本日友人からリクエストを受けたので、現在も報道が続いている中国新疆ウイグル自治区の暴動についてコメントします。最初に断っておきますが私は中国関係の解説には自信がありますがこのウイグル問題についてはこれまであまり扱ってきたことがないため、本当はコメントするだけでもおこがましいのですが現在持ち合わせている知識と知見から今回の騒動について書かせていただきます。なのであまり内容は鵜呑みにしたりせず、あくまで一つの意見としてご覧ください。
まず本日届いたばかりのニュースですが、今日から行われる予定だったG8サミットこと世界首脳会議に出席する予定で開催地のイタリアにまで来ていた中国の胡錦濤首席が今回の新疆ウイグル自治区にて起きた暴動の影響を受けて急遽帰国しました。サミットには代理の人間が出席するようですが、今回のサミットは発展途上国の中でも世界への影響力が近年非常に高まっている中国が北朝鮮の核問題ひとつとっても重要な位置となると見られていただけに、それをキャンセルしてまで帰国することとなったのは相当の事態になっていると見ていいでしょう。
その帰国するきっかけとなったウイグル自治区での暴動ですが、死者数などが百人を超えたとすでに中国系のメディアも報道していますが元からこれは信用できない数字なので、実際にはこれの倍以上が死亡している可能性が高いと見ています。現地の映像はイランでの選挙後の混乱時ほど海外のメディアにはまだ流れていませんが、一部で報道されているウイグル人の証言によると暴動に参加していない成人男性も片っ端から連行されているらしく、まぁ中国ならやりかねないと私も思います。
それでこの暴動の背景についてですが中国政府とメディアは今回の暴動は外国の独立派、というよりウイグル自治区を中国から分離独立させて中国の弱体化を図ろうとしている団体の扇動によって引き起こされたと主張していますが、この見方についてはやや見当はずれではというのが私の意見です。元々ウイグルはかねてより中国からの独立派がいて海外に亡命したウイグル人などは人権問題を主張して中国からの分離独立を長い間唱えていますが、別に現地へ武装蜂起を行うようにバンバンと銃火器を送っているわけでもなくただ国際社会に訴えているだけで、今回の暴動(政府が公開した映像を見る限りはそういった銃火器は見られない)に対してはオーバーな表現だと言わざるを得ません。第一、中国は本国、それも同じ漢民族の農村などからも暴動が起こる国なのですから説得力自体が疑わしいものです。
ただ中国政府としたらこの地域が分離独立されると困ると言うのは間違いではありません。というのもこの地域には最近になって天然ガスなどの資源が豊富にあると判明し、意外と資源が不足している中国としたらむざむざ手放すには惜しい地域でしょう。
ここでちょっとウイグルの歴史について軽く解説しますが、元々ここは漢民族とは異なる突厥系(チュルク系)の民族が住んでいた地域で、チベット地域同様に中華人民共和国の成立後に人民解放軍によって事実上侵略されました。侵略後は現地の住民の土地は片っ端から収奪されて漢民族の入植が進んだというのは他の自治区と同様なのですが、この地域の特有の歴史と言うのが核汚染です。
なんでも中国が核爆弾を研究する際にこの地域が実験場として選ばれ、数十回の核実験によって相当な地域が汚染されただけでなく被爆によって数万人のウイグル人が亡くなったと言われております。
これだけのことをされたらそりゃ暴動も起こって当たり前だろうと思えるのですがさらにこの地域における特別な要素として、ウイグル人の宗教がイスラム教という点も見逃せません。知っての通りにイスラム教はその戒律の厳しさゆえに他の文化の慣習となかなか馴染まないところがあり、現在のイラクやアフガニスタンのように抵抗活動が始まるとなかなか終結しない傾向があります。元々宗教勢力というのは日本の一向一揆でもそうですが非常に根強い団結力があり、宥和政策ならまだしも強権によって屈服させるのは至難の業です。
先に書いた通り、中国政府は今回の暴動が外国の勢力によって引き起こされたと主張していますが私はこれは中国政府にとって非常に大きなミスとなる発言だと思います。そう強がって発言するしかないというのもわかりますが、仮にこのまま国際的な注目がどんどん集まってアフガニスタンなどにいるイスラム教の国際テロ組織などがウイグル独立派を本格的に支援することとなれば恐らくその被害の大きさは今回のものとは比べ物にならなくなるのは確実です。
去年の北京五輪前にもウイグル自治区のバスが連続で爆破された際に「トルキスタン・イスラム党」なる団体が犯行声明を出しましたが、本格的に銃火器などが密輸されることとなればそれこそアフガニスタンの二の舞となる可能性があります。
そのため今回の暴動に対しては海外からの扇動という言葉は使わずに現地住民の一部が暴徒化したという表現に止め、適当な人間をでっちあげてもいいから見かけだけでも話し合いの姿勢を見せる必要があったと私は考えます。もし政府の言っている通りに海外からの扇動が今回の暴動の原因であったとしても、その扇動を跳ね除ける現地住民の慰撫策が失敗していることをもっと認識しなければますますこの問題は拡大するでしょう。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年7月8日水曜日
ネイキッド・カウボーイとブリーフの思い出
・ネイキッド・カウボーイ(ウィキペディア)
数年前にあるテレビ番組で見た際、私が一発で名前を覚えたのが上記リンクに貼った「ネイキッド・カウボーイ」です。この人はニューヨークのパフォーマーで文字通り街中をブリーフ一丁でギターを抱えながら練り歩く方なのですが、その強烈なキャラクター性ゆえにすっかり現地では溶け込んでおりなんでも日本にもこの格好のまんまで来たこともあるそうです。この人を知った際に私はまず、「何故裸にカウボーイ?」と思いましたが、元々奇妙なものが好きな性格ゆえにこの強引な組み合わせを一目で気に入ってこうしてわざわざ記事にするにまで至りました。
それにしてもこの人、ネットで検索するとM&Msで有名なチョコレート会社を著作権侵害で訴えているそうです。まぁそれだけアメリカでこのキャラが浸透している事なのでしょうけど。
仮にもしこの「ネイキッド・カウボーイ」を日本でやるとしたら、やっぱりブリーフは外せないのでちょんまげを結って三味線を持ち、「ネイキッド・サムライ」として売り出せばそこそこ人気が出るのではと何故だか今日の昼間に思いついたのですが、ブリーフとくれば私には忘れられない思い出があります。
多分日本人男性の方ならわかってくれると思いますが、中学校に入る頃までみんなパンツはブリーフなのがませた奴がトランクスを履き始める中学校二年くらいから急激にトランクスが広まり、一挙にブリーフが駆逐されてトランクスへとパンツが一斉に履き変えられる時期が日本の学校にはあります。私のいた中学校もそうだったのですが私は昔から何かしらの流行に流されるということが大嫌いで、周りが一斉にパンツを履き変えるのに対してかえって意地になってブリーフを高校まで履き続けました。
そうしているうちに体育の授業の着替えなどから私だけがブリーフを履き続けていることを周囲も知りだし、いつしか「ブリーフの花園」とか「ブリーフを見たら花園と思え」などという言葉が学年の間で広まっていました。もちろんそんな噂は気にせずに私は履き続けていたのですが、ある日この話をうちのお袋に話したらお袋が変に気にしてトランクスを買ってきたので試しに履いてみると、例によって体育の授業にそれを見た級友らが「トランクスを履いたらお前じゃない!」などと一騒ぎとなりました。
結局、その後おふくろはトランクスしかパンツを買ってこないので私もそれがデフォルトになったのですが、こうして「ネイキッド・カウボーイ」を見るにつけかつてのあの時代を思い出します。どちらにしろ、ブリーフはキャラクター性としては非常に強い武器なのでもっと活用する人がいてもいい気がします。私はもうやらない……と思うけど。
数年前にあるテレビ番組で見た際、私が一発で名前を覚えたのが上記リンクに貼った「ネイキッド・カウボーイ」です。この人はニューヨークのパフォーマーで文字通り街中をブリーフ一丁でギターを抱えながら練り歩く方なのですが、その強烈なキャラクター性ゆえにすっかり現地では溶け込んでおりなんでも日本にもこの格好のまんまで来たこともあるそうです。この人を知った際に私はまず、「何故裸にカウボーイ?」と思いましたが、元々奇妙なものが好きな性格ゆえにこの強引な組み合わせを一目で気に入ってこうしてわざわざ記事にするにまで至りました。
それにしてもこの人、ネットで検索するとM&Msで有名なチョコレート会社を著作権侵害で訴えているそうです。まぁそれだけアメリカでこのキャラが浸透している事なのでしょうけど。
仮にもしこの「ネイキッド・カウボーイ」を日本でやるとしたら、やっぱりブリーフは外せないのでちょんまげを結って三味線を持ち、「ネイキッド・サムライ」として売り出せばそこそこ人気が出るのではと何故だか今日の昼間に思いついたのですが、ブリーフとくれば私には忘れられない思い出があります。
多分日本人男性の方ならわかってくれると思いますが、中学校に入る頃までみんなパンツはブリーフなのがませた奴がトランクスを履き始める中学校二年くらいから急激にトランクスが広まり、一挙にブリーフが駆逐されてトランクスへとパンツが一斉に履き変えられる時期が日本の学校にはあります。私のいた中学校もそうだったのですが私は昔から何かしらの流行に流されるということが大嫌いで、周りが一斉にパンツを履き変えるのに対してかえって意地になってブリーフを高校まで履き続けました。
そうしているうちに体育の授業の着替えなどから私だけがブリーフを履き続けていることを周囲も知りだし、いつしか「ブリーフの花園」とか「ブリーフを見たら花園と思え」などという言葉が学年の間で広まっていました。もちろんそんな噂は気にせずに私は履き続けていたのですが、ある日この話をうちのお袋に話したらお袋が変に気にしてトランクスを買ってきたので試しに履いてみると、例によって体育の授業にそれを見た級友らが「トランクスを履いたらお前じゃない!」などと一騒ぎとなりました。
結局、その後おふくろはトランクスしかパンツを買ってこないので私もそれがデフォルトになったのですが、こうして「ネイキッド・カウボーイ」を見るにつけかつてのあの時代を思い出します。どちらにしろ、ブリーフはキャラクター性としては非常に強い武器なのでもっと活用する人がいてもいい気がします。私はもうやらない……と思うけど。
2009年7月7日火曜日
自民党の混迷と気になるアイツ
このところ選挙も近いせいで政治系の記事ばかり書いていてたまには気の抜ける記事も書きたいのですが、今日の記事もあまり間隔を空けられないニュースなだけにまたもや政治系記事です。そんなふんだりけったりな気持ちで書く今日の内容は、選挙前にもかかわらず混乱に拍車がかかってきている自民党についてです。
一昨日の日曜に行われた静岡県知事選ではすでにニュースでも報じられている通りに民主党が推薦していた川勝氏が見事当選し、四月以降の民主党の地方選挙での連勝も継続し続けています。この静岡県知事選の結果について自民党の幹部らは「所詮は地方選挙で、国政選挙に強い影響を与えないだろう」(細田幹事長)といった内容で口を揃えて振り返っていますが、もともと静岡県は自民党の地盤が強い土地であるうえに民主党は推薦候補者を川勝氏に一本化できずに海野氏もともに推薦していて票が割れたことを考えると、投票結果では自民推薦の坂本氏と僅差ではあるものの実際的には自民離れが相当なものであるということを強く裏付ける結果であると私は考えます。
また宮崎県の東国原旋風以降は地方選挙に対しても全国規模で関心が高まっており、今回の静岡県知事選でも投票率が前回44.49%から61.06%へと急増しており、次回の東京都議選も投票日まで時間がまだあるにもかかわらずさながら国政選挙かのように各国会議員が応援に駆け回っていることを考えると、「所詮は地方選挙」と見るのはたとえ強がりで言ったとしても見識が甘いのではないかと思います。
その自民党ですが、肝心の国政選挙に対しても現時点で明らかに準備不足で、なおかつ大きな混乱振りが以下のニュースより伺えます。
・10年内に国会一院制、自民がマニフェスト(読売新聞)
上記のニュースでは自民党が次回選挙に向けて製作しているマニフェストの草案内容が書かれているのですが、その内容をリストアップすると、
・10年以内に参議院を廃止して一院制に移行する
・同一選挙区内における3親等以内の世襲議員の立候補を次々回の選挙より禁止する
・国直轄事業負担金の廃止
・3年後に幼児教育費を無償化する
といった内容なのですが、まず確実にこれらは画餅に終わると私は断言できます。
まず最初の一院制の移行についてですが恐らく自民党の参議院議員からすれば寝耳に水の話で強い抵抗が起こって、恐らく盛り込まれるとしても「~に向けて議論する」で終わるでしょう。そして二番目の世襲禁止についてもこの前に散々にもめて結局大半の幹部らの強い抵抗によって潰されたのに、この草案を作ったのは菅氏だそうですがこの人の執念もここまでくるとたいしたものです。
ただそういったこと以上に、このマニフェストの草案がこうして表に出ること事態がそもそも問題です。というのも一度掲げた政策を後で引っ込めるほど格好の悪いものは無く、事実麻生政権は選挙をやると言ってはやらず、道路特定財源を廃止すると言っては鞍替えしただけ、郵政民営化に至っては実は反対だったと背筋の無い姿勢が一番支持率低下につながったのがこの一年でした。それだけにこのマニフェスト草案、内容は確かに非常に思い切りがよくてこれがそのまま通るのであればまぁ大きくプラスにはならずともマイナスにはならないでしょうが、恐らくこの後どんどんと表現が弱められて有権者にかえってますます支持離れを起こさせてしまう可能性があります。別にマニフェストに限らないですが、もっとしっかりと内容を煮詰めて今後変更の必要の内容にしてから表に出すのは政治の基本でしょう。もっともこの点は民主党にも同じことが言えますが。
それゆえにこの草案が表に出てきたことひとつとっても、自民党内に相当な混乱が起きているのではと思わせられます。事実もはや解散権は錆びた宝刀とまで言われるほど効力をなくしており、麻生降しも公然と行われる今になっては統制が取れていなくとも不思議ではありません。
そんな状況で、私がこの一ヶ月で一番気になる人物がおります。何を隠そうその人物と言うのも小池百合子元防衛大臣です。政界軽業師とまで揶揄されるほど最高のタイミングで次々と政党を鞍替えし、前回の総裁選挙では初の女性候補にもなった小池百合子氏ですが、何故だかここ一ヶ月ほどテレビなどで姿を見ることが一回もありませんでした。一つ考えられるのは死に体の麻生政権に与していないように見せるために敢えて姿を隠しているのでは、とも思うのですがそれにしたってインタビューでも全く見えないというのは異常です。
一体どこで何をしているのかとネットで調べると、5日にフジテレビの番組に出演して麻生政権を支えると言ったそうですが前歴が前歴であるだけに私はそう鵜呑みにはできません。いくつか予想を書くと、麻生降し後の総裁選挙を狙っているとか選挙後に民主党へ移るとかいろいろあるのですが、知名度があるだけに去就が非常に気になります。私としては能力は買っているので、後はどれだけ政治を面白くしてくれるかその立ち回りを小池氏に期待しています。
一昨日の日曜に行われた静岡県知事選ではすでにニュースでも報じられている通りに民主党が推薦していた川勝氏が見事当選し、四月以降の民主党の地方選挙での連勝も継続し続けています。この静岡県知事選の結果について自民党の幹部らは「所詮は地方選挙で、国政選挙に強い影響を与えないだろう」(細田幹事長)といった内容で口を揃えて振り返っていますが、もともと静岡県は自民党の地盤が強い土地であるうえに民主党は推薦候補者を川勝氏に一本化できずに海野氏もともに推薦していて票が割れたことを考えると、投票結果では自民推薦の坂本氏と僅差ではあるものの実際的には自民離れが相当なものであるということを強く裏付ける結果であると私は考えます。
また宮崎県の東国原旋風以降は地方選挙に対しても全国規模で関心が高まっており、今回の静岡県知事選でも投票率が前回44.49%から61.06%へと急増しており、次回の東京都議選も投票日まで時間がまだあるにもかかわらずさながら国政選挙かのように各国会議員が応援に駆け回っていることを考えると、「所詮は地方選挙」と見るのはたとえ強がりで言ったとしても見識が甘いのではないかと思います。
その自民党ですが、肝心の国政選挙に対しても現時点で明らかに準備不足で、なおかつ大きな混乱振りが以下のニュースより伺えます。
・10年内に国会一院制、自民がマニフェスト(読売新聞)
上記のニュースでは自民党が次回選挙に向けて製作しているマニフェストの草案内容が書かれているのですが、その内容をリストアップすると、
・10年以内に参議院を廃止して一院制に移行する
・同一選挙区内における3親等以内の世襲議員の立候補を次々回の選挙より禁止する
・国直轄事業負担金の廃止
・3年後に幼児教育費を無償化する
といった内容なのですが、まず確実にこれらは画餅に終わると私は断言できます。
まず最初の一院制の移行についてですが恐らく自民党の参議院議員からすれば寝耳に水の話で強い抵抗が起こって、恐らく盛り込まれるとしても「~に向けて議論する」で終わるでしょう。そして二番目の世襲禁止についてもこの前に散々にもめて結局大半の幹部らの強い抵抗によって潰されたのに、この草案を作ったのは菅氏だそうですがこの人の執念もここまでくるとたいしたものです。
ただそういったこと以上に、このマニフェストの草案がこうして表に出ること事態がそもそも問題です。というのも一度掲げた政策を後で引っ込めるほど格好の悪いものは無く、事実麻生政権は選挙をやると言ってはやらず、道路特定財源を廃止すると言っては鞍替えしただけ、郵政民営化に至っては実は反対だったと背筋の無い姿勢が一番支持率低下につながったのがこの一年でした。それだけにこのマニフェスト草案、内容は確かに非常に思い切りがよくてこれがそのまま通るのであればまぁ大きくプラスにはならずともマイナスにはならないでしょうが、恐らくこの後どんどんと表現が弱められて有権者にかえってますます支持離れを起こさせてしまう可能性があります。別にマニフェストに限らないですが、もっとしっかりと内容を煮詰めて今後変更の必要の内容にしてから表に出すのは政治の基本でしょう。もっともこの点は民主党にも同じことが言えますが。
それゆえにこの草案が表に出てきたことひとつとっても、自民党内に相当な混乱が起きているのではと思わせられます。事実もはや解散権は錆びた宝刀とまで言われるほど効力をなくしており、麻生降しも公然と行われる今になっては統制が取れていなくとも不思議ではありません。
そんな状況で、私がこの一ヶ月で一番気になる人物がおります。何を隠そうその人物と言うのも小池百合子元防衛大臣です。政界軽業師とまで揶揄されるほど最高のタイミングで次々と政党を鞍替えし、前回の総裁選挙では初の女性候補にもなった小池百合子氏ですが、何故だかここ一ヶ月ほどテレビなどで姿を見ることが一回もありませんでした。一つ考えられるのは死に体の麻生政権に与していないように見せるために敢えて姿を隠しているのでは、とも思うのですがそれにしたってインタビューでも全く見えないというのは異常です。
一体どこで何をしているのかとネットで調べると、5日にフジテレビの番組に出演して麻生政権を支えると言ったそうですが前歴が前歴であるだけに私はそう鵜呑みにはできません。いくつか予想を書くと、麻生降し後の総裁選挙を狙っているとか選挙後に民主党へ移るとかいろいろあるのですが、知名度があるだけに去就が非常に気になります。私としては能力は買っているので、後はどれだけ政治を面白くしてくれるかその立ち回りを小池氏に期待しています。
2009年7月6日月曜日
書評「歴史を「本当に」動かした戦国武将」
・歴史を「本当に」動かした戦国武将 松平定知著(Amazon)
ちょっと前に書店で並んでいたので買っとけば親父も読むだろうと手に取ったのが、上記にリンクを貼った「その時、歴史が動いた」で有名な元NHKアナウンサーの松平定知氏の著作、「歴史を「本当に」動かした戦国武将」でした。この本では戦国時代に時代をリードした信長や秀吉といった名だたる戦国大名の傍らに控え、実質的な切盛り役であったいわゆるナンバー2の武将たちにスポットを当てて彼らの業績や決断、果てには処世術を解説しております具体的に取り上げられている人物を挙げていくと秀吉の参謀であった黒田官兵衛を初めとして現在大河ドラマで盛り上がっている直江兼続に、石田三成、本田忠勝、藤堂高虎、片倉景綱や細川藤孝といった人物が取り上げられています。
本の全体の感想としては松平氏の口語体で書かれているため、なんといいうか文字で「その時、歴史が動いた」を見ているような感覚ですらすら読めていけただけでなく、この本に書かれている内容は私が歴史好きということもあって大体の事実は知っていましたが、石田三成と藤堂高虎についてはそれまで知らなかった内容もたくさん含まれていて充分に楽しめる内容でした。
ただそれ以上にこの本を読んで思ったのは、歴史的人物の評価のポイントが時代と共に大きく変わってきたなという実感でした。それこそ登場人物を挙げろといわれたら楽に百名以上は名前を言えるくらいの三国志マニアである私は小学生の頃、どうして日本はいわゆる軍師という地位の武将にスポットが当てられないのだろうかとずっと不思議でしょうがありませんでした。私が小学生の頃に三国志を読んだ際、曹操や劉備といった大将ももちろん活躍するのですがそれ以上に諸葛亮や周喩、荀彧や程昱といった軍師が大活躍するのを見て、日本にはこういった軍師はいないのではないかと考えていました。
もちろん当時はまだあまり日本史をよく知っていなかったという無知なのもありましたが、やはり当時の90年代と比べて2000年代に入ってからはそういった軍師級の人物に対して急に日の目が浴びるようになったと思います。
一つの指標としてこのところNHKがやっている大河ドラマの主役をみても、今年の「天地人」の直江兼続を初め一昨年の「風林火山」でも山本勘助が主役をかっさらい、組織のトップではなくその補助役ともいうべきナンバー2が俄然注目されるようになったのではないかという気がします。
私としてもそういった黒子として活躍した人物が好きなので満更でもないのですが、最近は一部で「責任忌避社会」とまで言われるほど管理職になりたがらない会社員が増えているとも聞くので、この傾向もそういった社会的背景をやや反映したものかもと邪推ながら思ってもしまいます。肝心の私はというと、周りからはよく意外に思われるそうなのですがやっぱりできることならプレイヤーでありたいと願っていますが、そうもうまくはなかなかいきません。
最後に私が一番好きなナンバー2は誰かというと、大岡忠相も捨てがたいのですが僅差で陸奥宗光を取ります。あまりまとまった評伝がこの人には無いので、今度小説にして書いてみたいのですが、大抵企画段階で終わってしまいます。
ちょっと前に書店で並んでいたので買っとけば親父も読むだろうと手に取ったのが、上記にリンクを貼った「その時、歴史が動いた」で有名な元NHKアナウンサーの松平定知氏の著作、「歴史を「本当に」動かした戦国武将」でした。この本では戦国時代に時代をリードした信長や秀吉といった名だたる戦国大名の傍らに控え、実質的な切盛り役であったいわゆるナンバー2の武将たちにスポットを当てて彼らの業績や決断、果てには処世術を解説しております具体的に取り上げられている人物を挙げていくと秀吉の参謀であった黒田官兵衛を初めとして現在大河ドラマで盛り上がっている直江兼続に、石田三成、本田忠勝、藤堂高虎、片倉景綱や細川藤孝といった人物が取り上げられています。
本の全体の感想としては松平氏の口語体で書かれているため、なんといいうか文字で「その時、歴史が動いた」を見ているような感覚ですらすら読めていけただけでなく、この本に書かれている内容は私が歴史好きということもあって大体の事実は知っていましたが、石田三成と藤堂高虎についてはそれまで知らなかった内容もたくさん含まれていて充分に楽しめる内容でした。
ただそれ以上にこの本を読んで思ったのは、歴史的人物の評価のポイントが時代と共に大きく変わってきたなという実感でした。それこそ登場人物を挙げろといわれたら楽に百名以上は名前を言えるくらいの三国志マニアである私は小学生の頃、どうして日本はいわゆる軍師という地位の武将にスポットが当てられないのだろうかとずっと不思議でしょうがありませんでした。私が小学生の頃に三国志を読んだ際、曹操や劉備といった大将ももちろん活躍するのですがそれ以上に諸葛亮や周喩、荀彧や程昱といった軍師が大活躍するのを見て、日本にはこういった軍師はいないのではないかと考えていました。
もちろん当時はまだあまり日本史をよく知っていなかったという無知なのもありましたが、やはり当時の90年代と比べて2000年代に入ってからはそういった軍師級の人物に対して急に日の目が浴びるようになったと思います。
一つの指標としてこのところNHKがやっている大河ドラマの主役をみても、今年の「天地人」の直江兼続を初め一昨年の「風林火山」でも山本勘助が主役をかっさらい、組織のトップではなくその補助役ともいうべきナンバー2が俄然注目されるようになったのではないかという気がします。
私としてもそういった黒子として活躍した人物が好きなので満更でもないのですが、最近は一部で「責任忌避社会」とまで言われるほど管理職になりたがらない会社員が増えているとも聞くので、この傾向もそういった社会的背景をやや反映したものかもと邪推ながら思ってもしまいます。肝心の私はというと、周りからはよく意外に思われるそうなのですがやっぱりできることならプレイヤーでありたいと願っていますが、そうもうまくはなかなかいきません。
最後に私が一番好きなナンバー2は誰かというと、大岡忠相も捨てがたいのですが僅差で陸奥宗光を取ります。あまりまとまった評伝がこの人には無いので、今度小説にして書いてみたいのですが、大抵企画段階で終わってしまいます。
2009年7月5日日曜日
鳩山邦夫氏について
昨日佐野眞一氏の講演会を聞いてきたばかりでちょうどいいタイミングなので、鳩山邦夫氏についての私の評価をここで書いておこうと思います。
まず最初に佐野氏が昨日の講演会にて話した邦夫氏(兄の鳩山由紀夫氏と分けるため便宜上以後はこの表記を使います)の話を紹介します。佐野氏は率直に、邦夫氏については非常に頭の賢い人物だと評しました。これはウィキペディアでも書かれていますが高校時代の全国模試では毎回全国一位で、本を一回読むだけで内容を暗記するなど秀才ぞろいの鳩山家において邦夫氏は特に抜きん出た知力を持っており、そのせいか兄の由紀夫氏からは嫉妬にも似たやっかみをもたれていると言っていました。これについては他のソースからも同じような情報はいくらでも手に入るのでほぼ確実と言ってよく、その上で佐野氏は過去の死刑議論についての鳩山氏の方法を内容の評価はともかくうまいやり方だったと褒め称えていました。
その死刑議論というのは鳩山氏が去年に法務大臣を務めていた際に死刑確定囚を一挙に執行し(この中には宮崎勤も含まれる)、その上で刑が確定から一定の年月を過ぎたら自動的に死刑が執行される必要があるのではということをベルトコンベヤ式という表現で発言したことが当時に大きく議論を呼びました。朝日新聞に至っては邦夫氏は「死神」とまで呼んで、邦夫氏の方もそれにマジになって反論するなど一時白熱しましたが、私はというとこの時の邦夫氏の発言は内容はどうあれ議論の端緒を作った意味で高く評価しています。
簡単にその理由を説明すると、死刑はその内容ゆえにやはり表立って議論しづらい問題です。特に判決から執行されるまでの時期については法務大臣の認可が必要と言うこともあってこれまで曖昧にされ続け、明確なルールが無いままいわば時の法務大臣の恣意的な判断に負うところが多かったのが事実です。死刑とはいえ刑が確定したにも関わらずそれが実行されないことについて、果たして法の正義はどこにあるのか、それであれば終身刑にすべきではという議論が専門家の間ではあったものの国民の中ではほぼ皆無といっていいほどにありませんでした。私はこの死刑という問題は国民も含めて議論する必要があり、そうした議論の波を作る目的であのような発言をしたのであればいろいろと納得が出来ますし、佐野氏が評価した点もそこにあると思います。
その一方、私の中で邦夫氏の評価を下げさせた事件というのはちょっと前の「草彅剛、裸になって何が悪い事件」です。これはうちのお袋が言っていたことですが、事件が起きた直後に地デジ移行のイメージキャラクターを草彅氏がやっていたということもあって激しく怒って、「最低の人間だ」とまで揶揄したのですが、ジャニーズファンなどからのこの発言に対して激しい抗議が起きるや翌日には「言い過ぎた」とすぐに発言を撤回して謝罪したことについて、背筋のしっかりしていない人間だと別にジャニーズファンでもないお袋も怒ってました。
私としても「最低の人間だ」などという激しい表現を使うのはどうかと思ううえに、慎重な発言が求められる政治家にも関わらずすぐに発言を撤回するなど言語道断だという気がします。これに限らず自らが総務大臣を辞任するきっかけとなった日本郵政の社長人事問題においても何度も「正義」という言葉を使って、麻生首相も発言が軽いですが邦夫氏も負けず劣らず非常に発言が軽いように思えます。だから二人とも馬が合ったんだろうけど。
上記の事例以外にもいろいろと評価する点はあるのですが、結論を言えば私は鳩山邦夫氏は政治家には明らかに向いていない人間だと考えています。確かに当意即妙に切り返す力や独特のユーモアは高く評価していますが政治家にとって致命的過ぎるほど発言が軽すぎており、評論家などの外部から政治的発言をする立場ならともかく実権を持って動かす人間ではないと思います。本人は政治家が自分の天職と思うほど政治が好きなようですが、もうすこし自分の適正を考えて、どうしてもというのなら地方議員や知事位に止めて置いてほしいです。
おまけ
多分こんなの覚えているのは私を含めてほとんどいないであろうから書いておきますが、十年くらい前に当時の人気テレビ番組の「進め!電波少年」にて邦夫氏が登場したことがありました。
確かお笑いコンビのTAKE2(ちょっと記憶が曖昧ですが)が自宅に招いてくれる政治家を探すという企画で国会前で片っ端から声を掛けていたところ、邦夫氏が「だったら俺の家の来い。朝飯を食わしてやるよ」と言って快く応じ、後日朝早くにTAKE2が尋ねていったところ邦夫氏が手ずから料理をして(確か作ったのはチャーハン)二人に振舞っていました。
ただその際に邦夫氏は調理中にも関わらずタバコを吸い続け、見ているTAKE2も「(タバコの)灰が鍋に落ちてるよ」と小声で漏らしていました。当時からキャラが濃い政治家だとは思ってましたが、十年たって余計に濃くなった気がします。
まず最初に佐野氏が昨日の講演会にて話した邦夫氏(兄の鳩山由紀夫氏と分けるため便宜上以後はこの表記を使います)の話を紹介します。佐野氏は率直に、邦夫氏については非常に頭の賢い人物だと評しました。これはウィキペディアでも書かれていますが高校時代の全国模試では毎回全国一位で、本を一回読むだけで内容を暗記するなど秀才ぞろいの鳩山家において邦夫氏は特に抜きん出た知力を持っており、そのせいか兄の由紀夫氏からは嫉妬にも似たやっかみをもたれていると言っていました。これについては他のソースからも同じような情報はいくらでも手に入るのでほぼ確実と言ってよく、その上で佐野氏は過去の死刑議論についての鳩山氏の方法を内容の評価はともかくうまいやり方だったと褒め称えていました。
その死刑議論というのは鳩山氏が去年に法務大臣を務めていた際に死刑確定囚を一挙に執行し(この中には宮崎勤も含まれる)、その上で刑が確定から一定の年月を過ぎたら自動的に死刑が執行される必要があるのではということをベルトコンベヤ式という表現で発言したことが当時に大きく議論を呼びました。朝日新聞に至っては邦夫氏は「死神」とまで呼んで、邦夫氏の方もそれにマジになって反論するなど一時白熱しましたが、私はというとこの時の邦夫氏の発言は内容はどうあれ議論の端緒を作った意味で高く評価しています。
簡単にその理由を説明すると、死刑はその内容ゆえにやはり表立って議論しづらい問題です。特に判決から執行されるまでの時期については法務大臣の認可が必要と言うこともあってこれまで曖昧にされ続け、明確なルールが無いままいわば時の法務大臣の恣意的な判断に負うところが多かったのが事実です。死刑とはいえ刑が確定したにも関わらずそれが実行されないことについて、果たして法の正義はどこにあるのか、それであれば終身刑にすべきではという議論が専門家の間ではあったものの国民の中ではほぼ皆無といっていいほどにありませんでした。私はこの死刑という問題は国民も含めて議論する必要があり、そうした議論の波を作る目的であのような発言をしたのであればいろいろと納得が出来ますし、佐野氏が評価した点もそこにあると思います。
その一方、私の中で邦夫氏の評価を下げさせた事件というのはちょっと前の「草彅剛、裸になって何が悪い事件」です。これはうちのお袋が言っていたことですが、事件が起きた直後に地デジ移行のイメージキャラクターを草彅氏がやっていたということもあって激しく怒って、「最低の人間だ」とまで揶揄したのですが、ジャニーズファンなどからのこの発言に対して激しい抗議が起きるや翌日には「言い過ぎた」とすぐに発言を撤回して謝罪したことについて、背筋のしっかりしていない人間だと別にジャニーズファンでもないお袋も怒ってました。
私としても「最低の人間だ」などという激しい表現を使うのはどうかと思ううえに、慎重な発言が求められる政治家にも関わらずすぐに発言を撤回するなど言語道断だという気がします。これに限らず自らが総務大臣を辞任するきっかけとなった日本郵政の社長人事問題においても何度も「正義」という言葉を使って、麻生首相も発言が軽いですが邦夫氏も負けず劣らず非常に発言が軽いように思えます。だから二人とも馬が合ったんだろうけど。
上記の事例以外にもいろいろと評価する点はあるのですが、結論を言えば私は鳩山邦夫氏は政治家には明らかに向いていない人間だと考えています。確かに当意即妙に切り返す力や独特のユーモアは高く評価していますが政治家にとって致命的過ぎるほど発言が軽すぎており、評論家などの外部から政治的発言をする立場ならともかく実権を持って動かす人間ではないと思います。本人は政治家が自分の天職と思うほど政治が好きなようですが、もうすこし自分の適正を考えて、どうしてもというのなら地方議員や知事位に止めて置いてほしいです。
おまけ
多分こんなの覚えているのは私を含めてほとんどいないであろうから書いておきますが、十年くらい前に当時の人気テレビ番組の「進め!電波少年」にて邦夫氏が登場したことがありました。
確かお笑いコンビのTAKE2(ちょっと記憶が曖昧ですが)が自宅に招いてくれる政治家を探すという企画で国会前で片っ端から声を掛けていたところ、邦夫氏が「だったら俺の家の来い。朝飯を食わしてやるよ」と言って快く応じ、後日朝早くにTAKE2が尋ねていったところ邦夫氏が手ずから料理をして(確か作ったのはチャーハン)二人に振舞っていました。
ただその際に邦夫氏は調理中にも関わらずタバコを吸い続け、見ているTAKE2も「(タバコの)灰が鍋に落ちてるよ」と小声で漏らしていました。当時からキャラが濃い政治家だとは思ってましたが、十年たって余計に濃くなった気がします。
北京留学記~その五、授業
中国での大学の授業期間は日本と同じく前期、後期の二期制が基本です。ただ授業が行われる期間は日本とは少し異なって前期は三月から七月まで、後期は九月から一月までと、日本の大学と比べると終了時期こそ一緒なれど開始時期は一ヶ月ほど早く始まります。そして授業は基本的には午前中に一コマ五十分の授業を合間に十分休みをとって合計四コマで、正午過ぎに正規の授業は終わります。
なお補足しておくと自分たち留学生は始業が八時半でしたが、北京語言大学の一般の中国人学生は八時から始まっていました。理由は何でも以前は留学生、中国人学生ともに同じ八時開始だったのですが、日本を含めて本国では九時開始だったと言い訳しては遅刻する外国人学生が後を絶たなかったため、妥協策として始業をそれまでから三十分程遅らせるようにしたらしいのですが、しかし三十分遅らせたところで遅刻する学生はやはりというか一向に減らなかったそうです。さらについでに書いておくと、やっぱりアジア系の学生は出席率が良くて欧米系の学生は出席率がどのクラスでも悪かった気がします。
話は戻ってそうやって午前中に授業が行われると、ほかの大学ではわかりませんが午後は特に授業は設けられずずっとフリーでした。学期前に申し込んでおけば課外の授業として武術、太極拳、体育といった授業を受けることが出来ますが、私みたいに何も課外授業を登録していなかった学生は午後は毎日のんびりと過ごしてました。曜日については日本と全く同じで、月曜から金曜まで授業があって土日は完全な休日でした。
授業で使うテキストは外国人は恐らく全中国共通で、北京語言大学の出版部が出してるテキストを使っていると思います。元々北京語言大学は外国人に中国語を教えるための大学でそうした教材も率先して作っており、現在確認しているだけでも蘇州、広州に向かった留学生も私と同じテキストを使っていたと確認しております。テキスト内容は学期ごとに一冊、もしくは二冊のペースでこなして行き、中身はほかの外国語の教科書と同じように対話形式や文章形式の文章が載せられ、その文章の後に単語と文法の解説が続く形式でした。
蛇足かもしれませんが、会話形式の文章中に、「山田」という日本人女性が登場したり、「麦古」という漢字で書く「マイク君」というアメリカ人などが登場しますが、何故だか一番たくさん中国に留学に来ている韓国人はテキストには名前つきでは一人も登場しませんでした。国が近すぎるせいでしょうかね。
正規の授業の科目は大まかに分けるとまず四つに分かれ、日本の英語授業でリーダーに当たる「総合」、スピーキングにあたる「口語」、ヒアリングに当たる「聴力」、サイドリーダーに当たる「閲読」の四つありまいた。この四つの中で特筆すべきなのは「閲読」で、というのも日本人がやけに得意な科目になるからです。
言うまでも無く中国語の漢字と日本語の漢字は、それぞれ一部が略字化された結果見かけは少し変わってしまいましたが部首のパターンと意味は同じです。そのため閲読で使われる長い文章の読解において日本人だと、多少文法がわからなくとも漢字を見るだけで文章全体の大まかな内容を理解することができてしまうのです。
ここまでくればわかるでしょうが閲読の時間で日本人はほんの一瞬で問題を解いてしまって、他の留学生が読解に手間取っている間を大抵寝て待っています。授業では最初にその日にやる単元の比較的長い文章を各自で読んだ上で付属の問題を解き、最後に先生から回答とその解説が行われるのですが、ほかの留学生が三十分かける問題を日本人は五分くらいで毎回終わらせてしまうので、終いには「お前らずるいぞ!」とフランス人の姐さんから怒られる羽目になりました。
なお補足しておくと自分たち留学生は始業が八時半でしたが、北京語言大学の一般の中国人学生は八時から始まっていました。理由は何でも以前は留学生、中国人学生ともに同じ八時開始だったのですが、日本を含めて本国では九時開始だったと言い訳しては遅刻する外国人学生が後を絶たなかったため、妥協策として始業をそれまでから三十分程遅らせるようにしたらしいのですが、しかし三十分遅らせたところで遅刻する学生はやはりというか一向に減らなかったそうです。さらについでに書いておくと、やっぱりアジア系の学生は出席率が良くて欧米系の学生は出席率がどのクラスでも悪かった気がします。
話は戻ってそうやって午前中に授業が行われると、ほかの大学ではわかりませんが午後は特に授業は設けられずずっとフリーでした。学期前に申し込んでおけば課外の授業として武術、太極拳、体育といった授業を受けることが出来ますが、私みたいに何も課外授業を登録していなかった学生は午後は毎日のんびりと過ごしてました。曜日については日本と全く同じで、月曜から金曜まで授業があって土日は完全な休日でした。
授業で使うテキストは外国人は恐らく全中国共通で、北京語言大学の出版部が出してるテキストを使っていると思います。元々北京語言大学は外国人に中国語を教えるための大学でそうした教材も率先して作っており、現在確認しているだけでも蘇州、広州に向かった留学生も私と同じテキストを使っていたと確認しております。テキスト内容は学期ごとに一冊、もしくは二冊のペースでこなして行き、中身はほかの外国語の教科書と同じように対話形式や文章形式の文章が載せられ、その文章の後に単語と文法の解説が続く形式でした。
蛇足かもしれませんが、会話形式の文章中に、「山田」という日本人女性が登場したり、「麦古」という漢字で書く「マイク君」というアメリカ人などが登場しますが、何故だか一番たくさん中国に留学に来ている韓国人はテキストには名前つきでは一人も登場しませんでした。国が近すぎるせいでしょうかね。
正規の授業の科目は大まかに分けるとまず四つに分かれ、日本の英語授業でリーダーに当たる「総合」、スピーキングにあたる「口語」、ヒアリングに当たる「聴力」、サイドリーダーに当たる「閲読」の四つありまいた。この四つの中で特筆すべきなのは「閲読」で、というのも日本人がやけに得意な科目になるからです。
言うまでも無く中国語の漢字と日本語の漢字は、それぞれ一部が略字化された結果見かけは少し変わってしまいましたが部首のパターンと意味は同じです。そのため閲読で使われる長い文章の読解において日本人だと、多少文法がわからなくとも漢字を見るだけで文章全体の大まかな内容を理解することができてしまうのです。
ここまでくればわかるでしょうが閲読の時間で日本人はほんの一瞬で問題を解いてしまって、他の留学生が読解に手間取っている間を大抵寝て待っています。授業では最初にその日にやる単元の比較的長い文章を各自で読んだ上で付属の問題を解き、最後に先生から回答とその解説が行われるのですが、ほかの留学生が三十分かける問題を日本人は五分くらいで毎回終わらせてしまうので、終いには「お前らずるいぞ!」とフランス人の姐さんから怒られる羽目になりました。
2009年7月4日土曜日
佐野眞一講演会レビュー
本日私の地元にてノンフィクション作家の佐野眞一氏の講演会があったので、友人と共に行ってきました。まず簡単に佐野眞一氏の経歴を紹介すると日本におけるノンフィクション作家としては事実上最巨頭であり、過去に取り上げたものとして東電OL殺人事件や甘粕事件、そのほか石原新太郎東京都知事や中内功氏などの人生を優れた著作として残しています。私もいくつか読ませていただいたのですがどれも面白く、何よりも佐野氏のこだわりすぎではないかと思わされるほどの綿密な取材には毎回頭が下がります。前述の甘粕事件を取り上げた著作の取材においては中国東北部こと旧満州地方を回って非常にハードだったと述べてましたが、あの年齢でそれだけ取材するだけでもたいしたものです。
そんなわけで実際の講演内容についてですが、これは友人も言ってましたが結構話が二転三転していました。もともとカバー範囲の広い方ですのでこうなることは予想しており、私もカバー範囲の広さが武器ゆえに話が次から次へと飛ぶのが特徴なのであまり気にならなかったのですが、友人の方はというとあんまりにも飛ぶもんだから聞いてて疲れたと後で言ってました。
まず最初に話したのは政局についてでした。これは本人も宣伝だといってましたが来週7/10発売の文芸春秋に鳩山邦夫氏とのインタビューと評論を書いたそうで、その際のインタビュー時の話や鳩山家の因縁、そして次回の選挙の歴史的意義について話をしていました。
私が聞いていて面白かったのは、鳩山邦夫氏の立ち位置についてです。佐野氏が言うには鳩山邦夫氏は皆さんも知っての通りに過去四度の自民党総裁選で一貫して麻生現首相を応援し続けるだけあって非常に麻生首相に近い存在である一方、自民党の対抗馬である民主党の現代表である鳩山由紀夫氏の実弟であります。麻生政権が発足した後はその論功として鳩山邦夫氏は総務大臣となりましたが例の郵政会社社長の任命問題によって罷免され、それがきっかけとして明らかに麻生政権の支持率は低下し、意識してかしないでか兄弟の阿吽の呼吸によって自民党政権崩壊のきっかけを作ったと評していました。
この辺も長いので次回に鳩山邦夫論でもまた私から書こうと思いますが、このほか話していたのは昭和から平成へのパラダイムや、日本の立ち位置についてです。昭和から平成へのパラダイムは言うまでも無く昭和天皇の逝去ですが、この年にまるで天皇とあわせるかのようにして美空ひばり、松下幸之助、手塚治虫といった昭和を代表する人物らが逝去し、日本人の価値観にぽっかりと空白を作ったことがその後に大きく影響したと指摘していました。
この辺については私もほぼ同意見で、このブログで連載した「失われた十年」の元の発端は最終的には昭和天皇の死にあると思います。その上で佐野氏は今の日本の根元はどこにあるのかと必死で考えた挙句、最終的に満州と沖縄の延長線が交錯する点にあるのではないかと考えて最近の取材を行うようになったそうです。
結構ややこしい話もあって変に誤解したところを書くのもあれなんでこの辺で止めておきますが、講演自体は期待通りに非常に面白く、知的刺激を満面に受けられたいい講演でした。ただ去年の田原総一朗氏の講演同様に集まったのはお年を取られた方が多く、自分と友人のような二十代くらいの若者は本当に数えるほどしかいませんでした。さすがに田原氏みたいに凝視されることはありませんでしたが、帰りに友人とも話しましたが今時十代や二十代の若者の九割くらいは佐野氏のことを知らないだろうと思います。著作はどれを読んでも面白いので、もし興味があれば是非佐野氏の本をお手にとられるのをお薦めします。
なお帰りにファミレスにて「クリームあんみつ(抹茶)」を食べて帰りました。昨日に300円で売っているところを見つけられたのでこれからも利用したいと思います。
そんなわけで実際の講演内容についてですが、これは友人も言ってましたが結構話が二転三転していました。もともとカバー範囲の広い方ですのでこうなることは予想しており、私もカバー範囲の広さが武器ゆえに話が次から次へと飛ぶのが特徴なのであまり気にならなかったのですが、友人の方はというとあんまりにも飛ぶもんだから聞いてて疲れたと後で言ってました。
まず最初に話したのは政局についてでした。これは本人も宣伝だといってましたが来週7/10発売の文芸春秋に鳩山邦夫氏とのインタビューと評論を書いたそうで、その際のインタビュー時の話や鳩山家の因縁、そして次回の選挙の歴史的意義について話をしていました。
私が聞いていて面白かったのは、鳩山邦夫氏の立ち位置についてです。佐野氏が言うには鳩山邦夫氏は皆さんも知っての通りに過去四度の自民党総裁選で一貫して麻生現首相を応援し続けるだけあって非常に麻生首相に近い存在である一方、自民党の対抗馬である民主党の現代表である鳩山由紀夫氏の実弟であります。麻生政権が発足した後はその論功として鳩山邦夫氏は総務大臣となりましたが例の郵政会社社長の任命問題によって罷免され、それがきっかけとして明らかに麻生政権の支持率は低下し、意識してかしないでか兄弟の阿吽の呼吸によって自民党政権崩壊のきっかけを作ったと評していました。
この辺も長いので次回に鳩山邦夫論でもまた私から書こうと思いますが、このほか話していたのは昭和から平成へのパラダイムや、日本の立ち位置についてです。昭和から平成へのパラダイムは言うまでも無く昭和天皇の逝去ですが、この年にまるで天皇とあわせるかのようにして美空ひばり、松下幸之助、手塚治虫といった昭和を代表する人物らが逝去し、日本人の価値観にぽっかりと空白を作ったことがその後に大きく影響したと指摘していました。
この辺については私もほぼ同意見で、このブログで連載した「失われた十年」の元の発端は最終的には昭和天皇の死にあると思います。その上で佐野氏は今の日本の根元はどこにあるのかと必死で考えた挙句、最終的に満州と沖縄の延長線が交錯する点にあるのではないかと考えて最近の取材を行うようになったそうです。
結構ややこしい話もあって変に誤解したところを書くのもあれなんでこの辺で止めておきますが、講演自体は期待通りに非常に面白く、知的刺激を満面に受けられたいい講演でした。ただ去年の田原総一朗氏の講演同様に集まったのはお年を取られた方が多く、自分と友人のような二十代くらいの若者は本当に数えるほどしかいませんでした。さすがに田原氏みたいに凝視されることはありませんでしたが、帰りに友人とも話しましたが今時十代や二十代の若者の九割くらいは佐野氏のことを知らないだろうと思います。著作はどれを読んでも面白いので、もし興味があれば是非佐野氏の本をお手にとられるのをお薦めします。
なお帰りにファミレスにて「クリームあんみつ(抹茶)」を食べて帰りました。昨日に300円で売っているところを見つけられたのでこれからも利用したいと思います。
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