本当は昨日に腹をくくって書こうと思っていたのですが、件のFC2の件(まだ解決していない)で書く時間がなくなり今日になってしまいました。
そういうわけで、本連載の折り返し地点でありながら前半の最後を飾る、満州帝国の発足に至らせるために起こされた、近代日本史上でも非常に重要な事件である満州事変を今日は解説します。
既にこれまでの連載で説明しているように、日本は日露戦争後に帝政ロシアが中国から許可を得て経営していた東清鉄道とその鉄道周囲の付属地の権利をそのままを譲り受け、中国東北部において他の列強を排して満州鉄道を大動脈とするほぼ独占的な権益を確保しました。しかし中国東北部こと満州にて大きな権益を握ってはいたもののあくまで保有していた領地は鉄道付属地のみで、世界恐慌の影響を受けて国内でも大きな経済的混乱状態にあった日本政府や日本陸軍はかねてより、この際鉄道付属地だけとは言わずに満州全土を占領するべきという野心を持っていました。
そうした野心はこの満州事変以前にもあり、日本政府や軍は大陸浪人や清朝の再興を願う旧臣などと同床異夢ではありながら協力して満州全土の支配を画策したり、満州地域で力を持った軍閥を応援することで自身の権益の拡大を図ってきました。そんな中で日本陸軍、というよりも満州鉄道の守備隊として設置され、その後対ソ国境部隊としての役割を持ったことから軍備の増強を受け、当時の日本国内で最強との呼び声の高かった関東軍の中では、より強行的に軍事力で持ってねじ伏せて満州支配を実行に移すべきとの意見が支配的になってゆき、そのような考えが初めて目立つ形で実行されたのが前回に取り上げた張作霖爆殺事件でした。
これまで応援してきた仲とはいえ、徐々に関東軍の意向に従わなくなってきていた軍閥の長である張作霖を爆殺してより日本に協力的な人間を担ぎ出そうと実行したこの策でしたが、事態は皮肉にも張作霖の後を継いだ息子の張学良は日本に対して一層態度を硬化させただけでなく、当時北伐中の蒋介石に降伏したことで混乱の続いてきた中国が徐々に安定していく兆しを見せる事態とまでなりました。
恐らく当時の関東軍においてはそうして中国が安定を取り戻すことで、日本が満州に進出する機会が徐々に失われていくのではないかという焦燥感があったように私は思えます。そんな状況下で、1928年に満州事変の主役とも言うべき石原莞爾が関東軍に赴任してきたのはある意味皮肉な運命だといえるでしょう。
かねてより自説である最終戦総論にて将来日本がアメリカと戦うために、中国全土の占領と統治が必要だと考えていた石原は上司である板垣征四郎らと密談を重ね、意図的に満州地域を攻撃、占領する口実を作り出した後に清朝最後の皇帝である溥儀を担ぎ出し、満州を中国から切り離す形で傀儡政権を独立させるという計画を編み出しました。
その計画は奉天(現在の瀋陽)近郊の柳条湖にて、1932年9月についに実行されました。この柳条湖を通る満州鉄道を関東軍が自ら爆破し、これを張学良軍の仕業と断定して自衛行動として張学良軍を攻撃し、そのまま各都市の占領を一挙に推し進めていきました。これらの行動を関東軍は「自衛行為」という主張で行いましたが実際には一方的な攻撃に過ぎず、本来このような軍事行動は政府、ひいては天皇の認可を受けねば実行してはならないために当時としても明らかな法令違反ではありました。
事実、事件勃発直後に政府は戦線の不拡大方針を取り、後に総理にもなる幣原喜十郎外務大臣も方々に事態の鎮静化を図るも、当時朝鮮に駐屯していた林銑十郎に至っては部隊を勝手に動かして満州へと越境行動を起こすなど、関東軍らは政府らの命令を全く無視したまま軍事行動を拡大していきました。
では何故当時の政府はこうした関東軍の行動を食い止められなかったのかですが、私が一つに考える背景として当時のテロリズムの風潮が政府首脳に二の足を踏ませたからではないかと思います。
五一五事件や二二六事件はこの後の話ですが、満州事変の一年前には浜口雄幸が銃撃されており、さらには満州事変の約半年前には陸軍の橋本欣五郎が三月事件という事件を未遂には終わりましたが計画していました。この三月事件の概要はウィキペディアをみてもらえばわかりますが、陸軍が各政党本部を始め政治家を襲撃した上で軍主導によるクーデターを起こすという内容で、決行直前に陸軍首脳へと計画が漏れたことで計画者らが説得を受ける形で取りやめとなった事件です。
しかしこの三月事件の最大の問題点だったのはなんといっても、クーデターを計画していた橋本欣五郎を始めとした人物らが全く処分されなかったことです。そのため彼らは満州事変に呼応する形で日本国内で首相らを暗殺した上でクーデターを起こすという十月事件を、こちらも決行直前に計画が漏れて今度は憲兵隊によって首謀者らが捕まるなどして中止されはしましたが、同じようなクーデター計画を作られる事態を引き起こしてしまいました。
こうした、政府が意に沿わぬものならテロやクーデターによる強硬手段によって引っくり返してしまえと言わんばかりの強行的な軍の動きが、政府首脳らに満州事変での軍の暴走を抑えるのに二の足を踏ませたのではないかと個人的には思います。どうも十月事件に至っては首謀者たちは元から実行するつもりはさらさらなく、そうした意識を政府首脳に植え付けさせるのが目的だったという説もあったようですし、だとすれば既にこの時点で日本の統治や運営は日本軍に握られかけていたといっても過言ではないでしょう。
こうした日本の動きに対し中国側はどんな対応を取っていたかですが、当初張学良軍は下手に反撃をすればより日本に侵略する口実を与えると考えて一切の対抗手段を取らずにいました。この時の決断について後に張学良氏は、まさか関東軍がその攻撃を満州全土にまで広げるとは考えていなかったと述懐していますが、張学良氏がこう考えるのも無理ではないと私は思えます。それだけこの時の関東軍の行動は一切の法律、果てには当時の世界情勢を無視した暴挙であったからです。
またこの満州事変時、かつて歴史の闇に葬られた男が再び歴史の表舞台に現れております。何を隠そうあの甘粕事件の犯人で、後に満州の夜の帝王と呼ばれることとなる甘粕正彦です。
彼は甘粕事件後に陸軍によって表世界から遠ざけるようにフランスへと留学させられ、事変の前には満州にて陸軍関係者らと関係を作っておりました。そして最初の柳条湖事件が起こるや甘粕正彦は奉天から遠く離れたハルビンにある日本総領事館へ自らの手下を率いて爆弾を投下し、これをまた中国人の仕業として当初南満州のみであった騒動を北満州まで、つまり満州全土に対して関東軍が行動を起こす口実を作っており、日本国内にいた軍人もこの時の甘粕の活躍を高く評価しておりました。
その甘粕は事変が拡大していく中、満州にある湯崗子という地へと1931年11月に訪れます。そしてこの地にて、既に天津を脱出してきていた清朝最後の皇帝の溥儀を迎えることで、中国の歴史上にも大きく名前を残すこととなりました。
続きは次回にて、満州国建国へ過程とともに解説します。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年3月18日水曜日
2009年3月17日火曜日
どういう風に職業を選べばいいのか
このところ東京駅の高速バスの停留所の辺りを通ると、休日でも朝早くなのにスーツを来た若い大学生と思しき人たちをよく見かけます。時期が時期なので彼らは恐らく地方から高速バスに乗って就職の説明会や面接にやって来た学生たちだと思いますが、遠いところから来るなど改めてその活動振りには頭が下がる思いがします。
そんなわけなので今日はまた就職の話をしようと思うのですが、よく就職情報誌などの質問コーナーなどを見ると、「どんな職業が自分にあっているのか」という自分と職業とのマッチングに関する質問が多く見かけられ、果てにはYES,NO式のマッチングフローチャートなども大抵の雑誌には載せられています。
つまりはそれほどまでに自分に合った仕事を見つけることが重要だと考える学生が多くいるようなのですが、私はというとそうした考え自体があまりよくないのではないかと、実は一人で危惧をしてしまいます。というのもよく仕事の向き不向きなどは職業論での議論の材料にはなりはしますが、何か一つの仕事に対して強い適性を持っている人間なんて現実にはほとんどおらず、大抵の人間にとって好みの問題はあれこそ、何かの職業が特別向いているというようなことは全くと言っていいほどないと思うからです。
それこそ他の仕事は一切手につかなかった水木しげる氏(軍隊でラッパも吹けなかったので前線に飛ばされた)のような超特別な人間なら話は別ですが、大抵の一般人にとって世の中一般の仕事は言うなればやるかやらないか程度の問題で、「これしか出来ない」とか「この仕事こそが一番自分に合っている」なんていうことは現実にはほとんどの人にはありえない事態だと思います。
それでも世の中を見ているとどこか運命論的に、「どこかに必ず自分の転職と呼べる職業があるはず」といったような言質がよく聞こえてくるのですが、ひどい場合には何か一つの職業や職種を挙げてこれ以外はもう考えられないと、自らの就職先の選択を徹底的に狭めようとする人もいます。
ですが企業なんて入ったところで必ずしも自分の希望する部署に入れるかもわからず、また本当にその企業が自分の思った通りの仕事をしているかもわからないことが多く、人づてに聞くとそうした特定の職種や職業に強いこだわりを持つ人間ほど五月病にかかりやすいそうです。
では何故学生たちは自らの適性にあった職業を半ば決め付けようとするのかですが、先ほども私が言った通りに、自分の存在価値を職業を限定することで強く自分自身に意識させようというのがあるからじゃないかと個人的には思います。というのもこれは私が中学三年生だった頃に友人が、
「花園君はなりたい職業はある?」
「出来れば作家になりたいけど、なんで?」
「俺にはなりたい職業がわからないんだ。こんなんでいいのかなぁって思って……」
と、中二病バリバリの時期にこんな会話をしたことがあります。この友人の当時の心境を勝手に推察させてもらうと、なりたい職業がないということはこの世に存在する価値もない、という風にもしかしたら考えていたのかもしれません。
このように、大抵の人は職業選択の幅を自ら狭めよう狭めようとするのですが、確かに一人で何百社も就職活動をすることは出来ないのである程度狭めることは決して間違いではないのですが、極端に狭めることはかえってマイナスですし、それで希望通りでなければショックを受けると言うのは非常にもったいないでしょう。ではどういう風に選択幅を狭めればいいのか、どんな仕事を自分に見繕えばいいのかですが、私がお勧めするのは最低ラインを定めるという方法です。
これなんか私が学内で自分の専門性を決める際に使ったのですが、世の中に出ればどんな仕事に出くわすかもわからないが、少なくとも大好きな中国に関わる仕事であればどんなに辛くとも、「チャイナならしょうがねぇ」と思ってまだ我慢できるだろうと思い、中国に何かしら関われるように中国語を専門に勉強することを決めました。
この方法は「自分に何が合うだろうか」ではなく、「自分は何なら我慢できるか」と、自分と仕事に対して妥協点を探る方法です。この方法なら職業選択の幅を極端に狭めることもなく、また割と一致しやすい範囲で自分の適性と仕事を結び付けられることが出来るのでなかなか使い勝手がいいんじゃないかと思います。また私の場合は「中国」と限定していますが、消去法的に人見知りだから散々人に会うのは勘弁という人は警備会社とか経理関係とかに絞ったりなどとする方法もあります。
とにかく、何かしらの仕事や企業を自分の天職と考えて限定するのはかえってよくないので、どこまでなら自分は我慢できるのかという価値観で就職活動を行うのを私はお勧めします。まぁ、このご時世では「正社員ならどこでも」と思ってもなかなかうまくいかないかもしれませんが……。
そんなわけなので今日はまた就職の話をしようと思うのですが、よく就職情報誌などの質問コーナーなどを見ると、「どんな職業が自分にあっているのか」という自分と職業とのマッチングに関する質問が多く見かけられ、果てにはYES,NO式のマッチングフローチャートなども大抵の雑誌には載せられています。
つまりはそれほどまでに自分に合った仕事を見つけることが重要だと考える学生が多くいるようなのですが、私はというとそうした考え自体があまりよくないのではないかと、実は一人で危惧をしてしまいます。というのもよく仕事の向き不向きなどは職業論での議論の材料にはなりはしますが、何か一つの仕事に対して強い適性を持っている人間なんて現実にはほとんどおらず、大抵の人間にとって好みの問題はあれこそ、何かの職業が特別向いているというようなことは全くと言っていいほどないと思うからです。
それこそ他の仕事は一切手につかなかった水木しげる氏(軍隊でラッパも吹けなかったので前線に飛ばされた)のような超特別な人間なら話は別ですが、大抵の一般人にとって世の中一般の仕事は言うなればやるかやらないか程度の問題で、「これしか出来ない」とか「この仕事こそが一番自分に合っている」なんていうことは現実にはほとんどの人にはありえない事態だと思います。
それでも世の中を見ているとどこか運命論的に、「どこかに必ず自分の転職と呼べる職業があるはず」といったような言質がよく聞こえてくるのですが、ひどい場合には何か一つの職業や職種を挙げてこれ以外はもう考えられないと、自らの就職先の選択を徹底的に狭めようとする人もいます。
ですが企業なんて入ったところで必ずしも自分の希望する部署に入れるかもわからず、また本当にその企業が自分の思った通りの仕事をしているかもわからないことが多く、人づてに聞くとそうした特定の職種や職業に強いこだわりを持つ人間ほど五月病にかかりやすいそうです。
では何故学生たちは自らの適性にあった職業を半ば決め付けようとするのかですが、先ほども私が言った通りに、自分の存在価値を職業を限定することで強く自分自身に意識させようというのがあるからじゃないかと個人的には思います。というのもこれは私が中学三年生だった頃に友人が、
「花園君はなりたい職業はある?」
「出来れば作家になりたいけど、なんで?」
「俺にはなりたい職業がわからないんだ。こんなんでいいのかなぁって思って……」
と、中二病バリバリの時期にこんな会話をしたことがあります。この友人の当時の心境を勝手に推察させてもらうと、なりたい職業がないということはこの世に存在する価値もない、という風にもしかしたら考えていたのかもしれません。
このように、大抵の人は職業選択の幅を自ら狭めよう狭めようとするのですが、確かに一人で何百社も就職活動をすることは出来ないのである程度狭めることは決して間違いではないのですが、極端に狭めることはかえってマイナスですし、それで希望通りでなければショックを受けると言うのは非常にもったいないでしょう。ではどういう風に選択幅を狭めればいいのか、どんな仕事を自分に見繕えばいいのかですが、私がお勧めするのは最低ラインを定めるという方法です。
これなんか私が学内で自分の専門性を決める際に使ったのですが、世の中に出ればどんな仕事に出くわすかもわからないが、少なくとも大好きな中国に関わる仕事であればどんなに辛くとも、「チャイナならしょうがねぇ」と思ってまだ我慢できるだろうと思い、中国に何かしら関われるように中国語を専門に勉強することを決めました。
この方法は「自分に何が合うだろうか」ではなく、「自分は何なら我慢できるか」と、自分と仕事に対して妥協点を探る方法です。この方法なら職業選択の幅を極端に狭めることもなく、また割と一致しやすい範囲で自分の適性と仕事を結び付けられることが出来るのでなかなか使い勝手がいいんじゃないかと思います。また私の場合は「中国」と限定していますが、消去法的に人見知りだから散々人に会うのは勘弁という人は警備会社とか経理関係とかに絞ったりなどとする方法もあります。
とにかく、何かしらの仕事や企業を自分の天職と考えて限定するのはかえってよくないので、どこまでなら自分は我慢できるのかという価値観で就職活動を行うのを私はお勧めします。まぁ、このご時世では「正社員ならどこでも」と思ってもなかなかうまくいかないかもしれませんが……。
2009年3月16日月曜日
日本の政策決定者たちの誤算
最近経済系の記事を書いていなかったので、補給とばかりに一本書いておきます。
まず一番の指標たる株価ですが、先週に一次大きく値を下げて7080円位になるなど6000円台も見えてきたところ、先週金曜日と同じように今日も大きく反発して久々に7700円台まで回復しました。ってか先週の段階だと、この際だから6000円台に一回くらい入ってほしいとか個人的には思いましたが。
なので日本の株価、ひいては経済は底を打ったのかというと、私はまだまだそんな段階には至っていないと思います。というのも今回の世界的恐慌に対して日本政府があまりにも甘い見通しを持っていたがゆえに、対策が非常に後手後手になっていて以前とこの状態を突破する傾向が見られないからです。
今の麻生政権が発足した当初、日本政府は「世界的な金融恐慌の中、日本は比較的損害が少なかった」として、麻生総理なんかは日本がまず最初にこの不況を脱して世界を引っ張るなんていっていましたが、最初の政府の見通しは半分正解で半分大はずれだったというのが私の見方です。というのも確かに日本は失われた十年の間に大量の不良債権を処理したおかげもあってリーマンショックの影響を先進国の中では最も受けずにいたのは確かです。
しかし世界がリーマンショックによって金融が大打撃を受け、それが製造業を筆頭にした実経済にも影響を及ぼしていって不況になったのに対し、日本は先月に発表された2008年10月-12月の四半期GDP成長率が-12.1%と、先進国の中で最も経済縮小が現実に起こっていることが発表されました。もう一度言いますが、他の先進国は金融が大打撃を受けたことで実経済も縮小しているのに対し、日本は金融は先進国の中で最も損失が少なかったにもかかわらず、金融を含めた実経済が最も縮小しているという恐ろしい現状にあるということです。
何故日本がこのような妙な状態に陥っているかと言うと、単純に言えばこれまで外需に依存し続けた、つまり日本国内には物を売らずに外国でずっと物を売ってきたので、外国が物を買わなくなっても他国のように最低限の内需があるわけでもなく、国内にいたっても誰も物を買えなくなっていたという現状を作っていたからにつきます。
はっきり言いますが、当初の政府の予測は明らかに現在のような状況を想定していなかったと思われます。確かに年末にかけて行われた中小企業対策などは必要な政策ではありましたが、外需に依存しすぎた体制をどのようにして建て直し、世界経済が安定化するまでいかにして内需を取り戻すかと言う視点が始めから抜けていたために現状でできる有効な対策などをみすみす逃してしまったように私は思えます。
おまけに徐々に全国で配られている定額給付金ですが、これの配布費用は約二兆円とのことですが、この前政府が発表した失業者対策の費用は一兆円と、力を入れる箇所が明らかに間違っているのではないかと私は強く不快に思いました。それならば給付金の二兆円を全部医療や失業者対策に使っていれば、どれだけよかったことか。
こうした点を総合し、どうやら今の麻生政権が七月のサミットまで粘って任期切れを測ろうとしている点も考慮し、少なくとも日本の株価は七月から八月にかけての夏に至るまで以前と低空飛行を続けると私は予測します。八月に入れば株価が底を打ったかどうか、今後は上昇していく可能性があるのかなど予測が立てられそうですが、少なくとも現状では一週間ごとに小さな変動はあっても、底を打つことはまずありえないと思います。
まず一番の指標たる株価ですが、先週に一次大きく値を下げて7080円位になるなど6000円台も見えてきたところ、先週金曜日と同じように今日も大きく反発して久々に7700円台まで回復しました。ってか先週の段階だと、この際だから6000円台に一回くらい入ってほしいとか個人的には思いましたが。
なので日本の株価、ひいては経済は底を打ったのかというと、私はまだまだそんな段階には至っていないと思います。というのも今回の世界的恐慌に対して日本政府があまりにも甘い見通しを持っていたがゆえに、対策が非常に後手後手になっていて以前とこの状態を突破する傾向が見られないからです。
今の麻生政権が発足した当初、日本政府は「世界的な金融恐慌の中、日本は比較的損害が少なかった」として、麻生総理なんかは日本がまず最初にこの不況を脱して世界を引っ張るなんていっていましたが、最初の政府の見通しは半分正解で半分大はずれだったというのが私の見方です。というのも確かに日本は失われた十年の間に大量の不良債権を処理したおかげもあってリーマンショックの影響を先進国の中では最も受けずにいたのは確かです。
しかし世界がリーマンショックによって金融が大打撃を受け、それが製造業を筆頭にした実経済にも影響を及ぼしていって不況になったのに対し、日本は先月に発表された2008年10月-12月の四半期GDP成長率が-12.1%と、先進国の中で最も経済縮小が現実に起こっていることが発表されました。もう一度言いますが、他の先進国は金融が大打撃を受けたことで実経済も縮小しているのに対し、日本は金融は先進国の中で最も損失が少なかったにもかかわらず、金融を含めた実経済が最も縮小しているという恐ろしい現状にあるということです。
何故日本がこのような妙な状態に陥っているかと言うと、単純に言えばこれまで外需に依存し続けた、つまり日本国内には物を売らずに外国でずっと物を売ってきたので、外国が物を買わなくなっても他国のように最低限の内需があるわけでもなく、国内にいたっても誰も物を買えなくなっていたという現状を作っていたからにつきます。
はっきり言いますが、当初の政府の予測は明らかに現在のような状況を想定していなかったと思われます。確かに年末にかけて行われた中小企業対策などは必要な政策ではありましたが、外需に依存しすぎた体制をどのようにして建て直し、世界経済が安定化するまでいかにして内需を取り戻すかと言う視点が始めから抜けていたために現状でできる有効な対策などをみすみす逃してしまったように私は思えます。
おまけに徐々に全国で配られている定額給付金ですが、これの配布費用は約二兆円とのことですが、この前政府が発表した失業者対策の費用は一兆円と、力を入れる箇所が明らかに間違っているのではないかと私は強く不快に思いました。それならば給付金の二兆円を全部医療や失業者対策に使っていれば、どれだけよかったことか。
こうした点を総合し、どうやら今の麻生政権が七月のサミットまで粘って任期切れを測ろうとしている点も考慮し、少なくとも日本の株価は七月から八月にかけての夏に至るまで以前と低空飛行を続けると私は予測します。八月に入れば株価が底を打ったかどうか、今後は上昇していく可能性があるのかなど予測が立てられそうですが、少なくとも現状では一週間ごとに小さな変動はあっても、底を打つことはまずありえないと思います。
2009年3月15日日曜日
格差と情報 後編
前回の記事にて私は格差そのものの存在より、格差が見えてしまう状態にこそ問題があると主張しました。私が何故こんなことを言い出したのかというと、いくつか過去の文献や話を聞いている限り、明らかに戦前から戦後直後にかけて時代の方が現代より生活格差が大きいにもかかわらず、当時の人間はそれほど気にしていなかったということを示唆する話があるからです。
まず最初に私がそんな内容を聞いたのは、今も活躍なされているイギリス人学者のロナルド・ドーア氏が戦後直後の上野に来て、そこに滞在しながらまとめた論文でした。その論文は外国人の目から見た日本の様子が描かれており、言われてみるとそうだったと思えるような日本の特殊な事情などが書かれていてそれだけでも面白く、「欧米と比べて日本の社会保障制度は充実しておらず、大半の家庭では有事に備えて貯蓄しているものの、夫が突然病気などをしたら対応のしようがない状態である」などと、今の日本にも通じるようなことが書いていてドキリとしたこともあります。
それで肝心の今回のネタの内容ですが、まず生活者における貧富の格差についてはそこそこ大きいものがあるとしていながらも、
「住民同士はイギリスのようにお互いにそうした格差を気にすることはなく、同じ町内であれば互いに気軽に接しあっている。しかしある主婦が言うには、以前に比べればそうした収入の違いなどを気にするようにはなってきているらしい」
という風に書かれています。
今もそうですがイギリスでは社会的に家格というものが大きく、アッパークラスとロウアークラスでは世帯間で交流はあまりなされず、その世帯がどの家格に属しているかで社会的地位を始めとした生活態度が大きく変わってきます。そうしたイギリスの状況から比べたことからドーア氏が日本は格差に分け隔てなく交流がなされているように思ったのかもしれませんが、それでも最後の主婦が言った、「以前はもっと気にしなかった」という発言が私には気にかかりました。
ここで話は変わってうちのお袋のはなしですが、うちのお袋は鹿児島の阿久根市というところの出身なのですが、一言で言ってしまえば相当なカオスな社会だったそうです。
なんでも当時に在日朝鮮人の方が鉄屑屋をやっており、子供でもなにか鉄屑を持って行けばお金に変えられたそうなのですが、その鉄屑屋をやっていた人自体はあまり裕福ではなく厳しい生活を強いられていたそうです。それでも当時はそうした貧乏だとか金持ちだとかそういったものの間に壁はなくみんなで分け隔てなく交流がなされて、よくドラマとかでやっているような貧乏な家だからといって周囲から馬鹿にされるという風景もなければ、今のようにそういった生活水準の差を互いに気にすることもなかったそうです。
そして極めつけが、「かじどん」の話です。
当時のうちのお袋の家は割と裕福で自家用電話もあったそうなのですが、当時は電話器が少なかったことからお袋の周囲の家に用があって外から電話がかけられる際はお袋の家が一旦電話を取り、その周囲の家の人を呼びに言ってつないでいたそうです。それでかじどんの家も電話はお袋の家からの呼び出しではあったものの、お袋の家から離れてて山の中にあったので、お袋は電話が来るといつも山登りをさせられて凄い嫌だったそうです。なのでなんでもってかじどんは山の中に住んでいたんだと私が聞いたら、「そりゃ多分かじどんの職業が泥棒だったからだろ」となんでもないように答えてきました。
別にはっきりとした証拠はないものの、なにか決まった仕事をするわけでもなく生活していたのでお袋を始めとした周囲の家はみんなかじどんは泥棒で、この辺りから盗んだものを売って生活していたのだろうと認識していたそうです。かじどんは泥棒だとわかっていつつも、警察に届け出ることもなく同じ共同体に居続けさせる神経にまず私は驚いたのですが、当時はそうした雑多な雰囲気と言うか、共同体の中でも慣用性が強くあったのだなと思わせられた話でした。
ここで話は現代に戻りますが、ぶっちゃけこれから出かけなくてはならないので急いでまとめてしまいますが、現代は若者同士だとほんのちょっとの収入の差や生活水準の差に非常に敏感になっているように私は思います。言ってしまえばこういうのは気にしなければ気にしないに越したことはなく、もっと距離的な結びつきなどで共同体が成立しないのかといろいろと考えるネタはあるのですが、何よりも私が気になるのは、いつから日本人は現在のレベル位に格差と言うか、他人との生活水準の差を気にするようになったかです。適当に仮説をあげるのなら資本主義が浸透したからとか、逆に社会主義が平等という概念を作ったからだとか、果てには横並びの昇進が日本の企業で行われていたからだとかとも言えますが、「よそはよそ、うちはうち」という位に、何かしらこう割り切らなければならないものもあると思います。
かといって一時期のように「セレブ」という言葉が流行したように、格差を強く意識させるようなマスコミ等の報道には正直辟易してしまいます。結論を一言で言えば、格差を際立たせる、意識させるような外部の情報はあまり人間関係上、よくないものなのではないかということです。
まず最初に私がそんな内容を聞いたのは、今も活躍なされているイギリス人学者のロナルド・ドーア氏が戦後直後の上野に来て、そこに滞在しながらまとめた論文でした。その論文は外国人の目から見た日本の様子が描かれており、言われてみるとそうだったと思えるような日本の特殊な事情などが書かれていてそれだけでも面白く、「欧米と比べて日本の社会保障制度は充実しておらず、大半の家庭では有事に備えて貯蓄しているものの、夫が突然病気などをしたら対応のしようがない状態である」などと、今の日本にも通じるようなことが書いていてドキリとしたこともあります。
それで肝心の今回のネタの内容ですが、まず生活者における貧富の格差についてはそこそこ大きいものがあるとしていながらも、
「住民同士はイギリスのようにお互いにそうした格差を気にすることはなく、同じ町内であれば互いに気軽に接しあっている。しかしある主婦が言うには、以前に比べればそうした収入の違いなどを気にするようにはなってきているらしい」
という風に書かれています。
今もそうですがイギリスでは社会的に家格というものが大きく、アッパークラスとロウアークラスでは世帯間で交流はあまりなされず、その世帯がどの家格に属しているかで社会的地位を始めとした生活態度が大きく変わってきます。そうしたイギリスの状況から比べたことからドーア氏が日本は格差に分け隔てなく交流がなされているように思ったのかもしれませんが、それでも最後の主婦が言った、「以前はもっと気にしなかった」という発言が私には気にかかりました。
ここで話は変わってうちのお袋のはなしですが、うちのお袋は鹿児島の阿久根市というところの出身なのですが、一言で言ってしまえば相当なカオスな社会だったそうです。
なんでも当時に在日朝鮮人の方が鉄屑屋をやっており、子供でもなにか鉄屑を持って行けばお金に変えられたそうなのですが、その鉄屑屋をやっていた人自体はあまり裕福ではなく厳しい生活を強いられていたそうです。それでも当時はそうした貧乏だとか金持ちだとかそういったものの間に壁はなくみんなで分け隔てなく交流がなされて、よくドラマとかでやっているような貧乏な家だからといって周囲から馬鹿にされるという風景もなければ、今のようにそういった生活水準の差を互いに気にすることもなかったそうです。
そして極めつけが、「かじどん」の話です。
当時のうちのお袋の家は割と裕福で自家用電話もあったそうなのですが、当時は電話器が少なかったことからお袋の周囲の家に用があって外から電話がかけられる際はお袋の家が一旦電話を取り、その周囲の家の人を呼びに言ってつないでいたそうです。それでかじどんの家も電話はお袋の家からの呼び出しではあったものの、お袋の家から離れてて山の中にあったので、お袋は電話が来るといつも山登りをさせられて凄い嫌だったそうです。なのでなんでもってかじどんは山の中に住んでいたんだと私が聞いたら、「そりゃ多分かじどんの職業が泥棒だったからだろ」となんでもないように答えてきました。
別にはっきりとした証拠はないものの、なにか決まった仕事をするわけでもなく生活していたのでお袋を始めとした周囲の家はみんなかじどんは泥棒で、この辺りから盗んだものを売って生活していたのだろうと認識していたそうです。かじどんは泥棒だとわかっていつつも、警察に届け出ることもなく同じ共同体に居続けさせる神経にまず私は驚いたのですが、当時はそうした雑多な雰囲気と言うか、共同体の中でも慣用性が強くあったのだなと思わせられた話でした。
ここで話は現代に戻りますが、ぶっちゃけこれから出かけなくてはならないので急いでまとめてしまいますが、現代は若者同士だとほんのちょっとの収入の差や生活水準の差に非常に敏感になっているように私は思います。言ってしまえばこういうのは気にしなければ気にしないに越したことはなく、もっと距離的な結びつきなどで共同体が成立しないのかといろいろと考えるネタはあるのですが、何よりも私が気になるのは、いつから日本人は現在のレベル位に格差と言うか、他人との生活水準の差を気にするようになったかです。適当に仮説をあげるのなら資本主義が浸透したからとか、逆に社会主義が平等という概念を作ったからだとか、果てには横並びの昇進が日本の企業で行われていたからだとかとも言えますが、「よそはよそ、うちはうち」という位に、何かしらこう割り切らなければならないものもあると思います。
かといって一時期のように「セレブ」という言葉が流行したように、格差を強く意識させるようなマスコミ等の報道には正直辟易してしまいます。結論を一言で言えば、格差を際立たせる、意識させるような外部の情報はあまり人間関係上、よくないものなのではないかということです。
2009年3月14日土曜日
格差と情報 前編
いきなり結論ですが、私は現実にある格差の大きさより、格差が見えてしまう状態こそが一番問題であると考えております。
これは社会学で最も有名な古典の一つであるエミール・デュルケイムの「自殺論」にて分析されている話ですが、一見すると不況期に自殺は増加するものだと考えられがちですが、統計上では好況期にも不況期と同じ程度の自殺者の増加が起こるそうです。自殺というと生活苦からくるのではと想像しがちなので、不況期に自殺が増えるのはわかるにしても、生活水準が向上する可能性の高い好況期に自殺が増えるなんて、初めて聞いたときには私も妙な風に感じました。
デュルケイムの解釈をかいつまんで説明すると、どの人間にも「自分はこうあるべき」という自分像があり、その自分像と現実の自分の姿に差異を感じた際に人間は自殺に走るのだと、そうした自殺のことをデュルケイムは「アノミー的(無規範的)自殺」(本店の方でコメントがあり、この箇所は「アノミー的自殺」ではなく「自己本位型自殺」でした。訂正します)と呼び、私としてもこの説を支持します。
自分像と現実に差異を感じるとはどういうことかですが、単純に言うと比較です。たとえばある人が自分は正社員で働きながらそこそこ収入を得て、かわいい彼女もいて、周りにはいい友達もいるというのを理想の自分像として持ってはいるものの、現実の自分は正社員ではなく、彼女もおらず、周りに友達もいない状況であった場合、いちいち言わなくとも相当不安とかプレッシャーを感じるであろうことがわかるでしょう。それに対して別の人が最初の人と同じ現実の状況でも、その人は別に正社員でなくともいい、彼女もいなくともいいし、この際友達もいなくてもいいという風にいつも考えている人だったら、明らかに最初の人よりは精神的には満ち足りてそうな気がします。
こんな具合に、「自分が本来あるべきだと思う像」と「自分の現実の状況」の差が大きければ大きいほど人間は不安に感じ、その不安がある種の臨界点に達することで人間は自殺に走るというパターンのことを「自己本位型自殺」と呼びます。
基本的に自分像というのは個人々々が持つものではありますが、その形成過程は周りから得られる情報に大きく依存しており、たとえば周りの友達皆が大型テレビを持っていたり、皆で結婚をし始めたりしたら、「俺って遅れてんじゃね?(;゚Д゚)」と大抵の人は思ってしまいます。それに対して周りがみんなテレビを持たなかったり結婚もしていなければ、「まだテレビと結婚はいいや(´ー`)」という風に覚え、こんな具合で人間、それも日本人や韓国人みたいに横並びが大好きな民族は周囲の情報によって自分像を大きく変えていきます。
中にはそれこそ自分一人で、「マツダロードスターさえあれば他に何も要らない」とか「三食食えればそれでいい」というように周囲に影響されずに自分像を確立させてしまう人もいますがそんなのは極少数で、大抵の人は「他の人はああなんだから自分だって」と考えて、皮肉な言い方をすると自分で自分を縛ってしまいます。これが不況期であれば職を失って生活が苦しくなる現実に対し、「なんで自分は仕事がないんだ」というように覚えることから自殺に走り、好況期であれば職があるものの、「周りはあんなに稼いでいるのに何で自分の稼ぎはこれっぽっちなんだ」というように覚えて自殺に走ると、大まかに説明すればこんな感じになります。
このデュルケイムの理論を援用すると、たとえ不況期であっても皆が皆で貧乏でそれが当たり前であれば、人間はそれほど自殺に走らなくなるということになります。言ってしまえばその通りで、そのような状況であれば少なくとも自殺にかんして、果てには生活上で受けるプレッシャーも少なくなると私は考えています。ここで私が何を言いたいのかと言うと、物質的な面より現代人は精神的な面でプレッシャーを受けやすく、その原因は格差というよりはその格差が見えてしまったり強調されてしまう現代の情報環境にあるといいたいのです。
これは何も私だけが言っているわけじゃありませんが、日本は戦前から戦後にかけてと現代の状況を比べると、格差で言えば明らかに戦前戦後の方が大きかったです。現代は明らかにあの時代よりも物質的に豊かにもなっているにもかかわらず、テレビをつければみんなで格差格差と連呼し、格差社会の是正が声高に叫ばれています。確かに格差自体は問題ですし是正すべき問題ですが、あまりにも大きく取り上げて問題視することはそれ自体かえって問題ではないかと私は思いますし、また格差を取り上げるマスコミは言うに及ばず、その格差を強く認識してしまう社会自体も問題で、言ってしまえばただ生活する分には日本人も格差を気にしなければ精神的にはずっと充足して生活していけるのではないかと考えます。
次回は一つそのモデルとなるかわからないですが、うちのお袋が昨日に酔っ払ってのたまった昔話をしようと思います。
これは社会学で最も有名な古典の一つであるエミール・デュルケイムの「自殺論」にて分析されている話ですが、一見すると不況期に自殺は増加するものだと考えられがちですが、統計上では好況期にも不況期と同じ程度の自殺者の増加が起こるそうです。自殺というと生活苦からくるのではと想像しがちなので、不況期に自殺が増えるのはわかるにしても、生活水準が向上する可能性の高い好況期に自殺が増えるなんて、初めて聞いたときには私も妙な風に感じました。
デュルケイムの解釈をかいつまんで説明すると、どの人間にも「自分はこうあるべき」という自分像があり、その自分像と現実の自分の姿に差異を感じた際に人間は自殺に走るのだと、そうした自殺のことをデュルケイムは「アノミー的(無規範的)自殺」(本店の方でコメントがあり、この箇所は「アノミー的自殺」ではなく「自己本位型自殺」でした。訂正します)と呼び、私としてもこの説を支持します。
自分像と現実に差異を感じるとはどういうことかですが、単純に言うと比較です。たとえばある人が自分は正社員で働きながらそこそこ収入を得て、かわいい彼女もいて、周りにはいい友達もいるというのを理想の自分像として持ってはいるものの、現実の自分は正社員ではなく、彼女もおらず、周りに友達もいない状況であった場合、いちいち言わなくとも相当不安とかプレッシャーを感じるであろうことがわかるでしょう。それに対して別の人が最初の人と同じ現実の状況でも、その人は別に正社員でなくともいい、彼女もいなくともいいし、この際友達もいなくてもいいという風にいつも考えている人だったら、明らかに最初の人よりは精神的には満ち足りてそうな気がします。
こんな具合に、「自分が本来あるべきだと思う像」と「自分の現実の状況」の差が大きければ大きいほど人間は不安に感じ、その不安がある種の臨界点に達することで人間は自殺に走るというパターンのことを「自己本位型自殺」と呼びます。
基本的に自分像というのは個人々々が持つものではありますが、その形成過程は周りから得られる情報に大きく依存しており、たとえば周りの友達皆が大型テレビを持っていたり、皆で結婚をし始めたりしたら、「俺って遅れてんじゃね?(;゚Д゚)」と大抵の人は思ってしまいます。それに対して周りがみんなテレビを持たなかったり結婚もしていなければ、「まだテレビと結婚はいいや(´ー`)」という風に覚え、こんな具合で人間、それも日本人や韓国人みたいに横並びが大好きな民族は周囲の情報によって自分像を大きく変えていきます。
中にはそれこそ自分一人で、「マツダロードスターさえあれば他に何も要らない」とか「三食食えればそれでいい」というように周囲に影響されずに自分像を確立させてしまう人もいますがそんなのは極少数で、大抵の人は「他の人はああなんだから自分だって」と考えて、皮肉な言い方をすると自分で自分を縛ってしまいます。これが不況期であれば職を失って生活が苦しくなる現実に対し、「なんで自分は仕事がないんだ」というように覚えることから自殺に走り、好況期であれば職があるものの、「周りはあんなに稼いでいるのに何で自分の稼ぎはこれっぽっちなんだ」というように覚えて自殺に走ると、大まかに説明すればこんな感じになります。
このデュルケイムの理論を援用すると、たとえ不況期であっても皆が皆で貧乏でそれが当たり前であれば、人間はそれほど自殺に走らなくなるということになります。言ってしまえばその通りで、そのような状況であれば少なくとも自殺にかんして、果てには生活上で受けるプレッシャーも少なくなると私は考えています。ここで私が何を言いたいのかと言うと、物質的な面より現代人は精神的な面でプレッシャーを受けやすく、その原因は格差というよりはその格差が見えてしまったり強調されてしまう現代の情報環境にあるといいたいのです。
これは何も私だけが言っているわけじゃありませんが、日本は戦前から戦後にかけてと現代の状況を比べると、格差で言えば明らかに戦前戦後の方が大きかったです。現代は明らかにあの時代よりも物質的に豊かにもなっているにもかかわらず、テレビをつければみんなで格差格差と連呼し、格差社会の是正が声高に叫ばれています。確かに格差自体は問題ですし是正すべき問題ですが、あまりにも大きく取り上げて問題視することはそれ自体かえって問題ではないかと私は思いますし、また格差を取り上げるマスコミは言うに及ばず、その格差を強く認識してしまう社会自体も問題で、言ってしまえばただ生活する分には日本人も格差を気にしなければ精神的にはずっと充足して生活していけるのではないかと考えます。
次回は一つそのモデルとなるかわからないですが、うちのお袋が昨日に酔っ払ってのたまった昔話をしようと思います。
ゴディバの話
結局一度も入ったことはありませんでしたが、多分今もあるでしょうが京都の嵐山に「ピーピングトム」という名前の喫茶レストランが私がいた頃にはありました。この店の名前に私はなるほどと感心したのですが、このピーピングトムというのはベルギーの有名なチョコレートメーカーである「ゴディバ」が命名に使用したエピソードに出てくる名前で、わざわざそんなところからこんな名前を店に使うなんてなかなか洒落ていると思い、今でも折に触れて思い出したりします。
そのゴディバの名前の由来となったエピソードですが、真実かどうかまではわかっていないものの、昔イギリスのある地方の領主様がその地域の領民に重い税金をかけて苦しめていたのをみて、その領主の后のゴディバが税金を軽減するように領主に訴えたところ、「お前が裸で街中を馬で駆け巡ったら軽くしてやるよ」と、セクハラ親父さならがらの無茶な要求を出してきました。
ゴディバもさすがにこの無茶な要求にはしばらく頭を抱えて悩みましたが、領民のためを思い、ある日ついに決心をして本当に裸で馬に乗って街中に繰り出したのです。そんなゴディバの心境を領民も察し、ゴディバが街に繰り出すや家々の窓や戸を閉め、ゴディバを辱めないよう皆でその姿を見ないようにしたそうです。しかし仕立て屋のトムだけは好奇心に負けて隙間から覗いた所、この様子を見ていた神様が神罰としてトムの目を失明させたそうです。こうしたゴディバの決死の行動を受けて領主も税金を軽くしたそうなのですが、神様もトムの目を失明させるくらいなら始めから領主に神罰を与えりゃよかったのに……。
ここまで言えばわかると思いますが、一人だけ覗き見したトムを揶揄して「覗き見トム」こと、「ピーピングトム」という言葉が出来、日本語的には「覗き魔」とか「出場亀」「田代」といった意味で使われています。なかなか小憎らしいネーミングで件の嵐山の喫茶レストランには興味を持っていたのですが、結局行かずじまいで京都を去ってしまいました。
このエピソードの発祥地はイギリスのコヴェントリーという田舎町なのですが、実を言うとイギリスに旅行をした際に私はその町で一泊した事があり、町の真ん中にあるでかいゴディバ像が建っていたのを見ています。ピーピングトムという言葉も、そこで初めて知りました。
そんなわけでこのゴディバのエピソードにはそこそこ詳しい自信もあるのですが、この前ふとしたことから領主に諌言したのがゴディバではなく男の大臣とかだったらと妙な想像をしてみたのですが、そしたらやっぱり同じように「裸で走って来い」とか言われて、大の男が「うおー、俺の股間の下は暴れ馬っ!」とか言って町の中を疾駆したのでしょうかね。もしそうだとしても町の人たちも言われなくたってゴディバと同じように窓を閉めただろうな、これだと。
そのゴディバの名前の由来となったエピソードですが、真実かどうかまではわかっていないものの、昔イギリスのある地方の領主様がその地域の領民に重い税金をかけて苦しめていたのをみて、その領主の后のゴディバが税金を軽減するように領主に訴えたところ、「お前が裸で街中を馬で駆け巡ったら軽くしてやるよ」と、セクハラ親父さならがらの無茶な要求を出してきました。
ゴディバもさすがにこの無茶な要求にはしばらく頭を抱えて悩みましたが、領民のためを思い、ある日ついに決心をして本当に裸で馬に乗って街中に繰り出したのです。そんなゴディバの心境を領民も察し、ゴディバが街に繰り出すや家々の窓や戸を閉め、ゴディバを辱めないよう皆でその姿を見ないようにしたそうです。しかし仕立て屋のトムだけは好奇心に負けて隙間から覗いた所、この様子を見ていた神様が神罰としてトムの目を失明させたそうです。こうしたゴディバの決死の行動を受けて領主も税金を軽くしたそうなのですが、神様もトムの目を失明させるくらいなら始めから領主に神罰を与えりゃよかったのに……。
ここまで言えばわかると思いますが、一人だけ覗き見したトムを揶揄して「覗き見トム」こと、「ピーピングトム」という言葉が出来、日本語的には「覗き魔」とか「出場亀」「田代」といった意味で使われています。なかなか小憎らしいネーミングで件の嵐山の喫茶レストランには興味を持っていたのですが、結局行かずじまいで京都を去ってしまいました。
このエピソードの発祥地はイギリスのコヴェントリーという田舎町なのですが、実を言うとイギリスに旅行をした際に私はその町で一泊した事があり、町の真ん中にあるでかいゴディバ像が建っていたのを見ています。ピーピングトムという言葉も、そこで初めて知りました。
そんなわけでこのゴディバのエピソードにはそこそこ詳しい自信もあるのですが、この前ふとしたことから領主に諌言したのがゴディバではなく男の大臣とかだったらと妙な想像をしてみたのですが、そしたらやっぱり同じように「裸で走って来い」とか言われて、大の男が「うおー、俺の股間の下は暴れ馬っ!」とか言って町の中を疾駆したのでしょうかね。もしそうだとしても町の人たちも言われなくたってゴディバと同じように窓を閉めただろうな、これだと。
2009年3月13日金曜日
私がスプラッターを好んだ理由
別に今日に狙いを定めていたというわけではないのですが、私は四歳くらいの幼児の頃からスプラッター映画、っていうかジェイソンでおなじみの「十三日の金曜日」シリーズが大好きで、当時はよくテレビでもロードショーがされていたのでしょっちゅう毛布にくるまって恐がりながら見ていました。何でそんな小さな頃からよりによってこういう映画が好きだったのかというと、今でもそうですが当時は多分、あまりお目にかかれないような珍しいものがともかく好きだったのでそういった物珍しさ(流血なんてそうそうないんだし)から見ていたと思うのですが、小学生になった頃にはなんとなく別の意味も持ってきていたと思います。
その別の意味と言うのもスプラッター映画特有の残虐性というかアンハッピーな情景や結末というもので、そういったものに対して人一倍強い興味を抱くようになりました。今もそうですが、小学生くらいの頃からテレビやマンガは何でもかんでもハッピーエンドで終わり、最後は皆で幸せになるという描き方に対してなんとなくうそ臭いような気持ちを覚えていき、むしろ世の中そんなに甘くないんだし、最後はどうあがいても救われないという話の方が現実に近いように思えてきたからです。
我ながらこんな風に考える辺り当時から自分が斜めな性格をしていたのだなという気がしますが、一応成人になったいまでもこうした考えが大きく変わっているわけではなく、血を見るのが苦手でテレビドラマの外科手術シーンの出血描写だけでもくらくらきちゃいますが、残酷な描写のあるホラー、スプラッター映画を始めとして「ヘルシング」や「エルフェンリート」といった描写の激しい漫画も好んで見ています。
もともとそのような残酷な情景のことを「グロテスクな」という表現がよくなされますが、このグロテスクという言葉の和訳は「生々しい」という意味で、いわば「現実に近すぎる」という意味合いなので、現実というのは本来残酷で見るに絶えないという意味なのかもしれません。
別にこれに限るわけじゃないですが、私は何事に関してもうそ臭いのは嫌いです。それを言ったらB級ホラー映画自体がうそ臭さの権化みたいなものですがそれはそれでおいといて、普段見るテレビのニュースやドラマで描かれる世界というものに対してこのところそのようなうそ臭さを強く感じる様になってきています。
だからと言って現実に近い話をドラマ番組として放映したところで、つまらない話だったり後味の悪い話ばっかりになって視聴率も稼げないでしょうが、それでも私は吐き気を催すような現実というものを見ていたいと常日頃思ってしまいます。そんなんだから漫画の「カイジ」も好きなのかな。
その別の意味と言うのもスプラッター映画特有の残虐性というかアンハッピーな情景や結末というもので、そういったものに対して人一倍強い興味を抱くようになりました。今もそうですが、小学生くらいの頃からテレビやマンガは何でもかんでもハッピーエンドで終わり、最後は皆で幸せになるという描き方に対してなんとなくうそ臭いような気持ちを覚えていき、むしろ世の中そんなに甘くないんだし、最後はどうあがいても救われないという話の方が現実に近いように思えてきたからです。
我ながらこんな風に考える辺り当時から自分が斜めな性格をしていたのだなという気がしますが、一応成人になったいまでもこうした考えが大きく変わっているわけではなく、血を見るのが苦手でテレビドラマの外科手術シーンの出血描写だけでもくらくらきちゃいますが、残酷な描写のあるホラー、スプラッター映画を始めとして「ヘルシング」や「エルフェンリート」といった描写の激しい漫画も好んで見ています。
もともとそのような残酷な情景のことを「グロテスクな」という表現がよくなされますが、このグロテスクという言葉の和訳は「生々しい」という意味で、いわば「現実に近すぎる」という意味合いなので、現実というのは本来残酷で見るに絶えないという意味なのかもしれません。
別にこれに限るわけじゃないですが、私は何事に関してもうそ臭いのは嫌いです。それを言ったらB級ホラー映画自体がうそ臭さの権化みたいなものですがそれはそれでおいといて、普段見るテレビのニュースやドラマで描かれる世界というものに対してこのところそのようなうそ臭さを強く感じる様になってきています。
だからと言って現実に近い話をドラマ番組として放映したところで、つまらない話だったり後味の悪い話ばっかりになって視聴率も稼げないでしょうが、それでも私は吐き気を催すような現実というものを見ていたいと常日頃思ってしまいます。そんなんだから漫画の「カイジ」も好きなのかな。
登録:
投稿 (Atom)