田舎の大将よろしく中途半端な地位で宙ぶらりんしてました。しかも母親であるイザボー・ド・バヴィエールが、「シャルル7世は実は不倫相手との子供だ」と言い出して、身内からも正当性が疑われる始末でした。ほんとのところはどうだか知らないけど。
こんな具合でかなり絶体絶命の状態だったシャルル7世の前に突然現れたのが、何を隠そうジャンヌ・ダルクです。通説によると、「あんたが王様になんないと駄目なのよ。あたしがランスに連れてってあげる(#゚Д゚)ドルァ!!」っていうノリで軍隊率いると、包囲されて陥落寸前だったオルレアンをあっさり解放した上に、敵軍のど真ん中を突っ切るような進軍ルートでランスまでたどり着いてしまいます。
無事にランスに着いたシャルル7世は念願の戴冠式を行ってフランス国王として正式に即位しますが、この後ジャンヌや後に元帥として活躍するリッシュモンらタカ派勢力とは距離を置き始めます。
ジャンヌのその後については語るまでもないですが、敗戦した際にブルゴーニュ派に捕えられ、イギリス軍に引き渡され火刑となります。この間にシャルル7世は身代金を出さずしてジャンヌを見殺しにしてますが、一応はブルゴーニュ派に、「ひどいことをしたら捕虜に同じ処置を科す」と脅してはおります。このジャンヌ見殺しの経緯から講談ではシャルル7世はほぼ100%暗愚な人物として描かれますが、実際の彼は一旦は遠ざけたリッシュモンを再び登用し、ブルゴーニュ派との和睦も成功させ、フランス領土内からイギリス軍を駆逐することに成功します。さらに戦争で荒廃した国内の復興事業を広げるなど、事績で見れば間違いなく名君と言っていい人物です。
最終的に百年戦争は、ジャンヌの火刑から23年後の1453年のフランス軍によるボルドー攻略成功によって終結します。この結果、イギリスはカレーを除き大陸の領土をすべて失い、戦争開始前の領土線に近い形で終わります。
この百年戦争全体を通して言えることですが、まず第一に英仏両国ともに一貫した外交政策や対応が取れなかったことが長期化の原因でしょう。もっとも当時は絶対王政が確立されていないばかりか貴族の力も比較的強く、国王の死によって政策方針がひっくり変わることもあながち自然なところがあります。
あとジャンヌ・ダルクについていえば、変な話ですが仮に火刑に遭わなければ今ほど有名にはなっていなかったでしょう。これはイエスの磔にも言えることですが、悲劇的な末路がかえって伝説せしめたところがあり、普通に戦争中に敗死していれば「こんな人もいたよ」で済まされていたかもしれません。更に付け加えると、彼女が有名になったのはナポレオンがプロパガンダとしてフランスの救世主だと大きく取り扱ったことが発端とされています。なかなかアイデアマンな処置ですが、なんていうかこの二人は馬が合うような、自分からして同じにおいを感じる人物たちです。
昨日は一時は優勢だったイギリス軍が逆襲を食らってフランスから追い出され、一旦は休戦となったところまで解説しました。ただ休戦とはなったもののフランス本国では貴族たちが互いの勢力争いに明け暮れ、ブルゴーニュ派とアルマニャック派(=オルレアン派)の二大勢力が対立するようになります。こうしたフランス側の混乱を見逃さなかったのは当時のイギリス国王、ヘンリー5世で、適当な名目を立ててフランスに上陸すると主流派になりつつあったアルマニャック派を撃破し、フランス領土の侵略を開始します。
このヘンリー5世の侵略にさすがのフランス側もあせり、ブルゴーニュ派の首魁であるジャン1世と、アルマニャック派からは当時は王太子であった後のシャルル7世が連合を模索して会見を取り持ったのですが、何故かここでジャン1世がアルマニャック派に暗殺されて余計に仲が悪くなるという無残な結果となりました。
いきなり父親を殺されたジャン1世の息子のフィリップ3世はそのままブルゴーニュ派の代表となり、当然と言えば当然ですがイギリス側と手を組みます。ちょっと説明が遅れましたが当時のイギリスとフランスはお互いに国という概念を持っておらず、当時の貴族たちからすれば自己の保身を鑑みて強い方につけばいいという感覚しかなかったと思います。イメージ的には日本の戦国時代における領主たちみたいなもんでしょうね。
話は戻りますが、ブルゴーニュ派と連携したイギリス軍はこれでフランスは取ったも同然な状態だったのですが、なんとここに至ってまたヘンリー5世が急死してしまいます。なんかこの百年戦争を通して休止する人間がやたら多いのが気になりますが、彼の急死によってイギリス王の地位はわずか生後9カ月のヘンリー6世が継ぐこととなり、アルマニャック派というかシャルル7世に逆転のチャンスを与えることとなってしまいます。
ただヘンリー6世が即位した当時に、シャルル7世の父親であるシャルル6世も逝去していますが、フランス領土をほとんど取られていたシャルル7世は即位式を上げられず田舎の大将よろしく中途半端な地位で宙ぶらりんしてました。しかも母親であるイザボー・ド・バヴィエールが、「シャルル7世は実は不倫相手との子供だ」と言い出して、身内からも正当性が疑われる始末でした。ほんとのところはどうだか知らないけど。
こんな具合でかなり絶体絶命の状態だったシャルル7世の前に突然現れたのが、何を隠そうジャンヌ・ダルクです。通説によると、「あんたが王様になんないと駄目なのよ。あたしがランスに連れてってあげる(#゚Д゚)ドルァ!!」っていうノリで軍隊率いると、包囲されて陥落寸前だったオルレアンをあっさり解放した上に、敵軍のど真ん中を突っ切るような進軍ルートでランスまでたどり着いてしまいます。
無事にランスに着いたシャルル7世は念願の戴冠式を行ってフランス国王として正式に即位しますが、この後ジャンヌや後に元帥として活躍するリッシュモンらタカ派勢力とは距離を置き始めます。
ジャンヌのその後については語るまでもないですが、敗戦した際にブルゴーニュ派に捕えられ、イギリス軍に引き渡され火刑となります。この間にシャルル7世は身代金を出さずしてジャンヌを見殺しにしてますが、一応はブルゴーニュ派に、「ひどいことをしたら捕虜に同じ処置を科す」と脅してはおります。このジャンヌ見殺しの経緯から講談ではシャルル7世はほぼ100%暗愚な人物として描かれますが、実際の彼は一旦は遠ざけたリッシュモンを再び登用し、ブルゴーニュ派との和睦も成功させ、フランス領土内からイギリス軍を駆逐することに成功します。さらに戦争で荒廃した国内の復興事業を広げるなど、事績で見れば間違いなく名君と言っていい人物です。
最終的に百年戦争は、ジャンヌの火刑から23年後の1453年のフランス軍によるボルドー攻略成功によって終結します。この結果、イギリスはカレーを除き大陸の領土をすべて失い、戦争開始前の領土線に近い形で終わります。
この百年戦争全体を通して言えることですが、まず第一に英仏両国ともに一貫した外交政策や対応が取れなかったことが長期化の原因でしょう。もっとも当時は絶対王政が確立されていないばかりか貴族の力も比較的強く、国王の死によって政策方針がひっくり変わることもあながち自然なところがあります。
あとジャンヌ・ダルクについていえば、変な話ですが仮に火刑に遭わなければ今ほど有名にはなっていなかったでしょう。これはイエスの磔にも言えることですが、悲劇的な末路がかえって伝説せしめたところがあり、普通に戦争中に敗死していれば「こんな人もいたよ」で済まされていたかもしれません。更に付け加えると、彼女が有名になったのはナポレオンがプロパガンダとしてフランスの救世主だと大きく取り扱ったことが発端とされています。なかなかアイデアマンな処置ですが、なんていうかこの二人は馬が合うような、自分からして同じにおいを感じる人物たちです。
2012年4月30日月曜日
英仏百年戦争まとめ 前編
先日、PSPの「ジャンヌ・ダルク」というシミュレーションゲームをクリアしました。名前からして英仏百年戦争をモチーフにしたゲームですが、固い歴史シミュレーションではなく恋愛あり変身ありキャンプファイヤーありのファンタジックな内容でなかなか楽しめました。またこれ以前にも私は「BLADESTORM 百年戦争」という、こちらも同じく英仏百年戦争をモチーフにしたゲームにはまったことがあり、何かとこのテーマのゲームをよく遊んでいるという気がします。
そんな英仏百年戦争ですが、私が言うまでもなく一般的に知られているのはどちらのゲームでも主役となっているジャンヌ・ダルクが活躍した後半期のごく一部の期間だけです。百年というだけあってこの両国の抗争は長く、序盤と後半では様相も形成も大きく異なっているので、ちょうど歴史物が不足しているのもあるので一つ簡単に解説しようかと思います。
まず百年戦争の発端となったのは、イギリスとフランスの王家が近親関係にあってどっちからでも王位継承権を主張できたことや、イギリスのスコットランド統治に対してフランスが茶々をかけていたということもありますが、やはり第一義的にはフランスにあるフランドル地方における経済的摩擦が最大の原因だと私は考えています。
このフランドル地方は当時、羊毛織物が盛んだったのですが織物の原料となる羊毛はイギリスから輸入されており、経済的結びつきで言えばフランス本国よりイギリスとの関係が深い地域でした。そうした背景もあってか、かねてから様々な問題で対立していたことからイギリスが中国のレアアース問題よろしく、フランスへの羊毛輸出を禁じると途端にフランドル地方は大打撃を受け、フランスの支配から離れイギリスに忠誠を誓う、俗にいう「フランドルの反乱」が起こり、このフランドルを支援するイギリスと支配下に戻そうとするフランスの間で火蓋が切られることとなったわけです。
こうして始まった戦争ですが、序盤はイギリス軍の圧倒的な優勢で事が運びます。歴史家によると当時のイギリス軍には長射程の長弓が装備され、旧態依然のフランス軍を遠距離から次々と破っていったそうで、この間に大活躍した人物としてエドワード黒太子の名前が挙がっております。なんで黒大使かというとなんでも黒っぽい鎧を着ていたからだそうですがそもそも後世の創作とも呼ばれており、実態的にはどうだったかわかりません。ちなみにこの黒太子はその後に病気にかかり、イギリス王である父親より早くに亡くなって国王即位はしておりません。
話は戻って百年戦争の経過についてですが、エドワード黒太子の活躍でフランス王であるジャン2世まで捕縛されてフランスは一巻の終わりというところまで一旦は追い詰められましたが、ここに至って摂政(後に国王即位)として国勢の表舞台に出てきたジャン2世の息子ことシャルル5世というのがまた立派な指導者で、税制を定めて資金力を補充すると、ベルトラン・デュ・ゲクランなど優秀な将軍らを採用して奪われた領土を一挙に取り返すことに成功しました。しかもエドワード黒太子が1376年に病死し、さらにその翌年にはその父であるイギリス王のエドワード3世が死去したこともあってこのままフランスが旧領奪回かと思われたのですが、フランスが征服したブルターニュ地方の併合に当たって激しい反発が起きるなど、まだまだ安定には程遠い形勢でした。
しかも1380年にシャルル5世が食中毒で急死してしまい、和平に向けた話し合いがはじめられた矢先に両国で国王が突然変わるという異常な事態に突入します。幸いというか両国ともに新国王が内政重視、というか権謀術数渦巻く宮廷での政争を優先して1396年に一旦は休戦へと持ち込まれます。
ただ何もこれは英仏に限らずですが、一旦戦争が終わると目前の敵がいなくなってほっとするというかはしゃぎだすというか、内戦・内乱が始まるのは世の常です。イギリスでは新国王のリチャード2世が政争の末に議会派によって逮捕の上に退位に追い込まれ、ロンドン塔に幽閉されて新国王ヘンリー4世が立てられます(ランカスター朝はここから始まる)。フランスに至ってはもっと悲惨というか、こっちの新国王であるシャルル6世が突如精神に異常をきたして発狂し、取り巻き連中が幅を利かせたことから宮廷は二派の派閥(オルレアン派とブルゴーニュ派)に分かれて大激闘。暗殺が横行しただけでなく両派ともに、「相手を倒すために援軍を出してくれ!」と昨日の敵は今日の友、そして明日には敵となるイギリスに出兵を要請するほどの内戦へと突入します。
指導者が良くなると形勢逆転し、悪くなると駄目になっていく見本のような歴史ですが、両派の要請を受けて再上陸を果たしたイギリス軍が再びフランス領土を侵攻をするところから後半戦が始まります。というわけなので、続きは次回に。
そんな英仏百年戦争ですが、私が言うまでもなく一般的に知られているのはどちらのゲームでも主役となっているジャンヌ・ダルクが活躍した後半期のごく一部の期間だけです。百年というだけあってこの両国の抗争は長く、序盤と後半では様相も形成も大きく異なっているので、ちょうど歴史物が不足しているのもあるので一つ簡単に解説しようかと思います。
まず百年戦争の発端となったのは、イギリスとフランスの王家が近親関係にあってどっちからでも王位継承権を主張できたことや、イギリスのスコットランド統治に対してフランスが茶々をかけていたということもありますが、やはり第一義的にはフランスにあるフランドル地方における経済的摩擦が最大の原因だと私は考えています。
このフランドル地方は当時、羊毛織物が盛んだったのですが織物の原料となる羊毛はイギリスから輸入されており、経済的結びつきで言えばフランス本国よりイギリスとの関係が深い地域でした。そうした背景もあってか、かねてから様々な問題で対立していたことからイギリスが中国のレアアース問題よろしく、フランスへの羊毛輸出を禁じると途端にフランドル地方は大打撃を受け、フランスの支配から離れイギリスに忠誠を誓う、俗にいう「フランドルの反乱」が起こり、このフランドルを支援するイギリスと支配下に戻そうとするフランスの間で火蓋が切られることとなったわけです。
こうして始まった戦争ですが、序盤はイギリス軍の圧倒的な優勢で事が運びます。歴史家によると当時のイギリス軍には長射程の長弓が装備され、旧態依然のフランス軍を遠距離から次々と破っていったそうで、この間に大活躍した人物としてエドワード黒太子の名前が挙がっております。なんで黒大使かというとなんでも黒っぽい鎧を着ていたからだそうですがそもそも後世の創作とも呼ばれており、実態的にはどうだったかわかりません。ちなみにこの黒太子はその後に病気にかかり、イギリス王である父親より早くに亡くなって国王即位はしておりません。
話は戻って百年戦争の経過についてですが、エドワード黒太子の活躍でフランス王であるジャン2世まで捕縛されてフランスは一巻の終わりというところまで一旦は追い詰められましたが、ここに至って摂政(後に国王即位)として国勢の表舞台に出てきたジャン2世の息子ことシャルル5世というのがまた立派な指導者で、税制を定めて資金力を補充すると、ベルトラン・デュ・ゲクランなど優秀な将軍らを採用して奪われた領土を一挙に取り返すことに成功しました。しかもエドワード黒太子が1376年に病死し、さらにその翌年にはその父であるイギリス王のエドワード3世が死去したこともあってこのままフランスが旧領奪回かと思われたのですが、フランスが征服したブルターニュ地方の併合に当たって激しい反発が起きるなど、まだまだ安定には程遠い形勢でした。
しかも1380年にシャルル5世が食中毒で急死してしまい、和平に向けた話し合いがはじめられた矢先に両国で国王が突然変わるという異常な事態に突入します。幸いというか両国ともに新国王が内政重視、というか権謀術数渦巻く宮廷での政争を優先して1396年に一旦は休戦へと持ち込まれます。
ただ何もこれは英仏に限らずですが、一旦戦争が終わると目前の敵がいなくなってほっとするというかはしゃぎだすというか、内戦・内乱が始まるのは世の常です。イギリスでは新国王のリチャード2世が政争の末に議会派によって逮捕の上に退位に追い込まれ、ロンドン塔に幽閉されて新国王ヘンリー4世が立てられます(ランカスター朝はここから始まる)。フランスに至ってはもっと悲惨というか、こっちの新国王であるシャルル6世が突如精神に異常をきたして発狂し、取り巻き連中が幅を利かせたことから宮廷は二派の派閥(オルレアン派とブルゴーニュ派)に分かれて大激闘。暗殺が横行しただけでなく両派ともに、「相手を倒すために援軍を出してくれ!」と昨日の敵は今日の友、そして明日には敵となるイギリスに出兵を要請するほどの内戦へと突入します。
指導者が良くなると形勢逆転し、悪くなると駄目になっていく見本のような歴史ですが、両派の要請を受けて再上陸を果たしたイギリス軍が再びフランス領土を侵攻をするところから後半戦が始まります。というわけなので、続きは次回に。
2012年4月29日日曜日
他人の痛みに対する感度
一昨日に書いた「エスカレートしていく行為」の記事で重要なことを書き忘れていたので、補足としてもう一本記事を書きます。もっとも、今日ここで各テーマはエスカレート行為とはまたちょっと距離がある内容なので、こうして鼈甲を儲ける形というのがあながち正しいのかもしれません。
さて前回の記事で私は、いじめやしごきといった行為はしている加害者らが「自分たちも以前と同じ仕打ちを受けた」と思う、信じていながらも、実際には行為内容がエスカレートしていく可能性が高いという論を主張しました。この記事で書き忘れていた重要なことというのはこうしたしごきやいじめを実行する人間らの特徴のことで、概して「自分の痛みに敏感で、他人の痛みに鈍感な人間」が多いということです。
自分の痛みに鈍感というのは書いて文字のごとく、自分が不快に思ったり苦痛に感じる範囲が広かったり程度が大きい人間のことです。それこそ例を作るなら、コンビニに入ったところで店員が「いらっしゃいませ」と言い忘れたのを失礼だ、無礼だ、気分が悪くなると感じる人間もいればよくあることだと気にしない人間もいるでしょうが、この場合は前者の人間の方が痛みに敏感だと言えます。次に他人の痛みに敏感か鈍感かについてですが、これもそんなに難しいことではなく単純に、「何をしたら相手はどれほど辛いと感じるのか」という程度を感じ取る能力のことです。他人の遺体身に敏感であるということは「相手は傷つきやすい」と考えるのと同じことで、逆に鈍感であるということはちょっとやっそとつついたくらいは全く問題ないと考えることを指します。ちょっと変な説明の仕方ですが。
それで「自分の痛みに敏感で、他人の痛みに鈍感な人間」とはどんな人間かですが、説明するまでもないでしょうが自分が被った損害は過大に主張する一方で他人には同じことをしても平気だったり、他人が何にどんなことで苦しんでるかを理解できない人を指します。言うなれば主観が強い一方で客観を持たない人間で、こういってはなんですがあまり近くにいてもらいたくない人間です。
既に現時点でかなり身も蓋もない言い方をしておりますが、意外にこういう輩というものは世の中に数多くいるかと思います。それこそ前回の記事で紹介したように、「過去に自分が受けた仕打ちは後輩も受けるべきだ」という考えで同じ、もしくは自分が受けた以上の必要のないしごきをする人間などは典型で、相手の限界点とか不快度というものを無視していろいろ厄介ごとを押し付けてくる人間は私があれこれ言わなくとも誰もが出会ったことはあるでしょう。
これは友人の言ですが、「それが必要な苦労ならともかく、そもそもの話として自分が受けた苦しみをほかの人間も共有すべきだと考える人間は頭がおかしい」というように、私もこうした人間は可能な限り社会から排除しなければならないと考えています。以前に書いた「必要な苦労、余計な苦労」の記事中でも述べていますが、世の中には明らかにやらなくてもいいし省略できるにもかかわらず何故だかみんな伝統的に維持し、守り、伝えている苦労が数多いです。それこそその苦労の経験者なら不必要性がわかっているにもかかわらず、何故だかそうした苦労を率先して伝えていき、逆に必要な苦労を伝えていこうとしない場面を私も嫌というほど見ております。ひどい奴なんか、体験したことのない苦労をさも経験したかのように語って他人に押し付けるのもいましたが。
私は何もここで「他人の痛みに敏感になれ」というつもりはありません。過ぎたるは及ばざるが如しというように、他人の痛みに敏感過ぎると何事も人との接触を避けようとする人間になってしまう可能性もありますし、これはこれで問題があります。しかし全く他人の痛みを理解しようとしない、客観を持たない人間は百害あって一利なく、決して重要な地位とか仕事を任せてはいけません。一番いいのはまたも論語ですが中庸こと自分の痛みも他人の痛みも相応にわかる、もしくは渡辺淳一氏が主張する「鈍感力」こと自分の痛みにある程度鈍感で他人の痛みは理解するくらいがいいでしょう。
なお、たまに私は人を評価する際に、「あの人は一人称だね」と言うことがあります。この意味は主観しか持っていない、つまり客観の視点が足りなくてまさに今回の「他人の痛みがわからない人間」のことを指しております。これに対して「二人称」というのは、外からの見方しか持っていない人間で、バックボーンがないというか主体性を持っていない人間を指しています。となるとベストなのはやはり「三人称」で、自分を含め周囲を客観視することが出来て、その上で自分の目指す方向というか視点を持って意見を主張できる人間のことを指しており、宮沢賢治じゃないですけどこういう人間に私もなりたいです。
さて前回の記事で私は、いじめやしごきといった行為はしている加害者らが「自分たちも以前と同じ仕打ちを受けた」と思う、信じていながらも、実際には行為内容がエスカレートしていく可能性が高いという論を主張しました。この記事で書き忘れていた重要なことというのはこうしたしごきやいじめを実行する人間らの特徴のことで、概して「自分の痛みに敏感で、他人の痛みに鈍感な人間」が多いということです。
自分の痛みに鈍感というのは書いて文字のごとく、自分が不快に思ったり苦痛に感じる範囲が広かったり程度が大きい人間のことです。それこそ例を作るなら、コンビニに入ったところで店員が「いらっしゃいませ」と言い忘れたのを失礼だ、無礼だ、気分が悪くなると感じる人間もいればよくあることだと気にしない人間もいるでしょうが、この場合は前者の人間の方が痛みに敏感だと言えます。次に他人の痛みに敏感か鈍感かについてですが、これもそんなに難しいことではなく単純に、「何をしたら相手はどれほど辛いと感じるのか」という程度を感じ取る能力のことです。他人の遺体身に敏感であるということは「相手は傷つきやすい」と考えるのと同じことで、逆に鈍感であるということはちょっとやっそとつついたくらいは全く問題ないと考えることを指します。ちょっと変な説明の仕方ですが。
それで「自分の痛みに敏感で、他人の痛みに鈍感な人間」とはどんな人間かですが、説明するまでもないでしょうが自分が被った損害は過大に主張する一方で他人には同じことをしても平気だったり、他人が何にどんなことで苦しんでるかを理解できない人を指します。言うなれば主観が強い一方で客観を持たない人間で、こういってはなんですがあまり近くにいてもらいたくない人間です。
既に現時点でかなり身も蓋もない言い方をしておりますが、意外にこういう輩というものは世の中に数多くいるかと思います。それこそ前回の記事で紹介したように、「過去に自分が受けた仕打ちは後輩も受けるべきだ」という考えで同じ、もしくは自分が受けた以上の必要のないしごきをする人間などは典型で、相手の限界点とか不快度というものを無視していろいろ厄介ごとを押し付けてくる人間は私があれこれ言わなくとも誰もが出会ったことはあるでしょう。
これは友人の言ですが、「それが必要な苦労ならともかく、そもそもの話として自分が受けた苦しみをほかの人間も共有すべきだと考える人間は頭がおかしい」というように、私もこうした人間は可能な限り社会から排除しなければならないと考えています。以前に書いた「必要な苦労、余計な苦労」の記事中でも述べていますが、世の中には明らかにやらなくてもいいし省略できるにもかかわらず何故だかみんな伝統的に維持し、守り、伝えている苦労が数多いです。それこそその苦労の経験者なら不必要性がわかっているにもかかわらず、何故だかそうした苦労を率先して伝えていき、逆に必要な苦労を伝えていこうとしない場面を私も嫌というほど見ております。ひどい奴なんか、体験したことのない苦労をさも経験したかのように語って他人に押し付けるのもいましたが。
私は何もここで「他人の痛みに敏感になれ」というつもりはありません。過ぎたるは及ばざるが如しというように、他人の痛みに敏感過ぎると何事も人との接触を避けようとする人間になってしまう可能性もありますし、これはこれで問題があります。しかし全く他人の痛みを理解しようとしない、客観を持たない人間は百害あって一利なく、決して重要な地位とか仕事を任せてはいけません。一番いいのはまたも論語ですが中庸こと自分の痛みも他人の痛みも相応にわかる、もしくは渡辺淳一氏が主張する「鈍感力」こと自分の痛みにある程度鈍感で他人の痛みは理解するくらいがいいでしょう。
なお、たまに私は人を評価する際に、「あの人は一人称だね」と言うことがあります。この意味は主観しか持っていない、つまり客観の視点が足りなくてまさに今回の「他人の痛みがわからない人間」のことを指しております。これに対して「二人称」というのは、外からの見方しか持っていない人間で、バックボーンがないというか主体性を持っていない人間を指しています。となるとベストなのはやはり「三人称」で、自分を含め周囲を客観視することが出来て、その上で自分の目指す方向というか視点を持って意見を主張できる人間のことを指しており、宮沢賢治じゃないですけどこういう人間に私もなりたいです。
2012年4月28日土曜日
ニュース雑感
また本題と関係ない話ですが、先日に誕生日を迎えまた一つ年齢を重ねました。別に年齢が気になるわけではありませんし誰かに祝ってもらったということもありませんでしたが、昔の学生時代、誕生日に突然友人が現れて、「今日誕生日だろ、はいこれ」といって、何故か赤ワインを受け取ったことがありました。友人曰く「これでステーキを焼くとうまい」(実際に後日それでステーキ焼いた)とのことでしたが、普段からけち臭い友人だっただけに内容といい二重の意味で驚きました。
話は本題に入りますが、先日にわざわざ記事にしてまで批判した産経新聞ですが、妙な論説や評論が多いと感じる一方で下記の特集は非常に気に入っててよく読んでます。
・衝撃事件の核心(産経新聞)
上記リンク先の「衝撃事件の核心」は毎週産経新聞で組まれている地面物の特集なのですが、非常に構成が良いだけでなく事件の顛末から拝啓、そして結末までを一つにまとめていて単純に読み物としても面白いです。その上で世の中に問題性を訴える社会性も高く、文句なしにほかの人にも読んでもらいたい特集記事です。何気に、事件物の報道というものは事件が起きた当初こそ大きく取り上げられるもののその後はしりすぼみとなって結局最後はどうなったのかわからない話も数多いです。そういう中でこの特集は比較的長期間にわたって取材している記事も多いだけに貴重な存在です。
・中国のゼラチンは革靴製、そして業者は大儲け(ゆかしメディア)
上記リンク先の記事は今週初めからしばらく中国各紙で一面を飾った毒カプセル問題の記事です。このニュースはあまり周囲の反応が良くなかったものの絶対に取り上げた方がいいと判断して半ば強引に私がうちの紙面にも載せましたが、結論としてはやっぱり入れて正解だった気がします。
内容を簡単に説明すると、中国のゼラチンメーカーがまたも安くであげようと廃棄物(革靴)からゼラチンカプセルを作ってたのですが、このカプセルに人体にとって非常に有害なクロムが含まれていたと中国当局が発表したというわけです。大損ぶっこいたのは毒カプセルを調達していた製薬メーカーで、事件が発覚するや大手中国製薬メーカー各社はすぐに謝罪会見を開いた上で自主回収を始めましたが、風邪薬など一般的な薬にも使われていたようで全回収はほぼ不可能と見られています。また回収費用も膨大な額に上るとみられており、すでに数字が出ているところで10億円単位、大きいところでは100億円単位の損失となるという予測も出ています。
またこの毒カプセル事件に隠れてでしたが、中国限定でリプトンのティーバッグに中国で使用が禁止されている農薬が残留しているという報道が木曜日にありました。この記事はうちの紙面には載せませんでしたが、これは中国当局の発表ではなく「某環境団体」の発表となっており、非常に信憑性が怪しい物でした。リプトン側も、「中国で販売しているティーバッグは日本や欧米で販売しているものと同じだ!」と主張して妙な農薬とか入っていないと主張しています。詳しい検査結果などは見ていませんがこれは恐らくリプトン側が正しいと私は判断してますが、中国でも妙な環境保護団体がはびこる時代になったのかと変な感慨を覚えました。
話は本題に入りますが、先日にわざわざ記事にしてまで批判した産経新聞ですが、妙な論説や評論が多いと感じる一方で下記の特集は非常に気に入っててよく読んでます。
・衝撃事件の核心(産経新聞)
上記リンク先の「衝撃事件の核心」は毎週産経新聞で組まれている地面物の特集なのですが、非常に構成が良いだけでなく事件の顛末から拝啓、そして結末までを一つにまとめていて単純に読み物としても面白いです。その上で世の中に問題性を訴える社会性も高く、文句なしにほかの人にも読んでもらいたい特集記事です。何気に、事件物の報道というものは事件が起きた当初こそ大きく取り上げられるもののその後はしりすぼみとなって結局最後はどうなったのかわからない話も数多いです。そういう中でこの特集は比較的長期間にわたって取材している記事も多いだけに貴重な存在です。
・中国のゼラチンは革靴製、そして業者は大儲け(ゆかしメディア)
上記リンク先の記事は今週初めからしばらく中国各紙で一面を飾った毒カプセル問題の記事です。このニュースはあまり周囲の反応が良くなかったものの絶対に取り上げた方がいいと判断して半ば強引に私がうちの紙面にも載せましたが、結論としてはやっぱり入れて正解だった気がします。
内容を簡単に説明すると、中国のゼラチンメーカーがまたも安くであげようと廃棄物(革靴)からゼラチンカプセルを作ってたのですが、このカプセルに人体にとって非常に有害なクロムが含まれていたと中国当局が発表したというわけです。大損ぶっこいたのは毒カプセルを調達していた製薬メーカーで、事件が発覚するや大手中国製薬メーカー各社はすぐに謝罪会見を開いた上で自主回収を始めましたが、風邪薬など一般的な薬にも使われていたようで全回収はほぼ不可能と見られています。また回収費用も膨大な額に上るとみられており、すでに数字が出ているところで10億円単位、大きいところでは100億円単位の損失となるという予測も出ています。
またこの毒カプセル事件に隠れてでしたが、中国限定でリプトンのティーバッグに中国で使用が禁止されている農薬が残留しているという報道が木曜日にありました。この記事はうちの紙面には載せませんでしたが、これは中国当局の発表ではなく「某環境団体」の発表となっており、非常に信憑性が怪しい物でした。リプトン側も、「中国で販売しているティーバッグは日本や欧米で販売しているものと同じだ!」と主張して妙な農薬とか入っていないと主張しています。詳しい検査結果などは見ていませんがこれは恐らくリプトン側が正しいと私は判断してますが、中国でも妙な環境保護団体がはびこる時代になったのかと変な感慨を覚えました。
2012年4月27日金曜日
エスカレートしていく行為について
・農大ワンゲル部死のしごき事件(オワリナキアクム)
上記リンク先の記事はかなり古い(1965年)ですが、今も昔も変わらずというか体育会系部活動による死亡事件を紹介したものです。内容を簡単に説明すると、当時の農業大学ワンゲル部である新入生に対して猛烈なしごきが行われた挙句、最終的に死に至らしめたというものなのですが、この記事で私がどこに注目したのかというと事件発生後にある部員が言った、「自分たちも1年のときから同じ訓練を受けてきた」というセリフです。今日はちょっとこのセリフを出発点に、エスカレートしていく行為と現象について考察しようと思います。
この農大ワンゲル部のケースに限らず、恐らくほとんどの体育会とか運動部では、「俺たちも下級生の頃は同じことされた」もしくは「俺たちの頃はこんなもんじゃなかった」というセリフが4月か5月ごろに飛び交っているかと思います。意味としてはわざわざ説明する必要があるか悩みますが、「自分たちだってされたんだからこれくらいやってもいい」とか、正当化するのなら「ああいうことをされたおかげで今の俺たちがあるんだから、これは悪い行為じゃない」といってパシリとか理不尽な暴力とか、運動技術や体力訓練とは程遠く無関係な行為が横行しているのでしょう。ちょっと厭味ったらしく名前を挙げると、青森山田の野球部なんかはどうだったのか詳しく内実を聞いてみたいものです。
こうした運動部などで繰り広げられるしごきについて私は前々から、本当に過去に受けた同じ行為を下級生へ行っているのかという疑問を持っていました。というのも小学生の頃によくうちの姉貴や友達と遊んでて強くぶつかったり、罰ゲームを受けた際に、「今少し痛すぎたからこれお返しね」といって反対に叩き直した後、「最初に叩いたのより今のがもっと痛かった」といってまた逆に叩き直し……というのがエンドレスで続くことがよくあり、過去に受けたしごきと今与えているしごきが同じものかと数値的な根拠なしに果たして言い切れるものか、もしかしたら本人らが気づいていないだけで年々しごきがエスカレートしているのではと思う節があるからです。
最初の農大の事件についていえば、少なくとも言えることは過去に表立った死者は出ていなかったという点です。過去にいなかった死者が出たということは紛れもなくエスカレートしていると言え、人によっては「死んだ新入生の体がそれまでの部員より弱かったからではないか」というかも知れませんが、リンク先の記事で「背中には直径15cmぐらいのえぐれた外傷があり」と書かれている一点を見る限りだと体が強いとか弱いとかいうものじゃなく、やはり行為そのものに問題があったと私は思います。
話は行為のエスカレートに戻りますが、では一体何故エスカレートするのでしょうか。検証なしでいいのであればいくらでも仮説は挙げられますが、まず思いつくのだと過去に受けた鬱憤というか復讐心が一つの原因ではないかという気がします。それこそ一年生の頃には散々こき使われたから、上級生になったら思う存分下級生をこき使ってやろうという具合に、たまった鬱憤が過去に受けた行為の再現、下手すりゃそれ以上の行為に踏み切らせる動機となり得るのではと言われれば私はなんか納得してしまいます。
またこれは哲学科にいた友人が、「人間には恐怖する、畏怖する対象になり替わりたいとする欲求がある」ということを過去に言ってました。友人が使った例は暴力的な父親に虐待を受けていたある男性が、成人してその父親が死ぬや、嫌っていたにもかかわらず父親そっくりの振る舞いを取るようになったという話でしたが、なんでも地震を抑圧する力を逆に得ようと考えるところが多かれ少なかれ人間にあるそうで、これもなんとなく納得できる話です。
もう一つ行為がエスカレートする原因として考えられるのは、単純に慣れじゃないかともいます。これの代表格はエスカレートしていく行為でも代表的ないじめで、伝え聞く限りだと大半のいじめのきっかけは教師による授業中のからかいなどほんの些細なものからだそうです。そうした些細な行為が、「こんなことしても相手は怒らない」と考える良からぬ人間によって、「次はこうしてみよう」とどんどん過激化していくのがいじめの実態だと思いますし、実際にそのような過程を私も目撃してます。いきなり過激な加害行為から始める人間もいないわけではないでしょうが、先ほどのしごきのように過去に行為を受けることで悪い意味で慣れが生まれていくのだと思います。
上記のような考え方から私は他人に対して、「俺は前にこんなことされた」とか「俺の時の苦労はこんなもんじゃなかった」などという理由付けは一切しないようにしております。自分が受けた行為が今やっている行為と同等のレベルであるかなんてわかるわけなく、自分の基準で物事を測れると勘違いするような人間にはなってはならないと肝に銘じています。もっともそのかわりに他人に作業を指示する時によく、「俺でもできたんだから、きっと君にもできるはずだ(*´∀`)ノ 」などと言って余計なプレッシャーを与えることは多いのですが。
あと蛇足かもしれませんがよく自分のような比較的若い世代は上の世代から先程の、「俺がお前くらいの頃の苦労はこんなもんじゃなかった」と言われることが誰もがあると思います。もちろん自分の感覚基準で物言ってはいけないとは思うのですが、それこそ年収や昇給カーブが10年前や20年前から格段に落ちていることに加え就職氷河期が続いており、挙句に残業代なんて中小企業だとどこも払わないのが当たり前でブラック企業も平気で上場できる上に、コンプライアンスが重くなったりグローバル化で競争が激しくなったことを考えると、何を根拠にそんなこと言うんだと聞くたびに(# ゚Д゚) ムッ!っとしてしまいます。この自分の意見に対してうちの親父は比較的受け入れてくれていて、「俺らが若い頃は、何もしなくても売り上げ伸びてたしな……」と言ってくれます。ただそんな親父も、
私「うちの会社の人がこの前、団塊の連中は上から指示するだけで自分じゃ何もできねぇんだよ、って言ってたで」
親父「その通りや!」
とすごい速さで即答してたので、多分苦労してたんだろうという気がします。
上記リンク先の記事はかなり古い(1965年)ですが、今も昔も変わらずというか体育会系部活動による死亡事件を紹介したものです。内容を簡単に説明すると、当時の農業大学ワンゲル部である新入生に対して猛烈なしごきが行われた挙句、最終的に死に至らしめたというものなのですが、この記事で私がどこに注目したのかというと事件発生後にある部員が言った、「自分たちも1年のときから同じ訓練を受けてきた」というセリフです。今日はちょっとこのセリフを出発点に、エスカレートしていく行為と現象について考察しようと思います。
この農大ワンゲル部のケースに限らず、恐らくほとんどの体育会とか運動部では、「俺たちも下級生の頃は同じことされた」もしくは「俺たちの頃はこんなもんじゃなかった」というセリフが4月か5月ごろに飛び交っているかと思います。意味としてはわざわざ説明する必要があるか悩みますが、「自分たちだってされたんだからこれくらいやってもいい」とか、正当化するのなら「ああいうことをされたおかげで今の俺たちがあるんだから、これは悪い行為じゃない」といってパシリとか理不尽な暴力とか、運動技術や体力訓練とは程遠く無関係な行為が横行しているのでしょう。ちょっと厭味ったらしく名前を挙げると、青森山田の野球部なんかはどうだったのか詳しく内実を聞いてみたいものです。
こうした運動部などで繰り広げられるしごきについて私は前々から、本当に過去に受けた同じ行為を下級生へ行っているのかという疑問を持っていました。というのも小学生の頃によくうちの姉貴や友達と遊んでて強くぶつかったり、罰ゲームを受けた際に、「今少し痛すぎたからこれお返しね」といって反対に叩き直した後、「最初に叩いたのより今のがもっと痛かった」といってまた逆に叩き直し……というのがエンドレスで続くことがよくあり、過去に受けたしごきと今与えているしごきが同じものかと数値的な根拠なしに果たして言い切れるものか、もしかしたら本人らが気づいていないだけで年々しごきがエスカレートしているのではと思う節があるからです。
最初の農大の事件についていえば、少なくとも言えることは過去に表立った死者は出ていなかったという点です。過去にいなかった死者が出たということは紛れもなくエスカレートしていると言え、人によっては「死んだ新入生の体がそれまでの部員より弱かったからではないか」というかも知れませんが、リンク先の記事で「背中には直径15cmぐらいのえぐれた外傷があり」と書かれている一点を見る限りだと体が強いとか弱いとかいうものじゃなく、やはり行為そのものに問題があったと私は思います。
話は行為のエスカレートに戻りますが、では一体何故エスカレートするのでしょうか。検証なしでいいのであればいくらでも仮説は挙げられますが、まず思いつくのだと過去に受けた鬱憤というか復讐心が一つの原因ではないかという気がします。それこそ一年生の頃には散々こき使われたから、上級生になったら思う存分下級生をこき使ってやろうという具合に、たまった鬱憤が過去に受けた行為の再現、下手すりゃそれ以上の行為に踏み切らせる動機となり得るのではと言われれば私はなんか納得してしまいます。
またこれは哲学科にいた友人が、「人間には恐怖する、畏怖する対象になり替わりたいとする欲求がある」ということを過去に言ってました。友人が使った例は暴力的な父親に虐待を受けていたある男性が、成人してその父親が死ぬや、嫌っていたにもかかわらず父親そっくりの振る舞いを取るようになったという話でしたが、なんでも地震を抑圧する力を逆に得ようと考えるところが多かれ少なかれ人間にあるそうで、これもなんとなく納得できる話です。
もう一つ行為がエスカレートする原因として考えられるのは、単純に慣れじゃないかともいます。これの代表格はエスカレートしていく行為でも代表的ないじめで、伝え聞く限りだと大半のいじめのきっかけは教師による授業中のからかいなどほんの些細なものからだそうです。そうした些細な行為が、「こんなことしても相手は怒らない」と考える良からぬ人間によって、「次はこうしてみよう」とどんどん過激化していくのがいじめの実態だと思いますし、実際にそのような過程を私も目撃してます。いきなり過激な加害行為から始める人間もいないわけではないでしょうが、先ほどのしごきのように過去に行為を受けることで悪い意味で慣れが生まれていくのだと思います。
上記のような考え方から私は他人に対して、「俺は前にこんなことされた」とか「俺の時の苦労はこんなもんじゃなかった」などという理由付けは一切しないようにしております。自分が受けた行為が今やっている行為と同等のレベルであるかなんてわかるわけなく、自分の基準で物事を測れると勘違いするような人間にはなってはならないと肝に銘じています。もっともそのかわりに他人に作業を指示する時によく、「俺でもできたんだから、きっと君にもできるはずだ(*´∀`)ノ 」などと言って余計なプレッシャーを与えることは多いのですが。
あと蛇足かもしれませんがよく自分のような比較的若い世代は上の世代から先程の、「俺がお前くらいの頃の苦労はこんなもんじゃなかった」と言われることが誰もがあると思います。もちろん自分の感覚基準で物言ってはいけないとは思うのですが、それこそ年収や昇給カーブが10年前や20年前から格段に落ちていることに加え就職氷河期が続いており、挙句に残業代なんて中小企業だとどこも払わないのが当たり前でブラック企業も平気で上場できる上に、コンプライアンスが重くなったりグローバル化で競争が激しくなったことを考えると、何を根拠にそんなこと言うんだと聞くたびに(# ゚Д゚) ムッ!っとしてしまいます。この自分の意見に対してうちの親父は比較的受け入れてくれていて、「俺らが若い頃は、何もしなくても売り上げ伸びてたしな……」と言ってくれます。ただそんな親父も、
私「うちの会社の人がこの前、団塊の連中は上から指示するだけで自分じゃ何もできねぇんだよ、って言ってたで」
親父「その通りや!」
とすごい速さで即答してたので、多分苦労してたんだろうという気がします。
2012年4月26日木曜日
小沢一郎の無罪判決について
・小沢元代表に無罪判決、東京地裁 陸山会事件(日経新聞)
すでに各所で報じられている通りに政治収支報告書の虚偽記載容疑において本日、小沢一郎に無罪判決がおりました。今回の判決に対する私の感想はというと、至極真っ当な判決だと思います。その上で付け加えるなら、小沢はシロだというわけではありませんが、検察特捜の捜査は明らかなクロと言えるくらいに杜撰で呆けたものだったというのが今回の裁判でしょう。
起訴容疑となったそもそもの陸山会の収支報告書の問題については細かく語りませんが、今回の問題で一番おかしな点はその容疑以上に、検察の姿勢というかバカみたいな捜査手法でしょう。まず今回の無罪判決の根拠としても挙げられた虚偽の捜査報告書ですが、言ってもないことや現実にないことを勝手に書き立てていざ矛盾点を指摘されると「実は嘘でした」なんて言っててへぺろで済むと、どうやら特捜は本気で信じてるんじゃないかと思うくらいにいちいち呆れてきます。更に小沢の元秘書で事件に関わった石川知裕議員についても実際には証言していない内容を供述調書に盛り込んでいたとも言いますし、小沢を捕まえるくらいなら身内で不正している人間を捕まえてポイント稼げよと言いたくなる低能ぶりです。
そして極めつけが、障害者郵便制度悪用事件における厚生省の村木さんの裁判で証拠を偽造して実刑を受けている前田恒彦元検事がこの小沢の事件でも捜査に関わっており、この一点を取っても無罪判決にしたっていいんじゃないかとすら私は思えますし、判決前からそう周りに言ってました。言ってはなんですが証拠偽造するような常識はずれの人間が捜査に関わってたというのなら、「今回はどれだけ偽造したんだ?」と部外者の自分ですら言いたくなります。
以上のような観点から今回の裁判所の判決は合理的だと思い、私も支持します。ただだからと言って小沢の疑惑というか問題性はないとは言えず、というか政党助成金の着服の件はどうしてテレビ、新聞メディアはスルーしているのかが気になります。恐らくこれで有罪になったらほかにもお縄に着く人間が大量に出てくるからだと思いますが、もう少しこの点に踏み込んだ報道があってもらいたいものです。
すでに各所で報じられている通りに政治収支報告書の虚偽記載容疑において本日、小沢一郎に無罪判決がおりました。今回の判決に対する私の感想はというと、至極真っ当な判決だと思います。その上で付け加えるなら、小沢はシロだというわけではありませんが、検察特捜の捜査は明らかなクロと言えるくらいに杜撰で呆けたものだったというのが今回の裁判でしょう。
起訴容疑となったそもそもの陸山会の収支報告書の問題については細かく語りませんが、今回の問題で一番おかしな点はその容疑以上に、検察の姿勢というかバカみたいな捜査手法でしょう。まず今回の無罪判決の根拠としても挙げられた虚偽の捜査報告書ですが、言ってもないことや現実にないことを勝手に書き立てていざ矛盾点を指摘されると「実は嘘でした」なんて言っててへぺろで済むと、どうやら特捜は本気で信じてるんじゃないかと思うくらいにいちいち呆れてきます。更に小沢の元秘書で事件に関わった石川知裕議員についても実際には証言していない内容を供述調書に盛り込んでいたとも言いますし、小沢を捕まえるくらいなら身内で不正している人間を捕まえてポイント稼げよと言いたくなる低能ぶりです。
そして極めつけが、障害者郵便制度悪用事件における厚生省の村木さんの裁判で証拠を偽造して実刑を受けている前田恒彦元検事がこの小沢の事件でも捜査に関わっており、この一点を取っても無罪判決にしたっていいんじゃないかとすら私は思えますし、判決前からそう周りに言ってました。言ってはなんですが証拠偽造するような常識はずれの人間が捜査に関わってたというのなら、「今回はどれだけ偽造したんだ?」と部外者の自分ですら言いたくなります。
以上のような観点から今回の裁判所の判決は合理的だと思い、私も支持します。ただだからと言って小沢の疑惑というか問題性はないとは言えず、というか政党助成金の着服の件はどうしてテレビ、新聞メディアはスルーしているのかが気になります。恐らくこれで有罪になったらほかにもお縄に着く人間が大量に出てくるからだと思いますが、もう少しこの点に踏み込んだ報道があってもらいたいものです。
2012年4月24日火曜日
中国を見くびる日本人
かなり古い話になりますが、以前に中国が禿山に緑のペンキをかけて植物があるように見せかけようとしたという一件をあるメディアが報じ、「これだから中国は」といった具合に、呆れた行為だというような論評が各所で飛び回りました。そういった論評を見て私が感じたのは、「日本もしてるのにな」という感想でした。
さすがに禿げ山にペンキかけるというところまでやってるかは知りませんが、日本のゴルフ場では秋から冬にかけてペンキを散布し、緑色に保つという行為が一般的に行われると言います。またこれ以外にも景観維持のために自然に塗装を行うということはよくあると聞き、規模はともかくとして中国だけを笑うというのは何かおかしな印象を受けました。
このニュースに限らず、日本初の中国ニュースにはどこか「中国は劣っている」という前提で冷笑するかのような報道が目立ちます。確かに中国は日本と比べると文化レベルが明らかに低いと私も断言できますが、だからと言って侮るべきかと言ったらそれはまた違うように感じますし、見習うべき点は見習うべきで実際にそういうところも数多くあります。
ひとつ例を挙げると、中国では道を走る車がしょっちゅうクラクションを鳴らしており、私も来た当初は一回一回ドライバーをにらんだりしていましたが、慣れてしまった今となると視界のない後方から鳴らしてもらった時は対応がしやすくなり重宝しています。そもそも考えてみればクラクションは音で鳴らして相手に注意するための装置で、一回鳴らしたくらいでケンカにまで発展しかねない日本の価値観の方が安全上で問題ではないかというように考え直しております。
いったい何故こんな話を今日しようかと思ったのは、西安市で道路が突然陥没して人が落ちたというニュースが今日流れ、また「これだから中国は」という論評が掲示板を中心にあちこちで見られたからです。私は陥没事件というと兵庫県明石市の大蔵海岸で起きた陥没事故を真っ先に思い出したのですが、日本でも同じような事故が過去に起きたことを考えると決して他山の石にすべき、ましてや冷笑するニュースにしてはならないと思います。
真面目な話、本気で中国に対抗しようというのなら侮るという行為は一切しない方がいいでしょう。過剰に懸念し過ぎるのも問題ですが、いつでも全力で叩き潰すくらいの気概を持って相手ことこそが必要な態度かと思います。
さすがに禿げ山にペンキかけるというところまでやってるかは知りませんが、日本のゴルフ場では秋から冬にかけてペンキを散布し、緑色に保つという行為が一般的に行われると言います。またこれ以外にも景観維持のために自然に塗装を行うということはよくあると聞き、規模はともかくとして中国だけを笑うというのは何かおかしな印象を受けました。
このニュースに限らず、日本初の中国ニュースにはどこか「中国は劣っている」という前提で冷笑するかのような報道が目立ちます。確かに中国は日本と比べると文化レベルが明らかに低いと私も断言できますが、だからと言って侮るべきかと言ったらそれはまた違うように感じますし、見習うべき点は見習うべきで実際にそういうところも数多くあります。
ひとつ例を挙げると、中国では道を走る車がしょっちゅうクラクションを鳴らしており、私も来た当初は一回一回ドライバーをにらんだりしていましたが、慣れてしまった今となると視界のない後方から鳴らしてもらった時は対応がしやすくなり重宝しています。そもそも考えてみればクラクションは音で鳴らして相手に注意するための装置で、一回鳴らしたくらいでケンカにまで発展しかねない日本の価値観の方が安全上で問題ではないかというように考え直しております。
いったい何故こんな話を今日しようかと思ったのは、西安市で道路が突然陥没して人が落ちたというニュースが今日流れ、また「これだから中国は」という論評が掲示板を中心にあちこちで見られたからです。私は陥没事件というと兵庫県明石市の大蔵海岸で起きた陥没事故を真っ先に思い出したのですが、日本でも同じような事故が過去に起きたことを考えると決して他山の石にすべき、ましてや冷笑するニュースにしてはならないと思います。
真面目な話、本気で中国に対抗しようというのなら侮るという行為は一切しない方がいいでしょう。過剰に懸念し過ぎるのも問題ですが、いつでも全力で叩き潰すくらいの気概を持って相手ことこそが必要な態度かと思います。
隣の屋根の上
今日はリアルに帰宅時間が11時となるなどやけに遅かったので、短いネタを一本です。
先日、会社でいつも通りに仕事していたら営業部の同僚より、「今すぐ窓の外を見ろ!」と内線電話がかかってきました。で、言われた通りに窓の外を見たら、

※クリックすると大きな画像で開きます
隣の屋根の上で親猫が子猫に授乳させてました。このところこの猫の親子はうちの事務所周辺を徘徊していてよく見かけるのですが、なんていうか家族仲がいい猫です。

こっちの写真だと親猫がモロにカメラ目線。どうでもいいですが、これらの写真は会社の取材用カメラで撮影しており、これでもトリミングしているのですが解像度が半端じゃなくてやけにでかい画像になってます。素人でもこんな写真撮れるんだから、最近のカメラ性能の向上は侮れない。
先日、会社でいつも通りに仕事していたら営業部の同僚より、「今すぐ窓の外を見ろ!」と内線電話がかかってきました。で、言われた通りに窓の外を見たら、
※クリックすると大きな画像で開きます
隣の屋根の上で親猫が子猫に授乳させてました。このところこの猫の親子はうちの事務所周辺を徘徊していてよく見かけるのですが、なんていうか家族仲がいい猫です。
こっちの写真だと親猫がモロにカメラ目線。どうでもいいですが、これらの写真は会社の取材用カメラで撮影しており、これでもトリミングしているのですが解像度が半端じゃなくてやけにでかい画像になってます。素人でもこんな写真撮れるんだから、最近のカメラ性能の向上は侮れない。
2012年4月22日日曜日
ベアリング業界のカルテル事件について
最近あまり取り上げてませんでしたが、またベアリング業界でカルテルが発覚したそうです。
・カルテル破り、他社へ謝罪も…ベアリング4社(読売新聞)
今回のこのベアリングメーカー四社のカルテル事件ですが、驚いたことと不思議に感じなかったことがそれぞれ一点ずつあります。まず驚いたことというのは、今回のカルテルに関わった日本精工とかNTNはそれこそ優良企業の見本とされているところで、高い技術力に裏打ちされた製品を作っていて世界的にも顧客をたくさん抱えているにも関わらずこういう小細工をしていたという事実です。次に不思議に感じなかった点ですが、ちょうどこの前にも住友電工や矢崎といったハーネスメーカーで同じようにカルテルが発覚しましたが、このハーネスといい今回のベアリングも自動車部品メーカーで、案外自動車部品に関連する業界ではどこも似たようなことをしているんじゃないかという疑いを前々から感じていたからです。
実はこれまで私が関わっていた業界は高圧ガス、ハーネスと、二つともサプライヤーとなる大メーカーでカルテルが発覚した業界でした。もちろん在籍時は下っ端も下っ端で価格交渉に立ち会うことはありませんが、仮にそういう立場にいたとしたら「これまで散々にカルテルで不正に儲けてきたんだから、これからどれだけ負けてくれるんだ」と値下げを要求したと思います。もちろんこれは極端な行動でしょうが、現実問題としてこれらカルテルを行ってきた企業らはそういった卸価格の一律引き下げとかを要求したっていい気がします。
しかも今回のベアリングメーカーのカルテルでは上記リンク先の記事によると、勝手にカルテルを破って値下げを実行したらほかの3社に担当者が謝りに行ってたり、支店長レベルでカルテル価格の共有化が行われたというのだから怒りを通り越して呆れて来ます。何気に日本精工からもNTNからもベアリングを小ロットだけど買ったことがあるだけに、金返せよと言いたくなってきます。
話は戻ってカルテルの話ですが、どうも自動車の素材や部材業界では発覚している所以外でもこうしたカルテルが横行しているんじゃないかという気がしてなりません。法学部出身の友人によると、「うちは来月、値上げに踏み切ろうかな」というセリフを同業他社の担当者に洩らすだけでカルテル訴追の条件は満たすらしいですが、疑り深いだけかもしれませんがこれ以上の情報遅漏もなんかごく平然と行われているようになんかあの業界は見えてきます。
以前にも書きましたが、住友電工の自動車用ハーネスの販売価格はエンドユーザーとなる自動車メーカーごとに初めから決まっており、エンドユーザー名を必ず伝えなければ住友電工は一切見積もりを出してきません。そりゃ大半の商品が国から輸出規制該当品に指定されているポンプメーカーのアルバックが輸出案件の際にエンドユーザーを細かく確認するというのは十分理解できる話ですし、購買側も協力しなければならないとは思いますが、あのハーネス業界の体質は冷静に考えたら価格を完全に統制しているし、そもそもなんでメーカーごとに決まっているんだと考えだしたらそりゃカルテルがあるからだとしか言いようがありません。きわどいことを書いてしまうと、既にハーネスメーカーは一回しょっ引かれていますが懲りずにまだ続けていると私は思います。
疑いだしたら本当に切りがないですが、自動車業界のサプライチェーンというのは変に横に広い一方、複数の自動車メーカーが一つの部品メーカーに同時に発注を出すとかそういったことが多い業界です。さらに言えば自動車メーカーの号令一下で値下げを強要されることもあり、何か取りまとめしている大メーカーがあってもおかしくないんじゃないかという気がします。
予言しますが多分、自動車関連の業界で今後もこうしたカルテル事件は摘発されると思います。前に談合をしていた建設業界の連中は、「談合しなければ企業は生き残れない」と言って、必要悪だという主張をする人が公然といましたが、競争に負けた企業が潰れるのは自然なことで、逆に潰れるべき企業が潰れなければ真っ当に経営していて効率性の高い企業が割を食う可能性があります。こんなこと言われなきゃわからない人間とは一言たりとも口を交わしたくありませが、はっきり言えば談合なりカルテルは市場を歪めるだけの行為であって百害あって一利なく、弁護する余地はありません。特に今は不景気で潰せる企業があるなら可能な限り早くに潰れてもらった方がいいという面もあり、公正取引委員会の今後の活動に期待します。
・カルテル破り、他社へ謝罪も…ベアリング4社(読売新聞)
今回のこのベアリングメーカー四社のカルテル事件ですが、驚いたことと不思議に感じなかったことがそれぞれ一点ずつあります。まず驚いたことというのは、今回のカルテルに関わった日本精工とかNTNはそれこそ優良企業の見本とされているところで、高い技術力に裏打ちされた製品を作っていて世界的にも顧客をたくさん抱えているにも関わらずこういう小細工をしていたという事実です。次に不思議に感じなかった点ですが、ちょうどこの前にも住友電工や矢崎といったハーネスメーカーで同じようにカルテルが発覚しましたが、このハーネスといい今回のベアリングも自動車部品メーカーで、案外自動車部品に関連する業界ではどこも似たようなことをしているんじゃないかという疑いを前々から感じていたからです。
実はこれまで私が関わっていた業界は高圧ガス、ハーネスと、二つともサプライヤーとなる大メーカーでカルテルが発覚した業界でした。もちろん在籍時は下っ端も下っ端で価格交渉に立ち会うことはありませんが、仮にそういう立場にいたとしたら「これまで散々にカルテルで不正に儲けてきたんだから、これからどれだけ負けてくれるんだ」と値下げを要求したと思います。もちろんこれは極端な行動でしょうが、現実問題としてこれらカルテルを行ってきた企業らはそういった卸価格の一律引き下げとかを要求したっていい気がします。
しかも今回のベアリングメーカーのカルテルでは上記リンク先の記事によると、勝手にカルテルを破って値下げを実行したらほかの3社に担当者が謝りに行ってたり、支店長レベルでカルテル価格の共有化が行われたというのだから怒りを通り越して呆れて来ます。何気に日本精工からもNTNからもベアリングを小ロットだけど買ったことがあるだけに、金返せよと言いたくなってきます。
話は戻ってカルテルの話ですが、どうも自動車の素材や部材業界では発覚している所以外でもこうしたカルテルが横行しているんじゃないかという気がしてなりません。法学部出身の友人によると、「うちは来月、値上げに踏み切ろうかな」というセリフを同業他社の担当者に洩らすだけでカルテル訴追の条件は満たすらしいですが、疑り深いだけかもしれませんがこれ以上の情報遅漏もなんかごく平然と行われているようになんかあの業界は見えてきます。
以前にも書きましたが、住友電工の自動車用ハーネスの販売価格はエンドユーザーとなる自動車メーカーごとに初めから決まっており、エンドユーザー名を必ず伝えなければ住友電工は一切見積もりを出してきません。そりゃ大半の商品が国から輸出規制該当品に指定されているポンプメーカーのアルバックが輸出案件の際にエンドユーザーを細かく確認するというのは十分理解できる話ですし、購買側も協力しなければならないとは思いますが、あのハーネス業界の体質は冷静に考えたら価格を完全に統制しているし、そもそもなんでメーカーごとに決まっているんだと考えだしたらそりゃカルテルがあるからだとしか言いようがありません。きわどいことを書いてしまうと、既にハーネスメーカーは一回しょっ引かれていますが懲りずにまだ続けていると私は思います。
疑いだしたら本当に切りがないですが、自動車業界のサプライチェーンというのは変に横に広い一方、複数の自動車メーカーが一つの部品メーカーに同時に発注を出すとかそういったことが多い業界です。さらに言えば自動車メーカーの号令一下で値下げを強要されることもあり、何か取りまとめしている大メーカーがあってもおかしくないんじゃないかという気がします。
予言しますが多分、自動車関連の業界で今後もこうしたカルテル事件は摘発されると思います。前に談合をしていた建設業界の連中は、「談合しなければ企業は生き残れない」と言って、必要悪だという主張をする人が公然といましたが、競争に負けた企業が潰れるのは自然なことで、逆に潰れるべき企業が潰れなければ真っ当に経営していて効率性の高い企業が割を食う可能性があります。こんなこと言われなきゃわからない人間とは一言たりとも口を交わしたくありませが、はっきり言えば談合なりカルテルは市場を歪めるだけの行為であって百害あって一利なく、弁護する余地はありません。特に今は不景気で潰せる企業があるなら可能な限り早くに潰れてもらった方がいいという面もあり、公正取引委員会の今後の活動に期待します。
2012年4月21日土曜日
真に国会から追い出すべき政治家
・【2閣僚問責】前田国交相と田中防衛相が続投を表明「責任を果たしたい」(産経新聞)
本日、公選法違反の疑いある行為を行った前田国交相と北朝鮮のミサイル対応を含めてどうもパッとしない田中防衛相に対し、野党から問責決議版画提出されて可決されました。この問責に対する私の評価というのは、シャレや冗談とか一切抜きでこんな問責決議案を出した野党はギャグでやっているんじゃないかという気が起きます。一体何故このタイミングで提出するのか、何故こんな小物に提出するのかが全く理解できませんし、可決したとはいえ問題の二閣僚は評価こそしていませんが辞める必要はないと思います。何故こう考えるのかというと去年12月に「本当に問責を出すべき相手」の記事で書いたように、鳩山由紀夫元首相を野党がスルーしているという一点に尽きます。
言いたいことは基本的に以前の記事と同じですが、私は今回問責が提出された二閣僚は確かに大臣を務められる人材かと問われるならば物足りなさを感じるし、可能ならば取り替えたいというのが本音です。ただ今の民主党にそれだけの人材がいるか、っていうか自民党時代の国務大臣ですら「ほかにまともな人間はないのか?」と思うくらいひどかったのを考えると、今ある政治家の中で何とかやりくりするしかないかというあきらめがつき、致命的な損害を国に与えていないというのならばしょっちゅう変えるべきではないという消極的な理由で続投を支持します。
それよりも真に日本の国政、外交に大きな損害を与えているのは間違いなく鳩山元首相で、この前も勝手にイランに行って世界に間違ったメッセージを発信したばかりか予想されたとおりにイランに利用されており、それ以上に救えないのが本人に全く反省の色がなく「また行きたい」などと言ってのける始末です。
私は今回の問責案が出てきたに当たって、なるべくなら同じことは言いたくないと思っていました。しかし前回同様に「この二閣僚より鳩山元首相の方こそ排除すべき」という言論はついには出なかったため、結局は自己満足にすぎませんがこうして改めて書くことにしました。
見方によっては批判を受けるかもしれませんが、私は問責が可決されたとはいえ問題の二閣僚は先に上げた理由から辞めるべきではないと思います。そもそも今回問責決議を提出した自民党はかつて、実体のない水道代や事務所家賃を計上して公費から出される議員報酬を受け取っていた松岡利勝氏や赤城徳彦氏を問題発覚当時に罷免しなかった(赤木氏については参院選大敗後に「選挙責任」として辞職させてはいますが)という過去があります。また実際に問責決議案が可決された大臣でも、女性を「産む機械」と表現するなど人格を疑わせる柳沢伯夫氏も当時留任させており、これらの人物に比べれば今回の二閣僚は辞職に追い込まれるほどのことをしたのか非常に疑問です。っていうか自民も、自分たちのことは棚に上げて何故こんな国会を空転させるような決議を提出したのか強い不満を感じます。
結びになりますが、頼むから誰か、鳩山元首相に対して一刻でも早く議員辞職勧告決議案を出してほしいです。これだけ問題のある人物をどうして放っているのか、何か喜劇でもやってるつもりなのか不思議でしょうがないです。
本日、公選法違反の疑いある行為を行った前田国交相と北朝鮮のミサイル対応を含めてどうもパッとしない田中防衛相に対し、野党から問責決議版画提出されて可決されました。この問責に対する私の評価というのは、シャレや冗談とか一切抜きでこんな問責決議案を出した野党はギャグでやっているんじゃないかという気が起きます。一体何故このタイミングで提出するのか、何故こんな小物に提出するのかが全く理解できませんし、可決したとはいえ問題の二閣僚は評価こそしていませんが辞める必要はないと思います。何故こう考えるのかというと去年12月に「本当に問責を出すべき相手」の記事で書いたように、鳩山由紀夫元首相を野党がスルーしているという一点に尽きます。
言いたいことは基本的に以前の記事と同じですが、私は今回問責が提出された二閣僚は確かに大臣を務められる人材かと問われるならば物足りなさを感じるし、可能ならば取り替えたいというのが本音です。ただ今の民主党にそれだけの人材がいるか、っていうか自民党時代の国務大臣ですら「ほかにまともな人間はないのか?」と思うくらいひどかったのを考えると、今ある政治家の中で何とかやりくりするしかないかというあきらめがつき、致命的な損害を国に与えていないというのならばしょっちゅう変えるべきではないという消極的な理由で続投を支持します。
それよりも真に日本の国政、外交に大きな損害を与えているのは間違いなく鳩山元首相で、この前も勝手にイランに行って世界に間違ったメッセージを発信したばかりか予想されたとおりにイランに利用されており、それ以上に救えないのが本人に全く反省の色がなく「また行きたい」などと言ってのける始末です。
私は今回の問責案が出てきたに当たって、なるべくなら同じことは言いたくないと思っていました。しかし前回同様に「この二閣僚より鳩山元首相の方こそ排除すべき」という言論はついには出なかったため、結局は自己満足にすぎませんがこうして改めて書くことにしました。
見方によっては批判を受けるかもしれませんが、私は問責が可決されたとはいえ問題の二閣僚は先に上げた理由から辞めるべきではないと思います。そもそも今回問責決議を提出した自民党はかつて、実体のない水道代や事務所家賃を計上して公費から出される議員報酬を受け取っていた松岡利勝氏や赤城徳彦氏を問題発覚当時に罷免しなかった(赤木氏については参院選大敗後に「選挙責任」として辞職させてはいますが)という過去があります。また実際に問責決議案が可決された大臣でも、女性を「産む機械」と表現するなど人格を疑わせる柳沢伯夫氏も当時留任させており、これらの人物に比べれば今回の二閣僚は辞職に追い込まれるほどのことをしたのか非常に疑問です。っていうか自民も、自分たちのことは棚に上げて何故こんな国会を空転させるような決議を提出したのか強い不満を感じます。
結びになりますが、頼むから誰か、鳩山元首相に対して一刻でも早く議員辞職勧告決議案を出してほしいです。これだけ問題のある人物をどうして放っているのか、何か喜劇でもやってるつもりなのか不思議でしょうがないです。
2012年4月19日木曜日
街と街の間も市街地が続く日本の街
日本を含めて世界的にそうですが、中国の自動車市場で今一番伸びている車種はSUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)です。車に詳しくない方のために説明しておくと、SUVとはでっかくてオフロードを走るような車で、現行車種だとスバルのフォレスターとか三菱のパジェロ、あと日産のジュークみたいな車を指しております。
中国ではとにもかくにもこのSUVが売れており、ポルシェが出したカイエンという車は全国各地でバカ売れし続けててどこでも見ることが出来ます。何故SUVばかりが売れるのかいくつか理由はありますが、私がにらんでいる一番大きな要因は、中国は上海市内ならまだしもまだ地方では道路がきちんと整備されていないところが多く、普通の乗用車で走るには乗り心地が非常に悪い土地ばかりではないからではないためだと思います。そのため悪路、下手すりゃオフロードでも比較的走行することが出来て、あと見かけもでかい分だけかっこよく見えるから売れてるんじゃないかというのが私の意見です。
ここで少し話は飛びますが、何気に世界的に見て日本の街の作りはちょっと特殊になっていると常々感じます。一体どこが特殊なのかというと街と街の間も市街地が延々と続く、なんかわけのわからないことを言っているようですがこれは世界的に非常に特殊なので今日はちょっとこの辺を説明します。それにしてもなんだか読んでて舌噛みそうな文章だ。
話はさかのぼること数年前、私が大学でロシア語の授業を受けていた時に講師が、アルバイトでロシア人のツアーを案内した時のことを話したことがありました。その講師によると、ちょうど大阪から京都の境のトンネルをバスに乗ったまま通り抜けるところで「これから京都に入る」と言って、トンネルを抜けたところで「はい、こっから京都です」と説明したそうです。すると乗っていたロシア人が、「さっきから同じ市街地がずっと続いているじゃないか。まだ街を移っていないのでは?」と質問が飛んだそうです。言われて初めてその講師は、ロシアは街と街の間は本当に道だけで何もな野原や荒れ地が続いているだけで、日本みたいに一部を除いて住宅や店舗が続く場所は見たことがないと気が付いたそうです。
日本、それも関東や関西では駅と駅の間も市街地が隙間なく開発されているのが割と当たり前で、地方の国道沿いとかでもショッピングモールや住宅があるのはそれほど珍しくはありません。しかしロシアに限らず中国やほかの国ではそれこそ街と街の間は本当に何もなく道だけがずっと続くところも珍しくなく、現に上海ですら近くの蘇州市などに行く途中、列車から眺める限りでは建物とかほとんど見ません。
じゃあ何故日本は、といっても地方はロシアや中国と同じでしょうがそれはこの際置いといて、これほどまでに隙間なく開発されていったのでしょうか。一つの理由としてはやはり、平地の国土が少なく居住地が限られている中で人口が多かったことが挙がってきます。次にかつて土建国家と言われたくらいに、開発できる場所はとことん開発してしまおうと開発されていったこと。とどめに、鉄道路線の整備が早かった上にどんな場所でも正確に運航できることから通勤圏、居住圏が果てしなく広がっていったということもあるかもしれません。
とにもかくにも日本にいたら気づきづらいですが、間違いなく日本における市街地の構成は世界的にも珍しいです。今後、日本の人口は縮小していくのは間違いないためにこうした市街地というものは徐々に中心へ向かって狭まる、ドーナツ化現象とは逆の動きが起こることが予想されますが、こうした特殊性を認識しといても損にはならないのでこうして書き残しておきます。
中国ではとにもかくにもこのSUVが売れており、ポルシェが出したカイエンという車は全国各地でバカ売れし続けててどこでも見ることが出来ます。何故SUVばかりが売れるのかいくつか理由はありますが、私がにらんでいる一番大きな要因は、中国は上海市内ならまだしもまだ地方では道路がきちんと整備されていないところが多く、普通の乗用車で走るには乗り心地が非常に悪い土地ばかりではないからではないためだと思います。そのため悪路、下手すりゃオフロードでも比較的走行することが出来て、あと見かけもでかい分だけかっこよく見えるから売れてるんじゃないかというのが私の意見です。
ここで少し話は飛びますが、何気に世界的に見て日本の街の作りはちょっと特殊になっていると常々感じます。一体どこが特殊なのかというと街と街の間も市街地が延々と続く、なんかわけのわからないことを言っているようですがこれは世界的に非常に特殊なので今日はちょっとこの辺を説明します。それにしてもなんだか読んでて舌噛みそうな文章だ。
話はさかのぼること数年前、私が大学でロシア語の授業を受けていた時に講師が、アルバイトでロシア人のツアーを案内した時のことを話したことがありました。その講師によると、ちょうど大阪から京都の境のトンネルをバスに乗ったまま通り抜けるところで「これから京都に入る」と言って、トンネルを抜けたところで「はい、こっから京都です」と説明したそうです。すると乗っていたロシア人が、「さっきから同じ市街地がずっと続いているじゃないか。まだ街を移っていないのでは?」と質問が飛んだそうです。言われて初めてその講師は、ロシアは街と街の間は本当に道だけで何もな野原や荒れ地が続いているだけで、日本みたいに一部を除いて住宅や店舗が続く場所は見たことがないと気が付いたそうです。
日本、それも関東や関西では駅と駅の間も市街地が隙間なく開発されているのが割と当たり前で、地方の国道沿いとかでもショッピングモールや住宅があるのはそれほど珍しくはありません。しかしロシアに限らず中国やほかの国ではそれこそ街と街の間は本当に何もなく道だけがずっと続くところも珍しくなく、現に上海ですら近くの蘇州市などに行く途中、列車から眺める限りでは建物とかほとんど見ません。
じゃあ何故日本は、といっても地方はロシアや中国と同じでしょうがそれはこの際置いといて、これほどまでに隙間なく開発されていったのでしょうか。一つの理由としてはやはり、平地の国土が少なく居住地が限られている中で人口が多かったことが挙がってきます。次にかつて土建国家と言われたくらいに、開発できる場所はとことん開発してしまおうと開発されていったこと。とどめに、鉄道路線の整備が早かった上にどんな場所でも正確に運航できることから通勤圏、居住圏が果てしなく広がっていったということもあるかもしれません。
とにもかくにも日本にいたら気づきづらいですが、間違いなく日本における市街地の構成は世界的にも珍しいです。今後、日本の人口は縮小していくのは間違いないためにこうした市街地というものは徐々に中心へ向かって狭まる、ドーナツ化現象とは逆の動きが起こることが予想されますが、こうした特殊性を認識しといても損にはならないのでこうして書き残しておきます。
2012年4月18日水曜日
ルール変更に対する概念 後編
前回に引き続き、社会ルールの変更に関する概念について思ったことを書いてきます。それにしても前回記事は調子が悪かったこともあってわかりづらいな。
まず簡単におさらいすると、社会にははっきりと明示されているわけではないもののたくさんルールというものがあり、みんな無意識にそのルールに従って生活したり仕事をしたりしております。ただそれらのルールは時間と共に意外と変わることが多く、うっかりしていると置いてかれるということもありうるということが前回に言いたかったことです。
ただ置いてかれると言っても、社会ルールというのは紙に書いて張り出されているものではなく、やたら新ルールを追いかけていたら元のルールに慣れた人間たちから総スカンを食らって袋叩きになることもあり、状況にもよりますがルールを追いかける上で加減というものは非常に大事になってきます。
こうした新ルールを早くに追い過ぎた例として敢えてここで挙げると、鹿内宏明氏なんかそうだったんじゃないかとこの頃思います。知ってる人には早いですが鹿内氏というのはフジテレビや産経新聞をはじめとしたフジサンケイグループの元会長でしたが、1992年に社内クーデターに遭って経営職から解任された人です。何故鹿内氏が解任されたのかという理由についてはいろいろ説はありますが、一般的にはグループ内の企業を束ねる持ち株会社を作り統一した経営体制を作ろうとしたことに対して反発を受けたことが原因とされています。
しかしその後のフジサンケイグループはまさにこの時の鹿内氏の構想通りに持ち株会社、フジ・メディア・ホールディングスを中心とするメディアグループが出来上がるわけなのですが、これを推進したのが鹿内氏を追い出した張本人である日枝久会長で、持ち株化を進める過程でかねてからの懸念通りにライブドアによるニッポン放送株の買い付け事件が起きたというのは皮肉以外の何物でもないでしょう。こう言ってはなんですが、初めから鹿内氏に任せておけばライブドアによる混乱も起きなかったんじゃないのというのが私の感想です。
話は少し横道にそれましたが、基本的に新ルールには適応していかなくてはいかないものの、あまりに先を行き過ぎると失敗してしまうこともあります。ではどんな風にルールを追えばいいかが、まさにこれが重要となってきます。
結論を述べると、ルールを追うも何もルールを作る側に回ることが一番強いです。これをは国際的に行っているのは言わずもがなのアメリカで、自分ところで新兵器を作っては危険性が高いと言ってほかの国には研究開発を禁止したり、貿易とか金融ルールを、「これがニューヨークのトレンドなんだよ(・∀・)ニヤニヤ」という具合で、偏見入っているかもしれないけど自分たちの都合のいい内容にして押し付けたりするのが異様にうまいです。ただくれぐれも言っておきますが私はこんなアメリカが好きですし、ほかの先進国も多かれ少なかれ、「自分のルールに相手を巻き込む」戦略というものを持っていると思えて、これが本来あるべき姿でしょう。
それに対して日本、というか日本人はこうしたルール作りが非常に下手で、思考のスタートからして「どうやってルールに追いつこう」と、自らを大きく限定してしまいがちなところがあります。それこそさっきのライブドアのニッポン放送株買い付け事件も、合法だったにもかかわらず前例がないという理由だけであれほどまで総叩きくらって、日興コーディアルとかオリンパスがあの程度で済んだのに逮捕されて実刑くらうまでに制裁を受けるというのはちょっとやりすぎでしょう。
概して、日本ではやはり保守派が異常に強すぎると言わざるを得ません。社会ルールも競争力があるとか合理性があるとかじゃなく、保守派にとって都合がいいかどうかで決まりがちだと思えますし、新分野を開拓して新ルールを作るなんて以ての外として扱われるでしょう。
もちろん、重ねて言いますが新ルールを作ったり追従したりすることがなんでもかんでも正しいわけではありません。アメリカなんて自らが作った金融ルールによってリーマンショックを引き起こして自滅したわけですし、保守的な姿勢も伝統芸能とかそういったものを守る上ではいい面もあると思います。またなんでもかんでもルール破りを奨励するというのも、紅衛兵じゃないですけどそれはそれで破滅しか招きません。
ではこんなことを言う自分はどんな態度を取っているのかというと、非常に傲慢ですが自分が納得するかどうかでそのルールを守るか無視するかをはっきりと決めております。その為、人によってはどうも異常に従順で安定を求めた生き方をしているようにみられることもあれば、山っ気が強く非常に反抗的な人物と両極端な評価を受けることが多々あります。こうなったのも日本における既存ルール下では不利になる立場であったため、かなり早い時期からルールを作る、もしくは改正する、果てには及ばないところに避難しなければならないという価値観を持ったような気がします。そもそも社会学自体が他の学問では自明とする因果関係をよく疑う学問なあたり、相性が良かったのかもしれません。
まず簡単におさらいすると、社会にははっきりと明示されているわけではないもののたくさんルールというものがあり、みんな無意識にそのルールに従って生活したり仕事をしたりしております。ただそれらのルールは時間と共に意外と変わることが多く、うっかりしていると置いてかれるということもありうるということが前回に言いたかったことです。
ただ置いてかれると言っても、社会ルールというのは紙に書いて張り出されているものではなく、やたら新ルールを追いかけていたら元のルールに慣れた人間たちから総スカンを食らって袋叩きになることもあり、状況にもよりますがルールを追いかける上で加減というものは非常に大事になってきます。
こうした新ルールを早くに追い過ぎた例として敢えてここで挙げると、鹿内宏明氏なんかそうだったんじゃないかとこの頃思います。知ってる人には早いですが鹿内氏というのはフジテレビや産経新聞をはじめとしたフジサンケイグループの元会長でしたが、1992年に社内クーデターに遭って経営職から解任された人です。何故鹿内氏が解任されたのかという理由についてはいろいろ説はありますが、一般的にはグループ内の企業を束ねる持ち株会社を作り統一した経営体制を作ろうとしたことに対して反発を受けたことが原因とされています。
しかしその後のフジサンケイグループはまさにこの時の鹿内氏の構想通りに持ち株会社、フジ・メディア・ホールディングスを中心とするメディアグループが出来上がるわけなのですが、これを推進したのが鹿内氏を追い出した張本人である日枝久会長で、持ち株化を進める過程でかねてからの懸念通りにライブドアによるニッポン放送株の買い付け事件が起きたというのは皮肉以外の何物でもないでしょう。こう言ってはなんですが、初めから鹿内氏に任せておけばライブドアによる混乱も起きなかったんじゃないのというのが私の感想です。
話は少し横道にそれましたが、基本的に新ルールには適応していかなくてはいかないものの、あまりに先を行き過ぎると失敗してしまうこともあります。ではどんな風にルールを追えばいいかが、まさにこれが重要となってきます。
結論を述べると、ルールを追うも何もルールを作る側に回ることが一番強いです。これをは国際的に行っているのは言わずもがなのアメリカで、自分ところで新兵器を作っては危険性が高いと言ってほかの国には研究開発を禁止したり、貿易とか金融ルールを、「これがニューヨークのトレンドなんだよ(・∀・)ニヤニヤ」という具合で、偏見入っているかもしれないけど自分たちの都合のいい内容にして押し付けたりするのが異様にうまいです。ただくれぐれも言っておきますが私はこんなアメリカが好きですし、ほかの先進国も多かれ少なかれ、「自分のルールに相手を巻き込む」戦略というものを持っていると思えて、これが本来あるべき姿でしょう。
それに対して日本、というか日本人はこうしたルール作りが非常に下手で、思考のスタートからして「どうやってルールに追いつこう」と、自らを大きく限定してしまいがちなところがあります。それこそさっきのライブドアのニッポン放送株買い付け事件も、合法だったにもかかわらず前例がないという理由だけであれほどまで総叩きくらって、日興コーディアルとかオリンパスがあの程度で済んだのに逮捕されて実刑くらうまでに制裁を受けるというのはちょっとやりすぎでしょう。
概して、日本ではやはり保守派が異常に強すぎると言わざるを得ません。社会ルールも競争力があるとか合理性があるとかじゃなく、保守派にとって都合がいいかどうかで決まりがちだと思えますし、新分野を開拓して新ルールを作るなんて以ての外として扱われるでしょう。
もちろん、重ねて言いますが新ルールを作ったり追従したりすることがなんでもかんでも正しいわけではありません。アメリカなんて自らが作った金融ルールによってリーマンショックを引き起こして自滅したわけですし、保守的な姿勢も伝統芸能とかそういったものを守る上ではいい面もあると思います。またなんでもかんでもルール破りを奨励するというのも、紅衛兵じゃないですけどそれはそれで破滅しか招きません。
ではこんなことを言う自分はどんな態度を取っているのかというと、非常に傲慢ですが自分が納得するかどうかでそのルールを守るか無視するかをはっきりと決めております。その為、人によってはどうも異常に従順で安定を求めた生き方をしているようにみられることもあれば、山っ気が強く非常に反抗的な人物と両極端な評価を受けることが多々あります。こうなったのも日本における既存ルール下では不利になる立場であったため、かなり早い時期からルールを作る、もしくは改正する、果てには及ばないところに避難しなければならないという価値観を持ったような気がします。そもそも社会学自体が他の学問では自明とする因果関係をよく疑う学問なあたり、相性が良かったのかもしれません。
2012年4月16日月曜日
ルール変更に対する概念 前編
大分昔ですが田原総一郎氏の講演会に出た時、田原氏が昔と今の政治の違いについてこう言っていました。
「高度経済成長期の日本は儲かって仕方がなく、当時の政治に求められたのは有り余るお金を如何に平等に分配するかだった。それが失われた十年に入った後は一転し、現代は労働や社会保障などといった負担を如何に分配するかが政治に求められている。無論比べるなら、お金を配る方が簡単に決まっている」
現代政治の問題点から政治家の資質に渡るまで実に日本政治の要点を突いた一言だったので大変印象に残り、よく知り合いなどにも引用して話しております。ただこの発言内容はもとより私が真に注目したのは、時代に伴って政治のルールというか役割というのは容易に変化が起こり得るということで、今日はちょっとこの「ルール変更」について解説します。
ルール変更というのは読んで字の如く、それまでのやり方や基準が改まるということです。それこそ何を以って社会ルールが変更したと考えるかは議論の余地がありますが、経年によるルール変更というのは概して徐々に行われることが多く、ルールが変わっている最中には全く気が付かず10年くらい経って初めて気が付く、というより分析されるものだと私は思います。
ひとつ例にとると、現在真っ盛りの就職活動ではバブル期までいわゆる体育会系こと、上意下達の組織に慣れた運動経験者がとかく持てはやされました。それが失われた十年に入りますと就職氷河期に入って即戦力が求められるようになり、当時に実際に就職活動したわけじゃないので本当かどうかはわかりませんが、「資格を持っていると有利だ」という言葉をあちこちで聞きましたし、またボランティア活動をしていると奉仕意欲が高いと判断され受かりやすいなどいう噂も流れていました。
それからさらに時代が下った現代に入りますと、まず資格については専門分野で何か持っていて当たり前、専門外においても何かしらあるのが常識化されているような気がします。その上でしょうもない資格については見向きもされなくなり上位資格かどうかが審議され、さらに「コミュニケーション能力」という定義の曖昧なものをどの会社も重要視するようになり、バブル期などと比べると隔世の感があります。
これはあくまで一例ですが、これ以外にもこの10年間で当たり前だったものが見向きもされなくなり、逆に全く省みられなかったものが急激に評価が高まるという事例はたくさんあります。また評価基準だけでなく方法こと手段も改まることも数知れず、また就活を例にとるなら履歴書の書き方一つとっても数年度単位でかなり変わってきているかと思います。
この社会ルールが変更されるということを通して私が何が言いたいのかというと、一言でまとめるのなら「昔成功したやり方が現在でも通用するわけがない」という一点に尽きます。それこそ過去の成功体験を持ってきても、、目に見えないところでたくさんのルールが変わっている今でも同じことをすれば成功するわけでなく、むしろ失敗する確率の方が高いかもしれません。
こういった観点から私は、保守的か変革的かで比べれば後者の方がやはり強いと考えております。もちろんなんでもかんでも新しいものを追っかけて行って失敗することもあれば、かたくなに伝統を守ることで真価を発揮する分野もあるため絶対ではありませんが、一般論としてはやはり徐々に変化していくという組織や人間、果てには考え方の方がうまいこと渡っていけるんじゃないかと思います。
言ってしまえばここで書いた内容は本当にごくごく当たり前の話で自分でもわざわざ解説するほどのことかと感じるのですが、それでも何でかこうかと思ったのかというと、政治家や実業家を初めとした責任ある立場にある人間に、ルールが既に変わっているにもかかわらずまだ気が付いていない連中が多いように感じるからです。具体的に言うのなら小泉劇場を批判していた政治家らで、あの時代を経て今の日本は自分が持つ政策論、方向性をきちんと説明しなければならなくなったにもかかわらず未だにサボっている人が数多いです。もっとも、政策論自体を果たして持っているのか、金さえ配っとけば本気で何とかなると思っているのではという人もまだ残っていますが。
と、つらつらと書き並べてみましたが、ここから敢えて話を発展させてみたいとこの前考えてみました。具体的にどういう風にしたいのかというとずばり、「新ルールをどのように追えばいいのか」、または「新ルールをどのように作るのか」で、この点についてはまた次回に解説します。久々の前後編だ。
「高度経済成長期の日本は儲かって仕方がなく、当時の政治に求められたのは有り余るお金を如何に平等に分配するかだった。それが失われた十年に入った後は一転し、現代は労働や社会保障などといった負担を如何に分配するかが政治に求められている。無論比べるなら、お金を配る方が簡単に決まっている」
現代政治の問題点から政治家の資質に渡るまで実に日本政治の要点を突いた一言だったので大変印象に残り、よく知り合いなどにも引用して話しております。ただこの発言内容はもとより私が真に注目したのは、時代に伴って政治のルールというか役割というのは容易に変化が起こり得るということで、今日はちょっとこの「ルール変更」について解説します。
ルール変更というのは読んで字の如く、それまでのやり方や基準が改まるということです。それこそ何を以って社会ルールが変更したと考えるかは議論の余地がありますが、経年によるルール変更というのは概して徐々に行われることが多く、ルールが変わっている最中には全く気が付かず10年くらい経って初めて気が付く、というより分析されるものだと私は思います。
ひとつ例にとると、現在真っ盛りの就職活動ではバブル期までいわゆる体育会系こと、上意下達の組織に慣れた運動経験者がとかく持てはやされました。それが失われた十年に入りますと就職氷河期に入って即戦力が求められるようになり、当時に実際に就職活動したわけじゃないので本当かどうかはわかりませんが、「資格を持っていると有利だ」という言葉をあちこちで聞きましたし、またボランティア活動をしていると奉仕意欲が高いと判断され受かりやすいなどいう噂も流れていました。
それからさらに時代が下った現代に入りますと、まず資格については専門分野で何か持っていて当たり前、専門外においても何かしらあるのが常識化されているような気がします。その上でしょうもない資格については見向きもされなくなり上位資格かどうかが審議され、さらに「コミュニケーション能力」という定義の曖昧なものをどの会社も重要視するようになり、バブル期などと比べると隔世の感があります。
これはあくまで一例ですが、これ以外にもこの10年間で当たり前だったものが見向きもされなくなり、逆に全く省みられなかったものが急激に評価が高まるという事例はたくさんあります。また評価基準だけでなく方法こと手段も改まることも数知れず、また就活を例にとるなら履歴書の書き方一つとっても数年度単位でかなり変わってきているかと思います。
この社会ルールが変更されるということを通して私が何が言いたいのかというと、一言でまとめるのなら「昔成功したやり方が現在でも通用するわけがない」という一点に尽きます。それこそ過去の成功体験を持ってきても、、目に見えないところでたくさんのルールが変わっている今でも同じことをすれば成功するわけでなく、むしろ失敗する確率の方が高いかもしれません。
こういった観点から私は、保守的か変革的かで比べれば後者の方がやはり強いと考えております。もちろんなんでもかんでも新しいものを追っかけて行って失敗することもあれば、かたくなに伝統を守ることで真価を発揮する分野もあるため絶対ではありませんが、一般論としてはやはり徐々に変化していくという組織や人間、果てには考え方の方がうまいこと渡っていけるんじゃないかと思います。
言ってしまえばここで書いた内容は本当にごくごく当たり前の話で自分でもわざわざ解説するほどのことかと感じるのですが、それでも何でかこうかと思ったのかというと、政治家や実業家を初めとした責任ある立場にある人間に、ルールが既に変わっているにもかかわらずまだ気が付いていない連中が多いように感じるからです。具体的に言うのなら小泉劇場を批判していた政治家らで、あの時代を経て今の日本は自分が持つ政策論、方向性をきちんと説明しなければならなくなったにもかかわらず未だにサボっている人が数多いです。もっとも、政策論自体を果たして持っているのか、金さえ配っとけば本気で何とかなると思っているのではという人もまだ残っていますが。
と、つらつらと書き並べてみましたが、ここから敢えて話を発展させてみたいとこの前考えてみました。具体的にどういう風にしたいのかというとずばり、「新ルールをどのように追えばいいのか」、または「新ルールをどのように作るのか」で、この点についてはまた次回に解説します。久々の前後編だ。
円安に対する解説が少ない件について
今日も帰りが遅かったのでさくっと片づけられる内容です。その内容というのも3月から続く円安についてです。
為替を毎日チェックしている人なら話は早いですが、1ドル70円台中盤にまで高騰していた日本円が今年3月に入ってからは急激に円安に振れ、現在においても80円台を回復したままとなっております。一時期は77円を越えていたことを考えると急激な変動ぶりと言わざるを得ないのですが、何故だかどこの経済紙もこの円安の動きについてその原因、果てには展望について解説する記事はとんとありませんでした。それこそ78円や77円を突破するごとにあれだけ大騒ぎしていたことを考えると、おかしなことこの上ありません。
一体何故円安、80円台回復について誰も解説しようとしないのかですが、理由は簡単でこの為替の動きが日本政府による市場介入の結果だとみんな知ってて知らない振りしているからというのが、私と私の周りの意見です。っていうか、これ以外の理由を挙げる人がいるのならぜひ見てみたいしその理由も聞いてみたいくらいです。以前にも日本政府は為替介入をしておりますがここまで露骨にはしてきませんでした。それが何故今回は80円台を突破するまで、ここまで執拗に為替介入をしているのかというと、ひとえに時期が3月、決算月ということ以外にないでしょう。
決算月には上場している企業はこの1年間の業績から総資産をすべて公開し、発表しなければなりません。また業績発表に合わせてそれまでの支払いなりの取引処理も行わねばならず、未収金なども可能な限り回収する必要があるのですが、これらの面で円高が続いたままだと輸出を多く行っている企業にとっては非常に不利になります。そのため3月に限り可能な限り日本政府は介入し、メーカーなどといった企業を陰ながら支援する必然性がありました。
もちろんこんなの証拠なんてないし、日本政府も「やってるよー!」って正直に言ってるわけありません。ただみんな今の円安が自然な市場の動きではない上に、円安となっている根拠というか背景は全くなきに等しいです。それゆえこ政府介入は織り込み済みであることと、メディアもいちいち指摘して足を引っ張る、もとい輸出企業ににらまれたくないのもあって敢えて今の為替の動きを何も解説しないんだと思います。また今の動きはあくまで一時的だと思われますし、下手な予想をして下手こいたらかっこ悪いし。
ただこうした露骨な政府介入について、誰一人として指摘をしないのもまた奇妙な感覚があります。世界史を選択してたくせにやけに古い日本文化に詳しい友人は以前に、「歌舞伎で舞台装置を動かしたりする黒子というのを、日本人はそこにいないものとして見えているけど見えないものとして扱う」という例を引用し、日本人は明らかに現実にあるものを時たま、全く存在しないものとして直視しない、反応しないところがあると指摘してました。なんていうか、いまの円安についても同じような印象を私は持ちます。
為替を毎日チェックしている人なら話は早いですが、1ドル70円台中盤にまで高騰していた日本円が今年3月に入ってからは急激に円安に振れ、現在においても80円台を回復したままとなっております。一時期は77円を越えていたことを考えると急激な変動ぶりと言わざるを得ないのですが、何故だかどこの経済紙もこの円安の動きについてその原因、果てには展望について解説する記事はとんとありませんでした。それこそ78円や77円を突破するごとにあれだけ大騒ぎしていたことを考えると、おかしなことこの上ありません。
一体何故円安、80円台回復について誰も解説しようとしないのかですが、理由は簡単でこの為替の動きが日本政府による市場介入の結果だとみんな知ってて知らない振りしているからというのが、私と私の周りの意見です。っていうか、これ以外の理由を挙げる人がいるのならぜひ見てみたいしその理由も聞いてみたいくらいです。以前にも日本政府は為替介入をしておりますがここまで露骨にはしてきませんでした。それが何故今回は80円台を突破するまで、ここまで執拗に為替介入をしているのかというと、ひとえに時期が3月、決算月ということ以外にないでしょう。
決算月には上場している企業はこの1年間の業績から総資産をすべて公開し、発表しなければなりません。また業績発表に合わせてそれまでの支払いなりの取引処理も行わねばならず、未収金なども可能な限り回収する必要があるのですが、これらの面で円高が続いたままだと輸出を多く行っている企業にとっては非常に不利になります。そのため3月に限り可能な限り日本政府は介入し、メーカーなどといった企業を陰ながら支援する必然性がありました。
もちろんこんなの証拠なんてないし、日本政府も「やってるよー!」って正直に言ってるわけありません。ただみんな今の円安が自然な市場の動きではない上に、円安となっている根拠というか背景は全くなきに等しいです。それゆえこ政府介入は織り込み済みであることと、メディアもいちいち指摘して足を引っ張る、もとい輸出企業ににらまれたくないのもあって敢えて今の為替の動きを何も解説しないんだと思います。また今の動きはあくまで一時的だと思われますし、下手な予想をして下手こいたらかっこ悪いし。
ただこうした露骨な政府介入について、誰一人として指摘をしないのもまた奇妙な感覚があります。世界史を選択してたくせにやけに古い日本文化に詳しい友人は以前に、「歌舞伎で舞台装置を動かしたりする黒子というのを、日本人はそこにいないものとして見えているけど見えないものとして扱う」という例を引用し、日本人は明らかに現実にあるものを時たま、全く存在しないものとして直視しない、反応しないところがあると指摘してました。なんていうか、いまの円安についても同じような印象を私は持ちます。
2012年4月13日金曜日
中国の雇用慣行
昨日にあんなこと書いておきながら、北朝鮮のミサイルは今日飛んでしまいました。かっこ悪いことこの上ありませんが、解雇た事には公開してませんしまぁ仕方のないことです。それにしたって北朝鮮は間が悪い。
話は本題に入りますが割と中国関連の話だと、自分の中では当たり前だと思っている内容でも知り合いの日本人に聞かせてみたら珍しがられる話が多いです。そのためどんな話が求められているのか内心よくわからないところがあるのですが、雇用慣行についてはどの人に話しても受けがいいのでちょっと解説しようかと思います。
まずいきなり数字から出すと、去年の中国の離職率はある所の調査によると18.9%です。これは言うなれば約5人に一人が退職、もしくは転職をしたということを表しており、多分日本人からしたら相当高い印象を受けるのではないかと思います。もっとも計算方法は一部異なるものの日本の離職率も16.4%(2009年)なので実際にはそれほど差がないのですが、日本だと離職する人間というのは見え辛いというか隠すところがあるからかな。
話は戻しますが、率はともかくとして中国では転職は頻繁に行われており全く珍しいものではありません。それこそ20代で5社くらい経験している人もいれば一年ごとに会社を変える人もいますし、日本とは違って社会全体で会社を辞めるということにためらいがありません。一体何故これほど転職が多いのかというとまずキャリアアップを目指す人が多い上、男性と比べればそりゃハンデはありますが女性でも出来る人は昇進できることもあり、現状より高い給料を用意してくれるというのであれば明日からでもと言わんばかりに転職に打って出てきます。日本でも最近になってキャリアアップを目指した転職が増えては来ておりますが、それでも中国と比べれば受け皿の面といい、まだまだ未発達と言わざるを得ないでしょう。
その上で中国、というより日本独特の雇用習慣による違いも大きく影響しております。断言してもいいですが日本の雇用習慣の方こそ世界から見れば珍しく、無期採用が基本となっております。これに対して中国を初めとする世界各国は基本的に有期採用ことあらかじめ雇用期間を労使双方で定めて雇用契約を結ぶのが基本となっており、自分も現在の会社とは去年に1年契約で入社し、今年また更新をして現在も残って働いております。イメージ的にわかりやすいのはプロ野球選手の契約で、毎年のシーズンオフに年棒や契約期間を球団と交渉して決めるように、中国では会社と従業員が雇用契約について個々で話を持ち合います。
もちろん1年契約を結んだからと言って被雇用者はプロ野球選手みたいに他球団へ自分の意志で移籍できないようにプロテクトされるわけではなく、また雇用主側となる企業側も何が何でも1年間は雇い続けなくてはならないというわけではなく、それぞれの都合によって期間中に転職することもあればリストラすることもあり得ます。私の感覚だとこれら有期契約は、「これから1年間はこの給与額で固定する」というような意味合いの契約で使われているような気がします。そのため契約が終了する時期というのは双方にとって給与額を変更するチャンスでもあり、プロ野球選手同様に「残ってやるからには給与を上げろ」とか、「ミスが多いから来年の基本給は10%減」などという熱い議論が交わされたりします。
日中双方の雇用契約を体験した自分に言わせると、やはり中国、というより国際式の雇用契約の方が自分には馴染みます。日本にいた頃はそれこそ何をやっても給与額が変わるわけでもないですし、自分なんか仕事の少ない部署にいたものの同期は忙しい部署で働いてて、これで同じ給料をもらうというのはなんだか気が引けるように感じていました。もっとも今いる会社も日系なので、新たに担当する仕事が増えたからと言ってすぐその場で給与額が上がるわけじゃありませんが、契約更新の際に給与額を見直すチャンスがある分、アピールの仕方とかそういうものを常に考えられるので気持ち的にはなんか前向きになれます。
ただ今年の自分の雇用契約について言うと、去年は新人ながらそこそこ頑張ったし多少胸の張れる功績も挙げられたという自負があったので、ジャイアンツの杉内選手みたいに契約更新時にはちょっと強気に出て、なるべく多くの昇給を勝ち取ろうと意気込んでいたのですが、契約更新月の前に上司に突然呼ばれ、「契約更新前だがお前の給与は上げておいたからな。また頑張ってくれよ」と言われてしまいました。自分も自分で「はい、ありがとうございます(;´∀`)」としか言えず、結局給与交渉に望むことなく自動的に契約更新となってしまいました。昇給額は極端に低かったわけではありませんが目標額は下回っており、感謝はしてますがなんていうか先手を打たれた気持ちでいっぱいです。向こうの方が一枚上手でした。
話は本題に入りますが割と中国関連の話だと、自分の中では当たり前だと思っている内容でも知り合いの日本人に聞かせてみたら珍しがられる話が多いです。そのためどんな話が求められているのか内心よくわからないところがあるのですが、雇用慣行についてはどの人に話しても受けがいいのでちょっと解説しようかと思います。
まずいきなり数字から出すと、去年の中国の離職率はある所の調査によると18.9%です。これは言うなれば約5人に一人が退職、もしくは転職をしたということを表しており、多分日本人からしたら相当高い印象を受けるのではないかと思います。もっとも計算方法は一部異なるものの日本の離職率も16.4%(2009年)なので実際にはそれほど差がないのですが、日本だと離職する人間というのは見え辛いというか隠すところがあるからかな。
話は戻しますが、率はともかくとして中国では転職は頻繁に行われており全く珍しいものではありません。それこそ20代で5社くらい経験している人もいれば一年ごとに会社を変える人もいますし、日本とは違って社会全体で会社を辞めるということにためらいがありません。一体何故これほど転職が多いのかというとまずキャリアアップを目指す人が多い上、男性と比べればそりゃハンデはありますが女性でも出来る人は昇進できることもあり、現状より高い給料を用意してくれるというのであれば明日からでもと言わんばかりに転職に打って出てきます。日本でも最近になってキャリアアップを目指した転職が増えては来ておりますが、それでも中国と比べれば受け皿の面といい、まだまだ未発達と言わざるを得ないでしょう。
その上で中国、というより日本独特の雇用習慣による違いも大きく影響しております。断言してもいいですが日本の雇用習慣の方こそ世界から見れば珍しく、無期採用が基本となっております。これに対して中国を初めとする世界各国は基本的に有期採用ことあらかじめ雇用期間を労使双方で定めて雇用契約を結ぶのが基本となっており、自分も現在の会社とは去年に1年契約で入社し、今年また更新をして現在も残って働いております。イメージ的にわかりやすいのはプロ野球選手の契約で、毎年のシーズンオフに年棒や契約期間を球団と交渉して決めるように、中国では会社と従業員が雇用契約について個々で話を持ち合います。
もちろん1年契約を結んだからと言って被雇用者はプロ野球選手みたいに他球団へ自分の意志で移籍できないようにプロテクトされるわけではなく、また雇用主側となる企業側も何が何でも1年間は雇い続けなくてはならないというわけではなく、それぞれの都合によって期間中に転職することもあればリストラすることもあり得ます。私の感覚だとこれら有期契約は、「これから1年間はこの給与額で固定する」というような意味合いの契約で使われているような気がします。そのため契約が終了する時期というのは双方にとって給与額を変更するチャンスでもあり、プロ野球選手同様に「残ってやるからには給与を上げろ」とか、「ミスが多いから来年の基本給は10%減」などという熱い議論が交わされたりします。
日中双方の雇用契約を体験した自分に言わせると、やはり中国、というより国際式の雇用契約の方が自分には馴染みます。日本にいた頃はそれこそ何をやっても給与額が変わるわけでもないですし、自分なんか仕事の少ない部署にいたものの同期は忙しい部署で働いてて、これで同じ給料をもらうというのはなんだか気が引けるように感じていました。もっとも今いる会社も日系なので、新たに担当する仕事が増えたからと言ってすぐその場で給与額が上がるわけじゃありませんが、契約更新の際に給与額を見直すチャンスがある分、アピールの仕方とかそういうものを常に考えられるので気持ち的にはなんか前向きになれます。
ただ今年の自分の雇用契約について言うと、去年は新人ながらそこそこ頑張ったし多少胸の張れる功績も挙げられたという自負があったので、ジャイアンツの杉内選手みたいに契約更新時にはちょっと強気に出て、なるべく多くの昇給を勝ち取ろうと意気込んでいたのですが、契約更新月の前に上司に突然呼ばれ、「契約更新前だがお前の給与は上げておいたからな。また頑張ってくれよ」と言われてしまいました。自分も自分で「はい、ありがとうございます(;´∀`)」としか言えず、結局給与交渉に望むことなく自動的に契約更新となってしまいました。昇給額は極端に低かったわけではありませんが目標額は下回っており、感謝はしてますがなんていうか先手を打たれた気持ちでいっぱいです。向こうの方が一枚上手でした。
2012年4月12日木曜日
北朝鮮のミサイル発射日の報道
余計な説明は不要ですが、現在北朝鮮が衛星といいつつミサイルを発射する準備を続けております。北朝鮮側はこれまでに発射予定日を12~16日と発表していて今日から予告発射期間内ということですが、生憎というか今日は発射されることはありませんでした。ただこの発射予定日を巡って日本の報道を見ているといくつか奇妙に感じる点が少なくなく、今日はその辺についてささっと書いて寝ようかと思います。
まずいきなり結論から言うと、どうして昨日から今日にかけて「本日中にも発射か」という報道が多かったのかが気になりました。もう昨日の段階だと発射は完全秒読み、関係各所は対応にてんやわんやとまるで確定的かのような書き方が多く、確かに予告発射期間内に入るとはいえどうしてここまで強気な報道するのかが不思議でした。さらに言うと、その予測の根拠が全くないのも不可思議この上ありません。
もっとも私がこのように感じるのも、中国での報道を見ているからかもしれません。とうのもこちら中国の報道だと先週から既に、「発射予定日は14日になりそう」という報道が出ており、こちらも予測の細かい根拠こそないものの日本ほど感情的な書き方ではないため、こう言ってはなんですがこっちの方が信頼性がある気がします。北朝鮮と国交のある中国の報道ということもありますが。
こんなことを書きながら明日にも発射されたらちょっとカッコ悪いことこの上ありませんが、外から見ていて今の日本の報道はちょっと過剰反応し過ぎな気がします。栃木県なんかも防災メールを誤送信したようですし、無警戒というのも問題ですが必要以上に慌てるというのもまた問題です。まぁ理由は恐らくほかに報道するニュースがないからというのが何より大きいからだと思いますが。
まずいきなり結論から言うと、どうして昨日から今日にかけて「本日中にも発射か」という報道が多かったのかが気になりました。もう昨日の段階だと発射は完全秒読み、関係各所は対応にてんやわんやとまるで確定的かのような書き方が多く、確かに予告発射期間内に入るとはいえどうしてここまで強気な報道するのかが不思議でした。さらに言うと、その予測の根拠が全くないのも不可思議この上ありません。
もっとも私がこのように感じるのも、中国での報道を見ているからかもしれません。とうのもこちら中国の報道だと先週から既に、「発射予定日は14日になりそう」という報道が出ており、こちらも予測の細かい根拠こそないものの日本ほど感情的な書き方ではないため、こう言ってはなんですがこっちの方が信頼性がある気がします。北朝鮮と国交のある中国の報道ということもありますが。
こんなことを書きながら明日にも発射されたらちょっとカッコ悪いことこの上ありませんが、外から見ていて今の日本の報道はちょっと過剰反応し過ぎな気がします。栃木県なんかも防災メールを誤送信したようですし、無警戒というのも問題ですが必要以上に慌てるというのもまた問題です。まぁ理由は恐らくほかに報道するニュースがないからというのが何より大きいからだと思いますが。
2012年4月11日水曜日
富士通元社長の請求棄却について
ここだけの話、ノートパソコンのカタログを見るのが非常に好きです。多分、中学生くらいの頃にパソコンが欲しくてたまらなかったのに当時は値段が高くて眺めるだけだった反動でしょうが、現在使っているNECのLS550/Eの性能には満足してながら、いろんなメーカーのパソコンを見てはデザインのいいノートパソコンを無駄に買い集めたいという欲求に駆られております。なお今一番注目しているのはエプソンのEndevorで、今まで一度も直販サイトで買ったことがないので試しにネットブック一台を日本で購入して実家に送らせ、親父に上海まで持ってこさせようかなとまで考えています。
そんなノートパソコン好きの自分ですが、金輪際買うことはないと断言できるメーカーが二社あります。一社はパナソニックで、これはパナ系列の会社に務めている友人も同じこと言っております。もう一社は富士通で、キムタクが出ているFMVのテレビCMが神経を逆なでされるくらいに見ていて腹が立つのと、今日取り上げる野副元社長の不自然な解任劇からです。
・富士通元社長の請求棄却、東京地裁が「辞任強要」の訴え認めず(ロイター)
本日東京地裁で、2009年に虚偽の理由で社長職を解任されたとして損害賠償を求めた野副元社長の請求が棄却されました。この件における私の立場は断然に野副氏側であるため、今回の東京地裁の判決には首をかしげるとともに「この判決を下した裁判官は誰でえヽ(`Д´)ノ」と海原雄山ばりに怒鳴り込みたい気分です。あらいを持って富士通に突っ込もうかな。
・特別リポート:富士通を覆う閉塞、社長解任の爪跡とガバナンスの行方(ロイター)
事件の背景についてはこちらも同じく上記のロイターの記事がよくまとめてくれているので興味のある方は是非閲覧していただきたいのですが、念のため私の方でも簡単に説明させていただきます。
まず事件が起きたのは2009年で、野副氏によるとその日の朝にいつも通りに出勤すると突然別室に呼ばれたそうです。別室では役員らがほぼ全員待っていたそうで、野副氏が親しくしていて富士通ともかつて取引のあったファンド企業が反社会的勢力との付き合いがあると告げられたそうです。更に当時の役員は既にこの事実はマスコミなどにもばれそうで、仮に発覚したら富士通は潰れてしまうため、どうか会社を守るために今この場で社長職を辞任してほしいと畳み掛けたそうです。しかも一事が万事で役員会議に出るのも危険だからと他の役員らの動議による解任で済ませ、今後しばらくは自宅から一切外に出ないようにと言われ、そのまま判断するまもなく極秘裏に自宅へ送り返されたそうです。
野副氏はこの時のことを抵抗しなかった自分にも責任があるとしながらも、判断する間も与えず完全にだまし討ちのような手段で、さらに当時言われた内容は事実とは異なるものであったことから提訴すると決めたそうです。もちろん提訴することによって富士通のイメージは悪くなるため、このまま泣き寝入りすべきかとも検討したそうですが、っとこうした人の内面を他人があれこれ言うのは野暮なのでこの辺でやめときますが、第一、もし解任劇が野副氏の言う通りであれば徹底的に抵抗するのが筋でしょう。
私が野副氏の立場に立つ理由はいくつかあります。まず第一に富士通は当初、野副氏の解任理由を「急病によるもの」と発表し、その後に野副氏の反論を受けて「反社会的勢力との付き合い」と訂正している点です。そもそも論としてもし野副氏が本当に知ってか知らずか反社会的勢力と付き合っていたのであれば堂々と役員会で解任し、その理由も正面から説明すればいいだけの話で、急病と詐称すること自体がなにか裏があるためとしか思えません。
第二に、これがある意味核心をなす所でもあるのですが、野副氏と代表が親しくしていて今回槍玉に挙がったファンドことサンドリンガム・キャピタル・パートナーズは、今に至るまで反社会的勢力の交流があるとは一切報じられておりません。それどころかサンドリンガムはこの件で、判決が既に出ているかどうかはわかりませんが、名誉棄損として富士通を提訴しております。
ロイターもこの点で富士通側に確認しているようですが、富士通側は「該当のファンドがサンドリンガムであるとは限らない」と発表しているようで、さらには問題のファンドが反社会的勢力と付き合っていると判断した理由については「司法以外の場では明かす必要がない」として回答を拒否しているそうです。何度も言いますが、正当性があるというのならもっと堂々とすればいいのに。
止めに、これなんか私の友人が狂喜乱舞しかねない名前ですが、華麗なる一族ことあの堤清二氏がロイターの取材に対し、「サンドリンガムの代表者が反社会的勢力と付き合いがあるとは思えない」と述べており、しかも今回の解任劇を仕組んだとされる富士通の顧問にもそう説明していたそうです。あまり人を信用し過ぎるのもなんですが、私も堤清二氏が言うのであれば……という風に思っちゃいます。
そして第三の理由、これはあまり詳しくないのですが野副氏が追い払われる理由が当時の富士通にはあるからです。報道ベースでしか見てませんが、なんでも野副氏が進めていた富士通の子会社であるニフティの経営統合案を快く思わない勢力がたくさんいたそうです。さらにこの統合において、例のサンドリンガムが仕事を請け負っていたというのだから私の中で信憑性は抜群です。
これだけきな臭い話にもかかわらず東京地裁は今回、当時の役員らが該当のファンドと反社会的勢力が交流があったと信じるに足る情報があった、だから野副氏に辞任を求めたことは問題なかったという判断から賠償請求を棄却したそうです。しかもふざけきっていることに、「該当のファンドが反社会的勢力と関係があることが客観的に真実か否かは問題とされていない」と指摘しています。これはつまり疑惑が真実であるかは関係なく、そういったことが疑われるのならそれだけで解任してもよいとお墨付きを与えているも同然です。仮にこの通りであれば、今後はそれらしい情報を集めて気に入らない人間をいくらでも追放するといった行為が起こりかねず、非常に問題のある判断だと私には感じます。この件で何より大事なのは解任理由が真実かどうかであるはずなのに、この始関正光という裁判長は本当に理解が出来ません。
野副氏は今回の判決に控訴をする予定だそうですが、私としても是非真実を明らかにしてほしく、陰ながら応援させてもらいます。それにしてもCMがクソなら会社もクソだな、富士通は。
そんなノートパソコン好きの自分ですが、金輪際買うことはないと断言できるメーカーが二社あります。一社はパナソニックで、これはパナ系列の会社に務めている友人も同じこと言っております。もう一社は富士通で、キムタクが出ているFMVのテレビCMが神経を逆なでされるくらいに見ていて腹が立つのと、今日取り上げる野副元社長の不自然な解任劇からです。
・富士通元社長の請求棄却、東京地裁が「辞任強要」の訴え認めず(ロイター)
本日東京地裁で、2009年に虚偽の理由で社長職を解任されたとして損害賠償を求めた野副元社長の請求が棄却されました。この件における私の立場は断然に野副氏側であるため、今回の東京地裁の判決には首をかしげるとともに「この判決を下した裁判官は誰でえヽ(`Д´)ノ」と海原雄山ばりに怒鳴り込みたい気分です。あらいを持って富士通に突っ込もうかな。
・特別リポート:富士通を覆う閉塞、社長解任の爪跡とガバナンスの行方(ロイター)
事件の背景についてはこちらも同じく上記のロイターの記事がよくまとめてくれているので興味のある方は是非閲覧していただきたいのですが、念のため私の方でも簡単に説明させていただきます。
まず事件が起きたのは2009年で、野副氏によるとその日の朝にいつも通りに出勤すると突然別室に呼ばれたそうです。別室では役員らがほぼ全員待っていたそうで、野副氏が親しくしていて富士通ともかつて取引のあったファンド企業が反社会的勢力との付き合いがあると告げられたそうです。更に当時の役員は既にこの事実はマスコミなどにもばれそうで、仮に発覚したら富士通は潰れてしまうため、どうか会社を守るために今この場で社長職を辞任してほしいと畳み掛けたそうです。しかも一事が万事で役員会議に出るのも危険だからと他の役員らの動議による解任で済ませ、今後しばらくは自宅から一切外に出ないようにと言われ、そのまま判断するまもなく極秘裏に自宅へ送り返されたそうです。
野副氏はこの時のことを抵抗しなかった自分にも責任があるとしながらも、判断する間も与えず完全にだまし討ちのような手段で、さらに当時言われた内容は事実とは異なるものであったことから提訴すると決めたそうです。もちろん提訴することによって富士通のイメージは悪くなるため、このまま泣き寝入りすべきかとも検討したそうですが、っとこうした人の内面を他人があれこれ言うのは野暮なのでこの辺でやめときますが、第一、もし解任劇が野副氏の言う通りであれば徹底的に抵抗するのが筋でしょう。
私が野副氏の立場に立つ理由はいくつかあります。まず第一に富士通は当初、野副氏の解任理由を「急病によるもの」と発表し、その後に野副氏の反論を受けて「反社会的勢力との付き合い」と訂正している点です。そもそも論としてもし野副氏が本当に知ってか知らずか反社会的勢力と付き合っていたのであれば堂々と役員会で解任し、その理由も正面から説明すればいいだけの話で、急病と詐称すること自体がなにか裏があるためとしか思えません。
第二に、これがある意味核心をなす所でもあるのですが、野副氏と代表が親しくしていて今回槍玉に挙がったファンドことサンドリンガム・キャピタル・パートナーズは、今に至るまで反社会的勢力の交流があるとは一切報じられておりません。それどころかサンドリンガムはこの件で、判決が既に出ているかどうかはわかりませんが、名誉棄損として富士通を提訴しております。
ロイターもこの点で富士通側に確認しているようですが、富士通側は「該当のファンドがサンドリンガムであるとは限らない」と発表しているようで、さらには問題のファンドが反社会的勢力と付き合っていると判断した理由については「司法以外の場では明かす必要がない」として回答を拒否しているそうです。何度も言いますが、正当性があるというのならもっと堂々とすればいいのに。
止めに、これなんか私の友人が狂喜乱舞しかねない名前ですが、華麗なる一族ことあの堤清二氏がロイターの取材に対し、「サンドリンガムの代表者が反社会的勢力と付き合いがあるとは思えない」と述べており、しかも今回の解任劇を仕組んだとされる富士通の顧問にもそう説明していたそうです。あまり人を信用し過ぎるのもなんですが、私も堤清二氏が言うのであれば……という風に思っちゃいます。
そして第三の理由、これはあまり詳しくないのですが野副氏が追い払われる理由が当時の富士通にはあるからです。報道ベースでしか見てませんが、なんでも野副氏が進めていた富士通の子会社であるニフティの経営統合案を快く思わない勢力がたくさんいたそうです。さらにこの統合において、例のサンドリンガムが仕事を請け負っていたというのだから私の中で信憑性は抜群です。
これだけきな臭い話にもかかわらず東京地裁は今回、当時の役員らが該当のファンドと反社会的勢力が交流があったと信じるに足る情報があった、だから野副氏に辞任を求めたことは問題なかったという判断から賠償請求を棄却したそうです。しかもふざけきっていることに、「該当のファンドが反社会的勢力と関係があることが客観的に真実か否かは問題とされていない」と指摘しています。これはつまり疑惑が真実であるかは関係なく、そういったことが疑われるのならそれだけで解任してもよいとお墨付きを与えているも同然です。仮にこの通りであれば、今後はそれらしい情報を集めて気に入らない人間をいくらでも追放するといった行為が起こりかねず、非常に問題のある判断だと私には感じます。この件で何より大事なのは解任理由が真実かどうかであるはずなのに、この始関正光という裁判長は本当に理解が出来ません。
野副氏は今回の判決に控訴をする予定だそうですが、私としても是非真実を明らかにしてほしく、陰ながら応援させてもらいます。それにしてもCMがクソなら会社もクソだな、富士通は。
2012年4月9日月曜日
小売りに見る消費文化
ちょっと古い話ですが、この前に英小売のテスコが日本事業から撤退しました。撤退がわかった当初はそれこそあちこちがその原因を分析した記事を出してて、大体が日本の消費文化になじまなかったということを、すでに撤退しているカルフールの例や不振が続くウォールマートの例を出して解説するのがほとんどだったと思います。実はここだけの話、小売りというのは一見どの世界も同じような形態と見られがちであるものの、実態的には国や地域ごとの文化差が非常に激しい領域だと思え、どれだけ資本量が多かろうとも文化圏が異なれば成立しない業界だと考えております。
一体何故このように考えるかですが、一つの理由として中国の小売市場を見ているせいだと思います。実は中国でも定期的と言ってもいいくらいにカルフールやウォルマートが撤退するのではというニュースが良く出ており、傍目には客が入っているように見えるものの業績自体は極端によくないという話をよく聞きます。またこれは家電専門店ですがアメリカのベストバイという家電屋は鳴り物入りで中国に進出しましたが、昨年に大幅な赤字を計上した上で撤退しています。
ベストバイの撤退については現地で非常に細かな分析がなされましたが、最も指摘された原因というのはやはり「アメリカ式」という点でした。中国の家電屋というのは昔の日本と同じく、各家電メーカーごとに販売員が派遣されてきており、それらの販売員が各々客を接客して自社の製品を買わせるという仕組みになっております。なお余談ですが、友人が以前に掃除機か何かを買いに行った際、販売員同士が大喧嘩してえらいことになったと言ってました。
話は戻ってベストバイですが、どうも進出当初は「豊富な品揃え」をアピールして、メーカーから派遣される販売員の受け入れは拒否していたそうです。そのためやってくる消費者も最初は真新しさで来ていたものの徐々に減り、後になってから販売員の受け入れを行ったものの結局再起を期せずして撤退と相成ったわけです。
実は自分も以前まで、小売りというのは並べる商品さえ気を付ければどこがやろうともそんなに変わらないだろうと思っていたのですが、どうもこうした日本や中国で欧米勢が苦戦している様を見ると文化的な要因が非常に強い業界ではないかと思うようになってきました。さらに思い返すと、カルフールが千葉県幕張市にできた際に私が通っていた高校の保険のおばちゃんは、「やっぱあそこは広すぎて駄目ね。イトーヨーカドーくらいがちょうどいいわ」ってなことを言ってて、自分も同じような印象を覚えたことがありました。
さらに言うと、中国ではお土産屋や衣類店などでは店員の給料が歩合制になっており、どれだけ接客して客に買わせたで変わってきます。そのためどの店員もうっとうしいくらいに、「何買う?」、「どれが欲しい?」って見ている傍から聞いてきて、「見てるだけだって」って言っていつも追っ払うようにしているのですが、この辺も日本人からすると程遠い文化に見えるかもしれません。
なお最後につけ足すと、中国と日本ではまず欲しがる商品の嗜好が異なります。もちろん個人差はありますが全体的な傾向で述べると、中国人は性能や必要性といったものは度外視して、どれだけその商品が高級か、値段が高そうに見えるかを気にします。これに対して日本人はというとスペック偏重というか、どれだけ機能がついているかを重視し、カタログの数値を他の商品と比較するのがことのほか好むように私は思います。考えてみれば自分も、小学生の頃は自転車のギアが何段あるかをよく友達と比較し合っており、今思うと何を馬鹿なことをしてたんだろうという気になります。
ついでに書くと、自転車のギアは適当に乗るなら3段くらいがちょうどいいと思います。8段とかついていたっていちいち切り替える手間のが大きいし、一番上と下のギアなんて使いどころがはっきりしなくて、専門的に乗らないならよしといた方がいいでしょう。まぁこんなこと言いながら日本で一番乗ってたのは6段ギアだったんだけど。
一体何故このように考えるかですが、一つの理由として中国の小売市場を見ているせいだと思います。実は中国でも定期的と言ってもいいくらいにカルフールやウォルマートが撤退するのではというニュースが良く出ており、傍目には客が入っているように見えるものの業績自体は極端によくないという話をよく聞きます。またこれは家電専門店ですがアメリカのベストバイという家電屋は鳴り物入りで中国に進出しましたが、昨年に大幅な赤字を計上した上で撤退しています。
ベストバイの撤退については現地で非常に細かな分析がなされましたが、最も指摘された原因というのはやはり「アメリカ式」という点でした。中国の家電屋というのは昔の日本と同じく、各家電メーカーごとに販売員が派遣されてきており、それらの販売員が各々客を接客して自社の製品を買わせるという仕組みになっております。なお余談ですが、友人が以前に掃除機か何かを買いに行った際、販売員同士が大喧嘩してえらいことになったと言ってました。
話は戻ってベストバイですが、どうも進出当初は「豊富な品揃え」をアピールして、メーカーから派遣される販売員の受け入れは拒否していたそうです。そのためやってくる消費者も最初は真新しさで来ていたものの徐々に減り、後になってから販売員の受け入れを行ったものの結局再起を期せずして撤退と相成ったわけです。
実は自分も以前まで、小売りというのは並べる商品さえ気を付ければどこがやろうともそんなに変わらないだろうと思っていたのですが、どうもこうした日本や中国で欧米勢が苦戦している様を見ると文化的な要因が非常に強い業界ではないかと思うようになってきました。さらに思い返すと、カルフールが千葉県幕張市にできた際に私が通っていた高校の保険のおばちゃんは、「やっぱあそこは広すぎて駄目ね。イトーヨーカドーくらいがちょうどいいわ」ってなことを言ってて、自分も同じような印象を覚えたことがありました。
さらに言うと、中国ではお土産屋や衣類店などでは店員の給料が歩合制になっており、どれだけ接客して客に買わせたで変わってきます。そのためどの店員もうっとうしいくらいに、「何買う?」、「どれが欲しい?」って見ている傍から聞いてきて、「見てるだけだって」って言っていつも追っ払うようにしているのですが、この辺も日本人からすると程遠い文化に見えるかもしれません。
なお最後につけ足すと、中国と日本ではまず欲しがる商品の嗜好が異なります。もちろん個人差はありますが全体的な傾向で述べると、中国人は性能や必要性といったものは度外視して、どれだけその商品が高級か、値段が高そうに見えるかを気にします。これに対して日本人はというとスペック偏重というか、どれだけ機能がついているかを重視し、カタログの数値を他の商品と比較するのがことのほか好むように私は思います。考えてみれば自分も、小学生の頃は自転車のギアが何段あるかをよく友達と比較し合っており、今思うと何を馬鹿なことをしてたんだろうという気になります。
ついでに書くと、自転車のギアは適当に乗るなら3段くらいがちょうどいいと思います。8段とかついていたっていちいち切り替える手間のが大きいし、一番上と下のギアなんて使いどころがはっきりしなくて、専門的に乗らないならよしといた方がいいでしょう。まぁこんなこと言いながら日本で一番乗ってたのは6段ギアだったんだけど。
2012年4月7日土曜日
世界最薄膜の太陽電池開発のニュースについて
別にわざわざ取り上げなくてもいいんですが、我ながらよく咄嗟に気が付いたという感じがしたので記念に書いておきます。
・東大、世界最薄/最軽量級の有機薄膜太陽電池の開発に成功(マイナビニュース)
・最薄・最軽量の有機太陽電池、日豪大学が共同開発(AFP=時事/AFPBB News)
見出しを見てわかると思いますが、どちらも恐らくは同じ内容のニュースです。先に出た、というか私が確認したのはマイナビニュースの方でしたが、それだけに二番目のAFPの記事を読んで「アレ?」って思ったわけです。一体どこに疑問を感じたのかというと、今回の太陽電池開発に当たって東大と共同研究したヨハネスケプラー大学の国籍です。
リンク先を読んでもらえばわかると思いますが、マイナビの方が「オーストリア」と書いてあるのに対し、AFPは「オーストラリア」って書いており、しかも後半にはご丁寧に「豪ヨハネスケプラー(Johannes Kepler)大学リンツ校」と略称までつけて確信犯であることまでわかります。結論を言うとこれは「オーストリア」が正解で、多分AFPの方は配信されたニュース原文にある国名を間違えて記載したのでしょう。それにしたってひどい間違いだし、校正もこれを見逃すというのはちょっと恥ずかしいでしょう。
最初にAFPの記事を読んだ際は、「あれ、前にもオーストリアとの共同研究で開発したって言ってなかったけ。それともそれ以上に薄い電池がもう出てきたの?」ってな感じで疑ったのですが、記事に出てくる東大教授の名前も一緒ですし、そもそもヨハネスケプラー大学の所在地からしてオーストラリアであるのはあり得ません。こんな細かいことをいちいち突っ込むのもどうかとは思うのですが、一見で前回記事に出てきた国名がオーストリアだったというのを思い出せたというのを記念する意味で記事に残しておきます。
これくらいの洞察力が仕事でも発揮できたらなぁ。
・東大、世界最薄/最軽量級の有機薄膜太陽電池の開発に成功(マイナビニュース)
・最薄・最軽量の有機太陽電池、日豪大学が共同開発(AFP=時事/AFPBB News)
見出しを見てわかると思いますが、どちらも恐らくは同じ内容のニュースです。先に出た、というか私が確認したのはマイナビニュースの方でしたが、それだけに二番目のAFPの記事を読んで「アレ?」って思ったわけです。一体どこに疑問を感じたのかというと、今回の太陽電池開発に当たって東大と共同研究したヨハネスケプラー大学の国籍です。
リンク先を読んでもらえばわかると思いますが、マイナビの方が「オーストリア」と書いてあるのに対し、AFPは「オーストラリア」って書いており、しかも後半にはご丁寧に「豪ヨハネスケプラー(Johannes Kepler)大学リンツ校」と略称までつけて確信犯であることまでわかります。結論を言うとこれは「オーストリア」が正解で、多分AFPの方は配信されたニュース原文にある国名を間違えて記載したのでしょう。それにしたってひどい間違いだし、校正もこれを見逃すというのはちょっと恥ずかしいでしょう。
最初にAFPの記事を読んだ際は、「あれ、前にもオーストリアとの共同研究で開発したって言ってなかったけ。それともそれ以上に薄い電池がもう出てきたの?」ってな感じで疑ったのですが、記事に出てくる東大教授の名前も一緒ですし、そもそもヨハネスケプラー大学の所在地からしてオーストラリアであるのはあり得ません。こんな細かいことをいちいち突っ込むのもどうかとは思うのですが、一見で前回記事に出てきた国名がオーストリアだったというのを思い出せたというのを記念する意味で記事に残しておきます。
これくらいの洞察力が仕事でも発揮できたらなぁ。
海外企業に対する日本人のアレルギー
大分今更な話ですが、先日(去年)に友人から勧められたこともあって「ハゲタカ」という小説を本日読み終えました。自分が敬服している友人なだけに見事なチョイスと言わざるを得ないくらい面白く、久々に小説に心動かされました。この作品は既にドラマや映画にもなっているので内容について知っておいでの方も多いでしょうが、ちょうど失われた十年の後半から小泉改革初期の頃の日本が舞台なので、まだ義務教育期間中ではあったものの自分も見聞きした事件が題材にとられていてなんていうか感慨深いものがありました。
それで読み終えた感想ですが、作者自身も「言い訳をしながら生きることはもう止めよう」というのがテーマだと述べているだけに、改めて日本人の無責任性というか経営に対する価値観のなさを思い知らされたというのが大きなところです。特に去年から今年にかけては東電にしろ大王製紙にしろAIJにしろ、一番責任を取らなきゃいけない人間たちが無責任さを存分に発揮するという光景が何度も繰り広げられているだけに、日本企業はあの時に結局、何も反省しなかったのかというような思いを覚えました。
こうした感想とともにもう一つ、これは多分私くらいじゃないかと思いますが、海外に対する価値観というかものの見方が日本人はやはりひん曲がったものがあるんじゃないかという気もしました。具体的にどういうことかというと、それこそ製造業に例を取るならば今の日本企業はどこも「海外に出ていかなければ……」と強い進出意欲と危機感を持っております。しかしその一方でこの小説に出てくる「ハゲタカ」こと外資系投資ファンドのように、海外から日本にやってくる企業や人間に対してはその存在価値すら頭から否定するところがある気がします。
古くは日産のカルロス・ゴーン氏で、彼の就任当初はそれこそ「それ全く関係ないだろ」というくらいの個人批判もあれば、実際に業績が上向いてくると「所詮一時的なものだ」と負け惜しみかのような声がほぼ毎年聞かれました。さすがに十年以上も好業績を保っているのでほとんどの批判は消え失せましたが、ついでなので書かせてもらうと現在の中国で最も成功した日系企業と問われるなら私は迷うことなく「大企業なら日産」だと答えています。トヨタやホンダがシェア争いで低迷する中で確実に毎年シェアを伸ばしておりますし、真面目に中国のどこ行っても日産の「ティアナ」は見ることが出来ます。
話は本題に戻しますが、日本企業が海外に新しい拠点や工場を建設するとそれはいいことだとみんな手放しで誉めると思いますが、逆に現実に海外メーカーが日本に大規模な工場を建てようとするものなら、人件費などの関係でほとんどないものの、恐らくほとんどの日本人はいい気分をしないと思います。場合、これも具体名を出すとそれが中国や韓国系企業だった場合は「技術を盗もうとしている」などと陰謀論も出るでしょうし、工場誘致に当たって自治体が補助金を出そうものなら「魂を売った」などとその自治体も激しく批判されることでしょう。
現実に向う見ずな投資で堺工場を建てちゃって首が回んなくなっているシャープが、かつては「世界の亀山モデル」とでっかく喧伝していた三重県亀山工場の一部設備を売却した際は方々から批判を受けましたし、私自身も地元自治体から補助金もらっときながらと批判してましたが、やっぱ周りの批判を見ていると「よりによって海外に売るなんて」っていうような売った行為以上に売った対象に対する批判が強いような気がしました。
冷静に考えてみると日本でいう国際化というのは海外に出ていけるだけの知識や技術の獲得、現地で生活できる人材の育成という意味はあっても、海外で実施されている効率的な経営手法や現地ルールの受け入れというものは含まれていない気がします。これは言うなれば、一時は金融界では欧米式ルールの導入が激しく叫ばれたということがありましたが、どれだけ日本のルールがおかしかろうが、間違っていようが海外のルールには変更しないという価値観の現れなのかもしれません。
別に自分は人類皆兄弟なんて幻想を抱いていなければ変に国際協調を促すつもりなんて全くありません。ただ自分たちが勝手に出ていくのは国際化であっても、相手のルールややり方を受け入れるのはそうではないというのは何か都合が良すぎるのではという気がします。自分を認めてもらうからには相手の認めるところは認める、こうした姿勢をもう少し日本人が持つことこそが国際化の条件なのでは、ひいては日本全体にとっても必要なことなんじゃないかというのが私の意見です。
最後に補足ですが、何故このように私が感じたのかという背景として、この前に中国のある都市で日系企業の誘致イベントに参加してきたからだと思います。そのイベントでは招かれた日本人は食費、宿泊費は現地政府持ちで、それこそ市長級の重鎮も大勢招かれていて、中国では外国企業の誘致にここまでするのかといろんな意味で驚きました。ちなみに招かれた日系企業の中にはそりゃ大企業も一部含まれておりましたが、大半は聞いたこともないような中小企業ばかりでした。
恐らく中国人も昔は昔で日本人みたいに海外企業を誘致するに当たってアレルギーが会ったんじゃないかと思います。しかし効率的に外資を誘致することは誰がどう見たって間違ってないし、現実にそれで中国は利益を上げていることを考えると、この点で日本は中国に先を進まれているのではないかと不安を感じました。
それで読み終えた感想ですが、作者自身も「言い訳をしながら生きることはもう止めよう」というのがテーマだと述べているだけに、改めて日本人の無責任性というか経営に対する価値観のなさを思い知らされたというのが大きなところです。特に去年から今年にかけては東電にしろ大王製紙にしろAIJにしろ、一番責任を取らなきゃいけない人間たちが無責任さを存分に発揮するという光景が何度も繰り広げられているだけに、日本企業はあの時に結局、何も反省しなかったのかというような思いを覚えました。
こうした感想とともにもう一つ、これは多分私くらいじゃないかと思いますが、海外に対する価値観というかものの見方が日本人はやはりひん曲がったものがあるんじゃないかという気もしました。具体的にどういうことかというと、それこそ製造業に例を取るならば今の日本企業はどこも「海外に出ていかなければ……」と強い進出意欲と危機感を持っております。しかしその一方でこの小説に出てくる「ハゲタカ」こと外資系投資ファンドのように、海外から日本にやってくる企業や人間に対してはその存在価値すら頭から否定するところがある気がします。
古くは日産のカルロス・ゴーン氏で、彼の就任当初はそれこそ「それ全く関係ないだろ」というくらいの個人批判もあれば、実際に業績が上向いてくると「所詮一時的なものだ」と負け惜しみかのような声がほぼ毎年聞かれました。さすがに十年以上も好業績を保っているのでほとんどの批判は消え失せましたが、ついでなので書かせてもらうと現在の中国で最も成功した日系企業と問われるなら私は迷うことなく「大企業なら日産」だと答えています。トヨタやホンダがシェア争いで低迷する中で確実に毎年シェアを伸ばしておりますし、真面目に中国のどこ行っても日産の「ティアナ」は見ることが出来ます。
話は本題に戻しますが、日本企業が海外に新しい拠点や工場を建設するとそれはいいことだとみんな手放しで誉めると思いますが、逆に現実に海外メーカーが日本に大規模な工場を建てようとするものなら、人件費などの関係でほとんどないものの、恐らくほとんどの日本人はいい気分をしないと思います。場合、これも具体名を出すとそれが中国や韓国系企業だった場合は「技術を盗もうとしている」などと陰謀論も出るでしょうし、工場誘致に当たって自治体が補助金を出そうものなら「魂を売った」などとその自治体も激しく批判されることでしょう。
現実に向う見ずな投資で堺工場を建てちゃって首が回んなくなっているシャープが、かつては「世界の亀山モデル」とでっかく喧伝していた三重県亀山工場の一部設備を売却した際は方々から批判を受けましたし、私自身も地元自治体から補助金もらっときながらと批判してましたが、やっぱ周りの批判を見ていると「よりによって海外に売るなんて」っていうような売った行為以上に売った対象に対する批判が強いような気がしました。
冷静に考えてみると日本でいう国際化というのは海外に出ていけるだけの知識や技術の獲得、現地で生活できる人材の育成という意味はあっても、海外で実施されている効率的な経営手法や現地ルールの受け入れというものは含まれていない気がします。これは言うなれば、一時は金融界では欧米式ルールの導入が激しく叫ばれたということがありましたが、どれだけ日本のルールがおかしかろうが、間違っていようが海外のルールには変更しないという価値観の現れなのかもしれません。
別に自分は人類皆兄弟なんて幻想を抱いていなければ変に国際協調を促すつもりなんて全くありません。ただ自分たちが勝手に出ていくのは国際化であっても、相手のルールややり方を受け入れるのはそうではないというのは何か都合が良すぎるのではという気がします。自分を認めてもらうからには相手の認めるところは認める、こうした姿勢をもう少し日本人が持つことこそが国際化の条件なのでは、ひいては日本全体にとっても必要なことなんじゃないかというのが私の意見です。
最後に補足ですが、何故このように私が感じたのかという背景として、この前に中国のある都市で日系企業の誘致イベントに参加してきたからだと思います。そのイベントでは招かれた日本人は食費、宿泊費は現地政府持ちで、それこそ市長級の重鎮も大勢招かれていて、中国では外国企業の誘致にここまでするのかといろんな意味で驚きました。ちなみに招かれた日系企業の中にはそりゃ大企業も一部含まれておりましたが、大半は聞いたこともないような中小企業ばかりでした。
恐らく中国人も昔は昔で日本人みたいに海外企業を誘致するに当たってアレルギーが会ったんじゃないかと思います。しかし効率的に外資を誘致することは誰がどう見たって間違ってないし、現実にそれで中国は利益を上げていることを考えると、この点で日本は中国に先を進まれているのではないかと不安を感じました。
2012年4月5日木曜日
鎌倉時代の始まる年についての考察
ぶっちゃけた話、今とても眠いです。理由は簡単でこの連休中に夜更かしし過ぎて、昨晩はなかなか寝付けないまま今日仕事があったからです。ただそれ以上に今朝起きたら原因不明の腹痛に襲われ、あまりにも痛いもんだから体を曲げて靴下を履くことすらままならないほどでした。真面目にZガンダムのカミーユ・ビダンじゃないけど、「何の役にも立てず、俺は両親の元へ行くのか?」などという具合で死を覚悟するくらいの激痛でした。まぁ両親は存命してるけど。
同僚にも朝一で心配されるくらいで、なんでも顔が完全に土気色だったそうです。正午くらいまでは激痛が続き終いには背中の方まで痛くなって、くしゃみなんかして体を動かすと全員に痛みが走って悶えるほどでしたが、午後から徐々に引いて現在では無痛状態です。ほんとにあれはなんだったんだろう。
そんな奇妙な症状のことは置いといて、そろそろ本題に入ります。今日のお題は鎌倉時代の区分こと、始まる年についてです。
・鎌倉時代(Wikipedia)
鎌倉時代が始まった年ともなると、語呂合わせキングと言っても差し支えない「いい国作ろう鎌倉幕府」に表されるように1192年だとお思いの方が多いでしょうが、実は最近になってこれは変わって、現代では壇ノ浦の合戦があった1185年からだ義務教育では教えられています。一体何故年代が繰り上がったのかというと、1192年は源頼朝が征夷大将軍に就任した年で以前はこの時代から武士政権が始まったとみられていたのですが、既に1185年に鎌倉幕府の支配体制における代表的な構造である地頭の設置が認められており、実質上の支配がはじまっていることから繰り上げられたそうです。
もう眠いのでさっさと結論を出してしまいますが、私は鎌倉幕府が始まった年というのは1185年、1192年のどちらもふさわしくないと考えています。じゃあ何年から始まるのが適切なのか、この答えは率直に言って1221年からです。日本史好きならもうわかるでしょうが、この年は承久の乱が起こった年です
私が何故承久の乱の前後で平安時代、鎌倉時代と区切ろうとするのかというと、この承久の乱が起こるまでは西国は天皇家、東国は鎌倉武士団と、日本全国で二重支配があったからです。それがこの承久の乱を契機に全国を鎌倉幕府こと北条家が完全に統括することとなり、ひいては天皇家をも支配下に置くことになります。天皇家が実質的に武士の支配下にはいるのはまさにこの時が初めてで、この構造は1868年に明治維新が起こるまで続くことになります。これは山本七平が言っていたように、日本の歴史上で本当に限られた回数しか起こっていない最大級の革命劇です。
さらに言うと鎌倉幕府は当初でこそ源頼朝こと源氏の棟梁が統治しましたが、彼以降は実質的に北条家が取り仕切っており、鎌倉幕府は誰のものだったかとなると私は北条家の物だったと言っていい気がします。この構造は徳川家による江戸幕府が成立する前の豊臣政権に近いようにも思え、時代区分としては源氏はブレイクスルーに過ぎず、主役にするべきではないはずです。その北条家が完全に主導権を握るきっかけとなったのは1219年に源実朝が暗殺され、それを一つの契機として起きたのが承久の乱と考えると、やっぱり鎌倉幕府は1221年からというように思えてなりません。
ここではっきり書いてしまいますが、ブレイクスルーに過ぎない源頼朝の征夷大将軍就任から鎌倉幕府が始まるという考え方の方が不自然で、承久の乱から始まるという方が明らかに自然なのです。にもかかわらずこれまで前者の説が取られてきたのは間違いなく皇国史観が影響していると断言してもいいです。皇国史観がなんなのかまではもう説明しませんが、要するに「天皇家が敗北して取って代わられた」という歴史をなるべく小さくしたかったからで、早いことこんなカビの生えた価値観は捨てて、公平な認識でもって鎌倉幕府の開始年度は再考していただきたいものです。
同僚にも朝一で心配されるくらいで、なんでも顔が完全に土気色だったそうです。正午くらいまでは激痛が続き終いには背中の方まで痛くなって、くしゃみなんかして体を動かすと全員に痛みが走って悶えるほどでしたが、午後から徐々に引いて現在では無痛状態です。ほんとにあれはなんだったんだろう。
そんな奇妙な症状のことは置いといて、そろそろ本題に入ります。今日のお題は鎌倉時代の区分こと、始まる年についてです。
・鎌倉時代(Wikipedia)
鎌倉時代が始まった年ともなると、語呂合わせキングと言っても差し支えない「いい国作ろう鎌倉幕府」に表されるように1192年だとお思いの方が多いでしょうが、実は最近になってこれは変わって、現代では壇ノ浦の合戦があった1185年からだ義務教育では教えられています。一体何故年代が繰り上がったのかというと、1192年は源頼朝が征夷大将軍に就任した年で以前はこの時代から武士政権が始まったとみられていたのですが、既に1185年に鎌倉幕府の支配体制における代表的な構造である地頭の設置が認められており、実質上の支配がはじまっていることから繰り上げられたそうです。
もう眠いのでさっさと結論を出してしまいますが、私は鎌倉幕府が始まった年というのは1185年、1192年のどちらもふさわしくないと考えています。じゃあ何年から始まるのが適切なのか、この答えは率直に言って1221年からです。日本史好きならもうわかるでしょうが、この年は承久の乱が起こった年です
私が何故承久の乱の前後で平安時代、鎌倉時代と区切ろうとするのかというと、この承久の乱が起こるまでは西国は天皇家、東国は鎌倉武士団と、日本全国で二重支配があったからです。それがこの承久の乱を契機に全国を鎌倉幕府こと北条家が完全に統括することとなり、ひいては天皇家をも支配下に置くことになります。天皇家が実質的に武士の支配下にはいるのはまさにこの時が初めてで、この構造は1868年に明治維新が起こるまで続くことになります。これは山本七平が言っていたように、日本の歴史上で本当に限られた回数しか起こっていない最大級の革命劇です。
さらに言うと鎌倉幕府は当初でこそ源頼朝こと源氏の棟梁が統治しましたが、彼以降は実質的に北条家が取り仕切っており、鎌倉幕府は誰のものだったかとなると私は北条家の物だったと言っていい気がします。この構造は徳川家による江戸幕府が成立する前の豊臣政権に近いようにも思え、時代区分としては源氏はブレイクスルーに過ぎず、主役にするべきではないはずです。その北条家が完全に主導権を握るきっかけとなったのは1219年に源実朝が暗殺され、それを一つの契機として起きたのが承久の乱と考えると、やっぱり鎌倉幕府は1221年からというように思えてなりません。
ここではっきり書いてしまいますが、ブレイクスルーに過ぎない源頼朝の征夷大将軍就任から鎌倉幕府が始まるという考え方の方が不自然で、承久の乱から始まるという方が明らかに自然なのです。にもかかわらずこれまで前者の説が取られてきたのは間違いなく皇国史観が影響していると断言してもいいです。皇国史観がなんなのかまではもう説明しませんが、要するに「天皇家が敗北して取って代わられた」という歴史をなるべく小さくしたかったからで、早いことこんなカビの生えた価値観は捨てて、公平な認識でもって鎌倉幕府の開始年度は再考していただきたいものです。
2012年4月4日水曜日
日本に影響を残した外国人~アーネスト・フェノロサ
また大分期間が空いてのこの連載。何か理由があるわけじゃないけど、こっちでも気温が上がってきたから薄着でワッショイしてたら鼻水が止まらなくなった日に再開というのも何かしら運命があるのかもしれません。花粉症ではありませんが、これだから4月は嫌いだ
・アーネスト・フェノロサ(Wikipedia)
そんな鼻水との格闘を続ける中で紹介するのは、日本の美術界、ひいては奈良の観光業界に多大なる貢献を放たしたアーネスト・フェノロサです。個人的な感傷ですが、この人に関しては私自身も並々ならぬ尊敬心を抱いております。
フェノロサはアメリカのハーバード大学で政治経済学を学んでいたのですが、25歳の時に来日していた大森貝塚で有名なエドワード・モースから哲学を講義出来る優秀な人材との紹介を受けて1888年に来日しました。
話は少し横にそれますが、この時期のお雇い外国人は一応はそれぞれの専門領域を教えるために来日していますが、当時の日本の学術レベルが非常に低い割に指導教授がいなかったこともあり、今で言えば小学校で習うような理科の内容や簡単な世界情勢とかも一緒に講義していたようです。
話はフェノロサに戻りますが、日本にやってきた当初は東大で政治学や哲学などを教えていて昨今知られているような美術との関わりはなかったそうです。ただ以前からボストンの美術学校でデッサンを学ぶなどこの方面にも元々興味はあったようで、来日からほどなくして日本の美術品に興味を示しだし、ちょうど当時フェノロサを師事していた岡倉天心に収集を手伝わせるようになってからは一気に火が吹き、日本画の絵画展で審査員なども務めております。
そんなフェノロサの現代にまで通じる最大の功績はなんといっても、廃仏毀釈によって壊滅的打撃を受けていた仏教美術の再評価です。話せば少し長くなりますが、1868年に明治時代に入った直後、日本政府は神仏分離令といって境界があいまいだった神道と仏教の線引きをはっきりするための通達を出しました。これを受け一部の地域、特に近畿地方ではそれ以前からの反感もあってか仏教に対して「えらそうにしてやがったくせ神道とは別かよ!」っていうようなノリで、暴動に近いほどの排斥が起こるようになりました。
日本の高校レベルの授業ではこういう風に軽く教えられると思いますが、実態的には非常に大きな排斥運動でした。それこそ一部の寺なんかは民衆によって完全に破壊されて跡形もなくこの世から消え去ってしまってますし、歴史的価値の高い仏像や宝物も一切合財破壊されたり燃やされたりもしています。運が良くても、欧米の好事家に買われて国外に流出するケースがほとんどだったと言います。
この廃仏毀釈の被害が最も大きかった地域は神道のお膝元である三重県と、仏教勢力の強かった奈良県だと言われています。勝手な想像ですが、京都の寺なんかはそれとなく有力者と結びついたり、京都人もある程度価値がわかっていたから保存に成功できたのだと思います。
逆に奈良県は徹底的と言っていいほどの破壊が横行し、主要な仏像などはすべて薪の材料として燃やされていったそうです。今も残る奈良の伽藍や塔が何故残ったのかというと、薪として売る価格よりも分解して薪にする手間賃のが高かったためだとされており、そのほか仏像なども処分費用が掛かるからしょうがなく倉庫に保管されていただけであって、こうしたものが現在国宝として珍重されていることを考えるとどれだけの貴重な財産が失われたか想像に難くありません。
こんな混乱の坩堝と化していた近畿地方にフェノロサと岡倉天心は乗り込み、売られようとしていた美術品の保存に努めただけでなくそれらを海外に紹介することで再評価を進めました。仮に当時のフェノロサの運動がなければ、同地域の主要な観光資源となっている寺や仏像のほとんどが失われていた可能性もあり、そういう意味では奈良県はタイガースファンにとってのバースよろしくフェノロサに対してもっと崇めたりした方がいいんじゃないかと思います。
またこの時期のフェノロサと岡倉天心のエピソードとして、法隆寺夢殿の救世観音像にまつわる話があります。この救世観音像は長きにわたって秘仏とされており、像を覆う布を取ったら祟りが下りるとして封印されておりました。しかしそういって公開を拒む法隆寺に対してこの二人は、「祟りなんかどうでもいいからとっとと見せやがれ(#゚Д゚)ゴルァ!!」とかなり強引に迫って、なんでも止める僧侶とかを無理矢理引きはがして夢殿に乗り込んだそうで、僧侶の中には祟りを恐れてその場から逃げだす者までいたそうです。
こうして邪魔者をすべて追い払った二人は悠々と救世観音像とお目見えできたわけですが、この像は聖徳太子を模した像と言われており、一説には一族すべてが殺された太子を慰めるために作られたとも言われています。それゆえ法隆寺の怨霊伝説とか神霊ものには頻出のアイテムであって、自分が昔見た話なんかだと夢殿を写真で撮ったら燃えている写真が出来たというのもあります。
こんな感じで日本で大暴れ、もといかなり楽しそうな人生を送ったフェノロサは1890年に帰国し、ボストン美術館の東洋部長として日本美術の紹介をつづけ、1908年にロンドンで死去しました。
この記事でもそうですが、私がフェノロサを紹介する際は基本的に廃仏毀釈を説明する時です。それ以前からどれだけ価値が知られていようとも、また実際に高い価値が持っていようとも、ちょっとした風向きの違いでこうも簡単に失われてしまうことがあるということをせっかくなので肝に銘じておいてほしいという願いを込めて筆をおかせてもらいます。
・アーネスト・フェノロサ(Wikipedia)
そんな鼻水との格闘を続ける中で紹介するのは、日本の美術界、ひいては奈良の観光業界に多大なる貢献を放たしたアーネスト・フェノロサです。個人的な感傷ですが、この人に関しては私自身も並々ならぬ尊敬心を抱いております。
フェノロサはアメリカのハーバード大学で政治経済学を学んでいたのですが、25歳の時に来日していた大森貝塚で有名なエドワード・モースから哲学を講義出来る優秀な人材との紹介を受けて1888年に来日しました。
話は少し横にそれますが、この時期のお雇い外国人は一応はそれぞれの専門領域を教えるために来日していますが、当時の日本の学術レベルが非常に低い割に指導教授がいなかったこともあり、今で言えば小学校で習うような理科の内容や簡単な世界情勢とかも一緒に講義していたようです。
話はフェノロサに戻りますが、日本にやってきた当初は東大で政治学や哲学などを教えていて昨今知られているような美術との関わりはなかったそうです。ただ以前からボストンの美術学校でデッサンを学ぶなどこの方面にも元々興味はあったようで、来日からほどなくして日本の美術品に興味を示しだし、ちょうど当時フェノロサを師事していた岡倉天心に収集を手伝わせるようになってからは一気に火が吹き、日本画の絵画展で審査員なども務めております。
そんなフェノロサの現代にまで通じる最大の功績はなんといっても、廃仏毀釈によって壊滅的打撃を受けていた仏教美術の再評価です。話せば少し長くなりますが、1868年に明治時代に入った直後、日本政府は神仏分離令といって境界があいまいだった神道と仏教の線引きをはっきりするための通達を出しました。これを受け一部の地域、特に近畿地方ではそれ以前からの反感もあってか仏教に対して「えらそうにしてやがったくせ神道とは別かよ!」っていうようなノリで、暴動に近いほどの排斥が起こるようになりました。
日本の高校レベルの授業ではこういう風に軽く教えられると思いますが、実態的には非常に大きな排斥運動でした。それこそ一部の寺なんかは民衆によって完全に破壊されて跡形もなくこの世から消え去ってしまってますし、歴史的価値の高い仏像や宝物も一切合財破壊されたり燃やされたりもしています。運が良くても、欧米の好事家に買われて国外に流出するケースがほとんどだったと言います。
この廃仏毀釈の被害が最も大きかった地域は神道のお膝元である三重県と、仏教勢力の強かった奈良県だと言われています。勝手な想像ですが、京都の寺なんかはそれとなく有力者と結びついたり、京都人もある程度価値がわかっていたから保存に成功できたのだと思います。
逆に奈良県は徹底的と言っていいほどの破壊が横行し、主要な仏像などはすべて薪の材料として燃やされていったそうです。今も残る奈良の伽藍や塔が何故残ったのかというと、薪として売る価格よりも分解して薪にする手間賃のが高かったためだとされており、そのほか仏像なども処分費用が掛かるからしょうがなく倉庫に保管されていただけであって、こうしたものが現在国宝として珍重されていることを考えるとどれだけの貴重な財産が失われたか想像に難くありません。
こんな混乱の坩堝と化していた近畿地方にフェノロサと岡倉天心は乗り込み、売られようとしていた美術品の保存に努めただけでなくそれらを海外に紹介することで再評価を進めました。仮に当時のフェノロサの運動がなければ、同地域の主要な観光資源となっている寺や仏像のほとんどが失われていた可能性もあり、そういう意味では奈良県はタイガースファンにとってのバースよろしくフェノロサに対してもっと崇めたりした方がいいんじゃないかと思います。
またこの時期のフェノロサと岡倉天心のエピソードとして、法隆寺夢殿の救世観音像にまつわる話があります。この救世観音像は長きにわたって秘仏とされており、像を覆う布を取ったら祟りが下りるとして封印されておりました。しかしそういって公開を拒む法隆寺に対してこの二人は、「祟りなんかどうでもいいからとっとと見せやがれ(#゚Д゚)ゴルァ!!」とかなり強引に迫って、なんでも止める僧侶とかを無理矢理引きはがして夢殿に乗り込んだそうで、僧侶の中には祟りを恐れてその場から逃げだす者までいたそうです。
こうして邪魔者をすべて追い払った二人は悠々と救世観音像とお目見えできたわけですが、この像は聖徳太子を模した像と言われており、一説には一族すべてが殺された太子を慰めるために作られたとも言われています。それゆえ法隆寺の怨霊伝説とか神霊ものには頻出のアイテムであって、自分が昔見た話なんかだと夢殿を写真で撮ったら燃えている写真が出来たというのもあります。
こんな感じで日本で大暴れ、もといかなり楽しそうな人生を送ったフェノロサは1890年に帰国し、ボストン美術館の東洋部長として日本美術の紹介をつづけ、1908年にロンドンで死去しました。
この記事でもそうですが、私がフェノロサを紹介する際は基本的に廃仏毀釈を説明する時です。それ以前からどれだけ価値が知られていようとも、また実際に高い価値が持っていようとも、ちょっとした風向きの違いでこうも簡単に失われてしまうことがあるということをせっかくなので肝に銘じておいてほしいという願いを込めて筆をおかせてもらいます。
2012年4月3日火曜日
南京詣出
今日も清明節のお休みだったので、ちょっと遠出とばかりに高速鉄道に乗って南京市へ遊びに行きました。南京には留学中の6年前にも一回だけ訪れたことがありましたが、当時とは違ってピカピカの南京南駅もあれば地下鉄も整備されており、いい意味で見違えていました。

そんな南京市で今回訪れたのは、孫文こと孫中山の墓所です。孫文のことを中国では一般的に孫中山と呼ぶのですが、この呼称の起源はというと孫文が日本滞在中に「中山」という表札を見て、「いいじゃんコレ(゚∀゚)」ってな感じで自分の呼び方に使い始めたのがきっかけだそうです。表札もかけてみるもんだ。
そんな孫文の墓こと中山陵ですが、えらい山の中にあって最寄りの地下鉄駅から上ること実に30分もかかってようやく到着しました。ただ昇っている最中は前の人間を次々追い越して一度も抜かれることはなかったので、多分ほかの人が昇ったら1時間近くかかる気がします。この中山陵に限らず中国の偉人の墓はどこも馬鹿でかく、瀋陽市にあるホンタイジの墓も東京ドーム何個分だっていうくらいの広さで、伏見にある桃山御陵と比べると日本は詣出客に随分優しい設計だということが痛感します。

手前の女性のけだるそうな顔が印象的。

この日は連休中とあって人口大国中国らしく、ほかに行くところはないのかよと言いたくなるくらいに人でごった返していました。もっとも自分もその一人なのだが。

孫文の像。この像に限らず中国では座った姿の像がやけに多いです。ちなみに像というと南宋時代に活躍して現在では売国奴ととして罵られている秦檜の像は跪いていることで有名ですが、なんか去年に座った姿の像が発見されてクララが立ち上がった時くらいの衝撃が中国全土に走りました。結局、批判が多くって公開されなかったけど。

孫文の墓の後はその隣にある、明代の初代皇帝、洪武帝の墓所も見学しました。孫文の墓所は無料公開なのに対し、こちらは通常料金75元のところ、この日は観光シーズンなので50元の入場料金を取られました。同じ墓所なのに孫文ばっかり特別扱いはずるいと、洪武帝も草葉の陰で思っているに違いない。

こっちも人でごった返していて、上海じゃ聞いたことのないようなアクの強い北方訛りの中国語も聞こえてきました。北京で中国語を勉強した身からすると、妙に懐かしいんだけど。
この二つの墓所を3時間くらいぶっ通しで歩き続けた後は市街地を軽く回り、そのまま駅に戻って上海に帰ってきました。いつもこんな感じで無茶な距離を歩き続けるせいか、初見の人と一緒に出掛けると大抵「ごめん、足が痛いんだけど……」とダウンさせてしまってます。ある友人なんか、「花園君に鍛えられたせいか、友達と一緒に歩くとみんなちょっと待ってって僕に言うようになってきた……」と言うくらいで、そこまで意識はしてないですが周りにかなり無茶をさせてるようです。
そんな南京市で今回訪れたのは、孫文こと孫中山の墓所です。孫文のことを中国では一般的に孫中山と呼ぶのですが、この呼称の起源はというと孫文が日本滞在中に「中山」という表札を見て、「いいじゃんコレ(゚∀゚)」ってな感じで自分の呼び方に使い始めたのがきっかけだそうです。表札もかけてみるもんだ。
そんな孫文の墓こと中山陵ですが、えらい山の中にあって最寄りの地下鉄駅から上ること実に30分もかかってようやく到着しました。ただ昇っている最中は前の人間を次々追い越して一度も抜かれることはなかったので、多分ほかの人が昇ったら1時間近くかかる気がします。この中山陵に限らず中国の偉人の墓はどこも馬鹿でかく、瀋陽市にあるホンタイジの墓も東京ドーム何個分だっていうくらいの広さで、伏見にある桃山御陵と比べると日本は詣出客に随分優しい設計だということが痛感します。
手前の女性のけだるそうな顔が印象的。
この日は連休中とあって人口大国中国らしく、ほかに行くところはないのかよと言いたくなるくらいに人でごった返していました。もっとも自分もその一人なのだが。
孫文の像。この像に限らず中国では座った姿の像がやけに多いです。ちなみに像というと南宋時代に活躍して現在では売国奴ととして罵られている秦檜の像は跪いていることで有名ですが、なんか去年に座った姿の像が発見されてクララが立ち上がった時くらいの衝撃が中国全土に走りました。結局、批判が多くって公開されなかったけど。
孫文の墓の後はその隣にある、明代の初代皇帝、洪武帝の墓所も見学しました。孫文の墓所は無料公開なのに対し、こちらは通常料金75元のところ、この日は観光シーズンなので50元の入場料金を取られました。同じ墓所なのに孫文ばっかり特別扱いはずるいと、洪武帝も草葉の陰で思っているに違いない。
こっちも人でごった返していて、上海じゃ聞いたことのないようなアクの強い北方訛りの中国語も聞こえてきました。北京で中国語を勉強した身からすると、妙に懐かしいんだけど。
この二つの墓所を3時間くらいぶっ通しで歩き続けた後は市街地を軽く回り、そのまま駅に戻って上海に帰ってきました。いつもこんな感じで無茶な距離を歩き続けるせいか、初見の人と一緒に出掛けると大抵「ごめん、足が痛いんだけど……」とダウンさせてしまってます。ある友人なんか、「花園君に鍛えられたせいか、友達と一緒に歩くとみんなちょっと待ってって僕に言うようになってきた……」と言うくらいで、そこまで意識はしてないですが周りにかなり無茶をさせてるようです。
2012年4月2日月曜日
日本のライバル国
日本人に対して「日本のライバル国は?」と聞いたら恐らく、7割方の人間が韓国か中国の名前を挙げ、残り3割の大半をアメリカと答えるのではないかと思います。なお韓国か中国かといったら多分韓国の方が割合が多い気がします。このような現実を踏まえた上で言うと、私は将来的に真に日本のライバル国となるのは、一つは国ではなく地域ですが香港、もう一つはシンガポールだと考えております。
久々にこういう突飛な意見というか、見ている人が見たら何をと思われる話ですが、この件に関してはやや真面目に考えております。まず最初に上げた国々がどうして日本のライバルじゃないかという点ですが、韓国については主要産業が電機と自動車ということでうなずける部分もあるのですが、アメリカや中国に関しては人口規模から国土まで日本とは桁違いに大きく、何気にこの前も私がレポートで書きましたが、国土が広いだけあって中国の建機メーカーはまだまだ長きにわたって繁栄を享受することが予想されています。また産業構造というか国の構造もこの二ヶ国は日本と趣が異なっている、具体的に言えば軍事費の支出割合が大きく、こう言ってはなんですがいい意味で棲み分けが出来る相手だと考えています。
では逆に、どうして香港とシンガポールを日本の将来のライバル国として挙げたのかについて説明します。まず前提から解説すると、日本はともかく香港とシンガポールの二ヶ国(面倒なので香港はこの後も「国」として話を進めます)は互いに相手をはっきりとライバル視ししており、去年も香港の調査では競争相手国としてシンガポールが一位に入っていました。この二ヶ国がどうしてライバル視し合っているかというと単純に産業から構造までが全く一緒で、どちらも移民が多く、国土と人口は少なく、食料は他国からの輸入で賄っており、法人税は少なく、金融とグローバル拠点としての立地の良さを武器に戦っているからです。さらに付け加えるなら、英語が公用語として通用する点も共通しています。
こうして挙げた要素を日本の現状と比べると、自分で言っておきながらですが明らかに隔たりがあります。まず日本は中国やアメリカと比べると狭いながらも国土は広く(平地は少ないが)、人口も世界でもかなり上位にランクインしています。食料を外国に依存しているという点では共通していますが、英語が公用語なんて遥か遠い世界なくらいにほかの要素はまるで一致してません。
このように土台が全く違うにもかかわらず何故私がこの二ヶ国をライバル視すするのか、回りくどい言い方になってしまいましたが20年くらい先の日本の持っていき先として、国の構造や産業をこの二ヶ国の現状に近づけさせたいというのが狙いです。何故このような意見を持つのかというと、そもそもの現状として今の日本は政治家も官僚も国民もそろってアメリカや中国に張り合おうとしているところがあります。確かにかつての日本のGDPや経済力は非常に高くてアメリカや中国とも張り合えそうに見えたこともありましたが、張り合おうとした結果、いろんなものを失っているのが今の日本の現状ではないかとも感じます。また中長期的に見るならば、これまた極論かもしれませんが自分は将来の世界では人口が少なければ少ないほど一国として有利になると考えており、現在の少子化対策は必要ではあるものの日本の人口は緩やかに減少させていくべきだとも考えており、中国やアメリカをボクシングのヘビー級としてとらえるなら、もっと体重の軽いフェザー級などへ持っていくべきだという持論をかねてから持っております。
こうした価値観から将来的な日本の姿のモデルとして今の世界で成功しているのを挙げるととすると、やはり香港とシンガポールかという考え方から勝手なライバル視に繋がりました。
まずくれぐれも言っておきますが、一から十まで香港とシンガポールのような国に日本はなるべきだとは考えておりません。香港の人口は約700万人、シンガポールは約470万人で日本の十分の一以下であり、人口が少ないがゆえの有利さもありますが日本は国内人口が大きい分だけあって国内市場を持っているという強みがあり、これをわざわざ捨てる必要がありません。ただ将来的な人口減に対応するため、この二ヶ国の取り組みの必要なところ(必要なところ≠良いところ)は日本も取り込んでいくべきで、それこそ移民に関しては今から議論するのも遅すぎるくらいです。
なんか自分でも考えがまとまっていなかったせいかあまりまとまりのない内容となりましたが、簡潔にまとめるなら「中国やアメリカと張り合おうとせず、香港やシンガポールに近づくように構造を変えるべき」というのが私の意見です。
久々にこういう突飛な意見というか、見ている人が見たら何をと思われる話ですが、この件に関してはやや真面目に考えております。まず最初に上げた国々がどうして日本のライバルじゃないかという点ですが、韓国については主要産業が電機と自動車ということでうなずける部分もあるのですが、アメリカや中国に関しては人口規模から国土まで日本とは桁違いに大きく、何気にこの前も私がレポートで書きましたが、国土が広いだけあって中国の建機メーカーはまだまだ長きにわたって繁栄を享受することが予想されています。また産業構造というか国の構造もこの二ヶ国は日本と趣が異なっている、具体的に言えば軍事費の支出割合が大きく、こう言ってはなんですがいい意味で棲み分けが出来る相手だと考えています。
では逆に、どうして香港とシンガポールを日本の将来のライバル国として挙げたのかについて説明します。まず前提から解説すると、日本はともかく香港とシンガポールの二ヶ国(面倒なので香港はこの後も「国」として話を進めます)は互いに相手をはっきりとライバル視ししており、去年も香港の調査では競争相手国としてシンガポールが一位に入っていました。この二ヶ国がどうしてライバル視し合っているかというと単純に産業から構造までが全く一緒で、どちらも移民が多く、国土と人口は少なく、食料は他国からの輸入で賄っており、法人税は少なく、金融とグローバル拠点としての立地の良さを武器に戦っているからです。さらに付け加えるなら、英語が公用語として通用する点も共通しています。
こうして挙げた要素を日本の現状と比べると、自分で言っておきながらですが明らかに隔たりがあります。まず日本は中国やアメリカと比べると狭いながらも国土は広く(平地は少ないが)、人口も世界でもかなり上位にランクインしています。食料を外国に依存しているという点では共通していますが、英語が公用語なんて遥か遠い世界なくらいにほかの要素はまるで一致してません。
このように土台が全く違うにもかかわらず何故私がこの二ヶ国をライバル視すするのか、回りくどい言い方になってしまいましたが20年くらい先の日本の持っていき先として、国の構造や産業をこの二ヶ国の現状に近づけさせたいというのが狙いです。何故このような意見を持つのかというと、そもそもの現状として今の日本は政治家も官僚も国民もそろってアメリカや中国に張り合おうとしているところがあります。確かにかつての日本のGDPや経済力は非常に高くてアメリカや中国とも張り合えそうに見えたこともありましたが、張り合おうとした結果、いろんなものを失っているのが今の日本の現状ではないかとも感じます。また中長期的に見るならば、これまた極論かもしれませんが自分は将来の世界では人口が少なければ少ないほど一国として有利になると考えており、現在の少子化対策は必要ではあるものの日本の人口は緩やかに減少させていくべきだとも考えており、中国やアメリカをボクシングのヘビー級としてとらえるなら、もっと体重の軽いフェザー級などへ持っていくべきだという持論をかねてから持っております。
こうした価値観から将来的な日本の姿のモデルとして今の世界で成功しているのを挙げるととすると、やはり香港とシンガポールかという考え方から勝手なライバル視に繋がりました。
まずくれぐれも言っておきますが、一から十まで香港とシンガポールのような国に日本はなるべきだとは考えておりません。香港の人口は約700万人、シンガポールは約470万人で日本の十分の一以下であり、人口が少ないがゆえの有利さもありますが日本は国内人口が大きい分だけあって国内市場を持っているという強みがあり、これをわざわざ捨てる必要がありません。ただ将来的な人口減に対応するため、この二ヶ国の取り組みの必要なところ(必要なところ≠良いところ)は日本も取り込んでいくべきで、それこそ移民に関しては今から議論するのも遅すぎるくらいです。
なんか自分でも考えがまとまっていなかったせいかあまりまとまりのない内容となりましたが、簡潔にまとめるなら「中国やアメリカと張り合おうとせず、香港やシンガポールに近づくように構造を変えるべき」というのが私の意見です。
2012年4月1日日曜日
司法取引を導入するべきか否か
・司法取引(Wikipedia)
久々に司法関係の話題を取り上げようと思ったので、司法取引を日本でも導入するべきか否かというテーマについて今日は書きます。結論から書くと、今の日本の現状ではまだ全面的に導入するべきではないというのが私の意見です。
話をする前に司法取引について、知ってる人は端折って結構ですが簡単に説明します。これはいわゆる「裁判取引」と言われ英米ではかなり盛んに実行されている制度なのですが、要するにその本人が関わっている犯罪について共犯者や手口、証拠などを供述、提出する代わりに罪の軽減化を認めるという制度です。具体的なメリットとしては、まだ摘発されていない事件が明るみになったり、もしくは組織犯罪などを一気にトリマ閉まることが出来るといったことが挙げられています。
欧米なんかだとやはりマフィア絡みの犯罪にこの司法取引がよく使われるそうですが、このほか経済犯罪から詐欺事件までと、弁護士が仕事しやすいようになんかいろいろと整備されているそうです。
そんな司法取引に対する日本の現状ですが基本的には一切認めていませんし、進んで自白をすることで反省の態度があるとみなして減刑されることはあっても、欧米のように証拠を提出するかわりに執行猶予を約束するということは多分許されておりません。ただ全くないというわけではなく課徴金減免制度といって、カルテルなど経済案件に関する組織犯罪に対しては申告した順番が早ければ早いほど課徴金が免じられる制度が2006年から導入されており、こういうのもなんですが物凄い成果を上げております。
せっかくなので何か事例をひっぱってこようと検索したらこの制度を運用している公正取引委員会が記者も学者も感動するくらいにきちんと過去の事例案件をまとめておいてくれてます。それで事例ですが、最新の自動車向けハーネスに関する事例では恐らく真っ先に垂れこんだであろう古川電工が課徴金を全額免除されており、その次の住友電工は50%、そして最後であろう矢崎総業が30%とそれぞれ免除されています。矢崎に関しては海外でも派手にカルテルをやってたのかこの前幹部がアメリカで逮捕されて懲役付きの実刑判決食らってましたが、きついことを言うとハーネス業界ならさもありなんと私は感じましたし、まだ他にも隠していることがたくさんある気がします。自分もあの業界とはちょっと関わったことがありますが、見積もり依頼時にエンドユーザーとなる自動車メーカーの名前を出さないと絶対に販売価格を明かさない(=自動車メーカーごとに価格が初めから決まっている)ところといい、真面目にくたばったほうがいいと言いたくなるやり方してます。あと在庫くらいもう少し持てよ、住友電工。
話は司法取引に戻りますが、確かにこの制度があると「早く自白した方が刑が軽くなる」という競争意識が働いて犯罪の摘発に間違いなく効果があると言い切れるのですが、それを考慮しても日本で導入するべきではないという立場を私は取ります。一体何故反対なのかというと、これは日本の司法制度に問題があるためで、刑事事件などで自白が過剰に重く取り扱われる風土があるからです。それこそ具体例を挙げていったら切りがないくらいなのですが、日本の刑事裁判では足利事件を筆頭に容疑者が自白したという供述書さえあればほかの可能性を示唆したり自白内容を覆す証拠や目撃証言があっても完全に無視されてしまいます。
そのため司法取引がもし認められる場合、それこそ誰かが嘘の証言をして全く関係のない人間を共犯だったと供述したら、ほかに何も証拠がないにもかかわらずその無関係の人間が逮捕、拘留、実刑判決の三拍子を受けてしまいかねません。言うなれば、冤罪の温床となる確率が非常に高いのです。
また仮に真実の証言や供述があっても、警察や検察側のねじれた判断でその供述者が罠にはめられる可能性も十分に考えられますし、現実にそんな事件が過去に起きています。その事件とは1993年に起きた埼玉愛犬家連続殺人事件で、この事件では4人もの人間(実際にはもっと多いとされている)を殺害した夫婦について遺体の解体などを手伝った男が「検察側から持ちかけられた」として、執行猶予を付けることを条件に犯行内容などを自供しました。この男の自供によって、というより自供があって初めて殺害を立証する証拠が発見され事件を立件することが出来たのですが、この男の第一審に対する検察の求刑には執行猶予はつけられず、判決も懲役三年の実刑がおりました。
こうした検察の態度に対して男は約束を反故にされたとして司法取引の密約があったという事実を明かした上に、共犯の裁判における証言を一切拒否する行為に出ました。これに対し浦和地検はこちらはお約束通りに「密約はなかった」と存在そのものを否定しましたが、事件構造から言っても傍目に見てもあったとみて当然じゃないかと私は考えています。なお、共犯の夫婦二人には死刑判決が下りてます。
以上のような考察から、私は司法取引が日本で導入されたら刑事事件などにおいて警察や検察によって恣意的に利用されるだけでなく、冤罪を大量に生みかねないと考えています。ただ経済犯罪に対する効果は既に実証済みであることからこのまま続けるべきで、さらに言うなら刑事事件においてもある程度適用先を限定する、それこそ完全な証拠があるのを条件にした上で暴力団などによる組織犯罪に対してのみであれば検討した上で導入してもいいのではと思います。この前も記事にて取り上げましたがそれこそオウム真理教などテロ集団に対してはむしろ適用すべきで、破防法よりも使い勝手がいいんじゃないかと勝手に考えてます。
ちなみに今は就活シーズンですが、自分はどこかの面接でふとしたことをきっかけに、「仮に御社が社会的に明らかに不正と見られる行為を行っていた場合は自分は迷わず内部告発します」といって速攻で落とされたことがありました。自分が雇用する立場ならこういう人間を評価して引き込むでしょうが社会はなかなかそうもいかないようです。
久々に司法関係の話題を取り上げようと思ったので、司法取引を日本でも導入するべきか否かというテーマについて今日は書きます。結論から書くと、今の日本の現状ではまだ全面的に導入するべきではないというのが私の意見です。
話をする前に司法取引について、知ってる人は端折って結構ですが簡単に説明します。これはいわゆる「裁判取引」と言われ英米ではかなり盛んに実行されている制度なのですが、要するにその本人が関わっている犯罪について共犯者や手口、証拠などを供述、提出する代わりに罪の軽減化を認めるという制度です。具体的なメリットとしては、まだ摘発されていない事件が明るみになったり、もしくは組織犯罪などを一気にトリマ閉まることが出来るといったことが挙げられています。
欧米なんかだとやはりマフィア絡みの犯罪にこの司法取引がよく使われるそうですが、このほか経済犯罪から詐欺事件までと、弁護士が仕事しやすいようになんかいろいろと整備されているそうです。
そんな司法取引に対する日本の現状ですが基本的には一切認めていませんし、進んで自白をすることで反省の態度があるとみなして減刑されることはあっても、欧米のように証拠を提出するかわりに執行猶予を約束するということは多分許されておりません。ただ全くないというわけではなく課徴金減免制度といって、カルテルなど経済案件に関する組織犯罪に対しては申告した順番が早ければ早いほど課徴金が免じられる制度が2006年から導入されており、こういうのもなんですが物凄い成果を上げております。
せっかくなので何か事例をひっぱってこようと検索したらこの制度を運用している公正取引委員会が記者も学者も感動するくらいにきちんと過去の事例案件をまとめておいてくれてます。それで事例ですが、最新の自動車向けハーネスに関する事例では恐らく真っ先に垂れこんだであろう古川電工が課徴金を全額免除されており、その次の住友電工は50%、そして最後であろう矢崎総業が30%とそれぞれ免除されています。矢崎に関しては海外でも派手にカルテルをやってたのかこの前幹部がアメリカで逮捕されて懲役付きの実刑判決食らってましたが、きついことを言うとハーネス業界ならさもありなんと私は感じましたし、まだ他にも隠していることがたくさんある気がします。自分もあの業界とはちょっと関わったことがありますが、見積もり依頼時にエンドユーザーとなる自動車メーカーの名前を出さないと絶対に販売価格を明かさない(=自動車メーカーごとに価格が初めから決まっている)ところといい、真面目にくたばったほうがいいと言いたくなるやり方してます。あと在庫くらいもう少し持てよ、住友電工。
話は司法取引に戻りますが、確かにこの制度があると「早く自白した方が刑が軽くなる」という競争意識が働いて犯罪の摘発に間違いなく効果があると言い切れるのですが、それを考慮しても日本で導入するべきではないという立場を私は取ります。一体何故反対なのかというと、これは日本の司法制度に問題があるためで、刑事事件などで自白が過剰に重く取り扱われる風土があるからです。それこそ具体例を挙げていったら切りがないくらいなのですが、日本の刑事裁判では足利事件を筆頭に容疑者が自白したという供述書さえあればほかの可能性を示唆したり自白内容を覆す証拠や目撃証言があっても完全に無視されてしまいます。
そのため司法取引がもし認められる場合、それこそ誰かが嘘の証言をして全く関係のない人間を共犯だったと供述したら、ほかに何も証拠がないにもかかわらずその無関係の人間が逮捕、拘留、実刑判決の三拍子を受けてしまいかねません。言うなれば、冤罪の温床となる確率が非常に高いのです。
また仮に真実の証言や供述があっても、警察や検察側のねじれた判断でその供述者が罠にはめられる可能性も十分に考えられますし、現実にそんな事件が過去に起きています。その事件とは1993年に起きた埼玉愛犬家連続殺人事件で、この事件では4人もの人間(実際にはもっと多いとされている)を殺害した夫婦について遺体の解体などを手伝った男が「検察側から持ちかけられた」として、執行猶予を付けることを条件に犯行内容などを自供しました。この男の自供によって、というより自供があって初めて殺害を立証する証拠が発見され事件を立件することが出来たのですが、この男の第一審に対する検察の求刑には執行猶予はつけられず、判決も懲役三年の実刑がおりました。
こうした検察の態度に対して男は約束を反故にされたとして司法取引の密約があったという事実を明かした上に、共犯の裁判における証言を一切拒否する行為に出ました。これに対し浦和地検はこちらはお約束通りに「密約はなかった」と存在そのものを否定しましたが、事件構造から言っても傍目に見てもあったとみて当然じゃないかと私は考えています。なお、共犯の夫婦二人には死刑判決が下りてます。
以上のような考察から、私は司法取引が日本で導入されたら刑事事件などにおいて警察や検察によって恣意的に利用されるだけでなく、冤罪を大量に生みかねないと考えています。ただ経済犯罪に対する効果は既に実証済みであることからこのまま続けるべきで、さらに言うなら刑事事件においてもある程度適用先を限定する、それこそ完全な証拠があるのを条件にした上で暴力団などによる組織犯罪に対してのみであれば検討した上で導入してもいいのではと思います。この前も記事にて取り上げましたがそれこそオウム真理教などテロ集団に対してはむしろ適用すべきで、破防法よりも使い勝手がいいんじゃないかと勝手に考えてます。
ちなみに今は就活シーズンですが、自分はどこかの面接でふとしたことをきっかけに、「仮に御社が社会的に明らかに不正と見られる行為を行っていた場合は自分は迷わず内部告発します」といって速攻で落とされたことがありました。自分が雇用する立場ならこういう人間を評価して引き込むでしょうが社会はなかなかそうもいかないようです。
2012年3月31日土曜日
スターウォーズの関連商品
過去記事でこのところメール語尾に「フォースと共に」という言葉を付けるのがマイブームとなっていると語りましたが、ちょうど「スターウォーズ エピソード1」の3D版が公開されたこともあって関連する話題がこのところ溢れております。自分が見たニュースだと今回の3D版を2D版の公開当初は幼くて恐らくは見ていない世代に見せたところ反響はよかったという話がありましたが、こうした映画本体に関する話題にとどまらず関連商品も出てきているようで、先日見た中にはこんなニュースがありました。
・『スター・ウォーズ』ライトセーバー型の傘が登場! スイッチでシャフトが光る本格仕様!(シネマトゥデイ)
上記リンク先で紹介しているのはライトセーバー型の傘で、なんでもスイッチを付けるとシャフト部分がライトセーバーのように光るそうです。ちょうど現在私が上海で使っている傘が去年の台風の際に骨の一部が曲がっているので見た時は素直に「欲しい」とか思っちゃったりしたのですが、値段は4980円とのことでやや割高感があります。
ちなみにスターウォーズはハリウッド映画として初めて関連のおもちゃ商品が出たそうで、確かシリーズを通した売上げはギネスブックとかにも載っていたような気がします。ライトセーバーなんかおもちゃ化しやすい商品なだけに大量にあふれていたでしょうが、それにしたって傘に使おうと考えた人は相当な切れ者でしょう。
これとは別に昨日、仕事で企業のプレスリリースをチェックしていたら、ちょっと目を引くリリースが出ておりました。
・May the Force be with you. - ヨーダがライトセイバーでPCを守るUSBアクセサリ(マイナビニュース)
こちらはセンチュリーというパソコン向けアクセサリーなどを売っている会社ですが、なんとヨーダのデスクプロテクターを発売したそうです。デスクプロテクターとは知らないうちに勝手にパソコンを触ろうとする人間に対し警告を与える、もとい音を出すだけの防犯用具だそうですが、先ほどの傘といいこんな商品にヨーダを使おうとする人は相当の切れ者かアレな人でしょう。しかも妙に凝っていて、発する音声は下記の六種類にも渡るそうです。
1、In the end cowards are those who follow the Dark Side.
(和訳:臆病者とはダークサイドに堕ちる者達のこと)
2、A disturbance in the Force there is.
(和訳:侵入者そこにあり)
3、Retreat! Cover you, I will!
(和訳:撤退せよ!わしが守る)
4、Still much to learn, you have.
(和訳:まだ学ぶべきことが多くある)
5、So certain of defeat, are you? Hmmm…
(和訳:負けを認めるのか)←防犯用具がこんなこと言っていいのかよ(;゚Д゚)
6、Rush not into fight. Long is the war.Only by surviving it, will you prevail.
(和訳:戦いに急ぐな、戦争とは長期間かかるものだ。生き残ることによってのみ、打ち勝てるのだ)
「一体こんな商品を出したところで誰が得するんだよ、俺以外に」とかちょっと思ってしまった商品です。
ちなみにまた豆知識ですが、エピソード5~6では人形を使ってヨーダのシーンが撮影されましたが、エピソード1では人形とCGを混合して撮影され、エピソード2、3に至ってフルCGで撮影されたそうです。これも技術の進化によってなされたものですがヨーダのフルCG化は思わぬところで弊害も生んでおり、なんでもエピソード2の終盤でヨーダと激しい戦闘シーンを展開するドゥークー伯爵役を演じたクリストファー・リーは撮影の際、目には見えず存在しない相手に激しくライトセーバーを振るうアクションを要求され、非常に苦労したそうです。この弊害は次回作のエピソード3にも引き継がれ、ダース・シディアス役を演じたイアン・マクダーミドも同じように、存在しないヨーダに翻弄されるというかなり無茶な演技を実践してます。ちなみにこの二人が各場面を演じた際の年齢はそれぞれ80代、60代にも及んでおり、その苦労は大いにしのばれます。
劇中でオビワン・ケノービは「最も粘り強いジェダイ」と呼ばれていますが、ヨーダに関しては「最も俳優に苦労を強いたジェダイ」といって間違いないでしょう。
・『スター・ウォーズ』ライトセーバー型の傘が登場! スイッチでシャフトが光る本格仕様!(シネマトゥデイ)
上記リンク先で紹介しているのはライトセーバー型の傘で、なんでもスイッチを付けるとシャフト部分がライトセーバーのように光るそうです。ちょうど現在私が上海で使っている傘が去年の台風の際に骨の一部が曲がっているので見た時は素直に「欲しい」とか思っちゃったりしたのですが、値段は4980円とのことでやや割高感があります。
ちなみにスターウォーズはハリウッド映画として初めて関連のおもちゃ商品が出たそうで、確かシリーズを通した売上げはギネスブックとかにも載っていたような気がします。ライトセーバーなんかおもちゃ化しやすい商品なだけに大量にあふれていたでしょうが、それにしたって傘に使おうと考えた人は相当な切れ者でしょう。
これとは別に昨日、仕事で企業のプレスリリースをチェックしていたら、ちょっと目を引くリリースが出ておりました。
・May the Force be with you. - ヨーダがライトセイバーでPCを守るUSBアクセサリ(マイナビニュース)
こちらはセンチュリーというパソコン向けアクセサリーなどを売っている会社ですが、なんとヨーダのデスクプロテクターを発売したそうです。デスクプロテクターとは知らないうちに勝手にパソコンを触ろうとする人間に対し警告を与える、もとい音を出すだけの防犯用具だそうですが、先ほどの傘といいこんな商品にヨーダを使おうとする人は相当の切れ者かアレな人でしょう。しかも妙に凝っていて、発する音声は下記の六種類にも渡るそうです。
1、In the end cowards are those who follow the Dark Side.
(和訳:臆病者とはダークサイドに堕ちる者達のこと)
2、A disturbance in the Force there is.
(和訳:侵入者そこにあり)
3、Retreat! Cover you, I will!
(和訳:撤退せよ!わしが守る)
4、Still much to learn, you have.
(和訳:まだ学ぶべきことが多くある)
5、So certain of defeat, are you? Hmmm…
(和訳:負けを認めるのか)←防犯用具がこんなこと言っていいのかよ(;゚Д゚)
6、Rush not into fight. Long is the war.Only by surviving it, will you prevail.
(和訳:戦いに急ぐな、戦争とは長期間かかるものだ。生き残ることによってのみ、打ち勝てるのだ)
「一体こんな商品を出したところで誰が得するんだよ、俺以外に」とかちょっと思ってしまった商品です。
ちなみにまた豆知識ですが、エピソード5~6では人形を使ってヨーダのシーンが撮影されましたが、エピソード1では人形とCGを混合して撮影され、エピソード2、3に至ってフルCGで撮影されたそうです。これも技術の進化によってなされたものですがヨーダのフルCG化は思わぬところで弊害も生んでおり、なんでもエピソード2の終盤でヨーダと激しい戦闘シーンを展開するドゥークー伯爵役を演じたクリストファー・リーは撮影の際、目には見えず存在しない相手に激しくライトセーバーを振るうアクションを要求され、非常に苦労したそうです。この弊害は次回作のエピソード3にも引き継がれ、ダース・シディアス役を演じたイアン・マクダーミドも同じように、存在しないヨーダに翻弄されるというかなり無茶な演技を実践してます。ちなみにこの二人が各場面を演じた際の年齢はそれぞれ80代、60代にも及んでおり、その苦労は大いにしのばれます。
劇中でオビワン・ケノービは「最も粘り強いジェダイ」と呼ばれていますが、ヨーダに関しては「最も俳優に苦労を強いたジェダイ」といって間違いないでしょう。
2012年3月29日木曜日
長崎ストーカー殺人事件に対する千葉県警の対応
今日は色々とニュースがあり、それぞれで簡単にまとめようかと思いましたがやっぱりこっちの話題を取り上げることにします。なお少しだけ書くと、本日に小川法相が死刑執行に踏み切りましたがその際の会見において、「国民の強い支持があった」と発言したと報じられています。もしかしたら一部分だけが切り取られて大きく報じられているだけなのかもしれませんが、細かいようですが少し苦言を言うと、「社会が厳罰化を求める風潮になってきている」というのならまだしも「支持があるから」で死刑を執行するというのはちょっと違うような気がします。死刑執行自体は私はもっともだと思いますが、民意でそうだから執行すべきではなく、やはり政治家としての責任で決断したということを肝に持っておいてもらいたいです。
・再調査の点検徹底を=千葉県公安委に異例の要請―国家公安委員会(時事通信)
話は本題に移りますが、明かな捜査の不手際から殺人事件にまで発展した長崎ストーカー殺人事件ですが、事件の様相はかつての桶川ストーカー殺人事件と同じような姿となってきました。その捜査の怠慢ぶりが指摘されてきた千葉県警ですが、先日も内部調査において被害届受理よりも署員旅行を優先したという事実を隠ぺいしようとしていたことが明らかとなり、なんていうか仮にかばえと言われてもかばいようがないほどの失態ぶりを見せております。被害者遺族も第三者委に調査を依頼するよう求めましたが予想されたように千葉県警はこれを拒否し、最終的には国家公安委員会に再調査の徹底、いうなれば第三者委へ依頼しろという異例の要請を受けるに至っております。本当に救いようのない。
最近はどうだかわかりませんが、千葉県警は確か昔に懲戒免職者数が全国で最多となったことがあるだけに実は私もあまり信用しておりません。同じ千葉県警の失態だとついこの間にも、県内で十年以上前に起きた殺人事件がDNA技術の発達によって真犯人を見つけることが出来ましたが、千葉県警はこの事件の発生直後はなんの根拠もないにもかかわらず被害者遺族を疑って拘留するという、足利事件同様の冤罪事件を引き起こしています。ちなみに何故その事件で遺族が疑われたのかというと、なんでも被害者の祖母が悲しみのあまりに「私が殺したようなものだ」と後悔の念を口にしたことを殺意認定としたそうです。金田一少年もびっくりな急展開振りとしか言わざるを得ません。
話は今回の長崎ストーカー殺人事件に戻りますが、そりゃ忙しいだろうってのはわかりますがかつて桶川ストーカー殺人事件を過去に見ているはずなのに、どうしてこうも同じ失敗を繰り返せるのか理解できません。しかもそんなバカをしたのが一部の署員だったらまだ救いようもありますが、今回こうして組織ぐるみで旅行の事実を隠そうとするあたりはやはり組織全体でどこかねじが外れているんじゃないかとも思ってしまいます。このところこういった不祥事の話題は大阪府警が独占していただけに、言い方は悪いですが大阪府警も矛先がずれてほっとしていることでしょう。
自分は子供の頃はやはり、警官というものは使命感もあってかっこいい職業だと思っていました。しかし年をとったというのが何よりでかいでしょうが、そうした憧憬に似た感情は現在ではほとんど持てずにおり、むしろ震災を含めあちこちで活躍している自衛隊員の方が今では立派な職業のように思えます。はっきり言って今まで信頼に足ると感じる警察官にはお目にかかったことはありませんが、末端の人たちは決してこんなじゃないという幻想をどうにか信じたいものです。
・再調査の点検徹底を=千葉県公安委に異例の要請―国家公安委員会(時事通信)
話は本題に移りますが、明かな捜査の不手際から殺人事件にまで発展した長崎ストーカー殺人事件ですが、事件の様相はかつての桶川ストーカー殺人事件と同じような姿となってきました。その捜査の怠慢ぶりが指摘されてきた千葉県警ですが、先日も内部調査において被害届受理よりも署員旅行を優先したという事実を隠ぺいしようとしていたことが明らかとなり、なんていうか仮にかばえと言われてもかばいようがないほどの失態ぶりを見せております。被害者遺族も第三者委に調査を依頼するよう求めましたが予想されたように千葉県警はこれを拒否し、最終的には国家公安委員会に再調査の徹底、いうなれば第三者委へ依頼しろという異例の要請を受けるに至っております。本当に救いようのない。
最近はどうだかわかりませんが、千葉県警は確か昔に懲戒免職者数が全国で最多となったことがあるだけに実は私もあまり信用しておりません。同じ千葉県警の失態だとついこの間にも、県内で十年以上前に起きた殺人事件がDNA技術の発達によって真犯人を見つけることが出来ましたが、千葉県警はこの事件の発生直後はなんの根拠もないにもかかわらず被害者遺族を疑って拘留するという、足利事件同様の冤罪事件を引き起こしています。ちなみに何故その事件で遺族が疑われたのかというと、なんでも被害者の祖母が悲しみのあまりに「私が殺したようなものだ」と後悔の念を口にしたことを殺意認定としたそうです。金田一少年もびっくりな急展開振りとしか言わざるを得ません。
話は今回の長崎ストーカー殺人事件に戻りますが、そりゃ忙しいだろうってのはわかりますがかつて桶川ストーカー殺人事件を過去に見ているはずなのに、どうしてこうも同じ失敗を繰り返せるのか理解できません。しかもそんなバカをしたのが一部の署員だったらまだ救いようもありますが、今回こうして組織ぐるみで旅行の事実を隠そうとするあたりはやはり組織全体でどこかねじが外れているんじゃないかとも思ってしまいます。このところこういった不祥事の話題は大阪府警が独占していただけに、言い方は悪いですが大阪府警も矛先がずれてほっとしていることでしょう。
自分は子供の頃はやはり、警官というものは使命感もあってかっこいい職業だと思っていました。しかし年をとったというのが何よりでかいでしょうが、そうした憧憬に似た感情は現在ではほとんど持てずにおり、むしろ震災を含めあちこちで活躍している自衛隊員の方が今では立派な職業のように思えます。はっきり言って今まで信頼に足ると感じる警察官にはお目にかかったことはありませんが、末端の人たちは決してこんなじゃないという幻想をどうにか信じたいものです。
2012年3月28日水曜日
ミサイル発射前の北朝鮮に対する中国の姿勢
久々に国際政治関係の記事が書きたいので、ホットな話題を書こうと思います。
現在、迷惑な隣人こと北朝鮮が来月に衛星(ほんとはミサイル)を発射すると言って、世界各国から総スカンくらっております。日本もかつてのテポドン発射とは異なり本土上空を通らないものの、領海内を通ることで破片が落ちてこようものなら破片を迎撃破壊すると防衛大臣が言っておりますが、本音はMDシステムの実験テストをしたいだけなんじゃないかと要らぬ感想を持ってます。まぁ確かに発射時間の予測が出来ないことなどを考えるといい機会なんだけど。
さてこうした北朝鮮の動きに対して中国の反応ですが、はっきり言ってめちゃくちゃ怒ってます。今回は日本側でもこうした中国のいら立ちがよく報じられておりますが、体制が金正恩に移ってからというものの以前以上に強硬な態度を取るようになっていることから段々と態度を露骨に見せるようになってきております。
少し話が横道にそれますが、ある意味で今の中国と北朝鮮の間に溝が開くのは自明でもあったと思います。というのも昔に受けた中国政治の授業で講師が言っておりましたが、北朝鮮としては何でも間でお中国の言うことを聞きすぎると生殺与奪件をすべて握られることとなるので、要所要所で逆らって見せようとしているそうで、そのため6ヶ国会議も最終的に流れるとの見通しを当時言っておりました。
そうした目で見てみると、今の状況はまさに格好の構図です。恐らく予告通りに来月にミサイルを発射するでしょうが、他国はそれを制止するのではなく、発射後にどのような態度を取るかが今考える事だと思います。私自身としては今まで北朝鮮をかばい建てしてきた中国が距離を置き始めてきていることに加え体制も移行したばかりですし、前以上に強硬な態度を取って追い詰めた方がいいかと思います。以前にウィキリークスに暴露されていましたが、中国外交部も金正日の死後は北朝鮮は持たないと言っていたようなので、積極的な支援はないかもしれませんが仮に戦争となっても邪魔立てはしてこないでしょう。さらに言えば、中国と韓国の経済関係は非常に強くなっており、北朝鮮が存在し続ける理由も非常に小さくなってきております。
念のため付け加えておくと、中国の現地紙でもこの問題は大きく取り上げられており、各国が自制を求めるとともに中国としても憂慮していることが報じられております。なお中国人の北朝鮮に対する印象ですが、はっきりいって関心が無きに等しいです。身近に北朝鮮人がいるわけでもないし、経済的な結びつきもほとんどないことからおかしな隣国程度くらいにしか思っていないと断言できます。逆にどの国が好きかと聞いたら、友人なんかは「パキスタン」って言ってましたけど。
ちなみに身近な北朝鮮人となるとですが、実は勤務先の近くに北朝鮮レストランってのがあって、これまでにも何度かそこで食事しています。北朝鮮にとっては貴重な外貨獲得手段だと言われていますが、出される料理は普通の韓国料理ですし、料金も極端に高いわけじゃありません。ただ店のチマチョゴリを着たウェイトレスは一説には元喜び組だとも言われており、確かに容姿の整った女性が多いです。けど真冬にコート着てまで店の前で客引きするのは大変だしよした方がいいと思う。
最後にほんとどうでもいいことですが、以前に金正恩がドラゴンボールに出てくる人造人間19号という悪役にそっくりだということが話題になりましたが、この前にふと、「ドラゴンボールと言えば、新しいオープニング曲が話題になったな」ということを一緒に思い出しました。そのオープニング曲というのは「ドラゴンソウル」という曲なのですが、歌い始めの歌詞が「ドッカン ドッカン ツイてる」というテンポの良さでネット上で様々なパロディが作られたのですが、何故かこの曲が頭の中で北朝鮮の例の行軍シーンやマスゲーム、ミサイル発射シーンと重なって会社で吹き出してしまいました。下のリンク先がその曲ですが、誰か北朝鮮の映像と編集してマッド動画作ってくれないかな。
・ドラゴンソウル(Youtube)
現在、迷惑な隣人こと北朝鮮が来月に衛星(ほんとはミサイル)を発射すると言って、世界各国から総スカンくらっております。日本もかつてのテポドン発射とは異なり本土上空を通らないものの、領海内を通ることで破片が落ちてこようものなら破片を迎撃破壊すると防衛大臣が言っておりますが、本音はMDシステムの実験テストをしたいだけなんじゃないかと要らぬ感想を持ってます。まぁ確かに発射時間の予測が出来ないことなどを考えるといい機会なんだけど。
さてこうした北朝鮮の動きに対して中国の反応ですが、はっきり言ってめちゃくちゃ怒ってます。今回は日本側でもこうした中国のいら立ちがよく報じられておりますが、体制が金正恩に移ってからというものの以前以上に強硬な態度を取るようになっていることから段々と態度を露骨に見せるようになってきております。
少し話が横道にそれますが、ある意味で今の中国と北朝鮮の間に溝が開くのは自明でもあったと思います。というのも昔に受けた中国政治の授業で講師が言っておりましたが、北朝鮮としては何でも間でお中国の言うことを聞きすぎると生殺与奪件をすべて握られることとなるので、要所要所で逆らって見せようとしているそうで、そのため6ヶ国会議も最終的に流れるとの見通しを当時言っておりました。
そうした目で見てみると、今の状況はまさに格好の構図です。恐らく予告通りに来月にミサイルを発射するでしょうが、他国はそれを制止するのではなく、発射後にどのような態度を取るかが今考える事だと思います。私自身としては今まで北朝鮮をかばい建てしてきた中国が距離を置き始めてきていることに加え体制も移行したばかりですし、前以上に強硬な態度を取って追い詰めた方がいいかと思います。以前にウィキリークスに暴露されていましたが、中国外交部も金正日の死後は北朝鮮は持たないと言っていたようなので、積極的な支援はないかもしれませんが仮に戦争となっても邪魔立てはしてこないでしょう。さらに言えば、中国と韓国の経済関係は非常に強くなっており、北朝鮮が存在し続ける理由も非常に小さくなってきております。
念のため付け加えておくと、中国の現地紙でもこの問題は大きく取り上げられており、各国が自制を求めるとともに中国としても憂慮していることが報じられております。なお中国人の北朝鮮に対する印象ですが、はっきりいって関心が無きに等しいです。身近に北朝鮮人がいるわけでもないし、経済的な結びつきもほとんどないことからおかしな隣国程度くらいにしか思っていないと断言できます。逆にどの国が好きかと聞いたら、友人なんかは「パキスタン」って言ってましたけど。
ちなみに身近な北朝鮮人となるとですが、実は勤務先の近くに北朝鮮レストランってのがあって、これまでにも何度かそこで食事しています。北朝鮮にとっては貴重な外貨獲得手段だと言われていますが、出される料理は普通の韓国料理ですし、料金も極端に高いわけじゃありません。ただ店のチマチョゴリを着たウェイトレスは一説には元喜び組だとも言われており、確かに容姿の整った女性が多いです。けど真冬にコート着てまで店の前で客引きするのは大変だしよした方がいいと思う。
最後にほんとどうでもいいことですが、以前に金正恩がドラゴンボールに出てくる人造人間19号という悪役にそっくりだということが話題になりましたが、この前にふと、「ドラゴンボールと言えば、新しいオープニング曲が話題になったな」ということを一緒に思い出しました。そのオープニング曲というのは「ドラゴンソウル」という曲なのですが、歌い始めの歌詞が「ドッカン ドッカン ツイてる」というテンポの良さでネット上で様々なパロディが作られたのですが、何故かこの曲が頭の中で北朝鮮の例の行軍シーンやマスゲーム、ミサイル発射シーンと重なって会社で吹き出してしまいました。下のリンク先がその曲ですが、誰か北朝鮮の映像と編集してマッド動画作ってくれないかな。
・ドラゴンソウル(Youtube)
2012年3月27日火曜日
孤立死報道について
このところ孤立死に関する報道が非常に多くなっておりますが、ちょっと気になる点がいくつかあったので自分で調べてみました。一体どういう点が気になったのかというと、報道は異常に多くなっているのは事実だが、果てして本当に孤立死が増えているのかという点です。
確か調べたのは内閣府のデータだったかと思いますが、結論から言うと確かに孤立死の件数は増えておりました。念のため高齢者人口の増加率などとも比較してみましたがこれを考慮しても有意な数字で伸びており、去年の震災で婚姻件数が増えたというデマとは違い、孤立死が増えているというのは確かな事実なようです。
このように孤立死が増えているのは事実であることを踏まえた上で言うと、個人的にこの手の報道は非常に虫唾が走るというか気に入りません。こんなことをいちいち報じるくらいならもっと別の方面に人員を使えと言いたいです。この手の報道で何が気に入らないかというと、結局問題の投げっぱなしになることが多いからです。一番代表的なのは小中学校のいじめ問題で、これなんか周期的には大体5年に一回くらいのペースで大きく取り上げられては半年くらいで一旦止み、また次の周期を迎えると大きく取り上げられるといった具合で、騒ぐだけ騒いで全く改善に向かっておりません。さらに言えば、一昨年に流行った死亡届出を出さない年金詐欺の件はどうなったんだと言いたいです。
多少気が早いようですが今回の孤立死に関する報道もどうも同じようなにおいが感じられ、というよりメディアは大きく騒いでは「もっと周辺地域との交流があれば」とか「民生委員を増やすべきだ」などと意見を上げていますが、なんていうかどれもこれも都合のいい意見ばかりで実現性や実効性という点で見たら胡散臭く感じます。
確かにメディア側から言えばいくら問題性が高かろうとも、定期的に続報を出し続けことが難しいのはわかります。しかし一旦騒いではすぐ別の話題に切り替えることを延々とやっていると結局その社会問題は継続し続けることになりかねないので、それであれば今みたいにさもショッキングに、ヒステリックに報じるくらいなら、じんわりと淡々と報じ続けることの方がいいような気がします。ショッキングに報じれば確かに強い注目を浴びれるでしょうがその分人の記憶からも忘れ去られやすく、かつて「キレる17歳」と呼ばれた世代が今や「草食世代」とレッテルを張られてるおかしな現実にも気づけません。
ただこういうことを書きながらも、このところ明確に改善が見られる社会問題もあります。もったいぶらずに言えばそれは児童虐待で、先日も一昨年に大阪で二児を放置死させた母親に懲役30年の実刑が下るなどこの問題に対する社会や司法の目は厳しくなってきており、勝手な予想ですが今後発生件数は徐々に減少していくのではないかという希望を持っております。この児童虐待もかねがね瞬間湯沸かし的な報道が非常に嫌でしたが、こうして虐待死させた親たちの裁判判決がきちんと続報として報じられるようになったのをみるとなんだか安心します。
確か調べたのは内閣府のデータだったかと思いますが、結論から言うと確かに孤立死の件数は増えておりました。念のため高齢者人口の増加率などとも比較してみましたがこれを考慮しても有意な数字で伸びており、去年の震災で婚姻件数が増えたというデマとは違い、孤立死が増えているというのは確かな事実なようです。
このように孤立死が増えているのは事実であることを踏まえた上で言うと、個人的にこの手の報道は非常に虫唾が走るというか気に入りません。こんなことをいちいち報じるくらいならもっと別の方面に人員を使えと言いたいです。この手の報道で何が気に入らないかというと、結局問題の投げっぱなしになることが多いからです。一番代表的なのは小中学校のいじめ問題で、これなんか周期的には大体5年に一回くらいのペースで大きく取り上げられては半年くらいで一旦止み、また次の周期を迎えると大きく取り上げられるといった具合で、騒ぐだけ騒いで全く改善に向かっておりません。さらに言えば、一昨年に流行った死亡届出を出さない年金詐欺の件はどうなったんだと言いたいです。
多少気が早いようですが今回の孤立死に関する報道もどうも同じようなにおいが感じられ、というよりメディアは大きく騒いでは「もっと周辺地域との交流があれば」とか「民生委員を増やすべきだ」などと意見を上げていますが、なんていうかどれもこれも都合のいい意見ばかりで実現性や実効性という点で見たら胡散臭く感じます。
確かにメディア側から言えばいくら問題性が高かろうとも、定期的に続報を出し続けことが難しいのはわかります。しかし一旦騒いではすぐ別の話題に切り替えることを延々とやっていると結局その社会問題は継続し続けることになりかねないので、それであれば今みたいにさもショッキングに、ヒステリックに報じるくらいなら、じんわりと淡々と報じ続けることの方がいいような気がします。ショッキングに報じれば確かに強い注目を浴びれるでしょうがその分人の記憶からも忘れ去られやすく、かつて「キレる17歳」と呼ばれた世代が今や「草食世代」とレッテルを張られてるおかしな現実にも気づけません。
ただこういうことを書きながらも、このところ明確に改善が見られる社会問題もあります。もったいぶらずに言えばそれは児童虐待で、先日も一昨年に大阪で二児を放置死させた母親に懲役30年の実刑が下るなどこの問題に対する社会や司法の目は厳しくなってきており、勝手な予想ですが今後発生件数は徐々に減少していくのではないかという希望を持っております。この児童虐待もかねがね瞬間湯沸かし的な報道が非常に嫌でしたが、こうして虐待死させた親たちの裁判判決がきちんと続報として報じられるようになったのをみるとなんだか安心します。
2012年3月26日月曜日
大学のいい選び方
最近「パラサイトイヴ2」のやりすぎのせいで寝不足となっているのが原因か、どうもブログに書く記事がなかなか浮かんできません。昨日もそうでしたがパソコンに向かって大体30分くらいは書くネタを考えるのですが、先々週あたりが絶好調だったせいかどうもいいものを思いつくことが出来ません。別に仕事が忙しいわけでもなんでもないのですが、ちょっと気になるのは季節の変わり目ですこしおかしくなっているのか、発作こそないもののなんか自分の体調の調子の上下が激しく、やや不安定な状態が続いていることも影響しているかもしれません。真面目にこっちで倒れたらいろんな意味で一巻の終わりなので、今週末から清明節(中国のお彼岸)の連休に入るので睡眠時間と「パラサイトイヴ2」する時間を増やそうと思います。ゲーム控えればいいだけの話ですが。
ちょっと長めの前置きを踏まえて本題に移りますが、先日に友人から兄弟の大学進学先について相談を受けました。なんでも英語を大学在学中に鍛えたいとのことなのでともかく英語の強い大学というのがリクエストで、いきなり名前を出すとやはり上智大学を目指すべきではないかと提案を受けました。この友人の提案に対する私の回答ですが、別に上智大学に通ったわけではないもののもっと考えた方がいいと、再考を促すものでした。
まずこれは上智大学に限らず一般に英語が強い大学に共通する特徴ですが、他の大学に比べて帰国子女の学生数が非常に多いことが挙げられます。ストレートに言わせてもらうと英語に強いという評判はそのような帰国子女の力によるものとしか私には見えず、そうでない学生の英語力がどの程度の物か、また学内の英語教育のカリキュラムがどれほど優れているのか非常に疑わしいです。なので無理してそういう「英語が強い」という評判の学校に通わず、実家から通える範囲の大学に進学して一年くらいどこかに留学した方が本人のためではないかと教えました。
この英語に限らず、大学選びにおける一般的な評判というものの中には全く当てにならないものも少なくありません。理系なんかはある程度目的とか分野がはっきりしているのできちんと調べればはずれ引くことは少ないでしょうが、文系なんて情報範囲が広すぎるせいかうかつに選ぶと落とし穴にはまることも少なくありません。ただ逆説的なことを言いますが、文系というのは志望分野をあまりに絞りすぎると小っちゃくまとまってしまう傾向もあり、それであれば漠然と「こんな感じの勉強したい」というくらいの気持ちで学部や学科を選んだ方がいいかもしれません。私なんかもやればどの分野の学問も吸収できる自信があったので、とにかく取り扱う範囲が広いだろうと社会学を選んで馬が合いましたし。
このほか大学を選ぶに当たって私がお奨めしたいのは、文系限定ですがなるべく実社会では勉強できない分野を選ぶ方が後の人生のためにもいいと思います。よく法律の知識とか社会学のわけのわからない統計手法とか覚えても社会では全く使えないから、もっと経済学とか実態的な学問を学んだ方がいいと抜かす嘴の青い高校生とかを見ることありますが、私に言わせればそんなものは社会に出てからでも自然と、もしくは意識すれば簡単に身につけられるもので、大学に行くんだから大学じゃないと勉強できないものをやっとかないと総合的に損すると言いたいです。ちなみに敢えてフェイクで入れましたが、世の中一般で経済学と考えられているもののほとんどは実質的には経営学こと商学で、この点で勘違いしてつまづく人も多いんじゃないかと勝手に思ってます。
いい機会なのでほかにもまとめると、「国際経済学部」とか「国際交流学部」とかいう国際が付く学部名はほぼ確実に外れと思っていいです。というのも文部科学省が「国際とつければ学部増設を認めてあげるよ」と言ったのでカリキュラムの準備とか無視してあちこちの大学が申請したので、中身がすっからかんなところが多いです。同様に、設立から年数の経っていない大学もカリキュラムが固まっていないところが多く、可能ならば避けた方がいいでしょう。
以上のような具合で適当なことを書きましたが、大学に行っていい経験をするかどうかを突き詰めていうと結局はその本人のやる気次第です。いい大学にカスが行こうが結局はカスのまま卒業するでしょうし、逆に世間的に評価されていない大学でも本人が頑張って勉強すればいくらでも能力を高めることが出来ると言い切ってもいいです。偉そうなことを言っておりますが私自身はこの比較で言うと明らかにカスの部類に入るほどそれほど勉強時せず、無駄に自転車で琵琶湖一周(しかも山中越えルート)していた口でした。ただ自分は学生時代に周囲の人間には恵まれており、自分の限界値を始めて認識できるなど今にもつながるいい経験は出来たと思っています。はっきり言って進学先は消極的な理由から選ばざるを得ませんでしたが、本当にただ運が良かったのでしょう。
ちょっと長めの前置きを踏まえて本題に移りますが、先日に友人から兄弟の大学進学先について相談を受けました。なんでも英語を大学在学中に鍛えたいとのことなのでともかく英語の強い大学というのがリクエストで、いきなり名前を出すとやはり上智大学を目指すべきではないかと提案を受けました。この友人の提案に対する私の回答ですが、別に上智大学に通ったわけではないもののもっと考えた方がいいと、再考を促すものでした。
まずこれは上智大学に限らず一般に英語が強い大学に共通する特徴ですが、他の大学に比べて帰国子女の学生数が非常に多いことが挙げられます。ストレートに言わせてもらうと英語に強いという評判はそのような帰国子女の力によるものとしか私には見えず、そうでない学生の英語力がどの程度の物か、また学内の英語教育のカリキュラムがどれほど優れているのか非常に疑わしいです。なので無理してそういう「英語が強い」という評判の学校に通わず、実家から通える範囲の大学に進学して一年くらいどこかに留学した方が本人のためではないかと教えました。
この英語に限らず、大学選びにおける一般的な評判というものの中には全く当てにならないものも少なくありません。理系なんかはある程度目的とか分野がはっきりしているのできちんと調べればはずれ引くことは少ないでしょうが、文系なんて情報範囲が広すぎるせいかうかつに選ぶと落とし穴にはまることも少なくありません。ただ逆説的なことを言いますが、文系というのは志望分野をあまりに絞りすぎると小っちゃくまとまってしまう傾向もあり、それであれば漠然と「こんな感じの勉強したい」というくらいの気持ちで学部や学科を選んだ方がいいかもしれません。私なんかもやればどの分野の学問も吸収できる自信があったので、とにかく取り扱う範囲が広いだろうと社会学を選んで馬が合いましたし。
このほか大学を選ぶに当たって私がお奨めしたいのは、文系限定ですがなるべく実社会では勉強できない分野を選ぶ方が後の人生のためにもいいと思います。よく法律の知識とか社会学のわけのわからない統計手法とか覚えても社会では全く使えないから、もっと経済学とか実態的な学問を学んだ方がいいと抜かす嘴の青い高校生とかを見ることありますが、私に言わせればそんなものは社会に出てからでも自然と、もしくは意識すれば簡単に身につけられるもので、大学に行くんだから大学じゃないと勉強できないものをやっとかないと総合的に損すると言いたいです。ちなみに敢えてフェイクで入れましたが、世の中一般で経済学と考えられているもののほとんどは実質的には経営学こと商学で、この点で勘違いしてつまづく人も多いんじゃないかと勝手に思ってます。
いい機会なのでほかにもまとめると、「国際経済学部」とか「国際交流学部」とかいう国際が付く学部名はほぼ確実に外れと思っていいです。というのも文部科学省が「国際とつければ学部増設を認めてあげるよ」と言ったのでカリキュラムの準備とか無視してあちこちの大学が申請したので、中身がすっからかんなところが多いです。同様に、設立から年数の経っていない大学もカリキュラムが固まっていないところが多く、可能ならば避けた方がいいでしょう。
以上のような具合で適当なことを書きましたが、大学に行っていい経験をするかどうかを突き詰めていうと結局はその本人のやる気次第です。いい大学にカスが行こうが結局はカスのまま卒業するでしょうし、逆に世間的に評価されていない大学でも本人が頑張って勉強すればいくらでも能力を高めることが出来ると言い切ってもいいです。偉そうなことを言っておりますが私自身はこの比較で言うと明らかにカスの部類に入るほどそれほど勉強時せず、無駄に自転車で琵琶湖一周(しかも山中越えルート)していた口でした。ただ自分は学生時代に周囲の人間には恵まれており、自分の限界値を始めて認識できるなど今にもつながるいい経験は出来たと思っています。はっきり言って進学先は消極的な理由から選ばざるを得ませんでしたが、本当にただ運が良かったのでしょう。
2012年3月25日日曜日
大岡忠光と徳川家重
何か歴史の話をと考えて既に数日間、思い悩んだ挙句に思い付いたのは、「そうだ、あいつがいたじゃん!」でした。そこで今日はちょっと変わり種というか、大岡忠光を紹介しようかと思います。
・大岡忠光(Wikipedia)
大岡と聞いてまず真っ先に思い浮かばれるのは「大岡裁判」で有名な大岡忠相かと思われますが、今日紹介する大岡忠光はその忠相の遠縁の人物です。遠縁と言っても勤務先は同じく江戸徳川家で旗本の一人なのですが、忠相が徳川吉宗に仕えたのに対し忠光は吉宗の息子、9代将軍の徳川家重に使えていました。
徳川家重というと有名な吉宗の後ということでともかくするとちょっと目立たない人物ですが、実はこれにはわけがあり、最近になって大分マシにはなりましたが以前は家重が障害者であったとされる説からどうも率先して取り上げられなかったという面がありました。またその障害の程度も取り上げる媒体によっては様々で、もうはっきりと「思考もできないほどの暗君」と書くところもあれば、「言語不明瞭(発音が不良)ではあったが思考はまともだった」とするのもあって程度にばらつきがあります。どうも十年くらい前あたりから段々統一見解が持たれてきたようで、生前に囲碁の解説本などを出していることから言語不明瞭ではあったものの一般的な思考はあったとされる見方が強くなっております。ただ生来からか、それとも言語不明瞭で意思が伝わりにくかったことなどから、癇癪持ちであったのも間違いなさそうです。
そんな徳川家重に仕えた大岡忠光ですが、何がすごいかというと誰も聞き取れない家重の発音を何故か彼だけが聞き分けられたそうです。しかも用事があって傍についていなかった時も、
「なにかこうこう言ってるような感じなんですけど」
「それは多分、寒いということだから上着を渡してあげなさい」
と、直接聞いているわけでもないのに的確に翻訳し、しかもその通りだったというのですから末恐ろしい限りです。
大岡忠光が勤務している間は親戚の忠相がやったような目覚ましい功績はなかったものの、在世中の評判は悪くなかったようです。ただ彼が1760年に死去すると、もしかしたら意思伝達に齟齬が起きるようになったのか徳川家重も将軍職を辞して翌年には早くも死去しています。先程の大岡忠相と徳川吉宗も同年に死んでおり(こっちは吉宗が先)、徳川家の将軍は大岡家の人物と二代にわたって生死を共にするという奇妙な関係が続きました。別にこれだからというわけじゃないけど、徳川さんは大岡さんとは仲良くやった方がいい気がする。
・大岡忠光(Wikipedia)
大岡と聞いてまず真っ先に思い浮かばれるのは「大岡裁判」で有名な大岡忠相かと思われますが、今日紹介する大岡忠光はその忠相の遠縁の人物です。遠縁と言っても勤務先は同じく江戸徳川家で旗本の一人なのですが、忠相が徳川吉宗に仕えたのに対し忠光は吉宗の息子、9代将軍の徳川家重に使えていました。
徳川家重というと有名な吉宗の後ということでともかくするとちょっと目立たない人物ですが、実はこれにはわけがあり、最近になって大分マシにはなりましたが以前は家重が障害者であったとされる説からどうも率先して取り上げられなかったという面がありました。またその障害の程度も取り上げる媒体によっては様々で、もうはっきりと「思考もできないほどの暗君」と書くところもあれば、「言語不明瞭(発音が不良)ではあったが思考はまともだった」とするのもあって程度にばらつきがあります。どうも十年くらい前あたりから段々統一見解が持たれてきたようで、生前に囲碁の解説本などを出していることから言語不明瞭ではあったものの一般的な思考はあったとされる見方が強くなっております。ただ生来からか、それとも言語不明瞭で意思が伝わりにくかったことなどから、癇癪持ちであったのも間違いなさそうです。
そんな徳川家重に仕えた大岡忠光ですが、何がすごいかというと誰も聞き取れない家重の発音を何故か彼だけが聞き分けられたそうです。しかも用事があって傍についていなかった時も、
「なにかこうこう言ってるような感じなんですけど」
「それは多分、寒いということだから上着を渡してあげなさい」
と、直接聞いているわけでもないのに的確に翻訳し、しかもその通りだったというのですから末恐ろしい限りです。
大岡忠光が勤務している間は親戚の忠相がやったような目覚ましい功績はなかったものの、在世中の評判は悪くなかったようです。ただ彼が1760年に死去すると、もしかしたら意思伝達に齟齬が起きるようになったのか徳川家重も将軍職を辞して翌年には早くも死去しています。先程の大岡忠相と徳川吉宗も同年に死んでおり(こっちは吉宗が先)、徳川家の将軍は大岡家の人物と二代にわたって生死を共にするという奇妙な関係が続きました。別にこれだからというわけじゃないけど、徳川さんは大岡さんとは仲良くやった方がいい気がする。
2012年3月24日土曜日
マイナス金利策の導入案
現在、日本の金融機関に対する金利こと公定歩合は1%を切っており、一般の金融機関の利率はどこも1%以下に設定されております。通常、というか昔の利率は3%くらいあって、ここから引き上げることで貨幣流通量が減るよう誘導して、引き下げることで増えるように誘導してきたのですが、「失われた十年」の間に日銀がゼロ金利政策を実施してからは1%以下が当たり前という状況が続いています。
言うまでもないことですが金利というのは上下するから影響するのであって、いくら金利がないからと言ってずっとゼロ金利では貨幣流通量は増えるわけでもなく、今も昔も日本は長いデフレが続いております。かといってこれ以上引き下げようにも既に0%でありますし、日銀は現時点で打てる経済対策というのはないと言ってもいいでしょう。
そんな状況にもかかわらず不況は続いており、一体日銀は何やっているんだということになって現に私もかねてから批判しておりますが、そうした批判の中というか投げやりな意見の中に、「もうこの際だからマイナス金利をやってみろよ」というものが散見されます。マイナス金利というのは言ってしまえば借りれば借りるほどお金が増えるという概念で、例えばマイナス金利1%で100万円を1年返済で借りると、1年後に返す金額は99万円でいいという具合です。こんな夢のような政策、もちろんやっている国なんてほかにはありませが、そもそも論で話すとゼロ金利政策を始めたのは日本が世界で初めてです。
仮にマイナス金利政策を導入するとそれこそ借りた分だけお金が増えるので、変な話ですが借金してでもお金を借りようとする人が続出するかもしれません。これはもちろん冗談ですが、場合によっては無限に借金額が日本中で増えていく可能性があるために単体でそのまま導入することには私は反対です。ただ現時点で金融政策が行き詰っていることを考慮すると一部の規制を設けて導入を検討してみる価値はあるのではないかと見ており、消費刺激策の一つとしてちょっと真面目に考えています。
私の考えているマイナス金利の導入先ですが、ローン金利に対してだったらやる価値はあるんじゃないかと見ています。ローン金利はそれこそ車や住宅の購入に際して組まれるもので、たとえば200万円の車を5年ローンで払うなら198万円で済むとか、3000万の住宅を20年ローンなら2900万とかで完済となるような感じで、対象先を絞って導入入れてみたら一定の消費刺激となり、なおかつ貨幣流通量の拡大も期待できるのではないかと思ってます。
ただ貸せば貸すほどお金が減るなんて商売、多分普通の民間銀行はまずやるわけありません。そのため仮に実施する場合はマイナス金利分の差額、あと民間銀行への手数料分はある程度国が負担する必要があります。そのため自分でもこれではエコポイントなど直接現金渡す制度とあまり変わらないんじゃないかと思うところもあるのですが、ローン金利だった場合は一回の支払額が大きいことと、長期の支払いで負担が増えていくわけではないという心理効果あるという点で先の消費刺激策と違い、多少の支出があっても検討する価値があるのではないかと思います。また個人消費に限らず、企業の固定資産投資でも環境保全につながるものとかだったら導入してみれば促進が期待できるかもしれません。
今回の記事、友人二人と別々にチャットしながら書き上げました。さすがにキーボード叩く回数が多くて疲れました。
言うまでもないことですが金利というのは上下するから影響するのであって、いくら金利がないからと言ってずっとゼロ金利では貨幣流通量は増えるわけでもなく、今も昔も日本は長いデフレが続いております。かといってこれ以上引き下げようにも既に0%でありますし、日銀は現時点で打てる経済対策というのはないと言ってもいいでしょう。
そんな状況にもかかわらず不況は続いており、一体日銀は何やっているんだということになって現に私もかねてから批判しておりますが、そうした批判の中というか投げやりな意見の中に、「もうこの際だからマイナス金利をやってみろよ」というものが散見されます。マイナス金利というのは言ってしまえば借りれば借りるほどお金が増えるという概念で、例えばマイナス金利1%で100万円を1年返済で借りると、1年後に返す金額は99万円でいいという具合です。こんな夢のような政策、もちろんやっている国なんてほかにはありませが、そもそも論で話すとゼロ金利政策を始めたのは日本が世界で初めてです。
仮にマイナス金利政策を導入するとそれこそ借りた分だけお金が増えるので、変な話ですが借金してでもお金を借りようとする人が続出するかもしれません。これはもちろん冗談ですが、場合によっては無限に借金額が日本中で増えていく可能性があるために単体でそのまま導入することには私は反対です。ただ現時点で金融政策が行き詰っていることを考慮すると一部の規制を設けて導入を検討してみる価値はあるのではないかと見ており、消費刺激策の一つとしてちょっと真面目に考えています。
私の考えているマイナス金利の導入先ですが、ローン金利に対してだったらやる価値はあるんじゃないかと見ています。ローン金利はそれこそ車や住宅の購入に際して組まれるもので、たとえば200万円の車を5年ローンで払うなら198万円で済むとか、3000万の住宅を20年ローンなら2900万とかで完済となるような感じで、対象先を絞って導入入れてみたら一定の消費刺激となり、なおかつ貨幣流通量の拡大も期待できるのではないかと思ってます。
ただ貸せば貸すほどお金が減るなんて商売、多分普通の民間銀行はまずやるわけありません。そのため仮に実施する場合はマイナス金利分の差額、あと民間銀行への手数料分はある程度国が負担する必要があります。そのため自分でもこれではエコポイントなど直接現金渡す制度とあまり変わらないんじゃないかと思うところもあるのですが、ローン金利だった場合は一回の支払額が大きいことと、長期の支払いで負担が増えていくわけではないという心理効果あるという点で先の消費刺激策と違い、多少の支出があっても検討する価値があるのではないかと思います。また個人消費に限らず、企業の固定資産投資でも環境保全につながるものとかだったら導入してみれば促進が期待できるかもしれません。
今回の記事、友人二人と別々にチャットしながら書き上げました。さすがにキーボード叩く回数が多くて疲れました。
2012年3月23日金曜日
中国の偽ワイン
昨日は出張から帰ってきたのでブログ更新はサボりましたが、じゃあ今日は何を書くのかと考え、最近歴史物を書いてないなと思いつつも実に1時間以上も悩んだ挙句、結局書くネタが浮かびませんでした。なんか歴史的な刺激が足りてないのかも。そんなわけでネタ切れということもあり、個人的にツボにはまった中国のワインの話をします。
まず中国におけるワイン市場ですが、一時期の日本と同じようにブームに沸いております。恐らくこれは食べ物の洋食化とともに自然と突き進む道なのである意味自然な成り行きと言ってもいいと思うのですが、ただ一つ日本のワインブームと異なっているのは中国故の偽物文化です。
私はワインというと「ロマネ・コンティ」が一番ブランドが高いと考えていたのですが、ここ中国だと「シャトー・ラフィット」が昔の香港映画に出てきたことから一番人気です。一番人気ゆえに価格も高騰し続けているのですが、このラフィットで何が楽しいかっていうと正規輸入量に対する中国国内の流通量は実に40倍で、圧倒的に偽物の方が多いということです。しかも本物の空き瓶にすら詰め替え用として価値がついていて、確か2万5千円くらいで取引されてるというからどこから突っ込めばいいのやら。
こんな話を友人にしたところ、「思い当たる節がある」と意味深な返事がされました。その友人曰く、中国国内の営業先によってはワインが出されることもあるのですが、酒に強い友人なのにたまに一口で悪酔いするワインがあるそうです。先程の偽ワインの大半は化学原料を見事に調合されて作られていると奉じられており、「多分、そういうのを飲まされてるんだろうな」と疲れた感じで友人は言っておりました。
かくいう自分も昨日の出張先で昼間からワインを出されたのですが、乾杯用なので本当にごく一口だったものの、何故か飲み終わった後は急激に体調が悪くなりました。戦国時代じゃないんだから、いちいち毒見なんてしてられないというのに……。
まず中国におけるワイン市場ですが、一時期の日本と同じようにブームに沸いております。恐らくこれは食べ物の洋食化とともに自然と突き進む道なのである意味自然な成り行きと言ってもいいと思うのですが、ただ一つ日本のワインブームと異なっているのは中国故の偽物文化です。
私はワインというと「ロマネ・コンティ」が一番ブランドが高いと考えていたのですが、ここ中国だと「シャトー・ラフィット」が昔の香港映画に出てきたことから一番人気です。一番人気ゆえに価格も高騰し続けているのですが、このラフィットで何が楽しいかっていうと正規輸入量に対する中国国内の流通量は実に40倍で、圧倒的に偽物の方が多いということです。しかも本物の空き瓶にすら詰め替え用として価値がついていて、確か2万5千円くらいで取引されてるというからどこから突っ込めばいいのやら。
こんな話を友人にしたところ、「思い当たる節がある」と意味深な返事がされました。その友人曰く、中国国内の営業先によってはワインが出されることもあるのですが、酒に強い友人なのにたまに一口で悪酔いするワインがあるそうです。先程の偽ワインの大半は化学原料を見事に調合されて作られていると奉じられており、「多分、そういうのを飲まされてるんだろうな」と疲れた感じで友人は言っておりました。
かくいう自分も昨日の出張先で昼間からワインを出されたのですが、乾杯用なので本当にごく一口だったものの、何故か飲み終わった後は急激に体調が悪くなりました。戦国時代じゃないんだから、いちいち毒見なんてしてられないというのに……。
2012年3月21日水曜日
震災のがれき運搬処理について
場合によっては何人かを敵に回すかもしれませんが、それでも今回取り上げる話題は記事として残しておかねばならないと判断したのでこうして書くことにします。正直言って、まだ迷いがありますが。
・「みんなの力で、がれき処理 災害廃棄物の広域処理をすすめよう」のウサンくささ(黙爺日録)
まず今回の記事を書くきっかけになった、さりげなくチェックしている黙爺日録さんの記事を紹介しておきます。リンク先の記事では日刊ゲンダイの記事が引用されており、昨年起きた東日本大震災によってできた被災地のがれきを他の都道府県に運搬処理することについて疑義を呈しております。この日刊ゲンダイの記事を読む以前から私も漠然と考えていたことですが、このがれきの運搬処理については嘘や誇張とかそういったものではなく、全く理解することが出来ないどころか、この運搬するという行為自体に強い不信感を覚えます。また何故大手メディアはこのがれき運搬について反対しないのか、それどころかむしろ煽ろうとするのか、反対運動はもっと起きていないのか、何がどうなっているのか日本の状況がよくわからないだけにある種の怖さを感じてもいます。
一体何故私ががれき運搬に反対しているのかというと、いくつか理由があります。まず一番大きな理由として、何故被災地で処理、もしくは集積することが出来ないのかという疑問です。日刊ゲンダイの記事でも書かれておりますが、かつての阪神大震災の際にできた瓦礫は2300万トンに対し、今回の東日本大震災は2000万トンと、岩手・宮城・福島の三県にまたがる被災地としてはその量は驚嘆に多くなく、むしろ少ない方です。またこれらの県には比較的土地が有り余っているところも少なくなくない上、地震によって被害を受けた地域などで区画整理をすることで相当の空白地を作ることも予想され、あくまで素人考えですが被災地内でも十分に対応することは可能ではないかという気がします。
仮に被災地内で対応できるとしたら、一体何故膨大なコストを支払ってでも他の都道府県に運搬する必要があるのでしょうか。震災当初であればごみ処理場が止まっていたということでまだ理解できますが、さすがに一年を経過した今になって同じ理由を出すには無理があるでしょう。
そして、これは正直に言いたくはないのですが運搬することによって費用のみならず放射能によって汚染されたがれきが全国にばらまかれることとなり、影響を受ける地域が広がることも考えられます。この可能性については既に震災当初から武田邦彦教授が指摘しており、下手に処理を急ぐくらいなら必要のない限りそのまま放っておき、放射能に汚染された塵が散乱しないように動かすべきじゃないと述べており、私も武田教授の意見が合理的に感じられるだけに支持します。これはもうどうしようもない話としか言いようがなく、さらなる放射能の汚染を防ぐためには可能な限りがれきなどは被災地から動かすべきではないはずだと私は考えます。
にもかかわらず政府はやたらと、しかも熱烈に被災地のがれきを他の都道府県に運搬しようと旗を振り続けています。どっからどうみても運搬する必要性が感じられないばかりか運搬によって生じるリスクも高いのに、何故政府はがれきを運ぼうとするのか。いくつか理由は考えられますが、まず一つ目は「震災の痛みをみんなで分かち合おう」という、採算を度外視したようなメルヘンな思想じゃないかと思います。要するにがれき処理を被災地だけじゃなく全国でやることで心を一つにということですが、そのために無駄なコストと汚染を広げるリスクを負うとしたら私は絶対的に反対です。
もう一つ、政府ががれき運搬をやろうとする理由として考えられるのは、本当に言いたくないですが利権じゃないかと思います。運ぶ必要のないものをわざわざ運ぶことで儲かる業者はたくさんおりますし、さらに政府はがれきを受け入れる自治体に対して特別な補助金を出すと発表しましたが、深く勘ぐるとこれは一種のばらまきでは、選挙対策なのではないかという気すらします。
以上の考えは素人である自分の考えです。ただこのがれき運搬についてはどっからどう見てもこうとしか思えず、決してふざけているわけじゃなくもし合理的な理由があるとすれば誰か教えてほしいですし、むしろあってほしいと願っています。何故あってほしいのかと願うのかというと、あまりにもこのがれき運搬に対する報道が作為的過ぎており、例を挙げるときりがないですが去年の京都の大文字の送り火に使われる松にしろ何にしろ、「被災地の物を受け入れないものはすべて悪だ」とするかのような報道が異常と感じるくらいに一方的だからです。
このがれき受入れだってそうで、「受け入れようとしない自治体が多く、日本の絆はなくなったのか」という文句をこれまでに何度見た事か。受け入れる、受け入れないの問題じゃなく、動かす必要どころか動かしてはならないものを何故動かせと報じるのか、逆意見が全くないのか、初めからどっかと結託してやっているんじゃないのかお前たちメディアはと真剣に感じるからです。
先日、私の友人からメールを受け取りましたが、彼は去年の漢字一字は「絆」となったが、本質的には「嘘」だったのではと鋭い一言を書いておりました。また日本の政治家や官僚は本気で日本人を殺すつもりなのではと書いておりましたが、私自身もこの友人の言葉が大げさだとは感じられませんでした。
もしかしたらただ単に私が心配性なだけでは、勘違いしているだけではとも思うのですが、少なくとも私は現時点で被災地のがれき運搬は危険極まりない行為に思えてならず、合理的な理由の説明がない限りは絶対的に反対だということを言いたく、今回こうして記録にとどめることとしました。
・「みんなの力で、がれき処理 災害廃棄物の広域処理をすすめよう」のウサンくささ(黙爺日録)
まず今回の記事を書くきっかけになった、さりげなくチェックしている黙爺日録さんの記事を紹介しておきます。リンク先の記事では日刊ゲンダイの記事が引用されており、昨年起きた東日本大震災によってできた被災地のがれきを他の都道府県に運搬処理することについて疑義を呈しております。この日刊ゲンダイの記事を読む以前から私も漠然と考えていたことですが、このがれきの運搬処理については嘘や誇張とかそういったものではなく、全く理解することが出来ないどころか、この運搬するという行為自体に強い不信感を覚えます。また何故大手メディアはこのがれき運搬について反対しないのか、それどころかむしろ煽ろうとするのか、反対運動はもっと起きていないのか、何がどうなっているのか日本の状況がよくわからないだけにある種の怖さを感じてもいます。
一体何故私ががれき運搬に反対しているのかというと、いくつか理由があります。まず一番大きな理由として、何故被災地で処理、もしくは集積することが出来ないのかという疑問です。日刊ゲンダイの記事でも書かれておりますが、かつての阪神大震災の際にできた瓦礫は2300万トンに対し、今回の東日本大震災は2000万トンと、岩手・宮城・福島の三県にまたがる被災地としてはその量は驚嘆に多くなく、むしろ少ない方です。またこれらの県には比較的土地が有り余っているところも少なくなくない上、地震によって被害を受けた地域などで区画整理をすることで相当の空白地を作ることも予想され、あくまで素人考えですが被災地内でも十分に対応することは可能ではないかという気がします。
仮に被災地内で対応できるとしたら、一体何故膨大なコストを支払ってでも他の都道府県に運搬する必要があるのでしょうか。震災当初であればごみ処理場が止まっていたということでまだ理解できますが、さすがに一年を経過した今になって同じ理由を出すには無理があるでしょう。
そして、これは正直に言いたくはないのですが運搬することによって費用のみならず放射能によって汚染されたがれきが全国にばらまかれることとなり、影響を受ける地域が広がることも考えられます。この可能性については既に震災当初から武田邦彦教授が指摘しており、下手に処理を急ぐくらいなら必要のない限りそのまま放っておき、放射能に汚染された塵が散乱しないように動かすべきじゃないと述べており、私も武田教授の意見が合理的に感じられるだけに支持します。これはもうどうしようもない話としか言いようがなく、さらなる放射能の汚染を防ぐためには可能な限りがれきなどは被災地から動かすべきではないはずだと私は考えます。
にもかかわらず政府はやたらと、しかも熱烈に被災地のがれきを他の都道府県に運搬しようと旗を振り続けています。どっからどうみても運搬する必要性が感じられないばかりか運搬によって生じるリスクも高いのに、何故政府はがれきを運ぼうとするのか。いくつか理由は考えられますが、まず一つ目は「震災の痛みをみんなで分かち合おう」という、採算を度外視したようなメルヘンな思想じゃないかと思います。要するにがれき処理を被災地だけじゃなく全国でやることで心を一つにということですが、そのために無駄なコストと汚染を広げるリスクを負うとしたら私は絶対的に反対です。
もう一つ、政府ががれき運搬をやろうとする理由として考えられるのは、本当に言いたくないですが利権じゃないかと思います。運ぶ必要のないものをわざわざ運ぶことで儲かる業者はたくさんおりますし、さらに政府はがれきを受け入れる自治体に対して特別な補助金を出すと発表しましたが、深く勘ぐるとこれは一種のばらまきでは、選挙対策なのではないかという気すらします。
以上の考えは素人である自分の考えです。ただこのがれき運搬についてはどっからどう見てもこうとしか思えず、決してふざけているわけじゃなくもし合理的な理由があるとすれば誰か教えてほしいですし、むしろあってほしいと願っています。何故あってほしいのかと願うのかというと、あまりにもこのがれき運搬に対する報道が作為的過ぎており、例を挙げるときりがないですが去年の京都の大文字の送り火に使われる松にしろ何にしろ、「被災地の物を受け入れないものはすべて悪だ」とするかのような報道が異常と感じるくらいに一方的だからです。
このがれき受入れだってそうで、「受け入れようとしない自治体が多く、日本の絆はなくなったのか」という文句をこれまでに何度見た事か。受け入れる、受け入れないの問題じゃなく、動かす必要どころか動かしてはならないものを何故動かせと報じるのか、逆意見が全くないのか、初めからどっかと結託してやっているんじゃないのかお前たちメディアはと真剣に感じるからです。
先日、私の友人からメールを受け取りましたが、彼は去年の漢字一字は「絆」となったが、本質的には「嘘」だったのではと鋭い一言を書いておりました。また日本の政治家や官僚は本気で日本人を殺すつもりなのではと書いておりましたが、私自身もこの友人の言葉が大げさだとは感じられませんでした。
もしかしたらただ単に私が心配性なだけでは、勘違いしているだけではとも思うのですが、少なくとも私は現時点で被災地のがれき運搬は危険極まりない行為に思えてならず、合理的な理由の説明がない限りは絶対的に反対だということを言いたく、今回こうして記録にとどめることとしました。
2012年3月20日火曜日
地下鉄サリン事件から17年を経て
テレビなどで報じられておりますが、17年前の今日、地下鉄サリン事件が起こりました。この事件に対して私は同年代のほかの人間と比べ群を抜いて興味が強く、多少おこがましいですが最終的にこの事件をまとめて総括するのは恐らく自分になるのではないかと思っています。既にこの事件に対しては以前の「陽月秘話」時代からも何度も取り上げていて今更取り立てて新しく書くことはないのですが、改めて喚起したいのはこの事件は過去の事件だといって終わらせるべきではないということです。
まず一番忘れていけないのは、事件の被害者は今も存在し続けていることです。この事件の死者数は13人ではありますが、死者以外にもこの事件によって大きな障害を負い、今も通常の生活が出来ない人間は数多くおられると聞いております。何もこの事件に限るわけじゃないですが、日本の社会は犯罪によって死亡こそ避けれたものの傷害を受けた人たちに対してあまりにも目が当てられていないような気がしてなりません。
こうした被害者のほかにも未だに逃亡を続けている犯人もおり、また裁判こそほぼすべて終結したものの果たして刑が本当に執行されるかどうか危ういところもあります。
災害は忘れた頃にやってくるとは言いますが、この事件も起こった当初はみんな地下鉄に乗る際はハンカチを持つようになったり警戒していたものの、記憶が薄れた今となっては誰もこの時に周知された対策を覚えている人たちはほとんどいないでしょう。もっともそう何度もこんなバイオテロが起こるなんてまっぴらごめんですが、私はやはり、この事件に関しては忘れてはならないし、事件が起きた頃にまだ生まれていなかった世代もどうか事実内容だけは確認してもらいたいという願いがあり、こうして今日取り上げることとしました。
まず一番忘れていけないのは、事件の被害者は今も存在し続けていることです。この事件の死者数は13人ではありますが、死者以外にもこの事件によって大きな障害を負い、今も通常の生活が出来ない人間は数多くおられると聞いております。何もこの事件に限るわけじゃないですが、日本の社会は犯罪によって死亡こそ避けれたものの傷害を受けた人たちに対してあまりにも目が当てられていないような気がしてなりません。
こうした被害者のほかにも未だに逃亡を続けている犯人もおり、また裁判こそほぼすべて終結したものの果たして刑が本当に執行されるかどうか危ういところもあります。
災害は忘れた頃にやってくるとは言いますが、この事件も起こった当初はみんな地下鉄に乗る際はハンカチを持つようになったり警戒していたものの、記憶が薄れた今となっては誰もこの時に周知された対策を覚えている人たちはほとんどいないでしょう。もっともそう何度もこんなバイオテロが起こるなんてまっぴらごめんですが、私はやはり、この事件に関しては忘れてはならないし、事件が起きた頃にまだ生まれていなかった世代もどうか事実内容だけは確認してもらいたいという願いがあり、こうして今日取り上げることとしました。
2012年3月19日月曜日
メール語尾のマイブーム
まず本題と関係ありませんが朝日新聞がまたいい記事を載っけてきたので紹介しておきます。
・企業誘致、実らぬ高額補助 10年内の撤退・縮小23件(朝日新聞)
真面目に朝日新聞はここ数年間で劇的に紙面内容が良くなっている気がします。今大騒ぎとなっている巨人の内部文書流出についてもよくぞ取り上げたと思うのですが、それに対して読売は見ていて呆れるというか、自分らだって普段から似たようなことしてるくせに「勝手に内部情報を明かした」といって警察に泣きつくのを見ていると、お前らもうやめちまえよと言いたくなります。第一、事実を事実と報じて何が悪い。
話は本題に入りますが、今日もまた帰宅が遅かったのでどうでもいい話題です。知ってる人には早いですが毎日こんな駄々長いブログを書くだけあって普段の私は手紙交換においても相当な筆まめだと自負しております。メールを定期的に交換している相手は限られますが送られてくるとすぐに返信しますし、最近はやりませんが以前はわざわざはがきで出すダイレクトメールにも凝っていた頃もあり、自分の方から交換をとだえさせたことはありません。まぁそのかわり向こうから返事来なくなるのは多いんだけどね。
そんなメールですが、昔からやたらと語尾に意味の分からない言葉を付けて送ることが多かったです。大学生の頃もその時期ごとにいろいろ変えてくっつけたりしてましたが、中でも印象的だったのはマクドナルドのキャッチコピー、「I'm loving it!」を、内容とは全く関係なしにつけていた頃がありました。ただあまり反応が良くなかったのと、やってるうちになんだか自分でも意味が分からなくなってすぐにやめてしまいましたが……。
その後、就職してからはあまり語尾につけるのをやめていたのですが、最近になって何故か「フォースと共に」というスターウォーズの言葉を付けるのがマイブームとなってきて、こちらも誰彼構わずつけるどころかスカイプで話し終えた友人に対してすら口頭でこう言って回線を切るようになってます。別にスターウォーズが好きというわけじゃないですが、誰もが知っている言葉で言われた相手はほぼ確実にドキリとするので使い勝手が非常にいいです。
またこれはメールの語尾につけませんが、ちょっと前に同僚との間で、「あなた疲れているのよモルダー」という、某Xファイルのこちらもまた有名なセリフを言い合うのが流行りました。改めて考えてみるとこういうハリウッドとかアメリカ映画のセリフというのは認知度が高いので、普段何気ないところで使ったりすると意外と受ける確率が高いです。もっとも、SAWという映画の「I wanna play game」というセリフはほぼ確実に誰もわからないし、元ネタ逝っても通用しないことが多かったですが。
・企業誘致、実らぬ高額補助 10年内の撤退・縮小23件(朝日新聞)
真面目に朝日新聞はここ数年間で劇的に紙面内容が良くなっている気がします。今大騒ぎとなっている巨人の内部文書流出についてもよくぞ取り上げたと思うのですが、それに対して読売は見ていて呆れるというか、自分らだって普段から似たようなことしてるくせに「勝手に内部情報を明かした」といって警察に泣きつくのを見ていると、お前らもうやめちまえよと言いたくなります。第一、事実を事実と報じて何が悪い。
話は本題に入りますが、今日もまた帰宅が遅かったのでどうでもいい話題です。知ってる人には早いですが毎日こんな駄々長いブログを書くだけあって普段の私は手紙交換においても相当な筆まめだと自負しております。メールを定期的に交換している相手は限られますが送られてくるとすぐに返信しますし、最近はやりませんが以前はわざわざはがきで出すダイレクトメールにも凝っていた頃もあり、自分の方から交換をとだえさせたことはありません。まぁそのかわり向こうから返事来なくなるのは多いんだけどね。
そんなメールですが、昔からやたらと語尾に意味の分からない言葉を付けて送ることが多かったです。大学生の頃もその時期ごとにいろいろ変えてくっつけたりしてましたが、中でも印象的だったのはマクドナルドのキャッチコピー、「I'm loving it!」を、内容とは全く関係なしにつけていた頃がありました。ただあまり反応が良くなかったのと、やってるうちになんだか自分でも意味が分からなくなってすぐにやめてしまいましたが……。
その後、就職してからはあまり語尾につけるのをやめていたのですが、最近になって何故か「フォースと共に」というスターウォーズの言葉を付けるのがマイブームとなってきて、こちらも誰彼構わずつけるどころかスカイプで話し終えた友人に対してすら口頭でこう言って回線を切るようになってます。別にスターウォーズが好きというわけじゃないですが、誰もが知っている言葉で言われた相手はほぼ確実にドキリとするので使い勝手が非常にいいです。
またこれはメールの語尾につけませんが、ちょっと前に同僚との間で、「あなた疲れているのよモルダー」という、某Xファイルのこちらもまた有名なセリフを言い合うのが流行りました。改めて考えてみるとこういうハリウッドとかアメリカ映画のセリフというのは認知度が高いので、普段何気ないところで使ったりすると意外と受ける確率が高いです。もっとも、SAWという映画の「I wanna play game」というセリフはほぼ確実に誰もわからないし、元ネタ逝っても通用しないことが多かったですが。
2012年3月17日土曜日
二次大戦前後における日ソの外交、および戦略
先日、「太平洋戦争の前後、ソ連のコミンテルンが日米開戦、日中戦争の長期化を図って陰謀をめぐらしていたのではないか」というテーマについてリクエストを受けたので、当時の日ソの外交と戦略についてまとめようと思います。どうでもいいですが、プロ野球で日本ハム対ソフトバンクの試合だと得点ボードに「日ソ」と縦書きで表示されるので、なんか別の戦いを連想してしまいます。
まず単刀直入に先ほどの陰謀論についてですが、実際にどのような工作をしたのかどうかは別として、希望として持っていたという点についてはもうはっきり「YES」と答えていいでしょう。何故コミンテルン、というかソ連が日米開戦と日中戦争の長期化を期待してたのかというというと実に単純で、バルバロッサこと独ソ戦が開戦したからです。
この後いろいろと時系列に語るので、先に年表を準備しておきます。それにしてもこの年表、そのまま順番入れ替え問題に使ってもいいくらいよくまとまっている気がします。
1939年5月 ノモンハン事件
1939年8月 独ソ不可侵条約締結
1939年9月 ドイツがポーランド侵攻(二次大戦開戦)
1941年4月 日ソ中立条約締結
1941年6月 独ソ戦開戦
1941年9月 ゾルゲ事件で初めての逮捕者が出る
1941年12月 太平洋戦争開戦
まず見てもらえばわかる通りに、1941年6月にドイツとソ連の間で開戦しましたが、この時のソ連の一番の懸念というのはちょうどドイツと反対側の国境を接する日本の動向でした。というのも仮に日本側が攻撃してくるのであれば東側にも防衛兵力を割かねばならず、逆にその気がないのであれば全兵力をドイツのいる西側に傾けることが出来ます。
そのためこの時のソ連は、っていっても別にこの時に限らず崩壊するまでいつもそうでしたが、世界各国にスパイを送って日本側がどのような戦略なのかを必死で探っており、その諜報員として活躍したのが上記にある「ゾルゲ事件」の名の元となったリヒャルト・ゾルゲです。このゾルゲはスパイ教本にも引用されるくらいに多大な成果を上げた諜報員で、日本側がソ連と開戦するつもりがないことはおろか独ソ戦の正確な開戦日まで調べ上げて本国に報告しております。ただその報告をスターリンが信じずに対応が後手後手になったというオチが付きましたが。
このゾルゲ事件で注目すべきは、諜報活動に関わってゾルゲと共に死刑となった尾崎秀実の存在です。彼は近衛文麿のブレーンにも入っており、近衛に助言をすることで政策に大きな影響を与えていたとされているのですが、雑誌に寄稿した論文では日中戦争の拡大方針を唱え、長期化もやむなしという主張を展開していました。
恐らくこの意図は、日中戦争を長期化させることで日本をソ連に向かわせないようにするのと、さらに言えば日本と国民党を戦わせて中国共産党に再起の機会を与えるという目的からだと思われます。この尾崎はゾルゲと共にコミンテルンの指導で動いており、彼らの行動からコミンテルンが日本をソ連に攻め込ませないように中国やアメリカといった別方面に目を向かわせないよう動いていたといって十分でしょう。
ここで筆を止めても別に問題はないのですが、敢えてもう一つ問題提起をすると、では一体何故日本はこの時期にソ連に攻め込まなかったのでしょうか。はっきり言って分析すればするほどいろいろ情けなくなるのですが、ちょっとこの辺で持論を展開することとします。
まず当時の国際状況ですが、私に言わせれば日本がアメリカと戦う方が不自然で、ソ連と戦う方がある意味で自然な姿だったように思えます。確かに当時の日本はアメリカから経済制裁を食らうなどしておりましたが、普通に考えれば戦って負けることははっきりしているし、またよくハル・ノートがアメリカ側の最後通牒で開戦に至ったという解釈が強いですが、私は和訳文面を読む限りだと最後通牒と呼べるのか、また日本側が主張しているように「返還すべき中国領土に満州も含まれていた」という説には疑問があります。はっきり言って、これでアメリカと開戦することを決断したと言われても、「えっ、なんで?」と思ってしまいます。
逆に、ソ連についてはどうして1941年に日本は攻撃しなかったのか、非常に不自然に感じます。当時の日本とソ連は日ソ中立条約を結んで一応はお互いに攻め込まないという約束をしておりますが、その一方で日独伊三国軍事同盟も結んでおり、事実ヒトラーは対ソ戦を考慮して日本と同盟を結んだようです。
しかしヒトラーもがっかり100点満点なくらいに日本はソ連に攻め込みませんでした。あまり仮定の話は好きではないのですが、独ソ戦の戦況を見返すにつけてもし日本が日ソ中立条約を破棄してソ連に攻め込んでいれば、また攻め込むと言わずとも攻撃する素振りを見せるだけでもしていれば、最低でもドイツはモスクワは落としていたでしょう。さすがにモスクワが落ちたらアメリカもやばいと思って参戦して最終的には連合国が勝ったでしょうが、二次大戦の終戦時期は確実に伸びただろうと断言できるくらいに日本がソ連に攻め込むかどうかは全戦局を左右するターニングポイントでした。
どうして日本は後ろが完全がら空きで、また同盟国であるドイツへの支援を放棄してまでソ連に攻め込まなかったのか。最も妥当な理由は当時の日本の戦略は資源獲得を狙って南方に向いていたためでありますが、私が思うにそうした戦略以前にノモンハン事件の惨敗が影響しているのではないかとにらんでいます。
このノモンハン事件について簡単に説明すると、当時の満州とソ連の間で起きた国境紛争ですが、わずか5ヶ月間で日本側の戦死・戦傷者数が1万6千人を超えるなど実態的には戦争です。近年になってこれまで考えられてきた以上にソ連側の被害も大きかったことがわかりますが、ソ連側が本格的に反撃に出てきた後半戦は完敗と言っていいくらいの大敗北を喫しております。なおこの時に日本側では以前の「陽月秘話」時代に自分も取り上げた宮崎繁三郎が善戦しており、またソ連の指揮官は後の独ソ戦におけるスターリングラード戦で勝利に導いたゲオルギー・ジューコフでした。結果論ですが、ジューコフ相手に勝てるわけないだろという気がします。
これが日本の対ソ戦略にどう影響したのかですか、はっきり言ってトラウマになったと言っていいくらいにソ連を怖がるようになったように見え、事実ノモンハン事件以降の日本は何が何でもソ連との衝突を避けようとしています。根拠としてはこれ以降、首尾一貫してソ連との戦争を忌避するかのような行動が目立つ上、戦争末期には講和交渉の仲介を依頼するなど、終戦に至るまでもはや盲信と言っていいくらいに「ソ連は攻め込まない」と日本が信じ切っているからです。
この辺について何度も引用して悪いような気がしますが半藤一利氏は、「最悪だと思えるケース(ソ連が攻め込んでくる)が起こる可能性を頭から否定しようとする、もしくは現実を直視しようとしない」と評してましたが、自分もそうとしか思えません。それくらいソ連を怖がっていたのではないでしょうか。
さらに言うと、仮にそうだったら日本が日独伊三国軍事同盟を結んだ理由はなんだったのかということにもなります。この同盟はドイツとイタリアの間ならともかく、日本と両国の間では「共同してソ連に攻め込む」からこそ価値がある同盟で、初めからソ連と戦う気がなかったのなら一体なんで結んだのか理解に苦しむどころじゃありません。しかもこの同盟締結を機にアメリカの経済制裁が強まっていますし。
何度愚痴ったってしょうがないですが、この時期の日本の外交戦略はすべてを裏目に出させるという、芸術的と言っていいくらいの無能ぶりを発揮しております。やろうったってこれだけの失敗は狙ったってできないでしょう。この記事に限らずかねがね私は主張していますが、日本は追い込まれて第二次大戦に参戦したわけではなく、頓珍漢な行動を繰り返した挙句に自ら突入していったというのが真相に思えてなりません。
まず単刀直入に先ほどの陰謀論についてですが、実際にどのような工作をしたのかどうかは別として、希望として持っていたという点についてはもうはっきり「YES」と答えていいでしょう。何故コミンテルン、というかソ連が日米開戦と日中戦争の長期化を期待してたのかというというと実に単純で、バルバロッサこと独ソ戦が開戦したからです。
この後いろいろと時系列に語るので、先に年表を準備しておきます。それにしてもこの年表、そのまま順番入れ替え問題に使ってもいいくらいよくまとまっている気がします。
1939年5月 ノモンハン事件
1939年8月 独ソ不可侵条約締結
1939年9月 ドイツがポーランド侵攻(二次大戦開戦)
1941年4月 日ソ中立条約締結
1941年6月 独ソ戦開戦
1941年9月 ゾルゲ事件で初めての逮捕者が出る
1941年12月 太平洋戦争開戦
まず見てもらえばわかる通りに、1941年6月にドイツとソ連の間で開戦しましたが、この時のソ連の一番の懸念というのはちょうどドイツと反対側の国境を接する日本の動向でした。というのも仮に日本側が攻撃してくるのであれば東側にも防衛兵力を割かねばならず、逆にその気がないのであれば全兵力をドイツのいる西側に傾けることが出来ます。
そのためこの時のソ連は、っていっても別にこの時に限らず崩壊するまでいつもそうでしたが、世界各国にスパイを送って日本側がどのような戦略なのかを必死で探っており、その諜報員として活躍したのが上記にある「ゾルゲ事件」の名の元となったリヒャルト・ゾルゲです。このゾルゲはスパイ教本にも引用されるくらいに多大な成果を上げた諜報員で、日本側がソ連と開戦するつもりがないことはおろか独ソ戦の正確な開戦日まで調べ上げて本国に報告しております。ただその報告をスターリンが信じずに対応が後手後手になったというオチが付きましたが。
このゾルゲ事件で注目すべきは、諜報活動に関わってゾルゲと共に死刑となった尾崎秀実の存在です。彼は近衛文麿のブレーンにも入っており、近衛に助言をすることで政策に大きな影響を与えていたとされているのですが、雑誌に寄稿した論文では日中戦争の拡大方針を唱え、長期化もやむなしという主張を展開していました。
恐らくこの意図は、日中戦争を長期化させることで日本をソ連に向かわせないようにするのと、さらに言えば日本と国民党を戦わせて中国共産党に再起の機会を与えるという目的からだと思われます。この尾崎はゾルゲと共にコミンテルンの指導で動いており、彼らの行動からコミンテルンが日本をソ連に攻め込ませないように中国やアメリカといった別方面に目を向かわせないよう動いていたといって十分でしょう。
ここで筆を止めても別に問題はないのですが、敢えてもう一つ問題提起をすると、では一体何故日本はこの時期にソ連に攻め込まなかったのでしょうか。はっきり言って分析すればするほどいろいろ情けなくなるのですが、ちょっとこの辺で持論を展開することとします。
まず当時の国際状況ですが、私に言わせれば日本がアメリカと戦う方が不自然で、ソ連と戦う方がある意味で自然な姿だったように思えます。確かに当時の日本はアメリカから経済制裁を食らうなどしておりましたが、普通に考えれば戦って負けることははっきりしているし、またよくハル・ノートがアメリカ側の最後通牒で開戦に至ったという解釈が強いですが、私は和訳文面を読む限りだと最後通牒と呼べるのか、また日本側が主張しているように「返還すべき中国領土に満州も含まれていた」という説には疑問があります。はっきり言って、これでアメリカと開戦することを決断したと言われても、「えっ、なんで?」と思ってしまいます。
逆に、ソ連についてはどうして1941年に日本は攻撃しなかったのか、非常に不自然に感じます。当時の日本とソ連は日ソ中立条約を結んで一応はお互いに攻め込まないという約束をしておりますが、その一方で日独伊三国軍事同盟も結んでおり、事実ヒトラーは対ソ戦を考慮して日本と同盟を結んだようです。
しかしヒトラーもがっかり100点満点なくらいに日本はソ連に攻め込みませんでした。あまり仮定の話は好きではないのですが、独ソ戦の戦況を見返すにつけてもし日本が日ソ中立条約を破棄してソ連に攻め込んでいれば、また攻め込むと言わずとも攻撃する素振りを見せるだけでもしていれば、最低でもドイツはモスクワは落としていたでしょう。さすがにモスクワが落ちたらアメリカもやばいと思って参戦して最終的には連合国が勝ったでしょうが、二次大戦の終戦時期は確実に伸びただろうと断言できるくらいに日本がソ連に攻め込むかどうかは全戦局を左右するターニングポイントでした。
どうして日本は後ろが完全がら空きで、また同盟国であるドイツへの支援を放棄してまでソ連に攻め込まなかったのか。最も妥当な理由は当時の日本の戦略は資源獲得を狙って南方に向いていたためでありますが、私が思うにそうした戦略以前にノモンハン事件の惨敗が影響しているのではないかとにらんでいます。
このノモンハン事件について簡単に説明すると、当時の満州とソ連の間で起きた国境紛争ですが、わずか5ヶ月間で日本側の戦死・戦傷者数が1万6千人を超えるなど実態的には戦争です。近年になってこれまで考えられてきた以上にソ連側の被害も大きかったことがわかりますが、ソ連側が本格的に反撃に出てきた後半戦は完敗と言っていいくらいの大敗北を喫しております。なおこの時に日本側では以前の「陽月秘話」時代に自分も取り上げた宮崎繁三郎が善戦しており、またソ連の指揮官は後の独ソ戦におけるスターリングラード戦で勝利に導いたゲオルギー・ジューコフでした。結果論ですが、ジューコフ相手に勝てるわけないだろという気がします。
これが日本の対ソ戦略にどう影響したのかですか、はっきり言ってトラウマになったと言っていいくらいにソ連を怖がるようになったように見え、事実ノモンハン事件以降の日本は何が何でもソ連との衝突を避けようとしています。根拠としてはこれ以降、首尾一貫してソ連との戦争を忌避するかのような行動が目立つ上、戦争末期には講和交渉の仲介を依頼するなど、終戦に至るまでもはや盲信と言っていいくらいに「ソ連は攻め込まない」と日本が信じ切っているからです。
この辺について何度も引用して悪いような気がしますが半藤一利氏は、「最悪だと思えるケース(ソ連が攻め込んでくる)が起こる可能性を頭から否定しようとする、もしくは現実を直視しようとしない」と評してましたが、自分もそうとしか思えません。それくらいソ連を怖がっていたのではないでしょうか。
さらに言うと、仮にそうだったら日本が日独伊三国軍事同盟を結んだ理由はなんだったのかということにもなります。この同盟はドイツとイタリアの間ならともかく、日本と両国の間では「共同してソ連に攻め込む」からこそ価値がある同盟で、初めからソ連と戦う気がなかったのなら一体なんで結んだのか理解に苦しむどころじゃありません。しかもこの同盟締結を機にアメリカの経済制裁が強まっていますし。
何度愚痴ったってしょうがないですが、この時期の日本の外交戦略はすべてを裏目に出させるという、芸術的と言っていいくらいの無能ぶりを発揮しております。やろうったってこれだけの失敗は狙ったってできないでしょう。この記事に限らずかねがね私は主張していますが、日本は追い込まれて第二次大戦に参戦したわけではなく、頓珍漢な行動を繰り返した挙句に自ら突入していったというのが真相に思えてなりません。
2012年3月15日木曜日
重慶市トップの更迭について
今日は帰宅が遅くなるから、家に帰ったらブログを書かずにシャワー浴びて、歌でも歌いながら眠りに落ちようと考えていたのですが、さすがに自分が取り上げないでどうするんだという中国ニュースが今日出たので書かざるを得ません。それにしてもさっき食べたマクドナルドのチキンバーガーはあまりおいしくなかったなぁ。
・<中国共産党>重慶市トップの薄熙来氏を解任(毎日新聞)
上記リンク先の記事にある通り、市単位としては中国で最も人口が多い重慶市のトップである薄熙来(はくきらい)が更迭されました。更迭理由については2月に薄熙来の部下だった王立軍副市長が何故か突然に米領事館に駆け込んで亡命を希望したことが影響しているのではと取り沙汰されていますが、はっきり言って原因はこれ以外考えられません。
本題の話をする前に一つ昔話しますが、ちょうど一年前の今の会社に入った直後に私は上司から、「重慶の統計には気をつけろ」という注意を受けました。というのも今回槍玉に挙がっている薄熙来は常務委員(共産党最高幹部集団)入りを狙っており、実態以上に重慶市が発展しているように数字を盛っている可能性が高いということからでした。重慶市がこのところ目覚ましい勢いで発展しているのは事実なのですが確かに数字を見ると怪しいところは少なくなく、たとえば去年のGDP成長率は16.4%で都市別では全国で一番高かったのですが、本当にこれだけ成長したのか正直に言って怪しく、また重慶地元紙を中心に政府の成果をやたら強調するような記事も異常なくらい目立ちました。
ちなみに去年の4月あたりに重慶市がパソコン組み立てメーカーを誘致する記事で、「世界のノートパソコンの半分が重慶製となるだろう」と市の偉い方が言っていたのですが、この内容を私は「~と、途方もない予想をしてみせた」と記事に書いたら上司から、「注意しろとは言ったが、途方もないというのは言い過ぎだ(;゚Д゚)」とされ、「強気の予想を打ち出した」と修正されました(´・ω・`)
話は本題に戻りますが、こうした経緯があるなど薄熙来は中国国内でも曰くつきの人物であったことは間違いありません。それこそなにか不正を隠しているのではともメディア業界の中では言われていましたし、いくら功績を上げたからと言って常務委員入りは難しいのではと我々は話していました。
そういう風に言っていた矢先に、先ほど述べた2月の副市長の亡命事件です。この事件は中国国内では「米領事館に駆け込んだ」という事実以外はほとんど報じられず、私の上海人の友人も凄い気になってて、「第二の林彪事件だ」などとも言っておりました。王立軍が何故領事館に駆け込んだのか、巷では重慶市の人事が変わることによっていろいろまず情報を出るのを恐れたとか言われておりますが、少なくとも現段階では何が正しいのか本当の理由を判別する手段はなく、もうしばらく時間が経たないとまずわからないでしょう。
ただこれほどの重役が亡命を希望したとなると上司はタダではまず済むわけでなく、今回こうして薄熙来は更迭されることとなったのでしょう。一応政府報道では「重慶市書記には再任されない」とされていますが、早くも降格となり、幹部としての地位すら危ういのではないかと噂されております。
なおこれは今日耳にした話ですがなんでも日本政府関係者は昨日まで、薄熙来は責任を追及されずに常務委員入りし、最低でも副首相になると予想していたそうです。これが事実だとすると日本の情報力は一体どうなるんだと、今日社内でちょっとした議論となりました。
最後に王立軍の亡命についてですが、友人の言う通りに中国政府重役が亡命を求めるなんて林彪事件以来でしょう。林彪事件の詳細についてはリンク先のウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、現時点ではすでに価値を失っているものの一時期においては確かに中国共産党を揺るがす大事件でありました。
なので以前に一度、中国版ツイッターこと微簿で怪情報を流してみないかと友人と話し、「林彪、実は生きてた」というストーリーで、「長生きの秘訣は毎朝の体操と話しており……」などとプロットを練ったことがありますが、真面目に国外追放されたらシャレにならないので実行には移しませんでした。なおこの友人は、私が「日本帰りたいなぁ」と話すと、「あそこにいる警官を殴ればすぐ帰れるよ」と教えてくれるいい奴です。
・<中国共産党>重慶市トップの薄熙来氏を解任(毎日新聞)
上記リンク先の記事にある通り、市単位としては中国で最も人口が多い重慶市のトップである薄熙来(はくきらい)が更迭されました。更迭理由については2月に薄熙来の部下だった王立軍副市長が何故か突然に米領事館に駆け込んで亡命を希望したことが影響しているのではと取り沙汰されていますが、はっきり言って原因はこれ以外考えられません。
本題の話をする前に一つ昔話しますが、ちょうど一年前の今の会社に入った直後に私は上司から、「重慶の統計には気をつけろ」という注意を受けました。というのも今回槍玉に挙がっている薄熙来は常務委員(共産党最高幹部集団)入りを狙っており、実態以上に重慶市が発展しているように数字を盛っている可能性が高いということからでした。重慶市がこのところ目覚ましい勢いで発展しているのは事実なのですが確かに数字を見ると怪しいところは少なくなく、たとえば去年のGDP成長率は16.4%で都市別では全国で一番高かったのですが、本当にこれだけ成長したのか正直に言って怪しく、また重慶地元紙を中心に政府の成果をやたら強調するような記事も異常なくらい目立ちました。
ちなみに去年の4月あたりに重慶市がパソコン組み立てメーカーを誘致する記事で、「世界のノートパソコンの半分が重慶製となるだろう」と市の偉い方が言っていたのですが、この内容を私は「~と、途方もない予想をしてみせた」と記事に書いたら上司から、「注意しろとは言ったが、途方もないというのは言い過ぎだ(;゚Д゚)」とされ、「強気の予想を打ち出した」と修正されました(´・ω・`)
話は本題に戻りますが、こうした経緯があるなど薄熙来は中国国内でも曰くつきの人物であったことは間違いありません。それこそなにか不正を隠しているのではともメディア業界の中では言われていましたし、いくら功績を上げたからと言って常務委員入りは難しいのではと我々は話していました。
そういう風に言っていた矢先に、先ほど述べた2月の副市長の亡命事件です。この事件は中国国内では「米領事館に駆け込んだ」という事実以外はほとんど報じられず、私の上海人の友人も凄い気になってて、「第二の林彪事件だ」などとも言っておりました。王立軍が何故領事館に駆け込んだのか、巷では重慶市の人事が変わることによっていろいろまず情報を出るのを恐れたとか言われておりますが、少なくとも現段階では何が正しいのか本当の理由を判別する手段はなく、もうしばらく時間が経たないとまずわからないでしょう。
ただこれほどの重役が亡命を希望したとなると上司はタダではまず済むわけでなく、今回こうして薄熙来は更迭されることとなったのでしょう。一応政府報道では「重慶市書記には再任されない」とされていますが、早くも降格となり、幹部としての地位すら危ういのではないかと噂されております。
なおこれは今日耳にした話ですがなんでも日本政府関係者は昨日まで、薄熙来は責任を追及されずに常務委員入りし、最低でも副首相になると予想していたそうです。これが事実だとすると日本の情報力は一体どうなるんだと、今日社内でちょっとした議論となりました。
最後に王立軍の亡命についてですが、友人の言う通りに中国政府重役が亡命を求めるなんて林彪事件以来でしょう。林彪事件の詳細についてはリンク先のウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、現時点ではすでに価値を失っているものの一時期においては確かに中国共産党を揺るがす大事件でありました。
なので以前に一度、中国版ツイッターこと微簿で怪情報を流してみないかと友人と話し、「林彪、実は生きてた」というストーリーで、「長生きの秘訣は毎朝の体操と話しており……」などとプロットを練ったことがありますが、真面目に国外追放されたらシャレにならないので実行には移しませんでした。なおこの友人は、私が「日本帰りたいなぁ」と話すと、「あそこにいる警官を殴ればすぐ帰れるよ」と教えてくれるいい奴です。
2012年3月14日水曜日
イグノーベル賞について
本題と全く関係ありませんが、この前Yahooの質問コーナーに載っていた話で爆笑したものがありました。その質問というのは「今までに恥ずかしかったことでどんなことがあるか」だったのですが、この質問に対して寄せられた回答というのも、
「ある日同時に、「学校で着るあの黒い水着ってなんだっけ?」、「文化祭でやる喫茶店の衣装は何にする?」というメールを受信したので、「スクール水着?」と片方に返信したところ、「スクール水着で喫茶店するの!?」というメールが返っててきた」
回答者は女性だそうです。
話は本題に移りますが、前から気になっていたものの真剣に調べることがなかったイグノーベル賞について、今日の会社の昼休み中にとうとうウィキペディアの記事を読んでしまいました。なんで今日になって読む気になったかというと、なんか面倒くさい記事を書き終えた後でしばらく次の記事に取り掛かりたくなかったというのが本音です。
・イグノーベル賞(Wikipedia)
このイグノーベル賞はというのは知ってる人には早いですが、名前からしてノーベル賞を茶化すために作られた賞です。主に風変わりな研究とか、誰も着目しなかったけど聞いててすごいと思う発見をした人とかに与えられるもので、選定基準には全般的に皮肉や風刺が強く込められております。
なおこのイグノーベル賞は毎年10月にハーバード大学で行われる授賞式からして徹底的に風刺が強く、「ノーベル賞では、式の初めにスウェーデン王室に敬意を払うのに対して、イグノーベル賞では、スウェーデン風ミートボールに敬意を払う」、「受賞者の旅費、滞在費は自己負担で、式のスピーチでは聴衆から笑いをとることが要求される」、「制限時間が近づくとぬいぐるみを抱えた少女が受賞者の裾を引っ張り壇上から下ろそうとするが、この少女を買収することによってスピーチを続けることが許される」など、読んでるだけで実に楽しい気分にさせられます。
それで今回、過去にどんな人がどんな功績で受賞したのかをざらっと眺めたのですが、中にはアンドレ・ガイムというイグノーベル賞を受賞したのちに本物のノーベル賞を受賞した人がいるなど、ある意味評価はしっかりしているという印象を受けます。そんな過去の受賞の中で私がすごい、もしくはツボにはまったものをいくつか挙げると下記の通りとなります。
・1993年 数学賞 ロバート・フェイド
受賞理由:ミハイル・ゴルバチョフが反キリストである正確な確率(710,609,175,188,282,000分の1)を計算したことから
・1994年 医学賞 患者X、リチャード・C・ダート、リチャード・A・グスタファソン
受賞理由:猛毒を持つガラガラヘビに噛まれた患者Xが毒を取り除こうと、車のエンジンを3000rpmで5分回転させるパワーを持つ自動車の点火プラグを唇に装着して失敗した事例をダートとグスタファソンが論文で取り上げた。
・2003年 化学賞 廣瀬幸雄(金沢大学)
授賞理由:兼六園にある日本武尊の銅像にハトが全く近寄らず糞害がなかった原因が、この像が多量のヒ素と鉛を含んで鋳造されたことにあることを突き止め、人間に害の及ばない程度のヒ素を含ませハトを近寄らせないタイルを作ったことから。
・2007年 医学賞 ブライアン・ウィットコーム、ダン・メイヤー
授賞理由:論文「剣を飲み込む芸とその副作用」に対して贈られた。
・2007年 平和賞 アメリカ空軍ライト研究所
授賞理由:敵兵が互いに性的魅力を感じて同性愛行為を始めるという催淫性非殺傷兵器、通称「ゲイ・ボム」に対する研究開発(実現は果たせず)。
・2009年 公衆衛生賞 エレナ・N・ボドナー、ラファエル・C・リー、サンドラ・マリヤン
授賞理由:一対のガスマスクに素早く変形させることのできるブラジャーを発明。
・2011年 平和賞アルテュラス・ズオカス(リトアニア・ビリニュス市長)
授賞理由:違法駐車している高級車を装甲車で踏みつぶして問題解決できることを示した。(市内で一向に減らない違法駐車に業を煮やした市長はこの年、わざわざ免許を取得し、自ら戦車を操縦して違法駐車している車を踏みつぶしている)
なお、この賞は日本人も過去16回受賞しており、それぞれの研究成果はこちらのページにて紹介されております。また中国人による研究では、2010年に広東昆虫学研究所の研究員らによって、「フルーツコウモリのフェラチオを科学的に記録した」ことによって生物学賞を受賞しています。やるな、中国め。
よく日本政府は科学立国だなどと言ってノーベル賞受賞者をどんどん増やそうと音頭を取っておりますが、私は真面目にノーベル賞よりもイグノーベル賞の受賞者を増やすことに努力した方がいいのではないかと思っています。というのもこれからの日本は科学技術は確かに大事ですが、それ以上に発想力というか文化力というものが重要になってくると思っており、こういった方面を伸ばす努力の方が重要度は高いのではないかと考えているわけです。
ついでに前々から書きたかったものの中々独立して書くことができなかったものとして、以前に村上隆氏が「クールジャパンなんて世界で全然流行っていない」という内容のことを発言して話題となりましたが、私自身も常日頃からこの「クールジャパン」という言葉に酔っているのはほかならぬ日本人自身だと思っていました。これ以前からも日本人は本当に価値があるものを目の前にして、手元にありながら何故だか無視して、「いつかきっとどこかに誰もが認める素晴らしいものがあるんだ」と考え本当にあるのかどうかわからないものを追いかけるような青い鳥症候群が強いと見ており、早くにこれから脱却する必要があると感じております。なもんだからそういった何かわからないものを追いかけるような「クールジャパン」なんてとっととやめて、これからは「シュールジャパン」をキャッチフレーズに日本はやっていこうと、何故か上海で一人で音頭を取っております。
「ある日同時に、「学校で着るあの黒い水着ってなんだっけ?」、「文化祭でやる喫茶店の衣装は何にする?」というメールを受信したので、「スクール水着?」と片方に返信したところ、「スクール水着で喫茶店するの!?」というメールが返っててきた」
回答者は女性だそうです。
話は本題に移りますが、前から気になっていたものの真剣に調べることがなかったイグノーベル賞について、今日の会社の昼休み中にとうとうウィキペディアの記事を読んでしまいました。なんで今日になって読む気になったかというと、なんか面倒くさい記事を書き終えた後でしばらく次の記事に取り掛かりたくなかったというのが本音です。
・イグノーベル賞(Wikipedia)
このイグノーベル賞はというのは知ってる人には早いですが、名前からしてノーベル賞を茶化すために作られた賞です。主に風変わりな研究とか、誰も着目しなかったけど聞いててすごいと思う発見をした人とかに与えられるもので、選定基準には全般的に皮肉や風刺が強く込められております。
なおこのイグノーベル賞は毎年10月にハーバード大学で行われる授賞式からして徹底的に風刺が強く、「ノーベル賞では、式の初めにスウェーデン王室に敬意を払うのに対して、イグノーベル賞では、スウェーデン風ミートボールに敬意を払う」、「受賞者の旅費、滞在費は自己負担で、式のスピーチでは聴衆から笑いをとることが要求される」、「制限時間が近づくとぬいぐるみを抱えた少女が受賞者の裾を引っ張り壇上から下ろそうとするが、この少女を買収することによってスピーチを続けることが許される」など、読んでるだけで実に楽しい気分にさせられます。
それで今回、過去にどんな人がどんな功績で受賞したのかをざらっと眺めたのですが、中にはアンドレ・ガイムというイグノーベル賞を受賞したのちに本物のノーベル賞を受賞した人がいるなど、ある意味評価はしっかりしているという印象を受けます。そんな過去の受賞の中で私がすごい、もしくはツボにはまったものをいくつか挙げると下記の通りとなります。
・1993年 数学賞 ロバート・フェイド
受賞理由:ミハイル・ゴルバチョフが反キリストである正確な確率(710,609,175,188,282,000分の1)を計算したことから
・1994年 医学賞 患者X、リチャード・C・ダート、リチャード・A・グスタファソン
受賞理由:猛毒を持つガラガラヘビに噛まれた患者Xが毒を取り除こうと、車のエンジンを3000rpmで5分回転させるパワーを持つ自動車の点火プラグを唇に装着して失敗した事例をダートとグスタファソンが論文で取り上げた。
・2003年 化学賞 廣瀬幸雄(金沢大学)
授賞理由:兼六園にある日本武尊の銅像にハトが全く近寄らず糞害がなかった原因が、この像が多量のヒ素と鉛を含んで鋳造されたことにあることを突き止め、人間に害の及ばない程度のヒ素を含ませハトを近寄らせないタイルを作ったことから。
・2007年 医学賞 ブライアン・ウィットコーム、ダン・メイヤー
授賞理由:論文「剣を飲み込む芸とその副作用」に対して贈られた。
・2007年 平和賞 アメリカ空軍ライト研究所
授賞理由:敵兵が互いに性的魅力を感じて同性愛行為を始めるという催淫性非殺傷兵器、通称「ゲイ・ボム」に対する研究開発(実現は果たせず)。
・2009年 公衆衛生賞 エレナ・N・ボドナー、ラファエル・C・リー、サンドラ・マリヤン
授賞理由:一対のガスマスクに素早く変形させることのできるブラジャーを発明。
・2011年 平和賞アルテュラス・ズオカス(リトアニア・ビリニュス市長)
授賞理由:違法駐車している高級車を装甲車で踏みつぶして問題解決できることを示した。(市内で一向に減らない違法駐車に業を煮やした市長はこの年、わざわざ免許を取得し、自ら戦車を操縦して違法駐車している車を踏みつぶしている)
なお、この賞は日本人も過去16回受賞しており、それぞれの研究成果はこちらのページにて紹介されております。また中国人による研究では、2010年に広東昆虫学研究所の研究員らによって、「フルーツコウモリのフェラチオを科学的に記録した」ことによって生物学賞を受賞しています。やるな、中国め。
よく日本政府は科学立国だなどと言ってノーベル賞受賞者をどんどん増やそうと音頭を取っておりますが、私は真面目にノーベル賞よりもイグノーベル賞の受賞者を増やすことに努力した方がいいのではないかと思っています。というのもこれからの日本は科学技術は確かに大事ですが、それ以上に発想力というか文化力というものが重要になってくると思っており、こういった方面を伸ばす努力の方が重要度は高いのではないかと考えているわけです。
ついでに前々から書きたかったものの中々独立して書くことができなかったものとして、以前に村上隆氏が「クールジャパンなんて世界で全然流行っていない」という内容のことを発言して話題となりましたが、私自身も常日頃からこの「クールジャパン」という言葉に酔っているのはほかならぬ日本人自身だと思っていました。これ以前からも日本人は本当に価値があるものを目の前にして、手元にありながら何故だか無視して、「いつかきっとどこかに誰もが認める素晴らしいものがあるんだ」と考え本当にあるのかどうかわからないものを追いかけるような青い鳥症候群が強いと見ており、早くにこれから脱却する必要があると感じております。なもんだからそういった何かわからないものを追いかけるような「クールジャパン」なんてとっととやめて、これからは「シュールジャパン」をキャッチフレーズに日本はやっていこうと、何故か上海で一人で音頭を取っております。
2012年3月13日火曜日
新華社の日本専門ページについて
・新華社 日本頻道
上記リンク先は中国のNHKこと新華社の日本専門ページです。何故だか知らないけど新華社は国・地域としては日本と台湾のみこうした専門ページを用意していて、こっちの日本語のページもありますが、中国語が読めるなら一番上のページの方が見ていて面白いかと思います。何気に、中国語を勉強している人はニュース内容が日本のニュースということでわかりやすいため、上記サイトの記事を読むことが中国語の勉強にとてもいいと思うので真面目にお勧めします。
それで今日この日本専門ページでどんなことが取り上げられているかですが、やっぱりというか日本が650億元の人民元債を購入したというのが大きく扱われております。解説記事を読む限りだと中国としても大喜びだし、「欧州事情が不安定なことを考えると人民元の価値は安定しており、また米ドル一辺倒からリスク分散をするという戦略では」とHSBCのアナリストが書いています。私としても人民元債を持つことによって、日本に対して極端な貿易政策を取りづらくなるので、金額としても妥当な額であることから今回の購入は双方にとって悪くない話だと考えています。
これ以外で書かれていることになると、「日本人とラーメン」とか今日はなんかしょうもないのばっかですが、普段はAKBとかコスプレ写真とかって、普段もくだらないものが多いですね。
ただ今日見ている中でちょっと感心したのは、「中国人が喜ぶ日本のちょっとしたお土産」の中に爪切りが入ってて、恐らくわかる人ならわかるでしょうが凄い納得しました。というのもこっちの爪切りは「馬鹿にしてんじゃねぇぞ(#゚Д゚)ゴルァ!!」と言いたくなるくらい爪切りが小さく、しかも果てしなく切りづらいです。記事中にも「匠の切れ味」と書かれてありますが、どうして同じ爪切りが普及しないのか普段から疑問です。
上記リンク先は中国のNHKこと新華社の日本専門ページです。何故だか知らないけど新華社は国・地域としては日本と台湾のみこうした専門ページを用意していて、こっちの日本語のページもありますが、中国語が読めるなら一番上のページの方が見ていて面白いかと思います。何気に、中国語を勉強している人はニュース内容が日本のニュースということでわかりやすいため、上記サイトの記事を読むことが中国語の勉強にとてもいいと思うので真面目にお勧めします。
それで今日この日本専門ページでどんなことが取り上げられているかですが、やっぱりというか日本が650億元の人民元債を購入したというのが大きく扱われております。解説記事を読む限りだと中国としても大喜びだし、「欧州事情が不安定なことを考えると人民元の価値は安定しており、また米ドル一辺倒からリスク分散をするという戦略では」とHSBCのアナリストが書いています。私としても人民元債を持つことによって、日本に対して極端な貿易政策を取りづらくなるので、金額としても妥当な額であることから今回の購入は双方にとって悪くない話だと考えています。
これ以外で書かれていることになると、「日本人とラーメン」とか今日はなんかしょうもないのばっかですが、普段はAKBとかコスプレ写真とかって、普段もくだらないものが多いですね。
ただ今日見ている中でちょっと感心したのは、「中国人が喜ぶ日本のちょっとしたお土産」の中に爪切りが入ってて、恐らくわかる人ならわかるでしょうが凄い納得しました。というのもこっちの爪切りは「馬鹿にしてんじゃねぇぞ(#゚Д゚)ゴルァ!!」と言いたくなるくらい爪切りが小さく、しかも果てしなく切りづらいです。記事中にも「匠の切れ味」と書かれてありますが、どうして同じ爪切りが普及しないのか普段から疑問です。
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